その日、アタシはバトルで負けた。
ポケモントレーナーとしては、いたって普通のことだと思う。
常勝無敗なんてどこのキャラの設定よ、ってぐらいにあり得ないもの。ルーデルだって撃墜されてる。イチローも6割は打ててない。それが現実。
とにかく、アタシの実力は凡百かそれ以下。だからこそ経験を積んで強くなろうと、どんな勝負でも真剣に勉強していた。
勝ったときは、何がうまくいったのか。負けたときは、何に負けたのか。いつだって、バトルの度に反省してきた。
だけど、その日のバトルはどうにも納得いかないものだった。
*
夏。大学近所の喫茶店。
そこの窓際でかき氷を食べながらバトルの反省が、アタシの夏の過ごし方だった。
「ご注文の宇治金時です」
「ん、置いといて」
ウェイターを見もせずに答えて、アタシは2枚並べたメモ用紙を睨んでいた。
1枚はアタシのノーちゃん。ヌオーの女の子。一番の相棒だから、一番自信のある子だった。
もう1枚は相手のイワパレス。この相手のメモに特徴を書いていって、反省に役立てるんだけど。
アタシはただ1つ単語を書いただけで、そのメモを机にたたきつけた。
「……はぁ」
「機嫌が悪いな」
「ちょーっと納得いかないことがあってねぇ」
ウェイターが親しげに話かけてきた。普通は咎められるところだけど、常連で気心の知れたアタシが相手だから誰も気にしてない。
そもそもアタシが先に話しかけたから、こいつもアタシに話しかけるようになったのよね。
そして今、店内にお客はアタシだけ。だから気兼ねなく、バトルの話ができる。
「あんた、イワパレスって知ってる?」
「んー? あぁ、あのでかい岩を背負ってる、ヤドカリ?」
「そーそ、岩タイプの、あれ」
宇治金時を1さじ食べる。口もお腹も冷えるけど、煮えくり返ったハラワタは冷えない。
スプーンを口にくわえたまま、イワパレスのメモを手に取り、見せた。
書いてあるのは一言、「タイル」。
「そいつがさ、背負ってるヤドにみっちりタイル貼り付けてきたら、どう思う?」
「タイル? タイルって、床や壁に貼るあれか?」
「そのあれよ。雨風汚れにとっても強い、どっかの宣伝文句にあるようなやつ」
喋る度にスプーンが揺れる。
ウェイターは苦い顔でアタシがくわえてるそれをかすめ取り、かき氷に突き刺した。行儀悪かったかしら。
「そんなヤツが……やー、ヤド、だしなぁ……好きこのんでつけてるんなら、アリなんじゃないのか?」
「あり、ねぇ……。
そんな趣味のシロモノに、アタシのノーちゃんは、技を弾かれて、黒星もらっちゃったんですけど?」
そう。岩タイプを相手に、ノーちゃんは負けた。
件のタイルが“だくりゅう”も“マッドショット”もキレイに弾いてくれて、“たきのぼり”で突っ込んだら重量の差で押し返された。
そりゃぁ、こっちにも反省点は有る。すでにリストアップもしてるけど、ついつい「あのタイルさえなければ」なんて思っちゃう。
「不機嫌の原因はそれか? まー、確かに俺もおかしな話だとは思うけど、持ち物とか戦い方とかはトレーナーの自由だろ、実際の所」
「それはそうなんだけどね。あのタイルは有り得ないって。やりすぎ、反則よ。例えるなら、ドッコラーの角材に釘を打ちつけてくるようなものよ?」
「その例えはちょっと、倫理感を疑うなぁ。
じゃぁ、反則じゃないんなら、お前……相手が“すくすくこやし”を投げつけてきたら?」
「あんたそれ真剣に言ってる?」
「やだなぁ、そんなわけないじゃないですか」
なによ、その語尾に(笑)とついてそうなウザったい笑顔。今ただでさえでも機嫌悪いんだから、トレーナー同士のリアルファイトってやつ、アンタ相手にやってもいいわけ?
「いや待て、謝る、冗談だ。今度は真面目に言うから。
その……タイルも、一応インテリアの一種じゃないか。そのイワパレスは、多分、自分の家の見栄えを良くしようとして、そのタイルを貼ったんじゃないのか?」
それ、ちょっと苦しいわよ。なんとか絞り出したって感じだし。
まぁ、あのテのポケモンが自分の殻を大事にするのは、わからないでもないけどね?
「そもそも、そのインテリアを思いつくことがおかしいと思うんだけど」
「そこはそれ。ヒトと一緒に暮らしていくうちに学んだ、ってことで。
……そうだな、そう考えると、不自然でもない」
「そぉーねぇー……大いに納得しかねるけどねぇー」
出任せが案外 腑に落ちる内容だったって感じね。でもこっちはそうでもないの。
負けて悔しいもの。苦虫とまではいかないけれど、アタシはかき氷の小豆を噛み潰した。
「といってもなぁ……ポケモンだって環境に馴染んでいくもんだよ。人間と一緒に生活していれば、そういうことを考えるヤツだっているだろうさ。
例えば、光り物大好きなヤミカラスが宝飾に身を固めて、キンキラキンでバトルに出てくることも、あるんじゃないか?」
「悪趣味ねぇ。ニックネームはサチコEX?」
「それはガルーラの名前だな。
他にも、防虫剤の臭いをプンプンさせたジュペッタとか、ドテラを羽織った寒がりのクルマユとか、いたとしても、そんなに不自然ってことはないだろ」
「んんー……確かに、なんとなく判るけど……」
どうしたらそんな例えがポンポン出てくるのかしら。客商売してるだけあって口がよく回るわぁ。
でも……アタシが素直じゃないだけかしら、どこか違うって思っちゃうのは。
「そりゃ、すんなり納得できないのは、俺も判るけどな。
結局は、あれだ。オシャレだインテリアだってのが偶然バトルで役立ったって事だろう。ポケモンの持ち物は概ねトレーナーの自由だし。
今回は、ちょっと珍しい例を見たってことで」
「珍しい、ねぇ。まー、そうそうあってもらっちゃ困るわよねぇ、こんなこと。
答えのでないことだし、なんかイライラするだけだわ。負けたのは悔しいけど、この辺で大人しくしておくわよ」
自分が駄々をこねてる子供に思えて、だんだん気分が悪くなってきた。あのイワパレス、次に会ったら……っていうか2度と会いたくないわ。
胃の奥が熱くなって、多めにかき氷を流し込む。頭が痛いのはこれだけで充分よ。
話題を変えよう、話題を。持ち物、オシャレ……そうだ、こいつのサーナイト。
「そうだ、持ち物と言えば、あんたのサーナイト。シルクのスカーフなんて首に巻いてたわよね。あれ、なに?」
「んー? なに、っつわれてもな。スカーフはスカーフ、一種のおしゃれってヤツだよ?」
「あんたのポケモンが? 非番の時でも無地のズボンとワイシャツしか着ないような、そんなあんたのポケモンが?」
「んん……なんだよ、悪いか?」
「……悪いけど信じられないわね」
こいつがそんな、おしゃれに気を使うとはとても思えない。ノーマル技の威力向上のためだったら、もっと信じられない。
「技のため……つっても通じないよな、お前には」
「これでもトレーナーよ。持たせるならもっと別のポケモンにするって思うわ」
こいつのポケモンなら“おんがえし”も高い威力を発揮してくれると思う。でもわざわざサーナイトにやらせるとなると、変態のやることね。
…………こいつは変態だったわ。
「……だよなぁ。まぁ、とりあえず現物見せるから、まずはちょっと後悔してくれ」
「後悔ってなにさ。やっぱり何か隠してるってヤツじゃないの」
「ちょっと、人目に晒すには厳しいものがあるんだな、これが。
おーい、イトウさん、ちょっとこっち来て」
店の奥に声を投げる。その呼びかけに答えてエプロン姿のサーナイトが出てきた。
こいつの変態たる所以は、まずネーミングセンスから始まる。
さっきのサーナイトのイトウさんに、バシャーモのハシバさん、そしてミミロップのウサミさん。アタシは名前を聞いただけで正気を疑ったわ。
バシャーモはともかく、ミミロップとサーナイトを連れてるっていう点も怪しい。どっちも♀だし。
おまけに「モンスターボールが好きじゃないんで」とか ほざいていつもポケモンを出しっぱなし。
店長さんも店長さんだ。こんな男をバイトに雇って、ついでにポケモンたちが人型なのを幸いと、制服のエプロン着せて一緒にバイトさせて。
そりゃぁ、ゴーリキーが運送業やったり、カイリューが郵便屋さんするみたいに、ポケモンが働くことも無い訳じゃない。でも普通 飲食店にポケモンがいたら衛生面を疑われるでしょうに。懐が深いなんてもんじゃないわ。
ともかく、近づいてきたサーナイトをこいつは「ちょっとゴメンな」と屈ませて、アタシの目の前でその首のスカーフをずらした。そこに見えたのは、首に巻かれたチョーカー……ん? チョーカーかしら?
輪っかが通されてて、鋲が打たれてて……これは、首輪?
「……変態」
「え!? ……ってイトウさん、あんたなんでまだそれつけてるの!? 変な目で見られるから外してって言っただろ!」
うわー、どん引きだわ。
えっらい慌ててるけど、こいつは、なに? ボールがイヤなんて言っといて、そんなもんポケモンに使う? 理由なんてアレしか思いつかないけど……。
「あんた……前からそのテの趣味って疑いはあったけど、まさかサーナイトにそんなハードなシロモノつけてるとは思いもよらなかったわー……それもこんな公の場で」
「違う! これはイトウさんが俺にねだってきて……じゃなくて!
見せたかったのは、こっち! この下! キズ!」
「キズぅ?」
人目に晒すには〜とか言ってた割に大声で言うわね。慌てて外した首輪の下から、その“キズ”が出てきた。
それは白い肌の、首周りだけ色がくすんでて、縫い目みたいで。
……なにこれ。
「期待通りの表情ありがとう。見ての通りの傷跡だ」
「え、これ……切られた? いえ、はさまれた?」
喉元からうなじまで見てみるけど、同じように何かが食い込んで、それを縫い合わせたような傷跡がぐるりと走っていた。
切られていたら、この子は今ここにいないはず。考えられるとしたら何かのハサミで……だけど、文房具のそれってわけじゃなさそう。
「……イトウさん、だっけ。ありがとう、もういいわ。
ねぇ、あんた。このキズって……ポケモンの仕業よね?」
「だと思ってる。見つけたときから、このキズはあったからな」
見つけたとき。
コイツが言うには、ホウエン地方を旅行中に突然「死にたくない」という強烈なテレパシーが来たらしい。それで辺りを探ったところ、首から血を流したラルトスを見つけて、ポケモンセンターに運び込んだのだと。
「“ハサミギロチン”って、あるだろ?」
「知ってる。でも、使うにしても傷つかない程度に手加減はさせるはずよ?」
「野生じゃその限りじゃないだろ。あるいは、手加減をさせないトレーナーの場合とか」
嫌味のような響き。こいつは、つまりこれを虐待の一種と見ていると?
そーゆう八つ当たりみたいな物言い、なんでアタシにするかしら。
「……ひょっとしてケンカ売ってる? なら表出なさいよ。ポケモンバトルでもリアルファイトでも、アタシは受けて立つわよ」
「あー、ゴメン、誤解させた。お前がそういうトレーナーじゃないのは信じてる。あと表出るなら金払ってからで。
ともかく、真相は知りようもないし、気分の悪くなる話はここまでだ。こんなキズ、見せてたら何度も説明しなきゃならない。それがイヤだから隠してる、でいいだろ」
「そりゃぁ……確かに、興味を抱かれても面倒なだけね。スカーフで隠す理由も判ったわ。
だからって首輪をつけてたのは、趣味を疑うけどね」
「ぎッ……だからそれはイトウさんが……ってここでそれの話題に戻るのかよ」
蒸し返すようで悪いわね。でもコメディがいきなりシリアスになるなんてちょっと付き合いきれないの。
残り少ない溶けた宇治金時をすする。まだ何か言いたそうだったけど、「ごちそうさま」と器を突き返すと、コイツは口をつぐんで受け取った。弁解は聞く耳持たず、と判っていただけてうれしいわ。
しかしまぁ、このサーナイトもコイツのポケモンだけあって、ということか。
「あんたのポケモンって、あんたが助けたから仲間になったってヤツばっかなのよね」
「あー? ……そー、だな。ウサミさんもそうだが、案外いるもんだよ、可哀想なことに」
コイツの目が、いつになくマジなのになった。
いつのことだか聞いた覚えがある。コイツは将来、流しのドクターになりたいと。
捨てられたとか虐待を受けたとか、そーゆー可哀想なのだけじゃなくて、バトルで傷ついたポケモンも、助けてやりたいって考えてるらしい。
だったらバイトや旅行なんてしてないでまじめに勉強しろよとは思うけど、それ自体は、立派な心構えだと思うよ。
「そういう経緯がないのは最初のハシバさんぐらいだ。どこに行ってもそういうポケモンがいて、助けるためにもボールを使うことになって……。
あ、そうだ。この間 額から血を流したタブンネを助けたんだが。ありゃぁ“からてチョップ”かな。心当たりないか?」
「…………」
たまーに、こう……返答に困ること言われるから、不安なのよね。
こいつ、将来はトレーナー嫌いの医者になるんじゃないかしら。うわー、めんどくさー。
返す言葉に迷っているそんなとき、出入り口のドアベルがカラカラと音を立てた。
「いらっしゃいませ」
コイツも店員の一人。即座に頭を切り替えるとここを離れていった。食器を持ったままじゃ仕事もできないものね。
雑談もここまで、か。
メモを片づけながらバトルの反省をまとめる。結論で言えば「相手が悪かった」として諦めた。ホントは諦めるなんてイヤだけど、今回は特例。まともじゃない相手にまともにバトルをしようとしたアタシが悪かったんだ。……そう思わなきゃやってられない。
「お会計お願いします」
「少々お待ちください」
荷物をまとめてカウンター脇のレジで支払いを済ませる。そのレジスターを操作するアイツのイトウさん。
「……文字も機械も覚えたの?」
「俺の教育のタマモノでござい」
まだ人間の助けがいるみたいだけど、エスパーポケモンって賢いからなぁ。
手際は悪くない、ってことは結構練習したのね。気心の知れたアタシを相手に実践ってこと?
お釣りを受け取るとサーナイトから感謝の意のテレパシーが飛んできた。言葉にならないのは仕方ないわね。
「……まぁ、概ね良しって所かしら。お客との意志疎通がもっと細かくできれば問題なしよ」
「だとさ、イトウさん。バイトの雇用、後一息でいけそうだぞ?」
でも横にいるアナタの主人の得意げな顔は、ムカつくからダメ。
まったく、どうしてこんなこと考えつくかしら。ダメモトかも知れないけど、やらせる店長さんも店長さんよ。
「はぁ……前から給仕の真似してるのは知ってたけどさ。こんなことまで教え込むなんて……アンタそこまで金に困ってるの?」
「いやこれ、俺はフォローをしてるだけで、そもそもはイトウさんが自分からやり始めたことだから。働くポケモンなんて珍しくないだろ。
あと、カネはここのバイトで必要充分だから」
自分から、ねぇ。そもそも思いつくことがおかしいと思うけど……って、ちょっと前にも同じ事考えたような?
「……どうして人の真似なんてしたがるかしらねぇ」
「好奇心とかなんとか、理由はいろいろあるだろうけど、やっぱり一番は“ヒトとの生活で学んだ”ってことで」
またそれか。今その言葉を聞くとドッと疲れるわ。
ともかくお会計は済んだのだし、これ以上お店にいる理由もない。「ありがとうございました」とアイツの声を聞きながらアタシは店を出た。
屋外にでた途端、夏の暑さが肌を焼く。疲れた気分がいっそう下がるけど、夏らしさだと諦める。
あぁ、なんだか今日は諦めてばっかりだ。こんな気分じゃ良いバトルなんて出来やしない。今日はまっすぐ帰って、明日元気になろう。そうしよう。
その後日、アタシが薬局に行ったところ、ノーちゃんが保湿クリームを欲しがるということがあったけど、それはまた別のお話。