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ロコンから見える世界と
人に化けてから見える世界は
同じ世界という言葉なのに違って見えるもんやってことは、
そやな……ウチが生まれて、
変化の術を覚えたのは小さな頃やったから……
まぁ、つまり、もう随分と昔に知った感覚なんやな。
でも……ウチ的には飽きるという感覚がソレにはないんやな。
いつも、この世はいつだって変化を築いとっていたから…………。
ウチは人の足でブーツ音を立てながら歩いておった。
その音には怒りも込められてるっちゅうことは言わずもがなや。
……ったく、あやつが変なことをしよるからや。
ウチのことを馬鹿にするから、いけないんや!
ウチの名前は天姫灯夢っちゅうや。
年は997歳のロコンやで。
……ババァなんて言うたら、即刻『にほんばれ』プラス『だいもんじ』な。
ウチは普通のロコンとは違って、
1000という年を重ねて初めてキュウコンになれるんや。
……ウチはな、命令されたんや。
キュウコンになる為の残りの三年間、
タマムシ高校に通い、無事に卒業すること。
……なんで、そないなけったいな試練を受けられてしまったのが分からん。
けどな……あの方の命令は絶対やしな……。
まぁ、とりあえず、試練は楽勝かなって思うておったで。
要は三年間、女子高生の一人暮らし生活を楽しめばええっちゅうことやろ?
だけど、あの日、
あの男と住むことにならざるをえないようになるまでの思いやったけどな。
あの治斗っちゅう男と部屋がダブルブッキング(やったけ?)に
なってしもうてな……ウチは教えてもらった、その部屋しか住めへんというルールがあるし。
ま、まぁ追い出すんのも悪かったしな、結局は一緒に住むことになってしまったってことや。
あやつと一緒に住み始めて早三ヶ月。
……もう、と言いたくなるぐらい、この男はタチが悪いで。
いつもウチにケンカを売るようなことは言うてくるし。
ウチの水浴びを覗き見したときもあったし。
みたらし団子を勝手に食べてたときもあったやな。
……思い出すだけでも、ウチの怒りのボルテージが上昇していくでっ。
なんで、あないな男と住まなきゃいかんねんっ。
ウチは歯をキリキリ鳴らしながら図書館に入っていった。
図書館内の独特な静けさが辺りを包んでいる中、
ウチはとりあえず空いている机付きの席に腰を下ろして、一息ついた。
なんとなく落ち着ける雰囲気を持つ、この場所は本当に不思議やな。
ここなら誰にも邪魔されずに勉強できるで。
ウチは肩掛けカバンから数学の教科書とノートを取り出すと、
早速、テスト勉強を始めた。
……………………。
むむぅ、人間ってどうしてこんなに難しいもんばっかり創るんや?
この問題は……この式を代入して……と。
そこから計算してからの……こう、展開してやな……。
む、間違えたやな。
もう一回、やってみなあかんな。
……………………。
………………。
…………。
……。
書いては消し、書いては消しの繰り返し。
なんやノートが数式やなくて、消しクズで埋まってきたような気ぃするけど。
もう! こんなん、適当にやったればええんやぁ!!
頭をクシャクシャかきながら…………。
…………。
……。
なんや、簡単に解けたやんか。
ウチはほぼ殴り書きのような数式に赤い丸をつけた。
……なんか眠ぅたくなったやな。
ウチは大きなあくびを一つした。
それは昔々、暖かくて、ウチはあのヒザの上で昼寝を興じるのが大好きやった。
それは昔々、温かくて、ウチはあのもふもふな尻尾にくるまれるのが大好きやった。
も、もう、ウチは大人やからな。
そんな甘えはお願いしないけどな……多分や、けど。
それに…………。
あっ! それはウチの(みたらし団子と同じくらい)一番大好きな、
なめこ入りのきつねうどんやん!!
う〜ん! 母さんの手作りがやっぱり最高やな!!
ん? なんやて!? おかわりあるんかいな!
あっ! 大盛りで頼むで!!
モグモグ……モグモグ……。
「お客様……お客様……」
「んはあぁ!?」
「あ、あの、もう閉館時間ですので」
…………最初は寝ぼけておったけど、徐々にウチは状況を理解した。
ウチとしたことが居眠りしすぎてもうたみたいやな。
……あ、よだれがちょっとばかし垂れてるやないか。
とりあえずウチは背伸びをしようと立ち上がった。
……『フラフラダンス』をしているような感覚やで。
気分はパッチール、なんて思いながらウチは帰り支度をすますと
図書館を後にした。
……むぅ、今、気がついたんやけど結局問題一問しか解けへんかったな。
そうや! だいたいあの男がウチを怒らすから、
余計な体力を使ってしもうたやないか!!
……おなかから音が鳴ったで。
ま、まぁ、あいつは顔に似合わず料理は作れるしな。
この前は大根の煮込み料理なんか、いっちょまえに作りよるし……。
箸が大根を綺麗に通るぐらいの絶妙な感じやったなぁ。
…………。
なんや悔しゅう気持ちになるんのは気のせいやろうか。
と、ともかく、なんかうまいもんでも作ってくれたら許してやってもええかな。
ウチは優しいからな!
……あかん、腹が減って力が若干抜けているで……。
はよう帰るかと図書館の入り口のところまで出たところで、
ウチの目と鼻が何かを捕らえた。
「……しもうた、雨が降ってきよったか」
参ったで……カサを持ってきよるのを忘れてもうた。
まぁ、雨に濡れるなんて今まで何回もあったから、いまさらやけど。
近くの水たまりで二匹のニョロモと
ピカチュウ色のレインコートを着よった一人の小さな女の子が
きゃっきゃっと遊んでおった。
ロコン色のレインコートは売ってへんのか?
……それにしても、雨かぁ、ちょうどこの時季やったっけな。
ウチが大たわけな事をしよったのは。
あれを思い出すたびに、ウチは本当に馬鹿なことをしよったと思っとる。
………………。
いかんな。
どうやら腹が減りすぎてネガティブになりすぎてしもうてたようや。
多少、ぬれてもしゃあないから、さっさと帰ったほうがええな、これは。
「やっぱり、カサを忘れてたか」
いきなりウチの耳になじみのある声が聞こえたのと同時に、
目の前に現れたんのは同居人のやつやった。
そいつは右手に開いた黒色のカサを、左手には――。
「ほら、お前のカサ、持って来たぞ」
ウチの赤いカサを手渡してきた。
「なんや、ストーカーでもしよったんやないやろうな?」
「図書館に行くって言ったのはどこの誰だよ」
む? そないなことも……まぁ、言ったことにしといてやるで。
ウチはそいつからカサを受け取ると勢いよくソレを開いた。
ん、まぁ、この男は最悪とまではいかないだけ、まだマシやってことやな。
ほんまにときどきやけど心遣いも、まぁできるみたいしな。
…………三年間ぐらい、我慢できへんことには
立派なキュウコンにはなれへんっちゅうことにしといてやるわ。
うん、幸い、この男は料理が人並みできるから我慢できそうや。
うん、うん、うん、そういうことにしといてやるわ!
強引なんて言わせへんで!!
「ほな! ウチは腹減ったで! はよう帰って飯や! 飯!」
「お前なぁ! カサに対するお礼はどこに行ったんだよ!?」
通り雨だったのか、数十分後には見事に空は晴れ渡った。
灯夢の鼻には雨上がりの匂いとともに、
ちょっとばかし、夏を予感させるものが届いていた。
期末テストが終わった後に彼女らのドアをノックしてくるのは
夏休み。
1巡目―春の陣【完】
15
総勢約五十人の大所帯。
この人数を収容することができ、さらにシロナさんのご要望である「飲み放題付き」の実現可能な店は、結局ここ「ミオ地ビール倉庫」しかなかった。秋に僕たちが国際交流サークルと合コンした、あの店だ。
「初めて飲んだけど、ミオビールってとっても美味しいわね。なんかコクがある」
そう言いながら、シロナさんはビールで喉をゴクゴクと鳴らした。
先からかなりのペースで飲んでいる。彼女、恐らく相当酒豪なんだ。
「倉庫」と言っても、内装はコテージのような木造で、淡い光のランプが灯る。中々雰囲気は悪くない。
店の約半分の席数を当日予約で押さえることができたのはラッキーだった。
席ををいくつも繋げてもらって出来上がった十メートルほどの長テーブル二列を、僕たちは埋め尽くした。
「埋め尽くした」のだが、それも乾杯から十五分ほどの間だけ。
みんな、シロナさんの近くの席に座っていた人がトイレに立った隙にイスを奪い合い、さながら「イス取りゲーム」のようになっていた。
僕の周囲は大体いつも話しているようなメンバーで固まっていた。カオリは友達がシロナさんの向かいに居座り続けてしまっているのでずっと僕の隣りにいたし、ケイタやタツヤ、ヤスカの二年生組も一緒に飲んでいた。
「噂のシュウの彼女、やっと話せた! へー可愛いじゃん」ヤスカがオードブルをつまみながら言った。
「ホント可愛い。どうしてシュウ? もっと上狙えるよ?」タツヤは相変わらず失礼なこと言いやがる。
「カオリちゃんは告白された時、寝起きだったんだよね?」とどめは君かケイタ。座席、移動してくれ。
カオリはこの「ワルイ先輩たち」の話に、ただただにこやかに笑っていた。
この手の話に「はい、ちょっと寝ぼけてて――」なんて切り返されるのも何気にショックだから、別にそれでいいんだけども。
複数人での会話になると、僕は割と「いじられキャラ」である。別にそれが嫌なわけではないが、カオリの前でコテンパンにいじり倒されるのは、正直嫌だ。
「そういえばさ、全然話変わるんだけど、今日の練習試合おれ、マイ先輩と当たったんだけど――」
話し始めたのはタツヤだ。なんだか申し訳なさそうな感じだった。
「おれ――勝っちゃったんだ」
これにはカオリを除いた僕たち三人は仰天した。
「冗談だろ?!」僕は飲もうとしたビールを一度下ろしてから言った。
定期戦では不運にも自滅し、負けてしまったマイ先輩だったが、タツヤごとき「ひとひねり」のはずだ。たとえ先輩のトゲチックが「指を振る」を使わなくたって、タツヤには先輩を負かすことはできない。
「嘘じゃないさ。でもなんだかいつもと様子が違ったんだ。『指を振る』を全然使わないだけじゃなくて、他の技も全部後手後手に回ってるって言うか――試合が終わった後も何も言わずにすぐ帰っちゃった」
そう言えばこのゲリラ開催された飲み会の会場を見渡しても、マイ先輩は見当たらない。
「やっぱり定期戦であんなふうになっちゃったのがショックだったのかな?」とヤスカ。
見渡してかわりに目に入ったのは、僕の知らない女の子と話しているコウタロウ先輩だった。
「それか、フラれちゃったか」と、僕。
「それはないと思うぞ」ケイタは僕の憶測を否定した。「マイ先輩が帰るところはおれも見た。その時コウタロウ先輩が止めに行って何か話してたけど、マイ先輩は普通に笑ってた。逆にコウタロウ先輩の方が真剣な顔してたくらいだ。多分原因は定期戦の方」
「あの人、試合終わった後泣いてましたもんね……」
カオリがそう言ってからは、その話はそれ以上掘り下げられなくなった。
その後は、お前は彼氏つくらないのかとか、クリスマスはどうするだとか、全くもって他愛の無い話でしばらく盛り上がっていた。
しかし心配事というものは、忘れた頃にまた思い出されるものだ。
「でさ、カツノリのやつ大学で……売ってるらしいんだ……そう、あいつこの街の暴力団とさ……」
隣りのテーブルで話しこんでいたグループから会話の切れ端が漏れ聞こえてきた。
僕とケイタは目を見合わせた。
「あたし、カっちゃんが……おごってくれるからね、訳を聞いたらさ……何か……そうそう、かなり売れてるらしいの……」
カオリも気付いたらしい。不安そうな目で僕を見た。僕はテーブルの下で手を握ってやった。
やがて、隣りのグループの話題を持ち出した当人らしい男が席を立ち、店の出口へ向かって行った。手にはタバコが握られている。
「灰皿――ああ、ここ禁煙なんだな、ちょっと吸ってくる」
と、ケイタが立ち上がり、たった今店を出た男を追って外へと消えた。
とりあえず、ここはケイタに任せるしかない。あいつならきっとうまく情報を引き出せる。
「なあ、シロナさんの周り、やっと空いてきたぞ。おれらも話に行かないか?」タツヤが提案した。
16
僕たちが飲み物を持ってシロナさんのところへ行くと、マキノ先輩、アキラ先輩の四年生二人と話をしていた。
「あら! ガーディの彼! お疲れさーん!」シロナさんはほろ酔い状態でグラスを上げた。
僕たちはとりあえず一人ずつ自己紹介をしたが、シロナさんはだいぶ名前の暗記に苦戦しているようだった。
「ガーディのあなたがシュウ君に、シュウ君の彼女のカオリちゃん。フローゼルのあなたがヤスカちゃんに、元野球部のあなたがタツヤ君ね――ごめんなさい、今日たくさん自己紹介してもらっちゃったものだから、覚えきれそうもないのよ。また訊き直しちゃうかもしれないけど、許してね」
なんだか凄い。この短期間でチャンピオンと「御近づき」になれすぎている。
「今ちょうど定期戦のこと話してたのよぉー!」マキノ先輩、かなり"完成"している。「あの時試合に出れなかった私たちとねー、シロナさんが今度試合してくれるの。夢みたい――」
「悪いけど、手加減しないわよー!」とシロナ。
マキノ先輩はびっくりするほどの大声でゲラゲラと笑った。
「そんなのあったりまえですよぉー! ガチンコ勝負です!」
二人はなぜかハイタッチした。
「考えてみれば、あれはあれで良かったのかもしれないな」
爆笑しながら会話するシロナさんとマキノ先輩を見て苦笑いを浮かべながら、アキラ先輩は言った。
「何がっすか?」とタツヤ。
「マサノブが受け取ってしまった薬がその日にああやって発見されてさ――」アキラ先輩は続ける。「そりゃ、マサノブは精神的にかなりきつかったろうし、おれたちも結局チーム戦に出場できず、定期戦は中止になった。でもさ、シュウのガーディが反応してあそこで発見されてなかったら、もしかしたらあの薬がミオ大に広まってたかもしれないだろ? もちろんマサノブがそんなことするとは思わないけど、別の誰かが売りさばこうとした可能性もあったわけだ」
確かに、結果論としてはそうなのかもしれない。あの日チームはかなりの団結ぶりを見せたし、僕自身のことを言えば、カオリにあのことを問い正すきっかけになった。
「でも私は今でも悔しいんだからね」
マキノ先輩、聞いてたのか。
「私、あの日に賭けてたのよ? この一年間の練習はあの日のためにやってきたようなものなんだから! もう、なんであれっぽっちの『粉』なんかに――」
そう言いながら、マキノ先輩はグラスを握ったままテーブルに突っ伏してしまった。
「もう、飲みすぎよー代表さん」と、シロナさんが頭を撫でる。
「それに――」マキノ先輩はもう一度顔を上げた。「私、マサノブにあんな辛い思いさせたやつが許せない」
そう言って彼女はビールをあおった。
「うちも、あんなものなければいいのにって思うな」ヤスカが頬杖をつきながら言う。「存在するなっていうのは無理なんだろうけど、でも人の人生ボロボロにしちゃうものでお金儲けするなんて、最低」
「でも買う人間がいる限り、このマーケットはなくならないだろ? 需要があれば、供給が生まれるんだ」
タツヤがそう言って続ける。
「アキラ先輩にも言われたから、もう薬やってる人をみんなバカだなんて言わないけどさ、買い手と売り手の両者で利害が一致しちゃってるなら、この関係はそう簡単に崩れないよ」
なるほど僕たちの代は、こういうムズカシイ問題について語り合うのが好きらしい。
問題意識があるのは良いことだとは思うけど。
無論、カオリは口をつぐんでいた。
「ああ。でもそこに依存性っていう事情が絡むことを忘れちゃいけない」とアキラ先輩。「買い手側の需要は"作りだされている"んだ」
タツヤはなおも熱弁する。
「だからなおさら最初『なんで手を出しちゃうんだろう?』って思っちゃうんすよ。止めようと思えば止められるタバコなんかとは違うのに――」
「シロナさんは――どう思いますか?」
ヤスカが質問した。みんなの視線がシロナさんに向けられる。
僕も気になった。シンオウ地方チャンピオンの意見。
「うーん」シロナさんはグラスをテーブルに置いた。「ここで私がそのことについて話すのは、あまり意味がないわね」
シロナさんは続けて、こんなことを言ったのだ。
「語るより、動きなさい」
僕たち六人はそのままシロナさんを見つめ続けた。
今思うと、その言葉は確かにみんなの心に響いてたし、無理やり寝かしつけていたものを起こすきっかけになったんだ。
「今、この大学で起きている問題に、みんなそれぞれ意見を持っていると思うわ。それはそれで素晴らしいこと。でも、それだけで何もしないなら語るだけ無駄よ。何にも考えてないのと一緒」
マキノ先輩は、ぼんやりとした顔で聞き入っていたが、その瞳には炎が見えた。
「定期戦で苦い思いをしたみんななら、絶対に『動機』があるはずよ。本当は思ってるはず。何かしてやりたい。何かしなきゃって――こうして議論になるのはその証拠。自分の中にある『動機』に忠実に、何かしてごらんなさい。このチームのみんなが何かすれば、必ず何か変わるわ」
シロナさんはにっこりと笑い、置いたグラスを顔の高さに持ち上げた。
「だって、私が認めたチームなんですもの」
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「口の軽いやつだった。とりあえず、店を一件突き止めた」
帰り道、ケイタが僕に報告した。
突破口が開けたわけだ。
家に着いた後、携帯を開くとマキノ先輩からのメーリスが流れていた。
<明日の昼集会、急で申し訳ないんだけど、できるだけ全員参加すること。大事な話があります。――マキノ>
「メール?」ベッドに腰掛けているカオリが僕に訊いた。今日は僕んちにお泊りなのだ。
「ああ、悪い」そう言って僕は携帯をベッドに放り投げ、カオリの隣りに座り、キスをした。
「――誰から?」
「あれ? 気になる?」
「……別にそういうわけじゃないけど」
そう言って口を尖らせながら、カオリは僕の肩に頭を乗せた。
お酒が入っているからか、不安なことを今は忘れていたいのか、カオリはいつもより甘え上手だった。
今日この日、僕は確かに音を聴いた。
それは、エンジンの音。
僕がここまで走ってきた人生で、一度も聴いたことのないふかし方の、エンジンの音。
そうか、今まで制限速度を守っていたからな。
ここからはもっとアクセルを踏み込まなきゃ。
「立ち上がる時が来たらしいんだ。『ヘル・スロープ』がね」
体育祭や文化祭などが学校行事にあるように、
これだって立派な学校行事であろう。
「え……と、この式がここに代入して、と……」
「この漢字は覚えにくいから赤ペンでチェックしましょ……と」
「この例文の……関係代名詞を……しっかり……」
期末テストという名の学校行事。
ところどころ雲が散らばっている空の下にある、とある一つのアパート。
楓荘の一室にて俺は勉強していた。
……まぁ、俺一人だけじゃないけど。
「……むぅ、いつになっても数式には慣れへんわ」
「なんだよ、てっきり数学は得意なものだと思ってたけど」
「あんなぁ、ウチは別になんでも得意っちゅうもんやないんやから。
まったく……こんなにぎょうさん数式なんか作りよって」
「……教科書をにらみつけても仕方ないだろ」
俺が自前の勉強机で勉強している傍らで、
開いている押入れからはブツブツと文句を言っているモノが、
一人…………いや、一匹いた。
「う〜ん、アカン……みたらし成分がなくなってきたやな」
「なんだよ、みたらし成分って」
ソイツは近くに置いておいたらしいみたらし団子を一つ口に入れた。
するとソイツは急に何かをひらめいたかのような顔つきになった。
「せや! ここはこの数式を代入するんやな!!」
「単純だな! オイッ!」
……押入れの中で勉強しているのは人ではなくポケモンであった。
赤茶色の体に六本の尻尾。
頭の巻き毛には白い光を帯びた銀色のかんざしが一本。
「ふふん、ウチにかかれば、楽勝やで!」
さっきまでの不安な言葉はどこへやら……。
得意げな顔でロコン――灯夢は満足そうな顔をしながら、
ノートの上で走らしている鉛筆の速度を上げていったのであった。
俺の名前は日暮山治斗。
タマムシ高校に通っている一年生だ。
両親が職業柄、よく海外へと出かけてしまうので、
タマムシ高校に入学という機会に一人暮らしを始めることにした。
……さて、初めての一人暮らしで緊張していた俺だったのだが、
それは記念すべき一人暮らし初日、
一匹のロコンに出会ったことで見事にその緊張はどこかに消え去ってしまった。
なんでも、そのロコンはキュウコンになる為の試練として、
三年間、タマムシ高校に通い、無事に卒業しなければいけないらしい。
…………事情はさておき、
そのロコンとなぜか同室になってしまって、
今、こうして一緒に一つ屋根の下、住んでいるということだった。
……俺から見たらロコンが勝手に住みついたとしか考えられないんだが。
「おんどれは余裕なんか? 数学は」
「余裕というわけじゃないが、どっちかというと得意科目だな」
俺とロコンの灯夢はただ今、勉強中である。
二日後に来るべき期末テストに向けて。
「……それ、ウチに対する嫌味か?」
「なんで、そうなるんだよ!?」
いきなり灯夢から投げつけられた理不尽に面をくらった。
なんで灯夢はいつも俺の言葉を
ケンカ腰のような受け取り方をしてるのかが全く不明だ。
「おんどれのノートに、ほとんど丸しかついてないやんか」
灯夢が俺のノートをのぞいたようだった。
……押入れから勉強机の俺のノートの中身を見るなんて、器用なヤツだな。
俺もただいま数学の勉強をしていて、
確かに、俺が解いた練習問題には赤い丸がついていた。
……まぁ、もう三回も同じ問題を解いているんだから、
ほとんど赤い丸があってもおかしくないだろう。
俺の場合の数学の勉強の仕方としては基本、
練習問題を繰り返して、その公式の使い方とかを理解していくというやり方だ。
後は、期末テストとかで応用していけばいい、といった感じかな。
いつも百点を取っているわけではないから、
それがベストな勉強方法というわけではないのだが。
「……これはウチに対する当てつけとしか考えられへん」
「あのなぁ、お前だって本当は数学なんて楽勝だろ?」
俺はいったん勉強机から離れて押入れの灯夢のノートをのぞいて――。
「!! このエッチ野郎っ!」
おもいっきり灯夢からパンチをもらった。
右のいいストレート一発。
人にも化けることができる灯夢だが、今は元のロコンの姿なのだが、
その小さな手から放たれたパンチは冗談抜きでメガトン級だった。
……けど、攻撃をくらう前にちらっと見えてしまった。
若干だが、赤いバツ印が多かったような気が……。
「もうええわ! おんどれと一緒に勉強なんて、もう集中できへんわ!」
そう吐き捨てるように言うと灯夢は
さっさと自前のショルダーバックに色々と入れ込み……終えると。
「図書館で勉強して来るわ!!」
その言葉とともに扉がおもいっきり音をたてながら閉められた。
俺は漫画の描写かと疑われるぐらい赤く膨らんだ、ほっぺたをさすりながら、
灯夢の怒りを抱きながらの行動を見ることしかできなかった。
「イテテ……灯夢のやろう、思いっきりなぐりやがって……」
依然と痛みを訴えてくる、ほっぺたに、
ユキメノコ印のロックアイスを入れた袋を当てながら、俺は勉強を続けていた。
左手に例の袋、右手にシャープペンシルを持ち、
数式というモンスターに再び挑んでいった。
近くのちゃぶ台に置いてあるラジオから音楽が流れてくる。
灯夢って、どうしていつも怒り気味な感じなんだろうな。
それにいつも何かと自分の鼻を高くしているところもあるし。
……本当に謙虚っていう言葉を知らないんじゃないだろうか?
…………まぁ、頼りになる、っていうところはあるが。
怒りやすい。
自惚れ。
みたらし団子に関しては我がままなところがある。
……なんだろう、他人ならぬ他ポケの短所なんだけど、
短所しか浮かばないあたり、悲しくなってくるのは気のせいだろうか?
そういえば、もうアイツとも早三ヶ月といったところかぁ……。
尻尾を間違えて踏んで、みぞ打ち一発。
あまりにも腹が減りすぎて、アイツのみたらし団子を間違えて食べて、頭突き一発。
掃除中に誤って、ほうきでアイツを力強く掃いて、アッパー一発。
……なんだろう、宿泊会のこともあるけど、
俺ってばロコンに、なぐられっぱなしじゃねぇか?
ついさっきのほっぺたに一撃もあったしな…………。
まぁ、至近距離の『かえんほうしゃ』や『だいもんじ』に比べたら、
まだこのパンチは序の口なのかもしれない……と考えていたら、
なんか鳥肌が立ってきたぞ。
外からヤミカラスが「アホ〜、アホ〜」と鳴いているのが聞こえてくる。
……タイミングがタイミングだけに
俺のことをバカにしたかのような感じを受けた。
確かに、灯夢のことを考えていて、
右手のシャープペンシルの動きが止まっていたことはバカかもしれない。
でも……なんか、アイツのことが気になって仕方ないんだよな。
灯夢ってさ、ときどき暴走気味なところがあるからさ、
灯夢にとっては余計なお世話かもしれないけど、
ちょっと不安に思ってしまうこともある。
俺以外のヤツに正体がばれるんじゃないだろうか……とか。
っていうか、俺にはもうばれているというわけだけど大丈夫なのか?
………………。
万が一にも口を滑らせた次の日は朝日を拝めないかもしれないな……。
色々な人に、ばれすぎて試練に失格……なんてこと……。
呪われたくないから、それだけはカンベンしたい。マジで。
まぁ、なんだ。
要は、アイツのことが、
なんか……ほっとけなくなったというか、なんというか。
初日にはそんなこと思わなかったのにな…………なんか変だな。
今では、そうだな……うん、無事に三年間アイツと暮らしていければいいか。
そう、灯夢の一撃で俺が死なないように……な。
冗談抜きで。
「ちょっと、お茶でも飲もうかな」
数学ではなく、プライベートな考え事で疲れてしまった俺がいた。
俺はいったんシャープペンシルを置いて、
カーテンが開かれた窓から空を見上げた。
六月下旬の梅雨時期まっただ中である空は見事に重い雲によって、
灰色の世界に上書きされていた。
「…………アイツ、カサ、持っていったかな」
ダイスケ「ここか……」
ダイスケが来た場所はサザナミタウン。波はいつも穏やかなためか、家は海岸近くにある。イッシュ一のリゾートスポットになっており、あたりに別荘が目立つ。
ダイスケはポケモンセンターに近い家を訪ねることにした。
コンコン(ノック)
???「はい、どうぞ」
ダイスケ「ダイスケです。おじゃまします」
ダイスケは扉を開けて入った。家の構造はシンプルだが、広大なスペースがある。キッチンとリビングは一緒である。
ダイスケ「シロナさん、お久しぶりです」
シロナ「ダイスケくん、いらっしゃい。お話があるって?」
ダイスケ「ええ、実は……」
ダイスケはこれまでのいきさつを話した。シロナは真剣に聞いていた。シロナも興味があったのかもしれない。
シロナ「へぇ、ウルガモスを探しにここイッシュに?」
ダイスケ「ええ……。そこでシロナさんが何か知っているのかと思いまして」
シロナはテーブルの上に置いてあったコーヒーを飲んだ後、ダイスケにこう言った。
シロナ「相変わらず、結構もの好きなのね。だけど、私が知っているのはその伝説。居場所は知らないの」
ダイスケ「そうですか……。なにか、手掛かりがあるのかと思って……」
シロナ「別にいいのよ。そういえば、ある古代研究家がリゾートデザートにある古代の城でポケモンの卵が見つかったのよ。それで卵が孵ったらこのポケモンだったの。メラルバ、出ておいで」
メラルバ「グゥゥ?」
ソファに寝ていたポケモンが目を覚ました。それがメラルバらしい。
シロナ「一部のポケモン研究家は『ウルガモスは滅亡した』って言ってるけど、あなたはそういうのは信じてないよね?」
ダイスケは無言でそう、うなずいた。
シロナ「やっぱりね。私もそう信じているの。私はこのメラルバが何かきっかけがあるかもしれないと思ってね」
ダイスケ「そうですか。ウルガモスはきっとどこかで生きてると思いますよ。絶対に」
シロナは少し感心したのか、クリアファイルから地図を取り出した。
シロナ「これは、リゾートデザートの地図なの。×印が書いてあるところが古代の城なの」
シロナはそう言いながら説明する。ふと、ダイスケはこう思った。なぜだか知らないけど、ここにウルガモスがいる可能性が高いかもしれない、と。
シロナ「リゾートデザートはいつも砂嵐が吹いているからゴーグルは必須。4番どうろもそうよ」
ダイスケ「あの、ちょっと質問よろしいでしょうか?」
シロナは話をやめた。その質問に答えようとするためだったのだろう。
ダイスケ「古代の城って、どんな所なんですか?」
シロナはさっきの話は中断し、またコーヒーを飲んでから古代の城についての話を始めた。
シロナ「古代の城は昔、イッシュに王国があったという証拠になった場所なの。昔はとてもでかい城だったに違いないけど、実は本当は近づいてはいけない場所なの。」
ダイスケはそのことを聞いて驚いた。何か呪われてるのか?と感じたのだろう。
シロナ「発見されてからすぐのことで、数多くの古代研究家がその調査に乗り込んだの。ところが帰ってきた人数は古代の城にはいりこんだ人数の半分だったの。話によるとありじごくみたいなクレーターにのみこまれた。っていうの。生還率が50%とあまりにも危険なありじごくによって、ポケモン協会は古代の城を進入禁止区とされたの」
ダイスケ「進入禁止区って、じゃあ、入ってはいけないってことじゃないですか!」
シロナ「ポケモン研究家や私のような古代研究家以外はね。でも、そうとは言われたって、入っちゃう人たちがいるの。リゾートデザートでの行方不明者の数は年間1500人。ポケモン研究家は『ありじごくにのまれたあとデスカーンの餌食になる』という話なの」
ダイスケはそのままシロナに質問をせず、真剣に話を聞くことにした。
SpecialEpisode-7「ロケット団!ナナシマに賭けた野望!!」
(4)
6のしまの南部に、遺跡の谷と呼ばれている峡谷がある。点の穴はこの地に眠る遺跡の名前だった。
ミカサとコイチロウに命じられたミッション。それは、この遺跡に眠っている特別なサファイアを見つけ出し、サカキ様のもとに届けることだった。
私は2人を送り出した後、本部にこもってネイス神殿の伝説についてさらに調べることにした。
「ケイ様、まだ調べものですか?」
「ああ。ナナシマに眠ると言うネイス神殿だよ。」
私はそう言って、部下にネイス神殿の書物を指し示した。
「この神殿・・・ですか?」
「そうだ。この神殿はナナシマの古くからの言い伝えにある神殿だ。私達ロケット団が蘇らせることができれば、すなわち世界征服の原動力となる。そうだと思わないか?」
「世界征服・・・?」
「すまん。私としたことが壮大な理想を述べてしまったな。もちろん、超古代文明の中に語られるネイス神殿がいかほどの力を秘めているのか、それは私にも分かったものではない。だが、その謎を解き明かすのもロケット団の役割ではないのだろうか?」
私は部下に対して、本音ともとれる発言をこのときすでにしていたのだろう。
だが、ロケット団のネイス神殿をめぐる行動は、この後、思いもかけない方向に向かって進み出していくのだった。それも、またしてもミカサとコイチロウのためだった。
数日後、ミカサとコイチロウは本部に戻ってきた。だが明らかに様子がおかしい。まさか、この前の小僧がまた・・・。
報告に現れた2人の顔色には、その事がはっきりと浮き出ていた。
「申し訳ありませんでした、ケイ様・・・。」
「後一歩のところだったのですが、思わぬ邪魔が入ってしまいまして・・・。」
申し訳なさそうな表情で2人は報告に現れた。
「しょうがない。この俺が直々に足を運ばねばならぬようだな。サファイアはどうでもよい。ナナシマに眠る超古代文明、それを甦らせるのに、あのダイヤモンドとパールが必要なのだからな。はっはっはっ・・・。」
私はそう言っていたが、内心は落ち着かなかった。
と言うのも、ミカサとコイチロウが点の穴に到着したとき、実はあの小僧がいたのだと言う。そして、報告で伝えられたのは、小僧にも仲間がいたと言うことだった。
2人は点の穴到着後、物陰に身を潜めていたと言う。だが、遺跡の入り口にあの小僧が現れたとき、彼は単独行動ではなかったのだ。小僧と同じ年頃の、エルレイドを連れた小娘。そして小僧や小娘よりも年上の男が同行していたと言う。
「あのガキ、確かイザベ島でラルトスを取ろうとしたときに現れた小僧ね。しかもあのラルトス、小僧のポケモンになって、しかもサーナイトになってるじゃない。」
「あの遺跡の中には、確か特別なサファイアが眠ってるって聞いたことがある。あれはゲットする以外に道はない。行くぞ!」
だが気になるのは小僧の取り巻きの小娘と兄貴分の男。この2人が加わっていることから、多勢に無勢となるかもしれない。だが、そう言った不安を抱えながらも2人は遺跡の中に足を踏み入れて行ったのである。
遺跡の中の構造は私が調べていた通り、点字で示された方向をたどっていくと言うものだった。そして小僧達がサファイアを手に入れるところを仕留める。そう言う手はずだった。
そして案の定小僧達はサファイアを見つけ出した。
「きれいね・・・。ルビーのときもそうだったけど、美しいって言うより、神秘的で神々しいって言う表現がふさわしいと思うわ。」
「早くこれをニシキ博士のところに持って行ってあげよう!」
「ああ!」
小僧達はサファイアに夢中になっている。今が奪い取るチャンスだ。
「行くわよ、コイチロウ!」
「ああ!」
そして2人は小僧達の前に現れた。
「そこまでだ!サファイアは渡さん!」
「あたし達ロケット団が、このサファイアをいただいていくよ!」
だが小僧達とのやり取りから、衝撃的な事実が知らされたのだった。何と、小僧達はサファイアと対になるルビーを手に入れてしまっていたのだ。
「何だと!?それならサファイアだけでもいただいていく!」
コイチロウの判断は正しかったと言えよう。サファイアを見つけ出した後、小僧達がどこかに隠したであろうルビーも手に入れるのだ。
そして2人は小僧達からサファイアを奪い取り、帰還しようとした。ところが、そこに思わぬ邪魔者が現れたのだと言う。
およそポケモントレーナー離れした、肩むき出しの真っ赤なイブニングドレスに身を包んだ女。小僧の仲間だった。そいつはむげんポケモンと言われるラティオスにまたがり、でんじほうを放つエーフィと共に現れたのだと言う。
その女のエーフィが放ったでんじほうが飛行機のメカを破壊。2人はやむ無く小僧達を相手に変則ダブルバトルに挑んだのだが、小僧達のポケモンにあっけなく吹っ飛ばされ、サファイアはもちろん小僧達の手に渡ってしまったのだと言う・・・。
だがそれもこれまでだ。
私が本部の文献を読みあさって調べ上げた、特別なダイヤモンドとパールが眠る島、へそのいわ。
私はあの小僧がへそのいわに上陸したのを見計らい、潜水艦を飛行艇モードにして島の頂上に降り立ったのだ。
「素晴らしい!ネイス神殿を蘇らせる特別なダイヤモンド。伝承の通りだ!」
頂上に眠っていたのは、普段見かけるダイヤモンドとは全く違う、まさに神々しい代物だった。
「見える!見えるぞ!まさしくネイス神殿に導くダイヤモンドだ!」
そうだ。まさしくネイス神殿の伝説に伝えられているダイヤモンドだ。この力があればネイス神殿は蘇る。そのとき私はそうだと思っていたのだった。
だが、そこに・・・。
(5)に続く。
14
一面真っ白なグラウンドに僕たち「ヘル・スロープ」のメンバーは集合していた。
この時期になると野球部も室内練習に切り替えるので、このグラウンドは足跡ひとつついていない。
あくまで僕らは「サークル」なので、練習への参加は強制ではないし、ほとんど「幽霊」になっているメンバーも何人かいる。
とくにこの時期はいわゆる「シーズンオフ」なので、集まりは悪い。十人集まればいい方かな。
だが今日はどうだろう? こんなにメンバーが揃うのは定期戦以来じゃないか?
しかも、メンバー各々が相当言いふらしたようで、明らかにサークル外の連中がグラウンドの入口にごった返していた。
五十人から六十人はいるだろう。ガヤガヤと騒々しい。
僕はカオリにこのことを話したら「友達に凄いファンの子がいるの! きっと喜ぶ!」と言っていた。
でも授業があるらしいので、そのうち遅れてくるのだろう。
「なんじゃこりゃ……」女帝がその人ごみを見て唖然としている。
「てかシロナさん、また遅刻ですかね?」タツヤがダルビッシュの投球フォームを真似ながらぼやいた。
予定時刻をすでに三十分過ぎているのに、シロナは一向に姿を現さない。
勝手に集まったギャラリーから「ホントに来るのかよ?」と、これまた勝手な文句も聞こえてきた。
「また麻雀かしらね。あー寒!」
「マキノ先輩もこっち来ます?」
僕やケイタ、メンバーの大半はコウタロウ先輩のキュウコンを囲んで暖を取っていた。
尻尾の先に灯る九つ火がなんとありがたいことか。
僕の場合、ヒートでも暖まれるんだけど、あいつ、火加減調節するのが下手なんだ。
十分ほどして、ようやくグラウンドの横に白い国産車が一台止まり、黒のロングコートを着たシロナさんが姿を現した。どたばたと、グラウンドの方へ走ってくる。
ギャラリーから歓声が上がった。
「本当に、ごめんなさい! 寝坊! 早めに着くくらいの気持ちでいたんだけれども――」
人だかりを抜けてきたシロナさんは両手を合わせて謝った。なんだかまだ二回目なのに、見慣れた光景だなあと、僕は思った。ほら、寝癖も。
「いえ、むしろこんな遠くまで来て下さって真に光栄です」マキノ先輩はオトナに返した。
「寒いのに待たせちゃって、本当に申し訳ないわ――」シロナさんは、キュウコンに群がっていた僕たちの方を見ながら言った。
ほどなくして、僕たちは二人ペアになってグラウンドに広がった。
僕のペアは刈り上げっ子の(今は違うけども、刈り上げの印象が強烈なんだ)アスカになった。
僕たちは降り積もった雪を踏みしめながら、ちょうど三塁ベースがあるあたりにスペースを取った。
「今から最長三十分! 終わったらお互いにフィードバックすること! あと、グラウンドは傷つけないように!」
と、マキノ先輩が高らかに叫んだ。
各々のペアが手持ちを繰り出し、練習試合が始まった。
シロナさんはホームベースがあるあたりで全体を見回していたが、やがてゆっくりと一ペアづつ回り始めた。
真っ白な雪原に黒のロングコート(に、金髪)が、すごく映えていた。
「久しぶりじゃない? うちら勝負するの!」
ヤスカはそう言いながら、モンスターボールを投げた。
「そりゃそうだ。おれが避けてたからな……」
彼女のボールから出てきたのはフローゼル。身体をしならせて、軽やかに二、三回雪の上を飛び跳ねる。
こいつが僕がヤスカとの試合を避ける理由だ。
渋々僕もヒートを繰り出した。ヒートは相手がフローゼルだと分かると、「マジかよ?!」とでも言いたげに僕の方を振り向いた。
「じゃあ分かった。今日だけうちのバロンちゃんは水タイプの技を使わない。あんまり早く終わってもつまんないしねー」
そうきましたか。これは勝つしかない。
「お心遣いどうも。ヒート、ハンデがあるからって油断するなよ」
先に動いたのはフローゼルだ。水中だけでなく、陸上でも身のこなしは素早い。
あっという間に間合いを詰め、二本の尻尾でヒートの足元を払ってきた。
ギリギリのところでヒートは身を引き、攻撃をかわす。
「距離を取れ! 相手の攻撃範囲になるべく入るな!」
一定の間合いを空けつつ、ヒートは口から炎を放つ。
しかし、フローゼルも軽やかに身をかわす。
「そう簡単には当たらないよーだ! バロン!」
ヒートの炎による連続攻撃を避けきったフローゼルは、二本の尾をこっちに向けたかと思うと、スクリューのようにその尾を回転させ始めた。
またたく間に雪が巻き上げられ、僕の視界が一瞬にしてホワイトアウトした。
「あいつ、頭良いな――」僕は腕で目をかばった。
他のメンバーの試合にも影響が出ているのだろう。あちこちで悪態をつく声が聞こえる。ギャラリーもどよめいている。
僕からはすでにヒートさえも見えなくなっていた。
この吹雪に乗じてフローゼルは必ず攻撃を仕掛けてくる。方向は分からない――
ただ僕にも全く策が無いわけでもなかった。
真っ白な世界の中「ぎゃう!」という叫び声が聞こえた。
ほどなくして、視界が段々と晴れ始める。
「バロン?!」ヤスカがフローゼルの元に駆け寄った。
フローゼルはその尻尾に火傷を負っている。僕の妙案が成功したようだ。
「ちょっと迂闊だったねー、ヤスカちゃん?」
ヒートは吹雪の中、炎の渦を起こし、自ら炎を纏っていたのだ。
フローゼルだって、吹雪の中での戦闘に慣れているわけではない。相手のいるその場所に火柱が上がっていても、寸前まで分からなかったのだろう。
そこへ攻撃しようとしたフローゼルは、思惑通り火傷というダメージを負った。
「もう、調子に乗らないでよ! 元々ハンデ戦なんだから!」ヤスカはイライラした声を出しながら、フローゼルをボールに戻した。
「でも、落ち着いた判断だったわ。普通視界を遮られたら慌てちゃうもの」
練習試合を見て回っていたシロナさんが僕たちのところへ来ていた。先からギャラリーの視線を感じていたのは、別に僕のバトルが目を惹いたわけではなかったのか。なんだよもう。
「あ、ありがとうございます」と、ぎこちなくお礼を言う僕。
「フローゼルのあなたも戦略はよかった。雪面っていう状況を利用した奇抜な発想ね。ただ、フローゼル自身も視界を制限されちゃうことも考慮できたらもっと良かったわね」
さすがチャンピオン、説得力がある。例えば、彼女の後頭部の髪がおかしな方向に跳ねていたとしても、説得力がある。
「はい、ありがとうございます!」ヤスカは褒められて感激していた。
「それとそう、あなたのガーディね――」シロナさんはヒートの頭を撫でながら、僕の方を見た。「ウインディに進化させるっていう気はないのかしら?」
ウインディ――ガーディの進化系で、基本的には「炎の石」というレアメタルの一種のエネルギーを受けて進化する。
進化系だけあって、ウインディの能力はガーディの比ではない。トレーナーなら、普通時期が来れば進化させるものなのだろう。
でも、僕はあまりヒートを進化させることについて考えたことが無かった。
小学校からの相棒の姿かたちが変わってしまうことにはそれなりに抵抗があるし、ウインディになってしまったらその大きさゆえに、気軽にボールから出せなくなる。
僕にとって、ヒートの進化はまだまだデメリットの方が多いのだ。
「――そうですね、今のところは考えていません」僕は答えた。
「そう。確かに色々抵抗があるでしょうね――でもこの子は進化したがってるわよ?」
僕は驚いて目を丸くした。
「ヒートが進化したがっている――分かるんですか?! そんなこと!」
僕とヒートは心が通じ合っている――とは言っても、考えていることまで分かってしまうわけではない。そこまでいったら「超能力者」じゃないか。
「ふふ、なーんとなくね。でもこの子のバトルを見てると、『勝ちたい』ていう気持ちとか『もっと強くなりたい』っていう気持ちが伝わってくるような気がするのよ。妥協しないタイプっていうか、中途半端でいることに耐えられないタイプっていうか――」
シロナさんは優しい目でヒートを見つめた。
「とにかく、今の自分には満足してない感じがする――まあでも、進化させるかさせないかはトレーナーが判断することだし、『石』だってそんなに安いものでもないから、最終的にどうするかはあなたの自由。ただ、私は考えてみてもいいと思うわ。ウインディ、強いわよ」
そう言い残して、シロナさんはまた他のペアを見に行った。
ほんのちょっとの間、僕はヒートを見ながら考えていた。
こいつがウインディに――半ば想像しがたいが、よく考えたら炎の石さえあれば可能なことなのだ。
ヒート――そういえばこいつの名前、「火」に「賭ける」で「火賭(ヒート)」と名付けたっけ。
目の前の勝負に自らの炎をもって全力を賭ける。
そういえばこいつ、なんだかんだ試合でなまけたり、手加減したりしたことは一度もないよな。
こいつは今、どんなことを思ってるんだろう?
「早く進化させてくれよ!」と、必死に叫んでいるのだろうか?
「迷うだろうけど、うちなら進化させるな。ガーディに生まれてウインディになれないのって、有り得ない話だけどうちらがどんなに頑張っても大人になれないみたいな感じだと思う」
ヤスカがそんなことを言った。なるほど、その例えはもっともかもしれない。
どこのペアもほぼ試合が終わり、それぞれお互いにアドバイスしたり、シロナさんの総評を聞いたりしていた。
一目見れればそれでいいという輩だったのか、あんなにいたギャラリーは半分ほどに減っていた。残りの学生のうち何人かは色紙を準備して待っている。
カオリとその友達も、授業が終わったようで、見に来ていた。「凄いファン」のその友達は、シロナさんのことをうっとりと見つめている。その虚ろな目ときたら、そのうち卒倒しそうなほどだ。
「みんなありがとう。定期戦でも見させてもらったけど、やっぱりミオ大学のレベルは高いわね。想像以上よ。本当に来てよかった」
シロナさんはメンバー全員に向けてそう言った。
「さてと、みんなこの後暇かしら?」にっこりしてシロナさんが僕たちにそう聞いた。
「――あの、この後何かイベントでもあるんですか?」マキノ先輩が首をかしげる。
シロナさんは見るからにテンションが上がっていた。
「ううん。ただみんなと飲みにでも行こうと思って。私今日はもう何もないから、ミオの美味しいお店、案内してくれない? そうそう、他の見に来てる子たちも一緒に。どう?」
カオリの友達が、本当に卒倒した。
それは、はるか昔の物語。
それはイッシュ地方に日が差し込まなくなったとき、蝶の姿をしたポケモン、『ウルガモス』が空高く舞い、イッシュの大地に太陽の代わりとなった。
その後、ウルガモスは太陽の化身としてまつられ、同じくイッシュの大地に光が差し込まなくなったときには、必ず空高く舞い、太陽の代わりとして、イッシュを支えた。
その後の消息は不明。
唯一つ分かることは、ウルガモスは今でも存在すると……。
ダイスケ「……………」
ダイスケは読んでいた本を閉じ、次の目的地に向かおうとしたが…。
女性「きゃ…!」
突然、女性にぶつかってしまった。
ダイスケ「大丈夫か?」
女性「え……ええ」
ダイスケが道路のほうを見ると、一冊の本が落ちてあった。ダイスケはその本を見ると『ウルガモス』と書かれた本だった。
ダイスケ「……ウルガモスか」
女性「え……?」
ダイスケ「おれはこいつを追っているんだ」
女性「そ…それは本当のことで!?」
ダイスケ「ん?まぁ、そうだが」
女性「実は、私も追っているんです。ウルガモスの消息を」
ダイスケは彼女が持っていた本を返した。そしたら、いきなり名前を聞かされた。ダイスケが仕方がなく、自己紹介を始める。
ダイスケ「俺の名前はダイスケ、ポケモン博士だ」
ダイスケはポケモン博士であると証明する免許を出す。
女性「私の名前はマリーです。もしかして、ポケモン博士ってことは…」
ダイスケは少し笑顔を出し、こう答えた。
ダイスケ「まぁ、ポケモン博士とは言ったってまだ駆け出しさ。この免許は去年取得したものなのさ」
マリー「そ…そうなんですか?」
ダイスケ「この免許は特別だ。前にも言った通り、俺はウルガモスを追っている。急いでるからじゃあ、また」
ダイスケが次の場所に行こうとした瞬間、マリーに突然腕を掴まれた。
マリー「実は、私もそれを追っているんです!」
ダイスケはいきなり驚いた。初耳だったのだろうか、硬直している。ダイスケにとってウルガモスを探している人は自分ひとりだと思っていたのだ。
マリー「あ……、あの……、どうかしましたか?」
ダイスケ「ん?あ…ああ!あんたもウルガモスを探してるのかと思って(汗」
マリー「汗だくだくですよ……」
その後、ダイスケは「また会おう」と言って別れた。この出会いが、予想もしないことが起こることをまだ知らなかったのである。
続く
はじめまして、書かせていただきます。激烈天狗茸です。
この小説は連載式で、太陽の化身『ウルガモス』を追うダイスケの物語です。
キャラ紹介
名前:ダイスケ
年齢:21歳
ポケモン:ザングース、キリキザン、オノノクス、エンぺルト
性格:何事にも動じない、冷静に対処する性格。
性別:男
名前:マリー
年齢:19歳
ポケモン:ダグトリオ、ユレイドル、二ドクイン
性格:お化けが苦手、臆病だが時には頼りになる
性別:女
毎週土曜日、連載予定。
オリジナル小説です。
ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございます。
かなり走って書いてきたので見直してみると漢字ミスや誤字がちらほら――申し訳ないです。
「スタンドアップキャンパス!」というかなり賑やかな学園生活を彷彿とさせるタイトルですが、扱う内容的にちょっとオモいですねw
登場人物も煩雑になってきたので、ご要望があれば紹介ページお作りします。
この第六話、ポケモンが一匹も出てきていないことにはさっき気付きましたw
未成年の飲酒はいけません。イッキ飲みもいけません。ドラッグなんて「ダメ、ゼッタイ」。
今後ともよろしくお願いいたします。
良いお年を。
11
カオリは最初に手渡された覚醒剤しか使用していなかった。
だから一安心、というわけではないが、今もずっと使い続けていて、もう抜け出せなくなっているわけではないと分かって、やっぱり「一安心」だった。
ちなみにあの一袋は、僕が帰り道、少し遠くまで歩いて見つけた林の中に捨てた。
しばらく僕は「これからどうする」か、漠然と考えながらも、いたって普通の日々を過ごしていた。
十二月に入り、寝雪にこそならないものの、パラパラと雪が降り始める、そんな季節になった。
ケイタに後から聞いた話によれば、定期戦の日の打ち上げは、まあひどかったらしい。
元々定期戦は四年生にとっては最後の大きな公式戦でもあり、三年生にとっては就職活動が本格化する前のひとつの区切り、という位置づけだから、毎年それなりに荒れる傾向にある。
事件がきっかけになって、一体感の増した「ヘル・スロープ」一同は、コトブキのダイニング・バーで一次会。ミオに戻って居酒屋で二次会。カラオケで三次会。その後はいくつかのグループに分かれ四次会と、とにかく凄まじかったという。
上級生のほとんどは一次会の段階でトイレに駆け込む始末だったし、マキノ女帝などはカラオケで大暴れ。やっぱりそれなりに悔しかったんだな。
マイ先輩とコウタロウ先輩は――これが実は一番びっくりしたのだったが――その日の二次会からずっと抱き合ってたらしい。「犬猿の仲」だとばかり思っていたのだが、何が起こるかわからないものだ。
感動的な場面もいくつか見られたようだ。マキノ先輩はサークルのメンバー一人ひとり回って感謝を述べた。恩返しとばかりにコウタロウ先輩が「偉大なる四年生に捧ぐ!」と音頭をとり、三年以下全員がイッキした。
この会に行けなかったのは、ちょっと残念だ。ただ内容の濃さはこちらも負けちゃいない。ベクトルは全然違うけどね。
それはそうと、あの事件で渦中の人となってしまったマサノブは、本当に「無実」だった。
サークル集会で彼が戻ってきた時、みんな真っ先に「おかえり」と言った。
マサノブは泣きながら、何度も何度も謝った。
本人の話によると、コトブキ大の友達(言い回し的には「悪友」にも近い感じだった)に、その日漫画を借りる予定で、その会場でカバンごと手渡されたのだという。
その友達(話を聞いているうちにそいつのイメージが「ジャイアン」になった。いやごめん、ジャイアンに失礼だよね。映画では最高に良いやつだし)から「サークルのみんなで読んでくれよ」とまで言われたらしく、後から考えると腹立たしい話だ。
大勢の人が集まるイベントごとの中で受け渡しを行おうとしたところを見ると、そいつはてんで「素人」だろうが、警察はそいつを、暴力団に繋がる人物で学生の間にドラッグを「ばら撒く」仕事を依頼されていたと見ている。
とにかく、今までそんなものに興味を抱きもしなかった人間にまで影響が及んでいることは確かだった。
悔しいが、カオリもそのうちの一人だ。
こういう道を選んだ以上、彼女の罪の意識は消えるものではない。時間とともに薄れていく類のものではない。
向き合って、考え抜いて、でも答えなど出なくて、考え続けるはめになる、そういうカテゴリーに属するものだ。
頭の片隅には、常に「罪」が居座れるスペースを空けておかなければならない。
と、カッコよく決まったように言ってみても、そう簡単にいかないのが人間だ。
それも、まだ十九歳の女子大生ならなおさらである。
僕といる時も、カオリは時々暗い顔を見せる。
そのたび僕は優しい言葉を全力でかける。
カオリはホッとしたような笑顔を見せるけど、本当に不安が拭いきれたわけではないことは僕にもわかる。
僕には気休め程度のことしか出来ないのだ。
そう彼女に言うと、それでも今まで不安をこぼす相手もおらずただ溜め込むばかりだった頃に比べると幾分楽になったと、やはり笑ってくれる。
「あの合コンね、友達があたしの落ち込み様を心配してくれて誘ってくれたんだ。シュウも来るって聞いて、行くことに決めたの」
たとえ気休め程度でも、そばにいてくれる人は必要なのだ。そういう人のいない人間から先に、薬の海に溺れてしまうのだろう。
そうそう、僕が付き合い始めた当初に気付いた、彼女の目の「クマ」は、あの時は勉強熱心なため寝不足なのだろうと思ったが、そうではなかった。
だからと言って、今回のこととも関係は無かった。彼女が最後に薬を使ってから、あの時は一カ月以上は経っているのだから。
なんてことはない、オール明けだったのだ。
カオリの恋を応援していた彼女の友達がお祝いしてくれたのだとか。
現実、「クマがあった」なんていう伏線は、その程度の理由で消化されるものだ。
彼女に覚醒剤を手渡し、売った「ディーラー」は、カツノリといった。
学食で一度カオリに「あの人だよ」と教えてもらったが、あまりぱっとしないやつだ。ミオに一人暮らししている人には多いが、いつもスウェット上下で登校しているようなやつだった。
だが、僕たちにとってはあいつが一番危険人物なのだ。
「パイプ野郎め、そのうち必ずパイプカットしてやる」
そう言って、ケイタはハイボールをグイッと飲んだ。ここは僕の部屋。二人で晩酌中である。
僕はケイタに事の真相をすべて話した。
最初は話そうかどうかかなり迷ったが、決め手は、彼の弟のことだ。同じ境遇を経験しているケイタなら、絶対に力になってくれると思った。
それに、ケイタは口が堅いし。
ちなみに「パイプ野郎」とは、カツノリが暴力団とミオ大をつないでいるという意味でケイタが名付けた「愛称」である。
「まあ、しかし――」ケイタはため息をついた。「したのか、セックス」
「そこは重要じゃない」
「いや、お前は今の一連の話の中で、セックスしたことを話すとき一番緊張していた」
「そ、そうかもしんないけど……。とにかくおれがしたいのはそういう話じゃないから。どうか離れてくれません?」
ケイタはたばこに火を付けた。飲む時だけ吸うんだよ、こいつ。
「――まあいい。お前はカオリちゃんを守り通すと決めたんだな?」
「も、もちろん」
こういう質問は、いざされると緊張する。
「なら、おれもできる範囲で協力しようじゃないか。ただな、押さえておかなきゃならないのは、おれたちがいくらカオリちゃん側について擁護しても、みんながみんな、理解を示してくれるわけじゃない。なんも知らないやつから見れば、ただの"やっちゃった人"だ。事実そうじゃないとしても、そう映るんだ」
「覚悟してるよそのくらい」
ケイタはたばこの灰をアルミ缶に落とした。
「――その覚悟、試される時もそう遠くはないと思うぞ」
それは、ホントにすぐやってきた。
12
「薬物根絶キャンペーンに、ご協力お願いしまーす!」
次の朝、雪が降りしきる中を白い息を吐きながら登校した僕の目に入ったのは、ビラまきをしているボランティアサークルの集団だった。
こういう学生団体もそろそろ動き始めるとは思っていたが、いざ目にしてみると、下手に事を荒立てられているみたいでなんだか腹が立った。
いや、よそう。彼らはあくまで善意でこうした活動を行っているのだ。「薬物根絶」は、悪いことじゃない。
ポケットに入れた手を出すのは億劫だったが、ビラの中身が気になったので手を出して受け取った。
「ありがとうございまーす!」保険のセールスマンのような口調の男子学生が快活な声を出した。
ビラには、黒い背景に血で書いたような真っ赤な字で「知っていますか? ドラッグの本当の恐ろしさを」というフレーズが踊っていた。
「シュウ!」
振り返ると、カオリがビラを片手に僕の方へ駆けてくるところだった。
「おいおい転ぶなよ!」地面は緩やかな坂になっている上に、氷が張っていた。「おはよう」
「おはよ――」カオリが僕に追いついて並んだ。「それ、シュウももらったの?」
僕がさっきもらったビラをさして彼女は言った。
「ああ――余計なお世話だってな?」
「――うん」カオリも白い息を吐く。「でも『本当の怖さ』って意味では、私、知らないのかも知れないな……」
「そんなもの、知らない方がいい。だろ? あんまり気に病むなよ? 大丈夫だから」
「うん。ありがとう」
ビラによると、今週の昼休み中に学食で「薬物使用禁止条例」の署名活動をするらしい。ミオシティの条例として、現行の法律よりも厳しい規制を設ける意気込みだそうだ。
なるほど、ここまでされたら大学もこの話題で一時的に染まってしまう。僕たちとしては「肩身の狭い」思いを強いられることになるだろう。
だけど、まだこの時の僕は甘かった。覚悟はあったはずなのだが。
ごくごく自然な流れで、話題は薬物に及ぶ。もっとも暇な大学生にとっては、話題を提供してくれてむしろありがたいくらいなのだ。
我がサークル内でもその話題にならないはずがなかった。
「この大学にも薬売ってるやつが何人かいるらしいんだよ」
授業終わりになんとなく集まったサークル部屋。そう言ったのは僕と同学年のタツヤだ。
今年に春に硬式野球部を辞めてうちに入ってきた彼は、投手だったらしく、モンスターボールを投げる際の「セット」が美しい。本人曰く「ボークが気になるんだよ」とのこと。
「硬野の連中が話してたんだけど、その手口がさ――」タツヤが話し続ける。「最初は薬をタダであげちゃうらしいんだ。『お試し用』みたいなことを言って。でもああいうのって依存性があるだろ? そのお試し用を使っちゃったやつはほとんどの確率でまた買いに来るらしいんだ。そうなっちゃったら中々抜け出せないんだって」
「嫌だなー、なんでそんなことする人がいるんだろ?」
真面目な顔でため息をこぼしたのは、彼女もまた僕の同学年のヤスカ。
最初に彼女を見た時、僕は彼女と仲良くなれるか不安だった。
だって頭の右側、思いっきり刈り上がってたんだもん。怖かったさそれは。
でも性格は全然刈り上がっていなかった。ボーイッシュなところもあり、今では同学年で一番話しやすい女の子だ。
それにヤスカはコロコロ髪形を変えるオシャレっ子なので、今は刈り上げは消え、ナチュラルなブラウンの髪に、前髪だけブラックのパネルカラーを入れていた。
「――さあ。そういうやつらのやることなんて分かんないよ」とタツヤ。
「金になるからだよ」僕がヤスカの疑問を受けた。「ドラッグはほんの少しの量でも値段が張るから、暴力団の資金源なんだ。学内で売買してるやつは、十中八九、暴力団とつながってると思う。最近は薬も安くなって、学生でも手に入れやすいんだ」
半分はケイタの受け売りだった。ケイタは今日、久方ぶりのデートらしいので、ここにはいない。
「暴力団とか――うち、絶対関わりたくない」とヤスカは言い捨てた。
「そりゃそうだ。てかさ、ドラッグとか使っちゃう側のやつらもよく分かんないよな。大変なことになるって分かるはずなのに」
タツヤのそのセリフから、僕の血液の温度はみるみる上昇していくことになる。
「うちもそう思う! なんで手出しちゃうんだろね?」ヤスカも同調する。
「まあ、そういうのに手出すやつってほとんど不良だろ? 遊び半分なんじゃないの?」
「遊びで覚醒剤とか吸っちゃうんだ。バカみたい」
「ほんと!」
二人はケラケラと笑った。
この二人がカオリに向けて言っているわけではないことはもちろん分かっているし、特に深い感情を持って罵っているわけでもないことも分かっている。
悪気はないんだ。でも、頭ではそう分かっていても、僕はそうやって割り切ることができるほど器用じゃなかった。
僕にはこの二人が、カオリに向かって刃物を振り下ろしているようにしか見えなかったんだ。
カオリもどこかで似たような会話を聞いている。そうに違いない。
この大学に、カオリの居場所はどこにもない。
笑い声が響く。
僕たちは包囲された――
「二人とも、笑いすぎだろう」
感情が凝り固まり、噴火寸前だった僕の前に、ずっと寡黙に漫画を読んでいたアキラ先輩が、静かに、そして重々しく言った。
アキラ先輩は四年生で、副代表。定期戦では、あの事件が起こらなければ、残り二試合のうちのひとつに出場する予定だった。
「薬に手を出した人間はみんな遊び半分なのか? みんなバカで、何にも知らないから手を出すのか?」
タツヤとヤスカは口をぽっかり開けたまま、押し黙ってアキラ先輩を見ていた。僕もじっと先輩を見つめた。
「全く薬に興味の無い人でも、毎日辛くてしょうがない人や、身内に不幸があったりしてどうしようもなくなった時、そういうものに逃げたくなるのかもしれないよな」
僕は驚愕した。アキラ先輩は、なにもかもお見通しなのか? いやいや、そんなはずはない。
「――でも、分かんないっすよ。そんな追い詰められた人の気持ちなんて」タツヤが沈んだ声で言う。
「おれだって分からないさ。でも分からないなら、一概に指を指して笑うべきじゃないだろ? 『ドラッグに手を出した人』をひと括りにするのはよくない」
と言ってから、アキラ先輩はにっこりした。
「とまあ、この手の話は全部本に書いてあったんだがな。ただ、今みたいにシビアな話が熱を帯びている時は、いつも以上に冷静に、よく考えて物事を判断しなきゃならないんだ。今のおまえらは残念ながら『その他大勢』に見えたぞ」
僕はアキラ先輩の話にだいぶ救われた。
大学全体の雰囲気はまさに「薬物追放」。そして、その中に、確かに僕は「薬物使用者追放」のニュアンスを感じ取った。
僕自身も気付かないうちに意識が過剰になっているのかもしれないが、薬物使用者への理解が置いてきぼりにされて、とにかく「薬物にかんするもろもろを排除」しようとする風潮が先行していることは事実だった。
そして、その風潮は、当然のように「正義」のかたちをしてるのだった。
それを僕は「そんなの間違いだ!」と否定する気はない。正しい動きだと思う。
ただ、アキラ先輩の言うように「よく考えて」欲しいのだ。
カオリがどうして覚醒剤に手を出してしまったかを聞けば、だれも彼女を責められるはずはないんだから――
――いや、責めるかもしれない。「薬」とその「使用者」を混同し、どちらも絶対悪とする今の空気なら、そうさせるのかもしれない。
「みんなバカだ」と言ったケイタの言葉も、今となっては本当にはまった言葉だと思う。でもアキラ先輩のように、思慮深く物事をとらえている人もいるのは確かだ。
矛盾しているようだけど、二人とも秀逸で、的を得た言葉を残す天才だ。矛盾は世の常、甘んじて受け入れよう。
13
そしてこの季節は、なにも息の詰まりそうな話題ばかりではない。
十二月も半ば。街はクリスマスムード一色で、ところどころにツリーやイベント告知のポスターが配置され、クリスマスソングも街を彩った。
「なんでお前とプレゼント選びしなきゃならないんだ」とケイタは文句を言った。
今日はケイタに付き合ってもらい、コトブキに足を運んでいた。
去年は彼女なんていなかったから、この赤と緑が全部、リザ―ドンとフシギバナにでもなって、街中でやり合ってくれればいいのにと思っていたけど、今年は違う。良いイベントだ、クリスマス。宗教なんか考えずほいほい異文化を取り入れる日本、万歳だ。
二十四、二十五日はしっかりバイトも休みをもらい、カオリと二人で最高の夜を過ごす準備は万端である。
「まあそう言わずにさ、実は女心が分かっていそうなケイタくんに、是非知恵をかしてほしいんですよ」
「女心は分かんないから良いんだ。分からないから考えるのが恋愛の醍醐味だ」
「それ、頂き。とりあえずロフト行こう」
ああでもないこうでもないと言いながら、僕はプレゼントを選んだ。
ケイタは僕の手に取るものすべてに文句を付けた。なんだかんだ口出しするんじゃないかこいつ。
結局僕は、超無難なシルバーのチェーンにピンクのストーンが真ん中に入ったクロスのネックレスを、店員さんにラッピングしてもらった。
「――浮かれ気分のお前に、真面目な話をぶち込んでいいか?」
ケイタは「浮かれ気分の僕」に切り出した。
人でごった返しているマックで、僕はジンジャーエールをストローで飲みながらプレゼントを眺めていた。
「へ? あー、悪い。なんだ、真面目な話って?」
ケイタはあきれ果てた顔を見せたが、すぐに表情を固めた。
「おれ、パイプ野郎を洗おうと思う」
お忘れの方に言っておくと、「パイプ野郎」とはカオリに薬を渡したカツノリのことである。
「――それは、つまり……」
「カツノリ本人、もしくは周りの人間に探りをいれて、あいつがどこからドラッグを仕入れているのかを突き止める」
ケイタは飲み物にもポテトにも、テリヤキチキンバーガーにも手をつけていない。
「それ、かなり危険じゃないか?」
「あいつら密売人のせいで大学がドラッグに溢れることの方が危険だ。カオリちゃんのような犠牲者が増える方がよっぽどな――仕入れ先、まあまず間違いなく暴力団絡みの場所だろうが、突き止められたら警察に摘発してもらう」
本気なのだ。
カツノリのようなパイプ野郎をとっちめるわけではなく、その供給源を経つ。例えるならこのジンジャーエールのストローをちょん切るわけではなく、コップごとゴミ箱に放るのだ。
ボランティアサークルのように間接的に動いてても始まらない。
ケイタは直接敵を討つつもりなんだ。
でもそうなると、僕はあの定期戦の夜からずっと考えていたある疑問に衝突する。
「もしそれがうまくいって、暴力団が摘発されたら――カオリはどうなるんだ?」
警察は、捕まえた暴力団に間違いなく尋ねるのだ。
(君たち、どんなストロー使ってたの?)
(そのジンジャーエール、"誰が飲んだの?")
ケイタは初めてポテトに手を伸ばした。
「おれだって鬼じゃない。なんとかしてから動き始めるつもりだ」
その後はその「なんとかする方法」を二人でずっと議論していた。
覚醒剤取締法では、覚醒剤の所持、譲渡、譲受、使用は「十年以下の懲役」と規定されている。
カオリのケースでは、断り切れなかった譲受時の状況や、父母の死による精神的なショックという特段の事情がどこまで加味されるかが、量刑緩和の判断基準になる。
実際、二十歳未満であれば「懲役」ではなく「保護更生処置」のようなものになるのだろうか。
これを機に法律でも勉強してみようかな。
そういう法的な話も怖いが、もっと怖いのは「薬物使用者」というレッテルを張られたカオリが、始まったばかりの大学生活をこの先楽しめるはずがないということだ。
周りの人間は、みんなそういう色眼鏡をかけてカオリのことを見るのだから。
「ちょっとトイレ行ってくる」と僕。ジンジャーエールを一気に飲みすぎたのかもしれない。
そして戻ってくると、ケイタが携帯を開いていた。
「おいお前、メーリス見たか?!」ケイタが早口で僕に言った。
僕も携帯を出すと、メールが一件。サークルで登録してるメーリングリストだ。マキノ先輩が回していた。
内容を確認した僕も、度肝を抜かれた。
「ホントかよ?!」
文面を一言で伝えよう。「シロナさんが、僕たちの練習を見に、ミオ大学にやってくる」のだ。
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