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  [No.3745] 夕陽の少年 投稿者:GPS   投稿日:2015/05/14(Thu) 20:38:29   61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「ああ、やっとみつけた。こんな所にいたんだ」

身を隠していた草むらが掻き分けられ、人の声がした。疲れたような、安心したような、そして何より、何かを達成したことによる充足に満ちているようなその声は、森の夜風によく溶ける。二つの手に分けられて揺れる草むらから、声の主たる顔がこちらを覗いていた。

「この世界はどうにも複雑だから、随分時間がかかってしまったよ。先も見通しにくいし、まだ感覚が掴めない。それに俺にとっては、ここは少し色鮮やかすぎる」

その人間は、そう言って笑う人間は、背にした夜の森からなんだか浮いているように見えた。浅いとはいえ眠りに落ちていた、まだ夜目に慣れない自分の視力がそうさせているのかと思い至ったのだけれども、恐らく理由はそれだけでは無い。ここにも人間はよく訪れるが、目の前にいる存在はその、いつも目にするような人間とは大きく異なっていた。
まるでそこだけ切り取られたように、ぼやけて見える彼の姿。前つばの帽子と動きやすそうな軽装、半袖のジャケットと長いズボンという装いから辛うじて少年であることだけは読み取れるが、顔の造形や服の細部までは知り得ることが出来ない。彼を構成するパーツは酷く粗いものとして目に映り、周囲の草木や空と比べると、像が崩れ落ちてしまったようにさえ思えてくる。
顔を初め、個人を特定出来る要素がまるで欠落した少年。不出来な映像を投射したように、不自然にそこに立つ人間。

しかし自分は、自分だけは彼を知っている。

「久しぶりだな。やっぱり、お前は今でも森にいるんだ」

少年はそう言ってしゃがみ込み、目線をこちらに合わせてきた。覗き込む瞳は髪と同じ黒。帽子と上着は赤い色。背負ったリュックと長ズボンは、それよりもやや薄い橙色。それ以外は、みんな白。
紺碧の空と新緑の森、黄金に輝く星を背景にして、彼は、白。

「お前は、こんな色をしていたんだな」

彼の表情が笑みへと組み変わる。人間の表情の変化を「組み変わる」と形容するのはおかしいかもしれないけれど、彼に対してはそうとしか言えなかった。

「黄色い体、赤い頬。それに、こんなにぷくぷくしてるだなんて知らなかった」

笑顔の少年の手が、頬や脇腹をつついていく。やめてくれくすぐったい、と言おうとしたけれども当然、自分の声は人間の言語になどなりやしない。同族にだけ伝わる間抜けな泣き声が夜の森に響く。それを聞いて、「いつの間に、そんな可愛らしい声になったんだ」と彼はあの頃と変わらぬ、平らな声で笑って見せた。

「でもな。そうだよな。もう、17年も経ったんだもんな」

そう呟いて、頭を撫でる彼の姿はオレンジ色。色鮮やかな景色を背にしても少しだって染まることの無い、黒と白と赤と橙だけで構成された、たった一色のオレンジ色なのだ。まるで夕焼けに照らされているように。夕陽を浴びて、眩しく光っているように。
ここには夜がある。朝も来る。昼だって訪れる。雨が降ることもある。春が来て夏が過ぎ、秋が去れば冬がやってくる。だけど、昔は違った。彼と共に大地を駆け、海を渡り、空を飛んでいたあの頃は、世界は永遠に夕方であったのだ。どんな時でも、何があっても、世界はいつだって優しくて温かくて、終わりを迎えそうで迎えない、夕方だった。何もかもがオレンジ色に染め上げられる、そんな、世界だったのだ。
彼は、夕方の世界の英雄だ。

「なあ、ピカチュウ。俺は楽しかったよ」

かつて、彼と共に夕方の世界を旅していた。沢山のポケモンと出会って、沢山のトレーナーと戦った。八つのジムバッジを集めて、三匹の鳥の伝説を知って、四天王とバトルをして、幼馴染と勝負を重ねて、最強のポケモンと恐れられた科学技術の産物と友達になった。
色々な所に行った。色々なものを見た。あの、夕方の世界で。
彼と、一緒に。

「それだけ言いにきたんだ。これから、この、夜と朝が訪れる世界で旅を始めるお前に」

少年は笑う。ちっとも鮮やかじゃない、綺麗なんかじゃないその姿で。昔は自分とて似たようなものであったのに、今ではもう、少年と自分は別のものなのだと思ってしまう自分がいた。
それは果たして喜ばしいことなのか、それとも嘆くべきことなのか。そんなことは自分にとっても、少年にとっても少しも重要では無かった。もう、旅は終わったのだ。遥か昔、こうして森で待っていた自分を少年が見つけたことで始まった旅は、夕方の世界が紡ぐ旅路は、とっくの昔に終わっている。これから先に待っているのは、この世界での旅なのだから。

「お前と一緒に、旅を出来て良かったよ」

それじゃ、さよなら。明るく弾んだ声でそう告げて、少年が立ち上がった。その姿は相変わらず、夕陽に照らされたようなオレンジ色のままである。朝の光も夜の闇を知らない、夕方の少年は、粗っぽい表情を緩ませながら背を向けた。
少年が去っていく。追いかけはしなかった。自分のするべきこと、自分のやれることは少年と共に夕方の世界へ帰ることではないとわかっているから。少年と一緒に旅をする、夕方の世界の物語は、とうの昔に終わっているのだ。
今の役目は、この世界でこうやって待ち続けること。あの日のように。あの時と同じように。
少年の故郷からそう遠くない森の中で、少年を待つことが、今の自分に出来ることである。

遠ざかった足音が近づいてくる。それは少年のものではなく、しかし新たに「少年」たり得る者のものだ。
揺れる草むらの間からそっと覗く。草木や空と同じだけの彩と質感を持つ、その姿。サングラスを乗せた赤い帽子に青のジャケット、ブーツに入れたズボンと品の良いショルダーバッグ。
この少年との旅は、どんなものになるのだろう。夕方が終わって夜が来て、朝を迎えるこの世界での旅は。

そんな思いを胸にしまって、草むらの向こうに顔を出す。
さあ、次なる旅に連れて行ってくれ。色鮮やかな世界の、少年よ。


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