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この物語はフィクションです。
実在の人物、組織、出来事等とは一切関係ありません。
著者。
1.
マサラタウンの沖合いに、静かにその船は佇んでいた。
最初に発見したのは岬の見回りをしていた二人の警察
官で、彼らは見慣れない船についていくつかの意見を交
わした。
「ポ海自(※ポケモン海上自衛隊)の船か?」
「そんな通達は来ていないぞ」
しかしまあ、事実あそこにあるんだから、具体的に何か
はわからないがアートかコマーシャル、アミューズメント、
その手のものだろう。二人を呑気と責めるのは酷かもし
れない。しかし船の中程からキリキリと斜め45度に持ち
上がった主砲から赤白のツートンカラーの球体がこちら
に射出されるのが見えたとなると話は大きく変わってく
る。
「逃げろっ!」
岬に着弾したマルマインは大爆発を起こし、二人をきっ
ちり五メートル吹き飛ばした。幸い草地にソフトランディ
ングした彼らに怪我はなく、ついた初速を減衰すること
なくマサラタウンに駆け戻りポケモン犯罪対策室に通報
した。
2.
ゲートを通過しようとする車を手で制すると、ガードマン
はIDの提示を求めた。運転者、ポケモン犯罪対策室室
長はIDカードを差し出しつつ、助手席から水のペットボト
ルを取ってガードマンに渡した。
「警備、ご苦労様です」
IDの提示はともかく、飲み物に関しては別にこのようにし
ないとゲートを通過できないわけではない。あくまでもポ
ケモン犯罪対策室室長からガードマンへの善意の労
いに過ぎない。
かつてこの世界を題材にして作られたゲームの中での、
通過の際暗に飲み物を要求される描写は、ヤマブキシ
ティをGBソフトに落とし込む為のデフォルメであり実際
とは異なる。そんなことはどっちでも良いのだった。
緊急事態発生。
マサラ沖から陸地への砲撃があったのである。
庁舎に着いたポケモン犯罪対策室室長は車を降り会議
室へと向かった。
「事実確認を」
対策室の面々を見渡しポケモン犯罪対策室室長が言う
と、次々と報告が上がる。
「両海自(※通常海上自衛隊とポケモン海上自衛隊を包
括した呼称)に該当の船籍はなし。退役艦も含めてです」
「レーダーと衛星情報を総合するに、外国船の可能性も
除外できるかと」
「使用された二体のマルマインですが、時限爆発式では
なく対地接触起爆、TIC(※trainer identification code
トレーナー識別コード)は意図的に削除されています」
「マサラタウン市街地は砲撃の射程外と推定されますが、
万一に備えトキワシティへ避難誘導を開始しています。
所要時間は百二十分を予定」
「住民にはありのままを伝えたのか?」
「表向きは光化学スモッグ警報と」
現在判明している事実があらかた出揃うと、それをベー
スとしたいくつかの推論が飛び出す。
「一度取りまとめを行います」
ポケモン犯罪対策室室長の言葉に、その場の面々は一瞬
視線を送り合った。一人が代表して発言する。
「現在あのような場所に、あのような船が存在するはず
がない。それが現時点での結論です」
「私も同意見です。しかるに、不明船はマサラ沖に確か
に存在し、あまつさえ陸地に砲撃を仕掛けた。これは許
すべからざる暴挙です」
ポケモン犯罪対策室室長は次官に向けて「電話を」と
手振りで示した。
「セキエイ高原に繋いで下さい」
3.
二羽のネイティオがつかず離れず、マサラ沖の船を目
指す。目標二百メートル手前のポイントを過ぎたところ
で、甲板上にあるドーム型のシャッターが開いた。迫り上
がって来た台座にはフシギバナが整列し、ネイティオた
ちに向けて一斉に種子のマシンガンを浴びせかける。
ネイティオは旋回して弾幕を避けるが、少し離れた別
のシャッターが開き別の一隊が十字砲火を浴びせる。
「やはりポケモン武装か」
岬の突端に立つ、仮面の男、四天王のイツキが呟く。
「今の当たってないよな?」
「ギリギリかわしティオ!」
「こいつはしんどいネイ」
ズババババババ!
さらなる弾幕が『ティオ』を捉える寸前、見えない防壁
がそれを妨げた。『ネイ』のリフレクターである。
「あぶねティオ!」
「お互い死角をリフレクターで防御して進むネイ」
「わかっティオ!」
「対策室、こちらイツキです。
不明船ハッチより、フシギバナによる隊列射撃を確認し
ました。やはりあの船の武装は、ポケモンに由来するも
のである可能性が高いかと思われます」
それはマルマインが使われた時から想定されたことだ
った。そして中距離攻撃なら植物ポケモンの使用はセ
オリーと言える。種子・枝葉の物理弾とソーラー熱攻撃
の切り替えが容易かつ、運用コストも安い。
もちろん予断は禁物だ。
イツキは通常火器の登場も頭から消してはいなかった。
しかし、非致死的性とはいえ種子弾幕の濃さは想定を
上回っていた。
現在イツキは、右目の視界をネイと接続している。イツ
キの岬からの視界を得ることでネイはティオを援護しな
がら飛行することができているのだ。
だが船との距離が詰まるにつれ、その作戦にも限界が
近づいていた。
「十秒後に指揮を中断、オペレーション2に移行。ティオ
とボクの視界を臨時接続する」
「了解ティオ!」
イツキはポケットからスッと折り畳んだ白い袋を出した。
ネイに貸した片目、そして残った片目の視界がティオと
接続される。便宜上接続という言葉を使うが、より正しく
は「置換(置き換え)」である。
ネイ及びティオは岬からの視界を片目に得る代わりに、
洋上を高速飛行する二羽の見る映像がそのまま左右の
目から別々にイツキの脳に流れ込んだ。
「オエエエエ!」
想像するまでもないというか想像もできないが酔うなん
てもんじゃなかった。
4.
岬に立つイツキを狙う影があった。
「ゲッゲゲン!視界を失った上岬に棒立ち!まさしく自殺
行為と言う他ないゲンね」
ゲンガー、彼は謎の船から送られた刺客なのか!?
「四天王のイツキ、その命貰い受ゲン!」
「オラあ!!」
それとは別個に草むらから飛び出した男がゲンガーを
空中で掴み崖へ投げた。
「ゲンーーー!?」
ゲンガーは真っ逆さまに海へと落ちていったが突き出し
た木の枝を間一髪掴むとそのしなりで戻ってきた。
たまたま木が無かったら決まり手だったろう。
「なんて事するゲン!キサマ何者ゲン!」
「四天王のシバ」
「四天王……!いや、おかしいゲン!今の貴様の背負い投
げ、格闘技(※この場合は『わざ』と読む)である以上オ
イラに当たるはずは」
「そりゃポケモンのタイプ同士の相性だろ」
「そういうもんでもなくない?」
呆れでゲンガーの語尾が消える。
「そういうもんさ。まあ所詮オレのような殴るの蹴るのの
専門家が、沖の船に手出しできるわけも無い。今日はそ
このエスパー先生の護衛だ」
ゲンガーの体からシバへ、ズッと影が伸びた。
影縫いである。
「一歩も動けまいゲン!」
シバはベルトからブーメランを抜いて投げたが向こう側
にすり抜けた。
「ぶわっち!」
「こいつぁ流石に当たらんか」
「だーから、あの手この手で自ら戦おうとすな!なぜポケ
モンを出さんゲン!」
シバがふいにゲンガーから視線を外した。
視線の向かう方向、マサラタウン方面からカイリキーが
ドスドス走ってきて空手チョップの構えを見せた。
振り下ろさない。
それは比較的フランクな謝罪のポーズに似ていた。
「オーケーリッキー、ギリ間に合った」
首尾はどうよ? とシバが言って、リッキーは四つの拳で
サムズアップを返した。重畳、重畳、とシバ。
改めてゲンガーに向き直る。
「さっ来い!」
「現地集合なことあるゲン?」
リッキーが口からふいた大文字がゲンガーに直撃する。
「ドゲーーーッ!?」
シバはロープを出すと黒コゲになったゲンガーを手際
よく縛り上げた。
5.
弾幕を抜けた二羽のネイティオが船の甲板の上を横切
った。大きく旋回して戦闘域を離脱し、そして出発地点
のマサラ岬を目指す。
「僕らの任務は完了だネイ」
「豪勢なメシを要求するティオ!」
一瞬甲板に落ちた二羽の影は、彼らが飛び去るのと同
時に消えた。そうあるべきであったし、実際そのように見
えた。
しかしその二つの影は甲板に留まり、蠢くと、一つとなっ
て船内に滑り込んでいった。
マサラ岬。
イツキがアイマスクを外すとシバがゲンガーを尋問して
いた。何してんすかとイツキは言った。
「これは聖なる縄。このようにアストラル体にも効果がある」
「すごい。で何してるんです?」
シバの冗談を流せるようになるにはある程度の付き合い
が要るのだ。
「平たく言うと、今しがたお前を襲おうとしていたこのゲン
ガーをボコした。キリキリ吐けオラ、何が目的だ?」
「言わねーゲン!!」
「どうせロケット団だろこんなことすんのは」
確かにそうなら話が早いというのはある。その時、イツキ
の持つ通信機が振動した。
「潜入に成功した」
少し前。
ヤマブキシティ、ポケモン犯罪対策室。
「セキエイ高原……ですか?」
電話を促された次官が聞き返した。
「ええ、セキエイ高原には最近“彼”が加入しました。あの
人物ならばこう」
ポケモン犯罪対策室室長は水平にした手のひらをスー
と右から左に滑らすが、意図するところが伝わらないの
でさらに言葉を続けた。
「影から影へと伝わって、沖の艦に潜り込めるはず」
次官はマイクをオフにした。
「基本有能な人ではあるのだが、偶に真顔で変なことを
言うから少し苦手だ」
「聞こえてますよ」
やめましょうよ、できるわけないじゃないですかふざけて
ると思われますよ、いや行けるって、私は詳しいんだから、
聞くだけ聞いてホラ早く。マイクに乗らないやり取りがあ
ったが結局ポケモン犯罪対策室室長が次官を押し切っ
た。
十分後にセキエイ高原から折り返しがあり、対応した次
官の目が驚きに見開かれた。
「条件、付きで可能……だそうです」
「条件というのは?」
「それがその、船に『影を届ける』ことだそうで」
マサラ岬。
「というわけで『影を届ける』、つまりキョウさんの進入経
路を整える所までが僕の任務だったわけです。この作戦
についてはポケモン犯罪対策室でも意見が割れたらしい
ですが」
「次官の反応が普通だよ」
シバは言った。まあ潜入は忍びの末裔に任せて、オレた
ちはここで待機だなと続けて言った瞬間、地面が落とし
穴のようにパカっと開いて一瞬の浮遊感の後、二人はど
さりと床に落ちていた。
「お二方」
目の前に腕組みをして立つ男、キョウが言う。
「仕事はまだ終わっておらぬぞ」
「ここは、あの船の内?」
「左様。拙者が潜入に成功した今、引き寄せの術で味方
を引き入れることはたやす」
「いやいや」
い。と言い終わるのに被せてシバが食い気味に言った。
「なんぼ何でも、忍術凄すぎない?」
影を渡って潜入するのだってアリかと言えばギリよ?
「のんびり喋っている暇はござらん。ここはすでに敵船内。
努々油断を召されるな」
「わかりました」
二人は言って目配せを交わした。物の怪の類だ、逆らわ
んとこう。
6.
合流した四天王は連れ立って、それぞれが展開したポ
ケモンとともに船内を移動している。当面の目的地はブ
リッジ(操舵室)、そこにはこのはた迷惑な船を操る者が
いるはずなのである。
キョウの”どが衛門”(※マタドガス)が散布する薄いガス
の中で、動くものがあればアリ一匹でも感知が可能。そ
れを受けイツキがバリエル(※バリヤード)を選択したのは、
感知をすり抜ける高速の奇襲を警戒したためだ。六枚のバ
リア片がパーティの周囲を回転している。
「ウー!ハー!」
そして進路にある施錠されたドアをシバとリッキーの鉄
拳が片端から粉砕した。
「敵に居場所を教えているようなもんじゃないですか」
ドアだったものをどかしながらイツキがいう。
「誰も出てきやしねえじゃねえか。鍵開けに手間取る時
間が無駄だぜ」
キョウの影になる術で僅かな隙間を通れば良いのではと
思うところだが、彼によると「影化」は一日にそう何度も出
来る技ではござらんとのこと。そもそも一回できることがお
かしいのだ。
「話を戻すけど」
シバが右手を大きく振った。
「拍子抜けもいいところだぜ。こちとら乱戦も辞さずで動
いてんのによ」
「たしかに。船からのアクション自体、最初の砲撃と、偵
察に対抗した射撃くらいで」
イツキはそこで思い出したように尋ねた。
「そう言えばあのゲンガーはどうしたんです?」
「マサラ岬だろ。尋問している途中でいきなり船に引っ張り
込まれたんだから」
味方に。とシバは言いかけたがこらえた。
「お二方」
何かを考えていたキョウが口を開いた、
「船というものは、たとえ停泊していたとしてもこう人の気配
を消せるものではござらん」
「最低限の人数と運用行動があるはずですよね、本来なら」
「へっ、いよいよ幽霊船じみてきたってわけかい」
突然三人は闇に包まれた。
照明が落ちたわけではない。光の量が減ったというより
は、文字通り闇という名の何かに包囲された、そんな感
じだった。
「何だ!?」
闇の中に声が響く。
「愚かなる闖入者ども、我が主人の元に案内しよう」
くぐもったその声はそこで途切れる。機械を通している
風ではない、しかし不思議と方向性を欠いた声。そして老
若男女どのイメージとも異なる。やや間があって声は続く
「ついてくるゲン」
「お前かい!」
7.
ポケモン犯罪対策室は、キョウ、イツキ、シバの三名とも
が潜入に成功した旨の報告を受けた。事件解決への大
きな進展に対策室は一時湧いたが、それと並行して、次
官が一つの報告を上げた。
「ポ海自の護衛艦が、かの海域に向かっています。艦名は
『剣之舞』。グレン沖に配備された艦ですが、これは予定
にない挙動です。ポ海自に確認中」
そこで別の職員が挙手をした。
「報告します。クチバ湾内からも同様に一隻が移動中と
の報が。護衛艦『弩遺霊』マサラ南海へ移動中」
名の挙がった両艦は、この国の保有する海上最高戦力で
ある。 全員がその意味に考えを巡らせる中、 PCの通知音
が鳴った。
舞い込んだ【通達】と銘打たれた電子メールを、ポケモ
ン犯罪対策室室長は即座に開封し目を通す。
「結論を先に伝えます」
普段冷静なポケモン犯罪対策室室長の声がわずかに上擦
っていた。
「潜入中の三名に退避命令を、直ちに。
このまま推移すると、一時間後にかの不明船は消滅します」
8.
自分たちが移動したのか、それとも同じ地点の見た目が
変化したのか判然としなかったが、どちらにせよ闇が晴
れると光景は円形のコロシアムになっていた。
三人の視線の先には、杖をついた老婆があのゲンガーを
従えている。
「バーさん!?」
シバが叫んだ。
老婆、キクコは年齢を理由にその座を退いた元四天王
である。戦術的傾向の近いセキチクジムリーダーであった
キョウが後任となったのは比較的最近のことだ。
「おいおい、アンタが一枚噛んでるってのか? 冗談きついぜ!?」
「相変わらず騒がしい男だね。後ろ二人を見習いな」
「いやなんでオメーら落ち着いてんだよ!」
「ボクだって驚いてますよ。ただ岬でゲンガーを見た時か
ら、可能性としては頭をよぎっていただけです」
イツキがつとめて冷静な声で言った。
「キクコさん、一体どうしてこんなことを? 全てのトレーナー
の範たるべき四天王の座にいたあなたが」
キクコは鼻で笑った。
「ポケモンリーグ四天王。それは全てのトレーナーの強い順
に上から四人のことさ。それ以上でもそれ以下でもない、
仮面の坊やの言う『規範』などと言うのは、後付けの戯言
に過ぎないね」
そんな甘い考えに毒されて、ポケモンリーグは、セキエイ
高原は、四天王は見る影もなく弱くなった。
だからアタシは警告を送ることにしたのさ」
「バーサーカーバーさんかよ……」
皆シバを見た。
「ちょっと黙っててもらえます」
「分からんでもない」
「キョウさん?」
「新参者が言うのも烏滸がましいが、四天王の『闘者』の
側面が薄れつつあることは、この肌で感じぬことも無い」
「さすがセキチクの忍、話がわかるじゃないか」
「共感はする」
キョウは鋭い眼光をキクコに向ける。
「正当性は別の問題だ。キクコ殿、大人しく投降するか我々
に拿捕され船を降りるか、今選んで頂こう」
「拿捕ね」キクコは両手を肩まで挙げて「おお怖」とおどけた。
「アタシの答えはこうだ。かかっておいで、小童ども」
「仕方ありませんね」
出ようとするイツキの肩を、シバが掴んで制した。
「イツキ、これでこのバーさんとは長い付き合いでな。オ
レに行かせてくれ」
「気持ちはわかりますが」
「オレが四天王に加わった時から、バーさんはその座に
いた。喋るゲンガーは知らねえけどな。きっと隠し球なん
だろうぜ。
とにかく、今のセキエイがぬるいってんなら、実力で納
得させる責任はオレにある。違うか?」
シバは決然とそう言い切った。
「いやそうかもしれないですけど、格闘。ゴースト。相性
最悪ですよ」
「今の、こんなに響かんもんか」
結局キョウが「シバ殿に任せてみよう」と取りなしたので
イツキは引き下がった。しかし情緒面を抜きにすれば、
彼の言の方に分があった。格闘とゴーストは、ポケモンの
相性にいくつか存在する最悪の組み合わせの一つ、格闘
側の攻撃は通らず、ゴースト側からは一方的に削られる。
だが一方でポケモンリーグには次の様な理念も存在する。
その程度の条件で戦えない者に、四天王に座する資格は
無し。
「ウー!ハー!」
シバが雄叫びを上げ、二体のイワークを繰り出した。
トレーナーの闘気に呼応するリッキーが四本の腕を振る
いながら、岩蛇らと共にフィールドへ降りる。
四天王の戦う公式レギュレーションに、ポケモンを一体
ずつ繰り出さなければならないという制限は無い。彼ら
が普段そのように戦うのは、四天王でない相手側のレ
ギュレーションに合わせているにすぎない。
「ゲンちゃん、相手をしてやりな」
「さっきのリベンジゲン!」
リッキーの振るう拳、ワン・ツー・コンビネーションがゲン
ガーへと放たれる。当然、無効。だがカイリキーの持ち
味たる四本腕、前の左右をいなしても、後のスリー・フォ
ーが追撃として即座に叩き込まれる。いや、タイプに支
配される以上結果は同じではないか。何の意味が?
イワークはその拳をあえて『遮る』ように動いた。
「むっ!?」
イワークを構成する巨岩はリッキーのパワーで押され、同
じ衝撃でゲンガーに衝突する。
「イデーゲン!」
キクコが片方の眉を上げる。
「考えたね」
格闘タイプについてシバは考える。
炎は炎、電気は電気、毒は毒。では格闘とは何か?
何が格闘を定義するのか?
拳足のぶつかり、投げに極め、これは格闘攻撃だ。しか
し拳によって移動した岩が結果として相手に衝突すること
は格闘ではない。屁理屈に聞こえたとしても、ポケモンの
タイプとはそういうものだ。ポケモンとポケモンの間にのみ
適用される独立法則。
拳と相手の衝突の瞬間にイワークを挟み、相手にだけ衝撃
を与える。格闘と同じ強度、同じ避けにくさを、ただ格闘で
『なく』する。リッキー・イワークのコンビネーションはゲンガー
を事実サンドバッグにしていた。
簡単な話ではない、媒介するイワークのダメージのみを
ゼロにするため、何万回単位ではきかない血と汗と涙のミット
打ちがあった。
シバは考える。
たとえ『格闘タイプ』でなくなったとしても、オレたちの格闘は
そこにあると。
「見たかバーさん!オレたちの『ゴースト殺し』」
「健気」
キクコが笑った。
「なかなかどうして、工夫としちゃ悪くない。こいつは皮肉
じゃあないよ。勝敗は別というだけの話でね。
タイプの相性を五分に戻せば、このアタシに勝てると思
ったかい? 誤解は正してあげないとねえ。
ナイトヘッド!」
キクコの命令に、ゲンガーは軽口も叩かず突如霧散する。
異変は最初小さく現れた。リッキー、イワークらに、人間で
言うなら膝を擦りむく程度の、僅かなダメージが入る。
しかしそれは継続する。5秒、10秒、30秒……傷は紙や
すりを掛けたのように悪化を続けた。
ポケモン達に怯えの色が走る。
ナイトヘッド。
「こいつはたしかレベルに依存する技。し、しかし……!
に、しては……!」
ダメージが止まらない。
レベル。活動量の総計、寿命の消化率、そしてあらゆる経験
値の蓄積を包括した数値。
ゲンガーのレベル。恐ろしい仮説がシバの頭をよぎった。
ゴーストタイプにはいまだ謎が多い。幽霊のようなものだと
して、ゴーストになる前のレベルと成った後のそれは、見えな
い領域において通算されるとは考えられないだろうか。
こいつのレベルは100じゃあ効かねえっていうのか!?
まずい、一撃でやられる。
「オラあ!」
シバはフィールドに乱入し、横ざまにゲンガーを思いっきり
殴った。
「ドゲェーーーッ!」
ズシャアアア。
ナイトヘッドによって歪んだ空間が元に戻る。
ゲンガーは気絶していた。
四天王が戦う公式レギュレーションに、ポケモンを1体ずつ
繰り出さなければならない制限は無い。ただしポケモントレ
ーナーが自ら攻撃してはならない制限はある。
あるが。
「実際に適用する日が来ようとは思いませんよ」
レギュレーションの制定者がもしこの場にいたら、そう言う
のではないだろうか。
「はっ……」
キクコが息を漏らした。
「反則だよッッッ! 何考えてるんだいお前!」
「負けだ負けだ」
シバは言った。
「しかしま、考えてみりゃあ陸の危機なんでね。有事に
あっては何と言われようがこれがオレの全力スタイルだ。
ましてオレの攻撃参加は岬で一度見せている。
今ここで、まさかやらないと思ったか?
まだまだ修行が足りないんじゃあないのかバーさん」
キクコはそのへんの棒でシバを殴った。棒が折れる。
「なにしゃーがる!」
「お黙り!ゲンちゃんの分さ、文句があるかい!」
キクコは怒りも覚めやらぬ様子で続けた。
「アンタ、自分のポケモンを守ったつもりかい?
アタシとて死ぬまで止めないわきゃないだろうが、んな
ことも判らんのかいこの馬鹿タレ」
「やりかねないと思ったんだよ」
「………はぁーぁ、もういいわ。馬鹿馬鹿しい。怒る気も失
せる。世も末。アポカリプス」
「そら何より」
だ。とまで口にすることなく、シバはまるで立てかけてあっ
た鉄板が滑るかのようにただその場に倒れ伏した。
あのナイトヘッドの力場に無防備に飛び込んだのだ、いか
にシバとてただで済むことはなかった。
9.
キョウとイツキは操舵室を探していた。
あのコロシアムは何らかの力で外部と隔絶しているように
も思えたが、物は試しと目を瞑り触覚を頼りに探ってみる
とドアに手が触れた。施錠はされていない。開けるとその
先はあの船上、屋根がかりの廊下だった。
キクコは息巻いていたが、シバが仮に敗北したとしても連
戦に律儀に付き合う義務は無い。要はこの謎の船を無力化
できれば良いのである。
「キョウさん、さっきの話どう思います?」
「キクコ殿の主張、その是非は置くとしても、内容がこの
船の在り様に結び付かぬ。そこがどうにも引っかかる」
「ですよね。四天王の弱体化に警鐘を鳴らすだけのため
に、何もこんな船を仕立てる必要は無い。ボクがキクコ
さんの立場なら、セキエイ高原に果し状か何か送りますよ」
二人は階段を登る。
船舶のごく一般的な場所に目的の部屋はあった。木製
の、両開きの重厚なドアの上に「操舵室」と書かれたプレ
ートが嵌め込まれている。
イツキがキョウをチラと見、首が横に振られるのを見た。
影渡りの術は未回復だ。
蹴破るか、あるいは。
「頼もう」
キョウは拳骨でドアを叩いた。
「ちょ……」
「キクコ殿には協力者がいる。拙者の直感でござる」
操舵室のドアが開いた。
「Hi! 遅かったわね二人とも」
チェアに腰掛けた女がひらひらと手を振っていた。
「空中戦と潜入、ここからMonitorしてたわ。まさかあん
な手があったなんて想像もしてなかったし、すごいなと
思いました!
あっそうそう、アタシはあのおばあさんの共犯者なんだ
けど」
二人と全く面識のないその若い女は機嫌良く、そして
一方的にそう言った。
「名前はカリンていうの。よろしくね」
10.
ポケモン犯罪対策室は、四天王三名と通信し、情報の
やり取りを行っていたが、シバとキクコのバトルが始まっ
てからしばらく、双方の通信は途絶えていた。船による
ジャミングと対策室は解釈していたが、事実は違っていた。
あえて明け透けに言うならば、イツキにしてもキョウにし
ても、元四天王キクコの事件への関与を対策室に報告
することが躊躇われたからだ。
『船の中枢部に近づいた今、
敵に気付かれるリスクを冒すべきではない』
二人はそう理由を付けて、通信機を切る自分を無意識
に正当化した。謗ることは簡単だが、彼らとて感情を持
つ人間である。
ただ、このことがポケモン犯罪対策室が彼らに「船に迫
る危機」を警告する機会を奪う結果となった。
「通信が戻りません」
次官は腕時計に目を落とし、内心の動揺を押し殺し言った。
「タイムリミットまで十分を切っています。それを過ぎたなら」
「船は消える。四天王の三人を巻き込んで。
デウス・エクス・マキナね、まるで。彼の選択は」
ポケモン犯罪対策室室長は顔の前で掌を組みしばし
考えていたが、やがて決意したように言った。
「私をマサラ沖まで、連れて行ってもらえますか?」
次官はその言葉を受け、モンスターボールからエアー
ムドを展開した。壁のコンソールを操作すると、頭上の
吹き抜けを塞ぐ強化ガラスがスライドし格納され、部屋
と空とが繋がった。さらにキャビネットからポケモン犯罪
対策室室長に放って寄越したザックには、加速に耐える
ジャケットと、ヘルメットが収納されていた。
「乗ってください、必ず間に合わせます」
「行くぞ、ハバキリ!」
二人を載せた鋼の翼は、マサラ沖へと発進した。
11.
キョウとカリンの二人が同時に動く。
やがて元の立ち位置で二人は停止する。両者の初手
は奇しくも同じものだった。
「悪いオジさんね」
「どの口が言いよる」
互いの手には自分のものでないモンスターボールが握
られている。二人ともが展開前のボールを奪い取らんと
した結果、キョウの手にカリンの、カリンの手にキョウのモ
ンスターボールが収まる奇妙な状況が生まれたのであ
る。
このやり取りで力量を測り合った二人は、腰のホルダー
のボールを速抜きすることは叶わないと判断する。
アンズとさして変わらぬ齢だろうに、なんと言う身のこ
なし、キョウは密かに驚嘆を覚えていた。
膠着したかに見えて片方が数的有利を握るこの状況、
イツキはバリエルで割って入ることを躊躇わなかった。
「バリエル、サイコキ
その目が見開かれる。
彼が展開していたポケモンがバリアードであったこと、
彼の立ち位置的に目線が南を向いていたこと、これらは
偶然でしかなかった。条件が一つでも違っていれば、こ
の時、この場の全員が死んでいただろう。
船に迫る攻撃の予兆を目視したイツキは、あらんかぎり
の声でバリエルへの指示を修正する。
「バリアーーーーーッ!!!」
南から北へと一閃、モーセのごとく海を割った光線は、
バリアーに斜めに当たった。
おそらく攻撃者はまだはるか遠くにいるのだ。直撃を免
れたのは、照準精度の限界という幸運によるものでしか
なかった。
衝撃で船は転覆寸前まで傾いたが、辛うじて持ち直す。
イツキは腰からホルダーを引き抜いた。
この攻撃は知っている。
わずかなクールタイムの後、もう一度撃ってくる。
「ジュリア!ゴレン!ドヤラン!全パワーをバリエルに集中!
追撃に備えろ!」
海の遥か遠く、発射の前兆、一点に収束する光が見え
た。
「何を考えているんだ! 竜将!」
12.
イツキは咄嗟に構造物にしがみついてブリッジに残るこ
とができたが、衝撃を無防備に受けたキョウとカリンは
窓を突き破り空中に飛び出していた。
キョウは直立するマストの側面に足の裏で着地すると、
舞い散るガラスの雨の中にカリンの姿を探した。事件の
共犯者を名乗る以上、敵であっても死なせるわけには
いかない。しかし目の前に突如出現した“べっトリ”がそ
の視線を遮る。
「ぬうう!?」
ベトベトンの質量がキョウを絡めとる。先ほどカリンに掠
め取られたボールのポケモンだ。他人のポケモンに指
示を出すことはできないが、展開だけならば誰でもでき
る。そして対応するボールを奪われているキョウは即座
にべっトリを戻すことができない。
船のあちこちに立つポールや手すりに次々と飛びつき、
遠心力で加速をつけた影がべっトリに迫った。カリンであ
る。その袖に光る飛び出しナイフがポケモンごとキョウを
貫く。
刃には手応えがあったが、べっトリの中から出てきたの
は丸太だった。
「うっそでしょ、ウツセミ!?」
カリンがやるう!と言って口笛を鳴らした。
「お主こそやはり只者ではないな。今の動き、忍術……
ではないな。これは」
「やあね、私のスタイルはParkourよ」
「ぱる……くーる?」
キョウは呟いた。
「走る、跳ぶ、登るなどの移動動作を通じて心身を鍛え
る、フランス発祥の運動方法のことでござるな」
「そのリアクションから詳しいことある?」
「忍にとってはそう縁遠い知識ではない。
そんなことより、質問が二つに増えた。
一つ、貴様たちの目的は何だ?
二つ、先ほどの衝撃は何だ?
簡潔に答えてもらおう」
カリンは意外そうな顔を見せた。
「二個目の質問はこっちが聞きたいんだけど?」
その言葉に、珍しくキョウの口から歯切れの悪い言葉
が出る。
「あー、いや、今の反応で大体わかった」
どうしたもんでござるかなと呟く。
「一個目の質問の話をするのはどう?」
「そうだな、貴様たちの目的を話せ」
「んーそうね、お婆さんの話は聞いたでしょ?
基本的にはあの路線に乗っかってるんだけど、アタシ的に
はね、実はそんなのホントはどうでもいいの」
「どうでも良い?」
「そう、アタシってね『悪』を『する』のが好きなのよ。
変な表現だけど、そう生まれついているのね、先天的に。
他の理由は、別に無いわ」
キョウは微笑んだ。
「やり易い」
伏兵として漂わせていた“どが衛門”を呼び寄せ、手に持っ
たカリンのモンスターボールを食わせた。どが衛門はその
まま体内でヘリウムガスを生成し、上空へ浮揚する。
キョウは上空を、そして次にカリンを指差した。
「降参せぬ場合、あのまま爆発させる。
貴様のポケモンを、殺す」
13.
セキエイ高原四天王。
その一角をなす男がポケモン海上自衛隊をも統べること
に、パワーバランスの観点から異論が無かった訳ではなか
った。ポケモンリーグの位置付け、解釈の如何によっては
シビリアンコントロールに触れるとすら真剣に議論された。
ポケモン海上自衛隊『竜将』ワタルは、その全てを実力で
黙らせた男である。
ワタルにとってポ海自主力艦『剣之舞』『弩遺霊』すらも移動
の足ないしは活動拠点でしかない。現実的でない仮定だが
両艦が十字砲火を浴びせたとしてもこの男とポケモンたち
には敵うまい。
カイリューの吐く破壊光線は、対象に身も蓋もない絶対的な
破壊をもたらすのみである。
通信機が震えた。
「どういうつもりだワタル!」
「イツキか」
「船内に人(※僕含む)がいる!攻撃をやめろ!」
「その船は陸地に向けて攻撃を行った。撃沈以外の道はない。
むしろお前は船内にいながら、なぜそうしない?」
「潜入調査中なんだ!いきなり沈めるなんて無法があるか!」
「誰がそこにいようとも俺の判断は変わらない。国民大多数
の安全のためだ、不運と思って諦めてくれ」
「説明する!この船に陸を攻撃する意思は無い!全てはある
人物が思想を語るための、言わば狂言で」
「通信終わる」
「おい!」
クールタイムを消化したカイリューの口から破壊光線が迸る。
ああもう海に飛び込んでも間に合わない、今度は直撃する。
光線は、雲の上から落下した巨大な氷塊を空中で粉砕し、
大幅に威力を減衰した後にバリアーに当たった。船への影響
は軽微。拡散したエネルギーが氷の粒に跳ね返り、マサラ沖
の空にオーロラを落とす。
気温が急激に降下する。
ワタルは飛来する銀色の飛翔体を見た。刃の鋭さをもつ翼で、
明らかに首を落とす意思をもって迫っている。
「翼撃!」
ワタルの繰り出したプテラによって、ハバキリは一度の鍔迫り
合いで斬って落とされた。
「練度が」
違いすぎる、と次官は言った。ハバキリの背にいた二人は海へ
と落下する。次の飛行ポケモンを出そうとするが、着水が先に
来ることを次官は否応なく悟った。
飛来した二体のポケモンが、空中で二人をキャッチする。
「あぶねっティオ!」
「しっかり掴まるネイ」
「イツキさんの……助かりました」
ネイに乗ったポケモン犯罪対策室室長は、次官に言った。
「ここまで、本当に感謝します。あなたは陸へ」
ポケモン犯罪対策室室長の言葉に、次官は喉まで出かか
った「しかし」を飲み込んだ。ここにいても足手纏いにしかな
らないことを先の一瞬で理解させられた。
「わかりました。室長、ご武運を」
「ヤマブキシティは留守にして良いのか?」
次官とティオが去った後、ネイの背にいるポケモン犯罪対策
室室長にワタルが語りかける。
「本意ではない。ですがあなたを止めに来ないと言うわけにも
参りません」
「今なら見逃す。退け」
「変わりましたね、あなた」
「どの様にでも変わる、責務を果たすためならな」
「責務、ですか。
ならばその責務、こちらはあえて捨ててかかるとしましょう」
「何だと?」
ポケモン犯罪対策室室長は長い息を吐き、そしてケースから
取り出した眼鏡を掛ける。
「うだうだ言って無いでさァ、
楽しもうぜって言ってんの、もう誰も見ちゃいないわ」
彼女の口調が、二人がかつて同僚だった頃のそれに戻った。
今はなりを潜めた冷酷な笑みをも浮かべて。
繰り出したパルシェンの冷凍ビームがワタルの頬を掠める。
「考えてみればこれは、セキエイ高原公然のタブーを実証する、
またとない機会じゃない?」
「何を言っている、さっきから貴様……!」
「『ワタルはカンナに勝てるのかな?』」
その言葉に、竜将ワタルも口の端を歪めた。
「良い度胸だ」
14.
戦局の数は絞られつつあった。
「貴様のポケモンを殺す」
キョウがそう宣言したのと同時に、カリンは無重力を思わせる
身軽さでマストを駆け上がっていた。上端からジャンプしてギリ
ギリでどが衛門を掴む。
「なっ!」
「あら爆発しないわね、どうしてかしら? あっ! もしかして殺人犯
にまではなりたくないのかな?」
カリンは「賢明ー!」とさらにキョウを煽る。
「貴様!」
「カモン! Inferno!」
カリンの言葉に、どが衛門が内側から膨張し破裂する、毒煙の
中から青白い炎をまとったヘルガーが姿を現した。その体温は、
体内を侵そうとするどが衛門の毒素を端から焼き尽くしている
ようだった。距離を縮めたことで、カリンは自分のボールのリモー
ト操作圏内に入っていたのだ。
身体構造上、内部からの破裂はマタドガスにとって死を意味し
ない。とはいえそれは余りにも凄惨な光景だった。
「オジさん、色々あったけどようやくお待ちかね、ポケモンバトル
の時間じゃない?さあ次のポケモンを出しなよ」
「いや止そう」
「えっ」
風船がしおしおと萎むように、キョウの殺気が急に消え去った。
ちょっと上手い表現が見つからないのだが、画素数?じゃなくて。
作画? そう。
それが変わった感じすらあった。
「もう少し会話を楽しまぬか」
「急にキモ」
「まあ聞け理由があるのだ。拙者のこの装束、そしてボールには
皮膚から吸収される遅効性の毒が仕込んである」
「はあ?」
「先程の泥棒勝負でお主が触れた物にな。もちろん拙者は免疫
を持っている。どうせ直ぐに判ること。バトルなどせずともすでに
こちらが勝っているのだ」
「FIRE!」
ヘルガーが火炎を吐いた。
キョウが炎に包まれ燃え尽き、甲板のハッチが開いてキョウが
飛び出した。全く継ぎ目のない流れに、カリンは初めからキョウ
が二人いたかのように錯覚した。
「オジさん、触れただけで作用する毒が服に仕込まれていたなら、
一緒に行動していた二人はとっくにお亡くなりだと思わない?」
「おお良い着眼点だな。ここにおらぬ二人はすでに冷たくなって
おるやもな。それを止むを得ぬ犠牲と、拙者が割り切ることが無
いとなぜ言える」
「だったらさっき私のことも殺れたんじゃない?」
「まあ待たれよ、そこまでせずとも、彼らの食べ物には予め拙者
が解毒剤を混ぜてあったとしたらどうかな?」
「やる意味ないでしょそんなこと」
「それは裏をかかれる典型的な思考でござるぞ。しかし、ま、実際
今のは嘘だ。ところで別局面での戦いの余波か、えらく冷え込む
でござるな。
数百年続くセキチク忍者の秘伝書には、冷気に反応し拡散
する毒があったとしてもおかしく無いとは思わぬか?」
「それも嘘ね。寒くなったのは氷のおねーさんが来たからでしょ。
なんでそんな偶然の状況にオジさんがメタ張ってるわけ?」
「忍びたる者、ありとあらゆる毒を常に携帯しているもの、そう
でないとなぜ言い切れる?」
ヘルガーの火炎弾が再びキョウを焼き尽くし、マストからキョウ
が飛び降りて着地した。また滑らかすぎて、なんなら着弾より
着地の方が先だったようにも見えた。
「ねえ。こうやって相手をイラつかせるのがオジさん流なの?
前二人の活躍はもう少し見応えあったよ?」
「お誂え向きなことに、今日の風は北から南。マサラ岬から船に
向かう海風に毒を纏わせ、戦わずして勝っていた、これはあり
そうな落ちではござらんか?」
「このひろーーーい海の上に、他にだーーれもいないと言い切れ
るんだったら、そうすれば良かったんじゃない?」
「そもそもこうして拙者が嘘八百を並べ立てているのは何ゆえで
ござろうな?
案外ひとつくらい、真実が混ざっているかも知れぬと、少しも頭
を過らぬか?」
カリンは舌を出して両手の親指をこめかみに当てて他の指を
ヒラヒラさせた。
「過らぬでゴザルぅー、どうしてかと言うとー」
「かかれっ!!」
キョウの合図に、時間をかけて甲板の広い範囲に浸透してい
たべっトリが、三六〇度全方向からカリンを襲った。
セキチク忍法秘伝『どくどく』だ。
「お見通しだからでーすっ! Inferno! 炎の渦!」
ヘルガーがカリンを中心に円を描くように疾走すると、その軌
跡が炎の防壁となって毒液の飛沫を焼き尽くした。
この攻撃を予期していたのでなければ有り得ない反応だった。
やがて解かれた渦の中から、上着を脱ぎ手のひらで火照った
顔をあおぎながらカリンが現れる。キョウを冷たく見下ろし、そし
て、イイコー、悪タイプなのにーとインフェルノの頭を撫でている。
「とっておきの……毒々を」
キョウは膝をつき、詰みか、と呟いた。
「仕込みが露骨っ! いきなりベラベラ喋り出してさあ。前半まあ
まあカッコよかったのに」
キョウは懐から出した土くれのようなものを爪で弾いてカリン
に寄越した。それはあまりに見慣れた市販品だったため、カリ
ンはついぱしっと受け取ってしまった。
「何よこれ?」
「脱帽だ。貴殿の健闘をせめて讃えさせてくれ」
キョウはなんの脈絡もなく「使う」と発言した。すると、およそ
三分前に内側から爆散した“どが衛門”の残骸が、カリンの持
つ『元気のかたまり』に向けて凄まじい速度で凝結し始めた。
カリンの体、その表面がみるみるマタドガスの破片で覆われ、
埋め尽くされてゆく。
「ちょ……待ちなさ」
一分三〇秒が経った。
キョウは人の形に膨らんだどが衛門に、小刀で呼吸用の穴を
開ける。
「毒そのものは中和している。死にはせん」
そして普段の彼はまずしないことだが、くたびれたと呟いて甲板
に座り込んだ。普通に戦う三、四倍疲れた。
「……ざけんじゃないわよ……卑怯者……こっから……出し……」
うな垂れていたキョウは「ファ、ファ」と笑い、顔を上げる。
作画は元に戻っていた。
「やはり『詰み』でござったな」
15.
「状況を整理します」
ブリッジから移動して倒れているシバを発見したイツキは、
医療キットに含まれるカンフル剤による気付けを施すと、彼に状況
を説明した。
キクコはその場から姿を消していたし、キョウとカリンの戦いも気掛
かりではあったが、省略した。全てを説明する時間はない。
「ワタルがこの船を消滅させようとしています。(シバ「何で!?」)
今は加勢に来てくれたカンナさんとボクのパーティで辛うじて防御
できていますが、退避に移ろうとした瞬間均衡が崩れて全滅します」
「どうするよ?」
「この船をボクらが消滅させる、それしかありません。それでワタル
の行動理由は消えます。見たところこの船は、文字通り乗組員不在
の幽霊船。つまりゴーストタイプに由来する粒子で構成されています。
キクコさんがメインで噛んでいることから見ても間違いありません」
「なるほどそれでバーさん、ゲンガー一本で戦ってたんだな。
船の維持にリソース割いてたのか。でもよ、それこそさっきの話じゃ
ねえが、対ゴーストならお前の独壇場だろ」
「エスパーがゴーストタイプに通りが良いように見えるのは、
ゴース系統が併せ持っている毒タイプに作用しているからに過ぎま
せん。純ゴーストタイプには等倍。まあ格闘よかマシですが」
紙に書いた式を苛立たしげに指で叩く。
こういう説明の時、「タイプとしてのゴースト」と「ゴーストという
ポケモン」が紛らわしいな!
いや落ち着け、とイツキはさらに思考を回す。
「防御を続けながら、この質量を消していくなるとざっと計算した
だけでも時間が全く足りません。専用の器具があれば早いんですが」
対策室に連絡して届けてもらうか? いやそれでも間に合わない。
それに配達役が巻き込まれる……イツキはブツブツと自問自答を繰り
返している。
「なあ、オレには正直サッパリ分からん話だが、ゴースト相手なら
もしかしてこれ、使えるんじゃねえの?」
シバは懐から双眼鏡のようなものを出した。
「そう、シルフスコープ。これがあれば早いんだよなあ……。
これさえあれば……あればなあ」
あった。
イツキは今度こそ混乱した。
「なんで!?なんで!?なんでシバさん持ってんすか!?」
「いやあ、沖の船はまるで幽霊船だっつうからよ、来る前リッキーに
ちょっと寄り道して借りてきてもらったんだ。レッドが前に使ったやつ
が実家にあるって言うから」
イツキはしばらく口を開けたり閉じたりしていたが、やがてひとつの
言葉を絞り出した。
「エスパー?」
16.
キョウは背負い紐を掛けたどが衛門を背負い、船内を移動してい
た。カリンごとボールに入れられれば楽なのだがこのレーティング下
では出来ない話である。
はぐれたシバとイツキ。ワタルの撃沈行動(※キョウは状況から推測
した)、気がかりな事は多かった。そう『主犯』の行方もその一つだった。
シバ殿はあの後……?
「オジさん、キクコさんの目的、聞いたわよね?」
「大体はな」
「裏は取ったの?」
「裏?」
「セキエイ高原、四天王の弱体化に警鐘を鳴らす。アタシにとって
はどうでもいい話なんだけど、おばあさんにとってもそうだったと
したら?
ホントは全部、別の目的から目を逸らすための嘘だったとは考え
ない? そう、オジさんがやったみたいにね」
キクコの語る目的と、この船のあり様との齟齬。ブリッジに踏み込む
直前に一度は考えたことだった。
「ねえ、この船の本当の目的は」
「ギッ……!?」
ぐにゃりとキョウの視界が歪む。
その現象がリミッターの壊れた『ナイトヘッド』という技であることを
キョウは知らない。全力を振り絞って上を見ると、粉々になったブリッ
ジの窓からキクコがこちらを見下ろしていた。
キクコ殿、まさか味方ごと!? いや、カリンは今どが衛門に覆われ
ている。ダメージは無い。計算尽くというわけか?
キョウは戦慄した。キクコが懐から何らかのスイッチを取り出すのが
見えたからだ。
『ーーもちろん予断は禁物だ』
『ーー通常火器の登場も頭から消してはいなかった』
本当に、そうだったか?
潜入、キクコの主張、カリンの登場、ポケモン海上自衛隊の介入。
いつしか、状況が進むにつれいつしか、除外してはいなかったか?
非ポケモン兵器がここに持ち出される可能性を。
「会ったこともないけど、結局ワタルという人が正しかったわね」
カリンが言った。
「キ……ク…………や……め……がああぁっ!!!」
キョウは精神力でナイトヘッドを破ろうとしたが、いかに達人と言え
ど人の力で出来ることではない。せめて、せめてポケモンを出せれば!
「ゲームオーバーだよ」
キクコの声が響く。
割れた甲板から迫り上がる、不明船主砲。
銀色に光るミサイルがそこには装填されていた。
閃光。
17.
歴史的な時系列に沿って述べるなら、マサラタウン出身の若手
二人がチャンピオンの座を争った「RGバトル」から、ワカバタウン
のウツギ博士が「ポケモンの卵」について発表するまでの期間に、
セキエイ高原には通算して七人の「四天王」が存在したことになる。
ポケモン犯罪対策室に移籍した「カンナ」の後継として「イツキ」が、
高齢のため引退した「キクコ」の後継として「キョウ」が加入。四天
王序列第一位の「ワタル」がチャンピオンに挑戦、これを下しその
座に就く。
「赤緑の頃からずっといて、一番安定感のある男を忘れてるんじゃ
ねーの?」
頬杖をついて「シバ」がそう言った。
そして。
セキエイ高原、ミーティングルーム。
「オイ、キリキリ吐けよ。誰がどこまで知ってたんだ?」
シバは一同を見回して言った。
「アタシとカリンとここの執行部のごく一部さ。あれが秘密裏
かつ大規模な訓練と知っていたのはね」
キクコが答える。
「と言っても、アタシゃ別段、嘘吐いたり演技をしていたつもり
は無いよ。セキエイ高原にはどこかで荒療治が必要だとは常々
思っていた。あそこで話した通りさ」
「一周回って本当のことだけ言っていた、と」
イツキが言い、そんな所だねとキクコは答えた。
「ま、あの時に言った程、『強さ』に偏重するつもりもまた無いが
ね。イツキの言う様に、規範となるのも四天王の存在意義の
ひとつ」
「まさかポ海自をも欺くとはな。相も変わらずご立派な範を垂れ
る方だ」
ワタルが言った。
「アタシゃいーんだよ、隠居の身だからね」
「ふっ、よく言うよ」
「そう、そうだ。お前も知らされてなくて、それであの行動だった
んだよなあワタル」
「何度か死んでいてもおかしくなかったですからねボク達」
ワタルはイツキとシバの視線を受け止める。
「結果的に、これは訓練だった」
ワタルが言う。
「あの船が核を搭載している可能性もあった。いや、訓練の主旨
に従うなら最終状況はまさに『そう』だったわけだろう? 次に同じ
ことが起きたとしても俺は同じことをする」
張り詰めようとする空気を制するように、キクコがお煎餅の袋
をパンと割った。
「まっ、課題は各々見えたんじゃないかい?
三人は非ポケモン兵器を可能性から消していたこと。顔見知り
だとは言え敵の言葉を額面通り受け取り、あまつさえ報告を怠っ
たこと。敵にミサイルのボタンを押すを許したこと」
「ぐっ」
「面目ねえ」
「返す言葉も見つからぬ」
「ワタル、お前さんも人より大きな力を預かる身だ。過程の軽視
は頂けないね」
「たしかに」
「それはそうでござる」
「内外で連携してりゃあもうちょっとやり様はあったよな」
「済まなかった」
「まあしかしだ、結果的にと言う話をするなら結果的にミサイル
発射は阻止されたんだ。そこは率直に評価しなけりゃフェアじゃ
ない。ま、良くやったよ」
そう、ミサイル発射はギリギリで阻止されたのだ。
イツキとシバが進めていたシルフスコープによる解析が間一髪
間に合い、船はあるポイントから砂糖菓子のように自壊を始めた。
支えを失ったミサイル(ハリボテだったわけだが)もまた、海の底
に沈んだのである。
船の崩壊進度が予想よりはるかに劇的だったことが誤算といえ
ば誤算で、カンナと次官による救助活動が遅れていれば、全員
氷の海でミサイルと同じ運命を辿っていただろう。
「言うのもアレなんですけど、流石にシルフスコープがファイン
プレーすぎました」
「馬鹿お前、どう考えても影渡りで成立した作戦だろ」
「いやそれを言うなら影を届けて頂かねば全てが始まらなかっ
たわけで」
「遅れてすいませーん」
カリンが入室した。
「Hi!今期から四天王に入ります、カリンです。シバさん、ワタル
さん初めまして。キョウさん、イツキさん、その節は」
「その節はじゃーないよ」
シバが言う。
「おめーオレたちを散々……いや、訓練か。訓練だったんだよな。
わりわり、今のなしで。よろしくな。カリン」
シバに続いて、イツキ、キョウ、ワタルも挨拶をした。彼女が
チャンピオンに昇格するワタルの後継として加入することは
事前に通達されていた。
「カリン殿の実力は拙者が保証するでござる。人柄的にどうか
とも思ったが、あれはお芝居。実際には礼儀正しい御仁では
ござらんか」
キョウの言葉を受け、ニコニコしながらカリンは口を開いた。
「えっと、アタシの四天王に入っての目標というか、船の感想も
なんですけど、皆さん微妙に人が良いみたいなんで、その辺
アタシがFollowしていければと思います」
言葉の端々から察するに海外暮らしが長かったりしたみたいだ
し、日本語のニュアンスってホント微妙なとこあるよね。そう受け
取る者と、そうでない者がいた。この時のシバは、意外にも前者。
「人が良い、とは?」
キョウが言う。
「だってキョウさん、あの時アタシごとマタドガスを爆発させら
れなかったでしょ?出来てたら潜入側勝ち確でしたよ」
「あの状況で船側の人間の命を奪えるものか。いやそもそも、
拙者修羅道にまで堕するつもりはござらん」
「だったら殺すなんて脅しは初めからしない方がいいですよ。
アタシじゃなくてInfernoちゃんなら殺せてたかっていうと
それもあやしーし」
「どが衛門の仕置きが、チト足りなかったでござるかナ?」
「まあまあ、両者まあまあ」
シバがなだめにかかる。
イツキはキクコに小声で囁いた。
「聞いた話なんですけど、カリンさんが『悪に生まれついた』って
のは、もちろん『設定』なんですよね? 訓練上の」
「さて、スパ銭でも寄って帰るかね」
「キクコさん?」
「イツキよ、新入りをしっかり監視、おっと、面倒を見てやんな」
おい、大丈夫なんだろうなあの新人!
「顔合わせも済んだ所で、俺はこれで失礼する」
「せっかくだし皆でメシでも行かん?」
「あいにく予定があってな」
ワタルが席を立った。
「さよかい。まあ、気張れよな新チャンピオン」
「ああ。ありがとう。
まあ……信じてもらえないかもしれんが、俺はこれでも、あんた
達のことは依然、仲間だと思っている。じゃあな」
ワタルはそう言うと部屋を出て行った。
「あー、まあ」
シバが小指で耳を掻く。
「何を言ってんだかなあのバカは。なあ? イツキ選手言ったれよ」
「スよね、ンなの、たりめーだっつの。ねえシバパイセン」
「えっ、何この二人キモ」
18.
ポケモン犯罪対策室。
「事件の報告書です、ご査収下さい」
「ご苦労様」
カンナは次官に渡された冊子をめくり始めた。その顔に困惑の
色が浮かぶ。
「あの、良く書けているとは思うのですが、いかんせん体裁が、
小説然としていると言うか。もっと事務的なもので構わないの
ですが」
「筆が乗ってしまいまして」
「あなたがいなかった場面まで見てきたように」
「関係者の聞き取りには全て同席しましたので」
フーンと言ってカンナはしばらく普通に読み進めていたが、何
かに気づくとページを高速でめくり、その部分に差し掛かる。
『楽しもうぜって言ってんの、もう誰も見ちゃいないわ』
冊子が真っ二つに裂けた。
そこから数ページを念入りに破り取られる。
「ああっ」
そこはサビの部分なのにと言う次官に、カンナは無情な声で告げた。
「再提出」
Ex.
叙事的に書き直した報告書を提出した次の休みの日、次官はあの
岬から海を眺めていた。
「あそこに船があったんだよなあ」
何だか嘘みたいだけど。
しばらくボーッとしてから町に出て目的もなくぶらつくと、図書館が
目に留まった。なぜか、昔何度か訪れたようなおぼろげな記憶がある。
エントランスのすぐ横には「自由創作コーナー」と言うのがあって、持ち
寄られた自家製の本が何冊か置かれている。
次官はセロハンテープで修復した冊子を鞄から取り出し、最初のペー
ジに何かを書き込むと、そっとテーブルに置いて、その場所を後にした。
ー終ー
タグ: | 【ほぼ出オチ】 |
塀に、変な青い花が刺さっていた。
家をぐるっと取り囲んでいる塀の、山に面した方。朝起きて何となく家の裏手に回って、それを見つけた。
青い花……と言っても、昔の少女向けアニメで見たことあるような、例えば投げられたバラの茎が壁に刺さってて……って感じではない。壁に青い花びらみたいにひらひらが放射状に刺さってて、その真ん中から白い茎が伸びて、先っちょがつぼみみたいに膨らんでいる。正確には花と言うより、何というか……SFに出てくる鉱物生命体の星で花の役割をしているなにがしか、みたいな風体だ。
いや、これポケモンだな。見たことないけど多分ポケモンだわこれ。大体こういうよくわからないものはポケモンって相場が決まってる。
スマホで写真を撮ってささっと検索する。最近は画像で検索できるから便利だよね。答えはすぐに返ってきた。キラーメ、というポケモンらしい。岩と毒タイプ……うわっ毒じゃんこれ。触らなくてよかった。このパルデアでもそこそこ珍しいポケモンで、洞窟でごく稀に見つかるらしい。へえ。洞窟の壁に頭を突っ込んで栄養を得ているとか。
……なるほど? それでうちの塀に刺さっている、ということなのだろうか。この青い花びらみたいなのが頭の後ろにあるたてがみみたいな部分で、今まさに頭を壁に突っ込んでお食事中、ということなのか。……いいのかな。
うちの塀……漆喰なんだけどな……。
いやポケモンには全然詳しくないから知らないけどさ、岩タイプの奴が壁から栄養を得るってなるとそれは大地に繋がっているところからなにがしかのエネルギーを得ているってことじゃないんだろうか。この塀がたとえ岩壁であっても疑問なのに、漆喰だぞ。漆喰。ここから何を得ているんだこいつは。
一旦家に戻って物置からゴム手袋を探し出す。それをつけて塀に戻り、壁に刺さった白いつぼみもどきをぐいっと引き抜く。すぽん、とガラスみたいな透明な円錐形が壁から抜ける。そのまま首根っこを掴んでいると何事かと辺りをキョロキョロ見回した。
やがて目が合う。透明な円錐の底に見える目は思った以上につぶらだ。こちらを確認すると、あ、どうも、とでも言いたげに黄色い目をパチパチさせた。
手を放すと、鉱石生命体はふよふよとその辺に浮かび、何を考えているのかわからない顔で辺りをふよふよとしばらく飛び回ってから、またふよふよと山の方へ飛んでいった。何かよくわからないがやたらとぼんやりした奴だ。うちに刺さっていたのは迷子か何かだろうか。
塀にぽっかりと空いた穴を見て、あいつの飛んでいった山の方を見てから、もう迷うなよ、と心の中で呟き、家に帰った。
次の日の朝、何となく家の裏手に回ってみた。
山に面した方の塀に、青い花もどきが刺さっている。
すぐに家に戻ってゴム手袋をつけ、塀に刺さった毒花を抜く。
キラーメはまたきょとんとした顔でこちらを見て、またふよふよと辺りを飛んで山に帰っていった。うちの塀にはまた穴が増えた。
その後のことはまあご想像の通りである。
あの何を考えているのかよくわからないぼんやりとした鉱石生命体は、毎朝毎朝うちの塀に刺さっていた。だから何でうちの壁なんだ。漆喰だぞ。漆喰。
抜いても抜いても次の朝には別の場所に刺さっているので、しばらくするとうちの塀は銃撃戦でもあったのかっていうほど穴ぼこだらけになった。正直困る。この前はご近所さんが来て「抗争か何か……?」と恐る恐る聞いてきた。別に反社じゃないんだようちの家は。清く正しい一般市民なんだよ。
さて、今日もそいつはうちの塀に刺さっていた。
予めネットや図鑑でキラーメについて調べておいた。今日はそれを実行に移す。
いつも通り塀に刺さったそいつを引っこ抜くと、原付の後ろに取り付けてある荷物入れに放り込んだ。いつもと違う行動に毒花は少し戸惑ったのか、かごから頭を出してキョロキョロと辺りを見回している。
ヘルメットをかぶり、原付のエンジンをかける。鉱石生命体を後ろに乗せたまま、ゆっくりと走り出した。
しばらく原付を走らせてたどり着いたのは東3番エリア。採石場の広がる荒野で、時折キラーメが発見されるらしい。
適当な横穴を見つけ、原付を停める。荷物かごに入れた野生の毒花を見る。黄色い目を閉じてスヤスヤお休み中だった。突いて起こして持ち上げる。寝起きの鉱石生命体はキョロキョロ辺りを見回して、どこここ? とでも言いたげにこちらを見つめてきた。
青い花もどきを連れて横穴に入る。当然だが辺りは天然の岩壁だ。どの辺りがいいのかはわからないけど、まあどこでもいいだろう。多分。
適当に良さそうな場所を選んで、岩壁を指でトントンと示す。キラーメは「?」とでも言いたげに小首を傾げるような動きをする。首を掴んで岩壁に顔を寄せさせ、もう一度指で示す。透明な円錐の先が何度かちょんちょんと岩壁に触れ、そのまま洞窟の壁に頭を突き刺した。
そっと様子を見守る。毎朝うちの塀で見ている謎の花もどきが洞窟の壁に突き刺さっている。しばらくするとキラーメは壁から頭を抜き、こちらを見てきた。
透明な円錐の奥にある目がキラッキラに輝いている。
頼むから「何これめっちゃ美味いんですけど!!?」みたいな顔をしないでほしい。お前産まれてから今までどうやって生きてきたんだ。何を思って毎朝うちの塀(漆喰)に刺さってたんだ。お前普段山に住んでるんだろ。その辺の岩に首突っ込んでおけよ。多分うちの塀より美味いよどこでも。
鉱石生命体が嬉しそうにまた岩壁に頭を突っ込むのを見届け、横穴から立ち去った。
珍妙な出会いだったが、これから先はあいつもここで普通に生きていけるだろう。達者で暮らせよ。
原付にまたがり、エンジンをかける。家に帰る前にホームセンターに寄ることにした。
翌朝。ホームセンターで買った補修道具を手に、家から出る。
やれやれ、ようやく漆喰の穴を埋められるな。反社の噂ともお別れだ。
塀に、変な青い花が刺さっていた。
眼前の光景にしばし固まる。頭を押さえ、ゴム手袋をつけた手で花もどきを引き抜く。
透明な円錐の奥にある黄色い目が、やっほー、とでも言いたげにパチパチ瞬く。頭を抱える。お前、何で戻ってきた。何なんだお前。だから漆喰だぞこれ。
あれか、ちゅーるは美味いけど普段はカリカリでいいやとかそういうアレなのか。わからん。もうわからん。ポケモンのこと何もわからん。
そんなこんなで。倒壊寸前までぼこぼこに穴が空いたうちの塀(漆喰)に、いずれ毎朝大きな青い毒の花もどきが咲くようになるのだが、それはまたしばらく先の話。
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