マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.1221] WeakEndのHelloWin 5 投稿者:烈闘漢   投稿日:2015/02/28(Sat) 22:14:31     37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    WeakEndのHelloWin
           5







    「ジョーイさん! 僕のポケモンが大変なんです! 治療してください!」

    「どうしたの? ケガでもしたの?」

    「はい。ポケモンバトルしてたら、ダメージ負っちゃって、『ひんし』になっちゃいまして」

    「たわけ! ポケモンバトルなんてするから、ポケモンがケガするんでしょうに!
     わざわざ自分からケガさせるような真似しておいて、治せとか、阿呆臭ぁなるわ!」

    「え? じゃあ僕のポケモン治してくれないんですか? 職務放棄ですか?」

    「いや、するけどー。仕事だしするけどー。でも、やりきれないもんがあんじゃん?」

    「はあ……さいですか」

    なにやら受付カウンターの側で一悶着あった様子だが、すぐに事は治まった。
    静けさを取り戻したポケモンセンターには、眠気を誘うBGMだけが流れている。
    清潔感漂う待合室にて、ずらりと並んだ椅子をベッドにして横たわり、
    天井の光を眺めながら、シオンは一人、ぼけーっとまどろんでいた。



    「『シオン君』って! 『ジ○ン軍』と! なんか似てるよね!」

    病院だろうと、客がいようと、お構いなしの大音声が轟き渡る。
    ふりかえらずとも、誰かは分かった。
    トンカチで釘打ってるみたいな靴音が、シオンに向かって迫り寄る。
    寝転がっていた状態から起き上がり、姿勢を正して、座席にしっかり腰かけ直すと、
    シオンの隣のビニール椅子が、オウの巨体でどごぉ! と凹んだ。

    「遅いぞ偽審判。逃げたのかと思った」

    「ダイヤモンド君が! 見当たらないね!」

    「今、便所に行ってる」

    「ふーん! そーなんだ!」

    耳元での叫び声に、たまらずシオンは隣の席へと移動し、オウから少し距離をとった。
    こんな騒がしい大人と一緒にいるところを見られていると思うと、なんだかむしょうに恥ずかしくなる。
    かといって、こんな恐ろしい外見の大男に注意できる勇者も、この場にはいないであろう。

    「とりあえず、これ! 返すよ!」

    オウの分厚い手の平が、隣の空席にモンスターボールを乗っけた。
    取り上げるなり、すぐさまボールを割り、膝の上に現れたピチカの脇をシオンは両手で持ち上げる。

    「無事か! 大丈夫か! 何もされなかったか! 生きてるか! 変な所触られなかったか!」

    言いながら、シオンはピチカの全身を舐めまわすかのようになでまわす。
    赤い頬をこねたり、黄色い腹の肉をつまんだり、長い耳を軽く引っ張ったりして、ピチカの安否を確かめた。

    ――ちゅぅううううう

    窮屈そうなピチカのいじらしい表情を見入るなり、シオンはホッと安堵の息を吐いた。

    「よかった、他のピカチュウじゃなく、ちゃんと俺のピチカみたいだな」

    「あと、これも! 渡しておくね!」

    次の瞬間、シオンは札束を掴まされていた。

    「……うおわっ!」

    大金を前に怖気づく。咄嗟に、オウから手渡しされたらしい紙幣を数えた。
    オーキド博士のプリントされた一万円札が、おおよそ五十枚、手元で震える。

    「って、ちょっと待て。俺は借金ゼロにしろとは言ったが、金をくれとは言ってないぞ。
     あっ、いやもちろん、もらっといてやるけどさ」

    「一週間前に! 探偵を雇い! ポケモンレンタルもしたよね!」

    「……ああ、その代金を払っとけってことだな。じゃ、気が変わらない内に、遠慮なく」

    嬉しくてつい、御礼を言ってしまいそうになるも、なんとかこらえ、札束を財布の奥へとしまいこんだ。
    (せっかくだから、探偵代もレンタル代も支払わないで、
     このまま冒険の旅という名の夜逃げでもしてしまおっかなあ)
    などという不埒な企みがシオンの脳裏をよぎった。

    「すっかり騙されてしまった!」

    オウの大声に、ピチカは尖った耳を折り曲げて、くしゃっと顔を歪ませる。
    可哀想だったので、シオンはそっと、ボールの中に戻しておいた。

    「よりにもよってピカチュウだったから!
     だから僕は!
     君が『ポケモンアニメの主人公』の真似事をして喜んでいる馬鹿だと、勘違いしてしまっていたんだ!」

    「え? それ俺、けなしてね?」

    「いや!
     ピカチュウだったから勘違いしたわけじゃない!
     君がもう少し賢そうな顔をしていれば!
     ポケモンが外に出ていることに!
     何か理由があると疑っていたかもしれないのに!」

    「なんてひでえ言い草だ……」

    自分が馬鹿そうな顔で良かったと、素直に喜べそうにはなかった。

    「とにかく僕の負けだ! 君の反則を見破れなかったから!」

    「……は!? なんて!?」

    シオンは信じられないモノを見る眼つきで、オウの横顔を見上げた。

    「は? いや、だってお前……力尽くで負けがなかったことにしたり、
     無理矢理俺を反則にしたり……屁理屈で駄々をこねたりとかしないのか?」

    「そんな悪いこと! 僕にはとても出来ないよ!」

    「何をたくらんでる? 潔いぞ。お前のような人間が、素直に負けを認めるなんて考えられん」

    シオンはオウの見開いた目玉の瞳孔を、疑いの眼差しでジッと観た。
    ふいに浅黒い顔面から、ニヤリ、と鈍い金歯を覗かせる。

    「僕としても不本意なんだ! 反則の証拠くらい、でっちあげたかったさ!
     けどね、そんなことをしたら! 僕はぶっ殺されてしまうじゃないか! ダイヤモンド君にね!」

    「ああっ。そうか。そうだったなぁ……」

    結局、すべて、ダイヤモンド一人の力で解決したようなものだった。
    自分はいなくてもよかったのだ。
    分かっていたはずなのに、むなしくなった。

    「そうか。全部アイツの手柄ってわけか。そいつは面白くねぇなぁ」

    ピチカのボールを握りしめて、哀しい表情をするのを我慢した。
    反則とはいえ、自分のやって来た努力と勝利を認められないのは、悔しくて悲しくて歯痒い。
    一度、軽い深呼吸をして、憎しみを紛らわせる。

    「あのさ、お前さ、なんで、んなことすんだよ」

    「んなこと、って!? 心当たりがありすぎて分からないよ!」

    「ほらあれだよ、何でその……トレーナー狩り? みたいなことをやっていたんだ?
     俺達からから金奪って、けど、金が欲しいってわけじゃないんだろ?
     じゃあ、お前がトレーナーを襲う意味って何なんだ?」

    「トレーナーが増えすぎだから消してくれ! って、この国に頼まれた!」

    「嘘臭いなあ。
     けど確かに、国が味方しているなら、あんな恐喝がまかり通ったりもするかもしれない。
     じゃあ、何で国がそんなことをお前に頼んだんだよ?」

    「この国に! 弱いトレーナーはいらない! だってさ!」

    「あのバンギラスを倒せなかったトレーナーを、弱いと決めつけるのは未だ早いだろ。
     今はともかく、いつかは強いトレーナーや強いポケモンになってるかもしれないじゃないか。

    「そんなことは知らないよ! 負けた方が悪い!」

    「む……だが真理ではあるな、それ。
     負け犬の分際でトレーナーを続けようなんて、おこがましいにもほどがあるよな」

    そう言うシオンも、すでに二度、敗北している。
    しかし、人生を賭けてポケモントレーナーを目指すシオンにとって、
    趣味や遊びのつもりでポケモンバトルをする者達を、非常に鬱陶しく思っていた。
    特に仕事や学業の片手間にポケモントレーナーをやっている連中は、
    木端微塵に砕け散ってほしいと心の底から願っていた。
    シオンはトレーナーになると同時に、高校進学をあきらめている。

    「僕も一つ聞きたいな! どうしてシオン君は! 反則ばっかり使うんだい!」

    「負ければ金取られるんだぞ。人目とか罪悪感とか、一々気にしてられるか」

    「それって、要するに! 勝つ作戦を思いつけなかった! ってことじゃないのかい!?」

    「……え? 何だって?」

    シオンは顔面をぐしゃぐしゃに歪ませ、怒りをぶつけるようにしてオウを睨んだ。

    「お前、言ってたよな。こんなレベルの差を覆せるわけがない、的なこと言って驚いてたよな。
     そのお前が、ディアルガやらメガバンギラスとやらに勝つ作戦があった、って言えるのかよ?
     反則なしでピチカが勝つ方法があったっていうなら、教えてくれよ、なあ」

    「僕に勝ったトレーナーが! 君だけとは限らないよ!」

    「そんなことは聞いていない。どういう作戦を使えばお前に勝てたんだ、って聞いてるんだ」

    「僕を倒したトレーナーが! 強いポケモンを持っていたとも限らないし! 反則を使ったとも限らないよ!」

    「……本当の話なのか? お前に勝ったトレーナーが、俺の他にもいるのか?
     それって、ダイヤモンドのことじゃないのか?」

    シオンが前屈みになって尋ねた直後、オウがいきなり立った。

    「ぼく もう いかなくちゃ!」

    「は?」

    「ニビシティの皆が待ってる! 僕の審判をね!」

    「いや、ちょっと待てって。また借金取りしに行くつもりか」

    シオンがオウの腕を掴むと、あっさりと、強引に振りほどかれてしまう。

    「誰だよ、お前を倒したヤツって! どっか行く前に答えろよ! 気になるだろ!
     意味深なこと残して立ち去ろうとしてんじゃねえよ! うぉい!」

    「早くニビシティの皆にも! 現実教えに行かないと!」

    迷いのない足取りでコツコツ鳴らし、オウがシオンの側から離れてゆく。
    巨体を察知した自動ドアが、ウィーンと開くと、オウの動きがぴたりと止まった。

    「ねえ、シオン君! いくら反則で勝てるようになったからって! ポケモンバトルは強くなれないよ!」

    そして、振り返りもせずに、オウは去って行った。
    紫色の背広は、閉まった自動ドアのガラス越しへと向かい、すぐに見えなくなる。
    気が付くと、シオンは一人になっていた。

    「……分かってるよ。そんなことくらい」

    反則を使わなければ、勝利はもたらされないのか。
    これから先、ずっと反則を続けていかなければならないのか。
    苦悩と葛藤は不安となり、ハッキリとしないモヤモヤが胸中で渦巻きだす。
    しかし、この嫌な気持ちが、トレーナーにならなければ味わえなかった気持ちだと気付くなり、
    シオンはひどく幸せな気持ちになった。



    静けさを取り戻したポケモンセンターの片隅で、シオンは一人、戸惑っていた。
    三千円を破られ、『きんのたま』を握られ、借金を背負わされ、バイトをさせられ、
    そんな憎い宿敵であるオウ・シンとたった今まで自分は普通に会話をしていた。
    昨日の敵は〜今日の友って〜、それはなんだか気味が悪い。
    反則の不安など、もうどうでもよくなっていた。

    「いや〜、シオンさん。物凄くドでかいのが出ましたよ〜。ふんばった甲斐がありました〜」

    背後から、ダイヤモンドの呑気な声がやって来た。
    シオンは振り返りもせず、握っていたモンスターボールを後方に見せつけた。

    「おっ? ということは……シンさん、もう行っちゃったんですか?」

    「お前と入れ替わる形でな」

    「あひゃあ。それで? シンさん、なんて?」

    「もう悪い事はしません。だってさ」

    「絶対嘘ですね、それ」

    ひょいと、ダイヤモンドがシオンの隣に腰掛ける。随分とスッキリした顔をしていた。

    「つまり、シオンさんが勝ったってことで、いいんですよね?」

    「うーん、まあアイツは負けを認めたわけだから、そういうことでいいんじゃないか」

    「それはよかった! 『ときのほうこう』を三回も使って、時間を戻した甲斐がありましたよ〜」

    「……えっ?」

    言葉の意味を理解するなり、一瞬遅れて、シオンの全身から血の気が引いた。

    「お前っ……なんだって?」

    「いえいえ、なんでもありませんよ。冗談ですから」

    「まさか……俺が負ける度に……時間を……」

    「で・す・か・ら、冗談ですって!」

    「……ああ、そうか。冗談か。そうかそうか」

    「ハハハ。そうですよ。はい」

    ダイヤモンドが何を言ったのか、本当はハッキリと聞こえていた。
    しかし、これ以上の詮索はいけないと、シオンの本能が告げている。
    その言葉が嘘か真実か、追及する勇気はなく、分かったような態度をとって誤魔化すしかなかった。

    「そういえば、シンさん、どこかに行くって言ってました?」

    「あいつならニ……いや、えっと……あいつ確か、シンオウ地方に行くとかなんとか言ってたぞっ」

    なるべくさりげなく、シオンは嘘を教えた。
    オウがニビシティでトレーナー狩りを再開するというのは、シオンにとって実にありがたい行為であり、
    ダイヤモンドにそれを止めに行かれるわけにはいかなかった。
    なにせ、ポケモントレーナーが少しでも減ってくれれば、
    その分シオンがポケモンマスターになりやすくなるからだ。
    (俺の野望のためだ! 喜んで犠牲になれ、ニビ人どもっ!)
    自分が悪魔のような笑みを浮かべていると、シオンは気付いていない。

    「それでは、トキワシティの平和も守られたことですし、そろそろ僕も、旅立とうかな、と」

    「もうこの町に用はない、ってところか。なら最後に、ポケギアの番号でも、交換してくれないか?
     せっかくの縁だからよ」

    「いいですよ。ちょうどジョウトでふらついてた時に買ったのがあるんです」

    「助かる」

    言いながらシオンは、左手首を突き出して見せた。
    旧式の、漆黒カラーの腕時計型ポケギア。
    対してダイヤモンドが取り出したのは、最新モデル、ヴァイオレットの卵型ポケギア。
    格差社会を垣間見た気がした。
    向かい合ったポケギアで赤外線通信を開始する。
    ピロピロ電子音の後、登録完了の文字がポケギアの画面に浮かびあがった。

    「サンキュー、ダイヤモンド。これでいつでも、困った時はお前を呼ぶぜっ」

    「えええっ! 普通、逆じゃないですか!? 困った時はいつでも呼んでくれ、じゃないんですかぁ!?」

    「何言ってんだ? 俺より圧倒的に強いお前が困るような問題、
     俺に解決出来るわけがないじゃないか」

    「まあ、確かに、そうかもしれませんけどぉ……」

    ダイヤモンドは腑に落ちない様子で、顔を強張らせている。
    何のメリットもないのに、シオンごときに利用される派目になったのが気に入らないのかもしれない。
    このままではポケギアの番号を消されかねないので、慌てて別の話題にすり替えた。

    「それで、お前、これからどこに行くつもりなんだ?」

    「シオンさんこそ、これからどうするつもりなんですか?
     正直言って、僕は心配です。また悪いことするんじゃないかって……」

    「さっきトキワシティまるごとぶっ壊したお前が『悪いこと』とか、よく言えるな。
     まぁ、それはいいとして、
     あの偽審判、トキワのトレーナー全員をカツアゲして所持金零円にしちまったっていうし、
     つまり今のこの町じゃあバトルで勝っても賞金がもらえない。
     ってことは、俺ぁ、フレンドリィショップのバイト、続けるしかないんじゃないかあ?」

    「ではシオンさんも旅に出てみたらいいんじゃないですか。ポケモンバトル武者修行の旅にでも」

    「いや、そもそも俺は金もなければ食料もないんだ。隣町に着く前に餓死してしまう。
     ひょっとして、すれ違ったトレーナーから金品だけでなく食料まで巻き上げろってことか?
     それは構わないんだが、変な噂広まったら、誰も俺とバトルしてくれなくなるだろうし……
     なんとかして口封じ出来ればいいんだがなぁ……」

    「駄目ですよ、そんなことしたら!」

    「じゃ、どうすりゃいいのよ、俺は?」

    「そうですねぇ……では、ジムに挑戦するとかどうですか?
     シンさんも自分が倒せないトレーナーが相手じゃ、お金、むしりとれないでしょうし」

    「お前、分かってて言ってるのか?
     トキワシティのジムリーダーっていったら、ジムリーダーの中でも最強と言われてるジムリーダーなんだぞ」

    「そんなに手強い相手なら、勝った時、たくさんお金がゲットできますね。これで隣町にも行けますよ」

    「よし。それじゃあ今の内に新しい反則技でも考えとくか」

    「いや、ですから、駄目ですって!」

    「んだよ、お前、さっきから。誰の味方なんだよ!」

    「正義の味方ですよ!」

    「共存戦隊〜……」

    「ホウエンジャー!」

    なれあっている内、ふと、シオンは気付いてしまった。
    トキワシティの隣町といえばニビシティではないか。
    ニビシティに到着した時、既に街のトレーナー全員がオウの支配下にある可能性がある。
    なんだか行きたくなくなってきた。

    「やっぱ俺、しばらくは、この町でいいや」

    「いいんですか、それで?」

    「まあ、なにすりゃいいかわからんけど、そのうちなんとかなるだろ、たぶん」

    楽観的思考というよりは、もはや思考停止に近い。
    これからもずっとトキワシティに幽閉され続けるしかない。そう考えると、シオンは少し憂鬱になった。
    ふわっと、ダイヤモンドが席を立つ。

    「僕はこれから、霊峰白銀に向かおうかと思ってます」

    「シロガネ山のことか?
     なるほど、それでトキワシティなんてしけた田舎なんかにはるばるやって来たわけだな。
     それで……山籠りでもするつもりか。これ以上強くなって、どうすんだよ?」

    「『レッド』というトレーナーを探そうと思ってます。
     なんでも、ディアルガが本気を出しても勝てないくらい強いトレーナーだと聞きまして、
     是非ともバトルしてみたいなあ、と」

    「……『レッド』? その人、シロガネ山なんかにいないだろ?
     それに、トレーナーじゃなくて博士だった気がするけどなぁ」

    「知ってるんですか!」

    キョウミシンシンイキヨウヨウ。
    シオンにガッツクかのよう、前かがみになって、ダイヤモンドは尋ねる。

    「確かテレビに出てたんだよな。ポケモン○ンデーとかいう番組で……」

    「それで、どこにいるか分かりますか。その『レッド』さん」

    「テレビに出てたんだから、多分、ヤマブキとかじゃないか? ちなみに俺の苗字もヤマ……」

    「ありがとうございます! じゃ行ってきます!」

    シオンが言い終わる直前に、身を翻し、全速力でダイヤモンドは走り去ってしまった。
    自動ドアが閉まり、あっという間に一人取り残されてしまう。
    ポケモンセンターのBGMが、いつもより切ない音色で響いていた。

    心地よい寂しさの中、天井を見上げながら、シオンはうんと伸びをする。
    オウに勝ち、借金を失くし、全てが上手くいったおかげで、ようやくゼロの状態に戻ってこれた。
    今日くらい、肩の荷を下ろし、御祝いとして遊び呆けていたくもなる。
    静けさの中、ここでしばらく昼寝でもしようかとも思った。

    だがしかし、こんなところでボケーっとしていられる暇などシオンにはない。
    ポケモントレーナーを続けたいのならば、休んでいる余裕もなければ、
    勝利の余韻に浸っている間も一秒だってありはしないのだ。
    時間が惜しい。
    頬を叩いて、席を立つ。

    「おし! そんじゃあ早速、ジム戦にでも行ってきますか!」

    リュックを担ぎ、帽子を被り、ピチカの入ったボールを握って、シオンは再び戦場を目指す。
    闘志を宿した眼差しと、
    勢いの付いた足取りで、
    ポケモンセンターを後にした。







    おわり







    あとがき

    よくぞ最後まで読んでくださいました。本当にありがとう、おめでとう、素晴らしい、見る目があるよ君、
    感謝の嵐でございます。

    なんだかシオンさんが、バイトを無視して、これからジム戦に挑もうとしてる気配がありますけど、
    このオハナシはこれでお終いです。続きません。俺達の戦いはこれからだ、的な打ち切りエンドです。

    なにせ、私はとんでもないくらい遅筆なもんですから、
    このオハナシを完全に完結させようとした場合、
    私の残りの人生が全て無くなってしまいます。

    死ぬ間際に「もっと色んな事しときゃあ良かったあ!」、って叫びながら絶命するより、
    「わが生涯にいっぺんのなんちゃらー!」って言ってくたばりたいもんじゃありませんか。

    なので続きは書きません、たぶん。撃ち斬りDEATH。面目ない。

    そんなこんなで、マサラタウン(のポケモン図書館)にさよならバイバイです。
    何か機会があればいずれどこかでお会いいたしましょう。
    ありがとうございました。


      [No.1220] WeakEndのHelloWin 2 投稿者:烈闘漢   投稿日:2015/02/28(Sat) 21:24:09     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    WeakEndのHelloWin
           2






    節電でもしているのだろうか。
    天井からの光はなく、窓から差し込む日の光だけが、室内全体をぼんやりと照らしている。
    席がずらり並んだ、結婚式場のような大広間には、
    自分達以外誰一人として見当たらず、寂しげにがらんとしている。
    トレーナーハウスの一角にて、シオン達三人は大きな丸テーブルを囲み、向かい合って座った。

    「必勝法がある。少なくとも、オウに対してだけは、絶対に通用する戦法だ」

    シオンが言った。
    椅子の上にあぐらをかいて、リュックは床に降ろしている。

    「それはつまり、オウさん以外の人には通用しないかもしれない。ということですか?」

    ダイヤモンドは尋ねつつ、椅子の上に正座をして、リュックサックを膝に抱えた。

    「なんの話してんのか、よくわかんないけど、まあ詳しく教えてよ」

    椅子を真横にし、背もたれに右肩を預けながら、女性職員は傾いて座っていた。
    思えば、シオンはこの人の名前を未だ知らない。

    「その前に、一つ確認しておきたい。ダイヤモンド、一週間前のバトルを思い出してくれ」

    シオンはまず、ダイヤモンドと視線を合わせた。

    「俺がお前とポケモンバトルをした時、闘う前からピチカはボールの外に出ていた。
     そして、そのことについて偽審判は何のツッコミも入れなかった。覚えているか?」

    「はい。僕がシオンさんと出会った時からずっとピカチュウはボールの外に出っぱなしでしたし、
     オウさんもピカチュウに対しては、何かケチをつけていた記憶はありませんね」

    「そうだ。そして、さっき、あなたが言ってたことですが……」

    シオン、今度は女性職員に視線を送る。

    「ポケモンがボールの外に出ていると、やっぱり反則になるんだ」

    「うん。私もその通りだと思う。でも何で? 理由が分からんのよ」

    困り顔の女性職員に、シオンは少しだけ答えを教える。

    「正確には、ポケモンがボールの外に出ているだけじゃ、反則にはならないんだ。
     正確に言うと、
     ポケモンをボールの外に出した状態でバトルをすると、その時にだけ使える反則技がある、だ」

    どういう反則技なのか、未だ明かさない。焦らしているのだ。

    「あー、なるほど。つまり、シオンさんが言いたいのは、
     その反則技なら、相手がオウさんの場合通用する……あっ、さっきそれ、言ってましたね!」

    「そういうことだ。しかも、この反則技は俺が知る中でも相当ヤバい。使わないわけにはいかないよな」

    「へ? アンタ、反則使うつもりなん?」

    「さらに、恐ろしいことに、この戦術は証拠が全く残らないんだ」

    「いまさら”反則”を”戦術”に言い変えても駄目だから。何しでかそうとしてんのよ、一体」

    不都合な意見は基本的にはスルーする。
    今のシオンの視界に女性職員は映っていなかった。

    「オウさんのことだから、かなり強いポケモンを使ってくるかと。
     ですから、反則でも使わないと、シオンさんには勝ち目がないんですよ」

    「へえ、ハンデってわけ? ま、なんでもいいわ。それで? その”戦術”って何なの? さっさと教えなよ」

    「なんで聞く側がそんなに偉そうなんだよ……」

    ぶつくさ言いながらも、シオンは前のめりになって、静かに口を開いた。
    二人とも、無言でテーブル中央に顔を近付け、聞き耳を立てる。

    「そうだな……例えば、ピカチュウが”こうそくいどう”を使ったとする。すると、どうなる?」

    「どうなるって、素早さがぐーんとあがる?」

    「そう。正解だ。じゃ次に、
     その素早さがぐーんと上がったピカチュウが、さらに”こうそくいどう”を使ったら、どうなる?」

    「ピカチュウの素早さがさらに上がります。一回目のと合わせて四段階も速くなるかと」

    「あぁ、その通りだ。それじゃあ最後に、
     その物凄く素早さが上がったピカチュウを、ボールの中に戻したら……どうなる?」

    「手の平サイズに納まる……って、そういうこと聞いてるわけじゃないか」

    「元の状態に戻るわけですから、速くなっていたピカチュウは、元の素早さに戻る……あっ!」

    ダイヤモンドと女性職員は、同時に声を上げ、顔を見合わせた。
    その様子に、シオンは満足そうな微笑を浮かべる。

    「気付いたか? そうだ、つまり……」

    「そうか! ポケモンがボールの外に出ていたら、”わざ”でいくらでもステータスを上げられるんだ!
     つまり、ポケモンの能力を限界まで引き上げた状態のまま、バトルに挑むことが出来る!」

    シオンが言おうとしていた台詞は、ダイヤモンドの雄叫びによって”よこどり”された。

    「それだけじゃ……」

    「それだけじゃない! ポケモンをボールの中に戻してしまえば、ステータスが元に戻ってしまう!
     だから、反則をしていた証拠が残らないってことじゃない、これぇ!」

    シオンが言い掛けた台詞を、今度は女性職員に絶叫によって”よこどり”された。

    「それ、俺が言おうと思ってたのにぃいい!!」

    テーブルをバシバシ叩きながら、シオンは本気で悔しがる。
    十五歳とはいえ大人げない醜態を晒した。

    「……そうだよ、お前らの言った通りだ。
     ポケモンを外に出した状態で戦えるのなら、最大限までステータスを上げられるし、
     強化したポケモンも、ボールの中に戻してしまえば、俺が反則を使っていたと責められることもない。
     なんたって、証拠隠滅の完全犯罪なんだからな」

    二人が分かりきっていることを、シオンがわざわざ説明し直したのは、
    この”証拠隠滅の完全犯罪”という言葉を使って見たかったから、だけである。

    「ちょっと待って。
     思ったんだけど、ピカチュウって”こうそくいどう”の他にステータス上げる”わざ”ってあったっけ? 
     ”つるぎのまい”も”からにこもる”も覚えないでしょ。
     攻撃力とか防御力を上げられるっていうならともかく、素早さが超ぐーんと上がったくらいじゃ、
     そんなに強くはなったとは言えないんじゃない?」

    至極真っ当な意見だと思った。

    「そうですよ、シオンさん。
     そのピカチュウが相手ポケモンの二倍速くなったとしても、
     二回連続で攻撃できるようになるわけじゃないんですよ。
     それに、どんなに素早さが高くても敵の攻撃が避けられるわけじゃない。
     回避率は何も変わってませんからね。
     オウさんのポケモンに勝つには、”こうそくいどう”だけじゃ無理です。絶対に」

    「色々と言ってくれるなぁ。けどよ、そもそも俺のピチカ、”こうそくいどう”なんて覚えてないからな」

    1、2の、ポカンとした顔になった。
    人間ってここまで阿呆な顔が出来るんだなあ、とシオンは二人の表情を眺めながらしみじみ思った。
    固まっていた女性職員の表情が崩れ、みるみるうちに”こわいかお”へと変化してゆく。

    「ハァ!? 何それ!? そんなんで粋がってたわけ!?
     いくら面白いこと思いついたからって、出来もしない話わざわざしないでくれる?
     それってただの時間の無駄だから」

    烈火の罵倒を吐き捨てられる。
    しかし、シオンは涼しい顔をしていた。
    無駄な話をしたと思っていないからだ。

    「汚い言葉使いに、声まで荒げて……そんなんじゃモテませんよ。もっとおしとやかにした方が……」

    「よけいなおせわじゃいっ!」

    「結局のところどうなるんです?
     シオンさんのピカチュウはオウさんのポケモンに勝てるんですか? 勝てないんですか?」

    ダイヤモンドの疑いの眼が、此方をジッとうかがうようにして見つめている。
    その疑念を掃うように、シオンは強い口調で答えた。

    「勝てる。お前が協力してくれれば、問題なく」

    「ねえ、アンタ嘘吐いてんじゃないでしょーね?
     さっきからテキトーな思いつきをべらべら吹かしてるようにしか見えないんだけど?」

    「大丈夫です。勝つ方法はちゃんと存在している。
     というか、そんなに難しい話じゃないぞ。考えればすぐに俺がしようとしている反則が分かるはず」

    「何よそれ。反則ってそんな都合のいいことができるわけ? 努力もしないで勝てるだなんて……」

    女性職員の投げやりな口調は、何処か苛立っている様子だった。
    きっと反則に対する怒りがあるのだろう。
    不必要な正義感をもってるなぁ、とシオンは内心見下した。

    「ダイヤモンド。さっきさぁ、地下で俺、お前に質問したよな。”ポケモン何匹持ってるか?”って。
     アレどういう意味だと思う?」

    「あっ、それそれ。493匹だっけ? あれって本当のこと?」

    「それは本当のことですし、それに……
     つまりシオンさんはたくさんのポケモンの協力を必要としているんだ。
     だから僕にポケモンの数を聞いたんじゃありませんか?」

    「大体当たってる。その通りだとも。だからこそ頼みがある。この通りだ」

    シオンは深々と頭を下げ、丸テーブルに額をゴンと叩きつけた。
    しかし、椅子の上ではあぐらをかいた状態のままであり、
    あまり誠意のこもっていない、いい加減な土下座であった。

    「俺に協力してくれ。お前のポケモン達の力が必要なんだ。あの偽審判をぶちのめしたいんだ。頼む」

    「いや、そんな頭下げられても、反則に協力するのは抵抗があるんですけど……
     でもまぁ、シオンさんには色々とご迷惑をおかけしたようなしてないような気がしてますし……」

    「手伝ってくれるのかぁ!?」

    シオンはズバっと顔を上げ、期待をこめたキラキラの眼差しで、食い入るようにダイヤモンドを凝視した。

    「ええっと、ですから、その……」

    「ありがとう、ダイヤモンド! お前はなんて良いポケモントレーナーなんだ!
     今、死ねば、きっと天国に行けるぞぉ!」

    このままだと否定される恐れがあると思い、シオンは強引に結論を下した。
    過程をフッと飛ばして結果だけを得る。我ながら中々の邪悪っぷりであった。

    「アンタってマジでクズよね」

    「本当、助かるぞ、ダイヤモンド。
     職員さん、ここにパソコンってありますよね。あずかりシステムと繋がってる奴」

    「地下にあったでしょ、見てないの? パソコン使って何する気?」

    女性職員の問いに答える間もなく、シオンはリュックを拾い上げると、椅子を引きずって立ち上がる。
    つられて二人も椅子から降りると、すでにシオンは地下へ向かって歩き始めていた。

    「ねえ聞いてんの? アンタごときにシカトされるとか、自尊心が耐えられないんだけど?」

    「そうですよ。今の内に何するのか教えてください。でないと僕、手伝えないです」

    ダイヤモンドでさえ知らない答えを、自分だけが知っている。
    まるで頭の賢さで勝利したかのような錯覚に陥り、シオンは少し優越感に浸った。

    「じゃあ、とりあえず、”バトンタッチ”か”スキルスワップ”が使えるポケモンを用意してくれないか」

    直後、シオンの後方で「アーッ!」と一人感心するダイヤモンドの声が響いた。




    地下一階だけあって、窓はなく、天井に張り付いた数多の蛍光灯だけが広々とした空間を照らし出している。
    室内全体を見渡すと、高さはピジョンがかろうじて羽ばたけるほど高く、
    広さはポニータがなんとか走り回れるほどに広い。シオンはなんとなく学校の体育館を連想した。
    しかし、土足でカーペットに踏み込むと、やっぱり旅館のロビーみたいだなあ、と思った。

    階段を降りてすぐのところに、背の高いタッチパネル式のパソコンを発見した。
    早速シオンは、ダイヤモンドの背を押して、ポケモンあずかりシステムとの接続をうながす。

    「ポケモン呼び出すつもり? それでどうするわけ?」

    「攻撃から特防まで、ピチカの全ステータスを底上げするんですよ」

    「は!? どうやって!? だって、”こうそくいどう”も出来なかったんじゃ!?」

    「まあ、いいから見ててくださいって。へへへ、それじゃあ頼みましたぜ、ダイヤモンドの旦那」

    女性職員には目をやらず、
    シオンは含み笑いをしながら、起動したパソコンディスプレイに釘付けになっていた。



    ミミロップ、こうそくいどう×4、からのバトンタッチ

    グレイシア、バリアー×4、からのバトンタッチ

    リーフィア、つるぎのまい×4、からのバトンタッチ

    エテボース、わるだくみ×4、からのバトンタッチ

    フワライド、ドわすれ×4、からのバトンタッチ

    フワンテ、きあいだめ、からのバトンタッチ

    シオンのピチカ、特に何もしない



    ふかふかの床が珍しいのか、ダイヤモンドがパソコンから呼び出したポケモンが六匹、
    室内を駆けまわっている。
    鳴き声の飛び交う喧騒の中で、シオン達三人はピチカを囲んで見下ろしていた。

    「こんなことが出来てしまうなんて……」

    女性職員が瞠目している。
    バトンタッチは、ポケモンと交代すると同時に、その交代したポケモンに能力変化を引き継がせる”わざ”。
    よってピチカは今、攻撃、防御、素早さ、特攻、特防、急所に当てる確率、その全てがパワーアップした
    至高のポケモンとなったのである。
    自慢の相棒を眺めながら、ふと、シオンは不思議に思った。

    「ピチカ。お前、本当に強くなったんだよな?」

    六匹の連携により十二分に強化されているにも関わらず、ピチカの姿には全く変化がなかった。
    攻撃力も防御力も上がったのだから、
    ピチカの全身がバッキバキの筋肉質になって血管が浮き彫りになるんじゃないかと冷や冷やしていたのに、
    もしくはス○パーサ○ヤ人2みたいに時折全身から電流が迸ったりするんじゃないかとワクワクしていたのに、
    実際にパワーアップしたピチカは、
    トレーナーであるシオンでさえ、パワーアップ前のピチカと見分けがつかないでいた。

    「まぁ、よく考えてみりゃあ、レベル1もレベル100もポケモンの外見って変わらないよな。
     進化でもしない限り」

    「いや〜、それにしても、ほほぉ〜。この反則はよく出来ていますね〜」

    ダイヤモンドが感嘆の息を漏らす。どことなく親父臭い感心の仕方だと思った。

    「オウさんの眼はHPとLVが見える。
     そしてステータスを上げるわざの中に、HPとLVを上げるわざだけは存在していない。
     いや〜、ほんと上手いこと出来てますねぇ。ピカチュウの見た目も変わってませんし、
     この反則なら、いくらオウさんでも、すぐには気付かないでしょう」

    シオンはダイヤモンドが言っている、
    ”HPとLVが目で見える”というのがイマイチ納得できないでいた。

    「あのさぁ、おかしくない?」

    入った横槍に視線を返すと、女性職員の害虫でも見るような眼つきがシオンを向いていた。

    「今さ、六回バトンタッチを使ってた。ってことはダイヤモンド、君、ポケモンを七匹持ってたことにならない?
     そもそも何で、
     ダイヤモンドのポケモンのバトンタッチをアンタのピカチュウが受け取ってんのよ?」

    一拍の間。
    シオンはわざとらしく、「はぁ〜」、と呆れ返ったような大きなため息を吐く。

    「何を今更、そんなしょうもないこと。俺は今、反則してるんですぜ。
     その程度のトレーナー違反、構うこたぁありませんよ」

    シオンは、むしろ偉そうに威張るような感じで言ってのけた。
    腑に落ちなかったのか女性職員は、まるで『伝説厨』でも見るような蔑んだ眼つきで凄んできたが、
    シオンは全く気にならなかった。

    「それで、シオンさん。次、僕はどのポケモンを呼び出したらよろしいですか?」

    「そこなんだよなぁ、実は何にするか未だ決まってないんだよ、これが」

    「次? ……あ、分かった、アンタ、このコの”とくせい”変えちゃうつもりでしょ?
     さっき”バトンタッチ”と”スキルスワップ”がどーのこーのって言ってたし」

    「そのとーりです。問題は何の”とくせい”にするべきか。
     LV100のミュウツーでも一方的にボコボコにできるような強い”とくせい”があればいいんだけれども……」

    シオンは担いでいたリュックの底から、辞書のように分厚いポケモンの攻略本を取り出すと、
    その場であぐらをかき、おもむろにパラパラと読み始める。

    「うーん……おっ、この”らんきりゅう”ってのが強そうだぞ。
     ダイヤモンド、メガレックウザとかいうポケモンって持ってるか?」

    「持ってるワケないです。そんな七文字のポケモンなんて」

    「じゃあ、メガガルーラは? ”おやこあい”とかスキルスワップしたら強そうだ」

    「ガルーラなら持ってますけど……それ本当にポケモンですか?」

    「確かに、なんか胡散臭いな、この攻略本。パチモンか? パチモン図鑑なのか?」

    「ねえ、”ばかぢから”、なんてどおよ? マリルリとかすっげー強いよ」

    「いやいや、ピチカの10まんボルトは特殊攻撃だ。特攻二倍にするんだったら、考えてやってもいいけど」

    「マルチスケイル、のろわれボディ、てきおうりょく、ちからもち、普通に”せいでんき”も強いですよね」

    シオンが悶々と悩んでいると、ふいに、女性職員の顔が目の前にあった。

    「ねえ、その攻略本、ちょっと貸しなさいよ」

    「えー。じゃあ、職員さん、名前教えて下さいよ」

    「じゃあいいわ。いらない」

    「えー。名前言いたくないのかよ。わけわからん。
     わけもわからず自分を攻撃したくなるくらいわけわからん」

    ふわっとシオンから離れていく女性職員、今度はダイヤモンドの前へ出る。

    「ね、ダイヤモンド」

    「しょ、初対面なのに呼び捨てにするの止めて下さいよ。ドキッとするじゃないですか」

    「アンタ、カイオーガとか持ってない? ”あめふらし”とか結構イケると思うんだけど」

    「持ってるワケありません。そんな、伝説のポケモンですよ」

    「だって君、ディアルガ持ってんじゃない?」

    「そうですけど、でも伝説のポケモンですよ。持ってても二匹か三匹でしょ、普通」

    さも当然のように言ってのけたその態度に腹が立ち、シオンはたまらずブチギレた。

    「お前、何言ってんだよ!
     トレーナー一人につき伝説のポケモン三匹って、そりゃもう伝説とは言わねえよ!」

    「そういえばそうですね。おっかしいな、ディアルガもパルキアも結構簡単にゲットできたんだけどなぁ……」

    (じゃあ伝説のポケモンを一匹すら捕まえられない俺は無能なのか?)
    言い返したい気持ちをシオンは、”ばんのうごな”のようにグッと呑みこんだ。
    自分の中の劣等感から全力で眼をそらし、変わりに攻略本の解説を食い入るように見つめる。

    「この際、ピカチュウでバトルするの止めてさぁ。
     ”つのドリル”とか覚えてるポケモンを”ノーガード”とかにしたらイケんじゃない?」

    「俺はピチカしか持ってないんだ。ってか、その作戦だと、自分よりレベルの高いポケモン、倒せないぞ」

    女性職員に呆れた直後、ダイヤモンドがシオンの怒りを煽る。

    「職員さん知ってますか? シオンさんって、これだけ僕のポケモンに協力させておいて、
     僕のポケモンでオウさんとバトルするのは嫌って言うんですよ。面倒臭いこだわりですよねー」

    「うっせー! あの男をアフンッと言わせるには俺のピチカで勝たないと駄目なんだよ!」

    「じゃあ早く、ピカチュウの”とくせい”、選んで下さいよ」

    またもや”がまん”が解かれて”いかり”が”だいばくはつ”しそうになるも、
    なんとか”こらえる”して冷静に対応した。

    「思ったんだがよぉ、一番強い”とくせい”っていったら、やっぱ”ふしぎなまもり”じゃないか?」

    「でも、”ふしぎなまもり”ってスキルスワップできないんじゃなかったっけ?」

    「そうですね。スキルスワップは出来ません。けど、とくせいの入れ替えなら出来ますよ。
     回りくどい方法になりますけど」

    「……いや、駄目だ。駄目だ、駄目だっ。こんな程度の”とくせい”じゃあっ!」

    突然、シオンは攻略本を投げ捨て、頭を強くかきむしる。

    本気のポケモンバトルが始めようというのに、人生を賭けた戦いに挑もうというのに、
    ダラダラと駄弁を続けている自分に気付き、シオンは発作的に自分への怒りが爆発した。
    今は、悠長に雑談を交わしている場合ではない。

    「何、荒れてんの? 情緒不安定なの? さっさと決めればいいのに。優柔不断すぎじゃない、アンタ?」

    言いながら、女性職員は攻略本を拾い上げ、ページをパラパラめくり始める。

    「もしもさぁ〜、もしもオウが”アルセウス”でも使ってきたらって思うと、
     この程度の反則じゃ勝てないと思うんだよ、俺は」

    「それなら大丈夫ですよ。アルセウスなら僕が……」

    「そんな架空のポケモンいるわけないでしょ! アハハハ、馬鹿みたい!
     ひょっとしてアンタ、絶対に勝利出来るって確信がなかったらバトルしに行けないわけ?」

    「なにおう!」

    咄嗟に怒鳴ってはみたものの、
    図星を突かれたような気がして、シオンの心は動揺していた。

    「ただでさえズルして強くなろうとしてるようなアンタが、
     戦う前から敵にビビってるとか情けなさすぎ。
     ”とくせい”が二つでも付かなくっちゃ、バトルしたくないわけ?」

    「なにふざけたこ……それだぁっ!」

    何気ない余計な一言が、シオンの脳髄で閃きを起こす。
    たった今、自分で、思いついたばかりのアイディア。それはとてつもなく素晴らしいものなのだと、
    思ってしまわずにはいられない。
    素早く立ち上がり、パソコンの前に踊り出ると、
    シオンは勝手に預かりシステムをいじくり、ダイヤモンドのポケモンを呼び出した。



    サンダース、”でんじふゆう”を使用

    サンダース、”バトンタッチ”でピチカと交代

    ピチカ、”でんじふゆう”状態のまま、待機

    ダイヤモンド、モンスターボールから、ミミロル、ヌケニン、サンダースの三匹を繰り出す。

    ミミロル、サンダースに”なかまづくり”
    (なかまづくり……相手のとくせいを自分と同じとくせいに変える。)

    ヌケニン、”ものまね”
    (この時ダイヤモンドは、ポケモンのすばやさに関係なく、
     ミミロル→ヌケニン、の順番で”わざ”を使ってもらった。)

    よってヌケニン、一時的に”なかまづくり”を覚える
    (ものまね……相手が最後に使ったわざを戦闘の間、自分のわざにすることが出来る)

    ヌケニン、ピチカに”なかまづくり”

    ピチカ(でんじふゆう)、”とくせい””せいでんき”から→”ふしぎなまもり”へ

    〈ふしぎなまもり……効果抜群以外のわざではダメ−ジを受けない〉
    〈でんじふゆう……5ターンの間、地面タイプのわざが当たらなくなる〉
    〈でんきタイプのピチカ……地面タイプ以外に弱点はない〉



    「どうだっ! この無敵になったピチカ様なら、
     ”ゴールド”の”ホウオウ”が相手だろうと負ける気がしねえっぜええ!」

    有頂天になって雄叫びをあげる。
    人生における全ての悩みごとが解決したとさえ思える気持ちの昂りっぷりだった。

    「あのですねぇ、シオンさん。そのピカチュウの姿、よーく見てみてくださいよ」

    ダイヤモンドだった。
    言われて見るも、相変わらずピチカの姿に変わった様子はどこにもない。
    ただしピチカの肉体はシオンの腰の辺りの高さにあった。
    ”でんじふゆう”の効果で、宙にふよふよと浮かんでいるのだ。

    「おかしいでしょ、こんな”そらをとぶピカチュウ”! 明らかに不自然ですもん!
     何かを仕掛けてる、って一目瞭然ですよ!
     こんな怪しいポケモンとのこのこ対戦するほどオウさんは浅はかではありませんよ!」

    「……そういえばそうだな」

    ダイヤモンドの正論を前に、シオンは何も言い返せなかった。
    ピカチュウが宙に浮いていれば怪しい。
    そんな当たり前のことにも気付けなかったのは、ピチカを強くすることばかりにとらわれ、
    それ以外の全てを視野の外へと放りだしてしまってたからだ。
    不覚だった。

    「そもそもこのピカチュウ、どんなタイプの攻撃も無効化しちゃうじゃないですか」

    「そうだ、よくぞ気付いた。つまりピチカは無敵のポケモンになったのさ。俺はもうしんぼうたまらんぞぉ」

    「さっきも言いましたけど、オウさんは、HPの量が視えるんです。
     ピカチュウにダメージを与えられないとバレてしまったら、
     即座にバトルを中断して、シオンさんの反則を暴こうとするはずです」

    「あぁ……マジでか。でも確かに、何か反則をしていると勘付かれるだけでも不味いな」

    強くなり過ぎれば反則が露見し、弱過ぎれば負ける。
    ここにきて反則の奥深さが壁となって立ちはだかる。
    強いポケモンを倒す方法ばかりに頭がいってしまい、
    オウというトレーナーを出し抜く考慮を完全に忘れてしまっていた。己の未熟さをしみじみ痛感する。

    「まったく、アンタってホント、小学生向けライトノベルみたいなことばっかり言いだすんだから、もー。
     そんなあからさまな馬鹿戦法で、凄いとか天才とか驚いてくれる人がいるとでもおもったの?
     現実と漫画との区別くらいつけときなさい、このカス人間っ」

    「……か、かすにんげん……?」

    しかし、シオンの心はくじけなかった。歯を食いしばり、かろうじて涙をこらえた。
    この程度の罵倒で、この程度の不快感で、歩みを止めるわけにはいかない。

    「一度やって上手くいかなかったのなら、今度は別の方法で試せばいいだけの話だ」

    二人に背を向け、勢いよく歩き出し、シオンは再び、パソコンの画面と向き合った。
    何度でも挑戦してやろうという強い意志がシオンの胸中で燃え盛っている。

    「あのぉ、シオンさん。さっきも思ったんですけど、
     勝手に僕のポケモン、取り出さないでもらいたいのですが……」

    言ってる途中であきらめたのか、ダイヤモンドの言葉が尻すぼみになって消えて行く。
    既にパソコンの操作を始めているシオンの耳に、少年の願いが届くことはなかった。



    テッカニン、かげぶんしん、バトンタッチ

    サンダース、でんじふゆう、バトンタッチ

    シャワーズ、とける、バトンタッチ

    フローゼル、アクアリング、バトンタッチ

    イーブイ、みがわり、バトンタッチ

    ピチカ、あられもない姿になる



    真夏に放置したおいたチョコレートのようにドロドロとなったピチカは、
    数十匹のクローンを引き連れ、
    いずれも宙にふよふよ浮んだまま、
    ”みがわり人形”を抱き抱えている。
    あ、こりゃ駄目だ、と思った。
    隣にいる二人の、”ものすごいバカ”でも見るような軽蔑の視線が痛い。

    「もう、ポケモンの原型、保ってないじゃないですか!」

    「いっ……いや、んなことねえよ。なあ、ピチカ!」

    「「「「「「「「「「――チュー!」」」」」」」」」」

    声にエコーがかかったかの如く、ピチカの鳴き声は一度にたくさん聞こえた。
    無論、それらは、シオンの目の前で飛行する肉体の溶けかかった生物の大群から発せられたものである。

    「なっ。返事もしたし、ピチカだって分かるだろ?」

    「そういう問題じゃないです!」

    「そ、そんなぁ……」

    シオンはわざとらしく肩をすくめて、大袈裟にがっくりとうなだれる。
    決して本気で落ち込んだわけではない。
    ただ、ピチカの姿が変わり過ぎてしまう、というあからさまな失敗が、
    シオンが真剣に取り組んだ結果だった、と知られたくなかったのだ。
    それなら二人に、ふざけてやったミスだと思われた方がマシだった。

    「私は困らないから別にいいけど、アンタ真面目にやる気あんの?」

    「真面目にやってる奴が反則するってのもどうかと思うんだが……とにかく!
     俺は先に色んな”わざ”を試しておこうって思ったの! 分かったか?」

    誤魔化すように喋りながら、シオンはモンスターボールに手をかける。
    あまりにも気味が悪いので、一度ピチカをボールの中に戻し、再び元の姿に戻ってもらった。

    「とにかくシオンさん。ピカチュウに何かしてる、って気付かれたら、お終いなんです!
     なので、見た目の変化がないよう!
     それとHPも見えてるので、回復もしないようにお願いします!
     って、なんで僕が反則なんかに必死になっているんですか!?」

    「それ俺に聞くなよ」

    それから、あーでもない、こーでもない、と言い合って、およそ二時間。

    ありとあらゆる試行錯誤を繰り返し、
    何度も何度もピチカを別の生物へと転生させ、
    「それはバレます」「これもバレます」とダイヤモンドに否定され続け、
    いつしか、シオンの瞳から生気の光が失われていった。

    まるで安月給の労働を半強制的に押しつけられている気分。
    これが生き地獄か、と思った。

    終わりの見えない生体実験、
    徐々にやせこけていく三人の頬、
    自ら実験されに来るどこか楽しげなピチカ、
    新たなわざを試す度、少しずつ増えるダイヤモンドのポケモン達。
    気がつくと、地下一階はサファリゾーンと化していた。
    疲労と鳴き声と獣の臭いの中、いよいよ、その時が訪れる。



    ミミロップ、こうそくいどう×4、からのバトンタッチ

    グレイシア、バリアー×4、からのバトンタッチ

    リーフィア、つるぎのまい×4、からのバトンタッチ

    エテボース、わるだくみ×4、からのバトンタッチ

    フワライド、ドわすれ×4、からのバトンタッチ

    フワンテ、きあいだめ、からのバトンタッチ

    シオンのピチカ、全てのステータスが底上げされ、それから……

    カクレオン、ピチカとスキルスワップ。
    ピチカ、とくせい”へんしょく”に。

    イシツブテLV1、ピチカにマグニチュード。

    ピチカ、地面タイプに変わる。
    その後、きずぐすりで全回復。

    カクレオン、イシツブテとスキルスワップ。

    カクレオン、ピチカとスキルスワップ。
    ピチカ、とくせい”がんじょう”に。



    「メガゲンシピカチュウ、爆・誕!」

    シオンは高らか叫びながら、アーボックの胸の模様にも似た笑顔を浮かべた。
    ピチカは、全てのステータスが底上げされた上に、地面タイプと化し、とくせいも”がんじょう”に変わってしまった。
    しかし、それこそがダイヤモンドも認める、オウにバレることのないであろう最強の反則ピカチュウなのであった。

    「それにしても最っ低な反則。まともなトレーナーが見たら発狂もんだわ」

    先程まで自らシオンに協力していた女性職員の言える台詞ではなかった。

    「反則とは言えば聞こえは悪いけどさ。
     でも俺が思うに反則ってのは、正々堂々を捨て、罪悪感を捨て、リスクを背負う、
     っていう犠牲と覚悟の元に成り立つ強さなんだ。
     確かに、今、ここにいるピチカは反則の強化をしているわけだが、
     見方を変えると、これもある意味努力の賜物なんですよ」

    「……ハァ?」

    出し抜けに、女性職員の真顔が、嫌悪にまみれた表情へと変貌を遂げた。

    「アンタって、本っっっっ当にクズね。悪党に限って綺麗言並べて着飾んのよ。
     そうやって悪行を美談にすり替えちゃえば、罪悪感感じなくて済むわけだからね」

    強気で、責めるような口調で、声を荒げて、そして頬にはほんのり紅が差している。
    じょせいしょくいんは なんだか キレそうだ。

    「……あー、そうですね。すみません、
     今、調子にのってるもんだからちょっとおかしなことを言ってしまった。これは反省しないとな」

    シオンは、気色の悪い”てへぺろ”を用い、素直に謝る振りをしてみせた。
    ここで謝罪でもしなければ、女性職員との言い合いが徐々にエスカレートしていき、
    最終的に色々と面倒臭い罵り合いへと発展しそうだ、と予測したからだ。
    当然、反省する気持ちは微塵もない。

    「本当は、このピカチュウに”シュカのみ”でも食べさせてあげれればよかったんですけど……」

    つと、ダイヤモンドが言い掛ける。

    「お前、んな珍しいもん持ってんのか?」

    「生憎、使ってしまってもう持ってないんです。
     それさえあれば、地面タイプのダメージを一度だけ半減できたんですけど」

    「なるほど、だから地面タイプに”へんしょく”か。
     その様子だと、水とか草とかを半減する木の実も、持ってないんじゃないか?」

    「すみません。お力になれず」

    「何を言う。これだけ協力してくれて、謝るはないだろ。
     俺だって、丁度、フレショからプラスパワーでもくすねてこりゃあよかったって思ってたところなんだぞ。
     まあ、「つかっても こうかがないよ」、とか謎の声に言われるんだろうけどな」

    半笑いを浮かべながら、シオンが何気なく振り返ると、
    色とりどりのポケモン達が奇声を上げながら運動会をしていた。
    走ったり、羽ばたいたり、火を吹いたりしていて、自分も混ざりたいくらい楽しそうに見える。
    数えて見ると、およそ三十匹。もはや六匹までしか連れていけないという制限など知ったことではない。

    ポケモンボックスを覗いたら、こんな感じの世界があるのだろうか。
    十匹十色のはしゃぎようを眺めながら、ふと、シオンは思い出した。

    「なあ、ダイヤモンド。さっきから思ってたんだが……俺達が今、ピチカに使った反則、
     ひょっとしてお前も同じことやった覚えがあるんじゃないか?」

    「……つまり、この反則を僕が使ったと?」

    ダイヤモンドは純粋に不思議がっている様子だった。
    女性職員とは違い、反則に対して殺意を抱かないあたり、
    人間として出来てるなー、と勝手ながらシオンは思った。

    「自分で言うのもアレなんですけど、僕って結構強いトレーナーなんですよ。それなのに反則、ですか?」

    「ああ、強いのは解ってる。けど、おかしいんだよ。
     493匹もポケモンを持っているとはいえ、
     俺の要望に応えられるようなポケモンをそんなにたくさん持ってるなんて、
     いくらなんでも都合良すぎじゃないか。

     例えば、攻撃力を上げるわざとバトンタッチを覚えているポケモンが一匹だけもってる、
     それくらいだったら俺は気にはしない。
     けどお前は、防御力を上げる技とバトンタッチを覚えているポケモンも、
     素早さを上げる技とバトンタッチを覚えているポケモンまで持っていやがった。
     それって都合よすぎじゃないか?

     お前がそういうポケモンを持っていたのが偶然だとは思えない。
     だから思ったんだ。
     もし、お前が俺のピチカに施した反則と全く同じ反則を、
     昔にやったことがあるっていうなら、辻褄が合う、ってな」

    「長い。何言ってんのかわかんない。もっと短くまとめて」

    「だーかーらー、ポケモンの種類とか、”とくせい”とか、覚えている”わざ”とか、
     それらの組み合わせとかも考えると、たぶん何百万通りもあると思うんだよ。
     それなのに、たった493匹の中に俺の求めている”とくせい”や”わざ”を覚えたポケモンが
     何十匹も見つかるなんて偶然にしちゃあ出来過ぎてる……という話だ」

    「ふんふん、確かに。私もちょっと気になってたんだ、
     バトンタッチやスキルスワップを覚えたポケモンがいくらなんでも多すぎるなあ、って。
     もっと他のわざ、覚えさせてもいいのに」

    期待を秘めた二人の視線がダイヤモンドに集中する。
    しかし、どこか余裕のあるダイヤモンドの童顔は、
    とても追い詰められている者の表情ではなかった。

    「深く考えすぎですよシオンさん。ほら、”わざマシン”とかあるじゃないですか」

    「覚えている”わざ”くらい自由に書き換えられるって言いたいのか?
     でもお前、わざマシンなんて、いつ使った?」

    「それに、”わざおしえマニア”とか、”わすれオヤジ”とかいますよね? アレですよ、アレ」

    「アレ? アレって……お前っ、まさか!」

    一瞬、息をするのを忘れた。
    シオンは、在り得るはずのない答えを考えてついてしまう。

    もしかして、ダイヤモンドは、
    わざおしえマニアや、わすれオヤジと同じように、
    ポケモンのわざを、覚えさせたり忘れさせたりする”能力”があるのではないか?

    ――いや、そんなはずはない。そんなことが出来るトレーナーがいていいはずがない。
    もしそれが真実だとしたら、
    もはやシオン程度の力量でポケモンマスターになんてなれる道理がなくなってしまう。

    「ああ、アレか。なるほど、アレね、ふーん」

    内心では驚愕の嵐が吹き荒れていたものの、シオンはまるで大して興味がない体を装ってみせた。
    信じたくない。
    これ以上追及したところで、知りたくなかった現実が一つ増えるだけではないか。
    結局シオンは何も聞き出さないまま、ただ茫然とダイヤモンドの帽子を眺めているのだった。



    「それで、シオンさん。どこでやります?」

    周囲に散らばったポケモン達をボールに戻しながら、ダイヤモンドが問いかける。
    シオンはパワーアップしたピチカを肩に乗せ、リュックに腕をとおしながら、答えた。

    「人目のないところがいいな。偽審判は騙せても、ギャラリーがピチカの反則を見破ったらオシマイだ」

    「なるほど。平日の昼間ですし、誰もいない所なんて、すぐに見つかりそうですね」

    「せっかくだから見晴らしのいいところでやろう。偽審判が一体どこから現れるのか、気になるからな」

    しばらくして、全てのポケモンをボールに戻し、ダイヤモンドはパソコンの電源を切る。
    全ての準備が整った。後は戦って勝つだけだ。

    「そろそろ出発しようと思うんだけど、その前に職員さん。一つ、頼みがある」

    今一度、スーツをビシッと着こなす女性職員を見直すと、
    意外とスタイルがいい……というわけでもないことを知り、シオンは内心驚いた。
    思っていたよりキリッとしていない。ボテっとしている。

    「俺がピチカに反則使ったってこと、誰にも言わないでもらえませんか?」

    御団子ヘアーがふわりと揺れる。
    女性職員は、シオンの頼みを鼻で笑った。

    「もし私が誰かに言いふらしたら? どうする?」

    「しばらくの間、おとなしくてもらいますよ。僕のディアルガで……ね」

    紫色のボールを構え、ダイヤモンドは静かに囁く。
    途端に、女性職員は口元と腹を左右の手で押さえ出した。

    「ブッ、フフフフフッ! かっ、可愛い! 何、その台詞? キモ可愛い! 何のアニメの影響うけたの?」

    カーッと、ダイヤモンドの顔と耳に朱が差していく。
    恥ずかしがっているのか、それともまさか惚れたのか。

    「まあ、いいわ。アンタ達の行動を止めない地点で私も共犯者になるわけだし。それに……」

    うつむいて、クスッ、と不気味な笑みをこぼして、こう続けた。

    「それに、アンタの弱みを握っていれば、そのうち何かに利用できるかもしれないしね」

    小悪魔というより、悪魔。



    「では、職員さん。どうもありがとうございました」

    頭を下げて礼を述べるダイヤモンド。もはやシオンの保護者的存在と化していた。
    当のシオンには感謝の気持ちは微塵もなく、オウをぶちのめすイメージで脳味噌がいっぱいになっていた。

    「バトル終わったら、報告してくんない? 勝敗、気になるし」

    「気が向いたら、また来ますよ。ほんじゃあ行っか、ピチカ!」

    ――チュウウォォオオオオオ!

    パワーアップしすぎたせいか、ピチカが今までにない奇声を上げているような気がしたが、
    ここまで来て引き返すわけにもいかないので、シオンは何も聞かなかったことにした。

    「行ってきます!」

    「また来なよ。ただでさえ客、減ってるんだから」

    「今日こそ、偽審判の首ぃ、獲ってやるぜぇ!」

    ――チュウウォォオオオオオ!

    そんなこんなで、二人と一匹はトレーナーハウスを去って行くのであった。



    等間隔でずらりと並んだ緑の屋根と緑の街路樹。
    トキワの街並みを闊歩しながら、シオンは不安に襲われていた。

    もし、この反則を使っても勝てなかったら。
    もし、この反則がバレてしまったら。
    もし、オウが負けを認めず、駄々をこねて、二回戦を申し込んで来たりしたら。

    ダイヤモンドが付いているというのに、
    これから宿敵を倒せるかもしれないというのに、シオンの表情に陰りがさす。
    勝てないかもしれないという不安と、負けるかもしれないという緊張感に、
    シオンの心は今にも押し潰されそうだった。
    こんな精神状態では、恐らく、まともなバトルすら出来ない。
    今の内に不安要素を排除しておこう。そう決めた。

    「なあ、ダイヤモンド」

    何の前触れもなく、シオンは振り返る。
    ダイヤモンドと目が合った。

    「お前さ、”でんきだま”って、何個持ってる?」

    シオンは今、悪い顔をしていた。







    つづく







    あとがき

    今回出てきたシオンの反則は、
    攻略本とか攻略サイトとかを見ながら書いたんですけど、
    間違ってるところとか、矛盾してるツッコミどころとかが、いっぱい転がってるんじゃないかなあ、
    という気がしております。
    あしからず。

    ゲーム内で、このメガゲンシピカチュウ(?)を作ったとしても、
    LV20のポケモンがLV50越えのポケモンに勝つのはさすがに無理かなぁ……とか思っております。
    実際にゲームでやったらどうなるのか、さっぱりわかっておりません。
    あしからず。

    次でラストです。
    ありがとうございました。


      [No.1219] WeakEndのHelloWin 4 投稿者:烈闘漢   投稿日:2015/02/28(Sat) 18:59:01     35clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    WeakEndのHelloWin
           4







    「普通じゃない! 気が狂っている! 頭がおかしい! ひょっとしてアホなんか?
     シオンさんはアホなんか! どうなんですか! え!?」

    「おわ、何だ、いきなり、どうした、おちつけ、ダイヤモンドよ、何をそんなに怒っている?」

    「あのですねー、シオンさん! せっかく借金がなくなったっていうのに、
     またオウさんと賭博バトルするって、一体何考えてるんですか!」

    年下の少年にたじろぐ青年。
    赤いハンチング帽を激しく揺らして、ダイヤモンドはシオンに怒鳴り散らしていた。
    おっかなびっくりシオンが後ずさると、その分ダイヤモンドは迫り寄る。

    「いいですか、シオンさん。あなたがオウさん……じゃなかった。
     あなたがシンさんに勝てたのは全部奇跡なんです。偶然なんです。まぐれなんです。
     運命のいたずらによってシオンさんは間違えてバトルに勝ってしまっただけなんです。
     もう一度勝てるとか思ってるんでしょ? 考えが甘い! ご都合主義思考も大概にしてくださいよ!」

    疾風怒濤の罵詈雑言にシオンはひるんでうごけない。

    「そ、そいつはさすがに傷つくなぁ。まあ確かに勝てたのは運の要素もあったけれど……」

    「むしろ、運の要素しかありませんでしたよ! 実力で勝ったとでも思ってるんですか?
     僕、言いましたよね。トレーナーの借金をなくすのが目的だって、言いましたよね?」

    「え、そうだっけ?」

    「そうだったんですー! それなのにシオンさんときたら、
     勝ち目ほぼゼロのバトルに百万円も賭けて博打しにいくとか、
     わざわざ自ら借金背負いにいくようなもんじゃないですか!
     どうして懲りないんですか! そんなトレーナー、救いようがないですよ! このばか!」

    「そんな怒らなくてもいいじゃないか……」

    「んじゃあちゃんと説明して下さいよ。
     どうしてせっかく勝利出来たのに、またシンさんとポケモンバトルなんて始めるのか?
     僕が納得のいく答えを下さい!」

    物凄い気迫で問い詰めるダイヤモンドにシオンは完全に気圧されていた。
    仕方なく、何と答えるべきか、渋々自分の気持ちと向き合ってみる。
    途端、忌々しい記憶が蘇り、重々しい不快感がシオンの胸中いっぱいにひろがった。
    めまいがする。吐き気がする。股間の辺りがうずき出す。
    オウ・シンに対する憎悪の念が際限なく膨れ上がり、
    シオンの内側をどす黒い邪気が埋め尽くしていった。

    「俺はっ……俺はアイツが許せないんだ。あの男がのうのうと生きていること自体が気に食わない」

    眉間にシワを寄せ、歯を食いしばり、拳を思いっきり握りしめる。
    殺意を押し殺すのに必死な形相でシオンは言葉を続けた。

    「足りない。足りない。全然足りない! たかだか一回の勝利程度で、俺の心は癒せると思ったか。
     あの苦痛を! あの悲劇を! たった百万円ごときで済まされると思っているのか!
     そんな安っぽい罰を与えたくらいで、アイツの罪が許されてたまるものかぁっ!」

    憎しみの込もった雄叫びだった。
    心の中で血の涙を流しながら、シオンは、一週間前の出来事で頭がいっぱいになっていた。
    そう、『きんのたま』を『にぎりつぶす』されそうになった、あの夜である。

    あの息がつまるような苦痛。
    ダイヤモンドに醜態を見せつけられた恥辱。
    そして何よりも、自分の命が失われるかもしれない、と怯えさせられたことが許せなかった。
    もはやオウ・シンの『でかいきんのたま』を『アームハンマー』でもしない限り、この殺意は収まりそうにない。

    「俺が味わった地獄を! それ以上の絶望を!
     あのド腐れ糞審判に思い知らせてやらないとっ! 俺の気が済まないんだぁあああ!」

    怒りと憎しみが爆発し、シオンの口から絶叫が迸った。

    「あっ、そうですか。じゃあ、もう好きにしてください」
    「ゑ!?」

    あまりのことに思わず奇声を発した。
    さっきまでの勢いはどこへやら、いきなりのそっけなさすぎる応対に、シオンはダイヤモンドへと視線を戻す。
    目の前にいた少年は、半ば放心状態とさえいえる真顔で視線を宙に彷徨わせていた。

    「どっ、どうしたダイヤモンド。なんか急に落ち着いてるみたいだけど……どうした?」

    「よく考えたんですけど、シオンさんのことなんで、僕はどうでもよくなりました。
     ああ、まったく。こんな人に真剣になっていただなんて、僕としたことが……」

    「え、あ、ちょっと」

    にわかにくるりと身をひるがえし、ダイヤモンドはすたすた歩き去っていく。
    呆気にとられたシオンは、口が半開きの間抜け面で、遠ざかる少年の背中を黙って見送る。
    ワケが分からなさ過ぎて、自分を攻撃したい気持ちになった。

    「……えー。なんだよそれ。まじめな性格かと思ってたけどアイツ、きまぐれな性格だったのかー?」

    言うだけ言って、勝手に納得して、ダイヤモンドはシオンから離れた位置へと戻って行く。
    やりきれない思いと、やり場のない怒りを抱え、シオンはただ茫然と立ちすくむしかなかった。




    トキワシティの外れ、だだっ広い荒野の上にて、
    シオンの借金を賭けたポケモンバトルが、再び幕を上げようとしていた。

    「ねえ、シオン君! そのピカチュウ! レベルが上がってるね! メガバンギラスを倒したからかな!」

    耳元で叫ばれたかのような爆音だった。
    顔を上げて目をやると、なんと声の主は、シオンからホエルオー一頭分ほど離れた地点で立っている。
    巨漢だった。
    派手な紫のスーツに、屈強な体躯、
    浅黒い肌に凄絶な笑みを張り付けて、純金製の歯をぎらつかせる。
    禍々しいオーラを総身にまといながら笑う大男は、これほどの距離を隔ててなお、凄まじい
    そんざいかんを はなつ。

    「極悪非道の偽審判め……こんだけ離れてるのに、一目で借金取りだと分かるな」

    誰に聞かせるわけでもなく、シオンは一人つぶやく。
    そして『偽審判』と呼んだ男、『オウ・シン』を憎々しげに睨みつけていた。

    「もう一度頼むよ! バンギラス!」

    いきなりだった。
    何の予備動作もなく、シンは屈強な腕を振り下ろした。
    地表に叩き落とされたハイパーボールが割れ、中から閃光が弾け飛ぶ。
    思わずまぶたを閉じ、開いた次の瞬間、バンギラスの巨体が再度出現していた。
    肉食恐竜のような体躯が、背筋を伸ばして此方を見下ろしている。

    ――ヴグェオォオおオおオンンンンン゛!!!!

    小顔から牙をのぞかせ、爆発音のような咆哮を上げる。
    大きな胴体と凶悪な面構えは、隣に立つ主とよく似ていた。

    疑問。何故やられたばかりのバンギラスが無傷の姿で立ちはだかっているのか。
    頑丈なコンクリートを思わせる肌の表面には、かすり傷はおろか汚れ一つさえ見つからない。
    おそらくハイパーボールの中に入っていた隙に、シンが『げんきのかたまり』でも使ったのだろう。
    萌黄色の怪獣は、完全なる復活を遂げていた。

    ふと、バンギラスの胸元が膨れ上がり、「ウォエッ」っと何かを吐き出した。
    シンがそれを拾い上げると、シオンにも見えるよう、腕を伸ばして突き付ける。
    シンの手中に納まった抹茶色の水晶玉が透き通って光を放つ。
    遠目でよく分からなかったが、シオンには、
    珠の中に何やら虹色の紋章のような物が埋め込まれているように見えた。

    「バンギラスナイトだよ!」

    それが、先程までバンギラスの咥えていた『どうぐ』の名前だと分かった。

    道具を外して見せつけた、というシンの行為には
    「お前もポケモンから『もちもの』を外せ」という意図が含まれている。
    そう判断したシオンは、膝を地に着け、腰を丸め、足元の相棒に目を落とした。

    柔らかな赤い頬に、くりくりの丸い黒目、電気鼠の愛らしい貌が上目遣いで見上げていた。
    なんとかシオンの肩に乗るサイズの、ふにふに柔らかそうな、握りしめたい長耳の、
    口元の膨らみが可愛い、鮮やかなレモン色の映える、そんなピカチュウがシオンの相棒だった。
    敵であるバンギラスを前にした今でも、やはり、ピカチュウに怖気づいた様子は見当たらない。
    それどころか、
    ギザギザに伸びた尻尾(先っぽはハート型)を心地よさそうに揺らすほどの余裕を残しているようだった。

    「ピチカ、まだ戦えるな?」

    ――チュゥッ!

    ニックネームで相棒を呼ぶと、ピカチュウのピチカは赤い頬から青い電流を走らせて、応える。

    「よし。んじゃ、ちょっと動くなよ」

    戦意を確認するなりシオンは、ピチカが首に巻いていた数珠のような『どうぐ』を取り上げた。
    十個の『でんきだま』を繋げて作ったシオンお手製の『もちもの』である。
    そして、それはピカチュウの電気技を千二十四倍にまで跳ね上げるとんでもない代物でもあった。

    「これでいいんだろ。これで」

    シオンは投げやりな態度で、でんきだまの数珠を揺らして見せる。
    そしてすぐにリュックサックの奥へとしまった。
    シンの満足そうな返事が轟き渡る。
    これでフェアだ。

    「おうい! ダイヤモンド君!」

    シンが怒号を飛ばすと、その先に、米粒ほど小さくなったダイヤモンドの姿があった。
    視た所、どうやらシオンら三人は、上空から見下ろすと、
    ちょうど正三角形の点になる立ち位置で向かい合っているらしい。

    「頼むよ、ダイヤモンド君! 審判やってくれないか!」

    「えー! 僕、ただのしがないトレーナーですし、審判なんて言われても何をすればよいのやら……」

    「まずは! ルールの説明からするといいよ!」

    借金取りで間違いないはずのシンが、審判らしい発言をすると、何故だかシオンの癪に触った。
    そんな気持ちなど露知らず、ダイヤモンドはオホンと咳払いをし、語りだす。

    「使用ポケモンは一匹。『どうぐ』の使用禁止。『もちもの』も禁止。
     それから、もちろんのことだけど反則も禁止。ルールを破ったら問答無用で負け。
     えーと、それからー……ルールってこんなもんでよかったですか?」

    「いや、ちょっと待ってくれ」

    伺うダイヤモンドを、シオンが制す。

    「おや! シオン君! ひょっとして、ルールを変えるつもりかい!」

    殺意のこもった『にらみつける』が、シオンの胸へと突き刺さる。
    ルール無用のポケモンバトルで敗北を喫したばかりのシンには、
    ルールに関して譲れないモノがあるのだと分かった。

    「いや、ルールはそのままでいい。そうじゃなくて報酬の話だ。偽審判、お前に一つ頼みがある」

    「おや、僕にかい!? まあ、言ってごらんよ!」

    「聞いたんだが、お前、トキワシティにいるトレーナーのほとんどに借金を背負わせてるらしいな。
     もし俺がバトルで勝った場合、そいつら全員の借金をチャラにしてやってくれよ」

    しばしの沈黙の後、シンは狂ったかのような高笑いを暴発させた。

    「ヌッハッハッハッハァッ! 正気かい! なんてことだ! まさか君がそんなことを!」

    大気を震撼させる獰猛な哄笑は延々と続いた。
    そんなシンを無視してシオンはダイヤモンドを見やる。
    そして満面の笑みでウィンクを送った。「俺って良い奴だろ?」というアピールである。

    知らないトレーナー達の借金を返済するためにポケモンバトルをするなんて、
    シオンにとっても不本意極まりない。
    明日の食費さえままならぬというのに、人助けをするくらいなら、
    普通に百万円の賭け金を受け取った方が得をするかに見える。

    だが、しかし――いや、むしろ、『やはり』、シオンには思惑があった。
    あからさまな善行を見せつけることによって、
    目の前にいるダイヤモンドという名の純真無垢な少年に、
    「この人はなんて優しく誠実で素晴らしいポケモントレーナーなんだ!」と思われようとしているのである。
    そうなれば、今後も伝説級の強さを誇るこの少年トレーナーからの協力を仰げるかもしれない。
    百万円よりダイヤモンドからの好感度の方が遥かに価値があると見極めての行為であった。

    「ねえ、シオン君!」

    シンが叫ぶ。

    「僕が皆に背負わせた借金って、全部でいくらになると思う!? 物凄い額だよ!
     もしシオン君が負けた場合、一千万を越える借金をしてもらうけど! それでもいいのかい!?」

    「ああ。構わないぞ」

    あっさりシオンは受け入れる。
    衝撃的発言ではあったが、それくらいの予想はついていた。
    さらに、仮にバトルに勝ったところで、
    シンがシオンに一千万円を渡す、なんて展開にはならないだろう、とも予想していた。

    シオンは再び、顔面をぐにゃぐにゃに歪ませたウィンクで、良い人アピールを送信する。
    ダイヤモンドが怒りを通り越し、呆れ返って言葉も出なくなっている、
    なんて考えはシオンの中に微塵もなかった。

    「ようし! それじゃあ始めようか!」

    シンの大声に続き、バンギラスの股が開いた。
    鈍い足音と呼応するように、周囲の地面から砂煙が舞い上がる。
    砂と風とが逆巻いて、徐々に勢いを増し、大量の砂粒が暴風に乗って滅茶苦茶に吹き荒れ始めた。
    バンギラスの『とくせい』が発動したのだろう。
    ベージュ色の薄い幕がシオンの視界を覆い尽くす。

    「ピチカ、構えろ」

    小声で足元に指示を送った。
    シオンは顔面の周りを両腕で囲み、
    細めた瞳に砂粒が潜り込もうとも、シンの姿をとらえ続ける覚悟を決めた。
    敵は、いつ動くのか?
    どう出るか?
    何を言うのか?
    どこを突いてくるのか?

    シンがどういう『わざ』を指示し、
    バンギラスをどう動かすかを予測し、
    尚且つそれらをどうやって切り抜けるのか、
    そしてピチカでどう責めるべきなのか。

    観察を止め、思考を絶やした瞬間、油断が生まれ、敗北へと繋がる。
    シオンのポケモンバトルはもう始まっていた。

    吹き荒れる砂粒の音と、吹き荒れる砂粒自体が、シオンの耳に入ってくる。
    気が付くと、えらく長い膠着状態が続いていた。

    「……あっ、そうか。僕が審判なんだった。全然バトル始まらないと思ったらそういうことか。
     あ、えー、それじゃあ、試合開始っ!」

    締まりのない声が、緊張感のない戦いの幕開けとなった。
    間髪を容れず、シオンは叫ぶ。

    「10まんボルトォ!」

    ――チューッ!

    ピチカは頬に青白い電流を滾らせて、撃った。
    空中をジグザグに、光の速さで駆け抜けて、雷鳴の震えが轟き渡る。
    青の閃光がバンギラスに触れる寸前、ピチカの稲妻は光の粉と化し、消失した。

    「んっ!?」

    思わず目の前の現実を疑った。
    10まんボルトが突然消えた。
    バンギラスにも外傷はない。
    雲散霧消した電撃の謎に、瞠目したままシオンは固まる。
    一体何が起こったのか。
    推理するまでもなく、目の前の景色で謎が解けた。

    一帯を渦巻く砂塵の暴風。

    乱れ飛ぶ『すなあらし』こそが答えだった。
    10まんボルトは電気タイプのわざ。
    すなあらしは地面タイプのわざ。
    電気タイプのわざは地面タイプに効果がないみたいだ……。

    「くそったれがぁ……」

    頭を抱えてシオンはうめく。
    バトルが始まったばかりだというのに、敗北するビジョンが見えてしまった。
    なんとも歯痒い。
    大した威力のない、すなあらし如きにこんなに苦しめられるなんて!
    どうしてシンがバンギラスを選んだのか、今になってようやく理解した。

    先のバトルで使用した1024倍パワーの『1おく240まんボルト』ならば、すなあらしであろうと関係なく討ち滅ぼせた。
    しかし、今は違う。

    でんきショック、10まんボルト、しっぽをふる、でんこうせっか。
    果たして、電気タイプの技を使わずに、バンギラスを倒す方法が、ピチカの中に存在しているのだろうか。
    シオンにはそれが分からなかった。

    「君が攻撃したから! これで僕の後攻だね! バンギラス! 『しっぺがえし』だよ!」

    「なっ! 『じしん』じゃないのか!?」

    驚いている場合ではなかった。
    猛ダッシュからの跳躍。
    バンギラスが大地を蹴り上げると、巨大な体が宙を舞い、ひとっ飛びでピチカとの距離を詰め、飛来した。
    怪物の影がピチカの全身に覆いかぶさる。よけられない。

    「ピチカ! 『こらえる』んだ!」

    ピチカは『こらえる』を覚えていない。

    重力に乗ったバンギラスの全体重が、
    獲物を狙うピジョットの垂直落下するような速度で、小柄なピチカに墜落する。
    もはや流星だった。
    地鳴りの振動。空間がたわみ、ピチカを中心に爆発が起こったかのように砂煙が吹き荒れる。
    凄まじい風圧でシオンのTシャツがはためき、短い前髪が後方に引っ張られる。
    腕で顔を覆い隠し、砂塵の洗礼を全身で浴びた。

    衝撃波は瞬時に納まり、腕と耳が痛さとかゆさでヒリヒリする中、シオンはおそるおそる前方を覗く。
    バンギラスの足が地面についていなかった。
    昔テレビで見た、小さな小石が大きな岩を支えている映像を思い出す。
    圧殺するどころか、ピチカはバンギラスを持ち上げるようにして、攻撃を受け止め、耐え凌いでいた。

    「そんな馬鹿な!」

    シンが驚嘆の声を上げたと同時、シオンはバンギラスの倒し方を閃く。

    「ピチカ、10まんボルトぉおお!」

    ――ピッ! カッ! チュウッ!

    叫びと共に閃光が奔った。
    ピチカの手の平からバンギラスの腹部へと、電撃の青白い明滅が流れ込む。
    感電だった。
    若草色の皮膚の上を、光る蛇のような電流の群れが、這いずりまわって火花を散らす。

    直接触れてから攻撃すれば良かったのだ。
    ピチカとバンギラスとの距離をなくしてしまえば、
    二匹の間にあった『すなあらし』の障壁もなくなり、
    問題なく電気タイプの技が通用する。
    10まんボルトが使えると分かった今、シオンの目には勝利のビジョンが映っていた。

    重い足音と共に地面が揺れた。
    大地を蹴り上げたバンギラスが、ピチカから弾かれたようにして真後ろに吹っ飛ぶ。
    宙に飛び出した電撃は、『すなあらし』によって即座にかき消されてしまった。

    砂と風の向こう側で、雷に焼かれたバンギラスが、煙を上げ、肩で息をし、赤い瞳でピチカをにらんだ。
    シオンはつい顔をしかめる。一撃では倒せなかった。

    「シオン君! 君は一体! 何をしでかしたんだ!」

    シンの大声が耳に突く。
    その眼光は何故なのか、バンギラスの頭の上の虚空を見据えている。

    「ピカチュウの攻撃! たったの一発で! どうしてエイチピーが黄色になるんだあああああ!」

    聞き間違えたのかと思うほど、シオンには理解の出来ない意味の言葉だった。

    「きゅうしょに当たったとして! こんな威力、有り得るのか! 『もちもの』はないはずなのに!」

    姿も表情も砂に隠れて分からなかったが、
    声色だけでシンのあからさまな焦り様が伝わって来る。
    ピチカの攻撃力にばかり驚いていて、『ひんし』にならなかったピチカの耐久力に関しては何のツッコミもない。
    どうやらシンは、ピチカが『こらえる』を使って攻撃に耐えたと思い込んでいるようだ。
    シオンはホッと安堵の息をもらした。
    バトルの最中で反則を嗅ぎつけられれば勝敗どころではなくなるからだ。

    「なあ、偽審判。エイチピー黄色ってどういう意味だよ?」

    「バンギラスの体力が半分も削られてるってことだよ! ……しまったああああああ!」

    なんという幸運。次の10まんボルトでバンギラスを倒せる、というありがたい情報が手に入った。
    うっかり口を滑らせたシンは急に押し黙り、いつしか二人の間を砂の音だけがさんざめいていた。

    しばらく、にらみあいの沈黙が続く。
    シオンは全く動けなかった。
    ピチカがバンギラスを倒すためには、直接触ってから、10まんボルトを決めるしかない。
    しかし近付けば、その分だけ、バンギラスの攻撃もピチカに当たり易くなっていく。
    HPがもう限界ギリギリであることはピチカの表情を見なくとも明らかだ。
    一撃だって耐えられない。
    先に技が決まった方が勝ちか、もしくはダブルノックアウトか。

    すなあらしを切り抜ける術さえあれば勝利は確実だというのに、
    残念ながらそんな必勝法を編み出せるほどシオンの頭はよろしくなかった。
    運に頼るしかないのだろうか。

    すなあらしの向こう側から、シンの視線がシオンの足元へと注がれているのに気付いた。
    ピチカを警戒しているのだろうか。
    ふと、この長い沈黙に何か違和感が引っ掛かる。
    どうしてシンはバンギラスを動かさないのか。

    (ピチカが『こらえる』を使いながら直進し、
     バンギラスの首筋にでもしがみついて来るかも知れない……とか考えてるのか?
     首の裏側ならバンギラスの腕は届かないし、口からの攻撃も届かないし、『じしん』さえも通じない位置だから、
     その位置を確保した後、10まんボルトを直接流しこんでくるかもしれない……とか考えてるのか?

     しかし、そうではなく、ピチカの出方を伺ってると見せかけて、
     実は別の目的、例えば何か他の……時間稼ぎをしているとしたら……)

    「ねえシオン君! 一つ、訊いていいかい!」

    「ああ……いや、駄目だ! 何も聞くな! 訊くんじゃない!」

    嫌な予感しかしないというのに、シンの口は勝手に動いていた。

    「そのピカチュウ! 『すなあらし』が効いてないみたい! どうしてかな!」

    シオンの頭の中が真っ白になった。

    昔、小学校に通っていた頃、かくれんぼをしている最中、キッチンの棚に隠れて息を潜めていると、
    しばらくして、ゆっくりと扉が開き、そこで、包丁を持った知らないおじさんと目が合ってしまった。
    あの時の緊張感とよく似ている。
    もしくは、興味本位でふらっと銀行を覗いた時、
    覆面の男達に銃口を突き付けられた時の絶望、と言い変えても差し違えないだろう。

    とにかくシオンの心臓は一度完全に静止し、今は激しくドラムロールのように脈打っていた。

    「こらえるを使ったのなら! エイチピーは1しか残っていないはず! 
     すなあらしはエイチピーを徐々に削り取る天候だよ!
     どうしてピカチュウは、倒れていないのかなあ!?」

    シオンの足元で突っ立つピチカ。
    沈黙していた真の狙いがすなあらしによるダメージだったと、今になってようやく分かった。
    どういう手を使ったかまではともかく、シオンの反則をシンは間違いなく確信している。
    すなわちシオンの反則負けが、ほぼ決まった。
    砂の擦れる音がしつこく、嫌に耳に響いて来る。気持ちが悪い。どうすればいい。

    「ほら! 黙ってないで! 教えてくれないかい! シオン君!」

    もうこうなったら自棄を起こすしかない。
    勝てば官軍、死人に口なし、終わりよければすべてよし。
    反則だろうが、インチキだろうが、勝者こそがこの世の心理。
    勝った後で、「反則なんてなかった!」、と大声で主張するなりなんなりして押し通すしかない。
    シオンは全力もって都合の良い展開を妄信した。

    「走れピチカァ!」

    バンギラス目掛けてピチカが飛び出す。
    砂塵の彼方へ、一直線に、黄色い弾丸が突っ走る。

    「ちゃんと! 説明! してくれないと!」

    「お前のすなあらし、実は射程距離外だったんだよ! わかればか!」

    「それは違うよ!」

    「うっせぇ、しねぇっ!」

    二匹の距離が一気に縮まり、ピチカはバンギラスの目前へと躍り出た。

    「バンギラス! はかいこうせん!」

    「ピチカ! 10まんボルト!」

    四つん這いとなったバンギラスの、あんぐり開いた大あごから、光の十文字が閃いた。
    三度、ピチカは青白い稲光を身に走らせ、解き放つ。

    鼓膜をつんざく爆音がうなった。
    『わざ』と『わざ』がぶつかりあう。
    青と白の入り混じった輝きの爆発。幻想的な閃光の彩りに、視界の全てが包まれる。
    あまりの衝撃に、一瞬だけすなあらしはまるごと消し飛んだ。
    吹き荒れた爆風に乗って、ピチカは蹴り飛ばされた石ころのように、
    シオンの足元にまでコロコロ戻ってきてしまった。
    そして再び、周囲一帯を砂塵の風が覆い尽くす。

    「まだやれるか、ピチカ?」

    尋ねつつ見下ろすと、ピチカは電撃を放ったままの状態で、ふんばっていた。
    先の方を見やると、10まんボルトとはかいこうせんのつばぜり合いが未だに続いていると分かった。
    滝のような白い奔流と、砂嵐に威力を削がれる青い電流とが、押し合っている。
    二匹の間で飛び散る火花は、確実にピチカの方へとじりじり迫る。
    力負けしていた。

    「もっと出力を上げろ、ピチカアアアア!」

    思いっ切り声を張り上げたところで、しかし、何も起こらない。
    なんとか対策を考えようにも、上手く考えがまとまらず、もはや成す術がないとしか思えない。
    あまりにもどうしようもなく、シオンは急に恐くなってしまった。
    あの白い輝きがピチカに触れた途端、全てが終わってしまう。人生の全てを失ってしまう。
    どうしてこんなことになってしまったんだ。

    試合中に余計な不安を抱えている隙に、青白い電撃は押し戻され、
    あっという間に白い光はピチカの目と鼻の先にまで迫って来ていた。
    もうどうしたらいいのか分からない。今すぐここから逃げたしてしまいたかった。

    「ああ、もう、くそ、もうっ。このまま下がれピチカ!」

    シオンは後退りながらも、自棄になって命令を飛ばす。
    この判断が功を奏した。

    ピチカが数歩だけ後退すると、先程までピチカが立っていた空間をはかいこうせんが食らった。
    つまり、数秒だが、余命が伸びた。
    急ぎ、後退りながらシオンはさらに叫んだ。

    「下がれピチカ、もっと下がれ! 電気を撃ったままもっと!」

    バンギラスの口元から如意棒の如く白銀の光は延々と伸び続ける。
    しかし、バンギラスの光線がピチカの鼻先にたどり着く事はなかった。
    10まんボルトに妨げられながら、ゆっくりと直進するはかいこうせんよりも、
    ピチカの後退する速度の方が素早かったからだ。
    まさしく戦略的撤退である。

    ピチカと共に後退を続ける中、シオンは苦悩に頭を痛めていた。
    バンギラスから遠ざかる程、勝利からも遠ざかる。

    はかいこうせんを撃ったポケモンは、次のターン――ほんの数秒ではあるが反動で動けなくなる。
    その隙に、でんこうせっかでピチカをバンギラスに近付ける。
    直接触れた状態を作ると、次のターン、先攻で十万ボルトを撃ち放つ。最初は、そういう予定であった。

    しかし、二匹の距離がこれだけ開くと、ピチカがバンギラスに到達する前に、
    反動はなくなり、バンギラスが動き出してしまう。
    それでは負けるか相打ちか、だ。

    (十万ボルトならこの場所からでも一瞬でバンギラスを撃ち落とせるというのに)
    飛び交う『すなあらし』を忌々しげに睨みつけながら、その場しのぎの後退を続けた。

    例えば、ピチカを天高くに放り投げ、ピチカは上空に電撃を放って、雷雲を生みだし、
    そこから『すなあらし』をも凌駕する超強力な『かみなり』が生まれ、
    背の高いバンギラスの尖った頭上に突き落とされる
    ……この期に及んで絵空事ばかり思い浮かぶ自分の脳の頼りなさを呪った。

    ふと、ピチカの後退が止まった。
    エネルギー切れなのか、それともバンギラスの息切れなのか、
    はかいこうせんの光は弱々しく、今にも消えてしまいそうなほど薄くなっていた。

    脂汗が額ににじむ。
    バンギラスが反動で動けなくなる今がチャンスだ。
    どうする? どうすればいい? どうすればこの状況を覆せる?
    時は待ってはくれなかった。
    解決策を探している内に、長い長い白銀の光は、フッと、消失してしまった。
    緊張が走る、
    と同時に、シオンは目の前の景色に微妙な違和感を覚えた。

    空洞があった。
    ピチカの鼻先と、バンギラスの口元とを繋ぐ一直線の空洞があった。
    ついさっきまで『はかいこうせん』が通っていた空間である。
    その空間にだけ、『すなあらし』がなかった。

    たったの一ヶ所、わずかに一瞬、電気を通さぬ砂塵の壁を、一点の風穴が貫いた。

    「いっけぇえええ!」

    詳しい指示を飛ばす暇などなかった。ただ叫んだ。それだけで通じた。

    ――ヂュウウウウウ!

    紫電一閃。
    放った稲妻、弾丸の如く、直線的に、疾駆する。
    奇跡の軌跡が、砂塵に埋もれるより速く、ピチカの電光が駆け抜けた。
    銃声のように、雷鳴が爆ぜる。

    砂の嵐の向こう側、米粒のようなバンギラスの肉体が、青白い明滅を繰り返すのを見た。
    小さな影は、煙をあげて、ゆっくり傾き、横たえる。
    ずどん、と重々しい地響きがうなる。
    バンギラスはたおれた。

    「バンギラアアアアアッス! 立てえええええ! 立つんだあああ!」

    往生際の悪い大男が、やかましい声で嘆いていた。

    「ピカチュウに! 二度も! やられる! バンギラスが! いて! たまるかああああああ!」

    惨めだとか哀れだとかを思う以前に、とにかく鬱陶しかった。
    大人げないシンの、悲鳴のような絶叫に対し、吹き荒れていた砂の嵐は、次第に大人しくなってゆく。
    腕を下ろし、砂を払い、澄んだ空気の中で、シオンは嘲笑った。ピチカも笑った。

    「バンギラス、たぶん戦闘不能! なので、たぶん試合終了! だから、たぶんシオンさんの勝ち!」

    高らかに、ダイヤモンドのジャッジが下る。シオンとピチカは勝利した。




    「でかしたぁ! でかしたぞ、ピチカ!」

    勝利の喜びで胸がいっぱいになって、シオンはその場にしゃがみこむ。
    うつぶせで倒れるピチカがいた。
    体中の至る所がボロボロで、ピチカは弱々しい苦笑をする。
    この時初めて、シオンは自分の相棒の身を心配した。

    「無事か? 無事だな。よくやったぞピチカ。後で何か美味いもん食わしてやらないと」

    突っ伏すピチカの背面を、すりすりさすって労わった。
    砂粒のざらざらした手触りに、土埃で汚れた毛並み。
    ピチカは本当に頑張ったんだなあ、と母親のような気持ちになる。
    シオンが感傷に浸っていると、気のせいだろうか、遠くで太鼓を連打するような震えが伝わってきた。
    地面を叩くような音に不安を覚え、何の気なしに顔を上げる。
    血走った眼の大男がシオン目掛けて爆走していた。
    息を飲む。
    オウ・シンだった。
    大地を俊敏に何度も蹴り上げ、突進するケンタロスの如く、轢き殺す勢いで鬼気迫る。

    悪鬼を前にし、
    何が起きているのか把握しきれないまま、
    とにかくピチカの危険を感じ、
    シオンは咄嗟にベルトのボールをむしりとっていた。

    「戻れピっ……」

    突如、シンの動きが加速する。
    シオンがボールを構えるより先、紫のスーツが視界いっぱいに広がった。
    鳩尾(みぞおち)にかつてない衝撃が深くのめりこむ。

    す て み タ ッ ク ル !

    189センチメートルと97キログラムから繰り出す必殺の一撃。
    シオンは肺の空気を全て吐き出す。
    心臓に核弾頭でもぶちこまれたかの如く、衝撃は背中の向こう側にまで走り抜けた。
    悶絶しそうな激痛に、一瞬だけ意識が消し飛び、力の抜けた手の平からモンスターボールが滑り抜ける。
    足が浮いて、くの字になって、シオンは後方へ吹っ飛んだ。
    眼前のシンが遠ざかっていく。
    背中で風を受けながら、ふわっとした感覚の後、地面に尻もちを叩きつけた。
    何度か咳き込みながらも急いで息を整え、力尽くで素早く立ち上がった時、
    シオンはもう何もかもが手遅れなのだと悟った。

    シオンのモンスターボールを掴んだシンが、じーっと自分の足元を見下ろしている。
    視線の先の、突っ伏すピチカはじーっとしたまま動かない。
    シンにピチカを連れ去られる=ピチカを調べられる=反則が発覚=シオンの反則負け=一千万円の借金。
    たまらずシオンは叫んでいた。

    「やめろぉォォォォオオオオ!」

    必死になって腕を伸ばした。届かないとは分かっているのに。わるあがきだった。
    虚空をつかんだ手の平の先で、ピチカの体は赤い色の光へと変わり、ぐにゃぐにゃに形を変え、
    シンの手の平のモンスターボールへと吸い込まれていった。

    「……えっ?」

    ポカンとする。
    予想外だった。
    あまりのことに、シオンは自分の目玉が信じられない。
    頭を落ち着かせて周囲を見渡す。

    シンの姿が見える。シオンの手放したボールを握っている。
    ピチカの姿はなかった。間違いなくこの場にはいない。

    どうやら見間違いではないようだった。
    シンは、ピチカを、モンスターボールの中へと戻したのだ。それも自らの手で。

    みるみるうちにシオンの心はたくさんの幸せで満たされていく。
    (うお! まじか! やった! やった! うおおーす!)
    たまらないくらいの狂喜。
    例えるならそれは、
    腹に爆発物を抱えた状況、長い時間、我慢に我慢を重ね、全力疾走でトイレに駆け込み、
    全てを出し切った時の解放感。
    シンの犯した致命的なミスは、
    ギリギリ便器に間に合った時のような圧倒的至福をシオンにもたらしていた。
    喜びのあまりガッツポーズをとろうとした刹那、

    ――駄目だ!

    本能が肉体の動きを押し留める。
    シオンは自分の顔がゆるみきっているのに気付き、慌てて笑顔を噛み殺した。
    ここで喜んではいけない。それでは、シンから見てあまりにも不自然だ。
    だからこそもっと自然に……そう、今は怒るべき瞬間だ。
    顔が赤くなるほど眉間に力を込め、シオンはシンをにらみつけた。

    「人のポケモン盗ったら泥棒! 何してくれとんじゃいわりゃあ!」

    一瞬、シンにつっかかろうと思ったが、やっぱり勝てそうにないので、暴言だけにとどめておいた。

    「君のピカチュウ! すなあらしが効いていない様子だった! だから止めたんだ! 『じしん』をね!」

    「話をそらすなボケがぁ!」

    怒鳴りつけながらも、内心慌てた。
    確かにシンは一度もじしんの命令してこなかった。
    つまり、バトルの初めっからピチカに地面タイプの攻撃が通用しないと予測されていたことになる。

    「覚えるはずのない『こらえる』!  効き目のなかった『すなあらし』!
     レベル21にして、バンギラスと同等のパワー! 何もしていないわけがない!」

    「うるせえ! 勝ったんだ! この際だから、千万寄こせ!」

    「そもそも君が! 反則をしなかった試しがあったかい!」

    「え゛! ……あったさ!」

    「思いっ切り言い淀んでいるじゃないか!」

    (こいつ、面倒臭ぇ!)
    しかめっ面に冷や汗がにじむ。
    いつの間にか、演技でなく、シオンは本気で怒りと焦りを抱えていた。

    「そんじゃあ聞くけど、俺が一体どういう反則をしたって言うんだ? 教えてくれよ」

    「それはわからない!」

    「ほれみろ! 俺が反則使ってねえ証拠だ!
     言いがかりつけてんじゃねえぞ! この、五年後はハゲ!」

    「だからね! 調べに行くよ! これから! ポケモンセンターにね!」

    心臓が凍りつく。
    思わず息が止まった。
    ポケモンセンターへ連れていかれたらピチカの反則がばれるのか?
    しかし、ここでシンの動きを止めようとするものなら、余計に反則を怪しまれる。
    どうしても避けられなかった、わずか1パーセントの不安要素。
    シオンはそれを、背負わなければならないリスクととらえた。

    「約束してくれ。俺が反則したって証拠が見つからなかったら、トキワシティ皆の借金をチャラにする、と」

    シンはすぐには答えなかった。
    ポケモンセンター行きを妨害しなかったシオンの意図が分からず、警戒しているのだ。
    何を考えているのか、厚かましい仏頂面のまま固まってしまっている。

    「おい返事しろよ!
     ひょっとしてお前、反則してようがしてなかろうが、俺に負けだって言い張るつもりなんじゃないのか!?
     ふざけんなよ! 証拠のない冤罪なのに押し通そうとするとか、どっかの国の……!
     これ以上は止めておく」

    我ながら賢明な判断だ、とかシオンは思っていた。

    「そうだね! そのとおりだよ! わかった!
     もし証拠が見つからなければ! 素直に負けを認めよう!」

    「よし。約束だぞ。言質とったからな」

    さすがに良心を咎めたか、それともシオンが面倒臭いので仕方なくなのか、
    とにかくシンはしぶしぶ了承してくれた。
    咄嗟にシンは身をひるがえし、広い背中を向けるなり、
    大きな歩幅で、大地を踏みならして、みるみるうちに遠ざかっていく。
    シオンの戦いは終わった。
    後は天に祈るしかない。ピチカの反則が見つからない事を。




    「いやー、勝ちましたねー」

    へらへらしながらのこのことぼちぼちダイヤモンドがやって来た。

    「シオンさんて、反則使わなくても、普通に強いトレーナーだったりするんじゃありませんか?」

    「いいや。俺が勝てたのは、偽審判の判断ミスのおかげだよ。
     あの局面で『しっぺがえし』や『はかいこうせん』を使ってこなければ、俺が負けていたかもしれない。
     もしかすると、ポケモンバトルとは相手のミスを突く競技なのかもしれないな」

    「そうですか? 僕は、てっきりレベルの差でゴリ押しする競技かと思ってましたけど」

    「さ、流石だな。俺には真似できないぜ。ところで、ダイヤモンド。あのよ……バレると思うか?」

    「十中八九。というか、普通に考えてバレバレの反則ですよ」

    「そうか」

    途方に暮れるように、シオンは離れ行く紫の背広を見据えた。

    「でも、まぁなんとかなるだろ」

    「反則が分かったところで、証拠が見つからなければ負けを認めるそうですからね」

    「今さっきの約束だろ。我ながら天才的な思いつきだった」

    「誰からも褒められない役立たずに限って、自分で天才とか言っちゃうんですよね」

    「なんかお前、最近手厳しいぞ」

    「ほら、駄弁ってる内に、シンさんがもうあんなところに。急ぎましょう」

    「そうすっか。おいまてよ、偽審判! もしくは似非借金取り! なんちゃってヤクザ! ポケモン泥棒!
     さっさとピチカを返せぇ!」

    砂粒ほど小さくなったシンの背中を追いかけて、シオンら一行はトキワを目指す。
    鉛色の雲を見上げて、今にも雨が降り出しそうだな、と足を速めた。
    荒野の大地を駆け抜ける。







    つづく







    あとがき

    自分で書いておいてアレなんですけど、なんだか八百長試合っぽい感じがします。
    シオンが勝利を勝ち取ったというより、オウ・シンがシオンを勝たせたような、そんな風にも見える。

    あと推敲してて思ったんですが、
    バトル中の地の文の説明がグダグダすぎて何が起こってんのかさっぱりですね。
    もっと分かりやすく書けたらいいのですが、
    どうやって説明したらいいもんか悩んでも分からなかったもんでして、
    ちょっと申し訳なかったです。

    次回の第二話で今回使っていたシオンの反則が描かれております。

    ありがとうございました。


      [No.1218] Re: 第4話 傍観者たち 投稿者:SB   投稿日:2015/01/21(Wed) 20:32:55     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    逆行さん。
    コメントありがとうございます。

    ファンって言ってもらえたのは書き始めてから初めてで、小説を書き始めてからたぶん今日が一番うれしい日です。嘘じゃないです。ありがとうございます。

    今はすこし訳あって書き進めることができないのですが、これだけは約束します。
    2015年12月31日23時59分までにこの物語を完結させます。
    この物語は、絶対に放置しません。

    これからもよろしくおねがいします。


      [No.1217] Re: 第4話 傍観者たち 投稿者:逆行   投稿日:2015/01/20(Tue) 00:51:31     45clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    こんにちはSBさん。あの、逆行です(どの逆行だよ)。「ゲームのルール」読ませていただきました。実はSBさんの隠れファンであります。第一回目のポケスコのときからずっとSBさんの小説が好きでした。


    第一話の主人公が、自分が助かるために他の人達に向かってサイケこうせんを放つ様は、「蜘蛛の糸」のお話を彷彿とさせました。とはいえ、これは生き残るための行為ですので、仕方がないとも言えると思います。
    マグカップが割れたときのためにもう一個買っておくなど、この主人公は真面目な性格であることが分かります。なのでサイケこうせんを命令した後は、ひどく後悔したことでしょう。罪滅ぼしのためにミルクを与える行動は、極めて納得感がありました。冷静に考えると、こんなことができるほど余裕がある精神状態ではないんですけどね。こういう不思議な世界観であるからこそ、読んでいる最中にそういうことを考えさせないんだなあと思いました。


    第二話になって、ようやくこのゲームのルールがわかってきて、ここからかなり面白くなってきました。
    僕も情報系の大学に行っているのですが、二話の主人公が通っている大学と環境がすごく近かったです。オタクが多かったりとか、後田舎に学校があったりとかコンビニまで10分かかるとか、なぜかうちの大学と共通している部分が多かったです。
    と、それはさておき。
    このゲームはかなり運にも左右されますね。どのポケモンがパートナーになるのかとか。ミミロルも確かに強いポケモンではないですけど、コンキングがパートナーになった人間とか、最初どういう心境だったのか気になりますね(笑)。後大きいポケモンが不利という意味では、ホエルオーとかを渡された人間とかもあまり幸運ではなかったという感じですかね。


    ケーシィはずいぶんエグいことをしてきましたね。上空300mから落とすという戦法は、このゲームならではでなるほどなと思いました。このケーシィに勝てるポケモンは今度表れるのでしょうか。やっぱり飛行タイプや特性ふゆうを持ったポケモンが天敵ですかね。アリサには死亡フラグが立っているような気がするのですが、果たしてどうなるのか……。


    そして第四話では、ルールを破壊する人がでてきましたね。
    「モブ」の意味を調べて見たんですが、これは驚きました。こんな意味があったんですね、知らなかった……。ここに注目したSBさんはすごいです。
    自分なりの正義を貫いて、他人を殺してしまった警察官ですが、彼も今度どうなるのか非常にきになるところです。


    正直なことを言うと、この話を一回読んでだけでは理解できず、二回目でようやく理解できました。
    決して分かりやすい話ではないけれども、読み終わった後に、もう一回読んでみようという気持ちになるんです。
    これはどういう意味なんだろうと考えながら読む。そんな楽しみがSBさんの小説にはあると思っています。


    では、これからも更新の方頑張って下さい。
    それでは失礼致します。


      [No.1216] 第4話 傍観者たち 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2014/12/29(Mon) 00:13:06     54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    傍観者たち






    一面の傍観者。
    一面の傍観者。
    一面の傍観者。
    一面の傍観者。
    名もなき演者。

    あの人は一体誰だったのだろう。

        ◇

     生命は宇宙からやってきたという説がある。
     しかし、宇宙からやってきたその生命がどのようにして発生したのかは、誰も知らない。

     人間の頭の中には小人が住んでおり、それが人間を操っているという説がある。
     しかし、人の頭に住む小人がどうやって動いているのかは、誰も知らない。

     かつて、意味という言葉について研究した哲学者がいた。
     彼は意味という言葉の意味を変えることによって、それを定義した。
     そのため、彼の定義する前の意味という言葉の意味を知る者は誰もいない。

     私にはもう時間がない。
     私は答えを見つけたい。
     私は、このゲームの意味を見つけたい。
     考えると額のしわがさらに増える。あと数年で定年退職。それでも、一刑事として、この事件を終わりにしたい。
     このゲームを、終わりにしたい。
     そのためならば、手段は問わない。

     もう一度言おう。
     手段は、問わない。
     答えを見つけるためならば。

        ◇

     ゲーム開始は1月前。
     ゲームの開始日に、鳥が降り立った。黒い鳥が降り立った。黒い鳥は東京を破壊し、去った。そのあとに、画面の向こうのお友達が現れた。
     巨大なモンスターもいた。小さなモンスターもいた。電気を流すモノもいた、炎を吐くモノもいた。そうやって、本来画面の向こう側にしかいないはずのモンスターたちは、人間と協力して人間を殺し始めた。
     プレイヤーは赤、緑、青の3色に分かれて争う。そしてもう一色。
     プレイヤー同士が出会うと、生死をかけた戦闘が行われる。戦闘は常に発生するわけではない。プレイヤーは戦闘することを義務とされていない。逃げ続けることも可能である。ただし、戦闘をしたいと思われるインセンティブが用意されている。
     それが三月ルール。
    ゲーム開始から3か月たつと、同じ色のプレイヤーがほかにいた場合、その色のプレイヤーはすべて死んでしまう。そのため、プレイヤーは同じ色のプレイヤーがいた場合、それを殺す方が得策である。
     あるいは、戦えば3か月が経つ前に死んでしまうと思うのならば、逃げ続けるという選択肢もある。1月で死ぬのと比べれば3か月後に死ぬ方がましなのかもしれない。

        ◇

     ゲームのもたらす影響は、プレイヤーだけにとどまらない。巨大なモンスターが街を歩けば、当然建物は崩れるし、人的にも多くの損害を被る。
     しかし、大きなモンスターはすでにほとんどが死んでしまった。隠れることの難しい巨大なモンスターはサバイバルゲームにおいて不利であったのだろう。
     一方、小さなモンスターでも多くの人間を殺すことは可能である。それは例えばゲーム開始2週間後に見られた、人食いの行動にもみられる。この件では蜘蛛型のモンスターが網を張って人間をとらえ、無差別に食い続けた。これは東京在住に限定されると考えられるプレイヤーを殺そうとしたことが動機と考えられる。
     なお、この犯人はまだ捕まっていない。警官二人を殺害したうえで、逃走中である。
     私の部下を二人食ったうえで、逃走中である。
     私の息子と同い年の青年を食い殺したうえで、逃走中である。
     私の息子と同い年の……。

    「田辺課長、渡邉部長がお呼びです」
     私は現実世界に戻る。PC画面の向こう側にはだれもおらず、警視庁のポータルサイトが表示されるのみである。
     ワタナベ。タナベという私の名前とよく似ているが、一文字多い。一文字分、お前は足りていない。渡邉はよくそういう。何が足りていないのかとかつて聞いた。思慮分別、と渡邉は答えた。
     思慮分別。
     いらない。そう思った。
     この世界に唯一存在する絶対正義の名のもとに、私はこの街を守る。
     汚れきったこの街を。
     この街がこの街でいられるように。
     携帯が鳴った。古い折り畳み式の携帯電話が光りながら音を出す。
     私は受信ボタンを押す。
     小さな機械の向こう側からかすれたような声が聞こえた。
     出ました、と。モンスターが、出ました、と。
     どこにだ、と聞く。
     屋上、と部下は答えた。そして通話が途絶えた。ボタンを押して切ったのではないことは、電話が破壊される音を聞けばすぐにわかった。

        ◇

     テロとの戦いを旗印にアメリカは狂い始めた。我が国もすこしずつ、右に偏り始めた。
     最初は少し傾いている程度だった。もっと偏ってほしいと思う人もいた。元に戻ってほしいと思う人もいた。拮抗していた。
     拮抗はある日突然終わった。
     きっかけはなかった。
     ただ、世論が傾いた。
     それはマスメディアが原因かもしれなかったし、ソーシャルメディアの責任かもしれなかった。原因は誰も追及しなかった。傾いたそのあとでそれを調べることに意味がなかったからだ。
     そして、我が国は傾いた。
     今はまだ、軍隊は存在していない。
     しかし、警察が力を強めたのは間違いがなかった。
     私はそれに不満だった。正義という言葉の意味が変わりつつあったからだ。
     かつて、正義とは、弱きを助けるものだった。
     今では、正義とは、強者をくじくものとなった。
     なぜ、永久不滅の正義の定義を捻じ曲げようとするのか。酒を飲みながら大学時代の同級生と語り合ったことがある。たしか、あの男は辺鄙な情報系の大学で進化について教えていたはずだ。役職は准教授だった。一生「准」はとれないよと笑っていた。
     その准教授は正義の意味が変わることについて、憤りを感じてはいないようだった。私はそのことを怒った。すると、奴は、こう答えた。
    「生き物は常に変化する。例えば、お前の体も毎日古い細胞が死んで新しい細胞が生まれている。その新しい細胞は、当然お前が食ったものから出来上がっている。そして死んだ細胞はお前の体から出ていく。つねに体の中身が移り変わっている。だからこそ、お前は死なずに生きているのだ。もしもお前の体が変化をやめてしまえば、お前は死ぬ。お前にとってはその方がより大きな変化だと感じるだろう?」
     何が言いたい、と詰め寄ると、奴は熱燗を一気に飲み干した後、こういった。
    「とても大きな変化を止めるためには、小さな変化が必要なのさ。絶え間なく続く、小さな変化が」
    「この国の正義が変わることが、小さな変化だと?」
    「この世界が終わることと比べたら」
     そしてアッハッハと笑いながら、動的平衡だのナッシュ均衡だのと意味の分からない単語を羅列し始める。いつものことだった。私は聞くのをやめて、じっと警察手帳を見つめる。
     私は、私の正義を信じる。

     携帯電話からはツーツーという機械音だけが聞こえる。

        ◇

     本物の銃を使った警官は昇進できないと言われている。そのため、警官はいつもガス銃を持っている。ガス銃ならば撃っても昇進できる。使えばデモを起こす若者を検挙して成績があがる。
     そんなことはどうでもいい。
    「銃を持ってこい」
     私は部下に指示した。
     警報の音。
     18階建ての警視庁の屋上に正体不明のモンスターが降りたと。
     特殊警備班が向かったと。
     冷静に対処しろと。
     興味はなかった。
     私は音を立て、薄暗い非常階段を駆け上がった。

        ◇

     部屋は暗い。PC画面だけが白く光っている。俺は画面からアラートを拾い上げる。良い知らせではない。
    「まずいことになった」
    「どうしたのかしら」
    「“蜘蛛”が危ない」
    「アリアドス? デンチュラ?」
    「アリアドス」
    「ま、どちらでも構いませんわ。死ぬならば、死なせておけばよいのです。敗者は死者なのですから」
    「“蜘蛛”はゲームのルールにのっとった死に方をしない」
     そこでカイバ女史は赤く塗られた爪を咥えながら少し考えて答える。
    「何があったのかしら」
    「傍観者が動いた」
    「協定は?」
    「破られた」
    「責任者には処罰を」
    「傍観者には?」
    「舞台からの退場を」
    「如何様に?」
    「私たちの“持ち物”で何とかしましょう。そうね、アリアドスも一緒に殺しておきましょうか。そうすれば、ゲームの敗者として死ぬことができるのですから」
     俺は頷き、“黒い鳥”にアクセスを開始する。
     地図上にポイントを打つだけの、簡単な仕事だった。

        ◇

    「モブって知ってる?」
    「ゲームの奴?」
    「そう。それ」
    「それがどうしたの?」
    「あれさ、語源は知ってる?」
    「知らない」
    「語源はね……」

        ◇

     都内16階建てマンションの13階。4Kのテレビ。46型。12万5千4百円。
     部屋の電気はついておらず、テレビ画面が唯一の光源。
     ニュースのキャスターが伝える。
     警視庁屋上に怪物が現れた旨。
     特殊部隊をかき分けて、初老の男が怪物に向かって走っていく様子。
     そのあと現れた、イベルタルと呼ばれる黒い鳥。
     破壊された後の警視庁舎。
     勇敢な警察官の訃報。
     そして最後に一つの続報。

        ◇

    「メタゲームって知ってる?」
    「新しいゲームソフト?」
    「違うよ」
    「何、それ?」
    「ゲーム」
    「は?」
    「ゲームに関するゲームのこと。Game about game.」
    「は?」
    「ゲームという存在そのものがフィールド。ゲームという存在そのものがプレイヤー。ゲームという手駒を使って、ゲームというフィールドで、ゲームを行う、一階層上に存在するゲームのこと。それがメタゲーム」
    「よくわからないなぁ。ポケモンやらない?」
    「対象となる“その”ゲームを行う前にすでにして開始され、すでにして終わっているゲーム。それがメタゲーム」
    「で、ポケモンはするの? しないの?」
    「するとも。それはもうすでに始まっているのだから」

        ◇

    「えー、では、進化について、もう少し詳しく説明しましょうか。進化には方向性があるように見えます。たとえば、体が大きくなると、体の体積当たり表面積比が小さくなる。なので、放射熱は低くなり、単位体積当たり消費エネルギーは小さくなる。平たく言えば、ゾウ1トンとネズミ1トンとを比べたら、ゾウさんを一匹育てるほうがよっぽどコストが低いということです。小さいのはコストが高くつくんですよ。燃費が悪いというかね。それでたとえば島の法則って言われるんですけれど、小さな島に漂着して進化した生物は巨大化することが多い。ガラパゴスゾウガメとかね。それはなんでかっていうと、敵がいないんだったら都合の良い体にしたほうがいいから。都合がいいっていうのは、要するに体を大きくするってことです。逆にでかすぎる奴は小さくなる。ちょうどいい体の大きさっていうのがあって、それを目指して進化していると。
    「それじゃあ生物はみんなおんなじ大きさになるのかっていうと、でもそういうわけではない。小さくなる時もある。大きくなる時もある。それはね、進化っているのは後出しじゃんけんだからです。方向性があって進化するわけじゃあない。適当に、みんなてんでんばらばらな大きさになって行って、でも良くない大きさになった奴はバカだから死んじゃう。正しい大きさになった奴が生き残る。だからみんな似たような大きさになる。
    「てんでんばらばらな大きさにみんな変化するっていうのが大事。その結果が取捨選択されて、強いやつが生き残る。強いって言葉の意味も周囲の環境によって変わる。でかいのが強いのか、飛べるのが強いのか。だから、本当に最強を探すためには、いろんなタイプのを試してみるのが必要なんでしょう。で、環境中にほっぽり出してみて成果を確かめると。うん? え? 講義時間過ぎてましたか。あぁ、それはすいませんでした。えー、出席カードは前に出しておいてください。それではまた来週」

        ◇

     ニュースの続報。
     髪をそろえた女性キャスターが伝える。
     “蜘蛛”のトレーナーは、黒い鳥の放つ黒い球が着弾する直前、すでに警官の放った銃弾に当たって死んでいた旨。
     “蜘蛛”を殺したものは、厳密には鳥ではなく人間だった旨。
     伝えたのち、ニュース移る。明日の天気について。天候は晴れ。降水確率10%。最高気温の前日との差、−3度。
     次のニュース。



    ---


      [No.1215] Section-25 投稿者:あゆみ   投稿日:2014/10/31(Fri) 17:40:16     42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    レグタス。アルセウスにまとわりつき、ダメージを与えていたポケモンの名前だった。レグタスの群れに攻撃されたアルセウスは、まっすぐ進むことができず、右に左にとふらつきながら進んでいる。
    「何、あれ!?」
    「ポケモンなの!?」
    コトブキシティの中心街はまだ立ち入りが制限されていたが、その非常線の張られたエリアのわずかに外側には多くの野次馬が集まっていた。中にはカメラやスマートフォンを持って撮影しようとしている人もいる。
    アルセウスはレグタスの群れに攻撃されながらもどうにか歩を進めていたが、まとわりついたポケモンに攻撃を加えるのは並大抵のことではない。やがて攻撃を受けてか、足を取られてその場に崩れ落ちてしまった。
    「アルセウス、大丈夫なの・・・?」
    チヒロが心配そうな表情でアルセウスが飛んでいった方向を見つめる。
    「あたしにも分からないわ。だけど、あの方向って、確か・・・。」
    そう言ってアスカはアルファ・スタイラーでその方向を指し示した。――そこには、コトブキシティとその周辺地域に電気を送る送電所が建っていたのである。
    と、レグタスの群れが送電所の方向を向いて、何かを感知した。
    すると、どうだろう。送電所に何かを感じ取ったのか、レグタスの群れは一斉にアルセウスから離れ、送電所を目指して群れを成して向かい始めたのである。
    「送電所・・・?」
    チヒロがアスカの方を向く。
    「きっと、レグタスの群れは送電所の何かに引き寄せられているのだと思うわ!」
    レグタスの群れがアルセウスから次第に遠ざかっていく。――それを見たのか、アルセウスは自らに絡みついたレグタスの群れを降りほどかんとばかりに勢いよく飛び上がったのである。
    急に飛び上がったアルセウスに対応できなかったのか、レグタスの群れが1匹、また1匹と振り落とされていく。そのダメージが強烈だったのか、振り落とされた衝撃で戦闘不能になるレグタスの数も少なくなかった。
    レグタスの群れもなおも上空で抵抗し続けていたが、アルセウスは残ったレグタスの群れが自らを攻撃しているのも構わず、勢いよく上空を目指して飛んでいったのである。
    「アルセウス、かなりダメージを受けていたわね。あたし達もポケモンをキャプチャして追いかけたほうがいいかしら?」
    チヒロの言葉にアスカは首を横に振った。
    「今あたし達がむやみに追いかけたら、あのレグタスに逆に攻撃されてしまうかもしれないわ。レグタスの生態については、あたし達はまだ何も知らないのと同じなのよ。」
    「でも、あれは?」
    チヒロがアルファ・スタイラーで送電所を指し示した。――そこには、たくさんのレグタスの群れが送電線にまとわりついていたのである。
    送電線にへばりついたレグタスの群れは、何の行動も示さない。戦闘不能になっているのだろうか。
    「レグタスの群れが・・・?送電所の電線に?」
    そこまでアスカが言ったとき、すぐ近くの地面が突然勢いよく盛り上がった。
    「きゃっ!」
    思わずアスカが叫び声を上げる。――盛り上がった地面からは1匹のレグタスが現れたのである。
    「何をするの・・・!?」
    アスカは心なしかアルファ・スタイラーを強く握り締めていた。もしも襲い掛かろうものならキャプチャしなければならない。そうしなければ更なる被害が出てしまうだろう。
    だがそのとき、レグタスの全身が突然青白い光に包まれ始めたのだった。
    「何!?」
    「レグタス、進化するの・・・?」
    思わずアスカとチヒロもお互いの顔を見合わせる。
    青白い光に包まれたレグタスは、やがてやはり誰も見たことのないポケモンに姿形を変えていったのである。――暗くてよく分からないが、灰色の不気味な体色に異様ないくつもの突起。そして、暗闇の中でも青白いその瞳が、異様に光っていたのである。
    「レグタスが進化した・・・?」
    チヒロはささやくほどの小さな声で言った。
    すると、レグタスが進化したそのポケモンは、背中の薄い羽を高速で羽ばたかせながら、アルセウスを追うかのごとくその場から飛び去っていったのである。
    「1匹のレグタスは進化して、レグタス達を束ねるものになったんだわ。」
    アスカはそのポケモンが飛び去っていった方向を見つめながら言った。
    「レグタス達を束ねるポケモン。名前は、レギロゴス・・・。」
    「レギロゴス?」
    レギロゴス。そのポケモンは、この星に何をもたらそうとしているのだろうか・・・。


      [No.1214] 第3話 東京湾の毒吐き男(後編) 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2014/10/18(Sat) 00:19:38     48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]





    東京湾の毒吐き男






    【一部過激な描写が含まれます】







    「ここまでコケにされたのは初めてだよ」
     俺は大きな声で伝える。
     少女は眠ったまま、目覚める気配がない。
     残念ながら俺はロリコンではないため、美しい少女を見ても感慨は乏しく、残念ながらフレイヤは眠り姫の言うことには盲目的に従うらしく、俺にメリットのある選択肢は存在しない。
     まぁ、死ななかったから良しとしよう。
     これからのことは考えないことにしておいて。

        ◇

     話は10分前にさかのぼる。
     敵は二者いた。
     一つは歩くような速度で穴へと向かう者。最初にフレイヤが気付いたのはこちら。しかし、もう一人、何かが近づいてきていた。それは蛇行しながらモーターボート並みの速さで泳いでくる。
     最初の奴はおとりかと思った。それくらい、全くフレイヤを意識せずに進んでいく。もう一つも泳ぐことに必死になっているのか、こちらにはまだ気づいていない。恐らく、あとから来た方は、フレイヤではなく、最初に浮遊してきたトレーナーを追っているのだと思った。それならば、無理に戦う必要はない。
     俺はフレイヤを静かに海底のヘドロの近くまで潜航させた。そして、トレーナーを守る膜の位置を修正し、俺はヘドロの中に隠れる。
     ドラミドロはもともと海藻に擬態したポケモンだ。隠れるのは苦手ではない。それに、万が一気づかれたとしても、毒殺すればいいだけのことだった。難しい話じゃない。それよりも、ロープと穴の存在に気付かれる方が嫌だった。中に入ろうとしたら、殺すしかない。フレイヤに作戦を伝える。
     ゆっくりと浮遊している方のポケモンが穴から20mを切るくらいにまで近づいた。明らかに穴の存在を知っている泳ぎ方だ。穴が目視できる距離に入る前に殺さなければ。
     だが俺は、神経を麻痺させるタイプの毒を海中に少しずつ撒きながら、少し待った。
     もう一つ、高速で泳いでいる方が追いつくまであと数秒。
     二者が同じ場所に来た時点で、一気に毒素を吐きかけるのが得策というもの。
     フレイヤの鼓動の高まりを感じる。あと一秒。
     毒を吐くその直前、海が光った。
     フレイヤの毒の色ではない。
     もっと鮮やかで、明るく、穢れの無い色。
     濁った世界に広がる、純白の光。
     俺はとっさに目を覆う。フレイヤにヘドロに潜るよう指示を出す。
     その刹那、爆弾を海中で爆発させたかのような衝撃が走った。海底のヘドロが巻き上げられる。光が一瞬にしてさえぎられる。
     隠れることができた安堵と、穢れの無い光を見ることのできなくなった悔しさが同時にこみあげた。
     衝撃は二回来た。一つ目は光の直後のそれ。二つ目は、水塊が壁にぶつかって跳ね返ってくる時の衝撃。ヘドロに隠れるために自分をフレイヤの下に位置させておいてよかった。もし仮にフレイヤの背中に乗っていたならば、膜ごと流されていってしまっただろう。
     ヘドロが晴れると、オレンジ色のイタチのようなポケモンが浮遊していた。高速で追いついてきた方。フローゼルといったか。トレーナーは乗っていない。先ほどの衝撃で離れてしまったようだ。
     この環境下で海中に放り出されることは、死を意味する。
     数秒後、トレーナーが息を引き取ったのか、きょろきょろしていたオレンジのイタチは跡形もなく消えてなくなった。
     海底に這いつくばったまま、緑の空を見上げる。
     探すまでもなく、神々しい青い光に包まれた膜がすぐに見えた。
     毒素を発射しようと思った。
     フレイヤはとっくに準備できていた。
     それなのに、俺は打たなかった。
     打てなかった。
     膜の中に入っているものを見てしまったからだ。
     およそ、普通の人間とは思えなかった。
     アイドルのような露出の多い青い服を着た、人形のように白い少女。目は閉じられたままで、それも人間味を感じさせない。
     まぁ、そんなことはどうでもいい。殺す相手のことを考えるのは時間の無駄だからだ。
     問題はそのあと。
     眠り姫の連れているポケモンは、伝説のポケモン。マナフィだった。
     ドラミドロでは特防以外で勝っている要素がない。戦いたいとは思わない。
     色が違っていることを期待して、戦う気のないことを伝える。もちろん麻痺性の毒をばら撒きながら。
     すると、マナフィがこちらに反応して手招きした。トレーナーは目を開けようとしない。
      先ほどのパワーを見るに、攻撃するだけなら危険を冒してまで俺と近づく必要があるとは思えない。本当に戦う気がないのか。
     対応を悩んでいると、フレイヤが俺の指示を聞かずにマナフィに近づき始めた。俺が止めようとしても従う素振りがない。
     俺はもう一度大きなため息をついて、マナフィのトレーナーと接触する腹を決めた。

        ◇

     マナフィのトレーナーは眠っていた。
     生死をかけた勝負のさなかに眠っているトレーナーは初めて見た。
     殺されることはないものの、逆に俺が少女を殺すことができないことを見越しているようで少しイラついた。なお、麻痺性の毒は完全にシャットアウトされているらしく、マナフィが状態異常にかかっているようには見えなかった。
     マナフィがフレイヤに指示を出した。ポケモンがポケモンに指示を出すというシチュエーションは初めて見た。フレイヤが感じていることはなんとなく俺もわかる。どうやらこいつらは陸に上がりたいらしい。自分で行けよと思いつつ、フレイヤの細い翼にマナフィと少女をひっかけて浮上する。
     濁度が少しずつ上がっていく。神殿が緑のヴェールに隠れていく。
     黒い穴は、もう見えない。

        ◇

     日は沈み始めていた。
     人目の少ない適当な場所を選んで着地する。防波堤の先端に近い。とりあえずここにマナフィを放置して逃げようと思った。
     すると、ダイビングの膜が消え、中から出てきたマナフィがペコリとお辞儀をした。どうやら感謝しているらしい。よく意味が分からなかった。浮上するくらいならば自分一人でもできたはずだ。
     俺はマナフィと眠りつづけた青い少女に背を向けて、退散しようとする。
     しかし、フレイヤがついてこない。
     どうしたのかと思ったが、これもマナフィの指示らしい。
     陸に上がった間、こいつらのボディガードになれと、そういうことらしい。
     それでお辞儀をね。
     良くわからんが、海にすむフレイヤにとってマナフィの指示は絶対であるらしく、俺たちは日が暮れるまでそこに突っ立っていた。
     そいつが待っていた使者は、夜の7時を回ったころにようやく表れた。
     年老いた男だった。髪はぼさぼさの白髪で髭も長い。ちょうどゲームに出てくるAZに似ていると思ったが、そいつよりかは威厳がなかった。
     ただし、そいつの隣にはバシャーモがいた。
     そしてそいつは自身を赤だと名乗った。俺は青だと伝える。
     それだけで十分だった。
     俺は無言のまま、小さなAZに眠り姫を渡す。
     そして爺とバシャーモは眠り姫とマナフィを連れて俺たちに背を向ける。
     去り際に、爺が振り返って俺に尋ねた。
    「ポケモンは全て一種類ずつ配布されている。それなのに、なぜ晴れと雨が交互に来るのだと思うかね?」
     しわがれた声だった。俺は質問の意図がわからずに黙っていた。小さなAZは答えを待たずに話し続ける。
    「それは、カイオーガもグラードンもいないからだ」
     爺が咳払いしてもう一度俺に質問する。
    「ポケモンは全て一種類ずつ配布されている。それなのに、なぜ季節が変化しないのかね」
     俺は答える。
    「ファイヤーもフリーザーもいないから。そう言いたいのか」
    「なぜいないと思うかね。なぜ現れないと思うかね。ゲームのルールは忠実に守られている。そう、一切の例外なしにだ。ゲームのルールは絶対。であるならば、答えは一つしかなかろう」
     爺が赤子に読み聞かせるようにゆっくりとした口調で続ける。
    「みな、ゲームオーバーになったのだ」
    「死んだということか」
    「なぜ死んだと思うかね」
     爺が訊ねる。
     俺は口を開けない。
     沈黙。
     爺は俺の返事を待たずに答える。
    「殺されたのだよ。最後の一色に。赤でも、緑でも、青でもない。最後の一色に」
     最後の一色。俺は小さく復唱する。
    「何色にも染まらぬ、無色にだ。一人しかプレイヤーがおらぬ無色にだ。全色を敵に回した無色にだ。殺されたのだよ。全ての伝説のポケモンたちは」
     爺は俺の目を凝視しながらそう言った。
     ゲームのルール上、最も謎が多い最後の一色。プレイヤーの配分も、戦う相手もすべてが異なっている。
     無色。ゲームのルールを教えに来た黒服の男が説明しなかった最後の色。この色のことを、俺たちゲームのプレイヤーは無色と呼んでいた。
     青、赤、緑、どれにも属さないたった一人のプレイヤー。
     無色のプレイヤーは、同じ色のプレイヤーがいない代わりに、他の色全てと戦わなければならない。すなわち、すべてのプレイヤーが敵という訳だ。最も厳しいポジションにいるプレイヤー。そして、最強とうわさされるプレイヤー。
     誰もであったことがないプレイヤー。
     爺はにやつきながら手元の眠り姫を高く持ち上げる。
    「それなのに、この子は残った」
     口が裂けそうなほどの大きな笑みを浮かべながら、爺は続ける。
    「ゲーム開始から一月が経った。サバイバルゲームの3分の1が過ぎたということだ。今までは個人戦。しかし、これからは団体戦が始まるぞ」
     戦いに備えよ。爺は言った。
     俺は反論する。
    「戦う必要なんてないだろう。逃げればいい」
     爺はもう一度、口が裂けそうな笑みを浮かべる。いや、実際に口が裂けつつある。口の両端から血が出ている。俺は一歩後ろに引く。
    「三月(みつき)ルールを忘れたか。ゲーム開始から3か月後、すなわちあと2か月後、同一色に自分以外のプレイヤーが残っていれば、その色を持つプレイヤー全てが死ぬ。それが三月ルール。逃げる場所など存在しない」
    「そんなルールのために戦うのはごめんだな」
     勝手にしろ。俺はそういってフレイヤの背中に乗ろうとする。
    「あの女は、お前の敵だぞ」
     声と同時に腕を引かれた。
     振り返ると顔から数センチしか離れていないところに、満面の笑みを浮かべたまま口が裂けて血が噴き出している爺の顔があった。俺は慌てて振り払う。フレイヤが俺をかばうように間に入った。
    「備えよ。備えるのだ」
     爺が言うと同時にバシャーモがメガバシャーモにメガシンカした。
     そして眠り姫とマナフィを連れて消える。
     後には俺とフレイヤと口が裂けて血まみれになった爺だけが残る。
     そして、爺はゼンマイが切れたロボットのように地面に崩れ落ちた。
     東京湾は月の光を受けて、自らのヘドロを覆い隠そうとするかのように、青く白く光っている。

     おれは爺を海に突き落とすよう、フレイヤに指示をした。何が赤だ。本人じゃない、ただの操り人形の分際で。
    「三月ルールなんて、くそくらえ」
     俺は沈んでいく爺の体を見ながらアリサのことを思いだす。赤と言った後、握手をした時の汗ばんだ手を思い出す。震えながら差し出された腕を思い出す。
     そして、アリサの言葉を思い出す。
    ――なんであんたが私の心配をするのよ。私が死んだ方が都合いいでしょ
    ――あの女は、お前の敵だぞ。
    「黙れ。知ってる」
     俺はもう知っている。
     俺はもう気づいている。気づいてはいけないことに、気付いてしまっている。
     俺が守りたいのは、俺の敵。
     俺が守りたいのは、俺と同じ色の女。
     俺が守りたいのは、赤とうそをついた、青の女。
     そんなの知ったことか。あの女のためならば、ゲームのルールの一つや二つ、俺の手で、変えてやる。
    「フレイヤ、溶解液」
     船体をも溶かしてしまう強烈な溶解液がフレイヤの口から吐き出される。それは“穴”の有った場所の上に吐き出され、少しずつ足場が解け始めた。
     外側のコーティングだけでも溶かせれば上等。
     毒素で汚染された海に背を向ける。
     フレイヤに乗って、東京湾を後にする。

        ◇

     翌日、会社で海水サンプルの検査を依頼した。
     本来の業務のためのサンプルに加えて“穴”から採取した海水サンプルの調査も依頼した。顔なじみの業者なので、つけてもらった。結果は一週間もたたずに得られた。
    「この海水、いったいどこから取ったんです? こんな化学物質見たことがない」
     スーツを着た中年の検査業者の男が不思議そうに俺に尋ねた。
     俺は検査業者の営業を鼻で笑う。
     当然の結果じゃないか。
     これは別世界につながる穴なのだから。
     マナフィは、自分が生まれた海の底へ、長い距離を泳いで帰るという性質がある。人間の指示が得られない状況で、まっすぐに穴に向かって行ったことから考えて、穴の向こう側は、奴らの故郷に間違いない。
     俺は確信を確かにした。
     しかし、検査の結果はそれだけではなかった。
     異世界につながる“穴”からは、人間が作ったとしか考えられない汚染物質もまた、大量に含まれていたのだ。
     
     人間とはどこにいても毒をまき散らして去っていくものだ。
     別世界に通じた穴から人間が作った汚物が出てきたとしても、なんら驚くには値しない。






    __


      [No.1213] 第3話 東京湾の毒吐き男(前編) 投稿者:SpuriousBlue   投稿日:2014/10/14(Tue) 20:52:42     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]




    【一部過激な描写が含まれます】






    東京湾の毒吐き男








     朝晩が寒く感じるようになった秋の日の午後、子供一人が歩いていた。男の子だった。ランドセルを背負っていた。おそらく小学1、2年生くらいなのではないかと思った。赤いランドセルを背負った女の子が走ってきて、少年のそばによる。俺はたばこを吸いながら、ぼんやりと下校途中の子供たちを見ていた。
     少女は、大きくなったらお嫁さんになりたいと言っていた。一方の少年は、大きくなったら海賊王になりたいと言っていた。それを聞いた少女は大きな声で笑った。
     小さいころの夢はなんだったか、思い出そうとした。
     在りし日の夢を、もう一度見ようと思った。
     無駄だった。

        ◇

    「この言葉、知っているか」
     サブウェイのエビアボカドを頬張っている、厚化粧の女に向けていう。女は「へ?」と口をもごもごさせながら、俺の方に振り返る。口元にソースがついていた。俺より5つ下の19歳だと聞いたが、化粧のせいで少し老けて見える。同世代だと言われても驚かない。化粧がなければ驚くほど幼く見えるというのに。その顔がじっと俺を見る。
    「人生はマッチ棒によく似ている」
    「は?」
    「厳重に扱うのはばかばかしい。厳重に扱わねば危険である」
     女は口をとがらせてストローを吸う。アイスコーヒーの入ったコップが空になり、ゴボゴボと情けない音が吐き出される。女はコーヒーを飲み終えると、フム、と言って一瞬神妙な顔つきになり、そのあと俺に煙草をせがんだ。コンクリートの厚い壁に波がうち当たる。日は高く昇り、海が白く光っていた。
     俺が煙草を一本渡すと、二本同時に箱から引っ張られ、うち一つを無理やり口に突っ込まされる。女は慣れた手つきで俺の胸ポケットから素早くライターを取り出すと、二本の煙草に火をつけた。
    「それって誰の言葉?」
     煙を吹かせながら、女が言う。
    「芥川龍之介」
    「ふぅん」
     女は煙を目で追いながら答える。
    「それを、このアリサさまに言うとはねぇ。私ほど人生楽しんでる女ってあまりいないと思うけど」
    「だから言っているんだ」
    「いいじゃない、私、強いんだから」
     そういって、空中を浮遊しているケーシィの鼻を人差し指でつつく。狐に似たその生物は線のように細い目を自らの主人に向ける。アリサは狐の頭を右手で撫でた。
    「だから言っているんだ。特殊能力に頼り切っていると、いつか足元をすくわれるぞ」
     アリサは俺の言葉を鼻で笑う。
    「つまんない説教ばかり垂れているから、あんなあだ名がつくのよ」
     そして、片方の唇だけをあげる独特のしぐさをしながら続ける。
    「東京湾の、毒吐き男ってね」
     言ってから、女は小さな声でつぶやく。ま、そんなところ、嫌いじゃないけど。
     アリサの声をかき消すように、水が割れる音がした。
     海の中から、花びらのような赤いツノが飛び出した。そして、毒ポケモンに似つかわしい紫と茶色の巨体が宙に浮く。
     ドラミドロ。ニックネームはフレイヤ。俺のポケモン。最強の毒吐きマシン。
    「時間だ。それじゃあな」
     俺にもたれかかろうとするアリサをすり抜けて、フレイヤのもとに向かう。
     バランスを崩した女は、ケーシィに支えてもらい、かろうじてこけずにはすんだようだ。ヒールでコンクリートを踏む固い音がした。悪態をつかれるのを無視し、煙草を捨ててフレイヤの背中に乗る。
     海の真上を飛ぶと、光に照らされて白く見えていた海の水も、隠れる場所を失って全面が緑に見える。これが、東京湾というものだ。

        ◇

     フレイヤの背に乗って東京湾を低空飛行しながら、女――アリサ――と会った日のことを思い出した。あの日も、今日のように良く晴れた日だった。
     ひと月前のことだ。黒い鳥がニュースを騒がした翌日にフレイヤが現れ、ゲームのルールをその翌日に知った。その時現れた容姿の整った黒服の男。特徴を捉えづらい男。そいつを殺せたらどれだけかよいだろうと思う。しかし、それを想像することさえできない。その男の顔を思い出そうとすると、遠い記憶の向こう側にあるかのように輪郭がぼやけてしまうのだ。
     その代りに、男に伝えられたゲームのルールだけは、鮮明に覚えている。
     ルールは簡単。
     ただのサバイバルゲームだ。
     生きれば勝ち。死ねば負け。
     翼の無い龍が宙を舞い、肉を切れば実際に血潮が飛ぶ、本物のポケモンバトル。
     その勝負に、勝てばいい。
     あまりにも突飛な話に呆然としている中、細身の男は話を続けた。
     陣営は四つある。うち、赤・緑・青の陣営はほぼ同じ人数で構成され、その色の中で勝敗を決める。だから、色が違えば戦う必要はない。
     一方、色が同じだった場合は、命を懸けた勝負が始まる。
     俺は青だった。
     正直にその通り答えると、アリサはぎこちなく笑いながら、言った。
    「私は赤。あなたとは仲良くなれそうね」
     そういって、彼女は震えながら手を差し出す。俺はその手を取った。
     汗ばんだ手だった。
     あれからすでに一月。ゲームが始まって間もなくであったアリサは、当時とは状況が大きく変わった。
     アリサの手持ちはケーシィ。ケーシィはテレポートくらいしかまともに使える技がない。相性の良い毒タイプとはいえ、ドラゴンも併せ持つドラミドロを相手にして勝つすべはなかった。それどころか、ほぼどのような相手であったとしても、勝つことは不可能であるように思えた。
     しかし、彼女は画面の中の戦いと実際の戦闘は大きく異なることに気付く。
     アリサがボスゴドラのトレーナーを葬ったことを聞いたのは、出会ってから二週間後のことだった。はじめにワイドショーでボスゴドラが消えたことが伝えられ、そのあとアリサに事の顛末を聞いた。
     方法は単純。テレポートで相手を地上300mまで連れて行く。そして、自分はテレポートで地上に戻る。数秒後、対戦相手が落下して死ぬ。
     ボスゴドラはどうやら上空でメガシンカしたらしいが、図体が大きくなる以上の効果はなかったようだ。巨大な体はトレーナーの死とともに消失した。隠れることのできない巨大なポケモンだったから、ゲームに優勝することはないだろうと思われていたものの、この死に方は誰も想像できなかったに違いない。
     戦い方を知らなかった頃のアリサはいつもおびえて暮らしていた。反撃できないことをいいことに、色が違うトレーナーにまで目をつけられたらしい。それであればケーシィを隠していればよさそうなものだが、そういうところに頭は回らないようだ。いつもテレポートで逃げまわっていた。弱いということが伝わり、余計に目立つ存在となった。お陰で、アリサをかばう俺の存在も知られるようになってしまった。アリサを殺しに来た者たちを、何人も殺した。
     毒吐き男に守られる、攻撃手段を持たないトレーナー。
     それが一夜にして最強のトレーナーだ。
     テレポートで一瞬のうちに近づかれて、文字通り間髪を入れずに300m上空に飛ばされる。空を飛ぶことができないポケモンのトレーナーに勝ち目はなかった。
     アリサはそれがうれしかったらしい。今までの復讐とばかりに、色が違うトレーナーであっても手当たり次第に上空に連れて行き、全員殺した。
     俺はそれをたしなめた。
     サバイバルゲームには二つの勝ち方がある。
     一つは、殺される前に殺すこと。
     もう一つは、殺される前に、逃げること。
     サバイバルゲームの勝利条件は殺すことではない。生き残ることだ。
     アリサの戦術は相手によっては必勝に近かったが、ドラミドロのように宙を浮くことができるポケモンに効果はなかった。それに、コイルなど、飛行タイプでなくても宙を浮いて移動するポケモンは多い。相手を間違えば、逆に自分が殺されることになる。
     それを言うと、アリサは自虐を込めた笑みを浮かべながら答えるのだ。
    「なんであんたが私の心配をするのよ。私が死んだ方が都合いいでしょ」
     アリサと初めて会った日のことを思い出す。赤と言った後、握手をした時の汗ばんだ手を思い出す。震えながら差し出された腕を思い出す。
     なぜ俺が、あの女の心配をしなければならないのだろうか。

     フレイヤがいななき、目的地に着いたことを伝える。
     サバイバルゲームにおいて、俺はいつも逃げるか守る側だった。
     しかし、逃げてばかりはいられない。
     ゲームには、もう一つ、ルールがあるからだ。
     もうすでに一月たった。ゲームの前半戦は終わりに近づいている。時間はあまり残されていない。
     俺は、ドラミドロに指示を出す。
     ダイビング、と。
     宝物は大抵、海中に眠っているものだ。

        ◇

     ダイビング状態になると、フレイヤの周囲に見えない膜ができる。その中にいる限り呼吸ができる。これは戦闘状態になっても続いた。
     理屈は分からないが、考えても答えなどでないのだろう。
     膜が張られたことを確認して、フレイヤに潜水するよう指示を出す。宙を浮くのと同じ体勢で、そのまま緑の水の中に入っていく。周囲に泡が立つ。膜の外側を緑の水が覆っていく。上を見上げる。青い空が緑に染まる。
     東京湾には3つの顔がある。
     一つは日の光に照らされた、キラキラ光る美しい海。
     一つは真上から直視した、緑に染まった淀んだ海。
     そしてもう一つ。
     ここは大型タンカーも停泊する大きな港であり、汚染のされ方は尋常ではない。水中も当然緑に染まり、通常は5m先も満足には見ることができない。そんな東京湾であっても、潮の関係でごくまれに遠くまで見通すことができる日が来る。外湾からきれいな水が入ってくるためだ。もちろん緑に着色はされているものの、10m先がぼんやりでも見えるようになると、世界が変わる。
     緑の空間の中に、突然巨大な柱が現れる。それはタンカーから荷物を引き上げるクレーンの支柱であったり、港に突き出した足場の骨格であったりした。コンクリートの柱には、貝やクラゲの幼体――ポリープ――がひしめき合っており、人間が作り出した建造物であったことを忘れさせる。
     中心部に到達する。
     最も工業排水が多い場所。最も建造物が多い場所。最も海中が入り組んだ場所。
     以前、アリサと一緒に潜ったことがある。
     その時アリサは、こういった。
     まるで、見捨てられた神殿のようだと。
     名も知らぬ海藻や貝類が付着した巨木の幹のような柱が均等な間隔で並ぶ。本来の用を失った足場が放置されて屋根のように引っかかる。その中を、濁った海に適用したクラゲだけが浮遊する。
     魚も棲むことをあきらめた、忘れられた神殿。それが東京湾の三つ目の顔だった。
     そこに俺は毎日潜る。
     そして、検査キットを膜の外にそっと突出し、海水サンプルを保管する。
     何のことはない。俺の本来の仕事は、環境アセスメント。フレイヤが来て、海水サンプルを得る場所が少し変わっただけのことだ。
     仕事を済ませた後、俺は今日この日を待たなければならなかった私事を片付けに行く。このくだらないゲームの構造を調べるための、鍵を取りに向かう。
     フレイヤに指示をして、俺は1か月前に突然現れた黒い穴へ向かう。

     最初に潜水具をつけて東京湾に潜ったのは2年ほど前だった。それから2か月に1回、サンプリングのために潜っている。俺以外の社員は潜らない。本当は新入社員を鍛えるということだけのために行っていた行事らしいが、俺が潜るのを嫌がらないことがわかると、突然業務を増やした。誰もやりたがらない仕事は実入りも良いのだろう。俺の給料が上がることはなかったが。
     それはともかく、フレイヤの潜航深度には遠く及ばないものの、何度も潜った海であるから、その構造は熟知しているつもりだった。
     それが、変わった。
     黒い穴は、船が接岸しやすいようにと足場を立てたその下に空いている。直径は2メートルほど。
     穴の付近は極端に入り組んでおり、視界が開けた時にしか近づくことができない。しかし、確かに入り組んだフレームの隙間にぽっかりと、一匹の貝も海藻も付着していない異様な空間が広がっている。
     最初に見つけたのはアリサだった。俺は明らかに異質な雰囲気を持っているその穴にアリサを近づけるのをためらった。そのため、その時はすぐに海上に戻った。
     それから3週間。ようやくこの日がやってきた。
     化け物たちが現れたと同時に出現した黒い穴。
     東京湾に空いた異質な穴。
     足場の柱にフレイヤを巻きつかせながら、少しずつ穴に近づいていく。
     遠くから見ると点でしかなかった黒い穴が、実態を持って迫ってくるのを感じる。
     アリサはその穴の先を、異世界だと主張した。こことは違う、別の世界につながった穴なのだと。そこからポケモンたちが現れたのだと。
     この穴を塞げば、ゲームは終わるのだと。
     もちろんその話を信じたわけではない。ただ、穴を調べることは有意義であるように思った。このゲームに関する情報を、何でもいいから手に入れたかったのだ。
     俺は穴の入り口の横にフレイヤを固定させ、海水サンプルを取った。サンプルを鞄の中にしまった後、地上なら5キロ先からでも見えると謳った高輝度LEDライトを取りだし、穴の奥に光を当てる。
     内部は完全な黒だった。
     一切の濁りはなかった。光はどこまでも続いていく。
     しかし、光はどこにも到達しない。
     アリサの言葉を思い出す。異世界に通じた穴よ、あれは。
     俺はフレイヤを支柱にくっつけ、膜の中に支柱を入れた。そして、表面が見えないくらいにびっしりと張り付いた貝殻を叩き落としながら、ロープをくくりつける。後は、ロープをもって、穴の中に入るだけだった。
     アリサはいない。そもそも穴に入ることをアリサに言っていない。また会えるかどうかも分からない。別にかまわない。
     ただ、あの女が死にさえしなければ、それでいい。
     ロープを張る。柱から手を放す。穴に向かうようフレイヤに指示を出す。
     しかし、その直後、フレイヤが何かに気が付き、小さくいななく。
     穴の中ではなかった。
     それは、緑に染まった東京湾の中に浮かんでいた。目に見えはしない。しかし、フレイヤの五感が確かにその存在を俺に伝える。
     俺は小さく舌打ちする。邪魔が入ったと。
     穴の向こう側に行くのはもう少し先だ。
     なぜならば、その物体は、フレイヤが作ったのと同じ膜につつまれて浮遊していたからだ。
     ポケモンとそのトレーナー。そう考えて、間違いない。
     俺はため息をついて、フレイヤに戦闘の用意をさせる。
     支柱に張り付いていた貝たちが腐って剥がれ落ちていく。
     海がフレイヤの毒素で紫色に染まった。
     状況開始。勝者は、生者だ。





    ――東京湾の毒吐き男(後編)に続く












    __


      [No.1212] Section-24 投稿者:あゆみ   投稿日:2014/10/11(Sat) 17:43:50     36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    アルセウスの放ったはかいこうせんで草体は粉々に破壊された。破壊されると同時に爆発と黒煙が舞い上がり、風に乗って黒く焼け焦げた草体の破片があちこちに降ってきた。
    「これって、あの草体の・・・?」
    チヒロが手のひらに落ちてきた草体の破片を見ながらアスカに聞く。――アスカはその声に無言でうなずいた。
    アルセウスは高々と雄たけびを上げる。シンオウ地方の伝説に語られるポケモンは、コトブキシティを襲った前代未聞の脅威を、1発のはかいこうせんで消し飛ばしたのである。
    と、そのときだった。
    「チヒロ、何か聞こえない?」
    アスカがふと声を上げる。
    「えっ?・・・何も聞こえないわ、お姉ちゃん。」
    チヒロは首を横に振った。――だが、それは確かに起きていたのだった。
    アルセウスの足元から、何体、何十体と言う、あの地下鉄構内に潜んでいた、ポケモンなのかそうでないのかも判別できない生物が、無数に現れたのである。アスカ達がキャプチャしただけではなかったのだ。まだ地下鉄構内には、あの生物が何体も息を潜めていたのだ。
    その生物はアルセウスに近づくと、二重、三重にアルセウスにまとわりつき始めた。そして、何かしらの技を放ってアルセウスを攻撃し始めたのだ。
    「何!?アルセウスが・・・!」
    チヒロはその様子を見ながら思わず声を上げる。――だがアスカは、あることを考えていたのだ。
    「あの生物・・・、いや、あれはキャプチャ・スタイラーが通ったからポケモンだと言ってもいいと思うわ。あのポケモンは、考えられないほどの大勢で群れを成しているわ。」
    生物――いや、アスカの言葉を借りれば未知のポケモンと言って差し支えないだろう。未知のポケモンにまとわりつかれたアルセウスは、徐々にではあるが着実に体力を消耗している。そして、まるで麻痺や混乱でも受けたかのごとき行動をとっており、まっすぐに進むことができなくなっている。
    アルセウスは未知のポケモンに攻撃を受け続け、右に左にと大きく進路を曲げられてしまう。その度ごとに、アルセウスがぶつかったビルの看板やネオンが、衝撃を受けて崩れていく。
    「その名を何と言うか。群れを成すポケモンに向かって問いかけると、そのポケモンは答えた。『我が名はレグタス。私たちは、大勢であるが故に。』と・・・。」
    アスカは、アルセウスを攻撃しているポケモンを見ながらつぶやいた。
    「群れを成すポケモン、レグタス・・・?」
    チヒロがそう言ってアスカの方を向いた。――アスカは、チヒロの言葉を聞いて大きくうなずいた。


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