処刑場に戻り、わたしは静かに目を閉じた。
 どんな状況に置かれようとも、冷静な判断力は失っていないつもりだ。

 もう、後はない。
 次で必ず、終わらせる。



+++闇世の嘆き 時の護役+++
Chapter―Final:闇世の嘆き



 さて、これからどうするか。
 奴らを追ってまた過去へ行かねばなるまい。しかし、どこへ行けばいいだろう。奴らは再び時の歯車を集める。前と同じようにそれを追うべきか。
 いや待て。前と同じように奴らを追うにしても、奴らはより一層警戒を強めているだろう。あの世界の者たちがまだわたしを信用しているという保証はない。いや、むしろその可能性は低いと見るべきだろう。
 チャンスはあとわずか。奴らを一度に捕まえられなければ意味がない。
 悩んでいる時間もない。奴らが『時の歯車』を集め、時限の塔に到着するまでに蹴りをつけなければ。

 ……ん? 待てよ、『時限の塔』?
 そうか! その手があった!
 そこへ直接行けば、奴らは必ず揃って現れる。奴らを探す手間も省ける!

 場所は決めた。『幻の大地』奥地、『虹の石舟』のある場所。時限の塔へ向かうものが必ず通らなければならない場所。
 だが、これは本当に賭けだ。
 もし失敗したら……そこで終わり。本当にこれが最後のチャンスだ。
 しかし、それに賭けるしかない。
 大丈夫。腕には自信がある。わたしなら大丈夫だ。

 必ず、奴らを捕まえる。
 『時の護役』の……誇りにかけて。



 ……。
 …………。
 …………………………。



 冷たい風が顔に当たる。
 顔を起こすと、灰色の瓦礫の山が目に入ってきた。石造りの建造物。灰色の空。辺りを見回しても、色がない。辺りを包む静寂の中に微かな風の音さえなければ、ここは本当に過去の世界かと疑ってしまうような場所だった。
 ここが『幻の大地』。『時限の塔』へ通じる場所。

 わたしのすぐそばには、祭壇のように祭壇のような遺跡があった。頂上に向かって階段がついている。上に上がることが出来るらしい。
 予備知識として一応、幻の大地のことは覚えておいた。
 この頂上にあるのは『虹の石舟』ここにきた者たちを『時限の塔』へ誘うもの。
 空を見ると、上空にそびえ立つ塔が見えた。
 あれが『時限の塔』。虹の石舟はあの塔へ向かって飛んで行く。まだ崩れていないのを見るのはわたしも初めてだ。
 しかしこの位置からでも、塔が既に崩壊しかけているのが見て取れた。塔の上空に、怪しい暗雲が立ち込めている。
 あれが塔を崩壊させた原因。『闇世』を作り出した正体。しかしそれが何なのか、わたしにはわからない。
 結局、崩壊の原因はわからなかったな。わたしは心の中でつぶやき、ふっと笑った。


 何者かの声が近づいてくる。ヤミラミたちがピクンと顔を上げた。
 過去で、未来で、幾度となく聞いた声。聞き間違えるわけもない。わたしはヤミラミたちに向かってうなずいた。ヤミラミたちがキラリと片目を光らせる。
 ……さあ、奴らのお出ましだ。

「そこまでだッ!!」

 わたしは大声を上げた。それと同時にヤミラミたちが飛び出し、彼らを取り囲む。突然のわたしたちの登場に、彼らは慌てふためく。
 わたしは思わず笑が込み上げてきた。あまりにも計画通り。こんなにあっさり成功するとは思わなかった。こいつらには学習能力というものがないのだろうか。優越感と軽い呆れを感じながら、わたしは彼らを時空ホールへと連れて行った。


 階段を下りたところに用意しておいた時空ホール。その前でわたしは一度、空を見上げた。
 灰色の雲に覆われた空。あの時見た抜けるような青ではないが、『闇世』の空ではない。

 これでいい。これで終わりだ。もうすぐ、わたしの任務も終わる。
 全てが、終わる。そしてまた始まる。
 わたしの使命は、これから始まる。そう、わたしの本当の仕事は、まだ始まってもいない。

 長い寄り道だった。
 そして素晴らしい寄り道だったよ。


 彼らを時空ホールへ放り込もうとしたその瞬間、ヤミラミたちが叫び声を上げた。
 この期に及んで、まだ抵抗しようというのか。往生際の悪い奴らだ。
 ……いや、私は最初からわかっていたのかもしれない。彼らが最後までわたしに向かってくるということが。少なくとも、わたしが彼らの立場ならそうするだろうと思っていた。
 不思議と、心は落ち着いていた。
 彼らが抵抗してくるだろうという確信めいた予感。そして、わたしはきっと勝てるという余裕。それらが、わたしの心を不気味なまでに穏やかにしていた。

 周囲をぐるりとヤミラミたちに取り囲まれ、逃げ場はない。この圧倒的に不利な状況の中で、彼らは一体どれだけ抵抗できるか。
 平静な心を保ったまま、湧きあがってくる別の感情。
 わたしはずっと、こんな状況を捜し求めていたのかもしれない。
 気を抜くと顔がにやける。心の中は不気味なほど穏やかなのに、闘志が湧き上がる。
 いつ以来だろう。こんなにも心が熱くなるのは。

 さあ、バトルと行こうじゃないか!


 わたしはヤミラミたちを率いて、彼らに立ち向かう。
 ヤミラミ程度の力ははっきり言って問題外だ。あっという間に彼らに伸されてしまった。
 わたし自身も、かなり危うい状況まで追い込まれた。さすがはここまでやって来た者たち。一筋縄ではいかない。
 しかし、わたしは負けない。負けるわけにはいかない。

 時の流れを護るため、私は決して負けるわけにはいかない!


 わたしは勢いをつけて彼らを弾き飛ばした。彼らの身体が宙に舞う。石の大地に叩きつけられる。所詮、彼らの力では勝ち目などない。わたしは改めて感じた。
 心は未だに、不気味なほど静まり返っていた。

 さあ、止めを刺そう。これ以上抵抗できないように。
 何か威力の高い技があっただろうか。わたしは瞬時に頭を巡らせた。そういえば、久しく使っていない技がある。
 『シャドーボール』。威力は確かに高いが、わたしの急所……腹の口が露わになるので、使うのを控えていた。
 しかし、彼らはわたしの急所を知らないはずだ。使っても支障はないだろう。

 わたしは腹の口を開き、『シャドーボール』を充填する。
 これで……終わりだ!!
 わたしは渾身の力を込めて、『シャドーボール』を放った。

「いっけえええ――っ!!」

 刹那――少年の声が聞こえた。これと同時に、彼らが技を放つ。

 衝突。爆発。押し戻されてくるエネルギー。

 ぐ……ぐわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!


 腹の口がぶすぶすと黒煙を上げる。
 視界が激しく点滅する。全身を引き裂かれるような激痛が襲う。
 奴らは……知っていたのか!? わたしの、急所を……?
 一瞬意識が遠くなり、わたしは倒れこんだ。

 冷たい石の床。体温が急速に奪われていく。
 風景が霞んで見える。これまでに感じたことのない激痛が、和らぐこともなくこれでもかと全身を駆け巡る。激痛によって度々意識を手放しかけ、また激痛で意識を取り戻させられる。
 先程までの、不気味なほどの心の平静が嘘のように吹き飛んでいる。錯乱し、動揺し、様々な考えが混沌の中に巻き込まれている。その混乱した意識の中で、はっきりと感じる『闇』があった。次第にその真っ黒な闇が心を支配していく。
 絶望と、恐怖。


 死ぬ……のか? この、わたしが……?


 ヤミラミたちのどよめきが聞こえる。わたしが倒されたと騒ぎ出し、そして走って逃げていくのを感じた。
 ジュプトルがふんと鼻を鳴らした。嘲るような、皮肉たっぷりの声がかけられる。

「ヤミラミたちはみな逃げちまったぞ。お前もなかなかいい仲間に恵まれたようだな」

 そう、全く、お前の言うとおりだ。ジュプトル。ここに来る前と同じ。上司の危機だというのに、やはり薄情な奴らだ。
 彼らは力を合わせ、わたしの『シャドーボール』を弾き返した。彼らの間の『絆』は、わたしが知らない間に更に強くなっているようだ。
 では、わたしは? わたしは相変わらず独りだ。私のことを都合のいいコマとしか思っていない主人に、忠誠心のない部下。
 ……以前と何も変わらない。


 ポッチャマの少年が、虹の石舟を動かしに行った。わたしの元には、ジュプトルと元人間のチコリータの少年が残る。
 都合がいい。彼らに話しかけるなら、今だ。
 わたしは少し身を捩った。切り裂かれるような激痛が走る。
 ジュプトルがわたしのほうを睨みつける。わたしは構わず言った。しゃべるのも苦しく、自分でも情けないほど弱々しい声しか出せない。

「お前たち、本当に……本当にこれでいいのか? ……。もし歴史を変えたら……わたしたち未来のポケモンは消えてしまうんだぞ……」

 わたしの言葉に、元人間のチコリータの少年の表情が変わった。大変驚いた様子だ。やはり、というべきか、この少年は何も知らなかったようだ。
 何とか、伝わってほしい。せめてこの少年だけには理解してほしい。
 わたしの考えを。自分たちのやろうとしているのがどういうことなのかを。
 その一心でわたしは、苦痛に耐えながら声を絞り出した。
 少年はまさに青天の霹靂と言った様子で、ジュプトルのほうを向いた。ジュプトルは眉間にしわを寄せ、悩んでいる様子で一言、本当だ、とつぶやいた。

 わたしは言葉に詰まった。
 本当に知っていた、のか? ジュプトルは……。

 ジュプトルは言葉を続けた。それでもいい。時が動き皆が平和になるのなら。自分はそのためにこの世界へ来たのだから、と。
 そしてジュプトルは少年に、お前もそれは同じだった、その覚悟で自分たちは来た。どの道選択肢はない。わかってくれ、と告げた。

 違う、とわたしは小さく首を横に振った。
 ジュプトル、お前の考えは間違っている。世界を消すというのがどういうことなのか、お前はまだちゃんと理解していない。大勢の存在を消すことに、生命を奪うことにお前は気づいていない。
 歴史を変えても、世界はよくなるわけではない。世界は消える。わたしたちが刻んできた全てを、お前は無に帰すのか? 本当に、お前はそれでいいのか? お前たちにそんな権利があるのか?

 お前たちのやろうとしていることは、許すことの出来ない『罪』ではないのか?

 目の前の彼らにそう叫びたかった。しかし、声が出なかった。

 少年はひどく悩んでいるようだった。
 しかし、意を決したようにジュプトルを見据え、はっきりとうなずいた。

 伝わらなかった。この少年にも、結局は。
 絶望と悔しさがわたしの身体に圧し掛かってきた。


 その時、機械の起動音がした。
 虹の石舟が動き出した音。
 彼らを『時限の塔』へ誘う音。


 ……させん。

 歴史は変えさせん! 絶対にだ!!


 最後の力を振り絞り、わたしは起き上がった。
 痛みも何もかも、全て吹き飛んだ。

 無我夢中で放った一撃は、少年を庇ったジュプトルにヒットしていた。
 ちょうどいい、ジュプトルから始末してやろうとしたその瞬間、ジュプトルがわたしに飛び掛ってきた。
 攻撃されるわけでもなく、両腕を掴まれ、驚くほどの力で身体を押される。
 な、何をする!? と言いながら、わたしはハッと自分の背後に気がついた。

 漆黒の闇。
 怪しく口を開く時空ホール。入れば最後。二度とこの世界には戻れない。


 ま、まさか、まさかこいつは……!!

 ば、馬鹿な!!
 やめろ! 放せ!! 放せええぇぇぇ――っ!!



 …………………………。
 …………。
 ……。



 世界が、消える。
 崩れていく『闇世』。


 壊れてゆく時空。
 消えていく、何もかも。


 奴らは喜んでいるのだろう。
 悪を滅ぼした、世界を救った、と。


 しかしどうだ。
 世界は消えていくじゃないか。


 お前たちは本当にこれでよかったのか?
 お前たちは正しかったと胸を張っていえるのか?


 わたしは正しかったはずだ。
 わたしの『正義』は間違っていなかったはずだ。




 ……オマエタチノ ホウコソ ”アク” ダッタンジャ ナイノカ?





 血のような涙が一粒、『無』の空間に堕ちて、消えた。











Fin.




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