もはやこの出来事の何について驚けばいいのか、分からなくなってきた。それほどまでに私は混乱しているのだろうか。目の前に現れた不思議な女性が全く別の姿に変わったことか、それともその姿が夢にみたものと全く同じものであることか。
 いま私の前を行く霧の向こうに見える姿は、彼女と呼べるものではなく夢の中で見たハクリューそのものだった。霧に覆われているのに姿が見えたのは、そのハクリューが夢同様に紫色した炎の様なオーラをまとって輝いていたからだ。そしてそれは今もどこかへ向かうように湖面をするすると進んでいく。
 どれくらい泳いだか、すっかり夜になってしまい、その上霧に覆われた湖面からは知る由もなかった。だが目の前をゆくハクリューがその進む速度を緩めたことで、どうやら目的の場所に着いたように推察する。視界が悪くて気づかなかったが、そこには小さな浮島があってそこに上がっていくのが見えた。
 ここまで来て初めて、自分が導かれていたのではないかと思い至った。なぜか、なんて分からない。けれど彼女は、いや、ハクリューは私をここに連れてきた。ハクリューを求めているのは私のほうである。願ってもないことに、歩みを止める理由などもう何もありはしない。

 浮島に上がると思ったよりも目の前に、それは静かにたたずんでいた。
 一本の小さな木にその体を預けるようにして、横たえた身体は微動だにしない。アメジストの様な瞳がじっとこちらを見て、私が必要以上に近づくことを拒んでいるようだった。拒みながら、けれどすがるように弱ったまなざし。それは夢の中で見たような覇気の感じられるものではなく、寧ろ霞んでうつろな…まるで命の終わりを感じさせるようなそんな儚い瞳をしている。
 今にも消えてしまいそうな命の火を目の前に、私は歯がゆくも、どうすることも出来なかった。
 「あなたと旅を共にしたい、私に出来ることなら何でもしましょう。だからどうか……」
 最後まで言葉にすることは出来なかった。ハクリューが霞んだ瞳を私に向け、小さく首を振ったからだ。言葉を理解していることに驚くべきなのだろうが、いまやそんなことはどうでも良かった。ただ、私の願いは受け入れられるものでなく、他に出来ることも思いつかない無力さに胸が詰まる。
 ハクリューの紫色の輝きは儚くも、時間を追うごとにその光の強さを増していった。それはまるで燃え尽きる前のろうそくの炎のようで、見守ることすら辛さを覚えたが最後までそばに居ようと強く心に決めた。なぜ、この場所に私が呼ばれたのであろう?ただのトレーナーでしかない私に、ハクリューは何を求めたのだろう。

 夜空に浮かぶ月がその光を失って、また新しく生まれ変わる。その新月の今宵。
 チョウジの町で光るポケモンにまつわる話を聞いたとき、それが決まって新月の前後だという話があった。私の運が良かったのか、それとも何かに導かれたのかは分からない。けれどその月の姿と、いま目の前にある状況に二つの現象を結ぶつながりを理解した。それはとても神秘的であり、またごく自然のようにも思えた。
 私がぼんやりと噂を理解していると、急に明るさを増したハクリューの光に目を奪われる。もはや自由に動くこともままならないような様子で、精一杯震わせて私の方へ頭を伸ばす。手を伸ばして受け止めてやりたい衝動を必至にこらえ、ハクリューは何をしようとしているのか見守る。
 その瞳の見つめる先は、私が胸にくくりつけた膨らんだ上着だった。愛おしそうなまなざしに、私は自分が抱えているものが何であるかを知った。やはりこれは先ほど彼女が残していった、ハクリューのタマゴなのであろう。新しいその命のつなぎ目に、私は選ばれたのか。
 自分に望まれているものがようやく分かった気がした。いま私がこのハクリューにしてやれることは、この預けられた新しい命をつなぐこと。そんな大役を、そして願っても無いことを、私に託してくれるというのだ。おそらく私が昼間に見た夢は、その役目を負うに値するかをハクリューが試していたのかもしれない。
 ひときわ輝きを増したハクリューは、私の中に何を見たのか。安堵したような表情は気のせいだったかもしれない。体は次第に光の中へ溶けていって形を失っていくと、ただ眩しい光だけがそこに残って消えなかった。ハクリューの姿が完全に見えなくなると、光はひときわ強さを増して、最初に湖で光に遭遇したときのように私の目をくらませた。

 光の中に溶けていった命の火に、なぜだか悲しみは少なかった。それはきっとこの胸に託された新しい命があるからなのだろうと思う。
閃光から目をかばった腕を静かに下ろしたとき、そこにはまた見たことも無い別のポケモンが浮かんでいた。
 若葉を思わせるような黄緑色の体から、小さな手足と、透き通った背中の羽根はまるで童話に出てくる妖精を連想させるような姿をしている。青い大きな瞳がこちらを見ると、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
 唐突に現れたポケモンはくるくると飛び回るとその小さな両手で、ハクリューの溶けていった光を集めだした。まるで綿菓子でも集めているかのように、光そのものを手にとってかき集めていく。手に取れるようなものでもないものを、さも当然のようにしている姿にあんぐりとしてしまう。ところが私の身体はおろか、口を開くことすら出来ないことに気が付いた。ただ目の前の光景を、見ていることしかできなかった。
 小さな妖精の姿をしたポケモンは、光を集め終わると小さな両手をぎゅっと合わせて光をそこに閉じ込めた。急に光源を失って、あたりが夜になっていることを思い出す。小さな手がまた開かれると、隙間からまた光がこぼれて少しだけ明るくなった。さっきまでのように強くあたりを照らす光ではなかったが、そのポケモンの手の中には、光だったものがしずくのようになって収まっていた。
 大事そうにそのしずくを運ぶと、ハクリューが寄りかかっていた木の枝先まで飛んでいく。枝先に下がった小さな木の実を見ると、手にしたしずくを木の実の上に振り掛けた。しずくはみるみる木の実に染み込んで、やがて木の実自体が金色に染まった。その様子を見て満足げな顔をすると、小さな妖精の様なポケモンは木の実を摘んで今度は私の元へと運んできた。
 一つのポケモンの命が染み込んだ木の実、それが黄金の実だったのか。その命の重みこそが、奇跡を起こすような力の源なのであるなら、これほど存在そのものが神秘的なものはない。
 目の前に置かれた黄金の実を拾い上げると、小さな妖精の姿をしたポケモンは忽然と姿を消してしまっていた。いつのまに見えなくなってしまっていたのかも気づかなかったが、木の実を拾い上げることで自分の体が自由になったことを知る。同時にまばゆいばかりの光はもう残っておらず、湖の浮島は夜の静けさを取り戻した。
 拾った黄金の実はタマゴを包んだ上着の中へそっと仕舞うと、私は岸で待たせたシードラにまたがり波乗りで元来た場所へと浮島を後にした。



 炭焼きの小屋へ戻ると私は手早く荷物をまとめ、夜明けも待たずに森を出た。もうここに居る必要も無くなったし、新しい旅の目的ができた。チョウジの町は通らずに、外へと行く道を探しながら歩いていく。あのハクリューに再び合うために、この一歩を踏み出そう。







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