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  [No.3744] ぼくと僕の損得勘定 投稿者:GPS   投稿日:2015/05/13(Wed) 19:54:38   71clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「そのモココは『わるい』モココです。新聞に載っていました」

ぼくの言葉に、お姉さんが伸ばしかけた腕を止める。

「近づいてはいけません。研究所の悪い人たちが、ポケモンを悪者に作り変えているのです」

「ふむふむ。悪い奴、か」

お姉さんは真面目な顔で頷いて、ぼくの方を振り返った。図鑑で見る姿よりも黒みがかったピンク色をした『わるい』モココは、ぼくたちに怒るでもなくぼうっとしている。
ぼくを見て、お姉さんは質問した。

「その『わるい』っていうのは、誰が決めたんだい?」

「偉い学者さんたちです。悪い人たちは、悪いポケモンを作っているのです。もう少ししたら警察や政府の人たちが、悪い人たちや悪いポケモンを連れていくとニュースでやっていました」

「そうかそうか。なるほどね。君は相変わらず物知りだ」

「ぼくは沢山のことを知らなければいけないのです」

ぼくはそう答えた。お姉さんは、そうだな、君は物知りな大人になるのだもんな、と笑った。

「でもなぁ、君」

お姉さんの顔が、ぼくから離れて『わるい』モココの方を向く。ぼくはお姉さんの横顔が好きだ。ぼくやお母さんや、学校の先生よりも高い鼻が綺麗なシルエットを作っている。
その横顔で、お姉さんは言った。

「大人というものは、良いか悪いかで判断するんじゃないんだ」

ここは一つ、大人の判断をしたらどうだろう。
お姉さんは、ぼくにそう言った。

「大人とは、損か得かで物事を決めるんだ」

「では、この『わるい』モココから逃げることはぼくたちにとって損なことということでしょうか。連れて帰ることが、ぼくたちにとって得なのでしょうか」

「損かもしれない。得かもしれない。それは君が決めるんだよ」

わかりませんよ、ぼくはそう言いたかった。だけどそれはかっこ悪いような気がして、ぼくは言われるままに頷いていた。お姉さんは、そんなぼくを笑って眺めていた。
曖昧なその微笑み方は、お姉さんがよくするものであった。ぼくたちから数メートル離れたところで、『わるい』モココは逃げもせず、かといって襲ってくるということも無く、ただただこちらを見ているのだった。




寒風が僕の頬を掠っていく。今年の冬は一段と厳しいという予報は果たして正解だったようで、道行く人々は皆寒さに堪えるように俯いていた。
あれからもう二十年が経った。あの後すぐに『わるい』ポケモンを作っていた組織が明るみに出て、ロケット団の息がかかっていたこともあって間もなく粛清されたという。ポケモンの肉体改造を行っていた研究所は差し押さえられ、関わっていた者は全員警察の手に捕らえられたか、或いは何処かへ姿を消した。哀れ手にかけられたポケモンは研究所で観察されていたのも、近くに放されたものも、その全てが政府によって回収されたらしい。研究所が置かれていたせいで一躍大騒ぎとなった僕の故郷の島はしかし、やがては世間の意識からも薄れていき、同時に僕の淡くも苦い恋も終焉を迎えることとなった。

島を出て長いことが経った。僕は確かに大人になった。
でも、あの日夢見た物知りからは程遠い。知ってることなどほんの僅かで、僕はわからないことばかりで生きている。どうしてロケット団はポケモンを改造したのかも、『わるい』モココが何を以て悪いとされているのかも、『わるい』モココと出会ってから数年後に結婚し、薬局の受付を辞めて島を出ていったお姉さんが今どこにいるのかも。

お姉さんの言っていた、『損か得かで物事を決める』という大人のやり方も。

僕は何もわからないまま、損得勘定も出来ないまま、今までただただ生きてきたのである。
都会の生活にも大分慣れた。何だかんだで『わるい』モココは今日までずっと、僕のポケモンとして暮らし続けている。『わるい』ポケモンが回収された時はどうなることかと思ったけれど、普通の個体よりも体毛や皮膚が多少黒いだけの『わるい』モココの正体は誰にも言及されることが無かったのだ。母親や潔癖の友人から、風呂に入れてやった方がいいんじゃないかと苦い顔をされることが何度かあったくらいである。
しかしそれでも、僕にはわからなかった。あの日、彼女は『得な方を選びなさい』と言ったのだ。そしてその言葉に、僕は『わるい』モココを連れて帰る選択肢を選んだのだ。だけど、それが果たして得だったのか、僕にとって有益な選択であったのか。
僕には知る術が無い。

一際強い風が吹く。出来る限りの防寒をしているつもりだけれど、全身が鳥肌を立てるようだった。マフラーを巻いた首だけはまだ温かい方であったけれど、無いよりはマシであるという程度である。
毎年夏になるとモココの毛を刈らなくてはならないのだけど、この前の夏に刈った毛で編んだマフラーだ。肉体改造の影響か、通常のモココと違って『わるい』モココの毛は電気を溜め込む力が劣るらしい。素人の、何の加工もしていない状態でも静電気を起こしやすい程度である。日常的に使えるマフラーを手に入れた、という観点で考えると、あの日の選択は確かに得であったのだろう。
だが、全体的に見るとどうだろうか。ポケモン一匹育てる手間も費用も馬鹿にならないし、毎年毎年毛を刈ってやらないとならない現状はちっとも得なんて言えやしない。毛刈り器を買った店の従業員に乗せられて購入してしまった編み物セットと入門書だって、紛れも無い散財である。不慣れな両手の作ったマフラーは目が粗く冷たい風をよく通し、これなら既製品の、それも静電気を帯びにくいものなどを買った方が遥かに有用だったであろう。
そう考えてみても、果たして、僕の選択は得だったのだと言えるのだろうか。


大人は損か得かで物事を決めるのだと。
自分の得になる方を選びなさいと。
あなたはそう言ったけれど、僕はまだわからないままだ。
沢山のことを知った大人になる、と言ったのに。


「えー!? 迎えに来てくれないの!?」

不意に、高い声がして我に返る。
視線だけで声の方を見ると、僕と同じくバスを待っていたと思しき女子学生が携帯電話を耳に当てて、何かを抗議するように話をしていた。

「今日すごい寒いのに! だって天気予報雪だよ!? 歩いて帰るだなんて嫌だよ!」

彼女の言う通り、空は今にも冷たいものを降らしそうな重い灰色で覆われている。どうやらバスでは無く迎えの車を待っていたらしい彼女は、ストラップを沢山つけた携帯に向かって不満げな声をあげていた。
だけど、僕は空模様も携帯の飾りも、そんなものはどうでも良かった。視線のみならず、彼女の方へ顔が向く。
怒ったように口を尖らす、彼女の横顔。その横顔は、確かに僕の記憶の中にあった。

「…………あの、」

電話を切った女子学生に声をかける。普段ならば、いや、有事の際ですらしないであろう行動は、半ば無意識のうちにしているようだった。
少女が怪訝そうな顔で僕を見る。その顔に向けて、僕は言葉を続けていく。

「寒い、ですよね。歩かなきゃいけないみたいですし。雪ですし」

少女の顔に浮かぶ色が、怪訝から不審者を見るそれに変わっていく。当然だ。僕だって彼女のたちばだったなら、同じことを思うであろう。
だけど口は止まらなかった。こんなの、絶対損であるだろうに。それでも、僕の言葉は止まってくれなかった。

「これ……この、マフラー。使ってください。無いよりマシでしょうから。冷えるといけない、と思いますし、今日寒いですから」

「………………あ、いえ、ちょっと……」

微かに震える声で、少女が後ずさる。怖がらせていることなど、誰の目にも明らかだ。やめろ。自分の中で声がする。やめた方がいい。そうに決まっている。
だけど。

「わかってます、気持ち悪い、ですよね……僕もそう思います、こんなの悪いことだと思ってます。……ですが、良いか悪いかではなく、…………では、なく」

「…………………………」

「損か得かで、物事を決めてみてもらえないでしょうか」

乾いた口でそう言うと、女子学生の目が丸くなったのが見てとれた。瞬きもせず、僕を見つめるその視線は僕の時間を止めているようにすら思えてくる。夕方の駅前は慌ただしく、行き交う人たちは僕たちのことなど気にも留めていない。ただ、灰色の空の下で、僕は少女と相対していた。
そして、時間は動き出す。首から解いた、僕の差し出していたマフラーを、少女はすっと受け取った。「わかった」と曖昧に微笑んだその頬が、記憶のそれにぴたりと重なる。

「こんなの、どう考えても怪しすぎるけど……でも、お母さんと同じこと言ってるから」

ありがたく頂戴します、少女はそう言ってはにかんだ。寒さのせいだろうか、平均よりも高い鼻が紅く染まっているのがどこか幻のようにすら見えた。
僕は何も言えないまま、彼女の首にマフラーが巻かれていくのを眺めていた。じゃあ、ありがとうございましたと歌うように言いながら、彼女が軽い足取りでロータリーから消えてしまっても、まだ。
防寒具の無くなった首筋は酷く寒々しかった。見計らったように降り始めた雪は、外気に晒された僕の素肌に落ちては溶ける。バスが来るまでの十分間、感じる寒さが増す一方であることは容易に予想出来た。

損か得かで言えば、紛れも無く損である。
何もかもが、誰がどう見たって損である。


しかし、『わるい』ことは。
何一つ。


あの日、あなたが教えてくれたその理論を、僕はまだわからないままである。それでもあなたの言ったことは、僕とあなたの中に残っているのだろう。知らないことばかりの僕の中にも、まだ。
かつての彼女に面影の相似した少女がいなくなったロータリーで、首筋に寒さを覚える僕は、モココの待つ家へと帰るバスを待つ。


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