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サザナミタウン。
夏のリゾートとして有名なこの場所に、防寒具を着込み、双眼鏡を構えて立つ私は、場違いに見えるだろう。それ以前に、今は冬なのだから季節外れだ。
幸いシーズンオフでもあるから、奇妙な格好をして双眼鏡を海に向ける私に気を止める者は、誰もいない。私は安心して双眼鏡を構え、海を見る。変わらない、鈍色の塊を見つめている。
不意に潮が吹き上がった。はい、と手を挙げるみたいに。
「ねえ、このホエルコ、遠い場所から来たんだよ。ホウエン地方だって」
幼い手の中の赤白のモンスターボールを、少女は高々と上げる。少女の遊び相手に選ばれた少年は、柔和な笑みを浮かべてそれを見る。その笑みと、彼のパートナーのツタージャは、似合っていた。どちらも草の雰囲気がした。
昔々、といっても十年少し前のことだが、まだ少女だった私は、親がもたらす恩恵を自分のものとして、当たり前のように享受していた。そして、それを当たり前のように周りに見せびらかしていた。私の遊び相手、というより生贄に選ばれた少年は、いつも穏やかに笑って、私の自慢にもならない自慢を聞いていた。
全く、私は馬鹿だったと思う。もしも過去に行けるのならば、過去の私を殴ってホエルコのボールを取り上げたいものだ。そんな私だったけれど、彼はいつも相手をしてくれていた。この時も、近くの川にホエルコを放って観察するという私の提案に付き合ってくれた。草の匂いのしそうな、あの柔和な笑みを浮かべて。
河原を歩き、ちょうど良い滝壺を偶然見つけて、そこにホエルコを放つことにした。思えばそれだって、無茶な行軍をしたものだ。河原のすぐ上の道は気まぐれに切れていて、私と彼は何度も河原に降りて進まねばならなかった。道がすっかり低木で覆われていて、小枝を体で折るようにして進むことも度々あった。これでは満足に進めないと、私たちは河原を行くことにした。足に優しくない石ころにふうふう言いながら、川沿いをずっと進んだ。道中で現れた野生のミネズミやクルミルは、彼のツタージャに追い払ってもらっていた。そこまでされていて、滝壺に着いた私はお礼のひと言もなかった。彼がそうして従者みたいに付いて来るのを、当たり前に思っていたのだ。今なら分かる。過去の私は調子に乗ったクソガキで、彼は得難い友であった。そういうことは、いつも失ってから気付くのだ。昔々の人々が、何度も繰り返し言ってきたように。
私たちは滝壺でホエルコと触れ合った。私はすぐ飽きてしまって、河原に転がっている、一見綺麗そうな石を見繕い始めた。その時の石ころも、持って帰ったのにいつの間にか失くしてしまっていた。
彼はというと、ずっとホエルコに向きあって、肩にツタージャを乗せたまま、そのゴムみたいな肌をいつまでも触っていた。「お前はどんなところから来たの。ホウエンって暑いところらしいね。こっちは寒かないかい。あっちの海もこっちと同じくしょっぱいのかい」……そんなことを言っていたように思う。
ツタージャの冷たく赤い大きな目と、彼の草を思わせる目が、ずっとホエルコに注がれていた。人間である彼はともかく、ポケモンであるツタージャがずっとホエルコを見ていたことが、印象に残っている。
それから年が少し巡ったが、私と彼の関係は変わらなかった。私は相変わらず親の力でポケモンを手に入れては、彼に見せびらかしていた。彼は黙って、ツタージャ一匹を連れて、いつも微笑んでいた。ツタージャしか連れていない彼に、私のポケモンをあげようかと言ったこともある。彼はもちろん穏やかに断った。全くもって愚かな人間の子どもの言うことだが、最後にそれだけは果たしたことになる。
少し変わったのは、あの夏のこと。
中等学校の一年目を終えた私は、その日、女友達数人と意味のないことではしゃいでいた。町の中心部に出てカラオケかウィンドウショッピングか、その他その年頃の女の子が考えつきそうなことを計画していた。その行く先の、道の真ん中に彼が立っていた。
「あ」私は嫌な顔をしたはずだ。中等へ上がって以来、彼と人前で話すのは極力避けていたのだから。クラスメイトに彼と付き合っていると思われるのが嫌だという、子供っぽい理由だった。私は彼を避けた。そして、その内彼と話すこと自体なくなっていた。
「こんにちは」と彼が言った。その声は低く穏やかで、柔な草が若木になったような、そんな印象を抱かせた。ただ、それは後で感じたことで、その時は……彼が私の知らない間に声変わりしているのが、悲しいような、悲しくないような、そんな衝撃を受けた。
「少し、いいかい」声変わりした声で、彼が言った。女友達が何かを暗示するように私を見る。「大事な話なんだ」彼の言葉が彼女たちの妄信に拍車をかけた。意味のない音を漏らしつつ、彼女たちは私の肩や腕を叩き、やたらとにやにやしながら彼を避けて道の先へ消えていった。
後には彼と私だけが残された。
「何の用なの」つっけんどんに私は言った。彼はいつかと同じ、柔和な草を思わせる笑みを浮かべて言った。
「旅に出ようかと思ってさ。ほら、夏休みだし」
旅? と私はオウム返しに聞いた。そう、旅、と彼は返した。
旅には、本格的なものには中等を出てから行く人が多いのだけれど、その時の彼みたいに、長期休暇を利用して行く人も、結構いる。長期休暇が始まると旅立って、終わる頃戻ってくる、そんな期間限定の旅。
「いいんじゃない」
私は何故か安堵して、そう言った。男子はよく行くし、夏休みが終われば帰ってくるし、いいんじゃない。私はそんな風に安心したのだ。
「そっか」彼はまた柔和な笑みを浮かべて言った。「じゃあ行こうか、ツタージャ」
不意に草蛇が、彼の背中から生えてくるようににょっきりと顔を出した。涼やかな赤い目が彼を見つめ、ぴうい、と小さな声で鳴いた。
「皆、行っちゃったね。ごめんね」
彼は女の子たちが去って行った道の先を眺めていた。そして、私を振り返ると、「君には言っておきたかったんだ」と言った。
「別にいいよ」言ってから、ぞんざいな返事だと気付いた。
「別に、今生の別れってわけじゃないんだしさ」
彼は戸惑ったように目を迷わせて、「それじゃ」と言った。私は「またね」と言った。彼の服の背に手足を引っ掛けたツタージャが、赤い大きな目で私を見た。悠々、といった風格を漂わせるツタージャに、私は何故か、負かされた気がした。
彼がいない夏休みは、別段寂しくはなかった。友達とは遊びに出るし、宿題もするし、ポケモンの世話もする。ただ、強いて言えば乳歯が抜けた時のような、座りの悪い思いをしていた。
私は夏休みの大方を、ポケモンを強くすることに費やした。親に貰ったホエルコを中心に、やはり親に貰ったアブソルやマイナンやスバメなど、ポケモンバトルの訓練をした。私は、親に貰ったポケモンもその内飽きて、結局親が世話をしているということが多かったのだけれど、彼に見せたのと同じあのホエルコだけは、自分で面倒を見ていた。
そうして夏が過ぎた。私は夏休み中にホエルコを進化させようと頑張っていたのだが、それは叶わなかった。学校が始まり、私は教室で彼の席をちらりと見る。始業式には彼は来ていなかった。彼が戻ってきたのは、新学期が始まって二日目になってからだった。少し、日焼けしていた。けれど、ツタージャは変わらずツタージャのままで、私は少しだけホッとした。
「ごめんごめん、少し遅くなって」
放課後、私は彼と話をした。学生がよく行くファーストフード店で、私はジュースだけ頼んで席に座った。彼はハンバーガーセットをひとつ頼んでいた。そんなによく食べる方ではなかったのにな、と私はふと思った。
旅に出て、なんとなく、彼が変わったように感じていた。話し方や行動が、ほんの少しだけ、きびきびしている。多分それは若木が樹皮を固め始めたような、確固たる芯を手に入れたような、そんなものなのだ。
彼のツタージャはまだ、ツタージャのままだけれど。
ちょっと道に迷って、と付け足したのは、新学期に遅れた言い訳なのだろう。私に言っても仕方ないのだけれど、と思いながら相槌を打った。
「旅先では色々あったよ。道に迷って、海に落ちて、ランセ地方まで行っちゃって」
「ちょっと待って、それ、どこ?」
彼は頭を振って、よく知らない、と答えた。とにかく、彼はツタージャと共に海に落ちて、ランセ地方まで流れてしまったのだそうだ。
「右も左も分からないし、本格的に道に迷ってしまって、困ってるところをアオバの国の」
そこで彼は言葉を切った。私は別なところに引っかかった。
「国? 地方の中に国があるの? 普通逆じゃない?」
「ランセ地方ではそうなってるんだよ」
だとすれば、彼は見当もつかない、よっぽど遠い場所まで行ったのだ。
「国って呼ばれてるけど、規模は僕らの言うタウンぐらいだよ。そこのブショー……ジムリーダーみたいな人に助けられてね」
彼が漏らした言葉を気にしつつも、跳ね上がった彼の語尾に注意を取られる。私はストローを口に咥えなながら、「それで?」と先を促した。彼は話した。若木みたいな声で、本当に楽しそうに話した。
ジムリーダーみたいな人、モトナリさんに助けられ、ずいぶん世話になったこと。そのモトナリさんもツタージャを連れているそうで、モトナリさんと彼はそれで息が合ったらしい。きっとモトナリさんも、彼みたいな草っぽい人だろうな、と私は密かに思った。
ランセ地方では変わったファッションが流行っているようで、全体的にゆったりしたものが好まれているらしいこと。例えばモトナリさんは、二段構えの不思議な帽子を被っていたらしい。これは説明を聞いてもよく分からなかった。
ランセ地方でポケモンを育てられるのは、才能ある限られた人だけ。皆がモンスターボールを持ってポケモンを持てる地方じゃないんだね、と私が言うと、そもそもモンスターボール自体ないんだと彼が言った。私は声に出して驚いた。
「モトナリさんも驚いてたよ」彼は笑った。
モトナリさんはモンスターボールにいたく興味を示し、出来ればじっくり研究したいとまで言ったそうだ。しかし、彼はツタージャのボールしか持っていなかったので、その件は保留にしたと言った。
「今度行く時に、ボールをいっぱい持って行くんだ」
モンスターボールだけじゃなくて、他の種類のもねと彼は嬉しそうに言った。
その今度がいつなのか、どうやって行くつもりなのか、私は尋ねなかった。
その夜、私はベッドに寝転んで、電気も消さないまま、ぼうっと天井を眺めていた。家に帰ってから、私はまず地図を調べた。けれどランセ地方という文字は、私の持っている地図のどこにもなかった。探し方が悪かったのかもしれない。地図に載らないような、遠い、遠い場所なのかもしれない。私はホエルコの入ったボールを高く上げた。赤と白の球体の向こうは、どうしても見透かせなかった。そして、思い描いた。
誰もポケモンをモンスターボールに入れない世界。一部の人だけがポケモンを連れて歩いている。人は皆ゆったりした服を着て、畑を耕したり、山菜を取ったりしている。二段構えの帽子を被ったモトナリさんはそんな国の人の様子を眺めて、傍らのツタージャに話しかける。
うまく想像できなかった。
「お前もそんな遠くから来たのかい」
ボールの中のホエルコに話しかける。返事はない。生まれ育ったところと余りにも勝手の違うところへ来たら、寂しかろうなと私は思う。それとも、余りに遠すぎて、故郷を思うことさえ辞めてしまうだろうか。
お前は帰りたいかい、ホエルコ。それとも……
いっそのこと、もっと遠くへ行きたいかい。
私は心の中でだけ、ホエルコに問いかけた。
彼の二度目の旅立ちは、中等卒業の時にやってきた。ホエルコはホエルオーに進化して、ツタージャはツタージャのまま、私たちはその日を迎えた。
彼は、色んなモンスターボールが入った袋を背負っていた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん」
夏のサザナミ湾から少し南に外れた、ひと気のないビーチで、彼は言った。それから、ホエルオーをしばらく貸してほしいと言った。ランセ地方へは海を渡らねばならない。ランセ地方から帰る時は野生のホエルオーに頼んだが、こちらで同じことは出来ないと言う。きっと、モトナリさんがホエルオーに頼んだのだろう。
「いいよ」
快諾して、私はホエルオーのボールを彼の手の中に落とした。
「でも、ちゃんと返してよ」
「分かってるよ」彼は枝葉を広げ始めた木の趣きの笑みを浮かべて、言った。
「まずは一年ほどで戻ってくるつもり。少なくとも、再来年の年明けまでには帰るから、待っててね」
そう言って、彼はホエルオーに乗って大海を行った。私は彼の姿が見えなくなっても、しばらく水平線に向かって手を振り続けていた。
後はお察しの通り。年が明け、一年経ち、二年経っても、彼は戻らなかった。
鈍色の海の中から、不意に玉を撒くような、潮の柱が立ち上がる。何度目だよ、と思いながら私は見ている。もう、今年はこれくらいにしておくか。
私は荷物をまとめ、冬のサザナミタウンから引き上げることにする。来年はもう、来ないかもしれない。いや、やっぱり来てしまうだろう。
だって、彼は帰って来なければならないのだから。貸しっぱなしのホエルオーを、返してもらわなければならない。モトナリさんがどれだけモンスターボールを喜んだか、アオバの国の外はどうなっていたのか、話してもらわなければならない。それとも、お前はランセ地方に根を張ってしまったか? あるいは、ランセ地方からさらに、遠い場所まで行ってしまったか?
「帰って、来おい」
私のささやかな願いは潮騒に消える。鈍色の海は変わらず、陽の光を物憂げに弾いている。
ランセ地方ってどこにあるのでしょうか。地方というからには地球上にありそうな、でも遠そうな、簡単には行けなさそうな、そんなふいんき(何故か変換できた)
【何してもいいのよ】
このように過去作品に【ポケライフ】タグをつけても構いません。
イラストにしたら面白いものあればぜひ。
えー、この度、きまぐれから、私が過去に運営していたイラストコンテストを期間限定で復活させる運びとなりました。
■鳩急行のイラコンSP
http://pijyon.schoolbus.jp/irakon/
●お題
「ポケモンのいる生活」
●お題について
もしもポケモンがいたら……一緒に何をしたいでしょうか?
一緒にご飯を食べたり、お昼寝したり、ちょっと街へ出かけるのもいいかもしれませんね。
街へ行くといろんなお店があります。
お花屋さんやカフェ、パン屋さん、アイスクリームの屋台……そこではどんなポケモンが手伝っているでしょうか。
お父さん、お母さんもポケモンを持ってるかもしれません。
家事を手伝って貰ってるかも。通勤の時、背中に乗せて貰ってるかも。
ビジネスマン、OLさん、看護婦さん……ゲーム中のトレーナーを見回してもこの世界にはいろんな人がいます。
彼らはポケモン達とどのように暮らしているのでしょうか?
あなたの考えるポケモンライフをイラストにしてください。
●募集期間
5月19日(土)〜7月28日(土)
せっかく、イラストジャンル、小説ジャンル双方にお友達がいるので、
まことに勝手ながら管理者権限で、小説クラスタも巻き込みたいと思います。
以下のことをやろうと思います。
★イラコン開催期間中、お題をイラコンと同様の「ポケモンのいる生活」とします
★参加作品は題名の頭に【ポケライフ】をつけてください
★このタグがついた作品には「イラコンでこの絵を描いてもいいのよ」と意志表示したものとみなします
小説クラスタのみなさんの参加、お待ちしております。
ごくたまに、カフェに野生のポケモンがやってくることがある。
それは雨の日だったり、よく晴れた暑い日だったり、とても寒い日だったりする。つまり、来る時期や時間帯は定まっていないのだ。
一体何処から来るのか、ライモンでは見ないポケモンも来たりする。以前冬にバニプッチがやって来た時には、それはもう驚いたものだ。
バニプッチは主にホドモエ・ネジ山にしか生息していない。餌が少なくなっているのだろうか。だがそんなことを抜きにしても、野生ポケモンを餌付けするわけにはいかなかった。
「かわいそうだけどね……」
街中にカフェを構えている以上、生態系はきちんと把握しているつもりだ。遠い地方で人間の食事の味を覚えてしまったポケモンが人里に下りてきて、多大な被害を齎しているという話も後を絶たない。自分がしたことが後に巨大な問題にならないとも限らない。
だが。
「何でそんな目で見るのよ!まるでこっちが加害者みたいじゃない!」
ゴミ(生ではない)を捨てようと裏口のドアを開けた途端、幾つもの目がこちらを見る。なんというか……純粋な子供の目だ。相手を疑うことを知らない、純粋無垢、穢れなき色。ポケモンによって色は様々だが濁っていないことは間違いなかった。
ユエはうっと言葉を詰まらせる。が、ブンブンと首を横に振る。そして叫ぶ。
「私はね、貴方達にとっては敵なの!餌が欲しいならどっかの年中餌ばら撒いてる阿呆共の場所にでも行きなさいよ!」
「ユエさんどうしたんですか」
ハッとして後ろを向くと従業員の一人が焦った顔でこちらを見ていた。見ればバイトと従業員も怯えている。しまった、と思ったがもう遅い。変なところで剣道部女部長兼主将のスキルを発揮してしまったようだ。
「ごめんね。野生のポケモン達が餌を集りにくるもんだから……」
「あー、アレですか。私も何度か見ましたよ。あげてませんけど」
「本当に?」
「本当に」
そんなやり取りが二日ほど続いた、ある夜のこと。既に店は閉め、後片付けをしているところだった。
裏のドアを叩く音がする。
「?」
不審に思ってスタッフルームにある箒を一本取り出す。利き手は左。右手でドアノブをまわして――
『こんばんわ。夜分遅くにすみません。珈琲一杯いただけませんか』
子男が立っていた。身長はユエの胸の辺り。刑事コロンボのようなダボダボのコートを着ている。帽子で顔が隠れていてよく見えない。だが怪しい匂いがした。
「ごめんなさい。もう今日は……」
『待ってください。ここのカフェを探していたらこんな時間になってしまったのです。お願いです。カントー地方からやって来たのです。一杯だけ』
「カントー地方!?」
カントー地方はイッシュから一番遠い地方にあたる。船で四日、飛行機を使っても乗り継ぎの時間を入れて三日はかかる。今まで来たお客で一番遠かったのはシンオウだった。(ちなみに従姉妹はお客には入らない。ホウエンだけど)
ユエは改めて相手を見た。この季節には会わない厚手のコート。右手には革製の鞄。ステッカーを貼れば旅行鞄として使えるだろう。だがそういう使い方はしていようだ。かなり年季は入っているようだが……
「分かりました。どうぞお入りください」
『ありがとうございます!』
男はカウンター席に座った。視線を感じながらユエはゼクロムをいれる。ブルーマウンテン、キリマンジャロ、モカなどの豆を取り出す。きちんと計らないとこの独特の味は出ない。当たり前だが。
しばらくして、いい香りがしてきた。特製コーヒー、ゼクロムです、とユエは呟く。男は目を閉じて香りを嗅いだ後、一口含んだ。
『素晴らしい。今まで飲んだ中で一番のコーヒーです』
「ありがとうございます」
ふと、ユエは彼の横に置いてある鞄が気になった。視線に気付いたのか、男が切り出す。
『気になりますか』
「……ええ」
『それでは、閉店時間過ぎに見知らぬ客人をもてなしてくださった貴方に敬意を表して』
男が鞄を開けた。ユエは息を呑む。中には色とりどりの硝子瓶が入っていた。赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍色、紫、白、黒、ピンク、グレー、黄緑、水色、金、銀……まるで何十色ものクレヨンや色鉛筆のようだ。
呆然とするユエに、男はニヤリと笑って言った。
『これらが何か、お分かりになりますか?』
「いえ…… 何かしら」
『夢ですよ』
「夢!?」
夢。『眠っている間に見る物、何か強い望みなどのこと』という辞書のような説明が頭の中で渦巻く。だが夢は実体がない。瓶に入れられるなんて聞いたこともない。
訝しげなユエに男は構わず説明を続ける。
『人は夢を見る生き物です。私の仕事は眠っている人間の寝床にお邪魔して、彼らが見ている夢を少しだけ取らせていただくことです』
「お邪魔って……」
『流石にセキュリティがきついマンションなどには入れませんが。私には協力してくれる仲間が沢山いるんですよ』
そこで、男はフウとため息をついた。今までとは違う雰囲気に、ユエは引っかかりを覚えた。
『しかし、最近は少々仕事が成り立たなくなっておりまして』
「セキュリティうんぬんってことですか」
『いえ、それよりもっと悪いことです。私どもが取るのは子供達の夢です。彼らが見る夢はエネルギーが強く、時折素晴らしい質の物が取れることがあるのです。
しかし最近は…… 彼らが夢自体を見なくなっているのです』
夢を見ない子供。それはつまり……
「現実的ってことですか」
『おっしゃる通りです。将来こんな仕事をしたい、こんなことをやりたい。そういう空想とも言えるべき夢を彼らは見なくなっています。原因はこの世間です。不景気のせいか皆様方ギスギスしていましてねえ。そんな両親を見て育った子供も当然、そういう性格になる方が多い。
現実を見ろ、もう子供じゃないんだから。……そんな夢を見ている子供に、私は最近よく遭遇するのです』
男は悲しそうな顔をしていた。ふと思い立って、ユエは聞いた。
「あの、私の夢ってどんな色なんでしょうか」
『……マスターさんの夢ですか』
「何か気になったんです。最近見た気がしても覚えてなくて。
もしよかったら、引っ張り出してくれませんか」
男はしばらく驚いた顔をしていたが、なるほどと頷いた。
『貴方の瞳の色は輝いています。夢を見る子供と同じです。……取らせていただきましょう』
ユエは眠っていた。意識だけが暗闇の中でふわふわ浮いている。
男が言うには、ソファ席に横になって自分の手の動きを見ていて欲しい。そうすればすぐに瞼が重くなるということだった。
本当かしら、と思った途端、瞼が重くなった。そのままスッと意識が落ちていく。落ちていく。落ちていく……
ザブン、と体が水に包まれる感じがした。瞼の裏に明るい青が広がる。驚いて目を開けると、そこには空と海が広がっていた。
何と言えばいいのだろうか。下に雲の平原、上には真っ青な空。水は透明、しかし呼吸はできる。
遥か上空には星達が煌いていた。
どうにか腕を動かすが、カナヅチでユエは浮かぶことができない。そのままゆっくりと雲の平原の方へ降りていく。雲の切れ間からは、美しいコバルトブルーの海と小さな島が見えた。どうやら向こうが普通の……陸地の島らしい。
じゃあここは、空の海?
ユエは以前読んだ漫画を思い出した。
『はい、いいですよ』
男の声でハッと目が覚めた。横を見ると男が笑って小瓶を振っている。色はコバルトブルーとエメラルドグリーンが混ざることなく二つになった色。
マーブル模様のようだ。
「これが、私の夢?」
『久々に美しい夢を頂きました』
「それ何に使うんですか」
男はユエの夢をそっと鞄に閉まった。入れ替わりに別の小瓶を取り出す。透明な色の夢が入っている瓶だ。
『世界には、夢を見たくても見られない子供達がいるんです。私は彼らに夢を届ける仕事をしているんですよ』
「夢を見たい子供達……」
『この国は本当に裕福なのでしょうか。夢を見れるのに見ない子供達。現実を見ろと諭す大人達。その連鎖が続けば世界は……』
柱時計が午後十時半を告げた。男が透明の小瓶と小銭をユエに渡す。
『コーヒー、とても美味しかったです。この小瓶は私からのプレゼントです』
「……」
『いつも枕元に置いていてください。それでは、また』
また男は裏口から出て行った。初夏なのにつめたい風が吹く。その中で、ユエは人ではない者の後姿を見たような気がした。
「これは、夢かしら……」
ユエの手の中で、小瓶が輝いていた。
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ユエって不思議な話がないなーと思って書いてみた。
イメージ的にはつるばら村シリーズです。動物達がお客さんの短編集。
【何をしてもいいのよ】
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大きな森。
目の前には古ぼけた小さな祠。
その上に、『彼女』は座っていた。
『なるほど……それで過去に戻りたい、と』
「はい」
祠の上の『彼女』は、左右の足を組みかえた。
昼間でも薄暗い森。ましてや今は夜。月明かりもまともに差し込まず、数時間この場所にいて暗闇に慣れた目でも、一寸先はほぼ闇だ。
そんな中でも、『彼女』の姿ははっきりと見えた。若草のように鮮やかな薄緑の身体から、淡い光を放っている。
『彼女』(この『彼女』に性別があるのかは不明だが、便宜上そう呼ばせていただく)を見つけるために、どれだけの苦労をしてきただろう。
書籍を片っ端から漁った。当然インターネットも使い古した。どんな些細な情報も逃さなかった。会えると噂になった方法は片っ端から試した。
そして今、ようやく『彼女』と出会えた。
「どうしても、あの時の……若い頃の自分を、止めたいんです」
『……』
「私の人生はあの瞬間からめちゃくちゃになってしまった……私が、あの時……」
『……人を殺してしまったから』
私は黙ってうなずいた。
今から15年ほど前のことだ。
きっかけは……ほんの些細なことだったような気がする。
ちょっとしたことで友人と口論になり、ついカッとなって刃物を持ち出した。
そこに見知らぬ中年の男が現れた。けんかを止めに入ったのか、いきなり私たちの間に割り込んできた。
頭に血がのぼって判断の遅れた私は、うっかりその男を刺してしまった。
顔も名前も知らない、どこの誰かもわからない人間を、私は殺してしまったのだ。
その瞬間から、ごくごく一般的だった私の生活はまるっきり変わってしまった。
住処を変え、名を変え、顔を変え、ありとあらゆるものから逃げ回る日々。
後悔しない日はなかった。あの時の自分を止めてやりたい、止められれば、と何度思ったことだろう。
そんな生活の中、『彼女』の噂を聞いた。
「時」を自由に渡ることができるポケモンがいるらしい。
出会うことができれば、未来でも過去でも好きな「時」に行けるらしい。
そしてそのポケモンは、大きな森の守護者でもあるらしい――
噂を聞いてすぐ、私は『彼女』を探し始めた。
『彼女』に会えば、過去を変えられる。若かった自分を、止めることができる。
平々凡々な人生に、戻ることができる。
「私は過去の自分を止めたい。真っ当な人生を歩みたいんです」
『…………』
「お願いします、私を過去に戻してください!」
私がそういうと、『彼女』は再び足を組みかえ、腕を組んだ。
そして大きなため息をつくと、言った。
『ば―――――――――――――――――…………っかじゃないの?』
それまで静かで落ち着いた雰囲気を醸し出していた彼女の『言葉』に、私は呆気にとられた。
『彼女』はふっと蔑むように鼻で笑うと、私の背よりも高い祠の上から、水色の瞳で見下ろしてきた。
『アンタ、本気で過去が変えられると思ってるわけ?』
「え……」
あのねぇ、と『彼女』は腕を組みかえて言った。
『アンタみたいにたかだか数十年しか生きてない、何の力もない単なる一般的な人間には分かんないでしょうけどねぇ、「時の流れ」ってのはこの世界が生まれたその瞬間に、最初から最後までぜーんぶ決まってんのよ。今どこかで小石が蹴られたことも、昔どこかで戦争が起こったことも、今こうやって私とアンタがしゃべってることも、ぜーんぶ「時の流れ」で決められてたことなの。この世界にあるもの全てはそこから抜け出すことはできないし、変えることなんてできやしないのよ。アタシもアンタもね。アンタが過去に人を殺したことも、そいつがアンタに殺されたことも、どう足掻いたって消えやしないのよ「時の流れ」から無くなったりしないの。アタシは確かに時を渡れるけど、それだって全部「時の流れ」の中では決められてることなのよ。過去を変える? 歴史を変える? そんなの出来るわけないじゃないばっかじゃないの? アタシごときにそんな力あるわけないじゃない。どうしても歴史を変えたいなら、世界を最初っからぜーんぶ作りかえることね』
『彼女』はそう言って、私を見下ろしてまた鼻で笑った。
まるで出力マックスの放水車で水を浴びせられるような、怒涛のごとき『彼女』の言葉に、私は言葉を返すことが出来なかった。
『彼女』は氷のような冷たい目線でこちらを見下ろしてくる。
風が吹いた。木々がざわめきのような音を鳴らす。
「……わかりました。帰ります」
『彼女』は森の守護者。
ざわめくような森の声は、きっと『彼女』の「帰れ」という言葉の代弁。
そう判断した私は、『彼女』の座る祠に背を向け、歩き出そうとした。
『――ちょっと待ちなさいよ。誰が「帰っていい」なんて言ったの?』
『彼女』が声をかけてきた。私は足を止めた。
ふわり、と『彼女』は空を飛び、私の前で静止した。
『まだやることが残ってるでしょ。アタシはアンタを過去に送らなきゃ』
「え、しかし……私の過去は消えないとさっき……」
『当たり前じゃない。だから、よ』
『彼女』はそういうと、にっこりと笑った。
その笑顔を見た瞬間、背筋が一瞬にして凍りついた。
『アタシはアンタを過去へ送らなきゃならない。だって、「時の流れ」でそう決まっているもの』
逃げたい。逃げなければ。
でも、足が動かない。
つたが絡まって、足が動かない。
『そうね。一応教えておいてあげるわ。アンタがやらなきゃならないこと』
『彼女』の目が妖しく光る。
小さくて短い両腕に、エネルギーがたまっていく。
『けんかをね、止めてきてほしいのよ』
「……!?」
『どうすればいいか、わかるでしょ? だって……』
『彼女』が手を私の額の前にかざした。
視界がだんだん、白く染まっていく。
ああ、そんな、馬鹿な。
そんなこと、あるわけない。
顔も知らない中年男性。
風の噂で、身元が全く分からなかったと聞いた。
過去の罪から逃げるために、全てを変えてきた私。
逃げてきた過去が、とうとう私に牙をむいた。
『今』と『昔』の景色が混ざる。
暗い森は薄汚い路地に。
『彼女』の笑顔は、煌く刃に。
『それじゃあ、「世界」のために、死んできてちょうだい』
私が最期に見た『彼女』の笑顔は、とびきり優しく、美しく、冷たかった。
++++++++++
激しいイライラ+現実逃避=コレ
良い子ちゃんな『彼女』ばっかりだったからちょっとアレなの書きたくなった、ただそれだけ。
あとタイトルは適当。
【好きにするがいいさ】
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