マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1371] 明雪 中 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:40:20     54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    明雪 中



     赤いピアスが風にあおられ、ちりりとなる。
    脇に抱えたヒトカゲの尻尾の炎も風に揺れる。
     綿毛舞い飛ぶ風の町、フウジョタウンにレイアは辿り着いた。すでに夕刻、辺りは闇に沈みかけて一層寒い。
     15番道路のブラン通りの終わりがけで綿のような雪が降り始めたため、慌てて町に入ったのだ。ポケモンセンターを見つけたときには、レイアは両の腕で相棒のヒトカゲをしっかと胸に抱き込んでいた。この寒い中でモーモーミルクを売り歩いていた人間はとても正気の沙汰とは思えない。
     暖房のきいたポケモンセンターに辿り着くと、じんわりと手足の指先に血が通い始める。まっすぐ受付に向かって、疲労の溜まっていたポケモンたちを預けた。ヒトカゲをボールにしまおうとすると、『ここが暖かいから自分はもう必要ないのか』とでも言いたげなヒトカゲの潤んだ瞳に出会った。仕方がないのでレイアはヒトカゲだけは預けず、再び脇に抱え直した。
     そして痛む足を休めるべくロビーに向かって、レイアはぎょっと身を竦ませた。
     しかし相手は、こちらに気付いた。
    「……レイアか」
    「うげぇ……モチヅキ」
     レイアからは苦々しい声音しか漏れない。
     ロビーで紅茶のカップを手に寛いでいたのは、漆黒の長髪を緩い三つ編みにした裁判官、モチヅキである。
     モチヅキは、レイアたち四つ子の父親の知り合いだとかで、四つ子は幼い頃から面倒な諸々の手続きはこのモチヅキに任せっぱなしにしてきた。養親のウズに次いで二人目の養親とでもいうべき相手なのだが、レイアはこの人物が苦手であった。
     モチヅキの黒い眼が、レイアを凝視してくる。
    「……サクヤは」
    「やっぱサクヤ待ちかよ。知らねぇよ。あいつ、ここに来んの?」
     適当に吐き捨てて、レイアはモチヅキから離れようとした。しかし、青い領巾の片割れを彷彿とさせるようなモチヅキの涼やかな声が、レイアを追ってきた。
    「約束の刻限を過ぎても、現れぬ」
     それはもちろん、サクヤのことを言っているのだ。
     レイアは溜息をついた。
     レイアの片割れの一人、青い領巾のサクヤは、四つ子の中でも特にモチヅキに気に入られている。それがなぜかはレイアも知らない。しかし、モチヅキの前に出るたび、モチヅキがレイアを通してサクヤしか見ていないことに気付かされるのである。
     レイアは首だけ回して、モチヅキを見やった。
    「あんたさぁ、ほんとあいつのこと好きだよな?」
    「…………あいつとは?」
    「あーうっぜぇ、マジうぜぇそういうの。サクヤなんか知るかよ。どっかの洞窟でも探検してんじゃねぇの。そんな気ぃする。そんだけだ。言っとくが、ただの勘だからあてにすんな。俺はサイキッカーじゃねぇんだよ」
     そう矢継ぎ早に言い捨てて、本当にレイアはモチヅキの傍から離れた。


     しかし、レイアがポケモンセンター内の食堂で夕食を終え、階上にとった部屋に戻ろうとするところで、彼は再びモチヅキに呼び止められた。
    「そなた」
    「…………」
    「サクヤが来ぬ」
    「……知らん」
    「今日の正午にはここに来るよう、伝えていた」
    「……知るかよ」
    「そなたら、連絡は取り合わぬのか」
    「……取らねぇよ」
    「先ほど、あれは洞窟にいる気がすると申していたな。洞窟の中で遭難しているのではないか。そういう事は分からぬのか」
    「……ああああああ――知らねぇっつってんだよ! そんなにサクヤが恋しけりゃ捜しに行きゃいいじゃねぇか! それとも一人じゃ怖くて無理ってか? つまり俺に捜して来い、と? それこそ意味分かんねぇ!」
     レイアは耐え切れずに怒鳴った。
     しかしモチヅキは小さく鼻を鳴らした。
    「そこまでは言っておらぬ」
    「じゃあ、何だよ!」
    「私を、ヒャッコクシティまで連れて行け」
     モチヅキは黒い瞳でまっすぐレイアを見つめていた。
     レイアは黙り込み、そして眉間の皺をますます深く刻んだ。ヒトカゲがもぞもぞとレイアの腕の中で動いている。
     ようやくレイアの口から漏れた声は低い。
    「……どういう意味だ。……そうか、俺がサクヤの代わりか。あいつが時間通り来ないから、オレに代わりを勤めろと? ……サクヤを置いてか?」
    「そうだ」
     モチヅキはあっさりと認めた。
     それがひどくレイアの勘には障ったが、あまり長くモチヅキと議論している気にもなれなかった。旅慣れたレイアは一つの方法を思いつくに至った。
    「……あんた確か、ムクホーク持ってたな?」
    「バッジなど私は持っておらぬ」
    「俺は持ってる。『空を飛ぶ』の秘伝マシンもある」
     レイアは眉間に皺を寄せたまま、低く応えた。そして提案する。
    「まず、あんたのムクホークと俺のポケモンを交換する。次に、あんたのムクホークに『空を飛ぶ』を覚えさせる。ムクホークなら俺とあんた二人ぐらいヒャッコクまで運べるだろ。ヒャッコクに着いたら、ムクホークとあんたに預けたオレのポケモンをもう一度交換する」
     レイアは最も簡潔と思われる手段を提示した。
     モチヅキは黙り込んだ。
     レイアは肩を竦めた。
    「おい、どうなんだよ」
    「……簡潔だな」
    「たりめぇだろうが。マンムーロードをあんたと二人仲良くマンムー並べて雪山越えするとでも思ってんのか。それとも何だ? いつもサクヤにお供させてるときは、二人で楽しくピクニックでもしてんのかよ?」
     モチヅキも眉間に皺を寄せ、レイアを睨む。レイアも負けじと睨み返す。
    「あんたのムクホークがどんなもんだか知らねえが、二、三時間も飛びゃヒャッコクには着く。……時間の許す限り、サクヤ待ってりゃいいじゃねぇか」
     モチヅキは小さく鼻を鳴らした。レイアの機転にそれなりに満足したらしい。
    「一つ質問しておく」
    「……何」
    「雪の中、それくらいの時間を飛ばせても問題ないのか。飛行タイプは寒さに弱いと聞くが」
    「……それができるから、『空を飛ぶ』ってのは秘伝技なんだよ」
     レイアは言い捨てて踵を返した。モチヅキはサクヤのことは全く心配していない様子だった。
     レイアにはそれが腹立たしかった。
     それほどまでにモチヅキの信頼をサクヤが勝ち得ているのだと思えば、なおさら腹が立った。


     翌朝、レイアは寝ぼけているヒトカゲをカイロ代わりに小脇に抱えて起き出すと、ポケモンセンターのロビーには既にモチヅキがいた。
    「おい貴様」
     そしてレイアはモチヅキに呼び止められた。レイアは不機嫌に応える。
    「何」
    「正午には発つ」
    「あっそ」
     つまり、正午までモチヅキは、この待ち合わせ場所であるポケモンセンターでサクヤが現れるのを待ち続けるのだ。
     本来ならば昨日の正午に現れるはずだったサクヤは、今朝になってもフウジョタウンに辿り着いていないらしかった。レイアがポケモンセンターの宿帳を確認しても、そこに片割れの名はなかった。
     レイアの脳裏を、暗く寒い光景がよぎる。それを振り払って、レイアは熱いコーヒーを買い求めた。センター内に備え付けてある雑誌を一つ手に取り、いつでもモチヅキとのポケモン交換に応じられるようにモチヅキの近くに席をとった。
     サクヤは現れない。
     雑誌には興味をそそられなかった。
     気づくと、モチヅキに何かを問いかけられていた。レイアは無意識のうちに反応していた。
    「……貴様はここで、何をしている」
    「あんたにゃ関係ねぇよ」
    「何の目的もなく、彷徨っているのか?」
    「ポケモンを探す。鍛える。食えるもんを探す。そんだけだよ」
     モチヅキは小さく鼻で笑った。
    「まったく、原始的だな」
    「……あのよ、あんたは俺らのことを学がない学がないって馬鹿にすっけど、じゃあどうしろってんだよ。学校行くにも本買うにも金がかかる。んな金、ねぇんだよ」
     モチヅキの物言いには毎度のことながら腹が立ったが、朝から怒鳴る気にもなれず、雑誌を眺めながら思ったことを吐き出していく。
    「こういうあったかいポケセンでのんびり雑誌とか読んでさ、野生のポケモンに襲われる心配とか、雨が降ってくる心配とかもせずにすんで。ポケセン出るとき、旅のトレーナーがどんだけ辛い思いしてるかわかるか? ポケセンの宿だって、どんだけのトレーナーが旅が嫌になっていつまでも部屋占拠してると思ってんだよ」
    「つまり、何が言いたい?」
    「あんたはいいご身分だなってことだよ。そのくせ、学がない学がないって人のこと馬鹿にしやがって。あんたは俺をどうしたいんだ? 俺らに何になれっていうんだ? 俺らが旅しなくちゃなんねぇのは父親のせいじゃねぇか」
     朝のポケモンセンターのロビーは静まり返っている。レイアやモチヅキの他にもロビーには人間やポケモンはいるのだが、レイアとモチヅキの間の雰囲気に呑まれでもしたか、他の話し声はひどく密やかだった。
     モチヅキはポケモントレーナーではない。
     モチヅキもポケモン取扱免許を取っており、そして手持ちのポケモンを持ってはいる。しかしトレーナーカードは所持しておらず、ポケモンセンターに立ち入ることはできてもセンター内の設備を利用することはできない。
     レイアのようなポケモントレーナーと、モチヅキのようなトレーナーでない者の間には、何か差のような、溝のようなものが存在する。
    「……ああ、そういやあんた、ポケモントレーナーはたくさんの特権が許された特別な身分だって考えてんだよな。こないだ、ユディから聞いたぞ」
     レイアはモチヅキから目を逸らしたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
    「俺らからすりゃ、恵まれてんのはあんたの方だ。トレーナーにならずに済むあんたらの方が、ずっと恵まれてんじゃねぇか。……ポケモンセンターは福祉施設だ。行き場のない、家のないトレーナーのための場所なんだ。……あんたの場所じゃない。――出ていけ」


     しかしモチヅキは出ていかなかった。周囲のトレーナーからちらちらと視線を向けられても、ひたすら泰然としてロビーで分厚い本を読んでいた。
     レイアは昨日預けていた手持ちのポケモンたちを受け取り、そしてこれ以上はモチヅキの傍にいるのも気づまりなので、ふらふらと町に出た。正午まではまだ数時間ある。
    フウジョタウンはその日も粉雪がちらつき、空は一面雲で白く閉ざされ、道も至るところで凍結している。
     レイアは葡萄茶の旅衣を体に巻き付けて、ヒトカゲをカイロ代わりに抱きしめて歩いた。甘えたがりのヒトカゲもそれが嬉しいらしく、先ほどからきゅうきゅうと幸せそうな声を漏らしている。
     レイアは北へ向かった。
     凍った坂道や階段に気を配りつつ、フウジョタウンの北へ登っていく。
     フウジョタウンの北東には、フロストケイブがあった。氷河に閉ざされた山脈に穿たれた洞窟だ。
    「……寒い」
     レイアが独りごちると、胸に抱えたヒトカゲが尻尾の炎の火力を上げた。
    「かげ」
    「ん? ああいや、温かいよ、大丈夫だ。……ただ……暗い、寒い……」
     レイアの矛盾する独り言にヒトカゲは混乱しているが、それも知らずにレイアはフロストケイブへの道を辿る。
    「あいつ、炎タイプ持ってねぇだろ……」
     ぼやきつつ、レイアは腰のモンスターボールを一つ外した。
    「……インフェルノ……」
     ヘルガーを呼び出す。ダークポケモンは首を巡らせ、深紅の瞳で主を見やった。
    「……ここにサクヤがいるか?」
     レイアが問いかけると、ヘルガーは頭を振って注意深く周囲のにおいを嗅ぎだした。レイアは片端から奪われる体温を補おうと足踏みしつつ、暗く寒い予感にかぶりを振る。
     この世の中には、波動なるものが存在するという。それは人やポケモン、自然物すべてに宿り、そして個々に異なるものである。
     しかし、一卵性多胎児ならば、その波動はひどく似通っているか、あるいはまったく同一なのではないだろうか。同じ周波数の波は共鳴し、高まり、通じ合う。古代からわずかに存在したという波動使いの才能が、もし、自分たち四つ子にも少しでも備わっているならば。この暗く寒い予感はもしかしたら、本物なのかもしれない。
     ヘルガーが軽く駆け出した。
     レイアものろのろとそのあとを追う。フロストケイブの入り口で、ヘルガーは立ち止まる。匂いをかぎ分けるときも主であるレイアから離れすぎないようにとのレイアの躾けの賜物だ。
     ヘルガーがゆらりと鞭のような尾を振った。
     レイアは白い息を吐き出した。瞑目した。
    「……ここにいるのか、サクヤ」
    「それは真か」
     涼やかな声に、レイアは若干むっとしつつも、振り返らずに背後に向かって言い放ってやった。
    「……足手まといにはなるんじゃねぇぞ」


     ヒトカゲの尾の炎とヘルガーが嗅ぎ分けるにおいとを頼りに、レイアは穴抜けの紐を道々に残しつつ、モチヅキを従えてフロストケイブ内を進んだ。
     ヒトカゲの炎の光と熱に驚き飛び出してくる野生のポケモンは、すべてヘルガーに追い払わせる。ポケモン除けのためのゴールドスプレーを使用してもいいのだが、今はヘルガーにサクヤの匂いを追跡させている最中だ。ヘルガーの嗅覚を鈍らせるようなことはしたくない。
     曲がりくねり、岩が突き出てひどく悪い足場を、ヘルガーと二人は黙々と越えていった。
     意外にもモチヅキはなかなか体力があった。呼吸一つ乱さず、ぴったりとレイアについてきている。そのことにはレイアも多少はモチヅキを見直した。
     間もなく洞窟内に出現するポケモンのパターンが把握され、そういったポケモンを追い払うヘルガーにレイアがいちいち指示を下す必要もなくなってきた。
     しかし進めば進むほど、レイアの胸の中に嫌な感じが広がる。それを紛らわすため、そして背後のモチヅキの所在確認も兼ねて、レイアは背後に話しかけた。
    「そういや、何でモチヅキあんた、ポケモン持ってんの?」
    「……なぜ、とは」
    「言葉通りの意味だよ! なんでポケモン持ってんだよてめぇは! 普通に答えろよ!」
    「護身用だ」
     モチヅキは淡々とそのように回答した。レイアは振り返りもせずに続ける。
    「ルシェドウが言ってたぞ。あんた、反ポケモン派なんだってな」
    「……反ポケモン派、とは何だ?」
    「知らねぇよ! てめぇの方が詳しいだろ! いちいち聞き返すんじゃねぇよインテリ野郎が!」
     レイアはモチヅキに対して怒鳴った。レイアの脇に抱えられているヒトカゲは、レイアが元気そうであるのが嬉しいらしく、きゅっきゅっと機嫌よく鳴いている。
     モチヅキは煩そうに鼻を鳴らした。
    「反ポケモン派などという語は知らぬ。俗語だろう。……おおかた、トレーナー政策に反対票を投ずる者、という意味で用いられているのであろうが」
    「へー。そうなん?」
    「……あのポケモン協会の者が、私を反ポケモン派と断じた、と?」
    「うっす」
    「であろうな。学のない者はすべて白黒はっきりつけたがる。若い者は尚更」
    「モチヅキ、あんた今、歳いくつだよ?」
     その問いには返答はなかった。とはいえ、モチヅキがこの程度で腹を立てはしないことをレイアは知っていたので、レイアも特に気にしなかった。
    「俺も、あんたはトレーナーってのが嫌いなんだと思ってた。ほら、あんた、俺らがミアレでエリートトレーナーに怪我させた時、過去最高にブチ切れてただろ?」
    「トレーナー自体に、どうという感情も抱かぬ。ただ、虐げられる者を哀れに思う」
    「その虐げられる者ってのが、トレーナー以外の一般人ってことになんだろ?」
    「そうとも限らぬ。あのエリートトレーナー然り。……トレーナーが悪いのでもない。ポケモンが悪いのでもない。……悪いのは」
    「悪いのは?」
    「利権にしがみつく者どもだ」
     レイアがモチヅキを振り返ると、司法に携わる者は静かに瞑目していた。
     レイアはさっさと前を向いた。
    「面白そーだな」
    「ふ。興味を持つのか」
    「今、馬鹿にしたのか」
    「まさか」
     とぼけるモチヅキに、レイアは軽く鼻で笑った。
    「まあいいわ。俺は今、自分が生きるだけで精いっぱいだけどさ。……あんたみたいに、高尚な目的のために生きられたら、幸せだろうな」
    「私はお前たちを哀れに思う」
    「はっ、サクヤびいきの奴に言われても説得力ねぇよ」
     その時、ヘルガーが小さく唸った。
    レイアとモチヅキは立ち止まる。
     洞窟の奥から、微かに幼い子供のすすり泣く声が聞こえてきていた。
     レイアの背筋が凍る。
    「う、うおおお、うおおおおおおおおおおお――」
    「落ち着け」
     モチヅキが冷静に叱咤する。レイアは胸にヒトカゲを抱え直しつつ、ヘルガーの傍にぴったり寄った。
    「お、おあ、い、いや、別にお化けとか思ってビビってんじゃなくてだな、……ほら、ウズがムウマ持ってんだろ、ムウマの声に超そっくりでやべぇビビる」
    「結局ビビっているのではないか」
    「うっわ、モチヅキがビビるとか言ったぞ激レアじゃん。サクヤに聞かせてやりてぇわ」
     レイアは子供の泣き声にびくびくしつつ、そろそろと前に進みかけた。しかしすぐに立ち止まった。
    「……なんで、こんな洞窟の奥に、子供がいるんだよ……。やっぱムウマじゃねぇの……?」
    「先ほどから時折ゴーストは出現しているようだが」
    「はいそうっすね」
     レイアはヘルガーに先を行かせた。ヘルガーは主を気にかけつつも、臆した様子もなく暗闇へと歩みを進める。
     子供の泣く声は、確実に近づいている。
     そして、洞窟の奥から光が漏れているのが見えた。レイアはぎくりとする。
     奥から冷気が吹き込んでくる。光が見える。子供の泣き声がする。
    「人がいるな」
     モチヅキが背後で平然と、しかしレイアの先を行く気配は微塵も見せず、そのようにのたまった。レイアは腹を決めて、ヒトカゲを抱え、ヘルガーと共に走った。
     寒く、しかし明るい空間に踏み込んだ。
     絶句する。
     幼い女の子が、キリキザンに抱えられながらすすり泣いている。その傍らで白いコートの女が、レイアやモチヅキに背を向けて乾いた声で笑っていた。
     女が従えるのは、さらにトドゼルガとソルロック。
     ソルロックが眩く輝き、空間を光で満たしている。その空間は、氷漬けにされていた。
     白いコートの女の視線の先に、氷漬けになった片割れと友人の姿を認めて、レイアは全身の血液が逆流したように感じた。
     空が崩れて、地面がひっくり返りそうな。


     自分が何と叫んだか、レイアは把握していなかった。
     まともな言葉になったかわからないが、その激情を汲んだと見えて、ヘルガーが白い炎を噴く。しかし白いコートの女の背後には輝くソルロックが回りこみ、女を炎から守った。
     熱に、白いコートの女がレイアを振り返る。その顔は飢えている。
    「……あんたも邪魔するの」
     その恨みがましい女の言葉が途切れる前に、ヘルガーの悪の波動がソルロックを襲う。空間を満たしていた光が弱まった。
     女は目をひんむく。金切り声を上げる。
    「やめろ! こいつを殺すぞ!」
     女が言っているのは、キリキザンに捕らわれた幼い娘のことだった。娘の首にはキリキザンの刃があてがわれ、そしてこのキリキザンの眼は獰猛に輝き、幼い命を屠ることにも何の躊躇いも持っていないことが窺えた。
     しかしレイアには娘など見えなかった。
    「知るか!」
     独断で悪巧みをしていたヘルガーが、娘とキリキザンを無視して、煉獄を巻き起こす。それは熱い脂肪を持つトドゼルガすら焼き尽くし、キリキザンの刃をも溶かす。
     娘が熱さに泣き叫ぶ。白いコートの女も業火に怯んだ。
     レイアは女たちを無視して、ただ奥の結氷だけを睨んでいた。
     空間内はヘルガーの炎にあぶられ、ひどく暑くなっていた。洞窟を覆っていた氷がじりじりと融けている。レイアは焦れて、ガメノデスを繰り出した。
    「爪とぎ、シェルブレード」
     一度に二つの指示を出し、ガメノデスに奥の巨大な氷を砕かせる。
     レイアの片割れと友人の二人が、どさりと洞窟の床に転がった。レイアは、炎の体を持つマグマッグをボールから出し、腕に抱えていたヒトカゲと共に、二人の介抱に向かわせる。
     そして、ヘルガーとガメノデスと共に、白いコートの女に向き直った。
     地を這うような声で唸る。
    「……よくも」
     地獄の業火に怯えていた白いコートの女は、炎の勢いが衰えるにつれてレイアを凄まじい目つきで睨んだ。
    「もう怒った! もう殺す! 殺せキリキザン!」
     レイアはキリキザンを見やった。そしてこの時になってようやく、サクヤとルシェドウを助け出したと思って気が緩んでようやく、キリキザンに捕らわれていた幼い娘のことに考えが至った。
     遅すぎた。
     息を呑む。
     ヘルガーの炎はだめだ、娘が巻き込まれる。
     直接攻撃を専らとするガメノデスでは、この距離では間に合わない。
     女のキリキザンが、鋭い刃を躊躇なく動かした。

     レイアは息を詰めてそれを見ていた。
     白いコートの女が、泣きながら、狂ったように笑い転げている。
     しかし、それを遂げたはずの当のキリキザンは、戸惑うそぶりを見せた。

     洞窟の壁際に佇んでことを見守っていたモチヅキが、嘆息する。
     幼い娘をモチヅキの傍まで運んで保護したムクホークが、翼をたたんでモチヅキの傍に寄り添っていた。
     モチヅキは娘をそっと抱き寄せると、不機嫌も露わにぼそりと呟く。
    「ゾロア、騙し討ちだ」
     キリキザンの懐の中にいたゾロアは、幻影を解除すると悪戯っぽく笑い、キリキザンの喉元に一撃を叩き込んだ。


      [No.1370] 明雪 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/11/04(Wed) 18:38:29     52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    明雪 上



     青い領巾が風にあおられ、舞い上がる。
     両手で抱えたゼニガメは風に目を細める。
     綿毛舞い飛ぶ風の町、フウジョタウンにサクヤは辿り着いた。すでに夕刻、辺りは闇に沈みかけて一層寒い。
     15番道路のブラン通りの終わりがけで綿のような雪が降り始めたため、慌てて町に入ったのだ。ポケモンセンターを見つけたときには、サクヤの相棒のゼニガメは寒さを嫌って甲羅の中に籠ってしまっていた。この寒い中でモーモーミルクを売り歩いていた人間はとても正気の沙汰とは思えない。
     暖房のきいたポケモンセンターに辿り着くと、じんわりと手足の指先に血が通い始める。まっすぐ受付に向かって、疲労の溜まっていたポケモンたちを預けた。ゼニガメをボールにしまおうとすると、いつの間にか甲羅から頭と手足を出していたゼニガメが勢いよく腕の中から飛び出し、勝手にどこかへ走って逃げた。仕方がないのでサクヤはゼニガメだけは預けず、そのまま素早くゼニガメを追って再び両手で捕まえた。
     そして痛む足を休めるべくロビーに向かって、サクヤは立ち止まり、眉を顰めた。
     しかし相手は、こちらに気付いた。
    「あれ? えっ? ちょっ、えっ! サクヤ?」
    「……貴様は」
    「ルシェドウちゃんっで――すっ!」
     ロビーのソファから立ち上がり、両腕を広げてサクヤに歓迎の意を示したのは、鉄紺色の髪のポケモン協会職員、ルシェドウだった。
     サクヤの片割れの一人、赤いピアスをしてヒトカゲを相棒とするレイアが、旅先でこの人物と幾度となく出会っては協会の任務に付き合わされるのだと嘆いていた。
    つい先だっての自宅謹慎の折には、そのレイアがいると知って、このルシェドウはわざと協会の任務を請け負って四つ子の元に現れた。
    常識が欠如しているというか、職業人意識が薄いというか、とにかく頭の軽いこのようなタイプの人間はサクヤは苦手としている。
     しかしルシェドウはサクヤのそのような控えめな態度など意にも介さず、人懐っこく構い倒してきた。
    「久しぶりじゃん、クノエ以来じゃん! 最初はまーたレイアかと思っちゃったよ! 任務先でレイア以外の四つ子ちゃんに会うの、初めてなんだよね実は! わーいサクヤだサクヤだゼニガメちゃんだぁ! かわいいなぁーよしよーし」
     ルシェドウがテンションも高くサクヤの頭に向かって手を伸ばしてきたので、サクヤは反射的にその手を叩き落とした。
     乾いた高い音がした。
     ルシェドウは一瞬目を瞬いたが、すぐに満面の笑顔になった。
    「大好き」
    「なぜそうなる」
     サクヤがあからさまな嫌悪を表情に表しても、ルシェドウの態度は改まらなかった。サクヤを半ば強引にソファに座らせ、遠慮なく自分はそのすぐ隣に収まり、馴れ馴れしくサクヤの肩に腕を回す。そしてサクヤの耳元で囁いた。
    「サクヤくーん、アルバイトしてみない?」
    「断る」
    「あっちゃー、つれない!」
    「僕は用事がある。他を当たれ」
    「やだっ! やだやだやだ! 絶対サクヤ君と一緒に仕事するのぉっ!」
    「うるさい」
    「バイト代弾むから! あっそうだケーキ奢る! ケーキセット奢っちゃう! 高いとこのでもいいよ、ホール買ってもいいよ! ポケモンたちの分もきのみケーキ買ってあげるよ! サクヤ君甘党なんでしょ! ねえねえねえねえ」
    「うるさい」
     サクヤは冷静にはねつけた。サクヤがこのフウジョタウンに来たのは、モチヅキに呼ばれたからだ。待ち合わせは二日後だが、それまでしばらくポケモンセンターでゆっくりすると決めたのだ。サクヤが甘党なのは真実だが、ケーキよりもモチヅキとの約束の方がサクヤにとってはずっと大切だった。
     しかし、ルシェドウは諦めが悪かった。
    「もう、サクヤ君たら困ったちゃん! あ、あれっしょ? どうせモチヅキさんと待ち合わせでもしてるんっしょ?」
    「……ふん」
    「わお、当たっちゃったー! サクヤ君って本当にモチヅキさんのこと好きなんだね、レイアから聞いたし。ねえサクヤ君は、モチヅキさんとレイアだったら、どっちが好きなのっ!」
    「黙れ」
    「ねー、一日で終わるからさ!」
    「うるさい」
    「ほんっと冷たいねー。レイアはいっつもなんだかんだ言って手伝ってくれんのに!」
    「知るか」
    「モチヅキさんも、人助けもしないようなサクヤのことは嫌いだと思うよー?」
     サクヤはそこで、むつりと黙り込んだ。
     ルシェドウは明るくサクヤの肩を叩いた。
    「ただの人捜しだからさ! 頼むよ相棒!」
    「誰が相棒だ」
     サクヤは舌打ちした。
     このルシェドウというポケモン協会職員は、サクヤをせいぜいレイアの代わりとしか見なしていない。
    これまでの人生を四つ子の片割れとして生きてきた中で、様々な人間やポケモンから、他の片割れたちと混同されてサクヤは生きてきた。だからなおさら、ルシェドウのような仕打ちが腹立たしい。
    しかしそのようなサクヤの怒りなどつゆ知らず、サクヤの腕の中のゼニガメはいつの間にか、ルシェドウと意気投合してしまっていた。ゼニガメはルシェドウとハイタッチなどして、がぜん乗り気である。
     ゼニガメはきらきらと輝く瞳でサクヤを見つめた。サクヤは唸る。
    「……アクエリアス」
    「きゃーゼニガメちゃんかわいいっ! アクエリアスっていうの? 洒落た名前だよね、ていうかむしろ……駄洒落?」
    「黙れ。キョウキが付けた名だ」
    「ぶはっキョウキ面白れぇ!」
    「いちいちうるさいな」
     サクヤはルシェドウの隣の席から軽い動作で立ち上がった。青い領巾がふわりと靡く。
     ルシェドウは寛いだ様子でサクヤを見上げた。
     サクヤの腕からゼニガメが飛び出したかと思うと、腹の甲羅でルシェドウの顔面を勢いよく圧し潰した。
    「おぶぇっ」
    「……預けた手持ちを受け取ってくる」
     サクヤは踵を返した。ルシェドウはゼニガメを膝に乗せ、ゼニガメとにんまりと笑い合うと、サクヤに向かってひらひらと手を振った。
    「行ってらー」


     雪は止んでいた。
    空の雲もいつの間にか吹き払われ、夜空には満天の星が輝く。
     サクヤはルシェドウを引きずるようにして、フウジョタウンの北を目指していた。
     コートを着込んだルシェドウはにやにやと笑った。
    「張り切ってんね、サクヤっ」
    「一日で終わらす」
    「うんうん、俺も早く終わらせたいよっ。でもサクヤーっ」
    「僕の協力が欲しければ、僕の言う通りにしろ」
    「あれっ? 依頼したのは俺のほうなはずなんだけどなーっ?」
     サクヤの行動力に面食らいつつ、ルシェドウは機嫌よく北のフロストケイブを目指した。道すがら軽い調子でサクヤに話しかける。
    「じゃ、とりあえず俺の手持ちを共有しとくね。俺が持ってるのは、バクオング、オンバーン、ペラップ、ビリリダマの四体です!」
    「騒がしいパーティーだ」
    「パーティーは楽しく騒ぐもんっしょ?」
     ルシェドウの洒落をサクヤは無視した。葡萄茶の旅衣をかき合わせて寒さをしのぐ。
    「サクヤの手持ちも教えといてもらいたいんだけど?」
    「ゼニガメ、ボスゴドラ、ニャオニクス、チルタリス」
    「寒色パーティーなんだ。炎タイプいねーの? レイアなんて手持ちの四分の三は炎タイプなのに」
    「あいつの好みなど知るか」
     フロストケイブの入り口に辿り着いたところで、ルシェドウとサクヤは立ち止まった。
     ルシェドウが、ボールから手持ちのオンバーンを出す。そしてサクヤを振り返った。
    「人捜しなんで、オンバーンで辺りを探りながら、とりあえずフロストケイブの奥を目指します! 俺らが捜すのは、アワユキって名前の二十代の女性トレーナー。白いコートを着てるんだってさ」
     サクヤは鼻を鳴らしただけだった。
     ルシェドウは微笑み、ランプを点灯した。そして二人は、暗く寒い洞窟の中に足を踏み入れた。


     ルシェドウのオンバーンに導かれ、ルシェドウとサクヤはフロストケイブの洞窟内を進む。
     遭遇する野生のポケモンは、ほぼすべてオンバーンが退ける。ルシェドウはいかにも楽しそうに叫ぶ。
    「爆音波! 爆音波! ばっくおんぱぐっ」
    「うるさい」
     あまりの煩さに耐えかねたサクヤの手刀が、ルシェドウの脇腹に突き刺さる。ルシェドウは大きくのけぞった。
    「いったぁ――い!」
    「貴様がうるさいせいだ!」
     サクヤは肩で息をしつつ、こらえきれずに怒鳴る。
     ルシェドウが手持ちのオンバーンに命じる攻撃技は、もっぱら爆音波のみであった。それをこの狭い洞窟内で連発されるのだから、同行しているサクヤとしてはたまったものではない。ゼニガメもすっかり甲羅の中に引きこもり、サクヤも耳を押さえているだけで疲れてしまった。
     しかしルシェドウに反省の色はなかった。
    「あっははっ、サクヤ君の今の顔、レイアに超そっくりー」
    「僕の話を聞け!」
    「聞いてる聞いてる。そう怒んないの。こうして騒がしくしてれば、アワユキさんもこっちに気付きやすいでしょー」
     ルシェドウはへらへらと笑った。サクヤの怒りも意に介さず、勝手に先へと進んでいく。
     サクヤは眉を顰めていたが、特に何も言わなかった。今回のルシェドウの任務についてはいくつか疑問があったが、何となくこのふざけたポケモン協会職員に質問をするというのはばかばかしい。
     サクヤが知っているのは、ルシェドウがポケモン協会の任務でアワユキという名の女性を捜しているということだけだ。
     その女性のみに何があったのかは、サクヤには分からない。
     サクヤの前を歩くルシェドウが、サクヤを振り返らないままくすくす笑った。
    「サクヤって天然?」
    「……は?」
     サクヤの短い吐息にも怒気がこもる。ルシェドウはなおも笑って歩く速度を落とし、サクヤの隣に並んだ。
    「サクヤって意外と、間抜けだよね」
    「…………」
     サクヤは立ち止まった。警戒心も露わに、ルシェドウから距離をとる。そして固い声音で言い放った。
    「貴様、何を企んでいる……」
    「何も? ただ、サクヤって俺のこと嫌ってる割には、俺のこと信じてこんなとこまで来てくれてるよな?」
     ルシェドウは肩を竦めた。そして気安げにサクヤの傍まで歩み寄ると、サクヤの肩を押して再び共に先へ進み始めた。
    「サクヤは俺のこと嫌いだよねー。なぜなら、俺とモチヅキさんが仲悪いから。……なのに、サクヤは俺のこと信じてるよねー。なぜなら、俺とレイアが友達だから。違う?」
     サクヤは黙っていた。ルシェドウの言うことは正確ではなかったが、あながち外れてもいない。
    「まあ、今はどうでもいっか。そろそろだと思うしねー」
    「……そろそろ?」
    「オンバーンの反応を見る限り、もうすぐアワユキさんに会えると思うよ」
     ルシェドウはまっすぐ前を、洞窟の暗い果てを見つめていた。
     サクヤは沈黙を守る。
     ルシェドウが歩きながらぼやく。
    「ほんとさ、ポケモン協会って人使い荒いんだよねー。行方不明のトレーナーを捜しに行くとかさ。大概、まったく別の町とかでひょっこり生きて見つかんだよね」
    「…………」
    「でも、たまに森とかにトレーナー捜しに行かされるときとかは、俺も覚悟しなくちゃなんないんだよ。だって、自殺なさってる時とかあるんだもん」
    「…………」
    「普通に野生のポケモンに襲われてご遺体、ってパターンもよくあるよね」
    「…………」
    「自殺とか事故とかじゃなくて、他殺って場合もあるしさー。そうそう、その件の裁判で俺とモチヅキさんは因縁の間柄になったんだっけ。まあその話はいずれまた」
    「…………」
    「でも死体ならまだいいよね。本当に怖いのは、生きてる人間だよ。つくづくそう思う」
     ルシェドウは立ち止まった。
     サクヤも闇に目を凝らした。腕の中のゼニガメがそわそわと周囲を気にしている。
     オンバーンが微かに唸っている。洞窟内のやや開けた空間に出ていた。
     ルシェドウの持つランプ一つでは、辺りはほとんど確認できない。
     女の囁くような声が聞こえた。
     周囲に、より強い冷気が吹き渡る。
     ルシェドウが鋭く叫ぶ。
    「――オンバーン、避けろ!」
     音波によって周囲の状況を探ることに長けた音波ポケモンは、ひらりと広い空間に飛び立つ。ルシェドウは咄嗟にサクヤの体を押し、一つの岩陰に共に身を潜めた。
     凄まじい冷気が辺りを覆う。
     ルシェドウは半ばサクヤを抱え込むようにしながら、くすくすと笑い、密やかな声でサクヤに尋ねてきた。
    「サクヤ、見たー?」
    「……何を」
    「アワユキさん。まだ小さい娘さんを人質にしてたよ……」
     ルシェドウが何故か楽し気な声音でそう耳元で囁くものだから、サクヤはひどく顔を顰めてルシェドウから身を引き離そうとした。それを押しとどめられる。
    「だめだめ。危ねーぞぉ……絶対零度が飛んでくる」
     ルシェドウのオンバーンは、暗闇の中でも危なげなく宙を動き回り、敵の攻撃に備えている。
     ルシェドウがランプを消すと、周囲は闇に閉ざされた。
     完全な暗闇に怯えたらしい。幼い子供の泣き声が、響いた。
    ルシェドウが再び、サクヤの耳元で囁く。
    「アワユキさんの娘さんだよ……。アワユキさん、娘さんと一緒にフロストケイブに入ってって、そのまま出てくるのが確認されてなかったのさ……」
    「おい、貴様……いったい」
    「アワユキさんの考えてることなんて知らねーよ……でも娘さんは保護しないと、な?」
     そしてルシェドウはのうのうとサクヤに向かって、手伝えよ、と嘯いた。


     遭難したトレーナーの捜索ではなかった。
     トレーナーの手によって危険な場所に連れ込まれた一般人の幼い子供の保護こそが、ルシェドウの第一目的だった。いや、ルシェドウ自身もまさかそれが最優先事項になるとは思いもしなかったかもしれない。ポケモン協会から与えられたルシェドウの任務は、フロストケイブで消息を絶った母子の捜索、ただそれだけだったのだから。
     子供の泣き声を遮るように、女性の鋭い叫び声が上がる。
    「ソルロック、フラッシュ!」
     周囲に眩い光が満ちるのと同時に、サクヤはポケモンを解放した。
    「アイアンテール」
     こちらも光と共に現れたボスゴドラが、鋼鉄の鎧の尾をソルロックに向かって振り回す。不意を突かれたソルロックがはね飛ばされ、洞窟の壁に叩き付けられる。
     ソルロックが女性の傍へふらふらと戻る。女性はもう一体のポケモン、トドゼルガを伴っていた。
     ルシェドウも、オンバーンに指示を飛ばした。
    「爆音波!」
    「トドゼルガ、地割れよ――!」
     女性の悲鳴にも似た指示が上がる。
     トドゼルガが、上体をのけぞらせる。
     大地を割る。
     飛行タイプを持つオンバーンや、頑丈の特製を持つボスゴドラはそのダメージを恐れることはない。しかし、アワユキの狙いは敵対する二体のポケモンを戦闘不能にすることではない。
     地面が隆起し、断層を生み出し、ルシェドウやサクヤ、そして地に立つボスゴドラの足場を崩す。物理的な距離を広げる。
     サクヤは瞬時にボスゴドラをボールに戻した。チルタリスを繰り出す。
    「滅びの歌」
     オンバーンのトレーナーであるルシェドウが青ざめるのを無視し、サクヤはチルタリスにおぞましい歌を歌わせる。
     ルシェドウはアワユキに向かって、岩陰から緊張を削ぐような調子で話しかけた。
    「アワユキさんですよねー? 娘さん、こちらに引き渡して頂けますかー?」
     白いコートの女性の足元には、十にも満たない幼い少女が小さく蹲っていた。その娘の硬直した様子が不自然で、そしてルシェドウやサクヤはすぐ、娘にはソルロックのサイコキネシスがかけられていることに思い至った。
    「アワユキさーん、ソルロックのサイコキネシスを解いてあげてくださーい。娘さんが苦しそうですよー」
    「……ううう煩いうるさい出てって出てって出てけよっ! こいつ殺すぞ!」
     白いコートのアワユキが怒鳴る。
     ルシェドウは肩を竦めた。
    「言ってる傍から、貴方のソルロックもトドゼルガももう戦闘不能ですけどねー?」
     チルタリスが仕掛けた、滅びのカウントダウンがゼロになったのだ。アワユキを守るように立ちはだかっていたソルロックとトドゼルガが、同時に沈む。そしてまた、ルシェドウのオンバーンとサクヤのチルタリスも崩れ落ちる。
     再び闇が落ちた。サクヤがニャオニクスをボールから出した。
    「白コートの女を捕縛しろ」
     ニャオニクスのサイコキネシスが、アワユキを捕らえる。しかし、女の口まで止めることは叶わなかった。
    「……離せ離せ離せ! こいつ殺すよ!」
    「出来るものならばやってみろ」
     サクヤは言い放ったが、アワユキは耳障りな音を立てて笑った。
     幼い娘の悲鳴が上がる。
     ルシェドウがランプを点けると、いつの間にアワユキが繰り出したのか、キリキザンが娘の体を持ち上げ、その細い首に刀刃をあてがっていた。
    「あちゃ、詰んだ?」
     ルシェドウが緊張感のない声を出した。サクヤのニャオニクスの念力は、悪タイプを持つキリキザンには通じない。キリキザンを止める手立てがこちらにはなかった。サクヤも歯噛みする。
     アワユキは白いコートを翻し、狂ったように笑った。
    「あははははははははははははキリキザン? ニャオニクスにハサミギロチン!」


      [No.1369] 第一話「青天霹靂」 投稿者:GPS   投稿日:2015/11/03(Tue) 21:03:51     42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    「泰生さん、本日のご予定ですが」
    「ん」
    「十一時からブリーダーの山崎によるメンテナンス。十三時からスタジオ・バリヤードで月刊トレーナーモードの取材及び撮影。内容は先日のタマムシリトルカップと、リーグについてです。連続して毎朝新聞社のスポーツ紙のインタービューも入ってます。それが終わり次第、野島コート、二ヶ月前に根本信明選手との練習試合で使いました、あそこに移動して、事務員内のシングルトレーナーでタッグを組みマルチバトルトレーニングです。それが三時間、その後、そのままコートを取ってあるとのことですから、あとは個人練に回して良いと伺いました。以上です」
    「ん」
    「何かご不明な点はございませんか」
    「む」

    ん、は肯定の合図で、む、は否定の印。寡黙さと冷徹な印象が評判のベテランエリートトレーナー、羽沢泰生は低く唸りながら首を横に振った。
    しかし実際のところ泰生は長々と続くスケジュールなど、本当は大して真面目に聞いていなかった。わかったことは、とりあえずあまり自分の本業たるシングルバトルに費やせる時間が無さそうだということのみである。生まれつきのしかめっ面をますます強張らせる泰生に、彼の専属マネージャーにあたる森田良介は溜息をついた。人の感情や思惑の機微に敏感なこの男は、泰生が話をまともに聞いてくれないことを察するのにも慣れきっていたが、しかしそのたびに肩を竦めずにはいられないくらいには生真面目な男でもあった。

    「まあ、いいですけどね。泰さんの予想通り、今日のシングル出来る時間は最後の自主トレだけです。事務所としてのトレーニングがマルチですから」
    「ふん。なんでシングルトレーナーがマルチをやらなきゃならないんだ」
    「それは、ほら、自分以外のトレーナーと協力することで相手の手を読む力を養うとか」
    「そんな悠長なこと言ってる場合か。リーグはあと一ヶ月も無いんだ」
    「しょうがないでしょう。ウチの方針なんですから、幅広いトレーニングとメンバー同士の密なこ・う・りゅ・う」
    「ふん」

    わざと『交流』の部分を強調した森田に、泰生は不機嫌そうに鼻を鳴らす。腰につけた三つのモンスターボールを半ば無意識に伸びた手で握ると、それに応えるようにしてボールが僅かに動く気配が掌越しに伝わった。こんなにやる気なのに、夕方まではシングルどころかバトルすらまともにさせてやれないのが嘆かわしい、泰生はそんなことを思って眉間に皺を寄せる。

    「それに、それはリーグでも……とにかく、予定は詰まってるんですから文句言わずに行きますよ。まずは山崎のとこに、恐らくもう待ってるでしょうから」

    慣れた口調で森田は泰生を急き立てる。足早に廊下を歩く二人とすれ違った事務員の女性が、桃色の制服の裾をやや翻しながら「おはようございます」とにこやかに声をかける。「あ、谷口さん、おはよう」同じような笑顔で森田が返すが、しかし、泰生はしかめた顔のまま無言で通り過ぎた。女性事務員は、それも日常茶飯事といった感じで向こう側へと歩いていってしまったが、森田は童顔気味の面を渋くする。「泰さん」そして苦言というより、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるようにして言う。「いい加減挨拶くらい出来るようになってくださいよ」

    泰生は元来、人付き合いとか人間関係とか、そういった類のものが全く以て苦手かつ大嫌いな男だった。ポケモンバトルの才能は天賦のものであったため、若い頃は実際ほぼほぼ山籠りのような、孤高の野良トレーナーとして人と最低限度の付き合いをしながら生きていたというほどである。泰生にとって、人間は何を考えているのかわからない、口先ばかりの嘘つきな存在なのだ。その点ポケモンは信頼に値する、心と心で通じ合える生き物であり、出来ることならば一生ポケモンとだけ過ごしていたいと考えていた。
    そんな泰生が、何故こうして森田(当然ながら人間である)のサポートの元、がっつり人間社会に縛られているのかというとワケがある。泰生は本職のエリートトレーナー、つまりはトレーナー修行の旅はしていないが、バトルで飯を食べているという職業だ。国の公金から援助が出る旅トレーナーとは違い、定住者としてバトルで生活をしていくには一匹グラエナというわけにはいかず、余程の強さ、それこそ今や行方不明だが噂によるとシロガネ山で仙人になったという、かつてカントーの頂点に立ったマサラ出身の少年くらいでなければ叶わない話である。
    ではどうするのか、というとどこかに所属するしか無いのだ。ジムリーダーとはその代表格で、地方公共団体という存在に属し、バトルを通して市町村の活性化に努める役目を負っている。そして泰生など、いわゆる『エリートトレーナー』は概して、トレーナープロダクションに所属しているトレーナーを指す言葉なのだ。野球選手が球団に入ったり、アイドルが芸能事務所に身を置くのと同じようなものだと考えてくれれば良いだろう。旅をすると道中バトルを仕掛けてくるトレーナーの中に、自分をエリートトレーナーと名乗る奇妙なコスチュームの者がいると思うが、そのコスチュームは彼、彼女の所属しているプロダクションの制服である。特定の制服のエリートトレーナーが色々な場所に点在しているのは、『フィールドでの実践』がその事務所のウリという理由なのだ。
    ともかく、泰生は生活のため『064トレーナー事務所』というプロダクションの一員となっている。野良トレーナーだった頃とは違い、日々ガチガチにスケジュールを縛られるのに加えて人間関係を良好に保つことを強いられる毎日は、もはや二十年以上続けているにも関わらず一向に慣れる気配は無かった。無論、そうして予定を詰められるのは泰生が強く魅力的なトレーナーであることの裏返しなのだが、彼がそれに気づく日が来るかは不明である。

    「ほら、もう少し柔らかい表情しないとまた山崎に笑われますよ。オニゴーリみたいだって、まったく、オニゴーリの方がまだ可愛げがあるってものでしょうに」
    「陰口を叩く奴なんかブリーダー失格だ」
    「まーたそんなこと言って。陰口じゃなくて、面と向かって言われたの忘れたんですか」

    そんな泰生に手を焼いて、森田は丸っこい目を尖らせた。自分のサポートする相手は決して悪人では無いし、むしろ深く付き合えば好感の方がずっと上回る人だとはわかっている。が、周囲がそうは思ってくれないことも森田は知っていた。
    本人がこれ以上損をしないためにもどうにかしてほしいものだと思いつつ、いかんせんこの調子ではとても無理だろう。三十を過ぎてから重くなる一方の身体が殊更に重くなったような感覚に襲われながら、革靴の足音を事務所内に響かせる森田はぐったりと息を吐いた。





    「お疲れ様でーす」
    「おつかれー」
    「遅かったじゃん」
    「三嶋の講義でしょ? あいつすぐ小レポート書かせるから時間通り帰れないんだよな、お疲れ」
    「羽沢今日メシ食いにいかない? 友達がバイト始めた居酒屋あるからさー」

    『第2タマ大軽音楽研究会』と書かれたプレート部室のドアを開けた羽沢悠斗へ、先に中にいた者達が口々に声をかける。ある者は楽器をいじっていた手を止めて、ある者は個々のおしゃべりの延長戦として、またある者は携帯ゲームや漫画に向けていた顔を上げて羽沢を見た。その一つ一つに「お疲れ様ですー」「はいアイツです、ジムリーダーの国家資格化法案について千字書かされました」「本当面倒くさいですよねあの万年風邪っぴき声」返事をした彼は、各々自分の居場所に陣取ったサークル員の間を縫って部屋の奥まで行き、簡易的な机に鞄を置いた。「行く行く、ちょうど夕飯どうしようか考えてたんだよな」
    最後の一人まで返事をし終えた悠斗は言いながら机を離れ、壁に立てかけられているいくつかの楽器のうち、黒い布で出来たギターケースに手を伸ばした。その表面を、とん、と軽く指で突いた彼は何か言いたげな顔をしてサークル員達の方を振り返る。

    「富田ならまだ来てないぞ」

    悠斗が口を開くよりも前に、ギターの弦を張り替えていたサークル員の一人が声をかけた。「そうか」悠斗はへらりと笑う。

    「練習室、五時からですよね。芦田さん?」
    「ん? うん、そうそう。第3練習室ね、まぁ一個前の予約がオケ研だから押すと思うけど」

    悠斗の問いかけに、芦田と呼ばれたサークル員がキーボードに置いた楽譜から視線を上げて返事をする。それにぺこりと頭を下げ、悠斗は「そうなんですよ」と誰に向けてというわけでもない調子で言った。

    「だから、五時までやろうと思ってたんですけど。有原と二ノ宮もいるし、結構、合わせられる時間はなんだかんだいって無いですから」
    「そうだな」
    「ま、そろそろ来るでしょ。事務行ってるだけらしいから」

    会話に出された有原と二ノ宮が、それぞれ反応を返す。「なんだ、そっか」と小さく息を吐いた悠斗にサークル員がニヤリと笑って「いやぁ」と半ばからかうような口調で言った。「流石キドアイラク、期待してるぞ」
    やめてくださいよ、ソツの無い笑顔でその台詞に応えた悠斗は、タマムシ大学法学部の二回生という肩書きを持っているが、それとは別にもう一つ、彼を表す言葉がある。新進気鋭候補のバンド、『キドアイラク』のボーカリスト。それが悠斗に冠する別の名だ。ボーカルの悠斗をリーダーとして、先ほど話題に上っていたギターの富田、そしてベースの有原とドラムの二ノ宮で編成されたこのバンドはサークル活動の枠を超え、今はまだインディーズといえども、数々のメジャーレーベルを手がけている事務所にアーティストとして登録されているという実力を持っている。それはひとえに彼らの作る音楽の魅力あってのものだが、それは勿論として、しかし同時に別の理由もあった。

    古来、壮大な話になるが、それこそ『音楽』という概念が生まれてからずっと、人間にとっての音楽はポケモンと切っても切れない存在であった。ポケモンの鳴き声や技の立てる音を演奏の一部とするのは当然、それ以外にもパフォーマンスの一環としてポケモンのダンスを演奏中に取り入れたり、電気や水の強い力を楽器に利用したりと幅広く、音楽とポケモンとを繋げていたのだ。
    ポケモンと共に作る音楽は当たり前ながら、人間だけでのそれと比べてずっと表現の可能性が広いものとなる。人間ではどう頑張っても出せないサウンド、限界を超えた電圧をかけられたエレキギター、多彩な技で彩られるステージ。そのどれもが、ポケモンの力で出来るようになるのだ。
    そのため、遥か昔から今この瞬間まで、この世にあまねく、いや、神話や小説などの類で語られる『あの世』の音楽ですら、ポケモンとの共同作品が主流も主流、基本中の基本である。ポップスだろうがクラシックだろうがジャズだろうが関係無い。民族音楽も、EDMも、アニソンもヘビメタも電波も環境音楽もみんなそうだ。人間の肉声を使わないことが特徴であるVOCALOID曲ですら、オケのどこかには必ずと言って良いほどポケモンの何かによるサウンドが入っている。世界中、過去も未来も問わないで、音楽にはポケモンがつきものなのだ。

    が、その一方で、ポケモンの力を一切使わないという音楽も確かに存在している。起こせるサウンドは確かにぐっと狭まるが、限られた可能性の中でいかに表現するかを追求するアーティスト、そしてそれによって実現する、ポケモンの要素のあるものとは一味違う音楽を求める聴衆は、いつの時代もいたものだ。くだらない反骨精神だの異端だのと評されることは今も昔も変わらないが、その音を望む人が少なからず存在するのもまた、事実。
    そして悠斗率いる『キドアイラク』もそんな、ポケモンの影を一切省いたバンドなのだ。元々、彼らの所属サークルである第2タマ大軽音楽研究会自体がそういう気風だったのだが、悠斗たちはより一層、人間独自の音楽を追い求めることをモットーとしていた。
    ポップス分野としては珍しいその音楽と、そしてそれを言い訳にしないだけの実力が評価され、彼らは今日もバンド活動に邁進しているというわけである。

    「っていうか二ノ宮、何読んでんの」

    そんな悠斗たちだが、まだ全員揃っていないこともあって、今は部室のくつろいだ雰囲気に溶け込んでいる。円形のドラム椅子に腰掛けて何か雑誌を広げていた二ノ宮に、悠斗は何ともなしに声をかけた。「んー」雑誌から顔は上げないまま、二ノ宮は適当な感じの音を発する。

    「トレーナーダイヤモンド。リーグの下馬評とかさー、もうこんなに出てんだな。ま、一ヶ月切ったし当たり前かぁ」
    「え? もうそんな時期なのか、今回誰が優勝すんのかなー、去年はまたグリーンだったからな」
    「出場復帰してからもう四年連続だっけ。もうちょっとドラマが欲しいね、全くの新星とまではいかなくても逆転劇っていうか」
    「でも五年守り続けるってのはさ、それはそれですごいじゃん?」
    「あー」

    二ノ宮の返事を皮切りにして、口々にリーグの話を始めるサークル員達の姿に、悠斗はふっと息を吐いた。聞いた本人にも関わらず、彼は会話に入らずぼんやりとその様子を眺めていた。
    皆が盛り上がる声に混ざって、扉か壁か、その向こう側から他の学生のポケモンと思しきリザードの声が聞こえてくる。それを振り払うようにして悠斗が頭を振ったのと、「お疲れ様ですー」ドアが開いて、事務で受け取ったらしい何かの書類を手にした富田が顔を覗かせたのは同時だった。





    「では、今リーグもいつものメンバーで挑むということですか」
    「当然だ。俺はあいつらとしか戦わない」
    「流石は首尾一貫の羽沢選手ですね。しかしリーグに限らず、今までバトルを重ねていく中で、今のメンバーだけでは切り抜けるのが難しいことがあったのではないでしょうか? そういった時、他のポケモンを起用しようとか、編成を変えてみようとか、そうお考えになったことはございませんか?」
    「三匹という限られた中で戦わないといけないのだから、困難に直面するのは必然だろう。そこで、現状に不満を抱いて取り替えるのでは本当の解決とは言えん。編成を変えたところでそれは一時凌ぎでしか無い、また違う相手と戦う時に同じ危機に苦しむだろう。取り替えるのではなく、今のままで課題を乗り越えるのだ。それを繰り返していれば、少しずつ困難も減っていく」
    「なるほど! それでこそ羽沢選手ですよ、不動のメンバーに不動の強さ、見出しはこれで決まりですね」

    これが狙ってるんじゃなくて、素でやってるんだから厄介だよなぁ。興奮するレポーターの正面で大真面目に腕組みしている泰生の一歩後ろで、森田は内心そんなことを考えていた。
    タマムシ都内、スタジオ・バリヤード。そこで今、泰生はトレーナー雑誌の取材に応えている。まるで漫画やドラマの渋くダンディな戦士かのような受け答えをする泰生に、インタビューを務める若いレポーターは先ほどからずっと大喜びだ。頑固一徹を具現化したような泰生は、ともすれば周囲全てを敵に回す危険を孕んだ存在ではあるものの、同時にその堅物ぶりは世間から愛される要因でもある。それが決して作り物ではない天然モノであること、本人の真剣ぶりに一種のかわいさが見受けられることがその理由だ。また泰生の根の真面目さが幸いし、いくら嫌とは言えど、受けた仕事はこうしてしっかりこなすというところにも依拠している。
    背筋をぴんと伸ばした泰生が、眉間の皺は緩めないものの順調に取材を受けている様子に、森田は尚も心の中でそっと安堵の溜息をついた。朝はいつものように不機嫌だったが、いざ始まってしまえば大丈夫だ。これなら何の心配もいらないだろう、彼がそう考えたところに、レポーターがさらなる質問をする。

    「ところで、羽沢選手にはお子さんがいらっしゃるとのことでしたが……やはり同じようにバトルを……」
    「………………知らん」
    「えっ」

    途端、森田は一気に顔を引きつらせた。森田だけではない、レポーターも同じである。まだ新人だし初めて対面した相手だから、この類の質問が泰生にとってはタブーであると知らなかったのだろうか。しかし今はそんなことに構ってはいられない、凍りついた空気をかき消すようにして、「いやー、すみませんね!」森田は無理に作った笑顔と明るい声で二人の間に割り込んでいく。

    「そういうのはプライベートですから、ね、申し訳ないんですけど控えていただけると! いや、お答えになる方も沢山いらっしゃるでしょうが、羽沢はその辺厳しいものでして、本当申し訳ございません!」

    早口で謝りながらぺこぺこと頭を下げる森田の様子にレポーターはしばらく呆気にとられていたが、やがて「……あ、ああ!」と合点がいったように頷いた。

    「なるほど、そうでしたか……! いえ、こちらこそ大変失礼いたしました。そうですよね、あまり尋ねるべきではありませんでしたよね、不躾な真似をしてしまい申し訳ございません」
    「いえいえ、本当すみません。ほら、泰さんもそんな怖い顔しないで。別にこんなの大したことじゃないでしょう、ね、まーたオーダイル呼ばわりされますよそんな顔じゃ」
    「…………ふん」

    オーダイルじゃなくてオニゴーリだったか、森田は冷や汗の浮かんだ頭でそんなことを思ったが、この際別にどちらでも良いことだった。とりあえず泰生の機嫌が思ったよりは損なわれていないらしいことを確認し、森田の内心はまたもや大きな息を吐く。まだ引きつったままの頬を押さえ、彼は寿命が三年ほど縮んだ心地に襲われた。
    泰生のマネージャーとなってから十年ほど。少しずつ、本当に少しずつではあるが、泰生も丸くなっていっているのだと要所要所で実感する。しかしこればかりは緩和されるどころか、自分たちが歳を重ねるたびに悪化しているようにしか感じられない。そう、森田は思う。

    「で、ではインタビューに戻らせていただきます……今リーグからルール変更により二次予選が出場者同士が一時味方となるマルチバトルが導入されましたが、その点に関してはどうお考えで?」
    「非常に遺憾だ。シングルプレイヤーはシングルプレイヤー、ダブルプレイヤーはダブルプレイヤーとしての戦いを全うすべきなのに、まったく、リーグ本部は何を考えているのかわかったものではない」

    この頑固者の、親子関係だけは。
    ダグドリオの起こす地響きの如き低い声で運営への不満を語る泰生に、森田は困った視線を向けるのだった。





    「樂先輩、樂先輩」
    「なに?」
    「羽沢のやつ、なんであんなムスッとしてるんですか」
    「あー、それはね、羽沢泰生っているでしょ? 有名なエリトレの、ほら、064事務所のさ。あの人、羽沢君のお父さんなんだよ」
    「え! そうなんですか……でも、それがあのカゲボウズみたいになってる顔と何の関係が」
    「実はさぁ、羽沢君、お父さんとすっごく仲悪いらしいんだよね。だからトレーナーの話、というか羽沢泰生に少しでも関係する話するといつもああなるの。っていうか巡君もなんで知らないの。結構今までも見てたはずだけど」
    「すみません、多分その時はちょっと、僕ゲームに忙しかったんでしょうね。でも、別に雑誌程度で……」
    「まあ、ねぇ……よっぽど何かあるんだろうけど……」

    「聞こえてますよ、芦田さんも、守屋も」

    一応は内緒話っぽく、小声で喋っていたサークル員たちに向かって悠斗が尖った声を出すと、二人はびくりと身体を震わせた。守屋と呼ばれた、悠斗の同級生である男子学生は猫背気味の後姿から振り返り、「ごめんなさい」と肩を竦める。彼はキーボードの担当だったが今は楽器が空いていないらしく、同じくキーボード担当である芦田の隣に陣取って暇を持て余しているらしかった。
    決まり悪そうに、お互いの眼鏡のレンズ越しに視線を交わしているキーボード二人へ、悠斗はそれ以上言及しない。それは悠斗の、のろい型ブラッキーよりも慎重な、事を出来るだけ波立たせたくない主義がそうさせることだったが、彼らの言っていることが間違ってはいなかったからでもある。

    悠斗が父親のことを嫌っているというのは、もはやサークル内では公然の秘密と化している。ただ、守屋のような一部例外を除いての話であるが。
    泰生は悠斗が物心ついた時からすでに、というか彼が生まれるよりもずっと前からバトル一筋だった。それはトレーナーとしては鏡とも言える姿なのかもしれないが、父親という観点から見たらお世辞にも褒められたものではなかったのかもしれない。少なくとも悠斗からすればそれは明白で、悠斗にとっての泰生は、ポケモンのことしか考えられない駄目な人間でしかなかったのだ。
    彼がポケモンの要素を排除した音楽をやっているのもそこに起因するところがある。勿論、悠斗の好きなアーティストがそうだからという理由もあるが、しかしそれ以上に彼を突き動かしているのは父である泰生への、そして彼から嫌でも連想するポケモンへの黒く渦巻いた感情だろう。悠斗はそれを自覚したがらないが、彼の気持ちを知っている者からすればどう考えても明らかなことだった。
    兎にも角にも羽沢親子は仲が悪い。本人たちがハッキリ口に出したわけではないけれど、彼らをある程度知る者達なら誰でもわかっていることである。

    「……おい、なんだよ瑞樹。その目は」
    「別に。それより練習するんだろ、今用意するから」

    そのことは、悠斗とは中学生からの付き合いである富田瑞樹ともなれば尚更の事実であった。それこそ泰生にとっての森田くらい。
    そして富田は、それを悠斗が指摘されると不快になることもよくわかっている。理解しきったような目をしつつも、何も言わずにギターケースを開けだす富田に、悠斗は憮然とした表情を浮かべていた。が、富山が下を向いたところでそれは若干、それでいて確かに緩まされる。その様子をやはり無言で見ていた有原と、図らずも発端となってしまった二ノ宮は「なあ」「うん」と、各々の楽器を無意味に弄りながら、やや疲れたような顔で頷き合った。





    やはりマルチバトルなど向いていない。
    本日何度目かになる試合の相手とコート越しに一礼を交わし、泰生は心中で辟易していた。現在彼は今日の最後のスケジュール、プロダクション内でのマルチバトルトレーニング中である。貸し切りにしたコートには、064事務所のトレーナー達がペアを組み、あちこちでバトルを繰り広げている真っ最中だ。
    所内のトレーニングに重きを置いている064事務所では前々から取り入れられていた練習だが、今回のリーグから予選がマルチになったこともあり、より一層力を入れている。ただ、シングルに集中したい泰生にとっては厄介なことこの上無い。そもそも彼は元より、自分以外の存在が勝敗を左右するマルチバトルが好きではないのだ。少しでも時間を無駄にしたくないのにそんなことをしたくない、というのが泰生の本音である。

    「ミタマ、ラグラージにエナジーボール」
    「かわせトリトン! 左奥に下がれ!」

    ただ、やる以上は本気で勝ちにいかなくてはいかない。ミタマという名のシャンデラに指示をしながら、泰生はくすぶる気持ちをどうにか飲み込んだ。
    敵陣のラグラージがミタマの放った弾幕を避けていく。長い尻尾の先端を緑色の光が少しばかり掠ったが、ほとんど無いであろうダメージに泰生の目つきが鋭くなった。現在の相手はラグラージとカビゴン、シャンデラを使う泰生としては歓迎出来ない組み合わせである。また、クジで組んだ本日の相棒という立場から見ても。

    「クラリス、ムーンフォースだ、カビゴンに!」

    シャンデラの眼下にいるニンフィアが光を纏い、カビゴンの巨躯へと走っていく。可憐さと頼もしさが同居するそのフェアリーポケモンに声をかけたのは、エリートトレーナーとしては新米である青年、相生だ。甘いマスクと快い戦法が人気で、事務所からも世間からも期待のホープとされているが、今の彼は、よりにもよって事務所一の偏屈と名高い泰生と組んだことからくる緊張に襲われている。
    無口で無表情、何を考えているのかわからない泰生のことを日頃から若干恐れていた相生は、誰がどう見ても表情を引きつらせており、対戦相手達は内心、彼をかわいそうに思っていた。ニンフィアに向ける声も五度に一度は裏返り、整った顔は時間が経つごとに青ざめていく。今のところは勝敗こそどうにかなっているが、もし自分がくだらぬヘマをしてしまったら何を言われるか。そんな不安と恐怖が渦巻いて、相生の心拍は速まる一方だった。

    「なんかすみません……相生くんに余計なプレッシャーかけちゃってるみたいで」
    「いやぁ、いいんだよ。アイツは実力こそ確かなんだけど、まだそういうのに弱いから。今のうちに慣れておかないと」
    「え、あ、じゃあ、泰さんでちょうど良かった、みたいな感じですかね? あはは、なら安心……」
    「ま、ちょっと強すぎる薬だけどな」
    「うっ……そうですね、ハイ…………」

    ポケモンバトル用に作られたこの体育館は広く、いくつものコートで泰生たち以外のチームが各々戦っている。その声や技の音に掻き消されない程度に落とした声量で、森田と、相生のマネージャーはそんな会話を交わしていた。まだ若い相生にはベテランのマネージャーがあてがわれているため、トレーナー同士とは真逆に、森田からすれば相手はかなりの先輩である。「まぁ、それが羽沢さんの良いところなんだがな」「いえホント……後でよく言っておきますので……」泰生からのプレッシャーを感じている相生のように、森田もまた委縮せざるを得ない状況であった。
    誰も得しないペアになっちゃったよなぁ、と考えながら、森田は会話の相手から視線を外してコートを見遣る。シャンデラが素早い動きでラグラージを翻弄する傍らで、「クラリス、いけ、でんこうせっか!」ニンフィアがカビゴンに肉薄していった。瞬間移動かと見紛うその速さに、流石はウチの期待の星だ、と森田は感心した。
    しかしカビゴンのトレーナーである妙齢の女性は少しも動じることなく、むしろ紅い唇に不敵な笑みを浮かべる。「オダンゴ」

    「『あくび』!」
    「っ! そ、そこから離れろ、クラリス!」

    しまった、と泰生は内心で舌打ちしたがもう遅い。慌てて飛ばされた相生の指示は間に合わず、カビゴンの真正面にいたニンフィアは、大きな口から漏れる欠伸をはっきりと見てしまった。
    華奢な脚がもつれるようにして、ニンフィアの身体がふら、とよろめく。リボンの形をした触覚が頼りなく揺れ、丸い瞳はみるみるうちにぼんやりとした色に濁っていった。カビゴンと、そのトレーナーが同じ動きで口許を緩ませる。

    「駄目だ、クラリス! 寝ちゃダメだって!」

    元々、泰生に対する緊張でいっぱいいっぱいだった相生は完全に混乱してしまったようで、ほぼ悲鳴のような声でニンフィアへと叫び声を上げた。ああ、駄目なのは思えだ。泰生は心の中で深い息を吐く。こういう時に最もしてはならないのは焦ることだというのに、どうしてここまで取り乱してしまうのか。
    期待のホープが聞いて呆れる。口にも、元から仏頂面の表情にも出しはしないが、泰生はそんなことを考えた。

    「もう遅い。せめて出来るだけ遠ざけとけ、後は俺がやる」
    「す、すみませ……」

    涙が混ざってきた相生の声を遮るようにして言うと、彼はまさに顔面蒼白といった調子で泰生を見た。その様子を少し離れたところで見ていた相生のマネージャーが、あまりの情け無さにがっくりとうなだれる。
    「本番でアレが出たらと思うとなぁ」「ま、まだこれからですから……それに今のはどちらかというと、泰生さんのせいで」小声で言い合うマネージャー達の会話など勿論聞こえていない泰生は、ぐ、と硬い表情をさらに引き締めた。ニンフィアが間も無くねむり状態になってしまう以上、二匹同時に相手にしなければならないのは明白である。しかしシャンデラとの相性は最悪レベル、切り札のオーバーヒートも使えない。もう一度欠伸をかまされる可能性だって十分あり得るだろう。

    「ミタマ、ラグラージにエナジーボール」
    「なみのりで押し退けてしまえ、トリトン!」

    とりあえずラグラージから何とかしよう、と放った指示は勢いづいた声と水流に呑まれそうになる。「避けろ!」間一髪でそれを上回った泰生の声で天井付近に昇ったシャンデラは、びしゃりと浴びた飛沫に不快そうな動きをした。まともに喰らっていたら危なかった、コートを強か打ちつけた水に、泰生の喉が鳴る。
    しかし技は相殺、腰を落としてシャンデラを睨むラグラージもまた無傷のままだ。ニンフィアのふらつきはほぼ酩酊状態と言えるし、もう出来る限り攻め込むしかあるまい。しかし冷静に、あくまで落ち着いて。そう自らに言い聞かせながら、泰生は次の指示を飛ばすべく息を吸う。

    その、時だった。

    (ピアノ……?)

    今この場所で聞こえるはずの無い音がした気がして、泰生は思わず耳を押さえる。急に黙ってしまった彼を不審に思ったのだろう、隣で真っ青になっていた相生が「……羽沢さん?」と恐る恐る声をかけた。
    ラグラージに指示しようとしていた、またニンフィアへの攻撃をカビゴンに命じようとしていた相手トレーナー達も、異変を察して怪訝そうな顔をする。

    「……ああ、いや。すまない」

    何でも無いんだ。
    何事かと駆け寄ってきた森田を手で制し、そう続けようとしたところで、またピアノの音がした。軽やかに流れていくその旋律はまさかこのコートにかかっている放送というわけでもあるまいし、仮にそうだとしてもはっきり聞こえすぎである。「チャ、チャンスなのか? やってしまえ、トリトン、なみ……」「バカ、やめた方がいいでしょ! オダンゴも止まって、羽沢さん! 大丈夫ですか!?」相手コートからの声よりも、勢い余って技を放ってしまったラグラージが起こした轟音よりも、ピアノの音はよく聞こえた。
    まるですぐ近くで、それだけが鳴り響いているようだ。「羽沢さん!」「どうしたんですか、聞こえてます!?」反対に、自分に投げかけられる声はやけに遠くのものに思える。血の気を無くして近寄ってくる森田に何かを言おうとしたものの声が出ない。不安気に舞い降りるシャンデラの姿が、下手な写真のようにぶれて見えた。

    「しっかりしてください、羽沢さん!」

    「救急車!? 救急車呼ぶべき!?」

    「まだ様子見た方が、羽沢さん! 羽沢さん、答えられますか!?」

    「泰さん、どうしたんですか! 泰生さん!!」



    「羽沢君!!」



    そのブレが不快で、数度瞬きをした後に泰生の目に入ったのは、シャンデラとは全く以て異なる、


    「いきなり黙るからびっくりしたよ……大丈夫?」


    グランドピアノを背にして自分を見ている、心配そうな顔をした、白いシャツの見知らぬ男だった。





    「もうさぁ、巡君のアレは何なんだろう。『先輩がいない間の椅子は僕が安全を守っておきますよ!』って、アレ、絶対俺が帰ってからも守り続けるつもりでしょ……絶対戻ってから使うキーボード無いよ俺……」
    「すごい楽しそうな顔してましたもんね、守屋。イキイキというか、水を得たナントカというか」
    「部屋来るなり俺の隣に座ってたのはアレを狙ってたんだろうなぁ」

    予約を入れた練習室へと向かう廊下。悠斗は練習相手である芦田と、部室を出る際の出来事などについて取り留めの無い会話を交わしていた。
    夕刻に差し掛かった大学構内は騒がしく、行き交う学生の声が途切れることなく聞こえてくる。迷惑にならない程度であればポケモンを出したままにして良いという学則だから、その声には当然ポケモンのそれを混ざっていた。天井の蛍光灯にくっつくようにして飛んでいるガーメイル、テニスラケットを持った学生と並走していくマッスグマ。すれ違った女生徒の、ゆるくパーマをかけた柔らかい髪に包まれるようにして、頭に乗せられたコラッタが眠たげな目をしている。
    空気を切り裂くような、窓の外から聞こえるピジョットの鋭い鳴き声は野生のものか、それとも練習中のバトルサークルによるものだろうか。絶えない音の中で、悠斗が脳裏にそんな考えを浮かべていると「まぁ、巡君のことはいいんだけど」隣を歩く芦田が話題を変えた。

    「羽沢君も忙しいよねぇ。学内ライブって言ってもこうやって練習、結構入るし、あと学祭もあるじゃん? いいんだよ、無理してそんなに詰めなくても……」

    身体壊したら大変だからさ。地下へと繋がる階段を降りながら、そう続けた芦田が何のことを言っているのか、それを悠斗が理解するまでには数秒かかったが、すぐに来月のオーディションのことだと見当がついた。
    はっきりと口に出してはいないが、芦田が話しているのは来月に迫った、悠斗始めキドアイラクが受ける、ライブ出演を賭けた選考のことである。これからの開花が期待される新進アーティストを集めて毎年行われるそのライブからは、実際、それをきっかけにしてブームを巻き起こした者も数多く輩出されている。悠斗達は事務所から声をかけられて、その出演オーディションを受けることにしたのだ。ライブに出れれば、その後の成功こそ約束されてはいないものの、少なくとも今までよりずっと沢山の人に演奏を聴いてもらうことが出来る。
    しかしそのオーディション前後に、悠斗達はサークルの方の予定が詰まっているのも事実だった。芦田が心配しているのはそのことだろうと思われたが、悠斗は「大丈夫ですって」と、いつも通りに明るい笑顔を作って言った。

    「ちょっとぐらい無理しても。楽しいからやってることですし、やった分だけ本番にも慣れますしね」
    「それはそうだけどさ。でもほら、本当やりすぎはダメだよ、なんだっけ……こういうの言うじゃん、『身体が資本』? だっけ、ね」
    「そんな、平気ですよ。それに俺、今度の学内ライブで芦田さんと組めるの楽しみなんですよ? ピアノだけで歌ってのもなかなか無いですし、それも芦田さんの演奏で、なんて」
    「やだなぁ、褒めても何も出ないから……いや、ま、ほどほどにね。あと一ヶ月無いのか、何日だっけ? 確かリーグの……」

    そこで芦田は言葉を切った。それは「着いた着いた」ちょうど練習室に到着したからというのもあるだろうが、悠斗は恐らくあるであろう、もう一つの理由を感じ取っていた。
    悠斗はポケモンを持っていないが、芦田はいつもポワルンを連れている。しかしその姿は今は見えず、代わりに、練習室へと入る芦田の肩にかかった鞄からモンスターボールが覗いているのが見て取れた。バインダーやテキストの間で赤と白の球体が動く。

    「芦田さん」
    「ん?」
    「別に、そんな、気を遣っていただかなくてもいいですから」

    苦笑しつつ、しかし目を伏せて言った悠斗に、芦田は「うんー」と曖昧な声で笑った。「そうでもないよ」にこにこと手を振って見せた芦田に申し訳無さを感じつつも、同時に彼が閉めたドアのおかげでポケモン達の声が聞こえなくなったことに確かな安堵を覚えた自分に、悠斗は内心、自分への嫌悪を抱かずにはいられないのだった。

    「それはそれとしてさ、始めちゃおっか。あと何度も時間とれるわけじゃないし、下手したら今日入れて三回出来るかどうか」
    「はい、そうですね」

    練習室に鎮座するピアノの蓋を開け、何でもない風に芦田が言う。大学の地下に位置するこの部屋は音楽系サークルの練習場所であり、防音になっているため外の音は全くと言ってよいほど聞こえない。室内にあるのは芦田がファイルの中の楽譜を漁る、バサバサという音だけだった。
    二週間ほど後に予定されている学内ライブは、サークル内で組まれているバンドをあえて解体し、別のメンバー同士でチームを作るという試みである。悠斗は芦田と組んでいるため、キドアイラクの方と並行して練習しているというわけだ。

    「じゃあとりあえず一曲目から通して、ってことでいい? 今は俺も楽譜通りやるから気になったことがあったら後で、あ、キーは?」
    「わかりました、二つ上げでよろしくお願いします」
    「了解!」

    言い終えるなり、芦田が鍵盤を叩き出す。悠斗も息を吸い、軽やかな旋律に声を乗せた。悠斗の最大の武器とも言える、キドアイラクの魅力の一つである伸びの良い高音が練習室に響く。
    歌っている間は余計なことを考えなくて済む。悠斗は常日頃からそう思っており、歌う時間だけは何もかもから解放されているように感じていた。所々が汚れた扉を開ければ途端に耳へ飛び込んでくるだろう声達も、今は全く関係無い。自分の喉の奥から溢れる音を掻き消すものの無い感覚は、悠斗にとってかけがえの無いものだった。

    しかし、である。

    『ミタマ、ラグラージにエナジーボール』

    今最も聞きたくない、そして聞こえるはずのない声が鼓膜を震わせた。

    (何だ――?)

    それは父親のものにしか思えなかったが、ここは大学の練習室だ。いるのは自分と、芦田だけである。その声がする可能性はゼロだろう。気のせいだろうか、嫌な気のせいだ、などと考えて悠斗は歌に集中すべく歌詞を追う。きっと空耳だろう、自覚は無くても少し疲れているのかもしれない。芦田の言う通り、無理はせずにちょっと休むべきだろうか。

    『なみのりで押し退けてしまえ、トリトン!』

    が、そんな悠斗の考えを否定するように、またもや声が聞こえた。今度は父親のものではなかったが、含まれた単語から、先程した父親の声と同じような意味合いを持っていることが予想出来た。次いで耳の奥に響いたのは水流が押し寄せる轟音と、何かが地面を弾くような鋭い爆発音。いずれにせよ、この狭い、地下の練習室には起こり得るはずもない音である。
    どうして、なんで、こんな音が。サビの、跳ねるような高音を必死に歌い上げながら悠斗は激しい眩暈を覚えた。悠斗の異変に芦田はまだ気づいていないようだったが、『羽沢さん?』彼の奏でるピアノに混じる声は止む様子が無い。『オダンゴも止まって!』ありえない声達はやたらと近くのものに聞こえ、それと反比例するようにして芦田のピアノの音が遠ざかっていくみたいだった。

    『聞こえてますか!?』

    「羽沢君!?」

    おかしくなった聴覚に、悠斗はとうとう声を出せなくなった。あまりの気持ち悪さで足がよろめき、口を押さえて思わずしゃがみ込む。声が聞こえなくなったため、流石に気がついた芦田は悠斗の姿を見るなり慌ててピアノ椅子から立ち上がった。

    「羽沢君、大丈夫!? どうしたの!?」
    「いや、なんか……」

    どう説明するべきかわからず、そもそも呂律が思うように回らない。自分の身体を支えてくれる、芦田の白いシャツがぼやけて見えた。
    『救急車!?』『羽沢さん、答えられますか!?』聞こえる声のせいか、頭が激痛に襲われたようだった。簡素な天井と壁、芦田の顔が歪みだす。何だこれは、声にならない疑問が息となって口から漏れたその時、悠斗の視界が一層激しく眩んだ。



    「泰さん!!」



    ほんの一瞬の暗転から覚めた視界に映っていた光景は、まるで映画か何かを観ているような感覚を悠斗に引き起こさせた。
    自分を覗き込んでいる知らない顔、若い男もいれば初老の男もいる、長い髪を結った綺麗な女の人も……。彼らの背景となっている天井がやたらと高いことに悠斗の意識が向くよりも先に、その顔達を押し退けるようにして一人の男が目に飛び込む。


    「泰さん、大丈夫ですか!? どこか具合が悪いですか、それとも疲れたとか……いや、泰さんに限ってまさか、ともかく平気ですか!?」


    ああ、この人の顔には見覚えがある。そう思った悠斗の上空から、ふわりふわりという緩慢な、しかし焦った様子も滲ませた動きでシャンデラが一匹、蒼い炎を揺らしながら降りてきたのだった。


      [No.1368] 王者の品格 投稿者:GPS   投稿日:2015/11/03(Tue) 21:00:18     38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    ポケモンリーグ。


    それは、ポケモンバトルの王者を決する聖なる戦いだ。
    王の玉座を手に入れるためには幾つもの勝負を制し、無数の技を掌中にして、ポケモンと心を一つにすることが求められる。
    ポケモンバトルの強き者、それが王たる資格なのだ。


    しかし、真実はどうであろう。

    バトルに強き者だというだけで、果たして王と成り上がることは叶うのだろうか。


    王者に乞われる力とは、もっと別のところにあるのではないか?





    -------------------------------------------------
    池井戸潤・作『民王』およびその映像化作品、金曜ナイトドラマ『民王』のオマージュ要素があります。


      [No.1367] 夕海 下 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:52:56     47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    夕海 下



     セッカはピカチュウと共にポケモンセンターを飛び出すと、立ち止まった。
    「どこ行こう、ピカさん」
    「ぴかぁ?」
     早めに何とかした方がいいと聞き、とりあえず飛び出したはいいが、セッカには考えがなかった。
    「ユアマジェスティちゃんに捜してもらう? アギトに捜させる? えー……うわー……飛行タイプ欲しいわー……」
     セッカの手持ちのフラージェスは浮遊することで空から人を捜すことは可能だが、素早さが高くないために機動的な動きはできない。ガブリアスは存在そのものがほぼ凶器であるため、セッカとしてはできるだけ人気のない場所でしか出したくなかった。
     仕方がないので、セッカは頭をひねった。
    「うーんと、セーラは用事があるってポケセン出てっちゃったんだよな……。その前は、自転車でショウヨウシティをぐるぐる回ってた……。自転車はデストラップちゃんが黒焦げにして……ポケセン前に置いてて……セーラがどっか持ってっちゃった」
     あの黒焦げの自転車はまだ乗ることができたのだろうか、などとセッカは考えた。
    「セーラは何か持ってたっけ? 自転車の籠とか……籠なんてなかったよな……ミニスカートで……どこへ行ったんだ?」
    「ぴか、ぴかぴぃか」
    「ああそうか、デストラップちゃんの電撃のせいであのミニスカも結構焼きが回った? っていうかボロボロになってたんだっけ。あんな格好で歩き回らないか。自転車で家に帰ったのかな?」
    「……ぴかっ?」
    「お、どうしたピカさん」
     セッカの肩の上でピカチュウが何かに気付き、激しく鳴きたてる。セッカはふらふらと通りに出た。
    「ほぎゃあっ!」
     セッカは、右から来た自転車にはね飛ばされた。
     ピカチュウはまたも宙でうまく体勢を整え、地面に降り立った。そして相棒を振り返った。
    「ぴかちゃあ――っ!」
    「生きてる、生きてるぜ相棒……畜生……セーラめ……許さねぇ」
     セッカはふらふらと立ち上がった。
     その時だった。セッカをはね飛ばした黒焦げの自転車が大破し、それに乗っていたジャージ姿のセーラも、道路に吹っ飛んだ。
    「セーラ――ッ!」
     セッカの叫びは驚愕ではなく、憤怒の雄たけびである。セッカは全身の痛みを引きずりつつ、のしのしとセーラの前に立ちはだかった。
    「畜生二度までも! せっかく謝ってやろうと思ったのに! もう許さねぇ! ピカさんの神の裁きをお見舞いしてやる!」
    「う……」
    「どーだ恐れおののいたか!」
    「……あんた……が……ふらふら……と……道路に出るからでしょうがッ!」
     セーラもよろめきつつ立ち上がり、そして勢いよくセッカに詰め寄った。
    「もう何よまたあんたなの! いつもいつも何なのよ! やっぱあんたが犯人じゃない!」
    「は?」
     セッカは呆けた。『やはり犯人だ』と決めつけられても困る。
    「痴漢は冤罪だぞ!」
    「じゃあ何よ、あたしが脱いださっきのミニスカート奪ってったのは何なのよ!」
    「知るかよ! 脱ぎたてのボロボロのミニスカート奪うって、変態じゃねぇか!」
    「あんたが変態じゃないの!」
    「俺は違う!」
    「この変態マッギョ野郎!」
    「あってめぇは俺を怒らせた死んで償え全世界のマッギョに謝れひれ伏せピカさん雷!」
    「待て待て待て待て!」
     セッカとセーラの間に割って入ったのは、ポケモンセンターから出てきたロフェッカである。
    「おい……何が起きた!」
     完全に混乱しているロフェッカがジャージ姿のセーラに大声で尋ねると、ロフェッカやセッカには想定外の事態が発生した。
     セーラが泣き出したのである。
     セッカはひどく混乱した。
    「あ……あーおっさんが泣かしたー! いっけないんだいっけないんだー!」
    「うおおおおすまん! すみませんでした! ……セーラさん、とりあえずポケモンセンターに……何があったか教えてくれ……!」
     しかしセーラはしゃくりあげ続け、そのぽっちゃり体型の体を丸めて道路脇に座り込んだ。嗚咽が止まない。
     セッカもロフェッカも困り果ててしまった。泣いている少女をどう扱ったらいいものかわからず、立ちすくむ。
     そこで動いたのは、セッカの相棒だった。
    「ぴぃか」
    「……え……?」
     本来のワイルドで血の気の多い性格をひた隠し、セッカの最高の相棒は世界一キュートなアイドルを装った。とめどない涙で頬を濡らす少女にてちてちと歩み寄り、愛くるしいつぶらな瞳で誘惑する。人畜無害な電気ネズミは、すりすりと無邪気に少女に頬ずりをした。
    「……あ……りがと……」
     セーラも少しは落ち着いたのか、セッカのピカチュウに震える指でそっと触れる。
     セッカは吹き出したいのを必死に堪えながら、相棒の奮闘を見守った。
     つい先ほど自宅でジャージに着替えてきたらしいセーラは、やがて震えながら小さな声を絞り出した。
    「……家で……着替えたら……窓から、ポケモンが」
    「ぴぃか? ぴかぴぃか!」
     今のピカチュウは、か弱き乙女に寄り添う妖精である。少女に同情を寄せ、少女の笑顔を取り戻そうと一生懸命に愛らしい声で励ます。セッカは面白さのあまり肩を震わせた。
     セーラは顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、愛らしいピカチュウに打ち明けた。
    「……そのポケモンが、あたしのミニスカート、とって、逃げてったの……」
    「よっしゃよくやったピカさん!」
     セッカが叫ぶ。セーラがびくりと肩を震わせ、セッカを見上げた。
     ピカチュウは未だに、無垢なる守護天使の役から抜け切れていなかった。
     セッカはふっと笑った。
    「……わかった。ピカさん、セーラを頼む」
    「おい、何かっこつけてんだ、お前?」
     そこにロフェッカのツッコミが入る。
    しかしそれにはセッカは首を傾げて応えた。
    「つまり、セーラが血相変えて走ってた方角に、その泥棒がいるんだろ? とりあえず捕まえてくるし」
     そしてセッカは腰からボールを一つ外し、それを両手で丁寧に包み込みつつ、中のポケモンを解放した。
    「アギト」
     光に包まれて現れたガブリアスが、黄金の瞳でセッカを見つめ返す。


     セッカはガブリアスの肩に乗った。
     セッカはこのガブリアスドライブのための特製の鞍を所持している。ガブリアスの表皮は鮫肌になっているため、普通に肩車をしてもらうと股が血だらけになる。そのため、襟巻の風体をした鞍をガブリアスにつけ、その上で肩に乗るのだ。
    「ポケモンを追って。東だ。ミニスカートを持ってる。デストラップちゃんが焦がした匂い。分かるな」
    「ぐるる」
    「おっけ、頼むぞ」
     ガブリアスは早々に匂いを捉えたと見えて、セッカを肩に乗せて走り出した。その一歩一歩は次第に大きな跳躍となり、あっという間にポケモンセンターもロフェッカもセーラも見えなくなった。
    ガブリアスは通りの人々を飛び越え、ショウヨウシティの東を目指す。
    そこは岸壁が立ちはだかっており、しかしそれすらもガブリアスは軽く飛び越えていく。迷うことなく崖の上を目指している。
    暫く右に左に動いていたが、やがてガブリアスは一つの岩棚にぶら下がった。
    「……地つなぎの洞穴?」
    「ぐるるるるる……」
     ガブリアスは低く唸っていたが、鼻を鳴らすような声でセッカに合図をすると、その岩棚から跳躍した。
     ガブリアスが離れた箇所に、何かが撃ち込まれる。
     次の瞬間、打ち込まれたそれは発芽し、崖に根を張り出した。
    「……宿り木の種?」
     岸壁に雨あられと降り注ぐ宿り木の種に、ガブリアスの肩の上のセッカはちらりと背後を振り返る。
     そこには切り株ポケモンのボクレーが浮遊していた。
     その小さな手に、焦げたミニスカートを持っている。
     再びガブリアスが岩壁に体を固定したところで、セッカは冷静に指示を飛ばす。
    「アギト、ボクレーにストーンエッジ!」
    同時にセッカはフラージェスを呼び出した。
     ガブリアスの撃った岩がボクレーを直撃する。一撃で瀕死にした。
    「ユアマジェスティちゃん、サイコキネシスでこのボクレーを地つなぎの洞穴へ。ついでにミニスカートも……って、何だよその目は! 持ち主に返すだけだよ!」
     オレンジ色の花のフラージェスが、落下するボクレーと焦げたスカートをその力で受け止め、洞穴へと連れて行く。ガブリアスに合図をすると、セッカも地つなぎの洞穴に入った。
     洞穴の中は照明が取り付けてあったが、それでも薄暗く、ズバットの飛び交う微かな羽音が満ちている。
     セッカを肩に乗せたガブリアスに、瀕死のボクレーと焦げたミニスカートを念力で浮かせたフラージェスがついていく。
     ボクレーには電撃で焦げた衣類を集めるというような習性はない。そもそも、この地域にボクレーは生息しないはずだ。とすると、このボクレーにトレーナーがいる可能性は高い。
     ミニスカートを盗んだ変態はボクレーではない。ボクレーに盗ませたトレーナーだ。
     ガブリアスが迷いのない足取りで洞穴の奥へ進み、そして、とある岩陰にその鉤爪を突きつけた。ひっ、と小さく息を呑む音が聞こえた。
    「あんたが、ボクレーのトレーナー?」
     セッカがガブリアスの肩の上から問う。しかしその男は岩陰から出てこようとしない。
     ガブリアスが、ざり、と岩壁を引っ掻いた。男は陰から滑り出てきた。
     痩せぎすの男だった。セッカは生まれて初めて遭遇した、使用済み少女服収集癖を持つ人種をまじまじと観察する。
     後ろめたいことをしている自覚はあるのか、男は呼吸が荒く、どこかそわそわと落ち着かなさげにしている。しかしガブリアスの黄金の瞳とフラージェスの黒水晶の瞳に凝視されては下手な手も打てないらしい。
    「……とりあえず、ボクレーをボールに戻してくんない?」
     セッカの要求は受け入れられ、男は瀕死のボクレーをおとなしく自身のボールに収めた。
    「じゃあ、ユアマジェスティちゃん、ちょっと重いだろうけどサイコキネシスでポケセンまで、この方をお連れして」
     項垂れている男を尻目に、セッカはガブリアスに引き上げを命じた。


     すでに夕刻となっていた。
     日が海の向こうに沈みかけ、空と海が緋色に染まる。
     ショウヨウシティのポケモンセンターの前には警察官が二人ほど来ており、ガブリアスの肩の上のセッカは彼らの注目を集めてびくりと身を縮めた。ミアレシティの事件以来、不必要なまでに警察の前で挙動不審になってしまい、それがさらに警官の不信を集め、そうしてますます警察が苦手になるという悪循環がセッカの中で成立している。
     しかし、警官と共にポケモンセンターの前に出ていたロフェッカは、セッカに向かって陽気に手を振った。
    「よう、お疲れさん。大手柄だな」
    「ううー……?」
     セッカは警官二人の物珍しげな視線に怯えつつ、そろそろとガブリアスの肩から降りた。ガブリアスは凝りを解すように肩を回し、そしてその腕の巨大な刃が振り回されるので、フラージェスのサイコキネシスによって宙に捕縛されている男が悲鳴を上げた。
     ロフェッカが片眉を上げる。
    「この御仁か? セッカ」
    「えっと……セーラのミニスカをポケモンに奪わせた人だよ」
    「というわけです。このトレーナーが見事、犯人を捕まえてくれました」
     ロフェッカがセッカの肩に手を添えつつそう告げたのは、二人の警察官である。セッカは微妙にロフェッカの陰に回るようにしながら警官を観察した。ベテランと新人の二人組らしい。
     “ミアレシティでエリートトレーナーに後遺症の残る重傷を負わせた四つ子のトレーナー”。セッカはその一人であり、警察署にも30分間だけだがお世話になった。警察ならば、セッカの顔格好も知っているかもしれない。あるいは知らないかもしれない。
     しかし、若い警官はセッカに向かって笑顔を見せた。
    「すごいですね! ありがとうございます」
    「……は、はひ」
     セッカはロフェッカの陰でもじもじする。ところがそこにベテラン警察官の指摘が上がった。
    「おい、まだわからん。この男が犯人だという確かな証拠は?」
     ロフェッカに促され、セッカはおずおずとこの男を捕まえた経緯を白状した。
    「……ボ、ボクレーが。ボクレーが焦げたミニスカートの匂いして……ああアギトが嗅ぎ分けました! でででで、それで、ボクレーはこの男のポケモンです……」
    「ほう」
     セッカの説明を受けて、ベテラン警察官はボールからラクライを出した。そしてラクライに、フラージェスがサイコキネシスで浮かしている焦げたスカートと、男が持つモンスターボールのにおいを嗅ぎ分けさせる。
     ラクライの反応に、ベテランの警察官は小さく頷いた。
    「……そうか、正しいか。犯人逮捕にご協力いただき感謝する、若きトレーナー君」
     ベテラン警官は不愛想だった。その鋭くまっすぐな眼差しにセッカが挙動不審になっていると、その頭をロフェッカにぐりぐりされた。
    「ありがとうって言われたら、どういたしましてって返すんだよ。んなことも知らねぇのかぁ、このガキは?」
    「い、いでで、あ、『ありがとう』とは言われてないし……!」
    「これはすまなんだな。ありがとう、若きトレーナー君」
    「ありがとうございます。いやぁ、強そうなガブリアスとフラージェスですね!」
     ベテラン警官が目元を緩め、若い警官もいつの間にか手早く痩せぎすの男に手錠をかけながら朗らかにセッカを褒め称えた。
    「……ふ、ふおお」
    「ほれ、どういたしましては?」
    「どぅお、どぅおういたすぃますぃとぅえ」
    「おう、お疲れ、セッカ」
     ロフェッカに軽く肩を叩かれ、ポケモンセンターの中へと促される。セッカは振り返った。
     二人の警官はセッカの視線に気づくと、再び小さな会釈をくれた。セッカは小さく肩を竦めるようにやり過ごすと、何でもないかのようにガブリアスとフラージェスをボールに収めた。


     ポケモンセンターのロビーには、サイコソーダの瓶を手に、すっかり泣き止んだジャージ姿のセーラがいた。その膝の上にはセッカのピカチュウがいたが、これもかわいいマスコットキャラクターには随分と飽き飽きという感じであった。
    「……おかえり」
    「……おかえりって、なんか違くないっすか……」
     微妙に敬語になりつつ、セッカもロビーのソファに腰を下ろす。セーラと正面から向かい合う形ではなく、90度の角度で配置されたソファに沈んで、ちらりとセーラの方をセッカが見やると、耐えかねたピカチュウがセッカの肩に戻ってきた。
    「ぴかっちゃ!」
    「ピカさん、お疲れ。立派だったぞ、お前の雄姿……ぷ、ぷふふ」
    「ぴ! ぴかぁぁっ! ぴかちゅうっ!」
     からかわれたピカチュウはムキになってセッカの頬をぺちぺちと小さな掌で叩く。セッカはえへへへと笑い、ソファの背もたれになだれかかる。目を閉じた。
     ガブリアスの肩に乗って走り、高速で空を飛ぶのは楽しいが、ひどく疲れる。特に今回のように崖登りをすることは、セッカの場合今までも数度あったことなのだが、ひどく上下に揺れるせいか三半規管がやられる。
     ロフェッカがもう一本、セッカにサイコソーダを奢ってくれた。しかしセッカは飲む気にもなれず、それを低い机の上に放置する。
     セーラは警官と一緒に署へ向かうなどということはせず、黙ってソファに浅く座っていた。自転車から落ちたためか体中のあちこちに絆創膏が張られていたが、セッカのマッギョが放った10万ボルトのダメージも含め、特に問題はなさそうだった。
    「……あ、あの」
     セッカは低いソファの背もたれの上に頭を寝かせていたが、軽く目を開けて下目遣いで少女を見やった。眠かった。
     セーラもセッカの疲労は分かっているのか、そのような態度は気に留めず、ぼそぼそと言葉を繋ぐ。
    「え、ええと、マッギョに覗かれたり、自転車を黒焦げにされたり、ブスって言われたり、あんたのせいであんたにぶつかって自転車から吹っ飛んだり……そういうことと、この変態泥棒の件は関係ないんですけど」
    「そっすね。……俺はあんたに轢き逃げされたし、大勢のギャラリーの前で痴漢だって言われてビンタされたし、そのあともっかいあんたに自転車で吹っ飛ばされたし。まあそれとこの変態泥棒の件は関係ないし」
     セーラは言葉に迷うようだった。セッカは冷淡だった。
     沈黙が落ちる。
    セッカはソファに沈みつつ、重い頭で考える。何だろう、なんか今、俺は今、少しだけかっこいい。体を張って、少女を困らせた変態を捕まえたのだから。しかしセーラを困惑させたいわけではない。
    「なんかさー……」
     セッカもぼそぼそと言葉を発する。
    「どうでもよくなった?」
    「……変態泥棒のせいでうやむやにされた気しかしないのだけれど」
    「どうせその程度だったんですよ。俺と貴方の間の情熱はね」
     セッカは茶化してそのように言ったつもりだった。しかし疲労のせいで言葉に元気が入らず、なんとも痛い発言となって空気に広がった。
     沈黙が落ちた。
    「うー……」
     セッカが唸る。
    「あの……とりあえずご迷惑をおかけしました。すみませんでした。ありがとう。おやすみ」
     それだけ言い捨てると、セッカは眠りの中に逃避した。


     ショウヨウシティでセッカが学んだことは、下手な復讐など企まない方がいいということだ。復讐は時に、相手の様々な予想外の心理的要素が絡まって、奇妙な方向へ飛んでいく。
     そして、問題を起こせば割とすぐに警察は飛んでくる。
     警察とは関わるものではない。
     おとなしく、清く正しく生きよう。
     そう思い決めたところで、セッカは瞼を開いた。
     夜のポケモンセンターは微かな豆電球を残して照明が落ちている。夜中に駆け込んでくる急患もあるためシャッターなどは下ろさず受付にも人があるが、ロビーは暗くセッカ以外に人もいない。
     セッカはソファに横たわっていた。顔のすぐ横には相棒のピカチュウが丸くなり、すやすやと寝息を立てている。
     セッカの体にはジャージの上着がかけられていた。
    「………………」
     どう反応したらいいのか分からない。ソファの前の低い机には、セッカが飲まなかったサイコソーダの瓶が放置してある。腰のモンスターボールは外されて、これもまた机の上にあった。いずれも赤白の、標準のモンスターボール。バッジを一つしか持たないセッカが買えるボールはこの一種類だけだ。
     セッカがもぞもぞと身じろぎしていると、ピカチュウが目を覚ました。
    「いま何時……?」
    「ぴかー?」
     受付から、夜の11時です、と返事があった。
    「あー、そうですか……」
     お礼を言うのも忘れてセッカは身を起こし、ぼんやりと他人の匂いのするジャージの上着をつまむ。
    「ここで黙って消えたら、一番かっこいいんだろうなぁ。……レイアならそうするな。ふくく、ポケセン以上にいい宿なんてないのに、かっこつけちゃってさ」
     暗いロビーの中で、セッカは囁く。ピカチュウはまだまだ寝足りないと見えて、ふにふにとセッカの膝に両手と頭を置くと、むにむにと膝頭に毛づくろいでもするように顔を押し付け、そのまま寝入った。
     ピカチュウがこんなでは、格好をつけて夜中のうちに出ていくことはできない。なにしろ、受付の人という目撃者がいたのでは意味がない。こういうときは誰にも知られずに出ていくのが鉄則なのだ。だから逃げられない。
     ジャージの上着を返すときにセーラに何を言われるか、わかったものではないけれど。


      [No.1366] 夕海 上 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:51:46     60clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    夕海 上



     とある昼下がり。
     肩にピカチュウを乗せた袴ブーツのポケモントレーナー、セッカは、ショウヨウシティをそぞろ歩いていた。南東のコウジンタウンから8番道路のミュライユ海岸を辿って、何となく辿り着いた街だ。
    ショウヨウシティにはショウヨウジムもあり、セッカはこのジムのバッジを所持していなかったが、あいにくセッカはバッジを集める気がない。セッカがふらふらとポケモンセンターを探していると、不意に肩の上のピカチュウが鋭い声を発した。
    「ぴかっ!」
    「ほぎゃあっ!」
     セッカは、左から来た自転車に吹っ飛ばされた。
     ピカチュウは宙で体勢を整えて地面に着地し、相棒を振り返る。
    ピカチュウの相棒は、うつ伏せに潰れていた。
    「……ぴかちゃあ!」
    「うう……ぐううう……大丈夫だぜピカさん……」
     セッカはよろよろと起き上がり、道に座り込んだまま葡萄茶の旅衣から砂をはたき落とした。頬に擦り傷ができたらしく、じくじくと痛む。顔面も砂だらけだ。
     惨めさにセッカは涙ぐむ。
    「ぴかぁ……」
     セッカの膝に飛び乗ってきたピカチュウの頭を撫でつつ、セッカは走り去っていった自転車を眺めた。一つに束ねた茶髪が夢のように風に靡いているのが目に焼き付いた。
    「……ピカさん……見たか?」
    「びがっ!」
     血の気の多いピカチュウはぴくぴくと耳を動かす。セッカは自転車の走り去った方角を見つめ、低く囁いた。
    「……許さねぇ」
    「べがちゅっ!」


     ショウヨウシティの外周には自転車コースが張り巡らされている。そこをスポーツ自転車が、風のように矢のように砲丸のように駆け巡る。町の外から訪れた旅のポケモントレーナーにとってはたまったものではない。
    「……せめて信号とかつけろよ。それがだめなら踏切つけろよ。腹立つわ……ったく」
     ピカチュウを肩に乗せたセッカは、道路脇の茂みに潜みつつぶつくさと文句を言う。それにいちいちピカチュウも同意してうんうんと頷いてくれる。
     その間もセッカは自転車コースの彼方を注視し続けていた。
    「るるるっ」
     上空に浮いていたガーデンポケモン、橙色の花のフラージェスが、セッカに標的の現れたことを告げる。
    「ありがとう、ユアマジェスティちゃん」
     標的が着実に罠に足を踏み入れつつあることに、セッカはにやつかずにいられなかった。
    「くっくっく……許さねぇ」
     しょりしょりしょり、と軽やかに車輪の回る音が聞こえる。セッカは自転車が嫌いである。ついさっき嫌いになった。
     自転車が近づいてくる。
     茶髪の少女がショウヨウシティを一周して戻ってくる。そこでセッカは吹き出した。
    「奴めミニスカで自転車乗ってやがる……! けしからんッ」
     自転車コース脇の茂みから、セッカとピカチュウは憎悪を込めた眼差しで少女を睨んだ。
    「成敗してくれる! 行けっ今だデストラップちゃん!」
     茶髪のミニスカートがセッカとピカチュウとフラージェスの正面を通過する。
     少女は瞬時には気づかなかったに違いない。彼女の自転車が踏んでいたのが地面ではなかったことに。
    何せそのポケモンは平たい。ぴり、と電流が走った。
    「えっ?」
     少女は、二つの茫洋とした眼が、地表から自分を見上げているのを見た。
     マッギョはにんまり笑った。
    「――きゃあああああああっ!」
     トラップポケモンの10万ボルトが炸裂した。


     セッカは大の得意で茂みの中から道路に飛び出した。
    「はっはー! どーだ参ったかデブ女ぁ!」
    「きゃああああっ! きゃあああああ――っ!」
     そのぽっちゃり体型の茶髪のミニスカートは、奇声を発しながら、セッカの黒い前髪をわしづかみにした。
    「ぴぎぃ!?」
    「きゃああっ! きゃあああああっ! きゃあああああ――!」
     そのまま少女はセッカの前髪を引きずってショウヨウシティにずんずん入っていった。セッカは痛みにぼろぼろ泣いた。
    「いひゃい! いちゃい! いやっ離してぇっ」
    「きゃああああああ――っ!!」
     そして茶髪のミニスカートは、人通りの多い通りまでセッカを引っ張ってくると、群衆の注目を集める中で思いっきりセッカの頬をひっぱたいた。
    「痴漢!!!」
    「ひどい!」
     少女はぼろぼろ泣いていた。セッカもぐしゃぐしゃに泣いていた。
    「何よ何なのよもう何よ!」
    「こっちの台詞よ!」
    「うるさいわよこの痴漢! 警察に突き出してやる!」
    「そっちこそうるさいわねっ! そっちが悪いのよっ!」
     セッカはなぜかオネエ言葉になりながら、少女の非を強く主張した。
    「あんたっ、俺のこと自転車で轢いたじゃないのよ! 轢死するとこだったわよ!」
    「あんたこそ、あたしのパンツ覗いたじゃない!」
    「覗いてない!」
    「覗いてたっ! あんたのマッギョがガン見してた! にんまり笑ったじゃない!」
     セッカは怒りにぶるぶる震えた。このミニスカートの無知蒙昧さに非常に腹が立った。マッギョが笑うのは、敵がマッギョを踏みつけにしたがために反射的に電流を流すときなのだ。マッギョの頬のあたりの筋肉が電気で引き攣るから、マッギョは笑顔になるのだ。マッギョの笑顔は獲物を捕らえた冷酷なる歓喜であり、死の宣告なのだ。
    「あんたは俺のマッギョを分かってない! そもそも俺のデストラップちゃんは、れっきとしたレディーだ!」
    「雄だろうが雌だろうが下着覗いたらセクハラよ! あんたのポケモンがセクハラしたらあんたがセクハラしたってことじゃない!」
     セッカの怒りのボルテージがマックスに達しようとしていた。まったく許せない、俺の大事なデストラップちゃんに冤罪を擦り付けようなどと。
    「俺は悪くないもん! ばーかばーか!」
    「訴えてやる! あんたのトレーナー人生お終いね!」
    「ばーか! ブースブース! 大体ミニスカで自転車こいでる方が悪いんだ!」
    「……人の勝手でしょ!」
    「ふっとい足見せやがって目に毒なんだよ! 誰があんたの下着見て喜ぶかい! 汚いもんさらすな! ブス!」
     セッカは思いつく限りの罵詈雑言を吐き散らした。
     すると少女は黙り込んだ。
     セッカはふんと鼻を鳴らした。
    「ふーんだ。ばーか。自転車で人のこと轢きやがって、ひどいよなー、なあピカさーん」
    「……いや、お前さんも大概だぞ……」
     壮年の呆れ果てたような男の声に、セッカはむっとして顔を上げる。
     そして金茶髪の大男を目にし、彼は瞳孔を弛緩させた。
    「うわっ、おっさんだ」
    「おっさんじゃねぇ、ロフェッカだ」
     セッカはその大男を見知っている。かつてセッカが傷害事件を起こして自宅謹慎処分になった際に、彼を尋ねてやってきたポケモン協会の人間だ。セッカの片割れの一人の友達であるという話も聞いた。
     そのロフェッカが、ショウヨウシティの群集の中から一人だけ前に出て、セッカと少女の傍に立っている。
     髭面のロフェッカはどこか苦々しい顔をしつつ、セッカの頭を軽く小突いた。
    「女の子にブスはねぇだろ、クソガキが」
    「いだいっ」
     ロフェッカは太い指でセッカのぷにぷにした頬を思いっきりつねりあげると、少女を振り返った。そしてポケモン協会の所属を表す腕章を示し、少女に慎重に声をかけた。
    「すまんな、ポケモン協会のもんだ。こっちはまあちょっと顔見知りの悪ガキでな、……良かったら、ポケモンセンターででも、詳しい話を聞かせてほしいんだが」
     少女は顔を泣きはらしていたが、渋々頷いた。


     そして三名はショウヨウシティのポケモンセンターにやってきた。
     受付のジョーイさんに一言断りを入れた上でロビーに陣取り、ロフェッカは二人の若者を向き合わせた。袴ブーツも、ミニスカートも、改めてみると双方共になかなか凄まじいボロボロ具合である。
     時間をかけて、しょっちゅう感情を高ぶらせる若者二人を宥めつつ、二人の話をすり合わせる。
     ミニスカートの少女の名はセーラといった。ことのあらましはこうだ。
    まず、セーラが自転車でセッカをはね飛ばし、そのまま逃走した。セッカは復讐を企み、セーラの通り道にマッギョを配置した。マッギョはセーラに10万ボルトを浴びせ、復讐は完遂されたかに見えた。
    しかし、セーラはマッギョにセクハラをされたと思い、マッギョのおやであるセッカを公衆の面前で痴漢だと非難した上、平手打ちを食らわせた。それに対しセッカは罵詈雑言を浴びせかけた。
    「……どっちもどっちだな……」
     ロフェッカは苦笑して唸った。
     セッカとセーラは不機嫌も絶頂に、互いにそっぽを向いたままである。
    「お互いにごめんなさいして、仲直りってことにしようや?」
    「やだもん」
    「絶対、嫌」
     ロフェッカの提案は双方から断固として拒否された。
     双方共に身体的にも精神的にも傷を負っているのだ、相手を許すことはたとえ大の大人であっても困難だろう。
     それはロフェッカにも理解できる。
     しかし、ポケモン協会員であるロフェッカとしては、ポケモントレーナーのいざこざは早めに解決して、複雑な訴訟事件などに発展しないようにしておくに限る。だからセッカやセーラの保護者にも連絡をせず、ポケモンセンターという公共中立の場で、本人たちの間だけで調停を試みているのだ。そもそも、十歳で一応は成年とみなされているという事情もある。
     だが、そのような大人の事情を、セッカやセーラが理解できているとは思えない。
     さてどうしたものかとロフェッカは困り果てた。偶然仕事でショウヨウシティのポケモンセンターの設置機器の点検をしに来たと思ったら、これだ。ポケモン協会員は面倒事に首を突っ込むことが義務付けられている。因果な商売である。


     結局、セーラは用事があると言って、怒り狂いながらポケモンセンターから出ていってしまった。
     残されたセッカも未だに腹を立てっぱなしである。ロフェッカはやはり苦笑しつつ、セッカにサイコソーダを奢ってやった。
    「ほい、セッカ。ピカチュウにも。おっと、あの女の子には内緒な?」
    「うわー、えこひいきだ。……サンキューおっさん」
     不機嫌な口調ながら、セッカは微かに笑っている。黙々と甘い炭酸をピカチュウと並んで味わっている姿はどこか微笑ましかった。
     ロフェッカも、セッカの向かい側のソファにどかりと腰を下ろした。
    「……セッカお前、ほんとレイアにそっくりだよなぁ。怒って眉間に皺寄せてるときとか、ほんとそっくりでビビるわ」
    「なに、そんなこと考えてたわけ? 当たり前じゃん。こっちが何年、一卵性四つ子やってると思ってんの」
    「そう言う問題かぁ?」
    「……レイアなら、女の子に酷いこと言わないだろうな」
     セッカは視線を伏せて、赤いピアスの片割れを思い浮かべているらしい。しかしすぐに、あいつはモテたがりだからな、と一人でぷくくと笑っている。
    「キョウキならね、老若男女構わず、ものすごい毒舌だよ。すさまじい皮肉を連発すんの。……サクヤは下品なことは言わないけど、ものすごい眼で睨んで、すぐ殴りかかるな。あいつ意外と武闘派だから」
     セッカは続けて緑の被衣の片割れと、青い領巾の片割れのことも思い出している。機嫌がよくなったのか、体をぴょこぴょこと左右に揺らし始めた。
    「あーあ、れーやときょっきょとしゃくやに会いたいなぁ。なあピカさん、ピカさんだってサラマンドラやふしやまやアクエリアスに会いたいよな? ずっとプラターヌ博士の研究所で一緒だったんだもんなー」
    「ぴかー」
    「えへへ、三人は自転車に轢かれて痴漢って決めつけられてビンタされたことあんのかな。ねぇだろ! ねぇよ! そんなことされたトレーナーは世の中に俺だけだろ!」
    「ぺがっちゅ!」
    「だよなぁ、そうだよなぁ、酷いよなー。分かってくれるか、ピカさんだいしゅきー」
    「ぴゃあー」
     そうしてセッカは相棒としばらくいちゃついていた。ピカチュウの柔らかな毛並みを撫で回し、真っ赤な電気袋をふにふにつつき、耳の後ろをうりうりと掻いてやる。
     ひとしきり相棒と戯れると、セッカはぽつりと呟いた。
    「……なんか、どうでもよくなっちゃった。ピカさんの癒し効果やべぇな。絶対マイナスイオン溢れかえってるって」
    「お前さんがどうでもよくなっても、あちらさんはそうとは限らんぜ?」
     ロフェッカの指摘に、セッカは数瞬だけ黙する。
     そして、若いトレーナーは深く深く溜息をついた。
    「……おっさん、俺、セーラになんか悪いことした?」
    「確かに自転車に轢かれたのは、災難だったな。だが、普通はそこで復讐しようなんて考えねぇもんなんだよ」
    「……だってさぁ。腹立っちゃってさあ。これはデストラップちゃんの罠にかけなきゃ気が済まねぇって……」
    「目には目を、歯には歯をってか? だがセッカ、考えてみろよ。自転車の轢き逃げとマッギョの10万ボルトは、本当に釣り合ってんのか?」
    「……知らないよ」
    「だろ? だからどういう刑罰を科すかは、警察とか検察とか裁判所とかに任せときゃいいんだよ。そういうやつらが法律使って、正しい罰を与えてくれる。……セッカ、お前は何もするな。黙って警察行け、こういう時はな」
     うー、とセッカは唸った。背を丸めてピカチュウを抱え込む。ピカチュウはおとなしくされるがままになっていた。
    「……だってさ、俺はさ、悪い奴なのにさ。警察怖いし……」
    「なんだぁ、まさかまだ、あのミアレでのエリートトレーナーの事件がトラウマなのか? 意外と繊細なんだな?」
    「茶化すなよ。トキサのことは本当に悪かったと思うよ、トキサは何も悪いことはしてないし。俺もあんま悪くないけど。……でも警察は……俺が警察に助けてもらうって……なんか変じゃね?」
    「なに言ってんだよ。警察が守る相手を選り好みなんかできっかよ。奴らはな、場合によっちゃ犯罪者すら守らなきゃなんねぇんだよ。だからな、理不尽な目に遭ったら、迷わず周りの大人に助けを求めろ。いいな?」
    「……努力しまーす」
     セッカは再びひとしきりピカチュウを撫で回すと、それから両手を振り上げてぐっと伸びをした。そして改めてその灰色の瞳でロフェッカを見やった。
    「で? 俺はどうすればいいわけ?」
    「おう……それなんだよ。あのお嬢ちゃんが家の人に話して、うっかり裁判沙汰になるってのが一番まずいパターンだ。……ま、もちろんお前さんのトレーナー業にほとんど支障は出ねぇだろうが、しかしセクハラで訴訟ってのは割とまずい」
    「セクハラは冤罪なのに!」
    「まあ可能性は低いが、万が一ってこともある。どうすっかな。……悪い、わからんわ」
    「うっわ、無能」
     セッカに冷たく言い放たれるも、ロフェッカは大仰に肩を竦めるだけである。
    「こっちだって知るかい。こういうのはできるだけ早めに和解に持ち込むしかねぇんだよ。もつれさせるな。特に若いポケモントレーナーは、すぐ何でもかんでも実力行使で解決しようとしやがる。この機会に学びやがれ、ガキが」
    「……なんかよくわかんないけど、セーラに謝って許してもらえばいいんだな?」
     セッカは軽く立ち上がった。ぎょっと顔を上げたロフェッカに、明るく笑いかける。
    「セーラ捜してくる!」


      [No.1365] 謹慎中5 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:50:45     63clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中5



     クノエでの四つ子の自宅謹慎生活は、穏やかに過ぎていった。
     ウズの手料理を食し、雨や野生ポケモンの心配をすることもなくぬくぬくと眠り、毎日温かい風呂に入る。毎日乾いた服を着る。久々にテレビを見る。
     謹慎の初日以来、裁判官のモチヅキは現れない。
     週に一度は、騒がしいルシェドウと気のいいロフェッカが押し掛け、四つ子に面白おかしい旅物語を聞かせるだけ聞かせては、去っていく。
     四つ子の幼馴染のユディは、ほとんど毎日、家の中に押し込められて退屈しきっている四つ子の元に遊びに来た。
     日々が穏やかに過ぎていく。
     ミアレシティでの一件が夢のようだ。
     けれど謹慎期間中は、四つ子は手持ちのポケモンたちのボールにすら触れることができない。テレビ番組でポケモンバトルを見ても、実際に自分たちが自分たちのポケモンで戦わなければ、おのずとバトル勘も薄れていく。
    「……平和ボケする……」
     赤いピアスのレイアがぼやく。
    「そうだね」
     緑の被衣のキョウキが同意する。
    「この生活、確実に金かかってるよな」
     セッカは無表情だった。
    「……謹慎生活を得るために犯罪に手を出すトレーナーも、いるかもしれないな」
     サクヤが呟く。


     養親のウズは毎日のように、四つ子が重傷を負わせたエリートトレーナーにお詫びの手紙を書けと口うるさく言ってくる。
     四つ子は聞き流す。
     幼馴染のユディも、そのエリートトレーナーのことが気になるのか四つ子を心配しているのか、大学で聞き知ったらしきポケモントレーナー優遇の現在の社会制度をぽつぽつと語っていく。四つ子に反省させようという目論見は、四つ子にバレバレである。
     反抗期も真っ盛りの四つ子は、ろくな関心を示さなかった。
     裁判官のモチヅキからは音沙汰ない。
     四つ子は特に気にも留めなかった。
     ポケモン協会から派遣されてくるルシェドウとロフェッカは、ひたすら呑気だった。四つ子に旅のすばらしさを吹き込み、これからも恐れず旅に飛び込んでいくことを延々と推奨しているようだった。
     四つ子は聞き流す。
     日々は平和で、単調で、すぐに四つ子の間でも話すことがなくなる。退屈を持て余し、テレビを眺め、暇つぶしに新聞を読んでは読めない漢字の多さに狼狽し、あるいはひたすら寝た。
     そうしてミアレのエリートトレーナーのことを考えた。
     四つ子は何もすることがなく、ひたすら布団に寝っ転がって、ぼんやりと考えた。
     あのエリートトレーナーも今、四つ子と同じように、何もせず、ただひたすら何かを考えて、天井を見つめているだろう。
     けれど、四つ子のこの生活はひと月で終わる。エリートトレーナーのこの生活は一生続く。
    「トキサ、どうするのかなぁ」
     座敷に寝転がって、セッカは呟く。
    「俺らのこと、怒ってんのかなぁ」
    「彼の場合、カロスリーグに出られないことの方が辛いだろうねぇ」
     キョウキが他人事のように応えた。
    「それよりも、あいつに怪我させた俺ら四人は普通に旅を続けられるってことの方が、やっぱこたえんじゃねぇの?」
     レイアも呟いた。
    「どうにもならない。僕らの知ったことではない」
     サクヤが淡泊に切り捨てた。


     ウズが毎日口うるさいので、四つ子はとうとう、エリートトレーナーに宛てて手紙を書いた。
     毎日毎日、嫌がらせのように四人分の手紙を送り続けた。最初は何を謝ったらいいのか分からず、伝え聞きの拙い知識をひたすら紙上に展開した。しかしそういったものは四つ子自身には詳しくは理解できず、文字にしたためればしたためるほど混乱して、そして残ったのはただ現状への疑問と、不満と、焦燥ばかりだった。
    四つ子は他にすることもないので、暇さえあれば辞書を片手に紙を睨んでいた。誰が最も優れた表現でお詫びの気持ちを表現できるかの競争に、四つ子は明け暮れた。
     早く、自由になりたかった。
     不自由は、ある意味ではあのエリートトレーナーのせいであり、ある意味ではそうでない。その葛藤を、似通った単語の羅列に込める。
     すみませんでした。許してください。早くここから出たいです。こんな生活はお金がかかります。ウズへの借金が増えます。そうしたらまた旅で貧乏暮らしをしないといけません。お金が欲しいです。バトルをして勝ちたいです。賞金が欲しいです。カロスリーグで好成績を残して賞金がたくさん欲しいです。強いトレーナーに勝ってたくさん賞金を巻き上げたいです。
     俺たち、僕たちには戦うしかないんです。
     旅をしないと生きられないんです。
     だから許してください。
     もう周りの人を不幸にしません。
     不必要に大技ばかり使いません。力を誇示したりしません。
     もっとよく考えてポケモンを戦わせます。
     がんばります。
     だからトキサもがんばってください。
     いつか、寿司を奢ってください。


      [No.1364] 謹慎中4 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:49:50     66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中4



     四つ子がクノエシティに戻り、養親のウズの無理心中に付き合わされかけ、逃げ出したところを幼馴染のユディに連れ戻され、そして裁判官のモチヅキから説教を食らった、その翌日のことだった。
    「ユディ君って、面白い子だよねー」
     そう言い放ったのは、鉄紺色の髪の、細身のポケモン協会職員だった。名をルシェドウという。
    「今どきのガキにしちゃ、ポケモンバトルより勉強が好きなんて、確かに珍しいわな」
     そう朗らかに笑って応じたのは、金茶髪の壮年の大男、これもまたポケモン協会員である。こちらの名はロフェッカという。


     赤いピアスのレイアは顔を引き攣らせた。
    「……なんで、俺んち知ってんの?」
    「いやーここがレイアのお家だったとはね! というかエリートトレーナーのトキサ君を怪我さしたのがまさかレイアとその片割れさんたちだったとはね! いやー驚き驚き!」
     鉄紺の髪のルシェドウはテンションも高く、年若い友の背を叩きに叩きまくった。レイアが噎せる。
     ルシェドウとロフェッカの二人は、レイアが旅先で知り合ったポケモン協会員である。
    レイアとこの二人は何かと縁があり、レイアも請われるままに何かと彼らの任務を手伝っているうち、いつの間にか友達とも呼べる間柄になってしまったのである。
     ルシェドウとロフェッカのポケモン協会職員としての任務は、実に多様だ。野生ポケモンの生態を調査したり、傷薬をはじめショップで販売されている道具の効果を確認したり、トレーナー同士の諍いを仲裁したりと多岐にわたり、一般トレーナーであるレイアも様々な珍妙な任務に付き合わされた経験がある。ちなみに、ルシェドウのこれまででの最大の仕事は、フレンドリィショップへのシルバースプレーの販売営業だったという。
     そのポケモン協会員のルシェドウとロフェッカは、四つ子の自宅謹慎が決まったその翌日に、四つ子の自宅たるウズ邸に現れ、応接間でのんびりと茶を啜っていた。
     ウズと四つ子もその応接間にいたが、その中でもレイアは機嫌が悪くしていた。
    「……で、何の用だよ」
    「いやー、ミアレシティでエリートトレーナーが重傷を負った事件で自宅謹慎になったトレーナーがいるから、その子のメンタルケアと、あとポケモンの取り扱いについての諸注意的な?」
    「……俺がいるって知ったから、てめぇらが来たんだろ!」
    「まっさかぁ。こういうのはね、普通は知り合いの元に派遣されることはないんだよレイア。だから何かの手違い手違い」
    「てめぇらが断りゃ済んだ話だろうが!」
     軽いノリのルシェドウにレイアが激しく食ってかかる。四つ子の片割れたちは、レイアに良い友達ができて良かったとのんびり考えていた。


     傷害事件などを起こして自宅謹慎となったトレーナーの元には、ポケモン協会から職員が派遣される。
     職員はトレーナーと様々な話をし、今後はポケモンの取り扱いに気を付けることなどを訓告していく。そういう職員訪問が一週間に一度ほど、謹慎期間が明けるまで続くのだ。
     しかし、何の手違いでかそれとも確信犯でか、四つ子を訪問してきたのは四つ子の知り合いであるルシェドウとロフェッカだった。
     二人は職員としての任務を全うする気があるのかないのか、ひたすらリラックスした雰囲気でぺちゃくちゃと朝から昼までしゃべり続ける。
     こないだの仕事は虫よけスプレーの規格調査だった、フレンドリィショップに並べられているものを協会のお金で購入してありとあらゆる道路でスプレーの効果がしっかりしているか調べないといけなかった、おまけにそのついでか何か知らないけれどハクダンの森の土壌調査もさせられた。ポケモンの……から作る肥しも採集して自分で作ったり購入したりして、きのみの成長も観察した。めちゃくちゃ写真撮影の腕が上がった。云々。
     四つ子は、そのようなルシェドウの冒険譚を延々と聞かされていた。
     一方で、ロフェッカとウズは二人で世間話に花を咲かせている。
    「――そうっすね、トレーナーによる傷害事件でトレーナーが訴訟を提起されるってのは近年じゃ滅多にありませんなぁ。国相手の訴訟もめっきり減りましたな」
    「それも、一向に判例が覆らないからですかのう?」
    「でしょうなぁ。高裁だとモチヅキ判事殿などは、随分と苦心されて被害者に有利な判決を下そうとされとるそうですが。それでも、最高裁の判断は未だかつて変わらずです」
    「あたしとしてはこの四つ子が訴えられるとなっては困るんじゃが、しかしモチヅキ殿の考えられることも分からないでもなく。複雑じゃな……」
    「世間の圧倒的多数は、歴代政権のトレーナー政策を歓迎しておりますしねぇ」
    「これもユディが教えてくれたことじゃが、法学者の中でも近年は人権保護を強く訴える気風は薄れてきておるとか……」
    「まあ何事も行きすぎは危険ってことですな。まあ我々ポケモン協会としては、トレーナー政策に頓挫されちゃあそれこそ商売あがったりって立場ですがね。まあ私個人としてはモチヅキ殿の人権保障にも共感はなくはないですよ。あくまで個人の意見ですがね」
     セッカはひたすら目を白黒させていたが、緑の被衣のキョウキと青の領巾のサクヤは何が面白いのか、そういったロフェッカとウズの間の小難しい話にも注意深く耳を傾けているようだった。


     ルシェドウのポケモン絡みの冒険譚にもひとしきり退屈し、セッカはロフェッカの難しい話も拾い聞きしていた。
    そしてセッカは、ふとキョウキとサクヤに尋ねる。
    「……あのさ、人権って何?」
     キョウキが答える。
    「すべての人間が平等に持つ権利、だよ」
    「たとえば、どんなの?」
    「わかんないよ。モチヅキさんかユディに聞きなよ」
     その話に割り込んだのは、鉄紺の髪のルシェドウだった。
    「人権保障はね、国家権力の支配に対抗するものだよ」
    「わかりませーん」
     セッカが口をとがらせる。ルシェドウはにこりと笑った。
    「人権は、国が侵害しちゃいけない個人の権利だよ。すべての人間が持つ大切な権利さ。例えば具体的には、殺されたり傷つけられたりしないための権利」
    「……つまり、オレたちは、トキサを傷つけたから、その罰として自宅謹慎食らってるわけ?」
     セッカは首をひねって思ったことを述べてみた。しかしルシェドウもまた首をひねった。
    「うーん、ちょっと違うかなー。まあ似たような感じだよ。人間が他の人間を傷つけるということが許されたら、世の中は大変なことになっちゃうでしょ? だから、法律で人間を傷つけた人には罰を下すように決めているんだー」
     でもね、とルシェドウは言い聞かせる口調である。
    「でもね、セッカたちみたいな一ヶ月だけの自宅謹慎では、罰が軽すぎると考える人もいるんだよ。だって、トキサは一生寝たきりなのに、セッカは一ヶ月だけ家の中でおとなしくしてれば、あとは自由だものね」
    「……そっか、そうだな。……釣り合わないよな」
     セッカも頷いた。
     そこでルシェドウは破顔した。
    「でも、セッカ君やキョウキ君やサクヤ君やレイアが心配することは、なにもありません!」
    「……んええ?」
    「世の中の多くの人は、一ヶ月だけ家の中でおとなしくしていてくれればそれで十分だろう、って考えてっからねー。多くの人がそう考えてるから、そういう法律ができたわけですよ。だからセッカたちは、気にしないでよろしい!」
    「え? ……えええ? それでいいのか?」
    「いいんだよ。俺らやモチヅキさんみたいな実務家はそれでいーの、むしろそうしなくちゃならないの。……でもね、学者さんやユディ君みたいな学生さんは、今の法律や制度が本当に正しいのか、考えなくっちゃいけないよ。つまりユディ君はえらい!」
     そこでルシェドウは一人明るく拍手した。セッカもつられてぺちぺちと手を叩いた。
    「ユディはえらい?」
    「イエス! ユディ君はえらい! 無理難題の解決のため、少数者保護のため、世の中はきっとユディ君を必要としている! いけいけユディ君! がんばれユディ君! まあユディ君が頑張りすぎたら、たぶん君たち四つ子はすぐ牢屋行きだけどね。ドンマイ」
     ほお、とセッカは感心しきりで溜息をついた。
    ルシェドウの隣ではなぜか金茶髪のロフェッカが吹き出すのを堪えていた。


      [No.1363] 謹慎中3 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:48:46     66clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中3



     モチヅキがウズ邸から去ると、四つ子は揃って大きく息を吐き出した。
    「俺あいつ苦手だわ」
    「いつも怖いよねぇ」
    「怒ってたよな……」
    「怒っておられたな」
     四つ子の向かい側の応接ソファでは、こちらも緊張が解けたらしいユディも姿勢を崩していた。
    「ははは。……モチヅキさんは、こういう事件が特にお嫌いだからな」
    「ありゃ、そうなん?」
     首を傾げるセッカに、ユディは小さく頷く。
    「こないだ、法学部の刑法のゼミで『ポケモントレーナーによる傷害事件』ってテーマで論文書いた時、モチヅキさんに色々と教えていただいたんだけどさ」
    「うわお、ピンポイント」
    「だろ? で、まあそん時のモチヅキさんは、怖かった怖かった」
     ユディは淡い金髪を揺らして、くすくすと小さく笑う。
    「現行法は人権軽視だって、そりゃあ凄みのある有り難い講釈を頂いたな。モチヅキさんって“反ポケモン派”なんだなと思ってさ。まあ裁判官やってると、そう思うのかもな」
    「ジンケン……ケイシ……? 反ポケモン派?」
     セッカが首を傾げる。セッカの片割れ三人もいまいちピンと来ていない様子に、ユディはますますおかしそうに笑った。
    「知らないか? ああ、想像もつかないか。お前らポケモントレーナーは“ポケモンのせいで死んでも怪我しても恨みっこなし”っていうポケモン教に憑りつかれてるって、本当か?」
    「ちょ、ユディ、何が面白いんだ? よくわかんないぞ」
    「ポケモン教、だよ。一種の汎神論というか、多神教というか、前近代的というか。……古代の人間は、自然やポケモンを崇拝し、自然やポケモンと調和して生きる道を選んだ。現代のトレーナーでもそういう考え方してる奴、多いよな」
     家の表までモチヅキを見送りに出ていたウズが、応接間に戻ってくる。しかしそれにも構わず、ユディは喋り続けた。
    「近代では、個々の人権を尊重する考え方が生まれて、それが非合理的な身分制度を打破する力にもなった。……ん? ああ……ははははっ、そうか、なのに今は……面白いな」
    「楽しそうじゃの、ユディは」
    「そーなんだよウズ、ユディが面白くなっちゃった」
     セッカも眉をハの字にしてウズに気安く困惑を訴えた。
     ユディは笑いを抑えると、楽しげに四つ子を見やった。
    「現代と、前近代は似ているな。そう思わないか、セッカ?」
    「……んんん……?」
    「現代のポケモントレーナーは、さしずめ前近代の貴族ってとこだ。そう、絶対的な特権と武力を持っている身分、そしてそういう身分制度がまかり通る社会。同じだな。だろ?」
    「……?」
    「近代の自由と平等を旨とした個人主義と民主主義はどこへやらだな。そうか、現代は誰でもトレーナーという特権身分を得ることができる。しかしその特権身分を持っていられるのは実力のあるトレーナーだけ。そうか、実力主義の身分制社会……」
    「……おーい、ユディ?」
    「平等に機会を与えて、強い者が生き残って、合理的な身分制度を可能にしたのか……? 合理的? 強い者の支配を許すという多数者の意思? 自身こそが強者であるという慢心? ――そしてその幻が破れるのは、トキサさんのようにトレーナーとしての成功の道から外れたとき、か……」
     ユディはひとしきりぶつぶつと独り言を呟くと、ふふふふふふと密やかに笑い出した。四つ子は顔を引き攣らせた。ウズは慣れっこらしく澄ました顔で、急須に新しい茶葉を入れている。
    「面白いな。……これが世界の真理なのか?」
    「大変だよキョウキ、サクヤ、レイア。ユディが真理を悟っちゃった!」
    「さすがはユディだね」
    「さすがだな」
    「お前はやればできるって信じてたぞ」
     ユディは四つ子の賛辞とは無関係に、実に愉快そうだった。
    「というわけだ、アホ四つ子。この現代社会では、公然と一見理不尽な差別が横行している」
     そうユディは四つ子を罵りつつ宣言した。
    「ところが、差別が公然と横行できているのは、それが“理不尽”だと一般に認識されていないからだ。なぜなら、ポケモントレーナーには“誰でもなれる”からだ。誰もが特権身分に入れるなら、そのような差別も許される。大半の人間が、そう考えている」
     ユディは興奮したのか、ソファから立ち上がった。
    「だが実際には、トレーナーでない人間の方が圧倒的に多い。なぜ非特権身分に甘んじる? 十未満の子供、病気の者、怪我の者、高齢の者、その他仕事などのためにポケモンの育成に時間をかけられない者。……ポケモンを育て武力を得る者が特権身分のトレーナー。トレーナー以外の人間は……それが理不尽な差別であることを普段は認識せず……差別が耐えがたい不合理なものであると感じるのは……すでに手遅れになった時……」


      [No.1362] 謹慎中2 投稿者:浮線綾   投稿日:2015/10/31(Sat) 21:47:46     61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



    謹慎中2



     結果的に、負傷したエリートトレーナーは重傷どまりで、命は助かった。
     そして四つ子には、一ヶ月間のポケモン取扱免許仮停止と自宅謹慎が命じられた。
     ピカチュウもフシギダネもゼニガメもヒトカゲもみんなモンスターボールに仕舞われ、そして手持ちのボールが全て取り上げられると、四つ子は同じ顔を見合わせた。
    「なんかさ、意外と寂しくないね」
    「そりゃ同じ境遇の片割れが三人もいりゃあな」
    「そうそう、ポケモンは一人旅の友だから!」
    「まあ退屈はしないだろうが」
     そのように四つ子は呑気な自宅謹慎生活を始めようとしていた。食後の茶を四人仲良く並んで啜っている。
     そこに、四つ子の養親であるウズの叱責が飛んだ。


    「トキサ殿にお詫びの手紙を書かんかい!」
     それは人として当然のことのようにウズは思っていた。しかし、生意気に成長した四つ子からは一様に不満の声が漏れたのである。
    「ええー、なんでー」
    「トキサさんが勝手に吹っ飛んだんだよ?」
    「奴は僕のニャオニクスを無視した」
    「あいつの自業自得だろ。俺らは何を謝りゃいいんだよ?」
     ウズは怒りにわなないた。
     一人旅をすれば、甘えたがりで自分本位な四つ子も人格的に一回り成長するかと期待して、ウズは心を鬼にして四つ子を危険な旅路に送り出したのだ。それがどうだ。
     生きることの厳しさを覚えた四つ子は、完璧なエゴイストに成長した。
     人の痛みに共感できない人間になった。自身の安楽な生活のことしか考えなくなった。
     ウズは両の拳を握りしめ、低く低く唸る。
    「……欠陥じゃ……」
    「血管? ウズ、血管切れそうなの? おこなの?」
    「……おぬしらは人として大切なものが欠落しておる!」
     ウズは机を拳で思い切り叩いた。しかし、すっかり図太く成長した四つ子は、眉一つ動かさずにウズを眺めていた。そして隣に片割れが揃っていることを心の支えに、口々に反抗した。
    「いや、大切なものって何ですか」
    「俺ら何か間違ったこと言ってんですかぁ」
    「育てた奴の育て方が悪かったんじゃねぇの?」
    「感情論を押し付けられても困ります」
     そして四人揃って空とぼけている。
     ウズは嘆いた。
    「……本当に、育て方を間違ったかもしれんな」
     深く項垂れると、ウズの白銀の髪がざらりと流れる。ウズはのろのろと台所に赴き、長年愛用し続けてきた包丁を取り出した。
    「……けじめをつけねばならぬか……」
    「えっ」
    「えっ」
    「えっ」
    「えっ」
     四つ子は揃って息を呑んだ。ウズは包丁を構えた。
    「……世間様に顔向けできぬ。アホ四つ子よ、ここで眠れ……あたしも共に死んでやる」
    「ぴゃあああああウズに殺されるぅぅぅぅぅ――!!」
     まずセッカが椅子から飛び上がり、食事室から脱兎のごとく逃げだした。きゃらきゃらと笑いながら、緑の被衣のキョウキが追う。赤いピアスのレイアがそそくさと続く。青い領巾のサクヤがウズに一礼して、四つ子は逃げた。


     四つ子はブーツなど履かず、袴に裸足のままで外に飛び出した。
    自宅謹慎中なのに外に出ていいものかとも思ったが、あのまま家にいても養親の無理心中に付き合わされるだけ。裸足で外を駆け回った昔を思い出しつつ、四つ子はクノエシティに繰り出す。
    湿った土と草と石畳を踏みしめ、樹齢1500年という不思議な大木を目指して走る。
    しかしそれを邪魔するポケモンがあった。
    「がるるっ!」
    「うわっ!」
     突如目の前に現れたポケモンに驚き、先頭を走っていたセッカが飛びのく。残りの三人も息を弾ませつつ立ち止まった。
    「……ルカリオだ」
    「じゃあこいつ……って、うわぁー!」
     四つ子の前に立ちふさがったのは、波動ポケモンだった。標準よりも小柄なルカリオは、四つ子を目にしてにっと笑んだかと思うと、セッカに向かって容赦なく波動弾を繰り出してきた。
    「ちょっやばいやばいやばい人間相手に波動弾はないって!」
     セッカが悲鳴を上げる。それに対するルカリオはわざとセッカから外すようにはしているものの、凄まじい威力の波動弾を何発も放ってくる。
    「おいおい、進化して波動弾覚えたからって、人に向かって撃つもんじゃねぇぞー」
     レイアが声をかけるも、小柄なルカリオはひたすら楽しそうに波動弾を撃ちまくっている。炸裂音がいくつもいくつも、のどかなクノエに響き渡った。
     たまらずセッカが悲鳴を上げる。
    「……ユディ! ユディ助けて! ウズとルカリオに殺されるぅぅぅぅ!!」
    「いっぺん殺されて来いよ」
     その声は、四つ子の背後からした。
    その声にルカリオがおとなしく腕を下ろしたのを見届けて、四人が振り返ると、そこには淡い金髪の、緑の瞳の青年が立っている。
     セッカは涙目で青年に飛びついた。
    「なんでユディ! なんで故郷に帰ってきて殺されなきゃなんないの! 俺がいったい何をしたの!」
    「ミアレでエリートトレーナーに重傷負わせたんだろうが? ウズから連絡来たぞ。おとなしく自宅謹慎してろよ、アホ四つ子」
     モノクロの服装に身を包んだ四つ子の幼馴染が、ほとほと呆れ果てた表情でセッカの額を思い切り小突いた。
     キョウキは笑ってとぼけ、レイアやサクヤは鼻を鳴らす。
     四つ子をひとしきり眺めると、ユディは微かに笑んだ。
    「……久しぶり。元気そうだな。……靴はどこやった?」
    「おうちだよ!」
    「そりゃ威勢のいいことで。帰れ」
     ユディが合図をすると、彼の小柄なルカリオはその両腕で軽々と四つ子を全員担ぎ上げた。


     ルカリオのトレーナー、ユディは四つ子の幼馴染だ。彼は十歳になっても旅には出ず、クノエシティに残って学業を続け、そして現在はクノエの大学で法学を学んでいる。
    ユディのルカリオは、四つ子とユディが幼い頃に見つけたケガをしたリオルが、ユディの手によって育てられついに進化したものだった。ユディもルカリオも、今日久しぶりに四つ子に再会したのだ。
     小柄ながらもルカリオが立派に成長したことに四つ子は感心しつつ、ユディに付き添われて、ルカリオに担ぎ上げられたまま、ウズの家まで引き返した。
     するとそこには、さらに別の客の姿があった。
    「ありゃ?」
    「モチヅキさんじゃないですかーやだー」
    「うげっ」
     玄関先では、両手を腰に当てて仁王立ちする銀髪のウズと、黒の長髪を緩い三つ編みにして垂らした黒衣の客人が、ユディと四つ子を待ち受けていた。
     ユディがルカリオに合図する。
    「下ろして」
    「がるっ」
     そして四つ子は無造作に落とされた。
    雨で濡れた地面にごろごろと四人は無様に転がるも、誰よりも素早く起き上がったのは青い領巾のサクヤである。
    「……モチヅキ様」
    「……身なりを整えてこい。話がある」
     泥まみれの四つ子をモチヅキは一瞥するなり、ウズの家に入っていった。
     四つ子は予想外の来客に、半ば呆けて地面に座り込んでいた。その隣で、ルカリオを傍らに伴ったユディが苦笑する。
    「相変わらずおっかないな、モチヅキさん……。というか激怒してたじゃないか。お前らのせいだぞ、アホ四つ子?」
    「……何をそんなに怒ってんだか。また説教しに来たのかよ、あいつ」
     赤いピアスのレイアが溜息をつく。キョウキもセッカもサクヤもそろそろと立ち上がった。
     家の前で四つ子の帰りを待っていたウズは、四つ子を連れてきたユディを労う。四つ子の幼馴染であるユディは、やはりウズとも昔馴染みだ。
    「ユディ、いつもうちの四つ子が世話になるのう」
    「いいよ、ウズ。で、こいつらどうする? 風呂までルカリオに運んでもらうか?」
    「ふん、庭で水浴びで十分じゃろ」
    「はいよ。ほれ来い、アホ四つ子」
     ユディがルカリオに命じ、四つ子を再び担ぎ上げさせた。左腕に二人、右腕に二人。それがルカリオの剛力で細腕に締め上げられるのだから、それは四つ子にとってなかなかの拷問であった。
     ウズが裏庭へと案内し、四つ子を抱えたルカリオとユディが続く。
     それから四つ子は秋の庭でユディとルカリオによって無造作に頭から盥の水をかけられ、泥を洗い流されて、座敷に戻ってはウズが自分で仕立てた着物に着替えさせられた。
    四つ子の養親のウズは、和裁士をしている。ここクノエのジムリーダーであるマーシュがデザインした着物ドレスを仕立てる仕事も、ウズは以前からたびたび請け負っていた。
    四つ子の親で存命なのは父親だけだが、その父親から四つ子に与えられたのは、ウズ一人、ただそれだけだった。ウズの和裁の腕一つで四つ子は十まで育ったわけで、それだけウズの縫製の技術は高い。そのため、四つ子の着るものはすべてウズの手作りである。
     そんなウズが作った揃いの柿茶色の着物で身づくろいをし、四つ子はぞろぞろと応接間に向かった。
     不愛想な黒衣のモチヅキの説教を受けるためだ。


     モチヅキは応接ソファで足を組み、肘掛に頬杖をついてじとりと四つ子を眺めている。ウズが茶と茶菓子の栗きんとんを人数分だけ盆にのせて運んできた。
    ウズとユディはモチヅキの両隣に配置された一人掛けのソファにそれぞれ腰を下ろし、そしてその向かい側の三人掛けのソファには四つ子がぎゅう詰めにされた。
     沈黙が落ちた。
     銀髪のウズは澄まして茶を啜っているし、淡い金の髪のユディは栗きんとんを黒文字で上品に切り分けて口に運んでいるし、――そしてその二人の間に挟まれた黒髪のモチヅキは、ひたすら不愛想に頬杖をついたまま四つ子を眺めていた。
     四つ子はもぞもぞした。
     モチヅキは裁判官である。華族の血筋を引き、ウズや四つ子の父親とも親交があったとかいう縁から、何かと四つ子を支えてきてくれた四つ子の恩人だ。しかしモチヅキは昔から、この通り、大変気難しい性質の人物だった。
     ウズとユディが二杯目の茶を飲み干しても、モチヅキは四つ子を凝視したまま微動だにせず、その間四つ子は茶にも菓子にも手を付けず、ひたすらもぞもぞしていた。
     一杯目の茶が冷めきったところで、ようやくモチヅキが口を開いた。
    「……これだから、学のない童は好かん」
     モチヅキの暗い眼が四つ子を凝視し続けている。
     へらりと愛想笑いをしているのは緑の被衣のキョウキだけだった。
    「すいませんねぇ、なにぶん学資がないもんで」
    「旅路にて学べることもあろう。旅は独りでするものではない。……助け合うことの尊さ、人心を慮ることの大切さは学べなんだか」
    「ええと、モチヅキさんは何が仰りたいんですか? 学のない童にも分かるように簡潔明瞭にお願いします」
    「生意気な……」
     黒髪のモチヅキは、頬杖をついたまま静かに言い放つ。
    その隣で、銀髪のウズがうんうんと頷いていた。
     金髪のユディもじっと四つ子を眺めていたが、彼はふと息を吐き出した。そしてユディは幼馴染の四つ子に問いかけた。
    「そのエリートトレーナーに対して、お前ら、悪いと思わないのか?」
    「……悪くないもん」
     幼馴染の問いに、セッカがすねたような口調で応じる。ユディは顔を顰めた。
    「お前らのポケモンのせいで、その人は怪我をしたんだ。お前らは、手持ちのポケモンたちのおやだろう。ポケモンのやったことに、責任を持つべきだ」
    「……責任を持つって、何すりゃいいのさ」
    「まず、謝れよ。直接会えないなら、手紙を出せ。早急にだ」
    「……何を謝るのさ。……何を謝んないといけないのかもわかんないのに謝ったって、トキサも困るだけじゃんか」
    「お前らのポケモンが、その人にひどい怪我を負わせたことについて、だ」
    「――だってさ、事故じゃん!」
     セッカが叫ぶ。
    「四人で考えてみたけどさ、悪いのはトキサだもん。……俺らが謝るのは納得できない!」
     ユディも穏やかに言い返す。
    「何をムキになってるんだ。変な意地張らずに、素直に謝っとけ」
    「……とりあえず謝ればそれで済むのか? 謝って世間体的に穏便に済ませろってか?」
    「謝るのが常識だろ」
    「常識常識って、うるっさいなぁ! ウズは感情的だし、ユディはなーんも考えなしだし、もうやだ。ばーかばーか」
     セッカはそっぽを向いた。
     赤いピアスのレイアは腕を組み、青い領巾のサクヤは俯いている。緑の被衣のキョウキだけは、ほやほやとにこやかだった。
    「これだから学のない者は」
     モチヅキが再び吐き捨てる。それから静かな声音で問いかけた。
    「その重傷のトレーナーがこれからどのような道を歩むか、想像できるか?」
     モチヅキが視線を投げたのはサクヤである。青い領巾のサクヤは背筋を伸ばしたが、すぐに言葉に詰まった。
    「……しばらく入院、……」
    「病院によると、かの者は今後一生、立つことも話すことも一切かなわぬ身になるそうだ」
     四つ子は黙り込むしかなかった。
     エリートトレーナーのトキサが重傷を負いはしたが死は免れたことは、四つ子も聞き知っていた。しかし具体的にどのように重症なのかは、四つ子は今の今まで知りもしなかったし、興味すらなかったのである。
     重症と聞いても、たかだか骨折か内臓破裂か。現在の医療技術なら、時間さえかければすっかりトキサも回復するだろうと四つ子は高をくくっていた。
     まさか、後遺症が残るなどとは思いもしなかった。
     モチヅキは淡々と言い募る。
    「手術、入院、介護用品には費用がかかる。しかし今の法律では、ろくな見舞金すら取れもせん。が、それだけで済む話でもない。己が力で食事も排泄もできぬのは若い者には惨めであろうな。ポケモンと共に夢の舞台に挑むことも叶わなくなったのではあるまいか」
     モチヅキはふと口を噤んだ。
     やがて再び口を開き、囁いた。
    「まあ私にもそなたらにも、その者の苦痛を想像することしかできん。……そなたらの行動一つ、言葉一つが、その者を絶望に陥れることも、また救うこともある。……それは心がけておけ」
     それだけ静かに告げると、モチヅキは茶菓子を口に運んだ。なので、レイアもキョウキもセッカもサクヤもそれに倣う。ほくほくと甘い栗きんとんを味わい、冷めた苦い茶で流し込んだ。
     そしてモチヅキはさっさと席を立った。


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