走る俺に対し、チャオブーは迎え撃とうとか動かなかった。顔面に向けて槍を突き出し、後ろに跳んで躱される。二度、三度と槍を突き出すものの、後退して全て避けられた。
「どうした? 助けたくないのか?」
半ば勝手に口から言葉が出て来る。余裕から出て来る言葉ではなく、緊張から出て来る言葉だった。
追い打ちを仕掛けようと、足を更に前に出す。
「ごほっ」
その時、咳が唐突に出た。急に息が苦しくなってきていた。
……スモッグだ。
足が止まったのを見て、チャオブーが体に炎を纏って突進して来た。ニトロチャージ、槍を構え直す時間はあった。
けれどチャオブーはそのまま突っ込んで来た。突き出した槍は、腕で受け止められた。
……妙に硬かった。チャオブーは突進して来たというのに、骨にまで突き刺さった感触が全く無かった。
そのまま槍を払われ、体が前につんのめった。槍の感覚は、肉が少し切れただけだった。
チャオブーは、俺の懐に潜り込んだ。咄嗟に片腕で胸を守った。
飛び出した肉弾が、その片腕に容赦なくぶつかった。
ぼきり、と音がした。
「っあっ、ぐっ」
弾けるような痛み、着地したチャオブー。
歯を食いしばった。死にたくない。殺されたくない。
折れていない方の腕で握り締めたままの短槍で、チャオブーを殴りつけた。けれど怯まなかった。俺の腿が突っ張られた。みしぃ、と骨が軋む。俺がもう一度槍で殴りつける前に、更に、腿を殴られて、足が折れた感覚がした。
膝を付く、眼前にチャオブーの顔がある。加えて殴ろうとするそのチャオブーの蹄に、何か物が挟まっているのが見えた。
それは、見た事があるものだった。そして、さっきの違和感でそれの正体が、分かった。顔面に向けられた蹄を何とか避けた。その蹄に挟まっている物を、短い槍で弾いた。
「進化の輝石……」
片腕と片足が折れた。酷く痛い。それも、一番最初、チャオブーが妙に硬かったのが原因だ。
妙に硬かったのは、この石のせいだ。
進化前の獣が持つと、何故か硬くなる石。焦ったチャオブーの腹に、槍を突き刺した。
深くは、突き刺さらなかった。けれど、反撃に殴られたその力はとても弱っていた。
槍が抜けた腹から血がだらだらと流れ出す。チャオブーも膝を付いた。そして、びくびくと震えはじめた。
……? 毒なんて塗ってない。
嫌な予感がした。心臓が竦み上がった。
……リザードンは、戦いそのものに手を出さなかったとしても、チャオブーがここまで来れるようなお膳立てはしたはずだ。
その目的なんて分からないが、ポカブからチャオブーに進化もしていた。
進化の輝石なんてものも与えていた。
けれど、そこで終わりじゃなかったとしたら。 チャオブーの進化形のエンブオー……その顎髭は常に燃え続けていて、非常に目立つ。わざと進化してなかっただけだったら。
槍をもう一度突き刺そうとして、その槍を掴まれた。強い力で引っ張られ、奪われた。
「あ、あ……」
まだ、助けは来ない。祖父や父が村の人達を連れて来るよう言っていたのに、まだ。まだ。
めきめきと大きくなるその姿。突き刺した腕と腹の傷はみるみる小さくなった。膝をついている俺と同じ大きさだったのに、一気に倍以上に大きくなった。
足と腕は、人間ではとても太刀打ち出来ない太さになった。
エンブオーは、槍を折って投げ捨てた。
燃え盛る顎髭に照らされたその顔は、俺への憎しみで満ち溢れていた。拳が握られて、頭が真っ白になった。
けれど、いつまで経っても俺の意識はまだ、あった。
――何故止める! 殺させろ!
――駄目だ。
リザードンは、その拳を止めていた。
――どうして!
――人間を殺すって事は、それ以上の報復が待ち受けているからだ。
口が詰まったエンブオーに、リザードンは続けた。
――それに、もう時間が無いぞ。そろそろ他の人間達が来る頃だ。
――……。
エンブオーは、渋々と言ったように、また壁を壊し始めた。
強くなった肉体では、壁はそんな苦労せずに壊れ始めた。みしみし、と音を立て始め、支柱が裂ける音がし、そして、壁が壊れた。
エンブオーは叫んだ。
――助けに来たよ、みんな!
中は、狂乱している、ポカブ達だけだった。
――みんな……? みんな、僕だよ! 助けに来たよ! 助けに来たってば!
けれど、その言葉に誰も、反応しなかった。ただ、その壁を破って来たエンブオーに怯えて、中には狂ってしまったポカブもいた。
――どうして……? どうして! みんな、逃げてよ! ここに居たらみんな食べられちゃうんだ! だから! みんな、逃げようよ! はやく、ねえ、外に出れるんだよ! ねえったら!
必死に話しかけても、誰も耳を貸そうとしない。そもそも、ポカブ達は言葉を解せなかった。エンブオーがそれに気付いた時、リザードンが破れた壁の後ろで、言った。
――人間達がもうすぐ近くまで来てる。逃げないとマズい。
エンブオーは、それを聞いて震えはじめた。
――う、う、う……。ああ、ああ! なんで、どうして! あああああああ! ああああああああっ! ああああアアアアッ!
エンブオーは叫んだ。豚舎さえもが震えるほどに。
そして、止まった。
リザードンがその腕に触れようとして、エンブオーはそれを思い切り払った。
――どうして、どうして……。
涙を流しながら、エンブオーは、狂ったように腕を振り回し始めた。すぐ側に居た、リザードンに向って。
――おい……。
リザードンの呼びかけは、通じなかった。滅茶苦茶に振るわれる拳、そして炎も吐こうとしていた。
リザードンの後ろには、動けない男が居た。
――…………。
エンブオーは、止めようとしなかった。リザードンの頭に、一発、拳が入った。二発、三発。
それでも、エンブオーは止めようとしなかった。
――…………。
リザードンは身を翻した。尻尾の炎がエンブオーの目の前を通り過ぎる。
びくっ、とエンブオーは一瞬、震えた。
その次の瞬間、リザードンは回転した勢いで、爪をエンブオーの首に振り下ろしていた。
血が、噴き出した。
エンブオーは膝を付いて倒れ、そして呆気なく、動かなくなった。リザードンは力なく、座った。
その後ろ姿は、とても悲し気だった。
何をしたかったのか、それは結局分からないままにしても、リザードン自身、こんな結末を迎えるとは予想していなかったのだろう。
項垂れて、尻尾の炎も小さくなっていた。
そしてやっと、人がやってきた。
「おい、大丈夫か? ……そいつは!」
「…………大丈夫だ、こいつは人間には危害を加えない。
とにかく、俺と、屋上で気絶してるエレザードだけ、運んでくれ。
俺、今動けないんだ」
「あ、ああ。って、動けないって何があった」
「そこで死んでるエンブオーにやられたんだ、リザードンじゃない」
「そのリザードンが助けた、のか?」
「……何と言うかな、そうとも言えるし、そうとも言えない」
「なんだそれ」
人が多くやって来ても、リザードンはそこから動かなかった。
眠り粉を掛けられようとも、全く動かなかった。自暴自棄になっているように。
倒れて、眠ったのを確認されてから、どうする? と聞かれる。
「……どうするか。
そう言えば、サザンドラは?」
「あの鳥獣使いが抑え込んだよ。殺してはないみたいだが」
「そうか……。そうだな、こいつも殺さないでおいてくれ」
「……ああ、分かった」
縛られて、俺とエレザードと一緒に、連れて行かれる。
そして、壁の応急的な修復が始まろうとしていた。ポカブ達は、誰も外へは出なかった。誰も、逃げなかった。