マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1462] 深更漂う 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/17(Thu) 20:50:40     48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    深更漂う 上



     ヒヨクシティの西に、ことさら青く澄んだ、穏やかな海がある。
     アズール湾、と呼ばれている。
     高級リゾート都市のヒヨクを訪れた観光客が訪れる、カロス有数のビーチ。それも夜となればさすがに人の気配はわずかだけれど。


     黒髪と袖に絡めた青い領巾を静かな潮風になびかせ、潮の香りを肺いっぱいに吸い込む。ゼニガメを両手で抱えたサクヤは静かに夜の浜辺を歩いている。ブーツの底で砂を蹴るたび、貝の死骸の欠片を踏む。打ち寄せる波の音は絶え間ない。
     海を見るのはとても久しぶりだった。このところマウンテンカロスばかりに籠って山ばかり見ていたせいだ。ましてや遅い夜の海など。
     夜空には星が輝き、月が浮かぶ。
     闇の大海は月光を散り敷き、網の上に小魚を揺するように光を波間に弄ぶ。その中で海中に漂うように見える微かな灯火は、チョンチーかランターンか。潮騒に紛れ、遠く、微かに、歌のようなものが聞こえる。ラプラスだろうか。
     昼間は騒がしいキャモメはすっかりねぐらで寝入ったか。けれど観光客は、夜のアズール湾にはまだあった。チョンチーの淡黄の光や浅瀬で赤く揺らめくラブカスの群れを夜の海に見出し、ラプラスの歌に耳を傾けようと。
     そうした観光名所に群がる観光客を、サクヤは好かなかった。夜闇のおかげで砂浜を踏み荒らした足跡が良く見えないのがせめてもの救いだ。
     誰かが行くから自分もそこに行く――そのことに楽しさを覚える精神が、サクヤには理解できない。わざわざ人混みの中に飛び込んでいって、忙しい人の流れに従って、レンズ越しの風景ばかり覗いて写真ばかり撮って、ネット上で見せびらかして。
     それでは何一つ本物の美しさを見れていないと、サクヤは思ってしまう。
     行くことが目的となっているがための、行って何をするのかという実質の空虚さ。美しいものを見るには独りに限る。他者がいれば、そちらにまで気を遣わなければならないから。もちろんサクヤも家族や恋人同士で旅することを全否定はしないものの、それはあくまで彼らの間の関係を深めるための旅であって、美しきものを愛でるための旅とはならないだろう。そう思っている。



     サクヤは人けのない浜辺へ向かって歩いていた。寄せる波に濡れた細かな砂浜は、それすらも粒々と月明かりを映して輝く。
     より人の少ない場所へと。人嫌いの性のためか。
     サクヤだけでない、四つ子は人が嫌いだった。特に大勢の人間が嫌いだ。あからさまに嫌悪感を示すキョウキだけでなく、一見人懐こいセッカも、そして常に機嫌悪そうに眉間に皺を寄せているレイアも、サクヤと同様に人混みを避ける性質がある。野山にこもり、一日じゅう人と話さず、ポケモンだけを愛して。
     それは四つ子が利己主義者だから。他者に興味などないから、まず関わりを避ける。
     関われば傷つけることすらある。ミアレの事件以来、四つ子はさらに他者に対して神経質になった。キナンでの滞在以来、四つ子はさらに他者に不信感を抱くようになった。
     確かに、他者に対して無関心ではなくなった。けれど関心を持てば持つほど、避けずにはいられない。
     かつては、他者に興味がなかった。
     現在は、他者を嫌悪している。
     それが良き変化なのか悪しき変化なのか、四つ子は判断しかねている。何はともあれ、生きづらくはなった。
     それは辛い旅だった。生きていることが苦しかった。
     フレア団やポケモン協会の敵になったというのが、すべて四つ子のただの妄想であれば良いのに。それであればもう少し、歩きやすく均された道路を堂々と歩けるのに。
     けれど歩きやすい開けた道を外れてわき道にそれ、迷い込んだからこそ、サクヤは今この美しいアズール湾に辿り着いていた。


     蒼い。
     月までもが海に染まったかのように青白い。
     波の寄せては返す音が、一定のリズムで繰り返される。静かに、静かに。
     サクヤがそろそろと砂浜に腰を下ろすと、腕の中のゼニガメが元気よく飛び出し、海の浅瀬に飛び込んでしまった。やんちゃなゼニガメは気持ちよさそうに波間にたゆたい、そしてサクヤを振り返って水鉄砲をしてきている。サクヤも入ってこいと、そう言っているのだろうか。そんなことできるわけないのに。
     波打ち際で膝を抱える。穏やかな夜の海風を全身に浴びる。
     波が寄せては返す。寄せては返す。静かに、ただ静かに。

     サクヤは一人だった。
     片割れたちはここにはいない。
     山間のキナンシティをTMVであとにして、大都市ミアレに着いた後、共に西のシャラシティで用事を済ませてきた。そのあと。四つ子はバラバラになった。
     誰が言い出したわけでもない。自然とそうなった。
     サクヤたち四つ子は仲が良い――この歳になっても同じ布団の中でくっつき合って眠ることにまったく抵抗感を覚えないどころか高揚感と安心感しか覚えない程度には。だから今回の別離も、特に諍いに起因するものではない。
     フレア団やポケモン協会の目をくらますには、別々に行動する方がいいのではないかと考えただけだ。四人全員や二人ずつで行動していると、とかく目立つのである。それも四つ子の自意識過剰、被害妄想である可能性も無きにしも非ずではあったが。
     一人旅でも別段、心細くはない。手持ちの六体のポケモンたちがいるから。いざとなったら彼らに頼ればいい。彼らを育てたのはサクヤだ。サクヤは自分を、ポケモンたちを信じている。
     サクヤの心は目の前に広がる夜の大海のように、静かだった。キナンを出、ミアレからシャラを辿った後も、フレア団との接触はない。フレア団が四つ子を狙っているというセッカの仮説は本当は誤りなのではないかと疑ってしまうほど、何事もなかった。
     この夜の海のように、あまりにすべてが平穏無事で。
     一人でもなんとかなるような気がしていた。それは楽観なのだろうか。
     フレア団に狙われている、という話が未だに現実味を持たなくて、サクヤの不安は宙づりになっている。


    「ぜにー!」
     サクヤが思考に沈んでいたとき、海の中でゼニガメが悲鳴を上げた。サクヤははっとして顔を上げる。
     ゼニガメが海面から飛び上がっていた。飛沫が月光に散る。
     ゼニガメの影を穏やかな海から叩き出したのは、純白の角、白銀の体毛を持った海獣――ジュゴンだ。
    「ぜぇにーっ! ぜにがー!」
    「あおおお?」
     ジュゴンはその角でゼニガメの甲羅の一点を支え、ゼニガメを器用に頭上でくるくると回して遊んでいる。まるでタマザラシを鼻先で回して遊ぶトドグラーのようだった。ゼニガメは渦潮にでも巻き込まれたように目を回している。
     サクヤは更にはっとして周囲を見渡した。
     その瞬間、サクヤは後頭部をはたかれた。

    「ひっ」
    「サクヤか。このド阿呆!」
     鋭く怒鳴られ、背後から頭をぐりぐりされる。そうなると反撃のしようがない。
     サクヤは従順に、その人物に苦痛を訴えた。
    「……い、いい痛いです……ウズ様」
    「当たり前じゃ! レイアとキョウキとセッカの居場所を吐かんかい!」
     サクヤの背後から、ひどく嗅ぎ慣れた懐かしい甘い香の匂いが漂ってきた。潮の香と混じってえもいわれぬ薫香を醸し出す。サクヤはどうにか養親の両手を押さえ、そろそろと背後をふりかえった。
     長い銀髪を高い位置で結わえ、きちんと着物を身につけた若い外見の人物が、鬼の形相で仁王立ちしてサクヤを見下ろしていた。懐中電灯を手にして、草履に足袋で夜の砂浜に立っている。
     サクヤたち四つ子の養親、ウズである。


    「……ウズ様、なぜここに……」
    「勝手にキナンを抜けおったおぬしらを捜しとるに決まっとるじゃろうが! まったく、ロフェッカ殿にも大層ご迷惑をおかけしよってからに! エイジ殿もひどく心配しておられたぞ、このアホ四つ子が! ポケモン協会様も、おぬしらを捜しておる!」
    「……なぜ」
    「おぬしらが協会様のご指示ご厚意を無視して、キナンを出たからじゃろうがぁ!!」
     ウズはぷりぷりと若々しく怒りながら、サクヤの隣の砂浜にどさりと腰を下ろした。興奮した神経を鎮めるかのように、静かな夜の海と、沖でゼニガメを回して遊んでいるジュゴンを眺めている。このジュゴンはウズの手持ちであり、実はどのような人間よりも長くウズに寄り添い続けたウズの伴侶でもあった。

     サクヤは眉を顰めて、ポケモン協会が自分たち四つ子を捜しているという、たった今聞き知った事実について思案していた。
     四つ子がひと月かふた月ほどキナンに籠っていたのは、ポケモン協会の指示によるものだ。
     にもかかわらず、キナンから出てもいいという協会からの指示を待たずに、四つ子はキナンを飛び出してしまった。だから協会に捜されている。
     なぜ捜されているのか。
     保護のため、なのか?
     ポケモン協会の管理から外れた四つ子を、警戒しているのではないか?
     協会から逃げれば逃げるほど、四つ子は自ら協会の敵となってしまうのではないか?
     それは望ましいことなのか?
     フレア団に対抗するためには、協会とは敵対しないようにすべきではないのか?
     協会を信じていいのか?
     わからない。
     キナンで片割れたちと一緒に四人で考え続けても、とうとうわからなかった。今さら一人で悩んだところで、分からないだろう。


     そのようなサクヤの惑いも知らず、ウズはサクヤの葡萄茶色の旅衣の肩を軽く掴んだ。
    「まったく、おぬしら四つ子は昔っから、面倒事を絶やさぬ童どもじゃのう。いかなる凶星の下に生まれたか。なして大人のゆうことを聞かぬ? モチヅキ殿に尻を引っ叩いてもらわねば言うことを聞けぬのか?」
     ウズがモチヅキの名を出したのは、サクヤが特にモチヅキを慕っているのをわざわざ揶揄する意図もあっただろう。
     サクヤはそっぽを向き、肩からウズの手を外させた。
    「……僕ら四つ子はもう子供ではありません。とっくに十も過ぎ、立派な成人です。ウズ様に子ども扱いされる筋合いはないかと存じます」
    「童でないというならば、問題を起こすでない」
    「……僕らが問題を起こしたのではありません」
    「では、なぜ無断でキナンを出た?」
    「……貴方に断る理由などない」
     サクヤは澄まして冷淡だった。
     ウズは鼻を鳴らして、遠く夜の海を眺めた。サクヤは昔からこうだった。ウズに対しては冷淡で慇懃無礼。頭は良く手はかからないけれども、養親のウズよりも、たびたびクノエを訪れてくるだけのモチヅキの後ばかり頬を赤らめて追う。まったく可愛げのない子供だった。
    「…………おぬしは、あたしではなくモチヅキ殿になら、打ち明けたか?」
     ウズがぼそりと呟いた。サクヤは首を振る。
    「……片割れたちと相談して決めます」
    「あたしに何も言わなかったのも、おぬしら四つ子が下した決定じゃ、と?」
    「……そうですね。ウズ様に打ち明けたところで何にもならないだろう、と」
    「…………つまり、あたしでは力不足か…………」
     波に飲み込まれそうな声だった。
     気まずくなり、サクヤは改めて膝を抱える。波が白く浜に打ち寄せる。


     確かに、四つ子はけして、この養親を高くは評価していない。料理や和裁の腕は認め重宝してはいる。けれどウズは一切ポケモンバトルをせず、したがって“実力がある”かどうかも分からない。学問に通じているわけではない。芸事の心得はあるが、滅多に披露もしない。そしてたびたび腹を立てては、四つ子を庶子だと理不尽に詰る。
     四つ子には、この養親がよく分からないのだった。四つ子が何をしてもけして四つ子の心には寄り添おうとしない、遠い存在――それがウズだった。四つ子がウズを無邪気に慕おうにもそれを許さない、一定の心の距離をウズは常に取っている。
     父親に捨てられ、母親に先立たれた自分たちを根気強く養い育ててくれたことには感謝している。けれど、ウズにそれ以上のことができるとはとても思えなかった。
     ウズには四つ子を守る力などない。だから四つ子もウズを頼ることはできない。
     養親はサクヤの隣、浜辺で胡坐をかいたまま、寄せては返す波ばかりを見つめている。波の音に耳を傾けているようにも見える。
     サクヤは恐る恐る口を開いた。
    「……ウズ様」
    「何か」
    「……僕らのことは構わず、どうぞクノエにお帰りください」
     するとウズが流し目でサクヤを睨んだ。
    「あたしが邪魔かえ」
    「……そのような……」
    「いつもそうじゃな。おぬしら四つ子は、昔からあたしを邪魔者扱いして。おぬしらに食事や服を与えたあたしを、四人で寄ってたかっていじめよる。ひどい扱いじゃ。親不孝者めが」
    「……僕一人に言われましても」
    「シャラには寄ったか」
     ウズは唐突に話を変えた。
     サクヤは半ば呆気にとられつつも、養親の機嫌を損ねないようにすべく素直に頷いた。
    「……はい。マスタータワーには四人で寄りました」
    「認められたか」
    「……ええ」
    「ふん、まあよろしい。ではその力、見せていただこうかの」
     ウズは音もなく立ち上がった。薄紅の裳裾がさらりと流れ、香が甘く薫り立つ。
     白皙や背を流れる銀髪が月に照らされ、そこにはいかにも人間離れした物凄さがあった。
     サクヤはそれを呆然と見上げていた。ウズは何をしようと言うのだろう。

     どうどうと、滄溟が鳴る。
     ウズは頓着なく、浅瀬に草履の足を踏み出した。
     着物の裾が海水に浸かるのにも構わず、ウズは自らの手持ちのジュゴンの方へと歩み寄る。するとそれまでサクヤのゼニガメで遊んでいたジュゴンが、ゼニガメを放り出し、するりとウズの傍に寄り添った。ウズはその純白の毛皮に手を当て、慎重な緩やかな動作でジュゴンに横乗りになる。ジュゴンが尾で一つ海面を叩いた。
     ウズは月のような白い顔で、海のような青い領巾を被布の袖に絡めたサクヤを振り返った。
    「随うて来やれ。海からでも、空からでも」


      [No.1461] 残照遊ぶ 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/16(Wed) 20:49:19     47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    残照遊ぶ 下



     その老人は異様に目立つ。
     ガブリアスの1.5倍もの身長、長い白髪。首にかけた古い鍵。特徴的すぎる。
     セーラはすぐにその大男の姿を認めた。そして木陰に隠れつつそちらを窺う。
     老人の傍に立っている、その老人との比較のせいでやたら小柄に見えるトレーナー。ピカチュウを肩に乗せ、ガブリアスを侍らせて。
     間違いない。セッカだった。
     セーラは頭を抱える。


     セッカとはショウヨウシティで別れたきりだ。自転車で轢いただの、痴漢呼ばわりだの、泥棒騒ぎだの。その果てにそれらの翌朝セッカはなんでもないような顔をしてセーラにジャージの上着を返却し、まったく普通の顔をしてショウヨウを後にした。
     何のときめきも、何の発展の兆しも無かった。その時その傍にいたポケモン協会の職員の髭面の男が言っていた。
    「ま、気にすんな。そもそもあいつ男か女か、俺も知らねぇもん」
     その言葉の含んだ意味、想定された前提、すべてをセーラが把握するには時間がかかった。
     そしてセーラはその職員の男に掴みかかった。
    「ちょっとそれどういう意味よ! まさか、あ、あたしがあああの変態野郎に何か!?」
    「え、違うんか。ま、いいじゃねぇか女同士でも、普通にアリだわアリ」
     だからどういう意味なんだ。セーラは職員の向う脛を思い切り蹴飛ばした。

     またセーラは、姉のローザから、ハクダンシティでセッカに会ったとの連絡を貰っている。ホログラムメールが届いたのだ。
    『ねえセーラ、ハクダンでセッカさんとその片割れさんに会ったわよ』
    「え、セッカと……片割れって何?」
    『知らないの? セッカさんは四つ子よ?』
    「ええええええ何それ知らないなんで言わなかったんだあんちくしょ――!」
    『ふふ、セーラはセッカさんに興味があるの?』
    「ちょ、ちょっとお姉ちゃんまで変なこと言わない! 四つ子なんてび、びびびっくりしただけ!」
     そのような会話のさらにその後、姉から再び連絡があった。
     しかしそれはセーラの私用のホロキャスターへの通信ではなかった。
    『ショウヨウシティで目撃情報あり。セーラ、彼を確保するまで追って』
    「了解」
     セーラはきちんと制服に着替え、四つのハイパーボールをボールケースに収納し、拠点とする建物を出た。


     そして追って、追い続けて。
     何度かバトルを挑んだが、セーラはAZに逃げられ続けていた。
     バトルでは有利なのだ。しかしAZはいつもバトルの最中に隙をついて逃げてしまう。普段は隠れもせずその長身を日にさらしているというのに、なぜかAZは逃げ隠れが病的に上手かった。
    『おそらく長い時の間にやはり気味悪がられて、身を隠す術でも覚えたのでしょうね』
    「でもお姉ちゃん、あたし、一人でできるか不安になってきたよー」
    『出来るわ。貴方のポケモンなら』
    「“あたしなら”出来る、とは言わないのね。もう」
    『ああ、そうだセーラ。四つ子がキナンから脱走したらしいわ。もう何日も前に』
    「……何それ、今のあたしに何か関係あるわけ?」
    『ないわね。お仕事集中して頑張ってちょうだい』
    「余計なこと言わないでよね、お姉ちゃん」
     ショウヨウから列石の間を通ってセキタイ、映し身の洞窟を抜けてシャラ、そしてこののどかなメェークルの鳴き声響く12番道路。
     セーラはここ数日間AZを見失っていた。一度来た道を引き返す理由はないだろうと、それだけ見当をつけてメェール牧場で待ち伏せしていた。するとやはり、AZは現れた。セーラが追跡を中断した結果AZも身を隠すのをやめたのだろう、のんびりとメェール牧場を歩いていたのだ。
     しかし、AZは牧場の只中で立ち止まった。セーラも目を凝らした。
     それは、四つ子の片割れの一人だった。


     セーラは歯噛みする。
     折角AZを見つけたのだ。姉にも先ほど連絡を入れたから、応援を送ってくれるはずだ。どうにかここで足止めしておきたい。
     しかしまたバトルを挑めば、逃げられてしまうかもしれない。セーラは既に二度ほど、バトルの最中にAZに逃げられているのだ。何度も同じことを繰り返すことほど馬鹿馬鹿しいことはない。
     ここはおとなしく潜伏を続け、AZの行方を確実に追い続けるべきなのではないか。
     AZはセッカと何やら談笑している。
     セーラはおよそセッカそのものには、今のところ興味はさめきっていた。確かにショウヨウで助けられた時には一瞬心がときめいたが、改めて冷静に考えればあれは吊り橋効果というやつであったし、またセッカの事件翌朝のおよそ冷淡な態度にセーラは幻滅もした。やはりセッカはセーラが夢見たような彼氏にはなりえない。そもそも男か女かもはっきりしないのだ。
     ただ、セーラは四つ子のトレーナーを厄介だとは思っていた。
     セッカの傍にのんびりと寛いでいるガブリアス。ショウヨウで見た時はセッカを乗せてすさまじい跳躍を見せ、あっという間に街を飛び越えていった。おそらく並みのポケモンではないだろう。
     けれど、今のセーラには、強い手持ちのポケモンがあった。
     セッカとバトルをしてみたい、という気持ちはある。一方的に傷つけられたり守られたりという関係ではなく、対等な場所に立って戦ってみたい。

     セーラはAZの様子を窺っていたはずが、いつの間にかそのような事を考え出していた。はっとして思考を切り替える。
     AZとセッカはメェール牧場から動きそうにない。その話し声はセーラの元までは届かない。
     AZを追うか。しかしそれではおそらく、セッカとは行き違いになる。
     かといってAZの追跡以上に優先すべきことはない。
     しかし、ここで別れればセッカとバトルする機会などもう無いかもしれない。
     順当に行けばAZはこのまま東のヒヨク、南東へ13番道路を通ってミアレへ向かうはずだった。AZがミアレに辿り着くまでにセーラは仲間と一緒にAZを確保すればいい――。
     セーラはそう算段を立てた。であればここで、セッカにちょっかいを出してもいいのではないかと考えた。
     算段を立てはしても、セーラの心は平静ではなかった。
     セッカとバトルをする。それはセーラにとって非日常で、まるで新人トレーナーがとうとう初めてのジムに挑戦するような、そのような高揚感と緊張、麻痺した神経にセーラは侵されていた。まともな判断などできなかっただろう。けれどいちいち標的を襲撃する際に姉に連絡を入れるなど、普段の彼女にあっても考えられなかった。常に自身で考えて行動することが求められていたからだ。
     セッカは。海辺のショウヨウシティで。セーラにマッギョの10万ボルトを浴びせ、さらにはブスだのなんだのと罵詈雑言を浴びせかけた。そのような仕打ちをセーラにしたのは後にも先のもセッカだけであろう。そのことを静かに想起すると、何となくセッカを許してはならないような、当時うやむやにしてしまったことへの漠然とした違和感が首をもたげる。
     そう、けじめをつけると思って、今ここで正々堂々と勝負をすればいい。
     それきりセッカのことなど、きれいさっぱり忘れてしまえばいい。
     セーラは草原に足を踏み出した。カツラとサングラスを取り去る。これを身につけていれば素性を隠すことはできるけれど、セッカにはセーラだと認識してもらえないから。
     空は青い。
     大地は緑。
     その中でセーラはただ一人、赤い。



    「ちょっと、セッカ」
     少女に声を掛けられ、ぼんやりと草の中に座り込んでいたセッカはぼんやりと体をねじった。今まで同い年ほどの少女に名を呼ばれたためしなどない。セッカにとっては非日常も甚だしい出来事であった。
     そして緑の大地と空の青の中で鮮烈に自己主張する少女を視界に入れ、セッカは思わずその色彩の激しさに瞬きした。目に痛かった。毒々しい色だった。
     赤いスーツを纏った、茶髪のポニーテールの少女。
    「うげぇ……ペンドラーかっての……」
    「誰がペンドラーよ!」
    「あんたが」
    「ひどいっ」
     そう戸惑いなく毒づいてくるその声の調子に、セッカはふと首を傾げた。
    「あ、まさかセーラ?」
    「そーよそうですよ、あたしがセーラよ!」
    「……ショウヨウから私を追ってきていたな」
     AZが座り込んだままぼそりと呟く。
     するとセーラは立ったまま笑顔で、座り込んでいる老人を見下ろした。
    「今日は貴方はいいわ。あたしが用事があるのは、こっちのセッカだもの」
    「え、俺?」
     ピカチュウを肩に乗せたセッカがぽかんと口を開く。セーラはそちらに目を向けて笑った。
    「そうよセッカ。あたし、ショウヨウでの恨み、忘れたわけじゃないの。せっかくここで会えたんだから、バトルできっちり決着つけようと思って」
    「お前、ポケモントレーナーだったんか……」
    「うるっさいわね! 馬鹿にしないでよ! 前のあたしとは違うんだから! 見てなさいよ!」
     セーラは怒鳴ってケースを開き、ハイパーボールを一つ取り出した。高く放り投げる。
    「行って、デデンネ!」
     ボールの中から、長い尾をしならせてデデンネが躍り出る。それは草陰に潜み、ぎりりとセッカとピカチュウ、そしてガブリアスを睨む。


     そのデデンネを見て、セッカは顔を顰めた。
    「…………どういうことだ」
    「どういうことも、こういうことよ! ねえセッカ、あたしはこの子たちでバトルしてみたいの。ちょっと相手になってちょうだい」
     セーラは鼻高々であった。
     セーラはバトルが好きだった。バトルをするのも見るのもどちらも好きだ。バトルをすることがセーラにとって最高の祭の演出であった。
     セッカもポケモントレーナーなら、バトルには喜んで応じるはずだ。トレーナーはバトルばかりする存在だからだ。セーラをただの自転車好きのミニスカートとしてではなく、好敵手として認めてくれる。セッカはセーラをより鮮烈な存在として認めるだろう。
     それだけを望んだ。
     けれどセッカはいつかの朝のように、どこかセーラの望んだものと違う動きをした。
     ただ、冷淡に問いかけた。
    「……いやさ、あのさ、バトルすんのはいいけどさ。セーラ、いくつか質問していい?」
    「何よ」
    「セーラ、エビフライ団だったんだ?」
     セッカはセーラの制服を見つめていた。
     真っ赤なスーツ。セッカに認識されるためにカツラとサングラスは外しているが、それもただ足元に置いているだけだ。
     セーラは怒鳴った。
    「エビフライ団って何よ、そのお子様ランチみたいな名前は! フレア団よ!」
    「ああそうそう、それ。で、セーラってエビフライ団だったんだ?」
    「フレア団だって言ってるのに……。あたしはフレア団員よ、悪い?」
     いや、悪くはねぇけど、とセッカの返事は歯切れが悪い。
     そのままセッカは狼狽したように首を振った。セッカらしくない動作にセーラは眉を顰める。セッカらしくないといっても、セーラはセッカとは半日ほどの付き合いしかなかった。それでもこれほど意気地のない人間だったなら、ますます興ざめだ。
     セッカが額を押さえていた手を下ろし、顔を上げた時、セッカは無表情になっていた。
     灰色の眼差しがセーラを射抜く。
     反射的に肘が跳ねた。
    「じゃあさセーラ、もう一つ訊くけどさ、もう一つ訊いてバトルに入るけどさ」
     セーラは無意識のうちに固唾を呑んだ。
    「……な、何よ」
    「そのデデンネどこで手に入れた」


     セッカは目を見開き、無言のままガブリアスを駆けさせる。
     ガブリアスは草をかき分け、デデンネに踊りかかったかと思うと、その爪をデデンネではなく大地に叩き付けた。
     地面が揺れる。セーラは悲鳴を上げた。牧場のメェークルたちがパニックになって走り回ったり地に伏したり。
     AZは座り込んだまま、唐突に不意打ちのように始まったバトルを眺めている。
     ピカチュウを肩に乗せたセッカは無表情に立ち尽くしている。
     小さなデデンネが揺れる地面に翻弄され、目を回す。
     セッカは舌打ちした。
    「何これ」
    「デ……デデンネ、戻って! お願いホルード!」
    「ああくそマジで腹立つ。アギト適当に潰して」
     セーラが続いて繰り出したホルードに、ガブリアスは容赦なくドラゴンクローを振り下ろす。ホルードはそれを巨大な耳で受け止めた。睨み合う。
    「ホルード、穴を掘る!」
     セーラが叫ぶと、ホルードは軽くガブリアスを受け流し、その脇で地中に飛び込んだ。
     すると再びセッカが不機嫌も露わに舌打ちした。
    「……あのさ、ホルードもホルードっつーか、そのパターンでサクヤのボスゴドラに潰されたの忘れてるわけ?」
     ガブリアスが再び地震を撃ち、ホルードを地中からあぶり出す。そこにドラゴンクローを見舞う。不意を突かれたホルードがバランスを崩し、草の上をざざと滑っていく。
     セーラはホルードを戻しもせず、残り二つのハイパーボールを掴んだ。
    「い、行って、ブロスター、ファイアロー」
    「ああ……ほんと、ほんとに…………」
     セッカが片腕を持ち上げた。肩にいたピカチュウがバチバチと紫電を閃かせつつ、その腕の先に駆け寄る。
     ピカチュウを投げ上げる。
     青天の霹靂。
     微かに湿った空気に、ばちりと弾ける音が満ちた。



     セッカは無表情ながら、半ば混乱していた。
     目を回すホルード、ブロスター、ファイアローをそのままにして草地に座り込んでいる、赤いスーツ姿のセーラの元に歩み寄る。ややぽっちゃりした体形にスーツがきつそうだ。しかしそれは間違いなく、フレア団の制服だった。
     乱れたポニーテールの茶髪が揺れる。
     セーラはセッカを見上げ、その顔の無表情なのに僅かに怯えたらしかった。
    「……いや、ほんと、なんでお前さ」
     セッカはピカチュウを肩に乗せたまま、セーラの正面に屈み込んだ。真面目な顔を作って覗き込む。
    「ファイアローとブロスターとホルードとデデンネ、どこで手に入れた?」
    「……あ、あたしは、た、ただ受け取っただけで」
     セーラは胸の前で手を握りしめている。まるでセッカとの間に壁を作るかのように。
    「受け取った?」
    「ふ、フレア団の幹部に」
    「あー、お前なんで、フレア団なんかに入っちまったの?」
     そこにピカチュウの鳴き声が割り込んだ。
    「ぴぃか、ぴかぴか」
    「……何、ピカさん」
    「ぴかちゅ、ぴぃか!」
     ピカチュウはセッカと何かを相談すると、途端に愛くるしい妖精の顔つきになってセーラの膝にてちてちと歩み寄った。セッカの無表情に怯え切っていたセーラの心をほぐす作戦である。
    「ぴかぁーっ」
    「ほら、ピカさんも応援してるぞ。セーラ、なんでフレア団に入ったの。俺に何の用?」
    「……ち、ちが、これはあたしが勝手に」
    「そういう言い訳信じると思ってる?」
     より一層セッカの声が冷やかになるのに反比例して、ピカチュウはセーラを元気づけるかのように甘えた声を出している。飴と鞭を用意したものの、使い分けずに同時に使っていた。
     セーラはとうとう涙ぐみながら叫んだ。
    「違うって言ってるでしょ! あたしが追ってきたのはそこのおじいさん! あんたなんか関係ない!」
    「関係なくはないだろ」
    「なんで」
     セーラが反射的に問うと、セッカは双眸を見開いた。
    「てめぇが持ってたのが、トキサのポケモンだからだろうが」


     セーラはぽかんとした。
    「トキサって……誰?」
    「あ、そう、知らないのね。まあそれならそれでもいいわ。あーくそ、マジでどうしよっかなー」
    「ねえ、このポケモン、フレア団から支給されたのよ。だから」
    「あのさセーラ、お前なんでフレア団なんかにいるわけ」
     そのセッカからの再三の質問に、セーラはふと口を噤んだ。
     しまった。今は仕事中だった。なのにセッカのガブリアスに完封されセッカに威圧されて、セーラは混乱していた。
     しかし自身が混乱していることを認識してもなお、頭は沸騰したままだった。何も考えられない。自分は何を喋った。なぜセッカとバトルをする羽目になった。なぜセッカがここにいる。自分はAZを確保しなければならないのに。
     セーラはつと立ち上がった。セッカの視線がそれを追う。
    「どしたん、セーラ」
    「……あんたには関係ない」
    「関係なくはないってさっき言ったばっかだろ」
    「この子たちのおやの事なんて知らないわよ! あたしがなんでフレア団に入ったかなんてあんたにはどうでもいいことじゃない! あんたとあたしは敵なの! だからもう、構わないでよ!」
    「俺とお前が敵?」
    「そうよ! そうじゃない!」
    「あっそう。……セーラ、お前やっぱ喋りすぎだわ」
     茶髪のセーラはぎょっとして、袴ブーツのトレーナーを見下ろした。すると屈んだままのセッカの顔が上がって、また灰色の双眸と目が合ってしまった。
     セーラは少なからず怯んだ。
     セッカの目が、上目遣いにセーラを睨んでいた。
    「よく分かったわ。俺らとフレア団が敵だってこと」
    「……ちょっと、あんた」
    「あーあ、セーラのこと好きだったのになー。お前まで敵じゃ、仕方ないよなー!」
     セッカはにやりと悪い笑みを浮かべた。そしてピカチュウに合図を送った。
    「ほらピカさん」
    「……ぴぃーか……」
    「おらなに渋ってんだピカさん。俺とフレア団のどっち取るんだよお前よ」
     そのようなやり取りの後、意を決したようなピカチュウがセーラに飛びついた。
    「きゃっ!」
    「ぴぃーか……ぴかー」
     ピカチュウは渋々ながらセーラのスーツの内外を調べまくった。セーラはくすぐったさに思わず笑ってしまう。ピカチュウはセーラの財布とホロキャスターを見つけ出し、従順にセッカに手渡す。
    「……ああうん、まあ財布は返すわ」
     セッカはセーラに財布を投げ返す。そして追い払うように、セッカはセーラに向かって手を振った。その手にはまだセーラの赤いホロキャスターが握られている。
     セーラはいきり立った。
    「ちょっとどういう意味!? あたしのホロキャスター返しなさいよ!」
    「どーせタダで支給されるんだからいいだろ……。バトルで壊れたっつっとけよ。賞金代わりだって、こんなの」
    「ひっ……ひどい……それが無いと何も報告できないのに」
    「取り返したけりゃ実力でどうぞ。ま、俺の手持ちはまだ六体ともぴんぴんしてるけどな?」
     セッカは涼しげな表情で、セーラのフレア団から支給されたホロキャスターを片手で弄んでいる。
     しかしそのように言われてしまえば、セーラにももうどうしようもない。泣き寝入りをするしかないのだ。トレーナーの中にも、手持ちすべてを瀕死にさせられたことに付け込まれ、不法に有り金全部や高価な機械を奪い取られるという事件は後を絶たないという。
     セーラもそれに巻き込まれたのだ。
     セッカは違法者だったのだ。そのことに気付きセーラは歯噛みする。失望どころではない。セクハラされたのも、暴言を吐かれたのも可愛いものだった。セッカがセーラに向けているのは、純粋な敵意だった。
     なんで、なんでなんでなんで。セーラには理解できなかった。なぜ悪意を向けられなければならない。
     セーラはフレア団としてではなく、ただのトレーナーとしてのバトルを仕掛けたつもりだったのに。意味がわからない。セッカは頭が固いのだ。
     こんな非道な人間など、どうなっても構うものか。
     茶髪の少女は泣き喚いた。
    「許さない! 許さない許さない! 今度会ったら、ぎたんぎたんのけちょんけちょんにしてやるから! 覚えてなさいよ!」
     セーラは捨て台詞を残し、返却された財布とボールケースと、赤いカツラとサングラスを抱きしめながら、シャラシティへと走り去っていった。



     セッカはセーラから奪い取ったホロキャスターを握りしめたまま、溜息をついた。
     その足元のピカチュウも、傍らのガブリアスも、沈黙してセーラの真っ赤な後姿を眺めていた。
    「……なんだかな」
    「随分な悪党ぶりだったな」
     セッカの背後からかけられたAZの言葉には、どこか冷笑が含められていた。セッカは軽く舌打ちする。
    「あんただって、フレア団に追われてたくせに」
    「……お前はいったい、何をした?」
    「わかんない。わかんないんだよ。あんたはこれからどうするんだ?」
     セッカはそろりと老人を振り返った。
     大柄な老人は先ほどから少しも動かず、草の中に泰然と胡坐をかいていた。眉一つ動かさずに、セッカを見つめている。こうして見ていると、セッカの遠近感は狂っていくようだった。AZの周囲だけ縮尺がおかしいのである。
    「私は、カグヤヒメを捜し続ける」
    「まだ言ってるのね。フレア団のことはどうするつもりかって訊いてんだけど?」
    「なるようにしかならない。……そのような事で見失ってはいられない。私には時間がない」
     AZは瞑目し、のそりとたちあがった。そして目を開き、染まる空を眺める。その視線が何かを探し求めるかのように流れる。
     いつの間にか傾いていた陽が、その顔の皺に、長い白髪に苦悩の陰影を刻む。
     セッカはひっくり返りそうになりながら、ピカチュウとガブリアスと共にそれを見上げている。
    「……あんた、時間がないのか」
    「お前が思っているよりは、たっぷりとあるがな」
    「どれぐらい?」
    「あと百年ほど」
    「長っ」
    「そのぐらいも経てば、さすがにこの体にもガタがくる」
    「魔王みたいなこと言っちゃって……」
     セッカは吹き出した。風が吹き抜け、牧場には呑気なメェークルたちの姿がまたしても戻り始めている。黄金色の光の中で草を食み、昼寝をし、遊びまわる。
     セッカは嬉しかった。この世の中には自分たち四つ子以外にもフレア団に狙われている者がいると思えば、仲間が増えたような、心強い気がした。竹取物語も知らなくて、そのくせメルヘンな思考回路の異常に長身な老人だけれど。
    「……百年後なら俺もあんたみたいな爺さんになってんなー。俺が死ぬまでに、あんたの姫に会えるといいね」
    「私もそれを望んでいる」
     セッカは肩を竦めた。赤いホロキャスターをきつく握りしめながら。
    「じゃあね。陛下」
     AZは返事をせず、大股で牧場の草を踏み越えていく。
     追いすがるフレア団など羽虫ほども気にしないという風に。
     夕暮れの映る広大な背中が、セッカには少し羨ましかった。蜃気楼のように遠ざかって。
     倒れたセッカを見つけた時も、彼はこのようなゆったりとした足取りで現れたのだろうか。最初から最後まで同じ歩調で。瞬きごとに視界の中に、愛する姫を求めて。


      [No.1460] 残照遊ぶ 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/12/16(Wed) 20:46:26     48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




    残照遊ぶ 上



     何が見えただろう。
     木、草、花、空、雲、海、風、土煙。
     必死でしがみついたガブリアスは、大地の匂いがした。乾ききった辛い砂地で出会ったガブリアスは今や、苔むすような甘い土壌や、埃立つような洞穴の酸い砂埃や、泡立つような海辺の苦い砂礫のにおいを纏った。複雑な土の匂い。カロスの地を知る音速の竜。
     しかし主人に首に纏わりつかれては、おちおち音速も出せぬ。
     ガブリアスは主人を肩車していた。そのまま疾走していた。主人が振り落とされるや否やは主人の腕力のみにかかっている。しかし剛力で首を締め上げられればさしものガブリアスも首が締まる、当然のこと。その上怪力で纏わりついたらば、ガブリアスの鮫肌にて主人の腕が傷つきかねない。
     すべてはガブリアスが速度を落とせばおよそ解決する話なのだが、そうは問屋が卸さない。
     ガブリアスと主人は、猛牛の群れに襲われていた。
     ケンタロスの大群である。


     この昼下がり、ガブリアスの呑気な主人がぽてぽてと草地を歩いていたところ、うっかりタマタマを踏み潰し、怒り猛ったタマタマの念力が草地を根こそぎ薙ぎ払い、その神通力の猛威たるやたちまち天候をも変転させ、静穏たる晴天は黒々とした暗雲に呑み込まれ、波濤の崖に激しく打ち付け白き飛沫の舞い上がること泡雪の如く、青嵐尽く木々を薙ぎ倒し哀れな花弁を無残に散らす。滝の如く降り注ぐ大雨、長閑なる12番道路はフラージュ通りを水幕の如く覆い、青草をみなひれ伏さす。
     落雷ひっきりなしに大気つんざき、その稲妻一つ、草原にて眠る猛牛の鼻先をぴしゃりと打った。はてさてその性質は暴れ牛、敵に喧嘩を売られたとあらば破滅しつくすまで追い立てる。
     ケンタロスの咆哮一つ。その傍に眠る同胞も一斉に目覚め立ち上がる。
     大雨暴風落雷止まず。
     猛牛たちの目にとまったのは、むべなるかな、否、運悪しくもタマタマを蹴飛ばしたガブリアスの主人である。
     ガブリアスの主人はぴゃあああと間抜けな声で絶叫し、困ったときのガブリアス頼み。モンスターボールの光から現れ出でたガブリアスの肩に颯爽と飛び乗り、ガブリアスに遁走を命じた。
     主人はカロスの闘牛士でない。ただの若きポケモントレーナーに過ぎぬ。
     逃げるほかなかった。これほど多勢に無勢とならば、いかにガブリアスといえどその地震をもってしてもすべて仕留めきれる自信はない。――逃げてぇぇぇ! トレーナーは号泣しつつ命じる。ポケモンは従う。応、逃げねば。行動をもって応える。
     ガブリアスは疾走した。
     何が見えただろう。
     木、草、花、空、雲、海、風、土煙。
     背後から追い来るもの。――怒り狂った猛牛たちの唸り声。大地を踏み鳴らす原始の踊り。
     濡れそぼりぬかるんだ草地くたされ、爪に蹄にかけられて泥沼と化し、あとには草の芽すら残らなかった。冒涜、凌辱、無比冷酷なる暴虐。彼らの通った後には破滅しかもたらされず。
     篠突く雨に途切れない。暗雲おどろおどろしく轟き、ガブリアスにしがみついた手を傷だらけにした主人がおらぶ。
    「ピカさん、雷――!」
     ガブリアスの肩に乗った主人、その主人の肩に乗ったピカチュウ。
     ピカチュウが跳ぶ。その顔は凶悪に笑んでいた。天の雲間に電気の満ちることこの上なく、ピカチュウはただ微かなきっかけを与えてそれを導くだけで宜しかった。不満溢れる嵐雲は勇んでその怒りを雷の魔獣に委ねた。
     白い閃光。
     炸裂音。
     千々に分かたれた稲妻の舌先が、次々とケンタロスをバッフロンへと変えてゆく。
     とはいえ、突進する猛牛たちの勢いがそれで急に殺がれたわけではない。
     アフロブレイク。と呼んで差支えなかろう。



     植物というのは、たくましいものだ。
     すっかりしなだれたと思われていたものも、環境さえ整えばたちまち生気を取り戻す。
     午後の光が差している。
     雲は白く風に吹きはらわれ、元の如く太陽が顔を出していた。草原の影は払われた。
     草原のあちらこちらでは、濡れそぼったバッフロンが横倒しになり目を回している。
     首をもたげた草の一筋に、露の玉がゆらゆらと煌めいて揺れ、緑から零れる。
     雫ははたりと、その頬を打った。
     黒い睫毛が微かにふるえ、吐息にけむり、ようようその瞼が押し上げられる。灰色の瞳は青草を銀の鏡のように映した。
     その傍らに座り込んでいたガブリアスが息を吐き、ピカチュウがその顔面に飛びつく。
    「……ぐるる」
    「ぴかちゃあっ!」
    「おむっ」
     ピカチュウの黄金色の柔らかな腹に窒息させられかけたセッカは、両手でピカチュウを顔面から引きはがした。寝転がったままピカチュウを高く掲げる。そしてふわりと微笑んだ。
    「……ピカさん。アギト」
     セッカは腹筋を使って、濡れた草の上からのっそり起き上がった。
     そしてガブリアスを見やって、目を点にした。
    「……おま……何食ってんの? ナナシ?」
     ガブリアスは片手にナナシの実を持ち、その固い皮を容易にむしむしと食い破っていた。酸っぱそうな顔をしている。
     セッカの口中に途端に唾が湧いた。
    「……え? 何それ? ちょ、お前ばっかずるいって」
    「……お前もこの実を食べるのか?」
     その背後から聞こえてきた男のしわがれたような声に、セッカは跳び上がった。
     そして慌てて背後を振り返って、ますます度肝を抜かれた。
    「ぎゃああああ……ああ……あ……あ…………?」
     その男は、凄まじい長身だった。
     3mはあろうか。


     セッカは草地に座り込んだままぽかんと口を開けて、ほとんど後ろにひっくり返りそうになりながら大男を見上げていた。そしてひっくり返った。
     ピカチュウが笑いながらセッカの顔面に飛びつく。
    「ぴぃーかちゃあ?」
    「おむっ」
     大男は無言だった。セッカはピカチュウを顔面から剥がし、腹筋で起き上がりつつも、大男をまじまじと見つめていた。人として有り得ない身長だ。ガブリアスの1.5倍くらいある。巨人だ。何がどうしてこうなった。
     老人だった。その白髪は長く垂れさがり、肌は浅黒い。その体に合う衣服がないと見えて、袖や裾は別の布で継ぎ足されている。胸もとに古びた鍵を提げていた。
     巨大な老人は両手にナナシの実を数個抱えていた。そして無言でセッカを見下ろしていたかと思うと、ゆっくりと自分も濡れた草の上に座り込んだ。
    「……食べるか」
    「あ、あい……どぅ、ども」
     大男に差し出されたナナシの実を、セッカはおっかなびっくり受け取る。そしてナナシに歯を突き立てながらも、目を真ん丸にして男を見ていた。
     ガブリアスはすっかり寛いだ様子で座り込み、大男にも警戒を見せることなく、濡れた草地を眺めている。
     ピカチュウはセッカの膝に両前足を乗せて、ナナシの実の中身をねだる。セッカは苦労して歯で皮を剥いたナナシの汁をピカチュウにも吸わせてやった。その間も、大男から真ん丸に見開いた目を離さなかった。
    「……じーさん、でけーなー……」
     ようやく漏れたのは、およそ無礼な驚きの声だった。大男は特に返事もせず、残りのナナシの実を袋に詰め込んでいる。
    「あんた、誰?」
    「……ただのオトコだ」
    「見りゃ分かるっす。異常なオトコだってことは」
     セッカもまたナナシの果肉を啜り、酸っぱさに顔を引き攣らせた。しかし能天気な性格のゆえにか、この酸っぱさはたまらない。ナナシの実はセッカの大好物である。
     きゅっと酸っぱいナナシの実をもしゃもしゃもしゃと咀嚼し飲み込んでしまうと、セッカは勢い良く立ち上がった。しかしそれでも座っている大男の視線の高さとほとんど変わらなかった。
     セッカは目をきらきらと輝かせて、老人に両手を突き出した。
    「ねえねえ。じーさん、だっこして!」
    「……抱っこ、だと?」
     戸惑う老人にセッカは掴みかかる。
    「おんぶして! だっこにおんぶ! 高い高いして! 肩車してぇ――!」
    「……なぜ」
    「背ぇ高いもん! アギトよりでっかいもん! ねえ肩車してよねえねえねえ――っ」
     セッカがテンション高く老人を拝み倒すと、老人は無表情のままのそりと立ち上がった。そして巨大な掌でセッカの腰をがっしりと掴むと、機械的に持ち上げる。セッカは大喜びである。
    「しゅごい! 高い! ねえびゅーんって飛行機して! ひこーき!」
     そして老人とセッカは、風になった。


    「ぎゃははははははははぎゃっはははははははやべー! たけー!」
     老人は高く掲げていたセッカの体をそろそろと下ろす。体は巨大でもやはり老人なりに疲れたものか、僅かに肩で息をしていた。
     セッカは興奮で顔を赤くしながら、鼻息も荒く老人に詰め寄る。
    「たけー! すっげー! たけー! あんたのこと、竹取の翁って呼ぶわ!」
    「……オキナ……?」
    「あんた竹取物語も知らねぇのかよ! このカロス人が!」
    「……お前は」
    「俺は半分ジョウト人の半分カロス人ですぅ! 畜生このカロス人め竹取物語も知らねぇとか! この竹取の翁が!」
     セッカは勝手にぷんぷんと怒り出した。なぜウズから教わった昔語りを、こうもカロスの人々は知らないのだろうか。モモン太郎とか、エイパムクラブ合戦とか。
     仕方がないのでセッカはどすりと草原に再び腰を下ろし、老人にも座るよう促す。
     それから竹取物語をした。
    「昔々、本当に遠い昔、竹取の翁とかぐや姫がいました! とても愛していました!」
    「…………そうか」
     セッカは巨大な老人を相手にせっせと竹取物語を語ってやった。
     のどかな青空、ここはメェール牧場だった。北東遠くにアズール湾の青が見える。
     すっかり雨は上がり、メェークルたちも草原に出て草を食み、あるいはうとうとと昼寝を始め、メェークル同士で無邪気に遊びまわるものもある。
     雨露に濡れた草地は太陽に光にきらきらと輝き、風に撫ぜられるたび玉の飛沫を跳ねかす。
     青い草原の只中に、セッカと大男は向き合い、若き者が老いたる者に対して物語をしている。ピカチュウがセッカの膝の上で丸くなり、ガブリアスもその傍らで黙然として目を閉じる。
     風が眩しかった。
     セッカの話は、適当だ。元が昔話とあって理論構成もあったものではない。
    「……そんでかぐや姫は月に帰っちゃって、不死の薬だけが残りました。でもショックだった帝は、その不死の薬をシロガネ山のてっぺんで焼いちゃったんだって。お終い!」
     勢いで語り終え、セッカはふんぞり返る。クノエの図書館でさんざん子供相手に読み聞かせをしたため、語りには自信はある。これでカロス人にもまた一人竹取物語を知る者が増えたのである。


     老人はすべてを黙って聞いていた。巨大な体を窮屈そうにかがめて、老亀のように静かに、動かずに耳を傾けていた。セッカの話が終わっても何の反応も寄越さない。
     風が草原を渡っていった。
     微かに潮の香りを運んできた。
     セッカは首を傾げた。
    「ど、どしたん?」
    「……なぜミカドは、不死の薬を焼いたのか」
    「え? な、なんでって」
    「……不死の薬で生きていれば、カグヤヒメにいつか会えるかもしれないのに。カグヤヒメは永遠の時間を彷徨うのだろう……?」
     老人はそこに目をつけたらしかった。まさか昔話の内容に指摘を入れられると思わなかったセッカはわたわたと慌てる。
    「い、いや、ほらよくあるじゃん、あれじゃん? 不死の薬ってことは年老いておじいちゃんになっちまうんすよ。おじいちゃんの姿で姫に会ったってしょうがなくね?」
    「なぜ? なぜ永遠のヒメはミカドの元を去った? 私がミカドなら不死を選ぶ、かもしれない。会えない日々が続き……いつしか心を失っても……どうにかして会いたいと…………」
     セッカは腕を組んでうんうんと頷いた。
    「ふんふん、ロマンチックっすね、リソウシュギっすね。姿形が変わっても会えればそれでいい、と。――甘いぜ竹取の翁! 恋愛ってのはそう甘かねぇんだよ!!」
    「私はオキナではない。ミカドだ……」
    「うっひょぉぉ陛下を自称しますか! やるな竹取の翁! そのクライマックスはなかなかだぜ!」
     セッカは興奮して笑いながら立ち上がった。しかしそれでもやっと視線の高さは蹲る老人とほぼ同じである。
    「かぐや姫には会えない! かぐや姫は永遠の女性なの! だから竹取の翁も帝ももうかぐや姫には会えないの! それが分かってたから不死の薬を焼いちゃったの!」
    「いや、同じく永遠の時を彷徨うなら、会えるはずだ!」
     老人は鋭い声を発した。そこには威厳が、傲慢が潜んでいた。
     セッカは顔を顰める。
    「ムキになっちゃって、何さ。だいたい不死なんて生命に対する冒涜だし。それにたった一人の女性ばっか思い続けて彷徨うなんて、迷惑以外の何物でもない」
    「意味が分からない」
    「さっさと諦めて次の女探せってこと」
     セッカがそう言うと、巨大な老人はのそのそと立ち上がった。
     男の影の瞳が、セッカを見下ろす。
    「……何も知らぬくせに」
     セッカはひっくり返りそうになりながらも大きく胸を張った。
    「ああ何も知りませんよーだ! でも、あんたみたいな狂ったような目をしたオトコに追いかけられたいなんて思う女なんて、いませんよーだ。ねえあんたってストーカーなの? 絶対ストーカーだよな?」
    「……私とて生きたくて生きているわけではない」
    「うっわぁこりゃその女を探し出して無理心中するパティーンだわ」
    「そういう意味ではない」
     老人は無表情だった。
    「私の名はAZ。とあるポケモンを捜しているだけだ」
     セッカは顎を上げたまま瞬きした。そして深刻そうな顔になった。
    「…………クローゼット?」
    「AZだ」
    「……エージェントダ? エージェント戸田さん?」
    「エーゼット、だ」


      [No.1459] 早鐘(一) 投稿者:   投稿日:2015/12/14(Mon) 22:14:24     49clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    タグ:タワーオブヘブン】 【ベル



     進路を阻むようにぼうぼうと、胸の辺りにまで伸びた草藪。
     しばしばそこから飛び出して来る、野生ポケモンとの戦闘。
     それらをどうにかこうにかいなしながら、ベルとジャノビーは爪先上がりが続く七番道路を歩いていた。

    「ジャビー!」
    「……」

     トレーナーである自分を差し置いて、叢(くさむら)の中をさっさと進んで行く草蛇の呼び声を、ベルは敢えて無視した。どうせ咎めたところで彼は待ってなどくれない。これまでの経験で、彼女はそのことをよく知っていた。

     季節は秋も終盤。時折落ち葉を巻き込んで吹く風が、外気に晒されている顔や指先を打ち、身が縮こまった。

     草に足を取られぬようにと下にばかり向けていた視線を、おもむろに持ち上げる。するとベルの緑色の双眼は、広葉樹の紅葉と針葉樹の常緑、そして快晴の蒼穹を貫く人工的な白を捉えた。

    「あっ! あれがタワーオブヘブンね!」

     瞬間、限良く途切れた藪から抜け出て、前方を行く相棒を追撃する勢いで駆け出す。綽々と歩いていたジャノビーは土を蹴る音に主人の到来を察し、弾かれたように走り出した。


     タワーオブヘブン。正しき魂、ここに眠る。


     気魂浄化の白亜の塔は神々しい佇まいで、たもとに辿り着いた少女とポケモンとを出迎えた。

    「真っ白で綺麗な塔だね……」
    「ジャビィ」

     高楼に満ちる柔らかな気配にベルはほうと溜息しながら、ジャノビーはゆるゆると伸びをしながら見上げ、開け放たれたその扉をくぐった。






     薄暗がりの中、蝋燭に灯る炎がひらひらと揺らめく。
     明かり取りから注ぐ光の束が、整然と並ぶゼニスブルーの墓標を照らし出す。
     そんな、慎ましい美しさに陶然とするベルを後目に、出入口の傍に螺旋階段を見つけたジャノビーは素早く欄に飛び乗り、するすると上り始めた。

    「ちょっとジャノビー」
    「ジャビビビー!」

     気づいたベルがすかさず声をかけるが、止まるはずもない。それどころか彼は「捕まえられるものなら捕まえてみせろ」とでも言いたげに蔦葉の尾を振り振り、速度を上げる始末だ。

    「もおお……」

     生意気で高飛車な相棒。勝負以外の場面ではとことん言うことを聞いてくれない相棒。
     今に始まったことではないので早々に諦めるとして、ベルは自身も階段を上ることにした。




     そもそもこの塔に立ち寄ろうと思ったのは数日前、電気石の洞穴でのアララギの護衛を終えた際に、彼女から聞いた話が切っ掛けだった。
     先行く幼馴染みたちと合流したいと伝えたベルに、アララギは旅の参考までにと、洞穴とフキヨセシティを越えた先に聳えるタワーオブヘブンの存在、更にその塔にまつわる昔話を聞かせてくれた。


     伝承とするには新し過ぎる、今からざっと五十年前の話だ。


     当時イッシュにはトルネロスとボルトロスと言う、姿のよく似た二匹のポケモンがいた。彼らは相当な乱暴者で、旋風と雷撃で民家や田畑を荒らしながら、昼夜イッシュ中を飛び回っていたそうだ。
     そんな二匹の横行を見兼ねた“陽魔使い(ようまつかい)”と呼ばれる人々がある時、大地の力を操るポケモン・ランドロスの協力を得て二匹を退治し、タワーオブヘブンへと封じ込める。封印はその時代、塔を守護していた祈祷師が手懸けた特別なモンスターボールに因るもので、効果は短くとも半世紀は持続するとされた。
     封印のモンスターボールは現在もタワーオブヘブンにて厳重に、そして密やかに安置されていると言う。

     二匹が封じられてから五十年の月日が経った今。不謹慎かも知れないし、少し怖い気もするけれど、彼らと出会えることを楽しみにしているのだと、アララギは語ったのだった。




     階段を上る途中、ベルは眼下にある空間の突き当たりに小さな祠が祀られているのを見つけ、足を止めた。
     そこに封印のモンスターボールがある。二匹が封じられている。そう直感し、確信した。
     アララギと同じくベルも、封印されたポケモンたちを見てみたい、彼らに会ってみたいと思い、ここへ来た。しかしこうして現場に来てみれば、今この瞬間にも二匹が永き眠りから目を醒まし、襲い掛かって来るのではないかと、想像せずにはいられない。

    (あたしがここにいる間に封印が解けませんように……)

     そう切に願いつつ、ベルは足取りを早め階上へ急いだ。






     二階に着くとジャノビーが床に転がっていた。
    主人が来たことを知ると、いかにも退屈だったと言う視線を、そちらへ向ける。

    「ごめんごめん……って言うか、あたしを置いて勝手に登ってっちゃうジャノビーがいけないんでしょ!」
    「ジャビ?」

     のろいお前が悪いんだろ、と、草蛇は目つきに意見を込めて応じた。




     緻密に整列していた一階とは違い、所々に密集していたり疎らになっていたりと乱立する墓標の合間を、縫うようにしてふたりは進み行く。
     前の階と異なるのは墓石の配置だけに留まらなかった。一階の気配はそれこそ、魂の清められた落ち着いたものだったのに対し、ここには未だ無数の魂が辺りを遊び回っているような、強い生命力を感じるのである。
     次第に自分を取り囲む空気が不気味なものに思えてきて、ベルは温度とは関わらない寒さに、たびたび体を震わせた。

     墓参(ぼさん)に訪れていた何人かのトレーナーと親睦の勝負を交えたり、初見の野生ポケモンを捕獲したりしながら、少女と草蛇は足早に上方を目指す。そうして塔を上り進める内に、ベルはある物音に気づいて耳を澄ませた。

    「……何か音が聞こえるよね?」

     微弱にだが、間を置いてゴーン、ゴーンという音が塔の中を反響していた。訊ねられたジャノビーが上を示し、主人は頭上を仰ぐ。

    「上? ……あ! そう言えば頂上に鐘があるんだったね!」

     アララギとの会話では、封印されたポケモンの話が前面に出されたため失念していたが、もともとこの塔は頂きの鐘によって名が知られているらしい。

    「ジャビィ〜……」

     納得したトレーナーにジャノビーが半眼を寄越す。のんきな奴め、とでも言いたげだ。
     そんな顔つきをした相棒を見てベルは、これほどまでに何を言いたいのかが手に取るように解るポケモンはいないだろうな、と考え、がっくりと肩を落とした。意思の疎通が出来ているのだとしても、とても喜べない。

    (まあ、それは置いといて……)

     気を取り直し、最上階に向けて歩行を再開する。
     絶え間なく響く壮麗な鐘声に、一歩ずつ一歩ずつ、近づいて行く。








    「わぁ……いい景色〜」

     最後の段を上り終えたふたりは露天へと躍り出るやいなや、視界に広がった風景に顔を綻ばせた。
     今いる高殿以外に近くに建造物は無く、燃える彩りの森林やフキヨセの街並み、のちのち越えることになる鉱山などがすっかり一望出来る。
     胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだジャノビーが嬉しそうに笑う。ベルもそれに倣って、両腕を振り上げ大きく深呼吸をした。

     その時、残響として聞こえていた鐘の音が再び音量を強めた。振り返って見れば、成人と変わらぬ背丈を持った黄金の梵鐘が、高台に据え置かれているのが目に入った。
     屋上の中心へと向かう。歩数を重ねて行くと、ベルは鐘の傍らに人影があるのを見て取った。

    「ジャビィ」
    「!」

     ジャノビーの声に反応し、鐘を鳴らしていた人物がふたりの方を振り向いた。黒い鍔のキャップを被った優しげな、セピアの瞳の、ベルと同年代の少年だ。

    「あ……こんにちわあ!」

     少年の人の好さそうな雰囲気に胸を安らげ、ベルの方から、歩み寄りつつ声をかける。

    「やあ、こんにちは! きみもお墓参り?」

     対する少年もにこりと頬笑んで、自身へと近づいて来る少女に答えた。

    「うん! ……あ、違うかな? えっと、ここにいるポケモンはどんなのかなーって見に来たって言うかあ……」
    「そっか、仲間を探しに来たんだ? ヒトモシもリグレーも可愛いよね」

     自分が示唆したもの――封印された二匹のポケモン――とは違う名を出されたが、そのように返して来た少年に、ベルの表情は花が開いたように明るむ。

    「そうなの! お墓が沢山あるからちょっと怖かったんだけど、可愛いポケモンがいてときめいちゃったんだあ」
    「うんうん。初めて見るポケモンと会えるとドキドキするよね。俺、毎日ドキドキしっぱなしなんだ!」
    「そうそうっ、ときめきでドキドキだよねえー!」

     たった数十秒の対話で、ベルと少年は意気投合したようだ。初対面とは思えぬ打ち解けっぷりである。

    「えへへへー」
    「あはははは」

     花が舞っていそうな和やかな空気を醸し出す二人を、ジャノビーが不思議そうな顔をして見やった。

    「あ、俺カナワタウンから来たんだ。名前はシュヒ。よろしくな!」

     そう言って少年、シュヒが、右手を差し出した。

    「あたしはベル。カノコタウンから来たの。よろしくねぇ、シュヒくん!」

     彼の意図を覚り、ベルも右手を差し出す。

    「シュヒでいいよ。俺もベルって呼ぶから」
    「じゃあシュヒ、ね」

     互いに伸べた手を結び、軽く二三度振ってから、どちらからともなくほどいた。
     直後、少年が何事か思い当たった様子で口を開く。

    「ん? カノコタウンって……リヨンとチェレンと同じ?」
    「え、二人を知ってるの?」

     思い掛けない名前を出されベルは目を丸くするが、すぐに立ち直り答えた。

    「リヨンとチェレンとあたしは幼馴染みでね。三人で一緒に旅に出たの!」
    「へえ!」

     得心したシュヒが更に続ける。

    「二人とはライモンシティの辺りで会ってさ。色々お世話になったんだ」

     そう言う、少年の台詞を受けた瞬間。先程までの笑顔と打って変わって、ベルの面差しににわかに陰りが出来た。

    「……そうなんだ。全然知らなかったなぁ……」




     ライモンシティ。様々な娯楽施設が建ち並ぶ、華やかな一大レジャー都市。
     だがベルにとっては父親との確執、カミツレとの出会いと助言、幼馴染みたちとの縮まらぬ差異、そして何より自分の生き方――改めて自分という存在に対して、様々な考えや想いを交錯させた場所だった。
     ホドモエシティを発とうとしていたリヨンに再会するまで、ベルは自らに問うために幼馴染みたちから距離を置いていた。その間に彼女たちはこの少年と出会い、言葉を交わしたと言う。

     そういった何でもないような事柄でも、自分はあの二人に追いつくことは出来ない……。ベルは己が少しばかり落胆するのを感じた。




    「リヨンもチェレンも、ポケモンと一緒にどんどん強くなってくの。あたしは……二人に置いて行かれちゃってるみたいで……ちょっとつらい、かなあ」

     知らず知らずの内に落ちていた視線。それを上げると、きょとんとした表情で自分を見据えるシュヒと目が合った。瞬間、胸に秘めていた苦悩を今し方、吐露してしまったことに思い至る。

    「あっ、なんでもない。独り言だよ!」

     ベルは慌ててかぶりを振った。己の不注意とは言え、出来れば隠しておきたかった心情を聞かれてしまったことに気恥ずかしさを覚えて、シュヒから目を逸らす。

    「ジャビビィ〜」

     結果、小馬鹿にしくさった笑みを浮かべる相棒を見る羽目になった。


    「……もう、ジャノビー! そういう顔するのやめてってばあ!」

     彼の生意気な表情に、一度沈んだ心が元気づけられたような気がした。あまり好ましくない方法ではあったが。

    「ベルのジャノビーっていい顔するね。人間みたいだ」
    「そうかなあ……」

     草蛇を覗き込んだシュヒがそんなことを口走り、ベルは心底困った顔になった。当のジャノビーは何故だか満足気に笑っている。

    「勿論ベルもさ。ポケモンといるのがとっても楽しい! って、そういう顔。すごく可愛いよ」

     彼があまりにもさらりと言い退けたものだから、少女もつられて、さらりと聞き流しかけた。

    「かっ、かわッ?!」

     言われた言葉の意味を理解した瞬間、ベルの顔は真っ赤に染まった。クリムガンみたいな顔色だなぁ、と少年は密かに思う。

    「な、何、それ。シュヒって、そういう人なの……?」

     冗談でなく湯気が出ていそうな頬に手を添えて、計らずも上目遣いで訊ねる。

    「ん? そういう人って、どういう人?」

     しかし少年は事も無げにけろりとした表情で、ベルの問いに問いで返した。
     本当に解っていないのか、演技なのか。判断が難しい。

     ベルは幼い頃、リヨンに真っ向から「可愛い」と言われて顔を真っ赤にさせていたチェレンのことを思い起こした。あの頃の彼の気持ちが、今は解る気がする。
     もっとも女子に可愛いと言われてしまっていたチェレンと、男子に可愛いと言われた自分とでは、同じ恥ずかしさでも若干の違いが生じるであろうが。

     そこまで考えて、ベルははたと気がついた。
    シュヒの率直な物言いや、羞恥を微塵にすらも感じていないような大胆な素振り。それがとても、リヨンに似ていることに。


    「ジャビビビィ〜」

    顔に集まった熱がなかなか冷めず、どうしようかと迷いあぐねる主人を、草蛇は嘲笑いつつ見上げていた。


      [No.1227] #99711 「I’m Feeling Lucky」 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/03/27(Fri) 19:49:33     61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #99711

    Subject Name:
    I'm Feeling Lucky

    Registration Date:
    2001-08-07

    Precaution Level:
    Level 2


    Handling Instructions:
    該当するボタンが配置されているページを見つけたことをクローラーが連絡してきた場合、ページをサンプルとしてファイルに保存してから、サイトの管理者にページがウイルス感染している旨を伝えて削除を要請してください。三日以内に管理者が要請に従わない場合は、サーバの管理者へ同様の連絡を行いサイトを凍結させてください。いずれにせよ、ボタンが存在しているページへのアクセスを一刻も早く妨害する必要があります。

    ボタンを押したいという衝動を訴える者が現れた場合、速やかにGoogleのトップページを案内してください。Google Inc.と管理局の担当者による監視がなされているため、本ページに設置されたボタンは安全であることが保証されています。また、このボタンの押下は衝動の沈静化に大きく寄与し、ほとんどの場合1回の、それ以外の場合でも3回以内の押下で衝動が完全に消失することが確認されています。ボタンについての知識が十分にあれば、ボタンを視認しても速やかにページから離脱するか、またはウィンドウを閉じることでそれ以上の進行を食い止めることができることが分かっています。

    世界中のラッキーの生息数を観測する活動が行われています。ラッキーの増加そのものに対処する必要はありませんが、生息数は可能な限り正確に把握しておかなければなりません。ラッキーの生息数増加が通常と比べて異常なペースで確認された場合、クローラーに -detecthotspot オプションを付与して稼働させてください。このオプションはサーバ/クライアント共に非常に高い負荷が掛かるため、緊急を要する場合を除いては有効化しないでください。

    局で把握しているすべてのラッキーのコロニーは定期的に観察され、局員によって写真に収められます。写真は専用のサーバに保管され、対応に当たる局員が写真に不審な点、特にラッキーとは思われない生物が写り込んでいないかを確認します。不審な生物が確認された場合は局員が対象のラッキーを捕獲し、手順M-99711-1による検査を行ってください。検査の結果異常が認められた場合、手順M-99711-2による「回復」の上、最寄りの医療機関へ移送してください。


    Subject Details:
    案件#99711は、インターネット上の不特定多数のサイトに現れる「I'm Feeling Lucky」ボタンとそのボタンを押下したくなるという認識異常、及びボタンを押下することにより発生する症状からなる案件です。

    この事象はWebサイトに「I'm Feeling Lucky」とラベリングされたボタンが出現することにより開始されます。これまでのところ、ボタンが出現するサイトは何の法則にも則っていません。企業が開設したWebサイト、個人が開設したWebサイト、多数の人が利用する電子掲示板、SEO目的で作成された実態の無いスパムサイトなど、サイトの種類は問われません。出現方法もページに単純に埋め込まれるものから、投稿ボタンを装って配置されるものなどパターンは多彩です。多くの場合、元のWebページのレイアウトを極力破壊しない形で出現します。

    出現する「I'm Feeling Lucky」ボタンはごく単純なHTMLによって作成され、アクションは何も関連付けられていません。管理局が同様のHTMLを記述してページを作成しても、ボタンは何ら異常な特性を示しません。異常なボタンを挿入している母体を突き止めるための試みは現在も続けられています。

    本案件で扱う「I'm Feeling Lucky」ボタンについての知識が不足している場合、ボタンの存在を認識した者は「ボタンを押したい」という強い衝動に駆られます。対策の初期ではボタンを視認することがトリガになると考えられていましたが、視覚障害者がテキストブラウザを使用した際にも同様の認識がなされたため、視認するだけでなくボタンの存在を知ることが発動のための正確な条件であると考えられます。

    ボタンを押下した場合、画面上は何の変化も起きませんが、押下した人間には自分自身を携帯獣の「ラッキー」であると認識するという症状が起こります。明らかな種族的特徴や容貌の矛盾が発生するにもかかわらず、罹患者はその矛盾に気付くことができません。多くの場合、周囲に(実際の携帯獣及び同じ症状を呈している人間の双方の意味での)ラッキーが居ないことに強い孤独感を覚え、ラッキーが集まる場所を目指して徘徊を始めます。原理は不明ですが、多くの罹患者は自然とラッキーの集まるコロニーへと辿り着き、以後回復するか死亡するまでラッキーとして生活し続けます。観察の結果、周囲の「本物の」ラッキーは罹患者を同族とみなしていることが分かっています。

    過去の事例から、ラッキーとしての能力――身体能力や各種技能など――が覚醒したり、追加されたりするケースは一切見られません。自分自身をラッキーであると信じ込んでいることを除けば、罹患者は完全に正常な人間のままです。他者との会話も可能ですが、多くの場合共に認識異常を起こしているため、正常な会話は行えません。

    携帯獣としてのラッキーを知っている人間や携帯獣が罹患者と接触した場合、罹患者のことを同じく「ラッキー」であると認識するようになります。会話が可能なことや容姿の決定的な相違など無数の矛盾点があるにも関わらず、対象は罹患者をラッキーであると認識し決して疑いません。これはあくまで罹患者に対してのみ発生する現象で、後述する方法で回復された罹患者については、正常な人間であると認識できます。対象は罹患者がラッキーであった時のことを記憶していますが、記憶の内容は罹患者が通常の人間であったかのように置き換えられています。

    自分をラッキーであると認識している罹患者は、携帯獣としてのラッキーを知らない人間から「あなたは人間である」もしくは「あなたはラッキーではない」と口頭で指摘されることにより、瞬時に元の状態へ回復します。この時罹患者は一時的に混乱した様子を示し、しばし「自分はラッキーではない」と繰り返します。これは一時的なもので、長くとも2時間ほどで自然に治まります。以後は「I'm Feeling Lucky」ボタンを押下しない限り、症状は再発しません。

    症状からの回復のためには、ラッキーについての知識が無い人員が必須です。昨今のポケモンセンターや介護施設におけるラッキーの雇用増加は、ラッキーがこれまでより多くの人に認知されやすい土壌を形成する大きな一因となっており、人員の確保が困難になりつつあります。案件管理局では、ラッキーが生息していない地域から本案件に対応するための人員を確保するルートを積極的に形成することを奨励しています。


    Supplementary Items:
    本案件に付帯するアイテムはありません。


      [No.1226] #93326 「そらをとぶピカチュウ」 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/03/26(Thu) 21:00:43     64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #93326

    Subject Name:
    そらをとぶピカチュウ

    Registration Date:
    1999-07-30

    Precaution Level:
    Level 2


    Handling Instructions:
    原因不明のピカチュウの消失についてポケモンセンター及び金融機関から申し出があった場合、報告元のサービスエンジニアまたはシステム担当者にインシデントが発生したサーバの情報を調査させてください。攻撃を受けたサーバはセキュリティ監査を実施し、必要に応じてハードウェアをリプレースします。通常のシステムでピカチュウが預けられた場合、可能な限り高いセキュリティ対策が施されたサーバへ自動転送される設定を組み込むようポケモンセンターへ通達しています。現在全世界のおよそ96%のポケモンセンターで設定が有効化され、本案件の未然防止に高い効果を上げています。金融機関からの申し出は、2012-10-18時点の直近10年間で1件もありません。

    案件に伴って出現したピカチュウは可能であれば捕獲し、通常のフィジカルチェックリストに沿って異常が無いかを精査してください。過去の捕獲事例より、多くの場合ピカチュウそのものにも何らかの異常性が認められます。捕獲及び精査の際は、対レベル2バイオハザード用スーツを着用することが義務付けられています。予期せぬネットワークへの接続が行われないようにするため、捕獲を実施する拠点では不要な無線ネットワークを稼働させないことを強く推奨します。これまでのところ有線接続によるネットワークへの参加は確認されていませんが、有線接続が可能な改変が施されたピカチュウの出現も可能性としては否定できません。

    調査・保全の過程で捕獲されたピカチュウは、異常性が無く正常と認められれば本来のトレーナーの元へ送り返します。その際は、ピカチュウを識別するための生体情報を確保し、専用のデータベースサーバに暗号化して保管してください。研究チームは取得した生体情報のうちトレーナーの個人情報に該当する部分を除いた全情報にアクセス可能ですが、アクセスの際には必ず監査証跡が記録されます。

    捕獲の際に取得した風船及び各種広告は、第三低異常性取得物保管庫のブロック8-Eにある引き出しへ他の取得物と区別して収容してください。


    Subject Details:
    案件#93326は、次の3件から成る一連の事象に掛かる案件です。

     1: 不定期に試みられる「ポケモン預かりシステム」及び「ポケモンバンクシステム」への不正アクセス
     2: 1に伴う携帯獣「ピカチュウ」の消失
     3: 2で消失したピカチュウの異常な形での再出現

    本案件への対応比重は、3のピカチュウの再出現に大きくリソースが割り当てられています。

    1998年下半期頃より、一般利用者向けの携帯獣管理システムである「ポケモン預かりシステム」及び、富裕層向けの携帯獣関連資産管理システムである「ポケモンバンクシステム」の双方に対して、断続的に不正なアクセスが試みられるようになりました。過去に「ポケモン預かりシステム」で計118体、「ポケモンバンクシステム」で計7体のピカチュウが消失しています。これに関しては管理局でも再現可能な通常のクラッキング手法が使われており、不正アクセスそのものは十分なセキュリティ対策を施すことでほぼ防ぐことが可能です。2000年代前半に各金融機関の相互協力により「ポケモンバンクシステム」が刷新され、それに伴うセキュリティの大幅な強化により外部からのアクセスが事実上不可能になったことで、攻撃者の標的は「ポケモン預かりシステム」に絞られていると見られています。

    消失したピカチュウは、これまでの観測で3日から7ヶ月のランダムな期間が経過した後に再出現します。今までに現れたピカチュウの特徴は様々ですが、大まかな部分である程度類似した特徴を持ちます。

    ほとんどの場合、ピカチュウは人目に付きやすい都市部、それも人口の集中しやすい大都市部に出現します。その際は様々な色の大量の風船が体に括り付けられ、あたかもアドバルーンや飛行船のように空を飛行している状態で現れます。出現後は、その都度著しく内容が変わるアジテーション的またはプロパガンダ的広告を様々な方法で宣伝しようとします。

    以下は過去に出現したピカチュウの一部抜粋です:


    1999-09-01 カントー地方セキチクシティに出現:
    風船を括り付けられたピカチュウが市の北部にあるサファリゾーンの入り口付近に出現し、空中から後述するメッセージが記載されたビラを大量にバラ撒いていました。ピカチュウはビラを配り終えると未知の方法で風船を括り付けたまま着地し、その後激しい閃光を10秒間放ちました。捕獲されたピカチュウは極度の緊張状態にあり、保護から4時間後に死亡が確認されました。本来のトレーナーには亡くなった状態で見つかったと報告しています。

    配布されたビラに書かれていたメッセージは下記の通りです。

    「休暇という服役は今終わった
     学校という娑婆へ出ていこう」

    その場に残されたビラ及び風船からは、特段の異常性は検知されませんでした。


    1999-10-24 ジョウト地方コガネシティに出現:
    コガネデパートの屋上にて、風船を括り付けられたピカチュウの姿が観測されました。ピカチュウは後述する垂れ幕を提げ、アドバルーンのように周囲を遊覧していました。出現から3時間後に突如としてすべての風船が破裂し、ピカチュウは無防備なまま地面に叩き付けられました。本来であれば即死は免れない高度からの落下でしたが、ピカチュウは地面に躓いて転んだ時のようなごく軽いかすり傷を負ったのみで、命に別状はありませんでした。管理局が確保した後の各種検査でも異常が見つからなかったため、ポケモンセンターに照会の上本来のトレーナーの元へ送還しました。以降、当該ピカチュウとトレーナーについて何ら異常は報告されておらず、現在もジョウト地方ヒワダタウンにて健在です。

    ピカチュウが提げていた垂れ幕に書かれていた内容は以下の通りです。

    「売り場に並ぶ肉を選ぶように
     あなたのパートナーを選ぼう」

    ピカチュウを保護した際、この垂れ幕は消失しており回収できませんでした。


    2000-03-16 カントー地方シオンタウンに出現:
    当時建設中だったラジオ塔近辺に突然出現し、周囲を旋回するように飛行しているところを発見されました。上空から写真が入ったビラを大量に配布し、ラジオ塔の建設に従事していた作業員が一時避難する騒ぎになりました。ビラを配り終えた後、ピカチュウは少しずつ風船を破裂させながら徐々に降下、最終的にラジオ塔入口付近に着地しました。その時点で既に現場監督からの通報を受けて管理局の局員が3名駆けつけており、着地したピカチュウの回収に当たりましたが、ピカチュウは既に死亡していました。

    配布していたビラには、死亡したポケモンの遺影をバックに以下の文言が印字されていました。

    「大切な思い出はプライスレス
     球コロ程の価値もありません」

    トレーナーIDは読み取りに失敗したため、本来のトレーナーは不明です。ピカチュウの検死を行ったところ、死因は器官に水を詰まらせたことによる溺死とほぼ特定されましたが、同時に脱水症状を起こしていたことも判明しました。加えて、切開した胃から通常の3倍近いエネルギーを持つ雷の石が摘出されています。この雷の石は研究のため、別の拠点にて保管されています。


    2002-05-05 シンオウ地方ミオシティに出現:
    市の北部に位置する図書館の上空で出現が確認されました。拡声器を用いて市の全域に大音量で後述するメッセージを流すという形でアピールが行われています。出現から2時間30分後に風船が未知の原理で高度を上げ、そのまま北東へ飛び去っていこうとしたところを管理局の局員が捕獲しました。捕獲されたピカチュウは外見こそ正常で目立った傷はありませんでしたが、脳を含むすべての内蔵が取り出され、代わりに綿が詰め込まれていました。体組織からIDが割り出され本来のトレーナーが特定されましたが、トレーナーは現在に至るまで行方不明のままです。

    ピカチュウが放送していたメッセージの抜粋は下記の通りです。

    「(前略)……伝承という名のプロパガンダを打倒し……伝統という名のバ(雑音・不明瞭)を撃滅し……神話という名のデマゴーグを粉砕しよう……私たちは新しい時代に生きている……(中略)」

    ほぼ同一のメッセージが、本件以前の出現でも確認されています。


    これら一連の出来事には、人間と携帯獣の相互不可侵と分離独立を強く主張する先鋭的なNGO団体「ピース・フォー・ピース(Piece for Peace)」が関与している可能性があります。同団体は2000年上半期に携帯獣の惨殺死体を使用した過激なアート的アピールを繰り返したことにより、各方面から多くの批難を集めました。案件管理局においても、これまでに起票された案件の一部で同団体が異常特性を持つオブジェクトや生命体を生産した疑いが払拭できておらず、そのため要注意団体として管理対象になっています。


    Supplementary Items:
    本案件に付帯するアイテムはありません。


      [No.1225] #120602 「拡張される地図と現実」 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/03/25(Wed) 21:03:56     61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #120602

    Subject Name:
    拡張される地図と現実

    Registration Date:
    2008-03-21

    Precaution Level:
    Level 5


    Handling Instructions:
    可能な限り繰り返し、クレッフィを電子機器に近付けてはならないというメッセージを広く拡散してください。当該Webサービスの利用を停止させるためのGoogle Inc.との協議が現在も続けられていますが、それとは別にこれ以上の被害が出るのを防ぐための活動も併せて行われなければなりません。局員が本案件に掛かる事項を記載しているサイトを発見した場合、直ちに当該サイトの管理者へ記事の削除を申し入れてください。記事の削除に際しては、クレッフィの身体に重大な悪影響をもたらすというカバーストーリーが使用できます。

    実験、あるいは偶発的に本案件によって生成された写真を目撃した局員は、当該写真が指し示す地域に立ち入ることを制限されます。現時点で写真を視認する前の状態へロールバックするための方法は確立されていません。通常の道とそうでない道を判別することは極めて困難です。多くの「拡張」された道は周囲の風景に対して矛盾の無い形で出現し、視認しただけでは異常性を見いだすことができません。2005-02-07以前に作成された紙媒体の地図との比較は道が正常なものか異常なものかを判断するためのもっとも安全で確実な手法となります。これまでのところ、紙媒体の地図への「拡張」は確認されていません。

    写真に曝露したことで「拡張」された道を認識可能になった局員のみで構成されたチームで、一般的な手順に基づいて進入路を封鎖してください。進入を試みた一般市民は警告の上速やかに退去させ、指示に従わない場合は非致死性の武器を用いて制圧・拘留することが認められています。現在確認済みの拡張された道はいずれも封鎖されていますが、定期的に封鎖が意図せず解除されていないかを確認しなければなりません。過去に延べ24回、理由が不明な封鎖の解除が確認されています。


    Subject Details:
    案件#120602は、ある特定の条件を満たした状態で、Google Inc.の提供するWebサービス「Google Maps(グーグル マップ)」を利用した際に発生する事象と、それに付随する一連の案件です。現在のところ、条件を満たさない状態での事象の発生は観測されていません。

    条件は三つです。

     1: 近く(およそ3m以内)に携帯獣の「クレッフィ」がいる
     2: クレッフィがいる状態でGoogle Mapsが持つ機能の一つである「Google ストリートビュー」を利用する
     3: 特定の地域の写真を視認する。視認しない限り、条件は満たされない

    以上の条件を満たすと、該当する地域に本来存在しないはずの未知の道路が出現していることが確認できます。2014-07-28時点で確認している限り318箇所で地図が「拡張」されていますが、Google Inc.が保有するデータ量の膨大さのため、実際にどれだけの箇所で地図が「拡張」されるのかは判明していません。

    クレッフィを側に置いてGoogle ストリートビューを使用した際に「拡張」されて出現する特異な道は、Google ストリートビューの持つ機能によって通常通り経路を辿ることができます。拡張された道は入り口を除いて通常の領域とは交差せず、地理的に見て明らかに矛盾した結果を示します。通常の道を辿った場合行き止まりになると想定される箇所であっても、拡張された道はさらに先へ進むことが可能です。拡張された道を参照している間、クライアントとGoogleのサーバ間では通常想定される程度の非同期通信が行われていますが、その間Googleがクライアントに返しているパケットは、一貫して正常な道を撮影した写真のみです。

    一度でも拡張された地図を視認した場合、その後にクレッフィを遠ざけたり、セッションを初めからやり直したりしても、一貫して拡張された地図が表示されます。この効果は現在のところ永続的です。さらに、拡張された地図に基づくGoogle ストリートビューの画像が表示された状態で別の人間や携帯獣がそれを視認した場合も、同様の効果を発揮します。

    拡張された地図を認識した状態で、地図に現れた未知の道路が存在する地点を訪れると、「拡張された道」が実際にあることが分かります。拡張された道は通常の道と同様に進入でき、ある程度の距離(およそ200m以内)までであれば、正常な道へ帰還することもできます。拡張された道に進入しただけでは特段の身体的または精神的異常は発生しません。拡張された道を認識している(拡張された道を見ている・拡張された道へ進入している/進入しようとしている・拡張された道から戻ってきた)状態はその光景を目撃した他者の認識にも影響を及ぼし、以後目撃者も拡張された地図を認識した状態になります。上記の特徴と併せ、拡張された地図/拡張された道は自らの存在を非常に強い力で他者に伝播させる能力を持ちます。

    Google ストリートビューを使用する限りにおいては、拡張された道を安全に探索することが可能です。探索の結果、数々の未知の施設や建物、あるいは異常性があると思われる種々のオブジェクトが発見されています。以下はその抜粋です。


    カントー地方ハナダシティ南西部・17番異常道路:
    想定では雑木林が存在するはずの箇所が拡張され、舗装された道が存在しています。拡張された道を600mほど進むと、色あせた赤いホーロー看板が取り付けられた古い小屋を発見できます。劣化の度合いから見て、ホーロー看板は取り付けられて少なく見積もっても二十年以上が経過していると推定されますが、記載された電話番号は一般的な固定電話の番号ではなく、「050」から始まるIP電話用の番号になっています。このホーロー看板及び電話番号は、その異常性から別案件として扱われることが決定されました。

    カントー地方ニビシティ北西部・23番異常道路:
    路地裏から拡張された道を500mほど進み、交差点を右に曲がってさらに400mほど進むと、「有限会社未来志向研究所」というプレートの付いた中規模の研究施設が見つかります。この間、Google ストリートビューの写真には通常想定される程度の一般的な乗用車が写り込んでいますが、その大部分が既知の車種と一致しません。「有限会社未来志向研究所」という名称の企業は、これまでのところ実在が確認できていません。

    カントー地方アーシア島アーシア村中央部・52番異常道路:
    村の中央部に存在する食料品店の駐車場から、拡張された道が伸びています。Google ストリートビューによる探索では、進入からおよそ1,700mの地点で高層ビル群が立ち並ぶオフィス街へ到着します。オフィス街のビルにはいずれも明かりが灯っていますが、人影はまったく見当たりません。一部のビルは窓からオフィス内部の様子を観察できますが、確認されたすべてのオフィスで、個人用端末としてファミリーコンピュータ ディスクシステムを接続したCommodore 64が使用されていました。ハードウェアが実際に稼働しているビルもいくつか見受けられます。

    ホウエン地方トウカシティ北部・179番異常道路:
    拡張された道を2,000mほど進むと、トウカシティに極めて類似した未知の都市に到着します。未知の都市の構造はトウカシティとほぼ同様で、トウカシティジムと同様のジムも確認できます。地名に該当する箇所にはすべてモザイク処理が施されており、具体的な地名は不明です。市内の中央に位置するコンビニエンスストアの前で、胸部を鋭利な刃物で刺されて死亡しているポケモントレーナーが発見されました。ポケモントレーナーの特徴から、死亡しているのは2007年6月にシンオウ地方で消息を絶ったトレーナー「オオシマ ヨウジ(トレーナーID:22397/登録:カロス地方ミアレシティ/登録年:2006年)」氏と断定されました。遺体は腐敗の兆候を見せておらず、写真はトレーナーの死亡直後に撮影されたように見えます。

    この拡張された道を発見したのはオオシマ氏の母親に当たる人物で、Google Inc.に対して自身の子供が死亡している写真を掲載したと抗議の連絡が行われたことで、Google Inc.及び案件管理局が状況を知ることになったという経緯があります。Google Inc.の幹部と管理局局長がオオシマ氏の母親と接触し、例外的に本案件について当局が把握しているすべての情報を開示しました。その上で、拡張された道への進入を思いとどまるよう再三に渡り説得を試みましたが、最終的に母親は当局の申し出を拒絶しました。母親は数名の支援者とともに拡張された道へ進入し、オオシマ氏の遺体の回収に乗り出しました。その後、オオシマ氏の母親及び支援者の行方は分かっていません。写真はGoogle Inc.が管理するその他の異常性の無いGoogle ストリートビュー用写真とともに2014年に更新されましたが、遺体は依然として死亡直後の状態のまま何の変化も見せていません。オオシマ氏の母親や支援者の姿は見つかりませんでした。


    Google ストリートビューを使用しない拡張された道の探索は非常に危険です。これまでにのべ6名の局員が実地調査を行いましたが、いずれも未帰還のまま数年が経過しています。Google ストリートビューによって観測された未知の施設やオブジェクトへの物理的なアクセスはすべて失敗に終わっています。加えて、これまで各地域で届出がなされた原因不明の失踪事件について、本案件によるものと推定されるものが最低でも249件あると考えられています。

    本案件は伝播力が非常に強く、また完全な回復方法が確立されていないことから、警戒レベルは通常案件における最大の「5」が設定されました。


    Supplementary Items:
    本案件に付帯するアイテムはありません。


      [No.1224] #141018 「ワタッコカメラ No.7」 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/03/24(Tue) 23:07:04     76clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #141018

    Subject Name:
    ワタッコカメラ No.7

    Registration Date:
    2014-08-28

    Precaution Level:
    Level 2


    Handling Instructions:
    日々送付されてくる写真にユニークなファイル名を付け、異常性を持つ画像ファイルを格納するための専用ファイルサーバに保管してください。写真の一般への公開は、既に「カメラが故障した」というカバーストーリーに基づいて停止されています。問い合わせがあった場合は、カバーストーリーに沿ってカメラが故障していると繰り返し伝えてください。異常性のある写真について言及することは許可されません。

    写真は管理局のチームによって解析され、合成などの編集を経て作成されたものではないことを確認します。これまでのところ写真はすべて未加工であり、またカメラや衛星に画像の編集・処理機能は搭載されていない裏付けが取れています。写真について何らかの発見があった場合、様式F-141018に基づいて申し出てください。写真が未知の情報災害をもたらす恐れがあるため、閲覧には汎用的な情報災害防止機構を備えた専用のタブレット端末を使用することになっています。

    本案件で扱う「カメラを装備したワタッコ」を発見した場合は、速やかに確保してください。単独での確保が難しい場合、直ちに管理局の保安チームへ応援を要請してください。


    Subject Details:
    案件#141018は、GPS機能付きカメラを搭載した一体のワタッコが日々送信してくる異常な写真とそれに付随する一連の案件です。異常な写真を送信してくるワタッコは1体のみで、それ以外のワタッコは何ら異常性の無い写真のみを撮影・送信し続けているため、本案件では取り扱いません。

    この案件は、2014-06-10にジョウト地方コガネシティで行われた「ワタッコの世界一周カメラ」という企画に端を発します。同企画はGPS機能付きの小型カメラを計10体のワタッコに装備させ、そのワタッコが風に乗って世界を一周する様を毎日14:00に自動的に撮影・送信されてくる写真によって追跡しようという目的で計画されました。2014-06-10にワタッコが飛び立って以降、現在もすべてのワタッコが日々写真を送信し続けています。写真は企画事務局が問題ないかをチェックした上で、公式ウェブサイトに日々掲載されることになっています。

    10体のワタッコのうち9体(カメラ番号1〜6番及び8〜10番)は、GPSの座標や写真の撮影時刻から勘案して一切の異常性と矛盾の無い正常な写真を送信していますが、残る1体(カメラ番号7番)はそれに当てはまりません。2014-08-23を境に正常な写真の送信が停止し、他の情報と矛盾する異常な写真を送信してくるようになりました。企画事務局は初期段階でカメラの故障を疑い、遠隔操作によるカメラの再起動を数度実施しましたが、異常な写真の送信が止まることはありませんでした。事態を重く見た事務局は内部で協議を行い、本案件を案件管理局へ持ち込むことを決定しました。

    以下は、2014-08-23以降にカメラ番号7番のワタッコ送信された異常な写真の抜粋です:


    2014-08-23 14:00:00に撮影された写真:
    ワタッコが送信してきた異常な写真の中でももっとも初期の写真になります。激しい爆撃を受けたように見受けられる、崩壊した都市が撮影された写真です。地理学的特徴からカントー地方タマムシシティの可能性が示唆されていますが、写真が撮影された際ワタッコはタマムシシティから少なくとも3,000km以上離れた地点を飛んでいたことが、GPS座標のログから明らかになっています。写真から確認できる限り、生きている人間はいないように思われます。暗雲の向こうに数体の影が確認されましたが、具体的な正体は不明です。搭載したカメラの故障が疑われ、企画局内部で公式サイトへの掲載の中止と速やかなカメラの再起動が決定されました。

    2014-08-24 14:00:00に撮影された写真:
    前日の夜間にカメラが再起動され、その後に撮影された写真です。三角形の窓が大量に取り付けられた六階建ての校舎がある恐らく小学校と推定される場所で、六本の腕を持つカイリキーと思われる存在と、五つの首を持つドードリオと思われる存在(うち一つには頭部が存在しません。一つには嘴が二つ存在します)が、目と鼻の無い数十名の子供(背丈はいずれも小学校低学年程度ですが、一名だけ3m近い身長を持つ個体が存在します)のような存在に取り囲まれています。カイリキーとドードリオは子供たちと親しげに遊んでいるように見えます。この時のワタッコのGPS座標は、カロス地方近辺の海上を指していました。写真はワタッコが通常空を飛ぶ高度からは考えられないほど近距離で撮影されています。事務局内部で案件管理局への持ち込みが提起されましたが、最終的にもう一度カメラの再起動が試みられることになりました。

    2014-08-25 14:00:00に撮影された写真:
    二度目の再起動後に撮影された写真です。確認できるだけで759体のモンジャラ(写真はそれ以上の数のモンジャラが存在していることを示唆しています)が、正確な場所は不明ですが都市に集結し、一つの建物に向かって押し寄せている様が撮影されています。都市や建物に荒廃した様子などは特に見られません。僅かに見える空は紅く染まっており、黒い太陽がくっきりと写真に写り込んでいます。太陽は通常の20倍程度大きく、また撮影時刻から見て著しく矛盾した位置に存在します。企画事務局にて、本件の案件管理局への持ち込みが全会一致で決定されました。

    2014-08-27 14:00:00に撮影された写真:
    案件管理局へこれまで撮影された写真と企画に関する資料一式が持ち込まれてから初めて撮影された写真です。視認できる限り終わりのない雪原に、十五体のナッシーが立っています。ナッシーは寒冷地帯では長く活動することのできない携帯獣として知られていますが、撮影された写真からはナッシーが衰弱している様子は見受けられません。これまでの写真と比較すれば異常性は低いものと考えられますが、ワタッコのGPS座標は雪原地帯とは明らかに異なる地域を指し示しており、矛盾した写真であることに変わりはありません。

    2014-08-30 14:00:00に撮影された写真:
    昼間に撮影されたにも関わらず、写真は非常に暗い闇の光景を映し出しています。一人の十代後半と思しき少女と、少女に付き従っているように見える四体の携帯獣の姿が見えます。携帯獣はタブンネ・コータス・エアームド・ラグラージと酷似したフォルムを持ちますが、いずれも確認されたことのない異常な体色です。タブンネは明るいエメラルドグリーン、コータスは暗い紫色、エアームドはファイアローに酷似した配色、ラグラージは本来の体色をグレースケールにしたものです。少女はこちらに対して背を向けており、具体的な特徴は不明です。

    2014-09-04 14:00:00に撮影された写真:
    写真は特段の異常性のないキキョウシティの風景を撮影しているように見えますが、マダツボミの塔が本来の高さの半分程度の高さしかありません。同日までにマダツボミの塔が改修されたという記録は存在しません。

    2014-09-09 14:00:00に撮影された写真:
    カントー地方トキワシティ北部にある「トキワの森」と推定される風景を撮影した写真です。写真には数体のピカチュウと思しき存在が写し出されていますが、同時に撮影された木々と比較して約四倍の背丈を持っています(およそ60mほどと推定されます)。ピカチュウは未知の電子機器を頭部に装備し、スタンロッドのような武器を手にしています。周囲に人間やその他の携帯獣の存在は確認できません。

    2014-09-11 14:00:00に撮影された写真:
    写真の撮影された時刻は14:00にも関わらず、周囲は2014-08-30の写真のように夜の闇に包まれています。高層ビルの屋上にて「Help us」と書かれたダンボールを掲げた二人の成人男性と思しき存在が写し出されています。男性の周囲をベトベターもしくはベトベトンに酷似した多数の謎の存在が包囲しており、脱出可能な経路はありません。謎の存在は外見こそベトベターもしくはベトベトンのそれと類似していますが、それぞれのフォルムは以下に示す携帯獣のものに類似しています:モンメン・リザード・ムウマージ・アズマオウ・スバメ・エレザード・ピジョンまたはピジョット(判別困難)・識別不能(計12体)。


    2014-10-10に、異常な写真を送信し続けていたワタッコが発見され、事務局員三名の手によって成功裡に保護されました。ワタッコは企画事務局によって精密検査を含む完全な検査を受けましたが、異常な点は何ら検知されませんでした。その後ワタッコは案件管理局へ引き渡され、異常性が無いかをあらゆる角度から検証されましたが、管理局でも異常性を見出すことはできないという結論に達しました。

    その後新たな機材が与えられ、ワタッコは再度世界一周の旅に出ました。しかしながら、使用する機材を完全に入れ替えたにもかかわらず、異常な写真の送信は依然として続いています。また、2014-10-10以前に異常な写真を送信していた機材を使用して管理局の局員が写真の撮影を行う実験も行われましたが、これまでのところ異常な写真の撮影には成功していません。

    ワタッコが撮影する写真にいかなる意味があるのか、加えて写真に登場する人物や携帯獣がいかなる存在なのかという点に付いての統一的な見解は未だ出されていません。ワタッコにも機材にも異常が無かったことが確認され、かつ機材が入れ替えられたにも関わらず、今なお異常な写真が撮影され続ける理由も不明です。その他のワタッコが送信する写真に一切の異常性が見られないことも、本案件について説明が付かない一因となっています。


    Supplementary Items:
    本案件に付帯するアイテムはありません。


      [No.1223] #118174 「ウバメの森のジャンクション」 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/03/23(Mon) 20:25:10     65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    Subject ID:
    #118174

    Subject Name:
    ウバメの森のジャンクション

    Registration Date:
    2007-06-14

    Precaution Level:
    Level 3(2013-05-20以前)→Level 0(2013-05-20以降)


    Handling Instructions:
    ジョウト地方南西部の「ウバメの森」に繋がる2箇所のゲート(コガネシティ側・ヒワダタウン側双方)で、無線通信が可能な電子機器の電源を切るよう通行者に伝えてください。必要に応じて、ウバメの森では電波に悪影響を受ける希少なポケモンが保護されているというカバーストーリーが利用できます。無線通信が行わなければ本案件は露見し得ないため、それ以上の対策は必要ありません。

    本案件による異常現象が確認された初期に一部の匿名掲示板やblogへ投稿された内容は、秘匿する必要がある情報を含んでいます。事象の確認後に「噂を再検証した」という名目で虚構記事の作成や掲示板への投稿を繰り返し行ったことで、ほぼすべての情報が確度の低いゴシップに過ぎないと見なされています。現在も新たな情報が投稿されないか監視を続けていますが、既に数年に渡って本案件への言及は無く、噂は沈静化したものと推測されます。

    複数回の実験から得られた結果から、ウバメの森内部からアクセスできるサイトは実際に当時のサイトへ接続されているものとほぼ断定されています。過度の介入は予期せぬ結果をもたらす可能性がありますので、実験を行う場合は少なくとも3名以上の高レベル責任者から承認を得る必要があります。その際、様式F-118174に沿った完全な実験計画を提出しなければなりません。

    [2013-05-20 Update]
    上記の取扱方は廃止されました。現在は過去に制定された手順を適切に実行しても、異常なサイト群へアクセスすることはもはやできなくなっています。案件#118174は既に無力化されており、これ以上の保全は必要ありません。


    Subject Details:
    案件#118174は、ウバメの森の内部で所定の手順を踏むことにより接続することができる、異常な性質を持つインターネットサイト群です。それらは合計で7件のサイトと252のページで構成され、1の動的なコンテンツを含みます。

    以下に示す手順を実行することにより、案件#118174を構成する特異なサイト群、及び本案件の中で特に注目すべきサイトである「特異点#118174」にアクセスすることができます:


    手順01:ネットワーク接続の確立
    ウバメの森の内部で、端末の無線通信を有効にします。この時、端末にはIEEE 802.11bまたは11gのいずれかの方式に対応した無線LANモジュールが組み込まれていなければなりません。手順が成功すると、名称が識別できない不明なアクセスポイントに接続されます。

    手順02:ポータルサイトへのアクセス
    Microsoft社のWebブラウザ「Internet Explorer」を使用し、ポータルサイト「goo」(www.goo.ne.jp)にアクセスしてください。WebブラウザとしてInternet Explorer以外(Mozilla Firefox等)を使用した場合、この後の手順で継続が不可能になるポイントがあります。また、「goo」以外のサイトにアクセスを試みた場合、瞬時にネットワーク接続が切断されます。この場合、手順01から改めて再実行する必要があります。

    手順03:キーワードの入力と中継サイト1への接続
    ポータルサイト「goo」が完全に読み込まれたのを確認してから、中央にある検索ボックスに「masatoのポケモン道場」と入力し、検索を実行してください。成功すると、キーワードと同名のサイトが検索結果のトップに表示されますので、通常通りアクセスしてください。この時、先述した以外のキーワードで検索を試みた場合、手順02の失敗時と同様に接続が終了します。手順01からやり直さなければならないのも同様です。

    手順04:中継サイト2から中継サイト6への接続
    手順03により「masatoのポケモン道場」への接続に成功した場合は、当該サイトのリンク集(「リンク集」と書かれたバナー画像が目印になります)へアクセスし、上から数えて14番目に存在するサイト「ゲームっ子の広場」にアクセスしてください。

    以下同様の手順で、次のようにサイトへのアクセスを繰り返してください:
    「ゲームっ子の広場」
    →「キツネスペース」(前ページのテキストアンカー「Link」から移動できるページにある上から数えて8番目のサイト)
    →「ダークエージェント」(前ページの画像アンカー「同盟サイト」から移動できるページにある上から数えて15番目のサイト)
    →「星屑の砂漠」(前ページの画像アンカー「Perfect Links」から移動できるページにある上から数えて2番目のサイト)
    →「スマブラ大辞典」(前ページのテキストアンカー「リンク集」から移動できるページにある上から数えて6番目のサイト)。

    手順05:特異点#118174への接続
    手順04で「スマブラ大辞典」まで到達した後、同ページ内の中段にあるテキストアンカー「チャット2(雑談・交流)」を選択してチャットページへ移動することで、特異点#118174への移動は完了します。この時WebブラウザとしてInternet Explorerを使用していない場合、「サポート外のブラウザです」というエラーページに遷移し、特異点#118174へは移動できません。


    手順02以降に接続可能なポータルサイト及び中継サイト1〜6から得られた情報から、これらのサイトはすべて「2001-04-15」時点のサイトに忠実であることが分かりました。ブラウザ上で実行できるスクリプトレットから取得された情報は、これらのサイトがオリジナルサイトの2001-04-15時点におけるデジタルコピーではなく、「実際の2001-04-15時点でのサイト」であることを裏付けるものでした。

    接続可能なサイトは極端に限られており、ポータルサイトはトップページ及び所定のキーワードによる検索結果以外の全ページが接続不能です。中継サイト1〜6は同一ディレクトリ内のページであれば完全な形で閲覧が可能ですが、中継サイト以外の外部サイトへのアクセスは例外なく失敗します。どちらのケースでもその時点でアクセスポイントとの通信が途絶し、手順を初めからやり直さなければなりません。

    最初に接続することになるポータルサイトに設置されたJavaScriptによるリアルタイム時計は、常に19:57:02からカウントが開始されます。これはいかなる時刻に実験を行っても常に一貫しています。

    以上から、何らかの特異な事象により、所定の手続きを経ることで2001-04-15 19:57:02におけるそれらのサイトを部分的に閲覧できているというのが、本案件に対する管理局の見解です。


    特異点#118174:
    特異点#118174は、特異なサイト群を調査する過程で唯一接続に成功した動的コンテンツであるオンラインチャットです。特異点#118174以外の動的なコンテンツ――電子掲示板・オンラインチャット・その他サーバサイドのプログラムで動作するすべての動的コンテンツ――へのアクセスは、あらゆるケースで即時の接続終了を招きます。例外的に特異点#118174のみが、オンラインチャットとしてのすべての機能が利用できます。

    接続先時間で20:32:17を迎えると、特異点#118174に「綺羅々★」というハンドルネームの利用者が入室してきます。こちらから一切アクションを起こさなかった場合、利用者「綺羅々★」は21:17:39までチャットに残り、その後「母親に呼ばれた」旨のメッセージを残して退出します。20:32:17から21:17:39までの間、「綺羅々★」以外の利用者は入室してきません。これは接続を試みたすべてのサイクルで一貫して繰り返されます。

    本案件において特異点#118174のみが例外的に接続可能な理由は判明していません。特異点#118174自体には何の異常性も無く、通常想定されるオンラインチャット以上の機能や性質は一切持ちません。


    [2007-08-12 Update]
    局員による特異点#118174における利用者「綺羅々★」へのコミュニケーション実験が提案されました。局員からコンタクトを取ることで、本案件に対する新たな情報を得ることを目的としています。実験の開始が承認されました。


    [2008-04-27 Update]
    これまでに利用者「綺羅々★」へのコミュニケーション実験が計63回行われましたが、成果ははかばかしくありません。利用者「綺羅々★」は局員を不審な人物、当該コミュニティの言葉で表現するならば「荒らし」と認識しており、適切なコミュニケーションが取れない状況が続いています。実験の一時中断が提案され、案件は現状保全フェーズへ移行させることが決定されました。


    [2012-11-04 Update]
    局員の一人(以下局員Aと表記)が本資料を閲覧し、利用者「綺羅々★」へのコミュニケーション実験を再開したいと申し出てきました。申し出によれば、局員Aはかつてこのサイトで「綺羅々★」と交流していたという背景があり、「綺羅々★」とのコミュニケーションを円滑に行える自信があるとのことです。本案件の性質をより正確に理解するための情報を得ることが期待できるため、実験の再開が承認されました。


    [2012-12-15 Update]
    局員Aによる実験計画が提出されました。実験計画は承認されました。実験は2012-12-20に実施される予定です。


    [2012-12-22 Update]
    2010-12-20に特異点#118174で行われた第64回目の実験セッションにて、局員Aによって事前の計画を大幅に逸脱した会話が行われました(事案118174-1)。事案118174-1によって生じた現在の時間軸に至るまでの最終的な影響の度合いは未だ明確になっていません。事案118174-1を受け、管理局では特異点#118174を含む案件#118174に関するあらゆる実験を無期限に禁止することを決定しました。局員Aは直ちに権限を剥奪され、懲戒解雇処分を受けました。


    [2013-04-13 Update]
    別案件に関する資料を整理していた局員が、2001-05-19に発生したバスの転落事故を報じた新聞記事について、2012-10-02時点に許可を得て取得した記事のコピーと記述が相違していることを報告しました(事案136577-1)。当該事故は修学旅行中の中学生を乗せたバスが崖から転落したというもので、当時多くのマスメディアで取り上げられています。

    局員が取得したコピーでは12名の死者が出ていると報じられていましたが、元の新聞記事は11名の死者が出たことを伝えています。死者はいずれもすべて修学旅行中の生徒です。


    [2013-04-25 Update]
    事案136577-1における死者数の相違について、事案118174-1との関連性が提起されました。調査のための準備が進められています。


    [2013-05-08 Update]
    事案136577-1に関する調査の過程で特異点#118174への特例アクセスが試みられましたが、手順01における不明なアクセスポイントへの接続が確立できず、アクセスは失敗に終わりました。その後数十回に渡って接続の確立が試みられましたが、すべての試行で失敗に終わっています。

    調査委員会は、2012-12-21から2013-05-08の間のいずれかのタイミングで案件#117184がその性質を変化させ、結果として事実上無力化されたという仮説を提起しました。関係する局員は、大半がこの仮説を支持しています。


    Supplementary Items:
    本案件に付帯するアイテムはありません。


      [No.1222] Subject Notes. 投稿者:   《URL》   投稿日:2015/03/23(Mon) 20:20:55     77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    前スレッド:http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3632&mode=allread

    元のスレッドが長くなってきましたので、こちらで継続することにしました。
    引き続きお楽しみいただければと思います。


      [No.1221] WeakEndのHelloWin 5 投稿者:烈闘漢   投稿日:2015/02/28(Sat) 22:14:31     37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    WeakEndのHelloWin
           5







    「ジョーイさん! 僕のポケモンが大変なんです! 治療してください!」

    「どうしたの? ケガでもしたの?」

    「はい。ポケモンバトルしてたら、ダメージ負っちゃって、『ひんし』になっちゃいまして」

    「たわけ! ポケモンバトルなんてするから、ポケモンがケガするんでしょうに!
     わざわざ自分からケガさせるような真似しておいて、治せとか、阿呆臭ぁなるわ!」

    「え? じゃあ僕のポケモン治してくれないんですか? 職務放棄ですか?」

    「いや、するけどー。仕事だしするけどー。でも、やりきれないもんがあんじゃん?」

    「はあ……さいですか」

    なにやら受付カウンターの側で一悶着あった様子だが、すぐに事は治まった。
    静けさを取り戻したポケモンセンターには、眠気を誘うBGMだけが流れている。
    清潔感漂う待合室にて、ずらりと並んだ椅子をベッドにして横たわり、
    天井の光を眺めながら、シオンは一人、ぼけーっとまどろんでいた。



    「『シオン君』って! 『ジ○ン軍』と! なんか似てるよね!」

    病院だろうと、客がいようと、お構いなしの大音声が轟き渡る。
    ふりかえらずとも、誰かは分かった。
    トンカチで釘打ってるみたいな靴音が、シオンに向かって迫り寄る。
    寝転がっていた状態から起き上がり、姿勢を正して、座席にしっかり腰かけ直すと、
    シオンの隣のビニール椅子が、オウの巨体でどごぉ! と凹んだ。

    「遅いぞ偽審判。逃げたのかと思った」

    「ダイヤモンド君が! 見当たらないね!」

    「今、便所に行ってる」

    「ふーん! そーなんだ!」

    耳元での叫び声に、たまらずシオンは隣の席へと移動し、オウから少し距離をとった。
    こんな騒がしい大人と一緒にいるところを見られていると思うと、なんだかむしょうに恥ずかしくなる。
    かといって、こんな恐ろしい外見の大男に注意できる勇者も、この場にはいないであろう。

    「とりあえず、これ! 返すよ!」

    オウの分厚い手の平が、隣の空席にモンスターボールを乗っけた。
    取り上げるなり、すぐさまボールを割り、膝の上に現れたピチカの脇をシオンは両手で持ち上げる。

    「無事か! 大丈夫か! 何もされなかったか! 生きてるか! 変な所触られなかったか!」

    言いながら、シオンはピチカの全身を舐めまわすかのようになでまわす。
    赤い頬をこねたり、黄色い腹の肉をつまんだり、長い耳を軽く引っ張ったりして、ピチカの安否を確かめた。

    ――ちゅぅううううう

    窮屈そうなピチカのいじらしい表情を見入るなり、シオンはホッと安堵の息を吐いた。

    「よかった、他のピカチュウじゃなく、ちゃんと俺のピチカみたいだな」

    「あと、これも! 渡しておくね!」

    次の瞬間、シオンは札束を掴まされていた。

    「……うおわっ!」

    大金を前に怖気づく。咄嗟に、オウから手渡しされたらしい紙幣を数えた。
    オーキド博士のプリントされた一万円札が、おおよそ五十枚、手元で震える。

    「って、ちょっと待て。俺は借金ゼロにしろとは言ったが、金をくれとは言ってないぞ。
     あっ、いやもちろん、もらっといてやるけどさ」

    「一週間前に! 探偵を雇い! ポケモンレンタルもしたよね!」

    「……ああ、その代金を払っとけってことだな。じゃ、気が変わらない内に、遠慮なく」

    嬉しくてつい、御礼を言ってしまいそうになるも、なんとかこらえ、札束を財布の奥へとしまいこんだ。
    (せっかくだから、探偵代もレンタル代も支払わないで、
     このまま冒険の旅という名の夜逃げでもしてしまおっかなあ)
    などという不埒な企みがシオンの脳裏をよぎった。

    「すっかり騙されてしまった!」

    オウの大声に、ピチカは尖った耳を折り曲げて、くしゃっと顔を歪ませる。
    可哀想だったので、シオンはそっと、ボールの中に戻しておいた。

    「よりにもよってピカチュウだったから!
     だから僕は!
     君が『ポケモンアニメの主人公』の真似事をして喜んでいる馬鹿だと、勘違いしてしまっていたんだ!」

    「え? それ俺、けなしてね?」

    「いや!
     ピカチュウだったから勘違いしたわけじゃない!
     君がもう少し賢そうな顔をしていれば!
     ポケモンが外に出ていることに!
     何か理由があると疑っていたかもしれないのに!」

    「なんてひでえ言い草だ……」

    自分が馬鹿そうな顔で良かったと、素直に喜べそうにはなかった。

    「とにかく僕の負けだ! 君の反則を見破れなかったから!」

    「……は!? なんて!?」

    シオンは信じられないモノを見る眼つきで、オウの横顔を見上げた。

    「は? いや、だってお前……力尽くで負けがなかったことにしたり、
     無理矢理俺を反則にしたり……屁理屈で駄々をこねたりとかしないのか?」

    「そんな悪いこと! 僕にはとても出来ないよ!」

    「何をたくらんでる? 潔いぞ。お前のような人間が、素直に負けを認めるなんて考えられん」

    シオンはオウの見開いた目玉の瞳孔を、疑いの眼差しでジッと観た。
    ふいに浅黒い顔面から、ニヤリ、と鈍い金歯を覗かせる。

    「僕としても不本意なんだ! 反則の証拠くらい、でっちあげたかったさ!
     けどね、そんなことをしたら! 僕はぶっ殺されてしまうじゃないか! ダイヤモンド君にね!」

    「ああっ。そうか。そうだったなぁ……」

    結局、すべて、ダイヤモンド一人の力で解決したようなものだった。
    自分はいなくてもよかったのだ。
    分かっていたはずなのに、むなしくなった。

    「そうか。全部アイツの手柄ってわけか。そいつは面白くねぇなぁ」

    ピチカのボールを握りしめて、哀しい表情をするのを我慢した。
    反則とはいえ、自分のやって来た努力と勝利を認められないのは、悔しくて悲しくて歯痒い。
    一度、軽い深呼吸をして、憎しみを紛らわせる。

    「あのさ、お前さ、なんで、んなことすんだよ」

    「んなこと、って!? 心当たりがありすぎて分からないよ!」

    「ほらあれだよ、何でその……トレーナー狩り? みたいなことをやっていたんだ?
     俺達からから金奪って、けど、金が欲しいってわけじゃないんだろ?
     じゃあ、お前がトレーナーを襲う意味って何なんだ?」

    「トレーナーが増えすぎだから消してくれ! って、この国に頼まれた!」

    「嘘臭いなあ。
     けど確かに、国が味方しているなら、あんな恐喝がまかり通ったりもするかもしれない。
     じゃあ、何で国がそんなことをお前に頼んだんだよ?」

    「この国に! 弱いトレーナーはいらない! だってさ!」

    「あのバンギラスを倒せなかったトレーナーを、弱いと決めつけるのは未だ早いだろ。
     今はともかく、いつかは強いトレーナーや強いポケモンになってるかもしれないじゃないか。

    「そんなことは知らないよ! 負けた方が悪い!」

    「む……だが真理ではあるな、それ。
     負け犬の分際でトレーナーを続けようなんて、おこがましいにもほどがあるよな」

    そう言うシオンも、すでに二度、敗北している。
    しかし、人生を賭けてポケモントレーナーを目指すシオンにとって、
    趣味や遊びのつもりでポケモンバトルをする者達を、非常に鬱陶しく思っていた。
    特に仕事や学業の片手間にポケモントレーナーをやっている連中は、
    木端微塵に砕け散ってほしいと心の底から願っていた。
    シオンはトレーナーになると同時に、高校進学をあきらめている。

    「僕も一つ聞きたいな! どうしてシオン君は! 反則ばっかり使うんだい!」

    「負ければ金取られるんだぞ。人目とか罪悪感とか、一々気にしてられるか」

    「それって、要するに! 勝つ作戦を思いつけなかった! ってことじゃないのかい!?」

    「……え? 何だって?」

    シオンは顔面をぐしゃぐしゃに歪ませ、怒りをぶつけるようにしてオウを睨んだ。

    「お前、言ってたよな。こんなレベルの差を覆せるわけがない、的なこと言って驚いてたよな。
     そのお前が、ディアルガやらメガバンギラスとやらに勝つ作戦があった、って言えるのかよ?
     反則なしでピチカが勝つ方法があったっていうなら、教えてくれよ、なあ」

    「僕に勝ったトレーナーが! 君だけとは限らないよ!」

    「そんなことは聞いていない。どういう作戦を使えばお前に勝てたんだ、って聞いてるんだ」

    「僕を倒したトレーナーが! 強いポケモンを持っていたとも限らないし! 反則を使ったとも限らないよ!」

    「……本当の話なのか? お前に勝ったトレーナーが、俺の他にもいるのか?
     それって、ダイヤモンドのことじゃないのか?」

    シオンが前屈みになって尋ねた直後、オウがいきなり立った。

    「ぼく もう いかなくちゃ!」

    「は?」

    「ニビシティの皆が待ってる! 僕の審判をね!」

    「いや、ちょっと待てって。また借金取りしに行くつもりか」

    シオンがオウの腕を掴むと、あっさりと、強引に振りほどかれてしまう。

    「誰だよ、お前を倒したヤツって! どっか行く前に答えろよ! 気になるだろ!
     意味深なこと残して立ち去ろうとしてんじゃねえよ! うぉい!」

    「早くニビシティの皆にも! 現実教えに行かないと!」

    迷いのない足取りでコツコツ鳴らし、オウがシオンの側から離れてゆく。
    巨体を察知した自動ドアが、ウィーンと開くと、オウの動きがぴたりと止まった。

    「ねえ、シオン君! いくら反則で勝てるようになったからって! ポケモンバトルは強くなれないよ!」

    そして、振り返りもせずに、オウは去って行った。
    紫色の背広は、閉まった自動ドアのガラス越しへと向かい、すぐに見えなくなる。
    気が付くと、シオンは一人になっていた。

    「……分かってるよ。そんなことくらい」

    反則を使わなければ、勝利はもたらされないのか。
    これから先、ずっと反則を続けていかなければならないのか。
    苦悩と葛藤は不安となり、ハッキリとしないモヤモヤが胸中で渦巻きだす。
    しかし、この嫌な気持ちが、トレーナーにならなければ味わえなかった気持ちだと気付くなり、
    シオンはひどく幸せな気持ちになった。



    静けさを取り戻したポケモンセンターの片隅で、シオンは一人、戸惑っていた。
    三千円を破られ、『きんのたま』を握られ、借金を背負わされ、バイトをさせられ、
    そんな憎い宿敵であるオウ・シンとたった今まで自分は普通に会話をしていた。
    昨日の敵は〜今日の友って〜、それはなんだか気味が悪い。
    反則の不安など、もうどうでもよくなっていた。

    「いや〜、シオンさん。物凄くドでかいのが出ましたよ〜。ふんばった甲斐がありました〜」

    背後から、ダイヤモンドの呑気な声がやって来た。
    シオンは振り返りもせず、握っていたモンスターボールを後方に見せつけた。

    「おっ? ということは……シンさん、もう行っちゃったんですか?」

    「お前と入れ替わる形でな」

    「あひゃあ。それで? シンさん、なんて?」

    「もう悪い事はしません。だってさ」

    「絶対嘘ですね、それ」

    ひょいと、ダイヤモンドがシオンの隣に腰掛ける。随分とスッキリした顔をしていた。

    「つまり、シオンさんが勝ったってことで、いいんですよね?」

    「うーん、まあアイツは負けを認めたわけだから、そういうことでいいんじゃないか」

    「それはよかった! 『ときのほうこう』を三回も使って、時間を戻した甲斐がありましたよ〜」

    「……えっ?」

    言葉の意味を理解するなり、一瞬遅れて、シオンの全身から血の気が引いた。

    「お前っ……なんだって?」

    「いえいえ、なんでもありませんよ。冗談ですから」

    「まさか……俺が負ける度に……時間を……」

    「で・す・か・ら、冗談ですって!」

    「……ああ、そうか。冗談か。そうかそうか」

    「ハハハ。そうですよ。はい」

    ダイヤモンドが何を言ったのか、本当はハッキリと聞こえていた。
    しかし、これ以上の詮索はいけないと、シオンの本能が告げている。
    その言葉が嘘か真実か、追及する勇気はなく、分かったような態度をとって誤魔化すしかなかった。

    「そういえば、シンさん、どこかに行くって言ってました?」

    「あいつならニ……いや、えっと……あいつ確か、シンオウ地方に行くとかなんとか言ってたぞっ」

    なるべくさりげなく、シオンは嘘を教えた。
    オウがニビシティでトレーナー狩りを再開するというのは、シオンにとって実にありがたい行為であり、
    ダイヤモンドにそれを止めに行かれるわけにはいかなかった。
    なにせ、ポケモントレーナーが少しでも減ってくれれば、
    その分シオンがポケモンマスターになりやすくなるからだ。
    (俺の野望のためだ! 喜んで犠牲になれ、ニビ人どもっ!)
    自分が悪魔のような笑みを浮かべていると、シオンは気付いていない。

    「それでは、トキワシティの平和も守られたことですし、そろそろ僕も、旅立とうかな、と」

    「もうこの町に用はない、ってところか。なら最後に、ポケギアの番号でも、交換してくれないか?
     せっかくの縁だからよ」

    「いいですよ。ちょうどジョウトでふらついてた時に買ったのがあるんです」

    「助かる」

    言いながらシオンは、左手首を突き出して見せた。
    旧式の、漆黒カラーの腕時計型ポケギア。
    対してダイヤモンドが取り出したのは、最新モデル、ヴァイオレットの卵型ポケギア。
    格差社会を垣間見た気がした。
    向かい合ったポケギアで赤外線通信を開始する。
    ピロピロ電子音の後、登録完了の文字がポケギアの画面に浮かびあがった。

    「サンキュー、ダイヤモンド。これでいつでも、困った時はお前を呼ぶぜっ」

    「えええっ! 普通、逆じゃないですか!? 困った時はいつでも呼んでくれ、じゃないんですかぁ!?」

    「何言ってんだ? 俺より圧倒的に強いお前が困るような問題、
     俺に解決出来るわけがないじゃないか」

    「まあ、確かに、そうかもしれませんけどぉ……」

    ダイヤモンドは腑に落ちない様子で、顔を強張らせている。
    何のメリットもないのに、シオンごときに利用される派目になったのが気に入らないのかもしれない。
    このままではポケギアの番号を消されかねないので、慌てて別の話題にすり替えた。

    「それで、お前、これからどこに行くつもりなんだ?」

    「シオンさんこそ、これからどうするつもりなんですか?
     正直言って、僕は心配です。また悪いことするんじゃないかって……」

    「さっきトキワシティまるごとぶっ壊したお前が『悪いこと』とか、よく言えるな。
     まぁ、それはいいとして、
     あの偽審判、トキワのトレーナー全員をカツアゲして所持金零円にしちまったっていうし、
     つまり今のこの町じゃあバトルで勝っても賞金がもらえない。
     ってことは、俺ぁ、フレンドリィショップのバイト、続けるしかないんじゃないかあ?」

    「ではシオンさんも旅に出てみたらいいんじゃないですか。ポケモンバトル武者修行の旅にでも」

    「いや、そもそも俺は金もなければ食料もないんだ。隣町に着く前に餓死してしまう。
     ひょっとして、すれ違ったトレーナーから金品だけでなく食料まで巻き上げろってことか?
     それは構わないんだが、変な噂広まったら、誰も俺とバトルしてくれなくなるだろうし……
     なんとかして口封じ出来ればいいんだがなぁ……」

    「駄目ですよ、そんなことしたら!」

    「じゃ、どうすりゃいいのよ、俺は?」

    「そうですねぇ……では、ジムに挑戦するとかどうですか?
     シンさんも自分が倒せないトレーナーが相手じゃ、お金、むしりとれないでしょうし」

    「お前、分かってて言ってるのか?
     トキワシティのジムリーダーっていったら、ジムリーダーの中でも最強と言われてるジムリーダーなんだぞ」

    「そんなに手強い相手なら、勝った時、たくさんお金がゲットできますね。これで隣町にも行けますよ」

    「よし。それじゃあ今の内に新しい反則技でも考えとくか」

    「いや、ですから、駄目ですって!」

    「んだよ、お前、さっきから。誰の味方なんだよ!」

    「正義の味方ですよ!」

    「共存戦隊〜……」

    「ホウエンジャー!」

    なれあっている内、ふと、シオンは気付いてしまった。
    トキワシティの隣町といえばニビシティではないか。
    ニビシティに到着した時、既に街のトレーナー全員がオウの支配下にある可能性がある。
    なんだか行きたくなくなってきた。

    「やっぱ俺、しばらくは、この町でいいや」

    「いいんですか、それで?」

    「まあ、なにすりゃいいかわからんけど、そのうちなんとかなるだろ、たぶん」

    楽観的思考というよりは、もはや思考停止に近い。
    これからもずっとトキワシティに幽閉され続けるしかない。そう考えると、シオンは少し憂鬱になった。
    ふわっと、ダイヤモンドが席を立つ。

    「僕はこれから、霊峰白銀に向かおうかと思ってます」

    「シロガネ山のことか?
     なるほど、それでトキワシティなんてしけた田舎なんかにはるばるやって来たわけだな。
     それで……山籠りでもするつもりか。これ以上強くなって、どうすんだよ?」

    「『レッド』というトレーナーを探そうと思ってます。
     なんでも、ディアルガが本気を出しても勝てないくらい強いトレーナーだと聞きまして、
     是非ともバトルしてみたいなあ、と」

    「……『レッド』? その人、シロガネ山なんかにいないだろ?
     それに、トレーナーじゃなくて博士だった気がするけどなぁ」

    「知ってるんですか!」

    キョウミシンシンイキヨウヨウ。
    シオンにガッツクかのよう、前かがみになって、ダイヤモンドは尋ねる。

    「確かテレビに出てたんだよな。ポケモン○ンデーとかいう番組で……」

    「それで、どこにいるか分かりますか。その『レッド』さん」

    「テレビに出てたんだから、多分、ヤマブキとかじゃないか? ちなみに俺の苗字もヤマ……」

    「ありがとうございます! じゃ行ってきます!」

    シオンが言い終わる直前に、身を翻し、全速力でダイヤモンドは走り去ってしまった。
    自動ドアが閉まり、あっという間に一人取り残されてしまう。
    ポケモンセンターのBGMが、いつもより切ない音色で響いていた。

    心地よい寂しさの中、天井を見上げながら、シオンはうんと伸びをする。
    オウに勝ち、借金を失くし、全てが上手くいったおかげで、ようやくゼロの状態に戻ってこれた。
    今日くらい、肩の荷を下ろし、御祝いとして遊び呆けていたくもなる。
    静けさの中、ここでしばらく昼寝でもしようかとも思った。

    だがしかし、こんなところでボケーっとしていられる暇などシオンにはない。
    ポケモントレーナーを続けたいのならば、休んでいる余裕もなければ、
    勝利の余韻に浸っている間も一秒だってありはしないのだ。
    時間が惜しい。
    頬を叩いて、席を立つ。

    「おし! そんじゃあ早速、ジム戦にでも行ってきますか!」

    リュックを担ぎ、帽子を被り、ピチカの入ったボールを握って、シオンは再び戦場を目指す。
    闘志を宿した眼差しと、
    勢いの付いた足取りで、
    ポケモンセンターを後にした。







    おわり







    あとがき

    よくぞ最後まで読んでくださいました。本当にありがとう、おめでとう、素晴らしい、見る目があるよ君、
    感謝の嵐でございます。

    なんだかシオンさんが、バイトを無視して、これからジム戦に挑もうとしてる気配がありますけど、
    このオハナシはこれでお終いです。続きません。俺達の戦いはこれからだ、的な打ち切りエンドです。

    なにせ、私はとんでもないくらい遅筆なもんですから、
    このオハナシを完全に完結させようとした場合、
    私の残りの人生が全て無くなってしまいます。

    死ぬ間際に「もっと色んな事しときゃあ良かったあ!」、って叫びながら絶命するより、
    「わが生涯にいっぺんのなんちゃらー!」って言ってくたばりたいもんじゃありませんか。

    なので続きは書きません、たぶん。撃ち斬りDEATH。面目ない。

    そんなこんなで、マサラタウン(のポケモン図書館)にさよならバイバイです。
    何か機会があればいずれどこかでお会いいたしましょう。
    ありがとうございました。


      [No.1220] WeakEndのHelloWin 2 投稿者:烈闘漢   投稿日:2015/02/28(Sat) 21:24:09     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    WeakEndのHelloWin
           2






    節電でもしているのだろうか。
    天井からの光はなく、窓から差し込む日の光だけが、室内全体をぼんやりと照らしている。
    席がずらり並んだ、結婚式場のような大広間には、
    自分達以外誰一人として見当たらず、寂しげにがらんとしている。
    トレーナーハウスの一角にて、シオン達三人は大きな丸テーブルを囲み、向かい合って座った。

    「必勝法がある。少なくとも、オウに対してだけは、絶対に通用する戦法だ」

    シオンが言った。
    椅子の上にあぐらをかいて、リュックは床に降ろしている。

    「それはつまり、オウさん以外の人には通用しないかもしれない。ということですか?」

    ダイヤモンドは尋ねつつ、椅子の上に正座をして、リュックサックを膝に抱えた。

    「なんの話してんのか、よくわかんないけど、まあ詳しく教えてよ」

    椅子を真横にし、背もたれに右肩を預けながら、女性職員は傾いて座っていた。
    思えば、シオンはこの人の名前を未だ知らない。

    「その前に、一つ確認しておきたい。ダイヤモンド、一週間前のバトルを思い出してくれ」

    シオンはまず、ダイヤモンドと視線を合わせた。

    「俺がお前とポケモンバトルをした時、闘う前からピチカはボールの外に出ていた。
     そして、そのことについて偽審判は何のツッコミも入れなかった。覚えているか?」

    「はい。僕がシオンさんと出会った時からずっとピカチュウはボールの外に出っぱなしでしたし、
     オウさんもピカチュウに対しては、何かケチをつけていた記憶はありませんね」

    「そうだ。そして、さっき、あなたが言ってたことですが……」

    シオン、今度は女性職員に視線を送る。

    「ポケモンがボールの外に出ていると、やっぱり反則になるんだ」

    「うん。私もその通りだと思う。でも何で? 理由が分からんのよ」

    困り顔の女性職員に、シオンは少しだけ答えを教える。

    「正確には、ポケモンがボールの外に出ているだけじゃ、反則にはならないんだ。
     正確に言うと、
     ポケモンをボールの外に出した状態でバトルをすると、その時にだけ使える反則技がある、だ」

    どういう反則技なのか、未だ明かさない。焦らしているのだ。

    「あー、なるほど。つまり、シオンさんが言いたいのは、
     その反則技なら、相手がオウさんの場合通用する……あっ、さっきそれ、言ってましたね!」

    「そういうことだ。しかも、この反則技は俺が知る中でも相当ヤバい。使わないわけにはいかないよな」

    「へ? アンタ、反則使うつもりなん?」

    「さらに、恐ろしいことに、この戦術は証拠が全く残らないんだ」

    「いまさら”反則”を”戦術”に言い変えても駄目だから。何しでかそうとしてんのよ、一体」

    不都合な意見は基本的にはスルーする。
    今のシオンの視界に女性職員は映っていなかった。

    「オウさんのことだから、かなり強いポケモンを使ってくるかと。
     ですから、反則でも使わないと、シオンさんには勝ち目がないんですよ」

    「へえ、ハンデってわけ? ま、なんでもいいわ。それで? その”戦術”って何なの? さっさと教えなよ」

    「なんで聞く側がそんなに偉そうなんだよ……」

    ぶつくさ言いながらも、シオンは前のめりになって、静かに口を開いた。
    二人とも、無言でテーブル中央に顔を近付け、聞き耳を立てる。

    「そうだな……例えば、ピカチュウが”こうそくいどう”を使ったとする。すると、どうなる?」

    「どうなるって、素早さがぐーんとあがる?」

    「そう。正解だ。じゃ次に、
     その素早さがぐーんと上がったピカチュウが、さらに”こうそくいどう”を使ったら、どうなる?」

    「ピカチュウの素早さがさらに上がります。一回目のと合わせて四段階も速くなるかと」

    「あぁ、その通りだ。それじゃあ最後に、
     その物凄く素早さが上がったピカチュウを、ボールの中に戻したら……どうなる?」

    「手の平サイズに納まる……って、そういうこと聞いてるわけじゃないか」

    「元の状態に戻るわけですから、速くなっていたピカチュウは、元の素早さに戻る……あっ!」

    ダイヤモンドと女性職員は、同時に声を上げ、顔を見合わせた。
    その様子に、シオンは満足そうな微笑を浮かべる。

    「気付いたか? そうだ、つまり……」

    「そうか! ポケモンがボールの外に出ていたら、”わざ”でいくらでもステータスを上げられるんだ!
     つまり、ポケモンの能力を限界まで引き上げた状態のまま、バトルに挑むことが出来る!」

    シオンが言おうとしていた台詞は、ダイヤモンドの雄叫びによって”よこどり”された。

    「それだけじゃ……」

    「それだけじゃない! ポケモンをボールの中に戻してしまえば、ステータスが元に戻ってしまう!
     だから、反則をしていた証拠が残らないってことじゃない、これぇ!」

    シオンが言い掛けた台詞を、今度は女性職員に絶叫によって”よこどり”された。

    「それ、俺が言おうと思ってたのにぃいい!!」

    テーブルをバシバシ叩きながら、シオンは本気で悔しがる。
    十五歳とはいえ大人げない醜態を晒した。

    「……そうだよ、お前らの言った通りだ。
     ポケモンを外に出した状態で戦えるのなら、最大限までステータスを上げられるし、
     強化したポケモンも、ボールの中に戻してしまえば、俺が反則を使っていたと責められることもない。
     なんたって、証拠隠滅の完全犯罪なんだからな」

    二人が分かりきっていることを、シオンがわざわざ説明し直したのは、
    この”証拠隠滅の完全犯罪”という言葉を使って見たかったから、だけである。

    「ちょっと待って。
     思ったんだけど、ピカチュウって”こうそくいどう”の他にステータス上げる”わざ”ってあったっけ? 
     ”つるぎのまい”も”からにこもる”も覚えないでしょ。
     攻撃力とか防御力を上げられるっていうならともかく、素早さが超ぐーんと上がったくらいじゃ、
     そんなに強くはなったとは言えないんじゃない?」

    至極真っ当な意見だと思った。

    「そうですよ、シオンさん。
     そのピカチュウが相手ポケモンの二倍速くなったとしても、
     二回連続で攻撃できるようになるわけじゃないんですよ。
     それに、どんなに素早さが高くても敵の攻撃が避けられるわけじゃない。
     回避率は何も変わってませんからね。
     オウさんのポケモンに勝つには、”こうそくいどう”だけじゃ無理です。絶対に」

    「色々と言ってくれるなぁ。けどよ、そもそも俺のピチカ、”こうそくいどう”なんて覚えてないからな」

    1、2の、ポカンとした顔になった。
    人間ってここまで阿呆な顔が出来るんだなあ、とシオンは二人の表情を眺めながらしみじみ思った。
    固まっていた女性職員の表情が崩れ、みるみるうちに”こわいかお”へと変化してゆく。

    「ハァ!? 何それ!? そんなんで粋がってたわけ!?
     いくら面白いこと思いついたからって、出来もしない話わざわざしないでくれる?
     それってただの時間の無駄だから」

    烈火の罵倒を吐き捨てられる。
    しかし、シオンは涼しい顔をしていた。
    無駄な話をしたと思っていないからだ。

    「汚い言葉使いに、声まで荒げて……そんなんじゃモテませんよ。もっとおしとやかにした方が……」

    「よけいなおせわじゃいっ!」

    「結局のところどうなるんです?
     シオンさんのピカチュウはオウさんのポケモンに勝てるんですか? 勝てないんですか?」

    ダイヤモンドの疑いの眼が、此方をジッとうかがうようにして見つめている。
    その疑念を掃うように、シオンは強い口調で答えた。

    「勝てる。お前が協力してくれれば、問題なく」

    「ねえ、アンタ嘘吐いてんじゃないでしょーね?
     さっきからテキトーな思いつきをべらべら吹かしてるようにしか見えないんだけど?」

    「大丈夫です。勝つ方法はちゃんと存在している。
     というか、そんなに難しい話じゃないぞ。考えればすぐに俺がしようとしている反則が分かるはず」

    「何よそれ。反則ってそんな都合のいいことができるわけ? 努力もしないで勝てるだなんて……」

    女性職員の投げやりな口調は、何処か苛立っている様子だった。
    きっと反則に対する怒りがあるのだろう。
    不必要な正義感をもってるなぁ、とシオンは内心見下した。

    「ダイヤモンド。さっきさぁ、地下で俺、お前に質問したよな。”ポケモン何匹持ってるか?”って。
     アレどういう意味だと思う?」

    「あっ、それそれ。493匹だっけ? あれって本当のこと?」

    「それは本当のことですし、それに……
     つまりシオンさんはたくさんのポケモンの協力を必要としているんだ。
     だから僕にポケモンの数を聞いたんじゃありませんか?」

    「大体当たってる。その通りだとも。だからこそ頼みがある。この通りだ」

    シオンは深々と頭を下げ、丸テーブルに額をゴンと叩きつけた。
    しかし、椅子の上ではあぐらをかいた状態のままであり、
    あまり誠意のこもっていない、いい加減な土下座であった。

    「俺に協力してくれ。お前のポケモン達の力が必要なんだ。あの偽審判をぶちのめしたいんだ。頼む」

    「いや、そんな頭下げられても、反則に協力するのは抵抗があるんですけど……
     でもまぁ、シオンさんには色々とご迷惑をおかけしたようなしてないような気がしてますし……」

    「手伝ってくれるのかぁ!?」

    シオンはズバっと顔を上げ、期待をこめたキラキラの眼差しで、食い入るようにダイヤモンドを凝視した。

    「ええっと、ですから、その……」

    「ありがとう、ダイヤモンド! お前はなんて良いポケモントレーナーなんだ!
     今、死ねば、きっと天国に行けるぞぉ!」

    このままだと否定される恐れがあると思い、シオンは強引に結論を下した。
    過程をフッと飛ばして結果だけを得る。我ながら中々の邪悪っぷりであった。

    「アンタってマジでクズよね」

    「本当、助かるぞ、ダイヤモンド。
     職員さん、ここにパソコンってありますよね。あずかりシステムと繋がってる奴」

    「地下にあったでしょ、見てないの? パソコン使って何する気?」

    女性職員の問いに答える間もなく、シオンはリュックを拾い上げると、椅子を引きずって立ち上がる。
    つられて二人も椅子から降りると、すでにシオンは地下へ向かって歩き始めていた。

    「ねえ聞いてんの? アンタごときにシカトされるとか、自尊心が耐えられないんだけど?」

    「そうですよ。今の内に何するのか教えてください。でないと僕、手伝えないです」

    ダイヤモンドでさえ知らない答えを、自分だけが知っている。
    まるで頭の賢さで勝利したかのような錯覚に陥り、シオンは少し優越感に浸った。

    「じゃあ、とりあえず、”バトンタッチ”か”スキルスワップ”が使えるポケモンを用意してくれないか」

    直後、シオンの後方で「アーッ!」と一人感心するダイヤモンドの声が響いた。




    地下一階だけあって、窓はなく、天井に張り付いた数多の蛍光灯だけが広々とした空間を照らし出している。
    室内全体を見渡すと、高さはピジョンがかろうじて羽ばたけるほど高く、
    広さはポニータがなんとか走り回れるほどに広い。シオンはなんとなく学校の体育館を連想した。
    しかし、土足でカーペットに踏み込むと、やっぱり旅館のロビーみたいだなあ、と思った。

    階段を降りてすぐのところに、背の高いタッチパネル式のパソコンを発見した。
    早速シオンは、ダイヤモンドの背を押して、ポケモンあずかりシステムとの接続をうながす。

    「ポケモン呼び出すつもり? それでどうするわけ?」

    「攻撃から特防まで、ピチカの全ステータスを底上げするんですよ」

    「は!? どうやって!? だって、”こうそくいどう”も出来なかったんじゃ!?」

    「まあ、いいから見ててくださいって。へへへ、それじゃあ頼みましたぜ、ダイヤモンドの旦那」

    女性職員には目をやらず、
    シオンは含み笑いをしながら、起動したパソコンディスプレイに釘付けになっていた。



    ミミロップ、こうそくいどう×4、からのバトンタッチ

    グレイシア、バリアー×4、からのバトンタッチ

    リーフィア、つるぎのまい×4、からのバトンタッチ

    エテボース、わるだくみ×4、からのバトンタッチ

    フワライド、ドわすれ×4、からのバトンタッチ

    フワンテ、きあいだめ、からのバトンタッチ

    シオンのピチカ、特に何もしない



    ふかふかの床が珍しいのか、ダイヤモンドがパソコンから呼び出したポケモンが六匹、
    室内を駆けまわっている。
    鳴き声の飛び交う喧騒の中で、シオン達三人はピチカを囲んで見下ろしていた。

    「こんなことが出来てしまうなんて……」

    女性職員が瞠目している。
    バトンタッチは、ポケモンと交代すると同時に、その交代したポケモンに能力変化を引き継がせる”わざ”。
    よってピチカは今、攻撃、防御、素早さ、特攻、特防、急所に当てる確率、その全てがパワーアップした
    至高のポケモンとなったのである。
    自慢の相棒を眺めながら、ふと、シオンは不思議に思った。

    「ピチカ。お前、本当に強くなったんだよな?」

    六匹の連携により十二分に強化されているにも関わらず、ピチカの姿には全く変化がなかった。
    攻撃力も防御力も上がったのだから、
    ピチカの全身がバッキバキの筋肉質になって血管が浮き彫りになるんじゃないかと冷や冷やしていたのに、
    もしくはス○パーサ○ヤ人2みたいに時折全身から電流が迸ったりするんじゃないかとワクワクしていたのに、
    実際にパワーアップしたピチカは、
    トレーナーであるシオンでさえ、パワーアップ前のピチカと見分けがつかないでいた。

    「まぁ、よく考えてみりゃあ、レベル1もレベル100もポケモンの外見って変わらないよな。
     進化でもしない限り」

    「いや〜、それにしても、ほほぉ〜。この反則はよく出来ていますね〜」

    ダイヤモンドが感嘆の息を漏らす。どことなく親父臭い感心の仕方だと思った。

    「オウさんの眼はHPとLVが見える。
     そしてステータスを上げるわざの中に、HPとLVを上げるわざだけは存在していない。
     いや〜、ほんと上手いこと出来てますねぇ。ピカチュウの見た目も変わってませんし、
     この反則なら、いくらオウさんでも、すぐには気付かないでしょう」

    シオンはダイヤモンドが言っている、
    ”HPとLVが目で見える”というのがイマイチ納得できないでいた。

    「あのさぁ、おかしくない?」

    入った横槍に視線を返すと、女性職員の害虫でも見るような眼つきがシオンを向いていた。

    「今さ、六回バトンタッチを使ってた。ってことはダイヤモンド、君、ポケモンを七匹持ってたことにならない?
     そもそも何で、
     ダイヤモンドのポケモンのバトンタッチをアンタのピカチュウが受け取ってんのよ?」

    一拍の間。
    シオンはわざとらしく、「はぁ〜」、と呆れ返ったような大きなため息を吐く。

    「何を今更、そんなしょうもないこと。俺は今、反則してるんですぜ。
     その程度のトレーナー違反、構うこたぁありませんよ」

    シオンは、むしろ偉そうに威張るような感じで言ってのけた。
    腑に落ちなかったのか女性職員は、まるで『伝説厨』でも見るような蔑んだ眼つきで凄んできたが、
    シオンは全く気にならなかった。

    「それで、シオンさん。次、僕はどのポケモンを呼び出したらよろしいですか?」

    「そこなんだよなぁ、実は何にするか未だ決まってないんだよ、これが」

    「次? ……あ、分かった、アンタ、このコの”とくせい”変えちゃうつもりでしょ?
     さっき”バトンタッチ”と”スキルスワップ”がどーのこーのって言ってたし」

    「そのとーりです。問題は何の”とくせい”にするべきか。
     LV100のミュウツーでも一方的にボコボコにできるような強い”とくせい”があればいいんだけれども……」

    シオンは担いでいたリュックの底から、辞書のように分厚いポケモンの攻略本を取り出すと、
    その場であぐらをかき、おもむろにパラパラと読み始める。

    「うーん……おっ、この”らんきりゅう”ってのが強そうだぞ。
     ダイヤモンド、メガレックウザとかいうポケモンって持ってるか?」

    「持ってるワケないです。そんな七文字のポケモンなんて」

    「じゃあ、メガガルーラは? ”おやこあい”とかスキルスワップしたら強そうだ」

    「ガルーラなら持ってますけど……それ本当にポケモンですか?」

    「確かに、なんか胡散臭いな、この攻略本。パチモンか? パチモン図鑑なのか?」

    「ねえ、”ばかぢから”、なんてどおよ? マリルリとかすっげー強いよ」

    「いやいや、ピチカの10まんボルトは特殊攻撃だ。特攻二倍にするんだったら、考えてやってもいいけど」

    「マルチスケイル、のろわれボディ、てきおうりょく、ちからもち、普通に”せいでんき”も強いですよね」

    シオンが悶々と悩んでいると、ふいに、女性職員の顔が目の前にあった。

    「ねえ、その攻略本、ちょっと貸しなさいよ」

    「えー。じゃあ、職員さん、名前教えて下さいよ」

    「じゃあいいわ。いらない」

    「えー。名前言いたくないのかよ。わけわからん。
     わけもわからず自分を攻撃したくなるくらいわけわからん」

    ふわっとシオンから離れていく女性職員、今度はダイヤモンドの前へ出る。

    「ね、ダイヤモンド」

    「しょ、初対面なのに呼び捨てにするの止めて下さいよ。ドキッとするじゃないですか」

    「アンタ、カイオーガとか持ってない? ”あめふらし”とか結構イケると思うんだけど」

    「持ってるワケありません。そんな、伝説のポケモンですよ」

    「だって君、ディアルガ持ってんじゃない?」

    「そうですけど、でも伝説のポケモンですよ。持ってても二匹か三匹でしょ、普通」

    さも当然のように言ってのけたその態度に腹が立ち、シオンはたまらずブチギレた。

    「お前、何言ってんだよ!
     トレーナー一人につき伝説のポケモン三匹って、そりゃもう伝説とは言わねえよ!」

    「そういえばそうですね。おっかしいな、ディアルガもパルキアも結構簡単にゲットできたんだけどなぁ……」

    (じゃあ伝説のポケモンを一匹すら捕まえられない俺は無能なのか?)
    言い返したい気持ちをシオンは、”ばんのうごな”のようにグッと呑みこんだ。
    自分の中の劣等感から全力で眼をそらし、変わりに攻略本の解説を食い入るように見つめる。

    「この際、ピカチュウでバトルするの止めてさぁ。
     ”つのドリル”とか覚えてるポケモンを”ノーガード”とかにしたらイケんじゃない?」

    「俺はピチカしか持ってないんだ。ってか、その作戦だと、自分よりレベルの高いポケモン、倒せないぞ」

    女性職員に呆れた直後、ダイヤモンドがシオンの怒りを煽る。

    「職員さん知ってますか? シオンさんって、これだけ僕のポケモンに協力させておいて、
     僕のポケモンでオウさんとバトルするのは嫌って言うんですよ。面倒臭いこだわりですよねー」

    「うっせー! あの男をアフンッと言わせるには俺のピチカで勝たないと駄目なんだよ!」

    「じゃあ早く、ピカチュウの”とくせい”、選んで下さいよ」

    またもや”がまん”が解かれて”いかり”が”だいばくはつ”しそうになるも、
    なんとか”こらえる”して冷静に対応した。

    「思ったんだがよぉ、一番強い”とくせい”っていったら、やっぱ”ふしぎなまもり”じゃないか?」

    「でも、”ふしぎなまもり”ってスキルスワップできないんじゃなかったっけ?」

    「そうですね。スキルスワップは出来ません。けど、とくせいの入れ替えなら出来ますよ。
     回りくどい方法になりますけど」

    「……いや、駄目だ。駄目だ、駄目だっ。こんな程度の”とくせい”じゃあっ!」

    突然、シオンは攻略本を投げ捨て、頭を強くかきむしる。

    本気のポケモンバトルが始めようというのに、人生を賭けた戦いに挑もうというのに、
    ダラダラと駄弁を続けている自分に気付き、シオンは発作的に自分への怒りが爆発した。
    今は、悠長に雑談を交わしている場合ではない。

    「何、荒れてんの? 情緒不安定なの? さっさと決めればいいのに。優柔不断すぎじゃない、アンタ?」

    言いながら、女性職員は攻略本を拾い上げ、ページをパラパラめくり始める。

    「もしもさぁ〜、もしもオウが”アルセウス”でも使ってきたらって思うと、
     この程度の反則じゃ勝てないと思うんだよ、俺は」

    「それなら大丈夫ですよ。アルセウスなら僕が……」

    「そんな架空のポケモンいるわけないでしょ! アハハハ、馬鹿みたい!
     ひょっとしてアンタ、絶対に勝利出来るって確信がなかったらバトルしに行けないわけ?」

    「なにおう!」

    咄嗟に怒鳴ってはみたものの、
    図星を突かれたような気がして、シオンの心は動揺していた。

    「ただでさえズルして強くなろうとしてるようなアンタが、
     戦う前から敵にビビってるとか情けなさすぎ。
     ”とくせい”が二つでも付かなくっちゃ、バトルしたくないわけ?」

    「なにふざけたこ……それだぁっ!」

    何気ない余計な一言が、シオンの脳髄で閃きを起こす。
    たった今、自分で、思いついたばかりのアイディア。それはとてつもなく素晴らしいものなのだと、
    思ってしまわずにはいられない。
    素早く立ち上がり、パソコンの前に踊り出ると、
    シオンは勝手に預かりシステムをいじくり、ダイヤモンドのポケモンを呼び出した。



    サンダース、”でんじふゆう”を使用

    サンダース、”バトンタッチ”でピチカと交代

    ピチカ、”でんじふゆう”状態のまま、待機

    ダイヤモンド、モンスターボールから、ミミロル、ヌケニン、サンダースの三匹を繰り出す。

    ミミロル、サンダースに”なかまづくり”
    (なかまづくり……相手のとくせいを自分と同じとくせいに変える。)

    ヌケニン、”ものまね”
    (この時ダイヤモンドは、ポケモンのすばやさに関係なく、
     ミミロル→ヌケニン、の順番で”わざ”を使ってもらった。)

    よってヌケニン、一時的に”なかまづくり”を覚える
    (ものまね……相手が最後に使ったわざを戦闘の間、自分のわざにすることが出来る)

    ヌケニン、ピチカに”なかまづくり”

    ピチカ(でんじふゆう)、”とくせい””せいでんき”から→”ふしぎなまもり”へ

    〈ふしぎなまもり……効果抜群以外のわざではダメ−ジを受けない〉
    〈でんじふゆう……5ターンの間、地面タイプのわざが当たらなくなる〉
    〈でんきタイプのピチカ……地面タイプ以外に弱点はない〉



    「どうだっ! この無敵になったピチカ様なら、
     ”ゴールド”の”ホウオウ”が相手だろうと負ける気がしねえっぜええ!」

    有頂天になって雄叫びをあげる。
    人生における全ての悩みごとが解決したとさえ思える気持ちの昂りっぷりだった。

    「あのですねぇ、シオンさん。そのピカチュウの姿、よーく見てみてくださいよ」

    ダイヤモンドだった。
    言われて見るも、相変わらずピチカの姿に変わった様子はどこにもない。
    ただしピチカの肉体はシオンの腰の辺りの高さにあった。
    ”でんじふゆう”の効果で、宙にふよふよと浮かんでいるのだ。

    「おかしいでしょ、こんな”そらをとぶピカチュウ”! 明らかに不自然ですもん!
     何かを仕掛けてる、って一目瞭然ですよ!
     こんな怪しいポケモンとのこのこ対戦するほどオウさんは浅はかではありませんよ!」

    「……そういえばそうだな」

    ダイヤモンドの正論を前に、シオンは何も言い返せなかった。
    ピカチュウが宙に浮いていれば怪しい。
    そんな当たり前のことにも気付けなかったのは、ピチカを強くすることばかりにとらわれ、
    それ以外の全てを視野の外へと放りだしてしまってたからだ。
    不覚だった。

    「そもそもこのピカチュウ、どんなタイプの攻撃も無効化しちゃうじゃないですか」

    「そうだ、よくぞ気付いた。つまりピチカは無敵のポケモンになったのさ。俺はもうしんぼうたまらんぞぉ」

    「さっきも言いましたけど、オウさんは、HPの量が視えるんです。
     ピカチュウにダメージを与えられないとバレてしまったら、
     即座にバトルを中断して、シオンさんの反則を暴こうとするはずです」

    「あぁ……マジでか。でも確かに、何か反則をしていると勘付かれるだけでも不味いな」

    強くなり過ぎれば反則が露見し、弱過ぎれば負ける。
    ここにきて反則の奥深さが壁となって立ちはだかる。
    強いポケモンを倒す方法ばかりに頭がいってしまい、
    オウというトレーナーを出し抜く考慮を完全に忘れてしまっていた。己の未熟さをしみじみ痛感する。

    「まったく、アンタってホント、小学生向けライトノベルみたいなことばっかり言いだすんだから、もー。
     そんなあからさまな馬鹿戦法で、凄いとか天才とか驚いてくれる人がいるとでもおもったの?
     現実と漫画との区別くらいつけときなさい、このカス人間っ」

    「……か、かすにんげん……?」

    しかし、シオンの心はくじけなかった。歯を食いしばり、かろうじて涙をこらえた。
    この程度の罵倒で、この程度の不快感で、歩みを止めるわけにはいかない。

    「一度やって上手くいかなかったのなら、今度は別の方法で試せばいいだけの話だ」

    二人に背を向け、勢いよく歩き出し、シオンは再び、パソコンの画面と向き合った。
    何度でも挑戦してやろうという強い意志がシオンの胸中で燃え盛っている。

    「あのぉ、シオンさん。さっきも思ったんですけど、
     勝手に僕のポケモン、取り出さないでもらいたいのですが……」

    言ってる途中であきらめたのか、ダイヤモンドの言葉が尻すぼみになって消えて行く。
    既にパソコンの操作を始めているシオンの耳に、少年の願いが届くことはなかった。



    テッカニン、かげぶんしん、バトンタッチ

    サンダース、でんじふゆう、バトンタッチ

    シャワーズ、とける、バトンタッチ

    フローゼル、アクアリング、バトンタッチ

    イーブイ、みがわり、バトンタッチ

    ピチカ、あられもない姿になる



    真夏に放置したおいたチョコレートのようにドロドロとなったピチカは、
    数十匹のクローンを引き連れ、
    いずれも宙にふよふよ浮んだまま、
    ”みがわり人形”を抱き抱えている。
    あ、こりゃ駄目だ、と思った。
    隣にいる二人の、”ものすごいバカ”でも見るような軽蔑の視線が痛い。

    「もう、ポケモンの原型、保ってないじゃないですか!」

    「いっ……いや、んなことねえよ。なあ、ピチカ!」

    「「「「「「「「「「――チュー!」」」」」」」」」」

    声にエコーがかかったかの如く、ピチカの鳴き声は一度にたくさん聞こえた。
    無論、それらは、シオンの目の前で飛行する肉体の溶けかかった生物の大群から発せられたものである。

    「なっ。返事もしたし、ピチカだって分かるだろ?」

    「そういう問題じゃないです!」

    「そ、そんなぁ……」

    シオンはわざとらしく肩をすくめて、大袈裟にがっくりとうなだれる。
    決して本気で落ち込んだわけではない。
    ただ、ピチカの姿が変わり過ぎてしまう、というあからさまな失敗が、
    シオンが真剣に取り組んだ結果だった、と知られたくなかったのだ。
    それなら二人に、ふざけてやったミスだと思われた方がマシだった。

    「私は困らないから別にいいけど、アンタ真面目にやる気あんの?」

    「真面目にやってる奴が反則するってのもどうかと思うんだが……とにかく!
     俺は先に色んな”わざ”を試しておこうって思ったの! 分かったか?」

    誤魔化すように喋りながら、シオンはモンスターボールに手をかける。
    あまりにも気味が悪いので、一度ピチカをボールの中に戻し、再び元の姿に戻ってもらった。

    「とにかくシオンさん。ピカチュウに何かしてる、って気付かれたら、お終いなんです!
     なので、見た目の変化がないよう!
     それとHPも見えてるので、回復もしないようにお願いします!
     って、なんで僕が反則なんかに必死になっているんですか!?」

    「それ俺に聞くなよ」

    それから、あーでもない、こーでもない、と言い合って、およそ二時間。

    ありとあらゆる試行錯誤を繰り返し、
    何度も何度もピチカを別の生物へと転生させ、
    「それはバレます」「これもバレます」とダイヤモンドに否定され続け、
    いつしか、シオンの瞳から生気の光が失われていった。

    まるで安月給の労働を半強制的に押しつけられている気分。
    これが生き地獄か、と思った。

    終わりの見えない生体実験、
    徐々にやせこけていく三人の頬、
    自ら実験されに来るどこか楽しげなピチカ、
    新たなわざを試す度、少しずつ増えるダイヤモンドのポケモン達。
    気がつくと、地下一階はサファリゾーンと化していた。
    疲労と鳴き声と獣の臭いの中、いよいよ、その時が訪れる。



    ミミロップ、こうそくいどう×4、からのバトンタッチ

    グレイシア、バリアー×4、からのバトンタッチ

    リーフィア、つるぎのまい×4、からのバトンタッチ

    エテボース、わるだくみ×4、からのバトンタッチ

    フワライド、ドわすれ×4、からのバトンタッチ

    フワンテ、きあいだめ、からのバトンタッチ

    シオンのピチカ、全てのステータスが底上げされ、それから……

    カクレオン、ピチカとスキルスワップ。
    ピチカ、とくせい”へんしょく”に。

    イシツブテLV1、ピチカにマグニチュード。

    ピチカ、地面タイプに変わる。
    その後、きずぐすりで全回復。

    カクレオン、イシツブテとスキルスワップ。

    カクレオン、ピチカとスキルスワップ。
    ピチカ、とくせい”がんじょう”に。



    「メガゲンシピカチュウ、爆・誕!」

    シオンは高らか叫びながら、アーボックの胸の模様にも似た笑顔を浮かべた。
    ピチカは、全てのステータスが底上げされた上に、地面タイプと化し、とくせいも”がんじょう”に変わってしまった。
    しかし、それこそがダイヤモンドも認める、オウにバレることのないであろう最強の反則ピカチュウなのであった。

    「それにしても最っ低な反則。まともなトレーナーが見たら発狂もんだわ」

    先程まで自らシオンに協力していた女性職員の言える台詞ではなかった。

    「反則とは言えば聞こえは悪いけどさ。
     でも俺が思うに反則ってのは、正々堂々を捨て、罪悪感を捨て、リスクを背負う、
     っていう犠牲と覚悟の元に成り立つ強さなんだ。
     確かに、今、ここにいるピチカは反則の強化をしているわけだが、
     見方を変えると、これもある意味努力の賜物なんですよ」

    「……ハァ?」

    出し抜けに、女性職員の真顔が、嫌悪にまみれた表情へと変貌を遂げた。

    「アンタって、本っっっっ当にクズね。悪党に限って綺麗言並べて着飾んのよ。
     そうやって悪行を美談にすり替えちゃえば、罪悪感感じなくて済むわけだからね」

    強気で、責めるような口調で、声を荒げて、そして頬にはほんのり紅が差している。
    じょせいしょくいんは なんだか キレそうだ。

    「……あー、そうですね。すみません、
     今、調子にのってるもんだからちょっとおかしなことを言ってしまった。これは反省しないとな」

    シオンは、気色の悪い”てへぺろ”を用い、素直に謝る振りをしてみせた。
    ここで謝罪でもしなければ、女性職員との言い合いが徐々にエスカレートしていき、
    最終的に色々と面倒臭い罵り合いへと発展しそうだ、と予測したからだ。
    当然、反省する気持ちは微塵もない。

    「本当は、このピカチュウに”シュカのみ”でも食べさせてあげれればよかったんですけど……」

    つと、ダイヤモンドが言い掛ける。

    「お前、んな珍しいもん持ってんのか?」

    「生憎、使ってしまってもう持ってないんです。
     それさえあれば、地面タイプのダメージを一度だけ半減できたんですけど」

    「なるほど、だから地面タイプに”へんしょく”か。
     その様子だと、水とか草とかを半減する木の実も、持ってないんじゃないか?」

    「すみません。お力になれず」

    「何を言う。これだけ協力してくれて、謝るはないだろ。
     俺だって、丁度、フレショからプラスパワーでもくすねてこりゃあよかったって思ってたところなんだぞ。
     まあ、「つかっても こうかがないよ」、とか謎の声に言われるんだろうけどな」

    半笑いを浮かべながら、シオンが何気なく振り返ると、
    色とりどりのポケモン達が奇声を上げながら運動会をしていた。
    走ったり、羽ばたいたり、火を吹いたりしていて、自分も混ざりたいくらい楽しそうに見える。
    数えて見ると、およそ三十匹。もはや六匹までしか連れていけないという制限など知ったことではない。

    ポケモンボックスを覗いたら、こんな感じの世界があるのだろうか。
    十匹十色のはしゃぎようを眺めながら、ふと、シオンは思い出した。

    「なあ、ダイヤモンド。さっきから思ってたんだが……俺達が今、ピチカに使った反則、
     ひょっとしてお前も同じことやった覚えがあるんじゃないか?」

    「……つまり、この反則を僕が使ったと?」

    ダイヤモンドは純粋に不思議がっている様子だった。
    女性職員とは違い、反則に対して殺意を抱かないあたり、
    人間として出来てるなー、と勝手ながらシオンは思った。

    「自分で言うのもアレなんですけど、僕って結構強いトレーナーなんですよ。それなのに反則、ですか?」

    「ああ、強いのは解ってる。けど、おかしいんだよ。
     493匹もポケモンを持っているとはいえ、
     俺の要望に応えられるようなポケモンをそんなにたくさん持ってるなんて、
     いくらなんでも都合良すぎじゃないか。

     例えば、攻撃力を上げるわざとバトンタッチを覚えているポケモンが一匹だけもってる、
     それくらいだったら俺は気にはしない。
     けどお前は、防御力を上げる技とバトンタッチを覚えているポケモンも、
     素早さを上げる技とバトンタッチを覚えているポケモンまで持っていやがった。
     それって都合よすぎじゃないか?

     お前がそういうポケモンを持っていたのが偶然だとは思えない。
     だから思ったんだ。
     もし、お前が俺のピチカに施した反則と全く同じ反則を、
     昔にやったことがあるっていうなら、辻褄が合う、ってな」

    「長い。何言ってんのかわかんない。もっと短くまとめて」

    「だーかーらー、ポケモンの種類とか、”とくせい”とか、覚えている”わざ”とか、
     それらの組み合わせとかも考えると、たぶん何百万通りもあると思うんだよ。
     それなのに、たった493匹の中に俺の求めている”とくせい”や”わざ”を覚えたポケモンが
     何十匹も見つかるなんて偶然にしちゃあ出来過ぎてる……という話だ」

    「ふんふん、確かに。私もちょっと気になってたんだ、
     バトンタッチやスキルスワップを覚えたポケモンがいくらなんでも多すぎるなあ、って。
     もっと他のわざ、覚えさせてもいいのに」

    期待を秘めた二人の視線がダイヤモンドに集中する。
    しかし、どこか余裕のあるダイヤモンドの童顔は、
    とても追い詰められている者の表情ではなかった。

    「深く考えすぎですよシオンさん。ほら、”わざマシン”とかあるじゃないですか」

    「覚えている”わざ”くらい自由に書き換えられるって言いたいのか?
     でもお前、わざマシンなんて、いつ使った?」

    「それに、”わざおしえマニア”とか、”わすれオヤジ”とかいますよね? アレですよ、アレ」

    「アレ? アレって……お前っ、まさか!」

    一瞬、息をするのを忘れた。
    シオンは、在り得るはずのない答えを考えてついてしまう。

    もしかして、ダイヤモンドは、
    わざおしえマニアや、わすれオヤジと同じように、
    ポケモンのわざを、覚えさせたり忘れさせたりする”能力”があるのではないか?

    ――いや、そんなはずはない。そんなことが出来るトレーナーがいていいはずがない。
    もしそれが真実だとしたら、
    もはやシオン程度の力量でポケモンマスターになんてなれる道理がなくなってしまう。

    「ああ、アレか。なるほど、アレね、ふーん」

    内心では驚愕の嵐が吹き荒れていたものの、シオンはまるで大して興味がない体を装ってみせた。
    信じたくない。
    これ以上追及したところで、知りたくなかった現実が一つ増えるだけではないか。
    結局シオンは何も聞き出さないまま、ただ茫然とダイヤモンドの帽子を眺めているのだった。



    「それで、シオンさん。どこでやります?」

    周囲に散らばったポケモン達をボールに戻しながら、ダイヤモンドが問いかける。
    シオンはパワーアップしたピチカを肩に乗せ、リュックに腕をとおしながら、答えた。

    「人目のないところがいいな。偽審判は騙せても、ギャラリーがピチカの反則を見破ったらオシマイだ」

    「なるほど。平日の昼間ですし、誰もいない所なんて、すぐに見つかりそうですね」

    「せっかくだから見晴らしのいいところでやろう。偽審判が一体どこから現れるのか、気になるからな」

    しばらくして、全てのポケモンをボールに戻し、ダイヤモンドはパソコンの電源を切る。
    全ての準備が整った。後は戦って勝つだけだ。

    「そろそろ出発しようと思うんだけど、その前に職員さん。一つ、頼みがある」

    今一度、スーツをビシッと着こなす女性職員を見直すと、
    意外とスタイルがいい……というわけでもないことを知り、シオンは内心驚いた。
    思っていたよりキリッとしていない。ボテっとしている。

    「俺がピチカに反則使ったってこと、誰にも言わないでもらえませんか?」

    御団子ヘアーがふわりと揺れる。
    女性職員は、シオンの頼みを鼻で笑った。

    「もし私が誰かに言いふらしたら? どうする?」

    「しばらくの間、おとなしくてもらいますよ。僕のディアルガで……ね」

    紫色のボールを構え、ダイヤモンドは静かに囁く。
    途端に、女性職員は口元と腹を左右の手で押さえ出した。

    「ブッ、フフフフフッ! かっ、可愛い! 何、その台詞? キモ可愛い! 何のアニメの影響うけたの?」

    カーッと、ダイヤモンドの顔と耳に朱が差していく。
    恥ずかしがっているのか、それともまさか惚れたのか。

    「まあ、いいわ。アンタ達の行動を止めない地点で私も共犯者になるわけだし。それに……」

    うつむいて、クスッ、と不気味な笑みをこぼして、こう続けた。

    「それに、アンタの弱みを握っていれば、そのうち何かに利用できるかもしれないしね」

    小悪魔というより、悪魔。



    「では、職員さん。どうもありがとうございました」

    頭を下げて礼を述べるダイヤモンド。もはやシオンの保護者的存在と化していた。
    当のシオンには感謝の気持ちは微塵もなく、オウをぶちのめすイメージで脳味噌がいっぱいになっていた。

    「バトル終わったら、報告してくんない? 勝敗、気になるし」

    「気が向いたら、また来ますよ。ほんじゃあ行っか、ピチカ!」

    ――チュウウォォオオオオオ!

    パワーアップしすぎたせいか、ピチカが今までにない奇声を上げているような気がしたが、
    ここまで来て引き返すわけにもいかないので、シオンは何も聞かなかったことにした。

    「行ってきます!」

    「また来なよ。ただでさえ客、減ってるんだから」

    「今日こそ、偽審判の首ぃ、獲ってやるぜぇ!」

    ――チュウウォォオオオオオ!

    そんなこんなで、二人と一匹はトレーナーハウスを去って行くのであった。



    等間隔でずらりと並んだ緑の屋根と緑の街路樹。
    トキワの街並みを闊歩しながら、シオンは不安に襲われていた。

    もし、この反則を使っても勝てなかったら。
    もし、この反則がバレてしまったら。
    もし、オウが負けを認めず、駄々をこねて、二回戦を申し込んで来たりしたら。

    ダイヤモンドが付いているというのに、
    これから宿敵を倒せるかもしれないというのに、シオンの表情に陰りがさす。
    勝てないかもしれないという不安と、負けるかもしれないという緊張感に、
    シオンの心は今にも押し潰されそうだった。
    こんな精神状態では、恐らく、まともなバトルすら出来ない。
    今の内に不安要素を排除しておこう。そう決めた。

    「なあ、ダイヤモンド」

    何の前触れもなく、シオンは振り返る。
    ダイヤモンドと目が合った。

    「お前さ、”でんきだま”って、何個持ってる?」

    シオンは今、悪い顔をしていた。







    つづく







    あとがき

    今回出てきたシオンの反則は、
    攻略本とか攻略サイトとかを見ながら書いたんですけど、
    間違ってるところとか、矛盾してるツッコミどころとかが、いっぱい転がってるんじゃないかなあ、
    という気がしております。
    あしからず。

    ゲーム内で、このメガゲンシピカチュウ(?)を作ったとしても、
    LV20のポケモンがLV50越えのポケモンに勝つのはさすがに無理かなぁ……とか思っております。
    実際にゲームでやったらどうなるのか、さっぱりわかっておりません。
    あしからず。

    次でラストです。
    ありがとうございました。


      [No.1219] WeakEndのHelloWin 4 投稿者:烈闘漢   投稿日:2015/02/28(Sat) 18:59:01     35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    WeakEndのHelloWin
           4







    「普通じゃない! 気が狂っている! 頭がおかしい! ひょっとしてアホなんか?
     シオンさんはアホなんか! どうなんですか! え!?」

    「おわ、何だ、いきなり、どうした、おちつけ、ダイヤモンドよ、何をそんなに怒っている?」

    「あのですねー、シオンさん! せっかく借金がなくなったっていうのに、
     またオウさんと賭博バトルするって、一体何考えてるんですか!」

    年下の少年にたじろぐ青年。
    赤いハンチング帽を激しく揺らして、ダイヤモンドはシオンに怒鳴り散らしていた。
    おっかなびっくりシオンが後ずさると、その分ダイヤモンドは迫り寄る。

    「いいですか、シオンさん。あなたがオウさん……じゃなかった。
     あなたがシンさんに勝てたのは全部奇跡なんです。偶然なんです。まぐれなんです。
     運命のいたずらによってシオンさんは間違えてバトルに勝ってしまっただけなんです。
     もう一度勝てるとか思ってるんでしょ? 考えが甘い! ご都合主義思考も大概にしてくださいよ!」

    疾風怒濤の罵詈雑言にシオンはひるんでうごけない。

    「そ、そいつはさすがに傷つくなぁ。まあ確かに勝てたのは運の要素もあったけれど……」

    「むしろ、運の要素しかありませんでしたよ! 実力で勝ったとでも思ってるんですか?
     僕、言いましたよね。トレーナーの借金をなくすのが目的だって、言いましたよね?」

    「え、そうだっけ?」

    「そうだったんですー! それなのにシオンさんときたら、
     勝ち目ほぼゼロのバトルに百万円も賭けて博打しにいくとか、
     わざわざ自ら借金背負いにいくようなもんじゃないですか!
     どうして懲りないんですか! そんなトレーナー、救いようがないですよ! このばか!」

    「そんな怒らなくてもいいじゃないか……」

    「んじゃあちゃんと説明して下さいよ。
     どうしてせっかく勝利出来たのに、またシンさんとポケモンバトルなんて始めるのか?
     僕が納得のいく答えを下さい!」

    物凄い気迫で問い詰めるダイヤモンドにシオンは完全に気圧されていた。
    仕方なく、何と答えるべきか、渋々自分の気持ちと向き合ってみる。
    途端、忌々しい記憶が蘇り、重々しい不快感がシオンの胸中いっぱいにひろがった。
    めまいがする。吐き気がする。股間の辺りがうずき出す。
    オウ・シンに対する憎悪の念が際限なく膨れ上がり、
    シオンの内側をどす黒い邪気が埋め尽くしていった。

    「俺はっ……俺はアイツが許せないんだ。あの男がのうのうと生きていること自体が気に食わない」

    眉間にシワを寄せ、歯を食いしばり、拳を思いっきり握りしめる。
    殺意を押し殺すのに必死な形相でシオンは言葉を続けた。

    「足りない。足りない。全然足りない! たかだか一回の勝利程度で、俺の心は癒せると思ったか。
     あの苦痛を! あの悲劇を! たった百万円ごときで済まされると思っているのか!
     そんな安っぽい罰を与えたくらいで、アイツの罪が許されてたまるものかぁっ!」

    憎しみの込もった雄叫びだった。
    心の中で血の涙を流しながら、シオンは、一週間前の出来事で頭がいっぱいになっていた。
    そう、『きんのたま』を『にぎりつぶす』されそうになった、あの夜である。

    あの息がつまるような苦痛。
    ダイヤモンドに醜態を見せつけられた恥辱。
    そして何よりも、自分の命が失われるかもしれない、と怯えさせられたことが許せなかった。
    もはやオウ・シンの『でかいきんのたま』を『アームハンマー』でもしない限り、この殺意は収まりそうにない。

    「俺が味わった地獄を! それ以上の絶望を!
     あのド腐れ糞審判に思い知らせてやらないとっ! 俺の気が済まないんだぁあああ!」

    怒りと憎しみが爆発し、シオンの口から絶叫が迸った。

    「あっ、そうですか。じゃあ、もう好きにしてください」
    「ゑ!?」

    あまりのことに思わず奇声を発した。
    さっきまでの勢いはどこへやら、いきなりのそっけなさすぎる応対に、シオンはダイヤモンドへと視線を戻す。
    目の前にいた少年は、半ば放心状態とさえいえる真顔で視線を宙に彷徨わせていた。

    「どっ、どうしたダイヤモンド。なんか急に落ち着いてるみたいだけど……どうした?」

    「よく考えたんですけど、シオンさんのことなんで、僕はどうでもよくなりました。
     ああ、まったく。こんな人に真剣になっていただなんて、僕としたことが……」

    「え、あ、ちょっと」

    にわかにくるりと身をひるがえし、ダイヤモンドはすたすた歩き去っていく。
    呆気にとられたシオンは、口が半開きの間抜け面で、遠ざかる少年の背中を黙って見送る。
    ワケが分からなさ過ぎて、自分を攻撃したい気持ちになった。

    「……えー。なんだよそれ。まじめな性格かと思ってたけどアイツ、きまぐれな性格だったのかー?」

    言うだけ言って、勝手に納得して、ダイヤモンドはシオンから離れた位置へと戻って行く。
    やりきれない思いと、やり場のない怒りを抱え、シオンはただ茫然と立ちすくむしかなかった。




    トキワシティの外れ、だだっ広い荒野の上にて、
    シオンの借金を賭けたポケモンバトルが、再び幕を上げようとしていた。

    「ねえ、シオン君! そのピカチュウ! レベルが上がってるね! メガバンギラスを倒したからかな!」

    耳元で叫ばれたかのような爆音だった。
    顔を上げて目をやると、なんと声の主は、シオンからホエルオー一頭分ほど離れた地点で立っている。
    巨漢だった。
    派手な紫のスーツに、屈強な体躯、
    浅黒い肌に凄絶な笑みを張り付けて、純金製の歯をぎらつかせる。
    禍々しいオーラを総身にまといながら笑う大男は、これほどの距離を隔ててなお、凄まじい
    そんざいかんを はなつ。

    「極悪非道の偽審判め……こんだけ離れてるのに、一目で借金取りだと分かるな」

    誰に聞かせるわけでもなく、シオンは一人つぶやく。
    そして『偽審判』と呼んだ男、『オウ・シン』を憎々しげに睨みつけていた。

    「もう一度頼むよ! バンギラス!」

    いきなりだった。
    何の予備動作もなく、シンは屈強な腕を振り下ろした。
    地表に叩き落とされたハイパーボールが割れ、中から閃光が弾け飛ぶ。
    思わずまぶたを閉じ、開いた次の瞬間、バンギラスの巨体が再度出現していた。
    肉食恐竜のような体躯が、背筋を伸ばして此方を見下ろしている。

    ――ヴグェオォオおオおオンンンンン゛!!!!

    小顔から牙をのぞかせ、爆発音のような咆哮を上げる。
    大きな胴体と凶悪な面構えは、隣に立つ主とよく似ていた。

    疑問。何故やられたばかりのバンギラスが無傷の姿で立ちはだかっているのか。
    頑丈なコンクリートを思わせる肌の表面には、かすり傷はおろか汚れ一つさえ見つからない。
    おそらくハイパーボールの中に入っていた隙に、シンが『げんきのかたまり』でも使ったのだろう。
    萌黄色の怪獣は、完全なる復活を遂げていた。

    ふと、バンギラスの胸元が膨れ上がり、「ウォエッ」っと何かを吐き出した。
    シンがそれを拾い上げると、シオンにも見えるよう、腕を伸ばして突き付ける。
    シンの手中に納まった抹茶色の水晶玉が透き通って光を放つ。
    遠目でよく分からなかったが、シオンには、
    珠の中に何やら虹色の紋章のような物が埋め込まれているように見えた。

    「バンギラスナイトだよ!」

    それが、先程までバンギラスの咥えていた『どうぐ』の名前だと分かった。

    道具を外して見せつけた、というシンの行為には
    「お前もポケモンから『もちもの』を外せ」という意図が含まれている。
    そう判断したシオンは、膝を地に着け、腰を丸め、足元の相棒に目を落とした。

    柔らかな赤い頬に、くりくりの丸い黒目、電気鼠の愛らしい貌が上目遣いで見上げていた。
    なんとかシオンの肩に乗るサイズの、ふにふに柔らかそうな、握りしめたい長耳の、
    口元の膨らみが可愛い、鮮やかなレモン色の映える、そんなピカチュウがシオンの相棒だった。
    敵であるバンギラスを前にした今でも、やはり、ピカチュウに怖気づいた様子は見当たらない。
    それどころか、
    ギザギザに伸びた尻尾(先っぽはハート型)を心地よさそうに揺らすほどの余裕を残しているようだった。

    「ピチカ、まだ戦えるな?」

    ――チュゥッ!

    ニックネームで相棒を呼ぶと、ピカチュウのピチカは赤い頬から青い電流を走らせて、応える。

    「よし。んじゃ、ちょっと動くなよ」

    戦意を確認するなりシオンは、ピチカが首に巻いていた数珠のような『どうぐ』を取り上げた。
    十個の『でんきだま』を繋げて作ったシオンお手製の『もちもの』である。
    そして、それはピカチュウの電気技を千二十四倍にまで跳ね上げるとんでもない代物でもあった。

    「これでいいんだろ。これで」

    シオンは投げやりな態度で、でんきだまの数珠を揺らして見せる。
    そしてすぐにリュックサックの奥へとしまった。
    シンの満足そうな返事が轟き渡る。
    これでフェアだ。

    「おうい! ダイヤモンド君!」

    シンが怒号を飛ばすと、その先に、米粒ほど小さくなったダイヤモンドの姿があった。
    視た所、どうやらシオンら三人は、上空から見下ろすと、
    ちょうど正三角形の点になる立ち位置で向かい合っているらしい。

    「頼むよ、ダイヤモンド君! 審判やってくれないか!」

    「えー! 僕、ただのしがないトレーナーですし、審判なんて言われても何をすればよいのやら……」

    「まずは! ルールの説明からするといいよ!」

    借金取りで間違いないはずのシンが、審判らしい発言をすると、何故だかシオンの癪に触った。
    そんな気持ちなど露知らず、ダイヤモンドはオホンと咳払いをし、語りだす。

    「使用ポケモンは一匹。『どうぐ』の使用禁止。『もちもの』も禁止。
     それから、もちろんのことだけど反則も禁止。ルールを破ったら問答無用で負け。
     えーと、それからー……ルールってこんなもんでよかったですか?」

    「いや、ちょっと待ってくれ」

    伺うダイヤモンドを、シオンが制す。

    「おや! シオン君! ひょっとして、ルールを変えるつもりかい!」

    殺意のこもった『にらみつける』が、シオンの胸へと突き刺さる。
    ルール無用のポケモンバトルで敗北を喫したばかりのシンには、
    ルールに関して譲れないモノがあるのだと分かった。

    「いや、ルールはそのままでいい。そうじゃなくて報酬の話だ。偽審判、お前に一つ頼みがある」

    「おや、僕にかい!? まあ、言ってごらんよ!」

    「聞いたんだが、お前、トキワシティにいるトレーナーのほとんどに借金を背負わせてるらしいな。
     もし俺がバトルで勝った場合、そいつら全員の借金をチャラにしてやってくれよ」

    しばしの沈黙の後、シンは狂ったかのような高笑いを暴発させた。

    「ヌッハッハッハッハァッ! 正気かい! なんてことだ! まさか君がそんなことを!」

    大気を震撼させる獰猛な哄笑は延々と続いた。
    そんなシンを無視してシオンはダイヤモンドを見やる。
    そして満面の笑みでウィンクを送った。「俺って良い奴だろ?」というアピールである。

    知らないトレーナー達の借金を返済するためにポケモンバトルをするなんて、
    シオンにとっても不本意極まりない。
    明日の食費さえままならぬというのに、人助けをするくらいなら、
    普通に百万円の賭け金を受け取った方が得をするかに見える。

    だが、しかし――いや、むしろ、『やはり』、シオンには思惑があった。
    あからさまな善行を見せつけることによって、
    目の前にいるダイヤモンドという名の純真無垢な少年に、
    「この人はなんて優しく誠実で素晴らしいポケモントレーナーなんだ!」と思われようとしているのである。
    そうなれば、今後も伝説級の強さを誇るこの少年トレーナーからの協力を仰げるかもしれない。
    百万円よりダイヤモンドからの好感度の方が遥かに価値があると見極めての行為であった。

    「ねえ、シオン君!」

    シンが叫ぶ。

    「僕が皆に背負わせた借金って、全部でいくらになると思う!? 物凄い額だよ!
     もしシオン君が負けた場合、一千万を越える借金をしてもらうけど! それでもいいのかい!?」

    「ああ。構わないぞ」

    あっさりシオンは受け入れる。
    衝撃的発言ではあったが、それくらいの予想はついていた。
    さらに、仮にバトルに勝ったところで、
    シンがシオンに一千万円を渡す、なんて展開にはならないだろう、とも予想していた。

    シオンは再び、顔面をぐにゃぐにゃに歪ませたウィンクで、良い人アピールを送信する。
    ダイヤモンドが怒りを通り越し、呆れ返って言葉も出なくなっている、
    なんて考えはシオンの中に微塵もなかった。

    「ようし! それじゃあ始めようか!」

    シンの大声に続き、バンギラスの股が開いた。
    鈍い足音と呼応するように、周囲の地面から砂煙が舞い上がる。
    砂と風とが逆巻いて、徐々に勢いを増し、大量の砂粒が暴風に乗って滅茶苦茶に吹き荒れ始めた。
    バンギラスの『とくせい』が発動したのだろう。
    ベージュ色の薄い幕がシオンの視界を覆い尽くす。

    「ピチカ、構えろ」

    小声で足元に指示を送った。
    シオンは顔面の周りを両腕で囲み、
    細めた瞳に砂粒が潜り込もうとも、シンの姿をとらえ続ける覚悟を決めた。
    敵は、いつ動くのか?
    どう出るか?
    何を言うのか?
    どこを突いてくるのか?

    シンがどういう『わざ』を指示し、
    バンギラスをどう動かすかを予測し、
    尚且つそれらをどうやって切り抜けるのか、
    そしてピチカでどう責めるべきなのか。

    観察を止め、思考を絶やした瞬間、油断が生まれ、敗北へと繋がる。
    シオンのポケモンバトルはもう始まっていた。

    吹き荒れる砂粒の音と、吹き荒れる砂粒自体が、シオンの耳に入ってくる。
    気が付くと、えらく長い膠着状態が続いていた。

    「……あっ、そうか。僕が審判なんだった。全然バトル始まらないと思ったらそういうことか。
     あ、えー、それじゃあ、試合開始っ!」

    締まりのない声が、緊張感のない戦いの幕開けとなった。
    間髪を容れず、シオンは叫ぶ。

    「10まんボルトォ!」

    ――チューッ!

    ピチカは頬に青白い電流を滾らせて、撃った。
    空中をジグザグに、光の速さで駆け抜けて、雷鳴の震えが轟き渡る。
    青の閃光がバンギラスに触れる寸前、ピチカの稲妻は光の粉と化し、消失した。

    「んっ!?」

    思わず目の前の現実を疑った。
    10まんボルトが突然消えた。
    バンギラスにも外傷はない。
    雲散霧消した電撃の謎に、瞠目したままシオンは固まる。
    一体何が起こったのか。
    推理するまでもなく、目の前の景色で謎が解けた。

    一帯を渦巻く砂塵の暴風。

    乱れ飛ぶ『すなあらし』こそが答えだった。
    10まんボルトは電気タイプのわざ。
    すなあらしは地面タイプのわざ。
    電気タイプのわざは地面タイプに効果がないみたいだ……。

    「くそったれがぁ……」

    頭を抱えてシオンはうめく。
    バトルが始まったばかりだというのに、敗北するビジョンが見えてしまった。
    なんとも歯痒い。
    大した威力のない、すなあらし如きにこんなに苦しめられるなんて!
    どうしてシンがバンギラスを選んだのか、今になってようやく理解した。

    先のバトルで使用した1024倍パワーの『1おく240まんボルト』ならば、すなあらしであろうと関係なく討ち滅ぼせた。
    しかし、今は違う。

    でんきショック、10まんボルト、しっぽをふる、でんこうせっか。
    果たして、電気タイプの技を使わずに、バンギラスを倒す方法が、ピチカの中に存在しているのだろうか。
    シオンにはそれが分からなかった。

    「君が攻撃したから! これで僕の後攻だね! バンギラス! 『しっぺがえし』だよ!」

    「なっ! 『じしん』じゃないのか!?」

    驚いている場合ではなかった。
    猛ダッシュからの跳躍。
    バンギラスが大地を蹴り上げると、巨大な体が宙を舞い、ひとっ飛びでピチカとの距離を詰め、飛来した。
    怪物の影がピチカの全身に覆いかぶさる。よけられない。

    「ピチカ! 『こらえる』んだ!」

    ピチカは『こらえる』を覚えていない。

    重力に乗ったバンギラスの全体重が、
    獲物を狙うピジョットの垂直落下するような速度で、小柄なピチカに墜落する。
    もはや流星だった。
    地鳴りの振動。空間がたわみ、ピチカを中心に爆発が起こったかのように砂煙が吹き荒れる。
    凄まじい風圧でシオンのTシャツがはためき、短い前髪が後方に引っ張られる。
    腕で顔を覆い隠し、砂塵の洗礼を全身で浴びた。

    衝撃波は瞬時に納まり、腕と耳が痛さとかゆさでヒリヒリする中、シオンはおそるおそる前方を覗く。
    バンギラスの足が地面についていなかった。
    昔テレビで見た、小さな小石が大きな岩を支えている映像を思い出す。
    圧殺するどころか、ピチカはバンギラスを持ち上げるようにして、攻撃を受け止め、耐え凌いでいた。

    「そんな馬鹿な!」

    シンが驚嘆の声を上げたと同時、シオンはバンギラスの倒し方を閃く。

    「ピチカ、10まんボルトぉおお!」

    ――ピッ! カッ! チュウッ!

    叫びと共に閃光が奔った。
    ピチカの手の平からバンギラスの腹部へと、電撃の青白い明滅が流れ込む。
    感電だった。
    若草色の皮膚の上を、光る蛇のような電流の群れが、這いずりまわって火花を散らす。

    直接触れてから攻撃すれば良かったのだ。
    ピチカとバンギラスとの距離をなくしてしまえば、
    二匹の間にあった『すなあらし』の障壁もなくなり、
    問題なく電気タイプの技が通用する。
    10まんボルトが使えると分かった今、シオンの目には勝利のビジョンが映っていた。

    重い足音と共に地面が揺れた。
    大地を蹴り上げたバンギラスが、ピチカから弾かれたようにして真後ろに吹っ飛ぶ。
    宙に飛び出した電撃は、『すなあらし』によって即座にかき消されてしまった。

    砂と風の向こう側で、雷に焼かれたバンギラスが、煙を上げ、肩で息をし、赤い瞳でピチカをにらんだ。
    シオンはつい顔をしかめる。一撃では倒せなかった。

    「シオン君! 君は一体! 何をしでかしたんだ!」

    シンの大声が耳に突く。
    その眼光は何故なのか、バンギラスの頭の上の虚空を見据えている。

    「ピカチュウの攻撃! たったの一発で! どうしてエイチピーが黄色になるんだあああああ!」

    聞き間違えたのかと思うほど、シオンには理解の出来ない意味の言葉だった。

    「きゅうしょに当たったとして! こんな威力、有り得るのか! 『もちもの』はないはずなのに!」

    姿も表情も砂に隠れて分からなかったが、
    声色だけでシンのあからさまな焦り様が伝わって来る。
    ピチカの攻撃力にばかり驚いていて、『ひんし』にならなかったピチカの耐久力に関しては何のツッコミもない。
    どうやらシンは、ピチカが『こらえる』を使って攻撃に耐えたと思い込んでいるようだ。
    シオンはホッと安堵の息をもらした。
    バトルの最中で反則を嗅ぎつけられれば勝敗どころではなくなるからだ。

    「なあ、偽審判。エイチピー黄色ってどういう意味だよ?」

    「バンギラスの体力が半分も削られてるってことだよ! ……しまったああああああ!」

    なんという幸運。次の10まんボルトでバンギラスを倒せる、というありがたい情報が手に入った。
    うっかり口を滑らせたシンは急に押し黙り、いつしか二人の間を砂の音だけがさんざめいていた。

    しばらく、にらみあいの沈黙が続く。
    シオンは全く動けなかった。
    ピチカがバンギラスを倒すためには、直接触ってから、10まんボルトを決めるしかない。
    しかし近付けば、その分だけ、バンギラスの攻撃もピチカに当たり易くなっていく。
    HPがもう限界ギリギリであることはピチカの表情を見なくとも明らかだ。
    一撃だって耐えられない。
    先に技が決まった方が勝ちか、もしくはダブルノックアウトか。

    すなあらしを切り抜ける術さえあれば勝利は確実だというのに、
    残念ながらそんな必勝法を編み出せるほどシオンの頭はよろしくなかった。
    運に頼るしかないのだろうか。

    すなあらしの向こう側から、シンの視線がシオンの足元へと注がれているのに気付いた。
    ピチカを警戒しているのだろうか。
    ふと、この長い沈黙に何か違和感が引っ掛かる。
    どうしてシンはバンギラスを動かさないのか。

    (ピチカが『こらえる』を使いながら直進し、
     バンギラスの首筋にでもしがみついて来るかも知れない……とか考えてるのか?
     首の裏側ならバンギラスの腕は届かないし、口からの攻撃も届かないし、『じしん』さえも通じない位置だから、
     その位置を確保した後、10まんボルトを直接流しこんでくるかもしれない……とか考えてるのか?

     しかし、そうではなく、ピチカの出方を伺ってると見せかけて、
     実は別の目的、例えば何か他の……時間稼ぎをしているとしたら……)

    「ねえシオン君! 一つ、訊いていいかい!」

    「ああ……いや、駄目だ! 何も聞くな! 訊くんじゃない!」

    嫌な予感しかしないというのに、シンの口は勝手に動いていた。

    「そのピカチュウ! 『すなあらし』が効いてないみたい! どうしてかな!」

    シオンの頭の中が真っ白になった。

    昔、小学校に通っていた頃、かくれんぼをしている最中、キッチンの棚に隠れて息を潜めていると、
    しばらくして、ゆっくりと扉が開き、そこで、包丁を持った知らないおじさんと目が合ってしまった。
    あの時の緊張感とよく似ている。
    もしくは、興味本位でふらっと銀行を覗いた時、
    覆面の男達に銃口を突き付けられた時の絶望、と言い変えても差し違えないだろう。

    とにかくシオンの心臓は一度完全に静止し、今は激しくドラムロールのように脈打っていた。

    「こらえるを使ったのなら! エイチピーは1しか残っていないはず! 
     すなあらしはエイチピーを徐々に削り取る天候だよ!
     どうしてピカチュウは、倒れていないのかなあ!?」

    シオンの足元で突っ立つピチカ。
    沈黙していた真の狙いがすなあらしによるダメージだったと、今になってようやく分かった。
    どういう手を使ったかまではともかく、シオンの反則をシンは間違いなく確信している。
    すなわちシオンの反則負けが、ほぼ決まった。
    砂の擦れる音がしつこく、嫌に耳に響いて来る。気持ちが悪い。どうすればいい。

    「ほら! 黙ってないで! 教えてくれないかい! シオン君!」

    もうこうなったら自棄を起こすしかない。
    勝てば官軍、死人に口なし、終わりよければすべてよし。
    反則だろうが、インチキだろうが、勝者こそがこの世の心理。
    勝った後で、「反則なんてなかった!」、と大声で主張するなりなんなりして押し通すしかない。
    シオンは全力もって都合の良い展開を妄信した。

    「走れピチカァ!」

    バンギラス目掛けてピチカが飛び出す。
    砂塵の彼方へ、一直線に、黄色い弾丸が突っ走る。

    「ちゃんと! 説明! してくれないと!」

    「お前のすなあらし、実は射程距離外だったんだよ! わかればか!」

    「それは違うよ!」

    「うっせぇ、しねぇっ!」

    二匹の距離が一気に縮まり、ピチカはバンギラスの目前へと躍り出た。

    「バンギラス! はかいこうせん!」

    「ピチカ! 10まんボルト!」

    四つん這いとなったバンギラスの、あんぐり開いた大あごから、光の十文字が閃いた。
    三度、ピチカは青白い稲光を身に走らせ、解き放つ。

    鼓膜をつんざく爆音がうなった。
    『わざ』と『わざ』がぶつかりあう。
    青と白の入り混じった輝きの爆発。幻想的な閃光の彩りに、視界の全てが包まれる。
    あまりの衝撃に、一瞬だけすなあらしはまるごと消し飛んだ。
    吹き荒れた爆風に乗って、ピチカは蹴り飛ばされた石ころのように、
    シオンの足元にまでコロコロ戻ってきてしまった。
    そして再び、周囲一帯を砂塵の風が覆い尽くす。

    「まだやれるか、ピチカ?」

    尋ねつつ見下ろすと、ピチカは電撃を放ったままの状態で、ふんばっていた。
    先の方を見やると、10まんボルトとはかいこうせんのつばぜり合いが未だに続いていると分かった。
    滝のような白い奔流と、砂嵐に威力を削がれる青い電流とが、押し合っている。
    二匹の間で飛び散る火花は、確実にピチカの方へとじりじり迫る。
    力負けしていた。

    「もっと出力を上げろ、ピチカアアアア!」

    思いっ切り声を張り上げたところで、しかし、何も起こらない。
    なんとか対策を考えようにも、上手く考えがまとまらず、もはや成す術がないとしか思えない。
    あまりにもどうしようもなく、シオンは急に恐くなってしまった。
    あの白い輝きがピチカに触れた途端、全てが終わってしまう。人生の全てを失ってしまう。
    どうしてこんなことになってしまったんだ。

    試合中に余計な不安を抱えている隙に、青白い電撃は押し戻され、
    あっという間に白い光はピチカの目と鼻の先にまで迫って来ていた。
    もうどうしたらいいのか分からない。今すぐここから逃げたしてしまいたかった。

    「ああ、もう、くそ、もうっ。このまま下がれピチカ!」

    シオンは後退りながらも、自棄になって命令を飛ばす。
    この判断が功を奏した。

    ピチカが数歩だけ後退すると、先程までピチカが立っていた空間をはかいこうせんが食らった。
    つまり、数秒だが、余命が伸びた。
    急ぎ、後退りながらシオンはさらに叫んだ。

    「下がれピチカ、もっと下がれ! 電気を撃ったままもっと!」

    バンギラスの口元から如意棒の如く白銀の光は延々と伸び続ける。
    しかし、バンギラスの光線がピチカの鼻先にたどり着く事はなかった。
    10まんボルトに妨げられながら、ゆっくりと直進するはかいこうせんよりも、
    ピチカの後退する速度の方が素早かったからだ。
    まさしく戦略的撤退である。

    ピチカと共に後退を続ける中、シオンは苦悩に頭を痛めていた。
    バンギラスから遠ざかる程、勝利からも遠ざかる。

    はかいこうせんを撃ったポケモンは、次のターン――ほんの数秒ではあるが反動で動けなくなる。
    その隙に、でんこうせっかでピチカをバンギラスに近付ける。
    直接触れた状態を作ると、次のターン、先攻で十万ボルトを撃ち放つ。最初は、そういう予定であった。

    しかし、二匹の距離がこれだけ開くと、ピチカがバンギラスに到達する前に、
    反動はなくなり、バンギラスが動き出してしまう。
    それでは負けるか相打ちか、だ。

    (十万ボルトならこの場所からでも一瞬でバンギラスを撃ち落とせるというのに)
    飛び交う『すなあらし』を忌々しげに睨みつけながら、その場しのぎの後退を続けた。

    例えば、ピチカを天高くに放り投げ、ピチカは上空に電撃を放って、雷雲を生みだし、
    そこから『すなあらし』をも凌駕する超強力な『かみなり』が生まれ、
    背の高いバンギラスの尖った頭上に突き落とされる
    ……この期に及んで絵空事ばかり思い浮かぶ自分の脳の頼りなさを呪った。

    ふと、ピチカの後退が止まった。
    エネルギー切れなのか、それともバンギラスの息切れなのか、
    はかいこうせんの光は弱々しく、今にも消えてしまいそうなほど薄くなっていた。

    脂汗が額ににじむ。
    バンギラスが反動で動けなくなる今がチャンスだ。
    どうする? どうすればいい? どうすればこの状況を覆せる?
    時は待ってはくれなかった。
    解決策を探している内に、長い長い白銀の光は、フッと、消失してしまった。
    緊張が走る、
    と同時に、シオンは目の前の景色に微妙な違和感を覚えた。

    空洞があった。
    ピチカの鼻先と、バンギラスの口元とを繋ぐ一直線の空洞があった。
    ついさっきまで『はかいこうせん』が通っていた空間である。
    その空間にだけ、『すなあらし』がなかった。

    たったの一ヶ所、わずかに一瞬、電気を通さぬ砂塵の壁を、一点の風穴が貫いた。

    「いっけぇえええ!」

    詳しい指示を飛ばす暇などなかった。ただ叫んだ。それだけで通じた。

    ――ヂュウウウウウ!

    紫電一閃。
    放った稲妻、弾丸の如く、直線的に、疾駆する。
    奇跡の軌跡が、砂塵に埋もれるより速く、ピチカの電光が駆け抜けた。
    銃声のように、雷鳴が爆ぜる。

    砂の嵐の向こう側、米粒のようなバンギラスの肉体が、青白い明滅を繰り返すのを見た。
    小さな影は、煙をあげて、ゆっくり傾き、横たえる。
    ずどん、と重々しい地響きがうなる。
    バンギラスはたおれた。

    「バンギラアアアアアッス! 立てえええええ! 立つんだあああ!」

    往生際の悪い大男が、やかましい声で嘆いていた。

    「ピカチュウに! 二度も! やられる! バンギラスが! いて! たまるかああああああ!」

    惨めだとか哀れだとかを思う以前に、とにかく鬱陶しかった。
    大人げないシンの、悲鳴のような絶叫に対し、吹き荒れていた砂の嵐は、次第に大人しくなってゆく。
    腕を下ろし、砂を払い、澄んだ空気の中で、シオンは嘲笑った。ピチカも笑った。

    「バンギラス、たぶん戦闘不能! なので、たぶん試合終了! だから、たぶんシオンさんの勝ち!」

    高らかに、ダイヤモンドのジャッジが下る。シオンとピチカは勝利した。




    「でかしたぁ! でかしたぞ、ピチカ!」

    勝利の喜びで胸がいっぱいになって、シオンはその場にしゃがみこむ。
    うつぶせで倒れるピチカがいた。
    体中の至る所がボロボロで、ピチカは弱々しい苦笑をする。
    この時初めて、シオンは自分の相棒の身を心配した。

    「無事か? 無事だな。よくやったぞピチカ。後で何か美味いもん食わしてやらないと」

    突っ伏すピチカの背面を、すりすりさすって労わった。
    砂粒のざらざらした手触りに、土埃で汚れた毛並み。
    ピチカは本当に頑張ったんだなあ、と母親のような気持ちになる。
    シオンが感傷に浸っていると、気のせいだろうか、遠くで太鼓を連打するような震えが伝わってきた。
    地面を叩くような音に不安を覚え、何の気なしに顔を上げる。
    血走った眼の大男がシオン目掛けて爆走していた。
    息を飲む。
    オウ・シンだった。
    大地を俊敏に何度も蹴り上げ、突進するケンタロスの如く、轢き殺す勢いで鬼気迫る。

    悪鬼を前にし、
    何が起きているのか把握しきれないまま、
    とにかくピチカの危険を感じ、
    シオンは咄嗟にベルトのボールをむしりとっていた。

    「戻れピっ……」

    突如、シンの動きが加速する。
    シオンがボールを構えるより先、紫のスーツが視界いっぱいに広がった。
    鳩尾(みぞおち)にかつてない衝撃が深くのめりこむ。

    す て み タ ッ ク ル !

    189センチメートルと97キログラムから繰り出す必殺の一撃。
    シオンは肺の空気を全て吐き出す。
    心臓に核弾頭でもぶちこまれたかの如く、衝撃は背中の向こう側にまで走り抜けた。
    悶絶しそうな激痛に、一瞬だけ意識が消し飛び、力の抜けた手の平からモンスターボールが滑り抜ける。
    足が浮いて、くの字になって、シオンは後方へ吹っ飛んだ。
    眼前のシンが遠ざかっていく。
    背中で風を受けながら、ふわっとした感覚の後、地面に尻もちを叩きつけた。
    何度か咳き込みながらも急いで息を整え、力尽くで素早く立ち上がった時、
    シオンはもう何もかもが手遅れなのだと悟った。

    シオンのモンスターボールを掴んだシンが、じーっと自分の足元を見下ろしている。
    視線の先の、突っ伏すピチカはじーっとしたまま動かない。
    シンにピチカを連れ去られる=ピチカを調べられる=反則が発覚=シオンの反則負け=一千万円の借金。
    たまらずシオンは叫んでいた。

    「やめろぉォォォォオオオオ!」

    必死になって腕を伸ばした。届かないとは分かっているのに。わるあがきだった。
    虚空をつかんだ手の平の先で、ピチカの体は赤い色の光へと変わり、ぐにゃぐにゃに形を変え、
    シンの手の平のモンスターボールへと吸い込まれていった。

    「……えっ?」

    ポカンとする。
    予想外だった。
    あまりのことに、シオンは自分の目玉が信じられない。
    頭を落ち着かせて周囲を見渡す。

    シンの姿が見える。シオンの手放したボールを握っている。
    ピチカの姿はなかった。間違いなくこの場にはいない。

    どうやら見間違いではないようだった。
    シンは、ピチカを、モンスターボールの中へと戻したのだ。それも自らの手で。

    みるみるうちにシオンの心はたくさんの幸せで満たされていく。
    (うお! まじか! やった! やった! うおおーす!)
    たまらないくらいの狂喜。
    例えるならそれは、
    腹に爆発物を抱えた状況、長い時間、我慢に我慢を重ね、全力疾走でトイレに駆け込み、
    全てを出し切った時の解放感。
    シンの犯した致命的なミスは、
    ギリギリ便器に間に合った時のような圧倒的至福をシオンにもたらしていた。
    喜びのあまりガッツポーズをとろうとした刹那、

    ――駄目だ!

    本能が肉体の動きを押し留める。
    シオンは自分の顔がゆるみきっているのに気付き、慌てて笑顔を噛み殺した。
    ここで喜んではいけない。それでは、シンから見てあまりにも不自然だ。
    だからこそもっと自然に……そう、今は怒るべき瞬間だ。
    顔が赤くなるほど眉間に力を込め、シオンはシンをにらみつけた。

    「人のポケモン盗ったら泥棒! 何してくれとんじゃいわりゃあ!」

    一瞬、シンにつっかかろうと思ったが、やっぱり勝てそうにないので、暴言だけにとどめておいた。

    「君のピカチュウ! すなあらしが効いていない様子だった! だから止めたんだ! 『じしん』をね!」

    「話をそらすなボケがぁ!」

    怒鳴りつけながらも、内心慌てた。
    確かにシンは一度もじしんの命令してこなかった。
    つまり、バトルの初めっからピチカに地面タイプの攻撃が通用しないと予測されていたことになる。

    「覚えるはずのない『こらえる』!  効き目のなかった『すなあらし』!
     レベル21にして、バンギラスと同等のパワー! 何もしていないわけがない!」

    「うるせえ! 勝ったんだ! この際だから、千万寄こせ!」

    「そもそも君が! 反則をしなかった試しがあったかい!」

    「え゛! ……あったさ!」

    「思いっ切り言い淀んでいるじゃないか!」

    (こいつ、面倒臭ぇ!)
    しかめっ面に冷や汗がにじむ。
    いつの間にか、演技でなく、シオンは本気で怒りと焦りを抱えていた。

    「そんじゃあ聞くけど、俺が一体どういう反則をしたって言うんだ? 教えてくれよ」

    「それはわからない!」

    「ほれみろ! 俺が反則使ってねえ証拠だ!
     言いがかりつけてんじゃねえぞ! この、五年後はハゲ!」

    「だからね! 調べに行くよ! これから! ポケモンセンターにね!」

    心臓が凍りつく。
    思わず息が止まった。
    ポケモンセンターへ連れていかれたらピチカの反則がばれるのか?
    しかし、ここでシンの動きを止めようとするものなら、余計に反則を怪しまれる。
    どうしても避けられなかった、わずか1パーセントの不安要素。
    シオンはそれを、背負わなければならないリスクととらえた。

    「約束してくれ。俺が反則したって証拠が見つからなかったら、トキワシティ皆の借金をチャラにする、と」

    シンはすぐには答えなかった。
    ポケモンセンター行きを妨害しなかったシオンの意図が分からず、警戒しているのだ。
    何を考えているのか、厚かましい仏頂面のまま固まってしまっている。

    「おい返事しろよ!
     ひょっとしてお前、反則してようがしてなかろうが、俺に負けだって言い張るつもりなんじゃないのか!?
     ふざけんなよ! 証拠のない冤罪なのに押し通そうとするとか、どっかの国の……!
     これ以上は止めておく」

    我ながら賢明な判断だ、とかシオンは思っていた。

    「そうだね! そのとおりだよ! わかった!
     もし証拠が見つからなければ! 素直に負けを認めよう!」

    「よし。約束だぞ。言質とったからな」

    さすがに良心を咎めたか、それともシオンが面倒臭いので仕方なくなのか、
    とにかくシンはしぶしぶ了承してくれた。
    咄嗟にシンは身をひるがえし、広い背中を向けるなり、
    大きな歩幅で、大地を踏みならして、みるみるうちに遠ざかっていく。
    シオンの戦いは終わった。
    後は天に祈るしかない。ピチカの反則が見つからない事を。




    「いやー、勝ちましたねー」

    へらへらしながらのこのことぼちぼちダイヤモンドがやって来た。

    「シオンさんて、反則使わなくても、普通に強いトレーナーだったりするんじゃありませんか?」

    「いいや。俺が勝てたのは、偽審判の判断ミスのおかげだよ。
     あの局面で『しっぺがえし』や『はかいこうせん』を使ってこなければ、俺が負けていたかもしれない。
     もしかすると、ポケモンバトルとは相手のミスを突く競技なのかもしれないな」

    「そうですか? 僕は、てっきりレベルの差でゴリ押しする競技かと思ってましたけど」

    「さ、流石だな。俺には真似できないぜ。ところで、ダイヤモンド。あのよ……バレると思うか?」

    「十中八九。というか、普通に考えてバレバレの反則ですよ」

    「そうか」

    途方に暮れるように、シオンは離れ行く紫の背広を見据えた。

    「でも、まぁなんとかなるだろ」

    「反則が分かったところで、証拠が見つからなければ負けを認めるそうですからね」

    「今さっきの約束だろ。我ながら天才的な思いつきだった」

    「誰からも褒められない役立たずに限って、自分で天才とか言っちゃうんですよね」

    「なんかお前、最近手厳しいぞ」

    「ほら、駄弁ってる内に、シンさんがもうあんなところに。急ぎましょう」

    「そうすっか。おいまてよ、偽審判! もしくは似非借金取り! なんちゃってヤクザ! ポケモン泥棒!
     さっさとピチカを返せぇ!」

    砂粒ほど小さくなったシンの背中を追いかけて、シオンら一行はトキワを目指す。
    鉛色の雲を見上げて、今にも雨が降り出しそうだな、と足を速めた。
    荒野の大地を駆け抜ける。







    つづく







    あとがき

    自分で書いておいてアレなんですけど、なんだか八百長試合っぽい感じがします。
    シオンが勝利を勝ち取ったというより、オウ・シンがシオンを勝たせたような、そんな風にも見える。

    あと推敲してて思ったんですが、
    バトル中の地の文の説明がグダグダすぎて何が起こってんのかさっぱりですね。
    もっと分かりやすく書けたらいいのですが、
    どうやって説明したらいいもんか悩んでも分からなかったもんでして、
    ちょっと申し訳なかったです。

    次回の第二話で今回使っていたシオンの反則が描かれております。

    ありがとうございました。


      [No.1218] Re: 第4話 傍観者たち 投稿者:SB   投稿日:2015/01/21(Wed) 20:32:55     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    逆行さん。
    コメントありがとうございます。

    ファンって言ってもらえたのは書き始めてから初めてで、小説を書き始めてからたぶん今日が一番うれしい日です。嘘じゃないです。ありがとうございます。

    今はすこし訳あって書き進めることができないのですが、これだけは約束します。
    2015年12月31日23時59分までにこの物語を完結させます。
    この物語は、絶対に放置しません。

    これからもよろしくおねがいします。


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