マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.2653] 可愛いミーナ 投稿者:久方小風夜   投稿日:2012/09/29(Sat) 00:14:07     132clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:|ω・)

     煙草が切れた。
     ちゃぶ台の向かい側で、安いだけが売りの水みたいな発泡酒(自称「ビールより美味い」らしいけどただの詐欺広告)を飲んでいる友人のジョーに聞くと、煙管かメンソールしかないけどいいかと答えられた。いいわけあるか。
     引き出しの中に、税金が値上がりする前に買いだめしたストックがまだあったかもしれないと思って立ち上がる。そのタイミングで、携帯のバイブが鳴った。
     送り主とメールの中身を見るだけ見て、携帯を閉じてベッドの上に放り投げる。ジョーが勝手に秘蔵の日本酒の栓を開けて、勝手に人の冷凍庫からロックアイスを出して、勝手に飲みながら言った。

    「また女?」
    「先週海でひっかけた奴。別れようってさ」
    「嘘つけ。どうせまたお前、捨てられてもしょうがないくらい冷たくしてたんだろ」
    「まあな。そろそろ飽きてたし」
    「キョーイチ、お前はまたそうやって女を1人泣かせたわけか。全くひどい奴だな。鬼だわ鬼。外道。鬼畜。最低。男としてというより人として引くわ」

     俺はジョーが水のようにぐいぐいとあおる日本酒のグラスを取り上げた。勝手に飲むな。これは俺の地元の酒蔵の一番いい奴だぞ。もらいもんだけど。
     まぁ人としていい奴だし話してて面白い奴ではあるんだが、こいつがいると酒が当社比13倍速くらいで消費される気がする。
     こいつと出会ったのは去年の春先。仲間内で花見をしていたところに、旅の途中この辺りの町でしばらく居座ろうと考えていたこいつが混ざってきた。
     あれから1年ちょい。大事に隠しておいた特級のウィスキーもウォッカもラムもテキーラもワインもシャンパンも焼酎も泡盛も、全部こいつにやられた。去年の夏、仲間内でバーベキューするために夕方買ったビール瓶3ケースが、日が暮れる前にこいつに1滴残らず消費されていたのは今や伝説となっている。

    「何でそんなにとっかえひっかえするかねぇ。男なら惚れた女一筋で生きていけってもんだろ」
    「酒と手持ちのポケモンが嫁って豪語してたお前に言われても説得力ないわー」
    「うるせぇそれとこれとは話が別だ」
    「何でわざわざひとりに絞って自分から縛られるような真似しなきゃならねぇんだよ、めんどくせぇ」
    「おいお前、キョーイチ、ちょっとそこに直れ」

     ジョーがちゃぶ台をばんばんと叩いた。シカトしようと思ったけどしつこく叩いてくるからしぶしぶ座った。こいつが騒がしくしてアパートの下とか隣の住人ににらまれたら生活しづらい。

    「何だよ」
    「お前だってよ、昔は夢見てたんじゃねーのか? 美人でかわいくて優しくて気立てが良くて料理が美味くて家事が得意で子供とポケモンが好きで嫉妬しなくて懐が広くてでもちょっとだけ頑固で美人でかわいい女(ひと)と幸せな結婚してさぁ、毎日仕事して帰ったら嫁さんがキッスで迎えてくれて、あなた毎日毎日お仕事お疲れ様お風呂にするご飯にする今日はちょっと頑張ってみたのあなたの好きなハンバーグよお風呂入るなら背中も流してあげるわ、とか言ってくれてさぁ、それで時々は些細なことで喧嘩して3日間くらい口もきかないけどまた些細なことで仲直りしてさぁ、でもっていずれリタイアしてからは今度はこっちから、ようやく時間に余裕も出来たし子供もひとり立ちしたしこれからは2人で目いっぱい時間を使えるなとりあえず手始めに海外へ旅行でも行こうかお前前からイッシュに行きたいって言ってたもんなそうだな思い切って船で世界一周にでも行こうか大丈夫だよこれまで一生懸命働いてきたから蓄えはあるし、とか言ってさぁ、それで今際の淵では大泣きする嫁さんに向かって、こらこら泣くんじゃないよお前は笑ってる顔が一番きれいなんだから俺が今までの人生何のために頑張ってきたと思ってるんだただお前の笑顔のためだけだぜ最期くらい最高の笑顔で見送ってくれよそうすれば俺はあの世に行っても最高に幸せだからさ、とか言ってさ、それで2人笑顔で大往生、とか考えてただろ」
    「お前……よくそんな立て板に水を流すようにさらさらとこっぱずかしいセリフが出てくるな」
    「ともかく、お前だってそんなピュアでイノセントな時期があったろ」
    「何10年前の話だよ。ってか、そんなピュアでイノセントとか軽く超越した脳内お花畑な思考、今更小学生でも抱かんわ」
    「そうかなぁ」
    「そうだよ」
    「そうかなぁ……」

     ジョーは空になった発泡酒の缶をちゃぶ台の上で転がしつつ、しつこくぶつぶつと呟いていた。……いい奴なんだが、いやまあいい奴なんだが。ちょっと面倒くさい時はある。いやしょっちゅうある。

    「いいんだよ。俺も相手もどうせ遊びなんだし」

     煙草買ってくるわ、と俺はコンビニへ向かった。四合瓶で8000円の特撰純米大吟醸は奴への生贄に捧げるしかないようだ。



    +++可愛いミーナ+++



     まだ夏も始まったばかりだが、海岸はいつ行っても祭りのような様相を呈している。
     灼けた砂の上をぴょんぴょん飛び跳ねるように走っていく浮き輪の少女。1つの氷イチゴを2人でつつき合うカップル。大きなパラソルの下でポケモンバトルを始める少年たち。海の家に隣接する畳の休憩所で熟睡する父親と、その腕を引っ張る娘。
     俺は海の家で瓶入りのコーラを買い、適当な日陰に入る。じりじりと暑い陽射しに炭酸が滲みる。ビールも悪くないが、昼間っから酒を飲むのは好きじゃない。どこぞのアルコール処理機じゃあるまいし。

     さて、誰かいないものか。俺は浜辺の全体へ目を走らせる。
     この時期海辺に来ている女ってのは、結構な確率で男に拾われに来ている奴だと思って問題ないと俺は思っている。でなけりゃ、誰が好き好んで、日焼け止めを塗りたくった上で海にも入らないのに露出度の高い服を着て、そのお世辞にも豊かとはいえないボディラインをわざわざ男に見せつけるように浜辺に寝そべったりするもんか。
     大体、最近の女は痩せすぎなんだ。どいつもこいつも骨と皮ばっかりの骸骨みたいな身体しやがって。その状態で「やだ―太っちゃったー」とか言われてもこっちとしては「はぁ?」としか言いようがないわ。お前らもっと脂肪つけろ。痛いんだよ抱いたときに。

     ……まあ、俺の好みの話はどうでもいい。とりあえず今は、今日1日だけでも暇をつぶせる相手を探そう。
     明らかに射程圏外なガキやババアはどうでもいい。わざわざ人の彼女に手を出すような面倒な趣味も俺はない。
     上着のポケットから煙草を1本取り出し、火をつける。暇そうな女は……と。

     うぇ、何だこの味気持ち悪ぃ。パッケージを見返すと、ジョーがよく吸ってるウルトラメンソールだった。あんにゃろう、俺がメンソール嫌いなの知っててこっそり仕込みやがったな。今度会ったらぶっ殺す。
     さっさと火を消して、いつもの黒い箱に金色の文字がおどる箱に替える。あんにゃろう格好つけて煙管とか吸ってんだったらもうそっちだけ吸ってろ。くそが。

     ゆっくり煙を吸って、ささくれ立った心を落ち着かせる。落ち着け俺。
     舌の付け根にまだメンソールの味が残っている。気持ち悪い吐きそうだ。
     時代錯誤甚だしく煙管なんぞ吸っている割に、紙巻き煙草だとなぜかメンソールのきっつい奴しか吸わない親友の顔が思い出される。そういやまたあいつに高い酒やられたんだったな。この煙草買いにコンビニに行ってる間に案の定飲みつくしやがって。追加で買ってきたビールも飲みつくしやがって。どこに入っていってるんだその水分とアルコール。
     いやまぁ、うん、いい奴なんだけど、でも何だかなぁ、よくわからん。ロマンチストというか……夢見がち?
     何だっけ、理想の恋人? 馬鹿馬鹿しい。そんな幻想とっくの昔に捨てたわ。

     ちょうど1本目を吸い終わった頃、俺の目に1人の女が映った。
     ボブカットの髪の毛に、ふんわりとしたワンピース。白いサンダル。派手な格好ではないけれど、顔はとてもかわいい。ぱっちりとした黒目がちの目に、すっと伸びた鼻筋。ぷっくりとした唇。ほんのり小麦色の肌。その辺にいる他の病的な細さの女と比べるまでもない肉付き。完全に俺のタイプだ。
     その女は1人で、砂浜をあてどなく歩いていた。海風にスカートがはためく。連れがいる様子もないし、散歩でもしているのか。
     目が合った。こっちをじっと見つめてくる。俺はすたすたと歩み寄った。

    「今、暇?」

     俺が尋ねると、女はこくりとうなずいた。少し話でもしないか、と聞くと、またすぐにうなずいた。何だこいつ。他の女は大抵、断るか無駄に焦らすかしてきたのに。警戒心がないのか。詐欺とかキャッチセールスにすぐ引っかかるんじゃないのか? どうでもいい心配をしてしまう。
     陽射しが強いから、パラソル付きの休憩場所に移動しようか、と提案すると、女はやっぱりあっさりと賛成した。
     日陰で座ってひと息つくと、女は少し恥ずかしそうに笑って言った。

    「実は、初めて見た時からカッコいい人だな、って思ってたんです」

     ……詐欺にあってるのは俺の方なのか?
     わずかばかり警戒心を抱きつつ、何か飲むかと聞いた。女は少し迷って答えた。

    「コーラにしようかな」

     あ、趣味が合った。

     海の家で瓶入りのコーラを買って女に渡した。女は喜んで受け取る。笑顔がかわいい。
     そう言えば、名前。名前聞いてなかった。

    「俺はキョーイチ。君の名前は?」

     俺が尋ねると、女はとてもかわいらしい笑顔を俺に向けて言った。

    「ミーナ。ミーナよ」


     しばらく海岸でミーナと話をした。ミーナはとてもよくしゃべり、よく聞いて、よく笑った。
     好きなもの。嫌いなもの。ミーナとはびっくりするほどよく趣味が合った。


    「ミーナはどうして海に来たんだ?」
    「うーん、退屈だったからかな」
    「退屈?」
    「誰もいなかったから。寂しかったの」

     ミーナはそう言って海を見つめた。
     ふわりと潮風がミーナの髪を揺らす。ほんの少し、ミーナの眉尻が下がった。海を映したようにゆらゆら揺れる瞳の中に、確かな「寂しさ」が見て取れた。

    「じゃあ、俺と付き合わない?」

     俺がそう言うと、ミーナはびっくりしたような顔をして、こっちを見つめた。

    「どうして?」
    「俺も退屈だから」

     何それ、とミーナは呆れたように笑ったが、「いいよ」と答えた。

    「夏の間くらい、一緒にいられる人がいるっていうのも、確かにいいかもしれないわね」

     そう言って、ミーナはまた笑った。


    +++


     次の日も、海岸へ行くとミーナが待っていた。
     どこか行こうか、と言うと、街をぶらぶらしたいな、と返してきた。

     平日の昼間だからか、人通りもまばらな商店街。
     数人の女子集団が、店先に置かれている夏服を手にきゃっきゃと声を上げている。やめとけ、今お前が持ってる蛍光イエローの鞄にショッキングピンクのタンクトップは目が痛いぞ正直。

     ミーナを見ると、どうも落ち着きがない。傍らの店にちらちらと目線を送っている。
     やや小奇麗な山小屋といった外見。どうやら、シルバーアクセサリーをメインに取り扱っている店のようだ。ミーナは初めて会った時からあまり着飾っていなかったが、やはり女の子なのでアクセサリーの類は気になるらしい。
     何だ、見たいんなら遠慮せず言えばいいのに、と俺は言った。ミーナはぽっと頬を染めて、照れたように笑った。

     店に入ると、ミーナは一目散に店の奥の方へ駆けていった。楽しそうにしているので、俺はひとりで店内を物色した。髑髏のついたごつい指輪。天然石のぶら下がったピアス。皮で編まれたブレスレット。男物も女物もごちゃごちゃに置いてある。
     こちらなどお客様にお似合いですよ、と店員がごつい鎖で十字架にハブネークが絡みついたトップの、重そうなペンダントを薦めてきた。細工も細かいしデザインも嫌いじゃないが、値段を見てげんなりした。5桁はないわ。俺はいいんで、と言うと、店員はやや不満そうな顔でレジに戻った。

     ミーナは何を見ているんだろうか、と思ってそばに行くと、ガラスケースの中のピアスとにらめっこしていた。
     そういえば、ミーナはピアス穴開けてたっけ。いつも透明な樹脂のピアス止めをつけてるけど。

    「気にいった奴でもあったのか?」

     俺が尋ねると、ミーナは1700円と書かれた棚の中のひとつを指差した。
     フックの先に燻した銀の薔薇の花が2、3個ぶら下がっている。女がつけるにはちょっとごつい気がするが、男がつけるには少々派手だ。ユニセックスと言うより、中途半端なデザインと言った方がしっくりくる。
     しかしミーナはこれが気にいったようだ。買ってやろうか、というと、ミーナはぱあっと顔を輝かせて俺に抱きついてきた。
     レジの奥に引っ込んでいた店員を呼んだ。店員はガラスケースを開けながら言った。

    「こちらですか? そうですねぇ、こちら、男性でも気軽につけられるデザインですよね」
    「いや、俺のじゃないんだけど」
    「あっ、贈り物でしたか? 彼女さんですか? ラッピング、210円ですがいかがですか?」
    「いいよそのままで。つけて帰るから」

     俺がそういうと、店員は首をひねりながらレジへ向かった。


    「……ど、どうかな?」

     店の外で、ミーナが少しおどおどしながら聞いてきた。
     両耳にはさっき買った薔薇のピアスがさがっている。

    「うん、まあ、思ったよりごつくないな」
    「えへへ、そうかな?」
    「うんうん、似合ってる似合ってる」

     何か適当に答えてない? とミーナは少し頬を膨らませた。
     でも実際、思ったより似合っていた。ミーナの何となくふわふわした印象といぶし銀の薔薇は合わないんじゃないかと思ってたけど、意外とそうでもなかった。むしろ重たさがアクセントになっている。

    「次、どこ行く?」

     俺がそう尋ねると、ミーナはえっと、と言ったきり少し口をつぐんで、俯いて両手をもじもじとさせた。
     長い沈黙に、ポケットの中の煙草を取り出すか否か迷い始めた頃、ミーナが顔を真っ赤にして、小さな声で言った。

    「……キョーイチの家、行きたいな……って」

     俺はちょっと呆気にとられた。
     いや、まあ、別にあれだけど、会ったの昨日の今日だし、見た目どっちかというと清純系だし……。

    「思ったより積極的なんだな」
    「……〜っもー! いいよっ! 忘れてっ!」

     ミーナはそのまま口や耳からかえんほうしゃが出るんじゃないかってくらい顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
     俺はやれやれ、と笑って、ミーナの腕をひいた。

    「いいじゃん。来なよ」
    「…………」
    「来ないのか?」
    「……行く」

     ミーナはそう言うと、顔を隠すように俺の腕にしがみついてきた。二の腕に当たるミーナの頬が熱かった。


    +++


     夜中に目を覚ますと、ベッドの上に1人だった。
     鞄も脱ぎ散らかした服もない。俺が寝てる間に帰ったのか? と、寝ぼけた頭をぼりぼり掻く。

     黒字に金色の文字が書かれた箱から煙草を1本取り出して、火をつける。
     煙を灰に吸いこみながら、働かない頭をぼんやりと動かして、身体の相性よかったなあ、と心の中で呟いた。
     暗い部屋に白い煙が漂う。気だるさに水でも飲むか、とベッドから起き上がろうとした。

     ちくり、と右手の人差指に何かが刺さった。
     いぶし銀の薔薇のピアスのフックだった。じわりと赤い痕が白いシーツに広がる。

     あれ、ミーナの奴、忘れていったのか?
     しょうがないなあ、と言いつつ、俺はピアスをズボンのポケットに入れた。



     次の日海に行くと、ミーナが待っていた。

    「昨日勝手に帰っちゃってごめんね」
    「いや別に。……あ、そうだ」

     ピアスを渡そうとポケットに手を入れた。
     しかし、ポケットの中は空だった。

     どうしたの? とミーナが首をかしげながら聞いてきた。
     その両耳には、いぶし銀の薔薇のピアスがさがっていた。


    +++


     お盆の時期は海岸にメノクラゲとかその辺りが大量発生するから海には行きたくないよな、と俺は言った。
     そうだよね、とミーナは答えた。
     しかし暑い。今年は特に暑い。このままじゃ陸に打ち上げられたコイキングになりそうだな、と俺は言った。
     本当だよね、とミーナは答えた。

     プールでも行くか? と俺は聞いた。
     行く、とミーナはすぐに答えた。


     行ってみたけど、水の中は人でごった返していた。
     あれじゃあ水の中を泳ぐというより、人の間を水が流れていると言った方が近い。
     プールサイドにいくつか刺してあるパラソルの影の下に座って、売店で買ってきたかき氷を2人でつつく。

    「やっぱり人多いねえ」
    「休みだもんな」
    「なあ、そこの兄ちゃん、ポケモン持ってるだろ?」

     2人でのんびりとしていると、海パンをはいた小学生くらいのガキンチョが、いきなり声をかけてきた。

    「ん? ああ、まあな」
    「じゃあ勝負しようぜ! シングルの2対2でどうだ!」
    「……まあ、別にいいけど」

     やれやれ。このくらいの年頃のガキンチョってのは、こっちの都合もろくに聞かず、相手がどんな奴かもあまり考えずにバトルを仕掛けてくる。ポケモンバトルを始めて間もない奴らが多いから、しょうがないか。
     プールサイドに備え付けられているバトル用の広場へ向かう。俺はベルトからボールを2つ選んだ。頑張って、とミーナが笑顔で手を振ってきた。

    「よーし、行くぞっ! マグマッグ!」
    「行ってこい、チャコ」

     俺が最初に選んだのは、頭に大きな葉っぱを生やした小さな怪獣、もといチコリータのチャコ。
     相手は相手は溶岩のなめくじ。よりによって炎天下のプールサイドで。クソ暑い。ふざけんな。

    「マグマッグ、ひのこだ!」
    「チャコ、はっぱカッター」

     小さな炎が、チャコの放った葉っぱに引火して、本体に当たる前に灰になって地面に落ちる。
     はぁ? マジ? とガキンチョが驚愕の声を上げる。うん、相手が悪かったな。

    「坊主、いいこと教えてやるよ。兄ちゃんはこれでも結構強いぜ」
    「う、うるせぇ! おれは負けねぇんだっ! マグマッグ、ふんえん!」

     ぶわっと周囲に炎と熱い煙が散らばる。熱い。熱いというか暑い。めちゃくちゃ暑い。思わず咥えていた煙草のフィルターを噛みつぶした。やべぇマジイライラする。
     チャコの葉っぱに小さな炎がついていた。必死で振り払って消したが、少しやけどしたようだ。
     相手を睨みつけ、鋭い鳴き声を上げる。ああなるほど、チャコも相当イラついてるってわけか。上等上等。

    「チャコ、からげんき」

     その葉っぱのやけどの分も込みだ。遠慮せずやっちまえ。
     チャコは首から伸ばしたつるで思いっきり相手を打ちすえる。あまりの猛攻に、相手は恐れおののいて戦意を喪失したようだ。

    「ううっ……行けっ! クヌギダマ!」
    「戻れチャコ。行ってこい、エリー」

     俺は黄色いふわふわモコモコの体毛を持った羊、メリープを繰り出した。
     相手は硬い殻を纏った木の実みたいな虫。相性はそんなにいいわけでもない、か。

    「エリー、とっしん」
    「クヌギダマ! てっぺき!」

     走って勢いをつけてエリーの頭がクヌギダマの身体にぶつかる。ごつっ、と鈍い音がした。エリーが少し涙目になって数歩下がる。
     なるほど、なかなか防御力はあるみたいだな。よく育ってる。

    「クヌギダマ、こうそくスピン!」
    「エリー、わたほうし」

     クヌギダマが超高速で回転しながらエリーにぶつかってくる。細かい綿くずがバトルフィールド周辺に舞い散る。
     俺は咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けた。

    「エリー、もっとだ」

     エリーの体毛が電気を含んでふわりと膨らむ。クヌギダマがまたぶつかってきて綿くずが散らばる。
     視界が少し白くぼやけてくる程度の綿の量。ふむ、こんなもんか。

    「坊主、お前結構センスあるよ。このままエリーを覆う綿を削って、適当に防御削ったところでだいばくはつ……って流れだろ? いいと思うぜ。でもまだまだ足りねーな」
    「は?」
    「経験だよ経験。大人になって考えつくことってのもあるってこった。ま、今回は学校じゃ教えてくれない課外授業だと思っとけよ」

     学校じゃあ型にはまったバトルしか教えてくれねぇからな。
     だがまあ、世の中そう一筋縄ではいかないんだよな。ゲームか何かじゃあるまいし。

    「ま、たまには、爆発される側ってのも経験しとけってこった」

     えっ、とガキンチョが目を丸くする。

    「ほうでん」

     空気中を漂う無数の繊維。
     放電で発生した火花。

     結果、爆発。


    「……はい、ジュリア。おつかれさん」

     俺は傍らに控えていたキルリアの頭をなでた。ぱちん、と音を立てて、バトルフィールドを覆っていたリフレクターの壁が解除される。
     若干煤で黒くなったフィールドに転がっているのは、これまた若干黒くなって目をまわしているクヌギダマと、少し汚れたクリーム色の綿の塊。
     塊の中からエリーがぴょこんと顔と手足としっぽを出す。

    「に、兄ちゃんむちゃくちゃだよ……」
    「経験だと思っとけ。世の中そうそう良心的なトレーナーばっかじゃねぇぞ。……ま、大人げなかったとは思うからよ。回復が終わったらこれで手持ちの連中にアイスでも買ってやれ」

     俺はポケットから財布を取り出して、金色の硬貨を1枚ガキンチョに渡した。
     おれが負けたのに、とガキンチョは言ってきたが、ガキンチョから金をむしる気はさらさらねーしただの野良バトルに賞金も何もねーよ、と返して追い払った。

     ふう、と息をついてミーナの隣に座り、ポケットから煙草を1本取り出して火をつけた。
     ミーナはお疲れ様、と言ってタオルを渡してきた。

    「バトル強いんだね。ちょっと驚いちゃった。思ってたよりもすごく大胆な攻撃するし」
    「あー、まあ、知り合いにガサツだけど超強い奴がいてな……そいつの影響がな……」

     めちゃくちゃ強いけど、豪快すぎる上に博打うちのどうしようもないあいつ。バトル場でも煙管をふかしながら日本酒の一升瓶を小脇に抱えているあの馬鹿。飲酒バトルの違反で捕まるんじゃないかとずっと思っているけど、今のところ無事なようだ。
     エリーの粉塵爆発も、元はと言えばあいつのエルフーンが使ってた方法だ。散々わたほうしでフィールドに糸屑をばらまいたかと思うと、かえんだまを投げつけてくる。笑顔で。いたずらごころの特性もあるのかもしれないが相当腹黒い。しかもあいつは俺と違ってリフレクターとかその辺の技を使える奴がいないから、トレーナーが危ない。特に室内では。どうも警察の目は節穴のようだ。あらゆる方面で。
     ……まあいろいろ問題はあるけど、何だかんだでバトルは馬鹿みたいに強いから、俺もいろいろ教えてもらったりしたけど。

    「それに、何て言うか……意外と、可愛いポケモン使うんだね」
    「い、いいじゃねーか。趣味だよ。悪いか」
    「ごめんごめん、馬鹿にしたつもりはないの。ちょっと意外だなーって思っただけで。ね、他の子は?」

     そうだな、と言いながら、俺はベルトからボールを外した。

    「キルリアのジュリア。メリープのエリー。ポニータのジョニー。チコリータのチャコ。ヒヤッキーのヒロシ」
    「何かヒヤッキーだけ方向性が違わない?」
    「しょうがねぇだろ勝手につけられたんだよ名前。それから……」
    「ねえねえ、そこのお兄さんっ!」

     突然、妙にハイテンションな甲高い声が突き刺さってきた。
     顔を上げると、水着を着た女の子が3人、俺たちを取り囲んでいた。

    「お兄さん、バトル強いねーっ! ねえ、よかったら私たちと遊ばない?」
    「は?」

     何だこいつら。
     まあ確かに、俺1人だったら遊んでたと思う。でも今はどこからどう見ても明らかに連れがいる状況じゃねぇか。いくら夏のプールで頭のネジが外れてるって言ってもマナー違反だろ。

    「俺、連れいるし」
    「連れぇ〜?」

     俺は隣に座るミーナを指差した。女子どもは俺の指先を目で追いかけて、また俺の方を向いた。

    「……ねえ、私たちと遊んだ方が絶対楽しいよ〜? ねー、ほらぁ……」
    「いい加減にしてっ!!」

     ミーナが突然、立ち上がって大声で怒鳴った。

    「いくら何でもひどいじゃない! そりゃ、私はそんなに魅力もないかもしれないけど、キョーイチは今私と遊んでくれてるの! 今は私のものなの!!」
    「ミーナ、いいから! わかったって!」

     俺は慌ててミーナを止めた。
     女子連中は俺たちに軽蔑するような視線を送り、「何アイツ」「意味わかんない、気持ち悪い」などと口々に言いながら去っていった。

    「ミーナ……」
    「ご……ごめん、キョーイチ。私……」
    「……い、いや、いいんだ。何つーか……すっげー、嬉しいかも」

     いつもにこにこと穏やかなミーナが、感情をむき出しにして怒っている。しかも、俺のために。
     それが妙に恥ずかしくて、こそばゆくて、嬉しかった。

     ミーナが俺の手に手を重ねてきた。
     赤く染まった頬。上目遣いの視線。眉上で切りそろえられた髪の毛を払うと、くすぐったそうに眼を細めた。
     傾きかけた太陽が伸ばした2人の影が、そっと重なった。


    +++


    「アスベスト、なげつける!」
    「わー待てっ!! まだリフレクター貼ってねぇ!! ってかお前も対策なしにその技使うんじゃねぇよ馬鹿!!」

     綿毛を背負った羊が綿の中からかえんだまを取り出そうとするのを慌てて止めた。冗談じゃない。爆発に巻き込まれるのなんてまっぴらごめんだ。
     ジョーはアスベストというどことなく物騒な名前のエルフーンをボールに戻した。粉塵爆発は起こすわ、ぼうふうで柵やら街灯やらをなぎ倒すわ、部屋の中だろうがどこだろうが気がついたら人の背中に勝手に張り付いてるわ、服(特にニット)に絡みついてなかなか取れない繊維を残していくわ、いろいろと前科の多いポケモンだ。何よりそれら全てを笑顔でやってくるのが怖い。行動が大胆というか大雑把なのは飼い主のせいだろうが、こいつ自身の性格も相当悪い。多分。

    「ふー。久々に手合わせしたけど、お前ちょっと腕がなまってんじゃねえか? キョーイチ」
    「あー、夏入ってから、最近プール行った時に絡んできたガキンチョとしかバトルしてねぇからなぁ……」

     公園のベンチに座って、煙草に火をつける。ジョーは今日は煙管のようだ。
     せめてよく着てる作務衣とか着流しとか謎の派手な着物とかならまだ絵になっただろうに。何で今日に限ってお前はあずきジャージなんだ。深夜の公園でだるそうに座って時代錯誤な煙管をふかしている上下あずき色のジャージの男なんて、いろいろちぐはぐ過ぎて人が通りかかったら確実に二度見されると思う。ちなみに俺はもう慣れた。
     煙を吸い込み、大きく息をつく。

    「ジョー、お前さ、普通に強いんだからもうちょっと考えて技出せねぇの?」
    「えー、考えてるだろ。組み合わせとか、作戦とか」
    「そうじゃなくってさ。例えばぼうふうにしてももうちょっと照準を合わせて当てるとか、爆発するならトレーナーその他周囲に被害がないように配慮するとかさ、お前免許取る時に習うとこだろそこは」
    「悪かったなノーコンで」
    「お前マジでいつか捕まるぞ。安全対策不足か器物損壊か飲酒バトルで」

     へいへい、とジョーはやる気のなさそうな返事をした。
     煙管煙草独特のふわりとした芳醇なにおいがする。ジョーはふと俺のベルトにつけているボールに目を落とした。

    「おいキョーイチ、このボール、ヒビ入ってるじゃねーか」
    「え? うわ、マジだ。あれー? いつやっちまったかなぁ? 最近バトルしてねーから思い出せねぇ……」
    「早いとこポケセンかショップ行って直してもらった方がいいぜ。昔、知り合いがひび入ったボールそのままにしてたら、いきなりボールが割れてカビゴンが出てきて、危うく圧死するとこだったって言ってたし」
    「そりゃこえーな。気が向いたら直しとくわ」

     星空に向けて煙を吐き出す。ちかちかとした瞬きが少ない、澄んだ空だ。
     ジョーも空を見上げながら、もう秋の空だなぁ、とつぶやいた。

    「俺、秋になったらまた旅に出ようと思うんだ」

     唐突に、ジョーがそう言った。
     元々こいつは、ポケモンを育てながらあてもない旅をしていたらしい。去年の春この町に来て、1年とちょっと、この町を拠点に周辺をうろうろしていたようだ。町にいる間は、バイトか何かで金を稼いだり、酒を飲んだり、バトルを指導したり、酒を飲んだり、俺や友人と遊んだり、酒を飲んだり、酒を飲んだりしていたようだ。

    「へぇ、今度はどこに行くんだ?」
    「まだ決めてねぇけど、もっと北の方へ行こうかなと思ってる」
    「北ねぇ。これから冬に向かうってのにご苦労なこって」
    「ばーか、冬だから北に行くんだよ。わかってねぇなぁ」

     そう言ってジョーは煙管の上下を返し、ふっと吹いて灰を落とした。
     丸めた煙草葉を雁首に詰め、また一服ふかして、ジョーが言った。

    「そういやキョーイチ、お前、彼女とはどうなんだ?」
    「あれ……お前に話したっけ?」
    「いいや? でも最近飲みにも誘わねーし、彼女いるんじゃねえの?」
    「まあ、いるけど……」

     ミーナと出会って1カ月と少し。お互い遊びと割り切ってはいるはずだが、意外と長く続いているもんだ。
     ジョーはベンチの背もたれに肘をついて、俺の顔をじっと見ていた。

    「……何だよ気色悪いな」
    「いいや、何て言うか……。……いや、やっぱりいいや」
    「何だよ。気になるじゃねぇか」
    「いや。何か、お前幸せそうだなぁと思って」
    「……そうか?」

     幸せ、ねえ。
     まあ確かに、不幸せではないと思うけど。

     しかし何だろう。何かこう、のどの奥の方に何かがつっかえてるような、胸やけを起こしているような、魚の骨が引っ掛かってるような、何とも言えない違和感は。


    +++


    「もうすぐ、夏も終わるね」

     ミーナが窓を開けると、湿った外の空気と、真っ赤な夕日の影が部屋に入ってきた。吹き込んできた外気で、ミーナの短い髪がふわりと揺れる。

    「秋になったら、お月見でもしようか。夏の間はいっぱい海に行ったから、山もいいかもね。イチョウとかカエデとか、綺麗に染まってて……」

     楽しそうに笑いながら、ミーナが俺のそばにぴったりと寄り添う。
     頬と頬が触れる。ミーナの肌は冷たい。
     目をやると、窓から差し込んできた夕日を背負うミーナは、姿も表情も影色に塗りつぶされている。目だけが唯一、煌々と輝いて見えた。

    「ミーナ」
    「ん? どうしたの?」

     ミーナが小首をかしげる。
     俺は口を開いた。言葉が出ない。夕日がすっかり建物の影に隠れてしまうほど、長い沈黙が2人を包んだ。

     何とも表現しがたい不安。違和感。気持ち悪さ。
     不快な感情が胸を満たす。


    「別れよう」


     不意に、そんな言葉が口をついて出た。


     ミーナはぽかんとした顔で俺を見た。

    「……どうして?」

     ミーナは今にも泣きそうな声で、そう聞いてきた。
     俺は口を開いた。胸の中のわだかまりが、自然と言葉を作っていくようだった。

    「飽きた、から」

     再び長い沈黙が、俺とミーナを包んだ。
     押し寄せてきた大きな波が、波打ち際で砕けて消えるように、俺の心の中のありとあらゆる感情が押し流されて消えていく。


    「……そっ、か。わかった」

     沈黙を破ったのは、ミーナの明るい声だった。
     俺はびっくりして顔を上げた。ミーナは笑顔で、でも目元は涙で濡らして、俺を見ていた。

    「うん。そうだね。元々、お互い遊びだったもんね」
    「……」
    「わかった。夏ももう終わりだもん。ひと夏の想い出、充分だよ」
    「ミーナ」
    「でも、いつかキョーイチがまた恋をしたら、世界中の誰より幸せになってくれないと許さないからね」

     ミーナはそっと俺の手を握った。
     耳から下がった薔薇の花がきらりと光っていた。

    「楽しかったよ、キョーイチ。さよなら」



     部屋の中は真っ白だった。
     窓の外はモノクロだった。

     幸せだった。夏の間、俺は幸せだった。
     切なくて、不安で、不気味なくらい、俺は幸せだったんだ。

     そうだ。元から、どうせ遊びの関係だったんだ。
     お互い相手がいなくて、隣が開いているからとりあえずそれを埋めただけ。
     それ以上の関係になりうるわけがない。


     ああ、そういえば。
     自分から別れを告げるのって、これが初めてだ。


     開けっぱなしの窓から、音楽が聴こえてきた。
     初めてミーナとこの部屋で一晩過ごした時、つけていたラジオで流れていた曲。
     古い西部劇の主題歌。静かに響くアコースティックギター。哀愁漂う女性の歌声。

     温かい手のひら。
     花の香りがする髪の毛。
     くるくると表情を変える潤んだ瞳。
     薔薇の花弁のような唇が紡ぐ言葉を、唇で塞いで止めたあの夜。



    「ミーナ」


     ミーナ。
     ミーナ。
     ミーナ。ミーナ。ミーナ。

     ミーナ。ミーナ。ミーナ。ミーナ。ミーナ。
     ミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナ……ミーナ!



    「ミーナ! ミーナ!!」



     錆ついた空。

     枯れて頭を垂れた向日葵。

     頬を濡らすのは雨粒。



    「やっぱりお前のことが好きなんだ!! ミーナ!!!」


     俺は馬鹿だ。
     ほんの一時の気まぐれで、別れよう、だなんて。
     確かに最初は遊びだった。

     でも、いつの間にか、本気で好きになっていた。


     モノクロの街を走る。

     雨が奏でる女性の歌声。

     頭に響く波の音。


     突然体が宙を舞い、俺は真っ黒な地面に叩きつけられた。



    +++



     俺は白い天井を見上げていた。
     柔らかい。これはベッドだ。俺の部屋じゃない。誰かいる。白い服。医者と看護師。

    「目が覚めたか! よかった! ここは病院だ。自分のことはわかるか?」
    「……ミーナは?」

     医者が何か言ってきたが、どうでもいいことだ。
     俺はミーナを探さなきゃならない。

     起き上がろうとすると、医者は慌てて俺を押さえつけた。

    「こ、こら! まだ起きちゃいかん!」
    「放せ! 放せよ! 俺はミーナを探さなきゃならないんだ!」

     腕に刺さっていた点滴の針を引き抜き、俺を押さえつける医者を力ずくで振りほどこうとした。
     押さえつけろ、人を呼べ、鎮静剤を、などと医者と看護師がわめく声が耳から耳に抜ける。

     その時だった。
     ドゴヅッ、という鈍い音とともに、丸くて硬いものが、ものすごい勢いで俺の額に叩きつけられた。
     激痛と混乱。俺は驚いて動きを止めた。

    「落ち着け、馬鹿野郎」

     いきなり頭突きをかましてきたそいつ……ジョーは、そう言ってため息をついた。

    「何があったんだ?」

     ジョーが静かな口調で聞いてくる。
     真っ白だった心が動き出す。体が震える。鼓動が速くなる。

    「……探さないと、間違えたんだ、俺は、ミーナを、ひどいこと」
    「おい、落ち着け」
    「ほんの気まぐれで、俺は、不安になって、だって、ミーナは、好きだったのに」
    「しっかりしろ、キョーイチ!」

     ジョーが俺の両肩をつかんで揺さぶった。


    「いないんだ! お前の言ってる『ミーナ』は! どこにも!!」

    「……え?」

    「夢だったんだ。全部、夢だったんだよ」


     何を言ってるんだ?
     だってミーナは、夏の間ずっと俺のそばで、一緒にいて……。

     とりあえず深呼吸しろ、とジョーが言ってきた。
     大きく息を吸ってゆっくり息を吐くと、モノクロだった世界に、ぼんやりと色がついたように感じた。

     ジョーはため息をついて、諭すような口調で言った。


    「『ミーナ』は……お前のムンナだろ?」


     世界が崩れる。
     目の前が一斉に、鮮やかに色づく。

     俺はおそるおそる、腰に手をやった。
     手に触れたのは、ひびの入ったモンスターボール。
     中に入っているのは、夏の初めに進化した……ムシャーナの、ミーナ。


     医者が静かに言った。


    「キョーイチさん。あなたの症状は……重度の『夢の煙中毒』です」


     『夢を現実にすること』が、そのポケモン、正確にはそのポケモンが出す「夢の煙」の持つ能力。ドリームワールドという施設で使われているように、夢の中の道具やポケモンを実体化することさえ出来ると言われている、摩訶不思議な物体だ。
     しかし、それは「正しく使えば」の話だ。力が強すぎるため、ドリームワールドでも、「夢の煙」の使用は1日につき1時間までと制限がかけられている。

     四六時中、「夢の煙」を浴び続けていたらどうなるか。

     ひと言で言えば、起きたまま夢を見る。
     密かに抱いていた夢。心の奥底の願望。それが幻覚や幻聴となって現れる。
     夢を見ている本人にだけは、リアルな実体を伴って。

     その状態が長く続くと、しだいに夢と現実の区別がつかなくなる。
     本当はないものが見え、あるものが見えなくなる。実際に鳴っている音とは違う音が耳に入り、存在しないものに体を触れられる。
     そして最終的には、精神が堪えきれなくなり、心が壊れてしまう。


    「俺が見つけた時、お前は遮断機を乗り越えて列車の前に飛びだそうとしてた。とっさに『ぼうふう』で吹き飛ばさなかったら死んでたぞ」

     ぼんやりと、この場所にいる前に感じた浮遊感を思い出す。
     でも、実感が伴わない。
     頭の中がぐるぐるして、何が何だかわからない。

     体の中から『夢の煙』の成分がすっかり抜けきって、心が落ち着くまでは入院しましょう、と医者が言ってきた。


    +++


     窓から外を見ると、庭に植えてある木々の葉が、ちらりほらりと赤みを帯びてきていた。
     あれは桜の木か。春になるとさぞやきれいなんだろうな。さすがにそんな頃まで入院するのはごめんだが。


     中庭に出た。入院している身だが、最近は出歩くのも比較的自由になった。時間までに病室に戻りさえすれば。
     灰皿が設置してあるベンチへ行くと、俺の見舞いに来たのであろうジョーが一服していた。

    「秋になったら、旅に出るんじゃなかったのか?」
    「俺の中では、モミジが赤くなるまでは秋じゃねーんだよ」

     何だそりゃ、と笑いながら、俺はジョーの隣に座った。右手に持っている箱から、シガレットを1本抜き取る。ジョーは呆れたように笑った。

    「入院患者が煙草なんか吸うんじゃないよ全く」

     そう言いつつ、ジョーはポケットからジッポライターを取り出す。

    「メンソールだぞ」
    「いいよ」

     煙を吸い込む。すうっとした刺激が呼吸器を抜ける。舌の根が苦くて眉をしかめた。
     ふう、と煙を吐き出し、手すりに肘をついて頭を抱えた。慣れない味の煙草にくらくらする。

     まぶたを閉じると、彼女が俺の前で、笑顔で手を振っているような気がした。
     ゆっくりと目を開ける。俺の目に映るのは、その身の色を変えて秋の到来を告げようとしている、桜の木ばかりだった。


     そっと目を閉じた。

     両目から、ぼろっと涙が零れおちて頬を伝った。


     大丈夫か、とジョーが声をかけてくる。

     煙草の煙が目に染みただけだ、と俺は答えた。


     左手をズボンのポケットに突っ込むと、指先にチクリと何かが刺さった。
     取り出してみると、燻し銀の薔薇のピアスだった。

     夢だった。そう、全部夢だったんだ。
     夏の間に見た、ひと時の夢。
     俺の夢の中の彼女と、夢の中で恋に落ちた。ただ、それだけのことだった。

     だけど、彼女は確かに俺のそばにいた。
     俺は彼女と夏の初めに出会って、夏に恋して、夏の終わりに別れた。
     それは確かなことなんだ。

     俺にとって、初めてのことだった。


     本気の恋だったんだ。



     ああ、駄目だ。やっぱりメンソールは嫌いだ。

     涙がちっとも止まりゃしない。



     時計の針は3時を示していた。
     どこからか、教会の鐘の音が風に乗って聞こえてきた。










    ++++++++++The end

    special thanks/桑田佳祐「可愛いミーナ」


    カラオケで久々に歌ったら降ってきた。
    年齢=恋人いない歴の自分には色々と無茶だった。
    ごめんなさい。

    それにしても、どうやら自分は相当ムンナが好きらしいと最近気付いた。


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