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  [No.1316] ポケットに時間割 一時間目「おはようペラップ」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/24(Fri) 20:44:05   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

一年生のあやのは、あさがとってもきらいでした。
どうしてかというと、あさは「おはよう」をいわなければいけないからです。
あやのは「おはよう」をいうことがにがてでした。

小学校にいくようになって、たくさんの人に「おはよう」をいわれるようになりましたが、あやのはそうされるたびにこまってしまいます。
ようちえんのころよりもきびしい先生たちも、せのたかいおにいさんやおねえさんも、みんなわらってあいさつするのですが、あやのにとってはこわいものでしかありません。

とくに、あやのが一ばんこわいとおもっているのは、となりのせきの男の子でした。
その子はとてもらんぼうで、あやのを「なきむし」といいながらぶったりするのです。
あやのはその男の子がときどき、まえにテレビにうつっていたバンギラスに見えるほどです。
きょうのあさも、その子が「おはよう」をいってきたのですが、あやのはこわくてへんじができませんでした。
男の子はおこって、やっぱりバンギラスのようなかおになって、あやのをなんどかぶちました。

先生や、おにいさんやおねえさんにも「おはよう」がいえなかったあやのは、とぼとぼとろうかをあるいています。
一じかんめのこくごでつかう本を、としょしつからとってくるように、こくごがかりのあやのはたのまれたのでした。
としょしつまで一人でいかなくてはならないのはふあんでしたが、じゅぎょうをやっている学校はしずかで、「おはよう」をいわれることもいうこともないため、あやのはすこしだけほっとしていました。

本をかりてきょうしつにかえるとちゅうで、あやのは「あっ」とこえを出しました。
かぜを入れるためにあけられたまどのそとに、木にとまった一わのペラップがいて、あやののことを見ていたのです。
あやのは、ほんもののペラップを見るのははじめてでしたから、まどにちかづいてみました。

「オハヨウ」

すると、そのペラップがいきなりそういったので、あやのは、びっくりして、ちかづくのをやめてしまいました。

「オハヨウ」

ペラップは、またおなじことをいいました。かわったかたちのあたまが、すこしななめになって、あやののことを見ています。
とてもにがてなそのことばに、あやのは足をうごかせずにいましたが、しかし、それはペラップのなきごえであることに気がつきました。
ペラップは、にんげんや、ほかのポケモンのことばをまねして、じぶんのなきごえにしてしまうときいたことがあります。
これもきっと、この学校のせいとがいっているのを、まねするようになったのでしょう。
ペラップが、じぶんに「おはよう」をいってきたのではないとわかると、あやのはあんしんしました。

「オハヨウ」

しかし、なんどもそのことばをきいているうちに、あやのは、それがじぶんのこえであることがわかりました。
オハヨウ、オハヨウ、と、ペラップはあやののこえでいうのです。
あやのはとてもかなしくなりました。だって、あやのは「おはよう」をいえないのに、ペラップがあやののこえで、「オハヨウ」をいうのですから。

「わたしのおはよう、かえしてよ」

あやのは、まどのそとのペラップにいいました。
しかし、ペラップはそんなあやのなんて気にしていないみたいで、「オハヨウ、オハヨウ」といいつづけるだけです。
人のことばをまねするペラップですが、まねされることばをいえないあやのをまねするだなんて、こんなにおかしいことはありません。
「オハヨウ」をくりかえすペラップに、あやのはなきだしたくなりました。

「そうだ。それなら、わたしだってまねすればいいんだ」

そうおもったあやのは、ペラップをじっとみつめました。
ペラップが「オハヨウ」というと、あやのが小さく「おはよう」といいます。
もう一度ペラップが「オハヨウ」というと、あやのももう一度「おはよう」といいます。
さらにペラップが「オハヨウ」というと、あやのもさらに「おはよう」といいます。

オハヨウ、おはよう、オハヨウ、おはよう……。

おなじこえで、おなじことばをくりかえしているうちに、あやのは「アッ」とこえをあげました。
あれだけにがてで、いえなかったことばが、いえるようになったのです。
あやのはペラップに「おはよう」といいました。
ペラップも「オハヨウ」といいました。
いま、いえるようになった、こえとことばでした。

「おはよう、おはよう」といいながら、あやのはきょうしつにもどりました。
先生に本をわたして、じぶんのせきにもどると、となりのせきの男の子が、ちらり、とあやのを見ました。
あやのはやっぱりその子がこわかったのですが、それでも、さっきおぼえたばかりのことばを、小さなこえでいいました。

「おはよう」

男の子はびっくりしたかおをしましたが、「おせぇよ」とほっぺをふくらませたあとに、あやのに「おはよう」とかえしました。
あやのは、男の子にぶたれなかったことと、男の子がわらったことと、男の子があまりこわく見えなかったことにおどろきました。
あやのはろうかのほうをすこし見ましたが、そこにはもちろん、ペラップなんていないのでした。


  [No.1317] 二時間目「ポッポのゆうびんやさん」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/25(Sat) 20:42:59   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

あーあ、たいくつだなあ。

二年生のリョウタは、えんぴつをころがしながらそんなことを思っていました。今は算数のじゅぎょう中です。黒ばんには先生が数字をいっぱい書いています。はこの中にモモンのみが六こ入っていて、そのはこが四こある時は全ぶでいくつ、という計算をするみたいです。
リョウタはさっきまで、ノートにきちんとそれを書きうつしていたのですが、つまらなくなってしまいました。いつもなら、じゅぎょうがたいくつになっても、となりのせきのタケルとノートにらくがきをし合うからいいのです。でも、今日はそのせきにだれもいません。タケルはかぜをひいてしまったから、学校をお休みしているのです。

「じゃあ、かけ算をやってみましょう」

先生のことばは、リョウタの耳に入ってきません。ちえ、つまらないよな、と思いながら、リョウタはまどの外を見ました。一ばんうしろのせきなので、リョウタがよそみをしてもおこる人はいません。せきがえをするまえは、いつもうしろの女の子におこられていました。

「わっ」

リョウタが外を見ていると、ちょっと強い風がふきました。リョウタはびっくりして目をつむります。そうして、少し時間がたったあとにあけると、つくえの上に一まいの小さな紙がおいてあるのに気がつきました。

ポッポゆうびん、どんなとこにもお手紙とどけます。

そこには、あまり上手じゃない文字で、そんなことが書いてありました。
何だろうこれ、と思ったリョウタがもう一回まどの外を見ると、小さいポッポが一羽、木の上からリョウタを見ていました。

「本当に、どんなとこにもとどけてくれるの?」

リョウタが小さなこえでたずねると、ポッポは、うん、と言うみたいに「クルック」と鳴きました。リョウタはなんだかおもしろくなって、いつもタケルとやっているみたいに、ノートのはしっこをやぶりました。えんぴつをにぎり、だれにお手紙書こうかな、とかんがえます。
さいしょは、休んでいるタケルに書くことにしました。ねつが出ていると先生が言っていましたから、きっと今ごろタケルはおうちでねているのでしょう。一人でねるだけなんて、タケルもたいくつしているにちがいありません。リョウタはそう思って、ノートのきれはしに、タケルへのお手紙を書きました。

『タケルへ
早くかぜなおせよな。おまえがいないとじゅぎょうがつまらない。サッカーもできない。今日のきゅう食はカレーライスだよ。食べたかったら来い。
リョウタより』

紙が小さくて、さいごの方は文字がきたなくなってしまいましたが、ちゃんと自分の名前まで書けました。
リョウタは、手紙をまどのわくにのせました。すると、木の上のポッポがすっととんできて、手紙をくわえてしまったのです。ポッポはそのまま、青空のむこうにとんでいきました。ちゃんととどくといいなあ、とリョウタは思いました。

いつのまにか、木の上にはポッポがたくさんならんでいました。ゆうびんやさんがこんなにいるのか、とリョウタはおどろきましたが、それだけ、いっぱい手紙を書けるのだということです。リョウタはうれしくなって、いろいろなあいてに手紙を書きました。
どんなとこにもとどけてくれるのですから、だれにでも書くことができます。遠くにすんでいるおばあちゃんや、何年かまえにひっこしてしまったユウトに手紙を書きました。いえにいるサイホーンのハヤテにも、ときどきいくおもちゃやさんのおじさんにも書きました。サッカーせんしゅになった、みらいの自分にも書いてあげました。
リョウタがノートをやぶって、手紙を書きおえるたびに、ポッポはそれをくわえてとんでいきました。


「こら、リョウタよそみをしない!」

きゅうに、先生のおこった声がしました。リョウタはあわてて、ごめんなさい、と言って黒ばんの数字をノートに書きはじめます。
先生の声にびっくりしたらしく、まどの外にならんでいたポッポたちはみんなとんでいってしまいました。先生がうしろをむいている間に、リョウタがこっそり外を見てみると、木のえだの上でポッポたちがあそんでいました。
ポッポたちはくちばしで、ノートのきれはしを、すきかってにやぶいて楽しそうにしています。なーんだ、とリョウタはがっかりしてためいきをつきました。
ポッポゆうびんなんて、なかったんだ。あれはぐうぜん、だれかのいたずら書きをポッポがはこんできたんだ。リョウタはそう思って、かなしくなりながら計算もんだいをやりはじめました。

いくつか、もんだいをといた時です。さっきのように、つくえの上に、一まいの紙きれが落ちてきました。
それは、タケルの文字でした。タケルの書いた手紙でした。

『リョウタへ
おれも早くあそびたい。ずっとねてなきゃいけなくて、すごいつまらない。カレーライスも食べたい。明日は、ぜったい行くから、あそぼう。
タケルより』

リョウタはおどろいて、まどの外を見ました。
木の上から、小さいポッポが一羽、「クルック」と鳴きながらリョウタを見ていました。


  [No.1318] 三時間目「サーナイトは知ってる」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/26(Sun) 20:39:54   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

どうしようもなく不安な気持ちのまま、祐介は社会資料室のドアを開けました。三年生の祐介は社会係です。授業で使うための本や、むかしの道具を資料室からとってくるよう先生にたのまれたのです。祐介は本当のところ、この、昼でもあまり明るくない部屋があまりすきではなかったのですが、係の仕事なのでしかたありません。いやだなあ、とは思いましたが、チャイムの音を聞きながら、資料室まで歩いてきました。
実さいは、社会係は祐介のほかにもう一人いて、祐介だってこのうす暗い部屋にたった一人で来るひつようもありませんでした。でも、休み時間にあそびにいってしまったのか、さがしてもみつからなかったのです。先生に仕事をたのまれたのは二時間目がおわったあとでしたから、ここに来なくてはいけないのはわかっていたはずなのに、なんて勝手なのでしょうか。でも、祐介はそれを口に出すことができません。
もう一人の社会係は、京子という女の子です。祐介は、京子のことが苦手でした。京子は気が強くて、いつもハキハキと自分の意見を言っています。みんなは、そんな京子をたよりになる人だと言いますが、祐介は少しこわく思ってしまうのです。とくに、京子は祐介にたいして、ほかの人と話すときよりもおこったようになるものですから、祐介は京子と話すたびに不安になるのでした。
今だって、仕事をしにこない京子を本当はおこってもよいはずです。でも、そんなことはとてもこわくてできない、と祐介は思いました。むしろ、一人で係の仕事をしたことをおこられるかもしれません。ふん、と言って自分をにらみつける、京子の大きな目を思い出して祐介は重たい気分をさらに重くしました。
でも、おちこんでいてもどうしようもありません。祐介は先生に言われた資料をさがして、さっさと教室に帰ってしまおうとかんがえました。

「ねえ」

しかし、祐介が部屋を出るよりも前に、だれかが祐介に話しかけてきました。祐介はおどろいてその人をさがしましたが、資料室には祐介しかいません。なんだったんだろう、と思った祐介は首をかしげました。

「ねえ、って言ってるの」

するとまた、さっきの声が聞こえました。祐介が声の方をふりむくと、そこには一つの木像がおいてありました。
それはサーナイトの像で、今より何百年も昔の人々が、神さまにおいのりするために作ったというものでした。サーナイトは、未来を予知する力があると言われています。昔の人はそのサーナイトを木で作ることで、サーナイトの神さまとお話して、未来を教えてもらおうとしたのです。
木目がのこった、なめらかな像は本物のサーナイトと同じくらいのうつくしさを持っています。目は赤い宝石でできていて、まどから少しだけ入ってくる光にあたるときらきらします。お星さまみたいにきれいなその目は、祐介をじっと見下ろしていました。

「今、しゃべったのは、あなたですか?」

おそるおそる、祐介がそうたずねると、サーナイト像はつんとすました声で「そうよ。悪い?」とへんじをしました。

「あんたたち、私のことうわさしてるんでしょう? 私に聞けば、未来のことを教えてもらえるって。もちろん私は、それくらいのこと、かんたんにできるわ」

サーナイト像がそんなことを言いました。うわさとは、このごろ三年生の間ではやっているもので、この像にたずねれば未来のことをわかるという話です。祐介はサーナイト像がそのことを知っているのにもびっくりしましたが、それが本当だということにもびっくりしました。

「じゃあ、あなたは未来がわかるんですか」

「未来のことなら、なんだって知ってるわよ。特別に、あんたに教えてあげてもいいわ」

ふふん、と得意げに笑ったサーナイト像に、わあ、と祐介は声を上げてよろこびました。
未来のことを、なんでも教えてくれるのです。こんなにうれしいことはないでしょう。祐介は、何をたずねようか、少しなやんでから口を開きました。

「ええと、今日の五時間目の、さんすうのテストにはどんなことが出ますか」

「わり算の筆算かしらね」

「今日の、僕の家の夕ごはんは何ですか」

「スパゲッティと、サラダと、デザートにパイルが出るわよ」

「あさってにバトル見にいくんですけど、お天気はどうなりますか」

「一日晴れるわ、かさなんていらないくらい」

何を聞いてもサーナイト像はすらすらと答えてくれるので、祐介はすっかり感心してしまいました。気になっていることをだいたい聞けたので、祐介がまんぞくしていると、「もっと知的なことを聞きなさいよ」とサーナイト像が気どった口調で言いました。知的なこと、というのがどのようなことなのか祐介にはよくわかりませんでしたが、少し考えて、祐介は「それじゃあ」と聞いてみることにしました。

「京子ちゃんと、もっとなかよくなるためには、どうすればよいですか」

すると、サーナイト像の声がとぎれました。さっきまでは、しつもんするとすぐに答えてくれていたのに、急にだまってしまったのです。どうしたんだろう、と不安になった祐介は、あわてて話しました。

「あの、なかよくっていうか、京子ちゃんともっとお話するにはどうすればよいのかな、って思ってるんです。いつも京子ちゃんと話そうとすると、うまく話せないから、もっとみんなみたいにお話したいなって」

しかし、サーナイト像はやっぱりだまったままです。なんでだろう、と祐介はとてもふしぎに思いました。きらきらの赤い目だけが、さっきと同じです。
その時、チャイムが鳴りました。いけない、授業がはじまる、と思った祐介は、いそいでドアの方に走りだします。ドアをしめる直前、サーナイト像をちらりとかくにんしてみましたが、だまってしまったままでした。
祐介の出ていった、うす暗い資料室にガサゴソという音がひびきました。サーナイト像のちょっと後ろ、たたかいに使われたという、トリデプスみたいに大きなタテのかげから、京子はふきげんな顔をのぞかせます。

「こんなのしんじて、ばかじゃないの」

京子はひとりごとを言いました。こんなの、とは、サーナイト像が未来を教えてくれるといううわさのことです。京子は祐介をからかってやろうと思って、祐介が資料室に来る前にかくれたこの場所から、サーナイト像のふりをして話していたのですが、祐介が本当にだまされてしまったので、出ていくことができなかったのです。
しかも、あんなしつもんをされるとは思っていませんでした。祐介め、と、京子は心の中でどなります。どうすればよいのか、なんて京子が知るわけがありません。だいたい、それは未来のことではないのです。そんなことをサーナイト像に聞いてどうするつもりでしょうか。かんがえればかんがえるほど、京子は、祐介にたいして言いたいことをたくさん思いつきました。

「だいじょうぶ。あなたたちは、なかよくなる」

その時、急に聞こえた声に、京子はびっくりしてきょろきょろとあたりを見回しました。ここには京子のほかにだれもいないのですから、さっきみたいに、未来を予知したみたいなことを言うものもいないはずです。では、今聞こえた、京子よりも大人の女の人みたいな声はだれのものだったのでしょうか。
京子はもう一度、資料室を見回してみましたが、それはわかりそうにありませんでした。それより、じゅ業がはじまってしまうので、京子は教室にもどることにしました。
資料室を出るときに、京子はサーナイト像をふりかえりました。木でできた体の目の部分にはめられた、赤い石がきらりと光ったように見えました。

「それ、しんじるからね」

京子はそう口に出してから、わたしもばかみたい、と思いました。
そして、京子がドアをしめてしまった資料室には、サーナイト像だけがしずかに立っているのでした。


  [No.1319] 四時間目「12時カレー戦争カビゴン戦線」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/27(Mon) 22:28:36   44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『にくきカビゴン軍に制圧された給食室の平和をとりもどすためには、勇者よ、お前のきょう力が必要なのだ』

時計のはりが二本とも、てっぺんを指したときの教室で、おれはデデンネにそう言われた。


おなかもへった四時間目、おれは今日の給食のことだけを考えていた。今日のメニューはカレーライス、家で食べるのと給食のカレーはちがって、あのおいしさは他のどこでも味わえない。二ヶ月後のたんじょう日にもらうポケモンのことも、この前買った新しいゲームのことも、もちろん授業のことなんかも、全部忘れてカレーライスのことだけが頭にあった。
早く給食の時間になってくれ。ただそれだけをねがって、先生の話をぼんやり聞いていたおれのつくえに、そいつがあらわれたのはそんなときだった。そいつ、小さいデデンネはいつの間にやってきたのか、気がついたらおれのつくえの上にのっかっていた。なんだこいつ、いたずらするんじゃないか、そう思ったおれはえんぴつでそいつをつついて追いはらってやろうとした。

『そのようなことをするのではない。今は給食、カレーライスのキキなのだ、コクイッコクを争っているのじゃぞ』

おれはすごくおどろいた。だって、デデンネがしゃべったからだ。あまりにびっくりしてえんぴつをひっこめたおれに、デデンネはみょうに大人っぽい声で、またしゃべった。

『これ、何をおどろいているのじゃ。そんなキモで勇者になれると思ったら大まちがいであるからに』

デデンネの、豆つぶみたいな口の動きに合わせて声が聞こえるから、そいつがしゃべっているのはおれのかんちがいなんかじゃない。しかも、さらにおどろくのは、どうやらそいつの声はおれ以外に聞こえていないらしいことだ。先生も、クラスのみんなも、デデンネがしゃべっているのに知らんぷり。デデンネの声は、おれだけに聞こえているみたいなのだ。
とりあえず、おれはデデンネの話を聞くことにする。キキ、とか、コクイッコク、とかいう言葉の意味はわからなかったけれど、勇者という単語にはむねがどきどきしたし、カレーライスがどうにかなっているらしいことも、今のおれにとってはとても大切だったからだ。

「勇者って、どういうこと」

声を小さくしてそうたずねたおれに、デデンネは『うむ』と目をくりくりさせる。『わしはこの小学校に位置するデデンネ王国の長老なのであるが、その王国、つまりは給食室が危険なじょうきょうなのじゃ』

『わしら、デデンネ王国の民は昔から、お前たち小学校のものどもとうまくやってきた。お前たちの給食をわけてもらうかわりに、給食室の平和を守ってきたのじゃ』

「給食室の平和を守るって、どんなこと」

『そりゃあもう、色々じゃよ。まどから入りこもうとするむしポケモンどもに電げきをくらわせたり、パンをぬすもうとするポチエナやニャースにじゃれついたり。わしらはそうやって、長らく給食室を守ってきた』

しかし、と、デデンネは声を重くする。

『それもここまでじゃ。さっきせめこんできた、カビゴン軍にはわしらの力じゃとてもかなわない。技がきくとかきかないとかじゃなくて、体の大きさがちがいすぎるのじゃ。デデンネ王国の民は、それでもゆうかんに立ち向かったが、みんな、あのまるまるとしたおなかにはね返されてしまった』

「え、じゃあ、今給食室にはカビゴンがいるってこと?」

あわてて聞くと、デデンネは『その通り』とうなずいた。おれのせなかが冷たくなる。給食室にカビゴンがいるだなんて、そんなにおそろしいことがあるだろうか。先生やクラスメイトはふつうに授業をしているけれど、本当ならばそれどころではないはずだ。
デデンネは、『すでにカビゴン軍によって給食はをせいあつされてしまった』と悲しそうに話す。そんな、どうしよう、とおれはノートをにぎりしめた。あんなに楽しみにしていたカレーライスが、カビゴンに食べられてしまうかもしれない。考えるだけでこわくなった。

『しかし、まだあきらめるのは早いのじゃ』

うつむいていたデデンネが顔を上げる。どういうこと、としつもんしたおれを、デデンネの短い足がぴっと指した。

『勇者よ。だれよりもカレーライスをあいするお前に、われわれデデンネ王国民は希望をたくしたのじゃ。お前こそが、カビゴン軍をやっつけ、給食室の平和をとりもどせる、さいごのトリデなのじゃ』

「おれが、勇者……」

『そうじゃ、お前こそが、カビゴン軍に立ち向かう勇者なのじゃ!』



そうして、勇者となったおれはデデンネと共に給食室へと向かった。ふしぎなことに、席を立って歩いても、先生やみんなは気づかないみたいだった。ふだん、そんなことをしたらおこられてしまうにちがいないけれど、だれも何も言わなかった。まるで、おれたちが見えていないみたいである。
デデンネはそれを『カビゴン軍のサクリャクじゃ』と言った。カビゴンの中には、時間はかかるけれども、さいみんじゅつを使うみたいにして、人間やポケモンをねむらせてしまう力があるやつもいるらしい。

「じゃあ、みんなは今ねむっているの?」

『そうじゃ。カレーライスを強く思う心のあるお前だけが、そのじゅつをはねのけたのじゃ』

なるほど、とおれはうなずく。たしかにカレーライスを好きな気持ちはだれにも負けないし、それはカビゴンにだって同じだ。カレーライスを食べるためなら、どんなに強いやつにでも勝てると思う。
給食室のドアの前にとうちゃくした。いつもなら、給食のおばさんたちが話す声や食器の音が聞こえるのに、今はとてもしずかだった。

『わがデデンネ王国軍がやぶれ、カビゴンたちが勝利によいしれているのじゃ。やつら、きっと今にも給食を食べつくしてしまうにちがいない』

「そんな……だめだ、ゆるさない!」

「おい、待て、勇者よ!」

デデンネのあわてた声が聞こえたときにはすでに、おれは給食室のドアを開けていた。
とたん、びっくりするほど大きなかげがふってふる。それと同時に感じたのは、むにむにという、何かやわらかいものにおしつぶされるしょうげきだった。それがカビゴンのおなかだとわかったおれは、丸いかたまりとかべの間にはさまれてしまっていた。

「わあー!」

おれはおしつぶされたことにもおどろいたけれど、給食室の中が、知っている様子と全然ちがっているのにはもっとびっくりした。たくさんのカビゴンやゴンベが、大きなおなかをゆらして得意そうにしている足下で、もっとたくさんのデデンネがボロボロになって転がっている。デデンネたちはもう何もできないみたいで、さけんでしまったおれに気づくこともなくたおれていた。
しかし、さけび声のせいでカビゴンやゴンベがいっせいにおれの方を向いてしまった。おれをかべにおしつけていたカビゴンまでもが動いたおかげで、運良くぬけだすことができたけれど、みんながおれをにらみつけていた。なんびきものカビゴンたちが、おなかのかげを落としながらおれを見ている。おれはこわくなって、思わず一歩後ろに下がってしまった。

『勇者よ! 何をオクシテおるのじゃ、お前がたたかわなければ給食室の平和はくずされてしまう!』

「でも、どうやって勝つんだよ! あんなにたくさん、おれ一人じゃむりだって」

急に不安になったおれが言うと、デデンネは『何を言うのじゃ、その剣を使うのじゃよ!』と叫んだ。「剣?」そう思って首をひねったおれは、そこではじめて、自分の右手に大きな剣を持っていたことに気がついた。
その剣は、ゲームの中に出てくるみたいにかっこよくて強そうだった。こんなもの、どこから持ってきたんだっけ、と考えるおれにデデンネは小さな前足をぴぴぴ、とふって説明する。

『その剣は、古きより語りつがれる伝説の剣じゃ。本来、カビゴンをねむりからさますために作られたのじゃが、勇者によってふるわれることで再びねむりへとつかせることもできる』

「伝説の……剣……」

『さあ、勇者よ! 給食室を、カレーライスを救うのじゃ!』

デデンネの言葉に、おれはにぎりしめた剣をぐっとかまえた。カビゴンとゴンベの群れが、うなり声をあげておれに近づいてくる。その様子に足がふるえた。でも、やつらの後ろにある、給食のワゴンが目に入る。
カレーライス。あれを守らなくちゃいけない。おれはカレーライスを守って、給食の時間をむかえなきゃいけないのだ。そう思うと全身に力がわいてきて、カビゴンたちに絶対勝てるという気持ちになった。
剣を大きくふり上げる。『今じゃ!』というデデンネの声に、おれはカビゴン軍に向かって突げきした。



「おい、保! いねむりしてるんじゃないぞ!」

急に先生のおこる声がして、おれはあわててとびおきる。周りを見てみると、そこは給食室なんかじゃなくて、授業をやっている教室だった。カビゴンも、ゴンベも、デデンネも、いない。

「あれ、おれ……カレーライスのためにたたかって……」

「なにをねぼけてるんだ。はらがへったのはわかるが、もう少しがまんしろ」

先生の言葉にみんながわらう。おれはつられてわらいながら、さっきまでのは夢だったのかなあ、と思った。ねむっていたのはみんなじゃなくっておれで、あれは全部夢だった。そういうことだろうか。
でも、そっちの方がふつうだと思う。しゃべるデデンネや、カビゴンとのたたかいなんてあるはずがない。そうだ、きっと夢だったのだ。おれはそう考えて、ノートを書くためにえんぴつを動かそうとした。

「あれ、保くん、なんでリコーダーなんてつかんでるの?」

となりの席の女の子がそんなことを言ったけど、おれは「なんでだろう」としか言えなかった。よくわからなかったけど、べつにいいや、と思った。さっきのは全部夢だったとしても、今日の給食がカレーライスで、それがおいしいことはまちがいないのだ。
よし、給食までもう少し、がんばるぞ。先生の言葉に、おれは大きな声で返事をした。夢だろうが現実だろうが、勇者になるほど大好きなカレーライス。何よりおいしいカレーライスが、あと少しでやってくる。
みんながまたわらった教室のすみっこで、黒いしっぽがゆれるのが、ちょっとだけ見えた気がしたけれど、おれはカレーライスのおかわりのじゃんけんにどうやって勝つかを考えるのにいそがしかった。


  [No.1320] 五時間目「マエストロ・ダストダス」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/28(Tue) 19:10:21   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「木琴、またおくれてる!」
「シンバルは一小節ずれてる、楽譜をよく見て!」
「アルト聞こえない! ちゃんと歌いなさい!」

まだおわらないのか。何度目かになるあくびをどうにかおさえながら、優香はそんなことを考えた。
二週間後の音楽発表会に向けて、どのクラスも合唱や合奏の練習をがんばっている。優香のクラス、五年二組は合奏と歌を合わせた『シロガネ山の音楽家』をやることになった。音楽の時間や、休み時間を使って練習してきたのだけれど……とてもじゃないけれど、聞かせられたものではない、と優香は思う。
楽器はてんでバラバラだし、歌はやる気がないのか声が小さすぎる。指揮をする先生はこのごろずっと、みんなをまとめようとおこっているけれど、その先生すらも優香にしたら間違っているものに見えた。先生の指揮はぐにゃぐにゃしていて、見にくいったらないのだ。まだ、ドククラゲの方がまともにやれると優香は思う。
いつになったら、自分の番は回ってくるのか。音楽室の、黒いグランドピアノの前に座った優香はため息をつく。ピアノのばん奏を任された優香は、先生の「ピアノはみんなができるようになったら入ってね」という言葉のせいで、もう大分待たされていた。みんなができるように、というのは一体どれだけ後になるのか、優香は考えるだけで気が遠くなる。みんなのイライラしたような顔を見たり、先生のおこる声を聞いたり、無意味に指をけんばんに乗せたりして時間をやりすごしているけれど、そろそろ眠気が限界だった。

「だから、木琴ずれてる! いや、鉄琴か……? どっちにしても、指揮をちゃんと見て!」

指揮を見るからずれるんじゃないの。
優香は、いらだつ心の中でそう言った。しかし現実の優香のまぶたはどんどん重くなって、先生の声も遠くなっていく。気持ちの悪い輪唱になっている演奏も、少しずつ小さくなっていくようだ。ああ、また一小節ずれてるよ……。
ただでさえ、五時間目の音楽なんて眠くなるものなのだ。そこにこんな、待ちぼうけを食らってはまともにやれたものではない。だからこれは仕方がない、仕方のないことなのだ。

「リコーダー! フォルテ! そこはフォルテだよ!」

先生、フォルテなのはリコーダーじゃなくてピアニカだって……。
何に対してなのかもわからない言い訳と、先生への文句を心の中でしながら、大きくしようとがんばりすぎて裏返ったリコーダーの音を最後に聞いて、優香の意識は、すっ、と切れてしまった。



「ああ、ダメだダメだ! そんなんで、客を楽しませられるわけがない!」

聞こえたどなり声に、優香は、はっと目を覚ました。いけない、寝ちゃったんだ。そう思って、急いで目をぱちぱちさせて、

そして優香は、飛び上がるほどにびっくりした。
だって、優香がいたのは小学校の音楽室じゃなくて、家族でオーケストラを聞きにいった時みたいな、とっても立派なコンサートホールだったのだ。ステージは一度に見わたせないくらい広いし、天井はうそのように高い。今はだれもいないけれど、客席は二階、いや、三階まであって、一体どれくらいのお客さんが入るのか優香には見当もつかなかった。背もたれのない黒のイスに座った優香の前にあるグランドピアノも、音楽室のとはちがってピカピカで、大きなふたも開けられている。
それだけじゃ、ない。

「何度言えばわかるんだ! お前たちは何年、ここで音楽やってんだ!?」

指揮台の上でそう叫んでいるのは、色々なゴミで出来た、巨大なダストダス。
どなり声に体をちぢこまらせているのは、フルートを持ったウソッキー。
ふきげんな顔でダストダスを見ているのは、トロンボーンを動かしているエテボース。
コンサートマスターの席にいるのはバイオリンを持つベロリンガで、オーボエのリードを自分の頭の皿でぬらしているのはハスブレロで、ティンパニを叩くスティックをえらんでいるのはカイリキーで……。
とにかく、みんな、ポケモンだった。
優香の目の前で練習している、オーケストラはみんなポケモンだったのだ。

「ちょっと待って!」

たまらず、優香は立ち上がってさけんだ。ポケモンがしゃべったり、楽器をやっているのにはもちろんおどろいたけれど、それ以上に思ったのは、ここに自分がいてはいけないのではないか、ということだった。どうやらここはポケモンのオーケストラらしいし、それなら人間である自分の場所ではないだろう。いつの間にやってきたのかはわからないけれど、とにかく出ていかなくては、と優香は考えた。
しかし、そんな優香をよそに、ポケモンたちはふしぎそうな顔をしたり、「何を言ってるんだ?」とたずねるだけだった。コントラバスをかまえたガチゴラスが、ピアノの前にいる優香とは反対側の舞台で大きな首をひねっている。彼らを代表するように、ダストダスが口を開いた。

「ぼーっとしてるんじゃない。さっきも言っただろう、ピアノのガメノデスが『ないぶぶんれつ』を起こしたから来れないけれど、リハーサルを中止するわけにはいかんから、代わりにお前を呼んだのだ」

「何、『ないぶぶんれつ』って」

「あいつは七匹のカメテテからできているんだが、それがケンカしたんだ。お前は人間だが、この際しかたあるまい」

「なんで私なの」

「ヒマそうにしていたじゃないか。ピアノの前で」

そう言われて、優香は「なるほど、そういうものか」と納得してしまった。よくわからないことだらけであったが、そういうことにしておくべきなのだとも思ったのだ。
優香が静かになったので、ダストダスは指揮台に向き直る。そのまましばらく、そこのクラリネットの音程がダメだとか、チェロの強弱がちがうとか、トランペットの高音が出せてないだとかでおこったり、みんなに演奏させていたが、急に「よし」と楽譜をめくりながら言った。

「じゃあ五十三小節目からやるぞ。ピアノ、お前も入れ」

いきなり言われて優香はおどろき、しかし代理である以上ちゃんとやらなければ、と自分の前にある楽譜を見た。それは、優香たちが四年生のころに音楽発表会で演奏した曲の楽譜だった。その上、優香の名前が書いてある、優香の楽譜だったのだ。

「ねえ、ダストダス!」

「俺のことはダストダスじゃなくて、マエストロと呼べ」

「マエストロって何?」

「指揮者、っていう意味だ。ここでは、みんなにそう呼ばれている」

ダストダスがそう言うので、優香はすなおに「じゃあマエストロ」と言い直した。

「なんで、私の楽譜がここにあるの?」

「お前がすてたからだ。お前たちのことは、俺はよく知ってる。すてたものは、俺のものになるからな」

「すてたものなのに、やるの?」

「すてられてようがなかろうが、その曲がすばらしいことに変わりはないんだ。いいか、ピアノ代理、音楽がどうあるべきか、お前は知っているか」

そう聞かれて、優香は答えに困ってしまった。上手く演奏することや実力じゃないか、とは考えたものの、多分それはダストダスの言いたいことじゃないのだろうな、と思ったのだ。
実際そうだったようで、ダストダスは「もちろん、技術や才能は欠かせない」と優香が何かを言う前に口を開いた。オーケストラのポケモンたちがうなずく。やっぱりそうなのか? ふしぎに思った優香が指揮台を見る。と、ダストダスの太い腕が大きく動いて指揮棒を振った。

「でもな、まずはその前に必要なことがある。それはな、」

「それは?」

「五十三小節目!」

優香の質問に答えず、ダストダスが指示をした。ちょっと待ってよ、と優香が言おうとした時にはすでに、オーケストラのみんなは楽器をかまえていたため、優香もあわててけんばんに指を乗せた。去年やった曲だから、今もできるはずだった。ダストダスの指揮をよく見て、みんなと一緒に息を吸って、曲に入る。
そして、優香はとてもおどろいた。今までこんな風な音楽をやったことはなかったし、聞いたことはあったのかもしれないけどわからなかった。ダストダスも、オーケストラのポケモンたちも、みんな楽しそうだったのだ。さっきまであんなにおこって、おこられていたのに、みんな心から楽しそうだった。音楽って、こんなに楽しくやれるものなんだ。優香がそう思ってから、ダストダスが曲を止めるまではほんの一しゅんのことに感じられた。


「どうだった」

にやり、と笑ったダストダスが優香にたずねる。優香は、夢のような気持ちのまま、こう答えた。

「とっても楽しかった」

「そうだ! それが大切なんだ、音楽は、楽しいものだってことがな!」

ダストダスがそう言うと、「その通りだマエストロ!」「よく言った!」とポケモンたちから声がとんだ。ダストダス、いや、すてきなマエストロは満足そうにうなずいて、指揮棒をびし、とかまえて見せた。

「よし、じゃあもう一度、最初からやってみようじゃないか!」

マエストロが高らかに言うと、ポケモンたちがいっせいに笑ってこたえた。優香も、思わず元気に返事をしてしまったくらいである。
ダストダスの手が動いて、指揮棒を振り始める。一回、二回、……そしてみんなが息を吸って、楽しい時間が始まるのだ。



「ああー、カスタネット! 一拍早い!」

優香が気づくと、そこは元通りの音楽室だった。
さっきまでと何も変わらない、バラバラの合奏がまだ続いている。先生もみんなも、とてもイライラした顔をして、しょうがなさそうにやっていた。やっぱりひどいものだ、と、優香は軽くなったまぶたをこすりながら考える。
だけど。優香の目に、音楽室のゴミ箱が入った。金ぞくでできた、汚れている、ただのゴミ箱。中に捨てられているのは、先生や生徒がいらなくなった楽譜たち。
でも、その楽譜は。いや、それだけじゃない、優香たちが今練習しているのもふくめて、すべての楽譜がそうなのだろう。あの、とてつもなくすてきなマエストロの言うように、きっと、そうであるべきなのだ。
ならば、私もそうなろう。みんなと、先生と一緒に、この楽譜をそうしなくてはいけない。

「先生!」

いきなり手を挙げて、大きな声でそう言った優香を、先生やみんながおどろいたように見た。しかし優香は、気にせずに続ける。

「私も入って、いいですか。最初から、一回、最後までやってみたいです」

「小田原さん、でも……」

まだできてないから。そう言いたそうな先生に、優香は笑って首を横にふった。先生、とはっきりした声で言う。

「たぶん、そうした方が楽しいから。まず、みんなで、この曲を楽しくやりたいから。上手くやったり、合わせたりは、その後でも、いいと思うんです」

だって。そう言った優香の頭に、ポケモン楽団のみんなが思いうかぶ。そして、あの、世界で一番のマエストロも。
優香は両手の、十本の指をけんばんに乗せた。この感覚が、あの時間につながるこのしゅん間が、優香はとても好きになった。マエストロが教えてくれたのだ。あるいは、思い出させてくれたのだ。あの、だれよりも音楽を愛する、ポケモン楽団のマエストロが。
だから今度は、優香がみんなに伝える番だと思った。ピアノにおいた楽譜を見て、優香はすっと息を吸う。


「だって音楽は、どんな時でも、楽しくなきゃいけないんですから」


  [No.1321] 六時間目「僕とズバットと見えない前方」 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/29(Wed) 23:03:05   34clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

カーテンを揺らして入ってきた風が、僕の顔をかすめていった。
窓の向こうからは、ホイッスルの音や先生のかけ声、クラスのみんながさわいでいる声が聞こえてくる。今日の体育はドッジボールだと言っていたから、今ごろ、ちょうど試合をしているのかもしれない。きゃーっ、と喜ぶような声がした。だれかがボールをあてたのだろう。ドッジボールが得意な大沢か、それとも運動神経の良い村上か。もしかすると、コジョンドみたいに素早く動く、女子バスケットをやっている橋岡かもしれない。そんなことを考えて、僕はやわらかいベッドに寝返りをうった。
本当は、昼休みのころから具合が悪かった。給食のカレーもおいしくなくて、ほとんど残してしまったくらいだ。でも、五時間目は算数だから出なくちゃいけないと思ったのだ。塾に行ってるからといって、学校の勉強をサボってはいけない、というのはいつもお父さんやお母さんに言われていることだから。
体育にも出たかったけれど、無理だ。気分が悪いことを先生に言って、連れられてきた保健室で熱を測ったら平熱よりも少し高かった。お母さんには電話しないでほしい、と保健の先生に言ったら、一時間寝て調子を見てからね、と返されてしまった。お母さんは仕事で忙しいから心配かけたくないし、何より今日は塾がある。テストも近いから、休めない。
冷たい風が気持ちいい。軽い風邪、と保健の先生は言った。先週やった塾のテストが返ってきて、結果がよくなかったから昨日はおそくまで勉強していたのだけれど、それが悪かったのだろうか。そろそろ志望校を決めなきゃいけない時期だから、気は抜けない。少し無理してでもがんばらなきゃと思ったけれど、こうして体調を悪くしては意味がないな、と後悔した。

「あ、ズバット」

何度目かの風に窓の外を見ると、一匹のズバットが逆さまになって木にぶら下がっていた。ズバットには、目が存在しない。超音波によって自分の場所や、周りに何があるのかを確認するのだと、四年生の時に読んだ本に書いてあった。何も見ずに、ズバットは飛んでいるのだ。
何も見えない。頭の中に思い浮かべたその言葉が、ずしりと心に重いものを置いた。窓の外のズバットは、目の無い顔をゆらゆらと揺らして木に捕まっている。何も見えない。あのズバットは、何も見えていないのだ。

「違うか」

その考えを、僕は自分で打ち消した。ズバットは確かに見えてはいないかもしれないけど、超音波という方法で、ちゃんとわかっているのだ。自分が行くべき方向も、自分のピンチも、全部見えないけれど見えている。だから、ズバットは、何も見えないわけじゃない。
見えていないのは、僕だ。なぜだか、そんなことを考えた。
塾に行きたい、と言い出したのは僕で、お父さんやお母さんに言われたわけでもない。オーキド博士みたいに、ポケモンの研究をする人になるのは小さいころからの夢。そのためにはいい学校に入った方が有利だとみんなが言うし、僕もそう思った。だから、そうしたのだ。十歳になっても旅に出なかったのも、クラスメイトとは違う、私立の中学校を受験するのも、全部僕が決めたことだ。
だけど、不安になる。もしも受験に失敗したら、あるいは学校に入れたとしても、ポケモン研究者になれるのか。そして、なったとして、それは果たして本当に正しいことなのか。もしかしたら、旅に出たり、みんなと同じ学校に行った方が、ずっとずっと、いいことなんじゃないかって、とてもこわくなるのだ。
六年生になって、塾と勉強の時間が今まで以上に増えてから、その不安はどんどん大きくなっている。自分の行く先が、何も見えない。真っ暗だ。何が待っているのか、どんな恐ろしいことが待っているのか、何もわからなくて、不安でたまらない。

僕は、どこに行くのだろう。

こんなこと、考えたってどうしようもない。いつも通りのことを自分に言い聞かせて、僕は熱くなった頭を枕に乗せて目を閉じた。



夢の中で、僕は、僕じゃない、誰かの景色を見ていた。
空を飛んでいる。といっても、冬休みに乗った飛行機みたいにまっすぐ飛んでいるわけじゃなくて、ガタガタと危なっかしく揺れながらの飛行だ。そして、位置はそんなに高くない。緑の葉がくっついた木の枝の間を抜けていく。枝が近づくたびにぶつかりそうになって、ギリギリのところで避ける、というのを繰り返しているからこわくて仕方ない。
時折現れては消える、青と紫の羽を何度か見て、僕はこれがズバットの視界なのだと気がついた。いや、ズバットに視界は無いから、僕が代わりに見ているのだろう。とんでもなく非現実的なことだけれども、夢だからだろうか、僕はすんなり納得してしまった。
ズバットはふらふらと飛んでいく。茶色の枝が今にもぶつかりそうになって、当たるか当たらないかのところでやっと避けるものだから、僕はハラハラしてしまう。おまけに葉っぱを避ける気があるのかないのか、時々そのまま突っ込んでいくのだ。そのたびに僕の視界は大きく揺れて、昔バスで酔った時みたいな気分になった。
しばらくそうやって、危険な飛行をズバットが続けていると、ぽつり、という音とともに、視界がぐらりとふるえた気がした。泣いたときみたいな、目が覚めた直後のような、そんな感じに景色がにじむ。それが雨によるものだとわかった時には、もうざあざあ降りになった雨がズバットをようしゃなくぬらしていた。
雨に打たれて、ズバットはますます危なっかしい。風も出てきて、それが少しでも強くなると、ズバットの体は飛ばされてしまいそうにかたむいた。がんばってよ、と言いたいものの届かせる声は出せない。どこからか飛んでくる葉っぱや小枝を避けて、時にはぶつかりながら、ズバットは飛んでいく。
その時だった。前方に、ズバットの何倍もある大きな影が見えた。
ピジョットだ。雨空にひるむことなく飛翔するピジョットは、ズバットには気づいていない様子である。しかし、もし気づかれたらどうなるかわからない。戻れ、一度別の方向に行くんだ、僕は心の中で精一杯ズバットに念じる。
だけど、ズバットは飛び続けている。流石に、ピジョットのことをわかっていないということはないだろう。一応気づかれないようにはしているらしいけれど、でも方向を変えたりはしない。どうしてだよ、と僕は泣きそうになる。そっちは危ないのに、なんでだ、お前は前のことがわかってるんじゃないのかよ。
そう、思った時だった。ああ、そうか、と、僕は一つのことに気がついた。

ズバットだって、前に何があるかなんて、わからないんだ。

僕の頭の中に、そんな考えが、すっと現れた。
超音波で周りの様子を知ることが出来るズバットだって、自分の飛んでいく先に何があるのか、飛んでいく途中で何が起こるのかなんてこと、わかるはずもない。こわい敵や、予想もできない攻撃や、信じられない出来事が待っていたってわからないのだ。雨も風も、おそってくるピジョットも、ズバットは、何一つ知らないし、知ることができない。
でも、それでも飛んでいるのだと思った。何があるかわからない、前に向かって。
ズバットは、一生懸命に飛んでいるのだ。
そうだったんだ、と僕は揺れる視界にそう思った。バサ、バサ、と不安定な羽音をひびかせながら、ズバットは飛んでいる。ただ、何も見えない前方へと進んでいる。なんだ、そうだったのか。僕はもう一度考えて、あるはずのない目を、ゆっくりと閉じた。




ベッドの上で目を覚ました僕は、熱っぽかった頭がだいぶ冷たくなっているのを感じた。寝たことによって下がったのだろう、と思った。これならきっと、お母さんに電話をする必要も、塾を休むこともないだろう。ほっと安心して、僕は布団から体を起こす。
窓の外に、ズバットはもういない。あのままどこかに飛んでいってしまったのだろう。何が起こるのか、何があるのか全くわからない前方を、それでも必死に目指して飛んでいったのだ。たとえ見えなくても。それでも、飛び続けるのがズバットなのだから。
僕も、そうなれたらよいと思う。僕だって、自分の前に何があるのか、どんなものが待ち構えているのか、何一つだってわからない。でも、向かいたい先は、ちゃんと決まっている。僕が決めたのだ。オーキド博士みたいな研究者になるのも、そのためにいい学校に行くことも、お父さんとお母さんにほめてもらうことも、全部、そうしたいと僕が決めた。
なら、そこに向かって進むしかないのだろう。何が起きるかわからない前方は、怖くて、不安で、どうしようもなく辛くて苦しいものだけど、それでも進むのだ。何も見えない前に向かって、ひたすら、行くしかない。
ズバットみたいに。

もう一度窓の外を見る。冷たくて気持ちのよいこの風を、あのズバットも感じているのだろうか。
そんなことを考えながら、僕は保健の先生を呼ぶために、白いベッドから降りる。