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  [No.3292] アイの花 投稿者:焼き肉   投稿日:2014/06/14(Sat) 22:19:26   58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ミュウツー】 【アイツー】 【ミュウツーの逆襲

『この花はアイ、という名前の花なのだそうです』

 月の光に照らされた、先端に実のような桃色の花の粒をいくつもくっつけた花たちを爪で指しながら、ニドク
インはミュウツーに説明をしました。

 ミュウツーは花に興味などありませんから、アイ、とオウムがえしに繰り返すだけでした。というより、ずっ
と試験管の中で育ってきた彼には、花と触れ合う機会なんてなかったものですから、まだ好きかどうかもわから
ない、と言ったほうが正しいかもしれません。

 ミュウツーに説明をしたニドクインは、前方に広がるアイの花を優しい目で見つめながら、大きな体を屈め、
自分の子どもであるまだまだちいさなニドクインの頬をそっと撫でました。

 お母さんであるニドクインにほっぺたを撫でられて、ちいさなニドクインは目を細めて一声鳴きました。ニド
クインは晴れた海のように凪いだ目で自分の子どもを見て、ミュウツーにとっては不思議なことを言いました。

『そして、私がこの子に向ける感情も、アイ、という名前なのです』
『感情もアイ、だと?』

 ミュウツーには同じ名前のものがふたつあることを上手く飲み込めないようでした。

 何故って、彼も元々はオリジナルのコピー、つまり同じものではありますが、それはそれとしてミュウツーと
いう名前があったからです。

 ミュウツーがなんとなく見ていた花を、ニドクインのお母さんは親切で教えてくれたのですが、ミュウツーに
とっては余計に混乱する言葉であったようでした。

『同じ名前の言葉はいっぱいあるそうです。だけど名前が同じでも意味は全く違います。同じでも同じではない
のです』
『私にはわからない』
『わからなくてもいいのですよ』
 
 厳しい顔のミュウツーに、ニドクインは言いました。夜の光のなかで、彼女の体はいっそう大きく見えます。

『私も、好奇心でいっぱいのこの子に色んなことを聞かれますが、何でもわかるわけではありませんから』

 ニドクインは、ちいさなニドクインにアイを向けながら、微笑んでいました。

 ☆

(花のアイ、感情のアイ)

 ニドクインの親子から離れて一人歩きながら、ミュウツーは教えてもらった言葉を頭の中で繰り返していまし
た。

 ミュウツーは人と話が出来るくらい体も頭も発達したかしこいポケモンでしたから、二つの言葉を繰り返しな
がら、ずっと考え込んでいました。しかしミュウツーでも考えごとに詰まることはあるようです。

 そもそもどうして自分がニドクインのお母さんに教えてもらった言葉を繰り返し呟いているのか、そこからし
てわかっていないようでした。

 サラサラと綺麗な水が流れる音がします。ミュウツーたちが隠れ住んでいるこの島には、とてもおいしい水が
あるのです。

『こんばんは。今日の月は丸いですね』

 四足で歩くニャースが、ミュウツーにあいさつをしました。ミュウツーがうなずくと、ニャースはどこかへ走
って行きました。

(ニドクインは、同じ名前の言葉がいっぱいあるといった。そして同じでも同じではないのだと)

 月の光が、ミュウツーのいる場所をぼんやりと照らしていました。月の光に満ちる彼の影。それは人間の影に
見えます。

 ミュウツーは自分の体の作り出す、人の形のような影を立ち止まって見つめていました。その影は一瞬だけブ
レて、もっと小さなシルエットを作り出します。

 小さな影は、彼を作り出す元となった、私たちがほとんど見たこともないポケモンのもののようでした。

 ただの錯覚だったのでしょうか。ミュウツーがまどろんだ意識を引き締めると、それは元のミュウツーの影に
戻っていました。

 影は、他のだれでもないミュウツーの影のまま、ミュウツーに寄りそってただそこにあるだけです。まるで、
彼の作り出す元となったポケモンのものでも、ミュウツーのものでもない何かの影の形になっていたことなんて
知らないというように。

 ☆

 ミュウツーの鋭い瞳に映る景色は、色彩の乏しいものに変わっていました。人の住む家も歩く通りも、全てが
白いスケッチに薄い陰影をつけただけの、古いモノクロ写真のような風景です。

 どこか寂しい色合いの景色は、まるでずっと昔の、怒りの感情に身を任せたミュウツーそのもののようでもあ
ります。

 しかしミュウツーはこんな景色に覚えがありませんでした。
 
郵便ポストも、ガーディのものらしい犬ポケモンの小屋のある大きな家も、レンガの敷き詰められた歩道も、何
ひとつミュウツーの記憶を揺さぶるものでありません。

 どこからか声がしました。風も音もない景色の中、反響して聞こえてくるそれは、誰かの笑い声のようでした


 ニドクインがミュウツーと自分の子どもに向けていたものとは、少し違うもののようです。もっともっと、強
い感情。例えば友達や、それと同等の大事な人と過ごしている時にたてる、大きな大きな笑い声。

 気むずかしいミュウツーは、そんな風に笑ったことはありませんでしたが、強い感情を表す声は、何故か不快
に感じることもなく、むしろ興味を湧かせたようです。

 ミュウツーは宙を翔けて、声のした方へと進んで行きました。

 声はどんどん大きくなっていって、やがて笑い声をたてる誰か以外の声も聞こえてきました。はしゃぐ誰かを
たしなめる、女の人の声。はしゃぐ誰かを見て笑う、男の人の声。

 ミュウツーが大地に降り立つと、色のない花達が彼の体を受け止めました。
 ミュウツーはその花たちの名前を知っていました。
 ニドクインが教えてくれた、アイという名前の花です。

 ミュウツーのすぐ近くで、笑い声を立てる影が、二つの影に寄り添って、いっそう楽しそうに笑います。

 それは、親子の影でした。小さな女の子に寄り添って、メガネをかけた父親と、どこか女の子に似た優しそう
な母親が、アイの花の中で微笑む女の子と一緒に遊んでいます。ミュウツーには、親というものがいませんでし
たが、その三つの影はとても幸せいっぱいに満たされているようにみえました。

 無意識に、その三つの影に向かって、ミュウツーは歩いていました。その足元で、花たちが風もなく音もなく
揺れています。

 ミュウツーが影達に手を伸ばした時。
 影は溶けるように、消えました。
 夢みたいに、消えてしまいました。

 同時に足元のアイの花が、粒のような花びらを弾けさせ、その身を枯らしました。辺りにはもう、ミュウツー
以外のものはありませんでした。

『消えちゃった。何もかも』

 何もなくなったはずの周囲には、いつの間にか明るい夜空が広がって、頭上にも足元にも、ヒトデマンみたい
な形の星がキラキラと輝いています。

 ミュウツーの前には、星と月の光に照らされた夜の空の色の、長い髪の女の子が立っていました。髪と同じ色
をした女の子の目からは、夜露のような涙がこぼれています。

 楽しかった物語が終わってしまったみたいに呟いた女の子に、ミュウツーはいたずらをしたガーディみたいに
うなだれました。

『すまなかった。壊すつもりはなかったんだ』

 ミュウツーには強大な力がありましたから、当然その力で色んな物を壊したことだってあります。でもさっき
は、壊そうと思ってやったことではありませんでした。ただあたたかそうなそれに手を伸ばした瞬間、何もかも
がはじけて消えてなくなってしまったのです。

『いいの。元々、もうなくなっていたものだったから』
『だがお前は悲しんでいる……涙を流している』
『ううん、これはあなたのせいじゃないの。気にしないで』

 女の子はそう言いましたが、ミュウツーは女の子の言葉とはあべこべに、彼女の涙が気になってしかたがあり
ませんでした。

 涙だけじゃありません。彼女と自分の周りに広がる無数の星も、まんまるのお月様も、涙を流す女の子自身も
、全てが気になってしかたがありませんでした。今目に映るもの全てが、埋もれた記憶の中から引き出せない、
大切なものであるように思えます。

『これは星』

 ミュウツーは、周りに散らばる小さな光の一つを指さしました。

『これは月』

 ミュウツーは、女の子の背後にある大きな丸を指さしました。

『お前は……誰なんだ?』

 ミュウツーは、夜空を薄めた色をした、長い髪の女の子を指さしました。

『わたしは──』

 女の子は名乗ろうとして、喉に何かが詰まったように口を閉ざしました。

『思い出せない。だけどいいの。もうわたしはいないものだから』

 まんまるの月を背に、星空の中立っている女の子は、微笑みながら言いました。ミュウツーの目は、微笑む彼
女の姿をうまく映すことが出来ませんでした。

『あなたが今流しているのは、ナミダ』

 ミュウツーがそうしたように、女の子はミュウツーの目を指さして言いました。女の子は軽やかにスキップを
するようにミュウツーに近づいて、それからニドクインのお母さんが自分の子どもにしていたように、ミュウツ
ーの頬に触れます。

 不思議な女の子は、ミュウツーと同じように、あたたかな手をしていました。

『星と月。そしてナミダ。忘れないで』

 その時、二人の声以外に無音だった夜空の世界に、風が吹きました。二人の足元から吹いてくる風は、広がる
星空くらいにたくさんの何かを舞い上がらせます。

 アイの花でした。

 詰まれた花のように、花と茎と葉だけのアイの花が夜空の向こうに吹き飛ばされて行きます。

 夜空の中、アイの花が遥かに旅立つ光景の中、女の子の姿が、空の中に溶けていくように薄らぎはじめました


 薄れる彼女から溢れる光の粒子は、まるで星を生み出しているようでした。

『まて! 何故だ! 何故私はお前を見て、ナミダを流しているんだ』
『それはあなたが今、生きているから』

 ほっぺたに触れている手のぬくもりも感触も、薄れていく姿と同じように、少しずつ色あせていきます。

『わたしの名前は、思い出せなくていいの。だって『アイ』は、もうあなたの中にあるから』

 涙を流し続けるミュウツーの前で、女の子は光の粒を弾けさせて消えました。

 後に残ったのは、夜の空と、ヒトデマンみたいな星たちと、まんまるの大きな月と、涙を流すミュウツーだけ
です。

 冷たい風が、アイの花をいつまでもいつまでも、空の向こうへ送り届けていました。

 ☆

 ミュウツーが目を開けると、既にお日様が青い空に昇っていました。
 いつの間にやら眠ってしまっていたようです。
 何か夢を見ていた気がしますが、ハッキリと思い出せません。

 ミュウツーは腰掛けていた岩から降りて、仲間のいるであろう場所に歩いて行きました。



 ミュウツーと行動を共にしているポケモンたちはとっくに起きて、めいめいお腹を満たすために食事をしてい
るようです。みんな行儀よく座って木の実を食べているところを、ちょろちょろと落ち着きなく走っている小さ
な影がありました。

 ちいさなニドクインです。昨夜ミュウツーと話していた、ニドクインの子供であるようです。元気のありあま
ったちいさなニドクインは、全くバテる様子もなく辺りを走り回って──大きくバランスを崩しました。

 頭を下にして宙に浮いたちいさなニドクインの体の下には、鋭く尖った硬い石が転がっています。

(危ない──!!)

 ミュウツーはとっさにねんりきを使って、ちいさなニドクインの体を空中にぬい止めます。間一髪、頭から石
の上に落下する寸前で、ちいさなニドクインの体はミュウツーのねんりきによって助けられました。

 ちょうどそこに、昨夜のニドクインが大きな体を揺らして走ってきます。腕を伸ばしたミュウツーと、空中に
留まる我が子と、その下の尖った石を見てニドクインは事情を察したようでした。

『ああ、この子ったら! ありがとうございます。あなたが助けてくれなかったら、この子がケガをするところ
でした』

 頭を下げるニドクインの足元に、ミュウツーは再び念力を使ってちいさなニドクインの子どもをそっと降ろし
ます。

 ニドクインのお母さんは、何が起こったのかわからずきょとんとしている子どもをキツく叱ったあと、大事そ
うにちいさな体を抱き上げて、ミュウツーの眼前に突き出しました。

『ほら、この方があなたを助けてくれたのよ。キチンとお礼をいいなさい』
『……ありがとう』

 ちいさなニドクインの子どもは叱られて少ししょんぼりしていましたが、ミュウツーが助けてくれたことは理
解しているのか、にっこりと笑ってお礼を言いました。

 お礼の言葉を聞いたミュウツーは、なぜか自分の心の奥で星が瞬き、月が微笑んだような気がしました。


『わたしの名前は、思い出せなくていいの。だって『アイ』は、もうあなたの中にあるから』


 誰かに声をかけられた気がして、ミュウツーは背後を振り返りました。
 だけどそこには誰もいません。

 昨夜ニドクインのお母さんに名前を教えてもらったアイの花たちが、優しい風に揺れているだけでした。




 注・ニドクインの子どもなのにちいさいニドクインなのは、続編の「ミュウツー! 我ハココニ在リ」の設定に
従ったものです。

アイの花 (画像サイズ: 300×360 14kB)

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