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※残酷な表現があるかもしれません。
遠い日の記憶が甦る。
俺はガキの頃、奇妙なポケモンに出会った。
初めてみるポケモンなんて大抵は奇妙に見えるかもしれないが、あいつは本当に奇妙な奴だった。
頭にバケツを被り、誰かが近づこうものなら手に持つ鉄パイプをぶんぶん振り回して追い払おうとするんだ。でもバケツなんて被ってるから視界は最悪で、大抵の場合は自滅してワンワン泣いていた。
幼心に「こいつアホだなぁ」と馬鹿にして苛めてたりしてたが、ある日そいつは頭に被っていたバケツを壊してしまい踞って動けないでいた。
さすがに不憫に思い、俺は自宅から兄貴が使い古したバイクのヘルメットを持ってきてやったら、あいつはヘルメットを俺から強奪すると草むらに逃げていった。
恩知らずな奴だなと最初は腹が立てたが、あいつはどうにも素直になれない性格らしく、俺につきまといお礼を言うタイミングを伺っていたらしい。こちらからすれば苛めていたポケモンにストーキングされてしこたまビビっていたが、ある日、俺が野生のポケモンの群に襲われていたところに颯爽と駆けつけてくれて俺を助けてくれた。
それから俺とあいつは一緒に遊ぶ中になり、所謂トモダチのような関係になっていたのだろう。
時が経ち俺とポケモンマスターを志し、あいつを引き連れて武者修行の旅に出た。近所にポケモン博士なんて都合の良い人はおらず、御三家と呼ばれる初心者向けの人気ポケモンやポケモン図鑑とは縁がなかったが、俺にはあいつがいればそれだけで十分だった。
あいつはヘルメットに鉄パイプなんか装備しているから、他のトレーナーからはよく不振がられた。ポケモンバトルで実力を示せば大抵の場合は俺たちの存在を受け入れてくれたが、中には「インチキだ」「ヘルメットを外せ!」とか、勝負で負けた腹いせに因縁をつけるヤツもいた。
俺たちら小五月蠅いヤツ等を見返してやろうと、なりふり構わず戦い続けた末に、ポケモンリーグに挑戦する権利を得た。
しかし、そんな努力も水の泡。いざ参戦してみれば戦いを挑む前に小五月蠅い審判達に門前払いにされた。
障害のあるポケモンは、他所の部門に参戦してくれだとか、持ち物はポケモン一匹につき一つまでとか、まるで腫れ物のように扱われて、俺たちのポケモンマスターの夢は潰えた。
それから当てもなく旅を続けるうちに、俺たちはルール無用・何でもありな非合法の闇の地下闘技場に行き着いた。
そこは少なくともポケモンリーグよりは居心地が良かった。新しい見世物がやってきた!と冷ややかな歓迎だったかもしれないが、戦うことを認めてくれただけでも俺達には十分過ぎる。
勝つときもあれば、こっぴどく負けることも当然あるが、そこで戦い続ける内に観客も俺たちの実力を認めてくれるようになり、あいつも花形の一匹に数えられるようになった。
誰かに認めて貰えるってとても喜ばしいことだねぇ。でも持ち上げる奴等の中には、悪いおトモダチがいたりする。ポケモンリーグの大舞台に居たならまた違っていたかもしれないが・・・・・俺たちは糞溜めにドップリ浸かりながらヘラヘラ喜んでる間抜けだった。
それから俺たちは・・・・・・俺たちは・・・・・・
「がしゃがしゃがしゃがしゃ」
気がつくて薄汚れた白い天井が視界に入る。ここは病院の大部屋らしく、俺の横には壊れたラジオのようにうわ言を垂れ流す××支部の団員がいた。
ナースコールを押すと看護師が慌ててやって来る。ここは組織傘下の病院らしく、××支部の団員が多数入院しているようだ。
俺は一週間程意識不明だったが、目覚めた後は後遺症も見られず、すぐに退院できた。
他の団員は辛うじて命をとりとめてはいるが、昏睡したままだったり、精神に異常をきたし治療を受けている者が殆どで、重度の精神汚染を患った団員は、記憶の改変に特化した改造オーベム「脚本家」に頭を弄り回されているらしい。
俺以外に後遺症を発症しなかった奴は、部外者や新人ばかりで、司令室にいたあの間抜けなオペレーターは俺より先に意識を取り戻し「こんなヤベー組織に関わってちゃ田舎に残した母ちゃんと妹を泣かせることになりそうだから辞めます!」とか何とか言って、早々に脱退を希望したらしく、今頃「脚本家」とご対面しているだろう。
退院後に俺を待ち構えていたのは、怒濤の事情聴取と報告書の作成で退院前より体調は悪化したと思う。
××支部を強襲した骨を寄せ集めた傍迷惑な大怪獣は、頭の頭蓋骨を失ってもなお生き長らえた孤独ポケモン・カラカラが、視覚や聴覚に恐怖心を植え付けて威嚇する擬態能力(テラーエフェクト)を発現・攻撃に転用する事に成功した「ゆうれい」フォームとされる姿と結論づけた。
しかし、ガス状ポケモンすら通り抜けられない改造メタグロス「玄地八領」の絶対侵入不可領域「楯無」を、小型ポケモンが容易くすり抜けて通る事は絶対にありえない現象らしく、実は本物の幽霊ではないのかとも囁かれている。××支部の壊滅後、骨の虚像とカラカラの行方が一切掴めない点、××支部が過去に取り組んでいたテラーエフェクト再現計画が明るみになり、妙な噂に拍車がかかっているようだ。
俺たちを救出してくれた今回の立役者・改造フーディン「脱出王」は死亡した。
後に判明した事だが、テラーエフェクトを前にしたポケモンは恐怖のあまり技を出すことができなくなるハズなのだが、「脱出王」は恐怖に臆することなく、一世一代の脱出劇を最期まで演じきったのだ。
「脱出王」の開発者「ドクトル・ジョン・ピーチ」に話を聞いてみると、フーディン固有の特性・どんな攻撃を受けても怯まない不屈の「精神力」と、集団同時テレポートを実行する前に精神感応(テレパス)能力を広域化させて××支部の全団員と精神を繋げた事により、テラーエフェクトの本来抗えないはずの絶対的な恐怖感を瞬間的に緩和した可能性が考えられるらしい。
もっともテレポート成功直後には、全ての団員の精神と繋がっていた事が仇となり、途方もない数の恐怖が洪水のように流れ込みショック死したそうだ。さっさと一人で脱出すりゃ良かったのにな。
俺が引き受けていた任務「暮れなずむ人狩りの会」はどうなっていたかと言えば、俺の入院中に他の連中に引き継がれていたらしく、なんと件のキリキザンを捕獲する事に成功し、連中のアジトまで発見できたようだ。
復帰早々、俺の任務は「暮れなずむ人狩りの会」を一網打尽にする作戦となった。
今回の作戦の司令官は、キリキザンを捕獲した幹部の「白狼」で、俺は実動部隊の隊長を任された。手柄を横取りされたのは癪だが、まぁかったるい仕事なので早く片付くのであれば良しとしよう。
連中のアジトは意外や意外、××シティの団地だった。そこは南ブロック(1-6街区)・中央ブロック(7街区)・北ブロック(8-14街区)に別れた大規模な集合住宅地だが、現在は住民の半数以上が高齢者で老朽化の進んだ寂れたマンモス団地らしい。かつては夢のニュータウンなどと謳われていたらしいが、今となっては時代に取り残された限界集落ならぬ限界団地のようだ。
連中はそこに目をつけて、何らかの手法を用いて住民たちを洗脳し、いいように利用しつつ、都合の良い隠れ蓑にしている。
団地周辺をよく観察すれば、多種多様なポケモンたちがたむろっており、住民と共に団地を出入りしている姿もあった。住民の中にもいつの間にか蒸発した者も多数いるらしい。
奴等の手口は夕暮れ時、町と町を繋ぐ道路を行き交うトレーナーの中から品定めをして、狙いをつけた獲物を数に物を言わせて集団で襲いつつ、人気のない場所に誘い込んで殺害、洗脳した団地の住民を呼び出し、解体作業を手伝わせて、闇のルートに臓器を流しているようだ。流された臓器を購入し、徹底的に検査したところ不特定多数のポケモンのDNAと強烈な催眠波が計測されたらしい。
こんな物騒な品物を密売して何をしようというのか?なんとなく予想はつくが、こればかりは妄想であって欲しい。
ドクトル・ジョン・ピーチは早速人体実験に取りかかり、経過を観察しているが今のところは異変は観測されていないようだ。しかし博士はいつになくニタニタ薄気味悪い笑みを浮かべており、あの破廉恥な変態面を目の当たりにした日には、もう嫌な予感しかしない。
人狩りマニアの野良ポケモンが集う変態倶楽部とばかり思って馬鹿にしていたが、連中は本気で何かヤバイ事をしでかそうとしているようだ。
今回の指揮を執る「白狼」も俺と同意見らしく捕獲作戦は綿密に練られた。今回の戦場の舞台は寂れた団地とはいえ市街地のど真ん中である。下手をすれば世間に俺たちの存在が明るみになってしまうだろう。
会議を重ねに重ねて一週間が過ぎて作戦はいよいよ決行されようとしていた。
俺は部下たちに作戦のあらましを説明し、明日に備えて本部にある自室で準備にとりかかっていた。
ガシャガシャガシャガシャ・・・
聞き慣れた耳鳴りが近付いてきているように聴こえる。××支部の一件以来この耳鳴りは酷くなってきているが、音がするだけで馬鹿デカい大怪獣に襲われるような事はない。ただ、誰かに覗き見されているような妙な視線や気配を感じ、妙な幻覚が紛れ込む。体の内側に巣くうアンノーンたちとは別の何かだ。街中を行き交う人々の顔が醜悪に歪ませたり、群衆が一斉にこちらを凝視している。瞬く間に掌が血塗れになっていたり、ポケモンの死骸が足を引っ張る時もある。そして、ふと目の前に「あいつ」が現れては一瞬で消える。
病院にいた時は何ともなかったが、日に日に症状が悪化しているようだ。しかし病院に戻るのは面倒だし、これが今更病院の治療で治るとは到底思えないし、下手すりゃドクトル・ジョン・ピーチの新しい研究対象にされてしまう。それだけはごめん被りたい。
いっそのこと「脚本家」に糞みたいな記憶を全て取り除いて貰えば、この不愉快な症状も治まるかもしれないが、組織の改造ポケモンだろうと身を委ねるのは気が引ける。臆病なヤツだと笑われるかもしれないが、腹の底で何を考えているかわからない連中に、自分の弱味を見せたくない。「脚本家」を頼るのは、どうしようもなくなった時の最終手段だ。
明日に備えて早く床につくが、この音は決して鳴り止まない。何となく直感でわかる。あと何か、ちょっとしたきっかけで、俺の中で塞き止められている何かが決壊しそうな気がする。それが何かは考えたくもない。
◆
翌日の早朝、まだ日が昇らない暗がりの中、件の団地周辺の一角に大型トラックが一台停まっている。
トラックのコンテナの中には無数の通信機材と大画面のモニター前に座る今回の作戦を指揮する男「白狼」と精霊ポケモン・ネイティオが一匹いる。
俺たち実動部隊は40人で構成されており、俺を含めた30人が前線部隊で、残りの10人は後方支援部隊となっている。改造ポケモンを収納をしたモンスターボールだけでなく、ガスマスクや催眠術や洗脳といった脳に干渉する超能力を寄せ付けないアンチPSIヘルメット・光学迷彩スーツ・アサルトライフル等で武装している。戦闘は基本的にポケモン任せだが、手数は多いに越したことはない。
前線部隊は五人で一組となり六班に別れ、既に定位置に待機しており作戦開始の合図を待っている。
団地の敷地内には予め、カクレオンの細胞を移植して周囲の景色に溶け込む力を備えた改造ネイティ「天眼」の群を解き放ち、ネイティと視覚を共有し自分が見たものを念波に介してモニターに送信する改造ネイティオ「天眼通」の能力により、敵の動向を探りながら内部の様子を伺い、敵の本陣が北ブロックの13街区である事が判明した。
作戦は手始めに後方支援部隊が改造メタグロス「玄地八領」を解き放ち、内外問わずにあらゆる干渉を拒絶する結界「楯無」を起動する。
外野の乱入や獲物の逃亡を防止する不可視の壁で13街区を覆い尽くし、さらにゾロアークに幻影をつくらせて周囲の景色をカモフラージュ。戦闘に生じる騒音は、音を自在に操る改造バクオング「響」のノイズキャンセリング技法でカバーする。
環境の偽装工作は完了、後は敵の制圧だ。今回の標的は有象無象のポケモンが寄せ集まった大群である。個の力が乏しくても、各々の個性や得意分野・数の力にモノを言わせてくる連中だ。
そういう連中は何もさせないうちに叩くに限る。それなら品種改良を繰り返して産み出された改造ラフレシア「黄霧(こうむ)」の出番だ。こいつがばらまく花粉は、抗体を持たない者が浴びれば、瞬く間にアナフィラキシーショックを引き起こして卒倒、最悪の場合死に至らしめる。さじ加減一つ誤れば大量殺戮を容易に引き起こせる凶悪なバイオ兵器だが、今回もあくまで捕獲が目的なので致死性の低い個体を集めているそうだ。さらにだめ押しと言わんばかりに、戦闘を主眼に置いた武装携帯獣も複数投入している。
過剰すぎる戦力かもしれないが、奴さんたちも能無しの集まりでなければ何らかの対抗策を講じてくる。自分達に酔い潰れたような組織名を掲げる馬鹿っぽい連中たが油断は禁物だ。この決戦は互いの切れる手札の数の多さが勝敗を分けるだろう。
団地の住民の安否?俺たちは人命を優先する程お人好しじゃない。
耳元につけた無線イヤホンから『準備はいいか?』と指揮官の「白狼」の声が聞こえてくる。
「準備万端、いつでも突撃OKだ」
『健闘を祈るぞ。作戦開始だ』
「了解、野郎共行くぞ!ポケモン狩りの時間だ!」
俺の号令と共に、実動部隊は闇夜に紛れて行動を開始する。13街区の周辺や建造物の内部には無数のポケモンがたむろっている。
そいつ等を突破すべく24匹の「黄霧」をモンスターボールから解き放つ。「黄霧」が花房を軽快に揺らしながら進行する度に花粉はバフバフ景気良くばらまかれて行くが。
『無駄だ。愚劣な人間とその隷属たちよ』
人間様を小馬鹿にしているような声が闇夜の向から聞こえてくる。つられるように夜空を仰ぐと、ひたひたと小雨が降り始めたかと思えば、瞬く間に滝のような豪雨に様変わりする。
今まで軽快なフットワークで闊歩していた『黄霧』たちだが、その大きな花房は豪雨に押されて地に伏してしまい身動きをとれずにいる。空中ひ飛散していた花粉も雨に洗い流されてしまった。
さらに追い打ちと言わんばかりの暴風が襲いかかり「黄霧」たちは次々に吹き飛ばされていく。
何もさせないハズが逆にこちらが封殺されている。明らかにこちらの出方が判っていたような見惚れる鮮やかなカウンターだ。内通者でもいるのか?敵の動きが不可解だが、戦いはまだ始まったばかりである。
『団地上空にハクリューと複数の飛行タイプのポケモンを確認、奴等が雨ごいを発動し、一斉に暴風を巻き起こしているようだ。後方支援部隊に日本晴れを要請する。前線各隊員は直ちに武装携帯獣を解放して反撃しろ』
「白狼」は「天眼通」たちの視界を頼りに、敵の正体を見破った。タネが解ればどうという事はない。
「了解、上空の敵は俺の班で対処する。他の班は地上戦に備えてくれ。日本晴れ発動後行動再開だ」
『了解』
俺はモンスターボールから武装携帯獣・改造ガブリアス「竜穿」を解放する。体の半分以上をサイボーグ化し、背中に補助推進装置を装備した他、頭部の先端部にはエネルギーシールド発生装置が組み込まれ、両腕の鰭と爪にはエネルギーサーベル等の武装が施されている。
ガブリアス本来の面影は薄れているが、その戦闘能力は並の原種では到底相手にならないだろう。
ポケモンのサイボーグ化など可能かと疑問に思うかもしれないが、ポケモンは自分が所持する持ち物を巻き込みながら縮小する特性があり、表皮や内蔵を機械化してもポケモンがそれを自分の一部だと認識していればモンスターボールの中に収まってしまう。かつてイッシュ地方に存在したポケモンマフィア・プラズマ団が古生代の虫ポケモン・ゲノセクトを改造して証明している。
豪雨が途端に止む。日本晴れにより闇夜の中心に疑似太陽が出現し、辺りが真昼のように明るくなる。突如発生した強烈な日光に、闇夜に滞空していたハクリューたちの視界は真っ白に眩むだろう。その絶好の隙に狙い定め「竜穿」に攻撃の指示を出す。
「今だ!ドラゴンダイブで蹴散らせ!」
俺の号令と共に「竜穿」は背中の推進装置から火を吹き上げながら空に浮かぶハクリューたちに突撃する。ドラゴンダイブのエネルギーを全身から放出させながら、双眸に映る獲物を殺気で威圧する。常軌を逸した肉体改造の末に手に入れたら必殺且つ神速の一撃は、並の野良ポケモン相手には過剰過ぎる攻撃である・・・・・・空から何かの肉片が飛散する。
その光景を一部始終観測していた「白狼」からイエローカードが出た。
『今回の任務はあくまで幹部と総統の捕獲だ。言語能力を有するポケモンは不必要に殺すな』
「悪い。どうにもこいつは加減が難しくてな」
『次からは気を付けてくれ』
「努力はする・・・そんな余裕があればだな」
別に今さら仕事を横取りした「白狼」に因縁をつけるわけではない。これでも気の知れた少ない同期の一人だ。言葉を濁す理由は単純、殺気立つ大群を相手に、小器用に上手く立ち回れる自信がないだけだ。
俺たちの班を取り囲むように、多種多様なポケモンの群・・・百匹は有に越える大群が押し寄せてきているのだから。これじゃどこに幹部やら総統がいるかなんて分かったもんじゃない。
「大群の中心に幹部がいるぞ。五匹でまとまって動いているマニューラの内の一匹が幹部だ。絶体に殺すなよ」
「それって殺してもOKって前フリか?」
「ふざけているのか貴様?」
「悪い怒るなよ。善処はするさ」
・・・なんて言ったがどうしたものか。とりあえず応戦しなければ始まらない。こちらが繰り出したのは「玄地八領」に、イシツブテを乱射するサイボーグ化した改造ドサイドン「破城」、機関銃と大砲を融合させたマルマイン射出銃「雷の十字架」を四丁同時に武装する精鋭中の精鋭な改造カイリキー「爆撃鬼」、スプーンに仕込んだ改造メタモン「八百万」を自在に使いこなす白兵戦のプロフェッショナルな改造フーディン「奇術師」の四匹、それに加え滞空しながら眼下の獲物に狙いを定める「竜穿」もいる。
攻撃の指示を出せば「破城」と「爆撃鬼」が同時にイシツブテとマルマインを有象無象の大群に向けて掃射する。それだけで雑魚なら一網打尽にできるが、そうは問屋が卸さない。
アスファルトを突き破ってハガネールが強襲、爆発攻撃をものともしないで「爆撃鬼」を尻尾で凪ぎ払う。さらにナゲツケサルのグループが飛び出てきたかと思えば、「破城」が射出するイシツブテを爆発させる事なく軽々キャッチしてみせる神業を披露し、「破城」ではなく俺たち人間に投げ返してくる。
やはりこちらの戦法を直ぐ様攻略してくるようだ。「竜穿」のドラゴンダイブにはピッピをぶつけて無効化。さらにピッピは指を振り、アスファルトを突き破りマグマの柱を無数に突き立てる大技「断崖の剣」を発動させやがる。
「玄地八領」がいなければ俺たちの方が一網打尽にされていた事だろう。
「奇術師」はスプーン の柄尻が上を向くように持ち換えると、スプーンの表面に仕込ませた「八百万」を変幻自在に蠢く蛇腹の刃に変身させて敵陣に切り込むが、ニダンギルを二匹装備した四刀流のカイリキーが「奇術師」たちの剣戟を強引に捌いて割り込んできた。
「奇術師」がサイコキネシスで反撃しようとすると、カイリキーの手からニダンギルが離れて襲い掛かり不発に終わる。
それを良いことにカイリキーはニダンギルを再び手元に呼び寄せて、クルクル器用に回転させながら、こちらを挑発しているようだ。
普通のカイリキーならこの時点で腕が絡まり、ニダンギルが頭部に突き刺さってそうだが、こいつは曲芸みたいな剣技を自在に使いこなしている。
こちらの「爆撃鬼」も品種改良と訓練を繰り返して銃器を四丁同時に扱えるように仕込んだが、野良であんな事ができるカイリキーはまずいない。カイリキー界のエリートってか?
他の班もポケモン軍団と交戦しているが、戦況はどこも予想外な拮抗状態にあるらしい。まったく余計な手間をかけさせる連中だ。
「慌てれば相手の思う壺だ!地力の違いを見せてやるぞ!」
前線の隊員やポケモンたちを鼓舞する言葉をかけ、さらに切り札を惜しみ無く切る。
「玄地八領、お前の出番だ」
俺が戦闘解禁の許可を与えると「玄地八領」は四足をどっしり踏みしめながら敵陣に進撃を始める。
かかさず連中は一斉に「玄地八領」に攻撃を加えるが、その全てが「玄地八領」のボディを何重にも覆う不可視の防御壁によって尽く阻まれ、成すも術もなくコメットパンチの餌食になって吹き飛ばされる。
人型の格闘タイプのポケモン・ダゲキとチャーレムが同時に飛び掛かり、鋭い手刀の一撃・瓦割りで防御壁を破壊しようとするが、何層にも重ねられた守りを全て破壊するには至らず返り討ちにされる。
割れた防御壁は瞬く間に自動修復されるが、今度はその一点に狙いを定めたように、二対のコンクリート柱を自在に操る筋骨ポケモン・ローブシンがコンクリート柱を突き立ててきた。
その一撃で「玄地八領」にダメージを与えられず、ローブシンもダゲキたち同様に軽くあしらわれるが・・・・・ローブシンの狙いは別にあり、自動的修復される多層の壁にコンクリート柱を紛れ込ませる事に成功した。
するとポケモンたちはその一点を狙い定めて袋叩きを行う。ポケモンの大群が次々と入れ替わりながらコンクリート柱を「玄地八領」に打ち込むように攻撃してくるのだ。
小賢しい。まったく舐められたものだ。その程度で攻略されてしまっては最強と謳われる切札は務まらない。
「玄地八領」は四本足を折り畳んで宙に浮かぶと勢いよく回転、そのまま敵陣に飛び込んで無慈悲な蹂躙を開始する。ああなっては一点突破は望めないだろう。敵わないないならガン無視を決め込むのも立派な戦術だと思う。しかし連中は無理に喧嘩を売り、怒らせてはいけない相手を怒らせてしまったのだ。
他の武装携帯獣も噛ませ犬で終わるような玉ではない。
「雷の十字架」が効かないと判るや否や「爆撃鬼」は得意な得物を投げ捨てると、ハガネールに肉弾戦を挑む。こいつの雛型である「轟」はδ因子により電気タイプの適合を得ているが、10万ボルトや雷といった電気を放出する特殊技は専門外であり、専ら体内の電気信号に干渉し、自分の肉体を100%以上の力を発揮して操る。2秒間に千発のパンチを繰り出せるカイリキーがである。
ハガネールは再びアイアンテールで「爆撃鬼」を凪ぎ払おうとするが、それはどう考えても悪手だ。奇襲ならともかく真っ正面から来ると分かっていれば、鋼タイプの攻撃など容易く受け止められる。攻撃を受けきった「爆撃鬼」はハガネールの尾先をがっつり掴むと、そのまま強引に自らの体を回転させると力任せにジャイアントスイングを繰り出した。先程の倍返しと言わんばかりにポケモンの大群を薙ぎ払って殲滅する。
イシツブテの乱射を無効化された「破城」は相手を替えて自分の仕事とをこなし続ける。ナゲツケサルたちのグループがそこに割り込んでくるが、邪魔者は「竜穿」が排除する。
当然向こう側もフェアリータイプをけしかけてドラゴンダイブを無効化してくるが、それならドラゴンダイブなんて使わなければいい。
推進補助装置をフル稼働させた突撃は、ドラゴンダイブを掛け合わせなくても殺傷力は申し分なくある。
周囲が圧倒されるなか、ニダンギルを得物にした四刀流のカイリキーは「奇術師」相手に善戦している。剣を振るったかと思えば手元から離れて追撃し、それに気をとられていれば別の剣戟、さらには銃弾の如き電光石火の拳骨が襲いかかる。
怪力無双の四腕と意志を持つ魔剣の変幻自在なコンビネーションはタイプ相性をものともしない洗礼された戦闘技術と化しているようだ。
しかし戦闘技術を張り合うなら「奇術師」以外にするべきだった。「奇術師」は手数で敵わないと分かるや否や、カイリキーとの距離をとりながら「八百万」の剣先を伸ばして切り裂こうとする。カイリキーはそれを当然のようにニダンギルで受け止めるが、受け止められた瞬間「八百万」は「奇術師」の手元から離れて、ニダンギルごとカイリキーたちを鎖になりきって捕縛する。
笑わせるなと言わんばかりにカイリキーはその拘束を力任せに振りほどこうとするが、不意に全身に力が入らなくなる。背筋に巻き付いていた鎖の一部が鋭い刃に変化して突き立てられたのだ。
身を預けた相棒を卑怯な方法で殺されたニダンギルたちは当然怒り狂い、激情に駆られて刀身を振り回すが、仇が視界に入ることなく、その単眼は生き物のように動く鋭利な刃物に潰されて、目の前が真っ暗になったようだ。地に伏した魔剣たちは二度と動かない。
まともに戦えばこんなものだろう。戦局はこちらに傾いてきたが、連中は次から次へと臆することも逃げることもなく沸いて出てくる。
雑魚ばかり相手にしてられない。今回は「暮れなずむ人狩りの会」の幹部や総統と呼ばれる連中の中枢を捕獲する事が目的なのだ。
雑兵と一緒に一部の幹部は出張って来ているが、肝心の総統は集合住宅の一室のどこかに潜伏して姿を見せないでいる。
そこは11階建ての建物で、内部は狭い共用廊下と無数の住居がひしめいており、迎撃する敵はどこからでも奇襲可能。「玄地八領」や「竜穿」のような大型ポケモンは狭さに囚われ戦い辛く、籠城戦にはうってつけの本丸だろう。
わざわざ相手の土俵に立つことはない。潜伏しているならあぶり出してやればいい。
「「破城」「爆撃鬼」目の前の建物に撃ち込め」
二匹の武装携帯獣は俺の指示に何の躊躇いもなく従い、イシツブテとマルマインを乱射する。
止めどない連撃は爆炎と衝撃を解き放ち、集合住宅の壁を容易く破壊し、住居だった空間が晒しものとなり辺りに黒煙を撒き散らす。
さらに寄せ餌で誘う。拘束具により自由を奪われたキリキザンをモンスターボールから出して晒し者にする。
抗戦していたポケモン軍団の視線が一点に集まる。こいつは連中の幹部の一匹に数えられる有力者らしい。
『おぉ・・・!勇敢なる同士たちよ!俺には見えるぞ!堰堤に亀裂が走り決壊を引き起こす未来が!俺のことは構わないで見殺しにしてくれていい!俺の屍を越えて行け!そして悪しき人間とその奴隷共を殺して!殺して!殺しまくれ!この聖戦を制し、世界を水に流すのだ!我等は常ち総統と共にあり!恐れることなど何も(ry」
少しでも口の拘束を解けば壊れたラジオのように、危なっかしさと安っぽさが同居したような思想を喧伝してくる。拘束具から電気ショックを流して、気絶したのかようやく静かになった。
人間の言語を操る特異個体だが、こんなヤベー奴に人質としての価値があるのか正直分からない。しかし利用できるなら取り敢えず試してみるしかない。仕上げは拡声器を使って小っ恥ずかしい演説をする。
「聴こえるか総統さん?大事な仲間たちが命を張ってるのに、お前は安全な場所にこそこそ隠れたままなのか?結局お前も他のポケモンを利用したいだけだろう?綺麗な御託を並べても俺たちと何ら変わらないぜ!同じだよ!同じ!いくら正義を気取ったところでやってることは俺たち人間様と変わらないなぁ!お前が受けるべき苦しみをいつまでこいつ等に肩代わりしてもらうつもりなんだ?おーい!!!」
今どきこんな安っぽい挑発が総統に通用するとは思わない。しかし、姿を見せないカリスマの為に奮起するポケモン軍団はどうだろう?
現実に立ち塞がる圧倒的な戦力差を前にして、どこまでカリスマの幻想を信じきる事ができる?武力だけでなく精神的に追い詰めれば集団はそのうち瓦解する。真実に抗う本物の理想主義者なら鍍金が剥がれる前に集団の指標となるべく出現するし、理想を騙るだけの詐欺師なら逃げ出すことも忘れて隠れるだけ、皆殺しにした後じっくり探してやる。
一方的な戦いを繰り広げていると、思惑とは裏腹に嫌な奴等がやってきた。
「た、助けてくれ〜!」
崩壊しつつある集合住宅の入口から数人の住民が飛び出てきたかと思えば、こちらに助けを求めて逃げ込んでくるのだ。ジジイやババアの他にカップルと思わしき男女や十歳にも満たないガキまでいる。
それをやるか・・・・・残念ながら俺たちはポケモンマフィアだ。ポケモンだろうと人間だろうと身内以外は平等に扱う。
「分かってるなお前等?こんな馬鹿騒ぎのど真ん中に突撃してくる素人は異常だって・・・・・撃ち殺せ」
俺の指示に従い、部下たちはアサルトライフルをこちらに接近する住民たちに向けて一斉掃射する。住民たちは断末魔を上げながら地面に倒れ伏す・・・・・・その手には包丁や鉄パイプが握られていた。
この団地の住民はポケモンたちに洗脳されて様々な犯罪に手を染めており、こちらに助けを求めて近寄ってこようとも油断はできない。事後処理は面倒になってくるが脅威の芽は摘むに越したことはない。
銃撃を受けて次々と住民が崩れ落ちる中に「あいつ」が現れた。何をするわけでもなく、銃弾をまともに食らって全身から血を流しているが、決して倒れ伏すことはなく立ち尽くしたまま、アスファルトに血の海を広げながら、こちらをじっと見据えている。
鬱陶しい。言いたいことがあるなら直接言えばいいのに、まどろこしいヤツだ。相手にするほど暇ではない。銃撃を受けて息絶えたと思わしき住民たちの身に異変が起こったのだ。
「狂犬さん、あれ・・・・・ヤバイですよ」
部下の一人が震えた声を出しながら指差す。その先には屍と化した住民たちが一斉に激しい痙攣を起こしながら、身体を不規則に変形させている。
ゴボウみたいに痩せ細ったジジイは全身が肥大化し、腰の曲がったババアは背筋をすらりと伸ばし、カップルぽい男女は角と尻尾が生え、十歳にも満たないガキは頭が避けて頭蓋骨が剥き出しになり、さらにその頭蓋骨がおぞましく変形し出す。
「な、なんですかアレは?」
「ヤベーな。とりあえず化け物には違いない・・・白狼見えてるか?アレどうする?」
『ピーチならきっと欲しがる。捕獲できるならしてくれ』
「了解」
人間だったそいつ等はみるみる内にポケモンの姿に変身する。ジジイがカビゴンでババアがサーナイト、カップルはニドキングとニドクイン、そしてガキはよりによってカラカラだ。
人間のポケモン化、数世紀先を往く未来的な科学技術を追求する我等が組織すら実現できなかったタブー中のタブーをポケモンが先に実現させていたなんて想像もしていなかった。
しかしだ。この戦場でそれがどうしたと言うのだ?人間がポケモンに変身したところで、この戦況をどう覆す?
「よし、てっとり早くサンプル回収だ」
俺たちはポケモンに変身した人間相手に一斉にマスターボールを投げつけた。伝説級だろうと幻級だろうとポケモンならば問答無用で捕獲してしまうハズなのに・・・・・・連中は掌サイズの大きさのボールの中に収まる事はなかった。
「おいおいおいおい、どうなってやがる!?」
『ウヒョヒョヒョヒョ!その反応、いいね!驚いてくれたね!嬉しいから特別に種明かしをしよう。彼等はポケモンの習性を克服したんだ!』
驚愕する俺たちの前に連中は突如姿を現した。
筋骨隆々なカラマネロに、メガシンカした色違いの黒いサーナイト、青白い炎を全身から灯す真っ白なキュウコン、氷で巨大な体躯を造り出したオニゴーリ、四つ指の黒い巨大ゴースト、何の変鉄のないネイティオ・ムウマージ・ルカリオ・ヨノワール・ゾロアークが紛れ込んでいるかと思えば、イッシュ地方に言い伝えられる伝説の聖剣士コバルオン・テラキオン・ビリジオンまでいやがる!
「暮れなずむ人狩りの会」の主要メンバーが雁首揃えて姿を現したが、何か言い知れぬ胸騒ぎがする。この戦力差を前にして、なぜ見世物でも披露するかのような余裕な口振りでいられる?
何より実際に対峙してみると余計に信じられない。「総統」と呼ばれる親玉は聖剣士の面々や異様な姿のカラマネロたちでもなく、とても集団を率いるようなヤツに見えない精霊ポケモン・ネイティオらしい。
ネイティオは過去と未来を見通す力があると言い伝えられているが、自分が見た未来を変える為に自ら行動を起こすような事は決してしない徹底した傍観主義の種族で通っている。こっちの「天眼通」たちも監視役に徹するのみで、それ以上の事は絶対にしない。未来予知に特化した改造計画が浮上した事もあったが、ネイティオはどの個体も一貫して未来予知能力をさらなる技術に昇華・発展しようと言う意思や行動を見せる事がなかったぐらいだ。
「総統」は双眸でこちらをじっと見つめるだけ、奴の意思を代弁するように、マッシブに発達した触手のカラマネロは妙な笑い声を上げながら語り出す。
「ウヒョヒョヒョヒョ!モンスターボールに束縛されないポケモンの出現!それが台頭していけばどうなる?今まで使役していた下等生物が突然お手軽に封じ込められる事ができなくなれば!嘘で塗り固められた人間たちが醜い正体を現すだろう!しかもそのポケモンの正体が元人間だったと分かれば?最高の喜劇が幕を開けるぞ!」
嗚呼やっぱりやべー奴等だ。
自分達に泥酔している質の悪い連中だよ。
こっちが何も喋らない事をいいことに勝手に怨嗟の声を連ねてくるが、酔っ払いのお喋りに真面目に付き合う事はない。
「勘違い野郎のポケモントレーナーは死ね!ポケモンマスターもくたばれ!何故お前たちは自ら戦わないで強くなった気でいる?ジムリーダー?四天王?チャンピオン?目糞鼻糞に違いがあるのか?ポケモンは本能が戦いを求めてる?凡てのポケモンがその都合の良い解釈に当てはまるのか?ポケモンバトルなんて娯楽化した奴隷の代理戦闘だろう?モンスターボールなんて壊れてしまえ!ポケモン預かりシステムも崩壊しろ!誘拐魔と監禁魔はあと何匹閉じ込めれば気が済む?個体値の厳選もクソ食らえ!どれだけ生れたての幼子を廃棄すればいい?夢の楽園のような牧場生活なんて嘘っぱちだ!卵が発見された?どこからか運んできた?笑わせるな破廉恥な変態共め!ポケパルレ?汚い手で触んな!人間に尻尾を振るポケモンも同罪だ!人間に隷属になる事に何の疑念も持たず、自分で考えることを放棄した能無し共め!強くなったと思い込んでるだけの木偶人形に誇りなんてものはあるのか?他人に飼い慣らされたペットの癖に?人間とポケモンは絆や友情を育んでいる?皆やっている当たり前の様式が当然になっているだけで、洗脳されている事に気がついていないだけなのだ!」
「言いたい事はそれだけか?悪いがお前達の思想なんてすこぶるどうでもいいんだ。抵抗するならしてくれていい、お前ら全員半殺しにして捕まえてやる」
「それはこっちの台詞だ。いつまでも支配者でいられると思うなよ人間?我々は勝利を確信してお前達の前に現れたのだ!沢山の同士が犠牲になったが、その尊い死が我々を支えてくれている!お前たちも目を背けていないで見つめ直すといい・・・・・・苦痛を!我々がいつまでも肩代わりしてくれるなんて思うなよ!」
いきり立ちながら捲し立てる雄弁なカラマネロの後方で、沈黙し続けていた「総統」の双眸が青白く輝きだし、辺りに眩い閃光が走る。
刹那、俺は激しい豪雨に押し潰されて動けないでいる。身動きすら許されない中、追い討ちをかけるように暴風が巻き起こり吹き飛ばされた。そのまま宙を舞い上がり、冷たい雨と共にアスファルトに激突した。
視界が暗転したかと思えば、今度は豪雨が降り注ぐ空の中心に浮かんでいる。真下からは何かとてつもない速さでこちらに迫っ−−−
再びは豪雨が降り注ぐ空の中心にいるが、今度は羽ばたいている。真下からは何かとてつもない速さでこちらに迫っ−−−
三度豪雨が降り注ぐ空の中心にいるが、またもや羽ばたいている。回りにはハクリューやペリッパーが同じように宙を舞う。そして真下からは何かとてつもない速さでこちらに迫っ−−−
いつまで続く!俺の意思とは関係なく俺は突撃している。あの「爆撃鬼」と「破城」に向かって、マルマインが飛んできて炸れーーー
嗚呼、止めてくれ!止めてくれ!!止めてくれ!!!おびただしい数の苦痛の瞬間が視界を通して全身に流れ込んでくる!
洗脳の類はアンチPSIヘルメットで防いでいるハズなのに!「玄地八領」の鉄腕に押し潰される。ハガネールに吹き飛ばされて、ハガネールに押し潰されて、「竜穿」に粉微塵に吹き飛ばされて、「奇術師」に串刺しにされて、俺たちに撃ち殺されて、水溜まりの底から暗闇が吹き上げて飲み込まれて、水溜まりの底から暗闇が吹き上げて飲み込まれて、水溜まりの底から暗闇が吹き上げて飲み込まれて水溜まりの底から暗闇が吹き上げて飲み込まれて、水溜まりの底から暗闇が吹き上げて飲み込まれて・・・
トラックの荷台で戦況を監視していた「白狼」はモニターに飛んでもないモノが映り込み戦慄した。
雨乞いにより辺りに出来た水溜まりの中からシンオウ地方の神話に伝わる伝説のポケモン、ギラティナが真っ黒な闇を噴き上げながら顕現したかと思えば、そこにいたポケモンと人間たちは一瞬にして消えてしまったのだ。
「天眼 」たちに辺りを探らせるがどこにもいないが、ふと一匹の「天眼」がアスファルトに出来た水溜まりに目をやると、そこには見たこともない「世界」が広がっていた。
続く
取り敢えず、このエピソードで終幕予定。
完結できて気が向いたら隙間の話を埋めていきたいです。
中身の代わりに捏造・パクリ・ハッタリ・中二病等が詰め込まれていますが、どうぞよしなに()
★
俺は任務中に立ち寄った組織の支部で休息をとっていた。今回は人間を狩猟の対象にする他種族のポケモンが組織化された連合「暮れなずむ人狩りの会」の統率者と幹部たちを捕獲するべく捜索していたが、連中は中々尻尾を出さず任務は膠着している。
徒党を組むポケモンとは何度か遭遇しているが、わざわざ組織名を掲げて人間の真似事・・・或いは宣戦布告するような連中は初めて遭遇するかもしれない。
奴等は人並み以上に知恵をつけ、一部の幹部は人の言語まで習得しており、うちの組織はその突然変異の頭脳を欲しているのだ。
俺が最初に遭遇したキリキザンの幹部は、典型的な極左でタカ派なヤベーヤツで危険思想を垂れ流しなら襲いかかってきたが、組織からは何故か高く評価されてしまい行方を追う羽目になったのである。
俺から言わせりゃ、自分から名を広めるたがる悪の組織なんて盛者必衰の理を突き進む二流だが、連中は自分達の事を正義の革命組織みたいに思っているのだ。馬鹿な連中だが、我等が「若様」曰く大成する奴は良くも悪くも馬鹿になれる奴だけらしい。どうでもいいが馬鹿を相手にする身にもなって欲しいよ。
明日もあのキリキザンと不愉快な仲間たちの行方を探す旅に出ると思うと気が滅入ってくるが、受けた任務は果さなければならない。
深夜頃まで連中を炙り出す作戦を練っていた。そんな時、あの音が聞こえてきた。
ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ・・・!!!
その音はいつもと違う。耳の奥に纏まりついて人の神経を逆撫でるような音ではなく、地響きと共にやってきた。
俺以外の団員達にも聞こえているらしく、支部内に喧しい警報音が鳴り響き、非常事態のアナウンスが流れた。
『緊急事態発生!緊急事態発生!北東2キロ先に未確認巨大生物が出現!推定階級・災害級!現在我々の基地に接近中!防衛班は直ちに出動!繰り返すーーー』
何やらど偉い事が勃発したらしい。ポケモンの襲撃はたまにあるが災害級の驚異はヤバイ。
世界中のどこにでも人類に災いをもたらす災害級のポケモンは存在する。伝説・幻のポケモンに準ずる突然変異のイレギュラーな個体・群の事を指す。
有名どころを挙げれば、かつて無数のゴースを引き連れてカントー地方を荒らし回った巨大ゴースト「ブラックフォグ」、たった一匹でジョウト地方を壊滅させられるポテンシャルを秘めた巨獣「黒いバンギラス」辺りか?俺が遭遇した連中から挙げるなら「虫姫」や「無貌の大蛇」「如水法師」は・・・違うか。
まぁようは、そんな連中とタメを張れるようなヤツが、接近中となればこの支部も下手をすれば壊滅する恐れがある。
黙って避難したいところだが、本部から来てる以上、未確認の脅威を見過ごすわけにはいかない。
俺は支部の司令室に入ると、中は予想以上に混乱していた。それもそのハズ、監視モニターには闇夜の森しか映らないのだ。熱感知カメラ等視覚補助装置を次々と切り替えても姿を捉える事ができない。
ゾロアークに化かされているのか?映像を見てそんな疑念を浮かべる者も少なくないだろう。しかし、地響きと共にガシャガシャと喧しい騒音だけが激しく自己主張をしており、現場には木々をなぎ倒しながら進撃する謎の巨大生物が確かに存在しているらしい。司令官は現場に出動した防衛班に連絡をとり状況を確認しているようだ。
『こちら防衛班!目標は体長約15メートル!頭から尻尾の先まで全身が骨や骸骨のような物で覆われた二足歩行の怪獣です!まるで骨が寄せ集まって動き出したガラガラの巨像のように見えます!!』
現地に到着した防衛班は目標が見えているらしく、鼻息を荒らげながら謎の襲撃者の情報を説明してくるが、目標を確認する事ができない司令官やオペレーターたちは顔を見合わせながら困惑している。
「待て待て、司令部では目標の姿を捉える事ができない。君たちは本当に目標を認識できているのか?」
「しっかりこの目で見えていますよ!それより早く攻撃の指示をください!!もう目と鼻の先まで来ちゃいますよ!!!」
「・・・すまないが、まずは様子をうかがいたい。玄地八領(げんじはちりょう)の使用を許可する。君たちが見えている目標の進路を妨害してくれ」
『了解!!!』
司令官の許可を受け、防衛班の隊長はモンスターボールから組織お手製の改造ポケモンを解放した。中から出現したのは見た目はなんの変哲もない鉄足ポケモン・メタグロス。
謎の巨大怪獣と比べたら、体長2メートル弱のメタグロスはどうしても小さく見えてしまうが、大きさ比べて勝負する訳じゃない。「玄地八領」は我等が組織の最先端科学技術を集結させて産み出した次世代兵器「武装携帯獣」なのだ。
主武装は体内に存在する四つの脳と四本足に埋め込まれた「PSI誘導型メタマテリアルシールド発生装置」メタグロスのスパコン以上の頭脳とエスパータイプのエネルギーパワーが装置の完全制御を実現し、全方位に不可視の防御壁を幾重にも重ねながら発生させる事ができる。生半可な攻撃では傷一つつける事すら出来ない鉄壁の防御能力に物を言わせて、数多のポケモンたちを打破してきた我が組織の切り札の一つである。
『いくぞ玄地八領!第八拘束機関解放!メタマテリアル領域展開!!起動せよ!!鬼門封じ・楯無ィ!!!』
防衛班のリーダーは舞台役者みたいな迫真の口上を披露する。丸で意味が分からない命令だが、我が組織の最高頭脳であり組織の中枢を担う科学者「ドクター・ジョン・ピーチ」の趣味だから誰も文句は言えないらしい。
まぁ博士のネーミングはさておき、モニターに映る「玄地八領」は、司令室からは目視できない見えざる怪物相手に、不可視の不可進行絶対領域を周辺に展開して対抗しようとする。そのやり取りはできの悪いパントマイムのようにしか見えないのが残念である。
派手さがないのは致し方ないが、しかし「楯無」の領域を正攻法で突破できたポケモンは俺が知る限り存在しない。堅実で信頼に足りる防衛機能である。
『なんだコイツ・・・どうなってやがる!そんな馬鹿なありえねぇ!!!』
映像からは状況を確認する事ができないが、防衛班の連中は予想だにしない現象を前にして焦燥している。
「どうした?何が起こってる?」
『あの野郎・・・!た、楯無をすりぬけやがった!ダメだこっちに来る!!攻撃の指令をください!!』
絶対の信頼を寄せいて切り札が無効化された防衛班たちは酷く焦っている。
だが悲しいことに、その深刻な状況は司令部にはいまいち伝わらず、現場との温度差が激しい。
司令官はすぐには攻撃の指示を出さず状況を俯瞰する。参謀やオペレーターたちも不可解な状況に慣れてきたのか各々の見解を述べ始めた。
「映像の解析は進んでいるか?」
「いいえ、依然として目標の正体を捉える事ができません」
「やはり幻影なのでは?我々は見えない虚像と戦ってるのかもしれませんな」
「それでは何故森の木々だけが倒木する?この地響きと騒音は何なんだ?」
「うーん、ガシャガシャガシャガシャ煩いけど、もしかしたら音を媒介にして精神に干渉する催眠術の類いかもしれませんね」
「その線はあるかもしれないな」
「思ったんですけど、あれが幻影なら相手がデカブツ一匹とは限りませんよね。最近徒党組むポケモンが流行ってるじゃないですか?なんて名前だったかな・・・」
「エリートハンティングクラブ?」
「素晴らしき青空の会だっけ?」
「あーたしか暮れなずむ人狩りの会でしたよ」
「そうそうそれ。まぁ何が言いたいかって複数犯の可能性ですよ。サーモグラフィーにデカブツは映らなかったけど、野生のポケモンたちは、この場から逃げる事なくチラホラ映ってたでしょう?木々が倒れるのは見せたい幻に箔をつける為の演出とかじゃないですかね?」
「ふむ、その可能性もあるな。・・・まずはできることから始めてみよう。ジャミングに防音装置・ポケモン避けのノイズを起動できるよう準備に取りかかってくれ」
「了解」
『司令!!攻撃の許可を求めます!!!繰り返します攻撃の許可を!!!』
「分かった許可する。ただし目標が幻影である可能性がある事を念頭に置いて欲しい。攻撃が効かなければ一旦後退してくれ」
『了解!!!』
まともにコミュニケーションをとれている。この支部はポケモンマフィアのクズにしておくには勿体無いぐらいマシな人員が集まっているらしい。お陰で俺は傍観者のままでいられて有り難い限りだ。本部から「玄地八領」を支給されるだけの事はある。
モニターに映る防衛班たちは次々に武装携帯獣をボールの中から解放していく。
中には全身を鋼鉄の鎧で覆いつくし、両腕をサイボーグ化させて無数の爆弾イシツブテを乱射する改造ドサイドン「破城」、δ因子を適合させ電気タイプを複合させた改造カイリキー「轟」に、機関砲とロケットランチャーを合体させたマルマイン射出兵器「雷の十字架」を四丁同時に使いこなす特別訓練を施した精鋭中の精鋭「爆撃鬼」、見た目は普通のフーディンだが、様々な武器に変身するようプログラムされた改造メタモン「八百万」がコーディングされた二対のスプーンを変幻自在に使いこなす「奇術師」、中には戦闘補助装置を全身に装備した旧式武装のリザードンやカメックスもいるが、今なお現役で活動する辺り、ロートルだが相当な手練れである事は間違いないだろう。「玄地八領」も楯無が効かなかっただけで戦闘は継続可能である。
ネーミングを馬鹿にしてたが、この錚々たる面子を目の当たりにして興奮しない男の子はいないだろう。いい歳したおっさんだという自覚はあるが年甲斐なくワクワクしてきた。
「バケモンにはバケモンをぶつけんだよ」だったかな?やはりこの言葉は堪らなく好きだ。
『総員攻撃体制に入れ!玄地八領!お前もだ!いくぞ!領域形成!起動せよ!!竜王の如き・八龍ゥ!!!』
防衛班のリーダーは勇ましく号令をかける。武装ポケモンたちも一斉に身構えた。この一斉攻撃を皮切りに未知の怪獣に対する対応が決まるだろう。実体があるならそのまま潰す。無ければあらゆる手段を用いて探る。正体不明の怪物が支部の目前まで迫ろうとも、俺たちは自分たちが信奉する組織の科学力に絶対の信頼を寄せて疑わない。
しかし攻撃の号令がくだろうとする直前、全てが一瞬にして覆された。
『⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛!!!!!!』
それはとてもこの世のものとは思えない。身の毛もよだつ悍ましい雄叫びがあがったと思えば、俺が認識する世界の全てが止めどなく揺らぎだした。
誇張しているつもりはない。現場にいた防衛班の連中との通信は途絶え、司令部の連中も大半が気を失ったり、気が触れたようにのたうち回る者までいる。司令官は痙攣しながら意識を失っており使い物にならない。おまけにモニターは砂嵐に包まれ使い物にならなくなった。
鶴の一声ならぬ怪物の雄叫で悪の組織が壊滅寸前に追い込まれるなんて洒落にもならないが、破滅は目前まで迫ってきている。
音を媒介にしてこちらの精神に干渉するという予測は当たっていたかもしれないが、俺を含め司令部にいた連中は目標の力を完全に見誤っていたようだ。単なる幻影と高を括り相手を刺激したのが不味かったのだろう。
酷い頭痛と目眩に襲われ、俺もいつ意識を失ってもおかしくない状況だが、支部の中枢が麻痺しかけている以上、いよいよ重い腰を上げなければならない・・・と言うよりは尻に火が付いたと言うべきか。暢気に傍観者を気取って支部の連中と仲良く死んだたら世話がない。
俺は壊れかけたアナログテレビを叩く要領で、空元気だろうとも自分自身に活を入れながら、意識が残っていそうなオペレーターに声をかけた。
「よぉ・・・お前さん無事か?」
「あ、あなたは?」
「本部からたまたま来てた部外者だ。コードネネームは「狂犬」で通っている」
「ゲッ!あの不死鳥の「狂犬」かよ!?」
「ゲッ!?とは何だオイ?しばくぞ」
「し、失礼しました・・・」
俺の悪運・・・不死鳥武勇伝もとい死神伝説はここまで伝わっているらしい。いつ頃からかは覚えてないが、どんな危険な任務を引き受けても、たった一人だけ必ず生き延びてくる様を皮肉られているだけで、不名誉な称号でしかない。
こちとら気色悪い変態寄生携帯獣の群に凌辱された末に死の運命を預言されているというのに、人の気も知れないでまったく失礼なヤツだ。まぁ今はそんな事を気にしてる猶予はない。どんなに罵られようが嫌味を言われようとも、こんなところでつまらなく死ぬのだけは真っ平ゴメンだ。
・・・・・・というよりも日頃から聞こえるガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ!!耳障りで不快な耳鳴りと、今の状況と結び付いてしまい自分の死期が迫ってきているような錯覚に陥ってしまう。冗談じゃないまったく。
「通信機材は生きてるか?」
「いや・・・どれも激しいノイズが混じりこんで使い物になりません」
「他に現場の状況を確認できるカメラは?」
「全滅です」
「ヤベーな。それじゃ防衛班の安否も不明だな?」
「はい・・・」
「こりゃ詰みだな。撤退しよう」
「早くない?諦めるの早くないですか?」
「化物との対決は引き際を見誤らない事が重要だ」
「なるほど・・・不死鳥さんの言うことは説得力がありますね」
「不死鳥じゃねーよ俺は狂犬だ馬鹿野郎。さっさと脱出するぞ」
「でも負傷者こんなにいるのにどうやって・・・」
「お前組織に何年いる?分かるだろう?」
「分かるだろうって・・・まさかみんな見捨てるんですか?汚いないさすが死神汚い」
「違うだろ間抜け!この基地には「脱出王」はいないのか?」
「嗚呼・・・!なるほど!!さすが不死鳥さんだ!!!オベッ!?」
とりあえず間抜けがムカつくからひっぱたいた。ポケモンマフィアが三度も我慢すれば十分過ぎるくらい寛大だろう。それはさておき「脱出王」とはテレポート能力に特化した改造フーディンである。
今じゃメタモンとトリオを組む戦闘特化した「奇術師」の方が人気だが、こういう緊急事態の時こそ「脱出王」の独壇場だ。
冗談みたいなコードネームだが、精神感応能力を広域化させることにより、支部内に存在する団員を感知し、余す事なく全員同時に本部の非難シェルターに転送する神業はコイツだけに許された専売特許である。
一方、頬を叩かれたオペレーターは突然我に帰り大事な事を思い出したらしい。
「あー!!でもうちの「脱出王」は今ボックスに預けてるから・・・」
「「脱出王」なら俺が連れてる」
「さすが不し・・・狂犬さん!」
「よし良い子だ。そうだそれでいい」
何で俺はこの緊急事態に間抜けと即興コントをしてるのか?只でさえ酷い頭痛に襲われてると言うのに余計に頭が痛くなる。んでもって頭痛の種は予想だにもしないところからも芽吹き出す。
そいつは間抜けの同僚だが、何やらいつの間にか復旧したパソコンのモニターを目にして酷く狼狽している。
その画面に映し出されているのは、巨大な怪物でも徒党を組むポケモンたちでもない。ガシャガシャガシャガシャ喧しい騒音をあげ、森の木々を次々となぎ倒しながら進撃していたのは、頭を項垂れさせながらとぼとぼと歩く見たことのない小型ポケモン・・・・・・いいや、よく見れば見覚えがある。頭蓋骨の被り物を失い、素顔を晒している孤独ポケモン・カラカラだ。
「おい、この映像はなんだ?」
「か、監視カメラにシルフスコープ・プログラムを起動させた映像です」
「・・・・・・おいおいおいおいおいおいおいおい!ありえねぇ!寝言は寝てから言ってくれ!頼むからな!おい!」
「シルフスコープっていたらあのシルフスコープですよね・・・これってもしかして、ひょっとすると幽霊ってヤツじゃないですか!ヤダー!!」
間抜けと初めて意見が一致した。シルフスコープ・システムとは、かつてシオンタウンに存在したポケモンの共同墓地・ポケモンタワーに巣食う幽霊と称される謎の怪異の正体を暴くため、シルフカンパニーが開発したトンデモアイテムの機能をそのまま流用した装置だ。
幽霊などと騒いで持て囃されていたが、実際の所はポケモンタワーに生息するゴースやゴーストたちが人を驚かせる為に編み出した術・固有フォームの一種であるとされている。この幽霊の姿にカモフラージュしている時はどんなポケモンだろうとも相手に絶対的な恐怖心を与えて戦意を喪失させる事ができるらしい。
今はなきポケモンマフィア・ロケット団はポケモンタワーを占拠し、幽霊の正体を暴いてその仕組みを解明し「テラーエフェクトシステム」なる装置を開発しようとしていた噂もあるが、実現までには至らなかったそうだ。
ポケモンタワーが移転して取り壊されて以来、幽霊と呼ばれる存在は確認されておらず、他の地方でも前例のない事例故に今となっては検証不能な案件とされ、シルフスコープもそれ以来お役御免、過去の遺物でしかなかった。
しかし、シルフスコープシステムで正体を捕捉したという事は、あの殻無しのカラカラは目撃談のように、自分の姿を巨大な怪物の幽霊であるかのように偽る事ができるらしい。
ヤツが何故この支部に迫ってきているのかは、余所者の俺には分からないが、その原因は顔面蒼白な間抜けの同僚から明かされそうだ。
「幽霊なんて生優しいものじゃない。あれは復讐鬼だ!我々がしていたことを忘れたのか?」
「すみません、俺ここに配属されたばかりで」
「俺はそもそも部外者だから諸々の事情が分からん」
「どうりで呑気でいられるハズだ!我々はかつてロケット団が手掛けていた「テラーエフェクトシステム」を再開発しようとしていた!その過程で大量のカラカラやガラガラを乱獲して研究材料として消費していたが結果は出せずプロジェクトは白紙に戻ったが・・・・・・この現象はまさに我々が構想していたテラーエフェクトシステムそのものなのだよ!」
「なにそれ?エフェクトガードシステム?」
「もういいから分からんなら黙ってろ」
「超展開すぎて置いてきぼりじゃないですか」
「俺も置いてきぼりだから安心しろ」
「なにそれ?すげー安心できないですよ」
間抜けは至極真っ当な突っ込みを入れてくれた。この緊急時に何度も話の腰を折られては堪らないが、暴走機関車のような超展開なのは間違いない。「テラーエフェクトシステム」なんてロケット団も途中で匙を投げたような突飛なオカルトプロジェクトを今になって再現しようだなんて正気の沙汰ではないし、何よりも腑に落ちない事がある。
「ところでなぜ研究材料はゴースやゴーストでもなく、カラカラやガラガラなんだ?」
「なんだアンタ知らないのか?ポケモンタワーで起こった怪現象の原因はカラカラやガラガラにあるんだ。タワーに生息していたゴースたちは、その影響を受けていただけに過ぎない」
「そりゃ初耳だ。それにしても凄い情報通だな?」
「そりゃ俺は元ロケット団員だからな。この支部の大半は元ロケット団員で構成されていて、当時の研究もここで引き継がれているんだ」
「マジでか」
「先輩って元ロケット団だったんだ!すげー!サインくださいよ!」
「サインなら後でいくらでも書いてやる!それより今は早くここから脱出させてくれ!さもないと・・・・・・!」
元ロケット団員は、これから自分たちの身に降りかかるであろう災いを想像し身をワナワナ震わせる。早く脱出しなければならない事は同意せざるを得ない。
ガシャガシャと騒音はすぐそこまで聞こえる。支部内にいる団員を避難させるべく、俺はボールから「脱出王」を解放した。
その瞬間、天井から巨大な何かがすり抜けて現れた。支部が崩壊することなく、するりとそいつは壁を通り抜けたらしい。
見れば至るところに様々なポケモンね骨や骸骨がひしめきながら集合している。真っ暗闇の虚ろな二つの孔がこちら見つめている。
「脱出おーーー」
「⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛!!!!!!!!!!!!!」
▼
記録 20××年8月 ××地方 ××支部付近。
テラーエフェクトを発現した幽霊フォームのカラカラが出現。
その擬態した姿を複数の市民・及び団員が目視で確認するが、監視カメラにその姿を捉える事は出来ず映像記録は存在しない。
緊急事態のため基地の防衛班が出動し迎撃するが部隊は全滅、基地も襲撃を受けて全壊。
偶然その場に居合わせた本部所属の団員が所持していた改造フーディン・コードネーム「脱出王」の大規模瞬間転移術により、基地内にいた全ての団員は本部の緊急避難シェルターに転送されたが、団員の半数は発見された時点で死亡していた。生存者の中には精神に異常をきたす者が大半を占めた。
テラーエフェクトを発現したカラカラは、××基地破壊後、姿を消し行方不明である。
初めて書き込ませて頂きました。初めまして、若鷹と申します。
ポケモン世界の小学校の先生、ということでぼんやりと考えていた話を稚拙な文ながら投稿しました。
10歳でポケモンを貰って旅に出ることができるこの世界、義務教育も短いと思うと先生大変だろうなぁ。
ポケモンに関する逸話、神話を教材に浸かったりもするのかな。
使うとしたら国語よりは道徳的な視点を持って子どもに伝えるのかな。
現実での教育と繋がる部分もあるんだろうけど、この世界だからこそ、こちらの常識とは違う「ありそうな日常」を書いてみたい。
そう思いながらも。ぼんやり、ふわふわしたままで書き進めていったもので、上手くまとまっていない文章になっているかもしれません。
読んでいただきありがとうございました。
仕事が多忙なため大変遅筆でございますが、また機会がありましたら投稿してみたいと思います。よろしくお願い致します。
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ひとと けっこんした ポケモンがいた
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むかしは ひとも ポケモンも
おなじだったから ふつうのことだった
「みんな、この話知ってる?」
模造紙の四隅にマグネットを貼って黒板に固定する。その横に立ちながら黒の水性マジックで大きく書いた一節を声に出して尋ねてみたが、前に座る男女合わせて二十九人の子どもは首を傾げたり、黙ったり、隣の子と顔を見合わせたり。「知ってる」と言う声は期待できそうにない……が、まぁ、それは想定通りだ。大丈夫だよ、知らなくても大丈夫。と、僕は語り掛けるように話しながら笑んだ。そして、尋ねる。
「今、これを読んでみて何か思ったことがある人はいる?」
漠然な質問だ。口にした瞬間、しまったと思った。
何を聞いているのかハッキリしない質問は、できるだけ避けた方がいいと研修の際に何度も言われたのだが、気を抜くとつい言ってしまう。少しばかり覚えた焦りを顔には出さないように努めつつ、子ども達を見てみるが、「何かって、何をいえばいいの」と、困っている顔がちらほらと見える。それでも、手を挙げてくれた子どもはいたことにホッと安堵しつつ(もちろん、表には出さないように)、窓側に近い席に座るその子の名を呼んだ。少女はシズク。何の授業でも積極的に発言してくれる子だ。凛とした声で、はい、と答えた彼女が口を開く。
「人とポケモンが結婚するのって、不思議だなと思いました」
彼女の言葉に「同じです」といくつも声が続いた。それを聞いてホッとしたような、或いは満足したような様子で彼女は席に付く。声には出さなくても頷いたり、模造紙をじっと見つめていたりする子もいる。まぁ、それでもいいのだ。何かを考えていても、まだ言葉にする術を持たない子もいる。自信を持てない子もいる。そういった子には
「ミナミさんはどう?シズクさんと同じ?違った?」
と、声をかける。頷くだけでも、首を振るだけでも立派な意見だ。そりゃあ、理想は言葉で話してほしいけれども、苦手な子に無理矢理させたくはない。少しずつ、少しずつできるようになればいいのだ。経験は少ないけれども、これだけは譲りたくない僕のこだわりだ。
3人ほど、同じようなやり取りを繰り返した後でもう一度模造紙を示し、僕は口を開いた。
「これは、シンオウ地方に伝わる昔話でね……結婚、っていうのは皆にはまだ早い話だけど、つまり」
「先生は結婚してないですよね!」
「リュウセイ君、それ先生傷つくからやめて。」
どっと子ども達が笑う。クラスのムードメーカーの言葉に苦笑いを浮かべながら頷くと、彼も満足した様子で背中を伸ばした。
僕は、一度教室を見回して小さく息をついて言葉を仕切り直す。
「まぁ、簡単に言えば、一緒に過ごすってこと。皆の家にも色々あると思う。ポケモンがいる家、いない家。でも、皆の身の回りでも、野生じゃないポケモン……誰かと一緒にいるっていうポケモン、見たことあるよね」
「ジョーイさん!ジュンサーさん!」
「日曜に、引っ越しのトラックにゴーリキーが乗ってたの見たよ。」
「ねんりきで荷物運んだりもしてるよね。」
「給食の牛乳!ミルタンク!」
「ポケモン・バッカーズ!」
「この間、グラウンドにジジーロンが来てた。」
投げかけたと同時に、一人一人と矢継ぎ早に声が上がる。賑やかかだ、とても賑やかだ。時にはそれがムックルの群れ張りにやかましくなるその声は、ドゴームの叫びにも負けないかもしれない。それぐらいのエネルギーが子ども達にはある。
10歳になった子どもは図鑑とパートナーを受け取り、旅に出る。故に、この国での義務教育は7歳から10歳までの4年間となる。トレーナーズスクールといったものもあるが、それは公立の小学校とはまた違ったものだ。基本的に10歳を迎えた子どもの家庭は、その地域の研究所と相談した上で旅の日取りを決めていく。連絡を受けた教師は、その子の指導要録、学校生活に関する所見文を研究所に送ることとなっている。学校も一つの研究機関であるから、こうして研究所と連携することになっているのだ。しかし、学校ができることはここまで。子どもが旅に出ることに教育者が介入することはできない。だから、この4年間の間に教師は子ども達に伝え、子ども達に考える場を与えなければならない。
「人もポケモンもおなじだったって、どういうこと。」
そう投げかけた瞬間、子ども達の声が止まった。
この言葉を知ったのは、もう15年ほど昔のことになる。自分がこの子達ぐらいの歳の頃、シンオウ地方はミオシティの親戚の家へ遊びに行ったときに僕はこの神話を聞いた。不思議な話だ。幼心にそう思った自分は、母にその意味を尋ねたことを覚えている。
模造紙の一節に赤いマーカーを引いた。ぼそぼそと呟く声、自分の考えを伝える声を一度止めて、
「隣の人と相談してみて。終わったら前の席、後ろの席の人と相談してみてごらん。」
そう、声をかけた。
このクラスの子ども達は皆、9歳になった。旅に出るのは10歳の誕生日を迎えてからとされている――つまり、その日が来れば順次、この子達は旅に出ることだ。その日が来れば彼は、彼女らは、己とそれぞれのパートナーと共に、これから続くであろう先の見えない長い道を歩いていくことになる。
だから僕は、この話を伝えたいと思った。教育者という立場から言うのなら「道徳的実践力を養う」「正しい道徳観の涵養を目指す」といった堅苦しいものになるのだが、要するに、自分で考える力を持ってほしいのだ。何が正しいのか、どうあるべきなのか、そんなものは人の数だけ答えがある。
子ども達からは色々な考えが出た。
人は人、ポケモンはポケモン。
どっちも命。
ポケモンに助けられてる。
助け合って生きてる。
子ども達の言葉を箇条書きで書き連ねていく。
僕はこの問いに「答え」は出さないつもりでいる。
あの日、一緒に過ごしていけば貴方だけの答えが見つかると教えてくれた母のように。
『ひともポケモンもおなじ
↓
ひとも ポケモンも 互いに助け合う』
子ども達の声を繋ぎ合わせた言葉。黄色いチョークに力を込めて、書いた文字を丸で囲む。
「先生にこの言葉の答えは分かりません。だって、これは昔話だから。書いた人がどんな気持ちだったのか、予想することしかできない。だから、みんなで考えたこれが答えなら、それでいいと思ってる。」
この春、僕は初めて子ども達を送り出す。真っ直ぐにこちらを見つめる五十八個の瞳にあの日の自分を重ねながら。
その心の片隅に、今日の日が残ることを願いながら。
キュウコン本「社の雨」に乗せてそろそろ1年弱。
縦書きを横書きに直すのが面倒だったので、特に編集せずに文庫版の物を引っ張ってきました。ポケモンハードSF? な作品ですが、読んでいただけると幸いです。
※全角スペースだった所が半角スペースになってますが、心の目で全角スペースと認知して読んでいただけるとさらに幸いです……。
プラス、修正前のものを載せていたので修正させていただきました。ご迷惑をおかけしました
第六惑星のナインテール
1
輪っかのかかった惑星。土星。
うちらの故郷の惑星の地球とは違う。
もっとも、うちがこの土星の衛星タイタンに着いてから二〇〇年。うちや寿命の長いポケモン以外は代替わりしていてここが故郷になっている。重力は地球の一/七しかないこの環境も、二〇〇年生活していると慣れ親しんで、地球と同じ一Gのスペースセツルメントに仕事で行くと体が重くてしょうがないという事に皆なる。
土星圏に住む人類は一五〇万人。対して、ポケモンは四〇〇万匹。ほとんどの人類もポケモンもタイタンに住んでいる。そして今、タイタンではスペースセツルメントの建設ラッシュが始まっている。人口一〇〇〇万人単位で人を収容できる円筒形状の構造物を、一気に五〇基作り上げようというプロジェクト。これは、今後二〇年で計画されている第二次土星移住計画の一環。すでに一号基と二号基は外観が完成していて、互いを連結する事で人工重力を生みだしながらもジャイロ効果を打ち消す段階まで進んでいる。次のステップは内部の環境づくり。まだ、遠心力で重力は生みだしていても、中は真空状態なので建造物を作りながら、大気循環を整えて植物相による大気組成の補助を計算した上で街づくりをしていく。
うちら第一次土星移民団は長期計画に基づいて、第二次土星移民団の受け入れをする為に二〇〇年間タイタンで準備を進めてきた。
衛星タイタン。土星の衛星の中で最大の大きさを誇る。そして、地球をも超す厚い大気を持っている。ただ、うちら地球からきた生物は宇宙服なしではタイタンの地表を歩けない。大気の組成が地球と違うから。窒素と若干のメタンの大気。そして、メタンの雨。
何かしらの生物がいるんじゃないかという期待が昔から囁かれていたけど、アメーバ一つ見つかってない。
そんな星に第一次土星移民団は八回に分かれて到着した。
うちが乗ってきたのは、第一次土星移民団第三梯団の移民船。第一次梯団と第二次梯団の移民船は、そのままタイタンの地表で解体されて都市の建設資材になっていた。第三次梯団の移民船の半数は前の二回と同じ運命を辿って、残り半数は地球へ戻る科学者や、今まで集めたサンプルを乗せて地球に帰ってしまった。見ての通り、ほぼ片道切符だった。
うちは、キュウコン。うちは地球で第三次梯団のプログラマーの一家に預けられたキュウコン。何で預けられたかっていうと。この第一次土星移民団のほぼ全員が、何かしらの技能取得者で占められていて、ポケモンも人間に従順。もしくは、人間と意思の疎通が可能、人間の作業の補助ができる。この点に絞られて集められたポケモン達だったので、それぞれの仕事に合わせて各家庭に預けられた。
うちは、そこの家庭で「クリスティ」という名前をもらった。どうやら、タイタンを発見した人の名前からとったらしい。でも、考える事は同じなのか、地球で支給されたポケモンやタイタン生まれの第一世代に「クリス」が入っている子が多くて、ややこしい事になっている。まあ、それもご愛嬌って事で、タイタンには「屋号」が復活していた。大抵、苗字じゃなくて屋号で、「五本辻のクリス君」とか「大島屋のクリスティーナ」とか呼び合っている。
話は逸れちゃったけど、うちはそんな感じでタイタンに来た。今も、この一家の家に居候しているけど、本当に居候しているだけ。この星に来た時は、プログラマーをしていた「お父さん」の手伝いとして、言われたものを取りに行ったり運んだりをしていた。うちらキュウコンは人の言葉を理解できるので、軽作業の手伝い要員として選ばれていた。そのうち、「お父さん」が亡くなって子供達はそれぞれの仕事についてしまった。うちは、「お父さん」の勤めていた空調管理所に残ってもよかったけど、別の仕事の募集があったのでそれに応募してみた。
それが、今勤めている図書館。
場所は、タイタンの赤道付近にある首都『ホイヘンス市』の官庁街。ホイヘンス市を覆う与圧ドームの中心部に官庁街はあって、うちの居候している家からも近い。
仕事の内容は図書館司書の補助。書架の整理や司書に依頼された本を探してくる。それで、うちはお給料をもらってそれで自分の食い扶持は得ている。土星圏にいるポケモンの半数はこうやって、誰か人間と共に暮らしながらも自分の食い扶持は自分で稼ぐ事が当たり前になっている。
ただ、どうして“人間と共に暮らす”かというと、これは人間側の事情。ここではポケモンも人間も所在だけはしっかりと管理されている。特にポケモンは人間の庇護のもとにいないと保健所行き。どうしてって?
いくら人間と共に活動できる基準のポケモンでも、野生化したらどんな被害を出すか分からない。特に与圧ドームの壁が破られる事があれば、ここの住人は窒息死してしまう。
他にもポケモンに関しては制限事項が多い。その点は仕方がないとうちは思う。いざとなれば、ポケモンは人間の科学力に屈してしまうけど、暴れたポケモンの破壊力は通り過ぎる強烈な台風と変わらない破壊力をもたらす。だから、ポケモンも自立して収入があったとしても、人の庇護のもとにいる事を証明しないといけない。
ただ、ちゃんとうちらポケモンに対する配慮もある。人が一五〇万人もいれば色んな人もいる。辛く当たられるポケモンもいない訳じゃない。そういうポケモンがいれば、政府が責任を持ってポケモンの保護をし、新しい庇護者を見つけてくれる。
それが、衛星タイタン。
2
『字引きのクリスティ』
これは、うちの渾名。家の方は家で屋号があるのだけど、図書館に勤めてからそう呼ばれている。年の功は伊達じゃないって事だと思うけど。館長に「お前が人間なら、俺はクビだよ……」とボヤかせてしまってから、じわじわ街中に浸透してそう呼ばれてしまった。
朝起きるとまずする事、昔は人間の事を知りたくて新聞を読んでいたけど、最近は仕事の勉強の為に本を読んでいる。今後の為に、資格を取ろうと思っているから。
今の待遇でも全然構わないけど、趣味も兼ねてのもうちょっとランクアップを目指している。取る資格は、「司書補助士一級」。これはポケモンが取れる司書の資格の中で最上級。うちは今、二級を持っている。この際だし、一級を目指そうという訳。まあ、一級になれば給料も上がるけど、仕事の幅も増えるからね。取っておいて、損はないと思うんだ。
という訳で、今朝も家のみんなより先に起きて居間で『司書の手引き』の参考書を読み直している。これは何度も読んでいるから復習の範囲だけど、一番の難関は小論文。テーマが自由というのが困りもの。意図は分かるんだ、うちらポケモンの論理的思考力を測る為にあえてテーマを自由としていると……。
そんな訳で、うちは初心に帰って『司書の手引き』を読み直している。
「論文のテーマどうしようかな?」
思わずそんな独り言も出てしまう。
「姉ちゃん、まだ悩んでるの?」
遅れて起きてきた、この家の同居人であるプクリン。彼はこの星で生まれた第八世代に当たる。さすがに第八世代の人間の子供や、ポケモンは『クリス』の名前を受け継ぐ子は少ない。この子も名前は『アレックス』と、いたって普通な名前をもらっている。
「そうね。例年の合格者の傾向からすると、多少奇抜な答案じゃないといけないから……。うちはそういうの苦手だしな……」
「まあ、姉ちゃん頭固いしね……。ママさんとかに相談してみれば?」
「そうしよう」
ママさんとは、この家のお母さん。『サチヨ』さんという名前で、アレックスの一つ前の第七代の子。他にもこの家には、パパさんの『マホメド』さんと、第八世代に当たる娘の『マリカ』。あとは、付き合いの長い第六世代のお婆ちゃん『クリスティア』が住んでいる。ポケモンだと、うちとアレックスに、家庭内でポケモンと人間の通訳をするポリゴンの『カクバル』も家族の一員。
ママさんこと、サチヨさんは地球に留学した事もあるかなりのインテリ。タイタンに帰国してマホメドさんと結婚してからも、この街の私立大学で非常勤講師として教鞭を振るっている。専門学は野生生物学。全てが人工のこの街においても、野生とついてしまうものは少なからず生息している。代表格はネズミ。こればかりは、人間が行く所には何処であろうとついてきてしまう。あとは、ゴキブリなどの虫といった類。これも、どうやってもうちらにくっついてきてしまう。それらが、人工物の空間で共存していくというのをテーマにサチヨさんは研究を続けている。
ママさんに相談か、何かヒントでも出てくるかな?
仕事に行く前に、マリカの学校のお弁当と、マホメドさんと自分の分、そしてうちの弁当と四つの弁当を作ってくれて、朝食の準備も欠かさないママさんは本当に出来る女性だと思う。普通は、こうも出来る人はそうそういないんじゃないだろうか?
朝の忙しい時に相談するのも悪いから、『夜相談したい事がある』とカクバルに伝言をお願いした。
「いいわよー!! もし午後暇なら、研究室に来てもよいから!!」
あっという間に、ママさんからの返事が台所から響いてきた。
『じゃあ、一五時過ぎに伺いまーす』
うちは台所に叫び返す。人間には何を言っているか分からないポケモンの声でも、ポリゴン達がいれば翻訳に困る事はない。今では、知能が低いポケモンでもなければ大抵は会話が成立する。
「はいはい。待ってるー!!」
という訳で、アポが取れた。
朝食を早々に済ませると、家事をするアレックスとカクバルを残して、仕事へ学校へとみんな家を出る。
『いってらー!!』
アレックスの元気な声に送り出されて、うちらはそれぞれの目指す方向へ別れる。うちは、歩いて官庁街の方へ向かう。
官庁街も含め、この街の乗り物は全て電動式。なぜかというと、広いとはいえドーム空間内で化石燃料を燃やしたら、あっという間に空気浄化設備の限界を超えて一酸化炭素中毒でみんな死んでしまうから。これは、建設済み建設中のスペースセツルメントでも同じ。どうしても馬力が必要な物は水素式エンジンを使っている。酸素を消費するのは仕方ないけど、生成される水は電気で分解する事でまた酸素と水素に戻す事ができる。そのために必要な電力は、タイタン周辺の宇宙空間に浮かぶ太陽電池からマイクロウェーブで送電されてくる。
限定された空間だからこそ、地球以上に環境について考えないといけない。これはうちらがここに『ホイヘンス市』を建設した時からの生存上の課題。小論文のテーマも、環境についてでよいかな?
でも、手垢がついてそうだしな……。仕事中に、余裕があったら論文検索でもして確認してみよう。
官庁街は、商業区に比べると朝の人通りも少ない。非常時の為に政府機関は、複数の都市に分散しているせいもあるけど、今はスペースセツルメント建設のために出張で宇宙に上がっている公務員が多いからなんだろう。
まあ、おかげで仕事場の図書館は閑古鳥が鳴いている。何しろ官庁街にあるっていうだけあって、法律や政策に関する本を中心に収蔵している。そのせいもあって、一般の人が本を借りに来る事はあまりない。
従業員口のセキュリティで、左前脚に埋め込んだICチップをかざすと認証されて扉が開く。このICチップはセキュリティだけでなく、人もポケモンも個人を特定する物として、生後すぐに腕か前脚に埋め込まれる。これがあるおかげで、買い物も交通機関の乗り降りも家の鍵の開け閉めも何でもできる。
従業員口から中に入って、個人ロッカーに荷物を詰め込む。職員である証のスカーフを、四苦八苦して首に巻くと準備完了。
『おはようございます』
図書館のカウンターに入ると人間の司書が二人と、ポケモンが三匹くつろいで座っている。
「おはよう。勉強は進んでいるかな?」
くつろいでいる人間の一人。ここの館長さんに挨拶がてら、聞かれてしまった。
『まあ、まあまあです。うちに残っている課題は、小論文です』
「あれは毎年、受験者を叩き落すための科目だからね……。対策は練っているだろうけど、奇抜過ぎても駄目だからね」
館長さんはお茶を飲みながら、軽い感じで言ってくる。あまり心配はされてないみたいで、ちょっと複雑な気分。まあ、小論文以外はうちと館長さんで模擬テストと模擬面接を何回も繰り返して、手応えはあるから心配されてないんだろうけど。
『あー!! おくれましたー!! すいません……』
始業開始ギリギリに飛び込んできたのは、うちと同じポケモン職員のカイリキー。
「よし、遅刻の常習犯もきた事だし。業務開始といくか」
館長の一言で、うちらはそれぞれ仕事にかかる。
いま、うちが担当しているのは書籍のデータベース管理。まあ、その中には論文の管理も含まれている。うちはまず、図書館が開館する前にネットで予約の入っている本と論文を手配する。本の方は、返却されていない本があった場合は、直接利用者にメールで催促をして、新刊の場合はデータか紙媒体の本かどちらかを手配する。
出版社が土星圏にあればすぐ手配できるけど、地球にしかない場合は問屋を通してデータを送ってもらう。利用者から紙媒体を求められたら、ホイヘンス市内の印刷所に製本を依頼する。
論文に関しては、総合的なデータベースが地球にあるのでそこに問い合わせをする。ただ、惑星間の通信は惑星の位置にもよるけど、分単位、数時間単位で問い合わせに時間がかかる。なので私は、問い合わせの多い論文は論文の管理者に問い合わせて、この図書館でデータベース化させてもらっている。
3
今日も、開館前に予約の処理を済ませてしまう。返却期限が切れた本の借り手にメールを送信して、あとは予約が殺到している本に関して、先着順に貸し出し許可のメールを出す。
最近の貸し出しの流行は、役所の人達からの問い合わせの多い宇宙空間での建設管理業務の法令集。ほかには、建設作業員の宇宙線による被曝回避の防護マニュアルなどの専門書や実用書。
次いで多いのは、今は六月の終わりで、八月の夏季休業にあわせて旅行にでも行くのか、木星圏や小惑星帯の観光地のガイドブック。こっちの方は民間人からの問い合わせが多い。
『今年の最新ガイドブック、発注するかな?』
出版社から送られてきたダイレクトメールを確認しながら、発注をするか悩む。発注するといっても、うちが発注したい旨を館長か司書の主任に確認してからになるけど。
『正直、毎年代わり映えしないんだよね……』
「リクエストはきているのか?」
館長が私のディスプレイを覗き込む。
「大して来てないなあ……。もう少し様子見でいいだろう。バカンスシーズンはもう少し先だ。ほっとけ」
そう言い、勝手にディスプレイの画面から、メールボックスを閉じてしまった。
「それより、どうせ今日も暇だろうから手が空いたら小論文の題材でも探しておけ」
『じゃあ、そうさせてもらいまーす』
という事で、忙しくなるまで書架の管理を同僚達にお願いして、うちは小論文の題材になるようなものがないか探し始めた。
『遠隔地間での書籍情報の共有』
『近似的要素を含む作品の著作権所有者決定裁判の判決事例』
『国連文化事務局年次報告書から読み解く十年計画』
うちの興味を引いたのは、この辺。ただ、一つ目はこの内容で多少奇抜な物を求められても難しい。
二つ目は、人類が太陽系中に散らばった為に起こるようになった裁判に関する事。ありとあらゆるデータのやり取りに分単位、時間単位のタイムラグが生じる。書籍に限ってしまえば、ほぼ同一と思える内容の本が別々の星で出版されて、しばらくして内容がかぶっている事に気がついたそれぞれの作者が裁判を起こす。そんな事が近年増加しているので、判例集や対策マニュアルなどが登場してきている。この問題に対する、解決策を提示する小論文もいいかなと思う。この話題は小論文の候補として高い。
三つ目は二つ目とかぶるところも多いけど、国連で文化事業の書籍に関する部分の十年計画について読み解いて、今後の出版業界のあり方について考える小論文にすればいいか。
というところなんだけど、正直うちの目から見ても奇抜さを出すというのは難しい気はする。
結局、奇抜さってなんなんだろう?
試験の小論文は配点比率が高いせいか、過去の模範回答なんかは出回らないし、合格者にも箝口令が敷かれていて内容が漏れ伝わる事がない。だから余計に頭の固いうちみたいなポケモンは、頭を抱えてありきたりな論文提出で落とされる。
正直、柔軟な思考って難しい。
お昼。うちのシフトは一三時までだから昼休憩は無し。なので、昼休憩をみんながとっている間に、同じシフトのサーナイトと二匹でカウンターに座って仕事している。意外とお昼ってこの図書館は混み合う、昼休憩時間に本を借りに来る公務員の皆さんがやって来るから。
「暇だね」
「うちら、いらなくない?」
さっきから、サーナイトと同じ会話しかしていない。一応、水曜日の平日なんだけど。まだ出張で宇宙に上がった人達が、帰ってきてないのもあるのかな……?
「帰ろうか?」
「早退しようか?」
欠伸しつつも、やる事がない訳じゃないから、視線をカウンターのディスプレイと図書館全体と交互に動かしながらデスクワークを片付ける。隣のサーナイトも同じように、自分の仕事をこなしていく。
彼女は、うちと同じ図書館司書の補助の仕事と、保安の仕事も請け負っている。彼女はこの星の生まれの第八世代。地球生まれの、うちから見ればひ孫みたいな感じ。ただ、キュウコンという種族が長寿なせいか、うち自身あまり年の差というのを気にはしてない。うち自身まだ若いつもりだし。そんな訳でか、ひ孫みたいなこのサーナイトとは親友のような感じになっている。そんな彼女も、うちに対して気安く接してくれる。
「クリスティは一三時上がり?」
「ナナコも一三時でしょ」
「そうなんだけど、仕事の後暇?」
「あー、ごめん。ママさんと一五時から約束があるんだ……」
「ありゃ、ごめん。じゃあ、また今度」
ナナコことサーナイトは、残念と少しため息を漏らすと仕事に戻ってしまった。何か相談事でもあったのだろうか?
今晩、電話してみようかな?
4
『お先、失礼しまーす!!』
「図書館で大声出すなー!!」
いつものやり取りを終えて、仕事を上がると休憩室で遅めのお昼を食べる。一四時までにはここを出ないといけないから、急いでお弁当を食べる。
ママさんの働く私立大学は、官庁街から離れた与圧ドームの外周区の側にあるので、地下鉄で一時間弱かかってしまう。急がないとママさんを待たせてしまうので、食事も早々に切り上げて、カバンを背負うと駅まで急いで向かっていく。
基本的に与圧ドーム内の移動は地下鉄か、路面電車にバス。後は自転車に歩きが主流。電気自動車も走っているけど、交通網は公共交通機関がホイヘンス市内を網羅しているので、自家用車で移動という概念はあまりない。そんな、タイタンの各都市間の移動方法は軌道エレベーター。ただ、軌道エレベーターは赤道上にしか設置できないので、基本的にタイタンの都市は赤道上に存在している。それ以外の場所になると、航空便が飛んでいる。飛行機ももちろん電動式。こっちは水素エンジンの飛行機はない。何でかっていうと、大気中のメタンガスに引火したら、大惨事になるので静電気による発火もご法度。静電気が発生しそうな場合は、航空便はすぐに欠航になる。だから、あまり軌道エレベーターを使わない赤道外の都市は多くない。
小論文の事を考えながら四六時中過ごしていると、どうしても無駄にタイタン開拓史を反芻してしまう。ただ、思い返してみるというのも復習にはなるのかなと思いつつ、駅の改札をくぐる。
ちょうどホームに入ってきた南北線に乗れた。あとは南駅で外回り線に乗り換えてしまえばいい。そのまま、何気なく地下鉄の路線図を眺める。外回り線、内回り線、南北線、東西線、新外回り線、新内回り線、軌道エレベーター線。市内に張り巡らされた、地下交通網はざっとこんな感じ。地上は地下より複雑な交通網になっているからなんとも説明しがたいけど、この街の構造的に道という道は街の中心部から放射状に伸びていて、それらの道は円を描く環状線で結ばれている。そして、要所要所を結ぶバスや路面電車が走っている。
地下鉄で一番新しいのは軌道エレベーター線で、東西線の西駅で乗り換えてドーム外に作られた軌道エレベーターの基部まで伸びている。そこから先は、軌道上から吊り下げられているエレベーターでステーションへ登ると、各軌道エレベーター行きのリニアに乗り換えるか、宇宙船に乗り換えて土星の衛星軌道を回る人工構造物の『土星港』に行ける。
『土星港』は第一次移民団の第一梯団が母船として使っていた大型移民船を母体に、年々拡張を繰り返して、外航航路の主要基地となっている。ここから地球や火星、木星などへの外航船や、建設中のスペースセツルメント群へのシャトル便が出ている。うちは土星港自体この一〇〇年ほど行ってないから、最近の充実っぷりは噂でしか聞いてないけど、一大娯楽施設としての機能もあるらしい。昔は、本当に寂れた田舎の空港って感じだったんだけどね。
さてさて、そんな事考えていたら南駅に到着。そのまま乗り換えて『タイタン科学技術大学駅』で下車して、名前の通りの『タイタン科学技術大学』の校門をくぐればママさんの所にたどり着く。
タイタン科学技術大学は、私立大学としてタイタンに最初にできた大学。最初は、技術者速成の専門学校だったけど、社会インフラが充実してきた頃に大学となり長期的な研究をする機関という事で私立大学として発足した。
うちのママさんもここの卒業生で、院に関しては先端学問を学ぶ為に地球に留学したけど、帰って来てから後進の学生を相手に教鞭をとっている。
校門をくぐると、セキュリティの警備員に用件を告げて、構内に入る仮のIDを発行してもらう。それを左前脚のICチップにダウンロードして終了。今日一日は校内を好きに移動できる。
何度か来た事があるので、そのまま正面玄関から建物の中に入って、セキュリティゾーンの研究棟に、発行してもらったIDを使って入る。研究棟と大仰な名前が付いているけど、研究と称して実験など大掛かりな事をするような、大きな研究室は大抵独自の建物を持っているので、ここはママさんの様な非常勤講師の控え室兼個人資料室的な場所になっている。まあ、ママさんの研究テーマみたいにフィールドワークで済む様な場合は、図書館も近いここの研究棟の方が勝手がよいという事らしい。
物理学や化学の実験を伴わない研究室もここに集まっている。階段を上がって、廊下を歩いてすれ違う学生達に声をかけられたりしながら、ママさんの研究室に向かう。
ドアフォンに脚のICをかざしてベルを鳴らす。
『失礼します!!』
自動ドアが開き、中から防虫剤の微かな匂いとコーヒーの匂いが漏れ出てきた。
「いらっしゃい」
いつもと変わらないママさんの声だけど、どこか凛とした感じがする。場の雰囲気なんだろうかな。
勧められるままに室内に入る。中は虫の標本や動物の剥製、分厚い博物学関係の本が戸棚に綺麗に並んでいる。ただ、来客用の応接セットとママさんの机は資料の本や、論文のコピーや、メモに書きかけのノートとかで埋まってしまっている。そんな状態でも、コーヒーカップを置く場所だけは作って、パソコンと向き合っている。
「ちょっと待ってね。レポートの採点がもうすぐ終わるから」
仕方ないので、室内の標本や剥製が収められている棚を眺める。標本はママさんが地球で採集してきたものもあるけど、ほとんどはタイタンにいつの間にか潜り込んできた虫達。剥製の方もネズミが主体だけど、いつの間にかタイタンに居ついている小動物達。全部、ママさんが標本や剥製にして保存している。この部屋の防虫剤の匂いは、標本や剥製に虫がつかないように戸棚に防虫剤が置かれているから。戸棚が閉めてあるから、そこまで強烈な匂いじゃないけど、ガラス戸を一つでも開けたら卒倒するにに違いないなあ。
「はい!! おまたせっ!!」
ぼーっと、ネズミの骨格標本を眺めていたら、ママさんに声をかけられた。
パソコン越しにこっちに顔を出して、ママさんがうちを見ている。
「司書学の小論文にするの?」
ママさんに『小論文の題材を司書学について』でどうかと単刀直入に聞いてみる。そうしたら、返ってきた返事は前述の通りだった。
『ありきたりですかね?』
「悪くはなさそうだけど、ちょっとインパクトに薄いかな?」
ママさんはコーヒー片手に一緒に考えてくれている。
自分のデスクに腰掛けたままのママさんは、天井を見上げて何事かつぶやいている。うちは、その様子を応接セットの机に置かれたお菓子をつまみながら見て待つしかない。
「そうね。今度の土日仕事ないよね?」
『はい』
「よし。じゃあ、私の出張に付き合って。いい参考になると思うわよ?」
『出張?』
ママさんは壁に貼ってあるカレンダーを指差す。
「そう。建設中のスペースセツルメントに出張。多分、あなたの目からウロコが落ちるわよ……」
なんだか含みのある言い方だったけど、特に断る理由はないし。うちは、ママさんの出張についていく事にした。
その後は、出張の内容を教えてくれなかったけど、ママさんが最近市内で見つけたネズミと虫の話をしてくれた。ここ二〜三年で急速に広がってきたらしい。どれも、地球からの貨物や、客船にくっついてきたのだろうと。土星港ではその七〜八年前から、木星では一五年前から見られるようになったらしい。地球の生き物達は徐々に人の手を借りて外の世界へ旅立っているという。人の手を借りていても、人の管理を受け付けない生き物達は脅威となるのか? それとも良き隣人として共存していくのか? ママさんはその事がどう影響するかそれを今も追っているという。ただ、年々新参者が参入してくるので、この小さな生態系の変化は激しいみたい。
上位種は常に移り変わって、先が読めない。そこがまた面白いという話だった。
二時間ほどママさんの講義を聞いて、そのままママさんと帰宅した。
5
その晩、うちはサーナイトのナナコに電話した。
一コール、二コール、三コール……。
「もしもし? クリスティ?」
「遅くにごめん。あと、昼間ごめんね?」
寝ぼけた声がしたから寝ていたのかもしれない。
「ああ、大した事じゃないけど、ちょっと小耳に入れた事があって。サチヨさんなら何か知ってるかなって?」
「ママさんが? 何で?」
ちょっとした間。
「ん〜。私の家、建設局で働いてるでしょ? で、小耳に挟んだんだけど。建設中のスペースセツルメントに地球から新しい管理局長が来るって話」
「何かママさんと関係あるの?」
電話の先で、軽く溜息が聞こえた。
「仮にも司書なんだから、新聞読んでるでしょ? 月で起きた事件」
月? 月? 確か、この前野生化したポケモンが与圧ドーム内で暴れて、非居住区の隔壁が破られたとか?
「野生化ポケモンが暴れた事?」
「そう、それ。それで、地球から来た管理局長がサチヨさんに、何か諮問するって話だけど?」
「聞いてないな? でも、うち。今度のスペースセツルメントの出張に、付き合う事になったなあ」
でも、それが、ナナコに何の関係があるのだろう?
「じゃあ、もしサチヨさんからなにか聞きだせたら教えて。何でも、管理局長は、ポケモンの行動に関する決まりを厳しくするために来たって話だから」
「へえ」
今度は、電話口から思いっきり溜息が聞こえた。
「暢気ねえ……。まあ、とりあえずお願いね」
「ん〜。うちでよければ聞いておく」
確か月はあまりにも人もポケモンも増えすぎて、人間のもとから逃げ出したり、人間が捨てたりしたポケモンが社会問題になっているんだっけ?
資料になりそうな物を、ネットワークから探す。
月への移民は、うちら土星への移民が始まるさらに一〇〇年前にはじまった。地球に近かったせいもあったのと、宇宙空間でもポケモンとはうまく活動できるだろうという楽観論が混ざって、人間達は地球にいる感覚でポケモンと暮らしていた。
月にジムが建設されたり、ポケモンリーグが組織されたり。野生のポケモンが街中をウロウロしたり。ポケモンの育て屋が血統書付の強い個体を売り出す中で、使えない個体を勝手にその辺に捨てたり。そういったポケモン達が人知れず増えていった上に、トレーナーが求めるポケモンは大抵強いポケモン。個体としては弱くても、種としては強いからバトルという物を抜きに考えると危険極まりない存在となっている。
そんな歴史があって、つい最近といっても半年前だけど。いつの間にか成長して、進化を繰り返していたガブリアス達が見つかって保健所が駆除に乗り出したものの、腐ってもガブリアス。しかも一〇〇匹近くもいたという事で、大捕物になって月のある街の隔壁が破壊されたって。そんなニュースがあった。
それで、対策にママさんがスペースセツルメントに出張ってなったのかな? 明日聞いてみるかなあ?
6
結局のところ、ママさんからあまりはっきりとした返事はもらえず。
「まあ、ついてらっしゃい。お友達には帰ったら詳しく話せばいいしね」
と、はぐらかされてしまった。
ナナコにはひとまず土日の出張から帰ったら話をするという事を話して、もやもやする木曜日と金曜日を過ごした。そして、金曜の夜に荷物を持ったうちとママさんは、軌道エレベーター線でホイヘンス市の軌道エレベーターに向かっている。
軌道エレベーターを見上げると、地面から巨大な塔が上空に伸びている様にしか見えないけど実際は逆。軌道エレベーター自体は地上と接していない。軌道上からこの塔の様な建造物が、地上すれすれまで垂れ下がっている。だから、一言でいうと、地上すれすれの場所で浮かんでいるなんとも不思議なものなんだけど、何で浮いているかは遠心力とか色々な要素が絡んでいるから、専門外のうちにはよく分からない。人が乗り降りする時だけ一瞬、扉の渡し板が星と接するぐらい。
タイタンは日常をつつがなく過ごしているけど、この土星圏は只今スペースセツルメントの建設ラッシュ中なので、土日を利用して自宅に帰る人達が、軌道エレベーターを使って宇宙から降りてくる。そんな帰宅ラッシュをよそに、うちとママさんは人混みを逆流して軌道エレベーターの搭乗口へ向かう。
ホイヘンス市の軌道エレベーターは三〇分に一本の頻度で運行している。
与圧区画の搭乗口で他の利用客と待っているけど、週末のこの日この時間に宇宙に上がろうという人は少ない。搭乗口の窓から外を眺めていると、タイタンの分厚い大気の向こうに太陽光を受けて微かに光り輝く土星が見えた。そして、上空に浮かぶ雲を突き破って軌道エレベーターの昇降機が降りてくる。
軌道エレベータの基部まで降りてきた昇降機は渡し板が繋がれて、搭乗口のボーディング・ブリッジが伸びる。まず、降りる乗客が退場ゲートに向かう。搭乗口で待機中のうちらは、昇降機内の清掃、安全点検が確認されてから中に通される。
昇降機の中は閑散としているけど、そのおかげでゆっくりと寛いで過ごせた。
気密の為に窓がないから、壁に設置されたモニターを眺める。モニターには現在高度や、外の様子、軌道ステーションでの乗り継ぎ便の情報やニュースが代わる代わる紹介されていく。
しばらく待っていると、ズンッと潰される様な感覚を感じて、そのままモニターの高度表記が上昇を始めた。徐々に加速をしていくので、それに合わせて体感的なGも大きくなる。ただそれもしばらくして、加速に体が慣れてくると体にかかっていた重みから解放されていく。うちは、荷物を降ろしたような感覚にホッとして。床に伏せて丸くなる。軌道ステーションまで一時間ちょっとだから、眠っていこう。
うとうとしつつも、徐々に体が重力から解放されていく感じがしてきた。久々の宇宙。ずっとタイタンにいたからこの感覚も懐かしい。
「クリスティ。着いたわよ?」
いつの間にか眠ってしまっていたのか、天井にくっ付いていたうちをママさんが引っ張って降ろしてくれた。まあ、宇宙空間には上下の概念がないけど、平面空間で生きてきた地球の生物には擬似的にでも上下が必要な訳で。宇宙に上がる時はしっかりと自分で上下の概念を持ってないと、脳が混乱して酔ってしまう。
ひとまず、床と天井を把握してママさんと昇降機を降りる。
通常だと、このまま土星港行きの出発便ロビーに行くのだけど。今回は、スペースセツルメント建設作業員達が一時帰宅の為に乗って来たシャトルがある。なので、そのチャーター便に乗せてもらって、建設中のスペースセツルメントに向かう。うちとママさんは、チャーター便のロビーで手続きを済ませて、チャーター機に乗り込む。チャーター機内は無重力なので、磁力靴を履いてふわふわ浮かび上がらないようにしないといけない。
この後は、八時間のフライトになるので、現地到着は翌朝の予定だからもう一眠りしていこう。チャーター便の同乗者達も同じ考えなのか、みんな毛布を体に巻きつけて眠り始めた。ただ一人、ママさんだけは何かの資料をじっと見つめて、時々ペンで何かメモを書き付けていた……。
7
『間もなく本機は“スペースセツルメント一号基”発着場に到着します。減速の加重に備えてください』
音量大きめの機内アナウンスで目が覚めて、座席のモニターにシートベルト着用のサインが出ているのに気がつく。うちは慌ててシートベルトを締めるけど、人間用のシートベルトがどこまで役に立つのかは正直分からない。
ママさんはすでにシートベルトを締めて、座席のモニター越しにだんだん大きくなってくるスペースセツルメントを見ている。
直径六キロメートル、全長三〇キロメートル。それが二基直列に繋がっていて、ジャイロ効果を打ち消すために一方は時計回りに、もう一方は反時計回りに回っている。
『大きい……』
あまりの規模に、思わず単純な感想しか出てこなかった。
「そうね。この一つに人口八〇〇万から、一〇〇〇万人の住人が住むんだから。二つ合わせて二〇〇〇万人弱……。見て、今は真空だけど。空気タンカーが集まってきてる。近々、気密試験と空気注入が始まるのね。その後は、植物相と生態系の調整をして建物を建てて、地球に溢れかえる人々を受け入れる。火星でも、木星でも同じプロジェクトが進められてるけど、はるばる土星まで人間は何しに来るのかしらね……?」
ママさんが言うように、空気タンカーが大小数十隻スペースセツルメント一号基と二号基の周りで漂泊している。そして、見える範囲では、何基ものスペースセツルメントの骨組みが形作られている。第二次移民団は5億人。タイタンは第二次移民団が来ると、その役割の大半をスペースセツルメントに譲って、小さな衛星都市圏として余生を過ごす事になる。
それが二〇年先まで迫っているなんて想像がつかないし、今タイタンに住んでいる人口の三〇〇倍以上の人間が押し寄せてくる事も想像がつかない。土星圏はどうなってしまうのだろうか? それよりも、愛着のあるタイタンは寂れてしまうのだろうか?
「さてと、仕事終わらせて、さっさと帰りたいわね」
『管理局長との会談?』
「そう。まあ、クリスティを誘ったのも、小論文の題材にいいかなっていうのと、私のサポートして欲しかったていうのもあるしね」
『サポート? 何すればいいの?』
シャトルが逆噴射を始めて、減速に伴う反動が全身を前へ押し出そうとする。
「大した事じゃないから、いつも通りにね!!」
『はあ?』
あんまり多くを教えてくれないママさんに苛立ちを覚えつつも、初めて訪れるスペースセツルメントにうちは釘付けだった。モニターいっぱいに広がる建造物に、ぽっかりと空いた穴が入港口だった。減速しながら徐々に入港口に近づく、画面いっぱいの建造物はもう全容を捉えられない。
ガイドビーコンにの流れに乗って、シャトルは土星圏最大の建造物の中に入った。入ってすぐに、ロボットアームに掴まれてドッキングハッチまで引っ張られていく。そして、ドッキングハッチに接続されると、扉のロックが解除されて乗客達はシャトルの外へ出て行く。うちとママさんもシャトルを出て、仮の到着ロビーに案内される。港の周りはすでに空気が入れられていて、空調も整っているみたい。
「さてと、一流ホテルはないけど。泊まる部屋は用意してくれているから、荷物を置きに行きましょう」
ママさんが手にしたスマートフォンの案内を見ながら、作業員区画の貴賓室まで歩いていく。建設中とは言え既に回転する事で人工重力が生み出されている。もちろん地球の重力に合わせて一Gで。久々の重力感覚に体が悲鳴を上げているけど、タイタンの住民は、人もポケモンも一定以上の筋力を維持する事が健康診断で決められているので、そこまで苦にはならない。けど、荷物が重く感じてしまう。
普段はここで建設作業なんかをしている人達が寝泊りする場所だけあって、設備はちゃんと整っている感じがするけど今は閑散としている。みんな、タイタンに帰ってしまっているからかな。
貴賓室といっても、多少他の部屋より広くて調度品が整ってるだけで、確かにホテルと比べるものではないなあ。窓もないし、ちょっと大きめのテレビが一台と保安センターにつながる電話が一台。
うちとママさんは荷物を置くと、ひとまず朝食を食堂で済ませて、到着した時の仮の到着ロビーに向かった。
到着ロビーには役所のお偉いさんとか、建設現場の監督とかが揃っていた。
「これから、管理局長が来るから。まあ、普段通りに礼儀よくしててね」
『分かった。でも、うちが邪魔なら部屋に戻ってようか?』
ママさんは静かに首を振る。周りの役所のお偉いさんや、現場監督達もポケモンを傍らに待機させている。人間達はどこか緊張した面持ちだ。ナナコが言っていた様に、今度来る管理局長というのは、ポケモンに対して厳しい人なんだろうか? でも、ここ土星圏では人間もポケモンも同等に近い権利を有している。そうしないと社会が回らないから。その事を、この人達は管理局長に訴えるつもりなんだろうか?
ママさんはお偉いさん達の輪から離れた場所に立っているから、自然とうちも他のポケモンの輪から離れている。輪の中でどんな話が交わされているのか気になるけど、もう直ぐ管理局長が来るらしいので、おとなしくママさんの後ろで座っている。
遠心力が生み出す人工重力のせいだけじゃない、なんとも言えない重たい空気が場を支配している。なんというか、しっぽ一本動かすのも憚れるそんな感じ。時々、視線を動かすと他のポケモンと視線が合うけど、互いに無言で頷く事しかできない。
8
「では、第一回スペースセツルメント環境会議を開催する」
地球から来た管理局長を迎えて早々、うちら一行は会議室に向かいそのままの流れで会議が始まった。お題は第一声を上げた管理局長の言う通りなんだろうけど、立ち上がって周りを見る管理局長の視線はどこか厳しい。視線が合っても逸らしてはいけない。そんな感じがする。
「まず、先ほど月で起きた野生化ポケモンの対応については事前会談で説明した通りだ。異議は後ほど伺うとして。ポケモンを管理した状態で、二〇〇年過ごした貴方がたタイタン人の意見を伺おうか? スペースセツルメントには一基最大一〇〇〇万人の人間と、その住人が各々持ち込むポケモンが生活する事になる。
勿論、タイタン人がポケモンを選別の上この地を踏んだ事例を踏襲すれば何の問題もない。しかし、この度の第二次移民団は人間もポケモンも選別された特技技能者の集団ではない。一般人、あえてきつい言い方をすれば、地球での食いっぱぐれの連中だ。不逞の輩も紛れ込むだろうが、五億ともなると見極めは厳しい。人間の管理監視は警察がすればいいとして。今後想定されるポケモンリーグ創設待望論とそれに付随する、過度な厳選による不法に遺棄されたポケモンの対応について忌憚のない意見を言ってくれ。月の事件の後でもあるという事と、地球から最も離れた場所に住む者として、各種支援が遅れる事を想定して述べてほしい」
誰の口も挟む事を許さない調子で一気に要件を管理局長は述べると、ドスンと椅子に腰掛けて次の発言者を待った。
「よろしいでしょうか?」
最初に起立したのは、警備局の局長。顔に見覚えがある。今は五〇を超える年齢だけど、若い頃はうちの勤める図書館に足繁く通っていた人だ。
「警備局長。どうぞ」
「環境会議という場ですが、環境は専門外なので最初に安全管理面だけでも意見させていただきます。
まず、建設局での資料では外殻は五重の層になっているので、通常のポケモンの技では五層に渡る隔壁の貫通は不可能となっています。これは警備局でも確認済みですが、月での例を参考にすると、不法に遺棄されたポケモンが行き着く先は、こういった外殻の人の立ち入らない区域になります。
その場合、五層にも及ぶ外殻を持つスペースセツルメント五〇基をもれなく警備巡回する事は、警備局と保健所の職員総出でも不可能と考えます」
そう言って、警備局長は席に着く。彼の後ろにはルカリオとカイリューが控えているけど、それぞれがなんとも苦渋に満ちた顔をしている。その意見を無表情で聞いていた管理局長は次なる意見を促す為に、会議場を見渡す。
「環境局局長のイシハラです。
先ほどの警備局長の意見に補足ですが。スペースセツルメントに大気循環等の設計耐久は人間一〇〇〇万人に、ポケモンが種によりますが二〇〇〇万から二五〇〇万匹を想定しています。ただ、過度な厳選が行われた場合試算では、年間最大二〇〇万匹のポケモンが卵から孵る事になり。大気循環は追いつかず各スペースセツルメントは二酸化炭素の蓄積により酸欠を起こしてしまいます。
よって、事前に法整備を行い、育て屋産業の規制と免許制。抜き打ち検査等の実施を行うべきと考えます」
環境局長もそれだけ言うと座る。
「持ち込む、種の淘汰という選択肢はあるのかね?」
管理局長が、鋭い視線を環境局長に向ける。
「それに関してですが……」
ここで、ママさんが立ち上がる。
「あなたは?」
相変わらずの厳しい視線で管理局長がママさんを睨む。
「タイタン科学技術大学のクスノキ・サチヨと言います。限定空間での野生生物学を専攻してますので、今回環境局のアドバイザーとして参加させていただきました」
「ふん」
「持ち込む種の淘汰に関してですが、我々の先祖が行ったように限定させる事は可能と思いますが、現状一五〇万人の人類という小世帯なので、環境局の規定するポケモン以外が紛れ込んできても水際で対処できます。
ただ、五億人もの人間に対して届く経済物資に紛れ込んだポケモンの水際での対処は不可能に近いです。現にポケモンでないからと、対処が追いつかずタイタン中に広まった哺乳類、爬虫類、節足動物などはかなりの数になります。
アドバイザーとして言える意見は、育て屋の規制以外にポケモンによる自治という事をお勧めします」
管理局長は身を乗り出して、ママさんを睨む。この人はこの場に対して何が不満なんだろうか?
「つまり君は、人間は人間。ポケモンはポケモンで管理しろと言いたいのかね? 君らタイタン人は選ばれた優秀なポケモンにだけ囲まれているからそんな発想をするのだろうが、現実は甘くはない。人間に一切触れた事がないポケモンが、人間に対して見せる敵意は真空で浮かぶ構造物では危険極まりないと思わないかね?」
「その点は、私は地球に留学した事があるので理解していますが、今の技術で人とコミュニケーションが取れないようなポケモンでも、ポケモン間ではコミュニケーションが成り立ちます。
そういう事例は、すでに過去から多数の論文で検証・確認されています。広く教育されたポケモンを野生化したポケモンと交流させる事で、人間ができないポケモンへの教育という課題をクリアしてくれると思いますが如何でしょうか?」
ママさんは、あえて感情のこもらない表情で管理局長を見ている。
「では、君の後ろにいるポケモンに聞いてみよう。彼女は第一次移民団で渡ってきた古老のようだからね」
えっ? うちの意見? 聞いてないよ……。
会場の視線がうちに集まる。
「好きな事言いなさい」
ママさんが唇を動かさずに、うちに小声でそう告げる。
「では、クリスティ君。君は相当な勉強家のようだ。資料を見ると、様々な技能を持っている。
そんな君に聞きたい。例えば、幼くて知能も低いナックラー。それに対して、君は教育というものの効果を発揮できると思うかね?
特に厳選の際に捨てられたナックラーであれば、地割れなどの危険極まりない技を習得して生まれてくる。どうかね?」
『うちは、粘り強く語りかければ克服できると思います。既に、この星で生まれた第一世代の子供達から数えて八世代に渡って、同じ一家にお世話になっています。生まれたて人間の子供は技こそ使えなくても、知能的には極めてレベルの低い状態。感情に支配された時期がありますが、それでも粘り強い親の声かけで緩和されます。
ポケモンも同じだと思います。ただ、育て屋の規制や知能の低いポケモンを低いまま放置するだけでなく、レベルを上げ鍛える事で社会に組み込んで、人間との共生を図る事は可能だと思います』
うちは、それだけ言うと管理局長が頷いたのでへたれこむ様に座った。
そのあとの会議は、放心状態でよく覚えてない。後でママさんから聞いた話だと、育て屋の免許制と、トレーナーの基礎教育。ポケモン同士によるコミュケーション実験などの研究課題が次回の会議までの課題として決議されたという。
うちは部屋に戻ると、緊張といつもより強い重力から来る疲れに負けて、床にへばりこんでしまった。
「いや〜。クリスティを連れてきて良かった。期待通りに、話を持って行ってくれたしね。後は、あなた自身の課題のテーマもできたんじゃないの?」
『テーマ……。自分であんな事言ってしまったし。小論文でやらないとダメだよね?』
「締め切りまでにうまく纏められれば、合格間違いないと思うけど?」
あ〜。『ポケモン間による教育効果と限定空間でのポケモン自治』という、大学レベルの小論文を書く羽目になってしまった。うちはどうしたらいいのやら……。
衛星タイタン。土星の周りを回る衛星。土星圏は変革期を迎えている。うちらポケモンも、自分達の権利を主張しないといけない。人間にくっついているだけの存在では、この宇宙では生きていけない。人間と肩を並べて、種族を超えた絆をさらに深めて、新しい時代を切り開かないといけない。うちが先陣を切る事になるとは二〇〇年前に地球を出る時には想像もしていなかった事だけど、これも運命なのかもしれない。
宇宙に進出してポケモンと人間の関係は変わってきている。技術の進歩もあるけど、環境の変化もある。ここを乗り越えないと、うちらポケモンと人間は袂を分かってしまうかもしれない。
これから先は読めない事が多いけど、未来なんて読めないもんだし。ここはひとつ一肌脱いでやってみよう。
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さる画家の老人から聞いた話。
ドーブルにはすごく稀に尻尾の絵筆が黒いの色のたドーブルがいるそうだ。
そのドーブルが黒で絵を描くと、絵はひとりでに動き出すらしい。
図工の時間が嫌いだった。
家は貧乏だから僕は絵の具を持っていない。
物のない時代、兄弟の一番上だった僕には兄弟からのお下がりなんてものもなくて、絵を並んで描くような友達もいなかった。
だから写生する絵はいつも鉛筆の黒一色だった。
先生はそれで許してくれたけれど、ずっと笑われている気がしていた。
写生の時間、絵をほっぽり出して学校を飛び出した。
けど行くあてもなくて僕は神社の賽銭箱の横にうずくまって泣いていた。
あのドーブルが現れたのは、そんな時だった。
境内のどこからか現れたそいつは水墨画から飛び出したみたいななりで、瞳と口の中以外は白黒の活動写真みたいな体色で、絵筆でもある尻尾の毛先は黒だった。
そのドーブルはにっこりと笑うと、境内の石畳に黒い尻尾の先で黒い絵を描き始めた。
まるで踊るように舞うようにドーブルは絵を描いた。
ある時は軽やかに跳ねて、ある時は駆け抜けた。
黒い尻尾の先の絵の具が石畳に跳ねて、飛び散った。
あれよあれよという間に石畳には一匹の龍が現れた。
ドーブルはその黒い龍を満足げに眺めると、自分の前脚を尻尾で染めて、完成、とでも言うように石畳に押し付ける。
すると信じられない事が起こった。
龍が途端に石畳から浮き上がって、実体を持ったのだ!
そいつは咆哮を上げ、神社の境内をくるくると飛んだ。
黒い龍ってかっこいいなあと僕は思った。
長い身体の龍は舞い続ける。
そのうちにその鱗の色が変化し始めた。
最初は藍色、次第に色が明るくなって青になり、紫、赤、橙へと変わっていく。
黄色までいくと金色に輝いて、次第に緑色を帯び、焦げ茶、そして最後にまた黒になった。
黒に戻った龍は上空へ登っていき、そして見えなくなった。
いつのまにかあのドーブルもいなくなっていた。
三原色と混色、という話を図工の時間に習ったのはそれからしばらくしてからだ。
絵の具の色は様々な色を塗り重ねる事でその色見を変えていく。色は重ね塗りのたびに暗くなっていき、最終的には黒になるという。
黒い龍が空に昇った後も僕の描く絵は相変わらず黒かった。
れど、もう色がなくて情けないという風には思わなくなった。
だって黒は全部の色を持っているのだから。
どんな色にだってなれるって僕は知っているのだから。
「追い詰めたぞ」
「一緒に来てもらうよ」
2人の男性が一人の白いローブを被った少女を50mほど離れた状態から取り囲んでいる。男達はとある悪の組
織の幹部達で、少女の持つ特殊なポケモンを狙って町の外れの山まで追い回し、そして追い詰めた。
一人は黒髪を刈り上げた長身痩躯の猛禽のような眼をした大人、一人は青い髪を肩まで伸ばし電子スコープの
ようなものをかけた少女と見まがうような柔らかい目の少年だった。
黒髪の男は、少女を睨むと重々しく言う。
「超克の魔術師」
魔術師、と呼ばれた少女はローブの下から象牙色の髪を覗かせ、可笑しそうに、そして不敵な笑みを浮かべ
た。
「追い詰めた?ふふ……誘いこまれた、の間違いじゃないの?」
「何?」
「つまらない虚勢だね。行くよ、ブースター、シャワーズ、サンダース!」
青髪の少年がボールを放り投げる。中から出てくるのは、イーブイの進化系3体。可愛らしい外見とは裏腹に
全員の目つきは鋭く、悪意に満ちている。
「やれ!!」
イーブイの進化系たちが水、炎、電気の属性の攻撃をローブの少女に放つ。ぶつかり合う技同士が炸裂し、
もうもうと煙を巻き上げた。黒髪の男が制止の声をかける。
「おい、生かして連れてこいと言われたのを忘れたか」
「ふん……死なない程度に加減はしてるよ。それにしてもあっけないね。ポケモンを出す前に終わっちゃうな
んて」
煙が晴れていく。そこにいたのは無残に転がった少女の姿 ――ではなく、少女を守るように展開する複数
の石板だった。その奥から少女の涼しげな声が聞こえる。
「へえ、手加減してくれたの?どおりでぬるい攻撃だと思ったよ」
「……どういうことだ、この石板がポケモンなのか?」
石板は一変2mくらいの正方形で、それぞれ違う単色で構成されていた。相当レベルの高いはずの3体の攻撃
を受けて、傷一つついていない。
「どういう手品か知らないけど……僕が暴いてやるよ、今度は本気でやる!出てこい、僕のイーブイ達!」
青髪の少年がさらに5つボールを取り出す。繰り出されるのは、残るイーブイの進化系5体。合計8体のポケモ
ン達が、一斉に攻撃を仕掛けた。炎水雷念悪草氷妖の連撃が怒涛と放たれる。
少女は自在に石板を操れるのか、わずかな指の動きで何もない空間からさらに色の異なる石板を呼び出し攻撃
を防ぐ壁にする。少女は人間離れした身のこなしで飛び上がり、一枚の石板の上に乗った。
「5……10……15……まだ増える!?」
「そう、17枚!君は8体のポケモンを持っているようだけど、その倍以上だね。……じゃあ、こっちからいくよ
?」
「くっ……!」
少女は指揮者の様に手をくるくると動かす。8枚が攻撃を防ぎ、残りの8枚がきりもみ回転しながらイーブイ
の進化系へと突っ込んでいく。火炎放射や十万ボルトなどものともしていない。
「くそ、一旦散らばれ!『電光石火』だ!」
全てのイーブイの進化体が、同じ速度で地を駆ける。すんでのところで石板を躱していく。だが少女の手に
よって石板は繰られ、ぴたりとそのあとを突いていく。イーブイ達が一瞬でも足を止めれば、トラックに轢かれ
た猫のように轢殺されるだろう。
「いつまで逃げきれるかな?それと、そっちのお兄さんも参加してもいいんだよ?」
「ふん」
「もう、せっかく女の子の方から誘ってるのにいけずだなあ」
少女と黒髪の男の目が一瞬交差する。男の目は挑発には乗らないと語っていた。少女は舌を出す。それを見
て青髪の少年は怒った。
「僕を馬鹿にして……やれニンフィア!ハイパーボイス!!」
「フィアーーーー!!」
「!うるさっ……!」
少年の命でニンフィアは躊躇なく足を止め、その愛らしい姿に似合わぬ咆哮を放つ。一瞬後に石板に跳ね飛
ばされ、動かなくなったが『音』は石板による遮蔽では防げない。少女は思わず耳を塞ぐ。それでも音は脳に響
き、一瞬聴覚を奪う。
「―――!」
だから、次の少年を指示を少女は聞くことが出来なかった。だからひとまず、『今までのイーブイ達の速度
と攻撃力から計算した防御布陣を敷こうとする』
それを見て少年は勝ちを確信した。イーブイの進化系たちに同じ速度で電光石火による移動をさせたのは欺くた
めのフェイク。本来は個体によって速度が違う。その中でも最速を誇るサンダースが目にも留まらぬ速さで少女
の背後を取り電気を纏って突撃する。
(勝った!!)
『電光石火』は威力の高い技ではない。だがいかに不思議な石板を操れようと相手は人間。ポケモンの音速
に等しい突進を受ければ、まず気絶は免れない。
「し、しまっ……!」
背後を取られたことを少女は気づいたようだが、もう遅い。そのまま電光石火が直撃し――なかった。
突然現れた白い巨影が、サンダースの突進を跳ね飛ばす!!サンダースの悲鳴が響き、地面に転がって動か
なくなった、電気によって逆立つ毛並みがへたりと縒れる。
「な……!?」
「……!」
幹部たちは驚愕する。二人はサンダースの速度を知っている。ましてや使っている技は『電光石火』だ。そ
れより早く動くことのできる存在など、見たことがなかった。白い影は、少女を諫める。
【油断しすぎだぞ、ラー】
「……ごめん、アル。調子に乗っちゃった。本当はあなたを出さずに終わらせたかったんだけど。随分自信あ
るし対策でもしてるかなって」
アルと呼ばれた声の主は決して大きくはないのに。天地に、地球上に、否宇宙全てに響くのではと錯覚する
ような深く轟く声だった。それが自分たちが捕えに来た『ポケモン』であることに凄まじい不釣り合い差を感じ
る。残る6匹のイーブイ達は、オオスバメに睨まれたケムッソの様だったそして、それと当然のように会話する
少女が化け物に見えた。
「なんだこいつ……とにかくターゲットのポケモンがおでましか」
「『ポケモン』?それは違うよ」
「何を馬鹿な!こんな化け物ポケモン以外にあり得ない!」
「アルは『ポケモン』じゃない――【神】だよ」
「は、はは……ふざけるなよ!!やれお前達!!」
だがそれでも訓練された悪のポケモン。少年の指示でイーブイ達は臆しながらも一斉に攻撃しようとする。
【本当に我を出す気がなければここまで誘い込む必要はないだろう。……終わらせるぞ】
声が終わると同時に爆風が吹き荒れた。少年は最初は『エアスラッシュ』か『暴風』でも使ったのかと思っ
た。だが、風がイーブイ達を襲う前に勝負は決まっていた。少年の運命も。
「……!?」
少年の体が息がすべて吐き出される。視界が明滅して抵抗のしようもなく膝を突き、地面に倒れた。自慢の
イーブイ達も、全員が吹き飛ばされて姿が見えなくなっている。黒髪の男が舌打ちした。
「その技……『神速』か。『電光石火』や『アクアジェット』よりも超える速度の一撃……それもこの威力、
ノーマルタイプだな」
「ご名答」
白い影は、『神速』で刹那の内にイーブイ8体と少年を打ち据え、一瞬で少女の前に戻っていた。男を狙わな
かったのは、両方とも仕留めてしまえばまた追っては来る。それよりはどちらかは生かして自分たちには敵わな
いと思わせるためだ。
黒髪の男は、もはや少年を見ていなかった。舌打ちの理由は、味方の損失ではなく得体の知れない敵へと向い
ている。
「頼む……たすけ、て」
少年は、愚かな望みであると知りながら黒髪の男に救いを求める。黒髪の男は、自分の腰のモンスターボー
ルに手をかける。
「さあ、お仲間の一人はこんな姿だよ?君もこうなる前に帰ってくれないかな。で、もう二度と私たちに手を
出さないでほしいんだけど」
【力の差は歴然だ。塵芥が何十、何百集まろうとも我等には勝てぬ】
「笑止」
少女の脅しを、神の畏怖を、男は一刀の元に切り捨ててモンスターボールを開く。
「何百集まろうとも勝てないか……面白い」
「ま、待て!お前、僕を!」
何が起こるのかを知っている少年は制止の声を上げる。中から出てくるのは一体のゲンガーだ。元より恐ろ
しいその姿が、更に禍々しく変化していく――少年と、イーブイ達の魂を生贄に。少年とイーブイの顔から見る
みるうちに生気が抜けていき、5秒と経たぬうちに白骨化した物言わぬ骸と化した。男は、少年の遺品であるゴ
ーグルを拾い上げる。
「自分の仲間を平然と……」
「こいつをメガシンカさせるのにはいくらかの魂が必要でな。どうせ死ぬ命だ。遠慮なく使わせてもらった」
【外道だな】
ゲンガーの姿は地に足をつけ、額に真っ黒なオーラを纏った姿になっていた。その目が光り輝く。
「アル、こんな奴相手にしてられない……『神速』で逃げるよ」
「逃がさん。メガゲンガーの特性は既に発動している」
【……!!】
メガゲンガーから伸びた影はいつの間にか、少女と【神】の名を関するポケモンの影と繋がり、その身動き
を封じていた。
「特性『影踏み』により貴様たちは逃げ出せない。……どうだ、【神】とやら」
【貴様……今までそのポケモンに何匹の命を食らわせてきた?】
少女にも『神』と呼ばれるポケモンにも、ゲンガーから伝わる怨念の数は尋常ではないのが伝わってきた。
男は今まで食べてきたパンの枚数でも応えるように平然と。
「人口約50万の都市一つの生命を丸ごと喰らわせた。貴様らを捕える為にな。……さて、50万なら神に届くか
?」
男の瞳には何の揺るぎもない。それが今の言葉が真実であることを告げてきた。ゲンガーから伝わる影から
、今なお天国へと昇れず亡霊に閉じ込められた魂たちの凄まじい怨嗟の声が聞こえてくる。新たな仲間を求める
ように怨念が少女の首に伸び、締め上げようとする。
「ぐっ……」
「【神】よ。この女を殺されたくなければ我々に従え」
(……裁く)
【やるのか、あれを】
喋れない代わりにテレパシーで自らの【神】と通じ合う。黒髪の男は『神』に余計な手出しはせず、少女を
人質にすることで従わせようとする算段なのだろう。だがそれは【神】の前には不十分だった。
(散らばれ、魂のプレート)
少女が念じ力を振り絞って指を動かすと、17枚の石板が消える。黒髪の男はそれを少女が怨念の呪縛に耐え
かねたのだと思った。
(天空に輝け、神の意思)
頭の中で詠唱を続ける。石板たちはバラバラになり、無数の礫となって雲の上に対空する。それはまさに、
『空』に舞う『石』。準備が整ったところで、少女は締め付けられる喉を振り絞って叫んだ。
「今創造神【アルセウス】の名の元に、万象を束ねる!!降り注げ、『裁きの礫』!!」
雲を突き破り、降り注ぐのは神が生み出した礫。世界、そしてポケモンを構成する礎である18属性(タイプ)
を全て内包した神の力がゲンガーに、男に……そして、この山全てに降り注いだ。
「シャドーボール!」
咄嗟に男は50万の怨念が込められた漆黒の珠を放つ。だが50億年の時を生き、全てを作り出した創造神にと
っては――象を蟻が止めようとするようなものだった。遍く怨念を叩き潰し、山の地形ごと変化させる勢いで押
しつぶした。
「……終わったね」
少女と【神】――アルセウスを縛る影が消える。男がどうなったかは、わざわざ確認するまでもない。敵を
退け、自分の放った力で地形すら変えた少女の声は、どこか寂しげだった。
【ようやくあの追っ手から逃れられたのだ。喜んでもいいのではないか。我が力も十全に引き出せているよう
だしな】
「そうだけど……いろいろ、壊しちゃったし」
山の原形を止めなくなった更地を見ながら呟く。少女は神の力を操るが、それに驕らない。否定もしない。
故にこそ、アルセウスも彼女を認めている。
【……まあ、お前はそれでよいのかもな】
宇宙の端までその存在感を響かせる【神】が、ふっと笑った気がした。
「だからこそ、アルの力を使わせないためにあなたに捕まるわけにはいけないんだ――Mr,ホルス」
超克の魔術師、と呼ばれるラーの名を持つ少女は自分たちの力を執拗に求める敵の名を呟く。彼の野望を阻
止するために、彼女は行く当てのない旅を続けている――。
巨大な一枚岩に見守られた、辺境の村。
そこに住む青年、トアルの朝は一杯のコーヒーから始まる……なんて、洒落たものなわけがない。
「おい、いつまで寝てんだ。暇なら水を買ってこい、水を」
家主の娘にベッドから蹴り落とされ、家を追い出される。居候の朝はこんなものだ。コーヒーどころか冷や飯にさえありつけてないが、トアルは二十六歳のおっさん予備軍にして、無職である。
家主の娘になにか文句があろうか、いや、ない。なぜならトアルは居候で無職だから。
そんなわけで、トアルは村から四〇キロ離れた隣町に向けて、えっちらおっちら、歩き始めた。その背中に、素晴らしいストレートが突き刺さった。
「買い物にどんだけ時間かける気だ。ポケモンに乗ってけ」
トアルはモンスターボールを受け取り、しかし中身を開けず、たまたま通りかかった自動車に手を上げて相乗りを頼んだ。
もしも、自動車が通りかかってなかったら。トアルは当初の予定通り、歩いて町に行こうとしただろう。そして、それに業を煮やした娘にドロップキックの一つでも食らって、買い出しには娘が行っていただろう。空は代わり映えのない青一色の晴れ空で、にも関わらず、トアルは家に閉じこもって彼女の帰りを待っていただろう。
奇しくもこの、砂埃まみれでボディがベコベコでかつては白だったマニュアルのセダンが、トアルの運命を変えたのだった。
トアルはいつにない幸運によって三十分もしない内に隣町に到着した。いや、あのオンボロ車の窓がどうしても上がらなくて、外から入ってくる砂でトアルが埃まみれになったことを差し引けば、トントンかもしれない。
腰のベルトに引っかけたボールがガタガタ揺れた。
「落ち着け、ガブコ」
トアルはボールを抑えた。そうだ、町まで来たんだし、ガブコも会いたいだろうし、家主に会っても……とそこまで考えてトアルはそれをやめにした。
「久しぶりに町まで来たんだ。一杯引っかけて行くか」
服に付いた砂をバシバシ払い、行きつけのバーまで行く。そしたら例の気の強い家主の娘の先回りがあって、マスターが電話口で笑いながら言うんである。
「おう、トアルなら今来たぜ。お前の財布で昼間っから酒を飲む気だ」
そこまで言われて、なおも強行するトアルではない。潔く背中を向けたバーのマスターに、要らぬ言付けを頂いた。
「アイオラちゃんが、ウィントに会いに行けってよ。ウィントから確認の電話が来なけりゃ、いよいよお前を追い出すとさ」
マスターの大声に、バーの中でくだを巻いていた連中が「おうおう、追い出されっちまえ」「アイオラちゃんと同居なんざ許せねえ」と騒ぎ出す。
トアルは背中を向けたまま、早足でバーを辞した。
家主の所へ行くのには、少し時間がかかった。
久しぶり過ぎて、そもそもどこへ引っ越したかも忘れていた。住所とストリート名を突き合わせて、トアルは目的の場所へと辿り着いた。
広い庭付き一戸建てか、それとも青背景の書き割りみたいな高層ビルか、という二種類ばかり立ち並ぶ町中にあって、そこは珍しく、こぢんまりとした茶色いアパートだった。しかし、豪華なことにエレベーターは付いている。当たり前といえば当たり前だ。
見覚えがないと思ったら、トアルが来たことのない建物だった。家主がここに引っ越してから、トアルはずっと顔を見せていないのだ。それを思い出すと、トアルは余計に会いたくなくなってきた。
でも、行かないと家を追い出される。そうなれば、異国で人の良い彼らにすがって生きていたトアルは、すぐに干上がるだろう。
しかし、もう、それでいい気がしてきた。家主がここにいるのも、その娘のアイオラだけが村に住んでいるのも、元を正せばトアルのせいなのだから。恩人を裏切っておいて、どうしてのこのこ顔を出せる?
それでも……それでもと考えて、トアルは結局、アパートに足を踏み入れた。どうしたって明日からの人生に困るとなれば、気が進まなくとも顔を出す方を選ぶのがトアルだった。トアルはここまでの道のりで付いた砂埃を払った。全く、どこもかしこも、砂だらけだった……トアルのせいで。
「砂には困らなかったか?」
ウィントの第一声も、砂の話だった。トアルは曖昧に「ああ」と答えた。そして、横目にチラッとウィントを見た。
彼は昔と変わらず、かくしゃくとしていた。色黒の肌に白い歯並び、伸びた背筋。髪も未だに黒々艶々としている。娘のアイオラの方はウィントに似てる上、笑って更にそっくりになったところを、かつてはよく見たものだった。
「久しぶりだな。顔を見せてくれて嬉しいよ」
今も、そうやって笑えば、ウィントと彼の娘は瓜二つだ。彼にちょいちょいと肉を足してやれば、アイオラになるだろう。
だからこそ、ウィントの杖と曲がった左足が痛々しかった。
「元気してるか?」
トアルはやっぱり曖昧に答えた。皮肉に聞こえたと思ったのかもしれない。ウィントは笑顔のまま、でも困ったように黙った。
足を痛めた男のためのアパートは、部屋の造りも狭いものだ。ベッドとテーブルとテレビ、あとシャワー室が、十歩圏内にあるのだ。すぐに目のやり場を失ったトアルだったが、かといって気の利いた答えも言えなかった。
昔なら何と返しただろうか? 「いいよ、砂の話は。腐るほど見てるんだから、雨でも降ったことにしようや」とでも言う? それこそ皮肉だ。
ウィントは困った顔のまま笑った。器用だな、とトアルは思った。ウィントはその困り笑顔のまま言った。
「トアルのことだから、俺の足のことをまだ気にしてるんだろう。気にすんなって言っても気にするんだろうが、今日はここまで来てくれたんだ。そのことは横に置いといて、お前に頼み事があってな」
「頼み?」とトアルはオウム返しに聞いた。「おうよ」バン、と物を叩く音がした。それも一度で収まらず、二度三度、数えるのがばからしいくらい続いている。
「シャワー室で暴れてるやつの“おや”になってほしいんだ」
ウィントは言った。なるほど、音はシャワー室から聞こえていた。
トアルは脱衣所を覗いた。大きな影の下で、白っぽい色がすりガラスに見え隠れしている。ウィントのことだから、手持ちのポケモンに暴れん坊を抑えさせているのだろう。それも、エリキテルじゃなくフライゴンに抑えさせている。
トアルは自分のモンスターボールを撫でた。つまり、この暴れん坊はいざという時、ガブコで抑えられるのだろう。ウィントがトアルの手に余るポケモンを押しつけるとも思えなかった。トアルが“おや”となっているポケモンは二匹、ガブコももう一匹も手は掛からない。むしろトアルの方が面倒を見られているくらいだ。
もう一匹、増えても構わないか。恩人であるウィントの言う事だ。トアルを心配しての提案だろうし。
「分かった。引き取るよ」
「ありがとう。君にお願いするよ」
ウィントは破顔した。その表情だけでも、トアルはポケモンを引き取ると言った甲斐があると思った。
トアルは脱衣所に進んだ。
「娘から頼まれたんだが、彼女、全く人に懐かなくてね」
「へえ。ウィントさんに懐かないやつもいるんだな」
「俺だって人の子だ。なんでもうまく、とはいかんものさ」そして少し間を空けて、お前や娘のアイオラとは相性が良かったんだ、と言った。
懐かしさのにじむ言葉に、トアルは少しばかり眉をひそめた。トアルはほとんど、ウィントに育てられたようなものだ。生家からは絶縁されたに等しい。そこを拾ってもらったというのに、トアルは。
「ポケモン一匹引き取って、ウィントの足の支払いが済むんなら、安いもんじゃないか」
そう、自分に言い聞かせる。バンバンと、トアルの言葉をかき消してやまないシャワー室のドアを手前に引いた。
そしてトアルは対面した。自分がこれから面倒を見る――人間の子どもと。
人間の子どもは、幸いなことに、食うのは遅かった。
アパートから這々の体で行きつけのバーに行き着いたトアルは、囃す客連中を尻目に、こう注文したのである。
「一番でかい器にデザートを山盛りで頼む」
するとジョッキにパフェが盛られてきたが、この際容器は問うまい。このガキが大人しくなるというだけで万々歳なのだ。
「ウィントの手に負えない、ね」
その理由は、ここまでの道中で散々身にしみた。少女はゆっくりパフェをかじっている。
色素が薄いのだろう、ここらでは見ない白い肌に、長く伸ばされた白い髪はサラサラとして雪の精霊のようだ。いっそ儚げに見える少女だが、その中身は、自動車が飛び交う幹線道路に「当たるわけねーじゃん!」と飛び出すジャリガールだった。当たるわ愚か者。
その子がじっとトアルを見ていた。見つめ返せば吸い込まれそうな蒼穹色に、トアルは視線を逸らす。
「どうした? トイレか?」
「なあ、おっさん」
「トアル、な」
「トアルも風乗りだったの?」
その小さな声に、トアルは寸の間ビクついた。「おうよ、おれもウィントも元風乗りだ」とカラッと一口言えりゃあ良かったのに。
黙ったトアルの代わりに答えたのは、酒を呑んで呑まれていたやつだった。
「そうだ。トアルの野郎、ウィントを突き落としやがって、それからさっぱり空に上がらねえ。祭りで勝ちたいからって、あれはひどかったな。皆もそう思うだろ」
そこにトアルがいることすら、前後不覚で気づいてない素振りだった。他の酔っぱらいが思わず顔をしかめるほどに泥酔したそいつを、マスターが奥へ引きずっていった。
「あの黒いおっさんを落としたのか? 空から?」
トアルは見つめる子どもの視線から、顔を背けた。
「なあなあ、トアルが黒いおっさん落としたって? 祭りって何すんの?」
バーで子どもが半分以上残したパフェを食べ、町外れへの道すがら。白い少女の質問責めに、「黒いおっさんじゃなくて、ウィントな」と訂正だけして、トアルは黙秘を貫いた。その内、相手にされないと思ったのか、少女は質問の内容を変える。
「風乗りって何?」
いい加減、辟易していた。だが、少女は今は機嫌がいいらしい。パフェを食べてからは、比較的大人しくトアルの横についてきている――と、トアルは彼女の手を握りこみながら思った。質問の一つぐらい、答えるべきだろう。
「風乗りってのは」
語り出すと長くなるが、起源は約二百年前、この地にやってきた入植者の自警団だと言われている。見渡す限り砂漠の地。地の利は最初、先住民の側にあった。ブッシュを目印に目的地へ行く足並みも、昼の日射からの身のかわし方も、一日の長がある先住民たちの抵抗に、入植者は難儀した。
しかし、入植者には武器があった。ポケモンを手軽に味方にするモンスターボール。入植者はこの地でナックラーを捕獲し、育て、空から先住民を追い立てる自警団“風乗り”を作り上げた。
そうして入植が進むにつれ、風乗りは帰化させた先住民を加え巨大化した。巨大化した風乗り組織は分離し、別派閥を生み出した。入植の進捗と共に、風乗りの相手は先住民から、別派閥の風乗りへと移ろった。
風乗りの一大派閥は自らを主流と言いなし、警察組織の一部となって表舞台に残った。残る派閥の風乗りたちは“空賊”と呼びならわされ、裏社会の闇へと溶けこんでいく。
「つまり?」
少女がトアルのすねを蹴りまくる。「どうどう。こら、蹴るな。けっこう痛い」トアルがはしょった説明でも、子どもには長かったようだ。
「空賊とドンパチやる正義の味方」
「私にもなれっかなー?」
少女は目を輝かせた。そのまま腰に手をやって、笑顔が一転、沈む。
「私のポケモン、いつ戻ってくんの?」
「お前がもうちょい、落ち着いてくれたらな」
「ちぇ。ウィントもトアルもおんなじことばっかり」
パフェの効能が切れてきたらしく、少女はトアルに手を掴まれたまま、ぴょんぴょん跳ねる。そんなだからだよ。
「そう言われても。お前にポケモン渡したら、どこに行くか分かったもんじゃないからさ」
トアルの本音に、何故だか少女はにっこり笑った。
こいつの名前も、早く決めなけりゃなあ。
町外れまで出ると、飛び交う砂の量があきらかに増えた。
それでも、このポケモンなら大丈夫だろう。
「ガブコ、出てきてくれ」
久しぶりに外に出てきた相棒は、変わらず、赤に縁取られた羽をピンと伸ばしていた。大きな赤目のように見えるのは、目を守る赤色の半球レンズだ。砂漠に生きる彼女らの種族、フライゴンは、砂から身を守る方法を自らの進化の中に見出した。
レンズに覆われた目は円な黒で、背中には鞍を着けている。ガブコは今日もトアルの指示を真摯に待っていた。
「なんだ。ガブリアスじゃなかった」
がっかり、と少女は口に出す。ガブリアスはフライゴンと同じく地面・ドラゴンタイプで、砂漠に住むポケモンだ。パワーは強いが大食いだし気が荒い。一介の風乗りに御せる種族ではない。それを御せるやつをトアルは一人しか知らない。
「フカマルはたまにいるけど、育てるのは大変だからな」
「トアル、育てたことあんの?」
「村、遠いからな。ガブコに乗っけるぞ」
見ただけだ、と答えかけて、トアルはやんわりと話題を逸らす。見たと言ってトレーナーに会わせろと言われても、彼女の所在も知らなければ、連絡を取る手段もない。話題に出して、アイオラの機嫌を損ねたくもなかった。
少女の細い体を抱えて、鞍の上に乗せる。だいぶ軽い。コートを被せ、その上から安全ベルトを巻く。
「トアルはどうすんの?」
「歩いて行くよ」
四〇キロ。歩けない距離でもない。きついが。
フライゴンが少女を乗せて飛び立った。少女の慣れた体重のかけ方に、トアルはほうと感心した。ポケモンで飛ぶことに慣れている。初対面のフライゴンに物怖じしない。風乗りとして育てれば光るかもしれない。
「いや、ダメだな」
トアルは自分の考えを打ち消すのに、自分の手を目の前でひらひらと振った。風乗りたちが集うハレの日に、自分がしたことは許されない。もう二度と、空なんて飛べやしない。
脳裏に今日会った少女の、蒼穹色の目が浮かぶ。すると、急に分からなくなる。
なあウィントさん、本当に、気にしなくていいのかよ?
頭を抱えて座りこんだその足元から、鈍い振動が伝わった。顔を上げる。巨大な陸鮫が身軽に砂の上を移動してくる。最初の振動は接近をわざわざ知らせるためか。陸鮫は槍の穂先のような腕の爪を、砂埃の中で光らせる。どうやら、効果的に映える角度というのを知っているらしい。
「ガブリアスか」
めったにないポケモンが、めったにないタイミングで現れるものだ。白い少女を村に送った後だというのは少々救いか。
「フーコ、ねむりごな」
ガブリアスの爪が届かない安全圏を見計らって、使いこんだ方のボールを投げた。勝負は一瞬。粉を真正面から浴びたガブリアスは、そのままヘナヘナと膝をつく格好で固まった。こうなれば、暴力一番のドラゴンも怖くない。トアルは逃避の姿勢に移った。
「引きこもってても、腕は鈍ってませんのね」
その背を、懐かしい声が引き止めた。
「カリーナか」
ガブリアスの後ろから女性が姿を現した。色黒の肌に黒い髪だが、身にまとう神秘的な雰囲気は、父親とも妹とも異なっている。
「お久しぶりです、トアルさん」
「久しぶり。帰ってこないのか?」
カリーナは神秘的な雰囲気を壊さないまま、首を横に振った。そして、口元にだけ笑みを作る。
「わたくしはもう、空賊ですから」
カリーナという女性の神秘は、彼女の秘め事によるのかもしれない。
妹のアイオラがトアルと共にバカ騒ぎをやって遊んでいる時間で、彼女はしょっちゅう、夢想しているように見えた。
その夢想の中身を僅かながら知ったのは、カリーナが出奔した後だった。風乗りを正義と信じてやまないアイオラが、怒り狂って物に当たっていたのをよく覚えている。
「どうして空賊になったんだ?」
昔も投げかけた問いには、昔と同じ答えが返ってきた。
「空賊でないとできないことをやりたかったから、ですわ」
カリーナの決意は固い。だから家を出ていった。そして帰ってこなかった。
堂々巡りだと思いつつも、トアルは問いかけるのをやめられなかった。
「ウィントさんもおれも、怒らないし、アイオラは、怒るだろうけど許してくれるだろ。帰ってこいよ」
カリーナは残念そうに笑った。
「今日は頼みがあって参りました。あまり時間は取れませんの。白い少女のことで」
トアルはウィントの言葉を思い出した。
「ウィントに引き取れって頼んだの、カリーナか」
「色々、厄介事がありましてね」
「空賊ってのは、ずいぶんあくどいことをやってるのか?」
人身売買とか、児童買春とか。トアルは自分の質問に自分で推測の答えを返して、勝手にどもった。
カリーナは肩をすくめた。
「そういう人もいる、とだけ。こちらの事情はさておき、彼女が村に行くことを所望したんですのよ」
「なんで?」
「それは、村に戻って周囲を見回したら分かるんじゃないかしら」
トアルにはさっぱり意図が掴めなかった。闇夜に手を伸ばすように、次の質問を投げかける。
「あの子、何者なんだ?」
「それはわたくしも知りませんの」
カリーナは首を傾げて、「直接彼女に尋ねてはいかがかしら? あの子はずいぶん利発ですし」と心底から微笑んだ。これは、自分の魅力を最大限に引き出す角度を知っている傾げ方だ。トアルは体の角度を変えて、カリーナと真っ向から向き合わないようにした。
カリーナはそんなトアルを見て、唇に指を当てた。
「忠告はしましたから。では、ごきげんよう」
ガブリアスが頭をもたげる。その場を辞しかけたカリーナを、手を伸ばして掴んだ。
「待てよ」
カリーナが背を向けた姿勢から振り返り、横顔を見せる。泰然とした顔に、はじめて不快の色が浮かんだ。トアルは構わずに続けた。
「本気で顔も見せないつもりか? ウィントとは連絡とったんだろ。アイオラに、妹になんか言う事ないのかよ」
カリーナが消えた夜、ウィントも風乗りの仕事で帰ってこなくて、トアルとアイオラは二人きりで過ごした。物に当たって怪我をしたアイオラの手に包帯を巻いたのはトアルだ。
包帯が赤くにじんだ、その手をトアルは両手で支えた。割れたフォトフレームが散らばっていた。
「アイオラは、お前のこと尊敬してたんだぞ」
姉は優秀な風乗りになるのだと信じていた。風乗りとしての才能の片鱗を見せていた姉は、才能はそのまま、敵対する空賊へと転身した。
信じていなければ、家族写真の入ったフォトフレームを割るものか。
カリーナの瞳に強く影が差した。掴んだ手を、カリーナは乱暴に振り払った。
「わたくしがどういう立場で何を為すか、それは妹に決められるものではありませんわ」
「でも、会うくらい」
「“会うくらい”なら、あなたも実家に顔を出せばいかが?」
太いガブリアスの尾が、鋭い鞭となって大地に傷を付けた。
カリーナのまっすぐな怒気が、トアルの胸に穴でも開けたようだった。
カリーナは自分が怒っていることに気づくと、すぐさま笑みを取り繕った。まるで、子どもが縁日でかぶるおもちゃの面のような薄っぺらだった。
「失礼しました」
頭を下げたカリーナが、今度こそ身を翻して走っていった。モンスターボールの開閉光が二度またたき、ガブリアスの代わりにフライゴンが現れる。彼女は風乗りだった。今は空賊だ。
「ごきげんよう」
投げやりなトアルのあいさつは、多分、届いていない。
「実家、ね」
ふわふわと、風に乗って体を寄せてきたフーコを撫でる。手の先に二つ、頭に一つ、合計三つの綿帽子を繰って、ワタッコのフーコは器用に目の高さを合わす。
「フーコはいいんだよ、気にしなくて」
それでも気遣わしげなワタッコを、トアルは撫でてやるくらいしかできなかった。
「おれの実家のことは、今さらどうしようもないからな」
実家がトアルを嫌いなのも、同じくらいトアルが実家を嫌いなのも、もう既に、修復不可能なところまで行っている。ただ、それと同じくらい、カリーナがアイオラのことを嫌っているとしたら、やるせない。
トアルはワタッコをボールに入れて、町中へと戻った。ヒッチハイクできる自動車を探そう。もう、歩いて帰る気分にはなれなかった。
「それで、弁明は?」
巨大な一枚岩に見守られた、辺境の村。
そこへヒッチハイクで戻ったトアルは正座をしていた。トアルが故郷での伝統的な反省ポーズだと村に輸入してこの方、正座は村で一大地位を築いている。
なぜか白い子も隣に来て正座した。
「膝の生育に悪いのでよしなさい」
「トアル」
「はい」
図らずも、白い少女を膝に乗せた姿勢で、トアルは硬直した。見上げた空には正座したトアルを見下ろす怒りの同居人が。
アイオラは何故、怒っているのでしょうか? 自問してみたが、ここ四年ほど情けない姿を見せ続け、家事全般に家計出納にと迷惑をかけ続けたトアルである。正直今まで怒りで爆発しなかったのが不思議なくらい、心当たりが多すぎる。
「そもそも、アタシが何に怒ってるか、分かるか?」
トアルの首が勝手に回転を始める。いや違う、アイオラと目を合わせたくないんじゃなくて、オジギソウがおじぎする生理現象みたいな。
「心当たりは?」
「ちょっと、年単位でありすぎますね」
思わず年下に敬語になった。「ほほう」とアイオラの目が吊り上がった。
「年単位でアタシに家事もおっつけてのんべんだらりとしてたから、どれだけ神経がず太いのかと思ってたわ。トアルも反省ってするんだな」
これに関しては逃げ隠れもできずトアルが原因である。カリーナに実家のことを言われた時よりもきつい。
「それに関しては反省してますゆえ」
「ゆえ?」
「家事ぐらいはしようかなと」
「ぐらい?」
「すみません」
潔く頭を下げた。
どのみち、子どもを引き取った以上、今までと同じくのんべんだらりとはいかない。
「じゃあ、家事“ぐらい”はトアルがやってくれる、ってことで」
終わり、とアイオラが手を打った。「ぐらい」の強調が気になるが、トアルが蒔いた種だ。
これから、やっていくしかない。子どももいるし。
「ほら、立て、トアル」
「おう、ありがとな」
差し出された手を取り、立ち上がれなかった。
再び地面に戻ったトアルを、アイオラは不思議そうに見て、それから「ああ」と納得して手を打った。
「足、しびれたんだな」
そこからは当然のごとく、足をつつかれまくった。少女も参戦して、二人がかりの猛攻に“ひんし”の白旗を上げたトアルに、更なる冷酷な審判が下される。
「で、トアル。水はどうした?」
水は生活必需品である。人一人に対しても大量に必要になる水だが、この村では雨が降らなくて、水は慢性的に不足している。かれこれ四年ほどだ。
もちろん不足を見越して早めに買い出しに行くが、それにしたって向こう半日は町にいたのに水を買わなかったって、手ぶらのトアルを見た瞬間怒るわけである。
「このミスを挽回するためにも、今から急いで町に行かなきゃな」
「トアルはいつまでフライゴンと睨めっこしてんの?」
問題はそこだ。別にトアルはフライゴンとの睨めっこが楽しいわけではない。ガブコもフーコも睨めっこ好きだけど。
「その、乗って行かなくちゃな、と思ってな」
歩きでは到底、間に合わない。自動車が日に二度も村を通りかかるような幸運もない。となれば、トアルはフライゴンに乗って、空路を飛ばしていかねばならない。そのためのフライトジャケットもゴーグルも準備した。だが。
「空飛ぶのが怖いのか?」
「いいや。うーん、まあ、そうかもしれない」
あの祭りの日以来、トアルはずっと空を飛ぶことを避けてきた。
行く当てのなかったトアルを拾い、風乗りとして仕込んでくれたウィントを落とした、せめてもの償いのつもりだった。
でも、そのウィントが「気にするな」と言う。アイオラは「ひとっ飛びして水を買いに行け」と怒る。
「もう飛ぶの、やめとこうって思ってたんだけどな」
少女がちょろちょろ、フライゴンの周りを回る。あまりにせわしないので抱き上げた。
「飛ばねーの?」
「そのつもり、してたんだがなあ」
トアルの胸に顎をつけて、少女が蒼穹色の目をつまらなさそうに向ける。
「トアルが飛ばねーんならさ、私がやる。私のポケモン、いつ返ってくる?」
蒼穹色が曇りの色合いを見せた。その曇りに、トアルはふと考えこんだ。
カリーナから、この子は裏社会にいたらしいことは聞いている。ポケモンを使うソルジャーとして育てられていたのかもしれないが、自分のポケモンと離れるって寂しいことだ。
ウィントと出会う前、トアルにはフーコがいた。実家から手切れ金同然に渡されたポケモンだったけれど、フーコはトアルによく懐き、支えてくれた。あの頃の自分からフーコを取り上げたら、間違いなく潰れてしまうだろう。そう言えるほどに。
トアルは子どもの白い髪を梳いた。
「明日にでもウィントに電話して聞いてみる。ポケモン預かってるのはウィントだよな?」
子どもはコクリと頷いた。よかった、カリーナじゃなくて。彼女と連絡を取れと言われたら、アイオラの不興と合わせてトアルは“ひんし”になる。
「じゃあさ、ポケモン戻ってくるまで、フライゴン乗りたい」
自分のポケモンに会えるとなって、嬉しくなったのだろう。急速充電で元気を取り戻した子どもが、今度はトアルの肩をバンバン叩いた。
トアルは肩への猛攻を抑えようと片手で防御する。元気になったのは嬉しいけども。
「今はダメ」
「なんで? さっきやったろ?」
「ゴーグルがない」
帰宅と同時のアイオラの怒りには、それも含まれていた。十分な装備もなく子どもを飛ばすとは言語道断。おれもアイオラも、ガキの遊びで鞍なしのフライゴンに乗ってたのに、とは口答えしなかった。
「いいじゃんか、ゴーグルぐらい」
とふてくされる子どもから察するに、この子も鞍を着けずに乗っていたクチのようだ。
「水のついでに買ってくるよ」
思いつきで、トアルは口にした。
まるで水を得た魚のように、子どもが飛び上がった。瞳の蒼穹色がキラキラと輝いた。
あ、こいつ、笑ったな。
「ほんと?」
「あ、うん。ほんとほんと」
やっちゃった。飛び跳ねて喜ぶ少女を見て、やっぱり延期とも言えない。
「子どものためだ」とトアルは自分に言い聞かせて、フライゴンの手綱を取った。
赤に縁取られた菱型の羽が、振動を始める。
やがて、振動が高速になり、体が浮くと、フライゴンの足がそっと大地を押す。滑るようにして、トアルとフライゴンは空中に飛び出した。
村がみるみるうちに小さくなり、赤い大地に点在するブッシュの一つに紛れる。村を見守る巨大な一枚岩が帰りの道標だ。
神がおはすと言われる、一枚岩。エアーズロックならぬ“エアロック”と村人は呼んでいる。
「白い子が村に来たがってた理由って、エアロックなのか?」
分からない、と言う風に鳴いたフライゴンに自分も首を振り、一枚岩と逆の方向を示す。フライゴンは指示に従って高度を上げた。
年中晴れでも、高度が上がると寒さが勝ってくる。肌を切るような風に震えながらも、トアルはフライトジャケットの中の熱い血液を感じていた。
フライゴンの触覚が、トアルの左右に分かれて風に流れる。
遮るもののない、青一色の空だった。雲さえない。
「おれを止めてたのは、おれだったかな」
フライゴンが顔を傾げた。赤いレンズの向こうの目は、普段通り、円らで真面目な色合いを見せていた。
「待たせてたな、ガブコ、ごめん」
フライゴンが鳴き声を上げる。風に流れていくその声は、トアルを許してくれている。そう思うのは、トレーナーのわがままか。
「ありがとな」
ポケモンの返事は風に飛ばされる。空の上で風がごうごう吹く中、空中乗騎用のインカムはあるものの、凍える高度でのんびり会話は楽しめない。
トアルはフライゴンの背を軽く叩いた。なら、別の会話を楽しめばいい。風乗りには、風乗りのやり方がある。
「飛ばそう。あの子も待ってる」
トアルの言葉に触覚を揺らし、フライゴンが羽の速度を上げた。
一定の振動数を越えた羽が、リィンと高い音を奏で始める。
フライゴンは砂漠の精霊とも呼ばれている。その由縁。笛のような音階を旅の道連れに、トアルとガブコは隣町へと向かった。
水は箱買いしてガブコに運んでもらい、その間に子ども用ゴーグルの購入を済ませ、ウィントに白い子のポケモンを返してもらえるよう、頼んでおいた。
四年分のぐうたらが信じられないほど、トアルは働いた、と自分で思った。
しかし、ここで満足してぐうたらに戻ってはいけない。アイオラに仰せつかった家事もやらねばならないのだ。なんてったって子どもがいる。アイオラはなんでも自分でできるが、あの子はトアルがやってやらねば腹を空かすのだ。
朝食に並べられた目玉焼きを見て、アイオラが口の端を「くっ」と上げた。焦げていた。
なにくそ、とふんばり、毎朝三人分の目玉焼きを焼いた。アイオラがトアルの作ったメシを食べ、村役場に働きに出た後で、トアルは掃除にかかる。
三日もそうやって続けていれば、体も慣れてくる。慣れたら意外といける、と思うと同時に、こんなことを毎日アイオラにやらせていたのか、と情けない気持ちになった。
「よしよし、やってるな、トアル」
帰ってきたアイオラに肘で突かれる。四日目は突かれなかった。その日、帰宅したアイオラは一枚のカードをトアルの前に滑らせた。
そのカードには名前がない。
「あの子のトレーナーカードだ。役場で働いてる特権で、ちょっと早めに出してもらった」
「ありがとな」
アイオラは「子どものためだからな」と言って頬を掻いた。そして笑みを消し、真面目な顔になった。
「今回はどうしても必要になるから、融通をきかせて、トアルの娘で作った。
でも、さっさと名前を決めて、役場に提出してよ。祭りが終わって、学校が始まるまでには」
トアルは素直に謝った。
祭りも近い。トアルは名前の候補をいくつか紙に書きだした。
トアルにも郷愁はある。娘の名前は和風にしようとそれだけは決めて、しかしそれから先に進まない。かわいい女の子に似合う名前はたくさんあるからだ。
ツバサがいいか。あの年でもうポケモンで空を飛べるみたいだし。でも風乗りになるのを強制してるように思われたら嫌だな、とカリーナの顔を思い浮かべる。アスカはどうだ。飛ぶ鳥の意味でも、明日の意味でもとれて、いいかもしれない。しかし、白い子はアスカっていうよりツバサって雰囲気だ。トアルは辞書を引く。
結局決まらないまま、その日も終わった。
とうとう、この日がやってきた。
少女はいつもより落ち着いていたが、はしゃいでいた。体は揺らしているが、椅子には座っている。ここ数日というもの、少女は暇があればトアルの髪の毛をむしり、トアルに相手にされなければ探検と称して外に飛び出して迷子になっていた。
この子は賢いから、ちゃんと地理を教えたら迷子にならないだろう、と思うのは親の欲目だろうか。だとしても心配なので、トアルが家事をする間は、少女に髪の毛をむしらせていた。
その子が大人しく椅子に座っている。
「大丈夫か」
「ん」
「メシ食うか」
「ん」
万事がこの調子だ。
朝の準備でアイオラが出入りする度にそわそわしているし、呼び鈴がなれば表に出ていく。大抵はトアルへのお使いのお願いだが。
呼び鈴で一つ、気づいたことがあった。
呼び鈴が鳴って、少女がとことこ表に出ていく。数秒経つと、困った顔をして戻ってくる。その後ろから近所のばーさん、時々じーさんが顔をのぞかせ「シロちゃんは今日もかわいいねえ」と言う。少女はトアルの後ろに隠れる。
存外、少女は人見知りであった。
「いや、お前、おれと会った時殴りかかってきたじゃん」
それを知った時、トアルは言った。
「そん時はそん時だよ」と少女は言う。そしてトアルをポカスカ殴る。やめなさい、とトアルは諭す。
「トアルくん、シロちゃんが来てから元気になってよかった」
近所のばーさんは微笑みながら、がっつり黒に染まった買い物メモを置いていく。油断も隙もなければ容赦もない買い物量だが、元引きこもりとしてはここらで顔を売っとかねばならない。前はアイオラがやっていたことでもあるし。
トアルが買い物メモから重量を手計算して、運送料を出す。その手元を見つめながら、シロがぼやいた。
「シロって呼ばれんの、ポケモンみたいでやだー」
「あ、ごめん」
いまだに少女の名前は決まっていない。
彼女を見かけた村人がシロと呼び始め、なし崩し的にシロちゃんが名前みたいになっている。村どころか隣町にもない白髪だから、そうなるのも必然だ。しかし、彼女はそう呼ばれるたびにむくれている。
「トアル」
「ごめん、ちゃんと名前考えるからさ」
考えていないわけではない。トアルの娘なら名字はマイタカになるから、マイタカ・ツバサとマイタカ・アスカならどっちがいいかと考えだして、ヒカリもいいなあと悩み始め。
呼び鈴が鳴った。
トアルは計算を中座し、立ち上がる。いいかげん、村人から逃げ惑うのに疲れたシロが、後ろにちょこちょこついてくる。テレビで見たポッチャマのようだ。
「はい」
トアルはドアを開ける。荷物を受けとって、少女に笑いかけた。
「ほら、来たぞ。お前のポケモン」
ボールは三つあった。
「マスターボールか、これ?」
珍しい装飾の紫ボールを、シロはさっさと腰のベルトにくっつけた。
「これは使ってないやつ」
「そうか」
口をつきかけた追求の言葉をかき消す。どんなポケモンも必ずゲットできる、という噂のマスターボール、未使用。どこで手に入れた? と聞いても、懸賞で当たったとはぐらかされるだけだろう。裏社会にいた子が懸賞できるとも思えないが。
でも今は、きっと聞いても答えてくれない。今はまだ。
そんなことはいいや、とトアルは思った。
「この二匹が、お前のポケモン?」
「そ」
他愛ないやりとりに、少女が満面の笑みを浮かべる。自慢気。そう、自慢気だ。
「見せてくれるか?」
そう尋ねると、待ってましたとばかり、少女は外に飛び出した。
「出てこい、ボーマンダ、オオタチ!」
少女が投げたモンスターボールからは、前口上通りのポケモンが出てくる。
赤い扇形の翼が特徴的な、気の荒いドラゴン、ボーマンダ。長い胴に短い手足、茶色とクリーム色のしましま模様がかわいいオオタチ。ボーマンダの空色の背中には鞍が備えられ、口元からは手綱が下がっていた。
少女はボーマンダに駆け寄ると、口輪を外す。
「元気してたか?」
低い唸り声を上げて、ボーマンダが少女に頭を垂れる。
「そーかそーか、ボールの中だとあんま変わんないか」
少女が頭を撫でる。大きさの差もあって、まるで壁をさすってるみたいだ。ボーマンダは気持ちよさそうに目を細める。
トアルは感心した。ボーマンダはガブリアスと同じくらいか、それ以上に育てにくいドラゴンだと聞いている。凶暴でプライドが高く、生半可なトレーナーでは指示に従わせることはおろか、食餌さえ不可能だと言われる。裏社会で仕込まれたのだろうが、だとしても万人が万人、従えられるポケモン種ではない。
いよいよ、彼女を風乗りとして育てたい、と思う。だがしかし、子どもの道をそれ一つに狭めてしまってはならない、とも思う。カリーナが出ていった後、ウィントの教育方針が変わったことに気づかなかったトアルでもない。
「なあ、乗っていいか?」
少女の声で、トアルは考え事から現実に戻った。いつの間にやら、少女はごついジャケットを着こみ、新しいゴーグルを装着して、空を飛ぶ気まんまんになっている。
「いいよ」
いちいち許可を取りに来るなんて、とトアルは嬉しくなった。あっちへ飛び出したりこっちへ飛び出したり、自動車道に飛び出したりしていた頃が、ずいぶん昔のようだ。
だがトアルは、軽率に許可を与えた後のことを考えていなかった。
少女の蒼穹色の目が、夜の前触れのように冷たく凍る。それを隠すようにゴーグルを装着すると、白の少女は手綱を取って、ボーマンダの背中に乗った。
スケボーでするような立ち乗りのまま、少女は手綱を鳴らし、一直線に飛び出した。
――巨大な一枚岩、エアロックの方角へ。
「ちょっと待て!」
そう叫ぶより早く、少女は視界外へ抜けている。多分、聞いても止まる気はない。
「ガブコ、フーコ」
トアルはフライゴンとワタッコの二匹を出し、フライゴンの鞍にまたがった。ゴーグルはないが、緊急事態だ。
「飛ばせ、ガブコ。あの子に追いつく。エアロックの方角だ」
フライゴンはそれで事態を察したようだ。すぐさま羽を最高速度に乗せると、村の上空をつっきった。フライゴンの羽が鳴らす偽笛の音は、可聴域を超えて消えた。
エアロックと村の間で、赤い翼がはためいた。荒々しい、血のような赤色。
「止まれ、戻ってこい!」
少女の握る手綱が揺れる。
「シロ!」
少女は振り向き、しかし何事もなかったかのようにボーマンダを急かした。
トアルは歯噛みする。少女を呼び止める名がないことに。
少女を名付けることから逃げていた、自分の過失だ。トアルは名前を付けて、その名前を奪われるのが、怖かった。名前を変えることのないよう、最高で唯一のものを与えてやりたかった。それでこのザマだ。
「仕方ない。フーコ、“にほんばれ”から“わたほうし”。ガブコは“かぜおこし”を待機」
トアルは並んで飛ぶワタッコに声をかけた。ボーマンダは厄介だが、こちらは元とはいえ風乗り。空を飛ぶ相手には一日の長がある。
それまでも赤い大地にまんべんなく降り注いでいた太陽の光が、レンズで集めたかのように強くなった。その光を浴びて特性“ようりょくそ”を発動させたワタッコが、増長した素早さでもってボーマンダの横に並ぶ。“にほんばれ”の光は数秒と保たないが、構わず白い綿を振りまいた。
ボーマンダのスピードががくりと落ちる。その背中から少女が滑り落ちる。フライゴンが“かぜおこし”の予備動作に入る。
落ちながら少女が叫んだ。
「オオタチ、“ふいうち”!」
その瞬間、少女は命より勝利を優先した。
地面を駆けていたオオタチが伸び上がる。その体はフライゴンの目前にあって、“かぜおこし”の発動を阻害するかに見えた。
だが。
「“いかりのこな”」
オオタチの目がフライゴンから、明後日の方向に引き寄せられる。それと同時に、溜めをしていた“ふいうち”の悪エネルギーが霧散した。視線の先のワタッコにオオタチはキュウと唸る。
フライゴンは風を起こして少女を受け止めた。一旦フライゴンの腕に抱かれた少女を、地上に降りてトアルが受け止めた。
少女は憔悴していた。
「理由を話すよ。歩けば見えてくる」
トアルが指した方向はエアロックだった。少女は頷いた。
巨大な一枚岩は、近づいてその威容を改める。
それは赤い大地と継ぎ目なく繋がっている。地面にあって空とも溶け合っているような、奇妙な倒錯感に包まれる。
「エアロックは聖地だ」
かつて先住民がそうしていたように、現代の村人も、エアロックを尋常ならざるものとして祭っている。その形式は変化しているだろうけど。
「でも、人の手に負えないものとしての意識は一緒だ。エアロックは立ち入っちゃいけないんだよ。祭りの時以外はね」
エアロックに十分近づいた所で、トアルは大地と一枚岩の境目を指さした。それから、敵意のないことを知らせるために手を上げる。
「ああやって、普段は人が入らないように守ってるんだよ。安易に近づくと撃ち落とされる」
番人は手を振り返した。番人の隣にいるイワパレスもハサミを上げた。鈍重なインテリアのように鎮座しているイワパレスたちだが、不埒にエアロックに侵入する輩があれば、それを撃ち落とす冷徹な砲台となるのだ。
それ以外なら、気のいいトレーナーとポケモンの組み合わせだ。
「子どもにエアロックを見せに来たんだ」
「そうか、じっくり見ていけ」
トアルは少女の背を撫でて、エアロックを回った。赤い一枚岩は周囲のブッシュの配置を少しずつ変えながら、自身は少しずつ角度を変える。そんな風に見える。
「祭りでは村からここまで、競争するんだ。空を飛べるポケモンに乗ってね。それで、一番になったやつだけが、エアロックに登り、伝説のポケモンへの目通りを許されるんだ」
「祭りで一番になれば、そのポケモンに会える?」
少女の蒼穹色の目は、思い詰めたような色を帯びていた。今にも泣き出しそうな空に、トアルはただ、エアロックの祭りを話す。
「それ以外では、レックウザに会えないよ」
少女がしゃがみこんだ。やっぱりか、とトアルはため息をついた。観光を中座して、フライゴンを呼んだ。
「……妹」
少女が自分のことを話したのは、家に戻ってからだった。
アイオラは帰っていない。今はトアルと二人きりだ。
「いたんだ。でも、今、どこにいるか」
少女は膝を抱いた。白い前髪に隠れた目から、どうしようもなく涙がこぼれていた。
「レックウザ、って伝説のポケモンを捕まえてきたら、会わせてくれるって」
トアルは少女にタオルを押しつけた。白く細い手が、トアルの裾をぎゅっと握りしめた。トアルは少女の髪を撫でると、彼女を膝に乗せて黙った。しばらく泣かせておこう。
未使用のマスターボールを見た時からつけていた予想と、少女の境遇は、だいたい同じだった。少女の腕前を見る限り、レックウザの捕獲を命じた人間にとって本命なのだと思う。
“あくどいことをする、そういう人もいる”か。確かにあくどい。年の離れた弟しかいない、しかも弟が生まれると同時に家を追い出されたトアルには、兄弟の間の情は想像でしか分からないけれど。
おそらく、“あくどい人”の元から、カリーナは死兵になっていたこの子を取りあげた。そしてウィントに、ウィントはトアルに、託したのだろう。
だとすると、妹の所在は……
「分かってるよ」
蚊の鳴くような声で呟いた。トアルの腕の中で、少女はトアルにもたれもせずに座っていた。
「本当は分かってるんだ」
少女はもう一度言った。
「妹にはもう会えないって。会えるぐらい近くにいるなら、ガブリアスのお姉さんが探して、もう、会ってる」
でも、どうしたらいいの、と少女は泣いた。
今日の夜も晴れ。
泣き疲れた少女をベッドに寝かし、トアルは夜風に涼んでいた。砂まみれでも、風は風。夜は特に涼しい。
「ああいうとこは年相応だな」
隣のワタッコがコクコク、頷いた。
「しかし、レックウザなんか、どうするか」
捕獲して気が済むなら、そうさせてやりたい。だが、村の人間にとって、レックウザは神の一柱だ。それをゲットなんかしたら、村八分にあう。レックウザのボールも取り上げられるのがオチだ。
時間が解決してくれればいいけど。
トアルは彼女が眠っている部屋の窓を見上げた。妹のことがなければ、悩まずに済んだと思う。なまじっか、引き裂かれた姉妹の片方が今もそれを引きずっているのを、間近でずっと見ているから。
偽笛の音がした。
見上げると、月明かりに見知ったフライゴンと人間の姿が見えた。
「アイオラ、今日は遅かったな」
ワタッコを連れて表に回る。アイオラの姿は既になかった。
フライゴンに乗っていたということは、隣町まで出かける用事があったのだろう。疲れてさっさと休みたいに違いない。夜食の準備をしよう。ワタッコをボールに戻して、トアルも家の中に入った。
悲鳴が聞こえた。
トアルは一段飛びで二階に上がった。四つある寝室の内、一つのドアが開き、中から明かりが漏れていた。トアルは呼ぶ名がないことにイラつきつつ、部屋に飛びこんだ。
「どうした!」
白い子どもの両腕を、アイオラの黒い手ががっちりと掴んでいた。子どもがトアルを見る。いつもは生意気な蒼穹色が、恐怖に揺れていた。
「何やってんだ、アイオラ。離せ」
怒鳴りつけたいところを、トアルは抑えた。これ以上、子どもを恐がらせたくない。アイオラの手首を叩く。けれど、いっかな彼女は子どもを離さなかった。それどころか、いっそう締めつけているようにさえ思えた。
「離せ」
低い声で言って、今度は強めに手首を叩いた。それでやっと手が離れる。少女はトアルの背中の後ろに隠れた。
アイオラは何の感情もなく自分の手を見ていたが、やがて糸が切れたように、パタリと手を下ろした。
「会ったのか」
アイオラの声は掠れていた。
「今日、父さんに仕事ついでで会いに行った」
手の皮が破れそうなほど、彼女はこぶしを握りしめた。
「カリーナ姉さんに会ってたのか。お前たち三人とも……」
「この子は悪くないだろ」
子どもにだけは飛び火させたくなかった。もう手遅れだが、それでも勢いを増しそうな火の手からは遠くにやりたかった。
それが起爆点だった。
「誰が望んで子どもを連れてこいって言ったんだ! いっつもそうだ! アタシはカリーナ姉さんだけいればいいと思ったのに、ウィントもトアルもカリーナ姉さんも、みんな自分勝手だ!」
アイオラが拳をトアルの胸に叩きつけた。その手をトアルが捕まえる前に、引っこめられる。
トアルを殴ったその手で、アイオラは涙を拭いた。
「アタシのことなんて、みんな、どうでもいいんでしょ!」
捨て台詞を投げて、アイオラは家を出ていった。
「私の妹だって、ほっとかれてるよ!」
白い子が再び泣き出した。
子どもが泣き止んだ頃には、いい夜更けになっていた。
ごそごそ、トアルのベッドに入りこんできた子どもに腕枕をした。
「なあ、トアル」
「なんだ?」
子どもはトアルの腕の上で、しきりに転がっていた。頭の座りが悪いようだ。
白い髪が、サラサラと気まぐれに流れる。彼女の妹も、お揃いの髪の色に目の色なんだろうか。中身はここまでおてんばじゃないといいなあ。
「カリーナって、アイオラのお姉ちゃんだったの?」
「今もそうだよ」
「そう」
子どもは寂しそうに目を閉じた。
「近くにいるのに……」
やがて子どもは寝息をたて始めた。
「朝からおっさんくさいぞ、トアル!」
蹴られての目覚めとなった。
ぐりぐりと子どもが頭を押しつけてくる。一晩寝たら元気になったようだ。嬉しいやら、悲しいやら。
いつもと同じ目玉焼きトーストを作り、二人で食べた。いつもみたいに、アイオラが卵の焼き加減に文句を言うこともなければ、支度をする忙しなさもない。アイオラのいない食卓は、張り合いがなかった。
「なートアル」
焦げていない代わりに、半熟の目玉焼きをかじっていた子どもが言った。
「どうした?」
「隣町まで、行っていい?」
声は普段よりもちょっぴり沈んでいた。
ボーマンダも戻ってきたし、ゴーグルもあるし、と少女はごにょごにょ理由を付け加えている。トアルはやんわり言った。
「カリーナに会いに行くのか?」
少女は困ったように眉を八の字にした。昨日の今日で、動機は知れるというものだ。少女は視線をさまよわせる。それは、隠し事があります、と言っているようなものだ。
トアルはトーストの残りを口に放りこんだ。
「いいよ」
子どもの顔が明るくなる。
「ただ、おれも一緒についていく」
コクコク頷いて、子どもは卵焼きトーストをかきこんだ。口の回りについた卵の黄色を、トアルがぬぐってやった。
隣町に着いたトアルたちはまず、ウィントの住むアパートに向かった。
「ここ数日ぶりだな。砂がひどかったろう」
ウィントは前に会った時と同じく、かくしゃくとしていて、白い歯を見せて笑った。
「悪い、ウィントさん。今は砂の話をする気分じゃない」
「ほう」とウィントは眉を上げた。
「まあ座れ」
ウィントはすぐそばのテーブルを顎でしゃくった。
折りたたみ椅子は四つ、壁にもたせかける形で置いてあった。三つをトアルが広げる。トアルの正面にウィント、真隣に少女が座った。
「元気そうでよかったよ」
ウィントはトアルと少女を均等に見た。そして少女に笑いかける。
「嬢ちゃん、どうだ、調子は」
少女は何故か、トアルの腕に隠れるようにした。ウィントは笑顔を崩さず、気にした様子もない。
「どうした? 前いっしょにいたおじさんだぞ? いつもはやんちゃで、おれの髪の毛をむしったりしてんだけど」
ウィントに向けた後半の言葉に、子どもの頬がぷうと膨れた。トアルはどう機嫌をとったものやら、首を傾げる。
「どうだ、そっちは。来週、祭りがあるだろう」
ウィントが話題を変えた。
「アイオラが忙しそうにしてるよ。こっちにも顔を見せた」
「その事で、ちょっと話があるんだ」
少女が頬から空気を抜いて、居住まいを正す。その様子にウィントも何か思ったものらしい。杖を使って座り直した。
数秒の間を置いて、トアルは話しだした。
「昨日の夜、アイオラが激怒した」
「激怒か」
「カリーナがアイオラ以外には会ってたのを知ってさ。それでなんだが、カリーナの居場所を知らないか?」
「二人を会わせるのか? あの子は会いたがらないと思うが」
ウィントが眉を寄せる。トアルは身を乗り出した。
「それでも、だよ」
ウィントは唸った。少女も背を伸ばした。
「私からもお願い」
トアルは刹那、驚きをもって少女を見た。少女の目は真っ直ぐ、ウィントだけを見つめていた。
こんな一面を、少女は持っていたのか。
「分かった」
ウィントが折れた。膝頭は少女に向いていた。
「連絡を取る方法を教えよう」
「やった」
少女がトアルの腕をパシパシ叩いた。トアルと目が合うと、「しまった」という顔をして手を隠す。
ウィントはその様子を嬉しそうに見ていた。
「ところで、祭りには出るのか?」
連絡方法を聞き、部屋にあるコーヒーメーカーでトアルが豆を挽いてから、ウィントは伺うように祭りの話題へ戻った。
コーヒーメーカーは湯気を上げている。
答えないトアルに苦笑して、ウィントは杖で床を小突いた。
「前も言ったが、俺のことは気にせず、出たければ出ればいい。子どもにもいいとこ見せたいだろう」
「それは」
トアルは口答えしようとして、どもった。その言い方はずるい。
「嬢ちゃんも、父ちゃんのかっこいいとこ、見たいよな」
ウィントが少女に笑いかける。
「トアルが出ないなら、むしろ私が出る」
少女が戦意に燃える瞳をトアルに向けた。
ウィントは柏手を一つ打って笑い出した。
「嬢ちゃんが出るか! いやはや、そりゃあいい。女の子だって度胸がなきゃあな」
そうしてひとしきり笑うと、その笑みを残したまま、ウィントはトアルに言葉を向ける。
「さっきは子どもを引き合いに出したが、でも、本当に、お前の好きにすればいい。お前の人生だからな。それでこの足も、俺の人生だ」
ウィントの手が大腿をさすった。その手は細長く、かつ骨ばっている。色黒の肌の、右の中指についた大きな傷は、大捕り物で張り切ってバカをやった時の傷らしい。
「そうやって、カリーナにも言ってやればよかったな」
コポコポとコーヒーのできる音をバックミュージックに、ウィントは塩っ辛い声で言った。
「アイオラにすっかり我慢させてたんだな、俺は。カリーナみたいに光り輝くってんじゃなかったが、でもあの子は、きっちりきっちり、やる子でな。自分は大丈夫って顔して。全然、気づいてやれんかったな。俺は情けない親だ」
そう言われてしまうと、トアルとしては、こう反抗せざるを得なかった。
「おれは、ウィントさんに拾って、育ててもらって、よかったよ」
トアルが淹れたコーヒーを飲み、「苦いなあ」とウィントは顔をクシャクシャにする。
「なあ、トアル。さっきはああ言ったが、俺は、トアルが祭りに出てくれると嬉しいんだ」
出立の間際にそう言われて、参ったな、とトアルは破顔した。そう言われると、出ようかな、ぐらいの気分にはなってしまう。そう伝えると、「本決まりにはならんか」とウィントはまた笑った。
アパートから出てしばらく離れた辺りで、少女が顔を上げた。
「なあ、トアル」
「どうした?」
トアルの片方の腕を、少女は両手で抱きしめていた。
「トアルってウィントの子どもじゃないの? 似てねーなとは思ってたけど」
ふむ、とトアルは顎を撫でた。どこまで答えたものか。いずれは大体の事情を話すことになると思うが、トアルの実家関係の話題はドロドロだ。ひとまず、当たり障りのない範囲から話すことにした。
「血は繋がってない。養子縁組もしてない。でもおれは、ウィントさんに育ててもらって、ウィントさんのこと、親だと思ってる」
子どもは分かったような、分からないような、頷いた。
「私とトアルみたいなもんだな?」
「おれと君は養子縁組してるけど、それ以外は、そうかな」
言った後で、はたと気づいた。彼女はトアルを親だと思っている、と思っていいのだろうか?
「祭りは出るのか?」
話に飽きたらしく、子どもが勢いよく話題を変えてきた。
「考え中」
「そっか。私は出るぞ。トアルが出たらライバルだな」
自分で喋る言葉にヒートアップするのか、トアルの腕をパシパシ叩き始める。トアルはそれを宥めながら、彼女を落ち着かせる魔法の言葉はないかと考えた。
「祭りのルールも覚えないとな」
「ルール!」
「まず、出られるポケモンは二匹だ」
「じゃあボーマンダとオオタチで出られるな!」
腕を叩く勢いがパシパシからベチベチに加速する。余計にヒートアップしてしまった。誤算だ。
「自動車だー!」
横断歩道で立ち止まったら、少女が危うくダッシュするところだった。油断も隙もない。
トアルは筋肉痛を覚悟で、残りの道程、少女を抱き上げて運ぶことにする。
「下ろせよ、トアル」
「おれの心の安寧のためだ」
だがしかし、少女はいっかなトアルの心の安寧に協力してくれない。なおも有り余るエネルギーを発散しかねる子どものために、トアルは少女を肩車した。
「ボーマンダに乗った方が高い!」
どうしろと。
しかも髪の毛をむしられる。とても痛い。
挙句の果てには、人とすれ違うそのたびに目つぶしを仕掛ける。危なくて仕方ないから、下りてもらった。
「自動車ぐらい避けられる!」
すると自動車道でスタントアクションを始めかける。どうすればいいんだ。
最終手段、フライゴンのガブコに取り押さえさせ、その間にガブコの手綱を外して少女の腰に巻いた。手綱は手首に巻いて短めに持つ。道行く人に聞こえよがしにこう言われた。
「紐なんかつけて、ポケモンじゃあるまいし」
トアルも本当は紐なんてしたくない。したくないが、彼女は、素人が一般道でスタントアクションすると死ぬ、ということを理解してくれないんだよ。
やっとこさ辿り着いた行きつけのバーで、トアルはパフェを頼んだ。間もなく出ていたジョッキパフェを、まずは子どもに食べさせる。相変わらず、食うのは遅い。
意外なことに、このバーがカリーナへの連絡口だった。
考えてみると悪くない選択だ。出入りするのは昼日中から酒を飲んだくれる人間ばかりだ。いつもうるさいし記憶のあやふやな連中ばかり席を陣取っていて、頼んだらパフェは出てくるが、真っ当な人間は入ってこれまい。
アイオラはまず来ない。
子どもがパフェを食べ終わったのを見て、トアルは口を半開きにした。
「全部食っちゃったのか」
「残した方がよかったか?」
つい数日前は半分も食べなかったのに。
「もいっこ頼む?」
「いや、いい」
腹の虫も収まってきた。時間をこれ以上かけるのも良くない。
トアルは席を立って、カウンターへ移動した。
背の高いスツールに腰かける。横を見て、一旦立ち、少女を椅子の上に乗せてから改めて座った。
マスターが少女を見て、片眉を動かす。
「エアロックに雨は来そうか?」
構わず、トアルは話しかけた。これが第一の符丁だ。カリーナも考えたものだ。トアルはこのバーを行きつけにしていたが、偶然にこの台詞を発することはない。ウィントが祭りの競争で落っこちて以来、エアロック周辺に雨が来ないのは周知の事実だ。
ウィントも連絡方法を教えられたのは最近だそうだから、四年前の祭りを機に作ったのかもしれない。
「来ませんね。砂ばかりです」
マスターは素知らぬ顔でジョッキを拭く。とんだ役者だ。
「そうか。なら、雨の匂いがする、フィラのスピリッツが欲しいな」
第二の符丁を口にしたのは、白の少女だ。どうしても言いたかったらしい。マスターは「お客さん、困りますね」とジョッキを置いて、求められたアルコールを出す。
そのショットグラスの下のコースターを引き抜き、ポケットに入れた。
マスターが意味ありげな笑みを浮かべる。その目は鋭く、酒の入ったグラスに注がれていた。仕方ない。トアルはグラスを飲み干し、勘定を頼んだ。
バーを出た後で、トアルはぐちる。
「カリーナのやつ、おれが嫌いな酒を指定しやがって」
コースターに書かれていたのは、なんの変哲もないオフィスビルだった。
ここまで、少女を引きずって歩いた。仕方ない、彼女は手綱にぶら下がって「うー」とやるのが殊更楽しいようだから。その代償として、明日は筋肉痛確定だ。
「さてと」
入りにくい雰囲気を醸し出すビルだ。ビルに入る気合を溜めていると、少女が手綱をぐいぐい引っ張った。
「入らねーのか、トアル?」
「入るよ」
先導の少女に紐を引っ張られて、トアルはビルに入場した。どうにも格好がつかない。
中は意外と普通のオフィスビルだった。案内板を確かめ、エレベーターで目的の階に向かう。居合わせた会社員に、砂だらけのトアルたちは胡散臭い目で見られた。
トアルたちが目的の半分も行かない内に、その会社員もさっさとエレベーターを降りた。
二人だけ乗せたエレベーターが無音で上昇する。等速の中に、上昇か下降かの感覚はない。動か不動かさえも曖昧になっていく。ふっと感覚が消えて、そのまま宇宙に飛び出してしまいそうだ。足元から伝わる振動だけが、エレベーターが生きている証拠。
少女がトアルの手をぎゅっと握りしめる。
小さなチャイム。エレベーターが到着した。
エレベーターのドアが開いた先は、ちょっとした異世界だった。廊下には隙間なくカーペットが敷き詰められ、その模様はなにかの物語を語っている。それを眺める余裕もなく、トアルたちはコースターの指示に従って、進んでいく。右に真っ直ぐ、突き当たりを左へ。足元の物語は佳境を迎える。
その終焉と同時に、扉が開く。
「ようこそ、おいでくださいました」
黒い髪、肌は父と妹ほどではないが、濃い色だ。全体に纏う雰囲気は違うが、勝ち気でこれとなったら譲らない目は、家族によく似ている。
彼女の唇が魅惑的な弧を描く。
「あなたに来てくれとは、一言だって言っておりませんがね」
「言っとけ、カリーナ。おれはお前に用があるんだよ」
カリーナの双眸が細められた。その目が少女に下りる。
「その子のことかしら?」
「言ったろ? カリーナに用があるんだ」
ちょいちょいと少女が裾を引っ張った。トアルと目が合うと、何も言わない内から、少女は一歩前に進む。
「ガブリアスのおばさん」
「わたくし、人生経験は豊富ですけど」
カリーナは豊かな黒髪を耳にかけ、腕を組んだ。
「わざわざそれを強調しておばさんと呼ばなくてもよろしくてよ」
カリーナに睨まれた少女は「みゃっ」とトアルの後ろに隠れた。
「どうした? 言いたいことあるなら、言ってやれ。おれがついてる」
少女は首を横に振る。だめだ、人見知り発動した。
「なんですの?」
カリーナが怪訝そうにしている。
励ましてみるが、少女は動きそうにない。
「急かすのは気が悪いのですが、あまり時間はとれませんよ」
カリーナの口調が、怪訝を通りこして心配そうになってきた。
「いけるか? 喋れそう?」
少女は頑なに首を振る。
「あと十分でまとめてほしいのですけど」
「よし、おれに話して。そしたら、おれからあのおばさんに話すから。な?」
少女はコクリと頷いた。とんとん、とトアルの腕を叩く。「どうした?」トアルが体を寄せると、少女はトアルの耳元に口を寄せた。
「私も妹がいるけど、会えないの、すごい嫌だから、アイオラに会ってあげて、って言って」
「よし、よく言えた」
トアルは少女を撫でると、立ち上がった。
カリーナはさっきと同じ立ち姿のまま、表情だけが険しくなっていた。
「聞こえてましたわ」
「そうか。そりゃ良かった」
「返事はノーです」
「なんで?」
トアルの問いに背を向け、カリーナは歩きだした。深いカーペットに、ハイヒールが突き刺さる。
カリーナはカーテンを開いた。空の青が、壁一面を染めた。ガラス窓だ。
空の青を背景に、カリーナは腰に手を当てる。長く流れる黒髪とドレスは、妹とあまり似ていない。
「前にも言いましたでしょう? わたくしは空賊ですのよ」
そこまでは前にも聞いていた。カリーナは続きを語った。
「アイオラは、姉が正義のヒーローになると信じていた。それをこっぴどく裏切ったわたくしに、もう、会う資格なんてありませんの」
カリーナは半身を翻した。黒い髪が乱れてカリーナの目を隠す。
「それにこれは、わたくしなりのけじめです。空賊のわたくしは、妹には会わない、と。
これで満足いたしました?」
カリーナは笑みを浮かべると、両腕で自分を抱いた。そして、言った。
「十分経ちましたわ」
冷たく、突き放すような声だった。
結局、ダメだったか。
肩を落としながらも、トアルはまんざら、落ちこんでもいなかった。
一度で、なんてのが虫の良すぎる考えだ。連絡方法も聞いたし、また来ればいい。門戸が閉ざされるかもしれないが、それまでは足掻くつもりでいよう。
「帰ろう」
トアルは少女の肩に手を置いた。その手が振り払われた。
まるで小さなけものだった。少女はカーペットの上を飛ぶように駆けると、その勢いのまま、カリーナの腰に組みついた。
「会ってほしい」
「その話は終わり」
「カリーナはアイオラのこと嫌いなのか? それともアイオラのこと、忘れたのか?」
少女を引きはがそうとしていたカリーナの手が、止まる。カリーナがじっと固まった、その合間にも少女は言葉を重ねていく。
「私はトアルと会えてよかったよ。私は妹のことを覚えてて、妹は私のことを覚えてて。でも、私も妹も名前がない。私たちが死んだら、みんな忘れて、私と妹はいたことすらなくなっちゃうんだ、って思ってた。でも、今はトアルが覚えてるから。
アイオラもね、カリーナのこと、忘れてないよ。でも、アイオラがカリーナのこと、色々考えてて、どうにもならないの。私は何かしたいけど、私じゃダメだもん……」
勢いが消えていくにつれて、少女もしおしおとしおれていく。トアルに気づくと、川の真ん中で船でも見つけたみたいに近づいてきた。
トアルは少女を抱っこした。この様子だと、だいぶ疲れたのだろう。帰りはヒッチハイクするか。
抱っこされた少女が、トアルの耳元で小さく呟いた。
「トアル、私のこと、忘れないでね」
「大丈夫、絶対に忘れない」
少女が目を閉じる。すると、少女の体がぐっと重たくなった。どうやら、安心したようだ。
その場を辞しかけたトアルの背に、カリーナが声を掛けた。
「祭りに、アイオラは来るのかしら」
トアルはちょっと意表を突かれた。アイオラといっしょに暮らしていた身としては、自明の理だったから。
「出るよ。あいつ、役場でそういう関係の仕事してるから」
「そう。では、祭りに顔くらい出しますわ」
カリーナは肩を揺すると、また笑みを浮かべた。それはしっとりとした大人の微笑みだったけれど、アイオラと似ているように思えたのだ。
「え、カリーナが祭りに来る?」
役場でアイオラに話した時の反応は悪かったが、もしかしたら、嬉しくて感情をどう表したものか、迷っていたのかもしれない。彼女は手土産にプリンを持って、家に帰ってきた。
「あの、ごめんね。腕、握って。痛かったでしょ」
アイオラは気遣うように少女の腕を指した。少女は一瞬真顔になったが、すぐに「いーよ」と答えた。
プリンで懐柔されているような気がしないでもない。
「そうだ、アイオラ。祭りの出場登録、まだできるか?」
「いつも当日までやってるじゃないか。どうした、トアル」
「おれも出ようと思う」
アイオラの目が真ん丸になった。その次はニコニコになって、そして、トアルの背中を荒っぽく叩く。
「そっか。とうとう出る気になったか」
背中がめっちゃ痛い。と思ったら、白い子も一緒になって背中を叩いていた。
「子どもが真似するから、やめなさい」
バシバシと白い子が叩き続ける。
「お前もやめなさい」
「なんだか親っぽいな」
アイオラがくすくす笑う。
「ちょっと待って。登録用紙持ってくる」
トアルのせいいっぱいの白い目から逃れるように、アイオラは二階に上がった。子どもは椅子の背に登って、けらけら笑っている。
「危ないからやめなさいってば」
椅子の背から下ろした少女に髪の毛をむしられていると、アイオラが紙束を持って戻ってくる。大判の絵本も一緒だ。
「これが登録用紙、それからルール説明」
「それは?」
アイオラが絵本を持ち上げた。
「これはエアロックの伝説を絵本にしたものだよ。シロはまだ、このお話聞いてなかったよね」
「シロじゃないよ。名前はまだないよ」
白い少女が口を尖らせる。アイオラは「そう」と呟くと、少女の耳元に何やら囁いた。話が進むにつれ、少女の顔の笑みが深まる。
「わかった!」
「待て、何を吹きこんだんだ?」
アイオラは「必要なことだよ」と笑うと、絵本を広げた。全く明るくなって、いいことだけど、二人の内緒話の内容は何だろう。知ろうとつついたら嫌がられるから、黙ってるけど。
絵本の一ページ目を、少女の目の前に開ける。途端、少女の目が輝いた。
「トアル、これ、今日カーペットの模様であったやつだ」
そう言われて、トアルも絵本を覗きこんだ。見慣れた雨と太陽の挿絵だが、トアルはカーペットの模様がどうなっていたか、少々記憶が曖昧だ。
「そうだったか。あのカーペットは、この神話を織ったやつなのかもな」
「祭りの時にカリーナに聞く?」
そのまま、少女は絵本を手元に引き寄せた。熱心に絵本を見つめているものだから、当然、肯定の返事がくるものと思って尋ねた。
「読める?」
「読めない」
意外だった。てっきり、カリーナかウィントか、どっちかが教えただろうとばかり思っていた。
アイオラも予想してなかったようで、少し難しい顔になった。
「学校までに文字と数字だけ教えといた方がいい。トアルの仕事よ」
「おう、分かった」
「勉強やだー」
少女がくたん、と机の上に伸びた。蒼穹色の目がトアルにおねだりするように潤んだ。
「お祭りまでは勉強のこと、考えたくないなあ」
「そうか。じゃあ祭りの後から勉強しよう。賢いから大丈夫だろ」
「あんまり甘やかすなよ?」
トアルに自覚はなかったが、これは甘やかすの範疇に入るらしい。
「じゃあ、今回はアタシが読むね」
アイオラが絵本を持ち上げて、膝に立てた。
『蟻地獄の精霊が西から東へ進み、この地へやってきた。北からやってきた大雨と、南からやってきた日照りが、この地で滞っていた。
蟻地獄の精霊は大雨と日照りが滞って大地が壊れないように、自分の体で二つを遮った。蟻地獄の精霊は、その場で巨大な一枚岩になった。
蟻地獄の精霊の息子が一枚岩に登り、大きな声で呼ばうと、西から緑蛇の精霊がやってきて、大雨と日照りを飲み込んだ。
だから、雨や強い日差しが必要な時は、蟻地獄の精霊の息子たちよ、西から一枚岩に登って緑蛇の精霊を呼びなさい。』
「なんか、変なの」
読み聞かせが終わると、少女は首を傾げた。
「先住民の人が伝えてたお話なんだけど、まあ、色々あって、今はこれだけしか話が伝わってないんだ」
アイオラはそう苦笑する。
過去、入植者であった風乗りたちは、先住民を帰化させていった。その過程で、先住民が元々持っていた言い伝えや生活様式、あるいはこの地固有のポケモン種が、少なからず消えていった。これは辛うじて消え残った、一つだ。
「かつて先住民の人たちが当たり前に思っていたことが、忘れられてしまってね。だから、アタシぐらいの世代じゃもう、どういう話なのかっていう芯のところが分からない」
「忘れられるのは悲しいな」
少女が目を伏せた。
「そう。だからこれ以上忘れないように、お祭りだけはやってるんだ。四年に一度」
アイオラは最後のページの挿絵を示した。
フライゴンと、レックウザと思しき緑の龍が対面し、レックウザの左右にささやかな雨と太陽が描かれている。
「アタシたちはこの言い伝え通り、村からエアロックへ飛んで、レックウザを祭る」
「フライゴンじゃなきゃダメ?」
少女が困った顔をした。今から進化前のナックラー捕まえて育てても間に合わないよう、と顔に書いてある。時間がないだけで、最終進化形のフライゴンまで育てられないとは、欠片も思っていないに違いない。
「フライゴンじゃなくてもいいよ。というか」
アイオラの目に濃い影が差した。
「そうじゃないと人が集まらない。レース形式にしちゃったのもそうだけど、人が集まらないと予算が下りなくて祭りが開催できない」
四年前から毎日晴れだというのに、アイオラの上だけ雨雲が湧いたような暗さだ。
「ボーマンダでも出場できるぞ。良かったな」
トアルは明るい声で言った。少女は安心の息をはくと、トアルにくっついた。
祭りへの出場を決めてからの日々は練習に費やした。ボーマンダに元あった鞍と手綱も確認して、買い替えた。命綱も買い足した。四年前の祭りで、あんなことがあったのだ。少女の技量はず抜けているが、体重は軽い。ラフプレーで弾き飛ばされないように、安全対策はきっちりとしたい。
「まずはルール確認。連れていけるポケモンは?」
ルール確認はクイズ形式だ。はい、と一人っきりの生徒が手を挙げる。
「二匹! 自分が乗って飛ぶやつと、あとアシストでもう一匹」
「正解」
白の子ならボーマンダとオオタチ、トアルはフライゴンとワタッコだ。ウィントはフライゴンとエリキテルの組み合わせで、フライゴンで出なかった出場者をまとめて電気で片づけていた。四年前だが既に懐かしい。
「次、レースのコースについて」
「村の出発地点から、エアロックまで、まっすぐ一本道。エアロックの手前に目印があるから、そこを越えたらゴール」
「よしよし、正解、正解」
エアロック手前のゴールに着いたら、そこでしばし待機。レースの参加者が全員ゴールするか規定時間が過ぎたら、晴れて優勝者はエアロックに上れるのだ。
「失格要件もあったね」
「コースから外れたり、時間がかかりすぎると失格」
「ポケモンはどうだったっけな」
トアルがちょいとヒントを出すと、少女は「あ」と口を丸く開けた。
「自分が乗って飛ぶやつが“ひんし”になるのと、あと、地面についてもダメ」
「よくできました」
実際、乗っているポケモンがレースで“ひんし”になることはほとんどない。ポケモンのわざでうち落とされることも、たまにあるが、そんなにない。それよりも、スタミナ配分を間違えて途中で降りる方が、はるかに多かったりする。
「次。レースでの禁止行為について」
少女はしばし考えてから答えた。
「手綱、鞍など、騎乗の安全装置を狙った攻撃。一秒以上に渡る幅寄せ等の飛行妨害」
「うん、正解。あと、審判が危険と判断したもの」
この禁止行為規定は今年から追加されたものだ。
「おれとウィントの、まあ、公式には事故ってなってるけど、その事故を受けてな。その年はレースが中止になって、エアロックに登る儀式も行われなかった」
「事故って危ないんだな」
「ついでに、儀式の中止が原因なのか、それ以来、雨も降ってない」
少々苦い気持ちで、トアルはそのことも教えた。ただ、少女はあんまりピンと来ないようだ。村に来た時には晴れの日が当たり前だったから、しょうがないと言えばしょうがない。
少女が首を右に傾げ、それから左に傾げた。
「でもさトアル、間違えて当てちゃったらどうすんの?」
うーん、と言ってルール説明の手書きを見つめているが、そもそも読めてもいない。
「両方失格だ。わざとでなくても当てたら失格になる。当てられた方も、安全性が損なわれるから、そこでレースから離脱する」
少女はしごく残念そうにした。
「うまく相手の技を手綱に当てたら、失格にできるかと思ったのに」
「そんな危ないことしちゃいけません。その後で、いざ手綱でバランスを取ろうとしたら切れちゃいました、ってなったら恐いだろ」
少女は頷いた。が、目が明後日の方を向いている。分かっていない。トアルは例を変えることにした。
「例えば、君のボーマンダが翼に攻撃を受けたとする。そのまま飛び続けるか?」
「うー。すぐにはなんともなくても、後で急に動かせなくなったりする」
「ということは、どうすべき?」
「一旦下りる」
「よくできました」
トアルは両腕を広げた。そこに飛びこんできた少女の脇を抱えて、軽めのジャイアントスイングを行使した。最近これが彼女の中で大流行している。
「今日の訓練はこんなもんだな」
ぱんぱん、と砂を払ったトアルに、子どもが「もっとできるよ」と言ってくっついた。子どもも砂まみれだ。
「いけません。やりすぎて疲れが残ったらよくないからな」
「こんくらいならできるのにー」
子どもがむくれる。
確かに今の訓練は、彼女にとって眠たいぐらいのものだろう。基本の離陸・水平飛行・着陸もきちんとできているし、筋がいい。
だが、彼女は子どもで軽い。ラフプレーで落ちた時の訓練はいくらでもやりたい。今日も不時着の練習で砂まみれになったが、このまま明日も明後日も気が済むまで同じことを繰り返したいくらいだ。
明日が祭りだからそんなことも言ってられないが。
トアルは自分の胃がキュウとなるのを感じた。できることなら過去に戻って、「子どもだから出場禁止」とやってしまいたい。我ながら、自分の心がこんなに狭くなるとは思わなかった。
でも、この子が「飛びたい」と言ってるのに飛ばせてやらない、そんな育て方はしたくない。ウィントがしてくれたように、トアルもしたい。
トアルはしゃがんで、「まだできる」と跳ねる子どもに目線を合わせた。
「今日はもう十分、頑張った。これ以上はおれも疲れてコーチできないし、練習で君を怪我させたくないからさ」
そう言うと子どもは大人しく頷いた。
聡い子だ、とトアルは思う。わがままも言うし、未だに自動車の前に飛び出すが、筋を通して話せば、割りと納得してくれる。
ただし、自動車の前には飛び出す。
「あら、シロちゃん。今日も祭りの練習に精が出るわね」
村人の声に、少女が一瞬停止して、そろそろと動き出した。
「こんばんは、は?」
「こんばんは」
「あらあら、シロちゃん、こんばんは」
アイオラ以外の村人でも、よく会う人に関してはまともにあいさつできるようになってきた。少女は照れた笑みを浮かべる。
「私の名前、シロじゃないよ。明日の祭りが終わったら、トアルがちゃんとしたの、付けてくれるんだ」
「あら、そう。良かったねえ。トアル君も、いい名前考えたげなさいよ」
村人が手を振り、少女が手を振り返し、そこで別れる。
最近ずっとこの調子だ。名づけて、外堀から埋めよう作戦。アイオラからの入れ知恵だ。
そんなことしなくってもちゃんと考えてるってば、とも言い切れない。アイオラは名前ぐらいさっさと決まるだろうと思って「学校が始まる前」と言ったのであって、ここまで名無し期間が続くとは正直予想外だと怒られた。
トアルも予想外だ。
しかし、明日か。トアルは顎に手をやった。夜更かしして辞書を引いて、もっと良さげな単語を探すか。睡眠不足で飛行レースは好ましくないけど。
「なんか、こういう名前がいいとかって、ある?」
「トアルが考えた名前ならなんでもいいぞ」
少女はクルリと回って、
「あ、でも、シロとかはダメ」と言った。「ああ、分かった」トアルは立ち上がって膝を伸ばす。シロがダメなのは前から聞いている。
「なんでダメか、聞いてもいいか?」
少女は自分の髪を引っ張った。白い髪が日の光をキラキラ反射する。まるで妖精の生まれのようで、少女に似合って素敵だ。しかし少女はしかめっ面をした。
「この髪の色、嫌いなんだよ」
「嫌いかあ。白くて綺麗だけどな」
少女はふくれっ面をした。
「ばあさん髪なんだよ」
「ばあさん髪?」
「前は黒だった」
そして、ふくれた面から、ぷー、と空気を抜いた。
「でも、トアルがどーしても、って言うんなら。名前、シロでもいいよ」
少女が笑った。あんなに嫌がっていたのに、何の気なしに付け足した一言がずいぶんな心境の変化を引き起こす。“おや”ってのは責任重大だな。できれば、良い変化ばかりに来てほしい。
「シロはやめておくよ」
「そっか」
少女はクルクル回る。白髪の似合う彼女だけれど、それが本意でないなら、親のトアルが押しつけるべきじゃない。
それにしても、とトアルは思う。
元の髪色が黒なら、彼女の妹の外見について、改めて聞いておいた方がいいだろう。トアルは今まで、妹も白くて儚げな感じかなー、となんとなく思いこんでいた。
「なあ、君の妹のことだけど」
「あ、そのことなんだけど」
トアルは少女の顔を見た。目の蒼穹色が真昼ほどに明るくないのは、真面目な時だ。
「うん、どうした」
トアルも改まって、先を促した。少女は指先をしきりに組み直す。
「明日、祭りだろ」
「うん」
「レックウザ、来るかもしれない」
「うん」
「一番にならないと、会えない」
「うん」
「あのね、トアル」
少女の目に涙が浮かぶ。いつかの思い詰めた瞳を思い出す。あの時も、妹の話をしていた。
「レックウザ、捕まえるの、手伝って」
少女はすがるように、トアルを見上げた。トアルは、
「それは」
答えられなかった。
――だって、レックウザがいなくなったら、本当に、村に雨は来ないかもしれない。
少女の目に怒気が宿る。トアルは慌てて少女を宥めようとした。
「レックウザは村の神様みたいなものだから。捕まえようとか、言わない方がいい」
「でも」
「他に方法はないのか?」
ガラスを破るように、トアルは、少女の心に張った薄膜を穿ってしまった。
少女の目は夜を映しだして、すぐそばにいたトアルの姿は、もう映ってない。
「仲違いか?」
祭りの喧騒の隙間を縫って、気遣うようにアイオラは尋ねた。
「まあ、そうだな」
アイオラも今は家に戻って、三人で暮らしている。その内の二人が一言も交わさなければ、おかしいと気づく。
「なあアイオラ。もしもレックウザを捕まえようとする人間がいたらどうする?」
やむにやまれず、トアルは直截に尋ねてしまっていた。アイオラの目が見開かれる。
「空賊か? そんな人間が祭りに来るのか?」
「いや、例え話だよ。忘れてくれ」
食い下がりそうなアイオラに、「ほら、エントリーだ」と無理やり仕事を押しつけてその場を離れる。
子どもは朝早くに出ていってしまった。一瞬だけトアルに顔を見せて、それから家を出た。全くの音沙汰無しでなかったのは、救いか。
でも、彼女の伏せられた、思い詰めた目が気になった。
「追い詰めたのはおれだよな」
あの時、嘘でも、「レックウザの捕獲に協力するよ」と言っていたら。
自分だけは少女の味方でいるべきなのに。トアルは独り拳を握りしめた。
「あ、ね……はじめまして」
「はじめまして、よろしくお願いしますわ」
聞き覚えのある声がして、トアルは顔を上げた。
アイオラのいる受付で、非常に目に馴染みのある女性が参加登録を書いていた。書き終えた紙を受けとって、アイオラが読みあげる。
「カリコ、さん。確かに初めての参加ですね」
「そうですの」
姉妹の触れ合いはそれで終わった。
先に相手が見つけていたのか、トアルが手を上げるより前に、彼女はこちらに向かってきた。
「カリコさん。なんだよ、その偽名」
喧騒に混ぜてそう言うと、カリコもといカリーナはおっとり首を傾げる。
「あなたがよくポケモンに付けてるじゃない。ガブコにフーコって」
「はいはい」
トアルはカリーナの手首を掴んで、喧騒から離れた場所へ連れだした。
「積極的ね」とカリーナが笑う。どうやら白い子のことで、トアルはずいぶんと切羽詰っているらしい。
「プロポーズかしら?」
「悪いけど、全く別件なんだ。あの子と喧嘩した」
そう切り出すと、カリーナは納得した様子で頷いた。
「そばにいないから、そんなことだろうと思った。それで?」
「あの子がレックウザを捕まえたがってるのは、知ってるか?」
カリーナは居住まいを正した。
「呼び名がないって、不便ね」
そうぼやいてから、頷く。
「妹さんが人質にとられてる、レックウザと引き替え、ってところでしょう?」
「そんなところだと思う」
トアルの言いたいことを察して、カリーナが片手を上げた。
「見つけられませんわ。性格の悪い方々が、シロちゃんにレックウザを捕まえさせるかたわら、妹さんを別の国に売ってしまったので」
悪い冗談だと思いたかった。トアルはせめてもの希望に言葉を繋ぐ。
「生きてはいるのか?」
「不明です」
はっきりと言い切ったのは、カリーナなりの優しさなのだろう。しかし、かと言って、嬉しくない知らせの中身が変わるわけでもない。
「あの子は、レックウザを捕まえようとしているのでしょう?」
考え考え、カリーナは口にした。トアルは頷く。
「でも、そんなことしたら、村にいられなくなる。それに」
トアルはもう一つの、自分勝手な理由を吐き出す。
「捕まえたら、雨が来ないかもしれない」
言ってから、トアルはかぶりを振った。なにもかも、トアルはあの子のために言ってるんじゃない。祭りがうまくいって、雨が降れば、そうすれば、トアルが四年前から抱く罪悪感が少し癒やされるから。そんな理由でしかない。
カリーナの眼差しは、そんなトアルの心を見透かすかのようだった。
「やらせてみてはいかが?」
「でも」
トアルは渋い顔をしていただろう。そのトアルに、カリーナは毅然とした眼差しを向けた。
「あの子は分かっているのでしょう? レックウザを捕まえても、妹には会えないことを。それでもやるというのなら、それは、あの子なりに整理をつけたいからですわ。それならば、あの子の親がすべきことはなんですの? それとも、我が身かわいさに、子どものやりたいことを否定するのかしら?」
トアルは口ごもった。
少女は分かっていると言っていた。妹のことも、レックウザのことも。しかし、それでもやはり、レックウザを捕まえると言ったのだ。
それ以外にどうすればいいのか、少女には分からない。
「おれも、協力してやりたい」
トアルの決断に、カリーナは笑みを浮かべた。
「そう。では、わたくしも謹んで協力いたしますね」
「いいのか?」
カリーナはクスリと笑った。なかなか子どもっぽい笑顔だった。
「わたくしもエントリーしましたもの。それに」
「それに?」
トアルが聞き返すと、カリーナは両手を頬に当てて、何故か恥ずかしそうにした。
「もしもアイオラが人質になったら、わたくし、間違いなくレックウザを捕まえますから」
捕まえようとする、ではなく、捕まえることまでが確定事項らしい。すごい自信だ。
その自信に水を差すように、トアルはまぜっかえした。
「その言葉、後でアイオラに伝えておこうか?」
「そんな殿方は結婚後三年で離婚して手切れ金を請求されるのですわ」
なんでそんなに具体的なんだ、とトアルが言い終わる前に、背中を一発叩かれる。
これがまた痛い。姉妹揃って、背中を叩く癖をやめてほしい。
でも少し、気は晴れた。考えもまとまった。
あの子に協力する。それでもし、村での立場が悪くなったなら、どこへでも飛んで行けばいいのだから。
『それではこれより、レックウザ様に捧げる飛び比べの儀式を始めます。参加者の方は所定の位置についてください』
村のスピーカーがガリガリと音を立てる。砂でだいぶ悪くなっているようだが、内容が判別できる内は買い換える気もないらしい。
トアルは交通整理に腕を振る村人に手を上げ、参加者のグループに合流した。右側の、スタートラインに近い位置に通される。申し込みの早い順だ。フライゴンのガブコを出し、手綱や鞍を確認し、サポートのワタッコも出して、位置についた。
隣に娘が並んだ。
彼女はトアルを見ると、ふいと顔を背けた。小さな娘がボーマンダの広い背中に上る。そして、スケボー乗りで手綱を握った。
危ないから、その乗り方はやめろと言ったのに。
右半身を前に、頑なにトアルに背中を向けて、その肩は少し震えていた。
「なあ」
話しかけて、その次の言葉が出てこない。カリーナの言葉が思い出される。呼び名がないって、不便ね。
トアルは奥歯を噛みしめた。ああ、確かに不便だ。呼びかけて、トアルがどんなに怒っているか、どれだけ相手を心配しているのか、伝える術がないのだから。
これもトアルの咎だ。
周囲を見る。少ない観客のほとんどが村人だ。アイオラは審判の腕章をつけ、選手と併走する係になっている。カリーナは後ろの方だ。
観客の中に、見慣れた顔があった。
「ウィントさん」
壮年の男性は、杖を突きながらも、背すじをシャンと伸ばしている。凛とした立ち姿とは逆に、顔をクシャクシャと歪め、杖を持ってない方の腕でガッツポーズをしている。その口が動いた。
がんばれ。
「おうよ、分かった」
祭りのざわめきにまぎれて聞こえないように、トアルは呟いた。
ウィントさん、あんたはすごいよ。娘二人に加えて、どこの馬の骨とも知れないガキを拾って、独り立ちできるように育ててくれたんだから。おれは聞き分けのいい子ども一人相手に、てんてこ舞いだよ。
でも、おれはおれで、やるしかないや。
フライゴンの手綱を握り直す。ちらりと横を見た。娘は背を向けたまま、真剣な横顔だけトアルに見せている。
安心してろ。お前はおれが一位にしてやるからな。
『ゲットセット』で、フライゴンが羽ばたきだす。
フライゴン種の羽が奏でる偽物の笛の音が幾重にも重なって、不協和音を作りだす。白の少女が顔をしかめた。
『レディー』
いっそう高鳴った偽笛のいくつかが、可聴域を飛び超えて消える。ガブコの羽の音は消さない。最初から飛ばすと、スタミナが持たないからだ。エアロックまでは遠い。
『ゴー!』
と同時に、ガブコが地面を蹴って滑りだした。
トアルとガブコがリードしていたのは最初の数秒だけで、すぐさま他のポケモンたちに並ばれた。しかし、そのポケモンたちも、次々と不時着していく。
「ムラマサ、ドラゴンクロー」
カリーナのガブリアスが、ジャンプしてはツメを的確に振るい、ライバルの翼を叩き落としていく。鞍や手綱に当ててはいけない、すさまじい曲芸だ。
「失礼、偽笛の音階が外れて耳障りでしたので、退場していただきました」
フライゴンの手綱を片手で器用に繰りながら、カリーナが妖艶に笑う。その自信を裏づけるように、カリーナのフライゴンの羽音は、正確なメロディを刻んでいる。
空色の巨躯がつっこんできて、その笑みが崩れた。
カリーナは片手だけでフライゴンを上昇させると、その突撃を難なくかわす。だが、表情までは取り繕えなかった。
「かわいくない子」
白の少女はただ真っ向から、ムラマサとカリーナを見定めた。倒すべき敵として。倒し甲斐のある強敵として。に、と少女が口角を上げる。蒼穹色の目に戦人の炎が宿る。
カリーナも真っ向から迎えうった。
「ボーマンダ、ドラゴンクロー」
「ムラマサ、ドラゴンクロー」
空色の空の竜と、群青色の地の竜が、それぞれ太い腕から、敵を穿つためだけの槍のようなツメから、ドラゴンの力を示す緑色の光を放った。
「同情なら要らないぞ!」
白の少女が叫ぶ。カリーナは少女に、改めて余裕の笑みを向ける。
「それは失礼。でも、飛び始めたばかりの子どもを落とすほど、大人気なくもありませんの」
「大人なんてっ」
少女を立ち乗りさせたまま、ボーマンダが力を込めた。
「自分が助けたい時しか、助けてくれないくせに! オオタチ、“ものまね”“このゆびとまれ”!」
少女の指示の意味を、誰も彼もが飲みこめなかった。唯一、彼女のオオタチだけが、指示を受けて大きくジャンプする。――違う、“そらをとぶ”だ。
“そらをとぶ”を真似たオオタチが、ガブリアスの頭を越えて、数秒だけ滞空する。たった数秒。その数秒間だけ、ガブリアスはオオタチの短い手指に気を取られた。
重心のずれた体を殴り、ボーマンダがガブリアスの体に砂を付けた。カリーナはボールを投げて、ガブリアスを回収した。
翼を広げ、大きく空気を打って旋回したボーマンダがコースに戻る。そして先頭に躍りでる。
「私は一人で妹を助ける。誰の助けも要らない。一人でやれる」
トアルの並んだ数秒にそれだけ早口で言って、少女はボーマンダを加速させた。
トアルは、呼び止めることすらできなかった。
「ガブコ、おれらも加速しよう。“おいかぜ”」
リィン、と偽笛の音階を上げて、フライゴンが風を味方に速度を上げる。ワタッコのフーコもいっしょに風に乗った。
キュウ、とワタッコの声に後続を確認する。散々引っかき回して、ガブリアスを失ったカリーナが他の参加者にたかられていた。
「悪く思うなよ」
元より、そのつもりのはずだ。
「フーコ、“わたほうし”、“にほんばれ”で元の位置に戻ってくれ」
指示を受けたワタッコがそばを離れ、頭と両手のボンボンから白い綿毛を飛ばす。狙い通り、後続集団にまとわりつかせたワタッコは、“にほんばれ”と“ようりょくそ”を利用して、先行していたトアルとフライゴンに追いついた。
またもや、“にほんばれ”の光が数秒保たずして陰った。これもエアロックの伝承に関係あるのだろうか。
「“りゅうのいぶき”!」
生き残ったフライゴンの乗り手が、後ろから少女へ攻撃を仕掛けてきた。
少女とボーマンダは気も負わずに待ち受ける。ボーマンダの背に同乗しているオオタチが“りゅうのいぶき”を吹いて押し勝った。
「“さきどり”か。“ものまね”“ふいうち”“このゆびとまれ”って、どういう意図なんだろうな」
喋ったせいか、相手は標的をこちらに変えた。
「“ドラゴンクロー”!」
直接攻撃。なら、ちょうどいいや、とトアルはワタッコに指示を出す。
「下、“いかりのこな”」
高度を下げたワタッコに釣られて、相手のフライゴンも地面につっこんだ。当たる手前でひょいとかわして、相手方だけ地面にキスさせた。コースの横で、アイオラが相手の失格を告げる。
ライバルたちの掃除は、こんなもんか。
トアルは手綱を握り、先頭をひた走る少女に集中した。
「ついてくんな!」
後ろを振り向いた少女は、そう言ってあっかんべーした。相変わらず、スケボー乗りのままだ。
スケボー乗りだと足に負担がかかるし、第一危ない。エアロックまで、ボーマンダの体力が保っても、少女の体力が保つか不安だ。
「ちゃんと座って乗りなさい!」
「うるさいやい!」
少女とトアルのやりあいに、コース横でアイオラがため息をつくのが聞こえた。
アイオラのフライゴンは細身でスピードはあるが、パワーがない。レースに出たら乱戦負けするだろう。
少女がじっと値踏みするような視線をアイオラとフライゴンに注いでいた。しかし、トアルの視線に気づくと、またふいと向こうを向いた。
「なあ」
「うるさいってば!」
呼びかけも虚しく、一方的に拒否される。仕方ないか。最初に拒否したのは、トアルだ。
三人はエアロックへ着々と進んでいく。前方の赤い一枚岩が、羽ばたきごとに、その威容を確かにしていく。エアロックは、岩だ。山のようなそれが、たった一つの岩であるという事実が、その岩肌と共に、重く目の前に鎮座していた。
少女が蒼穹色の目をチラリとトアルに向ける。順位は変わらないまま、二人はゴールの目印の上を飛び越えた。
「ガブコ、おつかれ」
フライゴンの偽笛の音が低く、小さく収斂していく。いつもは入れない範囲まで近づいたトアルは、エアロックの大きさを目近で見て、気を抜いていた。
近くで見ると、エアロックが岩だということ、その重たさがまざまざと感じられる。トアルは地学は知らないが、それでも、手ですくえる土でできた山と、エアロックが別物だということは雰囲気で分かる。
一固まりの、巨大な――蟻地獄の精霊。それが本当に、このエアロックと化したのだろうか。
「トアル、あの子が!」
アイオラの悲鳴のような声に、トアルは現実にうち返った。
屹立する岩肌に沿って、空色の竜が、真っ赤な翼をうち振るい飛んでいく。その背に白い少女をしがみつかせて。
ゴールで待機していた村人たちは揃って、呆然と少女たちを見上げている。
「悪い、おれも行く!」
一言告げた断りを遮るように、岩の攻撃が飛んできた。番人のイワパレスだ。
とっさに二人をかばったフーコの体から力が抜けた。フーコをボールに戻し、そこでトアルは立ち往生した。
「構わない。あの子の親だ。行かせてやれ!」
アイオラが番人たちを制止した。
「すまない、アイオラ」
「いいから行って」
トアルはフライゴンの手綱を鳴らした。
ピィン、と偽笛の音が可聴域と超音波のはざまに突入する。
フライゴンは赤砂の大地を蹴ると、可聴域を超えて羽を振動させた。上昇姿勢に入る。トアルはフライゴンの背に伏せた。
エアロックは大きい。立ちはだかる岩壁が、一向に途切れない。首を曲げる。赤い岩と空の境界を、地平線のように錯覚する。
大地が消える。空へ抜けた。上昇から滞空に移ったフライゴンの背の上で、トアルも鞍に座り直した。
赤い岩、その中心で。白の少女はボーマンダに立って空を見上げていた。
「おおい」
伸ばした手も、呼びかけた声も、中途半端なところで消えた。名前のない虚しさは、トアルが一番よく知っているというのに。
「レックウザ、どこだ」
少女の言葉に呼応するように、フライゴンのガブコが、リィンと偽笛の羽音を鳴らした。
リィン、リィンと偽笛の音階が変わるたび、ガブコの体が不安定に上下する。何度も音階が変わり、それがフライゴンの歌だと気づいた時、トアルは言い伝えを思い出した。
「蟻地獄の精霊の息子が、呼ばう」
答え合わせをするかのように、巨大な緑の龍が、トアルたちが今しがた来た方角から――西の空から、矢のようにエアロックに飛んできた。
矢のように何者をも貫かんとする勢いながら、地面に突き刺さることなく、静止して中空でとぐろを巻いたその姿に、トアルはしばし、見惚れた。
かの一続きもまた、エアロックのように巨大だった。蛇のように長い体はまた、太く、逞しくもある。裂けた口から吐く呼気が、そのたびにエアロックの空気を揺らす。体表に刻まれた黄金の輪のような模様は、脈動するように輝いている。だというのに、レックウザは、生とかけ離れたような浮遊感に包まれている。
これが神か。
少女もまた、圧倒されるようにレックウザを見上げていた。だがしかし、自ら頬を打って気を引き締める。
「神でもポケモンだ。レックウザ、私はお前をゲットする!」
小さな子どもの精いっぱいの宣言に、レックウザはしかし、硫黄色の瞳をわずかに動かしたのみだった。
「ボーマンダ、“ドラゴンクロー”」
少女を乗せたまま、ボーマンダが突進する。その腕にまとう緑の光は、ガブリアスの前では頼もしく見えても、レックウザの巨体の前では、豆電球も同然だった。
緑の龍はボーマンダのドラゴンクローを受け止めた。微動だにしない。
「これで!」と少女がマスターボールを投げつける。
当たった、はずだった。
ボーマンダの首の長さの距離、いくら少女の細腕でも、届くはずだった。
まるで空気が邪魔するように、マスターボールはレックウザの肌から数センチのところをコロリと転がって、そして、落ちていった。
「パン」と。岩とプラスチックとが当たって、割れる音がした。
ボーマンダと少女が慌てて距離を取った。レックウザの裂けた口内に緑の光が宿る。
まるでこれが本当のやり方だ、とでも言うように。さっきのドラゴンクローなど箸にも棒にもかからない、濃く、熱く、そして何よりも眩しい光が、レックウザから少女に向かって放たれた。
危ない、とトアルが叫ぶ。その声を振り切って少女は“わざ”を叫ぶ。
「オオタチ“さきどり”!」
ただ一撃でも、食らいつくためなのだと、トアルは気づく。
オオタチがくわっと口を開けた。そこに溜まる光は“さきどり”で強まっているはずだが、それでもレックウザに遠く及ばない。
格が違う。
レックウザが口を閉じた。放たれた波導が少女に当たる前に霧散する。それでもその余波だけで、少女とボーマンダはこっぴどくはね飛ばされた。ボーマンダの体がスピンして、立ち乗りしていた少女の体がふわりと浮いた。
「あ」
さっきの余波で、命綱がバッサリと切れていた。
少女の手が空を掴む。
オオタチがせめてもの足掻き、“そらをとぶ”の“ものまね”で少女のジャケットをくわえたが、真似事で浮力は稼げない。ジャケットが千切れて、オオタチだけが浮上した。
白い少女が落ちていく。空が流す涙のように。
ビィン、とひときわ鋭い偽笛が鳴った。
「ガブコ、“かぜおこし”!」
娘の体を、ささやかな風が受け止めた。
トアルは少女のそばにフライゴンを滑らせ、その手を掴み、引き上げた。少女はトアルにくっつくと、しおしおと縮こまった。「だからスケボーみたいな乗り方はやめろと言ったんだ」と説教の一つでもしたかったが、やめた。
「レックウザ、捕まえらんなかった」
「そうだな。かなわなかったな」
トアルは彼女の背中をさすった。
「ボール壊れたから、もう無理」
「そうか」
子どもは静かに涙を流していた。流していることに、子ども自身、気づいてない様子だ。
「妹、だいじょうぶかなあ?」
「分からない。でも、おれも探すよ」
「本当?」
不安そうな蒼穹色の目に、トアルはできるだけ、勇ましく見えるように胸を張った。
「当然だろ。おれは君の……比翼の、親なんだから」
「比翼?」
「君の名前」
トアルは頬を掻きつつ、由来を話した。
「一人だと飛べないけど、二人なら飛べる。そういう、意味だ」
格好つけた上にはしょった理由だけど、彼女に似合うと思った。
変かな? と聞くと、変だ、と子どもは答えた。
「でも、トアルがそう言うんなら、いい名前だよ」
「そう。良かった。比翼」
名前を呼ぶと、子どもは――比翼はコロコロと笑った。
レックウザは親子劇場に飽きたのか、グルリとその場で回ると、東へと飛び去っていった。去り際に一つ、ゲップを残して。
「ばっちぃ神様だな」
東の方角にしっしっと手を振っていた比翼が、「あれ?」と空を見上げた。
「どうした、比翼? ……ああ」
今まで青一色だった空に、灰色の雲が立ちこめている。冷たいものが顔に当たる。
エアロックに久々に、雨がやってきた。
ポケモンの様々な姿に対する理由付けは、世界中の民話によく見られる要素である。
そうした物語は「世界は何故今のようになっているのか?」「世界の始まりにいたのはどのような存在だったのか?」そうした深遠であるが素朴な疑問に対する答えである神話とは異なり、身近な食べ物がもたらされたきっかけや衣服の興りなど生活に密着した内容のものが多くを占め、その中には今も私たちの身近に住まうポケモンたちの姿についての物語も含まれている。
そうした民話の中には、人間との関わりのためにポケモンがその姿を変えたのだという物語もある。ここで紹介するのは、シンオウ地方で起こったとされるダイケンキの物語である。
シンオウ地方の神話には、かつて人はポケモンの皮を被ることでポケモンとなれたし、ポケモンは己の皮を脱ぎ捨てて人になれたという謂われがある。その通りに姿を変えるポケモンや人が絶えて久しい頃の話だという。
外つ国よりシンオウに流れ着いた男はシンオウの民に助けられ、そのまま彼らの村の一員となった。男はそこで美しい女と出会い、やがて彼女と夫婦の契りを交わした。
女は木の実の在処や魚の居所を探ること、また泳ぐことに関しては男よりもずっと長けており、土地勘のない場所で暮らす男は度々それに助けられた。だがその代わり女は不器用で、調理や採集に使う小刀や銛こそなんとか使えるものの、糸をよることも針を使って裁縫をすることもできず、こうした作業は男が代わりに行っていた。二人は互いに足りぬところをうまく補い合った睦まじい夫婦としてずっと暮らしていくかのように思われた。
しかし男にはどうしても気がかりなことがあった。離れたままの故郷、そしてそこに残してきた老母のことである。
どこを通り来たのか男にもわからない以上、元のように国へ帰るなど至難の業。行方の知れなくなった自分はきっと死んだものと思われているだろう。同じように自分は家族を死んだものと思い、この地で新しい家族を持ち生きようと男自身も思っていた。
しかしある時男の夢枕に老母が立った。農地に立ち鍬を振るう母は、村の入り口に人の通りがかる度に作業をやめて近付いていってはそれが男の帰ってきたのでないことに落胆していた。夜が来れば老母は陰膳として男の好物である木の実を供え、彼の帰りを待っていた。男の脳裏にはシンオウの地で育たぬその実の瑞々しい味と彼の村の暖かな風、そして母の優しさが思い出され、望郷の念が渦を巻いた。
次の晩にも老母は夢に現れた。昨日の夢で見たよりも随分と老いさばらえ鍬も持てなくなったと見える母は荒れた農地をどうすることもできず、悲しげに男の名を呟いている。男はその側に立てない自分をひどく悲しく、無力に思った。
その次の晩もまた老母は夢に現れた。床に伏したまま弱々しく男の名を呼ぶ姿は、男の目にも先のないものと映った。
男はいよいよいてもたってもいられなくなり、夜のうちに船を出し闇雲に海へと漕ぎ出した。
面食らったのは朝起きてきた女の方である。終生を共にすると誓った男が理由も告げずに去ったことを知った女は怒り狂い、船が消えているのを知れば止める者たちの言葉も聞かず、夫の残した銛を掴み海へと飛び込んだ。
「いかに泳ぎの早いあの女でも、昨晩出た船になど追いつけまい」
見送る村人がそう言い合うのを後目に、泳ぎ続ける女はぐんぐんと進んでいく。不意にその姿が青く染まった。やはり波に飲まれたかと村人たちは一様に悲しんだが、その表情はすぐさま驚きに変わった。
女は波に飲まれたのではなかった。女であったものは村人たちの視線の先でみるみるうちに大きく膨れ上がり、海と同じ色の毛皮と貝殻に似た鎧を持つ大海獣へと姿を変えたのだ。ここに至って村人たちは、かの女が人の皮を被った海獣であったのだと悟った。
海獣はその姿を見せつけるように、波間から大きく飛び上がった。その姿を見て、村人たちは指を差し口々に言い合った。
「角が生えているぞ」
「いや、銛だ。あれはあいつが持って行った銛だ」
太陽の下に現れた海獣の額からは、確かに一本の長い角が生えていた。
鎧の海獣であったダイケンキに角が生えたのは、この女が夫の銛を自らの角としたのが始まりなのだという。
また女が角を持って後、その姿を見た同族たちは畏怖を覚えるとともに角や武器の重要性を知ったため石の代わりに貝殻でできた小刀を構え、あるいは額に生やした角を振りかざすようになったと伝えられる。
この民話の伝えられる地域では野生のダイケンキによって船が沈められた際、船乗りたちを慰霊するとともに、逃げ出した男を追って未ださまよい続ける女の魂を鎮める儀式が長く行われていた。
(前書)
久方小風夜さま作「存在しなかった町」(http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3670&reno= ..... de=msgview)、「薄膜の上の誰かへ」(http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=1322&reno=4 ..... de=msgview)、586さま作「#142790 「置き換えられた記憶」」(http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=1235&reno=1 ..... de=msgview)に影響されました。これらも面白いので是非に。
どちらかのバーチャル
息子がスマホ片手に、しきりに虚空を掻いていた。
「こうすると喜ぶんだ」と言う彼のスマホには、この前捕まえたポケモンが映っているのだろう。
山に行きたい、と急に言われた時はどうしたんだと思ったものだが、リリースされたポケモンアプリのお陰らしかった。そこに行かないと好きなポケモンを捕まえられないとかで、山道の途中で、はしゃいでスマホをトントンして捕まえたそうだ。きっかけはどうあれ、インドア派な息子が少しは外で遊ぶ気になって、古臭い親心ではあるが、やはり嬉しい。
しゃがんでメールをいじっていた息子が立ち上がった。
「ユウちゃんたちと公園で遊んでくる」
門限までに帰るよう、言い含めて見送った。なんでもポケモンバトルは外でやったほうが迫力があって楽しいとかで、息子の約十年の人生で外に出た回数を考えると、ポケモンアプリさまさまである。
**
「コイツ、散歩すると喜ぶから」
そう言って息子はよく外出するようになった。
そしてその度、私は同じ注意をすることになった。
「スマホばっかり見て歩いたら、危ない」と。
息子は、それはもう、通い慣れた通学路でも、楽しそうに歩く。隣にソイツがいるのだと言って、頻繁にスマホ画面でソイツの姿を確かめながら。
「危ないから、やめなさい」
「でも、コイツが車道に出て轢かれてたりしたら」
息子の心配事に、私は思わずふき出した。
「アプリが轢かれるわけないでしょう」
息子はちっとも納得しなかった。
「ユウちゃん、コラッタが轢かれたの見たって」
それはきっと、アプリが車が映ったのを判断して、そういう演出を入れたのだろう。リアルは結構だが、やりすぎではないだろうか? 苦情を入れるべきだろうか。
苦情は後で考えることにして、息子のほうは、歩きスマホをするならスマホを取り上げる、と脅して、やっとやめさせた。
それでも息子は気になるのか、しょっちゅう立ち止まっては、アプリを起動して、ポケモンの姿を確認しているようだった。
**
「アプリ中毒?」
人は色んな物に中毒する。アプリ中毒はスマホ中毒に似ているが、違うらしい。
「ええ、ユウくんもアプリ中毒で大変なんだって。ポケモンの様子が気になるって、スマホを手放さないし」
噂好きのママ友は声を低めた。
「スマホを取り上げたら、すっごい大声出して暴れるんだって。ユウくんいい子だったのに、いやねえ」
いやと言うわりには、彼女の顔は舌なめずりでもしそうになっている。うちの子もハマってて、心配だわと付け加える声が空々しい。
そうそう、最近はアプリ中毒専門のお医者さんもいるらしいわよ。ハマり始めに早めに対処したほうがいいんだって。ママ友はそんな情報を置いて去っていった。
**
もう学校から帰ってきているはずだ。子供部屋のドアをそっと開く。
息子は床に座りこみ、スマホを横目で確認しながら、指を空中に這わせていた。
その腕はなにかを抱える形に曲げられていて、息子にとって大切なものがそこにあるのだな、と見てとれた。
開いたままのドアを叩く。息子は口を丸く開けて私を見上げた。子供部屋のドアが開けられたのに気づかなかったらしい。
「宿題は?」
息子はバツが悪そうに目を伏せ、腕の中のなにかを下ろした。そして、机上に伏せたスマホを名残惜しそうに見てから、のろのろとノートを引っ張りだした。
**
「典型的なアプリ中毒ですね」と医者は言った。
頻繁にアプリを覗かないと落ち着かない、アプリを起動するとひとまず落ち着く、などが典型的な症状らしい。
これが重度になると、アプリの中のポケモンを優先したライフサイクルとなり、通常生活に支障をきたすそうだ。
「そうなると、患者をアプリから引き離す際にも、多大な苦痛を生じます」
医者は脅すように言う。
「そうならないために、どうすればいいんですか」
その言葉に、医者は申し訳なさそうに目を伏せて、でも、職業上こういった演技には慣れているといった風情で、
「アンインストールでしょう」
と言った。
診察用の椅子に乗せられた息子が青ざめた。
**
ポケモンが見えなくなるから嫌だ、と息子は言った。
アプリがなきゃ、餌をやる時間も餌のやり方もわからない、と息子は喚いた。
アンインストールのボタンをタップするのは、指先の電気が触れるだけというのもあって、とても呆気なかった。
**
それからしばらく、仕方ないと言えば仕方ないが、息子は元気がなかった。ポケモンの名前らしい単語を連呼して、家の中を探し回るようになった。
医者が言うには、時間が経てば元に戻るということなので、助言通り放っておいた。
その内に息子も落ち着きを取り戻し、宿題も言えばきちんと取りかかるようになった。
時々、床近くの空気を手で掻いていたが、私が見ているのに気づくと、すぐにやめた。
医者いわく、「アンインストール後の手持ち無沙汰を埋める行為」だそうだ。これも、時間が経てばなくなっていくのだろう。
**
リビングの入り口で、息子が見えないボールを拾い上げる真似をした。そして、新聞を読んでいる私を見て、「まずい」という顔をすると、自室に逃げ帰っていく。
なにがまずいのやら。後で暇があれば確かめよう。
めくった面の見出しに、私は眉をひそめた。
『収まらぬ火山活動 伝説のポケモン復活の兆候か』
新聞記者には重度のアプリ中毒者がいるようだ。ここの新聞はやめたほうがよいかもしれない。
テレビを点ける。新聞と同じ火山活動のニュースだが、そこにはポケモンのポの字も出てこない。やはり、この新聞はどこかおかしいのだ。
夕食を作るのに野菜が少ないので思い立って、外に出た。そこにはユウちゃんのアプリ中毒の話を美味しそうにしゃべくっていた、あのママ友がいた。
「こんにちは」
「こんにちは。噴火、怖いですねえ」
当たり障りのない世間話で幕を開ける。しかし、相手は「いい車を買っても、灰で汚れるから大変なんですって」とまたもや舌なめずりしそうな顔になる。いやはや、この人に息子のアプリ中毒がバレなくてよかったなあと心底思う。
ママ友は舌なめずりの顔のまま、「伝説のポケモンがいたって、いいことないんですのねえ」と言った。
「え、なんて」
私は聞き返した。
「ニュースでやってるでしょう」
相手は、私が非常識、と糾弾する調子で言った。
「そういえば」ママ友は話題を変えた。
「ユウくん、ポケモンと旅に出るんですってね。伝説のポケモンがいるような、危ないところには行ってほしくないわあ」
うちの子は旅なんて出ませんけど、と彼女は自慢気に言った。
**
「僕も、旅に出たいなあとは思ってるよ」
息子が言った。
「クラスの子も、旅に出る人多いし。ユウちゃんも行くって言ってるし」
バツが悪そうな顔をする息子の腕には、またもや透明なボールが抱きかかえられていた。
いろんな疑問を飛び越えて、私ができるのは、彼の行為の上っ面をなぞることだった。
「なんで今まで言わなかったの?」
そう問うと、息子は腕の中の透明なボールを見下ろし、私を見上げ、そして、目を伏せた。
「だって、お母さん、見えないみたいだし」
伏せたまつげに半ば隠れているのは、それは間違いなく私への憐憫だった。見えない、お母さん、かわいそう。そんな。
「それはアプリでしょう」と私が言った。
彼は悲しそうに、腕の中の空虚と“目を合わせた”。
**
夏休みに入る頃に、私は息子の背中を見送ることとなった。
学校の担任に相談しても埒が明かず、かえって事態は加速して、おたくの息子さん、トレーナーとしての才能がありますよ、旅に出ないなんてもったいない、ということになってしまった。
大きなザックを背負い、時折、見えない斜め下に向かって笑いかける息子が印象に残った。
私には見えないだけで、車道を危なく横断するポケモンがいて、山の中でしか捕まえられないポケモンがいて、遠くのマグマ溜まりでは伝説のポケモンが眠っている。
そう言われても、どれだけ世の中のニュースが書き換わっても、私には、ただのアプリしか見えないまま。
(後書)
ポケモンGOたのしみです。
せんだって Twitter にあげたミニスカート×ベトベター的なマンガをまとめました。
初出は2015年9月8日 https://twitter.com/ohinot/status/641206926064287746 以下です。
悪夢よりも悪夢かもしれない、羽沢親子入れ替わり事件勃発から二日目である。
悠斗は森田によるポケモンバトルレクチャーに知恵熱を出し、泰生は富田に連行されたカラオケボックスで行われたボーカル特訓(と言っても、身体的に染み付いた歌唱力は残っていたため問題はもっぱら泰生の妙な羞恥を突き崩すことだったが)の屈辱に夜、うなされた。もっとも本人達より安らかでいられないのは森田や富田の方であり――森田は胃薬をラムネ菓子のようなペースで摂取し、富田はイライラ対策のためにモーモーミルクを大量購入した。腹を下す体質では無いのだけが幸いである。
しかしどれだけ嘆いたところで、この現状がどうにかなるわけではない。元に戻るまではお互いのフリをしっかりこなすことが最優先だ。そんな決意を悠斗、泰生、森田、富田の四人はそれぞれの胸に宿して困難へと立ち向かう。
……その困難は、悠斗と泰生それぞれの知識があまりに偏っていたため、彼らが予想していたものよりずっと大きかったのだが。
「いいですか。くれぐれも、くれぐれも、くれぐれも! 芦田さんに怪しまれるようなこと言わないでくださいよ」
さて、そんな泰生と富田は本日も学生生活の真っ只中である。
今日の講義は学部の専門科目が二つ、テキストの漢字が読めなかったり一般常識の部類であろう語句を知らなかったりと、泰生のトレーナー一本ぶりに、昨日に引き続きうんざりを繰り返すことになったが、散々言い含めた甲斐もあり、余計な発言をすることだけは回避出来た。『若き旅トレーナーを狙う性犯罪問題をどう解決するか』という授業の最中に「普通にポケモンや自分を鍛えればいいのではないのか?」などと真っ直ぐな瞳で言いだした時には頭が痛んだが、昨日のように講堂全体に聞こえる声で言わなかっただけよしとする。
「三回も言うな。ドードリオやレアコイルじゃあるまいし、一回言えばそれでいいだろう」
「一回言ってわかってくれないから何度も言うんですよ。何ならポケモンミュージカル部にペラップ借りてきて、常に聞いていただきたいくらいです」
しかし今日の富田が声に棘を作るほど懸念しているのは、どちらかというと授業ではなく、この後にあるサークル活動の方だった。個人練であれば何とかごまかせそうではあるけれど、本日の羽沢悠斗の予定は学内ライブのセッション練なのだ。セッションの相手、一学年上である三年生のキーボード、芦田は当然この事態を知らない。
羽沢悠斗という人物に向けられた信用を崩壊させることなく、また要らぬ誤解を招くこともなく、芦田との練習を終わらせなくてはならないのだ。どうすれば一番安全かと思考を巡らす富田の隣から、泰生がつつつ、と離れていった。
「タツベイ……」
「え、え……何すか…………?」
廊下ですれ違った見知らぬ男子学生の肩に乗っていたタツベイに引き寄せられ、そわそわと近づいていく泰生に気づいた富田は「だから! だから三回言ったんですよ!」と青筋を浮かべて泰生の首根っこを捕まえた。いきなり近寄ってきた赤の他人、しかも呟かれた独り言以外は無言の仏頂面という怪しさに、何事かとヒいている学生に秒速で頭を下げる。「すみませんホント、何でもないんです」そんな富田の鬼気迫る様子に彼はさらに不審感を募らせたが、関わり合いになりたくないためタツベイを抱え、そそくさと去っていった。
はぁ、と重い溜息を吐いた富田が、辿り着いた部室の扉を前にしてもう一度言う。「本当頼みますからね。悠斗らしく、悠斗らしく、悠斗らしく、悠斗らしく、ですよ」
「……メタグロスか」
泰生の漏らした不平は無視して、富田はドアを開ける。
「お疲れ様です」「おっす羽沢、富田」「おつかれー」「ハザユー風邪大丈夫なの?」「あ、ただ疲れてたらしいです」「何でトミズキが答えるんだよ」「お前、そのニックネームわかりにくいって」口々に交わされる言葉が、各々の楽器が鳴らす音と共に響く部室を歩く。有原と二ノ宮は今は不在みたいだな、などと思いながら、富田と泰生は一台のキーボードの前まで進んだ。
「芦田さん、こんにちは」
「あ、お疲れ! 羽沢君、具合はもう平気なの?」
何やら携帯で連絡を取っていたらしい芦田は顔を上げ、人の良さそうな笑みを浮かべる。彼の質問に富田が泰生の脇腹を素早く突き、泰生は慌てて「ん」と頷いた。
その態度に富田はまたしても頭を抱えたくなったが、「まだ本調子じゃなさそうだね〜無理はしないでね」と、芦田は都合良く解釈したらしい。それに内心で胸を撫で下ろしながら、「守屋もお疲れ」と芦田の隣に座っていた同級生へ声をかける。「『も』は余計ですよ」冗談っぽく拗ねたような顔をして、守屋は軽く片手を上げた。彼の足元のマグマラシが富田達をちらりと見たが、すぐに、一緒に遊んでいたらしいポワルンの方へ視線を戻してしまう。マグマラシとポワルンは、それぞれ守屋と芦田のポケモンだ。芦田のポワルンは、何故か常に雨天時のフォルムをしていることでちょっと有名である。
「今日は悠斗と合わせでしたよね」 晴天の室内にも関わらず雫型のポワルンに興味津々の泰生は無視してそう尋ねた富田に、「そうだよー」壁にかかった時計を見ながら芦田は答える。「本当は横木くん達が使うはずだったんだけど、一昨日代わってくれたからね」対角線上でベースをいじっているそのサークル員、横木に感謝の合図をしながら、芦田がキーボードの前から立ち上がった。
「悠斗の具合が心配なので、俺もついていっていいですか」
そこでそう言った富田に、芦田はほんの一瞬不思議な顔をしたものの、「もちろん」と笑って頷いた。ちょうど時間だしそろそろ行こっか、そんな言葉と共に床の鞄を持ち上げた芦田に泰生と富田も続こうとする。
「樂先輩」
が、守屋が芦田の名前を呼んだため、彼は一度足を止める。「なに」言うことは大体予測がついているらしい芦田が、じっとりとした目を守屋に向けた。
「残念ながら、僕は樂さんにお供いたしませんので……」
「いいよ別にしなくて! 巡君には期待もしてないし! わざわざ言わなくていいよそんなこと!」
「むしろこの辺が片付いて、せいせいし……いえ、スッキリした気持ちになってます」
「言い直さなくていいから! アメダスのこと見ててね、じゃあね!」
守屋の軽口に呆れ混じりの声で返し、溜息をついた芦田は背を向けて歩き出す。「いってらっしゃいませ」と悪戯っぽく笑った守屋が手をヒラヒラと振り、芦田が座っていたキーボードを早速弾き始めた。
「まったく、巡君はいつもああだ」などと呻きながら部室を出た芦田の後ろを歩きつつ、まったくはこっちの台詞だ、などと富田は考えていた。有原と二ノ宮達といい、よくぞ毎回飽きないものである。自分のことを完全に棚に上げる富田の隣で、泰生はアメダス――芦田のポワルンを少し触らせてもらえばよかった、などとのんきな悔恨に駆られていた。
「うーん、なんか……」
部室から移動して、第一練習室。学内ライブでやる予定の曲を一通りやってみたところで、芦田がなんとも言い難い顔をした。「……やっぱり、羽沢君まだ調子悪い?」言葉を選ぶような声で問いかけられた泰生が「どういうこと……、ですか」と、ギリギリのところで口調を悠斗のものに直しながら問い返す。
芦田は「なんというか」「別にいつも通りと言えばそうなんだけど」と、グランドピアノと睨み合いながらしばらく首をひねっていたが、ややあってから顔を上げて泰生を見た。
「なんというか、ね。楽しそうな曲なのに、楽しそうじゃない、っていうか」
「…………そんなこと、」
とてもじゃないが楽しくなどない泰生は「そんなこと言われても困る」と言いたかったのだが、芦田の目には途中まで発されたその言葉が、不服を訴えるものに聞こえたらしい。慌てたように「いや、俺の気のせいかもなんだけどさ」と頭を掻いて、彼は「でも」と困ったような笑みを作る。
「羽沢君って、こういう歌を本当に楽しそうに歌ってたから。だからこれにしようって決めたわけだし……なんか違うような、そんな気がして……」
譜面台に置いた楽譜を見遣り、怪訝そうに言った芦田に何か弁明しようと富田が「あの」と口を開きかける。しかしそこで芦田の携帯が着信音を響かせ、「ごめん。ちょっと待って」彼は電話を取った。
「はい。はい、そうです。さっきの……ああ、そうですか……いえ、わかりました。はい。了解です」
電話の向こうの相手と短いやり取りをしていた芦田だが、数分の後に「失礼します」と通話を切る。どうしたんですか、と富田が尋ねると、彼は重く息を吐いて「学内ライブなんだけど」と力の無い声で答えた。
「日にちが一週間前倒しになっちゃって……昨日事務の人にそう言われて、どうにかしてくれないか頼んでみたんだけど……」
「そんな、じゃあ……」
「点検の日付を変えるのは無理だから、って。みんなに言わないとなぁ……」
苦い顔をして気落ちする芦田に、富田も歯噛みする。ただでさえ、元に戻るまでの諸々をごまかすのに必死なのに、ここに加えて本番までこられては大変まずい。一体どうしたものか、という思いを、芦田と富田はそれぞれ違う理由で抱く。
だが、泰生の反応はそれとは違った。「なぁ」携帯でサークルの者達に連絡を送っていた芦田が泰生に視線を向ける。
「なに、羽沢君?」
「どうして、そこでもっと抗議しないんですか?」
泰生からすれば純粋な疑問をぶつけたに過ぎないが、いきなりそんなことを言われた芦田は面食らったように瞬きを繰り返した。
「それは……まあ、したにはしたんだけどダメだって言われたし……学校の都合ならどうしようもないから……」
「何故です? 先に予定を入れておいたのはこちらなんだろう、なら、向こうは譲るべきなんじゃないんですか」
「僕だって同じこと思うよ。それはそうだ、羽沢君の言う通りだ……でも、しょうがない、じゃん」
「学校にそう言われちゃ、仕方ないよ」芦田がぽつりと言って、白と黒の鍵盤に視線を落とす。諦めたような顔が盤上に映し出された。
「しょうがない、って……」
しかし、泰生は違った。
その一言を聞いて、眉を寄せた彼は、両の拳を握り締める。
「そこでもっと言わないから、こういうことが起きるんじゃないのか? どうせ言うことを聞くから、と馬鹿にされて……だから後から平気で変えてくるんだ!」
「羽沢、君…………?」
「なんでそんな無理を言われるのかよく考えてみろ、そうやって、受け流すから見くびられるんだ。大学だか事務だか知らんが、そことの不平等を作っているのはこっち側なんじゃないか!」
「…………それ、は」
「これでまた、一つつけ上がらせる理由になったんだ……わかってるのか、これは俺だけじゃなくて、他の奴らにも関係あるんじゃないのか? こうして平気で諦めたことは、他の学生にも――」
「おい、羽沢――――」
「樂先輩」
見かねて口を挟んだ富田が何か言うよりも前に、そこで、泰生と芦田の間に割り込む声があった。
「赤井先輩が呼んでます、学祭の件で急用だって……」
携帯じゃ気づかないだろうから呼びに来ました、そう付け加えた守屋は、半分ほど開けたドアの向こうから三人を見ている。その足元と頭上それぞれで、マグマラシとポワルンが、何やらただ事では無さそうな雰囲気にじっと動かずにいた。
「あ、うん。わかった。すぐ行く」
一瞬、目をパチパチさせていた芦田が慌ててピアノの前から立ち上がる。「ごめん、羽沢君、富田君」そう言いながら簡単に荷物をまとめた芦田の様子は、少なくとも一見した限りでは普通のもので、富田は反射的に頭を下げる。彼に背中を叩かれた泰生も会釈したが、すでにその前を通りすぎていた芦田が気づいたかどうかはわからない。
「本当にごめん。戻れたら戻るけど、ここ六時までだから、駄目だったら次の人によろしく」
忙しない口調で告げて、芦田はドアの向こうに消えていく。「ありがとね」そう彼に言われた守屋が、芦田に軽口を叩くよりも前に、練習室の中を少しだけ見遣った。
何か言いたげな、探るような視線。が、彼が実際に発言することはなく、二人と二匹は慌ただしく廊下を走り去ってしまった。
残された泰生と富田は、閉まったドアの方を見てしばらく無言だった。が、やがて「俺は」と、泰生が口を開く。
「間違ったことを、言ったのか」
「悠斗、は――――――――」
毅然とした口調でそう問うた泰生に、しかし、富田の細い眼の中で瞳孔が開いた。
その瞳を血走らせた彼が、一歩踏み出して泰生の胸ぐらに掴みかかる。咄嗟のことで反応出来なかった泰生は怯んだように身を竦ませた。
表情というものを消し去って、富田の、握った片手が勢いよく振り下ろされる。
「………………悠斗は」
が、その拳が泰生を打つことはなかった。
思わず目を瞑っていた泰生が、おそるおそる目を開けると、肩で息をする富田が自分を黙って見下ろしていた。
時計の秒針が回る音だけが、彼らの間にうるさく響く。
「……すみませんでした」
その言葉と共に、富田は泰生を掴んでいた手を離す。急に解放された泰生は足をよろめかせたが、俯いてしまった富田がそれを見ていたかは不明だ。声を僅かに震わせていた富田の顔は、長い前髪に隠れてよくわからない。
それきり、富田は何も言わなかった。泰生も無言を貫いた。
結局六時を過ぎても芦田は戻らず、後で彼、および芦田を呼びつけたサークル代表の赤井から謝罪のメールが届いたが、それに対して富田が言及したのは「芦田さんが置いてった楽譜は僕が渡しておきますから」ということだけだった。
◆
そんなことがあった翌日――悠斗は、森田と共にタマムシ郊外の街中を歩いていた。
「悠斗くん、そんな落ち込まないでください。まだ三日目ですから、次に勝てるよう頑張りましょう」
「………………」
彼らは先ほどまでいたバトルコートから、近くの駐車場まで移動しているところである。地面を見下ろし、俯く悠斗に森田が励ましの声をかけた。しかし、悠斗は依然として肩を落としたままである。
数十分前、バトルコートで悠斗が負けた相手は別のトレーナープロダクションに所属している、しかし064事務所と懇意にしている壮年の男トレーナーだ。リーグも近いし練習試合を、ということで前々から約束されていた予定である。
そのバトルに、悠斗はまたしても負けてしまったのだ。今回は必要最低限の知識は入れていたし、少しは慣れたから惨敗とまではいかなかったが、それでも男トレーナーに怪訝な顔をさせるくらいにはまともな勝負にならなかったと言える。ある程度は予想のついていたこととはいえ、悠斗は度重なる敗北に少なからず傷心していた。
「相手方にはスランプで通していますから。それにですね、いくら泰さんのポケモンとはいえ、バトル始めたばかりの悠斗くんがそう簡単に勝てたら、エリートトレーナーも商売上がったりですよ」
「それはそうですが……」
「泰さんと互角の相手なんです、あの人は。負けるのもしょうがないです」
片手をひらひらさせた森田は「とりあえず、今日は帰るとしましょう」と歩を進める。「そうですね」悠斗も浮かない顔のままだが頷き、その後に続こうとした。
「おい、そこのお前!」
が、背中にかかった声に二人は反射で足を止める。
「お前、羽沢泰生だよな!?」
振り返った悠斗達の後ろにいたのは、半ズボン姿の若い男だった。年の頃は悠斗の元の身体とそう変わらないだろう、サンダースのような色に染めた髪やその服装から考えるに、悠斗や富田に多少のチャラさを足した感じである。
「俺は、たんぱんこぞうのヒロキ!」膝小僧を見せつける彼の始めた突然の自己紹介に、悠斗と森田は頭の上に疑問符を浮かべる。「森田さん、たんぱんこぞうって、中学二年生くらいが限度じゃないんですか」「ミニスカートとかたんぱんこぞうとかっていうのは、名乗るための明確な規定が無いからね……『小僧』が何歳までっていう線引きも無いし」「あ、ああ……?」小声で交わされる珍妙な会話は聞こえていないらしい、やけに真っ直ぐな目をした男は、人差し指を悠斗へ向けてこう言った。
「羽沢泰生! 俺と勝負しろ!」
「はぁぁ!? 駄目、だめだめだめ!!」
唐突なその申し出に反応したのは、悠斗ではなく森田だった。慌てたように冷や汗を浮かべた彼は、「そんなこと、出来るわけないでしょう!」ときつい調子で男を叱る。
「そう簡単にバトルを受け付けるわけにはいきません! 羽沢は今事務所に戻る途中なんです、お引き取り願います!」
「目が合ったらバトル、トレーナーの基本だろ!? エリートトレーナーだからって、それは同じじゃないのかよ!」
滅茶苦茶な理論を並べて森田に詰め寄る男に、悠斗は何も言えず立ち竦むしか無かった。ポケモンにもバトルにもとんと関わったことのない悠斗には縁遠い話であったが、しかし偶然、同じような状況を街で見かけたことがある。有名トレーナーを見つけ、無理を通してバトルを申し込む身勝手なトレーナー。最悪のマナー違反として度々問題となっているが、結局のところ、今までこれが解決したためしは無い。
そして、こういうものを煽る存在がいるのも原因の一つだ。「エリートのくせに、にげるっていうのかよ!」「いいから帰ってください!」騒ぐ二人の声に引き寄せられて、近くを歩いていた者達が次々と視線を向けてくる。
「え? なんか揉め事?」
「なぁ、あれって羽沢泰生じゃね!?」
「は!? マジで!? なになに、なんかテレビの撮影!?」
「バトル!? バトルするんだ!!」
「おい大変だ! 羽沢泰生の生バトルだぞ!!」
「やっべー! 次チャンプ候補じゃん、ツイッターで拡散……あとLINEも送ってやらないと……!」
人が人を呼び寄せ、その様子に興奮したポケモンがポケモンを呼び寄せ、気がつくと悠斗達はギャラリーに取り囲まれていた。人とポケモン専用の道路には、ちょうど、バトルが出来るくらいのスペースを残して群衆達が集まっている。「ここまできて、やらないってことはないよなぁ!」パシン、と膝を両手で叩き、男は挑発するような笑みを浮かべた。
「森田さん、これ、やるしかないよ」
「でも、悠斗くん……あっちにしか非はありませんし、ここは理由をつけて……」
「ううん。あいつなら、こういうのが許せないからこそ戦うんだろうし、それに」
「俺、勝つから」
小さく告げられたその言葉に森田が唇を噛む。一歩前に踏み出した悠斗の姿に群衆と男が上げた歓声が、中途半端な狂気を伴って、曇天の空に響いていった。
「やってこい! クレア!」
男が放り投げたボールから現れたのは、肩口と腰から炎を赤く燃え滾らせたブーバーンだった。アスファルトを震わせながら着地したブーバーンは、口から軽く火を噴いて悠斗の方を睨みつける。
「いけ、キリサメ!」
対して悠斗が繰り出したのは長い耳を揺らすマリルリで、雨の名を冠した彼は跳ねるようにボールから飛び出した。ギャラリーの中から「かわいー」と声が上がる。割とお調子者な傾向のある彼はその方へ視線を向けながら丸い尻尾を振ったが、すぐにブーバーンへと向き直り、丸い腹を見せつけるように胸を張った。
タイプはこっちの方が有利のはず。マリルリが覚えている技を急いで頭の中に思い出しながら、悠斗はそんなことを考える。今にも雨が降りそうな天気と、どんよりした湿気も手伝って、炎を使う技は通りが悪そうだ。ここはみずタイプの技で一気に決めてしまおう――そう決めて、指示をするため口を開く。
が、その一瞬が男に隙を与えた。悠斗が考え出した時には既に息を吸っていた男は、灰色の空を見上げながら、こう叫んだのだ。
「にほんばれ!」
彼の声にブーバーンが目を光らせた途端、その空に異変が起きた。重苦しい、分厚い雲の隙間に小さな亀裂が走ったと思うと、それはみるみるうちに広がりだし、瞬く間に文字通りの雲散霧消となってしまった。その向こうから現れたのは青く晴れ渡った天空と、強い輝きを放つ太陽である。
「なに――――」
こうなるかもしれないという予測どころか、てんきを変える技があることすらよく知らなかった悠斗は明らかな動揺を顔に浮かべる。「アクアジェット!」とりあえず言葉は発されていたものの、その狼狽がマリルリにも伝わってしまったらしい。完全に出遅れた彼が水流を放った時にはもう、ブーバーンは次の技に入っていた。
「クレア、ソーラービームだ!」
陽の光の力による目映い一撃が、マリルリに向かって一直線に放たれる。確かな強さを以たアクアジェットはしかし、弱体化していたこともあって、黄金色の光線によって呆気無く跳ね返されてしまった。
キリサメ、と悠斗が叫ぶ。成す術もなく宙を舞ったマリルリは、無様な音を立ててアスファルトへ墜落した。甲高い声がマリルリの喉から響く。
「もう一回アクアジェットだ!」焦ったように悠斗が言うが、マリルリが体勢を整え直すよりも前に男とブーバーンの攻撃が飛んでくる。「させるな! ソーラービーム!」繰り返される一方的なその技を何度も喰らい、マリルリはその度に多大なダメージを負っていく。にほんばれが終わらないうちに勝負をつけてしまおうという魂胆なのであろう、連続する攻撃は暴力的な勢いすら持ってマリルリを襲う。何発目かになるそれを腹部に受け止めた彼は、数秒ふらつく足を震わせていたものの、とうとうその身を横転させてしまった。
「キリサメ!」
地面に倒れ伏したマリルリに悠斗が叫ぶ。力無く横たわった彼は耳の先まで生気を失い、これ以上のバトルが出来るようにはとても見えない。
しかし、悠斗は叫び続けた。
「頑張ってくれ、キリサメ!!」
それはバトルに疎い、ポケモンの限界というものをよく知らない悠斗だからこそ言えた、突拍子も無い言葉なのかもしれない。普通だったらもう諦めて、ボールに戻してしまうところだろうに、それでも声をかけ続けるなどは決して賢いとは言えないであろう。無駄な行動だと一蹴されてしまうようなものだ。
だけど、少なくともマリルリにとっては、そうではなかったらしい。ぴくり、と、片耳の先端が小さく動く。勝利を確信し、マリルリを見下していたブーバーンの目が、何かを察知して僅かに揺らいだ。
その時である。
「クレア!?」
「…………キリサメ!」
突如、勢いよくぶっ飛んだブーバーンに、男が悲鳴に似た声を上げる。やや遅れて、悠斗が呆然とした顔で叫んだ。
ぐち、と奥歯でオボンを噛み砕きながら、マリルリは肩で息をする。ブーバーンの隙をついてHPを回復した彼は、ばかぢからをかました疲労をその身に抱えながらも、不敵な笑みを口元に浮かべた。
「キリサメ! よくやった……!」
悠斗の声を背に受けて、マリルリが二本の足でしっかり立ち上がる。彼を支援するようなタイミングで、技の効果が消えたのか、空が再び灰色に覆われていく。ブーバーンに有利な状況が一変し、急速に満ちる湿り気にマリルリは、可愛らしくも頼もしい鳴き声を空へと響かせた。
つぶらな瞳を尖らせたマリルリに、男は「まだいける! 10万ボルトだ!!」と狼狽えながらもブーバーンに指示を飛ばす。ブーバーンが慌ててそれに応えようと身体に力を溜めるが、マリルリはとっくに動き出していた。アクアジェット。湿気のせいで行使が遅れた10万ボルトなど放たれるよりも先に、重く激しい水流を纏った彼は、ブーバーン目掛けて突っ込んでいった。
「クレア!!」
地響きと共にブーバーンがひっくり返る。その脇に着地して、マリルリは自らの、力に満ちた肢体を見せつけるかのように、得意げな表情でポーズを決めた。
声も出せず、成り行きを眺めるだけだった悠斗が息を漏らす。「…………勝っ、た」呟きと言うべき声量で発されたそれは、やがて喜びの声へと変わっていく。
「勝った…………!!」
信じられない、という笑顔になった彼をマリルリが振り返り、キザな動きで片手を上げた。その様子に笑い返して、悠斗は全身に込み上げる高揚感に包まれた。
しかし――
「……………………」
「ねえ、今のってさぁ……」
「…………羽沢、だよな?」
「あの、アレ……」
喜ぶ悠斗とは対照的に、集まったギャラリーの反応は薄いものだった。相手トレーナーも、倒れたルンパッパをボールに戻しつつ渋い顔をする。
「さあ、行きましょうか」やけに落ち着いた声で森田が言い、悠斗の背を押すようにして促した。小声で広がるざわめき、怪訝そうに見つめる視線。おおよそ勝敗がついた際のものとは呼べないその状況が理解出来ず、悠斗は困惑しながらその場を離れた。
「どういうことですか」
駐車場に停めた車に戻り、シートに座ったところで悠斗は耐えきれずそう尋ねる。彼らの後をちょこちょことついてきたマリルリをボールへとしまってから運転席についた森田は、シートベルトを締めつつ「それは」と口ごもった。
数秒、車内に沈黙が流れる。
「泰さんの、戦い方というものがありまして」
呼吸を何度か繰り返した森田が観念するように口を開く。彼がかけたエンジンの音が響き、悠斗の身体が軽く揺れた。
「シンプル、かつ的確な指示。言葉自体は少なくても全力で通じ合う。ポケモンの様子をいち早く察知して、勝敗よりもポケモンが傷つかないことを最善と考え、結果的にそれが強さを呼ぶ――それが、羽沢泰生のバトルなんです」
「……………………」
「要するに、さっきのようなバトルとは真逆、ということです」
悠斗の指の先が小さく震える。
「ポケモンに任せきり、判断を仰ぐ……なんて、羽沢泰生、らしからぬバトルでした」普通を装った、しかし絞り出すかのような森田の声が鼓膜を掠めた。
「今までのは事務所内にしか見られてないのでスランプという形でごまかせましたが……プライベートなものとはいえ、衆人環視でのあれは少し痛いところでした。泰さんは気にしないと思いますが、やはり、エリートトレーナーともなるとイメージというものもありますから」
「俺は、…………」
「いえ、でも勝てたのは良かったんですよ! ここで負けてたらそれこそ大惨事ですし、悠斗くん的にも、ほら、快挙じゃないですか!」
無理に明るいと笑顔を声を作って森田が言った。「過ぎたことは過ぎたことですし、まあ今後は、ああいうのを控えてくれれば大丈夫ですから」ハンドルに手をかけて、周りをチェックする彼は笑う。「それに今回のは相手が強引でしたしね」
「でも、あれはあれで悠斗くんらしいと思いましたよ! ああいうバトルもいいものです」
そう言いながら車を動かし始めた森田の様子は、すっかりいつも通りに戻っていたが、乗車してから一度もルームミラーに映る悠斗を見ていない。そのことを悟った悠斗は、「そうですかね」と曖昧に返して窓の外を見る。
動き出した景色の中、路地でジグザグマとバルキーとでバトルをしている子供達を見つけ、悠斗はそっと目を閉じた。
◆
それから、家に帰った悠斗は母・真琴の剣呑な態度から逃げるように戻った自室で一人、ベッドに腰掛けて天井を見上げていた。
今日の夕方には、富田が連絡をつけてくれたという『専門家』のところへ行くことになっている。森田は一時事務所に戻り、雑務をやってから羽沢家に来るということだった。車で悠斗を送り届けた彼は、道中も、そして悠斗が降車する際にも何かを言うことは無かった。
ただ、申し訳無さそうな顔が頭に浮かぶ。泣きそうなその顔に滲み出る感情が、自分ではなく父に向けられているのは確かだった。森田はそんなことを一言足りとも口にはしないが、それでも、わかる。
自分が父に、羽沢泰生の名に泥を塗ったことは痛いほどに理解した。自分の無知が、意地が、愚かさが、父という存在を貶めることによって、父を慕う人達を傷つけることになる。忌み嫌い、目を背けていた父が自分のあずかり知らぬところでどれほど愛されていたのか。その側面を垣間見たような気がして、恐ろしいまでの後悔が襲ってきた。
(だけど――)
どうすればいいというんだ。壁に貼った、敬愛するバンドのポスターに問いかける。
どうしろというんだろう。三日三晩で作ったハリボテの人格を演じるだなんて不可能だ。しかも相手が、ずっと見ないようにしてきた父親である。どれだけ頑張っても埋められないことへの無力感と、憎むべき父のためにしなくてはならないことへの怒りが心の中でぶつかり合い、押し潰されそうだった。
「おい、悠斗」
そして間の悪いことに、父――自分の姿だが――がノックもせずに部屋へ入ってくる。そういえば今日は三限で終わるから帰ってきたのか、と思いながら「今話せる気分じゃないから」と、悠斗は泰生の顔も見ずにすげない言葉を返した。
しかし泰生はそれをまるで無視し、遠慮無い足取りで悠斗に近づく。迷惑だという気持ちを表すために悠斗は泰生を睨みつけたが、彼は動じる素振りも見せなかった。
「何の用だ」
「何の用だ、じゃない。おい、これはどういうことだ」
言いながら泰生がポケットから取り出したのは、別々にいる時には持ち歩かせることにした悠斗の携帯だった。だからそれがどうしたんだよ、そんなことを思いながらようやく立ち上がった悠斗に、泰生は唸るような声で言う。
「お前の知り合いから送られてきたんだ。『ツイッターで話題になってるけど、お前の父親大丈夫?』と、な。誰だか知らんが、お節介な奴もいるもんだ」
吐き捨てるように告げた泰生の差し出す画面を見て、悠斗は言葉を失った。
泰生の言う通り、ネット上で拡散されているらしいその動画は、先程悠斗が街中でやったバトルを撮影したものだった。あの中に正規のカメラマンがいるはずがないから、人混みからした隠し撮りであるのは間違いないが、駄目なら駄目でしっかり注意しなかったのが悪いとも言えるため口は出しにくい。何より、取り沙汰されたくないならば、森田が言うようにあんな場所でバトルをするべきではなかったのである。
有名トレーナーのプライベートバトルということで、動画はインターネットユーザー達の注目を集めていた。ただ、その注目の内容が問題だった。勝ったとはいえ、森田の言葉を借りるなら『羽沢泰生らしくない』戦い方は、大きな波紋を生んでしまったらしい。
『羽沢も落ち目だな』
『堅実だけが取り柄だったのに。今年は決勝までいけないだろ』
『つまらないバトルだけはするなよ』
まとめサイトに並ぶ辛辣なコメントに、悠斗は発する言葉も無く目を伏せた。
「こんなものはどうでもいい……しかし、お前は俺の代わりをするはずだっただろう。これではポケモンがあまりにも惨めではないか! トレーナーの無茶な言い分に……こんな戦い方、やっていいわけがない!」
「それは…………」
「どうしてお前はそんなこともわからないんだ! ポケモンの気にもなれ、こんな、自分本位な指示でまともに動けるわけがないだろう!? 考えればわかることだ、ポケモントレーナーとして発言するなら、もっと、ポケモンの心に寄り添おうと何故思わない!!」
「っ……そんなの、お前だってそうだろ!!」
怒鳴った泰生に、一瞬目を大きく開いた悠斗が叫ぶ。その大声に泰生が怯んだように言葉を止めた。
「ポケモンの気持ちを考えろ、ってお前はいつもそうだよ。ポケモンの心、ポケモンと通じ合う。言葉なんかじゃない。じゃあ……じゃあ、人間の気持ち考えたことあるのかよ!!」
「なんだと、っ……」
「いつといつも態度悪くてさ。自分本位はどっちだよ、ロクに気もきかないし愛想悪いし、母さんや森田さん困らせて! 人の気なんか、全然考えないんだもんな! ああそうだ、お前はいつだって勝手なんだ!」
一度頭に上った血はそう簡単に冷ないらしく、悠斗の口は止まらない。この、入れ替わったことによるストレスが積み重なっていたのもあって、溜まりに溜まった苛立ちがまとめて溢れ出ていくようだった。
「お前だって大変だろうから、言わないようにしようと思ってたけど」荒くなった息を吐き、悠斗は泰生の胸倉を掴みあげる。「お前、芦田さんに何言ったんだ」
「守屋からLINEきたんだよ――お前、あの人にどんなことしたんだ! 俺の顔で、俺の口で、なんてこと言ってくれたんだ!?」
「何も言ってない。ただ、当たり前のことを――」
「それが駄目だっつってんだよ!! いいか、お前はわからねぇかもしれないけどな、人はな、言われて嫌なこととか、言われてムカつくこととかあるんだよ。だから、言葉を選ばなきゃいけないんだよ、常識だろこんなの!」
「そんなの知ったことか……大体言葉を選ぶ……それは言い訳だ、どうせ本心を隠して影で笑って、嘘をついてるのと同じだ! だから人間なんて信用ならないんだ……人間なんて…………」
泰生も語気を荒げて悠斗に掴みかかる。が、悠斗は全く怖気つくことなく「『嫌い』だろ」と冷めきった声色を出した。
「いつもそうだもんな。お前。人間嫌い、人間は駄目だって。いつもいつも、そうだ」
せせら笑うように、据わった眼の悠斗は言う。
「そんなに人間が嫌いなら、どうぞ、ポケモンにでもなればいいんだ」
「っ!!」
泰生の瞳孔が開かれる。悠斗が口角を吊り上げる。
呼吸を止めた泰生の片手が固く握られ、後方へと振りかぶられた。それを察した悠斗も冷めた眼のまま同じように拳を固め、勢いよく後ろにひいたが――
「ちょっと。悠斗も、羽沢さんも、一回そこまでにして」
突如聞こえたその声と、ドアが開く音に、今にも双方殴りかかりそうだった悠斗と泰生は同時に黙り込む。向かい合って互いを睨む二人の口論を遮ったのは、無表情の中に苛立ちを滲ませた富田だった。
前髪の奥から羽沢親子を見ている彼の後ろには、気後れ気味に顔を覗かせた森田もいる。どうやら二人とも、取り次いでくれた真琴に促されてこの部屋に来たらしい。
勢いづいたところを中断されて、次の行動を図りかねる泰生に鋭い視線を向け、富田は言う。
「絶対こうなると思いましたけど。だから言ったんですけどね、余計なことを言わないでください、と」
「それはこいつが――」
刺々しい言葉に、泰生は反射で返す。が、富田の目を見て、途中で言葉を切ってしまった。
「悠斗くんも、あまり怒ったら駄目だよ」森田の、静かに、しかしはっきりした口調で告げられた言葉に悠斗も黙り込む。気まずい沈黙がしばし続き、やがて謝りこそしないものの、親子はお互いの胸ぐらを掴んでいた腕をそっと離した。
「じゃあ、行きますか」
そうして部屋に響いた富田の声は相変わらず淡々としていたが、先程のような不穏さは消えており、三者の緊張もふっと解ける。親子がそれぞれ顔を見合い、それぞれ軽い溜息をついてまた視線を外したのを見て、森田がほっとしたような表情を浮かべた。
その様子に、富田も僅かに目を細くする。「ちなみに、言っておきますけど」話題を変えた彼に、悠斗達三人は一斉に首を傾げた。「何を」言い含めるような語調に森田が問う。
「今から行くのは、無論『そういう問題』を扱う『そういうところ』ですから――」
一瞬の間を置いて、富田は平坦な声で言った。
「くれぐれも、驚かないようにしてくださいね」
◆
富田が案内した『専門家』は、タマムシ大学から徒歩二十分ほどの街中に事務所を構えているということだった。
街中といっても華やかなショッピング街や清潔感のあるオフィス街ではなく、タマムシゲームコーナーのあたり、要するに治安があまりよろしくない地区である。アスファルトの地面は吐き捨てられたガムや煙草の吸殻が所々に見られ、灰色のビル群もどこか冷たく無機質な印象を受ける。そのくせ聞こえる音はやたらとやかましく、誰かの怒鳴り声やヤミカラスの嬌声、スロットやゲームの電子音にバイクの騒音と、鳴り止まない音に泰生や森田は不快感を顔に示した。
そんな街並みの中を縫って進み、少しばかり裏路地に入る。ドブに寝ていたベトベターが薄目を開けて、並んで歩いてきた四人を迷惑そうに見た。ヤミ金事務所や怪しげなきのみ屋、開いているのか閉まっているのか判断出来ない歯医者などを横目にもうしばらく汚れた道を行く。
「ここだ、このラーメン屋の三階」
いくつかのテナントが複合するビルの一つを指し、先頭を歩いていた富田が足を止めた。何人か客の入っているらしい、ラーメン屋のガラス戸を横目に鉄筋で出来た非常階段を昇る。脂の匂いが路地裏に捨てられた生ゴミ、及びそれに群がるドガースの悪臭と混じり合うそこを進んでいく、二階のサラ金業者、そしてその上に目的地はあった。
「あ、あやしい」森田の率直な呟きが薄暗い路地に響いた。それも無理はないだろう。三階に入っているテナントは、『代理処 真夜中屋』といういかにも不審な業者名が書かれたぺらっぺらな紙一枚を無骨な金属ドアに貼っているだけで、他に何かを知れそうな情報は無い。泰生と悠斗もなんとも言えない顔をして、汚れの目立つ、雨晒しの通路に立ち竦む。
「ちょっと富田くん、本当にここで大丈夫なの?」
「失礼ですね。ここは表向きには代理処……便利屋稼業なんですけど、今悠斗達に起こってるみたいな、あまり科学的じゃない感じの問題も請け負ってくれるんです。そういうところ、なかなか無いんですよ」
「そうは言ってもさぁ、もう少し何というか……得体が知れそうなところというか……」
「得体なら知れてますよ。僕の再従兄弟の友達がやってるんで」
「瑞樹……それは他人と呼ぶんじゃないかな……」
「ミツキさーん、富田です、電話した件ですー」
悠斗のツッコミを完全に無視して、富田は平然と扉を開ける。ギィィ、と思い音を響かせて開いたその向こうは、ただでさえ日陰になっていて薄暗い路地裏よりも、輪をかけて暗澹と不気味だった。
森田が口角を引きつらせる。泰生の眉間のシワが深くなる。「なぁ瑞樹……」まだ陽が落ちていない外には無いはずの冷気が室内から漂ってきて、いよいよ不気味さに耐えられなくなったらしい悠斗が遠慮がちに呟いた。
「あー! 瑞樹くん、久しぶり!!」
が、その時ちょうど中から出てきたのは、そんな禍々しさからはかけ離れているほどにあっけからんとした雰囲気の男だった。
見た目からすれば、目元を覆うぼさぼさの黒髪によれたTシャツとジャージ、十代後半にも三十代前半にも見える歳の知れない感じとなかなかに怪しいが、そんな印象をまとめて吹き飛ばすほどにその男の声は朗らかで明るい。スリッパの底を鳴らしながらヘラヘラと笑うその様子はどう考えてもカタギの者では無かったが、しかし恐いイメージを与えるような者でも無かった。
「お久しぶりです」「半年ぶりくらいじゃん、学校近くなんだからもっと来てくれてもいいのに」「色々忙しくて」二言三言、言葉を交わした富田は悠斗達を振り返って口を開く。
「こちら、真夜中屋代表のミツキさん。ミツキさん、この人たちです。電話で話したの」
「どうも、ミツキと申します。こんな、かいじゅうマニアのなり損ないみたいなナリしてますけど一応ちゃんとしたサイキッカーなんですよ」
おどけた調子でそんなことを言ったミツキに、泰生が「ほう」と感心したように息を漏らした。サイキッカーという肩書きに反応したのだろう、『mystery』というロゴとナゾノクサのイラストというふざけたTシャツ姿に向けていた、不快なものを見る目が少し緩められる。「サイキッカー……」森田は森田で、超能力持ちトレーナーの代名詞でもあるその存在を目の当たりにして言葉に詰まっていた。
ただ一人、サイキッカーという立場の何たるかをほぼ理解していない悠斗だけが「はじめまして」と挨拶している。それに軽く一礼で返し、ミツキは数秒の間を置いて、「なるほどね」と前髪の奥にある垂れ目を光らせた。
「入れ替わったっていうのは、君と、あなたですか。なるほどなるほど、これは……大変だったでしょう」
「あれ。俺、誰と誰が、とまでは言ってないと思いますけど。わかるんですか?」
「流石にこのくらいなら、見ればね。あとは僕のカンもあるけど」
悠斗と泰生を交互に見遣り、同情するような顔をしたミツキは「まあ、立ち話もなんですから」と四人を扉の奥へと招く。
言われるままに室内へと足を踏み入れた悠斗達は、それぞれ思わず目を見張った。勝手知ったる富田だけが、破れかけた紅い布張りのソファーに早速腰掛けてリラックスしている。
「散らかっていて申し訳無いのですが」
決まり悪そうに笑いながらミツキは頭を掻いた。その足元には必要不必要のわからない無数の書類、コピー用紙、紙屑が散乱し、事務所らしき部屋の至る所には本だの雑誌だの新聞だのが積み上げられている。そこかしこに転がっているピッピにんぎょうや様々なお香、ヤドンやエネコの尻尾、お札の使い道は不明だが、ただ単にそこにあるようにしか思えない。唯一足の踏み場がある来客スペース、富田が座っているソファーには何故か、ひみつきちグッズとしてあまり人気の無い『やぶれるドア』が打ち捨てられている。
確かに酷い散らかりようだが、悠斗達の意識を集めているのはそこではない。室内のあちこち、そこかしこにいるゴーストポケモン、ゴーストポケモン、ゴーストポケモン。もりのようかんやポケモンタワーなどを2LDKに凝縮するとこうなる、といった様相だった。
「これは、一体……」
窓に所狭しとぶら下がるカゲボウズ、ガラクタに混じって床に転がるデスカーン。観葉植物用の鉢植えにはオーロットが眠っているし、壁を抜けたり入ってきたりして遊んでいるのはヨマワルやムウマ、ゴースの群れだ。ぼんやりと天井付近を漂うフワンテの両腕に、バケッチャがじゃれついてはしゃいでいる。
洗い物の溜まったシンクを我が物顔で占拠している、オスメス対のプルリルを見て、森田が呆けたように息を吐いた。
「このポケモン達は……全員お前のポケモンなのか?」
「いえ、違いますよ。みんな野生だと思うんですけど、ここが居心地いいらしくて。溜まり場みたいになってるんですよね」
切れかけた蛍光灯の上でとろとろと溶けているヒトモシを見上げ、どこかソワソワした様子(シャンデラの昔を思い出したらしい)で尋ねた泰生にミツキは答える。「僕のポケモン、というかウチの従業員はこいつだけです」
その言葉と共に台所の方から現れたのは、お茶の入ったコップを乗せたトレーを運んできたゲンガーだった。テーブルに四つ、それを並べるゲンガーにまたもや驚いている悠斗達を尻目に「僕の助手のムラクモです」とミツキが呑気に紹介を始める。
『本日はお越しいただきありがとうございます』
「え!? 喋った!? ゲンガーが!!」
紫色の短い腕でトレーを抱えるゲンガーの方から声がして、森田が仰天のあまり叫び声を上げる。富田の横に腰掛けた悠斗は仰け反り、泰生も両目を丸くした。
「違う違う、喋ってるわけではないですよ」面白そうに笑い、ミツキはゲンガーの隣にしゃがみ込む。トレーを持っていない方の手に収まっているのは、ヒメリのシルエットが描かれたタブレット端末だった。
「ムラクモは、これを使って会話してるんです。念動力で操作して」
『そういうわけです、驚かしてすみません』
「な、なるほど……いや、それにしてもびっくりですけどね……」
「だから言ったじゃないですか。『そういうところ』なんだって、ここは」
驚いたままの森田へと、何でもない風に富田が言う。泰生はもはや驚愕を忘れ、どちらかというとゲンガーを触りたくて仕方ないらしく(しかしそう頼むのは恥ずかしいらしく)チラチラと視線を送っていた。『本当、汚くて申し訳ございません。ミツキにはよく言って、はい、よく言って聞かせますから』小慣れた感じに操作されるタブレットが電子音声を再生する。
『よく言って』を強調させながら紅の瞳の睨みを効かせるゲンガーに、「も〜、悪かったってば! 次からちゃんとするから呪わないでよ」などとミツキが情けない声を出す。そんな、当たり前のように交わされるやり取りを眺め、悠斗がポツリと呟いた。
「ポケモンにも、色々いるんだな……」
親友が漏らしたその一言に、「ムラクモさんのアレは特別だと思うけど」と富田が言う。森田は散らかり尽くした台所から出されたお茶の消費期限を気にするのに忙しく、泰生はゴーストポケモン達に内心でときめくのにいっぱいいっぱいで気づいていないようだったが、ただミツキは聞いていたらしく、長い前髪を揺らして悠斗の方を振り向いた。
「そうだね」
嘘のように澄んだ瞳が悠斗をみつめる。
「ポケモンも、人間も。色々いるもんだよ」
それだけ言って、ミツキは「じゃあ本題に入りましょうかー」と話を変えてしまう。「ムラクモ、なんか紙取って紙、メモ取れるやつ」などと甘ったれるその声色は頼り無く、先ほど悠斗に向けられた、浮世離れした神秘を感じるものとは全くもって違っていた。『その辺のゴミでも使え』悪態を再生しながらも、ゲンガーは机に積まれた本の中からノートを探し出してミツキへ放る。そんな献身的な姿を見ていた森田は、どこか親近感を覚えずにはいられなかった。
ノートでばしばしと叩かれているミツキの方をじっと見たまま、悠斗は黙って動かない。そんな彼に声をかけようとして、しかし、富田はそうしなかった。
何か言う代わりに口をつけたお茶は不思議な香りを漂わせ、喉に流れると奇妙に落ち着くようだった。消費期限のほどは、大丈夫だったようである。
「…………それで、羽沢さんたちにかけられた、っていう呪いなんだけど」
悠斗達、依頼者の向かいに座ったミツキが言う。
「恐らくは、ギルガルドの力を利用したものだ」
「ギルガルド?」
ポケモンには疎すぎるほどに疎い悠斗が素直に問いかける。その発言に泰生はこめかみの血管を浮かばせ、森田は両手で頭を抱えたが、肝心の悠斗は気づいていないようだった。
しかしミツキは嫌な顔をすることなく、「ちょっと待ってね」と近くに散乱した本や資料を漁り出す。が、お目当ての物を彼が発掘するよりも先に『これ使え』と、何かを入力していたムラクモがタブレットを手渡した。「あー、ありがと、ありがと」ヘラリと笑い、ミツキはその画面を悠斗達へと見せる。
「ギルガルド、おうけんポケモン。ヒトツキからニダンギルに進化して、そのまたさらに進化したポケモンですね。はがねタイプとゴーストタイプの複合、バトルにおいてはかなり優秀な部類ですから、泰生さんは結構お目にかかっていらっしゃるのではないでしょうか」
「うむ。そうだな、何度も苦戦したもんだ」
過去のバトルを思い出しているのか、泰生が苦い顔をして頷いた。綺麗に磨かれた画面に映し出されているのは厳つい金色をしたポケモンで、貴族っぽい気品は感じるものの、それと同時にゴーストポケモン特有の不気味さも持ち合わせている。話に参加出来る知識が無いため無言で画面を覗いていた悠斗は、なんでこのポケモンは二種類の姿が表示されているのだろうか、という疑問と、どっちにしてもなんか気持ち悪いな、という失礼極まりない感想を抱いた。この場にギルガルドがいたら迷うことなくブレードフォルムとなるに違いない。
「なんでわかったの」富田がもっともなことを聞く。問われたミツキは「僕の千里眼と、あと、さっきムラクモにお二人の影にちょろっと入って調べてもらった」とさらりと答えて「それに、呪いの内容だよ」と、タブレットをタップして図鑑説明を表示させた。
「ギルガルドは、人やポケモンの心を操る力があるんだ。昔は王様の剣として、そう……直接的な戦いで力になることは勿論あっただろうけれど、国を治めるために、忠誠心を生み出すってこともしてたんだって」
「そんな恐ろしいことが出来るんですか!? そんな……それじゃあ、まるで独裁政治じゃないですか!」
「ごもっともです。まあ、実際のところ国一つ……というか、村一つの心を操るのもほぼ無理な話で、ギルガルドの主たる王によっぽどの力が無ければ大勢の心を操るなんてことは不可能ですよ。それに、それほど力を持った王様なら、ギルガルドの霊力など無くても統治出来ますしね」
ミツキの説明に、森田は「なるほど」と安心したようだった。が、ミツキは「でも、ですね」深刻そうな表情を前髪の影の下に浮かべる。
「それが、もし少人数だったら話は別です。……たとえば、二人、とか」
「………………」
「心を操るというのは、何も考え方を変えるというだけには留まりません。根底を折って廃人にしてしまうことも可能ですし、精神だけを異世界へと飛ばしてしまうなんてことも範疇です。それに、羽沢さん方のようなことも」
「……じゃあ、悠斗たちの心を入れ替えた犯人は、ギルガルドを使ってたってこと」
「そういうことになるね。呪いの対処が二人くらいなら、そんなに実力者じゃなくてもいいだろうから……しっかし不思議なんだよなぁ」
両腕を組み、ミツキは視線を上へ向ける。何がだ、と尋ねた泰生に『妙なんだよ』と答えたのはムラクモだ。
『ミツキの千里眼や俺の影潜り……人やポケモンを通して、そのバックボーンを調べると、大概呪いをかけた相手が多かれ少なかれ見えるはずなんだ。その人に思いを向けているヤツってことだな、感情の内容がわかれば普通、その主もわかる』
「でも、羽沢さん方は、その『思い』しか見えないんです。ギルガルドによる力だということしかわからない……呪いをかけた相手の顔が、全く感じ取れないんだ」
『多分、直接呪いをかけたわけじゃないんだ。そもそもお二人とも、呪術だの魔術だのが効くタマじゃないっぽいからな。覗くくらいなら出来るが、霊感が無さすぎて効果が消えるらしい』
「ノーマルタイプとか、かくとうタイプにゴーストの技が通じないみたいなものですね!」
ミツキによる例え話に、森田が「あー、あー」と納得したような声を出した。「やっぱり」と富田も一緒になって頷く横で、羽沢父子はなんとも言えない敗北感に面白くない顔をする。
それに気づいた森田が慌てて咳払いをし、その場を取り繕うように「で、でも」とわざとらしく発問する。
「直接っていうのは、ポケモンバトルの技みたいに、呪いをかけたい相手とかける方がダイレクトに繋がってるってことですよね。じゃあ、そうじゃないっていうなら、どういうことですか。間に誰かがいるってことですか?」
「誰か、というより感情の類です。祈ったり願ったり呪ったり……そういう、何か霊的だったり神的だったりする気持ちを媒介にすると、直接は無理な場合でも呪術が通じることがあるんですよ」
『もっとも、明るい感情はうすら暗い呪いにはほぼ使えないし、もっぱら負の感情になるが……一番手っ取り早いのが、五寸釘打たれたみがわりにんぎょうを使うアレだな。そこにこもった感情から本人にアクセスする呪い』
「どうです羽沢さん。ここ最近、何か呪いをしたことは」
「あるわけないだろう」
「んなバカなことするもんか」
「ですよね」
怒気を孕んだ二つの即答に、ミツキは「すみません」と謝りつつ肩を竦めた。会話を聞いていた森田と富田はそれぞれの心中で、まあそうだろうな、と同じ感想を抱く。泰生も悠斗も、呪いどころか可愛いおまじないでさえもまともに信じていないようなタチなのだ。宗教的なことを軽んじる人達では無いけれど、かといって自分からそういう行為をするなどあり得ないだろう。
行き詰まった問答に、一同はしばし黙り込む。最初に動いたのは「でも、一応手がかりは掴めたわけですから」と伸びをしたミツキだった。
「霊力自体は嗅ぎつけたんです。地道な作業にはなりますが、ここを中心に、カントー中、ひいては世界中の……まあ出来ればそうしたくないですが……ギルガルドを探し当てて、この力と同じものを探してやればいいんです」
『何、俺たちは探偵稼業もやってますからそういうのは得意なんですよ。ホエルオーに乗ったつもりでいてください』
「色々ありがとうございます。申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします……!」
「お、お願いします!」
「…………よろしく頼む」
「なるべく早く、ね。よろしく、ミツキさん」
四者による各々の頼み方に一つずつ頷いたミツキは、「任せてください」と微笑んだ。
何かあったら連絡してください、という言葉と共に彼が扉を開けると、陽はとっくに暮れていた。一階のラーメン屋の灯りだけが路地裏を照らす。手すりにぶら下がっていたズバットが、扉の隙間から急に差し込んだ光に驚いて飛んでいってしまった。
「ここのこととか、ムラクモのこととか、御内密に頼みます」「言いたくても言えませんよ……」「そりゃあそうか」気の抜けた会話を交わしつつ、悠斗達は非常階段へ続く外に出る。薄ぼんやりとした月が見上げられるそこで、いざ帰路につこうと彼らが背を向けたところで、真夜中屋のサイキッカーとその相棒は、揃ってイタズラっぽく笑ったのだった。
『そんな場合でも無いかもしれないが――』
「この際、思いっきりぶつかってみるのもいいと思いますよ」
無言で視線を逸らし合う親子にミツキが言う。「生き物だもの、ってね」なんとも微妙なアレンジが加えられたそれに、『パクんな』という電子音声が夜の空に響いた。
9月下旬より、ウバメの森自然公園(日和田町)をはじめ、延寿市、日和田町域などにおいて、ポケモン「パラス」ならびに極めて危険性の高い毒キノコ「トウチュウカソウ」が大量発生しており、今後、小金市周辺でも発生する可能性があります。
トウチュウカソウは主にパラスの背中に寄生している大変危険なキノコです。山林、草むら等で見かけた場合次の3点を必ず守ってください。
(1)絶対に食べないでください
胞子が極めて強い生命力を持っており、加熱するなどの一般の調理方法では死滅しません。トウチュウカソウの危険性はこの胞子の生命力にあり、少量でも体内に入ると3日以内に体内臓器全てが胞子に侵食され、多機能不全等を起こして死に至る可能性があります。(体にキノコが生えて死ぬ、というのは迷信です。そこまで症状が進む前に死に至ります)
薬効があるからと言って持ち帰ろうとする人が時折見られますが、大変危険ですので絶対にやめてください。
(2)絶対に触らないでください
秋から冬にかけてのトウチュウカソウは少しの刺激でも胞子を空中に散布します。空気中の胞子を吸入しただけでも中毒症状を引き起こすため、不用意に刺激することは控えてください。
また、胞子そのものに触れた場合も皮膚が炎症を起こすなどの症状が出る場合がありますので、危険です。
(3)近寄らないでください
上記の通り、胞子の漂っている空気を吸入しただけでも危険なキノコですので、有資格者(バッジテスト3級以上のポケモントレーナー)以外は自分で対処したり捕獲したりしようとせず、市の保健衛生課に連絡してください。
厚生労働省ホームページより
特徴…高さ数センチから十数センチの厚いかさを持ったキノコで、赤い地色にオレンジの斑点模様をしています。
発生時期…主に夏から秋にかけて発生し、冬にかけて胞子の空中散布による中毒の危険性が強まります。
発生場所…主にポケモン「パラス」「パラセクト」の背中ですが、稀にアカボングリの木の根本などに生えていることもあります。また野生環境下において「パラス」が「パラセクト」まで成長することは非常に稀ですが、万一「パラセクト」に遭遇した場合は、有資格者(バッジテスト6級以上のポケモントレーナー)以外は直ちにその場を離れ、最寄りの市町村の保健衛生課に連絡してください。
症状…トウチュウカソウの胞子に侵された患者の症状は3つのフェーズに分けられます。
前駆期(食後30分〜2日)、発熱、嘔吐、下痢、吐き気、軽い混乱症状などを起こし、光や熱を極度に恐れる特徴的な症状が現れます。また、症状が進むに連れて外部からの声かけに反応しなくなります。
この時期に胞子を完全に除去することができれば助かる可能性は大きくなりますが、症状が進み、急性期に入ると助かる可能性は非常に低くなります。
急性期(食後3日〜4日)3日位内に胞子の侵食が体内の臓器全てに及び、多臓器不全、脳萎縮、精神錯乱を起こします。
特徴的な症状として、恐光、恐熱発作(光や熱を恐れ、それらに曝されると錯乱症状を起こす)、しきりにジュースやスポーツドリンクを飲みたがる、人の呼びかけに反応しなくなる、などが挙げられます。
胞子の侵食が体外にまで及んだ場合は、皮膚の剥落、体毛の脱毛などが起こります。
昏睡期(食後5日〜)
呼吸器系統が胞子によって機能しなくなり、呼吸障害によって昏睡、死亡します。
急性期に入ると助かる可能性は非常に低くなります。また、回復しても脳に後遺症が残り、運動機能、言語機能に障害が残ることがあります。皮膚の剥落、脱毛の跡などが残ることもあります。
胞子が皮膚についた場合はその箇所が炎症を起こす場合があります。また、目に入ると失明を起こす可能性があります。
またいずれの場合においても胞子が体から除去されていない状態で患者が食事、または点滴などの形で栄養補給を行った場合、胞子の侵食が劇的に進行し、症状が大きく悪化します。
手に胞子がつき、炎症を起こした患者がスポーツドリンクを飲んだことにより、炎症が急激に広がって指が壊死した例があります。
トウチュウカソウを人間が誤って食べた場合は、すぐに吐きだしてください。真水を飲み、喉に指を入れて吐くことを数回繰り返してください。胞子を吸入した場合も同様の措置を取ってください。
誤って触れた場合はすぐに石鹸で洗い流してください。石鹸がない場合は応急処置として大量の真水(水ポケモンの「みずでっぽう」などでも良い)で洗い流し、後に石鹸で洗ってください。胞子が目に入った場合はすぐに目薬あるいは真水で洗い流してください。
いずれの場合においても、後で必ず医師の診察を受けてください。医師の診察を受けるまでは真水以外のものを摂取することは絶対に避けてください。
トウチュウカソウを手持ちのポケモンが誤って食べたり、胞子に触れたり吸入してしまった場合は、すぐに最寄りのポケモンセンターへ連れて行ってください。草タイプのポケモン、特性「そうしょく」のポケモンにおいても同様にポケモンセンターへ連れて行ってください。上記の中毒症状はポケモンの使う「わざ」とは性質が違うので、タイプや特性で無効化できるものではありません。山林や草むらを歩くときには「そらをとぶ」「テレポート」が使えるポケモンを複数連れ歩くことを強く推奨します。
お問い合わせ先
小金市 健康部 保健衛生課
電話 XXX-XXX-XXXX ファックスXXX-XXX-XXXX
「アースフード」自主回収へ きのみアレルギーの原因にも
ホウエンタイムズ 20XX年5月15日版
「自然とポケモンに優しいポケモンフード」をうたい、インターネット上で販売されていた「アースフード」を食べたポケモンがきのみアレルギーを引き起こす事例が相次いだとして、製造販売会社「アースフレンド」(本社・ソノオタウン)は14日、4月30日までに出荷した商品の自主回収を始めた。
同社や厚生労働省によると、4月30日までに販売した、ラブタの実の成分が含まれたアースフードを食べたポケモンが何らかのきのみ、またはきのみ成分が含まれた食品を食べた場合、じんましんや肌のかゆみ、嘔吐などの激しいアレルギー症状が出ることがあったという。報告されたうち52件は救急入院が必要となる重篤な症状で、意識不明になった例もあった。
同商品は通信販売のみでこれまでに30万個以上を売り上げていた。
連絡先は同社お客様窓口、電話(XXXX)(XX-XXXX)。受付時間は平日午前11時〜午後5時。返品または商品交換で対応する。
「へぇー…」
私は思わず感嘆の声を漏らしながら、そのアサガオさんという人のホームページに魅入っていた。
ネットサーフィンをしていたら偶然見つけたホームページ。ソノオタウンのラベンダー畑や、シンオウの広大な草原、アサガオさんと及ぼしき若い女性が、ふっくらしたプクリンの背に腕を回して微笑んでいる写真などで彩られたそのホームページで紹介されていた「きのみ食」。私はその言葉を聞くのは始めてだったが、アサガオさんが紹介している写真付きのメニューはどれも彩り豊かで、深夜1時のお腹にダイレクトに響いた。
ポケモンの肉を食べない生き方、そういうものがあるということ自体は知っていた。ただ、そういう生き方もあるよなぁという以上の感想を抱くことはなかった。それはひとえに、そういう生き方は、例えば宗教的な使命とか、自然を守りたいとか、そんな感じの信念を持っている人がやるものだ、という私の先入観があったからに他ならない。このアサガオさんは、きっかけはそうだったかもしれないが、今は何よりも楽しくて健康にいいからこの「きのみ食」をやっているのだ。しかもポケモンにまで良い効果があるなんて、驚きだ。
目を光らせて布団の中でスマホの液晶を覗きこんでいる私を、レパルダスの「レッチー」が早く寝ろよとばかりに布団の上から睨みつけている。スマホの液晶が眩しいのだろう。しかし私としては、そっちこそどいてくれと言いたいところである。君が乗っているのは布団越しとは言え私の体の上だ。液晶の光が届かない部屋の隅に行けばいいじゃないか。
現にパチリスの「パッチー」はそうしている。彼は私の使い古しのブランケットを体の上に被せ、お行儀よく丸まって寝息を立てている。
この二匹は一事が万事こんな感じで、パッチーはよく言うことを聞いて誰にでも人懐こいのに、レッチーは気に入らない人間には顔も向けないし、現トレーナーである私の言うことでさえ時々無視するのだった。それにレッチーはイタズラな性格で、パッチーの持ち物にしょっちゅう手を出しては怒られている。もしかしてこの違いもポケモンフードのせいなんだろうか、私は少しずつ眠くなってきた頭でそう考えた。元々は二匹とも旅トレーナーの弟から送られてきたポケモンである。コールセンターで働く社会人に自分でポケモンを捕まえに行く時間などない。人から貰ったポケモンは懐きにくいとか、言うことを聞かないとか言われていたが、パッチーはちゃんと私に懐いている。
ホームページの体験記にあった、ポケモンフードをきのみ食仕様に替えたら大人しい性格に変わったガーディの話。パッチーのポケモンフードは元々植物性のものが多く入っている。そしてレッチーのポケモンフードは肉食ポケモン用なので、やっぱりそういうポケモンが食べるようなものが入っているのだ。あんまりその辺りを考えていくと気まずくなりそうなので、これまで深く考えたことはなかったが。
きのみ食のポケモンフードでは、肉食ポケモンに必要な成分をきのみから抽出しているとホームページのどこかに書いてあった気がするが、眠さが思考力に勝ってきたのでスマホも手から離れてしまった。とにかく明日ちゃんと検索して、必要な物を揃えよう。そこまで考えたあたりで私はレッチーの重さを感じながら眠りに落ちた。
次の日。
私は朝食をヨーグルトだけで済ませ、ひと通りの掃除を済ませてしまうと、トウカの森のすぐ近くにある小さなフラワーショップへ自転車を走らせた。
1DKの女性一人暮らしのアパートのベランダでも育てられそうなきのみって何ですか、とだけ聞いたら、必要な最低限のものだけ教えてくれるのではないかと思っていた。それは半分当たっていた。店員は懇切丁寧に世話の簡単なきのみの種類と育て方を教えてくれて、そこはありがたくアドバイスに従って幾つかのきのみをカートに入れることができたのだが、
「お客様、もしかしてご自分できのみを育てるのは初めてですか?」
「え?ああーはい」
その返事を聞くやいなや、
「あらぁ、そうだったんですかぁ!」
あからさまに店員の声のトーンが高くなった。…それからは、やたら熱心にあれもこれもと薦められた。実のつき方が良くなる肥料とか、きのみの種類に合わせて水量を調節できるジョウロとか。きのみにあげる専用の水を作る薬まで薦められた時には、思わずたじろいでしまった。水なんて水道水でいいんじゃないかと思っていたけど、そうもいかないものらしい。
「特にカナズミシティのお水だと色々と処理がされているので、デリケートなきのみだと、そのままあげちゃうと枯れてしまうものもあるんですよねぇ〜…このお薬はそういう水道水の中の微量な塩素などを取り除くお薬なんですよ〜」
やたらとフレンドリーな店員は笑顔を浮かべたまま眉毛を八の字にしてそう言った。私は頭を巡らせた。さっきから店員に押されっぱなしだが、そもそも私は何をしに来て何を買うべきなのだろうか。自分で育てて食べるきのみを買いに来たわけだから、水が悪いときのみの質も悪くなるだろう。それを食べるのは私だ。自分で食べるものなのだから、きちんと気を使わなくてはならないのではないだろうか。
「きのみ食」のホームページにも「不自然なものを食べていると体のバランスが悪くなる」みたいなことが書いてあったではないか。そうだ、それならこの薬は必要だ。
「じゃあ、その薬もください」
「ありがとうございます〜!」
店員の声がまた一段と高くなった。まるでズバットの超音波だ。こちらのペースが乱される。ポケモンのこんらん状態もこんな感じなんだろうか。
それからも私は店員にペースを乱されつつ、オツキミ山の赤土とクルマユの作った腐葉土をブレンドしたらしい高級な土4.5リットルと、残業などで長時間世話ができなくても大丈夫なように土の水持ちをよくする肥料と、色々なきのみを同時に育てられる横に広くて深いプランター2つをカートに入れた。ジョウロは普通のものを後で百均で買うことにする。安物のジョウロから滲み出る成分が水に混じって云々、などということもありえるかもしれないが、いい加減そこまで考え出したらきりがない。水と土と肥料が良いのだから、相殺されるだろう、多分。
それにしてもきのみなんて、一昨日までは適当なプランターにそこら辺の土を放り込んで、きのみを埋めて水道水をかけたら勝手にスクスク育つものだと思っていたが、さすがに舐めすぎていた。やはり自分やポケモンのために育てて食べるものなのだからそんな適当なことではいけないのだ。やはりきのみ食を始めてみてよかった。自分の食べ物に対する意識が一日でこんなにも変わったのだから。
私は重すぎる荷物を前籠に入れてよろよろと自転車を漕ぎながら、遠いシンオウのどこか(多分ソノオタウン)に住んでいるアサガオさんに心の中で感謝を捧げたのだった。
「『アースフード』は無香料・無着色・保存料不使用の、ポケモンの健康と自然に優しいポケモンフードです。10種類のきのみと5種類の穀物を混ぜて作っており、肉食の陸上グループポケモンに必要な栄養素も問題なく摂ることができます。原材料は全てシンオウ産。決め手は乳酸発酵させたリンドの実とモコシの実、そしてネコブの実のエキスです。またセシナ、ラブタといった胃腸のはたらきを整える作用のあるきのみを丸ごとミックスしているので、ポケモンの体が中からキレイになります。ポケモンの体に嬉しい成分を多く含んだラムの実の栄養素も、一袋につきおよそ10個分を摂ることができます…」
家に帰った私は再びアサガオさんに感謝することになった。アサガオさんのホームページのリンクに、きのみ食のポケモンフードをネット通販しているサイトがあったのだ。さすがに一般のフレンドリィショップを回ってもこういう専門的なフードはちょっとないだろう。カナズミのどこかにはあるのかもしれないが、そもそもきのみ食のポケモンフードにどういうものがあるのかすらわからない状態で広いカナズミシティを探しまわるのは、丸木舟でホウエンからシンオウへ漕ぎだすようなものだ。私は迷いなくネットの力を借りることにした。
「購入が完了しました」と表示されたスマホから顔を上げてベランダを見てみれば、そこには二つ並んだプランターがきのみの成長を待っている。植えたのはオレン、モモン、クラボ、ナナシの実だ。朝に植えれば夜には実が成っている、と言うくらい成長が速くて水もその間に1〜2回あげればいい、特に今日フラワーショップで買った肥料を与えれば水は植えた時の1回だけでいいと、きのみ初心者にとっては非常にありがたい特性をいくつも持っている。
パッチーはゴムボールで遊びながら時々外を気にしていたが、レッチーはまるで興味なしといった風にごろごろ寝ているだけだ。毛づくろいすら面倒くさいらしく背中にゴミがついている。やっぱりいつもの二匹である。でも、この「アースフード」をあげれば、きっとこんなレッチーの毛並みもゴミひとつつかないピカピカなものになるのだ、多分。
さてと、私はさっそく、昼飯兼夕飯の献立を考えなければならない。買い物とプランターの準備だけで貴重な休日は午後の3時を過ぎてしまった。朝はヨーグルトが残っていたのでそれで済ませてしまったが、本来きのみ食を実践する者はポケモン由来のものは食べてはいけないのだ。ということはあれが最後のヨーグルトだったのか、もっと味わっておけばよかったな、と思いながら私は「きのみ食 夕飯」という単語を検索欄に打ち込んだ。
慣れないことをするのはやはり時間がかかるもので、ノメルの実のパスタが出来上がるころにはもう陽もすっかりくれてしまっていた。
しかしお陰で、いつも行っている食料品店より近くに、より食材の安心安全に拘った健康志向の食料品店があることを知り、大抵のきのみはそこで買えることも分かった。味がきつすぎるきのみには、人間が調理に使う用に味を整えた種類のものがあることも分かった。
そんなわけで私の記念すべききのみ食第一号は、地元ホウエン産の無農薬小麦で作ったパスタにキノコ数種を加え、そこに輪切りにしたノメルの実を乗せてスパイスにニニクの実の欠片を少量加えたパスタである。キノコがうまい具合にボリューム感を増してくれて、すっきりサッパリとして美味しい。今日の苦労を労ってくれるような味だった。
その横ではレッチーがいつものポケモンフードをガツガツと食らい、パッチーも普段のポケモンフードを両手に持ってカリカリと齧っていた。さっさと食べ終わったレッチーは暇になったのか、パッチーの食事に手を出して怒られている。やれやれ。早くアースフードが届いてほしいものだ。
きのみ食を始めて3日目の夜。
私が玄米ご飯とネコブの出汁のスープ、朝採れたオレンとナナシのサラダで夕食をとっていると、部屋の呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。おそらく昨夜ポストに入っていた不在者通知の便だろう。私は席を立ち、ドアを開ける。ペリッパーのマークが入った仕事着の男性が笑顔で差し出してくれた包みを受け取り、サインをして彼を見送ると、私はさっそく部屋に戻って包みを開けた。
薄茶色のパサパサした重い紙袋に、「アースフード」の文字と美しい毛並みのペルシアンの写真がプリントされたラベルが貼ってある。裏には成分表が貼ってあり、確かにそこにはきのみと穀物の名前しか見当たらなかった。包みの上のほうを少し切って中を見てみると、薄い緑色のコロコロしたフードがぎっしり詰まっていた。
いきなり全てこれにしてしまうと逆に胃腸に負担がかかる、と通販サイトには書かれていたので、とりあえず普段のフードに少量を混ぜてレッチーに与えてみる。レッチーはフンフンと慎重に匂いを確かめると、しばらく思案してから口をつけた。アースフードだけ避けて食べたりもしていない。私は胸をなでおろした。割りといい値段がしたので、初日から残されたりしたらきっと私のテンションはガタ落ちだっただろう。
ついでにパッチーにも一粒与えてみることにした。通販サイトには「肉食性の陸上グループポケモンにも問題なく与えられる」とは書いてあったが、草食性のポケモンにどうだかは書いていなかった。まぁ、元々がきのみ食体質なパッチーには普通に与えても大丈夫だろう。
アースフードを受け取ったパッチーは、カリカリと美味しそうな音を立ててあっという間にその一粒を平らげてしまった。もっとくれ、というような顔をしていたのでもう5,6粒与えてみる。するとパッチーは、あげた粒をそのまま吸い込むように口に入れ、ぷっくりと頬をふくらませた。新しいフードが気に入った証拠だ。保存料が入っていないのでなるべく早く消化しなくてはいけないのだし、この際パッチーにも手伝ってもらおう。
食事を終えたレッチーは全くいつもと変わらない様子で、だるそうにパッチーのお気に入りのゴムボールをベシベシと引っ叩いて、パッチーをまたまた怒らせていた。
きのみ食を始めて一週間が過ぎた。
自分としては体がものすごく変わったような実感はないが、朝にきのみのスムージーを飲むのは既に日課になってしまった。最初の四種の他に、アサガオさんのホームページでお勧めされていたナナを栽培して試してみたら本当に美味しかったので、ナナの実も常備することにした。
それにしても、きのみの成長の早さと取れる量の多さには驚かされた。最初にオレンとナナシを収穫してから、毎日5,6個は何かしらのきのみが採れる状態が続いたので、今はプランターには何も植えていない。今だって余りをパッチーに食べさせたり、ミキサーをフル稼働させてジュースにしたりしてなんとか使いきっているのに、このまま毎日収穫し続けていたら、供給に需要が追いつかない。食べずに腐らせてしまうのもきのみに申し訳ないことだ。一度採れたものを使い切るくらいのタイミングで植えるサイクルがちょうどいいのかもしれない。
それから少し困ったのは職場の同僚にランチに誘われた時だった。こっちとしてはあまり「自然な食べ物」以外を食べることはしたくなかったのだが、同僚の誘いを無碍に断ることもできず、ミートソースのパスタをいただいてしまった。外食がそうなのか、肉類がそうなのかわからないが、とにかくそういう食べ物って意外とにおいがきついんだな、と初めて感じたのがこの時だ。きのみ食を続けていると体臭がなくなる、と色んなサイトで言われていたが、確かにそうなのかもしれない、と実感した出来事だった。
一方ポケモン達はというと、パッチーはいつもどおり変わらないように見える。これはまぁ、そうだろうと思う。レッチーや私のついで程度にしかきのみやアースフードはあげていないし、そのアースフードにしたって、パッチーがいつも食べている小型の草食電気タイプ用ポケモンフードと内容としてはそんなに変わらないのだ。
むしろ変わってきたのはやはりレッチーの方だった。アースフードの割合を毎日少しずつ増やしていくうちに、段々とフンが堅くコロコロとした感じのものに変わってきた。臭いも少し減ったように思う。少なくとも片付けはとても楽になった。体臭については普段から一緒にいるから分からないが、おそらく減っているのではないだろうか。いつも世話をしているトレーナーとしては、これらは素直に嬉しい変化といえる。
だが、気になることもあった。トイレの時になんだか苦しそうにするようになり、時間もかかるようになったのだ。やはり肉食性のポケモンが完全植物性のフードに慣れていくのは大変なのかもしれない。それに私の方も、少し増やし方を急ぎすぎたようにも思う。今は6:4の割合でいつものフードとアースフードを混ぜているが、7:3に一度戻してみよう。
クローゼットの影で、ケッケッと咳をするようにしてレッチーが毛玉を吐いた。あの面倒くさがりが、毛づくろいも前よりはちゃんとするようになったのだろうか。良い兆候だ。
―その日も、心地よい日差しが降り注ぐ休日だった。
先日採れたベリブのジャムをつけた雑穀パンを軽いランチに齧りながら、私は二匹のポケモン、レッチーとパッチーの昼寝姿をゆったりと眺めていた。二匹とも窓辺でベランダのナナの木越しの日差しを浴びて、寄り添って寝息を立てていた。あまり仲の良くない二匹だが、寝る時だけはいつもこうして寄り添っているのは、いつ見ても不思議な気持ちになる。
それにこうしてじっくりとその姿を見ていると、10日、二週間、一ヶ月、と日が経つうちに、二匹の体が確かに変わってきたことを実感していたのだ。
まずパッチーだが、体がふっくらとして、性格が穏やかになってきた。庭で育てているきのみも、どんな味のものでも与えれば喜んで食べてくれる。お陰でゴミも出すことがなく、きのみを全部使い切ることが出来てとてもありがたい。レッチーが多少狼藉をはたらいても、怒って火花を飛ばすこともすっかりなくなった。というか、そもそもレッチーがパッチーを怒らせることをしなくなったのだ。
レッチーは7:3の割合で混ぜていたフードに体が馴染んできたようなので、また少しずつ増やして今では半分をアースフードにしている。パッチーとは逆に引き締まった体つきになり、いたずらに費やしていた時間を毛づくろいに回すようになった。今では暇さえあれば体を舐めている。それにつれて毛玉を吐くことが多くなり、それが見ていてちょっと辛そうなので、自分でもブラッシングを手伝うようにした。ブラッシングの最中大人しくしてくれているのもとても嬉しいことだが、それでもブラシが離れたとたん自分で毛づくろいを再開するのだから念が入っている。
私はといえば、職場でもオフでも「あなた、ずいぶん痩せたね〜」と言われることが多くなり、そのたびに得意げな気持ちになってしまうのは否定出来ない。それにきのみ食のサイトにも、体重が落ちるのは体の中の悪いものが出て行っている証拠だと書かれていた。これはきっと私の体が良い方に変わっていっている印に他ならない。
二匹が眠る部屋の中はとても穏やかな時間が流れていた。私はモモンのお茶を飲みながら、全てが順調に行っていることを幸せに思っていた。
レッチーが吐いたのは、その日の夜である。
廊下をウロウロしていたレッチーが背を丸め、ケッ、ケッ、と咳をするような声をあげたので、あぁ、また毛玉だな、と思った私は、室内用のホウキとチリトリを取ろうとして立ち上がった。が、どうにも様子がおかしい。顔は苦しげに歪み、全身の毛が逆立っている。私は彼のその様子にただならぬものを感じ、名前を呼んだ。
「レッチー、どうしたの…?」
返事はなかった。レッチーはこちらを見ようともしなかった。ただ苦しげに呻くと、私の見ている前で、全身を震わせて半分溶けたポケモンフードを廊下に吐き出した。こんなことは今まで無かったことだ。
「レッチー!レッチー、大丈夫?!」
私はレッチーに駆け寄り、必死にその背を撫でた。指先にゴツゴツとした背骨の感触があった。パッチーが部屋の隅から、ブランケットを抱いて心配そうな顔でこちらを見ているのが視界の隅に映った。レッチーはすべてを吐き出してもまだ足りないというように咳をしつづけている。
どうしよう、どうしよう、私は頭を必死に巡らせる。グラグラする頭のなかにはたった一つの単語しか浮かばない。私はその単語に突き動かされるように起き上がり、自室のクローゼットの一番下の引き出しを漁る。そこからチョロネコのシルエットのシールが貼られたモンスターボールを取り出すと再び廊下に走り、レッチーの隣にしゃがみ込んで囁いた。
「レッチー、すぐ治るからね、大丈夫だからね」
手の中のボールを起動すると、赤い光がレッチーを包み込み、彼の体は私の手のひらに収まった。
そして私は脱衣所のタオルを一枚引っ張りだすと、廊下の吐瀉物を乱暴に拭い、ビニール袋に押し込んだ。これも必要なものだ。
「パッチー、お留守番、お願い!」
私は部屋に向かってそう叫ぶと、モンスターボールをポケットに押し込んでアパートを飛び出した。
夜の街に煌々と光る赤と白の丸いネオン。その下に並ぶ「POKEMON CENTER」の文字列。私にはそれが救いの神に見えた。
自転車を停め、自動ドアが開く時間も惜しいくらいの勢いで施設内に飛び込むと、私は受付のジョーイさんに駆け寄った。
「すみません、うちのレパルダスが吐いて…ずっと止まらないんです、治してください、お願いします…!」
もしかすると、私は半分泣いていたかもしれない。ジョーイさんの対応があくまで冷静で、こちらを落ち着かせてくれるようなものだったのは救いだった。言われるままにモンスターボールと汚れたタオルを預け、待合室で待っていた時の時間は拷問のように長く感じられた。
やがて私の名前が呼ばれ、診察室のドアを開けた私は、レッチーが何事もなかったような顔でベッドの上で横になっているのを見てボロボロと涙を零してしまった。
「大丈夫だったんですね…よかった、本当に良かった…」
レッチーの体はもう震えておらず、咳もしていない。代わりに「にゃあん」という不思議そうな声がこちらに向かって飛んできた。
ベッドの脇にはジョーイさんとナース帽を被ったプクリンが立っていた。ジョーイさんは私にレッチーが無事であることを伝えると、難しい顔をして
「預かったタオルを調べてみたんですが…もしかしてレッチーちゃん、ラブタの実をたくさん食べたりしませんでしたか?」
と、聞いてきた。私は、はて、と考え込んだ。この間収穫したのはベリブだし、今はナナとマトマしか植えていないはずだ。ラブタの実…?
(あっ!)
私の意識にあの薄茶色の紙袋が浮かんだのはその時だった。購入時に通販サイトに書いてあったではないか。「セシナ、ラブタといった胃腸のはたらきを整える作用のあるきのみを丸ごとミックスしているので、ポケモンの体が中からキレイになります」と。
そのことを伝えるとジョーイさんは、なんとも言えない顔でため息をついた。
「ラブタの実の皮には、確かに胃腸の活動を高める作用があります。でも摂り過ぎると、かえって胃腸に過剰な負担をかけてしまうんです。そのままきのみアレルギーになってしまう子もいます。最近、自然食ブームか何かでこういう症状の子が増えてきているんですよね…レッチーちゃんも今後あんまりきのみは与えないほうがいいかもしれません」
ジョーイさんの説明は、私の頭に音としてしか入ってこなかった。何よりも、私がしてきたことがこの子に負担をかけていたというショックが頭を激しく揺り動かしていた。
「それからちょっと栄養失調も起こしてますね…栄養剤を与えておくので、普段のポケモンフードに1食につき一袋分を混ぜてあげてくださいね」
私はただもう俯いて、はい、はい、と頷くだけの人形のようになっていた。レッチーは、こんな酷いトレーナーの側で、くあぁ、と、のんきにアクビをしている。それすらも辛かった。
モンスターボールとタオルを再び貰い受け、アパートに帰って寝るまでのことはろくに覚えていない。ただ、アパートのドアを開けるなり丸々としたパッチーが無邪気にじゃれついてきてくれたのは本当に嬉しく、そして悲しかった。
あの記事が出たのは、その2,3日後のことだったと思う。
ヨシノシティ A・Hさん(男性・32歳)
妻と2人の子供、それから私のオオタチと一緒に半年前からきのみ食を実践しています。妻は結婚する前の頃のように肌のハリを取り戻したことが嬉しい、と常々喜んでおりますし、子供たちは頭がスッキリするようになった、と言ってテストの点数も良くなりました。オオタチは元々きのみが好きだったのできのみ食のポケモンフードにもすぐ馴染んでくれました。抱っこすると体が無駄なく引き締まり、毛並みが良くなったのがとても良くわかります。半信半疑で始めたのですが、本当にやってみてよかったです!
タマムシシティ きのさん(女性・20歳)
タマムシ大学で勉強し、バイトに勤しむ忙しい日々の中で、瑞々しく育つきのみの木は私の癒やしです。
クラボの実を好んで育てているのですが、花も可愛いし、実の辛味も料理のいいアクセントになりますし、まさに一石二鳥です。
私のガーディもきのみ食のポケモンフードに切り替えてからとても穏やかな性格になり、散歩中に他のポケモンに無闇に吠え掛かることがなくなり大変助かっています。
トキワシティ N・Mさん(男性・65歳)
去年の健康診断で、血中コレステロール値が高くなっていると言われたことをきっかけに、きのみ食を始めました。始めてからはなんだか体が軽くなったような気がして、趣味のウォーキングでも気軽に森を越えてニビシティまで行けるようになりました。まだその後の診断は受けていないのですが、自分自身の実感としては「やって正解」でした!
はじめまして!ここは管理人・アサガオによる「きのみ食」のホームページです。
きのみ食の魅力や始め方、ポケモンと一緒に楽しめるきのみ食もお教え致します。
1.きのみ食って何?
きのみ食とは、その名の通り、きのみを中心とした食生活のことです。
私達の体を形作る一日三食の食べ物から、自然とポケモン、私達の体に負担をかけるポケモン由来の食べ物や輸入食品を廃し、自分で育てたきのみを中心とした食生活に変えることで、私達の健康、ポケモンの住む自然の両方を良くすることができるのです。
私達の住むこの世界には、たくさんの食べ物が溢れています。その中には、わざわざ遠い国から取り寄せたものや、牧場で必要以上に栄養を摂らされたケンタロスやミルタンク由来の食べ物など、自然本来のあり方から離れてしまった食べ物もあります。そういった不自然な食べ物を食べ続けていると、心身のバランスが崩れ、思わぬ病気を引き起こしてしまうのです。
また、お肉を取るためのポケモンを育てるために自然は膨大なコストを支払うことになります。一頭のケンタロスをお肉にするまで育てるためには、なんと牧草が3500kgも必要になるのです。
そこで、私達人間やポケモンと共にずっとこの世界と調和してきた食べ物―きのみにスポットライトが当たることになりました。
きのみは水と少しの肥料だけですぐに収穫することができるので、自然への負担がかかりません。また、様々な種類のものがあるので、きのみに含まれる栄養だけでも人間が生きていくのに必要な栄養のほとんどを摂ることができます。きのみには様々な味のものがあり、例えば同じ「甘い」でもモモンとマゴでは全然違いますので、色々と育てて違った味を楽しむこともできます。ポケモン由来の栄養を一切摂らず、きのみ、野菜、穀物類のみで生活している人々の住む村は世界有数の長寿村だった、という例もいくつもあります。
自然にも優しく、いつまでも健康で若々しい体を保ち続けることができる理想の食生活、それがきのみ食なのです。
2.きのみ食の成り立ちと理念
現在のきのみ食を確立したのは、シンオウ地方のトバリシティ出身の食文化研究家、ウメヤ・コウジ氏(1925~1987)です。彼はシンオウ地方に伝わる神話の研究に携わり、人とポケモンの繋がりについて深く思索した結果、次のような考えを持つに至ります。
「人々の心身が乱れ、これまでの時代になかった病気が蔓延り、ストレスに弱くなってしまったのは、人がポケモンを傷つけ、ポケモンを由来としたものを食べているからである。我々はシンオウ神話の若者に倣い、もう一度その手に持った剣を捨て、それをジョウロや肥料に持ち替え、人とポケモンが真に手を取り合って暮らしていた時代に立ち返るべきではないのだろうか」
ウメヤ氏はこの考えをもとに「きのみ食」の元となる「自然栄養食」の研究を始め、イッシュやカロスにまで渡りこの思想を広めました。そして、より自然に調和した食べ物を求める中でウメヤ氏がたどり着いたものが、きのみ食なのです。
ウメヤ氏が思想のよりしろとしているシンオウ神話とは、人間が糧としていたポケモンを剣で無闇に傷つけてしまったために、ポケモンが人間の前から姿を消してしまい、人間がそのことを深く嘆いて剣を捨てるというものです。
この神話が元となって生まれたきのみ食は、「人はポケモンや自然を無闇に傷つけてはならない」「自然の理念に反した食べ物を食べず、生き物が本来食べていたものを感謝して食べよう」という優しい理念の上に成り立っています。
3.どうやって始めればいいの?
理念、などという言葉を使ってしまったため、なんだか難しそう…と思ってしまった方もいらっしゃるでしょう。でも、本質はとてもシンプルなのです。
ポケモン由来のお肉や油といったものを控え、一日三食のメニューをきのみや野菜を中心としたメニューに変えれば良いのです。タンパク質はお豆、炭水化物は玄米ご飯や、天然酵母のパンで摂取しましょう。こうしたメニューを続けていると、だんだんと体が自然本来のリズムを取り戻していきます。まず、不自然なものを食べていた時の内臓のトラブルがなくなり、その影響で体型がすっきりとし、頭が良くはたらくようになります。お肌も綺麗になるので女性にも嬉しいことでしょう。
これまでファストフードやお肉に親しんできた人ならば、慣れない食事に戸惑うこともあるかもしれませんが、例えば朝食をナナの実のスムージーと天然酵母のパンにする、というところからでも徐々に始めていただければ、少しずつ体が変わっていくのが実感できるはずです。そうすれば自然と体のほうできのみ食を選んで取り入れるようになり、無理なく健康的な食生活に移行することができます。
また、きのみを育てるためのプランターもたくさん用意しましょう。木が育ち、色々な花をつける姿は、それだけでも充分私達の心を癒してくれます。
4.きのみ食の基本メニュー一例
朝食:ナナの実のスムージーとパン(天然酵母)
もしくはネコブの実で出汁をとった海藻スープとお米(玄米が望ましい)
昼食:オレン、ナナシ、オボン、マゴ、ラム、リンドの実などからお好みでチョイスしたきのみのサラダ(味をバランスよく入れましょう)とハバンの実のジャムをつけたトースト(添加物を使っていない食パンを使用しましょう)
夕食:モモンとパイル、野菜類を入れたカレー、マトマの実のスープ
またはオボンの実のパスタ
ここにあげたものはあくまで一例に過ぎません。「きのみ食」で検索すると、きのみ食を実践されている方々の創作メニューがたくさん出てきます。
私が特におすすめするのは、マトマやヨプといった辛い成分の入ったきのみを使ったメニューです。きのみ食はどうしても冷たいものが多くなりがちですが、辛いきのみを使ったメニューは体を温めてくれるので、きのみ食の体を冷やすデメリットを打ち消してくれます。
5.ポケモンといっしょに始めるきのみ食
自然にも健康にも優しいきのみ食、ぜひあなたのポケモンとも一緒に始めてみたいですよね。
これまでに見つかったポケモンは実に700種類を超えていますが、実は食べ物自体を全く必要としない一部の種類以外は、全ての種類のポケモンが問題なくきのみを食べることができる、というデータがあります。つまり理論上、全てのポケモンはきのみ食の実践が可能なのです。ポケモンは文明社会にすっかり馴染んでしまった人間と違い、今でも自然に寄り添った生き方をしていますから、自然との調和を目指すきのみ食と相性が良いのは当然かもしれません。
現在では、自然界での主食が肉食のポケモンでも問題なくきのみ食に移行できるよう、完全にポケモン由来の成分を廃し、きのみ由来の成分のみで調理されたポケモンフードも色々と販売されています。
従来のポケモンフードからこうしたポケモンフードに移行すると、まずきのみの成分によって消化器官のお掃除が行われて、ポケモンの体臭や老廃物の臭いがなくなります。そして新陳代謝が活性化するので毛ヅヤ、肌ツヤがとても良くなってきます。ポケモンをコンテストに出されるトレーナーの方はご存知でしょうが、コンテストに出るようなポケモンはきのみ由来のおやつを食べることによって毛並みやお肌のコンディションを整えています。きのみ食のポケモンフードはそうしたおやつの効果を毎食ごとに得ることができるのです。
更に、こうしたポケモンフードはきのみの皮を剥いたりすることなく、一つ一つをまるごと使って調理されているので、きのみの栄養分を全ていただくことができ、非常に効率的にきのみ食を実践することができるのです。人間と同じように、始めは普段のポケモンフードに混ぜて少しずつ体を慣れさせていけば、よりスムーズにきのみ食への移行が可能です。
6.きのみ食を楽しもう
これまで長く語ってしまいましたが、私が何より強調したいのは
「きのみ食は楽しい」
この一点につきます。
管理人自身は、自然とポケモンを大切にした食生活を始めたいな、という思いできのみ食を始めたのですが、今では難しいことを考えるよりも、毎日のお献立を考えたり、きのみの木に水をあげて成長を見るのがとっても楽しいんです。
今日はすっぱいものが食べたいからナナシの実を使ってみようかな、とか、苦いきのみをどういう風に調理しようかな、などと考えたり、きのみ食を実践している仲間と料理の交換会をしたり、とても充実したきのみ食ライフを送っています。
それに、私のポケモンであるプクリンの「ふう」ちゃんも、今ではすっかりきのみ食のポケモンフードを気に入ってしまい、近所の人から一層毛並みを褒められるようになってしまいました。「何か特別なケアをしているの?」と聞かれることも多くなったので、その度にきのみ食のポケモンフードをおすすめしています。
ここまで読んでくださった皆さん、ぜひ朝の一食からでも、きのみ食を始めてみてください。心と体が自然のリズムを取り戻していくことが楽しみで仕方なくなること間違いなしです!
タグ: | 【書いてみた】 |
Subject ID:
123221
Subject Name:
心の鏡
Registration Date:
2010-11-29
Precaution Level:
Level 2
Handling Instructions:
確保個体は管理局保有の対有異常性形態獣用の専用モンスターボールに収容し、本案件の担当となるタマムシシティ西部のバイオリサーチセンターに移送した上で、静止状態にて管理してください。
当該個体からのヒアリングのための実体化を行う場合は、半径200m以内に担当者以外の局員および携帯獣を立ち入らせず、必ず単独でヒアリングを行うようにしてください。
個体#123221は他のオブジェクトの調査のため有用と思われる性質を持ちますが、異常性事案の防止のため個体#123221を使用して調査を行うことは原則として禁止されています。個体#123221を使用した実験を行う場合、形式F-116980に則った完全な計画書を提出した上で、3名以上の高レベル責任者から承認を得る必要があります。
個体#123221の関与の疑いのある事象が確認された場合、対レベル3バイオハザードスーツを着用した局員を急行させ、同時に当該地域の警察機関等と連携し、個体の確認されたエリア一帯への立ち入り禁止措置を取ってください。
個体#123221自体には強い攻撃性を持つ個体は確認されておらず、標準的な携帯獣の捕獲手順に従ってモンスターボールに収容することは容易です。また、個体群は総じて高い知能と社交性を持つため、彼らが意志の疎通が可能な形態を取った場合は会話による説得も可能であり、既に複数の個体が説得により管理局へ収容されています。
Subject details:
案件#123221は、特異な性質を持つメタモンの個体群に掛かる一連の案件です。特異な性質を持たない通常のメタモンは、この案件の取扱い範囲外です。
特異個体#123221が初めて確認されたのは2010年の9月半ばです。
セキチクシティに位置する警察機関および管理局緊急チャンネルへ「異常な生物がいる」という通報が殺到するという事案が発生しました。すべての通報において一貫して多種多数の人間及び携帯獣の身体の一部より成り立つ異常な生命体のことが伝えられており、何らかの異常事案の発生が憂慮されたため、最寄り拠点であるセキチクシティ第十拠点より複数の局員が出動し、関係各局と連携の上事態の収拾に当たりました。
局員が通報を元に探索を行っていたところ、セキチクシティ東部に向かっていた局員が通報と一致する異常な生命体を発見しました。携帯獣の身体的部分を有することから携帯獣と同等の性質を持つと推測した局員が特異個体#123221を捕獲することに成功し、その後個体#123221はタマムシシティ西部のバイオリサーチセンターへ移送され、その性質についての詳細なテストが行われました。
テストの結果、個体#123221はおよそ半径200mほどの範囲内における有知性生物の精神が思い描いた姿を取ることが判明しました。この範囲内に複数の有知性生物が存在する場合、個体#123221は有知性生物の総数に応じた複数の特徴を持つ形態に変身します。この範囲内に他の有知性生物が存在しない場合、個体#123221はいかなる場合であっても変身を行いません。
また、範囲内に有知性生物が存在する場合であっても、個体#123221が自己の意志に従って変身を行うことはなく、その姿形は常に周囲の有知性生物の想像の通りになります。
これまでに十数体の個体#123221が確保されていますが、各個体からのヒアリングの結果、彼らは一貫して自己のこの形質について、また他者の望みを叶えることそのものについて肯定的であるということが判明しています。しかし彼らの特異性の起源については話が一定せず、彼らは必ずヒアリングに当たった局員が最も強く信じる仮説に沿って自らの由来を語ります。
こうした精神に干渉する性質はエスパータイプの携帯獣に多く見られますが、いかなる携帯獣識別用デバイスを用いても個体#123221は通常のメタモンとして判定されます。
Supplementary Items:
本案件に付帯するアイテムはありません。
―――
586さん「Subject notes.」シリーズの「書いてみた」となります。本家でメタモンらしき話が出てきたのに刺激されまして。
コメントありがとうございます!
> 「彼」の生き様がいいなあと思います。金などいらない、木の実を投げてくれればそれでいい。というのが。
> ポケモンだって人と同じ仕事をしているという書き出しも好きです。
弾きたいから弾いている、人の価値観などいらない。でも時々観客が欲しい、みたいな心中なんでしょうね。
こう考えると、ポケモンって大変ですね。自分では普通のことをしているつもりなのに、それが人の目から見るとびっくりすることだったりして。
> こういう視点が変われば……みたいなものの見方は世界がグッと深まる気がします(ちょっと大げさかもしれませんが)
小さい頃に考えていた話に近いです。ポケモンの世界で、ポケモン同士話したり演奏したり料理したり。
人がやっている『当たり前』のことを、ポケモンにさせてみました。楽しいです。
高校時代に思いついてから、形にまとめるまで実に三年近くが経過してしまいました。もう少し掘り下げたかった。
ありがとうございました!
「彼」の生き様がいいなあと思います。金などいらない、木の実を投げてくれればそれでいい。というのが。
ポケモンだって人と同じ仕事をしているという書き出しも好きです。
こういう視点が変われば……みたいなものの見方は世界がグッと深まる気がします(ちょっと大げさかもしれませんが)
「彼」はまたどこかでピアノを弾いているんでしょうね。
(*'ω'*)<感想ありがとうございます!
> なみのり迷惑メールの原作にマジでありそう感も好きですが、ピッピちゃんのティータイムが特に好きです。
> 本当に謎って感じで。というか普通に読みたいです。
うちも書いてるうちにノってしまって、結構な文量になってしまいました。我ながら気に入ってます。
> 作者はセレビィとか色んな力借りてわざわざ謎っぽく経年劣化させたり紛れ込ませたりしてる、変わり者無害系知能犯だったりして。とか色々勝手に考えてしまう楽しさがあるなあと思います。
これは嬉しいお言葉……! 読み手の方にあれこれ想像してもらえるというのは、うちとしてはとても嬉しいことです。うちも他の方が創られたお話から着想を得ることが多々ありますし、こういった形で創作の輪が広がっていけばいいな、と思っています。
感想頂きありがとうございました! まだいくつかネタがありますので、気力の続く限り投稿していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
Appendix 1:
局員の提言に基づき、稼働中の「POKKEN ver.D」のプロセスを一時的に停止させ、メモリダンプから何らかの情報が得られないかという実験が行われました。実験時、プレイヤーはルカリオを、コンピュータはカイリキーをそれぞれ操作しているという状況でした。
エミュレータの機能を用いてゲームを一時停止させ、完全なメモリダンプが取得されました。この時、ダンプの取得は想定されるよりも相当に長い実行時間を要し、最終的に約3.8GBのダンプファイルが生成されました。ダンプファイルの作成中、OS標準のタスクマネージャはエミュレータが占有しているメモリ領域について、異常性の無いゲームを動作させた時と比較しても有意な差異は無いことを一貫して示し続けていました。
生成されたダンプファイルを一般的なデータ解析の手法で解析したところ、ファイルの約半分に相当する1.85GBが、携帯獣の「ルカリオ」の一般的なデータパターンと89%の精度で一致することが判明しました。続く約1.94GBは、同じく携帯獣の「カイリキー」のデータパターンと92%の精度で一致していました。残りのデータは、ゲームを動作させる為に必要なプログラムやその他のアートアセットで占められています。
以上から、この「POKKEN ver.D」は何らかの未知の方法により、現代の技術から見ても異常に精度の高い「人工の携帯獣」を短時間で生成する機能を持ち合わせているという仮説が立てられました。プレイ中頻繁に発生する異常な挙動は、システムによって生成された携帯獣がゲームから脱出しようと試み、結果として外部からの制御を受け付けなくなったことによるものと推察されます。現在のところ、この仮説を覆す根拠は見つかっていません。ゲームが携帯獣を生成し戦わせる理由についても、局内で統一的な見解は出されていません。
ルカリオ・カイリキー共に、データが一般的なパターンと一致しないまたは欠落している箇所は、外見的特徴の情報が格納される領域に集中していました。ゲームプレイ時にディスプレイへ出力されるキャラクターモデルの品質が悪いのは、これら外見的特徴の極度の情報不足に起因するものであり、ゲームが持つレンダリングエンジンの性能とは直接的な関わりを持たないことが分かりました。これについては、開発に当たって携帯獣として正常に動作させることにリソースを割き、携帯獣の外見については実装の優先度が下げられたためと考えられます。
ゲームプレイ中に生成された携帯獣を一般的な情報工学の技術に基づいて救出する試みは、いずれも失敗に終わっています。生成された携帯獣はゲーム中の戦いで死亡するか、またはゲームがシャットダウンされることで消失するかのいずれかしか選択肢を持ちません。
管理局の倫理委員会は、生成された携帯獣は事実上死亡するほか無いという結論に基づき、2010-07-11をもってこれ以上のゲームの起動を禁止する裁定を下しました。
Subject ID:
#115444
Subject Name:
POKKEN ver.D
Registration Date:
2006-08-02
Precaution Level:
Level 3
Handling Instructions:
これまでの管理局の積極的な工作活動により、インターネットを経由して対象のROMイメージファイルをダウンロードすることは極めて困難、あるいは一般的に見て不可能な状態を作ることに達成しています。現在の本案件は、既にダウンロードされたイメージファイルを可能な限り回収すること、新たなクローンが作成されていないかを監視することの二点が主な活動になっています。
回収されたファイルは管理局が保持するオリジナルのROMセットと比較し、バージョンに相違が無いかを確認します。相違が見られない場合、対象のイメージは管理局の標準情報破棄手順に則って削除してください。何らかの相違が見られた場合は、対象を新規のROMセットとして登録してください。
管理局の倫理委員会の裁定に基づき、本案件で回収されたROMイメージはいかなる理由があろうと起動を許可されません。詳細は付帯資料を参照してください。
Subject Details:
案件#115444は、株式会社ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)が開発した対戦格闘アクションゲーム「鉄拳2」の異常なROMイメージと、それに付随する一連の案件です。厳密には、正常な「鉄拳2」に大部分のモジュールを依存しつつ、異なるバージョンとして動作させるための「クローン」のROMセットが、本案件にて扱うべき主要なオブジェクトとなります。本来の「鉄拳2」のROMセットは、本案件の取り扱い対象外です。
出現した正確な時期は不明ですが、著名なアーケードゲームエミュレータである「MAME」が2006年中旬に行ったバージョンアップで、当案件のROMセットが「鉄拳2」のクローンとして新規に追加されていることが確認されました。そのため、当案件で扱うROMセットは概ねこの時期に出現したものと推定されています。ほぼ同時期に、多数存在するROMイメージの配布サイトに対して「pokken2ud.zip」の名称で一斉にファイルがアップロードされた記録が残っていることも、この仮説を補強している一因です。
このROMセットは「鉄拳2」の一般的なクローンの一つとして、「MAME」バージョン0.107以降及び「MAME」の同バージョン以降を元にした派生のアーケードゲームエミュレータで読み込むことが可能です。読み込んだ場合、画面には通常表示されるタイトルスクリーンではなく、黒い背景にごく簡素なフォントで「POKKEN ver.D」と書かれたタイトルが表示されます。エミュレータでコイン投入に相当する動作を行った後にスタートボタンを押下することで、通常通りゲームが開始されます。
起動後に一見して気付くのは、本来の「鉄拳2」に登場するキャラクターが選択画面に一人も存在せず、代わりにポリゴンで描かれた携帯獣のアイコンによってスロットがすべて埋められていることです。ここで操作するキャラクターを選択すると、シングルプレイヤーモードがスタートします。
ゲームの操作体系は正常な「鉄拳2」に準じ、レバー(あるいはレバーに割り当てたキー)でキャラクターを移動させ、ボタンの押下で攻撃や特殊動作を行います。プレイヤーはコンピュータが操作するキャラクターと戦い、最後に登場するボスキャラクターを倒せばゲームクリアとなります。プレイ開始から終了まで、プレイヤー自体には特段の異常は見受けられません。長期に渡る調査により、プレイそのものがプレイヤーに何らかの影響を及ぼすことは無いと結論付けられています。
ただしこのゲームの構成は、通常想定されるものと著しく乖離しています:
1.使用可能なキャラクターの変動
ゲームをリセットするか、ゲームクリアまたはゲームオーバーによってタイトルスクリーンへ戻るかのいずれかの条件を満たす毎に、使用可能なキャラクターが変化します。プレイヤーが選択可能なキャラクターは常に10体ですが、これまでに延べ287種類のキャラクターが選択画面に登場しています。特定のキャラクターを常に選択可能にするための方法も、選択可能なキャラクターが抽出される一定の法則も見つかっていません。また、正確なキャラクターの総数も判明していません。
2.キャラクター性能・性質の著しい変化
過去のプレイで選択できたキャラクターが出現した場合、そのキャラクターを次のゲームプレイで再選択しても、ほとんどの場合その性能や性質は大幅に異なっています。変更箇所は外見的特徴やキャラクターボイスといった比較的変更が行われやすい箇所に留まらず、使用可能なムーブセットや攻撃力・移動速度等のパラメータといった通常のゲームであれば変更されることは少ない箇所にまで及んでいます。特にムーブセットの変更は著しく、以前のプレイで使用できたキャラクター固有の技がまったく使用できず、完全に別の技に変更されているというパターンが度々見られます。
3.登場するキャラクターの全差し替え
このROMセットは明らかに「鉄拳2」を親としているにも関わらず、登場するキャラクターは一貫して携帯獣のみです。これまでのところ、人間のキャラクターは一切登場していません。当初は本来の「鉄拳2」のキャラクターモデルを携帯獣のものに差し替えたものと思われていましたが、その後の調査でモデリングやモーションも完全にオリジナルの物が使用されていると判明しました。
母体である「鉄拳2」で使用されていたテクスチャやモーションといった各種アートアセットはゲームプレイに際してまったく使われず、すべて独自のリソースに置き換えられています。これらのリソースをROMイメージから直接抽出する試みは、今のところ成功していません。
4.ゲームの完成度
ゲームの動作は極めて不安定です。プレイ中は頻繁な処理落ちやテクスチャの貼り遅れ、サウンドのクリッピングが発生し、負荷が高まるとしばしばハングアップを引き起こします。プレイヤーからの一切の操作を受け付けなくなりゲームが続行不能になることも少なくありませんが、その場合、プレイヤーキャラクターは相手から逃走するような動きを見せるか、もしくは極度に暴力的な動きで相手を倒そうとします。この暴走状態はゲームオーバーまたはゲームクリアまで続きます。
元となった「鉄拳2」と比べてレンダリングのレベルは数段劣っており、キャラクターは違和感を覚えるレベルのローポリゴンで描写されます。コンピュータのアルゴリズムは作りがおざなりであることが明らかに分かる程度の物で、あくまで動作するというレベルに留まっています。戦略的な動きや複雑な連続攻撃を繰り出すことは困難か、またはそのためのルーチンが組み込まれていません。
5.その他ゲームプレイ時の特徴
・このゲームは「対人戦」の機能を持ちません。クレジットを複数投入しても、対戦プレイには移行できません。
・本来時間経過で解放されるキャラクター選択画面のスロットは、規定の条件を満たしても「?」のまま解放されません。
・上記に加え、オペレーターコマンドによる強制的な隠しキャラクターの解放も不可能になっています。
・ゲームをクリアするかゲームオーバーになるまで、プレイヤーの体力は一度も回復の機会を与えられません。
・プレイヤーが敗北した場合、コンティニューはできません。事前にクレジットを投入していた場合も同様です。
・対戦相手の携帯獣は多くの場合最初から体力が減少しています。また、しばしば脈絡の無い動きをします。
・一部のプレイヤーは、相手の動きを「逃げようとしている」「苦しみもがいている」と表現します。
・最終ボスとして登場するのは、最後にクリアを達成した際に使用していた携帯獣です。この法則は一貫しています。
・最終ボスとして登場する携帯獣の体力は、前回クリア時のプレイヤー側の残体力と同一値です。
・ゲームをクリアした場合、携帯獣を正面から捉えた映像が映し出されます。この演出の意図は不明です。
・一部のプレイヤーは、上記エンディングの演出に強い不安感を訴えます。不安感の原因は分かっていません。
・スタッフロール及びネームエントリーはありません。ゲームクリア後は直接アトラクトデモへ移行します。
このROMイメージはエミュレータで動作させることを前提として開発されていると思われます。ROMイメージを適切な手順でフラッシュROMに書き込み、そのフラッシュROMを搭載したSYSTEM11基盤による稼働検証を複数回実施しましたが、いずれも起動中に本案件に対応する4つのフラッシュROMすべてでチェックサムエラーが検出されてシステムが停止するため、未だ完遂できていません。
以下は最初期に確認された、管理局が「オリジナル」と推定するROMセットの情報です:
pos1verd.2f 1,048,576byte C4F66A0B
pos1verd.2k 1,048,576byte ABCB4982
pos1verd.2j 1,048,576byte 668CA713
pos1verd.2l 1,048,576byte D936BF60
ファイル名は、このROMセットが「バージョンD」であることを示唆しています(これはzipアーカイブのネーミングとも一致するものです)。そのため、前身として「バージョンA」から「バージョンC」までが存在した可能性があります。これらのROMセットについては、継続して調査と捜索が続けられています。
2007-03-24 追記:
後に管理局が「MAME」開発チームにコンタクトを取り、当案件についてヒアリングを行う機会を設けました。ヒアリングの結果、開発チームはこのクローンセットが「MAME」の対応ROMセットとして追加されていることを一切認識していなかったことが明らかになりました。現在、更新履歴からはこのROMセットについての記述はすべて削除されていますが、ソースコード上に対応するルーチンが存在しないにもかかわらず、依然として「MAME」及び「MAME」派生のエミュレータは該当するROMセットを読み込み、正常にゲームを動作させることができています。
2010-07-11 追記:
管理局内部の協議に基づき、研究目的を含むこれ以上のゲームプレイは一切許可しないとの方針が打ち出されました。異議がある局員は、管理局の倫理委員会に対して異議申し立てを行うことができます。
Supplementary Items:
本案件には、1件の付帯資料があります。適切なセキュリティクリアランスを持つ局員のみが、付帯資料を参照できます。
>>あいがるさん
はじめまして、水雲です。コメントありがとうございます。遅れてすみません。
電脳世界(預かりシステムの中)ってどんな世界なんだろう、という妄想を文章に起こしてみた上記二作でございます。わたしは元々ポケモンを人間くさい感じに書いてしまうきらいがあるのですが、そこに「モノ」も登場させてしまったのですから、異質感満載です。そこに、ひとつの共通の「信念」を固定させることで、キャラを安定化させました。
お恥ずかしながらわたしはバリバリの文系でして、SFは本を呼んで影響を受けたクチです。リアルでのプログラミングなどはまったく存じ上げないのです。とにかく「それっぽい単語をばんばん出してハッタリきかせまくれば、それっぽい世界になるだろう」と思ってのアクションです。なので、二作とも、あまり意味のない単語が多かったりします。ノリや勢いで作った単語のほうが多いかもですね。
便利ですよね、預かりシステム。ポケモンも道具も瞬時に引き出せる、現実世界ではまだまだ信じられない高文明な技術。電位の祝福を受けた道具たちの帰る場所にある空気は、きっと暖かなものでしょう。
それでは、失礼いたします。
>>SBさん
はじめまして、水雲です。コメントありがとうございます。遅れてすみません。
そうそう、伊藤計劃さんです。ハーモニーに強くインスパイアされたのがこの作品です。これをそのままポケノベさんのの短編企画にもちこんだのですから、我ながらなかなかの神経だと思います。
パソコンの預かりシステムやモンスタボールなど、ポケモンの世界って初代から中々技術が高いイメージがあるので、そこにSFを組み込んでみました。ポリゴンやロトムなど、ひねればいくらでもSF風にできると信じています。
SBさんの感性にマッチしていたようで何よりであります。企画系の作品ですし、文字数や締め切りのこともあり、結構急ピッチで仕上げたものですので、こうしてマサポケさんに投稿するときには「やはり色々と甘いなあ」と自分でも指摘したくなる部分が目立ってきます。これからもこういう色の作品を書くときはもっともっとニッチな部分までこだわってみたいものです。
それでは、失礼いたします。
なみのり迷惑メールの原作にマジでありそう感も好きですが、ピッピちゃんのティータイムが特に好きです。
本当に謎って感じで。というか普通に読みたいです。
作者はセレビィとか色んな力借りてわざわざ謎っぽく経年劣化させたり紛れ込ませたりしてる、変わり者無害系知能犯だったりして。とか色々勝手に考えてしまう楽しさがあるなあと思います。
ポケモンだって、人と同じ仕事をしている。
何言ってんだお前、と言われるかもしれない。だけど考えてみて欲しい。格闘タイプのゴーリキー。彼らが引っ越し屋さんや運送業者で働いているのを、一度は見たことがあると思う。
人からしたら、ポケモンの手を借りているわけだけど、ポケモンからすれば、人と同じ仕事をしているのだ。
他にも発電所で働いているコイルやエレブー、花屋で働いているフシギバナ、工事現場で働いているワンリキー。職場の人がゲットしたポケモンではあるけれど、彼らは人と同じ仕事をしている。
休憩時間もあるし、お給料という名のエサもある。
でもこれらの例は、誰もが考え付く物だ。人の手が入っている。
私は前に、孤高のピアニストとして生活しているポケモンを見たことがある。
彼の演奏は素晴らしい。その太い指と短い腕と、ペダルを踏む足がないのを物ともせず、美しいメロディを奏でる。後で知ったけど、ペダルを操るのは自分の技”かげうち”だ。ペダルを壊さないように、絶妙な力加減でペダルを押す。
その一つの赤い目は、鍵盤を弾く自分の手と、目の前の楽譜を交互に見る。楽譜を捲るのはやはり”かげうち”だ。影を器用に操り、演奏に支障の出ないように素早くページを捲る。
聞き惚れている観客は、そのうち弾いているのがポケモンだということも忘れてしまう。天才ポケモンピアニスト、という肩書きなどどうでも良くなってくる。ただ、その演奏を一音漏らさず聴きたいという思いに駆られるのだ。
彼は人の言葉は話せない。しかし、筆談できる程度の言葉は知っている。演奏が終わった後、スタンディングオベーションを受け立ち上がり、一礼をする。傍の机にあったスケッチブックを手に取り、文字を書く。
その文字は感謝の言葉だったり、次の曲名だったりする。そして静かにそれを置き、再び鍵盤に向かう。
手がまごつくことは、ない。
彼にトレーナーは存在しない。かつて、彼にピアノを教えてくれた人間はいても、自分を所持している人間は誰もいない。マネージャーという存在もいない。
いつもピアノがある場所に現れ、勝手に弾いて帰って行く。それが調律されていなければ、弾かずに帰って行く。ホールに鍵が掛けてあっても、気にすることじゃない。
彼はゴーストタイプだ。彼の前では、障害物など無いに等しい。
ホールだけじゃない。放課後の音楽室に現れたこともある。
それがその学校の七不思議として認定されたのは、そこの生徒なら誰もが知っていることだ。『放課後、誰もいないはずの音楽室からピアノが聞こえて来る』と。
ちなみにそれを聞いた音楽室の先生曰く、曲目は『幻想即興曲』だったらしい。
私は、彼と会話したことがある。演奏が終わればそれこそ幻のように消えてしまう彼を追って、どうにか話をすることができた。
熱心に感想を語る私に、彼は少しだけなら、と私の質問に答えてくれた。
沢山聞きたいことがあったが、三つに絞って聞かせてもらった。
一つ。どうしてピアニストとして生活しようと思ったのか。
二つ。一番好きな曲は何か。
三つ。誰からピアノを習ったのか。
彼はその質問に答えてくれた。見せてくれたスケッチブックには、カクカクした文字でびっしりと答えが書いてあった。
次の文は彼の解答そのままだ。
『一つ。これは単純にピアノが好きだからだ。いや、音楽が好きなんだ。
知られていないだけで、演奏できるポケモンは割と多い。私は各地を回って来たが、歌を歌うだけでなく、ドラムやフルート、中にはコントラバスが弾けるポケモンもいた。
しかし彼らは、その特技を出すと大好きな曲が自由に弾けなくなると考えている。その才能に目を付けた人間によって、金儲けの道具にされることを嫌がっているのだ。
しかし私は、あえて人前で演奏することを選んだ。観客がいた方が演奏に身が入るからだ。
ポケモンに金は必要ない。食事さえあればいい。演奏が終わった後、木の実を投げてくれればそれでいい。
ホールに度々現れるのは、たまには良い場所で弾きたいと思う時があるからだ』
『二つ。一番好きな曲。これは難しい。ペトリューシュカもいいし、幻想即興曲もいい。しかし弾くのではなく、ただ聴くだけなら夜の女王のアリアがいい。
一度、これを歌ったムウマ―ジがいた。終わった時には、観客だけでなく演奏者全員がその場に倒れていた。本人はとても楽しそうだったがね』
『三つ。』
私が彼が書くのを見つめていたが、ここで筆が止まった。何かを書こうとしては止め、書こうとしては止めを繰り返している。しきりに考え込んでいるようにも見える。
もしかして、触れてはいけない琴線に触れてしまったのだろうか、と思った矢先、彼が少しずつ書き始めた。
『習ったのではない。彼女が弾いているのだ』
最後の質問の意味が、未だに私はよく分かっていない。
ただ、ピアノを弾いている時の彼の表情は(分かるのかって話だけど)、とても幸せそうだ。ピアノを弾けることが何よりも幸せという顔だ。
そういえば、この前招待状が来た。今度カロスで行われる、コンサートの招待状だ。ミアレシティの巨大なホールで行われるらしい。
演奏者は全員、ポケモンだという。マスコミはおろか、一般客さえ立ち入り禁止の、完全なる招待制コンサートらしい。
ピアニストとして彼が出るという。とても楽しみだ。
Subject ID:
#90734
Subject Name:
ピッピちゃんのティータイム
Registration Date:
1998-10-03
Precaution Level:
Level 1
Handling Instructions:
利用者の多い主要なオークションサイトを、本案件専用のクローラーを使用して常に巡回しています。本案件と推定される書籍の出品が確認できた場合、局員はオークションサイトの管理者に連絡し、出品物を接収してください。接収に際して、出品者がどのような経路で対象書籍を入手したかのヒアリングも併せて行ってください。
書籍に付いての基礎情報は既に広範に知れ渡っているものと推測され、情報封鎖は困難な状況です。書籍そのものには異常性が見られないことから、現状では情報の出現を監視するに留まっています。新たに書籍に対する言及が見られた場合、局員は書籍の情報がいかなる文脈で登場しているかについて詳細な分析を行ってください。
入手した書籍は、管理局の特殊書籍を収容する書架で集中管理されます。研究の為に書籍を持ち出す場合、様式F-90734に従い特例申請を実施してください。書籍は必要に応じて複写・電子化が認められていますが、一般的な機密情報拡散防止の観点から、不必要な複写・電子化は避けてください。
本案件では「ピッピちゃんのティータイム」のみを管理対象とします。類似する異常な書籍を発見・確保した場合は、別案件として管理してください。
Subject Details:
案件#90734は、「ピッピちゃんのティータイム」という出自不明の書籍に関する一連の案件です。主体となる書籍の正確な出現時期は明らかになっていませんが、少なくとも90年代後半から存在が確認されています。管理局の推定では1997年後半を出現の最有力時期としていますが、いくつかの物証はより以前からの書籍の存在を示唆しています。
当書籍の特徴的な点として、現時点ではインターネットのオークションサイトでのみ入手が確認されていることが挙げられます。通常の書店、特に古書を扱う書店において、「ピッピちゃんのティータイム」なる書籍が確認された事例はこれまで一件もありません。オークション出品者へのヒアリングでは、例外なく「蔵書を整理していたら買った覚えのない漫画が出てきた」もしくは「別のオークションサイト経由で購入した」との回答が寄せられ、オークションを除く正規の流通経路で入手したという証言は得られていません。多くの書籍は出版年から見て矛盾が無い程度に品質が劣化(日焼け・風化等)しており、出版年に付いてはある程度の信憑性があるとの見方が大勢を占めています。
この「ピッピちゃんのティータイム」は2015/3時点で第57巻までの発行が確認され、その内容は概ね70年代後半から80年代前半にかけての少女漫画の一般的な作風を踏襲しています。著者は「たかはしさゆり」、出版社は「芽吹書房」、元々の掲載誌は「別冊ショコラ」と記載されています。作家としての「たかはしさゆり」、出版社としての「芽吹書房」、及び漫画雑誌としての「別冊ショコラ」がそれぞれ実在した記録はありません。加えて、「別冊ショコラ」が「芽吹書房」から出版されていたという確証もありません。書籍に記載された情報はこのシリーズが1972年頃から連載・刊行され始めたことを示していますが、当時の記録からは「ピッピちゃんのティータイム」なるシリーズが存在した形跡は見つかっていません。
主人公は携帯獣の「ピッピ」で、風貌は一般的な携帯獣のものですが、少女漫画の作風に沿った擬人的なキャラクター付けが施されています。基本的に一話単位で完結するショートエピソードによって構成されていますが、時折複数話にまたがるロングエピソードも見られます。エピソードの粗筋は総じて平凡です。主人公であるピッピちゃんがレギュラーキャラクターである「ピカチュウくん」との恋愛を成就させるべく様々な努力をするという筋書きが大半を占め、時折「ライバル」が登場して他愛のない痴話げんかが繰り広げられるといった、何ら特筆すべき事項のないストーリーが展開されます。登場人物はほぼすべて携帯獣によって構成されていますが、まれに人間と思しき人物が登場するエピソードも存在します。
ただし、一部のエピソードについては一般的なエピソードと比べて明らかに作風が異なり、また総じて注目すべき内容が描かれていることに注意しなければなりません。
以下はこれまでの調査で発見された「特異な」エピソードの一部です:
・第40話「ピッピちゃんと殺人事件」(第7巻収録)
このエピソードでは、ピッピちゃんの隣人である「ラッキーさん」が何者かによって暴行の末に殺害され、またラッキーさんの娘である「ピンプクちゃん」が行方不明になったという事件がシリアスなタッチで描かれています。第7巻が刊行されたのは巻末の記載によると1973年2月ですが、当時種族としてのピンプクは知られていなかったことに注目すべきです。次の第41話は前々話である第39話の直近の続編となっており、この第40話での出来事は無かったものとして扱われています。
・第83話「ピッピちゃんとW.D.ビル」(第15巻収録)
それまでのエピソードではさして特徴の無い田舎町が舞台となっていましたが、このエピソードのみ唐突に都会が舞台になっています。ピッピちゃんが高層ビルにある職場で働く父親の「ピクシーおとうさん」の元を訪れるという筋書きですが、ストーリーの半ばで突如として携帯獣の「ホウオウ」及び「ルギア」がビル近くに登場して激しい戦いを始め、以後はピッピちゃんとピクシーおとうさんが命からがらその場を脱出するという緊迫したシーンが展開されます。このエピソードにおいては、レギュラーキャラクターを含む極めて多くの死者・負傷者が発生します。次の第84話は前々話である第82話の直近の続編となっており、この第83話での出来事は一切無かったものとして扱われています。第83話で死亡または負傷したキャラクターは、何事も無く以降のエピソードに登場しています。
・第160話「ピッピちゃんの激怒行進」(第27巻収録)
ピッピちゃんの友達である「ミズゴロウくん」が、恐らくは人間と思しきシルエットを持つ警察に追われ、結果として事故に巻き込まれて瀕死の重傷を負うところからストーリーが始まります。ピッピちゃん始め携帯獣の登場人物は警察の度の過ぎた追跡行為に憤慨し、以後エピソードの終了まで激しい抗議行動を繰り広げます。ページの終わりに至るまで、人間に対する苛烈な罵詈雑言が携帯獣の登場人物による台詞として延々と書き連ねられています。次の第161話は前々話である第159話の直近の続編となっており、この第160話での出来事は無かったものとして扱われています。ただしこのストーリー以降、ミズゴロウくんが再登場するエピソードは確認されていません。
2014年には、新たに第55巻・第56巻・第57巻の存在が確認されました。3冊すべて出版年は1982年となっており、接収された書籍はいずれも年月から見て矛盾が無い程度に劣化しています。シリーズの連載が未だ続いているのか、それとも何らかの理由で時間経過と共に新たな巻が「発見」されるようになるのかは、局員の間でも意見が分かれています。
書籍の巻末には「別冊ショコラ」に掲載・連載されていたと思しき他作品の単行本が多数紹介されており、そのすべてがこれまでの記録に存在しない漫画作品です。著者の中には実在する漫画作家の名前もごく一部発見されましたが、いずれも書籍の発行時期には漫画家として活動していないか、あるいは出生していません。また、紹介されている作品は例外なく当該作者の既知の作品リストに存在しません。
以下はこれまでに確認された他作品の一部抜粋です:
●ときめきドキドキ電子レンジ(著者:小石川れい/第9巻までの刊行を確認)
●思い出のプチキャプテン(著者:かたぎり翼/第17巻までの刊行を確認)
●ライムグリーン・カンバス(著者:かたぎり翼/読み切り)
●天翔ける赤いツバサ(著者:さいとうともみ/第8巻までの刊行を確認)
●Gene Girls(著者:荒川瞳/短編集)
●手のひらの上のアルカトラズ(著者:新庄まなみ/第11巻までの刊行を確認)
●ハート★スワップ!(著者:月梨野ゆみ/短編集)
●オクタン同盟(著者:松井かおる/第32巻までの刊行を確認)
●はるかぜエレジー(著者:牧下マユミ/第3巻までの刊行を確認)
●太陽と月は石の夢を見る(著者:大林みか/第6巻までの刊行を確認)
当書籍がインターネットのオークションサイトでのみ発見される理由は判然としていません。また一部の出品者については、オークションサイト並びに案件管理局からのコンタクトが完全な失敗に終わるケースも見受けられます。
Supplementary Items:
本案件に付帯するアイテムはありません。
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