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悪徳勝法の馬鹿試合
4
チャ・ラ・ラ・ラン・ラン・ラ・ララ〜♪
ガラス張りの自動ドアが開くと、奇妙なテンポのBGMが流れてきた。
どこのポケモンセンターでも流れている、トレーナーおなじみの曲であった。
カウンターへ向かい、
ピチカ入りのモンスターボールと、
『ヤマブキ・シオン』のトレーナーカードを差し出す。
受け付けの老年の女性が受け取る。
「お預かりします」
ポケモンセンターで働く女性は、親しみやすさを込めて『ジョーイさん』と呼ばれている。
女医と獣医の混じった造語なのだろう、とシオンは勝手に決めつけていた。
しかし、よく考えてみれば受付の女性は女医でも獣医でもない。
シオンの言うことを聞いていれば、良い思いが出来る。
そう誤魔化しているからこそ、ピチカはシオンの命令に従い、闘ってくれているのだ。
にも関わらずシオンはピチカに敗北を味あわせてしまった。
嫌な思いをさせてしまった。
次にモンスターボールから出てきた時、ピチカはいうことをきいてくれるだろうか。
シオンは広い待合室の片隅に立って、頭をかかえた。
少なくともピチカとの信頼性に亀裂が入ったことは確かだった。
「くそ、俺はピチカの『おや』なのに……」
天井を見上げてつぶやく。
「じゃあ俺はさ、あの時、一体何をどうするべきだったって言うんだよ?」
天井に問いかけたところで、答えは返ってこない。
個人的には最善の選択をしてきたつもりだった。
それでもヒメリとのバトルに敗北してしまった。
何をどうすれば勝利することが出来ていたのか。
先程味わったばかり敗北を、追体験するかのように、シオンは思い返した。
シオンの目の前が真っ暗になったのも束の間の出来事だった。
すぐに何も見えなくなった視界は回復する。
朝焼けの光がシオンの目に戻ってきた。
さびれた公園。ビキニのお姉さん。巨大なドラゴン。自称審判の借金取り。
そして見覚えのない、巨大な氷のオブジェがそこには在った。
シオンの眼前で、見上げるほど馬鹿でかいクリスタルのような物体が、陽光を透して光輝いている。
「なんだこれは?」
まじまじと見つめる。
巨大な氷塊と、その中心に丸まった黄色い肉が埋まっている。
目を凝らす。
ピチカだった。
「嘘だろ……」
ゾッとするほど、信じたくない光景だった。
ピチカはにげられなかったのだ。
それどころか背を向けることすら出来ていなかった。
『れいとうビーム』を食らってしまったピチカが、氷の中に閉じ込められている。
茫然自失となってシオンは立ち尽くす。
どうしてこんなことになってしまったのか。
思えば、ヒメリはシオンよりも先に技の命令を下していた。
レベルの高いカイリューの方がピチカよりも素早かった。
「逃げろぉ!」ではなく、「でんこうせっかで逃げろぉ!」と叫んでおくべきだった。
今になって後悔した。
「……ピ、ピチカ?」
シオンは小声で尋ねる。返事がない。
きっと声が分厚い氷の奥底にまで届いていないからだろう、
と都合のよい推測を勝手に立てて納得した。
「私の勝ちね! シオン君!」
ヒメリの嫌に響く大声に、シオンは公園を見渡した。
白雲めいた冷気が周囲で、もやもやと漂っている。
いつの間にか、震えたくなるような冬の寒さが一帯を包んでいた。
全部この氷の責任だ。
「ピカチュウ戦闘不能! よって勝者、ミノ・ヒメリ!」
オウはベンチに腰かけたまま、右腕と不快な大声を上げた。
吐き気がした。
「そんなワケだから、お金払ってもらおうかな! シオン君! きっちり三千円だよ!」
審判だったオウは、にわかに借金取りに変身した。
しかしシオンに全所持金を差し出すつもりは毛頭なかった。
現実が認められなくて、敗北が認められなくて、抗わずにはいられなかった。
「まだ勝負は終わっていない!」
「……は?」
馬鹿にするような短い一言だった。
シオンは強く言い返す。
「まだ勝負は終わっていない!」
「いや、終わったよ! もう全部終わったんだ! 気に入らない展開だからって! いい加減にしなよ!」
叱りつけるような声で、オウが一気にまくしたてる。
「お金! 払いたくないだけでしょ、シオン君は!」
「誰がお前なんかに一円でも払うか!」
「お! 協会に逆らうつもりかい! 困ったな! 暴力は好きじゃないんだけどな!」
「ちょっと、待って!」
突然、ヒメリが制した。
「ねえ、シオン君! あきらめないつもりらしいけど! 無理じゃないの!」
「無理って、何が!」
「本当に! 私のカイリュー! 倒せるの!」
「倒す方法は必ずある!」
「あったとしても! 今更そんなの意味ないよ! 勝負はもう終わったんだからさ!」
と、オウが言った。
「そもそも! そのコ! ガチガチに氷っちゃって! 動けないでしょ!」
と、ヒメリが言った。
「そんなことはっ……」
と、言いかけて、戸惑い、シオンは黙り込んだ。
えっ?
えっ?
えっ?
アレ?
何だって?
今、何だって?
何かがおかしい?
なんて言った?
何が起こっている?
矛盾している?
勘違いしている?
シオンは今一度、氷の中に閉じ込められたピチカの背中を見つめる。
先程はシオンの呼び声に答えてくれなかった。
その理由は本当に、氷が分厚くてシオンの声が聞き取れなかったからかもしれない。
決して、ピチカの体が動かなかったからではなかったのかもしれない。
ゾッとした。鳥肌が立った。体が微かに震えた。
絶望はしたからではなく、希望の光が見えたからだった。
期待と喜びと興奮でシオンの体が奮えた。
「早くボールに戻したら! そのピカチュウ、窒息死するよ!」
オウの言葉がおいうちをかける。
しかしシオンに、こうかはないみたいだ。
「だったら! さっさと勝負を終わらせなくっちゃあなっ!」
シオンは腕を伸ばし、ビシッとカイリューに指を向ける。
希望を見据えて、勝ち気に叫んだ。
「行けっ! ピチカ! でんこうせっかだ!」
しんとした。
静寂が聞こえた。
『しかし何も起こらない』みたいな空気が流れた。
「ねえ! 一体何をやってるんだい!」
オウのあざけりに耳を傾けず、
シオンは一心不乱に氷漬けのピチカをにらんでいた。
内心、空回りしたみたいで恥ずかしくなっていた。
奇跡は起きてくれないのだろうか。
現実は上手くいかないものなのだろうか。
敗北を受け入れるしかないのだろうか。
シオンは勝負をあきらめかけた、その時だった。
びし!
氷塊に走った白い稲妻。
ピチカの氷に亀裂が入った。
「は?」
「何?」
「よし!」
びし!
もう一本、深いひび割れが走る。
氷塊に十字の傷痕が出来る。
「何が!」
「どうして!」
「行けるぞ」
びし! びき! ぱき! かっ!
氷塊内側を切り裂くまくって、太い亀裂の快音がうなる。
数多の枝分かれが立体的に展開し、氷塊を真っ白に染め上げる。
ピチカの姿はもう見えない。
側に立つシオンは、ひびだらけの氷が砕ける寸前なのだと感じ取った。
「一体何が起きてるんだ!」
オウがわめいた直後、氷塊の崩壊が始まった。
巨大な一つのクリスタルが、木端微塵に砕け散り、数万粒のダイヤへと形を変える。
幾千万もの砂粒が、朝陽の中で宝石のようにキラキラと煌めく。
シャラシャラなだれ込んだ冷たい微粒子は、シオンの足元まで降り積もっていった。
「カイリュー! げきりん!」
「無駄だ!」
氷塊の粉砕と同時に、ピチカは外気へ解き放たれた。
弾丸の如く、飛び立つ。
「『でんこうせっか』は! 『げきりん』よりも! 速い!」
シオンの叫びが終わるよりも速く、カイリューが微動するよりも速かった。
ピチカの小さな脳天が、カイリューの厚い首を突いている。
残像を引っ張る猛スピードで、公園の端まで飛んで行った。
「あっ」という間だった。
ぽよん、とカイリューの皮膚の弾力で、ピチカは跳ねっ返り、地面に落下していった。
棒立ちのカイリューを余所に、シオンは地べたで横たわるピチカを見つめる。
レモン色の肌ではなかった。
ピチカの肉体は光を反射して輝いている。
目を凝らす。
粉々になった氷の破片が、乾いたピチカの全身を覆うようにして密着していた。
ピチカは、カイリューの放った『れいとうビーム』の残骸を身にまとい、
ドラゴン・ひこうタイプのカイリューに思い切り突っ込んだのだった。
どがん!
短く地響きがなった。
顔を上げた先で、カイリューが倒れていた。
うめき声一つ上げずに、大地に崩れ落ちた。
土煙が舞い上がっている。
期待に胸が高鳴る。
「か……勝ったのか?」
「カイリュー!」
ヒメリが駆けだしていた。
膝をつき、横たわるドラゴンの巨体を労わるように大きく撫でる。
「そんな……たったの一撃で、私のカイリューが、『ひんし』になってる……」
茫然と目を剥くヒメリがいた。
ショックを隠しきれない様子であった。
「戻れ。ピチカ」
シオンはモンスターボールをつかむと、遠くで倒れるピチカに向けた。
たちまちピチカは半透明の赤い光に変身して、手の中のボールに吸い込まれていく。
「でかしたぞ。よくやってくれた。全く大した奴だよお前は」
握りしめたモンスターボールにねぎらいの言葉をかける。
果たしてピチカに聴こえているのだろうか。
「どうして?」
死んだ魚のような瞳で、ヒメリがシオンを見上げていた。
いつの間にかカイリューの姿が消えている。
果たしてヒメリはどこにモンスターボールを隠し持っているのだろうか。
乳とビキニの間ではないことを祈った。
「どうして……こんなことが……」
納得がいかず、ヒメリはただただ驚いている様子だった。
その時、シオンに電流走る。
ひょっとして、今、カッコつけられるチャンスなんじゃないか。
ふいに、くたくたのジーンズのポケットに手を突っ込んで、
明後日の方を見つめ、
無関心で冷めてる自分を装っておきながら、
シオンは低い声を作り、語り始めた。
「自分より強い敵との闘い。しかも此方の攻撃は通用しない。なら敵の技を利用するまでだ。
そいつの高い攻撃力なら、そいつ自身にも通用するだろう。ってな」
淡々と語った。返事がなく、まるで独り言をつぶやいてるような気持ちになる。
心がくじけそうになりながらも、シオンは説明を続けた。
「氷属性の技。龍・飛のアイツにゃあ超効果抜群。四倍の威力に跳ね上がるってワケだ。
それもお強い御自分が撃たれた攻撃技でございますから、
たったの一撃とはいえ、
間違いなく戦闘不能状態に陥ってるだろうな」
「ブツブツ、ブツブツ、うっさいわね! 何、分かりきったこと長々とほざいてんのよ! 気持ち悪い!」
「え? きもちわっ……」
シオン、動揺する。
カイリューの敗北を受け入れたからなのか、ヒメリは苛々しているようだった。
「私はね! 相手の技を利用するだなんて、
幼稚園児でも思いつきそうな馬鹿げたアイデアを実行する愚かなトレーナーがいるとは、
全く思わなかった!」
「え? ひょっとして俺は馬鹿にされている?」
「その上、その馬鹿げたアイデアを成功させるような、
そんな高度な技術を持ったピカチュウが相手だったなんて……ほんっと信じらんない」
「え? 俺は馬鹿にするのに、ピチカは褒めちゃうんですか……ああ、そうですか……」
「なんでこんな馬鹿なことしちゃったんだろ?
これじゃ、まるで、『ソーラービーム』を覚えてそうなポケモンを前に、
『にほんばれ』使ったようなもんじゃない!
完全に私のミス! 敵にとって都合の良い『れいとうビーム』を仕掛けてしまっただなんて!
自分の愚かさにゲロが出るわ!」
「自分を馬鹿にしてまで俺を褒めたくないのかよ……」
我ながら賢いことをやったつもりでいたシオンは、ヒメリの言葉で大いに落胆した。
ヒメリがミスをしただけであり、
ピチカの働きが素晴らしかっただけであり、
決してシオンの行った戦術は凄くもなんともない。
自分の実力が否定されたみたいで、ショックだった。
「ねえっ。どうしてこんなことが?」
「はい? えっと……何のことですか?」
「どうして、私のカイリューがれいとうビームを覚えてるって分かったの?」
「え゛?」
「だって、そうでなきゃおかしいでしょ。
勝機があったから君はあきらめなかったわけでしょ。
れいとうビームがなかったら君達に勝ち目はなかったじゃない」
「いや、その、まあ、偶然なんだけど……」
「そんなわけないでしょ!
それじゃ私が何も考えてない馬鹿に負けたってことになるじゃない!」
怒鳴られてしまった。
シオンはとことん舐められている気がしていたが、
必死な顔のヒメリを前にするとやっぱり怒りが湧いてこない。
そして納得のいくような嘘を適当にでっちあげる。
「や、まあ、狙い通りには決まらなかったけど、一応筋書き通りだったっていうか……」
「馬鹿が筋書き通りとか言ってるとホント笑えるんだけど」
「なんか厳しくなってないですか」
「で、何が筋書き通りカッコワライだったわけ?」
「……その、なんとかして『げきりん』をお返ししてやろうと狙ってたんですよ。
ドラゴンタイプがドラゴンタイプの技を覚えていても不思議じゃないし。
それに威力の高い技で弱点なら二倍で……」
シオンが語っている内にヒメリは、「ああ」と驚きと納得の混じった顔をしてから、
急にうずくまって頭をかかえた。
ほんとうにばかなことをした、そんな感じで自分を責めているようにみえた。
「ヤマブキ・シオン!」
大声に振り返ると、シオンの間近にオウの屈強な体躯があった。
おどおどと見上げた先には、意外なほど嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。
「やっぱり君の負けだ!」
「え? 何だって?」
「カイリュー戦闘不能! しかし、勝者ミノ・ヒメリ!」
「どういうこと?」
二人に近付いて来たヒメリが不思議がった。
シオンはまたしても絶望の淵に叩き落とされた気分になった。
恐らくオウは全てを見抜いている。
オウの笑顔が、シオンの不幸を喜ぶようなものに見えた。
「ヒメリ君! さっきのバトルで、おかしなことが起きたよね!」
「おかしなこと……そういえば、ピカチュウの氷が砕けたのって完全に予想外だった」
「いや! アレは全然おかしくない!」
たまらずシオンが叫ぶ。
露見しそうになった真実を必死で隠そうとした。
焦りで呼吸が少し荒くなる。
「でもどうして私、氷が壊れたのが予想外だって思ったんだろ?」
「僕がピカチュウは戦闘不能だ、って言っちゃったからだよ!」
「そうだった……そうでしたね。それに、かなり分厚い氷だった。
あのピカチュウに氷を割るパワーが残ってたとは思えないんだけど?」
「おっ、俺のピチカは、見かけ以上に怪力ポケモンなんだよ! 超筋肉質ポケモンなんだよ!」
「そんなことはまったく関係ないですよ!」
オウがピシャリと突っぱねる。
何を言っても通用しない雰囲気を感じ取る。
シオンの心にあきらめムードがはびこってきた。
「じゃあ一体何が起こってたの? 氷が砕けた理由は何?
あの状態じゃ、でんこうせっかなんて技が使えたはずないのにっ」
「よーく考えてみなよ!
そもそもあの時のピカチュウが『こおってしまってうごけない』わけがない!」
「ん? どうして? どういうこと?」
「だってあの時のピカチュウは、『ひんし』状態だったんだから!
『こおり』状態になるわけがない!」
「……ああ、なるほどね。状態異常は一つにしかならないもんね」
全ての秘密はいともたやすく暴かれてしまった。
ヒメリは誤魔化せていたのに、ヒメリだけが相手だったならば勝てていたのに、
オウさえいなければ上手くいっていたのに、シオンのトリックはあっさりと破られてしまった。
大 逆 転 敗 北
空気がドッと重苦しくなるのをシオンは肩で感じた。
今度こそ本当のお終いだった。
もはや、あきらめるしか他はない。
「って、ちょっと待って! それっておかしくない?
『ひんし』状態のポケモンだって、まともに動けるはずないんじゃないの」
「君は無知なんだね!」
「あ゛?」
「『ひんし』のポケモンに、
『そらをとぶ』や『なみのり』なんて技を使わせて何十キロも移動させる
畜生トレーナーって結構大勢いるんだよ!」
「それなら知ってる。それじゃ『ひんし』でも技は使えるってことね」
「そうだよ! 『ひんし』のポケモンを闘わせるのは、完全にルール違反だけどね!」
「つまりシオン君は、最低のクズ野郎ってことでいい?」
「そういうことになるね!」
二人の冷めた視線が痛い。
恥ずかしさがこみ上げて来る中で、シオンは言った。
「さっきから二人して、何をありもしない妄言をのたまいてるんだ?」
この期に及んで白を切る。
自分で言ってて馬鹿馬鹿しい。
どうしてさっさとあきらめないのか、シオン本人にすら分からない。
「僕は確かに言ったはずだ! 戦闘不能! 試合終了! 君の負け!
ちゃんと聴こえてたはずだよね!」
「さあ、どうだったかな?」
「れいとうビームが決まった地点で、決着がついていた!
君のピカチュウは『ひんし』になった!」
「俺にはそうは見えなかったな」
「それでも君はピカチュウに攻撃の命令を下した!
『ひんし』のポケモンを闘わせるような真似をした!
ポケモントレーナーなのに! どうして!」
「だって……それしか勝つ方法が見つからなかったからだよ!
勝たなきゃあならなかった!」
「でも、負けた!」
強く責められているようで、シオンはむしょうに泣きたくなってきた。
自分は喜んではならない、という罪悪感があった。
しかし、涙は流さない。
本気で悪いと思っていなかったからだ。
ピカチュウ相手にカイリューぶつけるような連中と比べれば、
自分は大したズルをしていない。そう考えていた。
シオンが黙って立っていると、オウが無言で近付いて来た。
「カネ!」
スッと差し伸べられたのは、借金取りの手の平だった。
ポケモンバトル名物のカツアゲタイムがやってきた。
「断る!」
シオンは後ずさる。
警戒しながら少しずつ後退すると、下がった分だけオウが迫る。
「三千円は全財産なんだ! 俺とピチカの飯代なんだ!
アンタは俺達に餓死しろって言うのか! この年で借金背負うつもりはないぞっ!」
「仕方ないよ! ルールだからね! 敗北者に人権はないからね!」
張り付けた笑顔が不気味だった。
屈強な右腕が伸び、シオンの胸倉をつかんだ。
無理矢理引っ張り上げられ、足が浮き、宙づりになる。
片腕だけでシオンの全身が持ち上がっていた。
「やめろ! 触るな! 俺の飯代が! 俺の冒険が! 俺の人生がぁああ!!」
半狂乱にわめき散らした。
オウの左腕がシオンの至る所をまさぐる。
ジーパンのポケットに手を突っ込まれ、強引に財布をもぎ取られてしまった。
百円ショップで買ったマジックテープ式の財布が見えた時、シオンは必至になってもがいた。
こうかはないみたいだ。
ふいに体が軽くなって、重力がなくなったと思った途端、地べたに尻もちをついた。
顔を上げると、財布から三千円を抜き取るオウが見えた。
「やめろぉおお!!」
シオンは手を伸ばした。オウには全然届かない。
分厚い指先がシオンの全財産をつまんでいる。
そして、三枚の千円札は、シオンの目の前で、破り捨てられた。
悲鳴が声にならなかった。
価値のあった紙切れは、縦に横に何度も裂かれる。
そして紙吹雪となり、シオンの頭上に舞う。
風がさらっていく。
集める気をなくす。
「ど、どういうつもりなんだ?」
憤慨と絶望と驚愕。
借金取りかと思ってしまったのに、
カツアゲされているつもりだったのに、
そうではなかった。
「俺の金が欲しかったわけじゃないのか? 俺に勝負を仕掛けたのは、金が目的なんじゃないのか?」
シオンの声は震えていた。
原因不明の行動を前に、知的好奇心がうずく。
「アンタは一体何がしたいんだ?」
「シオン君はさ、これから一体どうやって稼いで生きていくつもりなんだい?」
「そりゃあ、ポケモンバトルで……」
言いかけて、気が付いた。
ポケモンバトルとはいわばギャンブル。
バトルの勝者が賞金を獲得できるシステムとなっている。
もしも、対戦相手が所持金ゼロ円のトレーナーであったならば、
賭け金を出してくれるトレーナーはどれぐらいいるだろうか。
一人でもいるわけがない。
すなわちシオンは、ポケモントレーナーとして稼いでいく術を失ったことになる。
脳裏に『はたらけ』の四文字が浮かんだ。寒気がした。
「何故だ。何故なんだ。一体どうしてこんなことをする。俺に何か怨みでもあるのかよ!」
怒りを吐くように一息にまくしたてる。
いつの間にか、オウから笑みが消えていた。
無表情なケッキングが、高いところでシオンを見下ろしていた。
「ポケモン協会の命令! この国の! 弱いトレーナーを殲滅する!」
「……え? ってか協会? 本当にポケモンバトルの審判だったのか」
一瞬、未知の言葉を発したのかと思った。
オウがひざを曲げ、シオンと同じ目線まで屈む。
ギラギラした眼差しと視線が重なる。
「ポケモンバトルで負けるのは、一般人と何も変わらない!
バトルで勝てるからこそ、ポケモントレーナーだ!
君にポケモントレーナーを名乗る資格は無い!」
嫌みを正論に仕立て上げたような説教にしか聞こえなかった。
怒りよりも強く悲しみがあふれる。
そしてオウは、シオンの肩を、厚い手の平でガッチリつかんで、言った。
「そもそも君は、ポケモントレーナーではない! ただのギャンブル・ニートだ!」
言うだけ言うと、オウは立ち上がり、シオンの側から離れて行った。
自分が駄目な人間だと証明されたみたいで、不快極まりなかった。
足音が徐々に遠ざかっていく。
用がなくなったからとっとと帰る。そんな感じだった。
「じゃ、私も行くから」
短く言い残して、ヒメリもこの場から去って行く。
仲間外れにされたような、置いてけぼりを味わったようなつもりになった。
勝負を仕掛けてきた時は、嫌になるほどしつこかったというのに、引き際は随分とあっさりしていた。
不愉快な言葉が脳裏に浮かぶ。
トレーナーを止めろ。 弱い。 資格がない。 はたらけ。 用済み。 置いてけぼり。 はたらけ。 はたらけ。
受け入れたくないくらいの重苦しい現実があった。
全財産を失い、生きる希望も見失った。
暗闇の底にいるようだった。
嫌な気持ちで一杯になった。
だが、しかし、一体それが何だというのだろうか。
この程度の現実を真に受けたぐらいで、屈するようでは、それこそポケモントレーナーの資格などない。
シオンは奮い立った。
振り返る。
小さくなった二人の背中を見据える。
叫んだ。
「次は必ず俺が勝つ! 覚えてろよ! くそどもがっ!」
二人そろって立ち止まり、振り返る。
四つの瞳が見開いていた。
「まだやるつもりかい!」
「またバトルしてくれるの!」
そろって驚嘆の声を上げる。
「当たり前だ! 俺が勝つまでが! ポケモンバトルなんだからな!」
挑戦状をたたきつける。
敗北を味わった直後だというのに、次は必ず勝利する、という異様な自信があった。
「次は借金背負ってもらうからね!」
「今度は二度と戦えなくしてあげるね!」
威勢のよい歓声が同時に返って来た。
つられてシオンは苦笑した。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
公園から遠のく二人の背中が見えなくなるまで見送った。
今までの熱や喧騒が嘘のように静寂が訪れ、急に寂しい気持ちになってしまった。
よく考えてみれば、
シオンがポケモントレーナーのポケモンバトルをしたのはこれが初めてのことだった。
敵はシオンよりもずる賢く、ピチカよりも強力なポケモンをたずさえていた。
もしもヒメリが至極普通のポケモントレーナーだとすると、
シオンが勝利できるほどの弱いポケモントレーナーは存在しているのだろうか。
仮にトレーナーに勝利できたとしても、
ルールと勝敗を支配するポケモンバトルの審判に認めてもらわなければ敗北とみなされる。
対戦相手ですらない審判を倒す、もしくは審判を説得する、
そんな方法が存在しているのだろうか。
ヤツはワイロを受け取った借金取りのYAKUZAかもしれないのに、
勝ちを認めてもらうなんて出来るのだろうか。
ひょっとして自分がバトルで勝てる方法なんて存在していないのではないだろうか。
どんな行動をとったとしても勝利出来ないシステムの中にいるんじゃないだろうか。
難題に悶々と頭をひねっていると、手の平に氷のような冷たさが伝わって来た。
「しまった。忘れていた」
今になって、『ひんし』のピチカを握っていたことを思い出す。
慌てて駆けだし、空の財布を拾い、ベンチの近くに置いていたリュックサックを背負い、公園の外へと走り出した。
すっかり昇った太陽が、土と木とコンクリートの街並みを照らしている。
ずらりと並んだ屋根の緑色がやけに鮮やかに見えた。
空を仰げば、澄み渡った青が広がっている。
シオンは走っていた。
ポケモンセンターはまだまだ先だ。
おわり
悪徳勝法の馬鹿試合
3
「それでは! 試合開始!」
オウがベンチに腰掛け足を組むと同時に、ビシッと右腕を上げた。
「ターイムっ!」
間髪いれずにシオンが叫ぶ。
オウの物凄い煙たそうな顔が見えた。
「ヒメリさん! 先行ゆずってください! お願いします!」
そう懇願すると、シオンは凄まじき速度でひざまずき、額と両手を地べたに押しつけた。
お得意の土下座である。
果たして、向こう側に立つビキニのお姉さんに、今の自分はどう映っているのだろうか。
祈りながらシオンは地面を凝視した。
「んもー! しょーがないなー! 今回だけだぞっ!」
ずっとずっと遠くからヒメリのありがたいお言葉が響いて来た。
まるで駄目な弟をあやすような言葉遣いが、妙に心地よかった。
「ありがとうございます! ヒメリさん!」
顔を上げて御礼を言った。
ポケモンバトルは先に攻撃した方が圧倒的有利に立てる。
しかしシオンは、決して先制攻撃を与えたかったわけではない。
あのカイリューを倒す策を考える時間が欲しかったのだ。
たった今シオンには、最初に攻撃が出来るチャンスが与えられた。
つまりピチカの先手が決定した。
すなわち、ピチカがカイリューへの攻撃を始めない限り、
カイリューはピチカに対して攻撃することが出来ない。
そういう約束を今、ヒメリに誓ってもらったのだった。
シオンはその場であぐらを組み、腕を組み、目をつむって、脳を働かせ始めた。
ヒメリのポケモンはカイリュー。最低でもレベル五十五の力量を誇っている。
対して此方のポケモンは、およそレベル五のピカチュウ。
圧倒的過ぎる実力差を覆さなければならない。
ピチカの使える技は、
でんきショック、なきごえ、しっぽをふる、でんこうせっか、の四つ。
あの巨大ドラゴンを倒すとなったら、ピチカの攻撃技を百発ほど浴びせなければならない。
逆にピチカが攻撃を受けるとなったら、
カイリューがどんなに弱い攻撃技を使ったとしても、間違いなく一撃で葬られてしまう。
大きすぎる無理難題を前にシオンは必死で頭を使った。
敵の攻撃を避け続ける方法は?
ずっと俺のターンなんて状況を実現する方法は?
普通にぶつかり合って勝ち目はあるのか?
脳味噌の中でありとあらゆる戦術が駆け巡った。
浮かんでは消え、浮かんでは消え……シオンは一生懸命だった。
今、必勝法を思いつかなければ敗北からは逃れられない。
それからしばらくする。
「なあシオン君! さっさと始めてくれないかなあ!」
遠方からオウの急かす声が響いた。
「もう少しだけ!」
慌ててシオンは、脳内で作戦をまとめる。
シオンが先攻であり、ヒメリは後攻である。
つまりヒメリが、ピチカが攻撃したことを確認できなければ、
ヒメリはカイリューに攻撃命令が下すことができない。
これを利用しない手は無い。
まず、遠目のヒメリではハッキリ分からないくらいの些細な動きでピチカは『しっぽをふる』を連発する。
そしてカイリューの防御力を極限まで減らしまくる。
次に、ピチカとシオンがまるで会話しているかのように見せかけて、ピチカは『なきごえ』を乱発する。
ただの会話だと勘違いした馬鹿ヒメリは打ってこず、カイリューの攻撃力はさりげなく極限まで減らされる。
それからピチカに電気ショックを撃たせる。
そこで何故か偶然にもカイリューは『まひ』状態となる。
この地点でようやくヒメリが此方の攻撃に気付く。
しかし、そこから奇跡的に二十ターンほど『からだがしびれてうごけない』状態が続いて、
カイリューは未だに何もすることが出来ない。
その隙にピチカは『でんこうせっか』をカイリューの急所(股間とおぼしき部分)に何度も何度もぶちかます。
カイリューが倒れるまでぶちかます。
「……イケる!」
少なくともこの時のシオンには、それがパーフェクトな作戦としか思えなかった。
もしかすると自分は天才なのかもしれない、と思いこみ、緩んだ口元がニヤニヤしていた。
「ピチカ。こっそりと。あいつらに気付かれないくらい、物凄いこっそりと、しっぽをふる」
喉を震えさせずに、ほとんど吐息だけで言葉をつづる。
普通なら思わず聞き返す音量でシオンは囁き、ピチカに役目を伝えた。
――チュー!
ピチカは小さな尻をフリフリ振ると、ギザギザ模様とハート形の尾先がプルプルと震えた。
「おーっと、ピカチュウのしっぽをふるだー! 何故この技を選んだのか! 理解に苦しむー!」
技とらしいほどの馬鹿でかい声が公園中に響き渡る。
『しっぽをふる』にヒメリが気付かなくとも、オウには見抜かれてしまっていたのだ。
当然オウの馬鹿でかい声はヒメリにも伝わる。
ゾッとした。
「やっと技使ってくれた。それじゃあカイリュー、かえんほうしゃ!」
命令と同時に、カイリューは張り裂けんばかりにアゴを開く。
ノドの奥から、灼熱の赤い光が顔をのぞかせた。
「あっ! リアル口内炎だ!」
素っ頓狂な声でぼやいたのはオウだった。
「くそったれぇぃっ!」
シオンが悲鳴をあげた。
カイリューの口から放たれた、深紅の鋭い閃光の瞬き。
肌を焼きつく熱風が吹き荒れ、炎の濁流が槍の如く、ピチカ目掛けて一気に押し迫る。
敗北、が一気に押し迫る。
瞬間、シオンはその場を左に離れる。と同時に、シオンの右腕が動いていた。
グオォオオオヴヴォォオオオフォォオオオオ!!!
燃え盛る地獄の貨物列車が、轟音を立ててシオンの眼前を横切って走る。
苛烈に揺らめく火炎の息吹は、滝を真横にしたみたいに激しい勢いだった。
瞳が焼けるような紅の光景をただ茫然と眺めた。
目の前の空間が丸ごと消し炭になってしまったみたいだった。
カイリューのアギトから公園の隅っこまで、墨のようなワダチが一直線に伸びている。
砂地から煙が湧き、焦げくさい匂いが充満し、乾いた熱さが広がっては散っていく。
あの時左にそれなければ焼け死にしていただろうな、とシオンは冷静に思った。
「ピカチュウはどこ?」
ヒメリのつぶやきが聞こえた。
だだっ広い公園の砂地に、黄色い鼠の姿がどこにも見当たらない。
シオンの目にすらピチカの影をとらえてはいなかった。
「ひょっとして、ピカチュウ消滅しちゃった?」
「いくらなんでも、ありえないよ!」
「じゃあ一体どこに……まさか上! それとも地面の下! まさか私の背後に!」
何かを察した様子のヒメリは、首と体をキョロキョロ振って周囲を見渡す。
半裸のシルエットをくねくね動いて、遠目で見ていると馬鹿みたいで妙に可愛らしかった。
「いないの? それとも未だ何処かに隠れて、息を潜めて狙っているの?」
ヒメリが尋ね、オウは無言で、二人の視線がシオンに集まる。
その期待に答える。
「いますよ。俺のピチカは、ここです」
シオンは手中にあったモンスターボールを二人に突き付けてやった。
沈黙の間が挿す。
きっと驚いて声も出ないのだと思いこみ、シオンは若干の優越感に浸った。
「かわせっ! で攻撃の回避が出来りゃ『みきり』はいらないですよね。
でも俺はピチカが『かえんほうしゃ』に当たらないでいてほしかった。
だから炎が迫った時、ピチカをモンスターボールの中に戻してやった!
命中率100パーセントだったとしても、
この場にいないポケモンを相手に、攻撃を当てる術などないでしょう!」
自慢話を雄弁に振舞うが如く、シオンは己の罪状を述べた。
「たわけ!」
怒鳴り声が走る。
「呆れてものも言えぬわ!」
始めてオウの口調が乱れた。
ベンチの上であぐらをかいた巨漢は、悪鬼の形相でシオンをにらむ。
眉間に深い溝を作り、光る金歯で歯ぎしりしていた。
「まったくもってバカバカしい! とんでもない阿呆ですよ! 君は!」
「な、何がおかしいんですか!」
「君、たった今、ルール違反しましたよ! 反則負けですよ! 勝負は終わりましたよ!
だから、さっさと三千円くださいよ! ほら! ほら! ほらああああああ!」
突然の脅迫的態度への変貌にシオンは思わずひるんだ。
オウの気迫にたじろぎながらも、率直な疑問をぶつける。
「一体、今の何処がルール違反なんですか!」
「ポケモンをボールに戻した! だから反則負け!」
「そんなルール、聴いてません!」
「常識だから言わなかった!」
「じゃあ、ポケモン交代はどうなるんです?
闘うポケモンを別のポケモンと入れ替えるとき一度モンスターボールに戻さなきゃ駄目じゃないですか!」
「攻撃が当たる瞬間にポケモンをボールに戻してたら、
いつまで経ってもバトルが終わらねえだろうが!
こういうのはやっていいタイミングってのが存在してんだよ!」
「そんなもん分かるか!」
「そもそも一対一のバトルじゃねえか! お前はピカチュウ一匹しか持ってないだろ!
交代も糞もあるか!」
ふいにシオンは何も言い返せなくなってしまった。
反論の余地もない程の図星であった。
なんだか言いくるめられてるみたいなのが癪に障ったので、
何か反撃をしようと思い至るも、
特に言い返す言葉が思い浮かばす、
その結果、
シオンは無言でオウの鼻筋をにらみつけていた。
にらみつけるVSにらみつける。
不穏な空気と重たい沈黙が流れる。
にわかにオウの口が開いた。
「次、ピカチュウをボールに戻したら反則負け! いいですね!」
「……わかりましたよ」
ぷいっ、とシオンはオウに背を向けた。
振り向いた視線の先で、ジャングルジムが爆発していた。
キャンプファイヤーの如く、熱く激しく轟々と、ジャングルジムは燃え盛っていた。
先程カイリューが放った『かえんほうしゃ』が直撃したからだ。
この公園にある遊具が屍のように不気味だった理由がようやく分かった気がした。
派手に輝く火柱と、入道雲のような黒煙を眺めて、ふと、シオンの脳裏に考えがよぎる。
あのジャングルジムにカイリューをひきつけて、さっとかわして、
火柱に直撃させたらカイリューを倒せるだろうか。
「おら! ボケっとしてねえで、はよぉポケモン出してくださいよ!」
オウの恐喝がシオンを急かした。
渋々ピチカ入りのボールに手を伸ばす。
「焦るなよ。まったく……」
ぶつくさ言いながら、シオンはモンスターボールを構え、投げつけた。
きっとテレビゲームのボスの倒し方なんかじゃ、多分あのカイリューは倒せない。
いつの間にか、カイリューを討つ術を完全に見失っていた。
鉄球が割れ、光が飛び出し、再び電気鼠が解き放たれる。
呼び出されたピチカは、またしてもカイリューと対峙する羽目となった。
たまったものじゃあないのだろう。
自分が原因でありながらも、シオンは他人事のようにピチカを哀れんだ。
「試合再開!」
「カイリュー、10まんボルト!」
ヒメリの速攻。
カイリューの伸ばした両腕の爪先から、
バチバチ弾ける白い電流が閃いた。
アレがピチカを体をかすめた瞬間、シオンの敗北は確定する。
慌てる間もなく、冷や汗をかく間もなく、急いで次の手を打った。
「ピチカ、下がれ!」
ピチカが後へ飛び退く。
シオンは前へ踏み出す。
ピチカとシオンの立ち位置が入れ替わる。
カイリューの電撃が放たれた。
必死の雷光がシオンに迫る。
「うおっ!」
雷鳴の轟き。
稲光の輝き。
横殴りの落雷。
衝撃の襲撃。
鼓膜はかき乱され、目はくらみ、肉体から感覚がなくなった。
刹那の間に成す術もなく、シオンの五感は激しく揺れる。
全身がじんじん痺れる感覚があった。
体が浮いているような夢心地だった。
頭の中がボーっとしていて気持ちがよい。
そういえば目の前が見えない。
黒でもなく白でもない。色が分からない。
目が働いていない。
何故だろうか。
わからない。
わからないけれども、夢の中で意識がある時のように、今の自分には考える事が出来る。
そう理解した直後、思考することに新鮮さを覚える。
今まで考えることをしていなかったことに気付く。
何故だろうか。
ピ――――――
耳鳴りが聴こえる。
ずっと前から鳴り続けていたらしい。
――チュウ! チュウ!
耳鳴りの中にノイズが混じっている。
そのノイズがピカチュウの鳴き声だと分かる。
ピチカが呼んでいると悟る。
先程まで自分の意識がなかったことを思いだす。
今、何が起きたのか、思い出す。
ピチカを守るためにカイリューの『10まんボルト』を受けた。
だから自分は今きぜつして倒れている。
つまり今、ピチカに命令してやれるトレーナーがいない。
シオンはめをさました。
ヤバい! このままではピチカが危ない! ボケっとして、倒れてる場合じゃない!
動け、動け、動け、動け、動け!
「んんんんあああああっっっ!!!!」
痛みを忘れ、我を忘れ、五感が肉体に戻ってくるよりも早く、シオンは立ち上がっていた。
おぼろげな白の光がシオンの視界に射し込んだ。
さびれた公園を満たす朝焼けの光だと分かった。
体の表面から、弱弱しい痛みが湧き上がってくる。
頭の中がくらくらする。
見る物全てが、蜃気楼のように揺らめいて見える。
まだ体調がはっきりしていないらしい。
「嘘? 生きてる? よみがえった?」
ビキニのお姉さんが驚きの声を上げた。
遠くの場所でヒメリがたたずんでるのが見えた。
――ヴォォオエエエアアア……
アイボリー色のドラゴンが低い声でうなりを上げる。
ヒメリの隣でそびえ立つカイリューが視認できた。
「人間にはね! HPという概念がないからね! ポケモンの技を受けても『ひんし』にはならないよ!」
胡散臭い解説が大声で語られる。
相変わらずオウは、ベンチの上でふんぞり返っていた。
――チュ! チュウ!
シオンの足元から鳴き声が聞こえる。
幼い電気鼠が此方を見上げていた。
「でかしたぞ、ピチカ! よく俺を起こしてくれた!」
シオンは喜びのあまり、ピチカの若干柔らかい全身を舐めるようにしてなでまわした。
ピチカはくすぐったそうに目を細めて、くねくねした。
元気そうな様子を見て、ピチカが無傷なのだと安心した。
「しかし、ヒメリさんもあまいトレーナーだなあ。
俺が倒れている隙に攻撃すれば勝負は終わっていたというのに……」
「あんた、馬鹿じゃないの!」
シオンの独り言に罵声が割って入る。ヒメリだった。
「ねえ何で? 人間がポケモンの攻撃受けるとか馬鹿じゃないの! ふざけてんの?
罪悪感半端ないんだけど! 馬鹿じゃないの? 馬鹿っ!」
興奮気味のヒメリに怒鳴りつけられまくる。
酷い言われようだと思いながらも、必死な態度を前にして、シオンは怒る気になれなかった。
「耐えろ! で耐えてくれれば『まもる』はいりません。
だから俺が盾になってピチカを守った。以上です」
「それ反則だよ!」
オウがぴしゃりと言った。
「違う! 反則じゃない! 俺の天才的タクティクスです!」
「違わない! ただの反則! 天才じゃくて卑怯者!」
「違わなくない! 大体俺、ピチカをボールに戻してないじゃないですか!」
「さっきの反則とは別物! トレーナーがポケモンの闘いに割り込んだ! だから反則!
トレーナーがやっていいのは、ポケモンへの命令だけ!」
「んな話は聞いていない! 勝手にルール追加すんなよ!」
「……ならよぉ! 10まんボルト! もういっぺん! 受けてみっか! あ゛ぁん!」
シオンの反論が止まってしまった。
あのカイリューの攻撃を何度も受けてしまえば、誰でもそのうち死んでしまう。
しかし、ピチカがカイリューの攻撃を食らわば、間違いなく一撃で『ひんし』に陥るだろう。
盾になったら死ぬ。ならなければ負ける。打つ手無しの八方塞だった。
「なら俺はどうしたらいいんだよ……」
「負けを認めたらどうかな!」
「ポケモントレーナーが、そんな真似できるか!」
「でも今、降参すれば、君のピカチュウは傷つかずに済む!」
一瞬だけ戸惑ったが、シオンは断った。
「……俺は降参はしない!」
「どうしてそこまでして闘う!」
「このバトルで負けるようなトレーナーが、ポケモンマスターになれるワケがない!
だからこそ俺達は勝つ!」
「どうやってあのカイリューに勝つつもりだい!」
「それはっ……」
言葉に詰まった。
「インチキでもなんでもいいけど! 勝てる方法があるのかい!」
「あ、あるさ! 勝つ方法くらい!」
「嘘ですね!」
「嘘じゃない!」
嘘だった。
「君が反則を使ったのは、まともに闘えば負けるって認めたからだろ!」
正論を前に、返す言葉が見つからない。
シオンが押し黙る。オウが畳み掛ける。
「知ってるかい! 君のピカチュウはレベル五! ヒメリ君のカイリューはレベル六十八!
どう考えたって勝ち目ないでしょ! 普通に考えてみなよ!」
「そんなことはない!」
たまらず叫び返したが、シオンの本心ではなかった。
二匹の力の差を知って、内心では絶望に打ちのめされていた。
どうして勝負をあきらめないのか、自分でも不思議に思った。
「本当に勝てるんだね! あのカイリューに!」
「もちろんです!」
自信満々に嘘を言い切った。
「タマムシ大学の教授に説明して納得のいってもらえるような、
そんな必勝法を見つけたって断言できるのかい!」
「断言できる!」
即答した。
「……そうかい! わかった! わかったよ!」
オウはシオンからそっぽを向いて、そして叫んだ。
「ヒメリ君! シオン君が何かしでかすよりも早く、ピカチュウを仕留めてほしい!」
「わっかりましたー!」
ひょうきんな声が聞こえ、そこにヒメリがいたことを思い出す。
シオンがオウと言い合いしている間、
ヒメリはカイリューに攻撃を指示せず、ずっと待っていてくれたらしい。
意外と良い人なのかもしれない、と思ってしまいそうになった。
「試合再開!」
ビシッとオウの太い腕が上がった。
「げきりんでもなんでも撃ってこいやあ!」
シオンのちょうはつ。
もう、やけくそだった。
「分かったわ! カイリュー、れいとうビーム!」
長い胴体を倒して、前屈みの態勢をとり、カイリューは思いっ切り口を開いた。
「ピチカ! 逃げろぉ!」
シオンは声を荒げた。
『みきり』が使えない以上、命中率100パーセントの攻撃は避けられない。
だから『にげる』を使った。
カイリューの喉の向こうからカッ、と浅葱色の光線が放たれた。
その輝きが、シオンのまぶたに淡い青色を焼き付ける。
光の直線が宙を走り、あっけなくピチカに触れた瞬間、シオンの中で何かが消えた。
にぎやかだったテレビの電源が切られてしまったかのように、
プツンと、
シオンのめのまえがまっくらになった!
つづく
悪徳勝法の馬鹿試合
2
「よおし! そうこなくっちゃ! さっすが男の子!」
シオンの答えにヒメリがはしゃいだ。
「賭け金なしっていう約束は守ってもらいますからね」
シオンは、念のためにと釘を刺す。
「負ける気満々じゃん! まあいいんだけどね。ありがと。バトルする気になってくれて」
パァと花咲くヒメリの笑顔に、シオンは一瞬ドキッときた。
美女でもブスでも笑うと似たようなもんなのかもしれないな、と不謹慎ながらも思った。
ピチカを抱きしめ、移動しようとシオンが立ちあがると、二人はキスする寸前みたいに近付いた。
今度は全くドキッとしない。
近付けば近付くほど残念な面持ちになる女性もいる、ということなのだろうと勝手に納得した。
座っていたせいで気付かなかったが、
シオンとヒメリの目の高さはほとんど同じだった。
約164センチ。
二十歳前後だと予想する。
目の前にいる『ビキニのお姉さん』は、
『ピクニックガール』の進化系のようであり、
尚且つ『おとなのおねえさん』の進化前といった風情をかもし出していた。
さびれた遊具に取り囲まれた、ただっ広い砂地の上で、
シオンとヒメリは向かい合った。
シオンはピチカを抱えて、公園のど真ん中に立つ。
対して、ヒメリは公園の出入り口まで遠ざかって行く。
これから、トレーナーとトレーナーの間でポケモン同士を争わせる。
そのため、二人は距離をとって向かい合った。
しかし、いくらなんでもヒメリは離れ過ぎている、とシオンは思った。
何故なのか。
馬鹿でかいポケモンのスペースを作るためなのか。
素早すぎるポケモンを動き回れるようにするためなのか。
遠距離射撃技専門のポケモンで闘うつもりだからなのか。
ヒメリのポケモンを拝むまで、推測の域を飛び越えることはない。
「バトルだ。頼むぞ、ピチカ」
シオンの腕からピチカが飛び降り、勇んで前に踊り出る。
着地すると同時にレモン色の胴体は前のめりになった。
ギザギザ尻尾をピンと伸ばして、ピチカは戦闘態勢をとる。
「出でよ! コイキング!」
ヒメリは高らかな声と共に、しなやかに右腕を振り下ろした。
知らぬ間にヒメリがつかんでいた紅白の鉄球が、飛来する。
放物線を描いて、空中で真っ二つに割れ、球の中から閃光が弾けた。
視界が、強い光の白で覆われる。
思わずシオンは顔をそむけ、目を戻し、愕然とした。
明らかにコイキングではない巨大なモンスターがそびえ立っていた。
「……は?」
素っ頓狂な声がこぼれる。
肉食恐竜のような体躯。蝙蝠のような翼。象牙色のうろこ。
ドラゴンポケモンのカイリューだった。
最弱のポケモンが来ると思いきや、むしろ最強のポケモンが出現していた。
「でけぇ……ス○イツリーよりもでけえ……」
体長約2メートルのカイリューを見て感心したようにシオンはつぶやく。
そして、足元に立つ小さなピチカに視線を落とす。
体の大き『差』を見るなり、勝ち目がないことを悟る。
思いだしたように憤慨し、シオンは憎しみを込めて叫んだ。
「どこがコイキングですか! どう見たってカイリューじゃないか!」
「私! 嘘なんてついてない!」
「ビキニのお姉さんなんだから、水タイプのポケモン出せよ!」
「君のピカチュウ、なんて名前!」
「だから、俺のピカチュウはピチカだって……ま、まさか」
辻褄が合い、仰天し、思わず唾液を呑みこんだ。
「まさか! そのカイリューのニックネームが! コイキングなのか!」
「ぴんぽーん! そのとーり! 大正解!」
悔しがってシオンは叫び、ヒメリは快活な歓声を上げる。
二人の距離が遠くに離れ過ぎているせいで、やや大きな声で会話をしなければならない。
喉が大変であった。
「けど、可哀想じゃないですか! カイリューにコイキングって名前!」
「問題ないわ! たった今、この子の名前、カイリューに戻したから!」
「姓名判断師とは一体!」
都合の良い展開に持ち運ばれ、気に食わなくって腹が立って仕方なかった。
なんとなく、嘘をつくのが当然でだまされる方が悪い、
という空気をヒメリの言葉から感じられた。
――チュウ!チュウ!
目を下すと、ピチカが身を振るわせ、潤んだ瞳でシオンを見上げていた。
「どうしたピチカ?」
必死で助けを乞うかのように、ピチカは鳴き声を上げ続けている。
原因はすぐにわかった。
ヒメリの隣に視線を飛ばす。
エメラルド色の煌めく瞳が、ピチカの心臓を貫く勢いで鋭い眼光を放っていた。
凶悪そうな面構えのカイリューが、敵であるピチカに対し、殺意と牙をむき出して唸っていた。
ピチカの震えた声を聴きながら、シオンは諦めのため息を漏らした。
「まあ、仕方ないよな。お前もあんなのとは戦いたくないもんな。
俺だってお前の立場だったら絶対逃げるだろうし。じゃあ、さっさと降参するか」
暗い顔をしていたピチカが、パァっと明るい笑顔に変わった。
苦笑いしつつシオンが降参を決意した、その時だった。
「これより! ポケモンバトルを開始する!」
何の前触れもなく、いきなり怒号が轟いた。
雷鳴のような男の声に、シオンの心臓が飛び跳ねる。
ヒメリの方角からだった。
「使用ポケモンは一匹! 当然、入れ替えはなし!」
吠える巨大な影は、ヒメリを横切り公園内にズケズケと侵攻してきた。
力強くきびきび歩き、シオンの方へと向かって来る。
紫色の巨漢だった。
暴力的な雰囲気をまとった、近寄りがたい大人の大男だった。
「賭け金は……しめて三千円!」
「んえっ?」
間抜けな声が出た。
賭け金なんてものはなかったはずなのに、
何故か所持金丸ごともっていかれる状況になっている。
ついていけずに混乱する。
「では、これよりヤマブキ・シオン対ミノ・ヒメリのポケモンバトルを始める! 試合開始!」
「ちょっ、ちょっと待った!」
慌てて牽制を試みる。
シオンは手を上げ、驀進する謎の巨漢へ物申しに歩み寄った。
嫌な予感がする。心臓が早鐘を打つ。焦る。慌てる。混乱する。
いきなり現れた謎の第三者が、シオンの話を勝手に進めていた。
シオンの気持ちを無視して、勝手に話を終わらせようとしていた。
このままでは、何がなんだか分からない内に全てが終わってしまう。
何とかしなければと思うと、シオンは早足になっていた。
あんな身勝手な男に話は通じるのだろうか、と疑問を感じながらも急いで向かった。
分厚い肉体の巨漢を間近で見上げた時、
そこで初めてシオンの生存本能が怯えた。
「あっ、あっ、あのぉ……」
上手く言葉が出てこない。
自ら近寄っておきながら、逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。
巨漢の放つ攻撃的威圧感に、シオンの心は呑みこまれてしまった。
「何か御用ですか!」
こわもてプレートのお兄さんがドスの利いた声で尋ねた。
にらみつける。こわいかお。シオンはひるんでうごけない。
半ば放心としながら、男の全容を眺める。
光沢を放つ黒い革靴。
目がチカチカするほどまぶしい金ピカの腕時計。
『凶暴なサイドンをつなぎとめる用の分厚い鎖』みたいな銀ピカのネックレス。
高級そうな紫色のスーツからは体中の筋肉で至る所がもっこり膨れている。
鋼のようなドス黒い肌。
どこからどう見てもYAKUZAの風情。
シオンは怯えきって、だらしない腑抜けに成り下がってしまった。
「何か御用ですか!」
再び威圧するような質問が繰り返された。
ハッとして見上げると、あのカイリューよりも高いんじゃないかという位置に、
ゴリラ……もといケッキングのような濃い顔があった。
「あ、あの、ですね……」
上手く呂律が回らない。
シオンが発声するまでにえらく時間がかかった。
「……え、あ、えっと。その……何なっ、何なんですか一体?」
質問の意味不明さにシオン自身も驚いた。
こわもてプレートの『にらみつける』から視線をそらすことで手一杯だった。
「何なんですかと言われましてもねえ! そうですねえ! 名前でよければ教えましょうか!
僕の名前は『オウ・シン』! 審判をするためにやってきたんだ!」
オウと名乗った大男は、フレンドリーな口調なのに何故か怒鳴り散らしていた。
優しいようで、恐ろしいようで、とにかく逆らう気持ちが全く湧いてこない。
ただシオンは、この大声に流されてはいけないと思った。
嫌な事を嫌だと言えず、優しい口車に乗せられた途端、大切な物の全てを力尽くでかっさらってしまう。
そんな雰囲気があった。
油断しないよう気を引き締め、シオンはオウに挑む。
「その、審判っていいますと……?」
「もちろん! ポケモンバトルの審判だよ!」
この男は、ポケモン協会がYAKUZAを連れ回しているのだと言う。
シオンは、ワケも分からず自分を攻撃したくなる衝動に駆られた。
納得いかず、驚くこともできず、言葉の意味の理解すらできなかった。
聴かなかったことにして、別の質問をぶつける。
「それなら、どうしてポケモンバトルの審判がこんなところにいるんでしょうか?」
「そりゃあねえ! 君達がここでポケモンバトルをおっぱじめるからだよ!」
「えっと、それは……もしかして俺達がこの場所でポケモンバトルを始めるって知ってたワケですか?」
「そりゃあねえ! だって僕はポケモンバトルの審判なんですから!」
答えになっているようで答えになっていない。
明らかにおかしな返答であり、何かをはぐらかそうとしているに違いない、と推測した。
好奇心が恐怖心に勝る。
オウの隠す何かを前に暴いてやろうと思った。
「そういえばさっき、俺の名前を呼んでいましたよね? 会ったことありましたっけ?」
「ポケモン協会の人間はねえ! トレーナーカードを管理してたりするんですよね!
だから知ってますよ! 君の名前も、君のIDも、君の顔写真も、バッチの数もね!」
「なるほど」
ようやく話が通じた。しかしシオンは未だオウがポケモン協会の人間とは認められない。
むしろ何を言われても、こんな怪しい人間がポケモンバトルの審判だと信じるつもりはない。
「それなら、あの賭け金三千円っていうアレは一体何なんですか?
俺はヒメリさんと話し合って、賭け金なしにしてもらったばかりなんですけど」
「ああ、あれかい! あの賭け金っていうのはね、審判代だよ!」
「はい? なんですかそれ? 聞いたことがない」
「文字どおりだよ! 僕が審判するからお金を払ってもらうんだ!
不況だからね! 新制度さ!」
またしても意味不明な回答が返って来た。
言い訳がましく、嘘臭く、
金をせびるYAKUZAが屁理屈のたまいてるようにしか見えない。
なんとか嘘を暴けないかと、シオンは罠を仕掛ける。
「あの、実は俺、三千円も持ってなくって……千円しか持ってなかったりして……」
「嘘はいけないな!」
自信満々にオウは言う。
「言ったよね! トレーナーカードの情報なら知ってるって!
トレーナーカードにはちゃんと書いてあったよ! 君の『おこづかい』がね!」
トレーナーカードの情報を知っているというのは真実のようだった。
きっとポケモン協会のホームページをハッキングか何かして盗み見た情報に違いない、と決めつける。
「それなら……いや、ちょっと待ってください!」
シオンは訊き掛けて、ふと考えがよぎる。
ポケモン協会ならトレーナーカードの情報を知っていると言うが、
オウはこの世にある全てのトレーナーカードの情報を暗記しているのだろうか。
ありえない。
いまや国民の半数以上がポケモントレーナーである、
と何かのテレビ番組で言っていたのをシオンは覚えている。
この国に数千万も在るトレーナーカードの中から偶然シオンの物を見た覚えがあり、
そして今、そのシオンとばったり出くわすことになってしまった。
こんなことありえるだろうか。
偶然よりも必然と考えた方がしっくり来る。
つまりシオンはこの男に狙われていたのかもしれない。
「さ! ぼけーっとしてないで、早くバトルを始めて下さいよ!
僕も時間があるわけじゃないですし!」
相変わらずの怒声で、シオンは我に返った。
「ほら! 速く立ち位置についてくださいよ!」
オウが急かす。シオンは指図された気分になる。
無性に生意気な態度で逆らってやろうと思った。
思いどおりに動きたくはない。
言い成りになってしまったら、きっと破滅の未来が待ち受けている。
「あの、その話なんですけど……今ちょうど降参しようかと思ってた所でして」
「降参? つまり、負けを認める? じゃあ、払ってもらいましょうか! 三千円を!」
オウは金を受け取るための右手を差し伸べる。
完全に借金取りの姿だった。
「そのですね。まだバトルが始まってないわけで、降参というよりも闘わなかっ……」
「そうはいかないなあ! ポケモンが出た地点でポケモンバトルはもう始まってるから!」
「ですけどっ……」
「やめたかったら、負けを認めなよ!」
有無を言わさぬ猛口撃。
責められているようで、シオンは内心ビクつく。
オウの機嫌を損なわないように、おそるおそる次の言葉を紡ぎ出す。
「もし、もしもですよ。仮に俺が金を払わないって言ったらどうしますか?」
「困ったなあ! 規律に従えないのかあ! 協会に逆らうつもりなのかあ!」
オウはおもむろに手の平を組んで、太い指をボキボキと鳴らし始めた。
本当に指の骨が折れているかのような『いやなおと』だった。
「僕ってさあ! 暴力は好きじゃあないんだよねえ!」
笑っていた。
両の眼と、鼻の穴と、厚い唇を思いっきり広げて、オウは強烈な笑みを浮かべていた。
びっしりと並んだ金歯が鈍く輝いていた。
蛇に睨まれた蛙の抱く凍えるような緊張感。
「好きじゃないんだけど……仕方ないよねっ!」
殺される、とシオンは思った。
あの太くて重たい鋼の拳が弾丸の速度で殴打してくる。
有無を言わさぬ暴力の応酬が襲いかかって来る。
肉は裂け、骨は砕け、皮はめくれ上がり、刺すような痛みは退くことを知らない。
そんな想像をしただけで、シオンの体は冷たくなる。
茫然自失となり、麻痺したような感覚に陥り、この体が自分の物じゃないように思えた。
「ねえ!」
「はいぃっ」
「シオン君って、協会に逆らうつもりなのかなあ!」
「いや、そんなつもりはないですけど……その……」
無意識にオウから視線をそらし、自分の目が泳いでいるのに気付く。
頭が真っ白になりそうな中、必死で冷静さを保っていると、閃いた。
よく考えてみれば、大人の男が年下の子供に拳を振るえるわけがない。
捕まるから、出来るわけがない。
そもそも、こんな安い脅しに屈して金銭を奪われるようでは、
いつまでたっても一人前のトレーナーになれやしない。
ここはビシッと言い返してやるべきだ。
心の奥で自分を鼓舞すると、シオンは顔を上げてオウをにらんだ。
「じゃあ俺、降参やめます。さっさとポケモンバトル、始めましょうか」
震える声でシオンは言った。
悪鬼羅刹の眼光から、すぐに目をそむけてしまった。
そそくさとその場から逃げるようにして、ピチカの元へと早足で向かった。
たかだか三千円など命に比べれば安い値段だ。
もしかしたら死んでたかもしれない。
これでいい。これでよかったんだ。
心の中で言い訳をしながら敵前逃亡する。
そんな自分があまりにも情けなくって、腹が立って、泣きそうになった。
しかし、それ以上にシオンは安心していた。
殴られなくて良かった、と心底ホッとしていた。
そう思ってしまう自分もまた、惨めで、無様で、情けなかった。
戻ってくると、レモン色の小さな背中が出迎えた。
そして最低最悪の報せを伝える。
「すまんピチカ。やっぱり、あのカイリューと戦ってくれ」
ピチカはポカンと口を開けたまま石のように固まってしまった。
オウを前にした時の緊張感が薄れ、
落ち着きを取り戻したシオンは今一度頭の中を整理する。
恐らくオウは、違法ではない手段でシオンから財布を巻き上げることが目的なのだ。
審判代の意味は分からないが、とにかくオウは、
敗者が勝者に賞金を渡すという、カツアゲの内には入らない状況を作りだそうとしている。
ポケモンバトルが始まった直後に、ポケモンバトルの審判がやって来た。
ポケモンバトルを降参しようと決めた直後に、降参するなら金を出せと恐喝された。
あまりにもタイミングが出来過ぎている。
もしもオウの登場が偶然ではないとすると、オウは、
今この場所でポケモンバトルが始まると知っていた上で、
さらにシオンがポケモンバトルを降参すると予測していたことになる。
そこまで考えて、ふと思った。
ポケモンバトルを仕掛けた本人なら、今ここでポケモンバトルが始まると分かるのではないか。
手持ちポケモンが強すぎる怪物だったならば、相手トレーナーが降参すると予測出来るのではないか。
そもそも何故、胡散臭さ全開のオウに対して何の異論も唱えず黙っていられるのか。
訝しがったシオンは視線を飛ばす。
そびえるドラゴンの隣でたたずむ女トレーナーをキッとにらんだ。
「あなたはあいつとグルなんだな……」
ありったけの怨みを込め、当たるようにしてシオンは叫んだ。
「ヒメリさん! よくも俺を! だましてくれたな!」
声が届くと、小さく見えるヒメリは、両股を広げて、両手でメガホンを作って、
CMのアイドル的なポーズをとって、叫び返した。
「シオンくん! あなたはただの! けいけんち!」
身の毛もよだつ五・七・五がシオンの胸に突き刺さる。
ヒメリは認めたのだ。
美人局戦法とでも呼ぶべき極悪卑劣な罠を、
新人トレーナーのシオンに対して仕掛けたことをヒメリは認めた。
がっくりと膝を着く。
なんとなく嫌な予感はしていたが、
まさか自分が本当にこんな目に合ってしまうだなんて思いもしなかった。
「勝ち続けるために! この程度のことするの! 当然!」
再度ヒメリが雄叫びをあげた。
三千円ぽっちの金と、
確実なる一勝を我がものとするため、
相手の情報を洗い出して、
二人組を結成して、
二対一の卑劣な行為に及んだ。
そんなものがポケモントレーナーの日常茶飯事だと突き付けられても、
信じられないと驚愕するしかシオンには出来なかった。
「それじゃあ、バトル始めますよ! 準備はいいですか!」
「いつでもオッケーです!」
「ふざけやがってぇ……」
嬉しそうな二人に聞こえぬようシオンは悪態をつく。
シオンは、ヒメリに騙された自分の能力の低さに腹が立っていた。
そんな自分を騙した二人の鬼畜っぷりにも怒り狂っていた。
悔しい。
見返してやりたい。
ぎゃふんと言わせたい。
出し抜いて鼻を明かしてやりたい。
予想だにしなかった敗北を植えつけたい。
絶望の果てでのたうちまわらせてやりたい。
同じ目に合わせてやりたい!
思い知らせてやりたい!
わからせてやりたい!
どうして俺を騙した露出狂女に、負けてあげなきゃならない?
どうして俺を脅したド腐れYAKUZAに、金を渡してやらなきゃならない?
「ほんっとに、ふざけやがってぇ……」
燃え滾る悪意が、渦巻く復讐心が、怒りと憎しみとが、
シオンの内側で強大な闘志へと変わっていった。
「勝つぞ、ピチカ。あのカイリューをぶっ潰す。俺の言葉を信じて闘ってくれ」
黒い眼差しに怪しい光を宿し、シオンはギラギラしていた。
ピチカは呆然とした表情のまま、曖昧にこくんとうなずき返した。
「それでは! 試合開始!」
つづく
悪徳勝法の馬鹿試合
1
目を開けた瞬間、目が合った。
眠りから覚めたばかりの青年は、今、知らない誰かと見つめ合っていることに気付く。
寝惚けた脳裏に暗黙の了解がよぎる。
目があったらポケモンバトル。
頭の中でけたたましい警報が鳴り響いた。
きけんよち。
みぶるいした。
眠気が一気に吹き飛んだ。
未だぼやけている視界の真ん中で、おぼろげな人影を確認した。
華奢なシルエットが純白の後光を放っている。
知らない誰かは、朝の太陽を背負うようにして突っ立っていた。
「そこのポケモントレーナーさん! ちょっとお時間よろしいですか?」
始めて耳にする声だった。
聞くだけで癒されるような、幼さの残る高い声。
相手が年頃の若い女性だと分かった途端、
たちまち青年の初心が震えだした。
知らない女性がこちらに向かって歩いて来る。
何かを期待せずにはいられなかった。
ふと青年は、自分が椅子に座っていることに気が付いた。
昨晩、公園のベンチで野宿したことを思い出す。
顔を上げると、知らない誰かは、もう目の前にまで迫っていた。
はちきれんばかりのむちむちした、抱き心地抜群であろう青い果実が、
今、青年の目の前に立ち、見下ろしていた。
生々しく柔らかな曲線美を描いた肉体から、
水を弾く花弁のような肌をこれでもかと露出している。
一歩進むごとに、肉付きのよいあらゆる部分が揺れ動いて仕方ない。
だらしないのにハリのある、魅惑のメロメロボディだった。
青年は貞操の嬉々を覚えた。
「ねえ、ねえ? 私のポケットモンスターと勝負しない?」
ビキニのお姉さんが勝負を仕掛けてきた!
初めての体験を前に、青年は自分がポケモントレーナーになれたことを今までで一番感謝した。
まさか女性が自ら声をかけてくれるだなんて!
たまらないくらいに、そそる展開だった。
退屈な日常に突然現れた謎の女トレーナー。
仕掛けられたポケモンバトル。
そして勝負の後にはなんやかんやでラブロマンスが始まって……。
青年の脳内で、薔薇色の妄想、もとい邪な雑念が満ち溢れた。
「……ねえ。するの? しないの?」
考え込んでいた青年に向けて、ビキニのお姉さんはうかがうようにして再び尋ねる。
「ポケモンバトルですよね。俺はポケモントレーナーですから、もちろん引き受け……」
「引き受けます」と、言い掛けた直後、青年の舌があらぬ方向へと動いた。
冴えわたった頭脳が、勝負を仕掛けられている事実に対し、的確な判断を下す。
「……引き受けません! 俺はバトル、断りますよ!」
危なかった!
危なかった!
危なかった!
危なかった!
危なかった!
危うくトレーナー人生の全てを失ってしまうところだった!
九死に一生を得た気分で、青年の心臓がバクバクしていた。
背中から冷や汗が吹き出し、呼吸が少し荒くなる。
青年は胸の内で、緊張と安堵を同時に感じとった。
己の軽率さを戒める。
「どういうつもりかな?」
「どう、と言われましても……」
「目があったらポケモンバトル。背中を見せるわけにはいかない。知ってるよね?」
「そんな暗黙の了解、俺には関係ありませんよ」
「ポケモントレーナーだよね、君。バトルしないなら、トレーナーやってる意味、あるの?」
ムッとして青年が顔を上げると、
ダークブラウンのショートカットがパラパラとなびいていた。
揺れる髪の隙間から、水着のお姉さんが顔をのぞかせる。
丸い輪郭、丸い鼻、丸い瞳、丸い唇、全てのパーツが丸まっている。
美少女というよりも、微妙女といった感じだった。
決して整っているとは言い難い顔立ちを前にし、
青年の顔つきは大仏のような無表情へと変わっていった。
期待を裏切られた気分だった。
現実の非情さを思い知らされたつもりになった。
もはやその心に邪なる雑念は存在しない。
下等な欲求は消失し、青年は完全なる冷静さを取り戻した。
「君、名前は?」
「人に名前を問うなら、まずは自分から名乗るべきじゃあないですか?」
いがみあう寸前のような空気の中で、二人はにらみ合った。
挑発的に見下すビキニのお姉さんは、『ヒメリ』と名乗った。
青年は挑戦的に見上げ、『シオン』と名乗った。
途端にヒメリが不敵な笑みを浮かべたので、
シオンは名前という情報を教えてしまった事に対して得体のしれない恐怖を感じた。
本名を伝えたのは失敗だったのだろうか。
「ねえシオン君。さっきも言ったけど、目があったらポケモン勝負っていうルールがあるの、知ってる?」
「知ってます」
「じゃあどうして? 教えてくれないかな。私が納得の出来るように。バトルを断ったワケを」
『春なのにビキニ一丁でこんなさびれた公園にやってきたなんて、不審者っぽいなんか嫌だ』
とは言えなかった。
『その顔で色仕掛けとかふざけんな』
なんて台詞は失礼になると思い、口をつぐんだ。
正直には答えてはいけないような気がする。
そもそも女性の方から声をかけてくるなんて、異常事態だとしか考えられなかった。
何らかの理由があるに違いない。
シオンは悩む。
悩みながら、たまたま偶然無意識に横を向いた。そこに答えはあった。
「ヒメリさんは今、俺にポケモンバトルを仕掛けてきた。
何故か? それは俺にポケモンバトルで勝てると思っているからだ。
だから俺は、俺がポケモンバトルで負けると考えた。つまりは、そういうことです」
「……は? ……え? いやいやいや、それちょっと極端すぎじゃないかな?
確かに私は勝つ自信があるからこそバトルを仕掛けてるんだけど……
でもだからって君が負けるとは決まってないでしょ。
そういうの、やってみなきゃ分かんないって」
「いや、始める前から分かってしまう場合だってあります。
例えば今、ヒメリさんは俺にポケモンバトルを仕掛けてきた。
それは俺がポケモントレーナーだって分かってしまったからだ。
普通だったらバトルを仕掛ける前に、トレーナーかどうかを尋ねるんじゃありませんか?」
「うーん。それはどうかな。
私、トレーナーの人にもポケモン持ってない人にでも、片っ端から声掛けてるし。
バトルしませんか? ってね」
「いいえ。ヒメリさんは分かっていたはずです。俺がポケモントレーナーであることを。
それも自分より弱いトレーナーだと思ったはずだ」
「どうしてそうなるの?」
「だって、こいつが、ここにがいるから」
シオンは自分の隣を指し示した。
ベンチの上でレモン色の生物が寝そべる。
全裸のピカチュウがふんぞり返っていた。
「君のピカチュウ?」
「そうです。俺のピカチュウです。ニックネームは『ピチカ』。メス。たぶん一歳くらい」
シオンはピチカを抱きかかえた。腕に柔らかい感触が当たる。
目の前で垂れる乳とどちらが心地よい感触だろうか。つい、くだらないことを気にしてしまう。
「ヒメリさんは、このピチカの姿を見た時、
その側にいる俺がポケモントレーナーだと考えたはずだ」
「かもね」
「そしてヒメリさんは、このピチカよりレベルの高そうなポケモンで闘えば勝てる、とか、
電気タイプが相手なら地面タイプで攻めれば良い、なんて戦術を編み出せる。
要するに、敵に手の内が知られてる以上、俺に勝ち目はありません。
だからバトルは引き受けられない」
シオンは、闘いから逃げる理由を誇らしげに語った。
我ながら的を射た発言だと思っていた。
「……うんうん。そっか。なるほど。分かった。
つまりシオン君の持ってるポケモンって、そのピカチュウ一匹だけなんでしょ?」
「……えっ?」
ドキッとした。うろたえる。図星だった。
ピチカは親切なトレーナーから譲り受けたポケモンであり、
シオンは野生のポケモンを捕まえた経験が一度たりともない。
仮に二匹目を捕獲出来たとしても、
毎日の餌を買う大金が無ければ、育てる技術も無く、面倒をみる根性すらシオンは持ち合わせていない。
「俺のポケモンが一匹しかいないっていう証拠でも?」
シオンが見上げるその先で、微笑を浮かべた彼女は目を光らせる。
ヒメリのみやぶる。
「だって、そうじゃない。ピカチュウ見られてバトル不利っていうなら、
他のポケモンを使って、一対一のバトルに持ち込めばいいんだもの。
闘わせないポケモンを見られて、バトルが不利になるなんてことないよね。
君が勝てないと思った理由こそが、
君がピカチュウ以外のポケモンを持ち歩いていない証拠だよ。違った?」
しばらく考えて、ヒメリの言葉を理解した。
墓穴を掘ってしまったことに今更気付いた。
シオンのくだらない油断の一言が、情報戦の敗北をうながしていた。
トレーナーとしてあるまじき失態であった。
自分の馬鹿さ加減に呆れる。
しかし、そんなことはすぐにどうでもよくなり、シオンは開き直って、言った。
「そもそも俺はバトルするつもりなんて最初からなかったんだ。
ピチカ一匹しか持っていないことがバレてしまったことも含めて、
俺に勝ち目はありません。悪いですけど他のトレーナーを当たって下さい」
腰に手を当て、そっぽを向いて、ヒメリは呆れたようなため息を吐く。そのまま三秒。
気を取り直したかのようにして正面を向くと、再び二人の目が合った。
相変わらず色々と丸い、と思った。
「別にさ、負けたっていいじゃない? バトルすれば。困るわけじゃないんだからさ」
組んだ腕に柔らかそうな乳を乗せて、ヒメリは軽々しく言ってのけた。
この人は本当にポケモントレーナーなのか?
ひょっとして馬鹿なんじゃないのか?
それとも罠か?
疑いながらもシオンは、わざわざ自分の状況を一から説明し始めた。
「いいですかヒメリさん。ポケモンバトルってのは、いわばギャンブルです。
敗北すれば財産を失い、まともな人生を終わらせることになってしまうこともある。
つまりポケモンバトルは人生を賭けたバトルでもあるんだ。ガキの遊びとはワケが違う。
だから俺は、俺が絶対に勝てるバトル以外するわけにはいかない。
負けて人生ブチ壊すわけにはいかないから。
何も考えずに、誰とでもバトルなんてしてしまえば、すぐに借金背負っちまいますよ」
シオンが力説する間、ヒメリは目を閉じ、うんうんうなずいていた。
適当な相槌ではなく、よく理解した時のうなずきに見えた。
ヒメリはこの話の経験者だ、と思った。
「では、早速、交渉をしましょう」
「交渉?」
シオンは顔を強張らせる。
「そうです。交渉です。何でもいいの。
シオン君は、どんな条件でだったら私達とバトルしてくれる気になる?」
「……それは、どんな条件でもいいんですか?」
「うん。とりあえず言ってみて」
シオンにバトルするつもりはなかったが、条件を言うだけならば無料である。
作った条件次第では、シオンとピチカにも勝機が生まれるかもしれない。
逆に、この取引で一歩でも誤った場合、シオンの負けが確定してしまう。
自分をつねった。
もう絶対に油断をするな! 出し抜いてやれ!
シオンはじっくり考えてから、言葉に気を付け、交渉を切り出した。
「まずはフェアに、だ。ヒメリさんの手持ちポケモンを見せてください。
俺だけピチカを見られているなんて不公平です」
「まずは、ってことは他にも条件出すつもりかな?」
「そうなりますね」
「なるほどね。まぁいいけど。私の持っているポケモンはコイキング。コイキングが一匹だけ」
一瞬、聞き間違えたのだと思った。
次に、きっと言い間違えたのだろう、と思った。
「えーっと……あの最弱のポケモンの?」
「間違いなく、コイキングだから」
「え? あの赤くて丸くて、骨と皮だけの魚の……あいつ?」
「嘘はつかない。嘘だったら、私、シオン君の言うこと何でも聞いてあげる」
シオンはガッカリした。意気込んで勝機を見出そうとした自分が間抜けに思えてきた。
ヒメリは間違いなく嘘をついている。
シオンは、ポケモンを『教えてください』とは頼んでいない。
『見せてください』と言ったのだ。
つまり、姿形を見るだけで、シオンがバトルする気の失せるような、
凄まじいポケモンを持っている可能性がある。
そして、何でも『言う』ことを『聞く』。決して『叶える』つもりはない。
ヒメリは間違いなく嘘をついている。そこまでして勝ちたいのかと、シオンは呆れかえった。
「もちろん、賭け金は無し! そんなもの、なかったことにしてあげる!」
シオンの表情を読んだのか、慌ててヒメリが叫んだ。
シオンは何が何だか分からなくなった。
「あの、賭け金無しって……じゃあバトルに勝ったとしても、何のメリットも無いじゃないですか。
どうして俺達がバトルする必要があるんですか?」
「そんなの決まってるでしょ。私達がポケモントレーナーだからさ」
さも当然のように言ってのける。
思わず、ヒメリに見惚れてしまった。
かっこいいな、と素直に思った。
いつの間にか、ポケモンバトルを引き受けない理由がなくなっていた。
無性にポケモンバトルをしたくなる。
いっそのこと、勝ち負けにこだわらなくてもよいポケモンバトルを思いっ切りやってみたくなる。
「ピチカ。目を覚ませっ」
過去の情熱を取り戻した時、シオンはピチカを優しくゆすっていた。
ふいに、ピチカを負け戦に出陣させようとしている自分が見えた。
勝てば問題ないと、すぐに開き直った。
シオンは立ちあがり、目を覚ましたピチカを抱き、強い意志を持って、言った。
「ヒメリさん! やりましょう! ポケモンバトル!」
この地点でポケモンバトルの勝敗は決した。
最初からシオンに勝ち目なんてなかったのだ。
つづく
悪徳勝法の馬鹿試合
0
長い長い退屈が、青年に永遠の時を感じさせた。
美しい景色は見当たらない。
面白おかしな人物との出会いはない。
何らかの事件が起きる気配もない。
何処まで行っても何もない。
『冒険の旅』というものに対して抱いていた青年の過剰な憧れは、
わずか数時間の徒歩によって木端微塵に打ち砕かれた。
退屈で、面白くなくて、疲れる。
この世界のつまらない『現実』というものを酷く思い知らされた。
平和とは退屈なのだ、と思った。
心が動き出すような瞬間と次々出くわす架空の物語とは違い、
人生は地味で退屈なシーンが山ほど連なっている。
なぜ旅立ちの朝にドキドキワクワクしてしまったのか、さっぱり分からなかった。
青年は歩いていた。
無心で歩き続けていた。
ただひたすらに足を動かしていた。
平日の真昼間に一人寂しく名所でもなんでもないような所を散歩する老人のごとく、
目的地もなくふらふらとほっつき歩く。
これが冒険の旅なのだと自分に言い聞かせ、あてもなく延々とたゆたっていた。
しばらくした。
輝くような白い新品のスニーカーは、泥水と汚物にまみれ、異質な穢れた薄茶色へと変貌を遂げる。
カッチカチに固まっていた安物ジーンズは、ふにゃんふにゃんの布切れへと化ける。
ネッチョリと滲み出る汗により、980円Tシャツが青年のひ弱な上半身にへばりつく。
背中に担いだリュックサックが揺れる度、その重さに肩と背中と腰の肉がやられはじめた。
つばの長い帽子に覆われて、頭の中はサウナ室のように湿っぽく、短い黒髪がかゆくてたまらなくなった。
頭に乗っかった幼い電気鼠の体重が、首の筋肉を何度もつらせる。
わき腹が痛んだ。
関節が軋んだ。
ふとももの筋肉が極限まで腫れあがり、
体中の至る所で筋肉の悲鳴が上がった。
凄まじいほどの運動不足である。
時間が経つほど、青年の肉体に疲労がのしかかる。
疲れた。苦しい。面白くない。死にたい。やっぱり死にたくない。帰りたい。
それでも青年は歩き続けた。
行く宛てもなく、ひたすら重たい足を前に出すことだけに没頭していた。
何故なのか。
ただ単に、『休む』というアイディアが思いつかなかったのだ。
深緑の屋根の住宅街を飛び出して、
暗い長い一本道の洞穴を抜け、
橙色の港町を越え、
山吹色のビル街を越え
水色の田舎町を越え、
月見で有名らしい山を登って、
石のような街を越え、
害虫で盛んな樹海を抜けて……
そして、
二番道路のずっとずっと向こうで、
深緑の屋根の住宅街が見えてきた。
「ど……どうして、こんなことになってしまったんだ?」
随分と長く歩き続けて来た。
辿り着いた先には知らない町が広がっている予定だった。
それなのに、何故か、向こう側で見覚えのある町の輪郭が見える。
深緑色の屋根。
トキワシティだった。
「あ……嗚呼! ああっ!」
目の前に自分の町が見える。
青年は衝撃のあまり、地べたにひざまずいて、嗚咽を漏らした。
うつむくと、自分の影で濃くなった地面と見つめ合った。
衝撃だった。絶望だった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
今までの苦労とは一体なんだったのか。
「こんなことなら、地図、買っときゃよかった!」
己の浅ましさを思い知った。
苦悶のあまり、しばらく四つん這いになって不動の姿勢を見せていると、
どういうわけだか公然でエロティックな営みを励んでいるような気持ちになり、
羞恥心に駆られて青年は慌てて立ちあがった。
その場から逃げるようにして再び歩き出す。
鉛色の曇り空みたいな憂鬱を引きずって、
スタート地点のトキワシティへとだらだら向かった。
日が暮れる寸前まで、青年はトキワの町を彷徨い続けた。
その挙句、青年の自宅付近の公園を発見し、ようやく休息の時が訪れた。
数年ぶりに公園の水道水を使った。
蛇口をひねり、その下で仰向けになって倒れると、冷水の激流を喉で受け止めた。
滝に身を打たれる荒行が如し。
干からびる寸前まで乾ききっていた肉体へ、命の水が満たされいく。
骨の芯まで潤っていくようだった。
九死に一生を得た気分だった。
死んだような魚の目に光が灯る。
青年は復活した。
そして自分が生きていることを地球に感謝する。
「ありがとう! おお! ありがとう!」
それから突如青年は腹を立て、やつあたりをするように地団太を踏む。
「たかだが水道水くらいで、何で喜ばなくっちゃあならないんだよっ!」
怒りはなかなか治まらない。
「世間には『おいしいみず』に金出して買う贅沢な人間もいるというのに!
なんで俺だけが! くそぅ!」
わめいていると、ドッと疲れが押し寄せる。
無意味に荒ぶれるだけの元気は、今の青年の体内に残ってはいなかった。
考えるのも面倒になり、知らぬ間に無我の境地へと達していた。
担ぎっぱなしだったリュックサックをようやく降ろすと、ふいに背中が浮くように軽くなった。
軽やかな足取りで公園の片隅まで進み、そこにあった木製のベンチに重たい腰を沈めた。
いきなり体が動かなくなる。
金縛りのようにびくともしない。
青年の肉体は指一本すら……否、さすがに指一本ならなんとか動かせる。
限界まで達した疲労が、体の動きを封じていた。
頭は目覚めているのに、肉体だけが眠っている。そんな感じがした。
背もたれに全体重を預け、空を眺めた。
透き通るようなオレンジと紫の、色鮮やかなグラデーションが広がっている。
夕方が夜と入れ替わろうとしている。
いずれ太陽の光は地の底に沈み、暗黒が天を覆い尽くし、冷たい風がこの一帯を支配するであろう。
その事実を青年は心から嫌がった。
今すぐここから逃げ出したく思った。
しかし、旅だった瞬間から覚悟は出来ていた。
意を決し、その覚悟を口にする。
「……今日はここで野宿だ」
やや犯罪であった。
過酷な選択だった。
青年としても不本意だった。
しかし、だからこそ、あえて青年は思いっ切り笑顔を作ってみせた。
口角を思いっきり釣り上げ、頬にシワを寄せ、鼻の穴を広げ、目を潰して、凄絶な笑みを浮かべてみせた。
この苦境こそが今までの生活との違いであり、
夢が近付いたと実感させてくれる吉報となった。
青年のジーンズのポケットの内側の財布の中には千円札が三枚だけ挟んである。
この程度の数字では薄汚いラブホテルにすら宿泊できない。
ここに至るまでの道中で何度も見知らぬ通行人に出くわしていた。
その際に、田舎に○まろ●的なノリで「今晩泊めてください」と声をかけるという手段もあった。
しかし、青年は微塵の勇気を持ち合わせておらず、他人とすれ違う度に心の中で、
(きっとあの人はホームレスで、日夜同じ場所をウロウロと徘徊していて、
しかも声をかけられると「科学の力ってすげー!」とワケのわからぬ世迷言を抜かす、
かかわらない方が良い感じの人間に違いない)
などというわけのわからぬ言い訳を作り現実から思いっ切り逃げてしまっていた。
これからは自分の力で生きていかなければならない。
分かっていたのに何もせず、立ち向かうことをやめてしまった。
「はぁ〜」
己の情けなさを思い返し、深いため息を意図的にこぼす。
――チュウ!
隣から電気鼠の鳴き声がした。
目をやると、小柄なレモン色の肢体が、ベンチの上で大の字になって寝転がっていた。
黒曜石の色をした、くりくりの瞳。
頬に膨らむ真っ赤な電気袋。
口元のωから覗く幼い牙。
ホクロのような鼻。
赤子のようにふくよかで小柄な体躯。
鮮やかなレモン色の肌。
ギザギザに伸びた尻尾。尾の先端はハート形。
切先の黒い、長くピンと伸びた耳。
指先の尖った短い手足。
今、青年の隣で、
全裸のピカチュウが一服していた。
「お前も疲れてしまったのか、ピチカ?」
ピチカと呼ばれたピカチュウは、返事もせずに、ただ無表情で空を仰いでいた。
ふにふにした曲線を描くメロメロボディは、死体のようになってふんぞり返っていた。
「レポート書いたら……そしたら今日の冒険はお終いだ」
青年は優しく囁いた。
ピチカは幸せそうにくたびれている。
この幸せをいつまでも守っていけるだろうか。
それとも、いつまで守っていけるか、だろうか。
十五歳を迎えたばかりの青年は、未だまともに銭を稼いだことがなかった。
世間知らずな若造の分際で、ポケモンの『おや』をやっている。
自分の生活ですら心配な人間が、ポケモンを飼って路上生活を余儀なくしている。
自分はピチカを幸せに出来るだろうか。
普通のポケモントレーナーをやっていけるだろうか。
青年は不安だった。
そのくせ、今は、不安に悩むほどの気力を持ち合わせてはいなかった。
面倒臭いから、全部明日にしようと決めた。
相棒のピチカを真似るようにして、
青年はまどろみ、目を細め、視線を宙に漂わせた。
鎖のねじ切れた乗る部分のないブランコ。
真っ二つにへし折れたシーソー。
空中に向かって伸びる滑り台。
立方体に絡まった柱が、全てグニャングニャンに折れ曲がったジャングルジム。
バラバラになった鉄棒は数多の槍となって地面に突き刺さっている。
青いペンキのはがれおちた、
焼跡ようなサビにまみれた、
イビツな形の鉄の棒。
原型を留めていない遊具だった物体は、
触ると呪われる骸骨のように朽ち果てていた。
知っているはずの公園で、知らない景色が広がっていた。
しかし、青年は何の感想も抱いてはいなかった。
「ふーん」ぐらいにしか思っていなかった。
疲れ果てた人間の働かない脳味噌が適当な処理で怠っていたからだ。
不気味な雰囲気の漂う公園の最中で、
青年は微塵の危機感をも覚えることなく、
深い眠りに落ちていった。
つづく
こんにち波ァッ!
久しぶURYYYYYY!
ヨクアターラナイと名乗っていた者です。
ポモペの続きです。
ポモペ読んでなくても大丈夫な内容です。
屁理屈のオンパレードです。
納得のいかない現象が起きてるかもしれません。
気に入らない展開になるかもしれません。
日本語おかしすぎて書いてある内容が意味不明かもしれません。
ご了承ください。
そんなわけで始まります。
ダラダラした文章でございますが、どうぞよろしくおねがいいたします。
事件が立て込んで、久しぶりの非番になった。
「さあ行くぞ」と言うその人に尾を振り、横を歩いて、近所の公園へ。
「ここしばらくが嘘みたいに、平和、って感じだなあ」
私の主人はそう言うと、ベンチに座ってうたた寝を始めてしまった。ここ数日は寝たのか寝てないのか分からないくらい、激務だったし仕方ない。私は公園を適当にうろつき回って、勝手に遊ぶことにする。今日は人が少ない。平日だったっけ。警察官のポケモンなんてやってると、曜日感覚が怪しくなるわね。
「フレちゃん、やっほお」
馴染みの声がした。パタパタ尾を振ってやってきたのは、私と同じガーディのアマテラス。私は警察犬だけど、アマテラスは愛玩犬。特にバトルも訓練もしていないらしく、アマテラスは足も体も細くて、貧弱な体つきをしている。一匹でフラフラ歩いていると、浮浪者みたいだ。
「あれ? 貴女、今日は一匹なの?」
「うん。ひとりで散歩してたらね、迷ったー」
「今時、一匹でフラフラ歩いてたら、野良と間違われて保健所行きになるわよ」
「保健所? ちゅうしゃするの?」
じゃなくてね……
「わーい、イカー!」
私が説明しようとした先から、アマテラスは空を飛ぶマンタインを追いかけて走り去ってしまった。
イカじゃなくてせめて凧、そもそもエイ、と思ったが、追いかけてツッコむのも面倒なので諦める。保健所の心配はあるけど、アマテラスなら大丈夫そうな気がするし。
私は公園で適当に遊ぶ。飽きてきた。主人はまだ寝ている。熱中症になってないか、時々確認。
次に公園に来たのは、エーフィのサン。「いい天気ね」と言って、尻尾をゆらゆらと揺らす。
「今日、曇りだけど」
「悪くなければ、いいのよ」
「あ、そう」
それから互いの主人のことを話す。
「こっちは相変わらず」私はベンチで寝ている主人を鼻先で指す。「そっちはどう?」
「相変わらず、お金にならない事件を解決して、勝手に心を痛めてる感じかなー」
「うわー……手厳しいね」
「そう?」
サンは尻尾を揺らしながら、公園の植え込みの方を見た。
「私の主人が心痛感じてることで、私も一緒に心痛めても、仕方ないじゃない? 同情は私の主人にしか出来ないことだし、私は私で、別に心痛感じることがあるし」
「たとえば?」
彼女は独特の倫理観の持ち主のようだ。私は主人が悲しそうなら、寄り添ってあげたいと思うんだけど。
サンは「ん?」と首を傾げると、植え込みを顎でしゃくった。
「たとえばねえ、あそこの桜の木の下に絞殺体が埋まってるんだけど」
「え」
「好きな人に絞め殺されちゃったのよ。可哀想に」
「え、え」
「という幽霊に同情したり、時には力技で成仏させたりするんだけど」
「掘り出してあげて」
「それもいいんだけど、私の主人も仕事が立て込んじゃって、心が擦り減ってるのよねえ。私が掘り出すと巻き込んじゃうから、だから、もうちょっと先でもいいかなって」
私は恐る恐る、植え込みを見た。「あー、難しいと思うよ。ちょっと見つけにくい場所に埋まってるから」
サンはふわ、と欠伸をする。
「まあ、気が向いたら掘り出してあげて」
「サンは?」
「その内」
そして、サンも公園を出ていってしまった。
植え込み、桜の木の下。幽霊なんて見えないんだけど、いないよね?
「ちょっと掘ってみるか……」
見つからなかった。埋め直して、主人のところへ戻る。主人はまだ寝ていた。
「フレイヤ、今日は非番か?」
上空から声が振ってきて、私は空を見上げる。
木の枝にとまっていたのは、手紙を抱える伝書ポッポ、サイハテ。
「そうよ。サイハテは仕事中? ご苦労様」
「私が好きでやっていることだから、苦にならないさ」
手紙を器用にまとめて持ち直すと、「そっちはどうだ?」と聞いてきた。「普段通りよ」私は答える。「そっちは?」「相変わらずさ。手紙を持って行ったり来たり」
サイハテは羽繕いをした。「そうそう」と口火を切る。
「前にとった弟子が、またちょくちょく顔を出すようになってね。カメラが好きなのか、私も何枚か撮らせてくれと頼まれた」
弟子って、サイハテの主人の弟子か。
「で、撮らせたの? ダンディに撮れた?」
「悪くない。だが、私が飛び立つところを撮ろうとして、ブレた写真を量産しなくともよかろう」
サイハテは理解に苦しむ、という様子で首を傾げたが、私には分からなくもない。空を飛んでる鳥ポケモンたちを見ると、なんとなくいいな、って思う。
「では、そろそろ次の目的地へ向かうとするよ」
「配達ご苦労様。ところで、前から気になってたんだけど」
サイハテは広げた翼を畳み、「ふむ」と頷いた。
「サイハテの運ぶ手紙って、切手がないのと、切手だけあるのと、切手と消印両方付いてるのが交じってるよね。なんで?」
「企業秘密だ」
飛び去っていった。
いや、それは駄目だろう、と心の中でツッコミを入れ、再び主人の元へ。うん、生きてる。
公園の入口の方から、車輪の音が聞こえてきた。車椅子に乗ったリグレー、イドラだ。
イドラは片手を上げて、私に近寄ってくる。ポケモン用車椅子を器用に念力で操っている。
彼女には足がない。昔は人間の主人に移動を頼りきりだったが、今はこうして訓練をして、自力で外出するまでになっている。ところで、エスパーポケモンなんだから念力で浮かんで移動できないの? と聞いてみたけれど、「君も、足を切られたら動けないでしょ? それと同じ」と顔をしかめられてしまった。
「今日は非番なの? お勤め大変だねえ」
「そっちもね」
「こっちはもう、辞めたからね」
イドラはすっと浮かぶと、ベンチで寝ている私の主人を見た。車椅子という足代わりがあると、念力でも問題なく移動できるらしい。「寝てるね」と言った。
「そう」
「疲れてるんだね」
「たまにはね。そっちはどう?」
私の質問の何が悪かったのか、イドラはブルリと体を震わせた。
「もう、無理」
「え、何が?」
「ミームキモい。マジキモい。キモすぎ」
あ、何だ、そのことかと私は安堵する。ミームは、イドラと主人を同じくするポケモンだ。イドラのミーム嫌いはいつものことで、私はイドラの「ミームキモい」を二百回から聞かされている。
「あ、鳥肌立ってる」
「もう聞いてよ! この前なんか、主人の枕に変身しててさあ」
「地球外生物でも鳥肌って立つんだね」
「そうよ。地球外生物といっても地球で代重ねてるから鳥肌くらい立つわよ。じゃなくて!」
そしてイドラのミームキモいが始まる。
「前はペンがないって言ったらペンに変身してさあ」
「献身的だ」
「パンがなかったらパンに変身するしさあ」
「文字通り身を捧げたね」
「食べてないよ!」
「食べてたら、君のミーム談義も終了してるね」
「っていうかなんであんな四六時中べったりしてるの!?」
それは……知らん。
「っていうかていうかていうかうわあああ思い出すだにキモいいい!!」
何か決定的なことでもあったのだろうか。イドラは車椅子を加速させて、その場でキュインキュインと回り始めた。地面が削れる。
「あ、でも」止まった。
「……」
「……」
「でも、何なの?」
イドラは目をぱちくりさせて、私を見つめた。
「ごめん」
「何が?」
「『でも』でミームの長所を挙げて、いい話で終わらそうとしたけど、思いつかなかった」
「仕方ないね」
「こんなことなら、主人に引き取られなければ良かった……」
「そこまで言うか」
「っていうか物に徹して一言も喋らなかった時の方がマシだった」
「もう一回、トラウマ発動させて黙らせれば?」
ミームはとある事件の後、変身もろくにしなくなった時期があった。イドラは他人の脳内に直接イメージを送る力があるらしいから、頑張ったら出来ると思うけど。
「あー、いや、そこまでは」
「そう?」
「やってもいいけど、主人がね」
「ご主人のことは好きなんだねえ」
双方、黙る。私は口を開いた。
「嫉妬?」
「違う!」
聞いてもらったらスッキリした、と言ってイドラは去っていった。念力で空中を滑る。空中移動の時でも、車椅子の車輪が回るのね。足がないと、と言われた意味がちょびっとだけ分かったような気がする。
「よう、フレやんか」
次にやってきたのは、シャワーズのデュナミスだ。一時期コガネシティにいたからコガネ弁らしい。その後、イッシュ地方に渡航したにも関わらず、コガネ弁が抜けなかった。ある意味剛の者だ。
「今日非番か? 今日もべっぴんさんやなぁ」
「便所臭い近寄らないで」
私が言うと、デュナミスはショボンとヒレを垂れさせた。
「綺麗に洗ろてんけどなぁ? まだ便所臭い?」
「臭いわよ」
あんまりにも彼が落ち込むので、一応、「シャワーズよりガーディの方が嗅覚いいから、その所為もあると思うけど」と補足する。
「そやな。今度からもっと気張って洗うわ。ところでなぁ、聞いてえや」
「何?」
「おれまた便所に流されてしもてん」
「……あっそ」
「ちょっと、真面目に聞いてえや」
デュナミスが尻尾をバタバタと振った。
「おれなぁ、仕事で便所のタンクに入って、聞き耳立てとってん」再利用水がなければ、便所のタンクに入っている水は綺麗なのだろう。水は。
「ほら、人ってトイレ来ると気ぃ緩んで、色々喋るやん? せやけどな、油断して」
「油断しなければいい」
「そない言うたかてなぁ」
「ま、デュナミスも頑張ってると思うよ」
私がそう言うと、デュナミスは顔を上げて、目をキラキラ輝かせた。
「ホンマ? フレに言われたら説得力あるわぁ」
そう言って笑う。
「ほな、近場の川行って、もうちょい体洗ろてくるわ」
デュナミスは尻尾をバタバタ振って、公園を出ていった。
主人はまだ眠っている。私も一眠りした。誰かのキノガッサが来て、自分の腕がどこまで伸びるか、実験していた。電線まで腕を伸ばして、タッチして感電してぶっ倒れて、しばらくして這々の体で帰っていった。何だったのか。
夕刻、首から買い物袋を提げて、ヘルガーが公園の入口を横切ろうとしていた。
「ヘル!」
私は声を上げる。ヘルガーがこちらを向く。やっぱり彼だった。
ヘルは私の方へ歩いてきた。横目で私の主人を見る。「今日、非番か?」
「うん。ヘルは時間大丈夫なの?」
「ああ」
私は首を伸ばして、買い物袋を覗き込んでみた。特売のシールがでかでかと貼られたお肉に、ネギ、トマト、ブロッコリー、ホウレンソウ……
「何作るの?」
「トマト鍋」
「ふうん。美味しいの?」
「まあ、」
ヘルは横を向いた。
「作る人が作れば……」
「……」
「いや、あれから料理も上手くなったから……」
大方、ホームパーティーの時のことを思い出しているのだろう。仲良し同士の集まり、密かに思いを寄せている男の人も来ている。そういう時に限って、失敗をやらかしてしまったのだ、彼のご主人。
私もそのパーティーには呼ばれたので、よく覚えている。全く食えないわけではなく、食えるけどものすごく不味いゲテモノと化した料理を、想い人が黙々と始末していた。他人事ながら、思い出す度に胸が痛む。
「うん、まあ、お料理頑張ってね?」
「オレの主人がね」
「うん、そう」
じゃ、そろそろ行くわ、と言ってヘルが後ろを向く。尻尾をヒュンと振ったのを見て、私はもう一つ、尋ねようと思い立つ。
「サンとの仲はどうなの?」
ヘルは振り返って、ニカッと笑った。
「順調!」
そして、ヘルも去っていった。
日が落ちた。
皆、結構一匹でフラフラ出歩いてるのね。よく保健所送りにされないなあ。
「やっほお、フレちゃん」
アマテラスが戻ってきた。あちこちに泥を付け、頭の上には葉っぱを乗せていた。
「どこまで行ってきたの?」
んー? とアマテラスは首を傾げる。
「イカを追っかけて」
「エイね」
「橋を渡って」
「うん」
「隣の国に行って」
「多分、違うよ」
「大きなポケモンさんに会って」
「うん」
「くんりゃんづんしゅの枝を探して」
「……へえ」
「その途中で大きなイカさんと仲良くなって」
「……」
「宇宙に行ってきた」
夢でも見てたのね。
アマテラスは「わーい」と言いながら、くるくる回ってその場でコケた。しかも、回るスピードも大したものじゃなかった。彼女は天性の運動音痴なのだろう。
「そういえば」
「なに?」
「アマテラスって、バトルはやったことあるの?」
貧弱な体つきで、見るからにバトルは不得手そうだが、経験はあるのだろうか。
「あ、フレちゃん優しいから好きだよ」
「え? ありがとう」
「バトルねえ」
アマテラスは首を傾げて横に転んだ後、「分かんない」と告げた。
「やったことないの?」
「んー、技は使えるよ」
そりゃあ、技の一つは使えるでしょうが、と思いつつ、「どんな技」と一応聞いてみる。
「ひのこ、かえんぐるま、ほえる、あと、にほんばれ」
「へえ。やってもらってもいい?」
「いいよ」と言って、アマテラスはひのこの構えに入る。運動音痴だけど、実は炎の扱いがすごかったりするのかもしれない。
「ひのこ」
一瞬、アマテラスの口元に光が見えた。炎の舌らしきものが、ちょろっと。
「今の?」
「うん」アマテラスは頷くと、「次、かえんぐるま」と言ってでんぐり返りした。いや、返れてない。半回転したところで止まって、四肢をだらーんと伸ばしている。
「ええと、真面目にやってる?」
「周囲に被害を及ぼすといけないから、適度に力を抜いてやってる」
抜きすぎ。
「ほえるのはどう? これなら被害は及ばないでしょ」
「んー」アマテラスは口を開くと、「ひょおん」と鳴いた。
「……めんどくさい」
「あっそ」
この子、バトルできるのだろうか。ご主人に危機が迫った時とか、一体どうする気だろう。アマテラスがよい子なのは知っているけど、やっぱり同じガーディとしては、不測の事態に備えて日頃から自分の技を磨いていてほしいなあ。
「にほんばれは得意だよ。見る?」
「うん。見せて」と私は言った。にほんばれは、大きめの火の玉で擬似太陽を生み出す技だけど、さっきの火力を見るに、大したものは期待できそうにない。
「じゃ、いくよ」
アマテラスは四肢を踏ん張ると、ウォ――――ン、と高く長く鳴いた。
やろうと思えば普通に吠えられるのだな、と思ったのも束の間。
光の束が落ちた。空からはかいこうせん、だと思った。
「アマテラス」と呼ぶが、眩しすぎて何も見えない。上空に目を逸らした。光の束が雲を貫いていた。そして、上下方向と平面方向に収縮する。眩しさはそのまま。雲より少し下くらいの高さに、真っ白く発光する楕円体が生み出された。
「ねーねー」
アマテラスがひょこひょことやってきた。
「どう?」
どう? ではない。何をどうやったらこうなるんだ。
「もっと頑張った方がよかったかな?」
「もう結構」
地球の気候が変動してしまいそうだ。
「おお、明るっ」
私の主人が目を覚ました。そして、「今、昼か、夜か?」と言った。困惑するのも分かる。時刻は夜、だが、アマテラスの所為でこの公園は昼みたいに明るい。
私の耳が、遠くから近付いてくるサイレンの音を捉えた。私は主人の服の裾を引く。
「ん? そうだな。そろそろ帰るか」
公園を出たところで、「一日、寝て過ごしっちまったなあ」と主人は伸びをしながら言った。そして、「おー、アマテラスじゃないか?」と言って、私の後ろに付いてきたガーディを撫でてやっていた。アマテラスもニコニコして、「えへへー」などと言って照れている。
私は主人の服を噛んで、引っ張る。「おお、悪かったなあ、フレ。一日ほっといちまって」いや、色んなポケモンが来たのでそれはそれで楽しかったのですが。今は、騒ぎに巻き込まれたくないから急いでいるだけだ。
家路を急ぐ。途中、サイレンの音が公園の近くで止まったらしいのを耳にした。
「ねえねえ!」
知らない人に話しかけられた。それでも、主人は嫌な顔一つせず、「どうしました」と問う。
知らない人は、私たちが今しがた来た方向を指差した。
「あれ、UFOでしょうか?」
後ろを振り返って見る。アマテラスのにほんばれが、確かに、UFOっぽく見える。主人は今気付いたらしく、目を丸くしていた。
「あっちから来ましたよね? 何かありませんでした?」
「いや、気付かなかったなあ。明るいなあ、とは思ったけど」
本心からそう言って、主人はしげしげとUFOを眺めていた。
そうしている内に、近くの家からも野次馬が出てきて、頻りに写真を撮ったりしていた。
私はアマテラスを小突く。
「一体あれ、どうやったの?」
「頑張った」
私は頑張っても、あれは出来ない。
「ほら、アマテラスだけに」
意味が分からない。
あの後、アマテラスを家に帰してから、私と主人は自分の家に戻った。
「昼間あんだけ寝たから、眠れんなあ」と言って、主人はずっと前に買ったDVDを見ていた。これから盛り上がるというところで、主人のケータイが鳴った。頷いて電話を切った後、主人はスーツに着替えて外出の準備をした。どうやら、呼び出されたらしい。
「UFOのことで市民から問い合わせが相次いだから、調べるんだとよ」
……折角の非番なのに、仕事増やしちゃった。
主人はしゃがみこむと、私の首周りをわしゃわしゃと撫でる。「確かにあれ、すごかったもんなあ。なあ、フレ。お前、何か知らないか?」
知ってるけれど伝えられないし、言っても信じてもらえないと思うので、私は無邪気に首を横に振った。
〜
殺伐としてきたので、息抜きに。まだ出ていない奴が混じってます。くんりゃんづんしゅ、特に意味は無い。
第1話
ミュウツーが暴れまわっているから注意しろと、ポケモンポリスから連絡があった。
もちろん、そのことはもう町中、いや地方中が知っていた。
ところで、なぜイッシュ地方にミュウツーがいるのかといえば、ほとんど誰も知らない。
まあ誰もが知りたくない。なぜならミュウツーは暴れ者で嫌われているからだ。
だから、今回の件によりもっと評判が悪くなる。
「ミュウツーが暴れまわってるってよ。」
「知ってるよ。もう町中大騒ぎになってる。」
カチとゾロが話していた。すると叫び声が聞こえた。
「ミュウツーがくるぞー!!」
「みんな逃げろー!ミュウツーだ!」
ドラを鳴らしながら、大群衆が押しかけてくる。
「ヤッベ!」
とっさにピカチュウが今いた木をアイアンテールで切り、大群衆を右と左に分かれさせた。
「ありがとうピカチュウさん。助かったよ。」
「へっ。こんなの朝飯前さ。」
ピカチュウは鼻をこする。
「でもさ、ミュウツーが来るっていうんなら、大変じゃない?」
切り倒させた木の切り株に乗って、ドラが言った。
「まあな。でもどうする、もうじき来るんだぞ。」
「そうねぇ・・・」
おとなしい性格のジャータが言った。
「いっそ迎え撃つ?」
ドラは闘争心が有り余っている。
「いや。でも今は退散だ。」
ピカチュウが言うと、みんなが近くの街路樹に移っていった。
この仲間たちは、みんな近くに住んでいた、幼馴染だ。
この世界は、ポケモン以外の動物はいない、快適な世界だ。
もちろん、争いは起こる。
しかし、ミュウツーは人間が作ったポケモンだ。なぜここにいるのか。みんなが疑問に思っていた。
「うわわ・・・来ちゃったよ・・・」
街路樹の穴から顔を出してのぞくと、ミュウツーが確かに来ている。
「おお神よ、助けてくれ。」
キチが狂ったように祈っている。
ミュウツーが近づいてくる。
続く
キャラクター紹介
まあ変わってませんけどね。
ピカチュウ ♂
通称ピカチュウさん。本名はライ。いつもの仲間といろいろな旅をする。やんちゃな性格で、指揮官のような役割もする。
キバゴ ♂
通称キバ。本名はキチ。ピカチュウの仲間。むじゃきな性格。語尾に「〜ケバ」とつける。
ツタージャ ♀
通称ジャータ。本名もジャータ。ピカチュウの仲間。穏やかな性格。無口で、怪しまれない。
イシズマイ ♂
通称イシ。本名はカチ。ピカチュウの仲間。のんきな性格。石を集めている。
モノズ ♂
通称ドラ。本名はサザ。ピカチュウの仲間。凶暴な性格。空を飛ぶことを夢見ている。
バチュル ♀
通称チィ。本名はデン。ピカチュウの仲間。素直な性格。小さいので、存在感が無いといわれている。
ゾロア ♂
通称ゾロ。本名もゾロ。ピカチュウの仲間。生意気な性格。上から目線で話す。
レシラム 性別不明
時々ピカチュウたちの前に現れ、手助けをしてくれる。戦いのとき以外はおっとりしている。
ゼクロム 性別不明
レシラムと同じで、時々ピカチュウの前に現れる。
レックウザ 性別不明
色違いの黒いレックウザ。通称「ブラックレックウザ」稀に現れる。
エイパム ♂
本名セーメ。自称陰陽師。ピカチュウたちの前に現れ、「〜の不幸ですな」と未来を占う。
ミュウツー 性別不明
悪の組織「ダークサザウンド」のボスで、部下には「ダーク様」と呼ばれている。ピカチュウたちの敵。めったに洞窟から出てこない。
ワルビル ♂
ミュウツーの側近。めったに洞窟から出てこないミュウツーのために、部下の指揮をとっている。ミュウツーに忠誠を誓っている。
チョロネコ ♀
ミュウツーの側近。ミュウツーの肩に乗り、めったに洞窟から出てこない。恋心を抱いているらしい。
どうもお久、ヴェロキアです。
まあ復活待ってた人は一人もいないと思うが・・・
ピカチュウさんシリーズをはじめから書きたいと思ったので、書きます。
では、これからよろしくお願いしま〜す。
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