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ども、ベテルギウスです。
文才無いですが、書いていこうと思っていきます。
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【描いてもいいのよ】
です。
「この1ヶ月、実に有意義な練習ができましたぞ。今年は優勝できるかもしれませんな」
「それは良かった。我々タンバ学園一同も、応援させてもらいますよ」
2月28日の日曜日、朝。さすがにこの時期になると寒いとは思わなくなる。風も南のものが多くなり、道端にはどこからかハネッコが舞ってきている。冬の終わりは近い。
さて、今日は日曜日だが俺は生徒達と学校に来ている。キャンプに来ていたファイターズの撤収に立ち会っているというわけだ。シジマ校長とテンプル監督のおべんちゃらを聞いてから選手を見送る予定だが、ここで流れが変わってきた。きっかけは監督である。
「ありがとうございますじゃ。して、子供達はどれくらい育ちましたかの?」
「子供達とは、部員のことですか?」
「それですじゃ。『教えることは学ぶこと』という金言があります。これは逆に言えば、子供達の育ち具合は自らの成長を確認する指標になるのですぞ」
「なるほど、そういうことですか。では、その点についてはテンサイに話させましょう」
校長は不意に話を振った。おいおい、いきなりかよ。こう言ってはなんだが、あいつらはあまり成長していないと思うんだよな。まあ、お互いの顔に泥を塗るわけにもいかねえ。上手いこと乗り切るか。
「分かりました。おいお前さん達、こっち来てポケモンを出しな」
俺は生徒の中から3人を呼び出した。いつもの面々は俺達の近くに歩み寄り、ボールを投げる。イスムカのトゲピー、ラディヤのキノココ、ターリブンのメタグロス、ボーマンダ、ハスボーの揃い踏みだ。
「さて、ここには5匹のポケモンがいます。内訳はメタグロス、ボーマンダ、ハスボー、キノココ、トゲピー。この中で1匹、今から進化します」
俺が宣言をした直後、ハスボーの体が光に包まれ始めた。周囲の歓声の中、ハスボーはその姿を著しく変化させ、光は収まった。ほんのり赤く染まった口元と爪、子供と間違えそうな直立二足歩行が特徴的である。これはようきポケモンのハスブレロだ。
「進化したのはハスボーでした。では次に、ある技を見せましょう。キノココ、ちょっとあの技を頼むぜ」
俺はキノココにジェスチャーを送った。少し考えて、キノココはトゲピーにわずかながらの粉をふりかける。トゲピーはこの不意うちに飛び跳ねたが、すぐに寝息をたてて眠ってしまった。よし、上手く指示が通ったな。
「今使ったのはキノコのほうし。この技を使えるのは強いキノココのはず。つまり、成長した証拠に違いありません」
キノココは以前からこの技を使えたが、その点について触れてはいけない。突っ込まれる前に話を終了に持ち込むとしよう。
「このように、皆さんのご指導の甲斐あり私達は大きくなれました。感謝の言葉もありませんが、この場を借りてお礼申し上げます」
俺は深々と頭を下げた。個人的な意見ではあるが、今年の成績はだめだろうな。これからチームの主力になろうって奴が素人の俺に完敗するのだからな。まあ、そんなことはおくびにも出さないが。
しかしながら、どうやらあちらさん達は俺の言葉に燃えてきたようだ。監督は胸を叩き、こう叫ぶのであった。
「うむ! それなら安心ですじゃ。皆の衆、今季はやりますぞ、覇権奪回!」
「……期待していますよ」
ま、たまには新聞で結果を見てみるとするか。
・次回予告
さて、色々あった2月も終わったわけだが……あれを忘れてるみたいだな。色恋沙汰にうつつを抜かし、部活に精を出したのは結構。しかし、これだけはやってもらわねえとな。次回、第37話「年度末の試練」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.102
今回は極端に短かったです。あんまり大事な話ではないのでぱっぱと進めました。やはりメリハリつけた方が、書く側からすれば楽できます。
あつあ通信vol.101、編者あつあつおでん
丑三つ時の森の中。月光も星明りも雲に遮られた真っ暗な夜。彼女は今日も宙を彷徨う。
「あーあ、やっぱり街行かなきゃダメかー。だーれもいやしない」
わかっちゃいるんだけどね、と彼女は呟き、くるりと宙を一回転。
彼女の種族、ムウマは人間や他のポケモンを驚かせ、その際の感情エネルギーを摂取し生きている。そのため、生きるためには他の生き物と触れ合うことが不可欠となる。なかでも、人間は感情エネルギーの変動が激しいため、彼女らムウマが生きていくのには人間を驚かせるターゲットとするのが、最も効率がよい。
しかし、ムウマが最も活動しやすい時間帯である深夜に、彼女が寝座としている深い森に人間などいるはずもない。
「面倒くさいんだよなー。今日はやめにしようかなー。でもそろそろ感情エネルギーも欲しいのよねー。木の実も飽きてきたし」
ムウマは通常の食事によってもエネルギーを摂取することはできる。しかしその効率は感情エネルギーによるそれと比べるとかなり劣る。おまけに感情エネルギーは彼女らにとって美味らしい。感情エネルギーを摂取するのは、いろいろな意味で「美味しい」のだ。
「あーでもなー。悩む悩む」
悩むと言っているわりにはそれほど悲観した様子のない声で独り言をつぶやきながら、またくるり。彼女にとってはエネルギー摂取も遊びの一つらしい。幸い、この森には木の実なら山ほどある。感情エネルギーが摂取できずとも飢えることはない。
「まあいっか。カゲボウズどもでも脅かしに行くか」
木の実よかマシだし、とやっぱり独り言を呟きながら、彼女はふわりと移動を始めた。
ゴーストポケモンたちの住処と化しているこの森だが、自然と種族ごとに縄張りが形成されている。少し離れたカゲボウズの集落へ、彼女はふわり、ふわり。
と、遠くからコツリ、コツリと靴音が。人間だ。間違いない。
「あら、こんな時間にお客さん? ラッキー☆」
心の声をダダ漏れにさせつつ、彼女はどうやって客人を驚かせるか策を練る。彼女がここに来るまでには考えなくちゃ。
あれやこれと悪戯を思い描いていた彼女だったが、ふと異変に気づく。何かがおかしい。
「何……この気配。ただの人間じゃない……!」
息を潜め、気付かれないように異様なオーラの元へ向かう。
こっそりとオーラの近くへ向かい、物陰から様子を窺う。中心にいたのは一人の少女だった。いや、少女というには大人になりすぎているし、女性というには幼すぎる。微妙な年頃だ。
そして、そこに連なる大量のカゲボウズ。この森に住んでいる奴らなのは間違いがない。見覚えのある顔ばかりだ。しかし、いつもとは明らかに違う。
「ウラミ、ネタミ、イッパイ、イッパイ。オイシイ、オイシイヨ」
「ちょっとこれ……。どういうことよ」
あまりの状況にムウマの口からは驚きの言葉しか出てこない。
ご近所住まいのカゲボウズ達が、みんな正気ではない。完全に個々の意思を失っている。ただただ、負のオーラにただ引き寄せられているだけで、それ以上でも以下でもない。
そしてオーラの中心にいる人間。彼女がオーラの元だ。間違いない。しかし、負のオーラが一人の人間から発せられるものとしてはあまりにも膨大すぎる。でなければカゲボウズ達はこんなになってやしない。
「ねえ、ねえ、アンタたちどうしちゃったのよ!」
馴染みのカゲボウズ達に声をかける。へんじがない。ただのにんぎょうのようだ。
ムウマが驚きによる感情エネルギーを主食としているように、カゲボウズは負の感情エネルギーを主食としている。しかし、こんなのは初めてだ。負のエネルギーが強すぎて、それを取り込むはずのカゲボウズ達が精神を持っていかれるなんて。まるで麻薬だ。
「何かこれ……、ヤバいよ。ねえ、ねえってば! 目ェ覚ましてよ!」
へんじがない。ただのにんぎょうのようだ。
このままじゃ隣人たちがヤバい。とっさに感じとった彼女は、実力行使に出た。
「てええええええいっ! ばあっ!」
カゲボウズ達を『おどろかす』。とはいえ、いつも彼女があの手この手を尽くして感情エネルギーを得る際のそれとは異なる。相手をひるませる攻撃技だ。威力は小さいが、驚かされたことによるひるみ効果は大きい技だ。
そして、それだけで十分だった。ひるむことによって、カゲボウズ達は一瞬目を覚ます。しかし、再び引き戻されそうになるカゲボウズ達。彼らにムウマは声を投げつける。
「アンタたち、人間ごときに骨抜きにされちゃって! 何やってんのよ!」
引き戻されそうになるカゲボウズ達がムウマの声に反応し、その自我を保つ。
「……お、オイラ一体何やってたんだ」
「美味しそうな匂いがするから飛んでったら、偉い目に会ったぜ……」
自我を取り戻したカゲボウズ達が次々とつぶやく。その様子を見て安心するムウマ。
「オマエ、俺たちのこと助けてくれたのか? ありがとな」
ムウマに言葉を向けたのはリーダー格のカゲボウズ。急に礼を言われたことに動揺しながら、ムウマは彼に言葉を投げつける。
「別に助けたわけじゃないわよ。正気に戻ったんだったら帰んなさい。あいにく私は負のエネルギーには反応しないから、アンタたちよりはどうにかできるでしょ」
本当は安堵の気持ちがあるのに棘のある言葉が出てくるのは、褒められることに慣れておらず、とっさに素直になれない彼女の性質なのか。しかし、取り込まれた際に空腹を満たしてしまったせいなのかになっていたからなのか、カゲボウズ達は歯向かうことなく素直に住処へ戻って行った。
そして、彼女と彼女、一匹と一人がそこに残された。
「なるほど、時にはベンチから指示を出すというわけか」
「ええ、そうなんですじゃ。選手は血気盛んな者ばかりだから、わしら年寄りが遠くから状況を見ることも必要なのです」
2月22日の月曜日、午後5時頃。俺は部活の指導をしながら、ファイターズの監督と話をしていた。ファイターズ側は既に今日の練習を切り上げ、残った選手の何人かが部員達の面倒を見てくれている。だから俺は監督、テンプル氏からノウハウを聞いているというわけだ。
にしても、指示をするってのは面白いやり方だな。俺は1人のバトル以外を全く知らないから、そのノリで指導をするところだった。となると次は、これをどうやるかが問題だ。
「指示を下す、それは有効だな。しかし、当然相手に感づかれる可能性もあるわけだよな」
「ええ、そりゃもちろん。そこで役に立つのがサインですじゃ」
「サイン?」
一瞬三角形が頭に浮かんだが、さすがに違うよな。俺は監督の話に耳を傾ける。
「口にしなくとも、こちらの意図を伝える手段はいくらでもありますわい。いわゆるボデーラングエジというやつものが、主に使われますぞ」
「ボディーランゲージのことか。……ん、例えばポケモンを媒介に意思疎通を図ることはできないのか」
「それもできますじゃ。ただし、試合で使えるポケモンは諸々含めて6匹まで。戦力を割いてまで伝達に使おうとは思う者はそういませんぞ」
テンプル氏は懐からルールブックを取り出し、ある部分を指差した。なになに、「いかなる理由であれ、試合中に使用できるポケモンは6匹までである。また、バトルで使用したポケモンを他の役割に使用することはできない。その逆も然りである」か。ふむふむ、中々厳格だな。まあ、どんなポケモンが何をしたかなど、今時調べればすぐ分かる。ルールとしては生きているようだ。
「そんなルールがあるのか。じゃあ普段はどうするんだ?」
「それはですな、例えば……ホイッ!」
急に声を張り上げたと思ったら、監督は全身を使って動きだした。
「ヤッタッタ! ヤッタッタ! ヤッタッターノッホオーイホイッ! ……このような形が我がチームのサインですぞ」
「あ、ああ。なるほど、こりゃ中々……熱血だな」
俺は適当に返事をした。こりゃあれだ、盆踊りみたいなフォームだったな。あんなの見せられたら、敵味方共に集中できねえに違いない。
「そうでしょう。テンサイ殿も取り入れると良いですぞ。やり方は様々ですが、多くの学校がやっていますからな」
「そうだな、是非そうさせてもらおう。貴重な提言、感謝します」
俺は監督に一礼をしながらもこう思うのであった。……さすがに盆踊りはやらないがな。
・次回予告
短い間だったが、遂にキャンプの引き上げの時がやってきた。この1ヶ月でどれほど変わったか、ちょっとポケモン見せてみな。む、これは進化か……。次回、第36話「成長の跡」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.101
よくよく考えたら、口頭で指示を出したら相手に簡単に対応されてしまいます。ゲームとしたらそれで良いのですが、現実的には無益な行動です。他のスポーツではその辺どうなのでしょうか。
あつあ通信vol.101、編者あつあつおでん
痛い。
辛い、怖い、寂しい、汚い、妬ましい、醜い、嫌い、憎い。
どうして。どうしてこんなに私は痛いの。
痛いなんてこと、あるわけないのに。どうして、どうしてこんなになっちゃったの。
ああ、痛みなんてなければいいのに。
『だったらこっちへおいで。痛みのない世界へ。』
――Hello. Mr.Painless
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「そうだ、長編を書こう。」
というわけで見切り発車です。完全に。
【注意書き】
・予定は未定ですが、流血描写等々若干出てきそうな予感がしてます。
・情欲的な表現ももしかしたら出てくるかもしれませんが、多分そんなにはない予感です。
・真っ白ホワイティにはなりません。多分。
・見切り発車なので色々不安定です。生温かい目でお願いします。
新しい日常が始まった。
目が覚めると、檻の向こうに毎日違う人間が私のボールを持って現れる。いちいち黒ずくめの顔なんて覚えていないが、昨日と別人かどうかの見分けくらいはつく。だからといって、別に何の感情を抱くわけでもないが。
そのままあの縞馬と戦った闘技場まで連れられて、毎日へとへとになるまで戦わされる。相手は毎回違うポケモン。誰もが沈んだ目をして、自分のボールを持つ人間の指示をただ黙々と聞くだけだ。それに倣って、私も大人しく言うことを聞いて見せた。
正直なところ毎回指示を出す人間が違うというのは難儀なもので、無茶苦茶な指示を出されたり、全く合わない呼吸を無理に合わせなければならなかったりと気苦労も多い。
何度も何度も戦って、身体中がすっかりぼろぼろになるころ。私はようやく戦いから解放され、簡単な傷の処置の後、再び鉄格子の中へ戻される。そのときには、もうすでに余力など残っていない。泥のように眠り、起きると、もうそこには別の人間が私のボールを持って立っている。
毎日、毎日、闘技場と檻の往復だけ。戦って、眠って、起きて、また戦って。うんざりするほど繰り返し、それでもまだまだ終わりは見えない。
『ずいぶんとやつれたように見える』
暗闇の向こうから声が聞こえてくる。
この場所に来てから度々例の夢を見る。一寸先も分からぬほどの真っ暗な闇の中、声だけの誰かと話す夢。低く落ち着いたその声は、何かと私の身を案じてくれる。夢を見る度に、私はいろいろなことをその声だけの誰かに話した。この場所での暮らしのこと。野生だった頃のこと。そして、ご主人のこと。何の繋がりも築かれないこの場所で、気づけばこの夢が唯一心の内を吐き出すことができる場になっていた。
『今日も、あまり食べられなくって』
『ひどい顔だ』
戦いばかりの日常はともかく、あのきつい匂いを放つポケモンフーズだけは未だに馴染めずにいた。それでも何か食べねば衰弱していくのは目に見えている。今のところ水と一緒に無理矢理飲み込んで、何とか飢えをしのぐしかなかった。そんな荒っぽい食べ方のせいか、いつも腹に重苦しい感覚がつきまとうようになってしまったのだが。
そういう話をしたら、以前は何を食べていたのかと尋ねられた。かつての記憶を手繰り、答える。
『ご主人が、よく、手作りしてくれたんです。木の実とかを使って。仲間たちも皆好きな味が違うから、わざわざ別々に作ってくれたりとか』
何とも情けない話だが、以前の私にはそれが普通のことだった。その一食のありがたみを実感することもなく、ただ出されたものを平らげるだけ。何と無遠慮だったのだろう。その清々しいまでの図太さが、今となっては憎らしくも羨ましい。
『なかなかに気の回る主人だな』
『ええ、本当に。今思うとびっくりです』
別に、それほど深い意味を込めて言ったつもりも、意識して表情を作ったわけでもない。なのに。声は、気遣わしげな響きを伴って、私の心の奥底を鋭く突いてきたのだ。
『ユイキリ。きみは、主人の話となると、いつも悲しそうな顔で笑うのだな』
『え……』
突然の指摘に、私は返す言葉を無くしてしまった。
鋭い刃先を煌めかせた言葉の矢は真っ直ぐに飛んでいき、隠していたはずの心に小さな穴を開けたのだ。自分でも知らず知らずのうちに布を被せて、見えないように、見ることのないようにと隠していた、深い心の奥底に。
冷たく凍りついた頭に追い打ちをかけるように、再び声が滑り込む。
『……主人に、会いたくはないのか?』
ああ。溢れてくる。ヘドロのようにどす黒く、どろどろと惨めで醜い感情が。
黒い思いはとぐろを巻き、他の色んな思いまでも引きずり絡めてもつれさせ、ぐるぐる、ぐるぐる、と頭の中を駆け巡る。
大事な大事なご主人を守れなかったのは誰?
守るべき相手に助けを求めて泣き叫んでいたのは誰?
そうやって語りかけてくる声は、意地悪な悪魔などではなく、間違いなく私自身のもので。
どこまでも黒々と渦巻く意識の中、私はかろうじて弱々しい返事を喉の奥から押し出した。
『……分かり、ません』
『分からない、だと?』
訝しげに声が言う。
そうだろうな、と思う。初めてこの場所へ来たときの態度から考えると、きっと理解できないだろう。あのときはただ赤ん坊みたいに泣き喚いて、救いの手を差し伸べられるのを待つだけだったのだから。
『こうなってしまったのは、全部、私のせいなんです。私が、弱かったから。なのに……』
脳裏に蘇る、あの白昼の悪い夢。紫猫の不適な笑み。爛々と光る男の目。そして、本当に何もできなかった、ぼろくずみたいな自分自身。
守ろうなどとは笑わせる。守られていたのは、ずっと私の方だった。私はご主人の腕の中で、甘い現実に浸りながらのんびり暮らしていたに過ぎなかったのだ。
止めどなく湧き出る黒々とした思いを断ち切るように、私は頭一つ振ってため息をついた。
『……こんな私が、もし、もう一度会えたとしても……ご主人と一緒にいる資格なんて、あるわけない』
小さく呟いた本音の声は、風穴の開いた心の奥底へと帰ってゆく。
真っ黒な気持ち。真っ黒な記憶。真っ黒な行く先。心の蓋をほんの少しでも開ければ、もう自分ではどうすることもできないほどに黒で塗り潰されていて。
ああ。もういっそのこと。
『全部忘れてしまえれば楽になれるのに、か?』
驚いて目を上げる。今、心を読まれた?
『ユイキリ。きみは、私に名を教えてくれただろう』
呆然と闇を見つめる私に、声はいつもと同じ、ゆっくりとした口調で語り続ける。
『とうに答えは出ているだろうが、きみには少し考える時間が要るようだ。
きみがなぜそこまで自分を責めるのかは分からないが、誰しも最初から強いわけではない。ならばどうするか? それは簡単でいて難しい。我々皆が抱く願いだ』
『……でも、私は……』
言いかけたところで、何も言葉が見つからない。分からない。本当に。
私は何がしたいの?
このままここで暮らしていくの?
ご主人に会いたいの?
会ってどうするの?
ごめんなさいって言えばいいの?
分からない。ワカラナイ。
思いは泡のようにふつふつと湧き上がり、浮かんでは弾けて消え、ぶつかり合っては混ざり合い、もはや思考の筋道を成そうとしない。
口をつぐんで俯く私に、声は、静かに言い放った。
『どうにせよ、機が熟すまであと少し時間がある。それまで、よく考えておくといい』
また、目が覚めた。一日が始まる。
黒ずくめが檻の前にやってくる。私をボールに戻して、闘技場へと向かう。
いつもと同じ。全く同じ。
ボールの向こう側で後ろに下がっていく廊下の景色をぼんやりと見つめながら、昨夜の夢の記憶を辿ってみる。何を考えればいいのだろう。何の気力も湧かない。代わり映えのしない日常に、自分の意識がどんどん希薄になっていくような気がする。こっちが現実のはずなのに、頭は夢の中の方がはっきりしているのではないだろうか。
結局大して思考は進まぬまま、広いバトルフィールドでボールのスイッチが押される。
ああ、また一日中戦わなきゃ。今日の黒ずくめはどんな命令をしてくるだろう。面倒な指示とかされなければいいけれど。そんなことを思いながら、最初の対戦相手と向かい合う。
その瞬間、杞憂も、何もかもが吹き飛んで、頭が真っ白になった。
なぜ。なぜ、そんな姿をしているの。
私の目の前に立つのは、あのときの子犬。泣きじゃくり、何度も何度も繰り返し主人の名を叫んでいた挙句、罵倒され、蹴りつけられ、鉄の口輪をはめられてどこかへ連れて行かれた、あの哀れな獣だ。
なぜ分かったかといえば、その幼い顔立ちと甲高い声に、微かな面影を感じ取ることができたからだ。実際どうして気づけたのか自分でも不思議である。
それほどまでに、子犬の姿は変わり果てていた。興奮露わに逆立つ全身の毛は無茶苦茶に踏みにじられた毛糸玉のように汚れ乱れて、鼻に皺を寄せて闘志全開、今にも標的に食いつかんと唸り声を上げるその姿は、もはや子犬と呼ぶには似つかわしくないほど異様な脅威を放っている。この短い期間に何をどうしたら、ここまでの変貌を遂げるというのだろう。
目と目が合って、久しく感じることのなかった感情が心の底から迸る。
この場所に連れて来られてから何度も見た、すっかり見慣れたはずの、淀んだ光を浮かべたその瞳。全身剥き出しの敵意の熱が、そこだけは冷たく凍りついていて。
なんで。どうして。同じ日に、同じ時間に、同じ心を持っていたはずのこの子犬が、こんな荒んだ目をしているのだろう。
私が戦いに明け暮れていた間に、あなたの身には何があったの?
喉まで出かかった疑念の声は、すぐさま恐怖にかき消される。
聞いたところでどうするの。答えなんて、返って来ないに決まってる。それに、知りたくない。きっと知らない方がいい。
すっかり麻痺したものだと思い込んでいたけれど。心の激情は、ただ単に突貫工事の脆い壁で塞き止められていただけだったんだ。予想だにしない出来事に直面すれば、こんなにも呆気なく壊れてしまうのだから。
いつしか冷たい目をした子犬の容姿が、自分の姿へと変わっていって。私の前に立つ私は、淀んだ光を浮かべた目で、顔いっぱいにどろどろに歪んだ微笑みを浮かべて、私にこう言った。
『あなたも、こうなるんだよ?』
怖い。怖いよ。
ねえ、助けて、ご主人――
もう私には、そう願う他にどうすることもできなくて。後で自己嫌悪に陥ることを分かっていながら、心の中に浮かべたその面影にすがるのを止められない。
実際にはほんの数秒の顔見せだったのだろう。あり得ぬ幻は、相手方の黒ずくめが何かを叫んだことで唐突に消えていった。それを合図に子犬が此方に向かって飛びかかる。空中で薄茶色の毛玉は大きく横に裂け、ぎざぎざの白い牙を前面に剥き出した。その様子も、ひどくゆっくりに見えた。
おそらく私にも何かの指示を飛ばされていただろう。でも、もう何も聞こえない。何も感じない。音も消え、色も果て、世界は私を置き去りに、静かに時を進めていった。
その後のことは、もうよく分からない。子犬以外の相手とも戦った気がするし、そうじゃない気もする。
今更だが、きっと私は他のポケモンよりほんの少し演技がうまいだけだったのだろう。黒ずくめたちが怖い。逆らったら、何をされるか分からない。だから器用に心を殺した振りをして、大人しく言うことを聞いているように見せかけて、でも、独りになれば膝を抱えて泣いていた。
どれだけ意地汚いのだろう。どれだけ浅ましいのだろう。それでも私は生きたかった。“私”として生きていたかった。それなのに、その先を見据えることもせず、望む勇気もなく、ただひたすらに己の生にしがみついて足踏みするだけだった。だから、たったこれだけのことに気づくのに、こんなにも遠回りをすることになってしまったのだ。
気がつくと、私は檻の中にいた。いつ戻って来たのかも思い出せない。
場はちょうど食事の時間らしく、同居者たちは例の回転する壁の前に群がって、いつも通り押し合いへし合いの執着ぶりでせっせと頬張っている。
身体が熱い。喉が痛い。ずっと震えが止まらない。私は泣いていた。鉄格子にもたれかかって膝を抱え、顔を埋めて丸まりながら、声もなく静かに涙を流していた。
きっと、答えはシンプルだった。それはどこまでも純粋で、透き通った、揺るぎないものだったのに。それなのに、私はそれを否定して、遠ざけ続けた。
ここへ連れて来られてから今の今まで、たくさんの心の壊れたポケモンたちを見てきた。見慣れてきたとさえ言ってもいいだろう。ここにはそういった生き物しかいないのだから。皆、恐ろしいほど物事に無頓着で、黒ずくめの命令を淡々とこなすだけの機械のような生き物だ。しかし、あくまでも自分は違うと思っていた。自分がそんな薄っぺらな生き物になるなんて、想像すらもしなかった。
今日、あの子犬が目の前に現れて、ようやく私は己の危うさを知ることになったのだ。目と目が合ったあの一瞬、子犬と私の辿ってきた道の違いを思い知らされた。視線、表情、息づかい。子犬から感じられるものの全てが、言葉よりも何よりも強い説得力を伴い物語っていた。もうあの子は、かつてのポケモンじゃない。心を殺され、過去のことは何もかも忘れ去り、完全にこの場所への仲間入りを果たしたのだ。あれだけ求めていた主人のことも、主人を求めていた、自分のことさえも。
ああ、どうしてもっと早く気づけなかったのだろう。ちょっと考えれば分かることだろうに、何かと理由をつけて現実から目を背けようとして。馬鹿みたいだ。
もう、嫌だよ。こんなところにずっといたら、いずれ私も毒されて、私が私じゃなくなってしまう。人も、ポケモンも、みんなが自分の心をズタズタに引き裂いて、それで笑っていられるんだもの。おかしいよ。こんなの、どうしてみんな平気でいられるの。
分かったつもりではあったけど、その真の恐ろしさが改めて身を食むようだった。
きっと、今までは運がよかっただけ。適当な演技で黒ずくめたちを出し抜けていただけなんだ。結局そんなものは、ほんの少し寿命を延ばすだけ。私も、いつ心が死んでしまうか分からないんだ。
そう思ったとたん、今まで感じたことのないくらい酷い寒気に襲われた。
嫌だ。忘れたくない。ご主人のことを。私に名前をくれて、居場所をくれて、優しさをくれた、大好きな人間のことを。
『……いたい』
会いたい。会いたい。会いたい。あの人に。ご主人に。
あの柔らかな笑顔に包まれたい。あの優しい声で私の名前を呼んで欲しい。そして、あの温かな腕に抱かれてぐっすりと眠りたい。
ずっと押し殺していた彼への思いが、堰を切って溢れたようだった。
それは忘れ去ろうとしたはずの記憶。願ってはならないと潰したはずの夢。
温かくて、懐かしくて、悲しくて、切なくて、苦しくて。
決して負い目が消えたわけではない。だが、もはや戒めの楔では感情を抑えることができないのだ。
会いたい。思いは、願いは、たったそれだけ。どこまでも純粋で、透き通った、揺るぎない気持ち。
泣いている場合じゃない。じっとしている暇だってない。行かなきゃ。ご主人に、会いに行くんだ。
私は乱暴に涙を拭い、顔を上げた。
脱出の当てがあるわけではない。それでも、あの子犬の変貌した姿を見てしまった今、こうしてここにいることがとてつもなく恐ろしく思えてならなかった。息をする度に吸い込む埃っぽい空気が、つんと鼻をつく食べ物の匂いが、凍てついた氷のような同居者たちの視線が、徐々に私を蝕んで狂わせていくのではないかと、過剰な疑念さえ呼び起される。
とにかく早く逃げ出さなくちゃ。でも、どうしたらいいだろう。
辺りを見回して、ふいにあるものが目に留まった。食事の時間になると山盛りのポケモンフーズが壁の向こうから現れる仕組みの回転扉。
私がいつも口にするのは、皆が食べ終わった後の方だ。一匹、二匹と食事を終えて離れていくのを待ってから、ほとんど空になった窪みに手を突っ込んで数粒だけ頂戴している。覗き込めばそこそこの深さがあって、毎回前のめりにならなければ奥まで手が届かないくらいだ。そう、ちょうど小さなポケモンならば十分に入り込めるほどに。そしてこの回転扉は皆が満足して離れると、勝手に壁の向こうへ動きだし、元の何もない壁へと戻るのだ。
こんなにもタイミングのいいことがあるのだろうか。まさに今、音を立てて窪みが閉まりつつあるところであった。
あの先がどうなっているのかは分からない。でも、もう迷っていられない。私はなりふり構わず駆け出すと、口を狭めていく窪みの中へと身を滑り込ませた。僅かな空間でたちまち光が遮断されたかと思うと、ガチャンという音がして動きが止まった。真っ暗で何も見えない。
私は息を詰め、五感を目一杯に使って周囲の様子を探ろうとした。どんなに目を凝らしても、黒い影で塗り潰された空間には僅かな光さえ見えない。だが突き出した鼻面に、一瞬だが確かに空気の流れを感じた。それに、音も聞こえてくる。錠つきの扉が動くような、金属めいた音。もしかしたら出口の音かもしれない。
よかった。真っ暗でよくは見えないけれど、ここはちゃんとどこかに繋がっている。いよいよ希望の光が実感を伴って兆し始めた。喉の奥で、ばくばくと心臓が波打っている。
会える。ここを抜ければ、ご主人に会える――!
私は体制を低めて四つん這いになると、足元に十分注意を払いながらゆっくりと歩き始めた。高まる気持ちを抑えつつ、空気の流れを感じた方向に向かって一歩ずつ進んでいく。
どうやらここは食糧庫のような場所らしい。例のきついポケモンフーズの匂いがあちらこちらから漂ってくる。ただでさえ苦手な匂いだ。普段の虚ろな状態ならば、決して耐えられなかっただろう。
時折、ごうん、ごうん、と重量感溢れる無機質な響きが聞こえてくる。何かの機械が動いている音だろうか。おそらくだが、ここから各檻に食糧が振り分けられているのだろう。
嫌な感じだ。何から何まで管理され、閉塞的で人工的なここでの暮らし。その禍々しい渦の中に引きずり込まれるところであったことを思うとぞっとする。いや、ここで失敗すれば同じこと。もう後には引けない。私は絶対に立ち止まれない道を歩み出したのだから。
やがて、暗闇の奥に一筋の光が見えた。出口だ。
いてもたってもいられなくなって、私は駆け出した。
会える。会える。あと少しで、ご主人に会える!
興奮が膨れ上がっていくと同時に、妙な感覚が胸の奥に引っかかった。ふいにこの先へ行ってはいけないと、誰かから警告されているような気がしたのだ。
だが、無駄に足を止めればその分捕まる可能性も高くなる。
違和感の正体を何も掴めぬまま、私は転げるように光の中へ飛び込んだ。
食糧庫の先は、白い蛍光灯が寒々とした光を放つ細い通路であった。檻と闘技場の往復時に使われる廊下と通じているのだろうか、普段ボールの中から見る情景とはよく似ていた。
例の黒ずくめの人間が三人ほど、途中の壁にもたれて何やら立ち話をしている。
私は息を詰めてそっと様子を伺った。
冷たい壁に阻まれた陰気な通路は奥まで真っ直ぐ伸びており、一定の間隔毎に十字の曲がり角があるようだ。一番奥の突き当たりは、どうやら登り階段になっているようである。
ここは地下なのだろうか? だとすると、出口はあの階段の上にあるのか。いずれにせよ、黒ずくめたちの前を通らなければならないのは間違いない。隠れられるような場所がどこにも見当たらないため、見つかる覚悟で一気に駆け抜けるしかなさそうだ。
私は息を深く吸っては吐いてを繰り返し、少しの間目を閉じた。心の奥底では、まだあの違和感が不穏な煙を立てながら燻っている。
迷っている場合じゃない。ご主人に会いに行くんだ。何があっても、絶対に立ち止まらないようにしないと。
私は意を決すると、力強く床を蹴り上げた。前足と後ろ足を交互に動かし、みるみる勢いを増していく。
私に気づいた黒ずくめたちの間から驚きの声が上がる。突然のことに呆然と見ていただけの彼らの様子が、脱走だ、という誰かの一声で皆一様に我に返ったようだった。ばたばたと慌ただしく動き出す。
「おい、首輪は!」
「着けてないみたいだ! あいつ確かBだぞ」
「ボール、ボール取って来い!」
猛々しい土砂降り雨のような足音を立てながら黒ずくめたちが追って来る。
覚悟していたこととはいえ、全身が燃え立つように戦慄した。
止まるな。駆け抜けろ。人間を振り切るくらい、簡単なはずだ。恐怖で負けそうになる心を、必死になって叱咤する。
「ジヘッド! そいつを止めろ!」
背後から光が放たれ、私の目の前に降り注いだ。白い光はみるみる形を成していき、一つの身体に二つの頭を持った黒い竜の姿になる。
「竜の息吹だ!」
二つの頭が同時に仰け反り、青く煌めくブレスを吐き出した。私は急ぎ足を速めた。直撃は免れたものの背中をかすったらしく、ビリリとした刺激が走る。だが、これしきで怯んではいられない。私は双竜の胸元まで一気に詰め寄ると、右の頭の顎に発勁を食らわせた。右の頭はたちまち首をのたうたせ、苦痛に呻いた。
今のうちだ。
双竜の足元を素早く駆ける。抜けた、と思ったその瞬間、腹に鋭い痛みが走った。左の頭が、胴を丸々包み込むような形で噛みついてきたのだ。とたんに肺が圧迫され、息が詰まる。鋭利な牙は容易く皮膚を裂き、めきめきと嫌な音を立てながら少しずつ私の身体に食い込んでいく。私はぎゅっと歯を食い縛り、双竜の頭を掴みあげると、ありったけの力で引き抜こうとした。双竜も負けじと顎に力を入れて、離すまいとしているようだ。
こうしている間にも、黒ずくめたちの足音がどんどん近づいて来る。早く、早く何とかしないと。だが焦って力めば力むほど、腹を蝕む痛みがじくじくと増していく。玉のように浮き出た赤い液体が、重みに耐えきれず床に滴る。
双方一歩も譲らず組み合ううち、もう一方の首が起き上がり、此方を見据えて大きく息を吸い込んだ。もう一つの首ごと竜の息吹を浴びせるつもりか。
とっさに私は掴んでいた頭を引っ張った。突然のことに反応しきれず、双竜は足をよろめかせる。右足に全体重をかけて、双竜の頭を一気に床へと叩きつけた。二本の首を生やした身体はバランスを失い、派手な音を立てて転倒した。
また攻撃される前に、早く逃げよう。幸い階段はもうすぐそこだ。
背後から飛んでくる黒ずくめたちの怒声を無視して、私は再び駆け出した。
腹の傷は、もう大して気にならない。走る度に高まっていく感情が、痛みも恐怖も全て薄めてくれているようだ。
私は飛びつくように階段へ到達すると、勢いそのままに登って行った。
あとちょっとなんだ。ここを登れば、きっと、ご主人に会えるんだ。
いよいよ実感を伴って膨らむ期待。同時に、酷く不快な――目の前が眩んでいき、吐き気がして、胸の奥底をじらじらと焦がすような――そんな感覚が、少しずつ大きくなってくる。これは、あのとき感じた違和感だ。まるでご主人に会える期待が膨らむほどそれに比例するように、いや、むしろその膨らんだ期待を取り込んで、更に大きく成長しているようである。この先へ行ってはいけないという警告が真っ赤に色を変え、もはや抗いようのないほど強大な力を持って私を苛んでくる。
喉に穴が開いたみたいにうまく呼吸ができなくて、どんどん息が苦しくなり。黒いカーテンが両側から閉じられていくように、視界がみるみるうちに狭まって。もはや自分の身体とは思えぬほど鉛めいた重さの圧しかかる全身が、とうとう這って進むことさえできなくなり。
一瞬、なぜだろう、と思ったが。一つだけ、心当たりがあった。思い出した。私と、ご主人とを繋ぐ、一つの道具の存在を。
何なのだろう。思えば思うほど、固く強く、繋ぎ止められてしまうなんて。何なのだろう。こんなの、どうしろと言うの。おかしいよ。おかしくて、涙さえ出ないよ。
諦めというよりも、空っぽになった、本当にそんな感じだった。だから、後からやって来た黒ずくめたちに押さえつけられ、罵詈雑言を浴びて、どこかへ連れて行かれる間も、私はただ呆然と絶望の底を眺め続けるだけだった。
「ありゃ、とんでもない人だかりだな。休日だってのに」
「やっぱり、プロの選手を間近で見たいんでしょうね」
2月14日の日曜日、昼下がり。俺とナズナは職員室でグラウンドを眺めていた。プロチーム、ファイターズのキャンプも中盤戦。生き残りを目指す選手達が、休日返上で練習している。俺達と一緒だな。彼らの周囲には大勢のファンや生徒がおり、出待ちでサインを狙っているようだ。まあ、そんなことはどうでもいい。
「こっちはこっちで妙に注目されるし、気が休まらねえよ」
俺は近くにある新聞に目をやった。そこにはこう書いてある。「ダークホース現る:昨年新人王のイケメン選手を、まるで赤子の手をひねるがごとく破ったテンサイ氏。各球団はその存在を把握してなかったようで、その実力を垣間見ようと躍起になっている。チャンピオン以上と絶賛する評論家も少なくない。まだまだ未知数な部分はあるが、今秋のドラフト会議では注目を集めるかもしれない」……こいつら、俺の正体を知ったら掌返しするんだろうな。全く、本人のことも考えてほしいもんだ。まあ、メディアにそんなこと期待するだけ無駄だが。
「それもそうですね、私も落ち着かないですし。まあ、これ食べてリラックスしてくださいよ」
そう言って、ナズナはかばんから包みを取り出した。甘い匂いがするな。見るまでもなく中身が当てられるぜ。
「菓子か。一体どういう風の吹き回しだ?」
「いやですねえ、とぼけちゃって。今日はバレンタインデーじゃないですか。たくさん作ったからおすそ分けです」
「そういうことか。なら遠慮なく頂こう」
俺は包みを受け取り、中にある菓子を一口食べた。チョコレートでコーティングしたクッキーという定番ものだ。所々苦味があって甘味が際立つ。この感じだと、チーゴでも使ったか。たまにはこうしたものも……。
その時だ。職員室の外から一通りではない怒鳴り声が聞こえてきた。甲高い男の声で、確かに聞き覚えがある。
「この声はまさか……」
俺はすぐさま廊下に飛び出した。左右を確認すると、左側に人だかりができているのが見えた。中心にいるのは1人の生徒と1人のおっさんである。生徒の手には何かあるな。
「ほーほっほっほ、私にぶつかるとは良い度胸してるじゃない」
「す、すみません」
「あなたねぇ、謝って終わるなら警察は要らないのですよ? 私が満足するまでいたぶっちゃいますからね」
「きゃあっ……」
あれはラディヤ! そして教頭のホンガンジじゃねえか! あの野郎、因縁なんかつけやがって。しかも、今まさに殴ろうと腕を振りかぶってやがる。そうはさせるか!
ホンガンジの拳はうなりをあげながら振り下ろされた。鈍い音が響く。だがしかし、ラディヤには命中していない。何かが落下したような乾いた音が聞こえ、不意に視界が明るくなる。何かが俺の頬を流れる。何があったかは、まあ分かるだろ。
「……あら、私の邪魔をする奴がいるとは驚いたわ」
「はっ、驚くことはねえさ。生徒の身を守るのは当然だからな」
不機嫌そうにしわを寄せるホンガンジに対し、迷うことなく答えた。これを受け、ホンガンジの眉間のしわはますます深く刻まれる。
「……ふーん、お涙頂戴の典型みたいな台詞ね。私、そういった偽善者が大嫌いなの。特に、あなたみたいな顔の奴はね」
「おやおや、こいつはとんだとばっちりだぜ。俺のそっくりさんに痛い目遭わされたりでもしたのか?」
「……やはり忘れたみたいね。これだから偽善者は困りますわ」
「おい、てめえ何のことを言ってやがる」
「ほーほっほっほ、何でもありませんわよ。さて、愚か者テンサイに告げましょう。私に歯向かったこと、いずれ後悔するでしょう。しかしその時謝っても許してやりませんからね、覚悟しなさい。ほーほっほっほ!」
ホンガンジは、まるで宝を得た山賊のごとく上機嫌になると、意気揚々とその場を離れるのであった。ったく、何様のつもりだあの野郎は。しかし、一部俺のことを知ってるかのような口振りだったのが気になるな。まあ、今はそれより確認だ。
「大丈夫かラディヤ」
「は、はい。先生こそご無事……ではありませんね」
ラディヤは息を呑んで指摘した。俺は顔を触ってみると、手が血で染まった。彼女をかばう時に殴られたわけだが、額でも切れたのだろう。これは若い女子には刺激的かもしれないな、なだめておこう。
「気にするな、かすり傷だ。部の貴重な頭数を失うのに比べれば、どうってこたあない。つばでもつければすぐ治るさ、はっはっはっ」
俺は朗らかに笑って見せた。笑うと実に気分が良いな、痛みもどこかに飛んでいく。
「……はい。サングラス、落ちてましたよ」
「な、なんだと!」
そんな時間も束の間、ナズナが俺にサングラスを渡した。言われてみれば、視界が黒くないじゃないか。俺は表情を凍らせながら、すぐにサングラスをかけた。
「これは不覚だった、顔を見られちまったとは」
「……お顔を見られると何か困るのですか? たいそう凛々しい顔立ちですから、隠す必要は無いと思いますが」
ラディヤが疑問を投げかけた。顔の評価はともかく、急いでこの話題を切り上げねば。
「……まあ、大人には色々事情があるのさ。俺の腑抜けた顔のことは忘れてくれ、分かったな」
「わ、分かりました」
ふう、ようやく一段落ついたぜ。なんとなくナズナの視線が気になるものの、蒸し返すのは危険だ。しばらく黙って仕事するか。俺は手拭いで顔の血を拭き取ると、静かに職員室に戻るのであった。
・次回予告
当たり前のことだが、プロは勝つことが仕事だ。勝利程、人の心を揺さぶるものは無いからな。当然、様々なノウハウがあって然るべきである。団体戦は専門外だからな、しっかり学んでおこう。次回、第35話「まるで盆踊り」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.100
普通、こういうことがあったら警察沙汰なのですが、ポケモン世界ですからね。あの世界の悪の組織を、警察が捕まえた試しはほとんどありません。例外はギンガ団とハンサムですが、それでも人員はたったの1人です。「謝って終わるなら警察は要らない」という台詞はある意味、ポケモン世界の警察に対する皮肉なのかもしれませんね。
あつあ通信vol.100、編者あつあつおでん
「では、この1ヶ月間頑張ってください」
2月6日の土曜日、タンバ学園グラウンド。プロポケモンリーグのキャンプの歓
迎式が行われていた。ちょうどシジマ校長の式辞が終わったところである。天気
は快晴、浜風がなびく。鍛えるには絶好の気候と言えるだろう。
今回やってきたのは、シンオウリーグのリングマファイターズ。コトブキシティに根を下ろし、地域密着にいち早く取り組んだ球団である。去年はシーズン中の監督解雇を決定したせいか、成績は芳しくなかったようだ。
まあ、チームの成績なんざ問題ではない。指導を受けるからにはなんだって吸収してやるさ。
「それでは早速、生徒の指導をしてもらいましょう」
よく見ればシジマ校長、今日は珍しく背広姿だな。……似合わねえ。それはともかく、いよいよプロとの交流が始まろうとしていた。そこに、プロ側のある選手がこう持ちかけてきた。そいつは2メートルはあろう長身で、しかし体格はそうでもない男だ。確か、荒削りながら昨シーズンの新人王になった選手だ。
「了解っ! でもその前に、一度バトルをお見せしたいのですが、よろしいでしょうかっ!」
「それは大丈夫ですよ。誰と誰が勝負しますかな?」
「それはもちろん、僕イケメンとっ! 顧問の先生ですっ!」
おいおい、この野郎何を言ってやがる。普通生徒と選手が接待の要領でやるもんじゃないのか? 不意打ちに思わず言葉が詰まった。
「お、俺かよ……」
「その通りっ! 生徒より実力ある先生と勝負することでっ! 良いバトルになるのですっ! それが見本となるのですっ!」
イケメンと名乗る男は声高らかに説明した。こいつ、暗に生徒のこと馬鹿にしてるな。でなけりゃ、生徒が先生に劣るなどと言わねえだろうし。こういう野郎は生かしちゃおけねえ。
「けっ、面倒な話し方しやがる。別に俺は構わねえが、選手生命が縮まっても責任取らんぞ」
「元よりその覚悟ですっ!」
「うむ、決まりですな。イケメン選手、テンサイ、しっかり頼みますぞ」
交渉成立だ。シジマ校長が促し、俺とイケメンは距離を取った。外野はその周りを囲み、今か今かと待っている。
「準備完了っ! ところで、ここの部員はあれだけですかっ! バトル教室の応募葉書が100枚以上届いているとのことですがっ!」
「ん……ま、まあな、あれだ。ちょっと色々事情があってな」
どうやら、部がだめになる前に応募したらしい。にしても100人以上いたのか。この学校の生徒が540人程だから、一大勢力だったのは間違いあるまい。まあ、所詮過去の栄光だ。気にせず始めるか。
「じゃあさっさと始めるが、3匹で良いか?」
「よろしいですっ! どこからでもどうぞっ!」
「ふん……どうなっても知らないぞ。フォレトス、仕事だ」
「いきますよマンムーっ!」
プロリーグのトレーナー、イケメンとの勝負が幕を上げた。果たして、新人王の実力はどのようなものか。
俺の先発はフォレトス、対するイケメンはマンムーだ。マンムーは地面、氷の固有タイプ構成で、攻撃面で大変秀でている。しかし耐久や素早さも平均点以上はある。最近は「あついしぼう」の特性が発見されて人気が上昇している。毛むくじゃらの体に眼鏡をかけたような目元、氷でできた弧を描く牙が特徴的だ。
「まずはじしん攻撃っ!」
「効かんな、ステルスロックだ」
先手はマンムーだ。マンムーは後ろ足で立ち、前足で大地を叩きつけた。揺れた地面はフォレトスを襲う。一方フォレトスは、どこからか透明な岩をばら撒いた。これで相手の後続の体力を奪える。
「その程度っ! もう一度じしん攻撃っ!」
マンムーは止まらない。再び苛烈なじしん攻撃を放つ。フォレトスは今にも倒れそうだが、なんとか凌ぐ。よし、これで俺の勝ちだ。
「残念だが、ゲームオーバーだ。だいばくはつ」
俺の指示を受けたフォレトスは、まず懐から透き通った石、ノーマルジュエルを取り出した。そして体内から燃え上がり、爆風を巻き起こした。爆発はジュエルに反応してより広範囲に広がり、それこそ一寸先も見えなくなった。
幾分経ち、爆発と土煙が収まり、辺りの状況がはっきりしてきた。そこにいたのは崩れ落ちたフォレトスと、いまだ立っているマンムーだった。マンムーの足元には、黒こげになった布きれが落ちている。
「なるほど、タスキか。オーソドックスな組み合わせだ」
「見ましたかっ! これで僕が明らかに有利ですっ!」
「おいおい、聞いてなかったのか? あんたは既にゲームオーバーなんだよ。その証拠に……カイリュー!」
ふん、プロにしては察しが悪いな。俺はフォレトスを引き下げ、代わりにカイリューを繰り出した。よほどのことが無い限り、こいつで勝負が決まる。
「カイリューですとっ! これは僕の勝ち決定っ! マンムーっ! こおりのつぶてっ!」
いきがるイケメンは指示をするが、マンムーはぴくりとも動かない。数秒後、マンムーは地響きをあげながら倒れこんだ。イケメンはこれに面食らった様子である。
「ななっ! マンムーがやられてしまいましたっ!」
「何度も同じことは言わねえ。カイリューにはしんそくがある。勝負は決まっているのさ」
「ぐぬぬっ! しかしその程度っ! 必殺のレアコイルっ!」
イケメンはマンムーを引っ込め、レアコイルを投入した。ステルスロックが食い込みつつもお出ましだ。鉄球に一つ目があり、ネジが数本とU字形磁石を2つ備えたのがコイル。これが3匹集まってネジの本数を少し減らしたのがレアコイルである。電気タイプと思われていたが実は鋼タイプも併せ持ち、鋼タイプの複合で唯一耐性が増えている。鋼タイプには珍しい特殊アタッカーの上、特性の「がんじょう」や「じりょく」を持つポケモンの中では速い部類。それゆえ需要はある。だが……。
「大した障害ではないな。カイリュー、りゅうのまいだ」
「隙ありっ! でんじはですっ!」
カイリューは宙に浮かび、自由気ままな軌跡を描きながら舞った。これを好機とばかりにレアコイルは微弱な電気をカイリューに流し込む。カイリューは痺れ、ゆっくり腰を下ろした。しかし、カイリューの右手にはいつの間にか木の実があった。ふふふ、仕込んだ甲斐があったぜ。カイリューは木の実を口にすると、体の強張りがあとかたもなく消え去った。
「隙ありなのはそっちの方だ。こちらがなんの考えも無しとでも思ったか?」
「ら、ラムの実……っ!」
「カイリュー、じしん攻撃」
青ざめるイケメンをよそに、カイリューはじしん攻撃を決めた。大地に揺さ振られたレアコイルはひとたまりもなくバラバラになった。レアコイルの特性はじりょくだったか。いや、ステルスロックで頑丈が潰れた可能性もあるか。
さて、外野共が騒がしくなってきたな。果たして、俺の強さに驚いたのか、イケメンの情けなさに呆れたのか。どちらにしろ、こちらが優勢だ。そろそろ勝負を決めたいところだな。
「さあ、最後の1匹はどいつだ?」
「……ストライクっ! 逆転しますよっ!」
イケメンは力一杯に最後のボールを投げつけた。出てきたのはストライク、虫タイプのポケモンだ。特性の「テクニシャン」とつばめがえしの相性は良く、このポケモンのアイデンティティーである。他にもとんぼがえりやカウンター、きしかいせいにつるぎのまい等、からめ手も豊富。初心者からベテランまで扱いやすいのは間違いないな。捕まえるのはやや難しいが。とはいえ、ステルスロックが刺さって既に息切れしてるな。タイプ相性を受けるステルスロックは、最大半分もの体力を奪う。使われなくて良かった。
さあ、これが最後の対決だ。幸いカイリューはまだ無傷、負けはない。
「でんこうせっかっ!」
動いたのはストライクだ。残像ができる程の速さで接近し、自慢のカマを振るう。だがしかし、カイリューの特性はマルチスケイルだ。体力満タンならダメージが半減されるこの特性のおかげで、テクニシャンの補正が入った技とて痛くない。
「それで終わりか。ならこちらも終わらせよう。げきりん!」
俺は声を張り上げた。カイリューは瞳に炎を宿し、ストライクを殴り飛ばす。これぞ必殺の一撃。ストライクは地面に打ちつけられ、それで終わった。
「あ、あがが……」
誰の目から見ても、どのような結果かはっきりしていた。それはイケメンも同じようで、歯をガタガタさせ、呆然としながらストライクを眺めていた。ついでに、外野も全員息を止めたかのように沈黙している。
「よし、良い勝負だった。さすがプロ、一歩間違えれば危なかったぜ」
そのような状況で、俺は世辞を言いながら一礼してカイリューをボールに回収するのであった。
・次回予告
今日は何かの行事があるらしい。これは学校とは全く無関係のものだが、大抵校内でことが運ばれる。今年はちょうど休日と重なるから縁遠いはずなのだが、キャンプの見学で校舎は賑わっている。さて、何が起こるかな。次回、第34話「サングラスは舞う」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.99
今日のダメージ計算は、レベル50、6V、
フォレトス意地っ張り攻撃素早252HP4@ノーマルジュエル
マンムー意地っ張り攻撃素早252HP4@タスキ
カイリュー陽気攻撃素早252HP4@ラム
レアコイル控えめHP特攻252素早4@進化の輝石
ストライク陽気攻撃素早252HP4
まずマンムーの地震2回を、やや低い確率ながらフォレトスが耐えます。返しのジュエル大爆発は確定でマンムーのタスキを発動させます。カイリューの神速はこおりのつぶてより優先度が高いので必ず先制。竜舞からの地震でレアコイルは確定1発。そして逆鱗でストライクを確定1発。
カイリューは圧倒的ですね。パーティの中でもあまりに飛び抜けてます。
あつあ通信vol.99、編者あつあつおでん
「む、あれは……」
寒風吹きすさぶ1月25日の月曜日、夕刻。いつものように訓練の準備をしていた俺は、ナズナが校舎から出る姿を目撃した。彼女は足早に学校を後にし、俺の視界から消えた。
「一体どうしたこった、あんなに早く帰るとは。ミュージカルの部活の指導は休みなのか? いや、それより俺に連絡の1つも無いぞ。今まではそんなことありはしなかったのによ」
成り行きとはいえ、俺と彼女は一緒に住んでいる。何かあったら連絡するってのは当然のことだ。それをしないということは、厄介事に巻き込まれたのか?
俺の心配は、訓練にやってきたラディヤの声で少し落ち着いた。
「先生、何をおっしゃっているのですか?」
「ラディヤか。それがな、まだこんな時間だってのにナズナ先生が帰宅していたのだ。何か怪しいと思ってな」
俺は事情を説明した。もちろん、全ては言わない。この俺がこれくらいで動揺するなどと知られれば、色々不都合が起こるからな。
「そうなのですか。ふふ……」
「おい、何を笑ってるんだ」
ラディヤは、さも何か知ってそうな笑い方をした。……一体どうなってるんだ。
「あ、失礼しました」
ラディヤは軽く頭を下げた。ちょうどそのタイミングで、ターリブンが現れた。
「2人共、サボりでマスか? ならオイラだってサボるでマス!」
「うるせえ、サボっているわけじゃねえぞ。ちょっと気になることがあっただけだ」
「先生、ナズナ先生が早くお帰りになったのが気になるそうですよ」
ラディヤがターリブンに経緯を話した。すると予想通り、ターリブンは冷やかしに走った。
「おお、なるほどでマス。そりゃ嘆くのも分かるでマス、2人は仲良しでマスから」
「こら、余計なこと言ってんじゃねえよ。物事を憶測で判断するのは……」
「じゃあどうしていつも朝一緒に来るでマスか?」
「……詮索は無用だ。訓練のメニューを増やしてやろうか?」
「え、遠慮するでマス」
うむ、なんとかしのいだな。
「あ、テンサイさんおかえりなさい」
午後8時半、俺は家に戻ってきた。ナズナの行動が気になるものの、仕事はこなしてきた。さて、早速探りを入れるか。
「ただいま。今日はえらく早いな、熱でもあるのか?」
「違いますよ。今日は色々準備があったんです」
「準備、なあ」
俺は気の入らない返事をした。彼女は妙にうきうきしている。ダイエットでも成功したのか?
「さあさあ、まずはご飯にしましょう!」
そんなことを考えながらも、手を洗ってうがいをし、食卓についた。目の前には、彩りこそ鮮やかな料理が並んでいる。
「い、いただきます。……む、これはすごいな」
俺は若干手を震えさせながら一口食べた。おや、思った以上に上出来じゃないか。昔ナズナに料理を作ってもらった時は飲み込むだけで精一杯だったってのに。月日はかくのごとく人を育てるものだな。
「美味しかったですか? 良かったあ」
俺の反応に安心したのか、ナズナは深呼吸をした。……腕に自覚はしていたみたいだな。だが、まだ分からないことが残っている。聞かねばなるまい。
「にしても、一体全体どうしたんだ? 今日は記念日でもなければ祝日でもないはずだぞ」
「えっ、覚えてないんですか? 今日はテンサイさんの誕生日じゃないですか」
彼女の不意の一言に、俺は一瞬思考が止まった。誕生日だと……。そんなもの、最早必要無いと意識してなかったぜ。なにせ祝う奴も、それに応じる奴もいないのだから。もし記憶が確かなら、今日で俺は36になるはずだ。
「……確かに今日は俺の誕生日だ。しかし、どこで知ったんだ?」
「ふっふっふ、秘密です。私にかかればそのくらい難しくありませんよ。それよりこれを……」
彼女は、どこからともなくラッピングされた箱を取り出した。包みをはがして出てきたのは、一組の衣装だ。上下に分かれており、下は腰と足首をひもで縛るタイプの黒もんぺ。上は着物のようになっており、生地が重なる部分をひもで結ぶ形となっている。上の着物には両脇にスリットが入っている他、大きめのポケットがある。ちょうど俺の好みにぴったりだ。
「ほう、良くできた作務衣だな。アンタが着るというわけではないだろうし、もしやプレゼントってやつか」
「はい、大正解です! 毎日着流しですから、たまには気分転換しませんとね。しっかし、調べるの大変でしたよ、テンサイさんが欲しがっているもの。部員の3人に聞き込んでようやくここにたどり着きました」
ナズナは胸を張って答えた。あいつら、いつの間にそんなこと話してたんだ。ラディヤの動向が怪しいと思ったら、こういうからくりか。……もっとも、実に久々の贈り物だ。感謝しねえとな。
「なるほど。ありがとな、わざわざ気を遣ってもらって」
「いえいえ、気にしないでください。それより、私の誕生日にもプレゼントしてくださいね」
「そういうことか。まあ、気長に待っててくれよ」
俺はせっかくなので作務衣を上から羽織り、美味い飯に舌鼓を打つのであった。たまにはこんな日があっても良いな。
・次回予告
時間は年を取るごとに早くなる、俺も例外ではない。遂にプロチームのキャンプが始まったのだ。そこで、交流のために部を代表して選手と勝負することになった。果たして、いかほどの実力なのやら。次回、第33話「プロとの遭遇」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.98
作務衣とは、元々禅宗の僧侶が着る作業着です。甚平に近いのですが、あちらと違って長袖です。色は黒が基本で、出世すると茶色や藍色等も着るとのこと。スリットが入っていて、脇の部分でひもで結んで着ます。私もデニムの作務衣を持っていますが、着心地が良い上にかっこいいですよ。
あつあ通信vol.98、編者あつあつおでん
>
> ・あつあ通信vol.97
>
> ポケモン世界の人間は結構強いでしょう、スーパーマサラ人にはかなわないと思いますが。しかし、さすがに3色パンチを出せる人は少ないと思います。あれを再現するならどのようにするべきですかね?
それはもう、戦国無双のごとくブショーリーダーを暴れさせれば……
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