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3
さっきの騒動は何だったのだろうと考える。
人食いという、想像もつかないような化物に襲われたと思ったら、それを助けてくれる見ず知らずの男が現れた。何だか夢のようで、劇の舞台に立っているような出来事だった。だが、現実としてはそこにドラマチックさもなく、ただただ混乱のうちに終わったという印象を抱く。ボディーガード一人の命が失われたことも悲しくて、それ以上は思考出来そうになかった。唯一同じ経験をしている御者に相談すれば、幾分か気が晴れるだろうか。
そう考えた矢先、クラウディア夫人が目覚めてしまったので、ロコは口をつぐんだ。人食いのことは他の誰にも話さない方がいい、とドドの忠告を思い出したからだ。
「あら、やだわ私ったら。眠っていたのかしら」
「ぐっすり眠っておられましたよ。馬車の揺れが気持ち良いですからね」
ロコは努めて笑顔を崩さないようにした。夫人は腑に落ちない様子だったが、深く聞きはしなかった。
だが、それとは全く別のところに、ロコを襲うものは現れた。
「ところで……何か臭いませんか、お母様」
どこからか、いやな臭いがうっすらと漂ってきた。不快感を覚えたロコは無意識のうちに、眉間にしわを寄せていた。夫人は少し大げさに嗅いでみたが、良く分からない、という顔をしていた。
最初は、肥溜めか何かにでも近づいたのだろうと思った。だがそれなら今まで同じ道を通ったときにも感じていたはずである。それではないのだろうと結論付けた。その臭いは、馬車が街に近づくにつれ、強烈なものとなってゆく。それは徐々に、かつ確実にロコを苦しめた。臭いの大本が近くにあるのか、遠くにあるのか分からないのが、ロコの神経を苛立たせた。臭いを感じまいと、呼吸の仕方を変えてみる。そのうち、吸える息が減っていくような錯覚を覚えた。何かが胸の中でぐるぐると回っている感じがした。目の奥に、重いものがのしかかっているような感覚も。意識から振り払おうとしても、最早不可能だった。
「ロコ? ねえ、大丈夫?」
酸味、甘味、苦味、渋味、辛味、全ての味が負に転じたような臭い。この世のあらゆる食材が腐り、ごちゃまぜにしたスープを飲まされている。そんな想像が頭の中を駆け巡った。吐き気を催して、必死にこらえた。
ロコの身体が倒れそうになる。すんでのところで、夫人はそれを支えた。その動きは平常時と変わらぬ様子だった。どうやら、母は本当にこの臭いを感じていないらしい。自分だけが、この異臭をはっきりと感じている。
「はぁ、はぁ、げほっ」
屋敷に到着し、馬車を降りたロコは、えづき、胃の中のものをひっくり返した。水で口をゆすぐと、むせて咳が出る。涙も出た。
下女が大丈夫かと心配する言葉をかける。彼女もどうやら平気のようだ。
「部屋まで、連れていって」
肩を借りて、何とか自分の部屋を目指す。階段を上るために上げる足が、鉛のように重い。この時ほど、自室が二階にあることを憎らしく思ったことはなかった。
部屋に入って、お香を焚くよう下女に頼んだ。ロコはふらふらになりながら机にしがみつく。ベッドで横になりたい気持ちを抑えて、なんとか椅子に座る。下女がお香を焚き、白い煙を上げたのを確認して出て行く。お大事に、と心配する声が、ロコの耳に届いた。
胸ポケットから、一枚の便箋を取り出す。正方形の便箋。ドドと言うまじない師に贈られた不思議な紙。正体は判然としないが、この尋常じゃない臭いに頼れる人間は彼しかいない。震える手で、紙にインクを乗せていく。要件を書き、インクを乾かし、裏に書かれている通りにロコは紙を折り始めた。そうして完成した姿は、どこか滑空する鳥の嘴に似ていた。
――もう一度、助けて。
ロコは窓を開き、願いを込めて便箋を飛ばした。不思議なことに、それは投げた力以上に力強く滑空し、遠くに消えた。
その夜、明かりを全て消した頃。誰かがノックする音が聞こえた。こんな時間に誰だろうと、寝ぼけた目をこする。そうこうしているうちに、もう一度ノックが聞こえた。そこで、叩いているのはドアでは無いことに気付く。
ノックは、窓から鳴っているようだ。ロウソクに火を灯し、ロコは異臭を覚悟で窓を開けた。窓の桟に人間の手がかかり、よじ登ってきた。ロコは驚き、思わず声を上げそうになる。そして、後に続いて尾の多い獣が、おじゃましますよ、と言ってロコの部屋のじゅうたんに飛び下りた。青年の黒い帽子を見て、ロコは彼が誰なのか理解した。そして、その目的も。
「ドドさん。それに、キュウも……来てくれたのですね」
「お休みのところ申し訳ございません。手紙が届きましたので、早速参上しました」
ドドは紳士然と頭を下げる。
「いいえ。悪いことなんて何もありませんわ。来てくれて、本当にありがとう」
ロコは思わず涙ぐみそうになった。一刻も早くこの臭気から解放されたい一心で、手紙を書いたのだ。窓を閉めて、臭気を遮断する。ドドは辺りを軽く見回した。
「手紙通りですね。ひどい臭いだ」
「全くだね」
うぇ、とキュウも舌を出して苦い顔をする。ドドはロコを真っすぐ見つめた。いよいよ本題に入るのだと、ロコは身構えた。
「単刀直入に言いましょう。この臭いの元凶は、この屋敷にいる人食いです」
「うそ」
ロコは衝撃を受けた。ウインディの巨躯を思い出して、背筋が凍る。あんなおぞましい生物が、身近に潜んでいただなんて。少し間を置いて、ドドは再び語りだす。
「今からこの臭気の出どころを探しに行きます。そこで、お嬢様には同行をお願いしたい」
臭いのせいで喉が痛む。それが嫌で、ロコはつばを飲み込んだ。
「もちろん、危険であることは重々承知しております。ですが、きっとお嬢様にしかできないことがある。そんな予感がするのです。お嬢様の身にお怪我がないよう、必ずお守りします」
ドドは説得を続けた。だが、ロコの心は迷っていた。人食いの姿を見て、今回も無事でいられるとは限らない。だけれど。
「分かりました。一緒に行きましょう。あなたのことを、信用致します。それに」
「それに?」
「助けて欲しい、助かりたいと言ったのは私です。私が動かなきゃ」
ロコは笑った。ドドはゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます、お嬢様。それでは、これをお渡しします」
ドドがお礼を言うと、一枚のハンカチを取り出して、ロコに渡した。
「これは?」
「ハーブの香りを配合したハンカチです。これを口に当てれば、外部の臭気から守ってくれますよ」
「ありがとう」
ロコはハンカチを顔に近付けた。すうっと爽やかなにおいが鼻を抜けていき、気分が少し楽になった。
「そういえば、どうしてここまで誰にも気付かれずに来れたのですか? 庭には警備の者がいるはずなのに」
ロコはふと疑問に思ったこ とを口にした。ドドは、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。
「足音を消すまじない、というものがあるのですよ。姿さえ見られなければ、勘付かれることはありません。泥棒のように、足音を殺す特別な工夫がいらないので便利なんですよ。今からお嬢様にもかけて差し上げましょう」
ドドはロコの靴をとんと指で叩いた。すると、足下がふうっと軽くなっていくような気がした。足を軽く踏み鳴らしてみると、衝撃を感じるにも関わらず、木と木の衝突音は聞こえなかった。
「さて、行きましょう」
ロコは頷いた。謎の多い人物だが、少なくとも悪意を持って屋敷に近づいたわけではないような気がした。ドドは扉を開き、ロコとキュウは後に続いた。
4
夜の暗い屋敷というものを、ロコは歩いたことがなかった。キュウが先頭を歩き、火を吹いて灯り代わりにする。その光が当たらない陰の部分に、何か見えない魔物が潜んでいるのではないかという気分にさせられた。どれだけ気を使わずに歩いても、一切の音が鳴らない。ドドのかけてくれたまじないが、逆に夜闇に潜む何かの存在を感じさせてしまう。身体を縮こませながらも、ロコはドドにしっかりとついていく。
二人は一階の一室に入った。母が化粧をするときに使う部屋だ。掃除の行き届いた化粧台。そして、全身鏡。ドドは全身鏡の前に立った。鏡は淵が金属で装飾されていた。それをじっくりと観察し、指でなぞった。
「ここだな」
胸ほどの高さの一部分を、ドドはぐっと指で押し込んだ。その瞬間、かちっ、という音がして鏡が淵ごと横に開く。奥は地下へと続く階段になっていた。
「なるほど、隠し扉か。何かを隠すには丁度いい」
下から、ハンカチで覆っていても分かる程の強い異臭が吹きこんできた。ハンカチをさらに強く押し当てる。この下に、人食いがいる。心臓がばくばくと鳴り始めた。
地下へと続く階段は、壁のレンガが古びていて不気味さを覚えた。キュウが、燭台に火をつけて降りる。ロウソクがまだ新しい。きっと、誰かがこの部屋に出入りしているのだ。でも、誰が。
階段が終わり、どうやら開けた場所に出たらしい。キュウが、ロウソクの全てに明かりを灯した。昼のような明るさに包まれ、ものの輪郭が浮かび上がっていく。部屋のごつごつとした壁、そして、その場所に居座る――放置されている、と言った方が正しいかもしれない――ものの姿。
「ほう。お前が人食いか」
うっ、とロコは顔をしかめた。その人食いの姿は、ウインディやキュウコンとまるで異なるものだった。
一言で言えば、それは紫のヘドロだった。半液状の物体が小さく盛り上がり、よく見ると目や口に当たる部分が分かる。光に驚いたのか、ヘドロは手のようなものを伸ばしてくるが、身体は地面に滴りすぐに全部崩れ落ちた。今まで見た人食い達よりも、遥かに鈍重な印象を与えた。
「こいつはベトベトンだな。身体がドロドロだから、自分ではほとんど動けねえんだ」
キュウが喋る。ふうん、とドドは軽い相槌を打つ。ドドは一体どうやって人食いの名前を掴んでいたのかと思っていたが、どうやら同じ人食いのキュウが知っているらしい。
ロコはベトベトンに近づけなかった。ヘドロの身体から放たれる臭いがあまりにも強烈だったためだ。ドドから貰ったハンカチも効力を失ったかのように、嫌な臭いが貫通する。
不意に、ドドはロコをぎょっとさせ行動に出た。右腕をベトベトンの前に差し出し、近付けたのだ。ベトベトンは、うおー、と鈍い唸り声を上げて、ドドの腕にヘドロを伸ばし包みこんだ。心臓が縮みそうな思いをしたが、ドドは振り返って笑う。
「大丈夫ですよ、お嬢様。人食いとは言えど、ただその肉を食らう者だけとは限らないのです。例えば、水分だけを食らう者、爪だけを食らう者、色素だけを食らう者。色々な奴がいる。こいつは恐らく、人間の垢や体内の毒素を根こそぎ食らう人食いです」
ドドの腕にまとわりついたヘドロは、事実すぐに離れた。ドドがその腕をロコに見せると、確かに包まれた部分だけ色が明るくなったように見える。
「ほらね」
ドドは呟いた。ロコの頭に、新たな疑問が浮かび上がる。
「でもどうして私、こんなにひどい臭いに気付かなかったのかしら。近くにずっといたはずなのに」
この質問には、キュウが答えた。
「こいつは人間の毒素を食うと、ゲップみたいなのを出すんだ。食えば食うほど臭いを出す。ただ一回一回の量はそんなに多くないから、臭いは少しずつ強くなっていく。それだから、ずっと屋敷にいたりなんかすると、気付かないこともあるかもしれないな」
キュウはけたけたと笑った。そういえば、そうだ。ロコは数か月家を出ていなかったことを思い出した。ロコがドドの顔を見上げると、ドドは理解したように頷く。
「しかし、自分の毒素をこいつに食わせている人間がいるということになる。毒素をこいつに全て預けて、自分の美を保っている人間が」
「一番臭いに鈍感なのはエサやってる張本人だろうな。自分の臭いだから、気付けるわけがねぇ」
ロコははっとした。ある人物が一人、頭に浮かんだ。まさかと思ったが、意思に反して人物の像がはっきりと浮かび上がる。
その時、階段を勢いよく降りてくる音。ロコは背中を冷たい金属のトゲで刺されたような感覚を覚えた。まさか。
「あなた達、ここで何をしているのです」
クラウディア夫人の声が、狭い空間に反響する。息を乱し、肩を震わせ、口元を大きく歪ませて、ドドに対して怒りをむき出しにしていた。
「こんなところに勝手に入るなんて……さては泥棒ね! 人を呼ぶわよ」
クラウディア夫人はドドに向かって大声を上げる。口元を大きく歪ませ、今にもはちきれそうな怒りを露わにしている。ロコは、夫人のこの顔に見覚えがあった。夫人の容姿について疑いを持った執事を扇子で殴ったときだ。あの時と同じだ、と思った。あの時と全く変わっていない、まるで子どもが癇癪を起したような顔。
「私は泥棒などではございませんよ」
ドドは素っ気ない態度で答えた。
「私はディドル・タルト。まじない師でございます。本日はロコお嬢様の依頼を受け、人食いを退治しに来たまでのこと」
「ロコが……?」
ドドがロコの方を指した。そこでようやく夫人はロコの姿に気付いたらしい。夫人は困惑の表情を浮かべている。
「あなたはクラウディア夫人……ロコお嬢様のお母様ですね。早速ですが、今この屋敷に何が起こっているのか、奥様はご存じですか」
「さあ、ね」
毅然とした態度で夫人は答えた。
「そうでしょうね。あなたはきっと気付かないでしょう」
「何がいいたいのかしら」
夫人は苛立ちを見せる。
「貴女様は非常にお美しい顔立ちをしておられるようですが、その美貌を手に入れたのはつい最近のことだとか」
「ええ。そうよ」
「どうやって手に入れました?」
冷たい緊張が走る。中にいる者は誰ひとり、夫人から目を離せなくなった。口元を歪ませながら、夫人は思案していた。
「いつもひいきにしている商人が、特別なクリームを売ってくれたのよ。これを毎日塗れば、身体の毒を全て吸いだしてくれるっていう触れ込みでね。私は運がいいと思ったわ。塗ってみたら、本当に身体の悪いところが消えて無くなってしまった。驚きよね。シミが消えるだけじゃなくて、歳とともに痛みかけていた髪まで若いころのようにつやつやになったんだもの」
「それが、このヘドロということなのですか」
ロコがベトベトンに目をやりながら、聞いた。
「ヘドロなんて言うんじゃないわ」
夫人はキッと睨みつける。
「これをくれた人は、こう言ったわ。これは貴女の人生のごほうびです、って。私は嬉しかった。私のためにここまでしてくれる人が、いると思う? あの人は私の欲しいものをしっかり言い当ててくれたのよ」
「これが欲しかったものですって?」
ロコは怪訝な顔をした。
「これのせいで私は」
ここまで言って、ロコは口をつぐんだ。言葉が出なかったのではない。臭気にやられて、また胃の中のものをひっくり返しそうになったからだ。反射的に、ロコは背中を丸めた。ハンカチをしっかり口に当て、染み込んだ香草の匂いを感じ取ろうとした。その瞬間、ロコの身を案じ一歩踏み出した夫人の姿を、ドドは見逃さなかった。
「奥様。このクリーム……ベトベトンは、確かに人の毒素を吸い取り尽くす力がある。ですが、これには裏があるのですよ」
夫人はしゃがんで、ロコの肩を抱いた。そして、顔をドドの方へ向けた。
「このベトベトンは、毒素を吸い取った分だけ、悪臭として外部にまき散らす。あなたが美しくなるたびに、他の誰かが不幸になるのです」
夫人ははっとした。
その時、ドドの後ろで、ベトベトンが唸った。その口から吐き出される息。それがロコへ到達すると、ロコはいっそう強くえづいた。
「累積した奥様の毒素が、ベトベトンの吐きだす臭気を少しずつ、少しずつ強力なものにする」
ドドは地下室の中をゆっくりと動き回りながら語り始める。
「奥様は知っておいでですか。この屋敷の周辺で、怪しい臭気が漂っているという噂を。屋敷にいる方々は常に臭気にさらされているせいか、どなたも気付いておられないようですが、外部の人間には明らかのようですよ」
ロコはレベッカの顔を思い出した。昼間、その話を聞いたばかりだ。
「本日、お二方はオコネル氏の家にお茶をしに行った。一度家を離れたお嬢様は、その時今まで慣れていたこの家の臭気への耐性を完全にリセットしてしまった。お嬢様の今のお身体が、本来あるべき反応です。奥様、本当にこのクリームとやらを使い続けても宜しいのですか?」
ドドは夫人に問うた。喋り終わると同時に、ロコはむせた。
もうハンカチがあってもなくても変わらないほど、臭気は強くなっている。目を開けられず、何も見えなくなった。頭が揺さぶられるような感覚の中に、絶望が広がって行く。数秒先を生きる道でさえ、暗く霞んで消えてしまうのではないかと、ロコは思った。
ふと、その背中に温かいものが伝わった。とても懐かしい感覚だった。暗闇の不安が、包みこまれるような安心感に変わっていく。夫人が……母が、ロコの肩を抱いていたのだ。
「ロコ、大丈夫だから。ほんの少しだけ、我慢してね。ほら、立って」
夫人に身体を預け、ロコは立ち上がった。目を開ける気力はない。
「ロコを部屋まで送ります」
夫人はドドに言った。
「このクリームはどうされますか」
「処分してください。こんなヘドロ、もう要りません」
「かしこまりました。仰せの通りに」
ドドはにやりと笑って、深く頭を下げた。
「それから」
夫人はロコを階段に下ろし、顔を上げたドドに早足で近づく。パァン、と快気いい音が響いた。ドドの頬を平手で打ったのだ。拍子抜けするドドの顔に笑みを見せて、夫人は踵を返した。
「それじゃ、後は宜しくお願いしますわ」
夫人はロコを抱えて、階段を上っていく。呆気に取られたキュウとドドの二人だけが、地下室に取り残された。
ロコの部屋までの幾段もの階段を、夫人は誰の手も借りずに登った。ベッドにロコを寝かせ、ロコの一番好きな香を焚く。甘い匂いが広がり、ロコの身体をほぐしていく。
「本当に、いいのですか」
「何が」
夫人は優しい口調で返した。
「あのベトベトンを、処分しても」
夫人は答えなかった。ただ静かな微笑みを浮かべるだけだった。
「お母様にとって、大事なものだったのでしょう。ずっと、若さと美しさを追い求めてたんだもの。それなのに」
「だって、ロコにそんな顔されちゃ、嫌でしょう?」
夫人は苦笑した。
「我が娘のあんなに苦しそうな顔を見たら、やっぱり助けなきゃって思うのよ。あなたの親ですもの」
ロコは布団に顔を深く埋めた。
「私、昔は良家に嫁ぐためにありとあらゆる勉強をしていたのよ。周りが十の勉強をしたら、私は十二。周りが十二したら、私は十四。そんな具合にね。教養を身につけて、絶対に良家に嫁ぐんだって思ってた。あの頃は輝いていたわ。これからどんな道を歩けばいいのかはっきりと見えていたから。でも、いざこの家に来てみたら、なんだか急に穴に突き落とされたみたいな気分になっちゃってね。どれだけ土地があって、奇麗な家に住んで、服で飾ってみても、それは変わらなかった。でも、それしかないと思い込んでいたのよね。いつの間にか、自分を美しく飾ることでしか、生きていく先が見えなくなっていたのよ。でも、きっとそうじゃないのね。私には、あなたとイングウェイがいる。まだまだ終わりなんかじゃないのよ」
ロコは小さいころから、何度もこの話を聞いていた。美への執着が強くなった夫人を避けるようになってから、久しぶりに聞いた昔話だった。だが、今回はいつもと違って聞こえる。夫人の言葉が、胸の中にすとんと落ちていく。
「さあ、もう今日はお休み」
夫人は立ち上がって、布団を軽く叩いた。
「あ、そうだ、ドドさん」
地下室のことを思い出し、ロコは気になった。
「私がちゃんと言っておくわ。安心してお休み、ロコ」
クラウディア夫人は微笑んだ。
1
最近、屋敷のクラウディア夫人はやたらと美しくなった。肌は土一つ見えない雪のように白いし、髪の色もイチョウのように一切ムラのない黄金色。目のブルーは海のよう。細い身体はたるみ一つなく引き締まっている。そんな体をしていながら、年頃の娘がいると初見の人間が聞けば、さぞかし驚かれることだろう。
その年頃の一人娘――ロコは、そんな母の様子をいぶかしく思っていた。つい数カ月前までは、シミも増え、背中のにきびを気にし、髪も痛み始めた、どうすれば若い身体を保てるのかと嘆いていたのに。あまりに急激な若返り具合に、それを褒める使用人は数多くいれど、それを疑う者が果たしてどれくらいいるのだろう。クラウディア夫人は自分の見た目について良くない言葉を発する者を容赦しなかった。紅を引いた口をむちゃくちゃに歪ませながら重い扇子で十発も殴るのを、幼いロコは発見してしまった。それ以来、ロコ自身も発言には細心の注意を払うよう心がけていた。この母との生活は戦いなのだと、ロコは思っていた。それゆえに、今回の劇的な変貌についてもこちらから聞くようなことは絶対にあってはならないと頑なに思っていた。自慢したがりのクラウディア夫人の事だ、色々な人から褒め称えられているうちに、自らその秘密を打ち明けてくるだろう。知らぬ間に、誰もが認めるほどの美を作り上げていたのだ、賞賛されない訳がない。そして調子に乗ったクラウディア夫人は私に言うのだ、「私の美しさの秘密を知りたい?」と。その一言を待とうと心に決めてから、既に一か月が経過していた。
「ねぇ、ロコ」
「何でしょうか、お母様」
黄色いドレスを来たクラウディア夫人が扇子で口元を隠しながら近づいて来る。きっとあの下には、溢れんばかりの笑みを抑えようと必死な口があるのだろう、とロコは思った。
「今日は物理の先生がお見えになる日だけれども。勉強の方は順調かしら」
「ええ。順調です」
「それでこそ私の娘!」
クラウディア夫人は喜んだ。ロコにはイングウェイという兄もいるが、既に働いているために家の中にいることはあまりない。生活に張り合いが無い夫人は、ロコに立派な教育を施すことが趣味であり、確実に知恵をつけていく様子を見ること、つまり自分好みの人間に育っていくことが楽しみなのである。妙なところで抜けた頭だ、とロコは思った。その知恵がいつか親を裏切るようなことになったらどうするつもりなのだろう。自分がもし野心家であったなら、間違いなく得た知恵で母を出し抜いていただろう。
ロコは目を閉じた。閉じた瞳の中にため息を込める。勉強自体は役に立つことも多く、嫌いではないものの、一日に7人8人も来た時は流石に気が滅入った。今何の話をしているのか、今の教師は誰なのか、だんだん分からなくなってくる。
そう言えば、一人だけ関係が少し深くなった家庭教師がいた。幾何を教えてくれた若い男だ。背が高く、鼻も高くて、控え目な眼鏡をかけていた。本を持ちながら数学について語る姿に理知を感じ、不覚にも惹かれてしまったのだ。あれは半年ほど前の話だっただろうか、いつの間にか幾何についてではなく、愛について語るようになり、ロコの方もそれに乗ってしまったのだ。誠実そうな人物だと思った。だが、運悪く両手を絡ませているところを下女に見つかり、夫人に報告されたのだ。あの時は怖かった。自室の扉をとんでもない音で開け、昔見たひどい怒りの表情を浮かべて扇子で教師を叩き、教師の方は両手を頭を抱え、謝りながら情けなく退場していったのだ。「あんな男を雇ったのが間違いだった」と夫人は憎々しくこぼした。
部屋に戻り、物理の先生を待つ。外の景色は相変わらず晴れ。
「ロコ様、先生がお見えになりました」
下女が扉を開け、小さい身体に似つかわしい高い声でロコを呼ぶ。それと同時に物理教師が部屋に入ると、ロコは椅子から立ち上がり、振り返って軽く会釈する。下女は扉を閉めた。
「こんにちは。今日も宜しくお願いします」
「やぁ、ロコ君、今日もいい天気だね。ただちょっとにおうかな? はは」
ロコはあまりこの男が好きではなかった。言葉に一切慎みがなく、品がない。肌はそれなりに奇麗なのだが、歯が上下二本ずつ欠けている。あまり見たい口内ではない。ロコは笑みを浮かべてみたが、きっと引きつっていただろう。この男の粗野な性格が人のそういう細かい所作をいちいち気にしないほどであるというところが、唯一の救いか。
物理の話をしている間じゅう、ずっと彼は眉間にしわを寄せていた。一体何がそんなにおかしいというのだろうか。他人の屋敷だ、においの違いくらいあって当然だと思うのだが。こんな醜男が細かいことをいちいち気にする様は、むしろ滑稽でもある。他人を茶化すのは苦手だが、そう思わなければ気分良く学習することは叶わないだろうと思った。
「それでは、今日はこのへんで」
「ええ、その方が良さそうですわね。ありがとうございました」
失礼な男がようやく帰ってくれるのか。ロコは少しだけそっけなく、お礼を言った。
「どういたしまして」
気付いているのかいないのか、向こうの反応も格式ばったものだった。物理教師はドアを開き、下女の案内を受けて去って行った。去り際に一言、やっぱりひどい臭いだ。
ロコはため息をついて、窓の外を眺める。広い芝生と周囲の森が、夕日の陰になり真っ黒に染まっている。
「早く帰って来ないかなぁ、兄さん」
ふとイングウェイのことを思い出し、少し懐かしい気持ちになった。嫌なことがあった後は、決まってそうなのだ。一回りも二回りも年上の兄は、幼いころからロコの話をよく聞いてくれた。きっと私は退屈しているのだ、とロコは思った。
2
ある日、ロコは母に誘われる。お茶会の誘いだ。
「今日もオコネルさんのところへ行くけれど、ロコ、あなたもいらっしゃいな。レベッカも寂しがっていたわ。天気もいいし、たまにはお話してきたらどう?」
そう言えば、ここ一、二週間ほど屋敷の外に出た覚えがない。庭で散歩をした程度だ。少し考えたあと、ロコは答えた。
「そうですね、お邪魔しましょうかしら」
「そうと決まれば、早速準備よ準備!」
なんだか妙に張り切っているなぁ、とロコはぼんやり考えていた。楽しそうなのは何より良いことだ。多少、厳しいお咎めが緩くなる。
外出用の帽子を被り、馬車に揺られていく。麦畑を抜け、木々の間を抜けていくと、高い塀に囲まれた、赤い屋根が見えてきた。オコネル氏の屋敷だ。門番に青銅の門を開けてもらい、正面入口へと続く道の途中まで馬車を進める。
「ようこそいらっしゃいました。それでは、クラウディア様、ロコ様、こちらでお降り下さい」
初老の男性があいさつをする。オコネル氏の家の執事だ。彼に言われるがまま、二人は馬車を降りた。
「こちらです。ささ、どうぞ」
屋敷には入らず、横の道を案内される。庭の方向へ繋がっている道だ。芝生や植木の間にレンガが敷き詰められている。幅はおよそ三人分。先頭にオコネル氏の執事、後ろにクラウディア夫人、そしてロコと続いた。
屋敷の横を通り、裏手の庭に出る。広い芝生に、色とりどりの花が咲いた花壇。奇麗に整えられた花は、ロコの家の庭とは大分違っていて新鮮に映った。そんな庭の片隅に、丸いテーブルが二つ用意されていて、それぞれに二人ずつ座っている。手前の方にはクラウディア夫人と同じ母親たち、奥にはロコと同年代の少女たち。レベッカの他にもう一人、これまた古くからの仲であるミシェルが座っていた。
「今日も良く来て下さったわね」
ベージュのドレスを着たオコネル夫人が明るい声で言う。ロコはぺこりとお辞儀をする。
「お久しぶりですわね、ロコ」
「ええ、本当にお久しぶり、ミシェルもレベッカも元気かしら」
「もちろん」
ロコは二人の旧友と、近況を報告し合った。何しろ暫く会っていないもので、語ることも語られることも多くあった。そして、時にはロコだけ知らなかったことも。
小柄なレベッカが、声をひそめて言った。
「そう言えば、ロコさん、あなた最近もちきりのウワサ知ってる?」
「いいえ」
きょとんとした顔でロコは言う。顔を三人近寄せ合って、レベッカがひそひそ声で言う。
「最近、この辺りにも出るんですって」
「出るって……何が」
「人食い」
そんな馬鹿な、とロコは思った。言い伝えでは、人間の欲に引きつけられてやってくる存在として語られるが、実在すると思っている人間はいない。
「そんなことって、あるわけないでしょう」
ロコは声をひそめたままおどけた。だけれども、レベッカが神妙な表情を崩さないので、ロコは再び居直った。
「農夫が一人、さらわれたそうなのよ。夕暮れ時に、ふとした瞬間いなくなっていたって。周りにいた人達の話によると、家に戻ろうとしている途中、林の方にぼんやりと火のような光を見たそうよ。それから、突風が吹いた。みんな目をつぶっていたわ。目を開いてみれば、一番後ろを歩いていた男がいなくなっていた。そして、代わりに落ちていたのは、男の右の腕……」
きゃあ、とミシェルとロコは叫んだ。背筋がぞっとした。
「で、でも、一体何があったのかちゃんと見た人はいないんでしょう?」
ロコは反論を試みる。レベッカは紅茶を少し口にする。そして、からっと表情を変えて、ひそひそ話の態勢を解いた。
「そう。ロコさんの言う通り、誰も見ていないから、人食いかどうかなんて本当は分からない。まじない師とか妖しい職業の人らならそういうの興味あるかもしれないけれど」
「ま、うわさですよ。う、わ、さ」
「そうよねぇ」
三人は気が抜けて、おかしそうに笑った。
あ、と思い出したように、ミシェルは声を上げた。
「そう言えば、ロコさん」
「何でしょう」
「あなたの家のある街で、変なにおいがするという話があるのだけれど、何かあったの?」
ロコは面食らった。心当たりは無いことは無いが、かぶりを振る。
「まさか。私、普段通り暮らしているけれども全然感じないですわ」
「なあんだ。お母様がそんなこと言っていたから、何かあったのかと思ったけれど。お母様が少しヘンなだけなのね」
ミシェルは安心したような、少しつまらないような表情をした。
三人はそれからもたくさんの噂話に花を咲かせた。その多くは結局噂に留まるのだが、次から次へとおもちゃ箱のように飛び出して、ロコは楽しい気分になるのだった。
帰りの路、ロコはスカッとした気分だった。
久しぶりに外出したおかげか、友人と話すことが出来たおかげか。普段の閉塞感が一気に吹き飛んだ。そこで、自分がどれだけ気が詰まる思いをしていたのかを思い知る。思えば、訳もなく憂鬱な日々が長く続いていた。
ガサガサッという音がした。ただ草むらが揺れただけだと思い、忘れようとしたが、その重い響きに嫌な予感を覚えた。馬の蹄の音が、妙にはっきり聞こえる。
「どうしたの」
隣に座っているクラウディア夫人が、不思議そうな眼でロコを見る。ロコは目を逸らした。
「い、いえ」
そう自分の心を隠そうとする。いや、どうということはない、ただたまたま狸か何かが近くを通っただけなのだと自分に言い聞かせた。だがどうも居心地が悪くて、落ち着かなかった。ほろを少しめくって外の様子を見ようとした。その瞬間。
グォォォォ!
大きな獣の咆哮が聞こえた。それと同時に、馬車が何者かに押され、傾き、横倒しになっていく。クラウディア夫人とロコは叫び声を上げ、成すがままに地面に叩きつけられた。クラウディア夫人は悲鳴を上げた。不可抗力でクラウディア夫人の身体にのしかかる。ドレスがクッションになったが、コルセットに響きそうだ。ごめんなさい、と謝ったが、返事はない。どうやら気を失っているようだ。
何とか抜け出して、ほろの外に出る。表には、二人いたはずだった。綱を握る御者の他に、ボディーガードが一人。だが、あるはずの彼の姿が見当たらない。震えながら御者が何とか馬をなだめようとして、ある一定の方から目を離せないでいた。
ロコはその方向を見た瞬間、顔を手で覆った。人間の背丈よりも遥かに大きい獣。橙と茶の縞模様と、白いたてがみ。犬のような鼻先が、紅く染まっている。その下にいるのは、上半身を失った人間の体だった。
――最近、この辺りに出るんですって……人食い。
ロコは友人の囁いた言葉を思い出す。
怖い。どうやって逃げよう。お母様をここにおいていく訳にもいかない。でも、自分の体力では、走って逃げることもきっと叶わない。ロコは御者を見た。とてつもなく怯えた目つきと血の気の引いた顔で、首を振る。きっとロコも同じ顔をしていたに違いない。この化物の腹が男一人で満ち、飽いて何処かへ去って行くことを祈るしかない。ロコは両手を組み、ぎゅっと目を閉じた。
誰か助けて。そう願うしか、ロコには出来なかった。
ふいに、草むらを掻き分ける音が聞こえた。
「失礼」
若い男の声だった。ロコが目を開けると、全身真っ黒な衣装に包まれた男が、化物と対峙していた。
青年は化物と対峙していた。既に、ボディーガードだったものの姿はなく、巨躯の前に靴が落ちているだけだった。男を引き止めようと思ったが、恐怖のあまり声が出ない。彼は振り返って、にっと笑う。
「安心して下さい。私たちが来たからには、もう大丈夫です」
私たち、という言葉にひっかかりを覚えると同時に、一匹の狐が現れ、黒服の男のそばに座った。それは普通の狐とは随分違っていた。毛並みは茶色と言うより明るい金色で、目は赤い。そして数え切れない尻尾が、扇のように広がっている。
男は巨大な化物に向かって言い放つ。その声は、人間を遥かに凌駕する化物への言葉とは思えないほど力強いものだった。
「随分と沢山の人間を食ってきたようじゃないか、ウインディ」
「何故私の名を知っている」
地の底から響くような低い声が響いた。これは、あのウインディという人食いが喋ったのか。人食いの毛が逆立つ。どうやら、この男がただ者ではないことを悟ったようだ。
「こいつが教えてくれたのさ」
黒服の青年が金色の狐の方を指差した。金色の狐は口元を歪ませた。得意げな様子で、笑っているように見えた。人食いも牙を見せたが、その表情は明らかに敵意を含んでいた。
間を置かず、人食いが行動に出る。ウオオ! という唸り声を上げると、ウインディの口から赤く光る玉が吐き出された。真っすぐに黒服の男目がけて飛んでいく。肌に感じる熱から、炎の塊なのだと直感した。危ないっ。ロコは身を固くする。だが、男は動じる様子がまるでない。
「キュウ」
「はいよっ」
金色の狐が、飛んでくる炎に向かって飛び込んだ。燃えてしまうかと思ったが、狐は全く苦しむ素振りを見せず、逆に炎の塊が狐の中にみるみる吸いこまれていく。炎が完全に消え去ると、狐は全く無傷で、むしろ毛並みが輝いているように見えた。
「人間の熱も美味いけど、あんたの炎もなかなか美味いねぇ」
男のものでも、ウインディのものでもない男の声。これはあの狐が喋ったのか。
「お前の炎は効かないぜ。キュウは火を食えば食うほど強くなる」
黒服の男が言う。人食いの獣は少し後ずさりをし、グルル、と低いうなり声を上げる。どう出るか、考えを練っているようだ。青年はウインディの次の行動を待つ。出来る事なら、逃げて欲しいとロコは願った。獣との物理的な距離が、そのまま身の危険を示すものだからだ。だが、ウインディの選択はロコの願い通りにはならなかった。ウインディの巨体が、青年の方に飛びかかる。火が効かなければ直接手を下すしかない、と踏んだのだろう。ロコは頭をぎゅっと抱えた。
「キュウ、とどめだ」
「はいよっ」
狐が、口から炎を吐き出す。その火は、先ほどウインディが放ったものよりもずっと、ずっと強い炎だった。苦しむ声を上げる間もないほど一瞬のうちに、ウインディは骨まで黒い炭と化した。ぼろぼろと、その場に黒こげの物体が崩れ落ちていく。
「……ふう。よくやったぞ、キュウ」
「お前は何もしてないけどな」
狐の言葉に対して答えに窮したのか、青年はため息をついた。おもむろにロコの方を振り返り、その目がロコの瞳を捉える。
「大丈夫ですか」
「え、ええ」
「それは良かった。最近人食いが暴れ回っていると聞いて、張っていた甲斐がありました」
「あの、あなたは」
さっきから、途切れ途切れにしか言葉が出てこない。今無事であるということが、夢のようだった。黒服の男は右手を胸に当て、軽くお辞儀をする。
「私はディドル・タルト。この周辺の街で、まじない屋を営んでいる者です。皆からはドドと呼ばれているので、差し支えなければお嬢様もそうお呼び下さい。この狐はキュウコン。先ほどの奴と同じ人食いですが、私のしもべとしてしっかりしつけてありますので、害はありません」
「よろしく」
キュウは言って、目を細めてけたけたと笑った。本当に無害なのだろうか。つい先ほど、主人に向かって口答えをしていたような気がするのだが。はあ、とロコは気の抜けた返事をした。
「あの、人食いと言うのは一体なんなのでしょう。あんな生き物を、生まれて初めて見ました」
ドドは少し眉をひそめた。どこから説明すべきか、検討しているようだった。
「人食いというのは言葉通り、人間を食らう者達のことです。ただ、滅多に人前に現れなかったり、巧妙に姿を隠しているため、その存在を知っているのはまじない師か実際に食われかけた人間くらいです。多くの人は、おとぎ話などに出てくるだけで、実際にいるとは思っていないようですね」
心当たりがある。今日の昼、レベッカからうわさを聞いているとき、自分がまずどう思ったか。まさしく、おとぎ話の中の存在だと跳ね付けようとしていたではないか。
「彼らは人間に存在を悟られないようにするのが非常に上手い。少なくとも、姿をそれと見せることは滅多にないんです。だけれども、最近はどうも違うようだ」
「違う、って?」
ロコは彼の話に聞き入っていた。
「ここ数カ月、奴らの動きが妙に荒っぽいのです。他にも一件、あからさまに人食いのそれと分かる痕跡を残した行方不明事件がありました。人食いは妖しい世界に属する生き物です。まじない師は、それに対抗する知識と技を持っているため、人食い退治も請け負うことがあるのですが……どうもキナ臭い」
そうだ、と言って、彼は黒服の内ポケットから一枚の紙を取りだした。
「お近づきのしるしに、便箋を差し上げましょう。この紙には特別なまじないをかけてありまして、折って投げると真っすぐ私の元へ飛んでくるようになっています。もしお嬢様の身に何かあれば、こちらに要件を書いて送ってください。すぐに駆けつけますから」
ロコは、渡された便箋をまじまじと見た。正方形をしており、便箋と言うにはぴんと来ない。だが罫線はちゃんと書かれてある。裏面には、投げる際の折り方が図解してあった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ドドはにっこりと頷いた。
それから、彼は御者と二人で馬車を起こしてくれた。そして、ボディーガードの靴を持って来てくれた。御者はしょげた顔をした。持って帰り、せめて靴だけでも家族の元へ帰してやろう、という話になった。
「今日あったことは、誰にも話さない方が良いでしょう。下手に広めると、混乱を招くかもしれませんからね。それでは、私はここで」
ドドに見送られて、馬車は再び走りだした。別れ際にもう一度お礼を言い、見えなくなるまで手を振った。クラウディア夫人は相変わらず気を失ったままで、目を覚ましたのはそれから暫く後のことだった。
「おとぎ話の人食いは、実在している――。
それを知るのはまじない師と、欲望という餌を撒き散らす愚か者だけ。
謎の男ディドル・タルトは、あらゆる事件を解決する。
彼の目的とは、果たして?」
飛馬bot(https://twitter.com/#!/tobiuma1)より抜粋
人食いと、まじない師にまつわるエトセトラ。
ポケスコ第三回に投稿した作品の完全版です。
【何をしてもいいのよ】
一匹のポケモンが迷い込んで、辺りの空気が冷えました。
二匹のポケモンが探しにきて、水たまりに薄氷が張りました。
三匹のポケモンが越してきて、天井から氷柱(つらら)ができました。
沢山のポケモンが息づいて、今の姿になりました。
『四ノ島』の『凍滝(いてだき)の洞窟』は、そうして出来ていったのだと誰かから聞きました。
【4】氷の時間
もう何年前のことになるでしょうか。私がまだ四ノ島に住んでいたころの話です。
四ノ島は、温暖な気候と凍りついた洞窟という相反する環境を持った不思議な島です。
その島に住んでいたころ、私には一人の幼馴染がいました。隣の島の悪戯っ子達から、からかわれることの多かった彼は――今思えば、かなり変わった子でした。
そんな彼の性格を一言で表すとしたら、『夢想家』でした。いつも取りとめのないことを考えていて、そしてそれを周りの人々――大抵は私でしたが――に話しては混乱を巻き起こしていました。
『こう』と信じたことは、周囲からの共感を得られようが得られまいが突き通す。そんな図太さも持ち合わせていました。
ですが私は、彼のそんなところが嫌いではありませんでした。
ある時、彼はこんなことを言い出しました。
「楽しい子供の時間を奪っていく悪いヤツがいるんだ」
「悪いヤツ? それって人間? それともポケモン?」
「姿は見たことはないよ。人間の目には見えないんだから当然さ。……でも、そんな不思議なヤツだから多分ポケモンなんじゃないのかな。『時間泥棒』は」
彼の言うことには、『時間泥棒』とやらは子供が夜寝ている間、特に楽しい夢を見ている間に現れて時間をそっと盗んでゆくのだそうです。
そして子供は見ていた夢を忘れ、目が覚めた時には時間が盗まれたことにすら気がつかない……というのです。
きっとまた、読んでいた絵本か童話か何かの影響でも受けたのでしょう。
盗まれたことを覚えていないのなら『時間泥棒』がいることの証明ができないのではないかという主旨の質問をしてみたのですが、それでは『時間泥棒』がいない証明ができるのか、と返されました。
『存在する証明』と『存在しない証明』。科学的かつ公平に物事を考えるならば、立証する責任は『存在する』と主張する側にあるように、今では思います。
近代の科学と言うものは、例えるならば投網のようなもの。人類の英知によって編み込まれ、魚の形をした真実を掬いあげるためのものです。湖だか水たまりだかに網を投げて、引っ掛かった種類の魚だけを調べ、引っ掛からないものは『存在しない』と定義する――そういう類のものです。
『網の目が粗いから、魚がすり抜けて逃げてしまうのだ。湖の中にはまだ見たこともない種類の魚がいるはずだ』と主張する人もいるでしょう。確かに、網はまだ『完全』ではありません。
ですが、時代が進むにつれて網の縫い方は巧妙になり、永遠に到達できるはずもない『完全』に、限りなく近くなってゆくのです。一マイクロメートル四方の網の目を、くぐりぬけて行く魚がいるのでしょうか?
『完全でないなら、何も無いのと同じ』という、一部の人々の好む論法は、私にはとても身勝手で、ほとんど何の中身も無い主張のように思うのです。
けれども、当時幼かった私には順序立ててそれを説明できるはずもなく、屁理屈だとは思ったのですが、反論ができずにもやもやとした違和感が残りました。
私が黙っているのを了承ととったのか、彼はさらに言葉を続けます。
時間を盗むポケモンがいるとしたら、きっとエスパータイプ、ゴーストタイプ、悪タイプ――そのどれか。
ならば、こちらは悪タイプのポケモンを持っていれば、少なくとも互角に戦えるのではないか、と彼は楽しげに語るのでした。
その逞しい想像力に半ば感嘆し、半ば呆れながらも、彼が悪タイプのポケモンを捕まえるのに協力することにしました。
彼は彼の兄からポケモンを一匹借りてきました。前歯の突き出たネズミポケモンです。
悪タイプのポケモンなんてこの島のどこにいるのかと疑問に思っていると、なんと彼は凍滝の洞窟に探しに行くと言い出しました。
鋭い眼光と鍵爪をもった黒猫のようなポケモン――悪と氷の複合タイプを持つニューラを捕まえようとしていたのでした。
相手は猫でこちらはネズミ、分が悪い気がしたのですが、彼は「兄のラッタはレベルが高いから大丈夫」の一点張りです。
一度言い出すと話を聞かないのはわかっています。タイプ相性で不利でなかったのが救いでしょうか。
私と彼はお小遣いを出し合って十個のモンスターボールを買い込み、凍滝の洞窟へ向かいました。
凍滝の洞窟は、そこに棲む氷ポケモン達の発する冷気により夏でも氷柱の溶けない不思議な洞窟です。
冬ともなれば、洞窟中央の大滝が凍りつき、滝壺周辺は一面氷で覆われます。
洞窟に棲みつくポケモン達の頂点に立っているのは、『海の王者』の異名で知られる希少なポケモン、ラプラスの一族でした。
彼らは洞窟の奥深く、深海へとつながる海水の泉に集まり、互いの絆を確かめ合う歌を歌います。
一族を率いている最も賢く力も強い個体を、私たちは『王サマ』と呼んでいました。
私たちがラプラス達に会えるのは、滝の凍っていない季節だけでした。滝が凍ってしまえば、洞窟深奥にある泉に辿り着けなくなるからです。
冬の間、子供は凍滝の洞窟に近づくことさえ禁止されていましたが、私は洞窟が氷で閉ざされるたびに、いずれ訪れる次の春を待ち望んでいました。
洞窟の奥に足を踏み入れると、いきなりひやりとした冷気が私たちを包み込みました。
初夏でも吐く息は白く曇り、上着を着込んでいても手からぷつぷつと鳥肌が上ってきます。
私と彼の目当てはニューラ。悪と氷タイプの黒猫のようなポケモン。
ラプラス達に会いに行く途中で、何度か見かけたことがありましたが、いざ探してみると中々見つかりません。
ニューラは生来、とても獰猛な性質と聞いています。体力が尽きる前に何とか探し出したいところでした。
氷で覆われた段差を降り、氷柱の伸びたトンネルをくぐった先の小部屋で、ついに小さな黒い影を見つけました。
まだ若い、小柄な黒猫は、幼馴染の彼がモンスターボールからラッタを繰り出すと、指の間に隠していた爪をむき出しにし、低く唸ってこちらを威嚇してきます。
シャーッという叫びとともに黒猫の後肢は地面をけり、ラッタに飛び掛かりました。
ニューラの爪がラッタの腹をかすめ、ラッタの前歯がニューラの肩に食い込み、息もつかせぬバトルが繰り広げられました。
ラッタのレベルが高い、と彼が言っていたことは本当でした。体力を一方的に削られていったのは野生のニューラの方でした。
後になって知ったことでしたが、彼がラッタに指示していたのは『いかりのまえば』という技で、相手の体力を半分まで削る、まさにポケモンを捕まえるのにうってつけの技でした。
息が上がり、動きが鈍くなったニューラに向かって、彼はついにモンスターボールを投げました。
赤い光がニューラを包み、モンスターボールの中に吸い込みます。大きな揺れが、一つ、二つ。そして、カチリという音とともに動きが止まりました。
彼と私は歓声をあげ、モンスターボールに駆け寄りました。
新しい『仲間』に名前を与えるため、ああでもない、こうでもないと話し合い、結局見たままに『クロ』と呼ぶことになりました。
ボールを内側からひっかく悪戯者に、私たちはそっと微笑みかけました。
長いようで短い夏休みが終わり、温暖なナナシマにも涼しい秋の風が吹き始めた頃、彼は凍滝の洞窟の前に私を呼び出しました。
洞窟前に向かう道中、私が理由を尋ねても、「いいから。後で話す」の一点張りです。
そして、洞窟前に到着すると、彼はうつむき気味だった顔を上げ、意を決したように、こう言い出しました。
「僕は、島を出るよ。島を出て、本土へ渡って……ポケモントレーナーを目指す。クロと一緒に」
狭義の『ポケモントレーナー』――ただポケモンを所持するだけでなく、戦わせ、頂点を目指す旅人――に、彼はなりたいと言ったのでした。
彼は興奮気味に語ります。
「四ノ島の出身者で、すごく強い人がいるんだって。セキエイの四天王になるのも遠くないって言われてるくらい。ナナシマ出身でも、強いトレーナーになれるんだよ。氷タイプの使い手で、女の人なんだって聞いた。この島から旅立ったときにラプラスを連れていったんだって。なんか、すごく、かっこいいよな。僕もそんな風になりたい。強いトレーナーになって、旅をしてみたい」
矢継ぎ早に紡がれる希望に満ちた言葉の数々に、私は「うん」とか「そうだね」とか曖昧な相槌で応えていました。
またいつもの夢想が始まったのか。最初はそう考えていた私でしたが、話を聞くうちに、彼が本気で夢を語っていることがわかってきました。
「……いつごろ島を出発するの?」
「次の冬が明けて春になったら……。そうだな。洞窟の滝が全部溶ける頃には出発するよ」
「そう……。それじゃあ、せめてそれまでにクロのトレーニングを積んでおかなきゃね」
「ああ、僕一人じゃ自信が無いから、君もつき合ってくれないか」
「いいわ。約束する。私もクロのトレーニングを手伝うよ」
彼はクロに悪タイプの技と物理攻撃技を、私はクロに氷タイプの技を練習させました。人間である私たちがポケモンの技を受ける訳にはいきませんから、練習の相手といっても大したことはできません。
彼は、新聞紙や段ボールを丸めたものを何本も用意して、「切ってみろ!」とやってました。
私は、コップに入れた水を地面にこぼしつつクロに技を出させて氷の柱を作らせたり、たまに思いつきで氷中花を作らせてみたりもしました。
いずれ訪れる旅立ちに備えて、万全の準備をしておくつもりでした。
仄暗い冬がゆるりと溶けて、気高い凍滝が崩落した頃、とうとう別れの春が訪れました。
私と彼は、最後にラプラスの王サマに挨拶に行きました。
王サマはいつもと変わらぬ荘厳な眼差しで、静かに新しいトレーナーの誕生を祝福してくれているようでした。
王サマの歌う歌を聴きながら、私はそっと目尻を手で拭いました。
船に乗る彼を見送りに出て、お互いに手紙を交わす約束をした後の、彼の言葉は今でも忘れません。
「それじゃあ、また。……ラプラスの王サマにもよろしく」
旅に出た彼からの手紙は、私が進学のため四ノ島を離れたころに途切れるようになり。
いつしか、ぱたりと届かなくなりました。
彼の実家に問い合わせれば無事を確認することは可能でしょうが、私は当面それをするつもりはありません。
彼が元気で旅を続けていることを信じているからです。
いいえ、本当は――信じていたいからです。
……。
見知らぬ娘の実らなかった初恋の話など聞かされて、おそらく『何だつまらない』と思われたでしょうね。
ですが今、私が幼馴染の彼に抱いている感情は、思慕の念というより罪悪感の方が強いのです。
ええ、そうです。私は、彼にとても酷いことをしてしまったのです。彼には到底打ち明けられないような残酷なことを。
それを語るには、私が今でも時々見る夢の話をした方が良いでしょう。
その夢を見るのは大抵ひどく疲れた時。何もかも忘れて眠りの世界に逃げ込んでしまおうと思う時です。
私が最初に見る物は、月明かりに照らされた大海原です。
ゆらり、ゆらりと揺れながら、暗い海の上を移動していると思うと同時に、私は自分がラプラスの背に乗っていることに気が付きます。
ラプラスは物悲しい歌を歌いながら、ゆっくりとこちらを振り返ります。そのラプラスの顔は、私と彼が『王サマ』と呼んでいた、一族の主のものでした。
言い表せない悲しみを湛えたラプラスの目に、私はたまらず問いかけます。
……どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?
時に高く、時に低く、穏やかで澄み切った声で王サマは歌います。
――カナシイ、カナシイ、人間は、カナシイね――
――時間の流れを止めようとするばかりか、こうして巻き戻そうとするなんて――
歌の意味を理解した時、視界がにわかに暗転し、世界が音を立てて崩れていくような気がしました。
バランスを失い、ふらついた体は海の王者の背を離れ、そのまま暗い海の中に沈んでいきました。
深海の暗さをそのまま映し取った冷たい空間。
ここは凍滝の洞窟です。巨大な滝は、正に『凍滝(いてだき)』の名にふさわしく、堂々たる氷の彫刻としてそびえ立っています。
ですがよく見ると、春の訪れを告げるように、小さな水の流れが幾筋もつたって落ちていきます。あちらこちらに崩落した跡も見られます。その形が完全に失われるまで、それほど時間はかからないのでしょう。
一人の少女と黒猫が、凍りついた滝の前に佇んでいます。
――別れを刻む水時計。再び流れ出した時、何かが終わって何かが始まる。終わってほしくない。始まってほしくない。
――このまま時間が止まってしまえばいいのに……。
「……クロ、氷の技の練習をしようか」少女はそう呟き、技を使うよう指示を出します。
黒猫は訝しげに少女を振り返り、やがて滝に向かって冷気を放射しました。『こごえるかぜ』という技です。
凍滝の表面を滴り落ちていた水の流れが止まります。
幼き日の自分の幻影を、私はぼんやりと眺めていました。
過去の記憶というものは、現在の自分の干渉できる領域にはないからです。幻影の少女から私は見えず、私の声も届きません。
ただひたすら、祈るような気持ちで呟きました。
――やめなさい。やめなさい。そんなことに意味は無い。小さな黒猫の吐息では、巨大な滝は凍らない。流れる時間は止められない。自分の心を凍らせるだけだ。
『凍っていた滝が全て溶けたころに出発する』と言った彼の言葉を、あまりにも額面通り受け取っていた愚かな自分――滝が溶けなければ彼がいなくならないのではと淡い期待を抱いたのです。
忘れていた、忘れたかった事実を今になって思い出しました。私は、彼を引き留めたいばかりに、黒猫に技を使わせて滝が溶けるのを止めようとしたのです。
なんて馬鹿なことを。どうして、旅立ちを素直に祝福してあげられなかったのか……。自責の念ばかりが心に浮かびましたが、どうすることもできません。
今、ここに見えているのはただの記憶の断片――過去を変えられないことは、よく判っています。
滝に氷技を使うように指示した時の、黒猫の眼差しが脳裏に浮かびました。今も彼と旅を続ける黒猫が、もしも私の指示の本当の意味を理解していたら。それを彼に伝える術を持っていたなら……。
そう思うと、背筋が冷えます。消えてしまいたい気持ちになります。
この後の結末を私は知っています。凍滝は崩落し、清らかな水は再び動き出します。少女のささやかな抵抗など、まるで初めから無かったかのように。
氷は水になり、冬は春になり、そして少年は新たな世界へと旅立っていくのです。
ほら、今にも氷の割れる音がする。冷たい水が、流れる、溢れ出す――――
……そこで、いつも目が覚めます。
酷くみっともないと思われるでしょうが、私は時折どうしようもなく切なく哀しい気持ちになり、涙を流しながら目覚めることがあるのです。
心の奥底に沈んでいた澱が舞い、思い出したくもない暗い記憶を写し出すのです。
私は夢を見るのが恐ろしい。彼に真実を知られるのが恐ろしい。
そして何より、何もかもを見通している海の賢者の視線に晒されるのが恐ろしいのです。
彼の旅立ちを見送って以来、私は二度と凍滝の洞窟に入ることはありませんでした。
ラプラスの王サマと会ったのも、結局あの時が最後になります。
それでも。
冬の曇天に耳をすませば、今でもどこからか歌が聞こえてくる気がするのです。
――哀シイ、愛シイ、人間は、カナシイね――
向こう側
最初、ぼくらには心がなかった。
最初、ぼくらは命ではなかった。
アミノ酸がたまった原始のスープにおいて、そのモノは分裂を始めた。
分裂が始まる前は、分裂は起こらなかった。だから、分裂することができなかったモノは、同じモノとして存続し続けることはできなかった。
分裂することができたモノだけが、命を後世に残せた。だから、命という名前が生まれた。
だから、命の定義は……?
◇
聞くところによると、巨大な移動遊園地が開園中だと言う。夏の終わり、自由な生活の終わりは遊園地で締めようと言うことで、遊園地のある海辺の町を目指して歩いていた。
8月も終わりを迎え、心なしかテッカニンの鳴き声も寂しげだ。それでも残暑と言うには暑すぎる熱波が繰り返しやってきて、歩いているとじっとり汗が浮かんでくる。
ぼくや頭の上の蜻蛉はまだしも、見るからに暑そうな毛皮に覆われた炎姫は実際かなりきつそうだ。熱中症になってくれては困るのでぼくの分の水まで分けてあげたけれども、やはり元気がない。
そんな中、道の隅っこに突然現れた井戸は、砂漠のオアシスさながら我々に歓迎された。
錆びた手漕ぎの井戸ポンプがのっかっているだけで井戸には木のふたがされており、一瞬水が入っているのか不安になったけれども、4、5回力をこめて取っ手を押すと、勢いよく冷たい水が出てきた。
真っ先に炎姫がそれを浴びた。長い毛皮に水滴が付き、日の光を浴びてキラキラと光っている。ミリスが「早くしろ」と催促してきたので、ミリスにも水をぶっかけた。ぼくも全身に浴びたかったのだけれどもさすがにはばかられる。それでも頭に水をかけただけで生き返るような心地がした。ポンプは炎姫が神通力で押してくれた。
タオルで頭をふきながら、炎姫に命の話をした。ぼくが所属する予定の機関が運営しているのがポケモン生態学会。そこと深いつながりのある「ポケモン遺伝子学会」なるものが取りまとめた書籍の内容だ。ちょっとジャンルが離れているから、よく意味がわからない。でも読めって氷室さんに言われた。有無を言わせない感じ。名前の通り冷たい人だ。なんていうか、人形みたいにきれいで冷たい。
『その話の中で重要なことは』
炎姫が万年筆ですらすらと文字を紡ぐ。インクの微かな濃淡が、彼女の息吹をぼくに伝える。
『命とは分裂するモノのことだ、という順序は間違っているということです。分裂して“残った”ものたちをこそ、私たちは命と呼んだ。その順番が、正しい。ですから、分裂する前の自己複製子は、命であってもなくてもよいわけです』
分かります? と炎姫が書く。わからないとぼくは答える。
数学以外の勉強もちょっとはしたら、とぼくをからかいながら、鼻先でぼくをつつく。そして、道の先へと顔を向ける。
「そうだね、行こうか」
『はい』と炎姫が答える。蜻蛉がまたいつもの定位置、ぼくの頭の上に飛び乗った。
そんな折、彼が現れた。
◇
「やあ」
残暑の季節に似つかわしくない爽やかな声で彼は言う。あぁこの人が……とぼくらにとっては一目でわかる。でも当人たちには区別がつかないらしい。彼らにとっては区別をする必要さえないのかもしれない。
「失礼ですがあなたって」
ぼくが尋ね終わる前に、彼が言葉を継ぐ。
「そう、ぼくは向こう側の人間さ。きみはきれいな目をしているね」
眼鏡の青年はそう答えた。
爽やかぶっているのか、本当に爽やかなのかどっちだろうと、ぼくと炎姫は顔を見合わす。
ぼくは前者に賭けるつもり。
向こう側の物や組織がたくさん流入している割には、向こうの人と会う機会は少ない。前会った竹沢さんは向こうの会社の人だけど、生まれも育ちもこっち側だ。見ればわかる。なんていうか、こう、雰囲気が違う気がする。
「ふーん。ぼくにはちょっとわからないけどね。こっちに来たらまわりに同族がいないから、見分ける必要もないんだよ」
彼はそういって、ハハハと笑った。
彼は岬と名乗った。用事はあるけど話をするくらいの余裕はあるよ、とペラペラしゃべりたてていうところには、職業はプログラマーだとのこと。っていうか、研究者を除けば、プログラマー以外の人はほとんどこっち側に来ないのだけど。
「エリート研究員には見えないのかい?」
「見えません」
炎姫も同意した。ちょっと顔がオタクっぽいし。
岬さんはわざとらしい咳払いをする。
「いやはや、噂に聞いてるのより性格がきついね」
「噂?」
「そう。噂。ぼくの周辺では、君は結構有名人なんだよ。直近ではセレビィの件、それ以前にも6,7個くらい仕事をこなしてくれてたろ。主にデータ処理だけど。ぼくたちの世界を毛嫌いしてる人たちは結構多いからね。実際かなり助かってた」
それはよかったですと、ぼくは答える。もしかすると以前に仕事したことのある会社の人なのかもしれない。
でも、ぼく程度の人材でもありがたいなんて、結構苦労しているみたいだ。
「やっぱり、嫌ってる人は多いんですね」
「そうだね、残念ながら」
そういって、わざとらしく手を上げる。
社会体制が変わった原因は向こう側。今が嫌な時代になったのも、向こう側のせい。そう思っている人は結構多いから、驚くほどのことではない。向こう側の人と実際にあったことのある者は少ないから、余計に変な想像をかきたててしまう。
ふと思って、岬さんに聞いてみた。
「あなた自身は、向こう側のことをどう思ってるんですか?」
「ぼくが、自分の世界の住人たちのことを、かい?」
大概の人たちは君たちの世界を見たことがないからね、とつぶやきながら、彼は数秒顎に手を当ててから、こういった。
「こっち側の世界をただのプログラムだと思っているんだけれど、自分たちの世界もプログラムによって動かされているだけとは気づいていない、そんな人種だね」
言った直後、また岬さんはハハハと笑う。
冗談だよ。いや、半分本当かな。そうつづけた。
◇
炎姫と会って間もないころ、ぼくは彼女にこう尋ねた。
「向こう側にはいったい何があるの?」
ぼくがそう聞くと、物知りな狐は神通力を発揮して、諭すように万年筆を走らせた。
『あなたが期待しているようなものは、何もありませんよ。向こう側には、向こう側の世界が、そこにあるだけ』
向こう側の人たちは、こちら側を虚構だという。こちら側の人たちは、向こう側を諸悪の根源だと思っている。
結局ぼくらは虚構か虚構でないかはともかくとしてふつうに生きているし、彼かは彼らでいい人もいれば悪い人もいる。それだけだ。向こう側の人と付き合っていて、そう思うようになった。
新たな仕事の誘いは、ぼくが研究機関に内定したからと伝えるとあっさり引き下がってくれた。それどころか、ぼくの内定を本当に心から喜んでいるようだったので、少し恥ずかしくなる。
「やっぱりね〜。ぼくが見込んだだけのことはあるよ」という信憑性のない言葉は無視しておいた。
「さてと、仕事も一つ済ませたし、もう一個をがんばるか」
爽やかさをかなぐり捨てたもろもろの話を終えた後、岬さんがそう言った。
「あれ、なんかやったんですか?」
仕事をしていたようには見えない。
「うん。君と話した。これがぼくの仕事の一つ目さ」
本当かウソか区別がつかない口調で彼はそう言った。
「さっきも言ったろ、君は結構有名なんだよ。さらには、変わったビブラーバを頭に乗っけ始めたしね。激レアだよ、そいつ。君のことだから、知ってると思うけど」
そういって彼はミリスに目をやる。
「激レア? ミリスが?」
「そう、激レア。あれ、知らないの? 研究機関に内定したってさっき言ってたじゃない。あそこと関係あるんだよ」
ミリスといえば、一つしか思い浮かばない。ぼくはとっさにこう聞いた。
「ことば泥棒がですか?」
ぼくが岬さんにそう尋ねると、彼は何のことかわからないという風に肩をすぼめた。
「ことば泥棒? 何? それ。」
「あ、いや、いいです」
彼に期待したぼくがバカだった。
「何のことかよくわからないけど、ぼくが言いたかったのはユラヌスのことね」
「ユラヌス? 新種のポケモンでしたっけ」
「いや、ただのニックネームだよ」
そういえば面接のときこんな会話をしたような、しなかったような。
そいつが何かミリスと関係が?
ぼくがきょとんとしていると、岬さんはちょっとわざとらしい口調でこういった。
「ミリスとユラヌス。その心は、今は亡きロケット団の遺物ってことさ。だから、両方、相当強い。大切に育てるんだね」
それはそうとして、と岬さんは続ける。
クライアントの方から先に来てくれたようだ。二つ目の仕事を済まさなくっちゃ。
岬さんが井戸の方へと目を向ける。
ぼくもそれに倣う。
地面が揺れると同時に、突然井戸のふたが音を立てて吹っ飛ぶ。噴水のように水が噴き出し、小さなポンプが紙切れのように舞い散った。
中から紫色の巨体が姿を現す。
『立派なクライアントですね』
炎姫がそう書いた。
◇
アーボックだった。全長10mは優に超えている。図鑑に載ってるやつよりも相当でかい。
「クライアントってどういう意味だっけ」
間抜けな声を出して、炎姫に聞いてみる。
『“顧客”です』
狐は答えた。
岬さんが嬉しそうに補足する。
「さすがだね。そうだよ。まぁ彼がぼくに電話してきたってわけじゃないんだけどね。仕事の対象というか、相手、だね」
『それって顧客とは言いませんよ』
狐が無表情で返事する。こいつはこいつで、意外と焦ってるのかもしれない。“顧客”という画数の多い字がちょっと歪んできた。
「ご心配なく、すぐに終わるよ」
岬さんはそういって、マスターボールを取り出す。「ポン」というあまりにも軽すぎる音とともに目の前の大蛇は一瞬にして紫の玉に吸い込まれていき、後には壊れた井戸と小さなボールを持った岬さんだけが残った。
「こいつもね、特別なんだよ。ぼくはよく知らないけど、なんせマスターボール支給だから、相当だろうね」
「また、ロケット団の遺物ですか?」
僕が尋ねる。
「こいつはギンガ団だったかな? いやロケット団か。なんかもう、どこが改造したんだったか、忘れてしまったよ」
ハハハ。岬さんは力なく笑う。
ハハハ。
◇
営利目的でやってきた向こう側が最初に手を組んだのは、ロケット団やギンガ団などの結社だった。そのせいで向こう側の評判はさらに悪くなったのだけれど、向こうの技術が一気にこちら側に広まったのは、彼らによる功績が大きい。
ロケット団などの組織が、同時多発的に表れた少年少女たち“英雄”によって一瞬で壊滅させられたのが10年ほど前。ぼくもまだ記憶に残っている。
メディアは盛んにこのことをわめきたてる。いまでもまだ特番があったりする。
でも、ぼくはもう、その話には飽きてきた。疲れたのかも、知れない。
「遺伝子組み換えなんて、ぼくの世界では日常茶飯事なんだけどね。大豆とか、サケにもやられてたかな。サケって知ってる?」
ぼくは黙って首を横に振る。岬さんはバツの悪そうな顔をした。
「怖いかい?」
岬さんがそう聞いた。
「いえ、大丈夫。ぼくをそんな人だと思わないでくださいよ」
そういって少し笑う。
「なんていうか、こう、慣れました」
岬さんも小さく笑う。
「その気持ち、痛いほどわかるよ」
そういって二人で顔を見合わせて、今度は本当に噴き出して笑った。
◇
「ミリスとユラヌスのこと、もうちょっと教えてもらっていいですか?」
岬さんとは結局次の町に行くまで一緒になった。“向こう側”に帰るための“扉”がある大都市へと向かうために岬さんはリニアに乗る。ぼくは費用節約のため夜行バスに乗って遊園地へと向かう。大して再開発の進んでいない古い駅ビルの隣、夕日を背に受けながら、岬さんに聞いてみた。
僕もよくは知らないけどね、と軽い口調で岬さんは言う
「ユラヌスは昔ロケット団が作ったポケモンさ。噂ではロケット団中、最大って言われてる。ミュウツー亡き今は最大最強に格上げされたのかな。けれどもその正体は誰も知らない。ホウエンからの輸入種って聞いたことはあるけど、その程度かな。でもって、君の所属する予定の機関は、そいつを躍起になって探してる。理由は言わなくてもわかると思うけど。でもってミリス君も改造種だね。実はそいつにも捕獲指令が出てた。だからもうすでに君の手持ちだってことを確認しなきゃいけなかったんだ。大丈夫、心配しないで。手持ちのポケモンを奪うのは法律違反だからね、そんなことはやらないよ」
ほかに知りたいことは? と岬さんは言う。今のうちに聞いておかないと損するよ。
「意外と親切なんですね」
「僕が知りたいと思ったことを、君はすでにいろいろ教えてくれたからね。ま、ちょっとした感謝の気持ちさ」
ハハハ、と笑う。
「お気持ちはありがたいですけど、特にないかな」
おいおいと岬さんは肩を落とす。
「ぼくも、岬さんからもうすでにいろいろ教わったような気がするんで」
電車のベルが鳴る。リニアが到着したようだ。やつれた顔をした男性があわてた様子で改札口の中へ消えていく。駅員が早く乗るようにと催促する声が聞こえる。
「じゃあ、ぼくはこの辺で」
岬さんは言った。
ありがとうございましたと僕は言う。炎姫も従った。
『いい人でしたね』
炎姫が書く。僕も同意した。
改札の奥、エスカレータに乗って、岬さんは“向こう側”への帰路に就く。
ぼくらは見えなくなるまで、見送った。
◇
「ロケット団か」
日はすでに落ち、あたりはLEDの白い光に照らされている。夜行バスを待つ間、頭の上の蜻蛉をつつきながら、ぼんやりつぶやいた。いろんなポケモンを傷つけて、いろんな人を傷つけて、いろんなポケモンを改造した人たち。
「炎姫、ロケット団って、どんな人たちだったんだろうね」
僕がそう聞くと、198歳の狐は諭すようにこう書いた。
『あなたが期待しているような異常な人なんか一人もいませんよ。いい人も悪い人もいて、それで皆お金がないと生きていけないから嫌々会社で働いている。そんな人たち。それが、彼らです』
そうか、と僕が言う。
そうですよ、と狐が言った。いや、書いた。
――――――――――――――――――――
かなり久々の続編になってしまいました。
別に放置していたわけではなくって、純粋に時間がかかってしまっただけです。。。
これからもぽつぽつ書いてくつもりなので、お暇な方は読んでやってください。
【第1話!】
ここはミドズシティ。第6番目の地方、シューカ地方の13番目の大きな街だ。
そこでは毎日、ミドズ警察とある女の子の逃走劇が繰り広げられていた。
そこの人々たちは、毎日邪魔だと思っているようだ。
キャスター「えーと、毎日悪さを繰り広げている、坂上レナさんについて、一言お聞かせください。」
カズオ「レナは、私の逮捕すべきやつです。レナほど憎いものはない。」
街にレブテレビが来た。レブテレビは、シューカ地方の第10テレビ局の3番目に大きいテレビ局だ。
そして、インタビューに答えているのは加藤カズオ。「レナ逮捕・捜査班」まで設立するほど、レナがうっとうしい様だ。
その時、レナは街のポケモンフレンドリィショップで万引きをしていた。
店員1「あーこら!最高のドラゴンジュエルなんだぞ!返せ!」
レナ「いや〜だね。誰が返すもんかッ!!」
店員1「うわッ!!」
レナは店員を一殴りすると、急いで逃走した。
店員2「ジュプトル、ムクホーク、追跡と攻撃を頼む!」
ジュプトル「ジュプッ!!」
ジュプトルは木を渡りながら追いかけていった。
ムクホーク「ムクホーーク!」
ムクホークは空を飛び急いで追跡をした。
そして店員は警察に通報した。もちろんその電話は「レナ逮捕・捜査班」のリーダーに伝わる。
カズオ「おっと。またレナが出ました!インタビューは終わりだ!出動!」
その掛け声とともに、白バイ&パトカー部隊が出て行った。
レナ「またか。ポケモンと警察が追ってきてる。レジェンド、頼んだ!」
そう言うと、いきなりバッグからポケモンが飛び出した。
レックウザ「レックーーザァッ!!」
レナはレックウザに飛び乗った。
レナ「ヤァーーーッ!!」
レナがそう叫ぶと、レックウザも雄叫びを上げ、加速して飛んでいく。
レナが振り向くと、ムクホークがすぐそこにいた。
追いついたムクホークが、ブレイブバードで攻撃を仕掛けた。
【ピシューーー!!】
レナ「レジェンド、逆鱗だ!」
向かってきているムクホークに、レックウザは逆鱗を放った。ムクホークは吹き飛ばされた。
ムクホーク「ムーーークーーーー!!」
次は木の上からジュプトルのリーフストームが炸裂!と思うと・・・
レナ「破壊光線、続いて神速!!」
レックウザの破壊光線で発破の竜巻を破壊した。その次はもちろんジュプトルは避ける。
しかし神速でレックウザのほうが速いため、尻尾で叩かれるとジュプトルは気絶した。
レナ「さ〜て終わった〜次は警察だ。頼むぞレジェンド。」
レックウザ(雄叫び)
??「あそこだ!いたぞ!」
誰かが叫んだ。木を急いで登っていく。
レナ「(大声)来たな警察!!今日もコテンパンにしてやろうか!!」
カズオ「(大声)レナ!!今日こそ決着のつく日だ!!」
カズオが木のてっぺんに立った。
レナ「おいおい。そんな所に登ったら落ちるのがオチだろ。」
カズオ「ドンカラス、エアカッターー!!」
ドンカラス「ドン!クァルァーー!!」
レナ「エアカッターで勝てると思う?竜の波動!!」
エアカッターがあっという間に消え、ドンカラスに竜の波動が直撃した。
レナ「そしてアイアンテール!!」
レックウザは下降し、カズオが乗っている木の根元に直撃した。
カズオ「おわぁととと!!おちるぅぅぅーーー!!」
レナ「捕まえるのも、(おでこをつつく)ここが必要なんだよ。」
そういいながらレックウザとレナは飛んでいった。
カズオ「レナめ・・・今度こそ捕まえるぞ!おーーー!!」
元気に言ったのだが、返事する人は誰もいなかった。
続く・・・と思う
【キャラクター紹介】
坂上レナ(♀)
泥棒で小遣いを稼いでいる、ヤンキー女の子。
手持ちはレックウザ1匹だけで、次々破壊しまくっている。
逮捕歴もあり。12歳。いつもレックウザのコスプレをしている。
ケンカが強く、今はポケモンバトルレボリューションにはまっている。
レックウザ(性別不明)
レナの手持ち。「レジェンド」と呼ばれている。
天空の城からやってきた、最強と呼ばれし神。
レナとケンカをし、強さを認めたため手持ちに入った。なつきは最高。
ジェイン(♂)
レナの親友で、ポケモンバトルレボリューションのバトルマスター。
毎日バトルで忙しく、休み時間はレナとポケモン知識争いをしている。
手持ちはトゲキッス、ゴウカザル、ポリゴンZ、アーマルド。32歳。
加藤カズオ(♂)
ミドズ警察の「レナ逮捕・捜査班」の班長。
自称「レナの最大のライバル」
1度逮捕したことがあるが、後は負けている。
部下いわく「怖い」らしい。
43歳
警察官の皆さん←(♂♀さまざま)
レナを逮捕しては取り逃がしてしまった警察官の皆さんで〜す。
店員の皆さん(ぉぃ(♂♀さまざま)
レナに万引きされた店の店員の皆さんで〜す。
通行人の皆さんとポケモンの皆さん(蹴(♂♀さまざま)
日々お世話になっております。
以上
どうも、ヴェロキアです。「ポケモンストーリーズ!」で〔サクラサク〕を書いています。
題名の話です。「なんのこっちゃ?」と思う人もいると思うけど、読んでからのお楽しみ〜
続くかどうかはわからないけどね・・・
でわ、スタートッ!!
ちなみにタグは『描いてもいいのよ』です。
☆目次☆
【挨拶】 http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=945&reno=no ..... de=msgview
【登場キャラ紹介】 http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=946&reno=94 ..... de=msgview
【第1話!】 http://masapoke.sakura.ne.jp/rensai/wforum.cgi?no=947&reno=94 ..... de=msgview
-16-
「やっぱり……ユクシーなんかに生まれなければ良かったですね。生まれ変わるなら他のポケモンになりたい……」
気の抜けた声色で、私はそんな事を呟いていた。エミナは黙ってキーボードを叩いている。
「ねぇ、エミナ。貴方は生まれ変われるなら何になりたくないですか?」
「……そうだな。まぁ、生まれた喜びを感じられるものなら何でもいいから、特に要望は無いかな。ミツハニーは女王に仕える事が喜びで、男全般は女に種付けをする事が喜びで……」
身も蓋もねぇ!! もう少し風情のある言い方をしてください。
「そして女は子供を産み、育てる事が喜びだ。そうだな、ニドクインにはなりたくないかもしれないが、その他であればユクシーになろうとキュウコンになろうと構わないと思うぞ。もちろん、人間でもな。私からは以上だ。ところでラマッコロクルよ。君がポケモンに生まれ変わるなら決してなりたくないポケモンは自身の種族であるユクシーだと言ったが……そう思った理由はなぜだ?」
エミナ……貴方の答えは、ものすごく突っ込みどころ満載でしたが。要は何に生まれ変わってもなるようになる、生きたいように生きる。だから何でもいいという、とても納得しやすい答えでしたね。だから、私も納得しやすい答えを用意しておきました。
「胎内で殺し合いをしてから生まれてくるキバニアや、自分以外の生まれ遅れた王台の女王候補を殺さねばならないミツハニーの雌はなりたくありませんね。そういう風に、分かりやすい理由で生まれ変わりたくないポケモンは数あれど……私が一番生まれ変わりたくないポケモンと、その理由なんて決まっているじゃないですか。
愛する家族の記憶を消して、別れなければいけない人生を歩むことになるかもしれないからです」
「そうだな。確かにユクシーは私達のようなシチュエーションでは辛そうだ……ふむ、生まれ変わりというものが、もしあるのならば、参考にしてみよう」
投げやりになったわけではないのに、なんだか私の心はひどく落ち着いていて……もっとエミナと会話を楽しみたいとか、そんな風に思うばかりだ。でも、そう……気分が乗っているうちに色々楽しんでおいたほうがいい。きっとそうに違いありません。
「なんだ、エミナさんって生まれ変わりとか……以外とロマンチストなのですね。生き物の感情を数値にしたり、あまつさえそれを再現しようとか言う蛮勇振りを誇っているのに」
私の言葉にエミナは鼻で笑う。まぁ、そんな反応だと思っていました。
「そうでもないぞぉ。例えば、人間は空を飛べないがポケモンは空を飛べる。それが覆される日をだれが想像した? 外に出てみろ、顔をあげれば飛行機が飛んでいる。身近な例でもそうだ……例えば野球で一試合全打席ホームランなんて記録を打ち立てるのは不可能だと思わないか? しかし、それを成功させる事が出来ると言うのはロマンなのだよ。
私のやる事だってそうだ。今まで生物にしか持ち得なかった感情をバーチャルポケモンのポリゴンに持たせる……それがどれほどのロマンなのか。『夢は夢のままのがいい』という意見は否定はしない。感情を数値に表すなんてなんだか幻滅という意見も否定しない。
だがな……不可能を可能にする事をロマンじゃないとは思えない。故に私は、ロマンチストなのだ。生まれ変わりについてだって、存在しない……ことを証明する論文が発表されたわけでもあるまい。だから……在ってもいいと、私は思うよ」
何と言うか、こういう他愛のない語り合いは……本当に貴重なものだったのですね。知識ばかり知っていて、私が知らなかった大事な大事な嬉しいという感情を……愛という感情を貴方は与えてくれた。
また、恩返ししなければいけない内容が増えてしまったではありませんか。ですから……その……その恩を返すためには、私は私の能力を駆使しなければならないと思うのです。
どれほど、語り明かしたでしょうか。キーボードを叩きながらでも会話を続けれらるはずのエミナが、いつの間にか画面から目を離して椅子をこちらに向けて喋っている。それだけで不思議な感覚だ。
寒くて、手がかじかんできた様子でエミナは袖の中に手をひっこめ体育座りをし始める。それを見計らったかのようにスタリが現れて熱風で部屋を暖める。スタリはそのままひとしきり眠ったかと思うと、お腹がすいたのか防音の扉を開けて出て行った。その時一瞬見えた空は……話し始めた時が夕方だったというのにもう朝だ。
意外と時間がたっていた事に気がつくと、私は眠くなってきてしまいました。……そのまま起きて、また他愛もない話をして……なんて惰性でこの生活を続けるなんてことはしてはいけない。
ですから、そろそろ終止符を打ちましょう。これ以上この家に居ても、きっと辛くなるだけですから
「はは、それにはあと百年はかかるんじゃないか? ……おや、どうした。急に俯いたりなどして?」
豚型ロボットアニメでがよく使われる何処へでもドアの実用化についての談義をしている時に、私は決心した。
「エミナさん……単刀直入に言います。私の目を見てもらえますか?」
エミナは少し寂しそうに。そして嬉しそうに笑う。どうやら覚悟は決まっていたようですね。
「あぁ、もう終りなのか? ふむ、以外とつれないのだな、ラマッコロクルは……」
「そうかもしれませんね……でも、これくらいがちょうどいいと思うのです……長くいたって、別れがつらいだけですから」
「ふふ……もう少し話していたかったが、記憶は消し去られてしまうのだったな。では、私はこれ以上話しても私は意味がない事になる……が、お前はそれでも満足なのだな? いいのだぞ、もう少し話していても」
「えぇ……」
迷いなく私は頷いた。私も寂しくないわけでは無いけれど……それでも、この人は嬉しいと感じてくれました。
エミナが嬉しいという感情を感じている事が分かったのは、肌で実感できたのもあるけれど……さりげなく感情メーター(正式名称が長すぎて覚える気にならない)を作動させて、その感情の揺れ方を調べていました。いつもはポリゴン2に使われるそれで感知したエミナの感情は、嬉しい。
だからきっと信用できるデータです。エミナ曰く、『あれは、ラルトスレベルの感知能力しかない』と言っていたのに……それでもあれだけ揺れてくれたのです。トイレに行った時にそれを見て、私はそれがたまらなく嬉しかった。勿論『寂しい』という感情もきちんと機械は感知していましたけれど……それはきっと私の目を見れば寂しさは忘れてもらえるから大丈夫。
そして、ポリゴンの新バージョンを作れれば、きっとエミナはもっと満たされてくれるはずだから。私などいなくても、彼女は満足してくれるでしょう。
「ふむ……それなら、まぁ、いいか。目を開けてくれ。ラマッコロクル」
だから、私は貴方に能力を行使して、その後を全て貴方に託します。二度と会うこともないでしょうが、ありがとう。エミナの姿が涙ににじむ。私の眼をまじまじと見つめるうちに、ぱたりと倒れたエミナの周りを飛んで、私は彼女に奇跡ともいえるような閃きを与えた。
さよなら
◇
私達に家族が4人増えた。
「シネ(1)・トゥプ(2)・レプ(3)・イネプ(4)・アシク(5)……全員健康状態も精神状態も良好。感情メーターも元気いっぱいに稼働しているな」
本当は、もう一人いるはずだったのだけどその家族とはお別れしてしまったのが残念でならないね。ラマッコロクルが私の記憶を消していかなかったのも何故なんだか……? まぁ、良いわ。
今でもラマッコロクルの事は思い出しちゃうけれど……今の家族は形こそポリゴン2のまま変わってはいないけれど……確かな感情を備えた生命体だから結構楽しいし。
思えば、この5人が感情を持ち始めてから御主人は自己管理もある程度出来るようになり、寝食の時間帯はある程度規則的になっていったからいいこと尽くめだ。
「だが……やはり現状のポリゴン2ではナノマシンも量子コンピューターも処理能力不足だな……まだ感情はひどく不完全だ。まだ改良の余地がある……が、流石に一人では難しい。と、なればここであれを使わない手はないな。そうは思わないか、スタリよ。そして息子達もな」
相変わらず、御主人は何を言っているのかよくわからないけれど、何か迷案を思いついているような気がするのはなんとなくわかる。
「お前らに使った、まだ誰にも公開していないナノマシンの新技術の特許を無料で引き渡す代わりに、色々な条件を飲んでもらうというカードを切るのだよ。かつての同僚及び、その会社のお偉いさんを相手にな。
あれの特許を取れば、私は一生遊んでいられるだろうがな。だが、私はお前達息子のためにそれを投げ捨てて、金よりも大切なものを手に入れようと思っているのだよ。どうだ、スタリは関係ないから喜ばなくても構わんが、他の5人は喜んでも構わんぞ」
ふふ、前半は何を言っているのかは全く分からなかったけれど、お金よりも大切なものを手に入れるために色々やると言うのは分かったよ。それって、家族の心がもっともっと本格的になるってことなんだから、私も喜んじゃうよ。
ポリゴン達も「すげー」とか「俺達パワーアップゥ!!」とか言いながら、皆が皆それぞれ思い思いの反応を見せていてかわいらしい。
こんなの……今までなかったことだ。これがパワーアップなんてしちゃったら、もっと騒がしくなるんだろうなぁ……ホント、喜ばしい限りね。
「クオゥ」
だから、私は御主人に肯定の意を示すために上機嫌で鳴いた。
「なんだ、スタリ? お前も喜ぶとは意外だな……ふむ、まぁいい。そのためには、この街を離れてカントーという地方に行かねばならない。しかも、シンオウのキュウコンはエキノコークスだとか言う炎タイプの寄生虫がいるとかでカントーに行く前に検疫を受けねばならぬからな、今日はポケモンセンターに付き合ってもらうぞ。
ふむ、そういえば自分自身の検診は久しく受けていなかったな……ガンが再発していなければよいが」
げぇ、ポケモンセンター? それはちょっと嫌なんだけれどな……
「ふむ、そう嫌そうな顔をするなスタリよ。カントーに滞在中は家を空ける事が多く世話もろくにしてやれない上に、シネ達は大学へ同行せねばならんからな、その間は育て屋に預けるから嫁探しでもするとよい。なぁに、心配はいらん。この世にはベルクマンの法則というものがあってだな、カントーのキュウコンは皆お前より小さいから、きっと育て屋で大威張り出来るぞ。雌にもモテるのではないのか? 他にもアレンの法則というのもあるが……まぁ、いいか。
ふむ、まだ不満そうな顔だな……あぁ、そうだ。良い事を考えたぞぉ」
大威張りや雌にモテるのは美味しい思いが出来るからいいとして……育て屋って何かな? それよりも、また何か迷案?
「インスタントのホイコーロやミルクジャムを買って、エイチ湖にお参りに行こうではないか。私が去年の冬に思いっきりいい案を閃いた時は、知識の神様の御加護の一つや二つもあったような気がするからな。実際にユクシーの夢まで見てしまったものだぞ……そういえば、ミシンは穴の開いた槍に襲われた夢を見て完成形を見出し、ベンゼンの構造は尻尾を咥えてグルグル回るハブネークを見て思いついたのだと言うな。それと同じような物か。
私が買っていくのは、同じように夢を見た時、夢の中でユクシーが好物であると宣言した食料だ。そんな夢まで見せられた以上、お供え物の一つくらいしないと罰が当たる。どうだ、スタリよ? 久々に私と遠出しようではないか」
御主人にとってはあれで遠出なのかぁ……ま。うん、それにしてもユクシーの記憶を消す技はすごい技だけれど、完全じゃないのか、それともユクシーが見せた人為的な夢なのかは知らないけれど……記憶がそのままの私には、こうやって出会えるチャンスが巡ってきたのはすごく嬉しい。
ポケモンセンターでの健康診断だか何だかという負のおまけつきではあるけれど、負のおまけがその程度ならお釣りがくるくらい嬉しい。
「クオゥ、ウォウ」
だから、私は御主人の提案に嬉しいと意思表示するために上機嫌で鳴いた。
そうして、私はポケモンセンターでの検疫……とか言うのを終えて、その次の日にはエイチ湖へ。春先のエイチ湖は来年の受験に備えての願掛けをする者や、受かった事の報告のために来た者が多い。
受験など関係のない私には、景色を楽しむ場所でしかないけれど、私の心は景色に向けられてはいなかった。
ユクシーが魂を湖の底から飛ばして姿を見せる事は今までも何度かあったことらしい。けれど、ユクシーの本体が出ると言うのは本当に珍しい事らしい。ならば、ユクシーが私のもとに翔けてきて、一介のポケモンに話しかけると言うのはどれだけ珍しい事なのかな?
「なんだ、このメロンパン。随分と人懐っこいではないか?」
『御主人は幸せかしら?』
ポケモンにしか分からない上に、かなりの小声でラマッコロクルは私に尋ねた。私が黙って頷くと、ラマッコロクルは目を閉じていても微笑んでいると分かる表情をして、おまけにエミナのバッグに入っていた二つの好物を奪い、それを抱いて湖の底へ潜って行った。
あっけにとられる観光客の横で、主人は冷静であった。
「む、なぜバッグの中にこれが入っているのがバレたのだ? しかし、まさかお供え物を盗んだ相手が供えるべき相手だったとはな……これは供える手間が省けて助かるという、稀有な強盗の例だな。それに、お供えを渡すべき相手に直接渡せた事で、エテボースや神社の従業員のエサにならずに済んだのだから好都合この上ない」
まぁその通りなんですが、面白い解釈をするよね……御主人は。でも、不機嫌じゃないみたいだしまぁ、いいか。
「ところで、スタリよ……あのユクシーと何か話していたような気もするが……知り合いか?」
うん、その通りよ。だから私は、その言葉の意思表示のために鳴こうと思う。今のラマッコロクルと私達のやり取りで騒然とした民衆にも負けない声で……
「クオゥ!!」
と鳴く。
「なんだ、知り合いか。有名人とコネを作っているとは流石スタリ、飼い主に似て優秀だな」
そう言って笑った主人の顔が、私は何よりも嬉しかった。
-15-
「ほう、やはりお前はそんな力を持っていたのか。『ユクシーが飛び回ったことで、人々に物事を解決する知恵というものが生まれた』という伝説が残るだけの事はある……メロンパンのような見た目に反して意外と高い能力の持ち主なのだな」
私が、こうしてエミナに全てを話そうと思った理由は、アグノムに笑われないためにも……という初志貫徹の誓いからだけではないでしょう。彼女の幸福の形が子供を産むことでしたら……こうすることが一番良い方法だと思いましたから。
私は、辛いですが……エミナが喜ぶのならばそれも良いかと思う自分がいます。
「しかし、それを話すのは……勇気が必要だったろうな。私はね、お前達神々の事情については詳しくない……『ユクシーが宙を飛びまわれば、モノを生み出す閃きを与える』どうのこうのと言う伝説は知っていたが……もし私からそのお話を持ちかけてしまえばお前を追い詰めてしまうような気がしたから、私からは言えなかった。
それに……私がお前に『恩返しをするつもりならば、このコードを完成させてくれ』と言ったりなんかして、もお前が私をおいてけぼりにする勢いで完成させてしまったら……それでは、私が子供を生み出した事にならない。そう言う事もあるだろうからと思って……このコードの開発はお前が自発的に手伝うに任せたが……いやはや、本当にそんな能力を持っているとはな」
「でしたら、私が閃きを与えてしまっては……それも意味がないのでは? 自分で生み出したことにはならないのでは?」
「そうだな。ふむ、確かにそうかもしれないが……『お前がキーボードを叩いて完成させる』のと、『お前から与えられた閃きを私が受け取り、自身の知識と合わせて私がキーボードを叩き完成させる』の……似ているようで違うと思わないか?
前者は、お前が完成させ生み出した事になるだろう。だが……後者は、何かに似ていないか?」
「何か……ですか?」
私は見当がまるで付かずに、オウム返しに尋ね返しました。
「『子作り』だよ。男から与えられた精子を受け取り、自身の卵子と組み合わせて女が腹を膨らませ子を産む。これと似てはいないか? そうだよ、私は大切な事を忘れていたのだ……子作りとは本来二人でするものだとな。
お前は無条件で人間に技術を与えることはできない。人間はお前なしでは技術を生み出す事が出来ない……そう、一つだけでは何かを為せないのは子作りと同じ。だからな、私は思うのだよ。
ラマッコロクル……お前がユクシーの力を行使することこそが、このプログラムの完成への最も自然な道であるとな……いいじゃないか、自然な形なら」
あぁ、ついにエミナはその言葉を言ってしまいました。でも、それにまるで反論できない不甲斐ない自分がいます……それとも反論できないのではなく納得しているのでしょうか? 分かりません……
「でも、記憶を……貴方は、私との記憶を……」
「ふむ、案ずるな。悩む事が恥とは思わない……今日の夕食をどうしようかと悩むよりもいいことだと思うぞ。私一人の人生を……いや、もっともっと多くの者の人生を狂わせかねない決断だ。悩まない方がおかしい。
それにな……私も、お前がいる生活は好きだ。このポリゴンに感情を与える機構を作った後に私の生活のリズムが改善されるとは限らない。そう考えると、お前がいてくれた方が長生きできるかもしれない。
それにポケモンが夫というのも悪くないな。しかもそれが神と呼ばれるポケモンならば尚更だ。『人と結婚したポケモンがいた。ポケモンと結婚した人がいた。昔は人もポケモンも同じだったから普通の事だった』シンオウにはこんな伝説もあるくらいだ。
お前の一生分を私は救った。ならば、お前は私の一生分の恩を返すのが筋というものだ。では、一生分の恩とは。どうやって返せばよいのか?
私を残りの一生分幸福にするか、一生かかっても叶えられない夢をかなえてやるか……2倍長生きさせるか。どれが正解かは価値観によるであろうが、私は大体こんなところだと思っている。
お前が出来るのはこのうちの前二つかな? 私への恩返しについて考えているのであれば……どちらでもよい。お前の好きな方を選べ。どっちを選んだとしても私は構わんぞ。
なぜなら、私はお前のその気持ちが嬉しいのだからな」
ぴしゃりと言い放ち、エミナはまたパソコンへと向かっていきました。私は、浮きつくしていました。
まだ。一ヶ月かそこらの付き合いしかないというのに、どうしてこんなにも気にかけてしまうのか。どこか似ているところがあるのかもしれないとエミナは言いましたが、それだけでは説明がつかない。
だとしたら……エミナもスタリも私も認めてしまっている、『私達は家族である』と、言う認識が気にかけさせているのかもしれません。
思えば私は……この日々を忘れることはないというのに、エミナは忘れてしまえる。そんなの不公平だ。けれど……エミナが幸せならそれでいいと思える自分もいる。そして、それに踏み切る事が出来ない私は……未熟者なのでしょうか? それとも、当然のことなのでしょうか? 分からない……
「私は……こんな能力を持たなければ……悩む事なんてなかったのに」
私は、いつの間にか泣き言を吐きだしていた。防音壁で周囲から隔絶されたこの部屋は恐ろしく静かで、自分の声がよく響いた。気がつけば、エミナがキーボードを叩く音が止まっている。
「ラマッコロクルよ。いいか? 自分の体を嘆くな。私は、若くして禿げ頭の女性になっても、子供が産めない体になってもあきらめなかったのだぞ。ラマッコロクルよ……お前の頭に詰まっているのはメロンパンではなく味噌だ。
だから、私の言った言葉の意味が分かるはずだ。嘘いつわりのない正直な気持ちとして言うぞ。聞く準備は出来ているか?」
「……はい」
私も、嘘偽りのない言葉で頷いた。
「私は私の幸せを喜ぶ。お前はお前の幸せを喜ぶだろう。そして……私はお前の不幸は嫌だし、お前の幸せは嬉しい。お前もきっと同じなのだろうな……だからこそ、私は……お前がどちらの道を選んでも構わないのだ。お前が私の記憶を消すことで不幸になっても……私は素直には喜べないからな。私はお前の存在を忘れるらしいから、後始末が良いとしても……今、この瞬間においての私はなんだか釈然としない。
私も……少し意外だったぞ。以前の私ならば……迷わず『閃きをくれ』と言っただろうにな。なるほど、これが愛なのだろうな。『愛は予想外、愛はイレギュラー』……とな。ふむ、私は私自身がイレギュラーであるためにイレギュラーに強い存在だと思っていたが……どうやら、私もイレギュラーに弱かったようだ」
そのエミナの言葉を聞いて私は、溶けるように胸のつかえがなくなっていくのを感じていた。
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