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私を迎えてくれた家族には、一人の男の子がいた。二つ年上の彼は有り余る元気をいつもイタズラによって放出し、学校では手に負えないガキ大将だった。先生の間では小学校低学年の頃から「問題児」のレッテルを貼られ、随時マークされていたほどだ。
仲の良い友達と一緒に壁や窓ガラスに油性ペンで落書きするのはもはや日常的。黒板消しで罠をはって先生を粉まみれにしたり、女子の机に成年誌を入れたり。ある日目撃されたのは、彼らに標的にされていた男の子の上履きが牛乳で満たされているさまだった。
両親はたいそう頭を悩ませた。どうしてこんなにも人に迷惑をかける子供になってしまったんだろう? 父はことあるたびに怒鳴り声を上げるし、母は自分の育て方が至らなかったせいだと泣き崩れる。そんな日々が続いていた。
父親と母親がどんなにしつけても態度を全く変えようとしない彼だったが、ジムリーダーのおじいちゃんの言葉だけは彼に影響力を持っていた。大きな声でしかりつけるわけではないのに、おじいちゃんの重々しい声は彼にちゃんと響いていた。
彼のイタズラ病はおじいちゃんが少しずつ治療していった。彼はおじいちゃんを尊敬していたし、また畏怖していた。この家でおじいちゃんに逆らうことだけは、絶対にできない。逆らえば、僕の居場所がなくなってしまう。そう思っていた。
彼は小学校の高学年になって、あまりやんちゃをしなくなった。クラスの中では相変わらず目立つグループを率いていたが、職員室では「あの子は随分と丸くなった」とささやかれていた。
一方、もともと女の子が欲しかった両親は、一人目以降子宝には恵まれず、児童養護施設にいた一人の女の子を、里親として養子に迎えることを決めた。小学四年生の一人息子は妹ができるということを両親に聞いてもまるで興味を示さなかった。
しかし、その子の登場で、彼の人生はゆっくりとねじれ始める。
そう、私はシュン兄――シュンヤの人生を変えてしまったと言っても過言ではない。
『ギルティ☆森ガール page5』
会食場の長テーブルとイスがいくつかふわふわと宙に浮いて、静止したかと思うと、凄まじい勢いで回転しながらこちらへ飛んできた。
<むおっ――>
ルーカスが両手のスプーンを突き出し、渾身の念力を込めてくい止める。家具たちは私とシュン兄にぶつかる直前で急ブレーキをかけたみたいに勢いを失い、その場に音を立てて崩れ落ちた。
部屋中異様な熱気に包まれていた。まるでサッカーチームの過激なサポーターたちが相手のチームにやじを飛ばしているみたいだ。このスタジアムのあるゴースト街では、私たちは完全にアウェーだった。下手に動けば、銃殺されてしまうかもしれない。
高い天井はゴースを取り巻いている紫色のガスが不気味に充満していた。中央のシャンデリアは常にガシャガシャと耳障りな音を立て、試合をさらに逆撫でする。巨大な黒い塊に血のような赤い眼のゲンガーは、私たちを嘲笑しながらゆっくりと部屋の壁際で浮遊していた。
「こりゃヤバいな。奴さん相当強い」シュン兄が平べったい声で言った。
「もうちょっと緊張感持ったら?! 私たち生きて戻れるかどうかさえ微妙なラインなんだよ!」
こんな感じのやり取りは、過去に何度もあったような気がする。昔のシュン兄はもうちょっと余裕ぶるのが下手だったはずだけど。
「今ならまだ出口辺りのゴースたちをぶっ飛ばして外に出られる。あいつのお遊びに付き合ってる暇なんてないでしょ?!」
ブーケにマジカルリーフで近くのゴースをけん制してもらいながら、私は荒々しく言った。
「まだ逃げるには早い。言ったろ、仕事だって。どうしてこんなにゴース系の奴らが集まってドンチャンしてるのか、手掛かりの一つでも見つけて帰らないと上司に殴られちまう」
「――シュン兄、一体なんちゅう仕事してんの?」
「うーん、全国転勤ありの総合職ってとこかな――あのゲンガー、捕獲できればいいんだが」
彼の言葉は全く答えになっていなかった。彼の意識は私の言葉でも職務内容でもなく、目の前の黒い塊のみに向けられているらしい。
「――ボールは?」後ろ向きに歩いて彼の背後まで近付き、耳の近くで私は訊いた。
「スーパーが六個と、ハイパーが二個」
「なんとかいけるか――周りは刺激しない方が良い。正々堂々とリングに上がったと思わせれば手出ししないと思う。その替わり、私も手出しできなくなるけど」
「ルーカスとあいつの一対一で勝つしかないってことか。うーし、仕事すっかー」
「――不安」
私とブーケは彼から離れ、入口の扉の辺りまで慎重にたどり着いた。ゴースたちはギロギロとこちらに注意を向けているが、襲って来はしなかった。シュン兄はジャケットを脱いで、そばに転がっていたイスに引っ掛けた。
「ルーカス、五分であの悪霊、成仏させるぞ」ポケットに手を入れ、気障なポーズをとるワイシャツ姿の男。
<『えくそしすと』としての仕事を期待されても困りますな。最も、ぷろが相手を選ぶなど嘲笑の的でございましょうが>
スプーンを構え直すフーディンからはここにいても分かるほどの念力が発せられていた。ゴースたちの醸す空気とは違う、ビリビリと肌を弾くような波長。そばを旋回していたゴーストが焦りをまとったようにひらひらと天井へ舞い戻った。
どうやら観客が乱入するほどの秩序の崩壊はないようだ。周りの霊たちがケラケラと笑いながら部屋の上部を旋回する中、親玉ゲンガーはシャンデリアの直下に躍り出た。
そして床に吸い込まれるようにして消えた。
「慎重に追えよ」
<言われなくとも>
ルーカスは目を閉じ意識を集中してゲンガーの垂れ流している念波を追いかけた。相手のポケモンの発するエネルギーを感じ取ることで居場所を特定する、エスパータイプだからこそできる芸当である。
<ナタネ殿! 右へ!>
「えっ?!」
不意に名を呼ばれ、右へ転がるようにして跳んだその瞬間、背後から不快な気配がぬらりと出現した。振り向くと、ゲンガーがニヤニヤと笑みを浮かべながら回転し、また壁へと消えていくのが見えた。
「最初からルールなんてないとでも言いたげだな。油断禁物だよーナタネちゃん」
「――分かってる」
もちろんこの部屋の中で安全なところなど存在しない。今は天井で大人しくしているゴースたちも、気が変わる可能性なんていくらでもある。
ゲンガーは現れては消え、また現れては消えを何度も繰り返した。そのたびにルーカスはサイケ光線で応じるが、その光の束はほんの少しのタイミングのずれでなかなか相手にヒットさせることができない。ルーカスが攻撃を外すたびに、周りの霊たちはうねるように歓喜の声を上げ、会食場を異様な熱気に包んだ。
「パターンは大体読めた。けどこのままじゃ埒が明かないな。次、いくか」
シュン兄は無表情でそう言った。
<承知致した>
ルーカスはそう答えると、スプーンを一振りし、フッっと姿を消してしまった。
「テレポート?」
戦闘から離脱する時などに使う移動系の技だ。もちろん彼を残してフーディンだけが逃げてしまうことなどあり得ない。何か意図があってのことだろうが、私にはまるで見当が付かなかった。シュン兄はポケットに手を突っ込んで、相変わらずの無表情だった。
不思議に思ったのか、ゲンガーが奥の壁からゆらりとその姿を現した。ゴーストポケモンたちは皆きょろきょろと辺りを見回し、姿を眩ました対戦相手を探そうと躍起になっている。
「――うん、出来は上々だ。さて、どこからでもかかって来たまえ」シュン兄は朗々と台詞を読み上げるようにして相手を挑発した。
俄かにゲンガーの赤い瞳がぎらついたように感じた。そしてその黒い塊はゴールに蹴り込まれたサッカーボールのようにシュン兄に向って突進した。突進しながら、その短い腕が振り上げられる。
「ちょっと!」思わず声をもらす私。ヤバいじゃん――
しかし、ゲンガーの右腕が彼に一撃を加えようとしたその瞬間、奇妙なことが起こった。
勢いよく突進したはずのゲンガーの動きが突然鈍くなり、まるでその場所だけスローモーションで再生しているかのように動きが鈍くなったのだ。ゲンガーは目をパチクリさせ、何が起こったのか分からず、身動きもとれず、唖然としていた。
<物理攻撃の方が応えましょう?>
間抜けに右腕を振り上げた格好のままふわふわと浮遊しているゲンガーの真下に、姿を消していたルーカスが現れた。右のスプーンを逆手に持ちかえ、大きく振りかぶっている――
「完璧だ」シュン兄はニヤリとゲンガーに向かっていたずらっぽい笑みを浮かべた。
バチン! というもの凄い音がして、スプーンがゲンガーを真上に向かって弾き飛ばした。黒い身体は勢いよく回転し、そのまま天井にぶつかった。周りのゴースたちは慌てふためいて同心円状にスペースを空けた。
「霊体というのは、どうやら意識しないと物体をすり抜けることはできないらしい」
彼は天井でのびているシャドーポケモンを仰ぎ見ながら冷静に分析した。ポケットからハイパーボールを取り出し、狙いを付けて投げ上げる。ゴースたちは脅えるようにしてボールを避け、同心円がさらに大きくなった。
<渾身の一撃ですぞ。まかり間違っても抵抗されることはないでしょう>
彼の隣りに戻ってきたルーカスがスプーンの柄を摘まんで持ち上げながら言った。その宣言通り、ゲンガーはボールの中で暴れることもなく、あっさりとスイッチのライトは消えた。
コツリと音を立ててボールが会食場の床に落ち、しばらく異様な沈黙が流れた。まるで三対〇で圧勝していたホームの試合、後半の残り五分で逆転されたチームのサポーターのようだった。
一匹のゴースが猫を踏んだようなかん高い声を上げて部屋の壁をすり抜けていったのをきっかけに、彼らは一目散に逃げ出した。主を失ったこの「お化け屋敷」のどこに逃げ込もうとしているのかは知らないが、とにかくこのとんでもない人間とポケモンから離れたいらしい。無数の気配はみるみるうちに消えていき、会食場には嘘みたいに静寂が訪れた。
「――シュン兄、一体どんな手使ったの?」
私はブーケをモンスターボールに戻してから、彼に尋ねた。ジムリーダーとしては情けないかもしれないが、彼の仕掛けた技が何だったのか全く分からなかった。
「最初の攻防で、相手のスピードがルーカスより上回ってることを確信した。サイケ光線も一番最初に当てたけどほとんど効き目がなかったから、最終的に接近して物理攻撃をかますことに決めた。様子見だって悟られないように、カモフラージュでサイケ光線は打ち続けていたけどね」
彼は椅子にかけていたジャケットを羽織り、扉のそばにいる私の方へ歩いてきた。
「テレポートもカムフラージュ。ホントはスプーンなんて振らなくても、モーション無しでテレポートできる。実際に発動したのはトリックルームだ」
彼は会食場を見まわした。「と言っても、全く見た目は変化ないけどね」
霊たちが立ち去ったこの部屋ではシャンデリアがガシャガシャと揺れているだけだった。
「だからあいつの動きが遅くなったんだ。素早さが早いほど攻撃の発動タイミングが遅れるから」
そこへルーカスがサイコカッターでフェニッシュ――完璧なシナリオだった。
「まあ運よく相手が挑発に乗ってくれたから成功したんだけどね――さて、上に連絡入れないと」
「――ねえシュン兄、ずっとどこで何やってたわけ? 全然連絡もなしにさ!」
思い出したように、私は彼に詰め寄った。
「何って、働いてたさ。当たり前だろ?」
「そういうこと訊いてるんじゃない!」
シュン兄は高校二年の夏休みに、忽然とこの家から姿を消した。それはこの家庭にとって重大な出来事であったし、当時まだ中学生だった私にとっても大きな衝撃だった。
シュン兄は、「義務教育も終わったことだし、やっぱ働くわ。ルーカスもいるから、移動にも困らない。気が向いたらこの家にも顔出すから」という短い書き置きを残していた。父と母はすぐに警察に連絡しようと言ったが、それを止めたのはおじいちゃんだった。
おじいちゃんは「バカ孫の家出」を、「一人前になるための旅」だと言った。当時の私はおじいちゃんの言った意味が分からないし、理解もできなかった。居場所も伝えないで突然家を飛び出すことを「旅」とするなら、彼のしでかしたほとんどの悪事が正当化されてしまうような気がした。
今では、おじいちゃんがどんな気持ちだったか想像できる気がする。でも、確かめようはない。
「――ナタネ、もう子供じゃないんだ。それぞれ事情があるし、それなりの立場ってもんがあるだろ? いちいち詮索するなよ」
もう子供じゃない――そう言ったシュン兄の表情がすごく子供じみて見えた。一番最近シュン兄と話したのは、おじいちゃんが死んで、そのことをシュン兄に伝えるために必死で居場所を探して、やっと繋げることができたごく短い電話だった。あの時も彼は詰め寄る私に同じような言葉を浴びせ、その後ろくに会話もできないまま私ばかりがシュン兄を罵り、ガシャリと電話を切った。思い返せば、彼が葬儀に出れないと言ったのが発火原因だった。
「――シュン兄の事情って? 立場って? そんなに大事なの?」
「ああ、大事だね」平べったい声。私の内側がくすぶる。半分は怒りで、もう半分は――罪の意識で。
「――私のせい?」
「違う。それは前も言ったろ。ナタネは関係ない」
前の電話では、私のせいでないなんて絶対嘘だと思った。今は、それすら分かんなくなってる。この人がどんなことを考えているのか、全然分からない。昔からそうだったけど、今はこの症状がますます酷くなっている。
「――もう戻らなきゃ。お前もだろ? あの子たち心配するんじゃないのか?」
「うん――ねえせめて居場所くらい教えてよ」
シュン兄はルーカスのそばへ行き、こちらを振り返った。少し迷っている風だったが、やがて口を開いてくれた。
「今は、ナギサにいる。でもしょっちゅう出回ってるからな、あんまり当てにならん――じゃあ、また」
<ご達者で>
そして、彼と彼のパートナーは、僅かな残像だけその場に映して消えてしまった。
ナツコとミフユの二人にはみっちりお説教するつもりでいたが、とてもそんな気になれず、サキにその役目を押し付けた。ぎこちなくサキが「だからーやっぱり面倒くさいし」とか「とにかく迷惑なの」とか全く威厳の感じられない声で彼女たちに言うのをぼんやり聞きながら、森の中を引き返した。
私はこの家に引き取られて、シュン兄の居場所を奪った。
お父さんとお母さん、そしておじいちゃんに可愛がられて、先生にも褒められて、誇らしげにシュン兄の居場所を享受した。
私はシュン兄にねたまれて、恨まれて、いじめられた。部屋に閉じ込められたり、教科書に落書きされたり、嘘のかくれんぼに誘われて、森に一人ぼっちにさせられた。
お母さんが心配して抱いてくれるのは泣きじゃくる私だった。お父さんが怒鳴り声を上げる対象はシュン兄だった。おじいちゃんがひいきするのは、私だった。
私は、シュン兄の居場所を奪ったに違いない。もともとイタズラっ子で、家の中でもいざこざがあったにしても、私がいなかったら彼には絶対に違う日常が待っていたに違いない。
彼にとって、私は現れるべきではなかったのだ。
ただ、そのことが家出とどのくらい関係しているのかが、今の私には分からなくなっていた。彼に絡みついているものは、もっともっと厄介で、ちょっとやそっとじゃ引き剥がせないものな気がしたのだ。
ナギサシティ――シュン兄は今そこにいる。
もう大人なんだ。忘れたふりして、逃げてばかりいられない。
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森ガールシリーズらしからぬ、シリアスのな雰囲気になってきてしまいましたw
言うてもガンガン脱線しますよーこれからも。それはもう見るに堪えないほどに。
続けば――ですが。
森ガ「主人公には、暗い過去が付きものなのよ……」
聞こえるか、私の化身。自由に動く体を持つ私。その意思、行動力、邪悪なものが狙っている。邪悪なものより先に私を手に力を調整しなければならない。私にはそれができる。私にしかそれはできない。
私と対をなすものは邪気に染まっている。今なら間に合う。邪気を払い、協力し、そして守るのだ。それができないのであれば滅ぶ身であることを知れ
眠り粉も吸わされたようで、堅い床に寝かせられていた。目をあけても暗いまま。先ほどより体に自由がきく。けれど手を縛る縄はびくともしなかった。そこまで力が回復していない様子。まわりに気配はなく、冷たい床が頬に当たる。水音が聞こえた。耳をつけていると他にも機械の音や、どこかで怒鳴りつける声がする。
まだ生きている。何が目的かガーネットには解らなかった。大声を出そうと思えば出来た。けれど思うように息が吸えない。声が出せない。震えて震えて、思うように出来ない。何をどうしたらいいか解らない。誰もいない、けれどその静寂がガーネットには監獄に思えた。
「まったく、うちの連中ったら手荒すぎて呆れるよ。確かに連れてこいとは言ったけど、それじゃあ意味がないだろう!?ボスの目的知ってるのよね!?」
甲高い女の人の声がする。そして高いヒールが不機嫌に近づいてくる。その後を何人かの足音が、必死に謝りながらヒールを追う。そしてカギをまわす音がして、空気が開かれる。風が頬に当たった。
「でもイズミさん、そいつ力自慢のうちの団員を二人いっぺんにやった特性ありの人間ですよ!?」
「だからなんだって言うんだ、計画ぶちこわしてボスの怒りを買うのと、私の命令を聞くのどちらがいいの!?」
場の空気が凍り付いたようだった。小さく悲鳴をあげると、下っ端みたいな人たちは一斉に動く。ガーネットの体に何人か触れた。ムリヤリ手足を動かされるような乱暴なものに、うめき声が漏れる。「少しくらい我慢しろ」と声がかかった。次第に手が暖かくなる感じがした。拘束が解かれ、手足が自由になる。けれど目隠しはそのまま取る気配はない。
「立てよ」
後ろから強制的に体幹を掴まれ、立たされる。足はふらつくが、立つことはなんとかできた。すると早く歩けと背中を乱暴に押される。しびれになれない足は簡単にバランスを崩し、前にのめりこむ。手をつく前、何者かがガーネットの体を受け止めた。
「だから言ってるんだけどね、この子は客人だって。ボスにこのことは黙っててやるから、ウシオが来る前に準備しときな!」
ガーネットの体が浮いた。持ち上げられている。声の近さから、命令していた人物だった。しかも軽々と。がっしりとつかんでしまえばどんな人間もねじ伏せるガーネットのように、この人物も同じものを持っているようだった。
マツブサの声が出る。エントリーコール越しの声は、とても不機嫌だった。いつもなら誰が失敗しようが、次にがんばれと声をかけるだけで、不機嫌なことはなかったのに。いつにない態度に、思わずザフィールが声を小さくする。
「あ、あの、マツブサさん?」
「ああ、ザフィールか、どうした、プライベートのエントリーコールはあんまりしないと言ってあるが」
電話口がこちらだと解ると、とたんにいつもの落ち着いたマツブサの声に戻る。怒らせた原因が自分でないことに安心し、ザフィールは用件を伝える。急いでいるけれど、落ち着いて。マツブサが理解できるように。
「お願いがあるんです!アクア団のアジト候補を教えて欲しいんだ」
「どうしたいきなり?準備なく突っ込めばお前が死ぬぞ」
理由を大雑把に話す。マツブサはしばらく黙った後、現在位置を聞いて来た。パソコンの画面を見ているようで、マツブサから口での交通案内が始まる。ザフィールは一字一句逃さないよう、注意深く聞く。一番近い、アジト候補である場所。ザフィールの中に緊張が走る。エントリーコールを切り、乱れる息を整え、大きく息を吸い込んだ。
柔らかいソファーに座らされた。そして目隠しを解かれる。ガーネットの目に見えたのは、豊かな髪を誇る若い女と、ガタイのいい男。どちらもアクア団と解る格好をしていた。
「そう怖がらなくてもいいだろ」
男の方が言った。ガーネットは自然と遠くへ行こうとしていたようだ。男を隣の華美な女がたしなめる。当たり前の反応でしょうと。
「まあ、前にうちの若いもんが世話になったらしいな」
体をびくっと震わす。きっとカナシダトンネルのことを言っている。同じ格好をしているし、その報復だって考えられないものではない。しかもここにいるのはアクア団。まわりに味方といっていいものはない。
「んな関係ないこと言いだすんじゃないよ。あんたが言うから怖がっちゃって話もできないじゃないの、まったく」
女がため息をつく。そして目の前にあるカップに一口つける。そしてソーサーに奥とガーネットに微笑みながら語りかけた。
「まずは私たちの部下が手荒なことをしてごめんなさいね。私たちは敵じゃないし。ああ、私はイズミ。このデカ物はウシオ。アクア団の幹部をやってんの。アクア団ってのは、全ての生き物の源である海を広げて、住み良いところにしようっていう団体なんだけどね、詳しいことはボスに聞くといいわ」
「おいおいイズミ、それじゃあ説明になってねえよ。まあ、そんなところでお嬢ちゃんに協力してもらいたいんだ。ただとは言わせない。お嬢ちゃんの友達は、マグマ団に殺されたんだろう?」
「なんで知ってるっていう顔をしているわね。マグマ団は私たちの敵だもの、やつらの行動は見張らせてもらってるわ。その中の報告の一つよ。悪い話じゃないでしょ?うちの連中を2人も相手して無傷な貴方なら、きっとマグマ団の中にいる犯人をつぶすことだって出来るんじゃないかしら。その中の誰かを探しあてるのに、アクア団も協力するわ。もちろん、全員つぶす選択肢もあるけれど」
イズミ、ウシオは本気のようだった。ガーネットには願ってもないこと。けれど得体の知れない組織と、このように仲間内で囲ってくるようなやつらの手のうちに素直に入れるものではない。少し振り向けば監視しているアクア団が、ガーネットの動きを一つ一つ逃さないかのような鋭い眼光を放っている。
「突然のことですぐに答えが出ないのも無理はないわね、最初が最初だもの。でもね、申し訳ないけど貴方が断った場合、私たちは何日かけても貴方を説得するように言われているのよ。いい返事を期待しているのよ、これでも」
「ま、マグマ団に対抗できるのはうちくらいってなもんだ。アクア団になっても損することはねえよ。それに、お嬢ちゃんのポケモンもかなり育っているみたいだしな、マグマ団に目をつけられたら危ないし、その時はこちらが守ってやることもできる。一人で立ち向かうより、遥かに安全だということは覚えておいてくれ」
アクア団に協力すると言わないと外に出してくれなそうだった。それにウシオの言う通り、一人でマグマ団に立ち向かうよりも、アクア団を味方につけた方が安全だし、何よりも効率的だ。今は見張るべき人間がなにもしっぽを出しそうにないため、行き詰まっているのは事実。それに前に座っているのは、この前相手をしたアクア団よりも遥かにオーラが違う。
「すでにどうすればベストか解っている顔をしているわね。良い返事をもらえそうで何よりよ。私たちと共に来るならば、貴方の荷物とポケモンを返さないとね。ああ大丈夫よ心配しないで。貴方のポケモンはみんな私たちが回復させてあげたから」
イズミが袋にいれたボールと荷物を目の前におく。手を伸ばせば届くところだ。けれど受け取って協力しないといった時、自分に降り掛かることが頭をよぎる。勝てるわけがない。そう思うと左手も動きを止めた。
「怖がることはないわ。貴方のものだもの。仲間に罠を張るようなことはしないわよ」
「ま、ポケモンで暴れたって、この数相手は無理だろうし、それに案内なしで帰れる建物じゃないからな。そこは理解しててくれ」
答えは一つしかない。最初から。ガーネットは大きく息を吸った。
「私は・・・」
やっと出せた小さな声は、緑の風にかき消される。机においた荷物が消えていた。それにはそこにいた全員が何が起きたか解らず固まる。
「上だ」
ドア付近に立っていたやつが言った。ガーネットも上をみる。けれどすでにそこに姿はなく、見張り達はしびれてその場に倒れる。
「あそこか」
ウシオの動作は機敏。ボールからゴルバットが現われ、天井を空気の刃で斬りつける。そこからはぱらぱらと欠けた壁紙やコンクリートが落ちてくるのみ。
「大丈夫か?変なこと吹き込まれてないか?こいつらアクア団だぜ」
幹部二人とガーネットの間に割り込むように、ザフィールが立っていた。傍らにはガーネットの荷物を持ったジュプトル。主人の命令で、いつでも飛び掛かれる姿勢で、幹部たちをにらみつける。
「ザフィール?本当にザフィールなの?」
信じられなかった。確認するように何度もみるけれど、新雪のような髪、赤と黒の上着。見慣れた後ろ姿のはずなのに、全てを預けられるように見えた。彼はこの状況でも物怖じすることはなかった。
「俺は一人だよ」
振り向いたその顔は、とてもやわらかい表情だった。まだアジトの中だというのに、絶対的な安心感が駆け抜ける。緊張感が抜け、体が楽になる。自分でも気づかないうちに、恐怖で震えていたようだった。
「あら、あちらから来てくれたようね」
イズミはとても落ち着いていた。侵入者を目の前にして、ウシオもゴルバットをボールに戻す。
「何の真似だ?」
「二人ともそろったようなのでね、ちょうどよかったよ」
「探していたのよ、坊や」
さえずりと共にイズミの顔に黒い影が張り付く。空中でとんぼ返りすると、スバッチはウシオの腹に突っ込んだ。当然、イズミは突然のことに悲鳴をあげ、手で振り払おうとするし、何が起きたか理解の遅れたウシオはさすがに腹に衝撃がきてはうめいた。幹部二人の隙を見逃すわけがない。ザフィールがガーネットの手を強く引いた。
「走れ」
妨害するもの全てを追い払い、蹴散らして二人は走る。先行するようにキーチが走っていた。
残されたウシオ、イズミは開いたままのドアを見てため息をつく。マグマ団にここがバレたこと、獲物2匹に撹乱させられてしまったこと。イズミは腹をさすってるウシオを起こすように手を差し伸べる。
「どうするんだ、あいつら」
「大丈夫よ。あの女の子には本当に注意しないと見えない発信器をつけさせてもらったから。それにこの迷路のようなここから逃げれると思ってるのかしらね」
「おいおい、あいつはマグマ団のエースだぞ。普通じゃないことをやり遂げることで有名じゃねえか」
「そういえばそうねえ。あの子には何度もうちの団員もやられてることだし。そういえばお友達かしら。マグマ団って知ってて付き合ってるのかね、教えてあげた方が親切かしら」
「そうだな、友情壊して心を砕くのも速いかもしれないが、それはあれがこちらの手に入ってからでも遅くはない。それにしても、あの時のガキがそうだとは、運が悪すぎるとしか言いようがないよな」
ボスに一報しないと後でまたどやされる。マグマ団に侵入されたこと、そして最大の努力で侵入者を追っていると。
廊下は果てなく続くように思えた。後ろからはアクア団たちが追ってきている。ザフィールは廊下を左に曲がり、すぐまた左に曲がる。どちらも十字路で、追ってきたアクア団は見失ったと声をかけあっている。けれど二人とも体力も限界に近い。特にガーネットは、たまに力が入らないみたいで足が崩れる。ザフィールは彼女を自分の方に引き寄せた。
「通り過ぎるまで・・・」
二手に別れて何人かがこちらに来るだろう。そしてその数が少ないことを祈りプラスルのボールを握る。こちらに来たのは数人。ザフィールは息をのんだ。そして、通り過ぎる直前。
しびれ粉が風に乗って追跡者に降り掛かる。目には見えない粉末が追跡者の鼻に入り、しびれを引き起こす。ガーネットのリゲルが頭から粉を振りまいていた。
「よくやった、けれどね」
倒れた音に気づかれる。ザフィールは走り出した。しびれごなが乗ったという事は、風がある。その方向に走れば、出口は近いはず。ただひたすらまっすぐに、廊下を走った。そのうちに見えてくる、少し明るい日差しが差し込む階段。ためらうこともない。かけあがる。
そして階段が終わったところに見える扉を押した。同時に入り込む風と弱い日差し、それと灰色の空。地面に降り積もったそれが、一面灰色に染めている。走ってきた汗を、少し涼しい外気が冷やす。
「な、なにここ・・・色がない?」
地獄でも見てるかのようなガーネット。それを動かすかのようにザフィールが手をひっぱる。
「エントツ山の火山灰が降り積もってんだ、場所的には113番道路。111番道路の北ってところかな。さて、まだ諦めてないみたいだし、早く」
背後には大勢の足音。アクア団たちも焦っている。後一息。灰がつもる草むらを踏み出した。そのたびに舞い上がる灰が入ってくる。それでもなるべく遠くに。降り続く火山灰が、他のところよりも姿を隠してくれるから。
勢いよく扉をしめ、カギとチェーンをがっつりかける。ポケモンセンターの仮眠室、6畳くらいの広さのそこは、土地の安いハジツゲタウンだからこそ。おそらく、今までのどのポケモンセンターよりも広い。
扉の前で、外の様子を伺い、追ってきているものがいないことを確認すると、ザフィールは部屋の中に歩き出す。そしてふすまの奥、窓の外、全ての壁を調べ、異常がないことを確かめた。
「ふぁー、なんとか巻けたかな。今日つかれたなあ・・・」
走っているときとは別の、気の抜けた声でザフィールは体を伸ばした。午前は自転車のペダルを踏み、午後は通気口を伝って侵入、そして全力で1時間以上は走った気がする。長かった。この前のカラクリ屋敷よりも疲労はたまる。
「そうだ、お前の荷物返さないとな。確認はしてないから・・・」
ジュプトルから荷物の入った袋を受け取る。中身を取り出すと、確かに全部そろっているように見える。それを目の前にしても、ガーネットは隅で膝をついたまま。
「死ぬかと、思った」
小さな声だった。聞き返すこともしなかった。ガーネットは手を伸ばす。道具より、ボールより、ザフィールの手を掴んだ。
「もう、ダメかと思った。だれもいなくて、動けなくて」
張りつめていたのは彼女も同じだった。みつけた時に掴んでくる力よりも強くザフィールの腕を掴んでいる。
「ありがとう、ザフィール。本当に、本当に・・・」
下を向く。思わずザフィールはさらにガーネットを引き寄せる。こんな時にうそなきするようなふざけたヤツではないことは解っている。肩を抱きしめると、震えているのがはっきりと伝わる。
「うん、本当無事でよかった。もう大丈夫だから。他になにも怖いことされたのか?」
首を横に振る。今はまだあまり聞かない方がいいかもしれない。ザフィールは黙ってガーネットの背中を軽くたたく。
「ごめん、俺のせいで。こんな怖い思いさせて」
懐のガーネットを見て、ザフィールはため息をつく。どんなに殺人犯扱いされても、マグマ団のことは言うべきだったのかどうか、迷っていた。そのせいで巻き込んだことも否めない。カナシダトンネルの一件だって、元はといえばマグマ団である身が引き起こしたこと。
強気な彼女が、こんなにも自分の弱いところをさらけ出すのには、ザフィールもただ黙っている。それしかなかった。一度に説明したって余計に混乱させるだけだし、耳に入るかどうかも解らない。今は一通りの感情が全て出るまで待つ。それが出来ること。
時計がないので、どれくらい時間が経ったか解らない。けれどかなり長い時間、そうしていた。おそらくエンカウントとしか呼べない出会い方をしてから初めてのこと。お互いを拒否しないことが、まずなかったものだから。
「落ち着いた?」
心なしかさっきよりも距離が近づいているように思えた。ガーネットのふわふわの髪がザフィールの首筋に当たってくすぐったい。
「・・・うん」
顔をあげず、ザフィールの胸にうずめたまま答える。再び沈黙するけれど、その距離を楽しんでいるような、かみしめているような。しばらくしてからガーネットが顔をあげる。
「ねえ、ザフィール?」
「どうした?」
「付き合ってる子とかいるの?」
「はあ?どうしたいきなり?いるわけねーよ、二次元とポケモンに勝てるやつ」
「いたら、申し訳ないなと思って」
「お前なあ」
ため息をつく。ガーネットを抱く手にさらに力をこめて。
「こんな時くらい他人のことはおいといて、自分のこと心配しろよ」
「ありがとう。そうさせてもらう」
ザフィールの背中にまわしている腕に力が入る。本人は手加減しているつもりだろうけれど、肋骨をしめられてとても痛い。彼の奇声に意味が解ったようで、力を緩めた。
「おーまーえーはー!大体が嫁入り前の娘がこんなことして先がどうかとか悪い噂たったりしたらどうするの!」
「ごめん。離れるのが怖い・・・」
今日は仕方ないかとザフィールも力を入れる。それに不思議と嫌ではなかった。責任が自分にあるということだけではない。よくわからないけれど、一つだけはっきりしていた。守らなければ、と。
「くそ、あいつまたしくじったのか」
強く拳を握る。目の前にはホウエン地方についての論文が積み上がっている。いくつもある論文の中で、全て同じページが開いている。そこには、大地の化身の紅色の珠、海の化身の藍色の珠のことが書かれている。そしてどの論文にも珠の意思に比例して力が蘇ると論じていた。
「取られる前に、紅色の珠を捕らえておかなければ」
名前だけが頼り。歴史上、何度か現れたそれは紅色の珠と同じ名前をしているという。藍色の珠はそれと解るまでに少し時間を要したけれど、すでに手中にある。受話器を取ると、指示を飛ばした。
ポケナビが着信音を盛大に鳴らす。ザフィールが設定しているのは普通の音ではない。あのアニメ、マジカル☆レボリューションの主題歌だと解るのは、先週も今週も散々見せられたせいか。何が彼の心を捕らえたか全く解らず、何が面白いのか理解できない。子供の頃はアニメも見ていたけれど、あんな「アイドルを夢見る少女が、魔法のエネコとがんばるの☆恋も仕事も負けられない☆」という女児向けアニメを、中学生にもなった男子が見ているのは理解ができない。確かに主題歌はポケモンと思えないほど声量があって、それと言われなければ気にならないけれど。
「はいはい、なになに?」
着信に出たザフィールは、大きなお友達を刺す視線に気づかない。普通に喋ってるところを見ると、家族からなのか。電話が終わるまで待つ。
「え、そうなの?そうか、わかった。うーん、でも今キンセツシティなんだわ、すぐに帰れそうにないんだけど。わかった、じゃあ帰るわ」
ポケナビを切って、いつものところにセットする。そして、次に出たザフィールの言葉。
「父さんとこのポケモンが病気らしくて、そういうわけでついてくるなよ。今からミシロ帰るから」
「えっ!?どうやって?」
「うーん、スバッチが進化次第空を飛べるけど、今は自転車かなあ。まあまだホウエンで行ってないところとかもあるから、何日か後に戻ってくるから」
「逃げる気?」
「疑うなあ・・・どうしたら信じてくれる?」
「全部信じられないけどね、オダマキ博士に直接電話してもいい?」
「いいよ、どうせ同じこと言うだけだし」
そこまで言ってガーネットは黙る。それを見てザフィールは折りたたみ自転車を組み立て始める。
「まあ、お前もポケモントレーナーなら一人でいいだろ。ああ、じゃあエントリーコールの番号教えておくから。俺は別に逃げも隠れもしねーし」
「まあそうだけど」
「んじゃ、またミシロ出るころには連絡するから」
根拠もなければ、信用に値するものもないけれど。反論しようとしても、自転車に乗ってしまえばすでにキンセツシティから遠ざかっていた。また逃げられた。小さくなる背中を見つめてため息をつく。
ポケモンと出会った時のために強くするため、野生のポケモンが多く生息する111番道路へと歩き出した。それにしても、あのダサい自転車、もらったのはいいけれどよく乗る気になったな、と感心する。
キンセツシティを行き交う自転車たちを見ていた時に、声をかけてきた人物。ミスターカゼノと名乗ったそのおじさんは、ミシロから来たと告げると、帰るのも大変だろうと自転車をくれたのである。なぜそんな太っ腹だったのか、二人は自転車を受け取った時に解った。
「カゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノカゼノ・・・・」
自転車のいたるところに書いてあるのである。つまり、二人に自転車を乗るかわりに宣伝してくれということだった。あざといおじさんに、二人は何も言えず。結局受け取ってしまい、二人の手元にはカゼノ自転車。
「まあ、信じてやろう」
マッスグマのしょうきちが抜けた後、素早さ担当がいない。マイナンも充分速いのだけど、パワーが足りない。鍛えておかなければ。もしザフィールがまた勝負ふっかけてきた時のためにも。街の端に行くため、カゼノ自転車を取り出す。ペダルを踏み込み、マッハタイプの自転車は一気に加速した。
それから何時間後、歩くより遥かに速い自転車のおかげで、予定より速くミシロタウンに着く。
研究所の前で自転車をとめ、久しぶりにドアを開ける。懐かしい匂い。何も変わってないことに浮かれながら、父親を訪ねる。訪ねたそこにはいなかった。呼んでおいてまた外へ行ってしまったのか。確かに本より外の調査、フィールドワークを重視するタイプだったが、そこまでひどいとは思わなかった。
机の上に何やら書き置きを発見する。家に帰っていると。落ち着きのない父親だ。助手たちに挨拶をしながら、家に帰る。ドアをあけた先には、ソファーでくつろいでる父親。緊急でポケモンが病気だから来たというのに、ザフィールはしょうしょう力が抜けた。用事は何だと聞くと、オダマキ博士は思い出したように庭を指す。
「出てみれば解るよ」
「なんだよ、全く」
外に出る。そこには、元気なく端に座り込んでいるオレンジ色のひよこ、アチャモ。ザフィールの方をちらっと見ると、すぐにまた視線を戻してぼーっとしている。触ろうが抱こうがおかまいなし。ザフィールの腕の中で鳴き声ひとつあげず。
「病気というより、無害な感染症かな」
「なにそれ?」
「ポケルスの論文みせてやったじゃないか。ポケモンにくっつく、謎のウイルスだよ。何をすればそうなるのか全く解らないけど、これに感染したポケモンは強くなるらしいって」
思い出す。全て英語だったため、読み取るのはとても苦労したが、ザフィールは辞書片手に読んだことがある。不思議なウイルスの話、実験、そしてワクチンは出来るかどうか、ワクチンを取らせた方がいいのかどうか。それにとても興味を惹かれ、夢中になって何度も読んだ。正しい訳かどうか調べてもらったりしながら。
そのことを思い出すと、ザフィールの目は輝く。滅多にないことだとも記述があったので、目の前にその事実がいることがとても興味があった。ふわふわの羽、高い体温。これがまさにそれかと思うと、鼓動が早まる。
「あー!見た見た。すげえおもしろかったやつ。じゃあこのアチャモも?」
「そう。ポケルスらしい。元気がないのは、いつも一緒だったミズゴロウとキモリがいなくて寂しいらしいんだ。それで、言いたいことは解るな?」
「俺に連れていけと?アチャモを?」
「うむ、勘がするどいな。さすが我が子だ」
気づけばオダマキ博士はアチャモの入っていたモンスターボールを持っている。それをザフィールが受け取ると、手を振っていた。
「これさ、父さんの大事なボディーガード兼パートナーじゃないの?」
「そうなのだ。なので、元気が出たらまた帰ってくること!それとポケモンとは仲良くやってるか?ちゃんと調査もやってるんだろう?」
「や、やってるよ!キモリだって進化したんだ。調査だってまとめていつも夜には送ってるじゃんか」
「昔から育てるのは下手だったからなあ、これでも心配なんだ。また入院してもあれだし、なにより・・・」
「もうならない。俺だって強くなったんだ」
アチャモをモンスターボールにしまう。そして庭から外に出ると、自転車を取りに行く。オダマキ博士はそれを見て、あのことを引きずり出したのはよくなかったと後悔した。何年待てば元に戻るのだろう。過去のことにとらわれすぎているのか、ザフィールがそのことについて少しでも触れようものなら異常な反応を示すこと。
意外なほど早くエントリーコールが鳴る。今からキンセツシティに行くと。ただ、もう夕方なので、明日には着くという伝言。コトキタウンのポケモンセンターにいるらしく、電話の向こうからコトキタウンの宣伝が聞こえる。
「じゃあ、明日は111番道路で待ち合わせしようか?どうせ調査まだだったし」
「ああ、それがいいや。じゃあ、お昼頃に着くから、その時に待ち合わせで。ああ、もしよかったら空のスーパーボール買っといてくれない?」
珍しくザフィールが反抗しない。そういえばカナシダトンネルのあたりから何か変だ。ただ、頻繁に目をそらしてくるのと、いつの間にか消えるのは変わらないけれど。
「なんで?」
「ここら辺売ってなくてさ、捕まえやすい方がいいから」
「まあ、捕獲が上手いあんたのことだから、別にいいけど」
「さすが俺を付け回すだけあるな、よく観察してらっしゃるこって」
ポケナビが切れた。電波が切れたのだけど、いいタイミングで切れたものだ。かけ直そうかと思ったけれど、また明日言えばいい。テレビレポーターに取材されたことを自慢しようかと思ったのに。しかも生放送だったらしく、全国にマイナンとシリウスのコンビが映った。嬉しくて仕方ない。キンセツシティのポケモンセンターに行き、明日に備えて回復させる。
「あーあ、電池ないや」
もう電池も切れかけているポケナビ。充電式だったが、いつもはあまり使わないために2日に1回していた。けれど昨日はあんなに話していたため、充電しなかったために残りわずかな電力。それに気づいた時には、約束の時間に差し掛かっていた。急いで111番道路へ向かう。
「まあいいか、あの自転車とあの白髪は見逃すわけないし」
「あー昨日のガーネットさん!」
振り向けば昨日のレポーターがカメラと一緒に立っている。またポケモンを映したい。そう言われ、コイルとゴニョニョを目の前に出される。そうしたら出さないわけにはいかない。昨日と違うポケモン、シルクとリゲルを繰り出した。
「ダブルバトルは苦手だけどね、挑まれたら行くよシルク!リゲル!」
ポニータに火の粉、キノココにずつきを命じる。カメラの前だからか、キノココは多少緊張していたようで、ゴニョニョの前で転ぶ。それはそれは派手に。ずつきではなく、体当たりでゴニョニョにぶつかった。
ポニータの火の粉に巻かれ、コイルは逃げていた。けれどカメラがズームしているのはゴニョニョとキノココの戦い。確かにそちらの方が笑いも取れるだろうけれど。
「リゲル・・・しびれごな!」
頭から黄色い粉が漂う。ゴニョニョにまとわりつき、体を麻痺させる。最後のあがきとばかりにゴニョニョは騒ぎだす。その大きさは後ろにいるガーネットまで耳を塞ぐほど。前回はそんな騒ぐこともさせずに倒してしまったから、全く対策してなかった。シルクもうるさそうにしている。
「リゲルー!やどりぎー!」
聞こえていない。リゲルは何をしていいか解らず、音量に目眩を起こしている。あれじゃあ戦えない。
「シルク、炎の渦!」
炎の渦がゴニョニョを閉じ込める。そして次の指示、体当たり。力と体格の差で、ゴニョニョは飛ばされ、戦闘不能に。
「すごい、すごいわ!やっぱり私たちが目をつけたことだけあるわね」
「い、いえそこまででは・・・友達と待ち合わせしてるのでもう行きますね」
一礼し、ポニータとキノココをボールに戻す。レポーターたちが見えなくなるくらい遠くに行く。人気がなく、静かなところ。遠くには大きな山も見えるし、ロープウェイが通っているのも見える。火山のようで、頂上からは煙が出ていた。見上げてため息をつく。
「いたぞ」
「いた、ボスの言ってた女」
「捕らえる」
ガーネットが視線を戻した時、見たことのある青いバンダナを巻いた海賊風の人間が3人いた。トウカの森で会い、カナシダトンネルではザフィールを一方的に痛めつけていたやつらだ。ここまで接近を許してしまったのは、ゴニョニョとの戦いのせいか。ガーネットは身構える。
「トレーナーか」
「トレーナーのようだ」
「どうする、正攻法は通用しないな」
一斉にボールから出されるラフレシア、グラエナ、カイリキー。3匹から漏れだすオーラから、いくつもの戦いを勝ち抜いてきたような強さを感じる。ガーネットはだまってポケモンを出した。シルク、リゲル、マイナン。敵わないかもしれない。けれども逃げられもしない。
「行け!」
3匹は同時に襲いかかる。それに対応するように、こちらも動いた。ラフレシアが不穏な動きを見せたことに気づかず。
息を切らせてやっと111番道路に着く。段差があったりして往復同じ道というわけにはいかず、少し時間がかかってしまった。昼は軽いものを食べたし、すぐに調査にかかれるはずだ。それに早くしないとまたうるさいだろう。
「なんで俺、こんなに必死なんだよ」
ザフィールも良く解らなかった。カナシダトンネルで、はっきりと感じたことが忘れられない。逃げられなくなった時に、無理矢理道を開いてくれたこと。そのことがどうしても引っかかり、こんなに必死なのだとザフィールは自分に言い聞かせる。それに、こちらから近づいておけば拳が飛んでくることはないし。
自転車を折りたたみながら、ザフィールはあたりを探す。あんなに自分からついてくると言っておきながら、本人がいない。ガーネットの性格からして遅刻するということはまずないだろうし、途中で出会ったトレーナーたちもあの赤いバンダナとポニータは印象的だったと言っていた。いるはずなのに、何に夢中になってどこへ行ってしまったのだろう。エントリーコールを鳴らしても電波が届かないところか電源が切れているアナウンスが入るのみ。
「全く、言い出したくせに途中放棄か」
だいたいから何を必死になってんだ。彼女からいなくなった、これが答えではないか。今まで感じてた恩や様々なものをバカにしたように笑う。あと少ししてもいないならば、もう一人で行こう。そう決めた。ふとジュプトルがボールの外に出る。草むらに引っかかる、見た事のある赤い布を持って。
熱い。洞窟の中は地面からかなりの熱を放っていた。ここはエントツ山の真下、ほのおの抜け道。ラフレシアのしびれ粉をたっぷり吸わされ、逃げられないように手足を縛られたガーネットがアクア団たちにより運ばれている。今は何か連絡を取っているようで、ここから支部に向かうと言っている。地面に座らされ、熱から逃げようとするが、上手く力が入らない。手足を縛る縄も、こんな状態ではちぎることも出来ない。
「大丈夫だそうだ。ハジツゲ支部に連れて行くぞ」
持ち上げられる。抵抗したって無駄だった。体が言うことを聞かない。アクア団に囲まれ、逃げ出そうにも逃げ出せない。ポケモンたちはボールごと奪われ、声も届かなかった。
「ああ、そうだここからは目隠ししとけ」
さらに目に布がかかる。真っ暗な中、ただ体をどこかに連れて行かれる感覚。どうなるのか、先日のザフィールの言葉が頭をよぎる。こんなときなのに、頭はやけに冷静で、心は何も感じなかった。もっと大きなものを感じていたからかもしれない。死ぬかもしれないという恐怖。
トレーナーカード。それは十歳になったとき、ポケモン協会から各自に配られるモノだ。トレーナーカード一枚だけで身分証明書にもなり、各種大会への出場権にもなるし、ポケモンセンターのような公共施設などでも宿泊出来るようになる。まさにトレーナーには欠かすことの出来ないカードだ。
そしておれはカノンにその大事な「カノンの」トレーナーカードを無理やり握らされている。
「ちょ、ちょっと、どういうつもりだよ! こんな大事な物をおれに――」
「今から貴女が本物のカノンになるの」
「はぁ、何言ってるんだ?」
カノンはようやくおれから手を離すが、思わぬカノンの提案に呆気にとられたおれはトレーナーカードを返すことさえ忘れていた。
「コンテストに出場するために必要なコンテストパスを作るときにも、旅をするにもこれは必要でしょ? ユウキのトレーナーカードじゃどう考えても身分証明出来ないじゃない」
「いや、そりゃあ……、確かにだけどカノンはどうするんだよ」
「言葉遣い。わたしは……わたしで何とかするから気にしないで。とにかく、これから貴女がカノンだから。カノンのコンテスト全制覇の夢は一度諦めたけど、体が良くなって再び追いかけれるようになりました! ってことでさ」
極めて明るく微笑みかけるカノンにどう言葉を返せばいいか分からず、眉をひそめる。
これは本心からなのか、それとも強がりで言っているのか。
聞いてはいけないような気がして、ベッドに腰掛けたまま硬直してしまった。
すぐ目の前にカノンがいるのに、その心は闇の中に紛れているようでさっぱり伺えない。
いつも一緒にいたはずなのに、この妙な心の距離感が苦しかった。
あの後すぐに、おれのポケナビに姉貴から一度家に戻ってこいと連絡が入った。
じゃあまたねとぎこちない挨拶を交わして、カノンの部屋からすぐ隣の我が家に着くまで僅か二分程度の道のりを歩くおれの足取りはひどく重かった。
別にカノンのトレーナーカードを貰わずとも何とかする方法はあった。トレーナーカードは国ではなくポケモン協会が発行するものである。ポケモン協会に直接紛失したと言えば、住所年齢性別氏名を書いて、手持ちのポケモンを見せてトレーナーであると証明出来ればその場で即発行してくれる。だから戸籍のようなものには直接のおれの存在は無いものの、それでもトレーナーカードは発行出来る。
本来トレーナーカードはあくまで会員証程度のものだったのに、ポケモン協会の肥大化と同時についには今のように身分証明を成せるようになった、らしい。なのにいまだにトレーナーカードの作成手順は甘く、それを利用しようと思っていたのにどうしてカノンは自分のトレーナーカードをおれに渡したのか。
意図がまるで汲めない。カノンはおれにどうして欲しいのか。
悩みを抱えたまま我が家に入る。ただいま、とか細い声をかければ、玄関まで迎えに来た姉貴が心配そうにどうしたのと声をかけてきた。
事を伝えようか迷ったおれはちらと考えた挙げ句、ずっと手にしていたカノンのトレーナーカードを姉貴に見せた。
「カノンにいきなり渡されて、これから貴女が本物のカノンって言われてさ……」
「そっか。カノンちゃんはそう決めたのね……」
「姉貴は何か知ってるのか?」
予想していなかった反応に、廊下を歩きながら顔を明るくして今の体より五センチ程背の高い姉貴を見上げると、軽く頭を小突かれた。
「言葉遣い直しなさい。あと姉貴って言わないの。お姉さんとかお姉ちゃんとか言いなさい」
「……ねぇ、何か知ってるの?」
「あ、今意図的に『お姉ちゃん』を抜かしたなあ?」
ふと姉貴の腕が顔の側まで伸びてきて、今度は頬っぺたをつままれ強く横に引っ張られる。
「ひ、ひはひ!」
「お姉ちゃんって言うまでダーメ」
悪戯っぽく笑う姉貴。抵抗するも力業で勝てる相手じゃない、ここは従うしかないか……。
「ほへーはん!」
「あ、ごめん。このままだと何言ってるか分からないわね。はい、もう一度言い直して?」
頬っぺたから姉貴の手が離れ、患部を優しくさすりながら姉の横を通り抜けてリビングに向かおうとする。
「あ、こら! 逃げるな!」
おれの予想より早く姉貴の手が再び頬っぺたに伸びる。さっきのでさえ結構痛かったのに!
「ご、ごめんなさいお姉ちゃん!」
あと一秒でも遅かったらどうなったか。姉貴はよろしい、とにっこり笑ってそう言うと、先にリビングに向かった。都合のいい姉貴である。
安堵と呆れ混ざりの溜め息を一つついて、頬っぺたをさすりながら姉貴の後を追った。
「それでさっきの事なんだけど……」
「ああ、そうね」
リビングのソファーに隣り合うように座って、肝心の話を催促する。
「カノンちゃんもあんたの事で悩んでてさ――」
姉貴の口からカノンが今日相談してきたという悩みを打ち明けられる。すっかりあんな態度だったから、そんなに苦しんでいたなんて知らなくて少し面食らってしまった。
「だから、辛いことは誰にでもあるけど越えなきゃダメだって言ったんだけどね。あ、もちろんあんたもね」
「一言多いよ」
「まあ、あんまりこういうのは他人には言わない方が良いかもしれないけど、二人がギクシャクするよりは良いかなと思って。きっとトレーナーカードを渡したのはカノンちゃんなりの、今の自分の状況を打ち破ろうとする決意の現れじゃないかな?」
手元のトレーナーカードを見つめる。決意、か。
『わたしたちに変われっていう暗示だと思うの』
昨晩カノンはああ言っていた。変わる……、まさかここまで物理的に変わろうとしていたとは完全に予想外だけど、カノンの決意を尊重してこれは受け取っておくことにする。
「さて、旅に出るユウキ、じゃなくてカノンのためにプレゼントよ」
姉貴はリビングの隅で寂しそうにしていた赤の刺繍が至るとこに入ってる白の斜めがけの鞄を指差す。
「お下がりだけど、別にいいでしょ? 見た目は小さく見えるかもしれないけど、実際に開けてみれば大きさは分かるわ」
ソファーから立って、言われた通りに鞄を開ければ成る程。確かに、見た目以上に幅が広い。内にファスナーもあって小物はそこにまとめれそうだ。
「若干どころか十年前だからかなり古いモデルだけど、それでも別に大丈夫よね」
「うん、ありがとう」
「まあこれで我慢してもらえないとこの後が大変だから……。さ、買い物行くわよ」
小さなポーチを手に取った姉貴はリビングを発とうとする。が、ちょっと待った。
「買い物?」
「ばか。鞄だけで旅に出れる訳ないでしょ」
それもそうか。今貰ったばかりの鞄を担ぎ、リビングの壁掛け時計に目をやる。まだ午後四時過ぎ、街はまだまだ元気だろう。
「って、ちょ、ちょっと待って! おれ、この格好で街に出るの?」
慌てて廊下に出た姉貴にそう言うと、姉貴は腰に手を当てて頭を項垂らせる。
「別に何もおかしくないじゃない」
「いや、正直恥ずかしいし……」
「旅に出たらどうせ避けられない事なのに何うだうだ言ってるの!」
「そ、そうだけど」
「だったら早めに馴れとくべきじゃない」
反論の余地がまるでない。だがおれはおれなりに葛藤しているのに、あまりにも配慮がないというかなんというか。
「さっさと行くわよ?」
「あ、ちょっと待って。せめて準備くらいさせて」
姉貴の文句を背中で弾き、すぐそこの階段を昇って二階の自室に一日ぶりに戻る。たった一日居なかっただけだというのになんだか懐かしく感じるのは相当密度の濃い時間を過ごしたせいなのだろうか。
壁際にある机に歩み寄り、広い机にぽつんと目立つように置かれたモンスターボールをそっと手に取る。
ジグザグマ。六歳の時に初めて出会った唯一の手持ちポケモンだ。ずっと遊んできた仲の良いポケモンで、おれたちの絆は確かなはずだ。
だが、不安が一つだけある。ジグザグマは異常なまでにカノンのことが嫌いなのだ。
吠えるのはもちろん、外であれば砂かけをしたり、体当たりなんてかますことがある。
どうしてそこまで執拗にカノンを嫌うか――姉貴には嫉妬じゃないの、と言ったが――分からず、カノンに会うときは極力ジグザグマを出さないようにしていた。
しかし現状はおれがカノンだ。おれが体当たりをされたりしてしまうかもしれない。言うことを聞いてくれるかがとても不安だ。
ふと階下から姉貴の急かす声が聞こえ、迷った挙げ句とりあえずモンスターボールを持って玄関に向かった。
アスカやチヒロを始めとするポケモンレンジャーの一団は、地下鉄線内に現れた謎のポケモン達をキャプチャしつつ、乗客達が取り残されていると見られる車両にたどり着いた。
「大丈夫ですか?」
アスカ達はヘルメットに取り付けていた電灯を照らして内部の様子を探る。
「お姉ちゃん、見て!」
チヒロが運転席を見つめながら言う。
「うう・・・。」
運転手とおぼしき人物の呻き声がした。
「生存者がいるわ!総員、運転席に!」
アスカの声と共に他のレンジャー達も運転席に駆け寄る。
「あのポケモン、まるで・・・これまで見たことのない・・・やつだった・・・。」
「運転手さん、しっかりしてください!」
「早く運転手さんを安全なところに運んで!あたし達は列車の中も見てみることにするわ。みんなも手分けして探して!」
「はい!」
運転手はどうにか自力で脱出したものの、まともに歩けるほどではない。レンジャー達に両脇を抱えられて駅の方向に向かっていく。それを見ながらアスカ達は車両の中に入っていった。
車両内部もさっきのポケモン達に襲われた爪痕が至るところに残っていた。電灯は消え、あちこちから火花がほとばしっている。
「誰か・・・助けてくれ・・・。」
「ううっ・・・。」
車内はあちこちから乗客達の呻き声が聞こえていた。とっさのことだったらしく、ポケモンを出してバトルする暇もなかったと見ていいだろう。
「落ち着いてください。あたし達はポケモンレンジャーです。乗客の皆様を救出にまいりました。」
「ポケモンレンジャーさん?私たちを助けに来てくれたのですか!」
電灯に照らされた乗客達の顔。それらの1つ1つに未知のポケモンに対する恐怖と怯えの表情がありありと浮かんでいた。
「お願いです。まだ奥にたくさんの乗客のみなさんがいらっしゃるんです。」
「あのポケモン達が私たちを襲った後、後ろの車両にも行ったんです。」
乗客達は口々にその体験を告げる。いつもと何不自由ない生活を送っていたのが突然未知のポケモンに襲撃されたのである。恐怖どころの問題ではないだろう。
「(・・・?)」
チヒロが電灯に照らされた乗客達の姿を見て、ふと疑問に思った。
「皆さんは、これから順番にレンジャーの方達の指示のもと避難してもらいます。さっきのポケモン、もしかしたらポケモンではないかもしれないですが、それらはまたいつ襲いかかるかもしれません。お怪我をなされた方がいらっしゃいましたら、病院で診察を受けてもらうことになります。・・・チヒロ、どうしたの?」
「お姉ちゃん、乗客の人たち、大丈夫そうな人もいればかなりぼろぼろの人もいるよ。さっきの運転手さんもひどくやられてたみたいだったわ。」
言われてみればそうである。薄暗くてよく分かりにくいが、ひどくやられた人もいれば、まだ大丈夫そうな人もいた。この違いはどこにあるのだろう。どこが被害の程度を分けたのだろうか。
「今はそれどころではないわ、チヒロ。確かに気になるところだけど、まずは列車に取り残された人を救出しなきゃね。・・・皆さん、指示に従って列車の外に出てください!」
そう言ってアスカが乗客達に避難を促す。乗客達も、ある者は自力で、またある者はレンジャーに支えられる形で車外に出ていく。
レンジャー達も車内を探して回りつつ、乗客達の救助を行っていく。5両編成の列車、始発列車と言うことからか乗客もさほどいなかったと見られるが、車内のあちこちから助けを求める乗客の声がしており、アスカ達もさっきのポケモンが飛来していないかと言った周囲の状況に気を配りつつ、それに呼応して乗客の救助に当たっていた。
救出された乗客達は順次救急車に乗せられて病院に搬送されていく。コトブキシティの市内は危険と言うことからか、郊外の病院に搬送されていった。
最後部の車両まで見て回り、乗客を残らず救出していくと、さらに後ろは妙なつるでがんじがらめになっており、向こうの様子をうかがい知ることはできなかった。
「(あれがデパートを突き破った草体の根っこね。)」
根っこの回りはあのポケモンが無数に飛び回っており、近づくことは容易ではない。今のアスカ達が近づいたら二次被害が甚大なものになってしまうだろう。
「(あれをどうにかできる方法はないのかしら・・・。)」
アスカは巨大な根っことそれの回りを飛び回るポケモンの姿を遠目で見つめながら思っていた。
〈このお話の履歴〉
全編書き下ろし。
もう何時間も同じところをぐるぐるまわってる気がする。景色がまったくかわらない。室内なのにどこにいっても木、木、木、木、木ばかり。細い木をジュプトルのいあいぎりで叩ききっているが、気のせいかすぐに生えてきているような感覚がある。なぜなら背後に道がない。まさか遭難してしまったとは認めたくない。広いジャングルならともかく、限界があるはずのカラクリ屋敷だからだ。
前日、ザフィールのお気に入りの「マジカル☆レボリューション」というアニメの間に珍しいコマーシャルが流れていた。販促物のものが主流なのに、これだけ異質でよく目に入る。しかも放送側のボリュームが一段大きいようだった。
カラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリみ・に・き・て・ね!わーお!
カラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリた・の・し・い・な!
カラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリあ・そ・び・た・い!わーお!
カラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリカラクリみ・ん・な・で
ああー 遊ぶのならばー カイナの 北にある ステキな時間の カラクリ
とっけないー カラクリがー たくさんの カラクリ屋敷 本日開店!
やけに耳に残るBGM。二人ともあまりの異質さに思わずその変な歌を口ずさんでいた。映っているのは変なおっさんとボロボロの廃墟。ザフィールはこの前の建物を思い出した。まだ休業中と書いてあったそこがカラクリ屋敷。あんな古びた廃墟か。ため息をつく。コマーシャルも物凄いうさんくさく、行く人いるのか疑問ではあるが、隣のガーネットがすでに洗脳されてしまったらしく、ずーっとカラクリ屋敷の歌を「カラクリカラクリ」と繰り返している。
それにまで洗脳されそうだし、自分の身も危ない。なんとか黙らせる方法はないかと、隔離してみたが、どうも上手くいかないみたいだった。家庭環境的に、あまりメディアも目に触れることがなかったらしいし、意外に洗脳されやすいんだなとザフィールは心の中だけで言った。本当に口に出してしまえば、カラクリパンチが飛んできそう。
だけど行く予定はなかった。なかったのである、本当に。ザフィールが113番道路のカイナシティ側を調べるというから、それにガーネットはついていった。そして、人気のあまりない廃墟の前を通り過ぎた時、それは起きた。二人の頭上にいきなり網がかかったのだ。何が起きたか判明する前にさらに黒い布がかぶさる。思わずザフィールはガーネットの手をつかんだ。どんなに引きずられてもそれだけは放さないように力をこめて。
ふと視界がひらける。体に絡んだ網は変わらず。そして目の前には「我が輩に挑戦するがいい!カラクリ大王」と書かれたメッセージ。そして室内と思われる天井と照明と、見渡す限りの木の中。とりあえず室内なら限界があるからと、適当に歩き始めた。それにしても他の人の気配がない。
「ありえん。まじ犯人倒す」
隣には捕獲されたことで物凄い激怒しているガーネット。こういうときに関わるなら原因に当たり散らしてくれとザフィールは思った。
そして今にいたる。妙な建物に閉じ込められてから5時間。ひたすら歩き続けた。昼食も取らず、歩くだけ。気温は調整されておらず、とても蒸し暑い。この植物たちの生育環境がそうなのだろうけど、真夏のように汗がどくどく出ていた。
さすがにきつく、ザフィールは太い木の幹に腰掛けた。そして鞄からぬるい「カイナの海洋深層水」とパッケージに書かれたボトルを取り出すと、口に含む。少し水分が補給されて体が楽になる。
「しかし今どこにいるのか、室内なのに解らない」
ガーネットが物凄いまじめな顔で言う。怒っているというよりも、考え込んでいるような感じで。こちらは甘いミックスオレを飲んでいた。ぬるいのに甘かったら飲みにくいだろうな、と他人事ながら思う。
半分ほど口をつけた後、足を見た。ズボンで隠れているけれど、足が疲労しているのが解る。やはり気温と湿度が関係しているようだ。
「それにしてもキーチは元気だな」
熱帯の気候にあっているのか、今もザフィールの側を離れて木に登っている。その動きは速くて目視できない。移動したところの枝が揺れるのを見て、大体の位置をつかむ。そういうところはジュプトルの性質なのだと感心していた。
「少し休憩する?」
ガーネットの問いに、ザフィールは二つ返事で答えた。
その間にもガーネットは喋る。疲れないのかと聞けば、歩いても仕方ないから喋ると言う。
けれど内容が支離滅裂だったりして、きっと疲れてるのだとは思う。シルクで焼き払いたいとか、リゲルを埋めてみようかとか、そういえばホエルコって植物食べないのとか。いつもならまず言わない。もしかしたら混乱もしているかもしれない。
「俺まだ死にたくないから火だけは勘弁」
野生のポケモンはいないみたいだ。鳴き声もなにも聞こえない。草むらをかき分ける音も。しばらくするとまた汗が出る。喉の乾きを訴える。半分のこった水を一気に飲み干した。少しだけ体温が下がったように思える。
「生き物はみんな水が必要だからね・・・本当、夏の川とか天国に思えるよ」
「お前アクア団みたいなこと言うんだな。水がありすぎて洪水になったり高波になったりするんじゃん。活動できる陸が多い方がいいよ」
いきなり噛み付かれてガーネットはびっくりしたようだった。早口でまくしたてるザフィールに。疲れて反論も出ず、黙り込む。しばらく沈黙が続いた。お互いに黙り込み、もくもくとこの室内のジャングルを見ている。
その沈黙を破るかのように、ザフィールの腹が盛大に鳴る。昼食もなしに歩いてきたのだ、もう我慢の限界というところ。隣でガーネットが笑いをこらえきれなかったようで、見ないようにそっぽを向いていた。でも体が震えているから、きっと笑っている。
「よかったら食べる?ザフィールが入院中に育てた木の実とかもたくさんつかって作ったんだよ」
ガーネットが差し出したのはポロックケース。貰えるのかとジュプトルが期待して寄ってくる。
「ほら、ザフィール、ポロックだよー!」
「俺はポケモンか!」
そう反抗したのもつかの間。ポロックケースから曲線を描いて投げられる空色ポロックを逃さないと、ザフィールは跳んだ。そしてちょうどフリスビーをくわえる犬のごとく、口で見事にキャッチ。苦くて甘い味が広がる。ザフィールは少しガーネットに懐いた。ザフィールの毛づやが心なしか上がった。
「かしこさとかわいさが上がったかな」
「だから俺はポケモンじゃねー!」
隣のキーチにはポロックケースから手のひらに乗せてやり、丁寧に渡していた。ポケモン以下の扱い。しかもキーチにはワンランク上の灰色ポロック。辛くて酸っぱくて苦い味らしい。キーチは特に好き嫌いがないので、おいしそうに食べていた。
「そうだ、明日あたり収穫の日だ。そういえばこの前、モコシの実をもらったんだ。また取りに行かないとな」
「その前にここから出ようぜ。ポロックありがとう」
「どういたしまして。さて、歩こうか」
再び歩き出す。疲れた足で歩き回るのは危険だ。このまま室内で遭難、閉じ込められて死亡なんていうエンドになりかねない。
いあいぎりで切れない木を除き、全ての木を切るようジュプトルに指示する。プラスルとマイナンがいつの間にかボールから出て、キーチを応援していた。白い火花のボンボンが散る。それが余計暑苦しいのだが、二人はしかることはしなかった。
枝葉が落ち、いくらか視界がひらける。そして見えるのは壁に区切られたドア。出口だ。思わず二人は駆け出す。それを追うようにプラスルとマイナンも続く。これで出られる。そして捕獲までしてよくもこんなところに閉じ込めたと文句を言ってやろう。実力的なことはガーネットに任すとして。ザフィールはドアに手をかける。
「なんで、開かない?」
「ザフィール、何か書いてる・・・合い言葉だって」
「そんなもん・・・からくり だいおう しね、からくり だいおう ころす、からくり だいおう はげ、からくり だいおう 」
全て表してしまうと、彼の人間性を疑われるので途中で省略。隣にいたガーネットは罵詈雑言に驚いたようで、現代的にいえば完全にひいてる。当然のごとく、ドアはなにも反応しない。我慢の限界か、ザフィールが左手でドアを殴りつける。
「ごるああ!!わいばくらすっぞーー!!」
ついにザフィールがキレた。普段は見ることのできない、彼の本気モードで殴り付ける。親の仇かとでもいうように。それに何を話しているか解らない。それもそのはず、地元民同士でしか使わない言葉。ガーネットにはまったく伝わらないが、なにやら凄んでることは解る。しばらくして反応が一切ないことに諦めたのか、急に大人しくなった。
「はあ、開かねえなあ。これちょっと蹴破ってよ」
「無理ねえ、これカギもそうだけど、この扉、壊されないように二重になってるし。カイリキーよりもすごいポケモンがいたとしても壊されないようになってるわ」
ガーネットが冷静にドアを見る。マイクに合い言葉を吹き込めばいいのだ。そしてこの室内にあることは間違いない。
「ねえザフィール、ここにいてくれない?」
「え?なんで?」
「合い言葉を探しに行く。あんたのその白い髪、遠くからでも目立つからすぐに帰ってこれる。それに、もう限界なんでしょ、その足。さっき走った時、いつもより少しだけ遅かったからね」
逃げるわけじゃないから、と言おうとしたが、すでにガーネットは背を向けて歩きだしている。
「待って!」
駆け寄る。確かにどちらの足も踏み出すととても痛い。今、襲われたらおそらく逃げれない。
「あの、こんなときに、死亡フラグっぽいんだけど・・・」
「マンガじゃあるまいし。何よ?」
「この前の、お礼。ずっと忘れてたんだ」
彼の左手から、きれいな包みを渡す。ガーネットが丁寧にラッピングをはがしていった。そこにあったのは、パステルピンク色のハンドタオル。そこにプリントされているのはポケモン界のアイドルとして名高いピッピ。といってもこの地方ではまず見ることがなく、たまに違う地方から来る人が連れてくるのを見るくらい。
「カナシダトンネルで、なくしちゃったし」
「別によかったのに。でもありがとう」
ポケモンたちに向ける笑顔より嬉しそうだった。鞄に大切そうにしまう。かわいいところあるんだなと感心し、入院していた時のことを口にした。
「そういえば、先生から聞いたんだけど、俺が3日寝てた時に、荷物整理したり、エーちゃんの世話してくれたんだってな、なんで言わないんだ?」
「私はザフィールの荷物を妖しいものがないかどうか確かめただけだし」
聞き間違いか。ザフィールの表情が凍りつく。汗だけが熱さを伝えていた。
「は?荷物を、見た?」
「そうよ、荷物みて証拠でもあったらいいかなと思って、鞄の中身全部見たわよ」
「おい、なんだそれ。人のもの勝手に見ていいと思ってんのかよ」
見られたくないものなんてたくさんある。ポケナビのマグマ団関連のものは見たら消去してるからいいとして、制服とか制服とか制服とか。
「助けてあげたんだからそれくらいいいでしょ」
「よくねえよ、いい加減にしろよお前」
気づけばプラスルがザフィールのズボンの裾を、マイナンがガーネットの足を引っ張っている。今は喧嘩している場合じゃないと伝えるかのように。二人はなにも言わず、お互いに背を向ける。
こんな熱いところで暴れた上に大声を出した。余計に熱い。ドアを背に座り込む。もう一つのカイナの深層水を取り出すと、一口含んだ。もう夕方近い。今日は一日こんなところにいた。しかも最後に嫌なことを聞く。人のプライバシーにまでずかずかと入り込む、無神経さ。それがザフィールには信じられなかった。そしてそのことを悪びれるでもなく平然としていることが許せない。熱さも手伝って、イライラは増すばかり。
「あの女、いつか見てろよ・・・」
諦めて一緒にいるフリをして、いつか痛い目にあわせてやる。そのための計画を、熱さでまともに動かない頭でひねり出す。アイディアがまともに浮かばず、遺恨だけがそこに残る。
合い言葉を探しに来たガーネットは道を適当に行く。ジュプトルのような木を切れるポケモンがいないから、それらを避けて。そしてどうしても行かなければいけないときは、その力で引っこ抜く。室内に植えられた木なので、根を張り巡らせた天然の木より軽い。そうして木の残骸を増やしながら、ガーネットは進む。
「でも大したもの入ってなかったのよね、きずぐすりとモンスターボールくらいで」
濡れたものを洗って乾かしてくれたのはラッキーたちだし、2日目にはすでにたたまれて鞄にしまわれていた。服を調べて妖しかったらラッキーが教えてくれるだろうし、他にこれといったものはない。その辺にいるポケモントレーナーと装備は変わらなかった。それよりも主人を心配するエネコの方が気になってしまい、世話をしていただけである。
「あんなに怒らなくてもいいじゃない」
いまにも殴りつけそうな勢いで食いついてきたのには、後から思い出しても嫌な気分になる。熱さにもイライラ、そのことでもイライラ。そして足元に気づかず、おもいっきり踏んだ。足裏に伝わる木の枝とは違う感覚。よく見れば何か書かれた巻物だった。地面に固定されていて、動かすものではなさそうだ。ガーネットはそこに書かれている合い言葉を覚えた。
「・・・しかしこんな目に合わされて言う言葉じゃないな・・・」
帰り道、引っこ抜いた木を目印に通っていく。そうすればやがて見えてくる白い髪。ポロックのおかげで少しかわいく賢そうに見える。少し機嫌が直ったのか、姿を見せた時、左手を振っていた。
「はやかったな」
完全に、とは行かない。声がそういっていた。黙ってガーネットはマイクの前に立つ。そして、少し黙った。今はとても言いたくない。けれどそれが合い言葉。言わなければならない。そうしないとこの地獄のジャングルから出られない。意を決してガーネットは息を吸い込んだ。
「からくり だいおう さま ステキ!」
重々しい扉が軽く開く。外から流れ込んでくる空気は今と比べたらさわやかそのもの。ガーネットは黙ってその先に進んだ。続いてザフィールも。長い畳の廊下を歩く。外がこんなに涼しいなんて思いもしなかった。けれど二人は無言のまま。
一際明るい茶室に出る。そこには茶をすすっているのんきなおじさん。全身に汗をかいてる二人に気づくと、のんきに手を振っている。二人は今まで押し殺していた感情を一気に放出した。それはバクオングよりすごく、プリンよりよく通る声で。
「てめーか!!網かけてきたやつは!!」
「よくも熱帯気候に閉じ込めやがったな!」
二人は一斉に飛び掛かる。けれどおじさんは一瞬にして姿を消す。どこへ消えたのか解らず、あたりをみる。しかしいない。
「我が輩はからくり大王!しかしあのジャングルを抜けてくるとはなあ。徹夜で木を植えたのに!!」
ちゃぶ台の下だ。ガーネットがちゃぶ台を蹴り上げる。ザフィールが確保しようとしたとき、再び姿を消す。
「最近の若いものは血の気が多くてなあ。宣伝しても誰も来てくれなくて寂しかっただけなのに」
「寂しかっただけじゃねー!どう考えたっておっさんのやってることは犯罪だろがー!」
「縄で捕まえといて、何が寂しかったで済まされるかー!」
捕まえようとしても捕まえようとしてもおじさんはするりと抜けていく。10分もどたばたしていたら、部屋の中は荒れ放題。畳はささくれ、壁はガーネットの拳を受けて崩れている。
「我が輩は捕まらん!ではまた次回をお楽しみに!」
消えた。煙のごとく消えた。二度と来るか。そして二度と目の前を通るか。そう誓った二人だった。
美しい笛の音が聞こえる。清らかな風に乗り。
気づいたらスピカがいなかった。あわててミツルは家の外まで探しに行く。どうして出ていったのか検討もつかなかった。
従姉妹のミチルが自分を呼ぶ声がする。けれどそれを振り切ってシダケタウンの中心部へと向かう。ここなら目立つ赤い角、それが解るはずだ。
そんなに大きいところではないけれど、コンテストがあるために多くのトレーナーが行き交う。彼らにまじってしまえば、見つからないのは必須だった。
ミツルは振り向く。歌っているような響きに誘われて。その音色は穏やかで、鳥の歌声のようだった。足が向くままに進むと公園に入っていった。そして見えてくる特徴のある姿。ベンチに座り、ゆったりとした顔で。思わずミツルは駆け寄る。音色が止まった。
「こんにちは」
スピカの横には、久しぶりに会う人がいた。今日は白い上着を脱いでいて、いっそう青い服装が目立つ。
「お久しぶりですミズキさん」
この前と違うのは、彼女が銀色に輝く横笛を持っていたこと。それが奏でる音が風に乗って聞こえてきたのだろう。スピカはそれにつられて来たようだった。
「どうしたんですか?コンテストの優勝絵画を総嘗めにしていたのに」
「あら、まだいたらいけないって顔してるけど?」
「いえ、そういうことでもないんですけどね」
ミツルは彼女の隣に座る。短く切られた髪は風にあわせて揺れていた。年上の女の人はミチル以外にあまり会わないからか、ミツルは少し緊張していた。
「これ、吹いてたのはミズキさんですか?」
握られた横笛を見てミツルは訪ねる。太陽に反射して、とても眩しい。
「そうよ、私。こっちに来ても練習だけはしておけって先生から言われてるの」
厳しい師匠なんだけどね。そう言うミズキはとても嬉しそうだった。
「とてもきれいですね。相当練習したんでしょう」
「ありがとう。練習した甲斐がある」
「もしかしてポケモンもそれで指示したりとか?」
「いやいや、そんなに上手くないから無理。そもそも、これは遠くまで音を飛ばすよりも、まわりとの調和で響かせるから、騒音だらけのバトル中じゃあそうそう的確に指示だせないし。例えばさー」
ミズキは目の前のガラスケースを指す。中にはたくさんのエネコ。まわりにはたくさんの人だかりが出来始める。
「エネコみたいに、耳がいいポケモンばかりだったらそれもありだし、技が読まれないと思うんだけど。私の友達はクラシック式で指示だすから読めなくて」
「クラシック式?」
「技の番号を覚えさせて、実戦中は番号で指示するやつ。あれ本当に解らないよね」
ミズキは立ち上がり、エネコのケースを見に行く。どうやらここにいるものは売り物であって、おまけのモンスターボールもついてくるという。滅多に見つからないポケモンで、ボールつき。捕獲にかかった人件費も込みで1000円となると、だれもが頭を悩ませる。
「かわいいらー、エネコ本当にかわいい」
そう言いながらも、ミズキの目は笑ってない。じっとエネコを見て、何か話しかけるようにして動かない。何人かの人がエネコを買おうと決断したとき。へばりつくように見ていたミズキがジャマだったのか、店主が追い払うように言う。買う気はあるのか、と。
「飼う予定は無いですけどね」
「ジャマなんだ、そこどいてくれよ。こっちだって商売なんだから」
「この子たち、野生ですよね?それなのにこんな・・・」
その言葉に集まっていた人たちがミズキを見る。暴発しそうな店主、動揺する集団。それに気づいてミツルはミズキの服を引っ張るが、彼女は動こうとしない。むしろじっと店主を見て、構えた姿勢でいる。おびえた様子はまったくない。
「だからなんだよ、売っちゃいけねえっていう法律があんのか!?」
「野生のエネコは数が少ない希少種。だからこそブリーダーもエネコの繁殖に関して最大の注意を払っているというのに、こんな狭いガラスケースに入れられて、ストレスがたまるわよ」
限界を迎えたようだ。店主はミズキの胸ぐらを掴む。商売をジャマする生意気なガキ、と。
「危ないわよ」
ミズキが一言だけ発した。同時に光の束が電撃となって周囲へ発散される。その雷エネルギーに店主は吹っ飛んだ。だからいったのに、と冷たい言葉を投げつける。周囲は騒然となり、公園からは人がいなくなった。
「はぁ、まったくホウエン地方は怖いわあ」
「・・・今、最も怖いのはミズキさんだと思うんですよ、みんな」
見たこともないポケモンだった。光は大きな虎のような形だったが、一瞬のことで細かい形は覚えていない。けれども並の電気タイプでは一瞬であそこまで放電することが出来ないはず。けれど何事もなかったかのようにミズキは振る舞う。
「そう?さて、お店の人もどっかいっちゃったし、このエネコを元の生息地に戻さないとね。アーチェ」
加速の名を持つカイリューがあらわれる。小さく羽ばたくと、ガラスケースごと抱えた。そして落とさないよう、揺らさないよう、宙に舞い上がる。その姿を見送った。そしてミツルのスピカも小さい体で一生懸命エネコを抱えてテレポートをして。
その作業が終わったのは、夕方になってから。いくつ捕獲したのか解らないほど。おそらく、生態系を根こそぎ変えてしまいそうなくらいに捕まえたのだろう。中には子供も多数いた。元の公園に戻ったアーチェが一仕事を終えたようにボールの中に戻る。
「ありがとうね、ミツル君」
「いえ、そこはいいのですけどね・・・ミズキさん、貴方が持っていたポケモンって何ですか?あの雷のエネルギーを一瞬にして放出する速さ、どんな強いエレブーでも出来ないと言われてます。なのに・・・」
ミズキは微笑む。そしてそっとミツルに語りかける。
「そういうことは、お口にチャック。今は解らなくても、いつか解る時が来るかもしれないんだから」
後ろにのけぞる。ミツルの服を誰かが後ろから引っ張ったのだ。スピカをしかろうとしたら、目の前にいるし。緑色の地面に目立つようなピンク色。
「あれ、まだエネコが一匹・・・」
「ミツル君に懐いてるみたいだら、飼ってあげたら?」
スピカと一緒に遊んでるエネコ。少し小さいピンク色のしっぽを振って。
「そうか、じゃあお前も来るかい?」
エネコはミツルを見て、一声鳴いた。
「アーマルドに草エネルギーをつけて攻撃。ブレイククロー!」
対戦相手の石川薫のアーマルド70/140が右手を高く振り上げ、その先にある鋭い爪でモウカザルに襲いかかる。一閃を受けてまるで弾かれたゴムボールのように吹き飛ばされるモウカザル20/80。
たった一撃で相当なダメージを受けてしまった。しかも俺のサイドは三枚、相手のサイドは二枚。これ以上相手に有利な状況を作らせることは出来ない。
「ブレイククローの効果はこのワザを受けた相手は次のターン受けるダメージがプラス40される」
+40……。今のモウカザルの残りHPは20。どんな些細なダメージでも一撃は避けられないということか。
「俺の番だ」
引いたカードは不思議なアメ。残念なことに、今の手札では活用出来ない。
「まずはモウカザルをゴウカザル(50/110)に進化させ、続けてアチャモに炎エネルギーをつける」
これで残った手札はアチャモと不思議なアメだけ。ここでなんとか活路を切り開かないといけない。
「モウカザルからゴウカザルに進化したため、ブレイククローの+40の効力はなくなるぜ」
「言われなくても分かってる」
それにしてもこいつ姿恰好の割には偉そうだな、少年味がまるでない。俺の方が年上なのに完全に見下されてる気がする。そこがちょっと不愉快だ。
「それじゃあ遠慮なく行かせてもらうぜ。ゴウカザルの攻撃、ファイヤーラッシュ! 俺の場の炎エネルギーを好きなだけトラッシュし、トラッシュした数だけコイントス。そしてオモテの数かける80ダメージ。俺はゴウカザルについている炎エネルギー一枚をトラッシュ」
「一枚だけでいいのか?」
「ああ。ここでいっちょ運だめしって奴だ。……オモテ、よっしゃ! それじゃあ遠慮なく喰らってもらうぜ!」
アーマルドはポケボディー、化石の鎧によって60以下のダメージを喰らわない厄介な相手だ。だがしかしゴウカザルのファイヤーラッシュは60を上回る80ダメージ。これでポケボディーの効果は受け付けない。
右手に大きな炎を宿したゴウカザルが、アーマルドの手前で跳躍してその肩の辺りに炎の拳を強く打ち付ける。アーマルド0/140は苦しそうな声を僅かに漏らすと、ドシンと音を立てて前へ倒れ伏す。数秒のインターバルをもってアーマルドの映像は消えていった。
「よし。これでサイドを一枚引かせてもらうぜ」
サイドを引いてから深呼吸を挟む。もしもここでウラを出してしまったらもう後が無かっただろう。オモテが出て良かったぁ。
と一息ついていると、ドン、と何かを叩く音が響く。慌てて音源の方に向けば、握りこぶしでテーブルを殴りつけた石川が目に映った。
「俺はリリーラをバトル場に出す」
口調こそ平静を装っているが、声音は明らかに荒々しい。いくらなんでも対戦中にこんなことをあからさまにされちゃあ不満を抱いて当然だ。俺も例外ではない。
「なあ。お前さ、カードしてて楽しいか?」
「急に何だよ」
「いやいや。カードって楽しむためのモノだろ? 確かに不利になったりして腹立たしく思ったりもするけどさ、まだ負けが決まったわけでもないのにそんなに怒るのもないだろう。対戦相手に失礼じゃないか?」
説教をもらうとは思わなかったのか、石川は顔をうつ伏せてなかなかこちらを見ない。
「俺は……、どうしても勝たなくちゃいけないんだ」
石川は変わらずこちらを見ずに、震えながら声を出す。ワケアリな雰囲気に、ついつい気圧されてしまう。
「お、俺だってこの対戦、いいやこの大会に勝たなくちゃいけない」
「……俺のこのデッキは事故死した地質学の研究者である父がくれたものだ」
思わず言葉に詰まった俺を置いて、石川は続ける。
「俺はなんとしてでもこの大会で優勝して、父がやりとげれなかった化石発掘の事業をしたいんだ」
その夢は四百万でなんとかなるものなのだろうか……。それはともかく、石川にも事情があるのは分かるし、それに同情したい気持ちもある。
「俺だってこの大会で優勝して借金を返さなくちゃならない。事情があるのはお前一人じゃないんだ。俺やお前、他の人だって自分の信念のために戦ってるんだ。お前のそれは甘えだ。肝心なことはこいつで伝えろ」
右手でカードを一枚摘む。こちらを向いた石川は、何のことかとつい首を傾げた。
「ぶつかり合いだ! 自分の感情、過去、信念、事情。それらを全てぶつけ合ってこそのポケモンカードだ。そんな言葉で語るのは無しだろ!」
石川の目が大きく見開かれると、やがてふっと一つ笑って目をしっかりと俺に向ける。
「確かに一理あるな」
「だろ! だったら悔しいとか負けたくないとかそういう気持ち、お前のプレイングに乗せてみろ!」
「俺はこの戦い絶対負けられないんだ! 俺のターン!」
俺がやった訳なのだが、これで石川は吹っ切れた。あのまま感情任せのプレイングにさせれば楽に勝てたかもしれないけど、そんなもの何も楽しくない。
さて、相手のバトル場にいるリリーラ80/80は草タイプ。炎タイプが弱点なので俺の方が相性はいいはずだ。あくまで相性は。
「リリーラをユレイドル(120/120)へ進化させ、草エネルギーをつける。そしてグッズカード、エネルギーパッチを発動。コイントスをしてオモテなら、トラッシュの基本エネルギーを自分のポケモンにつけることが出来る。コイントスだ!」
エネルギーパッチはコイントス次第だが、自分の番に一度しかエネルギーをつけれないという制約を越えてつけることが出来る厄介なカードだ。簡単にオモテは出てほしくないのだが……。
「よし、オモテだ。トラッシュの草エネルギーをユレイドルにつけて攻撃! ドレインドレイン!」
何かの曲名にありそうなワザ名だな。と思っているのも束の間、ユレイドルの首の辺りからピンク色の触手というべきなのか、それらしきものがゴウカザル20/110に食い込む。
30ダメージか。ダメージ自体は痛くないが、まだ何かあるのかもしれない。油断はできない。
「俺のターン!」
引いたカードは炎エネルギーか。悪くない。
「手札のゴウカザルに炎エネルギーをつけてファイヤーラッシュ。トラッシュするのはゴウカザルのエネルギー」
ユレイドルの弱点は炎+30。ここでオモテを出せれば80+30=110で、ユレイドルのHPをかなり削ることが出来るが……。
「オモテだ! さあ、ダメージを喰らってもらうぜ」
ゴウカザルが先ほどと同様に炎の拳をユレイドル10/120にぶち込む。俺のゴウカザル20/110のHPもギリギリだが、これで状況はほぼイーブン。やられても次の番にやり返せる。
「俺のターンだ。まずは闘エネルギーをユレイドルにつける。そしてサポーター、デンジの哲学を発動。手札が六枚になるように山札からカードを引く。今俺の手札は0。よって六枚引く」
ここに来て手札補充か。手札が六枚になれば、きっといろいろ仕掛けてくるはずだ。
「ベンチのひみつのコハクをプテラに進化させる」
ずっとベンチに残されていたコハクが大きな翼竜、プテラ80/80に進化する。
「ユレイドルの攻撃、ドレインドレイン!」
先ほどと同じエフェクトでゴウカザルに触手が襲いかかる。HPが残り20/110のゴウカザルはこの一撃によって気絶させられてしまう。ここでゴウカザルが倒されるのは痛い。痛い、がこのユレイドルならアチャモでさえ倒すことが出来る。
「残りHPが僅かな俺のユレイドルをアチャモでも倒せると思ったか?」
「何が言いたいんだ」
「ここでドレインドレインの効果発動。このワザにより相手を気絶させた場合、自分のダメージカウンターを全て取り除く!」
「す、全て!?」
HPが0になったゴウカザルが光の玉となってユレイドルの体に取り込まれる。あっという間に瀕死状態だったユレイドル120/120のHPが元通りに戻ってしまった。ほぼイーブン状態だった対戦だったが一気に石川の流れに傾く。
「サイドを引いてターンエンドだ」
俺はダメージ表示がなくなったユレイドルのモニターを虚ろに眺めた。マズい、俺よりもサイドを一枚分完全に上回っている。残されたのは炎エネルギーが二枚ついたアチャモ60/60のみ。どうやってこのピンチを切りぬくものか……!
翔「今日のキーカードはユレイドル!
ドレインドレインは30ダメージ!
相手を気絶させると全回復だぜ!」
ユレイドルLv.49 HP120 草 (DP5)
草 ドレインドレイン 30
このワザのダメージで、相手の残りHPがなくなったら、自分のダメージカウンターをすべてとる。のぞむなら、ダメージを与える前に、相手のベンチポケモンを1匹選び、相手のバトルポケモンと入れ替えてよい(新しく出てきたポケモンにダメージを与える)。
草無無 ようかいえき 50
次の相手の番、このワザを受けた相手はにげるができない。
弱点 炎+30 抵抗力 ─ にげる 3
いい作品でした。今度うちの大学でも披露してください。
58才主婦
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