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確かな設計力と、きめ細かいアフターケアが売りの「古川工務店」は、商店街の一角に事務所を構えている。繁忙期は職人さんが絶えず出入りしていて、棟梁が下っ端の若い職人さんにやたらめったら檄を飛ばしているのをよく見かける。小さい頃はそれが怖くて、そばを通らなければならないときは両耳を塞いで一気に走り抜けていた。ただ、休憩中にはみんな缶コーヒーを片手に笑い合っているから、きっと大工さんって、怒鳴るのも仕事なんだなと思っていた。
さて、そこの長男坊が、今私たちの目の前にいる男の子。
古川颯太郎(ふるかわそうたろう)。実際彼が真顔で話しかけてくることは、群れを率いる雄ライオンがわざわざ狩りに参戦するときくらい珍しいことだった。だっていつもの彼は、この教室が落語の寄席か何かだと思い込んでいて、勝手に人だかりを作って、休み時間をめいいっぱい使って、よく回る口でたくさん笑いを取って、そして授業中は死んだように寝ている。古川くんは、そういう星に生まれた人間なのだ。
私とユズちゃんはお互いの目だけで、大量の情報をやり取りした。どこから話す? 最初から? 途中から? いや、話さない? 隠しておく? 嘘ついとく? しらばっくれる? それとも……モールス信号みたいにユズちゃんのまぶたが瞬く。
「おいシカトかよー。話してたろ? 駅前のベンチで」
「いや、その」
作り笑いで古川くんを見上げたら、まともに目が合ってしまった。何か取り繕おうとしても、言葉は喉のところで渋滞していた。お盆にテレビでよく見る、帰省ラッシュの高速道路みたいになっている。
「友達だよ。私立の中学校に行ってるの」
ユズちゃんが渋滞してる車の隙間を走り抜けた。小回りの効くバイクで、颯爽と。
「友達? お前ら座敷童と友達なのかよ!」
本当に古川くんは、無駄に声が大きい。
「だから! 座敷童からは離れてよ! 人間だから! ホモサピエンス! オーケー?」
「紹介してくんない? おれ一回話したかったんだよな、座敷童と」
ユズちゃんは頭をがりがりと掻きむしった。ショートを守っている古川くんは、野球部でも随一の守備範囲を誇るくせに、人の言葉を捕球する気はさらさらないらしい。
「……ってことはさ、あいつのことも?」
古川くんが声を潜めた。彼がこうやって真面目な顔をするのは、やっぱり慣れない。
「あいつ?」ユズちゃんが首を傾げる。
この後彼が言い放った言葉で、私たちは思い出す。古川くんは、噂を広めるのに一役も二役も買っていて、色んな尾ひれはひれをくっ付けた張本人で、目撃者の一人でもあった。
そして実際に“見た”と言っているのは、私は今のところ古川くんしか知らなかった。
「いっつももろの木さまの近くにいる、緑の獣。あれのことも、なんか知ってんのか?」
瞬間、私はほとんど無意識に立ち上がった。勢いよく床を擦った椅子が、大きな音で呻いた。
「コノが……古川くんもコノが見えるの?」
「それって、あの生き物の名前?」
「本当はもっと長い、神様みたいな名前だけど」
コノハナノトキツミノミコト。ちゃんと覚えている。普段は端境(はざかい)というバリアのようなものを張っていて、普通の人には見えない。見えるのは、コノと同じ「木行」が開いているか、他の五行のうちどれか一つを二段階開いている人だけ。それは「神子」と呼ばれる存在で、神子は八百万の獣たちの話す言葉も聞くことが出来る。
「古川くんは、“気質”の持ち主なの?」
「キシツ? まあそんなに荒っぽい方ではないけどなあ。どちらかというと人に優しく自分に厳しく、一途に人を想うタイプで」
「違くて、五行のこと」
「ん? 何のこと?」
話が通じない。
「ちょっとここじゃあさ」ユズちゃんが箸を置いて、辺りを見回しながら言った。「古川、野球部も今週から休みでしょ? 放課後、ちょっといい?」
「ああいいよ。場所は? 体育館裏とか? 告白だったらおれいつでも受け付けてっからさ」
親指を立てる古川くんを、ユズちゃんは睨みつけた。
「うるさいっ。とりあえず、『サンノゴ』に来てくれる? 愛の告白よりも真剣な話」
「なあ杠、愛の告白だって、一般的には誰しも真剣だぞ」
「ああもう、面倒くさいからいちいち拾うな!」
素早く放たれたユズちゃんの脚を、古川くんはぎりぎりで避けた。
「わ、悪いって! 一応、おれもマジだよ――夏くらいからさ、よく分かんないものが見え始めて、ちょっとどうしようかと思ってたんだ」
古川くんのその口ぶりは、実際それほど不安そうなものではなかった。テスト前日の古川くんの方が、この何倍も狼狽していた気がする。
「あ! ユズちゃん今日はだめだよ。放課後は千夏と勉強会するって」
図書館でセンセイにご指南いただく約束を、危なくすっぽかすところだった。
「そっか、でも……」
ちょっとだけユズちゃんは口に手を当てて考えた。教室の前の方で友達とお弁当を広げている千夏を見る。
「ねえ茉里」
「ん?」
ユズちゃんの顔は、あの十月の半ば頃の「座敷童に会いに行こう」と言い出したときと同じだった。
「千夏も巻き込んじゃおうか?」
何も知らずに笑っている千夏が、気の毒になった。ごめん、センセイ。
誰にも聞かれたくない秘密の話をするのには、スペースの半分以上が物置になっているこの空き教室が最適である。特に、私たちが今忍び込んだ三階の三の四横の空き教室、通称「サンノゴ」は、校舎の隅っこで廊下は人通りが少ない。めいいっぱい備品が詰め込まれているので、隙間から奥の方に入れば完全に外から死角になる。しかもサンノゴの奥には畳二つ分ほどの空間があり、都合良くパイプ椅子まで置いてあるのだ。
「良かった。今日は“空席有”みたいね。まあテスト前だし」
誰が決めた訳でもなく、この部屋にはルールが出来ていた。サンノゴを使うときは、でかでかと立てかけてある「第十三回天原中学校祭」の古い看板を裏返しておく。使いおわったら、元通り表にしておく。そうすることで「偶発性社会的不快感」を未然に防いでいる。
「中間テストの勉強には、あんまり向かない場所だよね――それに、なんで古川くんがいるの?」
千夏は連れてこられたサンノゴの埃をかぶった机を見て、目を細めた。
「いやー参っちゃうよね! 人生がモテ期のおれもさ、さすがに一度に三人の女の子から攻め寄られると――痛っ!」
「古川うるさい! でかい声出さないで!」
古川くんの脇腹を、ユズちゃんが肘でえぐった。
「出そう、昼食った生姜焼き、出そう」
体を大きくくの字に曲げている古川くんを後目に、ユズちゃんは学校祭の看板を裏返した。
奥のスペースにあるパイプ椅子に、埃は被っていなかった。三年生中心に、頻繁に利用されているのだろう。
「どっから話せばいいのかね。ホントかウソかも分かんないくらい、突拍子もないな内容だし」
腕を組んで、ユズちゃんが窓の外を仰いだ。秋らしい、高い青空が広がっている。
私とユズちゃんで、行ったり来たりしながらも、これまで怒ったことを二人に話した。座敷童の正体は、麗徳学園に通うエリート女子中学生だったこと。この天原が、何らかの危機的な状況にあるらしいということ。それを美景ちゃんは「毒が入り込んでいる」と表現したこと。今それを辛くも食い止めているのが、他でもないもろの木さまだということ。もろの木さまにはお付きのもののけさんがいて、名前を「コノ」ということ。美景ちゃんは、直接もろの木さまの「御言葉」を聞いて、天原を救う手だてを知ろうとしていること。そして、私とユズちゃんもそれに協力しようとしていること。
ユズちゃんは、自分の家のことも、二人に伝えた。人に話したりしたくなるような出来事は何一つないのに、まるで最近見た映画のストーリーを話すみたいに、ユズちゃんは朗々と語った。おばあちゃんの容態のことや、お父さんとの関係のことを話すユズちゃんは、時々ひどい悪態までついた。千夏が困った笑顔で、私のことをちらりと見る。
ユズちゃんのおばあちゃんは、私のことはもちろん、実の孫の記憶もなくしてしまっていた。それを目の当たりにしたユズちゃんは、一体どんな顔をしたのだろう?
想像したくなかった。
「つまりだ。このちんけな田舎町で、なにやらごちゃごちゃ色んなことが起こっている。そういうことだな」
古川くんが、ふんぞり返って腕を組む。
「格好付けて言ってるけど、全くまとまってないよ」
私がそう突っ込んでも、古川くんはまるで決断を迫られている大企業の重役みたいな言動を続けた。
「この危機的状況を打開する。まずはこの会議室に対策本部を設置だ」
「はいはい。もういいから黙って」ユズちゃんが突き刺すように言う。
「でもさ、その美景って子が言うには、杠んとこの銭湯が守られるってのが最優先なわけだろ? その銭湯の神様がそこにいれるようにさ」
「そうね。でもそのためにはうちのお父さんが何を企んでるのか掴む必要がある。ただあの人全然うちに帰ってこないもんだからさ。何も追求出来てないんだけど」
職場に電話してみるとか、単身赴任先の住所に乗り込んでみるとか、いくつか案が出たけど、実際どれも憚られた。もしそこまで行動を起こすとなっても、平日は難しい。少年少女たちが大活躍する探偵ものの漫画やアニメがあるけど、あの世界はどうしてあんなに自由に使える時間が多いのだろう。
「――ちょっと思ったんだけど」
千夏が口を開いた。古川くんが「対策本部」を設置してから、初めてのことだ。
「銭湯が守られるって、どういう状態を言うのかな? 例えばちゃんと営業してなきゃ駄目とか、営業してなくても湯船にお湯が張ってあれば大丈夫とか、建物が残っていればいい、とか。『守られている』って、何を基準に決まるのかなって」
他の三人の「あー」が、きれいにハモった。
「まあ、そう言われると、よく分かんないよなそこんとこ。よし川崎クン、君は今日から対策本部長だ。上には私から推薦しておく」
古川くんが千夏のおでこ目がけて指を指す。
「うーん、『守られている』かぁ」ユズちゃんが天井を仰ぐ。「なんだか哲学っぽくて、図書館なんか調べたって分からなそうね。美景さんは“社”としての機能がなきゃって言ってたけど、そこ突っ込んで訊いてなかった。失敗」
ユズちゃんの言う通り、早速情報収集で後手を踏んだ。あのときちゃんと説明をお願いすれば、美景ちゃんは生き生きと語ってくれたことだろう。こういう凡ミスで調査が滞るなんて、フィクションではあっちゃいけないことだ。
「いや、その美景さんも、その定義については疎いんじゃないかな」千夏センセイが手を膝の上に置いたまま、ゆっくりと話す。「その人が天原を守りたいと思っている。守るためにはユズちゃんの銭湯が“社”として機能しなきゃいけない。なら、一番大事なところを説明しないのは、ちょっと考えにくい。協力してほしいって二人に持ちかけた本人が、その“社”について詳しく話さないなんて。何か儀式みたいなのが必要だったり、こういう状態にしておくっていうのが分かっているなら、真っ先にそうしようとするはずだし」
「お前、シャーロック・ホームズか」古川くんが素に戻って感嘆した。
「私はモリアーティの方が好きかな」千夏が返答する。「――まあだから、まずはその“社”っていうのが一体何なのかを調べる。それが第一歩な気がする」
「やっぱり千夏を巻き込んで正解だった。ね? 茉里」
ユズちゃんに振られて、私は口元だけで曖昧に笑った。
「――でも千夏、ホントにごめんね。テストあるのに付き合ってもらっちゃって」
「ううん。私のことは別にいいけど、中間テストはみんなに平等に訪れるよ?」
ユズちゃんと古川くんが同じタイミングで頭を抱えた。
とにかく、“社”とは何なのか? どんな意味を持って、どんな効力があるのか? おのおの宿題として持ち帰ることになって、私たち四人は解散した。中間テストが近づいてる中、なんだか課題だけが増えていく気がする。
以前コノが言っていた。「銭湯ゆずりは」が潰れると、湯の神さまは「ホームレス」になってしまう。「ホームレス」っていう言葉が的確なのかは分からないけど、神様の居場所を奪ってしまうというのは、たぶんそれだけですごく罰当たりなことなのだろう。
帰り道、ユズちゃんと途中まで一緒に歩いて、私はいつもの畑の畦道まで辿り着いた。すっかり辺りは暗くなり、遠くの山の稜線だけがほんのりと白んでいる。等間隔に並ぶ防風林がときどきざわりと揺れる。私のこもったような足音が、のろのろとリズムをとる。
足を止めて、夜空を見上げた。秋は明るい星が少なくて、夏の空に比べて控えめな印象だけど、私はこの畑から見上げる秋の夜空が好きだった。分かる星座と言ったらペガスス座くらいだけど、あの四つの二等星を見つけると、なぜか私はほっとするのだ。ちゃんと今日も、あそこにある。なくなってしまったりしていない。それを確認するのが、この季節のちょっとした日課だった。
防風林がさっきより大きく揺れた。二等星が作る四辺形がいつもの場所にちゃんとあることを見届けて、私はそっと声に出した。
「朝、私を呼んだよね? 出てきてくれませんか?」
また、防風林が大きく揺れる。風だけのせいではない。何かが木々の間を、まるでムササビのようにすり抜けているのだ。
分かる。あれは「木行」だ。
「あなたが『端境』意外の何かで身を隠しているなら、解いてもらえませんか? 私にはそれだけで、あなたを見ることができます。あなたと話すことが出来ます」
その気配は、こちらを見た。注意を向けているだけでなく、ちゃんとその目で私を見たのが分かった。ひときわ大きく、防風林がざわめく。
その時だ。
「しょ、しょ、小生は……」
ひゅるひゅると鳴る風のような声が、かすかに聞こえた。
「い、いえ! その……本当、本当なのですか? 茉里様。小生のこの声が、き、き、聞こえるのですか?」
「――うん。ちゃんと聞こえる。でも、どうして私の名前――」
私がその声に答えると、今度は本物の風の音がびゅうびゅう唸った。大きく捻るように、かと思ったら小刻みに震えるように。まるで過呼吸でも起こしているみたいだ。
「コノハナノトキツミノミコト殿がおっしゃっていたことは、誠だったのですね! 小生は、もう幾年もこの日を、この瞬間を夢に見ておりました! 正直に申しまして、半ば諦めておりました故に、茉里様。ああ茉里様。本当に、本当に小生は嬉しゅうございます!」
四方八方に風が渦巻いて、気づけばそれは小さな竜巻ほどの大きさになった。風で吹き飛ばされそうになったマフラーをぎゅっと巻き直す。状況は全く掴めないけど、とにかくその声の主は、ひどく感激しているようだった。
「あの――あなたは、『八百万の獣』ですか?」
「左様でございます。茉里様」
「その、どうして私の名前を?」
「ああ茉里様。小生は、ずっとずっと茉里様のそばにおりました。さらに申し上げれば、茉里様のおばあ様のひいおばあ様が幼少の頃から、小生は津々楽家に身を寄せ、仕えておりました。茉里様のおばあ様は小生の姿を見ることが出来ましたが、こうして言葉を交わすほどのお力は、残念ながら持ち合わせておりませんでした。故に、今小生はもう言葉にすることが叶わないくらい、嬉しいのでございます!」
その声は弾むような音程で、畑の闇に鳴り響いた。声はとても不思議な聴こえ方で、辺り一面に響いているようでもあるし、耳の奥だけで小さく振動しているようにも聴こえる。
この声の主であるもののけさんは、どうやらうちの家にすごく縁があるらしい。コノのように、神様に仕えるのが「八百万の獣」だと思っていたけど。
「私のおばあちゃんは、確かに子供の頃『八百万の獣』を見たって言ってた。あなたのことだったんですか?」
「恐らく、そうでございましょう。おばあ様は小生と同じ、木行でした」
「私にはまだ、あなたのことが見えていない。姿を、現してくれませんか?」
そう言った途端に、渦巻いていた風がぴたりと止んだ。
「しょ、しょ、小生の――す、姿、ですか?」
「――駄目なの?」
「いえ! そんなことはございません! そんなことは、ご、ございませんけれども、なんと申しましょうか、小生なにぶん獣でございまして、茉里様のお気に召す容姿とは恐らく相当かけ離れています故――」
この声、本当によくしゃべる。
「おばあちゃんに見せて、私には見せられない?」
また防風林がばさばさと揺れた。さっきから様子を窺うと、恐らく感情の起伏がそのまま風に現れるのだろう。
「そ、そのようなことは――」
「あなた、いつもそんなに恥ずかしがり屋さんなの?」
「いえ、そうではございません。確かに小生の『端境』は、他のどんな獣共にも負けることはないと自負しています。ただ本当に、なんと申しますか――」
私の立っている畦道から、ほんの五メートルほどのところまで、その声の気配が近づくのを感じだ。でもそれ以上は距離を縮めようとしない。
「茉里様は、特別です。特別な存在なのでございます。小生は、恥ずかしながら臆してしまっているのでございます」
「特別? それって、どういう意味なんですか? 木行だから、ですか?」
「先ほど申し上げました通り、茉里様のおばあ様がまず木行でございました。『気質』を持って生まれたこと自体、非常に稀なことでございましたが、残念ながらそれは極めて微細でございました。しかし茉里様の『気質』は、おばあ様のものを遥かに上回る。最大で五段階まで、その木行の力を発現することができると、小生は推測します」
とても恐ろしいものを語るかのような声色で、彼は言った。
美景ちゃんは以前、私は木行が一段階開いていると言っていた。それが最終的に五段階目まで開くことが出来る、ということなのか。それは、才能があるということで素直に喜ぶべきことなのだろうか? 全然ピンとこない。
「そんな風に言われても、私には正直そこまでできるとは思えないし、全然特別なんかじゃないです。その――まだ中学生で、何の取り柄もないし」
その声の主は、しばらくの間押し黙った。彼が感情を動かさない限り、風はとても穏やかだった。丸裸になった畑の上の空気は、気難しそうに張りつめている。
「ご、ごめんなさい。あなたはコノとも知り合いなんですよね? もし、私の能力とかそういうものを期待しているとしたら、当の本人にはまだまだ自信がないんです。社美景という人から、今の天原のことを聞いて、なんとかしなきゃって思ってるけど、何か私に出来ることはないかなって思ってるけど、まだ何にも力になれそうにないんです」
「――茉里様が気に病むようなことではございません」か細く、夜の闇に消えてしまいそうな声だ。「美景様とは、お会いしたのでしたね。小生から茉里様にお伝えしたいことが、山ほどございます。まずは、それだけなのです。そして全てお伝えした後、一つだけお頼み申し上げたいことがございます。そのために、小生は参ったのです」
五メートル先の景色が揺らめいた。コノが隠れていたものと同じような、周りの景色と同じ絵の描かれたカーテンのようなものがめくれたのだ。
そこに姿を現した「八百万の獣」は、最初見た瞬間、雲かと思った。一メートルに満たないくらいの大きさの、白い綿雲だ。てっぺんにオクラみたいなへたがついていて、顔も身体も見当たらない。数秒して、やっと彼は後ろを向いているのだと分かった。
「――やっぱり恥ずかしがり屋なんですか?」
「ま、待ってください茉里様! 今、今そちらを向きますから!」
学芸会で、ステージに立つのを渋っている小学生みたいだ。
恐る恐るこちらに身体を向けた彼は、動物で言うと「羊」だ。子羊をぎゅっと丸めたみたいな姿だった。頭から背中にかけて綿雲が生えていて、茶色い身体をほとんど覆い隠す勢いだった。
「わあ――」
「す、すみません! 茉里様! こんな、こんな威厳も欠片もない姿で――」
彼の言う通り、確かに威厳とか神々しさとか、そういう種類のものとはかけ離れていた。手足と言えばいいのか、前足と後足と言えばいいのかすごく微妙だけど、とにかくその四足はほとんど使い物にならないんじゃないかと思うくらい小さい。申し訳なさ程度に、こぢんまりとくっついている。頭には左右に二本の緑色の角が生えているけど、くるりと内側に丸まっていて全然攻撃性がない。
そう。彼の容姿を一言で形容するなら――
「可愛いもののけさんですね」
私がそう言った瞬間、彼は相当ショックを受けたような顔をした。
「しょ、小生は男でございます! そんな、可愛いなどと――」
「だって――」
「小生は以前――もうかれこれ百年も前のことではございますが――今の姿よりもさらに貧相で、手も足も生えていなかったのでございます。あの頃は、きっと年月を経て力を得れば、名のある神の伴獣のように、威厳に満ちた姿になれると信じていたのです。それが、未だに小生はこのような――」
彼はそこまで一息に言うと、途端にわんわん泣き始めた。同時に彼の周りにはまたもや風が渦巻き、唸り声を上げる。
「ご、ごめん! あなたはすごく男らしいと思う! その、角も大きくてかっこいいし。ほら、こうやって風を起こすことが出来るのもすごいと思うよ! だからさ、落ち着いて。ね?」
巻き起こる風に飛ばされそうになりながら、やっとの思いで近づいて彼の頭に手を乗せる。およそ期待した通りの、もふりとした感触だった。
こうやってたかが人間の女の子になだめられている時点で、彼はもう「威厳」なんてものは諦めるべきだと思った。
輪羆撃ち 著:クーウィ
史上最悪の害羆事件となった三毛別羆事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86 ..... B%E4%BB%B6)の対策本部が置かれた農家の長男であった春義がこの話のモデルである。事件に強
い影響を受けた春義は羆撃ちとなり、愛犬のガーディ「マタギ」と共にシンオウ中の山を巡った。彼は生涯に百
と二匹の輪羆(リングマ)を仕留めたという。この話はその壮絶な猟の一部始終を活写したものだ。ワクワクす
るような冒険譚に加え、大自然の春夏秋冬を繊細に描写。そして心を打つマタギとの悲しい別れのシーン。シン
オウ羆撃ちの生涯を描く傑作小説が登場!
シンオウ帰りに↓のような本を読んだものでつい。
http://www.amazon.co.jp/dp/4905664896
こっからちょっとパクりましたw
http://www.amazon.co.jp//dp/4094086919/
ぜひ書いてくださいなw
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
ハスブレロの あまごい!
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
オタマロの あまごい!
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりつづいている
あめが ふりやんだ!
キレイハナの にほんばれ!
ひざしが つよくなった!
ひざしが つよい
ひざしが つよい
ひざしが………
心までどんよりしそうな雨雲をどこかへ飛ばしたくて
誰よりも早く飛び出してみる
吹雪で凍えそうなときも、砂嵐で目が開けられないときも
私がいればすぐに太陽が顔を出す
天気がいいと気分も晴れて
いつもより元気に駆け回りたくなって
いつもより強くなれたような気がして
お日さまのあたたかい光が気持ちいいから
みんなの笑顔を見られることが嬉しいから
私は「晴」が大好きだ
雨の方が好きだなんて言わないで
砂に紛れて隠れたいと逃げないで
せっかくの「晴」なんだから
誰もが笑って過ごせる
そんな「晴」が、いつまでも続きますように
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「晴」と言ったらキュウコンさん! ということで書いてみました
晴れパを使う自分としては、ほぼ毎回出てくるバンギやニョロトノのおかげで、キュウコンを活躍させてあげられないのが残念です。私の力量不足もありますけど
さて、今回のような形は初めてでした。詩っぽい形式もまた小説とは変わった良さがあって、難しさもありますね。またいつか挑戦してみたいと思います
それでは失礼いたしました
むかしむかし、その世界の空はまっくらでした。
まるで黒い紙がべったりと貼られているようなもので、消える気配は一つもありませんでした。
それより以前は、その世界の空は綺麗な青で澄んでいました。
しかし、この世界の人やポケモンが何かに悲しんだり、誰かに憎しんだりすると、その気持ちが風に乗って空にたまっていくことがありました。
それがつもりにつもって、最初はにごったような灰色に、だんだんと黒いまだら模様が広がり、最後はまっくらになってしまいました。
もう、このまま笑うこともなく、その世界は終わってしまうのかと思われたときのこと。
もふもふとした白い毛を乗せた龍が一匹、この世界にやってきました。
人々やポケモンたちはその龍がこの世界にトドメをさしにきたのかと恐れていました。
誰も手を出せないままでいると、白い龍は青い焔を吐きながら踊り始めました。
大きな翼をはためかして、右にくるりと回ったり、左にくるりと回ったり、または空をおおきく泳いでいました。
枯れ堕ちた空に青を咲かせましょう
凍え堕ちた空に青を咲かせましょう
人の子や
獣の子や
笑えや笑え
喜べや喜べ
枯れ堕ちた空に青を咲かせましょう
凍え堕ちた空に青を咲かせましょう
白い龍の青い焔が空に登っていくと、なんと不思議なことに黒い空が燃えていきます。
そこから一筋の光が現れたかと思えば、その焼けた隙間からは青い空が顔を覗かせていました。
人々やポケモンたちは手を取り合って喜びあい、手をたたきあって笑いあいます。
その感情が幾重(いくえ)にも青い焔に乗って、どんどんと青い空が広がっていきました。
やがて全ての黒い空が焼き払われ、空は一面、綺麗な青が澄んでいました。
その青には人々とポケモンたち、そして白い龍の笑顔が咲いていました。
【書いてみました】
お久しぶりです、巳佑です。
テーマが晴れということで、何を書いてみようかなぁと思って、『晴』という字をよく見たら……日と青という文字が出てきて、想像を膨らませたのが今回の物語です。レシラムが花咲じいさん的なことになっておりますが、『あおいほのお』と『晴れ』がうまく組み合わさっていたら幸いです。
ありがとうございました。
【何をしてもいいですよ♪】
【一ヶ月ぶりに投稿させてもらいました】
> ヒロイン(と呼んでいいのか……)の窪田さんは、一見勇敢で生き物への思いやりを持つ少女のような印象を受けますが、
> その実態はとんでもない性質を持つ、狂人と呼ぶに相応しい存在だった、という展開が面白かったです。
ありがとうございます! 実はヤバイ人という展開をやってみたかっただけでもありますがw
> 欲を言うなら、
>
> >植物に向かって謝らせたり。それだけでも十分変人なのに、彼女は死んだ生き物ーーつまり死骸までもを大切にした。あの事故の多い電信柱の前を通ったとき、車に轢かれた可哀想なポケモンの死骸を見つけると、彼女は駆け出して僕に埋めてあげようと言いだす始末である。
>
> 上の文のある段落で初めて窪塚さんの名前が出てくるわけですが、結構早い段階で「変人」というネガティヴな印象を与えるワードが出てきています。
> これは読者に「窪塚さんは普通じゃ無さそうだ」と警戒心を与える結果になっているので、後半の狂気的なシーンのインパクトが若干薄れているように思います。
確かに展開がある程度予想できてしまいますね。ありがとうございます。
>
> 上二つで言いたかったのは、後半の窪塚さんの狂気染みたシーンをさらに活かすために、直前まで窪塚さんをまっとうな人間に"偽装"しておいた方が面白いんじゃないか、ということです。
>
> 参考になれば幸いです(´ω`)
参考になりすぎてヤバイですありがとうございます!!
面白さを私ももっと追求しなきゃ駄目ですね。
ありがとうございましたっ!!
すっかり桜は散ってしまいましたが感想を。
ヒロイン(と呼んでいいのか……)の窪田さんは、一見勇敢で生き物への思いやりを持つ少女のような印象を受けますが、
その実態はとんでもない性質を持つ、狂人と呼ぶに相応しい存在だった、という展開が面白かったです。
欲を言うなら、
>植物に向かって謝らせたり。それだけでも十分変人なのに、彼女は死んだ生き物ーーつまり死骸までもを大切にした。あの事故の多い電信柱の前を通ったとき、車に轢かれた可哀想なポケモンの死骸を見つけると、彼女は駆け出して僕に埋めてあげようと言いだす始末である。
上の文のある段落で初めて窪塚さんの名前が出てくるわけですが、結構早い段階で「変人」というネガティヴな印象を与えるワードが出てきています。
これは読者に「窪塚さんは普通じゃ無さそうだ」と警戒心を与える結果になっているので、後半の狂気的なシーンのインパクトが若干薄れているように思います。
また、
>だが窪田結衣はとある事件を引き起こし、小学五年生のときに転校してしまった。それ以来彼女に会ったことは無いし、何の噂も聞かなかった。
同じ段落にこの文も入っていますが、これは別の段落へ移動させて、かつ引っ越した理由をぼかしてみると、より面白い展開になると思います。
上二つで言いたかったのは、後半の窪塚さんの狂気染みたシーンをさらに活かすために、直前まで窪塚さんをまっとうな人間に"偽装"しておいた方が面白いんじゃないか、ということです。
参考になれば幸いです(´ω`)
短めですが感想を。
私は「ゼルダの伝説」シリーズの中でも、64の「ムジュラの仮面」が一番好きです。
三日後に滅びてしまう世界の中で、人々はそれぞれの形で死と滅亡に向き合おうとします。
人によってその姿勢は多種多様ですが、どれもとても人間らしく、記憶に残るシーンばかりでした。
このお話も、回避できない滅びを前にした二人の心情をつぶさに描いたものになっています。
二人の安らかな語りと、行を追うごとに壊れていく世界の対比が、悲しくも美しい模様を描いています。
二人の死という結末は変えることができず、読者はかなり早い段階でその事実を知ることになります。
ずっと前にどこかで書いた記憶があるのですが、結末の読める物語というのは通例、つまらないものになりがちです。
しかし、このお話のように「結末(=滅び)を前提とした」形を取る場合は、結末が明確に、かつ動かしようが無いと分かっているほど、かえって強い印象をもたらします。
以前、同じように「滅亡を前にした人々」をモチーフにして一本書いて、今一つ綺麗に決まらなかった経験があるので、
いずれどこかでリベンジを決めてやりたい、そう思わせてくれるお話でした。
今後の更なるご活躍を期待しております(´ω`)
爆発音が聞こえる。
ダイゴさん。
どうしたの?久しぶりにそう呼ばれたな、ハルカちゃん。
ダイゴさんに会ったのは、ちょうど今の私くらいの時で、石の洞窟でしたね!
ああ、そうだね。真っ暗なところに手紙届けに来たのがハルカちゃんだったね。女の子一人ですごいなぁと僕は思ったよ。
続くコンクリートが崩れ落ちる音。
私、その時なんてかっこいいんだろうって思いました。一目惚れっていうんですかね、とにかく好きです。
ふふっ、知ってるよ。僕もハルカちゃんが大好き。
でもそれ以降、全く会えなくて寂しかったんです。だから川の向こうで会えた時は凄い嬉しかったんですよ!
ハルカちゃんが僕を好きでいてくれたから、とても嬉しいよ。
その頃からではないですよね?
知ってたのか。もう少し後だったけどね。でもとにかくハルカちゃんは僕のことを一人の男として好きになってくれたことは嬉しかったよ。
前にも言いましたけど、ダイゴさんを好きって言って、ダイゴさん以外のどこを見ればいいんですか。
ハルカちゃんは本当に人を見るんだね。世の中には人ではなくて、お金とか地位しか見ない人間が多いんだ。
異変に気付いた人々が次々に通報する。
それからカクレオンにぶつかった時は、道具くれましたよね。デボンスコープ、もう動かないけど。
ものはいつか壊れてしまうものさ。あれから長いこと動いたし、長持ちした方だよ。
でも私がダイゴさんからもらった初めてのプレゼントはあれなんですよ。だから大事にしてたんです。
そうだったの。もう少し気の利いたものをあげれば良かったね。
集まってきた人は、モンスターボールからポケモンを繰り出した。
次にもらったのも、トクサネのダイゴさんの家に行った時の秘伝マシンです。
あれ、そうだっけ?ハルカちゃんにはたくさんプレゼントしたから覚えてないな。
もう、ダイゴさんはどうして私の気持ちを考えてくれないんですか。女の子が好きな人から貰ったものは、全部覚えてるものです。
そうなんだ。やっぱり僕は幸せだな。こんなに好きな人に愛されてるなんて。
…愛してますよ。ずっと。初恋は実らないとか言いますが、私が好きになって愛した人は生涯でダイゴさんだけです。
それぞれ状況にあった技を指示する。
それから、グラードンと戦った時もカイオーガと戦った時も、ずっと側にいてくれた。私はダイゴさんが側にいてくれるだけで頑張れました。
僕は本当に何も出来なかった。空をみて現状を嘆くくらいしかできないのに、ハルカちゃんは惨事に立ち向かっていったね。なんて強い子だろうって思った。同時に勝てない、いつか負けるって思ってたよ。でもその頃から好きだったのかもしれない。ずっと気になってた。
だから私が帰って来るまで待っててくれたんですよね。凄い嬉しかった。
人だかりになっていた。
でもチャンピオンって黙ってたのは今でも思い出すとムカムカします。
前も言ったけど、怖かったんだよ。ハルカちゃんが僕自身を好きになってくれても、チャンピオンっていう地位に目移りしちゃうんじゃないかって。
だから私はダイゴさんの元カノじゃないんですから!ダイゴさんの役職を知ったところで、目移りするわけないじゃないですか!それに…
上空にはヘリコプターが飛んでいた。
何も言わずダンバルおいて行っちゃうし!
だからちゃんとエントリーコール出たじゃない。
出ればいいってもんじゃありません。おいてかれた私の気持ちはどうなんですか!
だからシンオウの珍しい石をお土産に…冗談だよ。知ってたから怖くて逃げ出した。僕は臆病だからハルカちゃんより弱い男なんて受け入れてもらえないんじゃないかって思ってたんだよ。
ずっと思ってましたが、ダイゴさんは考えすぎです。考えたことを話してくれないから不安になるんです。
そうだね。付き合うようになってから会話の数は増やしたつもりだったけど、やっぱり不足だったかい?
私は欲張りだから、ダイゴさんともっと話したかったです。ダイゴさんと恋人になれて嬉しくて、たくさんダイゴさんのこと知りたいと思いました。初めての夜は、最後までできなかったこと覚えてますか?
そんなこともあったね。あの時は僕も緊張しててね、隠すのが大変だったよ。
それでもこの状況は変わらなかった。
ダイゴさんがプロポーズしてくれた時は凄い緊張してたのを覚えてます。ダイゴさんは緊張すると物凄い早口になりますから。私の聞き違いかと思いましたもん。
そりゃあ緊張するよ。ハルカちゃんは解らないかもしれないけど、受け入れてもらえなかったら僕はただのロリコンじゃない。それに結婚した当時でさえ出来たから結婚したって散々陰口いわれてさ。3年後に一人目が出来た時は僕の容疑も晴れて嬉しかったな。
妊娠したって一番喜んでくれましたよね。不安で仕方ない時もずっと励ましてくれた。そのことを友達に言ったら、有り得ないって言われたんですよ。
えっ、なんで?
旦那がそんな優しいのは有り得ないんだそうです。
そうなの?だって僕がハルカちゃんの青春を全部持って行っちゃったようなものなのに、優しくしないのがおかしいと思うんだよなぁ。
ダイゴさん。だから私はダイゴさんが好きです。初めて会った時からずっと好き。
ありがとう。僕も大好きだ。ハルカちゃんが僕の妻で、とても嬉しい。
さらに人は集まるが、事態は一向に収まらない。
子供が大きくなって、ポケモンが欲しいって言われた時、ユウキに頼みましたよね。ユウキは自分の子供の面倒も忙しいのに、大変そうでしたよ。
ああ、ユウキ君には悪いことしたね。いきなりポケモンが欲しいって言って、困らせた。けどお世話になってるからって最優先で用意してもらえて。僕はとてもいい人たちと知り合っているんだね。
あの子たちも大きくなって、世界大会まで行きましたね。やっぱりダイゴさんの子なんだなぁって思いました。
ハルカちゃん、自分の功績も忘れないでね。ハルカちゃんも強いよ。僕たちの子だもの、強いに決まってるさ。
「父と母がいるんです!」
私たちを必要としない年齢になった。ポケモンたちも支えてくれる。
もう行こうか。僕たちはここに留まってはいられない。
ねぇダイゴさん。世の中にはどんなに愛し合っていても、最期は一人だって言うじゃないですか。私は違う。最期の瞬間までダイゴさんの隣で、ダイゴさんの顔を見て。
僕も同じだよ。最期の瞬間に愛してる人を見ながら死ぬことが出来る。残された方はこんな事故で悲しいかもしれないけどね。
あなた。
ハルカ?
ううん、やっぱり何年経っても、ダイゴさんはダイゴさん。呼び方が変わっても、ダイゴさん。
そうだね。ハルカちゃん。僕たちはずっと一緒だ。…もう行こう。ここではないどこか遠くへ。幸せな人生だった。だからこそ次の人たちも幸せであるように。
はい。ダイゴさんと一緒で、私は幸せでした。
リニアが爆発した。ほとんど原型を留めずに散っていた。
テロと思われたが、原因は整備不良によるもの。
乗客乗員全員が死亡。大惨事に連日新聞のトップを飾る。
その中に大企業デボンコーポレーションのトップとその夫人がいたことは、マスコミがいち早く嗅ぎ付けたが、その子供たちは毅然と彼らを避けたという。
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スパコミで手に入れたダイハル小説があまりに感動しすぎて、その勢いで書いたもの。
【好きにしてください】
やぶ蛇とはこのことだろうか。ゴーヤロック神に「ダイゴさんくださいいい!!!」と頼み込んだら、同じようで神の方が深く読み込んだダイゴさん像ができていた。しかしこのままでは引き下がれない。一度消えたこの話、もう一度書くべし。評価なんぞ知らん。書きたいからかく。
前書き:ロンスト「流星をおいかけて」の前の話。読んでなくても解る。
平日の穏やかな晴れの日は、道行く人もまばらだった。春の風がダイゴのスプリングコートを撫でる。首筋から入る風に、思わず身を縮めた。春とはいえジョウトはまだ肌寒い。薄い手袋では指先が冷たい。
それでもこの大きな川沿いの道が一番好きだ。人でごった返していないし、野生のポケモンをたまに見ることができる。都会の鬱蒼とした人の中にいると、息が詰まりそうになる。対岸では暇なおじさんが釣りやゴルフをしていた。ガーディの散歩をしている人もいる。
ダイゴは足を止めた。まだ平日というのに真新しい制服を着た女の子が川を見つめて座っている。
「こんな時間からサボりかい?」
なぜ声をかけたのか解らなかった。ただ何となくかけなくてはいけないと思った。ダイゴの声に、女の子は顔をあげる。横から見たときは気付かなかったが、左頬に大きなガーゼがあって、涙で濡れていた。
「学校はどうしたの?」
「行かない」
手に握られていたくしゃくしゃになった紙を見せて来た。その要約はーー二度と来るな。
「またどうして?」
ただ黙って女の子は座ったまま左側にあった石を掴む。ダイゴは信じられなかった。その体格からは想像できないくらいに強い力で石は飛んだ。そしてそれは普通の人間ではとても届かないような川幅を越えて対岸にめり込む。
「普通の人は対岸に石なんて届かない。届く私は異常なんだ。異常だから必要ないんだ」
たまにポケモンと同じような力や特性を持つ人間がいるとは聞いたことがあった。集団行動を好む学校からすれば、こんな強い力を持つ人間は不穏分子でしかないのだろう。
ダイゴは黙って足元の石を拾う。手首をひねってそれを投げた。水面に落ちるとぱしゃんと跳ねて、生き物のように水上を進む。そして対岸の草むらに消えて行く。
「向こうに石が届くのが異常なら、僕も異常だね」
驚いたように女の子がダイゴを見上げていた。
「こんな真っ昼間から君を見てる先生は授業中だ。つまり君がどこ行こうが関係ない。それにもうすぐお昼だ」
ダイゴの差し出す手を掴んだ。その時、初めて彼女が笑った。
昼間から制服を着た中学生の女の子を連れてる男は、不審者とうつっているようだ。コガネシティですれ違う人の視線が言っていた。けれどダイゴは気にもせず、たわいのない話をしながら歩く。そして都会の中の静かなレストランへと入った。
「そういえば君の名前聞いてなかったね。僕はダイゴだよ」
「ダイゴさんですか」
彼女の視線はやや下を向いた。そして消え入るような声で話しだす。
「私は……その、ガーネットです」
「へぇ」
宝石や鉱物の話になると聞く名前だ。それが人の名前になると、ガーネットの反応を見る限り苦労してきたのだろう。
「変な名前なのは解ってるんですけど、生まれた時からこの名前ですし」
「いや、いい名前だよ。努力、友愛、勝利を意味する石だ。赤く燃える美しい色をしている。気高い宝石だね」
「あっ……そう、ですか?」
少しだけガーネットの顔色が明るくなった。
「うん。僕はそう思うな。僕の友達がね、宝石の名前を持つ子はとても大切な役割があって、どんな困難にも立ち向かうんだと言ってた。古いホウエンの昔話なんだけどね」
「ホウエン?」
「僕はホウエン地方に住んでるんだ。普段はポケモントレーナーをやっているんだけど、たまにこうしていろんなところに出向くんだよ。ガーネットちゃんはホウエンに来たことあるかい?」
「ないです。私のお父さんもトレーナーなんですけど、あちこちの大会にいっててほとんどいませんし、お母さんは仕事に行ってるので」
「なるほど。ホウエン地方はね、とにかく海が綺麗なんだ。家の近くの海も、ポケモンが多くてね。緑も豊かでね、とにかくおいしい木の実が多いんだ。一度来てみなよ。本当にいいところだから」
「私のお父さんもホウエン地方の出身らしくて、昔はそっちに住んでたらしいんですけどあんまり覚えてなくて」
料理が運ばれてくる。デミグラスソースの乗ったおいしそうなオムライスが二人分。スプーンを左手で取るガーネットを見て、ダイゴもスプーンを持った。彼女はちゃんと食べるか気になったが、心配は無用のよう。
「ガーネットちゃんの名前は、その昔話にあやかってつけたのかもね」
「へ? 昔話ですか? 宝石の名前ってやつですか?」
「お父さんがホウエンの人なら知っててもおかしくないだろうしさ。紅玉と青玉という名前を持った人たちがいてね、その人たちは陸と海とつながっているっていう話だよ。今で言えばルビーとサファイアって名前かもしれないし、違う国の言葉での名前かもしれない」
「ルビー、ですか」
「そうだよ」
「私が生まれた時、お父さんはルビーにしたいって言って来たらしいんです。でも突然、絶対だめだ、っていきなり言い出したらしくて」
「ああ、やっぱりその話を知ってるのかもね」
「だからって、こんな名前ないと思ってたんですけど、ダイゴさんが初めていいって言ってくれたし、少し自信もてました」
普通に笑うんだな、とダイゴは思った。中学生にしては淀みきった顔だったのに、今では年相応の女の子にしか見えない。
それにしてもただ力が人より強いというだけで、学校が来るなと言うのだろうか。それと頬のガーゼのことも。出会ったばかりで深くは聞けない。話したくなるまでは聞かない方がいいとダイゴは思った。
食後のコーヒーを飲む頃には、すっかり打ち解けてしまっていた。初対面であるはずなのに、そんな事を思わせないくらいに。ガーネットはフルーツの乗ったおいしそうなケーキを食べている。それを正面からダイゴは見ていた。じろじろ見ていたら失礼かなと目をそらすけど、自然と彼女も見ている気がする。そして目が合うとガーネットの方からそらした。
「もうこんな時間なんだね」
ダイゴは左腕にしている時計を見た。すでに午後2時になってしまっている。
「ガーネットちゃんは家に帰るんだよね」
帰りづらいのだろう。ガーネットは今までのテンションから一段落ちたトーンで話す。
「あんまり帰りたくないです」
「けどちゃんと今のことは話さないとね。一緒に説明しよう。きっと解ってくれるよ」
店を出る。小さな子供と歩くように、ガーネットの手を握って。すれ違う人々は相変わらず怪訝な視線を向けるけれど、二人は気にしていなかった。
不審者を見るような目で見られる。それはそうだ。娘が知らない男を連れて来て、親が警戒しないわけがない。特に父親が見る目は、敵を近づけまいとする目だった。その警戒を解くには、まずダイゴは自分から情報を出す。
「ホウエンでポケモントレーナーをしているダイゴと言います」
「これはどうも。私はトレーナーのセンリです。それで、ホウエンのトレーナーがうちの娘に何のようですか」
「川原で会いました。さっきのことですよ。僕はそれを伝えにきました」
センリに伝えるのは、ガーネットのこと。学校のこともそう、特性のこともそう。トレーナーがポケモンを語るのと同じくらいにダイゴは話す。事件のことは知っていたが、ガーネットに来た紙は知らなかったようだ。
話して行くうちに、センリはかなりガーネットの特性のことは注意していて、絶対に人を叩いたり掴んだりしてはいけないと言っていたことが解る。それが例え嫌なことを言われても、絶対にダメだと。それなのに……
「集団で金銭を?」
「カツアゲっていうのかな。新入生だからやりやすいのだろうって学校の先生も言っていたね」
生徒を正しく指導できない学校ではよくあること。集団で自分より大きな人間に囲まれ、銀色の刃で斬りつけられて、どんなに禁止されていてもそうするしか自分の身を守れなかった。見た目からは全く想像できない力で、一人一人を殴り、骨を折って戦闘不能にさせる。
その時のガーネットは必死だったのだろう。左の頬から血が流れてることも気付かなかったと言った。自分の血か相手の血か解らないけど、床は赤く鉄の匂いがしていた。物音に気付いた先生が来た時には、ガーネットはそこに立ち尽くしていた。
「とにかく娘がお世話になったようで。どうもありがとうございます」
これ以上は出会ったばかりの人間が関わることではない。ダイゴは一礼すると玄関に向かう。ノブに手をかけると、それは勢いよく外に開いた。
「ただいま!」
ダイゴは目を疑う。ガーネットを一回り小さくしたような女の子が入って来たのだ。
「あれ、おきゃくさん!? こんにちは!」
使い込まれたランドセルを背負って、にこにことダイゴを見ている。ガーネットの妹で、くれないという名前らしい。すっと家の中に入って行く。
「くれないちゃんとそっくりなんだね」
「違いは身長と性格だけってよく言われます」
さっき家に入ったばかりのくれないは、ダイゴを見送るようにガーネットの隣にいた。見送るというのは口実だろう、どちらかといえば姉の側にいたいといった感じだ。
「じゃ、僕は帰る。今日は楽しかったよ、ありがとうねガーネットちゃん」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
ガーネットが一礼する。それに倣ってくれないもお辞儀をした。
「あの、また会えますか?」
「そうだね」
ダイゴは鞄から予定の書かれた手帳を取り出す。
「もう少しジョウトにはいるから、また会えるかもね。よかったらこれが連絡先だから、渡しておくよ」
この日はそうして別れた。くれないが最後まで嬉しそうな顔でダイゴとガーネットを見ていた。
ジョウトでの用事は忙しく、コガネシティからエンジュシティを往復する毎日だった。空いた時間をみつけては、観光のためにスズの塔や焼けた塔の近くまで行く。スリバチ山を歩いて気に入った石を集める。
石はその土地の神様が宿っているという。だからこそ持ち帰ってはいけないと言われていた。それを信じるわけではないが、どうしても気に入ったものは手に入れたくなってしまう。
ダイゴは半分あの時のことを忘れかけていた。石をながめ、ジョウトに来た時のことを思い出していた。突如、突き上げるようにガーネットの顔が浮かぶ。予定は空いている。帰るまでにもう一度会っておきたい。ダイゴはモンスターボールを取り出した。鋼の翼エアームドがあらわれる。
コガネシティに降りると、わずかな記憶を頼りにダイゴは歩き出した。一度行っただけだが、何となく道は覚えてる。この川を上流に沿って歩いて、そしてウバメの森が遠くに見える橋を……
「なにするのよ!」
激しく言い争う声が聞こえる。
「俺たちにこんなケガさせといて、なんでお前が平気で歩いてんだよ! 金くらいだせ」
白い包帯を巻いた集団が、女の子の髪を引っ張っている。
「こいつ校長にもう二度と人を殴らないって誓約書かかされたんだぜ」
抵抗しない相手を殴りつける。それが上級生のすることなのか。
「エアームド」
鋼の翼から風の刃が飛んだ。数人の髪の毛を切り落とし、空へ消える。
「うわっ!」
「なんだ!?」
「んだよおっさん」
振り向いた不良たちがダイゴに気付く。
「ダイゴさん!?」
驚いたようなガーネットの声がした。
「知り合いかよ」
「うぜえよおっさん、ナンパに」
再びダイゴは命令する。エアームドは固い翼を振り切った。エアームドの抜けた固い羽が地面をえぐりとって落ちる。
「ナンパって言うのね、誘う側を不快にさせないことを言うんだよ」
ポケモントレーナーがポケモンを使って人間に攻撃することなんてまずない。不良たちもそうくくっていたから、ダイゴの行動には誰もが黙った。
「と、トレーナーのくせに」
「そうだそうだトレーナーが人間攻撃したら」
ポケモントレーナーが意図的に人間を傷付ければ、その資格は簡単に剥奪される。そんなことは常識だからこそ、不良たちはダイゴを挑発したのだ。
「……想像以上に頭の悪い人間っているんだね」
もう一つボールが開く。そこから出て来たのは土偶ネンドール。目のようなものがたくさんあり、その場が静かになる。
「ポケモンは攻撃するだけじゃないんだよ。お家に帰って、パパやママから常識を学んでおいで」
ネンドールはダイゴの意図を汲み取った。まばたきしている間に不良と共に姿は消え、数秒後にネンドールだけダイゴの元へと戻ってくる。
「大丈夫かい?」
ガーネットは何が起きたか解ってないようだった。誰もいないことを確認して、ダイゴの顔をみた。
「いや、あの、ダイゴさんまさか・・・」
「ああ、彼らはそれぞれの家に帰しておいたよ。大丈夫だ、あれなら傷付けたわけじゃないから責任は問われない」
ネンドールとエアームドがボールに戻っていく。そしてガーネットを抱き起こした。
「一緒に帰ろう」
ガーネットは何も言わず下を向いてダイゴの少し後ろを歩く。ダイゴが声をかけても、生返事しか返ってこない。
「さっきのやつ」
ガーネットが消え入りそうな声で言った。
「昨日家にも来ました。親つれて、こうなったのは私のせいだから治療費はらえって、なんで私はこんなにまでされても何にもできないんですか?」
ダイゴは何も言わずポケットからハンカチを取り出して、ガーネットの涙をぬぐう。彼女がハンカチをつかむと、肩を優しく叩いた。
「ガーネットちゃんは何も悪くない。あんなことされても我慢していたのは本当に偉いと思う。僕だったらできない。何があっても絶対に手を出してはいけないなんてことは、僕はあり得ないと思う」
「ダイゴ……さんっ!ダイゴさん!」
今まで押さえていたものを一気に爆発させたかのように、ガーネットが声をあげていた。小さな子をあやすかように、ダイゴはガーネットを抱きしめる。
対岸では暇なおじさんが釣りやゴルフをしていた。ガーディの散歩をしている人もいる。野生のペルシアンが川の魚を狙っていた。その後ろではニャースが見ている。どうやら子供に狩りを教えているようだ。
その様子を見ながら、ダイゴはガーネットと一緒に川原で話していた。いつの間にか世間話になっていて、あのことなどなかったかのようだ。
「ダイゴさんってポケモントレーナーなんですよね」
「うん、そうだよ」
「ポケモンってかわいいですか?」
「かわいいよ。愛情をこめた分、期待に応えてくれる。言葉は話せないけど、僕にとっては人生のパートナーだ」
自分のポケモンを持っていないとその辺りはいまいちピンと来ないのだろう。ガーネットは目の前のポッポを見て、不思議そうな顔をしている。
「そうだ、ガーネットちゃんもポケモンもってみたらどうかな?」
「えっ、私育てたことないですし」
「大丈夫、ポケモンだって色々いて、懐いてくれる……そうだ実家にエネコっていうかわいいピンク色の猫がいるんだけど、どうかな?」
「そんな、もらっちゃ悪いような……」
「大丈夫だよ。会社の近くにはよくいるんだ。大人しいポケモンだからすぐ慣れてくれるよ」
そうと決まったら。ダイゴは立ち上がる。
ポケモンセンターでエネコの入ったボールを受け取った。そして外に出ると早速ボールから出してみる。
「これがエネコなんですね。笑ってるみたいでかわいい」
喉をごろごろ鳴らし、エネコはガーネットに甘えた。エネコをおそるおそる抱き上げて、頭をなでている。ふんわりとした猫の毛がガーネットの腕に収まる。
「でも、もし力いれすぎてつぶしちゃったりしたら……」
「考え過ぎだよ。技もそんな強いの覚えないから扱いきれなくなることはないよ。大切にしてね」
「はい。ありがとうございます」
ガーネットはとても嬉しそうだった。ダイゴからの贈り物、それを今までで一番大切というように。
完全には打ち解けきれてないコンビではあった。帰り道、エネコはずっとガーネットの後ろをついていく。主人だと認めているかは解らない。途中、目につくもの全てに飛び掛かろうとしたり、ガーネットの髪にじゃれつこうとしたり、それはもうイタズラの大好きなエネコだった。
「おかえり!」
家につくと、元気よく向かえたのはガーネットの妹のくれないだ。身長差がなかったら、見分けはつかないだろう。
「あ、おねえちゃんのせんせい!」
ダイゴに向かってそう言った。くれないからはそう見えるようだった。けれど興味はダイゴからすぐに違う方に行く。そう、エネコだ。
「かわいいーーー!!おねえちゃんどしたのそのこ!」
「エネコだよ。ダイゴさんからもらったの」
エネコも大きな声にひるんだが、くれないに捕獲され、なで回されては逃げ場はない。
「ねえねえおねえちゃん、エネコかうの!?かわいい!」
頭をなで回され、細い目で一生懸命助けてくれと訴えてるようだった。
「くれないちゃん、エネコはぎゅっと抱くんじゃなくて優しく抱いてあげて。それから喉を撫でてあげると喜ぶよ」
「え?そうなの?」
ダイゴに言われた通りに抱くと、先ほどの苦しそうなエネコの顔から、普通のエネコの顔に戻る。
「わあ、ほんとうだ。きもちよさそう!」
エネコはくれないの腕の中でゴロゴロと喉をならしていた。
「エネコまで区別ついてないのかな」
ガーネットが小さく言ったのを、ダイゴは聞き逃さなかった。
明日にはホウエンへ戻る。長い休暇が終わり、また現実へと戻るのだ。帰ってしまう前に、一言つたえた方がいいだろうとダイゴは道を歩く。
家の近くまで来ると、ガーネットがギャロップを連れた同い年くらいの女の子ととても楽しそうに話している。最初はダイゴのことを気付いていなかったが、視界に入ると大きく手を振った。
「ダイゴさん!こんにちは!」
「やあ!こんにちは。ガーネットちゃんのお友達かな?凄い立派なギャロップを連れてるね」
角は太く、蹄は固そうだ。そしてなにより燃え上がるようなたてがみ一つ一つが美しい。撫でようとしたら、ギャロップに睨まれてしまった。
「はいそうです。ネネが言ってたトレーナーさんですよね!私はキヌコです。ネネと小さい時からの友達!」
とても嬉しそうにキヌコは今度から一緒の学校に通えると話していた。ダイゴはそれを聞いて安心する。この短期間ではあったけど、妹のように思っていたガーネットと仲良しな子が同じ学校へ通う。誰にも助けを求められない性格だからこそ、キヌコの存在は救いに思えた。
「あ、ディザイエの散歩の途中だから、じゃね」
キヌコはギャロップを連れてそのまま去っていく。最後までギャロップはダイゴを睨んでいた。
「ダイゴさん、キヌに先越されましたが、私は転校できることになったんです!」
「うん、みたいだね。仲良さそうなお友達だね」
「はい。中学が別で不安だったけど、一緒になってよかった!」
ガーネットはとても嬉しそうに話している。何も進まず、完全につまったかのように思えた現状は、とてもよい方向に向かっているようだ。
「良かった。僕も心置きなくホウエンに戻れるね」
「あ、そうか……」
少し曇りかけた表情を隠し、笑顔でガーネットは続ける。
「ダイゴさん、ホウエンのトレーナーなんですよね。あの、連絡してもいいですか?」
「いいよ。次は夏にジョウトに来る予定なんだけど、その時また連絡するよ。その時また元気な顔みせてね」
「……はい!」
ガーネットはダイゴに手を振る。ダイゴはまたね、と言って笑顔で去っていく。まだ春の寒い日だった。
ーーーーーーーーーーーーー
そして流星プロローグへ続く
初恋は実りません。
ゴーヤロック神に勝負を挑んだ事自体が間違ってると言われても気にしない。かきたいものをかくんだ!
【好きにしてください】
今日も、 皆が、 誰も見ていないところで、
静かに、でも確実に
それを吐くのです
『最悪』
『消えて』
『死ねばいいのに』
思わず耳を塞ぎたくなるような言葉の数々。だがあえて塞がないのは、それらを戒めることが出来ないからだろう。自分は吐いたことがないと、どうして証明できようか。
こういう時、毒タイプを嫌えない。街中に生息し、ゴミを漁ったり汚い跡を残していくことで人間からは度々非難の的になる。
だけど。
掃除をすれば消えるそれと違って、人間が吐く毒はナイフのようだ。
一度飛んでいけば何かに突き刺さるまで速さは落ちない。
突き刺さって止まっても、傷はジクジクと痛む。すぐには治らない。
「……『めんえき』が、必要かな」
だが、人間の『ダストシュート』を防ぐ方法を、私は知らない。
誰も、知らない。
都心部から離れた築数十年経つアパートのある一室。男は、もう何日も干していない古い布団に、着替えもせずに倒れ込んだ。服装は、仕事に行くときのまま、スーツのままで全身の力を抜く。
「もう、限界だ」
誰に話しかける訳でもなく、男はそう呟いた。
時刻は夜の十一時。平日の真只中。朝七時に出勤したにも関わらず、帰ってきたのは真夜中。当然のように、明日も同じ時間にアパートを出なければならない。休日は週に一度。まだ二十代の若者は、とても厳しい環境で働いていた。
給料も少なく。ボーナスも余り出ない。そして自分の時間を確保することが叶わなかった。貯金も出来ない、趣味に金を浪費する余裕がない。良い女と仲を深める時間もないし、たまの休みはひたすら体を休め続け、また働く。そんな虚しい毎日の繰り返し。
このままでは、いずれ潰れてしまう。
仕事を変えようか。しかし、先ずは転職先を決めなければいけない。
頭の中で葛藤する男。そんな彼に、話しかけてくるポケモンが居た。
「夜遅くに失礼します。お困りのようですね」
外見は灰色。人間に似た大きな手、目は一つで大きな体。胸には閉じてはいるが大きな口があるポケモン、ヨノワールだ。噂では、その姿を人前に見せた時、あの世に導くポケモンと言われている。
窓を開けもせずに、男に断ることなく部屋に侵入する。
「勝手に、僕の部屋に入らないでくれるかな」
「失礼しました。でも、あなたの手助けが出来るかと」
男は、起き上がりもせずに頭だけを動かしヨノワールを睨みつける。彼には全く恐怖心がない。動くのも辛い程の疲労が、恐怖をかき消しているのだ。
「手助け。お迎えかい? 僕はもう直ぐ死ぬから、こうして迎えに来てくれたのかな?」
「まさか。あなたはまだまだ長生きしますよ。ゴーストタイプである私が保障します」
「じゃあ、手助けってどういうことだ?」
「簡単です。あなたの辛い思い出を食べてあげるのです」
男は眉を寄せる。
「よく分からないよ。君が言っているのはゆめくいをするということだろう? なのに、何故辛い思い出を食べようとするんだ。普通、良い思い出を欲しがるんじゃないか?」
「確かに素敵な思い出は美味です。私にとっては極上のご馳走です。しかし、人間だっておいしい食べ物ばかり食べていては飽きてしまうでしょう。ポケモンだって同じです。美味しい物も良いのですが、たまには苦いものも口にしたいのです」
ヨノワールは、見た目よりもずっと紳士な態度で言う。
「失礼ながら、あなたの行動はここ数日ずっと拝見させて頂きました。日の出と共に起きて直ぐ仕事着に着替えて家を出る。自分の身を削り、何時間も働く。昼食はお金がないから、おにぎりとペットボトルのお茶のみ。お昼休みはたった四十分。昼を過ぎてからも働き続け、気づけば辺りは真っ暗。同僚や上司はさっさと帰宅してしまうのに、あなたは仕事を残してはいけないとサービス残業。そして誰もが家に帰り就寝する準備を終えた頃に帰宅。あなたの上司は責任感がない方です。普通部下はさっさと帰らすのが普通でしょう。それなのに、仕事を上手く割り振らず、自分は有能な上司だと信じて疑わない無能です。潜在能力で言えば、あなたの方がよっぽど努力家で人の上に立てる人間――いや、これは関係ない話ですね」
こほんと間をあけて
「ともかく、あなたはもう少し救われるべきです。ポケモンという立場でありながら、私は同情しました。最近裕福な夢ばかりを味わっているので、たまにはと思っていたのです。是非、あなたの今までの辛い夢、食べさせてくれませんか?」
男は考える。人というものは、楽しいことはあっさり忘れてしまうというのに、辛いことは時々脳裏に浮かんでくる生き物だ。幼い頃につい出来心でしてしまった悪さ、思い出すのも恥ずかしい黒歴史、そして現在のような苦痛。それらを忘れることができるとしたら、どんなに素敵なことだろう。体の疲れは寝れば取れる。しかし、心の疲れは簡単には取れることはない。
けれど、見返りなしということはないだろう。
「悪くない話だ。でも、僕は君に何をあげればいい。当然、ただでできるなんて甘いことはないだろう」
ヨノワールは心配なく、と呟く。
「いいえ、対価は取りません。私はあなたを気に入ったのです。いつもなら寿命より早めに霊界へ――と言うところですが、今回は何も求めることは致しません。あなたの失敗した時にできた辛い記憶、今まで蓄積した苦い思い出を綺麗さっぱり食べてあげましょう」
「本当に? 僕を騙そうとしていないよな?」
もし事実なら、魅力的な話だと男は思った。嫌なことを忘れることができる。どんなに楽しいことがあってもふと頭に浮かんでくる苦痛な記憶。それらを、綺麗さっぱりと消してくれるというのだから。
「ポケモンは、人間よりずっと正直者ですよ。あなたの辛い思い出を私が食す。それで私が満足する。それで対等です。その後何も求めることはありません。あなたも私も得をする。良い取引だと思うのですが」
「いや、僕としては是非お願いしたい話だ。直ぐにやろう」
「ありがとうございます。こうして了承を得てからゆめくいをするのは気分がいいものです。無理に食事をしても後味が悪いですからね」
ヨノワールはそう言うと、手を使わずに寝そべっている男を起こす。サイコキネシスで浮かされた男は、最初は慌てたものの大丈夫ですと、ヨノワールに宥められて大人しくなる。声からしてヨノワールは雄だったが、体を弄られるのは悪くない気がした。男は、つい先程まで全く他人だったポケモンに親切にされ、自分の祖父を思い出した。両親言いつけを破り、家から追い出された時、誕生日に欲しいゲームソフトを買ってくれた時、男はいつも近くに住んでいた祖父に甘えていた。自分の親よりも、祖父との思い出の方が濃いかもしれない。あれは間違いなく良い思い出だ。他人からの愛情を受けていない男は、ヨノワールの些細な一言で歓喜余ってしまう程に疲れ果てていたのだった。
祖父との思い出のような綺麗な思い出だけが心に残ったら、どんなに幸せだろう。寧ろ、そうして悪いことがあるのだろうか。
ヨノワールは、腹にある大きな口を開く。桃色の舌が男に少しずつ近づいていく。
「では、あなたの苦痛な記憶、思い出を頂きます。ゆっくり目を閉じてください」
最早、男に抵抗する気はない。彼は、言われたままに目を閉じる。独特な舌が男の頬に触れる。一瞬寒気が走ったが、直ぐに気にならなくなる。途端に、段々と男の意識が遠退いていく。
「またいつか会いましょう」
それが、ヨノワールの最後の言葉だった。
翌朝、日が昇る前に男は目を覚ました。
服装はそのままだが、きちんと布団に入り熟睡していた。気を失った後、ヨノワールがベッドまで運んでくれたようだ。時刻を確認してみるとまだ五時半だった。しかし、やけに目覚めがいい。
昨日は、まるで夢を見ていたみたいだった。本当に、辛いことをさっぱり忘れてしまったのだろうか。
あまり実感が湧かない男だったが、直ぐに自分の変化に気がついた。
体が軽い他に、心境が変化している。胸の中に詰まっていたものが綺麗さっぱりと消えてしまったようだ。昨日だって、些細なミスの責任者としてたっぷりと怒られた。そのことは覚えている。しかし、あの瞬間に感じた苦痛というものがまるでない。そもそも何故自分は怒られたのか、まるで覚えていない。
昔のことを思い出してみる。小さな頃は外でも家でも沢山遊んだものだ。家の隣に住んでいた可愛い女の子。道ばたで怪我をしたときにおんぶをしてくれた近所のお兄さん。どれも大切な思い出だ。じっくり記憶を辿る。すると、ところどころにぽっかりと穴が開いている気がする。まるで意図的に、その部分だけごっそりと抜き取ったような、そんな感じ。
間違いない。昨夜ここにはあのヨノワールがいたのだ。そして本当に辛い思い出・記憶を食べてくれた。
辛い記憶が胸に詰まっていないことがどんなに楽か、男は身を持って知ることができた。山登りをする際に背負っていた重たい荷物を捨ててしまったみたいに、心が身軽になっている。辛いこと忘れてしまうということは、とても気分がいい。
男は、晴れやかな気持ちで着替え始めた。こんな爽快な朝は久しぶりだ。久しぶり喫茶店でも行き朝食でも食べようと思った。
「おはようございます」
「おはようございます、男さん」
男は、近所の喫茶店でモーニングを済ませ、少し早めに会社に出勤した。同僚に挨拶をしながら自分の席へと座る。同時に、同じ歳の女性社員に話しかけられた。
「昨日は大丈夫でしたか? 男さん、随分落ち込んでいましたけど」
「昨日?」
男は首を傾げた。
「そうですよ。昨日凄く上司に怒られていたじゃないですか。しかも理不尽に。私達も悪いのに狙ったように男さんだけを叱るなんて。男さん半泣きのまま帰ってしまうので、皆で心配していたんですよ」
ああ、と男生返事を返す。その記憶は、つい先日抜かれてしまったので何も覚えていない。だから気を遣われても逆に困ってしまう。同僚の女性社員は平然としている男を本気で気遣っているようだった。
男は言う。
「ああ、もうあのことは良いんです。いつまでもくじけていてはいけませんから」
「強いんですね。でも良かった、あんなの気にすることはありませんよ。今日は食事に行きませんか? 私、奢りますよ」
女性社員は、声を小さくして男の耳元で呟く。
「それは、二人きりで?」
「ええ」
男は冷静に対応するつもりだったが、思わず笑みがこぼれてしまう。普段からこの女性社員とは仲良くしているが、こんなことは初めてだった。久々に良いことが男に訪れる。男の中には苦い思い出がない分、嬉しさが直に心に来る。
「じゃあ、仕事が終わったら駅で飲みましょうか」
「そうしましょう」
さり気なく約束を交わした二人は、それぞれの持ち場で仕事を始めた。今日すべきことを早めに終わらせて早めに帰るためだった。
黙々とやるべきことを終わらせていく。男の効率はとても良くなっていた。心に引っかかることが何もないからだ。仕事は確かに楽ではないが、やり慣れた内容なので問題なくこなすことが出来る。
気分は爽やかだった。彼は改めてヨノワールに感謝した。
その時、男はある中年の男に話しかけられた。
「男君。ちょっと今外せるかな」
それは、昨日男を叱った上司だった。
「はい。問題ありませんが」
男は座ったまま上司の方へ振り向いた。上司は少し苦い顔をしている。着いてきてくれと言い残して上司はオフィスの奥へ歩いていく。男は急いで立ち上がり、後を追いかけていく。
上司が入った部屋は、使用していない会議室だった。上司は男に空いている椅子へ座るように促し、男はそれに従う。
「昨日はすまなかったね。私もつい大人気なく怒鳴りすぎてしまった。ここのところ寝不足が続いていて、つい言い過ぎてしまったよ」
上司は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。もちろん男は、そのことを覚えていない。
「大丈夫です。もう気にしていません」
上司は驚いた。男は、本心で言っていることが分かったからだ。
「そうか。許してくれて良かった。しかし、今日はやけに明るいな」
「ええ、元気を出して仕事をしないと楽しくありませんから」
男の上司は、明らかに戸惑っていた。いつもあんなに気の小さい部下が、まるで手本のようにハツラツとした様子だったからだ。昨日とはまるで別人。中身が入れ替わってしまったようだった。
上司は、戸惑いながら何かを言い出そうとしていた。そんな様子を見た男も、自分の上司の異変に気づく。
「どうかしましたか?」
男の返事に上司は更にうろたえる。言うことがあるならどうぞ遠慮しないでくださいと、男は笑顔で返す。ますます上司は踏ん切りがつかなくなる。
数分ためらった後、上司ははっきりと述べた。
「男君、冷静に聞いてくれ」
上司は辛そうに言う。
「君は、今月でクビだそうだ」
男は、言葉を失った。
「君はあのプロジェクトの責任者だっただろう。あれが失敗し多大な損失が出てしまったんだ。それで、ついに社長が怒ってね。私は今朝きちんと反対したんだ。だが、なんとしても君を解雇すると」
上司の言葉は耳に入らない。
「君からきちんと辞めると言ってくれれば、退職金等はちゃんと出すということだ。私にはどうすることもできなかった。すまない」
今度は更に深く頭を下げるが、男は何も見てもいなかった。それよりも、またもや自分の体の異変に気が付いた。
辛い。会社から去れと言われて辛くない訳がないのは分かっている。しかし、心に残る傷の深さが尋常ではないことに、男は気が付いた。
彼から辛い記憶は確かに消えた。しかしそれは、未経験になるのと変わらない。誰でも初めての経験は良い事でも悪い事でも、本人には未知の刺激。つまり心構えができないのだ。男は、実は一度解雇された経験があった。しかしその体験もなかったことにされている。昨晩、あのヨノワールによって。
今の男は負の経験に対しては、一度も叱られたことがない子どもと変わりない。クビにされるというとても辛い出来事は、直接彼の心に突き刺さった。何も耐性がない男にとって、この痛みは計り知れない。
精神的な痛みは、とうとう男の体にまで異変を起こす。頭痛、吐き気、めまい、そして動悸が激しくなる。彼は胸を押さえて椅子から落ちた。側にいた上司が駆け寄り、大丈夫かと呼びかけるが返事を返すことができない。慌てた上司は、直ぐに会議室から飛び出して助けを求めた。
朦朧とする意識の中で、男はヨノワールにして貰ったことを後悔した。
同時刻、別の場所にヨノワールはいた。
大理石の床に磨かれた壁、天井からはシャンデリアが釣られている豪勢な部屋。大きな窓の側には、柔らかくて立派な部屋に座る中年の男性がいる。歳は四十を過ぎているにも関わらず体は引き締まっていて、腹に多少脂肪があるが全身に筋肉がついている。髪はワックスで固められ髭も剃られている。歳相応の、格好良い中年のおじさん。
その直ぐ側に、あのヨノワールはいた。
「どうだ。あれは持ってきたか?」
「はい。今回は、とても極上の夢を持って参りました」
「では早速夢を頂こうかな。金は、そこの机のテーブルに置いてある分で足りる筈だ」
「いつもありがとうございます」
ヨノワールは金が積まれた机に向かい、中年男の前で札束を数え始めた。時間をかけてじっくりと。そして確認を終えると、ヨノワールは頷く。
「確かに、指定した金額が置いてあります」
「なら良いだろう。今日はどんな夢だね」
「環境が悪い企業で、働き疲れ果てた青年の思い出です。これは、私が口にした夢の中ではかなりきつい
ものだと思います」
「それは楽しみだ。さあ早くその夢をくれ」
急かす男性に従って、ヨノワールはかしこまりましたと返事を返して行動を起こす。腹の口を開け自分の手を口に入れ、何かを取り出した。それは、不可思議な物体だった。手でつかめる程の球体で色は紫色、ヨノワールの手の中にあるその瞬間も、球体の中心ではドロドロと渦を巻いている。球体は、音も出さずに存在感を醸し出していた。
「数十年分の、辛い思い出です」
男性は身動きせずじっと座っている。ヨノワールは男性に近づき、球体の一部を米粒程の大きさに引きちぎる。それを慎重に男性の口の中へ入れた。
暫くの沈黙、すると男性が痙攣を始める。目を見開き口を大きく開けて全身を震わせる。喉からは嗚咽が漏れ、空中に手を差し出し何かを掴む動作をした後、直ぐに頭を抱えて悶えだす。数十秒その症状は続き、やがて男性は正常な状態に戻る。
肩で息をして激しい運動をしたように呼吸が荒いが、その表情には至福の気持ちが混じっていた。
「素晴らしい」
男性は、それだけ呟くと水を口に含んだ。そしてもう一度だとヨノワールに促す。ヨノワールは先程と同じ量をまた男性の口に含ませる。そして悶える。ただその繰り返し。
夢の球体が三分の一に減るまでそれは続けられた。もう今日は止めましょうというヨノワールの制止に男性は素直に従った。全身汗だらけで、ヨノワールに差し出されたおしぼりで顔を拭く。
「最高の時間だったよ。お前の主人は良い仕事をする」
「ありがとうございます」
ヨノワールは、深くお辞儀をした。
「これでまた記憶が入っていくのか。少しずつしか入れることができないのが残念だが」
「仕方ありません。これには何年分もの辛い思い出が詰まっています。一瞬でそれ程の負を取り込んだら、あなたはショック死してしまいますよ」
「分かっている。しかし人間というのは不便なものだな」
男性は、葉巻をふかす。
「私は産まれながらにして金はあった。将来は約束されていたし、同じ地位の友人も裕福でない友人もいる。しかし、辛い目に遭って来たことはなかった。高度な勉強も嫌いではなかったし、親戚と立場争いをしている訳でもない。友人にも恋人にも恵まれていたし、両親もまだ元気だ。だから辛い経験を少しでもしておかなければならない。世界有数の社長になったのだから、もっと失敗や苦悩を学んでおきたいんだ」
「分かっております。だから私の主人は、こうして私に苦い思い出を集めさせているのです。普段我々は、幸せな夢を売るのが商売です。しかしあなたは特別なお客様ですから、こうして少々危険なことをしているのですよ」
「分かっている。もう私も歳だし、忙しくて自分の時間があまりないからな。座ったままさま様な体験ができるなら、これくらいどうってことない金だ。寧ろ安いくらいだ」
「この続きは明日の同じ時刻で宜しいでしょうか?」
「ああそうしよう。今日はありがとう。いつも済まないね」
「いえ、これが私の仕事ですから」
そう言い残し、ヨノワールはケースに入れられた札束を持ち、いつも通りに姿を消した。
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いつも見てくれてありがとうございます。再び作品を置かせて貰います。
自分の人生思い返してみれば、辛い思い出の方が圧倒的に多く感じてしまいます。
フミん
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