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素晴らしい!また書いてくださいね!できれば最後は、ハッピーエンドか、バッドタイミングで
目を開けて入って来た光景は、白い天井と手足に巻かれているガーゼだった。少しの間ながめていると、桃色のラッキーが顔を覗き込んできた。
ここは病院なのか。ザフィールが体を起こすと、ラッキーに止められた。まだ安静にしてろということか。どうやってここに来たのか聞きたかったが、ラッキーは赤いバンダナをきれいに折り畳んでベッドの側に置いていっただけだった。
それを見て思い出す。ガーネットはどこにいったのかと。マグマ団の連中に手荒なことされてなければいいが。それで反撃してマグマ団を壊滅させてなければいいが。それよりも無事でトンネルを抜けたのか。そもそもここはどこなのだ。たくさんの疑問が浮かんでは消え、一つとして解決しない。
横を向けば窓が開いてる。そこから見えるのは、新緑の美しい光景だった。ここはカナズミシティではない、きっとカナシダトンネルの向こう側。シダケタウンだろう。穏やかな風が入ってきて、ザフィールの髪をなでる。もうお昼頃だと思うのだが、あれから何日経ったのだろう。きっと何日も食べてない。だからか意識がはっきりとするにつれて空腹を感じた。
カナシダトンネルは大騒ぎになっている。完成が長引いていた上に崩落と来た。責任者はマスコミに囲まれ、ずっと記者会見をしている。
その原因たちはかなり離れた公園で座っていた。隣でミズゴロウのシリウスが日差しが気持ちいいのか昼寝している。ガーネットは持っていたミックスオレの缶を開ける。冷やされたそれは喉のかわきを潤した。そしてため息をつくと、横のミズゴロウを見る。
マグマ団に突き飛ばされたところまでは覚えている。そして気付いたら全身びしょぬれ、そしてミズゴロウが服をくわえていた。隣にはザフィールがいて返事がなかった。
なんで濡れてるのかもわからなかったが、とりあえず彼を病院につれていった。そしてそのままでは熱が出てしまいそうだったから、濡れた服を乾かした。ポケモンたちを休めたかったし、乾燥機もあるポケモンセンターに行った。
じっとしていると、揺さぶっても返事一つしなかったザフィールを思い出しそうで、ずっとポケモンセンターをうろうろしていたのである。このままだったらどうしよう。そうはっきり思った瞬間、それを否定した。
考えても仕方ないと、今日は外に出て来たのである。
シダケタウン。カナズミシティとトンネルを通していた小さな町。穏やかな風と、恵まれた緑で作られている町だった。
話す相手がいないと思考がどうも負の方向に向かってしまう。けれどミズゴロウ相手にしたってあまり変わらない。誰でもいいから話したい。来たばかりの地方で、知り合いなんていないけれど。トレーナーなら少しくらい話せるに違いない。次にポケモンセンターから出てくる人に話しかけよう。軽く考えてポケモンセンターに足を運ぶ。
「あれ、こんにちは」
話しかけてきた人物。緑色の短い髪と、足元のラルトス。トウカシティで会ったミツルだ。引っ越すと言ってたけど、シダケタウンだったとは。しかもこのタイミングで。良く聞けばポケモンコンテスト会場に行くというので、ついていくことに。
「今日はどうしたんですか?何か変ですよ」
「うん、まぁ、その、知り合いがね、ちょっと今は治療中で」
「行ってあげなくていいんですか?」
「まあ面会は午後からだし、それからでも大丈夫だから、うん」
暗い表情を読み取ったのか、ラルトスも下を向いている。ミツルはそれ以上詮索しようとはしなかった。ただ一言「回復したら僕もお見舞い行きますね」とだけ言って打ち切る。無言で歩いた。その間の話が見つからない。コンテスト会場までずっと黙りっぱなしだった。
ポケモンコンテストは、ポケモンの魅力を最大限に引き出すものが勝つというもの。その種類は5種類に分けられ、かっこよさ、たくましさ、うつくしさ、かしこさ、かわいさとなっている。ミツルが見たいといったのはかっこよさ。ラルトスがお気に入りのようで、何度もかっこよさコンテストを見に来ているのだとか。
チケットを手に会場に入る。多くの人が始まるのを今か今かと待っているようだった。舞台の幕はまだ上がっていない。まっすぐ見ることのできる席を取った。座ったのと同時に会場がどよめく。開演アナウンスが入り、幕が上がった。
「さぁ始まりましたポケモンコンテストノーマルランク!今回はかっこよさを競うコンテストとなります!出場されるトレーナーとポケモンの皆さんはこちら!」
会場がさらにざわめく。司会と審査員の後ろに4人のトレーナーが後ろに構えている。
「エントリーナンバー1番、ゲンキさんのぽちです!かっこよさは吠える!」
拍手がかかる。ボールからポチエナが出てきて、さらにボリュームは上がる。かっこよさをアピールするかのように立つ。
「エントリーナンバー2番、ノブヒロさんのライガンです!えーと、かっこよさはばちばち、だそうです」
ラクライだ。ボールから出た瞬間、静電気をまとってアピールしている。会場のあちこちから感嘆が聞こえる。
「エントリーナンバー3番、アキヒロさんのプンプンです!かっこよさは空手チョップ!」
少しもり下がったようだが、そんなことは気にしていないようだ。マクノシタが出て来て腕を振り回す。
「エントリーナンバー4番、ミズキさんのアーチェです!かっこよさは竜巻!」
あれ、とガーネットは思った。同じくミツルも。ラルトスを捕獲した時、ミツルが起こした喘息を沈めたあの女の人だ。
ポケモントレーナーで、しかもカイリューを持っているとは。他のポケモンが小さいため、カイリューの大きさが目立つ。会場は盛り上がり、嬉しいのかカイリューは小さく羽ばたく。
「さあポケモンの紹介が終わりました!1次審査に入りましょう!会場のお客様によるポケモンの人気投票です!お手元の投票用紙のエントリーナンバーに丸をつけるだけ!終わったら係員が順次まわりますので入れてくださいね!では、早速始めましょう!」
会場は一瞬静かになる。どれにいれるか真剣に悩んでいるようなのだ。どれもかっこよく見える。悩みに悩み、ガーネットは一つのポケモンに入れる。ミツルは何かとても心に残ったように記入している。
「さあ!今、投票が終わりました!集計をしている間に2次審査に移りましょう!2次審査はいよいよお待ちかねのアピールタイム!ポケモンたちの技によるアピールです。では張り切ってどうぞ!レッツ!アピール!!」
司会と審査員が舞台の横に移動する。出場者たちがよく見えるようになった。そしてスタートの合図と共に、アピールが始まる。最初は緑のライオン、ラクライのライガン。思いっきり吠えた。審査員は次の順番をどうするか迷っているようだ。会場はそのかっこよさに盛り上がる。
「次の順番が解りません!これはコンテストにどうつながるのか楽しみです!」
次はコロコロとした体格のマクノシタ、プンプン。気合いパンチだった。その気合いパンチは次のアピールのための準備。一番最後に持って行くようにアピールする。
「おっとここで次のアピールはプンプンが一番最後というのは確定しました!」
黒い犬のようなポチエナのぽちは前に出ると上を向き遠吠えを始めた。その調子はばっちりで、次からのアピールが上手く行きそうだった。かっこいい遠吠えに会場は再び盛り上がる。
「あの人、何で来るのかな」
ミツルはつぶやく。すぐに会場のざわめきに消されてしまった。アーチェは大きな体で巨大な炎を作り上げる。竜の怒りだった。最後にアピールすればするほど目立つというもの。その通り、ほとんど注目もされてなかったアーチェが一気に脚光を浴びる。
「おおっと!さすがドラゴン、威力も派手さも違います!」
審査員が一度止めた。次のアピールの準備だ。次はアーチェから。竜の舞で会場を盛り上げる。かっこよさに会場は味方し、最高のアピールポイントをもらえたのである。ところが、次のライガン。スパークを放ち、驚かそうとしたのである。アピールに成功していたアーチェは思わず飛び上がってしまった。次のぽちは何事もなく体当たりでアピール。そしてプンプンもアピールして2つ目のアピールは終了する。
「ねえミツル、これって何回アピールできるの?」
「えっと、確か通算で5回できます。その間に技の組み合わせとか技の持ってるアピールポイントを稼いで、最後に1次審査と2次審査が勝っていた人が勝ちです」
3回目のアピールに移る。会場はそこそこ盛り上がっていた。プンプンは体当たりをはじめる。アーチェが竜巻を起こした。審査員は再び次の順番が狂う。ぽちはおかまい無しに遠吠えをした。会場がもりあがってきた。テンションがマックスに近い。そんなとき、ライガンはかみなりでアピール。
「おおっと、コンボを決めてきたライガン!かっこよさが引き立ちます」
2回目のアピールとコンボになっていた。そのかっこよさ、アピールのコンボ。会場のテンションは一気に突き抜ける。一瞬にして最も注目されているポケモンに変化した。
4回目、アーチェが先頭。激しい竜の舞を踊る。調子をあげたのだ。プンプンは地球投げで驚かそうとした。アーチェは驚いて声をあげる。いい気味だ、とプンプンは思っていたようだが、次のライガンが見事に電磁波を行なったためにプンプンのアピールはマイナスに。しかもライガンのアピールがかっこよく、会場は盛り上がる。ぽちといえば、体当たりでアピールし、3回目とコンボとなり、大量の得点を稼いでいる。
「ねえ、もう最後?」
「そうですね、次で勝負が決まります。」
ぽちが吠える。会場がもりあがった。調子がよかったのでかなりの得点に。そして次のライガンは雷でアピール。その為にぽちは驚いてポイントが減ってしまった。ライガンはしてやったりという顔をしている。しかしここでアーチェが予想外の行動に出た。
「逆鱗だぁ!」
みんなのアピールをジャマしまくる技、げきりん。そのかっこよさは他と比較するまでもなかった。審査員も会場も逆鱗にテンションが上がる。上がるだけではなかった。会場が全てアーチェの味方をしたのである。一気に会場の目を引きつけたアーチェ。その後のプンプンの起死回生はがんばったのだがほぼ盛り上がらず。
「はぁい、そこまでぇ!アピールタイム終了です!みなさん素晴らしいアピールでした。おつかれさまでした!」
惜しみない拍手が送られる。その拍手に囲まれ、ポケモンたちはみな満足したような顔をしていた。ガーネットもミツルもそのかっこよさに気分はとても盛り上がっている。できれば自分の応援していたトレーナーとポケモンが優勝して欲しいが、それよりもとてもかっこいいポケモンたちを見ることが幸せだったのだ。
「さて、残るはドキドキの結果発表ですね。発表は審査員の方から行なわれます」
審査員がマイクを通し、結果を読み上げる。マイクを持った手がそのままであれば。審査員がその方向を見上げる。黒いローブを来た何かが宙に浮いてる。一斉に会場はパニックになり、非常口の方向へ押し寄せる。黒いローブのそれはポケモンたちを狙っていた。特に大きなカイリューのアーチェに。
「アーチェ、翼でうつ!」
近寄ってきたそいつを翼で叩く。思わぬ反撃に一旦身を引く。そして構えるとアーチェに向かって最大限の力を放出する。その力は圧倒的。それらの強さに怖いのかガーネットもミツルも動けない。
「やっと姿を現しましたね!」
黒いローブの放出した力を簡単に受け止め、消失させる。ステージの上に、一人の男性が乗って黒いローブの人に食ってかかろうとしている。勝機がないと解ったのか、黒いローブは帰ろうと向きを変える。そして会場にとけ込むようにして消えた。
ここは、破れた世界。この世とは正反対の場所にある、ということで、別称は「反転世界」となっている。
そして、本来、ここに住んでいるのは、霊竜ギラティナだけのはずだ。なのに、
「いってえなあ、ここは一体どこなんだ」
「何か、地面が天にあるようで、いろいろと分からない場所みたいだね」
男が2人、迷い込んでいた。
彼らはマイコ達とともに、田舎にあるロケット団のアジトに潜入しようとした、テレビクルーのモリシマとカザマだ。アジトの映像を撮るために、ロケット団を次々蹴散らすマイコ、オオバヤシ、トキ、ハマイエの4人を見捨て、2人だけで先に進んだところ、トライ・バリア・キャノンの罠にかかり、肉体を失ってしまった。(その11前後編参照)
アジトでの戦いで活躍したポケモン達は、今はもう、手元にいない。楽園にでも行ってしまったのだろうか。
そして、彼らは今、どちらかと言うとあの世側の場所にいる。そんな彼らの前に、
《どうしたのだ、2人の男よ》
ギラティナが姿を現した。
「ギ、ギラティナ……」
「生で見るのは初めてですね」
「ちくしょう、カメラさえあれば……」
伝説と謳われるポケモンが目の前にいる。しかし、それを写真に収められないのが悔しくてしょうがない2人。その様子を見た霊竜は、こうボソリ、と呟いた。
《我なんかを写して、得はないだろうに、なぜ彼らはこうも拘る?》
そして、ギラティナはこう言った。
《お前達はなぜ、ここに来たのか?》
それに対し、2人は答えた。
「ロケット団とかいう奴に、訳の分かんねえ機械で飛ばされたんだよ!」
「同行した人達の助けを断ってしまったことで、僕達はここに飛ばされました。助けようとした彼らはひょっとしたら、僕達を助けられなかったことを後悔してしまっているかもしれません……」
このことを聞き、反骨ポケモンは言った。
《では、その彼らに会いに行かせてあげようではないか。》
「「本当ですか!?」」
《但し、条件がある。お前達はもう、現実の世で生きるための体を持たない。そして、我にはこの破れた世界に迷い込んだ人間の一時的な蘇りをサポートする役目を持つが……、体がないのは痛い。そこで、だ。ポケモンの姿を貸してあげようではないか。》
ギラティナとしても、本当は人間の姿で帰してあげたかったのだが、仮の体を与えるしか方法はなかったのだ。もっとも、そのタイムリミットが来た暁には、彼らを死者の楽園、つまり、天国に成仏させるという約束はしてある。
そして、2人は眩しい光に包まれ、この世に行ったのだ……。
同じ頃、オオサカのある劇場の一室。
2人の青年、オオバヤシとトキが部屋に入ると、そこには手招きポケモン・サマヨールが1匹、もの言わずそこにいた。このポケモン、先程まではいなかったのだが、気がつくと存在していたのだ。それを見て、戸惑う2人。
「さっきまで……おらんかったはず、ですよね?」
「どっかから入ってきた?こいつはゴーストタイプやし、壁をすり抜けるとか平気でやりかねんからな……」
そう話しこんでいると、
ゴオオオオッ!!!
「体が浮いてるっ!?」
「アカン、あいつに、吸われるっ!!!」
手招きポケモンが口と思われる場所を開け、とんでもない吸引力をもって2人を吸い込んだのだ!!!
「「うわあああああっ!!!!」」
「おい、トキ、お前、大丈夫か?」
「お、オオバヤシ、さん……?」
「良かった……。意識はあるみたいやな。それにしても、周りが真っ暗で自分の周りぐらいしか分からへん」
サマヨールの中の空間は、ただただ真っ黒い世界になっていた。しかし、幸い、2人とも近くに倒れていたために、お互いを認識するのに時間はかからなかった。
どこに続くかも分からない空間に、しかし、明かりのようなものが2人の目に入った。それは、人間の形をしていた。しかも、2人の知り合いの人。
「モリシマさんに、カザマさん?」
「やとしても、うまく出来すぎていて怪しいで。あんまり触るな……」
オオバヤシが注意した、その時だった。
ズボズボッ
「言うた傍から引っこ抜くな!!!」
何か抜けた音がして、オオバヤシが音の方向を向くと、トキがその人型の明かりを両方とも引っこ抜いていた。当然ながら、オオバヤシは怒り、無意識のうちに叫んでいた。
2人は知らなかったのだが、このサマヨールこそ、モリシマとカザマがギラティナから与えられたポケモンなのだ。彼ら2人を一緒にして1匹のゴーストポケモンにした、というのがギラティナのしたことなのである。
明かりは人の形(それでも足がないのだが)をとり、オオバヤシとトキの周りをぐるぐる、浮遊しながら回っていた。
「お前ら、よく気付いたな!」
「ただの偶然だったんですけど、ね」
「オオバヤシが『引っこ抜くな』って言ったのを聞いて、むしろ引っこ抜いた方がいいのに、とか言いたかったけれど」
「……俺の判断ミスってことやな。無駄に怒ってもうたなあ」
「いや、いいんですよ。俺の方が実際、アカンことしてもうてるから」
話し込んでいると、カザマがあることに気付いた。
「オオバヤシ、トキ、いいかな?」
「はい」
「何でしょう?」
「どうやって出るのかな?僕らはともかく、2人はここにいちゃいけないんじゃないかな?」
「「……」」
全くそのことについては考えていなかった。しばらくの間考えた結果、オオバヤシが出した案はこうだ。
「……サマヨールが傷つくことを承知するなら、尖った物質……例えば、ストーンエッジとか……をぶつけて、穴を広げて出る、というのは?」
それを聞き、モリシマが言った。
「いいぜ」
「モリシマ君!?正気か、キミは!!」
あまりにも潔い快諾ぶりに、カザマは驚き、詰め寄った。
「何故だよ」
「僕達がいられなくなるということだ!分かって言っているのかい!?」
「未来あるこいつらをここで潰すより、もう既に死んでいる俺らが潰れる方がまだマシなんじゃあねえのか?」
「……仕方ないね。2人のために、ここは僕達が引こうか」
そして、オオバヤシとトキは、作戦実行のためのポケモンを出した。
「……トキ、野暮なこと聞いてええか?」
「何か文句があるんなら聞きますよ」
「コジョフーはサマヨールを突破できそうな技を持ってるんか?」
ストーンエッジで突破しようということになってそれぞれが繰り出したのは、アーケンとコジョフー。岩技を覚えそうになさそうなコジョフーを見て、オオバヤシは思わず、トキにこう聞いていた。
「大丈夫です。格闘のポケモンは、大体岩タイプの技を使えるんです。こいつも例外ちゃいますから」
「……分かった」
そして、作戦は実行された。
「アーケン!」
「コジョフー!」
「「ストーンエッジ!!」」
最古鳥と子オコジョから出てきた鋭い石のかけらが飛んでいき、穴を穿っていった。しかし、穴の開く面積が小さい。
「思ったより開いてない……」
「このままじゃ、2匹の方がへばってまう……どうすれば……」
と、その時だった。アーケンとコジョフーが光り出したのだ!
「進化するんやな!」
「タイミングがぴったりや。これなら、威力も上がるかも、な」
それによって、最古鳥のアーケンが、飛行能力を得たアーケオスに、子オコジョのコジョフーが、紫色の毛皮のオコジョ、コジョンドへと進化したのだ!!
「じゃあ、改めて!アーケオス!」
「コジョンド!!」
「「ストーンエッジ!!!」」
進化のパワーはやはり絶大で、穴が猛スピードで開いていった。そして、男性2人が通れるくらい開いたところで、2人はポケモンを戻し、走った。
「モリシマさんも、カザマさんも、ついて来て下さい!」
「いいんだ!俺らは」
「俺らの我が儘かもしれませんけど……とにかく!来て下さい!出ましょう!」
2人は走り、しばらく振りの元の世界に出た。
……が。
「ちょっと、どーしたの、2人ともっ!?……きゃあああっ!!!」
穴の開く先までは調節できなかったようだ。マイコに降ってくる形となった。
ドッスーーーン!!!
「いててて……」
「ああ、やってもうた……」
「あ、あの、さ……重い」
マイコがオオバヤシとトキの下敷きになっている状態だ。本当はマイコもムシャーナを出して何とかギリギリで止めようとか思っていたが、若干間に合わずにこうなってしまった。
「分かった。2人とも何か大変だったのはこっちも理解したから。……頭上に降ってくるのはどうにかしてほしいなあ」
「「ごめん」」
そんな3人を見て、モリシマとカザマは言った。
「こいつら、吹っ切れているみたいだな」
「安心して成仏できるよ。サマヨールも元の場所に帰って行ったし」
彼らには、どうやらもう、心配すべき部分は、モリシマとカザマが見る分にはないらしい。ただ、これから起こる、ある大きな戦いのことだけが不安だった。
ロケット団は下火になったが、日本の政治の中枢地が、プラズマ団という巨悪に蝕まれつつあること、そして、近いうちに、ここにいる彼らがその巨悪と戦わなければならないということを……。
おしまい
マコです。
何とか事態を収めることに成功したオオバヤシさんとトキくん。
マイコちゃんの頭上に降ってきたことだけは予定外だったらしいですが。
最後の文は、近いうちに書くであろうポケリア第2部(仮)の予告です。
ということは、トウキョウで……?
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
キモリの攻撃がはじかれる。弱点のはずの草が全く効かない。レベル差がありすぎる。まだ間に合ってなかった。
サイホーンの攻撃がキモリの腹に当たる。突進だった。柔らかい急所を突かれ、体ごと飛ばされた。ザフィールが上手くキャッチする。キモリはほとんど体力が残ってなさそうな顔をしている。すでにスバメは瀕死の重症だった。これ以上ポケモンがいない。キモリをボールにしまうのと同時に後ろを向いて走り出す。
事前に確認しなかったのが不幸か。後ろには、別のアクア団がいたのである。2対1、勝ち目は無い。なるべく二人が視界に入るよう、ザフィールは立ち位置を取る。後ろは壁だ。狭いトンネルの中、二人の男に囲まれる。
「こいつがマグマ団の裏のエースとか言われてるやつか」
「間違いない、俺は一度こいつを見たことがある。こいつをやっちまえば、マグマ団の戦力は大幅に削げる」
一人の男が指の関節を鳴らした。ザフィールはため息をついた。避けるだけなら、きっとキモリ以上に動けるとは思う。
「そんな風に評判になってくれて嬉しいけどな、俺はそんなに簡単にやられねえよ」
自分に言い聞かせるようにザフィールは言った。アクア団達は少しずつ距離を縮めてくる。後ろは壁だ、逃げ場は無い。けれど攻撃の瞬間、隙が生じる。そこから逃げればいける。せめてマグマ団の応援が来るまで無事でいればいい。
突如、ザフィールの体は右に跳ぶ。そこにいたら顔が持ってかれたのではないか。耳に残る、拳が風を切る音が物語る。そうと思えばもう一方が押さえつけようとザフィールの腕を掴もうとする。寸でのところで逃れた。アクア団たちの包囲網から外れる。
今しか走るチャンスがない。道さえあれば勝ったも同然。地面を蹴りだし、走る。
いきなり揺れた。地震があったかのように。立っていられずに、前に転んだ。そして目の前に見たものは、道を分けるように深く割れた地面。後ろにいるのはサイホーン。そのまま走っていたらこの地割れに飲み込まれていた。そして、完全に退路を経たれていた。
跳ぶのも考えたが、それより先に首根っこをアクア団につかまれる。
「さてと、簡単にやられないか試してみようか」
トンネルに響く音は、年齢にふさわしいものではなかった。壁に押し付けられ、腹部に重い一撃が来る。声も出ず、息苦しい。首をじわじわと締められ、抵抗しようにも子供の力では大人に敵わない。
そしてもう一発、今度は顔に。後ろの壁にもぶつけ、視界がぼやける。口の中を切ったようで、血の味がした。アクア団が楽しそうに笑う。反論したくても、息がまともにできない。そして反対の顔にも拳が入る。二人のアクア団が獲物をいたぶる捕食者に見えた。
その様子をエネコは物陰から見ていた。あの時、助けてくれた人間に興味を持ち、ずっとついてきていた。大きな人間二人は、今まさにその人をいたぶって楽しんでいる。動くべきか動かないべきか。動こうとしても、足が震えて動けない。敵うわけがない、人間とあのサイホーンには。けれど、ここで出て行かなければあの人は死んでしまうかもしれない。
大きな人間はさらに思いっきり腹部を殴りつけた。指先はほとんど動かない。助けてくれた恩があるのに、なぜそれを返せない。恩を返すのは群れのルール、それをリーダーが守らなくてどうする。
エネコは決意したように跳ぶ。そして男の後ろ足に噛み付いた。手加減なしで。けれど男はエネコに反撃することもできずに倒れる。パンチを出したら右に出るものはいないエビワラーのような素早いパンチが男二人の頬を捕らえていた。
男たちは殴られた方向に飛んでいった。エネコが見上げると、赤い服を着た人間が大切なものを壊されたような目で男たちを見下ろしていた。
「遅いっすねえ」
一通りのアクア団は排除した。けれどさっきからザフィールが見当たらない。カナシダトンネルにアクア団が逃げたから追うと報告を受けてからだいぶ経つ。さすがのマグマ団もざわつき始めた。
「まさかやられたとか・・・」
「いやそれはないだろ、ザフィールだぞ、簡単に捕まるわけもない」
逃げ足には定評があり、誰にも出来ないことをやってきた。それに器用なやつであるから、捕まっても逃げられるだろう。そういう評価があるからマグマ団たちも一人で追わせたのである。
「そうですね。そういえば、この前のトウカの森で、アクア団に食って掛かってた女いたじゃないっすか。あいつが入って行くのを見たんですよ」
「なぜそれを言わない!ザフィールが危ない!」
間違って一緒にボコされたらどうするんだ、とマグマ団たちはカナシダトンネルへと入って行く。
「歩ける?」
簡単な質問にも答えられないようだった。目だけで訴えてくる。息をするのも苦しそうだった。開いた口から、血が滴り落ちる。
その赤が目の奥に染み渡るようだった。頭がふらつく。頭痛もしてくる。体が受け付けてくれない。全てを吐きそうだった。けれどここで何とかしなければ、また目の前で死んでしまう。奥歯を噛み締め、じっとザフィールを見た。
「ガーネット、なんで、来たんだ」
「なんでって、教えてくれたでしょ!ほら喋らないで」
頭のバンダナをほどくと足の傷口を押さえるようにバンダナを巻いた。口から出る血は、少し小さいハンカチを当てる。青いハンカチがすぐに赤く染まっていった。
そしてそのままザフィールの体を支えて立ち上がる。彼の足には力が入っていなかったが、重いとも思わなかった。待機していたポニータに乗せる。落ちないように支えながら。そして地割れの前で止まる。
この地割れくらいなら、ポニータがジャンプすれば届いてしまう。けれど、今のザフィールにシルクから落ちないようにしているのは難しいし、二人乗ってしまえばジャンプ力がなくなる。
考えたところで、ザフィールの容態が悪くなるのは解っている。すでに口元のハンカチは色がかわってしまっていた。顔色も悪い。ポニータの足並みにそろえるように、エネコがくっついてくる。ザフィールのものなのか、ずっと心配そうに見上げている。
「大丈夫、お前の主人は助けるよ」
とは言うものの、妙案は浮かばない。ここは一か八かに賭け、跳んでもらうか。縄みたいので体を固定できればいいが、そうしたら次は自分が出られない。壁を伝うことも思いつくが、キモリでは人の体重を支えることはできないだろうし、そもそも瀕死に近い。どうしたものかと自分のボールを見る。ジグザグマとミズゴロウのボール。
「しょうきち、シリウス。壁に穴をほって通り道つくって」
2匹はすぐさま作業に取りかかる。どんどん穴が出来ていき、人が通れるくらいの大きさにしていく。任せておいて大丈夫だろう。むしろこのけが人の方が心配だ。
流れる血から目をそらすように様子を見る。血はさっきより勢いは止まっているけれど、力が入らないのは変わらない。一応、呼吸はしているので今の所は大丈夫であるのだろうけど。
後ろからいきなり押さえつけられる。足が宙に浮いた。太い腕、そしてその高さ。片頬が腫れているアクア団だった。目を覚まし、ガーネットを捕らえている。
「こいつにガールフレンドがいたとはな」
「残念だけど、私とザフィールはそんな関係じゃないわ」
「そうかい、じゃあこいつがいま死んでもいいんだな?」
もう一人がザフィールの体をかかえていた。そして地割れの前に持って行く。
ガーネットはミズゴロウの名前を呼んだ。その合図にあわせ、水鉄砲がアクア団に飛び出す。突然のことでザフィールを手放した。崖から落ちないよう、ポニータとエネコがザフィールの服を噛んで引っ張っている。
二匹の後ろからアクア団が近づくが、ポニータの後ろを取るということがどういうことかわかってなかった。反射的にポニータの後ろ足でダイヤモンドなみに堅い蹄の強烈な一撃を与えたのである。それを見てガーネットもアクア団を力任せに振り払う。痛がっているアクア団を持ち上げた。
「ちょっとジャマしないでね、だからあっちいっててほしいんだ」
ほうり投げる。アクア団はトンネルの奥へと再び姿を消した。往生際が悪いのか、もう一人のアクア団は足元にいたミズゴロウを地面に押さえつける。
「動くなよ、動いたらこのミズゴロウを」
ミズゴロウが暴れるが全く効いてない。前足で地面を掻くが、ただへこむだけ。
「よし、そのまま動くんじゃねえぞ。お前みたいなやつは持ち帰ればボスにほめられるんでね、なるべく傷つけず持って帰りたいんだ」
「私は物じゃないし、あんたたちの仲間になる気もない」
ガーネットの右足が揺れる。そこから何かが飛んで、アクア団の顔にめり込む。靴だった。走るのに最適なランニングシューズだからそんなに堅くもない。シルクの蹄より痛くないでしょ、と声をかけると、気絶しているアクア団を放って穴掘りを再開させる。ガーネットは再びザフィールの体をシルクに乗せた。
運が悪いとはこのことで、そのすぐ後、地割れの向こうに赤いフード、黒い服の集団が見える。マグマ団だ。地割れがあるから助かったようなものの、もしなかったら今の状態では守りきれない。
「いたぞ、あの女!」
「やっぱりあの女にやられてたのか!くそっ!」
マグマ団が空を飛べるポケモンを繰り出した。ズバットだ。他にもズバットゴルバットキャモメペリッパー。あまりの数の多さに対応しきれない。
けれどやらなければ。キノココのボールを開き、全員総出の戦い。1匹が何匹も相手しなければならない。それでも負けられない。ザフィールを下ろし、ポニータは炎のたてがみを揺らした。
しばらくは持った。けれど体力のないものから次々に倒れて行く。キノココ、ジグザグマ、ポニータそして最後までねばったミズゴロウも今や押し負けそうだった。力のないものからボールにいれてやると、何かが飛びついてきた。戦いに気を取られ、全く気付いてなかったが、地割れに梯子をかけてマグマ団たちが渡ってきている。そして人海戦術とばかりに、ガーネットを次々に押さえつけたのである。
「みんなで乗ったら気絶するだろーが!!!」
さすがのガーネットも何人もいたらはねとばすことができずにこの有様。マグマ団たちは会議を始める。まずザフィールは病院へ連れて行くのは当たり前として、ガーネットをどうするか、である。
マグマ団たちの足元をぬって、残った体力でガーネットに近づく。ミズゴロウが心配そうに顔を近づけた。何の反応もないガーネットを見て、悲しくなったのか大声で泣き出す。最初はうるさいな、とマグマ団も言っていたが余裕がなくなった。死んだと勘違いしたミズゴロウがさらに大きな水の固まりをマグマ団に当てる。その威力は強いもので、吹き飛ばされている。そして残ったマグマ団にも同じく水の固まりを当てた。体力がなくなると水技が強くなる特性、激流。その名前のごとく、水鉄砲が激流となり、ミズゴロウから乱射されている。そしてその水は低いところにたまり、地割れを満たすまでになる。
「やばい、あのミズゴロウやばいぞ!」
歩ける団員は逃げ出した。ミズゴロウはガーネットとザフィールの服の端をくわえると、今までよりも大きな技を呼び起こす。津波にも似た大量の水が山奥のカナシダトンネルを襲う。壁からも水が漏れだし、全ての空間が水で埋まる。その勢いで、カナシダトンネルが崩れていくニュースが、その日の一面トップに躍り出た。
大きい……ここがトレジャータウン……
私が住んでた町から歩いて半日。
西の空に日が沈みかけてる。
やっとのことで、トレジャータウンって言う場所についた。
右側には何か小さな山のようなものが見える。
階段がたくさんあるけど……なんだろう。
さて、プクリンのギルドを探さなきゃいけない。
歩いてくるには少し遠かった……少し疲れてしまった。
あの家はちゃんと戸締りしてきたから大丈夫だと思う。
大事な物は置いてきたけどね。
道中、トレジャータウンやプクリンのギルドのことをいろいろ聞いた。
探検家になるにはまず、プクリンのギルドに弟子入りして、修業を積むのが一番の早道らしい。
トレジャータウンは、この世界の探検家の拠点、だそうだ。
どうりで私の町なんかよりはるかに賑わっているはずだ。
ここにいるみんなが探検家なのだろうか?
おっとっと……こんなことしてる暇じゃなかった。
プクリンのギルドはどこだろうか……?
ああ、あそこに看板がある。
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↑プクリンのギルド
←トレジャータウン ぼうけんへ→
↓かいがん
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こっちの方向にプクリンのギルドがあるんだ……って、この山のことだろうか?
階段の方向を指してるみたいだけど……
とりあえず、のぼってみよう。
たったったった……たたたた……とてとてとて……はぁはぁはぁ……
数段上っただけで息が切れた。
どんだけ体力ないんだろうか。私は。
のぼり切るころには、完全に息が上がっていた。
ぜーぜーはーはーすーはーすーはー
……ふぅ。だいぶもどった。
気を取り直してもう一度プクリンのギルドがあるはずの山の上を見る。
顔を上げるとそこには、プクリンをかたどったテント(?)が一つあり、入口は格子戸になっている。
その周りにはたいまつが二つ立っており、夕焼けの空を照らしている。
それ以外には、謎のトーテムポールのようなものが二本、ばってん印の丸太。
ここがプクリンのギルドなんだ。
思わずポカーンとしてしまった。
なんというか……想像と違うというか……
どこにギルドがあるんだろう?
まさかこのテントだけ……じゃないよね?
とりあえず、進んでみよう。
入口の前に歩き進むと、地面の感覚が変わった。
今まで感じていた砂の感じではなく、何かすーすーとした感じがする。
下から風が抜けてくるというか……なんというか。
暗くてよく見えない……けど。
鉄格子まで目と鼻の先……まで近づいたその瞬間。
ずぼっ!
な……足元がいきなり抜けたっ?
……と思ったら、地面に穴があいているだけだった。しかもたくさん。
穴があいている……というより、もともと網目状に棒が交差されて組まれた足場だったようだ。
何のためにこんな危ない床を……
よいしょ、と落ちた前足を引っこ抜きながら体勢を整えていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
『ポケモン はっけん! ポケモン はっけん!
だれの あしがた? だれの あしがた?
あしがたは イーブイ! あしがたは イーブイ!』
突然の出来事だったので、思わず小さな悲鳴をあげてしまった。
しかもかなりの大声。驚いてまた足が穴に落ちるところだった。
『よし。別に怪しい者じゃないみたいだな。通行許可を出そう。』
ずどどどどどどど
なんだか重苦しい音を立てながら、目の前の格子戸が開いた。
奥には誰もいないはずなのに、どうやって開けているのだろうか。
ドキドキといつもより早く脈打っている胸を前足でなでおろしつつ、プクリンの形をしたテント(?)の中に入る。
テント(?)の中には、真ん中にある降り梯子(はしご)以外には、何もなかった。
それ以外に何もないということは、やることも一つなのだろうが、なかなか足が進まない。
下に何があるのか、という期待と不安のせいもあるだろうが、何より一番の原因は……
四本足のポケモンに梯子のぼりおりできるの?
と、言うのが一番の原因。
一つ下の階層を覗いてみるが、結構な高さがあり、落ちたら骨の一、二本持っていかれそうだった。(体が丈夫なら大丈夫だろうけど)
怖いな……なんでこんな作りにしたんだろう……絶対滑るよ。これ。お約束ってやつ……
頭でそんなことを考えつつ、ゆっくりと、梯子に後ろ足をかける。
一段、また一段とゆっくり、慎重に降り進んでいく。
半分くらい下りて、やっと一つ下の階を見渡せるような高さの場所に来ると、何やら声が聞こえてきた。
「もぅ! 全く! どこにイーブイがいるんだい! 本当に入ってきたんだろうね!」
「確かに僕は見ましたよ。ちょっと小さかったけど、しっかりイーブイの足形でした。」
「じゃあなんでいつまでも入ってこないんだい? もう結構時間がたつよ?」
「それは……」
何やらもめているらしい。
あの声は、どこかで聞いたことがある。(ような気がする)
もっとよく聞こえないかな……と下の階に注目した……その時。
つるっ
自分なりに……しっかりと握っていたはずなんだけど。
前足が……滑った。案の定。やっぱり滑った。お約束な気はしてたけど。
ご〜ん
頭から鈍い音が聞こえる。
背中と頭をうちつけたようだ。痛い。
幸いあまり高くないところから落ちたので、半泣きになったことと、頭にたんこぶができたこと以外、大きなけがはなかった。
「だ、大丈夫かい? いきなり上から降ってきたけど……」
涙で滲む視界の中にいきなりカラフルな物体が写りこんできた。
こっちを見ているようだが、ぼやけていてどんな表情をしているかは分からなかった。
「まさか、君がさっき入ってきたイーブイかい?」
カラフルな物体の質問に、首を縦に振って答える。
それから、目を両前足でごしごしとこすり、頭と背中がひりひり痛いのを我慢しつつ、立ち上がった。
よく見えるようになった目で、もう一度カラフルな物体を見ると、どうやらペラップだったようだ。
「ん……? 君のその耳……まさか、あの時のイーブイなのかい?」
また首を縦に振る。
はい。とか、いいえ。とか口で言えばいいのに、なんだか恥ずかしくて。
「そうかい! 久しぶりだね♪ …………ところで、今日は何の用事があってきたんだい?」
私がプクリンのギルドに来たかというと…………プクリンのような探検家になるため。
そのために、ここに弟子入りをしたい、という理由がある。そのことをペラップに伝えなくては。
探検家になりたいこと、プクリンのギルドに弟子入りしたいこと。
かなり小さい声だが、懸命に説明する。
聞きとってもらえたかが多少不安だったけど。
「探検家になりたいのかい? それなら、おやかたさまのところに行かないといけないな。ほら、ワタシについておいで♪」
どうにか聞き取れてもらえたようだった。ふぅ。一安心。
ペラップがバサバサと音を立てながらもう一つ下の階層へ向かって飛んで行った。
まさか……ここもまたあの梯子……?
予想通り、今降りてきた(落ちてきた)梯子の隣にもう一つ降り梯子が掛けてあった。
今度こそ落ちないように、慎重に、そーっと降りる。
時間はかかったが、今回は上手に降りることができた。はっきり言って奇跡だと思う。
今更だけど……プクリンのギルドは、上から降りてくるようにして作られてたんだね。
だから梯子もあるし、窓もある。
どおりで一番上に小さなテント(?)しかなかったわけだ。
なんで下にも入口を造らなかったんだろう。下に入口を造ったほうが早いと思うんだけど……
「さぁ、こっちだよ♪ 急いで急いで♪ おやかたさま。ペラップです♪はいります。」
ペラップが何やらマークがはいった扉をあける。
何故かここだけに扉がついている。流石は親方がいる部屋。他とは違う。
……そう言えば、他の弟子たちはどこにいるのだろう。
何やら怪しい壺の前に居る一匹を除けば、他にはペラップしかいない。
「ほら! 何してるんだい? 早くおいで?」
はっ。そうだった。
ボーっとタイムから意識を呼び戻し、ペラップが待っている方向へ急いで向かう。
扉を通るとそこには、大きな宝箱が二つ置いてあり、そこにはなんだかよくわからないまあるい物体がたくさん入っていた。
凄いものなんだろうなぁ……多分。
「おやかたさま、新しい弟子入り希望者です。よろしくおねがいします。」
そう言うと、ペラップは忙しそうに部屋から出て行った。
……気を取り直して。
部屋の真ん中には、赤いじゅうたんが敷かれており、その上にプクリンがいた。
奥の壁のほうを向いている……何かをしているのだろうか?
「やぁっ! ぼくはプクリン! ここのギルドの親方だよ? って、久しぶりだね! 元気にしてた? ともだち!」
くるりんっ!
カポエラーもびっくりの速度と勢いで、プクリンが180度向きを変えてこっちに向き直った。
あの体型でどうやって回転しているのだろうか。
まさか……
いや、なんでもない。ただの思い違いだろう。
「どうしたの? そんな顔してさぁ♪ ぼくがそんなに変かい?」
いや、あんな挨拶のされ方をすれば誰だって驚く。
はじめて会ったならなおさら。
初めてじゃなかったからこれだけですんだけど……
「探検隊になりたいんだって? うん! 一緒に頑張ろうね! じゃあ、まずはチームの登録を……あれ? もしかして、君一匹かい?」
探検『隊』? チームの登録?
ナンノコトダカサッパリわからない。
まさかとは思うが、プクリンに、二匹以上じゃないとなれないのですか? と聞いてみる。
「別に一匹でも活躍している探検家はいるし、一匹じゃダメって言う決まりもないけど、君、探検初心者だよね? もしも初心者が一匹で探検に行って、倒れたらどうするの? 誰も助けてくれないよ? だから、まだ慣れないうちは、誰かと一緒にチームを組んだほうがいいんだ。それに、チームでいたほうが、賑やかで楽しいよ♪」
にぎやかで楽しい……か……
そんな事とは無縁の人生(?)だったからなぁ……
ん……この場合はポケ生というべきなのか……?
もちろん、無縁ということは、友達などという物はいない。周りからみると、きっと寂しい奴なんだろう。自分では、別にそんなこと思わないけど。
だから、いきなりチームを組め、とか言われても困る。
友達どころか知り合いすら少ないし……
「大丈夫だよ♪ 見つかるまで探せばいいから! じゃあ、一応仮登録しておくよ♪ ほら、これを受け取って♪」
プクリンが床に箱のようなものを置く。
箱には『ポケモン探検隊セット』と書かれてあった。
あけると、探検隊バッジなるものと、地図と鞄が入っていた。(自分の鞄もあるのだが)
「まず、探検隊バッジ。探検隊のあかしだよ。そして、その地図。不思議な地図と言って、とっても便利な地図なんだよ♪ 最後に、トレジャーバッグ。拾った道具を取っておけるよ♪ 今は小さいけど、活躍によって大きくなるとっても不思議で便利な鞄なんだよ♪」
一度にたくさんの説明をされて、頭の中がぐちゃぐちゃする。
でも、全部便利な物、ということはわかった。一応。
「さぁ、トレジャーバッグの中身をのぞいてごらん。」
中には、布状の物が入っており、きれいにたたまれていた。
が……よく見ると、値札が付いている。
『特売! 800ポケ! カクレオン商店』
特売品……まあいいけど。プクリンは全く気がついてないようだ。
言うべきだろうか……
「それは、『ともだちリボン』っていう、持ってると不思議と人気者になれるリボンなんだ♪ それを渡しておくから、探検隊になりたそうなポケモンを誘ってみたらどうかな?」
誘ってみたら? か……一度も友達作ったことない私に……できるのだろうか?
早速、『ともだちリボン』を頭にかけてみる。
目にばっさりとかかって前が見えなくなった。どうやら頭に付けるものではないらしい。
首に巻くものなのかなーと、必死で巻こうとするが、前足をじたばたさせるばかりで、いっこうに巻ける気配がない。
見かねたのか、プクリンが手伝ってくれた。きれいに首に巻いて、トレジャーバッグを体にかけると、気分だけは探検隊になれた気がした。
……………て言うか、値札が……ちくちくするんだけど……
この特売ってところが特にちくちくする。
「仮登録で、チームができるまでは、依頼や探検はさせてあげれないから、がんばってね♪ とりあえずは、ここにいてもいいから! ペラップ!」
プクリンが、ペラップを呼ぶと、「はいはい、ただいま〜」とペラップが飛んできた。
すぐ近くにいたのだろうか。すぐに部屋に入ってきた。
「一つ空き部屋があったよね。この子に使わせてあげて。えっと、一応、仮登録して、ぼくの弟子になったからね。今日はもう休ませてあげて。」
「はい♪ わかりました♪ あの部屋ですね。 かしこまりました。……さぁ、ついておいで。」
ペラップに再び連れられて、奥にある部屋に案内された。
そこは、一匹で使うにはなかなかの広さで、わらのベッドが二つあった。
窓も付いており、快適そうに見えるが、一番奥の部屋なので、出入りに時間がかかりそうだ。
「この部屋は自由に使っていい。 早くパートナーが見つかるといいな♪」
そう言うとペラップはまたも忙しそうに飛んで行ってしまった。
パートナーか……きっと、私にできるはずがない。
今まで生きてきて、友達らしい友達を作ったことも、出来たこともない。
寂しい……と思ったことはなかったけど。
うん……ギルドに他の弟子たちがいないのが気になるけど……
今日は暗いし、もう寝ようかな……
初めて使うベッドに体を丸めてのせる。ふかふかしていて、とても気持ちがいい。
目を閉じ、耳をぺたりと体にそえる。半分しかない右耳も、最初は違和感があったが、既に慣れてしまった。
慣れって怖いね。
あんなにショックだったのに、もう立ち直ってる。
プクリンのギルド生活も、こんな感じですぐに慣れてしまうのだろうか……?
きっと、すぐに慣れることができる……はずだよね。
今日はドキドキすることがいっぱいあったけど、明日はどんなことがあるのだろうか?
いいことあるといいな…………
〜第2話に続く〜
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あとがき的な物体。
はい。第1話です。ありがとうございます。
前回から大幅に遅れてしまいましたが、入門編ということで、書かせてもらいました。
当初、先にパートナーを仲間にする予定でしたが、先に入門したほうが、辻褄が合うので、先に入門させてしまいました。
ただ、ともだちリボンを持たせたかっただけかもしれない。
カクレオンの店で買えない? そこは気にしてはイケナイ。
そして、引き続き
おかしいところの指摘をお待ちしております。
指摘されたところは、加筆・修正していくので、どんどん言ってください。
て言うかむしろ、見つけてほしい。
見つけてください!
お願いします!
駆け抜けた。走った。
深い森を掻き分け走った。喉が痛い。吐き捨てた息は白く吸い込んだ風は気管支を痛めつける。足の裏に木の根の感触。冷え切っているのにどうしようもなく熱い。ジグザグ走行。太股がパンパンに張っている。道が合っているのかわからない。あーっつう、地図とか見てる暇がない。ぶん投げる腕で掻き分ける空気が冷たい。枝が痛い。
衝動が湧き上がる。
「追いつく」
追いつく。あれには追いつける。
俺の口から零れ落ちた言葉をすくい、隣を走るゴウカザルが雄たけびを上げた。響き渡って夜明けに染みた。でも俺はそんな染みも超高速で踏み越えてさらに速く。まだ暗い森、併走する猿の明かりだけを頼って。
胸を圧迫する呼吸のたび掠れる喉の奥が痛い。
そういやいつも走れば走るほど痛かった気がする。
馴染みのガキと遊び回れば足を切り傷だらけにし、マラソン大会ではゴールに顔面から飛び込んで顔を半分血まみれにした。ぶっちぎりの一位だった。
勉強、球技、口喧嘩、何をやらせてもボロクソだったが足だけは速かった。駆け比べなら負け知らずだった。最速の名を欲しいままに、ナントカ大会で貰った盾だの賞状だのが家でいくつも埃を被っている。
ところが彼女には、どうしたっても敵わなかった。
ポケモンを貰うって日の朝、研究所まで駆けっこで行こうと言い出したのは俺だった。彼女はただ「好きだね」と言って勝ち目のないレースに乗った。俺は運動会じゃ負けなしのリレー選手、彼女は座り込んで本を読むインテリ。俺はあっというまに彼女を突き放して隣町に飛び込み、そして彼女が追いついてくるまで余裕をかまして待っていた。
そこへ、彼女は歩いてきた。いつも通りの能面で、けれど口元にほんの少し笑みを湛えて。
「負けちゃった」、と。
おう、としか言えなかった。いつもそうだ、彼女を相手にしたときは、俺はどうしたって胸のここらへんに小骨のつっかえたような思いをする。そんな心持ち悪さに任せて思いッきり研究所のドアを開いた瞬間に、顔面に飛び込んできたヒコザルの勢いに引っくり返ったのも今はいい思い出。
ほとんど必然的にそいつをパートナーに選んだ俺へ、何を思ったのか彼女はナエトルを選んでおいて、「勝負しよう」と言ってきた。
初めてのポケモンバトルは、炎タイプと草タイプ。相性は歴然。
「やれ、ヒコザル!」
去年のポケモンリーグの中継、防戦一方のドダイトス相手に炎を纏って飛び回り、あっという間に試合に片をつけたゴウカザル。あのビジョンが頭の中に閃いた俺は颯爽とヒコザルをけしかけた。
ひたすらひっかくを繰り出すヒコザルに、彼女はただナエトルを耐えさせた。あのとき身を屈めた亀の瞳は、そういえばじっとヒコザルを睨んでいたような気もする。
勝てる。確信が膨れ上がって、俺は実況中継の真似事までやった。さあーヒコザルのモーレツラッシュひっかきだ! ナエトル選手、もはや手も足もでないかー!
そして俺のヒコザルがトドメとばかりに振りかぶったところへ。
奴は強烈な体当たりを叩き込んできたのだ。
あの体当たりは、今や進化した彼女のドダイトスが振りかざすウッドハンマーでさえ掠れてしまうような勢いを持って俺の記憶に傷を残している。ヒコザルはオーバーなまでに吹っ飛んで地面に転がった。
たった一撃でのされてしまったヒコザルを呆然と見つめる俺に、彼女はとびっきりの笑顔で。
「今度は勝ったよ」、と。
白い腕を後ろに組んで、少し誇らしげに。
あのとき何も言えなかった俺が、今もまだ彼女に追いつけない。
サイクリングロードの草むらをぶっちぎると炭鉱の町の向こうにテンガン山が見えた。
頭が沸いて目の前が滲んでも構わず、ぽっかり開いた洞穴へ飛び込む。
そういえば最初にテンガン山まで着くのはどっちだろう、と彼女と賭けたこともあった。
旅立ちの日取りも決まったある日。
彼女が、テンガン山に着くまでにバッジをいくつゲットして、山を越える頃にはポケモンをこのぐらい強くしておきたい、などと計画性のあることを言っていたので、俺は突発的な思いつきで「なあ、テンガン山まで、どっちが先に着くか競争しようぜ」と言ってしまったのだ。
競争なら勝てると思った。
他の何で敵わないとしても、レースなら負けない。今までも負けたことはなかった。これからも負けるはずがない。
彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに俯いて、うん、いいよ、と笑った。
その返事だけで、俺はもう満足だったのに。
一瞬真っ暗になった視界をゴウカザルの炎が切り裂いた。驚いたズバットが酷い羽音を立てて右往左往飛び上がる。
登れそうな壁は深い水溜りの向こうだった。勢いで走り込むと膝あたりまで水につかって足が止まった。立ち止まると振り切っていた熱が一気に身体に追いついてきて汗が噴き出す。水は凍るように冷たいはずがなんだかミネラルウォーターみたいだ。ゴウカザルは炎を吐きながら壁を走り抜けた。でも手が、手が震えてゴルダックのボールを押せない。しょうがないからジャケットを脱ぎ捨て、俺は黒い水の中へ踊り込んだ。思いっきり水を掻いた。くっそジーパン重てぇ! 思うように前に進まず息継ぎができない。ついプールのノリで足を着こうとしてしまったが水底がない。沈む。がはっ水っ溺れると思った瞬間目の前に差し伸べられた手を無我夢中で握ると、肩から腕だけ外れてどっかいくんじゃねーかって勢いで引っ張り上げられた。ゴウカザルだった。さんきゅー、ずぶぬれの声で言った途端に震えがきた。
ほとんど持ち上げられるように壁を登って、薄暗い洞窟の中を走り出そうとしたがジーパンが重くてうまいこと足が上がらない。あッ、と思った瞬間には手遅れで、俺は蹴っ躓いて盛大に転んだ。眼前に岩! 額のド真ん中でドータクンが鳴った。痛ッてェアァッと額を押さえようとした手がものすごく重たく、視界が紫に転変し、あー、やべ
本当にやべえ。心の底からそう思った。
彼女はとんでもなく早かった。俺がコトブキシティで大勢のトレーナー候補に容赦なくぶちのめされ泣きながら草むらにこもっていた間に、彼女はさっさとクロガネジムを突破していた。当っては砕けるバトルの末、ヒコザルは瞬く間にモウカザルに進化したが、戦績は黒星のほうが多いくらいだった。
――どうして上手くいかない!
夜中、毛布かぶって泣いた。泣いて泣いて、辿りついた結論で一つ大人になった俺は、生まれて初めて回り道をした。トレーナーズスクールに飛び込んで頭を下げポケモンの相性だの特性だの技だのを頭ン中へぶち込ませていただき、手持ちを増やせといわれてモンスターボールに散財した。
明らかに遅れをとって猛烈に焦った。走っても走っても彼女に追いつかない。どこを走っていても、いつ電話が鳴って「テンガン山着いたよ」と彼女の声が微笑むのかと思えばいてもたってもいられなくなる。しかし走れど走れど彼女の後ろ姿には届かず、俺の行く道にはただ悠々と彼女の歩いた跡だけが続いている。どれだけ走っても追いつけない。だんだんと息切れの頻度が増えた。
ゼエゼエしながら走り抜けた森の奥はハクタイの町で、俺は彼女と再会した。
彼女はギャロップにまたがっていた。だんだんとそこらが影に覆われていく中、揺れる赤のたてがみに照らされてボンヤリした彼女の横顔、そこで沈む夕日を返し一瞬だけ光った彼女の目。へびにらみ。からだが しびれて うごけない。
「今度はさ」彼女は言った。「サイクリングロードに行こうと思って」
俺は彼女を見て、彼女の向こう側、つまり彼女がやってきたほうを見上げた。
黒く染まったテンガン山があった。
じわじわと靴の切れ目から水が侵入してくるような感覚だった。足の先から冷たくなる。
「テンガン山に着いたら連絡するって」
約束じゃなかったっけか、俺が尋ねると、彼女はいつもどおりの顔で目を瞬かせた。
「そうだっけ」
それからもう一つ、思いついたように。
「ごめんね」
俺はその時気がついた。このスニーカー、真面目に先っぽがぶっ裂けて浸水していやがったと。
あんまりにもふらっふらで、どうやって洞穴を抜けたのか覚えていないが、気がついたら足の裏は雪を踏んでいた。
風が吹いていた。表へ出ると一瞬にして全身にぶるるるるるると振動が走り抜け、正直死ぬかと思った。膝ががくがくしたのは疲れのせいだけじゃない。ジーパンがアホみてぇに重たい。足元は雪、上空は晴れ渡り突き抜けるような空。
寒い。
よく考えれば雪山で軽装でずぶ濡れだ。死ぬ気がする。つーか死ぬだろう。
考えてもしょうがない。
雪の中へ走り込む。一歩にして足が埋まる。胸の奥はすでにエンジン全開なのに足が進まない。一歩が重い。くそ、進まねぇんだよボケこの野郎!
ふとゴウカザルに裾を引っ張られた。そっちを見ると、誰かの真新しい足跡が点々、向こうまで続いている。
足跡の上に立ち上がるとずぶぬれの靴も沈まない。一歩を足跡に重ねながら少しずつ進む。
いやいやいやダメだ、このままじゃ追いつけない。足跡なんざ追いかけている間にもここを踏んだ人間は前進している。どうしたらいい。もはやあまりの寒さに身体が感覚を失い始めた。走り出したい。指先は燃えるように熱い。どうしたらいい。
もどかしいまま穴の前まで辿りついた。足跡は奥へと続いている。
誰かの走った跡を追いかけるのは簡単だ。行く手を阻む雪は踏みしめられ、藪は切り開かれた後だから。
だが、ただ足跡を追って追いかけるだけでは、決して追いつくことも追い抜かすこともできない。
分かってるさ。分かってるよ。だからってどうすればいいんだよ。
写真で見たときはあんなに大きく感じたテンガン山を、あの日、俺は数分で通り過ぎた。
洞窟を抜けると雨が降っていた。冷たくて冷たくてしょうがなかった。だけども足は止まらなかった。叩きつける雨に視界は真っ白になり、それでも止まらなかった。丘を駆け上がりながら、胸の中から込み上げてくる塊を吐き出そうとしたら嗚咽が出てきた。約束なんか忘れるもんだろ、バカは振り回されてもがいてた俺のほうか! 不意に死に物狂いで挑んできた今までの記憶が追いかけてきて俺を打った。腹の底に溜まったいやな臭いのするドス黒い油を燃やし熱くて堪らないのに雨は全身を貫くように冷たい。限界のギア数で回る足を放り投げた。さもなくば追いつかれる、追いつかれたらお前は最低最悪の負け犬だ!
どこまでも走った。その日のうちにトバリまで着いてジム戦に挑み、何をどうしたか知らないが奇跡的に勝った。覚えているのはモウカザルが相手のルカリオにかえんぐるまで突撃して火だるまになり、立ち上がったときにゴウカザルに進化していたことだけだ。
トバリジムの碑には彼女の名が刻まれていた。
足が止まらず、ジムを見かけては速攻で挑戦状を叩きつけたが、だいたい瞬殺された。もはや競う約束もないってのにあんまり悔しくて何度ボールを投げ損ねたか分からない。負けるたび、振り返る挑戦者の碑に刻まれた彼女の名前が俺を見下してくる。お前はもう周回遅れだと。
彼女の足跡は俺の目の前に、毅然として、誇り高く、迷い無くただ真っ直ぐ続いていた。それをグチャグチャに蹴散らして、何としてでも追いつこうとしていたはずなのに、しかし彼女の視界に俺は居なかった。当然だ、強者は振り返らない。つんのめりながら追っかけてくる俺なんて全くもって眼中にない。それどころか俺は彼女と比べられるだけの位置にも達していなかった。という事実の切っ先を、ある日喉元に突きつけられた。極寒の町で。
調子は万全だった。今度こそ一発で勝とうと気合を入れて、ジムに入った途端に爆音で鼓膜が引っくり返った。
もうもうと上がった白い煙の向こうには彼女とドダイトス、そして氷の色をした小柄な犬。彼女は鋭く指令を飛ばし、亀が四つ足をついて飛び上がる。ジムリーダーが叫ぶ。氷の犬の小さな口に粒子が集まり、青白い光線を吐く。光線はドダイトスの土色の前足を抉り、そのまま背の大樹を凍らせ叩き折った。大地の嘶くような悲鳴がドダイトスの口から轟く。彼女が声を張り上げた。亀は落下し、凍った四本の足で氷の床を叩く。地震。ジムが揺れた。床がばきばきに罅割れ、ドダイトスを震源とした凄まじい衝撃で照明が落ちた。破壊音の末、そこには半分身体を氷に覆われてなお立ち上がるドダイトスと、力なく倒れた、グレイシア。
俺は思った。
前に進み続ける人間は、後ろを振り返ったりしない。ただひたすらに高みを目指し、脇目も振らずに昇り続ける。誰が追ってきているなんてことは関係ないのだ。張り合っていたのは俺だけだった。
結局その日、ジムには挑戦できなかった。
見上げたテンガン山の頂は朝焼けに輝いていた。やりのはしら、と呼ばれる古い建造物の切っ先がここからでも少しだけ見える。
覗きこんだ洞窟の奥はさらに入り組んでいた。
遠い天辺を見上げて、もう間に合わないだろうと思った。そもそも追いつくはずもなかったのだ。彼女にも止められた。それを振り切ってきたのは俺だ。馬鹿だった。
冷たいを越えて感覚を失った全身が震えた。肺が痛い。もうだめだ。いや、随分前からだめだった。なんとかなると思って走っていた俺が馬鹿だっただけだ。そもそも追いついてどうするつもりだ。彼女が勝てなかった相手を、俺が、どうするってんだ。
膝が崩れた。唾を吐こうとしたが口がカラカラに渇いていて無理だった。無理だった。無理だ。元から無理だった。こんなところでこんな格好じゃこのまま凍死するだけだろう。ついてない人生だったな。
ゴウカザルが俺の顔を覗き込んできた。
すまん、もうだめっぽいわ、と呟くと、ゴウカザルは首を横に振った。いやいやいや。もう無理だって。だってこんなビショビショで立ち上がれもしない身体でこれ以上山登りなんかできないでしょ。しかしゴウカザルは神妙な顔をして、頑なに首を横に振る。なんでだ。なんでだよ。
「じゃあどうしろッてんだよ!」
予想外にまともな声が出た。ゴウカザルはぎくりとして止まった。
どうすりゃいいんだ。もう手遅れなのにこんな無様な負け犬へこれ以上何をしろっていうんだよ。無理に決まってるじゃないかこれからやりのはしらまで登りつめるなんざ。もう追いつかない。
岩肌に手をついているのも辛くなって倒れこむと雪の中は心地良いぐらいだった。あーここが俺の棺桶ですか。さいですか。お母さんごめんなさい俺は本当に親不孝でした。最低な息子でごめんなさい。来世では立派になれるよう頑張ります。
突然腕を引っ張り上げられて驚いた。痛テテテテ痛い! 関節が捻り上げられて冷えた腕に鈍い痛みが走った。
ゴウカザルに担ぎ上げられていた。
「おま、ちょ」
抗議を聞くつもりもないようで、ゴウカザルは俺を抱えたまま斜面を物凄い勢いで駆け登りはじめた。こいつだって疲れているはずだろうに平気な顔で。引っ掛けた岩石が足元で崩れ落ちていく音が聞こえる。怖くてぴくりとも動けなかった。
猿は吼えた。ただやりのはしらを、山の頂上を見据えて甲高く吼えた。山が震えたような気がした。
斜面を上りきる直前でバランスを崩し、俺は右足の腿を思いッきり岩に擦った。火のついたような熱に襲われて痛ッ! 雪の大地に放り出されて肋骨に衝撃を受けたのも同時で、一瞬息ができなかった。打った足が猛烈に痺れた。あまりの痛みに歯をくいしばって耐え、雪の上に手をついて起き上がるとジーパンが擦り切れた上から血が滲み出ていた。燃え上がるように熱い! たまらず雪を押し付けたらとんでもなく染みた。
ゴウカザルはロッククライムの勢いで横転して転がっていた。大丈夫かと声を掛けると頭の炎が揺らぎ、ふらふらと起き上がる。
「もう戻れよ」
よくあんな無謀な長距離走に付き合ってくれたよ。腰のベルトからゴウカザルのボールを外そうとしたが、手がまともに動かない。ゴウカザルはまた首を横に振った。
「まだやんのか」
咄嗟に言うと、こいつははじめて頷いた。
なんつー根性。俺はもう今にも諦める気満々だってのに、お前はまだ俺に走ってほしいのか。
ああ、そういえば彼女に再会し、約束を木っ端微塵に破り捨てられたあの日。豪雨の中をやったらめったら駆け抜けた俺の隣には、こいつが居た気がする。あの雨の中、炎を食って生きてるようなこいつが。あとでぐしょ濡れになったのを見て驚愕したようなのを思い出した。
お前はいっつも俺の隣を走ってたよな。走ってくれていたんだよな。もしかして走りたがっているのか。俺と? この負け犬とか?
なんてこった。
そうだ、走るしか能のない俺が、走るのを諦めてどうするつもりだったのだろう。ついに何もかも失くすところだった。本当に馬鹿の極みだ。
込み上げる声にならない笑いで膝の震えが相殺されてしまったようで、気がついたらゴウカザルの肩を借りて立ち上がっていた。
猿の目は、まだ、燃えている。
さんきゅー。
行くか、やりのはしら。
彼女から電話を受けて、俺は駆け出した。
走らずにはいられなかった。電話越しの彼女の声があんまり震えていたからだ。
「今どこにいるの」コトブキ。「ソノオに来れる」いいけど。「来れたらでいいから」
真夜中だった。無口な彼女から電話がかかってきただけでも驚いたというのに、その声のあまりの覇気のなさ、むしろ何かを押し込めているような震えに、嫌な予感がした。少なくとも彼女は寂しくなった程度の用件でこんな時間に電話をかけてくるような人間じゃあない。
ソノオまでは十分もかからなかった。彼女を探したが、ポケモンセンターにもどこにも見当たらない。呼びつけておいてどこに居るんだよ、と思った矢先、花畑のほうから騒がしい鳥の声がした。
それは彼女のムクホークが、無残にも地面に叩きつけられる瞬間だった。
相手はどうってことない普通の男だった。ただポケモンがどうってことありありだっただけだ。
真夜中より黒い、破れた翼のようなものを広げた巨大なムカデ。白金の色をした冠を抱き、赤黒い腹をうねらすそいつは、深い影の中から現れるとムクホークを思い切り叩き落した。羽と花が散ってバキボキと酷い音がした。不気味なそのポケモンは巨体を震わせながら影に飛び込んで消えた。
男は二言三言を彼女に呼びかけると、ボールから巨大な気球のポケモンを呼び出して、ふわふわと去っていった。
駆け寄ると彼女は泣いていた。
顔を真っ赤に歪めて、手放しに泣いていた。言葉に詰まった。こんなとき何と言っていいのかわからなかった。とりあえず肩を叩いた。止まらない嗚咽に噎せる彼女の背をさすってみた。
彼女はもう駄目だと言った。しきりに私のせいだ私のせいでと言った。何が私のせいだよ俺なんかお前の数倍あんな負け方してんぞ、と言ったら何を的外れなことをとでも言いたげな目をされた。
彼女は言った。他のトレーナーに百回負けても、あの一回には勝たなくちゃならなかった。
どういうことだと問い詰めると、ぽつぽつと言葉を漏らす。あの男は隠された泉を暴いて別の世界? に居るポケモンを呼び出し、さらにそこで手に入れた道具を使って、神に会おうとしているのだと。
アホ臭い話だ。にわかには信じられない。
それがどう関係あるのかと聞いて驚いた、旅の途中であの男の陰謀に出くわした彼女は、それを何度も阻止してきたのだという。そしていつの間にかあちこちであれを止めるのは君しか居ないと言われ、何としてでも神の復活? を止めようとしていたらしい。それが失敗した。
私のせいだ。私のせいで。大変なことになってしまう。
膝を抱えた彼女はもう顔を上げなかった。ただ自分を抱えて震えていた。あんなに必死に追いかけた背中がここにあった。こんなに小さかった。
彼女の泣いているのを見るのは初めてだった。
「泣くなよ」
泣きやむはずがない。
「泣くなよ!」
さらに止まらなくなってしまった。ひっくとしゃくりあげるたび背中が悲痛ではちきれそうだ。
正直何だか状況はよくわからなかったが、憤りを感じた。それは彼女が背負い込んじまうべきもんだったのか。そんでこんな震えながら謝らなくちゃならないようなもんなのか。部外者の俺には分からない。しかし一つ分かった、彼女だって決して振り向かなかったわけじゃなかった。俺にはただ真っ直ぐに見えた彼女の足跡も、本当は転んだり、迷ったり、立ち止まったりしていた。時には後ずさりさえしたかもしれない。俺のように。
ああ、逃げ水相手に競争とは。俺も本当に馬鹿だな。
「なあ、」
冷たい清水が胸に湧き上がるような感覚で喉が震えた。
「さっきの奴ってどこ行ったんだ」
彼女はゆっくり腕だけ伸ばして指差した。黒く聳えるテンガン山。そして消え入るような声で、やりのはしら、と言った。
「さっきの奴を止めればいいのか?」
彼女が顔を上げた。
咄嗟の思いつきだった。翼の折れたムクホークでは飛べないし、俺も飛行タイプのポケモンは持っていなかったが、あんな紫風船よりは速く走れる自信がある。というか、それぐらいしか胸を張れる部分がないのだ。だからせいぜいこれで格好付けさせてくれ。俺が野郎を追いかける。彼女の代わりに俺が止める。
彼女は猛反対したが、俺はさっさと伸脚してテンガン山を見据えた。後光が差していた。
「ちょっと行ってくる」
ゴウカザルのボールを投げながら、彼女の声を振り切って駆け出す。ついさっきのような随分昔のようなスタートダッシュ。
無理やりすぎるロッククライムでショートカットしたおかげか、次に飛び込んだ横穴をあとは登るだけだった。
ごつごつと岩に阻まれた洞窟をただ走った。さっきまであんなに凍死を覚悟していたのにもう身体の中央がふつふつと沸いている。同時に右足の盛大な擦り傷も疼いたが、んなこたどーでもいい。もう後は地面を蹴るのみだ。時にゴウカザルの爆炎は邪魔なドータクンを焼き、俺は華麗なステップでゴローンをかわした。
確かに俺はクソみてぇな負け犬なんだろう。張り合ってるつもりでアウトオブ眼中、頑張ってるつもりで勝率は五分五分、マジモンの馬鹿だ。それでも唯一胸を張れるのがこの足、これしかない。これしかないんだ。追いつける追いつけないなんてことは考えるな。ただ走れ。泥の地面に一歩を刻め、土くれ抉って前に進め!
なにせ相手は彼女を負かした野郎だ。その上あの半端ねぇ威圧感のムカデ、俺の手持ちじゃ勝てる気がしない。だがあの男自身はどうだ。あのひょろい姿じゃ42.195kmも走れねぇもやしに違いない。比べて俺は、バトルも強くないし頭も悪いかもしれねえが、最速の足を持っている。ポケモンと一緒に傷だらけになって泥まみれになって走ってきた足だ。
ポケモンバトルで勝てないなら。別のバトルで勝つだけだ。
彼女の背中を思いだせ。
俺は吼えた。時間がどろどろに引き延ばされたような感覚の中で頂上は果てしなく遠く、ただゴールの瞬間だけ思い描いて叫んだ。いったい今息を吸ってるんだか吐いてるんだか、呼吸のたび全身くまなく痛いがそれさえ前に進むための鞭に代え、岩を越え損ねて転ぶ、さっさ手をついて跳ね上がる、傾斜のきつい洞穴を駆け上がる。岩陰からゴーリキーが現れた。
「邪魔だァ!」
ゴウカザルは吼えた。炎を身体に纏い突撃し、松明の頭を白く爆発させた。猿は燃え盛る一撃で筋肉ダルマをふっ飛ばし、いっそう洞穴を明るく照らし出す。
顔を上げると眩しい出口があった。
勢いに任せて飛び込み、冷たい空気を身体で受け止める。白く爛れた柱が空に向かって伸びる、やりのはしら。
男は笛を吹いていた。陰気臭い曲だ。その周りを真っ黒な影が悠々と泳いでいる。陽射しを浴びてもなお濃い影が白い槍の中を漂い、鎌首をもたげると兜のような頭が現れた。やがて天上から野郎に向かって光が差し込み、それを道連れにぱたぱたと紙細工のような階段が降りてきた。夜明けの紫に染まった空のさらに彼方へと続いている。神を呼ぶ、ってこういうことか。陽光で出来た階段はあたりの影という影を吹き飛ばし、遺跡を眩く照らし出す。神々しいが、残念ながらこれはそういう話じゃない。適当に叫ぶと枯れた声が反響した。男は振り向いた。
あいつだ。
拳を握り締める。畜生、俺が死ぬ気で追っかけた相手をあんな軽々泣かせやがって一発ぶん殴らねぇことには気が済まねえんだよォ!
猛火を噴き出した俺と猿は光の中に悠々と立ち竦む神に向かって腕を振り上げた。驚きのあまり笛を取り落とした、ゴールテープは目の前だ。
***
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
総字数一万字ピッタリにこだわりました。
改稿版第三稿、とくにお気づきの点等なければ完の予定です。
お母さんは彼女に、ポケモンに触っちゃいけません、と言いました。
ポケモンは炎を吐いたり、電気を出したり、引っかいたり殴ったりするし、野生のポケモンにはたくさんのばい菌やきせい虫がくっついているから、撫でたり、えさをあげたりしちゃだめよ、と言いました。でも、えみちゃんちはヨーテリーを飼ってるよ。と彼女が言うと、そういう人もいるけど、そうするとアレルギーが起きたりする原因になるの。身体がわるくなっちゃうのよ。と言われました。彼女はうなづきました。
だけどほんとうは寂しかったのです。
草むらから街へ迷い込んだミネズミにパンの耳をやったり、人なつっこい広場のマメパトの灰色の羽毛にそっとてのひらをうずめてぎゅうぎゅう撫でたり、ヨーテリーのむく毛に顔をうずめてわしゃあと抱きしめたりするみんなが羨ましくてたまらなかったのです。
だから彼女はある聖夜に、遠い北の国に住んでいるおじいさんへ手紙を書きました。
「わたしはぽけもんがほしいです。ぽけもんのともだちをください」
切手がみあたらなかったので、紙をぎざぎざに切って、中にモンスターボールの絵を描き、50えんと書き添えてのりで張りました。じゅうしょとなまえと、「サンタクロースさんへ」を書きました。そしてポストに入れました。
つぎの朝、目が覚めると、彼女はベッドの中にポケモンをみつけました。
どきどきしながら、お母さんにみつからないように布団の中で抱きしめてみます。ふわふわでいい気持ち。
けれどポケモンは鳴きません。まばたきもしません。葉っぱのしっぽも動きません。
それもそのはず、ポケモンはぬいぐるみだったのです。
それでも彼女は喜びました。喜んで、いつもぬいぐるみのポケモンをつれて遊びました。公園の砂場で遊ぶときも、ともだちと出かけるときも、いつも一緒でした。ともだちはぬいぐるみを「かわいい」と言ってくれました。彼女はぬいぐるみのしっぽにリボンを結んだり、わかば色の手のひらをぱたぱたさせたりして、この子がわたしのポケモンなんだ、と言いました。もう誰がポケモンを撫でながらわいわいいっても、自分にはこの子がいるから大丈夫。
活発に遊びまわるようになった彼女を、お母さんはたびたび叱りました。彼女がたびたび服にどろはねをつけたり、ずぶ濡れになったりして帰ってくるからです。とくにえみちゃんのヨーテリーがぬいぐるみをおもちゃにしてしまって、しっぽが破けて綿が飛び出し、彼女が泣きながら帰ってきたときは、びっくりするほどの声で叱られました。そしてごしごし洗濯されて、縫い目がひとつ刻まれたぬいぐるみを返されたあと、しばらく会話にえみちゃんの名前を出すとお母さんは怪訝そうな顔をしていました。
比べてお父さんはほとんど怒ることはありません。いつもはお仕事に出ていて、たまに家にいるときは部屋にこもっているか、TVと新聞をいっしょくたにながめるような器用なまねをしています。
けれどひとつだけ、お父さんがいつも言っていることがありました。
「森へ行ったらいけないよ。森にはもりのこが住んでいて、もりのこたちはとてもおくびょうなんだ。もりのこをおどかすと森はばらばらになって崩れてしまうからね、だから森へ行ったらいけないよ。」
ぷかぷか煙草をふかしながら、彼女に言い聞かせるのです。
森とは、彼女の通っている学校の裏にある、木がたくさん生い茂っている場所のことです。あそこにはお化けが出るとか、子供を頭からばりぼり食べてしまうおそろしいポケモンが住んでいるとか、探検しに行って二度と帰ってこなかった人が大勢いるなんて噂されていましたが、同時にあそこにはものすごい宝物が隠されているとか、奥まで行くと湖があって、そこまで辿りついた褒美に願い事を叶えてくれるとか、そんな話も聞こえてきました。
朝起きていってきますをするとき、夕ごはんを食べるとき、お休みの日にうちでごろごろしているとき、ことあるごとしつこいほどにお父さんが「森に行ったらいけないよ、もりのこが怖がるからね」と言うので、彼女はちょっぴり気になりました。もりのこってなんだろう。どんなすがたをしているのかな。
ある晴れた日、彼女はついに森に行ってみることにしました。その日は光が差し込んで、やけに森があかるく、まるで中から輝いているように見えたのです。大丈夫、腕にはポケモンを抱いています。ひとりじゃないもの。大丈夫。
きょろきょろと目撃者がいないか確かめて、彼女は木漏れ日のひかる森の中へと駆け出しました。
太くごつごつした木の根をとび越えて、かさかさ気の早い落ち葉を踏んで、枝にひっかからないように身をかがめて。
やがて、彼女の目の前には、こわいポケモンでも、宝物でも湖でもないものが現れました。
それは草原でした。
濃い緑の色をしたたくさんの葉っぱの中に、白く小さな、ぼんぼりのような花がめいっぱい咲いています。壁のようにそびえていた木がみんな開けて、そこはまるで森へ遊びにくる誰かにしつらえた広場のようでした。見上げれば青空、さんさんと太陽が降りそそいでします。彼女は、ああ、ここがひかっていたんだ、と思いました。
彼女はせっかく来たのだし、ぬいぐるみに花輪をつくってあげようと、膝をついて花の根元をかきわけようとしました。するとその前に、草たちがかってにガサゴソと動き出したのです。
びっくりした彼女がぱっと手を上げると、そこからひょこりと、だれかの鼻先がのぞきました。
もぞもぞ這い出してきたのは、ぬいぐるみとそっくりなすがたをした、くさへびポケモン。
「もりのこ!」
彼女が言うと、彼はきゅうと首をかしげます。
もりのこさん、びっくりしないで。わたしは遊びにきただけなんです。森が崩れてしまわないように。彼女は胸がどきどきするままに微笑みながら、ちいさな彼にひとさし指を差し出しました。
もりのこはそれをしばらくじっと眺めていましたが、ふと彼女の顔を見上げると、にぃーっと笑って、その指を握りました。
葉っぱの手のやわらかくみずみずしい感触が、合図でした。
それから彼女ともりのこは、日が暮れるまでそこで遊びました。草の中におなかから飛び込んで泳ぐ遊びは彼が教えてくれました。彼女はおかえしに花輪のつくりかたを教えてあげましたが、もりのこのちいさなてのひらではすこし難しすぎたらしく、彼はついにしっぽをつかんで自分が輪っかになってしまいました。彼女は笑いました。
やがて目が霞んでしまって、なにごとかと彼女が目をぱちぱちすると、よく見ればとっぷり暮れた赤い空、振り向けばだんだんと暗くなる帰り道。かえらなきゃ! と彼女がすっくと立ち上がると、足元できゅう、と寂しげな声がしました。
もりのこが草の中から、じっと彼女を見上げているのです。
「ごめんね、明日、またくるからね」
彼女は背中に聞こえる鳴き声に、何度も何度も振り返りながら、森の中を戻っていきました。
もりのこと仲良くなった彼女は、暇さえあれば森へ遊びにいくようになりました。
森で過ごす時間が楽しくて、彼女はともだちからの誘いを断るようになりました。どうして? と聞いても「うん……」ともじもじするばかりの彼女に、ともだちはだんだん話し掛けてこなくなりました。彼女はどうしても、ほかの人にあの広場を教えるのがいやだったのです。男の子はらんぼうだから、ミネズミを木の枝でつつくようにもりのこをいじめるかもしれない、女の子たちは校庭や空き地の草むらのように、花という花を摘み取ってしまうかもしれない。けれど、ともだちと話さない学校はひどく退屈でした。やがて彼女はだんだん「行きたくないなあ」と呟くようになり、すこしづつ遅刻するようになりました。
家にいるときは、ぬいぐるみとお話しながら、もりのこと明日なにをして遊ぶかを考えます。
そうやってこっそり夜更かしをしていたのが悪かったのかもしれません。
ある日彼女は、夜中とは思えぬ大声を、自分の家のリビングから聞いてしまったのです。
お母さんの声でした。お母さんが、遅く帰ってきたお父さんを怒鳴っているのです。そういえば最近、お父さんは夕ごはんに間に合いません。休みの日も出かけるか、もしくは部屋にこもっていがちです。
「あなたって人は――――まだ夢を――――40過ぎにもなって――――ちょっとは家族のことも――――ポケモンがそんなに大事!」
彼女は毛布をかぶってああ、これは夢だと、言いました。
その日、お弁当と水筒を提げ、一日過ごすつもりの満々な彼女が森へいくと、もりのこは葉っぱをぎゅるんと巻き上げるイタズラをしかけてきて、それがあんまりとつぜんだったもので、彼女はすっころんで「ひぎゃあ!」と素っ頓狂な声をあげてしまいました。彼と彼女はおなかを抱えて笑いました。しかしだんだん笑いが収まると、彼女の心の中に、まるでスカートに草の汁で緑のしみが広がるように、じわじわと昨日のお母さんの声が蘇ってきました。
なにを言っていたのかはあまり聞き取れませんでしたが、やさしいお父さんを、あんなにもおそろしい声で怒鳴りつけるお母さんを思うと、いったい何があったのか、不安で身体が震えそうで、彼女はそっともりのこを抱きしめました。もりのこはきゅう? とたずねて彼女の頬をぺちぺちします。
もう帰りたくない。わたしももりのこになりたい。
そう思いながらも、空を夕暮れが蝕むほどに、夜の森の恐怖が追ってきます。まっくらな森。お化け。怪物のポケモン。真っ黒に沈んでいく帰り道。
やっぱり帰らないわけにはいかないんだ、と思っても、どうしても足が動かなくて、彼女はついに泣きそうでした。
もりのこは腕の中。
ふと、彼女はなにかをひらめきました。
「いっしょに来て」彼女はお弁当と水筒を入れていた手さげ袋を差し出して言います。「今夜だけでもいいの。いっしょに来て……」
彼が何かをいうまえに、彼女はもりのこを袋に入れて胸の前に抱えると、町へと走り出しました。
真っ赤な夕焼けに照らされて、半分ほど夜に浸った木々のあいだを走りぬけ、ぜいぜいしながら彼女は森を出ました。そして学校の前まできて、やっと自分が、手さげを抱きつぶしていたことに気がつきました。
はっとして湿った手さげを開いてみると、もりのこはすっかりしなびていました。
みずみずしくぴかぴかしていた身体の水気がすっかり抜けて、生気がなく、葉っぱのしっぽは葉脈がういて、しわしわでした。手はひからびた草のようにくると丸くなっています。
ああ。胸の中につめたくにぶい色をしたものが流れ込んできて、たいへんなことをしてしまったと、彼女は思いました。もりのこは森でしか生きていけないんだ。なんてことを。わたしがすっかり自分に夢中だったせいで、この子をこんなにしぼってしまった。彼女は耳の奥で、彼と過ごした森が、がらがら崩れていくのを聞きました。
いまにも乾きそうな彼の身体にのこったお茶を浴びせ、最後のひとくちを半開きの口へ流し込むと、彼女はもう何も思わず暗い森へ飛び込みました。お化けも怪物も、今の彼女に追いつけるものはなにもありません。ただ自分のせいで、だいすきなもりのこが動かなくなってしまうなんて、それだけはいやだ、いやだと唱えながら、数歩先さえ霞む夜の森を、走りました。
ついに広場にたどり着くと、濃紺の夜に染まった草原の最中、彼女ともりのこを満月が迎えました。
彼女がそっともりのこを草の上に置くと、ぐったりしていたもりのこのしっぽが、ぴくりとしました。ぱたぱた、まるでお月様を仰ぐようにしっぽが動きます。すると彼のまわりで草花がざわめきました。風もなしに、彼のしっぽへ引き寄せられるように揺れて、やがてあざやかな新芽の緑をしたひかるしずくがしたたり、もりのこのしっぽに吸い込まれていきます。彼女は、もりのこはやっぱり森の子どもなんだ、と思いました。
やがて彼は目をぱちくりしながら立ち上がり、にぃーっ、と笑います。
彼女は半分泣きながら、ごめんね、ごめんねともりのこを撫でました。
家に帰ると、顔を真っ青にしたお母さんに怒られました。けれど今日は力なく、ほとんど囁くような震える声で、泣きながら怒っていました。お母さんは、ごめんなさい、とやっぱり泣きながら謝る彼女をぎゅっとしました。つぶれるほど強く抱きしめました。そのとき呟かれた言葉は、押し殺したように震えていましたが、たしかに聞き取れました。ごめんなさい。彼女は自分の言葉をそっくりお母さんに返されたのです。
「引越しをするのよ」お母さんはいいました。「ここのお家は、今日でおしまい。明日、北のほうへ行くからね」
彼女はきょとんとしました。よく意味がわからなかったのです。
しかし一晩ぐっすり眠って、目を覚まして、気が付きました。お母さんがスーツケースを持っている理由。彼女の手さげ袋に、もちものを詰め込んでいる理由。
「どこへ行くの」
彼女が言うとお母さんは、自分の実家の名前をあげました。電車をいくつも乗り継いで、一度だけ行ったことがあります。あの森よりずっと深い緑と、広い畑のある遠いところです。
「もう戻らないの」
「そうよ。きっと戻らないわ」
「お父さんは?」
彼女が胸騒ぎのままに聞いても、お母さんは「さあね……」と首をかしげるばかりです。
ただ荷物をまとめる手を少しだけ止めて、言いました。
「友達とさよならできなくて、ごめんね」
彼女は、はっとしました。ここを出るということは、戻らないということは。
「お願いお母さん、ひとりだけ。ひとりだけお別れを言わせて、お願い、お願いします」
あんまり必死な彼女に、お母さんは、その子はどこに住んでいるの、と聞きました。
「森に。もりのこは……」
口走ってから彼女ははっと口を押さえました。言ってしまった。言ってしまった。もりのこは誰にも秘密だったのに。
「もりのこですって」お母さんはとつぜん怒ったような、むしろ笑うような、だんだん泣きそうな震えに浸されていく声を押し殺して言いました。「あの人、もりのこだなんて、本当に」そして深い深い溜め息をひとつつくと、部屋の真ん中に落ちていたぬいぐるみを拾い上げ、しばらく眺めてから彼女の手にのせて。「森はだめよ。危ないし、時間がないもの」そう言いました。
彼女はただ、ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめました。そして顔をうずめて、バス停に向かっても、電車に揺られても、ついに顔を上げることはしませんでした。
お母さんと彼女はその日、山のふもとにあるおばあちゃんとおじいちゃんの家について、そこで一晩過ごしました。
彼女はぬいぐるみを放しません。
あくる日、二人はそこからちょっと電車でいったところの、前にいた町よりすこしさびれた駅前の、古いアパートにつきました。
彼女はぬいぐるみを放しません。
今日からここで暮らすこと、ここから学校に通うことをお母さんが説明しました。
彼女はぬいぐるみを放さないまま、ただ首を横に振ります。
お母さんが出かけて行きました。知らない人がピンポン押してもぜったいに出ちゃだめよ、キッチンのものには触らないでね、さまざまに言いつけてお母さんが出て行ったあと、彼女はひとりの部屋で、そっとぬいぐるみから顔を離します。
ぬいぐるみは口をにゅっとして、妙なかたちに微笑んだまま、それっきりです。もりのこのように、にぃーっと半月のような口で笑うことはありません。
なにもせずに膝を抱えていると、つぎつぎにいろんなことが、なんのそぶりもなく頭の中から飛び出してきます。お父さんがふぅと煙を吐きながら、低くざらついた響きで語った森の話。朝ごはんのパンの香り。お母さんのキンキンした怒鳴り声。砂場でぬいぐるみを振り回したこと。森で遊んで、身体中に緑のしみをつけてどうしたのと怒られ、とっさに空き地でダイビングごっこをしたんだと言い訳したこと。ひとさし指を握ったもりのこの手のみずみずしさ。仕事帰りのお父さんと、あちちと言いながら鍋をはこんできたお母さんと、椅子にちょこんと乗せたぬいぐるみ、みんなで囲んだ夕ごはんのカレー。あのときつけたカレーの染みはまだぬいぐるみの頭でかすかに黒ずんでいます。
電車の音、壁のきしむ音、どこかで鳴っている電話、知らないアパートの部屋の中は、まるで暗く沈んだ森の中でした。
彼女は、ぬいぐるみを床にぽてんと落とすと、もうだれにもあいたくない、と言いました。
ピンポンに出てはいけないと言われていたので、「お母さんよ!」とドアをどんどんされるまで、彼女は立ち上がりもしませんでした。
「いま両手が塞がってるの」お母さんはドアごしに言います。「鍵、開けて」
彼女はがんばって腕を伸ばして、指先で鍵をひねりました。
ドアを押し開けると、爽やかで甘い香りが広がります。まるであの森で作った花輪のような。
見上げれば、お母さんの顔が花に埋もれているのです。
お母さんはそれはおおきなバスケットブーケを抱えていました。編みこみのきれいなかごの中いっぱいに、白や赤、黄色のあざやかな花が、咲き乱れているのです。どの花もとにかくおおきくて、わたしがいちばんきれいでしょう、と競い合っているみたいでした。
「ほかにも荷物があるから、ちょっとまっててね」
ブーケを奥の部屋に置いて、お母さんはまたぱたぱたと外へでていきます。
彼女は輝きすぎて眩しいぐらいの花束を眺めましたが、その背景はどうやっても殺風景な部屋の中で、あの広場を吹き抜ける風は、高い高い空は、残念ながらその中にはありませんでした。
ただ、その花と葉のすき間に、彼女はなにかカードのようなものを見つけたのです。だから彼女は、膝をついて花の根元をかきわけようとしました。
するとその前に、花束が勝手にがさごそと動き出したのです。
背骨に電気が走ったようでした。
びっくりした彼女がぱっと手を上げると、そこからひょこりと、だれかの鼻先がのぞきました。
もぞもぞ飛び出してきたのは――。
「もりのこ!」
もりのこは、かごを蹴って彼女の胸の中に飛び込みました。かごが倒れて色とりどりの甘い香りが床いっぱいに散らばります。そして緑のちいさな手は、なんとか彼女を抱きしめようとしながらきゅうきゅう言いました。
彼女がカードを見ると、そこには太い字で、こう書かれていました。
『ツタージャのそだてかた
1 みずとひかりをやること
2 そとへでてあそんでやること
3 ぬれたタオルでやさしくふいてやること
4 あいしてやること
ひとつきはやいけど、たんじょうびおめでとう。 おとうさんより』
彼女はついに、うちのこになったもりのこを抱きしめました。つやつやした彼の身体からは、新緑の香りと、ほのかになつかしい煙の匂いがしました。それだけで、もう何でもできるような気がしたのです。もうずっと一緒ね。
ただ、こんなに素敵な花束をもらってどうして、こんなに胸がくるしいのか、涙がながれるのか、それだけはついにわかりませんでした。
戻ってきたお母さんは、きゅうきゅうした鳴き声と娘の笑い声のする奥の部屋をちょっと覗こうとして、やっぱりやめました。
そしてダンボールだらけの引っ越したての部屋の中に転がっていた、しっぽに縫い目のある古ぼけたツタージャを拾い上げました。使い古されてすっかり綿は固くなり、手触りはけば立って、あざやかな緑だった身体は灰色にくすんでいます。
もはや役目を終えた彼を拾い上げながら、お母さんは、あて先不明の印を押されて自宅のポストに放り込まれていた娘の手紙を見つけたあの日、思わず売り場でぬいぐるみを手に取ってしまったあの日のことを、ゆっくり思い出していました。
***
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
愛してもいいのよ。
――きょろきょろ。
ねぐらから這い出してきたパラスは、あたりを見回しました。
空気は澄んで、風はキノコを切るようにつめたいのです。退けた葉のあいだから見上げた森は赤と黄色でした。はらはらと舞い降りてくる影は、例えばひょうたんのような、例えば長い爪のような、例えば子どもの手のひらのような姿かたちをした、数々の木の葉ども。いつか地面へ敷き詰められるたくさん葉っぱをつけた枝々からのぞく、わずかな空もいちだんと白く輝いているようでした。
また秋が山を越えてきた。パラスは身震いして、つもった葉っぱの中にごそごそ体をうずめました。降り積もった枯れ葉の底にたまっている腐葉土は、ふわふわあたたかいベッドなのです。
「さむいねえ」
パラスは起き抜けに、背中のキノコに喋りかけました。
「そうですなあ」
キノコはまたてきとうに相槌を打ちます。いつものとおりです。
しかしそろそろお腹が減ってまいりましたので、つまりパラスのお腹が鳴りそうになるということは、キノコが木の根の汁を飲みたいと思うことと繋がっているわけですから、同時に(そろそろ動かなきゃならんな)と思うわけです。
ここでものぐさをいうのはたいがいパラスでした。
「いやでも、今日は寒いし、空はたかいし、獣はだれしも踊りだしちまうような陽気だから、オドシシにでも喰われちまうのはちょっといやだねえ。だからもうあとちょっと陽が傾くまで寝よう」
と、あとずさりして立ち枯れした木の根元にもぐっていくのを、すかさずキノコが「そういうのはいかんですよ」と諭す、そういう関係なのです。
「ちぃーっと勇気を出してですなあ、今日は"道"まで行きましょう。あのへんの木は人間が大切に育てておりますからなあ、うまいでしょうなあ」
「面倒だねえ」パラスは口もとをかちかちしました。
「メンドウでしょうとも、エンドウでしょうとも、わたしは"道"がよいのです。あそこに生える木がいただきたい」
「歩くのはぼくなんだけどねえ」
「そうでしょうなあ、わたしには足はありませんゆえ」
「だよねえ、御大臣は担がれてるだけだもの」
パラスはため息をつきました。しょうがない、キノコにはその意思をもって筋肉を揺り動かし、足をもって大地を踏みしめ、その身をもって前へ進まんとする感覚などわからんのです。なにせ、植物ですから。歩く苦労など語るだけ無駄無駄の無理。わかってはいるのですが、どうも文句のひとつも言いたくなるものです。
それでもどうして美食家のキノコは、どこぞで聞いた"道"の木について語りだして止まりませんし、そのいかにもおいしそうな語り口に乗せられて、パラスの空腹もなかなかずっしりと彼を重たい気分にさせましたので、パラスはキノコがまだ話し止まないうちからのそのそと歩き出していました。
「そンで、道はどっちにあるんだい」
パラスはとりあえず、普段下るゆるい傾斜をかに歩きしながら言います。
「大きな塔を目印にして行けば着くのだとか」
キノコはまた無責任な又聞きの言葉です。でもパラスには確かめる術もないので、信じて人間の建てた塔のあると思われる方向へえっちらおっちら歩いて行くのでした。
やがて、獣の影を思わせる茂みのさわさわとなびくのに驚きながら、びびりやなお互いへの文句にはじまり、茸と虫ではどちらが先に生まれたのかなんて話題にまでお喋りが逸れた頃、パラスはカエデの木のふもとで、せかせかと駆けていく一匹の別なパラスを見かけます。
しかもその素早いことといったら、走らんことには矢も盾もたまらぬといった様子です。
「おうい」
呼びかけても止まる様子ではなかったので、パラスはその通りがかりパラスを追いかけることにしました。
「なにをそんなに急いでいるのかい」
横を一緒になって駆けながら、パラスはせっかちなパラスに話しかけました。
「いそがなきゃー、いそがなきゃ」
「なんだい、わけありかねえ」
「わけありだって?」
せっかちなパラスはまるで今しがた併走するパラスに気づいたとでもいわんばかりに素っ頓狂な声を上げました。
「わけありっちゃあわけありだけどな。お前このあいだ"道"の向こう側の木をみんなで飲みつくしたのを覚えているだろ。町のほうで祭りがあったっていってさ、いつも見回りにくる坊主がこなかったんで、みんなで"道"の木を一本囲んだ宴会だよ」
パラスは大勢のパラスやパラセクトが、"道"に生えている立派な幹の木の根元にかじりついてわいわいしているのを思い描き、そのころ自分は棲家でぐっすりしていたなあと思いつつも「うん、したねえ」と言っておいた。
「あれのほうに坊主どもの目がいっちまってるもんで、けさは"道"のこっち側の木が狙い目なんだ。パラセクトたちが胞子散らしてぞろぞろいったよ。遅れを取ったら取り分が減るからな、いそがなきゃー、いそがなきゃ」
せっかちなパラスはさらにせわしなく葉っぱの地面をふみつけて、あっというまに森の向こうへ消えてしまいました。
パラスはすっかり走りつかれてしまって、そこらへんのクヌギの木のふもとにどてっと身体を下ろしますが、キノコは「いそがなきゃー、いそがなきゃ」とせっかちの物まねをしてみせます。
「きみはじつにばかだな」
パラスは足を折りたたんで言いました。
「あんなむちゃなはやさで走っていったら、着くころには根っこを探る気力もなくなっちまうよ。まったくばかみたいに飛ばすんだな」
「当然でしょうな」
キノコはぴしゃりと言います。
「よりよい木を求めるならば、木のかおりを追いかける、大きな茸の群れを追いかける、小さな茸のあとまで追いかけていかなくてはならないのです。そしてよりよい木につかないのならば、われわれはいつまでも小さな茸のまま、いつまでも弱者のままなのです。獣や鳥の影におびえて土の中に隠れるようにしてしか暮らして行けないのです」
ちょうど、向こうのあたりを大きな茸をかついだパラセクトが三匹ほど通りかかりました。さっきのパラスと同じようにせかせかと、"道"のほうへ向かっているようです。その後ろを、十数匹のパラスが茸を揺らしながら追っかけていくのです。それは雑木林の中で餌を求める茸虫のもっともわかりやすい食欲にしたがい、彼らが身につけた習性でした。より木の根のありかに敏感なパラセクトを追う。パラセクト達はいつも寡黙で迅速でした。
パラスはもやもやしました。
どうしてもやもやしたのか、自分自身の胸のうちがよくわからず、パラスはむやみに胞子を散らしてみました。棒のようになった足をふんばって、キノコのかさからぶわあ、とこまかい塵のような胞子が飛び散りましたが、さらにお腹がすいただけでした。
「しょうがないねえ」
パラスはふう、と一息つくと、枯れ葉の雨の森をかさかさと歩き出すのでした。
彼らが"道"と呼んでいるのは、巨大な木造の塔のふもと、寺社と塔の入り口までを繋ぐ、きれいに切りそろえられた石でもってつくられた石畳のことです。
自然のいたずらでこんな舗装が生まれるわけがありませんので、それは人間がつくったものということになりますが、彼らはそれを知りません。彼らには人間がどこぞより石を切り出してきて、こういうふうに並べて道をつくるなんて光景を思い浮かべることはできないのです。人間とは、よくわからない基準でいくつかの木を守ったり育てたり、逆に切り倒したり燃やしたり、なぜか几帳面に"道"の上の落ち葉をホウキで掃いてどかしたりするわけのわからない存在であり、なおかつ彼らにはできないさまざまなことを可能とするすごいやつらでありました。
"道"へ来るとパラスはいつも、木がうっそうと生えるでもなくただ均等に石の並んでいる光景に、みょうな気持ちになります。
その道はいつもさんさんと太陽に照らされていて、空は広いのです。
それだけなのですが、それだけの場所がなんだか神聖に思えるのです。
ふだん開けた場所を通るときは、鳥の影やなんかを気にしてなるべく木の下をくぐって行くのですが、"道"にはなんだかあまり鳥や獣は寄りつかないような気がして、パラスはぼうっとします。その代わり、"道"はべつに茸虫だけに気を許しているわけでもないようなので、パラスもあまりすすんで”道”のそばには寄りたがりませんでした。どうにも居づらいのです。そこは彼ら山のもののための場所ではありませんでした。何かべつに、通るべきものを待っているような気合いの道なのです。
「ぼくはここはあんましすきじゃないな」
キノコは、そうですなあ、としか言いませんでした。
みずみずしく立派に太い幹をもった一本の大木に、茸を背負ったパラスやパラセクトたちが寄ってたかって群がっていました。根っこのあたりにかぶりついて、汁をいただくのです。わらわらとおおぜいの赤い茸が道の周りを囲っていて、パラスにはなかなか根にありつけそうな場所がありませんでしたので、隣に立っていたそれなりに立派そうな木の根元を掘りました。それでもいつもの雑木林の奥のほう、斜面あたりに突き出しているひょろ木にくらべたら、段違いにあまく、濃厚でおいしいのです。パラスは夢中で白い根をちうと吸い上げました。
「ここの木はいやに元気だねえ」
「そうですなあ。人に世話をされているそうで」
「世話をするったって、どうやって木に世話をしてやるのさ。子守唄でもうたうのかい」
「さあ」
人間の所業に関しては、なんとなくいろいろなことができるということ以外、パラスはあまり知りませんでした。
多くのパラスが散り散りに群がっていますので、こっちの木にもたくさんほかのパラスがくっついてきて、だんだんぎゅうぎゅうづめになってまいりました。びっしり赤い茸だらけです。しかし押したり押されたり踏まれたり歩かれたりしながらも、パラスはひさびさのごちそうに必死で喰らいついていました。しかし、早くも向こうの木を飲みつくしたと思われる若いパラセクトに蹴散らされて、ぽーんと根っこから放り出されてしまいました。
「あう」
ちょっとの悲鳴もつかの間、あれよあれよという間もなしに群がる茸虫の波に飲まれ、パラスはあっというまに根っこのあるところから弾かれてしまいました。
「ひどいもんですなあ。こちらはまだ飲み足らないというのに」
「そうだねえ」
森の奥からはまだまだ、ぽつぽつ赤い茸を背負った虫がでてきます。
「みんな必死だからねえ」
パラスはまた足を折りたたもうとしましたが、キノコは「今ならまだ飲めるやも知れませんぞ」とそれを止めます。パラスはそうかねえ、まだ飲めるかねえ、そんならもういっちょと気だるげに立ち上がりましたが、向かうまでは叶いませんでした。ぴんと立ち上がった姿勢のまま、凍りついたように固まってしまいました。
なぜなら、"道"の向こう側から、一匹の獣が現れたからです。
山の中では見たこともないような獣でした。ふさふさした秋と同じ色の毛並みをしていますが、今はまるで炎の燃え上がるように逆立っています。体躯はオドシシのそれを遥かに凌ぐ勢いで、背に人間を乗せていました。
そして、火を噴きました。
「ウインディ、焼き払え!」
茸狩り。
ぱくりと開いた獣の口から飛び出したひとすじの炎は、木の根元に群がる茸虫の上を舐めるように焼いて行きました。熱波で枯れ葉が舞い上がり、そこらは木の葉のちりでいっぱいになります。数匹の茸が燃え上がりました。ぢぢぢぢぢと叫ぶような鳴き声が伝染して、蜘蛛の子を散らすようにパラスたちが逃げて行くのです。火のついたおおきなパラセクトはさながら走る松明のようでした。どんな赤よりあざやかに燃え上がる炎に、魅入られたように動けないパラスのほうへもたくさんの茸たちが逃げてきます。たまに彼を踏みつけながら、あっというまに"道"あたりを覆っていたパラスとパラセクトはいなくなりました。しぶとく木の裏に張り付いていたパラスまで、炎を吐く獣はくまなく焼き払いました。人間はその背でなにやら大声で指示をしています。獣はふんふんと熱心に地面へ鼻をつけていました。焦げ臭い香りがしました。
そして、ふいに林の奥まったほうへ、立ち尽くしていたパラスのほうへ目を向けました。
パラスはその真っ赤な瞳をまっすぐに見つめました。獣はちいさな茸虫をまっすぐに見据えました。
それから初めて、パラスは弾かれたように逃げ出したのでした。
どこかへ出かけていって、キノコと会話をせずにねぐらへ戻ってきたのは初めてでした。パラスは足を千切れんばかりに動かして、星の流れるような速さでいつもの立ち枯れの木まで戻ってきたのです。その瞳の奥には、ごうと音を立てて茸らの背に喰らいつく炎がありました。背中を火種にした茸虫がぢいぢいいいながら、行きよりもすさまじい速さで駆けて行く姿がありました。
腐葉土の中に身体をうずめて、やっとパラスは足がびくびくしていたことに気がつきました。
「災難でしたなあ」
キノコがぼそりと言ったころには、あれはずいぶん昔にあったことのように思えました。
つめたい木枯らしが吹き荒んで、木はよくざわりざわりと粟立ちます。そのたび木漏れ日が揺れました。
「そうだねえ」
パラスはてきとうでした。
「疲れましたなあ」
キノコとパラスは切っても切れないつながりを持っています。パラスが驚けばキノコも驚き、キノコが疲れればパラスも疲れる。そこに生まれるお互いのなんともいえない感情はだんだん本能と境目をなくしていきます。
「まったくだねえ」
そして会話がただ肯定するだけの平行線になるころには、キノコはかさを開きつくし、一匹のパラセクトが生まれるのです。
パラスはあの炎を思い出しては、なぜか、群れを追いかけたときのもやもやした気持ちや、根元から弾き剥がされたときの心中をなぞりました。なにか、彼の語彙では言い表せないなにか、あの炎によく似たものを、自分の背にも感じました。それは致命的な熱をもって燃え上がりながらも、太陽よりあかるく輝いて、彼の握っている全てを照らしているのです。
ぼくも燃えている。
「ねえ」
パラスはキノコに声をかけました。
「はい、どうも」
キノコは気だるげでした。
「ぼくたちはきっと、きみがかさを開ききってもあんまり強くならないねえ」
「それはなんと失敬な」
パラスはちょっと笑いました。
「でも大丈夫だよ。ぼくらはねえ、燃えているからさ」
「ばかをいいますなあ、燃えていたらしにますよ」
たとえ話さ、とパラスはお腹の下で足を組みなおします。
「どうせいつか焼けてしまうんだもの、ぼくはたからかに火を上げるよりか、やわにくすぶってるほうがいいや」
なにより、走るのは性に合わないってねえ、今日でこりごりわかったよ。つぶやくパラスの背の上で、キノコは「そうですなあ」とただ風のままうなずいて、それっきりでした。
高い高い秋の空を木枯らしが切り裂いていって、冬将軍の笛がぴぃぃと響きました。おおかた、森の木々がすっかり葉を落とし、灰色の雲が雪をたくわえるのを待っているのでしょう。
***
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
きのこ/サイトとPixivのやつとはちょっと違う、改稿前のものです。
ん、誰だ?
ああ、驚いた。こんな霧の多い日に、上まで来る人がいるとは思わなかった。
このあたりの山の上のほうは天気も曖昧だし、墓も古いものばかりだから、あんまり人は来ないんだけど……え? なるほど。ホウエンには観光に。それは納得だ。晴れていればここから見る景色は最高だしね。でも生憎の天気で。ごめんね。あ、いや、確かに天気は俺のせいじゃないけどさ。何か悪い気がして。
ここらへん? 珍しいポケモンかあ、いろいろいるよ。野生の狐も出る。というか、他の地方から来た人にはどこも新鮮じゃないの? あ、そうなんだ。いわゆるグローバル化ってヤツだね。最近じゃどこでもいろんなポケモンがいるからなぁ。まあホウエンはね、けっこう他のところから遠いからね。俺なんかハジツゲ生まれでハジツゲ育ちだから、完全に井の中の蛙さ。ははは。
ん?
今の音?
ああ……あれは鈴の音だよ。
そうだ。
せっかくだから面白い話をしてあげるよ。
良ければ聞いていってくれないかな。
君はハジツゲには行った?
これからか。そうだよね。船が着くのはミナモだもんな。ここは通りがかりか。
あそこには、たぶん君も知ってるんじゃないかと思うけど、降ってくるフエンの火山の灰から硝子の粒を取り出して、加工して硝子細工をつくる伝統工芸の店がある。
ずいぶん昔からああいう技術があるらしくて、うん、灰から取り出して硝子をつくるのはものすごく大変な作業らしいんだけど。
昔々、ハジツゲの硝子細工の職人の十二番目の弟子に、地味な男がいたんだと。
人のいい男で、腕は確かなんだけど、上の弟子にいいように使われたり、細工の腕を妬まれてつくったものを粉々にされたり、それは散々な扱いを受けていたらしい。
それでもひたすら真面目に働き続けたその男は、師匠に見込まれて、この送り火山にね、霊を慰めるための細工品を納めることを許されたのさ。
そして初めてこの山を登った彼は、頂上あたりのここで、一人の美しい娘と出会う。
長く艶のある黒髪に、丈の長い赤の着物を着た娘。
彼女はこの山に住んでいて、墓参りにくる人へ茶を振舞っているのだと言って、彼も家へ上げて、茶と団子を振舞ってくれた。
彼は一目で彼女に心を奪われた。
声を掛けると、鈴の鳴るような麗しい声で返してくる。
その優しげな響きは、普段彼が暮らしていてかけられることの決してないものだった。
職人の世界は厳しく、上からの声はいつも罵声で、下からの声は失敗を責め、周りからの声は冷たかった。それでも「信じれば報われる」という亡き親の言葉を信じてやっていた彼のくたびれた心に、彼女の喉を震わせ紡がれる優しい響きはそれこそ、枯れた大地に降る慈雨のように染み渡ったんだ。
彼は、細工を納めるのを口実に、何度も彼女に会いにここへ来た。
細工をつくるには時間がかかったけれど、彼女を思えば彼はどんな辛い仕打ちにも耐えることができた。
そして彼女への手土産に、綺麗な鈴をひとつ、行くたびに必ずひとつ、つくって持ってきたんだ。彼女の言葉のように凛と、彼女の声のように涼やかに、優しく響く鈴を。
彼女はそれをとても喜んで、お返しにも私はこんなもてなししかできないけれどと言いながら、彼をいつも茶と団子をつくって待っていてくれた。
なによりその喜ぶ顔が嬉しくて、彼のつくる鈴はどんどん細かい細工が施されるようになり、しまいにはここへ納められる細工品よりもずっと手の込んだものになっていった。
そして幾星霜の過ぎたある日、ついに彼は、彼女へあるお願いをすることを決意した。
それは山を降りて、自分と供に暮らしてくれないか、という願いだった。
彼は全身全霊をかけて、ひとつ風鈴をつくった。
何度も筆を入れる前に壊されたりしたけれど、それでもめげずにつくり続けて、遠慮の深い彼でさえ最高の出来だと胸を張れる、素晴しい風鈴をひとつ、完成させた。
そしてそれを、普段は霊前に納める細工品を入れている桐の箱へ入れて、大切に胸に抱いて、山へ向かったんだ。
彼女の家で、出された茶を一口だけ飲んで、彼はその話を切り出そうとした。
実は――と切り出したところでね、けれど彼にはそれが言えなかった。
一瞬で彼女の姿と木目の家が掻き消えて、彼は草むらの上に座っていたからだ。
囲炉裏のように並べられた平べったい石の上に、皿に見立てた大きな葉っぱが置いてあって、その上には獣の糞を丸めた団子のようなものが置いてあった。そして彼が手の中を見ると、欠けた茶碗の中に雑草まじりのどろ水が入っていたんだ。
彼が顔を上げると、さっきまで彼女の座っていたところに、緋色の目をした獣が居た。
白い姿の九尾の狐が、からかうようなそぶりで尾を振って笑いながら、彼をみつめていた。
彼はとたんに真っ青になって、げえげえ飲み込んだものを吐き出しながら去っていった。
それを狐はあざ笑いながら見守ったそうだ。
彼はそれきり、山へは行かなくなった。
しばらくは仕事に没頭して、何もかも忘れ去ろうとしただろうさ。
けれどふとしたことで、彼女の顔を思い出す。あの優しい声を。鈴を転がしたような響きを。兄弟子に灰集めを無理強いされて、集めたところでなんとも動きが遅いなど役立たずなどと怒鳴られて辛いときに、思うように細工ができず苦しいときに、彼女のことを思い出す。
そして彼は、あの時驚いて置いてきてしまった風鈴を思い出した。
あの風鈴はどうなったのだろうか。
彼女はあの風鈴を、自分の想いのかたまりをどうしただろうか。
どうしても彼女が忘れられず、彼はしばらく経ってから、ふたたび山を登った。
あの囲炉裏のような石のそばに、桐の箱はもう無かった。
彼はそこへ座って、ゆっくり彼女のことを思い出した。
それから、静かに言ったんだ。だれもいない囲炉裏の向こうへ。
「わたしはどうやらずっと騙されていたらしいが、わたしはもうそんなことには慣れっこなのです。そんなことより、わたしはこんなみすぼらしいわたしを、たとい嘘まやかしだったとしても、家へあげて、茶菓子を出して、話を聞いてくれたあなたをわすれることができません。どうかお願いです、にげだしたわたしを見捨てずにいてくれたのだとしたら、まだあの鈴を持っていてくれたのだとしたら、わたしの前へ姿をあらわしてください」
何も起こらない。
風が吹いて、朽ちた墓石の上で蔦を揺らしただけ。
「わたしはあの日、あの風鈴をもってきて、あなたに頼むつもりでした。山を降りて、わたしと暮らしてくれないかと。わたしはあなたがたといまぼろしだったとしても、もうかまわないのです。もういちど会いたい。ともに暮らしたいとさえ思う」
霧が濃くなってくる。
風が淀んで、ざわめきが遠のいていくだけ。
「よい返事をくださるならば、あの風鈴を鳴らしてください。わたしはまたここへきます」
そう言って、彼は霧をかき分けて、山を降りた。
しかし、彼が霊山から帰るため、水辺を舟で渡る途中に、彼は嵐に遭った。
彼はしばらく霊を慰めるために細工を持ってくることがなかった。それよりも彼女のための細工をこだわることもあった。そのための罰だったのかもしれない。
水が増えて、静かな水面は荒れ狂う波を寄せた。
彼の乗った舟は木の葉のように軽々と引っくり返り、彼は水の中に放り出された。
なんとか溺れないで済んだのに、あたりは霧が濃くてどっちがどこなのか全然判らない。
やみくもに泳いでは、岸から離れてしまわないか心配になり、彼はためらうたび雨と波に飲まれそうになる。
そんなとき、ふいに、青白い炎が浮かんだ。
まるで導くように彼の前に現れて、叩きつけるような雨の中、粟立つ水面に燐の火粉を写しながら、煌々と燃え上がった。一直線に霧のなかを切り裂いて。
彼は夢中でその炎を追いかけ水を掻いた。
腕を振り回すように泳いで、炎に導かれるまま、彼は対岸の岸へたどり着いた。
そのころには炎はすっかり小さくなってしまっていて、いまにも燃え尽きそうだった。
濡れ鼠の彼が震えながら良く見ると、燃えている炎の中にあるそれに見覚えがあった。
それは彼女の着物のすそだった。
しかしそれはみるみる、狐の尻尾の先に姿を変え、ぱっ、と一瞬大きく炎を散らしたとき、そこには伸び上がる純白の狐の尾が九つ。
燃えて、燃えて、青白く燃え尽きた。
雨がしだいに優しくなる。
風があたたかくなる。
そして炎の燃え尽きたところに、ばらばらと鈴が落ちてきた。
それは彼が彼女に届け続けた鈴だった。
しまいには、あの風鈴も。
彼女はずっとそれを持っていたのだ。
それを悟ると、彼は叩きつけていた雨のように泣いた。
しんみりした顔するなよ。話はここからだ。
彼女は燃え尽きてしまったから、もう風鈴を鳴らす人はなくなってしまった。彼は返事を聞けずじまいだ。
けれどね、彼の目の前で、今度はひとりでに、誰の手も借りないまま、風鈴が鳴り出したんだ。
彼女の声とよく似た、凛とした優しい響きでね。
そう。そういうことだよ。
だから今でもここで、たまに鈴の音が聞こえるのさ。
いやいやいや、礼なんて要らないよ。たいした話じゃなかったしね。
え、俺はここへ何をしに来たのかって?
ああ、さっきからこの古い墓の前でずっとしゃがみ込んでたからな。
昔、好きだった人がいてね、ここに眠っているんだよ。
ずっと俺が鳴らす鈴の音を聞きながら。
ちりんちりん
***
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
某氏の昔語に影響されて。
引っ越したい。
このじめじめした四畳半一間、トイレ共同、風呂は銭湯の生活から抜け出したい。そろそろ抜け出したい。着々と食費に潰されていく貯金も、もとはといえばそのために始めたものなのだから。
昔はなんとかなると思っていた。
いや、むしろ「なんとかできる」と思っていた。この指先の硬くなった手で、このアコースティックギター一本で、やっていけると信じて疑うものは無かった。それが今は……。
いや。今でも変わらないのだ。だから生活が苦しいままなんだ。賢くならないかとはよく言われる。せっかく体力があるんだから日雇いじゃなく、シフト組んでパートで入れてやってもいいと引越し業者には言われる。
それでも賢くなれないのは何故だろう。
ライブハウスで先輩に指がかたいんじゃないのかと言われても、路上でケースを心無い足に踏みつけられても、才能ないんじゃないと彼女にフラれても、それでも諦め切れなかったのは何でだろう。
そうやって疑問を持つことによってさえ諦めへの第一歩を踏み出してしまう気がして、俺は考えるのをやめた。
起き上がると朝は十時半で、布団はべたついて気持ちが悪い。顔洗ってそれから、そうだじょうろに水を汲まなければ。
俺の日課に、水やりというのがある。
いやに水の出の悪い蛇口を捻り、園芸用のでかいじょうろに水を溜める。しかし俺の部屋に鉢植えはない。そのかわり、西向きの窓の日陰に、ヒトデマンが転がっている。レジャーシートを敷いたその上に、水晶のような光をたたえたヒトデマンが鎮座しているのだ。
ちょっと前までは銭湯からかっぱらってきたケロヨンの風呂桶に入れてやれたのに、少しずつ成長しているようでもうあんまり窮屈そうだったので出してやった。それからずっと、ヒトデマンに水をやるのは俺の日課なのだ。
「おはようさん」
ヒトデマンは俺の声に返してくれているのか、もしくはただ単に水がうれしいだけなのか、朝方のかったるい日陰でコアをぴかぴか光らせた。
「今日は昼からだよな」
ライブハウスの掃除の仕事が入っている。これも日給で、終わるのが午後十一時の予定だから、帰りにコンビニでこいつと俺の夕飯を買って、ちょっと弾いて一日が終わるだろう。
手持ちぶさたになると、気が付くとケースを開けている。
少し大きめな俺のギターは、高校ん時に叔父から譲り受けたものだ。
叔父の家はカイナシティにある。小さい頃は夏休みのたび叔父の家へ行って、海で遊んだもんだ。あのサイコソーダの味は忘れられない。
海が好きだ。
海には潮騒があり、人の賑わいがあり、うみねこの声が響き、砂を踏む音がある。そんな音が何テイクも重なってそこに海がある。それがいい。俺はそんな海で叔父のギターを聞いたのだ。叔父が弾いたのは古い曲で、亭主関白をもって妻を愛する男にまつわる弾き語りだった。その頃はよくわからなかったものの、今聞くとなんとなく、染みる。叔父は妻を亡くして一人身だったのだ。
いや、それ以外にも聞いた気がする。ギターを。そうだどこか、異国の言葉で。
ああ思い出しそうだ。そういえばヒトデマン、お前を拾ったのもあの海だったな。カイナのにぎやかな海とはほど遠い、北側の紺色をした海だ。灰色の砂を覚えている。あの異邦人のでっかい麦わら帽子も。
俺がたしか、ちょうどこのアパートに引っ越してきて間もなかった頃。
バンド仲間との打ち上げが迫り、たとえそれがスクラッチで当てた五万円ぽっちだろうが金があるのがバレるとたかられるので、いっそ使っちまおうと思って思い切って鈍行列車に乗って向かった海。
残暑の厳しい九月に、家族連れとアベックが一組に釣り人と散歩している親父がちらほらなんて寂しい海だった。それでも俺は磯へ入って、ちょっと泳いではくしゃみを連発したりした。一人じゃ寂しいかなんて予感は出発前からあったが、そのときはギターを鳴らしていればいいと思った。広い海なら騒音公害だとかなんとか隣人に壁を叩かれる心配もないし、うまくいけばお捻りも期待できる。
そして磯でさ、俺の膝に張り付いてはがれなかったのがお前だよな。
どうしたもんかってそこの釣り人に聞いたら「兄ちゃん、そりゃあいけねえわ。あんたそれヒトデマンに噛まれてるよ」だもんな。ビックリしたよ。そうだあの頃はお前もまだこんなもんだったよな。今じゃ枕にできる大きさなのにな。
しかも逃がそうとしても手のひらから離れないんだよな。何だよお前、磯じゃいじめられてんのか? って俺が聞いたの覚えてるか。……おい、光るなよ。だってお前さ、なんか必死な感じしたもんな。わかるよ。俺もずっと学校でヘッドフォンしてたらちょっといじめられかけたもん。
んで、どうしようもないから近場のフレンドリーショップでモンスターボールでも買って連れて帰るか、とか思いつつ膝から引っぺがしたヒトデマンを持ったまま歩いていると、木陰から弦楽器の音が聞こえたんだ。
覗いてみるとそれはココナツみたいな形のギターで、弾き手は目の蒼い男だった。不健康に白い手で弦をはじいている、けどもそのなんともすがすがしい、真夏に感じる清流の風のような音色に俺は驚いたんだよ。間違いなく。
異国の曲なんだろうな。そいつが何語喋ってんのか俺にはわからなかったが、俺も気が付いたらギターを下ろして一緒に適当に弾いてた。そいつは挨拶みたいなことをしてきたから、俺は挨拶みたいなことを返した。あとはギターを弾いただけだった。二、三曲か? あいつ上手かったな。あれきり会ってないけどな。
夜になって、篝火が見えるような時間になってさ。
――CDだよ。俺が帰ろうとしたら、あいつがよこしてきたんだ。年季の入ったやつ。あいつの持ってたのと同じ弦楽器がジャケットに描いてあった。
それで俺、そのままもらうわけにもいかないだろ。タダで。大切そうなもんだったし。でも俺がそのとき持ってたのは帰りの切符と、磯で拾ったヒトデマンと、ギターと、230円だけだった。
どうしたかって? 何だよ、そんなに点滅するなよ。まだ怒ってるのか、あのときあいつにやった230円があればボールが買えたって? しょうがないだろ。じゃあお前を渡せばよかったのかよ。そこで採れた新鮮なヒトデマンですってか? あ、止んだ。
大きなアコースティックギターを抱えるように構えて、胡坐で座って弦に触れる。なんだかこうして海を思い出しちまったからには、またあの曲が弾きたいな。あのとき230円でもらったあのCDの、異国の弦楽器の曲。
思い出しながら弾いてみた。
やっぱり楽器が違うから、あんなふうに細かく振るうような、綺麗な音は出ない。その代わり、流石叔父のギターだ、哀愁漂うマイナーコードが似合う。
あの海の一瞬を思い出しながら弾くと、俺は必然、ヒトデマンをみつめていた。
ヒトデマンはまるでギターから吐き出される波形を飲み込んでいるかのように、歌うようにぴかぴか点滅していたが、やがてちょっとずつ透明に、星型のすみずみまで輝きながら歌い始めて、どうしたんだと思ったら、突然くるくる回りだしやがった。
「おい、踊るほどじゃあないだろ。」
笑ってやると、ずっとずっとまるで燃え尽きる前の星のように赤く輝いて、本当にどうしたんだ、なんてとうとう心配になるほどくるくる発光していると、ほどなくしてゆっくり回転が止まった。
しかしそこにもうヒトデマンはいなかったのだ。
なぜなら奴は、紫翠のような深い輝きを湛えた、スターミーになっていたからだ。
俺は目をぱちくりした。
「進化……」
それでも手は止めなかった。最後まで弦を弾いて、それからまじまじとスターミーを見た。
スターミーはちかちか点滅した。
「……するんだなァ」
俺は窓の外に白昼の空を感じつつも、ギターに寄りかかって欠伸をした。
さ、仕事へ行く準備でもするか。
今は日雇い労働者でも、いつかはこのギターと腕とで引越しをできる金を稼いでやるのさ。そして今度は風呂とトイレのある家へ住んで、ヒトデマ……スターミーをきちんと風呂へ入れてやろう。あの銭湯はポケモン禁止だからな。
「あ、そうそう」
朝風呂しにいくのに、一度俺は相棒ふたつを振り返った。
「いつもサンキューな。つまんねー愚痴聞いてくれて。」
ギターは相変わらず無口だが、スターミーはちょっとちかちかした。
いつかこの潮騒で稼いだ金で、もう一度お前の生まれた海へ行きたい。お前のためじゃないぞ。俺はな今度はな、あの異邦人ともう一度会い見えてだな、あの弦楽器の名前を尋ねてやろうと思っただけなんだぜ。
***
【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】
とある友人に敬意を表して。
彼女の好きなポケモンが偶然スターミーだったとかいうまさかなこともありました。
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