ひとと けっこんした ポケモンがいた ポケモンと けっこんした ひとがいた むかしは ひとも ポケモンも おなじだったから ふつうのことだった 「シンオウの むかしばなし」より ●第四話「やくそく」 もはや勝利を確信していた。 相手の手持ちは残り一体、彼女の手持ちは残り四体。スタジアムの聴衆のほとんどは彼女の勝利を疑わなかった。だが、対戦相手が最後の一匹を放って、その状況は一変した。 スタジアムを縦横無尽に駆け回り暴れまわるそれは、彼女のポケモン達を蹂躙していった。 「それ」につけられた名前を、ガブリエルと云った。 「ねえ、あなた来年の予定は?」 少々敵意を含んだ声が聞こえて、自分のポケモンをねぎらおうとスタジアムに下りてきていた青年は顔を上げる。声をかけたのは同じく、ポケモンに声をかけるべく下りてきた対戦相手のトレーナーだった。そして、対戦相手は短刀直入に言った。 「来年もシンオウ大会に来て!」 金髪の長い髪がたなびく。動くにはちょっと邪魔そうだった。 「私はその時こそあんたを倒す。いいわね! 絶対よ! 逃げるんじゃないわよ!」 ……逃げるなんて言いがかりもいいところである。いやそれ以前に、いきなりな上に、相手の都合も考えないむちゃくちゃな要求である。 だいたい、青年に来年もシンオウ大会の出場予定があるかもわからない。別の地方にだってポケモンリーグはあるのだから。彼女が前置きで予定を聞くだけ聞いたのはそのためだ。もっとも予定が入っていたら変更させる腹づもりだったのだろうが。 だが、青年は、彼女の要求をあっさりと受け入れた。 「わかった」 「……………………へ?」 一瞬で要求が通り、鼻息を荒くしていた彼女は拍子抜けする。 「いいよ。来年の予定とかないし」 「え、いいの。そんな簡単に決めちゃって」 思わず彼女はそんな言葉を返してしまった。 「だって君がそう言ったんじゃないか」 と、青年が言う。 「そりゃそうだけど、なんで? あなたくらいのトレーナーなら他の地方の大会で実績作るって選択肢だって」 「うーん、そうだなぁ。トレーナーやってると、来年こそは負かすとか、今度会う時は負けないとか、挨拶代わりによく言うけどさ、時と場所まで指定してくるのって珍しいじゃない? だから」 「……それってよくわからない」 「有言実行、思い立ったが吉日ってことだよ。これも何かの、」 がぶり。 縁だよ、と言う前に、青年の後ろにいたガブリアスが彼の頭にかぶりついた。 「いででででで!」 と青年が声を上げる。 「ちょっと! 大丈夫なの!?」 突然のことにシロナは慌ててしまう。 「あ、大丈夫、大丈夫」 彼女に言わせればあまり大丈夫そうに見えなかったが、青年はいつものことだと説明した。 「ガブはいつもこうなんだ。これでも俺の頭が割れない程度には加減してくれているんだよ。彼女なりの愛情表現だと俺は理解している」 「え、彼女………?」 女性トレーナーは青年の頭に夢中のいかついガブリアスの顔を見る。どうみても乙女には見えなかった。何? あんた誰? とう感じで、お世辞にも人相がいいとは言えない顔が彼女を見下ろす。 「よく誤解されるけれど、ガブリエルはメスなんだ。フカマルとその進化系の雌雄の見分け方は背中のヒレ。切れ込みがあるのがオスで、ないのがメス」 ガブリエルのよだれまみれの頭で青年は説明した。 「まぁ、対戦表で見ていると思うけど、俺はアオバ。君はたしかシロナさんだったよね?」 「……シ、シロナでいいわ」 どういうわけか、青年から目線を逸らして彼女は答えた。 長髪のキザな格好したスカした奴、どうせなんだかんだで理由をつけて、クールに断るのかと思っていたけど……。なんだ、わりといい奴じゃない、などと彼女は考える。 「……? そうかい、じゃあそう呼ぶよ。よろしくシロナ」 と、青年が言った。 「来るわよ、リオ!」 シロナが叫ぶ。ポケモンが軽やかに攻撃をかわした。獣のそれの形をした掌を合わせると中から球体が現れる。エネルギーがその中で渦を巻いていた。それが宙を舞う相手に放たれ、炸裂する。ルカリオの波導弾が決まった。 「ムクホーク戦闘不能! 勝者、赤コーナーシロナ選手!」 歓声が上がった。リオと呼ばれたルカリオと そのトレーナーはパチンと互いの掌を合わせ、鳴らす。手にしたのは決勝トーナメントへの切符だ。 もう少しだ。もう少しで彼に手が届く。もう 去年のような負け方はしない、とシロナは心に誓う。 その足で立ちたい場所があった。 だから、超えなければならないものがある。 青年を、ミモリアオバを超えなければ、前に進めない。彼は、彼女にとって超えるべき対象。 彼女が青年と再会を約束したのはそのためだ。あの頃も、今もそれは変わっていない。 けれど――その先にもうひとつ、彼女には決めていることがあった。 「それでは私達の決勝トーナメント進出を祝って、カンパーイ!」 夕刻、会場の周りに立ち並ぶ屋台の一角で彼らは祝杯を挙げた。 祝杯と言っても別に酒を飲むわけではない。彼らは未成年なので、酒みたいなジュースで代用した。モモンなんとかとか、モーモーミルクなんとかいろいろ種類がある。出された飲み物 をぐっと飲み干すと、 「ぷはー! やっぱりバトルの後はこれに限るわね!」 と、シロナが言った。青年はその様子を見て、仕事帰りの会社員に似ていると思った。 ポケモンリーグ、それは祭である。 観客は何もバトルだけを見に来ているわけではない。飲み、食べ、歌い、買い物をしてこの祭を満喫するのである。客を満足させるため、あらゆるアミューズメント施設が準備してある。 その中でもさいたるものがイベント会場全体を見渡せる観覧車だ。今二人がいる屋台からもそれが見える。商売とはいえよくやるなぁ、と青年は思う。 「へい! ポケモンリーグ盛り合わせ二人前お待ち!」 店主がドンと二人の前に皿を置いた。「ポケモンリーグ盛り合わせ」なんて大層な名前がついているが別になんてことはない。串焼きだの、なんとかだの、飲み会に出るような盛り合わせである。とりあえず、二人ともお腹が空いていたので、青年の頭にかぶりつくガブリエルのように、串にかぶりついた。 「おう、姉ちゃん、いい食べっぷりだねぇ。今日は彼氏とバトル観戦だったのかい?」 と、ドータクンの顔に似た店主が尋ねる。 「いいえー、今日はポケモンリーグの予選に出ていたんです。あ、別に横のは彼氏とかそんなんじゃないですよー。むしろライバルですよ、ライバル」 口をもごもごさせながら、シロナが答えた。ちょっと顔が赤くなっていた。青年は、おかしいなぁ、ノンアルコールのはずなのに、などと考えながら、自身も口にせっせと食べ物を運ぶ。 「ふーん、隣のにいちゃんもポケモントレーナーかい」 「ええ、まぁ」 と、青年は答える。つっこんだ質問をされたらいやだなぁという顔をした。 「よし、俺が結果を当ててやろう!」 と、店主が言う。 「ずばり、二人とも予選通過だ。そうだろ!」 「あたりー」 「そうだろうとも、私はこれを外したことがないのが自慢なんだ」 「でも、おじさん、私達の話聞いていただけでしょー?」 と、シロナが言う。すると店主は、 「話なんてきかなくてもな、顔を見ればだいたいわかるんだ。俺は毎年ここに屋台出しているんだけどな、いろんなのが来るよ。勝ったやつも負けた奴も、あとポケモンリーグの職員なんかもな。毎年出場トレーナーとか観客のマナーが悪いとこぼしているよ」 「なるほどー、じゃあ、あの木箱みたいのを被って、飲んでいる人はー?」 シロナはグラスの尻のほうで、左のほうに座っている酒を飲んでいるらしい人物を指した。 ちょうど屋根になる一枚の板を二枚の板が壁になって支えていて、人が一人座ると周りからも顔が見えないし、中の人も周りの顔が見えなくなる。孤独を愛する人用の簡易版プライベートルームである。 「おい、シロナ、」と、青年は制止したが、店主は「いいんだ、いいんだ」と言う。 「でも……」 「大丈夫だ。そろそろ人恋しくなる頃だから」 すると、木箱みたいな簡易版プライベートルームを外し、中からどよーんとした顔の男が姿を現した。表情から察するには予選落ちだろう。 「ひどいなぁ〜、そりゃあ、ぼかぁたしかに予選落ちですけどー」 と、言った。しかし別に怒っている風ではなさそうだった。 ほらな、という感じで店主が青年に目配せする。彼はほっと息を吐いた。 「お前さんの場合、リーグの挑戦といってもほとんど道楽みたいなもんだろ」 「あ、それを言っちゃーおしまいですよぉ。僕だって出るからには勝ちたいし、優勝したいに決まってる」 男がそう言って、店主は「毎年こうなんだ」と付け加えた。 「その顔だとおたくらは予選通過かな」 「まーね。でもそれ、聞いてたんでしょ」 と、シロナがツッコミを入れる。 「あ、やっぱりばれたかぁ」 「だってあなた、さっきからそれかぶっていたじゃない。私達の顔なんかみえないでしょー」 と、シロナは言った。やっぱりシロナの顔は赤かった。おかしいなーノンアルコールのはずなのに、と青年はいぶかしげに自分の握るグラスを見る。 「けど、いいなぁ」 と、男は言った。 「君達はまだ戦えるんだ。僕は来年までおあずけだよ」 その言葉に青年は少しドキリとした。 ……そうだ、自分が勝ったからには負けた者がいるのだ。シロナに言われるままに、ポケモン達に全部丸投げして、なんとなく参加してしまったが、本当にこれでよかったのだろうか。自分が思っていた以上に、予選突破とは重いものなのではないだろうか? そんなことを考える。 「あれー、彼女の隣にいるの、もしかしてアオバ君?」 突然、男は青年の名前を口にする。え? といった表情で青年は顔を上げた。 「ガブリアス使いのアオバ、去年のベスト4、今年の優勝候補の一人だ」 「……よく、ご存知なんですね」 と、青年が言うと 「シンオウリーグに出るトレーナーならチェックはしてるさ」 と、男は答える。 「シンオウリーグに出るトレーナーならチェックはしてる、かぁ。いいわね、私もそんな風に言われてみたい」 続けてシロナが赤い顔で彼を見て言った。 「君のポケモンはどれも強いけど、ガブリアスは別格だ。君のガブリアスのようなポケモンを持っていたら僕も、決勝トーナメントに行けるのかなぁ」 「強いポケモンは手に入れるものじゃないわ。自分で育てるものよぉ」 と、シロナが反論する。 「私は自分で育てたポケモンでガブちゃんを倒してみせる」 と、続けた。 「ごめんごめん、言い方が悪かったよ。でもね、僕のような決勝トーナメントに届かないようなトレーナーにはさ、やっぱりアオバ君のガブリアスは憧れだよ、なんていうかさ……」 「なんていうか、なんですか?」 青年は思わず聞いてしまう。 「嫉妬をかきたてるんだ。君のガブリアス、その強さがトレーナーの嫉妬をかきたてる」 「………………」 「そういうものなんだ」 青年はそれ以上何も言わなかった。まだ思い出せない自分自身の存在、それがずいぶんと重い様に感じた。 自分は何をやっているのだろう。何も思い出せないまま、流れに身を任せるだけじゃないか。手に握るグラスに顔がおぼろげに映りこんでいた。焦りの色が見える。 「あーもう、辛気くさい話はやめにしましょうよー。そうだ、何かおもしろい話でもしましょ」 「そうだよねー、そうしようか」 「そうだ、ガブちゃんで思い出したんだけどねー、去年、屋台で飲んだ時にアオバが変なこと言ったのよ」 「え、なんですか、なんですかー」 「もし、ポケモンと結婚できるなら、俺はガブリエルと結婚したい」 ぶっ。飲んで落ち着こうとコップに口をつけていた青年が吹き出す。 「まてよ! シロナ、君は僕が記憶喪失だからってからかっているのか。いくらなんでも僕はそんなこと言わないと思うぞ!」 口の周りを急いでぬぐうと、青年が主張する。ポケモンリーグの前で、自身というものを意識してから、はじめて声を荒げた気がした。 「アオバ、怒ってるの?」 「……いや、なんでもない。ごめん。気にしないで話進めていいから。それで?」 取り乱しすぎた、と反省し、仕切りなす。 「ほら、シンオウの昔話にあるじゃない。昔は人もポケモンも同じだったから、ポケモンと人が結婚していたって話、あなたそれを引き合いに出して、そんな冗談を言ったのよ」 「そうかい。冗談ならよかった」 「結婚して、毎朝、頭かじられて起されたんじゃたまらないものね」 神話か、と青年は思い直した。彼女からはじまりのはなしを聞いて、反芻したとき、何かを思い出せたような気がした。最も、意識がもうろうとしていて、何を思い出したのかは忘れてしまったのだが……。 でも、それならば。 「その話なら僕も知っていますよ。友達はそれができるならミミロップと結婚したいって言ってた」 「ミミロップ? ホント、男の人ってミミロップが好きよねー」 「いやぁ、だってかわいいじゃないですか。ね、君もそう思うだろ、アオバ君」 「いや、僕は別に……」 「やだー、顔赤いわよー。アオバー」 「ミミロップには興味がない、僕はサーナイト派だ。……それより、シロナ」 と、青年は切り出す。もちろんサーナイト派というのは冗談である。 「記憶を戻す手立てになるかもしれない。もっと神話や昔話の話をして欲しい」 「……わかった、いいわよ」 と、シロナが答えた。 「今のあなたにおあつらえむきの神話を思い出した。それはね――」 グラスを片手にシロナは語りだした。夜が更けていく。 そんな感じでだらだらと三人はしゃべり続けて、すっかり酔いつぶれたシロナを抱えながら、青年は宿泊施設に戻ることになった。おかしいなーノンアルコールだったはずなのに、などと思いながら。 「今日は楽しかった……。アオバがまだ思い出してくれないのは癪だけど……でも、今日は楽しかった」 青年に寄りかかったシロナが言う。 「……そうかい」 と、彼は返事をした。 「去年あなたに会って、短い間だったけど一緒にいるのは楽しかった。だから、私が来年も来るように言ったのは……最初は勝負するためだったけど、たぶんそれだけじゃなかったのよ」 「そうかい」 「ずっと、大会が開いていればいい。こんな時間がずっと続けばいいのに」 シロナはそこまで呟くと、あとの言葉はしどろもどろになって、やがて眠ってしまった。 青年がふと、後ろを振り返ると祭に賑わう夜の光景が見える。まだ明かりを消す屋台は少なく、夜はまだまだ続くようだった。その光景の少し外れに、あの観覧車も見えた。骨格につけられたイルミネーションが夜の空で点滅を繰り返している。 ――シロナ、知ってるか? 昔、人はポケモンと結婚できたんだぜ。 ――なにそれ? ――人と結婚したポケモンがいた。ポケモンと結婚した人がいた。昔は人もポケモンも同じだから普通のことだった。つまり、俺とガブも時代が時代なら結婚していたかもしれないわけだ。 ――そうやって毎朝、頭にかぶりつかれて起される結婚生活を送るわけ? ――それはちょっといやだな、やっぱり今の関係がいいや。 その足で立ちたい場所があった。 だから、超えなければならないものがある。 あの日、彼女は青年に約束を取り付けた。 青年を超えなければ、次に進めない。彼女にとって、ミモリアオバは超えるべき対象。 だから約束した。来年も必ず――と。あの頃も、今もそれは変わっていない。 けれど、それは単純に青年を倒すための約束ではなくなっていたのだ。 「やあ、いらっしゃい。今夜は残業かい?」 「まぁ、そんなところです」 シロナ達三人がいなくなった後の屋台、ドータクンに似た顔の屋台の店主に聞かれ、客はそう答える。 「その顔は何かあったね」 「……わかりますか。やっぱりあなたには敵わないな。実は今日、」 受付に男女の二人組が乗り込んできて――、客はそんな話をはじめた。 夜はまだまだ長い。愚痴をこぼす時間はいくらでもあった。リーグの観客のマナーが悪い、出場トレーナーのマナーが悪い。話のネタはいくらでもある。 「そういえば、君と初めて会ったのもこんな夜だったなぁ。もうほとんどのトレーナーがお腹を満たして、宿舎に帰ったころ君がやってきて、もうトレーナーは引退すると言った」 「その話はしないでくださいよ」 「あの顔は、予選で負けた顔だったね」 そう、店主は言って、グラスを差し出した。 客はそれを掴むと、一思いにぐいっと飲み干した。 |