マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1482] 玉兎の空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:38:09     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    玉兎の空 上



    「ひどい顔」
     固いベッドの上で目を覚ましたキョウキは、開口一番そう呟いた。
    「……鏡見ろよ」
     同じベッドの縁に腰かけたサクヤは、ゼニガメを強く強く抱きしめて、強がった。
     サクヤの腕に締め付けられているのは甲羅なので、ゼニガメにダメージはない。ゼニガメは落ち着かなげに主を見上げてもぞもぞと手足をばたつかせている。
     フシギダネは一言も発さず、愛しむように、横たわるキョウキのこめかみに鼻先を寄せている。

     彼らを照らすのはシンプルなシャンデリアに灯された、蝋燭の橙色の灯。
     それが石のむき出しの客間を照らしているのだった。部屋の隅はさざめく闇になっている。
     時は夜。
     ここはコボクタウン、ショボンヌ城の客間だった。カビゴンの群れの侵攻によって家を壊された者たちのために、気の優しい城主が館を開放しているのだ。先ほどまで気を失っていたキョウキもまたショボンヌ城に運び込まれ、寝かされていた。
     キョウキは横になったまま、そっと腕を持ち上げる。
     サクヤがその手を取り、どこか顔色の悪い片割れに囁きかけた。
    「……具合は」
    「悪くはないよ。安心してくれていい」
    「……話はモチヅキ様や、あのポケモン協会職員から聞いた。二人は警察と話をしている」
    「ミホさんとリセちゃんは?」
    「……マフォクシーと共にポケモンセンターだ」
    「じゃあ、まだ今日のことなんだ」
    「……そうだ。……カビゴンが来たのは今日の昼のことだ」
     キョウキはゆっくりと瞬きした。のろのろと上体を起こし、枕で腰を支える。頬を寄せてきたフシギダネを優しく撫でた。
    「ふしやまさん、心配かけたね」
    「だぁーね……」
    「……お前が奴に首を絞められた時、ふしやまは咄嗟に眠り粉で奴を止めようとしたらしい。が、飛び出してきた奴のアブソルの起こした風で眠り粉も吹き飛ばされて……」
     サクヤがそう説明する。奴、というのは榴火のことだろう。
     フシギダネが申し訳なさそうにキョウキの掌に額を押し付ける。キョウキはつい愛おしくなってフシギダネを両手で抱き上げた。
    「ありがとう。守ろうとしてくれたんだ。……でも、それじゃあ僕はどうして殺されずに済んだのかな」
    「……ミホさんのマフォクシーが飛び出して、榴火をお前から引き離したんだ。そのまま奴はアブソルの背に乗って西へ逃げた」
     キョウキはフシギダネを抱きしめたまま俯いていた。緑の被衣は枕元に畳んで置いてある。襟足から、その首についた生々しい鬱血跡がサクヤの目にもとまった。
     サクヤの視線に気づくと、キョウキは軽く肩を竦めてみせる。
    「警察は、榴火を捕まえるかな?」
    「……コボクの警察が、奴を西へ追ったようだ。ポケモン協会の連中もここに集まってきている……僕らはここでおとなしくしているべきだ。モチヅキ様がなんとかしてくださる」
    「ふふ、狙い通りだな。褒めてよ」
     キョウキは不敵に微笑んでいた。
     その手を握っていたサクヤは顔を顰めた。
    「……まさかお前、榴火に罪を着せるため……危険と知っていて、わざと…………!」
    「いやあ、成り行きだよ。僕もまさか榴火がここに来るなんて思わなかったし、ミホさんのマフォクシーが榴火に突っかかっていくなんて思わなかったし、都合よくコボク警察が周囲にいてくれてるなんて思わなかったさ」
    「……さっき“狙い通りだ”とか言わなかったか」
    「なんにせよ、これで警察が榴火を狙ってくれれば、フレア団もポケモン協会もさらに動きづらくなる。モチヅキさんのことだ、僕が首絞められてるとこ、動画に撮ってくれてただろう。警察も目撃者だ。――今度こそ、榴火は無罪、とはいかないさ」
     そう囁くと、キョウキはサクヤの手を自分の頬に押し付けた。
    「榴火を捕まえて、証拠隠滅されずに、裁判さえ始まれば、だけどね……」
     キョウキは目を閉じる。その肩が僅かに、本当に僅かに震えている。サクヤはその肩に腕を回してやった。
    「……お前はよくやった、とでも労ってもらいたかったか? 違うだろう、結果的に事が多少有利に運んだだけだ。お前は榴火に殺されるところだった」
    「それならそれでいいじゃない。榴火は紛れもない殺人犯だ、トレーナー資格剥奪に刑事罰」
    「そんなことになったらお終いだ!」
    「ごめんね、サクヤ。とても怖かったよ」
     素直に謝罪する。
     ゼニガメはぴょんとベッドの上に飛び降りて、フシギダネとおとなしくじゃれ合い始めた。主人たちに遠慮はしつつも、無事に再会できたことをようやく喜び合う。
     二人もそれを見つめていた。


     しばらくして、キョウキが再び口を開く。その声はもう震えてはおらず、すっかりいつもの調子である。
    「これで榴火を追い落とせる。あとは詰将棋だ」
    「……榴火ばかりに気を取られていては、足元をすくわれる。フレア団やポケモン協会への警戒は怠れない」
    「ああ、分かってるよ。……ねえサクヤ、レイアとセッカの居場所は分かる?」
     キョウキはサクヤに腕を回されたまま、その耳元で囁く。
     サクヤも囁き返す。
    「ニャオニクスの力で、お前らの居場所は常に把握し続けていた。今はレイアはコウジン、セッカはミアレだ」
    「なら、二人がすぐに榴火と接触する危険は少ないかな。ところでサクヤは、レイアに起きたことを知ってる?」
    「……モチヅキ様から、簡潔には」
    「そう。レイアは今かなり精神的に参ってるはずだよ。迎えに行ってやらないと。セッカの方も心配――というか、あいつがいた方が心強いよね」
     二人はひとしきり密やかに笑った。
     それからキョウキはここがショボンヌ城であることを改めて確認し、モチヅキやロフェッカ、ミホとリセ、榴火の様子を気にかけた。
     サクヤは手持ちのニャオニクスをモンスターボールから出して、それぞれの気配を辿らせる。
    「モチヅキ様は警察と一緒に……コボク北西の6番道路へ向かっておられる。榴火がそちらに逃げたようだ……」
     そこでサクヤは顔を上げた。
     キョウキは微笑んだ。
    「お前はモチヅキさんの傍に行く? なら僕も一緒に行こうかな」
    「……だけど、お前」
    「そっちに榴火がいるんだよね。でも大丈夫、臆したりなんかしない。サクヤと一緒にモチヅキさんを守って、捕り物でも見物してるよ。だから大丈夫。一緒に行こう」
     二人は軽く肩を抱き合い、手を繋いだままそっと立ち上がった。



     フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキと、ゼニガメを抱えた青い領巾のサクヤは、ショボンヌ城を出てコボクタウンの西へ向かった。
     東の空に架かり始めたおぼろな満月が、荒れ果てた通りを照らす。
     昼間にカビゴンの群れに破壊されたコボク西部は、惨憺たる有り様となっていた。夜を徹してポケモン協会の人々が瓦礫の撤去に当たっていたため、二人はキョウキのプテラの背に乗ってコボクを北に迂回し、密かに街を抜け出す。
     6番道路のパレの並木道を眼前に臨む。昼間にそのマロニエの並木道の下を歩けば、さぞや木漏れ日の美しい宮殿への散歩道ともなろうが、現在は夜、それも並木の樹冠の上をプテラによって滑空している。目印にするにしても、並木道の先の眩い宮殿の方がよほど役に立つ。
     6番道路の北西、東を正面として築かれたパルファム宮殿の壮麗かつ重厚な姿が、無数の照明の中に浮かび上がっている。

     ジャローダの刻まれたパルファム宮殿の正門の前に、警察が集まってきていた。キョウキとサクヤは上空のプテラの背からそれを観察し、モチヅキの姿を探す。すぐにサクヤがその姿を見出した。
     モチヅキ自身はパルファム宮殿の中に入るようなそぶりを見せず、パレの並木道を抜けて視界が開ける宮殿前の広場で、何やら警察と話をしている。宮殿は眩く輝いているが、その宮殿前の広場も無数の街灯が灯されて明るい。その中に黒々と警察の影がうごめいて見えるのだった。
     キョウキはプテラに命じて、高度を下げさせた。二人は手を繋いで息を合わせ、宮殿前の広場の芝生に降り立つ。
     プテラの起こした風に警察が上空を振り仰ぎ、二人に近づいてきた。
    「何者だ」
    「お騒がせしてすみません、モチヅキさんに会いに来ました」
     緑の被衣のキョウキは微笑んでプテラをボールに戻しつつ、黒衣のモチヅキに向かって手を振る。
     モチヅキはキョウキとサクヤの様子を認めると、軽く呆れた様子ながら、どこか安堵したように二人に歩み寄ってきた。


     モチヅキが警察に取りなし、若い二人のトレーナーの身柄を保証した。それからようやく、三人は向かい合う。
     モチヅキが最初に目をやったのはキョウキである。
    「大事ないか。動いてよいのか。医師は」
    「大丈夫ですよ、ありがとうございます。それより、僕らはモチヅキさんが心配でここに来たんですよ。ここに榴火がいるんですか?」
     言いつつキョウキは、威容を誇るパルファム宮殿に視線を向ける。300年ほど前に建てられた、時のカロスの絶対君主が力を誇示するための豪華絢爛な宮殿だ。
     パルファム宮殿は今は夜でありかつ警察に包囲されているものの、周囲には観光客の姿が見られる。今日もたった今まで、普通に観光名所として多くの旅行客を受け入れていたのだ。
     正門を守る守衛と警察が何やら話をしていたが、警察の方は令状を用意していたらしい。
     守衛が黄金の正門を開放する。目鼻の利くポケモンを連れた警察がぞろぞろと宮殿の中へと入っていった。周囲の観光客たちは何が始まるのやらと目を白黒させている。
     モチヅキは後方に留まる警察と共に、宮殿前の広場に立ったままだった。
    「……6番道路を、色違いのアブソルが駆け抜けるのを見た者がいた。このあたりの観光客も、アブソルが宮殿の塀を跳び越すのを見たとか。間違いなく、榴火は宮殿に逃げ込んである」
    「では、警察は榴火を逮捕するのですか」
    「難しかろうな。榴火は人殺しさえ辞さぬ、宮殿に何をするやも知れぬ。さすがの警察も、パルファム宮殿の中では全力で榴火を取り押さえるというのも難しいだろう」
     モチヅキもまたパルファム宮殿に視線を注ぎつつ、そう評した。
     パルファム宮殿は世界文化遺産にも指定されている、重要な文化財だ。もし警察が榴火とのポケモンバトルに突入して宮殿に重大な損傷が生じなどすれば、最悪の場合には世界遺産指定の取消しという事態にもなりかねない。そうなればカロスの観光に甚大な悪影響が予想されるのはもちろんのこと、政治問題にすら発展する。
     そのような状況の中で、キョウキは機嫌がよかった。
    「いいねいいね、榴火はいいところに逃げ込んでくれたよ。ま、最悪なのは警察が及び腰になってみすみす榴火を取り逃がすってことだね」
     そしてキョウキはきょろきょろと周囲を見回し、広場に集まりつつあるマスコミを物色した。
    「おお、来てるね来てるね。情報が早いねー。でも政府系のメディアは駄目だ、フラダリラボ系は駄目。――あ、ミアレ出版のパンジーさんもいる。おーい、パンジーさん!」
     モチヅキとサクヤが止める間もなく、キョウキは顔見知りのパンジーを呼び寄せてしまった。


     騒ぎを聞きつけて取材に来たらしいジャーナリストのパンジーは、クノエで出会った四つ子の内の二人の前まで来ると、輝く笑顔になった。
    「あ、久しぶり! えっと、フシギダネを連れたのはキョウキ君、ゼニガメを連れたのはサクヤ君、で合ってるかな?」
    「はい、合ってます」
    「よかった、今は二人? 双子のイーブイちゃんたちは元気?」
    「ええ、二人です。イーブイたちはもうみんな進化させちゃいました……って、今はそれどころじゃないですね。パンジーさん、面白い話があるので、ぜひ聞いてください」
     パルファム宮殿前はマスコミによって賑やかになりつつあった。警察が正門を封鎖し、立ち入り禁止にする。テレビ、新聞、あらゆるメディアから取材陣が詰めかけている。輝く宮殿の上空にはヘリコプターが数機ホバリングする。しかし当の宮殿そのものは静かで、特に異変は見られない。
     キョウキがパンジーと何やら話を始めてしまった傍で、ゼニガメを抱えたサクヤはモチヅキを窺う。
    「……いいのでしょうか」
    「何がだ、サクヤ」
    「……キョウキはミアレ出版に……いったい何を」
    「榴火のことを広めるつもりなのだろう。榴火がアブソルで山のゴンベを全滅させてカビゴンを怒り狂わせ、カビゴンの群れにコボクを襲わせ、そのカビゴンを捕獲し、その上キョウキを扼殺しようとしたこと。……すべて話すつもりだ」
     モチヅキの声音は苦虫を噛み潰したようであった。サクヤはキョウキに視線を戻す。
     キョウキはパンジーの前で、モチヅキのサクヤに言った通りのことを幾分か脚色も交え、滑らかに弁舌巧みに語っていた。それをパンジーはヘッドセットの録画を回して、熱心な表情で頷きながら聞いている。
     しかし次第に、キョウキの周囲にマスコミが群がりつつあることに、サクヤは密かに恐怖を覚えた。
     ここでキョウキが語ったことは、カロス中に広められる。敵にも、味方にも。――けれど、ありのままに伝えられるだろうか? マスコミはキョウキの話を捻じ曲げ、あらぬ筋を創り出して真実と異なることをカロスに伝えはしないだろうか? あるいは権力の力で、言論そのものを封じられはしないだろうか? サクヤの懸念はそういったものだった。
     けれどモチヅキがキョウキを止めないので、サクヤも仕方なくそわそわしながらそのままにしておいた。


      [No.1481] 暮れ泥む空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:36:03     32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    暮れ泥む空 下



     駅を出て、丘を登っていく。
     丘の中腹に巨大な洞窟があり、それがヒヨクジムとなっているのだ。
     セッカはジムリーダー直々の案内で、草木のアスレチックに囲まれた書斎へと入っていった。
     フクジは自ら、大きな木のテーブルの上にお茶の用意をする。セッカもやかんに水を入れて湯を沸かすのだけ手伝い、あとは切り株の椅子に座って、フクジが慣れた手つきで緑茶を淹れるのをピカチュウと共にまじまじと見つめていた。
     フクジは背こそやや曲がっているが、鋏も服装も髭も洒落ており、何より絶やさぬ柔和な笑顔に癒される。セッカもつられていつの間にかほわんとした笑顔になる。素敵なご老人だ。
     香り高い緑茶が、これまた風流な湯呑に注がれ、きちんと茶托に乗せられて供される。セッカは緑茶の馥郁たる香りにすっかりほだされてしまった。
    「わあい、みど茶だ、緑茶だ……しゅごい、いいかほり……フクジさん大好き……」
    「はは、ありがとう。気に入ってもらえて嬉しいね」
    「はあ……ウズのお茶の香り……ううんそれ以上っす……うひゃあ何これ……最高の緑茶……もう大好き……!」
     カロス地方で、ウズの家以外で、これほど良い香りの緑茶に出会えるとは思えなかった。これからはフクジのいるこのジムに入り浸ろうとセッカは思った。


     周囲は本棚、そして森のにおい。洞窟は吹き抜けになっているらしく朝の光が上方から零れて、爽やかな風が吹き抜け、緑が香り立つ。
     熱い緑茶を一口啜ると、フクジがゆったりとした口調で話を切り出した。
    「どうだいセッカ君、なにか悩みはないかね?」
    「えっ」
     ピカチュウを膝の上に乗せたセッカはこてんと首を傾げる。直近の最大の出来事といえば昨晩のことがあるのだが、それはこのような素敵な老人に強いて話して聞かせるようなものでもない。
     セッカは軽く俯いて悩み、そろそろと口を開いた。
    「……あの、フクジさんは、榴火ってトレーナー、ご存知っすか?」
    「榴火?」
     フクジは目を細めたまま僅かに顎を上げる。セッカも思わず少し身を乗り出し、膝の上のピカチュウの頭を木のテーブルにぶつけてしまった。
    「知ってるんすか! ……あ、ごめんピカさん」
    「びがぢゅ!」
    「ああ。赤髪のホープトレーナーだろう? 榴火は新人トレーナーの頃、このヒヨクジムで修業していたからね。彼のことは知っているよ」
     フクジは笑顔で懐かしそうに頷いている。セッカはいい感触に思わずガッツポーズをした。
    「榴火のこと、教えてほしいんすけど!」
    「いいけど、これまたなんでだね?」
    「えっとですね、榴火とは旅先で出会って、その時から因縁の関係なんすよ! そう、ライバル! なのであいつのこともっと知りたいんすよ!」
     セッカの言ったこともあながち間違ってはいない。フクジも若いトレーナー同士が競い合うという姿勢を好ましく思ったのか、快く榴火の話をしてくれた。


    「榴火は、ここに来たときは色違いのアブソルだけを連れたホープトレーナーでね、まあジムトレーナーの中でも珍しい子だよ。なかなか心を開いたバトルが出来なかったが、このジムのアスレチックは楽しんでくれてね。私とのジム戦で勝つころには、随分と自分の心の表現が上手くなっていた……」
    「フクジさんのところに来た時には、榴火は既にホープトレーナーだったんすか?」
    「そうそう。細かいところによく気の付く子だった……。庭いじりをさせてみたらなかなか筋もいいし、アスレチックもいつも瞬く間に攻略されてね。つまり繊細だけど好奇心旺盛な子なんだよ、彼は」
     フクジはにこにこと思いつくままに語っている。
     セッカは緑茶の香りを楽しみつつ、フクジの柔らかい声に耳を傾けた。
    「アブソルは今でも難しい立場のポケモンだねぇ。よく捕まえられたもんだよ、それも色違いを。そうそう、榴火の最初のポケモンはプラターヌ博士から頂いたフォッコだったそうだ。でも、アブソルを捕まえたからフォッコは妹に譲ったのだと言っていたよ」
    「え、じゃあ、アブソルだけ捕まえたらフォッコはお役御免ってことっすか!? なにそれひでぇ! 最初のパートナーなのに!」
     セッカにはそのような榴火の行動が理解できなかった。セッカの最初のポケモンであるピカチュウはセッカの一番の仲間であり、レイアにもキョウキにもサクヤにも譲ろうとは絶対に思わない。
     最初のポケモンとは、トレーナーのアイデンティティをも構成するほど大切な存在だ。それを人に譲ってしまうなど、榴火の感覚は普通のトレーナーのそれと相当ずれている。そもそも旅をする上で仲間はとても貴重であり、手放せば大きな不利益を被るはずだった。
    「さあ、どうだったのだろう。妹にどうしてもポケモンをあげたくて、でも捕まえられたのがアブソルだけだったのかもしれない。アブソルよりフォッコの方がふさわしいと思って、妹に贈ったのかもしれないだろう?」
     フクジはそう解釈して、かつての弟子を庇った。
    「榴火は毎日アスレチックで遊んで、花を育てて……道路に出てポケモンを育てていたかな。ときどき遠出をして、ポケモンを捕まえて、他のジムトレーナー達やこのヒヨクジムに挑戦してくるトレーナーなんかに修業をつけてもらって。普通のトレーナーだったよ」
    「――フレア団は?」
     セッカは口を挟んだ。
     フクジは目を細めたまま、僅かに首を傾げただけだった。
    「フレア団? あの赤いスーツの人たちのことかな? それと榴火に何か関係があるのかね?」




     日が傾く。
     セッカはヒヨクシティジムの東側の見晴らし台のベンチに座っていた。ピカチュウを膝の上に乗せ、遠くを眺める。
     遥か下方に、ヒヨクシティシーサイドの港や船溜まりが見えた。そのような眺望を求めて、見晴らし台にはいかにも裕福そうな人間が散歩のついでに立ち寄ってくる。
     ヒヨクシティジムリーダーのフクジから話を聞いたあと、セッカはヒヨクジムにいた複数のトレーナーとバトルをして当然のごとく勝利し賞金をむしり取り、昼食はフクジの用意した賄いにありついた。
     バトルを何戦もして、その回復もジム側の用意した傷薬を遠慮なく頂いて、セッカはポケモンセンターには立ち寄らない。どうにもポケモンセンターに行く気になれなかったのだった。ユディからはポケモンセンターによらないトレーナーは悪目立ちすると聞いたけれど、どうにもその方角から腐臭が漂うような錯覚がした。
     レイアかキョウキかサクヤが、ポケモンセンターを嫌悪するような状態に陥ったのかもしれない、とセッカは思った。だからセッカも直感に従ってポケモンセンターには近づかない。片割れの三人に会いたい。けれど、セッカにはやるべきことがある。

     セッカはぼんやりと考える。榴火のことだ。
     結局、榴火がなぜフレア団に入ったのかはフクジの話からは分からなかった。けれどフクジの人柄や話を総合して考えてみれば、想像はついた。
     フクジが榴火に出会った時には、榴火は既にフレア団員だったのだ。
     フクジはのんびりとした老人だが、観察眼は並外れて鋭い――とセッカは今日の面談によって判断した。犯罪組織などに弟子が足を踏み入れれば、フクジはその弟子の生活の変化に必ず気が付くはずなのだ。
     セッカは懐から、赤いホロキャスターを取り出した。12番道路のフラージュ通りでセーラからむしり取った、フレア団専用のホロキャスターだ。これも手早く処分しなくてはならないが、セッカが今考えたいのはその処分方法ではない。

     セッカは覚えている。
     榴火に何度ホロキャスターを与えてもその都度榴火が壊してしまうから困っているのだ、と発言した人物がいた。
     その人物は実際にフレア団員の姉であったし、また榴火をホープトレーナーに推薦するなどして榴火を貧しいトレーナーの中から掬い上げた人物でもあった。
     そう思考を繋げていくと、思い当たる節はいくつもある。
     おそらくローザは、榴火をホープトレーナーに推薦するかわりに、榴火をフレア団に引き込んだのだ。

     榴火はレンリタウンの実家では継母と異母妹に囲まれて肩身が狭いから、旅に出たのだろう。けれどトレーナーの一人旅の辛さは、セッカも身をもって知っている。豊かな援助を受けられるホープトレーナーをセッカは羨んだし、それは榴火も同じだったはず。ホープトレーナーとなる代わり、榴火はフレア団の手先として働く。
     榴火はフレア団として、何をするのだろう。
     セッカにはフレア団の活動内容など分からない。反ポケモン派やポケモン愛護派といった、与党政府やポケモン協会やフレア団にとって鬱陶しい存在を、闇に葬ることか。
     暗殺。
     その行為は、アブソルを連れた榴火にはうってつけの仕事のように思われた。アブソルは自然災害を感知する。その災害に巻き込んで殺せば、“アブソルが殺した”ことにならないし、そのトレーナーである榴火も殺人罪には問われない。実際に数年前の裁判でモチヅキがそう判断したように。
     では、榴火は、妹の梨雪を、フレア団の仕事の一環で殺したのだろうか?
     榴火は、セッカたち四つ子を、フレア団の仕事の一環で殺そうとするのだろうか?
     違うのではないか。それはやはり榴火の私怨によるものにセッカには思われる。

     セッカが思うに、榴火の心の中には、フクジの淹れた茶やジムのアスレチックや庭いじりによっても癒しきれなかった、深い傷があるのだ。それが膿んで毒を吹き出し、榴火の心を蝕み、周囲を汚染していく。周りの人間を不幸にしないではいられないのだ。
     おそらくルシェドウもその榴火の心の傷を悟って、それを癒そうと奮闘しているのだ。けれど、四つ子がいると、榴火を刺激する。だから四つ子はルシェドウにとって邪魔な存在だ。榴火の目に触れないところでおとなしくしていろと、そう四つ子に求めた。
     そうはいっても、はいそうですかとおとなしく引きこもるわけにはいかない。
     確かにルシェドウは榴火のことを第一に考えているかもしれない。百歩譲って、ロフェッカもそうだと見做してもいい。
     けれど――四つ子から自由を奪うことによって、最も利益を得るのは榴火ではなく、腐敗した与党政府とポケモン協会とフレア団なのだ。
     それは不当だとセッカも、レイアもキョウキもサクヤも思っている。だから抗う。
     与党政府とポケモン協会とフレア団は、榴火を利用して、四つ子を弾圧している。

     けれどやっぱり、四人は腐敗を弾圧するよりも、これ以上自由を奪われることの方に反発を覚える。
     この腐敗した国を、協会を、犯罪組織を破壊しようとは思わない。腐敗をぶち壊す、という主張は聞こえがよくて、うまく声を上げればカロスの人々は賛同してくれるだろう。大衆を扇動し、過激な意見を主張し、制度を破壊する。そうできたらどんなにか楽だろう。楽しいだろう。
     けれどセッカには、四つ子には、そこまでの危険な意欲は無かった。
     放っておいても、そのようなポピュリズム的な政治活動は、誰か他の若い世代の人間がやる。
     四つ子はポケモンバトルしかできない。ポケモンを使って暴れたところで、テロリスト扱いされるだけだ。この表向き言論の支配する世界では、武力だけでは人々の心は付いて来ない。
     四つ子にできるのは、せいぜい自衛だけなのだ。
     だから榴火を知り、榴火に備える。
     フレア団やポケモン協会や与党政府を知り、不当に利用されないように備える。
     それくらいしかできない。


     セッカは膝の上のピカチュウの耳の後ろを掻いた。ピカチュウが気持ちよさそうに喉を鳴らし、セッカの頬を摺り寄せる。セッカの表情がだらしなく緩む。
    「ピカさん、俺ら、榴火に何もしてやれないな」
    「ぴかぁ?」
    「だって、アワユキは自殺だったんだろ。なら、れーややしゃくやが悪いわけじゃないもんな。榴火が勝手に……れーややモチヅキさんやしゃくややルシェドウが、アワユキを追い詰めたと……思ってるだけなんだろ……」
     ピカチュウは途中までは神妙にセッカの話を聞いていたが、どうでもよくなったらしく、セッカの手に頬をこすりつけていた。
    「でも……ほんとに榴火は、アワユキさんの敵討ちをするために、俺ら四人を狙ってんのかな。……あいつって、敵討ちとかするような情に篤い人間だろうか」
     セッカは一人で首を傾げている。
     燃え盛るクノエの図書館の中で榴火に会ったとき、セッカが四つ子の片割れであることに気付いた榴火は、どことなくアワユキの死を揶揄していたような印象がある。その時は非常事態だったからセッカの記憶もかなりあやふやになっているが、ほんの短時間の接触からも榴火の性格の悪さはセッカにも分かった。
     どうも榴火がアワユキの敵討ちをしそうには思えない。
     そのような情熱もなさそうだ。もし何としても四つ子に復讐しようとするなら、ハクダンシティでレイアとセッカに出会った時、アブソルをけしかけさえすればよかったのだ。なのに榴火はそうしなかった。
    「敵討ちじゃなくて、ただの遊びで俺ら四つ子を追い回してるのかもしれない。……もし、そうなら……かなり厄介だよな。もう牢屋にぶち込むしかないんじゃねぇの」
     セッカはそう結論付けた。


     思考をまとめると、セッカはベンチから立ち上がった。ピカチュウが膝からぴょんとベンチに飛び降りる。
     太陽は西の丘の向こうに消え、空を彩る。
     全速力で駆ければ、日没までには次の街に辿り着く。
     セッカは周囲に人のないことを確認すると、モンスターボールからガブリアスを繰り出した。
    「アギト、東南東へ。13番道路のミアレの荒野――って俺とお前が出会った場所だな。懐かしい」
     言いつつセッカはピカチュウを肩に乗せ、ガブリアスの肩によじ登る。襟巻のような形状の鞍に腰を下ろしてガブリアスに肩車をさせ、その頭にしがみついた。
    「ミアレシティへ頼む。人をはねないようにな」
     ガブリアスは一声唸ると、ゆっくりと駆け出した。高級住宅地を数歩で駆け抜け、半ば飛ぶように、ヒヨクシティのゲートすら飛び越えた。
     その先に見えるのは、赤茶色の荒野だ。
     ミアレの荒野には発電施設が立ち並ぶ。宇宙太陽光発電など言われてもセッカには何のことだかわからないが、確かに13番道路はカロス地方を支える大事な施設を擁する道路だった。
     ガブリアスはダグトリオやナックラーの作る蟻地獄を飛び越えて器用に避けながら、東南東を目指した。暗い東の地平線の向こうに、既に眩く輝くメトロポリスが見える。


      [No.1480] 暮れ泥む空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:33:40     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    暮れ泥む空 中



     タテシバを何とか宥めて、ホテル・ヒヨクから追い出す。
     それからルシェドウは、ピカチュウを肩に乗せたセッカがぴいぴいと騒ぐのにも構わず、ホテル・ヒヨクのルシェドウの部屋までセッカを引っ張っていった。
     その間セッカやピカチュウが騒いでも、ルシェドウは無言だった。ホテル内では静かにとさえ注意せず、やがてセッカは自発的に黙り込んだ。
     セッカの手首を掴む、ルシェドウの手の力がかなり強い。手首に固く食い込んで痛い。

     部屋に辿り着くと、ルシェドウはセッカをベッドの上に座らせた。
     セッカは葡萄茶の旅衣をかなぐり捨てると、やや体を小さくしつつピカチュウを膝の上に乗せ、そっと両腕で抱え込む。シングルルームに連れ込まれて、一体何をされるか分かったものではない。
     ルシェドウは照明をいくつか点けると、自身は鏡台の前の椅子に横向きに座った。
     そのまま二人はしばらく無言だった。


     セッカはどぎまぎしつつ、考える。――ルシェドウは怒っているのだろうか?
     セッカが何も考えずに勝手にタテシバに質問をし、タテシバに無礼なことを言って彼を怒らせてしまった。そのせいでルシェドウは知りたいことが分からなかったのかもしれない。それでルシェドウは怒っているのかもしれない。
     だからといって、ホテルの部屋に連れ込んで黙り込むものだろうか?
     ルシェドウの意図が読めない。
     外では雨が降り出したらしい。闇の落ちたヒヨクの街は明るい室内からは望めないが、窓ガラスを雨滴が打つ。
     セッカの心臓はずっとドキドキしていたが、長い沈黙にようやく飽きてきた。気まずく辺りを見回しつつ、ルシェドウを見つめている。
     ルシェドウは真面目な顔をして、固まっていた。
     セッカのピカチュウが手を振ってみている。しかし無反応である。ルシェドウは機嫌が悪くなると黙り込んで動かなくなるタイプなのかもしれない、とセッカは思った。四つ子も十歳になる前はよくそうなっていたからよく分かる。
     そしてようやく、ルシェドウが口を開いた。

    「……お前さ、馬鹿なの?」
    「知ってるぜー」
     セッカは軽い調子で応じた。馬鹿の定義は曖昧だが、長年片割れたちや幼馴染や養親から馬鹿だ馬鹿だと言われてきたのだから、セッカは馬鹿なはずである。
     ルシェドウは不機嫌にセッカを睨む。
    「ほんと、邪魔なんだけど。なんでロフェッカの言う通りおとなしくしてないの。なんで俺の邪魔をするの? なんで?」
     セッカは黙って、鉄紺色の髪のポケモン協会職員を見上げていた。
     やや激しい口調で詰られる。
    「今日の話で分かったでしょ? 榴火はかわいそうなんだ。お前ら四つ子なんかよりずっと。だから俺は榴火を助けてあげなくちゃなんないんだ。分かるだろ? だったら、俺の邪魔をしないでよ」
    「俺らはあんたの邪魔をしたいわけじゃない」
     セッカも真面目な顔をしてルシェドウに応えてやった。
    「確かに俺ら四つ子が歩きまわってると、あんたにとっては邪魔だろう。でも、俺ら四つ子を閉じ込めておくことによって最も大きな利益を得るのは、あんたや榴火じゃない。――ポケモン協会や、与党政府や、フレア団だ」
     ルシェドウは顔を歪めたまま、内心では度肝を抜かれたように、黙り込む。
     セッカをただの馬鹿だと侮るからこうなるのだ。セッカは打算的に冷淡な声を出した。
    「俺たちはこれ以上自由を奪われたくはない。だから、自衛する。榴火から、フレア団から、ポケモン協会から、与党政府から、自力で身を守る。そのために情報を集める。それが俺のしたいことだ」
    「…………何それ。…………何だよそれ」
    「俺のやってることはおかしい? どうして? あんたに俺を止める権利があるの?」
    「あるさ。俺は協会の人間なんだから」
     ルシェドウは目を見開いてセッカを見据えた。そして吐き捨てる。
    「公務執行妨害で訴えてやる。トレーナー資格を剥奪し、カロスだろうがジョウトだろうが、どこでだってトレーナーとして生きられないようになるぞ」
    「なら俺は、あんたに無理矢理ホテルに連れ込まれたって騒ぐ。ルシェドウは公務をサボって、若いいたいけなトレーナーをこんな風に脅して悪戯しましたって、泣きながら訴える」
     セッカは無表情で言い放った。自分よりもルシェドウの方が動揺し、感情的になっているのが手に取るように分かる。
     ルシェドウが顔を歪めて笑う。
    「裁判になりさえすればこっちのもんだ。ポケモン協会側が勝つに決まっている。そうしたらどのみち、お前ら四つ子は終わりなんだ。だからここで大人しく言うことを聞け」
    「ふうん。それがあんたの本性なんだ?」
     セッカは話をすり替えた。冷静にルシェドウを責める。
    「レイアの友達だ、俺たち四つ子のことが好きだと言っておいて、都合が悪くなれば邪魔だと切り捨てる。それがあんたなんだ。あんたは俺たちを裏切った」
    「違う!」
     その唾さえ飛ばしそうな勢いに、セッカは眉を上げてみせる。
    「俺はお前ら四つ子も、榴火も守ろうとして、これしか手がないから! お前らのためだよ! ――分かるだろ! なぜ分からない!!」
    「叫んで、脅して。あんたはそうやって子供っぽく駄々をこねて、我儘を通す」
    「我儘とかじゃねぇよ! 仕事なんだよ! なあ俺だって辛いんだよ。こんなのもう終わりにしたいよ。だから、せめてお前らだけは、俺のこと考えてくれたっていいじゃないか……!」
    「それは俺らの自由を奪う理由にはならないし、そんな意識で動いているルシェドウには榴火を助けることなんてできないとも思う」


     ルシェドウは取り乱し、肩で息をし、目元すら赤くして、食い殺さんばかりの勢いでセッカを睨んできていた。
     セッカはこの人物がここまで感情を吐露するのを初めて目の当たりにして、やや感動した。それほどまでの深い人間関係にあったことをルシェドウが突きつけてくれたからだ。
     ただのレイアの友人だと思っていた。興味本位で四つ子に構っているのだと思っていた。
     しかしどうやらこの協会職員は、本気でセッカたち四つ子に愛着を抱いてくれているらしい。そのことには敬意を表する。
     ルシェドウが話していることに嘘はないだろう。
     そう判断した。

     セッカは微笑んで立ち上がり、片手でピカチュウを抱きかかえ、もう一方の手で優しくルシェドウの肩に触れた。
    「…………じゃ、俺から提案。すべて任せてくれ」
    「何言ってんの、お前…………」
    「ルシェドウは榴火を追う仕事をしつつ、榴火のことは俺らに任せてくれればいいんだよ。俺らが榴火を何とかするよ」
     先ほどまでの冷淡な声とは打って変わって、セッカは次は甘く優しい声で囁きかける。
    「あんただって、榴火を追うのは怖いだろ。あんた自身も榴火に殺されかけたんだもんな。榴火のことは、任せてくれていいんだ。……忘れてしまえばいい」
    「……えっと、セッカ……何言ってんのお前…………」
     ルシェドウはぽかんとしていた。
     その肩をセッカは抱きしめた。慈愛と憐憫と打算を込めて。
    「榴火はかわいそう。ルシェドウもかわいそう。いい子だね。……だから俺がお前らを、助けてあげる」
     抱きしめるようにして、職員を椅子から立ち上がらせた。ベッドの方へと押しやる。
     ピカチュウがぴょこんとセッカの肩から飛び降りる。セッカが笑顔で見やると、ピカチュウはへっと笑っててちてちと歩いていき、そのあたりに転がっていた自分のモンスターボールに自発的に入った。




     翌朝には雨は上がった。
     港の波はやや高かったが、濡れた地面は陽光に煌めいて眩しい。
     ピカチュウを肩に乗せたセッカは、ヒヨクシティのシーサイドステーションからモノレールに乗った。
     生まれての初めてのモノレールである。座席に後ろ向きになり窓に張り付いて、流れる景色をまじまじと見つめる。
    「ピカさん、すごいなー。速いなー」
    「ぴかぁー、ぴかぴーか」
    「れーややきょっきょやしゃくやは、モノレールに乗ったことあんのかなー」
    「ぴかちゃ?」
    「うんうん、俺も色々な経験をしておりますねぇ」
    「ぴーか、ぴかちゅ」
    「にしてもやっぱルシェドウって女だったんだな。ま、どっちでもいいけど」
    「ぴぃかー?」
     セッカは座席にまっすぐ座ると、ピカチュウを膝の上に乗せて全身をもふもふした。ときどき静電気がばちりと走るが、セッカにはその感触がたまらなく心地よい。
    「ピカさんは好きな子とかいねーの?」
    「ぴかぁ? ぴかぴか?」
    「あーそっか、みんな軟弱者だもんな。ピカさんに釣り合うようなレディはなかなかいないかー」
    「ぴーか」
    「……ピカさんたちの幸せって、やっぱ結婚して子供を持つことなんかな。そりゃそうか、何のためにバトルで強くなってるのかって、そりゃ子孫を残すためだもんな」
    「ぴかちゅ?」
     ピカチュウは首を傾げている。セッカは愛撫の手を止めてピカチュウを抱き上げ、毛並みに顔を埋めて目を閉じる。
    「結婚かぁー……将来かぁー……めんどくさいなぁー……っつーかそんなこと考えてる場合かってーの」
    「ぴーか、ぴかちゅ、ぴかぴかぴ!」
    「いや、俺は好きな人とかいませんよ。遊び相手なら老若男女腐るほどいるけど……」
    「びがぁー」
    「だから、ピカさんも遊びたきゃ遊んでいいのよ。アギトも、ユアマジェスティちゃんも、デストラップちゃんも。瑪瑙と翡翠にはまだ早いかもな。でも、本当に好きな相手を見つけたら……好きなように生きていいから……」
     自分で言っておきながら、セッカは切なくなった。
     手持ちのポケモンたちにも、それぞれの意志や生き方があるのだ。トレーナーであるセッカにも手持ちのポケモンの自由を奪うことはできない――とセッカは思っている。自分が自由に生きたいと願うなら、なおさら。


     セッカが顔を上げると、正面の席の愛想のいい老年の男性が、目を細めてセッカを見つめていることに気付いた。セッカはぎくりとした。
    「……な、ななな何すか」
    「いやぁ、すまんね。つい話が聞こえてしまったものだから。ポケモン自身の生き方を尊重する姿勢、実に素晴らしいよ」
     それは緑のハンチング帽をかぶり、腰から提げたケースに大ぶりな鋏を収めた、いかにも優しそうな風貌の小柄な老人である。モノレールの中で大きな鋏を所持していることにセッカはぎょっとしつつも、へこへこして愛想笑いを浮かべた。
    「い……いやー……どもー……爺さん、誰……」
    「ああ、自己紹介が遅れたね。私はヒヨクシティジムリーダーのフクジという。君はもしかして、四つ子さんの最後のお一人かね」
     セッカは表情を輝かせた。セッカが四つ子の片割れであることを知っているなら、この人物は間違いなくジムリーダーである。
    「そうっす! セッカっていいます! わーいすごい、よく分かりましたね!」
    「お着物がお揃いだからね、顔かたちも本当によく似ている。……セッカ君か、よろしく。ピカチュウもよろしくな」
    「ぴぃか、ぴかちゅ」
    「うんうん、よく育てられてるじゃないか。ジム戦に来たのかね?」
     セッカはモノレールの通路を挟んで反対側でふるふると首を振った。
    「違うっす。ミアレに行こうとしてて」
    「急ぎじゃなかったら、よかったらジムに寄っていかないかね? ジョウト地方のエンジュまで出かけて直に仕入れた茶葉がある。ご馳走しよう」
    「エンジュのお茶!?」
     セッカは途端にご機嫌になった。エンジュの茶ということは、緑茶だ。緑茶などウズの家でしか飲めない。セッカは紅茶も好きだが、やはり緑茶も大好きだった。ついでにジムリーダーと親しくなっておこうとの打算も胸の隅で働くが、道化のセッカはもちろん純粋無垢なお茶好きのお馬鹿になっている。
     モノレールがヒルトップステーションに滑り込む。
     そうしてピカチュウを肩に乗せたセッカは、柔和な笑顔が素敵なフクジと連れ立って、丘の上のヒヨクジムへと向かった。


      [No.1479] 暮れ泥む空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:32:01     45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    暮れ泥む空 上



     ピカチュウを肩に乗せたセッカは、12番道路のフラージュ通りを越え、ヒヨクシティにやってきた。
     ヒヨクは高級リゾートとして有名だ。
     アズール湾に面した港は印象派絵画の発祥の地であり歴史ある商業港だが、現在はクルーズ港として有名である。
     華やかなヨットハーバー、広大なビーチ、丘の上からの優れた見晴らし。ポケモンジムをも擁するこの街は、トレーナー達の富裕層への憧れをかき立てる。
     セッカも目を丸くして巨大なクルーズ船を見物しつつ、港をてくてくと歩いていた。ピカチュウがぴくぴくと耳を動かしながら、空を気にしていた。

     天気はあいにくの曇り、今にも雨が降り出しそうに黒い雲が低く垂れこめている。空は黒い灰色、けれど西日は家々の壁を山吹色に照らしている。雨の中の野宿はさすがに難しいのと、そろそろ日が暮れるのと、二つの理由によってセッカは今日はヒヨクのポケモンセンターに宿泊することを余儀なくされている。
     ヒヨクシティのポケモンセンターに行くには、シーサイド北にある駅からモノレールに乗るなり、自力で丘を越えるなりしてヒルトップへ行かなければならない。
     お香屋の不思議なにおいを嗅ぎ、きのみの屋台から目敏くきのみを数個かすめ取り――もちろんジョウト出身の養親に育てられたセッカにチップを渡すという概念は存在しない――、港に停泊する白い船を横目に見つつ、セッカは北へと向かった。


     広い港の中のとある岸壁に、何やら物寂しそうな男の背中を発見する。
     岸壁に背を丸めて腰かけた男は、暗い雲の西の切れ目から差し込む夕日を見つめていた。
     アズール湾は静かに波立って、遠くラプラスの歌が聞こえる。
     男は静かに囁いた。おーい。
     おーい。
     誰を呼んでいるのだろう、ラプラスだろうか。張りのない声は微かな波の音、風の音にすらかき消されそうだ。胸の奥から誰かを呼び覚ますような声だ。――そのような事を考えつつセッカが静かに男の背後をすり抜けようとすると、不意に男が背後を振り返った。
     セッカは男とばっちり目が合ってしまった。
     すると吃驚した男が岸壁から立ち上がり損ねて、海に落ちた。

    「うきゃあああああああ落ちたァァァァァァァァ――!!」
     セッカはほぎゃほぎゃと慌てつつ、海に落ちた男を岸壁に引っ張り上げる。
     髪や髭、着膨れた衣服をぐしょぐしょにした男は、彼を助けた張本人であるセッカに異常なまでの怯えを示した。
    「ど、どどどどどどどうもありがとうございます」
    「さ、寒いっすか? ふ、フレアドライブお見舞いしましょうか?」
    「ひいいいいいいいいいお許しをぉぉぉぉぉぉぉ」
     男の震えは怯えのためだけではない、寒さのせいもあるだろう。そうはいえども男がセッカに異常な怯えを示していることに変わりはない。セッカが何を申し出ても「すみません」「許してください」、これでは埒が明かない。


     セッカが困り果てていると、北のシーサイドステーションから軽い足音が聞こえてきた。
    「――あ、セッカじゃん! と、タテシバさん見つけたぁ!」
    「ぎゃあ。ルシェドウだぁ!」
     セッカはびっくりしてしまった。肩の上ではピカチュウも警戒している。ポケモン協会の職員はセッカたち四つ子の敵だから、極力会わないようにしなければならないのに、ついうっかり出会ってしまった。
     そのようなセッカの内心の葛藤を知ってか知らずか、鉄紺色の髪のルシェドウは思い切りセッカに飛びついてきた。
    「四つ子コンプリィィィィ――ト!!」
    「ほげ!?」
    「イヤッホウついについにルシェドウさんはすべての四つ子に旅先で巡り会っとぅあ! セッカだセッカだピカチュウちゃんだぁ! 可愛いなぁーよしよーし」
    「いたい! いちゃい!」
    「びがぁ――!」
     セッカとピカチュウは、ルシェドウの熱烈な抱擁を受けて目を回す。ルシェドウは細身のくせにとても力強い。セッカを窒息させてそのまま捕まえてお持ち帰りする気ではないかとセッカが疑うくらいである。
     しかしはたとセッカは気づいた。何か柔らかい。


     男の茫然としたような呟きが聞こえた。
    「……四つ子?」
     セッカはルシェドウの腕の間から何とか顔を出し、男にアピールした。
    「いかにも、俺たちは四つ子! くわどらぷれっつなのです! ……ははーん、さてはおっちゃん、れーやかきょっきょかしゃくやにブチ切れられたクチだな!?」
    「ふ、フシギダネを連れた奴は……」
    「あー、きょっきょね! きょっきょ怖いよね。でもね、きょっきょにキレられる奴って、大概そいつの方が悪いんだよね!」
     セッカはにっこりと笑ってそう言い放ってやった。すると収まっていたはずの男の震えがますます大きくなった。
     ルシェドウが腕の中のセッカの頭をこつんと小突く。
    「こりゃ。タテシバさんはきちんと警察に行かれて、ちゃんとお咎めを受けられたの。だからうるさく言わないの」
    「うわぁ……あんた、前科持ちかぁ……。え、ってことはつまり、あんたはきょっきょに何かやって、返り討ちに遭ったわけだ! ぶはっ、だっせぇ!」
     セッカは大喜びである。片割れの活躍は嬉しいものだ。
     セッカはもぞもぞとルシェドウの腕から逃れると、ピカチュウを肩に乗せたままぴょこんと跳ねた。
    「ルシェドウはタテシバのおっちゃんと用事? 何してんのルシェドウ、榴火のことちゃんとやってるわけ?」
     セッカが釘を刺すと、ルシェドウは小さく首を縮め、タテシバの目が急に細められた。
     その二人をきょろきょろと見比べ、セッカはぴょこぴょこ跳ねる。
    「あ、なになに、榴火の話すんの?」
    「……ルシェドウとやら、てめえ、このガキゃあいったい何だ」
     タテシバの声が急に低くなった。先ほどまでセッカにびくびくしていた時とは違う、ごく自然な、疑念に満ちた声だった。
     ルシェドウは溜息をついた。
    「すみませんタテシバさん。榴火の被害者の子です。会うつもりはなかったけど、偶然会っちゃいました」
    「ふん、どうだかな。てめえらの差し金じゃねえのか。この俺に何をさせようってんだ。今さらあいつはどうにもならねえよ」
     そこでさすがにセッカも合点がいった。確か榴火のラストネームはタテシバというのだ。
     男をずびしと指さした。
    「あ、あんたもしかして、榴火のパパンかぁ――!!」
    「うるせえガキだな。緑のはまだ知的だったぞ」
    「このダメオヤジめ! あんたのきょーいくが悪いから、れーやも俺も危ない目に遭ったんだぞう!」
     セッカはぷりぷりと怒り出す。ピカチュウもその肩の上で同調して騒ぎだす。
     するとタテシバはセッカを見下ろしてふんと鼻で笑った。
    「あいつぁ俺がどうにかできるガキじゃなかったさ。昔からな」
    「せきにんとれ! べんしょーしろ!」
    「びぃが! びがぢゅう!」
    「タテシバさん、詳しくお聞かせ願えますか」
     真面目な声音で口を挟んだのは、ルシェドウだった。



     セッカとタテシバとルシェドウの三人は、ホテル・ヒヨクのレストランへと移動した。
     タテシバとルシェドウはもともと面談の約束を取り付けてあったらしい。その面談の場がレストランであることを聞き出して、セッカはむりやりそこに割り込んだ。ルシェドウにレストランの美味しい食事を奢らせ、夜はホテルのルシェドウの部屋でもタテシバの家でも、どちらかに潜り込めばいい。宿も食事も、これで確保は完璧だ。
     セッカとピカチュウは本日の旅の成果にほくほくしている。
     レストランは夕暮れの海に面して素晴らしい眺めである。
     セッカはそわそわとナイフとフォークを持ちながら、タテシバを促した。
    「早く! 榴火のこと早くしゃべって!」
    「うるせえガキだな……」
    「まったくもう、きょっきょと違って俺が馬鹿だと気付いた途端にその態度とか、失礼しちゃうわね!」
    「てめえ、あの緑のより馬鹿なのか……」
    「いいから榴火のことをお話し! でないとピカさんの雷くらわすから!」
     すると、高い椅子に座って三人と同じテーブルについていたピカチュウが、タテシバを見やってにんまりと凶悪に笑んだ。
     にこにことセッカとタテシバを見守っていたルシェドウが、料理が運ばれてきたのを皮切りに、タテシバに話を促す。

    「タテシバさん、最近は榴火とは連絡を取り合っていらっしゃいますか?」
    「とってねえよ。俺が連絡手段持ってねえから」
    「では、事件以降は――」
    「無理。あいつは普通に旅してるし、俺はあの女に追い出されるし」
    「榴火は事件後も旅を続け、タテシバさんはアワユキさんに家から追い出された、と。……それで榴火との連絡もつかなかったわけですね。お寂しいとかはありませんか、息子さんと連絡が取れないなんて」
    「別に。あいつ頭おかしいし。俺もクズ親父だから、関わらん方が互いにいいんじゃねえの」
     タテシバは淡々と、豪勢な夕食にありついていた。セッカも同様である。まさかルシェドウのポケットマネーではないだろう、ちょっと話を聞くだけでこれほどにも豪華なレストランを使うのだからポケモン協会はリッチもいいところである。
    「では、事件前は榴火との仲はいかがでしたか?」
    「知らん。あいつも俺もどっちも旅してたしよ、たまのレンリでも滅多に会わんかった」
    「当時のご自宅はレンリタウンでしたね。榴火が旅に出る前は、どのようでした?」
    「覚えてねえよ。あいつレンリに置いて、俺は旅してたしよ」
    「何それ、榴火の事ほったらかしにしてたわけ? ひっでえ! 親の風上にも置けねえな! 親の顔が見てみてぇわ!」
     セッカが口を挟んでぷぎゃぷぎゃと怒ると、ピカチュウも小さな掌でテーブルを叩いて怒り出す。
     ルシェドウはろくに食事もせずに、考え考え質問を続ける。
    「タテシバさんはいつから、レンリタウンに家を?」
    「最初の家内がレンリだったから、そっちに家建てた。榴火んことは家内に任せてたが、気付いたら家内が消えてたから失踪届出して婚姻解消。次の家内もそこに住まわせてた」
    「ねえ、消えたって何!? 消えたって何なの!!?」
    「うるせえぞガキ。……最初の家内は消えた。家内の実家にもいなかった。トレーナーじゃなかったから急に旅なんざ考えられねえ、他の男に連れてかれたか。……そんときゃ榴火も三つか四つか、まださすがに何もできねえだろ」
     タテシバはこともなげにそう言う。
    「んで、まあそのあと割とすぐにアワユキとの間に梨雪が生まれて……アワユキと梨雪と榴火は、レンリで暮らさしてた」
    「アワユキさんや梨雪さんは、榴火とは仲が良かったですか?」
    「知らん。全然興味なかった。普通じゃねえの」
    「アワユキさんはトレーナーでしたよね。彼女はタテシバさんと結婚なさってからは、旅はされてなかったんですか?」
    「それも知らねえ」

     セッカはマイお箸で人参をつまみながら、ルシェドウとタテシバの問答に耳を傾けていた。
     タテシバは息子の榴火に対して、関心がなかったようだ。すべて前妻や後妻に任せっぱなし。自分はただ気の向くままに、ポケモンを連れて旅をしていた。
     しかしタテシバの気性も、なんだかセッカには親しみがあった。家庭には争いがある。毎日同じ人間と顔を突き合わせなければならない。四つ子は養親のウズを敵に設定することによって四人の間の結束を保っていたが、タテシバもそのように家庭の外に逃れることによって妻や子供と衝突しないようにしていたのかもしれない。
     榴火は、継母のアワユキと異母妹の梨雪と共にレンリで過ごした。その間の様子は全く分からない。タテシバはこんな様子であるし、アワユキも梨雪ももうこの世にはない。
     しかしセッカが安易に想像するに、榴火は寂しかったのではないだろうか。それがなぜ妹や人々を傷つける結果に至ったのかは想像もつかなかったが。そしてセッカが榴火に同情を注ぐ理由にもならなかったのだが。
     ディナーが一通り終わり、食器が片づけられてデザートを待つという段になり、ルシェドウはさらに話を核心に近づけた。
    「じゃあ、事件の直近の榴火についてお話を伺いましょうか」


     ルシェドウは事件の際、榴火を弁護した。その時はタテシバと話をすることはなかった。タテシバも、ミホやアワユキらと同様に、榴火の処罰を強く求めているものとルシェドウが早合点したためだ。会ったところで殴りかかられるものとてっきり思っていた。けれど榴火の弁護士が証人としたのがタテシバであり、裁判当時になってルシェドウは度肝を抜かれたのである。
     タテシバは子供に特別な愛情を注ぐことはなかった。我が子に対しても客観的だった。そして彼は現代のトレーナーだった。アブソルに災害が伴いがちであることを理解していた。アブソルのトレーナーばかりが糾弾されるのをよしとしなかった。
    「お母さまや奥さまとは軋轢があったでしょうに」
     ルシェドウが溜息をつく。
    「実際、お袋には離縁され、アワユキとは離婚したがな」
    「そうまでしてタテシバさんは榴火を守ろうとなさったのですね?」
    「いや、なんか弁護士から金貰えるってんで、そう言っただけだ」
     そのタテシバの身も蓋も無い返答にセッカは崩れ落ちた。
    「すげぇ。やべぇ。見習いたい、この悟りを開いたが如き人嫌いの境地」
    「こらセッカ、タテシバさんの前で失礼だけど、不健全だよ。セッカはウズさんたちを大切にしなさいよ」
    「へいへい。あ、じゃあ榴火のばーちゃんやかーちゃんは、榴火のこと罰してほしかったんだ」
     そこでセッカは閃いてしまった。
    「あ、分かった! アワユキはさ、榴火のことはほったらかしにして梨雪のことばっかり可愛がってたんだよ! だから榴火は梨雪に嫉妬して、殺しちゃったんだ!」
    「ちょっとセッカ、声を小さくして」
     ルシェドウに窘められ、セッカはこそこそと囁く。
    「榴火はきっと、継母のアワユキの気を引きたかったんだ。アワユキの可愛がってる梨雪を殺せば、アワユキに愛されるにせよ憎まれるにせよ、榴火はアワユキに認識されることになる。なんか、好きな子を虐めたくなるっつー心理じゃん?」
     セッカは一人で頷いた。
     榴火はアワユキに愛されたかったのだ。
     愛されないまでも、自分を見てほしかったのだ。認識してほしかったのだ。アワユキにとっての何者かになりたかったのだ。
     もしかしたら母親として慕っていたのではないのかもしれない。遠い昔にウズから聞いた、源氏物語の主人公だって、父帝の後妻に恋心を抱いたではないか、きっとあれと同じ心理だとセッカは納得してしまう。
     だからアワユキを自殺に追い込んだ直接の原因であるサクヤやレイアを、榴火は恨んだ。
     セッカはとりあえずそういう事にしておいた。


     ルシェドウはうんうんと頷いて、何やら考え込んでしまった。一人だけ夕食がほとんど進んでいないので、セッカは横から箸を伸ばしてルシェドウの皿から人参をかすめ取った。
     塩胡椒で味付けされた茹で人参をもぐもぐしながら、セッカは勝手にタテシバに質問をし続ける。
    「じゃあさ、なんであんたはクノエのポケセンに溜まってたわけ?」
     その質問をすると、タテシバはぎくりと身を竦ませた。
    「……お、おま、緑のから聞いたんか」
    「うん。きょっきょから泥棒したのって、あんたでしょ。なんでそんなことしたの? レンリに家があるんだろ? っつーか、トレーナーとして旅してたんなら、バトルで真面目に金稼げって話」
     タテシバは背を丸め、恨めし気にセッカを睨んだ。なかなか迫力のある視線にセッカはどぎまぎした。
    「……っせぇよ。てめえみてえなガキにゃ関係ねえだろうが」
    「関係なくはないし。きょっきょは俺の片割れだもん。それに、俺だってバトルで勝てなくなったら、ポケセンで乞食になるしかない。俺はそうなりたくない。だから、なんであんたがそうなったのかを知っておきたい、参考までに」
    「乞食とか、失礼すぎるぞガキが……」
     セッカが質問の意図を述べている間に、タテシバも思考をまとめたらしい。セッカの求めに応じて話し出した。
    「……レンリの土地と家は、アワユキと離婚するときにくれてやった。あの女、榴火を俺に押し付けるだけ押し付けといて、当時の俺の全財産をかすめ取りやがった……」
    「すげぇ。じゃ、あんたが榴火を育てなきゃ駄目だったんじゃん?」
    「……んなわけねえだろ。当時は榴火も十過ぎて成人だ。戸籍上榴火が俺んとこにいるってだけだよ」
    「よくわかんない。じゃあおっさんは榴火の事件のあとも、普通にトレーナーとして旅してたんだ?」
    「……そうだよ。だが七つ目のバッジがどうしても取れん。とうとう金が底を尽いた。その時たまたまいたのがクノエだった。……そんだけだよ。バトルで勝てなきゃ死ぬだけだ。そんで盗みとかも働いて、ブタ箱行きよ。てめえもせいぜい気ぃつけな」
    「あい!」
     セッカは素直にこくりと頷いておきながら、直後にぐりんと首を傾げた。
    「……おっさん、スランプになっちゃったってこと?」
    「スランプっつーか、俺はもう駄目だわ」
    「……駄目になった?」
    「あー駄目駄目、これ以上は酒持ってきやがれ。酒が無くて話せるかぁこんなもん」
    「……つまりタテシバのおっさんは、榴火や梨雪やアワユキがあんなことになって、ショック受けてんだな?」
     セッカは勝手に納得してしまった。

     するとタテシバが急にフォークを掴み、セッカに投げつけてきた。セッカはぴゃああと悲鳴を上げ、音を立てて立ち上がる。周囲の客からも小さな悲鳴が上がり、白けた視線がそのテーブルに注がれた。
    「ぎゃああ――! ごめん! ごめんて! でも図星なんだぁ!」
    「……ぅぅうっせぇんだよこのガキが!! 調子乗んなや! 何も知らねぇくせに知ったような口きいてんじゃねぇよ!!」
    「タ、タテシバさん、落ち着いてください」
     そこにそれまで沈黙していたルシェドウが慌てて割り込む。
     タテシバは急激に興奮した様子でナイフを逆手に持ち、ぽかんとしているセッカに今にも組みつきそうな様子である。ルシェドウがタテシバを慌てて押さえる。
    「タテシバさん、どうしたんですかっ」
    「うっせぇこの糞野郎! 何だこのクソガキは! 聞いてねぇぞ! ぶっ殺してやる!」
    「……あ、分かっちゃった」
     セッカはピカチュウをそっと抱きしめながら、怒り狂うタテシバを見つめ、ぼそりとひとりごちた。
     ――榴火の凶暴性は父親譲りだ。


      [No.1478] 金烏の空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:29:51     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    金烏の空 下



     モチヅキはホロキャスターから流れてくるニュースにじっと聞き入っていた。
     緑の被衣を被ったキョウキはモチヅキの向かい側でフシギダネを抱え、まじまじとカビゴンの群れのコボク侵攻を見下ろしている。
    「……珍しいことだ」
     モチヅキがぼそりと呟いた。ホテルの傍の空を、破壊光線が何本も飛んでいく。
     コボクの石造りの街が崩れつつある。
     ようやくキョウキもモチヅキも、これは単なる珍事でなく、かなり危険な非常事態ではないかと思い至った。
     西門に集中していたコボクの警察はポケモンを繰り出してカビゴンたちに応戦しようとしているが、その巨体に何の躊躇もなく迫ってこられれば、勇猛果敢な警察のウインディもライボルトもレントラーもムーランドもたじろぐしかない。防衛線は押され気味である。怒り狂ったカビゴンの破壊光線が街を蹂躙する。
     キョウキとモチヅキの現在いるホテル・コボクもまた、西門にほど近い位置にある。
     危険だった。カビゴンの西門突破より間もなくホテル内にもアナウンスが響き渡り、すべての客に避難するよう指示が出される。あるいは、腕に覚えのあるトレーナーがいればぜひカビゴン騒動を止めてほしい、とも。
     モチヅキもまた立ち上がりつつ、キョウキを見やった。
    「そなたはカビゴンの相手はせぬのか」
     キョウキは肩を竦めただけで、モチヅキの先に立ってそそくさと部屋を出た。


     ホテル一階のロビーは、困惑し狼狽した観光客らによってひどく混雑している。
     受付には取り乱した客が何人も殺到していて、ホテルマンが哀れである。観光客は次々とホテルの者の案内で外へと避難を始めており、キョウキとモチヅキは混み合う階段の半ばで立ち止まってその混乱の様子を見ていた。
     カビゴンの群れの勢いは止まぬらしい。
     破壊光線の発射されるなんとも胸に悪い音、胸の奥を抉るような残酷な鋭い音、ミサイルのようにいくつもいくつも空を切る音がする。
     そして何か巨大なものを破壊し、何か大切だったであろうものが崩れ去る音がする。
     ホテルの地面すら揺れる。そのたびに、ホールを埋め尽くした観光客から悲鳴が上がる。

     コボクタウンの周辺にたびたびカビゴンが出現するという話は、全国的に有名だった。カビゴンは山のきのみを食い尽くし、きのみ畑に何度も侵入を試み、時にはコボクタウンにも食料を求めてやってくる。コボクには、そのカビゴンのための祭りを毎年行ってカビゴンにたらふく食べさせることによる、カビゴンとの共存を選んだ歴史、そしてイメージがある。
     カビゴンがこのようにコボクを実力で襲うことは滅多にない。
     いくら食料のためといっても、ここまで暴れるのは逆にカロリーの無駄遣いである。
     キョウキには、だからこのカビゴンによる侵攻は奇妙にしか思われなかった。食料不足に起因しない、カビゴンの暴れる理由が何かあるとしか考えられない。

     ロビーに詰まっていた観光客がぞろぞろと避難していき、だいぶロビーは空いてきた。
     そこでキョウキとモチヅキは、男に話しかけられた。
    「お、やっぱいた。キョウキ、モチヅキ殿」
     先ほどまで二人がホロキャスターで話していた相手、ロフェッカである。
     しかし二人は振り返って、さらにぎょっとした。
     ロフェッカの隣でどこか身を縮めている、老婦人と幼い少女。マフォクシーを連れている。
     モチヅキとキョウキは、ロフェッカよりもそちらの二人に気を取られてしまった。まさかこのような非常事態の中で出会うことになるとは思いもしなかった。
    「ミホさん、リセちゃん。観光ですか? 旅行先でこんなことになるなんて、災難ですねぇ」
     キョウキは笑顔で声をかけてみたが、幼いリセはカビゴンの暴虐に怯え切っているし、そしてミホの方は、キョウキよりも、明らかにモチヅキを前にして動揺していた。
     それもそうかとキョウキは思う。ミホにとってモチヅキは、憎むべき裁判官なのだから。


     とはいえうっかりと因縁の相手に巡り会ったとしても、のんびりと会話をしていられる状況ではない。
     カビゴンの群れの進軍と蹂躙は止まらない。フシギダネを抱えたキョウキは、モチヅキ、ロフェッカ、ミホとリセと共にホテルの外へ歩み出た。ホテルから避難する客の、最後の一団である。
     破壊光線が街並みを掠め、近くの建物に激突し、巨大な石のブロックが石畳の上に落下してくる。リセはたまらず祖母のスカートにしがみ付く。
     ロフェッカは、かつてはそのミホとリセを引き合わせる役目を担当していた職員である。どこか呆然自失としているミホを必死に支え、もはやモチヅキやキョウキに軽口を叩く余裕などない。ただコボクの東へ、人波に従って五人も動く。
     その中、ミホの連れていたマフォクシーがふと立ち止まった。
     このマフォクシーは、カビゴンの騒ぎの中も、全く動揺を見せていなかった。まるですべて分かっていたかというように。けれど何かを待つように、時折空気の震えを感じ取りながら、そして縋りついてくるリセを抱き上げることもせずに、ここまで黙々と一行についてきていた。
     そのマフォクシーが急にミホの傍を離れ、西へと立った。
     少女が叫ぶ。
    「あ、マフォクシー!」
    「あ……!」
     老婦人が止める間もなく、マフォクシーはふわりと跳躍し、もはや人の姿の無い荒れ果てた石畳に立つ。そして迫りくる十体ほどのカビゴンの群れの前に立ちはだかった。
     ロフェッカに支えられていたミホが、悲鳴のような大声を出す。
    「何をしているの、マフォクシー!」
    「マフォクシー、だめ、かえってきてー!」
    「おい、ミホさん、リセちゃんも落ち着け!」
     ホテルから避難する人々に取り残される。ロフェッカやホテルの職員に怒鳴られるも、老婦人と少女は共に来たマフォクシーを置いていくわけにはいかない。必死で呼びかける。
     マフォクシーはカビゴンは見ていなかった。袖のようになった腕の毛皮の中から枝を引き抜き、その勢いで着火させる。枝の先端の炎は赤々と燃え、マフォクシーの瞳は獰猛に輝く。
     モチヅキとキョウキもまた、お義理で彼女たちやロフェッカに付き合い、道の真ん中に立ち止まっていた。二人とも彼女たちとは見ず知らずの相手ではないし互いにそのことを知っているから、モチヅキもキョウキも彼女たちを他人のように見捨てて逃げるわけにもいかなかった。
     緑の被衣のキョウキはフシギダネを抱えたまま、戦闘の意志もなくぼんやりと、迫りくるカビゴン、そして何に向かってやら闘志を燃やしているマフォクシーを見つめていた。


     マフォクシーは、カビゴンに立ち向かうつもり――は無いようだった。であれば即ち、マフォクシーにミホやリセをカビゴンから守ろうと意志は無い。
     何か己の目的がある。
     キョウキには、マフォクシーの見つめているものがなんとなく分かった。
     カビゴンの群れの後方の一頭が、何の前触れもなく、ゆっくりと正面から倒れた。それに気付かないように他のカビゴンたちはずんずんとコボクの中央へと進撃を続けるが、一体、また一体。
     何が起きているのか。背後から攻撃を受けているのか。
     カビゴンが倒れるたびに地響きが起こる。
     キョウキ、モチヅキ、ロフェッカ、ミホ、リセの見つめる前で、カビゴンが一体づつ、地に伏してゆく。
     風が吹いた。
     鋭い紅い風が吹いた。
     マフォクシーが枝に灯した炎に熱い息を吹きかけ、渦巻く火炎を飛ばす。その急な熱風にリセが泣き出した。
     けれどそれも、すぐに冷たい風に切り裂かれた。
     マフォクシーは風の中から現れた紅いアブソルに、一瞬のうちに切り伏せられた。


     老婦人が悲鳴を上げる。
     その悲鳴に怯えて、なおさら孫娘が泣き出す。
     ロフェッカはぎょっと身を竦ませ、モチヅキはただ微かに眉を顰めただけであった。
     キョウキはフシギダネを抱えたまま、四人の後ろの方でぼんやりと、マフォクシーが崩れ落ちるのを見ていた。
     気づくと、コボクの石畳の上にいくつも倒れ伏していたカビゴンの巨体が、一体ずつ消えていっている。
     モンスターボールの赤い光が見える。誰かがカビゴンを片端から捕獲しているのだ。
     色違いのアブソルは、通常の個体よりも一回りも二回りも大きい。その血塗られたような角はねじくれ、石畳に伏したマフォクシーの首に鋭い刃があてがわれて、マフォクシーは怒りに口の端から火の粉を漏らすも身動きが取れない。
     アブソルが少しでも動けば、マフォクシーの命はない。
     ロフェッカはミホとリセを支え、そして大声で怒鳴る。
    「――おい! どういうことだ! ルシェドウは何してやがる!」
     その叫びに返答はない。カビゴンの巨躯の向こうで、また一体カビゴンの姿が消える。
     最後のカビゴンの姿が消えて、崩れ切った石畳の上。
     大量のモンスターボールを手にして困惑した様子を見せながら五人の前に現れたのは、赤髪の少年だっただった。

     キョウキは緑の被衣の影からその少年を観察する。
     褐色の肌に赤髪、餓えたような水色の瞳。肩には申し訳程度に白地に青線の入ったホープトレーナーの制服を引っかけている。確かにレイアやセッカから聞いた通りの容貌をしている。ミホやロフェッカの動揺ぶりからしても、間違いはない。
     ――榴火だ。


     手にした十ほどのモンスターボールを不器用に次々と袋の中に投げ入れて、ようやく少年は顔を上げた。そして自分のアブソルがどうにも見覚えのあるマフォクシーを組み伏せ、その先にはまた見覚えのある面々が五名ほど揃っているのを目にして、その表情を輝かせた。
    「よう。ババァ」
     榴火の呑気な無礼な挨拶に、ミホが全身を戦慄かせる。幼い孫娘の肩だけを強く抱きしめて。
     そのような祖母の反応に全く関心を示さないまま、榴火は静かになったコボクの街並みをのんびりと見回した。
    「……ちっとのんびりしすぎちったかねぇ。ま、いっか」
    「おいお前、榴火だよな? ルシェドウはどうした? あいつには会ってねぇのか?」
     榴火に声をかけたのはロフェッカである。怒りやら動揺やらで震えるミホと、むせび泣いているリセの二人を支えつつ、榴火をまっすぐ見据えて立っている。なかなか威厳のある頼りがいある立ち姿だった。
     榴火はロフェッカを見やると、どろりと首を傾げた。
    「え? あ? 誰? は? え? なに?」
    「だから、ルシェドウはどうしたっつってんだ!」
    「あ、ルシフェル。そのマフォクシー殺していーよ」
     榴火はロフェッカを無視し、そのような残酷な指示を下す。すると少女が絶叫した。
    「い……やぁぁ…………や、やだぁぁぁっ」
    「うるっさ。え、誰そのガキ」
     榴火はモンスターボールの詰まった袋を蹴りつつ裸足でぺたぺたと石畳を歩み、少女の方に歩いてくる。リセは涙で頬をぐしゃぐしゃに濡らしながら、祖母やロフェッカの陰に慌てて後ずさる。
     榴火はけらけらと笑って立ち止まった。憐れむような眼差しになった。
     一方で紅いアブソルはマフォクシーの首をかくべく鎌を動かし――動きを止めた。
     アブソルの動きを止めたのは、キョウキのフシギダネである。


     緑の被衣のキョウキは両の二の腕をさすりつつ、嫌そうな顔でロフェッカやモチヅキの両名を見やる。
    「はいはい、こうしろってんでしょ。無言で圧力かけないでくださいよ。僕としちゃあ、ポケモンがポケモンを殺すとこを見るのもいいなって思ってたんですけどね」
    「ギャハハハッ、何だコイツ狂ってる!」
    「君には言われたくないけど」
     キョウキはぼやいて榴火に応じ、そっとフシギダネを手から離した。
     石畳に降り立ったフシギダネは蔓でアブソルを捕らえつつ、キョウキが一同の注目を集めている隙に素早く眠り粉を仕掛け、組み合っていたアブソルとマフォクシーを二体とも眠らせた。そしてさらに素早く巨大なアブソルを蔓で拘束する。
    「あ、やられちった」
     榴火は笑いながら、色違いのアブソルをボールに戻した。ミホも慌ててマフォクシーをボールに戻す。
     場に出ているポケモンはフシギダネ一体になった。
     榴火に戦意は見られない。袋の中に入れた十ほどのモンスターボールを揺すって遊んでいる。
     キョウキは微笑んでさらに前に出、赤髪の少年の前まで歩み寄った。ようやくまともに榴火の目を見た。
    「…………カビゴンが捕まえたくて、この騒ぎを起こしたのか」
    「あー、んー、まあ、そんな感じ?」
     榴火は片手を顎に当て、そして何かを思い出したかのようにくつくつと肩を震わせる。
    「つーか、“うっかり”土砂崩れでコイツらの巣にいたゴンベ全滅させてみたらさぁー、なんか急にコイツらが怒り出したからー、隙だらけだったんで捕まえてみました、って感じ?」
    「……ああ……つまり君はまた、アブソルの力で、罪なきものの命を奪ったわけだね?」
    「土砂崩れだっつってるだろ。オレらは悪くね――よ」
     榴火はげらげらと笑い出した。
     聞いていた通りの人柄だ、とキョウキは内心でのんびりと感動していた。まともに話して通じる相手ではない。ここはもっと彼を知る必要がある。
     キョウキは実験を開始することにした。

     キョウキはくるりと背後を振り返った。
    「では、彼の祖母であるところのミホさん、彼に何か一言おっしゃってみますか?」
     老婦人に無茶振りをする。
     品の良いスーツに身を包んだミホは、マフォクシーの入ったボールを握りしめたまま可哀想なほどに震えていた。ロフェッカに支えられてやっと立っているが、美しく化粧を施した顔面は蒼白である。何も見えていないようだった。
     榴火はにやにやしている。
     キョウキは諦めて、続いてリセに視線をやった。
    「リセちゃん、この赤髪のお兄ちゃんはね、君のお兄ちゃんなんだよ、君のお母さんの息子ではないけど。……うーん、ごめん、まだリセちゃんには難しかったかな?」
    「え、なにソイツ、あの女の娘? うっわ、マジで? 二人目? なんだぁ……あとで殺そ」
     榴火がそのように言うものだから、リセはますます怯えて石畳にぺたりと座り込んだ。
     キョウキも軽く笑いながら、次は黒衣のモチヅキに目をやった。
    「じゃあ、モチヅキさん。意に沿わず無罪判決を下してしまったトレーナーさんに向かって、何か一言」
    「…………キョウキ」
    「いや、僕の名前を呼ばれましてもね」
     すると、不愛想なモチヅキをまじまじと眺めていた榴火がぽんと手を打った。
    「あ、クソ裁判官!」
    「……無礼な」
    「いやーどうもありがとーねー。おかげでオレはフリーダム、やりたい放題ですよ。ほんとにアンタのお・か・げ――……って言うと思った? 馬鹿じゃん? なんでアンタさぁ、オレのこと死刑にしなかったわけ? ほんと何で?」
     モチヅキはただただ背筋を伸ばし、ゆったりと腕を下ろし、無表情で榴火を見つめている。
     榴火は笑いながらまくし立てた。一歩前へ出る。
    「やだなぁオレ、死ぬためにアイツ殺したのに。ほんと絶望的だわ。ルシェドウとかあんなクソ弁護しやがってマジで糞だわ。あー死にてー」
    「君って情緒不安定?」
     キョウキが口を挟むと、榴火はにこりといい笑顔になった。

    「あ、なんだオマエ、四つ子じゃん! マジで死ねよ、クソ四つ子!」
    「君の中で『クソ』ってのは、安定の接頭辞なんだね」
     榴火はにやにやと笑ってキョウキのすぐ傍まで来た。キョウキの肩に腕を回し、キョウキの顎や首筋に馴れ馴れしく触りながらその耳元で囁く。
    「あー死にたい。なあオマエら四つ子の誰でもいいからさ、ちょっとオレの首、ぱーんって刎ねてくんない? いやーすぐ終わるよ。……気持ちよーく、逝かしてよ」
    「気色悪いなぁ。自分でおやりよ、この腰抜け。鋭い鎌を持ったポケモンをいっつも侍らせてるくせにさ」
     キョウキも緩い口調で応えた。榴火の耳障りな笑い声が耳朶を掠める。
     榴火は肩を組んだキョウキを足で小突くようにして、モチヅキやロフェッカやミホやリセから数歩遠ざかった。
    「なんかオマエさ、他の奴らと雰囲気違くね?」
    「レイアとセッカの事かな。僕らは性格はバラバラだからね」
    「なんかオマエならマジで人殺せそうな気ィすんだよね」
    「光栄だね」
    「だろ、ほれ、やってみ? ――こんな感じでさぁ!!」
     榴火は嗤い、両手でキョウキの首を絞めた。
     そのまま体当たりでも食らうようにして、キョウキは背後から押し倒される。キョウキは石畳に頬を叩き付けた。その急激な重心の崩れと重みと痛みと息苦しさに怯む間もなく、緑の被衣が剥ぎ取られる。
    「あはっ、ぶっはははは、ぎゃははははははははっ……死ねよ」
     獣の牙が獲物の頸椎を、頸動脈を探り当てるように。
    爪の長い榴火の褐色の指が、愛おしむように首筋に吸い付いてくる。
    馬乗りになった榴火は、笑顔でキョウキの扼殺にかかる。
     キョウキの視界がすっと暗くなる。
    「死ね…………死ねよ…………死ぬんだ…………死んでいい」
     甘い囁き声が聞こえる。
     キョウキの視界で最後まで、空の太陽が白く微睡んでいた。




     次にキョウキが気づいたのは、清潔な病院などではなく、城館のようだった。
     石の天井、石の壁。橙色の薄暗い灯りに揺らめいている。
     客間の寝台に寝かされているのか。
     ここがどこなのかとキョウキが推理を巡らせるのを遮るかのように、枕元にいたフシギダネがキョウキの黒髪にそっと鼻先を寄せてくる。キョウキは重い頭を動かさず、ぼんやりと相棒を見つめていた。
     そして目だけを動かしてキョウキの視界に入ったのは、青い領巾を袖に絡めた腕でゼニガメを抱きしめた、今に泣きそうな顔をしたサクヤだった。


      [No.1477] 金烏の空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:27:55     37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    金烏の空 中



     モチヅキはルームサービスで昼食を取り寄せた。
     パンとスープ、卵料理、サラダ、果物、ジュース。それらが二人分運ばれてきた。
     キョウキは苦笑する。
    「いいんですかね、一人部屋に二人分頼んで」
    「さあ。頼めた以上は構わないだろう」
     窓際のテーブルで、二人はもそもそと昼食を口に運ぶ。
     キョウキはちぎったパンをスープに浸しつつ、呟いた。
    「それで、僕らはこれからどうしたらいいでしょう。モチヅキさんのお考えをお聞かせ願えますか」
     モチヅキは沈黙したまま、滑らかな手さばきでオムレツを切り分ける。卵料理にナイフを入れるのを初めて目にしたキョウキもぎこちない手つきでそれに倣うが、うっかりとナイフで皿の底を引っ掻いて、モチヅキにぎろりと睨まれた。
    「すみませんモチヅキさん。愛してます」
    「……まず、そなたらは今、何を考えて行動している」
    「協会職員に見つからないよう、全員バラバラに、ごく短期間の滞在だけで街を転々としています。野生ポケモンの昼夜構わず襲ってくる野山に籠るってのもハードなもので」
    「……避けているのはポケモン協会だけか」
    「フレア団も避けろ、ってことですか?」
    「……榴火がいる」
    「ああ、彼ね。アブソルで災害を感知するんでしたよね。そりゃあ整備されてない山奥だと、なおさら暴れ放題でしょうねぇ。うんうんなるほど、人里離れると逆に榴火の危険がある、と」
     キョウキはスープに浸してふにゃふにゃになったパンを咀嚼した。
     モチヅキは既に食後のフルーツに取り掛かっている。
    「……そもそも何故、そなたらは榴火に追われている」
    「それが分かりゃあ苦労しないです。最初はレイアでした。次はセッカでした。レイアとセッカは二人でもう一度彼に会ったそうです。つまり僕とサクヤは、榴火の姿を見たことすらない」
    「……追われている……か」
    「榴火は初対面のレイアに向かって、死ねとか言ったそうですよ。セッカにもです。たぶん彼は僕ら四つ子をろくに認識していない。勝手に敵だと思い込んで狙っている。なんででしょうね?」
     モチヅキは手にしていたフォークを皿の上に置いた。凄まじい早食いだ。キョウキがにやにやしていると、モチヅキに睨まれた。
    「……アワユキかもしれぬ」
    「アワユキさん? 彼女がどうかしました?」
    「さて。そなたらの存在を榴火が知る契機といえば、フロストケイブでの一件しか思い当たらぬ」
    「そうなんですかねぇ」
    「アワユキは榴火の継母。不仲だったと聞くが」
    「……モチヅキさんそれ、裁判の機密情報とかじゃないんですか。守秘義務とか大丈夫ですか」
    「別に、当時判旨にても述べたことなのだから構わぬだろう。アワユキと榴火は不仲」
    「ならなおさら、なぜアワユキさんの件で榴火が僕ら四つ子を狙うようになったか、分かんないじゃないですか。榴火は実はマザコンだったんですか?」
    「分からぬ。榴火のことは私ではなく、あの騒がしいポケモン協会職員に訊け」
    「ルシェドウさん、ですか」
     キョウキは考え込んだ。


     ルシェドウなら、榴火が四つ子を嫌う理由を知っているかもしれない。それさえ知れば、榴火にも対処できるかもしれない――ハクダンの森で会ったときにルシェドウに訊いておけばよかったとキョウキは後悔した。
     四つ子の敵は与党政府やポケモン協会だけではない。フレア団、そして榴火もなのだ。
    「ルシェドウさんか。でも、あの人も僕らのことを捕まえようとするかな?」
     キョウキはそう呟いてみて、違和感を覚えた。
    「……あれ? 僕がこないだハクダンの森でルシェドウさんに会った時は、あの人は僕を捕まえようとはしませんでしたよ。ローザさんとお話して、たまに僕に話を振って……それだけです。逆に拍子抜けしましたもん」
    「ローザというのは?」
    「榴火の後見人だそうです」
    「なら、そのルシェドウとやらは今は榴火にかかりっきりなのだ。そなたら四つ子に構う暇がない。それだけだ」
     ふんふんとキョウキは頷いた。
    「で、ロフェッカが、僕ら四つ子の確保の指揮を執っている……って感じですかね?」
    「左様」
    「あっそう。ま、ロフェッカもルシェドウさんもどっちも敵だ。ルシェドウさんには榴火は救えませんよ。僕らの自由を奪うんならポケモン協会も全力で榴火を更生させるのが筋だってのに、あんな無能を榴火にあてがってる時点でポケモン協会は敵ですよ」
     キョウキはルシェドウを滅茶苦茶に貶した。モチヅキもそれを否定はしなかったが、微かに興味を覚えたように片眉を上げる。
    「……そなたの目には、あれが無能に映るか」
    「だってあの人、『榴火と友達になってやってくれ』とか、面と向かってぬかしやがるんですよ。ルシェドウさんは無能」
    「……純粋だと言ってやれ」
    「え、モチヅキさんがルシェドウさんを擁護するんですか? それは意外だし、心外だなぁ。モチヅキさんも裁判のとき、ルシェドウさんをクズだと思いませんでしたか?」
    「……あの者は屑ではない。情熱ある、信頼に足る器だ。弁護人としては申し分なかった」
    「えっ。あの……モチヅキさんって……ルシェドウさんと仲悪かったですよね?」
    「……そなたは私を何だと思っている。裁判官は中立公平の立場にある。敵も味方も無い」
    「うわぁ。説得力ありませんね。左翼の裁判官のくせに」
    「……当時は反ポケモン派の連中から散々に右翼と罵られたものだが」
     モチヅキは自嘲的にくすりと笑った。キョウキもけらけらと笑う。
    「つまり、左翼のモチヅキさんは当時、右翼のルシェドウさんの弁護を受け入れて、榴火を無罪にするほかなかったわけだ!」
     そのとき、モチヅキのホロキャスターが着信を知らせた。


     電話のようである。モチヅキは何食わぬ顔で懐からホロキャスターを取り出すと、応答した。その正面でキョウキは静かに昼食を口に運んでいる。
     ホロキャスターから吐き出された立体映像は、ロフェッカの姿だった。モチヅキの正面に座るキョウキからもロフェッカの後頭部の映像が見えて、キョウキは感心する。あの小型の機械のどこに人の背面の造形を再現する仕組みがあるのか興味を覚えた。
     ロフェッカは朗らかにモチヅキに挨拶する。
    『どうもモチヅキ殿、お昼にすんません。今よろしいですか?』
    「構わぬ」
    『ではさっそく本題に入らせていただきますと、モチヅキさんは今どちらっすか?』
    「コボクだ」
    『おお、そりゃよかった。私も今コボクにおりましてね。もしかしてホテル・コボクにいらっしゃるんすか?』
    「その通りだが」
    『奇遇っすね、私もですよ。今日ちょっとお会いできますか?』
     そのような申し出をするロフェッカの映像の背後で、キョウキはちらりとモチヅキを見やった。まさかロフェッカは、モチヅキのホロキャスターの位置を特定した上でこのコボクにやってきたのかと疑った。けれどモチヅキはキョウキの方にちらりとも視線をやらずに、相変わらずの憮然とした表情のまま、落ち着いた声でロフェッカに返答している。

    「いったい、何用だ」
     電波を介したロフェッカの声がにやついているのが、キョウキの耳にもありありと捉えられる。
    『いやぁ、四つ子の事っすよ。モチヅキさんとこに四つ子いません?』
    「……いま私の目の前に、キョウキがいるな」
    「やだぁちょっと、なんで言うんですかぁ、モチヅキさんったら」
     キョウキは身をくねらせて文句を言う。
     すると映像の中のロフェッカが、キョウキの姿は見えないままでもその声に反応した。キョウキに呼びかける。
    『お、キョウキか。おいキョウキ、レイア知らね? セッカでもサクヤでもいいけど。お前ら直感でお互いの居場所分かんだろ、ちょっくら残りの三人の居場所占ってくれや』
    「やだよう。だってその僕の直感によると、ロフェッカ、君は敵だもん」
    『はははは。モチヅキ殿から話でも聞いたか? んじゃあ、レイアの脱走もさしずめ、モチヅキ殿の入れ知恵っつーとこか』
     ロフェッカの声音には余裕が感ぜられた。居直り強盗の如き図太さがある。
     キョウキが軽い笑い声でごまかしていると、ロフェッカの後頭部が溜息をついた。
    『……はああ、駄目だ、無駄だぜお前さんら。ポケモン協会の命令なの。逆らうならお前さんらのトレーナー資格だって剥奪できる。ジョウト行こうがどこ行こうが、無駄なんだよ』
    「――そう。本気でポケモン協会は、フレア団のために僕ら四つ子を切るつもりなんだね?」
     キョウキは微笑んだ。
     モチヅキがテーブルの上で、ホロキャスターの向きを逆にする。ロフェッカの映像がキョウキと向かい合った。
     映像の中のロフェッカはまっすぐキョウキを見つめていた。真面目な表情だった。それが普段の彼とのギャップを感じさせ、キョウキは失笑する。
    「でもさロフェッカ、そんなことしていいのかな。君がどこまで榴火のことを知らされているか知らないけれど、僕ら四人は本当にフレア団より軽いと思うの?」
    『……悪いなキョウキ、レイアにも言ったんだけどよ。榴火はフレア団じゃありません、としか答えられません』
    「まあそれでいいや。でも僕ら四つ子は、ポケモン協会さんにとって役に立つよ?」
     キョウキは両手を広げた。
    「僕らはメガシンカだって使える。四天王をも凌ぐ実力だって持ってる。ポケモン協会が育てたかったのは、まさしく僕らのようなトレーナーではないの?」
    『……あのなぁキョウキ。その四天王のイメージだって、協会が守りてぇものなんだよ。協会が支援してる四天王をぽこぽこ倒されちゃ、それこそこっちも困るってんだ』
    「ああそうか、そういう考え方は無かったな……」
    『だからよ、なまじ強いだけの扱いづらいトレーナーほど、ポケモン協会にとって邪魔なものはねぇんだよ』
     ロフェッカは真顔でそう言い放った。
     キョウキはとうとう苦笑した。
    「身も蓋もなくなったね、お前。殺したいよ」
    『へいへい、殺しておくんな。殺人なら問答無用で、お前さんのトレーナー資格剥奪できっからよ』
    「……まさか、本気じゃないよね?」
    『さあな。フレア団ならやりかねんさ……。ま、せいぜい気ぃつけな』
     ロフェッカは軽い口調でなぜかそう忠告すると、再びモチヅキに話しかけた。
    『モチヅキ殿、あんたも身の程を弁えてくだせぇよ。言いたかねぇんですけど、四つ子の事でも邪魔しやがったら、もうあんた……弾劾裁判も覚悟なさってもらわないと割に合わねぇんですよ』
     モチヅキは鼻で笑っただけだった。
     通話が終わる。
     キョウキは笑みを潜め、沈黙したままモチヅキを見やる。
     モチヅキは低い椅子の背もたれにもたれて、目を閉じていた。
     昼食の食器もホロキャスターもテーブルの上に投げ出されたままだ。
     もはやポケモン協会は、むき出しにした牙を隠しもしない。モチヅキごと四つ子を潰す気だ。フレア団のために。


     遠くで鐘が打ち鳴らされ始めた。
     カンカンカンカンと、甲高い音は何かの警告だろうか。薄曇りの空はのどかに白い。
     ふと窓の外を見やったモチヅキが、僅かに身じろぎした。
    「…………市壁の門が」
    「ほえ?」
     キョウキも身をねじり、西を見やった。
     コボクタウンの周囲を巡る市壁、その7番道路のリビエールラインへと通ずる西門が、僅かな軋みを上げて閉ざされつつあった。数年間旅をしているキョウキでさえ、コボクの門が閉まるところなど見たことがない。本当に閉まる門だったのだなと、むしろ呑気に感心してしまった。
     しかしキョウキとモチヅキがホテルの窓から覗いている中で、西門が吹っ飛んだ。
    「わあ」
    「……何事だ」
     分厚い鉄の門扉が大きく吹っ飛ばされ、周囲にいた警官たちの列が崩れる。コボクの石畳を傷つけつつ、門のひしゃげて倒れる音はコボク中に響き渡った。爆弾の落とされたような、雷の落ちたような轟音だった。
     門を破ってコボクに押し入ってきたのは、巨大な居眠りポケモンだった。

    「カビゴンだぁ……」
     キョウキの小さな呟きにはすぐ、さらに大きな警報がかぶせられた。
     ベルの音、サイレンの音。コボクの街中に危険を知らせるものだ。
    『緊急警報、緊急警報。西門より、カビゴンが侵入。コボク西部の住民の方々は、直ちに避難してください。繰り返します――』
     モチヅキのホロキャスターにも、ホログラムニュースの着信がある。ピンク色の髪の特徴的な女性キャスターが臨時ニュースを伝えていた。
    『臨時ニュースをお伝えします。本日正午、コボクタウンに、カビゴンが7番道路より侵入しました。カビゴンは正気を失っている模様で、大変危険です。近隣の住民の皆さんは、直ちに避難してください』
     ホテルの窓ガラスがびりびりと震えた。キョウキは驚いて、膝の上に飛び乗ってきたフシギダネを抱きしめる。
     ホテルのすぐ傍の道路が、カビゴンの破壊光線によって抉られていた。
     キョウキはぽかんとしてそれを見下ろす。
    「……何これ、すごい」
     西門からのしのしと警官を踏み潰す勢いで入場してきたカビゴンは、一体ではなかった。
     十体ほどものカビゴンが市壁を食い破りながらコボクの街に流れ込んでくるのを、フシギダネを胸に抱えたキョウキはどきどきしながら見下ろしていた。


      [No.1476] 金烏の空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:26:22     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    金烏の空 上



     朝の空は薄曇り。
     フシギダネを頭に乗せ、緑の被衣をはためかせ、葡萄茶の旅衣を翻し。キョウキはとことことコボクタウンの市壁内に足を踏み入れた。
     コボクタウンは街全体が高い城壁に囲まれ、野生ポケモンの襲撃にも耐えられるようになっている。たびたび街の傍に現れるカビゴンへの備えなのかもしれない。
     コボクタウンの名物といえば、街の北に構えられた、巨大な堀と跳ね橋を持つ貴族のマナーハウスだろう。ミアレシティからパルファム宮殿を見に行く観光客が、物のついでとばかりのそのショボンヌ城を遠目に写真を撮影していく。不思議なことに中に入ろうとする観光客は少ない。その理由はキョウキにも分からなかった。キョウキもショボンヌ城には行ったことがないためだ。主人が気難しくて観光客の立ち入りをを拒んでいるのか、あるいはよほどしょぼいのか。

     キョウキと同じく東の5番道路のベルサン通りの坂道を辿ってきた観光客は、ホテル・コボクへ入っていったり、西の7番道路のリビエールラインへ直行したりする。
     そのような人の流れを見つつ、キョウキはコボクの中央広場で立ち止まった。頭上に向かって話しかける。
    「ねえふしやまさん、コボクって意外とにぎやかだよね。もっと寂れてるイメージあった」
    「だぁーね?」
     フシギダネはキョウキの頭の上で穏やかに返事をした。
    「やっぱりほとんどパルファム宮殿への玄関扱いされてるのが、物悲しいところだけれど」
    「だねぇー?」
    「きっとパルファム宮殿を作った300年前のカロスの君主が絶対王制を確立させる前、平民の商人が発達してなくて、貴族が貿易を独占していた中世の封建時代には、ショボンヌ城の貴族も栄華を誇ったんだろうねぇ」
    「だぁーねぇー?」
    「中世の封建時代は、そこまで王様が強くなかったんだよ。地方では貴族が強かったんだ。でも、カロスの王様が市民の中から出てきた商人に特権を与えて保護育成し、発達する市民と没落する貴族の間の対立をうまく利用する形で、絶対王制を実現した」
    「だーね?」
    「そしてパルファム宮殿を作った王様は、自国の貿易を保護して、カロスを豊かにしていった……でも、一方ではどんどん市民層が発達して、けっきょくは市民革命によって無能な王様と驕慢な王妃様は首を刎ねられる。パルファムのばらだね、パルばらの世界だ」
    「だねだーね?」
    「市民による共和制統治が始まったけれど、それもうまくいかなくって、政体は転々とした。色々な戦争があって……王制に戻ったり、貴族政治になったり、共和制になったり……そして、何だかんだでカロスは今は共和制ってわけだ」
    「だぁーねだね?」
    「……って感じで合ってますか、モチヅキさん?」
     キョウキは笑顔でくるりと振り向いた。
     広場の噴水の一角に、仏頂面のモチヅキが腰かけていた。
     黒衣に、三つ編みにした長い黒髪が流れている。その黒い眼がじろりとキョウキを見やった。
     やや猫背に前傾姿勢で座るモチヅキに、キョウキはひらひらと手を振った。


     モチヅキは無言である。
     キョウキはぴょこぴょことその目の前まで歩いていき、機嫌よく話しかける。
    「ねえねえモチヅキさん、聞いてますか? 僕の話、聞いてました? ちょっとは歴史も勉強したんですよ。ねえ僕の認識、合ってました? ねえねえねえねえ」
     モチヅキは無言だった。
     キョウキもモチヅキの隣、噴水の縁に腰かけ、モチヅキの腕にそっと寄り添った。
    「……モチヅキ様。サクヤです……」
    「やめよ、キョウキ」
     モチヅキの不機嫌な低い声がキョウキの鼻先を引っ叩く。キョウキは可愛らしく息を呑み、よよと泣いてみせた。そしてサクヤと同じ声で、モチヅキに訴えかける。
    「……モチヅキ様、僕は……僕はキョウキなんかじゃありません……信じてください……」
    「虫唾が走る。今すぐやめよ」
    「やめるものなどありません。本当です、本当なんです……僕は……きょっきょちゃんです!」
     モチヅキの右手が左隣のキョウキに伸び、キョウキの両頬を片手でぶにゅと掴み上げた。キョウキはコアルヒーぐちになりながら、うへうへうへへと笑う。
    「うひゅ……うひゅひゅひゅひゅひゅ……どーでしゅか、モチヅキしゃん……僕がしゃくやっぽくって、萌えましたか……?」
    「私はほんに貴様が気に食わぬ」
    「知ってまふようだ。モチヅキしゃんのお気に入りはしゃくや、そのちゅぎがれーや、それからしぇっか、んで、僕でしょ。どでしゅ? 合てましゅ? 合てましゅ?」
    「今すぐ黙れ黙らないと歯をすべて折る」
    「出来ゆもんならやってごらんなしゃいな」
     キョウキの瞳は不遜に爛々と輝いていた。
     モチヅキは無表情の中で、瞳を憎悪に燃え上がらせていた。


     モチヅキはキョウキを、四つ子の中では最も嫌っている。
     このキョウキの心は敵意に満ちている。視界に入るものすべてを嫌悪し、猛毒を吐きかけ、周囲の人間を汚染していく。モチヅキもまた、キョウキの揶揄の対象の例外ではなかった。
     モチヅキは四つ子を等しく育て上げたつもりである。モチヅキが四人に出会った当時は幼い四つ子に性格の違いなどなかったのだから、当初はモチヅキは四人ともに等しく愛情を注いだはずである。モチヅキだけではない、四つ子の養親も幼馴染も、四人に平等に接したはず。
     しかしなぜ、キョウキだけはこんなにも性格がねじ曲がってしまったのか。モチヅキには甚だ疑問である。
     そしてそのキョウキを、片割れであるレイアもセッカもサクヤも好いているのか、モチヅキには理解できなかった。
     モチヅキが手を放すと、キョウキはふうと息をついた。痛む両頬をさすっている。
    「モチヅキさんは相変わらずお元気そうで」
    「………………」
    「あの、きょっきょちゃんも寂しくはなるので、お返事はくださいね」
     するとモチヅキは溜息をついた。先ほどまでキョウキの頬を掴んでいた手をだらりと膝の上に投げ出し、軽く背を丸めたまま広場の先を見つめている。
    「……ここで何をしている、キョウキ」
    「何って、ぶらぶらしてますよ? ときどきトレーナーさん捕まえてバトルしながらね」
    「そなたは、レイアに起きたことは知らぬのか」
    「あいつ、何かやらかしたんですか?」
    「ショウヨウシティでポケモン協会――ロフェッカとかいう男によって捕らえられたとか。どうにか脱したが……状況は厳しい」
     キョウキは頭上からフシギダネを下ろして膝の上に乗せ、しばらくコボクの街並みを見つめて目をぱちくりさせていた。それからようやく右隣のモチヅキを見やった。
    「あちゃあー。レイアがロフェッカに捕まった、か。モチヅキさんはよくそれをご存知ですね?」
    「ザクロ殿が親切にも連絡をくださったのだ」
    「え、ってことは……ザクロさんと貴方が、ポケモン協会に逆らって、レイアを逃がしちゃったってことですか?」
     モチヅキは面倒そうに緩く嘆息したが、のろりとキョウキに顔を向けた。
    「このような広場で話すことでもないな。ホテル・コボクへ」
    「――わあ、年上の方と二人っきりでホテルなんて、きょっきょ初めて!」
    「うるさい……黙れ」
    「どうせモチヅキさんは、サクヤとは、二人きりでホテルなんてしょっちゅうですよね?」
    「水堀に沈めるぞ」
    「出来るもんならやってごらんなさいな」



     モチヅキのあとについて、緑の被衣で顔を隠したキョウキはホテルの部屋に上がり込む。フシギダネを胸に抱えて。
     そこはゆったりとした、豪華な一人部屋だった。
     モチヅキはキョウキを、窓際にテーブルを挟んで設置してある二脚の椅子のうちの一つに座らせ、カップにティーバッグの紅茶を淹れて、菓子鉢に入れたクッキーと共に差し出した。フシギダネを膝の上に乗せたキョウキは笑顔でそれを受け取る。
     モチヅキが向かい側の椅子にのっそりと腰を下ろす。
     キョウキは頭から緑の被衣を落とし、露わになった黒髪を手早く指で整えると、ストレートの熱い紅茶を一口啜った。それからカップの中の水色とそこに映る自分の影を見つめ、漂う湯気を鼻先に暖かく感じながら、キョウキはモチヅキに尋ねた。
    「……それで、レイアには何があったんです。貴方はショウヨウにいたんですか?」
    「いや。ミアレにいた。ザクロ殿から、マーシュ殿とウズ殿を経由して連絡があった」
    「思うんですけど、モチヅキさんって割とどこにでも出没しますよね。そんなに出張多いんですか?」
    「その話は本筋とは関係ない。ことはそなたにも関わる。おとなしゅう聞け」
    「はいな」
     背筋を伸ばしたまま、キョウキは微笑して口を閉じた。
     モチヅキは椅子の肘掛に肘をついて頬杖をつき、黒い眼で胡散臭げにキョウキを眺め、ゆるゆると話し始める。

     レイアがショウヨウのポケモンセンターに預けた五体のポケモンを、ポケモン協会によって差し止められた。レイアはホテル・ショウヨウの一室に押し込められ、自由に出歩けないよう協会の職員が見張っていた。見かねたザクロがレイアの求めに応じて、モチヅキに連絡をつけた。
     キョウキがくすりと笑う。
    「あいつでもモチヅキさんに頼るんだなぁ……色んな意味で驚きだ。で、それで貴方はどうなさったんです?」
    「……まず前提として、ポケモン協会による四つ子の拘禁の建前は、『四つ子が榴火と接触することを防ぐ』ことだ。であれば、なにも四つ子を拘禁せずとも、カロスから追放すれば事足りる――そのように協会側と交渉するよう、ザクロ殿に要請した」
    「ザクロさん相変わらずイケメンですね。でも、そんなにすんなりといきましたか?」
    「まさか。協会側の反発は予測された。なので、半ば強引な手だが――ザクロ殿にジムリーダーの権限で、レイアの手持ちをポケモンセンターから引き取っていただいた」
     キョウキはきょとんとし、そして吹き出した。
    「あちゃあ。交渉決裂して、実力行使に出ちゃったんですか。大丈夫ですか、ザクロさんは?」
    「さてな。協会からザクロ殿に罰が下されるとしても、せいぜい減給程度だろう。損害はそなたらの実家の四條が填補すると申しておいた。その条件でザクロ殿には行動して頂いた」
    「そうですね、ジムリーダーはアイドルですもんね。そんな人をポケモン協会も懲戒処分なんて、そうそう出来ない。……レイアは強い人間を味方につけましたね」
     ということは、レイアは窮地を脱したのだ。ザクロとモチヅキと実家の力で。
     なかなか興味深い先例だ、とキョウキは思った。ザクロはジムリーダーであり、ポケモン協会に属する。しかし同情を得て金銭をあてがえば、彼も容易くポケモン協会を裏切る。
    「なるほどね。じゃあ、ジムリーダーさんとは懇意にしておくべきですね」
     キョウキが言いつつくすくすと笑っていると、モチヅキは露骨に嫌そうな顔をした。

    「……そう楽観すれば痛い目を見るぞ。問題なのは、ここからだ」
    「ありゃ、一件落着じゃないんですか?」
    「……ザクロ殿の実力行使による協力を得て、レイアはショウヨウを脱した。その行方は知れぬが、まあそれはいい、そなたらが勘とやらで捜せ。しかしポケモン協会は、さらに総力を挙げてそなたら四つ子を確保しようとするだろう」
    「ほんと、無駄な人手とお金使いますよねぇ」
    「……それほどに、ポケモン協会はそなたら四つ子を危険視しておるのだ。榴火のことを抜きにしても、だ。…………そなたら、いったいキナンで何をやった…………」
    「何もしてませんよ?」
     キョウキがクッキーをもそもそとフシギダネと共に食べながらそう答えると、モチヅキの眉間にみるみるうちに皺が寄った。
     キョウキは笑いながら手を振る。
    「分かりましたってば、ちゃんと話しますよう。モチヅキさんにはレイアのことでご迷惑かけたみたいだから、貴方には話します」
     クッキーを飲み込んで紅茶を喉に流し込むと、キョウキは淀みなくキナンでの出来事を語った。
    「ほら、キナンの別荘に、エイジっていう胡散臭い家庭教師が来てたじゃないですか。どうせロフェッカからのホログラムメールで面白おかしく見てたんでしょうが」
    「……そうだな」
    「認めちゃったよ――まあいいや。そのエイジって人がねぇ、僕らに延々と“国とポケモン協会とフレア団の癒着”のお話をしてくれるんですよ。そんなの、国家やポケモン協会にとっちゃ知られたくない話。自然、僕ら四人はポケモン協会にとって邪魔な存在になる」
    「……そのエイジとやらの狙いは?」
    「僕らをポケモン協会の敵にすること。僕らを、“フレア団とポケモン協会の共通の敵”にすることでしょう。そうなれば、フレア団は容易に僕らを消せますから」
    「……なぜフレア団はそなたらを消そうとする?」
    「榴火のせいですよ。榴火はフレア団です。ここまで言えば分かるでしょう? ポケモン協会が、榴火よりも僕ら四つ子を捕まえることに躍起になる理由が」
     キョウキはすらすらと説明すると、頬杖をついたまま渋い顔をしているモチヅキを見やって目を細めた。
    「その全てに最初に気付いたのはセッカです」
    「……あれがか」
    「だからセッカは侮れない子なんですよ。あいつはエイジさんだけじゃなく、ロフェッカのことも信じなかった、僕もそうでした。レイアとサクヤの二人はいじらしくもロフェッカを信じようとしてましたけど、でももうこれで、あちらさんの裏切りは確実ですね」
     キョウキはわざとらしく溜息をついてみせた。
    「キナンを出た後、最初に僕ら四つ子を嗅ぎつけてきたのはユディです。ロフェッカに言われて、ルカリオに僕らの波動を追わせたんです。でもユディはいい奴なので、何も聞かずに僕らの味方をしてくれることになりました」
    「……ウズ殿は」
    「さあ、何も知らないんじゃないでしょうか。モチヅキさんから知らせてくださっても構いませんよ」
    「……なぜ私にも何も言わなかった? サクヤのニャオニクスにでも伝えさせれば」
    「はいサクヤね。そうですねサクヤちゃんねー。……あのねモチヅキさん、僕らは迷ったんですよ、貴方に伝えようかどうしようかと。貴方なら僕らを助けてくれる――そんなことは分かってました。でもそれは、ポケモン協会――ロフェッカだって分かってたはずです」
     キョウキが肩を竦めてそう言うと、モチヅキは睨むように目を細めた。
    「……つまり……あてにされていなかった、と」
    「ロフェッカから貴方に連絡は来ませんでしたか? 少なくとも貴方は、僕らがキナンから消えたことは、すぐにご存知になったはずです。その後ロフェッカは、僕ら四人を捜すために、貴方に連絡を入れましたか? 無かったのなら、貴方も完全に協会から敵視されてますよ。夜道にご注意」
    「……ふん……協会による敵視など、もはや私の日常の一部だ。それに、あのロフェッカとかいう男と連絡を取り合っていたのは私的なこと。あの男がそなたらを捜すにしても、私的なチャンネルは利用すまい――ポケモンセンターの利用記録を調べればすぐに済むことだ」
    「ありゃ、ユディからはポケセン使わないと悪目立ちするって聞いたんですけど。やっぱポケセンの記録って、泊まらなくても残りますか?」
    「当然だ。ポケモン協会をなめるな。……監視カメラによる映像解析、ジョーイの証言、もしかすると極秘裏にセンターを利用するトレーナーの情報を収集しておるやも。……奴らは何でもする」
     モチヅキはゆったりと紅茶のカップを傾けている。
     キョウキはがしがしと頭を掻いた。フシギダネを抱きしめて苦笑する。
    「……コボクのポケセン寄ってなくてよかった。セッカとサクヤは大丈夫だろうか……」
    「なぜバラバラに行動している……せめてホロキャスターを持て」
    「モチヅキさん、ご存知ですか? ホロキャスターってフラダリラボの製品なんですよ」
     キョウキはフシギダネの背中の種に顔を押し付け、にんまりと笑った。
     するとモチヅキは不機嫌に鼻を鳴らした。
    「私を馬鹿にしているのか?」
    「じゃあモチヅキさん、これはご存知ですか? フレア団って、フラダリラボと、ずぶずぶなんですよ」
    「……何が言いたい」
    「僕は機械の事なんて分かりませんけど、フレア団は、ホロキャスターからその持ち主の位置情報とかメールとかすべて把握できたりしません? ポケモン協会がそんだけあくどいなら、フレア団だって絶対そのくらいやってますって」
    「………………」
    「だから僕ら四つ子がホロキャスターを持っていなかったのは不幸中の幸いですし、これからも持つ気はありません。もちろんモチヅキさん、貴方はホロキャスターを持っておられるのだから、僕らが貴方の傍にいるというのも危険というわけだ」
     モチヅキは沈黙した。
    「ロフェッカが貴方を見逃すはずがないでしょう。僕ら四つ子が貴方を頼ることなど分かりきっている。まあ問題は、その僕ら四人に貴方と連絡を取り合う手段が乏しいってことなんですけどね」
    「………………」
    「だからさっき貴方を見つけた時、実はちょっとだけびっくりしたんです。サクヤなら迷わず貴方を捜してひっつくだろうに、貴方がお一人なんですもの」
    「………………」
    「心配なさらずとも、サクヤはすぐに貴方の元に来ますよ。あの子、一生懸命に貴方を捜してるんだ……健気ですよね。かわいいですよね。大事にしてあげてくださいね」
     キョウキは紅茶を飲み干すと、カップを低いテーブルに置いてにこりと笑った。
    「……ふう。モチヅキさん、お腹すきました。お昼ごはん奢ってください」


      [No.1475] 明け渡る空 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:24:20     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    明け渡る空 下



     インターホンの呼び出し音が室内に響いた。
     レイアはぼんやりと目を開ける。固いカバーをかけたままのベッドに横たわっていた。いつの間にか寝入っていたのだ。
     すぐ傍にはヒトカゲが丸くなって眠っていたが、こちらも呼び出し音に反応して目を覚ました風である。
     ホテル・ショウヨウの四階のシングルルーム。
     キナンの別荘よりも数段劣る簡素な牢獄。けれどその部屋の鍵はレイアのいる室内から開けることができる。外から呼び出す者を室内に招き入れるくらいなら可能だ。
     レイアは目を覚ましたが、頬をシーツに押し当てたまま、呼び出しに応える気はなかった。
     心は荒れ果てたまま凍った。これ以上奪われてたまるかという防衛本能で身を丸くする。動く気にもならない。
     そうしていると、身を起こしかけたヒトカゲも再び丸くなり、目を閉じる。その尾の炎は夕陽色に優しく揺らめいている。窓からは夕陽が差し込んできていた。
     コンコンと扉がノックされる。
     ロフェッカだろうか。ロフェッカならばレイアは会う気はさらさらない。片割れたちがここに現れるはずがないと、レイアは直感で悟っていた。片割れたちに関する直感は九分九厘的中する。キョウキもセッカもサクヤも、ここには現れない。
     扉の向こうから、落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
    「……レイアさん、ザクロですが……」
     訪問客は、ショウヨウシティのジムリーダーのザクロであったらしい。レイアをショウヨウまで送り、ポケモンセンターに五体の手持ちを預けさせ、そしてロフェッカに引き渡した張本人。
     であるから、今やレイアにとってはザクロも敵同然だった。無視して微睡む。
     ヒトカゲの傍で目を閉じる。
     ここは牢獄。あるいは聖域。レイアだけの領域。
     そうしてしばらくうつらうつらとしていると、今度はがちゃりと入口の戸の鍵が開けられる音がして、今度こそレイアはびくりとして身を起こした。あると信じていた壁が破られ容易く侵入を許した。
     外から鍵が開けられ、扉が開く。
     部屋の鍵を持って現れたのは、ザクロを伴ったロフェッカだった。


     レイアはベッドの上で素早く胡坐をかき、まず鍵を持ったロフェッカを無表情に睨み上げた。その自分の姿勢が無防備で心細かった。
     ロフェッカがそれを見下ろし、苦笑する。
    「いやぁ、すまんな。だが、こちらのザクロさんがお前に話があるってんで、俺は失礼させてもらうぜ」
     そう言うなりロフェッカはさっさと踵を返し、ザクロを部屋に置いたまま部屋を出ていってしまった。
     残されたザクロは、狭いシングルルーム内に立ったまま遠慮がちに微笑んでいる。夕陽に彩られた褐色の肌が美しく輝いていた。レイアはザクロの長い腕にぼんやりと見とれていた。
    「急にすみません、お話は伺いました。私でよければ、レイアさんと話をしたいのですが」
     レイアは無表情で、無言だった。ザクロに出ていけとも座れとも言わない。ただベッドの上で胡坐をかいたまま、全身を強張らせ、視線を落としている。
     ザクロは立ったまま静かに口を開いた。
    「……レイアさんのお怒りはもっともです」
     レイアは無言だった。
    「……私にもどのようにするのが最善なのかは、分かりません。ただ、ロフェッカさんの仰ることを鵜呑みにし、結果的にレイアさんにこのような思いをさせてしまったことは、無責任だったと感じています。せめて、何が起きるかをきちんと知った上で関与すべきでした」
     ザクロの声音は誠実だった。そのひとらしい言葉だった。レイアは目を閉じる。無言のまま。
    「……私もレイアさんと同じことをされれば、非常に腹が立ちます。けれども、私もポケモン協会に属するジムリーダー。協会の決定に逆らう権限はありません。逆らうつもりもありません。なぜなら、多くのトレーナー達に迷惑がかかるからです」
     その言葉が発せられるのは分かりきっていたことだったが、改めてレイアはこのジムリーダーに失望した。
    「……おそらくポケモン協会は、あなたたち四つ子からポケモンを取り上げ、何処かのホテルに滞在させるでしょう。もちろん生活は保障されますし、四つ子さんの損害に見合った見舞金は支払われます」
    「ザクロさん」
     レイアはぼそりと、目の前に立つジムリーダーの名を呼んだ。ザクロ自身には期待はできない。けれど少しの頼みなら聞いてくれるはずだと、レイアは思った。
     ザクロは僅かに顔を上げた。
    「はい、何でしょう」
    「……連絡とりたい人、いるんすけど」
    「片割れさんたちとの連絡は、さすがに難しいでしょう」
    「違うっす。裁判官のモチヅキって人……捜してくれませんか……クノエのジムリーダーのマーシュさんが、ウズっていう俺らの養親と知り合いで……そのウズが、モチヅキの連絡先知ってるはずなんすけど」
     レイアがそう言うと、ザクロは頷いてホロキャスターを取り出した。レイアの言った通りにマーシュと連絡をつけ、ウズを経由し、モチヅキに連絡を入れる。そこまでは驚くほどスムーズにうまく繋がった。
     つまりウズは何も尋ねずに、ジムリーダーにモチヅキの連絡先を教えたということだ。それはレイアにとっては意外な事だった。
     そうして半刻ほど経っただろうか。
     日は沈み、外は暗くなる。けれど部屋の明かりは点けないまま、闇に沈むようなザクロはずっと立ったまま、着信を待ち続けた。
     そしてザクロのホロキャスターに連絡が来た。モチヅキからである。


     ザクロがモチヅキといくつか挨拶をしている。レイアはヒトカゲを膝の上に乗せ、それをぼんやりと眺めていた。
     やがてザクロがホロキャスターをレイアに差し出すと、レイアはそれを手を伸ばして受け取り、そのままぽとりとベッドの上に落とした。そしてモチヅキの姿を映し出した立体映像を覗き込む。
    「……ども」
    『レイアか。一人か。……簡潔に用を言え』
    「なんか……捕まったんすけど……」
    『埒が明かぬ。ザクロ殿に戻せ』
     そうモチヅキが映像の中で相変わらずの仏頂面で言うので、レイアは仕方なくホロキャスターをザクロに返した。そしてザクロがモチヅキに事情を説明するのをぼんやりと聞いていた。
     レイアはポケモン協会に捕捉された。ポケモンセンターに預けた手持ち五体を協会に差し押さえられ、レイア自身の身柄はホテル・ショウヨウで保護されている。ポケモン協会は引き続き、キョウキとセッカとサクヤの捜索をしている。
     ザクロは説明を終えると、再びホロキャスターをレイアに差し出す。レイアはそれを受け取ると、やはり、ぽんとベッドの上に投げた。薄暗い部屋の中で、モチヅキの立体映像が乱れた。
     レイアは無表情で映像のモチヅキを見下ろす。
    「……で……俺、どうするべきなんだろ」
    『どうするべき、だと? ――協会に大人しゅう従え。それでも不服ならば、弁護士を雇い、協会を相手取って裁判でも起こすのだな。まあどうせ負けて、訴訟費用が無駄になることは分かりきっているが』
     モチヅキはどこまでも冷淡だった。それにつられてレイアも冷淡になった。
    「……随分あっさりと言うけどさ、サクヤも俺と同じで狙われてんだぞ。サクヤのこともあんた、無視するわけ」
    『哀れには思う。が、協会は違法行為を行っているわけではない。止めようがない。諦めよ』
     モチヅキはあっさりとそう切り捨てた。
     レイアは瞑目した。小難しいことはこの人に頼れば何とかなるかと淡い期待を抱いたが、やはり無駄な足掻きだったらしい。
     溜息まじりに、悪足掻きで訴える。
    「…………俺はさ、せめてポケモンぐれぇは返してほしいわけ。カロスにいられなくてもいいからさ、例えばカロス出禁にして、ジョウトに行くとかでもいいわけ……」
     レイアの脳裏で三色の光が点滅する。そうだ――あの科学者も――国外逃亡が無難だとか言っていた――。
     するとモチヅキはあっさりと頷いた。
    『ならばポケモン協会に談判してみよ』
    「はい?」
     レイアは目を見開き、モチヅキの立体映像に見入った。テンションは同じくせに、先ほどまでの諦めムードと態度が一変していないか。
     モチヅキは映像の中で鼻を鳴らした。
    『言ってみねば分からぬだろうが。榴火に関わらぬということをポケモン協会に約し、その代わりにそなたの手持ちの返却と、逮捕拘禁の賠償金、ジョウトまでの四人分の交通費を請求するがいい。それだけのことだ。理屈は通る。言うだけ言うてみろ』
    「えっ」
     そうモチヅキに力強く頷かれ励まされてしまい、レイアは呆気にとられた。ヒトカゲがレイアを見上げて首を傾げている。
     その隣で話を聞いていたザクロも頷いた。
    「それは良いアイディアですね、私からもそのように請願させていただきましょう。何としてもレイアさんの手持ちを返して頂いて、四つ子さんにはジョウト地方でのびのびとトレーナー修業を続けていただくということで、ポケモン協会の方と話をつけます。ええ、必ず納得させます」
     そしてザクロが映像の中のモチヅキに頭を下げた。
    「アドバイスをありがとうございます、モチヅキさん。おかげで希望が見えました」
    『此方こそ、ザクロ殿には特別なご配慮をいただき誠に感謝申し上げる』
     レイアがぽかんとしているうちにザクロとモチヅキは何事か話し合って、やがて一段落ついたのかザクロがレイアを見やってにこりと笑った。
    「よい協力者をお持ちですね、レイアさん」
    「あ、あー、まあ……。あ、あの、あー……モチヅキ、なんか色々とすまん。急に連絡したりとか」
    『まったくだ』
     モチヅキは最後まで憮然としていた。
     通話を終え、レイアはホロキャスターをザクロに返す。ザクロは「私に任せてください」などと言って、意気揚々と踵を返す。
     レイアはすっかり暗くなった部屋の中で、ヒトカゲの尾の灯火に照らされるザクロの大きな背中をぼんやりと見つめていた。
     ザクロはドアを開けようとしたところで立ち止まり、レイアを笑顔で振り返った。
    「私は次来るときは、ノックを四回します。そのときはどうぞ開けてください」
    「……了解っす」
     ヒトカゲを抱えたレイアはぼんやりと頷いた。



     夜になり、ロフェッカが鍵を開けて部屋に入ってくる。部屋の明かりをつけるも、レイアはベッドの布団の中に潜り込んでロフェッカに顔も見せなかった。いじけた子供のように頑として布団から出ず、それどころかすさまじい形相のヒトカゲにひたすら威嚇されては、ロフェッカとしては部屋に夕食を置いてくるだけでそそくさと退散するしかなかった。
     ロフェッカの退散後、レイアは部屋に残された夕食をヒトカゲと共にもそもそと食し、それから再び布団に潜って寝た。色々な夢を見た。
     昔の夢。ルシェドウとロフェッカの夢。アワユキとリセの夢。榴火の夢。キナンの夢。
     夜中に夢から醒めては、片割れたち三人が懐かしく思い出される。ヒトカゲの尾の炎が優しく揺れる。会いたい。キョウキとセッカとサクヤに会いたい。ポケモン協会のことを警告してやりたい。裏切られたのだと。
     そもそも三人は無事だろうか。捕らえられていないだろうか。自分のようにモチヅキと連絡をつけることもできなくて、助けてくれる優しく心強いジムリーダーもいなくて、手持ちを奪われて、閉じ込められて、寂しく泣き寝入りしていないだろうか。
     つい涙が滲んだ。
     レイアの弱点があるとすれば、それは片割れたちしかない。レイアが捕まったとなれば、ポケモン協会はレイアを囮に使って他の三人も集めるかもしれない。人を囮にするなど荒唐無稽な話かもしれないが、レイアのせいで三人までもが捕まってしまうかもしれないと考えただけでレイアはどうにもやるせなかった。辛かった。自分たちは助け合わなければならないのに、自分がしくじったばかりに、三人まで苦しめる。
     また、自分やザクロの要求がポケモン協会に拒絶されたらどうしようかと思った。
     そうしたら自分たちはもう、ポケモントレーナーとして生きていけないのだ。榴火のために四つ子は犠牲にされる。学がないから職にも就けない。となると、どうなるのか。想像もつかない。トレーナーにすらなれなかった落ちこぼれが、社会の底辺でわだかまる。なぜ。自分たちはポケモンリーグにまで登りつめたのに。ここまで来てなぜ。
     なぜこんな目に遭わなければならない。
     なぜ、榴火などのために。


     夜中に目の覚めたままぼんやりと思考を弄んでいて、そして空が明るんできたと思った時、四回連続のノックにレイアはがばりと跳ね起きた。
     ヒトカゲの方は何の憂いもなくよく眠っていたのか、レイアの勢いに起こされてものんびりと欠伸をしていた。
     レイアが慌てて部屋の戸を開けると、そこには鞄を持ったザクロの姿があった。徹夜でもしたのかやや顔がやつれているが、表情は晴れやかである。レイアはどきりとした。
     ザクロは忙しなく部屋の中に押し入ると、扉を閉めて鍵をかけ、レイアに鞄を押し付けた。
    「ポケモンセンターからレイアさんの手持ちをこっそり引き取ってきました。どうぞ急いで、行ってください」
    「……えっ」
     ザクロは早口で、なおかつ囁き声だった。聞き取りにくくレイアは聞き返すも、ザクロは有無を言わせぬ様子で、鞄の中身から五つのモンスターボールを出してレイアに身につけさせる。
    「詳しくはこの手紙を読んでください。私もここに長居はできません。窓からお逃げください、できますね?」
     ザクロはレイアに手持ちをすべて返すと、一枚の紙を押し付けた。レイアは頷き、それを懐にしまう。
     レイアはヒトカゲを呼び、肩に跳び乗らせた。
     ザクロを振り返ることなく、カーテンを閉めたまま窓を開け、ベランダに出る。窓を閉め、部屋の中の様子はカーテンに仕切られて見えない。下を見下ろす。四階。地面ははるか遠い。
     ザクロがレイアを見送ることなくそそくさと部屋を出ていった音がした。早業だった。
     レイアは手元に戻ってきたボールの一つを手に取る。
    「真珠。ここから飛び降りる。サイコキネシスでサポートしてくれ」
     エーフィに素早く言い聞かせ、そのまま躊躇わず、ヒトカゲを抱えたレイアはベランダから飛び降りた。
     重力に従い加速する。地面に叩き付けられる前に、四階のベランダに残されたエーフィの念力がレイアを支え、そっと地面に下ろした。レイアはエーフィを労う暇も惜しんでエーフィをモンスターボールに戻す。続いてヘルガーを呼び出した。
    「南へ。ショウヨウから出る」
     声が震える。ヘルガーがゆらりと鞭のような尾を振る。
     レイアはヘルガーの背に飛び乗った。ヘルガーは飛び出した。
     早朝のショウヨウはまだ暗い。道に人通りは無い。
     早く。早く。遠くへ。
     一心に願い、考えるよりも前に帯から簪を抜き取り、ヘルガーにかざす。ヘルガーの角に掛けられたメガストーンと、簪に飾られたキーストーンが反応する。メガシンカ。そうでもしないと怖くてたまらない。
     メガヘルガーはレイアを背に乗せて、街を駆け抜けた。南の8番道路、ミュライユ海岸。崖下の渚を踏み越え、あっという間にショウヨウから遠ざかる。
     メガヘルガーの体躯は大きく、そのしなやかな筋肉は疲れを知らず、動きはひどく滑らかに安定している。レイアはそれにしがみついて、逆風に耐えていた。
     片割れたちと、早く合流しなければ。危険だ。危険なのだ。

     ザクロから受け取った手紙の事すら忘れて、レイアはただ片割れたちの事だけを考えて、恐怖に駆られて逃げた。
     高い崖と山脈の向こうから見え始めた太陽が、眩しくレイアの目を焼いた。


      [No.1474] 明け渡る空 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:22:02     33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    明け渡る空 中



     ロフェッカの怒鳴り声が背後から追ってくる。
    「おら待てや、クソガキがぁぁぁぁぁ――!!」
     ヒトカゲを抱えたレイアは無言で全力疾走した。赤いピアスが耳元で忙しなく鳴る。ショウヨウの街を南へ駆け抜けた。
    「待てこらぁぁぁぁぁぁレイアァァァァァァ!!」
     ロフェッカの叫び声は遠くなってはいない。意外とあの壮年は体力も走力もあるらしい。
     レイアはヒトカゲを振り落さないようしっかと抱えて走った。冷や汗を振り落して走った。
     そしていつの間にかザクロが涼しい顔で並走していることに気付いて思い切り吹き出した。
    「ぶっはザクロさん」
    「レイアさん、なにも逃げることはありませんよ。大丈夫です」
     ザクロはショウヨウの太陽の如き眩しい笑顔でレイアを激励する。ロフェッカと話をするよう勧めてくる。
     イケメンに優しく諭されたせいでレイアの心は折れそうになったが、気丈にも走りながら首を振った。
    「駄目っす!」
    「なぜですか。協会の方に言えないことがあるなら、このショウヨウシティジムリーダー、ザクロに話してごらんなさい」
    「あんたらジムリーダーだって、ポケモン協会の人間じゃねぇか!」
    「ジムリーダーの立場は協会の中でも特殊で、より一般トレーナーに近いのですよ。何か問題を起こしたという話ならば、私がとりなして差し上げますから。レイアさん、勇気をもって立ち向かってください」
    「無理っす!」
     しかしレイアが逃げても逃げてもロフェッカは一定の間隔を保って追いかけてくるし、ザクロなどは余裕綽々といった様子で長い足を動かしレイアにぴったりついてくる。振り切れない。
     レイアは歯噛みした。ポケモンセンターに手持ちを預けるのではなかった。ヘルガーの、あるいはメガシンカしたメガヘルガーの背に乗ればさすがにこのような煩い人間どもも容易くまけたであろうに。
    「はあ……仕方ありませんね。……レイアさん、ちょっと失礼」
     並走するザクロによって、レイアはひょいとその肩に抱え上げられた。レイアはザクロの肩の上で喚いた。
    「離せザクロさん! いくらイケメンだからって許さねぇぞ!」
    「顔面のおかげで許しを得ようなどとは考えていませんよ。レイアさん、正々堂々と立ち向かうのです。大丈夫、私がついています!」
     ザクロの肩の上で暴れるレイアを、追いついてきたロフェッカはにやにやと笑いながら見ていた。
     そしてロフェッカが懐から何やらホロキャスターを取り出そうとしたので、レイアは帯に挿していた簪――メガカンザシを引き抜き、ロフェッカ目がけて投げつけた。
     メガカンザシはロフェッカの手から、私用のホロキャスターを弾き落とした。


     ロフェッカが道端に崩れ落ちる。慌ててホロキャスターを拾い上げる。
    「くっそぉぉぉぉぉぉ! いつの間に飛び道具をっ!!」
    「動画撮る気だっただろうがこの野郎もう騙されねぇぞ! 二度と俺の前でホロキャスター出すんじゃねぇよ!!」
     レイアはザクロの腕から逃れて道に飛び降りると、素早く走ってキーストーンを飾った簪を拾い上げ、再び帯に挿し込んだ。
     ロフェッカは未だに座り込み、頭を抱えてしきりに嘆いている。
    「ああああああザクロさんに抱え上げられてるレイアとか、激レアどころじゃねぇってのに!」
    「だから! 動画撮んじゃねぇよこの屑が! マジで潰すぞ!!」
    「なんだ、レイアさんはロフェッカさんとお知り合いだったのですか。ああ、それでさっきはレイアさんも照れてらしたんですね?」
     ザクロがのほほんと笑ってレイアとロフェッカを見つめている。
     レイアはザクロの穏やかな声に虚脱してしまった。大きく嘆息し、肩を落とし、未だに嘆いているロフェッカを睨み下ろす。
    「……何の用、おっさん」
     ロフェッカはにやりと笑み、その髭面を上げた。
    「ようやく見つけたぜ、レイア」
    「……だから何だと訊いている。何しに来やがったんだてめぇ」
     ロフェッカは軽い動作で立ち上がり、その巨体をぶつけるようにしてレイアの肩に腕を回した。大男の粗野で乱雑なボディタッチにレイアは顔を顰めた。その耳元でロフェッカはにやにやと囁く。
    「おいおい、レイアちゃあーん。よくも勝手にキナン抜け出してくれたなぁ? おかげで俺は始末書を何枚書かされたか……まったく損害賠償請求してぇぜコンチクショウ」
     レイアはしかめっ面で、大男を横目で睨んだ。
    「……知らねぇよ。てめぇの監督不行き届きだろうが」
    「そうそう、お前らの逃亡は俺の責任なわけよ。だからよ、もうちっと詳しい話、聞かしてくんね? ホテル・ショウヨウでよ」
    「……おっさんと二人きりでホテルなんて冗談じゃねぇよ」
    「んじゃ、ホテルのレストランだ。昼飯奢るわ。そん代わり、全部吐けよ?」
    「……食わしといて全部吐けとか、拷問でしかねぇな」
    「言うようになったじゃねぇか、クソガキが」
     ロフェッカは言いつつ、髭の生えた顎をレイアの頬にじょりじょりとこすりつけてきた。
     凄まじい侮辱だった。ロフェッカは愛情表現のつもりかもしれないが、レイアにとっては今やロフェッカは親しい友人などではなく、ただの敵、年上の男。気色悪いことこの上ない。
    「…………気持ち悪い」
    「ん?」
    「…………触るな…………反吐が出る」
     ロフェッカは慌ててレイアから身を離した。レイアが脇に抱えたヒトカゲは殺気を放っているし、もう一方のレイアの手は帯に挟んだ簪に再び伸びていた。これ以上ふざけてレイアにちょっかいをかければ焼かれるか刺されるかしかねない。
     レイアは敵意も露わにロフェッカを睨んでいる。ヘルガーの如き唸り声すら漏れそうだった。
     ロフェッカの背筋をようやく、冷や汗が伝った。



     ホテル・ショウヨウのレストランでレイアとロフェッカは向かい合って座った。
     二人の間の緩衝材あるいは潤滑剤となりそうだったザクロは、ジム戦の約束があるなどと言ってショウヨウジムに戻ってしまっていた。そのため、二人きりである。
     ところが席に着くなり、レイアはテーブルの上にブーツごと足を叩き付けた。食事などしないという意思表示である。ロフェッカは慌ててレストラン側と協議し、どうにかこうにかレストランの外のホテルの談話室の一角に、レイアとヒトカゲを連れて移動した。
     レイアは顎を上げ、ゴミでも見るような目でロフェッカを睨んでいる。ヒトカゲも同じだ。
     ロフェッカは狼狽した。
     今まで、食事を奢ってやることによってレイアの機嫌の直らなかったことなどない。なのに今回は、かなりレイアは気が立っているらしい。ロフェッカにはその理由がいまいち思い当たらなかった。先ほどの肩を組むくらいのスキンシップにしても、今までも何かの弾みで何度かあったこと。その時はレイアも軽く笑って受け流していた。今になってこれほどの拒絶反応を示されてもロフェッカも戸惑うしかない。
     ロフェッカは談話室のソファに座ると、まずレイアに頭を下げた。
    「あー……とりあえず、さっきは怒って追いかけたりいきなり触ったりして、すまんかった。俺の配慮が足らんかった。この通りだ、許してくれ」
    「……すり潰すぞ」
     レイアの眉間にはいくつも深い皺が刻み込まれている。ヒトカゲも藍色の瞳を見開き、その尾をゆらりと振ってはパチパチと音を立てる火の粉を振りまく。
     そのように全力で威嚇してくる若いトレーナーを、ロフェッカは余裕ある表情で見つめた。
    「で、まだ怒ってっかもしんねぇけど、ずっと謝ってるわけにもいかねぇから、本題入らせてもらうな。――お前ら、なんで勝手にキナンを抜けた?」
    「……誰にも言わない」
    「つまり、何かしらの理由はあるわけだな? なんとなくの気分で抜け出したんじゃねぇんだな?」
     ロフェッカがそう確認をとると、レイアの瞳はますます猜疑の色に沈んだ。上げていた顎を逆に胸元に埋めるようにして、警戒心も露わにロフェッカを睨み上げる。

     ロフェッカはそのようなレイアの態度も気にしないようにして、緩い口調で続けた。
    「ま、どんな理由があろうがそれはそこまで重要じゃねぇわな。俺が言いてぇのは、あんま勝手されると、ポケモン協会もお前らを守れねぇってこと。……忘れたのかレイア? お前ら四つ子は、榴火っつー危険なトレーナーに狙われてるっぽいんだぞ?」
    「………………」
    「鬱陶しいかもしんねぇが、お前らのためなの。これからはあんま逃げないでくださいな。お前ら四つ子が好き勝手歩き回ってると、榴火を刺激しかねん。そしたらポケモン協会が困るのはもちろんだが、お前ら四つ子も困るだろ?」
    「………………」
    「場合によっちゃ、お前さんらのポケモンを取り上げてまで、ひとつところに押し込めることも有り得る。……おとなしくしててくれ、レイア」
    「……その場合、どうやって生きてけっつーんだよ……」
     レイアが低く唸った。
    「……いつまで俺らに、閉じこもってろと? 目障りにならないよう閉じ込めて、自由を奪って、それでもやっぱり邪魔になったら消すのか……なんで思い通りに生きちゃいけないんだ」
    「あー、レイアお前、公共の福祉って知ってるか?」
     ロフェッカは苦笑した。レイアは黙り込んだ。
    「公共の福祉ってのはな、個人の利益の衝突を公平に調整する最小限の秩序のことだよ。……レイア……榴火は危険なんだ。お前らも、ちっとだけ、協力してくれ」
    「……榴火のために、俺らは自由を制限される? ……なんで? 俺らはポケモンを育てて戦うしかないのに? そうでないと生きられないのに?」
    「それがお前らの幸せにもつながる」
    「…………聞き飽きた」
     背中を丸めていたレイアは、反動のようにソファの背にぐったりともたれかかった。膝の上に乗せたヒトカゲにのろのろと指先で構う。
    「……“お前らのため”とか。“幸せ”とか。もううんざりだ。たくさんだ。なぜ俺らの好きにできない」
    「誰もが自分の好きにしたら、この世界はめちゃくちゃになるだろ?」
    「……でも俺らが我慢してるのに、好き勝手できる奴がいるだろうが。……金持ちの奴ら。権力を持ってる奴ら。ポケモントレーナーにならなくても済む奴ら」
    「……そりゃ、お前さんがそう思い込んでるだけだ。金持ちには金持ちなりの不自由がある」
    「ふざけんなよ!」
     レイアは怒鳴った。談話室にいた他の客がびくりとする。けれどレイアはもう我慢ならなかった。
     ソファから立ち上がり、炎が燃え広がるように怒り狂った。
    「なんで、なんでローザに目をつけられた、それだけの理由で俺らよりも榴火が優先されなきゃなんねぇんだよ! なんでルシェドウはあいつのことばっか見てて、おっさんも、皆、俺らよりあいつを優先してる!? ――あいつがフレア団だからか?」
    「……いや、俺もポケモン協会も、お前ら四つ子の安全を第一にだな――」
    「そんなの善意の押し付けだ。この偽善者どもが! 何がそいつのためになるかなんて、分からないくせに! なぜ勝手に決めつける! なぜ強制する! 従わないなら消すのか? 思い通りにならないなら殺すのか? それがてめぇらのやり方か!」
    「……んなことはしねぇよ」
    「騙されるか! なら、なぜ、放っておいてくれない! なぜ好きに旅ができない! 俺らには旅しかないのに、俺らから旅すらも奪って、何をしろと? どう生きていけと! こんなところでやってられるか!」
     立ち上がったレイアはぎらぎらと燃え滾るような眼でロフェッカを見下ろしていた。
     ロフェッカも、これほどまでに憎悪に燃えた、追い詰められたレイアの表情を見たことがなかった。顔を顰める。
    「……そんなにキナン籠りが、厭だったか。何が嫌だったのか教えてくれねぇか。できるだけお前らの希望に沿えるようにするからよ……」
    「いらねぇよ。放っておいてくれ!」
    「……なあレイア、そうやって癇癪起こしてたって、無駄だぜ。そうやって怒鳴ってれば確かにそのうち俺がノイローゼか何かになって休職するかもしれねぇがな、それでも俺の後継人がポケモンセンターの利用記録を追ってどこまでもてめぇを追いかける」
    「俺らにそこまでコストかけるぐれぇなら、さっさと榴火をどうにかしろよ!」
    「もちろんそれもやる。だがな、レイア、お前ら四つ子は――目障りなんだよ」
     そのロフェッカの一言に、レイアはびくりと反応した。
     ロフェッカはやや表現が過激すぎたかと焦った。なまじレイアが猛々しいだけに、言葉選びが難しいのだった。
     立ったままのレイアが、俯き、渇いた唇を舐める。
    「……目障り……って……」
    「もちろん、榴火を追いかけるのに障害になるってだけの意味だ。お前らの存在そのものが邪魔とか、そういう意味じゃねぇから、すまん、誤解させたな」
    「……てめぇらは榴火をどうしてぇんだよ……」
    「ルシェドウが今、榴火の後見人や親と接触してる。榴火の周囲の大人と連携して、榴火が問題を起こさないでトレーナー業に専念できるようにする」
    「……どれだけ時間がかかるんだよ。いつまで俺らに付きまとう気だ……」
    「榴火の旅先で、お前ら四つ子があいつと接触しないようにしてぇんだ」
     ロフェッカがそう伝えると、レイアは顔を上げた。そこにはもう表情は無かった。
     レイアは無表情でロフェッカを見つめていた。
    「……榴火を監視すればいい。常に榴火の位置を把握しといて、俺らはいつでもそれが分かるようにしといて、榴火を避けるようにすればいい」
    「そりゃ人権侵害だ。んなことは許されねぇ」
    「……だから俺たちを閉じ込めるのか?」
    「そうだ」
    「……なぜ逆に、榴火を閉じ込めない?」
    「あいつには自由に旅をしてもらう中で、更生を促す」
    「……だがあいつは犯罪組織のフレア団の一員だ」
    「そのような事実の証拠は確認できていない」
    「……ポケモン協会は、フレア団員を保護して、一般トレーナーである俺らの自由を奪う」
    「榴火はフレア団じゃねぇし、お前らにもできる限りの自由は保障する」
    「…………ひどい…………」
     レイアは目を見開いたまま、表情を強張らせた。その指先が震えた。ソファの上のヒトカゲが案じるように主人を見上げている。
     ロフェッカは深く溜息をついた。言わなければならないことだった。
    「……だからよレイア、もうおとなしく、諦めな。お前さんがさっきポケセンに預けた五体のポケモンは、もうポケモン協会が管理してる」
     レイアは耳を疑った。目を見開いて、ロフェッカを凝視した。
     レイアのかつての友人は下卑た笑みを浮かべていた。
    「もう、お前さんは、五体を引き取れない」



     レイアはそのままロフェッカの手で、ホテル・ショウヨウの一部屋に押し込められた。
     レイアは狭いシングルルームに、ヒトカゲと共に放り込まれた。
     部屋の鍵を持ったロフェッカが部屋から出ていく。扉が閉まると、自動で鍵がかかる。
     ヒトカゲを抱えたレイアは呆然と、閉ざされた扉を見つめていた。
     もちろんロフェッカに部屋へ連れて行かれるとき、レイアはヒトカゲで抵抗しようとした。しかしロフェッカに怒鳴られた――ポケモンで一般人に重傷を負わせれば一か月の謹慎、死亡させたらトレーナー資格の剥奪と刑事罰だ!
     ありえない。
     ありえないありえないありえない。
     ありえないありえないありえないありえないありえない。
     なんで。
     なんでロフェッカが。
     こんなことを。
     ポケモンを奪い、閉じ込めた。レイアのポケモンは引き取れない。ポケモン協会にとられた。
     なんで。なんで。なんでこうなった。
     何を間違えた。
     何がミスだった。
     レイアはよろりとシングルルームのベッドの上に腰かけ、ただただ自分に残された唯一のポケモンであるヒトカゲを呆然と抱きしめていた。ヘルガーも、ガメノデスも、マグマッグも、エーフィも、ニンフィアも奪われた。ポケモンセンターに預けていた五体は、ポケモン協会に奪われた。引き取れない。ポケモン協会がポケモンセンターにそう命じた。レイアのポケモンはポケモン協会が管理する。五体はもう引き取れない。
     うそだ。
     なんで。
     なんでこんなことに。
     なにがだめだったんだ。
     頭が真っ白だった。ヒトカゲは腕の中でおとなしくしている。レイアは呆然と座り込んでいた。何も考えられない。なぜ。何が起きた。何をされた。これからどうなる。
     どうしよう。
     どうしよう。
     わからない。
     わからない。
     わからない。
     わからない。

     どさりとベッドに倒れ込み、頭を抱える。葡萄茶の旅衣の中で蹲る。ヒトカゲがもぞもぞとレイアの膝の上から降りたが、これは一声も発さない。
     呻く。唸る。しかし声にはならない。まだ動悸が激しい。全身を血液が駆け巡り、けれどどこにも飛び出せず、煮え滾っている。感情を爆発させたいのに、怒鳴りたい、食い殺したい、けれど詮無い。泣きたい、失望した、餓えた、ただ寂しい、ただただ淋しい。
     息が詰まって、むせび泣きたい、引き裂きたい、食いちぎりたい、殴り殺したい。絶叫は声にならない。こだまのように骨の中に虚しい嘆きが返ってくるばかりだった。惨憺たる肉塊だ。肉の詰まった皮袋。
     こんな時ホロキャスターがあったなら、とレイアはぼんやりと思う。ホテルのベッドの白いカバーを見つめながら。
     ホロキャスターがあれば、すぐさまキョウキやセッカやサクヤに連絡できただろう。――助けてくれ。ポケモン協会にポケモンを奪われた。
     いや、片割れたちに助けを求めて何になるだろう。ポケモン協会の管理するポケモンを奪い返すなど、それこそ犯罪だろう。片割れたちが罪に問われることになる。
     現在、レイアは罪を犯したわけではない。ポケモンを取り上げてホテルに押し込めるという、ポケモン協会の独自の措置に巻き込まれただけだ。
     なぜ。
     なぜだ。
     なぜなんだ。
     なぜなのだろうか。
     ぐるぐると疑問が戻ってきて、めまいがする。
     頭が痛い。
     奪われた五体を、どうにかして取り返すべきだろうか。
     ホテルの部屋には鍵がかけられているわけではない。けれどホテルの出入り口はポケモン協会の者に見張られているはずだ。レイアのいる部屋は四階。ヒトカゲだけを連れて、とてもこっそりと抜け出せるとは思えない。
     怖い。
     とても怖い。
     奪われることが怖い。
     榴火に目をつけられた時の比ではない。冷徹な悪意、抜け目のない理性的な敵意に包囲されている。社会にとって悪はレイアの方だった。誰も守ってはくれなかった。


      [No.1473] 明け渡る空 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/26(Sat) 19:20:00     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    明け渡る空 上



     10番道路、別名をメンヒル通り。セキタイタウンの南東に伸びる道路だ。
     巨大な石が規則正しく立ち並んだ、奇怪な道路である。古代の列石は山脈の向こうから差す朝の光に照らされて白く輝き、青々とした草むらに薄明るい影を落としている。
     ヒトカゲの尾の先から火の粉が舞い、青草を時折焦がす。ヒトカゲはレイアの脇に抱えられて揺られるままになり、ときどきゆらゆらと尻尾を振った。
     赤いピアスを両耳に揺らしながら、レイアはずんずんとメンヒル通りの列石の合間を南東へ歩いていった。ブーツで草根を踏み分け黙々と歩く。視界に入るものは立ち並ぶ巨石、巨石、また巨石。
     列石はどこまでも整然と並んでいた。
     大昔の人が並べたのだという。数kmにわたって何千もの石が並べられており、その大きさは膝上くらいのものから、セキタイタウンのポケモンセンターほどの高さを持つものまで。先の尖ったもの、風雨に削られ丸みを帯びたもの、大小さまざまの石が不気味にそびえ立っている。記念碑だとか暦だとか巨人が造ったとか戦士の墓だとか、色々言われてはいるけれども――そのような歴史的事情などレイアにはまったく関係ない。寝るときに巨石の根元で寝れば風がしのげそうだな程度にしか思わない。


     しかしとある巨石の陰にオーベムを見かけて、レイアはそれに目を留めた。珍しい。野生ではないだろう、イッシュ地方からの観光客が連れ込んだのだろうか。オーベムは手の先で三色の光を点滅させている。
     オーベムを伴っていたのは、白衣を身に纏った科学者然とした男だった。手に大きな画面のついた端末を持ち、熱心にそれを覗き込んでいる。
     男は眼鏡をかけ、金髪かと思いきや、二房ほどの凄まじい癖毛は青い。
     レイアは変な頭だと思いつつ、通り過ぎようとした。
     すると科学者はレイアに話しかけてきた。
    「そこの貴方。申し訳ありませんが、食料をお持ちではありませんでしょうか」
    「……あ、俺? ……あ、もしかしてお困り?」
    「この列石に少々興味を覚えて調査をしていたところ、いつの間にか三度目の夜明けを迎えていまして……」
    「飲まず食わずが三日目に突入っすか。瀕死じゃないっすか」
     そう言う科学者の頬は確かにひどくこけている。にもかかわらず当の食料を所望した科学者は、レイアの方をちらりとも見ず、画面に見入っているのだった。とても人にものを頼む態度ではない。
     とはいえレイアは良識あるトレーナーである。荷物の中からオボンの実を取り出し、科学者の方に突き出した。
    「おら、やるよ」
     科学者はようやく、端末の画面から視線を上げた。そしてレイアを見つめ、ようやくレイアの存在というか顔かたちを認識したというようにまじまじと観察し、それから眼鏡の奥で目を細めた。
    「ありがとうございます。私はアクロマと申します」
    「ああ、俺はレイアっす。……あの、オボン一個で足りますかね」
     そのようにしてレイアとアクロマは出会った。


     それからレイアとアクロマはそれぞれ10番道路の手ごろな大きさの石に腰かけ、オボンを貪り食った。
     ヒトカゲはレイアの膝の上に陣取り、頑なに列石に触れようとしない。アクロマのオーベムも宙に浮いたまま、三者を見るでもなく石の間を漂っている。
     アクロマはオボンの汁が画面に滴り落ちないように器用に、そして割と雑に果汁を啜り上げながら、懲りずに画面をいじっていた。
     レイアがべたべたになった指を舐めながら首を傾げる。
    「あんた、さっきから――じゃねぇよな、三日も前から瀕死になってまで、何やってんの?」
    「列石を調べています。この列石からは微かにエネルギーが放出されている……」
    「へえ。あー……進化の石みてぇな?」
    「いえ、ポケモンの進化を促すほどのエネルギー量ではありません。……そうこれは、エネルギーが漏れている、と表現すべきでしょう。――この列石は生きている」
     アクロマの眼鏡が光を反射して輝いている。
     レイアはのんびりと首を傾げた。
    「じゃあこの石、全部ポケモン? イワークとかギガイアスとか、そういうオチなわけ?」
    「いえ、生体反応は見られません。『生きている』というのは比喩です。正確には、まだ機能する機械というべきか」
     レイアが無言で肩を竦めると、アクロマはハンカチで指の果汁を拭いとった。
    「生きている人の体やコンピュータは、常に外気に対し熱を放出しています。しかし人もコンピュータも、なにも世界中の空気を温めたくて発熱しているわけではないでしょう? それと同じ事ですよ」
    「なんか余計わけわかんなくなったんだが」
    「つまり、この列石は何らかのカラクリのパーツなのですよ。まだ動きます。ただ、具体的にどのような機能を果たすかは私には想像もつきませんがね」
     アクロマはそう言うと、端末の電源を落とした。今度は、どこまでも立ち並ぶ列石にばかり視線を注いでいる。レイアはそのような様子の科学者を興味深く観察していた。
     アクロマはぼそりと呟いた。
    「本当はこのメンヒル通りを丸ごと掘り返したいぐらいですが」
    「は?」
    「だってそうでしょう? この列石はおそらく、地中で何らかの機構に接続されているのです。まったく古代の遺跡と持ち上げて観光名所などにしてしまって、この地下にどれほど素晴らしい技術が詰まっているか。実に口惜しい。いっそやってしまおうか……」
    「怒られるだろ。つーか違法だろ」
    「……いえ、まさか、やりません、やりませんよ。私はイッシュへ行かねばならないのです。まったく実に名残惜しい。しかしあの男がカロスに資金投下しよう筈がない」
    「あの男?」
    「こちらの話です。それにしても、カロスの政府は何をしているのでしょう。私のような放浪の科学者にもこの地に素晴らしい技術が眠っていることが分かるというのに、ここは考古学者にしか見向きされないのでしょうか? なぜ、国はここを放置している?」
     アクロマは青空の下で一人でぶつぶつと呟き出してしまった。
     レイアはヒトカゲを膝の上に乗せてその背中を撫でてやりながら、目の前の科学者の己の中に没入しがちな性癖を、幼馴染のユディや家庭教師のエイジにも共通していると結論付けた。
     世の中には、小難しいことを考える奇癖を持った人間が腐るほどいるのだ。
     レイアにはおよそどうでもいいことを彼らは延々と論じ続ける。誰の腹も満たさないその作業によって、よく暮らしていけるものだと思う。レイアには、ただの言葉にそれほど価値があるものとはとても思えない。口を動かすだけならおよそ誰にでもできるだろうに。

     レイアの片割れのキョウキやサクヤ辺りなら、こうした無意味なような話も面白おかしく聴けるのかもしれない。しかし生憎、レイアにはその二人のような智を愛する、哲学的素養などこれっぽちも無かった。
     とはいえ、記憶力と勘だけはよかった。
    「この国の政府、おかしいんだよ。ポケモン協会の言いなりだし、その協会はフレア団の言いなりだし」
    「ほう。ポケモン協会。フレア団」
     レイアの何気ない一言が、さらにアクロマの興味を募らせたようだった。
    「それはそれは。では確かに、プラズマ団もこの件からは手を引かざるを得ませんね」
    「……ぷ……ぷらー……ずまー?」
    「こちらの話です。……そう、なるほど。ではおそらくこの列石のことは、そのフレア団とやらが故意に隠蔽しているのですね」
     ふーん、とレイアは何気なく鼻を鳴らした。しかし内心では眉を顰めている。
     またもやフレア団が暗躍しているらしい。フレア団はこの列石の秘密に気づいておきながら、その技術を独占しようとしているのだ。そういうことなのだろう。
     アクロマは白衣の肩を竦めた。
    「カロスの方は大変ですね」
    「ほんとそれな。……よく分かんねぇけど、この列石ぶっ壊してやろうか」
    「駄目ですよ。ここは国が10番道路として管理しているんですから、ポケモン協会にしょっ引かれてしまいます」
     アクロマは興味深そうに、微笑しつつレイアを眺めていた。
     レイアはアクロマを見つめて肩を竦め、にやりと笑った。
    「じゃ、あんたと俺が今ここでポケモンバトルして、そのせいで壊れたって言えばいい。そしたらトレーナーは罰せられないだろ?」
    「貴方は存外、小賢しいですね。フレア団に恨みでもあるのですか?」
    「はは、どうだろな」
    「フレア団がこの国を操っているのでしょう? 貴方は国に逆らえますか? 無理でしょう。ならば、国やフレア団が成すがままに任せるしかないのでは?」
     アクロマは密やかに笑い、底知れない瞳でレイアを見つめていた。
     レイアはへらへら笑いながら、質問してみた。
    「あんたなら、どうするよ? フレア団に殺されるようなことをしちまった場合、あんたならどうする?」
    「そうですね。一番手っ取り早いのはやはり、国外逃亡でしょうか」
    「あー、なるほどな。それもあるな……」
    「国に指名手配される前にお逃げなさい。他地方ではフレア団の話など微かに漏れ聞こえる程度です。フレア団もそこまでは追ってこないでしょう」
    「なるほどねー。どーも、参考にするわ」
    「フレア団に狙われるようなことをしたのですか?」
    「今さらそれを訊くのか?」
     レイアは気だるげに応じた。
     それきりアクロマはレイアから興味を散じて、再び列石を眺めまわした。
    「巡り会わせさえ良ければ、私もぜひご一緒したかった。……ポケモンの力を利用した兵器、か。それもある意味、ポケモンの力を引きだすということになるか……」
     レイアはちらりと視線を上げた。
     アクロマはいつの間にか腰かけていた石から立ち上がり、白衣を風に翻していた。
     その隣に浮遊していたオーベムが、両手の光を目まぐるしく点滅させた。その激しい瞬きにレイアは微かに眩暈を覚える。
     アクロマがレイアを見下ろし、微笑んでいる。
    「では私はこれで。どうもご馳走様でした。……ご達者で、旅のトレーナーさん」
     レイアは石から滑り落ち、草むらに崩れ落ちた。そのままヒトカゲと共に眠りこけた。




    「……さん。レイアさん……レイアさん」
     自分の名を呼ぶ若い男性の声に、レイアは薄く瞼を開いた。眩しい昼の光に目が眩み、瞬きを繰り返す。むくりと起き上がり、被布の袖で瞼をこすりながらようやく目を開くと――視界いっぱいにに色黒のイケメンが飛び込んできた。
     レイアは思わず奇声を発しながら草の中を飛び退った。
    「うおおおおおっザクロさんっ」
    「はい。お久しぶりですね。ヒトカゲもお元気そうで何よりです」
     優雅に片膝をつき、ショウヨウシティのジムリーダーはレイアとヒトカゲを見つめて眩しく微笑んでいる。レイアの腕に両前足を置いていたヒトカゲも小首を傾げ、尻尾を振ってザクロに挨拶をする。
     そしてヒトカゲは甘えるようにレイアの腕に顔をこすりつけてきた。レイアはそのヒトカゲを撫でてやりながら、取り繕うようにきょろきょろと辺りを見回す――どうしても褐色の肌のイケメンに気を取られてしまったが。
     四つ子はイケメンが大好きだ。渋いおじさまも麗しいお姉さま方も柔和なおじいさまも大好きだが、特にこの若き紳士はまさに四つ子の好みどストライクである。
     レイアはどきどきしつつ、恐る恐るザクロに話しかけてみた。
    「え、えーと、あのー……」
    「ここは10番道路、メンヒル通りですよ。時刻はお昼前です。レイアさんがここで倒れているのを見つけて、慌てて声をおかけしたのですが、すぐに目を覚まして頂けたので、本当に安心しましたよ。本当に驚きました」
    「あ、ど、どーもすんません、ザクロさん、ご迷惑をおかけしました……」
    「どういたしまして。――立てますか。ショウヨウシティまでお送りしましょうか」
     レイアはのろのろと立ち上がり、ヒトカゲを拾い上げると、優雅に歩くザクロに付き随った。
     倒れる前に出会った人物のことは、もはや夢のようにしか思い出せない。ただ海の向こう、空の果てのイメージだけが残っている――別の地方。


     ザクロにエスコートされ、レイアはショウヨウシティのポケモンセンターに来た。
     手持ちのポケモンを回復のために受付に預ける。しかしヒトカゲだけは例の如くレイアの被布の袖に爪を立てて抵抗を示したため、仕方なくレイアはヒトカゲだけは預けずに脇に抱え直した。
     レイアが振り返ると、ザクロが安堵したように微笑んで立っていた。立ち姿もいちいち絵になる美男ぶりである。
    「これで一安心ですね。実は私、ポケモン協会の職員の方の頼みで、レイアさんを探していたんです」
     そのザクロの言葉に、レイアは表情をひきつらせた。しかし始終ザクロの傍で挙動不審気味であったレイアのそのような僅かな動揺などザクロの心には留まらなかったようで、ザクロはきょろきょろとポケモンセンターのロビー内を見回している。
    「あ……ほらレイアさん、見えますか。あちらのポケモン協会の方が、あなた方四つ子さんをお捜ししていたのですよ」
     ザクロの長い手の先に示された人物を遠目に見据えて、レイアは目を細めた。
     金茶色の髪。
     大柄な体躯。
     間違いない――ロフェッカだ。
     レイアがその姿を見るのは、キナンシティの別荘以来だった。ロフェッカの保護監督のもと四つ子はキナンに滞在していたのに、彼に無断で四つ子はキナンを飛び出した。ロフェッカに四つ子が捜されるのは当然だ。そしてロフェッカに見つけられて、怒られる、だけで済むのだろうか。
     ロビーのソファに腰かけたロフェッカはザクロやレイアにも気づかない様子で、何やら集中してホロキャスターを睨んでいる。
     レイアが内心気まずく思っているのはザクロにも伝わったようだが、その理由まではこの紳士にも読めないらしかった。
    「大丈夫ですよ、レイアさん。ポケモン協会はポケモントレーナーを守る組織です。10番道路で何か困ったことがあったのなら、それもあの協会の方にご相談してみればいいのですよ」
     そう声をかけてくれるザクロにも返事のしようがなく、レイアはただただ腕の中のヒトカゲを見つめた。
     ――どうする。ポケモンたちはもう預けてしまった、しばらくショウヨウからは離れられない。

     レイアが逡巡していると、まるでレイアに決心をさせるかのように、ザクロが颯爽とロフェッカの元へ歩いていってしまった。レイアが彼を止める間もなかった。
    「ロフェッカさん」
    「お、ザクロさん。どうも」
     ジムリーダーに声をかけられたロフェッカはホロキャスターから顔を上げ、立っているザクロに合わせてソファから腰を上げた。二人は自然な様子で握手を交わす。
    「10番道路でレイアさんを見つけ、保護しました」
    「本当ですか! ありがとうございます……今ポケモンセンターに?」
    「ええ、ほら、あちらに。ポケモンバトルによるものか草むらの中で倒れてらしたので、お話を聞いてあげてくださると有り難いのですが……」
     そしてザクロとロフェッカの視線が、ポケモンセンターの中央のホールで立ち尽くしているレイアに注がれた。
     レイアは狼狽した挙句、ヒトカゲだけを抱えて、猛ダッシュでポケモンセンターから遁走した。


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