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「お、今日も大入りですね!」
「がらがらの間違いじゃねえのか?」
5月8日の土曜日、午後1時43分。場 所はボウズスタジアムタンバ、多種目 対応の競技場だ。閑散期を減らすため に様々なスポーツや競技を可能にした 結果、プロのトレーニングやアマチュ アの試合等で高い使用率を叩きだす。
そんな場所に、俺はナズナといた。 サファリでのボランティアを終えてか ら駆け足でやってきたのだ。先に到着 していたナズナと合流し、今は試合開 始を待っている。今日はプロポケモン リーグの試合があるそうだ。ナズナは 贔屓チームのユニフォームを着てい る。と言っても、いつもと変わらず赤 いシャツと雲のように白いズボンだ が。彼女曰く、あまりに好きすぎて普 段の服装はこのユニフォームを真似て いるとのことだ。確かに、彼女は毎日 同じシャツとズボンを着ているし、嘘 ではないだろうな。
少々話が逸れた。さて、俺の皮肉に 彼女は笑って返す。
「それは言わないお約束ですよ。こ の、なんとなくまばらに席が埋まって いたら大盛況という状態なんですか ら」
「……あんた、本当にチョウジコイキン グのファンなのか?」
「もちろんです。でもファンだからこ そ現実を直視しないといけませんから ね。球場でフロントを批判して囲まれ たことも何度かありますよ」
「そうかい、そりゃ元気なこった」
俺はなにげなしにスタジアムの中心 部を見回した。試合に出るであろう選 手がポケモンの調整をしている。この スタジアムは野球場を基本としている のだが、一塁側にホームのタンバニョ ロボンズ、三塁側にアウェイのチョウ ジコイキングがいる。俺達は三塁側の 内野自由席真ん中でつまみのバンジピ クルスをかじっているわけだ。応援団 は取り決めにより外野で陣取ってい る。ちなみに、三塁側なのは彼女がコ イキングファンだからだ。
と、ここで俺は今日これまでの中で 感じた疑問を思い出した。年を取ると すぐに忘れちまうのが困りもんだぜ。 また忘れないうちに尋ねとくか。
「ところで、少し気になっていたんだ が……」
「なんですか?」
「あんた、ここに来るまでに随分薬品 を買ったみたいだが、そんなに化学が 好きなのか? てっきりちょうじ……超 能力でも好むものだとばかり」
俺は彼女の脇にある紙袋を指差し た。袋に貼ってある伝票によれば、炭 素、酸素、水素など、基本的な物質の 瓶詰めが入っているようだ。実験の練 習なら学校の備品を使えばいいわけだ から、当然個人的な使用に使うと考え られる。彼女が俺のもとにやってきた 時は無知も良いところだったし、わか んねえな。
そんな俺を見透かすかのように、ナ ズナは胸を張って答えた。
「そりゃもちろん。好きじゃなかった ら先生なんてやりませんよ。もちろん 超能力も大好きですけどね。マクラギ 先生の超人力なんかはロマンがありま すから」
「それもそうだな。しかし、そこまで 執着するには、何か理由があるんじゃ ないのか?」
「当然ありますよ。元々は科学ではな くてトレーナーを志したんですけど ね」
「ほう。せっかくなら聞かせてくれな いか?」
「……うーん、まあいっか。テンサイさ んが食いつくのも珍しいですし」
ナズナは明後日の方向を眺めなが ら、昔話を始めた。口調は、晴れた日 の海のように穏やかだ。
「私ですね、子供の時に家族とポケモ ンリーグを見に行ったんですよ。しか も決勝戦だったから、それはもうすご い人だかりで、はぐれちゃったわけで すよ」
「そりゃ困ったな。どうせ入場券は親 御さんが持っていたんだろうし」
「ええ。それで辺りを歩き回っていた ら……不良に囲まれちゃったんです」
彼女は珍しく表情を強ばらせてい た。ガキの頃経験したものってのは年 とっても忘れないものなんだな。しか し、どこかで見たような話だ。
「その流れだと、人目につかない場所 に連れていかれたってところか」
「またまた鋭いですね。で、林の中で 身ぐるみ剥がされそうになったわけで すよ。抵抗したら襲われて……でもその 時!」
「誰かが割って入った。その人は辛う じて危機を免れた少女をかばいなが ら、チンピラを蹴散らした。こう言い たいんじゃねえか?」
俺は彼女の台詞をそっくり先取りし てやった。何故分かったか、だって? 簡単な話よ、俺は当事者だからだ。 正確には、俺も似たような経験をした ことがあるから。もっとも、俺は助け た側だが。
「よくご存知ですね。じゃあその人の 名も分かりますよね?」
「……トウサ。20年以上前のポケモン リーグ優勝者だな」
俺は、かつての俺の名前を引き合い に出した。確かに俺は、昔女の子を助 けたことがある。おかげで決勝戦はギ リギリの展開を強いられることになっ ちまった。その女の子がナズナという わけか。彼女の話で昔の記憶が蘇った ぜ。
「正確には21年前ですね。ともかく、 助けてくれた上に家族を探すのも手 伝ってくれたトウサさんに憧れたわけ ですよ、若かりし頃の私は」
「それでトレーナーを目指したって寸 法か。あんたは確か今年で28、当時は まだ7つ。影響を受けるなって方が無 理な話だな」
俺は月日の早さをしみじみ感じた。 俺はあの時15だったのが、今は36。も うトレーナーとしての肩書きは完全に なくなっちまったな。
景気よく語るナズナも、やや頬が紅 潮してきた。そんなに話せるのが嬉し いのかね。
「そりゃそうですよ。……それから月日 が経ち、私は冒険の旅に出発しまし た。バッジも着々と集まり、ようやく ポケモンリーグに挑戦する時がやって きました。ところが! またしてもあ の人は世間を驚かせたのです」
「ポケモン転送システムか。……大体先 が読めたが、大きな疑問が残る」
俺は首をひねった。俺は、今パソコ ンで使われているポケモン転送システ ムを作り出した。その後彼女は俺のと ころに転がり込んだ。俺は、彼女が昔 助けた娘だとは露にも思わなかった が、問題はそこではない。彼女もその ことは承知のようで、あえて聞く必要 はなかった。
「『トウサさんと私の専門分野が違う のはなぜか』ってことですよね? テ ンサイさんの想像通り、私は全てを放 り投げて弟子入りを志願しました。で も私はトレーナーでしたから、科学の かの字も知りませんでした。おかげで 何度も門前払いを食らって、最後には 半ば拾われる形で住み込みを始めまし たよ」
彼女は苦笑いをした。俺は物理関連 を専ら得意とし、彼女は化学に力を入 れていた。だが当時、彼女は元素すら 覚えていない素人だった。一体何が あったのかは俺でも分からん。
「当時は話題になっていたな、『あの トウサが後継者を発見した』と。本人 は否定していたが」
「確かに、『研究はしないでいいから 手伝ってくれ』って言われましたよ。 でもそれじゃやっぱり悔しいじゃない ですか、だからこっそり勉強をやった んです」
「ほう、道理で日に日に賢くなってる はずだ……」
「え?」
「い、今の話だ。昔からの勉強の習慣 が続いているんだなと誉めたんだよ。 言わせんな恥ずかしい」
俺は適当にごまかしながら目を逸ら した。恥ずかしいのは間違いない、彼 女にこんな言葉はかけたことがなかっ たからな。耳が熱いぜ。それより、危 うく怪しまれるところだった。口は災 いの元、注意して使わねば。まあ、今 回は彼女の機嫌がますます良くなって きたから結果オーライだ。
「ふふ、ありがとうございます。……そ れで、色々勉強した結果、化学だけは なんとかものになったんですよ。数学 がほんとに分からなかったけど、経験 でカバーできましたからね」
「なるほど。……そういうことなら、俺 が数学の指導をしてやろうか? もっ とも、その必要も無いかもしれんが」
俺は提案をした。彼女は予想外だっ たのか、目を丸くし、それから少し頭 をさすった。
「ほ、本当ですか? 是非お願いしま す! でも、笑わないでくださいよ」
「心配すんな、出来の悪い奴らはいく らでも見てきた。それより、そろそろ 試合が始まるぜ」
俺はスタジアム中央に視線を向け た。いつの間にか選手達も準備万端、 いつでも試合が始められるようであ る。
「あ、もうこんな時間か。よっし、今 日も気合い入れて応援しますよ!」
「お、おい。俺を巻き込むなー!」
彼女は俺の腕を引き、フェンス際ま で駆け下りるのであった。……直情的な 性格もどうにかしねえとな。
・次回予告
昔、とある地域のリーダーが識字率を 大きく上げることに成功したが、どの ような方法を使ったと思う? そう、 読めるようになった奴に教えさせたの さ。これは何も字に限らず、数学でも 同じだ。……む、どうやらあいつにも兆 しが見えてきたな。次回、第48話「教 えることは学ぶこと」。俺の明日は俺 が決める。
・あつあ通信vol.112
一人称ってどうやって回想したらいい んですかね? 特に主人公以外の場合 は。脇役の回想シーンを書ける人は凄 いと思います(小学生並の感想)。
しかし、今回は予定と大分違う話にな りました。当初は本屋でとあるノン フィクション小説を見て昔を思い出す というものでした(デートであること は変わりません)。次回はどうなるの やら。
あつあ通信vol.112、編者あつあつお でん
五
あの夜話していた内容を僕は問うことができず、だらりとした日々がただ過ぎていくだけだった。ウインディは金縛りでもあっているかのように丘の上から一歩も動くことはなかった。海を見に行ったあの日に倒れこんだその場所で。ウインディより大きく力のある生き物は僕らの住む森には存在しない。だから彼をもっと安全な場所に移すことは叶わなかった。雨が降る中体を縮こまらせている姿は元来雄大であるだろうはずの彼の雰囲気とは天と地ほどもかけ離れていた。日に日に落ちていく毛が風に乗って流れていくのを僕は遠くから黙って見つめる他無かった。現実味を帯びなかった死という出来事が確実にウインディの傍へ歩み寄っているのをひしひしと実感する。
僕の中に眠るのは気持ち悪い粘着物。一体ウインディになんと声をかければいいのだろう。外の世界からやってきたウインディを否定した僕が、何を言えるというのだろう。もう、何もかも今更だ。
青空を仰ぐ。
鳥が羽ばたくのを見つめる。
「坊、いつまで意地を張っているつもり」
聞き慣れた声が真上からやってくる。おじさんがすぐ傍にいるのは分かっているけれど顔を上げずむしろ更に地に埋めた。
山の向こうに太陽は沈み、恐らく真上には真っ暗な空を背景に星や月が見えているだろう。見慣れてきた光景だからすぐに頭の中に思い描くことができる。
しばらく時間を置いてから、呆れたようなおじさんの溜息が耳に届いた。
「ウインディはあなたをずっと待っているの。今、ちょっと元気が無いから動くことはできないけれど、だからこそ、あなたが行かなきゃ」
説教臭いおじさんは苦手だ。責められているようにしか聞こえない。いや、実際責められているんだろう。どうして彼を否定したのだろう。どうして海に行きたいなどと言ったのだろう。どうして自分のことしか考えられないのだろう。力も無いくせに欲望のままに走る。馬鹿みたい。
と、僕の頭に鈍い痛みがのしかかる。おじさん得意の拳骨だ。思わず高くて変な声をあげた。
「男の子がうじうじしない。あのね、ウインディと話せる期間はもう、大分限られているの。話さなかったら、絶対に後で後悔するよ」
もう十分後悔してるというのに。
でも何もしなかったらもっと後悔するのも分かってる。
目頭が妙に熱くなる。限られた時間、押し寄せるであろう後悔。僕はゆっくりと顔を上げておじさんの顔を見た。周りは随分と暗くなっていた。星明りに微かに照らされたおじさんの顔。なんだか久しぶりにおじさんの顔を真正面から見たような気がした。おじさんは憐れむような悲しむような、でもしんと落ち着いた複雑な表情を浮かべていた。混乱していながらもおじさんは覚悟というやつを決めたのかもしれない。僕はどうだ。今、うじうじして現実に目を背けているだけ。誰に顔向けすることもできない。それでも前を見据えなければならない時がやってきている。
瞳から涙が出るのをぐっと堪える。さっき拳骨を食らわせたおじさんの手が優しく僕の頭を撫でる。丁寧に乱れた毛を繕ってくれる。注がれる愛情をひしひしと感じて、僕は自然と俯いた。
「もうこれ以上後悔はしたくないでしょ」
おじさんの言葉に僕は僅かに頷く。
「なら、行きなさい」
おじさんは呟く言葉で僕の背中を押す。
顔を上げて丘の上に佇むウインディの姿を目にとめる。ほぼ真っ暗だけれど、彼の特徴的な体毛が夜の中で輪郭を象る。寝転がったままで今どこを見ているのかこちらからでは分からない。山を見ているのか空を見ているのか、どこも見てはいないのか、あるいは眠っているのかもしれない。皆目見当もつかない視線がどこを向いているのかを知りたいと望むなら、彼に寄り添う他ない。
「……おじさんは、来ないの?」
恐る恐る尋ねるとおじさんは静かに首を振る。
「今はいいの。きっと、後から行くわ」
すぐに空気に溶けてしまう小さな声でおじさんは言った。
僕は複雑な思いを抱えながら僅かに頷き、ゆっくりと歩みを進める。草むらを踏む音と風の音とが混ざり合う。後ろからおじさんの視線を感じる。おじさんはいつも僕を支えてくれる、だから僕は再び歩き出すことができる。お母さんがいなくなっても、落ち込んでも、病気になっても、そして今も。
あっという間にウインディの目の前に来る。随分と彼はやつれてしまった。遠くから見るよりずっと毛は乱れ抜け落ち、その下に見える肉の姿が露わになっている部分もある。星光に照らされ赤黒く佇むそれに対して僕は咄嗟に目を逸らす。風に乗って彼から僅かに異臭がするのを捉える。異変は確実に獣を蝕み、手招きする死に抵抗なく歩み寄っているようだった。これが、あの時疾風と化した獣の末路だというのか。張り裂けんばかりの咆哮と共に炎を吐き散らした獣と同じだというのか。なんて、なんて残酷なんだろう。
「やあ、来たのか」
考え事をしていると向こうから声がかけられ僕は体を震え上がらせた。まるでそよ風のような声だ。本当に小さく掠れた声なのに、何故かすとんと僕の耳に届く。
後戻りはできない、そう心に言い聞かせて僕は一歩一歩を踏みしめウインディの顔の隣にやってくる。ここまで近くにやってきたのはそれこそあの海を見に行った日以来のことだ。
「久しぶりだな」
「うん……」
「元気そうで何よりだ」
皮肉のつもりだろうか、ちくりと思うがそんなことはないんだって解ってる。純粋にウインディはそう思ったのだと思う。でも死を目前に控えた彼にそう言われると、どう言葉を返したらいいのか分からなくなってしまう。
「今日は空が綺麗だと思わないか」
その声に導かれるように僕はウインディの視線の先をなぞる。思い描いていたはずの空なのに、忘れかけていた空だった。雲一つ無く、頭上に光る一等星。今の僕等を取り巻く状況には不釣り合い程見事な快晴だ。無数の星が辺り一面に敷き詰められて心が一気に奪われる。吸い込まれそうになる。遠くにあるのに手が届きそうだ。月は無い。今日はいない。星を観察するには絶好の機会だと言える。
「空を見るのが癖だと言っていただろう。私も何しろ暇でね、空を見ることを趣味にしてみたのだ。意外に面白いな。色々な表情を見せる。自然と自分の考えもまとまっていく。いかに自分がちっぽけな存在かを思い知らされる」
「やめてよ」
そんなこと言わないで。
ウインディがちっぽけな存在だと言うなら、僕は一体何になってしまうんだよ。
突然強い口調になった僕に違和感を感じたのかウインディは僕をちらと見る。黒く大きな瞳に自分の姿が映る。その瞬間、息を呑んだ。失望が走る。吸い込まれてしまいそうな威圧感は、もうそこに無い。
「癇に障ったか。すまない」
あっさりと謝罪される。余計に弱々しさが強調されてしまったようだけど、なんでこんなにすらりと認めてしまえるんだろう。
ウインディは大きな息を吐く。彼にとっては何てことのない小さな溜息かもしれないが、ちょっと大袈裟な表現をすると僕にとっては強風の煽りを受けたようだった。
「それにしても、なんだか今日の空は違うな」
ぽつりと言うウインディに僕はもう一度改めて空を見る。違うという意味を理解できず首を傾げる。
「どういうこと?」
「分からない。だけど、空気が何か違う気がする」
ふうんと僕は単調な相槌を打つ。改めて空を見て空気とやらを耳を立てたり鼻で嗅いでみたりして全身で感じ取ってみるけれど特に変わった様子はない。どういう意味を指しているのだろうか。
と、突然ウインディは表情を歪め痺れたように体を固く硬直させる。喉から何かがせり上がる音がしたが必死に堪えているようだった。僕は落ち着かせようと彼の顔を撫でてみた。本当ならおじさんが僕に風邪をひいて苦しいときによくやってくれたように背中をさすってあげるべきなんだろうけど、僕には到底無理なことだった。けれどウインディはほっとしたように笑みを浮かべる。小さくありがとうと呟いた。喉の奥から慎重に絞り出した声だった。僕は視線を逸らし、前足のウインディの毛にふと視線を寄せた。風に流れて、ふわりと綿毛のように飛んでいく。
「私は何も後悔していないよ」
ウインディはそう呟いた。
「海へ行ったこと、何も後悔していない。あれは私が言い出したことだ。君は何も悪くない」
「そんなことない」
全力で首を横に振った。そんなこと、絶対ない。
「僕があの時行きたいって言わなければウインディはこんなことにならなかった。あの時ああ言っちゃったからウインディはこんなことになっちゃったんだ。僕は行きたいって言っちゃいけないって、安静にしてなきゃだめって分かってたのに、おじさんの言うこと素直に聞いていればよかったのに!」
「それは違うよ」
熱くなってきた僕の言動をそっと獣は冷静に制止する。僕は意地になって顔を上げると、ずっと空を見ていたはずのウインディの顔がこちらにまっすぐに向いていた。それは違う、違うんだ。彼は強調するようにそう繰り返した。
「私は前から分かっていた。この森にくる前から、自分の命は長くないということを。君が海に行きたいと言わなかったとしても、結果は変わらなかった」
強さは無くとも決して揺らがない瞳は覚悟の証。何か声をかけようとしても、僕の小さな頭じゃ何も言葉が浮かび上がってはこない。
「それに海に行きたかったのは私の方なんだ」
「え?」
ウインディは深く頷いた。
「ずっと前に諦めたはずなのに、まだ少し心残りがあった……終わらせたかった。現実を見て、もう本当に元の生活に戻ることはできないのだと」
――こうして海を間近にすると、本当に戻ることはできないのだと実感させられる。
海を見に行った時にウインディが口走った言葉が走る。
そんな悲しいことをするために海に行ったの。どうしてそうまでして諦めなきゃいけないの。ウインディは強いのに、どうして諦めるの。全部心の中にしまい込んでしまう。彼に訪れている哀しみがあまりに大きくて、僕には抱えきれるものじゃなかった。
ウインディはふっと何故か微笑んで再び空を見上げる。数秒後に大きく目を見開かせ小さく声を漏らした。
「どうしたの」
「見てくれ」
溢れんばかりの興奮に無理矢理蓋をしているような震えた声音だ。不思議に思って空を見上げる。空に広がっているのはきらきらと光る星々だけ。圧巻の情景だけれど先程見たものと変わりはない。
謎に包まれた彼の真意の問おうとした時だ、西に一筋の閃光が煌めいたのは。
息を止める。
出来事が目に焼き付く。
心臓が高鳴る。
視界を広く保つ。そうしていたら別の場所の空にさっと軌跡が描かれる。
丁度一年程前の今頃の季節に、おじさんと見た流星群を思い出した。記憶と現実が重なり僕の目前に無限に開ける。暗闇の中に僕等二人、溶けている。丘に座っているんじゃない、夜の中に在る。沈黙と一体化している。手を伸ばせば届きそうだ。瞬きすら惜しい。息は雑音に思えるのに、流れてくる風は心地良い。再度閃く光。一瞬の輝き。儚くも強い瞬き。その度音は完全に消える。
「……少し、昔の話をしていいか」
隣からやってきた掠れ声が僕の心を叩く。僕は小さく了承の返事をした。昔の話とは、海で話そうとしていた続きだろう。あの時僕は我を忘れてしまったけれど、今なら落ち着いてウインディの話を聞くことができると思えた。
「ありがとう」
一呼吸を置いて、ウインディは視線を上空に留めたまま、遂に隠していた自らの過去を語り始めた。
「……君は生まれた頃からこの森にいただろうが、私は生まれた頃から人のポケモンだった。物心がついた頃にはあの家にいたのだ。とても温かい家族でね。その頃は私はガーディと呼ばれていた。そこに居たある男の子は特に可愛がってくれて一緒に遊んでくれて、私も一番好きだった。何一つ不自由の無い生活だった。何もしていなくてもご飯はほぼ定時に出てきたし、傍に寄るだけで撫でてくれた。とても幸せな日々だった」
その様子はとても僕に想像できる賜物ではなかったけれど、その声は甘く温かいものでなんの偽りもなく確かにウインディが幸せに溢れていたことを示している。懐かしむ優しい声音を妨げようとは思わなかった。
「しばらくして男の子は成長した。人は歳を重ねある一定の年齢に達すると旅をする風習があった。彼もそれに倣うように旅を始め、私は当然のように彼についていった。旅の途中で仲間は増えていったが、一番の信頼を置かれているのは、ただの自負に思われるかもしれないが間違いなく私だった。彼の期待に応えようと私も必死に体を鍛えた。旅を進めるうちにガーディとしての限界を感じた時、躊躇わず進化の道を選んだ。そうして私はウインディになり、時に彼の槍となり盾となり、傍に寄り添い続けた。どれくらい旅をしたのか分からない。勝負に勝ったり負けたりを繰り返して、彼も随分大人の顔立ちになってきた頃、私達は歩いていた地方を遂に一周した。勝負の世界で頂点に立つことは叶わなかったが、彼は喜んでいた。私も喜んだ。挫折を繰り返したがそのたび仲間と越えてきた。支えあって生きてきた。そして見たことの無い世界をこの目に焼き付けることができた。ずっと家にいることも幸せだったが、私は苦労の果てにかけがえのない世界を手に入れた。確かに私は生きていた」
その間も空を流れ続ける星の姿。僕等を見下ろし静かに包み込む。
そして、と彼は切り出す。僅かにトーンが低くなったように思えた。
「私達は旅を終えるか続けるかの選択に迫られ、彼は続けることを選んだ。まだ見たことの無いものを見ていたいと息を弾ませた。私も同意だった。世界を知れば知るほど、知らない世界があるということを知るのだ。欲求は止まらないものさ。彼と私ともう何匹かの仲間は共に海を渡ることを決意した。海の向こうには何があるのだろうと、旅を始めた頃の童心に帰って胸を躍らせたものだ。そしてこの地にやってきた。見たことの無い生き物がたくさん居て、正直驚いたよ。まだこんなに知らないことがあるのか、とね。他の人にも私は随分珍しい目で見られたものだった。それがもしかしたら、仇になったのかもしれない」
声がどんどん小さくなっていく。どんどん沈んでいく。最初のうちの温もりはどこに消えたのだろうか。手にとるようにウインディの感情の揺れが分かる。それほど明確に彼の心の色が言葉に表れていた。
「ある日のことだ。ボールに入っていた私は突然その場がぐるりと回転するのを感じた。突然の衝撃に何があったのか分からず、外を見ようとしたが真っ暗で何も見えなかった。彼は自分の歩いている情景をボールに入っている間私たちにも見せようと、ボールを普段から表に見えるようにまとめていた。だから間違いなくそれは異変だった。ボールから出たかったけれど自分から出る方法を心得ていなかったため、何もできずただ時間が過ぎるのを待った。ようやくボールから出してもらった瞬間、私に鈍痛が襲い掛かった。攻撃を受けたのだ。なんのことだか全く分からなかった。そこは灰色の四角い部屋だった。見知らぬ白っぽい服装をした人間と何匹かの知らないポケモンが私を睨みつけていた。私は主人や仲間を探したがそこには誰も私の知る者はいなかった。重なる技の連続に私は抵抗を試みたが麻痺にでもされていたのかうまく体が動かなかった。傷ついた体のまま足には重い枷がつけられた。最初の方は威勢が良く吠えたり炎を出してみたりしたが、ろくに餌を与えられず瞬く間に衰弱していった。そして私は何かを悟った。いつしか抵抗は弱体化を助長するだけだと理解した。何日も閉じ込められた末、諦めたのだ」
淡々とウインディは話していた。起こった事象だけをひたすらに上辺だけなぞっているかのようだった。けれど、最後の一言には自嘲が込められているように僕には感じられた。
「そしてある日から人間たちは私をその部屋から出し、体にロープを縛り付け、大量の重たい石が乗った滑車を運ばせた。休めば容赦なく鞭がとび、怒声を浴びせられた。ただただ私は運び続けた。私の他にも同じようなポケモンは沢山いた。皆表情は暗く、一言も喋らなかった。無論、私も」
けれど重労働は永遠というわけではなかった、彼はそう言ってから一度呼吸を整える。
こんなに話し続けて体の方は大丈夫なんだろうか。でも止める権利は僕に無い。僕はただ聞き届けるだけ。もう、ウインディがやりたいように、したいようにすることに従うだけ。幸い、冷たいほど静かな環境のおかげで掠れ声を聞き取るのはそう難しいことではなかった。
「私達が作りだしていたのはある大きな城だったが、何年もかけてそれはようやく完成した。けれど私の体はもうボロボロになっていた。既に他の同志で過労死をした者もいた中だった、私の体に異変が訪れたのは。口から吐き出された嘔吐物に混ざった血や心臓の異常な高鳴りがそれを物語っていた。呼吸困難に陥った発作だったが、もう用無しとなっていた私は再び牢獄に閉じ込められるだけだった。死を覚悟したが、私の目の前にかつての主人と同じくらいの風体をした青年が突然現れ、手当を施してくれた。どこで私の状態を知ったのか定かではないが、彼は必死に私を励ましてくれた。それは、数年ぶりに感じた愛情のように思え、私にはとても心地良かった。その甲斐あって、私は何とか一命を取り留めた。私は彼に御礼を言った。すると、私達の言葉は人間に通じないはずなのに、彼はどういたしまして、間に合って良かったと言ったのだ。彼は私達の言葉が分かるらしい。けれど、随分固く心を閉ざしているねと彼は残念そうに呟いていた。不思議な青年だった。彼はそれからいくつか話した後、最後に、君のためにもポケモンを解放させる、そう言って去っていった。今になってもその真意がよく分からないけれど……。兎にも角にも、なんとか生き延びたもののもうかつての力を持ち合わせていなかった私はずっと閉じ込められたまま、しばらく時が経つのを傍観していた。途中で幾度かの地震が起こったりもしたが、まったく外の様子が分からないまま生きていた。死んでいるのと同じようなもので、もう思考は完全に停止していた。その時、突然いつもとは違う音に気が付いた。長い地震は止まらず、部屋が綻びを見せ始めていた。私はその時突然逃げるという選択肢を思いつき、枷をつけたまま小さな部屋を跳び出した。勿論容易ではなかったが、壁は随分脆くなっていて、持てる力を全て出しきって脱走に成功した。狭い廊下を通り抜け、僅かに残る記憶を頼りに私は外へ出た。久しぶりに見た青空の色をよく覚えている。とても綺麗な蒼だった。見慣れたはずなのに妙に感動してね、ずっと見つめてしまっていたんだ。そうしたら、黒いドラゴンが城のてっぺんから飛び出した。その背にあの青年が乗っているような気がした。彼も逃げたのかな。よくわからないけれど、一直線に空を横切っていった。まるで……そう、まるで流星のように」
彼は最後に思い出すように付け加えた。
僕はそれを聞いて、僕は見ることのできなかった黒い流星の話を思い出した。咄嗟の連想だったが僕の中に確信めいたものが光った。その瞬間呼吸ができなくなりそうなくらいの興奮が襲う。もしかして、黒い流星っていうのは、その黒いドラゴンのことだったのか? それも、間接的とはいえウインディと繋がっていた。それって正直、すごいことだと思う。
「それがずっと遠くに行くのを見届けてから、私はその場を後にした。けれど野生環境で育ってこなかった私は、図体は大きいくせに見知らぬ土地でうまく生活ができず、また何度か発作にも襲われ、更に衰弱していった。それでも私は掠れてしまいそうな主の顔を思い出すたびに、その足を動かした。ある雨の日、私は悪い足場にもっていかれ崖から落ちた。下に広がっていた木々が多少クッションになったものの、そこで大きな怪我をしてしまいもう限界を感じていた。それでも何故か足は動いていた。……そしてあの、御神木の前で君に会ったんだ」
僕は視線をウインディに移した。ウインディがやってきたあの瞬間の出来事が僕の脳裏に鮮やかに染まる。
「そして私はあの時の青年に助けられたように救われた。森の温かな雰囲気に癒され、ようやく心穏やかになることができて幸せだった。けれど君は最初なかなか打ち解けてくれなかったね。その理由をおじさんに聞いたよ。お母さんが人間に捕まえられ、精神的に大きなダメージを負い、森の外、特に人間に対して強い嫌悪感を抱いていると。私は、その時思った。これが多分、運命なんだと」
「運命?」
僕が聞き返すと、ウインディは静かに頷いた。
「主と引き離されたことも体を痛みつけられたことも重労働をさせられたことも理不尽だと思った。それは多分、確かなもの。けれど、病気を患い、あの青年に生かされ、君に生かされた。偶然に偶然が重なっていく奇跡に感銘すら受けた。私はきっと、最終目的地が君であるように生きていたんじゃないか、そう思ったんだ」
「そんな、無茶苦茶な」
首を横に振りながら動揺を隠さずに僕は返す。どうしてそんな大がかりなものに僕が名を連ねているんだ。
「私はそれなりに波乱万丈な生活を送ってきた。理不尽なことも、君に伝えるための過程だったと思えば納得ができる」
「押し付けないでよ。僕はついこないだ会ったばかりなんだよ」
「もう少しだけ、聞いてくれ」
荒くなってきた僕の口調を鎮める。また暴走してしまう前に僕はふと冷静になり、口を紡ぐ。
ウインディは夜空から再び僕に顔を向けた。彼の目に強さが戻ってきていた。確固たる意志が宿っている証拠か。
「私は人間に囲まれて生きてきた。人間の中には良い人間もあれば悪い人間もいる。身を以てそれを知っている。私の主人も多くのポケモンを捕まえてきた。それを私も当然のように思っていたから、君のようにそれに対して深く悲しんでいるポケモンがいることは想像もしなかった。だけど、それをいつまでも恨んでいていいのか。こんな私が言っても説得力に欠けるかもしれないが、君にはまだまだ未来がある。私はもう死のうとしている、だから今、君に伝えたい」
言葉の一つ一つが噛みしめられているような重さを感じる。黒い瞳にちっぽけな僕が映る。果たしてそんな僕に、彼の一心に願う思いを受け取りきることができるのだろうか、自信は無い。
「この森は居心地がとても良い。けれど小さな頃の私がそうだったように、あまりにも狭い世界だ。だから考えも偏ってしまうのだと思う。経験は一生の宝になる。ここの森に居る限り外を知ることはなかったと思うが、君はお母さんを失うという形で外の世界と接触し、また私をきっかけに海を見た。君が思うほど世界は怖いものや恐ろしいものばかりじゃない。美しくたくましく生きている。それを君も分かっているんじゃないか? 君は知るきっかけを持っているのに、知ろうとしない、それは勿体ないことだと私は思う。勿論、何をするのも君の自由だけれどね」
彼はその目にたくさんの風景を映してきたのだろう。
たくさんの痛みを伴いながら、掛け替えのないものを手に入れてきたのだろう。それは僕には羨ましくも、あまりに眩しい。
「でも僕はお母さんを捕まえた人間を、絶対に許せないんだ」
「それでいい。許せと言っているんじゃない。けれど君はそれに固執し過ぎている。それでは息苦しいだけだ。実際、君は、この森の中ですら動けていない」
言い返そうとして出てこない言葉に僕は肩を落とす。結局、何も言い返せない動けない。人間を恨んでも対抗するのは怖い。外を気にしてもここを出るのは怖い。恐怖と矛盾。弱さと小ささ。僕を掴んで離さない。そしてそれに甘え続ける。結局震えて息を殺しているだけ。そうやってきて一体どれだけの時間が経ったのだろう。
このまま何も変わっていてほしくない僕の一方で、この状態から抜け出したいと思っている僕も確かにいる。ウインディが後者の僕の手を引くのを感じる。泥のように重たく冷たい記憶に沈む僕の手を引く。まっくらやみの中で呼ぶ声がする。
「君には力がある。なんだって出来る」
「――違う!」
引っかかりを覚えた僕は咄嗟に叫んでいた。
「僕はなんにも出来ないんだ。ずっと震えてるだけで、走ることしかできない。でもその走ることだってウインディの方がずっと速くて、ウインディは大きくて強くて、お母さんだってそうで。僕とは全然違う。ウインディに最初近づけなかったのだってさっきまで傍にいられなかったのだって全部怖かったから! 矛盾ばっかりでどうしようもない弱虫なんだよ。そのくせ後悔だけはいっぱいして、口先だけ。分かるでしょ、僕には力なんて無い」
心の中の叫びが声となって跳んでいく。途中で胸の奥が焼けるように熱くなって、息苦しくなる。目頭がほんのり痛んだ。自分の心の中で繰り返し繰り返し呟きながらも外には決してさらけ出さなかった部分を吐きだす。言うだけ言って、それでもウインディに心の奥で叫んでいる。
助けて、と。
苦しい、と。
「そんなことは無い」
ウインディは一呼吸置いてから淡白な声で言う。
心臓の鼓動は速まったまま収まらない。僅かに振動する呼吸を必死に抑えようとしながら、まっすぐに睨みつけるようにウインディの両眼を見据える。
「じゃあ、僕にある力ってなんなの」
挑発するような言葉は呼吸に合わせて震えていた。ウインディは間伐入れずに口を開いた。
「未来があるということ。それは即ち無限に広がる可能性があるということ。そして何より自由だということ。……これが、君の力だ」
暗闇の中で一筋の閃光が僕の中を走った。明確になんの曇りもなく彼は言い放った。その自信に満ちた言葉は確かに僕の胸を打つ。
耳に届いたのは静寂の声。
ずっとそこにありながら、ずっと聞こえなかった、僕自身も分かっていなかった僕の中に眠る思いを引き出す声。
「確かに身体的能力は君はまだ幼い。けれど、そればかりが力ではないんだよ。私は確かにその点では強いかもしれないけど……もう死にかけだ。もうずっと囚われ続けて、大切な時間を失ってしまった。自由は力だ。それもコントロールの難しいもの。今の私にはよく分かる。君には何もかも選ぶ権利がある。矛盾ばっかり? 自覚しているのは戦おうとしている証拠だ。口先だけ、後悔ばかり、よくある話だよ」
ウインディは一度間を置いた。風が空に吸い込まれるように吹いていく。星明りに照らされてはらりと彼の毛が揺れた。
「押し付けがましいが、複雑な過去と考えを背負っているからこそ前に進んでほしいと私は思っているよ」
「……どうしてそこまで僕に言ってくれるの」
「どうしてだろうな。覚悟していたつもりだったけれど、死を目前にして後悔がやってきたせいかもしれない。私がまだやりたかったことを君に押し付けているだけなのかも。だとしたら、ただのエゴだな。君が思うより私はそんなにすごい奴ではないんだ」
「そんなことない」
僕は全力で首を振った。
「僕は、僕は」
溢れだそうとする感情。もうなんでもいい、溢れてしまえ。拙い言葉を紡げ。吐き出せ。
「――僕は、ウインディみたいになりたい」
僕は小さく弱くちっぽけだ。だから大きく強く堂々としたウインディの姿に嫉妬し、気に入らなくて、けれどどうしようもなく焦がれた。今までぼんやりとしていた理想をたとえるとすれば、間違いなくウインディだ。理不尽に対する思いや信頼していた者への焦がれは僕とちょっと似ている、考えもしなかった共通点を確かめ、自らの力の無さに失望していた僕に力があると憧れの存在から背中を押された今ならそう素直に思える。ウインディのようになりたい。理想像ははっきりと目の前に見据えられた。方向は前。きっと、人間に対する恨みもお母さんとの思い出も抱えて、僕はようやく進みだすことができる。ウインディがもうすぐ力尽きても、僕の中でウインディは生きていく。
それほど変化を見せなかったウインディの表情に驚きの色が広がる。虚ろになった瞼が上がって大きくなった瞳が僕を捉える。しかしすぐに目は閉じられ、口を固く塞ぐ。頭が下がり、何故か小刻みに震えているように見えた。僕は足を一歩一歩踏み出して更にウインディに近づき、少し背を伸ばして彼の大きな鼻に自分の鼻を当てた。彼のあたたかな息を感じる。生きているんだと確かめるように実感する。
ありがとうとウインディは籠った声で言った。
その一言だけで、十分だった。
少し時間を置いてから、おじさんは僕等の隣に姿を現した。落ち着いた雰囲気を敏感に感じ取ったおじさんはほっと安堵の溜息をつく。おじさんは不思議だ。なんだか、全部わかってるみたい。
星の降る真夜中、僕等は失われている時間の間少しでも傍に居るように体を寄せ合っていた。一年前もそうやっておじさんと流星群を見ていた。当時のことを思い出し、ふと僕は声を出した。
「そういえば去年、おじさん言ってたよね」
「何を?」
おじさんは不思議そうに聞き返した。
「ほら、流れ星が消える前に願い事をしたら……みたいなさ」
「ああそうね。そう、流れ星が出てきてまた消える前に三回願い事を心の中で唱えることができたら、その願いは叶うって言われているの」
「なんだか懐かしいな。その話、聞いたことがあるよ」
ウインディも知っているんだ。ここまでくるとウインディというよりおじさんは本当に一体何者だろうっていう気になってくるなあ。でもあんまり深く知ろうとは思わない。おじさんだからそうなのかも。そこにあんまり理屈はいらない。
「でも三回なんて無理だよ」
「あら、坊には願い事があるのね。どんなもの?」
「い、いいじゃん、それは」
頬が熱くなるのを感じる。気恥ずかしさに出てきた言葉は裏返っていて、おじさんもウインディも思わず小さな笑い声をあげる。それが更に羞恥心を掻きたてる。
「お、おじさんはなんか無いの?」
慌てて切り返すとおじさんはそうねえとぼんやりとした声で少し考え込む。
「……もっと時間が長ーくなりますように、というところかしら」
「ははは、それは良いな」
「えー、どういうこと」
ウインディが同意する一方で思わず疑問の声をあげると、おじさんはふふふと上品に含み笑いをする。
「ぼんやり空を眺めている時間も、楽しい夢を見ている時間も、今みたいな幸せな時間も、ずーっと続いていればいいのになあって思うのよ」
どうしても叶わない願いのようだけど、おじさんの考えていることは珍しく僕にも身に染みるほどよく理解できた。特に三つ目の例えがそう。理不尽なことに、楽しかったり嬉しかったり、そういう所謂幸せな時っていうのはいつもよりもあっという間に過ぎてしまう。多分既にいつもの就寝時間は過ぎていると思う。僕の中には眠気の泡がぷつぷつと浮かんできていた。実感すると更に大きくなって、一つまんまるな欠伸をする。
漆黒の世界を彩る星が煌めく中、また一つ二つと流星が顔を出した。けれどあまりにもそれは速すぎて追いつくことができない。願い事を三回唱えるなんて本当に、それこそ夢物語に近い。けど、憧れてしまう。きっとおじさんはこっそり心の中で挑戦していると思う。たとえその願い事が叶わないことだと解っていてもやってみる。おじさんは、そういう感じなんだ。そういうおじさんで居てほしい。だから、黒い流星の真実は僕の胸の中に静かにしまっておこうと思う。
また一つ欠伸をすると、ウインディがそっと苦笑する。
「眠いか」
「……ちょっとだけ」
素直に言ってみると自分が想像していたよりも小さな声が出てきた。
「もう寝る時間は過ぎてるものね」
「そうだな……そうだ、子守唄でも歌おうか」
「ええ?」「まあ」
僕は少し眠気を覚まして思わず聞き返しウインディを見る。おじさんもさすがに驚いたようで同じような行動をとった。僅かに笑みを浮かべながらウインディは小さく頷く。
「幼い頃に、主人と共によく聞かせられたものがあってね。うまく覚えているかどうか分からないが……まあ、この声だからただの雑音かな」
「ううん、そういうわけじゃないよ」
最後の自嘲に対して、考えるより先に僕は否定していた。
「聞かせて」
子守唄なんて久々だ。お母さんにもたまに歌ってもらっていた。それとは違うものだろうけど、白黒の思い出が籠った懐かしさに浸る。おじさんも深く何度か頷き、制止しようとはしなかった。
ウインディは了承し何度か深呼吸をする。その度に痛々しい掠れた風のような音が彼の中を走る。
その夜、僕の耳に残る掠れ声の子守唄。
小さく小さく、小さく響く。
瞬間に閃く、永遠の歌。
消えていく意識の中でそれはだんだんと霞んでいった。
朝の鳥の鳴き声と共に僕は目をそっと開けた。白い太陽の光がいつになく優しく思え、爽やかな風が辺りの草原を揺らす。いつの間に寝てしまっていたのだろうか。流星群は終わり透き通るような空の色が風景を演出する。朝早くから活動する生き物の声が辺りにちらつく。朝だな、と実感する。ありきたりで平凡な感想だ。でも、嫌いじゃない。包み込んでくれる全てが僕を守ってくれているような錯覚。背中を押してくれているような幻想。いや、実際僕の心をそうやって励ましてくれている、きっと。
ふと思い出したように僕は顔を下げ隣にまだ眠っているウインディを見た。
「ウインディ」
彼の名前を呼んだ。
返事は来ない。
静かに僕と彼の間に風が通り抜けて行った。彼の口元は微かに笑っているように見えた。
「ウインディ」
もう一度彼の名前を呼んだ。
返事は来なかった。
ウインディの瞳は永遠に開けられることはなかった。
「おや、雨か」
4月28日の水曜、午後7時。今まさに帰ろうとしていた俺の頭上から、雨粒が落ちてきた。現在地の学校から家まで幾分距離があり、ともすれば風邪の心配もあり得る。なぜなら傘を持ってないからだ。
「ま、帰って風呂入れば問題ねえだろ」
しかし、俺の体は頑丈だ。大して考えもせずに歩きだした。4月の末だけあって大分明るいな。風も心地よい。
と、学校を出た直後。降りしきる雨が何かに遮られた。上を向けば黒混じりの緑の傘、右を向けばナズナがいるじゃないか。確かこの傘は彼女のお気に入りだったかな。それはともかく、この状況は……。
「テンサイさん、一緒に帰りましょう!」
「……それは一向に構わんが、これはやめてくれないか」
俺は傘から出た。この手の状態は、ちょうど相合傘と呼ぶにふさわしい。俺はそんなものに興味ねえし、あらぬ煙がたっちまう。これについては勘弁だぜ。
「えー、テンサイさんなら喜ぶと思ったのに」
「俺の生活を見てれば大体分かるだろ。相合傘はよそでやってくれ」
俺はナズナを牽制した。彼女はいかにも不服そうに膨れっ面をするが、すぐさま不敵な笑みを浮かべた。うっ、こういう状況で良いことが起こる試しは無いぞ。
「……ふーん、そうきましたか。そんなこと言っていたら、入浴中に私も入っちゃいますよ」
「よし、帰るぞ。傘に入れてくれ」
「よしよし、それでよろしい」
俺はさっさと観念して傘に入れてもらった。あー、完全に遊ばれてるな。だが彼女は、やる時はやる。実際、昔入浴中に乱入されたことがあった。だから足蹴にするのも難しい。困ったもんだ。
さて、俺達はゆっくり家路に進んだ。ナズナの歩くペースは俺の7割程で、俺が合わさねばならない。そんな中、彼女はふとこう切り出してきた。
「ところでテンサイさん、来週末は空いてますか?」
「来週末? 部活が終わった後なら時間がある。……掃除の手伝いならやらんぞ」
俺は皮肉まじりに切り返した。彼女はまたもふてくされる。
「違いますよ。デートのお誘いです」
……デート? いわゆる逢引きだよな。まさかこんな言葉を再び使う時が来ようとは。お天道様も吹き出したのか、雨足が強まってきやがったぜ。
「逢引きだあ? あんたな、ちょっと唐突すぎやしないか?」
「そんなことはありませんよ。私の家にテンサイさんが居候を始めて8ヶ月が経ったのに、まだ1度も遊びに行ってないじゃないですか。たまには息抜きしないと持ちませんよ」
「お気遣い結構。だが、それなら俺1人で遊べばいい話だろ」
俺は丁寧に断りを入れた。10年以上前には、彼女以外にも様々な奴と遊んだが、今の俺はその輪に入るような立場ではないからな。下手に人目につきたくないのもある。だが、ナズナも食い下がる。
「テンサイさん、さては遊び慣れてないですね? こういうことは1人より2人の方が楽しいんですよ。それとも、私じゃ不服ですか?」
「……不服ではないな。仕事ぶりを見聞きする限り、有能であることは理解できる。うむ、じゃあそうだな、話相手くらいにはなってやろう。場所はそちらに任せる」
俺は渋々了承した。どのみち、逃れる術はなさそうだと、彼女の目を見れば明らかだしな。それならいっそ、俺にとって実のある時間にしたい。こうした意図を含んだ返事に、ナズナは軽く飛び跳ねた。おかげで雨粒が散る。
「やった! それじゃ、絶対忘れないでくださいよ!」
「ああ。楽しみにしてるぜ」
俺は手を前に伸ばした。小雨か、帰る頃には止みそうだな。よし、今夜は先々の仕事に充てるとするか。用事ができちまったしな。
・次回予告
さて、逢引きなんて何年ぶりだろな。昔はかなり遊んだ記憶もあるが、もう10年以上前の話。今の手際には疎いから、どうなるかは分からんぞ。次回、第47話「懐かしき話」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.111
相合傘なんて今時いるんですかね? 手をつなぐカップルは見飽きるほどいますが、そこまではいきません。やはり男女の相合傘など漫画のみの存在なのか……。
あつあ通信vol.111、編者あつあつおでん
年も明けました。クリスマスなんか過ぎてますね。
第2話
ライは、地下本部から戻ってきた。
「パーティーの準備OKだケバ!!」
キチが飾り付けをしながら言う。
「みんな、任務のことは忘れて、楽しもうぜ!!」
「オーーッ!!」
さけぶ。周囲に聞こえているかもしれないが、今日はクリスマス。街中なんかもっと騒がしい。
その頃、ミュウツーは、ピリピリとしたムードのクリスマスをしていた。手に持っているグラスを握り締める。
「ワルビル、お前も知っていると思うが、今日はクリスマスだ。」
「はい、存じ上げております。」
「俺以外、知らないクリスマスを作り上げてみせる。」
「はぁ・・・」
その頃、ライたちはローストチキンにかぶりつき、最高のクリスマスを送っていた。
「ジャータ、最高だな。アム。」
ゾロがジャータと肩を組み、変なムードになっていた。
「やめてください。私たちは仲間でありますが、そういう関係ではないんです。」
落ち着いている。
「ゾロ、いい加減にやめたら。」
カチも止める。
「あはははは・・・」
笑ってごまかすゾロ。必殺技みたいになっている。
「もう・・・」
ジャータはゾロと離れる。
すると、あたりで大きい音がした。
「何?」
「どうした?」
ライは窓から外をのぞく。町は、紫色になり、植物は枯れ、ポケモンたちが逃げている。
「なるほど。こういうことでしたかダーク様。」
「そうだ。ただのクリスマスじゃない。『死のクリスマス』だ。」
「さすがダーク様。これで世界征服の夢はかなうかもしれませんな。」
その頃、ピカチュウは。
「これはミュウツーの仕業だろ。」
「そうとしか思えない。」
「まず、動機について考えるか。」
「僕、関係ないけど、セーメに『魔の不幸』っていわれたんだ。」
「それだ!セーメは当たった。」
その間にも、町は汚染されている。
「ピカチュウさん!報告です!3つの隠し出口全てがチョロネコ軍団に包囲されました!!」
「えっ?」
デンが報告に来た。本部のみんなが驚く。
「これはやばい。」
「どうする。」
続く
次回予告
ミュウツー指揮によるチョロネコ軍団に隠し出口が包囲された!この最大のピンチ、ライたちはどう切り抜けるのか?!
次回【第3話 迎撃】
シオンさん初めまして、おでんです。感想ありがとうございます。素晴らしいお考えをいただきました。
私も後になってゆっくり考えてみましたが、我々は自然のことを気にしながら生活などしていません。むしろ、ガーデニングなんかをやって「我々は自然を大切にしているぞワッハッハ」と得意になる始末。その裏にどれだけの自然破壊があるのか。自分の目で見て自分で手を下さないとわからないでしょうし、意識しようとすらしないでしょう。そういう意味で、この話は皮肉に満ちた、私の目指すべき小説になったかと思います。まあ、内容は自然とはずれてますが。
それでも、いつかは自然を意識できる人間が増えてほしいですね。
> ・あつあ通信vol.110
>
> 自然自然と言いますが、自然って代物は定義が難しいです。人工的に杉を植えまくった山を自然と言えるのか、ビルにツタを垂らしたら自然と言えるのか。それらはおそらく、コンクリートを植物に置き換えただけの人工的なものなのだと思うのです。皆さんの考えはどうですか。
>
>
> あつあ通信vol.110、編者あつあつおでん
あつあつおでんさん、はじめまして。シオンと申します。
私のような素人人間&新参者が言えることではないですが、我慢してください。
たしかに自然って定義が難しいです。
おでんさんならされているとは思いましたが、意味について私のほうでも調べてみました。
――――ここから(wikipediaより一部抜粋)
自然(しぜん)には次のような意味がある。
1.人為が加わっていない、あるがままの状態、現象
2.1の意味より、山、川、海など。人工物の少ない環境。自然環境。
3.1の意味より、人間を除く自然物および生物全般
4.1の意味より、ヒトも含めた[1]天地・宇宙の万物
5.人災に対置した天災、あるいは人工造成物に対置した天然造成物を考えた場合の、それらを引き起こす主体
――――ここまで
この意味から考えるとおでんさんのおっしゃる通りビルにツタを垂らすというのは『自然』とは言い難いですよね。
『自然』が失われてる、と色々問題になってますがそれを壊したのは我々人間。
一度開発された土地を元に戻すなんて不可能に近い。
あくまで私の意見になりますが、屋上庭園とかビルにツタを垂らすなどは、そういったことをしてしまった我々のある意味での罪滅ぼしなのかとも思いました。
クリスマスに更新しまーす。
第1話
「トナカイのそりに乗って、赤い服を着て、良い子にプレゼントを配るおじいさん、だーれだ?」
「サンタクロース!!」
トナカイのそりに乗って赤い服を着て良い子にプレゼントを配るおじいさんは怪しいやん。空でも飛ばなかったらサンタじゃねーよ。
「皆さんは、サンタがいると信じていますか?」
「うん!!」
あっ 信じてるのね。見たこともないくせにどこに証拠があるんだよ。
悪口を言いながらライはポケモン幼稚園の偵察をしていた。中庭にはでかいツリーがあるし、飾りつけは雑にしてある。
ライは思わずぶるっと震えた。雪が降っていた。
「あっ、先生、雪だよ。」
「ホントね。じゃあ雪遊びをしましょう!!」
「いえーーい!!」
園児達が外に出てくる。見つかってしまう。ライは壁キックで屋根の上にのぼった。
「ロープ投げて」
トランシーバーで言った先は、キチだ。キチは幼稚園の木の上にのぼり、合図をしている。
「いくケバ!!」
キチがロープを投げ、ライは屋根から飛び移る。
あまりにすばやい動きだったので、園児達は見ていない。
「キバ。退却するぞ。」
「ちょいちょいまってくださいよ〜〜」
木の上から誰かに話しかけられた。
「私は陰陽師のセーメです。あなたの未来は、魔の不幸ですな。ところで、御祓いやっていきません?」
「殴られたいのか?」
「そんなつもりはございません。あなたに霊気が宿っているからですよ。キチさん。」
キチは体をさすっている。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
キチは叫んだ。園児が振り向いた。
「先生、木の中に何かいるよ。」
「警備員さん!!」
警備員のキリキザンが駆け寄ってきた。
「今すぐ立ち退きなさい!!立ち退きなさい!!あれ、誰もいませんよ。」
ライは、この木の地下深くに、本部を作っていた。エレベーターで地下へ降りることが出来る。
「じゃあ、誰もいなかったことにして、クリスマスパーティーしようか!!」
「やったー!!」
ライは本部でカチに話しかける。
「カチ。ミッションは成功したのか?」
「もちろん。今進行中です。」
続く
次回予告 【第2話 ミュウツーの陰謀】
今日はクリスマス。ライもパーティーを開こうとしたが、ついにミュウツーが動き出す!果たして、「魔の不幸」の意味とは?!
「今日もありがとうございます」
「なあに、お安い御用ですよ。もっとも、部員達はどう思っているか知りませんが」
4月24日の土曜日、昼。今日はサファリパークでボランティアをした。これを始めて半年は経ち、今では園内の仕事を手伝うことも増えてきた。現在は休憩中。部員達は俺達の目が届く範囲で弁当を食べている。この後は実戦訓練だ。
しかし、バオバ園長もしっかりしてるな。俺の言葉にこう返してきた。
「それでも結構ですよ。最近では『若者のボランティアを受け入れている』と評判で、教育のモデルケースとして扱われているのです。おかげでここもますます繁盛しています。あ、もちろん皆さんのことは伏せていますよ。こう見えて顔が利きますから」
「なるほど、確かに人が増えている。ですが、それは別の要因もあるでしょう」
俺は辺りを見回した。園内東側はサファリパーク、ポケモンが潜んでいる場所だ。こちらにも人が来るのだが、近頃では西側がごった返すようになっている。そこには苗や鉢植えが満載だ。
「……さすがに鋭い。ボールの投げ方といい、人並みならぬ力を感じますね。予想通り、事業繁栄は1つの要因だけではありえません。3月から始めた農園が好調なのですよ」
「やはり。どうも敷地が広がっていると思ったぜ」
俺はうなずいた。以前も草刈りやらをボランティアと称してやっていたが、農地に使うとは意外だったな。いや、サファリパークのことを考えたら自然か? どちらも、人工的な自然という点で一致している。バオバ園長は続ける。
「近郊の住民はもとより、カントーからの栽培委託もしているのですが、『自分で作ったものを食べられる』と好評なのですよ」
「自分で作った、ねえ……」
俺は皮肉まじりにつぶやいた。人に作るのを頼んで「自分で作った」とは傲慢ここに極まれりだな、自分で植え付けた奴はまだしも。しかしそうだな、丁度良い。ここに保険をかけるのも悪くないな。
「ところで、俺もいくらか場所を借りて植え付けをしたいのですが、構わないですか? 今回は俺個人の頼みなんだ」
「ほう、テンサイ様直々の申し込みですか。もちろん大歓迎ですよ。区画と期間で料金が異なりますので、まずはそちらのご説明からしましょう」
「ええ、よろしくお願いします」
こうして、俺とバオバ園長の交渉が始まるのであった。……ふむふむ、これは良い条件だな。
・次回予告
雨の日ってのは嫌いじゃない。昔の記憶を洗い流してくれるからだ。しかしこういうことは一向にお断りだな。次回、第46話「相合傘はよそでやれ」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.110
自然自然と言いますが、自然って代物は定義が難しいです。人工的に杉を植えまくった山を自然と言えるのか、ビルにツタを垂らしたら自然と言えるのか。それらはおそらく、コンクリートを植物に置き換えただけの人工的なものなのだと思うのです。皆さんの考えはどうですか。
あつあ通信vol.110、編者あつあつおでん
・第五話 かわいいは罪なのかな?
「すー…すー…すやすや……」
「おいエリ、起きろよ」
「むにゃあ……戦車10タテは疲れますよぉ………」
「斬新な寝言ほざいてんじゃねえ」
「……ほぇ?」
目を明けると、見慣れない天井が見えた。
けれど同時に聞き慣れた声が届いて、意識をはっきりさせてくれる。
「あっ………お兄ちゃん」
「ようやく目ぇ覚ましたか」
私の兄、ポケモン研究員のアキラがそばに立っていた。
私は重い目蓋をこすりつつ、ベッドから体を起こす。
「さっさとそのシケた顔整えて食堂に来い。……ったく、10分も俺の呼びかけを無視しやがって」
「食堂って……え?」
頭を満たすのは、?マーク。思った疑問は素直に口へ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「何だよ」
「ここ、何処?」私はエリだけど。
少なくとも私達の暮らしている街――プロロタウンじゃないよね?
「………はぁ」
私の質問に盛大な溜息をくれるアキラ。
そして昔研究所で見た『ゴルバット』ってポケモンみたいな目つきでこっちを見てくる。
「お前の頭は本当にハリボテだな」
「うっ……」
「脳みその代わりにドガースでも入っているんじゃないか?」
「うぅ〜……」
「俺達は昨日にプロロタウンを出て、今はネクシティの宿屋に滞在してるんだろうが」
「あっ」
そうでした。
「ようやく思い出したようだな」
「うん…もう大丈夫」わたしはしょうきにもどった!
「……言うのはこれで最後だ。朝メシが用意されてるから食堂に来い。ポケモンも忘れずにな」
お兄ちゃんはそれだけ言って、さっさと部屋を出て行った。
朝ごはん……か。
「エリの冒険――二日目、だね」
寝床を降りて、壁にかけられた鏡の前に立つ。
お気に入りの髪飾りで頭の片側を結ってから、隅に置かれたリュックに目を向けた。
ベルトに取り付けられたボール。私の、パートナー。
「さぁ…今日も一本取るぞ〜!」
クイネの森で汚れたお洋服も、洗濯済ませてピカピカ状態!
新規一転な1日の為に、まずはパジャマから脱しますか!
◆◇◆
「あ、エリ」
「サヤちゃん! おはよ〜」
着替えを終えて食堂に行くと、そこには朝食とサヤちゃんが居た。
「全く……朝からよくそんな大声が出るわね」
「ポジティブシンキングが取り柄ですんで」
「でしょうね。アンタには脳みその代わりに『いかりまんじゅう』とか入ってそうだし」
「ひどい事言いますね…」あといかりまんじゅうって何?
ともあれ、席についてお食事を開始する。
う〜ん、宿屋のご主人様はいい仕事してますな。
ちなみに、お兄ちゃんは離れた所で朝メシ様にがっついていた。お行儀悪い。
「んで、準備は万端なのよね」
「ふぁい?」
「ふぁいじゃないわよ! アタシがこの街に来た時に見つけた、野生ポケモンスポットに行くんでしょ?」
「あ」
そうでしたパート2。
……私って本当に物覚え悪いんだね。
「食べ終わったら早速行くわよ。アタシもアタシで、この子達を鍛えたいし」
「この子?」
「チョロニャー」
鳴き声につられて下を見ると、ポケモンがサヤちゃんの足に擦りよっていました。
彼女のパートナー、チョロネコ。
「ニュラニュー」
「ポカポカ〜♪」
「ツタァー!」
「ジュママ……ムグムグ」
「おおっ! 皆の衆」
更なるポケモンの声に目を動かしたら…サヤちゃん第二手持ちのニューラに、お兄ちゃんのツタージャ、ポカブ、ミジュマルも居る。
小動物ご一行は窓際に固まり、床のお皿に盛られたポケモンフーズに群がっていたのでした。
「って、あ〜っ!! 忘れてた!」
私のポケモンも朝ごはんへ誘わないと!
自分のブレイクタイムは一旦ブレイク。起立!
持ってきたモンスターボールを床へと投げた。
「行け〜! ナゲキ!」
「ゲキッ!」
柔道ポケモンさんがお出ましになられました。
「さぁ、ナゲキも食事タイムと洒落込むがいいよ」
相棒殿の背中を押してエサ場へ誘う。
「ゲキィイイー!」
「ぎゃあぁー!」
触んなとばかりに投げられた! 地面の感覚が失せる!
「ちょ…きゃあっ!」
「へぶうっ!」
落下した。……あれ? 痛くない。
「……ア、アンタ………」
「へ? ……サ、サヤちゃんっ!?」
食事中のサヤちゃんにぶつかって下敷きにしてしまったようです……。
ひっくり返った椅子、彼女のご飯。
恐怖に駆られて飛び退くも――もう遅い。
勝気少女さんのツリ目が一気に切れ味を帯びる。
紫色のロングヘアが逆立ったような錯覚を覚えて、
「………こんっのダメトレーナーがあぁああー!」
「許して〜〜!!」
「逃げるなあぁああ!!」
「うるせえぞお前ら! メシぐらい静かに食え!!」
ポケモンの不始末はトレーナーの不始末。
今日もナゲキになつかれぬままの1日が始まるのでした。とほほ……。
◆◇◆
サヤちゃんは私達と同じく、昨日にこの街に着いたらしい。
そんなサヤちゃんが私達に先んじて見つけたのが、
「この空き地って訳なんだね……」
ネクシティの郊外。
宿屋から出て数分の場所に、我々は来訪しておりました。
「なるほどな…。草むらは生え散らかしてるしクイネの森がすぐそこだ。野生ポケモンには事欠かねえだろうよ」
「でしょ? アタシも軽く手持ちを鍛えてたけど……大変だったわ。噛みつかれたり火を吹かれたり」
研究員と強気さんが喋っている中、とりあえず周りを見渡してみる。
都市の一部に空白みたいなスペースがあって、そこだけが自然の面影を残している。そんな風景だった。
「やっぱクイネの森って広いんだなぁ……。ネクシティの周りを包んでいるみたい」
「そいつは違うぜ、エリ」
呟きを耳ざとく拾うお兄ちゃん。
「そもそもプロロタウンとネクシティ自体が、クイネの森の中にあるのさ」
「そうなの?」
「俺らが突破したクイネの森は、ほんの一部に過ぎねえって訳だ。ま、あそこまで生態系が拮抗してんのはあの区域ぐらいなんだろうがな」
私達が突破した区域……か。
あそこは森の中心ってトコなのかな。二つの町の間だし。
「そういやあ、あの時お前を見つけたのも、あの森だったな」
「えっ?」
「今以上にガキだった頃、お前研究所の裏手にある森で遊んでただろ? あそこもクイネの森なんだぜ。末端だけどな」
「そうなんだ……」
言われてみればそうだった。私がトレーナーになるずっと前のこと……。
昨日突破した森とは違って、あそこは野生ポケモンは居ないけど素敵な場所だったっけ。
ううん、確か毎日遊びに来てたポケモンが一匹居たような――。
「ほらほら、余計なお喋りしない! ポケモンを鍛えたいんでしょ? 入るわよ!」
サヤちゃんの声で我に帰る。彼女はもう空き地を囲う柵を乗り越えていた。
大人しく、私達も続く。
「開発が中止されて、向こう十年は建物は立たないだろう敷地……いいスポットよね」
「……今更だけどさ、入っていいの?」
「看板も無いし構やしないわよ」
「そうなのかなぁ…」
草の生い茂る中を進む……うわ、足がチクチクするよ。レギンスなサヤちゃんは大丈夫なのかな……?
いつでも野生ポケモンに遭っていいように、リュックに装備されたボールに触れる。
「一一待て、静かにしろ!」
アキラが緊迫した声で叫んだ。
「聞こえる……足音だ。小型のポケモンか…」
「本当なの?」
「俺は何度もフィールドワークをしてるんだぜ? 間違える訳が……居たっ!」
お兄ちゃんは一点を指差した。そこは草むらの途切れた場所だった。
確かにそこから、草をかきわける音が聞こえた――急いで駆けつける。
居た! ポケモンだっ!
「コジョ〜〜〜〜!!」
「………!」
その野生ポケモンは、小型な体で踊り出て来た。
振袖…じゃないよね。長袖みたいに裾のなびく腕を広げつつ回転し、ガニ股ぎみな体制で地面へと降り立つ。
一瞬だけ俯いた頭は着地の直後に水平に向き、私達へとメンチを切った。
丸い耳。ツンと尖った鼻。そして。
キリッと尖りながらもつぶらな瞳。
ちっちゃいお姿で現れながら、それでも野生の本能をむき出しにして――ポケモンがこちらを睨んでいる。
か。
「かっわいいいいぃいぃぃいぃいいい!」
誰かの悲鳴が空き地に響いた。
その音源が何を隠そう私で、しかも悲鳴じゃないと知るには若干の時間がかかりました。
「あら。アタシが出遭ったのは火を吐く禍々しい犬なんだけど……。何なのコイツ?」
「……ぶじゅつポケモンのコジョフーだな」
私の後ろで人間二人が何か言ってる。
けれど私の両眼筋は、しばらく前方のお方から離れそうになかった。
このポケモン――可愛いっ!
「コジョッ! コジョー!」
コジョフーと呼ばれてるらしいポケモンは、三人の人間に動揺しているみたいだった。
私達から間合いを取りつつ、ステップを踏んで立ち位置を探っている。
「エリ、見とれてる場合じゃねえぞ! 生身でポケモンと戦う気か!」
「はっ! そうでした!」
私にポケモンの技とか出せる訳ないしね!
んじゃあ……行くよ! コジョフー!
「ナゲキ! 出てきて〜!」
破裂音と共に、投げたボールから相棒が飛び出した。
「ゲキイイイィイッ!」
私に攻撃しちゃう位に元気盛々な柔道ポケモンは、両の拳をぶつけ合いながら戦いの意欲を燃やしていた。
そんなナゲキに私は命じる。
「ナゲキ! そのポケモンは倒さないで! 弱らせるだけに留めるんだ!」
「ナ、ナゲィ!?」
「何ぃっ!?」
人間と人外のパートナーが同時にビビった。なして?
「お前…そいつを捕まえるつもりなのか?」
「……? そうだよ。別にいいじゃん」
何か不都合でもあるんですか?
「いや…いい。いいともさ。偏った所で好都合なだけさ……俺にはな」
「はい?」
意味わかんない。
っと、アキラの無駄口はどうでもいいんだ。コジョフーへ向き合わないと!
「コジョ〜!」
先手を打ったのはカワイ子様でした。
いきなりナゲキの目の前に距離を詰め、腕を広げる!
「ゲ……ゲキッ!?」
「えっ!?」
コジョフーは両手を勢いよく打ち鳴らした。
乾いた音が鳴り響いたけれど、ナゲキの体に触れた訳じゃない。
でもその『攻撃』を受けて柔道ポケモンは一一転んでしまう。
やばい、完全に出鼻をくじかれた!
「『ねこだまし』だな。相手を必ずひるませ、行動を封じる」
「そんなのアリ!?」アキラは物知りだなあ!
「ポケモン界にタブーなんざねえよ。……もっとも、この技は最初の一回しか使えねえがな」
「どうして?」
「二度も油断するポケモンはいねえからだ」淡々と、お兄ちゃんは語る。「ナゲキだって、同じ手は食わねえだろ」
言われて視点を変えると…私のパートナーは即座に体制を立て直し、反撃に移ろうとしていた。
「ゲキイィ、」
「コジョッ! コジョー!」
それよりも早く、コジョフーの手がナゲキの頬を打つ!
「どうして!? 二連続で攻撃してる!?」
「んな訳ねえだろ。『ねこだまし』は先制をとる技で……今の『はたく』は単にコジョフーが素早かっただけさ」
どうやら武術ポケモンさんは、軽快さをウリにしたテクニック系らしい。
遅ればせながらナゲキの『ちきゅうなげ』がヒットし、コジョフーをふっ飛ばす。
けれど小さな体は空中ですぐに向きを変え、墜落どころか余裕の着地。
あれ…? 目が光ったような……?
「ゲキゲキー!」
何故か相手は何もして来ない。ナゲキ、チャンスだ!
「コジョ…!」
「ナゲィ!?」
突き出した柔道ポケモンの両腕は空振った。
ううん、コジョフーが腕の中で……消えた!?
「フウゥウー……」
いつの間にか、標的はあさっての方向に回避していた。
でもあんな、ナゲキの動きを把握したような動きなんて……、
「お兄ちゃん、あれもコジョフーの技?」
「決まってんだろ。『みきり』って奴さ。相手の攻撃を予測し、必ず回避する」
「そんなの、」
「アリさ。ただこっちも連続使用は出来ねえ。理由は…言わなくても分かるよな?」
二度もひっかかったりはしないから、か。
「ゲキッ!」
「コジョジョッ!」
肉弾を交える小柄な二匹。
ナゲキが全力で投げを打つべく襲いかかり、コジョフーは要所要所で特別回避を発動していた。
力押し対、ヒット&アウェイ。
「ますます…逃す訳にはいかないね。コジョフー……!」
あの子を捕まえる為に、私は何をすればいいか。
体力自体はナゲキが削っていってるけど……。
そうだ!
「ナゲキ! 『のしかかり』だ! コジョフーの動きを封じるんだよ!」
困った時の過去頼み! サクラさんと戦った記憶が蘇った。
『のしかかり』には相手ポケモンを『まひ』させり力がある。コジョフーの守りを打ち破るチャンス!
……なんだけど。
「ゲキゲキゲキイィ!」
「ナ…ナゲキ?」
私のパートナーは攻撃の手を緩めない。ただ目の前の敵を倒そうと必死だ。
「――って、それじゃ駄目じゃん!」
今度は危険信号が頭に響く。
「ナゲキ! そのポケモンは捕まえる予定なんだ! あんまりオイタしちゃ駄目!」
聞いていない。ナゲキは声を聞いてくれない。
「そのコジョフーは……私のオキニなんだよおぉ!」
「ふうん…なるほどね」
何がなるほどなのサヤちゃん!?
「アンタのナゲキがなついてないのは昨日見たけれど……よっぽど好戦的な性格が原因って事らしいわ」
「好戦的って…」それは薄々知ってたけど。
「ただひたすら強さを求めていて、立ちはだかる者は全員敵」
気性の荒さ……柔道ポケモンという分類にはそぐわない、攻撃性。
「だから、その敵が味方になるなんて考えは――微塵も持ってないんでしょうね」
「うっ……!!」
そういう事か!
ナゲキにとって、全てのバトルは相手を排除する為のもの。
私がコジョフーを捕まえたいとか、そんなのに従う気は全く無い…!
「えっと……サヤちゃん。このままだとコジョフーは…」
「間違いなく『ひんし』になるでしょうね」
強気さんは喋りも目つきも冷静でした。
「野生のポケモンは『ひんし』になれば、バトルを放棄して逃げ出すわ。モンスターボールも『ひんし』のポケモンは捕まえられない」
「……『ひんし』で動けなくなった所を捕まえる事は出来ないんだね」
「駆け出しトレーナーの誰もが突っ込む疑問よね。……そう、出来ないのよ」
「ひ、ひえ〜!」
トレーナーの通った草むらには戦闘不能のポケモンがゴロゴロ転がってるんじゃないかとか、それを捕まえれば手持ちコンプ楽じゃねとか思ってたんだけど! そっかー出来ないのか!
「どうしよう……」
ここぞという時にナゲキを戻してボールを投げるのは簡単だ。でもその場合、失敗したらコジョフーは逃げ出すかも知れない。
自分の体がボロボロって時に相手がいなくなれば、その場に止まる必要が無くなるから。
手持ちポケモンが出ている時に投げるのがきっとセオリーなんだろう。
でもナゲキは今自立行動状態でコジョフーをのしてて、このままじゃ確実に捕獲のチャンスを失って……!
「……あー、もうっ!」
どうすればいいのかなんて…考えたって分からないよ! 直球勝負だ! ごめん言ってみたかった!
「こうなったら――ヤケだっ!!」
リュックを下ろし、中からモンスターボールを取り出す。
そして、そう長くはないっぽい戦い中のニ匹に向け……構えた。
「エリ、お前まさか……」
「エリ……アンタ、」
その通りですよお二人さん!
「観察――だっ」
観察、観察、観察。
タイミングを見計らう。コジョフーの体力がいつ、ボールを投げていい時を迎えるか……見る。
ナゲキはよく頑張っているようだった。もう相手は『みきり』さえ使っていない。それだけ追い詰められているんだろう。
今投げるべきか、もう少し傷だらけになってから投げるか。
間違えたら武術ポケモンは倒され、機会を失うことになる。これは一種の賭け!
「ゲキッ……ゲキッ!」
「コジョオォオフー!」
「グゲッ! ゲ、ゲキイ!」
「コジョ!? ……フー、フー、コジョー!」
ボールは三個もあるからチャンスは三回一一そうは思えなかった。
失敗して、次のボールを投げようとする間にナゲキがとどめを刺すかも知れない。
だから、この一球に全力を込める。
観察、観察、観察……!
「ゲキーーーー!」
「コ…………ッ!?」
「一一今だぁっ!!」
攻撃を受けたコジョフーの呻きが限界をきたした悲鳴に聞こえた。
……ような気がしたので! ボールを投げつける!
私の手を離れたモンスターボールは、正確にコジョフーに命中した。第一関門クリア!
続けてコジョフーを内部に取り込み地面に落ちる。一瞬で脱出はされないようだ。第二関門クリア!
「来い、来い、来〜〜い!」
ボールが揺れている。武術ポケモンが抵抗している。
ボタンがあったら連打したい気分に駆られた。
お願い、破らないで……!
「お願い……っ!」
野生ポケモンを飲み込んだモンスターボールは。
沈黙した。
揺れなくなって、静止した。
「……お、お兄ちゃん」
「何だ?」
何故私の体は揺れているのでしょうか?
「何故モンスターボールの揺れが止まったのでしょうか?」
「そりゃあ、決まっているだろうが」
ポケモン研究員さんは、答える。
「コジョフーの捕獲が、成功したからだよ」
ナゲキがこっちを見ている。
あ、怒ってる怒ってる。何かこっちに近づいて来る。
でも私は、多分パートナーとは正反対の気分だった。
「――やったー! コジョフーを捕まえたぞ!」
そして、ナゲキのスローイングを受けた。
限界をきたした悲鳴が、お腹の底から漏れた。
◆◇◆
「コジョー!」
「可愛い可愛いかーわーいーいー!」
「コジョ……」
「あーん、可愛いよ〜!」
「コジョ〜」
「ぎゅうぅうっ☆」
コジョフーを抱きしめる。ナデナデする。
毛並みからは土と草の匂いがしたけれど、それも野生から卒業したての初々しさがあってGOO! でした。
「ったく……宿屋に帰ってからずっとそんな調子じゃない」
サヤちゃんが後ろから呆れボイスをかけてくる。
「別にいいじゃない。可愛いし初ゲットだし可愛いし。サヤちゃんも抱っこしてごらんよ、ほらほら」
「嫌よ。洗ってもいない野生ポケモンなんて。不潔だわ」
「ひどいなー。野性味あふれる感じがしていいと思うんだけど」
「……天然女が何言ってんだか」
「何か言った?」
「脳みそがおポケ畑の女の子には脳みそ筋肉がお似合いって言ったのよ」
さいですか。
「あ、そうだ!」
『ねこだまし』並みに手をパチーン。
「……何を思いついたのよ」
「コジョフーにプレゼントをあげよう! 私のフェイバリット旅のお供だよ!」
リュックの中を探す。キズぐすり、これは後だ。お財布。これも今は必要なし。歯ブラシ。これ違う。櫛。これじゃない。整髪料。どけ。
……あった、これだ!
「テレレレン! メリケンサック〜!」
金属で出来た、多分世界で一番シンプルな武器を右手にて掲げる。
コジョフーは興味深げな眼差しで見上げていた。サヤちゃんは目を点にして開いた口が塞がらない様子(なんで?)。
「コジョフーにはこれを譲渡します」
「待て待て待て待て!!」
いきなり強気っ娘さんが止めにきました。
「脳神経がどんな配列になってたら旅のお供にそれ加えるのよ! つうか何故そんなモン持ってるか!」
「? いざという時に自分の身を守る為だよ。お兄ちゃんとか」
「お兄ちゃんとかっ!?」
益々サヤちゃんは驚愕に顔面を逆巻かせる。
……え、あれ? 私何か変なこと言ったかな??
「うん。お兄ちゃんの戯れ言は時々すっごいイラっとするからね。そういう時にすぐ近くに人を殴れる物があると安心するでしょ?」
「……………」
「あはは、やだなあ。本当に殴る訳じゃないよ。ただ想像するだけ。ほら、例えば想像してごらんよ」
すっごいイラっとした時。
頭の中で、その人を殴打する様を思い浮かべる。
ついさっき自分をひどく不快にさせた相手は泣いて詫びながら、頭を庇って地面にうずくまる。
「はう〜♪」
「………………………」
そういうのを想像すると、スッキリするよね!
そしてそんな想像を……実際に人を殴れる道具を所持しながら行えば。
「………はう〜♪」
「…………………………………」
はっ、いけないいけない。つい陶酔してしまってました。
……あれ? サヤちゃん、何で10メートルぐらい引いてるの?
「………天然ドS………」
サヤちゃんは両目に漆黒の影を落とし、何事かを小声で呟いたのでした。
私には聞こえません。
「……エリ、悪い事は言わないわ。そのアイテムはアンタだけの装備品にしなさい」
「えー、ポケモンに持たせちゃ駄目?」
「ポケモン協会はメリケンサックをポケモン用アイテムとは認めてないわよ! そんなバイオレンスなポケモンバトルとか子供泣くわ! 『ゴツゴツメット』なら分かるけど!」
「は、はぁ…」
ゴツゴツメットがどんな道具かは知らないけど……NGですか。
「あ、そうだ。サヤちゃん要る?」
「要る訳ないでしょうが!」
「あ痛っ!」直下型ゲンコツ!
とまあ、そんな感じで。
私とサヤちゃんは帰還も早々に、また宿屋のロビーでダベっていたのでした。
「あれ? ところでお兄ちゃんは?」
「アキラならまだあの空き地よ。都市内部の草むらは盲点だったとか言って、フィールドワークするんですって」
「へー」
何十匹ものコジョフーと戯れてるのかな〜。
「じゃーそれまで私は手の中のコジョフーとハグハグしてよーっと!」
「コジョー!」
「はぁ…こんな調子で大丈夫なのかしらコイツ……」
「…………ゲキ」
「へ?」
「ゲキ…………」
沈んだ声に振り返った。
ナゲキが私を眺めていた。
「えっ……あれ? なんでボールから出てるの?」
「エリ、忘れたの?」
サヤちゃんは腕を組んで嘆息した。
「アンタ、コジョフーを捕獲した後にすぐボールから出して愛でてばかりで――ナゲキはほったらかしだったじゃない」
「あ……」
そういえば私、ナゲキをボールに戻した記憶が無い。
「だからアタシが連れてきてやったのよ。何かコイツ、草むらから離れたがらずに抵抗してたわ」
「え、えっと……」
嫌な汗がこめかみを伝う。
胸のときめきが急激に引いていった。
「あ、あはは! ごめんねナゲキ! コジョフーがあんまり可愛いかったから忘れてたって言うか……」
「…ゲキィ?」
「う……」
私の馬鹿! それじゃナゲキを無い者扱いしたみたいじゃない!
「えっと……ナ…ナゲキ」
「………」
柔道ポケモンはただ沈黙し、こちらを見定めているようだった。
何か私とコジョフーを交互に見てるような……目つきが尖ってきてるような……。
「ナゲキ……そ、そうだ! ナゲキも抱っこしてあげるよ! ほら、おいで。私の所に……」
「――ゲキイッ!」
柔道ポケモンは。
私のパートナーは、逃げ出した。
宿の玄関をブチ破り、外に飛び出す。
「ナゲキっ!?」
「うおっ!?」
同時に、破壊された扉の向こうから…聞き慣れた声。
「お兄ちゃん!?」
「おい……今のは何だ? ナゲキが器物損壊して外出かぁ?」
慌てた声ながらも落ち着いた足取りで…ううん、怒った足取りで踏み込んでくる。
「説明しろ! エリ!」
説明って、言われても。
「私にも分からないんだよ……お兄ちゃん」
◆◇◆
「嫉妬だな」
「えぇ…嫉妬ね」
お兄ちゃんとサヤちゃんの言い分は珍しく同じだった。
宿屋のご主人が戸を直している間でも、当事者(わたしたち)は現場でお喋りをし続ける。
「敵として戦ってた相手を主に奪われ、しかも自分以上に可愛がられる……あいつはその屈辱に耐えかねたんだな」
「アタシとしては意外だったけどね。アイツ、誰にも頼らないみたいな孤高オーラ出してたじゃない。なのに自分が注目から外れただけでスネるなんて…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
長ったらしい会話な二人を私は遮る。
「だからって、何でみんなナゲキを探しにいかないのさ!」
ナゲキが逃げた直後――もちろん私は追おうとした。
けど止められたのだ。お兄ちゃんに。
そして何故だか、現状維持のままこんなシーンを続けている。
「さっきも言ったろうが、エリ」
噛んで含めるみたいな上から目線で、ポケモン研究員は言う。
「ナゲキの事は放っておけ。あいつはお前のポケモンなんだ。……腹が減ったら帰ってくるよ」
「………」
「あいつはどうあがいたって、人間の下でしか生きられねえさ」
「人間の……下」
「良くて庇護下、悪くて支配下だな」
お兄ちゃんの口調が上がって来た。
私には分かる…台詞に変な単語が増えてきた時、アキラはお喋りモードになるんだ。
「そもそもナゲキは、俺が見つけたポケモンなんだよ」
「見つけた? 仕入れたんじゃなくて?」
「ああ。クイネの森で見つけた。いつぞやの誰かさんと同じくな」
「……………」
「ま、プロロタウンで多様な野生ポケモンを見つけるにはあの森が一番だし、あそこはたびたび外来種がやって来る。それは不自然じゃねえ」
だが……と、お兄ちゃんは目線を遠くする。
「モンスターボールで捕獲できたからトレーナーは居ないんだろうが……ありゃあどう見ても訳アリなご様子だったぜ」
「どういう様子?」
「お前も知ってるだろ? あいつの気性の荒さをよ」
ナゲキの気性。
じゅうどうポケモンという分類ながら、それに反した攻撃性。
「仲間も無く…人間を見た途端敵意表明だ。何がしかの目に遭って森に逃げて来たのは明白だ」
「ちょっと待って、仲間って何?」
「あぁ悪い悪い。研究員でもない初心者トレーナーは知らなかったな」
いいから早く言えコノヤロウ。
「ナゲキはな、野生では群で暮らすポケモンなんだよ。四〜五匹で固まってな」
「群れ?」
「だが俺が見た時は一匹だ。仲間と喧嘩したのかとも思ったがそうじゃない。帯が違ってた」
「帯? あの帯のこと?」
「ナゲキ図鑑その2。野生のナゲキは、つる草を編んで作った帯を締める。……あいつは普通の黒帯だったろ?」
確かに……少し妙だ。
「仲間がいるはずのあの子は野生ポケモンではなくて、人工の帯を持っているのにトレーナーが居ない……」
「その癖人間になつかない。昨日の朝お前に話したよな? 研究所から逃げようとしたポケモンが居るって」
「えっ、ナゲキだったの!?」
「ああそうだ。俺が相棒のケーシィでカッコよく撃退したのは話した通りだからいいとして」
私の記憶にそんな音声は無いんですけど。
「あいつはしょっちゅう研究所で迷惑の元だったんだ。他の研究用ポケモンに喧嘩を売るわ備品を壊すわ……逃亡だって一度や二度じゃない」
「典型的な問題児って奴ね」
「……いい略し方を知ってやがるな、サヤ」
お兄ちゃんの言い方が冗長なだけだと思う。
とは言えサヤちゃんの言う通り……ナゲキは確かに、ただのポケモンじゃない。
強さとかじゃなく、その心が。
私はナゲキのトレーナーだ。パートナーを否定したりはしない。でも――気になりはする。
一体あの子に何があったのか。
「そういや、昨日の森での大騒動…あれもナゲキが逃げ出してから面倒事になったよな」
「あれは私が逃げてって言ったから……」
「だがあいつはお前からも逃げた。もしかしたらあの時、帰ってくる気は無かったのかも知れん」
「そんな事!」
「再会できたのは幸いだったと思うぜ」
「……っ」
ナゲキは私からも逃げたがっていた…?
そんな訳ない。だってナゲキは一度だけ――。
私に、近づいたんだ。
アキラ戦で逃げ出したナゲキを私が追って…研究所裏の森に入った時。
あの追いかけっこの後、私とナゲキは歩み寄れた。歩み寄れたと……思う。
「とにかく、そんなナゲキがコジョフーにヤキモチ焼いての逃亡だ。奴の気の小ささはこれでハッキリしたって訳だな」
「……アタシはアンタ達の事情なんか知らないけど。ま、問題のあるポケモンを無理に理解する必要は無いわよね。放っておくのも一つの手、か」
話が勝手に進んでいく。所有者をさしおいて。
それだけ私の意見が期待されてないって事だけどさ。ふんっ!
でも本当に…これでいいの?
ナゲキと私が離れ離れになったのは、数えてみればこれが四度目。
お兄ちゃんとの戦いで逃げられ、クイネの森で逃げられ、ネクシティに到着早々盗まれて……そして今。
だけど今回は少し違う。
ナゲキが自ら判断したのでも単なる私の不注意でもない。
私はナゲキを、傷つけてしまったんだ。
コジョフーばかりを見ていて、ナゲキの事をないがしろにしていた。
それが本当に、あの子が逃げ出した理由だって言うのなら。
「……………」
パートナーのことで頭が占められる。
私は立ち上がった。なるたけおもむろに歩く。
お兄ちゃんとサヤちゃんの反応を一一遅らせる為に。
「……ん? エリ?」
「ちょっとエリ………まさか」
「やっぱり行ってくるっ!!」
宿の主人様! ドアを開いたまま直しててくれてありがとう!
ナゲキと同じように、私は再び外に躍り出た。器物損壊はしなかったし、できなかった。
◆◇◆
「やっぱり行ってくる!!」
突然エリはそう叫び、開いていた玄関から駆け出した。
「エリ!」
続けて大声を出したのはサヤだが、意味はない。対象は既に外へ出た後。
「無茶よ……ミメシス地方最大の街なのよ? どこに居るのかも分からないのに……」
「……つくづく突飛な妹だぜ」
溜め息混じりにアキラが呟く。サヤ程には困惑していない。
「随分と冷静ね。兄の威厳が成せる技かしら?」
「エリのイレギュラーっぷりは、奴が今以上のガキだった頃から散々見てるからな」
エリは要領が悪く、トレーナーになる前から様々な失敗をしてきた。
しかしそれ以上に本人が自発的に行動した結果のトラブルも多く、保護者たるアキラとしてはそちらの方が厄介だった。
「だったら早く追うべきじゃないの?」
「問題はねえだろ。ここがクイネの森だったら慌てもしたが…ネクシティ、大都会だ。人外の脅威に晒されることもない」
勿論『このままエリがナゲキを見つけられず終いになれば、彼女の旅における意欲を大いに削れる』という打算も彼にはあったが、それを口にする事は無い。
故にサヤも、相手の発言のみを拾って返事する。
「そうかしら……アンタは知らないの? 『タムロ・ストリート』の事を」
「あん? 聞いた事はあるな。不良トレーナーの溜まり場だっけか」
「そうよ。お金渡したら何でもやりかねない、いかがわしい連中の場所。あそこにナゲキが行ったら」
「……お前、ネクシティの住人でもねえのに詳しいな」
「アタシがここに来ての下調べで見つけたのは、あの空き地だけじゃないのよ」
アタシはたどり着いた街のマップはよく見る派なの――そうサヤは嘯く。
「で、どうするのよ」
「………、いや。やはり問題はねえさ」
妹の安否を一瞬考えるも、そもそも自分の目的がエリに現実を見せつけることなのだと思い出し、アキラは放置を決め込む。
性悪兄貴の面目躍如だ。
それにタムロ・ストリート――ネクシティの一角にあるスラム地区は、そこまで危険な場所でもないとアキラは知っている。テレビやラジオが伝えるそこでの事件は大抵喧嘩や窃盗に止まり、強盗も誘拐も聞かれない。
「あいつは見かけほどガキでもねえ。……賞賛じゃねえぞ? むしろ性悪だ。エリはある意味、この俺以上にタチが悪いんだ」
「……ああ、そう。そうかもね」
サヤの脳裏でメリケンサックがチラつく。
「昔ほどのコミュ障じゃねえし、悪党にのされるこたぁねえだろ。何よりあいつにはコジョフーが……」
そんな風に、妹をけなしているのか擁護しているのか分からなくなりながら――。
アキラは目の前のコジョフーを見やりつつ、そう言った。
「………」
「………」
「コジョ?」
沈黙は2秒。
直後、二人は別々の方へ頭を向ける。
「アキラ! エリのリュックが床に!!」
コジョフーにプレゼントを渡そうとした時に置かれたままになっていた。
「ぐっ……もうここから遠くに行っちまったよな………!」
保護者の視線の先には――チェックインしてから賑やか過ぎだなお前達とでも言いたげな宿の主人が、ドアを直しているだけ。
前提も状況も全て変わった。
会話にかまけて小動物を無視していたばかりに。
「エリの奴……ポケモンも連れずに街に出やがった!」
◆◇◆
「確かタムロ・ストリートとかいう物騒な通りがあるんだけど……あそこには行かなくてもいいよね」
ナゲキがそんな場所でグレてるとも思えない。
不穏当な展開を予感させるフラグは、へし折っといてナンボの物です。
「と言う訳で来てみたんだけど……」
現在地は二度目の空き地さん。
柔道ポケモンの姿を求めてやみくもに駆けてきたけれど――行き着く場所はここしか無い。
でも、やっぱり。
「居ないよね……」
草むらは静まり返っている。
格闘家の怒号や、肉弾戦の音も聞こえない。
「ううん……聞こえないだけだ。隠れてるだけかも…!」
草の海に突入する。
空き地の向こうには、クイネの森の木々が並んでいた。
もしかしたら木の間に隠れて、ナゲキがこちらを見てるかも知れない。そんな期待がよぎる。
だから自然と、私の目は草むらの中よりも……目線の先にある森へ向いていた。
それが間違いだった。
「グルルル……」
凄みの聞いた低い音。
前ばかり向いて歩いていた私の背中に、それは不気味な響きでまとわりつく。
「え――え」
周りを見る……背筋が凍った。
「デルルルル……」
「ビルルルル……」
「ヘルルルル……」
ポケモンの群れがいつの間にか、私を360度から囲んでいた。
コジョフーとは全然違う、敵意全開な凶悪目線。
真っ黒な毛皮、剥き出しの瞳、真紅の炎をちらつかせた口。
「えっと……」
これと似た感じの光景に、つい最近私は出くわしたような……。
いやいや一一何ともないぞ! こんな情景。
「何故なら私には……ポケモンが居るから!」
リュックに装着されたベルトに手を伸ばす!
「って――うわあぁああ! リュックが無いっ!?」
そうだ! メリケンサック御披露目の時に床に置いたままだった!
コジョフーが…今唯一のポケモンが、宿屋に置き去りに!
「グルルル………ッ!」
「いや、あの一一」
野生ポケモン達がじりじりと距離を詰める。
ああ…私はやっぱり駄目トレーナーだ。バチュル&デンチュラに囲まれた時の二の舞になってしまうなんて。
あの時はたまたま大木が倒れてきたんで助かったけれど……。
「やだ……。な――なかよくしよ、ね…?」
声が震える。致命的大ピンチ。
ポケモン達の黒い体がそのまま闇に変わって、私を飲み込むような気さえする。
駄目だ駄目だ! 怖がるなエリっ!
森の時は運良く…本当に運良くお兄ちゃんが来てくれて助かった。今度は街中だし、お兄ちゃんやサヤちゃんも私がここに居るんじゃないかって探しに来るはず!
……問題はそれまでどうするか。
周りの野生さん達は今にも飛びかかりそうだ。多分チョイ悪系なんだろう。
悪に勝るは正義の拳。だからかくとうタイプはあくタイプに強いってアキラは言ってたっけ――いやそれは今関係ない! 頭の中がゴチャゴチャしている!
「デルガー……!」
「ビルガー……!」
「ひいっ」
どうすれば時間を稼げるの!?
周りは完全に包囲されている。その包囲網もどんどん狭まっていた。逃げる事は出来ない。
けどそれじゃあ……自分の身を守る方法なんて、一つしか無い!
「…………」
足元を見渡して――そばに落ちていた大ぶりの石を取った。
ポケモンを傷つけたくなんか無い。
バトルならそれは受け入れられるけど、人間である私が攻撃するなんて………嫌だ。
他に石は落ちていなかった。相手は何匹も居る。投げては使えない。
なら……手からみ出す大きさを持ったこの石の使い道は、
「そんな――できないよ。そんなひどい事……!」
カントー地方のサファリゾーンという場所では、ポケモン捕獲の手段として石を投げる戦術があるらしい。けどそれはポケモンを怒らせるだけの無害な小石だ。
こんな石、投げたら怪我させちゃう。まして今頭に浮かんだ使い方をしたら……!
「……み、みんなお願い! 攻撃してこないで! でないと私、この石でみんなを……」
ポケモンを石で殴るなんて私には出来ない。
メリケンサックを実際に使って兄を殴れはしないように。
でもやらなきゃやられる。目の前の凶悪なポケモン達はやる気満々だし…!
「ヘルルルルル――ガアァアアアァアッ!!」
「………っ!」
ごめんなさいっ!!
体中を恐怖が貫いた。目を瞑る。
体が反射的に、石を持つ手を振り下ろす――!
『やめろエリ。目を覚ませ』
「…………ルガァ!?」
耳に響いた漆黒さんの唸り。
けれど何故か…それが遠くから聞こえた気がして、私は目を開いた。
「――え? あれ!?」
襲って来たポケモン達が―――みんな消えてる!?
いや違う……!
「デ……ル……?」
「ビルルァッ!?」
黒の野生グループは、私から少し離れた所に固まって……輪を作っていた。
輪っかの中心には何も無い。
「ま、待って? まさか…」
ポケモン集団が遠ざかったんじゃなくて。
「私が……避けたの?」
あそこから、ここまで?
◆◇◆
「………ゲキ!?」
宿屋を飛び出したナゲキの行き先をあえて先に言わせてもらうと……何のことは無い。エリの予想通り、空き地だった。
柔道ポケモンはその端から行けるクイネの森の木陰に身を潜め、野生ポケモンに囲まれるエリを見ていたのである。
ナゲキにとってエリは信頼を置けない人間だ。しかし彼女は自身に執着を寄せている。
故に迷っていたのだ。出て行って助けるべきかどうかを。
助ければ自分はまた連れ戻されてしまうだろう。逃亡を企てた身としてそれは不合理であり、そしてこの格闘ポケモンにとっては屈辱だった。
ナゲキがエリを見捨てきれずに現場に留まっている辺りには、出会った頃を上回る心境の変化が伺えるが……。
ともかく、ナゲキはずっと見ていた。
だから、エリが漆黒のポケモンに襲われた直後に起きた事も――しっかりと目撃していた。
結論から言うと、エリがとったのは回避行動である。
飛びかかる敵にエリは石で対抗しようとしたが、直後何故か彼女はその腕を緩め。
その一撃を紙一重でかわした後、包囲する軍勢を跳躍にて飛び越し、離れたのだった。
エリは呆然としている。その場に居る全てのポケモンがどよめく。
言うまでもなく不可解な事態だ。エリは自分がそんな芸等を成し遂げた事に気付かなかった。つまりは無意識に回避したという事。
更に野生ポケモン達が回避した後でその行為を認識したのも疑問である。よほど素早く動かなければ、飛び越える前に気づかれてしまうだろう。俊敏性は相手の方が上だった。
一体いかなる力が働いて、エリは自身思考よりも早く攻撃をかわし、輪から脱出したのか。
エリもナゲキも、答えは知らない。分からなかった。
◆◇◆
「……あ、ありのまま、」
って、そんな場合じゃない。
何が起きたの? 追い詰められて私の隠されたパワーが開花したとか? そんな厨ニ病な。
でもそれ位しか考えられない。火事場のバカ何とかってのもあるし。人間は元気になれば以前に、ピンチになれば何でも出来る。
って言うかそれ以前に……ポケモンに襲われた瞬間、何か声が聞こえたような。
まるで頭の中に響いてきた、みたいな。
「あはは――まっさかぁ」
それこそアレな話だ。
「―――へルルルル!」
「どひゃあっ!?」
すいません忘れてました皆様!
またも敵意を燃やす黒ポケさん達。
でも状況が変わった。さっきは私を取り囲んでいたけど、今は全員前方に固まっている。
また配置につかれる前に……!
「……私は逃げ出したっ!!」
全力で背中を向けて走る!
「デルルル!」
「ビルビルガー!」
「ヘールルルルゥ!」
草村を疾走! 柵が近付く。あれを飛び越えさえすれば……!
「ヘルルル―――ボワアァアアアーーーッ!!」
「きゃあっ!」
熱い――っ!
思いっきりすっ転んでしまう。
見ると、ふくらはぎの辺りが軽く焼けていた。「うぐっ…!」熱と痛みがほとばしる。
立ち上がれない程じゃない。すぐに走ろうとするも…駄目だ、追いつかれる!
「コジョーーーー!」
その時。
私の頭上を飛び越して、小さな影が地面に降りた。
「コジョフー!」
野生のじゃない。怖い軍団に両手を広げて立ちはだかる様子……私のポケモン!
「……お前は何度同じ失敗を繰り返すんだ」
「間に合ったようね」
「お兄ちゃん! サヤちゃん!」
「一日一回、俺をピンチに駆けつけるヒーローになれってか? 冗談じゃないぜ。お前はどこのヒロインだよ」
「愚痴ってるヒマは無いわよ、アキラ。さあコジョフー! そいつらをブチのめしなさい!!」
「コジョッ!」
武術ポケモンが戦場を舞う。立ち向かう炎ポケモン達。
「コジョフー! 『おうふくビンタ』よ!」
「コジョジョ!」
「デルビッ…!」
一番に飛びかかった小さい漆黒さんは平手打ちに叩きのめされてふっ飛んだ。
「アタシ達も行くわよ!」
「言われなくても分かってらぁ!」
「出てきて! チョロネコ!」
「行けっ! ミジュマル!」
続けざまに加勢する味方。
野生ポケモン達は一瞬どよめいたけど、すぐに敵意の眼差しを取り戻して迎え打つ。
「ミジュマル! 『みずあそび』を使え!」
「ミジュプフーーッ!」
お兄ちゃんのラッコポケモンが空に水を吹いた。細やかな飛沫が辺りに降り注ぐ。
「デ…デルル……!」
「ビルルガッ…」
「これで炎の威力は弱まるぜ!」
「こっちも行くわ! チョロネコ、『みだれひっかき』!」
「チョロニャッ!」
「デビイッ!」
猫さんの爪が手近な野生ポケモンを捕らえ、ひっかきまわす。
「デルルガアッ!」
「『すなかけ』よ!」
別の方から走ってきたポケモンの目を塞ぐチョロネコ。相手は攻撃を外して見事に転んだ。
野生集団は一斉にたじろいだ。炎を奪われ、近づけば反撃される状況だもんね……。
「何匹か逃げていったけど、まだやる気みたいね」
「……多分、あいつが親玉だ」
お兄ちゃんはそう言って、軍団の一匹を指差す。私に炎を吐いた、ひときわ大きな黒いポケモンだ。
ボスポケモンは大きく唸り――いきなり大口を開けて飛びかかった!
「ヘルルグァーー!」
「コジョッ……!」
「コジョフー! 『みきり』!」
考えるより先に口が動いてた。
私の命令に、素早い武術家は流れるように反応する。
コジョフーは相手の攻撃を回避し、直後に跳躍して距離を開けた。
「ガァーーッ!」
大黒ポケモンは諦めない。更に追撃をかける!
「コジョーー!」
それを撃墜するのもまた、格闘ポケモンの力だった。
コジョフーは両手を相手にあてる。そして、
「ル……ガッ!?」
「……えっ?」
それだけで、ボスポケモンは遠くに吹っ飛んでいった。
地面に叩きつけられ、呻き声と共にぐったりと動かなくなる。
……何が起きたの? 突き飛ばした?
違う。さっき一瞬だけ見えた。手を中心に野生ポケモンの毛並みが波紋みたく震えて、その直後に身体が飛んだのを。
「い、今のは?」
「『はっけい』だな。相手に衝撃波を浴びせて攻撃する格闘の技だ」
お兄ちゃんはノックダウンした野生の親玉を冷静に眺めている。
「速攻な幕切れだったな」
代表が負けたからか、小さな黒ポケモン達は一斉に震え出して……逃げていった。
空き地の向こう側、クイネの森の木々が覗く暗闇へ駆け込んでいく。
「あのポケモン達よ。昨日アタシが此処で遭ったのは」
「俺もさっきのフィールドワークで見かけたぜ。ダークポケモンのデルビル。デカいのはヘルガーだな」
二人はそれぞれのパートナーをボールに戻す。
「どうやらこの草村は、かくとうタイプとあくタイプが勢力争いをしていたらしい。クイネの森に隣接する地域ではよくある事だ。森を追い出された奴が周辺に生息するポケモンと争う」
「……陣取り合戦なんだね」
「それが野生ってもんだよ」
デルビル達がみんな森へ消えていく。……多分あの子達が森を追われた側なのかな。
って事は、コジョフーはこの草むらの先住民だったって事なのかも知れない。
「…ゲキッ!」
「ギャンッ!」
ふいに群れの一匹が、森に飛び込んだ瞬間に弾き返されて倒れた。そこから別のポケモンが「ナ、ナゲキっ!」歩いてくる。
「ナゲキー! 会いたかったよ〜!」
抱きしめてほっぺたスリスリ。
意外なのかそうでないのか、ぶっ飛ばされたりはしませんでした。
「……臆病者」
静かな怒り声が飛んで来た。
サヤちゃんが怖い面構えで睨んでいた。
「サヤちゃん?」
「アンタも分かったでしょ? こんなタイミングでナゲキが現れるなんておかしいわ。アタシ達が戦ってる間、コイツは遠巻きに眺めていたのよ。……多分アンタが襲われている間もね」
「え………」
ナゲキを見る。罰が悪そうに目を逸らされた。
「ポケモンへの嫉妬でトレーナーの元から逃げ出して、トレーナー本人を助けないなんて…いくらなんでも度が過ぎてるわよ。しかもそれでいて、こうやってスゴスゴ戻って来て甘えている一一中途半端な子供みたい」
「そ、それはいくらなんでも、」
「アタシ、そういう奴が嫌いなのよ」
サヤちゃんはかなりご立腹なようだった。
……そりゃあ私も、今までとは違う状況でナゲキに逃げられてショックだったけどさ。でも怒っちゃいないのに。戻ってきてくれたんだから。
「自分の思い通りにいかないからって、嫌がらせみたいな真似をして……そんな事で目的が達成されると思ってる。アタシはそういう考え方大嫌い」
そう吐き捨てて、近付いてくる。
「おいサヤ、落ち着けよ」
お兄ちゃんが止めにかかる。……何故かそっちも罰が悪そうな顔だった。
「ナ、ナゲキ。とりあえず宿に帰ろう。それからお話すればいいよね」
「ゲキッ!」
ナゲキは首を横に振る。
「ナゲキ……?」
「帰りたくないみたいね……やっぱり自己中よ」
強気な女の子は、今や眉根を激しくしわ寄せして――ナゲキの腕を掴む。
「甘えないで! 何があったか知らないけど、アンタは人間の世界に生きているのよ! 孤立したくなかったら他人の言う事を聞きなさい!」
そう言って、ナゲキの腕を引っ張る。
けれどそこは格闘ポケモン。その体は微動だにしない。
「サ、サヤちゃん落ち着いて」
流石に見てられない。私にとってはサヤちゃんの態度の方が問題だ。
根拠は無いけど……そんな言い方は逆効果な気がする。
「わ、私のポケモンなんだし、そんなに気を揉まなくてもさ」
「アタシが気に入らないの! ……て言うかアンタも甘いわ。ナゲキがアンタを攻撃したりするのも厳しくしないからじゃないの?」
「それは……」
「サヤの言う通りだな」
今度は加勢してくるアキラ。
「一度そいつは価値観を正してやった方が懸命だろう。いい機会だ。ここは説教のターンだぜ」
「……それはポケモン研究員としての見解なの?」
「一個人としてだ。…研究者としては、こんな問題児には遭った事無かったんでな」
ニ対一。ナゲキを叱る方向で話は進んでいる。
ナゲキ逃亡直後と同じ、トレーナーたる私を置いていく展開だった。
私は反論できない。こういうメンタル云々の話になると、途端に何も言えなくなる。
ポケモンの心も――人の心も、私にはよく分からないから。
「ナゲキ! ほら、せめてエリに頭下げなさいよ!」
「ここは従っとけよナゲキ。……自ら戻って来た所だけは成長だが、まだ解しが足りないな」
多分…今のナゲキに対する反応は、お兄ちゃんやサヤちゃんみたいなのが正しいんだろう。
ナゲキに逃げられて、ちっとも怒りが湧いて来ないのは――私がポケモンを知らないからなのか。
だけど。
私は考える。……散々馬鹿だ言われて来た頭で。
何か違和感があった。
二人がこのままナゲキを叱るのは間違っている気がする。
甘いとかじゃない。何か……何か二人とも、間違った答えに取り付かれているって言うか……。
思い出す――困った時の、過去頼み。
そもそもナゲキはどうして私になつかないのか。何故人間になつかないのか。
好戦的で、気は短いけど力持ちで。言う事を聞かず。
でも丸っきり無視したりもしない…私のパートナーポケモン――。
「……ねえ、二人とも」
私も、サヤちゃんを見習うことにした。
思った事を素直に口にしてみよう。
話をする為に。
「今度は何よ?」
「あん? 止めても無駄だぜ、エリ」
私なりの考えで――ナゲキの弁護をする為に。
「ナゲキは本当に、嫉妬で逃げ出したのかな?」
「あん?」
「はぁ?」
予想通り、真っ白けな目で睨まれました。
「おいエリ、そりゃどういう意味だ?」
「態度から見たって、ナゲキがコジョフーに嫉妬してたのは明白でしょ。馬鹿じゅないの?」
「そりゃあそうだけどさ」私が馬鹿だって事も含めてね……。
けど言ってしまったからには、こちらも折れる訳にはいかない。
「私は違うと思うんだよ」
「……何でだよ」
「まずさ、ナゲキは私に懐いていない訳だよね。その理由は、私の事を信用していないから」
「そうね。当たり前じゃない」
お兄ちゃんとサヤちゃんが代わる代わる返答してくる。……私は負けない。
そして、言った。
「私に期待してない子が、私からの評価を気にすると思う?」
最初の違和感は、それだった。
嫉妬っていうのは、自分が受けたい評価を誰かが受けてる時に抱く物。
「私に誉められたいなんて――ナゲキが思ったりするのかな?」
お相手二人は、怪訝そうな顔のまま沈黙した。
「ナゲキは確かに、他のポケモンとは違う振る舞いしてるとは思うよ。けどその行動そのものは……純粋、なんじゃない?」
「純粋?」
「自分の伝えたい事はしっかり伝えたいって事。サヤちゃんもそうじゃない?」
「アタシはナゲキみたいな乱暴者じゃないわよ」
ソーカナー?
……まあそれはともかく。
これまで私は、色々とナゲキに抵抗されてきた。
抱きしめようとすると投げられたりパンチられたりするし、とにかくスキンシップには真っ向からそっぽを向く一一それが私のナゲキ。
それは裏を返せば、私への不信や嫌悪を素直にぶつけてくるという事。
「ナゲキがコジョフーに嫉妬してたんなら、あのロビーでの一件で攻撃の一つでもしてたはずなんだよ」
「……まあナゲキはあの時、敵をお前に奪われた訳だからな。コジョフーかお前をどつきまくってもおかしくねえ」
「つまりエリ、アンタはこう言いたい訳? ナゲキはキレたらすぐ攻撃する。だから逃げたのは変だって」
「その通りです」
ナゲキはコジョフーに嫉妬なんてしていない。
自分以外のポケモンを私が可愛がってるからって、逃げる事で反抗なんかしないんだ。
そもそもナゲキは私の可愛がり(暴力的じゃない方)を受け入れていなかったしね。
「でも……それじゃあ何で逃げたのよ?」
「ああ。説明してもらおうじゃねえか、脳みそドガース妹よ」
後で兄を妄想の中にて殴ろう。
「それはね、」
「「……それは?」」
「それは………」
「「それは………」」
私は大きく息を吸って、
「分からない!」
「「やっぱりな!!」」
珍しいね。サヤちゃんとお兄ちゃんのハモり。
「……ったく、それじゃ話が解決しないだろうがよ」
「はぁ……アンタって本当にノータリンね」
「散々な言い分ですな………」
「事実じゃねえか」
「でもね」
私は言う。もう一匹の仲間を差し示しながら。
「確かめる方法は、あるんだ」
そして…ナゲキに対峙した。
「ちょ、ちょっとアンタ、」
「エリ……お前、まさか」
「うん、ナゲキと戦うつもりだよ」
私を警戒している柔道ポケモンが何を伝えたいのかは分からない。
そして私が仲良くしようと言っても、ナゲキにそれは伝わらないだろう。
なら――お互いの想いをぶつけ合えば。
戦って、争い合って。それで見つかるものもある。
ポケモンの傷を恐れていた時……私はサクラさんにそれを教わったんだ。
「ナゲキ」
「ゲ…ゲキッ?」
「ここに、貴方の『敵』が居るよ」
貴方が全力で叩き伏せようとしながら、決着をつけられなかった相手が居る。
「……ゲキ……!」
「私は今から、この敵の味方をする! どうするナゲキ! 闘うのか、逃げるのか!」
ナゲキが逃げた原因は十中八九こちらにある。…私はそう思っている。
だからこそ、私は開き直る。
相棒から、想いを引き出す為に。
「…驚いたわ。聞いた事の無い話よ……」
「全くだ。自分のポケモン同士を戦わせるなんてな」
これは貴方の受け売りですよ――茶番癖のアキラ。
私は外野に黙ってもらうべく、口を紡ぐ。
「へえ……聞いた事無いんだ。ポケモントレーナーなら誰でも思いつきそうなのに」
「「……!」」
「ま、駆け出しのトレーナーなら誰もがツッコム所なんだろうけどさ」
自分の手持ち同士を戦わせれば――簡単にレベルアップ出来るんじゃないかってね!
「ナゲキ! 私達は分かり合わなきゃいけない! もっと高い所(レベル)へ至る為に……全部の気持ちをさらけ出そう!」
コジョフーは両腕を掲げて、『構え』の姿勢をとった。
相手のポケモンも、混じりっ気の無い敵意を表す。
「――コジョフー! ナゲキを倒すんだっ!」
そして渦巻く気持ちを……知るっ!
「ゲキイィッ!」
ナゲキが四肢を振り上げて飛びかかってきた。
けれど、素早さはこちらが上。
「コジョフー、『ねこだまし』!」
「コジョジョジョ!」
初戦のパクリじゃあるけれど!
武術ポケモンは、再びナゲキを罠にはめる!
「ゲギ! ッ!」
眼前で打ち鳴らされた掌に……転んでダメージ!
「ゲキイィイイ〜〜!」
肩を震わせてナゲキは吠えた。
うん、分かるよ一一二度も引っかかって腹が立ってるんだね。
その気持ちで立ち向かって欲しい。
「コジョフー、『みきり』だよ!」
血気盛んな相手ポケモンの攻撃は、またしても不発に終わった。
「フーフー!」
「ゲキッ…ギギギギギギ!」
投げ技を見切り、あらぬ方向へ逃れたコジョフーへ憤るナゲキ。
二回連続で使えない技……これにて終了っ!
「ええとっ……お、『おうふくビンタ』っ!」
「コジョー!」
コジョフーはナゲキよりも『すばやさ』が高い。
だからこれで事実上、三回連続の先制攻撃!
私のポケモンは、軽快に相手をはたき倒した。
痛みに痛みを重ねられて、ナゲキは倒れ込む。
「――ナゲキゲキ〜!」
それでも相手は、立ち上がった。
来て…ナゲキ……!
「ゲキイィイッ!」
柔道ポケモンはコジョフーに掴みかかり、密着したまま前に転がり始めた。
これは……、
「『ちきゅうなげ』……!」
回転が一番早くなった所で手を離すナゲキ。
小さな格闘ポケモンはもの凄い速さで飛んで――地面に突き刺さる。
「コジョフー、しっかり!」
「モゴゴゴ…コフーッ……!」
コジョフーはすぐさま顔を出した。
「受け身の技があるのに進んで攻撃技をしかける――ナゲキ、やる気だね」
「……ゲキィー!」
ナゲキは両の拳を握り締め、やにわに全身を震わせ始めた。
何だろう……これも何かの技?
「そうだ……『がまん』か!」
直感の赴くままに、コジョフーへ次の命令をした。
「コジョフー、もう一度『みきり』!」
「コジョ!」
『がまん』はお兄ちゃんとの初めてのポケモンバトルで見た事がある。……どうやら攻撃するとまずい技であるらしい。
「ゲキイィ……!」
「やっぱり!」
ナゲキは攻撃して来ない。これこそ『がまん』の特徴だ。
「……ふん。1ターン無駄にしたな」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「しかしまあ……お前の言う拙い推理の説得力は出てきたようだ。そうだろ、サヤ」
アキラはサヤちゃんに目配せをした。いつも強気な目をした女の子は、戸惑った顔つきで頷く。
「そうね。ナゲキの奴……戦いに全力を傾けているわ」
そう言った瞬間、ナゲキが攻撃を繰り出して来た。既に『みきり』を解いていたコジョフーは防げずに殴り飛ばされる。
「……あれ?」
何か――違和感が頭をよぎった。
けれど考える前に、サヤちゃんの声が耳を突いた。
「嫉妬から来る攻撃性なら、少なからず行動にムラが生じるのに……ナゲキは目の前の敵を倒す事しか考えてない」
「サヤちゃん、そんな事が分かるの?」
「馬鹿にしないで。アタシだってそれなりにバトルを積み重ねて来たトレーナーよ」
戦ってるポケモンの感情位、アタシは即座に汲み取れるわ――サヤちゃんはそう言った。
私とは逆の考え方だった。
「ゲキイィ!」
「あっ、コジョフー!」
「コジョッ!」
ナゲキが更に追撃してくる。
でもそこは素早さの高いコジョフー。また何もしない内に叩かれたくないと、袖型の腕で迎撃する!
「ナイス『おうふくビンタ』!」
命令できなかった攻撃を自分から出してくれてありがとう!
「ゲキッ――!」
「フウゥーーッ!」
互いに力を出し切ってのバトル。
勝ち負け以外の思いなんて無い、ただ相手の打倒を願うだけの……にじみ出る闘志。
「……ねぇエリ、アンタはどう思うのよ」
「どうって?」
「ナゲキが嫉妬とか、そんな小さな感情に左右されない奴って事は分かったわ。けどそれじゃあ……」
「うん…そうだよね」
あの時、私から逃げ出したのは何故なのか。
「何だかんだ言って…ナゲキはアンタを嫌いながらも、結局は戻って来るのよね。アンタ側には原因は無い――のかしら」
「『言うことを信じない』っていうのが、ナゲキの私への抵抗だもんね」
「分からないわ……あの時コジョフーとの決着が付けられなかったのを不服に思ったとか?」
「それなら私をメタメタにするんじゃない?」自分で言っててアレだけど。
「見つけたのはこの草むら……野生ポケモンのスポット…」
「うん」
「ポケモンのゲットでバトルが中止になったから、自分で狩りに出かけたかったのかしら」
「あはは、狩りってサヤちゃん」
「分からないわよ。ナゲキが好戦的なのは間違いないし、」
私のスマイルはぐらかしを、あくまでサヤちゃんはサラリと流す。
「アイツはいかにも、自分の戦いの為だけに生きてそうな奴じゃない」
ですよねーと、その言葉に禿上がるほど同意しようとした。
その瞬間だった。
「――――」
え?
あれ?
サヤちゃんの台詞が頭の中で反響し出し、一つのメッセージに、変わる。
「…………!」
いやいや…待って。プリーズウェイトプリーズウェイト。
「そ、」
そういう事―――なの?
私に……ううん、人間になつかないナゲキ。
お兄ちゃんとの善勝バトルを蹴り、森に行こうとした私の相棒。
柔道ポケモンと分類されながら、自ら敵意をむき出しにする行為。
ケンホロウから逃げるよう告げた時に私の所へ戻らず、見つけた時に野生ポケと戦っていた理由。
何かが光を帯びて繋がっていく。
そしてそれは最後に――大きな壁にぶつかって消えた。
その壁を壊すことは、今の私には出来そうにない。
だけどこれで……今私の頭に浮かんだ考えが正しければ。
一応の答えが、導き出せる!
「……おいエリ、バトルに目ェ向けろ!」
「え? あ、」
はっとして場外の支持者に従う……うわっ! ナゲキの攻撃だ!
「ゲキイィイイーー!」
ナゲキはコジョフーに向けて拳を突撃させる所だった。
岩をも粉砕する勢い……これは『いわくだき』!
「ゴジョホーー!」
そして。
コジョフーは、予想外に飛ばされた。
パンチが叩き込まれた瞬間、その体はロケットもかくやの勢いで宙を舞い、遠く離れた地面に墜落する。
さっきと同じ……ううん、それ以上の激しさを伴って――半身が土にめり込むのが見えた。
「って、えっ!?」
それこそプリーズウェイトだよ!
「あれ…あの、お兄ちゃんさん」
『いわくだき』って、あんな強力な攻撃だったっけ?
コジョフーがチマっこい体躯なのを差し引いても、今のナゲキのパワーはかなりヤバげな響きがありましたような。
もしかして、今のは『いわくだき』じゃない?
いや違う。最初のアキラ戦で見て、パパが解説してくれた技と同じ見た目だ……ああもう。やり辛いな。
トレーナーの命令を伴わずにポケモンが発した技に関しては、こちらも見極めが大変だよっ。
「ナゲキっていつの間に、レベルアップしたのでせうか」
「あん?」
「『いわくだき』はこんなスマッシュ技並みの威力無かったでしょ!」
私が駄目トレーナーなせいで、ナゲキはロクなバトルを積んでない。ミニスカートさんに負け、野生のケンホロウにブチのめされ――散々な有り様だ。
そう思っていたけど、まさかナゲキがここまで強化されていたなんて……、
「いいや、それは勘違いだな」
けんきゅういん(♂)は腕を組みつつ頭を振る。
「お前はナゲキをそこまで強く育てたのかよ?」
「いや、それは…」
「訊くまでもなく答えはNOだな」
こっちの返事をぶった切って会話を続けて下さる兄貴。
「最早トレーナーの道にしがみつくしかない人間の底辺たるお前が、お仲間を短期間で育てられるはずがねえ」
「わかってるよそんな事はっ!」
こちとら貴方様を殴り倒す妄想を秘め続ける駄目乙女たい!!
くそう、これは本気でコヤツを弱らせなけりゃならないんじゃないんですか? 何か弱みを握れませんかね?
そんな風に、フツフツと怒りがこみ上げてくる中で……最悪の兄は眉一つ動かさずに口だけを稼働させるのでした。
「今の攻撃は単純に、お前の『運』が悪かっただけさ」
「運って……」
「『きゅうしょにあたった』」
アキラは棒読み風に言った。
「ポケモンは時折、相手の『きゅうしょ』に技を当てる事がある。それは莫大なダメージを生み出し、一気にその体力を奪うのさ」
「急所……」
いわゆる、『かいしんのいちげき』みたいな?
「ポケモンの急所が何処なのかほとんど解明されてない以上、急所を突くのはごく稀なイベントではあるがな……」
つまり私はそのレアイベントに巻き込まれたと?
「コ……ジョ」
コジョフーはまだやられてはいなかった。再び地中から復活し、ナゲキに向けて勢いよく走っていく。
「コジョフー、『はっけい』!」
すかさず命令。この機を逃す訳にはいかない!
「コジョハァーーッ!!」
片手を押し付け――0距離衝撃波!
柔道ポケモンの体がくの字に折れ曲がる。
「やったかっ!?」
「ゲキィィ!」
……やってませんでした。
体力を残したらしいナゲキは、すぐさま体制を立て直した。
そしてコジョフーの真上に飛び乗り、全体重を込めて押し潰す。
「の……『のしかかり』っ!」
何の技か気付いた所で、意味は無かった。
地面に亀裂が走った。
そして爆発みたいな轟音が轟き、私のニ匹のポケモンはクレーターを作って沈む。
壮絶な決着。
武術ポケモンは成す術もなく、最大の衝撃の前に気を失った。
お相手が体をどかしても……ピクリとも動こうとしない。
私の負けだった。
「…………」
私はモンスターボールを手に、コジョフーを光に変えて収納する。
そして、
「――質問タァアアアイム!」
お兄ちゃんに向き直りました!
「アキラさんに質問です! 今の『のしかかり』も『きゅうしょにあたった』なのでしょうか!?」
「そうだな。『のしかかり』はあんなに強力な技じゃねえ」
「言ったよね!? 『きゅうしょにあたった』は稀なイベントっつったよね!?」
「俺は嘘は言っちゃいねえよ」
アキラの取り柄は、こういう時だけ冷静を保てる所だと思う。
「一つあるんだよ。ポケモン技の急所率を上げる技が」
「え……? あっ!」
「『きあいだめ』さ」
さっき感じた違和感が崩れ落ちる。
つまりあれは……あの技は『がまん』ではなくて………。
「俺もお前と戦った時、『きあいだめ』を『がまん』と間違えはしたがな」
「……っ!」
おかしいなとは思ってたんだ。
『がまん』を使ったにしては、攻撃に転じるまでの時間が短すぎるって。
お兄ちゃん戦で見た時は、もっと長く動かなかったのに。
でもあれは『きあいだめ』だった。
そしてその後出した攻撃も……『がまん』の解除じゃなくて、別の攻撃。
「ポケモンの技には少なからず、見た目の似通った物があるのさ」
ポケモン研究員が解説を始めた。
「トレーナーが指示するポケモンバトルなら技名を叫ぶからバレバレなんだが……今回みたいにポケモンが勝手に戦う形式だと、何の技を使ったのか分からない時もある」
「似通った技……か」
パパの研究所で色んなポケモンを見て来た私も、戦うポケモンの姿には疎い。
例えば野生ポケモンが技を使って来た時、その名前が分かるトレーナーはどれ位居るんだろう?
『あいてのナゲキの○○!』みたいに、バトルの進行を解説してくれるナレーターは…ここには居ない。
「――ナゲキ、おめでとう」
「ゲキ……」
勝者に近付く。
今度は攻撃されなかった。疲れてるのかな?
私はナゲキを抱きしめて、言った。
「私、ナゲキの計画の役に立ったかな?」
「………」
パートナーは答えない。
けれどそれは、何より確かな肯定に思えた。
「サヤちゃん、お兄ちゃん」
「「ん?」」
……とうとう台詞が一体化してますけど。
「分かったよ。ナゲキがどうして私から逃げたのか」
「本当なの?」
というか、もうこれは今回だけの問題じゃない。
昨日と今日を過ごして――ナゲキに関する一つの『意志』が分かったんだ。
「まずおさらい。ナゲキは好戦的で怒りっぽい。私を信用してなくて、気に入らない時には攻撃をする」
「知ってるわ」
「日常の全てがバトルの引き金になってるような奴だな」
「そう、それだよ」
オトコの方を指差す私です。
「……どれだよ」
「好戦的ってさ……裏返せば、戦いに飢えてるって事にならない?」
戦いの無い状態には居られなくて、常に戦場を求めている。
「まあ、そうなるかもな。このナゲキは柔道を攻めの技に使うぐれえだし……戦えないなら喧嘩に飛び込みかねない位、」
そこまで言った時。
半端に思慮深い我が保護者は、眉をひきつらせて沈黙する。
「まさか……」
「うん。それこそが――ナゲキが逃亡した理由だ」
そして、今までの逃亡イベントに関する答えでもある。
「ナゲキはただ逃げていた訳じゃない。戦う為に逃げてたんだよ」
逃亡するからこそ、戦う。
『にげる』は本来、戦闘から離脱する為のものだけど…ナゲキは戦場に向けて逃げていた。
例えばクイネの森での一件。
ケンホロウから逃げたのは、状況が負け際になったからだろう。
ナゲキが戦うのは自分を鍛える為。『ひんし』になって戦うことすら出来なくなるのはご免だった。
本当は『ひんし』になった所で、私がボールに戻して休ませばいいだけなんだけど……格闘ポケモンの心がそれを許さなかったんだね。
事実、私があの後に再開した時――ナゲキはバチュル達と戦っていた。
マシな強敵に会う為に、私からもケンホロウからも逃げたんだ。
「だからひっくり返して、ナゲキが逃げる対象は『戦う』と『鍛える』に属さないものっていう事になる」
「俺とお前との最初の一戦はどうなんだ? あれはまずまずのバトルだったろ? なのにナゲキは放棄して逃げ出したぜ」
「まずまず? 多分ナゲキにとっては退屈だったろうね」
私は性悪兄貴の勘違いを正してやる。
「お兄ちゃん忘れてるでしょ。ツタージャ・ポカブ・ミジュマルの三匹は私のパートナー候補だったポケモンだよ」
それをアナタサマがパクりやがったんですよね。ビキビキ。
「なるほどそんな設定もあったな。盲点だぜ流石俺の妹だ」
あっけらかんとしてんじゃないよ………ったく。
「パパが新米トレーナーの私に選ばせるべく取り寄せたポケモン。……悔しいけど、ナゲキとは経験も実力も釣り合わない」
つまりシラケたって訳だ。
強い敵にのみ興味があって、弱い奴と戦い続けるのは苦痛。
ナゲキはそうやって、戦わずに済むフィールドから逃げて来た。
多分…パパの研究所に連れて来られるより以前から。
「そう考えるとさ……お兄ちゃん。あの時ナゲキが私に近づいた理由にも、一応の説明がつくんだよ」
「ああ――『裏手の森』での一件か」
「うん」
私が遊び場にしてた研究所裏手の森が、クイネの森の一部とは知らなかったけれど。
私があそこでナゲキを追いかけ、最終的に『ゲット』出来た理由。
ナゲキには、一つの思惑があったんだ。
「コイツはお前を見て思ったろうな。『この人間からは逃げられない』と。だが同時に閃いた訳だ」
「……その通りだよ」
『この人間に付いて行けば、戦いの日々が送れるかも知れない』と。
私はお兄ちゃんと『戦う』為に、ナゲキを使う事を選んだ。
研究用として安全に飼われていたナゲキにとって、それは劇的なチョイスだったのかも。
「って言うかお兄ちゃん」
「あんだよ」
「パパとお兄ちゃんって、ポケモンの技について研究してんだよね? ポケモンバトルはした事無かったの?」
「ほとんどねえな」
研究員はにべもなく首を振る。
「ポケモンの技はデータベース化されてるのも多くてな。今じゃ研究は資料整理とシミュレーションで事足りる位だよ」
「やってみなくちゃ分からない事もあるんじゃない?」
「『ほとんど』っつったろ? バトルの実験をする事もあるさ。だが俺らは研究者だからな。『実験材料』を過度に虐げる事は出来ねえ」
「……ポケモンを鍛える為の実験はしてなかった、って事だね」
ポケモンはどうすれば強くなるのか。強くなると、どんな技を覚えるのか。そして、その技はどんな力を持つのか。
ポケモン博士や研究員は、トレーナー以上に知っているんだろう。だから、強いてポケモン同士の真剣勝負をする必要は無かった訳だ。
ナゲキの望む環境では、無かったんだ。
だからこそ、私に味方する事を選んだ。
「ナゲキは常に戦いたがってる。少しでもグダグダな環境に置かれたら逃げ出すほどにね。それ位強さを求めているんだ」
以上、これが私の結論。
お兄ちゃんも、もう反論してこなかった。
代わりにと言っちゃアレだけど、サヤちゃんが手を挙げる。
「……アンタの見解は正しいと思うわ。けど、一つ疑問が残らない?」
「何が?」
「ちょっと異常じゃないかって事よ」
ナゲキに鋭い視線を寄せながら、彼女は言った。
「どうしてナゲキはそこまでして――強いポケモンを目指してるのよ?」
「俺もそれは気になってたぜ」
ポケモン博士の息子も同調します。……お二人さん今回は仲いいっすね。
「確かに、かくとうタイプのポケモンにとって肉体鍛錬は生態だ。ゴーリキーやドッコラーっつうポケモンは、人間の労働を手伝って体を鍛える習性がある」
「そうなの?」
人間社会に適応しても、ポケモンは本能を忘れないんだなぁ。所でドッコラーって何?
「だが……『おや』たるトレーナーに迷惑かけてまで経験値を積もうとなると異常だ。和を乱してまで己を貫くポケモンなんざそうそう居ねえよ」
「………」
この場合の『和』は人間社会を言うんだろう。
人間の下で生きるなら、まぁ仲良くしなけりゃいけないよね……。
「もしその『そうそう居ねえ』があるとするなら――何か訳があるはずだ」
「そうよね……エリ、それは分かるの?」
「それはね……」
「「はいはい分からないか」」
「反復技法ぐらい使わせてよ!」無粋な男女め!
お兄ちゃんは髪を掻きながらも、一息つくように呼気を吐く。
「ナゲキの心理がようやく分かったぜ……まさか馬鹿妹が説明つけるたあ思わなかったが」
「もう馬鹿呼ばわりは慣れましたよ」
「そうか。今度からは俺の妹と呼んでやる」
「勘弁してつかあさい!」
「アタシも驚いてるわ。相棒にもなつかれていないアンタが、心を見抜くなんて」
「別に大袈裟な事じゃないでしょ」
やめてよ照れくさい。
「私はポケモンが大好きだから、一生懸命知りたいと思うだけだよ。何でもね」
ポケモンは、人に色んな事を教えてくれる。けれど、伝えられない物もある。
なら――私達が考えてあげなくちゃ。
「ナゲキ」
人間から目を逸らして、パートナーだけを視界に映した。
不器用だけど生真面目で、果てしない強さを求めている子。
「私は貴方の願いを叶える力になりたい。ううん、ならせて」
「ゲキ……」
「貴方が強さを望むなら、私は傍に寄り添いたい。貴方の事をもっともっと知って、願いを叶えてあげたいんだ」
格闘ポケモンの本能では説明がつかない、ナゲキが強さを求める理由。
それは未だに分からないけど――分からないなりに、何かが出来るはずだとも思う。
私はこの子の仲間になれると、信じてるから。
無愛想な格闘家は、答えない。
ただ黙りこくって、品定めするようにこちらを見ている。
ナゲキは私に従わない。
けど、そんな関係でもいいじゃないか。
信頼が無い繋がりでも。傷付け合わず、付かず離れずの関係でさえあれば一一。
「……よーし! そういう訳で!」
握り拳を天へと掲げて!
「ナゲキの願いを叶える為に、本腰を入れて鍛錬を開始します! とりあえず、まずはこの草村を拠点にして、」
――ズキン。
「あ痛っ……!」
足腰の力が抜ける。「おいおい……いちいち混乱させてくれる奴だな」とアキラが近付き、そばに屈んだ。
「ヘルガーの炎がかすってたのか。一番優先すべきは、この傷の手当てだな」
「平気だよこの位。膝の擦りむきみたいな火傷なんだし……」
「ナゲキを鍛えてやりたいのは分かるが、まずは宿屋で大人しく処置されろ」
お兄ちゃんはそう言って、私の肩を素早く担いだ。
「いつまでもそうやって、ポケモン優先で生きてたら――いつか痛い目を見るぞ。お前」
そして……私達は一旦、宿屋に帰った。
時刻はまだ日当たり上々。
二日目が終わりを告げるには、まだまだたっぷり余裕がある。
だから火傷の手当てを受けた後に、私はもう一度この空き地に来てパートナーの育成を始めたんだけど……。
それはまた、別の話。
相棒の心に触れられただけでも、今回は大きな一歩だよねっ!
◇◆◇
エリの旅はまた、ここで一つの節目を迎えた。
それを強く感じているのはエリ本人。次いで保護者のアキラと、微妙な立ち位置の観測者、サヤと続く。
「ふむ、興味深いではないか」
……だがしかし。
ここに一人――『第三者』が存在していた。
またもや時間は少し巻き戻る。
エリがナゲキの抱えていた思いに気付き、それを口にした直後の光景。
その空き地での光景を、近くのビルの上から眺める男。
「我が輩は我が輩の聴覚と視覚に感謝するべきだね。そして偶然、あんな少女らを見つけられた運にもな」
男は風変わりな格好をしていた。
一言では名状し難い、良く言えば民族衣装的な……悪く言えば下手なコスプレ的な容姿。
「亜麻色のサイドテール少女――ボスの命令でこの街を視察に来たら…あのような逸材を見れるとは。いやはや、若者も馬鹿に出来ないものだな」
是非とも、我々の『団』に勧誘したいね。
男は顎髭をさすりながら、そう言った。
「……おっといけない。強制勧誘は禁止だったか。しかしポケモンの気持ちを察する心は大切だ。我々も見習わねばならんね」
だが――と、男は視線をずらした。
「それに引き換え、あの紫髪のロン毛少女はいただけないな。自らの主観に狂い、ポケモンを無理に引こうとしたのだから……」
男は目を細める。エリの演説に怪訝な表情を浮かべた、サヤという少女を凝視する。
「あれは我々が危険視するタイプの人間と言えるだろう」
呟き、屋上を後にする風変わり男。
同時にポケットを弄(まさぐ)り、小型の携帯端末を取り出す。
「さて、当初の仕事に戻ろう。我々の教義に基づき――あの紫髪少女から『徴収』を開始する」
男は携帯端末を開いた。
『可愛いは罪なのかな?』終わり
to be continued
【キャラクター紹介】
ピカチュウ ♂
通称ピカチュウさん。本名はライ。いつもの仲間といろいろな旅をする。やんちゃな性格で、指揮官のような役割もする。
キバゴ ♂
通称キバ。本名はキチ。ピカチュウの仲間。むじゃきな性格。語尾に「〜ケバ」とつける。
ツタージャ ♀
通称ジャータ。本名もジャータ。ピカチュウの仲間。穏やかな性格。無口で、怪しまれない。
イシズマイ ♂
通称イシ。本名はカチ。ピカチュウの仲間。のんきな性格。石を集めている。
モノズ ♂
通称ドラ。本名はサザ。ピカチュウの仲間。凶暴な性格。空を飛ぶことを夢見ている。
バチュル ♀
通称チィ。本名はデン。ピカチュウの仲間。素直な性格。小さいので、存在感が無いといわれている。
ゾロア ♂
通称ゾロ。本名もゾロ。ピカチュウの仲間。生意気な性格。上から目線で話す。
レシラム 性別不明
時々ピカチュウたちの前に現れ、手助けをしてくれる。戦いのとき以外はおっとりしている。
エイパム ♂
本名セーメ。自称陰陽師。ピカチュウたちの前に現れ、「〜の不幸ですな」と未来を占う。
ミュウツー 性別不明
悪の組織「ダークサザウンド」のボスで、部下には「ダーク様」と呼ばれている。ピカチュウたちの敵。めったに洞窟から出てこない。
ワルビル ♂
ミュウツーの側近。めったに洞窟から出てこないミュウツーのために、部下の指揮をとっている。ミュウツーに忠誠を誓っている。
チョロネコ ♀
ミュウツーの側近。ミュウツーの肩に乗り、めったに洞窟から出てこない。恋心を抱いているらしい。
今はこのくらいです。
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