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世界の終わりの三日前
白の男に出会ったのは、世界が終わる三日前のことだった。
ゲームの勝者になる資格を持つはずのその男の顔は白く、窪んだ眼からは光が消えようとしている。
赤でもなく緑でもなく、そして青でもない最後の色。存在しない色。無色。
無色の男は、自身が消えることを望んだ。戦うこと、考えること、悩むこと、殺すこと、そして生きること。それらから逃げることを、彼は欲した。
俺は、片手で持ち上げられるほどにやせ細った男の手をつかみ、注射器を差し込む。毒を注入する。
それが、世界の終わる、三日前。
俺は世界の終わりに興味はなかったし、無色の男にも興味はなかった。
俺はただ、一人の人間を生き返らせようとしていた。
世界の終わりより、重要なことがあった。
ゲームマスターは、それを知らない。
◇
アリサが死んだ。
広報に「ケーシィ」の文字が出た。その横に、アリサの名前があった。
どこで死んだのか、だれに殺されたのか、わからなかった。
ただ、死んだということだけが分かった。
ゲーム開始から2か月と3日たった、雨の日のことだった。
季節は、冬に変わろうとしていた。
俺はドラミドロのフレイヤを伴い、東京湾を潜行していた。いつものように海水サンプルを取り、ビンに詰め、そして業者に引き渡す。
オフィスに戻ると、前回の調査データの解析結果がメールで送られてきていた。添付されたExcelファイルを開き、定型処理を済ませる。
このとき、うっかりして必要なデータを間違って消してしまった。しかし、メールを開きなおすと、添付ファイルが残っていた。もう一度そこからデータを切り貼りし、整形する。出来上がったファイル一式を共有フォルダにアップする。
定時を過ぎたころに同僚にあいさつし、オフィスをでる。俺の姿を確認し、フレイヤが目の前に降り立つ。俺はフレイヤにまたがる。雨に濡れた毒竜の体は冷たく、俺の服もじっとりと湿った。そしてフレイヤが音もなく飛び立つ。俺は透明なビニル傘を差しながら、ぼんやりと地上の明かりを見つめる。
急行がとまらない小さな駅を2つ通り越し、築20年のアパートの2階に降り立つ。
宅配されてきた荷物が発泡スチロールの箱に入ってドアの前に置かれている。俺はそれを担ぎ、ドアの錠を開け、フレイヤとともに部屋に入る。フレイヤに肉を食わせ、自分は宅配されてきた弁当をそのまま食べる。
広報の時間になったので、テレビをつける。
アリサの死を知る。
驚くべきことではなかった。
人は、いつか死ぬ。
ゲームのプレイヤーならなおさら、死を身近に感じているはずだ。
認められないことではなかった。認めなければならないことは知っていた。
彼女の死は、マッチが燃え尽きるのと同じくらいに自然なことで、ありふれたことで、予測可能なことだった。俺は何度もこの状態を脳内でシミュレーションした。
決して動揺しないように。
自分の計画に影響を与えないように。
俺の思考は次の段階に移った。
予定されていたことだった。もし彼女が死んだら、このように考えようと、あらかじめ準備をしていたのだ。
俺はフレイヤに問いかける。
「さて、どうやってあの女を生き返らせるかな」
◇
ポケモンはゲームのキャラクターだ。
ポケモンが現実社会に現れた当初の疑問はこうだった。
なぜゲームのキャラクターが現実世界に現れたのか?
俺はこの疑問を抱かなかった。
この疑問は、的外れだと思った。
俺はこのように問うた。
なぜ、この世界がゲームの一部であることが露呈し始めたのか?
黒い服の男が答えることはなかった。フレイヤも、もちろん答えを知らない。
現実世界にゲームが入ってきたのか、それとも、もともとがゲームの一部だったこの世界がゲームだと露呈したのか。どちらなのかを確かめる方法はない。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
アリサが死んだ。
もしもこの世界が物理法則にのっとった”現実”ならば、彼女が生き返ることはない。
しかし、この世界がゲームなのだとしたら、話は別だ。データを復旧すればよみがえる。古いデータを切り貼りすれば、完了だ。
この世界がゲームでなくては困るのだ。
この世界は、ゲームの一部である必要がある。
俺はこのゲームの勝者になるつもりはない。
俺は、このゲームを作り直す。
◇
カイバ女史は不機嫌だった。
ゲームの進捗が思いのほか進んでいないからだ。
イベルタルを制止させたのち、オペレーターである私がカイバ女史に進捗を報告する。カイバ女史が直属の上司に進捗を報告する。その上司がさらに上の上司に申告し、また別のオペレータへとデータが移り、スケジュールを監視していた男が遅延に気づく。
遅延に気づくのにここまで長いプロセスを経なければならないのは非効率だと思った。しかし、分業をすることが効率的だという決まりがあるため、今の業務が最も効率的だという認識で社会が動いている。
この非効率性は、私にとって、遅延がばれにくいという意味においてはありがたいことだったかもしれない。しかし、小さなミスを隠すことによって、より大きな問題が発生する。些細な仕事をさぼったため、とても大きな作業依頼が舞い込んでくる。
経営はゲームだ。しかし、プレイヤーを自分の手で直接操作することはできない。
そこで登場するのがインセンティブだ。
インセンティブ。動機づけ。あるいは「やりたいと思うこと」。
社員を働かせたいと思ったら、働くことによる報酬を与えればいい。あるいは、働かないことによる罰を。
第一弾は3月ルールの設定だった。ゲーム開始から3か月たった時に、同じ色のプレイヤーが残っていれば、みんな死ぬという触れ込み。これはうまくいった。ゲームの進みが一気に加速した。逃げ続けるという戦略が意味をなさなくなったからだ。本当に3か月後に自動で殺せるはずがないというのに、愚かなプレイヤーたちはこのルールを盲目的に信じ、殺し合いを始めた。
第二弾は広報の実施だった。
人間は自分の作業に意味を見出すと作業を進めやすくなるという。これを利用した。自分が殺した相手がテレビに名前付きで出てくるのだ。これは大きなインセンティブになるだろう。また、残り人数が把握できるため、プレイヤーは目標設定がしやすくなる。ゴールが見えていれば、最後の力を振り絞って走りきることもできるはずだ。
しかし、まだ足りない。
まだプレイヤーが大勢が残っている。
3月ルールがあるというのに、戦おうとしない者がいた。まったくもって理解しかねる。逃げ続けていても死ぬというならば、自分の可能性に賭けて戦うのが普通だ。生きる可能性が完全にゼロである状態と、0.01でもある状態とを比較して、どちらが良いのかも分からないのだろうか。
ひどいときには、同じ色のプレイヤーを守ろうとする物までいた。
愚かだ。自己の利益の最大化という観点から見ると明らかに不合理な選択だ。
そして、私たちは、その不合理な行動を示すプレイヤーたちの対応に追われている。
アラートが鳴った。
私はため息をつき、カイバ女史は見下すように私を見る。薄暗い部屋の中、二人で大きなPCの画面を見つめる。
よく見ると、「警告」ではなく「情報」の通知だった。
何が起こったのかを見る。
私はカイバ女史と顔を見合わせ、少し含み笑いをしながら、データ転送の準備を始める。
このアラートを、内部では「世界が壊れる音」と表現したようだ。
このセンスは悪くない。
文字通り、これでゲームが終わるのだから。
私たちは、ゲーム終了の三日前に、彼を野に解き放った。
無色グループの勝者、最強のポケモントレーナーを。
◇
アリサが死んでから、海ではなく、川に行くことが多くなった。これは俺の研究の成果を発揮するためであったし、ゲームマスターの目をごまかすためでもあった。ほぼ毎日、利根川、荒川と多摩川の上流を行ったり来たりしていた。距離があるので、川をめぐるだけで一日が終わる日もあった。音もなく空を飛ぶフレイヤのおかげで、人に会うこともなく作業を進めることができた。
「音」を聞いたのは、人目につかない山奥でフレイヤを休憩させているときだった。日が沈みかけたころ、カシの木の根元でペットボトルに入った水を飲んでいると、地面が陥没するような大きな音がした。
俺は慌ててフレイヤにまたがり、飛翔する。ほかのプレイヤーに狙われたと思ったからだ。フレイヤは水中戦のほうが勝ちやすい。山奥で狙われたならば、毒ガスを張って逃げるのが得策と思った。
しかし、一向に敵が現れる様子がない。
念のため毒ガスを張り、川まで静かに飛翔する。濁った水が見えたところで、ゆっくりと潜水を始める。
無事に帰り着けた際には少し安心したが、「音」がプレイヤーのものによるものではなかったことを知り、少し損をした気分になった。
それと同時に、ゲームマスターが動く日が近いことを悟った。
「で、お前が噂の無色か」
その男に出会ったのは、世界の終わりの三日前。
「お前がこの世界を壊すのか」
俺が彼に尋ねると、男は静かに首を横に振った。
そして、男は静かに口を開く。
「頼みがある」
「なんだ」
男は生気のない目で俺を凝視する。
「殺してくれ」
わかったと、俺は返事をする。
乞われるまでもない。
それが、このゲームのルールだ。
世界が終わる三日前、世界を壊すはずだった男は死んだ。
それでも、時計の針は戻らない。
今日が、世界が終わる三日前。
そうでなくては、困るのだ。
___
四つ子とメガシンカ 昼
風が吹き荒れる。ピカチュウを肩に乗せたセッカは縁まで走り寄り、遥か下方の海を見下ろした。
「うっわー! たっけー! 海ひれー!」
「空を見てると心がふわっとして……ポケモンもあたしも何でもできそうで……好きなんだ、ここ!」
コルニはセッカとは逆に、水平線のほか遮るものの無い蒼穹を見上げて、大きく息を吸い込む。
ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイア、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキ、ゼニガメを両手で抱えた青い領巾のサクヤが続いてマスタータワーの頂上に足を踏み出した。三人もまた海上の風に包まれる。
コルニは四つ子を見回して朗らかに笑った。
「高みを目指す気持ちを忘れないように……ってことで、キーストーンはここで渡す決まりなの!」
まあ渡すのはあたしじゃないけどね、とコルニは小さく舌を出した。
セッカがぴょこぴょこと跳ねるように片割れたちの方に戻ってくる。
「コルニはジムリーダーなのに、まだメガシンカできねぇの?」
「あたしだって頑張ってるんだけどなぁ……おじいちゃんがなかなか認めてくれなくってさ。ほんとはただ、まだルカリオナイトが必要な分だけ見つかってないからじゃないかって思ってるんだけどね」
コルニは二体のルカリオを所持しているという。その二体ともをメガシンカさせるには、ルカリオナイトが二つ必要になるのだ。
セッカは首を傾げた。
「一個をシェア、じゃ駄目なのか?」
「駄目じゃあないけどさ……。やっぱ、メガストーンってのはポケモンにとってさ、トレーナーとの絆なんだよ。それを他の子とシェアとか、やっぱルカリオ達自身も不満に思うんじゃないかなー、と思うよ」
するとキョウキが笑った。
「不満を覚えるというのなら、メガシンカできない他のポケモンたちもそうだと思いますよ。メガストーンだけがトレーナーとの絆を示すものではないと思うんです」
「んー……ま、それもそうだけどねー。はあ……それにしても四つ子ちゃんが羨ましいなぁ、あたしも早く、自慢のルカリオコンビをメガシンカさせたいよー」
コルニはマスタータワーの頂上の外べりにもたれかかり、青空を眺めて溜息をついている。
四つ子は顔を見合わせた。
コルニはメガシンカに並々ならぬ憧れを抱いているようだった。それにはコルニの一族が代々マスタータワーとメガシンカの秘密を守り継いできたという背景もあるだろう。コルニは一族の伝統に誇りを持っているのだ。だからメガシンカに執着する。
けれど四つ子は、メガシンカをただの強くなるための手段としか見なしていない。それでもコンコンブルはそのような四つ子にキーストーンを授けることを決定したのだから、そのような四つ子の考え方も誤りではないのだろう。
四つ子は、現在どうしてもメガシンカを必要としているわけではなかった。ただ使えれば便利だからと、ただそれだけの理由でシャラのマスタータワーを訪れた。つまりは、動機そのものはその程度で構わないのだ。
どうやら、ポケモンとの絆よりも、メガシンカには必要とされるものがある。
それは例えば、メガシンカによって何を達成するかということ。あるいは何を成さないかということ。メガシンカは目的ではなく、手段である。それも、悪しき目的の手段ではなく、正しい目的の手段とすることが、メガシンカの使い手には望まれているのだ。
メガシンカの、正しい目的。
コンコンブルは先のバトルで、四つ子が正しい目的を持っていることを見定めたのだろうか。
四つ子を狙う、犯罪結社のフレア団や、権力をかさに着たポケモン協会といった敵を退ける。一方では、二度とトキサのような不幸な者をつくらないようにする。メガシンカを使えない他のポケモンのことも大切にしていく。
それらが四つ子の覚悟だった。
コンコンブルは、それでいいと認めた。
空は青く、風が吹き荒れる。
マスタータワー。
その頂上。
四つ子はそわそわと横一列に並んで立っていた。
待ちわびたその人物が巨塔の中から現れた。
メガシンカおやじ――もといコンコンブルが、盆に乗せたそれを四つ子に差し出す。
盆の上に乗っていたのは、四本の簪。
差し込み部分は真鍮、そして飾りの部分に使われているのは、蜻蛉玉ではない。キーストーンだ。
メガストーンと一対になって、ポケモンのメガシンカを促すもの。
コンコンブルは得意げに言い放った。
「どうじゃ、これがおぬしらの究極の――メガカンザシ!!」
「うわぁ……」
「うわぁ……」
「俺らいま髪短いのに」
「どう挿せと」
四つ子はぼやきながらも、それぞれ一本ずつ、キーストーンのあしらわれた簪を手に取った。
コルニは拍手する。
「すごい! おめでとう! これでメガシンカできるよ! ねえねえ試してみ――」
「静かにせい、コルニ。わしの話はまだ終わっておらん」
コンコンブルに窘められ、コルニは慌てて口を手で塞いだ。しかしながらコルニは悪戯っぽく四つ子にウインクしてきている。四つ子以上に興奮した様子である。
四つ子は簪を手にしたまま、背筋を伸ばしてコンコンブルに向き直った。
「コンコンブルさん」
「確かにキーストーン」
「受け取ったっす!」
「ありがとうございます」
四人で揃って頭を下げた。コンコンブルは満足げに頷く。
「うむ、それで良い。やはりおぬしらには、メガカンザシで正解であったな」
「いや、でもこの簪……」
「メガカンザシじゃ!」
コンコンブルに一喝され、四つ子は小さく首を縮める。
「……この、メガカンザシ、頭につけなきゃ駄目ですか?」
「髪に挿すなり懐にしまうなり、好きにするがいい。いずれにしてもそれはポケモンとの絆、大切にせよ。……もっとも、メガシンカしない他のポケモンとの絆も大切に、などとはおぬしらも既に分かっていようがな」
四つ子はこくりと頷いた。メガシンカばかりを重宝するつもりはない。切り札のつもりで隠し持つことに決めている。コンコンブルに言われるまでもない。四つ子はこれまでにも自身の強さを過信したせいで何度か痛い目に遭ってきたのだ。
いい顔で微笑むコンコンブルの様子を伺いつつ、コルニが再び口を開いた。
「……えっと、おじいちゃん、話終わった? でさでさ、四つ子ちゃん、ちょっとメガシンカやってみせてよ!」
「いや、やらねぇよ」
すげなく拒否したのはレイアだった。コルニが頬を膨らませる。
「――なんで? いざって時にどうするのか分かんなかったら困るじゃん!」
「かといって、今は必要な時じゃねぇだろ。戦う気も無いのにメガシンカさせる気はねぇよ」
「じゃあさ、あたしと勝負しよ!」
「やらねぇっつってんだろうが。それどころじゃねぇんだよ」
レイアは冷たく突っぱねる。
コルニは顔を上気させてなおも言いつのろうとしたが、コンコンブルに諌められた。
「こらコルニ。これがこの四人の決めた道。強いて邪魔立てするでない」
「でも……ヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラのメガシンカ、見たいよー!」
「コルニさん、僕らのポケモンは見世物じゃありません。僕らの仲間です」
フシギダネを頭に乗せたキョウキが笑顔で囁く。
「メガシンカしたポケモンの強さは尋常ではないとお聞きします。そんなメガシンカしたポケモンが何体もこのマスタータワーの頂上で暴れれば、危険です。……僕らはよほどの事でもないと、メガシンカを使わないでしょう」
「そんなの、宝の持ち腐れじゃんかー!」
「ちげぇぜコルニ。力ってのは、どう使うかきちんと考えないと、他人を不幸にするもんだ」
ピカチュウを肩に乗せたセッカが綺麗に微笑んでコルニを諭す。するとコルニは悔しげに唸った。
「……ううーっ……ひどいよ、自分たちだけメガシンカ使えるようになったからって偉そうにしちゃってさ。ちょっとぐらい見せてくれたっていいじゃん、ケチ」
「もうそのくらいにせい。お前はまだまだ未熟だな、コルニよ」
コンコンブルが溜息をついてコルニを黙らせた。そして四つ子を見やった。
「……おぬしらのここまでの道、感じさせてもらった。痛みや苦しみ多々あろうが、顔を背けず、道に違わず、おぬしら自身とポケモンたち、そして互いを信じ、これまで通り勇気をもって進むが良い」
四つ子はキーストーンを飾られた簪を握りしめ、風の中で頷いた。
正午にも近づくと引き潮に伴って海割れの道は現れており、四つ子はマスタータワーを後にしてシャラシティに戻った。そしてその浜辺で立ち止まり、顔を見合わせた。
ヒトカゲを抱えたレイアが呟く。
「……キーストーンも手に入ったし、とりあえずシャラでの用事は完了だな」
フシギダネを頭に乗せたキョウキが微笑む。
「そうだね。これからどうしようか」
ピカチュウを肩に乗せたセッカが腕を組んで考え込んだ。
「しょーじき、よくわかんない」
ゼニガメを両手で抱えたサクヤが囁く。
「……僕らはフレア団に狙われているのだったな。ポケモン協会にも警戒されているかもしれない、のか」
四つ子は顔を見合わせた。
そして昼の砂浜でこそこそと相談を開始した。
「やっぱ四人でしばらく行動すべきなのか?」
「レイア。昨日ユディに、それは目立つって指摘されたばかりじゃない」
「じゃさじゃさ、二人で行く? その方が安心安全?」
「なぜ二人でいる必要がある? 一人でも構わないだろう……メガシンカも手に入ったのだから」
「いや、一人じゃさすがに不安じゃね? 俺ら互いの連絡手段ねぇのよ?」
「でも、フレア団やポケモン協会の目をくらますという意味では、一人の方が便利っちゃ便利かもね」
「四人より二人、二人より一人の方が目立たねーしな!」
「僕は一人で十分だ。しばらく一人で考えたいこともある」
「サクヤが考えてぇことって、モチヅキか? モチヅキの事なのか?」
「ほんと、この子はモチヅキさん大好きだよねぇー」
「こりゃ、れーやもきょっきょも、しゃくやをからかってるバヤイじゃないでしょ。真面目に考えなしゃい!」
「セッカお前は滑舌が本当に残念だな」
セッカはなぜかうふうふと嬉しそうに笑っていた。
レイアは砂を蹴った。
「……お前らが一人でいてぇってんなら、俺も別に一人でいーよ。ただしお前らがやばくなっても助けにゃいかねぇけどな」
「ここで考えたいのは、僕らにどんな手段があるってこと。一つ、野山に隠遁する。二つ、ウズかユディかモチヅキさんに匿ってもらう。三つ、フレア団やポケモン協会に補足されない程度に街を転々とし続ける。……このくらいかな?」
「二つめは無くね? 絶対ロフェッカのおっさんかルシェドウが、うぜってぇぐらい探り入れに来るもん」
「野山に隠遁にも無理がある。いくら僕らでも、まさかポケモンセンターに世話にならないサバイバル生活まではしたことがないだろう。どうせ長続きしない」
そこで四人は顔を見合わせた。答えは早くも一つに絞られた。
レイアが渋い顔で唸る。赤いピアスが揺れる。
「…………一人で、街を素早く転々とし続けろ……か」
緑の被衣のキョウキが笑顔で頷く。
「ユディは『ポケセン使わない方が不自然だ』とか言ってたけど、やっぱポケセンの宿帳に氏名が残されるのも恐いよね。……ポケセンでポケモンを休ませたり買い物したりはいいけど、泊まるときは偽名使うなり、諦めて野宿するなりした方がいいかもね」
セッカが首を傾げる。
「気を付けるのはそんくらい? 普通にバトルして賞金稼いでもいい? ジムとか行っていいの?」
青い領巾を指先で弄りながらサクヤが嘆息した。
「お前はさっさとジム行ってバッジ集めろよ。……バトルは仕方ないだろう、金が無いと生きていけない」
それから四つ子は真昼の砂浜で、細々とした相談をした。
フレア団との接触は避ける。
ポケモン協会との接触も避ける。
問題を起こさない。
当面は、ウズやユディやモチヅキにも連絡しない。
ほとぼりが冷めるまでおとなしくする。
「……ほとぼりか。そもそもなんで、ほとぼりがあんだろな……」
「全部榴火のせいだよ。あーあ、榴火が逮捕の死刑とはいかないまでも無期懲役にでもなってくれればなー」
「ほんとさ、あんな危険なやつ、なんで野放しにされてんだろな」
「フレア団とポケモン協会と与党政府が癒着しているからだ」
サクヤの一言ですべてが片づけられた。
そう、この国はおかしい。おかしいことをおかしいと言えない時点でおかしい。
「……あー、この国ってほんと絶望的だよな」
「そうだね。モチヅキさんやロフェッカやルシェドウさんといった実務家は、そのおかしな制度に従わざるをえない。僕たち制度の恩恵を享受しているトレーナーは、なおさらだ。……おかしいことを糾弾するのは、一般市民や学者さん、ユディたち学生の役目だよ」
「だがその一般市民や学者どもも、現体制に追随しているのだろうが」
ぶつぶつとぼやくレイアとキョウキとサクヤに、セッカが無表情で口を挟んだ。
「お前ら黙れ。そういうこと言うから狙われる」
そのようにして、シャラシティの白い砂浜で、四つ子はバラバラに別れた。
別れの言葉を口にすることもなかった。喧嘩をしたわけではない。気まずい空気で別れたわけでもない。ただこの国は息苦しい。こんなにも息苦しかっただろうか。
帯にメガカンザシを挿した四人は別々の道を行きながらも、遠い昔を思い出す。
十歳になって、ポケモントレーナーとなり旅に出なければならなかった。思えば四つ子の抱く違和感、疑問、疑念はその時その瞬間に根差している。一つの道しか選べない、その息苦しさ。
けれど旅に出てみれば、行き先も食べ物も眠る時間も自由だった。ポケモンセンターには無料で泊まれる、格安で食事ができる。トレーナーという身分は恵まれている。ポケモンを育て、バトルで勝てばいい。それが生活のすべてになった。
その中で忘れたのだろうか。
いや、忘れたことなどないはずだ。バトルに追われる日々。トレーナー以外の将来を夢見ることすら許されず。ポケモンセンターだけを目当てに、各地をさまよい歩く。そんな日々に投げやりになり、無責任になって引き起こしたのが、ミアレでの事件だ。
自由など、最初から無かったのだ。そのことに気付くきっかけとなった。
それ以来、以前に増して格段に、旅は窮屈になった。
こんなにもカロスは息苦しかったのか。
四つ子とメガシンカ 朝
翌朝目を覚ますと、マスタータワーの南の道が消えていた。
昨晩四つ子が歩いてきた海中の道が、青い海に没してしまっていたのである。現在いる場所とシャラシティの方角とを何度も見比べてみるけれど、やはり道がない。あったはずの道が消えている。
窓辺に立ってそれを見下ろすレイアに、セッカが飛びつく。
「しゅごい! 帰れない! れーや、どーしよー! 閉じ込められちゃったぁー!」
「いてぇっ……嬉しそうだな。潮の満ち引きで、道が消えるんだと」
「四つ子ちゃーん、おっはよー!」
そこに客室に飛び込んできたのは、シャラシティジムリーダーのコルニである。朝も早くからローラースケートで室内に踏み込んできた。
呆気にとられるレイアとセッカ、そして未だにベッドの上で微睡んでいるキョウキとサクヤを見回して、コルニはあっけらかんとして笑った。
「ごめん! どれが誰だかわかんないや!」
「ビオラさんやウルップさんは覚えててくれたのにぃ!」
「うー、ごめんってばぁ! あたしまだまだジムリーダー初心者だから? あんまり挑戦者さんのことまで見れてないっていうかさー……」
「それって、ジムリーダーとしてどうなんですかねぇ」
むくりと起き出したキョウキが微笑している。
「ジムリーダーたるもの、挑戦者の強さと個性を見極めたうえでバッジを渡して頂かないと――というのがポケモン協会の建前ではないのですか?」
「……キョウキ、お前、朝からうるさい……。コルニさん、何の御用ですか」
サクヤが目をこすりながらもぞもぞと動き出した。
コルニは機嫌よくローラースケートで客室内を動き回る。
「えっと、それが、おじいちゃんがね、四つ子を呼んで下でバトルさせろって言っててさあ」
「バトルっすか」
「そ。おじいちゃんも凄腕のトレーナーだから、そうやって四つ子ちゃんの実力を見極めようとしてるんだと思うよ。あたしが認めたトレーナーなんだから、強いのは当たり前なのにねー」
コルニは明るく笑い、四つ子に向かって親指を突き立てた。
「うん、四つ子ちゃんならメガシンカ使えるよ、あたしが保証するって! ま、あたしもまだメガシンカ使えないけどねー! あははっ、まあまあ、気にせずがんばって!」
「うん! ばんがる!」
セッカが勢い良く鼻を鳴らした。
客室を出て最初に視界に飛び込んでくるのは、巨大なメガルカリオの像だ。
螺旋状の坂を、転ばないように慎重に四つ子は下りた。その傍をコルニが猛スピードでローラースケートで駆け下る。
メガルカリオ像の正面で堂々と仁王立ちしていたのは、メガシンカおやじ――もといコンコンブル。老齢とは思えぬほど背筋をまっすぐに伸ばし、階上から現れたコルニと四つ子を強い視線で見据えた。
「おはよう。朝早くからよく来てくれた。コルニからも聞いたとは思うが、これから私の前でおぬしらのバトルを見せてもらおうと思う」
「あっ、コルニや昆布爺さんと戦うんじゃなくて、俺らの間で戦うんすか!」
四つ子は顔を見合わせた。片割れたちとの間でポケモンバトルをするのは久々だった。
コンコンブルは四つ子を順に見つめ、よく響く深い声で告げる。
「トレーナーよ。戦う理由は人それぞれ。しかし、果たしておぬしらのポケモンはおぬしらの想いを理解し、まことおぬしらの心に寄り添うて戦っているか? わしが見たいのはそれじゃ」
コンコンブルの隣ではコルニがうんうんと頷いているが、どうにも少女が祖父の言葉の内容を理解できているとは思えなかった。
四つ子は真面目にコンコンブルの言葉に耳を傾ける。
コンコンブルは四人に向かって、手を差し出した。
「おぬしらが得たメガストーンを、見せてみよ」
四つ子はそれぞれ懐から一つずつメガストーンを取り抱いた。四つ子の指の間にあるそれをコンコンブルは目を細めて見やり、頷いた。
「確かに。ヒトカゲを連れたおぬしのものはヘルガナイト、フシギダネを連れたおぬしのものはプテラナイト、ピカチュウを連れたおぬしのものはガブリアスナイト、ゼニガメを連れたおぬしのものはボスゴドラナイト。いずれも本物と見定めた」
専門家の鑑定を受けて本物であることが証明され、四つ子はほっと息をつく。もしこれが偽物であったとしたら、あるいは見当違いのポケモンに対応したメガストーンであったりしたら、ウズや四つ子の父親を笑いものにしても足りない。
「では四つ子よ、メガシンカを望むポケモンを」
コンコンブルの求めに応じ、四つ子はモンスターボールを一つずつ手に取り、解放した。
レイアのヘルガー、キョウキのプテラ、セッカのガブリアス、サクヤのボスゴドラ。
四体をコンコンブルは注意深く眺め、やはり頷いた。
「……良かろう。では、メガシンカを扱うにふさわしいかを見定めるべく、これより試験を始める。わしが認めた暁には、おぬしらにキーストーンを与える」
「試験内容は」
「そう急くな。良いか……わしが知りたいのは、おぬしらのポケモンがおぬしらと覚悟を共にしてあるかということ。ゆえにこれより……トレーナーの指示なしで、ポケモン自身の意志決定のみによって、この四体の間でマルチバトルを行ってもらうこととする。では準備を」
コンコンブルの告げた試験内容に、四つ子は視線を交わした。
一も二もなく、四体に間合いを取らせた。
ヘルガーとプテラ、ガブリアスとボスゴドラがマスタータワーの吹き抜けで睨み合う。
ポケモンの意志だけでのバトル。トレーナーの指示は不要ということで、四つ子自身はコンコンブルの傍に控えている。
コンコンブルが声を張り上げた。
「――始め!」
レイアのヘルガーは首を優雅にもたげ、四本の足でしっかと立っている。尾をゆらりと振る。
キョウキのプテラは羽ばたきし、高い位置で滞空している。
セッカのガブリアスは片手片膝をつき、いつでも飛び出せる状態にある。
サクヤのボスゴドラは四肢を静かに床について、砦のごとき構えの姿勢をとっていた。
四体とも、勝負を始める合図があっても、動かない。
ただ睨み合う。いつでも動けるよう全身に緊張は走っているが、いずれもぴくりとも動かない。
いつ技の応酬が始まってもおかしくない張りつめた空気の中で、四体とも動こうともしない。
四つ子も黙って立っている。その隣でコンコンブルは腕を組んだまま、黙って四体を睨んでいる。
マスタータワーの吹き抜けに、静寂が落ちた。
四つ子もコンコンブルも微動だにせず、何も言わない。四体は睨み合ったまま動かない。
コルニだけがそわそわとその四体の様子を伺い、ちらちらと四つ子やコンコンブルを見やった。そして恐る恐る口を開いた。
「…………えっと、あのー」
「静かにしておれ、コルニ」
「はいごめんなさい……」
祖父に窘められ、コルニは小さく肩を竦めた。
再び、静寂。
ヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラの間の睨み合いには、一瞬の隙も無い。どの一体がいつ動き始めてもおかしくないような緊張感に満ちている。しかし、四体とも行動するのを静かに我慢しているように見えた。誰がいつ動き出すかわからない。ポケモンの本能に従うならば、自分が先手を取り流れを掴むべき局面。
けれど四体は本能を抑え込んで動かない。
トレーナーの指示がないことは既にわかりきっている。四つ子はただただ四体に視線を注いでいる。ヘルガーもプテラもガブリアスもボスゴドラも、それぞれの主に指示を仰ぐような視線を送りもしない。ただ睨み合う。睨み合う。
沈黙が続いたのは、五分ほどだったか。それはひどく長い時間に思われた。
とうとうコンコンブルが、腕を組んだまま低くよく通る声を発した。
「――やめ」
「えっ、終わり? 今のがポケモンバトルだったわけ?」
驚いて口を挟むコルニをコンコンブルは睨んだ。
「たわけ。これがこの者たちの間での勝負であったというだけだ」
混乱するコルニを置いて、コンコンブルは四つ子に向き直った。ヘルガー、プテラ、ガブリアス、ボスゴドラは全身の緊張を解き、それぞれ楽な姿勢をとっている。四つ子は真面目な姿勢でコンコンブルに向き直った。
「……今、俺らの間でマルチバトルすると、こうなるっすけど」
赤いピアスのレイアが囁くと、コンコンブルは組んでいた腕を解いて頷いた。
「よく分かった。つまりおぬしらの間で争っている場合ではない、とな。ふむ……ポケモンたち自身もおぬしらトレーナーの事情をよくよく理解していると見た。ポケモンとの対話を怠らぬ心がけ、見事である」
コンコンブルは笑顔だった。四つ子にはその表情にいい感触を覚えた。
「おぬしたちなら、メガシンカを使いこなせよう。よかろう、キーストーンを授ける」
「うっひゃあ! ほんとっすか!」
「ほんともほんとじゃ。が、しばし待つがいい。キーストーンを使いやすくすべく加工せねばならんからな……」
そしてコンコンブルは四つ子の全身をじろりと眺め、それからヘルガーやプテラやガブリアスやボスゴドラを見やって、もう一度大きく頷いた。
「うむ、力に驕らぬ生き様、見せてもらった。これからもその強さの使い道、たがえぬように心せよ」
「うす」
「はい」
「ばんがります!」
「どうもありがとうございます」
四つ子はコンコンブルに向かって頭を下げた。コンコンブルは踵を返し、メガルカリオ像の台座部の小部屋に入っていった。
そうして四つ子とコルニはマスタータワーの一階のホールに取り残された。
コルニは腕を組み、首を傾げている。
「なんか、あたしにはよく分かんなかったなぁ。あんなのがバトルなの?」
「……確かにマルチバトルしろとは言われたけどよ、俺らは実際、俺らの間でバトルやってる場合じゃねぇんだよ。それをこいつらも分かってたってだけだ」
レイアがヘルガーの首を撫でながら答えるも、コルニは納得できていない。
「よく分かんないよ。あれじゃあヘルガーやプテラやガブリアスやボスゴドラの強さが分かんないじゃん。強いか分かんないのにメガシンカ使ってもいいだなんて、おじいちゃんは何考えてんだろ。全然分かんないよ」
そのままコルニは腕を組んで唸っていた。コルニはまだメガシンカを扱うための修行中の身であるためか、祖父の意図を理解しないらしかった。
しかし四つ子にもコンコンブルの考えをすべて理解できているわけではない。四つ子がやったことといえば、ただヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラを信じたことだけだ。その四体の行動が、たまたまコンコンブルの意に適っただけとしか考えられない。
セッカが頭の後ろで手を組み、メガルカリオ像の台座部を見つめた。
「……で、ここで待ってりゃ、キーストーンってのは貰えるわけ?」
「うーん、今はキーストーンを職人さんに加工してもらってるんだと思うよ。トレーナーによってはキーストーンを腕輪につけたり、ペンダントにつけたり、指輪にしたりピンにつけたりアンクレットにしたり、色々あるからね」
そう答えてコルニはぱんと手を打った。
「そうそう、キーストーンを渡すのって、マスタータワーの頂上だった! ついてきてよ四つ子ちゃん、そこでおじいちゃんを待とう!」
そう叫び、コルニはローラースケートで勢いよくマスタータワーの吹き抜けの外縁に作られた螺旋状の坂を駆け上がっていった。
四つ子は顔を見合わせ、それぞれヘルガーとプテラとガブリアスとボスゴドラをモンスターボールに戻すと、のろのろとコルニのあとを追った。
マスタータワーはものすごく高かった。それを延々と頂上まで、吹き抜けの外縁に作られた螺旋状の坂道を登っていくのである。非常に、疲れる。かといって、キョウキのプテラやサクヤのチルタリスの背に乗って吹き抜けを上昇するのも、なんだか憚られるのだった。
コルニはよくもまあローラースケートで頂上まで楽々と向かえるものだと、四つ子は素直に感心した。
四つ子とメガシンカ 夜
潮騒の聞こえる、海割れの道を四つの影がそろりそろりと渡っていった。溺れそうな海のにおいがした。
シャラシティは夜の海に抱かれている。
並の崖に打ち寄せる音が、夜のしじまに轟く。
光源は空の月、雲の切れ間の微かな星明り、そして四人の先頭を行くレイアの抱えるヒトカゲの尾の灯火ばかり。それも闇を払うには不十分で、キナンの光溢れる祭の空気に慣れた四つ子にはまどろっこしい。五間ほど先は闇。ただ海の先にそびえる砦だけはその威圧感も露わに、海のように立ちはだかっている。
湿った砂をブーツの底で踏み、夜の海を眺めながらシャラシティの北へ。海は闇だった。砕ける月光を飽き足らず飲み込み、四つ子の足元へ黒い波を投げる。
波。
砕けた波の音。
湿った砂を踏む四人の足音。
ピカチュウを肩に乗せたセッカがのんびりと呟く。
「なんかさー、すげぇなー」
「何が」
無感動に返事をしたのは、ヒトカゲを抱えたレイアである。
「だって、シャラにこんなとこがあったなんてなー」
「てめぇは本気でシャラサブレにしか興味なかったんだな……」
「そーそー。前に来たときは、こんな塔があるなんて気づきもしなかったもんなー」
「……マスタータワーは、ポケモンのメガシンカに関わりのある建物らしい」
「ポケモンの目が進化?」
セッカがのんびりと聞き返すと、ゼニガメを抱えたサクヤは顔を顰めた。
「メガシンカ、だ。進化を超えた進化。プラターヌ博士の研究テーマだろう?」
「僕らもメガシンカのために、今マスタータワーに向かってるんだよ? セッカは何をするかも分からないままここに来たの?」
「れーやときょっきょとしゃくやが行くから、俺も来ただけだもん」
セッカはぷーと頬を膨らませる。そして急にぐりんと、フシギダネを頭に乗せたキョウキを振り返った。
「俺らも目が進化すんの!?」
「メガシンカするのは僕らじゃなくて、僕らのポケモンだよー」
「えっ!」
「えっ?」
「なに茶番やってんだよ、お前らはよ……」
レイアが振り返り、呆れたような声を出している。ヒトカゲもその腕の中できゅきゅきゅと笑っていた。
「キナンでバトルシャトレーヌ倒して、んでウズから巻き上げたのが、どうもメガストーンぽいって話になったろうがよ」
「ねえれーや、目がストーンってどういうこと!? この石って目なの!!?」
「――目が石なわけねぇだろうが! ほんっとどういう目と耳してんだてめぇはよ! 病院に突っ込んだろうか!! 海に突っ込んで海水で洗浄するぞてめぇ!!」
「ぴゃあああー! やめてぇー! いじめないでぇー!」
「静かにしろよお前ら」
サクヤの冷静な一言によってレイアとセッカは口を噤んだ。サクヤに従わないと拳や蹴りが飛んでくるのだ。
海上の砦には巨大なアーチ状の門、その先には広大な階段が広がっている。ポケモンリーグに劣らぬ威厳。
海の中に構えられた壮麗なその砦は、マスタータワーだ。赤茶の煉瓦造り、大理石の装飾。いくつもの尖塔。正面の巨大な塔の装飾はどこか時間を司る神の爪に似ている。
マスタータワーは闇に沈んでいた。外壁に灯り一つ掲げていない。四つ子の訪れた時間が遅すぎるためかもしれないが。
黙々と大階段を登りつめれば、正面の巨塔内のホールには光が満ちていた。
四つ子はそこに足を踏み入れた。
その時だった。
「……あっ」
少女の声がした。
「あ――?」
「わあ――」
「ぴぎゃあああああああああ――!」
「わっ――」
四つ子はローラースケートに次々とはね飛ばされていった。
セッカがよろよろと床に手をついたまま、ぴゃいぴゃいと泣き叫ぶ。ピカチュウも床に降り立って盛んに鳴きたてた。
「いったぁぁぁい! 痛いもんっ! ひどい!!」
「ぴぃかー! ぴかぴかーっ!!」
「ああああああ、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいっ!」
そして死屍累々とする四つ子の前に、ローラースケートの少女が手と膝をついた。
さらに老人の怒号が響く。
「こらあコルニ! だから前をよく見いとあれほどゆっとるだろうがー!」
「ごめんなさいおじいちゃん!」
ヒトカゲが涙目でレイアの肩を揺すり、フシギダネがキョウキの頭を鼻先でつつき、ゼニガメがサクヤの黒髪を引っ張りまくっている。レイアは腹部を押さえて床に倒れたまま呻き、キョウキはうつ伏せに床に潰れたまま微動だにせず、サクヤは床に座り込んで深く項垂れている。
セッカはボロボロ泣きながら、ローラースケートの少女に向かって喚いた。
「ひどいもん! 死ぬかと思ったもん! 弁償しろ!」
「ごめんなさい! ……って、あれ? あなた、レイア……だっけ? あれ……キョウキだっけ……あれ、サクヤな気も……?」
「俺はセッカ! れーやはあっち! きょっきょはそれ! しゃくやはこいつ! 俺たち四つ子!」
セッカはずびしずびしとそれぞれの片割れを指さした。そして痛みをこらえ、ぼろぼろ泣きながら立ち上がって喚きまくる。
「もうなんで、目が進化するかと思ったのに、なんで撥ね飛ばされなきゃなんないわけ! 何なの修業なの!? 俺らに何をさせたいの!」
「メガシンカ、じゃと? ほう、どこでそれを耳にした」
その老人の声に、セッカは泣きながら顔を上げた。
眉毛の特徴的な老人が、ホール中央の巨大な銅像の台座に作られた部屋の中から歩み出てきていた。
セッカは嗚咽し、洟を啜り上げる。老人を涙目で睨んだ。
「……じーちゃん、誰……?」
「人呼んで、メガシンカおやじ。こっちのシャラシティジムリーダーのコルニは、わしの孫じゃ」
メガシンカおやじはそう言いつつ、傍らのローラースケートの少女の肩を軽く叩いた。
セッカは涙も拭かずに、じとりとその少女を見やる。
「……あんた、ジムリーダーのくせに、俺らのこと轢き殺しかけたんだね?」
「ごめんなさいってばぁ!」
「ごめんじゃすまないもん! ジムリーダーならさ、あれだよ、ウルップさん見習えよ!」
「うう……だってぇ……謝ったじゃん、許してくれたってよくない?」
「ごめんで済んだら世界は平和だもん! ふーんだ! ひどいもん! ジムリーダーのくせに、若いトレーナーいじめるんだ!」
「ちょっと、何それ!? 言いがかりもほどほどにしてよ!」
「言いがかりじゃないもん! そっちが悪いんだもん! 俺らが怪我したんだもん!」
「ぐう……」
「こらコルニ、そのぐらいにせい。この者の言う通り、お前が客にぶつかっておいた上に、お前はジムリーダーなのだ。ジムリーダーたるもの、他のトレーナーの模範たるべく……」
セッカとコルニの口喧嘩の間に、コルニの祖父が割り込んでコルニに説教を始める。威厳のあるお爺さんだとセッカは思った。
コルニは不満そうに眉根を寄せた。
「だっておじいちゃん、あたしは何度も謝っ……」
「言い訳するでない!!」
老人の怒鳴り声に、コルニはおろかセッカまでも、ぴいと首を縮めた。
「大事なのは言葉ではない、心! 本当に申し訳ないと思う心があるならば、そのような幼い言い訳もせんはずだ!」
「ううー……」
「コルニのじーちゃん、こええー……!」
「……でしょ? だよねだよね、なにもここまで怒んなくてもいいよね?」
「ほんとコルニのじーちゃんこええな!」
「でしょ!」
「マジでそれな!」
そしてメガシンカおやじが怖いという点で、セッカとコルニは意気投合した。
マスタータワーの内部は、巨大な吹き抜けになっている。
その中央にそびえるのは、これまた巨大な銅像。コルニがそれを見上げ、セッカの視線を導く。
「この像がメガルカリオだよ。昔この地にやってきた人がルカリオを連れていて、そこでキーストーンとメガストーンを発見して、初めてのメガシンカが起こったんだ!」
「……目がルカリオ? え? え? どういう意味?」
「ちょっとセッカ! メガルカリオは、メガシンカしたルカリオでしょ!」
「……目が進化したルカリオが、目がルカリオなの? え、何も変わってなくね?」
「ぜんっぜん違うに決まってるじゃん! メガルカリオって、すぅっごく強いんだよ! くうー、あたしも早くルカリオをメガシンカさせたい!」
コルニとセッカの話はまったく噛み合わなかった。
その二人をよそに、ようやく起き上がった緑の被衣のキョウキが、フシギダネを腕に抱えてメガシンカおやじにようやく挨拶した。
「はじめまして、メガシンカおやじさん。僕はキョウキ、そしてこちらがレイア、この子がサクヤ、そしてお孫さんとすっかり意気投合しているあちらの馬鹿がセッカです」
メガシンカおやじはキョウキに視線を合わせてゆったりと頷き、その挨拶に応えた。
「ふむ。こんばんは。では、このマスタータワーを訪れた要件を伺おう」
「メガシンカについてお伺いしたいのですが」
起き上がったサクヤがそう問うと、メガシンカおやじはそちらを見やり、鷹揚に頷いた。
威厳を称えた老人はどうやらこのマスタータワーの管理者であるらしい。朗々とした声で、求めに応じてメガシンカについて語りだした。
「――ポケモンの持つメガストーン、トレーナーの持つキーストーン。ポケモンとトレーナーの絆の力によって二つの石が共鳴するとき、ポケモンは進化を超えた進化、メガシンカを果たす」
そう重々しく語る。
「我が一族は代々このマスタータワーにて、メガシンカの秘密を守ってきた。心悪しき者に利用されぬよう、正しき者にのみ二つの石を授けてきた」
「つまり、メガシンカするためにはここで何かしらの審査を受けねぇとだめってことかよ? ここはポケモン協会の一機関か何かか?」
ヒトカゲを抱えたレイアが用心深く問いかける。
すると老人はレイアを見やり、鼻で笑った。
「ポケモン協会などと。あのような青い組織に組み込まれるほど、我らは軽くはないぞ」
レイアとキョウキとサクヤは顔を見合わせた。メガシンカおやじはその三人を鋭い眼差しで見据え、語り続ける。
「我が一族は古来より独自に、マスタータワーを訪れるトレーナーの素質を見極め、そして心正しき者にのみメガシンカの極意を伝えてきた。……どうじゃ、興味が出てきたか? おぬしらもポケモンをメガシンカさせたいか?」
そうにやりと笑って、レイアとキョウキとサクヤの顔を覗き込んでくる。
三人は再び顔を見合わせた。
四つ子は現在、メガストーンと思しき石を持っている。ウズから貰ったものだ。
どうやらメガストーンというのは、このマスタータワーの外でも手に入れることができるものらしい。おそらくキーストーンもだ。
メガストーンとキーストーンは、自然発生したもののようだった。進化の石のような。
メガシンカおやじの話を聞く限り、四つ子は後はキーストーンだけを手に入れれば、メガシンカを扱えるようになるのかもしれなかった。
サクヤが老人に尋ねた。
「……キーストーンは、どこで手に入りますか」
「さてな。山奥からひょっこり見つかるかもしれん。我が一族は長い時をかけ、野山を巡り、二種類の石を探し求めてはこのマスタータワーに収めてきた。……すなわち、このマスタータワーにもキーストーンはいくつか収められておる」
レイアとキョウキとサクヤはメガシンカおやじを凝視する。
メガシンカおやじは三人の目を覗き込み、ますます笑みを深めた。
「ポケモンをメガシンカさせたいか。ふむ……その様子じゃと、メガストーンらしきものは既に手に入れたというところか? ふむふむ……強さを欲しとる目だな?」
マスタータワーの守護者の目は確かのようだ。ほんの数分で四つ子の望むもの、この場を訪れた目的を見定めてしまった。
その観察眼は、確かに尊敬に値する。
レイアとキョウキとサクヤは改めて継承者を見つめ、素直に囁いた。
「……俺らは、狙われてんだ」
「僕らは何も悪くないのに、僕らを傷つけようとしてくる敵がいるんです」
「その敵を退けるために力を求めることは、間違っていますか?」
その三人の訴えを、老いた継承者は目を伏せて頷きながら聞いていた。そしてじろりと四つ子を眺めまわし、口を開いた。重い言葉が漏れる。
「自力救済は現代において、望ましいことではない。……しかし確かに、善悪は正しく見極めねばならんな」
メガシンカおやじは巨大な銅像を背に、そう静かに告げた。
「それでもじゃ。――おぬしたち自身の幸せだけを願ったところで、それではフレア団と何も変わらぬということを、よくよく心に留めおくがいいぞ。四つ子のトレーナーよ」
一方のセッカとコルニは、未だにメガシンカの見解の相違について恐慌をきたしていた。
夜も遅いということで、四つ子はマスタータワー内の客室を与えられた。吹き抜けの外縁の坂を上るさなかの一部屋に四つ子は入った。
ヒトカゲとフシギダネとピカチュウとゼニガメがようやく四つ子の手から解放されて、思い切り部屋を走り回る。もう夜もだいぶ更けたというのに元気なことだ。
四つ子は室内を検分した。簡素な四つのベッド、机、鏡、椅子、本棚。ガラスの嵌められた窓からは、果てしない滄溟と、マスタータワーから南に伸びる道、そして夜空の下で輝くシャラシティが臨めた。
それから四つ子はベッドに腰を下ろす。走り回る相棒たちを眺める。
キーストーンを求めた四つ子に対するメガシンカおやじの反応は、非常に曖昧だった。このマスタータワーにキーストーンの用意があることを明言しつつも、四つ子にそれを授けるかについては茶を濁していた。そしてもう夜も遅いと諭され、客室に押し込められたのだ。
メガシンカおやじの孫のコルニは、まだメガシンカを極めるための修行の途中であるらしく、彼女自身も未だにメガシンカは使えないという。なのでキーストーンを授けるか否かの決定権はコルニにはないのだ。
メガシンカおやじに認められなければ、四つ子はメガシンカを扱うことはできない。
四つ子は、メガシンカを、一応は望んでいる。
それは一つには、キナンでウズから与えられた、実家の父親からの生まれて初めての贈り物だというそれが、メガシンカの鍵を握るメガストーンだったからというのもある。
また、フレア団やポケモン協会に狙われている恐れがあるからというのもある。
他にも、単純にバトルで強くなれば、賞金を稼ぎやすくなるからというのもある。
四つ子にとって一番重要なのは何だろうか。一つめの理由はほとんど四つ子にとっては重大な価値を持たなかった。二つめと三つめの理由は四つ子にとって大事な問題だったが、わざわざメガシンカに頼らずとも安全と金銭は贖えるようにも思われる。どうしてもメガシンカにこだわることの理由にはなっていなかった。
心からメガシンカを欲する気持ちは、四つ子にはない。
だからなぜメガシンカが必要なのかと問われると、どうにも答えられなかった。
「コルニはさー」
セッカがベッドにごろりと転がって呟く。
「ポケモンと一緒に強くなるのが嬉しいって言ってたよ。グッとくる、ってさ」
「……メガシンカはトレーナーがいなければ不可能だ。確かにメガシンカをすれば、ポケモンから必要とされているような感覚には浸れるだろう」
青い領巾を袖に絡めたサクヤもまたごろりと転がる。続いて緑の被衣を頭から被ったキョウキもころんと転がった。
「自己承認欲求は満たされるかも、だね」
「ポケモンに認められて、そんなに嬉しいもんかねぇ」
赤いピアスのレイアが最後にどさりと倒れた。
四つ子はぎしぎしいうベッドの上をごろごろ転がった。
「俺らのポケモンは俺らのこと認めてくれてる。なら、これ以上特別な絆とか要るかね?」
「正直、僕、特に何も考えずにここ来ちゃったんだよね。コンコンブルさんもなんだか、あんまりすんなりとはキーストーン渡してくれそうにないし。僕らには素質とやらがないのかもね」
「……こんぶ?」
「コンコンブル。先ほどのご老体の名だ」
「昆布の佃煮食べたい!」
「ま、メガシンカ使えるトレーナーは少なくって、そんだけ特別ってこった。ジムリーダーでもメガシンカできないらしいぞ? チャンピオンとか四天王級だとよ」
「僕らがジムリーダー級に甘んじるなら、メガシンカは不要だ、と」
「え? え? ……四天王と渡り合うには目が進化した方がいいってこと?」
「セッカさっきからアクセントおかしい」
ここでようやく片割れたちはセッカに、メガシンカとは目が進化することではないこと、メガシンカのメガはメガドレインのメガだということを教え込んだ。
セッカは勢いよくバンと簡素な寝台を叩いた。
「――なるぴよ!」
「なんでまた、んな基本的なとこを勘違いするかねぇ」
「でさ、でさでさでさ! なんで佃煮じいさんは俺らにキーストーンくれないわけ?」
「コンコンブルの原形すら留めてねぇな。……それがわかりゃ苦労はしねぇっつーか、このままキーストーン貰うのに時間かかるんだったら、マジで時間の無駄なんですけど。地道に山で野生のポケモンと戦ってる方がまだ強くなれるわ」
「コンコンブルさんは僕らに何を求めてるんだろうね。渡すことすら確約しなかったところを見るに、僕らにはまだ何かが足りないんだよ。たぶん」
「要は、メガシンカ使いたるに相応しいか、ということだろう」
うーん、と四つ子は唸った。
コンコンブルは何かヒントのようなことを言っていたかと頭をひねった。
「善悪が何とかかんとか」
「自分のことだけ考えてたら、フレア団と何も変わらないとか何とか」
「どうだセッカ、何か閃いたか」
「ピカさんのこと? ピカさんはいっつもぴかぴか、元気でちゅう!」
駄目だこれは、とレイアとキョウキとサクヤは溜息をついた。セッカは枕元に飛び込んできたピカチュウをキャッチして、きゃっきゃうふふと頬ずりしている。今日のセッカは馬鹿モードだ。およそ頼りにならない。
レイアもまた飛びついてきたヒトカゲを抱きしめてやり、その頬をうりうりする。ヒトカゲが幸せそうな声を漏らす。
キョウキもフシギダネを腹に乗せて微笑む。
サクヤは頬をつねってくるゼニガメに文句を言った。その甲羅を両手で掴み、リーチの差でゼニガメの悪戯を完封する。ゼニガメはサクヤの顔面に軽い水鉄砲を見舞った。サクヤが鬼の形相になった。ゼニガメは頭を甲羅の中に引っこめた。
メガシンカとは何なのだろう。
相棒や、そのほかの手持ちたちとも四つ子はうまくやれている。指示と技とがかみ合い、あらゆる敵を退け、賞金をとる。
今のままで十分ではないか。
十分なのだろうか。
四つ子はどこまで強くなるべきなのだろう。
「……これ以上強くなったらさ、またトキサみたいなことが起きる確率も上がるわけじゃん?」
セッカが囁いた。
「でも、敵がどれだけ多いかもわからないんだよ。というか、正当防衛なら、トキサさんみたいなことが起こったってしょうがないし、僕らの責任じゃないと思うの」
キョウキが囁いた。
「どうとも言えねぇな。メガシンカの強さも、敵の規模も分からん。そもそも、フレア団が俺らを狙ってるってのもただの被害妄想かもしんねぇ。何一つ確実じゃない」
レイアが囁いた。
「その中で何かしらの覚悟を決めるのは難しい。何をしたらいいかすら分からないのだから」
サクヤが囁いた。
そこで四人は目を閉じた。夜も遅い。
微かに波の音が聞こえていた。
四つ子とメガシンカ 夕
ヒヨクシティの西の12番道路、フラージュ通りをルカリオが疾走する。四つ子の波動を追って。
朝の光を背に受け、西へと。シャラシティを目指して駆ける。
メェール牧場の草原で微睡んでいたメェークルたちが首をもたげ、干し草のひときわ香り立つのに柔らかく瞬きをし、そして小さく欠伸をした。一陣の風が通り過ぎていった。
陽射しは燦燦と降り注ぎ、空気は暖かい。光る草原を風が撫でる。
北東に青きアズール湾は銀の波を幾億も煌めかせる。長閑なキャモメの声。
ルカリオはそのようなのどけきフラージュ通りを疾風の如く駆け抜ける。
小柄な若いルカリオだ。軽々と段差を飛び越え、つややかな草花を踏み越え、そうして河口の岸辺に辿り着くと速度を落として、ようやく立ち止まった。
はるか南東のキナンシティを源流とし、カロスの大都市ミアレシティを貫いて流れてきた大河、その河水の海に注ぎ込む場所。カロスの南東の果てからもたらされた砂泥が川岸に堆積し、なめらかな砂浜を作っていた。淡水と海水の混じった濃いにおいがする。
ルカリオは滔滔と流れる大河を前にして途方に暮れ、立ち尽くし、指示を求めるべく主人を振り返る。そしてぎょっと目をむいた。
彼の主が、小柄なライドポケモンの背に乗って疾走してきたのだ。
「がるっ?」
「……何を驚いてんだ、ルカリオ。俺が自分で走ってお前について来れるはずないだろ?」
メェークルの角を握った彼は巧みにメェークルを巧みに操り、浜辺に立ち止まらせ、そして砂の上に軽やかに降り立った。
ルカリオの主人は金髪に緑の瞳、モノクロの服装に身を包んだ青年。ユディという名だ。
砂浜に立ったユディが角から手を放すと、メェークルはおとなしく緑のメェール牧場へと戻っていった。それを見送り、ユディは小柄なルカリオに視線を戻す。
ルカリオは困ったように、ユディに河口を指し示し、唸った。
「……がるる」
「……こりゃ、渡れないな。アホ四つ子はこの先なのか?」
「がる」
「参ったな、コボク経由で来るべきだったか……いや、それもそれで遠回りすぎるが」
ユディは困り果てて、砂浜に座り込んだ。小柄なルカリオもその隣でちんまりと正座する。
「まったく、交通が不便なんだよな」
ユディは片膝を抱えてぼやいた。
「まあポケモンの生息地を守らないといけないし、あと野生のポケモンのせいで道路も鉄道も管理がかなり困難だっていうのもあるか。……にしたって不便だ」
これほど各地の交通の便が悪いくせに、よくもまあここまで各都市が発展してきたものだと思う。都市ごとにそれぞれの産業を育成し運輸で産物を分配することが経済的に最も効率のいい方法だが、果たしてフウジョタウン産の小麦やこのメェール牧場産の乳製品、そしてカロス南部産の野菜や果物や葡萄酒はいかようにしてカロス全国に流通しているものか。
「……まさかまだ、ポケモンの背に乗せて? ……前近代の貿易商か」
ユディは唸った。アホなことを考えるのはやめよう。もちろん陸上貨物はトラックが運送しているのだ。したがって、トラックが走るための大都市間をつなぐ高速道路がいずこかに存在するに決まっている。しかし徒歩の人間が果たして高速道路の恩恵にあずかり、ヒヨクからシャラに辿り着けるというのか。
ユディは頭を振った。
結局、ユディは暫くルカリオと共にぼんやりと砂浜に座り込んでいた。
もちろん、日が暮れるまで立ち往生していたわけではない。自身と同様にヒヨクシティ方面からやってきたトレーナーの所持するラプラスの背に同乗させてもらうことにより、ユディとルカリオはシャラシティ側の岸へと渡った。街の外で困ったときはポケモントレーナーに頼るに限る。謝礼として千円ほどをそのトレーナーに手渡し、無事にシャラシティ側に渡り終えたユディは息をつく。
大河という最大の難関を超えて、小柄なルカリオが再び意気揚々と西へと駆け出した。四つ子の波動を追って。
しかし、そのままシャラシティに入ることはなかった。急に左折して、平らな道を外れたルカリオはフラージュ通りを南下し、遠目にも見えるナナシの大木の根元を目指して走っていく。
ルカリオは走りながらにっと笑ったかと思うと、唐突に両腕を曲げて掌に波動を溜め始めた。その後ろをユディもついて走りながらにやりとした。――見つけた。
ルカリオは、ナナシの大木の傍らにあった茂みめがけて、波動弾を撃ち出した。
茂みが爆発する。
悲鳴が上がった。
「ぎゃあ――!!!」
「ぴかちゃあ――!」
「うわっ……」
「かげぇぇっ、かげええええ」
「きゃあー」
「だーねー」
「……あの野郎……」
「ぜーに! ぜにぐぁあー!!」
もうもうと立ち上る土煙の向こう、茂みの中から四人と四匹分のうめき声が漏れてくる。
茂みの中から人の声が「危ないところだった」と繰り返し呟くのが聞こえた。その声にユディは聞き覚えがあった。彼は咄嗟に思い当たって叫んだ。
「その声は、我が友、アホ四つ子ではないか?」
茂みの中からは、しばらく返事がなかった。忍び泣きかと思われる微かな声がときどき漏れるばかりである。
ややあって、低い声が答えた。
「いかにも俺らは」
「クノエの四つ子である」
「ちょっマジで死ぬかと思った」
「貴様、僕らを殺す気だったのか……」
ユディとルカリオがその茂みの中を覗き込むと、なるほどそっくりな顔をした四つ子が小さく蹲ってこちらを恨めし気に睨み上げている。
ユディは失笑した。
「おい……何やってんだ、アホ四つ子?」
「――こっちのセリフだもん! ひどいもん! 痛いもん!」
ピカチュウを肩に乗せたセッカが、涙目でぴゃいぴゃいと叫んだ。
「ユディごらてめぇ何してくれてんだ潰すぞ!!」
ヒトカゲを脇に抱えた赤いピアスのレイアが、涙目で怒鳴った。
「もう、ルカリオったら酷いよう」
フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキが、ほやほやと笑いながらもルカリオに文句を言った。
「……ルカリオに僕らの波動を読み取らせたな?」
ゼニガメを両手で抱えた青い領巾のサクヤが、恨みがましげにユディを睨んでいた。
揃いの黒髪に灰色の瞳、袴ブーツ、葡萄茶の旅衣。それが四人、茂みの中。
四つ子はユディの幼馴染だ。
ユディの手持ちのルカリオもまた、四つ子とは昔からの顔なじみだった。そのため、ユディルカリオは四つ子の波動を遠くからでも容易に感じ取ることができる。
一斉にすさまじい顔つきで睨んでくる四つ子に、ユディは苦笑した。
「……なんだよ。睨むなよ。俺はただ、ロフェッカさんからお前らがキナンから消えたって連絡を頂いて、お前らに何かあったんじゃないかと心配してだな……」
「ロフェッカの差し金?」
緑の被衣のキョウキが毒々しげに笑う。その眼は笑っていない。
ユディはふと真顔になった。
「……お前ら、キナンでロフェッカさんと喧嘩でもしたのか?」
四つ子は一斉に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ユディは再び苦笑する。ユディの前で子供らしく振る舞うところは、昔から全く変わっていないようだった。
四つ子は先日まで、カロス最南端のリゾート都市キナンに籠っていたはずだった。
ポケモン協会の指示でそうしていたのだ。四つ子の養親のウズと、また協会職員のロフェッカと共に、優雅で快適な別荘暮らし。さらには家庭教師も雇ったということも、ユディはウズからの手紙やロフェッカからのメールによって知っていた。
キナンでは四つ子は衣食住が保障され、勉強もでき、そして毎日思う存分ポケモンバトルに打ち込める。金銭的にも文化的にも、これ以上ないほど恵まれた機会だったはずだ。
なのに、四つ子はキナンシティから脱走した。ポケモン協会の保護から自主的に脱したのだ。
ユディには単純に、疑問だった。キナン以上に四つ子にとって望ましい環境などないはずだった。旅が辛いと嘆いていた四つ子は、それでも旅枕になければ生きていけないのか。まさか旅中毒なのか。
「ロフェッカさん、心配なさってるんだぞ? お前らが勝手に夜中に家出したから……」
ユディは苦笑しつつそう言ってみたものの、四つ子はユディの言葉など聞いてもいなかった。茂みの中に潜んだまま、何やら四人でこそこそと相談し合っている。
「……だから……ルカリオが……」
「……波動……俺ら……追ってくるぞ……」
「……厄介だ……いっそのこと……」
「……ここで潰すか……」
「誰が、何を、潰すって?」
茂みの外に屈み込んだままユディは緩く笑ってやった。
茂みの中に蹲っている四つ子は、そろりとユディを見やり、そして一斉にモンスターボールを掲げた。
「悪ぃな」
「ユディ」
「許せ」
「――おいちょっ……待っ……、アホ四つ子…………何する気だよお前ら!?」
「ごめんね、ユディ。ロフェッカにはうまく言っておいてね。……僕らは今ね、ロフェッカの指示で動いている君を信じるわけにはいかないんだよね……」
キョウキがうへへへへへへと笑っている。
茂みの中で四つ子は殺気立っている。その並々ならぬ雰囲気にユディはわたわたと手を振った。
「分かった! よく分からんが分かった、ロフェッカさんにはお前らのことは言わない! それでいいんだろが、俺はロフェッカさんと連絡とらない、それでいいか!?」
「本当か。約束すんのか?」
「ああ、約束する。ロフェッカさんよりお前ら四つ子の方が、まだ俺にとっちゃよく知ってるやつだからな……つまり俺はロフェッカさんよりお前らの味方だ! 神に誓って!」
ユディが必死に言い募ると、茂みの中の四つ子はそろそろとボールを掲げていた手を下ろした。にもかかわらず、ヒトカゲもフシギダネもピカチュウもゼニガメも未だに全身を緊張させ、凄まじい形相でユディとルカリオを警戒している。
そのただ事でなさそうな様子に、ユディはようやく表情をまじめに改めた。
ユディは屈み込んだまま背筋を伸ばし、茂みの中の幼馴染四人に問いかける。
「……なあ、アホ四つ子。俺はさ、ポケモン協会ともウズとも関係ないただの一般人だからさ、そこは信じてくれていい。……何があった?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四つ子はそっくりな顔で、茂みの中からユディを睨み上げている。
不信に満ちた、冷たい、荒んだ眼差しだった。四人が十歳になる前、トレーナーとして旅立つことをひたすら拒絶していた頃と同じ目をしている。
ユディのルカリオがその四人の視線に怯え、後ずさる。このような四つ子の眼はルカリオにとってはトラウマだった。神経質に全身を強張らせるルカリオの肩に手を置いてやりながら、ユディは毅然と言い放つ。
「シャラのポケモンセンターに行かずにこんなところでこそこそしてんのも、何か理由があるんだろ。ポケモン協会と何かあったんだな?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「あのな、お前ら、トレーナーのくせにポケモン協会を敵に回しちゃお終いだろ。っつーか逆にさ、何をやれば協会と敵対できるんだよ」
「ユディてめぇ、どこまで知ってる?」
茂みの中でレイアが低く唸った。赤いピアスが揺れる。
ユディは肩を竦めた。
「何も知らん。俺はただ毎日ロフェッカさんからのホログラムメールで、お前らがキナンで呑気に暮らしている映像を、面白おかしく観てただけだ。お前らが何かに困ってる様子なんて分かんなかったし、多分それは、俺と同じメールを受け取ってたモチヅキさんもルシェドウさんも同じじゃないか?」
ユディがそう言うと茂みの中の四つ子は一斉にぷくぅと膨れっ面になったので、ユディは思わず吹き出した。
「え、知らなかったか? んなことないよな、毎日撮られてりゃそりゃ知ってるよな?」
「……毎日か……」
「気付かなかったよ……」
「まあいいわ、話を戻すぞ……」
「おいユディ。ポケモン協会の連中に僕らのことを話したら、シメるぞ……」
四つ子は茂みの中に屈んだまま、怒り狂った四匹のチョロネコのようにユディを威嚇していた。茂みの中で怯える四匹のチョロネコを想像して図らずも和んだユディは、緩い口調になった。
「ウズは、お前らがここにいるって知ってるのか? モチヅキさんは? その二人にも教えちゃ駄目なのか?」
ユディが言葉を発するごとに、四つ子はどこか戸惑うように黙り込み、互いに顔を見合わせる。
風に林の木々がさわさわと鳴る音を聞いていた。
青空をゆったりと、白い雲が海から大陸へと流れていく。ユディは顎を上げてぼんやりとそれを眺めた。
茂みの中で小さくなっている四つ子は、ひたすら、ただひたすらに沈黙を守っていた。どうやらユディを関わらせる気はないらしい。
ユディはまあそれでもいいかと思った。四つ子ももう子供ではない。ユディが兄のように、ウズやモチヅキが親のようにいちいち保護してやらなくても、四人で切り抜けることで四つ子は成長するだろうと判断した。
なのでユディは特にこだわりなく、茂みの中に向かって頷いた。
「……分かったよ。何も聞かねぇよ、このアホ四つ子。だが、アドバイスしておく。――お前ら、四人で行動してるとかなり目立つぞ」
すると茂みの中で、そっくりな顔をした四つ子がぱちくりと瞬きした。
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「気づいてなかったのか?」
ユディは真顔で忠告してやった。
「まず、その葡萄茶の旅衣は普通に目立つ。あと、着物も袴も目立つ。四人お揃いでぞろぞろ歩かれちゃ、さらに目立つ。それによく見たら四人とも同じ顔で、なおさら目立つ」
「なにそれ! れーやときょっきょとしゃくやと一緒にいちゃ駄目ってことぉ!?」
「目立つっつっただけだよ。いちゃ駄目ってことはない。……あとお前ら、ポケセンは普通に使えよ。ポケセンに寄らないトレーナーも悪目立ちする」
ユディの指摘に、四つ子は茂みの中に縮こまったままこくこくと素直に頷いた。
ユディは最後に質問した。
「んじゃ、俺はお望み通り、このまま適当にどっか行くわ。何か手伝えることある?」
茂みの中の四つ子はぷるぷると首を振った。そして頭を下げた。
「悪いなユディ。おっさんやルシェドウのことはうまくやれよ」
「ごめんねユディ。ウズやモチヅキさんについてはお前に任せるよ」
「ごめんユディ。俺らはこれからシャラのマスタータワーに行くから」
「すまないユディ。メガシンカを身につけたらもっと用心して行動する」
口々に謝罪の言葉を口にする四つ子に成長を感じ、ユディは爽やかに笑った。ルカリオと共に四つ子に向かって手を振る。
「分かった。とりあえずお前らが元気そうで安心したよ。気を付けてな」
四つ子は茂みの中に潜んだまま、揃ってこくりと頷いた。そしてユディとルカリオの背中を、茂みの中から凝視していた。ルカリオが落ち着かなげにちらちらと背後を振り返っていた。
照日萌ゆ 下
ざくざくと、草を踏み分ける音がした。
薄紅色のスーツ姿のローザと、緑の被衣を被りフシギダネを胸に抱えたキョウキはそちらを振り返る。シュシュプも、フシギダネも。
先ほどのローザと同じくのんびりと散歩するような足取りで現れたのは、ルシェドウだった。癖のある鉄紺色の髪を首の後ろで結って、黒いコート姿で、のっそりと現れた。
ルシェドウは森の真ん中でローザとキョウキの姿を認めると、一瞬瞳孔を開き、それから破顔した。
「あ、ローザさん、いたー! なぜかキョウキもいたぁーっ!!」
それからぴょんぴょんと跳ねるように二人の傍までやってくると、ルシェドウはまずローザの方に一礼した。一瞬だけ鼻をひくつかせつつも笑顔になる。
「あーよかった、見つかってようござんした! もうローザさんったら全然ハクダンにいらっしゃらないから、事務所の方々が心配なさってましたよ! もう俺、森の中に人を捜索しに行くのトラウマなんすから、やめてくださいよ! ローザさんが自殺してたらどうしようかと思っちゃったじゃないっすか!」
「もう、ルシェドウさんったら。大丈夫、こちらのキョウキさんが守ってくださいますわ」
「……僕がいつ貴方を守ると言った……」
テンションの高いルシェドウ、微笑んで応じるローザ、警戒するキョウキ。
それからルシェドウは機嫌よくキョウキを覗き込んだ。
「うっはぁ久しぶりじゃん、レンリ以来じゃん!? ルシェドウさんはもうすっかり元気になりましたよ! っつーか、うっわぁホゲェェェェ旅先でレイアとサクヤ以外の四つ子ちゃんに会うの、これが初めてだわ! キョウキだキョウキだフシギダネちゃんだぁ! 可愛いなぁーよしよーし」
「……相変わらずうるさい人だな……」
キョウキがフシギダネを抱えたまま舌打ちすると、そちらに手を伸ばしかけていたルシェドウはその手を止めた。その手を顎に当て、にやにやしながら首を傾げる。
「ん? んんんー? どしたんキョウキ、機嫌悪くね? いつもなら愛想笑いから入ってくれるよね? ――あー、分かっちゃったぁ、ローザさんに愛想尽かしたばっかってトコだな? このこのぉー、美人さんの前でブッサイクな面さらしやがって、贅沢者め!!」
ルシェドウはすさまじいテンションの高さで、キョウキの首に遠慮なく腕を回した。それから忙しなくローザにも顔を向ける。
「いっやぁすみませんねぇローザさん! このきょっきょちゃんはですね、四つ子の中でもサイッコ――のひねくれ者なんっすよ! もう大好き! この嫌がってる顔! レイアやサクヤにそっっっくり!!!」
「もうやだ本当にルシェドウさんうざい」
キョウキは嘆いた。フシギダネは笑顔で主人を見上げている。
ルシェドウはキョウキの耳元で爆笑していた。
ローザはくすくすと笑って、キョウキとルシェドウを見ていた。
それからキョウキは、ローザとルシェドウと共に、ハクダンシティへ行く羽目になった。半ば強制連行である。
道中もルシェドウは騒がしかった。ローザは香水くさかったが、ルシェドウのせいで加えて一行は騒がしくなった。キョウキはレイアのように眉間に皺を寄せっ放しだった。
「いっやぁ大変だったんすよ、聞いてくださいよローザさん! 俺ったら今回は崖から落っこちて、両足右手骨折! いっやぁ榴火ってマジで怖いっすね!」
「まあルシェドウさん、リュカは悪くありませんわ。手持ちのアブソルの習性として、災害を感知してしまうだけですもの。ご存知のくせに」
「いっやぁ、にしても骨を三本折るとこまで行ったのは初めてっすわ、もう何年かの付き合いっすけどねー」
「そうまでしてリュカに付き合ってくださるのは、ルシェドウさんくらいですわ。本当に有り難いことでございます。あの子も内心ではルシェドウさんの事を慕っているはずです」
「いやぁ、榴火は愛情表現がハードボイルドっすね! まあでも当たって砕けろがモットーなんで、この位でしょげてちゃポケモン協会の名が廃るってもんっすよ。ローザさんも榴火のこと支援してくださって、ほんとこれ以上ないくらい感謝してます、協会一同」
「いえいえ、わたくしが個人的に行っていることですもの。それに協会様には多額のご支援も頂いておりますし、わたくしが出来ることなんてリュカをホープトレーナーに推薦する程度しかありませんでしたわ」
キョウキはフシギダネをしっかと胸に抱えて、その二人の話を聞きながら、黙々と二人に従って歩いていた。
これが、与党候補者とポケモン協会の親密さである。しかもその話題の中心が、フレア団員の榴火ときた。
なぜこのような話を聞く羽目に陥っているのか、キョウキにもよく分からなかった。
二人はわざとこの話をキョウキに聞かせているのだろうか? 二人は、キョウキが榴火がフレア団員であることを知っている、ということを把握しているのか? そもそも二人は、榴火がフレア団員であることを知っているのか?
何の意図があって? あるいは本気でただの世間話のつもりなのか?
そのあたりがはっきりしない今、キョウキにできることといえば、敵と敵による敵についての話に注意深く耳を傾けることだけだった。
ルシェドウとローザは、キョウキが後ろからついてきていることを忘れたかのように談笑し続けている。
「ほんと最近の榴火は、ちょっとやんちゃが過ぎるっていうか。まさかミアレのギャング共とでも仲良くなっちまったのかしらー……俺の監督不行き届きで……すみません」
「確かにホロキャスターを与えても与えてもすぐに壊してしまうのは、困ったことですわねぇ。エリート候補のホープトレーナーとしても望ましくはありませんね」
「ああそうそう、そこのきょっきょちゃんたち四つ子の中にも、榴火とバトルしてる中でちょっと怪我した子がいましてね。そんで四つ子ちゃんには保護のために、こないだまでポケモン協会の指示でキナンシティに籠っててもらってたんすよー」
「あら、そうでしたの。キョウキさん、リュカのせいで窮屈な思いをさせてしまって、すみませんでした」
ローザがキョウキを振り返って小さく頭を下げたが、キョウキは無視した。
ルシェドウが気にせず続ける。
「いっやーその四つ子ちゃんがさぁー、あまりの窮屈さに耐えかねたか勝手にキナン飛び出しやがったんですよね、そんでポケモン協会は四つ子捜し中なんすよー。あーでもこれでやっと一匹目をゲットっすね! ほんと四つ子、ホロキャスター持ってくれよー……」
「わたくしも先ほどキョウキさんにホロキャスターをお渡しすることを申し出たのですが、すげなく断られてしまいましたわ。善意の押し付けがましいのも逆にご無礼ですわね」
そのローザの言いようにキョウキは無性に腹が立ったが、何も言わなかった。
ルシェドウが大げさに溜息をつく。
「にしても榴火もかわいそう。四つ子ちゃんにも嫌われちゃって、家族にも嫌われちゃって。ホープトレーナー仲間の中でもなんだか浮いちゃってるっぽいし……。敵が多いのって辛いよなー」
それはこっちの台詞だ、とキョウキは思ったがやはり何も言わなかった。
それにしても、ルシェドウは以前は四つ子に『危険だから榴火には近づくな』などと言っていたくせに、なぜ今は榴火のことをこうも擁護しているのか。ローザの前だからだろうか、とキョウキは内心首をひねる。
突然、ルシェドウがキョウキを振り返った。
「四つ子ちゃんが榴火の友達になってあげればいいのに!」
「はああ?」
キョウキは目を剝いた。何かとんでもなく笑えない、最低の冗談を聞いた気がした。
しかしルシェドウはキョウキを振り返ったまま、悪戯っぽく笑んでいる。
「同い年ぐらいだし、どっちも家族運ないしー?」
「ちょっと、僕らに失礼ですよルシェドウさん。……あんな危険な奴と友達になれ、と? 正気の沙汰とは思えない」
キョウキは真面目に反論した。
するとルシェドウも真面目な顔になった。
「キョウキ。レイアやセッカやサクヤにも話してみてよ。……榴火はさ、ほんとは寂しい奴なんだ。構ってくれる友達がいたら、あいつもきっとおとなしくなる。……なあ、これ割と本気なんだけど」
キョウキは開いた口がふさがらなかった。顔を引き攣らせたまま、ルシェドウとローザの二人を見やる。甘ったるい匂いのせいで胸が悪い。
ローザも深刻そうな表情で、軽く頭を下げた。
「キョウキさん、わたくしからもお願いいたしますわ。あの子、ちょっと乱暴で、同じホープトレーナーの子たちにも少々怖がられているようなのです。他のホープトレーナーたちはやはり裕福な家庭の子が多いので、なかなかリュカの境遇も理解してもらえなくて……」
「四つ子ちゃんもお母さんがいないし、お父さんとは会わせてもらえないんだよな? だからさ、榴火の寂しさ、四つ子ちゃんにはよく分かると思うんだよ。だからきっと、ちゃんと付き合ってみたら気ぃ合うって。な?」
「…………境遇が似ているから、何ですか? 傷の舐め合いにしかならない」
キョウキが吐き捨てると、ルシェドウはキョウキの正面まで戻ってきて、そっと地面に片膝をついた。キョウキの凄まじく嫌そうな顔を、目を細め、甘い笑顔で覗き込む。
「ローザさんも俺も、榴火のこと支えるから。四つ子と榴火には仲良くなってほしい。お互いいろんな話もできるだろ、ポケモンバトルだってできる。お互いにとって良いことだと思うんだ。だから、四つ子ちゃんの方から、ちょっとずつ榴火にアプローチかけてみてほしいかなー、なんて……」
さらにキョウキの顔が引きつった。
――反吐が出る。
キナンシティでエイジを勝手に家庭教師にされたときや、実の父親の賭けの対象にされたときと同じ、気持ち悪さに胸がむかむかする。
“お前のためだ”。そのような建前でどれほど年長者の都合を押し付けられ、その結果四つ子は傷ついてきたか。
ルシェドウもローザも、四つ子のことはおろか、榴火のことすらろくに考えていない。
実現性の欠片も無い、ふわふわした理想を歳若い者に押し付ける。そんなことで、すべての人間が幸福になると、本気で信じているのか。ただ楽な案に縋っているだけだろうに。
しかしキョウキはそこであえて、榴火と親しくなった際のメリットを考慮してみた。目の前にいるローザとルシェドウの二人は、榴火の唯一ならぬ唯四の友達である四つ子を守らなければならなくなるだろう。四つ子のおかげで榴火の情緒が安定すれば、それはフレア団にとってもメリットなのではないか。――いや、そもそもそういう問題なのか?
キョウキは首を振った。
榴火は四つ子を認めないだろう。直感でそう悟った。
少なくとも、打算で近づいているうちは。
キョウキがこのルシェドウとローザの申し出に嫌悪感を覚えたように、榴火の方とて四つ子と仲良くなるなどまっぴらごめんだろう。それこそミアレのギャングなどとつるんだ方がまだ榴火にとって有益なのではないだろうか。四つ子は人嫌いなのだ。友人になったところで何も楽しいことがあろうはずもない。
「無理ですね」
キョウキはそう答えた。
ルシェドウとローザは失望したような目になった。
キョウキこそ、その二人に心から失望した。
失望したキョウキは、モンスターボールからプテラを出した。これ以上くだらない話に付き合ってはいられなかった。プテラの力強い羽ばたきが、ローザの甘ったるい匂いを、ルシェドウの騒がしい声を清々しく吹き払う。
大人の言うことに唯々諾々として従うことは簡単だ。けれども、大人の言うことを丸ごと素直に受け入れられるほど、もう四つ子は無垢でも愚かでもないのだ。利用されることには反発を覚える。搾取されることを警戒もする。
ローザとルシェドウの二人が、間抜け面をして、プテラの背に乗り上昇したキョウキを見上げていた。その顔に唾を吐きかけてやりたい。
そう剛毅でありつつも、キョウキはプテラの背でフシギダネを抱きしめながら、やってしまったなと思った。
まんまとエイジの仕掛けた罠にかかった。
セッカは怒るだろうか。――きょっきょのお馬鹿、あれほどエイジのこと信じるなって言ったのに。この国が歪んでることについては諦めろって言ったのにぃ! きょっきょったら、れーやより馬鹿なの!? ばーかばーか! ふーんだ!
そのようにセッカに罵られることを想像してみると、自分自身でも気色悪いことに頬が緩んだ。フシギダネが不思議そうな顔をしているが、嬉しいものは嬉しいのだから仕方がない。キョウキは片割れたちが好きだ。片割れたちに罵られるのも大好きだ。
プテラが樹冠の上に出る。ハクダンの森が眼下に緑の塊に見えた。
今になって思えば、エイジは四つ子――主にキョウキの知識欲、ひねくれた性格を狙い撃ちにしていたような気がしないでもない。綺麗事ばかり言う政府の裏の汚い事情、それこそキョウキが舌なめずりしそうな後ろ暗い情報だった。
そして、四つ子がフレア団側につくことも、不可能だった。こちらはまさかローザとルシェドウの罠だったのだろうか。それはさすがに深読みのし過ぎか。何にせよ、今さら四つ子はフレア団には入れないし、国の体勢にも疑問を持つ危険分子ということになったのだ。
それも、ただの反ポケモン派やポケモン愛護派とは違う――四つ子にはポケモンがいる、武力を持っている。であれば、ともすればテロリスト扱いされかねない。
「……とりあえず、ローザさんは敵と見ていいよね」
プテラは輝く太陽の下、空をぐるぐると旋回している。キョウキが行き先を指示していないためだ。
キョウキもどこへ行くつもりもなかった。
どこへ行けばいいかもわからなかった。
照日萌ゆ 上
緑の被衣を頭から被り、キョウキはハクダンの森でまどろんでいた。
キョウキの眠る木陰には、さみどりいろの木漏れ日がやわらかく揺れる。
涼しくて、風はあまくて、とても気持ちがいい。
すぐそばには、フシギダネ。こちらは寄ってくる虫ポケモンなどをそれとなく追い払って、キョウキの心やすい眠りを約束してくれていた。
柔らかな草の中にうずもれて。葉っぱは肌につめたい。土はしっとりしている。
ごろりところがれば、木々の枝が差し伸べられ、裏葉が天を覆う。
体ぜんたいが重力に甘えかかって、指先を動かすのすらおっくうになった。
森の木々のざわめき、緑陰のにおい。響きわたるヤヤコマのさえずり。ここは平和そのもの。
キョウキはフシギダネの鼻先につつかれて、そろりと緑色の夢からさめた。
そのままフシギダネに唇に口づけされて、キョウキは目をぱちくりさせる。なかなか情熱的な目覚めだった。
キョウキはきょろりと目玉を動かす。フシギダネに口を塞がれたまま、周囲の音を探った。
草むらを踏み分ける足音。
しかしそれ以上に鮮烈な印象を与えたのは、甘ったるい香水の香りだった。
少しずつ近づきつつある。匂いが濃くなる。
キョウキはフシギダネの耳元を撫で、了解の意を示した。フシギダネが口元から離れると、キョウキもふわりと微笑む。フシギダネも柔らかく笑む。
キョウキはゆっくりと、葉擦れの音も立てないほどにこっそりと身を起こした。さらりと緑の被衣が草の上に落ち、黒髪が露わになる。
人嫌いの身としては、こんなに美しい森の中ではあまり人に会いたくない。何をしに来た人だろうか。ポケモンを探している風には聞こえない。それにしては、歩調がゆっくりで単調だ。まるで散歩しているかのようだ。
それにこんなに香水をつけて、緑のにおいが台無しだ。キョウキは鼻に皺を寄せた。人嫌いの四つ子が憎むもの――喧騒。くさい香水。ぶつかってくる肩。えとせとら、えとせとら。
その足音と甘ったるいにおいは、まっすぐキョウキの方へ向かってきていた。キョウキが立ち上がる間もなく、薄紅色のスーツを身にまとい、鞄を手にした茶色の短髪の女性が、木陰から現れた。
真っ赤な口紅、大ぶりの金のイヤリング。
香水だと思っていたのは、その女性が従えていたシュシュプの発する匂いだった。
「あら」
「……どうもー」
相手に認識されてしまったので、キョウキも笑顔を作って無難に返事をする。
スーツ姿の女性はのんびりとキョウキの傍まで寄ってきて、そっと屈み込んだ。シュシュプは甘ったるい香りを振りまきながら、ふわふわとそのあたりに漂う。フシギダネの視線がシュシュプを追う。
女性はくすりと笑った。
「森の奥の、眠り姫かしら?」
「王子様はフシギダネですねー」
「口づけによって人間になったケロマツの童話も伺いますけれど?」
「でも僕は目覚めましたよ」
キョウキは大きく伸びをすると、緑の被衣を拾い上げて頭から被る。甘ったるいにおいと女性の視線を拒絶するように。
スーツ姿の女性は体ごと向きを変え、正面からキョウキを見つめた。
「四つ子さんのお一人ですね。こんなところでお会いできるとは、光栄ですわ」
「貴方は一つ子さんですか? こんなところでお会いするなんて、奇遇ですね」
「わたくし、政治家のローザと申します。あなたの片割れのレイアさんやセッカさんとは既に顔見知りでしてよ」
「ああ、貴方が。お噂はかねがね。僕はキョウキといいます」
キョウキが丁寧に頭を下げると、ローザは声を上げて笑った。
「ジョウトの方って、本当によく頭を下げられるわね」
「よく僕がジョウトの人間だと分かりましたね? カントーでもホウエンでもシンオウでもなく」
キョウキが微笑みながらそう答えると、ローザはほほほと笑った。
「レイアさんやセッカさんからお聞きしましてよ」
「ジョウト出身なのは、父親と養親だけですけどね。ローザさん、僕らは生まれも育ちもずっとカロスですけどね」
ローザはおほほほほと笑った。
キョウキもあははははと笑った。
「……で、ローザさんは僕に何かご用ですか?」
「用というほどのこともありませんけれど。わたくし、次の選挙の関係でアサメタウンやメイスイタウンに出ておりまして。ハクダンシティに戻るところで、たまたまキョウキさんをお見かけした次第でございますわ」
「なるほど」
キョウキは柔らかく受け答えしつつも、内心では舌打ちしていた。
どうやらローザはキョウキの傍を離れるつもりはないらしい。スーツが汚れるのにも構わず、森の地面にすっかり落ち着いてしまっている。
キョウキの膝の上で、フシギダネが大きく欠伸を一つした。シュシュプは何の気兼ねもなく香りを振りまきつつ漂う。頭上の木々の間を、バタフリーがひらひらと飛んで行った。
キョウキが笑顔を硬直させたまま黙っていると、ローザはキョウキの方に小さく身を乗り出した。そのスーツに染み込んでいるらしい甘ったるい匂いが濃くなる。
「キョウキさんは、片割れさんたちとはご一緒に旅をなさらないの?」
「してるときもありますけど」
「ご連絡を取り合ったりとかは?」
「しませんね。一切。ホロキャスターも持ってませんし」
キョウキがそう答えると、ローザはどこか大仰に驚いてみせた。
「まあ。まあまあまあ。それは大変。ハクダンまでご一緒なさらない? わたくし、地方遊説の道すがら、出会ったトレーナーさんに何かしらの支援をさせていただいておりますのよ。四つ子さんたち全員分のホロキャスターを、ハクダンで用意して差し上げてよ」
「いえ。どうせ僕ら四人とも、機械音痴ですので」
「それくらいわたくしが使い方をお教えしますわ。すぐに覚えられます。ね、そういたしましょ。そうと決まれば早速、ハクダンに向かいましょう」
ローザはパワフルな女性だった。
のんべんだらりとしているキョウキの腕を引っ張り、どうにか立ち上がらせる。キョウキはやる気なさげに、ぐねぐねだるんだるんとしていた。
「……ええー……いいですってぇ……要りませんってぇ……」
「そう仰いなさんな、ホロキャスターは現代トレーナーの必需品。ホロキャスターを持たぬトレーナーはトレーナーにあらずと申しても過言ではありません。わたくしがホロキャスターを差し上げます。ご心配なさらないで、ほらキョウキさん、歩いて」
「……貴方は僕の母親ですか……」
キョウキがぼやくと、先に立って立ち上がっていたローザは甲斐甲斐しく腰に両手を当てた。
「わたくしはもちろん、あなたの母親ではありませんわ。ですからしゃんとお立ちなさいな。お若いくせに、しゃんとなさい。ホロキャスターも持たないで、トレーナーとして恥ずかしくありませんの?」
「……余計なお世話ですよ……」
「キョウキさん、わたくしはあなたを心配申し上げているのですよ」
「……それがお節介だと言っている……」
キョウキは緑の被衣の下でとうとう笑みを消した。上目遣いにじとりとローザを見やった。
「お忙しい政治家さんに、僕一人にかまけている暇があるんですか。放っておいてください。関わらないでください。そんなに四つ子が珍しいですか。面白いですか。本当にいい迷惑だ」
「……いいでしょう、こちらも言わせていただきますわ。わたくしローザは、政治家としてポケモントレーナーの育成に力を入れていきたいと、世間に公約しておりますの。すべてのトレーナーが安心してポケモンを育てられる、そんな社会をわたくしは作りたい」
「そんでトレーナーに強いポケモンを育てさせて、徴兵して軍隊にしようってんですよね?」
「まさか。ポケモン育成、トレーナー育成は産業を活性化させるのでございます。この国がさらに豊かになるためには、まずトレーナーを育てることが第一なのです。そのためにはトレーナーに文化的生活を保障して――」
「非文化的で悪うございましたね。でも僕はホロキャスターなんて要らない。要らないんだ。善意の押し付けなんて、ほんと鬱陶しいだけなんですけど」
「確かに鬱陶しく思われるかもしれませんわ。ですけれど、これは大事なことなのです。キョウキさんのためなのです。キョウキさんも大人になったとき、ああホロキャスターがあってよかったなぁと思うことになること請け合いです」
「ああああああ鬱陶しいなぁ、そういうパターナリズムっていうの? 子ども扱いしないでくださいよ。僕は、成人、なんですよ。ああほんと腹が立つ。――この偽善者が」
ハクダンの森の柔らかい木漏れ日の中、両者はやや声を荒らげて言い合いをしていた。
ローザが目を剝く。
「偽善者、ですって? それは聞き捨てならないわ。わたくしはわたくしなりに最善を考えて、政策をご提案しているのです」
「貴方の最善って何? それはトレーナーを“支える”政策じゃないでしょう、どうせトレーナーに“うける”政策でしょうが。だからアサメとかメイスイとか、若者がトレーナーになるしかないようなあんな田舎町までわざわざ遊説に出るんだろう。選挙のために。権力を得るために」
「権力を得ることは、悪ではありませんわ。権力がなければ、何も変えられないのです。権力は必要なのです」
「だが、権力は暴走する。腐敗する。僕は、権力を得たがる人間を、信用しない」
「わたくしは違いますわ」
「違うといえる根拠がどこにある?」
「わたくしは、トレーナーのためになる政策を積極的に打ち出していきます」
「トレーナー政策を拡充してくださるわけだ? そりゃあ有り難いね。で、その財源はどこから捻り出すんです? 一般人からの税金徴収を増やすんですか? それとも、ポケモン協会からの献金に頼るんですか? それとも、フレア団からの裏金を使うんですか?」
そこまで言ってしまってから、キョウキはしまったと思って口を噤んだ。いま喋ったのは、すべてキナンで、胡散臭い家庭教師のエイジに吹き込まれた知識だった。
セッカは、エイジのことを信じるなと言った。けして同情するな、とも。それはつまり、エイジの考えていることにまったく同調してはならないということなのだろうか。そういうことだったに違いない。
キョウキがフレア団に対抗するには、未来の政府を担うであろう政治家には、おもねるべきなのではなかったか。フレア団に対抗するには、ポケモン協会あるいは国を味方につける以外に方法はないのだから。
なのにみすみす、与党候補者に食ってかかってしまった。
まんまとエイジの罠にかかった。ついエイジの意見を、キョウキ自身のものとしてしまったのだ。
キョウキは政府与党の批判者――敵になっている。
今さら、子供の言うことだからだからという言い訳は通用しない。つい先ほどキョウキ自身の口で、自分は成人だと宣言してしまったのだから。
もし、今のキョウキの発言が全て、録音されていたら。
どうする。
ローザは微笑んでいた。噎せ返るような甘いにおいを漂わせながら。
「……まあ、そのように疑ってかかる方もおられますわね。反ポケモン派やポケモン愛護団体の方々などは、特に」
キョウキは無表情ながら、背筋に冷や汗が伝う。強い匂いのせいで、気分が悪い。
しかし同時に、ローザの口調に違和感を覚えていた。まるでキョウキが罠にかかったことを喜んでいるような。
「でもキョウキさんは、ポケモントレーナーでいらっしゃいますわ。そのような反ポケモン派やポケモン愛護派の考えとは相いれません。あなたのようなお若い有望なトレーナーさんには、ポケモンセンターやジムやリーグなど大いに活用して、ポケモンを強く育てていただかなければなりませんもの」
そうして強く育てられたポケモンを、国は何に利用するのだろう。
キョウキにはそれでもやはり、キナンでエイジによって教えられたことが真実だとしか思われない。国はポケモンを利用する。トレーナーを利用する。そして、役に立たない一般人や弱いトレーナーや、ポケモンを搾取するのだ――。
そういう反ポケモン派やポケモン愛護派の理論は、正しいはずだ。
けれど、そのような正論をもって政府に反抗することは、悪なのだ。
政府は、裏でつながりのある犯罪組織に、国家の敵を始末させる。
四つ子も“国の敵”になればフレア団に殺される。はず。だ。
キョウキはローザを睨んだ。
「…………僕に、何をしろと?」
「キョウキさんのお気に障ることを申し上げて、申し訳ありませんでした。選挙でわたくしに票を投じてくださらずとも構いません。けれど、わたくしが当選した暁には、わたくしが公約した政策をキョウキさんもご享受なさって構いませんわ。これからもトレーナーとして精進なさってください……それが四つ子さんのお仕事ですもの」
つまり、これまで通り旅をすることを、ローザは四つ子に求めている。
「キョウキさん。お金のことは心配なさらないでいいのですよ。キョウキさんたち四つ子の皆さんは、トレーナー政策の恩恵を受ける方。だからどうか、あまり難しいことを考えないで、ポケモンのことだけ考えていらっしゃればいいの。ジムリーダーや四天王、チャンピオンの方々と同じようにね」
シュシュプの甘ったるいにおいがする。
ローザのその言葉に甘い毒が隠されている。
ジムリーダーも、四天王も、チャンピオンも。ポケモンを育てて戦うことしか考えていない。
強いポケモンを操る彼ら優れたトレーナーも、所詮は政治やカネの動きから隔絶された仮想のユートピアで踊らされる人形に過ぎないのか。
そしてほとんどのトレーナーが、そうだ。
何も考えないお人形だけが、保護されるのだ。ここは箱庭の世界。
森閑とした空気の中、キョウキは失望した。
東雲映す 下
日が暮れる。
レイアはヒトカゲに尾の炎の勢いを強めさせ、足元を赤々と照らしながら慎重に山道を下った。ミホ、そしてリセとピッピを抱えたマフォクシーがそれに続く。
ミホが、沈黙に陥りがちな空気を何とか和ませようと、せっせとレイアに話しかけてくる。レイアから話を引きだし、気持ちよく話をさせようとする。レイアの旅のこと、レイアの友人のこと。
なるほどミホは他者に話をさせるのが上手かった。サクヤが気に入った人物なのだから相当器の大きい人物だろうとはレイアも見当をつけていたが、旅の道中でどうしても胸の内に一人でしまい込まなければならない思いを遠慮なく誰かに伝えられるというのは、確かに心地よかった。
そして、案の定、レイアが友人としてルシェドウの名を出した途端、ミホの口調が僅かに強張った。
「…………そう。ルシェドウ、さん、ね…………」
そうミホが固く呟いても、レイアは足元を見ながら、ただ、やはりこうなったか、とだけ思った。
サクヤから話は聞いている。
ミホは、孫娘を既に一人亡くしていた。何年も前のことだ。その殺人の容疑者に挙げられたのが、これまたミホの孫にあたる、榴火というトレーナーだった。
ミホや、その義理の娘にあたるアワユキは、榴火の処罰を願っていたという。それもそれで切ないことだ。孫娘のためにもう一人の孫の処罰を求め、娘のために息子の処罰を祈ったなどとは。
その裁判で榴火を擁護したのが、ポケモン協会職員のルシェドウだった。
そのルシェドウの主張を受け入れて、榴火に無罪判決を下したのが、裁判官のモチヅキだった。
ミホやアワユキはおそらく、ルシェドウとモチヅキのことを、榴火と同様に憎んでいるだろう。
だからレイアは、ミホの前で友人の名はあまり出したくなかったのだ。
とはいえ、ミホの方は、レイアが榴火に関わる裁判の人物関係を知っているなどとは想像もしていない。そのため何事もないかのように振る舞っているが、けれどルシェドウの名に引きずられている。
ミホは、未だに榴火を許せていないのだ。
そう思うと、レイアにはどこかミホが仲間のように思えた。榴火やポケモン協会を敵とみなしている。それは現在のレイアたち四つ子の立場にも相通ずるものがある。
榴火のせいで、ミホの家族はバラバラに引き裂かれた。
榴火のせいで、レイアたち四つ子は周囲を信じられなくなった。
その符合の一致。それを認識してレイアの心が震える。――仲間だ。仲間がいた。
「……ミホさん」
「何かしら、レイアさん?」
「……多分サクヤは話してないと思うんで、付け加えさせてください。アワユキさんのことで」
麓のセキタイタウンは間近だった。坂道はなだらかになっており、セキタイタウンの入り口を示す巨大なメンヒルが見えている。
太陽は沈み、西の空は朱紅が残っているけれど、東の山脈の上は藍色に包まれている。星が輝き出す。
レイアはセキタイタウンを背に道の真ん中に立ち止まり、ミホと、リセを抱えたマフォクシーとを見つめた。
「フロストケイブでリセを人質に取ってるアワユキを、止めに行ったの、ルシェドウです」
そう静かに告げた。
ミホは真顔で、それを静かに聞いていた。
「ポケモン協会の仕事で、行ったんすよ。サクヤがそれに巻き込まれました。……俺とモチヅキがサクヤを助けに行って、結果としてはアワユキが逮捕されて、リセとサクヤとルシェドウを救出したんす。……それがフロストケイブでのすべてです」
そこまで言い切って、レイアはちらりとマフォクシーの腕の中ですやすやと眠っている少女を見やった。キリキザンの腕の刃を首に突きつけられ、泣いていた少女。母親の宗教に付き合わされ、何もわからないままに命を奪われかけ、その結果母に先立たれ、今や祖母だけが頼りだ。今は幸せそうに見えるけれど、その心には消えようのない傷が残っているに違いない。
レイアがミホに、フロストケイブでの事件にかかわった人物の関係を詳しく語ったのは、ただただ、一方的に身近に感じたこの老婦人に、当時の詳しい状況を正しく知ってもらいたかったためだ。その事実を告げたところで、ミホの中にどのような情動が起こるかは何も予想していない。レイアの中に打算はなかった。ただ己の良識に従って、思うままに事実を告げただけだった。
ミホの顔は、セキタイタウンからの光に僅かに輝いていた。そして寂しげに微笑み、首を傾げた。
「……そう。だから、どうなの?」
レイアは面食らった。
「いや、どうってこともないっすけど……」
「リセの前で、アワユキさんの話はしないことにしました」
そう柔らかくもきっぱりと告げられる。
やはりレイアの発言は失言だったらしい。リセがマフォクシーの腕の中で寝入っていたのが不幸中の幸いであった。
ミホはゆっくりと歩き出し、レイアの隣を通り過ぎ、セキタイタウンの入り口のメンヒルをくぐる。その影を潜る。
「……過去は忘れることにしますわ。モチヅキさんも、ルシェドウさんも、榴火も。梨雪も。アワユキさんも。息子のことも。……私はリセのことだけを思って、生きてゆくことにします」
「それでいいのかよ」
レイアは思わず追いすがっていた。
ミホはわずかに背後を振り返り、レイアを見つめ、さらに寂しげに笑みを深くした。
「リセのためには、それが一番よ……」
「だからって、あんたまで何もかも忘れていいのか」
「……時間が必要なのよ。しばらく忘れさせておいて頂戴」
それきりミホはもう振り返らなかった。リセとピッピを抱いたマフォクシーが、流し目でレイアとヒトカゲを睨みながらミホに続く。
ヒトカゲを脇に抱えたレイアは、セキタイタウンの入り口に立ち尽くし、ぼんやりとそれを見送っていた。
レイアはポケモンセンターの一室のベッドに転がっている。
ポケモンセンターはポケモン協会の管轄だ。けれど街中で野宿するわけにもいかず、今からわざわざ道路に出ていくのも馬鹿馬鹿しい。四つ子は四人だと目立つが、一人だとそうでもない。ポケモンセンターを利用しないトレーナーは逆に悪目立ちする――それはシャラシティに入る直前に再会した、幼馴染のユディから指摘されたことだった。
ポケモン協会の目のあることなどはしばし忘れて、レイアは暖かいベッドに転がっている。
枕はヒトカゲに占領されていた。
そのヒトカゲの尾の光を見つめて、レイアはぼんやりと考える。暗くて寒いフロストケイブでのことを。
今日出会ったミホは、ルシェドウとモチヅキのことを知っていた。ならば、フロストケイブの奥で出会ったアワユキも、ルシェドウとモチヅキのことを見知っていただろう。
逆もまた然りだ。
ルシェドウはどのような気持ちで、フロストケイブの中へアワユキを捜しに行ったのだろう。フロストケイブの深奥で娘を人質に取っているアワユキを見た時、モチヅキは何を思っただろうか。
あの時は、レイアもサクヤも何も知らなかった。
けれど今なら分かる。
ルシェドウがアワユキの捜索の任務を受けたのは、十中八九、ルシェドウがポケモン協会の職員として榴火と関わりがあったためだ。そして四つ子もそれに巻き込まれた。
アワユキがフロストケイブの奥であのような凶行に及んだのは、元はといえば榴火のせいだ。タテシバ家の不幸の元凶は、すべて榴火のせいだ。
四つ子がフレア団やポケモン協会に目を着けられるようになったのも、榴火のせいだ。
そこでレイアはふと気づいた。
自分たちはいつから、榴火と関わり始めていたのだろう。
思い出す。
フロストケイブでの事件の後、エイセツシティでアワユキの自殺のニュースを見て、それからその東の19番道路――ラルジュ・バレ通りで。レイアは、榴火の色違いのアブソルによる襲撃を受けた。
四つ子が、アワユキに関わったことが、榴火に四つ子への接触の機会を与えたのか?
分からない。少なくともレイアの前では、榴火は手掛かりらしきことは言っていないはずだ。なぜ榴火が四つ子に付きまとうようになったのか。
未だに、榴火は四つ子に固執しているのだろうか。
なぜ、榴火は四つ子の敵に回ったのか。
榴火を守ると言ったルシェドウは今、何をしているのだろうか。
そう、ルシェドウだ。
ルシェドウは榴火の味方をすると言った。
ならやはり、レイアの友人は、もうレイアの敵ではないか。
そのまま寝入って、そして眠っていた間は一瞬のように感ぜられた。
レイアは半ば釈然としないながらもまだ暗い室内で伸びをし、相棒のヒトカゲを起こして着替え、そそくさと朝食を済ませてポケモンセンターを出た。早朝である。ロビーに起き出したトレーナーはまだ少なかった。
セキタイタウンは、石しかない。正確には、石しか見るべきものがない。
街の中央にそびえ立つ、三本の爪のような、正確に均等に並べられた三つの巨石。
なるほど自然物ではないだろう。しかしそこまで崇め奉るべき要素があるとも思えない。
とはいえ凝視していると、いかにも調和のとれた、安定感のあるモニュメントとも捉えられなくもない。このような無意味なものをあえて作った人間の無意味そうな心意気を慮るに、つまりこの三つの巨石は、虚無の象徴なのであろうとレイアは結論付けた。この石には意味がない。意味がないことに意味があるとしても、そのような意味もない。意味などないのだ、この石には。レイアは一人合点した。ヒトカゲが首を傾げていた。
東の山脈の向こうから、日が昇る。
ホテル・マリンスノーからミホとマフォクシー、そしてピッピを抱えたリセが、レイアと同様にセキタイの象徴たる石柱を身にやってきた。レイアは肩を竦めるように挨拶した。
「ども」
「おはようございます、レイアさん、ヒトカゲちゃんも。ほらリセ、朝のご挨拶は?」
「……おはよう、ございます」
「うす」
リセはレイアに怯えているらしく、抱えたピッピの陰に顔を隠すようにしている。
腕の中のヒトカゲに窘められ、レイアは渋々と腰を落とす。屈み込み、リセより視線を低くした。そして穏やかな表情を意識して、リセの水色の瞳を見つめた。
「リセ。俺のこと、怖い?」
「……ううう」
「お前さ、俺のこと、覚えてんの?」
そう何気なく問いかけてしまってから、レイアは今の質問が失言であったことに気が付いた。ミホに昨日の別れ際に、リセの前でアワユキに関わる話はするなとやんわりと釘を刺されたばかりだった。しかし一度口に出てしまったものは撤回しようがない。
レイアは密かに冷や汗を垂らしつつ、ミホやマフォクシーの方を見ない方にしつつ、少女だけを見つめていた。
少女はしばらくレイアの顔を凝視していたかと思うと、こくんと頷いた。
「……どうくつで、おかあさんと、バトル」
「あああああああごめん思い出さなくていいから。ごめんマジですいませんでした」
「いいよ、べつに」
少女は澄ましてそう応え、レイアの黒髪をむしむしと握った。普通に痛かった。実はそこはかとなく怒りがこめられているのだろうか。
リセはその手を放し、くるりと踵を返して祖母の足元にくっついた。ミホは苦笑している。
「……まだリセには、何があったか理解できないでしょう。この子が大きくなったらお話しますから。ごめんなさいね。それまでは私に任せてちょうだい、レイアさん」
「いえ、つい余計なことを言いました……すいませんっした」
レイアが恐縮して頭を下げると、ミホはくすりと笑った。
「ほんと、サクヤさんやキョウキさんにそっくりね」
「……うす」
「……昨日はごめんなさいね。フロストケイブでのこと、教えてくれたことに感謝します」
「……いえ」
リセを足に纏わりつかせたミホは、じっと三つの静かな石を見つめている。その背筋はまっすぐで、とても老いを感じさせない。なるほどサクヤの好みそうな、美しい人だ。キョウキなら、この美しい人の心の内部に汚い部分を見つけるのに躍起になることだろう。レイアはそうぼんやりと想像した。
ミホが静かに囁いた。
「……榴火のこと、ですけれどね」
「……は」
「あの子だけは、アワユキさんの子供じゃないのよ。私の息子の、最初の奥さんとの間に生まれた子なの。だからアワユキさんも、実の子でない榴火を心から愛せたというわけではないと思うの」
レイアは慌てて、ミホの足元に纏いついている少女を見やった。しかし幼いリセは、祖母の話を理解できているようにはとても見えなかった。両手で抱えたピッピと遊んでいる。
そこから視線を上げると、ミホの寂しげな水色の瞳と目が合った。リセや、榴火と同じ色の瞳だった。
「今になって思えば、私もアワユキさんも、榴火には悪いことをしたと思うわ。……でも、やっぱりリセには、しばらく榴火のことは話しません。……彼は今、どこで何をしているんでしょうねぇ。……呪われたアブソルと、まだ一緒なのかしらね」
ミホは溜息をついた。
その隣に佇むマフォクシーの深紅の瞳に憎悪が渦巻いているのにレイアは気づき、思わずぞくりとした。
このような眼をするポケモンがいるのか。愛する者を奪われ、そしてまた、その憎き仇を擁護する者への怒りに燃えている。このマフォクシーは、榴火のアブソルが殺した少女のポケモン。榴火を未だに赦してはいない。むしろ、榴火を見かけたら殺しかねない勢いだった。
「マフォクシー……」
ミホの手がそっとマフォクシーのものに重なる。マフォクシーが視線を落とし、ミホの手を見つめた。
ヒトカゲがレイアの腕の中でもぞもぞ動き、レイアの顔を見上げた。
レイアは榴火を知っている。彼がホープトレーナーとして、とある政治家の庇護を受けていることも。どうやらフレア団としても活動しているらしいことも。ルシェドウがポケモン協会職員としてどうにか榴火の心を開くべく奮闘していることも知っている。
しかし、どこまでそれをミホに話すべきか。むしろ話さない方がいいのか。
そう、ミホとリセは、平和を享受する一般人だ。ポケモントレーナーですらない。
フレア団の関わることに、巻き込んではならない。
レイアは顔を上げた。
ミホとマフォクシー、そしてリセは、レイアたち四つ子と同様に榴火の敵であるだろう。
けれど彼女たちは、トレーナーではないのだ。か弱き保護されるべき対象であり、戦うということはしない。アワユキや榴火やルシェドウやモチヅキのことなど忘れて、ミホとリセは平和に幸せに暮らすべきなのだ。
レイアは頭をがしがしと掻いた。そしてマフォクシーを睨む。
「……お前さ、今はミホさんとかリセのことだけ考えてろよ。変なこと考えんじゃねぇぞ」
すると、マフォクシーは瞳に再び憎悪の炎を燃やしてレイアを睨んだ。
その念力でか、レイアの脳裏にその思いが叩き付けられる。
――忘れろと? 何もするなと? 何もしないでいいのか? 許せと言うのか?
突然のことにびくりとしたが、レイアはマフォクシーを見据え、毅然と言い張った。
「あいつのこと、どうにかしようと頑張ってる奴らがいる。お前の今の主人はミホさんとリセだろうが。いつまでも過去に囚われるんじゃなくて、未来を見てみようや」
――それができたら苦労はしない。お前も同じくせに。あいつが憎くてたまらないくせに。
そのマフォクシーの指摘に、レイアは思わず首を傾げた。
自分は榴火を憎んでいるだろうか。
――私は知っているぞ。友に裏切られ、世界に裏切られ。すべてあいつのせいだろう。
「でもあいつ一人がいなくなったところで、それで全部解決ってわけにはいかないだろ」
――その後のことなど知るか。私はあいつを消す。そうしなければ、私は死んでしまう。
マフォクシーは怒り狂っていた。胸が焼き切れそうなほどに、絶望していた。別れがあったのはもう、何年も前のはずなのに。
レイアにはそれ以上何とも言いようがなかった。四つ子は、おやを奪われたマフォクシーほどには、榴火を憎んではいない。榴火以外にも巨大な敵の存在を感じているためだ。
レイアをじっと見上げていたリセが声を上げる。
「ねえねえ、マフォクシーとおしゃべりしてるの? リセとはおしゃべりしてくれないんだよ。いいなぁ」
「……ほらマフォクシー、あんたが守るもんって今はこいつだろうが。変なこと考えるより、リセと話をしてやれよ」
そのレイアの言葉に背を押されたように、白いコートのリセはマフォクシーの足に組み付く。マフォクシーは戸惑って少女を見下ろしている。
レイアは欠伸をした。それにつられてヒトカゲもくああと欠伸をする。
「んじゃ、ミホさん。俺そろそろ行きますわ」
「……あらレイアさん、マフォクシーとの話は済みましたの? この子、私とも一度もお話してくれないんですよ。レイアさんを気に入ったのなら、ぜひこの子の話し相手になってほしいんですけれど……」
ミホもミホで、無口なマフォクシーのことを案じていたらしい。マフォクシーはどうやら、おやの祖母であるミホや、おやの妹にあたるリセに対しても心を開いていないらしかった。
レイアは肩を竦めただけだった。
「マフォクシーはまだ榴火のこと、忘れられないみてぇっす。……よくよく気を付けて見てやってください。……リセのことだけじゃなくて、マフォクシーのことも大事にしてやってくださいな。ポケモンって、意外と繊細なんで」
レイアはそれだけ言うと、彼女たちに会釈してセキタイタウンの南へと広場を抜けた。
ポケモンは繊細な心を持っている。人と同程度には。
トレーナーを失ったポケモンは傷つく。親を失った子供のように。あのマフォクシーも同じだ。
レイアは脇に抱えたヒトカゲを持ち上げた。ヒトカゲが首を傾げる。
「……俺の手持ちもさ、なんか俺に不満持ってたりすんのかな」
ヒトカゲは首を傾げていた。レイアの手持ちのポケモンたちをまとめる存在ではあるが、かといって他の五体について全責任をレイアに対して負うべき立場にはない。
手持ちのポケモンの心身状態を管理するのは、あくまでトレーナーの責任だった。
それにしても、トレーナーによってはポケモンも、あのマフォクシーほどにまで追い詰められることがあるらしい。トレーナーであるレイアには身につまされるような思いがした。あのマフォクシーから伝わってきた思いに、胸が痛んだ。
トレーナーには、捕まえたポケモンを幸せにする義務があるのではないだろうか。
そのような法律など世界じゅうどこにもないだろう。
けれどポケモンセンターのボックスの中に半永久的に放置されたポケモンがいるなどという話を聞くにつけ、それはトレーナーとしてやっていいことなのかとレイアも疑問に思うことはある。ポケモンを、他者を不幸にするトレーナーは、害悪ではないか。どれほどポケモンを強く育てることに長けていたとしても、それでいいのだろうか。
人には幸せになる権利があるという。
ポケモンにはそれはないのか。
ないがしろにされているのは、トレーナーでない一般人だけではない。この国は、ポケモンをも軽視しているのではないだろうか。
リセがミホに心を開いているように、あのマフォクシーも、ミホやリセにいつか心を開けるようになればいい。
レイアはヒトカゲを抱え直し、そしてもう片方の手で腰につけた五つのモンスターボールを順に撫でるように触れてみた。五つのボールはいずれも微かにあたたかい。僅かに一つずつ、頷くように揺れた。
朝日の中、ヒトカゲが甘えるようにきゅうと一声鳴いた。
東雲映す 上
シャラシティの南西には、映し身の洞窟が存在する。
レイアもそれを初めてテレビで見た時はぎょっとした。そこに初めて実際に入ったときは、観光客の多さにまた別の意味でまったくぎょっとした。
そして今回も何度目の来訪かはわからないが、相変わらずの盛況ぶりにレイアはげんなりした。
映し身の洞窟は、巨大な水晶窟である。それもただの水晶ではなく、何やら洞窟の暗闇の中で自ら光る。おかげで照明要らず、エコな観光地である。
洞窟内には無数の透き通った水晶柱が立ち並び、また鏡のように滑らかな壁面も広がっている。水晶のアーチも、天然のミラーハウスもある。見て歩くだけでも十分面白いし、雰囲気もいい。気温も年中涼しくて過ごしやすい。
そのような映し身の洞窟を訪れる国内外の観光客は、一年を通して非常に多い。家族連れにもカップルにも凄まじい人気だ。入場料を取らないという手軽な点も相まって、年間動員数はパルファム宮殿ともいい勝負である。映し身の洞窟はシャラシティに多くの恩恵をもたらしている、カロス有数の天然観光資源だった。
ヒトカゲを抱えた赤いピアスのレイアは、観光客を避けつつ黙々と映し身の洞窟を進んでいた。北東のシャラシティから入り、南西のセキタイタウンへと抜けるためだ。
大股に僅かに背を丸めて、天然の鏡に見入っている観光客の背後をすり抜ける。
シャラシティ側の入り口付近は特にすさまじい人混みとなっていた。天然の鏡面を生かした写真撮影が流行っているらしく、水晶にべたべたと張り付いている人間がいる。そうしてわいわいがやがやきゃあきゃあぴいぴいと、洞窟内にこだまして喧しい。
レイアは嘆息した。――ここは遊園地か何かか。
映し身の洞窟そのものはレイアも好きだ。しかし、そこに群がる観光客は嫌いだ。ごみを散らかすし、うるさいし、人くさいし。
カロスには観光名所が多い。そしてそれら観光資源を活かした観光業を一大産業として国が大いに振興を促しているから、年を追うごとに各地の観光客が増加するのはもはや逆らいえない流れだ。
しかし一方ではやはり、映し身の洞窟に暮らす野生のポケモンたちや、洞窟内に産する貴重な水晶の保護にも力を入れてもらわなければならない。
カロスは美しい。その美しさから搾取しようとする者は必ず現れる。――天然の水晶を削り取って非合法に売りさばく。また、暗闇の奥でひっそりと暮らしていたポケモンたちを不必要に脅かし追い回し、その結果ポケモンに返り討ちにされて大怪我をする。いずれも近年カロスにおいて観光業の発展に伴い顕在化しつつある社会問題だ。
レイアに言わせれば、何もかもが阿呆らしかった。
観光で儲けたい者。観光のせいで破壊される環境や生態系、その保護を訴える者。聖地として崇め奉り、宗教活動を行う者。洞窟内の水晶を盗掘する者。洞窟に棲むポケモンを乱獲する者。それらに便乗するポケモン利用派、反ポケモン派、ポケモン愛護派。
彼らは議論するでもなく互いを批判し合い、新聞紙上で意見を戦わせるでもなく互いを叩き合い、広場で殴り合いの蹴り合いの、挙句の果てデモにテロに抗議自殺。何でもありだ。不毛な闘争を繰り広げている。
レイアにしてみれば、まったくもって阿呆らしい。
レイアたち四つ子は平和主義者である。そして利己主義者であった。
面倒な言い争いに興味はない。他人と関わらなければいいだけのこと。意見なんて持つ方が阿呆らしい。
レイアはそのような事をつらつらと考えながら相棒のヒトカゲを脇に抱えて黙々と歩き、観光客の背後をすり抜け、段差を跳び下り、11番道路への近道をした。
セキタイタウン方面になると、観光客の姿は減る。
映し身の洞窟を訪れる観光客は、大抵はミアレシティから北西のヒヨクシティ、シャラシティを経由して、ここにやってくる。そのまま映し身の洞窟をセキタイ側まで抜ける観光客というのは比較的少数で、そのため洞窟のセキタイタウン側はちょっぴり寂れたことになっている。
それでももちろん、観光客の姿は無いことはなかった。
レイアは横目に、鏡の前に座り込んでいる幼い少女と、その祖母らしき老婦人を見やった。その二人にレイアが目を留めたのは――正確にはその二人に付き添っているマフォクシーに気を取られたせいだった。
毛並みのいいマフォクシーが、鏡面に見入るでもなく、背筋を伸ばしたまま、通り過ぎようとするレイアとヒトカゲを凝視していたのだった。
そうしていると、レイアは鏡越しに幼い少女と目が合った。レイアの腕の中のヒトカゲが少女に向かって小さく手を振っているのを、レイアにも壁面の鏡の中に認めた。
白いコートを着た幼い少女が、鏡の中で目を真ん丸にする。その水色の瞳もまたまるで澄んだ水鏡のようだった。
少女が息を吸い込む。
「あっ!」
ばっ、と白いコートの少女が背後のレイアを振り返る。その頬は見る見るうちに赤く上気していく。その腕の中にはピッピを抱えていた。本物のピッピだ。
「……あら」
その隣の、マフォクシーを伴った品の良い老婦人もまたレイアを振り返る。
レイアは軽く会釈をして、老婦人と少女の傍を何気なく通り過ぎようとした。鏡越しに目が合ったくらいで騒ぎ立てるのは大げさだろうと考えた。
ところがそのレイアを、老婦人は慌てて呼び止めた。
「待って、待ってください。あなた、もしかしてサクヤさんとキョウキさんの……」
その二人の名を出して呼び止められたことに反応したのはヒトカゲである。レイアは、一瞬だけこのまま無視して通り過ぎようかと考えた。しかしすぐにどきりとし、思い直した。白いコートの少女に見覚えがあったのだ。
それはアワユキの娘だった。
レイアは覚えている。暗くて寒いフロストケイブの奥で、母親の手で命を脅かされていた幼い少女。
その後、サクヤやキョウキが、祖母に引き取られた彼女に会ったという。
レイアは思わず立ち止まり、少女をまじまじと見る。
ところがレイアは通常運転で、眉間に皺が寄った大層な悪人面である。そのいかにも不機嫌そうな、着物に袴という妙ちきりんな成り立ちのトレーナーが、じっと無表情に見下ろしてくるのだからたまらない。少女はか細い足を生まれたてのシキジカのように震わせた。
一方ではマフォクシーを連れた老婦人は、機嫌よくレイアの傍まで歩み寄ってきた。
「四つ子さんの、初めてお会いする方ですわよね。私はミホ、こちらは孫娘のリセです。サクヤさんとキョウキさんにはお世話になっておりますわ」
レイアはちらりと老婦人と少女を眺めて、僅かに嘆息した。
「ども。レイアっす。うちのキョウキとサクヤの方こそ、世話になってます」
レイアがおざなりに会釈を返すと、ミホは目元を緩めた。
「サクヤさんから、色々とお話は伺っておりますわ。リセのことで、四つ子さんにはたいへん感謝しておりますもの。……レイアさん、ヒトカゲちゃんも、お会いしたかったわ」
ミホは礼儀正しく、レイアの抱えるヒトカゲにも挨拶した。レイアのヒトカゲは小首を傾げた。
「ねえおばあちゃーん、疲れたー」
そのときであった。リセがマイペースに疲労を訴え、祖母の足に纏わりつく。ミホが困ったように微笑み、レイアは再びまじまじと無表情無言で少女を観察した。
アワユキの娘。
祖母のもとで養育されて、一緒に観光旅行までして、幸せそうに祖母に甘えている。
レイアは軽く肩を竦めた。
「……お二人は、今日はどちらにお泊まりっすか」
「ああ、ええと……セキタイタウンのホテル・マリンスノーというところに予約をしておりますわ。それが何か?」
「あー……その、なんだ……俺もこれからセキタイ行くんで、そこまで送りましょうか?」
レイアの良心的な申し出に、ミホは表情を輝かせてそっと手を組み合わせた。
「まあ、ありがとうございます。やはりサクヤさんやキョウキさんと同じで、お優しい方なのね」
「……サクヤは分かるっすけど、キョウキが優しかったっすか?」
「ふふふふ、なぁに、キョウキさんって片割れさんたちの中ではそういう御扱いなの?」
「あいつ、そういうキャラなんで」
レイアは言いつつ、11番道路への出口へさっさと歩き出した。後ろ向きに抱えたヒトカゲが、旅の道連れができたことにきゃっきゃと喜び、リセの抱えるピッピに挨拶している。
リセもまたレイアのヒトカゲに興味津々で、レイア本人にはびくびくしつつもその後を追った。ミホも微笑しつつそれに続く。ミホのマフォクシーだけは、レイアと同じような無表情だった。
映し身の洞窟を抜けると、11番道路、ミロワール通りに出た。
右手には太陽が遠く西の水平線のはるか上にある。まだ午後も真っ盛りだが、これから幼い少女と共に山脈の麓まで山道を下ることを思えば、寄り道などせずまっすぐセキタイに向かうべきだろう。
西の空には雲一つない。青磁色の、滑らかな天幕を張ったような空。
リセは運動靴は履いていたものの山歩きには慣れていないらしく、早々に音を上げた。するとミホの連れているマフォクシーが無言で、ピッピを抱えたリセを抱え上げるのだ。するとリセは母親に甘えかかるように、マフォクシーのあたたかな毛皮に頬を埋める。
その祖母のミホはところどころ息を切らして休憩を挟みつつ、それでも自力で山を下りた。道中の雰囲気をよくするためか、レイアにせっせと話しかける気配りも忘れない。
「ね、レイアさんはよく、山歩きなさるの?」
「まあ、最近はずっとマウンテンカロスに籠ってましたからね」
「私もね、マウンテンカロス暮らしですけど、はあ、久々にコーストカロスに、来ましたわ」
北はヒヨクシティから南は輝きの洞窟までは、西海岸沿いのコーストカロスに属する。大洋と海風のおかげで、カロスの中でも特に年中穏やかな気候の過ごしやすい地域である。マウンテンカロスとはその気候も全く違うことから、そちらの人々が休みに海岸沿いを訪れることはままある。
「ヒャッコクのあたりは年中、雪が積もってて、ふう、そうそう山歩きもできませんし、ねぇ」
「あー、そうっすね。マンムーで雪山越えするくらいっすもんね」
「そうそう、フウジョでリセを引き取って、そこからヒャッコクまで、サクヤさんとキョウキさんに、野生のポケモンから守っていただいたのよ。……ええちょうど、今のレイアさんみたいに」
レイアのヒトカゲは先ほどから、山道で一行の前に立ちふさがるニドリーノやスカンプー、ダゲキやナゲキといったポケモンを追い払っている。
「やっぱり、トレーナーさんが一緒だと、心強いわねぇ。マフォクシーやピッピはいるけれど、私はバトルなんてとても、怖くて怖くて」
「……でも、そのマフォクシーなんて、かなりバトルに慣れてそうじゃないっすか」
レイアはちらりと、少女とピッピを抱きかかえたマフォクシーを見やる。
一声も漏らさないマフォクシーは深紅の瞳でじろりと、レイアとヒトカゲを睨み返す。始終この調子だった。レイアは肩を竦めた。
このマフォクシーはかなり戦闘慣れしている。たとえミホが指示をしなくても、独自の判断で十分野生のポケモンなど追い払ってくれそうだ。
「いや、そんなこと言ってミホさん、絶対バトル超強いっしょ……。そのマフォクシー見てりゃ分かるっすよ」
「……このマフォクシーはね、孫のポケモンなのよ。バトルじゃ私の言うことを聞くより、自分で戦った方が、ずっと強いわ……」
そこでミホは疲れたように立ち止まった。マフォクシーもレイアを睨んだまま止まる。
レイアは溜息をついた。おそらくこの話題――マフォクシーのおやの話題は地雷だ。
雰囲気が悪くなると、余計に体力が削られるものだ。レイアは振り返って肩を竦めた。
「……ここらで休憩しますか、ミホさん。マフォクシーも」
ミロワール通りの山道も半ばまで降りてきたところで、三人は休憩を入れた。開けた林の中。
リセとピッピは、すっかりマフォクシーの胸にもたれかかって眠ってしまっている。山の冷えた空気の中でマフォクシーの高い体温は、幼いひとには有り難いだろう。
マフォクシーは淡々と少女を抱きしめて倒木に腰を下ろしたまま、沈黙していた。どこまでも無口なマフォクシーだった。レイアやミホが話しかけても睨み返すばかりで、鳴き声すら漏らさない。
日もだいぶ傾いている。ヒトカゲの尾の炎が存在感を放ちだしていた。
レイアは手ごろな岩に腰かけ、乾燥させたマゴの実を齧る。ミホにも数切れ手渡した。
「どぞ。よかったら」
「ああ、ありがとうね。いただきます」
レイアは軽く頷いただけで、無言のままドライフルーツを咀嚼している。基本的にレイアは無口で、沈黙を悪いこととは捉えない。ミホに疲労があることも相まって、斜陽差し込む林の中に静寂が下りた。
ヤヤコマやムックル、ムクバードがねぐらに帰るべく、梢を渡っている。その澄んだ喧しいさえずりが林の木々にこだまし、橙色の木漏れ日がこぼれ、山林の間を風が吹き下ろす。木々の影が既に色濃かった。
「……晴れてて、良かったっすね」
「ええ、本当に」
「お孫さんと旅行っすよね。どちらまで?」
「これからセキタイに泊まって、10番道路の列石を見て……ショウヨウシティね、そこからコボクタウンに行って、パルファム宮殿を見てから、ミアレに戻るつもりよ」
「うわお。コーストカロス満喫っすね」
「コウジン水族館と輝きの洞窟は見れませんけどね。まあ、それは次の機会にいたしますよ」
ミホはそう言って上品に微笑んでいる。そして首を傾げた。
「ねえ、レイアさんはいつもお一人で旅を?」
「まあ、大体は。たまたま片割れに会ったら、一緒に行くこともありますけど。今は別々に」
「レイアさんが旅をご一緒なさるのは、片割れさんたちだけなのかしら?」
そのミホの問いかけに、レイアは眉を顰めた。疑問を覚えた時の癖であるが、いかんせん人相が悪くなる。ミホは慌てて付け加えた。
「あの、お友達と一緒、って意味よ。よくあるそうじゃない? ホープトレーナー同士とか、スクールの先輩後輩とか、エリート仲間ですとか……」
「あー、確かにそうゆうのも聞くっすね」
「ごきょうだいと一緒も心強いでしょうけど、トレーナーのお友達と連れ立って旅をするとかは、レイアさんはなさらないの?」
レイアは首をひねって真面目に考えた。
「……一人のほうが楽っすよ。好きな時に好きなもん食べて、好きなとこに行って、好きなだけ寝れますから」
レイアは孤独を満喫している。
その回答に、ミホは苦笑した。
「お友達は、お嫌い?」
「友達……?」
レイアはますます顔を顰めた。膝の上で丸くなっているヒトカゲの尾の先で揺らめく灯火を睨む。
レイアの友人。
思い浮かぶのは、ポケモン協会の職員である二人の顔。金茶髪の髭面のロフェッカと、鉄紺色の髪の騒がしいルシェドウだ。
何の弾みでか、うっかり彼らの任務を手伝って以来、なぜか狙ったように旅の先々でレイアは彼ら二人に出会うようになり、そのたびに彼らのしょうもない仕事に付き合わされてきた。ひと月に一度は、彼らの用事を手伝ってきたか。そしてそのたびに謝礼と称して、彼らはレイアにちょっとした食事を奢ってくれたりしたものだ。
けれど、そのような手伝いもこのところ、ぱたりと止んでいる。
いつからだろうか。
レイアたち四つ子がミアレシティで事件を起こして以来、ではないだろうか。あのときから、レイアはルシェドウやロフェッカの仕事を手伝っていない。
たまたま巡り合わせが悪かったのか。
それとも、まさか避けられているのか。
いや、レイアが二人を避けているのか。
四つ子はポケモン協会を警戒している。四つ子を傍から観察してきたであろうルシェドウやロフェッカもまた、四つ子による警戒の対象だ。二人は、フレア団の味方となり得る。四つ子の敵となり得る。
そのことが分かったとき、レイアは迷わず、二人の友人に疑いの目を向けた。
レイアにとって、片割れであるキョウキとセッカとサクヤ以上に大切な存在などない。三人の片割れたち以上に信じられるものなどない。だから、その三人が敵とみなした者はすべて敵だ。当たり前だ。至極当然に、敵なのだ。
それでいいのだろうか?
ふと胸によぎった疑念は、レイアにとって最も危うい疑いだった。
片割れたちのことは、無条件に妄信していていいのか?
キョウキもセッカもサクヤも、学があるわけではない。性格や性向は異なっていても、基本的な素地はレイアと何も変わらない。そのような均質な人間が四人集まって知恵を絞ったところで、解決策は浮かんでいないのではないか。
あるいは逆に、異なる意見がぶつかり合う結果、結論が出ないこともある。キョウキは疑り深い。セッカは思慮深い。サクヤは聡い。そしてレイアには良識がある。それぞれの視点の違いが、意見を分かつ。
ポケモン協会を信じるか? 信じないか? ――結局、その問いへの一致した見解は得られなかった。
片割れたちを信じると言いつつも、何を信じるべきなのか、よく分からない。自分たち四つ子は一体だと言いながら、内部に矛盾を抱えたままだ。その曖昧な内部を放置しておくのか、あるいはあえて刃を突き立てて解剖してみるのか。
レイアが選んだのは前者だ。キョウキも、セッカも、サクヤもそれを選んだのだ。だから今、四人はバラバラに旅をしている。
逃げた。
四つ子は意見の不一致から逃げた。
一体である自分たちを、自ら切り裂くような真似は四人にはどうしてもできなかった。片割れを互いに疑い合うくらいならば、いっそ意見の不一致をそのまま内部に飲み込んで、外部に気を逸らした方がまだましだ。
これ以上一緒にいると、傷つけ合う。
互いを信じられなくなったら、すべてがお終いだった。
だから四人はバラバラになった。
友人と旅をするどころではない。
深更漂う 下
ウズはジュゴンに乗り、サクヤはチルタリスの背に跨って、夜の海を越えた。
北へ。
雷の轟くような海鳴りが聞こえる。二人の向かう沖は天気が悪いのか。
夜中に沖に出る観光客は、さすがに無かった。海上のただ中は静かだった。純白の海獣は黒い海面を気持ちよく切り裂き、空色の綿竜は夜空とそれを映す海に見惚れて歌う。
黒々とした海の中にウズが懐中電灯の光を投げ、方向を示す。
いくつもの海面に突き出た尖った岩に囲まれるように、その島は鎮座している。
ジュゴンが浅瀬の中ほどで泊まり、その背から降りたウズが草履の足を海水に浸しながら砂浜に立ち止まる。月明かり、星明りを吸い込んだように砂浜は白く輝いている。
チルタリスも砂上に舞い降りた。
島の中央の岩山を横目に見ながら、ゼニガメを抱えたサクヤも軽く砂を踏む。跳び下りた勢いのまま数歩進んで、チルタリスをモンスターボールに戻し、白銀の養親を見やった。
ウズはいつの間にか、その白い指先に青鈍色の鈴を提げていた。
暫しその古びた鈴に視線を注いでいたが、ちらりと養子の一人に視線をやる。底知れぬ瞳だった。
「サクヤ。これをご存知かや」
その若々しい声は玲瓏として、島を取り囲む波音によく馴染んだ。指先がゆらりと揺らぎ、鈴が転がる。それは思いのほか、海鳴りのような鈍い音を発した。
ゼニガメを抱えたサクヤは訝しみ、首を振る。
「……存じ上げません。ただの鈴と違うのですか」
「さて。あたしが赤子の時分、故郷の漁村に流れ着いた時、あたしの首にかかっておったとか。それ以来あたしと共にある」
「……流れ着いた?」
「おそらく母の形見であろうな。あるいは父の」
ウズは袖からモンスターボールを取り出すと、浅瀬に留まっていたジュゴンを戻した。
そして鈴を揺らしながら、サクヤを見据えた。
「こちらは海神の穴と呼ばれておるとか。――ではサクヤ。ここで存分に、シャラで得た力を見せてもらおうかの」
「……あの、先ほどから話が見えないのですが」
「このウズの頼るに値せぬとおぬしらが断じておる事は、分かった。思い上がった子童に少々灸を据えることにする」
ウズがさらに鈴を振るう。何かを招くように。
海の遠くから聞こえてくる、海鳴りがそれに呼応している。それに気付いたゼニガメが、サクヤの腕の中でもぞもぞと暴れ出した。サクヤはそれをしっかと押さえる。
ウズは細波のように囁いた。
「サクヤよ、そなたら四つ子のお父上殿がどのような仕事をしておいでか、ご存知かえ」
「……いえ」
「そなたらの祖先、古く『ちはや』と呼ばれた家は代々舞踊の家系での。まあそれが戦乱に権力闘争に色々重なり、多くの分家流派に分かたれ、歌舞伎を主とする家やら、現代の子女に舞踊を伝えることを主とする家やらが出てきたわけじゃ」
ウズは手慰みのように鈴を揺り鳴らしながら、海鳴りを島に招じ入れているようだった。
「して、そなたらの四條家はそのような分派の中、花柳界にて発展を遂げた。したがって、古より続く神の鳥を招き入れる踊りを芸妓舞妓に伝えるは、四條の家」
「……神の鳥……」
「左様。神おんみずからの遣わした証たる羽根と、人の中より選ばれ出でし証たる鈴。そして舞妓の踊り。それらにより、神の鳥を降臨させる。そなたらのお父上殿の守っておられるは、そうした一連の儀式じゃ」
ただしあたしは少々特別での、とウズは夜風の中で笑った。海からの風に巻き上げられた銀髪が月光のように煌めく。
「踊りも見様見真似でできんこともないが、そこまでせずともあたしは顔が利くでな」
その時、正面の海が山のように盛り上がった。
サクヤの腕の中で暴れていたゼニガメが、ぽかんと口を開いてそれに見とれる。
ぬるりと、膨らんだ海面は月を映し込んだ。
青く輝いた。
余波が津波のように浅瀬に押し寄せる。けれど不思議とサクヤやウズの立つ浜辺には細波しか立たなくて、砂浜に打ち上げられる水ポケモンなども無い。ただ湿った空気と地面が微かにふるえた。畏れるように。
銀の飛沫が、滝のように降り注いだ。
「海神のご降臨であるぞ。いやはやお久しゅうございますな、お父上」
ウズは呑気な声音であった。そのままどこか狡い笑顔でサクヤを振り返った。
「では、海神様と勝負なされよ、サクヤ。ぐっどらっく」
ゼニガメを抱えたサクヤは、呆気にとられて銀の神鳥を眺めていた。
ルギア。
深海から現れた。
羽ばたきの一つ一つもいやにゆっくりで、それは体を宙に保つためでなく、海風を叩き付けることによって人を威圧させんとするためのものでないかと思われる。
海水に濡れた銀の羽根は煌々と刃のようで、立ち上る海霧は神々しくほのかに月彩に染まる。
その両翼から滴り落ちる濃い滴は、生々しい原初の命のにおい。
血潮の香りを纏った海神が、サクヤを見下ろしていた。
知らず半歩後ずさりそうになるサクヤに、ウズが声をかけた。
「ほれほれ、シャラで得た力を見せてみや。せっかくそなたのためにご降臨下すった海神様を失望させるでない」
「……ウズ様……これは一体」
「あたしは腹が立っておる。あたしの怒りは海神様のお怒り。少々灸を据えてやると申したじゃろうが」
その時、ルギアが咆哮した。突風が巻き起こる。ゼニガメを抱えたサクヤごと吹き飛びそうであった。
ばたばたばたと、海面から飛び散った飛沫が、砂浜を穿つ。
サクヤは膝をつき、浅瀬の上空で威圧感を放つルギアを睨んだ。ルギアの瞳は黒々と夜の海のよう。――これを、倒せ、と? 倒せるのか? 無理ではないか? そもそも、まさかウズにこのような切り札があったとは。
いつの間にか海上は急速に暗雲に包まれつつあった。海鳴りと思われたものは今や雷雲の呻き、砂浜を打つ飛沫と思われたものは今や大粒の雨。
「……雨乞いか」
ルギアもまたサクヤの見知った技を使うことを認識すると、途端に頭が切り替わった。相手はポケモンだ。力が上回れば、いくら海神とても倒せよう。
「アクエリアス、ハイドロポンプ」
大雨に大喜びしていたゼニガメに低く命じると、ゼニガメは勢いよくサクヤの腕の中を飛び出し、大雨を味方につけて大量の水を吐き出した。その水流が銀の大鳥にぶつかると、ゼニガメはそのまま頭と手足を引っ込め、回転しながら甲羅の中から勢いよく水流を発する。
海水に濡れたルギアは、それを悠然とその翼で受け止めていた。そしてゼニガメの水の勢いが弱まると、くわと顎を開いた。
「アクエリアス、守る」
ざん、と鈍い音がした。
ルギアのハイドロポンプは、ゼニガメのものを完全に上回っていた。水量、水勢、水圧、何をとっても敵わない。それはもはや水流ではなく、鋼をも断つ水の刃だった。それを見て取り、サクヤの背筋を冷や汗が伝う。ゼニガメは甲羅にこもって完全にそれを受け流しているが、まともに食らったら物理的に耐え切れないだろう。
仕方がないと嘆息する間もなく、サクヤは続けてモンスターボールから、チルタリスとニャオニクス、ボスゴドラの三体を繰り出した。
そこにウズの言葉が飛んでくる。
「サクヤよ、確か一度に四体出すのは、ルール違反ではないのかの?」
「不意打ちでチートなやつ召喚した方には言われたくありません」
サクヤは冷淡に応じた。
ルギアの追撃が来る前に、ニャオニクスに光の壁を張るよう命じる。チルタリスに流星群を撃たせ、その直後にパワースワップでルギアの特殊攻撃力を奪う。これでルギアの驚異的な破壊力はだいぶ制限できたはずだ。
この雄のニャオニクスはサポート型だ。ゼニガメにはそのニャオニクスを守ってもらう。チルタリスには上空からルギアの動きを制限させる。
そしてボスゴドラには。
サクヤは帯に挿していた簪を引き抜いた。その飾り部分は蜻蛉玉ではない――キーストーン。シャラシティのマスタータワーで手に入れたものだ。
それが、ボスゴドラが手に持つメガストーンと共鳴する。こちらはキナンシティで、ウズから受け取ったもの。
サクヤはメガシンカのこの派手さが好きではない。未だ慣れていない所為というのもあるが、キーストーンとメガストーンから伸びた眩い七色の光が結びつくという演出からして、実に騒がしい。繋がりとは、これほど派手なものでなくてもいいのに。
七色の光を打ち破ったメガボスゴドラは、海水打ち寄せる浜辺にその巨体の四肢を突き立て、宙に神々しく佇むルギアを睨んだ。
「メイデン。アイアンテール」
巨大な尾を振り回す反動で、メガボスゴドラは砂浜から跳躍した。
ゼニガメのハイドロポンプ、ニャオニクスのサイコキネシス、チルタリスの流星群によって追い立てられ、ルギアは海面すれすれまで下降していた。その横っ面にメガボスゴドラがアイアンテールを叩き付ける。
しかしルギアは一瞬の怯みもなく、凄まじい大気の刃をメガボスゴドラにお見舞いした。
そのような技をサクヤは知らない。
チルタリスやニャオニクスの種々の工作の上でも、ルギアのその攻撃は、メガボスゴドラを砂浜の上で大きく後退させるほどの威力があった。もはや化け物レベルだ。
「冷凍パンチ」
メガボスゴドラが、砂を踏んで猛烈な勢いで突進する。
冷気を纏った拳をルギアの腹に叩き付けるも、またもや急所に攻撃を受けたにもかかわらず、ルギアは怯むことなく至近距離から、今度は大雨の力を得たハイドロポンプ。メガシンカによってボスゴドラの岩の属性は打ち消されているから効果は抜群とはならないものの、それでもやはりゼニガメのハイドロポンプを凌ぐ威力。
更には、ルギア本体には未だに、全くダメージを負ったような気配はない。
否、そうではない。サクヤは息を呑んだ。
「……自己再生か」
ルギアはダメージを負っても、その片端から体力を回復しているのだ。元々防御に優れた能力を持つのだろう、戦闘を始めた時からほぼ変わりのない余裕、神聖さ、威圧感。
ルギアの威圧感は半端なかった。潮の香りの満ちた夜の空気が重々しい。
サクヤのポケモンたちも知らず全身に余分な力が入っている。普段ならばゼニガメのハイドロポンプもチルタリスの流星群もまだ何発も放てるはずなのに、既に疲れ果てて荒い呼吸を繰り返している始末。
そしてルギアは、海と天を自由に飛翔する。海中に潜まれてしまえば手の出しようがなく、空中に逃げられてしまえば主力のメガボスゴドラの技が届かない。
どうする。
このまま続けても、ポケモンたちの技を出す力が尽きる方が先だろう。ジリ貧だ。サクヤは早々にそう見切りをつけた。
こういう時のための奥の手をサクヤは用意している。
ゼニガメ、メガボスゴドラ、ニャオニクスを次々とボールに戻す。
岩山の岸壁に寄り掛かってバトルを眺めていたウズがひょいと片眉を上げた。
「降参かえ?」
「まさか」
サクヤはチルタリスを見上げた。
「――滅びの歌」
そしてチルタリスが力尽きる前に、サクヤはきちんとチルタリスをボールに戻し、交代という形でゼニガメをボールから出した。ゼニガメはぴょんと飛び跳ねてサクヤの腕の中に飛び込む。
「こら。まだバトルは終わっていない」
「ぜにぃー?」
サクヤとゼニガメは、未だ宙に留まっているルギアを見つめた。
体力はほとんど削られず、生命力に満ち、月光に輝く銀の海神は、それでも滅びの歌を聞いたからには一定時間後には倒れる羽目になる。
ルギアは、サクヤとゼニガメを見下ろしていた。
サクヤは思わず言い訳じみたことを口走った。
「……なぜ貴方は、ウズ様の招きで僕らの前に現れたのですか」
「そなたらの力を確かめるためじゃとゆうておろうが」
ざくざくと砂を踏みながら、腕を組んだウズが不機嫌そうな声を出す。
「滅びの歌とは何じゃ、滅びの歌とは! あたしはメガシンカの力を見せよと申したはず」
「メガシンカしたメイデンでも勝てそうにありませんでした。それでもなお勝ちをとろうとした結果です」
「海神様に勝つことなど、求めておらなんだ」
「なら、僕の手持ちが全て瀕死になるまで、足掻き続けよと? くだらない。傷つくのは僕ではなくて、僕のポケモンたちなのに? よくもウズ様はそのような非情なことを仰れますね」
その時、海鳴りのような、笛の音のような、不思議な唸り声がした。サクヤとウズを宥めるような、海神の声だった。
二人は反射的に顔を上げ、息を吐いた。
その穏やかな声を聞いていると夜の渚に佇んでいるような、心安い気持ちがした。絶対的な安心感がそこにはあった。ルギアの瞳は夜の海、光差さぬ海底の色。冷たく重く柔らかい。
ウズはちらりと海神を見やったかと思うと、心から残念そうに挨拶した。
「ありがとうござんした。気を付けてお帰りくださんせ」
ルギアはウズに視線を合わせ、銀の背をねじり、青鈍色の羽を背に畳んだかと思うと、とぷりと思いのほか静かに水面下に消えた。月影の中、海底へと泳ぎ去っていった。
サクヤはやはり、この養親の得体の知れなさに改めて内心冷や汗をかいていた。
まさか、神と呼ばれるようなポケモンと顔なじみだったとは。
これではやはり、頼りにならないというレッテルを改めざるをえないのではないだろうか。
海神の洞穴の前で、二人は月光に輝く砂浜を歩いた。
ウズが伸びをしながら心底つまらなそうにぼやく。
「ほんにつまらん童じゃ。ちいとも思い通りにならぬ。まあ、これで分かった」
「何がですか」
「お父上殿は、おぬしら四つ子にお会いになろう」
そのウズの言葉に、ゼニガメを抱えたサクヤは思わず立ち尽くした。
「…………は?」
「ゆうたじゃろうが、四條家は神の鳥をお招きする踊りを伝える家じゃと。その家のもんが、海神様に認められた。これほど四條家にとって名誉なことはあらぬよって。あたしが証人になる。それにな、ほれ」
そしてウズが得意満面で取り出したのは、ホロキャスターだった。サクヤが目を見開くと、ウズはますます得意げに慣れた手つきで機械を操る。そして立体映像を表示し、サクヤの目の前に突きつけた。
それは先ほどの、ルギアとサクヤのバトルの様子だった。その器用な所業に、サクヤは思わず唾を飲み込んだ。
「どうじゃ、このホログラムメールも先ほどプラターヌ博士に送信したぞ。すぐに映像が本物と保証して頂けよう。高名な博士のお墨付きとあらば、四條家も認めざるを得んじゃろうて」
「……ウズ様……いつの間に機械に精通なされて……」
「ふん、あたしがキナンで遊んでばかりじゃったと思うたか。あの機会にロフェッカ殿やエイジ殿に教わり、一通りの機械類の扱いはマスターしたわ! どうじゃ、畏れ敬えアホ四つ子!」
「……はあ」
この前まで四つ子と同じく機械音痴だった養親が、いつの間にか情報強者の仲間入りをしていることにサクヤは戦慄した。これでまた一つ、養親にアドバンテージを許してしまったわけだ。つい先ほど養親にはどうやら海神の加護があるらしいことを知らしめられただけに、今さらながら養親の底知れなさを思い知ったサクヤである。
ウズは自慢げに、真新しい青鈍色の渋いホロキャスターを器用に操って、様々な機能をサクヤに紹介しようとしていた。そこに慌ててサクヤは口を挟んだ。
「……それで? 四條家に認められると、僕らはどうなるんです?」
「さて。ジョウトはエンジュシティの四條家のご面々にご挨拶にでも向かうかのう。これからはお父上殿やお義母上殿、異母兄姉殿にもなんぞ遠慮することはない。実家からの援助もいただけよう」
「……えっ」
サクヤはぽかんとするほかなかった。まさか先ほどのルギアとの戦闘にそれほどの意味があったとは。
父親が四つ子を認める。やっと顔を見ることができる。四つ子を援助してくれる。
想像してみても、サクヤにはさっぱり現実味が湧かなかった。フレア団に狙われているという話と同様に。
けれどもし、ジョウト地方に逃れることが出来たなら、フレア団の追跡も振り払えるのではないか。父方の実家ほど、四つ子にとって頼れるものはないのではないか?
サクヤは知らないうちに砂浜に立ち止まって考え込んでいた。
腕の中のゼニガメが無邪気にもぞもぞと動き、笑いながらサクヤの唇をいじり出す。サクヤは噛むぞと脅した。ゼニガメが笑いながらサクヤの頬をぺたぺた触ってくる。サクヤは文句を言った。
それからボールから三たびチルタリスを出して、その背に乗った。星月夜の空に舞い上がらせる。
ホロキャスターを懐にしまったウズもまた、ジュゴンの背に乗り、夜の海へと泳ぎ出している。銀髪流れる人の背中にジュゴンの尾――どことなくその後姿が、サクヤには白銀の人魚のように見えた。
空高くから海を見下ろす。海面から微かに、幻想的なチョンチーやランターンの光が見える。また、この海底のどこかには海神がいる。ウズに招かれた海神はジョウトの海へ帰るのだろうか。四つ子の父親のいる場所。
フレア団のことについてどうしようもなくなったら、海を越えて庇護を求めてみようか。
サクヤは夜風の中で、目を閉じた。何は何でも、片割れたちに相談してみなければ。
ラプラスの歌が聞こえる。
それに呼応するように、チルタリスが歌う。
海神の歌声が、海鳴りのように響いた気がした。
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