マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.3832] ステラレタ ページ4 投稿者:おひのっと(殻)   《URL》   投稿日:2015/09/11(Fri) 23:42:13     83clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    ステラレタ ページ4 (画像サイズ: 600×900 159kB)

    ランクルスはかわいいです。胎児みたいなのがかわいいです。


      [No.3831] ステラレタ ページ3 投稿者:おひのっと(殻)   《URL》   投稿日:2015/09/11(Fri) 23:30:26     86clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    ステラレタ ページ3 (画像サイズ: 600×900 119kB)

    ケムッソはかわいいです。「たいあたり」と「どくばり」と攻撃わざがふたつもあるのでお得です。


      [No.3830] ステラレタ ページ2 投稿者:おひのっと(殻)   《URL》   投稿日:2015/09/11(Fri) 23:29:08     83clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    ステラレタ ページ2 (画像サイズ: 600×900 140kB)

    ベトベターはかわいいです。
    姫野かげまる著『ポケモンカードになったワケ』には人間にシンカしたいベトベターがでてきてかわいいです。


      [No.3829] ステラレタ ページ1 投稿者:おひのっと(殻)   《URL》   投稿日:2015/09/11(Fri) 23:27:30     106clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    ステラレタ ページ1 (画像サイズ: 600×900 211kB)

    投稿制限のため余談です。
    ヤドランはかわいいです。いつものんきな顔をしていて、でもそんなところがかわいいです。


      [No.3828] ステラレタ 【マンガ】 投稿者:おひのっと(殻)   《URL》   投稿日:2015/09/11(Fri) 23:22:25     93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    せんだって Twitter にあげたミニスカート×ベトベター的なマンガをまとめました。
    初出は2015年9月8日 https://twitter.com/ohinot/status/641206926064287746 以下です。


      [No.3827] 王者の品格 第四話「破綻百出」 投稿者:GPS   投稿日:2015/09/11(Fri) 21:55:51     76clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    悪夢よりも悪夢かもしれない、羽沢親子入れ替わり事件勃発から二日目である。
    悠斗は森田によるポケモンバトルレクチャーに知恵熱を出し、泰生は富田に連行されたカラオケボックスで行われたボーカル特訓(と言っても、身体的に染み付いた歌唱力は残っていたため問題はもっぱら泰生の妙な羞恥を突き崩すことだったが)の屈辱に夜、うなされた。もっとも本人達より安らかでいられないのは森田や富田の方であり――森田は胃薬をラムネ菓子のようなペースで摂取し、富田はイライラ対策のためにモーモーミルクを大量購入した。腹を下す体質では無いのだけが幸いである。
    しかしどれだけ嘆いたところで、この現状がどうにかなるわけではない。元に戻るまではお互いのフリをしっかりこなすことが最優先だ。そんな決意を悠斗、泰生、森田、富田の四人はそれぞれの胸に宿して困難へと立ち向かう。
    ……その困難は、悠斗と泰生それぞれの知識があまりに偏っていたため、彼らが予想していたものよりずっと大きかったのだが。



    「いいですか。くれぐれも、くれぐれも、くれぐれも! 芦田さんに怪しまれるようなこと言わないでくださいよ」

    さて、そんな泰生と富田は本日も学生生活の真っ只中である。
    今日の講義は学部の専門科目が二つ、テキストの漢字が読めなかったり一般常識の部類であろう語句を知らなかったりと、泰生のトレーナー一本ぶりに、昨日に引き続きうんざりを繰り返すことになったが、散々言い含めた甲斐もあり、余計な発言をすることだけは回避出来た。『若き旅トレーナーを狙う性犯罪問題をどう解決するか』という授業の最中に「普通にポケモンや自分を鍛えればいいのではないのか?」などと真っ直ぐな瞳で言いだした時には頭が痛んだが、昨日のように講堂全体に聞こえる声で言わなかっただけよしとする。

    「三回も言うな。ドードリオやレアコイルじゃあるまいし、一回言えばそれでいいだろう」
    「一回言ってわかってくれないから何度も言うんですよ。何ならポケモンミュージカル部にペラップ借りてきて、常に聞いていただきたいくらいです」

    しかし今日の富田が声に棘を作るほど懸念しているのは、どちらかというと授業ではなく、この後にあるサークル活動の方だった。個人練であれば何とかごまかせそうではあるけれど、本日の羽沢悠斗の予定は学内ライブのセッション練なのだ。セッションの相手、一学年上である三年生のキーボード、芦田は当然この事態を知らない。
    羽沢悠斗という人物に向けられた信用を崩壊させることなく、また要らぬ誤解を招くこともなく、芦田との練習を終わらせなくてはならないのだ。どうすれば一番安全かと思考を巡らす富田の隣から、泰生がつつつ、と離れていった。

    「タツベイ……」
    「え、え……何すか…………?」

    廊下ですれ違った見知らぬ男子学生の肩に乗っていたタツベイに引き寄せられ、そわそわと近づいていく泰生に気づいた富田は「だから! だから三回言ったんですよ!」と青筋を浮かべて泰生の首根っこを捕まえた。いきなり近寄ってきた赤の他人、しかも呟かれた独り言以外は無言の仏頂面という怪しさに、何事かとヒいている学生に秒速で頭を下げる。「すみませんホント、何でもないんです」そんな富田の鬼気迫る様子に彼はさらに不審感を募らせたが、関わり合いになりたくないためタツベイを抱え、そそくさと去っていった。
    はぁ、と重い溜息を吐いた富田が、辿り着いた部室の扉を前にしてもう一度言う。「本当頼みますからね。悠斗らしく、悠斗らしく、悠斗らしく、悠斗らしく、ですよ」

    「……メタグロスか」

    泰生の漏らした不平は無視して、富田はドアを開ける。
    「お疲れ様です」「おっす羽沢、富田」「おつかれー」「ハザユー風邪大丈夫なの?」「あ、ただ疲れてたらしいです」「何でトミズキが答えるんだよ」「お前、そのニックネームわかりにくいって」口々に交わされる言葉が、各々の楽器が鳴らす音と共に響く部室を歩く。有原と二ノ宮は今は不在みたいだな、などと思いながら、富田と泰生は一台のキーボードの前まで進んだ。

    「芦田さん、こんにちは」
    「あ、お疲れ! 羽沢君、具合はもう平気なの?」

    何やら携帯で連絡を取っていたらしい芦田は顔を上げ、人の良さそうな笑みを浮かべる。彼の質問に富田が泰生の脇腹を素早く突き、泰生は慌てて「ん」と頷いた。
    その態度に富田はまたしても頭を抱えたくなったが、「まだ本調子じゃなさそうだね〜無理はしないでね」と、芦田は都合良く解釈したらしい。それに内心で胸を撫で下ろしながら、「守屋もお疲れ」と芦田の隣に座っていた同級生へ声をかける。「『も』は余計ですよ」冗談っぽく拗ねたような顔をして、守屋は軽く片手を上げた。彼の足元のマグマラシが富田達をちらりと見たが、すぐに、一緒に遊んでいたらしいポワルンの方へ視線を戻してしまう。マグマラシとポワルンは、それぞれ守屋と芦田のポケモンだ。芦田のポワルンは、何故か常に雨天時のフォルムをしていることでちょっと有名である。
    「今日は悠斗と合わせでしたよね」 晴天の室内にも関わらず雫型のポワルンに興味津々の泰生は無視してそう尋ねた富田に、「そうだよー」壁にかかった時計を見ながら芦田は答える。「本当は横木くん達が使うはずだったんだけど、一昨日代わってくれたからね」対角線上でベースをいじっているそのサークル員、横木に感謝の合図をしながら、芦田がキーボードの前から立ち上がった。

    「悠斗の具合が心配なので、俺もついていっていいですか」

    そこでそう言った富田に、芦田はほんの一瞬不思議な顔をしたものの、「もちろん」と笑って頷いた。ちょうど時間だしそろそろ行こっか、そんな言葉と共に床の鞄を持ち上げた芦田に泰生と富田も続こうとする。

    「樂先輩」

    が、守屋が芦田の名前を呼んだため、彼は一度足を止める。「なに」言うことは大体予測がついているらしい芦田が、じっとりとした目を守屋に向けた。

    「残念ながら、僕は樂さんにお供いたしませんので……」
    「いいよ別にしなくて! 巡君には期待もしてないし! わざわざ言わなくていいよそんなこと!」
    「むしろこの辺が片付いて、せいせいし……いえ、スッキリした気持ちになってます」
    「言い直さなくていいから! アメダスのこと見ててね、じゃあね!」

    守屋の軽口に呆れ混じりの声で返し、溜息をついた芦田は背を向けて歩き出す。「いってらっしゃいませ」と悪戯っぽく笑った守屋が手をヒラヒラと振り、芦田が座っていたキーボードを早速弾き始めた。
    「まったく、巡君はいつもああだ」などと呻きながら部室を出た芦田の後ろを歩きつつ、まったくはこっちの台詞だ、などと富田は考えていた。有原と二ノ宮達といい、よくぞ毎回飽きないものである。自分のことを完全に棚に上げる富田の隣で、泰生はアメダス――芦田のポワルンを少し触らせてもらえばよかった、などとのんきな悔恨に駆られていた。




    「うーん、なんか……」

    部室から移動して、第一練習室。学内ライブでやる予定の曲を一通りやってみたところで、芦田がなんとも言い難い顔をした。「……やっぱり、羽沢君まだ調子悪い?」言葉を選ぶような声で問いかけられた泰生が「どういうこと……、ですか」と、ギリギリのところで口調を悠斗のものに直しながら問い返す。
    芦田は「なんというか」「別にいつも通りと言えばそうなんだけど」と、グランドピアノと睨み合いながらしばらく首をひねっていたが、ややあってから顔を上げて泰生を見た。

    「なんというか、ね。楽しそうな曲なのに、楽しそうじゃない、っていうか」
    「…………そんなこと、」

    とてもじゃないが楽しくなどない泰生は「そんなこと言われても困る」と言いたかったのだが、芦田の目には途中まで発されたその言葉が、不服を訴えるものに聞こえたらしい。慌てたように「いや、俺の気のせいかもなんだけどさ」と頭を掻いて、彼は「でも」と困ったような笑みを作る。

    「羽沢君って、こういう歌を本当に楽しそうに歌ってたから。だからこれにしようって決めたわけだし……なんか違うような、そんな気がして……」

    譜面台に置いた楽譜を見遣り、怪訝そうに言った芦田に何か弁明しようと富田が「あの」と口を開きかける。しかしそこで芦田の携帯が着信音を響かせ、「ごめん。ちょっと待って」彼は電話を取った。

    「はい。はい、そうです。さっきの……ああ、そうですか……いえ、わかりました。はい。了解です」

    電話の向こうの相手と短いやり取りをしていた芦田だが、数分の後に「失礼します」と通話を切る。どうしたんですか、と富田が尋ねると、彼は重く息を吐いて「学内ライブなんだけど」と力の無い声で答えた。

    「日にちが一週間前倒しになっちゃって……昨日事務の人にそう言われて、どうにかしてくれないか頼んでみたんだけど……」
    「そんな、じゃあ……」
    「点検の日付を変えるのは無理だから、って。みんなに言わないとなぁ……」

    苦い顔をして気落ちする芦田に、富田も歯噛みする。ただでさえ、元に戻るまでの諸々をごまかすのに必死なのに、ここに加えて本番までこられては大変まずい。一体どうしたものか、という思いを、芦田と富田はそれぞれ違う理由で抱く。
    だが、泰生の反応はそれとは違った。「なぁ」携帯でサークルの者達に連絡を送っていた芦田が泰生に視線を向ける。

    「なに、羽沢君?」
    「どうして、そこでもっと抗議しないんですか?」

    泰生からすれば純粋な疑問をぶつけたに過ぎないが、いきなりそんなことを言われた芦田は面食らったように瞬きを繰り返した。

    「それは……まあ、したにはしたんだけどダメだって言われたし……学校の都合ならどうしようもないから……」
    「何故です? 先に予定を入れておいたのはこちらなんだろう、なら、向こうは譲るべきなんじゃないんですか」
    「僕だって同じこと思うよ。それはそうだ、羽沢君の言う通りだ……でも、しょうがない、じゃん」

    「学校にそう言われちゃ、仕方ないよ」芦田がぽつりと言って、白と黒の鍵盤に視線を落とす。諦めたような顔が盤上に映し出された。

    「しょうがない、って……」

    しかし、泰生は違った。
    その一言を聞いて、眉を寄せた彼は、両の拳を握り締める。

    「そこでもっと言わないから、こういうことが起きるんじゃないのか? どうせ言うことを聞くから、と馬鹿にされて……だから後から平気で変えてくるんだ!」
    「羽沢、君…………?」
    「なんでそんな無理を言われるのかよく考えてみろ、そうやって、受け流すから見くびられるんだ。大学だか事務だか知らんが、そことの不平等を作っているのはこっち側なんじゃないか!」
    「…………それ、は」
    「これでまた、一つつけ上がらせる理由になったんだ……わかってるのか、これは俺だけじゃなくて、他の奴らにも関係あるんじゃないのか? こうして平気で諦めたことは、他の学生にも――」
    「おい、羽沢――――」


    「樂先輩」


    見かねて口を挟んだ富田が何か言うよりも前に、そこで、泰生と芦田の間に割り込む声があった。

    「赤井先輩が呼んでます、学祭の件で急用だって……」

    携帯じゃ気づかないだろうから呼びに来ました、そう付け加えた守屋は、半分ほど開けたドアの向こうから三人を見ている。その足元と頭上それぞれで、マグマラシとポワルンが、何やらただ事では無さそうな雰囲気にじっと動かずにいた。

    「あ、うん。わかった。すぐ行く」

    一瞬、目をパチパチさせていた芦田が慌ててピアノの前から立ち上がる。「ごめん、羽沢君、富田君」そう言いながら簡単に荷物をまとめた芦田の様子は、少なくとも一見した限りでは普通のもので、富田は反射的に頭を下げる。彼に背中を叩かれた泰生も会釈したが、すでにその前を通りすぎていた芦田が気づいたかどうかはわからない。

    「本当にごめん。戻れたら戻るけど、ここ六時までだから、駄目だったら次の人によろしく」

    忙しない口調で告げて、芦田はドアの向こうに消えていく。「ありがとね」そう彼に言われた守屋が、芦田に軽口を叩くよりも前に、練習室の中を少しだけ見遣った。
    何か言いたげな、探るような視線。が、彼が実際に発言することはなく、二人と二匹は慌ただしく廊下を走り去ってしまった。

    残された泰生と富田は、閉まったドアの方を見てしばらく無言だった。が、やがて「俺は」と、泰生が口を開く。

    「間違ったことを、言ったのか」
    「悠斗、は――――――――」

    毅然とした口調でそう問うた泰生に、しかし、富田の細い眼の中で瞳孔が開いた。
    その瞳を血走らせた彼が、一歩踏み出して泰生の胸ぐらに掴みかかる。咄嗟のことで反応出来なかった泰生は怯んだように身を竦ませた。
    表情というものを消し去って、富田の、握った片手が勢いよく振り下ろされる。

    「………………悠斗は」

    が、その拳が泰生を打つことはなかった。
    思わず目を瞑っていた泰生が、おそるおそる目を開けると、肩で息をする富田が自分を黙って見下ろしていた。
    時計の秒針が回る音だけが、彼らの間にうるさく響く。

    「……すみませんでした」

    その言葉と共に、富田は泰生を掴んでいた手を離す。急に解放された泰生は足をよろめかせたが、俯いてしまった富田がそれを見ていたかは不明だ。声を僅かに震わせていた富田の顔は、長い前髪に隠れてよくわからない。
    それきり、富田は何も言わなかった。泰生も無言を貫いた。

    結局六時を過ぎても芦田は戻らず、後で彼、および芦田を呼びつけたサークル代表の赤井から謝罪のメールが届いたが、それに対して富田が言及したのは「芦田さんが置いてった楽譜は僕が渡しておきますから」ということだけだった。





    そんなことがあった翌日――悠斗は、森田と共にタマムシ郊外の街中を歩いていた。

    「悠斗くん、そんな落ち込まないでください。まだ三日目ですから、次に勝てるよう頑張りましょう」
    「………………」

    彼らは先ほどまでいたバトルコートから、近くの駐車場まで移動しているところである。地面を見下ろし、俯く悠斗に森田が励ましの声をかけた。しかし、悠斗は依然として肩を落としたままである。
    数十分前、バトルコートで悠斗が負けた相手は別のトレーナープロダクションに所属している、しかし064事務所と懇意にしている壮年の男トレーナーだ。リーグも近いし練習試合を、ということで前々から約束されていた予定である。
    そのバトルに、悠斗はまたしても負けてしまったのだ。今回は必要最低限の知識は入れていたし、少しは慣れたから惨敗とまではいかなかったが、それでも男トレーナーに怪訝な顔をさせるくらいにはまともな勝負にならなかったと言える。ある程度は予想のついていたこととはいえ、悠斗は度重なる敗北に少なからず傷心していた。

    「相手方にはスランプで通していますから。それにですね、いくら泰さんのポケモンとはいえ、バトル始めたばかりの悠斗くんがそう簡単に勝てたら、エリートトレーナーも商売上がったりですよ」
    「それはそうですが……」
    「泰さんと互角の相手なんです、あの人は。負けるのもしょうがないです」

    片手をひらひらさせた森田は「とりあえず、今日は帰るとしましょう」と歩を進める。「そうですね」悠斗も浮かない顔のままだが頷き、その後に続こうとした。

    「おい、そこのお前!」

    が、背中にかかった声に二人は反射で足を止める。

    「お前、羽沢泰生だよな!?」

    振り返った悠斗達の後ろにいたのは、半ズボン姿の若い男だった。年の頃は悠斗の元の身体とそう変わらないだろう、サンダースのような色に染めた髪やその服装から考えるに、悠斗や富田に多少のチャラさを足した感じである。
    「俺は、たんぱんこぞうのヒロキ!」膝小僧を見せつける彼の始めた突然の自己紹介に、悠斗と森田は頭の上に疑問符を浮かべる。「森田さん、たんぱんこぞうって、中学二年生くらいが限度じゃないんですか」「ミニスカートとかたんぱんこぞうとかっていうのは、名乗るための明確な規定が無いからね……『小僧』が何歳までっていう線引きも無いし」「あ、ああ……?」小声で交わされる珍妙な会話は聞こえていないらしい、やけに真っ直ぐな目をした男は、人差し指を悠斗へ向けてこう言った。

    「羽沢泰生! 俺と勝負しろ!」
    「はぁぁ!? 駄目、だめだめだめ!!」

    唐突なその申し出に反応したのは、悠斗ではなく森田だった。慌てたように冷や汗を浮かべた彼は、「そんなこと、出来るわけないでしょう!」ときつい調子で男を叱る。

    「そう簡単にバトルを受け付けるわけにはいきません! 羽沢は今事務所に戻る途中なんです、お引き取り願います!」
    「目が合ったらバトル、トレーナーの基本だろ!? エリートトレーナーだからって、それは同じじゃないのかよ!」

    滅茶苦茶な理論を並べて森田に詰め寄る男に、悠斗は何も言えず立ち竦むしか無かった。ポケモンにもバトルにもとんと関わったことのない悠斗には縁遠い話であったが、しかし偶然、同じような状況を街で見かけたことがある。有名トレーナーを見つけ、無理を通してバトルを申し込む身勝手なトレーナー。最悪のマナー違反として度々問題となっているが、結局のところ、今までこれが解決したためしは無い。
    そして、こういうものを煽る存在がいるのも原因の一つだ。「エリートのくせに、にげるっていうのかよ!」「いいから帰ってください!」騒ぐ二人の声に引き寄せられて、近くを歩いていた者達が次々と視線を向けてくる。

    「え? なんか揉め事?」
    「なぁ、あれって羽沢泰生じゃね!?」
    「は!? マジで!? なになに、なんかテレビの撮影!?」
    「バトル!? バトルするんだ!!」
    「おい大変だ! 羽沢泰生の生バトルだぞ!!」
    「やっべー! 次チャンプ候補じゃん、ツイッターで拡散……あとLINEも送ってやらないと……!」

    人が人を呼び寄せ、その様子に興奮したポケモンがポケモンを呼び寄せ、気がつくと悠斗達はギャラリーに取り囲まれていた。人とポケモン専用の道路には、ちょうど、バトルが出来るくらいのスペースを残して群衆達が集まっている。「ここまできて、やらないってことはないよなぁ!」パシン、と膝を両手で叩き、男は挑発するような笑みを浮かべた。

    「森田さん、これ、やるしかないよ」
    「でも、悠斗くん……あっちにしか非はありませんし、ここは理由をつけて……」
    「ううん。あいつなら、こういうのが許せないからこそ戦うんだろうし、それに」

    「俺、勝つから」
    小さく告げられたその言葉に森田が唇を噛む。一歩前に踏み出した悠斗の姿に群衆と男が上げた歓声が、中途半端な狂気を伴って、曇天の空に響いていった。



    「やってこい! クレア!」

    男が放り投げたボールから現れたのは、肩口と腰から炎を赤く燃え滾らせたブーバーンだった。アスファルトを震わせながら着地したブーバーンは、口から軽く火を噴いて悠斗の方を睨みつける。

    「いけ、キリサメ!」

    対して悠斗が繰り出したのは長い耳を揺らすマリルリで、雨の名を冠した彼は跳ねるようにボールから飛び出した。ギャラリーの中から「かわいー」と声が上がる。割とお調子者な傾向のある彼はその方へ視線を向けながら丸い尻尾を振ったが、すぐにブーバーンへと向き直り、丸い腹を見せつけるように胸を張った。
    タイプはこっちの方が有利のはず。マリルリが覚えている技を急いで頭の中に思い出しながら、悠斗はそんなことを考える。今にも雨が降りそうな天気と、どんよりした湿気も手伝って、炎を使う技は通りが悪そうだ。ここはみずタイプの技で一気に決めてしまおう――そう決めて、指示をするため口を開く。
    が、その一瞬が男に隙を与えた。悠斗が考え出した時には既に息を吸っていた男は、灰色の空を見上げながら、こう叫んだのだ。

    「にほんばれ!」

    彼の声にブーバーンが目を光らせた途端、その空に異変が起きた。重苦しい、分厚い雲の隙間に小さな亀裂が走ったと思うと、それはみるみるうちに広がりだし、瞬く間に文字通りの雲散霧消となってしまった。その向こうから現れたのは青く晴れ渡った天空と、強い輝きを放つ太陽である。

    「なに――――」

    こうなるかもしれないという予測どころか、てんきを変える技があることすらよく知らなかった悠斗は明らかな動揺を顔に浮かべる。「アクアジェット!」とりあえず言葉は発されていたものの、その狼狽がマリルリにも伝わってしまったらしい。完全に出遅れた彼が水流を放った時にはもう、ブーバーンは次の技に入っていた。

    「クレア、ソーラービームだ!」

    陽の光の力による目映い一撃が、マリルリに向かって一直線に放たれる。確かな強さを以たアクアジェットはしかし、弱体化していたこともあって、黄金色の光線によって呆気無く跳ね返されてしまった。
    キリサメ、と悠斗が叫ぶ。成す術もなく宙を舞ったマリルリは、無様な音を立ててアスファルトへ墜落した。甲高い声がマリルリの喉から響く。
    「もう一回アクアジェットだ!」焦ったように悠斗が言うが、マリルリが体勢を整え直すよりも前に男とブーバーンの攻撃が飛んでくる。「させるな! ソーラービーム!」繰り返される一方的なその技を何度も喰らい、マリルリはその度に多大なダメージを負っていく。にほんばれが終わらないうちに勝負をつけてしまおうという魂胆なのであろう、連続する攻撃は暴力的な勢いすら持ってマリルリを襲う。何発目かになるそれを腹部に受け止めた彼は、数秒ふらつく足を震わせていたものの、とうとうその身を横転させてしまった。

    「キリサメ!」

    地面に倒れ伏したマリルリに悠斗が叫ぶ。力無く横たわった彼は耳の先まで生気を失い、これ以上のバトルが出来るようにはとても見えない。
    しかし、悠斗は叫び続けた。

    「頑張ってくれ、キリサメ!!」

    それはバトルに疎い、ポケモンの限界というものをよく知らない悠斗だからこそ言えた、突拍子も無い言葉なのかもしれない。普通だったらもう諦めて、ボールに戻してしまうところだろうに、それでも声をかけ続けるなどは決して賢いとは言えないであろう。無駄な行動だと一蹴されてしまうようなものだ。
    だけど、少なくともマリルリにとっては、そうではなかったらしい。ぴくり、と、片耳の先端が小さく動く。勝利を確信し、マリルリを見下していたブーバーンの目が、何かを察知して僅かに揺らいだ。
    その時である。

    「クレア!?」
    「…………キリサメ!」

    突如、勢いよくぶっ飛んだブーバーンに、男が悲鳴に似た声を上げる。やや遅れて、悠斗が呆然とした顔で叫んだ。
    ぐち、と奥歯でオボンを噛み砕きながら、マリルリは肩で息をする。ブーバーンの隙をついてHPを回復した彼は、ばかぢからをかました疲労をその身に抱えながらも、不敵な笑みを口元に浮かべた。

    「キリサメ! よくやった……!」

    悠斗の声を背に受けて、マリルリが二本の足でしっかり立ち上がる。彼を支援するようなタイミングで、技の効果が消えたのか、空が再び灰色に覆われていく。ブーバーンに有利な状況が一変し、急速に満ちる湿り気にマリルリは、可愛らしくも頼もしい鳴き声を空へと響かせた。
    つぶらな瞳を尖らせたマリルリに、男は「まだいける! 10万ボルトだ!!」と狼狽えながらもブーバーンに指示を飛ばす。ブーバーンが慌ててそれに応えようと身体に力を溜めるが、マリルリはとっくに動き出していた。アクアジェット。湿気のせいで行使が遅れた10万ボルトなど放たれるよりも先に、重く激しい水流を纏った彼は、ブーバーン目掛けて突っ込んでいった。

    「クレア!!」

    地響きと共にブーバーンがひっくり返る。その脇に着地して、マリルリは自らの、力に満ちた肢体を見せつけるかのように、得意げな表情でポーズを決めた。
    声も出せず、成り行きを眺めるだけだった悠斗が息を漏らす。「…………勝っ、た」呟きと言うべき声量で発されたそれは、やがて喜びの声へと変わっていく。


    「勝った…………!!」


    信じられない、という笑顔になった彼をマリルリが振り返り、キザな動きで片手を上げた。その様子に笑い返して、悠斗は全身に込み上げる高揚感に包まれた。
    しかし――

    「……………………」
    「ねえ、今のってさぁ……」
    「…………羽沢、だよな?」
    「あの、アレ……」

    喜ぶ悠斗とは対照的に、集まったギャラリーの反応は薄いものだった。相手トレーナーも、倒れたルンパッパをボールに戻しつつ渋い顔をする。
    「さあ、行きましょうか」やけに落ち着いた声で森田が言い、悠斗の背を押すようにして促した。小声で広がるざわめき、怪訝そうに見つめる視線。おおよそ勝敗がついた際のものとは呼べないその状況が理解出来ず、悠斗は困惑しながらその場を離れた。



    「どういうことですか」

    駐車場に停めた車に戻り、シートに座ったところで悠斗は耐えきれずそう尋ねる。彼らの後をちょこちょことついてきたマリルリをボールへとしまってから運転席についた森田は、シートベルトを締めつつ「それは」と口ごもった。
    数秒、車内に沈黙が流れる。

    「泰さんの、戦い方というものがありまして」

    呼吸を何度か繰り返した森田が観念するように口を開く。彼がかけたエンジンの音が響き、悠斗の身体が軽く揺れた。

    「シンプル、かつ的確な指示。言葉自体は少なくても全力で通じ合う。ポケモンの様子をいち早く察知して、勝敗よりもポケモンが傷つかないことを最善と考え、結果的にそれが強さを呼ぶ――それが、羽沢泰生のバトルなんです」
    「……………………」
    「要するに、さっきのようなバトルとは真逆、ということです」

    悠斗の指の先が小さく震える。
    「ポケモンに任せきり、判断を仰ぐ……なんて、羽沢泰生、らしからぬバトルでした」普通を装った、しかし絞り出すかのような森田の声が鼓膜を掠めた。

    「今までのは事務所内にしか見られてないのでスランプという形でごまかせましたが……プライベートなものとはいえ、衆人環視でのあれは少し痛いところでした。泰さんは気にしないと思いますが、やはり、エリートトレーナーともなるとイメージというものもありますから」
    「俺は、…………」
    「いえ、でも勝てたのは良かったんですよ! ここで負けてたらそれこそ大惨事ですし、悠斗くん的にも、ほら、快挙じゃないですか!」

    無理に明るいと笑顔を声を作って森田が言った。「過ぎたことは過ぎたことですし、まあ今後は、ああいうのを控えてくれれば大丈夫ですから」ハンドルに手をかけて、周りをチェックする彼は笑う。「それに今回のは相手が強引でしたしね」

    「でも、あれはあれで悠斗くんらしいと思いましたよ! ああいうバトルもいいものです」

    そう言いながら車を動かし始めた森田の様子は、すっかりいつも通りに戻っていたが、乗車してから一度もルームミラーに映る悠斗を見ていない。そのことを悟った悠斗は、「そうですかね」と曖昧に返して窓の外を見る。
    動き出した景色の中、路地でジグザグマとバルキーとでバトルをしている子供達を見つけ、悠斗はそっと目を閉じた。





    それから、家に帰った悠斗は母・真琴の剣呑な態度から逃げるように戻った自室で一人、ベッドに腰掛けて天井を見上げていた。
    今日の夕方には、富田が連絡をつけてくれたという『専門家』のところへ行くことになっている。森田は一時事務所に戻り、雑務をやってから羽沢家に来るということだった。車で悠斗を送り届けた彼は、道中も、そして悠斗が降車する際にも何かを言うことは無かった。
    ただ、申し訳無さそうな顔が頭に浮かぶ。泣きそうなその顔に滲み出る感情が、自分ではなく父に向けられているのは確かだった。森田はそんなことを一言足りとも口にはしないが、それでも、わかる。
    自分が父に、羽沢泰生の名に泥を塗ったことは痛いほどに理解した。自分の無知が、意地が、愚かさが、父という存在を貶めることによって、父を慕う人達を傷つけることになる。忌み嫌い、目を背けていた父が自分のあずかり知らぬところでどれほど愛されていたのか。その側面を垣間見たような気がして、恐ろしいまでの後悔が襲ってきた。

    (だけど――)

    どうすればいいというんだ。壁に貼った、敬愛するバンドのポスターに問いかける。
    どうしろというんだろう。三日三晩で作ったハリボテの人格を演じるだなんて不可能だ。しかも相手が、ずっと見ないようにしてきた父親である。どれだけ頑張っても埋められないことへの無力感と、憎むべき父のためにしなくてはならないことへの怒りが心の中でぶつかり合い、押し潰されそうだった。

    「おい、悠斗」

    そして間の悪いことに、父――自分の姿だが――がノックもせずに部屋へ入ってくる。そういえば今日は三限で終わるから帰ってきたのか、と思いながら「今話せる気分じゃないから」と、悠斗は泰生の顔も見ずにすげない言葉を返した。
    しかし泰生はそれをまるで無視し、遠慮無い足取りで悠斗に近づく。迷惑だという気持ちを表すために悠斗は泰生を睨みつけたが、彼は動じる素振りも見せなかった。

    「何の用だ」
    「何の用だ、じゃない。おい、これはどういうことだ」

    言いながら泰生がポケットから取り出したのは、別々にいる時には持ち歩かせることにした悠斗の携帯だった。だからそれがどうしたんだよ、そんなことを思いながらようやく立ち上がった悠斗に、泰生は唸るような声で言う。

    「お前の知り合いから送られてきたんだ。『ツイッターで話題になってるけど、お前の父親大丈夫?』と、な。誰だか知らんが、お節介な奴もいるもんだ」

    吐き捨てるように告げた泰生の差し出す画面を見て、悠斗は言葉を失った。
    泰生の言う通り、ネット上で拡散されているらしいその動画は、先程悠斗が街中でやったバトルを撮影したものだった。あの中に正規のカメラマンがいるはずがないから、人混みからした隠し撮りであるのは間違いないが、駄目なら駄目でしっかり注意しなかったのが悪いとも言えるため口は出しにくい。何より、取り沙汰されたくないならば、森田が言うようにあんな場所でバトルをするべきではなかったのである。
    有名トレーナーのプライベートバトルということで、動画はインターネットユーザー達の注目を集めていた。ただ、その注目の内容が問題だった。勝ったとはいえ、森田の言葉を借りるなら『羽沢泰生らしくない』戦い方は、大きな波紋を生んでしまったらしい。

    『羽沢も落ち目だな』
    『堅実だけが取り柄だったのに。今年は決勝までいけないだろ』
    『つまらないバトルだけはするなよ』

    まとめサイトに並ぶ辛辣なコメントに、悠斗は発する言葉も無く目を伏せた。

    「こんなものはどうでもいい……しかし、お前は俺の代わりをするはずだっただろう。これではポケモンがあまりにも惨めではないか! トレーナーの無茶な言い分に……こんな戦い方、やっていいわけがない!」
    「それは…………」
    「どうしてお前はそんなこともわからないんだ! ポケモンの気にもなれ、こんな、自分本位な指示でまともに動けるわけがないだろう!? 考えればわかることだ、ポケモントレーナーとして発言するなら、もっと、ポケモンの心に寄り添おうと何故思わない!!」
    「っ……そんなの、お前だってそうだろ!!」

    怒鳴った泰生に、一瞬目を大きく開いた悠斗が叫ぶ。その大声に泰生が怯んだように言葉を止めた。

    「ポケモンの気持ちを考えろ、ってお前はいつもそうだよ。ポケモンの心、ポケモンと通じ合う。言葉なんかじゃない。じゃあ……じゃあ、人間の気持ち考えたことあるのかよ!!」
    「なんだと、っ……」
    「いつといつも態度悪くてさ。自分本位はどっちだよ、ロクに気もきかないし愛想悪いし、母さんや森田さん困らせて! 人の気なんか、全然考えないんだもんな! ああそうだ、お前はいつだって勝手なんだ!」

    一度頭に上った血はそう簡単に冷ないらしく、悠斗の口は止まらない。この、入れ替わったことによるストレスが積み重なっていたのもあって、溜まりに溜まった苛立ちがまとめて溢れ出ていくようだった。
    「お前だって大変だろうから、言わないようにしようと思ってたけど」荒くなった息を吐き、悠斗は泰生の胸倉を掴みあげる。「お前、芦田さんに何言ったんだ」

    「守屋からLINEきたんだよ――お前、あの人にどんなことしたんだ! 俺の顔で、俺の口で、なんてこと言ってくれたんだ!?」
    「何も言ってない。ただ、当たり前のことを――」
    「それが駄目だっつってんだよ!! いいか、お前はわからねぇかもしれないけどな、人はな、言われて嫌なこととか、言われてムカつくこととかあるんだよ。だから、言葉を選ばなきゃいけないんだよ、常識だろこんなの!」
    「そんなの知ったことか……大体言葉を選ぶ……それは言い訳だ、どうせ本心を隠して影で笑って、嘘をついてるのと同じだ! だから人間なんて信用ならないんだ……人間なんて…………」

    泰生も語気を荒げて悠斗に掴みかかる。が、悠斗は全く怖気つくことなく「『嫌い』だろ」と冷めきった声色を出した。

    「いつもそうだもんな。お前。人間嫌い、人間は駄目だって。いつもいつも、そうだ」

    せせら笑うように、据わった眼の悠斗は言う。

    「そんなに人間が嫌いなら、どうぞ、ポケモンにでもなればいいんだ」
    「っ!!」

    泰生の瞳孔が開かれる。悠斗が口角を吊り上げる。
    呼吸を止めた泰生の片手が固く握られ、後方へと振りかぶられた。それを察した悠斗も冷めた眼のまま同じように拳を固め、勢いよく後ろにひいたが――


    「ちょっと。悠斗も、羽沢さんも、一回そこまでにして」

    突如聞こえたその声と、ドアが開く音に、今にも双方殴りかかりそうだった悠斗と泰生は同時に黙り込む。向かい合って互いを睨む二人の口論を遮ったのは、無表情の中に苛立ちを滲ませた富田だった。
    前髪の奥から羽沢親子を見ている彼の後ろには、気後れ気味に顔を覗かせた森田もいる。どうやら二人とも、取り次いでくれた真琴に促されてこの部屋に来たらしい。
    勢いづいたところを中断されて、次の行動を図りかねる泰生に鋭い視線を向け、富田は言う。

    「絶対こうなると思いましたけど。だから言ったんですけどね、余計なことを言わないでください、と」
    「それはこいつが――」

    刺々しい言葉に、泰生は反射で返す。が、富田の目を見て、途中で言葉を切ってしまった。
    「悠斗くんも、あまり怒ったら駄目だよ」森田の、静かに、しかしはっきりした口調で告げられた言葉に悠斗も黙り込む。気まずい沈黙がしばし続き、やがて謝りこそしないものの、親子はお互いの胸ぐらを掴んでいた腕をそっと離した。

    「じゃあ、行きますか」

    そうして部屋に響いた富田の声は相変わらず淡々としていたが、先程のような不穏さは消えており、三者の緊張もふっと解ける。親子がそれぞれ顔を見合い、それぞれ軽い溜息をついてまた視線を外したのを見て、森田がほっとしたような表情を浮かべた。
    その様子に、富田も僅かに目を細くする。「ちなみに、言っておきますけど」話題を変えた彼に、悠斗達三人は一斉に首を傾げた。「何を」言い含めるような語調に森田が問う。

    「今から行くのは、無論『そういう問題』を扱う『そういうところ』ですから――」

    一瞬の間を置いて、富田は平坦な声で言った。

    「くれぐれも、驚かないようにしてくださいね」





    富田が案内した『専門家』は、タマムシ大学から徒歩二十分ほどの街中に事務所を構えているということだった。
    街中といっても華やかなショッピング街や清潔感のあるオフィス街ではなく、タマムシゲームコーナーのあたり、要するに治安があまりよろしくない地区である。アスファルトの地面は吐き捨てられたガムや煙草の吸殻が所々に見られ、灰色のビル群もどこか冷たく無機質な印象を受ける。そのくせ聞こえる音はやたらとやかましく、誰かの怒鳴り声やヤミカラスの嬌声、スロットやゲームの電子音にバイクの騒音と、鳴り止まない音に泰生や森田は不快感を顔に示した。
    そんな街並みの中を縫って進み、少しばかり裏路地に入る。ドブに寝ていたベトベターが薄目を開けて、並んで歩いてきた四人を迷惑そうに見た。ヤミ金事務所や怪しげなきのみ屋、開いているのか閉まっているのか判断出来ない歯医者などを横目にもうしばらく汚れた道を行く。

    「ここだ、このラーメン屋の三階」

    いくつかのテナントが複合するビルの一つを指し、先頭を歩いていた富田が足を止めた。何人か客の入っているらしい、ラーメン屋のガラス戸を横目に鉄筋で出来た非常階段を昇る。脂の匂いが路地裏に捨てられた生ゴミ、及びそれに群がるドガースの悪臭と混じり合うそこを進んでいく、二階のサラ金業者、そしてその上に目的地はあった。
    「あ、あやしい」森田の率直な呟きが薄暗い路地に響いた。それも無理はないだろう。三階に入っているテナントは、『代理処 真夜中屋』といういかにも不審な業者名が書かれたぺらっぺらな紙一枚を無骨な金属ドアに貼っているだけで、他に何かを知れそうな情報は無い。泰生と悠斗もなんとも言えない顔をして、汚れの目立つ、雨晒しの通路に立ち竦む。

    「ちょっと富田くん、本当にここで大丈夫なの?」
    「失礼ですね。ここは表向きには代理処……便利屋稼業なんですけど、今悠斗達に起こってるみたいな、あまり科学的じゃない感じの問題も請け負ってくれるんです。そういうところ、なかなか無いんですよ」
    「そうは言ってもさぁ、もう少し何というか……得体が知れそうなところというか……」
    「得体なら知れてますよ。僕の再従兄弟の友達がやってるんで」
    「瑞樹……それは他人と呼ぶんじゃないかな……」
    「ミツキさーん、富田です、電話した件ですー」

    悠斗のツッコミを完全に無視して、富田は平然と扉を開ける。ギィィ、と思い音を響かせて開いたその向こうは、ただでさえ日陰になっていて薄暗い路地裏よりも、輪をかけて暗澹と不気味だった。
    森田が口角を引きつらせる。泰生の眉間のシワが深くなる。「なぁ瑞樹……」まだ陽が落ちていない外には無いはずの冷気が室内から漂ってきて、いよいよ不気味さに耐えられなくなったらしい悠斗が遠慮がちに呟いた。

    「あー! 瑞樹くん、久しぶり!!」

    が、その時ちょうど中から出てきたのは、そんな禍々しさからはかけ離れているほどにあっけからんとした雰囲気の男だった。
    見た目からすれば、目元を覆うぼさぼさの黒髪によれたTシャツとジャージ、十代後半にも三十代前半にも見える歳の知れない感じとなかなかに怪しいが、そんな印象をまとめて吹き飛ばすほどにその男の声は朗らかで明るい。スリッパの底を鳴らしながらヘラヘラと笑うその様子はどう考えてもカタギの者では無かったが、しかし恐いイメージを与えるような者でも無かった。
    「お久しぶりです」「半年ぶりくらいじゃん、学校近くなんだからもっと来てくれてもいいのに」「色々忙しくて」二言三言、言葉を交わした富田は悠斗達を振り返って口を開く。

    「こちら、真夜中屋代表のミツキさん。ミツキさん、この人たちです。電話で話したの」
    「どうも、ミツキと申します。こんな、かいじゅうマニアのなり損ないみたいなナリしてますけど一応ちゃんとしたサイキッカーなんですよ」

    おどけた調子でそんなことを言ったミツキに、泰生が「ほう」と感心したように息を漏らした。サイキッカーという肩書きに反応したのだろう、『mystery』というロゴとナゾノクサのイラストというふざけたTシャツ姿に向けていた、不快なものを見る目が少し緩められる。「サイキッカー……」森田は森田で、超能力持ちトレーナーの代名詞でもあるその存在を目の当たりにして言葉に詰まっていた。
    ただ一人、サイキッカーという立場の何たるかをほぼ理解していない悠斗だけが「はじめまして」と挨拶している。それに軽く一礼で返し、ミツキは数秒の間を置いて、「なるほどね」と前髪の奥にある垂れ目を光らせた。

    「入れ替わったっていうのは、君と、あなたですか。なるほどなるほど、これは……大変だったでしょう」
    「あれ。俺、誰と誰が、とまでは言ってないと思いますけど。わかるんですか?」
    「流石にこのくらいなら、見ればね。あとは僕のカンもあるけど」

    悠斗と泰生を交互に見遣り、同情するような顔をしたミツキは「まあ、立ち話もなんですから」と四人を扉の奥へと招く。
    言われるままに室内へと足を踏み入れた悠斗達は、それぞれ思わず目を見張った。勝手知ったる富田だけが、破れかけた紅い布張りのソファーに早速腰掛けてリラックスしている。

    「散らかっていて申し訳無いのですが」

    決まり悪そうに笑いながらミツキは頭を掻いた。その足元には必要不必要のわからない無数の書類、コピー用紙、紙屑が散乱し、事務所らしき部屋の至る所には本だの雑誌だの新聞だのが積み上げられている。そこかしこに転がっているピッピにんぎょうや様々なお香、ヤドンやエネコの尻尾、お札の使い道は不明だが、ただ単にそこにあるようにしか思えない。唯一足の踏み場がある来客スペース、富田が座っているソファーには何故か、ひみつきちグッズとしてあまり人気の無い『やぶれるドア』が打ち捨てられている。
    確かに酷い散らかりようだが、悠斗達の意識を集めているのはそこではない。室内のあちこち、そこかしこにいるゴーストポケモン、ゴーストポケモン、ゴーストポケモン。もりのようかんやポケモンタワーなどを2LDKに凝縮するとこうなる、といった様相だった。

    「これは、一体……」

    窓に所狭しとぶら下がるカゲボウズ、ガラクタに混じって床に転がるデスカーン。観葉植物用の鉢植えにはオーロットが眠っているし、壁を抜けたり入ってきたりして遊んでいるのはヨマワルやムウマ、ゴースの群れだ。ぼんやりと天井付近を漂うフワンテの両腕に、バケッチャがじゃれついてはしゃいでいる。
    洗い物の溜まったシンクを我が物顔で占拠している、オスメス対のプルリルを見て、森田が呆けたように息を吐いた。

    「このポケモン達は……全員お前のポケモンなのか?」
    「いえ、違いますよ。みんな野生だと思うんですけど、ここが居心地いいらしくて。溜まり場みたいになってるんですよね」

    切れかけた蛍光灯の上でとろとろと溶けているヒトモシを見上げ、どこかソワソワした様子(シャンデラの昔を思い出したらしい)で尋ねた泰生にミツキは答える。「僕のポケモン、というかウチの従業員はこいつだけです」
    その言葉と共に台所の方から現れたのは、お茶の入ったコップを乗せたトレーを運んできたゲンガーだった。テーブルに四つ、それを並べるゲンガーにまたもや驚いている悠斗達を尻目に「僕の助手のムラクモです」とミツキが呑気に紹介を始める。

    『本日はお越しいただきありがとうございます』
    「え!? 喋った!? ゲンガーが!!」

    紫色の短い腕でトレーを抱えるゲンガーの方から声がして、森田が仰天のあまり叫び声を上げる。富田の横に腰掛けた悠斗は仰け反り、泰生も両目を丸くした。
    「違う違う、喋ってるわけではないですよ」面白そうに笑い、ミツキはゲンガーの隣にしゃがみ込む。トレーを持っていない方の手に収まっているのは、ヒメリのシルエットが描かれたタブレット端末だった。

    「ムラクモは、これを使って会話してるんです。念動力で操作して」
    『そういうわけです、驚かしてすみません』
    「な、なるほど……いや、それにしてもびっくりですけどね……」
    「だから言ったじゃないですか。『そういうところ』なんだって、ここは」

    驚いたままの森田へと、何でもない風に富田が言う。泰生はもはや驚愕を忘れ、どちらかというとゲンガーを触りたくて仕方ないらしく(しかしそう頼むのは恥ずかしいらしく)チラチラと視線を送っていた。『本当、汚くて申し訳ございません。ミツキにはよく言って、はい、よく言って聞かせますから』小慣れた感じに操作されるタブレットが電子音声を再生する。
    『よく言って』を強調させながら紅の瞳の睨みを効かせるゲンガーに、「も〜、悪かったってば! 次からちゃんとするから呪わないでよ」などとミツキが情けない声を出す。そんな、当たり前のように交わされるやり取りを眺め、悠斗がポツリと呟いた。

    「ポケモンにも、色々いるんだな……」

    親友が漏らしたその一言に、「ムラクモさんのアレは特別だと思うけど」と富田が言う。森田は散らかり尽くした台所から出されたお茶の消費期限を気にするのに忙しく、泰生はゴーストポケモン達に内心でときめくのにいっぱいいっぱいで気づいていないようだったが、ただミツキは聞いていたらしく、長い前髪を揺らして悠斗の方を振り向いた。

    「そうだね」

    嘘のように澄んだ瞳が悠斗をみつめる。

    「ポケモンも、人間も。色々いるもんだよ」

    それだけ言って、ミツキは「じゃあ本題に入りましょうかー」と話を変えてしまう。「ムラクモ、なんか紙取って紙、メモ取れるやつ」などと甘ったれるその声色は頼り無く、先ほど悠斗に向けられた、浮世離れした神秘を感じるものとは全くもって違っていた。『その辺のゴミでも使え』悪態を再生しながらも、ゲンガーは机に積まれた本の中からノートを探し出してミツキへ放る。そんな献身的な姿を見ていた森田は、どこか親近感を覚えずにはいられなかった。
    ノートでばしばしと叩かれているミツキの方をじっと見たまま、悠斗は黙って動かない。そんな彼に声をかけようとして、しかし、富田はそうしなかった。
    何か言う代わりに口をつけたお茶は不思議な香りを漂わせ、喉に流れると奇妙に落ち着くようだった。消費期限のほどは、大丈夫だったようである。



    「…………それで、羽沢さんたちにかけられた、っていう呪いなんだけど」

    悠斗達、依頼者の向かいに座ったミツキが言う。

    「恐らくは、ギルガルドの力を利用したものだ」
    「ギルガルド?」

    ポケモンには疎すぎるほどに疎い悠斗が素直に問いかける。その発言に泰生はこめかみの血管を浮かばせ、森田は両手で頭を抱えたが、肝心の悠斗は気づいていないようだった。
    しかしミツキは嫌な顔をすることなく、「ちょっと待ってね」と近くに散乱した本や資料を漁り出す。が、お目当ての物を彼が発掘するよりも先に『これ使え』と、何かを入力していたムラクモがタブレットを手渡した。「あー、ありがと、ありがと」ヘラリと笑い、ミツキはその画面を悠斗達へと見せる。

    「ギルガルド、おうけんポケモン。ヒトツキからニダンギルに進化して、そのまたさらに進化したポケモンですね。はがねタイプとゴーストタイプの複合、バトルにおいてはかなり優秀な部類ですから、泰生さんは結構お目にかかっていらっしゃるのではないでしょうか」
    「うむ。そうだな、何度も苦戦したもんだ」

    過去のバトルを思い出しているのか、泰生が苦い顔をして頷いた。綺麗に磨かれた画面に映し出されているのは厳つい金色をしたポケモンで、貴族っぽい気品は感じるものの、それと同時にゴーストポケモン特有の不気味さも持ち合わせている。話に参加出来る知識が無いため無言で画面を覗いていた悠斗は、なんでこのポケモンは二種類の姿が表示されているのだろうか、という疑問と、どっちにしてもなんか気持ち悪いな、という失礼極まりない感想を抱いた。この場にギルガルドがいたら迷うことなくブレードフォルムとなるに違いない。
    「なんでわかったの」富田がもっともなことを聞く。問われたミツキは「僕の千里眼と、あと、さっきムラクモにお二人の影にちょろっと入って調べてもらった」とさらりと答えて「それに、呪いの内容だよ」と、タブレットをタップして図鑑説明を表示させた。

    「ギルガルドは、人やポケモンの心を操る力があるんだ。昔は王様の剣として、そう……直接的な戦いで力になることは勿論あっただろうけれど、国を治めるために、忠誠心を生み出すってこともしてたんだって」
    「そんな恐ろしいことが出来るんですか!? そんな……それじゃあ、まるで独裁政治じゃないですか!」
    「ごもっともです。まあ、実際のところ国一つ……というか、村一つの心を操るのもほぼ無理な話で、ギルガルドの主たる王によっぽどの力が無ければ大勢の心を操るなんてことは不可能ですよ。それに、それほど力を持った王様なら、ギルガルドの霊力など無くても統治出来ますしね」

    ミツキの説明に、森田は「なるほど」と安心したようだった。が、ミツキは「でも、ですね」深刻そうな表情を前髪の影の下に浮かべる。

    「それが、もし少人数だったら話は別です。……たとえば、二人、とか」
    「………………」
    「心を操るというのは、何も考え方を変えるというだけには留まりません。根底を折って廃人にしてしまうことも可能ですし、精神だけを異世界へと飛ばしてしまうなんてことも範疇です。それに、羽沢さん方のようなことも」
    「……じゃあ、悠斗たちの心を入れ替えた犯人は、ギルガルドを使ってたってこと」
    「そういうことになるね。呪いの対処が二人くらいなら、そんなに実力者じゃなくてもいいだろうから……しっかし不思議なんだよなぁ」

    両腕を組み、ミツキは視線を上へ向ける。何がだ、と尋ねた泰生に『妙なんだよ』と答えたのはムラクモだ。

    『ミツキの千里眼や俺の影潜り……人やポケモンを通して、そのバックボーンを調べると、大概呪いをかけた相手が多かれ少なかれ見えるはずなんだ。その人に思いを向けているヤツってことだな、感情の内容がわかれば普通、その主もわかる』
    「でも、羽沢さん方は、その『思い』しか見えないんです。ギルガルドによる力だということしかわからない……呪いをかけた相手の顔が、全く感じ取れないんだ」
    『多分、直接呪いをかけたわけじゃないんだ。そもそもお二人とも、呪術だの魔術だのが効くタマじゃないっぽいからな。覗くくらいなら出来るが、霊感が無さすぎて効果が消えるらしい』
    「ノーマルタイプとか、かくとうタイプにゴーストの技が通じないみたいなものですね!」

    ミツキによる例え話に、森田が「あー、あー」と納得したような声を出した。「やっぱり」と富田も一緒になって頷く横で、羽沢父子はなんとも言えない敗北感に面白くない顔をする。
    それに気づいた森田が慌てて咳払いをし、その場を取り繕うように「で、でも」とわざとらしく発問する。

    「直接っていうのは、ポケモンバトルの技みたいに、呪いをかけたい相手とかける方がダイレクトに繋がってるってことですよね。じゃあ、そうじゃないっていうなら、どういうことですか。間に誰かがいるってことですか?」
    「誰か、というより感情の類です。祈ったり願ったり呪ったり……そういう、何か霊的だったり神的だったりする気持ちを媒介にすると、直接は無理な場合でも呪術が通じることがあるんですよ」
    『もっとも、明るい感情はうすら暗い呪いにはほぼ使えないし、もっぱら負の感情になるが……一番手っ取り早いのが、五寸釘打たれたみがわりにんぎょうを使うアレだな。そこにこもった感情から本人にアクセスする呪い』
    「どうです羽沢さん。ここ最近、何か呪いをしたことは」
    「あるわけないだろう」
    「んなバカなことするもんか」
    「ですよね」

    怒気を孕んだ二つの即答に、ミツキは「すみません」と謝りつつ肩を竦めた。会話を聞いていた森田と富田はそれぞれの心中で、まあそうだろうな、と同じ感想を抱く。泰生も悠斗も、呪いどころか可愛いおまじないでさえもまともに信じていないようなタチなのだ。宗教的なことを軽んじる人達では無いけれど、かといって自分からそういう行為をするなどあり得ないだろう。
    行き詰まった問答に、一同はしばし黙り込む。最初に動いたのは「でも、一応手がかりは掴めたわけですから」と伸びをしたミツキだった。

    「霊力自体は嗅ぎつけたんです。地道な作業にはなりますが、ここを中心に、カントー中、ひいては世界中の……まあ出来ればそうしたくないですが……ギルガルドを探し当てて、この力と同じものを探してやればいいんです」
    『何、俺たちは探偵稼業もやってますからそういうのは得意なんですよ。ホエルオーに乗ったつもりでいてください』
    「色々ありがとうございます。申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします……!」
    「お、お願いします!」
    「…………よろしく頼む」
    「なるべく早く、ね。よろしく、ミツキさん」

    四者による各々の頼み方に一つずつ頷いたミツキは、「任せてください」と微笑んだ。
    何かあったら連絡してください、という言葉と共に彼が扉を開けると、陽はとっくに暮れていた。一階のラーメン屋の灯りだけが路地裏を照らす。手すりにぶら下がっていたズバットが、扉の隙間から急に差し込んだ光に驚いて飛んでいってしまった。
    「ここのこととか、ムラクモのこととか、御内密に頼みます」「言いたくても言えませんよ……」「そりゃあそうか」気の抜けた会話を交わしつつ、悠斗達は非常階段へ続く外に出る。薄ぼんやりとした月が見上げられるそこで、いざ帰路につこうと彼らが背を向けたところで、真夜中屋のサイキッカーとその相棒は、揃ってイタズラっぽく笑ったのだった。

    『そんな場合でも無いかもしれないが――』
    「この際、思いっきりぶつかってみるのもいいと思いますよ」

    無言で視線を逸らし合う親子にミツキが言う。「生き物だもの、ってね」なんとも微妙なアレンジが加えられたそれに、『パクんな』という電子音声が夜の空に響いた。


      [No.3826] 毒キノコ「トウチュウカソウ」にご注意ください!/小金市ホームページ 投稿者:Ryo   投稿日:2015/09/07(Mon) 19:02:27     93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    9月下旬より、ウバメの森自然公園(日和田町)をはじめ、延寿市、日和田町域などにおいて、ポケモン「パラス」ならびに極めて危険性の高い毒キノコ「トウチュウカソウ」が大量発生しており、今後、小金市周辺でも発生する可能性があります。

    トウチュウカソウは主にパラスの背中に寄生している大変危険なキノコです。山林、草むら等で見かけた場合次の3点を必ず守ってください。
    (1)絶対に食べないでください
    胞子が極めて強い生命力を持っており、加熱するなどの一般の調理方法では死滅しません。トウチュウカソウの危険性はこの胞子の生命力にあり、少量でも体内に入ると3日以内に体内臓器全てが胞子に侵食され、多機能不全等を起こして死に至る可能性があります。(体にキノコが生えて死ぬ、というのは迷信です。そこまで症状が進む前に死に至ります)
    薬効があるからと言って持ち帰ろうとする人が時折見られますが、大変危険ですので絶対にやめてください。
    (2)絶対に触らないでください
    秋から冬にかけてのトウチュウカソウは少しの刺激でも胞子を空中に散布します。空気中の胞子を吸入しただけでも中毒症状を引き起こすため、不用意に刺激することは控えてください。
    また、胞子そのものに触れた場合も皮膚が炎症を起こすなどの症状が出る場合がありますので、危険です。
    (3)近寄らないでください
    上記の通り、胞子の漂っている空気を吸入しただけでも危険なキノコですので、有資格者(バッジテスト3級以上のポケモントレーナー)以外は自分で対処したり捕獲したりしようとせず、市の保健衛生課に連絡してください。

    厚生労働省ホームページより

    特徴…高さ数センチから十数センチの厚いかさを持ったキノコで、赤い地色にオレンジの斑点模様をしています。

    発生時期…主に夏から秋にかけて発生し、冬にかけて胞子の空中散布による中毒の危険性が強まります。

    発生場所…主にポケモン「パラス」「パラセクト」の背中ですが、稀にアカボングリの木の根本などに生えていることもあります。また野生環境下において「パラス」が「パラセクト」まで成長することは非常に稀ですが、万一「パラセクト」に遭遇した場合は、有資格者(バッジテスト6級以上のポケモントレーナー)以外は直ちにその場を離れ、最寄りの市町村の保健衛生課に連絡してください。

    症状…トウチュウカソウの胞子に侵された患者の症状は3つのフェーズに分けられます。
    前駆期(食後30分〜2日)、発熱、嘔吐、下痢、吐き気、軽い混乱症状などを起こし、光や熱を極度に恐れる特徴的な症状が現れます。また、症状が進むに連れて外部からの声かけに反応しなくなります。
    この時期に胞子を完全に除去することができれば助かる可能性は大きくなりますが、症状が進み、急性期に入ると助かる可能性は非常に低くなります。
    急性期(食後3日〜4日)3日位内に胞子の侵食が体内の臓器全てに及び、多臓器不全、脳萎縮、精神錯乱を起こします。
    特徴的な症状として、恐光、恐熱発作(光や熱を恐れ、それらに曝されると錯乱症状を起こす)、しきりにジュースやスポーツドリンクを飲みたがる、人の呼びかけに反応しなくなる、などが挙げられます。
    胞子の侵食が体外にまで及んだ場合は、皮膚の剥落、体毛の脱毛などが起こります。
    昏睡期(食後5日〜)
    呼吸器系統が胞子によって機能しなくなり、呼吸障害によって昏睡、死亡します。

    急性期に入ると助かる可能性は非常に低くなります。また、回復しても脳に後遺症が残り、運動機能、言語機能に障害が残ることがあります。皮膚の剥落、脱毛の跡などが残ることもあります。
    胞子が皮膚についた場合はその箇所が炎症を起こす場合があります。また、目に入ると失明を起こす可能性があります。
    またいずれの場合においても胞子が体から除去されていない状態で患者が食事、または点滴などの形で栄養補給を行った場合、胞子の侵食が劇的に進行し、症状が大きく悪化します。
    手に胞子がつき、炎症を起こした患者がスポーツドリンクを飲んだことにより、炎症が急激に広がって指が壊死した例があります。

    トウチュウカソウを人間が誤って食べた場合は、すぐに吐きだしてください。真水を飲み、喉に指を入れて吐くことを数回繰り返してください。胞子を吸入した場合も同様の措置を取ってください。
    誤って触れた場合はすぐに石鹸で洗い流してください。石鹸がない場合は応急処置として大量の真水(水ポケモンの「みずでっぽう」などでも良い)で洗い流し、後に石鹸で洗ってください。胞子が目に入った場合はすぐに目薬あるいは真水で洗い流してください。
    いずれの場合においても、後で必ず医師の診察を受けてください。医師の診察を受けるまでは真水以外のものを摂取することは絶対に避けてください。

    トウチュウカソウを手持ちのポケモンが誤って食べたり、胞子に触れたり吸入してしまった場合は、すぐに最寄りのポケモンセンターへ連れて行ってください。草タイプのポケモン、特性「そうしょく」のポケモンにおいても同様にポケモンセンターへ連れて行ってください。上記の中毒症状はポケモンの使う「わざ」とは性質が違うので、タイプや特性で無効化できるものではありません。山林や草むらを歩くときには「そらをとぶ」「テレポート」が使えるポケモンを複数連れ歩くことを強く推奨します。

    お問い合わせ先
    小金市 健康部 保健衛生課
    電話 XXX-XXX-XXXX ファックスXXX-XXX-XXXX


      [No.3825] このゆびとまれ 投稿者:   投稿日:2015/09/06(Sun) 22:28:09     256clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:XD】 【べえ〜っだ!】 【いつまでも】 【相手してもらえると】 【思うなよ!



    「おはようございます」

     よく晴れたとある朝。
     アズマは妹のマナからクレインが呼んでいるとの伝言を受け、所長室を訪れた。

    「やあ、おはようアズマ。早くから呼んで澄まないね。クロノスもおはよう」

     クレインは操作していたパソコンから少年へと視線を向け、彼と、彼の足元を歩いて来たポケモンに声をかける。クロノスと名付けられた雄のブースターは、後肢を下げ返事をするように一声鳴いた。
     少年の頭髪とブースターの体毛はどちらも赤く、クレインはふたりを見る度に似ているな、と微笑ましく思う。

    「まずはONBSの取材対応、お疲れさま。僕たちも何度か話を訊かれたけれど、君はことさら大変だったろう?」

     心無き戦闘マシンと化したポケモン《ダークポケモン》を操り、オーレ地方の征服を目論んでいた組織シャドー。五年前もそれと対峙した経験を持つパイラタウンのテレビ局ONBSは、総帥デスゴルドを打ち負かしたアズマに、是非特集を組んで放送したいので軌跡を取材させて欲しい、と頼み込んで来た。

    「知ってる人ばかりだったから話し易かったけど、思い出すのが難しかったです」

     幸いONBS創設者であるスレッドやレンを始め、アズマは局員の大半と面識があった。幾度か援助してもらった恩もあったので二つ返事で承諾し、つい先日まで彼らとの対談漬けの日々を送っていたのであった。
     その甲斐あって先週末に第一回が放送されたドキュメンタリー『アズマが行く! 〜オーレ地方の夜明けは近いぜ〜』(全六回放送予定)は大反響を呼び、五年前に大ヒットしたアニメ『スナッチマン☆アスカ』の最高視聴率を超えたそうだ。アズマの住居も兼ねるここ、ポケモン総合研究所にも問い合わせが殺到し、中々大変な騒ぎになった。

    「ははは、そうだね。色々な事が次々に起きたから……」

     クレインはアズマの先程の発言を、多発した事件に揉まれ続けたことで記憶があやふやになっているもの、と解釈したが――実際は大分違った。
     アズマ少年には、自分が無用だと思う事柄にエネルギーを費やさない……興味を惹かれない事象には留意しないという欠点がある。しかしポケモン、殊にバトルにおいては類い稀な適性を備えているため、物臭でいい加減という弱点に目を向けられにくかった。つい今し方、十数年来の付き合いであるクレインでもあっさり見逃したほどに。

     そういう訳で、アズマはポケモンとはあまり関係の無い部分を殆んど憶えておらず――幹部や総帥の口調や立ち居振る舞いだとか、彼らとどんな話をしただとか。あそこのトレーナーがどんなポケモンでどんな技を使用したか云々は猟奇的に記憶しているのだが――面倒だが仕方無しに書き列ねていたレポートの、我ながらテキトーだと思う箇条書き・走り書き・殴り書きを頼りに、どうにかこうにか記者たちが満足する形に持って行った。見当違いなことを言ってクロノス(おっとりした性格)に体当たりを食らわされたりしながらも。

    「用事ってなんですか?」

     対話にしても無駄や面倒を避けるのは同じで、単刀直入な物の言い方を好む。文面だけ見ればぶっきらぼうな印象になりがちだが、声色や表情までは節約していないので、彼を冷たいと表する者は一人も居ない。今も人好きのする笑顔でクレインに問いかけていた。

    「うん。前にも話したけれど、君がスナッチしたダークポケモンたち……リブラ号に乗っていたポケモンたちだね。あれは他の地方から、オーレの人たちが引き取る約束をしていたものだったんだ」

     オーレは陸地のおよそ八割が砂漠という厳しい自然環境を有する地域だ。ここ最近になってついに野生ポケモンが見つかるようになったものの、ごく限られた場所に、両手で数えられる程度の種類しか確認されていない。よってオーレの人々が思い思いのポケモンを入手するためには、他方のブリーダーや施設から譲り受けること、出掛けた先で捕まえることが不可欠だった。
     この研究所で暮らすポケモンたちも各地の研究所を介してやって来たもの、勤務するスタッフが他の土地で手に入れたものばかりだったし、アズマが父親から貰ったイーブイも元はと言えば、ジョウト地方の研究者が飼育していた内の一匹だったらしい。

     クレインは話を続ける。

    「大方のポケモンは予定通り、依頼主に返すことが出来たよ。でも中にはキャンセルされた子もいて……ダークポケモンにされたっていう、それだけの理由でね。リライブセレモニーは済んでいるし、心配することは無いんだけど……一般の人からして見たら、いっときでも戦闘マシンにされていたかと思うと、恐ろしく感じてしまうのも無理は無いんだろうな」

     特に第二進化を済ませているもの、戦闘能力の高いものに傾向が強いらしい。

     確かに、ダークポケモンは悪意に染まった禍々しい技《ダーク技》しか行使出来ないし、行動もどこか機械的だ。更にバトルをさせていると度々発症したリバース状態――纏わりついた負のエネルギーにポケモンが耐えられなくなり、肉体を蝕ばまれてしまう現象――には、アズマも相当悩まされた。
     リライブが進行するにつれ頻発するその現象は、逆に全く心を開いていないダークポケモンには牙を剥かない。そのことを知ってからは、リバース状態に冒されるポケモンはもうすぐ正常な姿に戻すことが出来る、という一つの目安となり、冷静に対応出来るようになった。

     ダーク技やリバース状態は、リライブセレモニーを終えて通常のポケモンに返すことで、二度と発現しなくなる。アズマが冒険を共にした仲間ポケモンはクロノス以外全員が、元ダークポケモンだ。その彼らがリライブ完了から一度も暴走したことが無いのだから大丈夫だと、アズマは自信を持って断言出来る。ゆえに、クレインの告げた事実はとても悲しいものだった。

    「そのこともレイラさんに伝えておいた。放送が切っ掛けで、彼らに対する考えを改めてもらえるかも知れないしね」
    「レイラさんなら安心ですよ」

     ONBSの武器とモットーは、真実の報道。そんな組織の記者頭に立つレイラは、真相を知る為、それを報道する為ならばどのような危うい渦中にでも果敢に飛び込む、熱血ジャーナリストだ。
     シャドーのフェナスシティ乗っ取り現場を目撃した時も、計画を指揮していた幹部とアズマの正面衝突を目前にした時も、自身の危険も顧みず記録を優先し、オーレ全域に発信させた至高のジャーナリズム精神の持ち主。彼女が連れのカメラマンに撮らせたフェナス奪還の映像のお陰で、アズマは当時一躍有名人になったものだ。
     彼女に任せておけば残された元ダークポケモンの悲しい現状も、緩和するに違いない。

    「それからアズマが仲間として育てたポケモンたちだけど、今さら君から引き離すのは酷だものね。これは仕方無い」
    「はい」

     それらを譲り受ける予定だった人々には、アズマが直接連絡を入れて詫びたのだが、皆怒るどころか非常に喜んでいたのが印象的だった。自分が選んだポケモンがシャドー撲滅に一役買ったのなら光栄だ、とのことだった。

    「残るはリブラ号と無関係の四体。ファイヤー、サンダー、フリーザー、そしてルギア。これらは滅多に出会えるポケモンじゃないから、幾つかデータを取らせてもらってから、各地のポケモン博士と場所を相談して放す予定だ」
    「伝説のポケモンなんですよね」
    「そうそう。特にカントーとジョウトで有名みたいだよ。デスゴルドはどうやって彼らを捕らえたんだろう……っと、それはまあ置いておくとして」

     クレインは長らく少年に向けていた視線を、パソコンの画面へ映した。手招きされ、アズマとクロノスも画面を見やる。そこにはP★DAのダークポケモンモニターとよく似た一覧が表示されていた。

    「無事に受理されたものと手続き中のものは灰色。キャンセルされたものと、研究対象としてしばらくここで預かるポケモンは白い字だよ」

     画面をスクロールし、白字で打たれたポケモンの名前を数えてみた。二十一匹。
     思わず多い、とアズマは呟く。

    「ね。君の仲間を外してみてもこの数だ。他に引き取り先が見つかるまでと考えても、全員を同時に世話するのはちょっと厳しい。ここの研究員は優秀な人材ばかりだけど、僕も含め、トレーナーとしての腕は平均より下……バトル山で言えばエリア2くらいかな」

     と言うクレインは茶色い猫毛を右手で掻き上げ、申し訳無さそうにはにかむ。
     保留ポケモンの中にはバトル山で言うところのエリア6レベルが多数いる。そんなポケモンに暴れられでもしたら、研究員たちの手にはとても負えないだろう。

    「アズマに頼りきりも良くないし……何人か、腕のいいトレーナーをアシスタントとして雇おうと考えているんだ」
    「トレーナーを?」
    「うん。それが今日君を呼んだ理由なんだよ」

     要約すると、オーレ中を旅して回って来たアズマに、研究所の手伝いが出来そうなトレーナーを見繕って欲しいということだった。アズマとまではいかなくともエリア6、せめて5レベルの腕前を持った者が理想だと言う。

    「この人はと思うトレーナーがいるなら、持ちかけてみてくれないか?」

     そこまで話すとクレインはバインダーから、クリップで止めた書類を何組か取って少年に差し出した。紙面にはアシスタント募集要項の詳細、頁を捲ると総合研究所の案内や連絡先が事細かに書き記されていた。依頼する相手に渡せ、と言うことのようだ。

     書類の文字を目で追いながらアズマは、でもなあ、とぼんやり思う。

     オーレ地方の優秀なトレーナーは揃ってバトル山に属している。彼の地へ修行にやって来るトレーナーがいつどのエリアに挑戦するかは解らないので、ブースを受け持つ側は長時間その場を離れることは出来ないはず。彼らを除外すると、クレインの希望に添う人材を探し出せる気がしないのだ。

     残念だが自分が見て来た中に当案件適任者は居ない、と結論づけようとしたところでふと、アズマの頭上でデンリュウが閃いた。

    「……あ」

     いつか、転職を考えていると宣った腕の確かな顔見知りが一人、居たことを思い出したのだ。

    「おっ。その顔は、心当たりがあるみたいだね」

     機敏に少年の表情の変化に気がついたクレインに、アズマは首を縦に振る。

    「そろそろ会いに行こうと思ってたんです、ちょうどいいや」

     善は急げ。
     書類をクリアファイルに入れてもらい、再度受け取ると小脇に抱える。

    「行って来ます」
    「よろしく頼むね。吉報を待ってるよ、気をつけて!」

     クレインの声を背に、所長室にもう一つある扉から別棟へ移る。エレベーターで住居スペースである一階へ下り、研究所の庭に置いてあるスクーターに手をかけた。これに触るのも随分と久しぶりだ。
     ブースターをボールに入れ、腰に回した鞄の奥にしっかりとしまう。ちゃんと作動するか何度か確認したのち、林間を、南に伸びる砂利道へとスクーターを発進させた。







     オーレ中心部に広がる荒涼とした砂原の間に、忽然と現われる怪しい研究施設。
     かつてダークポケモン生成基地として建造されたこのラボは、シャドーの計画が挫かれた後も取り壊されずに放置されていた。それから五年後に当たるつい最近、再起した同社の活動拠点の一つとして利用されるようになってしまったのだが、アズマがこの場を監督していた幹部を退けたことが切っ掛けで、再び打ち棄てられたのであった……
     が。
     無人のはずのラボの正面には今、色違いの衣装に身を包む酷く相似した体型の六人組が、円陣を組んで佇立していた。
     丘陵からその姿を発見・確認したアズマはスクーターのアクセルを緩め、出来るだけ静かに接近する。

    「〜〜〜〜?」
    「――。――――!」
    「…………、……」

     体型だけでなく声も皆同じという不可思議な男たち。まるでクローンだ。会話の内容はこの距離では瞭然としないが、声色からは心配事がある時のような落ち着きの無さが見て取れた。
     逸る気持ちを抑え、ラボの影に身を潜めて様子を窺う。誰一人としてアズマに気がついていない。

     長らく観察していると不意に六人全員がこちらへ背を向けたので、今だ、と建物の影から一二歩踏み出し、呼びかけた。

    「ヘイ、ブラザーズ」
    『ギャア!!!!!!』

     仰天した六人組は気の毒なほど大袈裟に跳び上がった。売れっ子コメディアンも思わず嫉妬を催しそうな、絶妙に息の合った跳躍だった。
     想像を遥かに超えた六人の醜態に、アズマは腹を抱えて笑う。

    「お前……」

     けたけた言う声に振り向き、最初に口を開いたのは青色の衣装の男だ。他の五人も次々に、少年に話しかける。

    「また来たのかよ!」
    「もう来ないもんだと思ってたぞ」

     続いたのは茶色の衣装の男。次いで紫色の衣装の男がそれぞれ動悸激しい胸を抑えつつ、へらへらと破顔している少年に応えた。

    「ずっと来てたんだから、そりゃ来るよ」

     驚かせたことを軽く詫び、アズマは六人の方へ歩み寄った。

     この六人組、彼ら呼んで六つ子ブラザーズ。体型も声も同じなのは、クローンだからではなく六つ子だから。このような場所にいるのは、彼らがシャドーの戦闘員だからだ。

     今は昔、シャドーに誘拐されたクレインを追って初めてラボを訪れた際、アズマは彼らと遭遇した。他の戦闘員に比べ緊迫感に欠けたひょうきんな発言・態度と、男子なら一度は熱狂する戦隊ヒーローさながらのカラフルな戦闘服を着込んだ姿に魅せられ、このような砂漠の真ん中まで頻繁に会いに来てはバトルを吹っかけられ……たが、しっかり勝ち星を納めてきた。

    「さてはお前、オレたちを手頃な遊び相手だと思ってるだろう!」

     ようやく我に返ったらしい赤色の戦闘服の長男・モノルが噛みつき、先の笑いが抜け切らず未だにやにや顔のアズマが速答する。

    「ううん。サンドバッグ」
    「なお酷い!」

     緑色の戦闘服の末弟・ヘキルのツッコミに、にいっと口の端を歪めたかと思えば直後思案顔になり、「でも」と一呼吸置いてから、言い放った。

    「ポケモンたちに悪いね」
    「オレたちには悪いと思わないのか!」

     黄色の戦闘服の四男・テトルの食い気味の台詞。少年は今度は努めたようにぼんやりと「あんまり」と返答した。

    「べえ〜っだ! いつまでも相手してもらえると思うなよ!」

     リーダーらしからぬ子供じみた仕草を交えモノルが吠える。弟たちもやいのやいのと騒ぎ、アズマはまた腹を抱えた。


    「そう言えば、テレビ見たぞ」

     少しして、青色の戦闘服の次男・ジレルが思い出したように言った。
     ラボには何故だかまだ電気が通っており、地下には泊まり込みの研究員のため用意されていた家電が一通り揃っているので、ちゃっかり使わせてもらっているのだと言う。ニュースは無論、例のドキュメンタリーも視聴したとのことだ。

    「お前も有名になったもんだよなあ」
    「うん。オーレのヒーロー」
    「自分で言うなよ!」

     ぼそっと漏らす少年に、ジレルは半笑いを口元に浮かべて返してやる。

    「こんなお子ちゃまに一組織が潰されるなんて、人生どこでどうなるか分かったもんじゃないな」

     紫色の戦闘服の五男・ペタルがしみじみと息を吐き、モノルが自身らのトップを討ち取った天敵を一瞥する。

    「どこにでもいる、遊びたい盛りの普通の子供にしか見えないのにな」
    「わざわざこんな辺鄙な所までちょっかい出しに来やがって。ほんとここじゃただの、……ちょっとバトルが強いだけの子供だってのに」

     茶色の戦闘服の三男・トリルの呆れた口調に触発され、アズマは「六人が寂しそうだから」と返す。すると、

    「寂しくない!」
     とヘキルが声を上げた。

    「じゃあ、ヒマそうだから」
     取って付けたようなことを続けて言うと

    「ヒマじゃない!」
     とテトルが抗議をした。

     アズマはぷくくと頬を膨らませ、打てば響く、と言う言葉を脳裏に浮かべる。これだからここに来るのをやめられない。
     ずらりと目の前に並び、真剣な表情でこちらを見据えペンを走らせる取材陣との、熱く長い談義の毎日がつらかったという訳では無いけれど。一刻も早く終わらせて、ここへ遊びに来たいと何度思いを巡らせていたことか。
     しかし六つ子とのやり取りがいくら痛快だろうと、目上をからかい回すのは良くない。本気で立腹させて相手をしてもらえなくなるのは悲しい。
     アズマは慌てて膨れた頬を手の平で押し潰し、ふすふすと息と共に笑いを吐き出しながら

    「うそ。オレが楽しいから」

     そのように口にした。

    『………………』

     六つ子は絶句した。
     戦闘員の標準装備、目元まで隠れるヘルメットの所為でよく解らないが、どうやら面食らった様子だ。ただ、彼らが驚いた理由は少年がそのように考えていたことにではなく、急に本音を伝えて来たことに対してだ。

     この子供が自分たちに親しみを持って絡んで来るのは、全員がよく解っていた。モノルやトリルは好意につんけんしてしまうこともあるが、元々六人共に愛情深い性質であるし、年下に慕われるのはさして悪い気はしないものだ。
     アズマが六つ子に会うのを楽しみにしているのと同様に、六つ子も少年が遊びに来るのを心待ちにしていた節がある。ゆえのくだんのやり取りだ。
     鬱陶しいなら端から相手はしない。彼は悪戯好きだが悪ガキではないし、自分たちも少なからず楽しいと感じていたから、今まで相手して来たのだ。

     先程少年が隠れていた時に六人が話していたのも、実はアズマのことだった。

     シャドーの本拠地ニケルダーク島に単身乗り込んで総帥の陰謀を砕き、数多のダークポケモンとXD001を保護して帰還したとの報道から一ヶ月強、ラボに姿を見せなかった少年。今や彼はオーレ地方の英雄だ、自分らのことなど忘却の彼方に追いやるほど忙しくなったのだろう、と六人は各々自身に言い聞かせていたが、一抹の寂寥感は否めなかった。こんな砂漠の真ん中には、少年以外に来る者は居ないのだ。

     だから今日、何事も無かったかのようにやって来て、最後に会った時と変わらない姿を見せてくれたことに、無性に安心してしまった。以前と同じ軽口を叩かれ、不覚にもとても嬉しくなってしまった。

     年下の何気無い言動に六人共が一喜一憂していると知られるのは癪なので、間違っても本人に打ち明けてはやりはしないが。

    「仕方無いヤツめ! そこまで言うなら相手してやらないことも無いぞ!」

     モノルが言った。恩着せがましいこと無上だが、アズマはにこにこしてありがとうと礼をした。

    「けど今日はバトルしに来たんじゃなくて、トリルさん」
    「!? なんだ!?」

     脈絡も無く自分の名が呼ばれ、ややそっぽを向いていたトリルは肩と声をびくつかせて振り返った。
     アズマが真っ直ぐ茶色の戦闘服を着た自身を見据えている。何やら書類をこちらへ差し出していた。無言で受け取り紙面をちらと眺め、すぐに顔を上げた。

    「アシスタントスタッフ募集。…………??」
    「求人広告か?」
    「なんでこんなもんトリルに?」

     三男に手渡された書類を両隣から覗き込み、やはりすぐさま少年を見やったジレルとテトルが、本人の疑問を引き継ぎ問い質す。アズマは簡潔に答えた。

    「仕事辞めたいって言ってたでしょ」

     瞬時にトリルは、以前ぽろりと「バトルが嫌いだ」とアズマに打ち明けたことを思い出した。場所はフェナスシティの市長宅、乗っ取り作戦の最中だったと記憶している。そうした回想をしているとアズマが「そろそろ廃業したいけど兄弟がなぁ……」などと言う愚痴も一緒に零していたと、事の発端を兄弟たちに説明していた。嫌な予感がする。
     アズマの報告を聞き終えた茶色以外の六つ子が、残る一人を揃って凝視した。注目の的になったトリルは兄弟たちが、ヘルメットの下から非難の眼差しを向けていると理解し、固まる。直後、紫色と青色の咎めるような言葉が響いた。

    「お子ちゃま相手になに人生相談してるんだよ」
    「馴れ合い過ぎだろ」

     正直馴れ合っているのは六人全員共だったし、皆がそれを自覚していた。お互い様だったから、今の今まで一度でも言及しなかった。
     しかし今回つい指摘したくなったのも致し方無い。トリルが転職を希望するほどポケモンバトルを嫌っていたとは、五人は一人として聞いていなかったのだ。
     ヘキルの口癖である『オレたち六人、兄弟愛六倍!』は伊達じゃないと自負していたのに、人生を左右するくらい重大な悩みを自分たちには話さず、赤の他人、それも子供に相談していたなんて、裏切りもいいところだ。

     一方のトリルはなんだか腹が立つやら恥ずかしいやら涙が出るやら、よく解らないけども大変な心境に陥った。兄弟はじとーっと睨んでいるし、アズマはアズマで期待の眼差しで見つめているし。

     しばらくそのまま固まっていたトリルだが、自力で麻痺状態を治すといの一番「お節介め!」と少年に吐きつけ、いつの間にやらヘキルが手にしていた書類を、乱暴に奪取した。

    「あんなの真に受けやがって……」

     ぶつくさ言うものの、トリルは言葉通り不快に感じている訳ではない。少年らに背を向けはしたが、少し経つと手元の紙面をまじまじ見つめ、兄弟にも聞こえるよう音読し始めた。すると先刻までの不機嫌さはどこへやら、五人はトリルの声に耳を澄ませ始める。

     アズマは満足気に頬笑み、三男が募集要項を最後まで読み上げるのを、モノルらと共に待った。

    「――ポケモン総合研究所より、アシスタントスタッフ募集のお知らせ。先達てのシャドー・XD計画の阻止に伴い、無事保護し正常な状態に復帰させたポケモンの一部が、現在当研究所に在留しております。これらのポケモンはいずれも高い戦闘能力を備えており、現在勤務しているスタッフで世話を賄うことは難しいとの意見で一致したため、実力あるポケモントレーナーをアシスタントとして雇用することに致しました。アシスタントスタッフの業務は各自割り当てられたポケモンの体調管理と調教、研究補助となります。なお当募集は一般公募ではありません。見込みあるトレーナーの方へのみ、直々にご案内させて頂いております。ぜひ一度ご検討下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。ポケモン総合研究所所長クレイン……」

     文書にはまだ続きがあったが、トリルの朗読はそこでぷつりと途切れた。


    『……………………』

     六人は顔を見合わせる。全員、開いた口が塞がらない。
     ややあって、六人はアズマの方へゆるゆると視線を向ける。確認したいことが多過ぎた。

    「お前これさ……渡す相手か渡す物、間違えてるだろ」

     右手で書類をぺらぺら揺らし、疑惑に溢れた声色でトリルが詰る。アズマはちょっと首を捻ってから、素直に応じた。

    「間違えてない。出来そうな人に渡してくれって所長に頼まれた」
    「“見込みあるトレーナー”ってのの推薦を任されたのか? お前が」
    「うん」
    「トリルに渡したってことは、トリルが“見込みあるトレーナー”だってお前が判断した訳か?」
    「うん。ちょうどいい仕事でしょ」

     長男と次男からの続け様の質問に頷き、そう付け加えた。いい加減とも取れる少年の発言に、話題の中心人物である三男は一瞬だけ鼻白み、そして猛々しく開口する。

    「おいおいおい! お前オレたちを誰だと思ってるんだ? シャドーの戦闘員だぞ!?」
    「解ってるよ。でもシャドーは壊滅した」
    「知ってるよ! 壊滅の原因お前だろうが! そういうこっちゃなくて!」
    「リライブ研究の第一人者が、“元”でもシャドーの人間を雇うはずが無いだろ」

     気ばかり焦って咄嗟に妥当な言い回しが出て来ない兄に代わり、四男が鋭く突いた。「それだ!」とトリルが叫ぶ。

    「クレインって男、ここに軟禁されて幹部にいくら詰め寄られても、XD計画を全否定して協力を拒んでいた、って聞いたぜ」
    「下っ端だろうと、オレたち一度はダークポケモンを使っていたんだ。いくらオレらが腕のいいトレーナーって言っても、トップがそれじゃあ期待するだけ無駄だろ」

     と、五男六男が続く。

     どう贔屓目で見ても優男にしか見えないクレインは、その実外柔内剛で、自分の意に反することには特に一徹だった。彼を懐柔しようと目論んだ幹部ラブリナも、その頑固さを前に匙を直属の部下に投げつけ、最後はアズマから説得してくれと異様な頼み事をする始末であった。

     二人の言う通り、この人事にクレインは難色を示すに違いない。
     けれど今のアズマには、争わずして彼を納得させられるだけの力があった。

    「シャドーと戦って負かして、全部のダークポケモンをスナッチしたオレが“いい”って言うんだ。大丈夫」

     右手の親指をびしと立て、アズマは得意顔になった。

     自信満々が過ぎていっそ無責任なくらい軽く宣言した少年に、六人は再度閉口せざるを得ない。
     どこにそんな明言を呈するに至らせる理由があるのだろう。それは次に続く発言で判明した。

    「いざとなったらみんなのポケモンを見てもらえれば、腕がいいか悪いか、所長にはすぐ解るし」

     ポケモントレーナーの腕前は、バトルの勝敗だけでは定まらない。勝ちが多いに越したことは無いが、ポケモンの健康状態と信頼関係をこそ、人は重要視する。バトルをしない人間なら尚更顕著だ。

     彼ら六人が持つポケモンは、どれも常に万全の状態に調えられており、そしてとても強かに育て上げられていた。皆分け隔て無く調教しているのだろう、各自のポケモンは全て同等の実力を備え、回数を重ねる毎に手強い相手になっていった。結果的にはアズマの勝利でも、彼のポケモンが一匹でも倒れなかったことなど一度も無い。相手側の一匹に、アズマのポケモンが続けて何匹も打ちのめされることも少なくないのだ。(余談だが、アズマは六つ子が持つポケモンの中ではトリルのケッキングが一番強(こわ)いと思っている。ジュゴンの手助けでキノガッサのスカイアッパーを強化し、一撃で仕留めようと考えた折に燕返しをお見舞いされ、キノガッサが文字通り手も足も出せず撃沈したという、かなり苦じょっぱい思い出を刻まれたことがあった。トリルのバトル嫌い、それに反するポケモンの強さは“好きと得意は違う”の良い見本になるだろうか。)

     敵対していたシャドーの人間を前にした時、クレインも母リリアも、研究所の人々は一人としていい顔をしないだろうことは、想像に難くない。
     だが一旦両者の間を、主である人間に大切にされて来たポケモンが通ってしまえば、善も悪も敵も味方も、概念ごと消失してしまう。
     『ポケモンを愛する人に悪い人はいない』という不思議な法則によって、先入観や価値観を有耶無耶にされてしまう。
     ちょうど今ここにいる自分たちが、ポケモンを通じて繋がりを持ち、交遊を得たように。

     穏やかに明るく、アズマは話した。

     それなのに彼の澄んだエメラルドの瞳は、どこか真摯で必死な色を宿していて、なんとしてでも彼らを説き伏せようとしているかのように見えた。泣いて縋りつく幼児を彷彿とさせる。

     少年のその目つきに気圧された訳では無いが、六つ子はしばし黙り込んだ。
     それから、

    「なあ、坊主……その雇用、あと五人くらい名乗り上げちゃダメか?」

     不意にそう、ヘキルが問うた。

    「今となっちゃ、オレらも廃業したい……って言うより、現に廃業してるしな……」
    「ダメ元で行ってもいいか?」

     末弟に続けとばかりに、モノルとペタルが言葉を発した。
     皆互いの言わんとすることを予期していたようで、一切動揺を見せない。三人の提言に心情と眼差しとを揺らめかせたのは、アズマだけだ。
     少年は、知らず知らず張り詰めさせていた緊張の糸をほどき、返す。

    「ダメじゃないよ。シャドーはもう無い、いつまでもここにいなくたっていいでしょ」

     先程の少年の反応を六つ子が踏襲する。それは、安堵の情だ。
     アズマは緩やかになった心中でほっと息を吐いた。
     本当は始めから六人共を誘うつもりだったのだ、彼らの申し出は願ったり叶ったりだった。

    「研究所からここまで来るの大変だ。同じ場所にいたらすぐ遊んでもらえる」

     少年の出方を窺う様子だった六つ子だが、そんな台詞を投げられるとにわかに、いつもの調子が戻って来た。

    「お前、そんなにオレたちに遊んでもらいたいのか?」

     そんなモノルの問いに対し、アズマは

    「オレ妹しかいないもん」

     少しだけ悄気た顔で、答えた。

    「弟になるかってテトルさんに訊かれて、すごく嬉しかった」

     いつかのバトルの後、「オレたちの兄弟になるか?」とテトルに訊ねられた少年が非常ににこやかに応じていたことがあったが、あれが本心からの返事だったとは、四男含め全員が夢にも思わなかった。

    「お兄さん、欲しいなって思ってたんだ」


     長子という己の立場や妹の存在が気に入らないのではなかった。
     マナのことは生意気だと感じる時もあるが、自分によく懐いてくれているし、守ってやりたいと思っている。マナの面倒をよく見てアズマは偉い、流石はお兄さん、などと褒められるのも誇らしいものだ。
     でも妹が、母や周囲の人々に甘やかされているのを見ると、いつの間にか彼女を羨望している自分に気がついて、なんとも侘しい気持ちになった。そして決まって、自分も誰かにわがままを言って困らせたくなる衝動に駆られたのだが、リリアやクレインが相手では、アズマは自分がそうしている姿を全く想像出来なかった。親や、それに近い歳の人間を相手に求めている訳ではなかったのだと思う。

     それから六つ子と知り合い、親しむようになってからしばらくして納得した。
     彼らにちょっかいを出し、軽口を叩き、からかって、怒られ、笑う。その時の自分が不自然ではなく、その時間がやたらに楽しく、次が待ち遠しくなって。こんな兄たちが居てくれたらいいのにと憧れ始めた。自分も誰かの弟になりたかったのだと、気がついた。

    「子供って、あんまり思われなくなったし。オレまだ大人じゃないのに」

     言って、アズマは目を伏せる。

    『………………』

     初めて見る意気消沈した少年の姿に、六つ子は甚く心が痛んだ。自分たちと相対する時はいつも、にこにこか、へらへらか、にやにやしているだけに、尋常でない違和感だ。

     生まれてからたった十年とちょっとという幼さで、あれほどのことをやって退けたのだ。一人前扱いは当然の処遇と言える。
     しかし六人から見るアズマは、テレビが連日讃えるほどの英気を備えた大人ではなかった。
     その雰囲気は英雄でもなければ神童でもない、まだまだ悪戯盛りで半人前の人間のそれ。他より少しだけポケモンバトルの才能に恵まれた、至って普通の男児だった。

     大人として扱われ、兄として気丈な態度を求められ――。
     冷血とまではいかないけれど、どちらかと言えば感情的ではない印象の少年が、恐らくそういった無意識の束縛に表情を曇らせている。余程鬱屈しているのだと六人は解した。

    「六人と話したりバトルしたり楽しい。みんなはオレを子供扱いしてくれるもん」

     どこへ行っても不分相応の待遇を受けてしまう自分を、しょうがない子供だと言って構ってくれる、それがとても嬉しいと少年は伝え、口元だけで薄らと笑んだ。アズマにとって六人は、数少ない息抜きの場を作ってくれる存在だった。少年が六つ子と親しくなったのはポケモンのお陰でもあり、彼らと自分が持つ性質が上手く作用した結果なのだろう。

    「みんな研究所に来てくれたら、毎日楽しいだろうなあ」

     頼りなげな微笑を浮かべていたアズマはそこでやっと、六人が馴れ親しんだやや締まりの無い、そして屈託の無い笑顔を見せた。

     その笑みと稚拙な台詞に、六人は思案する。

     少年が、己が快く生活する為だけに自分たちを研究所へ引き込もうとしているのなら、それは究極のわがままだ。
     なんと自分勝手で、傍若無人で、幼稚な振る舞いだろう。
     けれど、不快には思わない。呆れてはしまうが、怒る気にはならない。困った仕業だとは思うが、多分それは、今の彼が抱く唯一の切望なのだと、六人には感じられるのだ。


    「…………まったく」

     やがてモノルがやれやれとかぶりを振り、一つ溜息して口を開いた。

     今の自分たちに、目指すべき当ては無い。
     だったら、彼のわがままに付き合ってやるのも悪くない。
     この子供の望みに付き合うことが、わずかとはいえ悪事に手を染めたことへの罪滅ぼしになるのなら、これほど愉快な贖罪は、きっと他に無いだろう。

    「つくづくしょうがない子供だな、お前は!」

     優しい言葉をかけてやることも出来なくはなかったけれど、多分これまで同様、無闇に啖呵を切る方が、自分たちの間柄に相応しいと思える。

    「そこまで言うなら行ってやるか!」
    「他に当てが無いから行ってやるだけだからな!」

     モノルに倣い、ジレルとトリルも偉ぶった口調で続いた。

    「その代わり絶対全員雇わせろよ!」
    「給料はたんまり弾めよ! って所長にやんわり頼めよ!」

     更にテトルとペタルが理不尽な言葉を続けて、そして。

    「解ったのか、坊主!」

     ヘキルの脅迫めいた締めの台詞にアズマは、とびきり輝かしい笑顔で応えた。

    「うん!!」


     少年のあどけない満面の笑みをヘルメット越しに眺めながら、六つ子は「それに」と心中で付け加える。

     彼が姿を眩ました一ヶ月強の間――
     じわじわと味わわされたあの言い様の無い寂しさだけは、二度とごめんだ! と。







     早速今から研究所に来てくれとの少年の言葉に、六人はわずかに気後れするも、了解した。こうしてのんべんだらりとしている間にも、研究員とポケモンたちは名手の到着を待ち侘びているはずだ。
     善は急げ。

    「じゃあモノルさんは後ろに乗って」
    「おう」

     アズマはスクーターの座席の、普段より前方に腰掛けて、長兄に乗るよう促した。
     次にラボの玄関脇に無造作に停められた、グラードンを想起させるカラーリングのトラック(アズマはテレビや書物でですら実際の姿を見たことが無いが、カミンコ博士が発明したメカ・グラードンに似ていると思ったので、本物にも似ているのだろうと解釈した)に目を留める。

    「あの車、動くの?」

     テトルが頷く。

    「ああ。昨日も乗ったし給油したてだ」
    「三人乗れる? なら、テトルさんとペタルさんとヘキルさんは車で」
    「オーケイ」

    「…………えーと?」

     呼ばれた三人がトラックに乗り込むのを傍らに見、残る二人が「オレたちは?」とでも言いたげに首を傾げる。アズマは彼らの所作に気がつくと、その片割れにこう訊ねた。

    「ジレルさんのメタグロス、元気?」
    「は? 元気だけど……」

     それがどうかしたかと訊き返そうとしたジレルより先に、トリルが「まさか」と小さな声を漏らした。

    「メタグロスって、二人くらいなら乗れそうだよね」
    「そのまさかだった!!」


     そうした一悶着を交えつつも、七人はシャドーのラボを無事発った。二人乗りのスクーターを中心に、三人乗りのトラックと二人乗りのメタグロス(四足を折り畳んでの低空磁力飛行)が、広大な砂漠を北西へと並走する。
     その間じゅう、アズマはなんやかやと連れ合いに話を振っていたのだが、彼が名を呼んでそちらへ視線を投げる度、六人は到底信じられない心持ちにさせられた。

     何故なら、この六人兄弟を一人も間違えずに指し示すことが出来た他人を、初めて目の当たりにしたから。両親ですら完全に一致させたのは片手の指でも余るほどの数だったのに。シャドー入団時、解り易いようテーマカラーを設定したが、ついぞ組織の誰にも覚えてもらえなかったというのに。
     当初はまぐれだろうと高を括ったものだが、アズマの声にも目にもまるで迷いの影が見当たらず、「完璧に把握していやがるぜこいつ」との判断が満場一致で下された。

     やはりこいつ、ただの子供じゃないかも知れない……。
     ほんの少しだけ空恐ろしくなる。

     六人がそんな風に考えていることも露知らず、少年はのんきな顔でスクーターを運転している。
     彼がポケモンのこと以外でここまで情報を整理し、記憶しているのは前代未聞、未曾有の事態だ。アズマの随分な物臭気質を知る由も無い六つ子が真相を知って、なんとも名状し難い気分になるのは、いつのことになるだろうか。




     しかしそれにしても、だ。

    「まさかこんなお子ちゃまに就職を支援してもらうなんてな……」
    「本当、人生どこでどうなるか分からないよな……」

     車内でペタルとヘキルがぼそぼそ言い合いうんうん頷いている横で、スクーター側の席に座るテトルが少年に話しかけた。

    「ところでお前、好きな色考えたか?」

     吹きつける風の音や車両のホバー音に負けじと、朗々とした声で問うてきた四男に、アズマは大きく頷き、言った。

    「無色透明」
    『ありのままか! 今の状態だろそれ! ブラザーズする気さらさら無いな!!』

     示し合わせたはずが無いのに見事なセクステットが背後と両隣から跳ね返って来て、アズマはからからからからっとソルロックみたいな声で笑った。
     心に一点の曇りも無い。そんな風に笑う少年に釣られて、やがて六つ子も皆笑い出す。しまいにあろうことか、機械さながらな風貌のメタグロスがグガグガ笑った(?)。

    「ぅおアアーっ!!」

     がくんがくん揺れてジレルとトリルが転落しかけた。




     ――かくしてアズマの推薦の下、六つ子ブラザーズはシャドー戦闘員から研究所スタッフにジョブチェンジし、ポケモン総合研究所はまた一段と賑やかに華やかに(色合い的な意味で)なったとか……
     ならなかったとか。





    《おしまい(多分続かない)》


    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    鳩さん、先日は大層な品を頂いてしまいまして、有難うございます!!(いきなり私信)
    お礼申し上げがてら何か投稿しようと思いました。頂き物に便乗して、温め過ぎてでろでろに溶けているBWのフォルクローレ的な話を短くして書くつもりが、今個人的に熱いXDに…。トリルの廃業希望発言で浮かんだ妄想でした。病気?いいえ正常です。アズマそこ代われ。
    書く内にどんどん入れたいことが浮かんで、どれが必要でどれが不要か整理するのに時間がかかるの、どうにかなりませんかね。ガラケーで連日打っても二週間かかるなんて(涙)。
    秋まで待てないってお前もう秋じゃないか!(ヒント:長編板)

    それはさておき、十年の時を経てXD2ndプレイしています。コロシアムもやり直したいですがダキム戦の守る+地震コンボがトラウマで手付かずで候。
    話の通り六つ子が大好きです可愛い。お前ら何歳なんだ。顔見せろ!……やっぱ見せなくていい!(複雑なオタク心
    兄弟順が解らなくなったのでWikiを見たら名前の由来も解ってすっきりです。ついでにモノズとジヘッドも理解。由来が解ると楽しいですね。
    ラストに備えてレベル上げ中のため、エンディング後についてはあやふやです。引用した台詞も多少あやふや。←
    ちなみにアスカは拙宅のコロシアム主人公です。原作にはそんなアニメは出て来ませんので悪しからず(当たり前)。オーレの夜明け云々は後半にONBS本社で目に出来ますが、ドキュメンタリーかどうかは…。捏造って素敵ですよね。

    修正しにまた来ると思います…何回も見直ししてると訳が解らなくなってきます…
    ■追記:とりあえず修正しました。途中、以前から調子が悪かったガラケーが帰らぬひとになりました。最後の大仕事、お疲れさまでした……(合掌)。

    ダーク・ルギアに拉致られて(誤)飛行していた輸送船をホエルオーと見間違え、周囲に馬鹿言うんじゃないよと否定されて拗ねたアゲトビレッジ在住のご老人、ビルボーさんの台詞「ホエルオーは空を飛ぶんじゃ!」にときめきました。うきくじら!

    ▼十年前の絵で恐縮ですがおまけ。ちょっと季節先取り。

    このゆびとまれ (画像サイズ: 682×469 79kB)

      [No.3464] Re: 鍋 投稿者:朱烏   投稿日:2014/10/22(Wed) 00:33:02     61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    映画ではサトシたちに化けても尻尾はそのままでしたね。
    つまりここでも同じ現象が起きている筈。
    なので尻尾が生えた鍋はかわいい説を提唱します。


      [No.3463] 「バトルサブウェイには、バケモノがいる」 投稿者:GPS   投稿日:2014/10/20(Mon) 14:18:29     79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    バトルサブウェイには、バケモノが住んでいる。
    それは人喰いのバケモノだと言う。


    「こちらはスーパーシングルトレインです。ご乗車になりますか?」
    緑の制服に身を包んだ駅員に頷き、先ほど購入した切符を手渡す。パチンと切られたそれを返してきた彼は、それでは行ってらっしゃいませ、と丁寧に頭を下げた。黙って前を通り過ぎてホームに向かう。
    間も無く滑り込んできたのは緑のラインを車体に走らせた地下鉄で、普通の交通機関として使われているものよりもいくらか冷たい印象を放っていた。それは乗っている人が少ないからなのか、或いは生活に寄り添うものではなくある種の非日常を演出する空間であるからなのか、はたまた単純に使用回数が少ないからか。その疑問は俺が考えたところでわからないだろう、思考を打ち切って、独特の音を立てて開いたドアの中へと足を踏み出す。
    「にゃんにゃんしょうぶだにゃん!」
    乗り込んだ、いっとう端の車両で俺を待っていたのは一人のウェイトレス。惜しみない量のフリルで飾り付けられた服からは、どちらかと言うとメイドカフェの店員といったイメージを受ける。甘ったるい声とふざけた台詞とは裏腹に、嫌々やってますという気持ちを隠す気も無さそうな表情が個性的だった。
    しかし、そんなことはどうでもいい。相手の見た目や性格や肩書きなんて、バトルには何の関係も無いのだから。
    大事なのは、ただ、勝つことのみ。
    媚びるようなポーズを決めてボールを宙に投げたウェイトレスと同時に、俺も自分のモンスターボールをセットする。何度も何度も見ているあの光が車両に満ちて、バトルの開始を暗に告げた。


    いつ誰が言い出したのかわからないその噂は、バトルサブウェイを利用する者たちの間でまことしやかに囁かれていた。
    バトルサブウェイにはバケモノがいて、地下鉄に乗っている人を常に狙っているのだと。
    どんな者でも貪り食うというそのバケモノに目をつけられたら最後、抗うことなどとても出来ずに喰われてしまう。
    そんな噂だった。


    「ふにゃーん! まけちゃったにゃん!」
    にゃんにゃん言葉は崩さぬままに、ウェイトレスが俺を呪い殺しでもしそうな瞳をしてポケモンをボールに戻した。先ほども少し思ったのだけど、彼女はこんな調子で大丈夫なのだろうか。ウェイトレスを名乗っているということは恐らく地下鉄を出てもそうなのだろうけれど、この正直さは果たして業務に支障が出ないのか不安である。
    が、そんなことを考える必要は俺には無い。バトルに勝った俺は、次のバトルに勝つことだけを考えれば良いのだ。鬼の形相のウェイトレスの前を黙って過ぎ、車両の端に設置された、ポケモン回復機能搭載のパソコンを起動する。
    『ただいま 1連勝! 対戦を続けますか?』
    迷わず『はい』を選択、回復の済んだボールを手に取る。殺気立った視線を背中に感じるが、そんなことは俺には微塵も関係無い。俺が今気にするべきことはただ一つ。
    バトルに勝つ、それだけだ。


    バケモノの正体には諸説あった。
    地下鉄そのものがバケモノで、乗り込んだ時には既に喰われているという話もあるし、マルノームやカビゴンが奇怪な力を得て変質したものだと語られることもあった。ポケモンではない、未知の生き物なのではないかと疑う者もいる。
    中でも一番現実味を帯びていない、その癖最も信憑性があるとされているのは、いくつものバトルを勝ち抜いた末に戦えるサブウェイマスター兄弟がバケモノなのだという説だ。彼らは自分たちと戦いたいと望む者をバトルサブウェイに誘い出し、逃げ道の無い地下鉄でそのトレーナーを喰うらしい。
    彼らにとってみればこんな噂、風評被害も甚だしいとしか言いようが無いだろう。


    「瞳の輝き肌の張り あの頃はもう戻ってこない」
    次の車両にいたのは、上品な雰囲気の婦人だった。倒れたポケモンを前に呆然と呟いている彼女の前を素通りしてパソコンに向かう。制した勝負の相手にはもう微塵の興味も無い、婦人の譫言はパソコンのスピーカーから流れ出る電子音に掻き消された。
    『ただいま 2連勝! 対戦をつづけますか?』
    機械的な手つきで『はい』を選ぶ。休んでいる暇など無い、すぐに次の勝負に移らなければ。
    勝つことだけを考えて。


    その噂を本気で信じて怖がる人もいれば、鼻で笑う人もいた。もし自分が狙われたらどうしよう、と涙声で語る人もいれば、そんなものがいるはず無いだろ阿呆らしい、と馬鹿にする人もいた。バケモノがいるのかと駅員に詰め寄る人もいれば、面白半分で噂を流布する人もいた。
    だがそのどんな人たちも、バトルサブウェイを利用することだけはやめなかった。皆、バケモノの有無など知らないとでも言うように地下鉄に乗り続けた。揺れる車両の中で戦うその享楽を求めて、誰もが切符を片手にホームに立つ。
    バケモノがいると言われる地下鉄は、毎日大勢を乗せて地面の中を走るのだ。


    『ただいま 16連勝! 対戦をつづけますか?』
    もう戦えない相手トレーナーの言葉を聞く時間すら惜しい。流れ作業のように『はい』を選択して、俺はさらに隣の車両に移る。
    乗車してから大分時間が経っていた。しかし腕時計も携帯も持っていない俺は、体感以外で経過時間を知る術を持たない。具体的かつ詳細な時間についてもまた然り、だ。
    それでいい。
    時間などわからず、気にしなくて済む方がバトルに集中出来るのだから。
    大切なのは、勝つということだけ。
    それ以外は、考えなくていい。


    俺もその一人だった。
    噂など少しも気に留めず、地下鉄でのバトルに熱中した。元々ポケモンバトルが好きだったと言うのもあるが、バトルサブウェイでのそれは格別だったのだ。
    狭い車内で繰り広げられる戦い。無機質な灰色の壁や床を滑り、ぶつかり合う技と技。外で戦うよりもずっと血に飢えた目をしていて、ギラギラと光る勝利欲求が全身から漏れ出ている狂気のトレーナーたち。闇雲にレベルを上げたのではない、綿密な計算と細かな調整の元に育てられた、嘘のように強いポケモン。
    そして何よりも俺を夢中にさせたのは、連続して行えるバトルだった。
    ポケモントレーナーというものは至る所にいて、バトルが禁止されている場所でなければどこだって戦うことは出来る。しかしポケモンの体力にも限界があるため、ある程度戦ったらポケモンセンターで回復しなければいけない。相手トレーナーが強ければ強い分だけ、連戦出来る回数は減っていく。
    しかしここは違う。地下鉄を降りてセンターに行かずとも、一戦ごとに回復が可能なのだ。車両の隅にあるパソコンにはセンターにある機械と同じ回復システムが搭載されていて、ボールをセットするだけでポケモンは元気になる。
    時間をほとんど置くことなく、連続して出来るバトル。それは通常感じるストレスというものを一切与えず、その代わりに快感が手に入った。


    『ただいま 72連勝! 対戦をつづけますか?』
    その電子音声を聞き終えるよりも早く『はい』を選ぶ。回復のためパソコンにセットしたボールを奪い取るように掴み、俺はドアを引いて隣の車両へと飛び込んだ。
    「わたくし天才幼稚園児! すでに大学を目指しております」
    虚ろな目のトレーナーが言う。舌っ足らずの声は俺の鼓膜を素通りした。敵であるところの少年はごくごく小さな影としてしか目に映らず、最低限の情報だけが脳に届く。
    それで構わない。
    俺が感じるのはトレーナーがどんなヤツかなんかじゃなくて、相手がどんなポケモンを出してくるか。そして、そのポケモンに対してどう立ち回るか。
    それだけだ。
    勝つには、それしか必要無い。


    繰り返されるバトル。
    それはまるで、麻薬のようだった。
    血走った瞳のトレーナーたちとのバトルは刺激的で、そしてとてつもなく魅力的だったのだ。
    一戦でも多く、バトルがしたいと思った。
    その欲求はやがて、一戦でも多く勝ちたいというものに変わっていった。

    少しでも多く。
    少しでも高く。

    バトルに勝って、高いところに行きたいのだ。


    『ただいま294連勝! 対戦をつづけますか?』
    答えなど決まっていた。パソコンが処理を読み込む時間すらもどかしい。ピッ、という短い音を聞くか聞かないかのところで、俺はボールをひっつかむ。
    さあ、次のバトルだ。相手トレーナーの口上などには耳も貸さず、ボールを投げてポケモンを繰り出した。
    勝つ。
    このバトルにも、勝つ。


    何が何でも、勝つんだ。
    それしか考えられなかった。
    それだけ考えれば良かった。

    一つでも多くの白星を刻めるように。
    僅かでも高みに届くように。

    もっと、もっと、もっと。

    バトルに勝ちたい。

    それだけだった。
    それ以外は、何も無かった。



    『ただいま ?? 連勝! 対戦をつづけますか?』
    パソコンの音声はもう聞かない。『はい』を選びながら回復システムを起動、終了を示す電子音と共にボールをぶんどって次の車両へ。
    窓の外に見えるのは、暗い地下道を照らすライトが発している白い光だけ。等間隔で並べられたそれがやはり等速で動く電車から見ると、決まったペースで流れていくのがわかる。
    この世界には、何も無い。
    あるのはそのライトと、あとはバトルだけ。

    バトルだ。バトルが出来るんだ。
    早く、次のバトルを。
    早く、次の勝利を。

    早く。


    ここではバトルのこと以外、考えなくていいのだ。
    バトルに勝つことだけを考えればいい。

    目が眩む。
    手が震える。
    喉が枯れる。
    足が浮く。
    胃液が逆流する。
    背中に汗が伝う。
    心臓が跳ねる。

    身体中の感覚が、自分から離れていく。
    頭の中に濃い霧がどんどんかかっていって、自分が何なのかすら曖昧になる。

    それでも、これだけはわかる。
    バトルに勝つ。


    バトルに、勝つ。



    「ねえーノボリー」
    「どうかいたましましたか、クダリ」
    「警察の人、来た。行方不明の男の人、最後に見つかったのスーパーシングル。捜索したいから、一緒に来てだって」


    戦って、勝ちを刻む。
    それだけ考える。
    相手のポケモンを倒すことだけ、俺のすべきことはただそれだけ。


    「またでございますか……いくら探されたところで、見つかるはずも無いと思いますけどね」
    「ノボリ、そんなこと言っちゃダメ。もしかしたら、ホントの行方不明かもしれない。まだわかんない」
    「何をおっしゃいますか、クダリ。貴方だってもうわかってらっしゃるんでしょう? 大体、車窓から飛び降りでもしない限り地下鉄で行方不明になんかなりませんよ」


    目に映るのはバトルのみ。
    今の自分はどんな顔をして、どんな声を出していて、どんな風に立っているのか。
    そんなこと、知らなくても問題ない。
    勝てばそれでいい。
    勝つだけでいい。



    「全く、何故そうも愚かなことをしてしまうでしょうか。自分でもわかっているはずですのに、人間のサガというものなのでしょうかね……」
    「『酒は飲んでも飲まれるな』と、おんなじ?」
    「近いような遠いような……まあ、やめ時を見計らうことの出来ない者は地獄を見る、という意味ではそうなのかもしれません」


    どのくらい連戦したんだろう、と疑問が頭に一瞬だけ浮かんだけれどもすぐに掻き消える。
    そんな思いは必要無い、今必要なのは勝利だけ。
    勝利して、次のバトルに進むことだけだ。
    一戦でも多く、バトルを。


    「それにしても……これでまた、例の噂が広がってしまいます。ま、嘘というワケでは無いので敢えて否定をすることも出来ませんけどね」
    「バケモノがいる、って噂でしょ? ボクもお客さんに聞かれたよ、また一人喰われたんですか、って! とっても怖そうだった。顔なんて真っ青」
    「そうでございまし。怖いと思える内が華ですよ……クダリもみすみす喰われないように、気をつけてくださいね」
    「もー、ノボリ! それ、もう耳にマーイーカ! ボクもノボリも大丈夫、駅員のみんなも、心配ない!」
    「それを言うなら耳にオクタンですよ、クダリ。……そうですね、大概の方は心配する必要などございません」


    そうだ。必要なのは、それだけだ。
    勝つこと、だけ。
    勝つんだ。
    バトルに。
    一度でも多く。
    それ以外は、いらない。


    「しかし、噂の一部を訂正させていただきたいものです」
    「うん?」


    一戦でも多くのバトルをして。
    一度でも多くの勝ちを刻んで。

    それだけだ。
    俺はそれだけ、考えればいい。

    他のことはもう、考えられない。


    「今のままのストーリーでは、クダリに尋ねたお客様のように怖がる方もいらっしゃるでしょう」


    頭の中は真っ白だった。
    全ての情報が、消えていた。

    それでも、目の前の敵を倒すために必要なことだけは鮮明に浮かんで、俺の口はポケモンへの指示を勝手に飛ばす。
    これは俺が無意識のうちに自分でそうしているのか、それとも誰かに操られているのか。

    わからない。
    考える必要も無い。

    ただ、勝てばいい。



    「わかった。あの部分だね?」


    勝てばいい。
    それだけだ。


    「ええ。バトルサブウェイのバケモノは、」


    戦って、戦って、戦って。


    「"どんな者でも貪り食う"ものでは無く、」


    勝って、勝って、勝って。


    「"自分の腹に、自ら飛び込んできた者"を喰ってしまうもので、」


    戦って、勝って、それだけを。
    それだけを繰り返す、この地下鉄で。


    「しかもその正体は"人喰いのバケモノ"などにあらず、」


    戦って、


    「バトルのやめ時を見失った、愚かな自分自身……それに過ぎないのですから」


    勝って、


    「そうなった方々に待ち受ける結末は、バケモノに喰われるなどと生易しいものではありません」


    少しでも多くのバトルをするのだ。


    「ずっと、ずっと……それこそ、仮にこのバトルサブウェイが取り壊されて無くなるような、そんな未来が来ても永久に」


    それ以外は必要無い。

    数えることなどとうにやめた、何度目かもわからない勝利を収めた俺はボールをパソコンにセットする。
    車窓の向こうに見えるランプは絶えず流れていって、随分時間が経っているのではないかとうっすら思った。

    いや、やめよう。
    そんな思考は、必要無いのだから。


    一戦でも多くの戦いを。
    少しでも多くの勝利を。


    次の、バトルを。




    「戦うことと勝利だけを求めて、地下鉄を彷徨い、無数のバトルを繰り返すことになるのですよ」


    どこまでも続くかのような闇の中を、ガタゴトと音を立てた地下鉄は走り続ける。

    俺の終点は、まだ、見えない。


      [No.3462] まきばはつづくよどこまでも 投稿者:焼き肉   《URL》   投稿日:2014/10/19(Sun) 21:09:51     156clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:ヒュウメイ】 【BW2

     ザンギ牧場は牧場主の男性と女性のおおらかな気質がそこいら中に漂っている気がする。
     ようはそのくらいのんびりしていると言うことだ。

     敷地内ではメリープがしっぽとモコモコの毛を揺らして円を描きながら追いかけっこをしている。
     ヨーテリーたちは牧場主の夫婦の近くで、番犬としての使命はどこへやらと、すやすやお昼寝中だ。
     牧場の敷地に住み着いている野生のポケモンすらも牧歌的な雰囲気に呑まれているようだ。
     ミネズミが草むらの陰でぐてっと転がっていて、踏みつけそうになる。

     あそこの草むらに、二つの対になった丸い影が見えるけれど、あれもミネズミだろうか。
     ガサガサと草をかきわけながらそっちへ歩いて行ってみる。

    「って、メイかよッ! なんでこんなとこでッ!」
    「えーっと・・・・・・、宝探し?」

     何故か疑問系で説明をするメイの手には、四角い緑の、大きなコンセントの先端みたいな形のダウジングマシンが握られていた。

    「・・・・・・ここ人んちの敷地内じゃないのか?」
    「だって、さっきおじいさんが見えなくてもいろんなものが落ちてるって言ってたから
    ・・・・・・牧場のおじさんと奥さんは別に落ちてたら拾って持って帰ってもいいって言ってたもん」

     そう説明する割に、メイはダウジングマシンを肩にかけている鞄にしまいこんでしまった。
     そんくらいですねるなよッ! とツッコミを入れれば、違うよお、とやっぱりどこかすねた声が返事をする。

    「ヒュウちゃんが来る前にずっと歩いて探してたけど、もうなんにも落ちてないみたいだから。
    このくらいにしとこうかなーって。もう足痛いし。だから休んで座ってたの」
    「あっそ」

     メイにならってドッカリと腰を落ち着けると、隣の幼なじみはえへへと笑う。
     何がおかしいんだと言えば、ここっていつも気持ちがいいよね、とやっぱりニコニコしている。

    「特に何か用があるわけじゃないんだけど・・・・・・牧場のおじさんや奥さんも優しいし、
    なんとなくヒマがあるとここに来ちゃうんだよね」
    「ああ、たしかにここはいいとこだよなッ!」

     夏の暑苦しい日差しを木が遮って、キラキラと木漏れ日を落としているこの土地は、街にいるよりも涼しい。

     木と木の間から見える空の雲は右から左に風に流されている。
     流石に実行には移さないが、キャンプなんかも出来るかもしれない。

    「わたしも大人になったら、こういうところで楽しく過ごしたいなあ」
    「あてはあるのかよ」
    「ヒュウちゃん一緒にやろーよ」
    「オレかよッ?」
    「ヒュウちゃんしか頼める人いないもん」
    「あー・・・・・・まあそうだなあ」

     ハリーセンみたいな髪をかきながら、ちょっと想像してみる。
     メイと一緒に、のどかな土地で、ミルタンクやメリープに囲まれながらいつまでもいつまでも楽しく暮らす。
     牧場の朝は早い。

     メイは昔から早起きが苦手なのんびり屋だけれども、
     牧場を運営するとなったら、頑張って早起きするだろう。
     そして朝、朝食のパンやハムエッグなんかを用意しながら言うのだ。

    「おはよう、あなた」と。

    「・・・・・・考えとくっ!」
    「えへへ、いい返事期待してもいいかな」
    「さあなッ!」

     何だかキュレムのこごえるせかいで頭を冷やしてもらいたいくらい恥ずかしくなったので、
     ヒュウは自分の恥ずかしい想像を無理矢理取っ払った。

     今はこうやって、親切な牧場主さんの土地で、幼なじみと一緒に、のんびり一休みさせてもらうだけでいい。

     どこか遠くで、メリープのよく響くなきごえがしていた。

     ☆

     空の大きなソルロックが目を覚ます前に、牧場主はさっさと起きなくてはならない。
     だからまだ薄暗い空には、おはようを言う太陽さんもいないのだ。
     さっさと服を着て寝室を出ると、おいしそうな匂いが鼻先をくすぐった。

    「おはよう、ヒュウちゃん」
    「・・・・・・おはよ」

     既に着替えて髪まで整えたメイが、朝食をテーブルに並べながらニッコリと朝のあいさつをした。
     それからすぐにムッとした顔になって、ヒュウのおぐしを指で直す。
     やってみれば大変なこともいっぱいな牧場の仕事に、メイは根こそあげなかったものの、その指はだいぶ荒れている。

    「別にいいじゃんッ! どうせ仕事がばたばたして髪どころじゃなくなるんだし、
    大体オレの髪型じゃ、大して代わりやしないだろッ!」
    「ダーメ! ヒュウちゃんの男前が、台無しになるもんっ!」

     彼女なりに満足出来る範囲にヘアスタイルが決まったのか、メイはようやく手を離した。
     それからヒュウがちょっとさびしくなるくらいパッと離れて、スッとイスを引いて手招きをする。

    「さ、ご飯にしよっ!」

     ☆

    「ヒュウちゃんおいしい?」
    「ああ」
    「そのタマゴね、ラッキーのたまごなんだよ。すっごくおいしいよね」
    「うん」
    「牛乳は、ミルタンクのモーモーミルクだし」
    「ああ」
    「ねえヒュウちゃん」
    「ん?」
    「幸せだね」

     ニコニコしながら組んでいるメイの指には、籍を入れたのに指輪の一つもない。
     長い髪を切ることまではしなかったけれど、
     貴金属の類は誤ってポケモンたちが口に入れたりしたら大変だからと、普段の生活で身につけることはなかった。
     彼女のポケモン好きは相変わらずである。

    「・・・・・・そうだな。いーかげん、あなたって呼んでくれたら、オレも文句ねーよ」
    「えー、だってヒュウちゃんはいくつになってもヒュウちゃんだもん」
    「だってさ、それだとオレがむかし思い描いた想像図が」
    「想像図がなーに?」
    「な、なんでもないっ」

     ヒュウはあわててクロワッサンにかぶりつき、野菜のスープを飲んで、今日もうまいなッ! と叫んで完全にごまかした。
     単純な彼女はそれだけで幸せそうに微笑んで、ありがとーと返事をする。
     さっきの想像図うんぬんは忘れてくれたらしい。ホッとした。

     絶対に言えない。あの時つき合ってもいなかったのに、幼なじみの彼女が食卓で微笑んで、
     おはようあなたと言ってくれるのを想像していたなんて!


      [No.3099] クロ(6) 投稿者:Skar198   投稿日:2013/11/03(Sun) 13:33:17     126clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:鳥居の向こう】 【次か次あたりでラスト

    6.

    「兼澄本町(かなずみほんちょう)、兼澄本町」
     電車のアナウンスが約束の駅名を告げた。カナズミシティの中心地でデボンコーポレーション本社も近い場所だ。フタキが指定してきたのはカナズミ市の中心地にある百貨店、DOGO前の広場だった。ぶわっと水が吹き上がる。噴水に住むコンクリートのホエルオーは半身だけを見せ、威勢よく潮吹きをした。広場にはデートを楽しむカップル、友達同士で歩いていく女の子達、そしてポケモンを連れたトレーナー達の姿がある。
     弟の姿はすぐに見つかった。噴水近くに座っている人物が手を挙げたからだ。隣には白いドレスのポケモンが座っている。
    「待ったか?」
     ベンチに近づいて俺が尋ねると、さっき来たところだとフタキは答えた。隣の介助ポケモン、サーナイトが見上げるようにじっと俺を覗き込んでいたが、俺は無視した。バッグにはモンスターボールがあったが、ここにクロはいない。
    「ねえ、お昼はもう食べた?」
     フタキが尋ねてきた。なんだか今日はやけに喋るな。そんな事を思いつつ、
    「いや、まだ」と答えた。
    「じゃあ先に飯にしよう。コンサートまでは結構時間あるから」
     フタキが言った。そして、サーナイトが先に立ち上がり、手を伸ばした。
    「行きたい店があるんだ。そこでもいい?」
     サーナイトの白い手をとりながらフタキが言って、「ああ」と俺は答えた。弟がベンチから腰を上げた。
     弟の歩みは常人のそれと比べればだいぶゆっくりとしたものだった。足音が違う、とクロは言ったが、やはりぎこちなさがある。だがサーナイトは嫌な顔ひとつせず、弟を導いていた。手を繋ぐ一人と一匹、まるで恋人にも似たその姿に時折道行く人の視線が刺さる。けれどフタキはまったく気にしていなかった。俺はフタキの歩調に合わせ、その後をついていった。俺は改札口で、クロをボールから出した事を思い出していた。
     ――別行動にしよう。
     クロがそう言ったのは前日の夜の事だった。やはりボールの中は退屈だ、と。何より弟の連れ合いの視線が痛い事が最大の理由らしい。
    『にゃあ』
     クロはボールから出されると俺を一瞥し、普通の声で鳴いた。そして雑踏の中へと消えていった。
     道すがら、サーナイトは何かを気にするようにちらちらとあたりを見ていた。どうしたの、とフタキは尋ね、何でもないんです、という素振りを見せる。おそらくどこからかクロが見ているのだと思った。
     弟に案内されたのはカイナシティ名物、カイナバーガーの店だった。バンスに大きなハンバーグ、豊富な具材を挟んだ特大のバーガーだ。地下にある店に入るには狭い階段を降りなければならない。なるほど、弟の選びそうな店だと俺は思った。こんな店、車椅子では絶対に入れない。
    「荷物見てて。注文してくる」
     フタキはそう言って、俺に希望のメニューを尋ね、サーナイトとカウンターのほうへ歩いていった。しばらくして、スタンド付きの数字入りプレートを三枚持って戻ってくると向かい合う形で席につく。
    「チケット渡しておくね」
     そう言って鈍い銀色の券を俺に差し出した。
     ハミングバードライブ――歌鳥音楽祭Vol.3。そう印字されていた。
    「……ああ、コンサートってハミィだったのか」
     俺は言った。 
     ハミングバード、通称ハミィ。スマイル動画でも中堅どころの歌い手だ。「歌ってみた」。スマイル動画で自分の歌った曲を発表するジャンルがある。歌う曲は流行のアニメのテーマソングだったり、ボカロのオリジナル曲だったりする。ミミの曲の中には「歌ってみろ」というタグをつけられた曲が存在する。あまりにも高速だったり、使う音程が広すぎたり、間が無かったりといった曲だ。人間のカツゼツと音域、息継ぎのタイミングを無視したミミの為の曲、それらを見事に歌い上げる事で名を高めてきたのがハミィだった。
    「知ってるの!?」
     フタキがやや身を乗り出して聞いてくる。
    「ああ、まあ。そこそこ有名だし」
     有名なのははらはらイーブイコレクションだ。もともとはミミのオリジナル曲で、イーブイとその進化系たちが毎度何らかの騒動や事件を起こすといった内容なのだが、曲が進む度に早く難しくなていく。イーブイ、シャワーズ、サンダース、ブースターと図鑑ナンバーが進む度に難易度が上がるのだが、グレイシアあたりまで来るともう何を言っているのか分からない。たいがいの歌い手はブラッキーあたりでギブアップする。
     チケット裏を見た。ゲストもなかなか豪華だった。歌ってみた、弾いてみた、それにライブ活動をするボカロPの名前があった。実力派揃いだ。
    「知ってるならよかった。兄貴の趣味に合わなかったらどうしようかと」
     フタキは胸をなでおろすように言った。
     まさかこいつがスマイルを見てるとは。そんな事を思ったが、よく考えてみればフタキは俺以上にインドアだったと思い出した。なんせ半年前までは歩けなかったのだから。スマイル動画という存在がどれだけカズキの時間を占めたか。それはきっと俺以上だ。
    「スマイルは結構見るの?」
    「まあ、そこそこな」
     俺は言った。まあ一応ボカロPだし。ぜんぜん有名じゃないけど。
    「好きなジャンルとか、ある?」
    「ボカロとか? 週刊ボカロランキングはチェックしてる」
     俺は答える。ただし、曲が入った事はない。エンディングで紹介される31位以下にかろうじてサムネなら載った事があるが。
    「へえ、意外」
     と、フタキは言った。悪かったな。どうせピラミッドの下のほうだ。
     そんな事を言っているうちにハンバーガーが運ばれてきた。焼けたハンバーグのいい匂い。噂に聞くカイナバーガーは思った以上に具沢山だった。メインのハンバーグに加え、各種木の実を薄くスライスしたものがたくさん挟まっている。俺達はフォークとナイフを手に取る。具沢山すぎてとてもじゃないがかぶりつけない。
    「これこれ、一度食べてみたかったんだ」
     そうフタキは行った。
     弟と、いや正確には弟とその相棒との食事。それは思ったよりずっと緊張の無い、穏やかなものだった。何より驚いたのはフタキがよく喋るという事だ。食事会の時と比べてもその表情は豊かだった。
     その様子を見つめながら、ふと俺は我に返った。
     ああ、フタキは何も知らないのだ。俺がラルトスを交換に出してしまった事、それでブラッキーを手に入れたこと、そのブラッキーはただのブラッキーでは無い事。今もどこかでこの様子を伺っている事……。
     時折、サーナイトの赤い目がじっと俺を見た。
     だが残念、クロならここにはいない。君がフタキを守る事もたぶん出来ない。
    「ねえ兄貴」
    「ん?」
    「ボカロ好きならこの後「ライコウのあな」行かない?」
    「ライコウのあな?」
     これまた意外な名前が出てきて驚いた。ライコウのあな、様々なジャンルのオタク向け書籍やグッズを扱う同人ショップだ。本店はカントーだが、ここカナズミにも支店がある。
    「ちょっと探したいCDがあって」
     そんな訳で今度はショッピングになった。ショッピングビルの八階にその店はあった。俺達は同人音楽コーナーに足を運び、思い思いのCDを物色した。久しぶりのライコウのあなはいろいろ目移りするCDがある。黄色のジャケットが印象的なスパークPや、著名なラノベのテーマ曲を作るので有名なミカルゲP、俺が好きで聞いているP達の新譜が結構出ている。鴨鍋というタイトルのごろ寝Pの新譜ジャケットでは土鍋の風呂でカモネギが入浴を楽しんでいた。ファーストアルバムはコイキングの生き作りだったが相変わらずのジャケットだ。
     VOCALOID飛跳音ミミ。彼女はデスクトップミュージックの作者達が歌つきの曲を作る、というハードルを劇的に下げ、また聴き手に聴いてもらうというハードルも劇的に下げたと言われている。それはフタキを外に出させたサーナイトにも似ているかもしれない。
    「決まった?」
     と、お目当てが見つかったらしい弟がサーナイトとやってきた。しばし迷った挙句にミカルゲPのものを選ぶ。あるわけが無いのは知りつつも、ヨロイドリ氏のものがあったら迷わず買うのに、と俺は思った。CDを購入した後、人気シューティングゲームのトゥーホゥーや某ポケモンアイドル育成ゲームのコーナーなどを覗き、店を出た。ハミィのコンサートまでにはまだ時間がある。俺達は会場近くのコーヒーショップで休憩をとった。今度は俺が注文に行って、テーブルにドリンクを三つ置いた。
    「ありがとう」
     とフタキは言って、サーナイトにモモンジュースを渡す。
    「ミドリは甘いのが好きなんだ」
     と、続けた。自分の彼女でも紹介するみたいにフタキの表情は明るかった。
     ミドリが来てくれて本当によかった。フタキはそんな発言を繰り返した。カップに並々と注がれた俺達の飲み物は少しずつ減っていった。
    「ねえ兄さん」
     突然、フタキが改まって言ったのは、そろそろ出ようかと言う頃合になってきた頃だった。
    「何だよ。急に」
     俺が身構えるように返事をすると、
    「その、ラルトスの件、悪かったと思ってる」
     と、フタキは言った。本当は俺からお願いしなくちゃいけなかったのに、と。
    「ああ、そのこと」
     俺は言った。確かにありゃ迷惑だった、と。
    「ごめん」と、弟は言い、「別にいいさ」と、俺は答えた。
    「ラルトスは元気……?」
    「いや、今はいないんだ」
    「え?」
    「欲しいって人がいて、譲った」
    「そ……そう」
    「だから気にしなくていい」
    「……うん」
     そう言って俺達はしばらく黙った。俺は思う。こうしている今だって俺はフタキの事が嫌いだし、しおらしい態度にイラついてもいる。だがもし、今こうしているみたいにいつも話せていたのであればこの弟に向ける態度も少しは違っていたのではないだろうか、と。
     母のいない空間での弟はしゃべりもするし、それなりに主張もあった。食事会の時に比べればずいぶんとましだ。けれど長年溜め込んだものがすぐに氷解する訳ではない。今は付き合っているだけだ。弟にあわせ、付き合っているだけだ。これは気まぐれ。本番前の前座にすぎない。
    「しばらく父さんと母さんには内緒な」
     俺は言った。
    「うん」
     弟は頷いた。
     またサーナイトと目があった。まっすぐに見つめる両の赤い瞳。同じように今もクロはどこかで見ているのだと思った。
     交換に出されたラルトス、グローバルリンクから来た黒い獣。俺が命じれば何でも盗んできてくれる。そう、何でも。
     三つのカップ、飲み物もう空だ。少し氷が溶け、水が溜まり始めている。コンサートの時間が迫っていた。そろそろ出るか、そう言い掛けた時、
    「あ、あの……兄貴、俺さ……」
     にわかに弟が語り出した。
     
    *

     恋が叶わぬジャンヌはブラッキーに男性の心を盗ませた。
     けれど、ジャンヌは心配になった。せっかく手に入れたこの心もそのうち誰かにかすめ盗られてしまうのではないか、と。彼女は男性が他の女性と会う事を許さず、話かける事も見る事も禁じるようになった。それでも男性の心はジャンヌのものだったが、彼女はもはやそれさえも信じる事は出来なくなっていた。男性が誰も見ぬよう視力を盗んだ。誰の声をも聞かぬよう音を盗んだ。どこかに行かぬよう立ち上がる力を盗んだ。男性は彼女無しでは何も出来なくなった。彼は今や廃人同然だった。

    *

     コンサートもといライブ会場は中規模のハコでドリンク制だった。ジンジャエールを受け取って、テーブル席に着き、その時を待った。最初に登場したのはやはりハミィその人。顔は見た事がなかったのだが、声で分かった。歌い手にはしばしばどうせイケメンなどというタグが付くが、例に漏れずハミィはイケメンの部類だった。
     まず最初に披露されたのは代表曲のはらはらイーブイコレクションだ。たっぷりと情感を込めてイーブイの一番を歌ったハミィの歌は次第にスピードアップしていく。
    「サンダス、突っ込む、ミサイル針」
     ハミィは軽い調子で歌う。このあたりはまだ俺でも舌が回りそうだったが、次第に曲は人の領域を超えていく。ついにエーフィを終え、ブラッキーに続く間奏に入った頃は間奏中に拍手が入るようになった。曲は瞬く間にブラッキーを終え、終盤のリーフィア、グレイシア、ニンフィアに移って行く。
    「ニンファサザンドヨセカバッキゼッ!」
     もう歌詞を知らないと何を言っているのか分からない。ちなみにニンフィアはサザンドラに妖精の風をお見舞いして効果ばつぐんで気絶。おおよそそんな意味の歌詞である。大きな拍手が起こった。ここまで歌いきれる歌い手はそうそういない。隣の席、フタキも興奮した様子で手を叩いてる。
     ハミィが一旦引く。ゲストのスマイルピアニストが現れて、ボカロ曲のアレンジ演奏を披露し始める。さっきと打って変わってスローテンポの曲だ。場がしんと静まった。
     だが、曲が変わっても同じ事を俺は反芻し続けていた。
     ――兄貴、俺さ……
     思い出すのは先のコーヒーショップでフタキが語ったその内容だった。

    「俺、大学はホウエンの外に行きたいんだ」
     突然の告白だった。驚いた。フタキはてっきり母の言う通りカナズミシティ内の大学に行くと思っていたのだが。
    「ホウエン外は無理でも、カイナとかミナモとか。一人暮らしが出来たらと思ってる。一旦家からは離れようと思ってるんだ」
     母には、と俺は尋ねる。
    「まだ言ってない」
     弟は答えた。今はまだ時期ではない、と。けれど、こうも言った。
     介助ポケモンの事を知って、どうしても欲しくなった。だからその為に今までで一番主張したかもしれない、と。ミドリが居れば自分はどこにだって歩いていける、と。
    「もちろんもっと訓練は必要だけどね」
     フタキは付け加える。
    「知ってた? シンクロって訓練すればサーナイトがボールに入ってても出来るんだって。今は手繋ぎが必要だけど、今にそうなってみせる」
     母さんにはしばらく内緒でね。弟はそう言った。俺もラルトスの事は黙っておくからさ、と。

     曲が転調する。激しくなる打鍵に人々は目をみはり、耳を傾ける。これは最近、ランキング上位に入った曲だ。ここが一番の見せ場になる。再び横を見る。フタキもまた真剣に聴いていた。
     プログラムが進んでいく。ゲストのボカロPがギターを手に自らの曲を歌い、また演奏者が出て、ハミィが混ざって時にセッションになって。そして、気がつけばもうプログラム後半に差し掛かっていた。再びプログラムに目を通す。ラストの三曲は曲名が伏せられている。シークレットらしかった。開場前にフタキに聞いた話によれば、ハミィのコンサートはいつもそうらしい。
     暗闇に光る目に気が付いたのは、会場の興奮が冷めやらぬ中、サーナイトの挙動が落ち着かなくなってきたからだ。
     まさか。そう思って背後を振り向いたときに見えたのは、一対の赤い眼と金の輪だった。
    「! ……クロ」
     おいおいどうやって入ってきたんだ? 微かに呟くとそっと席を立つ。途中でブラッキーを捕まえた俺はその首ねっこを掴んで、外の休憩場に出た。喫煙場も兼ねたその場所では男性が一人、タバコをふかしていたがそのうちに出ていった。俺達はベンチの端と端に座っている一人と一匹になった。
    『で、いつぶんどるつもりだ』
     クロが言う。俺は夜風にあたりながら上を見た。都会の空は寂しい。星はまったく見えない。
    「最初は分かれたらけしかけようと思ってた」
     俺は答えた。
    『思ってた……?』
     予想通り月光ポケモンは怪訝な表情を浮かべた。
    「あの野郎、俺が思ってたよりずっと考えてやがった」
     再び星の無い空を見て、俺は自嘲気味の笑みを浮かべる。
    『どういう事だ?』
    「お前は「特別」を盗れって言ったな。でもそれは今のフタキにとって好都合って事さ」
     あいつカナズミを出たいんだと、と俺は続けた。それが意味するのは母との決別だ。あいつは決めていた。おそらくはサーナイトを手にした時から、既に。今更盗んだとて弟を利する結果にしかならないのだ。
    「やるのが三年遅かったな。もうあれは自立してる」
     フタキはいずれ母の元を去るだろう。一人で……いや一人と一匹で歩き始める。
     ――母さんは俺の事を不憫だと思ってるみたいだ。
     店を出る前にフタキはそう言った。
     ――けど俺はそうは思っていよ。少なくとも今はね。俺は何だって出来るし、どこへだって行ける。その為にミドリに来て貰ったんだ。
    「惨めだな。完全に負けだよ。俺の負けだ」
     フタキは、もう。
     自立できていないのは俺だった。俺のほうだったのだ。
     惨めなもんだ。歯牙にもかけていなかったPに突如ヒット曲を出されたようなもんだ。
    『カズキ。何も俺が盗れるのはそれだけじゃない』
    「じゃあなんだ。フタキのサーナイトでも盗れってか? 冗談はよしてくれ」
     心が冷めていた。欲しいのはそれじゃない。俺には殺生与奪権がある。けれどこのブラッキーに命じていくらフタキから盗んだって、いくら弟を不幸にしたって、俺が満たされる事は無いだろう。虚しさが消えることは無いだろう。
    「俺はこれ以上惨めになるつもりはない」
     今だって十分に惨めだ。すべて俺の独り相撲だったのだ。
     フタキを品定めするつもりだった。その上でブラッキーに盗ませようと。だが、俺の欲しいもの、望みは何かのその議論は散々遠回りをして振り出しに戻ってきた。
    『じゃあカズキ、お前が欲しいものは何だ? お前が本当に欲しいものは』
     クロは納得いかないという風に言った。立ち上がり、言葉と共に詰め寄ってきた。闇夜に赤い眼はますます光を増している。いつもより毛が立っている気がした。
    『お前にはあるはずなんだ! 盗みたいものが!』
     クロが珍しく、声を荒げた。
    「知らねぇよ」
     俺は答える。
     俺は母の特別を盗みとる事でフタキの反応が見たかったのだ。けれど、その結果はすでに見えてしまっている。今さらそれを自分のものにしたところで。
     ――母さんは俺の事を不憫だと思ってるみたいだ。
     母の特別、それをフタキは憐れみだと言ったのだ。そうだった。最初から分かっていたはずなのだ。
     俺は最初から歩けるのだ。憐れみなんていらなかった。
    『それなら……』
     小声でブラッキーは言った。
    『……母親の関心でないならなんだ。お前は何が望みなんだ』
     四足で立つ黒い獣の脚は心なしか震えているように見えた。
    『そうでなければ、俺は』
    「クロ……」
     ピンと立っていた長い尾と耳、それが力なく下がっていく。
    『俺の存在意義は……』
    「おいおい、落ち込むなよ!」
     俺は慌てた。俺のすぐ横でへたりと座り込んだブラッキーはまるで捨てられたイーブイのようで、いじける子供のようで。今にも消え入りそうで。
    「らしくない事言うなよ。お前はいつもみたくエラそうに構えてりゃいいんだよ。フードに文句つけて、気まぐれに窓から出たり入ったりしてさ」
     クロ、お前はブラッキーだ。都市伝説上の存在、主人の欲望を叶える獣――けれどその前にポケモンで、ブラッキーで。
     ああ、そうだ。昔こんな事があった気がする。
     どんなに頑張っても相手にされなかった俺は、意地を張って現状を維持し続けて、それで。
     中学に上がっても好成績を維持し続けた。けれどカナズミ有数の進学校に入って、それでしばらくして……。
     俺はある日急に起き上がれなくなった。
     プツンと糸が切れてしまった。立ち上がる気力が無い。何もする気が起きない。
     俺は学校に行けなくなった。
    「…………戻るぞ」
     そう言ってクロを抱き上げた。
     温かかった。大丈夫、こいつはたしかに存在している。

    *

     ジャンヌは心を盗ませた。けれどそれを信じる事が出来なくなった。
     それで男が誰の声をも聞かぬよう音を盗んだ。どこかに行かぬよう立ち上がる力を盗んだ。男性は彼女無しでは何も出来なくなった。彼は廃人同然だった。
     これでいいわ。もう彼はどこにも行かない。ジャンヌは満足だった。

     けれどある日、ジャンヌはふと正気にもどったのだ。それは街で楽しそうに歩く男女を見た時で。
     彼女は気が付いた。自分が欲しいものはこういう時間だった。あれほど好きだった彼はもうどこにもいないのだと。
    「彼から盗ったもの、全部を盗って」
     彼女は盗み取ったすべてを男に返すと、ブラッキーを手放し、ミアレを去った。

    *

     ライブ会場に戻ると、ステージ上で歌っていたのはハミィだった。相変わらずのイケメンボイスだった。バックではギターを弾くボカロPに、鍵盤を叩く弾いてみた奏者が音を奏でている。アップテンポの曲は今が最高潮の盛り上がりだ。マイクが悲鳴を下げた。人間泣かせの長い長い音の伸ばし。だが難なくハミィはこなしてみせる。拍手が沸き起こった。
    「みんな、今日はありがとう!」
     汗をびっしょりと掻きながらハミィは言った。
    「とうとうシークレットのラスト三曲です。一曲目はゲストのフェアリーPのリクエストにお応えします。ではフェアリーP、どうぞ!」
     バックでギターを構えていた小柄の男がニヤニヤしながらマイクを取った。
    「みんな知ってる? こいつさ、今でこそ歌い手やって人気出てきたけど、昔はこそこそボカロPやってたんだぜ? 全然伸びなかったんだけどな」
     え? そうなの? 俺はあっけにとられた。ハミィは歌い専門だと思っていた。同じように会場がどよめいた。一部の人間は知っていた、という風に落ち着きを払っていたが。
    「俺は好きな曲あるから消すなって言ったのにさ、こいつ全部消しやがって」
    「それは言うなって!」
     少々顔を赤らめてハミィは言った。オホン、とフェアリーPが咳払いし、続ける。今ならもっとうまく歌えるだろ? と。
    「それでは、昔のこいつの曲から一曲、リクエストします」
     フェアリーPがその曲名を口にした。
    「え?」
     俺は小さく、声に出した。ハミィがマイクを構え、横の奏者は鍵盤を叩くべく指を構える。キーボードが穏やかな音を奏で始める。それは追憶を誘う旋律だった。
     知っている。
     俺はこの出だしを知っている。
     高い空――。高速の歌唱で知られるハミィはゆっくりと最初のフレーズを口にした。


     高い空 君は見上げる
     澄んだ空 晴れ渡る空 広がるのは青い空
     けれど君は知っている そこには決して届かない
     君は見上げる 切り取られた空
     だってここは籠の中 茨の籠の中なんだ
     身動きがとれないよ 棘が僕を傷付ける
     ここからは出られないんだ


     昔、立ち上がれなくなったことがあった。起き上がれなくなって部屋から出られなくなって。
     引き篭もった俺は無為に動画ばかりを見て過ごしていた。


     高い空 君は見上げる
     泣いた空 雫降る空 広がるのは鈍色雲
     それは君の心のよう そこには決して届かない
     君は見上げる 切り取られた空
     茨の網が裁った空 籠の鳥は今日も鳴く
     身動きがとれないよ 棘が僕を傷付ける
     本当の空は見れないんだ

     ここは嫌いと君は鳴く
     僕もあそこに行きたいって
     けれど君は気付かない
     両に生えるはがねのつばさ

     高い空 今日も見上げる
     澄んだ空 晴れ渡る空 広がるのは青い空
     今日も君は憧れる 決して叶わぬ夢だけど
     君は見上げる 切り取られた空
     両のつばさ閉じたまま 茨の籠で今日も鳴く
     いつか広げたその時に 鋼の刃籠を裁つ
     本当はもう知っているんだ

     いつか広げる時がくる
     君に生えるはがねのつばさ


     立ち上がれなくなったあの時、ミミは歌った。
     あなたはどこにだって行けるんだよ、と。
     俺は気が付いた。
     いつだって俺は自由だったのだ。自由にしていい。どこに行ったっていい。
     俺は家を出ると決めた。
     俺は決めた。新しい場所で、新しい生活を始めよう。
     それでいつかはこんな曲を作りたい。
    「クロ、」
     袖で顔をぬぐいながら、腕に抱いたブラッキーに言った。
    「分かったよ。俺が欲しかったもの」

     ようやく分かった。
     俺が何を盗みたかったのか。


      [No.2741] 少年の帰郷(14)〜(17) 完結 投稿者:No.017   投稿日:2012/11/22(Thu) 22:26:07     153clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:クジラ博士のフィールドノート】 【少年の帰郷

    14.

     ブロロ、とエンジン音が鳴り響き、船は波を切り裂き進んでいく。数日前まで現役だった船は、持ち主が世を去ったことによりよもや引退かと思われた。だから船自体も誰かの手でこうしてまた海を走ることになるとは思ってもいなかったかもしれない。
     天気がいい。波が日光を反射してあちこちでキラキラと輝いている。アカリが後方を見るともう島はかなり小さくなってしまっていた。来るときと逆だ、と彼女は思った。
    「アカリちゃん、どう!? 何か見える!?」
     後方の操縦席からトシハルが声をかける。
    「ううん、だめ! 海しか見えない」
     と、アカリは返した。見えるのは青い空、流れる雲。そして碧く広がり波を打つ海ばかりだった。
    「ふうむ、もう少し進んでみよう」
     トシハルは応える。久しぶりに握る船の舵。それを掴む手の平に汗が滲んだ。心臓が高鳴っている。それをトシハルは感じていた。レバーをさらに前方に倒す。前方に注意しながら、彼は船を滑らせる。
     波を掻き分けしばらく南へ直進する。そして、トシハルは自分の視界の許す限りに注意を向ける。競争意識のようなものが働いた。船に乗って、海を見渡す少女はポケモンを扱うプロだ。だが、リーグで扱うほとんどは陸生のポケモン。彼女がホエルオーを持っているとは言え、水生ポケモン、それも野生ポケモンを見つけることに関する分はこちらにあるという気がしていた。負けない。負けるつもりは無い。そう思った。洋上にポケモンを探す訓練ならば、かつて飽きるほどにやっていたのだから。
     エンジンレバーを前倒しにしたまま船を進ませていく。バクバクと心臓が鳴り続けていた。まるで何かに目覚めるように。鳥にでもなったかのように見える視界が開いてゆく。それは劇的な感覚だった。ばたばたと身体に当たる風が血となり全身を駆け巡るように。
     十年の封印を破るように。
     波で船が揺れる、そのたびにトシハルの体が揺れる。船が揺れるその度に腹の底に沈めていた何かが浮かび上がってくるようだった。

    「おい、ボウズ。何してる」
     かつて炎天下の港に佇む少年に初老の男が声をかけた。
    「おじさん、誰?」
     島の少年はそう返した。彼は半分べそをかいている。今となっては友達と喧嘩をしたのか、はたまた母親に怒られたのかは定かではない。ただよく覚えているのは、逆光を背負うその男がえらく大きく見えたこと。それと声がなんだか怖いなぁと思ったことか。
     そうして「おじさん、誰?」という少年のその質問に男はこう答えたのだった。
    「私か? 私はな、クジラ博士だ!」

    「……」
     その男が近所に住んでいるカスタニという変人だと知ったのは家に帰ってからのことだ。なぜ変人なのかというと母親が変人だと言っていたからだ。「近所に住んでるカスタニって人、変わった人なのよ」と、言っていたからだ。だからトシハルの中でカスタニは変人だった。理由もなく変人だった。今は理由のある変人だと思う。
     それにしたってずいぶんな自己紹介だ。カスタニ博士は、カスタニとは名乗らず、クジラ博士と自ら言った。たぶん、島にやってきたときからそう言っていたんじゃないかと思う。カスタニ博士は決めていた。自らはクジラ博士である。そのように決めていたのではないか。今になってそう思う。

     大きな初老の男はしゃがみ、少年に目線を合わせると言った。
    「ボウズ、お前名前は?」
    「……トシハル」
    「トシハルか。奇遇だな。私の下の名前にもなトシって文字がついているんだ。もしかしたら同じ漢字かもしれないな」
     そう言って博士は少年の頭を撫でた。
     そうしてクジラ博士は次に言ったのだ。
    「トシハル、船に乗っていかないか。いいもの見せてやるよ」

     今トシハルは少女を乗せ、海を走っている。
     あの時に見た「いいもの」を少女と一緒に探している。

     クジラ博士に会って、船に乗せてもらった。
     そう夕食の席で告白したところ、母親は味噌汁を吹き出して、父親は喉に芋を詰まらせた。
     その場で「あの人おかしいのよ。近づいちゃダメよ!」などと言われた気がするのだが、少年は言うことを聞かなかった。博士のところに足茂く通うようになった。そうしているうちに母親は何も言わなくなった。
     何年か経って父が言うところによると「あの頃お前は友達いなかったからな。だから母さん、実は博士に感謝してんだよ」ということだった。
     そうだったろうか、と彼は首をかしげた。博士といる時間があまりに楽しかったから、そういうことはどうでもよくなった。忘れてしまったのかもしれなかった。

    「ほう! もう見つけたか。お前は筋がいいぞ!」
     途端に博士の声が聞こえたような気がした。

     波影に混じって浮かんだ影をトシハルは見逃さなかった。
    「アカリちゃん、いた! 南西方向! 350メートル! ホエルオー、ホエルコの混合群だ」
     とっさにトシハルは叫ぶ。東ばかりを向いていたアカリは反対の甲板に移った。トシハルがスピードを落とし、南西方向に船を傾ける。
     くじら達を脅かさないよう、ゆっくりと船は近寄っていき、50メートルほどまで距離が近づいた時点で、船を停めた。
    「これ以上はね、こっちから近寄らないルールなんだ。向こうから近寄ってきた場合は別だけどね」
     操縦室にあった双眼鏡を手にとる。アカリに渡してやった。鶏頭が身を乗り出してその方向に目を凝らす。まるで成人女性のようなサーナイトもゆったりと構え、彼らのブローの様子を眺めていた。
    「トシハルさん、あれは何番かしら」
     研究所の写真で見た個体識別のことをアカリが尋ねたので、トシハルは双眼鏡を受け取った。狭い視野から彼らの特徴を確認していく。
    「ホエルオーは三匹、ホエルコは五匹いるね。たぶんだけど、一番小さいホエルオーがサンロック――369番じゃないかと思う。15年くらい前に進化したやつだ。一番大きいのは彼女の母親。中くらいのがその妹だよ。それぞれ260番、263番。ホエルコはちょっとわからない。やつら識別が付けづらいんだ。たぶんサンロックの子どもか何かじゃないかと思うんだけど……」
     すると369番が潮を吹き上げた。まるで正解だとでも言っているようだとアカリは思った。
    「あ、こっちに来る」
     アカリが言った。バシャーモが髪を立て少しばかり身構える。ホエルオー達はゆったりと泳いで、30メートル程の地点まで近づくと、海に潜った。そうして船の下を潜り、50メートル離れたところでまた浮かび上がると去っていった。ピュイイッとピジョットが声を上げた。
    「ダイズのカメラ、持ってくればよかったかな」
     トシハルは呟いた。そういえば、と彼は記録するものを持っていないことに気が付いた。かつて海に出るときはいつも持ち歩いていたのに。
     ポケットを探る。あったのは会社の携帯電話だけだった。これが今の習慣だった。いつかかってくるかもわからないから常に持ち歩いているのだ。無論、この場所は圏外だったのだが、習慣とはそういうものだった。
    「…………」
     その瞬間に彼は現実に引き戻された気がした。
     強い海風が吹く。頭を冷やせというように。風に混じって自らの声がしたのを彼は聞いた。
     ――こんな所で何をやってる。お前はもう余所者なんだ。
     ――ここで一回記録をとったから何になる。
     ――さっさと気付け。お前はもうとっくの昔に愛想を尽かされた。見捨てられた。早く気づけ。
     ――お前が捨てたんだ。おまえ自身が選んだのだ。
     びゅうびゅうという音に混じるその声を確かに聞いた。
     あれだけ早くなった鼓動。それがいつの間にか元に戻っている。
    「……戻ろうか」
     と、トシハルはアカリに言った。
    「もう?」
     アカリは不満そうに声を上げた。せっかくいい感じなのに、と彼女は言いたげだった。
    「いや別にもう少し走ってもいいけどさ。日暮れまでは時間があるし」
    「じゃあ、もう少し。それに……」
    「それに、何?」
    「昔はよくこうしてたんでしょう。そうしたら何か思い出すかもしれないじゃない」
    「思い出す?」
     トシハルは呆けた返事をする。
     もーう、鈍いわねーという感じで、アカリはつかつかと近寄って来て顔を近づけると言った。
    「か・ぎ・よ。鍵穴のヒントよ。元々それを探しに来たんでしょ。何か忘れてることがあるのかも。こうしていれば思い出すかもしれないじゃない」
    「……、…………」
     トシハルは一瞬黙りこくった。
     それでは何か。この少女は己の楽しみのためでなく、今、目の前で話している相手の為に、ツグミトシハルの為に船を出させたとでも言うのだろうか。
    「……思い出せるわけないじゃないか」
     歯と歯の間から、言葉が漏れた。
    「もう僕は昔の習慣も忘れちゃってるんだ。思い出せるわけない。だいたい鍵穴なんてはじめからなかったんじゃないのか。あのとき君だって言ったろ? 博士に担がれてんだよ。鍵穴なんて無いんだよ! 最初から無いんだよ!」
     風が吹きすさんでいた。寒い、とトシハルは思う。寒い。ここから去れと言っている様に海は寒かった。もう海は自分のフィールドじゃあない。自分は海から歓迎されてなどいない。
    「諦めるの?」
    「諦めるも何も、最初から……」
     船が揺れている。絶えず動き続ける海。揺れているのは波か、船か。それとも。
    「……意気地なし」
     アカリが言った。
    「貴方はそうやっていつも逃げてるのよ。本当は怖いんだわ。確かめるのが怖いんだわ。博士から絶縁状突きつけられるのが怖いんだわ。博士はもう海の底だっていうのに、いまだに博士の影に怯えてる」
    「君に言われたくないよ」
     トシハルが返す。こうなるともう売り言葉に買い言葉だった。
    「君に言われたくないよ! 君だって逃げてきたじゃないか! 君達の世界から。トレーナーの世界から! 君のパパがどれだけ有名かなんて僕は知らないがな、君だって逃げてきたじゃないか! 君に言われたくない……君に…………」
     そこまで言って、しまったと彼は思った。頭に血が上った、と。けれどたぶんそれはその言葉が的を得ていたからで。でも返してはいけなかった。同じ言葉を返してはいけなかった。
     目の前で少女がうつむいている。その後ろで、バシャーモとサーナイトが睨み付けていた。
    「……ごめん」
     うつむいてトシハルが言う。
     最低な気分だった。あまつさえ年下の女の子に当り散らすなんて。だが、
    「……いいわよ。本当のことだもの」
     と、アカリは言った。
    「確かにあなたの言うようにしばらくあっちには戻りたくない。でもね、私、トレーナーであることはやめない。やめないわよ」
     自分の手持ちポケモンより小さな体から少女は声を張り上げた。
     まるで自分を奮い立たせるように少女は言った。
    「たしかに私は逃げ出したわ。今立っている場所が嫌で嫌で、逃げてきたの。でも、それでも資格が無いとは思わない」
     ずっと考え続けていた。島までの航路の間、ずっと。島についてからもずっと。
     一人のトレーナーとしての、自分の行き先を。
     そうしてたどり着いたのはシンプルな答えだった。
    「だって私、ポケモンが好きだもの。バトルだって好きだもの。ドキドキするもの! だから私はトレーナーでいられると思う。どこにいても、どこに行ってもトレーナーであることをやめないと思う」
     叫びが矢になって放たれた。それがトシハルに突き刺さる。
     ああ、この子はなんて瑞々しいのだろう――なんて強いのだろう。トシハルは思う。
    「だからトシハルさん、一つだけ聞かせて」
    「何だい」
    「あなた本当に、島を出て行きたかったの? ホエルオーの研究も嫌々やっていたわけ?」
     ドキリとした。少女の放った無数の矢。その一本が的の中心を射た気がした。
     鈍い痛みが胸を刺した。深く深く突き刺した。
     それはたぶん向き合う恐怖に抗う痛みだ。本当の気持ちと向き合う恐怖。矢を放ち追ってきた狩人を目の前にして彼は寒気を覚えた。
     捕まる。捕まえられて、毛皮をはがれ、丸裸にされてしまう。
    「どうしてそんなこと聞くんだい」
     トシハルは尋ねる。声は震えていたように思う。
     はぐらかそうとした。刺さった矢を抜かなくては。けれど矢を抜いたなら、きっと傷口からは血が吹き出すだろう。
    「どうなの?」
    「……そうだよ。僕はもう研究なんてしたくなかった。こんな島早く逃げ出したかった」
     そう言って矢を抜こうとした。
     けれど抜く前に矢がぼきりと折れ、矢は抜けなかった。矢じりは体に埋まったまま残された。
    「嘘つき」
     アカリの声が聞こえた。言葉という水が堤防を破って溢れ出す。
    「嘘つき。嘘つき……嘘つき!! 貴方って本当に嘘つきだわ。それが本当なら、待ち合わせ場所でホエルオーを探したりなんかしない。研究室でノートを読み返したりしない。私より早くホエルオーを見つけて、それが誰か見分けたりしない!」
     洋上に声が響き渡った。誰も見ていないなら耳を塞ぎたかった。痛い。胸に残った矢じりからじりじりと痛みがこみ上げてきた。
    「じゃあ、どうしろっていうんだよ」
     半ば投げやりな言葉を返すのがせいぜいだった。
     見えぬ傷口を押さえる。血が滲んでいる。
    「僕は博士から、研究所も、船も譲られなかった。とどのつまりはそういうことだろ。それが答えだろ」
    「それは違う。研究所が無いなら作ればいい。船だって手に入れればいいじゃない」
     少女は反論する。
    「博士は僕を許さないだろう」
    「許してくれなくたっていいじゃない」
    「僕には資格なんて無い」
    「そんなもの、初めからないじゃない!」
    「…………」
     トシハルはそこでしばし押し黙った。
     痛む胸に去来したのは博士のことだった。
     ああ、そうだ。資格など初めから無かったのだ。そもそもカスタニ博士が島に来た時からそんなものは無かったのだと。別に博士は誰かに資格を与えられたわけではなかった。ただホエルオーが知りたい。それだけの為にこんな辺鄙なところにやってきて、自らをクジラ博士と名乗った。船を買い、研究所を建てた。変人と言われて、嘲笑と好奇の目を向けられても、クジラ博士であり続けた。
     強い人だ。本当に強い人だと、そう思う。
    「……僕は強くない」
     トシハルは続けた。
    「……僕は博士のようにはなれない」
     博士のようにはなれない。あの人のように立派には出来ない。僕には出来ない。
     かつて少年は博士のようになれると思っていた。このままこうしていれば博士になれる、と。そう信じて疑わなかった。けれど少年は知ってしまった。
    「僕は博士には、なれない」
     繰り返すように。強調するように言った。アカリは言えない。博士になればいいじゃない、とは言えないはずだ。
    「そんなの、当たり前じゃない」
    「……え」
    「だってあなたは博士じゃないもの」
     今更何を言ってるのよ、とアカリは言った。
    「………………」
     トシハルは目を見開いて、まじまじとアカリの顔を見る。
     言葉の綾にひっかかったような、揚げ足をとられたような、ヴェニスの商人に出てくるという金貸しを演じているような気分になった。
    「そう、か……」
     と、それだけトシハルは言って、そして黙った。
     海を見る。心を落ち着かせて、言葉を咀嚼した。
     悩みに悩んでいると突然に天から啓示があることがある。わからなかった数式の解法が突如降ってきたような感覚、あるいは絡まった糸がほどけたような感覚。解いてみればなんでもない。複雑なように見えたそれはただの一本の糸だった。
    「…………うん、そうだな……」
     ぼそりと呟いた。君の言う通りかもしれない、と。
    「いや、初めからだ。初めからそうだったんだ」
     そうだ、そうなのだ。と、トシハルは妙な感覚に捉われた。
     何をこだわっていたのだろう、と。そんなこと前からわかっていたことのはずだ。今更だ。本当に今更だった。
     いや、待っていたのかもしれない。
     もう船は出されていて。自分の気持ちはとうに向こう岸についていて。
     ずっとずっと、誰かがそう言ってくれるのを待っていたのかもしれない。
     貴方はもう立っているじゃない。望む場所に立っているじゃない、と。
    「それに私ね、トシハルさんが弱い人だとは思わない」
    「どうして?」
    「誰かから離れるってことは、自由になるってことはさ、もうその誰かには助けてもらえないってことだから」
    「…………」
    「貴方にとって、博士がどれだけ大きいか、わかってるつもりよ。私にとってはたぶんパパがそうだから。だから、たぶん……だからこそ貴方は、博士から自由になろうとしたんだと思う。博士の名前のしがらみから。それで島を出ていった。私がそうしたように」
     一呼吸を置く。雲の流れる空をニ、三の大きな海鳥が通り過ぎてゆく。あの独特のフォルムはペリッパーだろうか。
    「トシハルさん貴方、バカだわ」
     ばっさりと切り捨てるようにアカリは言った。
    「極端とも言うわね。博士から逃れるために好きだったことまで何もかも全部仕舞い込んじゃった。そんな必要なかったのに」
     トシハルは十年を振り返る。
     思えばポケモンとは関わらぬ職業につき、コンテストにもリーグにも関心を向けなかった。否、向けないようにしていた。感情に蓋をした。
     触れる資格が無い。逃げ出した自分には資格が無い、そう思って。
     ……思い込んで?
    「僕は……」
     トシハルは洋上の船の上でつたない声を発した。
     彼の視界いっぱいに水平線が広がっている。空と海。青と碧。
     それらに彼は問いかけた。

     僕は。
     僕は、望んでもいいんだろうか。

     やり直してもいいのだろうか。
     それは許されることなのだろうか。
     無いものは手に入れていけばいいだろうか。
     それでいいのだろうか。

     青と碧は答えない。
     空はただ淡々と雲を流していく。海はただ波を起こして、船を揺らし、船体を叩いている。眠っている子どもを起こすように、太鼓のように叩いている。
     空と海は答えない。けれども決して否定もしない。
     胸に刺さった矢じりは抜けないままで、まだ痛みがあるけれど、いつの間にか風は穏やかになっていた。
    「そういえば朝見たテレビでね、戦隊ヒーローが言ってたわ」
     しばし黙っていたアカリが口を開き、言った。
    「何て?」
    「望むものは与えられるものじゃない。自分の力で手に入れろって。黒いのがカッコつけて言ってた」
     子ども番組って意外と侮れないわよね、と続ける。
    「もしかしてそれ、ブイブラック?」
     トシハルは咄嗟にピンときて、尋ねる。
    「そう、それよ。トシハルさんも見てたの?」
     意外だわ、と言いたげにアカリは返した。
    「いや、今朝は見てはいないけど、昔見てたから。君と会った日にリメイクされてるってたまたま知って。だからそれかな、と」
     そうだ、たしか昔の放送にそんなものがあった、とトシハルは思い出していた。
     いつもバトルに負けてばかりの男の子は、怪人フーディーニの薬で頭脳明晰なトレーナーになる。けれどかわりに洗脳され、悪さばかりするようになってしまった。町中に洗脳を広げる怪人をブラックがやっつける。そうして洗脳が解け、我に返った少年少女達にブラックは言ったのだ。
     望むものは自ら手に入れろ、と。
    「ブイブラックかっこいいよな。クールでさ。僕はブイレンジャーの中じゃブラックが一番好きだったんだ。でもね……ごめんアカリちゃん」
     トシハルは申し訳なさそうに言った。
    「へ?」
    「そいつ、裏切り者。最終回の五回くらい前で敵のスパイだってわかるんだ」
    「…………え。ええ!?」
    「僕ァ、ショックだったな。一週間くらいは立ち直れなかったよ」
     そう、ブラックには秘密があった。ブラックは敵の送り込んだスパイだった。ブラックの暗躍によって、戦士達の組織は壊滅的な打撃を受けたのだ。
     懐かしい日のことをトシハルは笑いながら語った。今だからこそ笑って言えるけれど、当時は大真面目だった。最終回でブラックと仲のよかったブイパープルが彼を許すけれど、トシハルはどうしても納得がいかなかった。
     なんであんな奴を許すの? 裏切り者なんだよ。奴は裏切り者なんだ、悪い奴なんだ。
     許しちゃいけないんだ。絶対に許しちゃいけないんだ。
     そんなことを一生懸命に博士に訴えた気がする。思いの丈をぶつけた気がする。ブラックが好きだったからこそショックでショックで仕方なかった。
    「博士に言われたよ。お前は変なところで真面目だよなぁって」
     トシハルは苦笑いを浮かべた。
    「続き、行こうか」
     トシハルは再び操縦席に立つ。再びエンジンレバーを握り、前後左右を確認しようとした。
    「ん?」
     そこでトシハルは声を上げた。アカリのバシャーモにサーナイト、そしてダイズまでもが皆同じ方向を向いて、視線を集中させていたからだった。そうして気が付いた。進行方向の右側。南西の方向に巨大な影が浮かんでいることに。
     どくん、と心臓が高鳴った。
     近い。しかも大きい。相当に大きい。
     それは、ざばぁと音を立て水面に姿を現した。横半身を見せて、頭から始まり上半身、下半身を見せて反ってみせる。最後に巨大な尾鰭が見えて飛沫を上げ、海に潜った。
    「アカリちゃん!」
    「わかってる」
     エンジンを前に倒すのをやめ、トシハルは急ぎ、船の先端へ走った。
     双眼鏡を受け取る。時間を経て再び浮かんできたうきくじら。その特徴をくまなく確認する。
    「何番?」
     とアカリが尋ねた。
    「……わからない」
    「わからない?」
     トシハルの答えに彼女は訝しげな声を上げた。
    「見たことが無い個体だよ。普段はもっと外洋にいるのかも……」
    「大きいわね」
    「ああ、大きい。何メートルくらいだろう」
     観察個体が去っていく様子は無い。うきくじらはまた、海面にわずかにその姿を見せた。頭から潮を吹く。今度はぷかりと浮かび上がり、その上半身が姿を現す。まるで島が姿を現したようだ。くじらの背中から水が落ちて引いてゆく。
    「22、23…………いや……25メートルはあるんじゃないか?」
     トシハルは船から落ちそうなほどに身を乗り出して、その姿を目で追った。
    「すごい! こいつは大物だよ。下手すれば記録上一ば…………」
     そう言い掛けて、彼は言葉を飲み込んだ。
     身体の中でカチリ、と音がした気がした。
    「……いや……違う。こいつは二番目だ。だって一番は………」
     次いで、ドボンと海に何かが落ちるような鈍い音がした気がした。頑丈な南京錠がはずれて水の中に落ちたような音だった。
     双眼鏡を目から外す。アカリと目があった。トシハルは突如冷水をかけられたかのような顔をしていた。
    「どうしたの?」
    「……思い出した」
    「何を」
    「博士縁(ゆかり)の場所だよ。……もう一つ。もう一つだけある」
     トシハルの中に遠い日の、暑い日の記憶が蘇った。鮮やかに、鮮やかに蘇った。
     まるでタイミングを待っていたかのようだった。
     島を出たあの時に思いを封じてしまったからだろうか。だから、いつのまにか仕舞いこんで鍵をかけてしまったのかもしれなかった。
     馬鹿な話だとトシハルは思った。
     どうして忘れていたんだろう。あれほど強烈なことを、どうして忘れてたんだろう。
     不意にホエルオーと目があった。その巨大なホエルオーはもう一度体を反らすと海に入り、ゆっくりと去っていった。まるで用事は済んだ、と云わんばかりに尾鰭で海面を叩くと、悠々と泳ぎ去っていった。
     
    「おうい、ミズナギさん」
     海がオレンジ色に染まりかけていた。所用で港にやってきたミズナギに、体格のいい老人が声をかける。
    「あ、これはどうも」
     振り向いてミズナギが挨拶をすると
    「トシば見かけんがったか」
     と、町長は尋ねた。
    「さあ、今日はお会いしていないですね。たぶんアカリさんと一緒なのかと思いますが」
    「いやそれがな、研究所で探し物があるからっつうんで鍵貸してやったんだが、戻らんのだわ。研究所にもおらんしのー」
     ふーむ、困ったというように顎を指で挟み、町長は首をかしげる。
     そんな町長の様子をミズナギはしばらく見ていたがやがて思いついたように言った。
    「ああもしかしたらその鍵、もう一つ別の鍵がついていませんでしたか」
    「おう、ついてたぞ」
    「じゃあきっとそれです」
     ミズナギは町長を連れ、小型船舶の並ぶ船着場を歩いていく。そうして一つだけ船の抜けた箇所を発見した。
    「ほら。博士の船がなくなってる」
     ミズナギが言った。ぽっかりと空いたその場所で、海面がゆらゆらと揺れている。
    「はーそういうことか」
     町長もやっと状況を把握したらしく、納得したように声を上げた。
    「アカリさんも一緒かな。彼女も今日見ていませんし」
     ミズナギが付け加える。
    「何。てーと、トシはあのめんこい子とクルージングか。やりおるの」
     ふむふむと町長は唸った。
    「まあ別にそういうのではないと思いますけど」
     ミズナギはフォローを入れたが、町長が聞いているかどうかはわからなかった。
    「しかしちょっと困ったことになりましたね」
    「困る? 何がだ」
    「町長、天気予報見なかったんですか。今日の天気、昼間は晴れですけれど、夜から降るって言ってましたよ。風も強いって言うし海が荒れないといいのですが」
    「いぐらなんでもそれまでには戻るべ」
    「まあ、それはそうですけれど。でもトシハル君って島育ちのわりに天気に疎いから。昔遭難したことあったじゃないですか。台風に巻き込まれて」
     それに運転だって久しぶりだろうに。
     ミズナギは心配そうに水平線に目をやった。

     エンジンが最大の唸りを上げる。波を切り裂き飛沫を上げながら船は一直線に走っていく。
     エンジンレバーを最大に傾けて、トシハルは南へ急いだ。
    「どこに行くの!?」
     操縦席の横で船の揺れと格闘しながら、アカリが尋ねる。
    「沖ノ島だよ」
    「沖ノ島?」
    「フゲイタウン管轄の離れ小島でね、南にあるんだ。無人島だから島の人間もめったに行かないけれど」
     興奮した様子でトシハルは言った。
    「そこに何かあるの」
     アカリは続けざまに尋ねる。懸命に髪を抑えていた。船のスピードによる強風。両脇に伸ばした前髪が激しくたなびいている。
    「そうだ。あそこにはヤツがいる」
    「ヤツ?」
    「ホエルオーだよ。フゲイ島周辺海域の観察史上最も巨大なホエルオーだ」
     トシハルは前方に目を凝らしながら、続けた。
     ホエルオーの名は、島(しま)鯨(くじら)。
     番号でない、特別な個体。
     浮鯨神社の神様の名にちなんで僕達はその個体をそう呼んでいる、と。
     波を裂きながら船は走り続ける。
     やがて、太陽が西に沈み始め、海が、空が、水平線がオレンジに染まり始めた。同時に海を漂う空気が湿気を帯びてくる。
     だが、船は引き返す様子が無い。ただ真っ直ぐ一直線に南へ向かい走っていった。











    15.

     沖ノ島。
     フゲイタウンのあるフゲイ島よりさらに南下した場所にある孤島。
     トシハルの生まれるもっと昔にはサトウキビや木の実を栽培していたこともあるらしい。が、島の畑の後継者がいなくなってからは住む者がいなくなってしまったのだと聞いていた。
     沖ノ島が見えてきたのは、水平線から日の赤が消えかけて、夜になろうという頃だった。
     フゲイ島に比べても簡素な船着場だ。数えるほどの船しか泊まれそうに無い。
     トシハルはエンジンレバーを後ろに引き、減速を始める。きれいに着岸するとロープを巻いた。真っ先に鶏頭とアカリが降り、ついでサーナイトが降りた。最後にトシハルとダイズが続く。
    「バク、あなた顔色悪いわよ」
     アカリが言った。顔が赤いのと暗かったせいで顔色といわれてもトシハルにはさっぱりわからなかったが、まぁトレーナーの彼女が言うからそうなのだろうと彼は思った。
    「船酔いかしらね。ずいぶん揺れたもの」
     彼女は続ける。酒に弱い。船にも弱い。この子、本当にパーティの要なのかしら、とアカリは勘ぐりだす。酒の席と同様にケロリとしているサーナイトとは対照的だった。
    「モンスターボール、入る?」
     ボールをちらつかせると鶏頭はぶんぶんと首を振った。
    「そういうところがかわいいのよね」
     少女は満足そうにニヤニヤすると、ボールをしまった。そうして新たに二個のボールを取り出すとグラエナとライボルトを繰り出した。
    「いいこと。宝探しよ」
     アカリはふんふんと鼻を鳴らす黒と青の獣コンビにそう言った。

     島鯨。一番大きなホエルオー。
     沖ノ島までの航路を走る間、トシハルはアカリに語った。
     十数年前、島の漁師が巨大なホエルオーを発見したのだ、と。
     全長約30メートル。記録された中では最大の個体だった。
    「けど、一つだけ残念な点があった」
    「残念?」
    「そいつはすでに仏様だったのさ」
     島の漁師が発見した巨大ホエルオー。
     それはすでに息絶えた後だった。
    「まぁそれでも運がいいよ。ホエルオーは死んで間もなく沈んでいってしまうんだ」
     もちろんカスタニ博士は大いに興奮していた。
     言うまでも無く博士は陸に上げてそれを調べようとしたのだが、何せ大きい。解体して調べようにも時間がかかるし、腐臭がしてはまずいというので、フゲイ島ではなく沖ノ島でそれは行われることになった。この場所ならば誰にも迷惑をかけることはなかったから。
     沖ノ島の一番広い海岸。島民の協力も得て、巨大ホエルオーの亡骸をそこに引っ張り上げた。全長を測り、分厚い皮膚を苦労して裂いた。中のものもいろいろ調べて、満足いくまで記録をとった。
     そうして記録をとった後にその巨体は砂浜に埋められた。
    「埋葬したってこと?」
    「いや。骨格標本にするためさ」
     生物の骨格標本を作るにはいくつかの方法がある。薬品で煮る方法、虫に食わせる方法……だがホエルオーは大きすぎてそれらの方法は使えない。だから埋めて、自然分解を待つ。肉を腐らせ、微生物による分解を待つのだ。
     そうして骨だけになった時を見計らい、堀り出す。たしかそういう手はずになっていた。
    「あの時は賑やかだったな。カイナの海の博物館もそうだけれど、カントーやジョウトの博物館からも研究員が何人も来た。カイナの館長なんか標本が出来たらぜひ譲って欲しいって直々に交渉しに来たくらいだった」
    「結局、どうなったの?」
    「わからない。確認していないんだ。あれだけの大きいホエルオーを埋めて、完全に骨にするには何年もかかるから。僕は掘り出したところまで確認していない」
     トシハルは知らない。掘ったのか、それとも未だ砂の中なのか。
    「どこかの博物館に巨大な骨が寄贈されたという話も聞かない。僕が知らないだけかもしれないけれど」
    「ということはつまり」
    「ヤツはまだ島にいる。その可能性が高い」
     トシハルの舵を握る手に力が入った。
     正直なところ鍵との関連はよくわからなかったが、そんなことはこの際どうでもよくなっていた。
     自身の目で見届けていないそれをこの目で確かめてみたい。そう彼は思ったのだ。

    「こっちの大きい道はサトウキビ道。道なりに歩いていくと昔のサトウキビ畑に出る。今は草が生えてるだけで何も無いけどね」
     陸側に続く道を指差してトシハルは説明した。
    「砂浜はこっちの細い道」
     人気の無い島を彼らは海沿いに歩く。元来たほうには海があり、陸側には林が鬱蒼と茂っている。そうしている間に日は落ちる。虫や小さな蛙の合唱で島は騒がしいけれど、すっかりあたりは暗くなってしまった。
    「エリーゼ、ラーイ。フラッシュ」
     と、アカリが指示を出した。一瞬何かの呪文かとトシハルは勘違いしたが、ポケモンのニックネームと技名だったらしい。サーナイト、それにライボルトがまばゆく光るエネルギー体を作り出した。
     便利なものだとトシハルは感心した。こちらの位置を知らせることによって下手に危険な野生ポケモンとも遭遇しまい。
     光球を連れた二匹を前と後ろに配置して、彼らは隊列を組み、歩いてゆく。後ろのサーナイトが光球を手の上で浮かせるようにし、先頭のライボルトはそれを口でくわえた。それに質量があるのかは定かでない。不思議な技だとトシハルは思う。ライボルトが空気中を嗅ぐようにしきりにふんふんと鼻を鳴らしている。落ち着きの無い様子だった。
    「ここだ。この砂浜だよ」
     しばらくの行進の後にトシハルは言った。
     ゴツゴツとした岩の転がる緩やかな坂を慎重に下りる。砂浜に足を下ろすと、彼は駆けた。急きすぎて途中で一度転んだが気にする様子は無い。砂浜のその中心に向かい、走っていく。
     半月の形をした砂浜の真ん中。それが巨大ホエルオー、島鯨の身体を埋ずめた場所だった。
     砂を一掴み手に握った。指と指の間から砂がこぼれてゆく。
     あたりを見回す。比較的大きな流木を見つけ、それを浜に突き刺した。
    「掘るの?」
     と、後から追いついてきたアカリが尋ねる。
    「道具が要るな」
     と、トシハルは答えた。記憶を手繰り寄せる。陸側にしばし歩いた先に調査時に建てたプレハブがあるはずだった。そこに行けばスコップなどの道具が残っているかもしれない。
    「一応、ロボが覚えているけれど。穴を掘る」
     隣で尻尾を振る黒と灰のポケモンを見て、彼女は言った。
     ハッハッと息を吐きながら、ロボと呼ばれたグラエナはアカリを見上げる。目は爛々と輝き、尻尾を千切れるほどに振り続けている。
    「そうかい。それなら……」
     お願いするよと、トシハルは言いかけた。
     が、彼がそう言葉を発する前にポツリと冷たい何かが頬を打った。
    「雨?」
     彼がそう問いかけると同時に一気に雨粒が降り出した。
     頬に、腕に粒が当たる。時を待たずして周囲がザアザアという音に包まれる。小雨などという曖昧な状態を経ずに、天気は一挙に大雨に転じた。
    「うわッ……ラーイが落ち着かないと思ったら!」
     手の平で雨から顔を守るようにし、アカリは空を見た。そうなのだ。さっきからやけに暗いと思っていた。空には星も無いし、月もない。
    「向こうにプレハブがあるはずだ」
     と、トシハルが言った。一行は慌ててトシハルを先頭に走っていく。雨水を吸い込んだ砂浜がざくざくと音を立てた。
     雨の勢いがますます加速する。暗い空からもたらされる雨はたちまちに彼らの衣服を濡らし、陣地をとるように侵攻した。ほどなくして、衣服に乾いた部分はなくなって、濡れた生地がしわを作りながらぴったりと体に密着した。靴の中もぐしょぐしょになり、一歩を踏み出すごとにぐちゅぐちゅと嫌な音を立てる。
     雨粒はトシハルのかける眼鏡も水滴だらけにする。やがてそれは雨の日の窓のように流れ出す。眼鏡だけではない。やがてぐっしょり濡れた髪からも水滴が流れるようになり、トシハルの顔に、目にとめどなく流れた。こうなると視界が悪い。
     海岸をぬけて、林の中の荒れた道をゆく。まるでシャワーを浴びているかのように木々の肌からも水滴が流れ続けている。
     流れ込む雨粒と戦いながらトシハルは少女と共に建物を探す。
     最初に声を上げたのは、アカリのライボルトだった。光球を口にくわえたまま、低い唸り声を上げた。
    「あった。プレハブだ」
     とトシハルが視界の悪いその先を見て言った。
     一同は走る。鍵はついていない。初めにその扉を開いたのはアカリだった。だが、中に入ってすぐに彼女は言った。
    「トシハルさん、これはダメだわ」
    「どういうこと?」
     そう尋ねてトシハルも中を見る。そうしてすぐに理解した。
     サーナイトの光球が照らした部屋の中に大量の雨粒が降り注いでいた。あちこち雨漏りをしている程度ならまだよかった。が、その惨状はそんな生易しいものではなく、風雨がそのまま上から吹き込んでいると言ったほうが適切だった。
     放っておかれた十数年の間、南国につきものの台風にくれてやってしまったのだろうか。屋根には大きな穴が空いていて、原生林と暗い空がその上にあった。かろうじてくっつき残っている屋根も地面に向かってお辞儀をし、今や床に水を運ぶだけの雨どいとなってしまっている。
    「船に戻る?」
    「いや、それは危険だと思う。かといって他に雨宿りできるとこなんて……参ったな」
     ダバダバと雨に晒されるだけの朽ちた床を見てトシハルは言った。下手に踏み込めばめりめりと音を立てて底が抜けるかもしれなかった。
     雨が降り続いている。穴が開いたぽっかりと空いたプレハブの屋根を呆然と二人は見つめた。
     彼らの意識が他へ向いたのは、グラエナとライボルトの二匹が少し離れた所からけたたましく吼えたのを聞いてからだった。
    「ワンワン、ワン!」
    「バウ、バウゥッ!」
     声に気が付いてトシハルとアカリはプレハブの外へ飛び出した。
     林の荒れた道の、さらにその先。灯りが一つ揺れている。ライボルトのフラッシュだった。
     灯りに誘われるように走っていく。細い道を抜けると林が開けた。
     舗装されぬ荒れた道ではあったが、ずいぶん広い。かつての島の住人が開いたサトウキビを運ぶ道路だった。船着場で別れた二つの道。ここがその合流地点だった。
    「あれ?」
     開けた視界の先を見て、トシハルは声を上げる。
     道の先に広がるかつてのトウキビ畑。今は草が生え放題のその草原。そこにミナモの港にいくつも並んでいそうな大きな倉庫のような建物がひとつだけ、ポツリと雨の風景の中に溶け込んで、建っていた。グラエナ、ライボルトが交互に吼え続けている。トシハル達が走り寄り、二人とポケモン達は合流する。
    「なんだこれ……昔はこんなものなかったはずだけど」
     トシハルは呟いた。だが、一方で安堵した。これほどに堅牢な建物ならば雨宿りくらいわけはないはずだ。
    「入り口は……」
     道の前にあるシャッターは硬く閉ざされていて、開きそうに無い。彼らは倉庫をぐるりと回って入れる場所を探した。建物をぐるりと一周するように歩くと裏に小さな通用口を見つけた。
    「鍵、閉まってる……」
     ドアノブをガチャガチャと回してアカリは言った。
    「……壊そうか」
    「いやそれはちょっと」
    「ブレイズキックなら一発よ」
     びしょびしょになった頼りなさそうな鶏頭を指してアカリは物騒なことを言い始める。鶏頭がぶるぶると全身を震わせて、水を払うと手首から炎を出して構える。雨の中にも関わらず、炎がほとばしるのはさすがチャンピオンのポケモンか、などとトシハルは思ったが、
    「いやちょっと、待てよ!」
     と、考え直し彼らを制止する。
    「雨宿りにはかえられないわ」と、即座にアカリは言った。
    「一晩もこんな状態なんて私いやよ。トシハルさんが開けられるなら別だけど」
    「いや、それは……鍵なんて持ってないし」
     トシハルは言葉に詰まった。建物の存在も知らなかった自分が通用口の鍵なんて持っているわけも無いと思った。だが、
    「……鍵?」
     トシハルとアカリは顔を見合わせた。
    「まさか」
    「それで開かなきゃ、破るだけだわ」
    「……わかった」
     トシハルは濡れたポケットの底にある封筒を取り出した。丈夫な紙で作られたその封筒は水をたっぷりと吸っていたが破けてはいない。折りたたんだ封筒を開き、中から鍵を取り出す。ドアノブにそれを差し込み、回した。
    「……回った」
     キイ、と内側にドアは開き、彼らを中に招き入れた。水滴を床に垂らしながら彼らはなだれ込んでいく。
     が、倉庫に入った次の瞬間に、二、三歩を踏み出してトシハルは立ち止まった。
     続くようにして入ったライボルトのフラッシュが倉庫の中を照らした時に。
    「どうしたの?」
     と、アカリが尋ねる。が、すぐに理解した。
     中には既に先客がいることに気が付いたからだった。
     それはあまりにも大きすぎて、何であるか理解するのに数秒をアカリは要した。そうして理解した。見えていたのは先客の一部。尻尾だった。
    「…………島鯨だ。間違いない」
     トシハルが言った。
     あまりに巨大なので、頭のほうまでその光は届かなかった。
     フラッシュが闇を照らす。それが闇の中に横たわる巨大な骨を照らしていた。





    16.

    「びえーっくしょん!」
     トシハルが巨大うきくじらの肋骨の下、盛大にくしゃみをした。
     寒い。だが濡れた身体を乾かさなくてはならないのでそこは我慢した。
     彼らは今、二手に分かれて濡れた体と服を乾かす最中だった。

    「トシハルさん、私が出てくるまでこっちきちゃだめだからね!」
     広い倉庫に少女の声が響き渡る。倉庫の端に積まれたコンテナの影に隠れてのアカリの台詞だった。コンテナの後ろで光が漏れ、その前で鶏頭が腕組みをしている。
    「何言ってんだよ! 言われなくても見たりしないよ! こっちも服絞るからしばらく出てこないでくれよ」
     トシハルが反対側の端で、服を絞りながら言った。ダバダバと水が落ちる。
     その傍らにはアカリから貸してもらったライボルトが光球を口にくわえながらものすごく嫌そうな目を向けていた。目つきの悪いライボルトだったが、アカリいわく女の子とのことだった。
    「あーあ。靴もズボンもかわかさなきゃだめだな。これは」
     トシハルはズボンを脱ぐ。トランクス一丁の情けない姿になり絞る。また水が落ちる。
    「ダイズ、かぜおこし頼む。軽くな」
     そのように依頼すると、ピジョットが片翼を使ってうちわを仰ぐようなしぐさをした。びゅうっと風が吹く。彼はそこで盛大にくしゃみをした。
    「ダイズ、もう少し弱く。そうそうそれくらい」
     ピジョットにそんな贅沢を言いながら、今度は髪を乾かす。冷たい風だからなかなか乾かない。またくしゃみをする。
    「すいません。ちょっと借ります」
     そういって巨大ホエルオーの前鰭に上着を引っ掛け、靴を引っ掛けた。ぽた、ぽたと靴の先から雫が落ちる。ズボンを干せないのは無念だが仕方あるまい。これ以上水が出ない程度によく絞った後にトシハルはそのまま履くことにした。上半身は許してもらうにしろ、この状況で履かない選択肢はない、と判断した。
     ライボルトと共に歩く。倉庫から数少ない資材を探したところ、ダンボールのようなものは見つかった。もう少しまともなものが残っていてもいいのに、などと思いながら、二、三枚下に敷き、座る。
    「まぁ、コンクリート直寝よりはいくぶんかいいか」
     トシハルは呟いた。少なくとも雨が上がるまではここで過ごさなくてはならない。天井から雨打つ音、ガタガタと風の鳴る音が響いてくる。ダイズがぴょこぴょことトシハルに近寄り、隣に座った。
    「ダイズ、お前本当は知ってたんじゃないのか。鍵のこと」
     トシハルがそう言うとピジョットは彼を見、首をかしげた。
    「とぼけてるのか? 本当に知らないのか? まあ、いいけどさ……」
     そこまで言うとトシハルはもう追求しなかった。
     おそらくは骨を掘り出したことは知っていたのだろう。だが、それの学術的価値や意味はダイズに理解できなかったに違いない。博士が骨を掘り出して、この場所に収めた。それを言葉にして表現する力を彼は持っていない。博士がダイズが知らない間に鍵を作った可能性もあった。
     ミズナギは知っていたのだろうかとも考えを巡らせた。彼のことだから骨を掘り出す手伝いくらいはしたのだろう。だがそこまで考えてもういいや、とトシハルは思った。
     知りたかったのは鍵を開けたその先だ。それがわかったなら、それらはすべて些細なことなのだ。
     伏せていたライボルトが顔を上げ、立ち上がった。コンテナの裏からアカリが出てきたからだった。バンダナはしていなかったが、赤い服はしっかりと身につけていた。
    「もう乾いたの?」
     ポケモンをぞろぞろ引き連れてやってくるアカリにトシハルが尋ねると、
    「速乾性なのよ。最近のトレーナー用品ってよく出来てるの」
     と、返された。トレーナーの旅の大きな悩みのひとつが洗濯だ。だから衣服は日々進化しているのだと彼女は言う。リーグの賞金を使って、以前着ていたものと同じデザインでオーダーメイドしたのだと説明した。
    「そりゃあ研究者にも喜ばれそうだな」
     トシハルが返す。
     アカリはポーチから、モンスターボール程度のカプセルを出すと、中身を取り出して栓を抜いた。するとそれはみるみるうちに膨らんで寝袋になった。さすがは野山を歩き回るトレーナーである。準備の仕方が違っていた。ぼすん、とアカリがその上に座る。ポケモン達が隣に座ったり、足元に擦り寄ったりした。よしよし、とアカリがグラエナを撫でてやる。
     海の上で少女は言った。ポケモンが好きなら、バトルが好きなら、自分はトレーナーでいられる、と。トシハルはその言葉を思い出していた。
     いずれ島を発つであろう彼女がどこへ行くのか。それをトシハルは知らない。けれどその言葉の通りに彼女はトレーナーであり続けるのだろう。
     トシハルは後方に手をつくと、再び巨大ホエルオー、島鯨の骨格を見上げた。同じようにダイズやアカリ達もそれを見上げた。暗い倉庫の中、光に照らされた巨大な顔の骨。それを短い首が支えてる。それはやがて背骨となり尾まで続いてゆく。その間に巨大な肋骨が半円を描くように、何かを掬い上げるように伸びている。
     博士の手により既に掘り出されていた全身骨格。まるでそれ自体がひとつの建造物だった。その中に収まってしまう自分達はまるでホエルオーの血肉か内臓になってしまったかのように思われた。
    「大きいな」と、トシハルが言う。
    「うん、大きい」と、アカリが答えた。
     トシハルは思う。いつの頃からか人は数字という概念を発明し、使い続けてきた。それは自分達がポケモンという生物を認識する為にもしばしば用いられてきた、と。図鑑で名前の次に挙げられるのは、ポケモンの高さ、そして重さなのだから。
     一匹、十匹、百匹、千匹。10メートル、20メートル、30メートル。1キログラム、10キログラム、100キログラム。数や長さ、重さを言葉だけで言うのは簡単だ。だがそれだけでは、単に口に出すだけでは実感を伴わない。だから数字を知っているだけでは、大きさを知っているとは言い難いのだとトシハルは思う。
     実際に対峙して、ちっぽけな自らと比較したときに、人は数字の実際を理解する。その数の多さ、大きさ、重さを理解する。ちょうど傍らの鳥ポケモンに触れたその時、はじめてその暖かさ、感触、匂いがわかるのと同じように。
     一番大きなポケモン、ホエルオー。
     けれどそれが大きいと知っている者は少ない。
     皆、14メートルという数字だけは知っている。けれどその大きさまでは、知らない。
    「トシハルさん、これからどうするつもり?」
     不意にアカリが尋ねた。
    「君こそ、どうするんだい」
     トシハルが返す。
    「もう決めてるくせに」
    「そっちこそ」
     鼓膜に響く雨の音。ポケモン達のフラッシュが消えたのが先か、トシハルかアカリが瞼を閉じたのが先か、それは両者とも覚えていない。
     雨が降り続いている。いつ止むだろうか。もし明日が晴れならば、シャッターを開けてみよう、そんなことを考えながらトシハルは眠りに落ちていった。

     …………。

     ……。

     はっと彼は目を開く。
     エンジン音に気が付いて、目を開いた。
     気が付くとトシハルは船の甲板に立っていた。博士の船の甲板に。ああ、たぶんこれは夢だな、とトシハルは思った。昔はよくあった。明日船に乗るぞと博士に言われると博士の船に乗っている夢を見る。
     けれど洋上になかなかホエルオーが見つからなくて。うまくいかなくて。焦っていると、起こされる。朝を迎えているのだ。
     海風が吹く。船は猛スピードで洋上を進む。
     デッキのほうから誰かと誰かが話す声が聞こえて、トシハルは近づいていく。
     覗いてみると二人の人物がそこにはいた。一人は船の舵をとり、一人は双眼鏡を持って、海を覗いていた。
    「どうだトシハル見えるかー」
     舵を持つ男が、双眼鏡の少年に尋ねる。
    「見えないですねぇ」
     そこにいたのはカスタニ博士、そしてかつての自分だった。
    「うーむ、今日は不漁だなぁ」
    「そうですねぇ」
    「飯にするか」
    「そうしましょう」
     師弟は軽妙なノリと共に、提案と同意を交わし、船は停まった。彼らは洋上で昼食を摂り始めた。今日の昼食はトシハルの母が持たせた弁当だった。師弟のそれぞれが島自生の植物の葉の包みを取ると、海の幸の詰まった具の入ったおにぎりが、三つほど並んでいた。
    「ダイズ、おいで」
     と、クジラ博士の弟子が言う。
     デッキから一匹のピジョンが降りてきて、弟子のおにぎりを一つ、つつきはじめた。
     彼らはしばしの間、食事に集中した。
    「トシハル、ホエルオーとは、何だと思う」
     不意に博士が、口をもごもごさせながら弟子に問うた。
    「…………何なんでしょう」
     口にご飯粒をつけた頼りない弟子は返して、ピジョンのダイズが首をかしげる。少しくらい考えろよともトシハルは思ったが、いかんせん博士の問いかけも抽象的過ぎる。
    「ホエルオーとは……」
     と博士は続けた。
    「ホエルオーとは?」
     弟子がオウムがえしする。
    「ホエルオーとは、…………ロマンだ」
    「……はい?」
     弟子とトシハルは同時に突っ込んだ。
     だが、大真面目な顔で博士は続けた。
    「なあ、トシハル。私はなんであの日、129番水道でホエルオーなんて見てしまったんだろうなぁ」
     と、彼は続けた。
    「おかげで私は知ってしまった。自分はひどく小さく、弱い生き物だと知ってしまった」
     どこかで聞いたような台詞だとトシハルは思った。
    「狭い世界の中でつまらんことにこだわって、虚勢を張って生きていたんだと知ってしまった。自分が一生懸命追いかけてきたものが急に馬鹿らしくなってしまったんだ」
     博士はおにぎりをすべて口に入れると、葉を丸め、海に投げ捨てた。
    「ホエルオーはデカい。バカみたくデカい。そのデカさは人の価値観を変えちまう。人間のどんな業績も名誉も、こいつの前にはかすんじまう。実にくだらん。俺はこいつに出会ったとき、自分のいる世界が、自分の抱えているものがどうでもよくなっちまった。私は決めた。私は、私の残りの人生をかけて、とことんこのホエルオーってやつに付き合おうと決めた」
     トシハルはどきりとした。博士がトシハルを見た。
     傍らでおにぎりをほおばるクジラ博士の弟子でなく、トシハルのほうを。
    「忘れるなトシハル。この島に生まれたお前にとってホエルオーはただの隣人で、当たり前に存在している者で、ただの近所に生息している生物、すなわちそれはお前にとって単なる日常でしかないのかもしれないが、ホエルオーの大きさを知っているお前は、そうでない者達よりはるかに多くを知っているのだということを」
    「博士、」
     と、トシハルは口に出した。

    「博士、僕は――――」


     …………。

     ……。

     トシハルは再び目覚める。
     ああ、そうか夢だったのか、と彼は思った。いや、夢だとわかっていたのだがいつのまにか前提を忘れていたのだ、と。
     隣を見るとアカリとそのポケモン達、そしてピジョットのダイズが立っていた。
    「おはよう。トシハルさん」
     と、赤バンダナの少女が言った。
    「もう寝てるのは貴方だけよ」
    「ああ、ああ。ごめん」
     と、トシハルは返事をした。まだほの暗い。朝焼けには遠い時間なのだろうか。
    「ところで、ちょっと思い出せないんだけど」
     と、アカリは続けざまに言う。
    「何がだい」
    「私達、沖ノ島に来て、雨に降られたのよね」
    「ああ、そうだよ」
     トシハルが答える。
    「倉庫を見つけて、その中で眠った。島鯨の骨の下で」
    「君の言う通りだ」
     トシハルは尚も答える。
    「それなら私達、どうしちゃったのかしら」
     と、アカリは問いかけた。
    「ここはどこかしら」
    「え?」
     トシハルはアカリの問いに気が付いた。不意に周囲の音が、空気が変わったのがわかった。
     彼らの上に広がっていたのは一面の夜空だった。数え切れない数の星が瞬き、星座が見下ろしていた。それは雨雲に隠されていたはずの、星屑のちりばめられた夜空だった。
     そうしてトシハルは感触に気が付く。自分が今、腰を下ろし座っているものの感触に。
     ぶよんとした感触の青い身体。知っている。これはホエルオーだ。ホエルオーの背中の上に自分はいる。自分達はいる。
     トシハルは立ち上がった。視線の先で大きな尾鰭が揺れていた。
     おかしいのはホエルオーの浮いている場所だった。どうも海水の色が変だし、もやもやしているように見える。まるでドライアイスの煙のように掴めない、煙のような何かにそれは見えた。
    「雲よ」
     と、アカリが言った。
    「雲?」
    「そうよ。今、私達の下で雨が降ってるの。雲の上だからここは晴れてるのよ。どうも私達は島鯨の背中にのって空の旅に出てしまったらしい」
     まるで何かの舞台の台詞みたいにアカリが言った。
    「なんだよそれ。ムチャクチャな設定だな」
    「そんなことは無いわよ。博士を乗せて海に出る前、神職さんが言っていたじゃない。海面を鏡に海に見立てた時、頭から海に沈むことは空に昇ることと同じだって」
    「いや確かにそうは言ってたけれど」
     トシハルは混乱する。ホエルオーは海に浮かぶもので、雲に浮かぶものではないのだ。確かに彼らは死ねば海に沈んでいく。だから海面を鏡とするならば、ホエルオーは空を飛んでいるのかもしれないが。
    「それにね、あの人も同じことを言ってるの」
     アカリが前方を指差した。
    「あの人?」
     トシハルが問いかける。さっきからアカリの言葉によって、視界がだんだんと開けているように思われた。そうしてアカリが前方を指差した。トシハルは初めて前を向いた。ホエルオーの進行方向に顔と身体を向けた。
     そうして見つけた。
     巨大なホエルオーの背の、白い四つの模様のその先、うきくじらの頭の上に誰かが立っているのを。
     腕組みをしている人物の背は高い。
    「何を今更驚いてんだトシハル。お前はこの風景を知っているだろう?」
     聞き覚えのある声だった。
     白い半袖のポロシャツを着たその人が、彼らの側に振り向いた。
    「今私達を乗せてるこいつが――島鯨が教えてくれたぞ。昔雲の上でお前を乗せたってな」
     高身長の老人が装着しているのは愛用の眼鏡。
    「トシハル、お前昔、沖ノ島に行こうとして遭難したな。死にかけて雲の上まで行ったはいいが、こいつに振り落とされた。そんなことまで忘れちまったのか?」
     それはかつてホエルオーを求め島にやってきた人。自らをクジラ博士と名乗った人。
     それは一昨日、海に沈んだその人。
    「カスタニ博士……!」
     トシハルが声を上げた。
    「よお、久しぶりだなあトシハル。その様子だとまぁまぁ元気みたいだな」
     取り乱す弟子を尻目に、老人はあくまで調子を崩さない。まるでかつての思い出の写真のようにうっすらと笑みを浮かべながら淡々と語った。
    「お前の意識がぶっ飛んでる間、そこの赤い子からいろいろ聞いたぞ。お前、ホエルオーに乗って帰ってきたんだって?」
     博士は続ける。
     トシハルは何かを言おうとするがうまく声として出てこない。
    「トレーナーサポートシステムだったか。あれは便利だよな。掘り出したこいつの骨をどうやって運び出そうかと思ってたんだが、試しに募集かけたらよ、バトルガールやらサイキッカーやらいろいろ集まってくれて助かった。あの時はバッジ五個くらいの奴らに集まってもらったが、まさかお前がリーグチャンピオン引っ張り出してくるたぁなぁ。大したヤツだよ、本当に。昔っから人に迷惑かけてばかりでさ……」
     ああ、言わなくては。
     とトシハルは焦る。けれど積もる話がたくさんありすぎて、つっかえてどれも出てこない。
     言わなくては。言わなくてはいけないのに。
     聞きたいことだってたくさんあるのに。
    「知ってるかトシハル。島の誰かが死ぬとな。島の祖霊ってのがこっちに迎えをよこすそうだ」
     島の神職が言ってたんだがな、と付け加える。
    「私は余所者だからな。正直、受け入れられるのか心配していたが、一日ばかり待ってたら、こいつが迎えにきてくれた。神職さんがちゃんと葬儀をやってくれたお陰かも知れないな。あとでお前から礼を言っといてくれ」
     弟子が何か言いたそうなのを博士は知ってか知らずか、一方的にしゃべり続けた。
     星が瞬く。星座が煌く。
     強く強く風が吹いて、雲が流されていく。
     隣に立つアカリの髪がばたばたとたなびいている。
     博士、博士。博士!
     声が出ない。少年は焦る。うきくじらの背の上で少年は焦る。
    「あれだろ、お前さ、私にいろいろ聞きたいことがあるんだろ?」
     わかってるよ、とでも言いたげに、博士は笑った。
    「島を出たことがどうとか、本当はどうして欲しかったんだとか、こいつのバカでかい骨を押し付けてどうするのか、とかさ。お前はそういうことが聞きたいんだろ? そういうくだらないことをさ」
     お見通しなんだよ、そう博士は続ける。
    「すごかったろ? あれ。カイナの館長が未だに欲しがってるんだ。まあ、私はあいつ嫌いだからさ、頼まれたってやらないけどな?」
     そう言って博士は「がはは、」と笑った。
     トシハルは尚も何かを声に出そうとするけれど、風のようにひゅうひゅうと空気が漏れるだけで、博士には届かない。走り寄って行きたいのに足も動かない。
     全長約30メートル。島鯨の背中の距離は長く、遠い。
     ああ、きっとこれも夢。夢なんだと彼は思った。
     夢っていうのはいつだってそうだ。いつだって思い通りに運ばない。
    「トシハル、」
     言い聞かせるように博士は言った。
    「お前達の世界における私の役割は終わってしまったんだ。だからこれ以上は言わないし、言うことは出来ないんだ」
     博士は続けた。人は言葉で生きているから。言葉で世界を、自分を定義するから。だから去る者がむやみに言葉で縛ってはいけないのだ、と。
    「本当はな、こうしてるのだってルール違反なんだ。ついしゃべり過ぎちまったがな」
     星が輝いている。夜空の雲の上をホエルオーは進んでゆく。
     腕にはめた時計を見て、そろそろタイムリミットだ、と博士は呟いた。
     瞬間、彼らの乗る島鯨の前方、後方、そして左右のあちこちから、無数の潮が吹き上がった。そうして、いくばくかもしないうちに潮吹きの主達はその巨体を雲から出し、島鯨と併走し始めた。
     ああ、迎えだ。彼らは迎えだ。
     トシハルにはそれが分かってしまった。
     知っている。昼と夜、空の色はあの時と違うけれど、この風景を知っている。
     吹きすさぶ風の中、博士を見た。博士もまたトシハルを見た。博士はふっと笑った。そうして再び進行方向に向き直った。前を向いたままもう二度と振り返らなかった。
    「トシハル」
     風の中で博士は呟いた。
     耳の横でびゅうびゅうと風が鳴る。
     だからバカ弟子には聞こえまいと思った。
    「トシハル。こいつの骨の行き先も、自らの行き先も、お前自身が決めるんだ。誰でもない、お前自身が」
     前を向いたまま博士は呟いた。
    「お前はもう、少年ではないのだから」
     じゃあな。
     博士は手を軽く上げる。
     瞬間、島鯨が最大級の「潮噴き」をした。勢いよく吹き上げられたそれが濃い霧のようになって前方の視界を塞ぐ。博士が消えた。霧に隠されるようにその姿は見えなくなった。
    「……はか、せ……はかせ! 博士!」
     トシハルは叫んだ。
    「カスタニ博士ッ!!」
     だが声が戻った時にはもうすべてが遅かった。
     金縛りが解かれたように、急に身体が動くようになって、彼は島鯨の頭まで全速力で走ったけれど、博士の腕を掴むことも、その姿を捉えることも出来なかった。忽然と消えてしまったように、最初からいなかったように、そこにもう博士はいなかった。
     霧が晴れていく。すべてが風に流されて、また星空が覗いた時、トシハルはたくさんのホエルオー達がぐんぐん空へ昇ってゆく光景を目の当たりにした。
     ああ、同じだ。と、彼は思った。あの時と同じだと。
     きっと博士はあのくじら達のどれかの上にいて、手の届かない場所へ行ってしまったのだ。
     届かない。もう、届かない。博士には届かないのだ。
     ふと、誰かが手を掴んだのがわかった。振り返るとアカリだった。
    「トシハルさん、戻ろう」
     と、彼女は言った。
    「戻る?」
    「そうよ。私達は、私達の世界に戻るの。見て」
     雲の向こうを指差す。小さな影が雲の海に見え隠れした。ホエルオーが一匹、蛇行しながら雲の中を泳いでくる。ある地点まで来ると雲の中に潜るように消えてしまった。
    「シロナガちゃんが迎えに来てくれたのよ。乗り換えよう」
    「乗り換えるって、どうやって」
    「もちろん、飛び降りるのよ。あなた昔、そうやって戻ったんでしょ? 大丈夫よ。あとでシロナガちゃんが拾ってくれるって。じゃ、先に行ってるわよ」
     そう言ってアカリは島鯨の横幅ぎりぎりまで後ずさると、助走をつけてジャンプした。雲の中へのダイビング。彼女の身体は一瞬で雲の海に消え、見えなくなってしまった。その後を追うようにして、アカリのポケモン達が続いていった。
     まるで水泳選手のように真っ先に鶏頭が飛び込んで、続いて獣の二匹が一緒になって飛び込んだ。はためくスカートを押さえながらサーナイトも落ちていく。そして、不意に上空でトゥリリーィと声がしたのをトシハルは聞いた。いつの間にボールから出されたのだろうか。オオスバメのレイランが星空を旋回して飛んでおり、まるで水中の獲物を狙う海鳥のように雲の海に突っ込んでいった。
     びゅうびゅうと風の走る足元を、トシハルは呆然と見つめている。雲の中、アカリとそのポケモン達は既に見えない。まるで当たり前だというように落ちていったトレーナーとそのポケモン達の気が知れなかった。やつらには恐怖心が無いのかと彼は本気で疑った。ジョウト地方のなんとかって寺の舞台から飛び降りるとかそういうレベルではない。
     が、次の瞬間、ドン、とトシハルは背中を押され、島鯨から真っ逆さまに落っこちた。
     ダイズの体当たり、あるいは捨て身タックルだった。
    「……」
     島鯨の背の上。風に冠羽をたなびかせたピジョットは下を見つめる。しっかりと主人が落ちたことを確認すると、翼を広げた。空中で体勢を変える。そうして彼は雲の海にダイビングし、消えていった。
     空に昇ってゆく島鯨。その姿を一瞬だけ目に焼き付けて。



     トシハルが気が付いた時にはもう朝だった。
     彼はうきくじらの骨の下で仰向けになっていた。
     倉庫のいくつかの窓からは眩しい朝日が差していて、中の埃が舞っているのがよくわかった。
     横になったまま、隣を見るとアカリとポケモン達はまだ眠っていた。おはよう、とでも言うように朝日の逆光を背負い島鯨の背骨にとまったピジョットがピュイと鳴いた。
     ああ、眩しい。とても眩しい。
     トシハルは腕で目を覆い光を遮る。
     つうっと一筋、涙が流れた。

     ただいま。
     僕は今、帰ったよ。

     そうだ。自分は今、初めて帰ってきたのだ。
     そのようにトシハルは思った。









    エピローグ

     昨日、トシハルが干した上着は湿り気が気にならない程度に乾いていた。靴はまだ湿気があったけれどとりあえず履くことにした。多少の湿り気があったって歩けないことはあるまい、とそう思う。
     きょろきょろとあたりを見回す。目的のものはすぐに見つかった。
     手をかけた。だいぶ固くなっていたが、体重をかけるとそれを回すことが出来た。閉ざされていたシャッターがガラガラと開き始め、一挙に光が差し込んだ。
     音につられてアカリ達が目を覚ます。見れば、レバーを懸命に回すトシハルの姿があった。彼女は寝袋から這い出してゆき、ガラガラと開いてゆくシャッターの下を潜る。倉庫を出て、見上げた空はからりと晴れていた。
     がちゃん、といって音が消えた。倉庫のシャッターが全開になる。雨の夜は暗く、部分部分しか見えなかった島鯨。その全貌をようやく彼らは目の当たりにした。
    「カイナの館長が欲しがるはずだよなぁ」
     ぐるりと囲うように歩き回りながら、彼らは改めてその大きさを体感した。
     大きい。四枚の鰭といい、背骨のひとつとったって、パーツパーツの大きさが半端ではないのだ。頭部だけでも圧巻だった。小さな船一隻程度ならば余裕で丸飲みに出来そうである。
     もしかしたら博士はこれを一人でこれを眺めてはニヤついていたのかも分からないと、トシハルは想像した。まぁダイズくらいは連れていたかもしれないが。
     これに乗っかっていたのか。博士はこれに乗って、そしていってしまったのか。
     トシハルは空の上に思いを馳せる。
    「ねえ、アカリちゃんってバンジージャンプ好きだったりする?」
     何の躊躇もなく雲に飛び込んだアカリを思い出し、気まぐれにトシハルは尋ねたが、アカリに変な顔をされたので、いやなんでもないよ、と彼ははぐらかした。
    「戻ろうか」
     彼が言うと、アカリは同意した。
    「お腹がすいたわ」
     と、彼女は言った。
     昨日の昼から何も食べていない。早く何か食べたい、と。
     晴れた空の下、かつてのサトウキビ道を獣達が駆けていく。昨日は出さなかったからと、運動に出されたオオスバメの影が彼らを追い越していった。
     道路を道なりに進み船着場に到着する。船は無事だった。
     驚いたのはどこで嗅ぎつけたのか。あるいは何かを予感したのか。島に着いたその日に放しておいたアカリのホエルオーがすぐ近くで潮を吹いていたことだった。
     彼女は驚き、なんでここにいるの、どうしてわかったのなどと言っていたが、手持ち全員揃ったとも喜んで無邪気にはしゃいでいた。
     そうしてトシハルとダイズは船に、アカリ達はホエルオーに乗ってフゲイ島に戻っていった。

     島に戻るとずいぶんとトシハルは怒られた。
     心配したじゃないか、また遭難したのかと思ったという声が大半だった。中には昨晩はお楽しみでしたね、などととんでもないことをぬかす輩がいたが、彼は断固として否定した。ダイズがやれやれとでも言いたげに足で冠羽の後ろを掻いていた。

     アカリは二日ほど島をぶらつくと、ついに島を発つとトシハルに告げた。
     北上すると彼女は説明した。まずはシロナガに乗って西へ移動し、リーグ本部のあるサイユウシティに渡る。野暮用を済ませた後に、飛行機に乗り、さらにカナズミの飛行場からカントーへ飛ぶという。
    「カントーでしばらくぶらぶらするつもりだけれど、シンオウに行こうと思ってる」
     と、彼女は語った。化石をたくさん掘るのだという。
    「もうホウエンには帰らないつもりなのかい」
    「今は、わからない。あなたこそどうするのよトシハルさん」
     アカリが返した。結論などもうわかっていたけれど、はっきりと言葉で聞いておきたかった。
    「……そうだな。今度の定期便で一旦本土に戻るよ。いろいろ片付けなくちゃいけないこともあるし、でもすぐに戻る。今度は十年とかじゃなくて……」
    「そう」
     アカリはいつものように素っ気無く返事をしたが、口は笑っていた。
     そうしてアカリは再びホエルオーに乗ると島を去った。レイランがダイズとの別れを惜しんでいた。終始島のほうを振り返っては名残惜しそうにしていたが、ダイズはほっとした様子だった。

     時はあっと言う間に流れていった。
     島に戻ったトシハルは、町長に許可を受け、研究所の土地と施設を借り受けた。今は事実上住み込みで、そこから毎日海へ出ている。
     すぐに秋が終わり、師走が駆け抜けて、正月になる。彼は十年以上の間を経て久々に浮鯨神社に初詣をした。そうして元旦から三週間くらい過ぎた頃に見慣れない消印がついた便りが届いた。
     ダイズの嘴に挟まれたそれを見るとアカリからで、シンオウのポストカードに最近のことが少しばかり綴られていた。
     それによると、ここから遥か北にあるシンオウはよく雪の降るところであるらしい。化石堀りを思う存分にやった後のブームは犬ぞりなのだそうだ。グラエナのロボ、ライボルトのラーイのコンビにそりを引かせ、大会に出るのだという。
     はるかに続く白一色の大地。グラエナとライボルトにそりを引かせ、犬ぞり遊びに興じる彼女の後ろを、置いてけぼりを食らって、懸命に追いかける鶏頭を想像し、トシハルは少し愉快になった。今日もあのバシャーモは彼女に引っ張りまわされているに違いない。そうに違いない。
     追伸に妙なことが書かれていて、トシハルはしばしダイズを見つめていたが、ピジョットは首を傾げるばかり。決定的な証拠も無いので、あまり気にしないことにトシハルは決めた。
     当分はこの地方にいるつもりだと彼女は続けていた。ホウエンに帰るつもりは今のところないらしい。
     でも、いつか。と、彼は思う。
     いつか、いつの日か、それが何年後になるか、あるいは何十年後になるのかはわからないけれど、うきくじらの背中に乗ってきっと彼女は帰ってくる。そんな風にトシハルは思うのだ。
     トシハルはしばしの間、ポストカードを眺めていたが、やがてそっとそれを机の上に置いた。
     そうして代わりに手に取ったのはフィールドノート。ポケットにその小さなノートを突っ込むと、傍らのピジョットに行くよ、と告げる。海に出る時間だった。
     誰もいなくなった研究所の一室は静かだった。
     ポストカードの置かれた机。その前で開かれた窓の向こうに、青い空と碧い海が覗いている。
     碧い海の上にある青い空は何者にも占領されず、水蒸気を吸い上げもくもくと成長した雲を背にキャモメたちがミャアミャアと鳴き交わしながら宙を滑っていく。
     ふと、その風景に海から吹き上げられた海水が混じる。
     それはこの付近の海域に棲む巨大な生物の仕業だった。
     吹き上げられた海水。それは空中でキラキラと輝いて、ほどなくして海へと還ってゆく。


     波の音が、聞こえる。
     星砂で覆われた白い砂浜に寄せては返す、波の音、海の音色が。
     少年はもういない。
     耳の鼓膜に残った故郷の音。それを探す少年はもういない。

     海が鳴っている。
     かつての少年は噛み締める。
     自分はここにいる。自分の居場所はここ。ここにあるのだと。

     海が鳴っている。
     息をしている。脈を打っている。

     波の音が、聞こえる。









    少年の帰郷「了」





























    アカリちゃんからの葉書

    少年の帰郷(14)〜(17) 完結 (画像サイズ: 1356×1455 365kB)

      [No.2394] FUOOOOOOOOOO 投稿者:アメリカ-タクティー-ザリガニ   投稿日:2012/04/18(Wed) 17:17:53     100clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    うおおおおおキターーーーー!!!!!
    あんな後ろ向きのクイタランからこんなお話ができあがるとは...!!有難く頂戴致します。ありがとうございます!

    クイタランは元からあんな目してるせいで、ひねくれてるというかこういう屋台の親父さんとかによく合うキャラですね。いいですねえ、俺もこんな桜散る屋台で一杯やってみたいものです。あ、お酒はすぐ赤くなるんでダージリンでネ

    自分の絵からこのように物語を連想し形にしてくれるなんて今まで無かったのでとても嬉しいです。
    ワンチャンあったらこりゃもうメッチャ画力上げて音色さんの文章に似合うのを描かんとあかんな...
    今後も影ながら応援させていただきます


      [No.2393] 師匠と弟子 投稿者:ことら   《URL》   投稿日:2012/04/17(Tue) 22:20:12     97clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    前書き:エロいです。カップリングです。http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=2335&reno= ..... de=msgviewの続編です。








    「あ、そう。まぁジムリーダーなんて名前だけだし」


     初対面で、まだトレーナーになりかけ、しかもジムリーダーとして父親のことを尊敬していたのに、それを一言で一蹴したヤツがいた。

     その名はダイゴ。



    「まだまだ甘いね。本当に言ったこと解ってる?」
     メタグロスの目の前には倒れたライボルトがいる。顔色を変えず、ライボルトをボールに戻した。
    「解ってます」
     ダークトーンのむくれた声はハルカ。瀕死になったライボルトに元気のかけらを与えている。目の前にいる人間を視界に入れないようにして。
     彼女の目の前に立っているのが、ハルカのポケモンの師匠ともいうダイゴ。 トクサネシティにあるダイゴの自宅の地下にある、ポケモンの修行のための場所で。
    「いや解ってないね。ラグラージの使い方からなってないね。一体いつになったら覚えるのかな?」
     爽やか笑顔のイケメン! そうトレーナーたちでは持て囃されているけど、ハルカにとっては嫌味のトサカ頭にしか思えない。 弱点を即座に見抜き、痛いところを毒針で刺すような言い方をする。
    「いつか覚えると思いますが」
    「全く。なんで素直じゃないかな。素直になりなよ」
     ダイゴはハルカのトーンにつられることなく、静かに言った。子供なハルカに対して、大人のダイゴは笑顔だった。ただし目は笑ってない。
     素直に、というのも、これだけ反抗、反発、逆らっておきながらダイゴに教えてもらっている状況を見ての通り、ハルカはダイゴの方が好きだ。 きっかけは本人が覚えていないくらいに、気付いたらダイゴが好きだった。
     けれど、ダイゴはムカつく。会った時に人をけちょんけちょんにけなし、認めようとしない。その矛盾にハルカは結局、反抗という態度しか取れなくなっていた。
    「じゃあ今日はここまでで良いから。早く帰った方が良いよ。何か雨っぽいし」
    「わかってますー」
     むくれたままポケモンをしまった。帰る支度を始める。ハルカの本音としてはもっとダイゴと一緒にいたい。けれどあんな態度を常日頃とっているのだ。きっと嫌われてる。その事実がハルカの手を自然と早くする。その彼女とは対象的に、ダイゴは窓から外を眺めている。うなる風に激しい雨。窓ガラスが叩き付けられ、今にも割れそうだ。
    「じゃあ今日はありがとうございましたー」
     ぶっきらぼうな挨拶をして、玄関の戸を開ける。その瞬間、暴風と暴雨が室内に舞い込んだ。ハルカが慌てて閉めると、風がうなりをあげてぶつかってきていた。
    「すごい風!」
    「天気予報つけて」
     ハルカがテレビをつける。よせば良いのに、ミナモシティの海岸で台風さながらの実況中継をしている。しかもどのチャンネルも。画面の端には各地の情報が流れている。
    「トクサネは?」
     雨戸を全てしめながらダイゴがたずねた。ハルカはテレビの前のソファに座ってトクサネの情報を待つ。
    「暴風警報と波浪警報と洪水ですね」
    「え、そんなに酷いの?」
     ハルカの後ろからダイゴが聞いて来た。遠くにいたものだと思っていたから、思わず振り向いた。
    「なお、ポケモントレーナーには、勝負やなみのり、そらをとぶなどの技を控えるよう、注意がされています!」
     まず飛ばされそうなリポーターをしまった方がいい。近くを看板が暴風にのって飛んで行く。
    「ねえ」
     ダイゴはまっすぐハルカの目を見る。
    「帰れるの?」
     帰れるわけがない。ハルカの家はここから空を飛んで半時間のミシロタウン。空を飛べないならば、海に囲まれたトクサネシティから出られるわけがない。それを説明すると、ダイゴはハルカにとって意外な返事をする。
    「それは無理だね。今はポケモンセンターもトレーナーでたくさんだろうから、しばらく家にいなよ」
     ハルカは心の中でガッツポーズをした。喜ばないわけがない。まだダイゴと一緒にいられる。それだけなのだが、ハルカにとって非常に嬉しかった。


     先ほどまであれだけ言ってたのに、お茶を入れてくれたり、お菓子を出してくれるダイゴ。これにはハルカもあの時の不機嫌はどこへやら、ダイゴを相手にニコニコ。
    「それでですね、ユウキはキノココの方がかわいいって、進化させないんです〜」
    「あの子もまるっこいポケモン好きだねぇ」
    「そうなんですよ!それで」
     自分でも解らないくらい、話したいことが次々に出て来る。いつもこう、話せたら良いのに。話すのを一度やめて、ため息をつく。
    「君もそうやっていつもニコニコしてればかわいいのにね」
     風で外の何かが倒れる音がする。ダイゴは見に行く為にレインコートを羽織った。
    「素直になりなよ」
     まさか同じことを二回も言われるとは思わず、返事をしようとした時には遅かった。ダイゴはすでに外。
     テレビは変わらず警報を鳴らしている。予報によれば、今日の夜遅くには晴れるという。居られるのも夜中までか、とため息をついた。同時にダイゴが入って来るなり、ハルカに言った 。
    「思ったより酷い。こんな暴風じゃ帰れないでしょ。家でよければ泊まっていくかい?」
     返事を待たず、ダイゴはびしょぬれのレインコートを脱いだ。短時間であったのに、髪はかなり濡れていた。そんなダイゴをずっとみながら、ハルカは嬉しさが隠しきれなかったらどうしようと、そればかり考えていた。

     一方、天気は夜になっても回復どころか悪化の勢いだ。窓の外を見ればライボルトの集会のように雷が鳴っている。雨は大粒、風は暴風。風がぶつかる度に家が揺れる。
     ダイゴは天気など気にせず、残りの仕事と言って、パソコンに向かっている。その横顔をじっと見ていたらいきなり振り向かれる。
    「何?」
     まさか見とれていたとも言えない。上手い返しも解らず、ハルカは黙っていた。
    「ああ、雷鳴ってるから停電するかもしれないし、早めにお風呂はいっておいで。着替えも、そうだね……客用のパジャマがあったかな」
     イスから立ち上がり、ダイゴはクローゼットの中からほとんど使われてない寝間着をハルカに渡す。
    「たまに友達が来た時に使うんだけど、こういうのしかなくて。嫌?」
     ハルカはそれを広げる。明らかにかなり身長が高い男性のもの。これを着ればかなり引きずることは目に見えている。
    「え、あの……ちょっと大きいですし……」
     ダイゴは困ったような顔をした。サイズが合わなすぎるのを渡したのもいけないが。しばらくダイゴは黙った後、ハルカから寝間着を受け取る。
    「じゃあ、僕のお古になっちゃうけどそれでもいい?」
     その言葉はハルカの心に波打った。ダイゴの着ていたものを着れる。首を縦に振り、ハルカはダイゴから少し大きい前開きの半袖と短パンを受け取る。
    「それ、旅行先で買ったんだけど、サイズ間違えたんだよ。ほとんど着てないから」
     そして上の棚から大きめのバスタオルを取り出した。ハルカをそれを受け取る。肌触りがいつも使っているものと全く違う。バスタオルに残ったいい匂い。それにぼーっとしていたのを不思議そうにダイゴが見ている。その事に気付き、ハルカはさっと方向転換してバスルームに向かう。
    「全く……」
     ダイゴはため息をついた。黙って返されたパジャマを折り畳む。

     ハルカがシャワーから上がっても変わらず、ダイゴは書類の作製中。足音に気付いたのか、ちらっとハルカの方を見たが、すぐにパソコンの画面に目を戻した。
    「ああ、先に寝てなよ。寝室でよければ使って」
    「ダイゴさんはぁ?」
    「これが終わったら今日は終わるから。子どもはもう寝た」
     ダイゴに言われるままにドアを開ける。いつも師匠が使っている部屋。整頓され、ベッドにはシワ一つない。緊張と嬉しさが混じり、ベッドにもぐりこんでいた。眠れる訳がない。
     あの師の、好きな人のいつも使っている空間。そこにいるのだから、たまらなくなる。少しベッドに残ったダイゴの匂いがハルカの心を締め上げる。掛け布団を抱きしめ寝返りをうつ。と思ったらすぐさま反対を向いて。
    「ダイゴさんに素直になれたらなー。きっと嫌われてんなぁ」
     ため息が出る。もっと素直に可愛げのある弟子になれないものか。そうしたらもっとかわいがってもらえないだろうか。
     あーだこーだ画策していると、その思考を止めるように雷が光と同時に鳴った。爆音にも等しく、側にあったタオルケットを掴む。

     ドアが開いた音に、ダイゴは目をやった。懐中電灯の漏れた光に映るのはタオルケットを抱えているハルカ。ダイゴは書類を片付けていた手を止める。
    「あ、あの、パソコン大丈夫ですかっ?」
     ハルカの声にダイゴはイスから立ち上がる。そしてディスプレイに触れた。
    「間一髪、電源抜き。さっきのは大きかったね。落ちたかな」
    「そうですか。まだ仕事、あるんですか?」
     いつもと何か違う教え子の態度。ダイゴはふと昔を思い出して笑ってしまう。おかしくて仕方ないのだ。
    「どうして?」
     ハルカと目を合わそうとするが、たどたどしく視線が合わない。こういう態度に出る時は決まっているのだ。何か言いたくて言えないことを抱えてる時。
    「雷が怖い?」
     タオルケットを力強く握ってる。子供ならこんな大きな雷が怖くても仕方ないだろう。ダイゴはなるべく優しく聞いた。


    『素直になりたい
    素直になっちゃえ
    っていうか言ってしまえ私!』


    「あ、あのっ、邪魔しないから、一緒にいても良いですかっ!?」
     ハルカからしたら、告白に近かった。勇気を出して振り絞った言葉。初めて素直に自分の気持ちを口に出した言葉。それなのにダイゴは腹筋がよじれそうなくらいに笑っている。 なぜ笑われたのか解らないまま、ハルカは立ち尽くした。
    「そんなこと聞くまでも無いよ。おいで。まぁ座りなよ」
     手招きに誘われ、ソファーに座る。もちろん、ダイゴにピッタリくっついて。ハルカは熱くなっているのを隠すのに必死。タオルケットを顔までかぶり、その隙間からじっとダイゴの方を見る。
    「ねえ」
     ダイゴはハルカのかぶってるタオルケットを取る。いきなりのことに、ハルカは思わず叫んだ。
    「返してー!」
     ダイゴは遠くにタオルケットを投げる。もうハルカの顔を隠せるものはない。そして気付けば、ハルカはダイゴの膝に片手をついていた。思いっきり顔をそむける。
     何をしてしまった。何がどうしてそんな近づいてしまった。ハルカの頭の中に後悔がぐるぐると回る。それはダイゴが優しく肩を抱いてくれたのも気付かないくらいに。
    「そんなに雷が怖いの?」
     ハルカはダイゴの顔を見た。本当に心配してる顔だ。けれどすぐに目をそらした。するとダイゴはハルカを自分の方にさらに引き寄せる。
    「大丈夫だよ。落ちないから」
     雷なんて聞こえてない。ダイゴの声しかハルカには届いてない。肩におかれたダイゴの手が暖かく、ハルカは思わずダイゴの着てるものを掴む。
    「そう、じゃないです」
     こんなに近いのにダイゴに言うべき言葉が出て来ない。あの時もそうだった。言いたいのに言えない。ダイゴの胸に顔をうずめ、思いっきり抱きしめたいのにそれができない。せめてダイゴのパジャマの袖をぎゅっと握ることが、ハルカなりの好意の示し方だった。それすらも拒否されているのではないか。そう思うと、ダイゴの顔など見えない。
     暖かい手がハルカの顔に触れる。導かれるように顔をあげた。ダイゴと目があう。
    「何遠慮してるの?さっきから隠そうっても無駄だよ。こっち見て」
     ハルカはもう何も言えない。緊張しているのもあるし、「余裕」の表情でこちらをみているダイゴには勝てない。口が乾き、心拍数が上がる。電気が消えて小さな灯り一つだというのに、目の前のダイゴはいつも以上にはっきりと見える。
    「前に言ったよね。出す順番を間違えることが命取りになるって。君はポケモンもそうだけど、恋の勝負も知らなすぎる。僕の勝ちだ」
     優しくダイゴがハルカの頬をなでる。けれどハルカには全く意味が解ってなかった。今、なぜダイゴがこんなことをしているのか、恋は惚れた方の負けということ、そしてその勝負を仕掛けてられていたこと。
    「何を言ってるんですか!そもそもまだ解らないじゃないですかっ!」
    「君は降参を認めてることを言ってるのに解らないの?勝負はいつも、二手先を見るんだよ」
     もう、そんなことはどうでも良かった。ダイゴに抱き締められ、ダイゴにされるまま唇を塞がれる。柔らかく、そして熱い味が体に広がった。頭から足の先まで痺れる。すぐ側にダイゴの息を感じ、ハルカの体温をあげていく。何をされているのか、どうなっているのかなんてハルカには解らない。けれどダイゴが自分に対して何をしているのか、どうなっているのかは理解できた。それを感じ、ダイゴの膝の上にいながらも涙が出る。
    「…僕何か泣かせるようなことした?」
     唇を離し、困ったような顔でダイゴはハルカを見つめる。
    「いえっ…してないですけど、私、ダイゴさんに、嫌われてると…」
     頭を撫で、強く抱き締める。涙をぬぐうハルカを慰めるように囁く。
    「それが恋の勝負だよ。君より多く生きてる分、君に勝ち目は無いんだよ」
     雨音が少し弱まる。そんなことに構うことなく、ダイゴは再びハルカの唇を塞ぐ。しびれ薬のように、ハルカの体を麻痺させた。それに気付いたのか、ダイゴは一度ハルカを解放する。そして目があった。
    「ダイゴさん、好きです。ずっと好きでした」
    「知ってるよ。ずっと待ってた。だからこうして君が欲しい」
     待たされた時間を埋めるかのごとく、何度も口づけを繰り返す。ダイゴは優しく、そして自分のものにしていくかのようにハルカを抱きしめ、唇に触れる。それだけでなく、舌をからませた。ハルカは抵抗の仕方も解らず、ダイゴにされるがまま。その身をダイゴに預け、目を閉じた。
     そのうち、ハルカはダイゴの手が、パジャマに触れていることに気付く。そして前開きのボタンを一つ一つ、上から外し始める。
    「なぁに?元は僕のだからいいじゃない。それに、君くらいの年齢なら僕が望んでること、解るよね」
    「わ、かりますけど、でも……」
    「怖い?」
     ハルカは頷く。ダイゴはハルカの頭を撫でた。
    「本当に嫌なら、君が決めれば良い。時期が早いのは良くないし。それに君の年齢だと、下手したら僕が捕まるからね」
     出会った時から「通り魔に会ったら、このボスゴドラで攻撃するから大丈夫だよ」とか犯罪すれすれのことをさらっと言う人だった。今もハルカの返事を待たずにやわらかい乳房を包み込むようにして触っている。
     まだ発達段階であるけれど、それなりの大きさがある。 試しにダイゴは乳房の先、乳頭に触れた。その瞬間にハルカの表情が変わる。
    「痛いっ」
    「ごめんごめん。まだ若過ぎるからねぇ。もう少し大きくなれば、また違う感じがするよ」
     そう言いつつも、ダイゴはハルカの胸を離さない。初めての感触にハルカは目を閉じて耐えるしかなかった。
    「この先も僕に見せてよ」
     ハルカの下着とズボンを素早く下ろす。そしていつもは触れられない場所に手を伸ばした。
    「大丈夫?痛くない?」
    「はい」
    「若くてもちゃんと反応はするんだね。」
     たまごの白身のようにヌルッとしていた。指で撫で、場所を確認する。 ハルカの体の下の方に違和感が生じた。そしてそれは体内の中心へ向かっている。思わず息を飲んだ。そして痛みが来て悲鳴に近い声を上げる。
    「そう。困ったなぁ。これが痛いならなぁ」
     痛がるハルカをよそに、指は動く。奥に行ったり来たり、入り口を広げるようにしたり。ハルカは目を瞑り、ダイゴにしがみつく。そうして痛みに耐えていた。好きな人にされてるからと言い聞かせる。
    「いれたら気持ち良さそうだね」
     ダイゴは独り言のようにつぶやいた。
    「入れるよハルカちゃん」
     ハルカが答える前に、何か硬いものが体の下に押して来ていた。最初は触れていただけ。次第にそれが奥に来ようとしてる。 そしてそれが入って来た瞬間、電撃が走ったかと思われるほどの痛みがハルカの体を支配する。
    「いたぁっ!」
     ハルカはダイゴの膝の上というのも忘れて暴れる。一番の痛みから逃げるように。
    「大丈夫?」
     黙って首を横に振る。入ろうとしたダイゴの男性器はただ呆然とそこにある。
    「痛かった?」
    「はい」
    「そうか」
     入っていたのはほんの少し。最初から予感はしていた。あまりに小さいこと、そして未発達な部分があること。そんな状態で決行できるわけがない。
    「ごめんね。いろんなことがまだ早過ぎたみたい。君に痛みを与えたいんじゃなくて、気持ち良くなって欲しかったから」
     ハルカのおでこにキスをする。それに応えるようにハルカはダイゴに抱きついた。
    「ハルカちゃんがもっと大きくなったら、この続きをしよう。時間はたっぷりあるから、焦らなくていい」
     ダイゴは耳元で囁き、今まで高ぶった感情を落ち着かせようとした。けれど少しでも味わってしまった感触は中々消えない。ずっと待っていたのだからなおさら。唇、指先、性器の先に残った感覚は、収まってくれそうになかった。
    「ダイゴさん」
    「どうしたんだい?」
    「できなくてごめんなさい。だからせめて一緒に寝てください。ダイゴさんと一緒に寝たいです」
    「……君は素直になったと思ったら残酷なことを言うんだね」
     言われた意味も解らない。ダイゴに抱きかかえられて一緒に寝室に入り、ベッドに降ろされる。そしてハルカの隣にダイゴが入ってくる。
    「ダイゴさん」
     痛くてできなくてもまだハルカだって足りない。ダイゴに抱きつき、唇に触れた。
    「ハルカちゃん、もう寝なさい。君はまだ身体的には子供なんだから。大きくなれないよ」
     ダイゴに撫でられて、ハルカはもう一度口づけをした。
    「おやすみなさい」
    「うん、おやすみ」
     ダイゴに抱きつき、ハルカは眠気に身を任せた。




     けたたましいキャモメの声に目が覚めた。ハルカが起きると、ベッドにいて、着衣もちゃんとしている。
    「あれ……?昨日のは……」
     空は突き抜けるように晴れ上がっている。あんなにダイゴが優しかったのも夢だったからか、と一人納得してベッドから出た。
    「おそよう。人のうちで良く寝れるよね」
     いつもの鬼師匠だ。朝ごはんに呼ばれる。ガッカリして食卓に着く。
    「そういえば…」
    「なんですか?」
    「やっと素直になってくれたんだし、今日は修業抜きでどこかデートでも行こうか?」
    「……ダイゴさんっ!!!」
     あまりに嬉しくて、ハルカはダイゴに飛び付いた。いきなりのことだった為、ダイゴも受け止められず後ろに飛ばされ、手はテーブルに触れて一部食器がジャンプする。
    「あの、あのっ!!!行きたいです!!!大好きです!!!」
    「ふふっ、もう全部知ってるよ。でも今まで通り、教える時は容赦しないからね」
    「はい!ついてきます!」
     夢じゃなかった。目の前に抱き締めているのは紛れもなく、一番好きな師匠、ダイゴ。年の差はあれども、誰よりも大切な人。確認するように、もう一度抱き締めた。



    ーーーーーーーーーーーーー
    好きすぎてトチ狂ったわけではない。
    ポケモンのエロパロスレのために書いたもの。それを修正して仕上げた。

    好きな人に嫌われる前に、その態度を改めて好きだと伝えて来ないと、後悔するのは貴方ですよ。ツンデレなど二次元の産物でしかありません。


    【好きにしてください】


      [No.2392] 枝垂れ桜とダージリン 投稿者:音色   投稿日:2012/04/17(Tue) 21:39:56     109clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     桜が散る時期になった。
     風に吹かれて飛んでいく淡い花びらをぼんやりと眺める。
     踏みつぶされたアスファルトにばらばらと張り付いた花弁を見ると、どうも美しいという感情よりも汚らしいと思ってしまう。
     朝日に透ける姿や夜の月明かりを帯びる花明り、何より風の気まぐれで飛ばされること事態は綺麗に見える。しかし、散り終ったそのあとは人にポケモンに踏みにじられる。
     これを風流と見るべきか、自然の摂理だと割り切るべきか。
     まぁ、どっちでも良いんだけど。


     ぶらりと遅い花見に出かけた。
     一人だともの寂しいのだが、春も麗といった陽気な時間帯にゴーストタイプなこいつを起こすのは少し酷かとも思い、ボールだけ連れて足の向く方へ歩く。
     流石にシーズンを少し過ぎたからか、シートを広げて場所取りするような輩もいなければ、酒臭い宴会独特の空気もどこにもない。
     ただ残りの花を振るい落とし夏に向かって芽を出しかけている桜ばかり。春の飾り付けはもういらないのか、すこし揺れただけでも桜の雨が起こるだろう。
     ありきたり。
     桜の名所でもなんでも無いが、少しばかり固まっている公園をぐるりと一周した。


     不意にざっと雨が降る。時雨か何かだろうと思うが、天気予報を確認しなかったことを別段悔やむ必要はなかった。
     数十分の雨をしのごうと入りこんだ木の下は思いのほか広くて、脇道に誘うかのように枝を突き出していた。
     何故かそこだけ淡く濡れておらず、先へどうぞと促すようであったので別段逆らわずに進んでいった。
     そしてほんのわずかな傾斜を踏みしめた先にあったのは、少し古ぼけた屋台だった。
     

     花見がピークの時に立ち食い客のためにアメリカンドッグやらポテトやらでるのはまぁ、分かる。
     祭り騒ぎだから。
     しかしこんな人が訪れるかどうかわからないような場所にぽつんと寂れた店に誰か来るのか。穴場限定とかそういうのか。
     時雨はわずかに降り続いている。気にはならないほどに頬を濡らす。すこし肌寒いかなと思った。
     近づいてみるとかすれた看板にはどうにか『紅茶』と書かれているのだけ読みとれた。また妙なもん売ってんだなと眺める。
     簡単なコンロの様なうえに茶色い鉄瓶が乗っかっている。その横で乳白色のポットがぽつんとほったらかされていた。
     店主がいないってことは打ち捨てられているのか、その割には埃も何もかぶっていない商売道具。
     ひょいとその先を見ると、でかい枝垂れ桜が目に入った。


     残花ばかりを目にしてきたせいか、そいつはわずかな雨に降られていていても少しだって散ろうともせずただゆらゆらと桜色をしていた。
     その下にはただ佇んでいるだけの蟻喰いがいた。
     花守のよう、とまではいかないがただずっとその枝垂れ桜を見上げていた。
     不意にそいつと視線があった。クイタランは振り返りもせずじろりとただこちらを見た。どこかふてぶてしそうな表情にも見える。
     そしてぐるりとこちらに向き直った。首からは木のプレートをぶら下げている。のしのしとこちらに歩いてやってくれば、そこに書いてある文字が読めた。

    『本日のお勧め  ダージリン 桜フレーバー』

     こんこん、と白いポットをつついて、不満足なのかそいつはかぱりとふたを開ける。
     爪の先に張り付いた桜を一枚ふわりと投げ込み、ぶっちょうずらのままふたを閉めた。
     そのまましばらく蒸らすのだろうか、また枝垂れ桜を見上げに離れる。
     確かにこいつは結構見事だ。雨は静かに止んでいたので、ふとボールからあいつを出してみた。
     丸くなっていたゴビットはしばらく外の寒さに震え、気がついたようにぐぐっと手と足をのばし俺を見る。
    「見ろよ」
     垂れ下がる花に興味があるのか、思いのほか小走りでアリクイの横へと走る。
     クイタランは特に眺めるだけなのか、恐る恐るといった様子で手を伸ばすゴーレムに一瞥くれたのみでなにもしない。
     そうしてどれほどたっだだろうか、特に長い時間というわけではないだろうに。
     気がつけば見上げるのは俺とゴビットばかりで、クイタランはいつの間にやら屋台に戻って作業に没頭していた。
     きろりと視線がこちらに刺さった。
     爪で屋台を叩く。早くこちらに来いと急かすように。
     横柄な態度にいらつく前に、その仕草があまりにも浮かべている空気と似合っていてそちらに足を向ける。
     そこには白いポットから丁寧に注がれた、淡い琥珀色した紅茶が注がれていた。
     紙コップに。


     これは一杯いくらなんだろうかと飲みながらようやく頭が思考する。
     胸に広がる温もりは確かで、ほのかに香るこれは桜なんだろうか。
     風に乗って散るばかりのあれにも香りらしいものがあったのか。
     飲みほしてから息をつく。小銭入れがあったかどうかポケットを探った。
     相変わらずゴビットはずっと枝垂れ桜を見上げている。
     ちらりとアリクイをみると、俺が並べた小銭を勘定しているらしかった。
     数枚の10円玉が押し返される。余分だったらしい。
    「ごちそうさま」
     一声かけてゴビットをボールに収める。
     不思議な穴場を見つけたものだと思った。


     後日、その場所にもう一度足を向けてみたのだが、探し方が悪いのか横道は上手く見つからなかった。
     いわゆる春限定であろうあの紅茶を、もう一度堪能したいものだ。


    ――――――――――――――――――――――――――――
    余談  御題『桜』ということで。
    あるお方からいただいた絵からヒートアップ。捧げます。

    【好きにしていいのよ」


      [No.2391] それぞれの持論 投稿者:akuro   投稿日:2012/04/17(Tue) 01:34:25     78clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     ※会話文のみ



     あなたにとって、ポケモンとはなんですか?





     〜カントーの場合〜

     「愛すべき存在! どんなポケモンにだって、いい所はある! はず!」

     「はずって! じゃあシオンタウンで戦線離脱したぐれんはどうなんだよ。 アイツのいい所は?」

     「うっ……! え、えと……め、目が覚める色!」

     「それなんか違うだろ!」



     〜ジョウトの場合〜

     「うーん、仲間……かな? 一緒に冒険して、一緒に強くなる仲間!」

     「さすがヒバナさん! すばらしい答えですね!」

     「そうかなー? じゃあトモカは?」

     「友達……ですかね、一緒にいると楽しいですし」

     「あはは♪ 友達友達〜♪」

     「ヒバナさん!?」



     〜ホウエンの場合〜

     「……ポケモンはポケモンでしょ」

     「……」

     「……」

     「……え、終わりか?」

     「……はづき、まだキャラも決まってないのに出ていいの?」

     「そういうことは言っちゃダメだろ」



     〜シンオウの場合〜

     「家族かな。 一緒にいると、リラックスできるんだよねー ね、らいむ!」

     「うん! らいむもシュカと一緒にいると楽しい!」

     「らいむー! あたしのロメのみ食べたでしょー!」

     「あ、うみなだ〜♪ に〜げろ〜♪」

     「あ、コラ、待ちなさーい!」

     「あっはは。 今日も平和だね……」



     〜イッシュの場合〜

     「未知の生き物かしら。 知れば知るほど、もっと知りたいと思えるのよね……」

     「イケメンと一緒にいると、イケメンのイケてる度120%アップする存在!」

     「……」

     「特にカイリューとかと息ピッタリでバトルしてたらもう……キャーキャーキャーキャー!」

     「……今日もモモカは通常運転ね……」





    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


     風呂の中で思いついて深夜テンションで書き上げた。 

     新キャラをちょっとだけ説明。

     はづき ジュカイン♂

     エンジュの手持ち。 性格未定。



     トモカ

     ジョウトのトレーナー。 新SS(データ削除後のSS)主人公。 ヒバナを尊敬している。

     てか、キャラ多いな……でも、全地方の主人公+手持ちポケだし仕方ないか。

     [書いていいのよ]


      [No.2390] 読みました。 投稿者:ことら   《URL》   投稿日:2012/04/16(Mon) 21:12:06     111clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    初めまして、ことらと申します。

    この話とても好きです。初めて見た時、星新一のショートショートのような文体に、淡々と進むストーリーだなと思いました。
    そんな一見だけでも良かったのですが、読み直すと淡々と進むからこそ見えてくる人物の裏やしぐさが、書いてないのに想像できます。これは凄いなと思いました。

    では失礼します


      [No.2389] 募集終わりました 投稿者:西条流月   投稿日:2012/04/15(Sun) 23:41:42     87clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




    キャッチコピーの募集終わりました 協力ありがとうございました

    まだまだ拙いながらもたくさんの助けを借りながら頑張っていかせていただきます。


      [No.2388] この作品について 投稿者:フミん   投稿日:2012/04/15(Sun) 00:54:11     105clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    度々失礼します。タグをつけ忘れましたので報告します。

    【批評していいのよ】

    作品の感想を頂く機会があまりありませんので、宜しければお願いします。
    それでは、失礼しました。


      [No.2387] 桜染【お題:桜】 投稿者:久方小風夜   投稿日:2012/04/15(Sun) 00:41:29     151clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:お題:桜】 【れっつ掘り返し】 【|ω・)

    「桜の木の下には、死体が埋まってるんですってね」

     俺のすぐ近くにいる男女の、女の方が言った。
     男は笑って、いつのネタだよ、と言った。

    「でも、本当に埋まってたらどうする?」
    「うーん、俺のダグトリオが掘り返しちまったりしてな」

     俺の目と鼻の先で、ダグトリオが地盤を掘り返している。
     何か気になることでもあるのか、俺の前を何度も何度も行き来している。

     ダグトリオ、か。
     そういえば彼女も、ダグトリオじゃないけどモグラのポケモンを持っていたっけ。
     それを知ったのは、彼女と別れた直前のことだったけど。




    「何をしているの?」

     傍らにハハコモリを従えた彼女にそう尋ねられたのは、雪もちらつきはじめた晩秋のことだった。
     桜を見ているんだ、と俺は答えた。

     川沿いの遊歩道にずらりと並ぶのはソメイヨシノ。そのシーズンになれば、等間隔にぼんぼりが並べられ、酒盛りをする人たちであふれかえる。
     しかし俺と彼女の前にあるのは、枯れかけた赤褐色の葉をいくつか枝に残した、侘しい1本の木。

    「春にお花見に誘っても来なかったのに、何でわざわざこんな時期に?」

     紅葉した桜も乙なものだぞ、と俺は言った。
     彼女は、紅葉どころかもう枯れ葉になっているじゃない、と言った。

     ただ単に、俺は人ごみに行くのが嫌いなだけだった。
     花見って言ったって、ほとんどの人は花なんか見ずに、酒を飲んで馬鹿騒ぎしている。
     それなら俺は、花がなくても、静かに風流を感じられる冬の桜の方が好きだった。

    「寒いから、どこかのお店に入りましょうよ」

     彼女が言った。
     今日は新しい端切れを買ってきたの。彼女は手にしていた紙袋を振った。


    「桜の木の下には、死体が埋まっているんですってね」

     彼女は俺に向かって言った。使い尽くされたネタだな、と俺は言った。

     桜の花は、血の色と言うには濃すぎるじゃないか。もみじの木の下に埋まっているって言われた方が、よっぽど納得する。
     俺がそういうと、彼女は笑った。
     しかしその反応は予想していたのか、彼女はさらに続けた。 

    「仮に桜の木の下に死体が埋まっているとして、それは一体いつ頃埋められたんだと思う?」

     そう尋ねる彼女に、俺は自分の見解を告げた。

     俺は秋だと思う。
     桜は紅葉する。その色はやや褐色に近い赤色で、もみじよりもよっぽど血の色に似ていると思う。

     なるほど、と彼女は頷いた。

    「でも、私は違うと思うな」

     じゃあ、君はいつだと思う?
     俺がそう尋ねると、彼女は紙袋の中から、ほんのりとベージュがかった、淡いピンクの布を取り出した。
     彼女は裁縫が趣味で、よくお気に入りの草木染めの店で端切れを買っては、小物や飾りを作っている。
     まだ幼い頃、パートナーのひとりであるハハコモリがクルミルだった頃、その母親であったハハコモリが草木を編んでクルミルに服を拵えているのを見て以来、彼女は裁縫の虜なのだという。

     彼女が手にしている柔らかい色合いの布地は、まさしく春に河原を彩る花びらと同じものに違いなかった。

    「この桜染の布は、桜の木の枝から煮出されるの」

     てっきり花びらを集めて煮出すのかと思っていたから、俺は少し驚いた。
     彼女は続けた。

    「桜ならいつでもいいってわけじゃないの。普段の桜を使っても、灰色に近い色になってしまう。こういうピンク色に染めるには、花が咲く直前の桜を使わなくちゃいけないのよ」

     花が咲く直前。
     その時期の、花そのものではなく、木の枝や樹皮が白い布を淡いピンクに染める。

    「桜はね、花を咲かせる直前、木全体がピンク色に染まっているの。下に死体が埋まっていても、木全体を染めるんじゃ、薄くなってしまってもしょうがないでしょう?」

     そう言って、彼女は手の上の端切れを撫でた。


     彼女は桜の花が好きだった。
     人であふれかえるその木の下へ、彼女は毎年必ず行った。
     俺は誘われても行かなかった。人ごみが嫌いだったのもあるし、彼女の相手をするのに疲れ始めていたのもあった。

     彼女は全ての植物に対する愛を、3日で散ってしまうその花へ残らず向けた。
     それはきっと、人間に対しても同じだったのだろう。
     彼女の愛は一途だった。そして、彼女の愛は重かった。

     別れを告げたことはきっと、間違っていなかったはずだ。
     そうでなければ、俺はその先永遠に、彼女の重さに耐えながら生きなければならなかっただろう。


     木の全体に回って、薄くなった赤い色。
     彼女が愛おしそうに撫でていたその色は、一体何が染めていたのだろう。




    「ねえ、さっきからあなたのダグトリオ、同じところをずっと掘ってない?」
    「うん? 何かあったのかな?」


     ああ、そのままこっちに来てくれよ。
     俺もそろそろ、誰かに見つけてもらいたいんだ。





    +++++

    現実逃避に出かけたら桜が満開だった。
    夜だし明かりもなかったからほとんど見えなかったけど。
    とりあえず定番のネタで即興で書いてみた。


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