マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  •   [No.3423] 蜘蛛の糸 投稿者:あつあつおでん   投稿日:2014/09/29(Mon) 21:53:08     94clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     生き物は死ぬと、生前の行い次第では涅槃の地に行けるらしい。涅槃には仏がいて、それは穏やかな世界が広がっているそうだ。ポケモンも人も奪い合うことも縛り合うこともなく、かのプラズマ団やフレア団が求めた世界に近いかもしれない。
     そんなある日のこと、仏が散歩をしていると、池を見つけた。すぐそばに木が生えており、枝は池の上にまで伸びている、やけにがさがさ枝が揺れているも、仏は気にせず水面を見つめた。そこからは地獄が見えた。かつては苦しみしか生み出さなかった地獄も、近代化を遂げていた。涅槃に行けなかった者たちは地獄で労働に従事し、涅槃の者の生活を支えているのだ。
     その中に、仏は一人の男を見出した。地獄の工場を掃除している男は、Twitterやゲームで遊び呆けて執筆を怠るという大罪を犯して涅槃に行けなかったのだが、生前一匹のイトマルを助けていた。そのことを思い出した仏は糸を垂らそうとしたのだが、その手を止めた。すでに木から糸が下りていたからである。

     さて、こちらは地獄。涅槃は雲より高い所にある。仕事の合間にそれを眺めていた男の元に、細い糸がやってきた。自堕落な生活を送っていたとはいえ、男も物書きの端くれである。すぐに勘付いて一言
    「これは、もしやあの有名な蜘蛛の糸か? あの話通りなら、救いの手が来たんだな。物語の男は失敗していたが、私はすでに死んだ身、どうして失敗することを恐れようか」
    と糸を手繰り寄せ、地面をけり上げ上りはじめた。
     そこからは速かった。男も常人ならざる力で易々と上るが、手足の動きに不釣り合いなほどの勢いである。まるで天に吸い込まれているかのようだ。男はこれに驚きつつも、運が良いと休まず手を動かした。
     ところが、その勢いが急に落ちてきた。まさかと思って下を見ると、男の視界にたくさんの人の姿が見えた。糸を手繰る人の髪をさらに人が掴み、さながら大樹のような様子である。言うまいと思っていても、いざ遭遇すると落ち着きを失うようである。男は「あの言葉」を言ってしまった。
    「おい、降りろ。これは俺の糸だ…あっ」
     自らの失言に男は天を仰ぎ、観念したのか目をつぶった。糸が切れる音が聞こえてくる。大勢の悲鳴がこだました。しかし、男は黙ったままだ。恐る恐るまぶたを開けると、男の足元より下の糸がなくなっていた。
    「助かったのか。どうやら、全て物語通りというわけではなさそうだ」
     男は安堵し、再び上りはじめた。最大の難関を突破した男は、やはり何かに引き寄せられるように上を目指す。一時間ほど過ぎるころには、遂に水面を眺める仏が見えるところまでたどり着いた。男は最後の力を振り絞り、遂に涅槃に到着したのだ。
    「よし、あとは着陸…あれ?」
     ふと、男は異変に気付いた。手を止めたはずなのに体が上へ上がるではないか。糸の出どころは茂みに覆われた木の枝。仏ではない。もしやと思った男は逃げ出そうとするが、蜘蛛の糸が手足に絡まり思うように動けない。下手に動けば地獄にまっさかさまと言うこともあり、激しく暴れられないのも災いした。
     そうこうするうちに、男は茂みの中に入っていた。そこにいたのはアリアドス。大きく口を開けていた。
    「あの言葉の報い、ここで受けるのか…」
     今度こそ万事休す。アリアドスは男の首を噛み千切ると、そのまま胴体、足、腕の肉を食べてしまった。茂みから残った骨や内臓がぼとぼとと池の中に落ちていった。
     食事を終えたアリアドスは、今いる枝から幹を伝って木から降りようとした。ちょうどその時、枝が根元からぼきりと折れた。アリアドスは為す術なく池から地獄に入っていった。

     この一部始終を見ていた仏は、少し悲しそうな表情をしたが、すぐに落ち着きを取り戻し、散歩を再開するのであった。







     思い立ったが吉日だと思ってるので、これを読んでる方は一粒万倍日でなくても書いてみましょう。


      [No.3422] パラレル・オブ・ザ・レディ(短編集2) 投稿者:WK   投稿日:2014/09/29(Mon) 20:56:16     95clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:色々詰め合わせ】 【あんさん、ほんまもんの外道ですわ

     ※ちょっとアレな表現あります














     枯れ行く命よ 儚く強くあれ 無慈悲で優しい 時のように

     この屋敷内に、『人の形をしたモノ』は数あれど、『人そのもの』は、一つしかない。
    「用心棒なんて、雇う意味あるのかしら」
     ルージュは内心、そう思っていた。口に出して呟くことはしなかった。そんなことをしたら、ネロのことだ。何処かでこっそり聞いていて、マダムに告げ口する……なんてこともあるかもしれない。
     そうなれば、明日のディナーの材料が自分になることなんて、分かり切っていることだ。別段、自分の肉体がマダムの血となり骨となり、生きる糧となるならば、ルージュは喜んで自分の首をナイフで切り裂くだろう。ご丁寧に、ネロに血抜きのやり方のメモまで遺して。
     しかし、その体がマダムだけではなく、ネロや黄昏の子供達にまで行き渡るというのなら、話は別だった。
     自分の肉体は、マダム・トワイライトのためだけに存在する。死ぬ時は、彼女に喰われて死にたい。
     常日頃から、そう思っていた。それくらい、ルージュのマダムに対する忠誠心は厚いものだった。
     それでも、今回の用心棒雇用には、些か疑問を抱いた。
     この広い屋敷に使用人と呼べる者は、二人しかいない。ルージュとネロだった。ルージュは料理長で、ネロは料理以外の全ての雑事を賄っている。時折黄昏の子供達にも手伝わせるが、彼らは加減を知らない。
     ガラスを割ったり、箒を折ったり、壁紙を破いてしまったり。挙句の果てに、マダムのコレクションが詰まった部屋のドアを半壊させたこともある。
     その時ばかりは、流石のマダムも怒りに怒った。ルージュ達が止めたが、あともう少しで屋敷が全壊するところだった。
     その一件でルージュは左足を失い、ネロは右手を失った。後にマダム自ら義足を造らせたので、全く支障はないが。
     さて、それから考えたのかは分からないが、マダムが新しく使用人を入れると言ってきた。使用人と言っても、美しいものではない。
     用心棒――金で動く人間だった。
     この黄昏屋敷に、何か敵意を持って侵入した人間は、その日のうちにディナーのメインディッシュとして出されることになる。どんな武器を持っていようが、ルージュとネロ、そして黄昏の子供達の前では無意味だ。
     それはマダム自身もよく知っているはずだ。
     それなのに。
    「マダムは私達の力にご不満なのかしら」
    「それは違いますよ」
     ビクッとして振り向く。ネロが立っていた。いつもの燕尾服に、モノクル。髪はしばらく放置されて酸化した血の色。
     何時の間に……。
    「レディーの背後に音もなく立つなんて、なってないんじゃない?」
    「申し訳ございません。 マダムのご命令通りに動いていると、どうしても癖が出てしまうのです」
    「……まあいいわ。 それより、アンタ今回のマダムのお考え、真意のほどは理解しているの?」
    「ええ」
     何の躊躇いもなく返って来た答えに、ルージュは多少面食らった。が、すぐに態勢を立て直し、いつもの口調で話しかける。
    「そうなの。 じゃあどうして用心棒を雇ったのか、アタシに教えてくれるかしら」
    「それはいけません」
    「……何ですって?」
    「マダムから言うなと、固く口止めされております故」
     マダムの命令とあれば、何も言えない。いや、もしかしてこいつ、それを知った上でマダムの名前を出したんじゃ……。
     疑惑の念に駆られるルージュとは裏腹に、ネロは涼しい顔をしている。
     ふと、二人の耳が同時に動いた。
     本邸をぐるりと取り囲む、約一キロの門。バラの蔓が絡みつき、シーズンになれば見る者全てを感嘆させる『薔薇の門』となる場所。
     その入口に、誰か来たようだ。
    「……知らない気配ね」
    「いらっしゃったようですね」
    「は?」
    「用心棒ですよ。 マダム直々のご命令で、そのまま本邸まで通せとのことです」
    「……本気?」
    「ええ、もちろん」
     ルージュは肩を竦めたが、おもむろに肉切り包丁を取り出すと、テーブルの上で研ぎ始めた。
    「その用心棒って、男なの? 女なの?」
    「女性だと聞いております」
    「……そうなの。 じゃあ、早いところ回収しないと、彼らに食べられちゃうわね。
    ――彼らは、柔らかい肉が大好きだから」
     コンロの火にかけられた鍋の中で、ブイヨンがくつくつと煮えていた。

    一方、いくらインターホンを押しても誰も出てこないことに痺れを切らした用心棒は、門を飛び越えて庭の中に入っていた。
    天気は昨日降った雨の影響で、未だに曇り、霧まで出ている。クトゥルフ神話では、霧の中から化け物が出て来て人を食う、という伝説があるという。
    庭はとても広かった。草木は美しく手入れされ、今の時期は桜が冷たい風に散らされて花びらの道が出来ている。
    柔らかく冷たい花びらの道を、裸足で歩く。時折花びらが引っ付いて来るが、気にしない。
    少し肌寒さを感じ、彼女は息を吐いた。流石に白には染まらないが、それはゆっくり上空へと上って行く。
     不意に。
     霧の中で蠢く影があった。
     一つではなかった。二つ、三つ……。いや、それ以上が、ぐるりと彼女の周りを囲んでいる。
    (匂う、匂うぞ)
    (生娘の匂いだ)
    「……!」
     霧に紛れて、赤い目が幾つも浮かび上がる。普通の人間ならば、ここで悲鳴を上げるか、尻もちでもついていただろう。
     しかし、彼女は悲鳴も上げなければ、尻もちもつかない。その二本の足は、しっかりと地面を踏みしめている。
     いつの間にか、彼女の周りには身の毛もよだつような怪物達が集まっていた。皮膚がぼこぼこに変化しているもの、よく分からない液体を口から垂れ流しているもの、目が全身にあるもの……。
    (久々に柔らかい肉が食えるぞ)
    (俺は足だ)
    (俺は首だ)
     彼女が腰に付けていた日本刀を抜いた。

    「行くぞ」

     テラスには、既に大理石のテーブルとイス、そしてクッションが用意されていた。足元には電気ストーブまで設置されている。
     一人の少女が、テラス席にやって来た。十二、三くらいだろうか。ふわふわの金髪に、シンプルだが上質な素材を使ったワンピース。
     何処からともなくネロが現れ、彼女に椅子をすすめた。
     そのままボスンと座ると同時に、アフタヌーンティーの用意が目の前のテーブルに置かれる。
     紅茶とケーキ、スコーンにプチフール。マカロンにドラジェ。
     色とりどりのケーキを、彼女は品定めするように選んでいく。
    「あの用心棒は、どうなっているかしら」
     幼さが残る声。聞く者全てを服従させる、魔性の声。
     ネロは静かに答える。
    「十分ほど前に、門を飛び越えたのを確認しました」
    「そう」
    「……ここまで辿りつけるでしょうか」
    「そうじゃないと、面白味がないわ」
     ドン、という音がした。続いて、土煙が上がる。ネロがテラスから身を乗り出し、下を見る。
     玄関の支柱の片方に、何かが叩きつけられたようだ。それも、ものすごい力で。
    「……」
     やがて、土煙が晴れた。そこにいたのは、あの異形の物達だった。
    「これは……」

    「随分派手なお出迎えだ」

     ネロが振り返った。
     少女が座っている席の向かい側。もう一つ、椅子がある。
     そこに一人の女が座っていた。
     髪はプラチナブロンド。上はバッサリと切り上げ、下だけ長く伸ばし、編み込みにしている。
     服はおよそこの場に似つかわしくない、Yシャツと黒いスキニーパンツ。
     しかし、その服が全く気にならないくらい、彼女は美しかった。
    「一体どこからお入りに……?」
    「上から」
     当然、という口調で返す彼女に、ネロは何も言えなかった。反対に、少女が口を開く。
    「それでこそ、うちの用心棒に相応しいわ」
    「あれは、アンタのペットか」
    「まあね。 可愛いでしょう?」
    「全滅させたよ」
     三人の間を、冷たい風が吹き抜けていく。
    「……よく倒せたわね」
    「図体がでかいだけで、頭は空っぽだったからな」
     少女が立ちあがった。身長百五十センチ近くしかない彼女と、百六十以上ある彼女。
     自然と、見上げる形になる。
    「貴方、名前は?」
    「……レディ・ファントム。 周りは皆そう呼ぶ」
    「じゃあそれでいいわ。 レディ、貴女はたった今から、うちの用心棒よ。 もちろん、報酬は好きなだけ出すわ。 ただし、変なことしたらディナーのメインディッシュになるからね」
    「どうぞご勝手に。 私の肉なんて、食べても不味いと思うけど」
     それだけ言うと、レディは再び屋根へ飛び移ってしまった。
    「……むかつくわ」
     少女――マダム・トワイライトが顔を顰めた。


     
     骨の髄まで 染まってもまだ それだけじゃ 物足りないの

     斬り合え、骨の髄まで――

     レディ・ファントムには師匠がいた。もう何年も昔のことだ。
     様々な組織を転々とし、あらゆる仕事をして金を手に入れて来たレディ。用心棒はもちろん、情人にもなったし、敵対する組織を壊滅させたことがある。
     その評判が裏に響き渡り、一つの組織に留まるのはごくわずかになった。良い条件を提示されれば、たとえ別の組織の用心棒をしていたとしても、簡単に裏切った。
     若さ故の無鉄砲さ。十代の小娘のすることだ。今考えると、よく死ななかったなと若干驚く。
     そんな時だ。
     レディの腕を聞きつけ、手合せしたいという男が現れた。
     今までも、組織の命令で腕に自信のある者と闘って来た。負けた者は、使える部分だけを取り除いて、捨てられる。
     もちろん、レディは一度も負けたことがなかった。誰もがレディが負ける所を見たがっていたようだが、その悪趣味な願いは一度も叶わなかった。
     その時、レディは珍しく何処にも属していない、フリーの状態だった。そこを狙ってきたのか、男は水浴をしている彼女の元へ現れ、勝負をしたいと告げた。
     下半身は水に隠れていたとはいえ、上半身は何も付けていなかった。普通の男ならば、その美しさに我を忘れて飛びかかろうとしただろう。そして、物言わぬ骸にされていたに違いない。
     だが、男はただ、手合せすることだけを望んでいるようだった。その他のことには一切興味がないように見えた。
    「……私の評判を聞いたのか」
    「“とてつもなく強い”というだけだな」
    「ま、いいけどね。 ……アンタ、名前は?」
     男は答えなかった。面倒な挑戦者が来たな……と、レディは肩を竦めた。

     当時、レディはまだ十代後半だった。だが、どんな相手にも負けたことがなかった。
     年下、同い年、年上――。それらを容赦なく倒してきた。
     その男は、外見は三十代後半に見えた。ぼさぼさの髪に、髭面。それなりに整った顔立ちをしているが、大分薄汚れた格好をしている。
     レディは、その男に今までの挑戦者にはない物を感じていた。違和感、といえばいいだろうか。
     決闘は、誰の邪魔も入らない荒地で行うことになった。茶色い岩肌がむき出しになった、植物が一切生えていない場所。
     相手が持っていた日本刀を、鞘から抜いた。
     瞬間。

     レディは、今まで感じたことがないくらいの恐怖を抱いた。
     
     “命を懸けて戦った”ことは、今までない。それをするほど、相手が強くなかったからだ。
     大抵の相手は、目を瞑ってでも勝てた。
     だが、この男は――。
    「どうした」
     男の声が聞こえた。レディを嘲笑しているようにも見えた。普段なら怒り狂っているところだが、この時はそんな余裕はなかった。
     相手から醸し出される、圧倒的な恐怖。
     幻か、催眠術の類か。
     足元に、大量の白骨が散らばっているように見える。
     だが、そこで一つの疑問が生じた。これだけ人を斬っているのなら、自分の耳にもその噂が届いているはずだ。
     自分の知る限り、そんな人斬りの話は聞いたことがない。
     ――まさか。
    「怖気づいたか」
    「……いや」
     一度はその恐怖に圧倒されかけたが、流石に場数を踏んでいない。レディはすぐに態勢を立て直した。
    「随分と……恨まれているみたいだと思って」
    「俺の腕に見合う奴がいなかっただけの話だ。 ……身の上話を語る状況でもないだろう。さっさと始めようじゃないか」
     この時、レディは確信していた。
     この斬り合いは、今までで一番壮絶な物になるだろう、と……。

     予感は当たった。
     その日、レディは生まれて初めて敗北した。
     経験値、剣技、体力。そして機転。
     全てにおいて、男の方が圧倒的だった。
     血にまみれ、息も絶え絶えになったレディに、男は言った。
    「お前でもなかったか……」
    「……」
     声を出す気力もなく、レディは自分の死を悟った。自分は、この男によって息の根を止められるのだと。
     今までの人生を振り返る。生きて来た時間は、長いとはいえないだろう。だが、あらゆる意味で濃い人生だった。
     何人もの命を断ち、裏切ってきた。
     それが当たり前になっていた。命を懸けて斬り合うことなど、なかった。そんな意味のある斬り合いなんて、なかった。
     ……自分は、ここで死ぬのだろう。

    「……光が、消えないな」

     男の声がした。
     レディは気付かなかったが、死の間際の彼女の目には、未だに光が消えていなかった。その瞳は濁ることなく、むしろぎらぎらと光っている。
     生に執着するように。まだ死ねないと訴えるように。
    「……お前は、亡霊の類を信じるか」
     男が話し始めた。満身創痍のレディは、聞き取る余裕もない。息荒く、男の顔を見つめている。
    「亡霊というのは諸説あるが、死んだ人間の未練が形を成した物だそうだ。 死してなお、満たされない欲望が、人をこの世に留まらせるらしい」
     ごほっ、という音がして赤い飛沫が散った。
    「いくら斬っても満たされぬ、この乾き……」
     だんだん意識が薄れていく。逆光で真っ黒な男の顔が、どんな表情をしていたのか。

    「お前を生かせば、それを満たしてくれるのか?」

     次に意識を取り戻した時、レディは薄暗い洞窟の中で横にされていた。あの男が手当したのだろう、体には包帯が巻かれている。
     そして、その後レディはその男を師として仰ぐこととなる。数々の斬り合いを乗り越え、やがて彼女は“幻の刀”の存在を知る――。

     それを巡り、鋏男の一族と争うことになるのは、また別の話。


     幻の手

     ルージュの仕事の一つに、使用人の賄い食を作ることがある。ネロや黄昏の子供たち、そして用心棒であるレディに、その日の食材を使って食事を作るのだ。
     その日の昼食は、ロールキャベツ、林檎と胡瓜のサラダだった。ゲテモノ食いと称される彼女でも、このような料理は作れる。何せ、かつては料理の女王とまで呼ばれていたのだから。
     どんな食材も、誰もが口を揃えて『美味しい』と言う料理にしてしまう。全世界から賞賛され、数えきれないほどのレストランからシェフになってくれ、と頼まれた。
     しかし、そこに彼女が作りたいと思う料理はなかった。
     創作料理で地位を築き、また彼女が一番得意とする物が独自で作る料理だったことから、誰かに依頼されて作る料理はあまり得意ではなかった。
     そこから、彼女は自分の店を持とうと思った。
    「……よし」
     自分を含めた分の料理を作り終え、ルージュはネロを呼んだ。
     黄昏屋敷には、百を超える部屋がある。使用人たちはそれぞれ休息の部屋を与えられているが、ほとんどは自分が一番過ごしやすい場所にいることが多い。
     たとえば、子供たちは屋敷全域を走りまわっている。
     ネロは、マダムに付き添って彼女が行く場所にいる。
     レディは、あの広大な庭の何処かにいることが多いらしい。らしい、というのはネロから聞いた話で、ルージュ自身は全く彼女と接触したことがないからだ。
     あの庭にいるマダムの『コレクション』を全滅させたというのに、マダムは彼女を用心棒としてそのまま雇い入れた。下種な話になるが、かなりの金額を提示されてそれを払ったという話だ。
     初めて顔を合わせた時、不覚にも美しいと思ってしまったのは恥ずかしい話だ。あの姿なら、用心棒だけでなく、別の仕事もしていた可能性がある。
    「お呼びですか、料理長」
     呼び出してから、わずか三分ほどでネロはやって来た。意外と近くにいたのか……と思ったが、見ると燕尾服の裾がしっとり濡れている。
     この館内で、湿っている場所といえば十ほどあるバスルームくらいだ。
    「風呂掃除でもしてたの?」
    「いえ、庭のバラの様子を」
    「……」
     庭にバラがある場所は二か所。一つは敷地をぐるりと囲む鉄の門だ。その時期になると、絡みついた蔓から一斉にバラが咲く。その姿はさながら、薔薇御殿と呼ぶに相応しい。
     そしてもう一か所は、庭の隅にある比較的小さなバラ園だ。小さい、といっても公園ほどの広さがある。
     この調理場は、屋敷の一階の右の隅っこにある。一方バラ園は、どちらにしても徒歩十分ほどかかるはずだ。
     馬車はマダムにしか使えないし……。
    「どうされましたか?」
    「……何でもないわ」
     ネロはいつものように、涼しい顔をしている。『あらゆることを卒なくこなす程度の能力』……。恐ろしい。
    「それより、賄いができたわ。 他の人にも持って行って」
    「かしこまりました」
     ルージュは考えるのを辞めた。そもそも、ここの使用人は皆、触れられたくないことには触れないのがモットーだった。
     ……私にも。
    「あの子達は何処にいるかしら」
    「先ほど、池の畔で蹴鞠をしているのを見かけましたよ」
    「そう。 じゃあ」
     お願いね、と言おうとした時だった。廊下の方から、何やら騒がしい足音が聞こえてきた。
     この屋敷でバタバタ走りまわるのは、あの子達しか考えられない。
    「おやおや、何事でしょう」
    「ちょっとお灸を据えてやろうかしら」
     私は調理場のドアを開け、廊下に向かって叫んだ。
    「何事!? 悪戯だったら、豚の臓物を生で食わせるわよ!」
    「料理長、その言い方は……」
     案の定、廊下を走って来たのは黄昏の子供たちだった。だが、様子が何かおかしい。本来、その外見から潜入用、情報操作用、拷問用に教育された彼らは、ちょっとやそっとのことでは動じないはずだ。
     何せ、あのネロが教育係なのだから。
     しかし、今の彼らは完全にパニック状態に陥っている。流石におかしいと思ったのだろう、ネロが自ら止めに行った。
    「落ち着きなさい。 何があったのですか」
     “先生”であるネロに窘められ、やっと彼らはおとなしくなった。
     それにしても、全く見わけがつかない。いや、年齢と身長が微妙に違うけれども、外見は男女を除いて皆同じだ。
     男子は紺色のセーラー服。
     女子は白色のセーラー服。
     髪型もそれぞれ統一されていて、男子はざんばら、女子は長めのツインテール。皆、マダムが融資している孤児院『夕焼けの家』で暮らす子供だ。
     ここには、赤ん坊から十五歳前後までの子供が暮らしている。各地に建てられていて、一つの家の子供は約五十名。
     時折この屋敷に集団で遊びに来ることが許されている。今回も、十人ほど来ていたのは知っていたけども……。
    「教えたはずですよ。 どんな時も平常心を忘れないこと、と」
    「ゆーれい」
    「ゆーれいがでた」
     同じ外見の子供が、口を揃えて同じこと言う姿は、不気味の一言に尽きる。そして、その内容も頭を捻るには十分だった。
     ネロが瞬きをした。
    「幽霊? この敷地内に、ですか?」
    「何かの見間違いじゃないの?」
    「くろいて」
    「くろいてが、のびてきて」
    「からだがない、てだけ」
     ボキャブラリーが少ない彼らの言葉を理解するには、数秒を要することになる。そして、誰かが言っている時に黙っていることもできない。それが余計にややこしい。
     話を整理すると、こういうことだった。

     敷地内の庭に、半径三十メートルほどの人工の池がある。夏になると納涼もかねてここでお茶をしたり、遊ぶのがマダムの日課だった。
     今は泳ぐには早いが、ただ眺めているだけでは暑いだけで、子供たちは水をかけ合って遊んでいたという。
     そうしているうちに、茂みの方からガサガサという音が聞こえてきた。てっきりマダムのペットの一匹かと思ったが、それにしては音が小さい。
     全員が気になって注目しているうちに、それはあらわれた。
    「……で、それが手だったっていうのね?」
    「手だけの生き物ですか……」
     ネロが考える。
     この庭には、実に沢山の生き物がいる。中には生き物と呼ぶには疑問が残る物もちらほらいる。
     用心棒が来る際に全滅させた彼らも、生き物とは言い難い、化け物と呼ぶ方がふさわしい者たちだった。
    「ここ数日、錬金術のお勉強はカリキュラムに入っていません。 何処からか迷い込みましたかね」
    「まさか、手だけの生命体とでもいうの?」
    「ここは黄昏屋敷。 遭ヶ魔時の空間の塊です。 何がいてもおかしくはないのですよ」
     ……突っ込んだら負けな気がする。
    「しかし、新しいペットを飼う時には、必ず私に宣言なさるはずですが」
    「その手は、何処に行ったの?」

    「おどろいたら、」
    「しげみににげてった」

     手を洗おうと、人工湖に行った手が慌てて戻って来た。
    「……どうした」
     理由を聞くと、子供たちに見つかり、驚かれて慌てて逃げてきたという。
     その気になれば誰でも驚かすことができるのに、変な所で小心者だ。手に心があるのかは分からないが。
     レディ・ファントムが用心棒としてここに来てから、既に三カ月が経過しようとしている。マダムは夜遊びできる年ではないので、誰かにお誘いを受けた時以外は、屋敷の外に出ることはない。
     時折客人が来たりもするが、大抵は仕立て屋か友人だ。込み入った話をすることも多く、そういう場合は用心棒なんて何処の馬の骨とも分からない奴は入れない。
     用心棒とは思えないくらい、良い待遇を受けている。一人部屋が与えられ、まとも以上……それこそ、豪勢とも言えるような食事ができ、寝首を掻かれるような状況下で休みを取ることもない。
     恵まれているのかもしれないが、レディは少々退屈だった。
     昔のように、自ら血の匂いが漂う場所へ突進していく元気はない。ただ、今まで生きてきた場所に慣れてしまっているせいで、刺激が足りないのだ。

    ―――――――――――
     好きな曲の歌詞に合わせて書いてみたその二。
     今回はここでストップ。だってキリがないから!
     しかしマダムが幼女だったり、レディが用心棒だったりとかなり設定が違うなあ。


      [No.2659] うーわー… 投稿者:No.017   投稿日:2012/10/03(Wed) 02:04:13     79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    後味わりい。
    でもなんだろう、ポケモンの世界ではよくあることなんだろうな…現実はシビアだ


      [No.2658] 解放 投稿者:フミん   投稿日:2012/10/03(Wed) 00:23:44     128clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


    通りすがりの青年の前で、少年が草むらの中に入って行った。


    「こら。君は、ポケモンを持っているのかい?」

    「持っているよ。ほら」
     
    少年の腕には、ミネズミが抱かれている。

    「そうか。なら草むらに入っても大丈夫だな」

    「うん。これからミネズミ逃がすの」

    「逃がしちゃうのか。見たところ随分懐いているようだが、何か事情があるのかな?」

    「うん。ポケモンは人間と暮らしちゃいけないんだって。だから逃がすの」

    「ポケモンは大事な家族じゃないか。誰がそんなことを言ったんだ」

    「お母さん。テレビで見たんだって。ポケモンは大事な友達だけど、やたらむやみに捕まえたらいけないって。僕の家にはもうチョロネコがいるから、どっちか逃がしなさいって言われたの」

    「そうなのか。家で面倒が見られないならしょうがないな」

    「うん。チョロネコもミネズミもタマゴから育ててきたけど、家で二匹もポケモンを飼えないんだって。家計が苦しいんだって」


    「困ったな。お兄さんも手持ちがいっぱいなんだ。ミネズミを欲しがるトレーナーも少ないだろうし、ポケモンセンターや施設に預けても、こいつが幸せになるとは限らないからな」

    「うん。お母さんも、きっと野生で立派に生きていくから大丈夫だって。きっとたくましいミルホッグになって、群れのリーダーになるって」

    「そうだな。よく見ればこのミネズミは良い顔をしている。お母さんの言っていることも正しいかもね」

    「うん。じゃあさよなら、ミネズミ」
     
    少年はミネズミを地面に置いた。ミネズミは、最初はおろおろとしていたが、やがて森の中に走り去って行く。


    「ミネズミー 元気でねー」

    「達者に暮らせよー」
     
    少年と青年が見守る中、ひたすらミネズミは走っていく。
    そして数十メートル走り続けた頃、一匹のケンホロウが、ミネズミめがけて一直線に飛んでいく。ミネズミが危機に気づいたときにはもう遅かった。

    獲物を捕らえ悠然と飛び去る鳥ポケモンを、青年と少年は何もできず、ただ呆然と見つめていた。




    ――――――――――


    一発ネタです。これ以上の意味はありませぬ。

    フミん


    【批評していいのよ】
    【描いてもいいのよ】


      [No.2657] お望みの結末 投稿者:SB   投稿日:2012/10/02(Tue) 23:08:27     117clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    お望みの結末




    「なぜきみにはポケモンがいないの?」

     そう聞かれたとき、僕はいつも答えに窮する。
     ポケモンがいる理由は明確だ。好きなポケモンがいて、10歳以上20歳以下の年齢で、なりたい自分を強くイメージした時に現れる。
     だから、「なぜ君はそのポケモンにしたの」と聞かれたときに理由が答えられない人はまずいない。
     僕はポケモンが好きで、10歳以上20歳以下の年齢で、なりたい自分を強くイメージしたけれど、エーフィもサーナイトもリザードンも現れなかった。

     それなのに、僕はいま、なぜここに立っているのだろう。

        ◇

     最初にポケモンを手に入れた人が誰なのかは、正確にはわかっていない。なぜなら、最初のうちはみんなそれが来たことを隠していたからだ。怪物出現が社会現象になったのは、初めて彼らがやってきてから数か月以上経った後なのではないかとも言われている。
     ポケモンは友達だ。道具じゃないし、見世物でもない。初期のトレーナーが彼らの存在を隠したのもうなずける。
     しかし、あまりにも多くのティーンエイジャーがポケモンを手に入れたことから、彼らが存在することがむしろ普通のことになってしまって、それでポケモンの存在が社会一般に認知されることとなった。

     まず槍玉に挙がったのは、その攻撃性だった。
     ポケモンは強い。人を殺せるくらいに。
     ゲームの中における「きりさく」と、実際の世界における「切り裂く」は全くの別物で、前者は威力70の平凡な物理技、後者は血しぶきがでて、肉片が散らばり、人が死ぬ。
     理論上は。
     ポケモンは、ポケモンバトルという競技を除いて戦うことはなかった。彼らはトレーナーに従順で、人間を殺すはなく、危険性はとても少ないとされた。といっても、バトルに負けたポケモンは致命傷を負うこともしばしばだったが。そのため、一部の地域ではポケモンバトルを禁止する条例が発効された。しかし、ポケモン本来が持つ闘争本能を完全に抑え込むことはできなかったようだ。

     ある程度の安全性が確保されてからようやく、彼らがいつどのようにしてこの世界にやってきたのかが公に議論されるようになった。
     もちろんポケモンは株式会社ポケモンが管理運営するゲームあるいはそれに現れるキャラクターのことであったが、裁判沙汰になることを危惧したのだろう、今回出現した「それら」に関しては、株式会社ポケモンの商標権の範囲外にあるという発表が本社からなされ、とりあえず「それら」はいわゆる「株式会社ポケモンが作ったポケモン」ではなく、まったく別個の「ポケモン」であるという結論が下された。
     もちろんこの発表がなされた後も、ポケモンの発生ルートは謎のままである。

     とはいえ、わかったこともある。
     それが冒頭にも述べた3か条。
    1.好きなポケモンがいて
    2.10歳以上20歳以下の年齢で
    3.なりたい自分を強くイメージした時
    にポケモンは現れる。

     そして僕にはポケモンがいない。

        ◇

     最近はポケモンバトルにも明文化されたルールが出来上がった。
     これはポケモンバトル協会が設定したものである。なお、ポケモン協会という名前は、株式会社ポケモンのポケモンにおける商標権の侵害であるとされたためポケモンバトル協会になったというのはまた別の話。
     そのルールによれば、ポケモンが相手に致命傷を与えるのを防ぐために「瀕死」あるいは「気絶」という概念を用いる。これは医学な意味における「瀕死・気絶」とは異なり、あくまでもポケモンバトルにのみ適用される概念であり、レフェリーあるいはトレーナーがもう戦えないと判断した状態のことである。だから意識があっても気絶になる。「瀕死・気絶」を区別するルールも区別しないルールもあり、それは日本の東西でわかれているということである。
     このルールのおかげで命を落とすポケモンは極端に減り、安心して強さを追い求めることができるようになった。
     強いポケモンと弱いポケモンが明確に分かれるようになり、強さ別のトレーニング施設ができ、空いたニッチに滑り込もうと多くのベンチャー企業がポケモン産業に参入した。

     いま僕の目の前にいる人たちは、明確に分かれたうちの片方である強い人たちであり、いま僕の目の前にいるポケモンたちは、文字通りの強者である。

     それなのに、なぜ僕はここにいるのだろう。

        ◇

     グーグルアースを通じてこの社会の隅々まで知ったつもりでいた人が突然自分の家の前に放り出されて、そして今自分のいる場所がどこだかわからなくなってしまったような、そんな心持。

     ゲームは100回以上プレイした。プレイ時間は、1万から先は覚えていない。
     でもここが、どこだか分らなかった。

     リーダー格の青年が、ほかのみんなを励ます。隣にいるショートカットの女の子がそれに同調する。
     この事態に不平を言う性格の悪そうな痩せたメガネの青年がいて、涙を流し始めた小さな少女もいる。そして少女を慰める優しそうな太った青年。
     ここにいる人はみんな互いに互いを知らなかった。
     みんな突然ここに飛ばされた。
     年齢も性別も性格も皆ばらばら。それでも、不思議な一体感で結ばれていた。

     僕を除いて。

        ◇

    「なんでポケモンがいないの?」

     小さな少女にそう尋ねられ、僕は答えに窮する。
     リーダー格の青年が僕をフォローし、僕の知識が役に立つとみんなに説明する。
     メガネの男がわざとらしくため息をつく。ショートカットの女がそれを諌める。太った青年がつぶやく。
    「ぼくらはこれからどこへ行くんだろう」

        ◇

     その時僕を、得体のしれない違和感が包み込んだ。
     この世界の存在そのものに対する違和感だ。
     あまりにも唐突な展開。
     あまりにもステレオタイプな登場人物。
     そして僕という存在。

     右を向く、左手を挙げる。その程度ならば許される。けれども、僕が反対しようと思っても、僕はリーダーに賛成する。思ってもないことを突然提案する。
     ようするに、旅の進行にかかわりの低い些細なことならば僕に行動権があるが、メンバーの意思決定にかかわる事項はあらかじめ答えが用意されていて、それ以外のことはできないようになっていたのだ。
     そして、僕はいつの間にか真面目ながり勉タイプの人格に置き換わっていく。
     僕でない僕が、勝手に僕を作っていた。

     僕の状況は明らかだった。僕は単なるマリオネットになり下がったのだ。
     なぜそうなったのか。
     僕は神を信じるタイプではない。突然僕を操る存在が出てきたと考えたとしても、いま僕がいる場所、僕らの進む道は明らかに非現実的だ。
     信じられないくらいベストなタイミングで僕らに助言が入り、進むべき道が決定し、僕らが話しかけた人間は、何回話しかけてもほとんど同じセリフを繰り返す。
     そこで僕は一つの仮定を立てた。
     いま僕のいる世界はゲームなのだ。もちろん僕が現実からゲームの世界にやってきたなんてことはありえないから、僕は最初からゲームの駒だったと考えるのが妥当だ。
     僕は今マリオネットになったのではない。生まれたその瞬間からマリオネットだったのにそれに気づかずにいたのだ。今まではまだゲームが始まっていなかったから自由に動けていた、それだけのことだろう。

     最初のイベントをクリアすると、よくわからない女の人が現れて僕らに助けを求める。
     僕はこの展開に辟易する。
     いまどき、こんなストーリーでは子供漫画のプロットも勤まらないだろう。
     それでも物語は進んでいく。だって僕は作者じゃないんだから。

        ◇

     その旅は唐突に始まり、しかし、目的はゆっくりと明らかになっていった。
     ある一部の人たちが私利私欲を追い求めた結果、この世界の秩序が乱された。今の状態が続くと世界が歪んでしまう。
     それを何とかしましょうね、と。

     世界をゆがませている原因は多々あるが、どれも人為的なものだった。ついでに言うと、子供だましのつまらない理屈で運用されているものがほとんどだった。そんなことをして本当に利益が上がるのかしらん。
     エスパータイプの力を増幅させる装置を壊し、敵の結社の幹部をとらえ、また別の悪事を、力を合わせて懲らしめる。

     体がほとんど乗っ取られているとはいえ、ある程度は自主的に行動することができたし、僕の思考そのものが乗っ取られるということはなかった。また、ゲームのストーリーに反しないように行動する限り、ほとんどは僕自身の意思で動くこともできるようだった。
     特に自分が自分で行動していると感じられるのは戦闘シーンである。
     戦闘時は各々が自分で判断して攻撃、回避を行うことができる。当然といえば当然だ。そこまでストーリーが決めていたらゲームとして成り立たない。
     しかし、僕にはポケモンがいない。
     だから僕が戦闘に参加することはなかった。

     一つのダンジョンが終わるたびにまた新たな旅の目的地が設定され、また一つクリアするごとにこの世界に関する新たな発見があり、そして僕はその様子を後ろで見ている。
     僕の持つ知識はとりあえず役に立っているようであり、邪険にされることは少なくなった。それでも戦うのはポケモンでありポケモンを持つトレーナーであり僕ではなかった。彼らが求めているのは僕の知識であって、健全なるストーリーの進行であって、僕ではなかった。そして僕の知識は、僕でない誰かが発言した内容でしかないのだ。
     同じゲームの駒とはいえ、僕と彼らには歴然とした差があった。
     彼らには力があり、僕には力がなかった。
     彼らには自由を行使する戦闘があり、僕にはそれがなかった。
     そして彼らには相棒がおり、僕には相棒がいなかった。

     その時、声がした。

        ◇

     その声は、僕にポケモンをくれてやる、といった。
     僕は喜び、見えない声に従って夜の道を歩いて行った。
     二つある月の片方が水平線の下へと沈んでいき、もう片方の赤い月が静かに僕を照らす。この世界の歪な情景にももはや慣れきってしまい何の感慨もない。舗装されていない道を無言でひたすら歩く。
     どこかでいつの間にかテレポートされたのだろうか、突然目の前に大きな城が表れて、中に招かれた。このデザインはNの城の使い古しなんだろうなと思った。
     大きな階段を上ると中世の建築物を思わせる柱が並んでおり、その奥にある巨大な扉が音を立てて開く。城内には赤いじゅうたんが敷かれており、黒服の男について歩く廊下には様々な絵がかけられていた。
     そして男が立ち止った先には、また新たな扉。この向こう側に声の主がいるらしい。

     声の主は美しい女だった。
     ゲームショウのコンパニオンみたいな服を着ているが顔面偏差値はそれよりやや上といったところか。ゲームに出てくる登場人物なのだからまぁ大体こんなところだよなと想像がつく程度の登場人物であり、悪役であることを確約するかのような冷たい目をしていた。
     彼女は僕にハイパーボールを渡した。ポケモンカードに載っているコンピュータグラフィックで書かれたハイパーボールに不思議とよく似ていて、質感はまさにCGのそれだった。
     僕はそれを受け取り、中のポケモンを放出する。
     赤い光の先に、6枚の黒い羽根をはばたかせ、赤い目を持った三首のドラゴンが表れた。
     サザンドラだった。
     サザンドラは僕の右手に降り立ち、神妙に僕のほうをうかがう。彼の吐く息が僕の顔にあたる。少し生臭いような、それでいて懐かしいようなにおいがした。
     生まれて初めてのポケモンだった。
     僕は嬉しくて彼の首に抱きつき、彼もそれにこたえて低く唸った。
     僕という存在にこたえてくれる者がいたことに、僕は感激した。彼は彼で今までトレーナーがおらず、コンパニオンのお供をやっていたのだ。ポケモンなりに今までの悲壮さを訴えるかのような、低い、低い、唸り声だった。

     そんな僕らを冷ややかに眺めながら、城の主は、僕にサザンドラの見返りを求める。
     それは、旅の仲間を裏切れ、というものだった。

        ◇

     僕が旅の仲間を裏切ることを許諾するならば、サザンドラは僕の相棒になる。
     どこかで聞いたことのあるような話だった。
     そう、僕はゲーム製作者あるいはプロット作成者にとってとても都合の良い立ち位置にいたのだ。
     リーダー格の青年はやはりリーダーとしての職を全うしなければならない。幾多の困難と葛藤を乗り越えて英雄として成長していくのだ。
     ショートカットの女の子はヒロインとして泣いたり笑ったりしながらリーダーを支えていくことになる。
     メガネの男は最初悪い奴だと思われていたものの、いざという時頼りになる奴という立ち位置を与えるのにもってこいだといえる。また理性的なので作戦立案にも役立つ。
     小さな少女は物語の悲壮さを冗長させる機能があり、守ってもらう役割を担う存在でもある。
     太った青年はチームが乱れたときに、その包容力をして結束を保つ微妙な役回りをこなすことになるだろう。

     一方僕は、何だ?

     僕は比較的真面目にリーダーや旅の仲間に助言をし、対して役に立たないなりに努力してきた。
     そう、まじめに努力。これが重要だ。
     世間の子供はまじめであることを極端に嫌がる。生徒会長といえば先生に告げ口するしか能のないつまらんやつだというイメージが先行する。また各種メディアも勉強しかしない若者の無能さを説き、また地味な若者が人殺しなどをした事件が発生すると「まじめな青年の心に潜む暗い影」と大見出しをつけてこの種の人間を罵倒する。
     すなわち、このたびのメンバーにおいて唯一感情移入されにくい存在が僕だ。
     表面上、僕の性格が突然変わったように見えたのはこのような理由があったからだろう。

     だからこそ、僕だけが敵になることができる。

     裏切った後僕はどうなるか。
     もちろん僕がラスボスになることはありえない。そこまでの器ではないからだ。
     ゆえに僕はバトルに負ける。
     もちろん最初は奇襲をかけるのだから僕がいったん優勢になるだろう。しかし、残りのメンバーが一致団結して、最終的には僕という存在を倒すのだ。
     けれども、旅のメンバーは僕を憎まない。
     なぜならば、僕にはポケモンがいないという負い目があるからだ。
     ポケモンがいない苦しみが原因だったと納得する。
     僕が死んだとしても、僕が悪い人間ではなかったのだといって、ヒロインあたりは涙を流すだろう。
     まじめであることが表向きはよいことだと吹き込まれているのもその理由の一つである。
     まじめという性格を全否定することは社会通念上許されない。しかし、まじめである人間はいくらひどい目にあったとしても感情移入されにくい存在なので倒すこと自体は正当化される。
     結果として、僕以外のメンバーの株は上がり、僕は舞台上から姿を消す。

     なぜ僕がそんな戦いを挑まなければならない?
     当然僕は城の主の要請にノーを突きつけるべきだ。

     しかし、マリオネットであるところの僕はそれが許されない。
     葛藤したそぶりをしたのち、美しい女にたぶらかされて、結局は落ちる。そういうシナリオだ。

     そして僕は黒い竜の背中に乗り、飛翔する。

        ◇

    「なぜ僕にはポケモンがいないの?」

     その答えは今や明白だ。僕が裏切る恰好の口実を与えるためだったのだ。
     物語の構成上、無理のないストーリーにするための伏線だったわけだ。

     僕にポケモンがいないことのために得られるとても大きな何かがあって、僕があの場所に立っていたすべての意味が今この瞬間にあって、僕がこの物語に登場するすべての意義が黒い竜とともにこの空の中を飛んでいる。

    「ぼくらはこれからどこへ行くんだろう」だって?
     ぼくが歩むべき道は、ゲームが始まる前から決まり切っていたことだったんだ。

        ◇

     メンバーがいないこの黒の世界の中では、僕は自由だ。
     もしかするとほかのメンバーは、僕がいないことに気が付いて、何らかのイベントが発生しているのかもしれない。
     だからこそ、今の僕はブラックアウトされていて、今だけは自分の好きなことを話して好きなことをすることができる。
     誰にも見られていないこの瞬間だけ。

     このサザンドラも不遇だ。
     悪ドラゴンというタイプから味方の側が使うことはストーリー構成上考えにくく、ゲーム内でもラスボスのもつ切り札として登場する。
     彼が彼としての存在価値を全うするためには、彼は悪役でなくてはならず、そして当然悪役は負けることが運命づけられている。
     今回はラスボスの手持ちですらなく、単なる中ボス扱いである。僕は彼に対して申し訳ない気持ちになった。

    「ごめんね、サザンドラ」
     
     僕は言う。
     風にかき消されそうな小さな声だったけれども、彼はちゃんと答えてくれた。
     彼も知っているのだ。自分の運命を、自分の役割を。

     すべてを飲み込んでしまいそうな黒い闇の下、僕は、この表現が単なる比喩でなく、本当に僕らを飲み込んでくれたらよいのにな、と思った。
     けれども無情にも、もうする夜が明けるだろう。
     旅のメンバーにとっての朝と、僕らにとっての朝はきっと意味が異なる。
     僕にとっての朝は僕という存在の終わりを意味し、彼らにとっての朝は新しいイベントの始まりを意味する。
     彼らはこれからハッピーエンドに向かって邁進していくのだろう。
     そう、僕は知っている。

     どうぞよい結末を。


    --------------------------------------------------

    タイトルは星新一先生のパチリですね。ストーリーは全く似ていません。。。
    主人公が最初から最後まで無駄に現実的なのが逆に非現実的で好みだったりしています。


    【描いてもいいのよ】
    【書いてもいいのよ】
    【批評してよいのよ】


      [No.2656] Grow up! 投稿者:きとら   《URL》   投稿日:2012/10/01(Mon) 23:53:07     119clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「トウコやだ。ベルがいい」
     チェレンの言葉がまっすぐ突き刺さる。トウコが初めて恋を知った相手の言葉はこうだった。
    「トウコ怖いもん。ベルのが優しいから」
     小さい時からずっと三人は一緒だった。優しい女の子のベル、リーダー格のチェレン。トウコがずっと一緒にいるチェレンに惹かれるのは当たり前のことだった。なのにチェレンはそれを何を言ってんだというようにあしらった。理由は、トウコの性格。
    「なんでだよ!ベルも優しいけど私だって優しいじゃん!」
     拒絶され、思わずチェレンを突き飛ばす。尻餅をついたチェレンが、だからだよと小さく言った。


    「あー、ベル?うん……そう……よかったな!」
     何も知らないベルは、トウコによくライブキャスターで連絡してくる。
     ベルはトウコから見ても優しくて気が効く子だ。小さい時からずっと一緒。トウコも女の子というのはこういう子のことを言うと解っている。けれど自分はそんな繊細な性格をしていない。
     少し年上の男の子とも喧嘩して勝ってしまうし、野生のポケモンだって下手したら追い返せる。それなのに、ベルはまわりからかわいがられ、守られて優しく接していた。もちろん、トウコにだって優しい。それゆえトウコの気持ちには気付けない。
     嫉妬まじりの感情を送ってることなんて。
     もし気付いていたなら、連絡して来ない。チェレンと付き合うことにしたとか、チェレンとデートしに行くとか。その話を聞く度にトウコはチェレンに言われた拒絶の言葉が巡った。
    「んじゃ。気をつけろよ。プラズマ団とかもどこにいるかわかんねーし。おう、大丈夫だ、こっちは」
     ライブキャスターを切る。大丈夫なんかじゃない。心が通じなかった相手を、ベルは軽々と触れ合って楽しそうにしている。それを想像しただけでどれだけ平穏な心が保てなくなるか。いつものトウコでいられなくなるか。チェレンもベルも、そんなこと気付かない。むしろトウコなんていなかったかのように二人は振る舞う。
     最悪だ。どうしてこんな嫌われてしまっているのだろう。トウコの心は答えが全く出なかった。



     目の前にいるのはNだ。カノコタウンを出てからというもの、何かと会う。ポケモンにしか興味ないことを言っておきながら、トウコの人間関係をずばり言い当てた。
    「キミとボクは似ている。トモダチはあの子たちではない」
     ポケモンと共に孤高の道を歩むものだと、トウコには聞こえた。Nには絶対に弱いところを見せられないと、威嚇してきたけれど、この時ばかりはNが去ってないというのに泣き崩れてしまった。いきなりの変化にNも驚いてしばらくトウコを見つめていた。
     Nの前で泣いたのは一度だけであるが、いけ好かないという点は全く変わらない。けれど、以前とは違う心がトウコにあった。チェレンに感じた以上の親しみ。チェレンと違ってベルよりもじっと見ている。そして優しくしてくれる。こんなトウコでも受け入れてくれる。
     いつか、Nにこの気持ちを告げなければならない。受け入れられないことがない。Nはきっと、好きでいてくれる。
     ライモンシティで観覧車に誘われ、嬉しい半分、何をしていいか解らない半分。Nと二人きりになった瞬間、トウコはNから視線をそらした。けれどそんなトウコ衝撃を告げて行くのである。Nはまっすぐトウコの目を見て。
    「ボクがプラズマ団の王様だ」
     
     まただ。
     
     なぜ受け入れてもらえない。なぜ人を好きになるという気持ちを一切誰も受け入れてくれない。
     そんなに優しくて守られる女の子がいいと言うのだろうか。ベルのような子になれば、誰からも好かれてこの気持ちも受け入れてくれる人が現れるのだろうか。
     思いきって鏡の前でトウコは話しかけた。鏡の中の自分に、優しくなれ、と。
    「おはようベル。今日もいい天気だね。おはようチェレン。今日もきっと……」
     自分じゃない。鏡の中の自分は偽物だった。人に好かれるために取り繕った中身のない自分。
     今のままでは誰にも好かれなくて、愛されなかったとしても、自分を偽ることの方がよほど辛かった。



     休憩の為に地下鉄の駅のベンチで座っていた。何本かのシングルトレインを見送る。次に乗る列車が指定されているからだ。ミックスオレを飲みながら、ひたすらその電車を待った。
    「シングルトレイン、ご乗車の方は」
     トウコは案内された通りの列車に乗る。
     そこから先はいつもと変わらない光景。ワルビアルがなぎ倒し、残った敵をメブキジカが倒して行く。それでも倒せない時はダイケンキの出番。頼りになる相棒とひたすら前へ前へ進むトウコ。
     ポケモントレーナーなんてみんなこんなもの。ジムリーダーも、四天王も、Nもこんなもの。誰もトウコを止められない。トウコを受け入れない。
    「貴方の実力を讃えて、サブウェイマスターがお待ちです」
     何のことか解らなかった。考え事をしていて、その言葉の意味が解らなかった。どうやら次がシングルトレインの先頭車両のようだ。その先にいるのは、バトルサブウェイを取り仕切るもの。
     けれどそんなのどうせ同じだ。皆変わらない光景しかない。トレーナーなんて皆同じ。ポケモンからの信頼は自信がある。それに勝てる人なんていない。
    「ようこそ、バトルサブウェイへ」
     黒いコートを来た車掌。これが噂のサブウェイマスターなのか。確かにオーラはそこらのトレーナーと違うようではあるが。トウコは何も言わずにモンスターボールを差し出した。
    「つべこべ言わずにやろうぜ。どうせお前もその辺のトレーナーなんだろ?」
    「その辺の、とは随分おおざっぱに分類いたしますね。ではその考えが間違いであることを、証明いたしましょうか。貴方の進路がどちらに進むのか、いざ!」
     ノボリの放ったボールからダストダスが現れる。いつもの調子でワルビアルに地震を命令する。あんなポケモン一発で落ちる。そしたら次は……。
    「ダストダス、ダストシュートです!」
     ダストダスの鎧が砕けた。それからの大量の毒がワルビアルに降り掛かる。相性の問題で、そんなダメージはなかったが、トウコは言葉を失った。ダストダスごときが、ワルビアルの攻撃を耐えられるなど思ってもみなかった。
    「あ、ワ、ル、ビアル、じしん!」
     疲れて動けないダストダスは、あっけなくワルビアルの攻撃で倒れる。次は何が来るのか。トウコは知らず知らずのうちに手を握りしめる。
    「おや、あれだけ挑発しておいて、ようやく実力を理解していただけましたか」
     ノボリは涼しい顔をして次のギギギアルを出して来る。しかも早い。ギギギアルはワルビアルにラスターカノンを、しかも最も柔らかい腹の付近を狙ってやって来た。ぐう、とワルビアルは倒れてしまう。
     強い。ノボリはとても強い。サブウェイマスターと名乗るだけあって強い。このままでは負ける。ポケモンが強いことだけが取り柄なのに、負けたら何も残らなくなってしまう。ただの性格の悪い人間になってしまう。
     負けたくない。まだメブキジカもダイケンキも戦える。元気だ。
    「行けっ、メブキジカ!」
     メブキジカがボールから出るのと同時に、トレイン全体が大きく揺れた。カーブだ。技を命令しなければギギギアルは特殊攻撃でメブキジカを攻撃する。けれどこのカーブで飛び蹴りを命令するのは賭けにも等しい。他に何か手はないか。
     メブキジカが角を振る。春風を受けて桜のいい香りが咲いた角。その匂いがトウコに届く。落ち着け、と言われているようだった。
     トウコは決めた。
    「宿り木のタネ」
     メブキジカの方が速かった。宿り木のタネがギギギアルの歯車の隙間に入り込む。体力を少しずつ奪う。ギギギアル自体は、メブキジカに効果は抜群である技を持っていないはずだ。一撃で倒されることだけは防げる。
     ラスターカノンがメブキジカの胴体を狙う。トウコの命令が一瞬遅く、食らってしまう。勢いに飛ばされ、メブキジカは四本の足で倒れまいと踏ん張った。つるつるのサブウェイの床では止まりにくい。けれどなんとかぶつかる前に止まる。そしてそこから強力な四本の足で跳ねる。
    「飛び蹴り!」
     ギギギアルの接続部を狙う。何度か戦って来た相手だ。メブキジカも要領を心得ている。固い蹄が、ギギギアルを強く蹴り飛ばした。大きな金属が、サブウェイの床にがしゃんと落ちる。ノボリがボールに戻した。
    「急所狙い、ですか。運がよろしいですね」
    「最後の一匹で余裕じゃん?どーすんだよ」
     再びサブウェイ全体が揺れる。カーブに差し掛かっているのだ。それに加え、少し減速している。だとすれば次に来るのは加速。それを計算して命令しないとならない。飛び蹴りは強力だが、外すと自分にダメージが来る。ならばこんな揺れる車内で何度も出すのは危険だ。
    「そうですね、最後でございます。では、行きなさいイワパレス!」
     メブキジカの目の前に現れるイワパレス。助かった。これならメブキジカの方が早く動ける。
    「ウッドホーン!」
    「シザークロスです!」
     桜の香りがする角を振りかざし、メブキジカはイワパレスに一直線。強い角の一撃を、自慢のハサミで受け止めた。そしてそのままノボリの命令通りにメブキジカの角は切り裂かれる。
    「そちらも残りは一匹でございますね」
     この車掌、ただ者ではない。改めてトウコは思った。全てを知り尽くしているような、そんな印象を受ける。もしかしたら手のうちですら知られているのではないだろうか。だとしたら勝てるわけがない。
     けれど解らない。解っていたって、力が強ければ勝てるかもしれない。祈るようにトウコはダイケンキのボールを投げた。
    「ウッドホーンくらって、それなりのダメージは入ってるはずだ。ダイケンキ、確実に仕留めろよ。ハイドロポンプ!」
     トウコは命令してから思い出した。ここは平地ではないこと。急な減速に、ダイケンキはハイドロポンプを打ち損ねる。イワパレスがそこを鋭いハサミで切り裂く。ダイケンキのヒゲが切れそうだった。
    「飛ぶ系の技はやめた方が……でもあの防御からして物理よりも特殊の水が絶対いい。ダイケンキ、ハイドロポンプだ!」
     痛がるダイケンキはもう一度、大量の水流を作り出した。今度こそイワパレスに向けて、イワパレスを撃ち落とせるように。絶対に勝つ為に。大好きなトウコに喜んでもらうために。イワパレスの体が全てダイケンキの水流に飲み込まれる。激しい流れに、ノボリですら近づけない。やっと弱まって来た時、イワパレスはノボリの指示を聞ける状態ではなかった。
    「ブラボー!」
     戦いは終わりを告げた。ノボリがその証にイワパレスをボールに戻していた。
    「見事わたくしに勝利なさいました。これより、あなた様をスーパーシングルトレインに挑戦する権利を差し上げましょう!」
     

     ギアステーションに戻って来た。ノボリから貰ったスーパーシングルトレインへの許可証を見る。なんだか実感が湧かない。あんな強いノボリに勝てたということが。実はこれは幻とかなのでは、と何度もこすったり匂いを嗅いだりしているが、まぎれも無い許可証だ。
    「おや、先ほどの方ですね」
     ノボリに話しかけられる。その声は大人のゆったりとした声で、凄く優しそうだ。
    「いや、その、さっきは悪かった。その辺のトレーナーとかいって」
    「いえ、あなた様ほどの実力者ならばわたくしなどその辺のトレーナーと一緒でしょう。スーパーシングルトレインでもご活躍できるかと思いますよ」
     トウコは不思議だった。負けた相手の実力を素直に認めることが出来るなんて。普通のトレーナーはそんなことせず、負けたら暴言を吐いたり、途中で逃げるようにしてどこかへ行く人をたくさん見て来た。
    「ノボリだっけ。ちょっと聞いていいか?」
    「はい、なんでございましょう」
    「どうしてそんなに強いんだ?」
    「わたくしが、サブウェイマスターであるからですよ。あなた様は十分お強いのに、わたくしを強いと思うのでしょうか?」
    「強いじゃねえか。なんであんなに……」
    「……よければお名前お聞かせ願いますか?」
    「トウコ。カノコタウンから来た」
    「トウコ様、ですね。それでは、スーパーシングルトレインでお待ちしております。わたくしとしては、絶対に来ていただきたいところでございます」
     ノボリは右を差し出して来た。トウコはその手を取る。固くかわされた握手は、ポケモントレーナーとして認めていると言われたようだった。
    「すぐ行ってやるよ!じゃあなノボリ!」
     トウコは走り去る。何を期待していたんだ。チェレンもNも、受け入れなかったじゃないか。なのにまた人を好きになるのか。相手はポケモントレーナーとして受け入れているんだ。そうに違いない。期待なんかするな!


     スーパーシングルトレインに通うため、ギアステーションに来る。前はいなかったものに会う。
     サブウェイマスターノボリだ。トウコが来るのを待っているようで、スーパーシングルトレイン乗り場で待っている。もっと話したいが、目を合わせることも出来ない。
    「お待ちください。顔色が悪く見えますよ」
     ノボリがトウコの手を掴む。その時に目があった。
    「だいじょーぶだよ!それよりそんな敵に探りばかりいれて余裕こいてんと知らねーぞ!」
    「トウコ様の強さは存じております。それより次のトレインをクリアすれば、ですね」
     トウコは無言で乗って行った。これ以上期待させるようなことはして欲しく無かった。受け入れない人間が、優しくするなんて、残酷なことだ。ノボリと交した一言一言が、トウコの心を熱くさせる。
     ノボリが欲しい。背の高い、黒いコートの中に抱かれたい。受け止めて欲しい。今のありのままの自分を。ポケモントレーナーとしての価値しかないなんて言わないで欲しい。女の子として、人間としての価値を認めて欲しい。
     そんなの無理なこと解ってる。そんな魅力がないことなんて解ってる。
     ベルのように優しくもない。大人しくもない。突き進むことでしか生きることが出来なかった。可愛くもない自分をノボリのような大人が受け止めてくれるわけがない。
     ノボリと向かい合えば心が折れてしまいそうになる。急激な変化。止まることを知らない恋心が、トウコを苦しめる。
     ノボリとスーパーシングルトレインの中で会った時、それははっきりと現れた。あの時のように行かない。同じ空間にいるというだけでこんなに苦しいものなのか。
    「トウコ様、この電車を降りたらお話があります」
    「な、なんだよ」
    「まあ、いずれにしてもトウコ様が目的地を決めることでございます」
     もう「トウコ様」と呼んでくれることはないということか。それならば最も強いトレーナーとして記憶させてやる。トウコはポケモンを出した。対するノボリも、モンスターボールを投げた。


     頭の中がスパークしたようだった。ギアステーションのベンチにつくと、倒れ込むようにトウコは座る。
    「勝った。けれど」
     好きな男に勝つなんてどうかしてる。負けず嫌いな性格が、こんなところに災いするなんて。
     勝たなければまた会えたかもしれないのに。何をしているのだろう。ノボリに会えないのは嫌だ。
    「トウコ様、先ほどは素晴らしい戦いでしたね」
     顔をあげた。ノボリが涼しい顔をして立っている。また会えた。思わずトウコの顔が明るくなる。
    「トウコ様、健闘をたたえて、もしこれから予定がなければ付き合っていただきたいところがあるのですが」
    「え、ああ、いいぜ。どこに付き合えばいいんだ?」
    「わたくしが休憩によくいくレストランですよ。安さの割にボリュームがあって、人気の店でございます」
     ノボリについていく。こんなに期待させるなんて酷いやつだ。でも、今はノボリとこうして過ごしていたい。


    「わたくしが出しますので、お好きなものをご注文ください」
     駅員に人気の店だというから、小汚い麺屋を想像していた。けれどここはライモンシティだ。まわりはカップルばかりで、これではデートみたいではないか。ノボリは一体なにを企んでいるのか。こんな魅力のない人間を連れてきて、見せ物にしたいのだろうか。
    「ノボリ」
    「なんでございましょう」
    「何を企んでるんだ。期待させるだけさせといて、何してんだよ」
     トウコはイスから立ち上がる。その音に、まわりの視線が一気に集まった。
    「わたくしは何も企んでおりませんよ。ただトウコ様と」
    「してるだろ!人の心弄んで、さらし者にしてーのかよ!てめえはいいよな、そうやって何人も笑い飛ばしてきたんだろ!?」
    「トウコ様?どうしたのですか?」
    「うるせーよ!男なんてどうせベルみてーなか弱いのがいいんだろ!」
     どうせノボリにも受け入れてもらえない。このままじゃいけないのは解ってるけど、自分を偽って生きるほどトウコは器用ではない。まわりの空気に耐えられず、トウコはノボリに背を向けて出て行った。

    「トウコ様!」
     全力でノボリは追いかける。店から出て数歩のところで、トウコを捕まえることが出来た。
    「何があったのでしょう?あの店の選択がよくなかったのでしょうか?」
    「うるせえんだよ!ノボリなんか、ノボリなんか!」
    「わたくしの何がいけなかったのでしょうか?教えてくださいまし。トウコ様に喜んでもらおうとしているのに、泣かせてはわたくしのプライドに関わります」
     ノボリの胸に抱かれて、トウコは一層声を上げて泣いた。止まらなかった。ノボリがこんなに優しいから。
    「トウコ様、おねがいでございます。わたくしの何が気に入らなかったのでしょう?」
     トウコは答えない。代わりに悲鳴にも聞こえる声で泣き続けるだけだった。


    「チェレンも、Nも、私を受け入れなかったのに、ノボリもそうなんだろ」
     少し落ち着いたところで、トウコは話す。チェレンのこと、Nのこと。夕方のライモンシティは夜へ向けて街灯がちらほらついていた。ゆったりとしたベンチに座って、トウコは絶対にノボリと目を合わせない。
    「それで、トウコ様は受け入れないと思ったのですか?わたくしが?」
    「うるせーよ。どうせ身の程を知れって思ってんだろ。もうギアステーションなんかこねえよ」
     ノボリはトウコの頬に触れた。そして自分の方へと向ける。
    「トウコ様、それは遠回しにわたくしへの告白と受け取っていいのですね」
     顔を背けようとしてもノボリが離さない。だから目をそらして絶対にノボリを見なかった。泣いた後の酷い顔なんて見られたい人間がいるとは思えない。
    「いいのですね。ではわたくしから口説く手間が省けたというものでございます」
    「はぁ!?人の話きいてたのかよ」
    「聞いてましたよ。その人たちがトウコ様に思うのと、わたくしがトウコ様に対する思いは別でございます。一体、その二人がトウコ様を受け入れなかったからなんだというのです?それがわたくしに何の影響があるというのです?わたくしはトウコ様のことを魅力的なトレーナー、そして女性だと思っています。それだけでは、わたくしと付き合っていただけませんか?」
    「バカ、じゃねえの」
     おさまってきた涙が再びあふれる。
    「こんなひでー言葉使いで、守られるほど弱くもねーし、優しくもねーのに、付き合おうとかバカじゃねえの」
    「そうですね。バカかもしれません。恋は盲目と言うでしょう」
    「ノボリは最上級のバカだ。こんな汚いの口説いて、何になるんだよ」
    「今まで耐えて来た思いがあふれてるだけでございましょう。それに今までの男がトウコ様の魅力に気付かなかっただけでしょう。わたくしと付き合っていただけますね」
     トウコの答えを聞くまでもない。トウコの頬を優しくなでて、唇を重ねる。初めてのキスは、涙でよくわからなくて、それでも心はとびきり嬉しくて、夢じゃなかったら何の奇跡が起きたのか。もっと欲しいとねだっても怒られないだろうか。ノボリの袖を強く掴んだ。



    「トウコ様、朝でございます。起きてくださいまし」
     ノボリの家に泊まった朝は、いつもこうだ。夢と現実の境にいたトウコは、ようやく朝の日差しを迎える。
    「んー、ノボリおはよう」
    「おはようございます。もう朝食できていますよ。今日はトーストと目玉焼きでございます」
     シーツに包まりながら、裸のトウコがベッドから起きて来る。
    「トウコ様、あまりに裸でいるともう一回して欲しいと取りますよ」
    「なっ、ノボリの変態!昨日だって2回もしやがって聞いてないぞ!」
    「なぜ事前に何度するかと申告しなければならないのでしょうか。わたくしは、トウコ様を心のままに愛しているだけでございます」
     トウコの額に軽いキスをする。言葉とは裏腹にもっと欲しいと、表情でねだってる。
    「せめて軽いものに着替えてからですよ。シャワー使ってもいいですから」
    「はいはい。じゃあシャワー借りる」
     トウコをバスルームに見送る。
     別人のようだな、とノボリはいつも思う。今みたいに乱暴な言葉で話すくせに、ベッドの中では今までの経験した女性の誰よりも女の子だ。けれどそれがきっとトウコの本当の顔。それを知っているのはノボリだけで、他の誰にも知られたくない。トウコですら気付いていない色気を見せつけられたら、そう思わない男はいない。
    「早く上がってこないと、冷めてしまいますね」
     コーヒーをいれて、テーブルにつく。朝食の前に、もう一度やってしまえばよかったと思うばかりだった。


    ーーーーーーーーーーー
    ノボリ×主人公♀(トウコ)っていうカップリングがあることに私は非常に驚いています。
    共通点ないじゃん
    本編で接点ないじゃん
    それであんなに人気大爆発なのがタブンネには解らないよ。

    書け書けと言われて書いたもの

    人間の魅力は一面から見ただけでは解らないし、素敵だと思う人間は必ずいるんです。
    ちなみにこのトウコのキャラはみーさんの「掴みにいく者」の主人公が公式絵とぴったりだったので  好きにしていいですよっていうから  その、あの、モデルにしました。
    【好きにしていいですよ】


      [No.2655] フィッシング 投稿者:aotoki   投稿日:2012/10/01(Mon) 21:02:20     113clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    なんか凄いらしいつりざおをもらったので、釣りをしてみることにした。
    ルアーとかもついていて、確かに見た目は凄いつりざおだった。あの棒切れにヒモとエサがついただけのつりざおからはえらい進化だ。
    ひょいっと川に投げるとたしかな手応え。
    引き上げるとルアーの先にギャラドスがひっついていた。


    正直言ってアズマオウくらいを想像してたので、ぶったまげた。

    そのギャラドスには、初めて釣り上げたコイキング、が進化したギャラドス(LV62)を見せて丁重にお帰りいただいた。
    逃げたギャラドスが上げた飛沫を浴びながら、たしかにこれは凄いつりざおだと一人感心した。

    ****

    その後もあちこちでつりざおを振ったけれど、どんな場所でも強いポケモンばかりが釣り上がって、とても面白かった。最近はあんまり野生のポケモンと戦ってなかったから、釣り上げたポケモンとのバトルは地上とはまた違った手応えがあって、いいトレーニングになった。

    近くの水場に飽きると、ギャラドスに跨がって海に出た。
    でもギャラドスに乗ると上手くつりざおが振るえないということに気づいて、残念だけどギャラドスは留守番にしてラプラスに乗っていくことにした。
    海のポケモンもたしかに強かったけど、川のポケモンとはまた違った強さで戦いがいがあった。ただ、ドククラゲの多さにだけは辟易したけれど。

    不機嫌そうに上がってきたオクタン。ルアーをぐるぐるまきにして遊ぶメノクラゲ。マンタインには釣り上げた瞬間逃げられて、水面を5mくらい引きずられた。キングラーには糸を切られかけ、何故か40LVのコイキングが引っ掛かったこともあった。
    どうしても釣れないとき、気まぐれに海の底を覗いてみるとたくさんのテッポウオが泳いでいたこともあって、ポケモンが引っかかったのにも気づかず水色と銀の鱗の流れを眺めていた。
    ちなみに、引っかかったのはコイキング(LV40)だった。
    もちろん、ギャラドスを出して丁重にお帰りいただいた。

    ****

    しばらくすると海にも飽きてしまった。
    困ったことに、川と海以外の水場には心当たりがなかった。当たり前だけど。仕方がないのでつりざおを下ろして、また元の地上暮らしに戻った。
    草むらを出たり入ったりのつまらない日々。
    そういえば、洞窟があるって話をどこかで聞いたな。
    ゴローニャと山道を歩いていくと、たしかにあちらこちらに小さな洞窟があった。大抵はイシツブテとか弱いポケモンのねぐらだったけど、たまーにサナギラスとかが飛び出してくることもあって、こちらはこちらでそれなりに楽しかった。

    ある日、たまたま見つけた深めの洞窟を探検していると、微かに水のが聞こえてきた。音の方に歩いていくと、ちょっとした広場くらいの地底湖があった。

    家に帰って、すぐさま夜の山道を戻った。
    背中では赤いルアーが揺れている。


    地底湖で一人、つりざおを振った。ピチョン、ピチョンと水滴が落ちる音に耳を澄ませながら浮きを眺めていると、川や海の時とは違った感情が浮かんできた。
    静かな湖につりざおと水と一人。
    つり上がったアズマオウは小さかったけど、とても綺麗な色をしていた。

    ****

    地底湖という水場を見つけて、またつりざおを持ち歩く日々が始まった。
    洞窟に潜るとなるとラプラス、ギャラドスだけではきつい。かといって手持ちを一杯にすると大変だ。仕方がないので水上での釣りは諦めて、ゴローニャとカポエラーとデンリュウの三匹で、地底湖の岸に腰かけることにした。
    あんなに静かな湖は珍しかったらしく、地底での釣りは想像以上に大変だった。
    上からゴルバット達の襲撃を受けながら釣糸を垂らす。当然逃げられる確率も跳ね上がる。
    けれどそれだけ釣り上げたときの喜びも格別で、いつのまにか戦うことの喜びよりも、釣り上げることへの喜びのほうが勝ってきていた。

    そんなこんなで一ヶ月。
    なんとはなしに、これはまずいと思った。

    修行がてら、久々にりゅうのあなに入ることにした。もちろんフルメンバーで。
    数ヶ月ぶりのりゅうのあなは、前にも増して静けさと荘厳さに磨きがかかったようだった。けど社への道を渡りながら、静けさ以外の何かに興奮しているのに気がついた。

    イブキさんに相手してもらいながらも、何故か妙なところに引っ掛かりを感じていて、そのせいか二匹もやられてしまった。
    たしかに強いけれど、今日は少しぬるかったわね。
    そう言い残して、イブキさんはハクリューに跨がって水面を滑っていってしまった。

    やっぱり腕が鈍ってしまったかなと思ったそのとき、気づいてしまった。



    りゅうのあなも大きな湖だ。



    一回だけと自分に言い聞かせて、鏡のような水面につりざおを振った。ポチャン、という心地いい音が洞穴に響いた。
    鏡の面は揺らぐことなく、ぼくの顔を映しつづける。あまりの釣れなさに、本当はエサがついてないんじゃないかと三回もルアーを確かめた。もちろん、エサはついている。
    ポチャン、ポチャンと水面にルアーを落としつづける。
    見事なまでに、何も引っかからなかった。

    次で最後、そう心に決めてつりざおを振った後、どうしてこんなにも釣りにはまってしまったか。それを考えた。

    初めは、強いポケモンが出てきたからだった。
    その次は、川のポケモンに飽きたからだった。
    じゃあ、その次は?

    どうして地底湖なんて、今までなら通りすぎてしまうような場所にまで、つりざおを振る理由を探したんだろう。
    バトルに飽きたからだろうか。いやそれはない。だってここに来たのは――

    ・・・・来たのは?
    そう思ったとき、浮きがボチャッと沈んだ。


    来た、と急いでリールを回す。だいぶ深くまで糸が垂れたらしく、なかなか上がってこない。その割に手応えは軽く、まるでなにもひっついていないようにリールが回る。でも浮きは沈んだ。
    ならば、


    「えいっ」


    勢いよくつりざおを後ろに振るうと、水色の影が頭上を舞った。

    それは、小さな―小さな小さなミニリュウだった。

    ぺちゃ、と呆気ない音を立ててミニリュウは地面に落っこちた。呆然と眺めていると、ミニリュウは頭をふるふると数回振って起き上がり、きっとぼくを睨んだ。
    図鑑が未発見のポケモンとランプを点滅させる。捕まえないと。捕まえないと。

    「・・・・そうこなくちゃ」

    ぼくはボールを手に取る。ずっと一緒に歩いてきたモンスターボール。モンスターボールを投げると、相棒の一匹、バクフーンが飛び出した。
    「ヴァクゥゥゥウウウ!!!」

    それでもミニリュウは怯まない。

    ぼくはまたボールを手に取る。今まであえて空っぽにしていたボール、ガンテツさんに作ってもらったルアーボール。
    「バクフーン!かえんほうしゃ!」

    バクフーンとミニリュウが上げる飛沫を浴びながら、ぼくは考える。


    そうか、この時のためだけに、つりざおを振っていたんだ。


    そしてこうも考える。

    このつりざおは本当にすごいつりざおだ。



                                "Great fishing" is the end!

    [後書き]

    どうしてBWからつりざおは一発ですごいのがもらえるようになったんでしょうね。
    リュウラセンの塔でカイリューを釣ったとき、りゅうのあなで必死にミニリューを粘ったのを思い出しました。


      [No.2654] 【愛を込めて】Promised morning【花束を】 投稿者:NOAH   《URL》   投稿日:2012/10/01(Mon) 13:48:15     107clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


    部屋着のまま、夜中にコンビニに出掛けたり
    初めて行ったデートのイタリアンの店に、もう一度行ってみたり
    話のオチを話す前に、思い出し笑いをすぬ彼女の口に
    キスを落として、そのまま彼女の抗議を無視して腕に抱き留めて眠ってしまったり

    俺のノクタスと彼女のキレイハナと共に、小さなアパートの窓際にある
    白い花を咲かせたばかりのクチナシの花に水をあげたり……。
    日々、何気ない日常を、恋人として暮らすうちに、俺はこう思ったわけだ。

    彼女と、ミサと結婚して、家族を作って、そして彼女や子どもや
    ポケモン達に囲まれて、幸せにこの命を終えたいと。



    まだ少し濡れている髪を纏めたまま、ミサはソファの上で胡坐をかき
    クルミル人形を抱いて、お笑い番組を見て笑っている。
    俺もその横で、サザンドラのシルエットが描かれているクッションを
    彼女と同じ体制で抱いて見ていた。
    そのソファの向かい側では、ノクタスが彼女のキレイハナを
    俺たちと同じ体制で抱いてテレビを見ていた。
    あの2匹も、同じ草タイプだからなのか、中睦まじく過ごしている。

    窓際のクチナシの花を見ていると、何時だか友人が教えてくれた
    この花の花言葉を思い出していて、何だか咄嗟に感じた想いを
    突然、彼女に伝えたくなった。

    「ミサ。」
    「なあに?リョウ君。」
    「こんな時に言うのも何だけどさ。」
    「うん。」
    「……結婚、しようか。」
    「…………。」
    「……ミサ?」

    あれ、固まっちゃった……?
    やっぱり突然過ぎたかな……。

    「ミサ、聞いて?突然過ぎたし、本当に、こんな時に言うのも何だし
    今更過ぎるけどさ……俺と、結婚して下さい。」
    「……私と?」
    「うん。俺はミサとがいい。」
    「……私で良ければ、喜んで。」
    「ありがとう……指輪、買いに行かなきゃね。」
    「えー、まだ買ってないのにプロポーズしちゃったの?」
    「だって、たった今決めたもん。」
    「……なら、仕方ないね。」

    幸せそうに笑う彼女を見て、改めて、明日から
    新しい一日が始まるのだと感じた。ノクタスとキレイハナが
    俺たちの側にきて、2匹もおめでとう、とでも言うように鳴いた。

    「あ、いつみんなに報告しようか?」
    「それも明日でいいと思うよ?」
    「そうだね……ねえ、そろそろ寝ようか。」
    「……そうだね。」

    テレビの電源を落として、部屋の明りを消すと
    俺とミサは、すぐ横の部屋で横になった。
    少しして寝息を立てる彼女をそっと抱いて
    暗闇に慣れた目で時計を見れば、2つの針は
    12の数字と重なっていた。

    「……お休み、ミサ。」

    明日は少し冷えるらしいから、温かいスープを作って
    俺よりちょっとだけ寝起きの悪い君を起こしに行くよ。



    目を覚ませばそこには 君がいると約束された
    そんな 幸せの朝を迎えに行こう


    「クチナシ・アカネ科常緑低木。原産地はジョウト〜ホウエン。
    季節は6〜7月。花の色は白。花言葉は『とても嬉しい』『幸運』『幸せを運ぶ』。」

    *あとがき*
    久しぶりに大好きなポルノグラフィティの曲を聞いたらビビッ!と来ました。
    そしてその曲をイメージソングとして起用して、この曲に合いそうな花言葉を探した結果
    クチナシの花になりました。花束を上げると言うより、幸せを与えるという形になりましたね。
    曲の歌詞から少しずつ、自分なりに解釈してアレンジしています

    プロポーズと言うと、サプライズとか色々考えるだろうけど
    私はこんな風に、飾りっ気もムードも何もない、当たり前の日常で
    言われたいと思ってる人間なので、そのイメージを最大限に膨らませて書かせて頂きました。
    結婚に関する話を書きたかったので、私としては満足の行く作品になりました。

    皆さんも、花言葉から何か書いて見て下さい。
    より、ポケモン愛が深まると思いますよ。

    イメージソング
    ポルノグラフィティ:約束の朝


    【書いてもいいのよ】
    【描いてもいいのよ】
    【批評していいのよ】


      [No.2653] 可愛いミーナ 投稿者:久方小風夜   投稿日:2012/09/29(Sat) 00:14:07     131clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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     煙草が切れた。
     ちゃぶ台の向かい側で、安いだけが売りの水みたいな発泡酒(自称「ビールより美味い」らしいけどただの詐欺広告)を飲んでいる友人のジョーに聞くと、煙管かメンソールしかないけどいいかと答えられた。いいわけあるか。
     引き出しの中に、税金が値上がりする前に買いだめしたストックがまだあったかもしれないと思って立ち上がる。そのタイミングで、携帯のバイブが鳴った。
     送り主とメールの中身を見るだけ見て、携帯を閉じてベッドの上に放り投げる。ジョーが勝手に秘蔵の日本酒の栓を開けて、勝手に人の冷凍庫からロックアイスを出して、勝手に飲みながら言った。

    「また女?」
    「先週海でひっかけた奴。別れようってさ」
    「嘘つけ。どうせまたお前、捨てられてもしょうがないくらい冷たくしてたんだろ」
    「まあな。そろそろ飽きてたし」
    「キョーイチ、お前はまたそうやって女を1人泣かせたわけか。全くひどい奴だな。鬼だわ鬼。外道。鬼畜。最低。男としてというより人として引くわ」

     俺はジョーが水のようにぐいぐいとあおる日本酒のグラスを取り上げた。勝手に飲むな。これは俺の地元の酒蔵の一番いい奴だぞ。もらいもんだけど。
     まぁ人としていい奴だし話してて面白い奴ではあるんだが、こいつがいると酒が当社比13倍速くらいで消費される気がする。
     こいつと出会ったのは去年の春先。仲間内で花見をしていたところに、旅の途中この辺りの町でしばらく居座ろうと考えていたこいつが混ざってきた。
     あれから1年ちょい。大事に隠しておいた特級のウィスキーもウォッカもラムもテキーラもワインもシャンパンも焼酎も泡盛も、全部こいつにやられた。去年の夏、仲間内でバーベキューするために夕方買ったビール瓶3ケースが、日が暮れる前にこいつに1滴残らず消費されていたのは今や伝説となっている。

    「何でそんなにとっかえひっかえするかねぇ。男なら惚れた女一筋で生きていけってもんだろ」
    「酒と手持ちのポケモンが嫁って豪語してたお前に言われても説得力ないわー」
    「うるせぇそれとこれとは話が別だ」
    「何でわざわざひとりに絞って自分から縛られるような真似しなきゃならねぇんだよ、めんどくせぇ」
    「おいお前、キョーイチ、ちょっとそこに直れ」

     ジョーがちゃぶ台をばんばんと叩いた。シカトしようと思ったけどしつこく叩いてくるからしぶしぶ座った。こいつが騒がしくしてアパートの下とか隣の住人ににらまれたら生活しづらい。

    「何だよ」
    「お前だってよ、昔は夢見てたんじゃねーのか? 美人でかわいくて優しくて気立てが良くて料理が美味くて家事が得意で子供とポケモンが好きで嫉妬しなくて懐が広くてでもちょっとだけ頑固で美人でかわいい女(ひと)と幸せな結婚してさぁ、毎日仕事して帰ったら嫁さんがキッスで迎えてくれて、あなた毎日毎日お仕事お疲れ様お風呂にするご飯にする今日はちょっと頑張ってみたのあなたの好きなハンバーグよお風呂入るなら背中も流してあげるわ、とか言ってくれてさぁ、それで時々は些細なことで喧嘩して3日間くらい口もきかないけどまた些細なことで仲直りしてさぁ、でもっていずれリタイアしてからは今度はこっちから、ようやく時間に余裕も出来たし子供もひとり立ちしたしこれからは2人で目いっぱい時間を使えるなとりあえず手始めに海外へ旅行でも行こうかお前前からイッシュに行きたいって言ってたもんなそうだな思い切って船で世界一周にでも行こうか大丈夫だよこれまで一生懸命働いてきたから蓄えはあるし、とか言ってさぁ、それで今際の淵では大泣きする嫁さんに向かって、こらこら泣くんじゃないよお前は笑ってる顔が一番きれいなんだから俺が今までの人生何のために頑張ってきたと思ってるんだただお前の笑顔のためだけだぜ最期くらい最高の笑顔で見送ってくれよそうすれば俺はあの世に行っても最高に幸せだからさ、とか言ってさ、それで2人笑顔で大往生、とか考えてただろ」
    「お前……よくそんな立て板に水を流すようにさらさらとこっぱずかしいセリフが出てくるな」
    「ともかく、お前だってそんなピュアでイノセントな時期があったろ」
    「何10年前の話だよ。ってか、そんなピュアでイノセントとか軽く超越した脳内お花畑な思考、今更小学生でも抱かんわ」
    「そうかなぁ」
    「そうだよ」
    「そうかなぁ……」

     ジョーは空になった発泡酒の缶をちゃぶ台の上で転がしつつ、しつこくぶつぶつと呟いていた。……いい奴なんだが、いやまあいい奴なんだが。ちょっと面倒くさい時はある。いやしょっちゅうある。

    「いいんだよ。俺も相手もどうせ遊びなんだし」

     煙草買ってくるわ、と俺はコンビニへ向かった。四合瓶で8000円の特撰純米大吟醸は奴への生贄に捧げるしかないようだ。



    +++可愛いミーナ+++



     まだ夏も始まったばかりだが、海岸はいつ行っても祭りのような様相を呈している。
     灼けた砂の上をぴょんぴょん飛び跳ねるように走っていく浮き輪の少女。1つの氷イチゴを2人でつつき合うカップル。大きなパラソルの下でポケモンバトルを始める少年たち。海の家に隣接する畳の休憩所で熟睡する父親と、その腕を引っ張る娘。
     俺は海の家で瓶入りのコーラを買い、適当な日陰に入る。じりじりと暑い陽射しに炭酸が滲みる。ビールも悪くないが、昼間っから酒を飲むのは好きじゃない。どこぞのアルコール処理機じゃあるまいし。

     さて、誰かいないものか。俺は浜辺の全体へ目を走らせる。
     この時期海辺に来ている女ってのは、結構な確率で男に拾われに来ている奴だと思って問題ないと俺は思っている。でなけりゃ、誰が好き好んで、日焼け止めを塗りたくった上で海にも入らないのに露出度の高い服を着て、そのお世辞にも豊かとはいえないボディラインをわざわざ男に見せつけるように浜辺に寝そべったりするもんか。
     大体、最近の女は痩せすぎなんだ。どいつもこいつも骨と皮ばっかりの骸骨みたいな身体しやがって。その状態で「やだ―太っちゃったー」とか言われてもこっちとしては「はぁ?」としか言いようがないわ。お前らもっと脂肪つけろ。痛いんだよ抱いたときに。

     ……まあ、俺の好みの話はどうでもいい。とりあえず今は、今日1日だけでも暇をつぶせる相手を探そう。
     明らかに射程圏外なガキやババアはどうでもいい。わざわざ人の彼女に手を出すような面倒な趣味も俺はない。
     上着のポケットから煙草を1本取り出し、火をつける。暇そうな女は……と。

     うぇ、何だこの味気持ち悪ぃ。パッケージを見返すと、ジョーがよく吸ってるウルトラメンソールだった。あんにゃろう、俺がメンソール嫌いなの知っててこっそり仕込みやがったな。今度会ったらぶっ殺す。
     さっさと火を消して、いつもの黒い箱に金色の文字がおどる箱に替える。あんにゃろう格好つけて煙管とか吸ってんだったらもうそっちだけ吸ってろ。くそが。

     ゆっくり煙を吸って、ささくれ立った心を落ち着かせる。落ち着け俺。
     舌の付け根にまだメンソールの味が残っている。気持ち悪い吐きそうだ。
     時代錯誤甚だしく煙管なんぞ吸っている割に、紙巻き煙草だとなぜかメンソールのきっつい奴しか吸わない親友の顔が思い出される。そういやまたあいつに高い酒やられたんだったな。この煙草買いにコンビニに行ってる間に案の定飲みつくしやがって。追加で買ってきたビールも飲みつくしやがって。どこに入っていってるんだその水分とアルコール。
     いやまぁ、うん、いい奴なんだけど、でも何だかなぁ、よくわからん。ロマンチストというか……夢見がち?
     何だっけ、理想の恋人? 馬鹿馬鹿しい。そんな幻想とっくの昔に捨てたわ。

     ちょうど1本目を吸い終わった頃、俺の目に1人の女が映った。
     ボブカットの髪の毛に、ふんわりとしたワンピース。白いサンダル。派手な格好ではないけれど、顔はとてもかわいい。ぱっちりとした黒目がちの目に、すっと伸びた鼻筋。ぷっくりとした唇。ほんのり小麦色の肌。その辺にいる他の病的な細さの女と比べるまでもない肉付き。完全に俺のタイプだ。
     その女は1人で、砂浜をあてどなく歩いていた。海風にスカートがはためく。連れがいる様子もないし、散歩でもしているのか。
     目が合った。こっちをじっと見つめてくる。俺はすたすたと歩み寄った。

    「今、暇?」

     俺が尋ねると、女はこくりとうなずいた。少し話でもしないか、と聞くと、またすぐにうなずいた。何だこいつ。他の女は大抵、断るか無駄に焦らすかしてきたのに。警戒心がないのか。詐欺とかキャッチセールスにすぐ引っかかるんじゃないのか? どうでもいい心配をしてしまう。
     陽射しが強いから、パラソル付きの休憩場所に移動しようか、と提案すると、女はやっぱりあっさりと賛成した。
     日陰で座ってひと息つくと、女は少し恥ずかしそうに笑って言った。

    「実は、初めて見た時からカッコいい人だな、って思ってたんです」

     ……詐欺にあってるのは俺の方なのか?
     わずかばかり警戒心を抱きつつ、何か飲むかと聞いた。女は少し迷って答えた。

    「コーラにしようかな」

     あ、趣味が合った。

     海の家で瓶入りのコーラを買って女に渡した。女は喜んで受け取る。笑顔がかわいい。
     そう言えば、名前。名前聞いてなかった。

    「俺はキョーイチ。君の名前は?」

     俺が尋ねると、女はとてもかわいらしい笑顔を俺に向けて言った。

    「ミーナ。ミーナよ」


     しばらく海岸でミーナと話をした。ミーナはとてもよくしゃべり、よく聞いて、よく笑った。
     好きなもの。嫌いなもの。ミーナとはびっくりするほどよく趣味が合った。


    「ミーナはどうして海に来たんだ?」
    「うーん、退屈だったからかな」
    「退屈?」
    「誰もいなかったから。寂しかったの」

     ミーナはそう言って海を見つめた。
     ふわりと潮風がミーナの髪を揺らす。ほんの少し、ミーナの眉尻が下がった。海を映したようにゆらゆら揺れる瞳の中に、確かな「寂しさ」が見て取れた。

    「じゃあ、俺と付き合わない?」

     俺がそう言うと、ミーナはびっくりしたような顔をして、こっちを見つめた。

    「どうして?」
    「俺も退屈だから」

     何それ、とミーナは呆れたように笑ったが、「いいよ」と答えた。

    「夏の間くらい、一緒にいられる人がいるっていうのも、確かにいいかもしれないわね」

     そう言って、ミーナはまた笑った。


    +++


     次の日も、海岸へ行くとミーナが待っていた。
     どこか行こうか、と言うと、街をぶらぶらしたいな、と返してきた。

     平日の昼間だからか、人通りもまばらな商店街。
     数人の女子集団が、店先に置かれている夏服を手にきゃっきゃと声を上げている。やめとけ、今お前が持ってる蛍光イエローの鞄にショッキングピンクのタンクトップは目が痛いぞ正直。

     ミーナを見ると、どうも落ち着きがない。傍らの店にちらちらと目線を送っている。
     やや小奇麗な山小屋といった外見。どうやら、シルバーアクセサリーをメインに取り扱っている店のようだ。ミーナは初めて会った時からあまり着飾っていなかったが、やはり女の子なのでアクセサリーの類は気になるらしい。
     何だ、見たいんなら遠慮せず言えばいいのに、と俺は言った。ミーナはぽっと頬を染めて、照れたように笑った。

     店に入ると、ミーナは一目散に店の奥の方へ駆けていった。楽しそうにしているので、俺はひとりで店内を物色した。髑髏のついたごつい指輪。天然石のぶら下がったピアス。皮で編まれたブレスレット。男物も女物もごちゃごちゃに置いてある。
     こちらなどお客様にお似合いですよ、と店員がごつい鎖で十字架にハブネークが絡みついたトップの、重そうなペンダントを薦めてきた。細工も細かいしデザインも嫌いじゃないが、値段を見てげんなりした。5桁はないわ。俺はいいんで、と言うと、店員はやや不満そうな顔でレジに戻った。

     ミーナは何を見ているんだろうか、と思ってそばに行くと、ガラスケースの中のピアスとにらめっこしていた。
     そういえば、ミーナはピアス穴開けてたっけ。いつも透明な樹脂のピアス止めをつけてるけど。

    「気にいった奴でもあったのか?」

     俺が尋ねると、ミーナは1700円と書かれた棚の中のひとつを指差した。
     フックの先に燻した銀の薔薇の花が2、3個ぶら下がっている。女がつけるにはちょっとごつい気がするが、男がつけるには少々派手だ。ユニセックスと言うより、中途半端なデザインと言った方がしっくりくる。
     しかしミーナはこれが気にいったようだ。買ってやろうか、というと、ミーナはぱあっと顔を輝かせて俺に抱きついてきた。
     レジの奥に引っ込んでいた店員を呼んだ。店員はガラスケースを開けながら言った。

    「こちらですか? そうですねぇ、こちら、男性でも気軽につけられるデザインですよね」
    「いや、俺のじゃないんだけど」
    「あっ、贈り物でしたか? 彼女さんですか? ラッピング、210円ですがいかがですか?」
    「いいよそのままで。つけて帰るから」

     俺がそういうと、店員は首をひねりながらレジへ向かった。


    「……ど、どうかな?」

     店の外で、ミーナが少しおどおどしながら聞いてきた。
     両耳にはさっき買った薔薇のピアスがさがっている。

    「うん、まあ、思ったよりごつくないな」
    「えへへ、そうかな?」
    「うんうん、似合ってる似合ってる」

     何か適当に答えてない? とミーナは少し頬を膨らませた。
     でも実際、思ったより似合っていた。ミーナの何となくふわふわした印象といぶし銀の薔薇は合わないんじゃないかと思ってたけど、意外とそうでもなかった。むしろ重たさがアクセントになっている。

    「次、どこ行く?」

     俺がそう尋ねると、ミーナはえっと、と言ったきり少し口をつぐんで、俯いて両手をもじもじとさせた。
     長い沈黙に、ポケットの中の煙草を取り出すか否か迷い始めた頃、ミーナが顔を真っ赤にして、小さな声で言った。

    「……キョーイチの家、行きたいな……って」

     俺はちょっと呆気にとられた。
     いや、まあ、別にあれだけど、会ったの昨日の今日だし、見た目どっちかというと清純系だし……。

    「思ったより積極的なんだな」
    「……〜っもー! いいよっ! 忘れてっ!」

     ミーナはそのまま口や耳からかえんほうしゃが出るんじゃないかってくらい顔を真っ赤にして、そっぽを向いた。
     俺はやれやれ、と笑って、ミーナの腕をひいた。

    「いいじゃん。来なよ」
    「…………」
    「来ないのか?」
    「……行く」

     ミーナはそう言うと、顔を隠すように俺の腕にしがみついてきた。二の腕に当たるミーナの頬が熱かった。


    +++


     夜中に目を覚ますと、ベッドの上に1人だった。
     鞄も脱ぎ散らかした服もない。俺が寝てる間に帰ったのか? と、寝ぼけた頭をぼりぼり掻く。

     黒字に金色の文字が書かれた箱から煙草を1本取り出して、火をつける。
     煙を灰に吸いこみながら、働かない頭をぼんやりと動かして、身体の相性よかったなあ、と心の中で呟いた。
     暗い部屋に白い煙が漂う。気だるさに水でも飲むか、とベッドから起き上がろうとした。

     ちくり、と右手の人差指に何かが刺さった。
     いぶし銀の薔薇のピアスのフックだった。じわりと赤い痕が白いシーツに広がる。

     あれ、ミーナの奴、忘れていったのか?
     しょうがないなあ、と言いつつ、俺はピアスをズボンのポケットに入れた。



     次の日海に行くと、ミーナが待っていた。

    「昨日勝手に帰っちゃってごめんね」
    「いや別に。……あ、そうだ」

     ピアスを渡そうとポケットに手を入れた。
     しかし、ポケットの中は空だった。

     どうしたの? とミーナが首をかしげながら聞いてきた。
     その両耳には、いぶし銀の薔薇のピアスがさがっていた。


    +++


     お盆の時期は海岸にメノクラゲとかその辺りが大量発生するから海には行きたくないよな、と俺は言った。
     そうだよね、とミーナは答えた。
     しかし暑い。今年は特に暑い。このままじゃ陸に打ち上げられたコイキングになりそうだな、と俺は言った。
     本当だよね、とミーナは答えた。

     プールでも行くか? と俺は聞いた。
     行く、とミーナはすぐに答えた。


     行ってみたけど、水の中は人でごった返していた。
     あれじゃあ水の中を泳ぐというより、人の間を水が流れていると言った方が近い。
     プールサイドにいくつか刺してあるパラソルの影の下に座って、売店で買ってきたかき氷を2人でつつく。

    「やっぱり人多いねえ」
    「休みだもんな」
    「なあ、そこの兄ちゃん、ポケモン持ってるだろ?」

     2人でのんびりとしていると、海パンをはいた小学生くらいのガキンチョが、いきなり声をかけてきた。

    「ん? ああ、まあな」
    「じゃあ勝負しようぜ! シングルの2対2でどうだ!」
    「……まあ、別にいいけど」

     やれやれ。このくらいの年頃のガキンチョってのは、こっちの都合もろくに聞かず、相手がどんな奴かもあまり考えずにバトルを仕掛けてくる。ポケモンバトルを始めて間もない奴らが多いから、しょうがないか。
     プールサイドに備え付けられているバトル用の広場へ向かう。俺はベルトからボールを2つ選んだ。頑張って、とミーナが笑顔で手を振ってきた。

    「よーし、行くぞっ! マグマッグ!」
    「行ってこい、チャコ」

     俺が最初に選んだのは、頭に大きな葉っぱを生やした小さな怪獣、もといチコリータのチャコ。
     相手は相手は溶岩のなめくじ。よりによって炎天下のプールサイドで。クソ暑い。ふざけんな。

    「マグマッグ、ひのこだ!」
    「チャコ、はっぱカッター」

     小さな炎が、チャコの放った葉っぱに引火して、本体に当たる前に灰になって地面に落ちる。
     はぁ? マジ? とガキンチョが驚愕の声を上げる。うん、相手が悪かったな。

    「坊主、いいこと教えてやるよ。兄ちゃんはこれでも結構強いぜ」
    「う、うるせぇ! おれは負けねぇんだっ! マグマッグ、ふんえん!」

     ぶわっと周囲に炎と熱い煙が散らばる。熱い。熱いというか暑い。めちゃくちゃ暑い。思わず咥えていた煙草のフィルターを噛みつぶした。やべぇマジイライラする。
     チャコの葉っぱに小さな炎がついていた。必死で振り払って消したが、少しやけどしたようだ。
     相手を睨みつけ、鋭い鳴き声を上げる。ああなるほど、チャコも相当イラついてるってわけか。上等上等。

    「チャコ、からげんき」

     その葉っぱのやけどの分も込みだ。遠慮せずやっちまえ。
     チャコは首から伸ばしたつるで思いっきり相手を打ちすえる。あまりの猛攻に、相手は恐れおののいて戦意を喪失したようだ。

    「ううっ……行けっ! クヌギダマ!」
    「戻れチャコ。行ってこい、エリー」

     俺は黄色いふわふわモコモコの体毛を持った羊、メリープを繰り出した。
     相手は硬い殻を纏った木の実みたいな虫。相性はそんなにいいわけでもない、か。

    「エリー、とっしん」
    「クヌギダマ! てっぺき!」

     走って勢いをつけてエリーの頭がクヌギダマの身体にぶつかる。ごつっ、と鈍い音がした。エリーが少し涙目になって数歩下がる。
     なるほど、なかなか防御力はあるみたいだな。よく育ってる。

    「クヌギダマ、こうそくスピン!」
    「エリー、わたほうし」

     クヌギダマが超高速で回転しながらエリーにぶつかってくる。細かい綿くずがバトルフィールド周辺に舞い散る。
     俺は咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けた。

    「エリー、もっとだ」

     エリーの体毛が電気を含んでふわりと膨らむ。クヌギダマがまたぶつかってきて綿くずが散らばる。
     視界が少し白くぼやけてくる程度の綿の量。ふむ、こんなもんか。

    「坊主、お前結構センスあるよ。このままエリーを覆う綿を削って、適当に防御削ったところでだいばくはつ……って流れだろ? いいと思うぜ。でもまだまだ足りねーな」
    「は?」
    「経験だよ経験。大人になって考えつくことってのもあるってこった。ま、今回は学校じゃ教えてくれない課外授業だと思っとけよ」

     学校じゃあ型にはまったバトルしか教えてくれねぇからな。
     だがまあ、世の中そう一筋縄ではいかないんだよな。ゲームか何かじゃあるまいし。

    「ま、たまには、爆発される側ってのも経験しとけってこった」

     えっ、とガキンチョが目を丸くする。

    「ほうでん」

     空気中を漂う無数の繊維。
     放電で発生した火花。

     結果、爆発。


    「……はい、ジュリア。おつかれさん」

     俺は傍らに控えていたキルリアの頭をなでた。ぱちん、と音を立てて、バトルフィールドを覆っていたリフレクターの壁が解除される。
     若干煤で黒くなったフィールドに転がっているのは、これまた若干黒くなって目をまわしているクヌギダマと、少し汚れたクリーム色の綿の塊。
     塊の中からエリーがぴょこんと顔と手足としっぽを出す。

    「に、兄ちゃんむちゃくちゃだよ……」
    「経験だと思っとけ。世の中そうそう良心的なトレーナーばっかじゃねぇぞ。……ま、大人げなかったとは思うからよ。回復が終わったらこれで手持ちの連中にアイスでも買ってやれ」

     俺はポケットから財布を取り出して、金色の硬貨を1枚ガキンチョに渡した。
     おれが負けたのに、とガキンチョは言ってきたが、ガキンチョから金をむしる気はさらさらねーしただの野良バトルに賞金も何もねーよ、と返して追い払った。

     ふう、と息をついてミーナの隣に座り、ポケットから煙草を1本取り出して火をつけた。
     ミーナはお疲れ様、と言ってタオルを渡してきた。

    「バトル強いんだね。ちょっと驚いちゃった。思ってたよりもすごく大胆な攻撃するし」
    「あー、まあ、知り合いにガサツだけど超強い奴がいてな……そいつの影響がな……」

     めちゃくちゃ強いけど、豪快すぎる上に博打うちのどうしようもないあいつ。バトル場でも煙管をふかしながら日本酒の一升瓶を小脇に抱えているあの馬鹿。飲酒バトルの違反で捕まるんじゃないかとずっと思っているけど、今のところ無事なようだ。
     エリーの粉塵爆発も、元はと言えばあいつのエルフーンが使ってた方法だ。散々わたほうしでフィールドに糸屑をばらまいたかと思うと、かえんだまを投げつけてくる。笑顔で。いたずらごころの特性もあるのかもしれないが相当腹黒い。しかもあいつは俺と違ってリフレクターとかその辺の技を使える奴がいないから、トレーナーが危ない。特に室内では。どうも警察の目は節穴のようだ。あらゆる方面で。
     ……まあいろいろ問題はあるけど、何だかんだでバトルは馬鹿みたいに強いから、俺もいろいろ教えてもらったりしたけど。

    「それに、何て言うか……意外と、可愛いポケモン使うんだね」
    「い、いいじゃねーか。趣味だよ。悪いか」
    「ごめんごめん、馬鹿にしたつもりはないの。ちょっと意外だなーって思っただけで。ね、他の子は?」

     そうだな、と言いながら、俺はベルトからボールを外した。

    「キルリアのジュリア。メリープのエリー。ポニータのジョニー。チコリータのチャコ。ヒヤッキーのヒロシ」
    「何かヒヤッキーだけ方向性が違わない?」
    「しょうがねぇだろ勝手につけられたんだよ名前。それから……」
    「ねえねえ、そこのお兄さんっ!」

     突然、妙にハイテンションな甲高い声が突き刺さってきた。
     顔を上げると、水着を着た女の子が3人、俺たちを取り囲んでいた。

    「お兄さん、バトル強いねーっ! ねえ、よかったら私たちと遊ばない?」
    「は?」

     何だこいつら。
     まあ確かに、俺1人だったら遊んでたと思う。でも今はどこからどう見ても明らかに連れがいる状況じゃねぇか。いくら夏のプールで頭のネジが外れてるって言ってもマナー違反だろ。

    「俺、連れいるし」
    「連れぇ〜?」

     俺は隣に座るミーナを指差した。女子どもは俺の指先を目で追いかけて、また俺の方を向いた。

    「……ねえ、私たちと遊んだ方が絶対楽しいよ〜? ねー、ほらぁ……」
    「いい加減にしてっ!!」

     ミーナが突然、立ち上がって大声で怒鳴った。

    「いくら何でもひどいじゃない! そりゃ、私はそんなに魅力もないかもしれないけど、キョーイチは今私と遊んでくれてるの! 今は私のものなの!!」
    「ミーナ、いいから! わかったって!」

     俺は慌ててミーナを止めた。
     女子連中は俺たちに軽蔑するような視線を送り、「何アイツ」「意味わかんない、気持ち悪い」などと口々に言いながら去っていった。

    「ミーナ……」
    「ご……ごめん、キョーイチ。私……」
    「……い、いや、いいんだ。何つーか……すっげー、嬉しいかも」

     いつもにこにこと穏やかなミーナが、感情をむき出しにして怒っている。しかも、俺のために。
     それが妙に恥ずかしくて、こそばゆくて、嬉しかった。

     ミーナが俺の手に手を重ねてきた。
     赤く染まった頬。上目遣いの視線。眉上で切りそろえられた髪の毛を払うと、くすぐったそうに眼を細めた。
     傾きかけた太陽が伸ばした2人の影が、そっと重なった。


    +++


    「アスベスト、なげつける!」
    「わー待てっ!! まだリフレクター貼ってねぇ!! ってかお前も対策なしにその技使うんじゃねぇよ馬鹿!!」

     綿毛を背負った羊が綿の中からかえんだまを取り出そうとするのを慌てて止めた。冗談じゃない。爆発に巻き込まれるのなんてまっぴらごめんだ。
     ジョーはアスベストというどことなく物騒な名前のエルフーンをボールに戻した。粉塵爆発は起こすわ、ぼうふうで柵やら街灯やらをなぎ倒すわ、部屋の中だろうがどこだろうが気がついたら人の背中に勝手に張り付いてるわ、服(特にニット)に絡みついてなかなか取れない繊維を残していくわ、いろいろと前科の多いポケモンだ。何よりそれら全てを笑顔でやってくるのが怖い。行動が大胆というか大雑把なのは飼い主のせいだろうが、こいつ自身の性格も相当悪い。多分。

    「ふー。久々に手合わせしたけど、お前ちょっと腕がなまってんじゃねえか? キョーイチ」
    「あー、夏入ってから、最近プール行った時に絡んできたガキンチョとしかバトルしてねぇからなぁ……」

     公園のベンチに座って、煙草に火をつける。ジョーは今日は煙管のようだ。
     せめてよく着てる作務衣とか着流しとか謎の派手な着物とかならまだ絵になっただろうに。何で今日に限ってお前はあずきジャージなんだ。深夜の公園でだるそうに座って時代錯誤な煙管をふかしている上下あずき色のジャージの男なんて、いろいろちぐはぐ過ぎて人が通りかかったら確実に二度見されると思う。ちなみに俺はもう慣れた。
     煙を吸い込み、大きく息をつく。

    「ジョー、お前さ、普通に強いんだからもうちょっと考えて技出せねぇの?」
    「えー、考えてるだろ。組み合わせとか、作戦とか」
    「そうじゃなくってさ。例えばぼうふうにしてももうちょっと照準を合わせて当てるとか、爆発するならトレーナーその他周囲に被害がないように配慮するとかさ、お前免許取る時に習うとこだろそこは」
    「悪かったなノーコンで」
    「お前マジでいつか捕まるぞ。安全対策不足か器物損壊か飲酒バトルで」

     へいへい、とジョーはやる気のなさそうな返事をした。
     煙管煙草独特のふわりとした芳醇なにおいがする。ジョーはふと俺のベルトにつけているボールに目を落とした。

    「おいキョーイチ、このボール、ヒビ入ってるじゃねーか」
    「え? うわ、マジだ。あれー? いつやっちまったかなぁ? 最近バトルしてねーから思い出せねぇ……」
    「早いとこポケセンかショップ行って直してもらった方がいいぜ。昔、知り合いがひび入ったボールそのままにしてたら、いきなりボールが割れてカビゴンが出てきて、危うく圧死するとこだったって言ってたし」
    「そりゃこえーな。気が向いたら直しとくわ」

     星空に向けて煙を吐き出す。ちかちかとした瞬きが少ない、澄んだ空だ。
     ジョーも空を見上げながら、もう秋の空だなぁ、とつぶやいた。

    「俺、秋になったらまた旅に出ようと思うんだ」

     唐突に、ジョーがそう言った。
     元々こいつは、ポケモンを育てながらあてもない旅をしていたらしい。去年の春この町に来て、1年とちょっと、この町を拠点に周辺をうろうろしていたようだ。町にいる間は、バイトか何かで金を稼いだり、酒を飲んだり、バトルを指導したり、酒を飲んだり、俺や友人と遊んだり、酒を飲んだり、酒を飲んだりしていたようだ。

    「へぇ、今度はどこに行くんだ?」
    「まだ決めてねぇけど、もっと北の方へ行こうかなと思ってる」
    「北ねぇ。これから冬に向かうってのにご苦労なこって」
    「ばーか、冬だから北に行くんだよ。わかってねぇなぁ」

     そう言ってジョーは煙管の上下を返し、ふっと吹いて灰を落とした。
     丸めた煙草葉を雁首に詰め、また一服ふかして、ジョーが言った。

    「そういやキョーイチ、お前、彼女とはどうなんだ?」
    「あれ……お前に話したっけ?」
    「いいや? でも最近飲みにも誘わねーし、彼女いるんじゃねえの?」
    「まあ、いるけど……」

     ミーナと出会って1カ月と少し。お互い遊びと割り切ってはいるはずだが、意外と長く続いているもんだ。
     ジョーはベンチの背もたれに肘をついて、俺の顔をじっと見ていた。

    「……何だよ気色悪いな」
    「いいや、何て言うか……。……いや、やっぱりいいや」
    「何だよ。気になるじゃねぇか」
    「いや。何か、お前幸せそうだなぁと思って」
    「……そうか?」

     幸せ、ねえ。
     まあ確かに、不幸せではないと思うけど。

     しかし何だろう。何かこう、のどの奥の方に何かがつっかえてるような、胸やけを起こしているような、魚の骨が引っ掛かってるような、何とも言えない違和感は。


    +++


    「もうすぐ、夏も終わるね」

     ミーナが窓を開けると、湿った外の空気と、真っ赤な夕日の影が部屋に入ってきた。吹き込んできた外気で、ミーナの短い髪がふわりと揺れる。

    「秋になったら、お月見でもしようか。夏の間はいっぱい海に行ったから、山もいいかもね。イチョウとかカエデとか、綺麗に染まってて……」

     楽しそうに笑いながら、ミーナが俺のそばにぴったりと寄り添う。
     頬と頬が触れる。ミーナの肌は冷たい。
     目をやると、窓から差し込んできた夕日を背負うミーナは、姿も表情も影色に塗りつぶされている。目だけが唯一、煌々と輝いて見えた。

    「ミーナ」
    「ん? どうしたの?」

     ミーナが小首をかしげる。
     俺は口を開いた。言葉が出ない。夕日がすっかり建物の影に隠れてしまうほど、長い沈黙が2人を包んだ。

     何とも表現しがたい不安。違和感。気持ち悪さ。
     不快な感情が胸を満たす。


    「別れよう」


     不意に、そんな言葉が口をついて出た。


     ミーナはぽかんとした顔で俺を見た。

    「……どうして?」

     ミーナは今にも泣きそうな声で、そう聞いてきた。
     俺は口を開いた。胸の中のわだかまりが、自然と言葉を作っていくようだった。

    「飽きた、から」

     再び長い沈黙が、俺とミーナを包んだ。
     押し寄せてきた大きな波が、波打ち際で砕けて消えるように、俺の心の中のありとあらゆる感情が押し流されて消えていく。


    「……そっ、か。わかった」

     沈黙を破ったのは、ミーナの明るい声だった。
     俺はびっくりして顔を上げた。ミーナは笑顔で、でも目元は涙で濡らして、俺を見ていた。

    「うん。そうだね。元々、お互い遊びだったもんね」
    「……」
    「わかった。夏ももう終わりだもん。ひと夏の想い出、充分だよ」
    「ミーナ」
    「でも、いつかキョーイチがまた恋をしたら、世界中の誰より幸せになってくれないと許さないからね」

     ミーナはそっと俺の手を握った。
     耳から下がった薔薇の花がきらりと光っていた。

    「楽しかったよ、キョーイチ。さよなら」



     部屋の中は真っ白だった。
     窓の外はモノクロだった。

     幸せだった。夏の間、俺は幸せだった。
     切なくて、不安で、不気味なくらい、俺は幸せだったんだ。

     そうだ。元から、どうせ遊びの関係だったんだ。
     お互い相手がいなくて、隣が開いているからとりあえずそれを埋めただけ。
     それ以上の関係になりうるわけがない。


     ああ、そういえば。
     自分から別れを告げるのって、これが初めてだ。


     開けっぱなしの窓から、音楽が聴こえてきた。
     初めてミーナとこの部屋で一晩過ごした時、つけていたラジオで流れていた曲。
     古い西部劇の主題歌。静かに響くアコースティックギター。哀愁漂う女性の歌声。

     温かい手のひら。
     花の香りがする髪の毛。
     くるくると表情を変える潤んだ瞳。
     薔薇の花弁のような唇が紡ぐ言葉を、唇で塞いで止めたあの夜。



    「ミーナ」


     ミーナ。
     ミーナ。
     ミーナ。ミーナ。ミーナ。

     ミーナ。ミーナ。ミーナ。ミーナ。ミーナ。
     ミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナミーナ……ミーナ!



    「ミーナ! ミーナ!!」



     錆ついた空。

     枯れて頭を垂れた向日葵。

     頬を濡らすのは雨粒。



    「やっぱりお前のことが好きなんだ!! ミーナ!!!」


     俺は馬鹿だ。
     ほんの一時の気まぐれで、別れよう、だなんて。
     確かに最初は遊びだった。

     でも、いつの間にか、本気で好きになっていた。


     モノクロの街を走る。

     雨が奏でる女性の歌声。

     頭に響く波の音。


     突然体が宙を舞い、俺は真っ黒な地面に叩きつけられた。



    +++



     俺は白い天井を見上げていた。
     柔らかい。これはベッドだ。俺の部屋じゃない。誰かいる。白い服。医者と看護師。

    「目が覚めたか! よかった! ここは病院だ。自分のことはわかるか?」
    「……ミーナは?」

     医者が何か言ってきたが、どうでもいいことだ。
     俺はミーナを探さなきゃならない。

     起き上がろうとすると、医者は慌てて俺を押さえつけた。

    「こ、こら! まだ起きちゃいかん!」
    「放せ! 放せよ! 俺はミーナを探さなきゃならないんだ!」

     腕に刺さっていた点滴の針を引き抜き、俺を押さえつける医者を力ずくで振りほどこうとした。
     押さえつけろ、人を呼べ、鎮静剤を、などと医者と看護師がわめく声が耳から耳に抜ける。

     その時だった。
     ドゴヅッ、という鈍い音とともに、丸くて硬いものが、ものすごい勢いで俺の額に叩きつけられた。
     激痛と混乱。俺は驚いて動きを止めた。

    「落ち着け、馬鹿野郎」

     いきなり頭突きをかましてきたそいつ……ジョーは、そう言ってため息をついた。

    「何があったんだ?」

     ジョーが静かな口調で聞いてくる。
     真っ白だった心が動き出す。体が震える。鼓動が速くなる。

    「……探さないと、間違えたんだ、俺は、ミーナを、ひどいこと」
    「おい、落ち着け」
    「ほんの気まぐれで、俺は、不安になって、だって、ミーナは、好きだったのに」
    「しっかりしろ、キョーイチ!」

     ジョーが俺の両肩をつかんで揺さぶった。


    「いないんだ! お前の言ってる『ミーナ』は! どこにも!!」

    「……え?」

    「夢だったんだ。全部、夢だったんだよ」


     何を言ってるんだ?
     だってミーナは、夏の間ずっと俺のそばで、一緒にいて……。

     とりあえず深呼吸しろ、とジョーが言ってきた。
     大きく息を吸ってゆっくり息を吐くと、モノクロだった世界に、ぼんやりと色がついたように感じた。

     ジョーはため息をついて、諭すような口調で言った。


    「『ミーナ』は……お前のムンナだろ?」


     世界が崩れる。
     目の前が一斉に、鮮やかに色づく。

     俺はおそるおそる、腰に手をやった。
     手に触れたのは、ひびの入ったモンスターボール。
     中に入っているのは、夏の初めに進化した……ムシャーナの、ミーナ。


     医者が静かに言った。


    「キョーイチさん。あなたの症状は……重度の『夢の煙中毒』です」


     『夢を現実にすること』が、そのポケモン、正確にはそのポケモンが出す「夢の煙」の持つ能力。ドリームワールドという施設で使われているように、夢の中の道具やポケモンを実体化することさえ出来ると言われている、摩訶不思議な物体だ。
     しかし、それは「正しく使えば」の話だ。力が強すぎるため、ドリームワールドでも、「夢の煙」の使用は1日につき1時間までと制限がかけられている。

     四六時中、「夢の煙」を浴び続けていたらどうなるか。

     ひと言で言えば、起きたまま夢を見る。
     密かに抱いていた夢。心の奥底の願望。それが幻覚や幻聴となって現れる。
     夢を見ている本人にだけは、リアルな実体を伴って。

     その状態が長く続くと、しだいに夢と現実の区別がつかなくなる。
     本当はないものが見え、あるものが見えなくなる。実際に鳴っている音とは違う音が耳に入り、存在しないものに体を触れられる。
     そして最終的には、精神が堪えきれなくなり、心が壊れてしまう。


    「俺が見つけた時、お前は遮断機を乗り越えて列車の前に飛びだそうとしてた。とっさに『ぼうふう』で吹き飛ばさなかったら死んでたぞ」

     ぼんやりと、この場所にいる前に感じた浮遊感を思い出す。
     でも、実感が伴わない。
     頭の中がぐるぐるして、何が何だかわからない。

     体の中から『夢の煙』の成分がすっかり抜けきって、心が落ち着くまでは入院しましょう、と医者が言ってきた。


    +++


     窓から外を見ると、庭に植えてある木々の葉が、ちらりほらりと赤みを帯びてきていた。
     あれは桜の木か。春になるとさぞやきれいなんだろうな。さすがにそんな頃まで入院するのはごめんだが。


     中庭に出た。入院している身だが、最近は出歩くのも比較的自由になった。時間までに病室に戻りさえすれば。
     灰皿が設置してあるベンチへ行くと、俺の見舞いに来たのであろうジョーが一服していた。

    「秋になったら、旅に出るんじゃなかったのか?」
    「俺の中では、モミジが赤くなるまでは秋じゃねーんだよ」

     何だそりゃ、と笑いながら、俺はジョーの隣に座った。右手に持っている箱から、シガレットを1本抜き取る。ジョーは呆れたように笑った。

    「入院患者が煙草なんか吸うんじゃないよ全く」

     そう言いつつ、ジョーはポケットからジッポライターを取り出す。

    「メンソールだぞ」
    「いいよ」

     煙を吸い込む。すうっとした刺激が呼吸器を抜ける。舌の根が苦くて眉をしかめた。
     ふう、と煙を吐き出し、手すりに肘をついて頭を抱えた。慣れない味の煙草にくらくらする。

     まぶたを閉じると、彼女が俺の前で、笑顔で手を振っているような気がした。
     ゆっくりと目を開ける。俺の目に映るのは、その身の色を変えて秋の到来を告げようとしている、桜の木ばかりだった。


     そっと目を閉じた。

     両目から、ぼろっと涙が零れおちて頬を伝った。


     大丈夫か、とジョーが声をかけてくる。

     煙草の煙が目に染みただけだ、と俺は答えた。


     左手をズボンのポケットに突っ込むと、指先にチクリと何かが刺さった。
     取り出してみると、燻し銀の薔薇のピアスだった。

     夢だった。そう、全部夢だったんだ。
     夏の間に見た、ひと時の夢。
     俺の夢の中の彼女と、夢の中で恋に落ちた。ただ、それだけのことだった。

     だけど、彼女は確かに俺のそばにいた。
     俺は彼女と夏の初めに出会って、夏に恋して、夏の終わりに別れた。
     それは確かなことなんだ。

     俺にとって、初めてのことだった。


     本気の恋だったんだ。



     ああ、駄目だ。やっぱりメンソールは嫌いだ。

     涙がちっとも止まりゃしない。



     時計の針は3時を示していた。
     どこからか、教会の鐘の音が風に乗って聞こえてきた。










    ++++++++++The end

    special thanks/桑田佳祐「可愛いミーナ」


    カラオケで久々に歌ったら降ってきた。
    年齢=恋人いない歴の自分には色々と無茶だった。
    ごめんなさい。

    それにしても、どうやら自分は相当ムンナが好きらしいと最近気付いた。


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