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謹慎中1
高く結った白銀の長髪をなびかせ、桃色の裾の長いスカートを鳴らして、ウズは警察署に飛び込んだ。そして受付の署員に怒鳴りこんだ。
「――四條のもんじゃが!」
「あっ、ウズだぁー」
鬼気迫るウズとは対照的に、呑気な声が上がった。ウズはわなわなと震えつつ、ゆらりと振り返る。そして声の主に飛びかかった。
「このド阿呆! なに人様にケガさしとんじゃボケが! あたしはんなように育てた覚えはないわぁ!」
「いたい!」
ぴゃああと悲鳴を上げるのは、ピカチュウを肩に乗せた袴にブーツのトレーナー、セッカである。ウズの白い手に黒い前髪を掴み上げられると、セッカはみいみいと泣き出した。
「うわあああんウズ怖かったよぉぉぉぉぉ!」
幼い子供でもないくせに臆面なく泣き面をさらすセッカに、ウズは少なからず面食らった。旅に出て数年になるというのに、幼い頃から全く変わっていない。
「……何が、怖い、じゃ! おぬし、自分が何をやりよったか分かっとんか!」
「トキサが爆発したぁぁ――っ!」
そしてセッカは爆発的に泣き出した。その肩の上でピカチュウが激しく鳴きたてる。
「びいが! びがびぃが! びがぢゅああっ!」
「ええい、ピカさんも黙らんかい! 何を泣いとんじゃセッカ! 何があったか詳しく説明せえ!」
「あ、ウズだ」
署内で大騒ぎするウズとセッカとピカチュウの間に、ふわりと柔らかい声が割り込む。
ウズが怒りにわななきつつ振り返ると、そこにはセッカの四つ子の片割れの三人が佇んでいた。
ヒトカゲを小脇に抱えた赤いピアスのレイア、フシギダネを頭に乗せた緑の被衣のキョウキ、ゼニガメを両手で抱える青い領巾のサクヤ。
四つ子は、ウズが最後に見たときよりずっと背も伸びていた。
それ自体は喜ばしい。しかし、ウズはこのような場での再会など望んでいなかった。
ウズは深く深く息を吐く。セッカを置いて、残る三人を見やる。
そして低く唸った。
「――よくも、養い親のこのあたしに、恥かかせてくれよったな、アホ四つ子」
フシギダネを頭に乗せたキョウキは、ほやほやと笑っていた。
「いやぁ、トキサって人が、勝手に僕らの勝負に首突っ込んだんだよー」
ゼニガメを抱いたサクヤは、心外そうに眉根を寄せていた。
「僕が見張りに置いていたニャオニクスを無視したんですよ、あのエリートトレーナーは」
ヒトカゲを抱えたレイアは、気まずそうな苦い表情をしていた。
「いや、トキサにゃ悪いとは思うがよ……でも俺らだってやることはやったし……」
ピカチュウを肩に乗せたセッカが、ぴゃあぴゃあと叫んだ。
「俺らは悪くないもん!」
ウズは思わず額を押さえた。
四つ子を引きずるようにして、ウズはクノエシティに戻った。その道中も四つ子は楽しそうだった。
「懐かしい! 俺ら四人とウズでさ、プラターヌ博士にポケモン貰いに行ったんだよな!」
「そうそう、でもセッカは四人バラバラに旅するのいやがってずっと不貞腐れてたよねぇ」
「俺、ここ通るの、くそ久しぶりだわ」
「相変わらずここは足場の悪い道路だ」
遠足気分か、とウズは心の中で低く毒づいた。
四つ子は今朝方、傷害事件を起こした。
朝も早くからミアレシティのローズ広場で四人でマルチバトルをしていて、そして通りかかったエリートトレーナーをバトルの爆発に巻き込んでしまったのだ。四つ子自身もその爆発をもろに浴びたものの、各々のポケモンに庇われて、幸い四つ子は大した傷には至らずに済んだ。
その後の四つ子の行動は、セッカはぴゃあぴゃあと泣き騒いで周囲の人間を集め、キョウキは救急車を依頼し、サクヤとレイアは負傷したエリートトレーナーの介助に努めた。その四つ子のチームワークは評価すべきであった、と現場に居合わせた人々は語った。
しかし、その後そのエリートトレーナーの容体がどうなったかは未だ定かでない。
四つ子はこの通り始終呑気な様子で、一方でエリートトレーナーの負傷の様子は頑なに語ろうとしない。それがなおさらウズの不安をあおった。
エリートトレーナーの怪我が軽ければ、四つ子は一切お咎めなしだ。
もし怪我が重ければ、四つ子はそれぞれ一ヶ月間の自宅謹慎とポケモン取扱免許の仮停止を食らう。
最悪、そのトレーナーが死んでしまったら。四つ子はポケモン取扱免許とトレーナー資格を剥奪された上で、刑事訴追を受けることになる。十で成年とみなされることから、重い刑罰が科されるだけでなく、四つ子の氏名も素性もすべてメディアに流され、その噂は遠い未来まで忘れられることはない。
ぞっとする。
ウズは眩暈を覚えた。四つ子の実家であるジョウト地方はエンジュシティの宗家にも、少なからず良からぬ影響があるだろう。もし、そうなったら。
「うっわぁぁぁマッギョだぁぁぁぁぁ!」
「セッカはもうマッギョ持ってるじゃないー」
「あー、マッギョ良いよなー。俺も欲しくなってきたわ」
「確かに……いいな」
ウズの底なしの不安をよそに、四つ子は沼地のマッギョに熱視線を送っていた。
灰色の石を積んだ壁に、苔むした青の屋根瓦の家並み。町の木々は秋の色に染まり、小雨にしっとりと濡れている。ちょっぴり不思議の町、クノエシティ。
四つ子の、久々のクノエへの帰還だった。
すぐにふらふらと散歩に行こうとする四つ子をやっとの思いで束ね、ウズは我が家に四つ子を押し込めた。
「ええか、じっとするでないぞ!」
「よっしゃ散歩いこーっ!」
「間違えた! じっとしておれ! これキョウキ! レイアもサクヤも!」
朗らかに笑いつつ、セッカは久しぶりの我が家の廊下を駆け巡った。そのあとをピカチュウが電光石火で追う。キョウキが頭上のフシギダネと共に勝手知ったる台所へ入り、茶を淹れ始めた。
サクヤはのんびりとゼニガメを連れて家の裏に回り、雨降る庭を眺めている。やんちゃなゼニガメはすぐにサクヤの膝を飛び出して、色づく葉で彩られた庭の池に飛び込んだ。
レイアは早々に座敷に引きこもり、乾いた布でヒトカゲの体についた水分を黙々と拭き取る。その座敷に、家中を一周してきたセッカとピカチュウが飛び込んできた。
「おうち、いいね!」
「そうだな」
そこにキョウキとフシギダネが湯呑を盆に乗せて運んでくる。
「サクヤはどこかな。ふしやまさん、呼んできてくれるかな?」
「だねー」
板張りの廊下をフシギダネがのんびり歩いていくのを、ヒトカゲとピカチュウが追った。
雨音がする。
サクヤが縁側を伝って座敷に現れると、四つ子は誰が言うともなく車座になった。
まず口を開いたのは、赤いピアスのレイアである。
「……やっちまったな」
緑の被衣を肩に下ろしたキョウキも、柔らかな笑顔で肯う。
「やっちゃったねぇ」
セッカも背を丸めた。
「うぇい」
青い領巾を袖に絡めたサクヤは嘆息した。
「大事に至らねばいいが。僕らのためにも」
雨音がする。
四つ子が座敷に籠っているときはウズは座敷に入らない、というのがこの養親子間の暗黙の協定である。座敷は薄暗く、ひんやりと涼しく、古い畳の匂いがする。
四つ子はぽつりぽつりと雨だれのように言葉を発した。
「……なんでこんなことになった?」
「何があったんだろうねぇ」
「なんでトキサあそこにいたんだよ」
「僕らに付きまとっていたのか?」
「それはねぇだろ」
「っていうかあの爆発はびっくりしちゃったねぇ」
「雷とドロポンと大文字とソラビいっぺんに撃つと、爆発すんだな……」
「ハイドロポンプの水分子が、雷によって水素分子と酸素分子に電気分解され、そこに大文字の炎が来て急激な化学反応が起こる、と」
「てめぇはよくそんな難しいこと知ってんな、サクヤ」
「え、じゃあ、僕のふしやまさんのソーラービームは何なのさ?」
「そういや、ソーラービームって何なんだろうなー」
「光エネルギーじゃないか?」
「え、じゃあつまりソーラービームってレーザー光線みてぇなもんなのかよ?」
「知らなかったなぁ。目に入ったら失明するね、絶対」
「えええ! やべぇソーラービームこええ!」
「まったくだな」
フシギダネのソーラービームは怖い、という結論に落ち着いたところで、四つ子は揃って湯呑の茶を啜った。
そして話を戻した。
「……トキサはその爆発に巻き込まれた」
「で、爆発を起こしたのが僕らだ、と」
「だから俺ら警察に逮捕されたの?」
「逮捕はされていない。ただの事情聴取だ。30分で解放されたろう」
「で、なんで俺らはクノエに帰ってきてんの?」
「トキサさんが重傷だったら、僕ら四人はひと月の自宅謹慎だよ。トキサさんが万が一亡くなった場合は、僕ら四人は今度こそ本当に逮捕されるねぇ」
「やだあああっ生きててトキサぁぁぁぁぁ」
「奴の生命力に頼るしかないな」
四つ子の命運は負傷したエリートトレーナーにかかっている。今はただ、病院か警察からの連絡を固唾を呑んで待つしかない。
セッカがしょんぼりした声を出した。
「……エンジュの父さん、怒るかなぁ」
「知るかよ。元はといや、俺らをポケモントレーナーにしたあっちが悪い」
レイアが低く吐き捨てた。
キョウキも湯呑の中の水色を眺めつつ微笑む。
「万一の時は、父さんに責任をとってもらおうね」
「むしろそれが当然の報いじゃないのか……」
サクヤの声は雨音に吸い込まれていく。
四つ子との別れ 夜
ブリガロンが重い書籍の数々をオレの部屋に運び込む。そしてその分厚い本のページを繰るのはオレではなく、ユンゲラーである。
この有能なユンゲラーは法学や政治学の教科書を驚異的なスピードで流し読みしては、片っ端からその情報をコンピュータに入力していった。画面上で教科書を読むことができれば、オレは本を使うよりも容易に勉強ができる。
政治経済などは、ポケモンを育成する上で全く不要な科目だった。だから知識などはほぼ無いに等しい。だから今はひたすら吸収するしかない。
かつての夢を諦めようとは思っていない。
しかし、確実に夢を奪われたような、そんな喪失感がただ重い。
もう少しだと思っていたものが遠く果てしなく遠くなり、それがあまりに遠いので少し気力が失せてしまっただけだ。だから一休みしがてら、寄り道するのだ。
オレ以外にも、夢を希望を断たれた人間はいるだろう。そして、そういった人間を踏み台にして、のうのうと自由に大地を歩く者がいるのだろう。
それはポケモンのせいなのか、トレーナーのせいなのか、それとも国のせいなのか。知らないことだらけで、何もわからない。
でも、あの四つ子もきっと、オレと同じことを考えて、迷いつつ進んでいくだろう。
だからあの四つ子とオレは同志なのだ。
テレビ画面が、カロスリーグの中継を映している。
オレの傍らには共に夢に舞台を追ったブリガロンが、反対側には病院から借りた気さくなユンゲラーが、オレと一緒にカロスリーグの模様を眺めていた。
驚いたことに、カロスリーグに出場した四つ子は、レイアだけではなかった。ついこの前までバッジが三つだったキョウキと、五つだったサクヤも出場していたのである。
彼らが何を思ってこの短期間でバッジを集めたのかはわからない。しかし、彼らのバトルスタイルは変容していた。大技ばかりをぶちかますということをしないのである。
四つ子は強さを誇示しない。
何を考えたのだろう。
オレには分からない。
それにしても、バッジを一つしかもっていなかったセッカは、さすがにリーグまでのバッジ集めは間に合わなかったということだろうか。
いや、あいつはあいつのエセ新人作戦で金を稼いでいるに違いない。あいつはいつも、飯と金に飢えているのだから。けれど、他の三人と同じく、もう力に溺れることはないのだと信じたい。
オレはあの四つ子を信じようと思う。
だから、彼らの自由な旅を許そうと思う。
遠い遠い夢の舞台を眺めながら、オレは別の夢を見ている。
フェイマスな男とは、どんな男だろうか。たとえカロスリーグのチャンピオンにならなくても、そう、例えば、歴史的な勝訴をもぎ取った敏腕弁護士だとか、驚異的な判断を下した最高裁長官だとか、あるいはこれまで人知れず涙を呑んできた人々を救済した国会議員だとか。そういう男はフェイマスだと、認めてもらえるだろうか。
いや、違う。
認めさせてやろう。この世界に。
そしていつか、四つ子にあの店の寿司を奢ってやるのだ。
四つ子との別れ 夕
やがて、自宅謹慎中の四つ子から手紙が届くようになった。
ある日、母がそういった最初の手紙をオレの部屋まで持ってきたから、オレはその手紙を母に読み上げてもらおうとしたのだ。
しかし母はふつりと黙った。
どうせろくなことでも書いてなかったのだろう。母は狼狽した様子で手紙を取り落とし、オレが自分でその手紙を読めないのを良いことにその手紙を床に落としたまま、ふらふらと部屋から出ていった。
それでも、その後日に届いた手紙は無難な内容だったとみえて、母も穏やかに、半ば虚ろに手紙を読み上げてくれた。
申し訳ありません。たくさん反省しています。どうお詫びをしたらいいかわかりません。許してください。
ありきたりな、そしてところどころやはり自己愛の見え隠れする、稚拙な文章だった。そんな四つ子からの手紙が、嫌がらせのように毎日届いた。それを母は毎日毎日、虚ろな声でその手紙をオレの傍で読み上げ続けた。
だから余計に、母をひどく狼狽させた、最初の四つ子の手紙の内容が気になった。
とある夕暮れ、カロスリーグに向けたトレーニングの合間に見舞いに来てくれた友達に、床の上に落ちた手紙を拾い上げさせ、それを読み上げてもらったのである。
それはこんな内容だった。
『こんにちは。セッカです。この手紙はキョウキの手紙の次に読んでくだちい。(ここで友人は思わず吹き出し、オレに向かって申し訳なさそうな顔をした)
おれたちは一か月の自宅きんしん中です。トキサが病院はこばれたときは、みんなでまっさおになりました。
けいさつにもつれてかれました。ろうや入れられるかと思ってすごくこわかったです。でも、けんさつ(けいさつとは別のやつだそうです)もぜったいりっけんしないからとか言って、30分でかいほうされました。すごくほっとしました。おれもみんなもです。
おれたちがつかまらないのはそういう法りつだからだ、って、知り合いのさいばん官のモチヅキって人が言ってます。
ポケモントレーナーには、ものすごいとっけんがあるそうです。トキサもトレーナーなので、仕方ないと言ってました。おれも正直しかたないと思います。
おれたち四人は、お世話係のウズって人にいっぱいおこられました。モチヅキさんにも、めちゃくちゃおこられました。トキサもたくさんおこると思います。だから毎日おわびの手紙を書けと言われました。でも何をおわびしたらいいかよくわかんないです。トキサなんであんな朝早くに、おれたちのバトルを見てたんですか? ストーカーなんですか?
おれはトキサにもうしわけないと思ってます。でもお金がないので、どうにもできないので、トキサもがんばってください。おれもがんばってバトルでお金をかせぎます。
トキサのファイアロー(ここに鳥ポケモンの絵が描いてあった)は元気ですか? トキサはもうバトルできませんか? カロスリーグに出れませんか? トレーナーやめちゃいますか? ほうりつを変えようと思いますか? ポケモンたちはどうするんですか? おれはトキサがかわいそうなので、このままじゃだめだと思ってます。だからがんばります。トキサとまたバトルしたいです。早くケガ直して(ここで友人が漢字のミスを指摘した)くだちい。』
『トキサ様
前略 サクヤです。セッカのしょぼい手紙の次に読んでください。
僕の下らないお詫びなど読んでもつまらないだけでしょうから、この謹慎中に考えたことを書きます。
現在この国の法制度は、ポケモンによって傷害を負った者に対する配慮というか、人権の保障が実に不完全であると感じます。僕が言えた義理ではないですが。
僕の師であるモチヅキという方が仰っています。トレーナーカードを持つ者は特権的身分を手に入れると。
国はポケモントレーナーを保護します。そして今回の場合は、体が動かなくなってトレーナー生命を絶たれた貴方より、僕たち四人の方が保護に値すると、国は考えているのです。実質的にはそういう事です。
なぜ国がトレーナーの特権を保障するか、エリートである貴方には容易に想像がつくでしょう。そしてそれが国是であり、世界的潮流であり、普遍の正義であることもお分かりいただけると思います。
ポケモンのために、人権が踏みにじられているのだと捉えることも可能でしょう。
けれど、我々がトレーナーである限り、この国の法に保護されている限り、ポケモン協会に従っている限り、この世界は変わりません。僕はそう思います。草々』
『どうも、レイアです。サクヤの手紙の次に読んでくだち(笑)い。(ここで友人が再び吹き出した)
悪いふざけすぎた。真面目に書く。たぶん。
俺の知り合いに、ポケモン協会の人間がいる。そいつらから聞いた話だ。
政府はポケモントレーナーの育成を一大政策として掲げている。まあそりゃそうだろうな、優れたトレーナーと強いポケモンがいりゃ、産業も軍事も大幅レベルアップだ。国としては万々歳でしょうよ。だから、ものすごい税金がポケモン協会に流れてる。ポケモン協会からも、たくさんの議員が出てる。そいつらが、トレーナーっつー特権身分を肯定する法律をバンバン作ってる。そういう議員の中から政府ができる。政府が最高裁の裁判官を選ぶ。すると最高裁は、人権軽視の法律も合憲だって判断ばっか下す。三権分立なんて嘘だぞ。この国のてっぺんはカネでくっついてんだよ。
ってな具合で、今この国を牛耳ってるのは“ポケモン利用派”の連中だ。
これ以外に、“反ポケモン派”と“ポケモン愛護派”ってのがいるらしい。
反ポケモン派ってのは、“ポケモン利用派”によって踏みにじられてる人間の尊厳を回復しようと考えてる連中だ。トキサ、あんたみたいにポケモントレーナーのせいで被害に遭った奴や、そいつらの家族が大半を占めてる。
でも、反ポケモン派はポケモンを持たねぇから、まあ実力的にしょぼい。人間だけでデモするのが関の山ってとこだ。警察のガーディの火炎放射一発で終了。議員に立候補して選挙に出馬するやつもするが、反ポケモン派は逆にポケモントレーナーの権利を縮小しようとするから、まあポケモン協会にカネの力で黙らされやすい。そういう感じで、いくら反ポケモン派が文句を言ったところで、今の人権軽視の制度は変わんねぇよ。反ポケモン派は弱い。
ポケモン愛護派ってのは、ポケモンを利用するのはやめようっていう、なんかズレたこと言ってる連中だ。一昔前のイッシュ地方のプラズマ団がこういうこと言ってたな。
政府も、俺らポケモン協会の指導に服するポケモントレーナーも、それからロケット団とかの犯罪結社も、全員“ポケモン利用派”に属するんだ。俺ら個人がどう考えてようが、この国の法律に従って暮らしてるか、ポケセン利用してるか、ポケモンをボールに入れてる奴は、ポケモン利用派になる。ポケモン利用派は圧倒的多数だ。
ついでに言うと、この国は民主主義だから、少数の意見なんて抹殺される。
だから、うっかりトレーナーの手持ちで死傷したら、本人もその家族も泣き寝入りするしかねぇってわけだ。それがこの世界だ。
で、あんたはどうするんだ? おとなしく泣き寝入りすんのか? それが知りたい。
ポケモンを使ってトレーナーやってる限り、あんたみたいに損害賠償も請求できず人権を踏みにじられる人間はなくならない。でも、ポケモンを使わなきゃ何もできない。
この問題は割と複雑らしい。まああんたのおかげで俺もちっとは勉強した。そういう意味じゃ多少は感謝してる。
ちなみに、俺はカロスリーグまでに謹慎は明けるので、普通に出場します。イヤミとかじゃなくて、普通に報告』
『こんにちは。キョウキだよ。レイアの手紙の次に読んでね。
レイアが難しいことをいっぱい書いてくれたので、僕は僕らの話をします。
僕ら四つ子は妾腹です。父親はジョウト地方のエンジュシティで踊りか何かの家元をしてるそうです。母親はカロスのクノエシティの人間だけど、これが早くに死にまして、僕ら四つ子は父方から送られてきたウズっていう人にクノエで育てられてました。
でも、父親は僕らの学費を出してくれませんで、僕ら四つ子はポケモンを貰って旅に出るしかありませんでした。で、ここで問題なのは、僕らの父親の人格じゃなくって、この国の教育制度のほうなんですよね。
この国の無償教育は10歳までです。つまり、義務教育は短くて3年ってとこなんだよね。たった3年の教育で、水素爆発という現象の存在なんてどうやって知れっていうんだろうね? ――だからトレーナーは無罪になるんだよね。知らないことは予見して回避することができないからね。トレーナーに責任がなければ、トレーナーは罰を免れるんです。これは責任主義という考え方だそうですよ。法学部生のユディっていう友達が教えてくれました。
学ばず、ポケモンばかり育てる子供が増えるね。その中から、遅かれ早かれ優れたポケモントレーナーが現れ、強いポケモンを作ってくれるだろう。それこそが政府の狙いなのだろうけれど。
ねえ、エリートさんなら分かりますよね。政府が望んでいるものが何なのか。そしてそれが、世界の自然な流れだってことも。だからね、僕は迷うんですよ。何が正しいのか。
君は今の“ポケモン利用派”の制度を許しますか? それとも、“反ポケモン派”として人権の回復に努めますか? それとも、“ポケモン愛護派”なんてズレたことでも言ってみます? どうするのが正しいのか、僕にはわかりません。』
友人は息をついた。
四つ子の手紙に書いてあったのは、いずれも現在の制度に対する疑問だ。そこにお詫びの言葉はほとんど無い。
しかしあの四つ子が社会制度についてまじめに文章をしたためるというのがどこかおかしくて、これは少し彼らの啓蒙に貢献してしまったなとオレは思った。そう、オレはエリートだから、後輩トレーナーを教え導くのも大切な責務だ。
部屋には窓から、橙色の夕陽が差し込んでいた。
オレの友人の表情も暗い陰になっていた。
「んで、トキサ、どうすんのお前」
友人が声をかけてくる。オレはユンゲラーに、画面上にクエスチョンマークを浮かべさせた。
「これからどうするとか、決めたのか? トレーナー、続けられんのか?」
そんなことは毎日毎日考えてきた。
四つ子に出会い、そしてこんなことになるなんて思いもしなかった。プラターヌ博士からハリマロンを受け取り、母に見送られて旅に出て、野宿を重ねバトルに明け暮れ、仲間と共に勉強して、夢を見て。
こんなどん底の世界が、すぐ傍にあったとは思いもしなかった。
ユンゲラーに頼み、ブリガロン、ファイアロー、ブロスター、ホルード、デデンネの五匹をボールから出してもらう。
こんなトレーナーでごめんな。でも、今のオレにはカロスリーグに向かっていくだけの力はちょっとない。でも、トレーナーをやめようとも思わない。ただ、本当に復帰するかどうかもわからない。
お前たちは、好きに決めていい。寝たきりのオレの傍にいてもいいけど、しばらくはバトルはお預けになると思う。バトルがしたいなら、友達にお前たちを預ける。オレの友達はみんなエリートだから、お前たちをちゃんと育てて、大会でもいい成績を取らせてくれるだろう。
ユンゲラーの力でオレの意思を伝えると、手持ちたちはユンゲラーを介して返事をした。
ブリガロンはオレの傍に残る。他の四体は、他のトレーナーについて強くなる。けれどももし、オレがトレーナーとして復帰する、その時が来たならば、必ずオレの元に戻ってこよう。そしていつか見た夢をもう一度見せてほしい。
そう、彼らは思い決めていたように、オレに告げた。
ブリガロンを除いた四匹のオレの手持ちたちは、ボールに戻っていった。
『頼む』
画面に表示される。
「ああ、わかった。任せろ」
その日暮れの時、オレは友人に、四体の仲間を預けたのだ。
四つ子との別れ 昼
四つ子のマルチバトルを見物していたら、爆発に巻き込まれて吹っ飛ばされ、打ち所が悪かったらしく脊髄を損傷し、それきり体の動かない人生とお付き合いすることになりました。どうも、エリートトレーナーのトキサです。いや、“元”エリートトレーナーというべきなのかもしれないが。
嘘だろう?
夢だろう?
自問することにも飽きたので、オレはぼんやりと自分の部屋の天井を見ていた。もちろんオレは病院から退院して、自室に運び込まれた介護用ベッドに横たわっているのだ。
色々なことがあったが、すべてどうでもいいような気がする。
オレは立つことも喋ることも自分で食事したり着替えたりトイレに行ったりすることもできなくなった。延々とベッドに縛りつけられることになった。赤ん坊からやり直すことになった。頭や目や耳が使い物になるだけマシかとも思った。
オレの意思疎通については、病院から借りているユンゲラーが介助してくれている。ユンゲラーがオレの脳波を読み取り、念力でコンピュータを操作し、画面にオレの考えたことを瞬時に文字化して表示してくれるのだ。
このユンゲラーがなかなか有能で、しかも気の利く奴だった。オレの手持ちたちの意思まで文字化して、オレにも読めるように画面に表示してくれるのだ。寝たきりになって初めて、オレは、自分のポケモンたちと言葉で語り合った。
一番の相棒のブリガロン。ファイアロー、ブロスター、ホルード、デデンネ。共に野山を駆け回り、野生のポケモンの急襲を潜り抜け、ライバルと切磋琢磨し、血の滲むような努力を経てジムバッジを手にし、やっとカロスリーグへの挑戦権を手に入れたと思ったのに。
こんな体では、バトルはできないだろうと思った。
何しろ、オレ自身がバトルの場に立つことすらできないのだから。
ポケモンに指示を飛ばすにしても、ユンゲラーを介するほかに手段が考えられない。ユンゲラーは病院のポケモンだから、勝手にユンゲラーにバトルの仲介をするよう訓練するわけにはいかない。なら、他にテレパシーが使えるエスパーポケモンを捕まえて、育てるか? どうやって捕まえるというんだ? 友達のエリートトレーナーに捕まえてもらえばいい。どう育てるんだ? それも友達に頼むのか? 誰がオレのためにそこまでしてくれる? たとえ誰かがそんなことをしてくれたとしても、仲間のエリートたちはみんな目の前のカロスリーグに向けて調整中なのだ。次のリーグには間に合う筈が無い。その次のリーグには? 出られるのか? どうすれば出られる?
オレはトレーナーを続けられるのか?
無理じゃないか。
じゃあこれからどうする? 残りのすべての人生を、動けないまま、何もせず暮らすのか? それでいいのか?
なんでこうなったんだ。
治る、という未来はあり得るのか?
治りたいのか?
オレは何がしたいんだろう。
どうするべきなんだろう。
ブリガロンもファイアローもブロスターもホルードもデデンネも、このままオレの傍に置いておいていいのか?
疑問を宙に投げかけては、ユンゲラーがそれを拾って文字に整える。ポケモンたちは何も言わない。トレーナーのオレの決断をただ待つだけだ。オレがそう躾けたのだ。
昼間だったが、そのうち眠くなってくるので、寝た。
オレの身の回りの世話をしてくれるのは、主に母だ。
母は、オレの体がこうなって以来めっきり老け込んで、髪も真っ白になってしまった。力仕事はオレのブリガロンやホルードが手伝うのでそこまで負担はないはずだが、息子がこうなってしまうと、母親はどういう気持ちになるものなのだろう。母は無理にも笑顔を作って、焦ることはない、いつか治るかもしれない、大丈夫だと語りかけてくる。けれどオレより母の方が大丈夫でなさそうだ。
父はさる企業の重役なのだが、オレが病院に運び込まれて入院している間は何かと見舞いに来てくれていたのだったが、オレが退院して家に戻ると、逆になかなか家に帰ってこなくなった。それが何を意味するのかは、考えるだけ面倒だった。
ただ、ときどき弁護士が家に来た。親が呼んだのだろうと思う。
弁護士が何をするのかと思えば、母はせめて損害賠償請求だけでもと考えていたらしい。その時になってようやく、オレは四つ子のことに頭が回った。
母は、四つ子を相手取って訴訟を提起することを考えたのだ。それもこれも、検察が今回の事件に関して刑事訴訟を提起しなかったためだ。
けれど、いずれの弁護士も母の力にはならなかった。
現在、四つ子はひと月の自宅謹慎に服している。四つ子は無事なのだ。彼らの傍にいたポケモンたちが、彼らを爆発から庇ったおかげだ。
そして、一か月の謹慎期間が終われば、四つ子は再び自由にポケモンと共に旅をすることができるようになる。
そのくらいの知識は、エリートであるところのオレにもあった。
他者に軽度の傷害を負わせたポケモントレーナーは、まったくの不問だ。
そして、他者に重大な傷害を負わせたポケモントレーナーは、ポケモン取扱免許を仮停止されて自宅謹慎が一ヶ月、それだけだ。謹慎期間の一ヶ月が平穏無事に過ぎれば、そのトレーナーは何の責めも帰されず、メディアに氏名や顔が公表されることもなく、まったく普通の一般トレーナーとして旅を再開できる。
それが、この国の法だ。
ポケモン協会と強力すぎる繋がりを持つ与党が作った法だ。
一部の法学者や市民層から強固な批判が浴びせ続けられている、人権軽視の法律だ。
そんな法があるから。
そんな法が正しいという裁判所の判断は、何千回、何万回の訴訟を経ても変わらないから。
だから弁護士も、訴訟を提起しない。
諦めろと、母にオレに言う。
「ご子息も、トレーナーですから……ご理解いただくしか……」
「相手方は、通路にポケモンを配置していたわけでして……一般人に危害のないよう一定の配慮はしておりまして……つまり予防線的なものは張っていたわけでして」
「こちらの無過失を証明するのは……困難で……」
つまり、見張りのニャオニクスがいたのに、あえてバトルの場に近づこうとしたオレは、それ以上近づけば危険だということを予測できたにもかかわらず、それをしなかったから、オレの方が悪い、というわけなのだ。
しかもオレは、ポケモントレーナーだから。そのバトルがどれほど危険なものだったかは、広場の外からでも十分に把握できただろうということだ。
当たり前だ。
オレは、エリートトレーナーなのだから。
その後も、何人かの弁護士がオレの部屋に現れた。
「最高裁の判例です……合憲であると」
「お役に立てず、申し訳ございません」
どの弁護士も、ポケモントレーナーによる傷害に関する訴訟には関わろうとしなかった。勝ち目がないからだ。
とりあえず無難な弁護士に、ポケモン協会から少額の見舞金を分捕らせた。
それだけだった。
オレは別に四つ子を恨んではいない。
ただ、あの四つ子が平気な顔をして旅を続けることを思うと、泣けてくるのだ。
あの四つ子は強い。
その強さで、周りを不幸にする。
四つ子との別れ 朝
エリートトレーナーであるオレは、グランドホテル シュールリッシュで明け方に目を覚ました。
心がざわつくのは四つ子のせいだ。あんなに強いトレーナーがいて、しかもその一人はオレと同じくカロスリーグに出場するつもりだと聞いて。カロスリーグ開催の日まで、もう一ヶ月ほどになろうとしている。居ても立ってもいられない。
夜も明けきらぬ頃にオレはホテルを出て、手持ちのポケモンはボールに入れたままランニングを始めた。オレと同じように気を逸らせたトレーナーに運よく巡り合えたら、その時はバトルをすればいい。しかし今はいかんせんトレーナーであるオレ自身の心が高揚しすぎている。ただ心を落ち着かせるために、オレは早朝の静かなノースサイドストリートを走った。
やがて川に差し掛かったところで川に沿うように進路を変えると、ローズ広場の方からポケモンバトルらしき音が響いてきた。
やはりリーグまで待ちきれないトレーナーがオレ以外にもいたらしい。嬉々としてローズ広場の濃紫のモニュメントを目指す。
そこにいたのは果たして、袴ブーツの四つ子だった。
葡萄茶の旅衣を翻し、四つ子は全員でマルチバトルに興じているらしい。
セッカと緑の被衣のキョウキ、それに対するは、青い領巾のサクヤと赤いピアスのレイア。
ピカチュウ・フシギダネ対ゼニガメ・ヒトカゲという対戦だった。
手足の短いポケモンたちが互いに技を繰り出し合うのは、想像以上にえげつない光景だった。ピカチュウは雷を完璧に当てる、フシギダネは異常に溜めの短いソーラービームを確実に当てる、ゼニガメはハイドロポンプをすべて当てる、ヒトカゲも大文字を正確に当てる。
つまり奴ら四つ子は、大技ばかりをぶち当て合っていた。四つ子はタイミングを計り、相手の技を相殺し、ポケモンを走らせ、片割れを相手にも容赦なく隙を狙う。
彼らを見ていて、オレはふと気になることがあった。
「んん?」
彼ら四つ子が全員傍らにエース級のポケモン、すなわちオレが戦ったガブリアス、プテラ、ボスゴドラ、ヘルガーをそれぞれ侍らせていたのだ。
普通に考えればマルチバトルの控えなのだろうが、ポケモンはボールの中からでも外の様子を窺うことができると聞いている。四つ子は腰にボールを付けているから、わざわざ控えのポケモンを外に出していなくても、控えのポケモンも自分が戦いに出るべきタイミングを自身で把握できると思うのだが。
まあ精々、戦いの場の空気というものをすぐ傍で感じ取っているだけなのだろうと漠然と自分の中で納得してしまう。オレは世にも珍しい四つ子のマルチバトルを近くから観戦するために、ローズ広場に足を踏み入れた。
「にゃ」
「あ、ニャオニクス」
一声鳴いたのは、雄のニャオニクスだった。
「サクヤの……ニックネームは何だっけ。まあいいや。どうしたんだ、お前?」
「にゃ」
しかしニャオニクスは表情一つ動かさず、ローズ広場で繰り広げられる小さいポケモンたちの激しいバトルを注視していた。
よく見ると、ローズ広場とメディオプラザの間にも、平たいマッギョが寝そべっている。あのマッギョは確かセッカの手持ちだ。
そしてローズ広場とオトンヌアベニューを繋ぐ通路にはキョウキのヌメイル、エテアベニューとを繋ぐ通路にはレイアの手持ちであろうガメノデスが立ちふさがっている。
バトルをする四体のポケモン、トレーナーに寄り添うポケモン、通路に配置されたポケモン。
朝早く起き過ぎたせいか、その時のオレには、バトルに直接携わっていない八体のポケモンが何をしているのか全く見当もつかなかった。そしてそれがもどかしくて、どうしても四つ子にそれを尋ねたくなってしまったのである。
折りしも四日かけて親しくなった、一卵性四つ子の、エンジュかぶれの、手練れのポケモントレーナーだ。オレは四つ子と知り合えたことを嬉しく思っていたし、もっと親しくなって四つ子の強さの秘密を知りたいとも思っていた。四つ子そのものにも興味があった。四つ子のバトルにはもっと興味があった。
広場に数歩、足を踏み入れた。
「にゃ」
サクヤのニャオニクスが数歩前に出て、オレを振り返り、オレの前に立ちふさがる。
「……なんだ? バトルの邪魔するなって? もっと近くで見たいんだよ、ここからじゃ、まだ指示とかよく聞こえないし……」
「にゃ」
「あ、いっちょまえにレイアの手持ちを隠そうとか考えてんのか? だからこんな時間に身内だけでバトルしてんの? つーかリーグまでの詰めの期間にすげー頑張れば、まだまだポケモンって化けるよ。なあ、ちょっとぐらい近くで見たって良いだろ」
「にゃ」
ポケモンの言葉がわからないのを良いことに、オレはニャオニクスを相手にごねてみた。しかしニャオニクスはわずかに手を広げるようにしてちんまりと仁王立ちしたまま、オレをまっすぐ見上げてくるだけである。
キョウキの柔らかい指示に、フシギダネが昇り出した日の光を吸収し、放出する。
サクヤの冷ややかな指示が上がる。ゼニガメがハイドロポンプで応戦する。
セッカが嬉々として跳ね上がり、叫ぶ。ピカチュウが雷を落とす。
レイアが怒鳴る。ヒトカゲが大の字の炎を吐き散らした。
圧巻だった。四つの大技がぶつかり合う。
オレは今にもニャオニクスを軽く飛び越えてローズ広場に飛び込みそうになりつつ、それに見とれていた。ニャオニクスはそんなオレをいつまでも警戒していた。
オレの名はトキサ。エリートトレーナーだ。
エリートは、ポケモンを戦わせるだけではない。かといって、ポケモンの技や相性や状態異常やステータス変化などを延々と勉強している、それだけでもない。
本物のエリートトレーナーは、多くのトレーナーが旅に出るために切り捨ててしまう、高等教育の知識も持っているものなのだ。例えば外国語、古典、地理、生物、物理、そして化学。
だからオレは、知っていた。
水に電気を流せば、どうなるだろう?
そこに炎が来れば、どうなるだろう?
ニャオニクスはひたすらオレを警戒していた。
爆発が起きた。
何が起きたのか分からなかったが、オレの目はガブリアスがセッカを、プテラがキョウキを、ボスゴドラがサクヤを、ヘルガーがレイアを庇うように動くのを捉えた。
ニャオニクスが爆音に背後を振り返ったときには遅かった。
オレは意識を失った。
次に目を覚ました時には、オレの体は動かなくなっていた。
四つ子との出会い 朝
オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
オレは今、ミアレシティに来ている。
スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。タクシーの運転手はオレが何も言わずとも値を半分引き、そしてオレはトレーナープロモでばっちり男前をアピールし、レストラン・ローリングドリーマーで最高の寿司を頂く。一流のエリートは一流のミアレ☆スターでなければならぬ。
そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはノースサイドストリート、ヒヨクシティ方面即ちミアレ北西部にあるにある『カフェ・カンコドール』である。オレがここに通い始めた頃は閑古鳥が鳴いていたものだが、スタイリッシュなオレの行きつけの店ということで、今や店は大繁盛、オレやオレの手持ちたちの好物であるクロックムッシュを無料でサービスしてくれるのだ。
オレは朝からこのカフェ・カンコドールでモーニングを食していた。クロックムッシュにスープ、サラダ、ゆで玉子、コーヒー。スタイリッシュなオレの一日の始まりにふさわしい。
腹ごしらえを終えると、今日もバトルの特訓だ。エリートトレーナーたるオレは日々の鍛錬を欠かさない。カロスリーグ開催は遠くはない。道路に出て野生のポケモンと戦うのもいいが、カロスリーグのことを考えると、やはりトレーナーとの対戦、それも人目のある場所で自分にプレッシャーをかけてバトルに臨むのが望ましい。
オレはミアレシティ北の広場、『ルージュ広場』に足を運んだ。
早朝のルージュ広場では、深紅のモニュメントが朝日を受けて燦然と輝いている。その周辺には、トリミアンの散歩をする老紳士や、早朝から出勤するビジネスパーソン、通学する学生たちが行き交っている。
果たして、この中からバトルの相手が見つかるものかどうか。
いや、ここで見つからなければ、黄金のジョーヌ広場にでも、深緑のベール広場にでも、紺碧のブルー広場にでも行けばいいのだ。焦ることはない。オレはただ、腹ごなし程度に食後に軽くひと汗かきたいだけなのだから、そこまで強い相手に運よく巡り会えなくてもいい。
巡り会えなくてもよかったのだ。
なのに巡り会ってしまった。
袴ブーツの一団。
葡萄茶の旅衣。
四人。
四人。
四人だ。
四人いる。
「おまっ、おまっ……おま、お前ら……!」
言葉が喉につかえて出てこない。どうせなら何も言わなければよかったのだ。エンジュかぶれの四人が、オレを振り返ってしまった。
新しく加わった一人は、両耳に赤いピアスをしていた。それ以外は、服装も背丈も目鼻立ちも黒髪も灰色の瞳も、残りの三人と同じだった。
「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
ピカチュウを肩に乗せたセッカがにっこりと笑った。
「あ、トキサさんだ。おはようございます」
緑の被衣を被り、その上にフシギダネを乗せたキョウキも微笑んだ。
「……また貴様か」
青の領巾を袖に絡め、両腕でゼニガメを抱えたサクヤが軽く眉を顰めた。
「ああ、あんたが」
そしてひょいと片眉を持ち上げたのが、赤いピアスのトレーナーである。そいつはヒトカゲを後ろ向きにして小脇に抱えていた。
「かげぇ?」
立ち止まった四人に反応して、いかにものんびり屋らしいヒトカゲが、赤ピアスのトレーナーの腕の中でもぞもぞと身じろぐ。そのトレーナーはオレを見上げ、にやりと笑った。
「ども。目と目が合ったんで、とりあえず一戦、いっとくか? ちなみに俺ら、朝飯はこれからなんで。よろしく、エリートのオニーサン」
こいつらは四つ子だったようだ。
オレは、どうもカツアゲされているような気にしかならなかった。
深紅のモニュメントの台座には、セッカとピカチュウ、キョウキとフシギダネ、サクヤとゼニガメがちんまりと座っている。そして例の如くセッカがぴゃいぴゃいと騒いでいた。
「れーや、ばんがれー!!」
「レーヤじゃねぇよレイアだよいい加減に滑舌直せゴルァ!」
オレの前に立っている、赤いピアスのヒトカゲのトレーナーが、片割れの一人を怒鳴りつける。セッカは嬉しそうにぴゃあぴゃあ歓声を上げていた。
オレは気を取り直して、レイアという名であるらしい赤いピアスの袴ブーツを睨みつけた。
「……レイア君ね、よろしく」
「よろしく。んで、あんたはバッジが八個のエリートトレーナー。トキサ、だっけ?」
レイアの眉間に常に皺が入っているのはデフォルトらしい。それで顎を上げて余裕たっぷりにオレを下目遣いに見るものだから、オレはすっかり腹が立ってしまった。しかしエリートらしく怒りを収め、低く尋ねる。
「じゃあまあ、とりあえず、参考までに。バッジは幾つ持ってる?」
「あー、俺? 俺は八つ」
当然のようにそう答えるものだから、オレはなぜか馬鹿にされたと感じた。
そうだ、この四つ子はどいつもこいつも、いちいちオレを見下し、おちょくっている。そうとしか思えない。腹が立つのを通り越して、情けなくなる。
このレイアも、どうせオレのことを見下しているのだ。セッカにもキョウキにもサクヤにも勝てなかったオレが、その三人の片割れにも勝てるわけがないと、そう思っているに違いない。
怒り、悔しさ、意地、わけのわからないもやもやした感情が渦巻いてどういう顔をしたものかわからない。ただ乾いた笑いが出た。諦めたような声音になった。
「……ふ、はは、バッジ八つか。じゃあなんだ、お前が兄弟で一番強いってことか?」
「なんでそうなる。セッカもキョウキもサクヤも、めんどくてバッジ取ってねぇだけだろ。昨日だってあんた、サクヤ追い詰めたんだろ? 俺には勝てるかもしんねぇだろうが」
レイアの顔から険のある笑みが消えている。
「おいトキサァ……俺に勝つ気がないんなら、俺もやめるぞ? 潰し甲斐がねぇ」
全く四つ子の最後の一人まで、揃いも揃ってえげつない。
四つ子は同じ顔をして、一様に押し黙ってこちらを見つめている。
オレは唸った。
「…………もう知らない」
「何が?」
赤いピアスのレイアが軽く相槌を打ってくる。
オレはそいつを睨んだ。
「勝とうが負けようが、もう知らん。オレは後はカロスリーグにぶつかってくだけなんだ。だから、そのための何かを学べればいいんだ。勝ち負けなんか知るか。やるぞ」
吐き捨てて、腰のベルトからハイパーボールを一つ手に取る。
そう、今この場で負けたって構うものか。カロスリーグの舞台で負けなければいいだけのこと。だから今は、思い切り戦う。
オレはボールを投げた。
「デデンネ、特訓だ」
小さなアンテナポケモンが躍り出る。オレのデデンネはかわいらしい声で鳴きつつも、闘志も露わにレイアを威嚇した。
自分でもこいつを出すべきだったかはわからない。レイアは間違いなく強い。一方で、オレのこのデデンネは、リーグに向けて育成を始めたばかりのポケモンだ。
レイアに本気で勝とうとするなら、オレはデデンネではなく、オレの一番の相棒をバトルの場に出すべきだったはずだ。
いや、違う、それでは駄目なんだ。
目の前の一戦じゃない。カロスリーグの舞台で大きな勝ちを掴み取るためには、電気とフェアリーの属性を持つデデンネの育成は不可欠だ。臆してどうする。このバトルはデデンネにとってもオレにとっても、最高の経験になる。
「……っつーわけだ、オレの夢に協力してもらうぞ、レイア」
そう息を吐ききって、ようやく胸につかえていた黒いもやもやが消え去った。
レイアも微笑した。赤白のボールを手に取り、両手で包み込むようにして持ち、そのまま静かに解放する。
「勝つぞ、インフェルノ」
ふつふつと地獄の業火を牙の間から漏らしながら地に降り立ったのは、ヘルガーだった。
デデンネに指示を飛ばす。
「ほっぺすりすり!」
この技名を叫ぶのに、気恥ずかしさを覚えなくなるのには時間がかかった。そう思って初めて、このデデンネとも相当数の戦闘を潜り抜けてきたことに気が付いた。
「寄らすな、ヘドロ爆弾。隙見て悪巧み」
レイアは一度に複数の指示を飛ばしている。しかしヘルガーに戸惑う様子はない。その戦法、あるいは考え方にヘルガーも慣れ親しんでいるのだ。もしかするとヘドロを飛ばしつつ悪巧みをする、などという芸当も可能なのかもしれない。
苦手なヘドロに怯え、デデンネが飛び退る。
「それならデデンネ、チャージビーム!」
「よく見て躱せ。ヘドロ爆弾」
ヘルガーはデデンネの視線から、チャージビームの射出方向を見極めているようだった。
いつの間に悪巧みをしていたのか、ヘドロ爆弾の規模が増大している。デデンネは浮足立つ。毒の飛沫を躱すだけで精いっぱいだった。
周囲には毒の沼さえできて、デデンネの足場も限られる。
「オーバーヒート」
ここで炎の大技が飛んでくる。
「走れデデンネ、じゃれつく!」
一か八か賭けるしかない。
デデンネにもそれは伝わったようだ。ヘドロを踏むのにも構わず、高熱が放たれるよりも先に、辿り着かなければならない。
デデンネは走り、跳び、そしてヘルガーの喉元を捉えたと思った。
しかしヘルガーは、レイアの指示なく、己の意思でバックステップを踏んだ。
デデンネとの距離を自身で測り、白い炎を吹きかける。
ひどい、と周囲から女子高生らしき小さな悲鳴が上がったような気がした。オレはかぶりを振り、焼け焦げてかつ目を回しているデデンネをボールに戻す。
「お疲れ、デデンネ。……いい勉強になったよな」
レイアは周囲の女子高生の非難がましい視線にも一向にこたえた様子もなく、軽くヘルガーを労ってからモンスターボールに戻した。そこにセッカが走り寄り、キョウキやサクヤものんびりと歩いてくる。
「れーや凄かったよ! 完璧だったよ!」
「はいはい。まあこんなバトルばっかだから、ますますモテなくなるんだがな」
そうレイアがぼやいているのは、容姿の愛らしいポケモン相手にも容赦のないバトルをすることを言っているのだろう。ポケモンバトルを忌避する人間も多い。広場でのポケモンバトルを禁じてくれ、という要望も少なからず上がっているとの話も、もう何度も聞く。
しかしオレにも夢があるのだ。ときに白い目で見られようが、トレーナーはポケモンを育て、戦わせ、負けたら潔く賞金を支払う。
オレは深く息をついて、四つ子を見つめた。
「……しょうがない。四つ子様ローリングドリーマーにご招待、だな」
SUSHIだ、とはしゃいだのはセッカだけだった。キョウキは首を傾げ、サクヤもわずかに訝しげに眉を顰め、レイアもぽかんと口を開いた。
「は? なんで? いくら何でもそこまで賞金高くねぇだろ?」
「オレがセッカやキョウキやサクヤに支払ったレストランの代金は、片っ端から全部こいつら自身に元とられちまったしよ。なんか、あんま賞金払ったことになんないかなって。だから四人ともオレの奢り。あ、もちろんばっちり元は取ってこいよ、お前ら」
オレはエリートらしく、寛容な笑みを浮かべてやった。
すると、ゼニガメを抱えたサクヤが舌打ちした。
「何を呆けたことを。貴様はコース代金を支払った。賞金や土産は僕らのものになった」
「あーもういいから、オレはエリートなの。ついでに言えばそこそこリッチなの。おとなしく寿司おごられてろ、この四つ子が」
四つ子は互いをそわそわと窺い合い、そしていつまでもそわそわしていた。
オレは肩を竦めた。
「じゃ、賞金は寿司屋、な」
「寿司だぁぁぁぁぁ!!!」
「ぴかちゅああああ!!!」
セッカとピカチュウが躍り出した。キョウキとフシギダネはとぼけてほやほや笑っているし、サクヤはゼニガメがやんちゃに暴れるのを制しているし、レイアはにやりと笑ってヒトカゲを小脇に抱え直した。
しかし、だ。
オレは改めて四つ子をまじまじと観察した。
四つ子は一様に動きを止めた。
「なに?」
「……お前ら、まさか五つ子とか六つ子とかいうオチ、ないよな?」
「ないよ! 正真正銘の四つ子だよ!」
元気良く返事をしたのはセッカである。
オレは頷いた。
「ならいい。寿司には連れて行ってやる。ただし……」
オレも四つ子を見てにやにやと笑った。
「オレとお前らが、フェイマスでスタイリッシュになったら、だ!」
騙された、とぷうと膨れる四つ子を引っ立てて、オレはカフェ・カンコドールに戻り、とりあえず四つ子にモーニングをご馳走してやった。デデンネにもクロックムッシュを食べさせると、目を回していたデデンネもすぐに元気を取り戻した。
オレ自身はとりあえずコーヒーを一杯頼み、食べ盛りらしい四つ子がモーニングにありつくのを微笑ましく眺めていた。
「なんかいいなあ、お前らは仲も良くて、バトルも強いし。一緒に旅してんの?」
「違うよ! いつもはバラバラだよ! 今朝久しぶりに四人集まったの!」
元気よく答えたのはやはりセッカである。
「そういやレイアは、ヒトカゲとヘルガーの他にどんなポケモン持ってんの?」
「秘密」
オレの何気ない質問はレイアによってすげなく断られてしまった。少々面食らって顔を上げると、赤いピアスをしたレイアはのんびりとゆで玉子の殻をむいていた。
「カロスリーグのライバルに、そう簡単にパーティー教えるかっての……」
「……ああ、そうか、レイアはバッジ八つだもんな。そりゃリーグにも出るか」
では、カロスリーグでレイアと再び対戦することもあるかもしれない。その時は、セッカもキョウキもサクヤも知らない、オレの一番の相棒で相手をするのだろう。
オレはけらけらと笑った。
「じゃ、ニックネームだけでも教えろよ。ヘルガーが『インフェルノ』で、ヒトカゲは?」
「『サラマンドラ』。セッカが適当につけやがった。あとは……『マグカップ』と『なのです』がいる」
「……どういうポケモンかすら想像つかんな」
日が昇っていく。四つ子の足元ではピカチュウとフシギダネとゼニガメのヒトカゲが戯れ合っていた。
オレと四つ子の出会いはそんなものだった。
四つ子との出会い 夜
オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
オレは今、ミアレシティに来ている。
スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。ポケサロン・グルーミングでバトル用ではないトリミアンのカットを維持し、グランドホテルシュールリッシュのアルバイトでマダムをもてなし、メゾン・ド・ポルテで高級な服も即買いする。一流のエリートは一流のミアレニストでなければならぬ。
そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはサウスサイドストレート、コボクタウン方面即ちミアレ南西部にある『カフェ・ソレイユ』である。大女優の行きつけだというこのカフェは、ケーキからして品格が溢れ出ている。スタイリッシュな人種の隠れ家にはもってこいな店だ。
その日オレは一日の疲れを癒すべく、日没ごろからこのカフェ・ソレイユで休んでいた。しかし下手な時間に来てしまった。午後のティータイムには遅く、夕食後のティータイムには早い時間、すなわちうっかり腹が満たされて夕食が食えん。
こういう時はポケモンバトルをするに限る。オレはミアレシティ南西の広場、『ブルー広場』に繰り出した。
紺碧のモニュメントの周囲には、ショッピング中らしき仕事帰りのオフィスパーソンや放課後の学生たちが多く休息をとっていた。オレは視線を巡らせ、同じくバトルの相手を求めているポケモントレーナーを探した。
そして見つけた。
袴ブーツのトレーナーだ。
しかしそれは、三人いた。
葡萄茶の旅衣、黒髪、灰色の瞳、同じ目鼻立ち。
オレは思わず叫んだ。
「おおおおお前ら、三つ子だったのか!!」
「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
「あ、トキサさんだ。こんばんは」
笑顔で振り返ったのは、ピカチュウを肩に乗せたセッカと、フシギダネを頭に乗せたキョウキである。
そして残る一人は、ゼニガメを両手で抱えていた。
やはり服装はセッカやキョウキと酷似している。しかしこのゼニガメのトレーナーの特徴は、両腕に濃い青の布を絡めていることだ。そう、古代エンジュ人だか古代ヒワダ人だかの宮廷女官が袖に絡めていた、羽衣、いや違う、これは領巾というのだ。オレはエリートだからそれくらい国語便覧で読んだのだ。
青い領巾をしたゼニガメのトレーナーが、灰色の双眸でオレを見据えた。
「……貴様か。セッカとキョウキに料理を奢ったというエリートトレーナーは」
『貴様』。
『貴様』だって。
オレは面食らってしまった。いや、確かに三つ子ということで、それぞれキャラ分けも兄弟の中で必要になってくるのだろう。それにしてもどういうキャラだ。
街灯に照らされるゼニガメのトレーナーは、無表情だった。
「いいだろう、手ほどきしてやろう。目が合ったら勝負、とも言うしな」
新たに現れた三つ子の片割れ、青い領巾のトレーナーは、そっとゼニガメを地面に下ろした。やんちゃそうなゼニガメは拗ねてそのブーツに纏わりつく。
「ぜーに! ぜにぜに、ぜにがー!」
「だめだ。大人しくしていろ」
ゼニガメに言い聞かせる声音は穏やかだった。
オレは生まれて初めて見た三つ子に未だにやや興奮しつつ、名乗りを上げる。
「ええと、その、聞いてるかもしれないが、一応名乗っておくとだな、オレはエリートトレーナーのトキサだ。バッジは八個。……えっと、一対一でいいな?」
「構わない」
青い領巾のトレーナーの返答は、それだけだった。
セッカから黄色い声援が、キョウキから新緑の風のような応援が飛んでくる。
「しゃくや、ばんがれー!」
「がんばれサクヤ。勝てば美味しいご飯をおごってもらえるよ」
「畜生てめぇら! オレは財布じゃないぞ! ていうかサクヤっつーのか、この生意気なガキは!」
しまった、夜間なのについ大声で叫んでしまった。ブルー広場で休憩していた人々の注目を集めてしまう。落ち着け、オレはスタイリッシュなエリートトレーナーだ。エンジュかぶれの三つ子ごときに惑わされてはならない。
オレは余裕を装って、生意気な対戦相手を見下ろした。
「……ふ、ふん、サクヤとやら、お前はバッジはいくつ持っている?」
「五つだ」
「ほお。ほおほおほお。バッジ五つのくせして、バッジ八つのエリートトレーナーのこのオレに『手ほどきしてやろう』たあ、いい度胸してるな。はは、ははははは、後悔するなよ。むしろこのオレが手ほどきしてやろう!」
「うるさい。セッカやキョウキに負けた奴に言われたくはない。御託は要らん。始めるぞ」
そしてこのくそ生意気な青い領巾のサクヤは、赤白のボールを両手で包み込むように持ち、ポケモンを解放した。
現れたのは、ボスゴドラだった。
「よっしゃ、頼むぞ、ホルード!」
オレはホルードを繰り出した。オレのパーティーの中でも二番目に古参で、オレと息がぴったり合うだけでなく、カロスリーグに向けての最終調整もあとは詰めるばかりの究極の一体だ。
「このホルードはな、もう何千戦とやっているが、聞いて驚け、その勝率は……」
「冷凍パンチ」
「くっそその手に乗るかぁぁホルード穴を掘る!」
ホルードはその巨大な耳であっという間に穴を掘り、地中に身を潜めた。冷気を纏ったボスゴドラの腕が空ぶる。そこにサクヤの指示が飛ぶ。
「地震」
「あっ」
ボスゴドラが鋼鉄の鎧の尾を、広場の石畳に叩き付けた。広場のあちこちで悲鳴が上がる。畜生、場所柄をわきまえやがれ。やっぱりこいつもえげつない。本気で叩きのめすしかないだろう。
「ホルード!」
ホルードはどうにか穴を掘って地中から脱した。地震のダメージも耐えきっている。そのままボスゴドラの側面をとる。これはチャンスだ。
「アームハンマーだ、ホルード!」
「アイアンテール」
サクヤの指示は的確だった。ボスゴドラの反応速度を知り尽くしている。ボスゴドラはただトレーナーの指示を信じ、ホルードが地中から飛び出した方向に鋼鉄の尾をぶち回すだけでよかった。
「耐えろ!」
ホルードにその自慢の耳で受け身を取らせる。重い一撃に軽くふらつきつつも、ホルードはひっくり返ることもなく体勢を整える。
こちらも世間体などを気にする余裕はなかった。
「ホルード、地震だ!」
これで決める。電磁浮遊などを覚えていない限り、ボスゴドラにこの一撃は躱せない。
「詰めろ」
サクヤのその冷静な指示を理解するのに、オレは時間を要した。
ボスゴドラが、耳を振り抜いているホルードに思いきり距離を詰めるのを、信じられない思いで見た。
どういうつもりだ、自ら震源に近づく真似をして。その速度では、ボスゴドラがホルード本体に何かをするにしても、地震の発動まで間に合わない。
ホルードが耳を地に叩き付ける。
ぐらりと揺れる。
ボスゴドラは体勢を崩さぬよう、耐えて、耐えて、いや、鋼と岩タイプを併せ持つボスゴドラに、オレのホルードの地震を耐えきれる筈が無い。行ける。
地震が収まる。オレはボスゴドラがくずおれるのを待った。
サクヤの小さな溜息が聞こえた気がした。
「冷凍パンチ」
ボスゴドラがわずかに残った体力で、ホルードに冷気を叩き込むのを、オレはぽかんとして見つめていた。
「……特性……『頑丈』」
「手ほどきになったか」
倒れたホルードをサクヤは涼やかに一瞥し、手慣れた様子で、まだしっかと地に足付けて立っているボスゴドラをボールに戻した。
そしてオレは、当然のごとく三つ子に三ツ星レストランまで連れて行かされた。メディオプラザの輝くプリズムタワーを横切り、ミアレシティ北東のイベールアベニューの『レストラン・ド・キワミ』に、賞金代わりに三つ子を連れて行ったのである。
セッカとキョウキとサクヤはローテーションバトルの五連戦にげんなりしていたが、セッカはピカチュウとフラージェスとマッギョの三体、キョウキはフシギダネとヌメイルとゴクリンの三体、サクヤはゼニガメとニャオニクスとチルタリスの三体で、完璧に六手で五連勝しやがったのである。
最高においしい料理を腹いっぱい食べ、さらにはバトルの賞金とお土産の香るキノコを25個も貰って三つ子はほくほくしていた。
三つ子の向かい側で、オレはすっかり冷めきった料理をつつきながら惨めにぼやいた。
「……何なの……何なの」
「どうだ、サクヤはすげぇだろ!」
「ああもう凄いよさすがの一言しか出ねぇよど畜生」
自分のことのように威張るセッカに、オレは最早溜息しか出てこない。
周囲では激しいバトルがひっきりなしに続いており、三ツ星レストラン内でもその轟音に隠れるようにして思う存分悪態がつける。しかしよくもまあ、このような落ち着かない状況で食事しなければならないレストランに三ツ星が付いたものだ。料理は冷めきっているし、ああ、それはオレのバトルの腕のせいだった。オレは自己嫌悪に陥った。
俯きついでにサクヤの手持ちのポケモンを観察する。
ゼニガメはいかにもやんちゃ坊主という雰囲気だが、オレは先ほど見たのだ、このゼニガメのハイドロポンプの驚異的な命中率を。何をどうすればそんな芸当が可能になるのか教えてほしい。
ボスゴドラは巨体をほとんど動かさず、静かに食事を続けている。その鋼の鎧には無数の傷跡があり、まさしく百戦錬磨という言葉しか浮かばなかった。
緑の被衣のキョウキが、優しくボスゴドラの鎧を撫でている。
「メイデンちゃん、お疲れ。すごいバトルだったねぇ」
「……メイデンってあれだろ、ボスゴドラの鋼タイプとかけて、アイアンメイデンってことだろ。……ニックネームに拷問器具かよ。……つーかこのボスゴドラ、雌かよ」
「失礼な、メイデンちゃんはメイデンちゃんですよ。僕が名前付けてあげたんだよ、サクヤはニックネーム付けようとしないからさぁ」
キョウキが頬を膨らませている。そこにセッカが割り込んできた。
「ちなみにサクヤのゼニガメは『アクエリアス』、ニャオニクスは『にゃんころた』、チルタリスは『ぼふぁみ』だぞ!」
「もう突っ込まねぇ……」
サクヤは、セッカのマッギョや、キョウキのヌメイルやゴクリンといった、いかにも癖のありそうなポケモンは所持していないらしい。ニャオニクスにしろチルタリスにしろ、一般的に高い人気を誇るポケモンだ。それにしてもこれら二体も、バトル用のポケモンとしては毛艶もよく、動作の一つ一つから気品が漂っているのは気のせいか。
「……あーもう、三つ子揃ってアホみたいに強いとか何なの、天才の家系なの?」
オレは頭を抱えて唸った。
三つ子からは沈黙が返ってきた。
オレは恨みがましく三つ子を睨み上げた。
「……何とか言えよ、え? 天才の三つ子さんよ」
「三つ子っていえば、イッシュ地方に三つ子のジムリーダーがいるらしいねぇ」
緑の被衣のキョウキがのんびりと嘯く。
「あー、赤と青と緑の三つ子だろ? それって三卵生だよな。俺らは一卵性だな!」
セッカは何が楽しいのかぴょこぴょこと左右に揺れている。
青い領巾のサクヤはオレをまっすぐ見つめてきた。
「何をごまかしている? エリートトレーナー」
四つ子との出会い 昼
オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
オレは今、ミアレシティに来ている。
スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。汁屋でミラクルソーダを楽しみ、ヘアサロンで髪形をダンディに整え、美術館で審美眼を磨く。一流のエリートは一流のミアラーでなければならぬ。
そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティは内周の南東、ベール広場の『カフェ・ツイスター』である。あの詩人の甘く切ない詩は、日々のポケモンバトルで荒み切ったオレの心を癒してくれる。
日差しも暖かいのどかな昼下がり、オレはカフェ・ツイスターの窓際の明るい席でコーヒーの香りを楽しみつつ、ポケモンバトルの格好の相手が現れないかと、深緑のモニュメントのベール広場を観察していた。
来た。
そしてオレは奴と出会った。
葡萄茶の旅衣、黒髪、袴ブーツ。
それが二人、来た。
「……なんだ、どういう事だ? ……セッカの仲間か?」
そう、片方は肩に雄のピカチュウを乗せた、凶悪なエセ新人トレーナーのセッカだった。
しかしセッカと同じ服装をしたもう一人の人物は、――そいつがセッカと違うのは、頭から白緑の着物を被り、そしてその頭の上にフシギダネを乗せているという点だった。
あの頭から着物を被るというスタイル、あれはそう、古代エンジュ時代以降、貴族やランセの女性が外出時に頭から単衣を被っていたという、被衣だ。エリートであるところのオレは、学校で購入させられた国語便覧の知識をフル動員してその解に達した。
ピカチュウ連れのセッカと、そしてそのフシギダネ連れのトレーナーは、服装だけでなく、背格好までよく似ていた。黒髪も灰色の瞳も同じだった。目鼻立ちまで同じだった。
それに気づいた途端、オレは勘定とチップを卓上に置くと、カフェ・ツイスターから飛び出した。
「うおおおおおい! お前ら、双子か!」
「あ、トキサだ。昨日はごっそさんっした」
呑気に振り返ったのはセッカとピカチュウである。セッカの肩の上のピカチュウは、このオレを憐れむような目をし、鼻で笑った。
「ぺかっ」
「うっおおおおっなんだこのピカチュウは!」
見た目の可愛らしいポケモンからあからさまな侮蔑の表情を向けられることほど、胸糞の悪いことはない。オレは知らず小鼻を膨らませて、トレーナー同様凶悪なピカチュウに鼻を突きつけた。
「昨日は騙されたんだ! 今日は手加減なしだ――」
「ああ、貴方が、昨日セッカがご馳走になったというエリートの方でしたか」
涼やかな声が割って入った。
その声の主は、フシギダネを頭に乗せた、緑の被衣のトレーナーだ。
そいつはセッカと同じ灰色の双眸でオレを真正面から見つめ、そして目を細めた。
「目と目が合ったら、ポケモン勝負。受けてくれますね?」
その笑顔は眩しいくらいに爽やかだった。新緑の風を思わせた。
そいつの頭上のフシギダネも、これまた穏やかに満面の笑みを浮かべた。
「だねだぁね」
ミアレシティ南東の広場、『ベール広場』。
昼下がり、深緑のモニュメントの周囲には、昼休憩中のビジネスパーソンが寛ぎ、ポケモンバトルのためのスペースは十分に確保できそうだ。
オレは、セッカの双子の片割れであるらしき袴ブーツを見据えた。
「オレはエリートトレーナーのトキサ。バッジは八つ」
「あらら、お強いですねぇ。僕はキョウキっていいます。バッジは三つなんで、まあお手柔らかにお願いしますね」
「……三つか」
オレは油断することなく、密かに歯噛みした。オレと、このキョウキというトレーナーとのバッジ数には五つの差がある。しかし、オレは昨日のセッカとのバトルで学んだのだ。
バッジ数は、そのままトレーナーの実力を表すとは限らない。
むしろ、そのバッジ数差に任せて、多額の賞金をむしり取っていく悪質な偽装ルーキーも存在するのだ。オレは黄色い悪魔を憎々しげに睨んだ。そいつのトレーナーはというと、広場の端の方まで下がってぴゃいぴゃいとはしゃいでいた。
「きょっきょ、ばんがれー!」
「うん、頑張るよ、セッカ」
にっこりと微笑み、緑の被衣のトレーナーは頭上からフシギダネをそっと下ろした。穏やかな性格らしいフシギダネはおとなしくトレーナーの足元で丸くなった。
「では、お願いしますね、トキサさん。とりあえず一対一でいいですか?」
「構わない。バッジ三つだろうが容赦はしないぞ」
「それは賢明だ」
緑の被衣のキョウキは一瞬小さく鼻で笑ったらしかった。オレの視界の隅では、セッカとピカチュウが賑やかしく審判のまねごとをしていた。
キョウキが赤白のモンスターボールを取り出す。オレに向かって軽く一礼すると、両手で大切に包み込んだままボールからポケモンを解放した。
「頼むよ、こけもす」
そして甲高い咆哮を上げて飛び出したのは、化石ポケモンのプテラだった。
「……岩と飛行のタイプを併せ持つプテラか。なら、行け、ブロスター」
オレは相性を考え、ランチャーポケモンのブロスターを繰り出す。バッジ三個だからといって容赦する気にもなれなかった。そういう意味では、オレに慢心を教えてくれたセッカには感謝していなくもない。
しかしそのセッカの双子の片割れが相手だからこそ、このバトルで負けるつもりは微塵もなかった。
「こっちから行くぞ! ブロスター、水の波動!」
「こけもす、躱してー」
キョウキの指示は穏やかだが、悠長ではなかった。細身のプテラが身を翻し、岩タイプとは思えぬ敏捷さで水波の射程外へ逃げる。さすがに空中を動くものは狙いにくい。
「なら、ブロスター、波動弾だ!」
「岩雪崩。ついでに毒々」
プテラは大量の岩を生み出し、それを波動弾からの防壁として利用した。
しかし何だ、『ついでに毒々』って何だ。石頭のプテラにそんな指示が理解できるものか。
しかしオレがそう思っている隙に、プテラはその石頭で岩の防壁を突き破り、そして不意にその大顎を開いて猛毒を飛ばした。ブロスターは真正面から毒を浴びてしまう。
オレは慌てて指示を飛ばす。
「怯むな正面、水の波動!」
「躱して燕返し」
ブロスターの真正面から猛毒をぶつけられたことによる一瞬の怯み、そして大量の水を溜める一瞬の隙、それはプテラに回避の暇を与えるに十分だった。
一閃した。
「とりあえずもう一発、岩雪崩」
キョウキの穏やかだが容赦のない追撃の指示が飛ぶ。
セッカの双子の兄弟も、やはりえげつなかった。
それから何があったかはお察しいただけるだろう。
オレはキョウキに賞金を支払う代わりに、ミアレシティ北西のオトンヌアベニューの『リストランテ ニ・リュー』に双子を連れて行ってやったのである。今日オレが負けたのはキョウキだけだが、その片割れが餓えた潤んだ目で震えながらじっと見上げてくるものだから、どうしても二人揃って連れてこないわけにはいかなかったのである。
セッカとキョウキはトリプルバトルを四連戦しなければならないことにげんなりしていたが、セッカはピカチュウとガブリアスとフラージェスの三体、キョウキはフシギダネとプテラとヌメイルの三体で、いずれも完璧に三手で四連勝しやがったのであった。
そして双子は二ツ星の美味しい料理をたらふく食べ、更にはバトルの賞金とお土産の大きなキノコ20個とを手に入れてほくほくしていた。
オレは微妙に冷めた料理をつつきつつぼやいた。
「……お前ら、強いよなー……強いっつーか、ポケモンも賢いよな……」
「僕の手持ちは、基本的にご飯かバトルのことしか考えてませんから」
緑の被衣を肩に落とし、キョウキは優雅に笑う。オレは溜息をついて、オレたちの傍らで食事にがっついているキョウキの手持ちを観察した。
フシギダネこと『ふしやま』は穏やかにもそもそと食事をしているが、オレはつい先ほど、見てしまった。こいつはソーラービームの溜めの時間が毎回やけに短いのだ。どうしたらそんな芸当が可能なのか教えてほしい。
プテラは身のこなしが軽すぎる。豪華な装飾品のあるレストラン内でも、危なげなく凄業の回避を見せてくれた。
「……つーかプテラのニックネームの『こけもす』ってさ……苔が“むす”と“moss”をかけてんだろ……? プテラが化石ポケモンだから、岩に苔がむすってことなんだろ……?」
「さすがはエリート、と言いたいところですが、まだ読みが甘いですよトキサさん。ご覧くださいな、このこけもすのモスグリーンの麗しい瞳」
「……すまん気付かなんだ」
しかしこのキョウキの残り二体の手持ちも、なかなかにシュールだった。ヌメイルとゴクリンである。ニックネームはそれぞれ『ぬめこ』と『ごきゅりん』だそうである。
「何か全体的に湿っぽくって緑っぽくってイイよな……」
「でしょう」
「はいはいはい俺の手持ちは黄色統一だよ! 多分! いちおう!」
セッカが割り込んできた。二ツ星レストラン内で大声を出すのはどうかと思ったが、今も店内のあちこちで激しいバトルの指示が飛び交っているのでオレはつい流してしまった。
「つーか、双子揃ってバトル強いってすごいじゃん、才能じゃん……」
するとセッカとキョウキは奇妙な表情で顔を見合わせた。オレは首を傾げる。
「……なんだよ、変なこと言ったか?」
「双子といえば、ホウエン地方に双子のジムリーダーがいるそうですねぇ」
「あー、テレパシーできるっていう双子? 俺らもテレパシーできないかなぁー」
それから双子は何やら手を繋いだり額と額をくっつけあったりして、テレパシーを試みていた。オレはそれを見ていた。
この双子、仲がいいな。
四つ子との出会い 夕
オレはカロス地方のエリートトレーナーである。ちなみに名前はトキサという。
オレは今、ミアレシティに来ている。
スタイリッシュなエリートであるところのオレは、ただ単純に野山洞窟に籠ってポケモン勝負に明け暮れるだけではない。ミアレガレットをモーモーミルクと共に優雅に食し、ブティックでは店員にちやほやされ、そして洒落乙なカフェでケーキを頂く。一流のエリートは一流のミアレっ子でなければならぬ。
そんなオレのおすすめの店は、ミアレシティはノースサイドストリート、フウジョタウン方面即ちミアレ東部にある『カフェ・バタイユ』である。バトル好きの集まるこのモチベーションの高いカフェは、シックで落ち着いた内装ながら常に熱気が満ちており、こちらにまで闘志がみなぎってくる。くそ、せっかく午後のティータイムと洒落こんでいたのに、尊敬する師匠の情熱を見ていてはオレも最早じっとしてなどいられない。オレはプリズムタワーに向かって、夕日に向かって走り出した。
ミアレシティ内周北東の広場、『ジョーヌ広場』。モニュメントは夕陽のごとき黄金に燦然と輝いている。
オレは早速首を巡らせ、闘志をぶつける相手、もといバトルの相手を探した。
そして、奴を見つけた。
広場の真ん中に、人が倒れている。
葡萄茶の旅衣を身にまとい、いかにも行き倒れた風である。
その若者のすぐ傍には、これまたぐったりとした雄ピカチュウが寄り添っていた。
そのピカチュウのトレーナーらしき人物はうつ伏せに倒れているが、黒髪、袴、ブーツ。それだけでオレはピンときた。クノエシティに大量発生する、なよなよしいジョウト地方のエンジュかぶれ共の一味だ。まああの派手派手しい一味とは打って変わってそいつは地味な配色の着物姿であったため、それに免じてオレはその行き倒れに、心優しくも声をかけてやったのだ。何せオレはエリートだから。
「おい、どうした、……大丈夫か?」
するとそいつは、ぐりんと顔を上げた。
「目と目が合ったらポケモン勝負ゥゥゥゥゥ!!!」
「ぴっぴかちゃアアアアア!!!」
灰色の双眸がギラギラと睨み上げてくる。鼻息も荒い。
その隣のピカチュウのドヤ顔が何故か無性に腹立たしい、そんな夕暮れの出会いだった。
やれやれ、とんだ新人に絡まれてしまったものだ。『目が合ったら勝負』なぞというのは、ようやく野生のポケモンに勝てるようになってきた程度の新人ポケモントレーナーだけが勇ましく口にする、お決まりの台詞である。
エリートであるところのオレは冷静に前髪をかき上げ、新人を余裕たっぷりに見下ろしてやった。
「新手のトレーナーおびき寄せ作戦か? まんまとかかってしまったよ、新人君。まあいい……オレはエリートトレーナーのトキサだ。所持バッジ数は既に八つ」
「俺はセッカだよ! バッジはいっこだよ!」
「ふ、そんなところだろうと思ったさ。……で? そのバッジ差でこのオレに挑むかい?」
「もちろん! 行くぜピカさん、今日こそ! きのみ以外のモン食わしてやっからな!」
「ぴっかっちゅアアアアッ!!」
オレは哀れになってしまった。食事にも困っているのか、この新人は。いくらカロス地方のポケモントレーナーに対する福利厚生が手厚いからといって、確かに経験の浅いトレーナーは旅にも苦労を強いられる。半ば本気で食い倒れていたのではなかろうか。ついそこまで想像してしまうほどにその新人トレーナーの目は飢えていた。
「おらっ来いやァァァ!!」
しかしこのセッカと名乗る新人トレーナーは、既に生意気にも賞金を見据えて戦闘態勢に入り、オレから間合いを取っている。相手との力量を推し量れないのも新人ならではの欠点だ。
果たしてこのバトルを受けて、エリートであるオレにメリットはあるか考える。この餓えた新人からは、賞金も経験値もろくに得られないに違いない。いや、待てよ。エリートトレーナーたるもの、後進のトレーナーの成長に寄与することも立派な責務。そう、それでこそエリート、一流のミアレっ子だ。
オレは鷹揚に頷いた。
「いいだろう、来いよ、新人。ポケモンは何体持っている?」
「よんぴき持ってるよ!」
「四体か。多くのポケモンをゲットしバランスよく育てることは大事だな。わかった、ではオレはこいつ一体で行く。バッジ数の差を考えて、ハンデだ。文句はないな?」
「いいよ! 俺、本気で行くから!」
オレは小さく失笑しつつ、ハイパーボールを掲げた。
夕暮れのジョーヌ広場には、トリミアンを散歩させる粋な老紳士、ショッピングの休憩中らしき麗しきレディたちや、絶賛トレーナーを目指して勉強中なのであろう学校帰りの学生たちが集っている。ギャラリーとしては十分、カロスリーグに向けてのポケモンの調整のためにも、悪くない舞台だ。
ハイパーボールを投げ上げる。高度、回転共に申し分ないスローインである。
「よし行け、ファイアロー」
眩い光と火の粉とを纏って現れたオレのファイアローは、むやみやたらと吼えることはしない。ただひと羽ばたきで華麗に舞い上がり、天空からひよっこトレーナーを睥睨するのみである。周囲から歓声が上がる。ポケモンコンテストに出場したとしても遜色ないこの存在感、この熱気。素晴らしい。
「どうだ、これほど立派なファイアローを見たことがあるか、新人? こいつはハクダンの森で野生の群れの次期ボスにも目されていた、最高のポテンシャルを持つ個体だ」
「超かっこいい!!」
新人は鼻息も荒く、天に君臨するオレのファイアローに見とれている。その羽ばたきごとに羽毛が熾きのように赤く燃え上がり、ああ良いじゃないか今日も燃えているな、ファイアロー。新人にお前の華麗さを見せつけてやれ。
「さあ、どうする新人? その電気タイプのピカチュウなら、飛行タイプを持つファイアローには相性がいいぞ?」
「ぴかっグ……」
「ごめんピカさん、俺ももう腹減ったよ、ピカさんは落ち着いて、な、よし、行くぜ……」
袴ブーツの新人は肩の上のピカチュウを押しとどめ、そして袴を締める帯の上につけていたベルトから、団子サイズの赤白のボールを一つ手に取った。
新人が身につけている残り三つののボールも、いずれも安価な標準のモンスターボールである。そこからも新人であることが窺える。大したポケモンは持っていないだろう。
さて、ピカチュウを出さないとなると、最初は何で来るか。キャタピーだのコフキムシだのを出された日には泣くしかないな、なあ、ファイアロー。
新人は視線を落とし、両手で団子大のボールを包み込むようにして持っている。緊張しているのかもしれない。
新人が視線を上げた。オレを見据える。
いや、違う。
違和感が脳裏をかすめた。違う、これは、新人の目ではない。
手練れの目だ。ポケモンの信頼に値する目だ。
エリートトレーナーにも劣らぬ、自信を湛えた目。
袴ブーツははモンスターボールのロックを解除する。それを両手で大切そうに包み込んだまま、その中で時を待つポケモンを静かに解放した。
「……さあ、行くぞ、アギト」
そうして餓えた新人が繰り出したのは、ガブリアスの巨躯だった。
オレは混乱せずにいられなかった。
しかし、良質なバトルの予感に、ジョーヌ広場はにわかに色めき立つ。
新人トレーナーの前に現れたのは、シンオウ地方のチャンピオンも主力として扱っているというドラゴンポケモン、それを探すのも育てるのも並大抵の努力では足りないと聞く。つまるところ、ガブリアスは、とても新人の持てるポケモンではない。
オレは激しく狼狽した。
「……あ、あー、それ、知り合いのトレーナーから交換してもらった、とかか? はは、でもバッジ一個だとなー」
こちらが言い終わらないうちに、新人はがっくりと項垂れた。
「なあおい、こっち腹減ってんだけど……もう行くよ? ストーンエッジ」
ガブリアスは速かった。
さすがはマッハポケモンだ。尖った岩を生み出し、空中のファイアロー目がけて放つ。指示から技の溜め、発動までが速い。やはり並みのポケモンでない。
「……ファイアロー!」
色々な意味で予想外すぎる急襲に、オレはその名前しか叫ぶことができなかった。
ファイアローはそれが攻撃の指示か回避の指示か、判断しかねた。もちろんオレも、そのいずれかの意味を持たせてファイアローの名を呼んだわけではない。ファイアローの迷いはオレの迷いなのだ。
まさか、まさかガブリアスが、新人トレーナーの指示を素直に聞くとは思えなかったのだ。混乱した。トレーナーは迷ってはならないというのに。
あっけなさすぎた。
岩の塊の直撃を何発も受けて、ファイアローはオレのせいで地に落ちた。
油断、という言葉すらすぐには頭にも浮かばなかった。
崩れ落ちたファイアローをボールに戻すことも忘れて、オレは喚く。
「……な、なんだ今の、偶然だろう! 何だ、そのガブリアスは!」
「アギトですぅー」
「くそっ、大方ガブリアスの『ガブリ』という語感から噛みつきを連想して顎の別名のアギトって名前にしたんだろ! わかるぞ! オレはエリートだからな!」
「こいつ捕まえたとき、こいつフカマルでしたけど」
「フカマルの顎もすごい!」
「知ってるぜー」
袴ブーツの新人は、のんびりとガブリアスを安っぽいモンスターボールに収めた。それをベルトに戻すと、次は鞄からガチャガチャと小型の算盤を取り出した。そして何やらパチパチやっている。
そしてエセ新人はにっこりと笑って、算盤を水平にこちらに差し出してきた。
「はい、あんたがバッジ八個のエリートさんで、俺がバッジ一個の新人なんで、ポケモン協会規則に基づき、賞金はこんだけっすねー」
それは通常の賞金のやり取りでは有り得ない、破格の金額だった。それはそうだろう。バッジ一個の新人がバッジ八個のエリートを打ち負かすなど、大金星もいいところなのだから。
しかしとても納得がいかない。
「……詐欺だ!」
「いや、ほんとに俺が持ってるバッジは一個ですって。トレーナーカード見ます?」
そうして袴ブーツがこちらに見せたトレーナーカードは、確かに彼がバッジを一つしかもっていないことを証明していた。オレはとうとう頭を抱えた。
「……なんで……ガブリアス……?」
「ねえ賞金くださいよーねえねえねえ」
気づくと、ピカチュウ連れの袴ブーツは馴れ馴れしくオレの肩に縋りついている。
「ねえねえねえおなかすいたっすー!!!」
「ぴかっちゃアアアアアアア!!!」
「ええいうるさい!!」
それが奴との出会いだった。
それからオレは賞金を支払う代わりに、セッカと名乗るエセ新人トレーナーを、サウスサイドストリートの『レストラン ド フツー』に連れて行ってやった。
奴はさらにダブルバトルをしなければならないことに辟易していたが、それでもピカチュウとガブリアスの二体で、完璧に二手ずつで三連戦を勝ち抜きやがったのである。
普通においしい料理を腹いっぱい詰め込み、さらにバトルの賞金とお土産のちいさなキノコを十五個も貰ってセッカはほくほくとしていた。
その向かい側でオレはげんなりしていた。
「……今度腹減ったら、こういうとこ来いよ。お前、『リストランテ ニ・リュー』とか『レストラン・ド・キワミ』とかも行けんじゃね……?」
「おすし食べたい!」
「ローリングドリーマーか……金欠ならあそこはやめとけ……ありゃモノホンの金持ちしか行けん」
ピカチュウとガブリアスの他にも、セッカの手持ちだというフラージェスとマッギョという何とも珍妙な組み合わせのポケモンが、おいしそうにポケモン用の料理をほおばっているのをオレは眺めた。
「……こいつらも、強いの?」
「ユアマジェスティちゃんとデストラップちゃんのこと? 強いよ、普通に」
「……すげぇ名前だな……」
フラージェスの方はニックネームというよりかは敬称だし、マッギョの方は間抜け面に似合わぬデンジャラスなニックネームである。そしてガブリアスは『アギト』、ピカチュウは『ピカさん』だという。適当にも程がある。
しかしライバルトレーナーのポケモンのニックネームなどはほとんどどうでもいい。
オレはセッカの手持ちのポケモンを観察した。
セッカの一番のパートナーらしきピカチュウは、どこにでもいそうな愛らしいぽっちゃり体型だが、先ほどの店内でのダブルバトルではなぜかすべての雷を百発百中でぶち当てていた。何をどうしたらそのような芸当が可能なのか教えてほしい。
そして先ほど度肝をぶち抜いてくれたガブリアス。実物はテレビなどで見て想像していたより大きく迫力があった。2mくらいあるのではないか。首が太い。肩がごつい。胸筋と腹筋がやばい。鮫肌は欠けることなく鋭く整っているが、激戦の中でついたらしき幾つもの傷跡が体中で黄金色の威圧感を放っている。まさしくエース級の一体だろう。
オレンジ色の花のフラージェスは、花弁の一枚一枚、葉脈の一筋まで瑞々しく、そう、たとえ動かぬ花でさえ一流の園芸家でなければ、これほど美しく保てないだろう。微かに芳香を周囲に漂わせ、姿勢一つをとっても気品が漂っている。
そしてそのパーティーの中で異彩を放っているのがマッギョだった。オレもクノエシティ方面の14番道路の沼地でたまにマッギョを見かけたことはあるが、改めて見ると平たい。泥の中から見上げるような澄んだ目は茫洋としているくせに、唐突にニヤつくので怖い。
しかし、どれもこれもよく育てられている。これは日々まじめに修業を積み続けているトレーナーのポケモンだ。畜生、何がバッジ一個だ。ブリーダーにでもとっとと転向しやがれ。
オレは腸が煮えくり返っていたというか、未だに釈然としないでいた。普通においしい料理をフォークでつつきつつ、オレは惨めにぼやく。
「……セッカ、なんでお前さ、バッジ集めないわけ?」
「あんたみたいなトレーナーを狩るためだよ」
言いきりやがった。
どうもはじめまして。浮線綾と申します。 |
きとかげさん、感想ありがとうございます!
毎月七日の自己ルールについて表に出していなかったのは、明言するとプレッシャーに負けそうになるという、どうしようもない理由でした;
結果的には守ることができましたので、まえがきに書いておけば良かったですね;; どうもすみませんでした(汗)
> シリーズ通しての感想になりますが、ノスタルジックな感じと言いますか。それがものすごく好きです。
> なんといいますか、子供の頃に、「浅はかに行動してしまったな」とか、「もっといいやり方があったんじゃないのか」って思うようなことを幾つかしでかしてしまうわけです、大なり小なり。でもって「大人になったら、ひょっとしたら最善の答えが見つかるんじゃないか」と思って……見つからないんですけどね。そういう、終わらない「答え探し」をしている。それが、いいなあ、と。
おおお! この連作で書きたかったところはまさにそれです。
子供のころの失敗って、なかなか忘れられないものなのですよね……。後悔しても、過去に戻ってやり直すことはできなくて、本当に正しい行動が何だったのかもわからない。でも、そういう経験こそ成長するためには大切なのかもしれませんね。
ノスタルジーの名手、きとかげさんにそう言っていただけて、感無量です。
この感想だけで、連載続けて良かったー! と思えます。
半年以上の初連作、お付き合いいただき本当にありがとうございます。
シリーズ用のネタは書き尽くしたので、短編版の方でお会いすることがありましたら、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました!
私がご主人と出会ったのは、まだ飛び蹴りもできないようなレベルの低いころだった。
捕まえた私をすぐにボールから出した少年は、にっと笑ってこう言った。日向にたんぽぽが咲いたみたいな、柔らかくて、優しい笑顔だった。
「今日から、お前の名前はユイキリだ!」
私がちょこんと首を傾げると、特に意味があるわけじゃないんだけど、と少年は苦笑した。
「ただ、何となくカッコイイ名前だろう? よろしくな、ユイ」
何がカッコイイのかはよく分からなかったけれど、とにかく私はそのときからご主人のポケモンになった。
ご主人は旅をしていた。私はご主人に連れられて、たくさんの場所を見て回った。
空まで届きそうなほど高い建物が蟻塚みたいに密集している街や、乾いた砂の風が吹く黄色い大地、一面が白一色の雪の山など。ご主人と一緒に歩いた世界は、どれもこれも生まれて初めて見るものばかりだった。
行き交う人の多さに圧倒され、思わずご主人の足にしがみついた私に、彼は大丈夫と優しく頭を撫でてくれた。手でつまみあげた黄色い砂がさらさらと落ちていく様が面白いあまり、ついつい何度も繰り返す私を見て、ご主人は笑っていた。雪道をふと振り返れば、花びらのような小さな足跡のすぐ横に、頼もしい大きな足跡。何となく、嬉しくなって、私は黙々と足を動かす彼の横顔を見上げながら、その隣を歩き続けた。
海を見たこともある。どこまでも、どこまでも広がる大海原に、私は例えようのない感動を覚えた。本当に世界は広かった。ご主人と出会う前の私が、どれほどちっぽけな世界を生きていたのかと思うと、喜びとも悲しみともつかぬ涙が自然と溢れてこぼれ落ちた。ご主人はそんな私を抱き上げて、いつも通りの、日向のたんぽぽみたいな優しい笑顔でそっと受け止めてくれた。その温もりが身に染みて、また泣いた。
どれほど一緒にいたのか分からない。
昼は色々なところを歩いたり、バトルで勝ったり負けたりを繰り返し、夜は仲間たちとご主人を取り囲み、星を数えて眠りについた。
バトルを繰り返すうちに飛び蹴りはできるようになったけれど、まだまだ私は弱かった。仲間たちにずいぶんと助けられて手にした勝利も数多い。肝心なときに飛び蹴りを外して地面に激突し、そのまま負けてしまったこともある。
そんなとき、ご主人はいつも私の体を労って、優しく慰めてくれた。だが、私がバトルで勝ったときなどは、とびきりの笑顔で褒めてくれた。
まだ野生であったころに、かつての仲間が言っていたことを思い出す。人間にもいい奴と悪い奴がいる。強くなればなるほど、自分でトレーナーを選べるものだ、と。
私は決して強くはなかったが、ご主人は優しい人間だった。ご主人が笑うと、何だか温かい心地になる。
私は、ご主人のために強くなりたかった。
強くなって、ご主人にもっと笑ってほしかった――
ガタン。一際大きな揺れがしたかと思うと、それを境に音が消えた。
どこかに着いたのか。
揺れも収まり、しんと静まり返った世界の中で、ふいに、規則正しい足音が聞こえてきた。こちらに近づいてきているらしい。コツコツと床を叩く響きが、徐々に大きくなっていく。
その音を聞くうちに、急に心に不安が兆した。
だめだ。
何も考えたくない。考えてはいけない。
これは、全部、夢だ。
ただの、悪い夢なんだから。
私は目をつむったまま、必死に心の内に走る悪寒と戦っていた。
誰かがボールの中の私を見て、蔑むような気配がした。
その日も、私はいつものようにボールから出してもらって、ご主人の隣を歩いていた。
近くに街があるのだろう。やたらきっちり整備された道路や、往来の多さがそれを物語っていた。
何度かバトルも挑まれた。
その日、私は朝から調子が良く、気持ちいいほどに飛び蹴りが決まった。一度も相手から攻撃を受けることなく、一発KOすることもままあった。
「ユイキリ、疲れてないか?」
ずっと戦いづめだったからか、ご主人が心配そうに眉を曇らせて私の顔を覗き込んだ。
『平気だよ』
私は元気に返事をした。
ご主人にはきっと、キュウとしか聞こえなかっただろうけれど。それでも彼は何となく私の気持ちを察してくれる。
「そうか。なら、いいんだけど」
あまり無理はしないでよ。ぽんと頭に手を乗せられた。
胸の中にじんわりと温かいものが広がって、私は慕わしげにご主人を見上げた。そこで、彼の異変に気がついた。
私の方を見ていない。ご主人は顔を上げ、どこか別の方向を威嚇するように睨んでいる。
その視線の先を追っていくと、見知らぬ男が二人、私たちの行く先に立っているのが分かった。
今が夜であったなら、すっかり闇に紛れていただろう。男たちは頭から爪先まで、見事に真っ黒な服を身にまとっていた。
男たちはご主人の視線に気づくと、黒の帽子と黒のマスクの間に薄ら笑いを覗かせながら、こちらに向かって歩き出した。
「ユイ、行こう」
ご主人は突然私の右手を掴み、前へ歩き始めた。
今までさんざんご主人の隣を歩いてきたけれど、こんな風に手を引かれて歩くのは初めてだった。それも、そっとつまむような優しい導きではなくて、彼らしくない、有無を言わさぬ堅苦しいエスコート。
喜びより先に、驚きのあまり私は慌ててご主人を見上げた。
あの男たちの何がそんなにご主人を刺激しているのだろう?
彼はきつく口を結んで、前を見据え、ずんずんと歩いていく。
正直その慣れない歩調についていくのがやっとで、考える間なんてありはしなかった。私は何度かつまずきかけながら、遅れまいと必死になって足を動かした。
あの黒ずくめの男たちとすれ違う、ちょうどその瞬間。一人の男がさっと手を伸ばし、ご主人の右腕を捕まえた。
「おい、待てよ少年」
卑しい笑いを浮かべながら、男が言った。
「ずいぶんと可愛らしいお連れさんだな。一目惚れしちまうぜ」
それを聞いていたもう一方が、下品な笑い声をご主人に浴びせた。
「いや、全くだ! なあ少年。そのコジョフー、俺の嫁に欲しいなぁ、なんて」
言いながら、男はいやに親しげな様子でご主人の肩をぽんぽん叩いた。
嫌な感じだ。男たちはあからさまに此方が困るのを面白がっている。
「ようし。じゃあ少年、こうしよう。俺たちとバトルして、もしお前が負けたら……」
男は目玉をぐるりとさせて、いかにももったいつけるようにわざとらしく間を開けた。
不意に、繋いでいた右手の圧迫感が強まった。どきりとしてご主人の顔を見上げると、彼は青ざめた顔を固く強張らせ、まるで痛みを堪えるかのごとく細かく肩を震わせていた。まるで、これから男たちに言われるであろう言葉が分かっていて、それに怯えているかのように。
こんなご主人、見たことない。彼の不安を吸い込んでしまったように、どきどきと胸の鼓動が走り出す。痛いくらいに握られて熱のこもった手の中が、じっとりと汗ばんだ。
男たちは、ご主人の顔を目ざとく見つめながら、歪に並んだ白い歯をにたりとさせた。
「……少年。お前のポケモンを解放してもらおう」
それまでにたにたと笑っていた彼らの瞳に、獲物を定めた獣のような、爛々とした光が宿った。
まずい。この男たちは、ずっと上手だ。私の直感がそう告げた。
「逃げよう、ユイ!」
繋いだ手をぱっと離して、ご主人は腕を掴んでいた方の男に当て身を食らわせた。とたんによろける男の足下を、すかさず私が駆け抜ける。いつもの二足歩行ではなく、より早く走れるように、両手も使って。まろびながら前を走るご主人の後ろにぴったりとくっついて、ぐんぐん地面を蹴り上げた。
男が何かを叫んでいる。よく聞こえない。聞きたくもない。
心臓がばくばくと波打った。怖い。冷たい汗が首を伝い、肩に流れる。
走る。ただ走る。
今できるのは、それだけだ。
と、不意に何かが風を切って、私の横を駆け抜けた。
尻尾から頭のてっぺんまで、急に全身を逆撫でされたようで、怖気が走った。私は反射的に前へ向かって跳躍した。
ご主人の驚愕した顔に、紫の疾風が凶器を振り下ろす。
それは、一瞬の出来事だった。
布地を裂くような音がして、真っ赤なものが飛び散った。
ご主人は襲われた勢いのまま地面に倒れた。彼は這いつくばった状態のまま青ざめた顔を上げ、私を見つめた。その頬には、真っ赤な血がついていた。
「ユイ、キリ……」
その声は、それまで聞いたことのないほどに弱々しく、今にも消え入ってしまいそうだった。
赤い液体が大地を濡らす。
ご主人は、今にも泣き出しそうな、震える声で、言った。
「ユイキリ……なんで、そんな……お前、僕を庇って……」
私は右腕をだらりと垂らしたままぎゅっと歯を食い縛り、ご主人を襲おうとした相手を睨みつけた。
右肩のつけ根がやけに熱い。私は流れ出るものを押し込むように、傷口に添えた左手に力を入れた。
尋常でない痛みに気が遠退きそうになったが、今ここで倒れてしまうわけにはいかなかった。
『どうして、ご主人を狙ったの』
目の前ですまし顔のままこちらを見据える黄色い斑模様の紫猫に向かって、私は声を低くした。
『知らない。そんなこと』
いかにも関心のなさそうな、冷めた態度で、紫猫が言った。
『命令されたから。それだけ』
なぜ、そんな。
いくら命令されたとはいえ、場にいるポケモンを無視して人間を攻撃するなんて。そんな命令、普通は鵜呑みにするだろうか?
紫猫が不敵に笑う。
『幸せなコね。世の中のこと、何にも知らないんだ』
全身の体毛がぞっとそそけ立った。
分かっている。気圧されているのを悟られてはならないのは。分かっている、はずなのに。紫猫の奇妙な目を見ると、胸に冷たい風が吹き抜けた。
この紫猫は、底が知れない。身体はそこに存在しているのに、意識というか、心というか、そういったものをどこか遠くへ置いてきてしまったような、得体の知れない歪な気配を感じてしまう。
どうしようもなく、身体の震えが止まらない。じりじりと焼けるような痛みがより一層ひどくなる。つい膝をつきたくなる。だが、ここで少しでも力を抜いたら、きっともう二度と立ち上がれない。
私はよろめきながらもなんとか両足を踏ん張った。
怖いけど、痛いけど。私が、ご主人を守らなければ。
「ユイ、もういい! もういいよ! 頼むから、もう、戻ってくれ!」
ご主人が震える手で私のボールをかざしている。
あの中に戻れば安全なのは分かっている。でも、そのときご主人は――
不吉な思いが心に揺らいだその瞬間、男の声が冷たく響いた。
「デスマス、黒い眼差しだ」
そのとたん、身体中に悪寒が走った。おぞましい眼光に晒されて、身動き一つままならない。
「おいおい少年。いきなり逃げようとするなんて、礼儀がなってないじゃないか」
余裕しゃくしゃくといった様子で、男たちが迫ってくるのが見えた。
その傍らに、小さな影のような、見慣れぬポケモンが浮かんでいる。そいつは黒ずくめの男たちに合わせたような黒ずくめの全身に、金色に輝く人の顔のような仮面を持って、小さいながらも独特の不気味な雰囲気を漂わせている。
ゴーストポケモンだ、と直感した。
その瞬間、私の中の微かな光が消えていった。胸の奥底に辛うじて燻っていた最後の戦意が、あまりにも呆気なく崩れ落ちていく。
格闘ポケモンの私に、勝てる手段は、何もない。
「トレーナーなら、挑まれた勝負は断れない。だろう? 少年」
まるで足の下に押さえた獲物を転がして、弄ぶように、男たちがにじり寄る。
その嫌味な笑顔に吐き気を覚えた。
「デスマス、シャドーボール」
仮面の影から放たれた黒い塊が音もなく私に向かってくる。
「ユイ! 避けろぉぉっ!」
喉も割れんばかりの勢いでご主人が叫んでいる。それはトレーナーとしての指示というより、もはや祈りに近いものだっただろう。
でも、無理だ、と思った。だって、もうどこも動かないもの。
がっくりと膝をつく私の視界を、黒い稲妻が上から下へ、真っ二つに走り分けた。
「ユイキリ……」
ご主人が、信じられないものでも見るように目を見開いた。僅かに開いた唇から、私の名前が掠れ出る。手を伸ばす。私に向かって。
まるで夢の中にいるような、現実味のない、ふわふわとした不快な感覚。光と闇が入り混じる意識の狭間で、私はぼんやりと差し出された手を見つめていた。
触れたい。触れたい。彼の手に。彼の温もりに。
あるいは、それは本能的な衝動だったのかもしれない。産まれたての赤子が母の乳房を探るように、羽化したばかりの蝶が飛び方を知っているように。
私の手は、不自然なほど自然にご主人を求めていて。それでも身体はうまく動いてくれなくて。
辛うじて伸ばそうとした左手が、不意に誰かに引っ張り上げられる。とたんに痛みまで引き上げられたようで、私はか細い悲鳴をもらした。まるで血管と一緒に痛みの脈が走っているのではないかと思うほど、ズキンズキンと一定のリズムに乗って身体中に響き渡る。
ご主人が何かを叫んでいる。口の動きしか分からない。きいきいと金属音のような耳鳴りがうるさくて、何も聞こえない。
すぐ後ろで、男が何かを言った。
指示を受けたのだろうか。あの紫猫が、しなやかな足取りでご主人に向かっていく。
止めて、止めて。彼を傷つけないで。
どんなに心の中で叫んでも、助けてくれる者は誰もいない。
紫猫の長い前足が鋭く伸びて、ご主人の手から何かを掠め取る。何か。
答えはすぐに出た。それが何を意味するのかも。
(私の、モンスターボール……!)
それは、人間であるご主人と、ポケモンである私を繋ぐ、唯一の道具。
あれがご主人の手にあったから、私は彼の元にいることができたのに。
まるで身体の一部をもぎ取られたような、そして、二度と取り返しのつかないような、焦燥感と、喪失感。痛みと、絶望と、他にもいろんなものがぐちゃぐちゃになって、もう何が何だか分からない。
紫猫が赤白二色の小さな球を咥えて悠然と踵を返し、黒ずくめの男の一人に渡した。
男がボールを私に向け、たちまち赤い光に包まれる。
どうしてだろう。もう何度も経験している感覚のはずなのに。
自分のボールに戻るときは、こんなにも息苦しいものだったろうか。目が熱くて熱くて、身が引きちぎれそうなくらい悲しくて、どうしようもないものだったろうか。
ご主人が呼んでいた。泣きながら、私の名前を。
その声に答えたかった。彼の胸にすがりつきたかった。
それでも、私の従わなければならない人間は、もう彼ではなくて。
遠ざかっていく彼の声が、また悲しくて。
私の意識は、深い深い悪夢の底へと落ちていった。
ここはどこだろう。
身体がぽかぽかと温かい。鉛のようなだるさも、痛みも、悪寒も、全て嘘のように消え失せている。
ここは夢の中なのだろうか。
誰かが私の背中をさすってくれている。毛の流れに沿うように、首の後ろから、尻尾のつけ根まで、優しく、優しく、そっとつまむような指運びで。
この感覚には覚えがある。
ご主人だ。ご主人が撫でてくれているんだ。
そうか。やっぱり、あれは夢だったんだ。きっと私がうなされていたのを見て、ご主人が慰めてくれているんだ。
こっちが本当の現実なんだ。
何だか急にほっとしたようで、私はもう一度眠りの世界へと落ちていく。
大丈夫。あんな悪夢を見るなんて、どうかしていたんだ。きっと少し疲れていたんだ。
今度はいい夢を見られるさ。だって、ご主人が一緒だもの。
大丈夫。大丈夫――
『大丈夫だ。今は、ゆっくり休みなさい』
誰かが心に話しかけてくる。
低く威厳に満ち溢れ、それでいて落ち着いた声だった。
声は、私を諭すように、一言一言区切りながらゆっくりと続けた。
『傷は、きっと良くなる。だから、焦ることはない。
目覚めた後は色々思うところもあるだろう。だが、決して自暴自棄になってはいけないよ。最初は納得いかないかもしれないが、よく周りを見て、落ち着いて行動しなさい。
大丈夫。とにかく、今は静かに休むことだ。大丈夫、大丈夫……』
夢の中の声に導かれるように、私は更に深い眠りの底へとついていった。
今度はもう、夢は見なかった。ただひたすらにぐっすりと、安心し切って闇の中へと溶けていった。
わあぁぁぁっ。沸き立つような喚声に、突如私は跳ね起きた。いつの間にか、またボールの中だ。
やかましいほどの喚声からは、歓喜、怒声、激励など、さまざまな感情が入り混じって聞こえてくる。そして時折、地響き、雷鳴、いななき、何かと何かが激しくぶつかり合う鈍い音。
何がどうなっているか分からぬうちに、私は突然ボールから放たれた。
不思議だ。ずいぶんと長い間、外の空気を感じていなかった気がする。
それを確かめるように、大きく息を吸って、吐こう、とした、その矢先。
息と一緒に、心臓までも止まりそうになった。
「固体識別番号二三六。種類、コジョフー。性別、メス。使用可能な技は……」
見知らぬ女性。
何かのファイルをめくりながら、感情のない淡々とした口調で情報を告げていく。
その様子だけでも相当不気味に思えるというのに。彼女は、夢の中に出てきたあの黒ずくめの男たちそっくりと服を身にまとっていた。
辺りを見回して、更に混乱した。
同じような格好をした人間が、何人も、いる。
皆、闇夜のごとき黒服に、黒い帽子、黒いマスク、黒い手袋、黒い靴。全身真っ黒の、黒ずくめ集団。
これは、一体何の悪夢だろう。思わず肩を抱き、目をつむる。
ご主人、お願いだ。私を起こして。どうか、どうか、一刻も早く。この悪い悪夢から、目覚めさせて。
わあぁぁぁっ。また喚声。
つい目を見開くと、少し離れたところに、全身に刃をつけて真っ赤なヘルメットを被った小さな人型が、相対するように組み合っていた胴長鼠を辻斬りで一閃するところであった。
息を呑む私をよそに、黒ずくめ集団が再び地沸くほどに声を上げる。
「固体識別番号二三一、コマタナ、認定ランクB」
女性が、やはり抑揚のない声で言いながら紙に何やら書き込んでいく。
地面に記された白いライン。スポットライト。広いフィールド。見覚えのあるような情景に、ここが、何をする場所なのか、うっすらと分かった気がした。
ふと何かの視線を感じて振り向くと、白い稲妻型のたてがみを光らせながら、縦縞模様の大きな馬が此方を見つめ、いきり立つように蹄を鳴らしていた。
「行け、コジョフー」
聞き覚えのある声にぞっとした。振り返ると、見たことのある顔の男がそこにいる。
夢であったはずのものは、夢ではなかった。ずっと覚めることを願っていたはずなのに、目覚めた場所は、現という名の悪夢の続きで。
私は、真っ白になった頭のまま、自分をご主人から引き離した男の顔を呆然と見つめていた。
ガタゴトと音を立てながら、何かの貨物が揺れているらしい。辺りは黒い布を被せたみたいに薄暗く、あいにく外の様子は分からないのだが。
その音に従うように、私の入ったボールもまた、揺れていた。
察するに、何かの乗り物に乗っているようだった。前にご主人と乗った、眩い光を発しながら真っ暗なトンネルをひた走る巨大な鉄の塊が、これと似たような感覚だったように思う。
ボールの中にいることもあってか、小気味良いリズムはまるで揺りかごのよう、ガタゴト音はさながら子守唄といったところか。私はその揺らぎに身を任せ、うとうとと目を閉じていた。
体はひどくだるくて、頭は重石をくくりつけられたようにぐらぐらする。何かを考えることすら億劫だった。重苦しい意識の中、ただひたすら、眠りにつくことだけ集中していた。
これは、ただの悪い夢。寝て起きたら、きっと、全て元通りになっているはず。
そう自分に言い聞かせながら。
―――――――――――
BW2をやってたらふと書きたくなったので、一気に書きなぐりました。
とりあえず読みきりサイズには収まらなかったので続きます。
完全なる見切り発車です。どうなることやら……
すでに長編一本連載していますが、特にいくつまでという規制もないようなのでこちらに投稿したいと思います。
簡単に見積もって五、六話くらいの長さになりそうです。
できるだけ完結できるよう頑張ります!
また、この作品は流血シーンや生々しい描写を少々含みます。
苦手な方はお気をつけ下さい。
連載お疲れ様です。締め切りを自分で決めて自分で守るというのは見習いたいものです……自分、中々それができません。それはさておき。
ナナシマ数え歌、毎回楽しく読ませていただきました! “七日が締め切り……”という話を先に聞いていれば、毎月七日を楽しみにして過ごしていたと思います。
シリーズ通しての感想になりますが、ノスタルジックな感じと言いますか。それがものすごく好きです。
なんといいますか、子供の頃に、「浅はかに行動してしまったな」とか、「もっといいやり方があったんじゃないのか」って思うようなことを幾つかしでかしてしまうわけです、大なり小なり。でもって「大人になったら、ひょっとしたら最善の答えが見つかるんじゃないか」と思って……見つからないんですけどね。そういう、終わらない「答え探し」をしている。それが、いいなあ、と。
どの話も、読む度に心のどこかに刺さりました。(いい意味で)
読めて嬉しかったです。ありがとうございました。
連作短編「ナナシマ数え歌」これにて完結です。
毎月七日の更新を目標に、間に合わねえええええっと思ったこと、もはや数え切れず。
何とか完結できてよかったああああ
今回舞台としたナナシマは、リメイク板の赤・緑で追加された地方?です。
自然が豊かで、各々の島には特徴が溢れていて面白いので、好きな地方の一つです。
管理人様がホウエンをプッシュしていらっしゃるので、私はナナシマが好きな人が一人でも増えればいいな、と(無謀
一つの地域を舞台にした連作短編で、話ごとに主人公(語り手)と文体が変わる構成は、「草祭」という小説の影響を受けています。
民話風の話が好きな人にはぜひお勧めしたい一冊です。私は擦り切れるくらい読み込んでます(笑)
この連作の、大きなテーマは「迷走」です。
思い、悩む姿こそ、真に人間らしいと私は思うのです。
そんなひねくれかただから純粋なハッピーエンドが書けないんですよねわかります(
以下、各話の後書きを、さっくり書いてゆくのでネタバレが嫌な方はご注意ですよー
【序章】
発端は、一つの数え歌。
息抜きで作った歌から小説ができるという、何ともアレな始まりでした。
書き始めたのが一昨年の秋だから、一年半も足踏みをしていたという実に残念な初連作。
【1】火炎鳥
火炎鳥の設定のモデルは、ハワイ神話の「ペレ」という神様です。美しく、気性の激しい、火山の女神。
某漫画の影響なのか、火の鳥には女性っぽいイメージがあります。
【2】藤蔓の揺籃
テーマは『葛藤』です。
長老のモデルはロンサム・ジョージ。たった一匹のピンタゾウガメ。最近亡くなったと聞いてショックでした。
原語でいうところの"from the cradle to the grave"の表現をなんとか使いたかったけれど、そのまんま使うとあんまりなので何かいい表現は無いか……と必死に探しました。
別に使わなければ……いいのに……とか……
【3】木の実の鈴
もはや何も言うまい。
【4】氷の時間
1の島が火の島なら、4の島は氷の島。
途中で交わされる議論は「悪魔の証明」をもじった話題です。
【5】潮騒の迷路
肝試し、楽しそうだけどやったことが無いのです。
ラプラス本当に好きだなぁ。
【6】そらゆめがたり
オモダカ氏の名前は漢方薬に使う植物から。漢字で書くと「沢瀉」。タクシャとも読みます。……初見殺しである。
平和を願いつつ心のどこかでは破滅を思うような、危なっかしい話にしたかった。共犯者の心理というかなんというか。
【7】旅の終わりに
序章で旅に出た語り手の帰着点。
物語的に起伏は少ないのですが、大きな括りとして穏やかな結末にしたかったです。
ナナシマの名前の由来は七日で出来たという言い伝えから、というのは実は公式設定なんですよ。
最後に、連作を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
読んでくれている人がいる! という思いがあったからこそ、挫けず、締切にも負けず続けられました。
マサポケのすべての方々に感謝の気持ちを!
一つ、火の鳥舞い降りて
二つ、藤の葉 縄跳べば
三つ、実のなる木の森と
四つ、夜経る凍滝の
五つ、いつかの迷い路
六つ、昔の文字残る
七つ、七日で出来た島
四季折々の風が吹き
色取り取りの花が咲く
七日の内に現れて
七日の内に消え失せる
あたかも夢のような島
遠のく夢の中の島
歌え ナナシマ数え歌
旅の途中でこんなことがありました。
畑で農作業をしているおじさんに道を尋ねると、彼はこう答えました。
「この先で二つの道が交わっている。かまわず真っ直ぐ進みなさい」
しばらく進むと、ポケモンを連れた旅人とすれ違いました。「何処に行くの?」と訊ねられ、私が目的地を告げると彼はこう言いました。
「この先で道が三つに分かれている。そこを真っ直ぐ進めばいいよ」
何か変だなと思いながらもそのまま進むと、目の前に現れたのは大きな十字路でした。
確かにこれならば道が交差しているとも分岐しているとも表現できると納得しつつ、二人の言葉の微妙な違いに気づき、はっとしました。
地元の人間から見れば、十字路は日々利用する通過点。旅人から見れば、十字路は目的地に着くために選択するべき分かれ道なのです。
【7】旅の終わりに
七ノ島にある民芸品店に入って、本土の両親に買って帰るお土産を選んでいた時のことです。
お店に並べられた棚には、木彫りの人形や綺麗な石で組み上げられた置物が所狭しと並べられていました。
一際目を引いたのは、カウンター近くの棚いっぱいに並べられているフクロウの置物でした。片足で立つ真ん丸い子供のフクロウたちは、一体一体微妙に表情が違い、とても愛嬌があります。
対して、親フクロウの置物の、鋭い眼を光らせ、両翼を広げるさまは、さながら夜闇を引き裂き獲物を狙う狩人のようです。
そういえば、このお店の看板もヨルノズクの浮彫でした。フクロウはこの店のモチーフなのでしょう。眼鏡をかけて座っている、優しそうな店主のおばさんも、どこか枝に止まったフクロウのように見えます。
並べられていたホーホーの置物の中から、気に入った一つを選び、カウンターの前に立ちました。
店主のおばさんと目が合い、何となく「このお店にはフクロウが多いですね」と話しかけてみました。
「気が付いてくれてありがとう。フクロウは、縁起の良い鳥なのよ。苦労がない。不(フ)苦労(クロウ)ってね。」と朗らかな返答がありました。
「お客さんは、旅人さんなのかい?」
「え……っと」
肯定か否定か、どちらを答えればよいのか、少し迷いました。おばさんのいう『旅人』が単に『旅行者』のことならば、『はい』と答えて差し支えないでしょう。
ですが、『旅人』という言葉はしばしば『リーグを目指すポケモントレーナー』を意味するのです。各地方に点在するジムを巡り、手持ちポケモンを戦わせ競い合わせることで頂点を目指す、狭い意味でのトレーナーのことです。
つまり、『あなたは旅人ですか?』と訊ねることは、『お手合わせ願いたいのですがよろしいですか?』という意図を含むことがあるのです。実際に、よくわからないままバトルを申し込まれた人の話を耳にしたこともありました。
……今の自分の状況を考えると、そういう意味で訊ねられた可能性は低いのでしょうが。
「ナナシマには、観光のために、来たんです」
私は護身用にポケモンを連れてはいますが、リーグを目指しているわけではありません。広い意味でのトレーナーには違いないのですが、微妙な立ち位置ゆえに歯切れの悪い回答になってしまいました。
「そうかい。ナナシマの自然は美しいでしょう」感慨深げにおばさんが目を細めるので、「ええ、とても」と私も微笑みで返しました。
本当に、ナナシマは美しいところです。
「旅人さんに気に入ってもらえて、なによりだよ。この島のポケモンセンターの隣に資料館があるから、興味があるなら行ってみるのはどうかしら」
「そうですね、ぜひとも行ってみたいです」
そんなところがあったとは知りませんでした。島の人のお勧めとあれば、一度は見てみたいものです。
子フクロウの置物の御代を手渡しながら、私は彼女にお礼を言って、店を後にしました。
小さな民俗資料館は、予想以上に興味深いものでした。
ナナシマの各々の島の特徴、成り立ち、祭事や風習、生息しているポケモンの種類まで細かな展示があり、夢中になってそれらを眺めていました。
展示の最後、七ノ島のアスカナ遺跡の展示の前にたどり着いたとき、私は我に返り、時計の表示を確認しました。
時計の短針は二時を過ぎたところ。予定ではシッポウ渓谷を半ばまで歩いている頃です。
ああしまったと思いつつ、船の時間を確かめるためにポケモンセンターに向かいました。
アスカナ遺跡観光は、七ノ島で最も楽しみにしていた事の一つ。明日の朝には本土へ返らななければならず、この機を逃せば次がいつになるかわかりません。
アスカナ遺跡へ向かう船の次の便は、今からちょうど一時間後でした。
シッポウ渓谷は長くて険しいでこぼこ道で、この分だと遺跡に辿り着けたとしても返ってくる前に日が暮れてしまうでしょう。
――定期便の発着時刻をしっかり確認しておけば良かったなあ。
しかし、後悔しても始まりません。
気分を変えるため、海の見える高台に登り、ぼうっと遠くを見渡しました。
北の方角を眺めると、お隣の六ノ島が手前に見え、その向こうに島の影が二つ、三つ連なっているのが微かに見えました。
この旅の間で、自分の辿ってきた軌跡です。
辺りに人気のないのを確認して、私は腰につけたモンスターボールを放りました。
獅子のようなタテガミをもった勇猛な獣――ウインディが、ウォン、と一声吠えながらボールから飛び出しました。
元々はボディーガードの代わりに家から連れてきたガーディでしたが、一ノ島の灯火山に登った時に図らずも進化してしまったのです。
灯火山では今でも時々炎の石が見つかるそうです。きっと私のガーディもどこかで石の影響を受けてしまったのでしょう。
大自然の力って素晴らしい。
……そう、納得してしまって良いものでしょうか。実のところ、電話での母への定期連絡ではまだ正直に伝えられていません。こんな筈ではなかったのに、何と言い訳すれば良いのやら……。
でも、まあいいや、と私はひとりごちました。例え家の中で飼えなくなったとしても、私がトレーナーとしてしっかりすれば良いことです。……具体的にどうすればいいのかは今は敢えて思考の外なのですが。
アスカナ遺跡を観に行けないとわかると、なんだか途端に気が抜けてしましました。
一週間、ナナシマを旅し続けた疲れがここで出てきたのかもしれません。
高台の広場をのびのびと駆けるウインディを見ながら、私は大きな木の幹に背中を預け、ゆっくりと目を閉じました。
朧な意識は暗闇の中を浮かんでは沈んでいきます。
夢に成りきれなかった映像の断片が、水面に浮かぶ泡のように目の前に現れては消えていきます。
ほとんど記憶に残ることのない儚い幻の輪郭を、もっとしっかり見ていたいような気持ちになりました。
――きらきら光る水面に映る鳥の影。羽ばたく。羽ばたく。大きな翼で風を切り、海面すれすれを飛ぶ。目指すのは、彼方に見える緑の島――
眩暈のような浮遊感とともに、視点がくるりと変わります。
――自分より背丈の高い草の中に身を隠す。走る。走る。凶暴な鳥に見つかるとまずい。早く巣穴に帰らなくては。巣穴は、林の岩の陰。そこに行けば、守ってくれる。五片の花を咲かせた偉大なヌシが――
頬に当たる冷たい感覚で、急に意識が覚醒しました。目を開けて、状況を確認しました。
ウインディがそばにすり寄り、湿った鼻先を私の頬にくっつけていたのでした。
わずかの間に夢を見ていたのです。
もうよく覚えていませんが、何かを追っていたような、何かから逃げていたような、不思議な感覚が残っていました。
霞む目をこすりながら、今日ここへ来る前に資料館で見た、ナナシマの成り立ちについての記述をふと思い出しました。
それによると、七つの島があるからナナシマと呼ばれている……というのは間違いで、本当は七日で出来たという伝承からナナシマと名付けられたそうなのです。
よく考えたら妙な言い伝えだなと思います。七の島にはアスカナ遺跡があります。千年以上も前の遺跡で、遺跡を作った人々は既に絶え、現在のナナシマの人々とは文化的繋がりはおろか血縁的な繋がりさえ無いと考えられています。
何のために造られた遺跡なのかもわからず、そこに残る古代文字の解読も、未だに終わっていません。いにしえの人々が何を見て、何を考えていたのかを現在正確に知る者はいないのです。
それならば、ナナシマが七日で出来たのを誰が見ていて、現代に言い伝えたというのでしょうか。
七日で出来た……ではなく、七日の内に出現したと考えるとどうでしょうか。ナナシマは海と大陸の微妙な均衡の上に存在する島々で、大地の隆起によって現れ、海水面の上昇によって水の底に沈むと考えれば。
かつて陸の神と海の神が争っていたといわれる大昔には、ナナシマは沈んだり浮かんだりを繰り返していた。そのために七ノ島と六ノ島には文化的な断絶があると考えるのはどうでしょう。
いえ、それよりももっと突拍子もなく、ナナシマは長い長いスパンで現れたり消えたりを繰り返しているのでないでしょうか。いつだったか聞いたことのある、遠い地方の幻島のように……。
――ありえない。
その考えは即座に打ち消されました。
やはり伝承は伝承でしかなく、昔の人の思い違いが伝わったものか、何か別の話が形を変えたものと考える方が妥当な気がします。
そうでなければ、今ここにある島々さえもいつの間にか消えてしまいかねないではありませんか。……そんなことは考えたくもありません。
不毛な事を考えるのはもう止めよう。寝ぼけた頭でこれ以上考えても仕方のないことです。
きっともう一度眠りに落ちて目覚めたらきれいさっぱり消え失せて、記憶の端にも残っていない幻なのですから。
嗚呼、それにしても、ナナシマは本当に美しい場所です。
かつて確かに断ち切られたはずのこの土地との絆を、今ならもう一度結び直せるような気がしました。
薄らと目を開けると、水平線の彼方へ沈んでいく夕日が見えました。
空も、海も、陸も、すべてが溶けあい、入日色の光に包まれます。私は再び目を瞑り、温かい微睡の中に沈んでいきました。
何処からか、子供たちの歌い合う声が聞こえてきた気がしました――
「おお、来ましたね」
10月31日の土曜日、午前8時。俺達は再びサファリパークに来ていた。再びと表現したが、これから毎週来ることになるだろうな。さすがに10月末だと、この時間帯でも朝日がまぶしい。サングラスをしていても、これは中々こたえる。
そんな中で、俺達はバオバ支配人と落ち合った。作業服姿だが、支配人としての気品がそこかしこに感じられる。
「ああ、今週からよろしく頼む。ほら、お前達も挨拶しな」
「おはようございます、イスムカです」
「ラディヤです。この度はお誘いありがとうございます」
「オイラはターリブンでマス。よろしくお願いしますでマス」
「それでは行きましょうか。まずは……」
挨拶も済んだところで、バオバ支配人は出発しようとした。おっと、これだけは先に断っておかなきゃな。
「ちょっと待ってくれ、1つ頼んでおきたいことがある」
「なんでしょう?」
「……俺達がここでボランティアをしていることは、部外者には漏らさないでくれ。部活もここで行う都合上、余計な情報漏洩は避けたいんだ」
「そういうことですか。経営者としては非常に共感できる話ですね。分かりました、あなた方がここにいることは伏せておきましょう」
俺の頼みを、支配人はあっさり受け入れた。完全に信用することはできないが、ひとまず情報管理には目処が立ったな。まあ、他校に手の内を探られる程強くならなければ意味無いが。
「そうしてもらえると助かる」
「では、改めて出発しますか」
俺が礼をすると、支配人は歩を進めるのであった。さあて、一仕事やってくるかい。
「今日はこの辺りの清掃をやりましょう。終わり次第園内に戻ります。さあ、今日も張り切っていきましょう!」
「合点だ。さあ、どんどんやるぜ!」
10分後、俺達はサファリに沿って流れる川に到着した。流れは穏やかだが、山を下れば急流になり、やがて海となるのが川と言うものだ。足元をすくわれないようにしねえとな。
そこで、俺はボールから1匹のポケモンを繰り出した。ニョロボン、俺が旅を始めた頃に捕まえたポケモンだ。勝負の機会は少ないが、毎日の鍛練のおかげで今だに筋骨隆々としている。
「ニョロボン、腹ごなしにここいらの掃除をするぞ。終わったら水浴びでもしよう」
俺がこう指示を出すと、ニョロボンは上機嫌で作業に取りかかった。地上で生活できると言っても、やはり水が好きなんだよな。俺はあまり好きではないが。
「いつ見ても強そうですね、先生のポケモンは」
ニョロボンの姿を見たイスムカは、思わず手を止めため息を漏らした。さすがにわかるようだな、こいつの強さが。
「当たり前だ。数々の修羅場をくぐり抜け、数多の大会で実績を残した奴らばかりだからな」
「ほう、例えばどんな大会でマスか?」
「筆頭は言うまでもなく……いや、それは言えんな。知りたきゃ自分で調べろ」
危ない危ない、口を滑らすところだった。仮に部員だろうが、俺の正体を感づかれるような話を聞かせるわけにはいかねえからな。まあ、予想通りターリブンがいぶかしがるわけだが。
「えー? もしかして、さっきのは嘘でマスか?」
「違う。なんでもポンポン答えたら、調べる癖が身につかないだろ? そのことを憂慮しての判断だ。少なくとも、校長に勝っているのだから実力はある」
「それもそうですわね。校長先生は、今では全国でも指折りのジムリーダーですから」
ナイスフォローだラディヤ。彼女の言う通り、タンバジムリーダーのシジマは非常に強力だ。彼の使う格闘タイプは近年強化が著しく、毎年のように新しい技やポケモンが登場している。さらに、リーダー自身も研究を重ね、今ではジョウト地方で最も強いのではないかと目される程だ。あの時は勝てたが、6匹で勝負したら分からないな。ま、今はどうでも良いことだが。
「そう言うこった。って、ついつい無駄口叩いちまったぜ。ほら、口よりも手を動かせよ」
「はーい」
「ふう、今日はこれで終わりか?」
「ええ。お疲れ様でした、明日もよろしくお願いしますよ」
「ああ。さて……」
午前11時48分。一通り片付けた俺達は、サファリに戻ってきた。随分時間を食っちまったが、良いトレーニングになったろう。
「じゃあ、早速訓練開始だ。今日は場所も良いからな、特別に勝負をするとしよう」
「ほ、本当ですか!」
「ただし、使えるのは先週サファリで捕まえたポケモンだけだ。新顔のチェックと言うわけだが、もしいないなら他の手持ちを使え。それじゃ、さっさと選びな」
俺の発言に目を輝かせた3人は、嬉々としてボールを手に取るのであった。さあ、真剣勝負の始まりだぜ。
・次回予告
さあ、久々の対決だ。地方大会では散々な出来だったが、今回はもう少し踏ん張ってもらいたいところだな。次回、第23話「新顔現る」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.88
本当は今回で対戦パートに入るつもりでしたが、思いの外長引いたので分割にします。
しかし、最後にバトルしたのって何話ですっけ? 今作は雑談回があまりにも多すぎて、売りである対戦回が少ないのがちょっと気になりますね。ストーリーの都合上仕方ありませんが。
あつあ通信vol.88、編者あつあつおでん
青々と茂った背中の巨木は、朝からたっぷり光を浴びてますます葉を艶めかせた。春の陽気に誘われて見晴らしのいい丘の上で日光浴をしていると、どこからともなくムックルたちがやってきて、思い思いの枝に羽を休め始めた。
何とも平和な午後だった。
グレスは足元でまばらに散りばめられた色とりどりの花を見て、にっこりと微笑んだ。どれも小さいながらも美しい、可憐な花々である。実のところ、今年もこの光景を見られるものか、グレスは少し心配していたのだ。
グレスは齢三百を超える大きなドダイトスだ。他のどのポケモンよりもたくさんの春を経験してきたのだから、今年の春がいやに遅いことは彼の不安を駆り立てた。
このレインボーアイランドは、七色列島の中で最も豊かな四季の巡る島だ。その恩恵を受けて、他の島々より遥かに多くの種類のポケモンたちが暮らしている。
島の中心に大きくそびえる霊峰、アルカンシエル。それがこのレインボーアイランドの象徴であり、島の名の由来でもあった。灰褐色をした山肌は悠々と天を突き破り、遥かな頂には七色の虹が橋を架ける。その虹は、何故か昼であろうと夜であろうと、雨が降ろうと雪が降ろうと、何が起きても輝き続けた。聖なる山と呼ばれた由縁である。
そこには神々に最も近い存在の竜たちが住むと言われているが、何とも確かめようがないので分からない。不思議なことに、山には近づくことはできても登ることはできないのというのだ。山頂目指して山道を歩いているとたちまち深い霧にもまれてしまい、登っているのか下っているのかも分からぬうちについにはふもとへ出てしまう、といういわくである。そのような少々不気味な匂いの漂う噂がある上に、そもそも神聖な山に登ろうという輩自体が少ないため、真偽は定かではない。
そのアルカンシエルの頂から虹が消えたのは、いつの頃だったか。威風堂々といった様子で空を割る雄大な姿そのものは変わりないのに、虹が消えた山頂には、代わりに真っ白な雲が帽子のように被せられるようになった。もちろん、こんなことはグレスの長い生涯の中で初めてのことである。
七色の神鳥を崇めるこの七色列島で、山の虹が消えたなど、不吉な予兆にしか聞こえない。他所の島では近ごろ木の実の出来が悪く、腹を空かせたポケモンが食料を強奪するというおっかない話も聞く。また、とある島が何ヶ月もの間ひどい吹雪に襲われたとか、あるところでは干ばつ、またあるところでは水害と、ここ数年の異常気象は目を見張るものがある。
幸い、この島ではまださほど悪い噂は聞かないものの、これはやはりというか、何かとてつもなく恐ろしいことが起こる前触れではないだろうか。例えば、そう、古くから伝わる、あの伝説のように。
グレスはつかの間目を閉じた。希望がないわけではないのだ。ただ、今はまだ、黙って見守らねばならない。あの子らは、その身が持つ意味を何も知らない。全てを伝えるには、まだ、あまりにも幼すぎる。
グレスは胸につかえる重苦しい気持ちを吐き出すように大きく息をついた。すると、背中の木が揺れたのだろう。ムックルたちが次々と不満げに鳴き出した。
「おお、すまんね。チビどもや」
しわがれた声でそう言うと、ふと、あの子らが村に来た日のことを思い出した。あれは確か、山から虹が消えた翌日のことだったか。崖っぷちに横たわる産まれたばかりの二匹の幼子と、それを頑なに守ろうとして行方知れずになった獣の姿。今でもありありと思い出せるのは、それだけあの出来事がグレスの中で印象深かったということなのだろう。
すると――
「おーい、グレスじいちゃーん!」
甲高い子供の声がして、グレスははっと顔を上げた。驚いたムックルたちが一斉に飛び立っていく。幾重にも重なる羽音を聞きながら目を凝らすと、丘の下から、何匹かのポケモンが駆け上がってくるのが見えた。一、二匹……いや、少し離れたところに三匹目。
グレスは最後尾をゆっくり走るそのポケモンに目を止めるや、驚きのあまり釘づけになってしまった。先ほど思い起こしていた記憶の中の姿と何ら変わらない、そして、この島ではまず見ることのないそのポケモン。
「デルビル……なんとお前さん、生きておったのか!」
グレスが叫ぶと、デルビルは驚きの表情を浮かべた。先に丘を上り切った二匹は、一体全体何のことかときょとんとする。
二匹のうち、青色の耳をした方が何か言おうとしたとき、ずっと後ろにいたはずのデルビルが風のような速さで走り寄るなり間髪入れずに口を開いた。
「お前、おれのことを知っているのか!?」
そのあまりの勢いに、さしものグレスも顎を引いた。
「んん……? 何じゃお前さん、あのときのデルビルではないのか? わしはてっきり……」
「バウト、おじいちゃんと知り合いなの?」
先着組の赤い耳の方がデルビルを見上げると、彼ははっとしたように我に返り、何ともばつの悪そうな顔をして半歩退いた。
「あ……いや、すまない。おれの勘違いだ。……とりあえず、こいつらの話聞いてやってくれ」
グレスは訝しげに瞬きをしたが、特に話を掘り返そうとも思わず、デルビルが鼻先で指し示した二匹に視線をやった。
「ノウ、リオ、わざわざこんなところまで。一体どうしたんじゃ?」
同じころ。
「ねぇランディ、もう戻ろうよぉ。お腹空いたよぉ」
「そうよ、もうそれがいいわ! なんだか怪物みたいな声も聞こえたし、ノウくんたちもきっと引き返してるわよ!」
「うっさいなー、マルル、チェルシー。今そうしようと思ってたところだよっ」
薄暗い森の中、三匹の子供たちは互いの不安や苛立ちをぶつけるように言い合っていた。
好奇心につられて足を踏み入れたはいいものの、どんなに歩き続けても、森の表情は変わらぬまま。不健康そうな細い木々が見渡せるずっと先の方まで立ち並び、真っ直ぐ歩いてきたはずなのに、まるで堂々巡りをさせられているかのようである。幾重にもなった頭上の木の葉は意地悪く、日の光をすっかりしっかり遮ってしまっているため、時間も方角もさっぱりだ。木に登って太陽の向きを探ろうとも試みたが、どれも背伸びをしているみたいに垂直でとっかかりがない上に、つるつるの木肌が邪魔をして、もともと木登りの得意でない三匹にはどうすることもできなかった。
足取りは不安とともに重くなり、口を開けば八つ当たりめいた不満が何よりも先に飛び出した。
先頭を歩いていたランディは立ち止まり、むっつりとした顔で後ろにいたウパーとチェリンボを見回した。
「だいたい、何もないじゃんかこんなとこ。UFOも見失っちゃうしさ。これで大人たちにここへ行ったことがばれたら、おれたち怒られ損だぞ!」
「いいよぉそんなこと……それより早く帰ろうよぉ」
マルルがすっかり疲れた様子でそう言うと、ランディはニドラン♂特有の小さな針を尻尾の先までぴんと尖らせて声を荒げた。
「よくないっ! そもそも、ノウの奴が言い出しっぺだろ。リオも勝手に飛び出してったしさぁ。あいつらマジどこ行ったんだよ」
突然冷たい風が吹き抜けて、大きく木々がざわめいた。緑の木の葉が不気味に踊り、からかうように擦れ合う。
三匹はごくりと息を飲み込んだ。さっと青くなった顔を見合わせて、互いに互いを勇気づけるよう頷き合う。
「……よし。じゃあ、戻るぞ。おれがまた先頭を歩くから、お前らしっかりついてこいよ。……番号! いちっ!」
「にぃ!」
「さん!」
「よん」
「……よん?」
ランディは声につられて振り返った。マルルとチェルシーも同じように後ろを見た。
にぃっと笑った真っ赤な瞳と目が合った。
「……え」
子供たちは、最初、呆然とそれを見つめた。
いつの間にか隊列の一番後ろに、見たこともない、真っ黒で大きな布のようなものが加わっているではないか! 真っ赤に充血したみたいな目がぱちぱち瞬くと、見る間に三日月型に布が裂け、ニタリと白い歯を覗かせる。
ランディの全身の針がぞっとそそけ立った。
「うわああぁぁぁ! で、出たあぁぁぁ!」
子供たちはありったけの声で叫ぶと、たちまち弾けたように駆け出そうとした。が、皆恐ろしさのあまり足がすくんで動けない。
そいつはケケッと不気味に笑うと、ふんわり宙に浮き上がり、腰を抜かした三匹の前へ音もなく着陸した。
「まぁ、そんなビビるなよ。まだ何もしてないだろ?」
声は、さほど気味の悪い感じはせず、どちらかといえば陽気ささえ感じさせる軽い調子だった。それでも、その声色には得体の知れない響きがあった。一本残らず逆立った全身の針が、信用してはならぬ、と告げている。
ランディは空気を食べるかのようにぱくぱく口を動かした。何かを叫ぼうとしたはずだった。こんなお化けがいるなんて聞いてない、来るんじゃなかった、と。だがしかし、まるで水の中にいるみたいに、自分の言葉がぼやけて聞こえる。いや、そもそも、言葉を言えてすらいないのだ。何か言おうとしても、舌がもつれて、あーとかうーとかいう唸りしか声にならない。
心の奥底に風穴を開けた恐怖が何もかもおかしくさせる。
マルルは地面に尻餅ついたまま、狂ったように小さな足をぱたぱたさせて、チェルシーは顔を萎びた果実みたいにひきつらせ、つぶらな瞳からは今にも涙が溢れんばかり。
真っ黒な布の奴は、やれやれとでも言うように両の手のひらを上にかざした。
「いいから、まぁ、ちょっと聞いてくれよ。お前ら、あのガキどもの知り合いか? あのマイナンとプラスル――ノウと、リオ、だっけか?」
特に返事を待つつもりもないらしく、布は続ける。
「実はおれもあいつらのこと探しててさ。お前らも探してんだろ? ……だったら、ちょっと手伝ってくれよ」
その瞬間、景色が歪んだ。真っ黒な布の体から、薄気味悪い紫の霧のようなものが噴き出して、たちまち辺りを包み込む。霧は、ゆっくり、ゆっくり、三匹の周囲を煙のようにたなびいて、近づいてくる。
何も言えぬまま、ただただ恐怖を湛えた瞳で見上げる小さな子供たちに向かって、布は、いかにもわざとらしい、優しくあやすような口調で言った。
「ケケッ! なぁに、ちっとも痛くねぇさ……ほんのちょっと大人しくしてるだけで、すーぐ終わるからな」
真っ赤な瞳が怪しく光る。
微かに残った意識の切れ端で、ランディが最後に見たのは、夕闇色の霧の中、白い三日月がにぃっと笑うところであった。
なんか書きたいと思っています。いろいろミスもあるとおもいますが、そのあたりは「ここおかしくね?」「ここ、こうしたほうがよくね?」等のご意見を頂ければ幸いです。
何を書くかについては、とりあえず「ピカチュウのおはなし」とでも言っておきましょう。
更新は凄く遅いペース(月に一回とか・・・)です。
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の三つをつけておきます。
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