マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.4173] 明け色のチェイサー外伝 雨の日とエネココア 投稿者:空色代吉   投稿日:2021/02/14(Sun) 22:28:47     13clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




     雨の日になると、温かいエネココアが飲みたくなる。


     お客さんの少ない時間帯、カフェのカウンターテーブルを拭きながらそんなことを思う。
     正確には、思い返す、なんだけどね。
     あたしの仕事の相棒でパートナーのミミッキュも、同じことを思い返していたようで、じっとエネココアのパウダーの入った容器を眺めている。

     「掃除、一区切りしたらいただこうね、エネココア」
     
     あたしの提案を聞き、張り切ってちり取りを再開するミミッキュを横目に見つつ、自分も拭き掃除に戻る。けれどガラスに映る自分の姿を見て、ミミッキュには悪いけどまた思い出に浸ってしまっていた。

     それはあたしがまだ彼と、トウと今の関係になるだいぶ前の思い出。
     その日も、こんな風に冷たい雨が降っていた。


     ● ■ ● ■ ●


     当時のあたしは、ピカチュウの化けの皮を被ったミミッキュと、ウェイトレスの恰好をした自分が似ているなと思ってしまっていた。ウェイトレスのかわいい制服から着替えた、素の自分に自信がない……臆病なところも含めて似た者同士だなと勝手に思っていた。

    「そんなことない、ココチヨさんかわいいって。そこまで言うならヘアアレンジ挑戦してみない? あとせっかくだし、うちの下の階の仕立屋で仕立ててもらったらどう?」

     月に一度の散髪中、ユーリィさん(私より年下なのに、美容師として店を切り盛りする凄くておしゃれな女の子)はそう言ってくれる。

    「いや、遠慮しておくね、あたしにウェイトレス服以外に可愛いのとか、似合わないし……」

     逃げようとするあたしに、目つきを鋭くするユーリィさん。ユーリィさん普段はかわいいんだけど、睨んだ顔怖いって! ミミッキュに助けを求めようとするも、ミミッキュも背筋が凍り付いたようにピンとしている……!
     あたしたちがビビっているのを見たユーリィさんはハッとして、眉間のしわを緩める。
     彼女の手持ちのニンフィア(超かわいい子)も申し訳なさそうにリボン状の触手で頭を撫でてくれる。片手で頭を抱えたユーリィさんは、手の影からこちらを申し訳なさそうに覗きつつも……引き下がらない。

    「……そう言わずに挑戦、してみない?」

     ニンフィアが「めっ」という軽く責めるような表情を彼女に見せる。流石にニンフィアにも言われると、渋々、本当に渋々と引き下がろうとした。顔に見せないようにしても隠し切れずにしょんぼりしているユーリィさんを見て、私は捻くれつつもため息を吐く。

    「……一回だけならいいけど」

     その小さいつぶやきに、彼女とニンフィアは優しい表情を浮かべた。

    「……その勇気ある一歩は、大きい一歩だよ。おいで」
    「え、ま、ちょっ!」

     ニンフィアのリボンがあたしとミミッキュの手を引っ張る。そのまま一階の仕立屋さんへと降りていくこととなった。


     ● ■ ● ■ ●


     いつも通り過ぎるだけの一階の仕立屋のチギヨさん(ユーリィさんの幼馴染の男の子。仕立屋で男の子ってのも珍しい気もする)にユーリィさんは臆せず声をかける。

    「チギヨ、お客さんよ。可愛くしてあげなさい」
    「おう、任せとけ! どちらさんを……って、ああ。ようやく来てくれたんだな。お姉さん!」
    「ど、どうもー」

     シッポのような後ろで結んだ髪を揺らしながら笑顔で話しかけてくるチギヨさんに緊張していると、彼の手持ちだと思うクルマユ(めちゃめちゃかわいい)と目が合った。
     ユーリィさんがチギヨさんにざっくりと経緯を伝える。
     それからチギヨさんは、あたしに質問をした。

    「お姉さん……ココチヨさんは、可愛く見られたい。だから可愛い服が着たい。それでいいんだな?」
    「……ちょっと、違うかもしれないわ。例えばピカチュウみたいに可愛い服を着たって、あたしには似合わない……と思う。でも、私服で可愛く見てもらいたい、けど可愛い服を着こなす自信がないの」
    「可愛い服を着こなす自信がない、ねえ……ココチヨさんはミミッキュ、可愛いと思うか? 外側から見て、で」
    「可愛いわよ」
    「似合っているとは?」
    「個人的には、似合っていると思う」
    「……そうかい。でもそのミミッキュの布って、ピカチュウの擬態だよな。別に、ほかの選択肢もあったはずだ。ぶっちゃけ一般的に可愛いと言われやすいピカチュウじゃなくてもいいよな。でもミミッキュはピカチュウを選んでいる。それって可愛く見られたくて可愛い服着るのと、その上自分に合うように着こなしているのと何が違うんだい?」

     ミミッキュと目が合う。ミミッキュはじっとあたしを見上げていた。
     今のあたしには、チギヨさんの問いかけを否定できなかった。正直、恥ずかしい。そしてミミッキュに申し訳なく思ってもいた。

    (自信がなくて挑戦すらしていないあたしより、ミミッキュの方が、頑張っているじゃない……)

     チギヨさんは、さらにあたしにはっぱをかける。

    「ココチヨさんには、可愛いって言わせたい相手はいるかい?」
    「……いるわ。でも、いままで背伸びしても、言ってもらえなかった相手がいるわ」
    「なら、そいつの目が節穴か、そいつの口がとても口下手なだけだ。手段は選ばなくていい」
    「チギヨ、さん……」
    「着飾って可愛くなることが悪いことだったら、俺は悲しいからな」

     ユーリィさんとチギヨさんが横目を合わせて、うなずく。

    「俺とユーリィに任せろ。ココチヨさんらしく、可愛くしてやる」
    「ココチヨさんの勇気に、必ず応えて見せるから」

     ニンフィアとクルマユ、そしてミミッキュもあたしを応援してくれていた。
     初めは一歩のつもりだった気持ちが、もうちょっと走ってみようという思いにかわっていた。
     まるで、魔法のようだなと思った。


     ● ■ ● ■ ●


     チギヨさんもココチヨさんも、いろいろオススメしてくれたけど、最後は全部あたしに決めさせてくれた。あたしの好きなものを、うまく組み合わせて似合うようにしてくれた。
     正直、みんなに言ってもらえたけど、自分でも似合うと思える仕上がりだった。
     あたしは勇気を出して、その節穴で口下手な幼馴染にその姿を見せに行った。

     波導使いの修行中の幼馴染、トウ。彼は修業を始めてから普段は目隠しをしている。
     波導の気、とかが目隠ししてても見える、らしく目で見てなくても誰が近づいたとか分かるみたいだ。
     今までも目隠しを取った状態で何回か見てもらったことはあった。彼のポケモンのルカリオは尻尾を振って笑顔を見せてくれるものの、トウ本人はいつも「よくわからないが、似合っているんじゃないか?」で済まされてきた。思えばあたしが自信を失ったのはトウのせいなんじゃとも思いかけたけど、今はぐっとこらえる。

    「トウ!」
    「……ココ、か。どうした?」
    「目隠し取って、あたしを見てほしいの!」

     すでにあたしを目視しているルカリオはめっちゃ目を輝かせてくれている。これは、行けるか?
     心臓の音が高鳴る。彼が目隠しをしてあたしを見る。目を細めて、まじまじと見られる。顔のほてりが自覚できるほど、緊張する。

     そして、トウは言った。
    「俺にはファッションはよくわからないが、似合っていると思う」と。

    「……それだけええ?」

     かけすぎた期待の反動でぼろ、ぼろ、と熱くてしょっぱいものがあふれ出てくる。ミミッキュが怒ってトウにとびかかった。

    「ばか!! もう知らない!!! くたばれ!!!」

     だいぶオブラートに包んだ理不尽な罵倒を浴びせ、あたしはたまらずその場から駆け出して逃げた。


     ● ■ ● ■ ●


     走って、走って、走って。空から冷たい雨が降り出した。街の外れの方まできたうっそうとした緑の中。なんとか雨よけになるような場所を見つけ出してそこで雨宿りした。
     体育座りをして冷たい雨をただひたすら眺め続ける。しばらく頭と心と顔を冷やしていたあと、それでもやっぱり悔しさがこみあげてつぶやく。

    「トウのばか」
    「ばかですまない……ココ」
    「?!」

     返事が返ってきたことに驚いていると、「波導を追ってきたからすぐ見つけられた」と傘をさして、もう一本の傘を持って頭にミミッキュを乗せたトウが隣に座った。ルカリオはボールの中。目隠しはしていない。「目隠しはミミッキュに没収された」と本人は言っていた。
     仏頂面で黙り込むあたしに、トウは保温のできる水筒に温かい飲み物を注いで差し出した。匂いですぐエネココアだとわかった。
     そのエネココアはとても甘くてえおいしかった。でもなんかちょっとだけしょっぱくも感じた。

    「しかし、せっかくの……その、可愛い顔がぐしゃぐしゃだな」
    「誰のせいで……って、今。なんて、なんで?」
    「俺は……波導が見えすぎるんだ。だから、目隠しを外すと波導の流れと現実の姿が重なって見えてはっきりとよく見えないんだ……」
    「え……そう、だったんだ……それじゃ顔も、格好もわからないんじゃないの……?」
    「気合いを入れてよく見ればわかる。いつもと見違えるくらい、頑張っておしゃれしているぐらいは、わかる」

     まったく見てくれていなかったわけじゃなかった。そのことが分かっただけで、報われた気がした。
     熱い顔を曲げた膝の上に乗せながら、尋ねる。
     今日はとっくに壊れているアクセルをもうちょっとだけ、踏み込んでもう一歩、踏み出す。

    「今日のあたし、可愛かった?」
    「いつもだが。いつもより可愛かった」
    「そう……ありがと」

     その直後……トウの頭上のミミッキュがバシバシと彼の頭を叩いていたのを見て、私は思わず笑ってしまった。


     〇 □ 〇 □ 〇


     カフェの掃除が終わってミミッキュとエネココアを飲んでいると、トウとルカリオがやってきた。傘を傘立てに入れてカウンター席に座る彼らは注文をする。

    「のどが渇いた……飲み物をくれココ」

    「またお冷で済ますつもり?」と半分茶化すと、意外な返答があった。

    「いや、今日はエネココアをいただこう」
    「…………」
    「こう冷える日にはエネココアに限る」
    「あはは、そうね」

     あたしにつられてみんな笑う。そんな晴れやかな雨の日だった。

     あたしはトウとルカリオに出すエネココアの隣に、そっとチョコレートを乗せたミニバスケットを置いた。
     それを彼は、目隠しを外してまじまじと眺めていた。



    あとがき

    カフェ【エナジー】のウェイトレス、ココチヨさんの外伝でした。


      [No.4172] (Chunk)以心不通の兄弟 投稿者:水上雄一   投稿日:2021/01/11(Mon) 04:31:57     26clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     その日の昼、《マルノームズ》は満席に近かった。“お残し禁止”とメニューの表紙にわざわざ書くほどの気合が入ったバイキング・ハウスにおいて陶器の皿は――別段、この店に限らずだが――何通りかの使い方がある楽器だった。スプーンとフォークとナイフを扱える手があれば、かちゃかちゃ、かりかり、きりきり、と音痴に鳴き続ける一本調子の弦楽器だった。手がなければ、舌とテーブルを使ってギロの音が出せた。舌遣いが強いほど、木目が荒いほど、皿が軽いほど、客は腕の良い奏者になれた。ただ、リズム感を除いては。それでも、リズム感のある音痴と、リズム感だけが足りない奏者が手を組めば、それなりに音楽というのは出来上がる。ただし、それは頭から尻まで聞くに堪えない背景楽曲としてである。だから奏者としても誰として黙ることはない。自分の下手さ加減を誤魔化すために口をトークボックスに変える。問題なのは、そのトークボックスの多くが壊れているということだ。ルカリオ・リンの向かいに座っていたチャオブー・ラーネスという若者の口もその例に漏れなかった。
    「やっぱり、ここのボロネーゼはマズいんだよな。というか、全部マズい」
     表情という表情もなく、料理でも冷ますような目でそう言った。その言葉はルカリオが食べていたミートドリアまで冷ましてしまいそうだった。染み一つない、まっさらなクロスを敷いた丸テーブルに二匹は座っていた。ルカリオはドリアを喉に押し込むと、しかめた顔を右にずらした。一枚張りのガラス窓から、ひっきりなしに往来するトルネード通りが見えた。向こう側の二車線から、ハガネールが馬車に混じってこちらに向かってきていた。全長十メートルもあるその鉄蛇は鎌首を出来る限り高く持ち上げて、なるべく道幅を取り過ぎないように、あるいは虫やねずみといった小さき者をうっかり潰さないようにと必死の形相だった。首からは申し訳程度の赤いネクタイをぶら下げ、鼻先には小さな茶色いビジネスバッグを乗せ、それを落とすまいと強い寄り目になっていた。あと一週間だ。一週間でトリスタンに帰れる。ネクタイなんてしなくていいし、夜の冷たい土にも悩まされなくていい。あと少しだぞ、ステイル!頑張れ、ステイル!愚痴が垂れそうな時は思い出せ。私には家族がいる――ルカリオはその声が全て聞こえていた。彼以外には聞こえない声だった。同情するよ、とルカリオは言って、間をおいてからドリアを口にした。チャオブーは何のことだか分からないという顔をした。当然のことだが。

     その頃、《マルノームズ》に一匹のカビゴンが入ってきた。あまりに大きく作り過ぎた人形の容姿をしたその種族は、一見したところでは性別も年齢も分からない。糸のように閉じられた目と口は感情も読み取れない。分かるのは、それがただならぬ大飯喰らいで、運動が大嫌いで、昼寝が食事と同じくらい大好きで、そのせいで腹がどこまでも出っ張って、ルカリオと同様、この店の常連だということだけだった。カビゴンは迷うことなく、二匹の隣にある特大のテーブルにのしのしと歩いてきた。その一歩ずつが床をぴりぴりと揺らし、ルカリオの足裏をくすぐっていた。やあ、とカビゴンは右手を挙げてルカリオに挨拶した。ルカリオも全く同じように挨拶を返した。
    「珍しいね。新しいお友達?」とカビゴンはとぼけたように言った。
    「友達じゃないが、新しい知り合いだ。知り合って間もないよ」
     ふうん、と何の気もない返事だった。顔はルカリオの手元でまずそうにかき混ぜられたドリアに向かっていた。金刺繍が縁に施された蒼いチェックのネクタイを右手でいじりつつ、表情は微動だにしなかった。どこからともなく、小ざっぱりした顔立ちのキルリアが恭しそうにテーブルにやってきて、いつもの、とだけカビゴンに一言聞かされると、最初から答えが分かっていたように伝票を渡して去っていった。 「それじゃ、ボクはこれで」
     そう言って彼はバイキングの列に向かった。立ち上がった時にはテーブルが腹に押され、二十センチほど前にずれて耳障りな音を立てた。ラーネスは目を笑わせず、口が耳まで裂けた冷たい笑みを彼の背中に向けた。
    「カビゴンね。この店にぴったりじゃないか。あいつら、カビが生えようが、腐ってようが、何でも食っちまうんだぜ。寝ぼけてなんかいたら、自分の手とかベッドのシーツすら食うだろうよ」
    「今のは聞かなかったことにしよう」とルカリオは冷めたドリアに匙を置きながら言った。  「ああ見えて優れた一族だ。地頭も良いし、哲学にかけては、カビゴン哲学なんて分野を学科に広めるくらいだ。その気になれば凄まじい腕力も出せる。お前の一族よりもな。行動が極端に遅くて、気まぐれという以外は欠点がない。お前が馬鹿にしていい相手じゃない」
    「馬鹿になんてしてない。事実を述べているだけだ。たとえ馬鹿にしていても、あんたの当て擦りよりはずっと暖かみを持たせられる自信がある」
    「暖かみ以前に、お前は事実の一つを述べてもいない。それでよく文学部に行こうと思ったな」
    「人間考古学部だ」と噛みつくようにラーネスは言った。 「今時文学部なんて流行らない。これからはますます流行らなくなる。古臭い紙の束に囲まれるなんてこっちから願い下げだ」
    「その割には、時空と闇の探求なんか読んでるじゃないか」とルカリオは含み笑いを浮かべつつコーヒーカップを持った。 「しかも、自作の詩まで付け加えて。“友よ、愛しき友よ。あの尖塔から帰る時、君が私から去った時――”」
    「やめろ!」。テーブルを両手で叩き、朗読をかき消すように叫んだ。ほとんど悲鳴に近かった。恥じらいと怒りで目は燃えるように血走っていた。 「正気かよ、お前!」
    「お前じゃない」とルカリオは微笑みを少しも崩さず、唸るように言った。 「口の利き方に気を付けろよ、小僧。お前がクライドの弟じゃなかったら、喉にお前の両足を突っ込んで奥歯で噛ませていたところだ。血が繋がらなかったら、お前の親父さんや兄貴だってそうするだろう。もっとも、今はそれさえしてもらえなくなっただろうがな。その内お前が風呂に入らなくなって、饐えた生ごみの臭いがしても何も言わなくなる。そうなったら俺も口を利いてやらん。恐らく誰も相手をすまい。それともカビゴンなら相手してくれるかもな。腐った肉でも食うんだろう?お前に言わせれば、だが」
     ラーネスの顔は暖炉よりも熱を帯びていた。扁平な豚鼻からは黒い煙が噴き出していた。実際に火の粉でも噴いていたのかもしれない。
    「どうだ、暖かみを感じる――事実だろう」
     そんな風に、生意気な男が小生意気な子供に真の生意気さが何たるかの手本を見せていると、カビゴンが銅鑼ほどの大皿に山のような料理を載せて帰ってきた。店のありとあらゆる料理が無造作に載せられていた。だがドリアだけは載っていなかった。総重量は二十キロほどだが、それでも彼にとってはお通しとさえ呼べる量ではない。
    「その子、クライド君に似てるね」、カビゴンは皿をテーブルに置いて、回り込んで壁際の石の椅子に座った。 「兄弟だったりして」
     他意もない口振りだったが、ラーネスのねじくれた怒りを買うにはお釣りがつく一言だった。この大きな子供がテーブルを立ち上がって、自分の友達の額で皿を叩き割るか、そうでなければ、身の程知らずな口を利く前に、ルカリオは予防のための仕事をしなければならなくなった。
    「そう見えることだろうが、実は違うんだ」とルカリオはカップを片手に立ち上がった。テーブルを左から回り込み、カビゴンの前の席についた。 「依頼者なんだよ、俺の」
    「納得だね」。カビゴンは爪だけが外に出た、つるつるした白い手袋を両手にはめていた。 「教育係といったところかな。しかも、ただ働きさせられているらしい」。彼はサラダを両手でつかみ、顔の半分を占める口に放り込んでばりばりと咀嚼した。一見して下品に見える食べ方だが、野菜の一欠けらも胸に落とすことなく、ドレッシングの液だれ一滴もテーブルに落ちなかった。
    「分かったよ、デビッド。俺の負けだ」。ルカリオは諦めたような微笑みを、デビッドと呼ばれたカビゴンに向けた。そして、その微笑みをそのままそっくりチャオブーにも向けた。ただし声色は一オクターブだけ低くして。 「お前は帰れ。寄り道するなよ」
     やっとその言葉が聞けたと言わんばかりに、チャオブーはすぐに席を立った。大人達に冷たい目を向けると、まるで逃げるように店を後にした。だが、窓からは彼の帰る姿が見えることはなかった。
    「一筋縄ではいかないね」とカビゴン・デビッドは言った。 「でも、あれならまだ立て直せると思うよ。ぎりぎりのところだけど」
    「ぎりぎりもいいところだ」。ルカリオはコーヒーを飲み下した。 「何から手を付けて良いか分からない」
    「心は読んだのかい?」
    「読んだが、こっちまで負け犬になりそうだった。あるいは負け豚というべきか。ああいう弱い手合いの面倒を見たことは一度もないんだよ。こう見えて俺は褒めて伸ばす主義なんだが、褒めるところが何一つないからお手上げだ。何かにつけても、兄貴はこうだったから、とか、兄貴ならこうしただろうが、とか、日がな一日そればかり考えている。その癖、それを指摘されると――」。ルカリオは残りの言葉を宙に浮かせた。 「コーヒーを取りに行っても?」
    「もちろん。ああ、ボクのも頼むよ。砂糖とホイップクリームをたっぷりと入れた、ラヴィアーナ風で」

     ルカリオがコーヒーを二杯作って戻ってきた時、カビゴンの皿は綺麗に片付いていた。液面がホイップで覆われた方をカビゴンの前に置いて、何も入っていない方を啜りながら席に着いた。
    「さっきの続きだけどね」と出し抜けにカビゴンが言った。 「ところで、君には兄弟が?」
    「たくさんいたよ。俺は八男四女の末っ子だったらしい」
     カビゴンはルカリオの言い方に訳を知り、少しの間深く考えた後、 「次男のことは覚えてる?」と聞いた。
    「どうだかな」とルカリオはなみなみと注がれたコーヒーを左手に持ち、液面を見つめながら言った。 「あくの強い家庭で育ってね。俺達は、両親を両親とも、兄弟を兄弟とも思っていなかった。いつもお互いを出し抜こうとして、いつも最後にはしくじっていた。だが強いて言うなら、うちの次男は善悪の分別がつかない男だったよ。強さと美しさを感じられるなら、何にでもそそられた。その気になれば宝石にだって欲情した。言いたいことは分かるよ、デビッド。次男というのは大概、自由奔放な長男が親に怒られる姿を見ながら育ち、良くも悪くも周りの目を気にしがちになる、とな。その点であの坊やは過剰なくらいだ。あまりにも兄貴の背中を意識し過ぎている。殺したいくらい憎んでいるのに、頬にキスしたいくらい崇拝してもいる。俺はそういうひねくれた感情は分からないし、処方なんてしてやれない」
     それを聞いて、カビゴンは二十秒ほど黙っていた。
    「気の毒に」とカビゴンはようやく口にした。 「何かにつけて自分を表現する機会がなかったんだろうね、彼は」
     ルカリオは首を小さく振ってコーヒーを一口啜った。
    「強い光ほど濃い影を落とすものだよ、リン。クライド君は優秀だ。僕から見ても、世間から見ても、彼の家庭から見てもね。重要なのは、影は周囲の目から見えないということだ。見ないようにしていると言い替えてもいい。影の中の当事者でさえ目を背けるくらいだ。その方が生きていく上でずっと楽だからね。彼は今、お兄さんが敷いた金のレールから外れようと必死なんだよ」
    「純金のレールってわけでもないだろう」とルカリオは言った。 「もしそうなら、あいつは本部長候補の一匹になれたし、築五十五年の事務所で寝泊まりしてもいなかった。誰にでも雌伏の時期はある」
    「それが彼にとっても辛いのさ」とカビゴンは視線を下に傾けた。俯くとまではいかない。 「君の言う通り、崇拝の念があるとしたらね」
     カビゴン・デビッドはいつだって穏和な口振りだった。だが今は、滅多に見開かない右目から鋭い光が差していた。
    「もしそうなら、あいつはどこまでも卑屈な奴だ」と言って、ルカリオは立ち上がった。 「見下げ果てるほどにな。まあ、勉強にはなったよ。励まされもした。何かにつけて兄貴を言い訳に使う理由も分かった。コーヒー代くらいは奢らせてくれよ。授業料だと思って」
    「ありがたいが、気持ちだけにしておくよ」とカビゴンは言った。目の光はもう消えていた。 「君にもいい機会じゃないか。君は冷徹で、潔癖で、時々感傷的に過ぎる。強くもなく、美しくもない物を愛する気持ちは、欠片ほどでも持っておいて損はない。世の中の九割九分九厘は、そういう石ころのような物で出来ているからね」
    「きっと無理だろうが、やるだけやってみよう」とルカリオは去り際に言った。皮肉っぽい笑みが口元にふわりと浮かんでいた。 「俺は次男と同じ名前だった。俺達だけは間違いなく兄弟だったよ」


      [No.4171] また君と燃える火 投稿者:空色代吉   投稿日:2021/01/10(Sun) 23:30:01     30clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    僕には名前はなかった。

    でも僕には、呼ばれていた名前があった。

    『イグサ』

    それが、前の僕の名前。
    今の僕は、その名前を借りている。


    呼ばれていたのは、僕なのには変わりないのだけど、前の僕は今の僕と違う姿をしていた。

    今の僕は、子供だった。
    前の僕は、マグマラシだった。

    僕には、前世の僕という珍しい記憶があった。


    ■ □ ■


    人の子として生を受けた僕は、物心つくころから前世の記憶とやらに気づいていた。
    ただ、その記憶の僕と現実の僕の姿が違うことに、当時はとても戸惑っていた。
    前世のマグマラシのイグサは炎とともにあり、炎を操っていた。
    人間の僕が何度も何度も口や背中から炎を出そうと這いつくばって試すも、出ない。
    今となっては当たり前の事実も、その当時の僕は受け入れられないでいた。

    馬鹿だなあ、ニンゲンが炎をあやつれる訳ないだろ。と、青い炎を操るランプラー、ローレンスは呆れた。
    ローレンスの言っていることはなんとなくわかった。これも、前世がポケモンだった影響だろうか?

    僕の育ての親であり、ローレンスのパートナーの女性ミラベルは、僕の話を聞いてはいつも困った笑顔でこういった。

    「本来、記憶は引き継がれないものなのだけどね、君は、前のイグサの記憶が魂に強く刻まれて、焼き付きすぎてしまっていたのかもね」

    ……刻まれ、焼き付いた記憶。その言葉に僕は、親しみを覚えていた。
    火を噴く練習は、頻度こそ減ったけど、その当時の僕はなんだかとても――

    ――とても燃え上がりたい気分になっていた。

    僕の心はぼうぼうと燃え上がる炎を共にあった。


    ■ □ ■


    ミラベルとローレンスは、亡くなった人やポケモンの魂を送る仕事をしていた。
    皆は、真っ黒な装いの彼らを「死神」と呼んだ。僕も将来、そう呼ばれるのだろうかと思ったら、何だか少しだけ不思議な気持ちになった。
    僕はミラベルに養ってもらう代わりに彼女らの仕事の手伝いをしていた。

    何人も何体も見送った。
    魂をあちら側に連れていくときにローレンスが発する青い炎を、僕はよくまじまじと見ていた。
    それは、少なからず命と魂を燃やした火だったからだ。

    いや、命とか魂とかだけではくくれない、その燃える何かが僕は好きだった。

    僕はいつも寝る前にイグサの記憶を辿っていた。
    イグサはいつも燃やしていた。自分が生きるために燃やしていた。
    食べるために、逃げるために、戦うために、生きるために。ありとあらゆるものを燃やしていた。
    その中には当然、生き物も含まれていた。
    イグサは、生きるためなら命を奪えるやつだった。
    そして、そのことに罪の意識とか覚えるわけでもなかった。
    それがイグサにとっては普通のことであったからだ。

    イグサには、一日一日を生き延びるために、今の僕のように考えている余裕がなかった。
    ミラベルとローレンスに守られた僕と比べて、イグサはたったひとりで生きていかなきゃいけなかった。だから、良いも悪いも、考える前に次の食べ物を探す方が大事だった。

    でも、必死に生きていたイグサにも、イグサなりの考え方があった。

    生きるために、不必要なものや無抵抗のものまでは燃やそうとはしていなかった。
    それから、本当の意味で生きる。ということに憧れを抱いていた。
    つまり、イグサは自分を燃え上がらせたかったみたいだった。

    ――――だけどそれらが今の僕には、ひどく他人事のように見えていた……。


    ■ □ ■


    すべての前世のイグサの記憶を思い出した僕は、ミラベルとローレンスを呼んだ。

    「ミラベル」
    「なあに、イグサ」

    ずっと、考え続けていることをミラベルに打ち明ける。

    「僕は、誰なのだろう」
    「……前世のあなたのことで悩んでいるの?」
    「そうだ。僕は、今の僕は果たしてこの記憶の持ち主のイグサでいいのだろうか」
    「君はどう思うの」
    「僕は」

    しどろもどろに言葉を紡ぐ優しく見守ってくれるミラベル。だいぶとりとめのない言葉が散らばっていく。でも、その中から導き出される今の僕の答えは、こうだった。

    「前世の、過去の僕が他人に見えるんだ。本当にこれは僕だったのかって、疑問を覚えるんだ。でも、胸のずっと奥に感じていたこの何かは、ぼうぼうと熱い何かは今の僕にも感じられるものなんだ。でも僕は……昔の僕にはなれない。そう思うんだ」
    「そうだね。私も昔の私になれって言われても難しいかな。少なくとも、見え方や考え方まで、そのまま戻れるわけじゃないしね」
    「でも、今の僕は昔のイグサを見捨てる気にもなれない」
    「そんな気はしていた」

    見透かされていたか。
    彼女はいつもの困った笑みを見せる。僕に対して聞きあぐねているようでもあった。
    聞いてもいいよと促すと、彼女は真剣な眼差しで僕に聞いた。

    「君はずいぶんと前世のイグサにご執心のようだね。でも今のイグサと前世の彼との関係は薄いと思うよ。ないと言ってもいいかもしれない。キミにはイグサを見捨てるという選択肢もあったはずだよ。それでもキミには譲れない何かがあるようだね。それは……何?」

    本当に、お見通しだね。気持ちいいくらいの指摘に、失礼だけど思わず微笑んでしまう。
    わずかにむくれるミラベルに、僕は白状した。

    「シトリー、だ」
    「……その子は、誰?」
    「前世の、マグマラシの僕が最後に出逢った、そして残してきた大事な相手」

    今の僕にもあいつの笑った顔が今でも脳裏に焼き付いていた。
    不思議なことだけれども、過去のイグサは他人のように見えていても、シトリーだけは他人とは思えなかった。
    それから僕が今までミラベルに語っていなかったイグサの思い出を語り始めた。

    「シトリーとは、地獄の中で出会ったんだ」


    ■ □ ■


    辿っていった記憶の最後の方で、イグサは地獄に落ちていた。
    正確には、地獄のような場所に連れてこられていた。
    人の都合でポケモン同士を殺し合わせ戦い合わせるためだけの場所。
    実験場と言われていたそこで、イグサは生き残れずに力尽きた。

    その力尽きる直前のわずかなひと時。地獄の中でイグサと、僕と一緒に居てくれた相手がいた。
    そいつの名前は『シトリー』。なんか“シトりん”と呼んでくれと言われていたが、僕は一言もその愛称で呼ぶことはなかった。

    シトリーはメタモンだった。メタモンの中でも人によって変身能力のとても高いように改造されたポケモンだった。シトリーに性別らしきものはない。シトリーは両方の性別を持っている。シトリーのことを彼とも彼女とも呼ばないのは、呼べないのはそこからきている。

    初対面の頃のシトリーとは戦う相手だった。けど少し技を交えるとシトリーは僕と戦うことをやめ、僕と一緒に居ると面白そうだと付きまとってきた。
    その時僕に話を合わせただけかもしれないけど、シトリーも燃え上がりたいという欲求を持っていた。あと、つまらない死に方は、一人ぼっちは嫌だとも言っていたっけ。
    僕はそんなシトリーに、僕の燃え上がる様を見ていてくれと頼んでいた。
    今にして思えば、ひどいお願いだったとは思う。

    実はマグマラシの頃の僕の両親。その母親も、メタモンだった。でも親同士寄り添いあうだけで僕を無視したトラウマもあり、その時のイグサはメタモンが大嫌いだった。
    それでもシトリーのことは、嫌いじゃなかった。
    話していくうちに惹かれていって。
    どちらかと言えば、最後は好きだった。
    もっと一緒に生きたかった。
    でも現実はそれを許してはくれなくて。
    僕は先に燃え尽きてしまった。

    「シトリーは僕の願いを聞き届けてくれた。でも僕はシトリーの願いを叶えられなかった。そのうえ一方的に願いを重ねた」
    「“ボクはまだキミと生きていたかった”ってシトリーは願ってくれた。でも僕は、イグサは、一方的に……」
    「……シトリーに生きてくれと願ってしまった」
    「もし今もシトリーが生きているのだとしたら。僕は。イグサは」
    「迎えに行って責任を取らなければいけない」
    「そんな気がするんだ。だからミラベル、ローレンス……」

    ぼうぼうと、燃えていたものが、イグサの気持ちが僕と重なる。
    僕はマグマラシではない。前世の僕にはなれない。
    僕とイグサはどこまでも他人かもしれない。仮にシトリーが生きていたとしても、前世の記憶があるって伝えてもろくなことにならないかもしれない。

    でも、だけど、
    目蓋を閉じれば蘇るその姿を、様々な思いを込めて、思い起こして。
    僕は、イグサになることを決めた。

    何かが、燃え上がる。

    その体温はいつまでも脳裏に焼き付いて。
    (シトリー。僕はまだ燃え尽きてなんかいない。たとえマグマラシじゃなくっても、僕の心にはずっと僕と君が生きている)
    その言葉はいつまでも脳裏に焼き付いて。
    (シトリー。君と一緒に居たのはほんのわずかだったかもしれない。でも君は僕と一緒に居てくれた。僕の心を燃え上がらせてくれた)
    その笑顔はいつまでも脳裏に焼き付いて。
    (シトリー。僕はイグサとして、君を見つけるよ。僕が僕として生きることで、僕と君はまた一緒に在れる。僕の魂を、君のそばに)
    その願いはいつまでも脳裏に焼き付いて。
    (シトリー。今度は僕の番だ。僕が君の願いを叶える番だ。イグサとして、僕は――――君と伴にありたい)

    いつまでも。
    だから、お願いだ。

    「一度死んでいる身が使うのは卑怯な、一生に一度のお願いだ」

    そういうと、ミラベルとローレンスは、とても困った笑みを浮かべた。

    「シトリーを迎えに行かせてくれ」

    幼い僕でもわかっていた……本来は、タブーなのだろう、と。
    でも彼女たちは、ダメとは言わないでくれた。

    「迷子の魂を送り届けるのは、私たちのお仕事だから。ね、ローレンス?」

    しらを切るミラベルにローレンスは「仕方がないな、仕事だからな」と青い炎をぼうぼうと燃やしながら笑った。


    ■ □ ■


    それから数週間後。ミラベルとローレンスに案内された先で僕は予想外の再会をした。
    ミラベルは黙って、ローレンスもじっと、僕らを見ていた。

    「…………」

    開いた口が塞がらない。
    僕の目の前には、マグマラシとメタモンのふたりがいた。

    マグマラシが僕からメタモンを庇うように立ちふさがる。背中の炎をごう、と燃やし威嚇をしてくる。
    マグマラシをたしなめるメタモン。メタモンに気を遣うマグマラシ。
    まるで前世の僕らそっくりだった。
    僕は、歩み寄る。
    僕は、名乗る。

    「僕はイグサ。君みたいなタイプは、嫌いじゃないさ」

    そして僕はメタモンに自己紹介をして……火傷を恐れずマグマラシを抱きしめた。
    炎こそ熱かったけどマグマラシの体はどこかひんやりとしていた。

    「おいおい、新しい連れと仲良くやっているなんて僕がつまらないよ。どうせそのメタモンの名前、シトリーなんだろ、“シトりん”?」

    マグマラシが目を見開く。それからマグマラシは、“シトりん”らしく泣き笑いをした。
    それから、驚きながら僕の名前を呼んだ気がした。

    「人間に生まれ変わってしまったんだ。君たちポケモンの言葉を理解できるように頑張るよ」

    シトりんは首を横に振る。それから。懐かしい声色で。
    喋った。

    「それ、は、ボク、が、がんばる。このくらい、できる、さ」
    「凄いな。シトりん」
    「いぐさ、ほど、じゃない」

    そういうとシトりんはメタモンの姿に戻り、泣きじゃくった。
    もう片方のメタモンのシトリーも、僕は抱きかかえた。

    「寂しかったよ。これからはみんなで一緒に、面白く生きよう」

    温かく燃え上がる何かは、ひんやりとした体温に溶けていく。
    そして僕らは、再び生を共に歩んだ。

    僕の命は、まだ燃え続けている。
    君と一緒に、燃え続けている。




    あとがき

    昔リレー小説で絡んでいただいたシトりんとそのキャラ主のぺーくるさんに捧ぐ、蛇足です。スネイクテイル。お貸しいただきありがとうございました。
    イグサくんとシトりんをまた描きたいと思ったとき、こういった形でないと、ふたりが、みんながともに歩むことは難しいだろうなというギリギリのコーナーを曲がるがごとくの所業をさせていただきました。

    とりあえず、これからよろしく。シトリー。これからもよろしく。シトりん、イグサ君。


      [No.4170] ジラーチアンドピッグ 03錆びた家族 投稿者:水上雄一   投稿日:2021/01/10(Sun) 17:21:21     29clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     その日の朝、ヴェスパオールには雪が降った。十二月十三日。実に十五年ぶりの雪だった。
     エレザード・フィリパ・マルクスは赤いカウチの背もたれに両手をついて、窓越しに空を見上げた。灰色の空からは冬の羽が降りていた。 「お母さん、雪だよ!僕、初めて見たよ!」
     ふいに声がして横を見た。誰もいなかった。それは頭の中の声だった。ビリーはもういない。もういないと思うと、泣き叫びたくてたまらなくなった。前に声が聞こえたときは目に付く物全てに当たり散らした。
     ビリーのことは好きだった。今でも好きだ。だが、ビリーは大人になってから変わってしまった。口もろくに利かず、事あるごとに軽蔑の目で見てきた。
     大嫌いだ、と言われた日のことはよく覚えていない。気が付けば、床に仰向けになって、フライパンの縁をかじりながら、横倒しになったテーブルの下敷きになっていた。その日から、ビリーは二度と帰ってこなかった。
     フィリパは近所からの評判が良くなかった。兄弟姉妹とは疎遠だったし、友達と呼べる友達もいなかった。何よりも夫との仲がすこぶる悪かった。フィリパにとって、ビリーは自分の全てだった。取るに足らない生涯の最高傑作だったのだ。
     いつものように、寝たきりの夫のところへ朝食を運んだとき、最初は寝ているものとばかり思っていた。夫は全身の鱗が白く凍って死んでいた。悲しさは欠片ほども湧いて来なかった。救急隊も呼ばなかった。フィリパの頭の中には、いつでもビリーしかなかった。母を愛してくれる息子しか。

     * * *

     雪は四日に渡って降りしきった。積雪量は六十七ミリを突破し、実に百二十八年ぶりの記録更新となった。
     その日、エンブオーは三十歳を迎えた。祝ってくれる者は誰としていなかった。だがそれをさして気にしてもいなかった。彼自身、今日が誕生日だったことをすっかり忘れてしまっていた。十年前までは毎年のように食べたヒメリとカイスのフルーツケーキもどこへやら、何の実入りのない記念日と化していた。
     シリアル・ブロウ以来、ルカリオは一度も事務所に顔を出さなかった。裁判所とモーテルを行き来するだけで三週間なんてあっという間だった、と彼は後になって話した。その間も事務所は静寂の内に眠り続け、預金残高にも寒さが立ち込めるようになっていた。
     エンブオーはブランデーを垂らしたコーヒーを片手に、デスクでオーベムの手紙を見返していた。事件が終わってすぐ、オーベム・レンフリーは請求書入りの封筒と手紙を寄こしてきた。内容は次の通りだ。



       請求書の額に目を見開いたお前の顔がありありと浮かぶ。文句の一つを言い始める前に、どうか俺の話を聞いて欲しい。ブラッキー・ベイル・アストリーの問題は俺が片付けておいた。あいつはなかなかの曲者だ。煙のないところに煙をたたせ、煙から火をおこして大火事にするタイプだ。本格的な訴訟沙汰になれば、この額の二十倍は掛かっただろう。もっと掛かったかもしれない。裁判の準備にも追われて、お前の首が回らなくなることは目に見えていた。ルカリオ・リンの面倒を最後まで見ることも忘れていない。この件について、恩着せがましくするつもりもない。お前はいい奴だ。出来ることなら、ただでも手を貸してやりたかったのが本音のところだ。
       だが、俺も俺とて慈善事業で弁護士をやっているわけじゃない。お前にもプロになって欲しいんだ。説教に聞こえたら我慢して聞いてもらいたい。事実、これは説教だからだ。
       第一に、裁判が終わったら、リンのような札付きのくずとは手を切れ。元はといえば、奴が今回の騒動を引き起こしたんだ。そうだろう?ヴィツィオに喧嘩を吹っ掛けるような奴は、この先も同じような面倒事を起こすことになる。お前に面倒をかけ続け、悪びれもせず、なけなしの月給をお前の預金からふんだくっていく。そんな真似を許すためにレックスフォードを卒業したわけじゃないだろう?お前の才能はもっと社会に還元させるべきだし、正当に評価されるべきだ。
       第二に、夢よりも金を優先することだ。今のお前は依頼を選り好みしている場合じゃない。そういう贅沢は十分に稼いでからやることだ。事実、お前は何でも屋だ。もしくは、それに極めて近い業態にある。一口に夢といっても、生き別れた親に会わせて欲しいと泣き縋るチルットから、夫を奪ったブリムオンに復讐したがる大富豪のアマージョまで、いろいろな夢がお前の胸を借りようとするのだろう。これが極端な例だとしても、今のお前はチルットを取って、アマージョを蹴るはずだ。だが、夢を叶えた先で何が起きるか分からないのが世の常というものだ。チルットがチルタリスと無事会えたところで、また離れ離れになるかもしれない。復讐を果たしたアマージョの心に磨きが掛かり、もっといい男と結ばれるかもしれない。そうは言っても、とお前は否定するだろうがね。下手に肩入れしないで、もっと気楽にやってもいいんじゃないか?それがプロというものだ。
       少し長く書きすぎた。今回はこの辺にしておくよ。また二匹で一緒に飲みに行こう。



     エンブオーは手紙を封筒に仕舞って、一番上の引き出しに入れた。全く考えがまとまらず、二週間前の朝刊に目を通した。
     “シリアル・ブロウ 被疑者死亡――正体はヴィツィオ・ユニオンの末端構成員”
     記事にジャラランガのことは一切書かれていなかった。最初に逮捕されたルカリオの名前さえ出ていなかった。マニューラ・ジュン・ライは、ツンベアー製氷の倉庫に隠れていたところを警察隊に襲撃され、激しい抵抗の末に頭部を強く打ち付けて死亡した。倉庫内には犠牲者から剥ぎ取られた遺体の一部が発見され、彼の犯行を裏付ける決定的な証拠となった――何もかもが戯言だったが、世間はこの戯言を信じきっていた。彼らにとってヴィツィオ・ユニオンは、モノーマにおけるアウレリウス剣王なのだ。凶悪な殺しも、株価の急落も、ウイルス性の風邪の流行も、ヴィツィオの仕業だと彼らは言う。何なら雪が降り積もったのもヴィツィオのせいにする。いつの時代も、民衆は仕事帰りに糞を投げつけるための絵を常に必要としている。
     ふいに誰かが階段を登って来る気配があった。大家のはずはなかった。四日前に夫が亡くなって、彼女はその後始末に追われている。葬式に参列してもいいと言ったが、きっぱりと断られた。その足音は二足歩行で、細い脚をしていた。
     玄関が上品にノックされた。エンブオーは新聞をデスクに置いて、扉の方に向かった。
     扉を開けると、竜革の黒い長靴を履いて、クリーム色のマフラーを整然と首に巻いた女が立っていた。ミミロップ・アイリーンだった。
    「お邪魔してもよろしかったかしら、刑事さん」
     ミミロップの右手には、立方二十センチの白い紙箱がぶら下がっていた。そこからホイップクリームの甘い匂いが漂っていた。
     エンブオーは何も言わずに彼女を中に入れた。彼女は長靴を玄関で脱ぐと、しゃがみ込んで、軒先で靴を振るって雪を払い落とした。
    「ここに来ない方が良かったのでは?あなたの父上は、私を恨んでいたと記憶していますが」
    「とんでもない」と彼女は言った。 「感謝していましたよ。私が本当に無傷だったと知って」
     その頃、エンブオーは移動式の薪ストーブにあと三本だけ焚き木を放っていた。入れた瞬間から橙色の炎は盛りを増して、ばちばちと小気味いい音を立てた。煉瓦造りの部屋は決して寒くなかった。これが藁や小枝の部屋なら話は変わっていた。青い二足歩行の狼がやって来ても、何の心配もなく出迎えられる。
     ミミロップを来客用のソファに座らせると、エンブオーはその向かいに座った。ミミロップは畳んだマフラーを脇に置いて、白い箱をテーブルに置いて差し出した。
    「今日が誕生日だと聞いたもので」とミミロップは言った。
    「誰にです?」
    「父にですよ」と彼女は微笑んだ。 「あなたは潜入捜査官だったと」
    エンブオーは両手をテーブルの上で組むと、視線を床の寄木張りに落とした。 「昔の話です」
    「当時、私達には接点がありませんでした。ですが曲がりなりにも、あなたもファミリーの一員だったことに変わりはありません。ああ、悪く取らないで下さいね。ご存知の通り、私達の世界は狭く限定されています。狭い世界では、仲間同士の絆を確かめ合わずには生きていけないのです」
    「まるで田舎のようにね」。エンブオーはうらぶれた微笑みを返した。
     ミミロップはくすっと鼻を鳴らして言った。 「そんな意地悪にならないで下さい。もう昔の話は持ち出しませんから」
     彼女は箱を開けるように言った。エンブオーが開けると、太い蝋燭が上面に三本刺さったショートケーキが出てきた。上面の外周にはイチゴとブルーベリーが散りばめられ、中の層にはカットされたモモンとマゴが敷き詰められていた。匂いだけでもくらくらしそうなケーキだった。その後、男女は静かに誕生日を祝った。蝋燭の灯をつけて、すぐに消した。上物のブランデーを一本開け、それでエッグノッグも作り、二匹で黙々とケーキを平らげた。三十歳の誕生日会はこうしてひっそりと、なおかつ優しく過ぎていった。
     その後、エレザード・フィリパが事務所を訪ねてきたのは、ミミロップが帰ってから二時間後、午後五時半のことだった。

    「お願いします。息子のビリーを探して欲しいのです」
     そのエレザードの老婆は黒いサテンのぴたっとした手袋をはめて、尻尾の先には蝶柄の入った黒いリボンを巻いていた。彼女は赤無地の大きな紙袋をソファの下に置いていたが、中身は予想もつかなかった。普段の居丈高な雰囲気は微塵にも感じなかった。声には張りと潤いがあったし、目の奥には光があった。だが、その光の色は病的な何かを感じさせ、エンブオーにただならぬ警戒心を抱かせた。
    「話が見えないのですが、大家さん」。脇から淹れたてた紅茶を差し出しながら、エンブオーは言った。 「何もこの時節でなくても良いでしょう。エレデノさんの葬儀を済ませてからお考えになられては?」
    「それだと遅いの」とエレザードはか細く鳴くように言った。 「あたしももう長くないから」
     エンブオーはますます困惑した。元々引き受ける気もなかったので、こう切り出した。 「だいたい、その類の仕事は引き受けられないんですよ。よく似たようなことを頼まれているので、あなたにも全く同じことを言います。いいですか。行方不明者の捜索は、警察と探偵の領分です。私は警官でもないし、探偵でもない」
    「警官だったこともあるのでしょう?」
    「話をそらさないで下さい。私は引き受けたくないのではなくて、引き受けられないのです。本当に今どうしてもというなら、知り合いの探偵事務所に話を回せますが」
    「あなたでなくてはいけないのよ」とエレザードは辛抱強く言った。辛抱強くなるだけ、礼儀正しさのメッキは剥がれていった。 「その警察や探偵に、あたしが相談しなかったとでも思う?しましたよ。でも、全然役に立たなかったの。彼ら、口を揃えてこう言ったわ。『探しましたが、お気の毒様です』。何がお気の毒様よ。自分の無能さを棚に上げて、金まで取っていくなんて」。エレザードは話をそこで止めて、エンブオーを睨んだ。 「葉巻は今必要なの?」
    「申し訳ありません、そろそろ必要に感じたもので」。そう言って、エンブオーは葉巻をケースに仕舞った。 「私もその程度の無能ですよ。この通りね」
     そこでエレザードは突然微笑んだ。 「あなたは違う。本物のエリートだものね」
     エンブオーには単純なお世辞に聞こえなかった。これまでの彼女の言葉が全て彼女自身の内奥にも向けられているように、エリートという言葉を自分に言い聞かせているように聞こえた。
    「それに、こういう言い換えをしたらどうなるかしら」。目の光を強めて彼女は言った。 「ビリーはあたしの夢なの。夢という言葉で収まらないくらい、あの子は私に意味を与えてくれるの。あなたは夢を叶えるんでしょう?断る理由はないはずよ」
     そう言って、彼女は紙袋をテーブルの上に置いた。置いたときに、袋の中で紙束が擦れる音がした。想像する暇もなく、彼女は袋を引っ張り倒して、ペラップ・マルコランの顔をテーブルにぶちまけた。
    「五百万よ」と彼女は言った。 「ビリーを連れ帰ってくれたらね」
     そのときにようやく、エンブオーはエレザード・フィリパの目の輝きの正体を知った。ビリーが逃げ出したのもうなずける。彼女は劣等感の塊だった。ついでにビリーがどのように育てられたのかも想像がついた。自由などは尻の毛一本ほどにもなく、着せ替え人形のようにして育てられたのだろう。決して珍しい親子関係ではないが、最も不幸な親子関係の一つだ。甘い毒の親なのだ。仮に息子を首尾よく見つけたとしても、彼はこの母親の元には断固として戻るつもりがないだろう。そのことを彼女に伝えても理解出来るとは思えない。後に続くのは泥沼の争いだけだ。離婚紛争と本質を同じにする、一番関わってはいけない依頼だった。
    「貴意には添いかねますが」。エンブオーがそう言い始めたとき、エンブオーの襟巻がばちばちと音を立てて開くのが見えた。そして 彼女はそれ以上先を言わせなかった。
    「受けなければ、ここを引き払ってもらうから」と彼女は言った。いつもの居丈高な老女に戻っていた。 「このビルを売るわ」。喧嘩を売ったも同然の一言だったが、彼女はそれに気付いていないようだった。
    「脅迫しているつもりなら、この話は終わりです。あなたの夫や息子さんはそれで言うことを聞いたのでしょうがね。なめないでいただきたい」
     エンブオーは自分でもそう言ったと思った。しかし、その時の意識の半分はオーベムの手紙の一節に向けられていたし、実際に口は動いていなかった。声色も全く違っていた。玄関からは冷気が漂っていた。ルカリオが立っていた。黒いレインコートを着て、片開きの扉にもたれ掛かり、左手が上に来るように腕を組み、くの字に曲げた左足の裏を扉に付けていた。
    「あんたは!」とエレザードが叫んだ。発狂したと表現しても良かったかもしれない。 「こっちに来ないで!この悪魔!ルカリオのクズ!」
    「もっと練れた表現に直していただけますか?考える時間を一分だけ差し上げますので」
    「出て行ってよ!」
    「どうやら五分は必要らしい」。ルカリオは左足を床につけた。それと同時にエレザードの襟巻から白い電撃が延びて、レインコートの胸から下をずたずたに切り裂いた。そこからダークブルーのベストが現れた。クレッシェンド14の新モデルだった。
    「ダンスホールでローキックとカクテルといきましょうか?」。まんじりともせず、老婆を射竦めて言った。その穏やかで低い声の響きに、老婆の襟巻はたちまち萎んだ。
     エンブオーは立ち上がると、ルカリオの方に歩いて言った。 「なあ、一旦出直してきてくれないか。ヒルトップのソルナズで何か食ってろ。別に食わなくてもいい。後で迎えに行く」
    「ここでも俺は嫌われ者か?」
    「ふてくされるなよ」とエンブオーは言った。しゃがみ込んで、レインコートの破片を拾いながら続けた。 「来るタイミングを間違えただけだ」
     ルカリオはエレザードの顔を見た。拒絶するあまり、心が地球の裏側まで逃げた顔をしていた。別に殴ったりしたわけではないが、きつく言い過ぎた日もあったかもしれない。もちろん、きつく言ったのもわざとだが、それなりの理由があってのことだった。
    「ビリーは戻ってきませんよ、マダム。もっと自分のために生きた方がいい。それならクライドも喜んで手を貸すでしょう」
     黙れ、という簡潔で表現豊かな答えが返ってきた。ルカリオは破れたレインコートをエンブオーに脱いで渡すと、雪の降る海岸に戻っていった。積雪量は現在も更新中だった。

     * * *

     《ソルロックズ&ルナトーンズ》は午後六時にしては珍しく盛況で、空席はカウンターに一つしかなかった。どよどよした喧騒が低い天井に反射して、ルカリオもその勢いに乗せられて、バナナスプリットとソーセージプレートを平らげると、今はブレンドコーヒーで落ち着いたところだった。
     ルカリオはダイナーの奥まったテーブル席に座っていた。カーテンのない大きな窓からは無数の黒い足跡で覆われたアーケード通りが見えたが、ほとんど誰も歩いていなかった。食事のついでに見たものといえば、溶岩ハンバーグの屋台を引くバクーダとか、ハーモニカなしで吹き語りするペラップとか、その程度のものだ。むしろ、もっと早くから中の様子に注目すべきだった。
     ルカリオはダイナーの入り口から見て、右奥のテーブル席のうち、二番目に奥のテーブルに一匹で座っていた。玄関が見える、奥に近い方のソファに座っていた。
    一番奥のテーブルはマフォクシーの親子連れがいた。ルカリオと背中合わせに座っていた父親は、赤いチェックのハンチング帽を耳の間に申し訳程度に置いて、下に置けばいいものを、わざわざ念動力で固定していた。父親は口達者だったが、舌と心がしょっちゅう一致しなかった。料理が遅い、このうすのろ野郎と苛立ちながら、いざプレートが運ばれてくる度に、わざわざお礼をウェイターに言っていた。父親のはす向かいには母親がいた。小ぶりで綺麗な目をした奥さんだった。彼女は夫とほぼ正反対の性質だった。つまり、無口で、口下手で、仏頂面だったのだが、家族のことを裏も表もなく愛していた。二匹の子供達は姿が見えなかったが、姉のテールナーと、弟のフォッコだった。今日は姉の誕生日だったらしく、親からのプレゼントをしこたま貰う姿が弟の不興を買ったようだった。彼らがここに来たのはそれが理由で、ステーキが食べたいという弟の提案があったかららしい。テールナーが父に話す声に、ルカリオは包装した絵本をミミロップに渡さなければならないことを思い出した。
     ルカリオから見て奥のテーブルでは、サンドパンとガメノデスがロイヤリティの割り振りとかで長いこと話し合っていたが、今では大した興味も引かない愚痴を漏らしていた。サンドパンは雑誌編集者で、原稿が遅れている小説家のマネージャーに対して小言を漏らす度に、尖ったトサカの先端がルカリオの頭の左上でふらふらと揺れていた。
    「でも、先生は書けないものは書けないって言うんです。締め切りに急かされて出来たものなんて、世間様に見せられるようなクオリティではないって。どうにも出来かねますよ」
    「だからってね、こっちもキャップに我慢の限界だって言われてるんだ。次の締め切りに間に合わなかったら、社長が直々に現場に出て来るんだぞ。そうなったら、締め切りどころの騒ぎじゃ済まないよ」
    「先輩、ねえ、今日は研ぎましょう。雪と同じでね、どうにもならないんですよ、もう」
    「まったくその通り」
     二匹はさっさと勘定を済ませて、ダイナーとは筋向かいの 《ペルシアンズ・サロン》 に入っていった。エンブオーが短くなった葉巻を咥えてやってきたのは、その二匹が店に入った直後のことだった。眉間には深い皺が寄っていた。控えめに言っても、ご機嫌には見えなかった。
    「断ったのか?」。エンブオーが向かいの席に着くなり、ルカリオは前置きもなく始めた。
    「保留にした。何とかな」
    エンブオーは蝶ネクタイを締めたユンゲラーに簡単な手の動きで合図を送った。右の爪を折り曲げ、次に左を折った。それを見たユンゲラーはさっさと厨房に戻っていった。
    「意外だな」とルカリオは茶革のつるつるした背もたれに倒れ込んだ。 「あのババアがどんな教育を息子にしたか知っているか?」
    「知らないが予想はつく。愛想を尽かされて当然だ」
    「それなら、これは合理的な判断じゃないな。お前の性格的、経験的な意味での合理性という意味だが」
    「いいや、合理的だよ。経済的という意味でな」。エンブオーは目を細め、棘のある声で言った。
     ルカリオはやる気もなく回るシーリングファンを見上げた。 「今頃気付いたのか?もっと仕事を手広くやるべきだったと」
    「同じことを言われたよ。俺達の弁護士先生にもな」。エンブオーは葉巻をアルミの灰皿に押し付けた。
    「何をかりかりしてる?」。青い男はファンをぼうっと見上げたままで言った。 「お前の周りには問題児ばかりしかいなくて、いよいよ付き合い切れなくなったとか」
    「ああ、その問題児は仕事が荒っぽいことで有名でね」とエンブオーは両手をテーブルに伏せて、その筋張った微笑みをルカリオにぐいと近づけた。 「四方八方の恨みを買いながら、心当たりがありすぎるとタフぶってみせる問題児だ。一個中隊の戦力に匹敵する、第一級種族の手練れを真正面から一撃で倒す問題児だ。そいつは誰彼構わず泣かせ、怒らせ、こき下ろし、挙句には三日月の欠け方一つとっても化け猫の微笑みとあざけってみせるんだよ。自分のことを世界一強くて、賢くて、それをもったいぶってから見せることで最も恰好がつくと信じて止まず、普段は斜に構えたコメントを一つや二つ社会のポートレートに添えていれば、誰もそいつに文句を言わない。それが奴の持つ唯一の伝達手段であり、愛情表現であり、文化的遺伝子なんだ。貢献もなく、感銘もなく、宙に浮いて見下した冷笑。これが奴の全てだ。それはもう刺激的で、非常識で、退屈しない仲間だよ。いっそのこと伝記でも書くべきじゃないかね。それかエッセイでもいい。『寂しがる仮面』ってタイトルでな」
     エンブオーの語勢が強まるにつれて、ルカリオのくすくす笑いにも色がついて大きくなった。
    「怒った方が愉快じゃないか、クライド。週に一度は怒るべきだ」。ルカリオは本当に笑っていた。両目を細め、口元に義手を添え、身体を上下に揺らして喜んでいた。こんなに笑った姿はエンブオーも初めて見た。恐らくはミミロップも見たことがないに違いない。
    「もう笑うな!」
    「なあ、怒って面白くなるなんて才能だぞ。俺が怒るところを見たいか?百匹中百匹がしん、となる」
    「こんなことで笑うのはお前だけだよ」
     ユンゲラーがサラダボウルと直径十五センチのモッツァレラピザを宙に浮かせて持ってきた。念動力で浮遊した料理を受け取ると、エンブオーはフォークを右手にサラダをちびちびと食い始めた。
    「正当防衛は認められなかった」とルカリオは姿勢を正して言った。 「その気になれば、ごろつきの囲いから逃げ出すことも出来たと連中は言った。拳を下げて話し合うことも出来ただろう、とな。実際にそんな余地はなかった。だからそれなりに手加減して、誰も死なないようにしたんだ。そんなことは碩学たる法律家の面々にはどうでもいいらしい。ディニアは弱者に優しい国だ。だが、金を持っていない弱者にはつらく当たる。つまり金持ちの弱者には天国みたいなところさ。その反面、俺達のような金のない、腕っ節と脳みそばかりある奴にはこれっぽっちも報いてくれないのさ」
    「金のない奴がクレッシェンド14の袖なしを着るわけだ」。エンブオーはまずそうなサラダを噛んだ声で言った。
    「貰ったんだ、アイリーンに」
    「じゃあ、黒檀一式の家具も買ってもらったんだな。あの偉そうなオフィスチェアも」
    「そっちは自分で買ったよ」
    「クラブ帰りの金持ち弱者を揺さぶってか?」
     ルカリオはふんと鼻を鳴らした。 「オーケー、クライド。何か言いたいことがあるなら、ここで白黒はっきりさせてもらおう。遠回しな比喩もなしでな」。そう言って腕を組み、茶革のシートにふんぞり返った。
     エンブオーはフォークをボウルの縁に立てかけた。窓際に置いたマトマ・ホットスペシャルの隣にあるティッシュ箱から三枚取ると、それで口を拭った。 「お前は本当にでたらめな奴だ」。下あごの太い牙も拭きながらこう続けた。 「俺の稼ぎがそんなに良くないということは、お前の稼ぎはもっと悪い。そうだろう?副業でもしてないとあんな高級品には手が届かない。それか金持ち女のヒモでもないとな」
    「羨ましいのか、クライド?」。ルカリオは茶化すように口を挟んだ。
     エンブオーは牙を拭く手を止めて上目遣いで睨んだ。 「いいや、ちっとも」。新しいティッシュを取り、それで使用済みを丸め込んで灰皿に置いた。 「芝居はよせよ、ヒース・ハード。心を読むことに掛けては、俺はお前にも負けない自信がある。嘘をつかれた時は特にな。その気になれば、俺はいつでも意地の悪い警官に戻れるんだ」
    「その気になれば」。ルカリオはおうむ返しの言葉をのろのろしたシーリングファンに巻き込ませていた。
    「いいだろう」。エンブオーは料理をやや乱暴に左脇に退けた。 「昔話をしよう。三週間前のことだ」
    「そんな昔のことを?」とルカリオは笑った。
     エンブオーは背筋を伸ばし、店の中と窓の外を見渡すと、またぞろ座って小声で話し始めた。
    「ジャラランガは奇妙な遺言を残した。“違う。セヴは呼ばれた”。“雨に出会い、連れて来られた”。一体、彼は誰に呼ばれて――連れて来られたんだ?彼がここに来たのは偶然じゃなかったし、俺も予想はしていた。お前に濡れ衣を着せるのがジャラランガでなければならない理由があったはずだ」
    「推理なら自分を相手にやってくれないか、探偵さん。眠くなってきたよ。推理物は昔から好きになれない」
     あるいは、とエンブオーは茶々をかき消すように言った。 「狙われた奴らに他の理由があったとかな。お前を含め、腕利きの戦士だったことを除いて」。そう聞いたルカリオの目に、鈍い光が浮かんだのをエンブオーは見逃さなかった。 「あの哀れな戦士は往生するはずだった。望み通り、お前の手に掛かり、心置きなくな。だが、彼は自責の中で死んでいった。俺にはそう見えた。誰の目にも明らかだった。お前は彼に何と言った?“お前は知っていて、あいつらを――”」
    「要はこう言いたいのか?俺がエンペルトやガブリアスとかと知り合いだったと」。ルカリオの目は相変わらず薄ら笑みを湛えていた。 「全ては仮説でしかない。今となっては」
    「否定しないんだな」
    「否定したところで答えは同じになる。貧弱な仮説だからだ、クライド。哀れなほどに貧弱だ」
     ルカリオは視線を窓の外にやると、ひどく長い溜息をついた。その後で冷めて固くなったピザを手繰り寄せた。 「警官はみな同じだ」。ナイフで小麦色の円盤を切り分けながら言った。 「連中の言葉は言いがかりに始まり、言いがかりに終わるんだ。そこにはある種の哀愁も漂っている。あの時こうすればああすれば、そんなことばかり考えて、ちっとも行動しない。正義感があろうがなかろうが、結局は義務でしか動けないんだ。もっと自分の言葉で話せよ。さっきの問題児の演説のようにな。そうすれば無駄な議論をせずに済む。そういう言葉遊びは生煮えのシチューのように不完全で、愚かしく、素材と技術の浪費でしかない」
     ルカリオはマトマ・ホットスペシャルの瓶を取ると、四分の一に切り分けたピザに十滴以上は振り掛けていた。なおも振り続けながら、こう言った。
    「カメックス・アデロは本部の風紀課に昇進だそうだ。かねてからの希望だったらしい。あいつは嫌な奴だし、大して頭脳明晰でもないが、自分の言葉で話す警官だ。結局、そういう奴が社会でのし上がっていくのさ。あいつは大成するだろう。警部補から警部になり、部長から署長になり、署長から本部長になるだろう。そうして政財界に入って、きな臭いコネを背後にドリュウズみたいなゼネコン大手とシンクタンクを牛耳り、黒いカーテンの裏からディニアの大統領を選ぶようになるんだ。国民の血税で贖ったロマネ・アマージョを片手に、エース札と2の札しかないナインゲームでもしつつ、いとも簡単にな」
    「掛け過ぎだ」。エンブオーが指摘したときには、モッツァレラチーズが燃えるような赤に染まっていた。
    「これくらいしないと食った気がしなくてね」。ルカリオの大口はたやすくクォーター・ピザを丸呑みしてしまった。 「そっちの気は済んだか?」
    「まあな」。エンブオーもピザを口に取った。先端三センチを前歯でかじり、残りを新しい陶器の白い小皿に置いた。
    「それで、受けることにしたのか?」
    エンブオーは窓に映る自分の顔を見て言った。 「いいや」
    「それなら引っ越しの準備を始めないとな」。ルカリオは席を立った。 「お前もモーテルに来るか?」
    「やめておく。あそこの布団に潜ると喘息になりそうだ」
    「少しくらい汚い方が身体も丈夫になるがね。だいたい、葉巻を吸っているような奴は喘息なんかにならない」
    「豚は綺麗好きなんだ。知らなかっただろうがな」
    「もちろんそうだ」
     その後、ルカリオは五千リラ紙幣をユンゲラーに渡すと、釣りを受け取らずに店を出て行った。出る前に彼はこう言った。 「ハッピーバースデイ、エンブオー・クライド・フレアジス」

     店を出たその足で、ルカリオはセントラルグレイブのコールセンターに向かった。もう雪は止んでいた。突き刺すような空気に乗って、ホイッスルの高音がアーケードの南口から飛んできた。ルカリオはそちらへ向かった。
     突然の大雪に、ヴェスパオールの街は一日目に大いにはしゃぎ、四日目にしてうんざりしていた。昼間こそ、気象監視庁のポワルン達が“にほんばれ”で降雪を食い止めていたようだが、夜にもなればどうしようもなかった。しかも零下二度ともなれば、空道もがらがらに空いていた。有翼者達は熱々並々に張ったバスタブから出たくないのだ。地面に縛り付けられた者達だって同じことだ。
    アーケードを出てすぐのアグノム・ブルバールも例によって混沌としていた。二車線の道路。背高いシーヤの街路樹。ランタン型の橙色街灯。由緒ある白煉瓦のタウンハウス。タウンハウス一階の酒場のネオンサイン。それらをまとめて三十センチの雪が覆うと、元から混沌とした大通りが今では抽象絵画の様相を呈していた。
     ルカリオは通りを右折して三ブロック直進した。足元で踏み散らされた新雪は黒褐色のコンクリートをモザイク模様に変えていた。雪には色とりどりの毛や、得体の知れないごみくずも散っていたので、どちらかと言えばスクラップ芸術と言い表すべきだったかもしれない。住民のほとんどは裸足で、それでいて南国生まれの種族ばかりであり、翼がない者はみな店の軒下を潜るように移動していた。ルカリオもその一匹だった。ただし、彼の場合は足に見知らぬ誰かの毛がひっつくのを嫌ってのことだった。歩道と二車線の車道の間には“融雪注意”と手書きされたカードがコーンバーにぶら下がり、一対のパイロンに支えられていた。その注意書きは反対側にも置かれ、それらは道路の続く限りに延びて際限が見えなかった。
    「融雪隊、通ります!通りますから道を開けて下さい!」
     疲れと苛立ちを隠そうともしない声で、ブースター達が車道の中央で四方八方に炎を吐いていた。先頭の制帽つきがホイッスルを弾くように吹いては、十メートルもの熱線で道を切り拓いていた。結構な熱量だったので、ルカリオは融雪隊の足並みに揃えて暖を取った。だが十秒もすると、あまりの遅さに痺れを切らしてさっさと先に行ってしまった。

     年中無休のカフェにはいつでも誰かがいるものだ。二十五度の室温とコーヒーの需要が減ることは決してない。空の調子が多少狂っていたとしても。セントラルグレイブにあるコールセンターは、この 《パッチールズ》という全国チェーンのカフェの奥に併設されていた。カフェは一階にあり、テラス席はなく、二階と三階はこじんまりとしたアパートになっていた。壁が漆喰で覆われたアパートだ。入り口の前には赤杉の短い階段があり、手すりに観葉植物の鉢が下がっていたはずだが、今では姿を消していた。足跡だらけの階段を見れば、繁閑のほどは店に入るまでもなく判別した。ルカリオは左側の手すりにつかまると、そろそろとした足取りで一段ずつ昇っていった。
     赤杉の両開きを開けると、文字通り鼻の前で高級豆の香りが炸裂した。店内は申し分なく暖かく、至って静かだった。レコードからは、リトルバード・コメットの“清き雪”が客の会話を邪魔しない程度に流れていた。客もまた清く正しかった。馬鹿笑いもなく、食器を必要以上に鳴らす音もない。耳をすませば、豆を手で挽く音がカウンターの奥から聞こえるほどだった。あとは立ち読み出来る本棚があれば申し分ない。だが、いまだにその手の工夫を凝らしたカフェはヴェスパオールにもない。
     店内の左手奥、水洗トイレがある廊下の突き当たりにコールセンターはあった。コイルが一匹だけ狭い個室にいて、彼(あるいは彼女かもしれない)に通信先と連絡方法、おおよその通話時間を伝えてようやく電話が使える。普段は電話を使うために列が出来るのだが、ルカリオが来たときは誰もいなかった。
    「ラーファン州、ラルドシェードに伝言を残したい。十五秒くらいでいい」
    「五十リラニナリマス。少々オ待チクダサイ」
     コイルの声は高かった。よく分からないが、女かもしれないと思った。彼女は磁石のような腕をぐるぐると回転させて、机に置いた電話機に何かの信号音を送らせていた。その電話機には外線がなかった。
     待つ間、ルカリオは部屋を見回した。冗談抜きに狭い部屋だった。オフィス机と椅子一個ずつ置けるスペースしかなく、尻尾の付け根が扉に着きそうだった。こげ茶色の机の右奥に置いたソクノの鉢しか光源がなかった。壁も床も無垢杉の定尺張りで、天井は暗すぎてよく見えない。壁には小さなメモがセロテープで所狭しと貼られ、そこに連絡先と電話番号がこれまた小さく書かれていた。これでは虫眼鏡でも持って来ないと読めない。
    「オ待タセシマシタ」とコイルは言った。 「受話器ヲオ取リクダサイ」
     その電話機は机の中心にでんとして置いてあった。ラジオトロンのようにキーは一つもなく、送話器と受話器がそれぞれ分離している。使用者はコード付きの受話器を手に取り、ラッパのような見た目の送話器に向かって話すのである。
     ルカリオは受話器を取った。取った時にベルの音が静かに鳴った。 「ビリー、リンだ。親父さんが亡くなった。近いうちに電話で話したい。これを聞いたら、なるべく早く折り返してくれ。それじゃ」


      [No.4169] 未収載記録「母のオムライス」 投稿者:   《URL》   投稿日:2021/01/09(Sat) 19:52:45     70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:案件レポート】 【未収載記録

    田舎の冬はつくづく寒いと思っていたけれど、都会のそれは輪を掛けて体を冷やしていく。思わずコートに首をすぼめて、手を行儀悪くポケットへ突っ込むほどに。吹きすさぶビル風に体を震わせながら、心にも隙間風が吹いているのを感じていた。

    知っての通り、ポケモンセンターは日々大勢の人が利用する。それ自体はセンターが何処にあろうと変わらないけれど、首都のそれは他所に輪を掛けて利用者が多い。使う人が増えれば増えるほどシステムへの負荷も合わせて高まっていって、必然的にシステム障害の件数も増える。システム障害! 見るのも聞くのもうんざりする言葉だ、これが好きだって人やポケモンは絶対にいない、僕はそう断言していいとさえ思っている。今日もまた南東のセンターでディスク障害が起きて、後輩と一緒に協力会社のアイダさん――ベテランのエルフーンだ。この道二十年だとか聞いた。アイダさんと現場に駆け付ける羽目になった。片付いたのはつい一時間ほど前、当然ながら時間外勤務。残業時間がかさんで、身も心もクタクタだ。

    アイダさんがシステムの中に入って細かく見てくれてる間、僕と後輩は外から原因究明とフォローをしなきゃいけないわけで、当然食事になんて行けない。夕飯を完全に食べ損なって、すきっ腹を抱えたままトボトボ道を歩いている。どこかで簡単に済ませてもいいんじゃないか、頭でそう考えてても、チェーン店にはどうにも足が向かない。決まりきった味の物をずっと食べてると、なんだか自分の心まで何か決まったカタチに固定されそうな気がして。じゃあ家に帰って何か作るかっていうと、気力が底を突いててやる気になれない。何でもいいから食べたいのに、アレはダメだ、コレは良くない、そういう気持ちに流されながら、家の最寄り駅をうろついている。

    ポケットに突っ込んでいたスマホが揺れる。取り出して充電が残り24%になってるのを見ながら操作してみると、いつもの広告メールが来ていた。読まずに捨てる。その後下からせり上がってきたのが、二日前に母から来たメールで。

    「『今年は帰れそう?』……かぁ」

    気持ちは山々だ、年末年始くらい僕も地元へ帰りたい。けれど、今年も多分リリースの立ち合いがある。初回稼働も見届けなきゃいけない。この有様じゃ、逆さにしたって帰省するのは無理そうだ。首を力なく横に振る。「今年もダメそうだ」って返事を書かなきゃいけないって気持ちはあるけれど、残念がる母の様子を思うとなかなか言い出せない。遅くなればなるほど答え辛くなるというのに、一歩前に踏み出す勇気が持てない。

    またため息が出る。今の暮らしが辛いわけじゃないけれど、うまく行かないと思うことは数知れない。仕事にしても、私事にしても。ともかく今は夕飯が食べたい、どこか場所を探すことにしよう。明日もまた仕事で気は乗らないけれど、食べないことには何も始まらない。

    重い体を引きずりながら、僕は寒風吹きすさぶ駅前を歩いた。

     

    表通りを少しばかり歩いて路地裏を覗き込んでみると、煌々と明かりを灯す軒が見えた。はて、この筋に何か店はあったかな、不思議に思いながら入ってみる。すると、ずいぶん年季の入った食堂を見つけた。ショーウインドーのサンプルは少しばかり煤けていて、扉の向こうは擦りガラスでよく見えない。視線を上げてみると、古めかしい字体で

    「卵料理」

    と、白抜きで書かれた暖簾が見えた。

    卵料理を出す鄙びた食堂、僕はこの辺りを休みになるとよく散歩しているけれど、こんな店があったのは見たことがない。今僕のいる筋へ入った記憶もないけれど、食べ物屋はそれなりに調べて概ね一度は顔を出した自信がある。こんな食堂を目にしたなら、必ず冷やかしがてら食べに行くはずだ。ただ、ずいぶん昔からありそうな店だという雰囲気は間違いなくある。今まで見つけられなかったのがどうにも不思議でならない。

    なぜだろう、という気持ちはありつつも、暖簾の「卵料理」という言葉には強く惹かれた。お疲れ気味の胃に卵はもってこいだし、古くからあるお店なら味にも相応に期待が持てる。気取った風でもないから、立地はともかく親しみやすそうな感じがした。決めた、今日の夕飯はここで食べよう。僕は意を決して扉の取っ手を掴むと、おもむろに右へと引いた。

    ガタピシと少し立てつけの悪い扉を開けて入ってみると、そこには。

    「あらぁ、いらっしゃいませぇ」
    「どうも――おや?」

    中にいたのはハピナスが一人、それもかなりお歳を召した方のよう。戸を開けた僕に、少しばかり間延びした、けれど明瞭に聞き取れる声でもって挨拶をしてくれた。炊事場に立ってテキパキと皿洗いをしているのが見える。他の店員の姿は見当たらない、あのハピナスさん一人で切り盛りしているお店のようだ。店内は思った以上に年月を経ている様子が伺える、やっぱり随分昔からあったお店のようだ。少なくとも、僕が越してくる前からあったとしか思えない。

    ポケモンが経営しているお店というのは、特にここトウキョシティのような都会ではごく普通にあるものだ。最初は物珍しいと思っていたものでも、幾度も見かけていればそれが日常になる。そういうものだ、僕は軽くそう考えて、一番奥のカウンター席へ腰を下ろした。すぐに水とおしぼりを出してくれる。寒風にかじかんだ手を熱いおしぼりで暖めると、それだけでひと心地ついた気分になった。

    改めて中を見回してみる。僕以外のお客の姿は見当たらない、書き入れ時はとっくに過ぎているから当たり前か。年季が入っていて古びてはいるけれど清潔で、卓上調味料も丁寧に置かれている。壁には色褪せた旅行写真や、見事な水墨画の入った絵葉書、記念に残して行ったのだろう名刺やサインがいっぱいに飾られていた。見知った名前が無いか軽く眺めてみたものの、生憎それらしいものは見当たらない。

    さて、何を食べようか。折れ目が残ってよれよれになったお品書きを手に取って広げてみる。

    「卵焼き、出汁巻き卵、茹で卵サラダ、トマトの卵炒め、ほうれん草入りオムレツ、かに玉、卵と大根の醤油煮、卵どんぶりに卵チャーハン……」

    一目して分かる通り、どの料理にも必ず卵が入っている。卵料理、と書かれた暖簾は伊達じゃないってことみたいだ。どれも字面を見ているだけでおいしそうだ、きっと何を頼んでも満足できる気がしてくる。となると、却って何を頼もうか迷う。小鉢をいくつかというのもアリだし、主菜とご飯というのもありだ(ご飯とかき玉汁を合わせて五十円で付けられるらしい!)、なんならどんぶりでもいいな。お品書きの中であれこれ目移りしていると、ひとつ強く僕の目を惹く献立を見つけた。

    「オムライスのデミグラスソースがけ、かぁ」

    メニューに写真は付いていないにも関わらず、どんな料理なのかがぱっとすぐイメージできた。鮮やかなケチャップライスにとろとろの卵が被せられて、その上からじっくり煮詰めたデミグラスソースが掛けられる。他でもない僕の大好物だ、何度食べても飽きることのない、僕の中でいつまでも「ごちそう」の王様として燦然と輝く存在。

    他のメニューも気になるけど、今はこれが一番食べたい。決めよう、僕はお品書きを畳んで、カウンターの向こうでニコニコしながら立っているハピナスさんに声を掛けた。

    「すみません。このオムライスのデミグラスソースがけください」
    「はいはい、ありがとうございます。ちょいと待っててくださいねぇ」

    ハピナスさんが準備を始めた。出てくるまで時間がかかるだろうから、ちょっと一服することにした。

    思い浮かんだのはまず仕事のことだった。仕事そのものは僕に向いていると思うし、大した失敗もせずにここまでやって来れている。ただ、少しばかり仕事量が多くて、おちおち休みも取れないことは率直に言って辛い。辞めたいとまで思うわけではないにしろ、ゆっくり休みたいと思うことはしょっちゅうある。今日もこうして遅くまで仕事に追われていたわけで、疲弊している部分があるのは否定できない。

    次に浮かんできたのは――母親の顔だった。一昨年に父を亡くして、今は独りで暮らしている。不定期に電話を掛けて無事を確かめてはいるものの、やっぱり顔を合わせて様子を見たいという気持ちは強い。機械には疎くて僕のしている仕事がどのようなものかはあまり分かっていないようだけれど、身を案じてくれているのは確かだ。年明けをともに迎えたい、その気持ちは確かにある。だけど仕事は抜けられそうにない、ジレンマは募るばかりだ。

    母親のメールにどう返したものだろう、物思いに耽っていると、カウンターの前にどんと大きなお皿が置かれた。ふっと顔を上げてみると、調理を終えたばかりのハピナスさんが福々しい顔をして僕を見ていた。

    「はぁい。オムライスのデミグラスソースがけ、おまちどおさま」

    置かれた皿を見て――思わず僕は目をまん丸くした。

    半熟のとろりとした卵、隙間から覗く橙色のケチャップライス、濃厚な色合いのデミグラスソース。何から何まで、一から十まで、母が作っていたものと瓜二つだ。そっくりそのままと言っても構わない、記憶の中にある料理そのものだった。何度も目を擦って確かめてみても、眼前にあるオムライスの様子は微塵も変わらない。僕はずいぶん久方ぶりに、自分の目を疑うということをせざるを得なかった。

    誰が作っても同じような見てくれになるんじゃないか、一瞬そう考えかけて、この間入った洋食屋で頼んだ同じ品はまるっきり印象の違うものだったことを思い出す。味は悪くなかったけれど少し格式ばった味のするオムライスで、母親の作る賑やかな味付けのそれとは異なるものだった。今僕の、卵料理を出すという食堂の席に着いている僕の目の前にあるオムライスは、何度見直しても母が作ったものと同じにしか見えなかった。

    スプーンを持つ手が少し震えた。中身はどうなっているだろうか、味まで同じものだろうか。大ぶりにすくって、ほんの少し躊躇う気持ちを抑え込んで、口へスプーンを滑り込ませた。

    (同じだ。まったく同じ味がする)

    見た目だけでは済まなかった。ケチャップライスに少し強めに効いた胡椒、ほんのり塩の味のする卵、玉葱を大きく切ってハヤシライス風にしたソース。かつて食べたオムライスのデミグラスソース掛けと少しも違わない味がして、僕は驚くやら旨いやらで、言葉がひとつも出てこなかった。

    母がよく作ってくれたものと同じ味がする、これはそうそうあることじゃない。同じレシピや材料で料理を作っても、出来上がりは人によって大きく異なるのが当たり前だからだ。ましてや僕の母親とこのハピナスさんは、住んでいるところも違えば種族だって違う。こうも同じになるものなのか、僕は首をかしげながらも、口にしている料理は紛れもなく母の味で、夢中になって食べ進めた。

    半分ほど食べたところで再び顔を上げてみると、ハピナスさんが相変わらず丸い顔で笑っていた。見ているとこっちも心が落ち着いてくる顔つきだ。誰かに見られていると食事に集中できない性質だけど、このハピナスさんからはそうしたものを感じない。ちらりと周りを見ると、やはり僕以外に来ている客はいない、誰かが来そうな気配も感じられない。軽く話すくらいなら迷惑にならないだろう、僕はまだほんのり温かいおしぼりで軽く口元を拭って、ハピナスさんに声を掛けた。

    「おかみさん。この食堂、いつ頃からやってるんです」
    「そうですねぇ、もう六十年は下らないかしらねぇ。昔は別の場所でもやっていたんですよ」
    「六十年、ですか。それはまたずいぶんと長い間」
    「えぇ、えぇ。おかげさまで、何とかやらせていただいております」

    ハピナスさんはニコニコしながら、「これ、いかがです」とゆで卵の入ったサラダを出してくれた。「こちらのお代は要りませんから」そう言って薦めてくれるので、僕はお言葉に甘えてそれもいただくことにした。トマト、きゅうり、レタス、それからゆで卵が丸々ひとつ入ったサラダは、できたてのオムライスで熱くなった口の中をほどよく冷ましてくれて、これまたずいぶん旨いものだった。

    どうしてサービスしてくれたんです、僕はハピナスさんにそう訊ねた。

    「昔っからの性分で、来てくださった方にはみんなお腹いっぱいになってもらいたくって」
    「はい」
    「えぇ。私が店を始めた頃は皆さん食べる物に困って、いつもお腹を空かせてらしたものだから、不憫で不憫で」
    「そうだったんですか」
    「家で同じものを食べたいという人には、こしらえ方を教えたりもしていまして」

    僕が生まれるよりも前、母が子供だった時分には、食うに困った人が多く出たと聞いたことがある。ハピナスさんがこの卵料理専門の食堂を始めたのは、まさにそんな時代の中だったんだな、僕は思いを馳せる。卵は栄養豊富で、手を加えればさまざまな料理になる。貧しかった頃にはご馳走だったに違いない。ハピナスさんはそんな卵をふんだんに使って、こうして食堂を営んでいるということみたいだ。

    注文したオムライスも、サービスでもらったサラダも、空腹と寒さと疲れで弱り切っていた身体には甘露のように沁みた。どちらも綺麗に平らげて、僕は心身ともに充実したのを実感する。これで明日も働けそうだ、また面倒な障害報告や事後調査があると頭では分かっているのに大したこととは感じられず、なんだか面白いくらいにやる気が満ちてくる思いだった。ハピナスの卵は食べると幸せになれると言うけれど、どうも本当にそういう効力があるらしい。

    「ごちそうさまでした」
    「はぁい。ありがとうございました」

    空にした食器とコップをカウンターへ上げて、代金を支払う準備をする。ハピナスさんは「四百八十円です」と教えてくれた。僕が満足できるくらいたっぷり分量があって、味もあの通り抜群なのだから、破格と言っていい値段だった。これでサラダまでおまけしてもらったわけで、僕は却って恐縮したくらいだ。それでもハピナスさんは僕の渡した千円札にきっちり五百二十円のお釣りを返して、額面通りのお金以外は決して受け取ろうとしなかった。

    すっかり満足したところで店から出ようと、木造りの椅子をギイと引いて立ち上がった時のことだった。

    「あのう、お若い人」
    「ハピナスさん」

    両手を合わせたハピナスさんが、僕に声を掛けてきて。

    「私は長くこの食堂をやって来ましたけれども、寄る年波には敵いませんで」
    「そうすると、ここを畳む日のことをぽつりぽつりと考えるようになりまして」
    「今日ここにあると思ったものが、明日もそこに変わらずあるとは限らんのです」
    「どうか、心残りが無いよう、毎日を幸せに生きてくださいねぇ」

    そう言って、深々と一礼したのだった。

     

    ハピナスさんに見送られながら店を出る。外は相変わらず冷たい風が吹き荒れていたけれど、懐かしい味のする温かいオムライスを食べたおかげだろうか、体の芯はポカポカしているように思われてならなかった。

    十歩ほど歩いて表通りに出たところで、もう一度食堂の軒を見ておこうと考えた僕は、何の気なしに振り返った。

    「あれ」

    そこには「テナント募集」の札が貼られた空き家があるばかりで、食堂は影も形も見当たらない。踵を返して仔細を確かめてみる。中に入っていた店が撤退してからかなり時間が経っているようで、風雨に晒されて薄汚れたシャッターが固く下ろされている。辺りには打ち捨てられた空き缶や紙くずが散らかり、長い間手が入っていないことが簡単に見て取れた。

    もちろん、あのハピナスさんの姿も見当たらなかった。

    常識ではあり得ないことが目の前で起きたというのに、僕の心は不思議なくらい落ち着いていた。理由は分からないけれど、あのハピナスさんの食堂がこうして僕の目の前から消えてしまうことが、自然の理のように感じられてならなかった。僕があの店へ入って、オムライスを注文して、ハピナスさんと話をする。そこまですべて、俗に言う神様のような大きな存在に導かれて、僕に何かを伝えようとしたのだろう、そう僕には思えた。

    (心残りが無いように、毎日を幸せに生きてほしい、か)

    ハピナスさんの言葉が胸に沁みる。脳裏に浮かんだのは、地元で独り暮らす母の顔だった。今は元気でも、ちょっとしたことで倒れてもおかしくない歳だ。明日も健康でピンピンしているとは限らない、元気なうちに顔を見せておきたい。奥底で燻っていた気持ちが、はっきりと大きな火になるのを感じ取る。

    母の作ってくれたオムライスの味を思い出す。きっと母もあのオムライスを食べて、おいしさに惚れ込んで作り方を聞いたのだろう。それを今も憶えていて、子供の僕にも振る舞ってくれた、そう思えてならなかった。あるいはハピナスさんも、もしかすると母の顔を憶えていて、顔立ちの似ていた僕を見て何か思う処があったのかも知れない。あの口ぶりは何か知っている風にも見えた。そうだとしたら、僕はハピナスさんに感謝しなきゃならない。忘れかけていたことを思いださせてくれたわけだから。

    遠く離れた故郷に思いを馳せる。自分の帰りを独り待っている母の顔がしきりに浮かんで、懐かしさで胸がいっぱいになった。年越しは無理でも、年が明ければ少し時間ができるはず。そう伝えれば、母も喜んでくれるはずだ。もう何度会えるかも分からない、元気なうちに顔を合わせて、できる限りの親孝行をしたい。帰郷への渇望が、胸に満ちてくるのを感じるばかりだ。

    「よし、帰ろう」

    明日早速、会社に連続休暇の申請を出そう。僕はそう心に決めて、家路を急いだ。

     

    今はもうここにいないハピナスさんに、迷っていた背中を押してもらった――そんな気持ちだった。


      [No.4158] Re: 久々の投稿ありがとうございます。 投稿者:あゆみ   投稿日:2020/06/21(Sun) 13:46:09     29clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    お返事ありがとうございます。
    と言うより返事に気づくのが遅くなってしまい逆に申し訳ありません。

    > さゆみさん、久々の投稿ありがとうございます。
    名前がw

    > 十年以上前になりますがダイパの連鎖で色違いをいっぱい捕獲していた人がいたのを思い出しました。
    > なんか高個体値やら、色違いに乱数調整なるものがあるのは知っていたんですが
    > 恥ずかしながら、これ読むまでメロボ乱数を知りませんでした…
    ポケトレを使った連鎖であれば私も当時から努力値がてらゲットしたことがあるので分かります。
    また当時から色違いのポケモンを乱数を駆使して集める、あるいは高個体値の色違いのポケモンをゲットして大会に出す、と言う話は聞いていましたので知っていました。が、当時の私はそう言う環境になかったのでなかなか検証できなかったと言うのもあります。
    多分メロボ乱数もその延長線上に出てきていたとは思いますが、当時は色違いでなくても個体値の高いポケモンを乱数で出す方が主流だったようで、メロボ乱数と言うものがある程度知られ始めたのはXYであかいいとを用いたやり方が広まって以降だったのではと思います。
    もっとも作中でもしれっと「自分で検証した」と書きましたが、そう言う環境が整ったのはここ2、3年のことだったと言うことを付け加えておきます。

    拙文・乱文で大変失礼いたしました。それでは。


      [No.4157] イガグリの精(グリレ?) 投稿者:焼き肉   投稿日:2020/06/15(Mon) 19:17:13     27clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ポケマスのグリレ……になるはずだった女子三人+ほぼグリーン+レッドな日常ssです。具体的な描写はないですが苦手な人は気になるかもしれないです。




     こうかばつぐんを取ろうというミッションに駆り出されたのは、タイプの違う花のような女子三人であった。カントー古来の和の花のようなエリカ、春先の草花のようなコトネ、女優に贈られる花束のようなメイ。三者三様、三つ揃いのエナジーボールはサクサクポンポン規定の回数を稼いで行った。トドメの一撃で繰り出されたエリカのはなびらのまいに、パチパチと贈られる拍手。

    「レッドさん!」

     女子らがきゃらきゃら、レッドの方へ寄っていく。

    「……」
     
     スッとレッドが差し入れのクッキーと飲み物のボトルを差し出す。

    「あっこの包み!ユイさんからですか?」

     ピカチュウが風船で空を飛んでいる絵が描いてあるラッピングを見て察するメイに、レッドがコックリうなずく。

    「もしかしてわたくし達のバトルを、先程から見守ってくださっていたのですか?」
    「…………」
    「あら、声をかけてくださったら良かったのに」

     気を使うエリカに、レッドは後ろの相棒を見た。いつもと変わらない、威圧感さえあるリザードン。でも今日はちょっとだけ、バディのレッドとも他のバディーズとも距離を取っている。

    「うーん……もしかしてリザードンが気にして距離を取ろうとしてたのを宥めていたんですか?」

     メイの顎に手を当てて言う考察に、レッドはうん……と肯定。なるほど、メイ達の草タイプポケモンに炎タイプは天敵だ。

    「『リザードンはとても強いポケモンだけれど、同時にとても優しいポケモンでもあるんだよ』ってウツギ博士が言ってました」

     その炎を自分より弱いポケモンに向けることはない。コトネが博士の研究の手伝いをしていた時、ホウエン地方の図鑑説明を見て印象に残った一文だ。戦いでもあるまいに、自分が草ポケモンとそのトレーナー達が群れているところへ、わざわざ割って入って雰囲気を乱すこともあるまい。離れて鎮座する赤い竜はそう言っているように見えた。誰も気にしないよ。って伝えたんだけどなあ。困った顔のレッドはリザードンよりはわかりやすく表情で語っている。

    「撫でてもいいかな?」

     リザードンの存外柔らかい視線と目を合わせてコトネが訊くと、リザードンは低く吠えて頭を下げた。

    「わー、温かい! あたしのチコリータと触り心地やっぱりちがうね!」
    「ムム……ジャローダとは少し似ているかもしれませんね」
    「どっしりとしたただずまいが樹木花のようですわ」

     和やか休憩ムードになって、リザードンはチコリータとコトネを乗せ、辺りをブンブン飛び回り、きゃいきゃい乗客達をはしゃがせていた。気を使って距離を離していたリザードンよりずっといい。リザードンが褒められてぼくも嬉しい。リビングレジェンドとかぼく自身が言われるより嬉しい。レッドはクッキーとか分けてもらいながらニッコニコだった。

     ふと、視界の隅の茂みに見覚えのあるものが顔を出していた。美しい色合いの、長い葉っぱのようなもの。多分ピジョットだ。そちらに寄って見ると、もう少し控えめな明るい茶色い頭髪も、近くの茂みからニョッキリ、不自然に生えていた。

    「……グリーン?」
    「何のことだ?オレ様は遠いアカネのもりという場所からやって来た、イガグリの精だ」

     イガグリもオレ様とか言うのか。レッドが知っている範囲で、オレ様とか言う奴は一人しかいない。あっ木の上にモモンのみが実ってる!  

    「空を越え海を越え時空を越え、ここにピジョットとやって来たんだ」

     背が低い木だからいけるな。ブチブチ難なく三つ取って「美味そうなきのみの匂いがする!」って感じで茂みから飛び出して来た、とさかの下のくちばしにモモンのみを放り込み、力説に夢中になったせいで茂みから生えてきた、イガグリの精の握った拳を歌のごとくほどいてモモンを持たせる。

    「モゴモゴ……このモモンのみでけえな……」

     ホントだデカイ。食うのに難儀しているピジョットのくちばしのモモンを裂いてちょっとずつあげる事にした。おいしいおいしいとピジョットは鳴いた。

    「イガグリの精だって言ってんだろ!! 木の実同士で共食いさせんな!!」

     あっグリーンが生えてきた。正確に言うと立って正体をあらわした。シルフスコープいらずだ。

    「レッドさん、そんなすみっこで何やってるんですか?」

     コトネ達がわいわいやって来る。ポケモンも含めた、複数の視線がグリーンに集中する。

    「いやあの、コレはだなあ、覗き見とかじゃなくてめっちゃナチュラルに女子に混じってるレッドとリザードン達の中にちょーっと割って入りにくかったというかなあ…………」

     ピジョットはまだデカイモモンのみの何分の一かをンまーい! と食べている。

    「ややや、やーい! そんなかわい子ちゃん侍らせてニヤニヤしてるようじゃ、オレのライバルとしてまだまだだなあ!」

    「かわい子ちゃんって言い方、ずいぶん久しぶりに聞きましたわ」
    「古い言い伝えが多いジョウトの方でも幻のポケモン級ですね、ヒビキくんと見たセレビィ級かも」
    「かわい子ちゃんってなんですか?」

     悪意のない女子達のコメントにグリーンの恥ずかしいボルテージが上がっていく。何をそんな恥ずかしがっているのやら。引っ込みがつかなくなってて更に自爆しそうだったので、レッドは手を握ってグリーンを茂みから引っ張り出す。

    「……今グリーンはイガグリの精だから大丈夫、向こうで一緒にクッキーを食べよう」
    「お、おおう! イガグリの精のオレ様は、クッキー大好物だぜ!」

     解散ムードになるまで、グリーンはイガグリの精と言う事になった。


      [No.4156] Re: あなたを迎えに 投稿者:焼き肉   投稿日:2020/06/14(Sun) 23:24:11     21clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    いきなりトレーナーの遺体の頭部が見つからないというショッキングな出だしから始まり、奥さんもそれで精神が不安定になっているという描写で落ち込みましたが、熱さも切なさもある話でした。

    絆の証の鈴付きのバンダナが、死してもなおエネの事を守ったのが泣かせてくるなあ……。ゲンガーの外道っぷりがゴーストタイプとかゲンガーとかの種族は関係ねえ、生まれついての悪って感じですげえムカムカ来ました。ゲンガーVSエネコロロの心理戦も熱い。

    重いですが、トレーナーとポケモンの絆から始まり絆で終わる(締めの一文的にも)、ポケらしい作品だなと思います。


      [No.4155] 私信 投稿者:No.017   投稿日:2020/06/14(Sun) 13:41:28     19clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    よかった…生きていた。
    そして生存報告がここにあった…
    ツイッターが消えていたのでまさか自殺してしまったのか!?
    とか変な心配をですね…

    よかった。よかった。

    感想じゃなくて私信で申し訳ないですが、返信しました。


      [No.4154] Re: いいなあ……。 投稿者:No.017   投稿日:2020/06/14(Sun) 13:36:32     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    感想ありがとうございます。
    海岸を歩く、に関しては筆者の江ノ島の体験をもとにしています。
    夜の海って暗くて、黒くて、不可視領域で、得体の知れない者が潜んでいる気がしてわくわくするんですね。
    ミミッキュですが海岸散歩していて出会った、みたいのを想像しています。


      [No.4153] 久々の投稿ありがとうございます。 投稿者:No.017   投稿日:2020/06/14(Sun) 13:32:01     27clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    さゆみさん、久々の投稿ありがとうございます。
    十年以上前になりますがダイパの連鎖で色違いをいっぱい捕獲していた人がいたのを思い出しました。
    なんか高個体値やら、色違いに乱数調整なるものがあるのは知っていたんですが
    恥ずかしながら、これ読むまでメロボ乱数を知りませんでした…


      [No.4152] SPSP -Shiny Pokemon sensitive person- 投稿者:あゆみ   投稿日:2020/04/15(Wed) 20:49:37     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    お久しぶりです。そして初めての方は初めまして。(と言うより初めましての方が大多数だとは思いますが…)
    だいぶご無沙汰しておりましたが、久々に1本書いてみました。
    なお、本文中に登場する人物名はすべてフィクションであり、実在する人物名や団体名などとは全くの無関係であることをあらかじめお断りしておきます。


    「SPSP -Shiny Pokemon sensitive person-」

     この星の不思議な生き物・ポケモン。900種類に迫る数のポケモンが発見されており、今この瞬間も新しいポケモンが発見されている。
     その中でも、普段のポケモンと身体の色が違うポケモンは「色違い」と呼ばれ、その稀少性から珍重されている。しかし、そもそも色違いのポケモンに遭遇する確率は4,000から8,000分の1と言われており、生半可なことでは見つけることはできない。
     しかし、中には、そうした色違いのポケモンに、他の人とは比べ物にならないほどの高い確率で遭遇するトレーナーがいる。そうしたトレーナーを呼ぶ名称として、近年、「SPSP(色違いセンシティブパーソン)」と言う名称が提唱されている。

    <きっかけはミミロップ>

     シンオウ地方・コトブキシティに住む笹島晴日(ささしま・はるひ)さん(34)。彼女は10歳のときにポケモントレーナーとしての旅に出て以来、20年以上に渡って各地方を回って旅を続けてきた。
     笹島さんが不思議な体験をしたのは、10年ほど前、ホウエン地方からシンオウ地方に戻ってきて間もなく、ホウエン地方でゲットしたミミロルが、ハクタイの森でミミロップに進化してからだった。
     「ミミロップを連れていたら、野生で出てきたムウマやヤミカラスが、なぜか色違いのポケモンだったんです」
     笹島さんがそのときゲットしたムウマ、ヤミカラスは、今ではそれぞれムウマージ、ドンカラスに進化しているが、色違いだったのはそのムウマやヤミカラスだけで、ミミロップは進化前のミミロルから一貫して本来の体色を持っていたのだ。
     「それだけではないんです。ミミロップを連れているときに出会ったポケモンは、その多くが色違いだったんです」
     テンガン山の麓でゲットしたポニータ。ノモセシティの大湿原でゲットしたグレッグル。笹島さんが利用しているポケモンホームには、他にも多くの色違いのポケモンが預けられている。しかし、中でも目を引くのは、ハードマウンテンに行ったときにゲットしたと言う色違いのヒードランだ。
     「私も最初見たとき、まさかとは思いました。ヒードラン自体があまり見かけないポケモンでしたし、思わず目を疑ってしまいました」

    <イーブイがニンフィアに進化したら…>

     笹島さんと同じような人は、シンオウ地方だけでなくジョウト地方にもいる。
     ジョウト地方・ヨシノシティに住む畑中安奈(はたなか・あんな)さん(29)。畑中さんの不思議な体験は、カントー地方でゲットしたイーブイがニンフィアに進化してから始まった。
     「ニンフィアに進化したのが嬉しくって、他のトレーナーともバトルしてもっと強くしようって思って、ニンフィアを連れて歩いていたときだったんです」
     フスベシティから29番道路に抜けるマウンテンロード・45番道路。そこで畑中さんが見かけたのが、色違いのエアームドだった。
     「最初見たときは『色違いのポケモンだ!』と思って、びっくりして慌ててモンスターボールを投げたんです。幸いすぐにゲットできたんですけど…」
     畑中さんの体験はそれからも続く。
     「29番道路に着くまでの間に見かけたポケモン、今でも覚えてるんですけど、10匹以上は色違いだったんです」
     そのときにゲットしたのは、エアームドのほか、ゴマゾウやイシツブテと言った45・46番道路で多く見かけるポケモン、エイパムやヘラクロスと言った、木の上や森の中でよく見かけるポケモンだった。
     その後も、ニンフィアを連れているときによく色違いのポケモンを見かけたと言う畑中さん。だが、畑中さんの体験はそれだけではない。
     「カントーに行く用事があって、ヤマブキシティまでリニアで行って、そこからハナダシティに行く途中だったんです」
     ヤマブキシティからハナダシティに向かう途中に通るカントー5番道路。このときも畑中さんはニンフィアを連れていたのだ。
     「森の中からミツハニーが飛び出してきたんですけど、そのミツハニー、色違いの♀だったんです」
     ミツハニーは、♀がビークインに進化する一方、今に至るまで♂の進化系は発見されていない。その一方で、♂と♀の割合は、♂が圧倒的に多く、一説には7:1と言われている。
     「今ではビークインに進化してるんですけど、初めて見たときはとても驚きました。まさか、♀のミツハニーの色違いをこの目で見るなんて思ってなかったんです」

    <鍵を握るのは『メロメロボディ』と『性別』?>

     2名の女性の体験談。笹島さんはミミロップ、畑中さんはニンフィアを連れているときに色違いのポケモンをよく見かけると言う。連れているポケモンが違うとは言え、これはSPSPの特徴に他ならない。
     カントー地方・ハナダシティでポケモンの研究に携わる関根えみり(せきね・えみり)博士(31)。自身もSPSPだと言う関根博士はこう語る。
     「SPSPの鍵を握っているのは、連れているポケモンが持つ特性と、そのポケモンの性別だと言われています」
     関根博士が着目したのは、笹島さんと畑中さんが色違いのポケモンを見かけたときに連れていたポケモン。笹島さんはミミロップ、畑中さんはニンフィアだったが、2匹が共通して持っている特性に注目した。
     「メロメロボディですね」
     ポケモンは、1つから3つの特性を持つ。中には珍しい特性を持つポケモンもいるが、ミミロップはメロメロボディ、ぶきよう、じゅうなんの3つ、ニンフィアはメロメロボディとフェアリースキンの2つの特性を持つ。2匹のポケモンが共通して持っている特性こそがメロメロボディなのだ。
     「メロメロボディの特性を持つポケモンを連れて歩いていると、そのポケモンと違う性別のポケモンに出会いやすくなるんです」
     メロメロボディの特性は、ポケモンバトルでは直接攻撃してきたポケモンをたまにメロメロ状態にすると言う効果があるが、バトル以外でメロメロボディの特性を持ったポケモンを連れていると、そのポケモンと違う性別のポケモンと出会いやすくなると言われている。
     「そのとき、その違う性別のポケモン――出会いやすくなる性別のポケモンが、色違いになりやすいと言われているんです」
     笹島さんはこう語る。
     「私のミミロップは♀です」
     一方の畑中さんはこう話す。
     「私のニンフィアは♂です」
     では、笹島さんがゲットした色違いのヒードランはどう説明がつくのだろうか。関根博士はこう話す。
     「いわゆる伝説や幻のポケモンとされるポケモン、あるいはそれに近いとされるポケモンは、その多くが性別不明とされていますが、ヒードランだけは例外で、♂♀の両方が確認されています。恐らく、このケースですと♀のミミロップを連れていたと言うことでしたので、色違いとして出てきたのは♂のヒードランだったのではないでしょうか」

    <メロメロボディの特性を持ったポケモンの性別もまた重要?>

     また、関根博士によると、メロメロボディの特性を持ったポケモンの性別もまたSPSPの鍵を握っていると言う。
     「メロメロボディを持ったポケモンだからと言って、そのポケモンの性別が♂♀どちらでもいいと言うわけでもないんです」
     関根博士自身が、メロメロボディの特性を持つポケモンを連れてフィールドワークしたところによると、メロメロボディの特性を持った♂のポケモンを連れていたときは色違いのポケモンをよく見かけたのに対して、♀のポケモンを連れていたときは、全く見かけなかったのだと言う。
     「色違いのポケモンと出会いやすくなるにしても、メロメロボディの特性を持ったポケモンがどの性別かを調べてみることも大切だと思います」
     また、関根博士はこう語っている。
     「SPSPは、色違いのポケモンを見かけやすくなる、いわゆる人間の生まれ持った『特徴』、『気質』なのです。間違っても病気ではありません。言い替えれば、人間の『特性』かもしれませんね」

     関根博士によると、SPSPのポケモントレーナーの割合は、自身が気付いていないだけで、1パーセントから多くて5パーセントはいるのではないかとしている。
     人間とポケモンは、遥かな昔から共存して生きてきたが、ポケモンに様々な特性があるように、SPSPは人間の持つ「特性」なのかもしれない。



    <あとがき>

     このお話の題材としたのは、現在に至るまで賛否両論が繰り広げられている乱数調整、それも第4世代(ダイヤモンド・パール・プラチナ・ハートゴールド・ソウルシルバー)で登場した、ID調整をすることでメロメロボディの特性を持つポケモンを先頭にすると色違いのポケモンと出会いやすくなると言う、いわゆる「メロボ乱数」と呼ばれているものです。
     普通にゲームを進めていれば滅多なことではお目にかかれない色違いのポケモン。それをIDを調整、さらにメロメロボディを持ったポケモンを連れて旅をすることで格段に出会いやすくなる、と言うものは、ともすれば本格的に色違いのポケモンを粘っている方とは対極的な位置にあるものだと思います。ですが、もしゲームやアニメの登場人物がそう言う体質のもとに生まれてきたとしたらどう言った感じになるのか、というのもイメージして書いてみました。
     本作のタイトルである「SPSP(Shiny Pokemon sensitive person、作中では『色違いセンシティブパーソン』)」と言うのは、少々難しい分野ではありますが、心理学用語の「HSP(Highly sensitive person)」から拝借しています。和訳すると「人一倍敏感な人」「人一倍感受性の強い人」と言うニュアンスですが、色違いのポケモンと人一倍出会いやすい気質の持ち主と言うことから拝借させていただきました。
     また、作中の登場人物の「はるひ」「あんな」「えみり」については、本当に色違いと出会いやすくなるのか、自分で検証した第4世代のソフトでつけた主人公の名前から拝借いたしました(もっとも大昔本棚で連載していた拙作を他のサイトにて展開している続きに同名の人物を出しており、そこから主人公の名前にしたと言うのもありますが)。名前を拝借するに当たり、「はるひ」は晴れた日と言うニュアンスから、「あんな」は40年以上前のクリスマスソングのタイトルから漢字を当てましたが、「えみり」は字が思い付かなかったためひらがなにしました。

     なにぶん久々に書いてみましたので、拙い文章になってしまっていましたらすみません。以上です。


      [No.4151] 蒼桜の彼方 投稿者:雪椿   投稿日:2020/04/15(Wed) 10:14:29     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ※本編にはブルーな場面、残酷な場面があります。苦手な方は注意して下さい。


     桜舞う季節。満月の日、夜桜公園に植えられている「願いの桜」の花びらを持って寝ると、夢の中蒼い桜が舞い散る場所で蒼いミュウと出会える――。

     講義室でそんな噂を聞いた私は、すぐに行動することにした。すぐにと言っても今は講義室の中。実際に行動するのはしばらく後になるだろう。逆にこれだけのために早退できる気がしない。罪悪感と相応の代償に押しつぶされてから、窓から吹く風に乗って飛ばされてしまう。
     行動しようとは思ったものの、こういう噂は大抵面白おかしさ優先で考えられた根拠もないものが多いことはわかっている。本当のこともあるかもしれないが、それはそれだ。仮に実行したとしても別の夢を見るか、仮に見ても噂の影響が出ただけだろう。……あ、後者だとある意味では噂通りになった、と考えるべきだろうか。まあ、それはどうでもいい。
     とりあえず、噂なんてそんなものだ。だというのに、その噂を信じて行動してみようと思うのには理由がある。別に私は伝説や幻のポケモンに会ってどうこうしたい訳じゃない。ただ、蒼い桜と蒼いミュウという単語で思うところがあった。それだけだ。
     幸いにも今日がその満月の日。夜桜公園は学校の帰り道で十分寄れるから、わざわざ遠回りする必要もない。さすがに花びらをそのまま持って寝るのはアレだから、押し花にして栞でも作ろう。読書をするのは好きだから、栞はいくらあっても困らない。むしろ最近の電子書籍ブームは少しどうかと思う。時代の流れもあるから別にそれを否定するわけじゃないが、紙だからこその良さというものもあるんじゃないかと思う。
     ついでだから、花びらを持ち帰る前にコンビニで新しい小説でも買って来るとしよう。そう決めると、私はこれでもかというくらい眠気を誘う講義と戦うことにした。ちなみにこの段階で起きているのはもう私だけだった。……確かに実は教師がポケモンで、催眠術でも使っているのかと思うくらいには眠い。それを入れたとしても、私以外寝ているというのはそれはそれでどうなのだろう。皆余裕がある、ということだろうか。

    *****

     最後の講義が終わってからさっさとコンビニに寄ったものの、私の興味を引くような小説はなかった。というよりも、買ったことのあるタイトルばかりだった。本好きのあまり新しいのが出る度に買いあさっていたことが、こんなところで裏目に出るとは……。いや、だからといって害はないのだが。
     そうだとしても、新たな本を買えなかったことはショックだった。その影響でやや肩を落としながら歩いていると、すれ違った子どもが空を見て「スターミーだ!」と叫んだ。空にスターミーはいない。確かに宇宙からやってきたとの説はあるが、こんなまだ夕方にもなっていない空にいるはずがない。そもそも飛べるのだろうか。
     疑いと期待を胸に空を見上げてみると、そこにはスターミーに見えなくもない雲が浮かんでいた。なるほど、さっきの子どもはこれを見て叫んでいたのか。私が見てもただ変わった形をしているな、としか考えられなかっただろう。子どもの想像力、恐るべし。
     こんなことを考え、ふと私は私がとっくに子どもの思考ではなくなっていることに気が付く。大人の階段を登って来たと思えば嬉しいものの、子どもらしい柔軟な発想を忘れてきた証拠と思うと寂しい部分もある。もう少ししたら完全に大人の思考になってしまい、岩タイプのような固い考えしかできなくなるのだろうか……。
     考えを巡らせれば巡らせるほど何だか悲しくなってくるが、今は感傷に浸っている場合じゃない。噂にある蒼いミュウと出会うためにも、夜桜公園に行かなくては。

     時間を無駄にするものかと早足で向かったせいか、少しばかり荒い息で目的地へと辿り着いた。公園にある桜は多いが、噂にあった「願いの桜」は一本しかない。他の桜は満開だというのに一本だけ咲いていない。だから、どれが目的のものかはすぐにわかる。咲いていない理由は単純に品種が違うから、らしい。
     ちなみにどうしてその桜が「願いの桜」と呼ばれているかというと、他の桜は一重咲きで淡いピンクなのにその桜だけ八重咲で薄黄色だからだ。その珍しさからいつからか月の明るい夜に行くと願いが叶うという噂が生まれ、「願いの桜」と言われるようになったらしい。
     と、ここで私はある重大な事実に気が付いた。「願いの桜」はまだ咲いていない。だというのに、その花びらが必要な噂が流れているのだ。これは明らかに矛盾している。矛盾に気が付くと、すぐに行動した私が馬鹿らしく思えてくる。やはり噂は噂だった、ということだろう。きっと蒼い桜と蒼いミュウも作り話で、作り主は矛盾を無視して流したに違いない。
     そう自分を納得させて帰ろうとした時、ふとどうして蒼い桜と蒼いミュウなのだろうと思った。桜は今の季節にぴったりなものの、わざわざミュウと結びつける必要はない。それを、蒼で固定する必要もだ。春らしい噂を流したかったのなら、普通の桜とミュウで十分だったはず。噂のきっかけを作った本人は一体どういう思いで流したのだろう。
     気にはなるものの、こういう噂は出処を探したところで見つかるとは思えない。さっさと帰って読み返したい小説を読もう。さっと頭を切り替えて足を踏み出すと、小さくカサリという音が聞こえた。茂みにコラッタでもいるのだろうか。もし襲い掛かってきたら大変だ。校内にポケモンを連れて来てはいけない、という謎の決まりから相棒のチェリムは家でニンフィアと一緒にお留守番状態だ。これではチェリム自慢の日本晴れソーラービームをお見舞いできない。
     こういう時に限ってスプレーやピッピ人形は持っていない。というより普段から持ち歩いていない。最悪自分の力でどうにかするしか……いや、相棒を出さずに野生のポケモンに勝利するってどんなトレーナーだ。もう相棒いらないだろう、それ。非公式でジム巡りできるぞ。
     脳内でそんなセルフツッコミをしている間にも時は過ぎているが、コラッタと予想した音の原因はいつまで経っても出てくる気配がない。おかしいな、と首を傾げつつ音が聞こえた方に目を向けてみると、そこには小さく平ぺったい何かが落ちていた。なるほど、これが落ちた音だったのか。ちょうど風が吹いているから、それに乗って飛んできたのだろう。
     何だろうと持ち上げてみると、それはちょうど「願いの桜」の花びらを押し花にしたと思われるラミネートの栞だった。
    「……?」
     気のせいでなければ、私はこれは見た覚えがある。というより使った覚えがある。私が数年前に「彼」から貰い、そのまま愛用していたものだ。どうしてこれがここに。悪戯好きなポケモンが入り込んで盗んできたのだろうか。仮にそうだとしても、ここで落とすなんてタイミングが良すぎる気もするが。空を見てもそれらしき影は見えない。
     ポケモンの正体は気になるが、この栞があるのなら新たな花びらを持ってくる必要はなかったということになる。もしかすると、目覚めるまで矛盾に気が付かずにいられたかもしれない。そう思うと自分の記憶力を恨めしく思うが、既に起こったことを恨んでも仕方がない。
     溜息を吐きつつジーンズのポケットに突っ込むと、私は今度こそ家に帰ることにした。

    *****

     そこは蒼い桜が咲く湖の畔だった。桜と湖、私の立つ地面の場所はまるで切り取られたような漆黒が広がり、先に何があるか予想することができない。風が吹くでもなくひらりはらりと蒼が舞い、水面に落ちては静かにいくつもの波紋を広げていく。私は桜のすぐ傍に立ち、ただそれを見ていた。
    「……」
     音もなく繰り広げられるそれはまるで意図されたショーのようで、私は思わず息を飲む。最近やっと手に入れたスマホ(残念ながらロトムは入っていない)があれば写真を撮ったというのに、今の私は何も持っていなかった。一体どこに置いてきたのだろう、と首を傾げたところで、気が付いた。

     私は、こんなところに来ていない。

     そもそも、私は家に帰ってから一度も外に出ていなかった。記憶の一番新しいところで覚えているのは、何もしないでテレビを見ていたら夜になったのでベッドで寝たことだけ。窓はしっかりと閉めたし、もし何かが侵入したら番ポケと化したチェリムとニンフィアが黙っていない。いつもと変わったことをした覚えは……、あった。
     寝る前、スタンドの横にあの栞を置いていたのだ。噂を確かめる必要は皆無に近いほどなくなっていたものの、まだ噂が完全に嘘ではないかもしれない、と思う自分がいてやってしまった。まさか、本当に見られるとは。噂を広げた人も私と同じように花びらを押し花か栞にでもしていたのだろうか。
     私は今まで明晰夢というものを見たことがなかったが、こういうのが明晰夢というのか。確かに夢だと言われれば納得するくらい、幻想的な風景だ。本当に写真が撮れないのが残念でならない。最も、写真を撮れたとしても現実に持ち帰ることは不可能に近いとは思うが。
     ……さて、噂の蒼い桜を見られたのはいい。だが、噂のもう一つの主役、蒼いミュウがどこにもいない。これでは本当の意味で噂通りになったとは言えない。仮にこれが私の未練が生み出した夢であるのなら、ここには間違いなくミュウがいるだろう。いないとなると偶然と産物となるが、タイミングの良さとクオリティを考えるとそうとも考えにくい。
     と、頭の中で色々と考えをこねくり回していてもミュウが現れるわけじゃない。夢ならそう思えば現れる気もするが、そうしたら何かに負けたという考えが頭をよぎるのでできない。こうなったら夢から醒めてもう一度寝るべきか。ちゃんと同じ夢を見られるかどうかは別としても、噂の二つが揃わない場所でずっと花見をしているよりはマシだ。……花見をするのは嫌いじゃない。一人で見るのが寂しいだけだ。
     一度起きるにしても、普通の夢ではないから少しやり方がわからない。起き方にやり方も何もない、と言われればそれまでだが、自然に起きるのを待っていてはそれこそずっと一人でお花見状態だろう。
    「……頬でもつねってみるか?」
     いや待て、それは夢かどうかを確かめる方法だ。既に夢だと知っている状態でやっても意味がないだろう。そもそも痛覚が機能していないであろう点で既にダメだ。やってもただの愉快な人になってしまう。他の方法を考えないといけない。
    「う〜む……」
    「何を悩んでいるの?」
    「いや、どうやって目覚めようかと考えていてな。それにしても、君の声は随分と私の知り合いに――って、うわぁ!?」
     物凄く自然に話しかけられたからそのまま答えてしまったが、首を動かした結果視界に入ってきたものを見て私は驚きから思わず尻餅をついてしまった。なぜなら、そこにはあれほどいないいないと思っていた蒼いミュウがいたからだ。ミュウは私の驚きようを見ておかしそうにクスクス笑っている。
     ……人だと思い込んで動いた結果、視界にミュウのどアップが映り込んだら誰でも驚くだろう、普通。口許でぶつぶつと言いながら立ち上がると、ミュウはその長い尻尾をゆらりと揺らす。
    「あ、ごめんごめん。大げさなリアクションをするミコトを見るのが久しぶりで、つい」
     口ではごめんと言いながらもクスクス笑うのを止められないミュウを見て、私は笑われたことで生まれた感情よりも先に驚きを覚えた。会ったのがたった今なのだから、ミュウが私の名前を知っているはずがない。この空間で一人自己紹介という寂しい芸を披露した覚えがないことを踏まえると、これはおかしい。いくら私の夢だとしても、想定外すぎる。
     それに今の声。私の知っている限り、あの声で私のことを名前、しかも呼び捨てにするのは彼しかいない。そんな、まさかと信じられない気持ちを抱えながらも、思わず彼の名前を口にしていた。

    「君は……カナタ、なのか?」

     私の問いに、ミュウは嬉しそうにコクリと頷く。その反応はまさにあのカナタを思わせるもので、ふと懐かしさがよぎった。しかしそれと同時に現実も脳裏をよぎり、懐かしさが一気に悲しみへと塗り替えられる。気が付くと、私は先ほど全く同じ気持ちを抱えた状態で言葉を吐き出していた。

    「いや、それでも信じられない。君は、カナタは――」

     数年前の今頃、死んだはずなんだ。

    *****

     カナタはいわゆるお隣さんで幼馴染、というありふれた関係だった。少し経ってからは唯一無二の親友とも言える大切な存在になっていた。私も彼もポケモンバトルは好まなかった、というよりも上手くなかったため、相棒ができても一緒に散歩をしたり遊んだりしてばかりだった。
     ちなみに私の相棒は当時はまだチェリンボだったチェリム。カナタの相棒はイーブイだった。私は苗字の影響か桜が好きだったから選んだ。カナタも苗字の影響か青が好きだったから、てっきりシャワーズにでも進化させるのかと思っていた。しかし、予想は外れてニンフィアだった。イーブイが色違いなら疑問にもならなかったが、通常色だったからかなり驚いたものだ。理由は秘密としか言ってくれなかったので、今も理由は知らない。
     それから私達は偶然にも同じところを進み、共通の友達こそ作らなかったものの十分青い春を満喫していた。だが、ある時からカナタの生活に歪みが生じ始める。あれは確か、イーブイがニンフィアに進化してからだった。
     始まりは机の落書きだった。それから机に花を置かれる、何かのイベントで仲間はずれにされる、陰口を囁かれる、モンスターボールを隠される、ネットへ事実とは反する大量の書き込みをされる……。それ以外にも、カナタは口に出すのも吐き気がするようないじめを受けていた。
     幼稚なものが多かったのは事実だが、いくらか年齢を重ねている分、質が悪い。きっかけは、カナタの相棒がニンフィアになったから、というつまらない理由だった。ニンフィアは女性が相棒にするポケモンだろう、などという馬鹿げた意見が通るのだったら、私はどうなるというんだ。私の相棒も女性に合いそうなチェリムで名前も入れると格好の的だぞ、おい。
     ……いや、あいつらにとってきっかけなどどうでもいいのだ。クラスの中で一番いじめやすそうなのがカナタだった。それだけの理由だ。私はもちろんカナタを庇った。すぐに仕返しとして、チェリムの日本晴れソーラービームコンボを首謀者達へと喰らわせた。過激かもしれなかったが、カナタが負った傷を思えば妥当と言える仕返しだと思う。
     そうしたら案の定というか何というか、先生達は私を徹底的に悪者扱いし、こちらが親と共に謝りに行く事態になった。その時に出た金額も金額だったことから親にもこっぴどく叱られ、怒鳴られ、チェリムを野生に返される可能性まで出たくらいだ。確か、それからこの地域では校内でのポケモン携帯を禁止する条例ができた気がする。
     問題児のレッテルを貼られた私がいくらカナタのいじめを訴えても、先生達はクラスの表面的な意見を見るだけに留めた。仮に勇気を出してアンケートに書かれた真実があったとしても、ことごとく無視されただろう。カナタが泣きながら言っていたのだから間違いない。学校での味方は私だけと考えても過言ではない状況だった。
     レッテルのお陰もあってか私が見ている時は何もないようだったから、私達はなるべく一緒にいるようにした。だが、その頃すっかり私の行動を信じられなくなっていた両親が、反省も含めて登校するのをしばらく控えるよう言ってきたのだ。もちろん何を言われたところで行くつもりだったのだが、父の相棒だったスリーパーの催眠術を使って物理的に止めてきた。あれは一種の軟禁だった。
     そうして親が私を軟禁している間、カナタは遺書を残してアパートの屋上から飛び降りた。高さも高さだったことと、頭の打ちどころが悪かったことからほとんど即死だったらしい。私は軟禁が終わってからこの事実を聞かされ、酷く憤慨した。親友を亡くした悲しみに襲われ、ただ涙を流していた。
     カナタが死んでも学校はいじめの事実を認めず、カナタの両親の行動もあって今年やっと事実を認めた。色々と見直すと言っているが、本当にそうなるかはわからない。いじめの首謀者達についても言われていたが、ちゃんと相応の罰が与えられたかどうか怪しいところだった。
     私はそれからすぐに独り暮らしを始めた。とはいっても本格的に独り暮らしを始めたのはここ最近で、それまでは学校とポケモンセンターを往復していた。ずっと宿としてだけ使うのも申し訳ないので、長期の休みに入ったら形だけのジム巡りをしたりポケモンバトルをしたりしていた。
     家を出た理由は両親にある。カナタのいじめに関する事実を知っても尚、私にも原因があったのではと言ってくる二人とこれ以上一緒に暮らせる気がしなかったのだ。代わりに共に暮らすことにしたのは相棒のチェリムと、カナタの相棒だったニンフィア。葬儀の後、感情の整理がつかずこのまま世話を続けられる気がしない、というカナタの両親に預けられたのだ。
     ニンフィアは最初カナタがいないことを悲しみ、いつかの思い出に浸っていたのか、なかなかボールから出ようとしなかった。イーブイだった頃から知っていたので、いきなり主となった私を怖がらなかっただけマシだったのかもしれない。知らない間に用意していたフードが減っていたのもありがたかった。これで後を追われたりしたら、私はもうどうしていいかわからなかったかもしれない。
     しばらくしたらボールから出るようになったものの、その目には常に悲しみが満ちていた。今はチェリムと共に不法侵入者を追い払い、エリートトレーナーを倒せるほど逞しくなった。私は鍛えた覚えがないので、チェリム達独自の方法で実力をつけたのだろう。バトルを好まない、上手くないこちらとしては助かるが、負けた相手からどうやって鍛えたのか聞かれた時がやや困る。
     ニンフィアはあの頃よりもずっと強くなった。だが、目に満ちる悲しみは何も変わっていない。きっとその悲しみは、私とチェリムがいくら努力しても消えることはないのだろう。消えるとすれば、ニンフィアを大切な相棒として可愛がっていた彼と再会した時に違いない。
     あれから何度か季節が廻り、また桜の花が舞う季節、カナタの命日が近づいてきていた。チェリム達にも、もう少ししたら墓参りしに行こう、と言っていたのだ。だから、だから――。

    「この場に君がいるなんて、あり得ない!」

     仮に今いるのが夢だからと考えても、おかしい。私が無意識にカナタとの再会を望んでいたのなら、噂に沿ってミュウという形ではなく人のまま出てくるはずだ。誓ってもカナタをミュウだと思ったことはないし、これからも思わないだろう。ここは私が見ている夢のはずなのに、私からすると考えられない出来事が多発しすぎている。もしや、ここは現実でもあるのか? いや、それだと尚更この場所とカナタの説明がつかない――。
     考えすぎで技を発動しているコダックの表情をしていると思われる私に、ミュウことカナタはふわりと体を近づける。
    「いや、十分あり得るよ。ここは蒼の夢。僕とミコトの意識、魂が繋がった特別な空間。僕の願いが反映された場所なんだから」
    「蒼の夢?」
    「うん。ちゃんとした名前は知らないから、僕が勝手にそう呼んでいるだけなんだけどね。心残りが原因でこの世に留まり続けていた僕に、神様が用意してくれた特別な空間なんだ。だから半分夢で、半分現実と思ってくれればわかりやすいと思う」
     カナタの言葉になるほど、といくつかの疑問が氷解した。そのようなファンタジーな空間が実在するかどうか、通常であれば疑うがこの状況を見れば疑いようがない。彼の言葉は事実なのだろう。半分現実であれば、噂の片方がいなかったり私の予想を裏切る展開になってりしてもおかしくない。
    「ここが不思議な空間であることは君の言葉で大体わかった。だが、そのお陰で新たに浮上した疑問もある。君の心残りとは何だ? 神様とは誰のことだ?」
     最期が最期だ。考えれば考えるほどカナタの心残りとなるようなことは思い当たるが、神が誰かわからない。カナタの状態を考えると、伝説か幻のポケモンなのだろうか? そうだとしても、どうしてカナタをミュウにする必要があったのだろう。それこそカナタの願いが反映されている、と考えるべきか? カナタは蒼いミュウになりたかったのか?
    「僕の心残りは、ミコトと一緒に蒼い桜を見ることだよ。大切な約束、だったから。神様は……、ごめん。声しか聞こえなかったから僕もわからない」
     驚くことに、カナタの心残りは私と眼前に咲く蒼の桜を見ることだった。神の正体がわからないのは残念だが、神と名乗るのだからそうそう簡単に正体を明かしてはくれないのだろう。存在だけ知っているのもモヤモヤするから、目覚めたら図書館などで調べてみるのもいいかもしれない。きっと、いい勉強になる。
     ……ちょっと待て。今私は勝手に目の前の問題が全て終わったかのように考えていたが、まだ消化できていないものがあるじゃないか。約束。現実にはあると思えない、蒼い桜を見るという約束。それが果たせなかったことが心残りで、カナタはこの世に留まり続けていた。
     思い当たるものは、一つしかない。そもそも、私が噂を確かめてみよう、と思ってみた原因がこれを思い出したからだ。私はかつて、カナタとそのような約束をした。とはいっても、まだ互いの相棒とも出会っていないような幼い頃だ。あの頃から私は本を読むことが好きで、本に書いてあったことをそのまま信じるような純粋な子どもだった。
     カナタとの約束もその延長線にあるもので、題名は忘れたが蒼い桜と蒼いミュウが出てくるものだった。その挿絵がとても綺麗で幻想的で、いつか行きたいと思うようになっていた。
     そして、その光景が本当にあると信じてしまっていた私は、カナタと約束したのだ。「いつかこの二つを一緒に見よう」と。蒼い桜はどこで咲いているのだろうと考える私に向かって、カナタは真剣な顔で「ミュウなんてめったにみられないから、ぼくがそのミュウになるよ!」と言った。ああ、そうか。だから今彼はミュウとなっているのか。
     ……あんな約束、絶対に叶うはずないじゃないか。そのせいでカナタが留まり続けたのだと思うと、胸が苦しくなってくる。あの約束をすっかり頭の端に追いやっていた自分が腹立たしくなってくる。……親友だったのにカナタを助けられなかったことが、悔しくて悲しくて堪らなくなっている。
    「……すまなかった」
     顔は自然と地面を向き、蒼は隠れてしまった。これではカナタの心残りが果たせない。いや、逆に果たさない方がいいのかもしれない。ずっとカナタと会っていたいから、とかではない。心残りをあえて果たさなければカナタは私を恨むだろう。恨んでくれれば、私は償い続けることができる。過ちを時間と共に忘れずに済む。
    「ミコト」
     カナタの声が落ちると共に、さらさらしたものが頬に触れた。ミュウ特有の長い尻尾だ。顔を上げると、そこにはミュウのどアップが。さすがに二度目なので尻餅をつくことはなかったが、驚いて二、三歩後ずさりをしてしまった。カナタは目に悲しみを湛えながら言葉を紡ぐ。
    「ミコト。自分を責めないで。ミコトは悪くない。悪いのは僕だったんだ。ずっと頼りっぱなしで、少しの間ミコトがいなくなったら絶望して勝手に死んじゃった僕の弱さが悪いんだ。約束も半分は僕の勝手のようなものだから、気にしなくていいんだよ」
    「違う! 私はカナタを助けたいと思ったのに、結局悪い方向にしかいけなかった。私が感情に任せて行動していなければ、君を絶望させないで済んだ。約束も虚実を現実と受け取っていた私に責任がある。悪いのはカナタではなく、この私なんだ……」
     どちらも自分が悪いと主張し、相手は悪くないと叫ぶ。私達は何回も同じ主張と謝罪を繰り返した後、「あれはもう過去の出来事で、どちらにもどうにもできなかった」という結果に落ち着いた。セレビィが目の前にいるのならどうにかできるかもしれないが、変えてしまったら今の私達はいない。それに、変えられても必ずいい結果に終わるとは限らないだろう。

    *****

     桜の蒼は光が当たっているわけでもないのにうっすらと輝きながら宙を舞い、ゆらりはらりと踊っては水面に浮かんでいく。波紋は静かに広がり、完全に消える前にまた別の波紋が広がっていく。これだけ浮かんでいるというのに、一向に花いかだが見られないのは水の流れがないからか。これでは花絨毯だな。
     しかし、水の流れがないのに水面が完全に花で埋もれないというのは不思議だ。散る花の量を考えれば、見える範囲のほとんどが花まみれになっていても変ではないというのに。これも空間が影響しているのだろうか。

    『…………』

     あの時から抱えてきた暗い思いをすっかり吐き出してしまった私とカナタは、何を語るでもなくしばらくぼうっと桜を見ていた。ふと、一度は浮かんだものの完全に忘れかけていた疑問が頭をよぎる。
    「そういえば、噂はどうやって流したんだ? 私が偶然栞を拾わなかったら、君は一生夢に出てこられなかった気がするんだが」
    「ああ、言っていなかったね。僕はこの空間がある時限定で、現実にも干渉することができたんだ。つまり、この姿でだけど外に出られたというわけ。でもこの姿は目立ちすぎるから、少し工夫したけどね」
    「工夫?」
    「ミュウが『変身』を使えるのは知っているよね? それを利用したんだ。ミコトがどこに通っていたかは魂だった時に知ったから、あとは学生に変身してこんな噂を聞いたって言えばいいだけ。その時だけの相手の顔なんて覚えていないだろうから、怪しまれることはなかったよ」
     ……少し気になるワードが飛び出したが、心残りを思えば様子を見ていても変ではないだろう。それについては追及することなく、違う疑問をぶつける。
    「なぜわざわざ噂という形にした? しかも、キーアイテムが必要な形にして。そんなことをしなくても、直接私に言えばそれで済むじゃないか。あと、伝える段階で必要な花びらの矛盾には気が付かなかったのか?」
    「神様は舞台は用意してくれたけど、鍵もかけていてね。あの公園の花びらを近く置いた状態で寝ないと、この夢を見られないようにされていたんだよ。……それに、直接事実を言ってもミコト、信じてくれないでしょ?」
    「……う」
     確かに、突然知らない人に言われても信じていなかっただろう。噂という形で耳にしたからこそ、確かめてみようという気持ちになった部分はある。
    「それに、僕が伝えた噂は普通の桜の花びらを持って寝るとそういう夢を見る、というものだよ。いつの間にか内容が少し変わっちゃたみたいだね。ミコトは真面目だから矛盾に気が付いたら諦めると思って、姿を消した状態で慌てて部屋から栞を持ってきたのはいい思い出だよ」
     ……明らかに犯罪の匂いがする文が出たが、彼は故人で今はポケモンと同じ存在だった。気にしたら負けだ。カナタがアポを取らずにあがることなどよくあったじゃないか。あれと同じと考えればそれほど気にはならない。今はいちいち気にしていてはダメだ。
     そう自分に言い聞かせると、本当に気にならないようになってきた。暗示はこういう状況でも効くものなんだな、と感動に近いものを覚える。これからは脳内で処理しきれないと思ったら、こういう暗示に頼るのもいいかもしれない。キャパシティーオーバーで耳から白煙が出るかもしれない、と思う状態になるよりはずっといい。
     再び無言で桜を眺める。相変わらず枝は風もないのに揺れ、蒼を舞わせる役を買って出ている。風もないのに揺れる木など普通に考えればホラーかオーロットかと思うが、場所の影響もあってかホラーな印象は受けない。どちらかというと、どこか儚げで悲しみを帯びているような印象を受ける。
    「――あ」
     突然、カナタが何かを思い出したように声をあげた。忘れていただけで、実はまだ心残りがあったのか――? 構える私をよそに、カナタが続きを紡ぐ。
    「ねえ、ミコトは桜の花――この場合は普通のやつ、がどうしてあの色をしているのか知っている?」
    「詳しくは知らないから、今度調べてみよう。……いや、違うな。君が言いたいのは、もしかしてあの話か? 言葉を聞くと何やら物騒な、あの」
    「そう。それ。僕はこの桜にも当てはまるんじゃないかと思っているんだ。最も、この場合は僕の魂だろうけど」
    「……魂?」
     死体よりはマシかもしれないが、それはそれで物騒だなと思う。もしそれが当てはまるのなら、今もカナタは文字通り魂を削ってこの場にいる、ということになってしまうじゃないか。砂時計の砂が目の前で減っているのを見て楽しめるほどの覚悟は、私にはない。目を逸らし、ないものとしてしまうだろう。
     カナタはどうなのだろうか。ミュウになっているからか明らかな表情の変化はわからないが、楽しんでいる、笑っているのは雰囲気や動きからわかる。既に故人だから、どうってことないのだろうか。……いや、違うな。魂を削る。それはつまり「消滅」を意味するのだろう。意識が、存在が完全に消えるのをそんな簡単に受け流せるとは思えない。
     もしや、とカナタを見ると、タイミングを計ったかのように声が聞こえてきた。
    「ミコト。神様のお陰もあったとはいえ、どうして僕が今になって突然こんなことをしようとしたのか、わかる? 未練を持った魂はずっとこの世にいてはいけないんだ。だから、いつまではいてもいいと期限が設けられる。僕の場合はそれが今年、この季節が終わる頃だったんだ」
    「……期限を過ぎると、どうなるんだ?」
    「神様から聞いた話によると、そのまま消滅するか悪霊となるか、ゴーストタイプに変化することが多いみたい。僕は神様にこんな場所まで用意して貰ったから、期限関係なしに事が終わったら消えちゃうかもしれないけど」
     あはは、とカナタは笑う。……やめてくれ。消えてしまうだなんてそんな悲しいこと、笑いながら言わないでくれ。もしこの場所がカナタの消滅を近づけるのなら、もう見なくていい。夢から醒めていい。既に心残りは果たしたのだから、穏やかな気持ちで旅立って欲しい。……頼むから、消えないでくれ。
     言葉は次々と込み上げてくるのに、喉に詰まったように口から出てこない。ただカナタと桜を交互に見つめ、時間を費やすことしかできない。そんな私に向かって、カナタが長い尻尾をゆらりと揺らすのが見えた。

    「ミコト。僕は笑って言ったけど、恐らくミコトが思うよりもずっと悲しいし、悔しい気持ちを抱いている。もっとやりたいことも叶えたい夢もあった。それでも、もう過去のことなんだ。死者が生者を引き留め続けてはいけないんだ。もしミコトが消滅を望まないのなら、僕は逆に消滅を望む。消えるのは怖いけど、僕がミコトを過去に縛り続けるのならそれも仕方がないと思う」

     何で。続かない言葉が零れ落ちる。カナタは私の中から自分が消えてもいいというのか。二度目の死を迎えたいというのか。違う。カナタは忘れて欲しいとは言っていない。縛られて欲しくないと言っているんだ。だが、ニンフィアのこともあるのにどうやって前に進めばいい? 答えを探す視線の先で、蒼が舞い踊る。気のせいか、先ほどよりも舞う量が多い。
    「ああ、少し贅沢をしすぎたみたいだね。ミコトとの時間も終わりが近いみたいだ」
    「……待って、くれ。私はどうやって前に進めばいい。今までは進めていると思っていた。だが、こうして再びカナタと会って、それが揺らいできたんだ。ニンフィアも前に進めていない。私はどうすればいいんだ」
     少しでも終わりの伸ばそうとして、掠れた声で質問をぶつける。事実、私は進んでいるようで進めていなかった。新しい本を買っても読めずに積んでおくだけ。将来を考えているようで、ただ無駄に時間を費やしている。ニンフィアとの仲も、預かるまでに築いたものをそのまま引き継いでいるだけだ。
     どうすれば、いいんだ。そう尋ねるように見つめると、カナタは軽く首を二、三回横に振ってから目を細める。その反応は、拒絶。答える気がないということだ。私はただ、透明な雫を落とす。

    「――さようなら、ミコト」

     その直後、宙を舞う蒼がまるで吹雪のように視界を覆い始め――、



    「カナタ!」
     見えなくなった親友に向かって手を伸ばすと、そこは天井になっていた。カーテンから差し込む朝日が眩しい。どうやら、夢から醒めたようだ。大声を聞いて心配したらしいチェリムとニンフィアがベッドに上がり、視界に入ってくる。……心配してくれるのは嬉しいが、二匹分ともなるとなかなか重い。正直どいて欲しい。
    「……答えは私が知っている、か。ああ、そうだよ。私はとっくに知っていたんだ」
     チェリムとニンフィアを撫でながら言葉を落とす。二匹が不思議そうな顔をしてこちらを見ているが、状況を考えれば当たり前だろう。これは、別れ際カナタに言われたことに対する呟きなのだから。あんなこと、カナタに聞くまでもない。本当はもうとっくに知っていた、頭の中ではわかっていたのに、現実を認めたくなくて聞いてしまったんだ。
     今になって思うと、あの場所でのカナタの発言は私の考えを読んだかのようなものが多かった。もう確かめようがないが、それも場所の影響だったのだろうか。または、エスパータイプになっていたからこその業、なのかもしれない。
    「もっと話したいことがあったのだがな」
     未練がましく呟いてみるが、これでは過去に縛られないどころか縛っているも同然だ。……彼はあれほどの舞台を用意して貰ったからどのみち消滅すると言っていたが、私は無事向こうに行けたと思いたい。そうしないと、私もそちらに行った時に思い出を語り合えないだろう?
    「……痛い」
     考えている間もずっと撫でていたからか、しつこいとニンフィアに噛まれてしまった。幸いにも本気は出していないようだったが、痛いものは痛い。すまないと謝ると、ニンフィアは一鳴きしてからチェリムと一緒に降りた。その顔は「わかればよろしい」と言っているように思える。
     このまま寝ているとまた登られそうなので、よっと体を起こす。カーテンの隙間から覗く景色が目に入った時、私もきちんと縛りから解放されなければという思いが浮き上がる。
    「チェリム、ニンフィア。これから花見にでも行かないか?」
     ちょうどいいことに、今日は休みだ。二匹は再び不思議そうな顔をしたものの、揃って嬉しそうに声をあげた。

    *****

     どこからか柔らかな風が吹く。その風に吹かれて枝が小さく揺れ、桜の花が控えめに踊る。私達がいるのは桜がよく見える場所。カナタの墓の前だった。私はカナタが好きだった青い蔓日々草を花立に入れる。手を合わせ、静かに目を閉じる。チェリム達も同じことをしているのか、聞こえるのは風の音だけだ。
     数秒間目を閉じた後、そっと開く。そこにはミュウのどアップがあるわけもなく、閉じる前と同じ光景が広がっているだけだ。桜の花びらが舞い踊り、墓の上に降りていく。軽くそれらを払うと、チェリム達に声をかけた。チェリムではなくニンフィアが「もういいの?」と言うように私の顔を見る。
    「ああ、いいんだ」
     そう短く返すと、ニンフィアは少しの間私の顔と後ろを交互に見る。そして何かがわかったかのように小さく鳴いた。それが不思議でじっと見ていると、ニンフィアの目がもう悲しみに満ちていないことに気が付いた。もしやと試しに振り返ったが、何もいない。……それはそうか。恐らく、ニンフィアは状況を見て理解したのだろう。
     振り返ったついでに再び墓と向き合う。いや、ついでではないな。これが私にとって、一番の目的なのだから。私はこれから自分を過去の縛りから解放する言葉を、前に進むための言葉を呟く。……何だかんだで一度も口にしていなかったからな。このタイミングがちょうどいいのだろう。

    「――さようなら、カナタ」

     それに答えるかのように、桜の花が一段を高く舞い上がった。その花弁が一瞬蒼に見え瞬きした後、気のせいかと背中を向ける。大丈夫、別れは過去へのものだ。永遠の別れを告げるものじゃない。その気になれば、いつでもここに来ることができる。無言で顔を見つめる二匹に向かって、私はなるべく明るい声を出す。
    「しんみりとした花見はこれでお終いだ。夜桜公園で賑やかな花見をしようか」
     待ってましたとばかりに、チェリムとニンフィアが元気な声を出した。



    *おまけの人物紹介*


    桜野(おうの)ミコト

    黒髪。サラサラ。黒縁スクエア眼鏡。
    名前は漢字だと「命」または「尊」を考えていたものの、一般の名前ではない気がしたので「美琴」になる。両親が片方のパターンしか想定していなかったことが原因と思われる。
    ド近眼が影響してか昔から目つきが悪く、カナタ以外友達ができなかった。本人は目つきが悪いという自覚がないので、原因がわかっていない。唯一の友達を大切にしすぎて依存するタイプ。
    仕返しをした時を除けば問題視されるようなことはしていないが、目つきから親からはいじめっ子と見られていた。両親は仕事の関係でほとんど家にいることがなかったことから日常会話も少なく、家を出るまで本当はどういう性格か知ろうともしなかった。カナタの両親は見た目だけで判断せず会話も重ねていたため、ニンフィアを預けることにした。
    自分の名前は女のようである時まではあまり気に入らなかったが、カナタが「神様みたいでいい名前だね」と言ったことでそれほどでもなくなる。一人称と話し方は長年本を読んでいる影響が出たらしい。コンタクトは入れるのが怖い為眼鏡を愛用している。
    最後に別れを告げていたが、その前から年に一度は墓参りをしたり、何度か掃除のために訪れたりしている。ただそれは必要だからとやっていただけで、現実を受け入れているわけではなかった。



    チェリム

    チェリンボだった頃にミコトと出会い、相棒となった。
    最初はミコトの目つきからあまり接しようとしなかったが、性格がわかってからは普通に接するようになった。ニンフィアとは姉弟のような関係を築いている。
    トレーナーに近い性格をしており、仕返しの日本晴れソーラービームがかなりんかなりの威力になったのは彼女の感情(主に怒り)にも原因がある。それで自分がミコトと一緒に行けないことを知り、反省。感情に任せて技を撃たない練習をしているが、なかなか上手くいっていないらしい。



    蒼野(あおの)カナタ

    茶髪。天然パーマ。本編では蒼いミュウ。
    苗字の読みは最初「そうの」を当てていたものの、「おうの」と「そうの」だと音が紛らわしいと思い変更した。ミコトと苗字の最初を繋げるとタイトルの「蒼桜」となる。名前の漢字はあえて読者の想像に任せることにしたので、タイトルと同じ「彼方」かもしれないし「奏多」かもしれないし、違う漢字かもしれない。
    背が低く、童顔なのでそれらしい恰好をすれば女の子にしか見えない。友達は作ろうと思えば作れたが、ミコトがいないのだからと作ろうとしなかった。大勢よりも個人を大切にするタイプ。大切にしすぎてやや依存ぎみ。
    イーブイをニンフィアに進化させたのは、ミコトが桜を好いているので桜の色に近いニンフィアに進化させればもっと仲良くなれると思ったから。根拠はない。最初ミコトの苗字を「さくらの」だと思っていたため、神様のようだと発言した。これがミコトにとっていい影響を与えたことを彼は知らない。
    あの夢の後どうなったかは今のところ誰も知らない。自身が言っていたように消滅したかもしれないし、向こうに行ったかもしれないが事実は神だけが知る。



    ニンフィア

    イーブイだった頃にカナタと出会い、相棒となった。
    ニンフィアへの進化に異論はなく、カナタがいいと思えばそれでよかった。唯一困っているのは初対面のトレーナーにメスだと勘違いされるところ。カナタと親友だったミコトに預けられ、安心して第二の生活を満喫している。
    ちなみにカナタのことは確かに悲しんだが、ニンフィアとしては既に吹っ切れている。進んでいるようで実は過去に縛られているミコトを見て心配していた。それをミコトが悲しんでいると勘違いしたらしい。チェリムからは日々敵が来た場合の対処法を話し合うなど良好な関係を築いている。
    話の最後に何か見ていたが、それはミコトが思ったように状況を見ていたのかもしれないし、実は消滅していなかったカナタの姿を見たのかもしれない。しかし、それは全て推測でしかなく事実は彼だけが知っている。





    名前だけが登場した存在。
    種族は不明で、力を持った人間なのかポケモンなのかもわからない。今のところ神というのは自称でしかないので、カナタが言っていた期限や末路も本当かどうか怪しい。
    しかしあの空間を用意したのは事実なので、そういう力はあるようだ。


      [No.4150] ピジョンエクスプレス(3) 投稿者:No.017   投稿日:2020/02/19(Wed) 22:22:27     56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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      3. 拝啓 アマノカケル様

     数ヶ月ぶりの息子の帰宅を母親は喜んで出迎えた。カケルが促されるままに入ってみると食べきれないほどのごちそうが並べられ、彼は手持ちの鳥ポケモン達を総動員して平らげた。そうしてお腹いっぱいになると、彼は母親に土産話をせがまれたのだった。
     そんな時間が過ぎて、カケルはソファにゆったりと腰を下ろし、ぼーっとテレビを眺めていた。ポケモン達も画面を見つめる。四角い画面の中でコガネ弁の人々がおもしろおかしくやりとりをしているのが見えた。そういえば最近テレビなんか見ていなかったなぁ。自分の膝の上で羽毛を膨らませるアルノーを撫で回しながら、カケルはなんとも言えない安らぎを覚えた。なんだかんだで我が家とはいいものだ。
    「そうそう、あなた宛にいろいろ届いているわよ」
     カケルとアルノーが目を細めてウトウトしはじめ、ドードリオの三つの首とオニドリルが長い嘴でリモコンの主導権を争い始めた頃、母親が封筒の山を抱えて入ってきた。
     目の前のテーブルに母親はバサリと封筒の山を置くと「もう寝るから、あなたも鳥さん達も早く寝なさいね」と言って、あくびをしながら去っていった。
     まさかこの封筒の山、旅立った当時から貯めてるんじゃないだろうな……。カケルは眠い目を擦りながら封筒の封を破り、中身を見始めた。
    “トレーナーズスクール開校のお知らせ ”
    “旅するトレーナーのカレー講座、ポケモンセンター食堂にて ”
    “モンスターボール大セール、ガンテツ師匠によるきのみボール実演販売 ”
    “フードに混ぜて肥満防止! ダイエットポロック ”
     ほとんどのダイレクトメールは興味のないものか、あっても期限切れだった。カケルは内容を確認してはクシャッと丸くしてゴミ箱へと投げた。差出人を見ればだいたい見当はつくのだが、ついつい確認してしまうのは貧乏性だからかもしれない。
     丸めた紙は、たまに明後日の夜空を見つめているネイティオに当たってしまったが、当のポケモンは気にしていない様子だった。見るとネイティオの横で、ヨルノズクがどこからか引っ張り出してきた雑誌のページを器用に足と嘴でめくって、中を覗いては首を傾げている。思えばホーホーの頃から本や地図、パソコン画面を覗いてくることがあった。意味がわかっているのかは不明である。カケルは作業を続行した。
     そうしてダイレクトメールの山は次第に低くなり、丘になり平地になった。最後に残ったのは茶色い封筒一つだった。
     それはダイレクトメール、というよりはごく親しい友人に宛てた手紙のような封筒であった。が、宛先は書いてあるのに差出人名がない。
     一体誰からだろう? カケルは封を破いて中に入っていた明るいクリーム色の紙を開いた。少し古めかしい感じのする印字が並んだ紙にはこう書かれていた。

    “拝啓
     アマノカケル様
     この度は当社の東城リニア新幹線試乗および開通記念式典にご応募くださいまして、誠にありがとうございました。 ”

     カケルはぼりぼりと頭をかいた。
     ああ、そういえばイベントに応募していたんだっけ。しまった、僕としたことがすっかり忘れていた、と思った。たしか開通記念限定デリカをプレゼント、リニアに乗ってヤマブキシティへ、開通記念式典に参加して、またコガネシティに戻る、というイベントだったはずだ。乗り鉄のはしくれならばこれに応募しない理由はないだろう。
     ん? ちょっと待て。ということは当たったのか? と、カケルはにわかに興奮した。

    “しかし、大変にご好評いただきまして多数のご応募をいただきました結果、カケル様のお席をご用意することが叶いませんでした。 ”

     なんだ、ハズレか。カケルはがっかりした。
     だが、手紙はその後にこう綴っていた。

    “そこで当社では抽選に漏れた方の中から更に厳正なる抽選を行い、カケル様を特別イベントにご招待することと致しました。同封の切符をご持参の上、下記の日時に西黄金駅へおいでください。 ”

     同封の切符? カケルは切符を確認しようと手紙を持つ手を下ろした。
     いつのまにか封筒を落としていたらしく、落ちた封筒にアルノーが頭を突っ込んでゴソゴソと中を漁っていた。やがて、アルノーは封筒の中から濃いピンク色の切符を取り出した。
    「クルックー」
     アルノーはカケルの膝にピョンと飛び乗ると切符を渡してくれた。

    “5月16日(雨天決行) 出発駅 西黄金(にしこがね)駅より
     午前5時入場開始 5時25分入場締切 5時30分1番ホームより発車 ”
    “イベントの特性上、お手持ちのポケモンの同伴およびポケモンの入ったモンスターボールの持込みを禁止とさせていただいております。ご了承とご協力をお願い致します。 ”
    “それでは、カケル様にお会いできるのを楽しみにしております。 ”



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    ここまでお読みいただきましてありがとうございます!
    以降は単行本をお楽しみ下さい!

    https://pijyon.booth.pm/items/1836623

    ピジョンエクスプレス

      1. カケルの悩み

      2. 列車で帰宅

      3. 拝啓 アマノカケル様

      4. 三つ子と三つの分かれ道

      5. 改札鋏と蒸気機関車

      6. 車掌

      7. 乗り鉄のすすめ

      8. 食事のメニュー

      9. 切符を拝見

      10. 二つのヨウリョク

      11. 雲をつきぬけて

      12. 車内販売

      13. 空に浮かぶホーム

      14. 風の吹く場所

      15. 遠くの駅で

      16. レポートと招待状

      17. ピジョンエクスプレス


      [No.4139] なんて最悪の発想をするんだ 投稿者:焼き肉   投稿日:2019/11/19(Tue) 00:32:26     31clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    タイトルがもう最悪。こんなことをしたトレーナーはそこら辺の厳選孵化廃人なんかより血も涙もない人間なんでしょうね。他の人間やポケモンたちにとってはたまったもんじゃないんでしょうけど、私としてはひたすらコダックが哀れ。おそらく面白半分にこんなことされてかわいそう。

    ひらがなとカタカナしか使ってないのに読みにくくなくて一気に読んでしまう恐ろしい面白い話でした。


      [No.4138] やさしいせかい 投稿者:焼き肉   投稿日:2019/11/19(Tue) 00:19:04     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:ハウ主♀】 【ウルトラサン】 【ラッタ(アローラの姿)

     お久しぶりすぎて誰も覚えてらっしゃらないかと思いますが、ソードシールドで盛り上がってる中今更ウルトラサンやってる焼き肉です。ハウとアローララッタがすごくかわいいです。寄り道とレベル上げであんまり進んでないです。



     アローラの独特な響きとあいさつにもだんだん慣れて来た。今では現地人に溶け込めるくらいの手振りと発音が出来るくらいだ。

     出身は違うが、コウミはこの地方が大好きになった。人々は親切で、ポケモンは強くもどこか穏やかで、気温も暖かい。星の輝く夜、見知らぬ人と見たケイコウオの作る白い宝石のような光を、きっとコウミはこの先も忘れないだろう。

    しかしだ。

    (この地方の生物、知らない人に親切過ぎない!?)

     ベンチに座るコウミの横には、あいさつを交わしただけの人にもらったものの山が出来ている。何なら今かじってるたっぷりのサンドイッチも試食品と称してお店の人にもらったものだ。

     生物と称したのは人間に限った話ではないからだ。民家にいたデリバードが持ってる袋から道具を取り出してわけてくれたのはまだしも、実のなる木までボコボコきのみを落としてくれたのには笑ってしまった。ずいぶん乱獲した覚えがあるのだが次の日には復活しているというのだから驚きだ。

    「そりゃあカントーだっておばあちゃんからもらったリンゴ近所にわけるおすそ分け文化くらい会ったけどさあ! ねえネズッタ、私が変なの? そうなの?」

     メンバーのラッタ♀のふくらんだほっぺをウリウリつまんでコウミが訴えたが、なにぶんラッタが一番気持ちいい部分のほっぺの上辺りを触ったものだから、「あ〜ええ感じなんじゃ〜」という顔つきになるばかりだった。

    「いやいやいやコレ絶対ダメ人間になる! ヤバい! マズイ! いやコレは美味い!」

     おいしいサンドイッチを食いながらコウミはブツブツ言っていたが、やがて最近もらったものの食べ過ぎで体重が気になっているのを思い出し、半分はネズッタにあげることにした。大食いのアローララッタは「マジでうめえ〜」って顔をしながらモリモリサンドイッチを片付けていく。人に寄り添うように適応していったポケモン達に人間の食べ物は有効だが、食べ過ぎは良くない。アローララッタは全体的にぷっくりと太っているくらいが健康の証らしいが。

    (アローララッタみたいにコロコロ体型になったらハウくんはどう思うかな……ハウくんだから、嫌われるとかはないかもしれないけど……)

     あっけらかんとした笑顔の彼への淡い恋心をつのらせつつ、コウミはネズッタの食いっぷりをサンドイッチが尽きるまで眺めつづけたのだった。


      [No.4123] 月虹蛾 @ The Flagile 投稿者:造花   投稿日:2019/03/21(Thu) 20:07:23     63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ガシャガシャ?あれは嘘だ(恥知らず)
    息抜きに小話を一つ。


     ☆


     世界一美しいポケモンは何でしょう?ミロカロス?ディアンシー?一部ではゲッコウガの名前が挙がっていますが、あのゲッコウガの事ではありません。
     ××地方に棲息するモルフォンの亜種(リージョンフォーム)の別名「月虹蛾」「ムーンボウエンジェル」「幸せの碧い蛾」「 フライングハスラー」の事です。
     彼等は夜行性で、美しい翡翠色の羽を持ち、羽ばたけば鱗粉を七色に輝かせます。鱗粉には多幸感を増幅させる幻覚作用の神経毒が含まれており、肌に少しでも触れれば数時間とても幸せな気持ちになれるようです。
     七色の鱗粉を撒き散らしながら夜空を飛翔する月虹蛾を目撃した者は、皆一様に「とても美しいポケモンを見た」と証言します。
     お分かりいただけたかもしれませんが、月虹蛾の鱗粉には麻薬に似た成分が含まれており、その力が「世界一美しいポケモン」と呼ばれる由縁に一役買っているようです。
     その美しさに心を奪われる者は後をたたず、彼等の捕獲を試みるポケモントレーナーは少なくありませんが、捕獲に成功した話は中々聞きません。
     どんなに美しく見えても、彼等の七色に輝く鱗粉は毒である事に変わりないのです。モルフォンの原種は、羽を覆う鱗粉の色の違いにより様々な毒を持ち、色の濃薄により毒の強さを調整しますが、その性質は亜種であろうと失われていません。
     逃げる月虹蛾を追跡し続ければ、七色に輝く鱗粉はより色鮮やかになり、強い輝きを放ちます。内に秘めた毒素をより強烈なもの変質させているのです。
     何より厄介なのは、彼等の毒は強烈な多幸感で覆い隠されている事でしょう。毒にしろ麻痺にしろ患えば肉体が反応して危険を報せてくれますが、彼等の毒はそんな生物の防御反応を真っ先に封じてしまうのです。ポケモントレーナーたちは自分が猛毒に全身を蝕まれている事に気がつけないまま、逆に自分たちが月虹蛾を追い詰めていると思い込んでしまいます。

     大抵の場合、溢れ出る多幸感・快楽・陶酔感に全身が支配されて致死量の毒を浴びる前に行動不能に陥りますが、そんな状態で野生のポケモンに遭遇してしまうと目も当てられません。
     真夜中に意気揚々と月虹蛾を捕獲しに出かけたポケモントレーナーが、翌朝には惚けたような笑顔を張り付かせたまま、内蔵を食い散らかされたり、全身バラバラな状態で発見される事が多々あったようです。
     彼等を捕獲するには、毒が効かない鋼タイプのポケモンを使役しながら、ポケモントレーナー自身も毒を寄せ付けない防護服等の装備で身を守る必要があります。
     数少ない捕獲例を見てみても、成功者はプロのポケモンハンターが占めており、高い機動力を持つ鋼タイプの鳥ポケモン「エアームド」を複数差し向け、罠を設置した地点まで駆り立てている等、捕獲の寸前まで彼等に接近していないようです。
     しかし、ここで間違っても、そのままモンスターボールで捕獲してはいけません。モンスターボールの中に閉じ込められても彼等は決して諦める事はなく、必死に羽ばたき鱗粉を窮屈な密室に撒き散らします。
     並の毒タイプのポケモン、例えば通常個体のモルフォンやラフレシアなら自分自身の毒に犯される前に体の防御反応が警告して大人しくなりますが、彼等の多幸感を増幅させる毒は自分自身の防御反応すら麻痺させてしまう代物で、そのくせ多幸感に飲まれて行動不能に陥る事はなく、自分自身の毒で死に到るまで自由を求めて抵抗し続けるのです。
     一度捕獲した月虹蛾をモンスターボールの中から解放する事もお勧めしません。中から現れるのは事切れた死骸だけではなく、自分自身を死に至らしめる程までに濃縮された七色に輝く毒が辺りに広がります。まるで置き土産の呪いですね。
     モンスターボールで捕獲する際は、必ず眠らせてからにしましょう。ここまですれば「世界一美しいポケモン」或いは「生きた麻薬製造器」は確実に手に入りますが、間違っても美しさに期待しないでください。
     彼等の本当の美しさは、ちっぽけなポケットの中や狭苦しい箱庭の中、標本のコレクションに押し込めて観測する事はできません。
     月夜の星空を自由に羽ばたく姿を目撃する事でしか知り得ないのです。


      [No.4122] 高架下の影 あとがき 投稿者:フィッターR   投稿日:2019/03/17(Sun) 22:22:02     77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     まず、拙作を読んでくださった方、拍手をくださった方、感想を書いてくださった方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
     今回のお話は、対戦カード候補を募っていた際に『ジュカインVSエルレイド』というカードが出てきた瞬間、以前から書きたかった『斬り結ぶだけでなく、殴ったり蹴ったり投げたりもあるラフファイト剣戟』というシチュエーションと結びついて原案が生まれました。持つべきものは書きたいもの貯金ですね。
     実際に使うカードを決める投票では、最初の頃はジュカインVSエルレイドにあまり数が集まらなくて不安でしたが無事出てきてくれて本当に良かったです。執筆期間はおよそ2日です。
     以下、様々な小ネタを箇条書きで。

    ・本作は、以下のふたつの剣戟動画に強い影響を受けています。
     Adorea longsword fight duel(https://www.youtube.com/watch?v=Cn36Pb8z3yI)
     Magna Moosey rapier vs long messer(https://www.youtube.com/watch?v=-zb5gys9SIw)

    ・なんでもありのラフファイトになる以上競技ルールに則った勝負にはできないことは必然なので、高架下での場外バトルという形になりました。
     最初は不良トレーナーのエルレイドと戦わせるつもりだったのですが、主人公が不良のもとに出向いて戦う理由が思いつかなかったので、エルレイドは不良に捨てられた野良ポケモンになりました。
     結果的にこのシチュエーションが作品にメッセージを込める一助になった面もあったので、いい判断だったなあと思います。

    ・橋脚に攻撃が当たったら大変なことになるので飛び道具は使えない、という設定は、戦いの舞台を高架下に設定したことから連想ゲームで思いつきました。

    ・直接描写することはしませんでしたが、今作の主人公は過去作『夢の滑走路』(https://pokemon.sorakaze.info/shows/index/1939/)に登場した"お姉さん"です。

    ・ジュカインの名前"フェンサー"は、旧ソ連製の戦闘攻撃機Su-24のNATOコードネーム"フェンサー"に由来しています。飛行機が出なくても飛行機ネタを盛り込むのがフィッターRです。言葉の意味も"剣士"だからジュカインのイメージにもピッタリですしね。
     ジュカインVSエルレイドの対戦カードを提案したあきはばら博士さんが『他意はありません』と添えていたのを見てパッと思いついた名前です。他意はありません。

    ・今回の執筆では、書き合い会直前にsyunnさんが行っていたインタビューの回答を自分であらためて強く意識して書きました。
     『戦っているひとの上にいて、戦場を見渡して把握し指示を出すことに特化したひと』の視点で物語を書いているので、『戦っているひとには把握できないものを把握できる』という要素を主観で描くことをかなり強く意識して書きました。その結果が中盤の"腹の内の探り合い"のシーンですね。syunnさんのインタビューがあったからこそ書けたのが今回のお話だと思います。ありがとうございました!

    ・お話の最後に出てくるあんまんは、原案の時点ではたいやきでした。でも20時すぎに開いてるたい焼き屋が地方都市にあるか……? と考えて、コンビニでも買えるあんまんに変更しました。


      [No.4121] ドードー戦争 投稿者:フリッカー   《URL》   投稿日:2019/03/08(Fri) 23:03:02     74clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     ぱぱぱぱぱ、と響く機関銃の乾いた射撃音は、空しく虚空へと消えていく。
    「くそっ! こんなの射撃訓練にならねえぞ!」
    「おとなしくしやがれってんだ、畑荒らしめ!」
    「いいから追え! もっと飛ばすんだ!」
     兵隊を乗せ、機関銃を背負って荒野を駆けるジープが追いかけているのは、首が2つある特徴的なとりポケモン・ドードーの大群だった。
     しかし、いくら機関銃を撃っても、まるで当たらない。
     それどころか、ドードーに追いつけさえしていない。
     当たり前だ。
     時速100キロの快足を誇るドードーに、武装して重くなったジープが追い付けるはずがない。
    「この戦いには、農産業の命運がかかってるんだぞ! 人間様の底力を見せてみろ!」
    「射撃訓練じゃなかったのかよー!」
     指揮官の叫びに、機関銃手はたまらずぼやく。
     それも空しく、機関銃の弾は全く当たらず、ドードーの群れをいたずらに散らばらせ余計に追跡しにくくなるだけであった。

     人間がドードーを狙って機関銃を撃ちまくるというこの光景は、まさに戦争だ。
     畑を荒らす野生ポケモンと、それを退治しようとする人間の。
     誰が呼んだか、「ドードー戦争」──

    『おい嬢ちゃん! 群れがそっちに行った!』
    「その呼び方やめてもらいます──って言ってる場合じゃないか」
     インカムで催促された少女は、そう呟いてゴーグルをかけた。
     頭を仕事モードに切り替える、ある種のルーティンである。
     そして、自分が乗る相棒に声をかける。
    「ゴドウィン、行くよ!」
     少女は、巨大なポケモンの背に椅子を括り付けて乗っていた。
     白銀の重々しい体を持つそのポケモン──ボスゴドラは、その見た目に反して甲高い声で吠えた。
     正面から、散らばったドードーの何匹かが迫ってくる。
     果敢にも、2匹のドードーが突撃してきた。
     そのくちばしを、ボスゴドラ・ゴドウィンに突き立てる。
     たが、少女もボスゴドラ・ゴドウィンも全く動かない。かわすそぶりすら見せない。
     案の定、くちばしはかすり傷さえ与えられずに弾かれた。
     効果は今ひとつ。
     はがねタイプといわタイプを併せ持つボスゴドラに、“つつく”など通用しない。
    「ごめんね、ここは君達が来ていい場所じゃないの──“ドラゴンテール”!」
     怯んだ所に、少女が指示を出す。
     ボスゴドラ・ゴドウィンが重い尾を振るうと、2匹のドードーはサッカーボールのように簡単に吹き飛んでいった。
     だが、相手はこれだけではない。
     未だに時速100キロで走り回るドードー達が、うじゃうじゃいるのだ。
     そのスピードに、ボスゴドラは対抗できない。
    「“がんせきふうじ”!」
     故に、飛び道具で対抗する。
     ずしん、と足を踏みしめて足場を固め、大きな岩を投げつける。
     ドードーの進路を遮るように。
     振ってくる岩に驚き、さしものドードーも進路を変えたり、急ブレーキをかけたりを余儀なくされる。
     中には、急ブレーキが効かず転倒してしまうドードーもいた。
    「よし!」
     少女が手ごたえを感じたのも束の間、動きが鈍ったドードーに、容赦なく銃弾の雨が降り注いだ。
     ドードーの足や首が、容赦なく撃ち抜かれていく様に、少女は絶句した。
     見れば、ようやく追いついてきて停車したジープの姿が。
    『嬢ちゃん、だからあんた達ポケモンハンターは甘いんだよ』
    「大尉さん」
    『人間様のテリトリーを犯したからには、相応の報いを与えるべきなんだ。手ぬるくやってるからこんな羽目になったんだよ』
     く、と少女は歯噛みするしかない。
     彼らの言う事をも一理ある。
     ここのドードーは、勝手に入って来て畑の作物を荒らす不法侵入者。
     農家達の生活を台無しにして、怒りを抱かない方がおかしいだろう。
     だが、先にテリトリーを犯したのは、一体どちらだったのか。
     ここは開拓地。
     人の手が入らなかった荒野を、畑にしようと切り拓き始めたのは人間だ。
     故に、そこに生息するポケモンとの衝突が起きる。
     人間にとって住みやすい環境は、ポケモンにとっても住みやすい環境。
     食べ物を狙ってポケモンがやってくるのは、自然な事。
     この「ドードー戦争」もまた、そんな事例のひとつだった。
     最初は、少女のようなポケモンハンターが追い払うだけだった。
     だが、豊富な食べ物がある事を知ったドードーは次々とやってきて、遂には何百匹もの群れを成すようになった。
     ハンターの力でどうにかなるレベルを超えてしまったのだ。
     しびれを切らせた農家達は、遂に軍の力を頼るようになる。
     ドードーの大群に対抗できるのは、もはや軍隊しかないと。
     かくして軍隊は、射撃訓練にもなるからと機関銃部隊をドードー退治に向かわせる事になる。
     だが、効果のほどは見ての通り。
     俊足のドードーは、機関銃部隊にとっても手に余る存在であり、ほとんど効果を上げていない。
     こうして、「戦争」は泥沼化していく一方であった。
    「確かに、そうかもしれないけど──」
     少女の声が震える。
     撃たれたドードーがすぐに立ち上がり、負傷した事もものともせずにまた走り去っていくのが見えた。
     それを逃がすまいと、また機関銃が火を噴く。
     少女にとっては、ドードーが機関銃程度で死なない事は幸運だった。
     軍隊の機関銃は、当たっても威力不足なのだ。
     軍隊はもっと威力がある重機関銃を持っていきたかったようだが、諸々の事情で持ち込めていないらしい。
    「人間のテリトリーに入るポケモンばかりを悪者にする事が、いい解決策だとは思わない」
     この戦いに、正義などない。
     ポケモン達は、ただ生きようとしているだけ。
     そして人間も、自分達の生活を守りたいだけ。
     どちらが正しくて、どちらが悪いなんて言えない。
     どちらも正しいし、どちらも悪いと言える。
    「そうだよね、ゴドウィン?」
     相棒に呼びかけると、ボスゴドラ・ゴドウィンは心配するように少女を見た。
     このボスゴドラも、元は人に害なすポケモンだった。
     まだココドラだった頃、たまたま罠にかかり処分されそうになっていた所を、少女が無理を言って保護したのだ。
     鉄を食らう故に、線路や橋を破壊してしまい、人から害獣とみなされたココドラ一族。
     だが、彼らは同時に、住処が荒れると土をならし、木を植えてきれいにする一面もあった。
     害獣であったのは、そんなココドラ達のテリトリーに土足で踏み入った人間の方かもしれない。
     人間が生活を豊かにするためにやっている事が、全部正しいとは思わない。
     そのために傷付き、怒って暴れるポケモンがいる。
     そんなポケモンも、平気で悪だと決めつける人間もいる。
     こんなのおかしい。
     そう思った少女は──
    『大尉! 新たなドードーが来ます!』
     インカムの声で、現実に引き戻される。
    『いや、違う! あれは──』
    『そっちに行ったぞ、嬢ちゃん!』
     すぐに確認する。
     1匹の影が、今までのドードーと同じ速度で一直線に向かってくるのが見えた。
     それは、不意に地面を蹴って跳び上がる。
     空を背にして、くるりと縦回転したそれは、長い足を突き出して、ボスゴドラ・ゴドウィンめがけて落ちてくる。
     そこで、気付いた。
     頭が、3つある事に。
     ドードーではない。
    「ドードリオ!」
     少女が叫んだ直後、強い衝撃が襲った。
     初めて、ボスゴドラ・ゴドウィンが怯んだ。倒れそうになるのを、何とか踏み止まる。
     それでも、うずくまってしまった。
    「ゴドウィン!? 今のは、“とびげり”……!」
    “とびげり”は、かくとうタイプのわざである。
     それは、頑丈さが売りのボスゴドラが最も苦手としているタイプのひとつである。一発でも浴びれば、致命傷になりかねないほどの。
     嫌な相手に出くわしてしまった。
     自慢の装甲が通じないならば、動きが鈍い以上ただの的にしかならない。
    『撃て!撃て!』
     そんな少女をよそに、ジープはさっそくドードリオに機関銃を撃とうとするが、なぜか撃たない。
     銃手は引き金を引いてはいるようだが、かち、かち、と空しい音しかならない。
    『どうした!?』
    『銃が目詰まりしました!』
    『何だと!? こんな時に──!』
     機関銃が故障したらしい。
     敵を前に立ち往生してしまったジープに、ドードリオが気付いた。
     3つの首全てが、ジープに向く。
     仲間達の仇、とばかりに敵意をむき出しにした目で。
    『まずい! 一旦引け!』
     ジープはすぐにUターンしようとしたが、遅かった。
     ドードリオは、その3つの首全てから、3色の光線を発射した。
    “トライアタック”だ。
    『ぐわあ!』
    「大尉さん!」
     その一撃で、ジープは簡単にひっくり返った。
     兵隊の何人かが投げ捨てられたのが見えた。
     彼らに立ち上がる隙さえ与えまいと、ドードリオは迫りくる。
    「“がんせきふうじ”!」
     少女が、とっさに叫んでいた。
     ボスゴドラ・ゴドウィンは、ドードリオと兵隊達の間に割り込ませるように岩を投げつける。
     驚いたドードリオは、すぐに飛び退く。
     その隙に、ボスゴドラ・ゴドウィンは割り込んだ。
     兵隊達の、盾になる形で。
    「大丈夫ですか!」
    「何とかな……」
     少女の呼びかけに、大尉はそう言って立ち上がった。
     その後ろでは、他の兵隊がひっくり返ったジープの運転席から仲間を引っ張り出しているのが見える。
    「だが、正気かお前? あいつ相手じゃボスゴドラは壁にさえならないぞ?」
     その前に自分の事を心配しろ、とばかりに大尉は言う。
     確かにその通りだ。
     ドードリオが“とびげり”を使える以上、ボスゴドラ・ゴドウィンは一発でやられる可能性がある。
     あまりにも脆い壁だ。
     だが、そうとも限らない。
    「誰も犠牲にしない……私は、そう決めていますから」
     そう言って、少女は一本のホースをボスゴドラの口に伸ばした。
     それは、水が入ったボトルに繋がっている。
     ボスゴドラ・ゴドウィンは、ホースをくわえて水を一気に飲み始める。
     鉄分がたっぷり入った「おいしいみず」はボスゴドラにとっての栄養ドリンクそのものだ。
     さあ、これで気合が入った。
     ホースを離したボスゴドラ・ゴドウィンの表情に、戦意が戻ったのがわかる。
    「行くよ、ゴドウィン!」
     かんかん、と軽く首元を叩いて、少女は自らの右腕を見る。
     その指には、ある宝石をあしらった指輪がはまっていた。
     同じような宝石は、ボスゴドラ・ゴドウィンの右手首にあるブレスレットにもあった。
     2つは、まるで共鳴するかのように光り始める。
    「私の魂と共に、いざ!」
     少女が右腕を伸ばす。
     それに合わせるように、ボスゴドラ・ゴドウィンも右腕を上げる。
     すると、指輪とブレスレットがかちん、と合わさる。
     途端、光は視界を遮らんほどに眩しさを増して爆発した。
    「メガシンカーッ!」
     少女の叫びに呼応するように、周囲に突風を起こすほどのすさまじいエネルギーがほとばしり、ボスゴドラ・ゴドウィンの姿が変わり始めた。
     胴体がより太くなり、力強く。
     顔も同じように太くなり、より重厚感が増したシルエットに。
     ずしん、と足場が一瞬めり込む。
     姿が完全に変わり終わると、遺伝子のような模様が前方に投影されると共に、力を解き放つように高らかに吠える。
     その声は、ドードリオどころか、兵隊達も怯ませるほどの威力があった。
    「ボスゴドラの姿が……!?」
    「あれが、噂に聞くメガシンカ……! 究極の絆を結んだポケモンと人だけがたどり着ける境地……!」
     そんな事を言う兵隊を尻目に、メガボスゴドラとなったゴドウィンは、両手を合わせて指を鳴らしてから、指先でドードリオを“ちょうはつ”した。
     怒ったドードリオは、再び跳び上がる。
    “とびげり”を繰り出す気だ。
     それでも、メガボスゴドラ・ゴドウィンは動かない。
     かわすそぶりすら見せない。
     そんな無防備な体に、ドードリオは容赦なく“とびげり”を叩き込んだ──
    「おい! いくらメガシンカしても“とびげり”を食らったらひとたまりも──!」

     が。
     大尉の心配は杞憂に終わった。
    “とびげり”を浴びせたはずのドードリオは、メガボスゴドラ・ゴドウィンの足元にぼとり、と倒れ、苦しそうに足をばたばたさせてもがいている。
     食らった方のメガボスゴドラ・ゴドウィンは、至って涼しい顔で、もっと来いとばかりに胸を叩く。
    “とびげり”は効かなかったのだ。
     意外かもしれないが、メガボスゴドラにとっても“とびげり”は効果抜群である事に変わりはない。
     だが、その度合いは変わっている。
     まず、いわタイプが消えている事。
     次に、装甲の強度がさらに増した事。
     そして、特性がフィルターへと変わった事。
     これで、効果抜群でありながら、相対的に受けるダメージが減っているのだ。
     メガボスゴドラ・ゴドウィンに涼しい顔で見下ろされている事に怯えたのか、ドードリオは至近距離で“トライアタック”を放つ。
     だが、それも全く効果がない。
     何発撃っても、傷一つ付けられない。
    「突き倒せ! “スマートホーン”!」
     少女の指示で、メガボスゴドラ・ゴドウィンは頭を振り下ろして角を突き立てる。
     それは、立ち上がろうとしたドードリオを、手で払い除けるように強く弾いた。
     宙を舞うドードリオ。
    「“ドラゴンテール”!」
     そこに、さらに尾で追い打ちをかける。
     ドードリオは、他のドードー達と同じくボールのように吹き飛ばされた。
    「おおー!」
    「やったぞー!」
     兵隊達が、揃って歓声を上げた。
     すると、他のドードー達も揃って逃げていく。
     荒野に再び静寂が戻っていく。
    「ドードー達が逃げていくぞ!」
    「どうやらあいつは群れのボスだったみたいだな」
     そう言われる中でも、メガボスゴドラ・ゴドウィンは決して追いかけようとしなかった。
     それどころか姿が元のボスゴドラに戻ってしまった。
    「お疲れ様、ゴドウィン」
     少女はそう言って首元を軽くなでながら労うと、ボスゴドラ・ゴドウィンは嬉しそうな声を出した。
     そんな1人と1匹に、大尉が歩み寄ってくる。
    「君達の事は、見直さなきゃいけないな」
    「大尉さん」
    「お前達のやり方には、『守りの戦い』ってのが伝わってきた。相変わらず甘いとは思うが──尊重するよ」
     見上げる大尉が、初めて少女に笑みを見せた。
     それを見た少女の顔にも、自然と笑みがこぼれたのだった。

     この戦争が、いつ終わるのかはわからない。
     ただ、軍隊を送り込んでもほとんど効果が出ない様に、人々から非難が集まっているのは事実である。
     それで軍が撤収しても、ドードー達がまたやってくるかもわからない。
     それでも、少女は思うのだ。
     こんな場所でも、いつかドードーと人間が共存できる日がきっと来ると。
     だから誰も犠牲にせずに戦うんだと。
     そう思いつつ指輪のキーストーンを見つめながら、少女達は荒野から撤収していった。


    ※あとがき
     この小説は、空色代吉さんの企画(http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=4108&reno= ..... de=msgview)に投稿しようとしたものの、ルールも読まずに企画してしまい参加できないものになってしまったので、単独で投稿する事にした作品です。
     皆さん、企画のルールは事前にしっかり確認しましょう;


      [No.4120] Bloody Friend 投稿者:雪椿   投稿日:2019/03/08(Fri) 15:24:20     72clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     俺は物心ついた時から、戦いの中で生きてきた。周りに森しかないこの世界では、戦うことでしか未来を掴むことができない。ぼうっとしていたら、牙が、角が、爪が俺を切り裂こうとしてくる。木の実などの食料をのんびりと探す暇があるのなら、こちらを喰らいに来た敵を逆に喰らった方が遥かに早かった。

     親? 知らない。顔も見たことがない。だが、蔓と葉の袋でできたお守り? の中にあった綺麗な石からして、誰かに飼われていた可能性は否めない。この近くにそんな石は一つも落ちていないからだ。ただ綺麗なだけの石に情を抱く理由などこちらにはないのだから捨ててもよかったのだが、今も蔓の長さを変えてまで身に着けているのは、少しでも親の「愛情」を感じたいからなのか、何なのか。

     仲間? 話が通じそうなやつと手を組んでその場限りの関係ならあるが、長い間関係を持つなんてことはない。友達なんて、もってのほかだ。もし、万が一友情が芽生えたらどうだ。俺はそいつに対して警戒心をなくし、裏切られた時にはその裏切りに気が付くことなく地面の下に行ってしまうだろう。わざわざ死にに行くほど、俺もバカではない。
     だから、俺は友達なんていらないんだ。


     なのに。


    「……何でいるんだか」
    「何か言った? 大トカゲ君」
     そいつは俺がポツリと零した言葉をしっかりとキャッチし、手頃な木の下に使った仮の寝床から上体を起こしてこちらを見てくる。そいつは緑の頭に緑と白の体をしていて、胸には刃のようなものが生えていた。最初にそれを見た時俺は大層驚き、敵の可能性もあったのに大丈夫なのかと思わず声をかけてしまった。今になって考えると、それがダメだったのかもしれない。
     俺に声をかけられたそいつはへらへらと笑いながら、自分はこういう種族なのだから平気だと言ってのけた。そいつはエルレイドと名乗り、なぜか俺と友達になってくれないかと言ってきた。こんな世界で友達になってくれないか、なんて言うやつは見たことも聞いたこともないと言い返すと、ここにいるじゃないかと言われる始末。力づくで追い払おうとしても、一時的な進化をして俺を負かしてまでついてこようとするからいつもの敵よりたちが悪い。何も言わずとも共に敵を倒してくれるからいいものの、本当に何が目的なのやら。
     身の安全のために何度も寝床を変えても、エルレイドはひょっこりと現れては今のように寝床で横になっている。お前は俺の親なのかと言いたくなってくるほどのしつこさだ。一回冗談でそう尋ねたこともあったが、「僕と君の種族じゃタマゴグループが違うから無理だよ」とまるで小さな子どもに聞かせるような口調で答えを返された。タマゴグループという、俺の知らない言葉を知っていることから、俺や敵とはどこか違うことを知った。だからといって、友達になる気はさらさらないが。
    「大トカゲ君」
     いつの間にか立ち上がり、俺のすぐ傍まで来ていたエルレイドが、鋭い目で俺を射抜いてきた。使い物にならないから、という理由からこれまで一度も開くことのなかった右目まで開いている。その瞳の奥に今まで感じたことのない、明確な強い「意思」があることに気が付いた俺は、不思議に思いつつも口を開く。
    「何だ。いつもの友達の押し付けならいらんぞ」
    「違う」
     静かに首を横に振ったエルレイドは、ゆっくりと口を開く。まるで、何か覚悟を決めたかのように。
    「僕と一緒に、ここを抜け出そう。大トカゲ君。今ならきっと、間に合う」
    「はぁ?」
     意味がわからなすぎて、思わず間抜けな声が出る。ここを抜け出す、ってどういうことだ。ここは広大な森の中。どこかに閉じこめられているのならともかく、森の中では抜け出す必要などない。次から次へと疑問符が浮かんでくる俺に対し、エルレイドはなぜか悲し気な表情をした。まるで、何も知らない子ネズミを見るかのように。
     その態度に苛立ちを覚えた俺は、妄言なら他所で言えと吐き捨て寝床で横になる。気配からして、敵は近くにいない。いつ疲れ(精神的なものを含む)を取れる時間があるかわからない。今のうちに休んでおかなければ。
     そう思い、ゆっくりと瞼を閉じていった。その時。

    「――!!」

     背後から寒気がするほどの殺意を感じ、起き上がると共に二度蹴りで地面をえぐりつつその場から離れる。全身を這いまわる寒気を意識下に追いやり、殺気を感じた方向に視線を向けると、そこには身に纏うオーラをガラリと変えたエルレイドがいた。タイミングや位置からしてある程度は予想していたものの、それが事実だと知るとややショックを受ける。いや、何でショックを受けているんだ。友達でも何でもないのに。
    「お前、一体どういうつもりだ? 殺意を向けるのであれば、こちらも相応の態度を取らせてもらうぞ」
     言葉を発すると同時に攻撃の構えを取る。エルレイドも刃のような腕を構え、鋭い視線を送りつけてくる。答える気はない、ということか。それならば話は早い。無理やりにでも話して貰おうか!

    「うおおお!!」

     戦いはスピードが命だ。俺は先手必勝! とばかりに電光石火を発動しながらエルレイドの頭をかみ砕こうとする。だが、俺が捕らえたのは虚空だった。エルレイドの姿はどこにもない。走ったり、避けたという感じではなかった。まるで、始めからそこにいなかったみたいで――、

    「まさか!?」

     テレポートを使ったのか、と言う暇もなく上空からの気配を感じ、片腕に発現させたリーフブレードを構える。その刹那、同じ色の刃がぶつかりガキィンと刃同士がぶつかる音が森に響く。
    「ふん、気配でバレバレなんだよ」
     作戦が失敗したことにより計算が狂ったのか、慌てて距離を取ろうとするやつの背後に回って辻斬りをしかける。が、何かがおかしい。手応えは確かにあった。やつは音もなく地面に倒れた。勝利が確定したはずなのに、本能は危険信号を発している。
     とりあえず本能に従ってやつから距離を取り、俺の体よりも太い幹を持った木の後ろに隠れる。チラと様子を見ようと覗き込んだ時、そこの地面が爆発した。慌てて顔を引っ込めると、視界の端を土や木片が飛んでいく。何が起こったのかはわからないが、あのまま本能を無視していたら無事ではなかっただろう。
     深い息と共に胸を撫で下ろしていると、風切り音が聞こえたと共に腹部に違和感を覚えた。空腹時などに覚えるようなものではない。まるで腹に氷でも仕込まれたかのように冷たく――、いや。冷たいなんてものじゃない。これは。

    「あああぁぁぁぁ!!!」

     体が燃えるかのような痛みが腹から広がり、口から悲鳴が零れる。原因を取り除こうと下を向くと、俺には似合わない桃色の刃が顔を覗かせていた。一刻も早く痛みと別れを告げるため、激痛に耐えながら刃を引っこ抜く。確かにそれは刺さっていたというのに、傷口は一向に開くことなく刃は空気に溶けていった。回復のため光合成を行いながら、考える。
     あいつ、エルレイドが使えそうな技から考えると、サイコカッターを使われたのか? しかし、以前俺が見たことのあるサイコカッターは桃色の三日月のような刃だった。とすると、サイコカッターの応用版、みたいなものか。記憶が正しければ切られた敵はもれなく赤い噴水装置となっていったはずなのだが……。
     もしや、刃だと思っていたけど刃じゃない? 手加減を、された?
    「っ! バカにしやがって!!」
     あれだけの殺気を浴びせながらも手加減をする、という矛盾した行為に怒りが沸々と湧き上がる。やるなら思い切りきやがれ、ってんだ! 本当にあいつは何なんだ!?
     風が止んだことを確かめてからありったけの怒りを込め、幹越しにエルレイドがいたはずの場所を睨む。恐らく、エルレイドはまだやられていない。あの爆発がそれを表している。それに、さっきは「地面が爆発した」と言ったが、よく思い出してみると「地面が弾け飛んだ」という表現の方が合っている気がする。地面が何もなしに爆発するはずがないからな。
     つまり、エルレイドは地面に向けて何かしらの技を放ったんだ。あれだけの威力を出せる技というと、インファイトあたりか。あの技は威力は強いが使った後相手の攻撃に弱くなる、とあいつは言っていた気がする。使った後はしばらくぼうっとしていたから、もしかしたら反動もあるのかもしれない。そんな技を使った後なら、すぐに攻撃をすれば反撃の糸口になるかもしれない。いや、糸口になる「かも」じゃない。糸口に「する」んだ!
    「喰らいやがれ!」
     木の前に躍り出ると、こちらに近づかれる前にとタネマシンガンを放つ。ガガガガ、と抉れた地面にタネが吸い込まれていき、土埃を巻き起こす。悲鳴も何も聞こえない。これでは勝ったのかどうかがわからない。
    「……チッ」
     仕方がない。見に行くか。周囲に小さな鎌鼬を発生させ、風の力で土埃を取り除きながら進む。鎌鼬が成長しきらないうちに空に打ち上げ、自身が傷つかないようにしていく。距離が距離だったため、すぐに目的のところへと着いた。さてさて、エルレイドはどのような顔倒れているのやら――。
     期待や不安を覚えながら、完全に大きな穴となった場所を覗き込む。土埃が完全に取り払われていないからか、穴が深すぎるのかエルレイドの姿は見えてこない。もしかしてタネマシンガンの衝撃で土が崩れ、結果的に埋めてしまったのか? その考えに頭を拳で殴られたかのような痛みを覚え、体がどんどん冷たくなっていく。
     何だ、何でだ。何で友達でも何でもないあいつのことで、こんな状態になるんだ。……いや、もしかして。俺は、あいつのことを。

    「……既に、友達だと思っていた?」

     すぐに消えそうなほど小さな言葉が空気に溶けた瞬間、首元に耐えがたい衝撃と痛みが走り、体が穴へと吸い込まれる。受け身を取る余裕などない。二つの衝撃で意識が飛びそうになるのを堪え、首元に手を当てるとぬるりとした感触が伝わる。どうやら派手に切られたらしい。幸い穴に差し込む光で光合成を続けられるが、これは痛い。先ほどのサイコカッターが可愛く思えるほどの痛みだ。この痛みの強さを考えると、使われたのは燕返しあたりだろう。威力はそこそこだが愛称を考えると侮れない。
     せっかく重要なことに気が付いたというのに、この状態ではどう反応していいのかわからない。この状態と言えば、俺は最初のリーフブレードからエルレイドの姿を全く見ていない。サイコカッターならともかく、燕返しは近距離じゃないと使えないはず。なのに全く見えないとはどういうことなんだ。テレポートを使うにしても、全て死角に入った状態でやるのは厳しいように思える。俺もずっと同じ方向を見ているとは限らないからな。
     本当に、わけがわからない。唯一わかることと言えば、エルレイドはここに落ちてはいなかったということだけ。地面の感覚がそれを伝えている。混乱の中に少しだけ安堵が加わり、俺の頭はもうごちゃごちゃだ。誰でもいいから説明してくれ。そんな思いを抱きながら空を仰ぐ。
     今の状態で敵に襲われたら俺は袋のネズミだろうが、気配のけの字もないからそこだけは安心していいだろう。敵だけならともかくエルレイドの気配もしないのは安心に入れていいのかどうか、悩むが。
     とりあえず今は十分に傷を癒し、体力も回復させることを優先としよう。ぽかぽかと暖かな陽気に思わず状況を忘れ、思瞼をゆっくりと閉じた時。

    「全く、どこまで行っても大トカゲ君は大トカゲ君なんだね」

     どこからかエルレイドの声が聞こえ、何かがひび割れる音がした。


    *****


    「は!?」
     突然飛び込んできた出来事に眠気を忘れ、起き上がりつつ目を開ける。すると、目の前にはさっきまで全く姿を見せなかったエルレイドがおり、あの時見た進化を遂げていた。それだけならともかく、その両腕は紅に濡れている。その様子に違和感を覚え周りを見てみると、俺は寝床にいてどこにも傷はない。更に見回してみても地面が抉れている場所などどこにもなく、まるで時間が巻き戻ったかのようだ。
    「……本当に、気が付かなかったんだね」
     そんな俺の様子を見て、エルレイドは苦々しい笑みを零した。


     元の姿に戻り、川で腕を綺麗にして帰ってきたエルレイドの話によると、俺が戦っていたと思っていたエルレイドや森は一種の幻だったらしい。俺はやつの目に射抜かれた時、同時に催眠術をかけられいつの間にか眠りの世界に落ちていた。夢の主導権はエルレイドにあるのだから、自分の姿を見せるか否か、技のタイミングなどはやつの思い通り。俺は夢の世界で透明な敵と戦っていた、というわけだ(最初は見えていたが)。言われてみればどこかしらのタイミングで気が付きそうだが、なぜ気が付かなかった、俺。今更だが、よく今まで生き延びてこれたな。
     俺が夢の世界に行っている間、エルレイドは近づいてきた敵を切りまくっていたそうだ。メガシンカ? はさっさと片づけるためにしたのだとか。ちなみに、切った敵は全て埋めたらしい。俺だったら有難く頂戴するが、思えばこいつは敵を喰わない主義だったな。
     そして、一番重要な話。どうして俺にこんなことをしたのか、だが……。

    「ここが『シセツ』の中!?」

     シセツというものがどういうものなのか、いまいちよくわからない。だが、エルレイドの説明によりこの世界は本当の世界ではないことだけはわかった。
    「そう。ここはある組織が持っている施設の一つで、蠱毒のような感じで強いポケモンを育てている。素質がある種族には、大トカゲ君みたいに予めメガストーンを持たされるんだ。メガストーンともう一つの石を使うと、さっきの僕みたいにメガシンカができる。最も、ここのものは色々と改造されていて、トレーナーとの絆や位置関係は完全に無視しているけど」
    「ちょっと待て。お前は石を持っているように見えないんだが、どうしてそれができるんだ?」
     次から次へと入ってくる情報に頭をパンクしかけながら、そう質問する。こいつの姿はよく見ているが、俺のような状態にして首からぶら下げている感じではないし、何かの形で身に着けているようにも見えない。思い当たることと言えば、いつも閉じていた片目だけ。……もしや。
    「片目を加工しているのか?」
    「いや、違うよ。確かにそれもなかなか浪漫があるけど、僕の場合は違う。僕のメガストーンは、この心臓に埋め込まれているんだ。どうやったのかは知らないけど、捨てようと思っても捨てられないから仕方なく使っている」
    「……そうか」
     何か、悪いことを聞いてしまった気がするな。それにしても、俺もこいつみたいにメガシンカというものが出来るのか。俺は一度も体験したことがないな。発動権利はトレーナー? という存在が握っているからか? だとすると、エルレイドはよく好きなタイミングで進化ができるな。
     不思議に思い聞いてみると、エルレイドはテレパシーという能力で進化したいタイミングをトレーナーに伝えていたらしい。幸運にもエルレイドの担当であるトレーナーは組織の中でも優しい方で、今までの情報を流してくれたのもそいつなんだとか。そう考えると、俺の担当はそれほど優しくないらしい。俺が意思を伝える手段を持っていないから、というのもあるかもしれない。
    「で?」
    「で? って、何が……、ああ。まだ肝心なことを言っていなかったか。それで、今日トレーナーに伝えられたんだ。そろそろいい時期だから、残ったやつを回収して次の段階に行くって」
    「次の段階? もしかして、今のよりヤバいのか?」
    「うん。ここで行われている内容から考えても、ここよりずっとよくないことだけは確かだ。だから、僕は施設を出ることに決めた。大トカゲ君も誘おうとしたんだけど、万が一ということもある。それで色々と試すつもりで……」
    「ああした、というわけか」
     俺の言葉にエルレイドが頷く。正直試すのであればこんな回りくどいことをしなくてもよかった気がするが、あれには俺の見抜く力がどこまであるかを知るという目的も含まれていたから問題ないらしい。で、どこまでやっても俺は全く見抜くことができなかったため、呆れながら催眠術を解いたというわけだ。
     この世界にも何の疑問も抱いていなかったから、俺の見抜く力は皆無に違いない。……これまで敵が来たら、気配がしたらすぐぶん殴る、の形でやってきたから、身につけようがなかったのかもしれないが。
    「それで、俺は合格と不合格どっちなんだ?」
    「もちろん合格だよ。見抜く力に関しては問題しかないけど、それは僕がフォローすればどうにかなるだろうし。友達を置いていくことなんて僕にはできないし」
    「……そうだな。じゃあ、早速行こうぜ」
     すぐに返答した俺を、エルレイドはポカンとした顔で見つめる。ん? 変なことは言っていないはずだが――、ああ。俺がいつものように「いや、友達じゃないだろ」とは言わずに受け入れたからか。話の内容からして俺の夢の内容も知っているはずだが、あの言葉はかなり小さかったから把握できなかったのだろう。
    「変な顔すんなよ。俺達、友達……だろ?」
     二カッと笑うとエルレイドもつられたように笑い、「じゃあ、行くよ」と真剣な顔つきになる。コクリと頷いた瞬間、周囲の景色が一変した。こういう時、こいつのテレポートはとても役に立つ。
     ……で、ここは一体どこだろう。森ではないことは確かだ。突然現れた俺達に慌てふためく生き物が多数いるが、一体何を言っているんだ? エルレイドはテレパシーを使っていたことから考えてある程度わかるとは思うが、俺は全くわからない。そういう経験が全くもってないからな。


    〈なぜSceptile××とGallade××がここに!? 対策はとっていたはずだ!〉

    〈くっ、上に報告をしなければ! 誰か、対抗できるポケモンを!〉

    〈Sceptile××とGallade××の担当だったやつはどこだ!?〉

    〈Sceptile××の方は昨日から顔を見せていません! Gallade××の方は今確認をしてみましたが、どこにもいません! まさか、逃げたのでは――〉


    「なあ、あいつらは何て言っているんだ?」
    「……僕達を消そうと言っているね。邪魔だから、こっちが消してあげようか」
    「だな。俺はまだ生きていたい」
     互いに頷きあうと、それぞれ「敵」に向かって躍りかかる。さあ、戦いは始まったばかりだ!












     俺は少し前まで、仲間など、友達などいらないと思っていた。それがきっかけで死ぬことがあるかもしれないと考えていたからだ。だが、実際はどうだ? 俺の仲間は、友達はこんなにも最高の存在だ! もしかしたら、俺も心のどこかではそのことに気が付いていて、仲間や友達を求めていたのかもしれない。
     チャプチャプと水たまりの中を歩きながら、俺達は出口を探す。どうやらエルレイドのテレポートも万能ではないらしく、好き勝手には使えないらしい。あと、インファイトには反動などないそうだ。インファイトは今の状況には関係ないが、俺が何か勘違いしていることに気が付いてどうしても訂正したかったらしい。確かに勘違いしたままだったら今後の対応にも影響が出てくるな。しっかりと記憶しなければ。
     これまで教わった知識をしっかりと記憶に刻みながら、チラと隣を歩くエルレイドを見る。今のこいつは元が緑や白だったとは思えないほど紅に染まっている。それを言ったら俺も似たようなものなんだが、これがなかなか面白い。ある意味お揃いだからなのかもしれない。
    「外に出たらどこに行こうか」
    「出た後で考えればいいだろ」
    「そうかな」
    「そうだろ」
     どうでもいい会話を続けながら、俺達は歩き続ける。途中で意見がぶつかって危ない時もあるだろうが、結局何とかなってしまうのだろう。そんな予感がする。
     ふと視線を下げると、水たまりに映る自分と目があった。動くことで波紋が広がるからか、その表情はどこか歪んでいる。エルレイドのはどうだろうか。視線を横にずらすと、紅の中のあいつと目が合った。だが、これは波紋が見せる錯覚だろう。そう考えて、再び視線を前に戻す。
    「…………ふふっ」
     視線を戻す直前、水たまりのエルレイドがとても楽しそうに笑うのが見えた気がした。


    「Bloody Friend」 終わり


      [No.4119] 慧眼 投稿者:円山翔   投稿日:2019/03/05(Tue) 00:00:59     81clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     さあ、始まりました!MLカップ1回戦第1試合、気になる対戦カードは!
     赤コーナー!カントー地方はシオンタウンの祈祷師、タマヨ!
     青コーナー!ホウエン地方はカナズミシティのミニスカート、コズエ!
     どちらも今回が初出場ということです。一体どんな戦いを見せてくれるのでしょうか!
     それでは、バトル開始ぃ!
     お互いに繰り出したポケモンは、タマヨ選手がゲンガー、コズエ選手はエネコロロだ!さあ、ゲンガーが早速仕掛けた!これは「かげうち」でしょうか?ゴーストタイプの技はノーマルタイプのエネコロロには効果がありませんが…今回は移動に使ったようです!すかさず「かわらわり」を叩きこむ!ああっと、ここでエネコロロの「ねこだまし」が炸裂!これも効果はありません!が!ゲンガー、大きくのけぞった!これは「ねこだまし」の瞬発力に乗せた「しねんのずつき」でしょうか!最初の駆け引きはエネコロロが制したようです!さて、距離を取ったゲンガー、大量の「シャドーボール」を生み出しました!しかしこれも、それ自体は効果がありません!さて、どう使うのか…おっと、これはどうした?「シャドーボール」が途中で止まってしまった!そしてゲンガーがいません!どこへ行ってしまったのか?エネコロロ、シャドーボールの隙間を縫って走ります!前脚を振り下ろしたのは、なんとシャドーボールの影だ!あっと、ゲンガーです!影から飛び出して別の影に移動しました!「シャドーボール」は自身が隠れる影を増やすためのダミーのようです!エネコロロ、次の影に飛びかかる!が、ゲンガー、今度は逃げない!真正面からぶつかりに行きました!エネコロロ、これは反応できない!飛ばされた先には「シャドーボール」がありますが、これはすりぬけ…ません!なんとダメージを受けているようだ!何事か!?これは「サイコキネシス」の線が濃厚でしょうか!おっと、ここで「シャドーボール」が一斉にエネコロロに殺到する!しかしエネコロロ避ける!避ける!また避ける!いや、むしろシャドーボールがエネコロロを避けているようにも見えます!面白いくらいに当たりません!あれは、「ねこのて」だ!1対1では手を借りる仲間がいません!ということは、今回借りているのはゲンガーの「サイコキネシス」でしょうか!なんという協力プレイ!しかしゲンガーにとっては全く嬉しくない!っとここで最後の一発が逸れ…ない!直撃!先ほどまで使っていた「ねこのて」が止まってしまった!エネコロロ、肝心の場面で「かなしばり」に遭ってしまった!これは痛い!
    …………
    ………
    ……


     試合終了後、この放送に関するツイートでチルッターが炎上した。その約半数は、実況者の観察眼を称える声だった。そして残りは、選手の手の内を次々に白日の下に晒していくことの是非に関するツイートで溢れかえっていた。


      [No.4118] 魔法剣士と森の民 投稿者:あきはばら博士   投稿日:2019/03/04(Mon) 23:34:47     117clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



     教会へと向かう道はたくさんの人が行き交っていた。
     もともと街の中心を彩る賑やかなメインストリートであったが、夏の訪れを祝う祭という特別な日でいつもよりも増して活気にあふれ、酒や食べ物を売る屋台が軒を並べている。
    「おい、そこのねーちゃん、ねーちゃんよぉ、ちょいとうちに寄ってかないか、安くしとくぜ」
     威勢のいいヒゲ面の中年の売り子が手を叩きながら声を掛けてくる。それを聞いてぱあぁと笑顔になってまた店に飛び込もうとする連れを、藍墨色の外套を着た男がディアンドルの裾をつまんで引き留める。
    「おい、なにするんだ」
    「ナルツィサ殿……、寄り道しないで頂きたい」
    「ナルと呼んでくれと言ったじゃないか。今日の私は貴族の令嬢ではなく、そのへんにごく普通にいるいたいけな村娘として祭に来ているのだからね」
     手を腰について豊かに盛った胸をはって主張するナルに、お前のような町娘がいるか、と外套の男――カゲマサは突っ込もうとしたが、我慢した。
     豊かに膨らんだ胸元を紐の交差で隠した小洒落たディアンドル、腰のエプロンには向かって右に大きなリボンが結んである、頭にはキラキラした髪飾りを差しており、とても美しく可愛らしい。――だが、その可愛らしく着飾りすぎなのが問題だ。
     周りの垢抜けない本物の町娘たちの中でその美貌は浮いており、高貴さがまるで隠しきれてない。村娘だと言い張りたいのならば、顔に白粉など叩かず洗い疲れたような服を着るべきだ。
     まあしかし、ナルがそれで良いと言うならばカゲマサは何も口を挟むつもりはない。
     夏迎えの祭と言うものを観覧するために、お忍びでやってきた西方の領地に住む貴族ナルツィサの護衛という立場でここにいるのだから、何も言わずに護衛の任に徹することにした。
    「今日ここに来た目的は忘れてないだろうな、もう時間が無いぞ」
    「もちろん、では行こうか」
     ナルがすっと手を出してエスコートを求めると、カゲマサは苦い表情をしてから仕方なくその手を取って歩き出す。
     石造りの家と屋台が立ち並ぶ、曲がりくねった道を歩いていく、目的地はこの先にある教会前の広場。


     先日のマックデブーガーの惨劇の対応に追われて帝国の中枢部は大いに揺れている。戦いには勝ったはずが、領主貴族達はまるで敗戦処理に追われているかのような慌ただしさで、さらに悪いことに北方では怪しい動きが見え隠れして、油断ならない事態にある。
     だが帝国に住む領民にとっては、お上のそんな事情は関係なく。今年も例年通りに開催されたこの夏迎えの祭で大いに盛り上がっている。
     教会の前の広いスペースには石畳のモザイクでバトルフィールドが描かれており、祭の今日だけはそのフィールドの周りに、特設の観客席が用意されていた。今日は祭のイベントの一つとして、いくつかのバトルが催されるのだ。
     ナルとカゲマサは教会の壁に掲げられた対戦カードと、周りに人が群がる今回の対戦者を見ながら勝者を予想し、出店で賭け札を購入してから観客席に陣取った。


     * * *


     これから戦闘を行う両者が並び立つ。
     右にはジュカインを連れた木こり、ジュカインは革の上着を身につけ腰のベルトには2本のフランツィスカを括り付けている、木こりのトレーナーと同様に緊張した面持ちを見せている。
     左にはエルレイドを連れた女騎士、エルレイドは幾度の修復跡が残る使いこまれた鎧を着こみ、その鎧には紋章も刻まれており、胸を張って堂々とした佇まいを見せている。
    「いかにも山で木を切る仕事をしているような容貌だな」
    「ああした者ほど強いから油断できないぞ」
    「ふむ…… あの騎士は、元貴族かな?」
    「そうみたいだな」
     観客席に座るナルとカゲマサは、出店で買ってきたジャム入りパン菓子をつまみながら呟く。
     密林ポケモンのジュカインは細い木々の間を巧みに跳び回れる足腰を持ち、伐採仕事の相棒としてはもってこいのポケモンだろう。そのトレーナーは精悍な青年であるが、とりたてて特徴もない普通の木こりといったところだ。
     女騎士は鎧を着こんでいるが、それはエルレイドの鎧とは対照的でろくに打ち直しがされておらず、サイズが合わない鎧をむりやり着ているように見える、おそらくトレーナーの装備にまで首が回らないのだろう。最近の商家の躍進により金を集めて貴族に成りあがる商家がいる一方で、逆に積み重なる借金に喘いで破産してしまい、廃爵されて没落してしまう貴族が後が立たない。彼女もそんな境遇の一人であり、少ないチャンスを求めてこの試合に臨んでいる。


     試合は『1対1 有効打点 2本先取』で行われる。
     お互いのトレーナーが1匹だけポケモンを出して戦い。綺麗に攻撃を決めるまで1本とし、1本ごとに短い休憩を挟んで先に2本取った方が勝利になる。試合を長引かせて娯楽性を高めるための試合形式と言えるだろう。
     両者が試合フィールドの定位置についたところで、旗を持った審判が前に出る。
    「構え、準備はいいか?」
     審判の問いに、両者は大きな声で了解の返答をする。
    「よし!」
    「よし!」
    「では……はじめっ!」
     審判の合図と共に、ジュカインはこれからの戦闘の下準備のために腕を振り上げるような攻撃的な舞を始める、剣の舞の構えだ。
     対するエルレイドは大きく腕を振り上げ、少し片足を上げて、
     踏み込んだ瞬間――


      ジュカインに[つじぎり]の逆袈裟斬りが振り下ろされた。


     まともに受け身を取れないままに地面に叩き付けられるジュカインの頭。
     側頭部を強打する。

     少し遅れて慌てたように審判の旗が振り上げられた。


     * * *


     一瞬で決まってしまった展開に観客は騒然となった。
     急遽エルレイドの賭け札を買いに走る者が続出し、観客席の人の出入りが活発になる。
    「あれは縮地……いや、違う」
     縮地法。 緩急を加えた特殊な移動方法によって錯覚を起こし、瞬間移動したように見せる技術はあるが、あのエルレイドはそんなフィジカルテクニックではなく、もっと直接的で――まるで空間そのものを飛び越えたのような挙動を見せていた。
     しかし、普通の瞬間移動(テレポート)にしては不可解な動きだった。
    「空間加工か」
     カゲマサは一人考えて、そのように結論付ける。
     ラルトスおよびその進化系は『テレポート』のワザを習得することができる。その異能を利用して相手との間の空間を捻じ曲げて繋ぎ、間合いを自在に操作したということなのだろう。
     ワザとしてのテレポートのような大掛かりな空間移動ではなく、非常に小規模に空間操作を行い、このように体術の一つとしてワザと組み合わせることができる。身体ごと移動しなくても、ワザが当たる先端だけを相手のすぐそばに繋いでしまえば、飛ぶ斬撃ということもできるだろう。


     休憩時間を終えて、両者が再び並び立つ。
     二本先取なので、エルレイド側はこれを取れば勝利だが、ジュカイン側にとってはもう後がない。
    「はじめっ!」
     審判の合図と共に、ジュカインは走り出す。それも右や左へでたらめな方向に跳び回る。
     あの木こりトレーナーは早くも『動き回っていれば問題ない』ことに気付いたようだった。
     空間内の点と点を繋ぐ都合上、空間内の意識して狙った点にしか攻撃を当てることができず、当てるためには相手の場所を捕捉しなければならない。せっかく空間を繋いでもその場所から移動されては意味がなくなってしまうので、不規則に動き続ける相手に対して先ほどのような戦術は成立しない。

     そのようなことは当然ながらエルレイドを操る女騎士も承知の上なので、すぐにそれに応じた指示を出す。
     エルレイドは黙って頷き、その場で何度も腕を素振りして、無数の[サイコカッター]を生み出す。念波の刃は加工されて歪められた空間に乗って、四方八方からジュカインの身体を切り刻んでいく。
     『斬れる』という結果が作られた空間をフィールドの至る場所に配置して、そこを走り回るジュカインが通過する度に、ズタズタに斬り刻まれている。と説明した方が正しい表現か。
     ジュカインも苦し紛れに[エナジーボール]を発射するが、直線的で分かりやすい弾の軌道は、軽々と曲げられてしまい当たることはない。
     それでも一瞬の隙をついて、ジュカインは近距離から[リーフブレード]を繰り出し、エルレイドも同じワザで迎え打つ。

     両者の[リーフブレード]がぶつかり合って、金属が打ちつけられるような音と共に、緑色の火花が飛び散った。

     エルレイドは後ろにのけぞる動作と同時に空間移動をして、また充分な距離を取り、無数の[サイコカッター]で苦しめにかかる。
     観客からの見解を述べれば、ジュカイン側が不利で追い詰められている状況になっていた。
     一見拮抗しているように見えるが、エルレイドは鎧を装備しており、例えワザが命中したとしても騎士鎧の装鋼を破らなければダメージを与えることはできない。
     そうなると、ただ少しずつ削り合うだけのこの状況では勝ち目がなく。
     飛び道具は届かず、接近戦もできず、決定打もないままのジュカインは一方的に削り取られるだけになるだろう。

     しかし、手足ならばそれぞれ2本づつあるかもしれないが、超能力を扱える頭脳は1つしか存在しない。
     魔術と体術を両立しながら戦うという行為は、右手と左手で違う字を書くがごとき繊細さが必要になり、
     攻撃と防御の両方に気を配りながら超能力で空間の加工をおこない続ける集中力を、いつまでも持続することはできない。
     ジュカインは先ほどのように、その集中力が途切れた隙の、空間移動ができないタイミングでエルレイドの目の前に踊りでる。
     慌てず、エルレイドは[つじぎり]で迎撃に入ったが……

     ジュカインは腰に付けていた、フランツィスカ――小型の戦斧を手に取って握り締めており、力いっぱい振り下ろした。

     その一撃は辻斬りで相殺できた、だがその瞬間にはフランツィスカはジュカインの手から離れており。
     二本目のフランツィスカが逆方向から振り下ろされ、エルレイドの鎧を軽々と貫いて、ふっとばした――。

     今度の審判の旗は、ジュカインの方に振り上げられた。


     * * *


    「あれは……」
    「フランツィスカか、面白いものを持ってきたね」
     フランツィスカ――かつてその昔、この地で使われていた投擲用の戦斧である。
     離れた場所から人間の手で、ポケモンの頑強な皮膚や鉄の鎧を破ることができる武器で、この斧でフランク人はこの地のポケモンや人間達を征服せしめた逸話がある。
     勇敢なポケモンも人の兵士もそれを見れば皆恐れ慄き、あまりの強さに『武器の名前がそのまま民族名になってしまった』という、時代を揺るがしたいわくつきの武器である。
     普段から斧を扱う木こりだから持たせているのだろう。
    「投げるところを見られないのが残念か」
    「ちょっと相性が悪いね」
     フランツィスカの真価は投げてくるかもしれないという恐怖にあるのだが、今回は飛んできた物の軌道を自在に曲げられるエルレイド相手に通用しないので、普通の小型の戦斧として使うしかないようだ。
     それでも鎧通しに成功して、勝ちを一つ拾ったので十分な成果と言える。
    「どっちが勝つと思う?」
    「……分からぬが、あの騎士が空間加工術の使い手であるならば、あのワザをまだ使ってないな」
    「木こりの方も何かのタイミングを図っているそうな顔をしているし、どちらも隠し玉がありそうだね」
    「ああ」



    「はじめっ!」
     審判の合図と共に、決着の一番が始まる。
     両者の行動は予め決められていた。
     エルレイドは意識を集中し、周囲の空間に干渉して、その理を捻じ曲げる。
     素早さが半分くらいにまで低下する、重い鎧の装備でこれまでは走ることが出来なかった。
     その身に纏う重装鎧で落ち込んでいた敏捷性が ――裏返る。
     空間加工の究極奥義。 ――[トリックルーム]

     それと時を同じくして突然、木こりの口から朗々と空に響き渡る祈りの口上が発せられた。

    「天にまします我らの父よ 願わくは 御名の尊まれんことを 御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
     尊父の森の力を我らに与え給え 聖母の恵みを我らに施し給え 我らに勝利を許し給え!」

     指を組んだ手と、その祈りの言葉と共に、木こりのベルトのバックルに埋め込まれた宝玉と、そしてジュカインの革服の下から激しい輝きが漏れ出した。
     観客たちが一斉にざわめきだし、身を乗りだしてこれから起こる目の前の現象を凝視する。
     ジュカインの背中から十ほどの黄色い珠がせり出して、肩からは堅い葉が放射状に鋭く伸びる。
     最後に「アーメン」という言葉と共にジュカインの姿は、尻尾が大きく尖って伸びた異質な姿へと変貌を遂げた。

     これは王侯貴族にしか許されないとされる『メガシンカ』の力ではないかと、ナルやカゲマサを始めとする何人かの者は勘付いた。
     だがジュカインのメガシンカなど確認されておらず、存在しないはずだ。しかしこれがメガシンカではなかったとしてもメガシンカに匹敵する圧倒的な力を持っていることは容易に想像できた。
    「天を貫く樹木に与え給えし、雷霆の力よ、目覚めよっ!」
     木こりの続けて唱えられたその言葉と共に、中空から霹靂がジュカインの尾の先に落ち、ジュカインは甲高い声と共に激しい光に包まれる。

     エルレイドはその様子を黙って見ているわけではない、突然光に包まれた対戦相手が何やら奇怪な姿になる光景には大変驚き、警戒していたが。
     すぐに気を取り直して、空間加工術で扉を作り、腕を振りかぶり、トリックルームによって得た瞬足で直ちに勝負を決めるため斬りかかる。
     対するジュカインが放った手は、たった一つだった。

     もう倒れてしまっても構わない、この空間内すべてを巻き込んでブッ放す、最後の全力の――


     [ リ ー フ ス ト ー ム ]


     トリックルームで作られた閉鎖空間の中に、おびただしい量の葉っぱが巻き上げられて
     そこに最後に立っていたのはジュカインの姿だった。


     * * *


     どちらが勝ってもおかしくなかった。
     とカゲマサはあの勝負を顧みた。

     エルレイド側の敗因は、空間加工の技術に溺れてしまったことと、攻めに転じる決断力が足りていなかったことだろう。
     実はジュカインは幾度となく浴び続けてしまったサイコカッターのダメージの蓄積が深刻で、休憩を挟んでも体力を回復することができず、最後の一番は立って攻撃をすることがやっとだった。そのため捨て身の超高威力ワザを撃って倒すしか勝機が無かった。女騎士はそれを読み取ることができず、まだ試合が長引くとたかをくくって中威力の攻撃で戦おうとした結果、押し潰された。
     トリックルームによって得られた敏捷さで、リーフストームが放たれた瞬間に瞬間移動で回避をしていた――だろうと思われるが。どんな攻撃も空間加工により自在に回避できるはずが、トリックルームという閉鎖空間を作ってしまった結果、リーフストームをその密室内の全域に放たれてしまい、それが逃げ場のない監獄と化してしまっていた。
     空間を認識することが大事な技術のため、自らトリックルームという区切られた空間を作ってしまうと、その外側に認識を働かせることができない。
     どちらも指揮官たるトレーナーとしての未熟さが起因しているものだが、それ故に伸びしろがあるということで、磨けば光る素質がそこにあると思えた。

    「いいねぇ、あのエルレイド連れた騎士。あの子、買おうか」
    「?!」
     ギョッとして、カゲマサはナルの顔を凝視した。
    「……なあに? その顔、まさか変な勘違いしてない?」
    「あ、ああ、申し訳ない。失礼した」
     怪しい笑いを浮かべながら、ナルは試合場の外れに立つ、あの女騎士へと視線を移す。
     賭けに負けた観客から憂さ晴らしにヤジや物を投げつけられた彼女は、ションボリした顔でうなだれていた。
    「あの女騎士の身元はうちで買おう。どうかな?」
    「良いのではないかと」
    「じゃあ、決まりっ」

     帝国に向けられた戦禍の火種は刻々と大きくなりつつある。
     貴族たちは派兵に備え、こうして優秀なトレーナーたちを雇い入れて戦力を着々と整えていた。

     帝国の騎士達が、北方の国が率いる北欧の未知なるポケモン達と激突して死闘を繰り広げる。
     《ブライテンフェートの戦い》まで、あと数か月と迫っており。

     そしてこの戦争の結末がどうなるかは…… ナルもカゲマサも知るよしが無かった。


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    この話は1600年代前半あたりの神聖ローマ帝国をモデルにしております。
    この時代ではまだポケモンバトルに鎧の着用や武器の使用が認められてましたが、現代のポケモンバトルでフランツィスカなど使ったらリーグ規定などにより重い罰則が課せられますのでご注意ください。
    ナルさんは初夏祭に優秀なトレーナーをスカウトしに来ていて、女騎士もそういう需要で出仕先を求めてあの試合に参加していました。
    戦いは3本勝負にして、戦いの山場を3つ用意しました。 倒れるまでの一発勝負だけがバトルじゃないのです。

    ・武器による攻撃
    高威力の通常攻撃という位置づけ、総合的に見るとワザの方が威力があって使いやすいので、ワザを鍛えた方が強いと言われています。
    ・バトルにおけるトレーナーの指示
    戦闘前にあらかじめ打ち合わせした通りにしている + 臨機応変に指示を出しているけど描写してない。
    で、トレーナーの指示のセリフをカットしてます。
    ・最後のリーフストーム
    140+メガシンカ+タイプ一致+避雷針 で威力をマシマシです。
    分かりにくいですが、メガシンカ直後に目覚めるパワー(雷)を自分に向けて撃って、避雷針を発動させてます。
    ・メガシンカについて
    王家しか認められないものだと思われていましたが、使える人は「これはメガシンカじゃない」と言い張って使ってました。国家への反逆になることを恐れて伝承はせず資料も残さなかったので、現代になるまで全く研究が進みませんでした。
    ・その後
    浮線綾さんは予想がついているかと思われますが、史実に沿って考えるとナルのいるアルビノウァーヌス領は、一連の戦争の結果で帝国が負けたことで、カロスに割譲されるはめに遭います。


      [No.4117] コックリさんの授業 投稿者:ミヤビ   投稿日:2019/03/04(Mon) 22:49:19     86clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「そこまで言うなら勝負だ!」

    なぜこうなってしまったのだろう・・
    そう自問してみて振り返ること30分前になる。

    あたしことティーチャーFは某国から実戦を想定した授業の講師として招待され、この小学校に来ていた。
    まあ照れくさいことに、こんな黒スーツでサングラスをしていて色気感じられない残念な女だろうが。

    これでも軍人だ。

    「では、えーティーチャーFでしたか?本名でもいいのでは?」

    「すみません色々とその筋の人の耳に入ると厄介なので。
    呼びにくいのでしたら変えますが?」

    「そうしてください・・・。」

    御国の無茶ぶりに応えたせいで変に敵国に覚えられてしまいまして、
    ええあれですイヤな方面に活躍しまして。
    その腕を買われて教師として呼ばれましたエヘン!

    「ではそうですねー、コックリさんでいいですよ?」

    「なんだか呪われそうですね。分かりましたコックリ先生。」

    話している間にもう目的の教室に到着しました。
    クラス担任のアモー先生がガラガラと扉をスライドさせる。

    「はいみなさん着席して。
    新しい先生を紹介しますね、こちら短期ではありますが戦術科のコックリ先生です。」

    「はーいみなさーんコックリさんですよー。
    分からないことは聞いて下さいねー♪でも聞いたら分かるまで聞かないとダメですよー。」

    うーんKaWaII子供達がひーふー・・10人!
    みんないい顔してるねーそのキョトン顔ぐっ☆じょぶ☆

    「せんせー。」

    「はいなんでしょう!・・・カンジ君!」

    うんうん早速質問とはえらいねえ。

    「正直戦術課って必要ですか?必須科目じゃないし時間の無駄です。
    すべて攻撃技で相手の弱点技を繰り出せば終わりだと思います。」

    うーんこれはなんとも教え甲斐のありそうなボーイだ、
    これが今流行りのゲーム脳というやつか。

    「まあカンジ君がポケモンと関わらない良い会社に入るためなら、
    確かに必要ないかもだ。単位を取るだけでいいからね。」

    「じゃあその授業を受けず必須科目を受けても宜しいでしょうか?」

    要らなさそうですかそうですか・・・グスン悲しいゾ。

    「ちなみに単位を取って出席日数稼いだ後ですが、
    面接や履歴書については考えてますか?」

    「履歴書?面接?」

    あ、忘れてたここ小学校だわ。

    「アモー先生、この学校の教育方針なんですかね?」

    「元気にすこやかに」

    「あ、そういうのはいいのでぶっちゃけお願いします。」

    「・・・まあそれは後程。」

    まあカンジ君見てたら大方良い学校に進学させてポイント稼ぎ、
    その出荷品程度の考えなんだろうな。
    さあて先生もそのまま退出しましたし。

    「うんわかりました!じゃあみんなグランドに集合!遊ぼうぜ!」

    「「「「「え!!!?」」」」」

    【グランド】

    「えーみなさん!今日はすごく!すごくいい天気ですね!」

    「「「「「さむいです先生!」」」」」

    寒いだろうそうだろう!だからいい天気なのです。
    なんせ社会の厳しさ・現実を教えやすい!

    「それではみなさん!『2組になって下さーい』!」

    ふふ、一度言ってみたかったのだこのセリフを。
    懐かしいなー今回は偶数だけど奇数だと1人あぶれるんだよねー。
    ・・・泣いてなんかいないぞう・・・。

    そうこうしている内にむむ?1組何か様子がおかしいぞ?

    「君たちどうしたね?なんか仲悪そうじゃないか?」

    「なんでもないです。」
    「うう・・・。」

    うーんこの、なんでしょうカンジ君と虐められっ子ぽいこの子は・・
    確かユーイ君でしたね。険悪という感じがしますね。
    まあそれは後で。

    「ではお互いに手持ちのお気に入りのポケモンについて紹介して下さい!」

    ちなみにこれは現地に派遣された時に真っ先に自分を売りつけるくんれ・・・
    コホン、もとい授業なのです。
    実戦方針とのことなので文字通りにしてみた。
    なんせ外で紹介は当たり前だからna!

    みんな良い感じに耐えながら紹介しているな。
    みんなちゃんと・・ちゃんと・・・

    あれ?君たち攻撃技しかないけどあれぇ?
    いや、いいんだけどあたーし戦術科の先生として来たのだけどあれぇ?

    「なんだそのポケモン、無駄ばかりじゃん。」

    むむ?無駄ですと?

    「かげぶんしんとかエレキネットとか真っ先に忘れさせる技だろ。
    ほんっとうにユーイは無駄ばかりだな。」

    「またユーイかよ。」
    「ユーイ君ださーい」

    むむ?かげぶんしん・・・エレキネット!?

    「ユーイ君、もしよかったら先生にプレゼンしてくれないか!」

    「え!?ごめんなさいあげれません!」

    「ごめんプレゼントじゃないの!紹介!紹介しておくれ!」

    「えーと、ぼく大きいの飼えないからこのバチュルを育ててるんだけど。
    技はかげぶんしんとエレキネット、身代わりとエレキボールです。
    攻撃技は1つしかないけど、最低限しんじゃったりしないような技を教えています。」

    「先生もはっきり言ってやって下さい!」

    「素晴らしい!」

    「・・・え?」

    やっと補助技を教えてる子が居た!ヤッターちゃんといたー!

    「カンジ君も良ければプレゼンしてくれないかな?」

    「ええ分かりました。僕はこのオーダイルです。
    なんと珍しい【ちからづく】を持ち、こおりのキバ
    、ばくれつパンチ、かみくだく、なみのりと。
    高威力の技を揃えたオールラウンダーです!」

    「ふむ。なるほど。」

    「・・・先生?それだけですか?」

    「ええそれだけです。最初こそ好印象でしたがなんでしょう。
    正直、君の将来が心配ですね。」

    すべて高威力の技を揃える事のみしか見ていなかったのでしょう。
    実に、【実に穴だらけ】でした。

    「そこまで言うなら勝負だ!」

    「・・・んん?」

    「先生はユーイのバチュルを素晴らしいって言ってましたね。
    じゃあ僕のオーダイルと勝負です!」

    あ、なるほど了解しました。

    「よろしいですよ。ではユーイ君とカンジ君のポケモンバトルだね!」

    「先生?!」

    「なぜですか!先生がやらないんですか!?」

    「それはこのバチュルがユーイ君のだからです。
    大丈夫です、ユーイ君にキミが勝てば先生に勝った扱いでかまいません。」

    ユーイ君にとってではない、このクラスのためになるのですから。
    許せユーイ君☆
    さてユーイ君を寄せて・・・

    「ユーイ君、キミは実に良い目をしている。
    このバチュルに最適の1つの技構成をしていると考えます。」

    「先生、さすがに逃げは出来ても倒せませんよ?」

    「大丈夫です、アレコレナニ・・・・というわけで頑張って下さい。」

    【ポケモンバトルベース 森】

    「でははじめのダンジョンは森がベースなのでここでいきましょう!」

    「いくぞユーイ!バトルなら容赦しねえ!」

    「い、いくよカンジ君!」

    それぞれが定位置に着きました。
    ゴウイトミテヨロシイデスネー?ポケトル〜

    「ファイトォ!!」

    カアン!

    「さあやってまいりました司会はコックリことティーチャーFがお贈り致します。」

    「コックリ先生なにやってんですか。こんな席とマイクまで用意して。」

    「まあお約束というやつですよ。おおっとカンジ選手オーダイルによるかみくだく!
    しかしバチュルはかげぶんしんで回避したあ!」

    「コックリ先生。確かにかげぶんしんで回避してれば当たりませんが、
    それもいつ当たるか分かったものではありませんよ?」

    まあそれが普通の考えです。
    『数撃ちゃ当たる』そうなんだろうが今回に至ってはそれは間違いだ。
    なんせ技構成のほとんどが物理。

    『近づけさせなけりゃあ当たらない』んだから。

    「くっそおチョコマカと!もっと接近しろオーダイル!」

    「バチュル下がりながらエレキネット!」

    そう、そうせざるをえない。
    近づかないとそもそもいけない相手に対してエレキネットはまさにベストマッチだ。
    そして唯一の遠距離攻撃のなみのりも。

    「オーダイルなみのりで面制圧だ!」

    「バチュル!木の上に避難して身代わり生成!」

    ここは森の中。木を薙ぎ倒したとしても浮く材木相手では分が悪い。
    水はね、くさ(植物)に弱いのですよ。

    「コックリ先生。これは。」

    「虫ってねすごいんですよ。
    あんな10cmしかないのにあんなに俊敏でパワフルに活躍できる。
    さらに技構成はまず『死なない』ことを前提にしている。
    だから相手は術中にはまり今じゃエレキネットで動きは鈍い。
    こんな状態で水浸しのオーダイルにエレキボールなんて耐えれますかねえ?」

    「くっそおおこんな虫なんぞにいい!オーダイルううう!」

    そして力づくで来る。ここからはもうユーイ君もすべきことは分かっているでしょう。

    「バチュル!オーダイルにとりつけ!」

    「オーダイルころg」

    「転がるのはワニのサガと言いましょうが、
    ただ労力を肩代わりしただけ。オーダイルは自動巻き機になりましたね。」

    「これは!エレキネットの糸がオーダイルに巻き付いて・・・
    いや『自分で巻いている』!?」

    「勝負ありだねカンジ君。」

    「ちくしょおお!」


    * * * * 

    「さてみなさんこれで補助技の有用性が実証されたと思いますが。
    如何でしょうか?」

    みーんなアングリしてますねそうなるだろうことは分かってましたよ。
    なんせただ殴り合うだけしかしてこなかったのでしょうから。

    「まあこれから数週間は授業で教えますからうんと勉学に励んで下さい!」

    「先生、ユーイのいままでの戦い方じゃなかった。
    何を言ったの?」

    「知りたいですか?『大丈夫です。初めにかげぶんしんして、
    当たりそうになったら身代わりして、
    走って来たら後ろに飛んでエレキネットして下さい。
    なみのりは高い木に登って下さい。
    そして当てれると思ったらエレキボールして下さい。』
    それだけですよ。」


    さあて、今度はどんなマジックを披露しようかな♪


    〔この時。一瞬であったが女教師がふとサングラスを外す、
    その狐目で直に子供達を見つめて。どうやって化かすかを考えながら。〕


      [No.4116] 高架下の影 投稿者:フィッターR   投稿日:2019/03/04(Mon) 22:35:35     89clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     鉄路の上を、鉄の車輪が駆け抜けていく音が響く。時刻は20時17分。今私の頭の上を走っている電車の中は、家路を急ぐ人たちでそこそこにぎわっているだろうな。そんなことをぼんやり考える。
     そう考えてる私はどうなのか、って? 私は電車の中の人と違って、今からお仕事開始ってところだ。



     そこそこ田舎めいた地方都市にある、薄暗い高架下の資材置き場。積み重なった鉄パイプやら工事用足場の踏み板やらの間から差し込む街灯の光に照らされて、そいつはまるで舞台に立つ俳優みたいにたたずんでいる。モヒカンみたいな頭とドロワーズみたいな腰が印象的な、緑と白の人型ポケモン。刃ポケモンのエルレイドだ。顔つきまだ若々しいが、身体は痩せていて健康的には見えない。こんなところで暮らしている野良ポケモンだ。きっとちゃんとしたものを食べられていないのだろう。
     とはいえ、彼の眼光は剣呑そのものだった。人間もポケモンも変わらない、突然自分に干渉を試みてきた見知らぬ相手を、恐怖をこらえながら必死に威圧するときのまなざしだ。
     視線をエルレイドから、隣に立っている相棒に移した。
     私よりも二回りは背の高い、緑の大きなトカゲ。密林ポケモンのジュカイン。名はフェンサーという。私の自慢の相棒だ。
     大丈夫、わたしは敵じゃないよ――と伝えたいのだろう。フェンサーはにこやかな笑顔を浮かべて手を振っている。でも、エルレイドの態度は変わらなかった。まあそうだよな。これでおとなしく言う事聞いてくれる素直な奴だったら、最初から私が呼ばれるようなこともなかっただろう。
     フェンサーの左肩を2回、とんとんと叩く。いつでも戦闘態勢に移行できるように、という合図だ。アイコンタクト。任せろ、と言いたげにフェンサーの口元にかすかな笑みが浮かんでいた。
     巻き込まれないよう、私は後ずさった。3メートルくらいは下がってから、改めて状況を確認する。
     動きが取れそうな空間は、私が今立っている場所から見て横幅7メートル、奥行きは12メートルくらいか。リーグのバトルフィールドよりかはずっと狭い。エルレイドの後ろには踏板、向かって右側には鉄パイプが積み重ねられて置いてある。踏板の手前には、段ボールや空き缶や食べ残しらしき何かが散らばっている。
     掴まって登れるようなものがあればジュカインのフェンサーには有利なのだが、そういったものはここにはない。飛び道具も使わないように、フェンサーには前もって言ってある。資材置き場の持ち主に迷惑をかけたくはないし、流れ弾がまかり間違って高架の橋脚にでも当たってしまったら大惨事になりかねない。となれば勝負は、真っ向勝負のチャンバラになるだろう。望むところだ。



     にらみ合いが続く。先手は打たない。それをやっちまったら、攻撃する意思はないというフェンサーの、そして私の主張が嘘になってしまう。
     エルレイドの表情に焦りが見えてきた。私たちがなかなか退かないことにたじろいでいるようだった。いっそこのまま何も起きずに相手が降参してくれればよかったんだが――そう都合のいいようにはいかなかった。



     エルレイドの肘が伸びる。刹那、エルレイドが駆けだした。
    「――!」
     刃のついた左腕で、エルレイドは叫びながらフェンサーにバックハンドブローを仕掛ける。フェンサーはその斬撃を、危なげもなく自身の右腕に生えた刃で受け止めた。
     だが相手もそれでは止まらない。右、左、また右と、デンプシーロールのごとく連続で斬りかかってくる。使っているのは"連続斬り"だろうか。もしそうなら厄介だ。フェンサーは両腕の刃を使って斬撃をいなし続けているが、このまま防戦一方なのもまずい。
    「く……!」
     何か声をかけるか。そうも思ったが、私が答えを導き出すよりも先に、フェンサーは次の手を打っていた。
     ラッシュを浴びせるエルレイドの腕の動きが疲れで鈍ったのを、フェンサーは見逃さない。ほんの一瞬のスキをついて、フェンサーはエルレイドの腹に蹴りを入れる。
     後ろに倒れ込み、地べたに倒れ伏すエルレイド。すかさずフェンサーは反撃に移る。腕の刃を緑にきらめかせ、エルレイドめがけて駆けだした。"リーフブレード"だ。
     クリーンヒットとなるか。私がそう思った刹那、その予想ははかなくも裏切られた。膝立ちに体勢を立て直したエルレイドは、伸ばした左の肘を、自分はその場から動かないまま、フェンサーめがけて突きつけたのだ。
    「!」
     危うく自ら串刺しになりそうになったフェンサーは、すんでのところで踏みとどまる。再び主導権を得たエルレイドは、バッタが飛び跳ねるように立ち上がって、フェンサーに左の拳を叩き込んだ。
     この一撃はさすがに避けられない。拳はフェンサーの頬に勢いよくぶち当たった。姿勢を崩しかけるが、その程度で倒れ込むほどフェンサーはヤワじゃないのは相棒の私が一番知っている。
     続けざまに叩き込まれたエルレイドの右の拳を、フェンサーは左手で相手の右手首をつかみ取って受け止めた。そのまま相手の勢いを利用して、フェンサーはエルレイドを投げ倒す。
     仰向けに転がったエルレイドに、"リーフブレード"で斬り込まんとフェンサーが躍りかかる。が、相手もさるもの。フェンサーの刃を自身の刃で受け止め、その隙にフェンサーの身体に蹴りを入れた。
    「!!」
     後ろにもんどりうって転がるフェンサーだが、すかさず受け身を取って立ち上がった。自由になったエルレイドも立ち上がる。



    「――待て!」
     再びエルレイドに躍りかからんとするフェンサーを、私は叫んで止めた。あのエルレイド、相手を誘い込んで反撃するのが上手い。このまま攻め続けるのは得策じゃない。
     私の言葉通りに、フェンサーはきっちり足を止めた。相手のエルレイドはというと、直立したまま静かに私とフェンサーを見つめている。再びのにらみ合いだ。
     腹の内の探り合いが始まる。こういう時こそトレーナーの腕の見せ所だ。戦っているポケモンには見えにくいものを把握し、それを的確に、かつ手短に相棒に伝えて勝利へと導くこと、それが私の役目。
     ポケモンどうしがぶつかり合っているときは、技や動きの指示は最小限にするのが私の主義だ。操り人形みたいにポケモンをコントロールしようとすれば、ポケモン自身が持つ戦いのセンスを殺してしまうし、トレーナーの指示をポケモンが頭の中で処理して実行するタイムラグが、相手の付け入る隙を作ってしまうことだってある。
     今みたいなトレーナーのいないポケモン相手ではなおさら、そういう事態は起こりやすくなる。ポケモンが気がかりであれこれ干渉したくなってしまう気持ちは分かるけど、ポケモンの力を信じることも、ポケモンバトルでは大切なことなのだ。私はそう思っている。



     私は改めて、エルレイドと彼の周りを凝視した。
     エルレイドは向かって右のほうへ、ゆっくりと歩きはじめている。その先にあるのは、積み上げられた鉄パイプ。
     ――まさか、鉄パイプを凶器にして襲い掛かってきたりはしないだろうか。あんなもので殴られたら、フェンサーも骨の1本や2本は簡単に持っていかれてしまうだろう。
     そう考えていた矢先、ふとエルレイドの顔が光に照らされる。なんだ、と思った刹那、後ろからエンジン音が聞こえてきた。高架脇の道路を車がこちらに向かって走っている。その車のヘッドライトが、エルレイドを照らしたのだ。
     チャンス。私は目を皿のようにして、エルレイドの動きをうかがった。
     手の動き。足の動き。息はどの程度上がっているか。どんな顔をしているか。エルレイドの体全部から、彼の次の出方をうかがう。
     ……目の動きが気にかかった。エルレイドが見ているのは鉄パイプじゃない。彼の視線は地面に向けられていた。
     その先にあるのはなんだ。私もその先へ視線を動かした。
     その先にあったものは、エルレイドの足元に散らばるゴミだった。段ボール、空き缶、食べ残しのような何か。彼はこの近くのスーパーからコソ泥したり、時には押し込み強盗まがいのことまでやって、食べ物を得ていたらしい。仕事の前に聞かされたそんな情報を思い出す。
     私たちを前にして、腹ごしらえがしたくなったか? いや、そんなことはまずないはずだ。だとしたら――



     エンジン音が傍らを通り過ぎていく。
     ヘッドライトの明かりが消え、再び高架下を照らす光が街灯の明かりだけになった、その時だった。
     エルレイドが右手を動かす。
     ――そういう事か!



    「左だ!!」
     私は叫んだ。
     刹那。エルレイドの足元にあった段ボール箱が、突然フェンサーめがけて宙を舞った。"念力"でそれを投げつけたのだ。
     段ボール箱が飛んでいく先は、フェンサーの顔だった。彼はこれをフェンサーの顔にぶつけて、目くらまししたところへ斬り込もうとしたのだろう。だが悪いね。その手には乗らない。こっちには考える頭は2つ、お前を見る目は4つあるんだ!
     段ボール箱を、フェンサーは私の指示どおりに左へステップして回避した。
     隙をついて畳みかけるつもりが当てが外れたエルレイドの顔には、明らかに焦りが浮かんでいた。ヘッドライトよりずっと弱い街灯の明かりの中でも、はっきりと見えるくらいに分かりやすい。
     この隙をフェンサーは見逃さない。動揺で強張ったまま振り下ろされる相手の左腕を、右腕の"リーフブレード"で危なげなく受け流し、文字通りの返す刀で横薙ぎに切りつける。
    「!!!」
     エルレイドの表情がゆがむ。フェンサーの"リーフブレード"は、エルレイドの左腕に切り傷をつけていた。いいぞ、これで奴は利き腕を自由には使えなくなった。
     だがそれでも、エルレイドは残った右腕で果敢に斬り込んでくる。でも、利き腕じゃない腕のおぼつかない攻撃に当たるほど、フェンサーはのろまじゃない。
     大上段の袈裟懸けで斬りかかったエルレイドの腕を、フェンサーは左斜め下へかがみこんで、見事にかわしてみせた。そしてすかさず、右上へ"リーフブレード"で切り上げる。
     今度はエルレイドの胴体が、"リーフブレード"に切り裂かれる。よろけながら後ずさるエルレイド。切り裂かれた傷口からは血が滲みだしているが、致命傷になるような深手は負わせていない。さすがは私の相棒だ。
     もう彼に力はほとんど残っているように見えない。しかし、それでもエルレイドは戦いをやめようとはしなかった。目を大きく見開いて、やぶれかぶれの体当たりをフェンサーへ仕掛けてくる。
     残された力を振り絞った攻撃。フェンサーはそれを両腕で、真正面から受け止める。
     根性あるな。これが競技のバトルだったら面白いのだけれど、仕事のバトルで相手がこうでは逆に嫌な気分になる。もう終わりにしよう。これで……ギブアップしてくれ。



    「"峰打ち"だッ!!」



     このバトルで、最初で最後の技の指示を叫んだ。
     無防備なエルレイドの背中へ、フェンサーは刃を"打ち込んだ"。
     その場へ倒れ伏すエルレイド。その背に傷はついていない。だが、フェンサーの打撃は彼の戦意をくじくには十分なものだったようだ。
     せき込みながら、よろよろと立ち上がるエルレイド。膝を地面から離すや否や、エルレイドはフェンサーに踵を返した。抵抗するつもりはもう無いらしい。
     傷口を押さえながら、エルレイドはよたよたと歩き出そうとする。と、フェンサーがエルレイドの背中に手を添える。行くな、と言っているのだろう。その通りだ。私たちの目的は、エルレイドをここから追い出すことじゃない。 
     私はリュックサックを下ろして、水を入れたペットボトルと救急箱を中から取り出してエルレイドに駆け寄った。
     彼の真正面に回り込む。何をするつもりだ、と語っている目に、私は救急箱を見せて、手振りで腰を下ろすように促した。
    「大丈夫、私は君を助けに来たんだ」
     自分で傷つけておいてこの言葉。とんだマッチポンプだ――そんな自嘲が頭の中に浮かんで消える。でも、手はきっちり動かさないと。ペットボトルの水で傷口を洗って、薬を用意して……
     ふと、エルレイドの後ろに転がっている段ボール箱が目に入った。さっきエルレイドが投げてきたやつだ。
     スーパーでよく見かけるインスタントラーメンのロゴマークが印刷されていた。ちゃんとした食べ方なんてきっとできなかったろうに、これで食いつないでたんだな……そう思うと、やむなくとはいえ彼を傷つけたことに罪悪感を抱かずにはいられなかった。



     私が戦っていたエルレイドは、このあたりで活動しているカラーギャングのひとりが持っていたポケモンだったらしい。詳しい理由は今警察が捜査しているところらしいが――古巣が古巣だから、ろくな理由じゃないのは間違いないだろう――、1ヶ月ほど前、主人に捨てられたらしく、それからひとりでここに棲み着いていたんだとか。
     人間の世界で生きてきたポケモンが、野山で暮らす生き方に回帰することはとても難しい。彼もそんなポケモンのひとりだった。もともと不良の鉄砲玉にされていた立場だ、人間社会のルールに則り、全うにやっていくやり方なんて知らないのだろう。この資材置き場という住む場所、スーパーやコンビニで売っている食べ物。生きるために必要な諸々を人間から盗んで生きるほかないところに、彼は追い詰められてしまったのだ。
     ポケモンは今や、モンスターボールを使えば誰でも手軽に家族として迎えることができる生き物となった。でも、手軽に手に入れることができるものは、手軽に捨てることもできてしまうのが人間という生き物。人とポケモンが共存する世界に鮮やかな光を当てた私たち人間は、同時にその光が当たらない影も生み出してしまった。
     やり方を知らないのか、それとも知っててやっているのか――このエルレイドの元主人の場合は間違いなく後者だろう――、人間社会で自分を生かしていた人間に、正規の所有権登録解除手続きもないまま捨てられる。そんな形で野に放たれた野良ポケモンが、最近増えているのだ。登録された所有権が抹消されていないから、モンスターボールを使っても人のものを取ったら泥棒! と弾かれてしまう。それゆえ保護する上ではなかなか厄介なのだ。
     そんな野良ポケモンの多くはバトルなどやったこともないような小さなポケモンなのだが、時々このエルレイドのように、悪人が悪事の道具にしていたポケモンが、主人に捨てられてこうなることがある。そういうポケモンは多くが人間に対して攻撃的で、保護しようと思ってもケンカにも慣れているし、さらには競技のバトルでは反則で一発退場を食らうような、危険な攻撃手段を使ってくることもよくある。間合いを詰めてくる相手に切っ先を向けるような戦法なんかがそれだ。そんじょそこらのトレーナーじゃ手に負えないような力を持ったこういうポケモンを放っておくと、やがて人間相手に取り返しのつかないことをやってしまった挙句、警察が出てきて最後には殺処分されてしまうことも多い。
     人間もポケモンも幸せになれない、そんな結末は防ぎたい。そういうわけで、私たちポケモン保護団体に所属するポケモントレーナーは、そんな野良ポケモンを保護するために、日夜危険な野良ポケモンと戦っている。
     それだけ聞けば正義のヒーローみたいな素晴らしい仕事に聞こえるかもしれないけど、この仕事はリーグで活躍するトレーナーみたいな、栄光と名誉に満ちた仕事なんかじゃない。相手が相手ゆえに、そんじょそこらの不良トレーナーなんかよりよっぽど手荒で泥臭いダーティな戦い方をすることを求められる仕事だ。さっきやったみたいに、相手が戦意を完全になくすまで徹底的に、かつ死なない程度にぶちのめすことを、私たちはやらなくちゃいけない。悪いポケモンなんかじゃなく、保護対象のポケモンを、だ。そうしなければ保護することさえままならないから。
     我ながらひどい矛盾、ひどい汚れ仕事だなと思う。自分でだってそう思うくらいだから、他人に揶揄されるなんてしょっちゅうだ。実力ありきの仕事だから、広報がてらジムに挑んだりリーグに出たりすることもあるが、そんな私を石の下から這い出してきたワラジムシを見るような目で見るトレーナーには何処へ行っても必ず出くわす。当然と言えば当然だ。自分たちが作り出してしまった影の中で蠢いている汚れ切ってしまったものなんて、光の中にいる人たちが目に入れたがるはずもない。
     でも、そんな社会の影を作ってしまったのは、私たち人間なのだ。その責任は、人間である私たちが取らなくちゃいけない。
     誰かが影の中へ飛び込まなければ、影の中へ落ちてしまったポケモンにまた光を当ててやることはできない。だったら、私は進んで影へ飛び込める人でありたい。他の誰もが見ようとしない、助けようともしない社会の犠牲者の手を、進んで取ることができる人間でありたいのだ。
     そんな使命感を抱いて、私は私のポケモンバトルを続けている。これまでもずっとそうしてきたし、そしてきっとこれからも、身体がこの仕事に耐えられる限りは同じことを続けていくだろう。



     これでよし。必要な手当ては終わった。
     エルレイドは怪訝そうな顔をこちらに向けていた。そりゃそんな顔もするだろうな、こんなマッチポンプを堂々としていれば。なにか話でもしたいのか、フェンサーはそんなエルレイドの肩を笑顔で叩いてる。戦う前、敵意はないとアピールしていた時と同じ顔で。
     さて、後は協力しているポケモンセンターに電話して迎えをよこしてもらって、このエルレイドをセンターまで送り届ければ、今日の仕事はおしまいだ。
     立ち上がって、ポーチからスマホを取り出したその時、また、電車が通り過ぎていく音が上から響いてきた。
     高架の上で電車に揺られる人たちの中に、高架の下で社会の影に立ち向かっている人やポケモンがいる、ということを知っている人はどれだけいるのだろう。そんな考えが電車の音と一緒になって現れ、私の頭の中を通りすぎ、そして通り抜けていく。
     ……ああ、夜風が冷たいな。仕事が終わったら、コンビニに行ってあんまんでも買って食べようか。今日頑張ってくれたフェンサーのぶんも買ってあげよう。
     電車の音が聞こえなくなったのを計らって、私は着信履歴を開いて一番上の電話番号に電話をかける。
     目の前では、にこやかな笑顔のフェンサーと、不安を顔に浮かべたエルレイドが、何も言わずに顔を向け合っていた。


      [No.4115] 縦横無刃 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2019/03/04(Mon) 20:56:43     69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「いやー美味しいですねえ!おかわりもう一杯!」

     とあるポケモンセンター横の定食屋。一人の少女が平らげたどんぶりを左手に掲げた。

    「よう食うな嬢ちゃん……ここいらじゃ見ないなりだが、旅のトレーナーかい?」

     店主は少しひきつった笑みを浮かべながら、追加のどんぶりを渡す。
     いつもお客さんに対する笑顔を絶やさない店主がそんな表情になっているのは、まず少女の前には既に3杯の器が積まれていてまだ食べる気だということ。
     そして──少女の腰の左側に、玩具やレプリカにしては精巧に過ぎる拵(こしらえ)の鞘とそこに収まる刀がついていたからだ。
     別段刀や武器に詳しくなくてもわかる、いわゆるよく使いこまれた年季を感じさせつつも手入れはしっかりされているそれだ。
     少女はいったん食べる手を止めて、ちょっと悩んでから答える。

    「旅はしてるけど、トレーナーって言われるとどうですかねー。最高の仲間が一匹いるだけで、ポケモンを捕まえたりジムやリーグに挑戦するわけじゃないですし」

     まあ道行くトレーナーとバトルして路銀を稼いではいますけどね! と屈託なく笑うその顔は、まだ幼さが残っている。薄青色の浴衣のような旅装は、まるで子供が祭りで法被を着ているようだった。だからこそ、腰の刀が不自然で危ないものに見えた。
     その視線は少女にも察してとれたのか、軽く苦笑して言う。

    「これは旅に出るときに刀鍛冶のおじいちゃんに貰ったんですよ。女の一人旅は危ないからもってけーなんて……今時ポケモンと旅して野生のポケモンとも戦うのに男も女もないし! まあ、軟派が寄ってこないのでお守りのようなものですかね!重たいのが玉に瑕ですが!」

     少女は右手で柄に手をかけ、鯉口を切って刃の一部を見せる。その煌めきは本物で、少なくとも達人が振れば目の前に積まれたどんぶりをまとめて真っ二つにすることくらいは容易いだろう……感覚的に、店主はそう思った。
     店主は目の前の少女にはできるのか? 聞こうとしたが、直前で止めた。
     それは、変装した狼に対してどうしてあなたの口はそんなに大きいの? と尋ねるのと同じことのように思えたからだ。

    「なるほどな。うん。で、そんだけ食うってことはもうどっか出かけるのかい?」

     無難に話を逸らす店主。旅するトレーナーが出立前にひたすら好きなものを食べるのは珍しくない。とはいえこの少女は食べすぎだが。

    「この先にある森って結構長いらしいじゃないですか? 一回森に入るとやっぱ美味しいものって食べられないですし」

     美味しくなかったら別の店はしごするつもりでしたが、大満足のお味です!!と店主を褒める少女。
     が、褒められたにも関わらず店主の顔は浮かなかった。

    「あー……いや、嬉しいんだがよ。そりゃやめといた方がいい。あの森は今、性質の悪い賞金稼ぎがいるらしいんだ」
    「その話詳しく」

     一気に真顔になった少女に店主は面食らう。

    「さっき嬢ちゃんも言ったがトレーナー同士のバトルの後は賞金のやり取りすんのが慣例なんだろ? だが、そいつは戦った相手の金を根こそぎ持って行っちまうっていうんだ。何匹もごっつい進化したポケモン持ってるやつも、被害にあったらしい」
    「ポケモンやトレーナーに被害は?」
    「戦闘不能にはされてたが、別に死ぬほどじゃねえな。トレーナーの方も体に枝が刺さったり怪我はしてたが……まああの森は針葉樹やらが多くて慣れねえ奴が歩いてりゃ枝やら葉が刺さるのは当然だ。ともかくとして、命に別状はねえと聞くぜ」
    「警察が動いたりは……まあ、あまりしてないでしょうねえ。トレーナー同士のバトルで渡す金額に明確な規定はない。バトルしてあくまでお金だけ持っていくなら……悪行ではあるけど、法に触れるとは言い難いし」
    「お、おう……そんなところよ。一応見回りなんかは行われてるそうなんだが……関係者曰く、大規模な捜索とか取り押さえができるような事案じゃねえ、だそうだ」
    「わかりました! それにしても、ずいぶん詳しくご存知ですねえ?」

     少女の問に、店主は一瞬言葉に詰まった。何か、見えない言葉の刃を喉元に突き付けられたような感覚がしたからだ。

    「……嬢ちゃん、こういう商売してるとな。別に自分から聞いたりしなくてもお客さんが色々喋ってくれるし酒飲んでるとほんとは言っちゃあいけねえような仕事の事情とかも聞こえちまうもんなのさ」
    「確かにこのお店の料理めちゃくちゃ美味しくて繁盛してそうですし! 勉強になりました!ご馳走様!」
    「ああ、ありがとよ。またいつか元気に顔出してくれや」
    「はい、是非とも!」

     いつの間にか追加を平らげていた少女はお金をぴったり出し、元気よく店を出る。

    「お待たせ。それじゃあ出発しよっか、ニテン!」

     店の外には白い人型のポケモン、エルレイドがずっと待っていたらしい。少女とポケモンが仲良く歩いていくのを見ながら。店主の目に映るのは少女の腰の刀とエルレイドの両手に備わる刃だった。






     

    「いったた……」

     森に入ってしばらく。指先に刺さった木の棘を抜いてわずかに流れた血を舐めとる。

    「さすが、あのおじさんが言ってた通り……なんですけど、ちょっと面倒だし手袋でも用意しとけばよかったですかね」

     歩いているだけで、とにかくありとあらゆる植物が刺さる。木に寄り掛かればごつごつの木肌が痛いし枝を手でよけようとすれば棘が刺さるし、草むらに入れば茂みがまるでペーパーナイフのように肌を裂く。
     そこに違和感はあったが、まあ見知らぬ土地だからそういうこともあり得るだろう、と思うほかなかった。

    「ニテンは大丈夫? 傷薬はいらない?」

     エルレイドはずっと少女の後ろをついて歩いている。その姿はまるで貴族の傍らに控える従者のようで、問いかけにも一つ頷くだけで返した。
     基本ポケモンは人間より丈夫で、自分の後ろを歩いてきているので少女も問題ないだろうとは思っていたが……そこは相棒への気配りである。

    「そっか。じゃあ……一勝負お願いしても大丈夫ですかね」

     エルレイドがすっと少女の前に出て、少女が左手でそっと切れないようにエルレイドの右手を握る。。それは二人の間で勝負をするときのサイン。
     少女の視線の先には、やたら分厚いコートを着込んだ長身の青年向こうはまだこちらに気が付いていない。

    「お兄さん! あなた、ポケモントレーナーですよね! 私とバトルしましょう!!」

     突然かけられた声に、青年の肩がびくりと跳ねた。少女はエルレイドを前にぐいぐいと足を進めて青年の前に対峙する。

    「……わかった。ルールはシングルバトルでいいか?」
    「なんでもいいですよ! どのみち私のポケモンはこのエルレイド一匹だけですし。ダブルバトルがしたいというなら、どうぞ二体出してくれても構いませんし! まとめて切り伏せちゃいますから!」
    「すごい自信だな……とはいえ、こっちもポケモンは一匹だけだ。出てこいジュカイン」

     青年はモンスターボールを上に投げると、ボールが開き密林の王者、ジュカインが出てくる。腕には鋭い葉っぱの刃が備わっているのが見て取れた。

    「では一対一の真剣勝負ですね! 私の名前はルチカ!いざ尋常に……ニテン、『サイコカッター』!」
    「真剣勝負、か……俺はツバギク。ジュカイン、『リーフブレード』」

     お互いのポケモンが、腕の刃を交差させる。エルレイドの腕の表面には見えない念力の刃が覆われ、ジュカインの腕には鋭さを増した葉が鎖のように連なってお互いの切れ味を受け止めた。
     だが、膂力はこちらの方が勝る──たたらを踏んだジュカインにさらに刃を押し込むエルレイドを見てそう判断した少女、ルチカは次の手を命じる。

    「ニテン、『燕返し』!」

     エルレイドの念力は直接刃になるだけではなく、草木を削って『リーフブレード』を使うこともできれば岩を削って『ストーンエッジ』として放つこともできる。『燕返し』によって生み出されるのは、そこらの空気の流れを操ることによって発生する大気の刃。
     エルレイド自身の刃の動きとは無関係に飛んでくるそれは回避不可能であり、草タイプであるジュカインを大きくのけ反らせた。

    「接近戦じゃ分が悪いな……ジュカイン、距離を取れ。『タネ爆弾』だ」
    「『サイコカッター』で弾き飛ばして!」

     トカゲのようなするすると通り抜けるような動きで木の上に逃げたジュカインが、口から種子の弾丸を放つ。
     遠距離攻撃といえど、単純な攻撃であれば防ぐ方法などいくらでもある。再び念力の刃をまとったエルレイドがいともたやすく、種が弾ける前に切り飛ばす。

     ただ、その斬り飛ばした種の一部が。ルチカの肩を掠めようとしたので彼女は軽く身を避けた。直撃したところで大けがを負うほどではない、あくまで余波だ。
     むしろ、その避けた先に。ついさっきまでルチカが認識していなかった木の枝が彼女の二の腕を刺した。

    「っ……!」
    「大丈夫か? この森の草木は鋭いからな……」

     完全に想定外の痛みに腕を抑えてうずくまるルチカ。相手のツバギクは遠くから心配するような声をかける。

    「ええ勿論。この程度で音を上げていては旅なんてできませんし! ……毒でもあったら危ないところですけどねえ?」
    「……まさか」
    「ないですよね! お兄さんこの森には詳しそうですし一応聞いてみてよかった!」

     そう笑顔で答え、腕から血が流れるのにも構わずルチカはすぐさま戦況を分析する。
     ジュカインは密林の王者。すなわち森の中ではもとより早い動きがまさに縦横無尽となるだろう。
     エルレイドのサイコカッターで一帯の木を切り倒してしまうという手もないではないが、一ポケモンバトルのためにむやみやたらと自然を破壊することはよいことではない。
     
    「……ニテン、『ストーンエッジ』!」

     さして有効な手が思いつかないので場当たり的に近くの岩を削って刃として放つ。当然のように木々を伝って逃げられるが、向こうの遠距離攻撃も今のところさして脅威とはいえない。

    「『タネマシンガン』だ」

     今度は放射状に種子をばらまく。しかし、はっきり言ってエルレイドにダメージを与えるどころかルチカでさえ軽く身をひねって躱すことが出来る程度のものだった。むしろ、反射的に躱した時に刺さる野草や樹木の枝の方が痛い。エルレイドも、かなり煩わしそうに腕を振るっている。

    「ずいぶん、巨体のわりにちょこまかと……『燕返し』!」
    「……躱して『タネ爆弾』」

     近くで打てば見えない刃で必中の真空刃も、離れすぎていてはただの直線的な攻撃に過ぎない。ターザンのように蔦を握って大きく移動しながら、さらなる種子の弾丸を投擲してくる。
     その度に、逃げるジュカインの方を向くたびに体を動かすたびに、ポケモンの技とは無関係にルチカの体を傷がついていく。傷跡から流れる血が連なり、法被のような服が赤く染まっていく。
     そんなお互いに決定打を与えられないやり取りを何度か繰り返した後、ルチカは納得したように血の止まらない手を叩いた。

    「ああ、なるほど。これがあなたの戦術でしたか」
    「……なんて?」
    「とぼけるのはよしてください。普通のポケモンバトルを装い、ジュカインの特性を利用して逃げ回りながら相手にこの森の鋭い樹林で……いえ、それさえも時間をかけてジュカインが作り出したのでしょうし? ポケモンそのものよりトレーナーに傷を負わせ、満身創痍になったところで畳みかけるか降参を促してお金をふんだくっているのでしょう? 追剥さん」

     ジュカインは密林の中を自由に動けるほか、背中に樹木を元気にする種をいくつも持っている。それを時間をかけて森全体に与えてやれば、森全ての木々、草むらががジュカインにとって無数の刃。他のトレーナーは歩いているだけで、ジュカインの姿を追いかけるだけで傷つき、体力も気力も尽き果て持ち金を奪われる。

    「……」

     青年は、しばし沈黙した。だが、観念したように息を吐く。

    「……その言い方だと、噂になってるのか。この森もそろそろ引き上げ時だな」
    「おや、意外とあっさりですねえ。もっと豹変するなり激昂するなりすると思いましたが。知られたからには生かして帰さないーとか」
    「殺しは犯罪だろ……というか、そんな簡単に人を殺す気になんかならないって……」

     面倒くさそうにため息をつく青年。彼の言葉は見せかけではなく、本当に殺意がなさそうにルチカには見えた。

    「追剥もどきはいいのですかね?」
    「法には触れてない。ポケモンバトルで地形を利用するのは珍しくないし、それでトレーナーを殺しているわけでもない。あくまでバトルに勝った『賞金』を頂いているだけ。この森の鋭さをジュカインが作ってることを見抜かれたのは驚いたけど……それだけだ。そのエルレイド一体じゃ、俺のジュカインは捉えられない。あんたも、お金だけ置いていなくなってくれよ。こんな追剥相手に傷跡が残るまで戦うとか……嫌だろ、普通」
    「ええ嫌ですね! ですが、負けるのはもっと嫌ですし! 文字通りタネが割れたところで──反撃と行きましょう!!」

     ルチカが右手で腰の剣を抜き、その刀身が輝く。その煌めきはエルレイドと共鳴し、攻撃力と素早さを大きく上昇させたメガエルレイドとなる。

    「だから、ポケモンがいくら強くても無意味だって……どんなに素早いポケモンでも、この森の中じゃジュカインを捉えられない」
    「それはどうですかね? 確かにあなたのジュカインの動きは早い。でも、今はこの森そのものがジュカインの力によって鋭くされたもの。ならば……ニテン、『ドレインパンチ』!!」

     裂帛の気合を込めて、大地に己が刃を突き立てるエルレイド。本来『ドレインパンチ』はポケモンに当てて相手のエネルギーを吸い取りつつ打撃を与える技だが。
     今この状況、森のすべてがジュカインの力で満ちた環境で大地に腕を突き刺せば、森に浸透したポケモンの力そのものを吸い上げる剣として機能する!

    「……黙ってみてるわけにもいかないか。頼むからじっとしてろよ……『ハードプラント』」

     ジュカインが大樹の上から直接蔦を操り、巨大化させてルチカと大地に剣を突き刺すエルレイドを閉じ込めようとする。エルレイドは、大地からジュカインのエネルギーを吸い上げるので精いっぱいだ。

    「エルレイドの刃もあんたの大層な腰の刀も使えないしこれで出られないだろ。とりあえず閉じ込めるけど数時間くらいで出られるようになると思うから……じゃあな。もう二度と……」
    「いいえ、逃がしませんよ! まだ、私たちの刃は残ってますし!」

     ザクッ!!と音を立てて巨大な蔦の一部が断ち切られる。自分たちを封じ込めた蔦から這い出た血濡れた少女は、驚愕に固まる青年の喉元に。
     ずっと左手に持っていた、バトル前にエルレイドから渡された『サイコカッター』を突き付けた。
     
    「……参ったな。金なら渡すよ。警察に突き出すならそれでも構わない。ただ……」
    「もちろん、殺したりしませんよ! あなた、優しい人ですし!」
    「は……?」

     喉元に刃を突き付けられたこと以上に驚いたような、困惑したような胡乱な目で青年はルチカを見つめる。
     ルチカは確信を持った様子で青年に言った。

    「だって、ただ殺さないようにするだけならもっと手っ取り早くトレーナーを昏倒させる方法なんていくらでもあるはずですよねえ。直接威力の高い攻撃を浴びせるとか……それこそ、草に毒でも塗っておけば人間くらい簡単に気絶させられるでしょう?」
    「いや、そういうの面倒くさいから……死なさないように調整するのがさ……」
    「いいえ、『ハードプラント』だってそうですよ。人間を殺したくないだけなら、直接ニテンを狙って戦闘不能にすればいいんです。そうすれば、私の刃一本じゃ防ぎきれずに私たちの負けでした。それに何より……ニテンには、刃を交えた人とポケモンの気持ちがわかるんですよ」

     エルレイドが地面からジュカインの力を吸い上げる際にくみ取った思いは、可能な限り人やポケモンを傷つけたくないという思い。有り金全部持っていくも、一人当たりからもらう量が多い方が余計な戦いをしなくて済むからなのだろうと、エルレイドから意思を受け取ったルチカは感じていた。
     
    「はあ……まあ、そうまで言うなら否定しないけどさ。もし俺が優しくなかったら……」
    「もっと早くにあなたの首は飛んでましたね! ぶっちゃけ、いくらジュカインが早くてもあなたは突っ立ってるだけで隙だらけだったのでその気になればイチコロです! 」具体的には私に殺気を向けたら殺すつもりでした! この見えない刃でザクッと!」

     エルレイドとルチカの腰の刀を見れば、誰でもその刃が危険だと思う。だが、本当に恐ろしいのは。何も持っていないように見える左手に持つ念力の刃と、それを感じさせない少女の狡猾さ。
     そしてツバキクの優しさは……そんな少女とバトルしてなお、お互いのまともに傷つくことなく戦いが終わっているところだろう。ポケモンに至っては最初の一撃以外ダメージが発生していない。

    「ああ……面倒なのに捕まった……」

     億劫そうに嘆く青年と、血を流したまま楽しそうに話す少女。この後二人はなんやかんや一緒に旅をすることになるのだが、それはまた別の話。
     


      [No.4114] ベスト・タクティクス 投稿者:ラプエル   投稿日:2019/03/04(Mon) 20:44:23     88clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ラプエルと申します。素敵な企画をありがとうございます。
    ゲンガーVSエネコロロで一作書かせていただきました、ご意見ご感想等ありましたら遠慮なくTwitter《@lapelf_novel》までお願い致します。(バトル書き苦手なので厳しい意見お待ちしております!)








    《ベスト・タクティクス》







    「ヘドロばくだんが炸裂ッ! 赤コーナー、挑戦者のニンフィア、健闘するもここでダウンです! 勝利の女神は、青コーナーに微笑みましたぁあああ!」

     暑苦しくも張りのある実況で、活気溢れるストリートがより一層賑やかになる。赤いフィールドから指示を出していたトレーナーは悔しそうにニンフィアをボールに戻し、バトルを観戦している観衆の人波に飲まれて消えていった。
     ここはとある街のメインストリート沿い。空き地となっていた場所をとあるトレーナーが野良試合に使ったのが始まりで、今では街一番のバトルフィールドとして栄えている。休日ともなればその盛況ぶりは益々加速し、今日もその例に従って絶え間なくトレーナーがフィールドに立つ――のだが、忙しなく人が入れ替わる赤コーナーとは対照的に、青コーナーに立つトレーナーはもうずっと変わっていない。

    「どうしたどうしたそんなもんか?! この街には俺たちに敵うやつは一人もいねえのかッ!」

     マイク実況にも負けないその大声の主は、バッジ集めの途中でこの街に立ち寄った旅のトレーナー。腕組みしながら豪快に笑うその傍では、彼の相棒であるゲンガーが同じく腕組みして鼻を鳴らしていた。ここでのバトルルールは1VS1の一本勝負にして負け交代制なので、このゲンガーは相当の数のバトルをこなしているはずなのだが、まったくダメージや疲れを感じさせない出で立ちであった――が、その表情はお世辞にも明るいと言えるものではない。

    「次、私が挑戦します」

     ガヤに掻き消されそうなほどに細い声とともに、赤コーナーに一人の少女が立った。新たな挑戦者の登場に、俄かに観衆が沸き立ち、ボルテージは再び最高潮を迎える。青コーナーの男はまだ僅かに幼さすら感じさせる少女を前にして小さく失笑し、「嬢ちゃんが俺に挑むのかい? 負けて泣いたって知らないぞぉ?」と戯けた。ヒールめいた言動に観衆が湧いたりブーイングを飛ばしたりする中、少女は細く淡々と、けれどもしっかりと耳に届く声で言った。

    「だいじょうぶ、ポケモンをトレーナーの言いなりにしてる人に負けるほど、私は弱くないわ」
    「なにぃ? 言ってくれるねえ、後悔すんなよぉ?」
    「そのセリフ、そのまま返すわ。行くわよ――出ておいで、コロ」

     少女が宙に放ったボールが煌めき、光の奔流が飛び出す。ぱっと輝いた光の中から現れたのは、コロ――“おすましポケモン”のエネコロロ。優しい目をたたえる柔らかな表情に一瞬、誰もが癒しに包まれ――そして我に返る、「え、エネコロロ?!」誰もが驚きを隠しきれなかったが、無理もないだろう。

     エネコロロ、ノーマルタイプ単色。個体数が少なく珍しい“エネコ”に、これまた希少アイテムの“つきのいし”を使うことで進化した、まごう事なきレアポケモンである。その美しい毛並みの艶やかさ、見るものを癒す愛くるしさ、住処を汚さない綺麗好きっぷりから非常に人気が高いのだ――バトル“以外”では。
     愛玩ポケモンとしては一級品のエネコロロではあるが、バトルとなるとそうもいかない。華奢ゆえに耐久力に乏しく、同じくして攻撃力も貧相。タイプも耐性の少ないノーマルタイプであり、覚える技も癖が強いものばかり。それに加えて、このポケモンで出来る事は、もっと打たれ強く攻撃力も兼ね備えたポケモンで代用できるのである。言葉が悪いが、要するにエネコロロはバトルにおいては他種族の“劣化”に過ぎないのだ。

     そのエネコロロが今、強豪トレーナーの連れているゲンガーと相対している。
     連戦連勝の相手を前に少しも怖じることなく、おすまし顔を崩さず、まっすぐ、ただまっすぐに。

    「本気かよ……だがここまで啖呵切ってんだ、心置きなく全力でやらせてもらうぜ!」
    「もちろんよ、やりましょう」
    「さ、さあ大変なことになってきましたァーっ! 連戦連勝のゲンガーに挑戦するのは、可憐で華奢なエネコロロぉ! 一体どんなバトルが繰り広げられんでしょうかぁーッ?!」

     実況の煽りに釣られ、観衆のボルテージが徐々に盛り上がっていく。呆気にとられていた顔が、口角が釣りあがっていく。

     向かい合ったゲンガーとエネコロロ、大男と少女。瞬間、視線がぶつかり――

    「一本勝負ッ、はじめェエエっ!」
    「先手必勝おにびッ!」

     ゲンガーの目が大きく見開き、紅く光る。ケケケと笑い声愉しげに響かせ、黒い炎がフィールドを滑る。「力押しだけかと思ったか、搦め手だってお手の物だぜッ!」と大男の声が響くが、炎はエネコロロに近付くなり勢いを潜め消滅した。よくよく見ると、どくまひやけど――あらゆる状態異常を打ち払う“しんぴのまもり”がいつのまにかエネコロロを包んでいる。大男はほうと唸った。

    「あの一瞬でよく捌いたなッ」
    「私のコロ、冷静なのよ……みやぶる!」

     エネコロロの円らな瞳が煌めき、見えない眼光がゲンガーの霊体を射抜く。“みやぶる”というおよそ一般にバトルでは用いられない技に大男とゲンガーが躊躇する間にエネコロロ、ちらと後ろを振り返ってアイコンタクトのウィンク。少女の表情が僅かに綻び、エネコロロは地を蹴って距離を詰める。

    「10まんボルト!」
    「ッ……シャドーボール!」

     エネコロロが放つ強烈な電撃。一瞬遅れたが、ゲンガーも足元の影を塊に変えて応戦する。両者の強烈な技、あと数秒とせずして激突する――大男はにやりと笑う。

     ――ノーマルタイプのエネコロロにシャドーボールは通用しない、使うとしたらこんな風に技を相殺するくらいにとどまる……だが、シャドーボールは衝撃すると影が拡散して目眩しになるッ! 影を自在に動けるゲンガーに死角はないぞッ!

     センターラインを境に、10まんボルト、シャドーボール、両者勢いよく迫り、丁度真ん中あたりで衝撃――せずに、“すり抜けた”。

    「はァッ?!」

     呆気に取られる男をよそに、強烈な電撃がゲンガーの身体を激しく撃つ。バリバリと甲高い雷撃音が響き渡り、観客がわあっと湧き上がる。よろめいたゲンガーがなんとか踏みとどまったのを確認し、大男はすぐさまエネコロロに視点を向けた――

    「――ッ!」

     わかっていたことではあったが、当然ながらエネコロロはノーダメージ、《こうかがないようだ》った。ノーマルタイプにゴーストタイプの技をぶつけても、その技はポケモンをすり抜けるようにして消えてしまう――バトルをするなら必須知識のタイプ相性だ、トレーナーならば誰でもそんなことは知っている。
     だが。

    「何故だ?! なんで技同士がすり抜けて、なんでゲンガーにだけダメージが入るッ?!」
    「よく思い出してごらんなさい、私のコロのこと」
    「――あッ、“みやぶる”かッ! あの技で俺のゲンガーにだけダメージが入るようにしたのかッ?!」

     少女はくすりと笑う。
     
    「半分正解よ。でもそれじゃまだ足りないわ、シャドーボール!」
    「ッこっちもシャドーボールだ!」

     エネコロロの頭上に、ゲンガーの顔先に、黒い影の塊。同一タイプの利があるゲンガーが一手先に技を完成させて放つ――そしてようやく過ちに気付く、「しまった、これじゃさっきの二の足か、相手の技に釣られちまったッ」悔いてももう遅く、お互いのシャドーボールはフィールド赤コーナー寄りでまたもすり抜け、遅れてゲンガーに影の塊が迫る――

     ど、と僅かに鈍い音。気圧され倒れるも、すぐに起き上がるゲンガー。
     何食わぬ顔のエネコロロ。やはり《こうかがないようだ》。

    「す、素晴らしい技の応酬ーッ! 連戦連勝の猛者であるゲンガーを前にして一歩も引かないエネコロロぉーッ! 適切な技の選択、撹乱、素晴らしいバトルセンスッ! 直撃したシャドーボールの《こうかはばつぐん》だーッ! 青コーナー、体勢を立て直すことはできるんでしょうかッ?!」
    「……いや、違う、何かおかしい」

     起き上がったゲンガーと大男の目が合う。10まんボルトとシャドーボール、立て続けに高威力の技を受けたのにそれほど堪えていないのは、単純にエネコロロの火力が不足しているだけのようには思えなかった。

     ――そもそも、今のシャドーボール……本当に《こうかはばつぐん》だったのか?

     エネコロロは堂々とした風体で、その場を動かない。可憐な見た目には不釣り合いなその圧力に、ゲンガーはただ恐れ怯えるばかり。だがそれはトレーナーも同じであった、正体の掴めない相手にただ不安が募るばかりである。
     このままでは押し負けてしまう、何かカラクリがあるはずだ。自身の傲慢さは百も承知ではあるが、ここまで旅を続けて鍛錬を重ねてきたのは伊達じゃない――大男は必死に頭を回転させ、目の前に鎮座するエネコロロの知識を引っ張り出す。脳内の引き出しの奥の奥、隅の隅、どこかに叩き込んであるはずだ、エネコロロのカラクリ――

    「あッ!」

     脳の片隅に置いてあった、バトルではマイナーなポケモンに関しての知識。それを大男が見つけた時、全ての合点がいった。

    「“ノーマルスキン”……ッ!」
    「その通り、正解よ。私のコロはノーマルスキンの特性を持ってる。やっと悩まなくて良くなったわね」

     ノーマルスキン。
     この特性を持つポケモンが出す技は、その技のタイプに依らず、全てノーマルタイプへと変わる。その技の威力は特性によって上昇補正がかかり、更にエネコロロ自身とも同一タイプとなるため追加で上昇補正がかかる。火力に乏しいエネコロロのようなポケモンでも、バトルにおいて必要十分な火力を得ることができるのだ。
     タイプが強制的にノーマルタイプへと変わるので、シャドーボールのようなゴーストタイプ技とは相殺し合わず“すり抜ける”。そして、ゴーストタイプの“ポケモン”にノーマルタイプの技が当たるようになる“みやぶる”によって、ゲンガーだけがダメージを受けてしまう――これが先程までの技の応酬のカラクリである。

     全てを理解し、大男は歓声をかき消すほどに大声で笑った。

    「わかっちまえばどうってこたぁねえ、火力を補正したところで、能研の出したエネコロロの特殊火力指数は確かDランクだったはずだッ! 同じDランクのポケモン――ローブシンやナットレイが特殊技で攻めてきたところで怖いか?! 小細工のタネが割れた以上ッ! もう負けないぜッ!」

     “ポケモン能力研究所”――通称“能研”は、ポケモンの種族ごとにHPや攻撃力、素早さなどがどの程度優れているのかを研究しており、逐次トレーナーに向けて情報を公開している。
     大男は、能研のデータを入念に調べていたこともあって、エネコロロというバトルではマイナーなポケモンの能力を把握していた。
     そして、“みやぶる”と“ノーマルスキン”の作戦――彼に言わせれば“小細工”のタネも把握した。
     バトルは相手に手の内を悟られないことが重要である、種族間に明確な能力値の優劣があるのならば尚更のことだ。マイナーがメジャーに勝つためには、能力差を覆すだけの策が必須である、が――

    「いくぞゲンガーッ、メガシンカ!」

     全てが明るみに出てしまえば、もはやマイナーに勝機はない。
     大男の右腕に巻かれた“メガバングル”と、ゲンガーの持つメガストーン――“ゲンガナイト”が呼応し、ゲンガーの身体が虹色に渦巻く光に包まれ、そして――

    「おおーッ! 青コーナーのゲンガー、なんとメガシンカによりメガゲンガーへと姿を変えましたッ! 赤コーナーエネコロロにとっては厳しい展開、この戦力差をひっくり返すことは、果たしてできるのかぁーッ?!」

     額に現れた第三の眼を輝かせ、ゲンガーはぐにゃりと歪んだ表情。腕は溶けてしまったかのように変形し、胴体から下は異次元空間の中にすっぽり覆われていて、その中を窺い知ることはできない。
     まるで“別物”に変わってしまったメガゲンガーを前に、少女の顔が曇る。

    「……そんな、メガシンカが使えたなんて」
    「ふッ、俺のゲンガーはメガゲンガーへと“変わった”、どういう意味かわかるなッ?!」
    「くッ……みやぶ」
    「遅いッ10まんボルトォ!」

     “みやぶる”の体勢に入るより早く、メガゲンガーの放つ雷のような電撃がエネコロロに迫る。指示を待たずして冷静な判断を下したエネコロロもなんとか10まんボルトを放って応戦する――
     相手と同じ技が使えるなら、その技を使って応戦するのはバトルの基本的知識とされている。異なる技を使って応戦した場合、仮に自分の技の威力が相手を上回っていた場合でも、ぶつかり合いによって技が弾け飛び、自身がダメージを受けてしまう場合があるからだ。大男はその癖に則り“シャドーボール”を指示していたし、エネコロロも普段のバトルでの経験則からこの行動を選択した。

     だが、通常通りの技のぶつかり合いの場合、その勝敗とダメージの程度は、純粋な戦力差を示すことになる――

    「だめっ!」

     少女の悲痛な叫びが、雷撃音に一瞬でかき消される。フィールドに立ち込める土煙、一陣の風に吹かれたその先には、四足でなんとか地に踏ん張る痛々しいエネコロロの姿。

    「青コーナー強烈な10まんボルトォ! 赤コーナーも10まんボルトで応戦しましたがァ、メガシンカから来る圧倒的なパワーに押し負けて手痛いダメージを負ってしまったッ!」

     戦局の大きな動き。観客が盛り上がり、大男は腕を組んで豪快に笑う。
     今この場で盛り上がれず苦悶の表情を浮かべているのは、エネコロロと少女だけであった――

    「……メガシンカは一時的ながらも“進化”だ、進化すればこれまでの状態はリセットされる――エネコロロの“みやぶる”の効力は切れた、ノーマルスキンでダメージを与えるためにはかけ直しが必要だがッ! メガシンカでパワーもスピードも上がったゲンガーはそんな暇を与えないッ! 勝敗は決したぞッ!」
    「く……やるわね、かなり苦しくなってきたわ」
    「嬢ちゃんのバトルセンス、正直言ってかなりのモンだ、それは認める……だがな!」

     男は腕組みして叫ぶ。

    「使うのがそんな“弱い”ポケモンじゃあッ! いくらトレーナーが優れていたって勝てるかよおッ! 抑もエネコロロをバトルで使うなら特性は“ミラクルスキン”一択だろうよ、そこを疎かにしてるようじゃあ俺には勝てねえッ!」

     悪役、と片付けるには余りに行き過ぎた、過度な対戦相手批判――ひいては、マイナーポケモンの批判、否定。オーディエンスは賛否両論真っ二つに割れ、バトル狂いは同調し、エンジョイ派はブーイングを浴びせる。両派の賑わいぶりはヒートアップして、バトルフィールドは更なるボルテージアップを見せる――


    「……そう、思った通りね」


     それは、一人静かに呟く少女も。


    「確かに、それは一理ある」


     おすまし顔で佇むエネコロロも。


    「でも私は、あなたには負けないわ」


     例外なく、同じことであった――!


    「ッ言ってくれるぜ! ならやってみろッ、10まんボルトォ!」

     メガゲンガーの虚ろな瞳が光り、もう一度電撃が起こる。バヂバヂと耳を刺激する雷撃音に観衆が沸き立つ、先の蓄積ダメージから鑑みるに、これを受けてしまうとエネコロロは間違いなく戦闘不能であろう。大見得を切った少女の命運がかかったこの一撃に、誰もが興奮を隠し切れない。

     ――さあどうする、さっきみたいに10まんボルトで対抗したところで火力差は圧倒的だ! いい加減わからせてやる、優れたトレーナーが優れたポケモンを扱ってこそ、バトルに勝てるってことを!

     男の口角が上がる。
     電撃がエネコロロへと迫る。
     命運が、決する――!

    「でんじは!」
    「何ッ?!」

     エネコロロの頭部がわずかに帯電し、自身の斜め前方へと“でんじは”が放たれ、そして――

    「なんだとッ?!」

     電撃――10まんボルトはそのでんじはに釣られて軌道を曲げられ、エネコロロとはまるで違う地点に着弾した、観衆が湧きたち実況がマイクを握りしめる――!

    「これは素晴らしい展開だぁッ、赤コーナーエネコロロ、でんじはを誘導に使いッ! 火力に勝るメガゲンガーの10まんボルトを、見事にいなしたーッ!」
    「く、くそッ、まさかそんな技でそんな手を……」
    「“ノーマルスキン”はでんじはのような補助技でさえもノーマルタイプに変えてしまう……でも、タイプが変わっても相手を“まひ”させることは変わらないように、“わざ”としての性質は変わらないのよ。電気を誘導して照準を外すことだって出来ちゃうのよ、私のコロ」
    「……ならば今度こそこれで終わりだッ、小細工の通用しない、メガゲンガーの最大火力ッ! ヘドロばくだんッ!」

     メガゲンガーの表情が少し険しく歪み、眼前には猛毒のヘドロの塊が出現した。シャドーボールの効かないエネコロロに対して、メガゲンガーが放つことのできる紛れも無い最高火力のわざ――これまで何度も赤コーナーの挑戦者にとどめを刺してきた“切り札”的存在の技に、観衆のボルテージ、テンションは最高潮を迎えた!
     べちょべちょと恐怖を感じさせる不気味な音を発しながら、メガゲンガーの全力を乗せたヘドロばくだんがエネコロロへと迫る、ああ、このままでは今度こそ、火力で押し返せないエネコロロは――!

    「まもる!」
    「ッ!」

     前方に出現した薄いレンズのようなシールドが、エネコロロをヘドロばくだんの猛攻から完全に防ぎ切った。眼前で汚いヘドロが“まもる”によってかき消えていく様を見て、綺麗好きなエネコロロは小さく安堵の溜息を漏らした。
     決まり手、切り札的存在の技を防いだエネコロロにわっと場内が湧いたが、そんな中大男は白けていた。チッと舌を打ち、そして閃く。

    「その技……火力に乏しいエネコロロが耐久型と戦う時、“どくどく”と組み合わせて粘るためにでも準備してたんだろう……ノーマルスキンがあれば、ゴーストタイプも毒状態にできるからな」
    「……あなたのゲンガーはそもそも“どくどく”が効かない毒タイプが入ってるから、その手は使えないけど、ご明察よ」
    「……フン! ならば火力だけじゃなく、そういう搦め手でも俺のゲンガーが優れていることを教えてやるッ! おにび!」
    「っ?!」

     メガゲンガーの表情がぱあっと明るくなり、まるで悪戯っ子のような悪意を含んだ笑顔とともに恐ろしい炎を放った。「まだ“しんぴのまもり”が……」と言いかけた少女の眼前でエネコロロを覆っていた“しんぴのまもり”が解け、悲鳴をあげる間も無くエネコロロは地獄の業火に焼かれた――そう、常にダメージを受け続ける状態異常である“やけど”にされてしまったのだ。

    「ヘッ、俺が“しんぴのまもり”の持続時間を把握してないとでも思ったかよッ! 一度やけどにしてしまえば、もう解除する手立てはないぞッ!」
    「くっ……みやぶるっ!」

     火傷で全身を震わせながらも、エネコロロは懸命にメガゲンガーに視線を飛ばす。メガゲンガーに出せる最高火力が“ヘドロばくだん”であるのなら、エネコロロに出せる最高火力――言わば切り札である技は“ふぶき”。ポケモンが扱うことのできる技の中でもトップクラスの威力を誇る“ふぶき”ならば、メガゲンガーとて対処は困難なはずであるはずだが今の“ふぶき”はノーマルタイプ――メガゲンガーには当たらない。なんとしてもまず“みやぶる”を決めなくてはならない、技を撃った直後の隙である、今この瞬間に――

     だがそれは、全くもって甘い考えであった。

    「まもるッ!」
    「――!」
    「おーっと、今度は青コーナーメガゲンガーが守りの体勢に入りましたぁーッ! 先程は赤コーナーエネコロロが身を守ったこの技をッ! 今度は赤コーナーがッ! これは宛ら技の意匠返しと言ったところでしょうかぁーッ!」

     “みやぶる”を受け止めたシールドの向こう側から、メガゲンガーの心底楽しそうな顔が覗く。少女はしてやられたわねと悔しがりながらも、なぜかメガゲンガーを見つめながら少しだけ微笑んでいた。

    「さあ今度はこっちの番だッ、ヘドロばくだんッ!」
    「う……ま、まもるっ!」

     守りの体勢を解いたメガゲンガーは再び戦闘姿勢をとり、渾身の力を込めたヘドロばくだんを放り投げる。火傷に身を灼かれるエネコロロは必死でシールドを貼ってその攻撃を防ぎきったが、もはや身体がヘドロに汚れなくてよかったなどと安堵している余裕はない。
     “まもる”は相手の攻撃を防ぎきる、単純明快にして非常に強力な防御技である。デメリットとして連発すると高確率で失敗するリスクを抱えてこそいるものの、単純にその場を凌いだり時間を稼いだりするためには非常に使い勝手のいい技なのだ。


     そう、時間を稼ぐのに使い勝手がいい。

     つまり――


    「ここから俺のゲンガーと力比べをしたところでッ! 交互に技を撃ち合いながら“まもる”の応酬になりッ! “やけど”でじわじわと体力を奪われて嬢ちゃんの負けだッ!」
    「……苦しいわね」
    「ゲンガーは攻めだけが能じゃねえッ、一対一じゃなけりゃあ“ほろびのうた”も“みちづれ”なんかも使える芸達者なんだよッ、読みきれないだけの手があってそれでいてハイスペック――本当に“強い”ポケモンってのは、こいつみたいなことを言うんだよーッ!」

     大男のセリフに、メガゲンガーは本当に嬉しそうに笑う。腕組みして得意げに笑う。男とゲンガーは本当に仲がいいらしい、心と心が通い合っているらしい――?

     ――いいえ、少しだけ違うわ。でもその誤り、もうすぐ私が正してあげるから――

     少女はくすりと微笑む。その企んだような表情に、大男もメガゲンガーも、これまでのバトルで敷かれた策を思い起こされて少し強張る。

    「……そろそろコロのダメージは限界、このまま撃ち合いをしたところですぐに倒れてしまう――だから次が、“私たち”の最後の攻撃よ」
    「ほおッ、ならばそれをいなして俺たちが勝つッ! 撃ってこいッ、こいッ!」
    「さあいよいよバトルも佳境を迎えたーッ!赤コーナーはこれが最後の攻撃を宣言ッ、青コーナーメガゲンガーが使うであろう“まもる”を攻略しッ! 打ち倒すことができるのかーッ?!」

     実況の煽りも受け、観衆が、フィールドが震えるほどに大熱狂する。クライマックスを迎えたゲンガー対エネコロロの異色カードは、間違いなく今日一番の盛り上がりを見せていた。じわじわと嬲ってくる“やけど”のスリップダメージに追われながら、如何にしてメガゲンガーを沈めるのか――誰しもが、大声で熱狂しながら、エネコロロをじっと見つめる。

    「行くわよコロ――“どろばくだん”っ!」
    「な、何ッ?!」

     エネコロロが最後の力を振り絞って使った技は、じめんタイプの“どろばくだん”。メガゲンガーの扱う“ヘドロばくだん”と比べると少々小ぶりではあるが、十分な威力を持った立派な爆弾技であり、直撃すれば《こうかはばつぐん》で大ダメージが期待できる――が。

    「血迷ったかッ、嬢ちゃんのエネコロロはノーマルスキンッ! その“どろばくだん”はノーマルタイプで、“みやぶる”を解除したゲンガーには《こうかがない》ぞッ! 抑もこうするから当たりもしないがなッ、“まもる”ッ!」」

     メガゲンガーは“まもる”を繰り出し、前方にシールドを貼って防御姿勢に入った。これでもう、メガゲンガーに通常の攻撃技は通じなくなった。通じるのはこれを解除できる“フェイント”や“ゴーストダイブ”などの一部の技だけだが――生憎、エネコロロはそのどれも使うことはできない。

    「勝ったッ! やはり甘かったなッ、変化技を回避できる“ミラクルスキン”のエネコロロにしていればこの消耗戦は避けられただろうにッ! 攻撃のために“みやぶる”の一手間を必要とするノーマルスキンの個体を選んだのはッ! バトルに対しての甘え――勝利することへの冒涜だッ!」
    「……いいえ、それは違うわ。だって私、この子と一緒に力を合わせて勝ちたいんだもの、個体がどうとかそんな話じゃないのよ――!」

     これまでよりも更に覇気の篭った力強い声とともに、少女は腕を交差させてその場で一回転し、右掌を力強く地面に叩きつけた。聖なる儀式を模したポーズに呼応して、左手首に付けていたリングが輝き、放たれた一陣の光がエネコロロに纏われ、究極の力――“Zパワー”がその身に宿った――!

    「な、なんだとッ?!」
    「受けてみなさい、私とコロで作ったゼンリョク――どろばくだんZ、“ライジングランドオーバー”っ!」

     少女と心を重ねたエネコロロの身体にZクリスタルの紋章が浮かびあがり、可愛らしくも力強い声で雄叫びをあげる。直後、エネコロロから守りの体勢を取っているメガゲンガーに向かって一直線に地割れが起こり、強烈な衝撃を起こす、メガゲンガーの“まもる”が揺らぐ――!

    「ま、まずいッ! Z技は、ノーマルスキンの威力補正がかからない代わりにッ! タイプがその技に依存したまま放たれるッ!」
    「――それに加えて、Z技は“まもる”を打ち崩すのよ! 威力はかなり下がるけど――でもっ!」

     防御姿勢を完全に崩されたメガゲンガーが宙を舞う、埋まっていた下半身を異次元空間から引きずり出されて――。エネコロロは姿勢を低くとってから勢いよく跳びだし、強烈な錐揉み回転を加えてゼンリョクで突撃する――

    「手負いになったあなたのメガゲンガーを倒すには、十分すぎる火力よ! いっけぇーっ!」

     少女のゼンリョクを受け取ったエネコロロのゼンリョク、一人と一匹分のZENRYOKU技が炸裂し、フィールド上空で大爆発を起こした――煙の中から優雅にエネコロロが飛び出して華麗に着地し、一足遅れてメガシンカが解除されたゲンガーが地に堕ちる。両目をぐるぐると回しているその姿は、勝負の決着が付いたことを示すには十分すぎた――

    「な、なッ! なーんということでしょぉーッ! 連戦連勝百戦錬磨の青コーナー、メガゲンガーは戦闘不能ッ! よってこの勝負ーッ! 赤コーナー、エネコロロの勝ちぃーッ!」

     耳が割れんばかりの大歓声が起こり、少女は小さく右手を握り、エネコロロは得意げにおすまし顔でそれに応えた。そして小さく振り返ったエネコロロに少女は左腕のリングを見せつけ、エネコロロはみゃおうと嬉しそうな声をあげた。
     大男は無言のまま悔しそうにゲンガーをボールにしまい、フィールドの中央に向かってとぼとぼと歩く。「コロ。よく頑張ってくれたわ、立派だったわよ。おつかれさま」少女は労いの言葉をかけてからエネコロロをボールにしまい、同じくフィールド中央に向かう。

    「くそッ……まさかこんな形になるとはな……悔しいが力及ばずだ。強いな、嬢ちゃん」
    「ありがとう」
    「……だが恥ずかしい話まだ納得がいかない、いくら策が優れていたところで、ゲンガーとエネコロロとじゃあ力量差が圧倒的だ……どうして、なぜ負けたんだ、俺たちは?」
    「……ポケモンをトレーナーの言いなりにしてる人に、私は負けない。そう言ったわね」
    「ああ……だが、確かに俺はバトルに勝つことこそが至上であり、より強い種族が上位互換として存在するなら、そのポケモンを使わないのは勝利することを冒涜している、そんな風に考えている……だが、俺はゲンガーをぞんざいに扱ったり言いなりにしたりなどは断じてしていない、こいつの強みを活かして勝とうとしているんだ、どうして負けたんだ、何が間違っているんだ?!」
    「……ねえ、あなたのゲンガー、ちょっとボールから出してくれないかしら」
    「? ああ」

     大男はボールの開閉スイッチを押し、満身創痍のゲンガーを繰り出した。少女は体力を回復する効力を持つ“オボンのみ”をそっと差し出し「さっきはごめんなさい。いい勝負だったわね」と優しく話しかける――が、ゲンガーはそのきのみを半ば引っ手繰るように取って、大男の陰に隠れてしまった。やっぱり、と少女が呟く。

    「あなたのゲンガー、きっと“おくびょう”なのね」
    「あ、ああ……性格が“おくびょう”なポケモンは物理戦が苦手な代わりに足が速い――ゲンガーの強さを引き出した戦い方をするには、この性格が一番のはずだッ」
    「……確かにそれは合っている、でも少し違うの……ポケモンには性格だけじゃなくて“個性”があるのよ。“イタズラがすき”とか、“ものおとにびんかん”とか。あなたのゲンガーはきっと、おくびょうで足が速いけど――相手に攻撃をするのはあまり好きじゃない」
    「な、なぜそんなことが言えるッ?!」
    「ゲンガーを相手にして、向かい合って戦ってた私にはよく見えたのよ――攻撃技を使うときと補助技を使うときとで、ゲンガーの表情は全く異なっていたわ」
    「な……」
    「“10まんボルト”を使うとき、ゲンガーは虚ろな瞳をしていたわ。“ヘドロばくだん”を使うときは、苦しそうに表情を歪めていたわ――反面、“おにび”を使うときは楽しそうにケケケって笑ってて、“まもる”が成功したときは心底楽しそうにしてたわ」
    「……」
    「あなた、トレーナーとしてゲンガーの傍にいるのに、いつも後ろからしか見てあげてないのね……だから気付けないのよ。本当にトレーナーとして自分のポケモンを活躍させたい、勝ちたいのなら、きちんと正面から見てあげなきゃダメなのよ」

     自分の足元に隠れるゲンガーを、大男は申し訳なさそうな視線で見つめる。ゲンガーは少し恥ずかしそうにもじもじとしていたが、「ゲンガー……お前、攻撃よりも絡め手で戦ってる方が好きだったのか……?」と聞かれると、少し俯きがちにこくりと頷いた。大男の耳が朱に染まる、「俺は、そんなことにも気付いてやれてなかったのかッ」図体に似合わない細い声が喉から絞り出される。

    「……“エネコロロ”をバトルで勝たせたいのなら、確かにミラクルスキンの方が汎用性が高いし、攻めよりも絡め手で戦った方が賞賛は大きいわ。でも私はエネコロロで勝ちたいんじゃない、この子――コロを勝たせてあげたいのよ」
    「……」
    「だからこの子の“れいせい”な性格と、“おっちょこちょい”な個性と、産まれ持った“ノーマルスキン”を最大限に活かして戦う――“れいせい”さゆえに少し足が遅いけども、パワーに差があるのに同じ“10まんボルト”で戦おうとしちゃう“おっちょこちょい”なところがあるけど、“ノーマルスキン”のせいでゴーストタイプやはがねタイプと戦うのに一工夫必要だけども。それでも全部一長一短、悪いところもあればいいところだってあるの。だから私はそのいいところを伸ばし、活かしてやりながら戦う――それが本当の“トレーナー”の役割だから。そうやって一緒に戦ってるから、勝敗に関わらず、私とコロは輝くのよ」
    「……力及ばず、どころではないッ……俺たち、いや俺の完敗だ――」

     少女の語るトレーナーとしての在り方と、これまで自分がゲンガーと共に歩んできた道のり。その両方を比べてみて、その差に愕然とした大男は力なく肩を落とす、「俺とゲンガーは、これからちゃんとやっていけるんだろうか……」歓声に掻き消されそうなほど小さな声でつぶやく大男に、少女は言う。

    「あなたとゲンガーは絆をエネルギー源とする“メガシンカ”が使えた、それは間違いなくあなたたちの絆が深く結びついていたからなのよ――そう、あなたとゲンガー、戦い方を間違っているだけで、決して悪い仲じゃない……寧ろベストコンビよ。戦い方を改めれば、きっともっともっと高みへと登れるわ」
    「……ははっ、ありがとな、嬢ちゃん……俺、ゲンガーとまた頑張ってみるよ。そしてごめんな、もうマイナーなポケモンを貶したり見くびったりするのはやめだ――そのポケモンの特徴や性格、個性を最大限に引き出した戦い方を、俺は尊敬する」
    「そう言ってもらえて良かったわ。……私も、あなたみたいな明るいトレーナーを目指してみようかしら――機会があればまたバトルしましょう」
    「勿論だ、そのときは負けないぞッ」

     両者はがっちりと握手を交わす。「素晴らしいバトルでしたッ、両者お見事でしたぁーッ!」実況を合図に、観衆全員が二人に惜しみない拍手を送った。大男がゲンガーに突き出した右手にゲンガーが右手で応えたとき、その拍手は更に激しくなった。

     かくして、この日の激闘は幕を閉じたのである――



    ☆☆☆★★★☆☆☆



     爽やかな風の吹くとある地方都市の町外れ、腕試しを競うトレーナーたちが集うストリートバトルフィールドは休日の大賑わいを見せていた――どこの街へ行っても、こういう野良バトル場は賑わっていて楽しそうね。今日はもうこの街を出るから、私は参加するつもりはないんだけども。
     わいわいがやがやとした観衆を横目に、私は都市間道路へと歩いていく。そよそよとした風が気持ちいい、随分と伸びてしまった髪を揺らしながらバトルフィールド際を通り過ぎようとしたとき――興味深い会話が耳に入ってきた。

    「くそーっ、またアイツのゲンガーに勝てなかった!」
    「なかなかしぶとくて倒せないんだよなあ、いなされちまう!」
    「ああいう絡め手するくせに、あのゲンガーすげえ楽しそうな顔するんだよなあ、ちくしょう!」

     まさかと思い、人波をかき分けて最前列へと出る――すると、そこには。

    「決まったーッ! 青コーナーのポリゴン2、じわじわとダメージを稼がれてここでダウンですッ! 赤コーナーのゲンガー、またも勝利ーッ! “くろいヘドロ”と“どくどく”“まもる”を合わせた耐久戦でッ! 驚異的な回復力を誇る相手を見事に撃破しましたッ、これにて赤コーナーは本日五連勝を達成ーッ!」
    「やったぜッ!」

     赤コーナーでハイタッチを交わすゲンガーとトレーナーは、間違いなくあの日戦ったコンビであった。実況や周囲の人の話から察するに、どうやらゲンガーの個性を強く活かしたバトルスタイルを確立しているらしい――うふふ、嬉しくなっちゃうなあ。まさかこんな遠い街で、こんなに久しぶりに、また会えるなんてね!
     腰についたコロのモンスターボールが揺れている、うふふ、あなたも? 奇遇ね、私も彼らと戦ってみたくてうずうずしてるの、行きましょ!

    「次! 私が挑戦します!」

     青コーナーに躍り出た私を見て、赤コーナーの彼が、ゲンガーが、びっくりして目を見張った、やっぱり覚えててくれたのね!

    「嬢ちゃん……いやもう立派なお姉ちゃんだな、久しぶりッ!」
    「お久しぶり。まさかまた会えるなんて思わなかったわ、すっかり戦い方も変わったみたいね」
    「おうよッ、もう以前の俺たちだと思うなよッ!」
    「ふふっ、私たちだって成長してるんだもの、負けないわよっ!」

     思わず笑みがこぼれちゃって、たまらず私はボールを放る。現れたコロの姿を見てみんな「エネコロロでバトルするのか?!」ってびっくりしてるけど――すぐに別の意味でびっくりさせてあげるわ。ね、コロ!

    「さーあ続いて青コーナーに立った挑戦者、使うのはなんとエネコロロッ! 五連勝中の赤コーナーのゲンガーを打ち負かすことは、果たして出来るのでしょうかッ?!」

     コロもゲンガーも、私も彼も、バッチリ戦闘体勢。“本当の戦い方”になった彼ら相手だと、パワーもスピードも負けているコロで戦うのは正直大変ね――でも、そういう相手だからこそ、尚更燃えてくるのよね!

    「柄にもなく燃えてきたわ、行くわよ!」
    「そうこなくっちゃね、行くぜッ!」

     こんなにわくわくするバトルなんていつぶりだろう、勝てるかわからないからドキドキしちゃう。でも精一杯やりきって見せるわ、それが私とコロのバトルだから――!

    「それではッ! はじめぇえッ!」

     行くわよ、私とコロの力、見せてあげるわっ!


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