貝刃が打ち合わされる音で目が覚める。
窓から外を覗けば、今日も朝っぱらから父がフタチマル達に稽古をしていた。
父のパートナーであるダイケンキの子は、七体。そして、この仕事をする適性があると父によって見做されたのは五体。獣は、人と比べてそういう性質が遺伝し易いらしい。
その五体が、暫くの間、稽古で力を付けている。
貝刃じゃ、体を刻む事が出来ても、首を切り落とす事は出来ない。脚刀でなければいけない。そして、父のダイケンキには時間が無い。
朝飯の時間になる頃に、貝刃の音は鳴り止み、父だけが戻って来た。
適性がある事と、最初から仕事を上手くやれる事は全くの別問題だ。フタチマル達は、ダイケンキが父ではあるが、住んでいる場所はここではない。
それぞれ、この町の人達の家で、その人達のパートナーとしてなれるようにも暮らしている。
自分達家族が引き取るのは、最も適性があった一体だけだ。
後は、この町の誰かのパートナーとして暮らしていく事になる。
朝は、簡素に豆のマトマスープとパン。ダイケンキには、パンがスープにしっかり浸かって解された状態で出され、エレザードには辛さを控えめに。
そのエレザードは皿を両手で掴んで、ぐい、ぐい、と口の中に流し込み、パンを口に加えて、窓から屋根にさっさと登って行った。
仕事が無い時は、大抵そうして太陽を浴びてうとうとと過ごしている。
エレザードが出て行ってから、祖父が昨日の事について聞いて来た。
昨日俺が帰って来て、問題ないと判断すると、殆ど何も聞かずに寝てしまった。
帰って来た時間は、普段なら祖父がとっくに寝ている時間だった。
「リザードンは……サザンドラの骨をずっと……見ていたんだな?」
「そうだった」
「どのように……見ていた?」
昨日父とも多少話した事でも言った。
「強い感情は、正負どちらとも無かった。嬉しいとか、悲しいとか、そういうのは全く無かった。けれど、ただ見ていた訳でも無かった。見る事自体に何かしらの目的があるように見えた」
それを、端的に上手く形容する言葉が無い。一夜過ぎた今でも。
強いて言うならば、鑑賞する、というのが一番似ていると思うが、どう考えても、鑑賞などと言った優雅な事をしているようにも見えない。
あそこにあったのは……緩いものじゃない。
真剣な……何かだ。
祖父は、スープに浸したパンをゆっくりと咀嚼し終えてから、言った。
「……子供、かもしれんな」
「子供……」
子供だったとしたら、少なからず父親を殺した俺達を恨んではいないのだろうか。
それを聞こうとした時、祖父が続けた。
「竜は……獣の中でも賢い。言葉を使ったような……複雑な意志疎通も出来る……。
そして……サザンドラは……何に対しても凶暴だ……。少なくとも……あの20年ほど前のサザンドラは……子を持っているようには……思えなかった」
父がそれに口を挟んだ。
「家族持ちの獣は、大抵、守ろうとする意志が生まれて来るんだ。如何に攻撃的な奴であろうとも、多少性格は丸める。20年以上前の事でもはっきり断言出来る。あれには、そんな意志は微塵にも無かった」
「じゃあ、何で子が出来ているんだ?」
そう聞いてから、あ、と思った。
「そういう事だ」
「……そういう事」
小さく反芻した。子を作っても、家族にはならなかった。子をどうやって作ったかは、そういう事だ。
「獣には多少ある事だ……尊敬出来ない親なんて……人間にもごまんと居る」
父親や祖父に対して俺は、尊敬と言ったような自覚するような思いを持っていない。かと言って、尊敬していない訳でも無いし、多分尊敬は自覚する事でも無いと思う。
けれど、その尊敬出来ない死んだ親に対して向き合っている、と言うような状況は昨日見たそれに似合っているように思えた。
「……あ、そうだとしても、何故、今更? 20年以上も経った後で」
それに対しては、やっと面と向き合えるけじめがついたんだろう、というような答が返って来た。
何となく、曖昧だと思った。
ポカブ達の様子を見て、特に何事も無い事を確認する。一匹減った。
偶に、その答に辿り着くまで行かなくとも、その可能性を考えてしまう個体が居る。生まれてからこれまでずっとほぼほぼ外敵の危険にも晒されず、ただただ柵の中の牧場で食っちゃ寝を繰り返していても。
しかし、それに辿り着いたところで、この環境から逃げ出せまではしない。ストレスが無い環境、それは強くなれない、そして学習出来ない環境だ。
ただ、不安の芽は摘み取っておくに限る。
一つのミスから全てが瓦解した牧場の例だって聞いた事が少しだがある。
日々の仕事に入る前にまた、そのサザンドラの骨の場所に行く事にした。
遠目から見た限りじゃ何も無かったが、近くにまで行って確かめておきたかった。
リザードンがこれからまた来ないとは限らない。
……そう言えば、何故夜に来たんだ?
リザードンは夜行性じゃない。人に関心を持たれない為?
……ああ、反面教師ってやつか。リザードンは、サザンドラの死に様を知っているんだろう。そして、自分はそうはならないと思っているのだろう。
でも、それが何故20年後の今になって、なのかはまだ分からない。やっと面と向き合えるけじめ、というのはどうも答としては曖昧で納得し辛かった。
サザンドラの骨の場所まで来ると、地面には焼け焦げた痕と、少しの爪痕が残っていた。それでも、ずっと座っていたとしたら、かなり大人しくしていた感じだ。
サザンドラの骨には、何の変哲も無い。
長い時間、何を思っていたんだろうか。竜は知能が高い。きっとそれは、人とそう大差ないレベルだ。
心の中で罵倒し続けていたのか。もやもやした気持ちが溶けるのを待っていたのか。こんな人間の場所に骨が無ければ、ぶっ壊していたのか。それを、あの時の仕草だけで察する事は、心を読み取れる獣でも無い限り不可能だ。
「また、来るのかな……」
来ないで欲しい気持ちもあるが、このまま終わるのもモヤモヤしたものが残って嫌な気分だった。
その、夕方だった。
ポカブ達を餌で釣って、小屋の中に入れている最中の事だった。
小屋の中への入り方は、早く餌に食らいつくグループと、そこまで急がずにのそのそ歩いて来るグループ、そして俺やエレザードがケツを引っ叩いて中に入れるグループと、ある。
早くに餌に食らいつくグループにブーブー言われながら餌を給餌場所に流し込んでいると、カン高い悲鳴が聞こえた。
持っていたバケツを投げて、すぐさま外に出ると、パニックになって走り回るポカブ達と、そして夕日に向かって飛んで行くリザードンの姿が見えた。
「……ああ、そういう事」
俺は、あのリザードンがあそこで思っていた事を理解した。
"俺は、お前のような馬鹿にはならない。賢く奪ってやる。"
きっと、そんなところだろう。
ポカブの数は案の定、一体少なかった。昨日と今日、殺した分を含めても。
「そんな風に反面教師にして欲しくなかったなあ……」
せめて、人間には関わらないとか、関わっても穏やかに、とかさあ。
そんな事を思いながら、これからとても面倒な事になると、俺はもう確信していた。