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| タグ: | 【#タイトルをもらってどんな話にするか考える】 【さあ、野球だ野球だ】 |
トレーナーとして旅をしようと故郷を飛び出して、3つ、驚いたことがある。
ひとつは、ポケモントレーナーの、特に若年層への待遇が格段にいいこと。
ふたつめに、先の戦争での新型爆弾が投下された日付も時間も知らない人が多いこと。
そして最後に、野球が遠い存在であること。
深夜だというのに、今夜のコンビニは妙に繁盛している。
僕は客が抱えてきたおにぎりやらサンドイッチやらのバーコードを読み取り、728円です、と告げる。見るからに10代半ばの少女は、赤い長財布から1000円札と硬貨4枚と緑色のポイントカードを取り出した。
280円のお返しです、とレシートとお釣りを渡す。受け取る左手の手首には最新型のポケナビ。白と桃色のボディにきらきらとしたラインストーンをちりばめてある。
はて、どこかで見たことあるような。そう思いながらありがとうございましたーまたお越しくださいませーと言うと、この時間に出歩くのはいかがかと思われる年頃の少女は僕に軽く頭を下げてコンビニを後にした。
少女に続いて、コンビニにたむろしていた人たちがぞろぞろと外へ向かう。何だ、妙に人が多いと思ったらあの子を追いかけてたのか。集団ストーカー事件か? とかぼんやり考えていると、コンビニを出たところで少女の周りには人だかりができ、みんな油性ペンやら何やらを少女に差し出している。
あ、思い出した。あの子、この前あったバトルの大会で優勝した子だ。ああなるほど、どうりであのポケナビ見覚えがあると思った。こんな時間に女の子ひとりで外に出るなんて危ないと思ったけど、あの子の腰につけてるボールにはちゃんとした護衛がいるわけだ。
なるほどなるほど、と心の中で納得しながらレジを打っていると、財布の中を漁っていた客が店の外の女の子と僕の顔を交互に見て言ってきた。
「あの、お兄さん、もしかしてこの前の大会であの人と3回戦で当たった人ですか?」
僕は小さく咳払いして、まあ一応、と小声で言った。
バイトを上がって、陽が昇り始めている人通りの少ない道をだらだらと歩く。
ポケットからスマホを取り出すと、メールが1通届いていた。差出人は母親。ため息をつきながら開くと、いつもと同じような文面が目に入った。
いつまで遊んでいるのか。早く帰ってきてまともな職につきなさい。ポケモンを扱いたいならトレーナーなんかじゃなくてもいいだろう――
僕はもう1度ため息をついて、メールをゴミ箱へ投げ入れた。
ここカントーやジョウトと違って、僕の故郷ではトレーナーに対する風当たりが強い。
戦後、カントーやジョウトが先陣を切って職業トレーナーの育成と発展に大いに力を入れ、世界的にも有名なトレーナーを何人も輩出してきた。その一方で僕の故郷ではトレーナー制度の普及が遅れ、その結果今でもトレーナーとして旅に出る人数は他地方と比べて圧倒的に少ないし、実力あるトレーナーもほとんど登場していない。かれこれ15年続いている、他の地域では大人気の、ピカチュウを連れた少年トレーナーが主人公のドラマも、僕の故郷では周遅れどころかゴールデンタイムですらなく、早朝6時とか夕方4時半とか、完全に見せる気の無い時間帯にしか放送していない。特に年配の世代では、職業トレーナーなんて無職の遊び人と同じ、情けない、くだらない、駄目な奴がなるものだ、と思いこんでいる人が未だに多い。
そうは言っても世間の流れには逆らえないもので、特に刺激に飢えている若者なんかの間では、徐々にトレーナーを目指す者も増えている。僕もその中のひとりで、18で高校を卒業してすぐ、親の猛反対を押し切ってトレーナーとして故郷を飛び出した。
あれからもう7年。気がつけば僕は25で、圧倒的に若者の多いこの地方のトレーナーの中では年上に分類されるようになってしまった。
職業トレーナーの収入と言うのは基本的にバトルしかなく、大会に出て入賞したり、トレーナー双方合意の下で賭けバトルをしたり、そうやって賞金を稼いでいかなければならない。幸いなことにこの地方のトレーナー支援は手厚く、旅をしていれば食事も宿泊もポケモンの治療費も基本的には無料だ。
しかしそれでも、淘汰は激しい。強いものは賞金を手に入れ、世間に注目され、スポンサーもついて、何不自由なくバトルに専念できる。勝てない者は収入がなく、収入がなければバトルのための道具や薬も買えず、また負ける、という悪循環。バトル1本でやっていけない者は兼業トレーナーとなるか、他の収入を求めてバイトでもするか、いっそすっぱり諦めるしかない。
言うまでもなく、僕もバトルだけではやっていけないひとりだ。戦績は決して悪いわけではない。全ての勝負の勝率を出せば7割は超える。ただ、僕の特性は「ムラっけ」らしく、どうも安定した結果を出せない。結果収入も安定せず、生活のためにコンビニでバイトしている。
親の考えや物言いは古臭いし、いらっとする。でも正直なところ、このままでいいのかなあ、と考えているのも事実だ。
だって、もう25である。この地方でトレーナーを辞める人数が、続ける人数を上回るのが22歳だ。僕が旅に出た時にはもうこっちの地方の同年代の子は辞めるか辞めないかを考えていた。高校の同期だった人たちの大半はとっくに大学を卒業して、大学院も卒業して、一般企業でバリバリ働いている。
そんな中で、勝率7割程度の低収入バトルを繰り返し、だらだらと生活を続けている。テレビを見れば僕よりずっと年下のトレーナーたちが、派手なバトルを繰り広げては喝采を浴びている。
いっそ、親の言う通りすっぱりやめて故郷に帰ればいいのかもしれない。でも、もう後戻りすら難しい年齢に差し掛かっている。今更戻れないという妙な意地と、自分はまだやれるんだという盲目的な思い込み。
二進も三進もいかず、今日も長期滞在中のポケモンセンターで直近の小さな大会を探す日々だ。
数週間後に開催される小さな大会の申し込み手続きをし、日が暮れはじめたタマムシの町をあてもなくぶらぶらと歩いていた。
今日はバイトも休み。明日は夜10時から朝の7時。バトルの申し込みもないし、かといって他にやることもない。
さてこれからどうしようか、と顔を上げた時、僕の目に見覚えのある、懐かしいものが見えた。
真っ赤に燃える炎の色を身にまとった集団。
コンクリート色の都会に輝く、緋色のユニフォーム。
野球だ。僕の故郷の、赤の球団だ。
思わずその集団を追いかけていくと、深緑と橙の外壁の球場へたどり着いた。タマムシを保護地域とする、スウェロー……オオスバメを象徴とする球団の本拠地だ。
白地に紺と赤のラインが入ったユニフォームに、同じくらいの人数の緋色のユニフォームが混ざり込んでいる。
チケット売り場へ向かうと、外野自由席がまだ残っていた。購入して、レフト側外野席へ向かう。
スタジアムの中は、半分が緋色に染まっていた。適当な席を確保し、グラウンドに目を向ける。
グラウンドではビジターチームの練習が行われていた。緋色のユニフォームと帽子を身にまとった選手たちが準備を進めている。僕の故郷の球団。マジカープ……コイキングを象徴とする、スカーレットの球団。
『野球』というものがマイナーな競技になって、もうずいぶん経つ。
一昔前までは、スポーツと言えば野球、という風潮があった。僕がまだほんの子供だった頃まではそうだったと記憶している。
しかしここ数年、趣味の多様化、特にポケモンバトルやポケモンを交えた競技の普及によって、野球の人気は一気に落ちた。決定打となったのが、20年ほど前にイッシュ地方から入ってきた、ポケモンと共に行うベースボール、通称ポ球だ。流入当初はポケモンの「P」と「YAKYU」をくっつけて「ピャキュー」などと呼ぼうとする運動が起こった気がするが、結局そちらは定着せず、「ポケモン野球」を略して「ポ球」と呼ばれている。
ポ球では事前に登録されているポケモンの中から6匹まで、メンバーの中に入れることができる。選手以外にもあちこちでポケモンが活躍し、観客席への持ち込みも一部を除き基本的に自由だ。ポケモンが行う競技はさすがにダイナミックで、剛速球を投げるカイリキー、場外ホームランになってもおかしくない当たりをキャッチするピジョット、イニング間にチアリーダーとダンスをするピッピとプリンの群れなど、見ていて楽しいことは間違いない。
一方、野球はそれと相対する存在となっている。グラウンドへのポケモンの持ち込みは基本的に一切禁止、客席でもボール外での携帯禁止、マスコットですらポケモンに模した姿をしていても、中に人……いや、夢と希望が詰まった着ぐるみでなければならない。
ある意味徹底的にポケモンの存在を排除した世界に、特にトレーナー世代では反発を覚える人がいるのも無理はない。テレビでの中継はほとんどなくなり、球場へ足を運ぶ人も激減。最近では野球を見るのは頑固者とポケモン嫌いとひねくれ者くらい、なんて悪意のこもった冗談を言われるくらいだ。
しかしながら、僕の故郷では少々事情が異なった。
元々職業トレーナーの普及率が低く、ショービジネスとしてのポケモンに反発を覚える人が一定層いるのもあるが、それ以上に、あの地域では昔から『野球』というものが、スポーツの枠を超えた生活の一部として根付いているのだ。
町を歩けばチームカラーの緋色が目に入る。あらゆるものにチームの名を冠し、テレビでは朝から晩まで野球の話、そこらを歩く小学生や女子高生ですら休み時間に野球の話で盛り上がる、そんな場所だ。
何と言うか、好きとか嫌いとか興味あるとかないとかそういう次元をとうに超えた、DNAに刻み込まれた魂の一部みたいなものである。割と冗談ではなく。
野球を見るのなんて何年振りだろう、と思いながらその様子を見回していると、外野のセンター付近、グラウンドの一番端で、投手陣が集まってアップをしているのが見えた。その集団からひとり、早々に準備を切り上げて、ベンチへ下がっていく選手がいた。その背番号を認識し、僕は驚きと嬉しさと高揚感がごちゃまぜになった不思議な感覚を覚え、思わず笑顔になった。
彼は僕が学生時代、まだ故郷にいた頃、一番応援していた選手だった。
僕がもうすぐ高校に入学するというころ、彼は大学を卒業すると共にドラフト1位で入団した。彼と僕の出身地が割と近くて最初の興味を持った。
次に僕が興味を持ったのは、彼が最近では珍しい進学校に通っていたことだった。職業トレーナーの普及に伴って、大学以上の高等教育を受ける人口は減り続けている。学力が重要視されなくなってきた世の中、彼の通う高校はポケモンバトルや育成に関する教育をほとんど行わないことで有名だった。大学での専攻も、ポケモンに全く関わりのないことだった。
高校、大学と名を上げた選手というわけではなく、スカウトの人があちこちを歩きまわって見つけた逸材ということだった。本人もドラフト1位指名は予想外だったようで、群がる記者の質問にわたわたしながら答えていたのを今でも覚えている。
ルーキーイヤーは開幕早々に先発投手のローテーション入りを果たしたが、夏前にリリーフに転向。後半戦からはメインのクローザーとして順調に登板を重ねた。重い速球と恐ろしいほど曲がる変化球が持ち味の、力で押して空振り三振を取るタイプのピッチャーだった。
ただ、僕が故郷を飛び出して頃から少しずつ成績を落としていたらしく、ここ数年は故障もあって1軍に上がらない日々が続いていた、はずだ。はずだ、というのは、故郷を出て以来僕は全くと言っていいほど野球というものの情報を入れていなかったからだ。野球が必要以上に根付いている僕の故郷と違い、最近の世の中はポケモンが絡まないと認められない人が多いらしい。生活の中に入り込んでいた故郷と違い、こっちでは探さないと出てこない。夜のニュースのスポーツコーナーの片隅にほんの少しだけ出てくる情報を、時々眺める程度にとどまっていた。
試合は結局、僕が応援していた選手が登板することはなく、相手チームの打線が大爆発を起こし、こちらはもう笑いしか起こらないくらいひどい大敗を喫した。それでも緋色のユニフォームを纏った集団は、最後までわいわいと熱く盛り上がっていた。ここだけ見れば、野球が世間的には斜陽なんて本当なのかな、と思えるほどだった。
その夜、僕はポケモンセンターに戻り、球団のホームページから、あの選手の背番号のユニフォームの通販を申し込んだ。
赤い球団がカントー地方へ来る時、緋色のユニフォームを纏って、タマムシやヤマブキの球場を巡る日々が続いた。昼間はトレーナーとしてポケモンバトル、夜は野球観戦、試合のない日はコンビニでバイト、というのが僕の生活パターンになった。
僕が同じ背番号を背負ったあの投手も、何度か登板した。彼は今もっぱらセットアッパー、中継ぎ投手として活躍していて、僕が見ていた試合では今のところ好投を続けている。
ただ、彼が登板する度、球場がざわめいて、時には口汚いヤジも飛ぶ。理由は僕もわかっている。
彼は少々、僕と同じ、特性「ムラっけ」のある投手なのだ。最終的には抑えても、その前にランナーを出すことが多い。失点することもある。それ故に、彼は「試合を壊す」だの「胃薬必須」だのとなじられることが多いのだ。
しかし、投手というのは損な役回りだと常々思う。バッターは3割打てば一流と呼ばれて賞賛される。ピッチャーは7割抑えても詰られる。プロの勝負の世界だ。勝った負けたもあるだろう。それなのに、味方のはずのファンに罵倒されるのはどういうことか。
彼のユニフォームを纏って球場に来る度、試合の流れとは関係のないモヤモヤが僕の中に漂うのだった。
それにしても、僕がしばらく野球を見ていなかった間に、彼の投球スタイルが随分変わった気がする。ケガから復帰して以来、球威で押すより変化球を多く使った軟投派に変わったようだ。
その辺りを確認してみようと、ウェブ百科事典の彼の項目に目を通してみる。便利な世の中になったものだと思う。怖いところもあるが。
経歴の項目をたどっていると、ある言葉が僕の目に飛び込んできた。
『特別児童養護施設 もみじの樹』。
特別、と濁して書いてあるが、この施設に入る子供の境遇はみんな同じ。
『携帯獣関係特別児童養護施設』、通称『特携』。
ここにいる子たちはみんな、親がトレーナーとして旅立ち、取り残された子供たちだ。
職業トレーナーとして旅立つ若者が増えたことで、様々な社会問題が浮上してきた。その中のひとつに、家庭を持ったトレーナーが、家を棄てて旅に戻るというものだった。
旅のトレーナーがその先で恋人を作り、再びどこかへ行く場合。行きずりの関係で子供が出来て、誰の子とも言いだせず育てるのを放棄した場合。両親ともに旅のトレーナーだったのが、子供を棄てて再び旅に出る場合。いくつパターンはあるが、いずれにせよ旅に子供は邪魔だから、と棄てられる子が後を絶たない。特携はそうやって棄てられた子たちが集められる。
特携が出来た理由としては、トレーナーの親に捨てられた子たちにポケモンを忌み嫌う子供が大勢いたからだ。まあそりゃ当然だとは思う。政府としてはトレーナー産業を推奨したい、しかし現状ではトレーナーのあり方を批判されかねない。だからそういう子たちを収容して世間的には保護してますよとアピールしつつ、ポケモンやトレーナーがトラウマになっている子を何とかしよう、という感じだ。実際のところ、その活動が上手くいっているとは僕は思えないけれども。
なるほど、と僕は思った。彼がポケモン関係の授業がほとんどない進学校を選んだのも、ポ球ではなくポケモンが関わらない野球を選んだのも。
彼はポケモンが嫌いなのだ。トレーナーが嫌いなのだ。だからポケモンから隔絶されている『野球』を選んだのだ。
それに気付くと、僕は何ともいたたまれない気持ちで、胸が張り裂けそうになった。何とも言えない罪悪感のようなものが溢れてきた。
僕はトレーナーだ。割といい年をした。自分が勝手に彼に親近感を持って応援していたけど、きっと彼は僕みたいな人間が、一番嫌いなのだろう。
ファンになる資格など、僕にはないのかもしれない。
ポケモンセンターの2段ベッドの柵に引っかけた、緋色のユニフォームを見ると、胸の奥がぎゅっと苦しくなり、じわりと涙が込み上げてきた。
ポケモンバトルの方も、相変わらず勝率7割位を漂っていた。
わかっている。ここからもうひと踏ん張りしてもっと勝率を伸ばさなければ、大会上位に進むのは難しい。大会はほとんどがトーナメント制。負けたらそこで終わりだ。「ムラっけ」が発動して1回戦で負けたりしたら、そこで終わり。それが続けば、もはやトレーナとしてはやっていけない。
あの日深夜のコンビニで出会った女の子は、時折テレビの中継にも映っている。色々な大会で優勝している彼女は、今や立派なスターだ。勝率10割をキープし続けるのは、並大抵の努力ではないはずだ。
一度はバトルフィールドを挟んで向かい合っていたのに、随分遠い存在に思えた。あの日、僕はコンビニのカウンターの中にいて、彼女は店の外でサインの要求に応えていた。あの時にはとっくに、僕と彼女の立ち位置は決まっていたのだろう。
スマホで時間を確認する。もうすぐ夜明けのコンビニバイト。ため息が漏れるばかりだった。
もういっそ、すっぱり諦めて、辞めてしまった方がいいのだろうか。
応援も、トレーナーも、何もかも、全て。
「……ねえ、店員さん」
突然客に話しかけられた。何だなんだと見てみると、ちょうど思い返していた、あの女の子がレジ前にいた。
あ、すみませんいらっしゃいませ、と僕が慌てていると、彼女は笑顔で僕に言ってきた。
「ねえ、あなたも野球好きなの?」
突然の質問に僕が面くらっていると、彼女は僕のスマホを指差した。正確に言うと、スマホにぶら下がっている、ヘルメットとユニフォームのミニチュアのストラップを指差した。
「そのストラップ、マジカープでしょ? カープファン?」
「あ、えっと、はい……」
「わー! こんなところで同志に会うなんて思ってなかった!」
彼女はそう言うと、鞄から長財布を取り出し、僕に見せてきた。
赤い革製の長財布。隅っこにしっかりと「Magikarp」の刻印が入っていた。
ようやく空が白んできたくらいの時間帯、僕と彼女はポケモンセンターのロビーで向かい合って座っていた。彼女は有名人なので、部屋の隅の目立たない席だ。
廃棄処分になるコンビニスイーツ(本当は持ち出しちゃいけないんだけど)と缶コーヒーで、早朝の茶会が始まった。
彼女は以前僕と対戦した時のことを覚えていて、前に深夜のコンビニで客と店員として出会った時も相当驚いたらしい。まさか同じ球団のファンだとは思わなかったけど、と彼女は笑った。彼女はカントーの生まれで、僕の故郷とは縁もゆかりもないそうだ。だけど小さい頃、知り合いに連れられて野球場へ行き、それですっかりはまってしまったらしい。今も時折緋色のユニフォームを羽織って、球場に足を運ぶそうだ。
意外だな、君みたいな子はみんなポ球の方が好きなんだと思ってた、と僕が言うと、彼女は困ったようにはにかんだ。
「ううん、私、バトルは観るのもやるのも大好きなんだけど、競技はいまいち、こう、ねぇ。まあ、好みの領域だけど。でも人と人のガチンコ勝負の方が私は面白いなあ。確かに地味だけど」
なるほど、こういう好みの人もいるのか。実力のある若いトレーナーはみんな、何でもかんでもポケモンが混ざっていればいいのかと思ってた。
誰のファンか、と聞かれたので、ユニフォームの選手を答えると、私も好き! と顔を輝かせて言った。
「私ね、ポ球より断然野球が好きになったの、あの選手の影響なの!」
はて、と僕は首をひねった。知らないの? と彼女は驚いた表情を見せた。
「今から……7年前だっけ。私まだ8歳だったけど。あったじゃない、合併騒動」
ああ、と僕は首を縦に振った。
ちょうど僕が、故郷を飛び出した位の頃のことだ。
野球は一度、消滅しそうになったことがある。
イッシュ地方から入ってきたポ球は、あっという間にこの国の国民の心をつかみ、瞬く間に浸透した。ポ球は独自にポケモン・リーグ、通称「ポ・リーグ」(運営団体としては響きがイマイチという理由で「Pリーグ」という呼び方を浸透させたかったようだが、もはや定着している)を設立し、各地に球団を持つようになった。とあるデータによれば、ポ球の広がりにより、野球は観客動員が50パーセント以上減少、球界全体の経済損失は量り知れないという。球団によってはこれ以上の運営が困難となり、球団の譲渡や合併が巻き起こることとなった。
そんな中持ち上がった話が、従来の『野球』リーグの廃止と、『ポ球』への路線変更。全ての球団でポケモンを用いるという、『リーグ一本化』である。
この案が成立すれば、人間だけで行われる「野球」は事実上消滅。そしておそらく、二度と復活することはない。そんな状況に、本当にあともう1歩のところでなるところだった。
そんな中、反対の声を上げたのが、野球を愛するファンと選手会である。
合併を強行しようとする野球機構に対し、選手会長を筆頭に、抗い、話し合い、激しいバトルを繰り広げた。機構のお偉方に毅然として立ち向かっていた選手会長の姿は、僕も覚えている。
結果として合併は起こらず、「野球」と「ポ球」はそれぞれ独立して存在することとなり、その象徴のように野球からはポケモン要素が締め出され、今に至る。
「でもね、ファンの中にも、選手の中にも、ポ・リーグへの合併やむなしって声もあったのね。そりゃそうよね、だって収入がなかったら自分たちの年俸もなくなるし、観客が来ないのは辛いもの。そうしたら選手が離れて、レベルが下がる。レベルが下がると面白くなくなるから、観客がますます来なくなる。そうやって、ゆっくり死んでいくだろう、って」
だけどね、と彼女は目を輝かせた。
「そんな時にみんなの心をひとつにしたのが、あの選手の言葉だったの!」
そんなことあったっけ、と僕は眉を寄せた。何せ騒動があった時、僕はちょうど野球から離れつつある頃だった。だから騒動の概要は知っていても、詳しいことは知らない。というか、どうしてそこであの選手が出てくるんだ。そう思っていると、あの時選手会だったんだよ、と言われた。なるほど。
とにかく、ぐだぐだ説明するより見ればいいよ、とタブレットを操作し始めたが、その途端、あ、と彼女の表情が固まった。
「ごめん、今日朝からテレビに呼ばれてたんだった……。本当ごめん、今すぐ行かなきゃ」
用事が終わったらURL送るから、夜になるけど、と彼女は僕の連絡先を強奪し、ポケモンセンターの外へ走って行った。
今夜ナイターあるけどそれまでに間に合うのかな、あの子も今夜野球観るのかな、などと僕は思いつつ、夜までしばらく睡眠をとることにした。
6時になって試合が始まっても、彼女から連絡は来なかった。僕は一応スマホと一緒にイヤホンを持ち、球場の緋色の集団に紛れ込んだ。
今夜は先発投手が初回に早々ソロホームランを打たれ、1点ビハインドのまま淡々と試合が進んだ。お互いまともなヒットもなく、試合運びは割とサクサクしている。いや、サクサクしてたら困るんだけど。こっち負けてるし。
4回表のこちらの攻撃、1アウトになった頃、スマホにメールが届いた。URLからして動画らしい。選手会が合併反対を訴えて作ったサイトに掲載されていた、とメモ書きがあった。僕は応援に盛り上がるスタンドをそっと抜け出して、動画の再生ボタンを押した。
それはインタビューの動画だった。動画の中ではあの選手が、ポ・リーグとの合併についてどう思うか、野球選手としてどう考えているか、などを話していた。
その時、インタビュアーが尋ねた。
「あなたは『特携』の出身で、高校や大学でもポケモンと触れ合わない生活をしていたようだが、それが合併反対に影響を与えることはあるか?」
と。つまり、「お前はポケモンとトレーナーが嫌いだから合併したくないんだろう?」と遠まわしに言っているのだ。
すると彼は、困ったように笑い、そして穏やかな顔でこう言った。
「確かに、僕はトレーナーだった両親に捨てられました。それは今でも、僕にとっては悲しい思い出です」
「でも、それは必ずしも、マイナスの側面だけではありません。僕は人より少しだけポケモンから距離を置いて生きてきて、この世界におけるポケモンの影響力を見てきたつもりです。ポケモンが与えるいい影響も、悪い影響も、出来るだけ冷静に、見てきたつもりです」
「まず言っておきますが、僕はトレーナーやポケモンが嫌いなわけじゃありません。悲しい思いはしましたが、それとこれとは違う話です」
「学生時代は、確かにポケモンやトレーナーから出来る限り距離を置きたいと思っていました。だけど時が経って、色々と見て、学んでいくうちに、考え方も変化していきました」
「現状のトレーナー制度には、問題があるとは個人的に思います。僕みたいな子供を減らす努力はしなければいけません。でも、それと僕がポケモンやトレーナーを憎むのは、違う問題だと思ったんです」
「ポ球は何度も観ました。参加させてもらったこともあります。素晴らしいスポーツだと思います。人間だけでは決して出来ない、ダイナミックなプレーは大きな魅力です」
「だけれども、僕は、野球は決してそれに負けない、強い力を持っていると思います」
「僕は人間です。野球をやっているのも、僕と同じ人間です。人がやることだからこそ、僕は心が動かされたんだと思います」
「人に影響を一番与えるのは、人だ、と僕は思っています」
「子供の頃、野球選手を見て、僕は生きる力、みたいなものをもらいました。それは派手な動きとか、神業的なプレーによるものではなかったと思います。でも、野球選手は僕にとって『ヒーロー』でした」
「野球選手になった今、今度は逆に、野球を愛してくれるたくさんの人から、僕は力をもらいました。今度は僕が、皆さんに力を与えられたら、と思っています」
「だから、僕は野球が消滅してしまうことに反対です。この競技がいいんです。この競技でなければいけないんです」
そして彼は歯を見せて笑い、こう言った。
「野球は僕の、魂の一部なんです」
動画が終わった。
僕は大きく深呼吸をして、涙が溢れそうになるのをぐっとこらえた。
赦されたような気がした。自分が勝手に罪悪感を持って、勝手に憂鬱になっていただけなのに。
ファンである資格がないと思い込んでいたのは、自分だけだった。
彼はいつでも、球場で待っていてくれたのに。
もう1回深呼吸をすると、ちょうど4回裏が始まるところだった。僕はスマホをポケットにしまい、スタンドに戻った。
ここまで1失点ながら好投していた先発投手だったが、4回に入って突然制球が乱れ始めた。
フォアボールを連発し、1、2塁が埋まる。捕手とコーチがマウンドに向かい、内野手も交えて話し合いをしているようだった。レフトスタンドの緋色の集団はざわざわと不安そうにざわめき、ライトスタンドからはチャンステーマが高らかと鳴り響く。
選手たちが定位置に戻り、ピッチャーが3人目のバッターに1球目を投げた、その時だった。
打ち返された速球が、投手の頭に直撃した。
ピッチャーが頭を押さえてその場に崩れ落ちた。スタンドから悲鳴が上がる。すぐにタイムがかけられ、緋色の選手たちがマウンドに集まった。
しばらくの後、投手はふらふらと立ち上がった。スタジアム全体から安堵の声が漏れた。しかし外野席から見ても、その様子は万全とは思えなかった。
監督が球審の元へ駆け寄り、何かを話しあっていた。そのすぐ後、投手は控え選手に背負われ、ベンチへ戻って行った。
緊急登板(スクランブル)だ。レフトスタンドが異様なざわめきに包まれた。
マウンドへ走ってきたのは、僕が羽織っているのと同じ背番号を背負った、あの投手だった。
こぼれ落ちたボールをいつの間にか投手のすぐ横まで移動していた2塁手が拾って処理していたことで失点はしなかったが、無死満塁。
レフトスタンドが、これまでとまた違うざわめきに包まれる。今日の相手投手はいい。これ以上点を与えるわけにはいかない。「ムラっけ」のピッチャー、ましてや緊急登板。十分な準備は出来ていないはずだ。大丈夫か? という雰囲気が緋色の集団に蔓延していた。
マウンドでは投球練習が始まっている。ごくり、と息をのむ雰囲気がスタンドを覆っている。
「……れ……、頑張れ! 頑張れーっ!!」
気がつくと僕は、立ち上がって声を張り上げていた。周りの視線が僕と、僕が来ているユニフォームに向けられる。
呆気に取られていた周りの人たちが、つられて声を出す。応援団が太鼓を叩く。やがてレフトスタンド全体から、頑張れ、頑張れ、の大合唱が始まった。
試合が再開された。あちらの攻撃の間、僕たちはじっと見守ることしかできない。何となく重苦しい空気が漂っている。
1人目、外角高めのストレートを見逃してストライク。2球目、3球目は内角へのスライダー。4球目をバットの先で何とか引っかけたが、投手のすぐ目の前へのゴロとなり、ホームへ送って1アウトとなった。
レフトスタンドからほっとした息があちこちから漏れ聞こえた。しかし2人目のバッターがバッターボックスへ立つと、再びぴりぴりとした空気に支配された。
2人目は初球から振ってきた。2球目がやや甘く入ったところを、狙って打たれた。しかし2塁手が素早く飛び付いてダイレクトキャッチし、即座に他の内野手へボールを送って牽制することで、ランナーを進ませなかった。
これで2アウト。スタンドがざわめく。これまでの不穏なざわめきの中に、明らかに高揚が混ざっていた。
3人目。1球目、2球目を見送られ、3球目をファール。4球目の外角低めの真っ直ぐを再びファール。5球目のスライダーはわずかに外れてボール。6球目もまたファール。
投手は帽子を取り、ユニフォームの袖で額の汗をぬぐった。ライトスタンドからはバッターへの声援が飛び交い、レフトスタンドはじっと黙って投手の一挙手一投足に注目していた。
7球目。
振りかぶって投げられた球は、バッターの正面に飛んできた。
狙い澄ましたバットがボールを叩かんとしたまさにその瞬間、ボールは急にがくっと軌道を変えて落ち、ワンバウンドしてキャッチャーのミットに収まった。
バットが空を切った。空振り、三振。3アウト。
レフトスタンドが総立ちになった。歓喜の声がスタジアムを包んだ。
僕も声にならない歓声を上げてガッツポーズをした。何が何だか分からなくなって、今までずっと堪えていた涙がボロボロと零れおちた。
周囲の人たちが、おう兄ちゃん良かったな、最高だったな、と言って、カンフーバットで僕のユニフォームの背番号をバンバン叩いた。
試合は7回表、期待の若手の今シーズン第1号逆転2ランホームランによって、見事逆転勝ちを収めた。ヒーローインタビューに呼ばれたスラッガーは、若さあふれる輝きで満ち溢れていた。落ち着いて考えたら僕より5つ以上年下だ。うわあ。考えたくない。
レフトスタンドは試合が終わってからもしばらく、楽しく歌って勝利の余韻を噛みしめていた。
グラウンドの端を、緋色のユニフォームを着た選手たちが荷物を抱えて歩いて行った。僕がそれを見ていると、緋色のユニフォームの集団に混ざっていたあの投手と一瞬目があった、ような気がした。
『人に影響を一番与えるのは、人だ、と僕は思っています』。
勝ちもつかない、ホールドもつかない、ヒーローインタビューにも呼ばれないし、おそらく夜のスポーツニュースのハイライトでもカットされることだろう。
それでも今日の彼は、緋色のユニフォームを纏った彼は、僕にとってこれ以上ない、魂を燃やしてくれる『ヒーロー』だった。
スマホがメールの着信を告げた。あの女の子からメールが届いていた。嬉しそうにはしゃぐ本文に、バックネット裏で撮ったと思しき写真が添付されていた。
僕はバックネットの方をちらりと見てふっと笑い、メールを返した。
『また、どこかの大会か、球場で』
思い付いてやめたやつなのです。
【金の羽銀の羽】
ねぇ、知ってる?金の羽と銀の羽を森のお社にお供えすると、セレビィが現れるんだって。
という、話。ふくらみすぎたのでボツ。あらすじすら書ける気がしない。
【ニセモノ市】
金の羽銀の羽と同じ村にしたのが間違いだった。
膨らみすぎ第二弾。一年に一度森のポケモンが人の皮を被って人と混じって遊ぶお祭りの話。
【石の魔女】
ゲンガナイトくれるねーちゃんの話。
膨らみすぎ第三弾。
ほいほい貴重なゲンガナイトくれるなんて、何者?→そういや外見オカルトマニア→そうか、ゲンガナイト作れるのか!→魔女だ!魔女だ!
【屑塚の王】
上のとは別物。
姥捨て山の話。
屑塚の王が、そう呼ばれている理由の話。
【森の意思】
これも、金の羽銀の羽と同じ村の話。
木々の根っこが菌によってネットワークのように繋がってるところから。
村の外部からの悪意が弾かれる話でした。
ボツ理由は落ちがない。
思い付いたけど文章にならなかったんです。
・バケッチャ避けだったハロウィンの扮装(バケッチャが「ハロウィン」で人を幽霊にしてさらう→そうだ! カボチャ用意したりゴーストの恰好をして「俺もうゴーストだから!!」って言い張ろう!)
・スイクンと御神渡り(御神渡り:湖の結氷時に線状に氷が盛り上がる部分ができること。諏訪湖、屈斜路湖が有名)スイクンが氷下の水を浄化して通った時の跡で、これが大きく出ると来年は豊漁とかそういう話。
・エイチ湖が不凍湖である話(不凍湖:冬でも凍らない。摩周湖、支笏湖他)あの周囲が一面雪の環境でも波乗りが普通に出来るので不凍湖に違いない→テンガン山の温泉が流れ込んでるんだろうけど、不思議がられそうだし何かしら言い伝えがあるのでは?)
【鳥居の向こう/フォルクローレ】
・ローレライの正体が実はパンプジンである。(草ポケが川の妖怪なんて意外だね! と思ったけど、そもそも川にいてローレライやりそうなポケモンがあんまりいない……)
・見たら呪われる動画がある。その動画で流れているのはパンプジンの歌声。(ほいで、ってなった)
・バケッチャの交換会のお話。(鳥替え神事がダブるので諦めました)
・デスマスを連れてきて故人を悼むみたいな話。(まとまらぬ)
【ミアレの都市伝説】
・美術館の音声案内。怖い声or内容が流れてくる絵がある。
・ミアレシティの五つの広場にあるモニュメント。あれは非常時にプリズムタワーと合体して巨大ロボットになる。
書き出してみると割と少なかったのです。ちーん。
色違いを見つけた。ちなみに2匹。
ズバットとメノクラゲの2匹で、よく見ると、2匹ともメスである。
ここはホウエン地方の南東に位置する小さな島村・ムロタウン。
その近くにある洞窟の前の砂浜に、瀕死手前の状態で倒れていた。
ズバットはまだ、翼をバタバタとさせて、何とか飛ぼうとしている元気はまだあるが
問題は、その横で力なく倒れているメノクラゲの方で、かなり酷かった。
麻痺状態に加えて、体中大きな怪我だらけ。
普段はゼリー状のツルツルとした体は乾燥気味だ。
よく見ると血も出ている。息はしている。しかし、意識は無い。
早く治療しないと、このままでは死んでしまう。
重症のメノクラゲをそっと抱き上げると、ズバットが隣で
キィーキィーと、先程より甲高く鳴き、威嚇してきた。
どうやらこのズバット。メノクラゲを守ろうとして返り討ちにあったらしい。
「大丈夫だ。落ち着けよズバット。俺はこいつをポケモンセンターに連れていくだけだ。」
「キィー!キィー!」
「大丈夫。女の子に手荒なマネはしない……信じてくれないかな?」
「キィー……。」
ズバットは悲しそうに、耳を垂れ、俯く。
友達であるメノクラゲを守れなかったことを悔やんでいるようだ。
「大丈夫。お前の友達は必ず助ける。俺はタケル。
しがないトレーナーだが、お前やこの子を守ることはできる。
だから、信じてくれ、ズバット。」
ズバットは、悲しそうな表情のまま、俺に抱き着いてきた。
相当悔しかったし、悲しかったし、何より辛かったのだろう。
「よしよし。よく頑張ったな……大丈夫。大丈夫だから。な?
さあ、早いとここの子を助けに行こうぜ?」
ズバットは泣きじゃくりながら頷く。
俺はもう一度、彼女の頭を撫でてからメノクラゲと一緒に
腕にしっかり抱えると、ムロタウンのポケモンセンターへ、大急ぎで向かった。
*あとがき*
NOAHです。今回は色違いに関するお話し。
タイトルの意味はそのまま色違いです。
ズバットとメノクラゲにした理由は、初めてサファイアをプレイしたとき
ムロジム攻略に意気込んでポケモンを育てようとムロタウンの北の洞窟で
偶然色違いのズバットに遭遇。
そのあとボロの釣竿を貰ってさっそく使い
初めて釣り上げたのが、色違いのメノクラゲでした。
同じ日に2匹の色違いに出会ったことに興奮したのはいい思い出です。
サファイアではその後も大活躍してくれた
愛着のある2匹です。そのため、この2匹を主幹に置いて書いてみました。
私がどくタイプ好きになったのもこの子たちのおかげです。
NAME:タケル
モデルはRSE の男主人公。性格は勇敢
パートナーはミズゴロウのアグリ。性格は慎重
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評してもいいのよ】
ニンゲンになりたかった。
その手に筆を持ち、ノミを持ち、何かを作り出せるニンゲンに。
一浪で入ったカイナ大の入学式、その入場待ち列は騒がしかった。多岐にわたる学部・学科、それだけの人数を一気に収容できる施設は大学構内に無かったから、それは博物館近くのコンサートホールで行われた。入学式も、卒業式も、この大学は伝統的にそうらしい。
何、つまらないイベントだ。学長の長い挨拶に始まって、学部長の挨拶、教授陣の紹介が始まる。これがえらく長いのだ。こんなものは学校側の為にあるものだ。あるいは二階席で式を見守る保護者達の為のものだ。つまりは社会的対面を満足させる為のものに過ぎない。
吹奏楽部の演奏が入ったところで一度、休憩が入る。その時点でオリベは抜け出した。入学式を抜け出した。ここには自分を監督する両親は不在である。要するに自身がここにいる必要は無いと彼は悟った訳だ。それならば少なくとも在学中は暮らす事になるであろうこの街を見ておいたほうがよほど有益であろう。彼はそう考えて、入学式を抜け出したのだった。
カイナシティにはつい数日前に越してきたばかりだ。新居は間取りしか見ていなかったが、ひどいボロアパートだった。送られてきた荷物も大した量は無く、開けるのに時間はかからなかった。ホウエンの入り口、カナズミまでは寝台列車に乗り、それからは本数の少ないローカル線の乗り継ぎを繰り返した。ずいぶんと遠くに来てしまった。だが、彼自身の望んだ事だった。
そういえば市場にはまだ行った事がなかったな。そう思って彼は目標をそこに定める事にした。バスを使えば近いらしいが、何せ金が勿体無い。ホールの近くに立っていた看板地図と睨めっこをして、カタヒラ川の河川敷を通って向かう事にした。カタヒラ川は大きな川であった。海に流れ込む直前である川の向こう岸は遠い。向こう岸に開花の時期が終わって葉ばかりになった桜が見えた。カイナシティはホウエンでは大きいほうの都市だったが、こうして少し外に出ればやはり田舎である。橋をかける以外の目的では人の手が入っていないように見えた。広い土手には石が転がっているか、背の高い草、あるいは低木が無秩序に生えている。時折盛り上がり丘になっている場所がいくつもあった。そんな風景がずっと続いているのだ。海に近いここの空ではキャモメがたくさん飛んでいた。きっと草原にも様々なポケモン達が潜んでいるに違いない。
見れば数メートル向こうで、高い草ががさがさと揺れている。なかなか揺れが大きく、大物のようだった。オリベは少し身構えた。揺れる草がだんだんと上に近づいてきたからだった。
が、草を掻き分けて歩道に現れたのは予想に反して人間であった。出てきたのは色の白い男だった。スーツを来ていたが、草の葉があちこちについていて台無しになっていた。その後に続いて何やら小さめの黒いポケモンが現れた。黒棒に大きな目玉が一つ、それは宙に浮いていた。
「…………、……」
オリベがあっけにとられていると、そのトレーナーと目が合った。
「やあ、こんにちは」
トレーナーが言った。
それがツキミヤソウスケとの出会いだった。
淡い色の髪でくせ毛、歳は同じくらいか。後に話を聞くと、同じく入学式をサボっていたらしい。
奇縁という言葉がある。不思議な縁という意味であるが、ツキミヤとの関係はまさに奇縁であろう。今でもオリベはそう思っている。
*
私の目はヒトより遠くを見つめる事が出来たし、ヒトが見る事の出来ないものを見る事も出来た。たとえば先の事だ。
近いうちに雨が降るよ。
そう伝えるとヒトは私に感謝を捧げた。
私はヒトに無い能力(ちから)をたくさん持っていて、ヒトビトはそんな私を神様と呼んだ。この土地では私達の一族は特に大切にされていた。ヒトが持たぬ能力(ちから)。それをヒトは畏れ、敬った。
けれどヒトのほうがずっと多くの事が出来るではないか、と私は思う。
私はある時、一人の青年に出会い、一層強くそう考えるようになった。
*
ツキミヤは志ある学生であった。何せ動機がしっかりしているのだ。考古学をやりたい、と彼は語った。それで人文科学科に入ってきたらしい。何でもホウエン地方というのは、遺跡の宝庫であるらしく、もっと高いランクの大学に行けるにも関わらず、わざわざここを選んだらしかった。
実家から離れたい、行ける大学、そういう理由でホウエン地方を選んだ自分とはえらい違いだとオリベは思った。
「カタヒラ川の流域って古墳群なんだよ。ちょっと探検しててね」
と、ツキミヤは語った。なるほど、入学式をサボっていたのはそういう事か。
いわゆる「意識が高い」連中をオリベは毛嫌いしていたが、ツキミヤとはどういう訳か馬が合った。何というか彼は屈託が無かった。キャンパス内ですれ違えば挨拶をしたし、学食や講義で一緒になれば、隣に座って話しかけてきた。
だがその一方で、オリベはだんだん講義に出なくなった。始まったばかりの講義にはたくさんの学生がいるが、そのうちのいくらかが抜けて、だんだんとメンバーが固定されてくる。学期が始まって一ヶ月も経つとそういう現象があちこちで起きる。オリベはどちらかと言えば抜ける側の学生であった。なぜなら学ぶ目的など無かったからだ。彼は下宿から大学へは行かず、行ってもすぐに抜け出して、海の近くの神社やカイナ市場で時間を潰す事が多くなっていた。
大学から坂を下って海側に下りていくと神社があった。石段を登り青い鳥居を潜ると境内に入る。入ってすぐの所、松の木の下に海風がほどよく吹きつけるベンチがあった。オリベはそこに横になって、空を見上げる。無数のキャモメが輪を描きながら飛んでいた。目を閉じるとみゃあみゃあという声と波の音が響いた。彼はこれらの音が好きだった。こうして目を閉じて耳を澄ましている間は雑音が入らない。何者でもなく、捕らわれない自分でいられた。
「やあ、こんな所にいたんだ」
声がしてオリベは目を開ける。見ると、ツキミヤとそのポケモンの大きな目玉が上にあった。
「……何しに来たんだ」
「最近見かけないからさ、どうしてるかと思って」
「講義は?」
「先生が風邪ひいてさ、休講」
「何でここが分かった?」
「こいつだよ。こいつ」
ツキミヤは親指を立てると自身の後ろに浮かぶ黒いポケモンをくいっと指差した。ポケモンは丸い皿みたいな大きな目玉を軸に、申し訳程度に付いた枝のような胴をぐるぐると回している。アンノーンであった。様々な形があって遺跡などにいるポケモンだ。
「こいつね、探し物が得意なんだよ。目覚めるパワーって奴? 名前はクレフ」
「形がQなのに?」
「鍵って意味さ。形が鍵に似てるだろう?」
「まあ……」
クレフと名付けられたアンノーンを見る。するとクレフはふわりと寄ってきて、一つしか無い大きな目玉でじろじろとオリベを見ると、ぐるぐると周りを回った。
「奇怪な奴だ」オリベが言うと、
「君の事を気に入ってるんだよ。だから見つけられたのさ」と、ツキミヤは答えた。
ツキミヤは神社の自販機でジュースを買うと、缶をオリベに投げてよこした。モモンジュース、なかなか暴力的な甘さだが、オリベの好物であった。学食で飲んでいたからツキミヤも知っていたのだろう。
「いいのか、これ」
「昼寝の邪魔をしてしまったようだからね」
「じゃ、遠慮なく」
かちりとスチールの蓋を開けて中に沈めるとぐびぐびとオリベは飲み始めた。隣でツキミヤも缶の蓋を開ける。彼の開けたのはサイコソーダであった。
「なあオリベ、明日は出てこいよ」
缶の中身が半分程度になったところでツキミヤは言った。
「何かあるのか?」
オリベが尋ねると
「考古学概論の野外実習があるんだ。場所はカタヒラ川古墳群」
ツキミヤは目を輝かせて言った。
「へ、へえ」
「面白そうだろ?」
「どうかな」
「オリベも来るよな?」
「……分かったよ」
大して興味など無かったのだが押し切られた。こんな事をわざわざ言う為にここまで来たのだろうか。変わった奴だと思った。気付けばクレフと名付けられたアンノーンがふらふらと境内を漂って行ったり来たりを繰り返していた。あのポケモンなりに楽しんでいるという事なのだろうか?
「オリベ、見ろよ。あれ」
そんなQのポケモンの動きを追っていると、ツキミヤが言った。振り返ると、青年は海に浮かぶ小島を指差していた。石垣で出来た人口小島で、その上は草木で覆われている。
「あれがどうした?」
オリベが尋ねると、
「台場だよ」
とツキミヤは答えた。
「ダイバって何だ」
「昔ここのあたりに外国の蒸気船が来た事があってね、その時に砲台を置いたのさ。もう砲台自体は無くなっちゃって、草ぼうぼうだけど。あれでも史跡なんだぜ」
「へえ?」
勉強熱心な男だと改めてオリベは思った。地中に埋まってるものしか興味が無いのかと思っていたのに。その後にも、ツキミヤはここの神社の言われなんかを語って聞かせた。何故そんな事を知ってるのかと尋ねたら、この間、ニシムラ教授の民俗学概論でやったと言われた。
「お前授業出てないからな、少しは出て来いよ。なんなら今までのノート見せてやってもいいぜ?」
そう言ってツキミヤは笑った。
「じゃあ次の講義あるから戻るわ」
そう告げるとツキミヤとアンノーンは石段を降りていった。忙しい奴だなぁ。そんな事を考えながら青年の背中を見送った。
そうして彼は、後になって知った。その日、講師は風邪などひいておらず、講義も通常通り行っていたらしい事を。
翌日にツキミヤの姿は大勢の学生と共にカタヒラ川にあった。オリベの姿には先にクレフが気が付いて、その動きから待ち人の到来を知ったツキミヤは軽く手を挙げて挨拶した。長袖長ズボンに軍手姿の発掘スタイルである。
実習が始まった。何、つまらない授業だった。大雑把な部分をシャベルで掘って、細かい部分や遺構を移植ごてで掘り進めて行く。溜まった土は「ミ」という塵取りを大きくしたような道具に集め、溜まったら土捨て場に捨てに行く。早い話が土木作業だ。何か埋まっていればまだ面白いのだが、そういう物が出てきた場合、素人の手出しは許されない。即座に教授か専門スタッフが飛んできて、学生はお役御免だ。つまりは力仕事の要員に過ぎない。ふと脇を見るとツキミヤが汗を流しながら、移植ごてで溝を掘っていたが何が楽しいのかさっぱりだった。
アホらしい。昼休憩を挟んで弁当を食べ終わった頃にオリベは現場を抜け出した。
カタヒラ川の土手は広かった。現場を離れて歩いていてもあちらこちらに小さな丘のようなものがある。もしやこれがみんな古墳なのか、とオリベは思った。手付かずの古墳もたくさんあるに違いない。
「ツキミヤの奴、ここの古墳を全部掘り返すつもりなのかな」
オリベはそう呟くとふかふかした草の生えた緩やかな傾斜の丘を選んで寝転んだ。天気はいい。海に近いこの場所にも、キャモメが飛んでいる。十字架のような形が逆光の黒になって空を舞っていた。さわさわと鳴る草の音を聞きながら、いつしかオリベは眠りに落ちていった。
――ユウイチロウ、ユウイチロウ。ちょっと来なさい。
そんな声が聞こえた。
振り返るとそこには母がいて、上からオリベを見下ろしていた。その手には何かの紙がある。
――またこんな点を取って。あなたこんなんじゃ進学危ないわよ。
母が言って、幼いオリベは顔をしかめた。ああ、この記憶は確か中学受験だったか、あるいは高校受験だったか、と。
「そんなの、上を目指すからだろ。俺、行ける所でいいから」
――そんな向上心の無い事でどうするの。お祖父様だってそこに行って勉強したのよ。
「じいちゃんと俺は違うだろ」
――ユウジロウだってそこに行かせるつもりなのよ。
始まった、と彼は思った。母はまた弟を引き合いに出した。
「勝手にすればいいだろ」彼は返す。
――だって、格好つかないじゃないの。あなたはお兄ちゃんなのに。
オリベは静かに母を睨み付けた。それは違う。格好が付かないと思ってるのは貴女ではないのか、と。
母にとっての成功モデルはオリベの祖父だった。彼は大学教授であった。そこはカントーでも随一の大学で。だから母は自分達兄弟に同じ道を歩かせようとしているのだ。同じ道、同じ学校に行き、同じ教育を受け、同じようなポジションに就かせる。それが母の教育の目的だった。それに対してオリベは反発を覚えたのだ。おそらくはポケモン関係の仕事をしている父の事も影響していたのだろう。彼はそのように理解している。一度ポケモントレーナーになりたいと言った事があったのだが、母の激しい反対に遭ったからだ。
一方で素直だったのは弟のユウジロウであった。彼は驚く程素直に、母の教育方針に従った。利発な弟だった。頭が良かった。それ故に母が弟のユウジロウに傾倒するのはごく自然な流れであった。
そのように母との確執が深まる中、ある夜に兄であるユウイチロウは聞いてしまった。ちょうど祖父が遊びに来ていて、母と二人で酒を飲んでいた。既に父や弟は眠っていた。その席で母が言ったのだ。思い通りにならぬ兄をこう評したのだ。
「あの子は半分なのよ」
母は兄の事をそう言った。
話を聞くに半分しか出来ないという事らしかった。人の言う事を聞かないし、半分しか出来ないのだと。テストの点も望む半分しか取って来ない。あの子は弟の半分しか出来ないのだと。
「せめてあの子が、ユウジロウの半分でも素直だったら」
半分。その言葉が抉り込む様に突き刺さった。
母との溝が決定的になった。母にとって理想の人間とは弟である。兄はその半分である。それはオリベにとって半分しか人間でないと言われたのと同義であった。
半分。自分は半分。人として、半分。
一浪をした時に、母はもはや自分を見放したのだろうと彼は思った。その視線は一年遅れで受験生となった弟にのみ向けられていた。浪人時代、人生の中でそこそこ必死に勉強をしたのは決して母の為などではない。ましてや見返したかったからでもなかった。ただ、遠くに行きたかった。考えられる限り遠くへ。ホウエン地方の大学を受けた事などあてつけでしか無かった。そこに目的は無い。大志は無い。やりたい事などオリベには無かった。
汗を掻いてオリベは目を覚ました。
ああ、また雑音だ。あの夢だ。ここは場所が悪いとオリベは思った。やはり海がいい、波音は雑音の入る隙を与えない。横たわっていた身体を起こす。場所を変えようと思った。神社に行こう。海に近いあの神社に。古墳らしき草ぼうぼうの丘の向こうに急な土手の上り坂を見、彼は歩き出した。
だが、急な坂を登りきり、まさに河川の敷地の外側に出ようかと言う時になって、彼の動きは止まった。その視線の下に先ほど通り過ぎた古墳があった。そこに草陰で覆われた入り口のようなものが見えたからであった。
それはまったくの好奇心であった。オリベは坂を降り、草を掻き分けて進んでいく。近づいてみて、その入り口が顕になった。周囲に粗末な石が転がって、地面にヒビを入れたみたいに三角形の口が開いている。膝を折ればなんとか入れそうな穴であった。暗い。懐中電灯も持っていないから、中は見えない。だが、好奇心がオリベを動かした。腰を屈めながら数メートル程進む。そこで急に天井が高くなったのが分かった。
オリベはその空間で立ち上がった。手さぐりをしながら内部を把握する。あまり広くはない。畳にすると四枚程度であろうか。中心に何か、表面がざらざらとした、長方形の物が置かれている。
これは何だろう? だが、暗闇では情報が分からない。明かりを取ってこないと。あるいはツキミヤを呼んできたなら……。そう思ってオリベが再び立ち上がった時、ばり、と何かが砕け散った音がした。靴から伝わってくる感触。どうやら何かを踏んだらしかった。
*
里の景色をよく見渡せる丘の上、そこに私は立っている。その下に瓦屋根の集落が見えて、私は焦点を絞る。
それは大きな屋敷の外れだった。軒先で、若い男が書き物をしていた。白い紙に黒い筆の線が走って、何らかの意味を作っていく。私達の多くは言葉を操れたけれど、文字にまでは興味が無かったから、誰も文字を読めなかった。だから内容までは分からなかった。
青年は毎日、毎日、ずっと書き物をしていた。そうでなければ書物を読んでいた。
丘の上から焦点を絞る。そうするといつも彼はそこにいた。
私は彼に興味を持った。同時に彼の記す言葉に興味を持った。
*
「オリベ! オリベ!」
聞き覚えのある声がしてオリベは目を覚ました。目線の先にはツキミヤとQのポケモン。手に伝わる感触はふかふかとした河川敷の草原のそれであった。どうやらまた眠ってしまったらしいと彼は思った。
「よう」
と、オリベは挨拶をした。
「よう、じゃない。またサボって。もうみんな引き上げたぜ」
ツキミヤが呆れ気味に言った。同時にふと、アンノーンと目が合った。するとどういう訳か、身を翻して、主人の背中のほうに回り込み、覗き込むようにしたのだった。
「……? 今、何時だ?」
こいつこんなによそよそしかっただろうかと思いながら、尋ねた。
「四時過ぎだよ」
「ん、もうそんな時間か」
ちょっとした昼寝のつもりだったのに、ずいぶんと長い間眠ってしまっていたらしい。一度は起きて、神社に向かったつもりでいたが、それもまた夢であったという事か。
「…………」
唐突にオリベは起き上がると、古墳の丘を走り登り、周囲の草を掻き分けた。だが、そこには何も無かった。ただ草が生え、石が転がっているだけであった。
「どうしたんだよ?」
ツキミヤとアンノーンが後から追いかけて来てオリベに問うた。
「いや、何でもない」
オリベは言った。あまりにつまらない発掘実習に乗じて見た夢だったのだ。やはり入り口などある訳が無い。渡る風が河川敷の草原をざわざわと揺らしていた。
単行本へ続く
少年は手を見る。
固まりきらない血がまだ光を反射して輝いている。地面にはいくつかの血痕があった。
その目の前では、ごめんなさい、ごめんなさいと、緑色の獣を腕に抱いた少女が必死に頭を下げている。
「本当よ。普段はすごくおとなしい子なの」
彼女はそのように弁明する。たぶんそれは嘘ではないし、彼女は何も悪くないのだろう。
だが、少女に抱かれたラクライは毛を逆立て、牙をむき、眉間に皺を寄せる。フーッフーッと息を荒くしていた。
「……気にしないで」
少年は言った。
ちらりと緑の獣を見る。獣は再びウウッと唸って毛を逆立てた。やはり見なければよかったと思い、急ぎ目を逸らす。嫌われたものだ。
獣の瞳に映ったのは恐怖だった。忌むべき者を見た恐怖だ。手を出してはいけなかった。望むと望まないに限らず嫌われる者はいる。世の中にははみ出し者や除け者というものが必ず存在し、忌まれる者がいる。
自分はどうやらそっち側の存在であるらしいと、この日、少年は理解したのだ。
海の見える学校の、広い敷地の狭い部屋の中で何人かの男達が会合を開いていた。
右上に小さな写真を貼った書類、そして写真の人物が書いた論文、考査の結果。それらを照会しながら彼らは品定めを行ってゆく。
「タニグチ君はいいね。卒業論文もしっかりしているし、うちの研究室で貰いたいのだがね」
「サカシタはどうだね」
「彼は考査の結果がねえ」
「だが体力があるだろ?」
「それは評価に含まれない」
「だが、フィールドワークでは重要だろ。よく働くんじゃないのかね、彼は」
「卒論はどうだった?」
「及第点といったところですかな」
「まぁいい。うちで面倒見よう」
そんな風に彼らは学生達をふるいにかけていった。何人かを通らせ、何人かを落とした。
しかし、ここまでの過程は彼らの予定の範囲内であり、予想の範疇であった。たった一人、最後の一人だけが彼らの本当の議題だった。
「さて、最後だが」
「彼か」
「ああ」
教授達は選考書類に目を通す。
「考査の結果は?」
「……トップですな」
「卒業論文は?」
「発表会、聞いていたでしょう?」
「考古学専攻はみんな聞いていましたな」
「私は誰一人、質問しないので焦りましたよ」
「あの後、学生が一人質問しましたな。いい質問だったが、いかんせん彼の切り返しのほうが上だった」
彼らはそこまで言ってしばらく黙った。誰も先に進めようとしなかった。
「欲しいのはおらんのかね」
一人が沈黙を破ったが、誰一人手を挙げない。
「能力的には並みの院生以上と思いますがね」
「取るか取らないかは別の問題だよ」
「分野的には、フジサキ研だと思うが」
「学士までと約束しました。皆さんもご存知のはずです」
その中でも比較的若い男が言う。
「しかし彼を落とすとなると、他の学生も落ちますよ」
「だから困っている」
「ようするに合理的な説明が出来るか否かという事だ」
「学士は所詮アマチュアだ。だが修士はタマゴとはいえ研究者。この違いは重い」
結論は出なかった。グダグダと議論が続く。
否、とっく結論は出ているのだ。議題の人物の受け入れ先など、最初から存在しない。後は誰が面倒な役回りを引き受けるか。結果を通知し、合理的説明をするのか。それだけなのだ。だが誰も関わりたくない。触りたくない。それだけなのだ。
「休憩にしますかな」
一人の教授がそう言った時、キイと狭い部屋のドアが開いた。
「お困りのようですな」
入ってきたのは一人の男だった。コースでは見ない顔だった。だがまったくの知らない顔、部外者という訳でも無かった。
「オリベ君、」
一人が男の名前を口にした。
「民俗学コースの教授が何の用事かね」
また違う一人が言った。少し不快そうだった。
彼らの視線の先にいる乱入者はラフな格好だ。ネクタイは緩いし、履物は漁師の履くギョサンだった。大学教授などそんなものかもしれないが、年配には印象がよくない。だが乱入者は気にする様子もなく、
「例え話をしましょうか」と、言ったのだった。
「考古学コースには誰もが認める優秀な学生がいる。どの研究室も欲しがっているが、その学生がコースの変更届けを出したなら、皆諦めるしかありません」
「…………」
しばらく皆が黙った。いや、食いついた。だが、腹の底で疑念が沸き起こる。
「オリベ君、何を企んでいるのかね」
「何も。私は優秀な学生が欲しいだけです。こっちでも院試がありましたがろくなのがいなくてねぇ。ただ……」
「ただ?」
「配慮いただけるのであれば、来月のあの件、譲歩いただきたい」
目配せしてオリベは言った。
「来月の……」
「そう、来月です」
オリベがにやりと笑う。その言葉の真意に部屋のメンバーも気付いた様子だった。
「つまり取引をしようというのかね。しかし彼が届けなど出すと思うかね」
「出させてみせます。万が一の場合、今日の事はお忘れくださって結構」
あくまでひょうひょうとした態度でオリベは続ける。
「そうですね。とりあえずは院試の選考を今からでも民俗学・考古学コースの合同だったという事にしましょうか。他のコースも巻き込めるなら尚いい。それで責任者を私にするんです。院試に関する質問は全て私を通す事にしましょう」
なるほど、と教授陣が目配せし合う。例の件はともかく、面倒事をオリベに転化できるのは彼らにとって都合がいい事は確かだった。
「……分かった」
彼らの代表格が返事をした。
「決まりですね」
オリベが言った。ずり落ちた眼鏡の位置は直さず、レンズを通さずに、下から覗き込むように教授陣を見据えた。そうして彼は二、三彼らに質問やら手続き的な頼み事をすると、部屋を出ていった。
冬であったが、この日は比較的暖かかった。日光が差し込む廊下をポケットに手を突っ込んで、すたすたとオリベは歩いていく。時折、学生とすれ違ったが知らない顔だ。互いにこれといった挨拶は交わさなかった。
とりあえず文書作成からかからなければなるまい、彼はそう考えていた。だが、
『一体何をしようっての』
途端に声が聞こえて足を止めた。
「ん?」
オリベはとぼけた声を発する。
『とぼけるな。あんな事言って。私は反対だと伝えたはずだよ』
声が響く。
「あのなぁ、俺はいつもお前の言う事ばっか聞く訳じゃないぞ」
面倒くさそうにオリベは言った。いかにもうるさいといった風に。
『どうして? いつもはあんなに素直なのに』
「これはこれ。それはそれ。前にも言ったけどな、お前の意見を聞くも聞かないも選択権は俺にあるの。たまたま聞く割合が多いだけだろ。あくまで選ぶのは俺だからな」
『私が言って、外れた事があった?』
「お前が勘がいいのは知ってるよ。だが、これはだめだ」
『だいたいあんなの無理だ。無理に決まってる。夏休み前に相当怒らせたくせに。あの時は本当に危なかった』
「怒らせるのはいつもの事だ」
『一緒にいた女の子を覚えてる? あれ以来学校で見かけない』
「だから? 大方、別れたんだろ? 男女にはよくある事だ」
『危険なんだよ。ユウイチロウ』
「お前はいつもそれだ」
『ユウイチロウは鈍いから分からないのかもしれないが、』
「うるさいな。あんまり喋るなよ。ただでさえ独り言が多いって言われてるんだ。文句なら部屋に帰ってからでいいだろ?」
そこまで言うと声が止んだ。やれやれとオリベはまた歩き出した。ポケットに手を突っ込んで、ぺたぺたとギョサンを鳴らしながら、民俗学教授は歩いていった。
日差しの差し込む長い廊下、そこにはオリベを除いて人は歩いていなかった。
単行本へ続く
「ブースターだ!」
「いや、シャワーズ!」
家が敷き詰められた住宅街のある一戸建て。まだ幼く元気のある兄妹が、言い争いをしていた。
喧嘩の理由は単純だった。二人の家に住むイーブイを、どの種類に進化させるかということである。
二人はまだ年齢が若すぎるため、自分のポケモンを持っていない。両親に何度もお願いして、漸く家に来たのが一匹のイーブイだった。
イーブイという種族は、様々な種類に進化することができる。住んでいる環境によって様々な個体へ姿を変えることができるため、他のポケモンよりも進化の数が圧倒的に多い。例えば、とても寒い地域に住んでいれば凍えて死なないためにグレイシアに進化する傾向があるし、森に囲まれて育ったイーブイはリーフィアに変化することもあると言われている。
それ故に、人間が故意的に進化を操作することも多い。理由は、様々だが、大方は人間の都合である。そのため、人間が管理しているイーブイは、環境以外の要因で何に進化するか決まってしまうことが殆どだった。
話は戻るが、兄弟は、イーブイを何に進化させるかで揉めているのだ。
「ブースターは可愛いじゃないか。赤い体にふわふわした体毛、ずっとぎゅーってしていたくなるんだよ」こう
言うのは、兄の方。
「シャワーズにすれば、ひんやりして気持ち良いし、一緒にプールで遊べるもん。だからシャワーズが良いの!」
そう述べるのは、妹の方。
この二人は、いつも意見が食い違っていた。例えば、兄の方は冬が好きだし、妹は夏の方が好みだった。他にも兄は走るのが好きだし、妹は泳ぐのが好きだったりと、常にこの兄妹はぶつかりあっているのである。
そのため、今回のことも珍しいことではなかった。
「シャワーズに進化させたら冬はどうするのさ。冷たくて触っていられないぜ?」
「ブースターなら冬に抱きしめられるもん。お兄ちゃんだって、真夏にブースターをずっとぎゅってしてるの?」
「ああ、俺だったら真夏でも真冬でもブースターを抱きしめるもんね」
「そんなことしたら暑さでお兄ちゃんが倒れちゃうよ。だから、シャワーズにしようよ」
「そんなこと言ったら、冬に無理にシャワーズを抱きしめたら、お前が風邪引いちゃうじゃないか。だから、ブースターにしようぜ」
「嫌だ! シャワーズ!」
「俺だって嫌だ! ブースターが良い!」
お互いに眉間にしわを寄せ、睨みあう兄妹。彼らはまだ、譲り合うということができなかった。両親がいると大人しくなるのだが、生憎、この子達の両親は、まだ仕事で帰って来ない。
イーブイは、そんな兄妹を毎日見ているのに目もくれずソファーの上で昼寝をしていた。
散々続いた言い争いが終わったと思うと、兄弟はイーブイの目の前に立ち見下ろしている。
何事かと顔を上げると、先に兄が言う。
「ブイルは(イーブイの名前である)、ブースターに進化したいよな?」
妹。
「ブイルはシャワーズに進化したいよね。私のこと大好きだもんね」
「ブイルはお前のことなんか好きじゃないって。ブイルが好きなのは俺だよな」
「そうやって、人のことをいじめるような最低な人間をブイルが好きになるわけないじゃない。ねーブイル」
「あーあ、やだやだ。強引に姿を変えられるのは嫌だってさ。他人のことを思っているように見せかけて、実は自分の都合を突き通そうとしている人って、タチが悪いんだよな」
「お兄ちゃん。そろそろ怒るよ」
「やるか」
「手加減しないよ」
彼らは拳を握り、今にも喧嘩を始めそうになる。怪我をしたら流石に洒落にならないので、ブイルと呼ばれたイーブイは起き上がり、自分の気持ちを堂々と伝えた。
「僕は、昔からサンダースになりたいと思っているんだ」
胸を張り、しっかりと自己主張をするブイル。
すると、二人の表情は一変する。
「何言ってるんだ。サンダースになったら静電気が大変だろう。それに、ふわふわした体毛が少なくなっちゃうじゃないか」これは兄。
「そうよ。サンダースだと一緒にプールで泳げないよ? だから考え直そうよ」これは妹。
「だから勝手に決めるなって。ブースターが良いに決まってるだろ」
「違うの! シャワーズが良いの!」
「ブースター!」
「シャワーズ!」
ついには殴りあいの喧嘩を始めてしまう二人。さすがにここまでくると放っておけないので、ブイルはなんとか止めさせる。
「これ以上喧嘩するなら、何に進化するかお母さんに決めて貰おうかなあ」
さり気なく呟くブイル。
お母さん、兄妹にとって大切な家族であり、恐れる対象である。
兄妹は理解していた。お母さんが主導権を握れば、全ての物事は強引に決定してしまうのである。そのため、ブイルが何に進化するかを母親に頼むということは、自分達の意見が通らなくなることがほぼ確実だった。
「ごめんブイル、俺達が悪かった」
「お願いブイル、それだけは止めて」
母に決定権が移ることだけは、何としても阻止しなければならない。兄妹の態度は一変した。
「もう喧嘩しない?」
「しないしない。絶対にしない」
「うん。お兄ちゃんと私は仲良しだもん。喧嘩なんてしないよねー」
「ああ、しないとも」
ぎこちない笑顔で肩を組む兄妹。それならば、とブイルは言う。
「僕が何に進化するのか、仲良く決めてね」
兄妹は黙って頷いた。とりあえず、今日の兄妹戦争は回避できた訳だ。
しかし、明日には同じことを繰り返すのだろう。そう思うと、このままイーブイの姿で一生を終えた方が良いのではないかと思うブイルだった。
――――――――――
地味にお久しぶりです。
夏コミ82に来てくれた方がもしいたら、ありがとうございました。またちょくちょくイベントには参加していると思います。
9月のチャレンジャーは他のイベントで売り子を頼まれた為、参加を断念しました。鳩さんの新刊はまた今度になりそうです。
現在、冬コミに向けてワープロ打っています。こういうネタは直ぐ思いつくのですが、遅筆なのが悩みです。
フミん
【批評していいのよ】
【描いてもいいのよ】
| タグ: | 【ポケライフ】 【冥土喫茶】 【何もかも投げ出して喫茶店経営したい】 【|ω・)】 |
> 結:やはりあるがままが一番「しあわせ」なのだということに気付き、今日も元気に相手ポケモンを容赦なく爆撃するのであった
ワロタwww
個人的にはこっちのが好みだったかもwww
続いてblindness。これは結構練った後のメモ。
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<タイトル>
・「向こう見ず」
・「ただ私のために」
<テーマ>
・「足跡」
<コンセプト>
・「盲目のドーブル」
・「足跡は家紋」
・「×の付いた足跡」
<主人公>
・絵描き志望の少女
<プロット>
・スランプに陥った少女
・某イラストSNSでランクが伸び悩んでいる
・固定ファンはいるが、何か物足りない、本質を見てもらえていない気がする
・何もかも中途半端な自分が嫌になる、才能のなさが恨めしい
・コンビニから帰ってきた直後、家の塀に落書きしているドーブルを発見
・背中の足跡に「×」
・絵はセンスこそ感じられるが、ところどころ間違っている
・背中の文様も「アートの一種」だと考える
・ドーブルについての話
・大人になると背中に足跡を付けられる
・足跡は「家紋」のようなもので、見ただけで「家柄」がわかる。「家柄」のよいドーブルは絵が上手い
・学者の見解では、ドーブルは「家柄」によって厳格に階層化されている
・後姿を眺めながら
・本当に楽しそうに絵を描いている
・呆れるほど楽しそうなのが、少女にとって余計に苛立ちを募らさせる
・少女のことは一切気にかけていない
・ドーブルに呼びかけると、見当違いな方向を向く
・確認する素振りを見せた後、また絵を描き始める
・このとき、様子がおかしいことに気付く
・よく見ると、ドーブルの目には光が宿っていなかった
・ドーブルについての話(2)
・ドーブルは絵を描くことを生業にしている。よって、絵の描けないドーブルは差別を受ける
・目の光を失うようなことがあれば、即座に爪弾きにされる
・このドーブルの家柄は、かなりの上流のようである。成人したばかりだということにも気付く
・少女とドーブル
・よい家に生まれ、それだけの力を身につけ、成人して活躍するばかりだったという状況から一転、失明して一族を追われたという経緯に気付きショックを受ける
・それでもなお、純粋に絵を描くことを楽しんでいるドーブルに、さらにショックを受ける
・自分が無駄なこと、くだらないこと、つまらないことに囚われすぎていた事を思い知らされ、呆然とその光景を見つめる
・ドーブルとの別れ
・ドーブルは描きあげた絵を撫でて慈しんでから、静かにその場を後にした
・少女は無意識のうちに携帯電話を取り出し、絵を写真に収める
・そのまましばらく、写真を眺め続ける
・光を失いながらも楽しそうに絵を描くドーブルの絵
・その絵はランク入りこそしなかったが、本質を見極めた一人のファンからコメントがもらえた
・吹っ切れた少女が気持ちを入れ替え、絵を描く意欲を取り戻す
・傍らには、ドーブルが描いた絵の写真を写す携帯電話が――
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後半に完成稿でカットされたシーンが残っている。確かテンポの都合で削ったはず。
それ以外は軽微な違い(タイトル含む)はあれど、ほぼ完成稿に準じた形の様子。
初期案を引っ張り出したのでまずこれを。
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タイトル
「しあわせのカタチ」
話の骨格
「幸福とは個人の解釈で異なるもの」
興味を引くポイント
「タマゴばくだん」で勇敢に戦う武闘派のラッキー
主人公
ラッキーと一緒に周囲のトレーナーをなぎ倒す勝気な少女「さち」
ポイント
ラッキーは「たまごポケモン」で、一緒にいるトレーナーに「しあわせ」をもたらす
個々人の「しあわせ」とは何か
少女とラッキーの対比・共通化
起承転結
起:飛びぬけた腕力と「タマゴばくだん」で無敵を誇るラッキーを引き連れる少女。ラッキーと一緒に戦っていると「しあわせ」だと感じる
承:妹分の少女もラッキーを連れているのだが、そのラッキーは正反対の技である「タマゴうみ」を使う。妹分のラッキーは「しあわせ」そうだった
転:悩んだ少女がラッキーにとっての「しあわせ」を考え、「タマゴばくだん」を忘れさせようとする。そして、自分も変わろうと考える。だが……
結:やはりあるがままが一番「しあわせ」なのだということに気付き、今日も元気に相手ポケモンを容赦なく爆撃するのであった
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人間のトレーナーがいたりタイトルが違ったりしていますが、大筋の方向は見えていた模様。
ちなみに、よく見ると人間の名前が完成稿で登場する主人公のラッキーにリサイクルされている。
これはゴーヤロック氏のツイッターの衝撃発言からはじまった。
586 586
ゴーヤロック無駄知識:実はコットンガードやミツハニーにもプロットが存在する
weakstorm でりでり/照風めめ
@586 な、なんだってー!
586 586
@weakstorm どんな一発ネタ/小ネタ/勢いだけに見える作品も、うちの場合前段階のまとめをしないと滅茶苦茶になってしまうのです\(^o^)/
pijyon No.017
@586 わけがわからないよ
586 586
@pijyon 知ってるかい? プロットがないとあれくらいの一発ネタすら書けない人がいるんだぜ……?
おーいみんな!
ゴーヤロックさんがプロット晒してくれるってよー!
|
【今宵は満月なのです】
空を見上げれば、そこにはまん丸なお月様。
思わずウットリしそうな綺麗な姿に、わたしの足どりは怪しくなる。
「あ、ミミロップ! ボーッとしながら歩くと危ないって!」
丸刈りで背の高い殿方――ご主人の声にハッと気がついたわたしは足をピタっと止める。
ふぅ〜危ない、危ない。
わたしがご主人に「ありがとう!」の意味を込めて一鳴き上げると、ご主人はやれやれといった感じな苦笑いを向けてくれた。
わたしはミミロップ
お月様とお団子とご主人が大好きな、茶色いうさぎポケモンです。
【やっぱり月より花より団子?】
今、私とご主人は十五夜の月見をする為に団子の準備をしていまして。
ご主人がお団子を作って、それを縁側まで持っていってます。
お供え物などをするときによく使われる木製の台に、お団子がピラミッド状に積み上がっています。
先程みたいによそ見をすると、手元を狂わせて、お団子を取りこぼしてしまうから注意なのです。
それにしても、なんて美味しそうなお団子なのでしょうか……。
流石、ご主人様は器用です……ゴクリと喉を鳴らしてしまって――。
「あ、コラ! ミミロップ! 勝手につまみ食いするなって!」
【良い子の皆へ。食べ物で遊んではいけません。その1】
縁側に団子を乗せた木製の台と、飲み物が入ったグラスが二本。
それといくつかの小皿がありまして、それぞれしょうゆ、つぶあん、きなこが入っています。
「好きなものにつけて食べればいいから」
訝しげな瞳を向けたわたしにご主人はそう教えてくれます。なるほど。
あぁ……美味しそうな団子なのですが、こう綺麗なまん丸を見ていますと、なんだかウズウズしてきます。
何故かは分からないのですが……綺麗なまん丸な団子が雪玉に見えてきて――。
あ、思い出しました! 雪合戦です!
【良い子の皆へ。食べ物で遊んではいけません。その2】
「こら! 食べ物を投げるなぁ!」
わたしが放った最初の投球は見事にご主人の頬に当たりました。
ご主人がキッとした鋭い目付きでこちらを見ながら口を開いたのと、わたしが手を滑らしたのはほぼ同じでした。
「まったくぅ!? んむ? ☆%#*%%&!!??」
わたしの投げたお団子がご主人の口の中にスッポリ入っちゃいました、てへっ☆
【ぴよぴよ】
「%&#☆!!」
あれ、ご主人が胸元をたたいてなんだか苦しそうな顔をしていますね。
もしかして……喉に詰まっちゃったとかですか!?
あわわ! ど、どうすれば……!?
パニック寸前のわたしがとっさに取った行動は――。
ご主人の胸元にピヨピヨパンチ一発!!
重い音が鳴った後、ご主人はうなだれ「あ、ありがとう」と呟いています。
た、助かって、本当に良かったです……それと食べ物で遊んでしまって、ごめんなさい。
【ようやく月見】
ご主人がとりあえず飲み物を飲んで一回落ち着いた後、ようやく月見が始まりました。
まん丸なお月様を覗きながら、つぶあんをつけたお団子をもぎゅもぎゅ。
お月様が完全に顔を出しているのも好きですが、途切れ途切れに流れて来る雲に薄らかかる姿も神秘的でとても好きです。
顔を月に向けながら、手は団子の方に動かして――同じく団子に手を伸ばしたご主人の手に触れました。
【月のお伽話】
ドキリとわたしの胸が打ったのとご主人の手が離れるのはほぼ同じでした。
ご主人は恐らく真っ赤になっているわたしの顔は見えておらず、お団子をもぎゅもぎゅしながら月を眺めています。
「あ、そういえば月といったらこんな話があるなぁ」
ご主人は月に顔を向けながら、わたしに語ってくれます。
「昔ね、俺たちがいる星と月がケンカして、縁が切れそうになったときにミミロルやミミロップといったウサギポケモン達が美味しい団子を作って、二人(?)を仲直りさせたんだって」
わたし達の先祖様たちが……今、こんな素敵な夜をくれているんだなぁ……と感謝しながら団子にわたしは手を伸ばしました。
【お伽話からの】
「それで、団子は月とこの星を結んでくれたことから、団子……まぁ、餅だけに縁をくっつけるっていう縁起のいい食べ物になったんだよな」
縁をくっつけてくれる、その言葉にわたしのお団子を持った手が一瞬止まります。
今、食べているお団子もこうやってご主人との縁をくっつけてくれるものなんだと考えたら、胸の鼓動が早くなってきまして。
わたしはご主人を呼ぶ為に一声鳴きました。
「ん? なに? ミミロップ――」
【月も顔を真っ赤にさせて】
ご主人がわたしに振り返るのと同時にわたしはお団子を口に入れまして。
一気にご主人との距離を縮めまして。
ご主人の唇とわたしの唇が重なりまして。
わたしはご主人のお口の中にお団子を置きました。
縁がもっともっと強く結ばれることを願いながら。
【きっと今夜はお楽しみで(以下略)】
ご主人は驚いた拍子にお団子を飲み込み、そして縁側の床に倒れ、わたしがご主人の上を覆う形に。
「ミミロップ、まさか……」
顔は真っ赤になってますし、もうばれてますよね。
わたしのこの気持ち……ご主人と番になりたいほど大好きな気持ち。
「でも、お前」
「きゅう?」
「確かオスだったはずじゃあ……」
愛に性別なんて関係ありませんわ! とわたしは一声鳴きました。
今宵はあの満月に見せ付けるほど……うふふ。
【書いてみました】
今夜20時頃、月見しながらみたらし団子でも食うかなと思い、近場のコンビニに行く途中で思いついた物語です。多分……掲載しても(主に後半)大丈夫のはず(汗)
今宵の月が沈まぬ内に書かねばと思い、筆を急がせた所存でございます。
最後のオチに驚いた方がいたら、嬉しい限りです。(ドキドキ)
ちなみに月に関しての昔話は私の想像です。
お月見団子のことを考えていたら、思いつきました。(ドキドキ)
ありがとうございました。
【月見団子と月見酒をもぎゅもぎゅして(以下略)】
【何をしてもいいですよ♪】
感想どうもありがとうございます!
> それだけでも笑えるのに、「タブンネローテーション」。
> 歌詞が爆笑ものです。
> タブンネが多い!カオスです。
そりゃタブンネが歌いますから、歌詞もタブンネだらけになるわけです。タブンネ。
> そして、公演後のタブンネ達の中に、約1匹、ドMが紛れていましたね。
> 精神的にどうなっているのでしょうか。そのタブンネ。
48匹も居たらそういう性癖のタブンネが一匹くらいいてもおかしくないと思うんだ!タブンネ。
> 随分笑わせて頂きました。
完全に出落ちのネタ作品なので、楽しんでくだされば作者としては大成功です。
本当にありがとうございました!
初めまして。マコです。
タブンネ達が、まさかのあの、人数がやたら多い女の子アイドルグループになっているとは。
しかもTBN48。名前から意識してます。
それだけでも笑えるのに、「タブンネローテーション」。
歌詞が爆笑ものです。
タブンネが多い!カオスです。
しかもキャッチコピーが「殴りに行けるアイドル」って……。
本家も真っ青です。
まあ本家でやったら、自分が熱狂的ファンからタコ殴りに遭うだけなので、絶対しませんが。
そして、公演後のタブンネ達の中に、約1匹、ドMが紛れていましたね。
精神的にどうなっているのでしょうか。そのタブンネ。
随分笑わせて頂きました。
イッシュ地方のどこかの草むら。今日も彼女たちはポケモントレーナーたちに狩られまくっていました。
「いたた……。今日一日だけでもう六回目だよ……」
「もうしんどいったらありゃしない」
「あたしたちがいったい何したって言うのさ!」
「経験値多いからってあんまり痛めつけないで欲しいわ。全く」
こうして今日もタブンネちゃんたちは、傷だらけの体で自分たちの不幸な境遇を嘆いていました。タブンネ。
とその時、一匹のタブンネちゃんが、四角くて薄いケースを持って、やってきました。ケースの中には制服姿の可愛い女の子たちの写真が印刷されている紙、そしてきらきら光る円盤が入っています。
「みんな!いいこと思いついちゃった!!」
「タブ子、どうしたのよ一体。それにそれ一体何?」
「どうせまた人間のものでしょ? でも、何? それにいいことって?」
見慣れぬものを持ってきたタブ子にどよめくタブンネちゃんたち。タブ子は、タブンネちゃんたちの中で唯一、自分たちを痛めつける相手にも関わらず、人間たちの生活に興味を持っていました。そんなタブ子以外は、みんなこの透明なケースに入ったものが何だかわからないようです。タブンネ。
「それは……CDね」
……いや、タブ子以外にわかるタブンネちゃんが一匹いました。この草むらのタブンネちゃんたちの中での最年長。タブンネ様です。
……ちなみに、タブンネ様は他のタブンネちゃんと比べて年齢が上なだけであって、決してBBAじゃないからね!
「CD……? 何ですかそれ?」
「コンパクトディスクって言って、人間が音楽を聴くために使うものよ。機械で特殊な光を当てると音が出るの」
「へー」
タブンネ様の話に、CDを知らなかったみんなは頷きます。
「で、タブ子。このCDがどうしたの?」
「これ、すぐそこで拾ってきたんだけど、この人間たち、今人気爆発中の国民的アイドルなんだって!」
「アイドル……?」
しかし、みんなはアイドルの意味がわからないようです。タブンネ。
「アイドル……。なんと素敵な響き……」
そんな中、こっそりそう漏らしたのは、ちょっとヘタレなタブンネちゃん、タッブーです。人間のことは詳しくなくても、アイドルというものがどんなものなのかは知っているようです。タブンネ。
しかし、とりあえずタッブーの言葉はスルーしておきましょう。ヘタレですしね。
「可愛い容姿、それに歌や踊りで、たくさんの人間たちを惹きつけてやまない人たちのことね」
解説するのはやはりタブンネ様です。
「それで私たち、アイドルになるの! そうしたら人間たちから愛されて、ボコられることなんてなくなるはずよ!」
「おおおおお! 何という名案!」
「人間に殴られるタブンネから、愛されるアイドルになるのね! なんて素敵!!」
「いいじゃない!! やりましょ!!」
タブ子の名案にタブンネちゃん一同はどよめきます。
「そうと決まれば、早速練習ね! 人間たちを魅了できるよう頑張らなきゃ!!」
こうしてタブンネちゃんたちのアイドルユニット、TBN48が誕生したのでした。タブンネ。
*
「お! 一狩り行けるぜ!」
たった今、一人のポケモントレーナーが揺れている草むらを発見したようです。タブンネ。
「おら! 経験値よこせ!」
タブンネちゃんを狩るために、勢いよく草むらに飛び込んだトレーナー。しかし、彼はタブンネちゃんを見て、言葉を失いました。
タブンネちゃんがさながら女子学生のような制服を着ていたからです。
「野生のタブンネが、コスプレ……?」
ポケモントレーナーは一瞬戸惑いました。が、次の瞬間には彼は気を取り直して、タブンネちゃんをボコっていました。タブンネ。
こうして、タブンネちゃんは今日もやられました。しかし、そんなタブンネちゃん、やられ間際に何かを落としていきました。
それを拾ったポケモントレーナー。
「……何だ、これ? ……『TBN48第一回公演決定』?」
そうです。タブンネちゃんたちは、あの日以来、血のにじむような歌とダンスのレッスンをし、ついに人に見せられるくらいのクオリティに達成したので、初の自主公演を行うことにしたのでした。タブンネ。
「……何かよくわかんないけど面白そうだな。ちょっと他の奴にも教えてやろう!!」
このようにタブンネちゃんたちは、人間たちにボコられながらもビラ配りを行い、第一回公演が始まる前にもかかわらず、TBN48の名前はトレーナーたちの間でかなり広まりました。タブンネ。
*
さあ、そしてついにTBN48の第一回公演の日です。
「うわー。かなり人集まってるよ!」
「まさかこんなに集まるなんて……。緊張しておなか痛くなりそう……」
「ネッちゃん落ち着いて! センターが緊張でぶっ倒れてどうすんの!!」
「そ……、そうよね! 私頑張るわ!!」
草むらに作った特設ステージの後ろで、タブンネちゃんたちは集まってきたお客さんの様子を伺いつつ、緊張しているようです。タブンネ。
そして、いよいよTBN48の初公演の始まりです! 読者のみなさんも、ここからは人間目線でTBN48のステージをお楽しみください。曲は「タブンネローテション」です。どうぞ。
♪タ〜ブンネ〜(タ〜ブンネ〜)
タ〜ブンネ〜(タ〜ブンネ〜)
タ〜ブンネ〜(タ〜ブンネ〜)タブタ〜ブ〜ン〜ネ〜
タブンネタブンネタブン〜ネ〜 タブ〜タ〜ブンネ〜
こうして初公演は無事終了。お客さんからは拍手喝采。初演だったにも関わらずダブルアンコールが巻き起こったくらいです。タブンネ。
さて、そんな初公演を終えたタブンネちゃんたちは。
「まさかこんなに大好評だなんて……! 頑張った甲斐あったわね!!」
「あ、あたし感動……。 ううっ」
「ネッちゃん、泣かないで! まだまだ私たちはこれからなのよ!」
「そうよ! これから握手会なんだから! 笑顔笑顔!!」
そうなのです。タブンネちゃんたちはこの後握手会という大きなイベントを抱えているのです。終演後、お客さん一人一人と直に接することで、メンバーそれぞれが固定のファンをつけようという目論見です。タブンネ。
「よし、行きましょ! お客さんに感謝の意を伝えて、これからも足を運んでもらえるよう頑張らなきゃ!」
こうして始まった握手会でしたが。
「ありがとうございます!」
あるタブンネちゃんが笑顔で手を差し出すと、手を差し出したのはお客さんであるトレーナー……ではなく、トレーナーの手持ちポケモンでした。そしてポケモンはタブンネちゃんの手を取って、そのまま。
ちきゅうなげ。
また、あるタブンネちゃんも、手を差し出し、やはりお客さんであるトレーナーのポケモンが手を握ったかと思えば。
かいりき。
さらには、あるタブンネちゃんは、手を取られると。
にぎりつぶす。
こうして、握手会(?)が終わりタブンネちゃんたちはすっかりボロボロ。
「うう……。どうしてこんな目に……」
「公演はあんなに盛り上がってたのに……」
「こんなのってアリ……?」
「殴られるのもちょっと快感になってきたかも……」
約一名、違った感想が出てきていますが、とりあえず無視しておきましょう。
「まだまだ修行が足りないってことかしら……」
「確かに初演であれだけ盛り上がってちょっと天狗になってたのかもね」
「殴られるのは勘弁だけど、アイドル活動するのすごく楽しかったから、あたし続けたい!!」
「もっとみんなに愛されるアイドルになれば、こんなことにはならないはず! 頑張っていこう!!」
「おー!!」
こうして、TBN48は日々努力を重ね、その名を徐々に轟かせていきました。それと同時にタブンネちゃんたちは、「殴りに行けるアイドル」として親しまれるようになったのでした。タブンネ。
おわり
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは全く関係ありません。
【全方面土下座】
【どうしてもいいのよ】
森の奥からやって来る黒い陰。「悪夢屋」ダークライに久しぶりの仕事が来たようだ。
「悪夢屋」という稼業の歴史は長い。その起源は、ポケモンがまだ「魔獣」と呼ばれていた時代にまでさかのぼる。
その頃の人間のポケモンに対する扱いは酷いものだった。捕えたポケモンは皆、鎖と鎧で拘束されえんえん人間にこき使われた。逃げようとすれば罰として拷問され、刃向えば殺された。不思議な力を持つポケモンのことを人間は便利に使いながらも恐れていたから、見せしめとしての拷問や殺戮は徹底して行われた。完全に抵抗の機会を奪われたポケモン達は、不満を持ちつつも長いこと人間の奴隷として服従を続けていた。
ところがある日、一匹の悪夢を操るポケモン、つまりダークライが立ち上がった。そのダークライは同族の者を集め、報復として想像を絶する程恐ろしい悪夢を毎夜人間達に見せた。悪夢を見続けた人間達は次々と正気を失い、自ら命を絶つ者までいたそうだ。困り果てたある国の王様が三日月の島と呼ばれる場所で夢の神様、はっきり言ってしまえば、クレセリアにお伺いをたてたそうだ。するとクレセリアは、ポケモン達への行いを改めれば悪夢は無くなると教え、それから少しずつ人間達はポケモンとの関係を考え直すようになった。
しかし、習慣というのはなかなか抜けないものだ。
それからもポケモンは事あるごとに痛めつけられこき使われた。だが、そのたびにダークライ達は、その者が悔い改めるまで悪夢を見せ続けた。
その繰り返しの結果、今に至る。
歴史上のダークライ達は完全ボランティアで悪夢を見せていたが、今は「悪夢屋」というビジネスとしてある。
現在の「悪夢屋」は憎んでいても表だって攻撃できないポケモンから依頼を受けて、「悪夢」を見せることで、代わりに人間に復讐する仕事だ。仕事自体は単純なものだが、実際はそんな簡単な話じゃない。仕事の中身が中身だけに日の目をみることもない。
あの黒い陰、すなわちヨノワールは、ブローカーと呼ばれる類の連中だ。ブローカーは依頼を集めてそれを悪夢屋に持ち込んだり、仕事が円滑に進むよう悪夢屋の必要をそろえる。つまりは、パイプ役兼サポート役というわけだ。
あのヨノワールは俺の専属のブローカーだ。悪夢屋の誰もが専属を持つわけではないが、俺はブローカー組織から一目置かれているおかげで、あのヨノワールをパートナーにできた。多少抜けた奴だが結構重宝している。
ヨノワールは俺の元に来るなり、さっそく依頼の説明を始めた。
「今夜のターゲットは三人だ」
「ハァ、一か月も仕事を待って、たったの三人か……」
「そういう時代だ。仕方ない。お前もさっさと隠居して、どこかの人間に着いたらどうだ? ダークライのお前なら引く手あまただろう」
「そうだな。考えておこう」気のない声で、ダークライが答えた。
ダークライに人間に着く気はサラサラ無い。彼が悪夢屋をするのは、その需要以上に重要な理由があるからだ。
ヨノワールは諦めたように首を振った。
「私は確かに忠告したからな。後悔しても知らんぞ」
「余計なお世話だ。ほら、さっさと行くぞ」そう言って俺は先に行った。
「すぐに思い知るさ。すぐにな」
誰もいなくなった森の中、ぼそりとヨノワールが呟いた。
森を抜けるとそこには二羽のムクホークがとまっていた。ダークライの住処は孤島なので、外に出る時はいつも、海を泳げるポケモンか空を飛べるポケモンが必要になる。仕事で出るときはいつもこのムクホークに乗っていく。飛んで行ったほうが断然早いし、海を渡った先でも移動に便利だからだ。それに、ダークライが船酔いしやすいというのも、理由としてある。
余談になるが、ムクホーク達は悪夢屋とも、ブローカー組織とも全く関係のない、通称「運び屋」という所から来ている。移動の足は重要だ。悪夢屋・ブローカー組織、どちらか寄りの鳥ポケモンでは、仕事先で衝突があった時、動きを封じられてしまう危険がある。それぞれで用意しようにも、ダークライはその辺の「コネ」を持っていない。しかも、そうすると用意したポケモンの間で、移動能力(速度やスタミナ)に差が出る可能性がある。それでは危険だということで、事前に「運び屋」をそれぞれの合意で決めておき、そこから移動用ポケモンに来てもらう。
移動中、ダークライはずっと最初のターゲットの事を考えていた。
ヨノワールによれば最初は、女の子供だ。
子供相手は苦手だ。別に無垢な子供を傷つけるのが嫌なわけじゃない。そもそも、依頼が来ているという時点で無垢ですらない。
子供の恐怖は不安定なのだ。
悪夢屋はターゲットに悪夢を見せる前に、まず「恐怖のツボ」をさぐる。相手がどんな物事に恐れるか先に調べておき、効率よく悪夢を見せるためだ。ところが子供の場合、そのツボがなかなか安定しない。
例えば、ゴーストポケモンを怖がる子供に、ヨマワルに追い回される夢を見せるとする。その子供は、初めは恐怖に泣き叫ぶのだが、だんだんと慣れていき、しまいにはヨマワルと仲良く遊んだ夢になってしまう。
こういったことは普通、対象の誤解から起きる。つまり先ほどの場合なら、実はゴーストポケモンでなく、「ジュペッタ」だけが恐怖のツボだった、というような、ツボの取り間違いが原因だ。
それが子供の場合、ツボの不安定さによることが多い。それまで怖がっていたのに突然平気になってしまう。子供とは案外、恐怖に対する免疫が強いものなのだ。
ベテランの悪夢屋であるダークライも、子供相手は成功率が芳しくない。加えて久しぶりの仕事だ。彼は、いつも以上の緊張感を感じていた。
「着いたぞ」
そう声をかけられるまでムクホークが徐々に下降していることにすら気づかなかった。
新月の夜、それでもダークライには眼下の家の様子がはっきりと見えていた。
四、五十坪程の土地に二階建ての一軒家と、よく手入れのされた庭。ガレージにはミニバンタイプの車が一台止まっている。俺達は散らかされた三輪車やらゴムボールやらを避けるようにして、庭に着陸した。すると、玄関の方からかすかにスパイシーな香りが漂ってきた。夕食はカレーだったようだ。
その香りに混じった幸せの臭いを、俺はすぐに嗅ぎ取った。
平凡で、何の変哲もない、最高の幸せ。
――気に入らない。
俺は思い切り顔をしかめた。
人間の幸せに、依頼者はたった今も犠牲となっているのだ。
ダークライは、悪夢屋として多くの人間を見てきたが、それでも彼らを「悪」とは言わない。まだ言えないと言った方が正確かもしれない。
しかし、悪夢屋の中には人間を「悪」として、彼らを懲らしめる為に仕事をする者が少なくない。ダークライに「悪夢屋」の仕事の全てを教えた先代悪夢屋もまた、そういった考えを持っていた。
――結局、人間は変わらなかったのさ――
悪夢屋になる前、ダークライは人間に着いていた。ある大きな事故に巻き込まれ重傷を負ったダークライが、その人間に命を救われ、以来ずっと一緒にその者の仕事を手伝っていたのだ。
その人間の仕事は「ポケモンハンター」という。
ハンターにとって、ダークライというポケモンはとても便利な存在だ。その足の速さや暗闇を見通せる視力もさることながら、「ダークホール」の技がハンターには大きい。ダークライのみが使うことのできる技「ダークホール」は、かなりの高確率で対象を眠らせられる。
ハンターにしてみればこれ程便利な技はない。眠らせてしまえば、「モノ」に傷をつけずに捕まえられる(売り物に傷がつけば値段が下がってしまう)。追っ手や同業者に遭っても、派手な勝負をすることなく、動きを止められる。
……もちろん、いざ売る事になっても高値がつけられるということもまた、ダークライの大きなメリットである。
ダークライはそうやってハンターの仕事を手伝うことになんとも思わなかった。それどころか、命の恩人の為に働けることを喜んですらいた。
しかし、ハンターが別のダークライを捕らえた時の事だ。ダークライは、捕らえられたダークライの世話を命令されていた。
「私はクラウンだ」
初めに挨拶をしたのは、捕えられたダークライ――「クラウン」――からだった。彼は檻の中で鎖に繋がれ、うなだれたまま話していた。
「クラウン……色違い……だな」
クラウンの肌の色は、普通のダークライとは違っていた。単純な紫よりも、もう少し明るいような、明け方の空のような色をしていた。どうりで主人が有頂天になっている訳だ。ダークライの、それも色違いともなれば、その値は天井知らず間違いないからだ。その主人は今、祝い酒とばかりに飲みまくっている最中だ。
「そうだ。私は他のダークライとは違う。でも、違うのはそれだけじゃない。私は普通のダークライが絶対に知らない事を、たくさん知っている。例えば……『悪夢屋』というものを、君は知っているか?」
初めてクラウンが顔を上げた。彼は笑っていた。
それから、ダークライは多くの事をクラウンから聞いた。悪夢屋の事、人間の事、ポケモンの事。特に「悪夢屋の歴史」の話は、何度も何度も聞いた。ダークライも聞きたがったし、クラウンも話たがったからだ。
「結局、人間は変わらなかったのさ。……見てみろ」
クラウンが顎で指した先にはハンターがいた。ハンターは今、一つの檻越しにバイヤーと商談中だ。檻の中ではアブソルが一匹、不安そうに鳴いて足に繋がれた鎖をガチャガチャとならしていた。
「今でもポケモンは虐げられている。確かに大昔に比べれば、『多少』は、マシになったかもしれない。でも、人間どもは、根っこの所から『悪』だから、どれだけ表面を繕っても、いつの時代にもあのハンターのような奴が必ずいるんだ」
うーん、と、ダークライは煮え切らない返事をして、お茶を濁した。
正直ダークライにはクラウンの言うことが、いまいちピンときていなかった。
クラウンが「悪」と呼ぶ自分の主人の姿は、あまりに見慣れたものだったし、なんといっても彼は命の恩人だからだ。
「私が悪夢屋をしているのは、人間どもに警告してやるためなんだ。あまり調子に乗ってるとポケモン達だって黙ってないぞ、ってな」
強い口調でそう言うと、クラウンに繋がれた鎖が大きな音を立てた。音に気付いた主人は一瞬ジロリとこちらを見たが、すぐに商談の続きを始めた。
「落ち着け、クラウン。大きな音を立てるな」
落ち着きを取戻したクラウンは、呼吸を整えて続けた。
「それで……だ。お前も悪夢屋にならないか? 今のままでは、お前はあのハンターと同じ……いや、人間なんかに着いて協力するお前は、もっと酷い『悪』だ」苦々しげに言う。
「仕事の事は全て私が教えてやる。有力なコネもつけてやる。だから、お前も悪夢屋になれ!
悪夢屋になれば、お前は、“正しい”ポケモンに戻れるんだ。これ以上、人間なんかと一緒にいたら、お前まで……お前までおかしくなってしまう。
お前が人間といるのは、間違っている!」
最後の言葉には、鬼気せまるものがあった。
しかし、俺はそこまで言われてもまだ迷っていた。
理由は二つある。一つは、クラウンの言う通りにすれば必然的に彼を主人から逃がすことになるからだ。ハンターに迷惑をかけたくないから、などと言えば、クラウンに本末転倒だと笑われるだろうが、だとしても、主人を困らせるのは気が引けた。
もう一つは、正直まだクラウンの事を信用できないのだ。彼が檻から出でた瞬間に自分を捨てて逃げる、なんてことが、あり得ないとは言い切れない。
しかしそういった頭の理解とは別に、ダークライは激しく動揺していた。当然と言えば当然だ。
ハンターは人間だ。クラウンはその人間を「悪」という。奇妙な説得力のあるクラウンの話に、ダークライは半ば同調し始めていた。
商談をする主人を見慣れたダークライではあったが、捕まったポケモン達の悲鳴は何度聞いても、胸が締め付けられるような強い自己嫌悪にかられる。主人といっしょにポケモンを苦しめてる意識が常に心の奥底にある。
自分は悪くないなどとはこれっぽっちも思わない。しかし、これまでの事が全て主人からの指示であり、彼が私欲の為にポケモンを苦しめていることは、まぎれもない事実だ。
だとしても、だ。
確かに多くのポケモン達にとって、主人は悪人かもしれない。だが、ダークライにとっては、瀕死だった自分を救ってくれ今まで世話を(良心からとは言い難いが)見てくれた、命の恩人だ。
命の恩人は、悪人なのか。
――分からない。
とてもじゃないが今の自分には、それだけのことを判断出来ない。俺にはその為の知識がない。
「分かった。俺も悪夢屋になる。ここから出してやるから、仕事を教えてくれ」
クラウンが捕まってからどれくらい経っていただろうか。ようやく決心がついた。
「良かったよ。本当に良かった」満面の笑みを浮かべてクラウンが言った。
悪夢屋になろうと思ったのは、ひとえに人間を知るためだった。世話になった主人とは別れがたいが、ここにいつまでもいては、主人以外の人間を知ることができない。悪夢屋にならなければ、人間を、命の恩人を、いつまでも理解できないと思ったのだ。
それから五年くらいまで、クラウンには悪夢屋の仕事を叩き込んでもらい、ブローカー組織や運び屋なんかにも紹介してもらった。
それが、六年目の春先の事だ。クラウンは突然姿を消した。
しかし、その頃には仕事も板につき、安定して依頼を請け負えるようになっていたので、たいして気にしなかった。
ダークライは、少しばかりクラウンが苦手だった。人間の事になるとすぐに興奮するし、そのくせ、ダークライが自分の仕事の話をしても決して嬉しそうにしない。「うん、うん」と頷くばかりで、ひどく悲しげな、時には泣き出すのではと思うくらいの顔をする。
おかしな奴だとダークライは思った。自分の主張する勧善懲悪に協力してやっているのに、どうして悲しまれなければいけないのか。
ダークライは、クラウンが消えてむしろ仕事がやりやすくなったとすら感じていた。
そして、悪夢屋になって二十年目の今。
「久しぶりの仕事になるが、大丈夫か? ターゲットは子供だし……」ヨノワールが言う。
「ハッ! 心配しているのか? ヨノワール」俺は笑ってやった。
「そうだ。でも、お前の事じゃないぞ。お前が失敗すれば、ウチの評判が落ちるからだ」
「なんだなんだ、ヨノワールのくせにツンデレかよ。気持ち悪い」ニヤニヤ顔でからかう。こんな会話でも、仕事前には緊張がほぐれて丁度いい。
「ツンデレとはなんだ?」真面目な調子でヨノワールが聞く。
「もういい」
……失笑。
俺は早速仕事に取り掛かった。まずは、この家に忍び込まねばいけない。
こういう時に便利なのが、ダークライの、影に溶け込む能力だ。俺はアスファルトに潜るように身を沈めた。見上げるとヨノワールの顔がある。あいつに見下ろされるのは非常に不愉快なので、さっさとドアの隙間から家に入った。
玄関に入り影から体を出した。中もやはりきれいに片付いている。
正面には大きな油絵――風景画のようだ――が飾ってあり、下駄箱の上には置時計と、一輪挿し。さすがに花の色までは暗すぎてよく分からなかったが、シルエットだけでも、その簡素な美しさがよく分かった。それはこの家族にとてもふさわしい美しさで、俺の勘にさわった。
ただ、靴だけは子供たちのせいだろうか、大きな靴も小さな靴も皆、不揃いに広がっていた。
俺は肺にいっぱい深呼吸をすると、ターゲットの家に一歩を踏み出そうとした。
ところが、
「ダークライ。ちょっと戻ってきてくれ」さっきまでとはうって変わった、張り詰めたヨノワールの声がした。
ダークライは仕事中に邪魔が入るのを何より嫌う。たった今も、ただ事でない雰囲気を感じつつ、イライラを抑えきれなかった。
「なんだ? お前、仕事の邪魔するのはゆるさねぇぞ」
「緊急事態なんだ! 頼むから、早く戻ってきてくれ」
さすがに無視できそうにないので、仕方なく再び影に潜ると家をでた。
「どういうつもりだ? 一体何があったんだ?」
ヨノワールは、黙って宙を指差した。
その先には、首周りの白い体毛が特徴の鳥ポケモン――ドンカラスが飛んでいた。
「どうして……」
俺は驚きのあまり、さっきまで怒っていたことも忘れて、ドンカラスの上に乗ったポケモンをぽかーんとして見つめた。ヨノワールが仕事中にも関わらず、自分を呼び戻した訳が分かった。
「どうして……キリキザンがここに来るんだよ……」
キリキザンはヨノワールの上司であり、ブローカー組織のボスだ。イッシュ地方から単身ここ、シンオウ地方までやってきて組織を一から作り上げた、知る者にとっては伝説的な男だが、不気味な噂も絶えない奴だ。
普段キリキザンがわざわざ現場に出てくることは決してない。今回突然やって来たのには間違いなくとんでもない理由がある。それも、悪いことに違いない。
ダークライがキリキザンに会ったのは、これまでにも一度しかない。クラウンに連れられて、組織と顔合わせをした時だ。
あの時からキリキザンの事は嫌いだった。俺は特に何もせず、クラウンとキリキザンで、仕事のことや、関係のない昔話をしているだけだったのだが、とにかく気持ち悪かった。俺を見ると頬を引きつらせるようにして、クックッと笑うのだ。それを見ると初対面なのに、なんだか全部見透かされているような、すごく自分が無知なような、そんな気分にさせられるのだ。
ドンカラス――つまり、キリキザンは俺達同様庭に着陸した。着陸するとき、激しい風がゴムボールを道路脇まで吹き飛ばした。
「ボス……一体なぜ……?」かすれた声で、ヨノワールが聞いた。
明らかに動揺しているヨノワールを見、キリキザンは笑った。
「いやいや、すみませんねぇ、ヨノワール。驚かせてしまったようで……。アナタが何かミスをしたとか、そういう訳ではないので安心してください」
「では、何があったのですか?」
「後でアナタにも話します。今は下がっていなさい」
「でも……」なおも、ヨノワールは食い下がる。
「邪魔です。下がっていなさい」突然笑みが失せ一喝した。関係の無い俺まで驚くような豹変だった。
上司の命令にヨノワールはすごすごと玄関先まで引いて行った。
「俺に何か?」短くダークライが聞く。
「そうなんですよ」いかにも疲れたという様子で言った。
俺は何か、とてつもなく嫌な予感がした。
「ダークライ。アナタに『良夢』を見せて欲しいのです」
予感、みごとに的中。
「いやぁ、すみません。ワタシも焦っているもので、ついつい飛ばし過ぎました。何か聞きたいことはありますか?」
展開に追いつけず黙っている俺を見てキリキザンが言った。
「何か、と言われても困る。俺には分からないことだらけだ。
まず、『リョウム』とは何だ? どうして突然そんなことを俺に頼む? 俺にはこれから悪夢を見せる仕事があるんだぞ? お前は俺を担いでいるのか?」
矢継ぎ早の質問に、キリキザンは両手で俺をいなした。いなしているだけのはずだが、奴の両手は手刀を切ってシュッシュッと音を立てた。
「まぁまぁ、落ち着いて。ワタシにも答えられる質問と、答えられない質問があります。……もちろん、答える気のないものもね」笑って言う。
「まず『良夢』とは、悪夢とは逆の夢、見た者を幸せにする夢の事です。
いきなりこんなことをアナタに頼むのは、これが緊急事態だからです。私としても、こんなお願いするのは非常に心苦しいところなのですよ。
それと、悪夢屋の仕事は、今夜は無くなりました。というか、悪夢のターゲットだった人間達に、良夢を見せてください。
あ、それと、決して担いでいるわけではないので、安心していいですよ」これでいいかというように、キリキザンは肩をすくめた。
「まだよく分からない。どうしていきなり良夢なんて言い出す? 緊急事態とは? 一体何があったんだ?」
「それには答えられません。お察しを」相変わらず事もなげに言う。
「ふざけるな!」とうとう俺はキレた。
「何が何だかさっぱり分からないが俺は手を引かせてもらう。だいたい良夢なんて俺の仕事じゃない」そう言い捨て、俺は帰るためにムクホークの元へ行った。
「それなら、仕方ないですねぇ」背後からキリキザンの声がした。妙に引っかかる調子に、俺は足を止めた。
「非常に残念ですが、別の悪夢屋さんにお願いするとしますか。
しかし、そうなると……あー……こんな無理なお願いするわけですから……その方とは……何ですか……今後組織としても、えー……そのー……『深〜い』お付き合いになるでしょうがねぇ……」白々しくも、最後にはため息までついてみせる。
「俺に仕事をまわさないって、脅しているのか?」悔しさのあまり歯ぎしりしつつ、こぼれだすように言った。
「クックッ」
あの笑い声。俺は背中に悪寒が走るのを感じた。
「どうしますか? ダークライ」
「噂通りのとんでもない奴だな、お前」
それにしてもどうするか。
ここで無理にでも帰れば、ブローカーからの仕事が来なくなるかもしれない。ただでさえ需要の減っている悪夢屋なのに、彼らのコネを失ったら間違いなく廃業だ。
だが、デマカセの可能性がある。自慢じゃないが、俺は悪夢屋の中でもトップクラスの成績を上げている。そんじょそこらの奴が代わりになるほど俺はヘボじゃない。キリキザンにしてもそうそう簡単に俺を切れないはずだ。
「何を考えているかは分かっています。でも、自惚れないほうがいいですよ。アナタの代わりなんていくらでもいるんですから」余裕たっぷりに言う。
――見抜かれている。
状況を考えれば、それほど難しい推測でないと分かっているもの、やはり不気味でしょうがなかった。
「そもそも良夢なんて俺にはできない。俺は確かに夢の中身を弄れるが、それは悪夢だけだ。俺が近づけば、寝ている者は中身がどうあれ皆、悪夢を見てしまう。それが俺の特性だ。俺自身にもどうしようもないことなんだ」
「『ナイトメア』のことなら大丈夫です。対策はしてあります。アナタにはいつも悪夢を見せるように、夢の中身を弄って、ターゲットの見たいと思っている夢を見せてほしいのです」
「対策? なんだそれは?」
ナイトメアの対策なんて俺でも思いつかない。
「それを話す気はありません。で、やってくれるのですか?」
とうとう、手詰まりだ。断りようもなくなってしまった。
「分かった。だが、これからは一か月も次の仕事を待たせるようなこと絶対にするなよ」
「もちろんですよ! こんなお願いを聞いてもらえるんですからね。これから先、需要のある限り、アナタに優先的に仕事をまわすことを約束します」さも嬉しそうに笑うキリキザン。
諦めて再び家に入るダークライを確認すると、キリキザンはヨノワールを呼び出し、ダークライに伝えたものとは違う、さらに詳しい事情を話した。さらに、ドンカラスに預けていた一枚の羽根を渡し、帰って行った。
「『需要のある限りは』……ね」
クックッ。
空から家を見下し楽しげに笑う声。
ターゲットの家の玄関で、ダークライは怒りに震えていた。
あまりに理不尽な要求だ。しかも、失敗すればどうなることやら。多少のミスは見逃しても、あのキリキザンの事だ、全て失敗なんてことになったら、わざとじゃないかと疑ってくるだろう。そうなれば、俺は奴に捨てられ、廃業だ。
だいたい「良夢」だなんてどうしてそんな物を見せなければいけない?
ここの人間達は、もとから最高の幸せの中で暮らしているはずだ。これ以上の幸せを、悪夢屋の俺が、どうしてやらなければいけないんだ。
――ガシャン!
力任せに振り回した腕が、一輪挿しに当たり花瓶が割れた。ついさっきまでの簡素な美しさは、すでに影も形もない。
「どうしたんだ? 大きな音を立てるなんてお前らしくもない。ターゲットが起きたらどうする?」ドアの向こうから、ヨノワールの声がした。
「黙れ! こんなことになっていつも通りでいられるか!」
後も、ヨノワールは何かゴチャゴチャ言っているのが聞こえたが、俺はさっさと奥へ向かった。
二階の寝室。母親の横でぐっすりと眠っているのが、ターゲットだ。年齢も顔立ちも、ヨノワールから聞いていた特徴とあてはまる。
もう一度俺は子供を見た。俺は今このガキに「良夢」を見せようとしている。まったく悪夢のようだ。
嫌だった。自分の仕事と真逆だとか、キリキザンに利用されているとか、そういう事では無く、純粋にこのガキを喜ばすようなことがしたくなかった。嫉妬しているのかもしれない。
――バカラシイ、ヤッテラレナイ。
自分の物とは思えない考えが湧いた。
「もう終わったのか。さすがダークライだ」
家を出ると、ヨノワールが早速言った。言葉は労っているが、一つ眼は細めている。
「分かっているんだろ。俺は何もしていない。キリキザンには長い付き合いだったと言っといてくれ」
「おいおい、本気か? お前が一旦引き受けた仕事を放り出すのか」ヨノワールは相当驚いている。
「こんなのは俺の仕事じゃない」
「でも、お前は引き受けた。それに、これからどうするつもりだ? このまま仕事をしないならお前は廃業だぞ」
「余計なお世話だ。じゃあな」
俺はまっすぐムクホークの方へ進んだ。
「ちょっと待ってくれ」ヨノワールが慌てて引き留める。
「どうしたらボスの頼み、引き受けてくれる?」
「キリキザンの代わりに頭を下げるあたりお前らしいな。
なら、キリキザンが隠していること全て教えろ。奴の秘密を全部喋ったら引き受けてやる」
「それは……」ヨノワールが口ごもる。
「そりゃそうだろうな。お前がキリキザンの秘密を話すわけがない。 お前は昔からそういう奴だ」
ヨノワールは見たことない程、みじめで辛そうな顔をしていた。
「残念だ、ヨノワール」
俺はムクホークの背に乗った。
「分かった、話す」
ムクホークが今にも飛び立とうとした瞬間だった。
「話すからボスの頼み聞いてくれ」
「本気か? お前がキリキザンを裏切るっていうのか? まさかな、信じられないな」
「俺の話を信じようと信じまいとお前の勝手だ。だが、聞けば分かる。全て本当の事だ。それに、私の話を裏付ける証拠もここにある」ヨノワールは真剣だった。
「証拠? 何だそれは?」
「そのことについても話す。とにかく聞いてくれ」ヨノワールは半ば懇願するように言った。
「いいだろう。話せ」俺はムクホークから降りた。
「話したら、ボスの頼みを聞いてくれるんだな?」ヨノワールの方もこちらへやって来た。
「……あぁ」
「やってくれるんだな」ヨノワールが語気を強めてさらに言う。
「分かった、分かった。約束する。お前の話を聞いたら、キリキザンの言う良夢、見せてきてやる」
ヨノワール納得したように頷くと、話を始めた。
「ボスが良夢を請け負うようになったのは、今からもう二十年程前のことだ」ヨノワールが話を始めた。
「その頃から悪夢の依頼はゆっくりではあったが確実に減りだしていた。当時にボスは時代の変化に気付いた。これから悪夢屋は廃れるってな。だが、その時点で悪夢の依頼が完全に無くなった訳でもなかったから、ボスは徐々に良夢へ移行していく計画をたてた」
ダークライは、「二十年」という歳月に、すうっと腹の奥がつめたくなるような感覚を覚えた。
二十年前。それはつまり、ダークライが悪夢屋を始めた年だ。クラウンに誘われて始めたあの時から、悪夢屋は終わりに向かっていたということなのか。
――需要がある限り――
さっきのキリキザンの言葉を思い出す。
「い、いま、そっちに依頼はどのくらいいっているんだ?」焦りのあまり声が裏返る。
「…………」ヨノワールは答えない。気まずそうに立ち尽くしている。
「答えろっ!!」
「……ない」ボソッと言う。
「ない?」言っている事の意味が分からなかった。
「最後に正式な悪夢の依頼が来たのは三年前が最後だった。今はもうない」
「嘘をつくな! じゃあ、先月の依頼はなんだったんだよ!」
「ウチで適当に選んだ、何の関係もない人間達だ」
「関係のない?」声がかすれる。吐きそうだ。
「ボスからの指示だ。あの人間達に依頼は来ていなかった」
「あぁ……どうして……どうしてそんなことを……」涙が出る。がっくりとして地面に手をついた。俺は腹の奥から盛り上がってくるモノにこらえきれずその場に吐いた。
これまで俺はたくさんの人間達に悪夢を見せてきた。生半可なものなど何一つない。依頼人の為、どこまでも恐ろしい悪夢を見せ続けてきた。
人間達は覚めない悪夢の中で助けてくれと悲鳴を上げ、引きちぎらんとばかりに頬をつねっていた。中には「死にたい」と言って、何千何万というナイフの生えた谷へと飛び込んだり、毒を吐き火を噴く魑魅魍魎の中へと自ら消えていく者もいた。そういう奴らのほとんどが、その後も目を覚まさなかったと聞く。正気を失ったのだ。
男も女も関係ない。子供も大人も区別しない。虐げられたポケモンの為、全力で悪夢を見せてきた。そのはずだった。依頼を全うされて喜ぶ誰かがいると、少なくともあの人間達は「悪」だと、信じていた。
なのに、そうじゃなかった。少なくともこの三年、俺は憎まれていない、もしかしたら本当に無垢な人間に、悪夢を見せてきたのかもしれない。
そう思うと、涙が、吐き気が止まらなかった。まさに悪夢だった。
「お前が優秀だからだ。ボスは夢の扱いに優秀なお前がこれからも使えると思った。だが、クラウンと同じで頑固な所のあるお前だ。『悪夢屋』から『良夢屋』に転身しろと言っても、聞かなかったろう。それどころか、悪夢の依頼が減っていることを話したら、お前は悪夢屋を辞めていたに違いない。お前はそういう奴だからな」ヨノワールが困ったように嘆息する。
当然だ。俺は悪夢屋であって他の何者でもない。人を知るためとは言っても、二十年この仕事を続けてきた自負がある。需要が無いからって、別の、それも真逆の仕事をする気など無い。
「だから当面は、他の悪夢屋を使って良夢を請け負いつつ、依頼があるふりをしてお前をつなぎとめておくつもりだっだ。もちろん、ボスだっていつかは本当のことを話すつもりでいた。隠し通せるようなことでもないからな」
「信じられない。信じたくもない!」憤慨して言う。「そんなこと急に言われても、とてもじゃないが鵜呑みにできない」
「だから、ここに証拠がある」
ハッ、として証拠のをことを思い出した。心底見たいはずなのに、俺は同時に逃げたくなった。
「これだ」ヨノワールが手を差し出す。
俺は起き上がってその、証拠を見た。彼の掌に収まるそれは、とても綺麗な一枚の羽だった。
俺はたくさんの意味がこもった、その羽根のために頭がどうにかなってしまいそうだった。
「どうしてそんなものをお前が持っている?」
「偽物じゃないぞ。まぁそんなこと、お前が一番分かっているだろうけどな」
――みかづきのはね。
大昔、悪夢屋の起源より、それは悪夢、つまりダークライを退けるものとして伝わっている。それを模したアクセサリーや、本物と偽って売られているのはダークライもよく見知っていた。
だが、目の前にあるそれは間違いなく、本物のみかづきのはねだった。
「これはクレセリアさんからボスが直接いただいたものだ。
ボスは移行計画のなかで、彼女を傘下に入れることを最大目標としていた。そして彼女は二週間前、正式にウチと契約を結んだ」
「バカバカしい。あの女がキリキザンと手を組むはずがない」
「しかしこれが証拠だ」これみよがしに羽をふる。
「正直私も驚いている。契約の事はついさっきボスから聞いたばかりなんだ。でも、間違いない。今、彼女は『良夢屋』だ」
とても納得できる話ではない。が、どうやら本当の事らしい。
ダークライという種族全般そうだが、クレセリアに対して大概良いイメージを持っていない。あの羽のせいか、二匹の間にはなにか対局的なものがあって、“とりあえず”どのダークライも、クレセリアが嫌いだ。そして、それは恐らくクレセリアにしても同じだろう。
実を言うと、俺はクレセリアに会ったことがない。それどころか見たことすらない。しかし、それでもあの女のことを聞くと何か不愉快な気分になるのはきっと、「ダークライ」である以上仕方のないことなのだろう。
クレセリアについて、俺はその昔クラウンに聞いた以上の事をあまり知らない。そのクラウンはクレセリアを、「八方美人の世間知らず」、と呼んでいた。
悪夢屋になる前、何度目かの「悪夢屋の歴史」の話を聞いていた時。
「クレセリアって奴は、人間の次にタチが悪い」苦々しげに言う。人間の事以外でクラウンがこんな顔をするとは珍しい。
「何も知らないくせに、ベラベラといらないこと吹聴して、あげく神様だなんて崇め奉られていい気になっている。おかげで昔っからダークライは『悪夢を見せる悪いポケモン』って評判が根付いてしまっている。
こと、人間に対しては誰彼かまわずいい顔してるから、悪夢屋としてはやりづらくてしょうがない。あの羽さえなんとかなればいいのだけど……」
彼に聞くまで俺はクレセリアの存在すら知らなかったが、ダークライという種族の因果だろうか、なんとなくそいつが嫌な奴という事だけは、感覚的にハッキリ分かった。
主観を抜きにしても、クレセリアがバリバリの「親人間派」であることは、神格化されていた史実やこれまで聞いた話からして間違いない。そんな奴がどうしてこれまでさんざん人間を苦しめてきたキリキザンと協力するのか、どんな心変わりがあったのか全く想像がつかない。
だが、問題はそこじゃない。クレセリアはキリキザンの「良夢屋」になった。
つまり、今、俺の立場はかなり危ない。
クレセリアのことはあまり知らないが、キリキザンが計画の最大目標にするぐらいだし、仮にも昔は「夢の神様」と呼ばれていた奴だ。相当のやり手であることは間違いないだろう。
クレセリアを傘下に入れた今、ブローカー組織は本格的に「良夢」へと切り替わるはずだ。そうなれば、ただのつなぎにも俺と手を組んでいる必要はない。
「キリキザンめっ!」怒りのあまり脳みそが沸騰しているのかと思った。
あの男は初めから俺を切るつもりだったのか。あたかも交換条件のようにして良夢を押し付け、「需要のあるかぎり」などと言って俺を騙しやがった。
「私はこうなると分かっていた。だから、お前に何度も忠告した。人間に着けって。なのにお前は一度として耳を貸そうとしなかった!」見上げるとヨノワールの顔の灰色がさらに白くなっているように見えた。
「黙れっ! ヨノワール。キリキザンが何をしているか知っていて協力してきたお前も同じ悪党だろうが。今さら何言い訳してやがるっ!」
「そうだな……すまない……」
「うるさい! 今さら謝っても遅いんだよ!」
「……すまない」
できることなら今すぐにもキリキザンを追いかけ、「ダークホール」に落として、いっそ死んでしまいたと思うくらいに悪夢を見せてやりたかった。俺から俺に送る最後の依頼だ。
でも、まだだ。まだ、聞きたいことがある。
「ヨノワール。最後に一つ聞きたいことがある」淡々と俺の口から言葉が出てくる。
「……クラウンのことか……?」
いろいろ抜けている所のある男だが、肝心な所では誰よりも察しがいい、それがヨノワールだ。これだからキリキザンの右腕としても勤まるのだろう。
「クラウンは今、どこにいる?」
「私は知らない」
――ドガーン!
派手な音を立ててヨノワールの背後の鉢植えが爆発した。植えられていたチーゴの花が、無残に散って土に埋もれている。
「もう一度聞く。クラウンはどこだ?」
俺の手の中にはすでに次の「あくのはどう」が、まがまがしい光を放って渦巻いていた。
「よせ、ダークライ。家の者たちが起きてしまう……」
――ドガーン!
まず二階、そして一階の窓の一つに明かりが灯り、大きくえぐれたレンガ塀があらわになった。
玄関から家の者が一人、しかめっ面で出てきた。イタズラとでも思っているらしい。寝間着姿の男は初めに俺達を見、次に庭の惨状に視線をやった。事態を飲み込んだ男は、慌てて家に戻ろうとした。自分のポケモンを連れてくるか、警察を呼ぶ気だろう。どちらにせよそんなことになれば、キリキザンの頼みどころではなくなってしまう。
しかし、ヨノワールの対応は早かった。男がドアノブに手をかける前に「かなしばり」で動きを封じ、「あやしいひかり」で混乱させる。男は目をトロンとさせてその場に立ち尽くした。すでに記憶はむちゃくちゃになっていることだろう。
「話が違うぞ、ダークライ」極めて落ち着いた口調だったが、その声は怒りに震えていた。
「ボスの秘密を話したら頼みを聞くはずだ。今すぐあの者たちを眠らせて、ターゲットに良夢を見せてこい!」
「やっぱりバカだな、お前」
「なんだと?」ヨノワールが低く唸る。
「キリキザンの頼みを聞いたところで廃業は避けられないと教えたのは、お前だぞ。まさか、そんな話を聞いた後に俺がまだ約束守ってあの男の頼み聞くと、本気で思っているのか?」俺は鼻で笑った。
「思っている。お前はそういう奴だからな。一度引き受けた仕事は絶対に放棄しないし、約束は必ず守る、お前はそういう奴だ。それに、一ついいこと教えてやろう」
「なんだ?」
「俺は本当にクラウンの居所を知らない。だが、ボスは知っているはずだ。このまま良夢を見せてくれば、ボスが教えてくれるかもしれない」
「だが、その保証はない」
「そうだ。しかし、ボスの頼みを聞かなければ、絶対に教えてはもらえないぞ。お前がクラウンの居所を知る唯一の方法がなくなるわけだ」
「うぅ……」
「分かったら、早く仕事をはじめろ。他の人間達が出てきたらさらにやっかいな事になるぞ」
悔しいがヨノワールの言う通りだ。ヨノワールがクラウンの事を知らないという以上(彼の言うことを信じればだが)他に奴の事を知っていそうなのはキリキザンくらいだ。今、キリキザンの頼みを放って帰ったら知りようがなくなってしまう。
「クソッ、分かったよ。さっさとあの人間、上にやっとけ」
「いいだろう」短くヨノワールが答えた。その顔は嬉しそうでも悲しそうでもなかった。
目の前にいるガキは気持ちよさげにぐっすりと眠っていた。のんきなことだ。寝床の横に立つといつもそう思う。これから世にも恐ろしい悪夢を見ることになるというのに、これほどマヌケなことは無い。
俺には悪夢にこだわりがある。細かい事を言えばたくさんあるのだが、最も大切なことは、夢の中に依頼人、もしくはそいつと同じ種族のポケモンを登場させることだ。
これはクラウンもそうだった(彼は必ず依頼人を登場させるという所までこだわっていた)、いや、むしろこんなこだわりができたのにはクラウンの影響もある。――まぁ、こんなことにしつこくこだわっているから、ヨノワールにも頑固だと言われるのかもしれない。
しかし、ポケモンを登場させることは非常に重要な悪夢の要素だ。俺はそのことをクラウンから教わった。
「いいか。悪夢屋になるうえでまず一番に覚えておかないといけないことがある。それは私達の仕事が『警告』と『代理復讐』だってことだ」
ハンターのもとを抜け出してまず最初に、クラウンから教わったことだ。
「私が悪夢を見せるのは警告の為だって話は前にしたな。人間に対してこれ以上ポケモン傷つけるようなことしたら、ただじゃおかないぞって事を伝える為だって。
けどな、同時に俺達の仕事は『代理復讐』でもある。依頼人の代わりに、恨みを晴らすのが悪夢屋だ。でもな、悪夢屋の俺が言うのもなんだが『復讐』ってのは、この世で最も恐ろしい『悪』だ。だから俺達はそれを何としても止めなければいけない。その意味が分かるか、ダークライ?」
俺は黙って首を横に振った。俺にはその時全くクラウンの言葉が分からなかった。ただ唐突に始まった説教じみた話に少しばかりウンザリしていた。
「なんだなんだ? つまらないって顔しているな。まぁしょうがない。でも、これから話すことは大切なことだから、しっかり覚えておくんだ。
『復讐』っていうのはな、あらゆる悪の根本にあるものだ。やられたらやりかえす、さらにまたやりかえす……。人間も、そういう点じゃポケモンもおんなじだ。しかしそれではキリが無くなってしまう。だからどっちかが我慢しないといけない。トラブルがあっても、人間同士なら他の人間が仲裁に入って止めるだろう。でも、人間とポケモンじゃいつだって私達の方が我慢する側だ。人間達はポケモンを扱う、上の存在だから、我慢っていうものを知らない。ポケモンに対してそんな必要なんて無いとすら思ってる連中だ。でもな、いろんな事情、例えば、程度の超えた行為によるものだったり、誰か大切な者のためだったり、……あとは、そいつが単に短気だったりすることもあるだろうが、とにかく、ポケモンだって我慢できないことがある。そういう時に使われるのが悪夢屋だ。
悪夢屋はいつだって、自分と関係のない恨みに付き合っている。だからこの恨みが誰からのものであるかってことを明確に人間に伝えなきゃならない。そうしないと、どの悪夢も警告にならない。『復讐』を止める警告にはならないんだ。
プロになれ、ダークライ! 目的を忘れるな。私達の仕事は『警告』と『代理復讐』なんだ!」
クラウンは言った。
二十年たった今でも、実はいまいちクラウンの言う「警告」と「代理復讐」の意味がよく分かっていない。結局は、復讐の連鎖を止めるために、きっちり恨みの由来を伝えろって言うことなのだろう。でも、悪夢を見せたぐらいで本当にその抑止力となるのだろうか。ハッキリ言って疑わしい。
本音を言うと、俺が悪夢の中でポケモンを出すのは、人間がどんな反応をするかを見たいからだ。
悪夢の中で(もちろんシチュエーションの影響もあるが)、ポケモンを見て安心する者、逆に怖がる者、何も反応を示さない者、さまざまだ。そいういう反応が人間を知る為の手がかりになる。
「ハァ……バカバカしい。今さら俺は何を考えてるんだ……」思わず空しさが口をついて出た。
何考えているんだ、俺。昔の事なんて思い出したりして。今さらクラウンから何を教わったかなんて、どうでもいい事なのに。
ヨノワールはついさっき下へ戻った。不本意な仕事だが、仕事は仕事だ。職場に他の奴がいると気が散ってしまう。
これから俺が見せるのは良夢。悪夢じゃない。悪夢屋としての心構えなんてなんにも役に立たない。これは「警告」でも「代理復讐」でもない。どこかの人間好きから来た注文、のんきな寝顔の相応しい、良夢だと言うのに。
邪念を振り払いたくなって、俺はどんな夢が見たいか調べるのに早速ガキの精神に潜り込んだ。
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果てしなく広がる緑の大地、世界の真ん中で白の少女は空を仰ぐ
びゅうびゅう、びゅうびゅう
青い空とはためくワンピース。
風が強い、強すぎる。華奢な少女は今にも吹き飛ばされてしまいそうだった
しかし、少女は身にせまる危険すらおかまいなしに空を見る
ただただ空を見る。そこには何も無いというのに、飽きもせずに空を見る
いや、違う
空には空いがいのものがいる、少女はソレを見てる
そうソレは……俺だ!
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ここまで見て俺は“外”へ出た。ガキの望みが分かった。
外に出るとダークホールを用意した。寝ている者には基本的に効果のない技だが、これを事前にかけて置くことでより深い睡眠をもたらし、夢を見せている間に目を覚まされる心配がなくなる。
ガキがダークホールにかかったのを確認すると、俺はまた精神に潜り込んだ。
良夢、第一の仕事開始だ。
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さっきと同じ、どこまでも続く青い空、美しい世界。しかし、地上には誰もいない。少女は今、俺の背中に乗っている。
俺はムクホークになっていた。
少女の望みは、空を飛ぶこと。それも、ポケモンに乗って飛ぶことだった。
望みの叶った少女は歓喜の声を上げ、俺の翼を持って右へ左へ縦横無尽に大空を飛びまわった。
突然、雲一つなかった空にもくもくと大量の雲が出てきた。
それは俺の“作った”チルットとチルタリスの群れだ。見上げても壮観な彼らの群れだが、こうして見下ろしてもなお、心震わせるものがある。
「ねぇ、ムクホーク。すっごくきれいねっ!」満面の笑みを浮かべて少女が俺に話しかけてきた。
なんと言ったらいいのだろう。俺は奇妙な気分になった。しかし言葉が出ない。口をパクパクさせてはいるもの、声が出ない。
「ん? どうしたの? だいじょうぶ?」やわらかな声。彼女のやさしさが、その声にまでにじみ出ているようだった。
その瞬間、喉のつっかえが取れたように感じた。今なら話せる。ずっと少女に言いたかった言葉。
「落ちろ」
真っ逆さまに落ちていく少女。
世界が終った。
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第一の良夢、失敗。
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お題「悪」
以前だしていたものが消え、前半部だけ完成させてもう一度出しました
え、キリキザンの役柄酷過ぎないかって?
でも、私、イケズキはキリキザン大好きです! ええ、そりゃもう、心底!
【描いてもいいのよ】【批評してもいいのよ】
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