マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.24] (十七)証 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 18:36:27     48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    (十七)証(あかし)


    「おかえり、コウスケ!」

     木で出来た穴守家の大きな入り口を潜って、ガラガラと玄関を開けると、バタバタと足音が聞こえてきて、「彼」はすぐに青年の前に姿を現した。

    「……シュウジ、戻っていたのか」

     少しばかりあっけにとられて青年が言った。同時になんだか彼は日常に戻ったような気がしたのだった。

    「ずっと留守にしていてごめんね。僕も今しがた戻ったんだ」
    「まったく、どこに行ってたんだ?」

     青年は靴を脱ぐと靴箱に閉まった。その所作はすっかり慣れたものだ。

    「コウスケこそちゃんと台詞は覚えてくれた?」
    「あたり前だろう」
    「へえ、あとでテストするからね?」
    「……望むところだ」

     廊下に上がった。
     ナナクサが戻ってきただけでずいぶん賑やかなものだと思う。

    「そうそう、コウスケ達にお土産があるんだ。こっちに来てよ」

     そう言ってナナクサは青年を誘導した。居間の襖を開く。するとまず最初にネイティが飛びついたのと同時に、先に戻っていたヒスイが目に入った。タイキとタマエまでちゃぶ台を囲って茶をすすっている。めずらしくヤミカラスのコクマルまでが、座布団に座って羽を膨らませていた。
     そしてもう一人、この家では見慣れない人物が青年の目に入る。

    「あれ、ノゾミちゃん来てたのかい」

     ネイティを頭のてっぺんにのっけて、ツキミヤは言った。

    「あ、どうもお邪魔してまーす」

     ノゾミはぺこりと軽くお辞儀するとずるずると茶を啜った。よく見るとテーブルの下で葉っぱのような形をした尻尾が揺れていて引っ込んだ。どうやらポケモン持参らしい。

    「どうしたんですか? みなさんお揃いで」
    「何、シュウジがご馳走してくれるっていうんでな。こうして待っとるんじゃよ」

     タマエが答えた。

    「あ、いけない! 焦げるっ」

     そうナナクサは言うとあわてて台所にかけていった。

    「そういえばなんだか、甘い匂いがするな」

     匂いにつられたのか姿を消していた"代表"のカゲボウズが現れて、後を追った。
     追いかけていくと、ナナクサが何かをフライパンの上でひっくり返していた。

    「ホットケーキか?」

     ツキミヤが尋ねると

    「ポフィンだよ」

     と、ナナクサが答える。

    「ポフィン?」
    「あれ、コースケはトレーナーのくせに知らないの? シンオウ地方のお菓子なんだけど、この村では結構作られてるんだよ。まあホウエンでいうポロックみたいなもんさ。本当はポケモン用なんだけど人の口にも合うようにアレンジしてあるから」
    「ホウエンでいうポロックということは原材料は……」

     青年は台所の床に目をやった。
     そこにはどん、と赤ん坊を入れられるくらいの大きな籠が置いてあって、中に木の実が大量に放り込まれていた。オーソドックスなものから、少しめずらしいものまで混じっていたが、甘いものを中心に用意してあるようだった。
    「なるほど、土産はこれか」と、青年は呟いた。

    「で、君はこれを探しにずっと出ていたのかい?」
    「そうだよ」

     ひょいっとフライパンを返してナナクサが答える。

    「そうだよっ、て……」

     夜の舞台演出をほったらかしてまでやることか? と青年は思う。

    「まあ他にも野暮用があったんだけどね」
    「野暮用?」
    「ちょっとした探し物。ちゃんと見つかったよ」

     まさかそのついでに雨降大社に忍び込んだりしていないよな? と青年は聞きかけたがやめておいた。
     冗談では済まなさそうだったからだ。

    「できた!」

     ナナクサは木のしゃもじで、フライパンの型そのままのポフィンをすくいとると皿に乗せる。すでに皿の上には同じ円盤形のポフィンが六段重ねほどにしてあって、彼はさらにもう一段乗せして七段重ねとした。ベースにしている木の実が異なるのか、それぞれ違う色をしている。彼はそれを包丁を入れて八分割ほどにした。そして、あらかじめ用意しておいたブリーの実のジャムをたっぷりと上に乗せた。ジャムはとろりと溶けて、切り口から隙間に流れ込んでゆく。なりゆきを見ていたカゲボウズがごくんと唾をのみ込んだ。

    「ちなみに、形を安定させる為に生地にスバメニシキの米粉を混ぜるのがこの村流なのさ」
    「へえ」
    「これはね、シュウイチさんが考案したんだよ。あの人は調理法の研究もしていてね。とりあえずこれ持っていってくれる?」

     ナナクサはフォークをいくつかつかみ出すと、小皿の上に乗せる。ツキミヤにほらこれだと指差して、自分はポフィンの皿を居間に運んでいった。

    「みなさーん、お待たせしましたー」
    「おー、まっとったぞー」

     歓声が上がって、彼らの食事は始まった。
     人間もポケモンもむしゃむしゃと食べる。
     タマエはこれじゃこれじゃと言って、自分の皿にありったけ盛りつけるとさらにジャムをかけた。ヤミカラスがテーブルに飛び乗ってきて、タイキはフォークに指したそれをヤミカラスに差し出す。ノゾミがおねえちゃんが作るのよりおいしい、と言った。ふーふーとよく冷ましてから、小皿をニョロモに差し出す。ちゃぶ台の上でカゲボウズとネイティが一つの皿から奪い合うように引っ張り合う。そのはずみでツキミヤの頬にジャムがひっかかった。ヒスイはその様子を見ながら黙って食べていたが、

    「ほらほら、ヒスイもリザードを出していいんだよ。ただし畳は燃やさないように」

     そのようにナナクサが言うと、彼は小皿を持って庭の見える縁側に歩いていきリザードを繰り出し、食べさせ始めた。
     そんな彼らの様子をナナクサはにやにやしながらひとしきり見つめた後、席を立つ。

    「どこに行くんだい?」

     ツキミヤが尋ねると「ちょっとね。すぐに戻るよ」と彼は言った。

    「ねえ、ツキミヤさん」

     いつのまにか隣に皿を持ったノゾミが隣に移動してきていて青年に話しかけた。
    「ちょっと教えて欲しいことがあるの」と、ノゾミは言う。

    「そういえばなんでノゾミちゃんが来てるんだい?」

     するとノジミは「別に来たかったわけじゃないけど」と、前置きした上で、

    「タイキがニョロすけの水の石返してくれるっていうじゃない。だから」

     と、答えた。
     ああ、そういうことかとツキミヤは理解する。

    「いやのう、どーゆー風の吹き回しか知らんが急にコクマルが水の石を持ってきおってのー、ノゾミんちに返しにいくって電話したんじゃが、どういうわけかノゾミのほうから来ると言い出したんじゃ」

     タイキが補足した。
     そんなタイキにはお構いなしにノゾミが話題を戻す。青年に小声で尋ねてきた。

    「ねえツキミヤさん、お姉ちゃん、シュージお兄ちゃんと何かあった?」
    「なんでそう思うんだい」
    「いや、なんていうかお姉ちゃんおかしいのよ。その、私、お姉ちゃんの隣で通し稽古見ていたんだけどね、お姉ちゃんたら村長さんに『私ナナクサさんなんて方、知らない』って言うのよ?」

     なるほど、目的はそれか。と、青年は理解した。それを探るためにわざわざ来たというわけだ。ノゾミが青年に耳打ちする。

    「私が思うにね、お姉ちゃんシュウジおにいちゃんに告白したんじゃないの。それでよっぽどこっぴどく振られたんだわ」

     あたり。まったくこういう時の女の子の洞察力というのは恐ろしい、と青年は思う。

    「……そして竹林で悲嘆にくれてぶっ倒れたと」

     と、そのように返した。青年にはものすごく身に覚えがありすぎた。

    「どうもそうらしいのよ。まぁそれは貧血か何かなんでしょうけど。でもそれにして変なのよね」
    「何がだい」
    「ほら、おねえちゃんって見たまんま執念深くてハブネークのような女じゃない? こっぴどく振られたからって簡単に諦めるようなタマじゃないと思うのよ。それでいて根に持つタイプっていうか」
    「……まあ、わかるよ」
    「でしょう!?」

     ノゾミは話が通じたとばかりにおおいに盛り上がる。タイキは話についてゆけず、つまらなさそうに青年と少女を見ていた。青年は苦笑いする。

    「それなのに、きれいさっぱり忘れちゃって、憑き物が落ちてしまった感じなのよね」
    「ふうん、そうなんだ……」
    「その、シュージお兄ちゃん風に表現するなら、無洗米って感じね。とるものとってしまって、そのままでもいけます! とがなくても炊けます! みたいな」
    「……無洗米ね」

     なかなか面白い表現をする子だなと、青年は思った。

    「そうだ、米で思い出したんだけど」
    「何?」
    「ノゾミちゃん、穴守さんところの出店ブースには行ったのかい」
    「え、そんなのあるの?」

     まったく知らなかったとばかりにノゾミは言った。

    「タイキ君も手伝ってるんだ。ねえ、店長代理さん?」

     少年に目配せする。

    「そうなの?」

     と、ノゾミがタイキのほうを向いて尋ねた。

    「あ、うん。ま、まあ」

     タイキは顔を赤くして歯切れの悪い返事をした。
     ツキミヤはノゾミに耳打ちする。

    「ものすごくおいしいってコアなファンの間で有名なんだ」
    「へえ? でも私お米の味に関してはうるさいわよ?」
    「僕も食べてみたけどこれがすごかった。お米ってものの概念が変わるね。あれは」
    「えー、そんなに?」

     青年の評価を聞いてノゾミは期待を膨らませる。

    「ねえタイキ、明日行っていいかな」

     と、ノゾミが尋ねた。
     すると、タイキがヤミカラスをむんずと掴んで、その羽毛をいじりだし、もじもじし始めた。

    「どうしたの?」
    「いや、その……非常に言いにくいんじゃが」
    「何?」
    「祭で出す分の米、今日のお昼になくなってしもうてのう……明日はもうやらんのじゃ」
    「えー」

     ノゾミは悲嘆の声をあげた。
     タイキが申し訳なさそうに

    「……すまんのう」

     と、言った。
     すると、何を思ったのかタマエがすっと席を立った。台所に入りしばらくごそごそと何かを漁ると、麻の袋に何かを入れて持ってくる。
    「ん」と言って、老婆は少年の前に差し出した。受け取った少年はその感触から中に入っているものを瞬時に理解したようだった。それは二合ほど入っていた。

    「タマエ婆、これ……」
    「なあに。ちと必要があってとっといたが、そういうことなら仕方あるまい」

     と、老婆は言う。
     
    「だって、これ……」
    「ええんじゃ。それでご馳走してあげんしゃい。ただし炊飯器じゃだめじゃぞ。あそこで、ちゃんと釜をつかって炊いたってな」
    「……わかった」

     少年は何か神妙な面持ちになって、そしてぼそりと言った。
    「タマエ婆、ありがとう」、と。

    「みなさーん、こっちむいてー」

     その時、縁側の向こうから陽気な声が聞こえてきた。ナナクサであった。
     何やら足が三本ある台を持ち出し、セットしている。

    「どうしたんだよ。そんなもの持ち出して」
    「決まってるでしょ。記念撮影」

     ツキミヤが尋ねるとナナクサはそう答えた。彼が用意してきたもの、それは三脚だった。

    「だって明日は舞台の本番じゃない。舞台が終わればもう祭も終わりになるよ。そうしたらコウスケもヒスイもまた旅に出るんだろ? だからやるなら今のうち。ノゾミちゃんもいることだしさ、ちょうどいいじゃない」

     カメラを三脚の上に置き、セットする。

    「さあ集まって! ポケモンも一緒にね」

     ナナクサが号令をかける。それはどこかからげんきのように青年に映った。
     青年は知っている。祭が終わったらここを去るのがヒスイと自分だけではないことを。もう一人、場合によってはもう一人いなくなる。
     だから彼は残そうとしているのだ。自分がいた証、自分「達」がここにいた証を。

    「なんじゃあ、ずいぶん騒がしいのう」

     そう言って入ってきたのは、タイキの父親だった。

    「あ、やーっと起きてきた。ささ、お父様もさっさと入ってくださいな」

     ナナクサが言う。
     邪険にしているように見えちゃんとカウントには入っているらしかった。

    「ん? ああっ、ずるいやんか! みんなしてポフィンさ食いおって!」

     もうジャムしか残っていない皿を見てタイキの父はいった。たぶん匂いでわかったのだろう。

    「父ちゃんがいつまでも寝とるからじゃ。ハトマッシグラの米酒飲んでからに」
    「はいはい、お父様用には後で食べたいだけ焼いて差し上げますから、今は並んでくださいね!」

     カメラのピントを調整しながらナナクサが言った。

    「はーい、じゃあ撮りますよ!」

     住人、旅人、そのポケモン達。去るもの、残るもの。穴守の家の庭先で人とポケモンが一箇所に固まる。
     ツキミヤの隣にナナクサが並んだとき、カシャ、と自動シャッターが降ろされる音がした。





    「よう、久しぶりだな。キクイチロウ」

     一面黄金色に色付いた大地に二人の青年が立っているのが見えた。
     収穫無き秋が過ぎて、村は不毛の冬に耐えた。
     春になって田植えの季節になり、夏が過ぎて、再び実りを迎える季節となった。
     黄金色に色づいてお辞儀をする稲にはずっしりとした実がたわわに実っている。
     シュウイチはまるで愛しい人の髪を撫でるようにしてそれに触れた。

    「立派なもんだろ」

     シュウイチが言った。

    「ああ。だが散々だ。お前の家以外はな」

     やがてこの村の長になる青年はそのように答えた。

    「まともに実ったのは、穴守の家だけだ」

     目の前につきつけられた結果を確認するようにキクイチロウは続ける。
     風が吹いて金色の野をさわさわと揺らした。

    「どんな手を使った?」
    「……外から種を持ち込んだのがよかったのかのう」

     シュウイチはキクイチロウのほうを向かないまま淡々と言った。

    「数を集めただけだ。いろいろ持ち込んだ。スバメニシキ、オニスズメノナミダ……他にもいろいろだ。下手な狩人もありったけぼんぐりを投げればジグザグマの一匹くらい捕まえられるだろ。そういった感じでだ」
    「…………」

     キクイチロウは黙って耳を傾けた。
     村の者皆が皆知りたがっていた。稲に実をつける方法を知りたがっていた。
     だが、村の者達は皆、シュウイチに近づこうとしなかった。

    「どれか一つでも実がつけばいい、病に強い稲が見つかればいい。そう思っていた」

     シュウイチが続ける。
     彼らが彼を見る目には二つのものが見え隠れしていた。村でただ一軒実をつけた者へのやっかみ、そしてうしろめたさだ。
     去年の少し前、この村に住まう者達がシュウイチに何をしたかはまだ記憶に新しい。

    「だが困ったことに、明確な説明が出来なくなっちまった」

     と、シュウイチは言った。

    「教えられんということか」
    「そうじゃ、教えられん」

     彼は即座にそう答えた。キクイチロウは顔のあたりが熱を帯びた感じがした。
     わかっている。この青年の感情を考えれば、当たり前の答えなのだ。だが、この緊急事態に意地を張る青年に彼が怒りを覚えたのも確かだった。
     だがシュウイチは

    「だってそうじゃろう? どれもこれも全部が全部びっしり実をつけたのでは、これを育てたら良いと教えられんじゃないか」

     と言った。

    「……それは教える気があるということか」
    「あるもないも、俺は結果が出たらそうするつもりじゃった」

     青年が振り向く。
     キクイチロウは昇った熱が引いていくのと同時にどうにも度量の差を見せ付けられた気がした。
     あそこまでの事をされておきながら、今なおそういう立場にありながら、なぜこうも彼は屈託無くそう答えられるのか。
     胸のあたりが苦しくなった。きっと自分には耐えられないと、そう思う。

    「キクイチロウ、おまんの立場はわかっておるつもりじゃ」

     シュウイチのその言葉がキクイチロウを追い詰める。
     彼の後ろには彼の持ってくる「答え」を期待しているもの達がいるのだ。皆、顔を合わせるのがいやだから、代わりにキクイチロウがここに来ている。この男は彼らに「答え」を持っていかなければならない。それが将来、村の長となるキクイチロウに振られた役回りなのだ。

    「だが、わかってくれ。俺だってどうしたらいいものか悩んどるんだ。いい加減な答えを言うわけにはいけない。だから悩んどる」

     シュウイチはたわわに実った稲を見つめてそう言った。
     ふうっとキクイチロウは静かにため息をついた。わかっている。こいつはそういう男なのだ。

    「……シュウイチ」
    「なんじゃ」
    「おまん、わしん立場がわかっとると言ったな」
    「ああ」
    「そんならば、純粋に取引といこう」
    「取引……」
    「商売の話をするっちゅうことだ」

     シュウイチは理解した。つまりこういうことだ。この田で出来た米の種もみを売れ、とこの男はそう言っている。おそらく彼はそれを村人に配るなり、貸し付けるなどするつもりなのだろう。
     キクイチロウにはわかっていた。ある意味でもっとも卑怯な手だと。権力を使って無理やり口を割らせることもできず、かといってまともにシュウイチに頭を下げることも出来ないのだ。だから、こうして取引を持ちかけている。対等なように見せかけて、結局は面子を保ちたいだけだ。だが、

    「わかった」

     と、シュウイチは言った。
    「キクイチロウの立場は理解しておるつもりじゃきに」、と。
     そうして、若者二人は口頭でそろばんをはじき始めた。
     安く買うつもりはなかった。買い叩いたとあっては、その価値が疑われる。
     安く売るつもりはなかった。遠方のあちこちから苦労してかき集めた種を、孤独に耐えながら育てた。
     この田で出来た米には通常の何倍も何倍もの値段がつけられた。この田の米にはそういう価値があった。それは病気にならない種、秋には実りを約束する種なのだから。

    「では、こんなものでどうだ」

     最終的な値をキクイチロウが算出し、示した。
     シュウイチは概ね了承したようだった。

    「それでいい。ただ、一つ条件をつけさせてくれ」
    「なんだ」
    「対価はその半分でいい。そのかわりおまんに用意して欲しいものがある」
    「用意して欲しいもの?」

     キクイチロウは怪訝な表情を浮かべる。

    「あの時のことを気にしているのか。それなら村の者には決してあの時の話題に触れないように言うつもりだ」

     キクイチロウは己の中で自嘲する。その口でよく言えたものだ、と。あの時最もシュウイチを恐れたのは誰よりも自分自身ではないか。

    「そうとも、あれは妖怪の仕業なんかじゃない。祭で大社に人が集まっている隙に何者かが火をつけた。おまんはただその時に詠っただけ、舞っただけ、だ」
    「実際はそうだろう。だが、村の者はそうは思っていない。この村のもんは今だ迷信を信じつづけとる。権力はその手の信仰に勝つことはできん」
    「そんなことはない。止めるさ」

     キクイチロウはそう言ったがシュウイチは首を振る。

    「皆の信仰を支えるものはあそこの、別殿にあるきに」

     と、言った。

    「……"あれ"か」
    「そうじゃ。俺に言わせれば"あれ"も寄せ集めのインチキだが……だいたい"あれ"の中にはない。一番重要な"色"がないじゃないか」
    「……あの"色"のものは大昔に焼失したと聞いている」

     苦々しく答えると「それがインチキだと言っておる」と即座に指摘した。
     少し腹が立った。あれは雨降大社で遠い昔から伝えられてきて、代々受け継いできたものだ。だが、シュウイチの感情を考えれば致し方の無いことだと、彼はそれを飲み込んだ。今、何より優先しなければならないことは、この青年から「種」を手に入れることだ。すると、

    「だが、重要なのは真偽じゃあない。実際に皆が信じているかどうか、だ」

     シュウイチはそう言った。

    「信じられているのなら逆に利用してしまえばいい」
    「どうすると言うんだ」
    「"あれ"のうちの一つを俺にくれないか」

     キクイチロウが凍りついた。

    「それは……」
    「何も大物をよこせとは言わん。一番小さなものでいい」
    「それはできん!」

     キクイチロウは脊髄反射のごとくを返した。
     シュウイチにとってそれは予想通りの反応だった。キクイチロウが難色を示すことなどわかっていた。だが、彼はさらに続けた。

    「なあ、キクイチロウ。俺はこの村の人間だろう。俺を認めてくれるんなら、九十九が憑いているのでないと認めてくれるならその『証』が欲しい。もし"あれ"をおまんの手から俺に渡したなら、雑音は一気に吹っ飛ぶだろうよ。それがたとえ、一番小さいものであってもだ」

     たしかに、有効な方法ではあるとキクイチロウは思った。人々は甘んじて狐憑き由来の米の種を受け取りたいとは思っていないはず。事をすんなり運ぶにはそういうパフォーマンスが必要かもしれない。

    「俺自身は何を言われてもいい。だがうちのお父やお母、じいさんばあさんはどうなる。俺ん為にこれ以上惨めな思いをさせとうないんじゃ」

     それにキクイチロウは初めてのような気がした。

    「次の村長になるおまんになら、それくらいの力はあるじゃろう。どうか俺を立てておくれ」

     初めてのような気がした。シュウイチが自分に頼みごとをし、そういった弱みを見せるなどといった事は初めてのような気がした。

    「…………わかった」

     最後の最後にキクイチロウはそう答えた。





     フライパンの上、ポフィンの生地が焼き固まってゆく。ナナクサはそれをしゃもじで器用にひっくり返す。

    「おー、これじゃこれじゃあ」

     その隣の部屋でそう言って、タイキの父は食べ始めた。
     タマエに負けないくらいブリーのジャムをかけると口の中に運んだ。

    「うまぁい!」
    「はいはい、まだありますから好きなだけ食べてくださいね」

     ナナクサが追加で焼き上げたポフィンの山を運んでくる。
     ドン、とちゃぶ台に置いた。

    「こいつは昔を思い出すのう。父ちゃんもときどき山に入ってのう。木の実を見つけてきてはこうしたり、ポロック作ったりしたもんよ。ほんま懐かしい味じゃあ」
    「それはよかったです。まだ足りなかったら焼きますから、声をおかけください」
    「おう」

     と、タイキの父は機嫌よく返事をした。

    「なるほど母ちゃんがあいつを雇った理由がよくわかったわ」

     もごもごしながら彼は息子に言った。

    「ああ、俺んもはじめて食った時は驚いたわ。じいちゃんの作ったもんにそっくりなんだもの。俺もタマエ婆も散々試したけどあの味は出せんかったってーのに」

     そう言ってタイキも手を伸ばした。
     さきほど食べたばかりだというのに飽きずに鴉もそれをつつく。

    「コクマル、コクマル、ちょっとこっちにおいで」

     すると、台所からナナクサの手が伸びてカラスを手招きした。
     鴉は首をかしげるとちょんちょんと飛びながら、入っていった。
     見るとナナクサがなにやら小さな籠を手に抱えていた。木の実を入れた大きな籠とは別のものだった。彼はその籠を傾けて見せる。
     するとコクマルの表情がみるみる変わったのが見て取れた。

    「どうだい、なかなかのもんだろう。見つけるの大変だったんだよー」

     中にあったのは木の実だった。中にあったのはカムラの実、ブーカの実、ホズの実……いずれも上等で、めったに食べられないめずらしいものばかり。それらは甘味の強い木の実ばかりであることを鴉は知っていた。

    「ねえコクマル、これでポロックを作ってあげる」

     と、ナナクサは言った。
     これらをブレンドすれば、どんなポロックが出来るか。ポフィンを食べたばかりだというのに想像しただけで鴉はよだれが出そうだった。

    「もちろん全部君のものだ。全部君が食べていいんだよ。でも……代わりに一つ頼まれてくれないかな」

     そのようにナナクサが言うと、鴉は目をぱちぱちとさせて、そしてまた首をかしげた。



    「シュウジは?」
    「調理中だ。だが、すぐに追うと言っていた」

     脚本をぱらぱらとめくりながら内容を確認するツキミヤにヒスイが答える。

    「そうか」

     と、ツキミヤが返事をした。
     彼らの姿は別荘にあった。最後の詰めの打ち合わせをする為だった。面倒だったがあの家の中でやるにはやはり物騒な相談だった。

    「なあ、どう思う」
    「何がだ」
    「大社に侵入した人物について、だ」

     台詞を頭の中で反芻しながら、ツキミヤはそんな質問をぶつけた。
     すると「そういうお前はどう思うんだ?」とヒスイは聞き返してきた。

    「可能性は高いと思っている」
    「ふむ」
    「あの中に神事にかかわる重要な何かがあるとすれば、彼ならやりかねないだろ」

     メグミが言うに、あそこには伝説の実在を証明する何かがあるという。明日になれば見れるとわかっていたが、ツキミヤは妙に気にかかっていた。

    「だが、疑問が残るんだ。仮にシュウジがあそこに何か盗みに入ったとしてだ。あんなヘマをやらかすだろうか」
    「ヘマ?」
    「警報が鳴った。それで村長さんもいぶかしんでいる。それになんだろう……」
    「なんだ」
    「僕が思うに、シュウジだったら警報の存在を知っている気がするんだ。わざわざ鳴らすような真似をするだろうか」
    「……なぜそう思う?」
    「村のことなら何でも知ってるのがシュウジだからさ。同じようにあそこに警報があることも知っていると思う。あれかじめ解除してから入る方法とかさ。だから正直わからない」

     するとヒスイは「どちらだろうと構わん」と、言った。
     モンスターボールからリザードを繰り出す。同時にポケモンを出せという視線を送った。

    「面倒な事はあいつに任せておけ。俺達は演技だけに集中すればいい」





     とうに日が昇った時刻だったが空はどんよりと曇っている。その下をどかどかと地を蹴りながら駆ける三ッ首の鳥の姿があった。それにまたがった男がぴしりと手綱の振動を伝えるとほどなくして、鳥はスピードを落とし始める。彼らが目指す先に矢倉のようなものが見え、旗が揺れている。何者かが陣を張っているらしかった。木組みの門をくぐった時、鳥は足を止めた。どちらにしろ夜通し走り続け、そろそろ休みたいと思っていたのだ。
     だがその主には休む暇がないようで、彼は駐屯していた兵に三ッ首を預けると陣の奥に奥に入っていった。

    「ただいま戻りましてございます。親方様」
    「グンジョウか」

     暗い部屋。長細いテーブルがあって奥に奥に伸びていた。
     その一番奥に一際背もたれの高い椅子があって何者かが鎮座している。
     
    「はい」

     と、グンジョウは返事をした。

    「誠に骨折り。その分だと一晩中走ってきたのだろう。座ってよいぞ」
    「かたじけのうございます」

     グンジョウは遠慮がちに隅の粗末な椅子に腰をかけた。

    「して、里の返答は?」
    「……我らが里はどこにも属さぬと」
    「そうか……だがお前の声の明暗からだいたいの想像はついていた」
    「恐れいります」
    「ふむ、やはり狐は尻尾を振らぬか」
    「はい」
    「だろうな。ひそかに放った雨虫が羽根を焦がして帰って参った」
    「……雨虫が」

     どうやら男はグンジョウ以外も使って情報を集めているようであった。

    「左様。お前と違って"遠周り"しておらぬ故、戻ってくるのは早かった」

     カツカツと足音が近づいてくる。
     陣の奥から青い衣をつけた男がグンジョウの眼前に現れた。まだ若い男だ。
     グンジョウは立ち上がり、そして跪いた。

    「所詮は"赤"に近き者か。もとより相性は水と油」
    「……ウコウ様にはあれだけ別格の条件をご用意いただきながらこのざまとはこのグンジョウの力不足。情けのうございます」

     男は深々と頭を垂れる。

    「ふ、気に病むでないグンジョウよ」
    「しかし」
    「無理をしてお前が黒こげにされても困るわ。お前にはまだ働いてもらわねばならんのだからな。さあ表をあげよ。立つがよい」
    「しかし」
    「里に"種"は撒いたのであろう?」
    「は……、里の長に渡してございます。失敗した時は土産を渡せとのご命令でしたから」
    「ならばよい。お前はお前の役目を果たしたのだ」

     ウコウ、そう呼ばれた男は長いテーブルに敷かれた。一枚の大きな地図を指差した。
     それは秋津国の南、海に囲まれた南の地。

    「青に塗られた部分が我等が版図、赤に塗られた部分が奴等が版図……そして今我等がいる場所がここに」

     トントンとその場所を指の先で叩いた。

    「このようにして見れば瞭然よ。あの里の重要性が。奴等が版図に加わる前に早急に」

     先ほど叩いていた場所から指を少しばかり移動する。彼は里のある場所を指差した。

    「あの狐は強い。土着の妖が強いと平定も一苦労よ。抵抗が激しく奴らも苦労していると聞く。……特に人の言葉を操るものは厄介……だが」

     男はグンジョウを横目に見る。

    「今や地の利は我らにある。その為にまずはこの地を手中に収めたのだから」
    「はい」
    「ならば、水の流れこそ我らが味方」

     男は地図を線を引くようになぞって不敵に笑った。

    「天狗にも手を焼いたが、得たものは大きかったな。この地に実をつけるあの奇妙な実……我等が為にあるようなものだ」
    「はい。あれを安定的に供給できればさまざまなことが可能になります」
    「お前がおらぬ間にも準備は着々と進んでおる。栽培のほうには課題が残るが、腕利きの職人を引き抜いたゆえ加工と細工は上々だ」

     グンジョウは答えない。ただ黙って主を見た。自分がいない間にもこの男は次々にあの手この手を用意する。先代に比べてもこのお方の才は抜きん出ている。そのように彼は思った。

    「心が躍るのう。狐の地の者共が我等が神に膝をつく日も近い」

     ウコウとグンジョウが薄暗い陣の奥の奥を見た。
     ウコウが座っていた椅子のさらに奥。
     そこには大きな絵がかけられている。青い顔料で描がかれたそれは、巨大な魚のように見えた。





    「いいねいいね、合格、合格」

     ナナクサは青年に向けてぱちぱちと手を叩いた。

    「ちゃんと覚えてるか心配していたけど、しっかり覚えてるじゃない」
    「それはどうも」

     扇を下ろすと、ツキミヤはあまりうれしくなさそうな顔で返事をした。
     正直覚えたという感じがしない。意味が違っても聞こえてくる音はほとんど同じだからだ。

    「それより心配なのは、雨降のカメックスだ。あれは手ごわい」

     そのように青年が言うと「同感だな」とナナクサの隣に座っていたヒスイが言った。

    「あれを倒さないことには、でっち上げた脚本も、覚えた歌詞も台詞もすべてが水の泡だ」
    「……水の泡とはうまいこと言うね、コウスケ」
    「おい、こっちは切実に悩んでいるんだぞ」

     正直なところ行き当たりばったりで無計画すぎたと青年は思った。舞だの台詞だのそういうことを見せられる程度に持っていくのに時間の多くを持っていかれ、肝心のところがおろそかになっている。こういうことを本末転倒というのだ。

    「お得意のイカサマを使えばいいじゃない」

     と、ナナクサは言った。

    「ほらなんて言うんだっけ、ドーモ君とか言う雨降らすポケモン」
    「ドータクンだ」

     とツキミヤは訂正する。

    「ヒスイと検証したが、ハイドロポンプの軌道を逸らしてもらうのが精一杯だろう。攻撃に回す余裕は無い。相手の主砲は二つもあるんだ」
    「ネイティは?」
    「彼はドータクンの眼だ。ひき続きな。増援は見込めない」
    「問題はそれだけではない」

     割って入るようにヒスイが言う。

    「俺のカグツチとツキミヤのカゲボウズ、敵の攻撃を防ぎながら攻撃を続ければそのうちは倒せるだろう。だがそれではだめだ。俺達の意図に気がつかれるその前に勝負をつけなければならん」
    「そう。そうしないと、お偉いさん方に舞台そのものが止められる可能性があるからね」

     ツキミヤが同意した。やはり相性の壁は大きいのだ。
     できれば巨大シャドーボールのような派手な真似はしたくなかった。

    「もちろん最善は尽くすが、大いに不安が残る」
    「弱点をつけばいいじゃない」

     するとナナクサはいとも簡単に言った。

    「馬鹿か君は。そんなことができたらとうにやっている」

     ツキミヤはあきれた声で返す。

    「あ、ひどいなー。僕が何の考えもなしにそんなこと言うと思うの? なんの為に一晩も留守にしていたと思うのさ」
    「手があるのか?」

     と、ヒスイが尋ねるとナナクサはふふっと笑った。

    「ちゃんと考えてある。僕は君達を勝たせる為にいるんだ」

     懐に手を入れる。

    「そういえばコウスケ、もうネイティの名前は決めたの?」
    「まだだ……」
    「そう。それはそろそろ決めなくちゃいけないねえ」

     そんなことを言いながら彼は取り出したものを見せる。
     ツキミヤとヒスイが怪訝な表情を浮かべた。





     日が暮れかけていた。里の広場では太鼓や笛の音が聞こえ始め、火が炊かれる。人々は活気付いていた。
     だが、陽気な人々とは魔逆に里の境界では緊張が支配していた。
     九十九が息子達に命を下した。
     侵入者を決して許すな。里に入れるな。神聖な祭を汚すものは排除しろ、と。
     シラヌイは大気の中にある匂いに注意を払った。
     もともと縄張り意識というものが強く、外から干渉されることを嫌う傾向が父にはあった。だが、隣接する樫の里から天狗が去ってからというもの、父はより神経質になっていることをシラヌイは知っていた。
     シラヌイとダキニは北に、サスケとフシミは南に他の兄弟達は村の要所要所に散った。
     ある意味自然の要塞たるこの里は四方のほとんどを山に囲まれている。もし父の嫌う者達が、大手を振って押しかけるなら、多少なりとも平坦な道が開けた南か北しかない。
     四つ足の旅人や行商人はほとんどそこからやってくるし、三ッ首に乗った"あの男"も南からやってきていた。

    「シラヌイ、悪い知らせだ」

     西南西のほうからダキニが駆けてきて言った。

    「里を飛ぶ燕からの伝令よ。奴等が動き出したぞ」
    「そうか……」

     とシラヌイは答えた。あの夜、かいだあの匂いが思い出される。いやな匂いだった。

    「父上の予感は当たったのだな」
    「ああ」
    「燕は何と言ってる。やつらはどう動いているんだ」
    「三ッ首に乗った男達がかなりの数、奴等が陣を出たらしい。この里に向かっている」
    「愚かな。よりによって神事の時に」

     シラヌイは上あごにしわを寄せる。
    「冷静になれシラヌイ」とダキニはいさめた。

    「過去百年を振り返ってもこのような事何度もあったではないか。敵は皆、豊かなこの地を欲しがっていた。だが、その度にその侵入を防いできたは我等が一族の力よ」
    「そうだな。有事の際に土地を守るは我らが務め」

     ひたすら農耕の技術を磨いてきた里の人間達は武力を持たなかった。その果実を搾取せんとする者達から土地を守るのが彼ら。その分業でこの里は栄えてきた。だからこそ狐の一族の筆頭は神だった。毎年、毎年、大社に供えられるしゃもじ。それは感謝と彼らへの畏れの証なのだ。
     空気がざわついた。風が匂いを運んでくる。

    「来たな」
    「ああ」
    「迎え撃つぞ」

     彼らの鼻をついた、それは戦の匂い。

    「六尾達、体制を整えよ!」
    「侵入者を許すな! この里に一頭、一人たりとも入れてはならん!」

     北からも南からも遠吠えが響いた。戦の狼煙が上がった。





     結局最後の日もナナクサに散々絞られ、ずいぶんと夜が更けてから寝込んだ覚えがある。
     だが、気がつくと黄金色の田の暗い空の下に青年は立っていた。そこが普段自分が立っている地平でないことをすでに青年は知っている。しばらく歩くとじきに石段のある小高い山が見えてきて、彼はそれを登り、大鳥居の下に立つこととなった。
     だがその奥にある大社はしいんと静まり返っている。主の姿は見えなかった。

    「九十九はいないのか」

     青年は呟く。
     大鳥居の先に足を踏み入れ、きょろきょろとあたりを見回した。すると先ほど自分が潜った大鳥居のあたりから子供の声がした。

    「九十九なら今は居ない」
    「誰だ?」

     驚いて振り返ると、大鳥居の柱の裏から十歳くらいの少年が顔を覗かせた。

    「……なんだ、君か」

     少年の姿を見た途端に、青年はそれが何者であるか理解したらしい。驚かせやがってといったようにふうっと息をついた。

    「君は九十九の居場所を知ってるのかい」

     青年が問うと少年は「ううん」と答えた。

    「でも、招きたいお客がいるって言ってた。だからきっとその人のところ」
    「招きたい客……?」

     誰だろうかと青年は一瞬思案した。が、それを遮るようにして

    「コウスケ、明日はいよいよ本番だね」

     と、幼い頃の青年の顔をした少年は言った。
     無邪気に浮かべるその笑み。それは遊んでほしくてたまらない、構って欲しいといった時のカゲボウズによく似ていた。

    「ねえ、僕に見せてよ。特訓の成果をさ」

     幼いツキミヤコウスケは、青年にせがむ。

    「悪いが今そんな気分じゃないんだ。鬼コーチの特訓から帰ったばかりでね……」
    「ええー」

     青年がやんわりと拒否すると、少年は悲嘆の声をあげる。そして、

    「そんなことないよ。コウスケはまだやりたいと思ってるだろ」

     などと訳のわからないことを言い出した。

    「……疲れてるんだ。放っておいてくれ」
    「疲れてるならなんでここに来たのさ。昨日は来なかったくせに」
    「…………」
    「コウスケはやる。やるったらやるの!」

     少年は柱の影から飛び出してきて叫んだ。
    「うるさいな……」いかにも煙たがっている表情をうかべ青年は呟いた。すると、少年が

    「ほら、それを証拠にコウスケはもう着替えてるじゃない」

     と、指差して少年は言った。
     
    「……?」

     青年は驚いた。自分を包む衣服を見ると、それは朱の生地に金色の刺繍の布。それは舞台衣装だった。舞台上においてそれは妖狐の毛皮と云うにも等しい。

    「さ、コウスケ……」

     少年が青年の前に進み出る。後ろに組んだ腕を解き、何かを取り出す。それはにたりと笑う狐の面だった。少年はすっと両腕を伸ばし青年に差し出した。

    「今晩九十九はここにいない。だから今日ここでは君こそが九十九なんだ。さあ」

     少年の瞳がを覗き込む。その瞳は三色の光を帯びていた。それに呼応するように青年の目の色もまた同じ光を宿した。唐突にわかった気がした。今日ここに自分を呼んだのは――。
     彼はすうっと腕を伸ばすと面を手に取った。

     燃えよ燃えよ 大地よ燃えよ
     燃えよ燃えよ 大地よ燃えよ

     気がつくと青年は面をつけ、そして呪詛を紡いでいた。
     繰り返し繰り返し口にしたこの詩をいまや青年は息をするように口ずさんでいる。
     するとその詩に呼応するように暗き空に火が灯って、いくつもいつくも夜の闇に現れ田の中に堕ちた。ごうっと夜空が明るく燃えた。

     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ炎よ
     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ我が炎

     青年は謳う。夜の帳が下りた村の田に、「彼ら」は燃える地平を見た。
     黄金色の大地に、紅き火が放たれ、広がってゆく。地平線が赤く彩られていく。
     燃え落ちる稲穂、すべてが灰になってゆく。幾重の月をかけて育んだすべてを瞬く間に灰に変えてゆく炎。それは田と生きる民にとって絶望に他ならない。青年の眼前に広がるのは詩にある紅き地平だった。
     ふと、彼の耳に喉の奥から低く響く笑い声が届いた。どうやらそれは青年自身から発せられたもののようだった。青年自身が見ることができぬその口元は醜く醜く歪んでいるのだろう。

    「そうだ。それでいいんだよ……コウスケ」

     満足げに少年は言った。炎に照らされたその顔は濃い影を刻み付けていた。
     
    「忘れてはいけないよコウスケ。この世界が僕達に何をしたのか。あの夜に僕達は決めたんだ。恨んでやると、決して許さないと、この世界を許さないと」

     声変わりをする前の、まだ幼かった頃の声が語りかける。
     神社の石段で父の背中を追っていたあの頃の声だ。
     この声を耳にすると青年はいくらでも残酷になれる気がした。

    「許さない。父さんを棄てたこの世界を許さない。僕達はそう決めた」

     石畳の上で大小二つの影が踊っている。
     炎は暴く、照らし出す。暗い暗い青年の闇。猩々緋(しょうじょうひ)の炎は赤く紅く炙り出す。揺らぎ揺らめく火が踊り歪に歪に照らし出す。
     さあ、絶望するがいい。世を恨み、憎むがいい。
     燃えろ燃えろ燃えてしまえ。すべて灰になってしまえ。
     この地に絶望の証を刻みつけよう。





     穴守の家、人の寝静まった深夜に起きだす者があった。
     その人は台所へ入っていくと、水を一杯グラスに注ぐ。ごくりごくりごくり、と三回ほどに分けてと飲み干した。
     目がひどく冴えていた。再び眠れる気が起きず、隣の居間の灯りをつける。
     灯かりは瞬く間についた。すると、ちゃぶ台の上にラップをかけて保存してあるポフィンの皿が目に入った。夕べにタイキとその父が散々に食べ散らかしたその残りだった。

    「こいつはちょうどいいわい」

     彼女は台所に戻り、茶を淹れた。湯のみと急須をトンとちゃぶ台に置き、座布団を敷いて正座し、ラップのかかった皿に手を伸ばす。半分ほどそれをはがすと中のポフィンをつまんで口に運んだ。こぽこぽと湯のみに茶を注いで、ふーふーと二、三度吹いてからすすった。

    「ふう」

     タマエが一息を淹れたところで、居間に足音が近づいてくるのが聞こえた。
     
    「シュージか」

     と、タマエは言った。足音の伝える歩き方でそれがわかる。

    「すみません、足音が聞こえたのですが戻ってこられないので、どうしたのかと思って……」

     半開きのままだった襖から顔を出してナナクサが言った。
    「何、少し一服してるだけのことよ」と、タマエは答える。

    「起きてきたんなら、シュージも飲むか」

     そう言って、よっこいしょっと彼女は立ち上がった。
    「とんでもない。僕がやりますから」と、ナナクサは言ったが「いいんじゃ」とタマエは言い、そうして湯のみをひとつ持ってくると、それをちゃぶ台の上に置いて、茶を注ぎはじめる。

    「……すみません」
    「シュージにはやらしてばかりだったからの。たまにはわしがやりたいんよ」

     湯のみがいっぱいになると傾けた急須を戻し、置いた。

    「今のうちだからのう。おまんをもてなそうと思ったら、な」

     静かな部屋にタマエの声が染みわたる。

    「…………タマエさん」
    「なんじゃ」
    「僕はもてなしをうけていいような人間ではありません」
    「またそれか。その手の台詞はこの三年でもう聞き飽きたわ。おまんは何だってできるくせに変なところで卑屈じゃのう」
    「そうでしょうか」
    「自分を人で無しだと言ったこともあったねえ」

     そうだそうだ、そんなこともあった、と彼女は思い返す。たしかあの時はそんなことは二度と言うなと言ってめずらしくナナクサを叱ったのだ。それで彼は二度とその言葉を吐かなくなったが、ごくたまに思い出したように自分はからっぽだとか、人の気持ちが理解できないなどと言い出すことがあった。
     彼はここにいた三年間、友人も恋人も決して作ろうとしなかった。決して機会がなかったわけではないのに、だ。それは彼のそういう気質に由来するのかもしれなかった。
     タマエは半分かかっていたラップをすべてはがすと、まあお食べと勧めた。

    「……まあなんだ、おまんが作ったものを勧めるのもおかしな話だが」
    「いえ、いただきます」

     そう言ってナナクサは皿に手を伸ばして自身の作ったポフィンをとると、端をかじる。
     だがタマエはここ最近ほっとしていた。偶然村にやってきたというツキミヤ、祭を見物しに来たというヒスイ、ナナクサは彼らとよろしくやっているようだったからだ。こそこそと夜に皆して出かけていくなど、いかにもこの年の男の子というものがやりそうなことではないか。

    「言いたくないなら言わんでもいいが……、故郷(くに)に帰るのかい」
    「そんなところです」

     そう答えるとナナクサは茶をすすった。
     タマエもポフィンをもう一つとる。

    「タイキには昨日伝えた。寂しがっていたよ」

     ほおばった後に少しお茶も口に入れた。
     上目遣いに青年を見、この子の事は結局何ひとつわからなかった、とタマエは思った。
     だがなぜだろう。最初からどうも他人である気がしなかった。まるで昔から一緒にいたような感覚を老婆は彼に覚えるのだ。だが、その相手ももうすぐいなくなる。それはとてもとても寂しく、悲しいものだった。

    「そういえばおまんがここば尋ねてきた時もこんな感じだったのう」

     と、タマエは言った。

    「いきなり働かせて欲しいと押しかけてきよって、てこでも動きよらん。そうしたら台所を借してくれとおまんは言いおった。今から僕の一番得意な料理を作る。これを食べたらあなたはかならず僕を雇うだろう。おまんはそう断言した。あんまり自信たっぷりに言うもんだから、じゃあやってみろとわしは言った。結果は、」
    「……雇っていただきました。タマエさんはお茶を淹れてくれました。そしてお前も食べろ、と。僕が作ったポフィンを勧めてきました」
    「ああ、あのポフィンはうまかったよ。この味を出せるのをわしは二人しか知らん。シュージと……」
    「シュウイチさん、ですね」
    「そう、シューイチじゃ」

     タマエはふたたび茶をすする。

    「……シュウイチさんは、僕の憧れです。会ったことも話したこともないけれども僕の憧れなんです」

     ナナクサはポフィンをかじる。また少し茶を口に含んだ。

    「もうここにはいなくとも、皆シュウイチさんを覚えている。タマエさんにタイキ君、それにタイキ君のお父さん、みんな楽しそうにシュウイチさんの事を語ります。村長さんも口には出さないけれど、ものすごく意識していますし」
    「そりゃあまぁキクイチロウとはいろいろあったからのう……因縁じゃなぁ」
    「そんなシュウイチさんに僕は憧れたんです。僕も彼のように人の記憶に残る人になりたかった」
    「何を言っとる。おまんが故郷(くに)帰ったって、ずっとわしは覚えとる」
    「……ありがとうございます。でも、タマエさんの中にはもうシュウイチさんがいますから」

     ナナクサは湯のみを両手に抱えたまま、さみしそうに笑った。
     それは諦めたような悟ったようなそんな笑みだった。
     ふうっと息をふきかけると彼はごくごくと茶を飲んだ。タマエは空になった湯のみに再び茶を注いでやった。

    「……そういえば」

     と、沸き立つ湯気の向こうでナナクサが話題を転換する。

    「なんじゃい」
    「こんな夜遅くに起きだしてきて何かあったんですか、タマエさん」
    「おい、ちょいとばっかし聞いてくれるのが遅くないかい?」
    「すいません……。でも、いつもぐっすり熟睡のタマエさんがめずらしいなと思って」

     そうだった。そもそもそれが気になってナナクサは布団から這い出てきたのだ。

    「ああ、ああ。そうじゃった。夢を見ての……」
    「夢?」
    「ああ」

     カナエは自身の記憶を確かめるようにして言葉にした。

    「夢に出おった。六十五年ぶりにじゃ」
    「それはまたずいぶん昔ですね」
    「ああ、じゃが六十五年ぶりに現れた。あのお方が現れおった」
    「……! あのお方……?」

     ナナクサが目を見開いて老婆を見た。タマエがあのお方と呼ぶこころあたりはひとつしか無かったからだ。

    「あのお方って、まさか……」
    「ああ、九十九様じゃ」

     老婆の口から出たのは炎の妖の名。

    「九十九様がわしの夢の中においでになったのよ。間違いない、あの白銀のお姿を見間違えるはずがない」
    「……九十九様が」

     神妙な顔つきで語るタマエを見るナナクサの目は真剣だった。

    「そうして九十九様はお告げを残していかれた」
    「……九十九様は何と」
    「今年の野の火を観に来るようにと、そう仰った。コースケの出る舞台を観に行くようにと。そこですべてを見せるとあのお方は云った」

    「すべて……を」とナナクサはおうむがえしにする。
    「ああ、」と、タマエは頷く。

    「絵巻の上でも、口伝でもない、本当の野の火を見せようと。本当の怖れとはどういうものか見せよう、と。九十九様はそう仰った。わしゃあ夢の中で何かを言おうとしたんだが、そのまま目が覚めてしもうたのじゃ」

     その後の二人は、妙に言葉に詰まってしまって部屋はしんと静まり返った。
     先ほどタマエが茶をついだばかりのナナクサの湯のみからゆらゆらと湯気が立ち上っていた。


      [No.23] (十六)狐の子 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 18:35:39     52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    (十六)狐の子


     仮初の世界に仮初の月が昇っていた。
     大鳥居の下に立った白銀のキュウコンは、九十九役の青年を待っていた。
     だが相当に疲れが溜まっているのか、その気が無いだけなのか。青年は一向に現れる気配が無い。

    「つまらんな。気の利かぬ小僧よ」

     と九十九は毒づいた。たとえ他愛の無い会話でも、交わされる言葉に嫌味が含まれているとしても、ここにしか存在できない彼にとってそれはある種の楽しみであったのだ。
     だが不意にぴくんと見本の耳が立った。
     ぐすん、ぐすん、と誰かがすすり泣く声がしたのだ。
     振り返ると、そこには一人の少年の姿があった。

    「お前は」

     九十九の声には少しばかりの驚きが含まれていた。
     どこからか何の前触れも無く現れたのももちろん彼を驚かせたのだが、その少年が待ち人によく似ていたからだ。まるであの青年をそのまま小さくしたような。

    「お父さん、お父さん……どこ」

     少年は弱々しい声で呟いた。目からぽろぽろと零れるものを懸命に腕でぬぐっていた。
     九十九はこの少年を知っていた。会ったのは初めてではない。あの時、青年と九十九がはじめて顔を合わせたあの夜、少年は不意に姿を現したことがあった。

    「誰かと思えば"小さいほう"か。どこからともなく現れる奴よの」

     するとやっと少年はキュウコンの存在が目に入ったらしい。

    「ねえ、僕のお父さんを見なかった?」

     と、尋ねてきた。

    「いいや、ここには私しか居ない」

     と、キュウコンは答えた。

    「そう……」

     少年は気落ちした声で言った。
     そう、"囮"はあの時しか使っていない。実を言うなら少し後悔していた。あの方法は青年を相当に怒らせた。九十九を睨みつけたその目は殺意と表現しても相違ない、そういった光を宿していた。

    「父さんがいないんだ。どこを探しても」

     少年はうつむいて涙をぬぐう。

    「いけないな。"一人"でこんなところまでくるなんて」

     青白い毛皮のキュウコンは少年に歩み寄った。
     溢れ出る涙は留まることを知らないようで、次から次へと零れ落ちる。

    「それでもまだ"大きいほう"に比べれば可愛げがあるというものだ」

     キュウコンは少年の足元にどっと腰を下ろした。
     すっと九の尾の一つを伸ばす。それがそっと少年の涙をぬぐった。

    「おいで。お前の父親にはなれないが」

     なぜそうしようと思ったのかはよくわからなかった。別の尾が二、三伸びて少年の体を捕まえると、抱き寄せた。少年は少し戸惑い気味だったが、触れたその感触が気に入ったようで、キュウコンの体に寄りかかるように寝かされるとやがておとなしくなった。

    「あったかいね」

     そう、少年は言った。
     暖かい、か。とキュウコンは思う。自身はもうそんな感覚を忘れてしまっていたことに今更気がついた。それは懐かしい感触だった。

    「……お父さん、僕のことが嫌いになってしまったのかなぁ。だからどこを探してもいないのかなぁ」

     青白い毛皮に顔を埋めて少年はキュウコンに尋ねた。
     きゅっと長く伸びた毛の束を掴む。その瞳はまだ濡れていた。
    「そんなことはないさ」とキュウコンは云った。

    「どうしてわかるの」
    「私にも息子達がいたからね。それに……娘もいた」
    「そうなんだ」

     このキュウコンもまた誰かの父親であるのだ、そのように少年は思った。

    「ねえ、息子さんや娘さんはあなたに似てる?」
    「どうかな。息子のほうはともかく、娘のほうはあまり似ていなかった。はねっかえりだが泣き虫な娘でな、人の前では強がっているが、私といる時はよくこうしたものだ。ちょうど今のお前のように」
    「ここで待ってれば会えるのかな」
    「……いいや、今はもう居ないのだ。我が息子達も……あの娘も」

     赤い瞳が夜空を見上げた。

    「…………そう」

     少年はそこまで言うともう何も尋ねなかった。青白い毛皮の中に小さなその身体を預けて、目を閉じる。キュウコンはその長くふさふさとした尾で少年の身体をそっと包みこんだ。

    「今は休んでいくといい。けれど少し休んだら、元いた場所へお帰り。あの小僧のところへな……」





     朝になってもナナクサは戻らなかった。
     明日の夜までには戻ると書き残したのだからまだ戻っていなくてもおかしくはない。だが、穴守の使用人として忠実に職務をこなしてきた彼の行動として、それは今までに考えられないことだった。
     しかし、朝食の席でタマエは何も言わなかった。タイキも気にかけていたがタマエが何も言わないせいか、口に出そうとしなかった。少年の父親はまだ眠っていたし、客人の二人も何も言わず、彼らは黙々と朝食を口に運んだ。
     ナナクサがいない。それだけで穴守家の朝はいやに静かだった。

     喧騒が耳に入ったのは、稽古の為に雨降大社に入ってからだ。
     やけに人が多くガヤガヤしている。
     野次馬とでもいうのか、普段稽古に出入りしていないはずの人間が大社の境内の中をかなりの数うろうろしていた。宝物殿の近くで村長が複数の老人達と話しこんでいる。表情を見る限りあまり穏やかな話ではなさそうだった。

    「何があったんだろう」

     ヒスイは関心がないとばかりにさっさと稽古場に行ってしまったが、ツキミヤはいぶかしんだ。
     村長が大社にいることなど珍しくないが、トウイチロウの稽古を見に来るのはたいていお昼近くになってからだと青年は記憶している。昼食の誘いがてらやってくるのだ。

    「おはよ。ツキミヤさん」

     背後から声がかかった。
     すっかり聞き鳴れた声に振り向けばそこには「昼」の演出の姿があった。

    「あ、メグミさん。それにノゾミちゃんも。おはようございます」

     ツキミヤが挨拶すると、姉の後ろにいたノゾミが軽く会釈をする。

    「昨日は悪かったわね。突然午後の稽古を欠席してしまって」

     と、メグミが詫びてきた。

    「とんでもないです。ずっと練習練習でしたから。体調が悪くなることもあるでしょう」
    「医者には貧血じゃないかって言われたんだけどね。まぁとにかく今日は大丈夫だから」
    「貧血? だめですよ。食事はちゃんととらなくちゃ」

     笑顔を絶やさずにツキミヤは言った。

    「ちゃんととってるつもりだったんだけどねー。おかしいわね」

     メグミが苦笑いする。

    「ところで何の騒ぎです? これ」

     すかさず青年は尋ねた。

    「ええ、それがね……」
    「泥棒が入ったんだって」

     姉より早く答えたのは妹のほうだった。

    「泥棒?」
    「うん、昨日の夜に」

     ツキミヤが尋ねるとノゾミはそのように返事をした。

    「昨日の夜……」

     いやな予感がした。まさか。

    「大社の宝物殿よ。普段見れるとことはちょっと離れた所に一般公開されていない別殿があってね……なんでも昨晩そこの警報が鳴ったらしいわ」

     メグミがそのようにフォローを入れる。
     青年は心配げな表情の仮面の裏側で何考えてるんだ、あいつは。と呟いた。
     もっとも青年がまっさきに思い浮かべた人物――その人物が犯人と決まった訳ではなかったが。

    「それで誰か捕まったんです?」
    「いいえ、誰も」

     よかった。少なくとも捕まってはいないらしいと青年は胸を撫で下ろす。

    「何か盗まれたんでしょうか」
    「幸い何も盗まれた形跡はなかったそうよ」
    「そうですか。それは幸いでしたね」
    「でも何もこんな時期に盗みに入らなくたっていいのにねぇ。村長さんもピリピリしてるしお気の毒だわ」

     真剣な表情で話し合う老人達をちらりと見やってメグミは言った。

    「そうですね……」

     ツキミヤが追う様に相槌を打った。

    「その一般公開されていない部屋っていうのは、何か貴重なものでもあるんですか。犯人はそれを盗みに入ったのかな」

     んー、とメグミは顎に人差し指をあてた。

    「私もこの目で見たわけじゃないから、詳しくは知らないのだけど……なんでも雨降伝説の実在を証明するものがあるとかって」
    「伝説の実在を証明するもの?」

     青年は反復する形で聞き返す。少し興味をそそられたらしい。

    「だから私も詳しくは知らないのよ。数十年前ならお祭りの期間中だけ見られたらしいのだけど、今のご時世では倫理上問題があるからやめたとかで」
    「倫理上の問題、ですか」
    「だから詳しくは知らないんだって。生まれる前の話だし。村長さんも話してくれないしね」
    「そうですか……」

     ふーむ……、と。ツキミヤはうなった。
     伝説の実在を証明するものか。ナナクサなら知っているかもしれないなどと考えた。あいつは昔のことにもいやに詳しいから、と。まったく、どこからそんな情報を仕入れているのやら。
     すると、ふとメグミが呟いた。

    「あ、でも……ツキミヤさんは今年の九十九だから……もしかしたら見れるかも」
    「本当ですか」
    「トウイチロウさんが言ってたのよ。雨降と九十九ならその場所に入れるのですって。舞台本番前にお清めとでもいうのかしら。お神酒を一杯いただいてから舞台に立つっていう儀式があって、非公開で別殿でやるって話だわ」
    「何があるかはその時に見られる、と」
    「そうらしいわ。口外無用ってことみたいだけれどね」

     そこまで言うとメグミは、ツキミヤの両肩をわしっと掴み言った。

    「そういうわけだから今は練習、とにかく練習よ! 今日は通し稽古やるから覚悟するのよ。いいわね九十九さん?」
    「それは怖いな」

     ツキミヤは軽い調子で返事をする。

    「お姉ちゃん、そんなに張り切っちゃって大丈夫? また竹林でぶっ倒れても知らないよ」

     ノゾミが茶々を入れた。

    「もう、ノゾミは余計なこと言わないの!」
    「何よ。本当のことじゃない」
    「あんたはいつも一言多いのよ!」
    「あ、ひっどーい。心配して言ってあげてるのに」

     デリカシーがないのよと憤るメグミだが、ノゾミも負けじと言い返している。
     彼女らのやりとりからは、少なくともメグミの口からは青年が先ほど思い浮かべた人物――ナナクサシュウジの名前が出る様子は無かった。
     今年の九十九はくすりと笑う。「まぁまぁ」とメグミをなだめるように言った。

    「ともかく今日はお手柔らかにお願いしますよ? メグミさんは病み上がりなんですから」





     その日は朝から暗い雲が空を覆っていた。収穫期に入った田をしとしとと雨が濡らしている。
     月日の巡りは早い。空に消えた友を見送ったあの日から、いつの間にか季節は一巡していた。
     晴れの日が続かぬは摂理だが、雨の日は憂鬱だ。起きだして来る気になれない。大社の神殿の奥の奥にどさりと身体を横たえ目を閉じる白銀のキュウコン。その毛皮は妖艶な青みを帯びている。やる気がなさそうに垂れ下がる耳にも屋根から滴り落ちる水の音が響いていた。炎の力をその身に宿す九十九は元々雨が嫌いだった。

    「ツクモ様!」

     ふと雨音に混じって神殿のどこからか声が響く。
     ぴくりと、九十九の垂れ下がっていた耳の片方が上がった。

    「ツクモ様、ツクモ様!!」

     木造の床をばたばたと忙しく駆けて足音が近づいてきた。重い観音開きの木戸が開かれる。

    「カナエか」

     と訪問者の姿を見るまでもなく九十九は云った。

    「そんなに大声を出さなくてもさっきから聞こえている」

     扉の向こうから現れたのは若い女だった。見に纏う衣こそ粗末な木綿のものだったが、束ねられた長い黒髪が美しい娘だ。

    「私の元にやってくる者はいつだって騒がしい。とくにお前は声は頭に響く」
    「声なんか誰だって同じでございます」

     カナエと呼ばれた娘はそのように反論した。

    「いや、お前は五月蝿い。だいたい私にそういう口の利き方をする人間はお前だけだ」
    「そもそもツクモ様はほとんどの村人とは言葉をお交わしにならないじゃございませんか」
    「むやみやたらに語るのは性にあわない」

     九十九はそのように答えた。

    「そんなだから、怖がられるんでございます」

     九十九は、娘の物言いはまったく気にしていない様子で、
    「結構じゃないか」と答えた。
    「神とは畏れを抱かせてなんぼのものだ」と。

    「それより何をしにきたのだ。まさか暇をつぶしに来たのでもあるまい」
    「昨日の晩に村長(むらおさ)様が言われました。祭の準備を始めるようにと」

     粗末な衣を纏った娘は張りのある声で答えた。

    「神楽の稽古も始まります。だから衣装を借りに参りました」
    「……そうか」

     思い出したかのように九十九は言った。

    「だが何も雨の日に来ぬでもいいではないか。濡れるぞ」
    「だって、あれを着られるのはこの時期だけなのだもの。そう思ったら私、いてもたってもいれなくて」

     娘は待ちきれなかったのだと言った。
     それは村の中で決して地位が高いとは言えず、いつも粗末な身なりの娘にとって、何よりの楽しみであったからだ。村の娘ならば誰もがそれを着られる訳ではない。九十九に選ばれた者のみがそれを纏うことを許されるのだ。

    「……それにしてもそうか。もうそんな時期か」

     雨の音に耳を澄ましながら九十九が呟く。

    「あら、神様がそんなことをおっしゃっていいのですか」
    「雨が憂鬱でな。そのような気分では無かっただけのことだ」

     赤い瞳が答える。

    「神楽の衣装なら西の殿だ。もっともほとんどお前が管理しているようなものだから、場所など言わずもがなだろうが」
    「はい」
    「今日は袖を通してみるだけにしておけ。ただし……」
    「ただし、なんでございますか」
    「通しているうちに雨が止んだなら持っていってもよい」

     さっきまで不機嫌そうだった九十九だったがにやりと笑った。

    「あら、まるで雨が止むような物言いでございますね」

     娘がそのように言うと

    「天候とは気まぐれなものだ」

     と、九十九は答えた。
     やがて娘は一礼すると西の殿に軽い足どりでかけていった。

    「やれやれ。急がずとも衣は逃げたりしないというのに」

     九十九はしょうがないやつだとでもいいたげに娘を見送る。
     耳には愛も変わらず止まぬ雨音が響いていた。
     赤い瞳がどこか遠くを射る。視界は神殿の幾重もの壁に阻まれているはずだったが、彼にはその先が見えているかのようだった。
     横たわっていた九十九は重い腰を上げ、立ち上がる。
     赤い瞳が煌いた。先ほどまで娘に向けていた眼差しとは異質なものだった。





     朱、銀朱、鉛丹、茜、橙、緋色。
     炎の色とも言うべき何種類もの糸を複雑に織り上げた生地に黄金色の糸で文様が刺繍されている。
     その衣を纏った青年は、青白い色の面を被り赤い糸を結わく。
     ドコン、ドコン、ドコン、と不吉な出来事を予見するかのように太鼓が耳に届いた。

    「ぐわあ!」

     名も無き村人役が叫び声を上げた。
     ドコドコドコ、と太鼓が打つ鼓動が早くなる。太鼓のリズムが変わる。盛上げては一瞬沈みまた盛り上げる。
     すると村人は奇妙な舞をはじめた。それは炎の熱に巻かれもがき苦しむ様だった。
     太鼓の打つリズムはまさに炎が踊るそのリズムだ。
     村人は、舞いながら身につけている衣を少しずつ剥ぎ取った。衣を剥がずその度に身を包む衣装は黒一色となってゆく。それは舞台が上演される夜であれば闇に紛れ消えるように出来ていた。

     ぽ、ぽん。

     鼓を打つ音が響いた。
     それは合図だった。多くの村人が恐れおののく炎の妖が姿を見せる。その合図。
     ぼうっと鬼火が灯った。黒い衣の物の怪が放ったものだった。
     名も無き村人が黒衣一色となり、舞台裏に消えるのと同時に面を被った青年がゆっくりと舞台へ上った。
     面から生えるのは大きな二つの尖った耳。睨みつける二つの赤い目。
     一人の村人が哀れな贄となり、その肉と骨を我が物として妖狐九十九が蘇ったのだ。
     妖狐は低い低い声で云った。

    「……今宵、我、ここに戻れり」

     懐からすっと金色の扇を取り出す。
     開かぬままに聴衆に向けてそれを突き出した妖狐は扇に引かれるようにして前に前に進み出た。
     ぽぽん、とまた鼓の音が鳴って、ドロドロと地響きのように低く太鼓が鳴る。
     高い笛の音と尺八の音が、交互に絡み合って旋律を作り出した。
     ぱんと金の扇が開かれると舞が始まる。
     妖狐は詠った。

     燃えよ、燃えよ 大地よ燃えよ
     燃えよ、燃えよ 大地よ燃えよ

     地の底から響くような怨念の宿るその詩。
     ゆっくりと足を踏み出し、舞台全体を回るように妖狐は練り歩く。

     見よ 暗き空現れし火よ
     火よ 我が命に答えよ

     妖狐が舞台上手に扇をかざした。
     シャン、と鈴の音が響くと炎の妖、白い衣に赤い帯を巻きつけた妖狐の一族がぞろぞろと舞台に上がってきた。
     妖狐が同じように下手に扇をかざす。応えるように鈴の音。すると右手からも同じ一団が姿を現した。
     彼らもまた妖狐の呼びかけに応じ、その力を借りてこの世に姿を現したのだ。

     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ炎よ
     燃え上がれ火 燃え上がれ火 我が炎
     我が眼前に広がるは赤き地平

     彼らを鼓舞するように妖狐は詠った。
     次の節から追う様に地唄(じうたい)が続く。

     燃えよ燃えよ 大地よ燃えよ
     恐れよ人の子 我が炎
     燃えよ燃えよ 大地よ燃えよ
     恐れよ人の子 我が炎
     燃えよ燃えよ 野の火よ燃えよ

     長の歌声に続くようにして妖達が口々に「燃えよ」と詠った。
     それは燃え広がる炎のようだった。

    「放たれし火 金色の大地に 燃えよ」

     狐の面を被った青年が最後の小節を詠い終え、高らかに云った。

    「我が名は九十九。十の九尾と百の六尾の長、炎の妖なり!」

     それは、戦いの狼煙を上がったかごとく、聴衆の耳に響く渡った。

    「我に従え、六尾の者よ。我に従え、九尾の者よ。我に続け、炎の力宿らせし者どもよ」

     ドォンと大きな太鼓が響き渡った。
     蘇った妖達が沸きかえった。

    「今年はよい仕上がりになりましたなぁ。メグミさん」

     通し稽古を間近で見、演出の横でうんうん、と深く頷きながら髭面の老人が言った。
     村長のキクイチロウだった。
    「ええ、本当に」と、メグミが答える。

    「ツキミヤさんは本当によく頑張ってくれました。雨降役はベテランのトウイチロウさんですし、例年に無い出来になりそうですわ。討伐のシーンも迫力のあるものになりましたし」

     彼女は満足げに言った。
     舞台に目をやる。通し稽古は次なる場に移り、稲を刈り、餅をつき、収穫を祝う村人達の踊りとなった。

    「ええ、本当に今年の九十九は優秀です。優秀すぎてうちのトウイチロウが食われてしまうんじゃないかと逆に怖くなるくらいです」
    「まあ! 村長さんにそこまで言わせるなんて。ツキミヤさんも役者冥利につきますわね」

     そこまでメグミが言うと、キクイチロウが鎌をかけるようにして言った。

    「ツキミヤ君ももちろん優秀ですが、彼のバックにはあの男がついてますからなあ。相当仕込まれたと見えます」
    「あの男?」

     メグミがきょとんとして聞き返す。

    「ナナクサ君ですよ。ツキミヤ君が選考会に出たのもおそらくは彼の差し金でしょう」
    「そうなんですか。だとしたら、そのナナクサさんという方、よほど舞踊に精通した方なのでしょうね。一介のトレーナーでしかないツキミヤさんをこの短期間にここまで仕上げたんですもの」

     感心したようにメグミは言った。それは見たことも無い在ったことも無い相手を想像するような言い回しで、キクイチロウに奇妙な感触を与える。

    「……おや、メグミさんはご存知じゃなかったんですか」

     おかしな違和感を覚えながら老人は昼の演出に尋ねた。

    「? え、ええ。ツキミヤさんがお仲間の……たしかヒスイさんといったかしら、銀髪の色の黒い方で。その方とと毎夜稽古してるのは知っていますけど……」
    「けど、どうしたんです?」
    「ナナクサさんって方のお名前ははじめて聞きましたわ」
    「……メグミさん?」

     キクイチロウは顔のしわをよじらして、続けた。

    「君、なんだね、ナナクサ君と喧嘩でもしたのかね」
    「何を言ってるんです? 私、ナナクサさんなんて方、知りませんよ」
    「…………」

     メグミは村長の顔をまじめじと見た。
     村長は狐につままれたような顔だった。
     そういえば。そう思って、村長はあたりをきょろきょろと見回した。
     そこではじめてナナクサの姿が見えないことに気がついた。

    「おかしいな。彼はいつもツキミヤ君に付き添っているはずなのに……」

     妙な不安が彼を襲った。
     わけがわからなかった。なぜそんなことを自分は気にしているのだろうとキクイチロウは思った。
     そもそもあの男はツキミヤの付き人ではなく、穴守の使用人だ。タマエに何か別の用を言付かったのだろう。それだけのことではないか。
     収穫祭であの家も忙しい。シュウイチが死んでからというもの、今や穴守家のブースを切り盛りしているのは彼女だけ。彼はきっとそんな彼女を手伝っているに違いない。
     それなのに、それなのになんなのだろうか。胸に広がる漠然とした不安があった。
     あの男、何を考えている……。

    「村長さん、そんなにナナクサさんって方の事が気になりますの?」

     メグミが尋ねた。
     
    「……気にしている? 私が、彼を?」

     キクイチロウは昼の演出に聞き返した。

    「ええ。でも何だか気にしているというより」
    「なんだね」
    「村長さんはまるでその方のことが怖いみたいだわ」
    「怖い……ですって?」

     受け入いれ難かった。だがキクイチロウは真意を突かれた気がした。
     なぜだか思い出したのはシュウイチが死んだ頃の事だった。
     シュウイチがあの世に旅立ってからというもの、以前にも増してタマエは頑固で偏屈になった。彼女は頑として他人を受け入れず、ただ黙って田に手を入れる日々を過ごしていた。来る日も来る日も悲しみを紛らわすかのようにして彼女は黙々と働いた。キクイチロウには何も出来なかった。
     そして、シュウイチと入れ替わるようにして現れたのがナナクサだった。

    「あっ、申し訳ありません。言葉の選び方がよくなかったですね。その、なんて言ったらいいのかしら……とても意識されているというか。あ、結局最初に戻ってしまいました」

     ナナクサシュウジ。
     キクイチロウの聞いたところによればナナクサはどこからか村にやってきて真っ先に穴守家を訪れたのだという。働き口を探している、ここで雇って欲しい、そう言って。
     どこのギャロップの骨だかもわからない。決して過去を語ろうとしない。だがあの老婆は受け入れた。余所者であるはずのナナクサシュウジを受け入れたのだ。それからだ。頑なだったあの老婆は少しずつだが人当たりが柔らかくなっていった。
     キクイチロウは悔しかったのかもしれない。またタマエをとられた気がした。シュウイチにとられた気がしたのだ。
     もちろんナナクサはシュウイチの縁者などではない。シュウイチ生前の身辺をある筋から洗った結果としてキクイチロウはそれを知っていた。ナナクサはそこに浮かび上がらなかったのだ。
     だが、シュウジの名がシュウイチからとったように映ったからかもしれない。シュウイチに似て、米に詳しかったからかもしれない。外見や声、喋り方はまったく似ていないのに、かもし出す空気が同質である気がするのだ。

    「そういえば、トウイチロウさんも稽古の後に特訓をしてるのですってね」

     メグミが言った。

    「聞きましたよ。村長さん自らタカダさんをひっぱって来て相手をさせてるって。三年前の九十九まで引っ張ってきて特訓なんて村長さんの入れ込みようも相当ですわね」

     そのように彼女は続けたが、キクイチロウの意識はもはや別にあった。
     老人は気がかりがもう一つあったのだと思い出していた。宝物殿で鳴った警報だ。
     何者かが侵入した昨晩の宝物殿別殿。姿を見せないナナクサ。これは単なる偶然なのだろうか。
     その時、ドォン、ドォンと太鼓が轟いて、無数の鬼火が宙を舞った。村人達が踊る収穫の舞台、そこに九十九が現れ、炎が上がったのだ。
     九十九が云った。詠うように、高笑いするように云った。
     燃えよ、燃えよ、燃えよ――

    「我を忘れし愚かなる者共よ。今ここに我が炎思い出すがいい!」





     雨が降り続いていた。
     大社の奥から姿を現した九十九は不機嫌そうに空を見上げる。屋根の向こうに見える空は灰色に濁っていた。
     天から雨が降り注ぐ。境内の石畳も敷かれた玉砂利も、雨に濡れている。

    「気に入らぬ」

     と、九十九は呟いた。
     ひたひたと前に進み出ると、ついに雨粒をしのぐ屋根の比護の下から抜ける。
     九十九の青白い毛皮をも濡らそうと雨粒は当然に彼に降り注いだ。
     だが、天から毛皮に落ちたそれはじゅうっと音を立てると、湯気となって立ち上った。
     九十九が一歩、また一歩を踏みしめるごとにそこから湯気が立ち昇り、乾いた。
     それは妖狐の意思の現れであった。

    「出てくるがいい」

     九十九の声が響き渡った。
     その声は大社のある山全体に轟いた。
     だが、山はしんとして雨の音以外には耳に入って来ない。

    「姿も見せぬか。よほどの器小さき者と見える」

     九十九は冷めた声で云う。
     そして次に、別の者にこう呼びかけた。それは同胞に対する呼びかけだった。

    「ダキニ、シラヌイ」

     そのように彼は呼びかけた。

    「ツクモ様、ここに」
    「ここに」

     いつのまにか九十九の左と右に二匹のキュウコンが現れた。
     九十九が続ける。

    「もうお前達も気がついているだろうが、朝から招かざる客が入り込んでいるようだ」

     一匹と二匹は互いの意思を確認するように目配せした。

    「つまらぬ者共よ。この九十九が相手をするまでも無い」

     九十九は語った。
     晴の日あれば雨の日もあるもの。雨は好かぬが、雨あってこそ快晴が心地よく感じられるもの。故に放っておこうかと思ったが少しばかり事情が変わった、と。

    「一時の炎を許そう。相手をしてやるがよい」

     すると二匹が目にもとまらぬ速さで駆け出して、軽やかに跳ねながら瞬く間に石段を駆け下りていった。
     九十九はさらに進み出ると大社の入り口である大鳥居の下に立ち、里全体を見回した。
     収穫期を控え、田はいよいよ金色に染まっていた。
     今、シラヌイが東から、ダキニが西からぐるりと里を走り回るだろう。
     彼らの後に一族達が、同胞達が続く。
     招かざる雨をもたらす客人達はさほど時を待たずしてあぶりだされるに違いない。

    「問おう」

     シラヌイとダキニが去って、自分しかいないはずの場所で唐突に九十九は云った。

    「これは祭の時期が近いと知ってのことか?」

     誰に向かうとでもなく九十九は問うた。
     するとちょうど妖狐の斜め後ろほどに生える大きな木の枝が鳴ったかと思うと、ぼたり、ぼたりと何かが三つほど玉砂利の上に墜落した。
     九十九はそこではじめて振り返り、

    「ふん、雨虫か……」

     と、呟いた。
     雨に濡れた石畳の上で、奇妙な形の羽を僅かにバタつかせながら水色の虫ポケモンがもがいていた。

    「それで気配を殺したつもりか。この九十九もバカにされたものよ」

     彼らは何か見えない力に体を押さえつけられているらしかった。
     懸命に羽根をばたつかせるが、飛び立つことが出来ない。

    「この里にも雨虫は多くいる。だが、貴様らは匂いが違うな」

     そういって、九十九は一匹の羽根を踏みつけた。

    「我が里の雨虫達は領分と云うものを弁えておる。むやみやたらに雨を呼んだりはせぬ」

     踏まれた羽根がじりっと焦げ付いた。
     不意にチリッと音がしたかと思うと、火の粉が踊る。
     それが残り二匹の羽根に付着するとじりじりじりと焦がしてやがて消えた。
     九十九が押さえていた一匹を蹴り飛ばすようにして二匹のほうへ払いのけた。

    「居ね。消し炭にされたくなければな」

     そのように九十九が言うとふっと虫達を押さえつけていた力が消えた。
     炎に焦がされぼろぼろになった羽根をばたつかせて、彼らはその場を逃げるように去っっていった。

    「そのほうらの主に伝えよ。この九十九の土地で勝手はさせぬ」

     追いかけるように九十九の声が響いた。


     雨虫達が視界から消えて、半刻ほど経った後、雨が止んだ。
     灰色の空から光が差込みはじめたのはもう半刻ほど経ってからだった。

    「ツクモ様の云った通りだ。雨、本当に止んだ」

     祭の衣装を取り出し、着付けてみては愛でていたカナエは空を見て呟いた。
     自身の衣装を桐の箱に詰めると、廊下を渡り、草履を履くと境内に出る。
     水溜りがいくらか残る石畳の先、大鳥居の下に白銀のキュウコンが立っているのが見えた。
     その眼差しはじっと遠くを見つめている。

    「ツクモ様、」

     そのように娘が呼びかけると

    「カナエか」

     と九十九は答えた。

    「……雨が止みましたね」
    「ああ」
    「雨が止んだから、これ、持っていっていいんですよね」

     桐の箱を見せるように差し出す。

    「好きにしろ」

     そっけなく九十九は答えた。

    「……ツクモ様」
    「なんだ」
    「何を考えておいでですか」

     そっけないその態度が気になって、娘は尋ねる。

    「……友のことを考えていたのだ」
    「ご友人ですか」
    「ああ」

     と、九十九は反芻するように返事をした。
     見ろというように、指差すように鼻先をある方向に向けた。

    「あそこに山が見えよう。そこをひとつ越えたところがかの一族の土地だった。だがあの日、友はこの空に消えたのだ。今はどの空の下にいるか……」
    「今はいないのですね」
    「そうだ。今は居ない。もういないのだ」

     風が吹く。一面に広がる稲穂が波打った。

    「カナエ、」
    「……? はい」
    「お前の踊る舞には期待している。前の年以上に励め」
    「…………! はい」
    「今年の祭は盛大にやろう。何百何千の灯を用意して、一斉に火を灯すのだ。この里に住まう者、すべての眼前に燃え盛る野の火を見せようぞ」

     金色の大地を仰いで妖狐は云った。
     九の尾が風に合わせるように揺れた。





     祭の夜に現世に現れ、田畑を燃やし、灰に変えてゆく炎の妖、九十九。
     野の火が燃える。田を舐める。
     一方で、神の名が叫ばれる。村人達は雨を待つ、炎を流す雨を乞う。
     雨降の名が繰り返し叫ばれる。
     多くの口から、その名が呼ばれる。それは信仰の証。祈りによって神は現れる。
     それは本番ともなれば聴衆を巻き込んだコーラスとなるであろう。
     九十九を再び沈めるべく、再び退治すべく、祈りによって神は現れる。

    「いかにも、我が名は雨降」

     昼の演出と村の長の背後から、太く通る声が響いて、彼らは振り返った。
     その先には青い衣装を身に纏ったトウイチロウが翁の面を被って立っている。
     赤い衣を纏った狐の面もそちらを向いた。
     主役は遅れてやってくるのだ。昔何かの舞台で誰かがそう言っていた記憶がある。
     ぽ、ぽんと鼓が鳴って、鈴の音が二つ程追った。

    「我、呼ばれたり」

     舞台を仰いで翁の面が云った。

    「呼びかけに応え、目覚めたり」

     翁が纏う青い衣には朱の刺繍が施されている。
     この色の組み合わせを狐面の青年は知っていた。
     ホウエン神話の二つ神の片割れ。海に在り、雨を司る神の色。穴守の家で見たあの絵巻の大きな魚の形をしたあの神の色なのだ。この村で信仰されている雨の神は、間違いなくその流れを汲んでいる。この村は「青」の版図の中にある。
     雨降はずっしりと地に足をつけながら、ゆっくりとしかし確実に舞台へと近づいてくる。
     ドロロロ、ドロロロと寄せては返すように轟く太鼓の音が盛り上げる。

    「橋掛り……雨降の為の道……」

     青年は仮面の内で誰にも聞こえぬ小さな声で漏らした。
     野の火の本番に向けて、石舞台では今、着々と工事が進んでいるはずだ。
     夜の稽古の時にナナクサが言っていた。予定通りならば、今頃は橋掛り――歌舞伎で言うところの花道が設営されている頃だ。
     それは役者達が舞い踊る舞台に向かって、まっすぐに伸びる長い長い一本の道であり、そこを通るのは舞台の主役、村の守り神であり豊穣の神である雨降である。道は大社へ伸びているという設定だ。雨降はここから現れ、そして役目を終えると再びここを通って大社へ戻っていくのだ。
     ナナクサはこうも言っていた。
     九十九がその道を通ることは許されないのだと。
     炎の妖は舞台の上だけで復活し、神の力によって再び舞台に沈められるから。だから妖は決してあの橋を渡ることが出来ないのだと。
     それは神の為だけに用意された橋掛り――花道なのだと。

    「我が名は雨降。悪しき火を払い、流し、今一度田に恵もたらす為、参った」

     雨降が仮の花道を渡り切って、舞台に立った。
     舞台の上手と下手で、青の衣と赤の衣、翁の面と狐の面が向かいあう。

     降らせ、降らせ 天よりの水
     降らせ、降らせ 天よりの水

     青い衣は雨の詩を詠い始めた。
     まるで空の雨雲を掬い、集めるかのよう扇を広げ、舞いしめた。
     呼びかけに応えるようにして白地に青の帯を巻きつけた役者達が次々に舞台上に現れた。
     そして翁は扇を閉じる。まるで矢で狙いを定めるようにして狐の面に向けた。
     討伐が、狐狩りが始まる合図だった。
     ドォンと三度ほど大きく太鼓が鳴った。
     赤い帯と青い帯の役者達が各々ポケモンを連れ、舞台を入り乱れるように交差していく。炎が舞い、水が踊る。青年はその流れに身を任せる。好きなようにしたらいいと思った。
     トウイチロウ扮する雨降がカメックスを繰り出した。大きな大砲が九十九陣営に向けられる。
     対する狐面の青年がすうっと腕を上げる。それに応えるようにして青い炎がいくつも生まれた。





     日が暮れかけていた。
     桐の箱を抱えて、カナエは道を急いでいた。
     日が西に隠れ、野良仕事が終わると、村の娘達が村の長の屋敷に集まることになっている。祭に向けて舞の稽古が始まるからだ。

    「カナエ」

     小さな石橋を渡った時、人のもので無い声がして彼女は立ち止まる。
     ちょうど彼女の足元から声が聞こえたと思うと、橋の下からするりと金色の何かが現れて、颯爽と上に駆け上がったかとぐるりと小回りして思うとカナエの前に立った。

    「あら、シラヌイさん」

     それは一匹のキュウコンだった。九十九とは違い、普通の色のキュウコンである。九十九が自分の中で普通になってしまうとむしろこっちが色違いに見えてしまうと彼女は思った。

    「どこに行くのだ?」
    「村長(むらおさ)様のところよ。今晩から稽古だから」

     そう言って、持っている桐の箱を見せた。すると、
    「はああ、そういうことか」とシラヌイは納得したように言う。

    「まったく、父上は本当にカナエに甘いのう。実の息子達は駒のように扱うというのに」

     仕方ないなぁというようなニュアンスでキュウコンは続けた。

    「どういうこと?」
    「なあに、少しばかり野暮用があってねえ、里をひとっ走りしただけのことさ」
    「そう……それならいいけど」

     要領を得ないままにカナエは答えた。

    「じゃ、俺はもう社に戻るから」

     用事は済んだとばかりにシラヌイは言ってそして、駆け出した。
     瞬く間に見送るカナエが小さくなっていった。
     だが、追う様にシラヌイの耳にカナエの声が届いた。

    「あ、シラヌイさーん! サスケさんやダキニさんによろしく。それとフシミさんにも!」

     もうずいぶんと離れているのに、キュウコンはその声をはっきり聞き取ることが出来た。カナエの声は頭に響く――よく父である九十九がとそのように語っていたのが、こういう時よく理解できる。
     そういえば、彼女にはじめて出会ったのは「声」に気がついて父と共に村の境へ来たあの夕刻の時だったか……とシラヌイは思い返した。
     気がつけば、あれから十数年が経っていた。カナエは大きくなったなあ。父上もさぞかし感慨深かろう。そのようにシラヌイは思った。

     空に青みがかかってくる。
     田の道の向こうに消えたシラヌイを見送って、カナエは再び村長の屋敷の方向に目をやった。しばらく行くと、同じように村長の屋敷へと向かうらしい村の娘達と出会う。少し浮かれた様子で何かしゃべっているようだった。だが、カナエの姿に気がつくと彼女達は黙って、そしてすっと道を空けた。
     カナエは黙って通り過ぎた。いつものことだった。何を言っているのかはわからなかったが、自分の背後で彼女達が何かを囁いていることがわかった。
     くだらない、と娘は思う。どうせあの娘はまた狐と話していたとかそんな類のことなのだろう。
     九十九は完全に人の言葉を操ることが出来る。だがその息子達といえば、時々人語になったり、獣にしか理解できない言葉になったりとちぐはぐなのだ。彼らと円滑に言葉を交わせるのは里の中でもカナエ一人だけだった。
     ほとんど沈んでしまった夕日に照らされて、彼女の長く長く伸びた影が揺れている。屋敷に続く長い長い一本道を一人で歩き、いつの間にか彼女はかつて村長が云った言葉を思い出していた。
     それは、この里における彼女の立場の話だ。

    「この里の人間は余所者に冷たい」

     最初、そのように村長は云った。
     そして彼女の生い立ちをこのように語ったのだ。

    「カナエ、お前はこの里の境目に捨てられていたのだ」

     周囲の自分を見る目があまりよくないことを物心ついた彼女は既に知っていた。
     おなじような年の子ども達に「余所者」とはやし立てられた事は一度や二度ではなかった。

    「赤子の泣き叫ぶ声を最初に耳にしたのは、お前の前に現れたは九十九様だった。九十九様はお前を私の前に連れて来てこう言われたのだ。我が里に捨て置かれたからには、その命は我が下にありと。この赤子を里に受け入れ育てよとな。それがお前だった」

     頭の中にあの時の声が響く。

    「そうして、九十九様は名も無きお前に名を下さったのじゃ。カナエ、と」

     カナエを実質的に養ったのは村長だったが、彼は決してカナエに自らを父と呼ばせることはなかった。それは彼女に乳をやった乳母も同様だった。そこに義務はあっても、愛情はなかった。それを知っていた彼女は十と少しを過ぎた頃には屋敷を出て、一人で暮らすようになっていた。そうしたいと願った時に、村長はすんなりと住む場所を用意してくれた。
     村長は言った。お前には役目がある、と。だからその役目に対して、私は相応の見返りを用意しよう、と。
     その結果、与えられたのは粗末な家で、待っていたのは貧しい暮らしだったが、気は楽だった。

    「お前は九十九様に選ばれたのだ」

     そのように村の長は続けた。
     お前も知っての通り、九十九様は炎の力を司りし神、荒ぶる神じゃ。九十九様がその気になればこの里を燃やし尽くすことなどいと容易きことよ、と。

    「だが、お前が居る。お前は選ばれた。お前は九十九様の子、九十九様の娘。九十九様の巫女。荒ぶる神を鎮めるのがお前の役目よ。それがお前の生きる意味……お役目をしっかりとお果たしなさい」

     カナエは自らの持つ桐の箱を横目で見、再び目を離した。
     里の者達は皆、カナエを一度はこう呼んだ。
     捨て子と、余所者、狐の子、と。
     彼女は九十九の巫女として、時に九十九の言葉を村長に伝え、村長の言葉を九十九に伝えた。彼女は種族の境界に存在し、人と狐の間を行き来した。人にもなれず、だが人の形をしているが故に、狐にもなれなかった。そんな立場を割り当てられた彼女を憐れむものも少しはあった。だが、彼女は憐れみはいらないと云った。

    「……私は、自分を不幸だと思ったことは無いわ」

     そのようにカナエは呟いた。
     人は冷たいけれど、彼らは違った。この里に古くから在り、君臨する神たる九十九、そしてその息子達。彼らは自分によくしてくれる。だから寂しくは無かった。自分は決して一人でも、不幸でもない。
     でも、それならば。

    ――いっそ私自身も尻尾を生やして生まれればよかったものを。

     そのようにもカナエは思うのだ。





    「みなさん、今日までの練習お疲れ様でした」

     田が赤く染まっている。西の空には沈む夕日が見えていた。

    「いよいよ明日の晩が本番です」

     出演者を一同に集めて昼の演出が言った。.

    「いいですか。本番は一度きりにして祭のクライマックス。気を引き締めていきましょう。今晩は体をゆっくりと休めて本番に備えるように。明日は夕方の六時に祭会場の石舞台に集合してください。くれぐれも時間厳守でお願いします。それでは解散!」

     メグミはそこまで言うと、ぐるりと背を向けぐっと片腕を伸ばしてストレッチする。凝った肩をほぐすようにして左右に首をかしげる動作をとった。すると、出演者達も緊張が解け、彼は続々とその場を離れていった。大社と村を結ぶ長い石段を降りてそれぞれの場所へ帰ってゆく。
     ある者は屋台で晩御飯にありつくし、ある者は宿の湯で体をほぐすのだろう。連日の疲れがたまってすぐに寝るものもあるかもしれなかった。

    「僕達も戻ろうか」

     人の流れてゆく様を眺めながら、そのようにツキミヤが言うと、ヒスイは黙って頷いた。
     だが、足畳を渡って大鳥居の下を潜ってちょうど大社を出ようとしたその時、声がかかって二人は立ちどまる。

    「ツキミヤ君、ちょっといいかね」

     聞き覚えのある声に振り向くと、村長のキクイチロウだった。

    「なんでしょうか、村長さん」

     今更何か用事があるのかとも思ったが、青年はあくまで柔らかく返事をする。

    「あー、すでにメグミ君から聞いているかもしれないがね」
    「はい」
    「まあ、祭の決まりごとというか形式としてだね。雨降様と九十九、つまりうちのトウイチロウと君なんだが、本番の前に清めの儀式をやることになっているんだ。まあなんだ、儀式といっても少しばかりお祓いを受けてお神酒を一杯いただくだけなのだけなのだけどね」

     ああ、そういえばとツキミヤは思い出す。
     朝に挨拶を交わした時にメグミが言っていたのだ。雨降と九十九の役者は儀式の為に別殿に入れるのだと。そこで伝説の実在を証明する代物を見ることが出来るのだと。

    「まあ、そういうことだから石舞台に集合する前にまたここに来てね。そうだな、五時くらいに頼むよ」
    「わかりました」

     青年は老人に了解の旨を伝える。
     すると、

    「そういえば……今日はナナクサ君の姿が見えないようですが」

     まるで村長はこちらが本題とばかりに青年に尋ねてきた。

    「……ええ、何か用事があったみたいで」
    「用事?」
    「僕達もくわしくは聞いていないんですよ」
    「ふうん、こんな時に用事ですか……毎日のように見にきていたのにねえ」

     髭をいじりながら村長がわざとらしく首をかしげる。

    「おかげさまでこっちはリラックスして演技できましたよ。どうにも彼の視線は暑苦しいもので」

     ツキミヤがそのように応えると、村長はさぐるようにして、さらに尋ねてきた。

    「それで、ナナクサ君なんだけどね。最近変わったこととかなかったかね」
    「変わったこと、ですか? 彼は会った時から変わっていましたから」

     探られていることを察したのか、青年はそのようにはぐらかした。
     実際に思い当たる節もなかった。自分達の「企て」など最初からだったからだ。

    「ヒスイ君、といったかね。君は何か知らないか」

     ツキミヤから情報を引き出すことを諦めたのか村長は銀髪の青年に話を振った。
     ヒスイは村長を見つめたまましばらく仏頂面で黙っていたが、やがて「そういえば」と口を開いた。

    「何かあったのかね」
    「ナナクサから直接聞いたわけではないが、あいつ、辞めるらしい」
    「辞める? 何をだい」

     今度は青年がヒスイに問うた。

    「あの家の使用人を、だ」
    「……なんだって?」
    「暇を貰いたいと言ったらしい。タマエさんから聞いた」

     ツキミヤは驚愕した。たとえ村長が逆立ちして村を一周したとしてもそれはないと思っていた。
     だが、タマエがそう言ったのであれば確かなのだろう。あの老婆は冗談を言うような人間ではない。
     これにはさすがに村長も驚いたようで、しばし言葉を詰まらせていた。

    「……そ、そうかい。あのナナクサ君がねえ」

     そう言うと、顎にしわだらけの手をあてて、何かを考え込んでしまった。
     顔色が悪かった。まるで何か悪い予感にますます確信を深めたような。
     ずいぶんと彼を気にするのだな。前から何かと自分達に絡んでくる老人ではあったが、ここに来て青年はこの老人のナナクサへの執着のようなものを感じ取ったのだった。

    「そろそろ行くぞツキミヤ。さすがに腹が減った」

     村長をいぶかしげに見つめるツキミヤにヒスイが声をかける。
     すっと背を向けて、一人、石段を降り始めた。

    「あ、ああ」

     ツキミヤは歯切れの悪い返事をすると

    「では、僕達はこれで。失礼します」

     村長にそう告げてヒスイの後を追った。

    「いつ聞いたんだ。そんな話」

     石段にギザギザに刻まれた影が這いずるように移動する。
     淡々と石段を下るヒスイに青年は問うた。

    「昨日だ」

     とヒスイは答える。

    「別行動をとっただろう。お前達はどこをほっつき歩いていたのか知らないが、川辺のあそこに昼食をとりに行っていてな。その時タマエさんに聞いたんだ」
    「……そうか」

     ナナクサが穴守の家を出る。青年は、未だ信じることが出来なかった。
     青年は知っている。ナナクサがあの家の人間を、特にタマエをどんなに大切にしているか。
     タイキの父親が帰ってきた時の彼の提案に疑問を持ったこともあった。だが、あれは彼なりに少年の意見を重んじとしようた結果なのだろう。またそれが使用人の精一杯だったのだろう。あの川岸の料亭でのやりとりを通し、青年はそのように納得していた。

    「タマエさんは何と言ってるんだい」
    「祭が終わるまで。そう言っていた」
    「つまり祭が終わったら、あそこを出る。タマエさんも承知している。そういうことか」
    「そういうことだろう」

     ヒスイは淡々と答え、淡々と石段を降りてゆく。

    「……何だか置いていかれた気分だな」

     ヒスイの背中を追いかけながら、そのようにツキミヤは吐いた。
     それは青年にしてはめずらしい吐き出し方だった。
     
    「置いていかれた? 何にだ?」

     振り向かぬままにヒスイが言った。

    「あいつは当の本人だから当たり前として、それでも君とシュウジだけが知っていたわけだろう。僕は知らなかった。今のさっきまで。僕だけが知らなかった。だから」

     すると、「意外だな」と銀髪の青年は呟いた。

    「意外?」
    「お前はそういうことに執着が無いものと思っていた」

     そう言って、相も変わらず淡々と石段を下っていく。

    「そうだろう? 俺達三人は他人だ。たまたま利害が一致して集まっているだけの」

     そうだった。
     そのように青年は思い返した。所詮、ここだけの関係なのだ。祭が終われば散々になるだけ、お互いに忘れてゆくだけ。それだけの関係なのだ。
     では、この胸にあるしこりは。今さっきから感じているこの置いていかれた感覚は。

    「ヒスイ、君だって」
    「なんだ」
    「もし告げもせず消えてしまう人がいたら、寂しいだろう。悲しいだろう」
    「…………」
    「君にそういう人はいないのか?」

     何を言っているのだろう。なぜこんな小さなことにこだわっているのだろう。

    「…………いるさ」

     しばしの沈黙の後にヒスイはぼそりと呟いた。

    「もしもその人が目の前から消えてしまったなら、たとえ地の果てまで行ってでも探し出すだろう」

     振り向かぬ青年のその表情は見えない。
     だが、いつもぶっきらぼうなヒスイにしてはめずらしく感情の入った言葉だった。

    「もっともナナクサは俺にとってのそれではないがな。やはり他人だ。俺にとってはな」

     そのように言い切ると、彼は石段を下るスピードを速め、ぐんぐんとツキミヤとの距離は離れていった。
     残された青年はどうにも気が削がれてしまって無理に追いつこうとはしなかった。





     いくつかの行灯に火を灯して、その部屋は光で満たされていた。
     部屋の隅で一人が琴を奏で、一人がぽぽんと鼓を鳴らす。
     すると障子が開かれて何人もの村娘達が入ってくる。皆、綺麗な羽織を纏っていた。
     だが、最後に入ってきた娘の衣装の前にはその色彩も単なる引き立て役になってしまった。
     真緋(あけ)、紅(くれない)、韓紅花(からくれない)、炎の色を複雑に織り上げた生地に刺繍された黄金色。その色彩がゆらゆらと揺れる行灯の光に照らされて、艶やかに燃えるように映った。
     自身の頭部を衣で覆うようにしてして入ってきたカナエがするりとそれを取った。
     昼に大社から持ってきたその衣に身を包んだカナエは美しかった。これを来ている時だけは誰も彼女を余所者呼ばわりしなかった。
     ぽぽん、と再び鼓が鳴った。



    「これはこれはグンジョウ殿、毎度毎度遠いところからよくいらっしゃいますな」

     その頃、稽古が行われている部屋とは別の部屋で、神楽の音を耳にしている者がいた。
     村長と一人の男。男のほうは里の人間では無い。

    「昼間はずっと雨が降っていましたから、ここまでいらっしゃるには骨が折れたことでしょう」

     窓の外に目をやりながら、村長は言った。
     音の出所からわずかばかり光が漏れている。娘達の影がゆらゆらと踊った。

    「形だけの挨拶など不要……」

     別室の入り口に仁王立ちする男が言った。
     まあお座りなさいと村長は言った。先ほど男が尋ねてきたときに侍女が引いた藁の座布団は冷えたままだった。
     そう言われて、男は長の正面にあぐらを描くと一通の書簡を差し、

    「我らが親方様からの書状を預かっております」

     と言った。

    「あなたの親方様も懲りませぬな」

     長の口から出たのは冷めた声だった。
     書状に記された内容など読まなくとも分かっている。
     一方的な要求であり、一方的な都合の押し付け。ただ、それだけのことだ。
     これを届けるためにこの男は幾度と無くこの村を訪れているのだ。

    「グンジョウ殿、何度いらしても同じことですな。我が里はどこにも属さぬ」
     
     長は男にそう告げた。
     これは長である私の意思であり、里の者の意思である、と。

    「あなたがたの長の事は私もよく知っております。非常に長けたお方だ。貴方達も頼もしい限りでしょう。だが、あの方のほうにつくということは、あの方の信ずる神の神の下につくということなのです。そのようなこと、我等が神がお許しになるはずがない。この土地に君臨する九十九様はそういうお方です。我等とて意思は同じです」
    「長殿、今この豊縁は大きく動いております。時代は食うか食われるか……混沌としております。弱ければ強きものに飲み込まれる。我らが殿の提案はこの里にとって悪い条件ではないはず」

     グンジョウと呼ばれた男は力説した。

    「違う。あなた方は怖いのだ。あなた方の敵に我らが里が奪われるのではなかとそれが心配でならない。だから我先に手に入れようとする。同盟と云う名の服従を強いて」
    「長殿、私は」
    「ご心配には及びません。先ほども申し上げた筈。我々はどちらにも属さぬ。だが、今までの通り余剰になった兵糧あらば、相応の対価と引き換えにお渡ししよう。それが我らの精一杯の譲歩です」

     本当は、長は知っていた。
     この年、この里では里の人間が食うに困らない程度の米しかとれないだろう。
     それは九十九が「野の火」をそのように使い、そうなるように仕向けたから。
     九十九は気に食わない。彼らに兵糧が渡ることをよしとしていないのだ。

    「早々にお帰りなさい」

     そのように長は続けた。

    「本当はこうして会っているだけでもまずいのです。我らが神は機嫌が悪いようだ。今日は九尾と六尾達がやけに騒がしかったと聞いています。あなたが見つかったら何をされるか……。私は里で丸焦げの死体など見たくありません」

     そこまで長が言うと、男は諦めたように黙ってしまった。

    「少なくとも祭が終わるまではいらっしゃるな。その後での"商談"ならば相談に乗りましょう」

     そのように長は締めた。もうこれ以上の話をする気はないようだった。
     曲が終わりに近づき、にわかに活気付く。
     こちらの部屋にも、あちらの部屋にも太鼓と笛の音が満ちていた。

    「……わかりました。また機を見て参上することにいたしましょう」

     男は村の長に頭を下げる。

    「これにて失礼致します。わが主から土産を預かっておりますのでどうぞお納めください」

     そう言い残して部屋を後にした。
     笛が奏でている曲は何度も何度も同じ旋律を追いかけて、太鼓が締めの音を響かせた。



    「よろしい。今晩はここまでと致しましょう」

     座敷の隅で稽古を見守っていた女が云った。
     この里で昔から舞を指導している老婆で、彼女の稽古は厳しいことで有名だった。娘達がほっとした表情を浮かべて、力を抜くと、普段の衣に着替え、やがてぞろぞろと屋敷を出て行く。

    「巫女殿」

     老婆がカナエに声をかける。

    「ひさしぶりとあって少しばかり鈍っていましたが、よろしゅうございました。この調子で仕上げれば九十九様もお喜びになるでしょう。しっかりとお励みなさい」
    「は、はい!」

     カナエはうれしくなって、おもわず笑みがこぼれた。
     だから祭の時期は好きだ。こういう時だけは人の輪の中にいられる。そんな気がした。
     夜は更けすっかり暗かったが、娘は上機嫌だった。
     ふんふんと鼻歌を歌いながら衣装を桐の箱にしっかりと納めて、娘は村長の屋敷を後にしようとしていた。
     その時、

    「カナエ」

     と、声がした。振り向くと村長の屋敷の塀の裏手からキュウコンが姿を現した。

    「……シラヌイさん? 社に帰ったんじゃなかったの?」
    「父上の使いで少しな。我が父はあいかわらず狐使いが荒い」

     とシラヌイは答えた。そして村のはずれのほうに目をやって続けた。

    「あの男、いやな感じだ。村長と何か話していたようだが、お前何か知っているか?」
    「いいえ」
    「今朝、村に入り込んでいた雨虫、あの男と同じ匂いがした」

    「雨虫?」とカナエが聞き返す。
     シラヌイは険しい顔をして

    「いやな奴だ。手を出すなという父上の命でなければ、俺が手を下してるところだ」

     と、悔しそうに言った。
     キュウコンは鼻腔の奥にしっかりと刻み付けている。
     あの雨虫達からは鉄と血の匂いがした。


      [No.22] (十五)昔話 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 18:34:52     50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    (十五)昔話


     祈念も呪詛も人の願い。思いの形。
     祈りによって神は力を持ち、行使する。

    『お前の願いを叶えてやろう、娘』

     すべて燃えてしまえばいい。
     村人達が忌み嫌う禁域。炎の妖が息絶えた場所と伝わる苔むした岩。彼女がそこにしゃもじを供えたのは六十数年前の夜だった。
     その夜、娘の夢枕に立って、妖狐は云った。願いを叶えてやろう、と。
     だが、だがたて続けにこうも云った。

    『ただし、その結果がお前の望みどおりとは限らないがな』





     川の水はその場に留まらない。流れ流れて入れ替わってゆく。
     さっき目の前にあった水はほんの一瞬後には別物だ。
     すべては移ろう。移ろいゆく。

    「おかしいな。コクマルの奴、どこに消えたんじゃろう」

     川辺を一望してタイキが呟く。

    「ついさっきまでおったんじゃがのう」

     次いで空を仰ぐものの、鴉の影はすでに見えなかった。

    「……お前のヤミカラスならさっきどこかに飛び立ったぞ」

     すぐ隣で魚の身をつついていたヒスイが言った。

    「む、すると屋台の菓子でも盗みに行ったか。あいつは甘いもんには目が無くてのう。特にモモンで作ったポロックが大好きなんじゃ」
    「ポロック、か……」
    「おまん、あのリザードにはやらんのか?」
    「自分ではめったに作らないからな」

     ぼそり、と彼は無愛想に呟く。

    「そうか」
    「だがポロック、モモンと聞いて一つ話を思い出した」
    「なんじゃ?」

     ヒスイは椀に盛られた白米をきれいに平らげ、椀をカタンと膳に置いた。

    「……桃太郎の話だ」
    「桃太郎?」
    「そうだ。ストーリーは知っているか?」

     ヒスイが尋ねた。
     桃太郎。それはこの国において最も読まれ語られている昔話と言っても過言ではない。

    「そんなの知っとる。大きなモモンから生まれた桃太郎が、ポチエナにエイパム、オオスバメをお供にして鬼退治する話じゃろうが」
    「その通りだ。ちなみに土地がカントーになるとオオスバメがピジョンになったり、ポチエナがガーディになったりする。お供になった鳥ポケモンの種類を尋ねると答えた相手のだいたいの出身地方がわかるそうだ」
    「へえ……」
    「先生が、そう言っていた」

     そこまで言うとなんだかヒスイは黙ってしまった。
     どうやらタイキの反応が悪いのでこれ以上はどうかと思ったらしかった。

    「……それで、なんじゃ?」

     そんな雰囲気のを察したのか少年は続きを聞いてやることにした。

    「彼はポロックを使いポケモン達を懐柔(かいじゅう)した。共に鬼ヶ島に乗り込み鬼を退治する。そして自身の育ての親であるおじいさんとおばあさんの待つ家に鬼の宝を持ち帰る。これがこの物語の主だった筋書きだ」
    「……カイジュウってなんじゃ?」
    「良くいえば仲良くなること。悪く言えば物でつって従わせることだ」
    「なるほど。この場合はポロックじゃな」
    「そうだ」
    「で、それがどうしたっちゅうんじゃ」
    「あの時、先生は俺にこう言ったんだ。ヒスイ、お前はこのありふれた昔話をどう思うかと」

     ヒスイは食べ終わった膳を横によける。稽古に戻る時間だと言って立ち上がった。
     長屋を出る前に厨房に立ち寄り、軽く覗き込むと、

    「……タマエさん、お昼ご飯ごちそうさまでした」

     と言った。
     竈を覗こんでいた老婆は顔を上げて、

    「ん? あ、ああ。シュージとコースケによろしくの」

     と答えると、再び顔を戻して、竹の筒でフーフーと空気を送り込んだ。
     墨が赤く燃え上がる。まるで何かを思い出したかのように。
     炎がぼうっと勢いを増した。
     


    「野の火だ!」

     最初にその名を口にしたのは。最初に叫んだのは、誰だったか。



     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ
     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ

     蝉の鳴き止んだ雨降大社の夜。
     いつもの年より早く九十九の狐面を被ったシュウイチは詠った。九十九の声、炎の詩を。
     「火」が現れたのはちょうどその時だったと彼らは語る。

     今でも高齢の村人達はその時の光景を強く焼き付けている。
     それは火柱が立ったという表現が適切だった。
     雨降大社に集まった村人達のいくらかは直接に暗い空に現れたそれを見たし、暗い空を射るように照らした光に驚いて振り向く者も多くいた。

     見よ、暗き空現れし火よ
     火よ、我が命に答えよ

     "燃えよ"に続く文句に詠まれた通りの事象がそこには在った。
     発火地点から炎が四方に広がってゆく、舐めるように侵略するように領地を広げてゆく。

    「野の火じゃあ!」
    「なんちゅうことじゃ」
    「野の火じゃ、九十九の呪いじゃ」
    「おしまいじゃ、この村はもうおしまいじゃ」

     ある者は叫び、ある者は心底震え上がり、童子達は堰を切ったように泣き出した。
     彼らの多くがこう思った。醒めない悪夢のように続く凶作は妖狐九十九の呪いだったのだ。今まさに呪いが成就し、村が終わりを迎えるのだと。
     多くのものが混乱に陥り、舞台が中断したことは言うまでも無い。

    「なんだ……? 何が起こってる……」

     泣き声や叫び声があちらこちらから上がる中、九十九の面を外したシュウイチは呆然とその光景を眺めていた。

    「シュウイチ、貴様ぁ!」

     ぎゅうっと首が締め付けられる感触。
     気がつけば雨降役のキクイチロウに胸ぐらを掴まれていた。

    「連日田を歩き回っておったのはこの為か! 貴様が呪いをかけおった! この村に呪いをかけおったんじゃあ!」

     キクイチロウの手はシュウイチの胸倉を掴みながらガタガタと震えている。
     そこには邪を払う戦士であり、豊穣を願う翁である雨降の仮面は無い。
     そこにいたのは妖狐九十九に恐れおののく一人の村人だった。

    「いつからじゃ。いつから九十九に取り憑かれておった! 禁域に入ったあの時か!?」

     かつてタマエと二人で禁域に入ったあの時のことを蒸し返す。

    「ちょっと、落ち着きなさいよ!」

     タマエは舞台に上がり、二人の間に割ってはいる。

    「違うわ! シュウイチじゃない。シュウイチじゃ……」
    「お前は黙っとれタマエ!」
    「黙らないわよ!」
    「お前はいつもそうだ! 何かあればシュウイチの味方ばかり、わしゃあいつも悪者じゃ」
    「ちょっと、何よ! そんなの今は関係ないでしょう!?」

     タマエが顔を紅くして叫ぶ。

    「とにかくこいつだ。こいつが……」
    「違うわ」
    「違うなら誰だと言うんだ」
    「それは……」

     自分だ、と思った。九十九にしゃもじを供えた。この村に呪いをかけた。
     こんな村出て行きたかったから。
     すべて燃えてしまえばいいと思った。

    『お前の願いを叶えてやろう、娘』

     背筋が凍った。
     九十九の声がはっきりと思い出される。
     精神が高ぶっていていた為に見た夢なのだと思っていた。
     まさか、まさか本当に現れるなんて。
     けれど現れた。詩にある通り暗き空に火は現れたのだ。
     キクイチロウを止めようと掴む手が震えていた。

    「だいたいこの男は昔から信仰心が無かったんだ」
    「やめて。シュウイチは違う!」
    「二人とも五月蝿いぞ」

     ここに来てシュウイチがはじめて口を開く。その声は冷静だった。

    「俺は稽古の通りに演じただけだ。憑かれてなんかおらんし、そもそも雨降も九十九も信じちゃいない。だが、それでお前の気が済むのなら好きに言うがいい」
    「なんだと!」
    「無様じゃなあキクイチロウ。タマエはともかく、おまんが慌ててどうするんだ。皆の注目する野の火の舞台じゃぞ?」

     たしなめるようにシュウイチは言った。

    「これが九十九の仕業じゃと、野の火じゃと? なら雨降のおまんがなんとかしろ。次代の村長ならばこの場をまとめてみせろ」
    「……」
    「そげとも今年の雨降は腰抜けか? 九十九が怖くてこの場から動くことも出来ないんか」
    「貴様!」

     キクイチロウはシュウイチを締め上げる手を強める。が、彼はいたって冷静だった。

    「おまん、ヌマジローは連れて来ておるな?」

     目の前にいる相手がハッとしたと同時に、胸ぐらをつかんだ手が緩んだのがシュウイチにはわかった。
     彼は恋敵の前で取り乱したことを後悔していた。彼は突き放すようにシュウイチの胸ぐらから手を離すと集まった村人達に呼びかけた。

    「皆落ち着くんだ! 水ポケモンをもっている者は舞台に集まれ! いや、水技が使えるポケモンならばなんでもいい!」

     村人の視線が戸惑いながらも集まった。
     何人かが舞台に上がって、ぼんぐりのボールから水ポケモンを出した。

    「水ポケモンの無い者は火が回る前に、川の向こう側へ! 水ポケモンのある者はわしに続け!」

     そして今年の九十九を指指し言った。

    「……それとシュウイチは拘束しておけ。憑いているかもしれん」
    「キクイチロウッ!」

     タマエが叫ぶ。誰のお陰で頭を冷やせたと思っているのだこの男は、と。
     だがシュウイチは首を横に振ると、あえてそれを受け入れた。

    「いいんじゃタマエ」
    「でも……」
    「今は村がまとまることが大事じゃ。格好つけさせてやらんと」

     雨降大社の長い石段をぞろぞろと村人達が降りていく。さきほどよりも水田がよく見渡せた。
     大地が燃えている。背丈の高い稲を次々に巻き込んで、次々に燃え移って広がっていく。炎の軍勢がこちらに向かってくるように見えて、彼らは恐れおののいた。
     石段を降りきった時、何匹かのジグザグマとマッスグマが彼らの前を走り去っていった。じぐざぐに、まっすぐに、走っていった。目指す先は明らかだ。
     集まった村人達が二手に分かれる。大きな集団はジグザグマ達と同様に川を目指す。そして、キクイチロウ率いる小さな集団が炎に立ち向かった。

    「まさか本当の意味で雨降を演じることになろうとはなぁ!」

     当時はまだ珍しかった木の実で無いボールを握り締め、キクイチロウは自らを鼓舞するように言った。
     そのボールから繰り出されたのは大きなヒレとエラを持った両生類のようなポケモン、ラグラージ。小さい頃から一緒に育ってきたミズゴロウが立派に成長した姿だった。

    「来るなら来い化け狐! 成敗してくれる!」

     叫ぶ主に呼応してラグラージが吼えた。

    「ヌマジロー、雨乞いだ!」

     男は伝説を再現しようとするかように声を上げる。
     炎に染まった赤き地平に雨降の声が響いた。





    「ナナクサがいないだと?」

     ヒスイが顔をしかめて言った。
     練習を終え、穴守家に戻ろうかというとき彼らは夜の演出の不在に気がついた。

    「ああ、置手紙があった」

     ツキミヤがぴっと手紙を取り出す。

    「あの野郎……よりによって人のポケモンを伝書スバメ代わりにしやがって」

     空が染まり始めた頃、稽古場の窓辺に見慣れた緑の毛玉がとまっていて、これを差し出したのだと青年は言う。
     こんなことをやる人間はこの村でナナクサしかいない。
     ツキミヤが手紙を開く。二人は手紙に走る文字を見た。しばし沈黙する。

    「……すごい文字だな。筆か?」

     と、ヒスイが言った。

    「ものすごいジェネレーションギャップを感じるのは僕だけだろうか……」

     同意するように、ツキミヤは漏らした。
     普段の人懐こい感じからは意外とも思える無骨な文字でそれは書かれていた。その筆跡には古本街に売っている数十年前にやりとりされた絵葉書に書かれた文字のような、そんな古めかしさがあった。

    「達筆すぎて読めない」

     そんな文句をいいつつ、二人はなんとかそれを解読した。
     書かれていたはおおよそ次のような内容であった。


     コウスケとヒスイへ

     一日ほど出てくる。明日の夜までには戻る。
     稽古を空けてすまないけれど、これは僕達の目的を達するためには必要なことだから。
     あと、改変後の脚本がコウスケの部屋に置いてあるから二人とも読んでおくように。
     ヒスイはともかく、コウスケはちゃんと台詞覚えるんだよ。
     帰ったら試験するからよろしく。

     七草周二


    「……余計なお世話だ」
    「まったくだ」

     二人は呆れたように言った。

    「でもまぁ、しかたない……台詞だけは覚えておいてやるか」
    「うるさいしな」

     意見が一致した。諦めたように二人はため息をついた。





     ぼちゃん、ぼちゃんと川の中に何かが落ちる音がする。
     流れの中に足を踏み入れるその前で、九十九役の青年は立ち往生した。
     赤く染まった煙交じりの空に飛んだものが二つあった。

    「こっちへ来るな! この狐憑きが!」

     両腕を拘束されたまま、自由にならない身体をくねらせやっとの思いで起き上がったシュウイチに、先に川を渡りきった村人達が投げつけたのは石の礫と、拒絶の言葉だった。
     キクイチロウは村人達にシュウイチを拘束するように命じた。おかしなことをしないように、と。シュウイチはただ黙って受け入れた。いたずらに場を混乱させたくなかったからだ。
     だが、彼らは打ち捨てた。火の手の届かない川の前でシュウイチを投げ捨てて、自分達だけが川を渡ったのだ。
     ぼちゃん、ぼちゃん、どぷん。
     投げた石が飛沫を上げ、鈍い音を立てて沈みゆく。
     川を挟んで彼らは対峙する。飛んでくるのは石の礫と言葉の矢だ。

    「こっちに来るな!」
    「わしらを呪い殺す気じゃ!」
    「お前のせいだ。お前の所為で……!」

     青年のわずかな一挙一動に彼らは過敏に反応した。
     シュウイチが少しでも動くようならその度にわめきたてるのだ。

    「来るな!」
    「来るな」
    「化け物が! 来るな」

     ぼちゃん、ぼちゃん、ぼちゃん。
     来るな、来るな、来るな。来るな、化け物め。
     礫が飛ぶ。ふっと耳の横を通り過ぎたかと思った次の瞬間、ごつんと別の礫が青年の額に当たった。
     川を越え、向こう岸から届いた礫がからんと川原に落ちる。
     つうっと生暖かいものが滴り落ちたのがわかった。

    「シュウイチ!」

     罵倒と拒絶の嵐の中に若い村娘の声が混じった。
     対岸に立つ、血を流し呆然とする青年を見る。
    「やめて!」と、彼女は叫んだ。けれどそれは狂乱の声の洪水に飲まれて誰の耳にも届かなかった。
     礫と言葉の矢は止まらない。対岸に立つ青年に向かって飛び続ける。
     いてもたってもいられなくなり、彼女は火の手の立つ対岸に飛び出さんとするが、烏合の衆の誰かが腕を掴んだ。
     どこへ行くのだ、と。

    「離して!」

     と、タマエは叫んだ。

    「どこに行く気だ」
    「決まってるでしょ、シュウイチのとこよ!」
    「なんだと!? お前はあれの肩を持つのか!」

     驚きの声が上がった。
     戸惑いと怒りの声が混じっていた。

    「お前まで頭がおかしくなったか」
    「近づいてはいかん!」
    「焼き殺される」
    「九十九が憑いておるんじゃ!」

     口々に彼らは言う。
     いいか、あれはもうわしらが知っておるシュウイチじゃあない。妖狐九十九が憑いとるんじゃ。お前も見たろう。あいつが炎の詩を詠んだ途端に火が現れたのを。九十九の呪いじゃ。シュウイチは九十九に魂を売り渡してしもうたんじゃ。
     悪いことは言わん。近づいてはならん。
     そう言って彼らはなおも石の礫を投げ続けた。
     川のあちこちから飛沫が上がる。ぼちゃん、ぼちゃん、と音がして、流れの上に飛沫が上がる。

     来るな、来るな、化け物め!
     来るな、来るな、来るな、来るな!
     ぼちゃん、ぼちゃん……

     村の娘は思う。
     青年は、シュウイチはただ、言われた通りに舞っただけ。言われた通りに詠い、踊っただけなのだ。それだけなのだ。
     対岸にたっているのは血を流しているたった一人の青年だ。では一体彼らは何を見ているというのか、ろくに焦点も定まらないまま、敵意むき出しのその目で青年の背後に九十九の影でも見ているとでもいうのだろうか。
     彼らの目は恐怖のせいでひどく乾いていて、それが対岸の青年に向け大きく大きく見開かれていた。
     その目は、異様な恐怖と狂気を併せ持った凄みを帯びている。彼女は全身に悪寒が走るのを感じた。

    「…………だわ」

     言葉が漏れる。その声は震えていた。

    「おかしいのはあんたらのほうだわ……!」

     そういって彼女は自分を掴む腕を振り払った、再びつかみかかったものには噛み付いて抵抗した。
     ばちゃりと川の流れを踏んで、燃え立つ対岸に向かって走り出した。
     もう一瞬だって彼らと同じ岸には立っていたくない、そう思った。
     
    「シュウイチ、逃げて!」

     流れを両の脚で掻き分けながら、川の中腹に立って彼女は叫んだ。

    「逃げて! こんなやつら相手にしたらいかん。早く目の届かんとこへ!」

     このまま行けば殺しかねない。そう思った。こいつらはシュウイチを殺しかねないと。
     殺したところで自分達が助かる見込みも無いのに、彼らは自分達が助かるためにシュウイチを殺しかねない、と。
     彼女は川を反対側に渡るべく進む。今彼女にとって怖いものは、シュウイチでも、野の火でも、九十九でも無かった。炎の無い対岸で吼える烏合の衆だ。
     対岸に火が燃えている。夜空を赤く染めている。野の火がすべてを飲み込もうとしている。

    『お前の願いを叶えてやろう、娘』

     あの時、そう九十九は云った。だが同時にこうも言った。

    『だが、その結果がお前の望み通りとは限らないがな』

     彼女は願った。こんな村出て行きたいと。すべて燃えてしまえばいいと。
     だが違う。望んだのはこんな結果ではなかった。彼女は、今、目の前で礫と言葉の矢を飛ばされているこの青年をこんな目に遭わせたいわけではなかった。
     呆然とした。ああ、なんという浅はかさであろうか。
     一番恐ろしいのは、九十九でも、野の火でも、村人達でもない。こんな願を掛けた自分自身ではないか――。

    「わたし、私は、」

     脚が止まってしまった。シュウイチの元に行って自分は何と声をかけるつもりなのか。自分にそんな資格があるのか。彼をこんな目に遭わせた自分に……。
     ぼちゃん、とタマエのすぐ横に礫が落ち、飛沫が上がる。罵倒の声は止まらずガンガンと頭に響いた。
     炎は止まらない。夜の闇を赤く赤く染め上げる。

    「逃げて!」

     川の中で動けないまま、彼女は叫んだ。どこへ逃げろというのだと自問しながら。

    「逃げて……」

     シュウイチはタマエと村人達に背を向けた。自由にならない両手をそのままに、炎が燃える方向に向かってたどたどしく歩き出す。脚が動かない。彼女は追いかけることが出来なかった。

    「あ……あ、あ…………」

     振り返らない青年の背中がまるで自分を見捨てたように見えた。
     言葉にならない言の葉。かけられない声。それは青年の姿が煙の向こうに消えた後で激しい嗚咽となって現れた。
     ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさ……
     口がたどたどしく動作だけを繰り返す。喉から出る音は荒い呼吸ばかりだった。
     苦しい、苦しい、苦しい。胸が焼けるように、締め付けられるように。これは何だろう。ここにあるのは彼をこんな目に遭わせた罪悪感だけなのだろうか。
     ……いいや、違う。
     刹那、彼女は到達に悟った。
     ああ、そうか……たぶん……嫌われたくなかったのだ、と。

     馬鹿だ、そう思った。
     こんな時になって、胸の内の本心に気が付くなんて。私は馬鹿だ。

    「焼け死んでしまえ、狐憑きめ!」
    「二度と姿を見せるな!」

     背中ごしに罵声が響いた。彼女ははっと我に帰る。見上げた夜空が赤く染まっている。

    「……やめて」

     と声が漏れた。
     それは村人達への言葉だったのか、あるいは九十九への言葉だったのか、彼女自身にもわからなかった。たぶん両方だったのだと思う。

    「……お願い……もうやめて」

     この世とは思えぬ空を見上げて、彼女は言った。
     ぽつ、と何かが頬を叩いた。

    「え……」

     ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。





     沸き立つ湯気の先に満天の星をたたえた星空が見えた。
     傍らにはなぜかカゲボウズが一匹、湯船から頭を出してぷかぷかと浮いている。ツキミヤはいろいろ言いたいことはあったのだが、いい湯だわぁとばかりにふや〜っとした人形ポケモンの顔を見て、やはりいろいろと諦めたらしい。今更湯船に沈めるようなことはしなかった。
     平和だ。広い湯船の中にぽつんと座ってそのようにツキミヤは思った。
     宿題は出たにしろ、今夜だけでもあの猛特訓が無いと思うとそれがこの上なく幸せだった。
     が、それも束の間、突然カゲボウズがぴくりと硬直したかと思うと、ぎらりと三色の瞳を光らせた。誰かがこっちを見ているという合図だった。
     なんだ、また"彼"か……。
     そんなことを思った。

    「性懲りも無いコだね」

     青年はくすっと笑みを浮かべる。

    「大丈夫、何もできやしないさ」

     カゲボウズを安心させるように言った。
     直後、浴場の扉をがらがらと開ける音がした。湯気の向こうから何かが青年のほうへ向かってきて、やがて小さな影が現れた。ヒノキでできたと思しき、洗面器を片手に持っている。

    「なんじゃい。コウスケが先に入っておったか」
    「やあ、お先に失礼らせてもらってるよ。タイキ君」

     青年は家の主の孫に挨拶をした。
     タイキは湯船から湯をくみ上げるとざあっとかぶり、ツキミヤの隣にどぷんと沈んだ。
     入った時に起こった波が湯船に浮かぶカゲボウズを一瞬おぼれさせたが二人とも知らん顔だった。

    「練習はおわったんじゃな。ヒスイは一緒じゃないのか」

     そんなことを尋ねてくる。

    「ああ、彼はみんなでお風呂入ろうとかそういうタイプじゃないからね」

     出会った晩に焼き殺すなどと物騒なことを言っていたのを思い出す。

    「そうかー、残念じゃなぁ。昼間の桃太郎の続きでも聞いたろかと思っていたんだが」
    「桃太郎?」
    「そうじゃ。コクマルはどこぞほっつき歩いているかわからんし、ヒスイはおらんしつまらんのう」

     タイキは本当に残念そうに言った。
     あの時、ヒスイは何を言おうとしていたのだろうか。それが妙に気になっていた。
    「つまらなくて悪かったね」と、ツキミヤが笑う。
    「別にそういう意味じゃないわい」と、タイキが答えた。

    「なあ、コウスケは桃太郎の話は知っとるか」
    「そりゃあね、この国の男子が聞かされる昔話の定番じゃないか」
    「そうじゃよな……知らんわけあるまい」
    「それがどうしたんだい」
    「じゃ、コウスケは桃太郎のことどう思う?」
    「そりゃまたおかしな質問だな」
    「やっぱりそう思うか」

     タイキはうーんとあごに手をあてた。あの時、ヒスイは何を伝えたかったのだろう。くびを捻ってみてもさっぱり想像がつかなかった。
     ツキミヤはざぶんと音を立てると、湯船の船頭にひじをつく。しばらくの沈黙ののち、こう言った。

    「……そうだな、これは僕の意見じゃないんだが、ひとつおもしろい話をしてあげよう」
    「なんじゃ」
    「桃太郎をどう思うかだよ」

     青年はすっと腕を伸ばすと、湯船の中ですっかりのぼせているカゲボウズをつまみあげた。

    「昔話はね、昔の人達が何を考えていたかを、彼らが何に喜び何に悲しんだのか。それを知るための重要な手段だよ。けれど話も時を経て話は変わっていく。場合によっては都合よく作り変えられるものなのさ」
    「? 何が言いたいんじゃ」
    「そのまま受け止めてはおもしろくないってこと。もっと想像力を働かせないと」
    「想像力……」
    「そう、たとえば鬼の立場になってごらん。違う桃太郎が見えてこないか」
    「コウスケもヒスイも難しいことを言うんじゃな。桃太郎は桃太郎じゃろうが」

     少年はますますわからないという顔をした。

    「桃太郎に関する一説にこんなものがある。その説を唱える学者が言うには桃太郎は征夷大将軍なんだよ」
    「セーイタイショウグン?」
    「すごく昔の軍隊の一番えらい人って言えばわかるかい? 後の世では、政治をも行うことにもなる役職さ。当時の征夷大将軍の仕事は周りの小さな国をまとめて一つにすることなんだ。これってまとめられる側から見れば侵略でしかないんだけどね」

     湯舟から掬い上げられたカゲボウズはぼうっとしている。
     しょうがないなという感じで、彼は湯船から上がると、蛇口をひねって冷水を洗面器に溜めた。
     タイキはしばらく黙っていたが、やがて、

    「それじゃあ、お供のポケモンと鬼っていうのはなんなんじゃ」

     と言った。

    「いい質問をしてくるじゃないか」

     予想以上の反応にツキミヤは少し嬉しくなる。

    「ポケモンっていうのは単純に一匹を表さない。すでに統一を済ませた国の人々や彼らの持っているポケモン達だ。鬼は自分達の言うことを聞かない者をひっくるめて鬼と呼ぶんだ。従わない者はみんな鬼だ。本当に角が生えているかどうかは関係が無い」
    「そんならポケモンにやったポロックってえのは」
    「言うことを聞いて貰うにはそれ相応の見返りがなくちゃあね」
    「……カイジュウか」

     タイキはひどく納得した様子だった。

    「へえ、難しい言葉を知っているんだね」

     感心してツキミヤは続ける。そして問うた。

    「タイキ君、もし君ならどうする」
    「どうするって、どういうこっちゃ?」
    「君がもし鬼だったら、桃太郎に従うかい。従えば見返りにポロックが貰える。けれどそのポロックが美味しいとは限らないよ。黒い色のまずいポロックかもしれないし、ちらつかせるだけで一口だってくれないかもしれない。そういうことを考えたことはあるかい」

     ツキミヤはいつになく楽しそうだった。

    「桃太郎の狙いは鬼の持つ宝なんだ。じゃあ、鬼の宝って何だと思う? 君ならポロックと引き換えに宝を渡すかい?」

     溜めた冷水をカゲボウズにかける。
     ぱっちりと目を覚ましたカゲボウズは飛び上がり、ぶるぶるっと震えて飛沫を飛ばした。

    「少なくとも僕にこの話をした父さんなら、渡さないだろうな。どんな上等のポロックが目の前に置かれても、宝を差し出したりはしない。たとえ鬼や化け物と呼ばれても」

     別の洗面器にいれてあった手ぬぐいをカゲボウズの頭上に落とす。
     ふわりと包み込んで抱き上げる。

    「だからね、僕はそういう風にありたいんだ」
    「……、…………」

     タイキは青年を見つめるばかりで何も言わなかった。
     少年の目にも入った青年の胸の傷。それが彼の決意を物語っているように見えたのだ。

    「まあ、そのなんていうのかな? ノゾミちゃんと仲良くしたいなら、誘えばって話」

     先ほどのどことなく重苦しい雰囲気から一変、青年はからかうように言った。
     突然、そんな話題を振られて少年ははげしく動揺する。
     ぶわっとオクタンのように赤くなったのが見て取れた。

    「たとえ、何企んでいるの変態と言われても」
    「なな、ななななな何を言い出すんじゃ! 桃太郎とノゾミは関係なかろーが!」

     広すぎる風呂場にタイキの声が木霊する。

    「そうだな。まずはお昼にでも誘ったらいい。君の家も出店しているんだからご馳走してあげたらどうだい?」

     青年はそこまで言うと、タオルに包まれて南瓜祭の仮装のようになったカゲボウズと共に煙の向こうに消えていった。

    「鬼が島に突っ込まないと宝は手に入らないよ」





     ぽつり、ぽつりと雨が降る。

    「くそ、やはり、伝説のようにはいかんか……」

     悔しそうにキクイチロウは舌打ちした。
     雨乞いは高度な技だ。水を司るポケモンといえど一度に大量の雨粒を、それも広範囲に降らせるには相当の地力を必要とする。燃え広がる野の火を消し去るのは水ポケモンといえど容易なことではない。だからこそ野の火を払うことの出来る雨降は特別であり、神と呼ばれるのだ。
     これだけの溜めと時間をかけて、小雨。これが今の彼のポケモンの限界だ。広範囲に力を行き渡らせるのは彼の考えている以上に消耗を強いるものであったのだ。

    「すまんのうヌマジロー。きばっとくれ」

     彼は、汗をぬぐう。傍らにいるラグラージを励ました。
     小雨の中、他の水ポケモンとその持ち主達が少しでも進行を食い止めようと局地的な火消しにあたっているのを彼は一歩遠くから見わたす。時折、声を張り上げては、精鋭たちを鼓舞した。
     負けるわけにはいかない、そう言い聞かせた。
     俺は雨降なのだ。ゆくゆくはこの村を治めていく男なのだ。俺は。
     状況はどうだろうと、雨降は考える。気のせいかも、そう思いたいだけかしれないが、思いのほか先ほどより炎に勢いがないような気がする。

    「いける……か?」

     確かめるように言葉を口にした。
     するとその声に答えるものがあった。

    「いけるかじゃない。いってもらわにゃ困るんだ」

     雨降が振り返れば、四、五歩先に立っていたのは今年の九十九だった。
     
    「シュウイチ…………!」
    「よお、雨降」

     青年がフッと笑った。その顔には赤黒い何かが流れた跡があった。ぬぐうことも出来ず、そのままになっているのが痛々しい。

    「川を渡らしてもらえなかったでな、戻ってきてしもうたわ。腕はこのとおりだし、石は投げられるし、タマエは泣くわで散々じゃった……。ところでこの雨を降らせとるんはヌマジローか? やりおるの」
    「…………、……」

     キクイチロウは答えなかった。ただ無言でシュウイチを睨みつけた。
     それは内心に激しく動揺している己を悟らせまいとしての行動だった。
     何で戻ってきたのだ。そう思った。

    「……なんだ。おまんはまだ疑っとるのか」

     呆れた様子で青年は云った。雨降は答えない。
     こいつは違うのだ。頭ではわかっているのに、震えが止まらなかった。
     九十九……九十九、九十九………………つくも。
     滅びてもなお、村を恐怖に陥れる炎の妖。
     倒されるべきだ。九十九ならば、九十九ならば雨降である俺が倒さなければならない。今年の九十九は……シュウイチだ。
     もしも、ここで……。
     キクイチロウはすうっと人差し指をシュウイチに向けた。

    「……皆……いるぞ。九十九はここに」

     何かに操られたかのように口から濁音が響いた。
     皆ここだ。九十九はここにいる。こいつを退治すれば皆助かる。
     その声は震えていた。

     もしも今ここで…………もしも、今ここでこの男を殺してしまっても誰一人咎めはしないはずだ……。

     彼は認めた。ずっと目を逸らしていた、気付かない振りをしていたことを、認めた。
     ずっとシュウイチに嫉妬していた。シュウイチを憎んでいたことを。
     人より多くのものを持って生まれてきた。生まれながらに約束された地位。裕福な家。それなのに同じ年に生まれたこの男はどうだ。何も持たずに生まれてきたのに、気がつけばすべてを持っているじゃないか。
     皆に慕われるこの男が嫌いだった。全てを知り、何でもできるこの男が気に喰わなかった。自分がどんなに欲しくても手に入れられないものを、この男は何もするでなく。
     キクイチロウは知っている。村一番の器量よしのあの娘が、なぜ自分との縁談を断ったのか――。
     ああ、なんだって遠ざけたのに舞い戻ってきてしまったんだ。俺の前に。
     シュウイチ、俺は。

    「こいつだ。こいつが……」

     その時だった。ラグラージが咆哮を上げた。ざあっと一瞬だが雨が強まった。
     キクイチロウはハッと我に返る。
     視線の先で雨に濡れた青年が、自分を指差す男を見つめていた。青年の瞳は波紋ひとつも波打たない水面のような、感情の感じられない冷めた色だった。雨粒がするりと流れて、顎から滴り落ちる。
     キクイチロウはぐっと拳を握ると青年に背を向けた。
     炎の燃えるほうに向かい黙って走り出す。決して振り返らなかった。
     どうしようもない敗北感が胸の中を吹きすさんでいた。

    「皆集まれ! あの田の境界でもって食い止めるんだ」

     彼は叫んだ。
     舞台の続きを。中断した舞台の続きを演じなければいけない。
     負けるわけにはいかない。雨降は炎の妖に敗北してはならないのだ。

    「皆一列に並べ! 決して炎を通すな! これ以上の侵略を許すな!」

     小さな農道を挟んだ田の境界線。一列に並び、彼らは炎を迎え撃つ。
     この境界のことを彼はよく知っていた。自分にとって目障りな輩がよくうろついている場所だからだ。
     因縁めいている、よくできた脚本ではないか。そのように彼は思った。
     記憶に間違えがなければここはちょうど"境目"のはずだ。

     ラグラージが吼える。水ポケモン達が呼応するように雄たけびを上げた。
     今宵、男は雨降となった。
     雨が降る。天よりの水が金色の大地を濡らしていく。

     降らせ 降らせ 天よりの水
     降らせ 降らせ 天よりの水

     見よ、空覆う暗き雲よ
     雲よ我が命に答えよ

     降らせ雨を 降らせ雨を 消え去れ炎よ
     降らせ雨を 降らせ雨を 消え去れ悪しき火

     炎の詩は、雨の詩によって打ち消されなければならない。



     結果として、火は消し止められた。
     雨のおかげだったのか、いつのまにか炎の勢いが落ち始めたからか。真相はよくわからない。
     ただ村人の多くは、今年の雨降を賞賛した。この男が村を救ったのだ、と。

     けれどしばらくの間、その名残は村に留まっていた。
     煙がすっかり晴れてしまうまでに数日を要したと彼らは記憶している。
     だが煙が晴れたその後も、炎を呼んだ娘、雨を降らせた男のその中で、何かがずっとくすぶり続けていた。





     野の火。
     遠い遠い昔、田畑を炎の赤で染め人々を苦しめたという妖狐九十九を豊穣の神、雨降が打ち倒す、この村の伝承(いいつたえ)。
     それはいつしかその物語は祭の儀式となり、村の石舞台で上演されるようになった。より一層の豊穣を願って。
     結末はお約束。炎は雨に打ち消されるのだ。火が水に消されるのは自然であり、村人にとってそれは約束された安心できる結末である。
     だが、二人の青年は脚本を広げる。別の結末を知るために。彼らが見るのはもう一人の青年が書き換えたもうひとつの物語。それはまだ三人だけの秘め事、共犯者達の秘密。
     その脚本の中で、妖狐九十九は雨降を打ち倒した。

    「恥を知れ、偽の神め」

     そう九十九は云った。

    「この土地から立ち去れ。元よりここは我ら一族の土地。ここの神は私だ。雨降ではなくこの九十九」

     そうして九十九は謳う。勝利を。毎年謳い踊る雨降の代わりに。
     彼らは詩の載る次のページを開いた。

    「……!?」

     二人の手が止まった。
     どこかで見たような文字の羅列だったからだ。

    「炎の詩そのままじゃないか、芸が無いな」

     手抜きもいいところだとばかりにツキミヤが言った。

    「いや待て」

     そう言って脚本のある部分を指差したのはヒスイだった。

    「よく見てみろツキミヤ。この文字と、この文字がオリジナルと入れ替わっている」
    「……本当だ」

     炎の詩のところどころに見られる文字の入れ替え。それなのに詩の韻に変化はなく、今までの練習で十分にカバーできる内容であった。何より青年を驚かせたのは、その内容の変化だ。

    「驚いたな。二つの文字を入れ替えるだけでこれだけ詩の意味が変わるとは」

     ひどく感心した様子でヒスイが唸った。

    「言葉というのは興味深いな。それにこの解釈は面白い」
    「ああ」
    「先生にも教えたい。これは新しい九十九像だ」
    「しかも、だ。収穫祭の意味を壊さない内容になっている」

     ツキミヤも納得した。ナナクサが書き換えたい内容とはこのことだったのか。これならタマエも喜ぶに違いない、そう思った。祭りを壊しさえしなければ、これは今年のサプライズだったなどと説明できる。観客の支持を得られれば予想される批判はかわせるかもしれない……。

    「でも待てよ」
    「なんだ」
    「文字を見ている僕達はいいが、聞こえる音自体はほとんど一緒なんだぞ。イントネーションもこれといって変わらない。字幕でも出ない限り、観客は意味を理解できないんじゃないか?」

     意味が通じないのであれば、脚本を改変する意味はない。
     すると、ヒスイが冷静に言った。

    「それは奴なりに考えがあるんじゃないのか? 今ここに居ないのはその準備の為だと思うがな」
    「そうか。たしかにあいつのことだから、それなりの演出を考えているのかも……」

     ツキミヤはうんうんと頷いた。
     するとヒスイがすっとツキミヤに脚本を押し付けた。

    「なんだい」
    「そんな訳だから、せいぜいちゃんと台詞を覚えることだ。俺はほとんど台詞がないからお前にやる」
    「……」
    「心配するな。あのカメックスを倒す時はちゃんと手伝ってやる」

     そう言ってヒスイはすっくと立ち上がった。
     すたすた部屋の出口と歩いていき、襖を開ける。

    「どこに行くんだよ」
    「風呂だ。個人的にやることもある」

     そう言ってぴしゃりと襖を閉めた。
     あいかわらず無愛想というかつれないやつだ、そう思いながら青年は頭をかいた。
     再び脚本を開く。ナナクサが五月蝿いからとりあえずは脚本を覚えなければなるまい。だが……
     あの雨降とカメックスを倒すところまではともかく……

    「それ以降は正直意味が無いな……」

     くっくと青年は低い笑いを吐き出した。
     九十九は云っていた。舞台上で九十九が雨降を倒したとき、歴史が変わる、と。私は滅びず実体を持つと。
     つまりその後は本物が本物の脚本を演じることになる。伝統的な脚本でも、今手元にある脚本もない、九十九自身が望む脚本を。

    『私の炎を思い出させてやりたい』

     そう妖狐は云っていた。
     そこにあるのは紅い赤い炎の海だ。あの金色の海は炎に飲まれる。九十九の欲望のままに……。すべては灰に帰す。幾重の月を重ねて実った金色の粒、人々の願い。それら全て。脚本を持つ手に汗が滲んだ。
     ……いいのか? 本当に。このまま妖狐の望むままに演じてしまって本当にいいのか。
     青年の心の内に少しだけ迷いが生じていた。




     山から風が吹く。よく伸びた緑色の稲をさわさわと揺らす。稲はよく成長していたが、それが花となりやがて結実する兆しは一向に見られなかった。
     野の火は消えた。雨降によって野の火は流された。けれど村の抱える問題までが共に消え、流されたわけではなかった。
     人々は再び祈りの日常へと舞い戻っていった。祈りが届く様子は無かったが他にやることもない。

     そよぐ緑の海のその中に、黒く焦げた波の立たぬ場所があった。神事が執り行われたあの夜に起こった炎、それが舐めた傷跡だ。その場所を一望するように一人の青年が立っている。今年の九十九だった。縄はかけられておらず、もう血も流れていなかったが、その顔に生気はない。
     ざくざくと農道を通って誰かが近づいてきたのがわかったが、振り返らなかった。

    「……シュウイチ」

     背後から声がかかる。

    「タマエか」

     力なく青年は返事をした。
     本来ならば水面越しに二人の表情が映ったろう。しかし今は見ることが出来ない。

    「いいのか、俺に近づいて。今や俺は妖怪、村じゃ腫れ物扱いだ」
    「見てる人なんかおらん。みんな大社にいっちまった」
    「……そうじゃな」

     黒く焦げた稲の残骸をその目に焼きつける。

    「皆、誰かのせいにしたいんだ。何か悪いことがあれば九十九のせいさする。米が実らんのは九十九のせい。田が焼けたにも九十九のせい。真実を探ろうとはせん。そう考えるのは楽だからだ。だから雨降なんぞ下らないものにすがる……」

     青年は今言える精一杯の不満を焦げた田の肥やしにした。

    「シュウイチはただ舞っただけだわ」
    「当たり前じゃ」

     シュウイチが静かに言った。だが、タマエはびくりとした。
     私のせいだ。そう思った。

    「し、シュウイチは……これから、どうするつもりなん……?」

     タマエは恐る恐る尋ねた。

    「そうだな。次の田植えの次期まで出稼ぎに出よう思てんねん。村ではこんな扱いやし、何より田んぼがこんなんじゃな」
    「え……?」
    「なんじゃタマエ、気付いておらなんだか。今回の大火で黒焦げになった大部分は俺んちの、穴守の家の田なんだよ」

     そう言われ、タマエははっとした。
     迂闊だった。各々の家の境界くらい知っていたはずなのにそんなことにも気がつかなかったとは。
     あの時、キクイチロウ達が必死で炎を食い止めたその境界。それは穴守の家の田と他の家の田を区切る境界であったのだ。
     その心中は察するに余りあった。目の前にあるこの風景のように荒廃しているに違いなかった。
     田に水は満ちておらず、土は乾き始めている。シュウイチの目からは涙さえ出なかった。

    「……わかっておった。今年の稲はもうだめだと。けど悲しいなぁ」

     ぎりりと胸を締め付けられた。よりにもよって。よりにもよって……!

    「シュウイチ、ごめん。ごめんなさい……私……私……」

     タマエは手で顔を覆うとわっと泣き出した。
     私の所為だ。私の……。

    「何でおまんが謝るんじゃ」

     力なくずっと黒い大地を見つめていたシュウイチだったが今のでさすがに振り返った。
     シュウイチは何も知らない。ただ思った言葉を口にしただけだ。無論、タマエを責めようなどと思って口にしたわけではなかった。

    「泣くなよタマエ。俺はしばらくいなくなるけども、その間に病気に強い種もみを捜してこようと思う。来年はいろんな種類の米を育ててみよう。いくらかは成果があがるかもしれん」

     そういってシュウイチはタマエの頭を撫でた。小さかったあの時のように。それでもタマエはしばらくの間泣き続けていた。
     けれど空は青く青く晴れて、村を囲む山々の間を蝉の合唱が木霊して彼女のすすり泣く声を掻き消した。
     こんな村出て行きたかった。
     けれど待ってみようと彼女は思った。シュウイチは諦めていない。少なくとも来年の田植えの時期にシュウイチが帰ってきて、その成果を見届けるまで、彼女は待ってみようと思ったのだ。





     穴守の家は広い。ヒスイと別れたツキミヤは少し頭を冷やそうと、この家を歩き回ってみることにした。始めて訪れた時に入ったあの絵のある部屋の前を通り過ぎぐるぐると歩き回る。そのうちによく整えられた広い庭が目に入った。青年は軒先の端のほうに腰掛けると庭を見やる。そこは松や苔といった地に根を下ろす緑に彩られ、りーりーという虫の音と明かりの灯る石灯籠に演出された空間だ。
     ゆったりとした時間が流れている。夜の練習が無いだけでこんなにゆっくりしたものなのか。虫の音が心地よい。青年はしばしその世界に身を委ねた。
     ふと、羽音が聞こえた。屋根の上のほうから何者かが軒先に降り立ったのだ。
     
    「どうしたの」

     と、青年は尋ねた。そこには見慣れた緑色の毛玉。そしてその少し後ろに黒いぼさぼさの麦藁帽子の姿があった。入浴中に言葉を交わした少年のポケモンだ。

    「ああ、その子……友達になったんだ?」

     ツキミヤが尋ねる。タイキのポケモンであるヤミカラス。たしか名前をコクマルと言ったはずだ。緑の毛玉はほら行けよと言う様に、小さな身体で後ろから黒の麦藁を青年の前に押し出した。
     一方黒色は迷いがあるらしく、緑と青年の間で、視線を交互に投げかけるばかりでなかなか、視線が定まらない。
     すると青年はくすりと笑みを浮かべ、

    「だいたい想像がつくよ。君が何をしに来たのか」

     と言った。
     すると矢で射られたかのように鴉は固まって、観念したかのように青年を見た。

    「君は視える子なんだね」

     と、青年は続ける。
     人間でこれが視えるのはほんの一握り、少数だ。だが、より自然というものに近く、ゆえに神的なものに近いポケモンには視える者が多く居る。
     だから多くの場合、青年はポケモンに嫌われる。見えていないポケモンですら何かを感じるらしく、あまり近寄ろうとはしないのだ。

    「僕がはじめてあの家に来た時、窓の外から、湯煙の向こうからずっと僕を観察していたのは君だろう。タイキ君はただ寝室を覗こうとしたに過ぎない」

     あの夜を思い出しながら青年は言った。

    「あの時だけじゃない。君は可能な限り僕を監視していた。シュウジと村を巡っていた時、舞台の練習をしていたとき、さっきのお風呂の時…………カゲボウズ達の食事の時」

     鴉がぎくりとしたのが分かった。
     そう。ポケモン達はは知っている。感じ取っている。青年が自らの中に飼っているもの。彼らを満足させるために、どんな行為を繰り返しているのかを。

    「おいで」

     そう言ってツキミヤは右手を差し出した。
     びくりと鴉が固まり、羽毛は縮まって細身になる。
     交差する一羽と一人の視線。
     僕という人間を推し量りに来たんだろう君は。青年の瞳はそう語りかけていた。
     僕の真意が知りたいんだろう。だったら実際に傍に来て僕に触れてみるといい、と。
     青年は鴉を誘う。ヤミカラスがおそるおそる青年のほうへ歩み寄った。
     青年は腕をを伸ばすと細く長い指で黒く艶のあるの羽毛に触れた。赤い瞳の黒い鳥ポケモンはぎゅうっと目を閉じる。ツキミヤは鴉の細い首に蛇のように指を絡ませてから、麦藁帽子のつばをそっと撫でる。不安げに瞳を開き青年を見る鴉は震えていた。

    「僕が、怖いかい?」

     鴉の体温と拍動を感じながら、楽しげに、けれど少しだけ悲しそうに青年は笑った。

    「けど、僕が君に悪意を持っていないのはわかってもらえただろう?」

     そこまで言うと指を離し、束縛から鴉を解放してやった。
     鴉が何かを訴えるように青年を真っ直ぐに見つめている。

    「家族思いなんだね、とても」

     と、青年は言った。

    「心配しなくていいんだよ? 僕はこの家の人達に何もしない。約束するよ。でも……そうだな」

     鴉の瞳の奥を覗き込むようにツキミヤは言った。

    「その代わり君も一つ約束してくれないか」

     鴉はなんだ? とでも言いたげに首をかしげた。

    「ノゾミちゃんに、水の石を返してあげて。ね?」

     すると鴉はそんなことかと少し安堵したような表情になって、やがて遠慮がちに背を向けて翼を広げると飛び去っていった。

    「信用が無いね、僕って」

     闇に消えて見えなくなった鴉を見送って、青年は緑の鳥ポケモン、ネイティに語りかける。

    「彼、君に相談してきたんだ?」

     ネイティがこちらを見た。
     それは無言の肯定だ。

    「君が傍にいてくれるだけでポケモン達はずいぶんと安心してくれるみたいだ。僕が嫌いな事は変わらないにしろ、ね」

     青年は思う。さっきのはコミュニケーションがとれているほうだ、と。
     ネイティがぴょんぴょんと跳ねて近寄ると、ひょいっと青年の膝に乗ってきた。
     青年は手のひらで包み込むようにして膝に乗った小さなポケモンに触れる。暖かかった。

    「君には感謝しているよ」

     そう言って、頭を撫でてやった。ネイティはすっかり暗い時間のせいか眠かったらしく、やがて目を閉じると、膝の上で寝息を立て始めた。鳥ポケモンのくせに無防備な子だなと思う。
     そして青年はふと思い出した。そういえば名前を考えていなかった、と。

     ――きっと名前をつけてやれば喜ぶぞ

     老婆の言葉が思い出される。

     ――コースケ、名前はな、大切な人に呼んでもらう為にあるんじゃ

     少し偏屈で頑固なところもあるけれど、自分によくしてくれたタマエ。思えば、ここに来てから彼女には世話になりっぱなしだった。好意とはいえ、本当によかったのだろうか。自分はタマエに何か少しでも返したのだろうか。
     ナナクサはタマエを喜ばせるために脚本を変えたいと言った。
     では、自分は? 自分は何の為に九十九を演じるのだ。

    「ふん、何を迷っているんだ。答えなんか最初から」

     決まっているじゃないか。

     ――僕はこの家の人達に何もしない。約束するよ

     先ほどの自分の言葉が思い出された。ああ、何故あんなことを言ってしまったのだろう。迷いが生じるようなことを。
     青年は再び自問した。





     どこからか戻ってきたナナクサは禁域に立っていた。
     片手には何か丸いものを握っていた。

    「ずいぶん山奥だったけど、あった。おおきな緑のぼんぐりの木。本当にシュウイチさんは何でも知っている」

     九十九が息絶えた場所と言われる苔むした大きな岩。今は雨に直に晒されることがない。そこには後に岩を囲うように立てられた祠があるかからだ。それはタマエが、村の外の職人に依頼して立てさせたものだった。
     祠近くには、まるでそこを見守るかのように大きな木があった。地面に剥き出したその根に一本に腰を下ろすと、ぼんぐりと呼ばれる木の実をかざし、見つめる。
     月光を浴びて光る、つるつるとした面に刀を突き立てる。コルク栓ほどの穴を開けると中を取り出しにかかった。
     シュウイチさんはおかしな人だ、とナナクサは思う。
     自分ではポケモンをつかまえないくせにこうしてぼんぐりでボールを作るのはやたらとうまかった。ぼんぐりならなんでもいいわけではない。選び方のコツは手ごろな大きさ、外皮の艶、帽子の付き具合、いろいろんな要素があるのだ。彼はどんなぼんぐりがより良い容れ物になるか知っていた。その昔、機械球が高価で高値の花だったころ、シュウイチはこうして作ったボールを近所の子ども達に分けてやっていた。
     穴が広がらないように中身をくりぬき、加工作業を進めるナナクサの耳に、遠くから何かが近づいてくる音が伝わった。複数の何者かが木々の間を飛んでこちらに近づいてきている。その音はナナクサが腰掛ける木のてっぺんまで来たところで止まった。

    「やあ、お疲れ様。ひさしぶりだね」

     手を止めないままナナクサは言った。

    「このところずっと忙しくてさ。ずっとこれずにいたんだ。……ところであっちの様子はどうだった?」

     大きな木に宿った何者かが、がさがさと音を立てた。
     それだけで彼はだいたいを察したらしかった。

    「そう。あっちはあっちで……ね。どうあっても邪魔をする気なんだ。しょうがないな」

     ナナクサは予想はしていたよ、というように答えた。

    「まぁいいんじゃないの。どちらにしろあの人にはおとなしくして貰うつもりだったし。この際だからちょっと脅かしてやろう。……たぶん僕にならそれが出来るしね」

     中身をすっかり出し終わった。ナナクサはくるりとぼんぐりを回転させ出来栄えを確かめる。簡易なモンスターボールの完成である。本当は中を洗ったり、乾かしたりしたかったのだが、あまり時間がない。この際、用途を達せられればいいだろうと考えた。
     彼は腰を上げ、再び立ち上がった。何者かの宿る木を見上げた。

    「さて、はじめようか」

     がさがさと音がして、彼らはひょいひょいと木から降りて来る。
     身長はナナクサの半分強ほどだろうか。数は五、六いるように見えた。

    「さすがに全員というわけにもいかないので、代表を決めてくれ。君達の中で一番取組に強いのは誰だい?」

     一匹が進み出た。準備がいいじゃないか、とナナクサは言った。
     ナナクサもその一匹の前に進み出て、コン、と今まで作っていた即席のボールを額に当てた。その一匹は瞬く間に吸い込まれていった。

    「ではよろしく……、……」

     彼はよろしくの後に種族の名を言いかけた。だが、口をつぐんだ。そして少し考えるとこう言った。

    「いや、一時的にはせよ。容れ物に入ったポケモンにはニックネームというやつが必要だな。種族の名前ではない、彼だけの名前が。できれば残った君達をも代表するような名前がいい」

     残ったポケモン達を見て云った。

    「では、こうしよう。彼の名は――――」

     風が吹いて黒い森をざわっと鳴らせた。
     また会おうとでも言うように残った者たちが深い山の中へと消えて行った。
     残されたナナクサはぼんぐりをじっと見つめると、来るべき日を描いて呟く。
     なぜか、ぼんぐりを持つ手が小刻みに震えていた。

    「僕に出来るだろうか。米の栽培や舞とは違う……これは僕が初めてやることだ」

     興奮か、それともこれが緊張か。
     自問する。こんなことは初めてだった。この村に来て三年だぞ。今更? ずっと演じ続けてきたじゃないか……。そう彼は自問する。
     だが、それは唐突にぴたりと止まった。思い出したのだ。

     ――……君にとって僕らのことは単なる仕事なのか

     それは青年の言葉。今年の九十九の言葉。
     そうだった、とナナクサは思い返した。

     ――僕らは……君と僕、それにヒスイ。同じ目的の下にこうしている。事を起こそうとしている。これは僕達だけが共有できる記憶……思い出だとは思わないか

    「ふふ、そっか。初めてってこういうことなんだ」

     そうだ、しっかりしろシュウジ。お前はもはや一人ではないのだ。
     彼は自分自身にそのように言い聞かせた。

    「そう、僕だけの……僕達だけの……シュウイチさんのじゃない、これは僕自身の……」

     夜の山は黒く黒く染まっている。青黒い空にわずかに木々の輪郭が見える。大きな何かが今まさに目を覚ます、開眼せんとするような、そんな形をした半月の晩だ。
     雨降大社の宝物殿に何者かが侵入したのはその月の下での事だった。


      [No.21] (十四)恵 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 17:53:03     48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    (十四)恵


     彼女にはよく声がかかった。村に住まう者に彼女が頼み事をしたのならたいてい聞き入れてもらえた。しっかりとしていて器量もよい。村中の大人たちは嫁に貰うなら彼女にしなさいと息子達に言い聞かせたものだ。
     彼女は模範的な村人で、近頃には珍しく村に留まる事を決めている数少ない若者だった。だから村人の、特に高齢の者達は彼女を可愛がったし、大事にした。
     それは彼女なりの処世術だった。彼女はたぶん本能的に知っていたのだ。村とは、共同体とは彼らに素直なものを受け入れ、手厚く比護の下に置いてくれるものだと。
     そんな彼女は五年前、村の神事である野の火の演出を異例の若さで任された。
     それはさながら、昔ならば巫女の役割とも言えた。
     以来、彼女は思うままに舞台を、神事を操ってきたといってもいいだろう。

     私は選ばれた。
     節度さえわきまえれば、やりかたさえ間違えなければ、この村で自分に出来ない事など無い。
     いつしかメグミはそう思うようになっていた。

     けれども、そんな彼女にも一つだけ思うままに出来ない事があった。





    「見違えたじゃないの。ツキミヤさん」

     青年に台詞の一節を詠ませ、一通りの動きを見てメグミは感嘆の声を上げた。

    「昨日はあんな調子だったから今年はどうなるかと思っていたけど、これなら大丈夫そうね」
    「それはどうも。昨日は相当にしごかれましたから」

     今年の九十九である青年はにこやかに返す。
     そうね。どうやらしごいたのは私だけじゃないみたい、とメグミがちらりと部屋の隅を見た。よくお見通しで、と青年が苦笑いする。
     身体が痛い、と彼は思った。歩いているとか普通の動作をする分には問題が無いのだが、劇中のとある動作になると鈍く痛む。
     思えば研究室を飛び出して旅立った当初は一日歩いただけで翌日はこの痛みに悩まされたものだったが、身体は順応するものでやがてそれも無くなった。それなのにたった一晩でこのザマとは。この程度で筋肉痛だなんてまだまだだ。

    「それでは討伐のシーンに入りましょう。出演者のみなさん、外に出てください」

     討伐のシーン。
     すなわちそれは妖狐九十九が雨降大神命に討たれるシーンのことである。舞台の出演者のほとんどが入り混じり、ダイナミックに躍動する本舞台のクライマックスにして最大の見せ場……であるらしい。
     出演者達はぞろぞろと外に出る。そこには野次馬な見物者達が待ち受けていて村長の姿もあった。どうやら主役である孫の勇士を見に来たらしい。まったく、ヤドランに噛み付いたシェルダーじゃあるまいし、楽しみは本番までとっておけばいいのに。そんなことを青年は考えたのだが、よく考えてみれば自分にもしっかり噛み付いているシェルダーがいるのだと思い出して、少しだけ今年の雨降に同情した。
     ナナクサはぐっと両手の拳を握って負けるなコウスケと言わんばかりに頷いている。勘弁して欲しいと思った。

    「みなさん、モンスターボールはお持ちになりましたか」

     メグミが確認をする。

    「雨降の部は上手へ、九十九の部は下手へそれぞれ分かれて。選考会で使ったポケモンを出してください」

     雨降と九十九、両陣営の役者達が次々にポケモンを出してゆく。いつの間にかツキミヤの横にもカゲボウズが現れていた。水と炎のポケモン達。青い色が多い雨降陣営。赤い色の多い九十九陣営。それぞれのタイプの体色が映えて、両陣営は対照的な色合いになり、向かい合う。
     ここで初めてトレーナーを勝ち抜かせた意味が明らかになった。このシーンでは形式的、擬似的であるにしろポケモンバトル形式がとられるのだ。ある程度のレベルにおいてポケモンを操れるものでなくては舞台が壊れてしまう。優秀なトレーナーを選んだのはこのシーンの為だった。
     主役は一番最後に来る。そう言わんばかりに相手の大将がモンスターボールに手をかけたのは雨降陣営があらかたポケモンを出し終わってからだった。見物人達がおおっと声を上げる。
     高そうなボールから繰り出されたポケモン、それは立派な甲羅を背負っていた。そしてそこから伸びるのは大量の水を噴射できる大砲。

    「カメックス…………か」

     ありがたくない顔をしてツキミヤが呟いた。自分の部の決勝戦で手いっぱいだった彼はキクイチロウのポケモンまではノーマークだった。
     カメックス。この村の守護神たる雨降の名に相応しい屈強なポケモンだ。わざと負けるにはこの無く都合のよい相手。だが、勝ちを取りに行くのならば厄介な相手だった。
     甲羅の割れ目を探すようにじいっと自らのポケモンを観察するツキミヤの視線に気がついて、キクイチロウはフンと笑う。だがその視線には去年の役者とは明らかに違う意思が宿っていることにも気がついていた。

    「今年のは少しは骨がありそうじゃないか。なあ?」

     同意を求めるように自らのポケモンに言った。
     水と炎。どちらが有利かなど明らかだ。そして舞台の結末は決まっている。いわばこれで出来試合。だが……

    「油断するなよ」

     と言い聞かせた。
     決して足元を掬われてはならない。神は妖に完全勝利しなければならないのだから。

     メグミが説明した舞台の筋書きはこうだった。
     両陣営のポケモンバトル勝ち抜き戦のような形で、討伐シーンは進んでいく。
     固有の名前を持たぬ役者達は一対一、二、三技を繰り出しただけで、入れ替わるように退場していく。そのうちに対峙する人数が増えていき、総力戦の様相を呈してゆく。水が飛び交い、炎が舞う。
     もちろん、両者には相性の差がある。水の力を使う雨降陣営に、炎を使う九十九陣営は次第に圧されてゆくことになる。が、そこにツキミヤ演じる九十九が現れ、圧倒的な炎の技をもって雨降の臣下達を一斉に蹴散らすのだ。
     そして、トウイチロウが扮する雨降が現れる。最後は雨降と九十九の一騎打ちだ。
     激しい技の応酬、そして詩の応酬が幾度か繰り返され、最終的には雨降が勝利。妖狐九十九は舞台から崩れ落ちるように退場。
     九十九を打ち倒した雨降は勝利の舞曲を高らかに舞い謳う。彼は五穀豊穣と村の繁栄を祈り舞い踊る。音楽の盛り上がりと共に舞台は終幕を迎える――。



    「疲れた?」と、ナナクサが尋ねる。
    「ああ、疲れた」と、ツキミヤが答える。
    「ただバトルするのとは訳が違うな」と、ヒスイが感想を述べる。
     三人は賑やかな屋台を練り歩いていた。
     あいかわらずこの通りは賑やかだった。前夜祭で見た男達が大食い大会をしていた舞台では、ゴクリンにマルノームといったいかにもよく食べそうなポケモン達が並び、あの時見た男達と同じようなことをやっていた。どうやらトレーナーがしゃもじでご飯をよそってやるというルールらしく、チームワークも試されているようだ。くだらないことをやっているなぁとツキミヤは思ったが、こういうことをやるのが祭の醍醐味と言えるかもしれなかった。
     出演者にとって唯一の楽しみは昼間に一時間与えられた休み時間だ。この間に屋台で料理を貰うなどして彼らは食事をとったり、体を休めたり、思い思いの時間を過ごすのだ。さて、今日はどこでどんな料理を貰おうか。ツキミヤはそんなことを考えながら屋台のあちらこちらから上がる湯気を見ていた。ところが三人の先頭を行くナナクサは立ち並ぶ屋台をことごとく無視してどんどん人気の無いほうに歩いていく。

    「おいおい、会場を抜けてどこに行こうって言うんだい」

     ツキミヤが尋ねる。
     すると、ナナクサは

    「屋台の料理も食べ飽きただろう? 今日はとっておきの所に連れて行ってあげるよ」

     と言った。

    「この先に何かあるのか?」
    「まあ、黙ってついてきなって」

     ナナクサは得意げにそう言うだけで詳細を話そうとはしなかった。
     会場から五分ほど歩いたその場所は村の田んぼ田を二分するように川が流れていた。村の西のほうにそびえる山々を指差してナナクサは、川のはじまりはあの山々にあるのだと説明した。鬱蒼と茂る木々は水をしっかりと蓄えていつも適量の水を村に送り込んでくれるのだと。
     ナナクサは反対側を見る。彼らの立つ少し下流のほうに川に寄り添うように長屋が立って、水車が回っていた。

    「今日はここで昼食をいただくとしよう」

     赤茶色い染料で染まった暖簾を潜ると川をバックにした広い座敷にぽつぽつと客が座っておりこちらを見た。おお、あんた達も来たのかと言っているかのような暗黙の了解がそこにはあった。
     ナナクサはさあこっちこっちとせかすように真ん中の席に二人を座らせる。

    「で、何を食べさせてくれるんだい」

     そのようにツキミヤが尋ねると

    「ここのメニューは一つだけだ」

     とナナクサは答えた。

    「ああ、ちょうど店長代理が来たからさっそく注文をとるとしよう」

     長屋の奥のほうを見る。三人の見る先になんだか見覚えのある少年が居て、近づいてきた。
     さっきから黙っていたヒスイもすぐに気がついた様子だった。

    「タイキ君じゃないか」

     そのようにツキミヤが口に出す前に向こうも彼らに気がついたらしく

    「なんだ。コースケにシュージ、それにヒスイもきておったのか」

     タイキが頭に手ぬぐいを巻いた姿で彼らを出迎えそう言った。

    「やあ、タイキ君。朝から稽古でね、コウスケ達は腹ペコだそうだよ。例のあれ頼む」
    「あれじゃな。ちょうどいい所に来たのう。今ちょうど新しいのが炊きあがったとこじゃ」

     そう言って彼はそそくさと奥の厨房のほうへ戻っていった。

    「祭の手伝いってこのことだったのか」
    「そうだよ」

     ナナクサが肯定する。

    「ここは知る人ぞ知る穴守家の出店ブースなんだよ。といっても最近は祭で配る分とたまに自分の家で食べる分しか作らないから、ここのお米が食べられるのは本当に祭の間だけなんだ」
    「タマエさんもいるのかい?」
    「たぶん奥で料理してるんじゃないかな」
    「なるほど、なんだか"らしい"な」

     ツキミヤは選考会の夜に精米機を動かしていたタマエの姿を思い出していた。あれはたぶんこの為の仕込だったのだ。

    「ちなみに品種はオニスズメノナミダ。味は抜群だれど生産者泣かせの米でね、下手を打つとと本当に雀の涙程度の量しかとれない。六十数年前の凶作の再現さ」
    「ここもあの家の持ち物なのか?」

     ヒスイが茅葺の天井に見入りながら尋ねると「まぁ、そんなところだね」とナナクサは答えた。
     金色に染まった水田を背に川の水は穏やかに流れる。高く上った太陽に水面が反射してキラキラと輝いた。その様子をなんだかナナクサは懐かしそうな面持ちで見つめている。
    「何かあるのか?」と、ツキミヤが尋ねると、

    「昔さ、タマエさんが物置で見つけたあの写真よりも若かった子どもの頃、シュウイチさんとよく魚を獲ったんだ」

     しみじみとまるで昔を懐かしむような言い方で彼は答えた。

    「よくもまあそんな昔の事まで知ってるね、君は」
    「だからいいなあと思ってさ」
    「どうして?」
    「だって、僕自身にはそんな思い出ないもの」

     そう言ってナナクサはテーブルにひじをついた。遊ぶ二人の姿を川の流れの中に浮かべて彼は優しく、けれど寂しそうに見つめていた。さわさわこぽこぽと流れる水の音。水面は揺れ同じ姿を留めない。

    「シュウジ、君にだって、」

     ここに来る前の思い出の一つや二つあるだろう。そう言い掛けてツキミヤは口を閉じた。あまり過去を語りたがらないらしいというタマエの言葉を思い出したからだ。

    「……君にとって僕らのことは単なる仕事なのか」

     話題を軌道修正しようとしたツキミヤの口から出た言葉はそんな内容だった。

    「え?」
    「僕らと一緒に居るのはそれがタマエさんに頼まれた仕事だからかい? 僕らは……君と僕、それにヒスイ」

     ツキミヤは黙って座っているヒスイにも目配せする。

    「同じ目的の下にこうしている。事を起こそうとしている。それは君にとって思い出にはなり得ないのか。タマエさんでもシュウイチさんのものでもない、君だけの……いや」

     何を言っているんだろうな僕は、と青年は思った。この三人などたまたま集まった烏合の衆に過ぎないのに。互いに隠し事だらけで腹のうちを探り合っているに違いないのに。妖狐九十九が復活すればこの村はただでは済むまい。ひとたび目的が達せられればろくに挨拶も交わさぬまま、散り散りなるのは目に見えているのに。

    「これは僕達だけが共有できる記憶……思い出だとは思わないか」

     お前は何を言っているのだと自問する。自身はここに座っている二人を欲望を満たす為利用しているに過ぎないではないか。

    「僕……だけの? 僕達だけが共有できる……」
    「そう、君だけの、僕達だけの、」
    「共犯者同士の秘め事、とも言うがな」

     ぼそりとヒスイが呟いた。
     一番立場を自覚しているのはこいつかもしれないと青年は思った。

    「待たせたの」

     聞き覚えのある声が戻ってきた。両手に膳を抱えてタイキが再びやってくる。ツキミヤとヒスイの前に白いご飯の盛られた椀と焼き魚の乗った皿の盆を置いた。彼の後ろにはエプロン姿のタマエも立っている。ぴょん、と何かがツキミヤの膝に乗った。緑色の小鳥ポケモンだった。

    「あ、タマエさんこんにちは」
    「おおコースケ、ネイテーが待っとったぞ。太陽が一番てっぺんに上ったあたりからそわそわしだしての。やっぱりわかるんじゃな」

     ネイティはツキミヤの背中をぽんぽんと登ると肩にとまり嬉しそうに目を細めた。

    「ほれ、シュージのはこれじゃ」

     そう言って、膳をナナクサの前に置く。

    「すみません。タマエさんに持ってこさせてしまって……」

     ナナクサが恐縮して言った。

    「何言っとる。ここでは私がもてなす役じゃい」

     タマエはフンと鼻息を荒くした。
     ネイティの頭を撫でてやりながら、ツキミヤはその様子を見守る。なんだか微笑ましい。自身はこんな雰囲気を忘れている気がした。

    「そういえば、コースケ」

     突然、タマエが思い出したように青年のほうを向いた。

    「タイキから聞いたぞい。ネイテーってえのは、にっくねーむとかじゃなきに、ジグザグマみたいなポケモンの種類なんだってな」
    「……? ええ、そうですが?」

     ツキミヤはきょとんとする。

    「にっくねーむとやらはつけとらんのか。聞いておらなんだでな」
    「ええ、だって種族名で呼べば事足りますし……」
    「それはいかん。お主にとってその肩に乗っているネーテーはその程度なのか? そうではないだろう? やはり持っているポケモンにはそのポケモンだけの名前をつけてやらねばな」

     タマエは力説した。ようするに老婆はこの緑の毛玉をニックネームで呼びたいらしかった。

    「きっと名前をつけてやれば喜ぶぞ。コースケ、名前はな、大切な人に呼んでもらう為にあるんじゃ」

     老婆はどこかで聞いたような台詞を吐いた。

    「はあ」
    「まぁいきなりは思いつかんだろうから、この村にいる間にでもゆっくり考えればいいさ」

     ツキミヤがあまり気乗りのしない返事をすると老婆はそう言った。
     そんなものをこのポケモンは期待していないだろう。そう思ってちらり、と緑の毛玉に目をやると、澄んだ瞳が明らかに何かを期待している。まじかよ、と彼は思った。傍から見れば無表情だが青年にはなんとなくわかってしまったのだった。

    「……つけて欲しいのかい」

     こくんと僅かにネイティが頷いたものだから、青年は参ってしまった。

    「おっと、釜を見てなくちゃいかんからもう戻るぞい。三人ともゆっくりしておいき」

     そう言って老婆はそそくさ元来たほうへ戻っていく。
     ツキミヤは頭を抱えた。そういう類のことを考えるのは苦手だった。

    「まぁまぁ、冷めないうちに食べようよ」

     ナナクサがそのように号令をかける。それを聞いてツキミヤも一旦名前のことを棚上げすることにした。盆に目を映す。

    「では、いただきます」

     彼らは三者三様に、手を合わすなどして、あるいは黙って箸に手をつけた。タイキがじいっと見ている。彼らはお椀を手に取り、白い粒を口に運んだ。

    「!」
    「……、…………」

     ツキミヤとヒスイに驚きを含んだ反応があったこと、それが明らかに見て取れた。
     ナナクサとタイキは互いに目を合わせ、してやったりとばかりににかっと笑って、

    「どうじゃ。タマエ婆の田んぼでとれた米は格別じゃろう!」
    「すごいだろう穴守家の米は!」

     と得意げに言った。
     ツキミヤとヒスイはうんうん同意を示すと、椀にもられた白い粒にしばしの間舌鼓を打つ。
     椀を空にしてから、ドンとテーブルに置き、「うまかった」「こんなもの初めて食べた」「ただの白米だと思って油断していた」などと感想を述べた。

    「これが目当てで遠方からわざわざ来る人もおるきに」

     タイキは本当に得意げに言った。
     そして少し表情を曇らせてこう言った。

    「……父ちゃんかてこん時期に帰ってきたんはこれば食いたかったからに決まっておる」
    「…………、そうかもしれないね」

     ナナクサが同意する。

    「……なあシュージ。俺はどうしたらいいと思う」

     たぶん、ずっと言うタイミングを模索していたのだろう。彼は堰を切ったように話し始めた。
     ここの暮らしが決して嫌いなわけではないこと。けれど父親を思う気持ちもあること、結局のところ彼は父親が帰ってきたことが嬉しかった。迎えに現れたことがうれしかった。それに母親のことが心配なこと。けれど彼は知っていた。ここを離れることはタマエは望んでいないだろうこと。父親についていったら祖母は一人残されてしまう。それによって自分が傷つくことを彼はよく知っていた。とても踏ん切りがつかない。
     どちらを選んでもどちらかが傷つく。それによって自分が傷つく。それが怖い。
     ツキミヤの読み通り、父親がやや有利である。状況は七分三分、いや八分二部か。だがそう簡単に少数をばっさり切っては捨てられない。祖母の下に留まったとて父親に永遠に会えないわけでもあるまい。父親と共に暮らす環境が今より恵まれているとも限らない――。タイキにだってそれくらいの計算は出来る。
     父を選ぶのか、祖母を選ぶのか。少年の心はアンバランスな振り子時計のように行って帰ってを繰り返していた。

    「なあ、コースケはどう思う……ヒスイはどう思う」

     少年は助けを求めるように、青年達に尋ねる。だが誰一人として意見を口にはしなかった。口にしたところで、押し付けたところで余計な混乱しか招かないと知っていたから。
     幼い頃に父と別れたきりのツキミヤ。彼にだって思うところはあった。だが青年は結局何も言わずじまいだった。これはこの少年の問題なのだ。

    「タイキ君、誰でもない。君が決めるんだ」

     ナナクサが三人を代表する形でタイキを諭した。
     君自身が決めるしかないんだ、と。
     僕達はただ聞き届けるだけ。決断の証人となるだけだ。



     稽古が再開される。
     日が沈むまでどっぷりと演舞は繰り返され、演出にたっぷりと絞られた出演者達は今日も疲れた面持ちで宿に帰ってゆく。
     僕らも帰りますか、夜の特訓も待っていることですし。そんなことを考えながら靴の紐を結ぶツキミヤにメグミが声をかけた。

    「ツキミヤさん、ちょっと奥まで来てくれないかしら」

     ナナクサ達をしばし待たせ、稽古場の奥にある廊下を渡り後ついていくと、彼女は一番端で止まり襖を開いた。
     するとツキミヤの目の前に両手を広げるようにして待ち構えているあるものが現れた。

    「これは、」
    「そう、妖狐九十九の衣装よ」

     青年の目の前で両手を広げていたのは、赤地に金色の刺繍が施された羽織。その中心ににたりと笑う狐の面がかけられていた。お前を待っていたというように笑いかけている。
     メグミは歩み寄りその面を取ると、ツキミヤに手渡した。

    「本番にあなたがつける面よ。雨降大社に代々伝わる年代物なの。毎年毎年その年の九十九がこの面をつけて演じてきたわ」

     白地の肌から髭が生え、目尻や口元が金、赤、青で彩られている。
     目の切れ目の延長線上に開いた穴からは血管のように赤く伸びた紐が結われていた。

    「……あんまり似てないね」

     くすっと笑みを浮かべてツキミヤが呟く。

    「え?」
    「いえ、こっちの話ですよ」

     青年がそう言うとあらそうと一言言っただけだった。
     すたすたと部屋の奥に進むと桐の箪笥を開け、かけてある衣装を取り出した。

    「さすがに本物は貸し出せないけど、稽古用のレプリカがあるから持っていって。今のうちに衣装にも慣れておいたほうがいいわ」

     ツキミヤの前に差し出すと、面と交換で押し付けた。

    「でも今日の練習は終わりですよ?」

     そのように青年が答えると今度はメグミがふふっと笑った。

    「あら、今夜もするんでしょう? 夜の特訓」
    「バレてましたか」
    「わかるわよ。それくらい。ナナクサさん燃えてるもの」

     木箱を取り出してそれも渡す。

    「こっちは練習用の面。これも使って」

     ぱかりと開き、中を見せてみる。新たな狐面が顔を見せた。

    「練習用って言っても、こっちも結構な年代物なのよ。くれぐれも粗末には扱わないように。付喪(つくも)って言って、古い道具には魂が宿るって言われてるの。被られる回数が多いだけ怨念みたいなものがあるとしたら案外こっちの面かもしれないわよ」
    「心しておきます」

     木箱に手をかけツキミヤが返事を返す。
     だが彼女も箱を放さなかった。青年とメグミとの間で木箱がお互いに掴まれた状態になる。なんだろうと思っていると、青年の顔をじっと見上げてメグミが言った。

    「で、ツキミヤさん、受け取るついでにお願いがあるの」
    「なんです?」
    「明日の昼休みの間だけでいいわ。ナナクサさんを貸してくださらないかしら」

     青年はその言葉を聞いてすべてを理解したらしくフッと笑う。
    「もちろんいいですよ」と答えた。





    「コウスケ、メグミさんから借りた衣装、さっそく着てみようよ!」

     そう言い出すだろうと予想していたから、青年は別段抵抗をしなかった。
     夜も更け、離れにたどり着いた途端こうだ。

    「さあ、脱げ。コウスケ!」

     ナナクサは誤解を受けそうな発言をしてツキミヤをせかす。

    「……わざわざ人前でやることもないだろう」

     ツキミヤはそう返事をして、衣装を片手に待ち上げるとぴしゃりと襖を閉めた。

    「ちえ、つまんないの」

     ナナクサが綺麗な虫を捕まえそこなった少年ように口を曲げる。
     ヒスイがそりゃそうだろうとでも言いたげに横目にちらりとナナクサを見た。
     が、しばらくして襖の戸が開き、手のひらがこっちに来いとナナクサを呼んだものだから彼は飛び上がって喜んだ。

    「どうしたのコースケ」

     襖の間から顔を覗かせて問うと、

    「……恥ずかしながら着付け方がわからない」

     とツキミヤが答える。

    「しょうがないなー。僕が教えてあげるよ」

     ナナクサがにんまりと笑みを浮かべて、少し意地悪そうに言った。
     彼はツキミヤが少し開けた襖を全開にする。

    「おい! 見世物じゃないんだぞ!」

     ツキミヤが少し顔を赤らめて叫んだ。すると、

    「だって、本番にヒスイだって似たようなもの着るんだよ? だったら着付けを見せておいたほうがいいんじゃないの?」

     と冷静にナナクサが言って、青年は諦めた。だったら最初からそう言えばいいではないかと悪態をつく。
     かくして彼は二人の前に上半身裸のまま立つことになってしまった。胸を隠していた衣装をナナクサに預けると、その場所に走っている三本線が二人の前に顕になる。これだから嫌だったのだという気持ちが少しだけ顔に出た。

    「あ……」

     そうか、と。あの夜に風呂で見たその傷を思い出して、ナナクサは声を漏らす。
     ヒスイは一時、傷に目がいった様子だったが何も問わなかった。

    「ごめん、忘れてた」
    「…………気にしてないさ。だいたい君は村長さんの前でこのことを話したじゃないか。今更といえば今更だ」

     冷めた声でツキミヤが言う。

    「見たところ、何かに切り裂かれた傷だな。その様子だとかなり深くやられただろう」

     気にしていない、と言った所為だろうか。ヒスイがそのように口を出した。

    「昔……ちょっと、ね……」

     憂鬱そうに瞳を伏せ気味にして青年は答える。

    「そういえば、九十九は雨降に矛で刺されて深手を負ったんだってね。偶然とはいえ、なんだか示し合わせたみたいじゃないか。それに……」

     自嘲気味に静かに笑った。

    「それに?」
    「この傷さ、雨が降ると疼くんだよ。明日は少しだけれど降るだろうね」

     


     
     ツキミヤの言った通りになった、とヒスイは思った。
     笛や太鼓の鳴る雨降大社。役者達は室内でメグミの指導を受けている。そこ違ーう! などと怒号が飛び交う中、少し早めにオーケーが出て開放された彼はしとしとと降る雨音を聞いていた。ツキミヤのおまけみたいなものとはいえ、夜の特訓の成果はあったと思われた。
     少し離れた先にはトウイチロウが腰掛けいた。彼もそうそうにオーケーを貰い引き上げた様だ。さすがは去年に引き続いての雨降。この程度は軽くこなすらしい。だが彼は台詞のチェックに余念がないらしく熱心に脚本に見入っている。熱心な奴だとヒスイは感心した。
     だがこちらにとっては都合の悪いことこの上ない。問題は奴のカメックス。どうやってあれを押さえ込むか、ツキミヤとは入念に打ち合わせをせねばなるまい。ヒスイは今年の雨降をじいっと見つめそんなことを考えていた。
     やがて雨脚が弱まって、昼の休みの頃には曇っている程度のなんだか中途半端な天気となる。

    「コースケお疲れ様。今日はどこに食べに行こうか」

     いつもの調子でナナクサが先頭に立つ。だが、

    「今日は三人別行動にしないか」

     そんなことをツキミヤが言って、おやとヒスイはいぶかしんだ。
     すると、ツキミヤが後方のほうにちらりと目をやる。その方向には午前中に怒号を飛ばしていたあの女演出がいた。ナナクサはなんでそんなことを言うのさという顔をしていたが、そういうことかと彼はなんとなくではあるが事の成り行きを理解する。

    「一日中君に付きまとわれているんだ。僕にだって僕だけの休憩時間があっていいんじゃないか?」

     ツキミヤが冷たくいい放つ。
     早々に背中を向け、すたすたとどこかへ歩いていってしまった。

    「コウスケ……」
    「賛成だ。常時行動を共にする必要はないしな」

     親に取り残された幼獣のように弱々しい声を上げるナナクサを尻目にヒスイもまた背中を向ける。
     やがて一人取り残されたナナクサにメグミが歩み寄っていく。それをちらりと見、久々に一人になれる、そう思った。



    「なんじゃい、今日はお前さん一人か」

     先ほど来た客の膳を片付けながらタマエがヒスイを出迎えた。
     なぜだろう。先ほど一人になれるなんて思った矢先だったのになんとなくヒスイの足はこちらに向いてしまった。

    「……たまには一人になりたい時もあるんでしょう」

     そんなことを適当に答える。
     ツキミヤのネイティがどこか残念そうに部屋の窓辺に止まり、川辺のほうを眺めていた。
     見れば、川の真ん中でタイキが手を突っ込んで何やら作業をしているようだった。

    「ちょいと、出す魚が足りなくなってきよったでな。少しばっかり頂くことにしたんじゃ」

     どうやら少年は網を張っているらしかった。石を乗せ、流れないように、かつ魚を誘い込むように。手際よく作業を進める。少年のヤミカラスが流れの中の石に止まってその様子を見守っていた。

    「前にシュウジに教えてもらったんじゃと。ほんにあの子はなんでも知っておる」

     タマエはキラキラと輝く川辺を見つめ、懐かしむように言った。

    「昔を思い出す光景じゃのう。思えばあん人も魚を捕まえるのがうまかった」

     亡くなった主人のことを言っているらしかった。
     少年がヤミカラスに水を飛ばす。鴉は飛んで跳ねて懸命にそれを避けていた。

    「彼、どうするつもりなんでしょうね」

     なぜかそんな言葉が口から漏れる。

    「さあの。あの子が決めることじゃきに。私にはどうにも出来んて」

     タマエは悟ったように答えた。

    「タイキはタイキじゃよ。あん子がどうするにせよ私はここに残る。ここに残ってここで果てるだけじゃ」
    「…………」
    「……古臭い、考えだと思うか?」
    「いいえ」

     老婆に問われた青年はさらりとそのように答えた。

    「むしろ、羨ましいです。ここと決めた土地に生きて、その土地で死ねるなら、それはこの上なく幸せなことではないか、と。そう思うんです。俺は故郷を捨ててきたから」

     それは決して彼女を立てたから出た言葉ではなかった。
     川の湿気を含んだ涼しい風が吹く。ヒスイの銀髪をふわりとたなびかせた。

    「もう戻ることは出来ない。俺にはカグツチと先生しか居ないから……」
    「……、……そうかい。お主もいろいろあるんじゃな」

     タマエはそこまで言うと、それ以上を問おうとはしなかった。ただ頷いて、受け入れたように見えた。
     網を仕掛け終わったのか、タイキがこちらへ戻ってくる。ヒスイに気がついて手を振った。

    「もし彼がいなくなったとしても、貴方にはナナクサがいます」

     老婆を気遣ったのか、慰めたかったのか。そんな言葉が漏れる。

    「いや、シュージだっていつまでも同じじゃないよ」
    「……、どういうことです?」
    「ちょうど昨日の夜だよ。暇を貰いたいとシュージのほうから言ってきたんだ。ここに留まるのは祭が終わるまでだとさ」

     鴉が羽を広げ、ばっと大空に舞い上がった。





    「ごめんなさいね。こんなところまで連れ出しちゃって」
    「謝られるほどのことじゃないよ」

     メグミがそう言ってナナクサが答える。
     二人は人気の無い竹林を歩いていた。
     実際のところ彼はメグミに連れ出されたことなどどうでもよかった。それより先ほどツキミヤにおいていかれたことのほうがよっぽどに気になっていた。

    「僕、コウスケに何か嫌われるようなことしてしまったかな」
    「あら、めずらしいのね。ナナクサさんがタマエさん以外の機嫌を気にするなんて」
    「だって……コウスケは僕の……ううん、タマエさんのお客様だもの」
    「ご心配には及ばないわ。ツキミヤさんはたぶん、私のことを気遣ってくれたんだと思う」
    「え、どういうこと?」
    「昨日頼んだの。ナナクサさんを貸してくださいって」

     なんだ、そういうことか、とナナクサは安堵したような表情を見せた。
     こういうところもまたかわいいのよね、とメグミは思う。

    「ねえ、ツキミヤさんを指導したの貴方でしょ」

     ナナクサの進路をふさぐように身を乗り出してメグミが顔を近づける。

    「そうだよ」
    「別人みたいにうまくなってるんでびっくりしちゃった。さすがナナクサさんだわ」
    「……僕の手腕じゃないさ。コウスケに元々そういう資質があっただけ。適した環境を整えてやれば稲が育って実をつけるのと同じ。どちらも本質はそう変わらないよ」
    「ご謙遜ね。あなたってホントなんでも出来る」

     これでもう少し乙女心に敏感だったならと切にメグミは思う。

    「それもタマエさんの為かしら」
    「……まあね」
    「そうでしょうね。あなたの行動の基準はいつだってタマエさんだもの」
    「少なくとも、タマエさんにみっともない舞台は見せられない。今年の舞台は僕にとっても特別なんだ」

     ナナクサはどこか思いつめたように答えた。
     がさりと落ち葉を踏みしめる。この場所のこともナナクサはよく知っていた。
     シュウイチは、ここで毎年竹の子をとってはタマエの家にもっていっていた。ずっと彼女が好きだったから。彼女の気を引くために彼はなんでもやった。村の事に長老並みに詳しくなったのだって、花を見に行こう、イチゴを摘みにいこうと事あるごとに誘う口実を作る為だった。

    「それでナナクサさん、この間私がした話、考えてくれたかしら?」

     彼女はナナクサの気分をよそに事の本題に入る。

    「…………養子縁組の話かい」
    「そうよ」

     待ちに待っていた。そんな気持ちを体言するように彼女は肯定した。
     彼女にはよく声がかかった。それは道端の挨拶や行事の誘いに限らず、もっと濃い繋がり――将来にわたって――を求める形で。
     だが、彼女はずっとその気になれずにいた。彼女に声をかけた同年代の異性やその親達は無数に居たが、その度に彼女はその誘いを丁重に断ってきたのだ。
     違う。この人達じゃない。私が求めているものは違う。それが何かと問われれば彼女自身にもはっきりとは説明が出来なかった。選り好み、理想が高すぎるといえばそれまでだ。だが少なくとも、彼女の心がずっと決まらずにいたことだけは確かだった。

     転機は三年前。この村に一人の青年がやって来てからだ。

     彼はこの村にやってくると、そこでは偏屈と言われる老婆の家――穴守家で働き始めた。
     多少空気の読めないところはあるが、よく出来た青年だった。
     彼は家事も農作業も雑用もなんなくこなしてみせた。その上、どこで覚えてきたのか、米の栽培のことにも精通しており、米に関することで彼を頼ったのならたいがいの問題は解決した。
     根っこの部分では保守的であるはずの村人達がその青年、ナナクサを受け入れるまでにさほど時間はかからなかった。一部の者はまるで昔から村にいたようだとさえ語ったくらいであった。
     
    「あなたならって両親も賛成してくれてるわ。ノゾミだって喜ぶと思うの」

     そして、初めてナナクサに会った時、彼女は確信したのだ。
     この人だ、と。
     私が求めていたのは、待っていたのはこの人なのだと。
     彼は今まで出会ったどの村の若者とも違うタイプだった。素性の不確かさは逆にミステリアスな魅力として感じられた。
     気がつけば彼に夢中になっていた。彼女はこれまで幾度と無くそういう素振りを見せてきたし、進んでナナクサに声をかけてきた。家の食事に招待したり、行事に行こうと誘ったりもした。
     だが、その度に彼は誘いを断り続けてきた。僕はあの家にいなければ、もうじき家の主が帰ってくると。いつもいつも同じ理由で断った。彼は決して彼女に振り向きはしなかった。視線の先にいるのは頑固で偏屈と知られるタマエのほうばかりであったのだ。彼の行動の基準はタマエであり、気にかけているのはいつも村の若い娘ではなく老婆のことであった。
     彼女はこの村で初めて思い通りにならないものに出会ったのだ。
     メグミはいらだった。模範的な村人である彼女は当然信仰の違うタマエを快く思ってはいなかった。そのことが一層彼女の想いに拍車をかけた。邪な信仰にナナクサを巻き込んでいるタマエが目障りでならならなかった。
     おまけにナナクサときたら馬鹿が付くくらい職務に忠実で、仕事中はメグミをほとんど相手にしない。仕事が終わったら終わったらで家をあけようとしない。これでは攻めようにも攻められない。メグミはずっとそのジレンマに悩まされ続けてきた。養子縁組の話をした時だってやっとの思いで時間を作り話したのだ。
     だが、今年の秋になってチャンスは巡ってきた。
     彼は夜遅くまで頻繁に家を空けるようになった。それは村にやって来たツキミヤという青年の世話を任されたからだ。そして幸いにも彼女は青年の協力を得ることが出来た。

    「きっとうまくいくわ。ナナクサさんにはこれまで以上に農業の事で力を発揮して欲しいの。うちに来たら家事も雑用も一切やらなくていいのよ」

     これは好機。千載一遇の好機だ。

    「……メグミさん」
    「なぁに?」
    「一度聞いてみたかった。僕が君の家の養子にというのは、君の親御さんが僕の能力を評価したからなのかい? それともメグミさん自身の希望なのかな」

     そう。この男はこういうことを平気で尋ねる奴なのだとメグミは思う。思わせぶりな態度を取るだけでは、ありきたりな言葉を並べるだけでは伝わりはしない。もっと直接的にこの想いをぶつけなくてはダメなのだ。

    「ナナクサさん、私は」

     彼女はそこまで言いかけるとナナクサの両肩をつかまえた。メグミの黒く長い髪がふわりと舞う。気がつけば彼女の唇はナナクサのそれに触れていた。初めて触れたそれの感触は意外と冷たかった。
     突然のことだったが、ナナクサは意外に冷静だった。抱き寄せることもなければ、無理やりに引き剥がすことも無い。ただあるがままに受けたように見えた。ほどなくして彼女の唇が離れ、青年を束縛から解放した。

    「わかったでしょう? 貴方が好きなのよ」

     やってしまえばあっけないものだった。もっと早くにこうすべきだったのかもしれないと彼女は思う。

    「もちろん、あなた自身の能力は両親を説得するには大いに役立ったけど」
    「……なるほど」

     感情を込めずにナナクサは言った。

    「それにしてもひどいな。今の初めてだったのに」
    「初めてだったの? けど、あなたが鈍いからいけないのよ」
    「鈍いから、ね……」

     そのように答えるナナクサは何か思い至るところがある様子だった。
     メグミのほうに眼を向ければ、彼女は返事をせかすような眼差しを向けてくる。
     どうしたものかとほんの一時彼は思案をめぐらせた。が、すぐにそれはムダだと悟った。
     答えなど彼の中で最初から決まっていたからだ。

    「ごめんメグミさん。僕は貴女の気持ちに応えられない」

     ナナクサは迷う様子も無くあっさりと言った。

    「それはタマエさんの所為? あなたがどんなにあの人を想っていても届きやしないのに」

     もちろんメグミもその程度で引き下がるような女性ではなかった。三年もこの時を待っていたのだから。

    「だってあの人が唯一愛しているのは亡くなったシュウイチさんだもの」
    「わかっているよ。そんなことは」
    「なによりあなととタマエさんとじゃ年齢が違いすぎる」

     彼女はわかっていないわとでも言うようにダメ押しをかけた。

    「年齢……年齢ねえ」

     するとその言葉を聞いたナナクサが、何を思ったのかくっくと笑い始めた。

    「? 何がおかしいの」

     少々戸惑い気味にメグミは尋ねる。その声には僅かな苛立ちが混じっていた。
     青年のそれは自嘲気味な笑い方であった。悪意とも哀しみとも取れるその表情は今まで彼女が見たことが無いものだった。

    「ねえメグミさん、僕を何歳だって認識しているの? そういえばちゃんと歳を教えたことってなかったよね」

     そういえば、とメグミは思う。自分はそんなことすら知らなかったのだと。彼はあまり彼自身について語りたがらない。今更ながらにナナクサのことを何も知らないのだと思い知らされた。

    「いくつって十八くらいでしょう」
    「外れ」

     ナナクサは切り捨てるように否定した。

    「じゃあ十九」
    「違うよ。全然違う」
    「じゃあいくつなのよ」

     メグミが尋ねるとナナクサは冷めた表情で答えた。

    「僕の年齢はね、"三"だよ」

     しばらくの間があった。これが違う相手、違う場だったら冗談として笑っていただろうがあいにく場の空気はそのような和んだものではなかった。

    「馬鹿にしてるの? それはあなたが村に来てからの年数じゃないの」

     メグミの声にさらなる苛立ちの感情が混じる。

    「馬鹿になんかしてない。じゃあ考え方を変えようか。ある地点から数えると僕の年齢は六十五になるんだ。これならどうだい。だいぶ近づいただろ」
    「一体何が言いたいの」
    「……年齢なんて関係ないって事」
    「呆れた」

     彼女はため息をついた。なんだってこんな人を好きになってしまったんだろう。けれど感情というものはそう簡単にコントロールの効くものでは無い。

    「というかね……メグミさんは一つ勘違いをしている」
    「勘違い?」
    「僕が貴女の気持ちに応えられないのは、タマエさんの所為じゃない。もっと根本的な問題だよ」
    「何よ。根本的な問題って」

     風が竹林をざわざわと揺らした。ナナクサは竹の伸びるその先を見上げる。湿気を持った曇り空であまりいい天気とは言えなかった。

    「僕さ、人を好きだって感情がわからないんだ」

     長細い竹の葉が落ちてくる。ひらりひらりと舞い落ちてくる。

    「なに、それ」
    「好きだって感情だけじゃない。喜怒哀楽すべてが僕にとって疑わしい」
    「だってあなたはタマエさんのことを……」

     ナナクサは首を横に振る。

    「タマエさんのことは好きだし、大切に思っているよ。あの人のためなら僕はなんだってしてあげたい。あの人が喜んでくれるなら僕も嬉しい」
    「言ってることが矛盾してるわ」
    「でもそれは僕自身から湧き上がってくる感情じゃあないんだ」

     彼は寂しげに笑った。
     それは彼女に向けられたものでなく、自らを嘲る為の笑みだった。

    「僕自身は空(から)なんだよ。普段僕が喜んだり悲しんだり怒ったりするのだとすればそれは――」

     ナナクサはそこまで言うと、急に黙りこくったようになり、言葉を途切れさせてしまった。
     風が再びざわりと竹やぶを揺らす。わけがわからないというように両眉を寄せる彼女の顔を彼は冷めた目で見つめていた。それこそ彼女の周りにいくらでも生えている竹林の竹をただ見るように。そこに興味関心という要素は感じられなかった。竹の葉がひらりひらりと落下してくる。

    「よく言うだろ? 君の気持ちは嬉しいけど……って。だけど僕にはそんなことを言う資格すらない」

     彼は肩に舞い降りた竹の葉を払い落した。
     ざくりと落ち葉を踏んでくるりと背を向ける。

    「ごめん」

     去り際に小さく呟いた。
     落ち葉を踏みしめながら、遠ざかってゆくナナクサは一度たりとも振り返らなかった。
     まともにその背中を追うことも出来ないまま竹林に立つメグミの軽く握った拳は震えていた。
     払い落とされた竹の葉のように、踏まれて散った落ち葉のように、自尊心をズタズタにされた気分だった。
     悔しい。憎らしい。恋愛の成就という形では決して報われることが無い彼の想い。自分に向かったならすべて受け止めることが出来るというのに。
     彼が憎らしい。
     あの老婆が恨めしい。
     じゅうっと赤く燃えた火鉢を押し付けたように行き場を無くした想いが胸を焦がした。
     が、背後のほうから落ち葉を踏みしめる足音が自分のほうに近づいてきたのがわかって、彼女は少なくとも外面に出るオーラを切り替えた。音のするほうを振り返る。

    「誰かいるの?」

     振り返った彼女の顔はなんともなかったような、何事もなかったような顔をしていた。少なくとも今さっき振られた者の顔には見えない。
     まったく女性っていうのは怖いな。胸のうちに激しい感情を抱きながらいとも簡単に平静の仮面を被ってみせる。メグミの瞳に映った青年はそんなことを思ってうっすらと笑みを浮かべた。

    「……ツキミヤさん」

     メグミの視線の先に立っていたのは数日前に村にやってきた青年。ナナクサの想い人の客人であり、今年の妖狐九十九だった。





     青年の目の前には焼き魚の皿とご飯を持った椀があった。どちらも半分程度減っている。
     だが味が抜群にも関わらず彼の食はあまり進まずにいた。
     ナナクサが自ら暇を申し出た。
     そのことがヒスイに少なからず衝撃を与えていた。

    「何を考えてる……ナナクサ」

     ヒスイは魚の身をつつきながら呟いた。
     考えたとて答えは出まい。直接ナナクサを問い詰めでもしない限り。
     尤も、あいつが本当のことを言うかどうか疑わしいがな、とも思う。あいつはたぶん俺やツキミヤが思っている以上に役者なのだ。彼はさっきからずっとそんなことを考えていた。
     だが、そんな堂々巡りをしていた彼の思考をストップさせるものがあった。彼の持っていたあるものが停止させた。
     ブウンブウン、と。胸ポケットの小さな電話が鳴っていた。
     彼は黒い画面に浮かぶ文字を見て着信の相手を確認する。尤も自分に電話をかけてくる人物など一人しか居ないのだが。黒い画面に表示された名は思った通りの名前だった。
     ヒスイは急いで長屋を出ると通話ボタンを押した。

    「……ヒスイです」

     受話器越しに聞こえたのはひさびさに聞く声。

    「長い間、ご連絡せず申し訳ありません。……プロフェッサー」

     耳に響く声は彼の近況を確かめている様子だった。

    「え、宿ですか……? 心配いただかなくても大丈夫ですよ。ちゃんと確保してますから。村の民家ですが泊めてもらえることになって……ええ」

     普段はほとんど変わらない鉄仮面の表情が、少しだけ綻んだ。

    「それとごめんなさい先生……九十九の役、取り損ねてしまいました」

     彼は門限を破った日に親の顔色を伺う子どものように言った。
     もしかしたら今まで連絡をしなかったのはこの所為かもしれなかった。

    「ですが、プランに支障はありません。理由が定かではありませんが、今年の九十九は勝とうとしています」

     自身の失敗を懸命に埋め合わせるように彼は説明した。
     計画に支障は無い事、自身も舞台には出る事、今年の九十九と行動を共にしている事を。
     想定していたプロセスとは違ってしまったが、むしろ事の成り行きはじっくり観察できるだろうと。

    「……もし今年の九十九が失敗しても私が」

     そしてこのように締めくくった。

    「舞台本番に神話は書き換わります。もうすぐです。"野の火"の復活はもうすぐ……先生の仮説の正しさは遠からず証明されるでしょう。条件が整うようならばあれも試します」





     風がざわざわと竹を揺らした。ナナクサが去った竹林に二人の男女が立っている。
     柔らかそうな前髪の向こうから射抜くような瞳がメグミを見つめている。今年の九十九を演じる青年だった。

    「残念でしたね。せっかく僕から彼を引き離してあげたのに」
    「……貴方にはお礼を言わないといけないわね」

     腕組みすると、ナナクサの去った方向を見、ふうっとため息をつく。

    「別にいいですよ。おもしろいもの見せてもらったし。驚きました。大胆なんですね、メグミさんって」

     今年の九十九――ツキミヤは楽しげに言った。
     メグミは顔の温度が急激に上がるのを感じた。

    「ナナクサ君が冷静だったのにはもっと驚いたけど」
    「……やっぱりさっきから見てた訳。悪趣味ね」

     眉を顰めてメグミが言った。怒りと恥じらいを押し殺したような声だった。だがそんな彼女に青年は構わずに平然と言ってのける。

    「でも今のでわかったでしょう。やめておいたほうがいいですよ、彼は。想えば想うほど貴女が傷付くだけだ」
    「つい数日前にここに来たツキミヤさんに何がわかるの」

     余所者が、とメグミが睨みつける。
     だが、ツキミヤはそれに動じる様子は無かった。むしろ待っていたとばかりにくすりと笑った。

    「わかるさ」

     瞳の奥を覗き込み、見透かすように言う。

    「僕にも好きな人はいるからね。その人に誰も近づけたくない。誰にも渡したくない。殺してでも自分のモノにしたい。君の想い方は僕に似ているよ」

     そう、たとえ行動には出なくても、いや出ないからこそ己の内でドス黒い炎が渦巻いているものなんだ。そんなことを青年は思う。

    「けれども、それは叶わないと最悪だ」

     傷口に触れて押し広げるように言った。

    「いつからだい? 去年の夏から? それとも彼がここに現れてから?」
    「あなたには、関係ない……」

     何の力に抗うようにメグミは答えた。メグミの中の何かが彼女に告げていた。この人は怖い。このまま話していたら、自分の中にある醜いものを全部彼の前に晒してしまうのではないだろうか。

    「受け止められることの無い強い想いは刃になって君の元に戻ってくる。想えば想うほどに突き刺さって、切り裂かれて血を流すんだ。誰かへの嫉妬もそう。傷の直りを遅くして、時には広げてしまう。もうやめておきな。君は身体中血だらけだよ」

     だが、彼女は首を横に振った。

    「だめよ……だって」

     ずっとずっと想ってきただもの。彼に出会ってから、ずっと……。

    「そんなの無理よ」
    「ところが出来るんだ。僕になら……聞こえないかい?」

     口角を吊り上げて青年は言った。

    「聞こえるって、何が……」
    「ほら、君の血の匂いに誘われてこんなに集まっている」

     青年が妖しい眼差しを向け、舐めるように観察している。
     メグミの背中にぞくりと悪寒が走った。
     そして聞いた。青年の声でも彼女自身の声でもない。この竹林にいる無数の何者かが笑う声を。

     くすくす、くすくす……、くすくすくす……

     姿は見えない。けれど居る。確かに居る。竹林に無数の声が響いて自分を囲っている。見られている。

    「やだ、なに……なにがいるの」
    「そんな顔しなくても、すぐに見えるようにしてあげるよ」
     
     温厚そうな青年の瞳の色が人でないものに変わった。
     瞬間。青年の瞳と同じ眼をしたたくさんの影が現れる。彼らはすうっと懐に侵入すると、花を咲かせるようにマントを広げ、彼女を捕らえた。
     それは一瞬の出来事で、彼女に悲鳴を上げる暇を与えない。

    「メグミさん。今の貴女、すごくいいよ。シュウジとタマエさんへの憎悪でいっぱいだ。さっきのことで一気に実が熟したみたいだね」

     青年が青と黄の瞳で見据えて笑う。それは話し相手ではなく獲物を見る眼だった。

    「手持ちとは別腹と言ってもね、こっちのポケモン達もしっかりお腹は減るし、面倒を見てあげなくちゃいけないんだ」

     夜色のマントを木の根のように伸ばし彼女に取り憑くのは負の感情を糧とするポケモン、カゲボウズ。
     集まった影は一体となって舐めるように彼女を縛り上げる。身体を侵し、心を冒す夜色の闇が、水田に流れ込み、染み渡る水のように彼女の中を潤していった。

    「メインディッシュが来るまでもう少しだからって言ったけれど、聞かないんだよ。食べたいんだって。君の感情はとても甘そうだから」

     黒い影たちに絡め取られ、彼女は声にならない悲鳴を上げた。その感覚に触れて青年は恍惚とする。ああ、恐怖する響きのなんと心地よいことか。
     カゲボウズ達が作り出す闇。彼女は徐々に深いところへ入り込まれ、引きずり込まれてゆく。望むと望まざるにかかわらず駆け巡る弄るような感覚。それに抗えず、身体をくねらせるその度に、甘い甘い蜜を吸い上げられ、堕とされてゆく。
     影達がにいっと眼を細める。青年がぺろりと唇を舐めた。
     甘く熟した負の感情を絞り、記憶ごと絡めとって飲み干してゆく。

    『やっと本性を見せてくれたな。それが本当のお前だ。お前こそ私を演ずるに相応しい』

     青年はいつの間にか九十九の言葉をリフレインさせていた。

    『普段あれの前で素っ気無い態度をとっているのは本来のお前ではない。そして、人に見せる柔らかい物腰も仮初。お前はとても狡猾で残忍だ』

     その声はまるで耳元で囁かれているかの如く響き渡る。

     ――化物。

     闇に翻弄されながらも、メグミがそんな目で自分を見た気がした。

     ――それはね、今の僕にとっては褒め言葉だよ。

     満足げに微笑み返す。

    「そろそろ稽古の時間だな。早めに片付けてくれよ」

     止めを刺せとばかりに影をせかした。

    「尤も今日、"昼の"演出は稽古場に戻らないだろうけどね」

     象徴的じゃあないかと青年は思う。本番になれば舞台は役者のものだ。彼女の演出は意味が無くなる。今年の九十九によって昼間の台詞は書き換えられ、舞台の結末は変わるのだから。
     ああ、そういえば、午後からの練習は、あの雨降との一騎打ちだったか。彼のポケモンは強そうだったな、どうやって勝とうか、どうやって倒そうか。ああ、そうだ。早く戻らないとナナクサがうるさいかもしれないなぁ。青年の頭の中をそんな考えが一巡する。

    「それにしても足りないな。この程度じゃ満たされない。またすぐに喉が乾いてしまう」

     だがもうすぐだ。倒されるは雨の神。炎の妖が復活し、村の舞台は緋色に染まる。そして――目論見通りに炎の妖を喰らったなら底の見えぬこの渇きもしばらくの間は満たされよう。
     嗚呼、早く欲しい。喰らいたい。己が何者かも思い出せないほどに喰らい尽くしてしまいたい。
     ふと青年は誰もいない筈の竹林の奥をちらりと見る。何を思ってかくすりと笑った。
     蠢く闇にに囚われたまま、哀れな獲物はびくりびくりと身体を震わせる。やがてがくりとうなだれて動かなくなった。


      [No.20] (十三)二人の訪問者 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 17:51:59     58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



     不意に訪ねて来るものがある。
     黄金色に染まった田に風が吹く。風が吹いて吹き抜けて、それは大社へと上ってゆく。
     その来客は一陣の風を纏って、大社に舞い降りた。
     それはまだ大社の名前が九十九だった頃。

    「ほう、お前が訪ねてくるとは珍しい」

     その姿を血のような赤い瞳に映して九十九が名を呼ぶ。

    「白髭の翁よ」

     かの瞳に映されたのは両腕に風を起こす楓の団扇を持ったポケモンだった。
     足の先はまるで下駄の歯のように伸びており、獅子のように伸びた白い髪の間から、にょきりと耳が突き出している。妖狐の前に突き出されるは木の枝のように長く伸びた鼻。

    「して、天狗の長が私に何用か」
    「……別れを」
    「何?」
    「貴様に別れの挨拶をしに来たのだ。我が友九十九よ」

     それは気の遠くなるような遠い遠い昔のことだ。
     けれど、あの日のことを彼は今でもよく覚えている。雨の降りそうな天候の優れない日だった。
     大きな山々を隔てた隣の土地に在った歳経た樫の木。彼はこの日、妖狐に別れを告げにやってきたのだ。





     星屑が撒かれて夜空を彩っていた。
     夜が深くなり、穴守家の人間は皆眠りについている。
     とはいっても、使用人と来客二人は起きている訳だから、二対三で皆とは言えないかもしれなかった。提灯を持ったナナクサが家の玄関をそっと開けると、客人二人と共に抜け出した。
     提灯を先頭にして田のあぜ道を三人の影が歩いていく。

    「どこに行くんだい?」

     と、ツキミヤが尋ねると

    「穴守家の持ち物は僕達が泊まっている屋敷と田んぼだけではなくてね、この先に離れというか、別荘というか……まぁ、舞台の練習するには最適なところがあるんだ。近くに民家も無いから大声出しても大丈夫。たまに僕が掃除しに言ってる」

     提灯の反対の腕に持ったラジカセをぶらぶらと揺らしながらナナクサが答えた。

    「……ここの村の農家は皆、このように豊かな生活をしているのか?」

     次に尋ねたのはヒスイだった。

    「どういうこと?」
    「君を雇っている家は相当に資産があるようだ。使い切れない部屋の数、二人暮らしには広すぎる浴場、離れまであるときている」
    「これでも昔はもうちょっと人が居たんだよ」
    「田舎の家ならあれくらいの部屋があってもおかしくはないだろう」

     そう言ったのはツキミヤだ。

    「まぁ、風呂が豪勢なのは認めるけどね。ありゃどっかの旅館並だ」
    「亡くなったタマエさんのご主人の意向だよ」

     ナナクサが答える。

    「まぁでもそうだな。この村は収穫祭も手伝って今は潤ってるよ。だからどこの家も住む所に多少お金かけるくらいの余裕はあるんじゃないかな。その中でも穴守家は別格だと思う。……たぶん」
    「別格?」
    「タマエさん自身は倹約家だけど、あの家自体は結構資産家なんだよ」

     りりりり、と虫が鳴く。三人は緩やかな坂を上った。

    「昔、苗の病気で不作が続いた時期があったってことコウスケには話したろ? 備蓄米はどんどんなくなるし、タネモミにする分でさえ危うくて。そんな中、いろんな種類の米を育てていた穴守家だけは無事だった。あの家がどうやって財を成したか後は想像に難くないだろ? だから、今でもこの村に植えられている苗の半分くらいは穴守家のところから出たタネモミの子孫なのさ。つまり収穫祭で振舞われる料理の半分は元を辿れば穴守家由来なの」
    「ということは一昔前ならもっと……」
    「そうだね。今でこそ村の外からいろんな品種が持ち込まれているけど」

     ナナクサの前で提灯の光が揺れる。
     その話を聞いてツキミヤはどこか納得していた。この村は今でこそ外からのものを受け入れるようになってはいるが、根っこのほうは閉鎖的で保守的であると思う。その中で一人だけ違う主張を通すのがどれだけ大変か。
     だが、村の人々が穴守の人間に向けている視線にさほど軽蔑や強い疎外は感じられない。せいぜいあの家には変わり者の婆さんがいるんだぜくらいの感覚である。

    「なるほど、皆あの家に足を向けて眠れない」
    「そう、恩があるんだよ。この村にある農家はみんな穴守家に助けられたんだもの。タマエさんの信仰が皆と違うって言ったってそうそう邪険にはできないよね」

     田の用水路で月が揺れている。木の板で橋渡しされたその場所を彼らは一人ずつ渡った。
     順番待ちの合間に青年は空に浮かぶ月を見ようと顔を上げた。村に着いた時より大きくなっている。野の火の上演ごろには満月になりそうだ。
     月は村を囲う山々を照らしている。昼間に見た紅葉も黒く鬱蒼と樹木の生い茂る山。耳を打つこの水音も元を辿れば山のほうから来ているのだろうか。

    「……そんな訳で、偉大なる穴守家当主に挨拶をしていこう」

     ナナクサはラジカセを提灯を持つ手に移し変えると、空いた手で浴衣の袖に隠していた線香を取り出した。

    「行く途中にお墓があるんだ」

     穴守家当主の墓があるという墓地は山に続く林と田の境目ほどの場所に寂しげにあった。
     そこには内と外をとを区切る柵など無く、実質どこからでも入っていけたが、二本の石柱が入り口となっているらしく、三人はそこを通って中へと入ってゆく。
     ナナクサが立ったのは墓地の端のほうであり、そこからは田がよく見渡せた。
    「いい場所でしょ」と、彼は言った。
     ナナクサは線香に火をつけるとツキミヤとヒスイに渡す。三人はそれぞれ墓に線香を立てた。

    「それでは、故アナモリシュウイチ氏に感謝を」

     三人は手を合わせ、目を閉じる。

    「……ん、シュウイチ?」

     黙祷が終わってから、ツキミヤは妙な共通点に気がついた。
     たしかに墓標には「穴守周一」とある。

    「そ、タマエさんのご主人で、タイキ君のおじいさんだよ」

     と、ナナクサが答える。

    「そうじゃなくて、シュウイチって名前なのか。タマエさんのご主人は」
    「そう、シュウイチ」
    「ねえ、ナナクサ君、君の下の名前なんだっけ」
    「シュウジだけど?」
    「…………」

     ツキミヤはしばらく黙っていたが、やがてプライベートに突っ込む質問をした。

    「ナナクサ君、君ってさ、もしかしてシュウイチさんの隠し子か何か?」
    「はぁ? そんなわけないでしょ」

     ナナクサはあっさり否定する。

    「僕に隠し通せると思うのかい?」
    「あのね、僕はシュウイチさんに会ったことも無いんだよ。この村に来た時はすでに墓の中の人だったし」
    「ははあ、つまり愛人に育てられた君は、父親の姿を一目みようとこの村にやってきた。だが、父はすでに……そして君はより父を知る為にアナモリの使用人となった訳か」

     ツキミヤがにやりと意地悪そうな笑みを浮かべる。

    「違うって! だいたい何なんだよ。そのシュウイチさんの浮気前提みたいな発言は! 本人の墓の前だぞ!?」
    「……資産家にはよくあることだな。万国共通だ」

     ヒスイがぼそりと言う。

    「ふむ、かなり歳がいってからの子と思われる。老いても元気だったんだな」
    「お前、財産を狙っているのか。穴守家は資産家だとさっき聞いたしな」

     ツキミヤが援護射撃して、ヒスイが物騒な発言をする。

    「二人とも何言ってるの! シュウイチさんはタマエさん一筋だって! 小さい頃から隙あらばタマエさんを嫁にしようと虎視眈々……念願叶って結婚した後も、米のことになると目の色が変わる性質だからいつも田んぼをうろうろしててとても浮気するヒマなんか」
    「なんでわかるんだよ。会ったこと無いんだろう?」
    「……いや、その、勘?」
    「勘かよ」
    「と、とにかく! タマエさんとシュウイチさんを馬鹿にするんならたとえコウスケと言えど、許さないからね!」
    「はいはい」

     おお、悪口を言われて腹を立てる範囲が一人から二人に増えたぞ。そんなことを考えながら青年は聞き流すように返事をした。

    「じゃあ、彼の墓前に謝ってくれ」
    「…………」

     鼻息を荒くしてナナクサが言うので、ツキミヤ仕方なく墓前で手を合わせ
    「ごめんなさい、疑った僕が悪かったです」と、謝罪した。

    「よろしい」

     まるでシュウイチ本人であるかのようにナナクサが言った。
     生真面目な奴……あんまり冗談を真に受けるなよ、とツキミヤは思う。
     少なくとも今の反応を見る限りでは、財産狙えるタマではないだろう。

    「クワをかけたのか」

     再びヒスイがぼそりと呟いた。

    「……ん、まあね。それよりヒスイさん」
    「何だ?」
    「それを言うならカマをかけた、だ」
    「……覚えておく」

     言葉を間違えたことを恥じるでもなく、赤面して余計なお世話だと吼えるでもなく、彼は素直にそう言った。

    「……それとツキミヤ、」
    「なんだい」
    「呼ぶときはヒスイでいい」
    「…………わかった」
    「ああっ、ずるい!」

     唐突にナナクサが割り込んでくる。

    「ずるい?」
    「コウスケ! これからは僕も呼び捨てでいいから!」
    「なんだよいきなり」
    「シュウジって呼んでくれ! いいだろ!?」

     彼はいかにも必死な様子で懇願してきた。

    「……? 別にいいけど」

     何をムキになっているんだろうこいつは。そんなことを思ったが青年は承諾した。
     ふと故アナモリシュウイチの墓標を振り返る。五月蝿がっているだろうなと思った。

     ほどなくして二人は禁域の境界近くにまで案内される。そこにぽつりと立つ建物。穴守家の持ち物だと言う離れだった。ナナクサが定期的に掃除をしているせいか埃はさほど溜まっていない。襖という襖を開けばそこは三十畳ほどの広さとなり、練習をするには十分な広さだった。

    「二人とも昼間の練習お疲れ様。けれど本番はこれからだよ。君達は昼間と違う脚本を演じなくちゃいけないんだから」

     片手に脚本を持ち、部屋の中心に立つ。

    「昼は脚本通りの台詞を。夜は九十九の呪詛を」
     
     まるで昼間のメグミに取って代わったかのようにナナクサが言った。

    「とりあえず二人とも声がまったく出ていない。腹式呼吸から始めよう。さあ、いつまで座ってるのさ。立った立った!」

     ナナクサにどやしつけられる形でツキミヤとヒスイが立ち上がった。

    「腹から声を出す。あれにはコツがあるんだ。鼻の穴から息を吸うこと。そうすれば空気がお腹に入る。口からすうと胸に入る」

     ナナクサが鼻から息を吸うとアーと声を出した。
     アメタマ青いなアイウエオ、などと言い始めた。

    「知ってたか?」

     と、ツキミヤがヒスイに尋ねる。

    「中学の合唱コンクールでよく先生に腹から声を出せなんて簡単に言われたが、まったくやり方がわからなかった。なんだって教えてくれなかったんだろう」
    「あいにく中学とやらに行ったことがないんだ。そういう話はわからない」
    「……そうか」

     いわゆるトレーナーの十歳旅立ちコースだろうかなどと思案しながら返事をする。

    「そこ! 喋ってないでさっさとやる!」
    「……はいはい」

     二人は渋々とナナクサの声の後に続く。
     学校の文化祭じゃあるまいし、こういうことをやる日がくることになるとは思わなかった。
     夜の深い山里に声が木霊する。





     収穫期を迎えた田に不穏な風が吹く。
     色違いの妖狐が天狗に吼えた。

    「どういうことだ、それは」
    「どうもこうも無い。言葉通りの意味だ」

     天狗が重苦しい声で言う。

    「去らなければならない。私はあの土地の神ではなくなったのだ」
    「何を言っているのだ」
    「私はもはや神では無い。さ迷う一匹のポケモンと成り果てた」
    「何があった」

     妖狐は耳を張り、天狗の髪の間から覗く金色の瞳を見据えた。

    「私は、我が一族は森の恵みを願い、根の下に水を蓄え、川が暴れぬようあの場所を守り続けてきた……」
    「そうだとも」

     九十九は同意する。

    「たとえ雨の無い年でもお前の治める土地で川が枯れることが無かった。お前は山の民の神。木を育て慈しむ森の化身がお前だ」

     睨み付けるように、けれど案ずるように目を向け問う。
     赤と金の視線が交差した。

    「それが何故」
    「より強大な神の使いと名乗る者達がやってきた。大勢の信奉者を連れてな」

     天狗は続ける。
     我らが土地が奴らが版図に飲み込まれた時に命運は決まった、と。
     
    「我が一族の宿る神木が倒され、森の社は取り壊された。私の名が忘れ去られるのも時間の問題だろう」
    「……なんということだ」

     山々を隔てているとはいえ、隣の土地。その土地の神が他所者に追い出された。
     そこで起こった異変はこの里を根城とする妖狐に大きな衝撃を与える。
     何代も何代もの間、そこに彼らは在った。森に棲み、守り、人間達に畏れられた天狗の一族が土地を追われたというのか。

    「気をつけろ九十九よ。奴らは二大勢力。赤と青」
    「赤と青……」

     その名前なら風の噂で聞いたことはあった。だが……それほどまでに、力のあった存在であったのか。天狗の一族が土地を追われるほどの。
     
    「私の所にやってきたのは"青"だった」

     天狗は警告する。

    「お前は炎の力を持って畏れられる者。"赤"が来たならうまく取り入れ。そうすれば残る道もあろう。だが"青"が来たのなら……」
    「青が来たらどうしろというのだ」
    「悪いことは言わない。戦ってはいけない。一族を連れて早々に土地を去れ」

     妖狐の毛が逆立つ。
     九の尾の一つがぴしゃりと地面を叩いた。

    「この九十九に尻尾巻いて逃げろというのか」
    「滅ぼされたくなければな」
    「白髭よ、お前がそこまで腰抜けだとは思わなんだ。先祖から代々受け継いだ神聖な場所をみすみす見捨て逃げ出してくるとは」
    「抵抗はしたさ。だが、あのまま戦い続ければ我が一族は壊滅しただろう」
    「取り入るのも逃げ出すのも私はごめんだ」

     九十九が牙を剥き出して言った。
     くるりと向きを変えると大社の境内を見る。大社に供えられ、立てかけられた大量のしゃもじが狐と天狗の目に映った。
     稲が無事育つように、収穫できるように。願わくば多くの実りがあるように。
     しゃもじの首に刻まれているのは九十九の字。
     並べられあるいは詰まれたしゃもじの目方は彼の妖狐の力の大きさをそのままに表している。

    「……そう言うだろうと思ったよ。お前は強い。炎の力をもってこの里に君臨するのがお前だ。お前ならば、あるいは……」

     天狗は無くした自身の場所を思い出していた。
     もう居ない。自分の名を呼ぶものはもう……
     改めて妖狐に警告した。

    「だが、覚えておけ九十九よ。自分達こそが正しいと思っている人間共はどんな神よりも恐ろしい。奴らは何でもやるぞ。同じ色に染める為ならばなんでもやる。他の色が混じることを認めようとしないのだ」

     中津国の南に根を降ろす土地。その場所を人々は豊縁(ホウエン)と呼んだ。
     豊かな緑(みどり)と数ある縁(えん)を結ぶ場所。
     緑の地図に色が塗られる。赤い色と青い色。二つの色はぶつかり争う。緑多きこの大地により多くの色を塗ろうと。あわよくば互いの色を塗り潰そうと。緑の地図に赤と青が広がってゆく。





     こういうものは決まった型がある。僕が教えればコウスケもヒスイもすぐに出来るようになる。
     そのように論するナナクサの指導の下、特訓が続いていた。

    「ふむ、声量はだいぶいい」

     ツキミヤの詠う炎の詩を繰り返し聞いて、ナナクサが言った。彼はほっと一息をつく。
     やはり彼はメグミ以上の鬼演出であった。声量が足りなければ拳で遠慮なく腹を押されるし、抑揚が違えば容赦なくどやしつけられ修正をかけられる。その様子は普段の態度からは想像できない激しさで二人を驚かせた。
     今や場を支配しているのは他でもないナナクサだった。墓地でからかわれていたあの時とは大違いである。
     思い返せば、あんまりに彼の要求が厳しいので、一度ヒスイとキレかけて、じゃあお前やってみせろなどと言ってしまったのがそもそもの間違いだったのだ。


    「いいだろう、見せてやるよ」

     ナナクサはあっさりそう言った。
     土壁についたコンセントにプラグを差して、持ってきたラジカセにスイッチを入れる。そこから神楽舞の壮厳な音楽が流れ始めると、部屋の明かりをすっかり消してしまった。彼の持ってきた提灯の明かりだけが残って妖しく揺れる。部屋は一種の異空間へと変貌した。
     彼は和服の袖から扇を取り出した。扇を一振りする。鳥の翼のようにそれは開いた。音に身を委ね、ゆらりと揺れたかと思うと舞に転じた。昼間に見た雨降のトウイチロウに負けない威厳のある声が空間に響き渡る。

     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ
     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ

     遠い昔に雨降によって滅ぼされた炎の妖。その恐怖の対象が舞台の夜だけ蘇る。
     彼は詠う。赤く紅く大地を染め上げる炎の詩を。自身の恐怖を思い出させんと詠う。

     見よ、暗き空 現れし火を
     火よ我が命に答えよ

     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ炎よ
     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ我が炎
     我が眼前に広がるは紅き地平

     怨と震えるその響き。詞にこめられた念が鼓膜に届いて染み渡って、彼等はぞくりと戦慄した。
     九十九とはこの村で非常に恐れられている存在。舞台に九十九が現れたとき、村の小さな子どもが泣き出すくらいでなければならない――そうのように言ったのは昼間の演出メグミであったが、彼の演舞はまさにそれを体現しているではないか。彼のいくつにも結われ揺れる髪が九十九の尾のゆらめきのようにさえ映ったくらいだ。

     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ
     恐れよ人の子 我が炎
     燃えよ、燃えよ、野の火よ燃えよ
     放たれし火 金色の大地に燃えよ

     土壁に大きく映し出された影が揺れ蠢く。
     妖狐は謳う。炎の詩、緋色の呪詛を。
     ナナクサはすべての台詞を一字一句丸暗記していたのはもちろんのこと、指先に至るまで完成された舞を披露してみせた。ここまで徹底的にやられてしまっては文句のつけようが無い。
     その手並みに呆けているうちに舞が終わって、開かれた扇の向こう側からナナクサの瞳が覗く。

    「四の五は言わせない。ここにいる間だけは僕がルールだ」

     視線が二人を射抜いて云った。
     圧倒的な雰囲気に飲まれていた。彼らは異議を唱えなかった。



    「やっぱり君にやらせたほうがよかったんじゃないか」

     夜の風が心地いい。猛練習から開放された帰り道にツキミヤが言う。
     後ろを歩くヒスイが無言の同意を返していた。

    「言っただろ。僕じゃ選考会に出れなかった。なにより僕は君にやって欲しいんだ。コウスケ」

     ナナクサは夢枕に立った誰かと同じ台詞を吐く。
     まっすぐ行き先を見つめてツキミヤのほうは振り返らなかった。

    「それにね、僕がいくら舞えて詠えても意味なんか無いんだよ」
    「どういうこと?」
    「僕自身は過去の人間の動きをなぞっているに過ぎないんだ。そこに思いや感情は無い。僕自身は空っぽだから」
    「空っぽ?」
    「そう」

     ナナクサはやはり振り返らない。
     提灯だけが行き先を儚げに照らし揺れている。

    「だから中身のある人間にやってもらわないといけない。君のような人でなくちゃだめなんだ」
    「君は時々おかしな理屈をこねるね」
    「神楽は器だよコウスケ。神楽の中に、詩の中に感情が入るから舞は奉納となり、供物となる。だから、空の器に君自身の感情を入れて欲しいんだ。形と心の両方を得て、はじめて舞は完成する」
    「……僕の入れる感情なんてロクなもんじゃないぞ」
    「そんなことは無いよ」

     あいかわらず訳のわからない理由を言う奴だと思う。
     すると、

    「ナナクサ、お前は野の火に出たことがあるのか?」

     と、割って入るようにヒスイが尋ねた。

    「無いよ」
    「それにしては、ずいぶん踊り慣れているようだったが」
    「だって毎年見ているから。それこそ何十回もね」
    「……何十回? ナナ……いやシュウジ、君がこの村に来たのって三年前くらいじゃなかったのか」

     タマエの発言を思い出してツキミヤが突っ込む。

    「……練習を繰り返し見ていればそのくらいの数にはなるだろ?」

     と、ナナクサが返す。だが……
     それはおかしい、とツキミヤは思う。村長が言うには彼は普段雨降大社には近づかないはず。今年でこそ自分達が出演しているから出入りするようになっただけのはずなのだ。

    「それよりコウスケ」

     ここに来てはじめてこちらを振り返った。

    「なんだよ」
    「やっと名前、呼んでくれた」
    「ん? あ、ああ」
    「嬉しいな」

     ナナクサはその時ばかりは本当に嬉しそうに言った。そんなことで喜ぶのも珍しいと思う。
     それよりどういうことなのか。なぜ大して見てもいないはずの舞をいともたやすく彼はやってのけたのだろうか。何十回と見る必要が無い、数回見れば覚えてしまえるのだと言われてしまえばそれまでだが、そんな特殊な能力を持った者がそうそういるとも思えなかった。
     いつのまにか天真爛漫な外ヅラに騙されて、彼という人間を見くびっていたのではないだろうか。雇い主のタマエでさえもナナクサの素性はよく知らないという。青年は認識を改めた。彼もまた面を被った演者の一人であるのだと。
     それに不可解なのは、彼だけではない。ヒスイもだ。舞台本番に雨降を倒すという条件を提示してから、彼はそれ以上を語ろうとしなかった。こちらの行動に特別異議を唱えるでもなく、黙々とついてくるその様子はある種不気味でもある。
     尤も、隠し事があるのは僕も一緒だけれどな……と青年は頭の中で呟いた。

     "舞台の筋書きを書き換える"

     その不安定な力の下に三つの分子はつかず離れず結束している。
     暗い道中に三人の足音が静かに響く。

    「……あれ?」

     それから道をだいぶ進んだあたりで突如ナナクサが声を上げた。

    「どうしたんだ?」
    「家の灯かり、ついてる」

     彼はタマエさんもタイキ君も眠っているから消してきたはずなのに、と呟いた。
     青年は虫の鳴く暗いあぜ道の向こうを見る。その先には確かに小さな灯かりが見えていた。





     空が紅い。沈みゆく陽が大地を照らしている。
     夏が過ぎ、緑から黄金色に変わった稲穂の群れを夕日が染めている。
     その稲穂の海の中にある小高い山の頂上に立つ大鳥居。その下に伸びる二つの影の主達はその下に広がる土地を見渡した。

    「見ろ白髭、ここから見降ろす景色は格別だろう」

     風が吹く。染められた稲の海がうねっている。
     少し影を落とした昼間とは違う波の色。だんだんと夜に染まりゆく合図。
     田のあぜ道を六尾の狐が二匹、三匹と走ってゆくのが見えた。

    「特に夕刻はいい。私が二番目に好きなのがこの時刻の風景だ」
    「二番目に?」
    「そう二番目だ。一番は……お前なら尋ねずともわかっているだろう?」

     天狗は九十九にちらりと視線を移す。
     田を吹き抜ける風にたてがみが煽られたなびいている。
     赤い赤い血の色のような瞳は真っ直ぐに地平を見据えていた。

    「……ああ、そうだな」

     と、一言そのように天狗は答えた。
     それは詩に詠まれた風景。炎の詩に詠まれる紅き光景だ。

    「……お前の心は変わらないのだな、九十九」
    「当たり前だ」
    「そうだろうな。まあお前ならばそう言うとわかってはいた」

     親だろうか、あぜ道を走っていた六尾の狐たちはその先に立っていた九尾の狐の懐に飛び込んだ。ぐるぐると足の下を駆け回る。

    「そうとも。ここから離れて生きるなど考えられぬ」

     静かな声で、けれども確かな意思を込めて、九十九は云った。

    「お前の色がまだ白くて、尻尾が一本だったころから知っているが、生意気になったものだ」

     九十九は長。この地を駆ける六尾と九尾の長。
     天狗は知っている。彼は尾が九になる前から九十九を知る数少ないポケモンだ。尻尾が二又になり三又になった頃、彼の色の違いは他と顕著になりはじめ、六尾として落ち着いた頃にはすっかり目立つ存在になっていた。やがて石の力を受け成獣となり、九十九と云う名で呼ばれるに至るまでそう時間はかからなかった。
     百の六尾と十の九尾を率い、豊かなこの地を闊歩する、神。

    「渡さぬ。たとえ滅されたとて我が炎は消えず」

     瞳の赤が揺らめく。
     ふっと天狗が笑った。

    「お前には余計な忠告だったようだ」

     たんと地面を踏み鳴らす。ひゅうっと一陣の風が舞った。

    「行くのか」
    「ああ、皆を待たせている。長居をしたな」
    「そんなことはないさ」

     風が渦を巻く。天狗の長い髪が舞い上がった。

    「良き旅を。風が向いたならいつでも来るといい、我が友白髭よ」

     呼ばれたその名。
     それが天狗の内に重く重く響き渡った。

    「さらばだ。我が友九十九よ」

     巨大な風が吹く。
     山の木の葉を大きく巻き上げて、風の去る音と共に天狗は消えた。
     その身体はもはや地上に無く、社のある山がどんどん小さくなっていくのが見えた。
     視界に一面に広がる黄金色の地。
     沈みゆく陽に染まる大地。
     彼はもう米粒ほどになった妖狐を見て呟いた。

    「先程お前が呼んだ名が、私の名が呼ばれる最後やもしれん」

     虚空に声が木霊する。九十九よ。炎を司る六と九の尾の長よ。我が友よ、と。
     九十九も白髭も名づけられた名。名づけられた神の呼び名。

    「願わくば、その名が呼ぶ者が私で最後とならぬよう」

     風を纏って友は去った。
     それが白髭と呼ばれたダーテングと九十九と呼ばれるキュウコンの今生の別れとなった。





    「何かあったのかもしれない」

     そう言ってナナクサが穴守家へと駆けて行った。二人もつられる形で彼の後についてゆく。
     近づいてみて異変に気がついた。門の前に停めらている一台の車があった。この村の風景にはあまり似つかわしくないメタリックな色のスポーツカーだった。

    「誰か来ているらしいな」

     と、ツキミヤが言うと

    「こんな時間にこの家に上がりこむなんて、いい度胸じゃないか」

     明らかに機嫌の悪い声でナナクサが言った。
     玄関に至ると、ブランド物と思しき靴が無造作に脱ぎ捨てられており、ますますナナクサの怒りを買った。
     家の奥のほうから何やら話し声が聞こえてくる。
     ナナクサはつかつかと廊下を進み、声の漏れる襖の戸をばっと開いた。

    「一体誰ですか。こんな時間に!」

     襖を開いた先に居たのはタマエと痩せた無精髭の中年の男だった。
     ちゃぶ台を中心にし、向かい合って座っている。

    「……お前は」

     そうナナクサが言いかけるとタマエが口を開いた。

    「ああ、シュージは会うのがはじめてだったねぇ。こいつがお前が来る前に自分の息子をほっぽって、ほっつき歩いていたうちのバカ息子さ」

     男はひじをついていた腕を降ろす、じろりとナナクサを見た。
     高級そうなスーツに目に痛い色のワイシャツ。腕に金色の時計が光る。

    「…………これは、タイキ君のお父さんでしたか。失礼しました。この家で働かせてもらっているナナクサと申します」
    「フン、こいつに改まった挨拶なんざ不要さ。ホントは家の敷居をまたがせる気も無かったんだけどね。こんな時間に押しかけて来よって、気がつけば座り込んでたわ。まったく昔から常識ってえのが無い子だよ」

     深夜の訪問者にすっかり目を覚まされてしまったタマエは、吐き捨てた。

    「そーゆー母ちゃんもスミに置けないね。こんな若い子をたくさん雇って。やっぱり寂しいんじゃないのかい?」

     男は白い歯をにかっと見せて老婆に言った。視線を廊下側に移す。

    「……? 雇っているのはシュウジ一人だが? ……ああ」

     タマエは部屋の前で立ち往生している二人の青年を見て納得した。
     やっぱり近づかないほうがよかったんじゃないかと互いに目配せしている。
     
    「残り二人は客人だよ。シュージの友達さ。今は祭だからね。見物に来たのさ」
    「……ツキミヤです」
    「ヒスイだ」

     二人は気まずそうに名を名乗る。

    「まぁ、そんなところに立っているのもなんだ。寝るか入るかするんだな」
    「それならお茶でも淹れてきましょうか」

     そのようにナナクサが提案するとタマエは頼むと答えた。



    「そうか。今は収穫祭の時期なんか。懐かしいの」

     そう言ってタイキの父は出された茶をずずっとすすった。

    「さすがにこの時間じゃ明かりも消えとるけん、気付かなんだわ」
    「…………」

     狭いちゃぶ台を五人の人間が囲っている。おかしな光景だった。
     やっぱり寝たほうがよかったろうかなどと思いつつ、茶を淹れてくると言ったナナクサがこの場に留まってくれと言っているような気がして、ツキミヤは輪の中に入ることにした。ヒスイは黙って同席した。

    「へえ、にいちゃん、ツクモさやるんか。お前さんも物好きやね」
    「え、ええ……」
    「あれやろ、お袋の差し金やろ。お袋の九十九様好きは有名だからのー。ワシの小さいころなんかお前の母ちゃん狐憑きだとかよう言われたもんや」

     そう言って彼はタバコに火をつけた。
     ふうっと煙を吐き出す。

    「まあワシはお袋の信仰どうこう言う気ないけどなあ。狭い村やし、他に話題もなかったんだと思うわ。みんな妙に信心深いというか。視野が狭いというかね。だからワシ小さいころから決めとってんねん。大きくなったらこの村の外に出てやるんだってな」

     そんな昔の思い出話を一通り語ると彼は、灰皿にタバコを押し付けた。

    「でだ母ちゃん。さっきの続きやけど。ワシもようやく落ち着けそうやねん。ミナモシティに家建てるけん、一緒に暮らさへんか。お母ちゃんももういい年や」
    「三年も連絡よこさんで、タイキさほっぽって、今更何を言い出すんだか」
    「……タイキんこつは悪かったと思っとる。あいつにも寂しい思いばさせてきたばい。だから尚んこと」
    「サナエさんばどうした」

     切り込むようにタマエは言った。
     タイキの母の名だった。

    「……あいつとは今だ別居中や」
    「話にならん」
    「サナエかて落ち着いたら戻ってきてくれるわ。確かに今までは家をあけてばかりやった。んだとも事業も軌道にのってきた。これからは家族との時間も作れるばい。母ちゃんにも来てほしいねん」
    「……お前は私を金のかからん子守くらいにしか思っておらん」
    「そんなことはなか」

     タイキの父と祖母の応酬が続く。
     取り残された使用人と客人二人は黙って耳を傾けるのみだ。
     やはりさっさと寝ればよかったとツキミヤは思った。明日も舞台の稽古がある。

    「おまんは私にこの土地を捨てろと言うのかい」
    「そうは言うておらん。時々なら遊びに来たらええやんか」
    「田が荒れる」
    「お母ちゃんはもう歳や。いい加減農作業なんか引退せんと。隣の農家にでも貸しとっららええねん」
    「つまりわしに死ねというんやな」
    「そんでそうなるねん! いつまでも意地張ってからに!」

     タイキの父は声を荒げた。ばんとちゃぶ台を叩いた。
     だがタマエも負けてはいなかった。

    「おまんはわかっとらん! 苗を植えるいうことは息するのと同じじゃ。稲を育むつうことは生きるつうこっちゃ。わしゃあん人からそれば学んだ。おまんはあん人の子のくせになぜそればわからんのじゃ!」
    「わからん。こげん田舎に閉じ込められて、果てた親父の気なんか知れんわ。姉ちゃん達かて誰一人ここには残らなんだ」
    「五月蝿い! わしゃ決めたんじゃ! あの時に誓ったんじゃ! ここで生きていくと決めたんじゃ!」

     悲鳴にも似た叫び声が木霊した。
     飛び交いすれ違う悲しみの入り混じった怒りの感情。それがびりびりとツキミヤの影に響いた。
     ちらりとナナクサに目をやった。正座したまま黙っているが、膝に置かれた手が震えている。相手が雇い主の息子、タイキの父親でなければとっくに食ってかかっているに違いなかった。

    「……私の気持ば変わらん。ここから離れて生きていくことなど考えられん。ここにはあの人の墓だってあるんだ」

     客人たちの前で声を荒げたことを恥じているのかもしれなかった。さっきとは打って変わって落ち着いた声で、けれども確かな意思を込めて、老婆は言った。

    「ここば離れん。この土地に生きて、この土地で枯れるんじゃ」

     そこに青年は地に深く根を下ろした大樹のような揺るがぬものを感じ取った。
     それは少なからずタイキの父にも伝わったらしい。彼は諦めたようにふうっとため息をついた。一言、

    「もうええわ」

     と言った。

    「母ちゃんが折れんことはわかったわ。これ以上は言わん。けれんども、」
    「けれんどもなんじゃい」

     まだ何かあるんかと言わんばかりにタマエが尋ねた。

    「タイキは連れてくで」

     老婆が凍ったように見えた。

    「当たり前やん。俺の子やで」
    「お前……三年もほっぽといて、今更何言っとるんや」
    「母ちゃんはタイキばこの家継がせたいかもしれんけど、そうは問屋が卸さんわ。あいつかてこんな田舎にいつまでも居たいとは思っとらん」
    「あん子がそう言ったわけじゃあるまい」
    「聞かんでもわかるわ」
    「お前はいつでも勝手に決めよる!」

     再び場が険悪な雰囲気に包まれた。言うなればこの話題はかまどに投げ込まれた真新しい薪だった。紅い光を宿すかまどの墨はまだ十分な熱を帯びていている。ひと扇ぎすれば簡単に燃え上がるだろう。

    「お二方とも落ちついてください」

     そんなかまどの墨を踏みつけて砕き、熱を奪うようにしてナナクサは割って入った。

    「僭越ながら僕の提案を聞いてはいただけないでしょうか」
    「なんじゃ」
    「なんだ」
    「お二人の希望はわかりました。けど当の本人を置いてけぼりにしちゃいけないと思う」
    「…………」
    「……フン」

     穴守家の視線が集中している。だが彼は動じる様子も見せず淡々と続けた。

    「彼はたぶんお二人が思っているよりずっと大人です。もうすぐ十歳だ。十歳といえば正式にポケモン取扱免許を受ける、ある意味大人として扱われる年齢。カントーのとある田舎町では最初のポケモンを貰って当たり前のように旅に出、三年は帰らないといいます。いかがでしょう。ここは彼に決めてもらうというのは」

     ナナクサは老婆と男を見る。対照的な反応をしているのが見て取れた。

    「……シュージ」
    「いいじゃないか。君は話がわかるねナナクサ君。ワシは構わへんで。なあ、お母ちゃんここはひとつそういうことにしようや。お互い恨みっこなしや」
    「…………わかった」

     観念したようにタマエは承諾した。

    「ではここにいる客人二人には証人になっていただきましょう」

     ナナクサはとんとん拍子に話を進めた。
     ツキミヤとヒスイがお互いの顔を見る。この為に残したのかと思った。
     だがツキミヤは思う。この条件、不利なのはタマエのほうだ。それは二人の反応を見ても明らかだった。シュウジ、君はタマエさんの味方じゃなかったのか。何を考えている。今までのあれは全部演技だったとでも言うのか。……そう思わせてきたのだとしたら大した役者だ。
     シュウジ、すべて計算しているのか。廊下に微かな足音が聞こえた事に気づいてそう言っているのか。
     青年の影は先程から察知していた。青年の影は見ていた。二人の争う声に気がついて、襖の裏で話を聞いていた当の本人――アナモリタイキに。
     ナナクサという役者の被っていた面がとられたような気がした。

    「回答期限は祭が終わるまででどうでしょう。お客人の都合もありますし」
    「よっしゃ。それで行こう」

     タイキの父が威勢のいい声を張り上げる。
     早足気味の小さな足音が部屋から遠ざかっていった。


      [No.19] (十二)緋色の追憶 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 10:12:35     58clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    (十二)緋色の追憶


     神が力を持つ為には信仰が必要だ。
     神は信仰と共に在り、信仰が在ればこそ神はある。
     例えば名前を呼ばれること。あるいは縁のある言霊を唱えること。口にされればされるほど神の力は強くなる。
     神に力を与えるのは人間の業なのだ。


     "彼"は久しく自分に縁が深い言葉と名が願いをもって口ずさまれるのを聞いた。
     繰り返し繰り返し口ずさまれるのを聞いた。

    「私を呼んだか、娘」

     言霊を吐いた女はいつのまにか大社の前に立っていた。その場所は村中の信仰が集まる場所によく似ている。だが、何か空気が違う気がした。そもそも自分は先程眠りについたのではなかったのか。
     すると社の奥から何者かの声が響いて、娘を呼んだ。

    「お前の思念は強力過ぎて耳に痛い。時代が時代ならいい巫女になったろうにこんな使い方しか出来ぬとは勿体無い事だ」

     その声に身体がぞくりと震える。
     娘には声の主が何者であるのか直感的に理解してしまった。
     声が続ける。

    「もう一度私の名を、私の名を呼んでおくれ」
    「妖狐、つく、も……」

     突如、目の前の中空に鬼火が現れる。炎は大きくなり、幾重にも枝分かれするとやがて獣の形をとり実体となって現れた。
     淡い青色に輝く毛皮。九本の尾。見開かれる血のような赤い眼。
     村娘の前に現れたのは十匹分の九尾の名を持つ炎の妖だった。

    「いかにも、我が名は九十九」

     炎の妖として恐れられるキュウコンは嬉しそうに云った。

    「お前の願いを叶えてやろう、娘」





     青年は大社の石段を登る。
     蝉の声がうるさいくらいに耳に届く。好みかあるいは怨念なのか。"この場所"のデフォルト設定ははいつでも夏だ。
     最後の石段を上がると九尾の妖が待ち構えていた。

    「その様子だと首尾よくいったようじゃないか」

     色違いのキュウコンが青年に語りかけると

    「フン、他人事だと思って」

     と、青年は悪態をついた。

    「他人事などとは思っていないさ。お前が演じるのは私なのだから」
    「あんなに練習があるなんて聞いていないぞ僕は」
    「致し方のないことだ。素人を短期間でそれなり仕上げようというのだから密度というものは必要だろう」
    「お陰でこっちは祭を楽しむ余裕も無い」
    「それはお前次第だ。鬼火を連れし者よ。炎は暖を取ることも出来れば、命を奪うことも出来るように。すべては振舞い方次第だよ」

     無事に役をとった為だろうか、ツクモは上機嫌な様子だった。

    「ただ、あえて苦言を呈するとすれば炎の舞台で雨を使うのは美しくない」

     どこで知ったのか妖狐は準決勝のことに言及する。
     ナナクサか、とすぐにツキミヤは理解した。夢の中の無意識とはいえ、余計な情報を与えるな彼は。そんなことを思いつつ、青年はちらりと妖狐を横目に見る。

    「……やっぱり雨は嫌いかい?」

     雨。それは妖狐九十九を打ち倒した神の持つ名であり、業の名だ。
     天からもたらされた水は炎を打ち消し、妖狐の力を奪う。炎の妖に待っているのは敗北だ。
     青年は大社から見える風景に視線を映した。天気はカラリと晴れており、濁った雲は無い。風が吹いて青く背伸びした稲が海の漣のようにたなびいている。

    「この土地に神の力で降らす水など必要無い」

     そのようにツクモが答えた。
     それは強い否定と拒絶を含んだ、憎しみの込もった言葉。
     その言葉が放たれると同時に、周りの空気に殺気が加わったように感じられた。弱く小さな鳥ポケモンならその空気に耐えられず飛び立ってしまいそうな。だが、むしろ青年の心は高揚していた。馳走を前に衝動は募るばかりだ。密度の濃い濃厚な負の感情を目の前にして影達も躍動せんとしている。
     けれども平静の面を被ったまま、彼は自身に取り憑いた影を精神力をもってけん制する。
     早まるな。まだ手を出してはいけない。ここは相手の土俵。存在の定義があいまいな夢の中だ。事がうまく運ぶ保証はない。奴が実体をもって現れたときに確実にしとめるのだ。それまでは手を出してはいけない。それまでは。
     もちろん、そのような駆け引きが青年の内部で行われていることなど彼は微塵も見せはしない。あくまで酔狂な協力者を演じ続ける。

    「燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ」

     突然、ツクモは呪文のように呟いた。

    「……?」

     今度は何を言い出すのだと言わんばかりに見るツキミヤ。すると、

    「わからんのか。寝る前に台本くらい読んでおけ。一番最初にお前が詠う台詞だよ」

     ツクモが呆れたように言う。
     彼は詠った。炎の詩を。燃え盛る野の火の詩(うた)を。


     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ
     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ

     見よ、暗き空 現れし火を
     火よ我が命に答えよ

     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ炎よ
     燃え上がれ火 燃え上がれ火 燃え上がれ我が炎
     我が眼前に広がるは紅き地平

     燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ
     恐れよ人の子 我が炎
     燃えよ、燃えよ、野の火よ燃えよ
     放たれし火 金色の大地に燃えよ


     稲穂の海にそびえる山。その上に立つ社から響く詩。
     それはかつての栄華。昔々の世界の光景。
     雨の神が現れる以前、人々はどのようにこの詩を聞いたのだろうか。
     田や畑は逃げることが出来ないから、ただ火の粉が降りかからぬようにと祈ったのだろうか。妖狐が火を放たぬように。

    「かつてあの舞台の上で何十人、何百人の九十九がこの詩を詠ってきた」

     と、ツクモは語った。

    「だが居ない。誰一人として居ない。神が雨降に替わってしまってから、我が炎の本質を真に解して詠ったものは誰一人居ないのだ」

     かつて妖狐は神だった。恐れの対象とはいえ、どのような形であれ、雨降の現れる以前、彼は神だったのだ。ここは彼の領土であり、九十九にとって雨降こそが侵入者。九十九に取って代わり、大社の名前を書き換えた偽者なのだ。
     後に妖狐は破れ、雨降がこの土地の神となった。神の座から降ろされ、妖怪と成り果てた九十九は収穫祭の間だけ復活する。だが炎はかならず雨に消されるのだ。幾年も幾年も、灯っては消される炎。野の火。

     けれど違う。今年は違う。
     雨は降らない。降らせはしない。炎は消えず、燃え上がる。

    「私を忘れた者達に、私の炎を思い出させてやろう」

     放たれた火は祭の夜を赤く赤く染め上げることだろう。





     暑い。蝉はけたたましく鳴き続け、それだから余計に暑いと感じる。
     まだ若い村の娘は田に囲まれたあぜ道を進む。
     眼前には水を湛えた水田が広がる。どこまで歩いても水田だ。村の面積の大部分を占める水田周りを囲むのは青い山々ばかり。この光景を見ていて娘は時々ふと思うのだ。自分達は囚人なのではないかと。山里と云う監獄に閉じ込められて、ただひたすらに米を作り続ける囚人なのではないかと思うことがあるのだ。
     ただ囚人達はこの村の生活には満足しているのだと思う。幸い食べ物に困ったことがほとんどなかったからだ。ここは食べ物の豊富にある牢獄だったから。
     いつからこんなことを考えるようになってしまったのかを辿ってみれば、たぶんそれは村長の息子の家で見たテレビだった。それは村にはじめて来たテレビで、村人達は日が暮れると村長の家に集まったものだ。そこで娘は知ってしまった。山をいくつも超えた場所には別の世界があるのだと。山を越えた先に別の村や街がある。考えてみれば当たり前なのだが、百聞は一見にしかずという言葉があるように、それを視覚情報として得たことで実感してしまった。そこには泥臭い農作業とは無縁の生活を送っている人々が居る。そんな生活もあるのだということを娘は知ってしまったのだ。
     きっかけが欲しい、と彼女は思う。この村を出るきっかけが。
     蝉の声が絶えず鳴っている。彼女の前に伸びる舗装されていない道の先に一人の男がしゃがんで水田を見つめているのが見えた。歳はさほど離れていない若者だ。彼は娘が近づいてくると気がついたらしく声をかけた。

    「おう、タマエか」

     娘が幼い頃から知っているその顔はどこか疲れていて、あまり景気のよい会話にはなりそうになかった。

    「よくないん?」
    「ああ」

     娘の質問に男は気落ちした声で答える。
     空に向かって青々と伸びる稲に目をやると彼はため息をついた。

    「去年と同じだ。丈ばかりが伸びて肝心の実がつきやせん……」

     稲は瑞々しく見え、はたから見れば健康そのものだった。だが幼い頃から稲と向き合い、ずっと彼らを見つめ続けて来た彼にはそれが特異な、異常な姿に映った。風が吹き水田がざわざわと鳴っている。それは不吉な音色に聞こえた。

    「むしろ状況は悪くなっとる。村全体に広がっとるわ。この分じゃあ、どこの家も収穫は望めまい。一昨年、去年以上の凶作になるだろう」
    「あんたがそう言うのなら、本当なんやろうね」

     男を立てるわけでもなく、お世辞でもなくタマエが言う。彼は村のことならなんでも知っていたから。それは幼い頃に彼と駆け回っていたタマエ自身が一番良くわかっている。
     村中を駆け回った。ある時は山に登り、ある時は沢や溜め池でポケモンと戯れ魚を獲った。四季折々の花が咲くところを彼は知っていてよくタマエを連れて行った。村の大人達に言いつけを破って禁域に入り怒られたこともあった。時が経ちやがて男が家業を本格的に手伝いだしてからはなんとなく疎遠になっていたが……。
     水面に映る男の顔を見る。悔しそうな苦い顔をしていた。雨も水の量も十分、条件は整っている。それなのに。

    「生き物の気配が無いと思わんか。アメンボもオタマもいやに数が少ないし、元気が無い。ポケモン達の姿もあまり見んしのう。五月蝿いんは蝉だけじゃ」
    「そうかも、しれない」

     そこまで言葉を交わすと二人はしばし無言になった。
     水田に映った空の雲がゆっくり、ゆっくりと流れていく。生の気配が無い田に波紋は鳴らず、空はそのままの姿を映し、踊らなかった。

    「……なあタマエ、キクイチロウとの縁談なんで断った」
    「うちの勝手やろ。そんなん」
    「なんで? 将来の村長の家に嫁に行けば、お前さんの両親もお前自身も安泰だろ」
    「あんたに言われるこっちゃない。それにこんな時期にお嫁にいってなんになるん。去年は備蓄米があった。今年の分もなんとかあるとして、来年はどうなるか。村長の家だからって安心なわけじゃあない。……それに」
    「それに?」
    「そもそもキクイチロウは気に食わん。土下座されてもあいつの嫁だけはごめんだわ」

     彼女は迷い無くすっぱりと言い切った。
     ハハハ、と声を上げて男が笑う。タマエらしいな、と言った。

    「ほんに昔っからお前は村の連中を手こずらせてばっかりじゃ」
    「何よそれ」
    「よくキクイチロウと喧嘩して泣かせてた」
    「あん男が威張ってばっかりいるからよ」
    「お前は天邪鬼だから喧嘩するなといえば喧嘩するし、喋るなといえば喋る、入るなといえば入る」
    「そんなことなか」
    「又の毛も生えんガキだった頃、呪いを試すんだ言うて、家のしゃもじ持ち出しておまんと一緒に禁域入ったことがあった。あんときは大目玉じゃった。俺は一晩納屋に閉じ込められた挙句に雨降大社の落ち葉掃きと雑巾がけ一週間やらされた」
    「そうやったっけ?」
    「おまんはすぐ帰されたけん、覚えてないんじゃ。言い出しっぺはそっちじゃったのに……」
    「ふうん、なんでんなことやろうと思ったんかね」

     タマエがあまり覚えてなさそうに言う。けれどそれは彼にとって予想済みの反応であったらしく、仕方ないなという風に苦笑いしただけだった。

    「とにかく、そんなお前が嫁に来いと言われて素直に行く訳が無い」

     若者はそのように総括した。

    「けど、残念やな」
    「何が?」
    「てっきり俺は、お前が俺の嫁になりたいから蹴ったんだ言うてくれると期待しとったのに」

     白い歯をにかっと見せて彼は言った。

    「シュウイチ、」
    「なんじゃ?」
    「あんたのその根拠の無い自信はどっから来るん?」

     タマエは呆れたように答えた。

    「ご愁傷様。うちはこの村に留まる気ないんよ。今に出てってやるんやから」
    「……そうか。寂しなるなあ」

     彼は本当に寂しそうに言った。けれども止めはしなかった。彼女が言い出したら聞かないことを誰より理解していたからだ。
     それに彼女は村一番の器量良しだ。たぶんそれは田舎の閉鎖空間にだけ通用するローカルなレベルではなく、村長の家で見たテレビに映る都会の女達にも決して見劣りしない。
     たまたま村にやってきた都会の若い紳士が見初めるなんて事は十分にありえる話だった。
     それに。
     それに、蓄えはあとわずかだった。村に残された蓄えは。
     ちびちびと遠慮するように食べているとはいっても、人がいる限りそれは確実に減っていき、いつかは底が見える時が来る。
     原因不明の稲の病。もしも来年も米がとれなかったとしたら。何人が村を出るかわからない。それはタマエの家も例外ではない。
     ここは食べ物の豊富にある牢獄というのは娘の論だ。だからこそ食うものがなくなれば脱獄者が出る。
     もう娘は村に出るきっかけをつかみ掛けているのだ。





    「はーい、詠い直しー」

     雨降大社の集会場に声が響く。
     ぱんぱんと手を叩いて舞台演出は言った。

    「ツキミヤさん、詠い方に怨念が込もってないわよ。そんなんじゃぜんぜん怖くないわ」
    「はあ」

     メグミの指摘にツキミヤは冴えない返事を返した。

    「村の外から来たあなたは知らないかもしれないけど、妖狐九十九はこの村では非常に恐れられた存在なの。いたずらばかりして言う事聞かない子には"九十九さ来てお前を焼いて食っちまうぞ!"っていうのが常套の叱り文句なくらいのよ。だから本番は小さい子が泣き出すくらいじゃないといけないわ」

     メグミはそのように妖狐九十九の恐ろしさを説明した。
     脚本の開始のト書き。早々に村人が一人焼き殺される。肉体を失っている九十九は焼き殺した村人の肉と骨を平らげて、人の形を手に入れるというのだ。それの姿が他でもない、ツキミヤ自身だというのが脚本の筋書きだ。
     おいおいツクモ、あんた人を食うことにまでなってるよ……青年は心中そんなことを思い、ほんの少しだが炎の妖に同情した。たしかにあれは野を焼き、田を焼く恐ろしい妖なのだろうが、たぶん人肉を好んで食う趣味は無いと思う。

    「それと声も小さいわね。本番は仮面被ってやるのよ? ますます声が篭もるわけ。わかってる?」

     メグミはこの後にもマシンガントークを続けた。
     はじめて会った時にやたら舞台の話をされると思ったら関係者だったのか。どおりで出場規定に詳しかったわけだ。

    「つまり妖狐九十九というのは――――で、――――だから――――という訳なのよ。わかった? ツキミヤさん」
    「……精進します」

     言い返す言葉もなくツキミヤはやるせない返事をした。
     だから嫌だったんだ、と思う。食欲に任せてやってやるなんて本人の前で宣言してしまったが、やはりナナクサにやらせるべきではなかったのか。いやむしろ決勝戦でヒスイに負けておけばよかった。理由はよくわからないが、あいつも雨降を倒すつもりでいた訳で……。
     脚本を開き、青年の隣に座っていたヒスイは知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。試合には勝ったが、勝負には負けたとはこのことではないだろうか。反則ワザまで使って勝ったというのに。
     それにさっきから、右斜め後ろのほうにやたらと暑苦しい視線を感じる。ぎろりと睨みつけると、集会場の縁側に腰掛けたナナクサがニヤニヤしながら稽古を見物していた。
     この野郎、覚えてろよと無言の圧力を彼に向ける。

    「ツキミヤさん、余所見しない!」

     メグミが喝を入れる。

    「ほー、あれが今年の九十九かいな」
    「ずいぶんひょろい兄ちゃんじゃの。大丈夫か」
    「さっそくメグミの尻に敷かれとるやないか」
    「メグは鬼演出やからのー、ある意味九十九より怖か。かわいそうにのー」
    「それにしても、綺麗な子やねー」
    「なんでもタマエさんちば寝泊りしとるらしいぞ」
    「へえ、あのタマエさんが人泊めるなんてめずらしかね」
    「だからシュージば見に来とるのね」

     稽古を見物に来た暇な村の老人達が口々に感想を述べている。お願いだから、自分に聞こえないようにもう少し小さな声で話して欲しいと青年は思う。

    「そういえば、雨降様は今年もトウイチロウなんか」
    「ほんとじゃ。トウイチロウじゃ」
    「すっと今年も勝ったんか。外のポケモン使いば手ごわいと聞くけんど村のもんも捨てたもんじゃなかね。さすがは村長のお孫さんじゃ。頼もしい限りじゃのー」

     村長の孫?
     その言葉に反応して、ツキミヤは雨降の役者を見た。舞台上に集められ、脚本を手渡された時に見ていたから顔だけは知っていた。そういえばどことなく似ている気がしないでもない。雨降大社の宝物殿で見た掛け軸の雨降図に似てなかなか体格のいい男だった。

    「トウイチロウさんは去年もやっているもの。要領はわかってるわね。見本がてらやってみてくださらない?」

     と、メグミが言う。
    「わかりました」と彼は答えた。
     彼は詠った。炎の妖を打ち倒す雨の神の詩。炎の詩と対を成す雨の祝詞を。経験者というだけあって太い声で盛大に謳い上げた。


     降らせ、降らせ、天よりの水
     降らせ、降らせ、天よりの水

     見よ、空覆う暗き雲を
     雲よ我が命に答えよ

     降らせ雨を 降らせ雨を 消え去れ炎よ
     降らせ雨を 降らせ雨を 消え去れ悪しき火
     我が眼前に広がるは豊かな田

     降らせ、降らせ、大地を濡らせ
     恐れよ妖 我が力
     降らせ、降らせ、野の火を流せ
     降らせ雨を 金色の大地を濡らせ





     じりじりと蝉の歌が鳴り響いている。
     雨降大社で宮司が杖を振るとお決まりの祝詞が捧げられた。
     収穫祭で毎年飽きるほど聞いている雨降大神命を讃える詩だ。
     だが、祈りの内容がかみ合っていないのじゃないかと彼女は思った。雨も水も十分にある。問題は稲の病気なのだから。

    「雨降様、我らをお救いください」
    「この村をお救いください」

     困った時の神頼みと云う。馬鹿になった稲の前に手も足も出ない村人達は連日家族ぐるみで雨降大社に押しかけた。この場に居ないのはシュウイチくらいだった。諦めをつけることもできず、田を駆け回って打開策を見つけようとしている。お手上げ状態を一番よくわかっているのは彼なのにだ。
     村人達はただ祈ることしか能がなかった。
     実がつかないのは祈りが足りないからだ。信心が足りないからだ。いつしかそのように妄執するようになっていった。
     下らない、とタマエは思う。

    「収穫祭の神事を前倒しして執り行おう。稲が実をつけるように」

     息子を隣に従えて、村長が言った。
     稲が実をつけないから収穫祭の神事を前倒しか。うまいことをやるもんだ。ある意味タマエは村長の手腕に感心した。実りの無い収穫祭ほど村の首長の格好のつかないものはないからだ。

    「おおそうじゃ」
    「それがよい」
    「そうしよう」
    「野の火じゃ、舞台の準備をせい!」

     それはおかしな盛り上がりだった。
     救いの無い提案とわかっていてもそれにすがる。皆、今の現実を忘れたいからそれにすがる。
     村長の家にテレビが来て、毎日真新しい情報が入ってくる。それなのに村の人々は根本は何もかわらない。古臭い伝統とこの土地に縛られ続ける。
     娘の思いはますます強まった。ああ、こんな村早く出て行きたい。

    「配役はどうする」
    「そうやのう、雨降様はキクイチロウさんにやってもらうのがよかろう。この村をしょって立つ未来の村長だからのう」
    「九十九はどうする」
    「九十九か。こんな時期に人柱みたいなもんやな」
    「誰もやりたがらないんちゃうか」
    「だが、必要な役だ」

     村の人々が口々にいろんなことを言う中、キクイチロウが声を上げた。

    「皆さん、それなら適役がおります」
    「誰じゃ?」
    「皆さんがこうして大社に集まられているというのに、一人だけどこかをほっつき歩いている男がいる……これは雨降様への我が村の守護神への冒涜だ」

     まるで演説するように彼は言った。
     まさか、とタマエは思う。

    「なんてやつじゃ」
    「けしからんのう」
    「愚かな奴じゃ」
    「だがだからこそ、妖狐九十九にはふさわしいと言えるでしょう」

     まさか。
     まさか、彼のことを言っているのか。

    「彼を探し出してここへ。たぶん田んぼをほっつき歩いているはずです」

     違う。彼はそんなんじゃない。そりゃあ、多少空気の読めないし変人のきらいはあるが、彼はこの村の誰よりリアリストだ。考えも無く、神にすがるのではなく自身で解決策を見出そうとしているのだ。彼は強い。こんな状況になっても自分を見失わない。……愚か者はお前達のほうじゃないか。
     だが、娘の思いとは裏腹に群集を煽り立てるようにキクイチロウが叫ぶ。狐狩りをはじめる領主のように叫ぶ。

    「シュウイチをここへ!」

     タマエの中で、何かが切れた気がした。





    「……ひどい目にあった」

     空の色はとっくに暗くなっていた。
     もう散々だと言わんばかりに疲れきった顔をして青年は呟く。
     役者達はそれぞれの宿泊先に帰ってゆく。皆同じように疲れきった顔をしていた。
     集会場の壁に寄りかかるツキミヤとヒスイは、ナナクサを待っている。彼は襖の開いた大部屋の出口でメグミと何やら話し込んでいた。
     疲れていて何の話をしているのかまで耳に入らなかったが、メグミは相変わらずのマシンガントークでナナクサはやや圧されている感があった。昼間にあれだけ叫んだり、怒ったりしていたのに見た目に似合わずパワフルな女性である。もしかしたらタマエさんもあんな感じだったのかもしれないな、などとツキミヤは考えた。
     やがて集会場に彼女の妹が現れる。姉の手を引っ張ると外へと連れ出した。ナナクサに手を振って別れる。

    「ごめんごめん、二人ともお待たせ」

     ナナクサが軽い足取りで歩み寄ると疲れ顔の二人を見下ろした。

    「メグミさんって喋りだすと止まらなくてさー、ノゾミちゃんが来てくれて助かったよ」
    「何の話をしてたんだ」
    「別に。内容自体は他愛のないことだよ」

     ツキミヤが尋ねるとナナクサはそのように答えた。本当に関心の無い内容だったらしい。
    "あの子自身はどこか村の人間とは距離をとっているんだ"
     青年なぜかタマエの言葉を思い出していた。

    「とりあえず帰ってご飯を食べよう。そしてお風呂でさっぱり汗を流す」
    「賛成だ」

     と、青年は答える。

    「風呂に入ってさっぱりしたら、夜の特訓だ」
    「!?」

     ツキミヤとヒスイは目配せする。
     互いに逃げ出そうとしたが、ツキミヤは右肩を、ヒスイは左肩をがっちりと肩をつかまれてあえなく御用となった。二人の両肩の間でナナクサが邪悪に笑う。

    「二人とも今夜は逃がさないよ。特にコウスケはたっぷり稽古をつけてあげる」

     語尾にハートマークをつけんばかりに存分に感情を込めてナナクサは言った。
     敵はメグミにあらず。真の鬼演出はこいつだ。
     青年の耳にはナナクサの言葉が呪詛のようにしか聞こえなかった。





     タマエは田の道をゆく。
     青い稲穂の海の上に立つ社がだんだんと遠ざかってゆく。

    「燃えろ、燃えろ、燃えてしまえ」

     娘は口ずさむ。呪いを込めた言霊を。
     もう嫌。もうこの村は嫌。出て行ってやる。出て行ってやるんだ。

     夏の日の蜃気楼。
     ゆらゆら揺れる稲穂の海に彼女は炎の幻影を夢見る。
     もしこの稲の青が真っ赤に染まったなら。
     彼女はついに気がついてしまった。自身の望み、自身の願いに。
     たぶん以前にも考えたことがあったのだ。けれどその時は忘れたのだ。
     そうだとも。すがるものがなくなってしまえばよい、いっそすべてが灰になってしまえば、この村から出て行ける、自由になれる。
     そうこれこそが私の望み、私の叶えたい望みなんだ。

     あれから五日ばかり経って、蝉の鳴り止んだ夜に神事は執り行われた。
     彼女が禁域に再び足を踏み入れたのはその前の晩のことだ。

     家から持ち出したしゃもじを握り締め、彼女は暗い山の道を行く。
     今ははっきりと思い出せた。あの時、自分がシュウイチと禁域に入った理由を。
     キクイチロウを呪おうとしたのだ。当時、子ども達の間でもっぱらの噂だった方法で。
     彼は舞台ごっこと称して、タマエの仲の良かった女の子のアチャモを、自分のミズゴロウで散々にいじめたのだ。炎のポケモンはみんな九十九の手下だ。俺が成敗してくれる。そう言って散々にいじめたのだ。腹を立てたタマエは妖狐九十九に頼んで、彼を懲らしめようとした。けれど一人で禁域に入るのが怖くて、シュウイチを付き合わさせたのだ。
     呪いの方法はこうだ。雨降様に供えるのと同じように九十九にしゃもじを供えるのだ。場所は禁域にある大きな岩だ。そこにしゃもじを供えて、望みを言えばよい。そこは妖狐九十九が力尽きた場所で、その岩は九十九の怨念で出来ているのだ――。
     だが、その時の呪いは失敗に終わった。岩を見つける前に大人たちに捕まってしまったから。

    「……あった。本当にあったんだ」

     まるで彼女が来るのを待っていたかのように、それは月光に照らされて横たわっていた。
     苔むした岩。けれどそれは野ざらしにされていても、存在感があり、何かしらの力が込められていそうな岩だった。
     彼女はおそるおそる岩の上にしゃもじを乗せた。
     愚かだとは思う。結局自分も村人達と同じであって、神頼み――いや妖怪頼みをしようとしている。自分で火をつけることはできない。自ら手を汚す勇気が無いのだ。

    「……ツクモ様」

     と彼女は呟いた。
     雨降に願うのと同じように手を合わせ、神の名を呼んだ。
     
    「九十九様、九十九様、どうか田を燃やしてください。雨だけは降り、背の丈だけは伸びるから、皆希望を捨てきれないのです。皆が田から離れるにはもっと決定的な出来事が必要なのです」

     祈念も呪詛も人の願い。
     信仰のあるところに神は宿り力を持つ。

    「燃えよ、燃えよ、大地よ燃えよ」

     彼女は呟いた。
     明日にシュウイチが詠うであろう炎の詩を。



     妖狐九十九よ。我が望み叶え給え。



     村に大火が起こったのは次の日の夜だった。
     巨大な炎が上がったのは、ちょうどシュウイチが野の火の舞台で詩の一行目を詠んだ時であったという。


      [No.18] (十壱)共犯者 投稿者:No.017   投稿日:2010/08/14(Sat) 10:09:54     47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


     遠くのほうではまだ祭の火が燃えている。
     村を一望できる棚田の丘の上で三人は向き合った。

    「舞台の上ではお互い名乗りもしなかったからね、改めて自己紹介するよ。僕はツキミヤ。ツキミヤコウスケ。こっちに隠れているのはナナクサ」
    「…………ナナクサシュウジです」

     ツキミヤの影からそっと顔を出してナナクサも続いた。

    「いつまで僕の影にかくれているつもりだ。そもそもすべての元凶は君だろう」
    「な、なんだよそれ!」
    「君がとにかく選考会に出て、優勝しろと僕に無理強いしたんじゃないか。つまり僕が反則技を使ってまで勝利したのは、すべて君に責任がある」

     エネコの首ねっこをつかむようにナナクサを引きずり出すと褐色肌のトレーナーの前に突き出す。

    「という訳で、リザードで火あぶりにするなら彼にしてください」
    「薄情者!」
    「だって、僕にはまだ九十九を演じるという重大な任務が残っているじゃないか。犠牲になるのは君の役目だろう」
    「そんな……」

     ナナクサは褐色肌のトレーナーのほうを見る。
     あいかわらず、鋭い目つきでこちらを睨んでいた。

    「…………」

     トレーナーがモンスターボールに手をかける。

    「うわああああ! ごめんなさい! ごめんなさい! 僕の身体燃えやすいんだ! 火あぶりだけは勘弁してぇ!」
    「燃えやすい、燃えにくいに個人差なんてないだろう。さあ」
    「とにかく嫌だ!!」

     泣き叫ぶナナクサのリアクションを見て満足したのか、青年はナナクサを引っ込めた。
    「あいつ怖い。本当に焼き殺されるかと思った」と、ナナクサが呟く。

    「ルールを破って戦っていたことは謝罪するよ。でもどうしてもこの役に就きたかった。どうしても九十九になりたかったんだ。だからここは見逃して貰えないかな」

     さきほどの飄々した態度とは一変、あくまで相手に許しを乞う姿勢でツキミヤはトレーナーに語りかけた。
     トレーナーはしばらく黙っていたが、やがてモンスターボールを腰に戻すと、

    「……ヒスイだ」

     と言った。

    「え?」
    「自己紹介だ。戦った相手の名を聞くのはこの国の流儀なのだろう? だから」
    「……あ、ああ」

     変わったペースの持ち主だと青年は思った。
     気を取り直して本題に入る。

    「こんなことを言ったら怒るかもしれないが、僕の目的はあくまで九十九を演じることだ。黙っていてくれるなら出演報酬はすべて君に譲ってもいいと思っている」

     そんな提案を持ちかけて、反応を伺う。すると、

    「それは、報酬目当てで出演する輩にだけ通用する取引だな」

     と、ヒスイは答えた。
     ツキミヤとナナクサが顔を見合わせる。

    「……つまり君も九十九様をやりたかったってこと?」

     ナナクサの問いにヒスイは静かに頷いた。

    「こりゃあ今年は豊作だなぁ。昨年も一昨年も、報酬目当ての大根役者ばかりだったって言うのに」
    「動機としては大変素晴らしい。けど困ったことになったね」

     報酬で買収できないとなると、どうやってこの事実を隠蔽すればいいのだ。
     ツキミヤはそっと足元を見る。やってしまおうか、と。この距離なら掴まえるのは容易いだろう。自分の中に蠢く影達にならそれが出来る。幸い、相手は自身に少なからず敵意を向けている。付け入るのは簡単だ。

    「……提案があるのだが」

     ツキミヤが半ば本気で行為に及ぶことを考えている刹那、突如としてヒスイが言った。



    「何? もう一人家に泊めたい?」

     寝巻き姿のタマエが、不機嫌そうな表情で言った。
     もう眠ろうとしていたらしく目を擦る。

    「お願いします」
    「僕からもお願いします」

     ナナクサとツキミヤは二人して、家の主人に頭を下げた。

    「ヒスイさんって言うんですが、その一言で言うならジャポニカ種みたいな奴でですね、コウスケと共演するんです。九十九様の一族の役で」
    「しかも宿にあぶれてしまったらしくてですね、ずっと野宿してたんだそうです」
    「タマエさん、コウスケもめでたく九十九様の役になったことですし、ここはひとつお願いします」
    「その、彼は僕と決勝戦で当たってですね」
    「つまり彼が負けてくれなかったら、コウスケは九十九様になれなかった訳で」
    「祭が終わるまで泊めてやってくれませんか」

     再び頭を下げる二人の青年。 

    「………………勝手にせい」

     タマエは一言そう吐き捨てて、自身の寝室の襖をぴしゃっと締めた。

    「……なんかタマエさん機嫌悪いね。せっかくコウスケが九十九様に決まったっていうのに」

     ナナクサがぼやく。

    「そもそもタマエさんに頼まれてなった訳じゃないからね。とにかく了承は貰ったんだからいいじゃないか」

     そう答えたのはツキミヤだった。
     二人は穴守家の長い廊下をすたすたと歩きながら、そんな会話を交わした。

    「ヒスイさん、お待たせ」

     ナナクサがツキミヤがはじめてこの家の敷居をまたいだ時に待たせていた部屋の襖を開く。
     まさか祭の期間中にもう一度使うことになるとは思わなかった。
     一方のヒスイといえば静かに部屋に立って一心に何かを見上げている。

    「何見てるの?」

     彼は部屋に掛けてあった一枚の絵に見入っていた。
    「ああ、その絵」と、ツキミヤが呟く。
     自分もタマエとナナクサを待っている間にその絵を見つめていたから。

    「……ホウエン神話の二つ神」

     絵を見て、ヒスイは呟いた。
     対立する赤と青。大きな二匹のポケモンと彼らを囲む人々とポケモン達。両者は睨みあって――

    「へえ、やっぱり"あんな提案"するだけあってこういうのに興味があるのか」
     
     ツキミヤがそのように尋ねると

    「信仰というのは難儀なものだ。大きな神が二つもあるからこういうことになる」

     絵を睨みつけるようにして険しい表情でヒスイは答えた。
     ツキミヤは深くは追求しなかったが、彼の言葉からは何らかの決意のようなものが見て取れた。

    「変なものがいろいろあるだろ。早い話が物置なんだよ。この部屋」

     そう言ったのはナナクサだった。

    「亡くなったタマエさんのご主人の収集品とか、タマエさんちのあらゆる黒歴史が眠っているんだ」
    「……収集品は黒歴史なのか?」

     ツキミヤが突っ込む。
     ナナクサは適当に箪笥を選別すると、引き出し一つに手をかけにやりと口を歪ます。

    「たとえば、この箪笥を開いたら、村長さんがタマエさんに充てた恥ずかしい恋文の一つくらい出てくるかも」
    「村長さんかよ」
    「その昔、タマエさんに求婚して振られたのを今でも根に持っているんだよ。あの人は」

     彼が引っ張るとすすっと箪笥の引き出しは開いた。
     ナナクサがごそごそと中を引っ掻き回す。どこぞの家の秘密を暴く家政婦なんだろうこいつは。ツキミヤは呆れながらも別に止める気はなくただ眺めている。しばらくしてナナクサの手が止まった。

    「……ねえコウスケ、すごいもの見つけちゃった」

     どういう訳か肩が震えている。
     懸命に興奮を抑えるようにナナクサは言った。

    「恥ずかしい恋文か?」
    「タマエさんが若い頃の写真」
    「ぶっ」

     ナナクサの両肩から二人の青年がにゅっと顔を出して、ナナクサの手にある写真を覗き込む。
    「ほお、」と、ヒスイが声を漏らした。
     結婚の記念にでも撮影したのだろうか。それは薄い冊子の中に閉じられていて、古さの割りに痛みは少ない。
     中には二人の男女。凛とした着物姿の長い黒髪の女性、そして和服の男が立っていた。おそらく隣の男が他界したタマエの夫なのだろう。それにしても目を引くのは顔立ちの整った黒髪の女性だ。いつだったか道で出会ったノゾミの姉だって美人なほうだろうが、とても彼女には太刀打ちできそうになかった。

    「美人じゃないか……なるほど村長さんが求婚したくなるわけだ」

     ツキミヤは心底納得して言った。

    「コウスケに美人だって言わせるなんて相当だよね。いやでも本当に綺麗だ。まさにオニスズメノナミダとでもいうのか……」

     目を輝かせ、誇らしげにナナクサは言った。

    「オニスズメの、涙?」
    「うん、すごくおいしい米なんだ」
    「……へえ」
    「いやぁ、いいもの見つけちゃったなぁ」

     彼はうっとりとして写真に見いる。

    「風呂に案内するよ」

     穴が開くほどに写真を見つめるナナクサはしばらく使い物にならなさそうなので、ツキミヤは案内役を買って出る。約一人を放っておいて、二人は部屋を出た。ちょうど脱衣場の入り口に来たあたりでタオルを巻いた少年と鴉にばったり出会う。
    「おー、コースケ帰っておったんか」と、すっかり馴染んだ様子でタイキは言ったが、ヒスイの姿を見た途端、

    「あーっ! おまんは決勝戦のジャポニカ種! なんでここにおるんじゃ!」

     と、叫び声を上げた。

    「ああ、こちらヒスイさん。ちょっと諸事情あって今日から彼も泊まることになったから」
    「そうなんか。よくタマエ婆が許可したのう」
    「ナナクサ君と二人してお願いしたからね」

     ツキミヤがにっこりと笑う。一瞬、タイキの肩に止まる鴉と目があったが、鴉はぷいっとそっぽを向いた。

    「じゃあ僕は後で入るから。上がったら声かけてくれよ」

     なんとなく一人で入りたさそうな雰囲気を察して、ツキミヤはそのように伝えた。
     ナナクサが無断で入ってくるかもしれないから気をつけて、とも警告した。

    「わかった。その時は焼き殺す」

     あまり冗談ではなさそうな目でヒスイが言って、伝えておくよとツキミヤは返した。
    「ところで」と、ヒスイが尋ねる。

    「まだ何か」
    「ジャポニカシュとは何だ?」
    「…………」

     たぶん外国産の米だろうとはとても言えなかった。
     


    「提案があるのだが」

     あの時、祭の灯火を一望しながらヒスイはそのように言った。

    「提案?」
    「いまさらツキミヤが不正をしていたと騒いだところで、祭が混乱するだけだろう。それに正確に言うならば俺の目的は九十九を演じることではない」
    「どういうことだい?」

     怪訝な表情をしてツキミヤは尋ねる。
     たしかに先程九十九を演じたいのかと問うた時に頷いたではないか。
     
    「俺の目的は仮説を試してみること」
    「仮説?」
    「プロフェッサー……つまり俺の先生は、ホウエン中の伝承を研究していている。俺は先生に課題を与えられてこの村に来た。仮説を実際に試せるなら、俺自身が九十九になる必要は無い。条件を飲んでくれるなら役はくれてやる。報酬もいらない。ただあえて言うなら……」
    「あえて言うなら?」

     今度はナナクサが尋ねた。

    「泊まれる場所を紹介してくれないか。ここに着てからずっと野宿なんだ」



     りーりーと虫が鳴いている。
     響いていた太鼓の音もさすがに静まって、あたりを包むのは秋の虫の声ばかりだ。
     一風呂浴びたツキミヤは寝室の襖を開けた。
     寝室にはふたつの布団が敷いてある。
     そのうちの一つには先客が居て膨らんでいた。

    「それにしても、君の提案を聞いた時は驚いたよ」

     隣の布団に潜り込むとツキミヤは先客――ヒスイに声をかけた。
     そう、誰が想像するだろうか。
     この村の中自分達と同じことを考えている人間がいるなどと。

    「まさか君が"舞台本番に雨降を倒せ"だなんて言うとはね」





     同じ家の別の部屋。
     淡く灯った灯篭の隣で、布団に横たわり天井を見上げる老婆の姿があった。
     眠ろうとすればするほどに目が冴えていき、時間だけが過ぎてゆく。時計の秒針がざく、ざくと時を刻んだ。
     正直、二人の青年が連れてきた新しい客人のことなど今の彼女にとっては二の次だった。

     ――ねえタマエさん、ツクモ様が夢枕に立って、演じてほしいって云ったんだって言ったら信じてくれます?

     ツキミヤのその言葉がずっと彼女の胸につかえていた。
     考えまいと、忘れようとするほどにに記憶は鮮やかに蘇る。声が聞こえる。
     ああ、あれは夏の声、蝉の歌だ。
     もう何十年も前の夏の歌だ。



     女は狂気を口ずさんで道を行く。
     彼女はおそらく村で一番の美人であり、村長の息子をはじめ村の男達は皆が彼女を嫁にしたがった。
     けれど彼女は嫌いだった。この村も。この村の人間達も。

     燃えてしまえばいい、みんな燃えてしまえばいいのよ。
     そうしたら――。

     声は蝉の声に掻き消されて。村の人々には聞こえない。
     女は歌う。呪詛の歌を。
     言葉には力が宿る。それを言霊と人は呼ぶ。

    「燃えろ、燃えろ、燃えてしまえ」

     その言霊を口にすると村の子ども達は大人達に殴られたものだ。
     そんなことを云ってはいけない。口にしてはいけない。
     口にすればやってくる。炎の妖がやってくる――

     夏の日の蜃気楼。
     ゆらゆら揺れる稲穂の海に彼女は炎の幻影を夢見ていた。
     もしこの稲の青が真っ赤に染まったなら。
     そんな幻想が頭に浮かんだのは去年の夏か、一昨年の夏だったか。
     それがいつしか頭から離れなくなっていた。

     燃えてしまえ。燃えてしまえ。みんなみんな灰になってしまえばいい。
     燃えてしまえばいい、みんな燃えてしまえばいいのよ。
     そうしたら――

    「そうしたら私は自由になれるの」


      [No.17] 第2話「出発」 投稿者:あつあつおでん   《URL》   投稿日:2010/08/14(Sat) 07:32:49     74clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    黄金色の朝日が寝呆けまなこのワカバタウンを照らしている。雲は新雪のように白く、澄み切った青色の空によく映える。この町に、ひたすら走る親子がいた。
    「しかし、お前もとんでもないものを忘れるな。トレーナーにポケモンは必須だろ」
    「仕方ないでしょ、昨日決めたんだから」
    走っているのはダルマと父である。ダルマは青空のようなジーンズと真っ白な半袖シャツという旅らしい格好だ。
    「ところで、何で父さんまで走っているの?」
    「何だ、俺がいちゃ悪いか?せっかくの息子の門出なんだからな」
    「よく言うよ、暇なだけでしょ」
    このようなやりとりをしているうちに、2人は足を止めた。目の前には田舎町らしからぬ建物がある。表札には「ウツギ研究所」と書かれている。
    「よし、入ろう」
    ダルマが研究所に近づき、ドアに手を掛けた。
    「ウツギ博士、おはようございます!」
    「やあダルマ君、おはよう。……今日はお父さんも一緒かい?」
    研究所に入ったダルマは、元気良く挨拶をした。答えたのはこの研究所の主、ウツギ博士だ。すらりとした長身で、研究者にもかかわらずそこそこの体格である。
    「そうなんですよ、ウツギ博士。うちのバカ息子が急に旅をすると言い出したもので」
    「へえ、遂にダルマ君も旅ですか」
    ウツギ博士はゆっくりと歩き、近くの戸棚に手を伸ばした。そこには、赤と白が半々に塗られた球状の物が3個あった。
    「ここに3個のモンスターボールがあるんだ。ここから君のパートナーを選んでよ、ダルマ君」
    博士がモンスターボールを机に置くと、ダルマは飛び付いた。そして、首を左斜めに傾けた。
    「じっくり考えると良いよ、大事なパートナーだからね」




    「よし、こいつに決めた!」
    数分後、ダルマは元気良く叫んだ。彼は右端のモンスターボールを掴んでいた。
    「決まったみたいだね」
    「で、どんなやつなんだ?」
    「……それじゃ、ご対面だ。出てこい!」
    ダルマは頬を緩ませながらボールを投げた。ボールは放物線を描き、光を放った。出てきたのは、青い体の半分はあるだろうあごと、背中にある紅葉色のギザギザが特徴のポケモンである。
    「ワニノコだね。僕もこいつは最高のポケモンだと思うよ!」
    「ありがとうウツギ博士!それとよろしく、ワニノコ」
    ダルマはウツギ博士に頭を下げると、ワニノコと握手を交わした。
    「……それじゃ、いよいよ出発か。やるからには、最後まで全力を尽くせよ」
    父親が息子に最後の伝えると、ダルマの目に火が着いた。
    「勿論!じゃあ父さん、ウツギ博士、行ってきます!」
    ダルマはもう一度一礼をすると、元気よく研究所を飛び出すのであった。


      [No.16] 第1話「ニュースから始まる物語」 投稿者:あつあつおでん   《URL》   投稿日:2010/08/13(Fri) 16:19:38     210clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「な、何だこりゃ!?」
    ある日の夕方、ジョウト地方ワカバタウンの少年ダルマは椅子から転げ落ちた。彼はすぐさま起き上がると、背中をさすりながらテレビにかじりついた。
    「では、今回は参加可能な人数が増えるのですね?」
    「そうです。今回のポケモンリーグセキエイ大会は、参加可能な人数を従来の128人から倍の256人に増やします」
    テレビ画面の向こう側では、メモをしている記者らしき人達に1人の男が話している。赤く、天に向かった髪と、黒マントに黒スーツという黒尽くしの衣装が印象的だ。
    「では、増加決定の経緯を教えて下さい」
    「わかりました。今までポケモンリーグは狭き門で、やる前から諦める人もたくさんいました。今回の決定はそのような人がいないポケモンリーグを目指すための措置なのです」
    「今回の決定による変化はどのように予測されますか?」
    「そうですね、1つ目は今まで挑戦したことがない人がチャレンジすることによって、新たな才能を見つけだすでしょう。2つ目はトレーナーが活発に動くことによって町同士の交流が活発化します」
    黒尽くしの男からの言葉に、記者達は思わず声を漏らしたり、メモに殴り書きをしていた。ペンの音がテレビ越しに聞こえてくる。「では、これで発表を終了します」
    黒尽くしの男は一礼をすると、そそくさとその場を後にした。その映像を見終わったダルマはテレビの電源を切った。すると画面から映像がゆっくりと消えていった。
    「これはもしかしたら行けるかもしれない」
    ダルマは焦る気持ちを押さえつつ、自分の部屋から出て階段を駆け下りた。目指す場所はリビングだ。
    「父さん聞いてくれ! 俺旅に出ることにしたよ!」 ダルマは自分の父に向かって話し掛けた。父はすぐさま振り向き、尋ねた。
    「旅だと? この間まで行きたくないと……ははぁ、さっきの番組か」
    「そうだよ。ポケモンリーグが開催される。しかも今回は本選に参加できる可能性が高いんだ。こんなチャンス滅多に無いよ!」
    一気にまくしたてるダルマをやんわりと止めた父は、窓から暗い空に浮かぶ雲を眺めながら話した。
    「それはお前の決めたことだ、好きにしなさい。だがお前は俺の息子だけあって、野心が途中で消え失せるからなあ」
    「大丈夫だよ父さん。今回は最後までやりとげる! 安心して待っててよ」
    「……そこまで言うならもう何も言わん! 自分の決めたことを貫け!」
    「ありがとう父さん!」
    ダルマは笑顔で荷物の準備を始めた。その間ずっと笑っていたのは言うまでもない。




    翌朝。すっかり荷物の準備を整えたダルマは、リュックサックを背負うと、家の外に出た。
    「準備できたか」
    腕を組んでいる父に、ダルマは軽く答えた。
    「大丈夫だよ。……あ」
    「どうした?」
    「……ポケモン貰わなきゃ」


    その朝、町中を走る親子が見かけられたのはここだけの話である。


      [No.15] 【連載】大長編ポケットモンスター「逆転編」 投稿者:あつあつおでん   《URL》   投稿日:2010/08/13(Fri) 16:14:53     82clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     全ての少年少女に送る冒険物語、ここに誕生!

     バトルとゲットを繰り返し、ライバルとの熱き戦いに明け暮れる。仲間と旅に出て、まだ見ぬ世界を探しに行く。強大な敵を打ち破り、世界を守る……。皆が1度は憧れた夢物語を、今ここに呼び覚ます!

     人物の成長に目を見張れ。戦いの行方に手に汗握れ。怒涛のラストに度肝を抜かせ! 冒険は、ここにある!

     大長編ポケットモンスター第1部「逆転編」、完結。作者:あつあつおでん。

     〜ここまで宣伝〜


    どうも、あつあつおでんです。サイト改装で今までの投稿がなくなったので、また1話から投稿させてもらいます。お時間があれば、読んでいってください。
    *2011年5月19日より、「大長編ポケットモンスター」のタイトルを「大長編ポケットモンスター『逆転編』」に変更しました。
    *2011年10月19日をもちまして、当連載は完結しました。


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