マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1533] 決着。そして伝説へ。 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/03/18(Fri) 16:06:21     39clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「本当の勝負……ねえ。いいぜ、ここからてめえに本当の地獄を見せてやる。さあ次のモンスターを出しな!」
    「俺は負けない!出てこい、そしてシンカせよ!その輝きで笑顔を照らせ、メガヤミラミ!」

     ヤミラミの体が光輝き、宝石が巨大な盾となる。メガシンカすることで守りに秀で、さらにメタルバースト
    で攻撃を反射することも出来る強力なポケモンだ。だがシリアはそれを鼻で笑った。

    「メガヤミラミ、敵じゃねえな。まずはギラティナ、回復封じ!」
    「自己再生を封じにきたか……メガヤミラミ、シャドークロー!」

     宝玉の光が強い陰影を映し出し、色濃くなった影がギラティナの巨体を切る。しかし……

    「無駄だ。その程度の攻撃はギラティナには通用しない!」

     その一撃は、ギラティナのぼろぼろの羽根を薄く傷つけただけだった。

    「ギラティナ、竜の息吹!」
    「メガヤミラミ、メタルバースト!」

     ギラティナがこの世のものとは思えない、蒼と黒と白が混ざったような気味の悪いブレスを放つ。それはヤ
    ミラミの大楯に当たり、物理法則を無視してぐにゃぐにゃに散乱したが、メタルバーストの効果は発動する。さ
    らに、ヤミラミの影が伸びる。

    「光と闇、今一つとなりて新たな力を生み出さん!混沌螺旋カオスバースト!」

     メタルバーストの反射に影打ちを組み合わせ、高速で光と闇による螺旋状の一撃を生み出すサファイアとヤ
    ミラミの新たな技。輝きと影、二つの相反する攻撃を受けてギラティナの体の周りに爆発が起こる。だがなおも
    ――伝説の竜の姿は、びくともしない。

    「……怨みとプレッシャーの効果発動。貴様の影打ちとメタルバーストのエネルギーを奪う」
    「びくともしない……これがシリアの伝説のポケモンの力なのか」
    「そうだ、これがゴーストタイプ最大の体力、そして耐久力を持つギラティナの力……だがそれだけじゃねえ
    。こいつの伝説たる力を見せてやる!ギラティナ、シャドーダイブ!」

     ギラティナの体が、唐突に消える。ゴーストダイブと同じ種類の技かと思ってあたりの影を見渡すが、どこ
    にもギラティナの存在は感じない。

    「メガヤミラミ、守るだ!」

     ヤミラミの体が緑色の防御壁に包まれる。今やこの守りは四天王のイグニスのファイヤーの業火さえ防ぎき
    るほどだ。ひとまず相手が姿を現すまで耐え凌ごうとするサファイア。

    「読み通りだ……やれ、ギラティナ!!」

     ギラティナの体は、何もない空中から穴をあけて顕れ、メガヤミラミに向かって突撃する。その一撃は緑の
    防御壁を――そもそも存在しないかのように突き抜け、ヤミラミの体を吹き飛ばした。

    「なっ……」
    「シャドーダイブは影に隠れて攻撃するだけのゴーストダイブとは決定的に違う。こいつが隠れるのはな、こ
    いつの世界そのものなんだよ。全ての物理法則が通用しない空間。その性質を得て攻撃することで一瞬だがギラ
    ティナはあらゆる防御を無効化することができる!!」

     サファイアは、ギラティナの出てきた『穴』を見た。見てしまった。その中は、大地が天に、天が大地に存
    在し、水が下から上に流れ草木の根が触手のように直接空間に蔓延っている名状しがたい空間だった。思わず吐
    き気がこみあげるサファイア。

    「そんな技が……大丈夫か、メガヤミラミ」
     
     ヤミラミは何とか宝石に縋るようにして立ち上がる。よく見れば、ダメージだけではなく体が麻痺していた
    。竜の息吹の効果だ。

    「さあ止めだ!ギラティナ、祟り目!」
    「……ヤミラミ、守る!」

     ギラティナの破れた翼から放たれる瞳型の光線を、今度こそ防御壁が防ぐ。だがその間にもプレッシャーの
    特性が技を出すエネルギーを削っていく。

    「ひとおもいにはやらねえ、俺を本気で怒らせたこと、たっぷり後悔させてやる……ギラティナ、怨み!」

     さらに負の思念が守るのエネルギーを削り取る。もう一回使えればいい方だろう。

    「お返ししてやるよ、影打ちだ!」
    「……メタルバースト!」

     ギラティナから伸びる影を、ヤミラミが宝石で防いで跳ね返す。しかし元々影打ちの威力は低いのと、ギラ
    ティナの圧倒的な体力の前にはほとんど効果がない。

    (それでも、まったく効いてないなんてことはあり得ない……耐え続けて攻撃を仕掛ければ、勝機は)
    「あるとでも思ってるんじゃねえだろうな?さあ怨めギラティナ!お前を理不尽な世界に閉じ込めた奴らへの
    怨みを晴らせ!」

     負の思念が、ことごとくヤミラミの技を放つエネルギーを削っていく。その憎しみは、過去におくりび山で
    の使命を強制されていたシリア本人のものでもあるようにサファイアには思えた。

    「さあ止めだ!シャドーダイブ!」

     ギラティナがこの世の物理法則が通用しない世界へと隠れ、全ての守りを無効にする渾身の突撃がヤミラミ
    の体を吹き飛ばす。

    「どうだ、これが俺の……」
    「詰めが甘いぜシリア!」
    「何?」
    「メガヤミラミ、混沌螺旋カオスバースト!」
     
     再び、光と闇の螺旋がギラティナに飛んでいく。直撃し、ギラティナが始めて苦しそうな雄たけびをあげる


    「まだメタルバーストを打つ余力があったとはな……だがこれで終わりだ、祟り目!」
    「……戻れ、メガヤミラミ」

     二発のシャドーダイブでヤミラミの体力は尽きる寸前だった。守るを使うエネルギーも切れ、防ぐ術なく倒
    される。だがサファイアの闘志は挫けない。

    「続いて現れろ!全てを憎しみを引き裂く戦慄のヒトガタ――メガジュペッタ!!」
    「――――!!」

     ジュペッタがケタケタ笑いを浮かべながら出てくる。その笑い声が、熱くなりすぎるサファイアの頭を冷や
    してくれる。

    「シリア、あんたは怨みで技を出すエネルギーを切らすのを狙うならメタルバーストが打てなくなるのを確認
    してからとどめを刺しに来るべきだったんだ。回復封じ、シャドーダイブの

    防御封じと攻撃回避……そして怨みとプレッシャーの技封じ。一見無敵に見えるけど実はそうじゃない。今のシ
    リアは――その強さで相手を見下しててスキが出来てる。俺が知ってる幽雅なチャンピオンはそんなミスしなか
    った」
    「……ちっ」
    「それに――シリアは、今バトルしてて楽しいか?ワクワクしてるか?」
    「はっ、くだらねえ。これはジャックのところに行くための踏み台のバトルだ。そうでなくても、俺にとって
    はバトルは勝つためだけにあるんだ。そんな感情、入り込む余地はねえよ」
    「……だったら、俺がこのバトルでシリアをワクワクさせてみせる。そういうチャンピオンに、俺はなる」
    「なら俺を倒してみろ……ギラティナ、眠る!」

     ギラティナが瞳を閉じ、ヤミラミが折角削った体力を回復させる。回復封じの効果は終了したらしい。

    「さらに!カゴの実の効果が発動し、俺のギラティナは眠りから覚める……これでお前のヤミラミの努力も無
    駄ってわけだ」
    「いいや、それは違うさ。メガジュペッタ、影分身!」

     ジュペッタの体が高速で分身していく。ギラティナは本体を見失う。

    「またちょこまかと逃げるだけか?まだギラティナの技はある。波動弾!」

     ギラティナの『気』が具現化し、蒼と黒と白が混ざったような光弾が放たれる。それはまっすぐにジュペッ
    タの本体へ飛ぶ。格闘タイプの技ゆえにジュペッタにはダメージはないが――

    「ふん、そこが本体か。竜の息吹だ!」
    「もう一度影分身!」

     本体を見抜き、攻撃が飛んでくる前に再び分身を作り出す。特性『悪戯心』の前に思うように手が出せない
    ギラティナ。

    「ヤミラミが教えてくれたんだ。ギラティナはスピードはそこまで高くない。メガジュペッタの速度には追い
    付けない。攻撃も直線的だ。いくら守りを無効化出来ても、そもそも当たらなければ意味がない」
    「なら、怨みで技が出せないようにするまでだ!ギラティナ、やれぇ!」
    「その前に倒しきる!メガジュペッタ、虚栄巨影!」

     ジュペッタの体が巨大化し、その爪が怨みを込めるギラティナの体に傷を入れる。ナイトヘッド、シャドー
    クローの両方の技を出すエネルギーが削られるがお構いなしだ。

    「怨め!もっともっと怨め!」
    「続けろメガジュペッタ、残影無尽撃!」

     分身したジュペッタの影が伸び、無数の刃となり、ギラティナの翼を、体をさらに傷つける。そして次の瞬
    間、ギラティナの周りの空間が撓んだ。

    「ギラティナ、シャドーダイブで退避しろ!」
    「させるか、怨虚真影!」

     怨みと影打ちを組み合わせた、神速の一撃が異空間に逃げようとするギラティナをはじき飛ばす。そして吹
    き飛ばした先は――無数の分身たちの、中心。

    「これでとどめだ、必殺・影法師!」

     今までの旅で作り出した技の最後に繰り出すのはサファイアとジュペッタ――当時はカゲボウズがシリアに
    憧れて生み出した最初の必殺技。無数の巨大な影を前にギラティナが、亡霊の竜が――屈し、倒れる。

    「馬鹿な……こんな子供だましの技にギラティナが……」
    「確かにこれはあんたに騙されて作った子供の技かもしれない。でも……俺は、俺たちはあんたに騙されたか
    らこそここまでこれたんだ」
    「うるせえ……うるせえうるせえうるせえっ!出てこいメガジュペッタ!」

     サファイアの言葉に、ギラティナが倒された事実に、何より自覚せざるを得ない自分の詰めの甘さに苛立ち
    、葛藤するシリア。怒りのままにジュペッタを繰り出し、ヒマワキで見せた必殺の一撃を使う。

    「ナイトヘッドからの怨みだ!全ての技のエネルギーを刈り取れ!」

     シリアのジュペッタの体が巨大化し、凄まじい負の思念が視覚を通してサファイアのジュペッタを蝕もうと
    する。だがそれは一度見た技。何より、ナイトヘッドの弱点をサファイアは知っている。

    「目を閉じろ、メガジュペッタ!」
    「!!」

     そう、目を閉じればナイトヘッドの恐怖は伝わってこない。必殺の一撃をあっさりと躱され、焦るシリア。

    「だったら呪いと怨みだ、その呪詛で、奴の体を貫け!」
    「――――!!」

     シリアのジュペッタの手に、呪詛が纏わりついた螺子のような物体が握られる。それを特性『悪戯心』によ
    る高速の移動でサファイアのジュペッタを貫こうとして、その螺子が空を切る。理由は単純に、サファイアのジ
    ュペッタの影分身の方が速かっただけだ。

    「なっ……!俺のジュペッタの速度を上回るなんて、こんなことが……!」
    「……俺の知ってるシリアは、それくらいの不利ひっくり返したさ」
    「……!」

     呪いは自身の体力を消耗して発動する技だ。残された手段は――ただ一つ。

    「いけっ、メガジュペッタ、シャドークロー!」
    「……怨念だ!」

     サファイアの攻撃に合わせて、怨念を放つ。避けるそぶりもなく攻撃は直撃して、シリアのジュペッタが倒
    れると同時に、サファイアのジュペッタの技のエネルギーを全て刈り取った。シリアがジュペッタをボールに戻
    すと同時、サファイアもジュペッタを戻す。

    「この俺を最後まで追い詰めるとは……出てこい、サマヨール」
    「頼んだぞ、ヨノワール!」

     サマヨールとヨノワール、進化前と進化後のポケモン同士が最後に残る。苦渋の表情を浮かべるシリアに対
    し、サファイアの表情は笑顔すら浮かんでいた。

    「こんな形になったけど……シリアとバトル出来て楽しいよ。伝説のポケモンまで倒せて、すっごくワクワク
    してる」
    「……ああそうかよ」

     だからどうした、と言わんばかりのシリア。

    「俺、ヒマワキシティでのシリアのバトルのこと、最初は相手を無理やり動けなくするだけの相手を見下した
    酷いバトルだって思ってた。でも今は違う……どんなバトルにも、真剣にや

    ってるから楽しい、そう思えるんだ。」
    「……」
    「俺はシリアのバトルを否定しない。これがシリアの本当のバトルスタイルだって言うならそれでもいい。だ
    けど……『幽雅』な心まで無くしちゃ駄目だ。きっとシリアは、その方が強

    い」
    「……言いたいことはそれだけか?」
    「ああ、もうこれ以上言うことはない」

     数秒、お互いに静寂。発声は同時だった。

    「サマヨール、重力!」
    「ヨノワール、重力!」

     両手を前に突き出しお互いに発生させた重力が、お互いの体を潰しあう。ヨノワールは攻撃に優れ、シリア
    のサマヨールは進化の輝石を所持しているため防御にさらに特化している。
    攻撃と防御。純粋な力の衝突に勝ったのは――サファイアと、そしてルビーのヨノワールだった。シリアの最
    後の手持ちが力尽きる。


    「……………………俺の負け、か」
    「ああ、俺の――俺とルビーと、仲間みんなの勝ちだ」


     敗北したシリアは、何処かすっきりとした表情をしていた。憑き物が落ちた、という表現がふさわしい。サ
    ファイアの顔をまっすぐ見据えると、こう言った。その笑顔は、まさしくサ

    ファイアの知っていたチャンピオンの顔そのままだった。

    「ジャックを……俺の師匠を頼む。だが次は負けねえ。ホウエンリーグで待ってるぜ……この地方の代表、『
    幽雅な』チャンピオンとしてな」
    「わかった。この戦いが終わったら、すぐにでも行くよ」

     口調は元のまま、それだけ言って、シリアは踵を返して去っていく。それをサファイアが見送ると、再びジ
    ャックの声が響いた。

    「やあ、チャンピオンとの戦いお疲れ様。良いバトルだったよ。末期の見世物には丁度いいね」
    「それで、ジャックはどこにいるんだ」
    「まあ焦らないでよ。――今行くからさ」

     すると突如として、サファイアの目の前にジャックが現れた。もう意外とサファイアに驚きはない。

    「さあ、今ここにホウエントレーナー最強のトレーナーが誕生したわけだ。こちらも最強のポケモン達で挑ま
    ないとね」

     ジャックが指をパチンと軽やかな音を立てて弾く。すると――海を割り、大地を割り、二体のポケモンが現
    れる。


    「グラアアアアアアア!!」
    「ギャオオオオオオン!!」


    その二体こそが、この日照りと大雨を引き起こしているポケモン、グラードンとカイオーガだった。体に浮かん
    だ金色の文様から、異常なまでの力を感じる。

    「これこそがメガシンカと対を為すゲンシカイキの力。僕を3000年生きながらえさせている無限の忌々しき力
    だよ……ポケモンは回復させてあげる。だから全力でかかっておいで。そしてこの二匹を倒して――ゲンシカイ
    キの力を消滅させて、僕を眠らせてくれ。でないとこの二体はホウエンを滅ぼしてしまうよ」

     虹色の光がサファイアを包むと、ボールの中のポケモン達が回復した。ジャックはサファイアとの対戦に喜
    んでいて、ゲンシカイキの力に怒っていて、自分の呪われた生を哀しんでいて、ティヴィルにメガシンカの力を
    蓄えさせ、この状況を作り出したことを楽しんでいた。全ての感情がまじりあった不思議な笑顔だった。


    「――さあ、最高のバトルを楽しもう」
    「……やってやる」

     サファイアは覚悟を決める。ルビーの、シリアの、今まで旅して出会ってきたすべての人々の思いを込めて
    サファイアは叫ぶ。


    「俺はホウエンを守る。そして――ジャックのことも死なせない!それが俺のポケモンバトルだ!!」


      [No.1532] チャンピオンとの決戦! 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/03/13(Sun) 19:44:20     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    フワライドに乗り、トクサネシティに到着すると、海岸沿いでシリアは傘も差さずに立っていた。そこにサファ
    イアが降り立つと、シリアはいきなりボールを構える。

    「ようやく来やがったか……さあ、俺とバトルしろ!」
     
     有無を言わせぬ、という態度だがサファイアにしてみれば理由がわからない。

    「待ってくれ、シリアもジャックを止めに来たんじゃないのか?なんで俺たちが争う必要があるんだ」
    「それは……」

     シリアが説明しかけた、その時だった。

    「それには僕が答えてあげるよ、原石君」

     すると今度は電話ではなく、頭の中に直接ジャックの声が響く。周囲を見回すが、ジャックの姿はない。

    「僕は先に来たシリアにこう言ったんだ。ボクを止めたければ、原石――サファイア君を倒せってね」
    「なんでそんなこと……」
    「だってー、仮に君とシリアが協力して戦ったとして、まともに連携が取れるかい?君の方は出来るかもしれ
    ないけど、シリアには無理だね。彼は誰かと協力できる性質じゃないし、そんなバトルじゃ――楽しめないだろ
    う?」
     
     どうやらジャックの目的はあくまで楽しむことにあるようだ。そのことに少なくない怒りを覚える。サファ
    イアはまだ小さかったからあまりよく覚えていないが、10年前の大雨と日照

    りはホウエン地方全体に大きな被害をもたらしたと聞いている。ジャックがやっているのはその再来なのだから


    「それだけのために……こんなことをしているのか?自分のやってることがわかってるのか!?」
    「いいや、他にも目的はあるしむしろそっちの方が重要なんだけど――まあ、君がシリアに勝って僕の元にた
    どり着いたら教えてあげるよ。だから頑張ってね」

     気楽に、道楽のような調子でジャックは言い、声が途切れる。

    「……シリア、ジャックの言うことを聞く必要なんかない。ジャックはトクサネのどこかにいるんだろ。二人
    で協力して探して――」
    「うるせえっ!理屈じゃねえんだよ!!」
    「!」

     協力を申し出るサファイアを、シリアは一喝の元に切り捨てる。そして熱に浮かされたように、悪鬼の如き
    執念をちらつかせて。サファイアを見た。

    「ジャックはなんだか知らねえがてめえを買ってる。だがあいつに認められたのは――俺だけだ!俺だけじゃ
    なきゃ、いけねえんだ!俺はてめえのことを認めねえ!」
    「なんで、そこまで……」
    「……おくりび山を出た後、俺は死に物狂いでバッジを集めようとした。だが自力で集められたのは一個だけ
    ……ムロタウンのジムリーダーにさえすぐには勝てなかった」
     
     シリアが自分の過去を語りだす。それはサファイアにとっては驚きだった。自分たちはムロタウンでのジム
    戦に全く苦戦しなかったから。

    「どうしてもチャンピオンにならなきゃいけねえってのに、俺にはバトルの才能はないのかと絶望しかけた。
    そんな時だった。あいつが、あいつこそが俺をチャンピオンにまで育ててくれたんだ……」

     そこにはジャックへの強すぎる感謝の念と、執着心。そして彼に認められているサファイアへの嫉妬が確か
    にあった。

    「だから、俺はあいつを死なせねえ!あいつを止めるのは――俺だ!!」
    「待ってくれ、死なせないってどういうことなんだ!」
    「黙れ!てめえに知る必要はねえんだよ!出てこいヤミラミ、シャドーボールだ!」
    「なっ……フワライド、シャドーボール!」

     ヤミラミとフワライドの漆黒の弾丸が激突し、相殺し合う。


    「俺は俺のバトルでお前と、あいつに勝つ……誰にも邪魔はさせねえ!行くぞ!」

     
     ここまで長かった旅、ついに――チャンピオンのシリアが勝負を仕掛けてきた!

    「いちいち六対六の勝負に持ち込むつもりはねえ……やれヤミラミ、黒い眼差しだ!」

     ヤミラミの宝石の瞳が光り輝き、周りにどす黒い瞳が目々連のように現れる。ただ瞳に見られているだけな
    のに、凄まじいプレッシャーを放っていた。

    「これでフワライドはボールに戻ることは出来ない……てめえが降参するまで、徹底的に甚振ってやる」
    「そこまでする気なのか……フワライド、シャドーボール!」
    「ヤミラミ、封印!」

     フワライドが攻撃を放とうとする直前に、ヤミラミの手が印を結ぶ。すると、フワライドの動きが止まった
    。封印の効果でシャドーボールが使えなくなったのだ。

    「さあ更に挑発だ!」
    「今度は補助技封じか、なら妖しい風!」

     ヤミラミが指を振って挑発するのに対して、フワライドは不気味な風を巻き起こす。抵抗せずに風に吹き飛
    ばされるヤミラミだが、平然と起き上がった。

    「それでも構わない!妖しい風の効果で、フワライドの能力はアップする!」
    「……かかったな」

     シリアが陰惨に笑う。手を前に翳して、ヤミラミに指示を出した。

    「ヤミラミ、お仕置き!」
    「避けろフワライド!」

     ヤミラミがフワライドに走りより一撃を決めようとするのを飛んで回避しようとする。

    「無駄だ、黒い眼差しの効果で貴様のフワライドは逃げられない!」
    「!!」

     飛ぼうとしたフワライドが、黒い瞳のプレッシャーに動きを阻まれる。ヤミラミが鉤爪を振るい、フワライ
    ドの体を引き裂く!

    「お仕置きの効果は、貴様のモンスターの能力が上がれば上がっているほどその威力をあげる……つまり、妖
    しい風で全能力をアップさせたことで威力は圧倒的に増大する!」
    「それはどうかな!フワライド、アクロバット!」
    「はっ、無駄なことを……」

     シリアは完全にフワライドを倒したと認識していた。それもそのはず、今言った通りお仕置きの威力は凄ま
    じく上がっており、悪タイプの攻撃は効果抜群のはずなのだから。だが――

    フワライドの体は動き巨体とは思わぬアクロバティックな動きがヤミラミを翻弄し、吹き飛ばす。

    「何っ!?」
    「能力をあげる技を使えばヤミラミはお仕置きを使ってくる……俺だってヤミラミを持ってるんだ。それくら
    い読めてたさ!」
    「貴様っ……!!」
    「だから俺は敢えて能力をあげずに能力が上がったとだけ言ったんだ。シリア、俺の事を舐めてるんじゃない
    のか?」
    「言いやがったな、後悔させてやる!出てこい、歯向かう愚民を威光に跪かせる王者の盾……ギルガルド!!


     シリアが戦闘不能になったヤミラミを下げ、剣と盾を持ったポケモン、ギルガルドを呼び出す。その強さは
    サファイアも良く知っていた。四天王のネビリムを圧倒したのをこの目で見ている。黒い眼差しと封印、挑発の
    効果は切れたが、油断できたものではない。

    「ギルガルド、シャドークローだ!」
    「フワライド、シャドーボール!」

     漆黒の弾丸を、剣が切り裂く。そして影が伸び、そのままフワライドの身体を狙う。

    「小さくなる!」

     しかしその体が縮み、寸でのところで回避する。シリアは舌打ちすると、ギルガルドに命じた。

    「だったら本気を見せてやるよ。ギルガルド、ボディパージ!」

     ボディパージは自分の体を削ることでスピードを上げる技だ。だがギルガルドは削る代わりに――なんと、
    高速で自身の剣を打ち出したではないか。予想外の挙動に反応が遅れ、その剣がフワライドの体に突き刺さる!
    サファイアはフワライドをボールに戻した。

    「戻れ、フワライド。そして出てこい、絶望の闇を照らす、希望溢れし焔の光!今降臨せよ!」

     体全体に明かりを灯して現れるのはシャンデラ。その姿に、シリアは見覚えがあったようで、眉を顰める。

    「そいつは、イグニスの……」
    「そうだ、あの人が俺に託してくれたんだ」
    「はっ!そいつはお優しいことだな、やれ、ラスターカノンだ!」
    「火炎放射!」

     倍速で打たれる鋼の光弾を、シャンデラの炎が相殺しきる。威力はほぼ互角だった。

    「さすがの威力と褒めてやるよ。だがギルガルドの速度についてこれるか?影打ち!」
    「遅れてもいい、シャドーボールだ!」

     凄まじい速度の影がシャンデラを打ち付ける。効果抜群のそれは少なくないダメージを与え、シャンデラが
    苦しんだ。それでも漆黒の砲弾のごとき一撃を放ち、ギルガルドを狙う。

    「キングシールドだ!」

     ギルガルドが盾を構え、砲弾を弾く。圧倒的な攻撃力を誇るシャンデラでさえ、その盾は砕けない。

    「どうだ!これが王者の威光示す最強の盾、そして剣に頼る必要のない特殊攻撃力と速度……こいつの前にひ
    れ伏せ!」
    「いいや、俺はもうあんたに臆さない。八百長しなきゃ自分の立場も守れないチャンピオンに、負けるもんか
    !」
    「てめえ……だがそのシャンデラの弱点はわかってる。そいつの攻撃力はさすがだが、防御力はギルガルドに
    及ばねえ!影打ちの連発で終わりだ!」
    「そう思うなら、やってみろ!」

     お互いに啖呵を切り、戦いはさらに激化していく。

    「ギルガルド、もう一度影打ち!」
    「鬼火だ!」

     またも放たれる影を無視して、シャンデラは元の持ち主の名そのものである鬼火イグニスを放つ。鬼火は

    命中し、ギルガルドの攻撃力を下げつつ火傷のダメージが鋼の体を苦しめてゆく。

    「ちっ、キングシールドは変化技は防げない……そこを突いてきやがったか」
    「ああ、そして次の一撃でとどめを刺す!」
    「何?」
    「行けっシャンデラ」

     サファイアが走りながら、言葉をためる。すかさずシリアはキングシールドを構えさせたが、構わず攻撃を
    命じた。


    「オーバーヒート!」


     爆炎。大雨などものともしないほどの炎が吹き荒れ、ギルガルドの体を炎が包み込む。ピシリ、と何かが砕
    ける音がした。シリアが戦慄する。

    「馬鹿な……ギルガルドの盾が、砕けた!?」

     炎が晴れた後シリアがギルガルドを見ると、王者の盾は砕けていた。しかもそこには――先ほど自信が投げ
    捨てた剣が突き刺さっている。

    「まさか……」
    「そうさ!あんたが投げ捨てた王者の剣。それをオーバーヒートと一緒に放ったんだ。最強の盾を砕くには最
    強の剣だ!」
    「ふん、だがこれで剣は戻った!切り伏せろ、ギルガルド!」
     
     手に戻った剣をすかさず振るわせることが出来るのはさすがチャンピオンといったところだろう。シャンデ
    ラの体に傷が入るが――

    「忘れたのか?今あんたのギルガルドは火傷を負ってる。攻撃力は下がってるんだ。止めだ、影打ち!」
    「くそがっ……!!」

     シャンデラの影打ちが守りを失ったギルガルドを打つ。堪らず倒れ、シリアがボールに戻した。サファイア
    もシャンデラをボールに戻す。これで2体2の痛み分け。

    「現れろ!全てを水底へと沈める悍ましき水棲の化け物!」
    「出てこい、安らぎを求めし人々の寄り添う大樹の陰!」

     次に繰り出したのは――シリアはブルンゲル、サファイアはオーロットだ。水対草で、サファイアの方が相
    性はいい。だが双方ゴーストタイプを持つ以上、一瞬たりとも油断は出来な

    い。

    「ブルンゲル、相手の生気を搾り取れ!」
    「オーロット、ウッドホーンで回復だ!」

     ブルンゲルとオーロットがお互いの体に絡みつき、体力を奪っていく。しかしオーロットの攻撃は回復も兼
    ねるため、ブルンゲルの方が不利に思われるが――

    「ブルンゲル、自己再生!そして呪われボディの特性効果発動、貴様のウッドホーンを封じる!」
    「くっ……下がれオーロット、身代わりだ!」

     オーロットの体が周りの木々と入れ替わる。ブルンゲルもすぐさま離れて体勢を整え、体力を回復した。

    「さらに影分身!」
    「ちょこまかしやがって……ブルンゲル、妖しい風!」
    「ゴーストダイブで避けろ!

     分身を増やそうとしたところにこの場全体を不気味な風が吹き荒れ、さらにそれを影に潜り避ける。そして
    地面から強烈な一撃を見舞おうとするが――

    「溶ける!」

     ブルンゲルの体が、ぐにゃりと歪んだ。オーロットの体が空を切る。

    「ブルンゲル、オーロットの体を取りこめ!」
    「何っ!」

     ブルンゲルの体がスライムのようにオーロットにまとわりつき、その体を包み込んだ。オーロットがじたば
    たともがくが。脱出することは叶わない。

    「そのまま海に潜り込め!」
    「まずいっ……オーロット、根を張る!」

     海へ移動しようとするブルンゲルに対して、その場で根を張ることで身動きを封じる。だがそれは自分自身
    の動きも封じてしまうのと同じだ。

    「はっ、自ら墓穴を掘ったな!ブルンゲル、シャドーボール!」
    「……オーロット、道ずれだ!」

     使いたくなかったが仕方ない。とオーロットに命じる。シャドーボールは直撃しオーロットの体が倒れるが
    、ブルンゲルも道ずれの効果を受けて倒れる。

    「ふん……そいつに頼って何とかことなきを得たか。だが――」
    「なあシリア」

     ボールにポケモンを戻しながら、シリアを遮ってサファイアは言う。シリアが眉を顰めた。

    「シリア――本当に、今のシリアが本気なのか?」
    「ああ?どういう意味だてめえ。ぎりぎりで互角で持ち込むのがやっとのくせによ」
    「違う。そういうことじゃない」

     サファイアは目を閉じ、意を決してシリアに告げる。それはこの前戦った時にも感じたことだった。


    「好き嫌いの問題じゃない。俺が憧れてきた、相手を引きたてながら優雅で幽玄なバトルをする。相手の攻撃
    をうまくかわしながら強烈な一撃を決めるシリアの方が……今のあんたよりずっと、強く見えるんだ」


     確かにシリアのバトルはこちらの方が元々のものなのだろう。サファイアの憧れてきた『幽雅に舞う』シリ
    アの姿は偽りでもあっただろう。でも――サファイアにはそちらの方が強く、素晴らしく思えた。

    「ここまでバトルをして、やっぱりそう思うんだ。……俺はまだ、本気のシリアには勝てないと思う。それで
    も今こうしてなんとか食らいつけてるのは……今のシリアが本当の意味で全力じゃないからだって」

     喋るうちに、胸の内の疑問は確信へと変わっていく。そして今の自分の理想とともに、突き付ける。


    「俺、ルビーと話して誓ったんだ。人を楽しませる本物のバトルをするって。シリアだって、本当はそっちの
    方がいいんじゃないのか?昔はどうあれ、今のあんたは『幽雅な』ポケモンチャンピオン。そうなんじゃないの
    かよ、シリア!!」


     はあはあ、と、息を荒くするサファイア。シリアはずっと黙って聞いていた。

    「ふっ、くくく……ははははは!!」

     そして浮かんだのは――獰猛で、悪鬼のような笑み。

    「馬鹿馬鹿しい。何を言いだすかと思えば……あんなバトルは、てめえら雑魚に見せかけだけを良くするため
    のバトルだよ。あれが俺の本気?――ふさけるんじゃねえ!」

     取り出すのは、紫色のボール。マスターボールと呼ばれるそれを、シリアは宙に放った。


    「今から貴様の人を楽しませるバトルとやらが戯言でしかねえことを証明してやる――顕現せよ、砕け散り行
    く世界に住まいし反骨の竜よ!歯向かう愚民を根こそぎ滅ぼせ!」


     サファイアの耳に聞こえたのは、紛れもない竜の咆哮。そう、シリアのボールから現れたのは紛れもなく亡
    霊であり、竜だった。

    「見るがいい、こいつが俺を王者へと押し上げた最強のポケモン……ギラティナだ!!」

     亡霊の竜は地面に降り立ち、大地を揺るがす。ぼろぼろの黒き翼が、金色の体が、先の黒い眼差しや今まで
    見てきた伝説のポケモンさえ凌駕するプレッシャーを放っている。



    「……それでも、俺は負けない」


     サファイアは怯まなかった。モンスターボールを手に取り、叫ぶ。

    「本当の勝負は……これからだ!!」


      [No.1531] おくりび山。過去との決別 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/03/12(Sat) 20:06:09     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「とうとう着いたな」
    「……」

     サファイアにとってはシリアに憧れてきた懐かしき思い出の場所であり、ルビーにとってはシリアが出てい
    ったせいで辛い過去の残った場所。そこに近づくたびにルビーの口数は少なくなり、今ではすっかり無口になっ
    てしまっていた。

    「やっぱり……家族に会うの、怖いか?」
    「……ううん、少し違うよ」

     ルビーの声は、わずかに震えていた。

    「ボクが旅に出てからここに戻るまでに予定よりも結構時間がかかっているからね。きっと家族はボクを責め
    るだろう。でも、そんなのは慣れてる。……君に失望されるのが、怖いんだ」
    「俺が?」
    「家族はボクの醜いところ、ダメなところ、良くないところ、いっぱい知ってる。サファイア君がボクを庇お
    うとすれば、容赦なくそれを口にする。それを知って……幻滅するんじゃないかなってね」

     そんなことない、とすぐさま否定しようとした。でも、ただ口でそういうだけではルビーの恐れは解消され
    ないだろうとも思った。だからサファイアは、ルビーのことを抱きしめる。

    「大丈夫だ、ルビー」
    「……!」
    「勿論俺はルビーのこと知ってから……思い出してから、かな。まだ一年もたってない。ルビーの家族の方が
    ルビーのこと良く知っているのは当然だし、俺がまだ知らないこともあると思う」
    「……うん」
    「だけど、これだけは断言できる。俺はルビーの家族よりルビーのいいところ、たくさん知ってるって。だっ
    てルビーのいいところを知ってたら、ルビーのこと否定なんてするわけがないんだから」

     それは世の中に色んな種類の人間がいることをわかっていない子供の考え方だとルビーは思った。だけど、
    彼は彼なりに本気で自分の事を想ってくれているのが伝わってくる。

    「……ありがとう。やっぱり君がおくりび山に来てくれてよかった」

     ここに来て、自分を認めてくれたのが、こんなに真直ぐな人で良かったとルビーは伝える。ルビーから体を
    離して、代わりにサファイアの自分より大きな手を握った。

    「もう大丈夫だよ。行こう、サファイア君」
    「……ああ!」

     いつもの調子で笑顔を浮かべたルビーにサファイアが元気に答える。いざ、おくりび山の頂上へ――




    「ふん……やっと戻ってきたのかい。ホント、何をやっても出来損ないだね」

     頂上につくと、一人の老婆が草刈りをしていた。その老婆は自分たち……いやルビーの姿を認めると、いき
    なり吐き捨てるように言った。サファイアが顔をしかめるが、すぐには口を出さない。ルビーが老婆に頭を下げ
    る。

    「ええ、ただいま戻りましたおばあさま。……相変わらずお元気なようで何よりです」

     言葉には若干の皮肉が入っていた。老婆は草刈りをやめて、奥に向かう。

    「そういえば口先だけは一丁前だったね。ほら、さっさと家に入りな」
    「物忘れはあるようですね。では、そうします」

     ルビーの祖母はサファイアのことなど眼中にもないようだった。そのまま家に戻っていく。古い木造の家で
    、見た目は普通の一軒家と大差なかった。

    「あれがボクの家だよ。……さあ、行こう」
     
     無言で頷いてサファイアはルビーと家に入る。ルビーのただいま、という声が家に響くと、家族たちが出迎
    えに来た。それは娘や孫が帰ってきた時のそれとは思えないほど、険しい表情だ。

    「その隣の男は誰だ?」

     父親が問い詰める。

    「こんなに時間がかかって。遊び歩いていたんじゃないだろうな」

     祖父がそうだったら容赦しないとばかりに厳しく言う。 

    「出来の悪いあなたにはまだ修行しないといけないことが山ほどあるのよ。それなのに旅なんかにこんなに時
    間をかけて……」

     母親が少し心配したように言う。尤も、それはルビー自身ではなく家の心配の様だった。

    「……お母さま、お父様、おじいさま。まずは遅くなったこと、すみませんでした」

     ルビーが再び頭を下げる。サファイアはこれが家族同士のやり取りかと信じられない気持ちだった。だがま
    だ我慢する。頂上に上がるまでにルビーと約束したのだ。まずは家族との挨拶を優先させてほしいと。できれば
    君のことも自分の口から説明したいと言った。それを尊重してサファイアはこらえている。

    「それで、隣のは何者だ。変な虫でも拾ってきたのではあるまいな」
    「お前は口先だけは達者だからな。見るからに凡庸そうな男だが、篭絡でもしたか」
    「あなた、体は大丈夫なんでしょうね?祝言をあげるまでは清い体でいなければいけないのよ?」
    「ふん、だとしたらさっさと次の子でも産ませればいいさ。どうせ出来損ないだし、その方がいいかもしれな
    いね」

     ひとまず謝ったことで家族の視線はサファイアに集まったようだが、あまりの言い草にサファイアの眉が吊
    りあがる。

    「彼は変な虫でもないし、篭絡したわけでもありません。彼はボクを……初めて認めてくれた大事な人です」
    「ふん、どうせ上手いことを言って誑かそうというつもりだろう」
    「お前を認めるだと?出来損ないが、己惚れるのも大概にしておけ」
    「ああやだやだ、男ってどうしてこうなんでしょう!」
    「まったくだね、巫女ともあろうものが誑かされてどうするんだい、やはりお前は――」

     
    「いい加減にしろ!!」


     出来損ない、という言葉をこれ以上言わせない。そう言うかのようにサファイアが怒鳴った。今までサファ
    イアが怒ったこと自体は何度も見たことがある。だけどこれは今までで、一番強い怒りだった。


    「さっきから黙って聞いてれば……あんたら、まずルビーに言うことがあるんじゃないのか!?」
    「なんだお前、さっきまで黙っていたと思えばいきなり――」

     父親がサファイアを叱咤しようとするが、それすらも遮ってサファイアは大声を張り上げた。


    「家族が帰ってきたら!まず最初は『おかえりなさい』だろ!大事な家族が旅から帰ってきたんだったら!温
    かく迎えるのが家族なんじゃないのか!!」


     その言葉には、ルビーを含めた全員が驚いたようだった。ルビー自身、家に戻ったときにおかえりなさいな
    ど言われたことはなかったから。

    「ふん……小童が何を言うかと思えば。うちは貴様のような凡愚とは違うのだ」
     
     サファイアの剣幕に一瞬怯んだが、祖父は鼻を鳴らして言い捨てる。

    「この家がなんだろうと、関係ない!ルビーのことをこんな風に扱うんだったら、ルビーをこんな所には置い
    ておけない!」
    「なにっ……!?」
    「あなた、本当にいったい何なの!?あんたはルビーのなんだって言うのよ!」
    「置いておけないって、じゃあお前はこの子をどうするつもりなんだい?」
    「俺は……」

     自分にとってはルビーはなんなのか?ルビーにとってどういう自分でありたいのか?思えばカイナシティか
    ら頭のどこかで考えていた疑問に、今答えを出す。


    「俺は……ルビーのこと大好きで、一生幸せでいてほしい。だから、あんたたちがルビーのことこんなふうに
    扱うんなら、ここから連れ出して……俺と一緒にいてもらう!」


     それがサファイアの偽りない気持ち。口に出してみれば、なんの後悔も恥ずかしさもなかった。ルビーが思
    わず目頭を熱くする。サファイアの態度が本気だと思ったのか、母親がルビーに縋るように言った。

    「な……何を勝手なことを言ってるのかしら。ルビー、あなたは違うわよね?このおくりび山を守る家の使命
    について、何度も聞かせてきたものね?それを放り出してこんな勝手な男についていこうなんて、考えたことも
    ない、そうよね?」
    「母上……ボクは」

     ルビーが目を閉じる。彼女の考えがまとまるまで、サファイアは黙っていた。ルビーを幸せにしたいなら、
    彼女の意思は大事にする必要があると思っているからだ。それが、家の使命を押し付けるルビーの家族との違い
    だった。

    「ボクはこの家の使命のこと……大事に思っています。その為なら、どんな厳しい修行でも、辛い言葉でも耐
    えなければいけない。そう思っていました」

     そう聞いて、ルビーの家族の顔がほころぶ。だがルビーの言葉はまだ終わっていない。

    「でも、ボクは彼……サファイア君と出会って、旅して教えてもらったんです。ボクは決して無価値な人間で
    はないと。こんなボクでも、認めてくれる人はいるのだと」

     例えば自分たちと本気で戦い、その腕を認めてくれたイグニス。町を守ったことを心から感謝したネブラ。
    そして、初めて会ってから、旅で再会してからずっと、自分を支えてくれたサファイア。彼がいなければ、先の
    ジムリーダー二人の言葉もルビーの胸には響かなかっただろう。そう思える。

    「だから、ボクは今までのあなたたちの言葉を否定します。ボクには確かに巫女としての才能はあまりないの
    かもしれない。だけど……出来損ないだの、屑だのと呼ばれる筋合いはこれっぽっちもないのだと」

     紅玉の瞳を開けて、まっすぐ家族たちを見据える。その眼差しの鋭さに、家族たちは思わず怯んだ。

    「勿論、すぐに家を出ていくことはしません。巫女としての使命は全うするつもりです。だけどあなたたちが
    なおもボクをみだりに否定し続けるのなら……その時は。ボクは彼についていきます。一生、この家に戻ること
    はないでしょう」

     ルビーが言い終えてふう、と息をつく。家族は震え、まともに言い返すことが出来ないようだった。下手を
    すれば、本当に跡継ぎの娘が家を出ていってしまう。それはシリアという前例がある以上、杞憂でもなんでもな
    いことだった。

    「ああ、それと。今はまだ彼の年が年なので約3年後の話になりますが……」

     声を穏やかにして、ルビーが言う。今度は何を言いだすのかともはや戦々恐々の家族たち。ルビーはサファ
    イアの顔を見て小さく微笑んだ

    「ボク、彼と結婚するつもりですので。駄目だというのなら、やはりその時は出ていって勝手にさせてもらいま
    す」
    「……な、なにを!?まだ15の分際で……」
    「ええ、まだボクも彼も15です。だから3年後と言っているんですよ。わかりませんか?今まであなたたちの暴
    言や暴行を浴びせられた分、これくらいの我儘は通させてもらいます。……ね」
    「ああ、ルビーにはそれくらい言う権利がある。……勿論、俺はいいぜ」
    「ふふ、そう言ってくれると思ったよ」

     硬い二人の決意と愛情を見て、家族たちはわなわなと震えている。どうすればいいのか、思いつかないよう
    だった。

    「さっきも言いましたが、すぐに出ていくことはしませんので。ゆっくり考えて結論を出してください。ボク
    をどうしたいのか」
    「わ……わかった。考えてやる。だから出ていくな」

     父親が観念したようにそう言った。考えてやるとは言うが、実質答えは決められたようなものだろう。彼ら
    は跡継ぎを失うわけにはいかないのだから。

    「さて……ありがとう、サファイア君。君のおかげでボクは……救われたよ」
    「いや、ルビーがいい奴だからこそさ。そうだろ」
    「……うん、そうだね」

     家族の目の前にも関わらず抱擁を交わす二人。全てが上手く解決したと思われた、その時だった。


     家の中にいるのにも関わらず地面を打つ音が聞こえるほどの大雨が降ってきた。さっきまで外にいた時は、
    雨どころか雲がほとんどないような快晴だったというのに。

    「何事だ……?」

     ルビーの祖父が外を見る。すると、雲から覗く一瞬の晴れ間が、その目を焼いた。瞳を抑える。

    「これは……まさか、十年前と同じ?」

     突然の異常気象を疑問に思うと、サファイアのポケベルに電話がかかってきた。相手は――

    「やあ原石君、お久しぶりだね?もうショックからは立ち直ったかな?」
    「ジャック!!」
    「今凄い雨と日差しが交互に起こっているだろう?めんどくさいから単刀直入に言うと、僕が犯人なのです」
    「……なんでこんなことを!」

     サファイアが聞くと、君は良いリアクションしてくれるなあと満足そうに呟いた後。

    「それは秘密。ボクを止めたければトクサネシティにおいで。――シリアも、来るはずだよ」
    「……!!」

     シリアと再び会うのが、怖くないといえば嘘になる。だけどもう、自分は自分の道を行くと決めた。

    「わかった。……待ってろよ」
    「うん、待ってるよ。カイナシティの時よりもさらに、楽しいバトルをしよう。そして……」

     そこで通信は切れた。

    「ルビー。俺……トクサネシティに行く。ジャックを止めてくる」
    「やっぱり原因は彼か……わかった。ボクもついていくよ」
    「いや、ルビーはここにいてくれ。この日差しは強すぎる。ルビーの身体には毒だ。それに……家族ともいろ
    いろやらなきゃいけないこと、あるんだろ」
    「……そうだね。それじゃ」

     ルビーは自分のモンスターボールを取り出す。中にいるのは、サマヨールだ。

    「この子を君に預けるよ。……応援してるだけじゃつまらないしね」
    「……わかった、ありがとう」

     サマヨールがルビーからサファイアに手渡される。すると――サマヨールがボールから出てきて、その体が
    光だした。

    「これは……進化の光?」
    「そうか、兄上の渡してくれた冥界の布は……こういうことだったんだね」

     サマヨールは、体を一回り大きくしたヨノワールに進化した。

    「よし、それじゃあ頼むぞヨノワール。それに……俺の仲間たち、みんな」

     サファイアは玄関のドアを開け、フワライドを呼び出す。ルビーはサファイアに顔を近づけて……その頬に
    、そっとキスをした。サファイアの顔がわずかに赤くなる。ルビーもだ。

    「……さすがにこれは、恥ずかしいな」
    「ふふ、ボクもだよ」
    「じゃあ行ってくるよ、ルビー」
    「うん、頑張ってね」

     サファイアはおくりび山を旅立つ。豪雨と強い日差しにさらされながら、トクサネシティを目指して――


      [No.1530] サファイアの失意、ルビーの成長。 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/03/10(Thu) 18:03:27     38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「あーあ、勝っちゃった。しかもその様子だと……やっぱりショックだったかな?」
    「はっ、そりゃそうだろうよ。知らなきゃあのまま幻想を追いかけ続けていられただろうに」

     倒れたジュペッタをボールに戻すことも忘れ、がっくりと項垂れるサファイアを、ジャックは退屈そうにシ
    リアは蔑むように見た。

    「……」
    「やれやれ、期待外れだったかな?」
    「当たり前だ、俺以上にあんたの興味を引けた奴なんて……この世にはいねえんだよ」

     何の話かわからないが、もうサファイアにはどうでもよく感じられた。バトル前とは別人のように、サファ
    イアの心は折れてしまっていた。だが、ルビーは違う。二人を睨みつけ、こう言った。

    「兄上、そしてジャックだったかな。貴方達は一体なんなんだい?」
    「ああ?誰に向かって偉そうに……」
    「まあまあ、別に減るもんじゃないし話してあげるよ」
    「ちっ……」

     どうやらシリアはジャックには基本的に逆らえないらしい。舌打ちが耳に響く。

    「でも前に言ったよね?僕とシリアは師匠と弟子の関係だって。そこに嘘はないよ」
    「……見た目とは逆の関係。そういうことかな」
    「その通り!ジャジャジャジャーン、今明かされる衝撃の真実!実は僕こそがシリアをチャンピオンにまで育
    て上げたのでした!」
    「だろうね」

     胸に手を当て、おどけたように言うジャック。ルビーはそこまで驚かなかったのを見て、頬を膨らませるそ
    の姿はどこまでも子供っぽい。

    「もー、兄妹そろってノリが悪いなー。でもこれと決めたらやり通す意思の強さは常人のそれとは遥かに違う
    。ポケモンバトルのセンスもね――僕はそこに興味を持ったんだ」
    「俺はどうしてもチャンピオンにならなきゃならなかった。でも『君を鍛えてあげる』なんて言われたときは
    ガキが何言ってやがるとしか思わなかった。だが……」
    「結果は僕の圧勝。それでシリアは僕に弟子入りして、今の彼があるってことさ。いやあ懐かしいなあ」
    「……君、年いくつ?」

     ルビーが疑問を挟む。持っている実力といい、見た目と時折見せる仙人のような表情といい、普通の子供で
    はないのはもはや明白だった。ん、そうだねーとジャックが呟き、指を3本折る。30歳とか言いだすのだろうか
    とルビーは思った。


    「大体――3000歳くらいかな?」


     当然のように言われた言葉は、あまりにも衝撃的だった。何かの冗談かとも思ったが、本人に訂正する気は
    ないらしい。

    「こんなに長生きするとお爺ちゃんを通り越してむしろ子供っぽくなっちゃってね。むしろそうじゃないと退
    屈で死にそうっていうか。まあ死ねないんだけど」
    「死ねない?」
    「そうだよ。理由は長くなるから割愛するね。それに、どうせもうじきそれも終わる」

     今度は淡々と言うジャックに、シリアが険しい顔をして呟く。

    「……させねえよ。あんたは俺が死なせない」
    「やれやれ、困った弟子をとったなあ。ま、やれるものならやってみてよ。それじゃあ僕の話はおーしまい」

     そう言うとジャックは軽い足取りで町の外へと歩き始めてしまった。シリアも、オオスバメをボールから出
    してその背に乗る。前回の温かみのある別れとは違って、サファイアとルビーを見下して一瞥し、飛翔する。引
    っ越し

    「サファイア君……僕たちも行こう。ポケモンを回復させてあげなくちゃ」
    「……」
    「サファイア、君」

     サファイアは、今まで自分を支えてきた物が折れたように項垂れている。今まで見たことのないその様子に
    、ルビーはどうすればいいのかすぐにはわからない。

    「……ほら、手を出して」

     考えた後、自分の小さな手を差し出すルビー。サファイアは何も言わず、ゆっくりと握り返した。いつもは
    自分より大きく温かい手が今ではとても小さく、死者のように冷たく感じられた。

    「行こう、ポケモンセンターに」

     彼を立ち上がらせ、ボールにジュペッタを戻してやり歩いていく。自分は何が出来るか、何か出来るのだろ
    うかと考えながら。普段自分を引っ張って歩いていたサファイアの足取りは、迷子になった幼子のようにふらつ
    いていた。



     ポケモンセンターに戻り、一旦自分たちも休もうというルビーの提案で部屋を取った後、サファイアは真っ
    暗な部屋の中に塞ぎこんでしまった。回復したジュペッタがサファイアの負の感情を吸い取るが、そんなもので
    気持ちは晴れなかった。

     もしサファイアが、自分たちを騙していたシリアへの怒りに駆られていたならあるいは元に戻ったかもしれ
    ない。だが、サファイアは優しかった。故に感情はシリアへの負の感情ではなく。今まで彼を目指していたこと
    への虚しさ、自分の中の軸がなくなった空虚さが胸を占めているのだ。

    「ジュペッタ……ごめんな」

     だからサファイアは謝る。もう何度も何度もだ。ジュペッタがなんと返事をしても、彼の心は動かない。

    「今まで馬鹿な俺に付き合わせて、ありもしない夢を見続けて無茶させて、ほんとにごめんな」

     ボールの中の手持ちのポケモン達にも同じように言葉をかけていく。

    「ヤミラミも、守りが優れてるからってずっと痛い思いさせて、ごめんな」
    「フワライドも、大爆発なんて覚えさせて、挙句の果てに何度も練習させたりして、ごめんな」
    「オーロットも、せっかくついてきてくれたのにこんな馬鹿な奴でごめんな」
    「シャンデラも、暴れたくて俺についてきたのに、ごめんな」
    「みんなみんな……ほんとに、ごめん」

     サファイアの蒼い瞳から涙が零れる。


    「俺……ポケモントレーナーになんて、ならなきゃよかったのかな」


    「ずっとミシロタウンで……テレビの中のシリアに憧れてれば、皆痛い思いなんてしなくてよかったのに……
    !」


     夢が砕けた少年の嗚咽と、仲間への懺悔は、とても痛々しかった。致命的ともいえる一言を放ったとき、部
    屋の外で彼の様子を伺っていたルビーが思わず入ってくる。

    「それは違うよ」
    「ルビー……」

     暗い部屋の中にドアを開けて入ってきた彼女は外から差し込んだ一筋の光のようで、サファイアには眩しく
    感じられた。

    「兄上に君が憧れてくれたおかげで、ボクは君に出会えた。そのことだけは……兄上に感謝してる。勿論君に
    もさ」
    「え……」
    「……この前、ボクが君の部屋で一緒に寝ていた時のことを覚えているかい?」
    「そりゃあ、忘れるわけないだろ」

     元気のないサファイアに、ルビーは子守唄を歌う母親のように優しく語り掛ける。

    「ボクはね。あの時夢を見たんだ……君に出会う前の夢をね。君に会うまで、ボクは……自分なんて本来何の
    価値もない、不必要な存在だって思ってた」
    「そんなこと、あるわけない」
    「自分が落ち込んでるときでも、君はそういってくれるんだね……好きだよ、そういう所」
    「……それで?」

     サファイアは話を促す。いかに自分の夢が壊れても、他人が――いや、大切な人が自分に価値を見いだせな
    いなんて話を放っておけるサファイアではなかった。

    「ボクは兄上が出ていくまでは家の不要物として、そして出ていった後は巫女としてあるべく育てられていて
    ね。才能のないボクは、誰にも認められていなかった。兄上は、不要物である僕を蔑んでいた」
    「……!」
    「もう死んでしまった方がいいんじゃないかと思うこともあったよ。でもそんな時……君が、君だけが僕を認
    めてくれた。そんなことが出来るなんてすごいってね」

     自分の辛い過去を語る。それは、自分も辛いんだから君も頑張れという内容ではない。


    「だからね、君がポケモントレーナーを、兄上を目指したことは無価値なんかじゃない。それはボクにとって
    は絶対に変わらない」


     珍しく、強く断じてサファイアの目を見つめるルビー。紅い瞳と蒼い瞳が、お互いを見つめ合う。

    「わかった。話してくれてありがとうルビー……だけどさ。俺、これからどうしたらいいんだろう」

     自分が彼を目指してきたこと自体には意味がある。それでももう今は彼を目指すという夢は砕け散ってしま
    った。弱音が漏れる。

    「それは……ボクには、わからない。チャンピオンを目指すのをやめたいっていうのなら、ボクに止める権利
    はない」

     ともすれば突き放すような言葉。だけど、ルビーの言葉はまだ終わらない。

    「だけどね、君がどんな選択をしても……ボクは君に、ついていくよ?」
    「……え?」
    「なんで驚くんだい?兄上を目指す夢が壊れた今でも、君は優しいサファイア君のままじゃないか。……君は
    どこまでも君なんだよ。兄上の真似事をするのは、君の本質じゃない」
    「俺は、どこまでも俺……」
    「そうだよ。だからゆっくり考えてみてほしいんだ。君のしたいことは何なのかをね」

     ルビーは踵を返す。部屋から出ていってしまうのかとサファイアは寂しげな顔をした。

    「大丈夫だよ、後で戻ってくる。……塞ぎこんでばかりじゃ元気も出ないだろう?何か元気の出る物でも持っ
    てくるよ」

     そう言って、部屋を出ていくルビー。サファイアは一人残される。


    「俺のしたいこと……か」


     サファイアは考え始める。壊れた夢を、新たに作るために。



    「サファイア君?入ってもいいかな」
    「ああ、いいよ」

     約一時間後、ルビーはサファイアの部屋に戻ってきた。彼女がドアを開けた瞬間、ピリッとした爽やかな香
    りが鼻を抜ける。

    「ご飯を持ってきてくれたのか?」
    「ん。……そうだよ」

     ちょっとだけ言葉に詰まるルビー。ワゴンを押して入ってくる。上に乗っているのは――サファイアの大好
    物、麻婆豆腐だ。ただし、いつも店で食べるようなものとは違う。豆腐はぼろぼろに煮崩れしているし、煮込み
    過ぎたのか見ただけでも相当粘度が高くどろっとしているのがわかった。一瞬怪訝な目をするサファイア。

    「……これ、ボクが作ったんだ」
    「やっぱり、そうなのか」

     自分の隣に座るルビー。その手は野菜を切って怪我をしたのだろう。指に絆創膏が張ってある。彼女が作っ
    たと考えるのが自然だった。

    「でも、なんでルビーが料理を?」
    「……言わせないで欲しいな。君に元気になってほしいからだよ」

     少し恥ずかしそうなルビー。そう言われては食べないわけにはいかないし、拒否する理由もなかった。

    「そっか。じゃあ……いただきます」
    「うん、召し上がれ」

     スプーンを手に取り、口に入れる。少し煮過ぎたせいで豆腐や野菜の食感はお世辞にも良いとは言えなかっ
    たが、別にサファイアは味覚審査員でもなんでもない。レシピを守って作られたそれは、塞ぎこんで何も食べて
    いなかったサファイアにとってはとてもおいしく感じられた。

    「おいしい、おいしいよ。ルビー」
    「それは良かった」

     平然を装って言うルビーも、どこかほっとした表情だ。サファイアは食べ進めながら、ルビーに聞く。

    「指の怪我。大丈夫か?」
    「これくらい、君の痛みに比べれば何でもないよ」
    「……でも、良く作れたな。ルビーって料理作ったことなさそうだけど」
    「レシピさえあれば、料理なんてそれなりに真似が出来るって相場が決まってるからね」
    「そっか……」

     なんて他愛のない話をしていると、あっという間に皿は空になった。

    「ご馳走様でした」
    「お粗末様でした」

     隣に座るお互いを見つめて、微笑みあう。

    「本当においしかったよ。ありがとう、ルビー」
    「こういうときはね。毎日でも食べたいなって言ってくれるのが一番嬉しいんだよ?」
    「……勿論ルビーさえよければ、それが一番いいよ。でも多分毎日は面倒がってやらないだろ」
    「ふふ、それもそうだね」

     さて、とルビーが前置きして。本題に入る。

    「結論は出たかい?サファイア君」
    「ああ、ルビーのおかげでな」

     ぐっと拳を握りしめるサファイア。彼の出した答えは――

    「俺……やっぱりチャンピオンを目指すよ。そして見ている人を楽しませるようなバトルがしたい」
    「……そうかい」
    「うん。シリアのバトルは、確かに作り物だったかもしれない。だけど俺はそんなシリアに憧れてきたんだ、
    それは今でも変わらない。だからさ」

     ここで一度言葉を切り、ルビーの顔を見る。


    「俺が、『本物』の人を楽しませるバトルを……出来るようになって、シリアを倒す。それが今の俺の目標だ



     ルビーはにこりと笑って、サファイアを肯定した。

    「うん……君ならそうするんじゃないかって思ったよ」
    「ああ。俺は何度でもこの道を選ぶ。もう迷わない」
    「それじゃあこれから急いで残りのジムバッジを集めて、兄上に挑むのかな?」
    「そのつもりだ。だけど……その前に一つ、やらなきゃいけないことがある」
    「なんだい?」

     首を傾げるルビーに、サファイアは彼女の肩に手を置いてこう言った。


    「おくりび山に行く。さっきルビーは家族に認められてないって言ったよな。そんなのは良くない。俺とルビ
    ー、二人で話をしに行って……ルビーのこと、認めさせるんだ」


     サファイアの目はとてつもなく真剣で……ルビーは、ついにこの時が来たのかと思い。二人は期待不安の未
    来へ歩き出すのだった。


      [No.1529] チャンピオンの本気 投稿者:じゅぺっと   投稿日:2016/03/10(Thu) 18:02:47     32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    一旦キンセツシティまで戻りヒマワキシティに向かったサファイア達は、一刻も早くシリアの元を目指すためさ
    っそくジム戦に挑んだ。四天王と本気のジムリーダーにさえ勝った二人が通常のジム戦で遅れをとるはずもない


     難なくバッジをゲットし、意気揚々とジムから出てポケモンセンターに戻る途中で。二人は意外な人物の姿
    を見つけることになる。
     
    「ーーこうして会うのは久しぶりだね、ホウエンチャンピオン?」
    「ーーそうですね、ジャックさん」
     
     二人はハッとして一旦身を隠す。何でジャックとシリアがここに?というよりも二人は何故親しげに話して
    いるのか?という疑問が降って沸いた。
     
    (ジャックはティヴィル団に協力してた・・・それじゃあ、やっぱりシリアも?)
     
     イグニスの話を聞いてから、色々とサファイアなりに考えてはいたが、やはり答えなど出なかった。直接会
    って真実を確かめたいという思いが募るなかでのこの出合いは果たして偶然なのだろうか。そんな考えがふと頭
    をよぎる。
     
    「しかしいいんですか?計画は成功したようですが、あの博士とその娘は今頃牢屋の中。今後の計画に支障が
    でるのでは?」
    「あはは、心配はご無用だよ。もうあの博士はいらない。後はいつでも最終段階に移行できる」
    「・・・そうですか。ではなぜその最終段階とやらに進まないんです?」
     
     そしてチャンピオンは。衝撃の言葉を口にする。
     
    「ーーもう俺にも飽きて。この世に未練はない。さっさと死にたい。そうじゃなかったのか?」
    「・・・」
     
     シリアの目が悪鬼のごとくつり上がる。ジャックが千年を生きた仙人のように微笑む。サファイアの知らな
    い二人の姿に、遠巻きに見ているだけなのに戦慄した。
     
    「あはは、やっぱり君はそっちの方が似合うと思うよ。僕、初めてテレビで君を見たとき笑っちゃったよ」
    「茶化すんじゃねえ」
    「・・・やれやれ」
     
     問い詰めるシリアに、肩を竦めるジャック。するとジャックはーー明確に、はっきりと。隠れているはずの
    サファイアとルビーを見た。
     
     
    「二人ともー!カクレオンみたいに隠れてないで出ておいでー!折角チャンピオンとのご対面だよー!」

     
    「なっ・・・」
    「最初から、バレてたみたいだね」
     
     ルビーが出ていってしまうので、それにつられてサファイアも二人の前に出る。シリアは若干驚いた顔をし
    たが、直ぐに取り繕った笑みを浮かべた。
     
    「・・・お久しぶりですね、サファイア君。妹君。しかし立ち聞きは感心しませんよ?」
     
     その笑顔は、酷く薄っぺらにサファイアには思えた。思えてしまった。あんなに聞きたいことを考えていた
    のにうまく言葉が出てこない。
     口火を切ったのは、ルビーの方だった。
     
    「これはこれは失礼しました兄上。ですが随分と物騒な会話が聞こえたものですから。それにーー」
     
     ルビーがサファイアを肘でつつく。サファイアは決心して、シリアを真っ直ぐ見つめて言った。
     
    「シリア。俺達、イグニスに・・・シリアが戦った四天王に、話を聞いたんだ。シリアがチャンピオンになる
    前のこと。なったあとのこと」
    「・・・!」
     
     シリアは確かに、驚いたようだった。だかそこに罪悪感や動揺といったものは感じとれず。浮かんだ笑顔は
    ルビーが知らなかった、サファイアがよく知っている笑顔だった。
     
    「・・・まさか無口な彼が口を割るとは思いませんでしたよ」
     
     認める。シリアの、本人の口からあの話は事実だと肯定される。
     
    「それじゃあ・・・ホントにそうなんだな!?あんたの見せてたバトルは、自分の身を守るための嘘で俺達の
    ことずっと・・・騙してたっていうのか!?」
    「・・・」
    「答えろ!答えてみろ、シリア!!」

     サファイアの目頭は熱くなっていた。自分をあんなにも魅了したシリアのバトルが本人にとって偽りでしか
    ないなんて。彼を夢見て、目指してきた少年にとってあまりにも辛すぎる現実だった。

    「まあまあ、落ち着いてよ。折角ポケモントレーナーどうしが出会ったんだ。となればやることは一つ、ねっ
    ?」

     ジャックがサファイアとシリアに割って入り、自分のモンスターボールを取り出して見せる。あどけない笑
    みは、幼子のようであり、老人のようだった。サファイアとシリアが何かいう前に、さっさと仕切ってしまう。
     
    「ルールはダブルバトル。ポケモンはみんな一匹ずつでいいよね。さあ出ておいで、アブソル」
    「・・・ジャックさん、こうなること、分かってて私を呼び出したんですか?」
    「なんのことかなぁ〜、それとシリアは折角だし君の『本気』を彼らに見せてあげなよ。そうすればあの子も
    納得してくれるかもしれないよ?」

     ジャックにそう言われたシリアは、サファイアとルビーにも聞こえるくらいの音ではっきりと舌打ちした。
    目がつり上がり、サファイアの知らない、ルビーのよく知ったシリアの表情になる。
     
    「・・・結局俺はあんたの手のひらで踊ってたって訳かよ。ーー出てこいジュペッタ」
    「ーーーー」
     
     シリアのエース、ジュペッタが表れる。その笑い声は今まであんなに憧れてきたのに、今は騙されていた自
    分を嘲笑うかのようにも聞こえた。
     
    「・・・どうするサファイア君?彼らはやる気みたいだけど、別にこんな勝負受けなくたって・・・」
     
     ルビーはサファイアを気遣って言う。今のサファイアにいつも通りのバトルが出来るとは思えなかった。

    「・・・俺達が勝ったら、あんた達の口から知っている事を全部話して貰うぞーー出てこい、ジュペッタ」
    「サファイア君・・・」
     
     サファイアの目からは、一筋の涙がこぼれていた。だけどその目は、理性を失ってはいなかった。暴走しそ
    うになる感情は相棒のジュペッタが抑えてくれていたからだ。
     
    「ルビーも頼む。もう一度俺に付き合ってくれ」
    「・・・わかったよ。でも、無理はしちゃダメだよ?」
     
     ルビーがキュウコンを出す。サファイアが出すのは勿論ジュペッタだ。そして、メガストーンを輝かせる。
    シリアのジュペッタもまた光輝く。
     
    「「現れろ、全てを引き裂く戦慄のヒトガターーメガジュペッタ!」」
     
     同じ口上で、同じメガシンカを行う。サファイアのそれは元はシリアの模倣だったが、今ではすっかり自分
    のものだ。
     
    「ちゃんとやる気になってくれたみたいだね。じゃあいくよ、アブソル辻斬り!」
    「影分身だ!」


     弱点である悪タイプの辻斬りを、先制の影分身でかわす。構わず分身を俊敏に切り裂いていくアブソル。
     一方シリアのジュペッタとルビーのキュウコンは、お互いにすぐには仕掛けずにらみあっていた。

    「・・・まさかボクが兄上と戦う日が来るとは思いませんでした」
    「そりゃそうだろうな。お前はおくりび山まで旅してその後はそこで一生を終えるんだ。本来なら俺と相対す
    る余地はねえよ」

     その言い方に、妹に対する優しさは微塵もなかった。昔の、ルビーにストレスをぶつけて射たときと何一つ
    変わらない声だった。思い出し、ルビーの体が僅かに震える。それを打ち払うために、ルビーは叫んだ。

    「・・・キュウコン、火炎放射!」
    「ジュペッタ、影分身!」
     
     9本の尾から放たれる業火が、分身によってかわされる。さらに。

    「俺の本当の力を見せてやるよ・・・ジュペッタ、ナイトヘッドからの怨みだ!」
    「怨み・・・?キュウコン、影分身!」
     
     シリアのジュペッタが巨大化し、キュウコンに凄まじい呪念をこめる。キュウコンは分身を作り出そうとし
    たが・・・一瞬のうちに立ち消えた。ルビーが驚き、キュウコンがお化けをみた子供のように震え出す。
     
    「無駄だ・・・俺のナイトヘッドからの怨みは、俺のジュペッタのレベル分、お前のポケモンの技ポイントを
    削り取る!お前の得意技、火炎放射、影分身、鬼火、守るはもう使えない」
    「そんな・・・」
    「さあ終わりだ!ジュペッタ、シャドークロー!」
    「キュウコン!」
     
     鋭利な影の爪が、金色の美しい毛並みを切り裂く。事実上たったの一瞬で、ルビーの戦術の核となる技を全
    て封印し。一撃で勝負を決めたシリアの技に、やり方に戦慄する。それはサファイアが見てきたシリアの戦いか
    たからは全く違っていたからだ。
     
    「シリアがこんな・・・相手になにもさせずに、ただ一方的に止めを差すなんて」
     
     たとえばネビリムとの戦いでは、敢えて相手にスキルスワップと特性を使わせた戦いをすることでバトルに
    緊張感を産み、そして最後にスキルスワップで止めを差すというパフォーマンスを見せつけた。
     だが今のシリアは違う。相手に極力なにもさせずに封殺する、どんな相手にも勝つ為の戦術だ。あの怨みを
    まともに受けてしまえば、どんなポケモンだろうと取れる手段は悪あがきのみになってしまうだろう。
     
    「こうなったら一撃で決めるしかない!ジュペッタ、残影無尽撃だ!!」
    「ーーーー!!」
     
     イグニスとネブラとの戦いで勝負を決めたサファイア最大の必殺技。ジュペッタの影が分身し無数に増え、
    その影が伸び、全てを切り裂く鋭利な刃となるーー

    「ジュペッタ、呪いからの怨念!」

     シリアが指示した次の瞬間。サファイアのジュペッタを巨大な『釘』が貫いて、動きが止まった。呪詛の渦
    巻く釘はまるでネジのようにも見える。

    「怨念の効果発動。体力を零にすることで、相手の技ポイントを零にする 」
     
     本来怨念の効果は相手から受けた攻撃によって瀕死になったときに発動するものだが。シリアはあえて呪い
    で自身の体力を削ることで無理矢理発動し、今向かってくる技のポイントを零にした。よってサファイアのジュ
    ペッタは金縛りにあったように動けないというわけだ。そしてその間にも、呪いの効果が体力をどんどん減らし
    ていく。
     
    「ずっとシリアを目指して、四天王にも勝ったのに、こんなのって・・・」
     
     相手を封殺するためなら仲間を意図的に瀕死にするチャンピオンの真の姿に、バトルでも精神的にも叩き潰
    され。目の前が真っ暗にもならず、ただただ目の前の事実がサファイアを打ちのめす。
     
    「残念だけど、これが現実だよ・・・辻斬り」
     
     ジャックの最後の一撃は切腹した者への介錯のように優しく残酷で。サファイアの、シリアへの憧れを全て
    絶ちきったーー
     



     
     
     
     


      [No.1527] #111328 「国境の無い国家」 投稿者:   《URL》   投稿日:2016/03/07(Mon) 21:07:29     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #111328

    Subject Name:
    国境の無い国家

    Registration Date:
    2005-04-12

    Precaution Level:
    Level 3


    Handling Instructions:
    エリア#111328がどこに位置しているかを可能な限り速やかに判断するため、すべての支局には所定の技能を持つニャースまたはペルシアンを最低三体配属させます。ニャース及びペルシアンのトレーナーは週次ごとに一度割り当てられたエリア内でプロトコルMCを実行し、エリア#111328が存在していないかを確認してください。エリア#111328の存在が確認された場合、速やかに書式F-111328-2に必要な事項を記入し、案件担当者へワークフローを回付します。

    現在エリア#111328に指定されている地域については、案件担当者へ照会を行ってください。エリア#111328の未検出状態が800日以上継続した場合、本案件のレベル設定見直しを実施してください。その際の判断によっては、プロトコルMCについても併せて見直しが必要となる可能性があります。


    Subject Details:
    案件#111328は、不明な間隔で所在地が変更される未知の国家(エリア#111328)と、それに掛かる一連の案件です。

    2005年3月上旬頃、カントー地方タマムシシティ第三支局の窓口に「見たこともないお金を出すニャースを捕まえた」との申出がなされました。担当者が申し出たトレーナーからヒアリングを実施したところ、トレーナーはタマムシシティ近郊の7番道路で「ネコにこばん」を使うニャースを目撃し、その際通常のニャースが生成するものとは明らかに異なる擬似通貨が現れたことから、ニャースを捕獲し案件管理局まで通報したとのことでした。

    一般的なニャースあるいはペルシアン個体は、生息地域で使用されている現行通貨と極度に類似した硬貨状の物体を生成する「ネコにこばん」と呼ばれる技能を習得しているケースがあります。この擬似硬貨は公での使用は認められていませんが、高品質なものは識別が極端に困難かまたは不可能であるため、現状では正式な通貨に混在する形で広く流通しています。反社会的勢力の資金源としても問題視されていますが、抜本的な対策は打てていない状況が続いています。

    当初、通報したトレーナーも当局も捕獲したニャースに異常があるとの見方を示していましたが、その後の調査によりニャースには何ら異常は確認されず、加えて捕獲された7番道路から離れた地域でのテストでは一般的なニャースあるいはペルシアン個体と同質の擬似通貨を生成することが確認されたため、ニャースには異常が無いとの見解が示されました。「ネコにこばん」の地域に応じて生成物が変化する性質から、7番道路近郊に何らかの異常性質があるとの仮説が立てられました。

    しかしながら調査が開始されてから3日後、7番道路近郊において異常な擬似通貨が生成される事象が見られなくなりました。異常性質が沈静して一週間が経過したため案件の無力化が定期されましたが、その5日後、ジョウト地方コガネシティ近郊にて同一の事象が確認され、別の担当者が初期調査に着手していたことが判明、案件担当者間で情報共有が行われ、合同調査案件として再設定が行われました。この段階で、エリア#111328に関する大まかな性質が明らかになりました。

    エリア#111328は、正確な広さが不定な未知の国家です。どのような国家体制が敷かれているのかについてや、国家元首がいかなる存在なのかについては一切分かっていません。一般的な国家としての機能を持つのかに関しても、局員の間で判断が分かれています。

    エリア#111328は不定期に移動し、移動するとともに著しく領土の広さが変動します。確認された最小領域は児童公園の砂場と同等、最大領域はジョウト地方コガネシティ全域と同等です。

    エリア#111328は「ネコにこばん」を使用できるあらゆる種の携帯獣に対して等しく影響を及ぼし、その時点でエリア#111328となっている地域を国家として認識させる性質を持ちます。エリア#111328内で「ネコにこばん」による擬似硬貨が生成された場合、本来該当する場所がいかなる国家に所属している場合においても、異常硬貨#111328が生成されるという結果をもたらします。この効果以外の異常性質については、これまでのところ一切観測されていません。すべての人間と携帯獣はエリア#111328に自由に入場し、また自由に退場することができます。

    異常硬貨#111328は、エリア#111328内でのみ生成される擬似硬貨です。これまでに十七種の硬貨が確認されていますが、どの硬貨が他の通貨に置き換えた際にどれだけの価値を持つのかは不明です。硬貨のうち十一種は既知の金属により鋳造されていますが、残る六種はいずれも未知の金属です。この金属についての分析が別チームによって進められています。硬貨は十四種に未知の文字及び意図の取れない紋様が刻まれ、残る三種にはアンノーン文字の「K」「M」「P」に酷似した文字が刻まれています。これらの意味についても解析が進められています。

    エリア#111328は「ネコにこばん」を使用する携帯獣に与える異常な効果によってのみ、その存在を認識することが可能です。エリア#111328の現時点における所在地を識別するため、プロトコルMCが策定されました。


    Supplementary Items:
    本案件に付帯するアイテムはありません。


      [No.1526] 2 聖地巡礼 投稿者:No.017   投稿日:2016/03/06(Sun) 14:01:23     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:カゲボウズ

     最も親しい友人。それを私達は親友という風に呼ぶ。
     私と彼は、物心付いた頃からいつも傍に居た。
     一緒に走り回り、ふざけ合い、共に笑い、ある時は共に泣いて、一緒に、ずっと一緒に過ごしてきた。私と彼は好む事もよく似ていたから、同じポケモンを手に入れたし、おのずと選ぶ進路は一緒だった。
     彼は唯一無二の親友だ。それは彼も認めているし、周りもそう言うだろう。私だってそう思う。その事に何の疑いも無い。彼は私の、大事な大事な友人だ。
     そんな彼であるからして、私がしばらくの間、一人旅に出ると告げたら、俺もついていく、一緒に行っていいだろ? そんな面白そうな事一人でやるなんてずるいなどと言って聞かなかった。説得するにはだいぶ骨を折った。というか、結局行き先は告げずにそっと私は旅立ったのだった。
     だって私は一人きりになりたかった。いや、一人でなくてはならなかった。きっと彼は私の事を誰よりも理解しているし、私もそれは認めるところだ。けれども彼は、私の事を最も理解しており、同時に最も理解していない、と思う。
     たぶんあいつは気付いていないのだ。
     私が最も大事に思っているのが彼ならば、最も憎んでいるのも彼だという事に。


     一人でどこか遠くに行きたい。どうせなら寒い所よりは暖かい所がいい。私が行き先にホウエン地方を選んだのはそういった理由からだった。ただ、問題は一口にホウエンと言っても狭くないという事だ。全部巡っていたらいくら何でも時間が足りない。ポイントを絞るというか、旅のコンセプトが必要だ。
     私は本屋に寄る機会があるたびに、ホウエンの旅行ガイドをチェックするようになった。何冊かは実際に買って読んでみたりもした。だが今ひとつポイントが定まらない。けれどある日、仕事の合間に寄った大きな書店の国内旅行コーナーで、求めていた旅のプランに出会ったのだ。


    「三十三霊場巡礼?」
     旅先でたまたま出会った女性トレーナーは、両眉をハの字にして、知らないなーという表情をしてみせた。
     南の土地の気風なのだろうか。気のせいかもしれないけれど、ここの地方の人は皆おおらかでオープンだ。私が山一つ越えた五番目の霊場を目指しているのだと言ったら、私もそこの近くにあるジムを目指しているからと途中まで一緒に行く事になった。
     笑顔の素敵なその女性トレーナーはユウギリさんと言う。一念発起して旅に出て半年ほどだそうだ。彼女の故郷ではトレーナーとして旅立つという行為が珍しいらしく、かなり反対されと語っていた。けれど今や野宿すら慣れたもので。どうやら旅人暮らしというのは人をワイルドにするらしい。
    「それでこの前ね、やっとバッジを一個貰ったんですよ!」
     彼女はとても嬉しそうに語ると、バッジケースに収められた真新しいジムバッジを見せてくれた。それはよく磨かれており、ピカピカと輝いている。彼女は自分の事も一生懸命話したけれど、私の話もうんうんと聞いてくれた。
    「霊場って言っても、幽霊が出る所って意味じゃないよ。まぁそれはゴーストポケモンの一匹や二匹ならいるかも分からないけれど。この場合の霊場っていうのは寺院……つまりお寺の事を言うんだ」
     カツンと、金剛杖(こんごうつえ)で地面を突いて鳴らし、歩みを進める。この右手に握る金剛杖は巡礼に欠く事の出来ないアイテムだ。疲れた時、登り坂の時、そのありがたみを理解する。古来より巡礼の旅の途中で亡くなった人々の墓標にもなった。それが金剛杖だ。
    「僕が巡る三十三のお寺にはそれぞれ観音様がいるんだ。どうして、巡礼の数が三十三なのか分かるかい?」
     彼女が知るはずもないと思ったけれど、私はあえて問いかけてみる。案の定、分からない、どうして? という返事が返ってきた。
    「三十三という数はね、観音様の変化身の数なんだよ。観音様は、教えを説く相手に応じて自由自在にその姿を変えて現れるんだ。ある時はお坊さん、ある時は操り人(トレーナー)、またある時はポケモンの姿でという具合にだ。その人に一番ふさわしい形で現れて、教えを授けてくれるんだそうだよ」
     ――巡礼のうちにきっとそういう人に出会う時が来る。
     そうガイドブックの書き出しにはあった。その一節が心を捉えたからこそ今、私はこうしてる訳だ。
     別に本気で信じた訳じゃない。けれど、三十三の霊場を巡るうちに何かが掴めればと思って、私は旅立ったのだ。内緒で置いてきた親友とは違うに場所に立って、一人で息をし、歩いてみたかった。
    「へえ〜、メタモンみたいなんだね、観音様って」
     ユウギリさんはそんな感想をくれた。なるほど、変幻自在に姿を変えるところは確かにメタモンらしい。
     ――三十三の霊場を巡る中で、きっと貴方は様々な人に出会うだろう。そして様々な考えに触れるだろう。そのうちにきっと時が訪れる。「ああ、もしかしたらこの人が観音様なのかもしれない」そう思う時が。
     ガイドブックの書き出しはそのように締められて、次ページにホウエンの地図、そして道順が示されていた。スタートはどの寺からでもよい。逆に回っても、ランダムでもよいとの事だった。
     私達の進む山道の中腹に、寂しげに伸びる人気の無い石段があった。朽ちた落ち葉に覆われた長い石段だ。私はポケットから地図を取り出して確認する。ふむ、どうやらここらしい。
    「あれっ、もしかしてここもおにいさんの言ってた霊場の一つだったりするの?」
    「いや、ここは三十三には数えられていないけれど、寄ってみたいと思ってたんだ。なんでも変わった趣向の観音像があるんだって」
    「変わった趣向の?」
    「さっき、変化身の話をしたろう。観音様の頭には変化身を表す顔がいくつもついている事が多いのだけど、なんでもここの観音像の顔は皆ポケモンなんだとか」
    「へえ、まさにメタモンって訳ね!」
     その話を聞いて、ユウギリさんも興味を持ったようだ。いいよ、付き合ってあげる。私も見てみたいもの。と言ってくれた。それにしても驚いたのはユウギリさんの石段を登るのの早い事だ。さすがに毎日歩きどおしのトレーナーは違う。にわか行客の私はあっという間に引き離されてしまった。
    「もー、何してるのー? ホウエン中のお寺を回ろうって人が情けないなー」
     遥か上のほうから声が聞こえる。
    「ごめーん、先に行ってて! すぐ追いつくからさ!」
    「分かったー、待ってるー」
     私が叫ぶと、さっきより小さく声が響いた。どうやら更に上に行ってしまったらしい。金剛杖で身体を支えながら、私はゆっくり登る事にした。
     ここの話を聞いたのは、さる寺院で出会った高僧からだ。
     遠い昔、ホウエンは様々な自然神が織り成す八百万(やおよろず)の神の国だったらしい。いたる所に、それこそ村々に小さな神様が居てそこに住む人々と共にあった。
     だがある時、地の神と海の神、それぞれを信仰する民がこの地方の覇権争いを始めた。結果、地の民が支配した土地の民は地の神を、海の民が支配した土地の民は海の神を、それぞれ信仰する事を強制されたのだ。
     そうして本来その土地を守っていた小さな神様達はどんどんその姿を消していった。行き場所を無くした小さな神様達を憐れに思った旅の僧侶は、神様達に居場所をと観音様に祈ったという。すると、僧侶の夢枕に立った観音様はここに寺院を立て、神様達を受け入れるようにと仰ったのだそうだ。それがここにある寺院の興りという。
     こんなに長い石段を登らせるのも、こんな所に寂しくあるのも、欲深き者達を寄り付かせずにもう二度と土地を追われないようにするためであるらしい。
     私はさる寺院で出会った高僧のように徳の高い人物ではないから、歩いているといろんな雑念が頭をよぎる。
     たとえば、置いてきた親友の事だ。
     あいつ今頃、何だよ俺を置いて勝手に出て行きやがって! などと言って怒っているのだろうな。そんな彼の表情が容易に想像できて、私は苦笑いをする。
     けれど、仕方なかったんだ。と私は呟いた。私は限界だった。
     傍に居る傍ら、ずっと親友に嫉妬し続けていたからだ。
     一言で言うなら彼は非常に出来がいい奴だった。
     まず、あいつのほうが背が高い。これは小さい頃からのコンプレックスだ。
     走っても、泳いでも、山を登っても、ゴールに着くのはいつもあいつが先。釣りをすれば必ずあいつが私より大物を釣り上げる。勉強しても、絵を描いても、あいつは何だって私よりうまくやってのけるのだ。
     例外は無い。あらゆる事において、彼は私の上なのだった。私はずっとずっと見せつけられてきたのだ。そしてずっと恨めしく思っていた。
     ずっと彼と自分とを比較して生きてきた。自分は何をやっても格下なのだと。
     それでも私はあいつが好きだった。あいつといるのは楽しいし、あいつは私の事をよく分かってくれる。人並みの幸せなら手に入れているほうだと思う。それなのに……どうしてこんなに苦しいのだろう。
     今までなんとか押さえつけてきた親友への嫉妬。けれどそれはもう理性という名の箱に押し込めても、反動で中身が溢れてくるようになってしまった。原因は分かっている。たぶん「あれ」がきっかけだ。
     私は、親友にどう向き合ったらいいのか、分からなくなった。
     だから一人になりたかった。旅に出て答えを出そうとした。少し距離をとったなら何かが変わるかもしれないと。三十三の巡礼で出会う事が出来るという観音様なら、きっとどうすればいいか教えてくれる。私を救ってくれるような気がしたのだ。
     そうこう色々な煩悩に弄ばれているうちに私は石段を登りきった。さすがに疲れたので、金剛杖に体重を預け一呼吸を置く。静かだ。さわさわ鳴る風に揺れる木の葉の音、自分の息遣い以外は聞こえてこない。あの高僧はあまり知られていない穴場だから人はほとんどいないような事を言っていたが、本当に人の気が無かった。周りをきょろきょろと見回すが、ユウギリさんの姿は無い。たぶん奥にあるという本尊を先に見に行ったのだろう。
     気が付けば空は赤くなっているし、あまり待たせたら悪いと思って、再びカツリと金剛杖を前に出して私は奥へと進んでいった。朽ち葉に満たされた道を少し歩いたところで、石を敷き詰めた、屋根で雨をしのげる道が出現する。それが観音像が安置されているというお堂に続いていた。
     お堂の中に入る。いくつもの木柱が立って、夕日が差し、光と影のコントラストを刻んでいる。神秘的な光景だった。吸い込まれるように中へ入ってゆく。中に入って、柱の林の向こうに彼女を見つける事が出来た。
     だが、少し様子がおかしいような気がする。どうしたんだろう?
     私は近づいていき、
    「ユウギリさ……」
     と、言いかけて、言葉を失った。
     私の目の前に異様な光景が広がっていたからだった。
     赤い夕日の差し込むそのお堂の中には、私とユウギリさんの他にもう一人の人物が立っていた。それは二十代と思われる青年だった。
     青年とユウギリさんは手を合わせる観音像を背景に対峙していた。すらりと立つ青年の物腰は美しく、淡い色の髪が輝く夕日に染められている。そして、青年の足元から長く伸びた影。それが絡みつくように彼女を捕らえていたのだ。信じられない光景に目が釘付けになった。
     決して夕日で伸ばされた青年の影が彼女にかかっているのではない。それは彼女の影が青年と同じ方向に伸びていない事からも明らかだった。彼の影は明確な意思を持って彼女を捕らえているのだ。
     青年はうっすらと笑みを浮かべ、すうっと手を上げると人差し指を彼女のほうへと伸ばす。すると彼女に絡みつく青年の影に二色の青と黄の模様がいくつも浮かび上がった。
     だが、模様であるという私の考えはすぐに否定された。黄の部分がぎょろぎょろと動いていたからだ。
     あれは、眼だ。何かの眼。青年の影の中で無数の瞳が蠢いているのだ。
     彼女はいやだと言うように拒否の、恐怖の表情を浮かべた。けれど声がうまく出ないらしい。悲鳴は悲鳴となって響く事が無かった。無駄だよ、と言うように青年の口元が笑っている。
     ぎょろぎょろと動いていた瞳の主達がその形を顕わにしていく。大地から顔を出す新芽のようにむっくりと顔を上げたそのポケモンには、彼らの肌と同じ色の一本の角が生えていた。
     知っている。あれはカゲボウズだ。
     その多くはホウエン地方に生息が報告されており、負の感情を糧とすると言われるゴーストポケモン。それが影という名の苗床に所狭しと芽吹いている。それにしてもなんて数なんだと私は思った。
     宙に浮いていたならひらひらと揺れていたであろう彼らのマントは、今や植物のように彼女の身体に根を張って侵食していた。まるでその身体からすべての血液を吸い出そうとしているかのようにだ。影の根に縛られた彼女の身体が、びくんと震えた。
     青年が伸ばしていた人差し指の手を返すと招くように指を動かす。それはそこにある何かを愛撫しているようにも見えた。人差し指から中指へ、薬指から小指へ。青年の四本の指が一定のリズムを刻むそのたびに、影に捕らえられた身体に緊張が走る。そのたびにカゲボウズの伸ばす根が彼女のより深い所へ食い込んでゆくように見えた。
     奥深くに侵入を許すたび、彼女の身体はびくんびくんと痙攣し、息を吐く間隔が短くなってゆく。最後に身体を大きく仰け反らせてから、黒の苗床に力なく崩れ落ちた。
     取り憑いていたカゲボウズ達が、そっと彼女を横たわらせるようにして、ゆっくりと青年のほうへ引いてゆく。
     そうしてすっかりと影達を自身の内に収めた青年は恍惚とした表情を浮かべ、伸ばした手を引き寄せると中の指をぺろりと舐めたのだった。
     背筋にぞくりと悪寒が走った。
     何だこれは。私は何を見ているんだ?
     それが何なのか、結論は出なかったけれど、私の中にある生物的な勘があれはおぞましい、恐ろしいものだと告げていた。
     そういえば、あいつからこんな話を聞かされた事がある。昼と夜の中間である夕刻は事故が起こりやすく、「魔」に遭遇しやすい時刻なのだと。あらぬものを見る、事故を起こす、その時刻の事を遭魔ヶ時と言うのだと。空の色は赤。昼が夜に溶け出す時間。時刻はまさに遭魔ヶ時であった。
     ……見てしまった。きっと見られていた事に気付かれたら、何をされるか分からない。離れなくては。早くこの場から離れなくては。
     だが、驚いた事に私の中にある正義感のようなものが、それを拒否したのだった。
    「ユウギリさん!」
     無謀というか、自分の中にこんな勇気があったなんて知らなかった。気が付くと私は彼女の元へと走り寄っていた。その場を逃げ出したい恐怖以上に、冷たい床に横たわった彼女の安否が気にかかった。私の中にある良心がその確認を優先させたらしいのだ。
     彼女の前で屈むと、恐る恐る抱き上げる。身体は少し冷たくなっているけれど、きちんと呼吸はしていた。素人判断ではあるけれど命に関わる事はなさそうに見えて、ほっと一息をつく。
    「大丈夫ですよ。気を失っているだけですから」
     観音像を挟んだ反対側から声が聞こえて、私は背筋が凍るのを感じた。彼女を抱き上げたまま顔を上げると、青年が幽かに微笑んで私を見下ろしていた。目の色がカゲボウズのそれと同じ色に染まっていた。
     ああ、そうだった。私は今更に自分の立場を認識した。無防備な状態でこの青年の前に出てきてしまったのだと。ぎゅっと金剛杖を握る。何をされてもいい覚悟をした。すると、青年は、
    「そんなに警戒しなくても何もしやしません。少なくとも……今はね」
     と、言ったのだった。彼は瞬きをする。再び青年が目を開いた時、彼の瞳は人間の本来の色に戻っていた。
    「それにね、少し感心しているんですよ。僕のこれを目にしたら、たいていの人は逃げてしまいますから」
     青年は微笑んで言った。
    「貴方は変わった人だな。貴方みたいにわざわざ飛び込んでくる人は珍しい」
     青年の口の両端が少しばかり吊り上がったのが分かった。
    「尤も逃げたところで逃がしたりはしませんけれどね?」
     私の背後でくすくすと何かが笑った。すうっと一匹のカゲボウズが私の横を通り過ぎて、主の下へ戻ってゆく。気付かれていたのだ、と私は悟った。いつから? たぶん最初からだ。
    「彼女に何をしたんですか」
     精一杯の睨みを利かせて、私は言った。
    「感情を食べさせてもらいました」
     青年が何食わぬ顔で答えた。戻ってきたカゲボウズが青年に擦り寄る。彼はその頭を撫でてやった。
     感情を食べた、青年は確かにそう言った。
    「食べた……? 負の、感情……を?」
    「そう、カゲボウズの日々の糧は負の感情です。俗説って言われてるけど有名な話でしょう。でもそれは本当の話。僕の影に憑いているこの子達は負の感情がエネルギー源なんです」
     そう言ってカゲボウズの喉に指を滑り込ませる。エネコにそうするように、人形ポケモンの喉を愛撫した。カゲボウズが嬉しそうに目を細める。その様子を満足そうに見つめながら青年は続けた。
    「彼女、ユウギリさん……でしたっけ。こう見えてとても嫉妬深い人なんですよ」
     嫉妬。青年は嫉妬と言った。その言葉に私はドキリとする。
     嫉妬、だって? 彼女が嫉妬深いってどういう事なんだ?
    「彼女ね、故郷の町に小さい頃からの親友を残して旅に出たんですよ」
     青年は語り出した。
    「同じ町で幼い時から共に育った親友が居たんです。何でも出来てまるで彼女のお姉さんみたいな存在。小さい頃からいつも出来のいい親友の影に隠れて、けれどそのたびに自分と比較して。彼女はずっと嫉妬していたんです」
     動悸が、した。私はすべてを見透かされ、心の臓を掴まれた気がした。
    「そしてとうとう思い余って、トレーナーとして旅立つ事で親友から離れる事にしたのです」
     青年はにこやかな表情を崩さずに語る。ばくん、ばくんと心臓が高鳴っていくのが分かった。
     誰の事だ。それは。彼は今、彼女の、ユウギリさんの事を語っているはず。それなのに自分の事を言われている気がするのはどうしてなんだ。
    「けれど、彼女は逃れられなかった」
     畳み掛けるように青年は言った。
    「……逃れられなかった?」
    「過去がね、追いかけてきたんです」
     青年はそう続けた。
    「きっと彼女に影響されたんでしょうね。最近その親友が追いかけるようにトレーナーになってしまったんですよ。もうバッジを二つも持ってる。彼女は最近ようやく一つ取ったばかりだっていうのにね」
     私はハッとした。
     ――この前ね、やっとバッジを一個貰ったんですよ!
     彼女は確か、そう嬉しそうに話していた。
     その瞬間に、いつも自分の前を走っていた幼い頃の友人の笑い声を、私は聞いたような気がしたのだった。
    「かわいそうに。離れたはずの友人が追いかけてきた上に、また力の差を見せつけられて。彼女、ずいぶんとくすぶらせていましたよ。親友に嫉妬する気持ちを無理やり押さえつけて、溜め込んで、それなのに誰にも吐き出せなくてね」
     焦っていた? 追い越された分を取り返そうと? 彼女はあの笑顔の裏でそんな事を思っていたっていうのか……? そんな様子、微塵も見せなかったのに。
    「いつもならね、もっと獲物になる子の話も聞いてあげるんです。ゆっくりと機を待ってから一番いい時に喰らう。そういうのが僕は好きでね。でも今日は渇きが酷くて。今すぐに食べるんだってこの子達が聞かないから」
     そう言って青年はちらりと足元を見た。彼の足元から伸びる影が不気味に蠢いている。再びぞくりと悪寒が走った。
     この青年は、この影達の欲望のままにこの様な行為を繰り返しているというのだろうか。あまつさえ、つい今しがた出会った彼女を手にかけてしまうなんて……。
     が、ちょっと待てよ、と私は考える。
    「今、話も聞かずにと言いましたか? だったら、何故そんな事を知っているんです? 貴方と彼女は今日、いや今さっき出会ったばかりでしょう」
     私は湧き出た疑問を言葉にした。少なくとも私のほうが、私のほうが彼女と話していた時間は長かったはずなのだ。それなのに何故彼は知っている? 私が知らない事を何故こんなにも知っているのだ。すると青年がくすっと笑った。
    「感情を喰らった相手なら分かるんですよ。影を媒体に彼女と繋がって嫉妬の記憶ごと奪ったんですから。ユウギリさんの感情はとても甘かったですよ」
     行為の余韻に浸るように、楽しげに青年は言った。
    「知ってますか? 感情って甘い味がするんです。負の力が強いほどに甘い甘い味になるんですよ。彼女、すごくよかったです。この子達も喜んでる」
     青年の台詞に呼応するように、ぞわぞわと影がうねる。それに誘われるようにして先ほどのカゲボウズが青年の影の中に戻っていった。
     ユウギリさんをかばう腕が、抑えながらも微かに震えていた。青年がその気になったなら、今すぐにでも喰われてしまう。それが分かったからだ。
     青年との会話。私は自覚せざるを得なかった。私自身が彼らの獲物足りえる事を。知らなかった。けれど気付かされてしまった。彼女と私は似すぎているという事に。
     嗚呼、なんという一致だろうか。いや、だからこそ気が合ったのかもしれない。彼女と私は同じ。同じだったのだ。
     もし彼女より先に私がこの場所に立っていたならば、今ここに倒れていたのは、喰われ、奪われていたのはこの私だったに違いない。
    「怖がる事はありませんよ。少し記憶を無くしてしまうだけ。彼女の場合は嫉妬の対象の記憶。でも奪われた事すら思い出せないですよ。だって無くしているんですから」
     まるで私の考えを読んだかのように、青年はそう言った。そうしてついに話題が本来のものに戻される時が来た。
    「さて、どうしようかな。貴方には食事を見られてしまったし」
     青年がにこりと笑った。カツン、カツンと石の床を歩いてくる。ああ、やはり喰われるのか。けれど、私には対抗する手段が無い。手持ちのポケモンでも居れば戦えたかもしれなかったが、今は実家に預けていた。私はすべてを覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。
     だが、青年は私の二、三歩前で立ち止まるとこう言ったのだった。
    「やめた」
     え……?
     私はあっけにとられて青年の顔を見上げる。
    「だって彼女、良かったから。お腹いっぱいなんです。食べ過ぎは良くないですよ。ここで貴方を喰らっても楽しめなさそうだ」
     渇きが収まっちゃって、と青年は続けた。
    「ですから代替案を用意しましょう」
     代替、案?
    「貴方の持っているその金剛杖、それは三十三の霊場巡りをするためのものですよね?」
    「……知っていたのですか」
     意外な単語が出て、驚いた。この若い青年が霊場巡りを知っていたなんて。すると、結構こういうのには詳しいんですよ、と青年は付け足した。
    「だからこうしましょう。貴方が三十三の巡礼の間に再び僕に出会ったのなら、僕の勝ち。貴方を獲物にする事にします。けれどもし、僕に出会わずに巡礼を終えたなら貴方の勝ち。その時は見逃してあげますよ」
     彼は愉しげにくすくすと笑う。なんだか、不公平な条件のような気がしたのは私だけだろうか。
     けれど、少なくとも、今この場で喰われてしまうよりは遙かにマシな提案である事も確かだった。
    「三十三の霊場は赤と青、どちらにも染まらずに守られてきた信仰、巡礼の道です。僕はそれにある種の敬意を持っているつもりですよ」
     青年が続ける。
     赤と青。彼はかつてホウエンで信仰を巡る争いを繰り広げた二大勢力をそのような名で語った。私は年老いた高僧の説法でその事を知ったけれど、彼はどのような経緯で知ったのだろうか。それはともかく、どうやらこの手の事に詳しいと言ったのは本当らしい。
    「それにね、僕も訳あってホウエンを巡っているのです」
    「……君も?」
    「そう。探しているものがあるのです。貴方の巡礼に近しいものがあるとは思いませんか?」
    「…………」
     意外だった。私が三十三の道筋に菩薩の変化身を探すように、こんなに多くの影を引き連れたこの恐ろしい青年にも探しているものがあるというのだ。例えるならそれは彼だけの観音様、と言えなくも無いかもしれない。
    「ん……」
     私の膝元で何かが動き、私の腕を掴んだ。それはユウギリさんだった。眉をぴくぴくと動かして意識を取り戻そうとしている。
    「ああ、気が付いたみたいですね。しばらくは意識が朦朧としているかもしれませんが、すぐに元に戻りますよ」
     と、青年は言った。
    「尤も、さっき話した友人の事はすっかり忘れてしまっているでしょうけどね」
     忘れる……。そういえばさっきもそんな事を言っていた。忘れる? 負の感情を向けていた対象を? 何故だろう。私はもう少しその話を聞いてみたくなった。
     けれど青年は足の向きを変え、くるりと背を向ける。
    「それじゃあ僕はこれで失礼します。どうか彼女を、ユウギリさんをよろしく」
     そう告げて、最後にちらりと横目で私を見据えた。おそらくは記憶するため。私という活餌を忘れぬようにであろう。
    「縁があったらまたお会いしましょう。お互い探しているものが見つかると良いですね」
     淡い色の髪がふわりと揺れる。口元がわずかに微笑んでいた。
     縁があったら。
     仏と縁を結ぶ仏縁という言葉があるけれど、この場合はカゲボウズが結ぶ縁だ。それが巡礼の最中なら、私は喰われてしまう。おそらく逃れる術は無い。それはカゲボウズの結ぶ闇色の繋がりだ。
     とんでもないものに目をつけられてしまった。私は再び背筋が寒くなるのを感じた。
     気が付けば空は山の向こう側がわずかに赤い光を放っているだけとなっていた。そうして、青年がこの場を去ったのを数刻と待たずして夜がやって来た。昼と夜の境、遭魔ヶ時という時間が終わったのだった。

     翌朝、山の麓にあるポケモンセンターの前で私とユウギリさんはお別れをした。ユウギリさんは昨日の夕刻起きた事を何も覚えてはいなかった。きっと旅の疲れが溜まっていたのだ。どうやらそういう事で彼女の中では決着したようだった。あの場所で倒れた事、特別それを怪しんだり、くよくよ悩んだりはしなかった。
    「なんだか色々と急ぎ過ぎていたみたい。ゆっくり行くわ」
     そのように彼女は言っていた。笑顔だけは出会った時と変わっていなかった。
     けれど彼女の中では劇的に何かが変わってしまったはずなのだ。青年の言っていた事が本当なら、彼女の中のある部分がごっそりと抜け落ちてしまっているはずなのだ。もちろん彼女自身はそれに気付くはずも無いのだが……。
     私は、彼女の友人の事を聞いてみようと思ったけれど、結局口には出せなかった。
    「よい旅を!」
     旅の別れ道。遠くのほうで手を振ったのを最後に彼女の姿は見えなくなった。
    「私も、行きますか」
     頭のどこかであの青年の事を考えながら、私も旅の空の下へ戻ってゆくのだった。


     それから。
     それからも私の旅は続いた。
     ある時は海沿いの道を、ある時は霧の深い山道を私は歩いた。ある時は温泉に癒され、雨に降られる。森の中で大きな野生のポケモンに遭遇し、焦った事もあった。お寺の入り口にある仁王像に睨みつけられ、有名な遺跡を通ったりもした。出会った人々は皆暖かかった。暖かく私を迎え入れてくれた。
     歩きにも慣れたものだ。身体とは順応するもので、最初はすぐに足がパンパンになりへばったものだったが、今は出会うトレーナーと同じ程度の体力はついてきたようだ。訪問した寺院は十五を超え、やがて二十近くに達する。
     けれど残念な事に、観音様の変化身には今のところ会えずじまいだ。素敵だなという人物に出会っても、この人こそが観音様という風に思えた事は今のところ無い。いつになったら会えるだろう。いつになったら教えを授けてもらえるのだろうか。私の友人に再び向き合える時はやってくるのだろうか。
     旅に出て三ヶ月あまり、訪問した寺院数が二十を超えた。
     今のところ、あの青年には出会っていない。
     あの時は、あの約束は不公平だなんて思った。けれど、よくよく考えてみれば、彼が言葉通りにこの広いホウエンを巡っているとすれば、同じ巡礼ルートでもない限りはもう一度鉢合わせになる確率は低いのだ。
     もしかして最初から彼は見逃すつもりだったのか? あるいは私の中にある親友への嫉妬心には気付かなかったのだろうか? そんな事を思う。
     二度と会う事もなく終わるのかな……。いや、むしろそうあって欲しいのだけど。たまに思い出してはそんな事を考える。
     出会った時はとても恐ろしかったけれど、いつしか恐怖は薄れて、過去のものになりつつあった。旅の途中には色々な事がありすぎて、あれは遭魔ヶ時が見せた悪い夢だったのではないのか、そんな事すら私は考えるようになっていた。
     感覚というのは麻痺するもので、記憶というのは褪せるものだ。
     まさか、この先にもっと恐ろしいものが待ち構えているなんて、この時の私は考えもしなかったのだ。
     災難というものは、いつも本人が忘れた頃にやってくる。

     二十七番目の寺院。
     私は本尊の荘厳な観音像を拝み、宝物殿を見物すると、その寺の誇る自慢の庭の解説を聞いていた。
    「この枯山水(かれさんすい)は、この寺院を建立した常安和尚が山でグラエナに囲まれているところを表現していて、いいですか、中心に見えるのが若き日の常安、その周りを囲うように横たわっている三つの岩がグラエナなんです。緊迫感が伝わってくるでしょう?」
     はっきり言って解説を聞かないと小さな石の敷き詰められた空間にただの大きな岩が転がっているだけにしか見えない。やや癖のある語り口の解説員の声を聞きながらそんな風に私は思った。しかし、解説を聞いた後だとなんとなくそういう風に見えてくるから不思議である。
    「常安が金剛杖を地面に突き刺すと、そこに雷が落ちたのです。グラエナ達は驚いて退散していったと言われます。それ以来この寺で配る金剛杖には……」
     庭を作った人がその意味を文書に書き残したのかどうかは分からないけれど、もし想像で解説しているとすれば、その類まれなる想像力には敬意を評さざるを得ない。いや、後世まで庭師の意図が正確に伝わったとしたら、それはそれですごいと思う。
    「それでは次に、常安和尚が修行時代に見たと言われる伝説のポケモンの雄大な姿を表現した庭をご覧に入れましょう。みなさん、こちらへどうぞ」
     観光客に混じってぞろぞろと渡り廊下を移動する。
    「ご覧ください。これが常安和尚が見た天空雲竜と伝えられています」
     本堂から少しばかり離れた場所にあるその庭。庭を見るために私達が移動した廊下のその隅のほうで法衣に身を包んだ住職らしき人物が誰かと話し込んでいた。
    「そうか、そういう事ならこれをあげよう。信者の方にお配りしている金剛杖だよ。これはこの寺院を建立した常安和尚が地面に突き刺してだね、」
     話し声が聞こえてくる。誰かが、住職に相談をしているらしかった。
    「この杖はね、巡礼に欠かせないものなんだ。山道を歩くのに便利だし、凶暴な野生のポケモンに出くわした時はこれで身を守るのさ。私の若い頃なんか山道にね……」
     住職は若き日のエピソードを交えながら楽しげに話している。襖に隠れていて姿が見えないが、どうやら巡礼の志願者があるらしい。
    「まだお若いのに、巡礼なんて感心だねえ。いやいや、悪い事じゃないさ。むしろ若いうちにやっておくべきだよ。君の人生にとって意味のある旅になるだろう。いやあ、感心な事だ」
     すると、話し相手は住職の褒め言葉に謙遜した答えを返したのだった。
    「そんな、情けない理由ですよ。実は友人に置いていかれてしまいまして」
     ドクンと心臓が脈を打った。瞬間に、凍える風を吹きつけられたみたいに背筋が凍ったのが分かった。
     まさか。
     その声にものすごく聞き覚えがあって私は硬直した。
     まさか……。
    「小さい頃から仲の良かった友人がいましてね、あいつ、俺には何も告げずにどこかへ行ってしまったんです。今まではそんな事無かったのに……」
     まさか。まさか。
     まさか、そんな。
    「きっとよっぽどの事なんだ。俺には一人で行きたいと言ったあいつの気持ち、分かってやれなかった」
     そうかい、そうかいと相槌を打つご住職。
    「だから、俺も旅に出る事にしました。あいつと同じ旅の空の下に立って、場所は違っても同じように呼吸をして。そうしたら少しは分かってやれるんじゃないかって。あいつの気持ちに近づけるんじゃないかって」
     分かってしまった。私には分かってしまった。姿を見ずともその声と口調、発言で分かってしまった。
     なんで。なんでここにいるんだ。なんで君がここに。
    「だからこの旅で、この巡礼で答えを見つけたいのです。俺があいつに何をしてやれるのか」
     すると住職は答えた。
     貴方はこの旅で様々な人に出会うだろうと、その中には菩薩様がお姿を変えた変化身が混じっていて、貴方にそれとなく教えを授けてくださるだろうと。
     それから住職と「彼」は二言、三言言葉を交わしたけれど、内容は頭に入らなかった。
     ただ、彼が最後にそっと呟いた一言を私は聞き逃さなかった。
    「あいつ、今どこで何してるのかなあ……」
     私が慌ててその場を後にした事は言うまでも無い。
     なんて事だ……!
     なんだってこんな事になってしまったんだ。なんで、置いてきたはずの君がここに居るのだ。
     嗚呼、君は馬鹿だ! なんて馬鹿野郎なんだ!
     世界で最も好きで、一番大嫌い。嫉妬に歪んでまともに君の顔を見れなくなって、勝手に飛び出した私の事を心配するなんて! 廊下を早足で移動しながら私はぼろぼろと涙を流していた。
     それは彼の言葉が嬉しかったから。
     同時に、その言葉をとても憎んだから。
     どうして。どうしていつも君はそうなんだ。何故いつも私がやる事の上をいってしまう。
     三十三の巡礼。私は自分の事しか考えていなかった。自分が救われる事しか考えていなかったのに……! どうして君は自分以外の心配が出来るのだ。自分以外の者のために祈れるのだ。
     どうして。どうして君は思い知らせる。私が君より格下だと。君が私より格上だと。
     なんだっていつもいつも君は見せつけるんだ。
     今改めて認識した。君は私の親友だと。誰より私を理解し、分かっている。
     だが同時に何も理解していない、何も分かっていない!
     どうして。
     どうしてよりにもよってホウエン地方を、あまつさえ私と同じ道を選んでしまったんだ。
     どうして巡礼の間くらい私を放っておいてくれなかったんだ!

     動悸がした。
     食べたものを戻してしまうみたいに、記憶が、逆流を始めていた。
     私は実家に置いてきた自分のポケモンを思い出していた。

     手を出したのはほんの軽い気持ちからだった。
     きっかけはラジオだったか、あるいはテレビだったか。最近流行っているからという理由でポケスロンというポケモン競技に手を出した。幸いポケモンは持っていたし、運動不足気味だったから、いいと思ったのだ。相棒のブースターがハードルを飛び越えたり、フリスビーをキャッチする様は見ていて楽しいものだった。
     でも今思えば、あれは巡礼の代替だったのかもしれなかった。
     私は癒されていたのだ。休日の競技の楽しさ以上に、あいつのいない自分の時間というものに癒されていたのだ。そこで、ポケモンとの競技に集中する時、私は私でいられたのだ。
     だが、その時間はある日突如、終わりを迎えた。
    「今日はルーキーが入ったんだ」
     そう言われてハードルコースを見た時にそこで走っていたのはあいつのサンダースだった。あいつは私の姿を見つけると無邪気に手を振ってきた。
     ブースターを実家に預けたのは、次の週の休日だったと記憶している。

     旅に出たいと思った。一人で旅に出たいと。
     だって、そうしなければ、私は。
     そうして、巡礼が始まった。

     飛び出した。逃げるように。私は逃げるようにその寺院を飛び出した。いや、正真正銘逃げ出したのだ。尻尾を巻いて。早く行かなくては。彼の目の届かない所に。
     今、ここでこうしている姿を見られてしまったら、この惨めな姿を見られてしまったら、私はもう――!
     行き先も確かめずに乗り物に飛び乗った。山道を走るバスだった。あいつは乗っていないはずなのに、震えが止まらない。いつか乗り込んでくるんじゃないかと怖くなる。
     あいつはどういう順番で回るつもりなのだろう?
     逆順? ランダム? それとも、同じ?
     いや、待て。どうせ残りの寺院はわずかなんだ。出会う確率は低いはずだ。それなのにこの胸に広がる不安は何だ。
     もし、あいつに出会ってしまったら? そう思うと怖くて怖くて堪らない。私はどんな顔をして彼に向き合えば良いのだ?
     私はまだ掴めていない。三十近くの道筋を辿っても何も掴めていない。私に教えを授けてくれる観音様は、いつになったら現れるというのだ?
     ああ、なんで、なんで私の前に現れたんだ。せめて旅をしている間だけなら君を忘れられると思ったのに、憎まずにいられると思ったのに! 一人で旅している間なら、私は誰でもなく、誰と比べる事もなく心穏やかでいられたのに! 何故ここまで来て尚、思い知らされなければならないのだ。
     いやだ、いやだ、いやだ。どうして。
     どうか私を、僕を追い回さないでくれ。苦しめないでくれ。
     ――彼女は逃れられなかった。
     かつて山寺で出会った恐ろしい青年の台詞がリフレインする。
     ――過去が追いかけてきたんです。
     ああ、今まさに残してきた過去が追いかけてきている。
     分かっているさ、昔からそうだった。昔も今も君に悪意なんてない。たぶん三十三の巡礼を選んでしまった事は純粋な君の好みなのだろう。私達は好みもよく似ていたから。ちょうど、ユウギリさんの友人がトレーナーになったように。きっと彼女にも悪意は無かったに違いない。
     だが、悪意が無いからこそ恐ろしい。だからこそ私は恐れ、そして彼女も恐れたのだ。
     君に会ったら、君を目の前にしたら、きっと私は、きっと僕は――負の感情を仕舞い込んでいた理性の箱をひっくり返して、すべてを晒してしまうだろう。すべての醜態を君の目の前に広げてしまうだろう。それだけは出来ない。それだけは。
     いやだ、いやだ、いやだ。
     君には知られたくないんだ。君だけには知られたくないんだ。
     ずっと君への嫉妬をひた隠しにしてきた私を、醜い僕を。
     それでもきっと、君はしょうがないと笑うのだろう。それでも私を受け入れてくれるに違いない。
     そして私はまた思い知るのだ!
     君の腕の中で、君が好きだと、同時にそんな優しい君が誰より憎いと。
     より深く認識し、確認するのだ。
     それだけはいやだ。それだけは。
     もう打ちのめされるのは、いやだ。

     それからもいくつかの寺院を回った。だって他に行く所が無かったから。予定していたルートを順に、順に回った。けれど、出会う観音像も、行きかう人々もポケモン達も、言葉を交わした人達でさえ、すべてが空虚に見える。偽者に見える。
     それは私にとって何の意味を為すでもなく、無感動に通り過ぎて行くだけだった。観音様は見つからない。私の観音様はまだ、見つからない。みんな偽者に見える。
     もうどうしていいか、分からない。
     ただ、ここから繋がるどこかの道でばったりとあいつに会ってしまうのではないかと、恐怖におののきながら道を進む。頭からあいつが離れない。
     ああ、いっそ、いっそ、すべてを忘れる事が出来たなら――私は心の底で声にならない声で叫び続けていた。

     助けてくれ。
     誰か私を、誰か、僕を。

     たすけ、て、くれ。

     旅に出てどれくらいの日数が経ったのだろう。赤い夕日がきれいな夕刻、いつの間にか私は一つの寺院の前に立っていた。無感動に石段を登り、観音像の安置される場所に向かった。別に見たかった訳じゃない。他にやる事が無かったからだ。
     途中に同じように金剛杖を持った人々とすれ違ったけど、どうでもよかった。言葉を交わすでもなく、ただ無関心に通り過ぎる。きっとあの中にも観音様はいない。
    「今日はもう少しで閉まりますから、参拝はお早めにお願いしますね」
     寺院の管理職のような人が言っていた気がするけど、耳に入らなかった。生気の抜けた顔をして、私は本堂へと向かう。どうでもいい。何もかもどうでもいい。ただ、やる事が無かったから。
     人がどんどん捌けていく、私の進行方向とは反対に。まるで波が引くように人の気配が無くなっていく。その流れに逆らうように、私は一人、厳かな雰囲気に包まれた本堂へと入っていった。
     そこにあったのは目を閉じ、ただ沈黙する観音像。私はそれを無関心に眺める。そこには何の感情も、感慨もありはしなかった。
     だが、しばらく眺めているうちに気が付いた。この造りに、この顔には見覚えがある。
     ああ、思い出した。この観音像、ガイドブックの一番最後のカラー写真じゃないか……。
     そうか、ここ、三十三番目なんだ。最後の霊場。三十三番目。
    「くく、はは、あははは」
     そう認識した途端、笑いがこみ上げてきた。乾いた笑いが。
    「ハハハ、なんてザマだ。逃げ出して、迷走してなんとなく着いた先が三十三番目なんて! なんて結末だ! なんて喜劇だ!」
     ずうっと踊っていたんだ。躍らされていたんだ。旅先でたくさんの人に出会う? その中に観音様が居て、教えを授けてくれる? いいや、僕が知ったのはよく出来た僕の親友と嫉妬に歪んだ惨めな自分だけだ。
    「変化身なんて居なかった。僕には見つけられなかった。いいや、最初から居やしなかったんだ!」
     憎んだ。長い旅を経験しても何も変わっていない自分を。憎んだ。浅はかな自身の信仰を。
     もう、何も考えたくない。もう疲れたよ。歩き疲れた。
     観音像は何も言わない。ただ、黙って目を閉じているだけ。僕に教えを授けてはくれない。
     赤い夕日が本堂に差し込んでいる。真っ赤だった。血のように真っ赤だ。ああ、夜になるなあと私は思った。泊まる場所を考えないといけないけれど、何もかもがどうでもよく思えていた。
     どうでもいい。もう、どうでもいい。何もかもどうでもいい。
     刹那、背後から音が聞こえてきたのはそんな時だった。
     カツン、カツン、とそれは聞こえてきた。近づいてくる。
     どこかで聞いた、聞き覚えのある靴の音だった。
     私は音のするほうを振り返る。
     カツン、と音がして立ち止まった。
    「あ、ああ、……あああ…………!」
     私は音の主を認識して感嘆の声を上げた。石の床に刻み付けられた黒い影が映った。靴から伸びる黒い影が。影が蠢く。無数の眼が開いて、嗤った。
    「ふふ、やっぱり貴方は変わった人だ。また僕の目の前に飛び込んでくるなんて」
     淡い色の前髪から青と黄に輝く瞳が覗いた。
    「こんにちは。お久しぶりですね」
     私の目の前で立ち止まった青年がくすくすと笑う。
    「またお会い出来て嬉しいですよ」
     青年が言った。影を見る。波打つように蠢いている。
     私は問うた。久しぶりに出会ったその青年に。
    「ねえ、三十三番目で出会った時、約束はどうなるのかな? そういえば巡礼の終わりの定義、はっきりとは決めていなかったね」
     そう質問すると、青年はにっこりと笑って、
    「実は今日、とてもお腹が空いているのです」
     と、言った。
     ああ、今私のして欲しい事を、望でいる事を、彼はちゃんと心得ている。
    「前にも言ったでしょう。本来僕はゆっくりと機を見て、一番いい時に喰らうのが好きなのですよ」
     それはどんな説法より、誰のどんな言葉より、私には救いに聞こえたのだった。
     私はその時、心から安堵している自分に気が付いたのだ。
     ――その人に合わせ、自由自在に姿を変え、現れる。
     ああ、そうか。今分かった。
     そうか、そうだったんだ。
     この青年こそが私の探していた……三十三番目でやっと気付けたんだ。
     やっと見つけた。やっと私は出会えたんだ。
    「いいですよ貴方。すごくいい。初めて出会った時よりずっといい。あの時、貴方を喰らわずにおいてよかった。今の貴方の感情ならきっととろけるように甘いに違いない」
     青年が妖艶な笑みを浮かべる。その表情は今まで出会った誰よりも慈愛に満ちていて。
     青年はそっと舌先で自らの唇に触れた。影が躍った。時が来た。影がぐにゃりと勢いをつけ、しなったかと思うと、次の瞬間には私の身体を絡み取っていた。
     影が弦(つる)のように僕の指の先まで巻きついて、絡み付いて、お前は喰われるのだと告げていた。もう逃れられない。元から逃げる気もない。黒い苗床から新芽が一斉に頭を出す。芽吹いた者達が三色の瞳を開いて目を細めた。私の内側に向かって闇色の触手が伸ばされる。
     カゲボウズが結ぶ縁、闇色の繋がり。
     伸ばされた闇の根は、まるで初めから私の身体を走る血管だったかのように、張り巡らされた毛細血管だったかのように、すんなりと溶け込んで私の一部となった。
     ドクン、とそれは脈動する。私の中身が暖かい闇に少しずつ、少しずつ吸い上げられてゆく。青年が見守るように、満足げに微笑んでいる。
    「驚いたな。こんなにも素直に僕の影を受け入れてしまうなんて」
     身体中の力が抜けて、抵抗できない。けれどこの感覚は悪くなかった。むしろ、私は私の身体中を蝕んでいた毒素がすべて抜かれていくようにさえ感じたのだった。その感覚はとても、とても、心地よくて。喰われるのってもっと苦しいと思っていたのに。
    「それはね、貴方がそういう風に喰われたいと望んだからですよ」
     青年は云った。
     いいですよ。優しく優しく、じっくりと味わいながら貴方を喰らい尽くしてあげましょう、と。
     なんだか瞼が重くなってきた……眠い。急速な眠気を覚えながら、私は思う。きっと眠りについたのなら、すべてを忘れてしまうのだろう、と。
     それは終わり。長い長い巡礼の旅の終わり。からん、と金剛杖が右手から滑り落ちて、床に転がった。影の抱擁に浸りながら、私は囁くように言葉を口にする。
    「ねえ、最後に聞いてもいいかな」
     なんです? と、青年が返した。
    「私に再会するまでの間、君はずっとホウエンを巡っていたんだよね」
     ええ、そうですよ。と、青年は答える。
     色々な人やポケモンに出会った。様々な負の感情を喰らいました。そう青年は答える。
     私は青年に問いかけた。
    「それで、君の探しものは見つかったのかい?」
     するとどうだろう。饒舌な青年がうつむいて、この時ばかりは押し黙ったのだ。だが、しばしの沈黙の後に顔を上げると、私の問いに答えてくれた。
    「いいえ。まだなんです」
     青年は悲しそうに、本当に悲しそうにそう言った。
     彼はまだ探しているらしい。彼の観音様を。彼だけの観音様を。
    「そうか、君の巡礼はまだ続くんだね……」
     私は最後にそう言うと、少し寂しそうに笑った青年の顔を、たぶん目覚めた時には忘れてしまっているだろうその顔を、
     そっと網膜に焼き付けた。





    聖地巡礼「了」


      [No.1364] 謹慎中4 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:49:50     66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中4



     四つ子がクノエシティに戻り、養親のウズの無理心中に付き合わされかけ、逃げ出したところを幼馴染のユディに連れ戻され、そして裁判官のモチヅキから説教を食らった、その翌日のことだった。
    「ユディ君って、面白い子だよねー」
     そう言い放ったのは、鉄紺色の髪の、細身のポケモン協会職員だった。名をルシェドウという。
    「今どきのガキにしちゃ、ポケモンバトルより勉強が好きなんて、確かに珍しいわな」
     そう朗らかに笑って応じたのは、金茶髪の壮年の大男、これもまたポケモン協会員である。こちらの名はロフェッカという。


     赤いピアスのレイアは顔を引き攣らせた。
    「……なんで、俺んち知ってんの?」
    「いやーここがレイアのお家だったとはね! というかエリートトレーナーのトキサ君を怪我さしたのがまさかレイアとその片割れさんたちだったとはね! いやー驚き驚き!」
     鉄紺の髪のルシェドウはテンションも高く、年若い友の背を叩きに叩きまくった。レイアが噎せる。
     ルシェドウとロフェッカの二人は、レイアが旅先で知り合ったポケモン協会員である。
    レイアとこの二人は何かと縁があり、レイアも請われるままに何かと彼らの任務を手伝っているうち、いつの間にか友達とも呼べる間柄になってしまったのである。
     ルシェドウとロフェッカのポケモン協会職員としての任務は、実に多様だ。野生ポケモンの生態を調査したり、傷薬をはじめショップで販売されている道具の効果を確認したり、トレーナー同士の諍いを仲裁したりと多岐にわたり、一般トレーナーであるレイアも様々な珍妙な任務に付き合わされた経験がある。ちなみに、ルシェドウのこれまででの最大の仕事は、フレンドリィショップへのシルバースプレーの販売営業だったという。
     そのポケモン協会員のルシェドウとロフェッカは、四つ子の自宅謹慎が決まったその翌日に、四つ子の自宅たるウズ邸に現れ、応接間でのんびりと茶を啜っていた。
     ウズと四つ子もその応接間にいたが、その中でもレイアは機嫌が悪くしていた。
    「……で、何の用だよ」
    「いやー、ミアレシティでエリートトレーナーが重傷を負った事件で自宅謹慎になったトレーナーがいるから、その子のメンタルケアと、あとポケモンの取り扱いについての諸注意的な?」
    「……俺がいるって知ったから、てめぇらが来たんだろ!」
    「まっさかぁ。こういうのはね、普通は知り合いの元に派遣されることはないんだよレイア。だから何かの手違い手違い」
    「てめぇらが断りゃ済んだ話だろうが!」
     軽いノリのルシェドウにレイアが激しく食ってかかる。四つ子の片割れたちは、レイアに良い友達ができて良かったとのんびり考えていた。


     傷害事件などを起こして自宅謹慎となったトレーナーの元には、ポケモン協会から職員が派遣される。
     職員はトレーナーと様々な話をし、今後はポケモンの取り扱いに気を付けることなどを訓告していく。そういう職員訪問が一週間に一度ほど、謹慎期間が明けるまで続くのだ。
     しかし、何の手違いでかそれとも確信犯でか、四つ子を訪問してきたのは四つ子の知り合いであるルシェドウとロフェッカだった。
     二人は職員としての任務を全うする気があるのかないのか、ひたすらリラックスした雰囲気でぺちゃくちゃと朝から昼までしゃべり続ける。
     こないだの仕事は虫よけスプレーの規格調査だった、フレンドリィショップに並べられているものを協会のお金で購入してありとあらゆる道路でスプレーの効果がしっかりしているか調べないといけなかった、おまけにそのついでか何か知らないけれどハクダンの森の土壌調査もさせられた。ポケモンの……から作る肥しも採集して自分で作ったり購入したりして、きのみの成長も観察した。めちゃくちゃ写真撮影の腕が上がった。云々。
     四つ子は、そのようなルシェドウの冒険譚を延々と聞かされていた。
     一方で、ロフェッカとウズは二人で世間話に花を咲かせている。
    「――そうっすね、トレーナーによる傷害事件でトレーナーが訴訟を提起されるってのは近年じゃ滅多にありませんなぁ。国相手の訴訟もめっきり減りましたな」
    「それも、一向に判例が覆らないからですかのう?」
    「でしょうなぁ。高裁だとモチヅキ判事殿などは、随分と苦心されて被害者に有利な判決を下そうとされとるそうですが。それでも、最高裁の判断は未だかつて変わらずです」
    「あたしとしてはこの四つ子が訴えられるとなっては困るんじゃが、しかしモチヅキ殿の考えられることも分からないでもなく。複雑じゃな……」
    「世間の圧倒的多数は、歴代政権のトレーナー政策を歓迎しておりますしねぇ」
    「これもユディが教えてくれたことじゃが、法学者の中でも近年は人権保護を強く訴える気風は薄れてきておるとか……」
    「まあ何事も行きすぎは危険ってことですな。まあ我々ポケモン協会としては、トレーナー政策に頓挫されちゃあそれこそ商売あがったりって立場ですがね。まあ私個人としてはモチヅキ殿の人権保障にも共感はなくはないですよ。あくまで個人の意見ですがね」
     セッカはひたすら目を白黒させていたが、緑の被衣のキョウキと青の領巾のサクヤは何が面白いのか、そういったロフェッカとウズの間の小難しい話にも注意深く耳を傾けているようだった。


     ルシェドウのポケモン絡みの冒険譚にもひとしきり退屈し、セッカはロフェッカの難しい話も拾い聞きしていた。
    そしてセッカは、ふとキョウキとサクヤに尋ねる。
    「……あのさ、人権って何?」
     キョウキが答える。
    「すべての人間が平等に持つ権利、だよ」
    「たとえば、どんなの?」
    「わかんないよ。モチヅキさんかユディに聞きなよ」
     その話に割り込んだのは、鉄紺の髪のルシェドウだった。
    「人権保障はね、国家権力の支配に対抗するものだよ」
    「わかりませーん」
     セッカが口をとがらせる。ルシェドウはにこりと笑った。
    「人権は、国が侵害しちゃいけない個人の権利だよ。すべての人間が持つ大切な権利さ。例えば具体的には、殺されたり傷つけられたりしないための権利」
    「……つまり、オレたちは、トキサを傷つけたから、その罰として自宅謹慎食らってるわけ?」
     セッカは首をひねって思ったことを述べてみた。しかしルシェドウもまた首をひねった。
    「うーん、ちょっと違うかなー。まあ似たような感じだよ。人間が他の人間を傷つけるということが許されたら、世の中は大変なことになっちゃうでしょ? だから、法律で人間を傷つけた人には罰を下すように決めているんだー」
     でもね、とルシェドウは言い聞かせる口調である。
    「でもね、セッカたちみたいな一ヶ月だけの自宅謹慎では、罰が軽すぎると考える人もいるんだよ。だって、トキサは一生寝たきりなのに、セッカは一ヶ月だけ家の中でおとなしくしてれば、あとは自由だものね」
    「……そっか、そうだな。……釣り合わないよな」
     セッカも頷いた。
     そこでルシェドウは破顔した。
    「でも、セッカ君やキョウキ君やサクヤ君やレイアが心配することは、なにもありません!」
    「……んええ?」
    「世の中の多くの人は、一ヶ月だけ家の中でおとなしくしていてくれればそれで十分だろう、って考えてっからねー。多くの人がそう考えてるから、そういう法律ができたわけですよ。だからセッカたちは、気にしないでよろしい!」
    「え? ……えええ? それでいいのか?」
    「いいんだよ。俺らやモチヅキさんみたいな実務家はそれでいーの、むしろそうしなくちゃならないの。……でもね、学者さんやユディ君みたいな学生さんは、今の法律や制度が本当に正しいのか、考えなくっちゃいけないよ。つまりユディ君はえらい!」
     そこでルシェドウは一人明るく拍手した。セッカもつられてぺちぺちと手を叩いた。
    「ユディはえらい?」
    「イエス! ユディ君はえらい! 無理難題の解決のため、少数者保護のため、世の中はきっとユディ君を必要としている! いけいけユディ君! がんばれユディ君! まあユディ君が頑張りすぎたら、たぶん君たち四つ子はすぐ牢屋行きだけどね。ドンマイ」
     ほお、とセッカは感心しきりで溜息をついた。
    ルシェドウの隣ではなぜか金茶髪のロフェッカが吹き出すのを堪えていた。


      [No.1363] 謹慎中3 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:48:46     66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中3



     モチヅキがウズ邸から去ると、四つ子は揃って大きく息を吐き出した。
    「俺あいつ苦手だわ」
    「いつも怖いよねぇ」
    「怒ってたよな……」
    「怒っておられたな」
     四つ子の向かい側の応接ソファでは、こちらも緊張が解けたらしいユディも姿勢を崩していた。
    「ははは。……モチヅキさんは、こういう事件が特にお嫌いだからな」
    「ありゃ、そうなん?」
     首を傾げるセッカに、ユディは小さく頷く。
    「こないだ、法学部の刑法のゼミで『ポケモントレーナーによる傷害事件』ってテーマで論文書いた時、モチヅキさんに色々と教えていただいたんだけどさ」
    「うわお、ピンポイント」
    「だろ? で、まあそん時のモチヅキさんは、怖かった怖かった」
     ユディは淡い金髪を揺らして、くすくすと小さく笑う。
    「現行法は人権軽視だって、そりゃあ凄みのある有り難い講釈を頂いたな。モチヅキさんって“反ポケモン派”なんだなと思ってさ。まあ裁判官やってると、そう思うのかもな」
    「ジンケン……ケイシ……? 反ポケモン派?」
     セッカが首を傾げる。セッカの片割れ三人もいまいちピンと来ていない様子に、ユディはますますおかしそうに笑った。
    「知らないか? ああ、想像もつかないか。お前らポケモントレーナーは“ポケモンのせいで死んでも怪我しても恨みっこなし”っていうポケモン教に憑りつかれてるって、本当か?」
    「ちょ、ユディ、何が面白いんだ? よくわかんないぞ」
    「ポケモン教、だよ。一種の汎神論というか、多神教というか、前近代的というか。……古代の人間は、自然やポケモンを崇拝し、自然やポケモンと調和して生きる道を選んだ。現代のトレーナーでもそういう考え方してる奴、多いよな」
     家の表までモチヅキを見送りに出ていたウズが、応接間に戻ってくる。しかしそれにも構わず、ユディは喋り続けた。
    「近代では、個々の人権を尊重する考え方が生まれて、それが非合理的な身分制度を打破する力にもなった。……ん? ああ……ははははっ、そうか、なのに今は……面白いな」
    「楽しそうじゃの、ユディは」
    「そーなんだよウズ、ユディが面白くなっちゃった」
     セッカも眉をハの字にしてウズに気安く困惑を訴えた。
     ユディは笑いを抑えると、楽しげに四つ子を見やった。
    「現代と、前近代は似ているな。そう思わないか、セッカ?」
    「……んんん……?」
    「現代のポケモントレーナーは、さしずめ前近代の貴族ってとこだ。そう、絶対的な特権と武力を持っている身分、そしてそういう身分制度がまかり通る社会。同じだな。だろ?」
    「……?」
    「近代の自由と平等を旨とした個人主義と民主主義はどこへやらだな。そうか、現代は誰でもトレーナーという特権身分を得ることができる。しかしその特権身分を持っていられるのは実力のあるトレーナーだけ。そうか、実力主義の身分制社会……」
    「……おーい、ユディ?」
    「平等に機会を与えて、強い者が生き残って、合理的な身分制度を可能にしたのか……? 合理的? 強い者の支配を許すという多数者の意思? 自身こそが強者であるという慢心? ――そしてその幻が破れるのは、トキサさんのようにトレーナーとしての成功の道から外れたとき、か……」
     ユディはひとしきりぶつぶつと独り言を呟くと、ふふふふふふと密やかに笑い出した。四つ子は顔を引き攣らせた。ウズは慣れっこらしく澄ました顔で、急須に新しい茶葉を入れている。
    「面白いな。……これが世界の真理なのか?」
    「大変だよキョウキ、サクヤ、レイア。ユディが真理を悟っちゃった!」
    「さすがはユディだね」
    「さすがだな」
    「お前はやればできるって信じてたぞ」
     ユディは四つ子の賛辞とは無関係に、実に愉快そうだった。
    「というわけだ、アホ四つ子。この現代社会では、公然と一見理不尽な差別が横行している」
     そうユディは四つ子を罵りつつ宣言した。
    「ところが、差別が公然と横行できているのは、それが“理不尽”だと一般に認識されていないからだ。なぜなら、ポケモントレーナーには“誰でもなれる”からだ。誰もが特権身分に入れるなら、そのような差別も許される。大半の人間が、そう考えている」
     ユディは興奮したのか、ソファから立ち上がった。
    「だが実際には、トレーナーでない人間の方が圧倒的に多い。なぜ非特権身分に甘んじる? 十未満の子供、病気の者、怪我の者、高齢の者、その他仕事などのためにポケモンの育成に時間をかけられない者。……ポケモンを育て武力を得る者が特権身分のトレーナー。トレーナー以外の人間は……それが理不尽な差別であることを普段は認識せず……差別が耐えがたい不合理なものであると感じるのは……すでに手遅れになった時……」


      [No.1362] 謹慎中2 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:47:46     61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中2



     結果的に、負傷したエリートトレーナーは重傷どまりで、命は助かった。
     そして四つ子には、一ヶ月間のポケモン取扱免許仮停止と自宅謹慎が命じられた。
     ピカチュウもフシギダネもゼニガメもヒトカゲもみんなモンスターボールに仕舞われ、そして手持ちのボールが全て取り上げられると、四つ子は同じ顔を見合わせた。
    「なんかさ、意外と寂しくないね」
    「そりゃ同じ境遇の片割れが三人もいりゃあな」
    「そうそう、ポケモンは一人旅の友だから!」
    「まあ退屈はしないだろうが」
     そのように四つ子は呑気な自宅謹慎生活を始めようとしていた。食後の茶を四人仲良く並んで啜っている。
     そこに、四つ子の養親であるウズの叱責が飛んだ。


    「トキサ殿にお詫びの手紙を書かんかい!」
     それは人として当然のことのようにウズは思っていた。しかし、生意気に成長した四つ子からは一様に不満の声が漏れたのである。
    「ええー、なんでー」
    「トキサさんが勝手に吹っ飛んだんだよ?」
    「奴は僕のニャオニクスを無視した」
    「あいつの自業自得だろ。俺らは何を謝りゃいいんだよ?」
     ウズは怒りにわなないた。
     一人旅をすれば、甘えたがりで自分本位な四つ子も人格的に一回り成長するかと期待して、ウズは心を鬼にして四つ子を危険な旅路に送り出したのだ。それがどうだ。
     生きることの厳しさを覚えた四つ子は、完璧なエゴイストに成長した。
     人の痛みに共感できない人間になった。自身の安楽な生活のことしか考えなくなった。
     ウズは両の拳を握りしめ、低く低く唸る。
    「……欠陥じゃ……」
    「血管? ウズ、血管切れそうなの? おこなの?」
    「……おぬしらは人として大切なものが欠落しておる!」
     ウズは机を拳で思い切り叩いた。しかし、すっかり図太く成長した四つ子は、眉一つ動かさずにウズを眺めていた。そして隣に片割れが揃っていることを心の支えに、口々に反抗した。
    「いや、大切なものって何ですか」
    「俺ら何か間違ったこと言ってんですかぁ」
    「育てた奴の育て方が悪かったんじゃねぇの?」
    「感情論を押し付けられても困ります」
     そして四人揃って空とぼけている。
     ウズは嘆いた。
    「……本当に、育て方を間違ったかもしれんな」
     深く項垂れると、ウズの白銀の髪がざらりと流れる。ウズはのろのろと台所に赴き、長年愛用し続けてきた包丁を取り出した。
    「……けじめをつけねばならぬか……」
    「えっ」
    「えっ」
    「えっ」
    「えっ」
     四つ子は揃って息を呑んだ。ウズは包丁を構えた。
    「……世間様に顔向けできぬ。アホ四つ子よ、ここで眠れ……あたしも共に死んでやる」
    「ぴゃあああああウズに殺されるぅぅぅぅぅ――!!」
     まずセッカが椅子から飛び上がり、食事室から脱兎のごとく逃げだした。きゃらきゃらと笑いながら、緑の被衣のキョウキが追う。赤いピアスのレイアがそそくさと続く。青い領巾のサクヤがウズに一礼して、四つ子は逃げた。


     四つ子はブーツなど履かず、袴に裸足のままで外に飛び出した。
    自宅謹慎中なのに外に出ていいものかとも思ったが、あのまま家にいても養親の無理心中に付き合わされるだけ。裸足で外を駆け回った昔を思い出しつつ、四つ子はクノエシティに繰り出す。
    湿った土と草と石畳を踏みしめ、樹齢1500年という不思議な大木を目指して走る。
    しかしそれを邪魔するポケモンがあった。
    「がるるっ!」
    「うわっ!」
     突如目の前に現れたポケモンに驚き、先頭を走っていたセッカが飛びのく。残りの三人も息を弾ませつつ立ち止まった。
    「……ルカリオだ」
    「じゃあこいつ……って、うわぁー!」
     四つ子の前に立ちふさがったのは、波動ポケモンだった。標準よりも小柄なルカリオは、四つ子を目にしてにっと笑んだかと思うと、セッカに向かって容赦なく波動弾を繰り出してきた。
    「ちょっやばいやばいやばい人間相手に波動弾はないって!」
     セッカが悲鳴を上げる。それに対するルカリオはわざとセッカから外すようにはしているものの、凄まじい威力の波動弾を何発も放ってくる。
    「おいおい、進化して波動弾覚えたからって、人に向かって撃つもんじゃねぇぞー」
     レイアが声をかけるも、小柄なルカリオはひたすら楽しそうに波動弾を撃ちまくっている。炸裂音がいくつもいくつも、のどかなクノエに響き渡った。
     たまらずセッカが悲鳴を上げる。
    「……ユディ! ユディ助けて! ウズとルカリオに殺されるぅぅぅぅ!!」
    「いっぺん殺されて来いよ」
     その声は、四つ子の背後からした。
    その声にルカリオがおとなしく腕を下ろしたのを見届けて、四人が振り返ると、そこには淡い金髪の、緑の瞳の青年が立っている。
     セッカは涙目で青年に飛びついた。
    「なんでユディ! なんで故郷に帰ってきて殺されなきゃなんないの! 俺がいったい何をしたの!」
    「ミアレでエリートトレーナーに重傷負わせたんだろうが? ウズから連絡来たぞ。おとなしく自宅謹慎してろよ、アホ四つ子」
     モノクロの服装に身を包んだ四つ子の幼馴染が、ほとほと呆れ果てた表情でセッカの額を思い切り小突いた。
     キョウキは笑ってとぼけ、レイアやサクヤは鼻を鳴らす。
     四つ子をひとしきり眺めると、ユディは微かに笑んだ。
    「……久しぶり。元気そうだな。……靴はどこやった?」
    「おうちだよ!」
    「そりゃ威勢のいいことで。帰れ」
     ユディが合図をすると、彼の小柄なルカリオはその両腕で軽々と四つ子を全員担ぎ上げた。


     ルカリオのトレーナー、ユディは四つ子の幼馴染だ。彼は十歳になっても旅には出ず、クノエシティに残って学業を続け、そして現在はクノエの大学で法学を学んでいる。
    ユディのルカリオは、四つ子とユディが幼い頃に見つけたケガをしたリオルが、ユディの手によって育てられついに進化したものだった。ユディもルカリオも、今日久しぶりに四つ子に再会したのだ。
     小柄ながらもルカリオが立派に成長したことに四つ子は感心しつつ、ユディに付き添われて、ルカリオに担ぎ上げられたまま、ウズの家まで引き返した。
     するとそこには、さらに別の客の姿があった。
    「ありゃ?」
    「モチヅキさんじゃないですかーやだー」
    「うげっ」
     玄関先では、両手を腰に当てて仁王立ちする銀髪のウズと、黒の長髪を緩い三つ編みにして垂らした黒衣の客人が、ユディと四つ子を待ち受けていた。
     ユディがルカリオに合図する。
    「下ろして」
    「がるっ」
     そして四つ子は無造作に落とされた。
    雨で濡れた地面にごろごろと四人は無様に転がるも、誰よりも素早く起き上がったのは青い領巾のサクヤである。
    「……モチヅキ様」
    「……身なりを整えてこい。話がある」
     泥まみれの四つ子をモチヅキは一瞥するなり、ウズの家に入っていった。
     四つ子は予想外の来客に、半ば呆けて地面に座り込んでいた。その隣で、ルカリオを傍らに伴ったユディが苦笑する。
    「相変わらずおっかないな、モチヅキさん……。というか激怒してたじゃないか。お前らのせいだぞ、アホ四つ子?」
    「……何をそんなに怒ってんだか。また説教しに来たのかよ、あいつ」
     赤いピアスのレイアが溜息をつく。キョウキもセッカもサクヤもそろそろと立ち上がった。
     家の前で四つ子の帰りを待っていたウズは、四つ子を連れてきたユディを労う。四つ子の幼馴染であるユディは、やはりウズとも昔馴染みだ。
    「ユディ、いつもうちの四つ子が世話になるのう」
    「いいよ、ウズ。で、こいつらどうする? 風呂までルカリオに運んでもらうか?」
    「ふん、庭で水浴びで十分じゃろ」
    「はいよ。ほれ来い、アホ四つ子」
     ユディがルカリオに命じ、四つ子を再び担ぎ上げさせた。左腕に二人、右腕に二人。それがルカリオの剛力で細腕に締め上げられるのだから、それは四つ子にとってなかなかの拷問であった。
     ウズが裏庭へと案内し、四つ子を抱えたルカリオとユディが続く。
     それから四つ子は秋の庭でユディとルカリオによって無造作に頭から盥の水をかけられ、泥を洗い流されて、座敷に戻ってはウズが自分で仕立てた着物に着替えさせられた。
    四つ子の養親のウズは、和裁士をしている。ここクノエのジムリーダーであるマーシュがデザインした着物ドレスを仕立てる仕事も、ウズは以前からたびたび請け負っていた。
    四つ子の親で存命なのは父親だけだが、その父親から四つ子に与えられたのは、ウズ一人、ただそれだけだった。ウズの和裁の腕一つで四つ子は十まで育ったわけで、それだけウズの縫製の技術は高い。そのため、四つ子の着るものはすべてウズの手作りである。
     そんなウズが作った揃いの柿茶色の着物で身づくろいをし、四つ子はぞろぞろと応接間に向かった。
     不愛想な黒衣のモチヅキの説教を受けるためだ。


     モチヅキは応接ソファで足を組み、肘掛に頬杖をついてじとりと四つ子を眺めている。ウズが茶と茶菓子の栗きんとんを人数分だけ盆にのせて運んできた。
    ウズとユディはモチヅキの両隣に配置された一人掛けのソファにそれぞれ腰を下ろし、そしてその向かい側の三人掛けのソファには四つ子がぎゅう詰めにされた。
     沈黙が落ちた。
     銀髪のウズは澄まして茶を啜っているし、淡い金の髪のユディは栗きんとんを黒文字で上品に切り分けて口に運んでいるし、――そしてその二人の間に挟まれた黒髪のモチヅキは、ひたすら不愛想に頬杖をついたまま四つ子を眺めていた。
     四つ子はもぞもぞした。
     モチヅキは裁判官である。華族の血筋を引き、ウズや四つ子の父親とも親交があったとかいう縁から、何かと四つ子を支えてきてくれた四つ子の恩人だ。しかしモチヅキは昔から、この通り、大変気難しい性質の人物だった。
     ウズとユディが二杯目の茶を飲み干しても、モチヅキは四つ子を凝視したまま微動だにせず、その間四つ子は茶にも菓子にも手を付けず、ひたすらもぞもぞしていた。
     一杯目の茶が冷めきったところで、ようやくモチヅキが口を開いた。
    「……これだから、学のない童は好かん」
     モチヅキの暗い眼が四つ子を凝視し続けている。
     へらりと愛想笑いをしているのは緑の被衣のキョウキだけだった。
    「すいませんねぇ、なにぶん学資がないもんで」
    「旅路にて学べることもあろう。旅は独りでするものではない。……助け合うことの尊さ、人心を慮ることの大切さは学べなんだか」
    「ええと、モチヅキさんは何が仰りたいんですか? 学のない童にも分かるように簡潔明瞭にお願いします」
    「生意気な……」
     黒髪のモチヅキは、頬杖をついたまま静かに言い放つ。
    その隣で、銀髪のウズがうんうんと頷いていた。
     金髪のユディもじっと四つ子を眺めていたが、彼はふと息を吐き出した。そしてユディは幼馴染の四つ子に問いかけた。
    「そのエリートトレーナーに対して、お前ら、悪いと思わないのか?」
    「……悪くないもん」
     幼馴染の問いに、セッカがすねたような口調で応じる。ユディは顔を顰めた。
    「お前らのポケモンのせいで、その人は怪我をしたんだ。お前らは、手持ちのポケモンたちのおやだろう。ポケモンのやったことに、責任を持つべきだ」
    「……責任を持つって、何すりゃいいのさ」
    「まず、謝れよ。直接会えないなら、手紙を出せ。早急にだ」
    「……何を謝るのさ。……何を謝んないといけないのかもわかんないのに謝ったって、トキサも困るだけじゃんか」
    「お前らのポケモンが、その人にひどい怪我を負わせたことについて、だ」
    「――だってさ、事故じゃん!」
     セッカが叫ぶ。
    「四人で考えてみたけどさ、悪いのはトキサだもん。……俺らが謝るのは納得できない!」
     ユディも穏やかに言い返す。
    「何をムキになってるんだ。変な意地張らずに、素直に謝っとけ」
    「……とりあえず謝ればそれで済むのか? 謝って世間体的に穏便に済ませろってか?」
    「謝るのが常識だろ」
    「常識常識って、うるっさいなぁ! ウズは感情的だし、ユディはなーんも考えなしだし、もうやだ。ばーかばーか」
     セッカはそっぽを向いた。
     赤いピアスのレイアは腕を組み、青い領巾のサクヤは俯いている。緑の被衣のキョウキだけは、ほやほやとにこやかだった。
    「これだから学のない者は」
     モチヅキが再び吐き捨てる。それから静かな声音で問いかけた。
    「その重傷のトレーナーがこれからどのような道を歩むか、想像できるか?」
     モチヅキが視線を投げたのはサクヤである。青い領巾のサクヤは背筋を伸ばしたが、すぐに言葉に詰まった。
    「……しばらく入院、……」
    「病院によると、かの者は今後一生、立つことも話すことも一切かなわぬ身になるそうだ」
     四つ子は黙り込むしかなかった。
     エリートトレーナーのトキサが重傷を負いはしたが死は免れたことは、四つ子も聞き知っていた。しかし具体的にどのように重症なのかは、四つ子は今の今まで知りもしなかったし、興味すらなかったのである。
     重症と聞いても、たかだか骨折か内臓破裂か。現在の医療技術なら、時間さえかければすっかりトキサも回復するだろうと四つ子は高をくくっていた。
     まさか、後遺症が残るなどとは思いもしなかった。
     モチヅキは淡々と言い募る。
    「手術、入院、介護用品には費用がかかる。しかし今の法律では、ろくな見舞金すら取れもせん。が、それだけで済む話でもない。己が力で食事も排泄もできぬのは若い者には惨めであろうな。ポケモンと共に夢の舞台に挑むことも叶わなくなったのではあるまいか」
     モチヅキはふと口を噤んだ。
     やがて再び口を開き、囁いた。
    「まあ私にもそなたらにも、その者の苦痛を想像することしかできん。……そなたらの行動一つ、言葉一つが、その者を絶望に陥れることも、また救うこともある。……それは心がけておけ」
     それだけ静かに告げると、モチヅキは茶菓子を口に運んだ。なので、レイアもキョウキもセッカもサクヤもそれに倣う。ほくほくと甘い栗きんとんを味わい、冷めた苦い茶で流し込んだ。
     そしてモチヅキはさっさと席を立った。


      [No.1361] 謹慎中1 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:46:28     65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中1



     高く結った白銀の長髪をなびかせ、桃色の裾の長いスカートを鳴らして、ウズは警察署に飛び込んだ。そして受付の署員に怒鳴りこんだ。
    「――四條のもんじゃが!」
    「あっ、ウズだぁー」
     鬼気迫るウズとは対照的に、呑気な声が上がった。ウズはわなわなと震えつつ、ゆらりと振り返る。そして声の主に飛びかかった。
    「このド阿呆! なに人様にケガさしとんじゃボケが! あたしはんなように育てた覚えはないわぁ!」
    「いたい!」
     ぴゃああと悲鳴を上げるのは、ピカチュウを肩に乗せた袴にブーツのトレーナー、セッカである。ウズの白い手に黒い前髪を掴み上げられると、セッカはみいみいと泣き出した。
    「うわあああんウズ怖かったよぉぉぉぉぉ!」
     幼い子供でもないくせに臆面なく泣き面をさらすセッカに、ウズは少なからず面食らった。旅に出て数年になるというのに、幼い頃から全く変わっていない。
    「……何が、怖い、じゃ! おぬし、自分が何をやりよったか分かっとんか!」
    「トキサが爆発したぁぁ――っ!」
     そしてセッカは爆発的に泣き出した。その肩の上でピカチュウが激しく鳴きたてる。
    「びいが! びがびぃが! びがぢゅああっ!」
    「ええい、ピカさんも黙らんかい! 何を泣いとんじゃセッカ! 何があったか詳しく説明せえ!」
    「あ、ウズだ」
     署内で大騒ぎするウズとセッカとピカチュウの間に、ふわりと柔らかい声が割り込む。
     ウズが怒りにわななきつつ振り返ると、そこにはセッカの四つ子の片割れの三人が佇んでいた。
     ヒトカゲを小脇に抱えた赤いピアスのレイア、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキ、ゼニガメを両手で抱える青い領巾のサクヤ。
     四つ子は、ウズが最後に見たときよりずっと背も伸びていた。
     それ自体は喜ばしい。しかし、ウズはこのような場での再会など望んでいなかった。
     ウズは深く深く息を吐く。セッカを置いて、残る三人を見やる。
    そして低く唸った。
    「――よくも、養い親のこのあたしに、恥かかせてくれよったな、アホ四つ子」
     フシギダネを頭に乗せたキョウキは、ほやほやと笑っていた。
    「いやぁ、トキサって人が、勝手に僕らの勝負に首突っ込んだんだよー」
     ゼニガメを抱いたサクヤは、心外そうに眉根を寄せていた。
    「僕が見張りに置いていたニャオニクスを無視したんですよ、あのエリートトレーナーは」
     ヒトカゲを抱えたレイアは、気まずそうな苦い表情をしていた。
    「いや、トキサにゃ悪いとは思うがよ……でも俺らだってやることはやったし……」
     ピカチュウを肩に乗せたセッカが、ぴゃあぴゃあと叫んだ。
    「俺らは悪くないもん!」
     ウズは思わず額を押さえた。


     四つ子を引きずるようにして、ウズはクノエシティに戻った。その道中も四つ子は楽しそうだった。
    「懐かしい! 俺ら四人とウズでさ、プラターヌ博士にポケモン貰いに行ったんだよな!」
    「そうそう、でもセッカは四人バラバラに旅するのいやがってずっと不貞腐れてたよねぇ」
    「俺、ここ通るの、くそ久しぶりだわ」
    「相変わらずここは足場の悪い道路だ」
     遠足気分か、とウズは心の中で低く毒づいた。
     四つ子は今朝方、傷害事件を起こした。
     朝も早くからミアレシティのローズ広場で四人でマルチバトルをしていて、そして通りかかったエリートトレーナーをバトルの爆発に巻き込んでしまったのだ。四つ子自身もその爆発をもろに浴びたものの、各々のポケモンに庇われて、幸い四つ子は大した傷には至らずに済んだ。
     その後の四つ子の行動は、セッカはぴゃあぴゃあと泣き騒いで周囲の人間を集め、キョウキは救急車を依頼し、サクヤとレイアは負傷したエリートトレーナーの介助に努めた。その四つ子のチームワークは評価すべきであった、と現場に居合わせた人々は語った。
     しかし、その後そのエリートトレーナーの容体がどうなったかは未だ定かでない。
     四つ子はこの通り始終呑気な様子で、一方でエリートトレーナーの負傷の様子は頑なに語ろうとしない。それがなおさらウズの不安をあおった。
     エリートトレーナーの怪我が軽ければ、四つ子は一切お咎めなしだ。
     もし怪我が重ければ、四つ子はそれぞれ一ヶ月間の自宅謹慎とポケモン取扱免許の仮停止を食らう。
     最悪、そのトレーナーが死んでしまったら。四つ子はポケモン取扱免許とトレーナー資格を剥奪された上で、刑事訴追を受けることになる。十で成年とみなされることから、重い刑罰が科されるだけでなく、四つ子の氏名も素性もすべてメディアに流され、その噂は遠い未来まで忘れられることはない。
     ぞっとする。
     ウズは眩暈を覚えた。四つ子の実家であるジョウト地方はエンジュシティの宗家にも、少なからず良からぬ影響があるだろう。もし、そうなったら。
    「うっわぁぁぁマッギョだぁぁぁぁぁ!」
    「セッカはもうマッギョ持ってるじゃないー」
    「あー、マッギョ良いよなー。俺も欲しくなってきたわ」
    「確かに……いいな」
     ウズの底なしの不安をよそに、四つ子は沼地のマッギョに熱視線を送っていた。


     灰色の石を積んだ壁に、苔むした青の屋根瓦の家並み。町の木々は秋の色に染まり、小雨にしっとりと濡れている。ちょっぴり不思議の町、クノエシティ。
     四つ子の、久々のクノエへの帰還だった。
     すぐにふらふらと散歩に行こうとする四つ子をやっとの思いで束ね、ウズは我が家に四つ子を押し込めた。
    「ええか、じっとするでないぞ!」
    「よっしゃ散歩いこーっ!」
    「間違えた! じっとしておれ! これキョウキ! レイアもサクヤも!」
     朗らかに笑いつつ、セッカは久しぶりの我が家の廊下を駆け巡った。そのあとをピカチュウが電光石火で追う。キョウキが頭上のフシギダネと共に勝手知ったる台所へ入り、茶を淹れ始めた。
     サクヤはのんびりとゼニガメを連れて家の裏に回り、雨降る庭を眺めている。やんちゃなゼニガメはすぐにサクヤの膝を飛び出して、色づく葉で彩られた庭の池に飛び込んだ。
     レイアは早々に座敷に引きこもり、乾いた布でヒトカゲの体についた水分を黙々と拭き取る。その座敷に、家中を一周してきたセッカとピカチュウが飛び込んできた。
    「おうち、いいね!」
    「そうだな」
     そこにキョウキとフシギダネが湯呑を盆に乗せて運んでくる。
    「サクヤはどこかな。ふしやまさん、呼んできてくれるかな?」
    「だねー」
     板張りの廊下をフシギダネがのんびり歩いていくのを、ヒトカゲとピカチュウが追った。
     雨音がする。
     サクヤが縁側を伝って座敷に現れると、四つ子は誰が言うともなく車座になった。
     まず口を開いたのは、赤いピアスのレイアである。
    「……やっちまったな」
     緑の被衣を肩に下ろしたキョウキも、柔らかな笑顔で肯う。
    「やっちゃったねぇ」
     セッカも背を丸めた。
    「うぇい」
     青い領巾を袖に絡めたサクヤは嘆息した。
    「大事に至らねばいいが。僕らのためにも」
     雨音がする。
     四つ子が座敷に籠っているときはウズは座敷に入らない、というのがこの養親子間の暗黙の協定である。座敷は薄暗く、ひんやりと涼しく、古い畳の匂いがする。
     四つ子はぽつりぽつりと雨だれのように言葉を発した。
    「……なんでこんなことになった?」
    「何があったんだろうねぇ」
    「なんでトキサあそこにいたんだよ」
    「僕らに付きまとっていたのか?」
    「それはねぇだろ」
    「っていうかあの爆発はびっくりしちゃったねぇ」
    「雷とドロポンと大文字とソラビいっぺんに撃つと、爆発すんだな……」
    「ハイドロポンプの水分子が、雷によって水素分子と酸素分子に電気分解され、そこに大文字の炎が来て急激な化学反応が起こる、と」
    「てめぇはよくそんな難しいこと知ってんな、サクヤ」
    「え、じゃあ、僕のふしやまさんのソーラービームは何なのさ?」
    「そういや、ソーラービームって何なんだろうなー」
    「光エネルギーじゃないか?」
    「え、じゃあつまりソーラービームってレーザー光線みてぇなもんなのかよ?」
    「知らなかったなぁ。目に入ったら失明するね、絶対」
    「えええ! やべぇソーラービームこええ!」
    「まったくだな」
     フシギダネのソーラービームは怖い、という結論に落ち着いたところで、四つ子は揃って湯呑の茶を啜った。
     そして話を戻した。
    「……トキサはその爆発に巻き込まれた」
    「で、爆発を起こしたのが僕らだ、と」
    「だから俺ら警察に逮捕されたの?」
    「逮捕はされていない。ただの事情聴取だ。30分で解放されたろう」
    「で、なんで俺らはクノエに帰ってきてんの?」
    「トキサさんが重傷だったら、僕ら四人はひと月の自宅謹慎だよ。トキサさんが万が一亡くなった場合は、僕ら四人は今度こそ本当に逮捕されるねぇ」
    「やだあああっ生きててトキサぁぁぁぁぁ」
    「奴の生命力に頼るしかないな」
     四つ子の命運は負傷したエリートトレーナーにかかっている。今はただ、病院か警察からの連絡を固唾を呑んで待つしかない。
     セッカがしょんぼりした声を出した。
    「……エンジュの父さん、怒るかなぁ」
    「知るかよ。元はといや、俺らをポケモントレーナーにしたあっちが悪い」
     レイアが低く吐き捨てた。
     キョウキも湯呑の中の水色を眺めつつ微笑む。
    「万一の時は、父さんに責任をとってもらおうね」
    「むしろそれが当然の報いじゃないのか……」
     サクヤの声は雨音に吸い込まれていく。


      [No.1360] 四つ子との別れ 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:45:13     55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    四つ子との別れ 夜



     ブリガロンが重い書籍の数々をオレの部屋に運び込む。そしてその分厚い本のページを繰るのはオレではなく、ユンゲラーである。
     この有能なユンゲラーは法学や政治学の教科書を驚異的なスピードで流し読みしては、片っ端からその情報をコンピュータに入力していった。画面上で教科書を読むことができれば、オレは本を使うよりも容易に勉強ができる。
     政治経済などは、ポケモンを育成する上で全く不要な科目だった。だから知識などはほぼ無いに等しい。だから今はひたすら吸収するしかない。
     かつての夢を諦めようとは思っていない。
     しかし、確実に夢を奪われたような、そんな喪失感がただ重い。
     もう少しだと思っていたものが遠く果てしなく遠くなり、それがあまりに遠いので少し気力が失せてしまっただけだ。だから一休みしがてら、寄り道するのだ。
     オレ以外にも、夢を希望を断たれた人間はいるだろう。そして、そういった人間を踏み台にして、のうのうと自由に大地を歩く者がいるのだろう。
    それはポケモンのせいなのか、トレーナーのせいなのか、それとも国のせいなのか。知らないことだらけで、何もわからない。
     でも、あの四つ子もきっと、オレと同じことを考えて、迷いつつ進んでいくだろう。
     だからあの四つ子とオレは同志なのだ。






     テレビ画面が、カロスリーグの中継を映している。
     オレの傍らには共に夢に舞台を追ったブリガロンが、反対側には病院から借りた気さくなユンゲラーが、オレと一緒にカロスリーグの模様を眺めていた。
     驚いたことに、カロスリーグに出場した四つ子は、レイアだけではなかった。ついこの前までバッジが三つだったキョウキと、五つだったサクヤも出場していたのである。
     彼らが何を思ってこの短期間でバッジを集めたのかはわからない。しかし、彼らのバトルスタイルは変容していた。大技ばかりをぶちかますということをしないのである。
     四つ子は強さを誇示しない。
     何を考えたのだろう。
     オレには分からない。
     それにしても、バッジを一つしかもっていなかったセッカは、さすがにリーグまでのバッジ集めは間に合わなかったということだろうか。
     いや、あいつはあいつのエセ新人作戦で金を稼いでいるに違いない。あいつはいつも、飯と金に飢えているのだから。けれど、他の三人と同じく、もう力に溺れることはないのだと信じたい。
     オレはあの四つ子を信じようと思う。
    だから、彼らの自由な旅を許そうと思う。
     遠い遠い夢の舞台を眺めながら、オレは別の夢を見ている。
     フェイマスな男とは、どんな男だろうか。たとえカロスリーグのチャンピオンにならなくても、そう、例えば、歴史的な勝訴をもぎ取った敏腕弁護士だとか、驚異的な判断を下した最高裁長官だとか、あるいはこれまで人知れず涙を呑んできた人々を救済した国会議員だとか。そういう男はフェイマスだと、認めてもらえるだろうか。
     いや、違う。
    認めさせてやろう。この世界に。
     そしていつか、四つ子にあの店の寿司を奢ってやるのだ。


      [No.1359] 四つ子との別れ 夕 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:43:57     53clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    四つ子との別れ 夕



     やがて、自宅謹慎中の四つ子から手紙が届くようになった。
     ある日、母がそういった最初の手紙をオレの部屋まで持ってきたから、オレはその手紙を母に読み上げてもらおうとしたのだ。
     しかし母はふつりと黙った。
     どうせろくなことでも書いてなかったのだろう。母は狼狽した様子で手紙を取り落とし、オレが自分でその手紙を読めないのを良いことにその手紙を床に落としたまま、ふらふらと部屋から出ていった。
     それでも、その後日に届いた手紙は無難な内容だったとみえて、母も穏やかに、半ば虚ろに手紙を読み上げてくれた。
     申し訳ありません。たくさん反省しています。どうお詫びをしたらいいかわかりません。許してください。
     ありきたりな、そしてところどころやはり自己愛の見え隠れする、稚拙な文章だった。そんな四つ子からの手紙が、嫌がらせのように毎日届いた。それを母は毎日毎日、虚ろな声でその手紙をオレの傍で読み上げ続けた。
     だから余計に、母をひどく狼狽させた、最初の四つ子の手紙の内容が気になった。
     とある夕暮れ、カロスリーグに向けたトレーニングの合間に見舞いに来てくれた友達に、床の上に落ちた手紙を拾い上げさせ、それを読み上げてもらったのである。
     それはこんな内容だった。


    『こんにちは。セッカです。この手紙はキョウキの手紙の次に読んでくだちい。(ここで友人は思わず吹き出し、オレに向かって申し訳なさそうな顔をした)
     おれたちは一か月の自宅きんしん中です。トキサが病院はこばれたときは、みんなでまっさおになりました。
     けいさつにもつれてかれました。ろうや入れられるかと思ってすごくこわかったです。でも、けんさつ(けいさつとは別のやつだそうです)もぜったいりっけんしないからとか言って、30分でかいほうされました。すごくほっとしました。おれもみんなもです。

     おれたちがつかまらないのはそういう法りつだからだ、って、知り合いのさいばん官のモチヅキって人が言ってます。
     ポケモントレーナーには、ものすごいとっけんがあるそうです。トキサもトレーナーなので、仕方ないと言ってました。おれも正直しかたないと思います。
     おれたち四人は、お世話係のウズって人にいっぱいおこられました。モチヅキさんにも、めちゃくちゃおこられました。トキサもたくさんおこると思います。だから毎日おわびの手紙を書けと言われました。でも何をおわびしたらいいかよくわかんないです。トキサなんであんな朝早くに、おれたちのバトルを見てたんですか? ストーカーなんですか?

     おれはトキサにもうしわけないと思ってます。でもお金がないので、どうにもできないので、トキサもがんばってください。おれもがんばってバトルでお金をかせぎます。
     トキサのファイアロー(ここに鳥ポケモンの絵が描いてあった)は元気ですか? トキサはもうバトルできませんか? カロスリーグに出れませんか? トレーナーやめちゃいますか? ほうりつを変えようと思いますか? ポケモンたちはどうするんですか? おれはトキサがかわいそうなので、このままじゃだめだと思ってます。だからがんばります。トキサとまたバトルしたいです。早くケガ直して(ここで友人が漢字のミスを指摘した)くだちい。』



    『トキサ様
    前略 サクヤです。セッカのしょぼい手紙の次に読んでください。
     僕の下らないお詫びなど読んでもつまらないだけでしょうから、この謹慎中に考えたことを書きます。
     現在この国の法制度は、ポケモンによって傷害を負った者に対する配慮というか、人権の保障が実に不完全であると感じます。僕が言えた義理ではないですが。

     僕の師であるモチヅキという方が仰っています。トレーナーカードを持つ者は特権的身分を手に入れると。
     国はポケモントレーナーを保護します。そして今回の場合は、体が動かなくなってトレーナー生命を絶たれた貴方より、僕たち四人の方が保護に値すると、国は考えているのです。実質的にはそういう事です。

     なぜ国がトレーナーの特権を保障するか、エリートである貴方には容易に想像がつくでしょう。そしてそれが国是であり、世界的潮流であり、普遍の正義であることもお分かりいただけると思います。
     ポケモンのために、人権が踏みにじられているのだと捉えることも可能でしょう。
     けれど、我々がトレーナーである限り、この国の法に保護されている限り、ポケモン協会に従っている限り、この世界は変わりません。僕はそう思います。草々』



    『どうも、レイアです。サクヤの手紙の次に読んでくだち(笑)い。(ここで友人が再び吹き出した)
     悪いふざけすぎた。真面目に書く。たぶん。

     俺の知り合いに、ポケモン協会の人間がいる。そいつらから聞いた話だ。
     政府はポケモントレーナーの育成を一大政策として掲げている。まあそりゃそうだろうな、優れたトレーナーと強いポケモンがいりゃ、産業も軍事も大幅レベルアップだ。国としては万々歳でしょうよ。だから、ものすごい税金がポケモン協会に流れてる。ポケモン協会からも、たくさんの議員が出てる。そいつらが、トレーナーっつー特権身分を肯定する法律をバンバン作ってる。そういう議員の中から政府ができる。政府が最高裁の裁判官を選ぶ。すると最高裁は、人権軽視の法律も合憲だって判断ばっか下す。三権分立なんて嘘だぞ。この国のてっぺんはカネでくっついてんだよ。

     ってな具合で、今この国を牛耳ってるのは“ポケモン利用派”の連中だ。
     これ以外に、“反ポケモン派”と“ポケモン愛護派”ってのがいるらしい。

     反ポケモン派ってのは、“ポケモン利用派”によって踏みにじられてる人間の尊厳を回復しようと考えてる連中だ。トキサ、あんたみたいにポケモントレーナーのせいで被害に遭った奴や、そいつらの家族が大半を占めてる。
    でも、反ポケモン派はポケモンを持たねぇから、まあ実力的にしょぼい。人間だけでデモするのが関の山ってとこだ。警察のガーディの火炎放射一発で終了。議員に立候補して選挙に出馬するやつもするが、反ポケモン派は逆にポケモントレーナーの権利を縮小しようとするから、まあポケモン協会にカネの力で黙らされやすい。そういう感じで、いくら反ポケモン派が文句を言ったところで、今の人権軽視の制度は変わんねぇよ。反ポケモン派は弱い。

     ポケモン愛護派ってのは、ポケモンを利用するのはやめようっていう、なんかズレたこと言ってる連中だ。一昔前のイッシュ地方のプラズマ団がこういうこと言ってたな。

     政府も、俺らポケモン協会の指導に服するポケモントレーナーも、それからロケット団とかの犯罪結社も、全員“ポケモン利用派”に属するんだ。俺ら個人がどう考えてようが、この国の法律に従って暮らしてるか、ポケセン利用してるか、ポケモンをボールに入れてる奴は、ポケモン利用派になる。ポケモン利用派は圧倒的多数だ。
     ついでに言うと、この国は民主主義だから、少数の意見なんて抹殺される。
     だから、うっかりトレーナーの手持ちで死傷したら、本人もその家族も泣き寝入りするしかねぇってわけだ。それがこの世界だ。

     で、あんたはどうするんだ? おとなしく泣き寝入りすんのか? それが知りたい。
     ポケモンを使ってトレーナーやってる限り、あんたみたいに損害賠償も請求できず人権を踏みにじられる人間はなくならない。でも、ポケモンを使わなきゃ何もできない。
     この問題は割と複雑らしい。まああんたのおかげで俺もちっとは勉強した。そういう意味じゃ多少は感謝してる。

     ちなみに、俺はカロスリーグまでに謹慎は明けるので、普通に出場します。イヤミとかじゃなくて、普通に報告』



    『こんにちは。キョウキだよ。レイアの手紙の次に読んでね。
     レイアが難しいことをいっぱい書いてくれたので、僕は僕らの話をします。

     僕ら四つ子は妾腹です。父親はジョウト地方のエンジュシティで踊りか何かの家元をしてるそうです。母親はカロスのクノエシティの人間だけど、これが早くに死にまして、僕ら四つ子は父方から送られてきたウズっていう人にクノエで育てられてました。
     でも、父親は僕らの学費を出してくれませんで、僕ら四つ子はポケモンを貰って旅に出るしかありませんでした。で、ここで問題なのは、僕らの父親の人格じゃなくって、この国の教育制度のほうなんですよね。

     この国の無償教育は10歳までです。つまり、義務教育は短くて3年ってとこなんだよね。たった3年の教育で、水素爆発という現象の存在なんてどうやって知れっていうんだろうね? ――だからトレーナーは無罪になるんだよね。知らないことは予見して回避することができないからね。トレーナーに責任がなければ、トレーナーは罰を免れるんです。これは責任主義という考え方だそうですよ。法学部生のユディっていう友達が教えてくれました。
    学ばず、ポケモンばかり育てる子供が増えるね。その中から、遅かれ早かれ優れたポケモントレーナーが現れ、強いポケモンを作ってくれるだろう。それこそが政府の狙いなのだろうけれど。

    ねえ、エリートさんなら分かりますよね。政府が望んでいるものが何なのか。そしてそれが、世界の自然な流れだってことも。だからね、僕は迷うんですよ。何が正しいのか。
    君は今の“ポケモン利用派”の制度を許しますか? それとも、“反ポケモン派”として人権の回復に努めますか? それとも、“ポケモン愛護派”なんてズレたことでも言ってみます? どうするのが正しいのか、僕にはわかりません。』



     友人は息をついた。
     四つ子の手紙に書いてあったのは、いずれも現在の制度に対する疑問だ。そこにお詫びの言葉はほとんど無い。
     しかしあの四つ子が社会制度についてまじめに文章をしたためるというのがどこかおかしくて、これは少し彼らの啓蒙に貢献してしまったなとオレは思った。そう、オレはエリートだから、後輩トレーナーを教え導くのも大切な責務だ。
     部屋には窓から、橙色の夕陽が差し込んでいた。
    オレの友人の表情も暗い陰になっていた。
    「んで、トキサ、どうすんのお前」
     友人が声をかけてくる。オレはユンゲラーに、画面上にクエスチョンマークを浮かべさせた。
    「これからどうするとか、決めたのか? トレーナー、続けられんのか?」
     そんなことは毎日毎日考えてきた。
     四つ子に出会い、そしてこんなことになるなんて思いもしなかった。プラターヌ博士からハリマロンを受け取り、母に見送られて旅に出て、野宿を重ねバトルに明け暮れ、仲間と共に勉強して、夢を見て。
     こんなどん底の世界が、すぐ傍にあったとは思いもしなかった。
     ユンゲラーに頼み、ブリガロン、ファイアロー、ブロスター、ホルード、デデンネの五匹をボールから出してもらう。
     こんなトレーナーでごめんな。でも、今のオレにはカロスリーグに向かっていくだけの力はちょっとない。でも、トレーナーをやめようとも思わない。ただ、本当に復帰するかどうかもわからない。
     お前たちは、好きに決めていい。寝たきりのオレの傍にいてもいいけど、しばらくはバトルはお預けになると思う。バトルがしたいなら、友達にお前たちを預ける。オレの友達はみんなエリートだから、お前たちをちゃんと育てて、大会でもいい成績を取らせてくれるだろう。
     ユンゲラーの力でオレの意思を伝えると、手持ちたちはユンゲラーを介して返事をした。
     ブリガロンはオレの傍に残る。他の四体は、他のトレーナーについて強くなる。けれどももし、オレがトレーナーとして復帰する、その時が来たならば、必ずオレの元に戻ってこよう。そしていつか見た夢をもう一度見せてほしい。
     そう、彼らは思い決めていたように、オレに告げた。
     ブリガロンを除いた四匹のオレの手持ちたちは、ボールに戻っていった。
    『頼む』
     画面に表示される。
    「ああ、わかった。任せろ」
     その日暮れの時、オレは友人に、四体の仲間を預けたのだ。


      [No.1358] 四つ子との別れ 昼 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:42:51     62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    四つ子との別れ 昼



     四つ子のマルチバトルを見物していたら、爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされ、打ち所が悪かったらしく脊髄を損傷し、それきり体の動かない人生とお付き合いすることになりました。どうも、エリートトレーナーのトキサです。いや、“元”エリートトレーナーというべきなのかもしれないが。
     嘘だろう?
     夢だろう?
     自問することにも飽きたので、オレはぼんやりと自分の部屋の天井を見ていた。もちろんオレは病院から退院して、自室に運び込まれた介護用ベッドに横たわっているのだ。
     色々なことがあったが、すべてどうでもいいような気がする。
     オレは立つことも喋ることも自分で食事したり着替えたりトイレに行ったりすることもできなくなった。延々とベッドに縛りつけられることになった。赤ん坊からやり直すことになった。頭や目や耳が使い物になるだけマシかとも思った。
     オレの意思疎通については、病院から借りているユンゲラーが介助してくれている。ユンゲラーがオレの脳波を読み取り、念力でコンピュータを操作し、画面にオレの考えたことを瞬時に文字化して表示してくれるのだ。
    このユンゲラーがなかなか有能で、しかも気の利く奴だった。オレの手持ちたちの意思まで文字化して、オレにも読めるように画面に表示してくれるのだ。寝たきりになって初めて、オレは、自分のポケモンたちと言葉で語り合った。
    一番の相棒のブリガロン。ファイアロー、ブロスター、ホルード、デデンネ。共に野山を駆け回り、野生のポケモンの急襲を潜り抜け、ライバルと切磋琢磨し、血の滲むような努力を経てジムバッジを手にし、やっとカロスリーグへの挑戦権を手に入れたと思ったのに。
    こんな体では、バトルはできないだろうと思った。
    何しろ、オレ自身がバトルの場に立つことすらできないのだから。
    ポケモンに指示を飛ばすにしても、ユンゲラーを介するほかに手段が考えられない。ユンゲラーは病院のポケモンだから、勝手にユンゲラーにバトルの仲介をするよう訓練するわけにはいかない。なら、他にテレパシーが使えるエスパーポケモンを捕まえて、育てるか? どうやって捕まえるというんだ? 友達のエリートトレーナーに捕まえてもらえばいい。どう育てるんだ? それも友達に頼むのか? 誰がオレのためにそこまでしてくれる? たとえ誰かがそんなことをしてくれたとしても、仲間のエリートたちはみんな目の前のカロスリーグに向けて調整中なのだ。次のリーグには間に合う筈が無い。その次のリーグには? 出られるのか? どうすれば出られる?
    オレはトレーナーを続けられるのか?
    無理じゃないか。
    じゃあこれからどうする? 残りのすべての人生を、動けないまま、何もせず暮らすのか? それでいいのか?
    なんでこうなったんだ。
    治る、という未来はあり得るのか?
    治りたいのか?
    オレは何がしたいんだろう。
    どうするべきなんだろう。
    ブリガロンもファイアローもブロスターもホルードもデデンネも、このままオレの傍に置いておいていいのか?
    疑問を宙に投げかけては、ユンゲラーがそれを拾って文字に整える。ポケモンたちは何も言わない。トレーナーのオレの決断をただ待つだけだ。オレがそう躾けたのだ。
    昼間だったが、そのうち眠くなってくるので、寝た。


     オレの身の回りの世話をしてくれるのは、主に母だ。
    母は、オレの体がこうなって以来めっきり老け込んで、髪も真っ白になってしまった。力仕事はオレのブリガロンやホルードが手伝うのでそこまで負担はないはずだが、息子がこうなってしまうと、母親はどういう気持ちになるものなのだろう。母は無理にも笑顔を作って、焦ることはない、いつか治るかもしれない、大丈夫だと語りかけてくる。けれどオレより母の方が大丈夫でなさそうだ。
     父はさる企業の重役なのだが、オレが病院に運び込まれて入院している間は何かと見舞いに来てくれていたのだったが、オレが退院して家に戻ると、逆になかなか家に帰ってこなくなった。それが何を意味するのかは、考えるだけ面倒だった。
     ただ、ときどき弁護士が家に来た。親が呼んだのだろうと思う。
     弁護士が何をするのかと思えば、母はせめて損害賠償請求だけでもと考えていたらしい。その時になってようやく、オレは四つ子のことに頭が回った。
    母は、四つ子を相手取って訴訟を提起することを考えたのだ。それもこれも、検察が今回の事件に関して刑事訴訟を提起しなかったためだ。
     けれど、いずれの弁護士も母の力にはならなかった。
     現在、四つ子はひと月の自宅謹慎に服している。四つ子は無事なのだ。彼らの傍にいたポケモンたちが、彼らを爆発から庇ったおかげだ。
     そして、一か月の謹慎期間が終われば、四つ子は再び自由にポケモンと共に旅をすることができるようになる。
     そのくらいの知識は、エリートであるところのオレにもあった。
    他者に軽度の傷害を負わせたポケモントレーナーは、まったくの不問だ。
    そして、他者に重大な傷害を負わせたポケモントレーナーは、ポケモン取扱免許を仮停止されて自宅謹慎が一ヶ月、それだけだ。謹慎期間の一ヶ月が平穏無事に過ぎれば、そのトレーナーは何の責めも帰されず、メディアに氏名や顔が公表されることもなく、まったく普通の一般トレーナーとして旅を再開できる。
     それが、この国の法だ。
     ポケモン協会と強力すぎる繋がりを持つ与党が作った法だ。
     一部の法学者や市民層から強固な批判が浴びせ続けられている、人権軽視の法律だ。
     そんな法があるから。
     そんな法が正しいという裁判所の判断は、何千回、何万回の訴訟を経ても変わらないから。
     だから弁護士も、訴訟を提起しない。
     諦めろと、母にオレに言う。
    「ご子息も、トレーナーですから……ご理解いただくしか……」
    「相手方は、通路にポケモンを配置していたわけでして……一般人に危害のないよう一定の配慮はしておりまして……つまり予防線的なものは張っていたわけでして」
    「こちらの無過失を証明するのは……困難で……」
     つまり、見張りのニャオニクスがいたのに、あえてバトルの場に近づこうとしたオレは、それ以上近づけば危険だということを予測できたにもかかわらず、それをしなかったから、オレの方が悪い、というわけなのだ。
     しかもオレは、ポケモントレーナーだから。そのバトルがどれほど危険なものだったかは、広場の外からでも十分に把握できただろうということだ。
     当たり前だ。
     オレは、エリートトレーナーなのだから。
     その後も、何人かの弁護士がオレの部屋に現れた。
    「最高裁の判例です……合憲であると」
    「お役に立てず、申し訳ございません」
     どの弁護士も、ポケモントレーナーによる傷害に関する訴訟には関わろうとしなかった。勝ち目がないからだ。
     とりあえず無難な弁護士に、ポケモン協会から少額の見舞金を分捕らせた。
     それだけだった。
     オレは別に四つ子を恨んではいない。
     ただ、あの四つ子が平気な顔をして旅を続けることを思うと、泣けてくるのだ。


     あの四つ子は強い。
     その強さで、周りを不幸にする。


      [No.1357] 四つ子との別れ 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:41:49     65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    四つ子との別れ 朝



     エリートトレーナーであるオレは、グランドホテル シュールリッシュで明け方に目を覚ました。
     心がざわつくのは四つ子のせいだ。あんなに強いトレーナーがいて、しかもその一人はオレと同じくカロスリーグに出場するつもりだと聞いて。カロスリーグ開催の日まで、もう一ヶ月ほどになろうとしている。居ても立ってもいられない。
     夜も明けきらぬ頃にオレはホテルを出て、手持ちのポケモンはボールに入れたままランニングを始めた。オレと同じように気を逸らせたトレーナーに運よく巡り合えたら、その時はバトルをすればいい。しかし今はいかんせんトレーナーであるオレ自身の心が高揚しすぎている。ただ心を落ち着かせるために、オレは早朝の静かなノースサイドストリートを走った。
     やがて川に差し掛かったところで川に沿うように進路を変えると、ローズ広場の方からポケモンバトルらしき音が響いてきた。
     やはりリーグまで待ちきれないトレーナーがオレ以外にもいたらしい。嬉々としてローズ広場の濃紫のモニュメントを目指す。
     そこにいたのは果たして、袴ブーツの四つ子だった。
     葡萄茶の旅衣を翻し、四つ子は全員でマルチバトルに興じているらしい。
     セッカと緑の被衣のキョウキ、それに対するは、青い領巾のサクヤと赤いピアスのレイア。
     ピカチュウ・フシギダネ対ゼニガメ・ヒトカゲという対戦だった。
     手足の短いポケモンたちが互いに技を繰り出し合うのは、想像以上にえげつない光景だった。ピカチュウは雷を完璧に当てる、フシギダネは異常に溜めの短いソーラービームを確実に当てる、ゼニガメはハイドロポンプをすべて当てる、ヒトカゲも大文字を正確に当てる。
    つまり奴ら四つ子は、大技ばかりをぶち当て合っていた。四つ子はタイミングを計り、相手の技を相殺し、ポケモンを走らせ、片割れを相手にも容赦なく隙を狙う。
    彼らを見ていて、オレはふと気になることがあった。
    「んん?」
     彼ら四つ子が全員傍らにエース級のポケモン、すなわちオレが戦ったガブリアス、プテラ、ボスゴドラ、ヘルガーをそれぞれ侍らせていたのだ。
     普通に考えればマルチバトルの控えなのだろうが、ポケモンはボールの中からでも外の様子を窺うことができると聞いている。四つ子は腰にボールを付けているから、わざわざ控えのポケモンを外に出していなくても、控えのポケモンも自分が戦いに出るべきタイミングを自身で把握できると思うのだが。
     まあ精々、戦いの場の空気というものをすぐ傍で感じ取っているだけなのだろうと漠然と自分の中で納得してしまう。オレは世にも珍しい四つ子のマルチバトルを近くから観戦するために、ローズ広場に足を踏み入れた。
    「にゃ」
    「あ、ニャオニクス」
     一声鳴いたのは、雄のニャオニクスだった。
    「サクヤの……ニックネームは何だっけ。まあいいや。どうしたんだ、お前?」
    「にゃ」
     しかしニャオニクスは表情一つ動かさず、ローズ広場で繰り広げられる小さいポケモンたちの激しいバトルを注視していた。
     よく見ると、ローズ広場とメディオプラザの間にも、平たいマッギョが寝そべっている。あのマッギョは確かセッカの手持ちだ。
     そしてローズ広場とオトンヌアベニューを繋ぐ通路にはキョウキのヌメイル、エテアベニューとを繋ぐ通路にはレイアの手持ちであろうガメノデスが立ちふさがっている。
     バトルをする四体のポケモン、トレーナーに寄り添うポケモン、通路に配置されたポケモン。
     朝早く起き過ぎたせいか、その時のオレには、バトルに直接携わっていない八体のポケモンが何をしているのか全く見当もつかなかった。そしてそれがもどかしくて、どうしても四つ子にそれを尋ねたくなってしまったのである。
     折りしも四日かけて親しくなった、一卵性四つ子の、エンジュかぶれの、手練れのポケモントレーナーだ。オレは四つ子と知り合えたことを嬉しく思っていたし、もっと親しくなって四つ子の強さの秘密を知りたいとも思っていた。四つ子そのものにも興味があった。四つ子のバトルにはもっと興味があった。
     広場に数歩、足を踏み入れた。
    「にゃ」
     サクヤのニャオニクスが数歩前に出て、オレを振り返り、オレの前に立ちふさがる。
    「……なんだ? バトルの邪魔するなって? もっと近くで見たいんだよ、ここからじゃ、まだ指示とかよく聞こえないし……」
    「にゃ」
    「あ、いっちょまえにレイアの手持ちを隠そうとか考えてんのか? だからこんな時間に身内だけでバトルしてんの? つーかリーグまでの詰めの期間にすげー頑張れば、まだまだポケモンって化けるよ。なあ、ちょっとぐらい近くで見たって良いだろ」
    「にゃ」
     ポケモンの言葉がわからないのを良いことに、オレはニャオニクスを相手にごねてみた。しかしニャオニクスはわずかに手を広げるようにしてちんまりと仁王立ちしたまま、オレをまっすぐ見上げてくるだけである。
     キョウキの柔らかい指示に、フシギダネが昇り出した日の光を吸収し、放出する。
     サクヤの冷ややかな指示が上がる。ゼニガメがハイドロポンプで応戦する。
     セッカが嬉々として跳ね上がり、叫ぶ。ピカチュウが雷を落とす。
     レイアが怒鳴る。ヒトカゲが大の字の炎を吐き散らした。
     圧巻だった。四つの大技がぶつかり合う。
     オレは今にもニャオニクスを軽く飛び越えてローズ広場に飛び込みそうになりつつ、それに見とれていた。ニャオニクスはそんなオレをいつまでも警戒していた。


     オレの名はトキサ。エリートトレーナーだ。
     エリートは、ポケモンを戦わせるだけではない。かといって、ポケモンの技や相性や状態異常やステータス変化などを延々と勉強している、それだけでもない。
     本物のエリートトレーナーは、多くのトレーナーが旅に出るために切り捨ててしまう、高等教育の知識も持っているものなのだ。例えば外国語、古典、地理、生物、物理、そして化学。
     だからオレは、知っていた。
     水に電気を流せば、どうなるだろう?
     そこに炎が来れば、どうなるだろう?
     ニャオニクスはひたすらオレを警戒していた。


     爆発が起きた。
     何が起きたのか分からなかったが、オレの目はガブリアスがセッカを、プテラがキョウキを、ボスゴドラがサクヤを、ヘルガーがレイアを庇うように動くのを捉えた。
     ニャオニクスが爆音に背後を振り返ったときには遅かった。
     オレは意識を失った。



     次に目を覚ました時には、オレの体は動かなくなっていた。


      [No.1356] 四つ子との出会い 朝 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:40:52     76clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    四つ子との出会い 朝



     オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
     オレは今、ミアレシティに来ている。
     スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。タクシーの運転手はオレが何も言わずとも値を半分引き、そしてオレはトレーナープロモでばっちり男前をアピールし、レストラン・ローリングドリーマーで最高の寿司を頂く。一流のエリートは一流のミアレ☆スターでなければならぬ。
     そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはノースサイドストリート、ヒヨクシティ方面即ちミアレ北西部にあるにある『カフェ・カンコドール』である。オレがここに通い始めた頃は閑古鳥が鳴いていたものだが、スタイリッシュなオレの行きつけの店ということで、今や店は大繁盛、オレやオレの手持ちたちの好物であるクロックムッシュを無料でサービスしてくれるのだ。
     オレは朝からこのカフェ・カンコドールでモーニングを食していた。クロックムッシュにスープ、サラダ、ゆで玉子、コーヒー。スタイリッシュなオレの一日の始まりにふさわしい。
     腹ごしらえを終えると、今日もバトルの特訓だ。エリートトレーナーたるオレは日々の鍛錬を欠かさない。カロスリーグ開催は遠くはない。道路に出て野生のポケモンと戦うのもいいが、カロスリーグのことを考えると、やはりトレーナーとの対戦、それも人目のある場所で自分にプレッシャーをかけてバトルに臨むのが望ましい。
     オレはミアレシティ北の広場、『ルージュ広場』に足を運んだ。
     早朝のルージュ広場では、深紅のモニュメントが朝日を受けて燦然と輝いている。その周辺には、トリミアンの散歩をする老紳士や、早朝から出勤するビジネスパーソン、通学する学生たちが行き交っている。
     果たして、この中からバトルの相手が見つかるものかどうか。
     いや、ここで見つからなければ、黄金のジョーヌ広場にでも、深緑のベール広場にでも、紺碧のブルー広場にでも行けばいいのだ。焦ることはない。オレはただ、腹ごなし程度に食後に軽くひと汗かきたいだけなのだから、そこまで強い相手に運よく巡り会えなくてもいい。
     巡り会えなくてもよかったのだ。
     なのに巡り会ってしまった。
     袴ブーツの一団。
     葡萄茶の旅衣。
     四人。
     四人。
     四人だ。
     四人いる。
    「おまっ、おまっ……おま、お前ら……!」
     言葉が喉につかえて出てこない。どうせなら何も言わなければよかったのだ。エンジュかぶれの四人が、オレを振り返ってしまった。
     新しく加わった一人は、両耳に赤いピアスをしていた。それ以外は、服装も背丈も目鼻立ちも黒髪も灰色の瞳も、残りの三人と同じだった。
    「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
     ピカチュウを肩に乗せたセッカがにっこりと笑った。
    「あ、トキサさんだ。おはようございます」
     緑の被衣を被り、その上にフシギダネを乗せたキョウキも微笑んだ。
    「……また貴様か」
     青の領巾を袖に絡め、両腕でゼニガメを抱えたサクヤが軽く眉を顰めた。
    「ああ、あんたが」
     そしてひょいと片眉を持ち上げたのが、赤いピアスのトレーナーである。そいつはヒトカゲを後ろ向きにして小脇に抱えていた。
    「かげぇ?」
     立ち止まった四人に反応して、いかにものんびり屋らしいヒトカゲが、赤ピアスのトレーナーの腕の中でもぞもぞと身じろぐ。そのトレーナーはオレを見上げ、にやりと笑った。
    「ども。目と目が合ったんで、とりあえず一戦、いっとくか? ちなみに俺ら、朝飯はこれからなんで。よろしく、エリートのオニーサン」
     こいつらは四つ子だったようだ。


     オレは、どうもカツアゲされているような気にしかならなかった。
     深紅のモニュメントの台座には、セッカとピカチュウ、キョウキとフシギダネ、サクヤとゼニガメがちんまりと座っている。そして例の如くセッカがぴゃいぴゃいと騒いでいた。
    「れーや、ばんがれー!!」
    「レーヤじゃねぇよレイアだよいい加減に滑舌直せゴルァ!」
     オレの前に立っている、赤いピアスのヒトカゲのトレーナーが、片割れの一人を怒鳴りつける。セッカは嬉しそうにぴゃあぴゃあ歓声を上げていた。
     オレは気を取り直して、レイアという名であるらしい赤いピアスの袴ブーツを睨みつけた。
    「……レイア君ね、よろしく」
    「よろしく。んで、あんたはバッジが八個のエリートトレーナー。トキサ、だっけ?」
     レイアの眉間に常に皺が入っているのはデフォルトらしい。それで顎を上げて余裕たっぷりにオレを下目遣いに見るものだから、オレはすっかり腹が立ってしまった。しかしエリートらしく怒りを収め、低く尋ねる。
    「じゃあまあ、とりあえず、参考までに。バッジは幾つ持ってる?」
    「あー、俺? 俺は八つ」
     当然のようにそう答えるものだから、オレはなぜか馬鹿にされたと感じた。
    そうだ、この四つ子はどいつもこいつも、いちいちオレを見下し、おちょくっている。そうとしか思えない。腹が立つのを通り越して、情けなくなる。
    このレイアも、どうせオレのことを見下しているのだ。セッカにもキョウキにもサクヤにも勝てなかったオレが、その三人の片割れにも勝てるわけがないと、そう思っているに違いない。
     怒り、悔しさ、意地、わけのわからないもやもやした感情が渦巻いてどういう顔をしたものかわからない。ただ乾いた笑いが出た。諦めたような声音になった。
    「……ふ、はは、バッジ八つか。じゃあなんだ、お前が兄弟で一番強いってことか?」
    「なんでそうなる。セッカもキョウキもサクヤも、めんどくてバッジ取ってねぇだけだろ。昨日だってあんた、サクヤ追い詰めたんだろ? 俺には勝てるかもしんねぇだろうが」
     レイアの顔から険のある笑みが消えている。
    「おいトキサァ……俺に勝つ気がないんなら、俺もやめるぞ? 潰し甲斐がねぇ」
     全く四つ子の最後の一人まで、揃いも揃ってえげつない。
     四つ子は同じ顔をして、一様に押し黙ってこちらを見つめている。
     オレは唸った。
    「…………もう知らない」
    「何が?」
     赤いピアスのレイアが軽く相槌を打ってくる。
     オレはそいつを睨んだ。
    「勝とうが負けようが、もう知らん。オレは後はカロスリーグにぶつかってくだけなんだ。だから、そのための何かを学べればいいんだ。勝ち負けなんか知るか。やるぞ」
     吐き捨てて、腰のベルトからハイパーボールを一つ手に取る。
     そう、今この場で負けたって構うものか。カロスリーグの舞台で負けなければいいだけのこと。だから今は、思い切り戦う。
     オレはボールを投げた。
    「デデンネ、特訓だ」
     小さなアンテナポケモンが躍り出る。オレのデデンネはかわいらしい声で鳴きつつも、闘志も露わにレイアを威嚇した。
     自分でもこいつを出すべきだったかはわからない。レイアは間違いなく強い。一方で、オレのこのデデンネは、リーグに向けて育成を始めたばかりのポケモンだ。
    レイアに本気で勝とうとするなら、オレはデデンネではなく、オレの一番の相棒をバトルの場に出すべきだったはずだ。
     いや、違う、それでは駄目なんだ。
     目の前の一戦じゃない。カロスリーグの舞台で大きな勝ちを掴み取るためには、電気とフェアリーの属性を持つデデンネの育成は不可欠だ。臆してどうする。このバトルはデデンネにとってもオレにとっても、最高の経験になる。
    「……っつーわけだ、オレの夢に協力してもらうぞ、レイア」
     そう息を吐ききって、ようやく胸につかえていた黒いもやもやが消え去った。
     レイアも微笑した。赤白のボールを手に取り、両手で包み込むようにして持ち、そのまま静かに解放する。
    「勝つぞ、インフェルノ」
     ふつふつと地獄の業火を牙の間から漏らしながら地に降り立ったのは、ヘルガーだった。


     デデンネに指示を飛ばす。
    「ほっぺすりすり!」
     この技名を叫ぶのに、気恥ずかしさを覚えなくなるのには時間がかかった。そう思って初めて、このデデンネとも相当数の戦闘を潜り抜けてきたことに気が付いた。
    「寄らすな、ヘドロ爆弾。隙見て悪巧み」
     レイアは一度に複数の指示を飛ばしている。しかしヘルガーに戸惑う様子はない。その戦法、あるいは考え方にヘルガーも慣れ親しんでいるのだ。もしかするとヘドロを飛ばしつつ悪巧みをする、などという芸当も可能なのかもしれない。
     苦手なヘドロに怯え、デデンネが飛び退る。
    「それならデデンネ、チャージビーム!」
    「よく見て躱せ。ヘドロ爆弾」
     ヘルガーはデデンネの視線から、チャージビームの射出方向を見極めているようだった。
     いつの間に悪巧みをしていたのか、ヘドロ爆弾の規模が増大している。デデンネは浮足立つ。毒の飛沫を躱すだけで精いっぱいだった。
     周囲には毒の沼さえできて、デデンネの足場も限られる。
    「オーバーヒート」
     ここで炎の大技が飛んでくる。
    「走れデデンネ、じゃれつく!」
     一か八か賭けるしかない。
    デデンネにもそれは伝わったようだ。ヘドロを踏むのにも構わず、高熱が放たれるよりも先に、辿り着かなければならない。
     デデンネは走り、跳び、そしてヘルガーの喉元を捉えたと思った。
     しかしヘルガーは、レイアの指示なく、己の意思でバックステップを踏んだ。
     デデンネとの距離を自身で測り、白い炎を吹きかける。


     ひどい、と周囲から女子高生らしき小さな悲鳴が上がったような気がした。オレはかぶりを振り、焼け焦げてかつ目を回しているデデンネをボールに戻す。
    「お疲れ、デデンネ。……いい勉強になったよな」
     レイアは周囲の女子高生の非難がましい視線にも一向にこたえた様子もなく、軽くヘルガーを労ってからモンスターボールに戻した。そこにセッカが走り寄り、キョウキやサクヤものんびりと歩いてくる。
    「れーや凄かったよ! 完璧だったよ!」
    「はいはい。まあこんなバトルばっかだから、ますますモテなくなるんだがな」
     そうレイアがぼやいているのは、容姿の愛らしいポケモン相手にも容赦のないバトルをすることを言っているのだろう。ポケモンバトルを忌避する人間も多い。広場でのポケモンバトルを禁じてくれ、という要望も少なからず上がっているとの話も、もう何度も聞く。
     しかしオレにも夢があるのだ。ときに白い目で見られようが、トレーナーはポケモンを育て、戦わせ、負けたら潔く賞金を支払う。
     オレは深く息をついて、四つ子を見つめた。
    「……しょうがない。四つ子様ローリングドリーマーにご招待、だな」
     SUSHIだ、とはしゃいだのはセッカだけだった。キョウキは首を傾げ、サクヤもわずかに訝しげに眉を顰め、レイアもぽかんと口を開いた。
    「は? なんで? いくら何でもそこまで賞金高くねぇだろ?」
    「オレがセッカやキョウキやサクヤに支払ったレストランの代金は、片っ端から全部こいつら自身に元とられちまったしよ。なんか、あんま賞金払ったことになんないかなって。だから四人ともオレの奢り。あ、もちろんばっちり元は取ってこいよ、お前ら」
     オレはエリートらしく、寛容な笑みを浮かべてやった。
     すると、ゼニガメを抱えたサクヤが舌打ちした。
    「何を呆けたことを。貴様はコース代金を支払った。賞金や土産は僕らのものになった」
    「あーもういいから、オレはエリートなの。ついでに言えばそこそこリッチなの。おとなしく寿司おごられてろ、この四つ子が」
     四つ子は互いをそわそわと窺い合い、そしていつまでもそわそわしていた。
     オレは肩を竦めた。
    「じゃ、賞金は寿司屋、な」
    「寿司だぁぁぁぁぁ!!!」
    「ぴかちゅああああ!!!」
     セッカとピカチュウが躍り出した。キョウキとフシギダネはとぼけてほやほや笑っているし、サクヤはゼニガメがやんちゃに暴れるのを制しているし、レイアはにやりと笑ってヒトカゲを小脇に抱え直した。
     しかし、だ。
     オレは改めて四つ子をまじまじと観察した。
     四つ子は一様に動きを止めた。
    「なに?」
    「……お前ら、まさか五つ子とか六つ子とかいうオチ、ないよな?」
    「ないよ! 正真正銘の四つ子だよ!」
     元気良く返事をしたのはセッカである。
     オレは頷いた。
    「ならいい。寿司には連れて行ってやる。ただし……」
     オレも四つ子を見てにやにやと笑った。
    「オレとお前らが、フェイマスでスタイリッシュになったら、だ!」


     騙された、とぷうと膨れる四つ子を引っ立てて、オレはカフェ・カンコドールに戻り、とりあえず四つ子にモーニングをご馳走してやった。デデンネにもクロックムッシュを食べさせると、目を回していたデデンネもすぐに元気を取り戻した。
     オレ自身はとりあえずコーヒーを一杯頼み、食べ盛りらしい四つ子がモーニングにありつくのを微笑ましく眺めていた。
    「なんかいいなあ、お前らは仲も良くて、バトルも強いし。一緒に旅してんの?」
    「違うよ! いつもはバラバラだよ! 今朝久しぶりに四人集まったの!」
     元気よく答えたのはやはりセッカである。
    「そういやレイアは、ヒトカゲとヘルガーの他にどんなポケモン持ってんの?」
    「秘密」
     オレの何気ない質問はレイアによってすげなく断られてしまった。少々面食らって顔を上げると、赤いピアスをしたレイアはのんびりとゆで玉子の殻をむいていた。
    「カロスリーグのライバルに、そう簡単にパーティー教えるかっての……」
    「……ああ、そうか、レイアはバッジ八つだもんな。そりゃリーグにも出るか」
     では、カロスリーグでレイアと再び対戦することもあるかもしれない。その時は、セッカもキョウキもサクヤも知らない、オレの一番の相棒で相手をするのだろう。
     オレはけらけらと笑った。
    「じゃ、ニックネームだけでも教えろよ。ヘルガーが『インフェルノ』で、ヒトカゲは?」
    「『サラマンドラ』。セッカが適当につけやがった。あとは……『マグカップ』と『なのです』がいる」
    「……どういうポケモンかすら想像つかんな」
     日が昇っていく。四つ子の足元ではピカチュウとフシギダネとゼニガメのヒトカゲが戯れ合っていた。
     オレと四つ子の出会いはそんなものだった。


      [No.1355] 四つ子との出会い 夜 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:39:46     54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    四つ子との出会い 夜



     オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
     オレは今、ミアレシティに来ている。
     スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。ポケサロン・グルーミングでバトル用ではないトリミアンのカットを維持し、グランドホテルシュールリッシュのアルバイトでマダムをもてなし、メゾン・ド・ポルテで高級な服も即買いする。一流のエリートは一流のミアレニストでなければならぬ。
     そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはサウスサイドストレート、コボクタウン方面即ちミアレ南西部にある『カフェ・ソレイユ』である。大女優の行きつけだというこのカフェは、ケーキからして品格が溢れ出ている。スタイリッシュな人種の隠れ家にはもってこいな店だ。
     その日オレは一日の疲れを癒すべく、日没ごろからこのカフェ・ソレイユで休んでいた。しかし下手な時間に来てしまった。午後のティータイムには遅く、夕食後のティータイムには早い時間、すなわちうっかり腹が満たされて夕食が食えん。
     こういう時はポケモンバトルをするに限る。オレはミアレシティ南西の広場、『ブルー広場』に繰り出した。
     紺碧のモニュメントの周囲には、ショッピング中らしき仕事帰りのオフィスパーソンや放課後の学生たちが多く休息をとっていた。オレは視線を巡らせ、同じくバトルの相手を求めているポケモントレーナーを探した。
     そして見つけた。
     袴ブーツのトレーナーだ。
     しかしそれは、三人いた。
     葡萄茶の旅衣、黒髪、灰色の瞳、同じ目鼻立ち。
     オレは思わず叫んだ。
    「おおおおお前ら、三つ子だったのか!!」
    「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
    「あ、トキサさんだ。こんばんは」
     笑顔で振り返ったのは、ピカチュウを肩に乗せたセッカと、フシギダネを頭に乗せたキョウキである。
     そして残る一人は、ゼニガメを両手で抱えていた。
     やはり服装はセッカやキョウキと酷似している。しかしこのゼニガメのトレーナーの特徴は、両腕に濃い青の布を絡めていることだ。そう、古代エンジュ人だか古代ヒワダ人だかの宮廷女官が袖に絡めていた、羽衣、いや違う、これは領巾というのだ。オレはエリートだからそれくらい国語便覧で読んだのだ。
     青い領巾をしたゼニガメのトレーナーが、灰色の双眸でオレを見据えた。
    「……貴様か。セッカとキョウキに料理を奢ったというエリートトレーナーは」
     『貴様』。
     『貴様』だって。
     オレは面食らってしまった。いや、確かに三つ子ということで、それぞれキャラ分けも兄弟の中で必要になってくるのだろう。それにしてもどういうキャラだ。
     街灯に照らされるゼニガメのトレーナーは、無表情だった。
    「いいだろう、手ほどきしてやろう。目が合ったら勝負、とも言うしな」


     新たに現れた三つ子の片割れ、青い領巾のトレーナーは、そっとゼニガメを地面に下ろした。やんちゃそうなゼニガメは拗ねてそのブーツに纏わりつく。
    「ぜーに! ぜにぜに、ぜにがー!」
    「だめだ。大人しくしていろ」
     ゼニガメに言い聞かせる声音は穏やかだった。
     オレは生まれて初めて見た三つ子に未だにやや興奮しつつ、名乗りを上げる。
    「ええと、その、聞いてるかもしれないが、一応名乗っておくとだな、オレはエリートトレーナーのトキサだ。バッジは八個。……えっと、一対一でいいな?」
    「構わない」
     青い領巾のトレーナーの返答は、それだけだった。
     セッカから黄色い声援が、キョウキから新緑の風のような応援が飛んでくる。
    「しゃくや、ばんがれー!」
    「がんばれサクヤ。勝てば美味しいご飯をおごってもらえるよ」
    「畜生てめぇら! オレは財布じゃないぞ! ていうかサクヤっつーのか、この生意気なガキは!」
     しまった、夜間なのについ大声で叫んでしまった。ブルー広場で休憩していた人々の注目を集めてしまう。落ち着け、オレはスタイリッシュなエリートトレーナーだ。エンジュかぶれの三つ子ごときに惑わされてはならない。
     オレは余裕を装って、生意気な対戦相手を見下ろした。
    「……ふ、ふん、サクヤとやら、お前はバッジはいくつ持っている?」
    「五つだ」
    「ほお。ほおほおほお。バッジ五つのくせして、バッジ八つのエリートトレーナーのこのオレに『手ほどきしてやろう』たあ、いい度胸してるな。はは、ははははは、後悔するなよ。むしろこのオレが手ほどきしてやろう!」
    「うるさい。セッカやキョウキに負けた奴に言われたくはない。御託は要らん。始めるぞ」
     そしてこのくそ生意気な青い領巾のサクヤは、赤白のボールを両手で包み込むように持ち、ポケモンを解放した。
     現れたのは、ボスゴドラだった。


    「よっしゃ、頼むぞ、ホルード!」
     オレはホルードを繰り出した。オレのパーティーの中でも二番目に古参で、オレと息がぴったり合うだけでなく、カロスリーグに向けての最終調整もあとは詰めるばかりの究極の一体だ。
    「このホルードはな、もう何千戦とやっているが、聞いて驚け、その勝率は……」
    「冷凍パンチ」
    「くっそその手に乗るかぁぁホルード穴を掘る!」
     ホルードはその巨大な耳であっという間に穴を掘り、地中に身を潜めた。冷気を纏ったボスゴドラの腕が空ぶる。そこにサクヤの指示が飛ぶ。
    「地震」
    「あっ」
     ボスゴドラが鋼鉄の鎧の尾を、広場の石畳に叩き付けた。広場のあちこちで悲鳴が上がる。畜生、場所柄をわきまえやがれ。やっぱりこいつもえげつない。本気で叩きのめすしかないだろう。
    「ホルード!」
     ホルードはどうにか穴を掘って地中から脱した。地震のダメージも耐えきっている。そのままボスゴドラの側面をとる。これはチャンスだ。
    「アームハンマーだ、ホルード!」
    「アイアンテール」
     サクヤの指示は的確だった。ボスゴドラの反応速度を知り尽くしている。ボスゴドラはただトレーナーの指示を信じ、ホルードが地中から飛び出した方向に鋼鉄の尾をぶち回すだけでよかった。
    「耐えろ!」
     ホルードにその自慢の耳で受け身を取らせる。重い一撃に軽くふらつきつつも、ホルードはひっくり返ることもなく体勢を整える。
     こちらも世間体などを気にする余裕はなかった。
    「ホルード、地震だ!」
     これで決める。電磁浮遊などを覚えていない限り、ボスゴドラにこの一撃は躱せない。
    「詰めろ」
     サクヤのその冷静な指示を理解するのに、オレは時間を要した。
     ボスゴドラが、耳を振り抜いているホルードに思いきり距離を詰めるのを、信じられない思いで見た。
     どういうつもりだ、自ら震源に近づく真似をして。その速度では、ボスゴドラがホルード本体に何かをするにしても、地震の発動まで間に合わない。
     ホルードが耳を地に叩き付ける。
     ぐらりと揺れる。
     ボスゴドラは体勢を崩さぬよう、耐えて、耐えて、いや、鋼と岩タイプを併せ持つボスゴドラに、オレのホルードの地震を耐えきれる筈が無い。行ける。
     地震が収まる。オレはボスゴドラがくずおれるのを待った。
     サクヤの小さな溜息が聞こえた気がした。
    「冷凍パンチ」
     ボスゴドラがわずかに残った体力で、ホルードに冷気を叩き込むのを、オレはぽかんとして見つめていた。
    「……特性……『頑丈』」
    「手ほどきになったか」
     倒れたホルードをサクヤは涼やかに一瞥し、手慣れた様子で、まだしっかと地に足付けて立っているボスゴドラをボールに戻した。


     そしてオレは、当然のごとく三つ子に三ツ星レストランまで連れて行かされた。メディオプラザの輝くプリズムタワーを横切り、ミアレシティ北東のイベールアベニューの『レストラン・ド・キワミ』に、賞金代わりに三つ子を連れて行ったのである。
     セッカとキョウキとサクヤはローテーションバトルの五連戦にげんなりしていたが、セッカはピカチュウとフラージェスとマッギョの三体、キョウキはフシギダネとヌメイルとゴクリンの三体、サクヤはゼニガメとニャオニクスとチルタリスの三体で、完璧に六手で五連勝しやがったのである。
     最高においしい料理を腹いっぱい食べ、さらにはバトルの賞金とお土産の香るキノコを25個も貰って三つ子はほくほくしていた。
     三つ子の向かい側で、オレはすっかり冷めきった料理をつつきながら惨めにぼやいた。
    「……何なの……何なの」
    「どうだ、サクヤはすげぇだろ!」
    「ああもう凄いよさすがの一言しか出ねぇよど畜生」
     自分のことのように威張るセッカに、オレは最早溜息しか出てこない。
    周囲では激しいバトルがひっきりなしに続いており、三ツ星レストラン内でもその轟音に隠れるようにして思う存分悪態がつける。しかしよくもまあ、このような落ち着かない状況で食事しなければならないレストランに三ツ星が付いたものだ。料理は冷めきっているし、ああ、それはオレのバトルの腕のせいだった。オレは自己嫌悪に陥った。
     俯きついでにサクヤの手持ちのポケモンを観察する。
     ゼニガメはいかにもやんちゃ坊主という雰囲気だが、オレは先ほど見たのだ、このゼニガメのハイドロポンプの驚異的な命中率を。何をどうすればそんな芸当が可能になるのか教えてほしい。
     ボスゴドラは巨体をほとんど動かさず、静かに食事を続けている。その鋼の鎧には無数の傷跡があり、まさしく百戦錬磨という言葉しか浮かばなかった。
     緑の被衣のキョウキが、優しくボスゴドラの鎧を撫でている。
    「メイデンちゃん、お疲れ。すごいバトルだったねぇ」
    「……メイデンってあれだろ、ボスゴドラの鋼タイプとかけて、アイアンメイデンってことだろ。……ニックネームに拷問器具かよ。……つーかこのボスゴドラ、雌かよ」
    「失礼な、メイデンちゃんはメイデンちゃんですよ。僕が名前付けてあげたんだよ、サクヤはニックネーム付けようとしないからさぁ」
     キョウキが頬を膨らませている。そこにセッカが割り込んできた。
    「ちなみにサクヤのゼニガメは『アクエリアス』、ニャオニクスは『にゃんころた』、チルタリスは『ぼふぁみ』だぞ!」
    「もう突っ込まねぇ……」
     サクヤは、セッカのマッギョや、キョウキのヌメイルやゴクリンといった、いかにも癖のありそうなポケモンは所持していないらしい。ニャオニクスにしろチルタリスにしろ、一般的に高い人気を誇るポケモンだ。それにしてもこれら二体も、バトル用のポケモンとしては毛艶もよく、動作の一つ一つから気品が漂っているのは気のせいか。
    「……あーもう、三つ子揃ってアホみたいに強いとか何なの、天才の家系なの?」
     オレは頭を抱えて唸った。
     三つ子からは沈黙が返ってきた。
     オレは恨みがましく三つ子を睨み上げた。
    「……何とか言えよ、え? 天才の三つ子さんよ」
    「三つ子っていえば、イッシュ地方に三つ子のジムリーダーがいるらしいねぇ」
     緑の被衣のキョウキがのんびりと嘯く。
    「あー、赤と青と緑の三つ子だろ? それって三卵生だよな。俺らは一卵性だな!」
     セッカは何が楽しいのかぴょこぴょこと左右に揺れている。
     青い領巾のサクヤはオレをまっすぐ見つめてきた。
    「何をごまかしている? エリートトレーナー」


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