一抹の不安。それが起こる事はまだ、無さそうだ。
何事も無く、ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎて行く。秋から冬へ、季節も移り始めていた。
そして、そんな短い間でカイリューは言葉を理解し始めていた。ニュースを毎日眺めていたり、俺がウインディに喋りかけていたりをずっと興味深く聞いていたからだ、と思う。
お前は何で俺に付いて来たんだ? まだ、その問いをカイリューに聞いてはいない。
聞いたとしても、言葉を扱えないカイリューが俺にその理由を伝えられるだろうか。
きっと無理だろう。
ココドラに鉄くずを与える。値段はポケモンフーズよりもかなり安い、タダ同然のものだが、錆びてはいない。コドラに進化した時には、こっそり買ってある玉鋼なるものを与えようと決めている。
やはり、質の良い鉄程、こいつは良く食べる。俺の手持ちになる前は廃材の錆びた鉄をばっかりを食っていたのだろうか。
心なしか、見つけた時よりも少し体のツヤが良くなっている気もした。
カラッとした肌寒い風にカイリューは少し寒さを感じていた。
ウインディと距離を縮めているように見えるのはきっと、錯覚じゃないだろう。ウインディは慣れたとは言え、その強さにまで慣れた訳ではない。
こっそり近付いて来たのを見ると、さっと離れた位置に移動する。
見ているとまるで、だるまさんが転んだ、みたいな感じだった。
暖房をそろそろ付けようか。窓を閉めて、エアコンのスイッチをこっそりと入れ、音が出ると、カイリューはびくっと驚いて温風が吹いて来る方を見た。
ココドラは、そんな時でもばりばりと鉄くずを食べ続けていた。
驚かない、というよりも周りに関心が無いと言うか、気付いてないと言うべきか。
その鋼の体に神経は通ってるのか、と聞きたくなる。まだこいつが驚いた所を俺は見ていない。
鉄くずを食い終えると、眼を閉じて眠り始める。食っちゃ寝、それ以外じゃ偶にとことこ庭を歩いたりするだけだ。カビゴンみたいな奴だと良く思う。
ココドラの冷たい鋼の体が、徐々に温まって行く。夏も冬も、こういう体のポケモンって、どう体温の調整をしているんだろうか。金属の体じゃ、熱がすぐに内部に伝わってしまうと思うんだが。
まあ、特に問題なく生きている。それだけで十分ではある。
そして、冬のある日。
とある事が起きた。平日の、仕事がある日だ。
ムシャーナはふわふわと浮いていた。口から出ている煙に、俺の夢が少し映っている気がした。
体を起こして、違和感に気付く。隣にウインディが居ない。カイリューも。ココドラも。
「……あれ?」
部屋のドアも開いている。何が起きているのか分からないまま、俺は寝室から出て、階段を降りる。
肌寒い、外の空気が感じられた。玄関も開けているのか。
体に震えを感じながら、玄関に近付いた。風の音以外、特に何も聞こえない。
靴を履いて、外に出る。さらさらと雪が降り始めている中、ボスゴドラが居た。カイリューと同じ位の巨体には、カイリューと同じ位の威厳が感じられた。
……親、か? ウインディとカイリューはそのボスゴドラの近くで警戒を程々に解いて座っていた。
ココドラはそのボスゴドラの腕の中で、けれどいつも通りのように眠っていた。
ボスゴドラが俺の姿を見止めた。
後退りそうになるのを堪えた。その目は、母親のものだった。そして、そこに怒りは無いように見えた。
確証は全く無いが、試されている気がした。
俺が、このココドラを持つに値する人間かどうか。後退れば、無理矢理にでもココドラが連れて行かれそうな気がした。
このココドラには愛着も湧きはじめているが、今、このココドラが母親に連れて帰られたら、俺はその愛着を失う以上の何かを失う気がしてならなかった。
それは、俺が子供を持ちたがっているという証拠なのだろう。
親で在れる最低限は満たしていたいという証拠なのだろう。
ボスゴドラは、目を未だに眠っている息子に戻した。どれだけの時間、目を合わせていたか、長かった気もしたし、短かった気もした。
ボスゴドラは、手でココドラを何度か撫でた。ココドラが薄らと目を開けて、甘えるかのように母親に向けて前足を動かした。
初めて、俺はそこで、ココドラの感情というものを見た気がした。そして、 羨ましさを感じた。
俺は、そうなるのだろうか、なれるのだろうか。父親として。
羨ましさの直後に、不安も覚えた。
こん、こん、とボスゴドラがココドラの健康を確かめるように、鋼の肉体を軽く叩いて、そして光沢が出るように磨いて行く。
寒さは覚えていたが、その光景に俺は何故か目を離せなかった。
そして、ボスゴドラはココドラを降ろして、もう一度撫でてから、また俺の方を見た。
近付いて来る。ウインディが立ち上がり、俺はそれを手で止めた。カイリューも、その俺の手を見て、立ち上がったまま、動きはしなかった。
強大な存在感は、カイリューとはまた別物だった。そして、慣れた訳でも無い。怖いと言う感情は胸の中をぐるぐると強く渦巻いている。
けれども、俺は後退る事もしなかった。逃げてはいけないと、分かっていた。
ボスゴドラは、俺の前に立つと、しゃがんで俺と顔を合わせた。ただ、俺は視線を合わせた。それ以上もそれ以下も何もしなかった。
観察されているのは、カイリューの時と同じだった。
暫くして、ボスゴドラはどこかからか、球体を取り出して、俺の手に握らせた。
メガストーンではない。
鋼色の球体だった。それは、オーブと呼ばれるようなものの気がした。
ココドラにきっと、持たせるべきものなのだろう。ボスゴドラはそして振り返ってココドラをまた撫でてから、歩いて去って行った。
ずん、ずん、と巨体の音を少し響かせながら、後ろ姿が小さくなって行く。ココドラは、追う事はしなかった。けれども、少し悲しそうな目で、母が去って行くのを眺めていた。
その時、ウインディの情けない声が聞こえた。
カイリューが、ウインディを強く抱きしめていて、ウインディは足掻いているものの、抜け出せそうには無かった。
カイリューは、強く、そして絶対に離さないような感じでウインディを抱き締めていた。
それは、暖を取る目的以外にもあった。
目を強く閉じて、忘れたいような、思い出してしまったような、そんなものをまた記憶の彼方へ飛ばしたい、けれども、ポケモンの温もりが欲しい。そんな感じがした。
ウインディはじたばたと暴れる。俺に助けも求めて来た。
「諦めろ」
俺がそう言うと、絶望したかのような目を向けて来る。
仕方ない、モンスターボールを取って来てやるか。
「ボール取って来てやるから、待ってろ」
出来るだけ早く、と言うように、ウインディは情けなく吼えた。
寝室にあるボールを取りに戻りながら、思う。
カイリューはきっと、あそこから逃げる為に俺に付いて来たのだろう。何か逃げたい思い出があるその場所から逃げる為に。
そしてそれはきっと、子供とかに関する事だ。
俺と似ている、と思った事があったが、本当に似ているかもしれない。
天井を眺めて、ぼうっとする。俺はこのままで本当にいいのだろうか。曲がる必要もあるのだろうか。
ウインディの声で俺は我を取戻し、仕方なく寝室のボールを取る。
ムシャーナの煙が目に入った。そこには、子供が居た。
叫びたい気持ちになった。