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「さて、仕事は終わったがまだ日没には早い。本屋にでも寄るか」
10月17日、土曜の午後4時30分。部活と部員の勉強の世話を終わらせた俺は、家路についていた。日は傾き、徐々に海が朱色を受け入れていく。空も同様だ。鱗雲、別名巻積雲が燃えるように輝き、秋の夕焼けを感じさせる情景である。
そうした情緒ある時間で、俺は本屋に向かっていた。たまには立ち読みでもして、有益なネタを拾っとかねえとな。だが、何者かの声が俺の行く手を阻んだ。
「おーい、そこの手拭いかぶった坊や!」
「な、なんだ?」
俺は辺りを見回した。あるものと言えば、せいぜい交番くらいである。しかし、声はその交番から聞こえてきた気がする。そこでその方向を凝視した。交番は今の位置から30メートル程離れているのだが、よく見れば縁側に誰かいるようだ。
「こっちじゃよこっち! 暇なら話でもしようじゃないかい!」
あれは……以前出くわした駐在か。夜通し尋問されたから、良く覚えているぜ。まあ、呼ばれて無視する道理はねえ。俺はゆっくり交番へ歩を進めた。そして駐在に声をかける。
「爺さん、確かナツメグとか言ったな。こんな所で詰めていたのか」
「だから爺さんではないわ! そう言うお主はテンサイだな、ナズナちゃんと同棲している……」
「おい、それ以上言うな。誤解を招く」
「なんじゃ、つまらんの」
爺さんは口を動かすのを一旦止めた。縁側にたたずむ爺さんは、白髪の上に警察の帽子をかぶり、制服にはしわ1つ見当たらない。また、腰には警棒とボールを2個備えている。
そんな生真面目な爺さんは、ふと俺にこう尋ねてきた。
「ところで坊や、タンバでの暮らしには慣れたか? 中々良い町じゃろうて」
「ああ、まあまあな。やっとこの辺りの地理を思い出した気がするぜ。若い頃に旅で来たが、昔とほとんど雰囲気が変わらねえ、良い町だ」
俺は無難に答えた。よくよく考えれば、俺がこの町に流れ着いてからもう2ヶ月も経つのか。ポケモンリーグを目指していた若かりし頃は、1日過ぎるのすら待ち遠しかった。しかし今は2ヶ月があっと言う間。年を実感せざるを得ないな。
さて、俺がたわいもないことに思慮を巡らせていると、爺さんは力の無い言葉を放った。
「……じゃろうな。最近は人が減っておるから、どうにも開発が行われないんじゃよ」
「なるほど。そういや、確かに人はまばらだな」
……以前町に向かったことがあるが、店に対して客の数が明らかに少なかった。特に子供は、いないも同然な状態だった。人が減っているのは確からしいな。
「ほれ、あれを見てみなさい。たくさん家が建っておるじゃろ?」
「ん? 言われてみれば、崖にハイカラな住宅があるな。木々が手入れされてねえから見過ごしてたぜ」
俺は、爺さんが指差す先を注視した。その方向には、町の西にある山がそびえている。山と言っても形は段々となってあり、そこに多数の建築物が敷き詰められている格好だ。例えるなら、映画の舞台になりそうな様子である。だが、そこかしこに雑草や雑木が繁茂しており、住宅はたいそう景色に溶け込んでいる。
「無理もないの。なにせ、あれらは皆空き家なのじゃから」
「……あの全てが空き家だと?」
おいおい、ちょっと冗談がきついぜ。しかし冗談などではないのは、爺さんのしわが次第に増えていくことからも明らかだった。
「ニュータウンと言うのかの。タンバ周辺には平地があまり無いから、あのような場所に家を建て、道も整備したんじゃ。しかしその目論見は崩れ、ご覧の有様じゃよ。もうこの辺りで活気があるのは、町の中心部とサファリパーク以外には無いぞ」
爺さんの口から不意に出てきたある言葉に、俺は不覚にも吹いた。すぐさま俺は追究する。
「さ、サファリパーク? おいおい爺さん、サファリと言えばカントーのセキチクシティだろ。あるいはホウエンのミナモシティ近辺、シンオウのノモセシティだ。ジョウト地方にサファリパークなど……」
「なんじゃ、知らんのか? やはり坊やじゃのう。仕方ない、流行の最先端を走るこのわしが教えてしんぜよう。10年程前にな、バオバと言う男がジョウトでサファリパークを開いたのじゃ。セキチクのサファリを畳んで来たから大したもんよ。で、最近は他地方のポケモンも入れてかなり儲けているようじゃ」
爺さんは胸を張って説明した。10年前からある施設のどこが流行の最先端だと突っ込みたいところだが、んなこたあどうでも良い。あのサファリパークが近所にあるのか、しかも他地方のポケモンまでいると。
「それは耳寄りな話だ。案外、戦力確保に使えるかもしれねえな」
俺は小声でつぶやいた。ジョウトにいるポケモンは種類が少ないから、選択肢が増えるのはありがたい限りだ。
「そう言えば、ナズナちゃんから聞いたが、坊やはタンバ学園であのポケモンバトル部の顧問をやっとるそうじゃないか」
「ああ、そうだが?」
「……ここだけの話じゃが、例の事件以降、部に対する町の人達の見方は厳しくなる一方なんじゃ。以前は強いからって、あれ程応援しておったのに」
爺さんは先程より一層しわを増やした。ここまでやれば、ある種の隠し芸と言えるかもな。しかし、今の言葉には思い当たる節がある。どうにも町の奴らが近づいてこないのも、それが理由か。
「手のひらを返したと言うわけだ。ま、気にするこたあねえさ爺さん。よくある話だからな、『何故起こったのか』を追究することなく、ただただ非難に終始するのは」
全く、世情にいとも簡単に流される奴らが多いのは嘆かわしいもんだぜ。俺も、かつてそれによって潰されたから、十分承知はしていたが。まあ、逆に言えば、結果を出せば奴らは途端に英雄扱いをしてくるわけだ。嬉しくもなんともないが、黙らせるにはこれが最も有効だろうな。
そう言えば、今何時だ? 俺は懐中時計をチェックした。おっと、もう5時か。そろそろ家に帰らねえとナズナが怒っちまう。ここらが引き際だな。
「さてと、俺はそろそろ帰らせてもらうぜ。俺は世事には疎いからよ、また何かあったら教えてくれ」
「なんじゃ、もう帰るのか? 仕方ないのう。まあ、また時間があれば来なさい。じゃが自分で調べるのも怠るんじゃないぞ、坊や」
「合点だ」
俺はゆっくりうなずくと、ますます赤くなった夕日を背に家に戻るのであった。
・次回予告
さて、俺は部員達を連れてサファリにやって来た。もちろん試合で使うポケモンを探すためだが、この機会を無駄にする理由は無い。俺も久々に新しく捕まえてみるか。次回、第20話「サファリパーク、未知のポケモン」。俺の明日は俺が決める。
・あつあ通信vol.85
今作はモブキャラを大量に書けるようになることを目標の1つに据えているのですが、どうにも1人1人に手をかけたくなっちゃうんですよ。ナツメグさんもその1人。出したからには使わないともったいないと何回も起用するうちに、モブがそこまで出ないまま最終話にたどり着く……これはできれば避けたいところです。まあ、今作は余裕で100話いくでしょうから大丈夫だとは思いますが。
あつあ通信vol.85、編者あつあつおでん
-14-
「ところで、ラマッコロクルよ。そろそろ腹が減ったから、食事の用意をしてくれ」
「あの、そういうセリフは冷蔵庫を空にした状態で言わないでください。私は何もないところから食料が出せるような魔法使いではないのですが」
自己管理が下手だとは思っていましたが、やはり……なのですか。こういう所は恩返しに来ない方が良かったと思える……
「おや、それならば言ってくれればよいのに」
「貴方はジュースをとるために何度も冷蔵庫を開けたでしょう。それで気がついて下さい」
こんな漫才のようなやり取りが、本当にあるなんて常軌を逸しすぎている気がします。
「ふむ、確かにそうだな……あと一日でシネに試作コードを試してやれるところまで漕ぎつけたというのにな……このまま買い物に行くのはいささかもったいないな」
さて、そんな事を言いながらエミナは考え込んでしまいましたが、どんな迷案が飛び出してくるのやら……
「ふむ、では仕方がない。スタリ用の缶詰でも食すとするか」
「いや、あれ……おもに肉食ポケモン用のポケフーズでしょう? ていうか、スタリ用って自分で言っていますし……」
「大丈夫だ。あれはあれで、避難民の配給食などよりよっぽど美味いと聞くぞ。というか、スタリ用の缶詰は私が食べてうまいと思ったものを選んでいるからな。
あぁ、地下収納で保存しているから冷たくなっているからな。缶詰のまま電子レンジで加熱することはいけないから皿に開けて温めなくてはな。頼んだぞ」
スタリから聞いた時は信じられないと思いましたが、やっぱりこの人常軌を逸しすぎています。こういう事をやっているうちにスタリの餌までが尽きてしまった事もあるとかで……スタリが趣味にしている狩りもその時に切羽詰ったから覚えたと彼は言いますが……納得ですね。
スタリがしっかり者になる理由もわかる気がします。同時に変わり者になる理由も……ですが。
こんなエミナですが、私への気遣いは何があっても忘れない……私がこの家に来てから最初に街へ行く時は家で待機を命じられましたが、今は最高級のゴージャスボールに入れて持ち歩いてくれますし、インスタントホイコーロやミルクジャムもきちんと買ってきてくれますし……だらしないけれど、本当に悪い人じゃないのですよね。
それだけに……辛い。
彼女はやはり紛れもなく天才……いや、鬼才ですが、このペースで人間の感情を作るには後50年以上は完成に時間がかかる。私が彼女の周りを飛び回り、力を行使すれば一息に完成させられるほどの閃きを彼女に与えられる……けれど、それは普通は許されない。
許されるためには『自身の能力でオーバーテクノロジーの知識を与えた者に対し、自分が接触した記憶を一切残してはならない』事が原初の神より与えられた条件だから。
もし、私が彼女に新しい『モノ』を生み出すひらめきを与えるならば、彼女と私が共同生活をした記憶を全て消さなければならない。今更、彼女の記憶を消してしまう事なんて、私には出来ない。私は……家族の一員になったような気がして、もう彼女たちと離れたくなくなっているから……
◇
スタリから狩りの誘いを受けた私は、誘われるがままについて行った。その時私は上の空で、狩りに集中できていないのは誰の目にも明白で、それをスタリに見破られて、気がつけば私は悩みを洗いざらい話していた。
「私……もうどうすれば良いのか、分かりません……私、エミナさんの記憶を消したくないです」
『そっかぁ……それを御主人に話したらしたら何と言うか、寂しくなりそうね』
私は、スタリの言葉にしばらく言葉を返せなかった。
「それってつまり……エミナは、記憶を消して目的を果たすのと……私と一緒にいるのを天秤にかけた時……ほぼ確実に『記憶を消して閃きを得る』方を選ぶって……事でしょうか?」
『御主人ね、めったに涙を見せないわ。でも、私にだけは愚痴も泣き言も打ち明けるの……ポケモンはどうせ喋られないからってタカをくくっているのでしょうね。そんなご主人がね、漏らしてくれたの。自分が子供を作れない体になった時……まだ彼氏もいなければ男性経験も無いというのに、一生独身かもしれない癖に、盛大に泣いたそうよ。それで、この研究を立案して、それに賛同が得られなくって……現実逃避するようにここ、シンオウへ来た。その時私は、生後2カ月で電柱に張り付けられた里親募集の張り紙を通じて出会ってね……今話しているのもその時に漏らしてくれたお話
でも、研究を始めて5年目……だったかしらね。ソースコードだとか言う訳の分からないものの新しいバージョンを作り始めてから2年ね。この研究を生きているうちに完成させるのは多分無理だって悟っていた……』
主人との出会いを懐かしみながらスタリは続ける。私は、何も言い返す事が出来ずにその言葉をただ聴いていた。
『悟って、それでも意固地になって『なあに、奇跡が起これば完成させられない事はないさ』と言って……主人はあの家の作業室に籠り続けた』
奇跡が。奇跡ってそれは……
スタリが立ち止り、私の閉じられた目をまっすぐに見る。
『そして今、貴方に出会うという奇跡が起こった。まだ、御主人は貴方のことをただの賢いポケモンとしか認識していないと思いますけれど……別れが辛いならば、ご主人には話さない事ですよ……ほぼ確実に、御主人が選ぶ道は決まっていますから』
確かにそうなのであろう。エミナはきっと、私と一緒にいる道を選びはしない。だとすれば……私が恩返しとして彼女へ報いるためには、彼女の記憶を消して閃きを与えることが正解なのでしょうか?
分からない……いや、私が考えてわかるはずもないのだ。恩を受け取るべき人間に聞くのがきっと一番早い。
けれど……私はエミナと一緒にいたいのに。暗にそれを許さないと宣告するであろう彼女の返答が私はひたすら怖くて、何も手につかない。この日私がスタリの狩りを手伝う事はとうとう出来なかった。
POCKET
MONSTER
PARENT
番外編
『玉』
半分だけ眠っているような感覚で、私は気持ちよくまどろんでいた。
うとうとしていると、ドッドッドッ、とテンポのよい音がかすかに聞こえてきた。
鈍い音に合わせて大地が震えているのが分かる。
―――足音だ!
眠っていた私の肉体に、冷や水を浴びたかのような衝撃が走った。
全ての余裕を失い、替わりに身の毛もよだつ恐怖の念が心を満たしていく。
私は目を覚ました。
緊急事態を告げるように心臓の音がバクバクと鳴り響いている。
それから、ふと思い出して、慌てて、隣で眠る私の娘を叩き起こした。
「起きなさい! チカ! 起きろ!」
赤い頬をペチペチ叩き、わめくように大声で呼びかけた。
娘の黒く丸い瞳がゆっくりと開いた。
「んもぅ、何なの? パパなの?」
弱弱しい声が返ってくる。
私の娘のチカはうっとおしそうに寝ぼけている様子だ。
対して、私は真剣なまなざしを送り、言った。
「魔王が来る!」
チカはポカンとした表情を見せてから、取り乱したように跳ね起きた。
スムーズに立ち上がれないほど、チカはびくびくうろたえていた。
朝日が見えるよりも早い時刻であった。
見える全てが薄暗く、世界が青い影に覆われているかのようだ。
「急げチカ! もっと速く!」
私とチカは背の高い草原の中を疾走していた。
草の中に身を隠すよう、四つん這いとなって駆け抜ける。
「足を止めるな! 走れ! 全力で逃げるんだ!」
私はチカを先に走らせ、草の中に消えていくのを確認した。
そして、ふと、立ち止まる。
私の背中の向こうから、息が詰まるほどの重苦しい空気が流れ込んできた。
そこに何がいるのかを確認しなければならない。
恐る恐る振り返った。
雲一つない、夜の色を残した空を背景にして、巨大な影が揺れ動いていた。
高く太い柱のような影が徐々に近付いて来る。
足音が大きくなるにつれて、次第にその姿がハッキリと映った。
それは巨大な、二足歩行の、のっぺりとした、異形の化け物であった。
間違いなく、私達が魔王と呼ぶ生き物であった。
魔王とは、凄まじく強大な力を持っていながら、残虐性の高い、全く言葉の通じない生き物だ。
手のほどこしようがない最低で最悪のモンスターである。
無力で弱小な私達には、逃げる以外に選択肢はなかった。
身を堅くして眺めている今も、魔王はじわじわと迫りくる。
真っ直ぐこちらに迫りくる。
―――狙われている!
私は、死に怖気づいた。
全身から冷や汗がドバドバと流れた。
今になって、チカの無事を思い煩う。
胸騒ぎがする。
気が気でなくなった私は、全速力でチカを追いかけた。
落ち着きを忘れて、魔王の傍から全力で逃げ出した。
本気で足を動かしてるのに、体が重さがもどかしくってたまらない。
さえぎる草の行列を、頭で突っ切って走る。
走り続ける。
しばらくして顔を上げると、ようやくチカの姿が見えた。
ずいぶんと移動速度が落ちている。
息を切らしているらしい。
そして、ようやく私はチカの隣にたどり着く。
その時だった。
いきなり前方から突風が吹きすさぶ。
何の前触れもなく、嵐が襲ってきた。
私は力んで地面を踏み付けた。
冷たく激しい風に飛ばされないよう、チカを支えて踏ん張った。
「こんな時にっ! 一体何なんだ!」
風が止むまで耐え凌ぐと、私の目の前には足があった。
太くたくましく鋭い爪の伸びた脚だ。
そこにいたのは、尻尾の長い、翼を広げた、首の伸びた、怪獣だった。
ドラゴンだった。
私は顔を上げて、魔王よりも大きなドラゴンと視線を交わす。
その脅威に気圧されそうになったが、逃げるわけにはいかない。
私の腰からびくびくと震えるチカの感触が伝わっていたからだ。
無い勇気を無理矢理しぼりだし、私は勇んで申し出た。
「急いでるんだ! そこを退いてくれ!」
「断る」
ドラゴンが言った。
地の奥底から響いてきたようなしゃがれ声だった。
「何の用だ! 後にしてくれ!」
「我が主がお前達の命を強く渇望しておる。大人しくその身を捧げるのだ」
「お前……魔王の下僕か!」
「魔王? 下僕? ……クックックッ、なるほど。上手く言い当てておるなぁ」
ドラゴンはのん気に感心している様子だった。
にわかに、空から声が降って来た。
咄嗟に私は身構える。
呪文のような荒唐無稽な言語が頭の上から流れていた。
私は周囲をキョロキョロと警戒していたが、娘もドラゴンも口を開けてはいなかった。
ハッと思い立って、後ろを見た。
巨大な悪の姿がそこにはあった。
魔王がいた。
全身を視界に収まりきれないほど近い所にいた。
背筋が凍りついた。
一瞬、体が硬直して息が抜けなくなった。
魔王は呪文を言い終える。
そして、ドラゴンは口走る。
「アンタが邪魔だとよ」
ゾッとするほど冷たい一言だった。
ドラゴンはツバを吐き捨てるように、口から真っ赤な閃光を放った。
閃光はビュンと飛来し、私の胸に触れ、爆発した。
立ちくらみがするほどの、強い光が視界を奪った。
鼓膜の奥にまで轟音の濁流が押し寄せてきた。
私の全身は、真っ赤な炎に覆われていた。
私の肉体は、真っ赤な炎に蝕まれていた。
激痛と間違うほどの灼熱が体中を襲った。
思わず悲鳴を上げようとした。
しかし、その途端に、炎も感覚も消え失せてしまう。
温度も、痛みも、恐怖も、何も感じなくなった。
世界がフラッと傾いて、私は倒れた。
力を入れているのに体が動かない。
どうやら私はドラゴンにやられてしまったようだ。
自分の弱さに情けなくなった。
私を燃やした炎は、周囲もろとも焼き尽くしてしまった。
辺り一面に黒く焦げた草が、全部しおれて煙を上げていた。
「パパァ!」
助けを求める声がした。
さえぎる草は影も無く、チカの姿がハッキリと見えた。
そのすぐ隣に、ドラゴンと魔王の下半身があった。
絶望した。
チカは血の気を失った顔色で、表情をひきつらせている。
このままだと、今まで大事にしてきた私の宝物が無くなってしまう。
居ても立っても居られない。
それなのに、体が動かない。
もどかしくて、あせって、いらだって私は怒鳴った。
「チカっ! 逃げろっ!」
しかし、チカは動かなかった。
びくびく小刻みに震えるだけだった。
腰が抜けてしまったのだろうか。
チカが恐怖で動けないのだと思うと、私は胸が張り裂けそうになった。
もうほとんどあきらめていた。
魔王の下半身がわずかに動いた。
すると、空から何かの塊が降ってきた。
スッと弧を描いて墜落する。
私の娘の頭の上に。
「チカッ!」
ギョッとした。
叫んでいた。
音が聞こえなくなって、頭の中が真っ白になった。
この体が自分の物じゃないような感覚になって、
心臓の鼓動が遠くなって、
まるで生きた心地がしないでいた。
チカが死んだ。
私はそう思い込んでいた。
しかし、目の前の現実は違っていた。
チカは閉じ込められていた。
魔王が落としたオリの中に閉じ込められていた。
赤と白の丸い玉のようなオリに。
「何これ! 何なの! 出してよ! ここから出してっ!」
オリの中の絶叫は、小声となって私に聴こえた。
紅白の玉のオリは、チカの声を発しながら、右往左往に激しく揺れ始める。
「待ってろ! 今、助けてやるからな!」
私は手足がバタバタと動かしていた。
まるで陸地で跳ねるコイキングのように、横たわって震えていた。
娘がピンチなのに、助けてあげたいのに、私の体が立ち上がることはなかった。
「助けて! 怖いよ! パパ、助けて! お願い、出してよぉ!」
「もうちょっとだ! あと少し頑張ってくれ! チカ! ……チカ?」
ついさっきまで玉のオリはゴロンゴロンと転がり回っていた。
今は凍りついたかのように静止している。
静寂が流れた。
チカが言葉を返してくれなくなった。
時が止まったのかと勘違いをした。
いつまでたっても玉のオリはピクリとも動かない。
まるで死んでしまったかのように動かない。
「チカ! チカ! おい! 返事をしろ! してくれっ!」
「もう遅い」
ドラゴンがやけに沈んだ声で言った。
「うるさいっ! 何が遅いもんか! チカ! パパはここにいるぞ! チカ!」
私は娘の名前を叫んだ。
馬鹿みたいに何度も呼んだ。
怒り狂ったかのように、チカの言葉を求め続けた。
しかし、何も起こらない。
チカの気配は全く感じられなかった。
目の前にある玉のオリは微動だにしない。
チカの入った玉のオリを、魔王は軽々しく拾い上げた。
まるで重さなんてないかのように。
魔王は私の娘を閉じ込めたあげく、無慈悲にも連れ去ろうとしている。
許せなかった。
あまりの傍若無人さに腹が立った。
「おい、まて! ふざけるな! チカをどこに連れて行こうっていうんだ! 身勝手すぎるぞ!」
「案ずるな」
「黙れドラゴン! 悪魔の手先め!」
「昔、まったく同じ目にあったことがある。嫌な思い出ではあるが、今はけっこう満足しておるぞ」
「ワケの分からないことを! 待て魔王! どこへ行く気だ! 答えろ! 答えろよぉ!」
横たわったままの私に、ドラゴンが哀れむような眼差しを向ける。
同情してくれているかのように見えた。
協力してくれるかもしれない。
馬鹿げた発想をした私は、淡い期待を胸に、尋ねた。
「待てドラゴン! 娘を返してくれ! その替わりに私が!」
「無理だ。ひんし状態じゃ、捕まえられない。あきらめろ」
ワケの分からないことを言って、ドラゴンは私に背を向けた。
何度も止まるよう叫んでみたが、ドラゴンが歩みを止める気配はなかった。
二つの背中は、ゆっくりと私から遠ざかって行く。
私は、ただひたすら憎しみの念を投げ続けた。
声がかれても叫んでいた。
あっという間に、二体の悪魔の姿が見えなくなってしまった。
チカが私の隣からいなくなってしまった。
急に悲しくなって、目頭が熱くなった。
「うおぉおおおおお!」
私は大声で叫んだ。
現実を声で振り払うようにわめき散らした。
まるで赤子のように声を上げて涙を流した。
誰もが眠る静かな朝に、醜い声が嫌にハッキりと聴こえた。
生きる望みを失くした今も、私の命は続いている。
-13-
「エミナさん……例の部分ですが……修正案を注釈つきで……」
ふむ、まだ早朝か。日付が変わっても必死で読みふけり読解していたのか、ラマッコロクルは私に尋ねられた箇所の修正案を思ったよりも早く叩きだしたようだ。流石と言わざるを得ないな。
作業室には、スタリが炎を吐くでもなく居座っていて、豊かな体毛を持つ上にやたら長く、それでいて9本ある尻尾で狭い作業室は半分が彼に占領されている。ラマッコロクルはその圧迫感が好きではないようだが、なあに……すぐに慣れるさ。
「おぉ……御苦労」
ラマッコロクルからUSBメモリ受け取ると、すぐにもう一つの窓でエディタを開いてコードを覗く。さて、どれほどの出来なのだろうな……ラマッコロクルの読解能力の高さは驚異的だが、新たにコードを作る能力はどの程度のものなのだろうかな?
その傍らで、ラマッコロクルが暇そうに浮きつくしていると、触手のようにスタリの尻尾が絡みついたようだ。まぁ、無視してもいいか。
「クオゥ!!」
キュウコンが尻尾で縛りつける力はお世辞にも強いとは言えないはず、簡単に抜けられる。しかし、作業とスクリプトの熟読で疲れ果てた体は抵抗する気にはとてもなれないらしい。ラマッコロクルは特に抵抗するでもなく尻尾にしゅるしゅると巻き取られた。
「あぁ、なるほど……そんな手があったのか。流石だ――」
私がそこまで言ったところで、防音の扉が閉じられる音がした。
「ちょっと参考に色々改変するから……おっと、スタリの奴め……ラマッコロクルもつれていったのか。まぁ、よいか」
まったく、スタリは相変わらずのマイペースだな。そして、ラマッコロクル……正直、一日でこんなものを作るとはな。もし、私がアグノムかエムリットのようなクラゲ仲間であったなら、ぜひ婿として奴を迎えたいくらいだ。
◇
スタリは、からみついた尻尾から解放しようとはしてくれなかった。抵抗すれば簡単に抜けられる程度ではあるが、善意から行われたこの縛りに抵抗するのは少々気が引ける。
そのまま2階まで連れて行かれ、解放されたのはスタリの部屋の中であった。
『御主人が楽しそうにしているのはいい事なんだけれど……ちょっと無理しすぎよぉ。御主人、眠る時間がさらに減っているような気もするし……』
「……眠る時間が少ない、ですか。確かにそうかもしれませんね」
『どうするの? 眠ってくれって言って聞くようなご主人だったら楽だけれど……私が服を噛んでベッドに引っ張っていこうとしても、従ってくれるのは大体2回に1回なのよね。キュウコンの個体によっては使える催眠術も、私は使えないから……あまり御主人を無理させたくないのだけれど』
そういえば、スタリは熱風や催眠術のような、血統で覚える技は使えないようだ。一応、洗濯物を乾かす時には熱風の真似ごとのような事もやっていたが、誰かに威力の高い熱風のコツを教えてもらわなければ戦闘に使用することはできないでしょう。
「無理を……ですか。確かに彼女は無理が過ぎる面がありますからね……分かりました。大分食事の感覚も開けているようですので、今から食事の準備をします。 それで、食事が終わったら私なりの方法で眠らせてみます。ですので……スタリさんは御心配なさらず」
私がそんな提案をするとスタリはほっと息をついて、神通力で私を引き寄せたかと思うと、顔をペロリと舐める。
『ありがとう。まだ1週間もたっていないのに、御主人の事を心配してくれるほど仲良くなったみたいで嬉しいわ』
はにかみながら、スタリは頭を下げる。
『それとね……御主人が楽しそうなのは嬉しいんだけれど……たまには私と一緒に狩りでもして遊ばない? 御主人……全然構っていないから退屈でさ。今は疲れているでしょうからいいけれど……暇が出来たら、一緒に外に出かけましょう?』
こうして、気がつけば私はこの家族二人に必要とされていた。それはとても嬉しい事なのだけれど……少し休む暇が少なくって疲れてしまいそうですね。
でも、ここは暖かい。スタリがいるから……という物理的な熱もあるけれど、言葉では説明しづらい心の温かさ。それが、エムリットがその尊さを伝えていた喜びなのでしょうか。
そして、エムリットの言う至高の感情……『愛』というものがあるとしたら、多分この家族の元で感じるのが初めてとなるのでしょうか。いや、もしかしたら……今感じている感情こそがそうなのかもしれません。
愛……か。そういえば、この大事な感情をエミナはどう考えているのでしょう? 彼女ならばきっと答えを用意しているはず……というよりは、ソースコードに愛らしき感情と思えるがあったような……
◇
そんな事を考えて数日がたった。相手と自分の呼吸のペースを合わせ、精神の表層の波長や波形、波の大きさを一体化させ、それにより相手と自分の意識が同調シンクロした隙を狙って一気に深層意識にまで侵入して眠らせる技、『欠伸(あくび)』。
それを用いて乱暴に眠らせたりなどしても、エミナはちょっと文句を言うだけで褒めもしなければガミガミと叱りつける事もしなかった。エミナは表面上では無頼の徒を気取っていても、きっちりと体に気を使ってくれた事を嬉しがっているのが何となくわかる。そんなエミナの気持ちを嬉しく思ったのを、私は胸の中で感じている。
「エミナさん」
数日前のスタリとの会話を思い出しながら、私は思わず尋ねていた。
「なんだ、ラマッコロクルよ?」
「感情をプログラミング言語で再現しようとしている貴方なら考えた事のあることだと思いますが……愛ってなんでしょうか?」
エミナは答えずに、窓の右端にあるスクロールバーを動かした。言葉で説明するのは難しいと言いたいのは分かりますが、これじゃあ私にしか理解できませんね。そんな事を思うと、なんだか幼少期にアグノム達としていた秘密の内緒話を思い出した。ちょっとした優越感と、話し相手との親近感が楽しかったのが不意に脳裏によみがえってきた。
「見ろ、この部分だ……見ろ、ここの処理の返し方が、他の感情とは明らかに仕様を異にするものだ」
「……予想はしていましたが、本当にこんな風に説明しますか? 誰も理解できませんよ?やっぱりそこは……貴方なりの愛を描いていたのですね」
真面目な顔でそんなこと言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
「なんだ、笑うなら押し込まないで盛大に笑え。それでな、愛と言うのは他の感情を連鎖的に派生させると共に、行動に多大な影響を与えるのだ
そこには……ほら、このコードを見てみろ。愛する対象を防衛しようとするもの、独占しようとするもの、育てようとするもの……親子愛、友愛、師弟愛、偏愛、性愛……神の愛アガペだって持ち合わせているぞ。それら色々な形の愛があるが、共通しているのは、好意と、大事にしたいと思う気持ち。
その気持ちを……こんな風に0と1で表すのは非常に難しいことだが……やって見せるさ」
エミナは嬉々として、水を得たネオラントのように上機嫌だった。マウスの右ボタンと左ボタンに挟まれたドラムを操る手も楽しそうだ。
「おぉ、あったあった。ここはな、乱数の幅を多めにしてみたんだ。素体となるポリゴンの性格によってきちんと抑制も助長もされるが、『愛はイレギュラー、愛は予想外』という事を端的に表したくってな。改良の余地はあるかもしれないが……なかなか刺激的だと思うぞ。
憎しみについても、愛と似たような作りになっている。負の愛とでも言うべきかな、絶対値を同じにして対極にある感情を割り振ると言う訳ではないが……基本的な構造は同じにしているよ。まぁ、こんなことは君には言わなくても理解できる事だろうがな」
そんなふうに、自分の作ったプログラムを紹介する時のエミナは、親馬鹿なお母さん顔負けの自慢ぶりであった。彼女が子供を作るためにこの研究を始めたという事がなんとなく伝わってくる。
「私と考え方が似ていて……ホッとしました。個体ごとの乱数上限値の設定方法や、別の感情との相互的な分岐・転換・相乗効果……数値までは、これで正しいのかどうか測りかねるところがありますが……随分と色々考えているのですね……本当に素晴らしいと思います」
「机上の空論だけではわからないこともある。まだまだやるべきことは沢山さ」
「ですね」
こうして、私達はいろんな質問をしあいながら作業を進めて行った。エミナは私の今までよりもずっと作業がよく進むと喜んでいる、そういわれると私も嬉しく思えてきます。恩返しに来て、本当によかった。
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おもむろに下半身の服を脱ぎ、ついに下着まで取ってエミナの下半身は完全に露わになる。不摂生な生活を続けているせいか下腹部がたるみ、みすぼらしい見た目をしている。言っては悪いですが、見事に魅力ゼロです。
しかし、相手がポケモンだからという事で遠慮をしないのは分からないでもないが、いきなりこれはどういう風の吹きまわしなのか……いや、エミナの女性として大事な部分の近くに傷がある。目立たない、よく見なければ気付かないようなものだけれど、あれは何?
「ほう、眼が開いていないかと思ったが、きちんとこの傷に気がついたか? これはな、子宮癌の摘出手術の跡だよ……もう少し早くに発見していれば、部分摘出の手術も出来たのだがね。やたら危険な状態だったとかで……手術に使った麻酔の副作用がきついわ、抗がん剤の副作用がきついわで大変だったぞ。髪も治療の時だいぶ薄くなってしまってな……今は知っての通りカツラでごまかしている。
だがまぁ、分かるだろう? 私が辛かったのは、副作用の事でもカツラの事でもない……子供が出来ない体になってしまったことだよ」
それで……カツラをかぶっていたのですか。いや、それよりも……子供が出来ない事であの執念が生まれるものなのですか?
「私が、感情を実際に発するポリゴンを作りたいのは……私の手で子供を作りたいという願望なのだよ。なぜなら、子供を育てることなんて男でも出来る。女にしかできない子どもを産むという権利を剥奪されるのには、個人的に我慢がならないのだよ。
もちろんのこと、『私の手』というのは比喩表現だ。本当ならば、子宮で作るのが1番楽なのだからな……養子をとって満足できる性格ならば楽だったのだがなぁ……生憎、私は普通ではない。他人の子など育てられる気がせんよ」
「協力者がいないのは……」
「あぁ、それはだな。私が手術後に会社でこの企画案を出した時……それは一笑に伏されたのだ。他の案が多数出た中で、私の立案した開発プロジェクトには、研究員が私1人しかつかない事になってしまったのだ。当然、そんな事では会社からも資金もでないというわけだ。
他の研究員は、ポリゴンを異次元でも活動できるように……と、ポリゴンFだかZなる物を作ろうと躍起になってな……私が研究を続けるには、個人的にやるしかなくなってしまったからだよ。
まったく、友達がいないというのは辛いものだね。昔は1年に3回か4回は家に同僚を招いたし、招かれたものだが……これでも恋もしたんだぞ? ここに越してきてからは、スタリ以外を家に入れた記憶も無いし、公共施設や店舗以外の建造物に入った覚えもない。あぁ、だが家に招いたといえばお前がいたか……」
エミナはだんだん寒くなってきたのか、脱いだ服を着直して、また画面に向かいキーボードを叩きはじめました。
この人が、こうして一人で研究するようになったのは……子供を産みたいから? ある意味女性なら至極真っ当な、当たり前の感情ですが、それが歪んだ形で発言するとこうなるのでしょうかね。
それで、あのコードを開発したというのだとしたら、なんて純粋な人。それが、良い事なのか悪い事なのかは抜きにしても……純粋な想いを以って、開発に取り組んでいるのですね。私は感情や意志の強さを測ることはできないから、そういう点でアグノムやエムリットとは違うのが少し悔しい気がします。
しかし私には、私にしかできない事がある。でも……それをやってしまえば、流石にアレなしではアルセウスに顔が立たない。
私は、この人間に興味がわいた。だから……エミナをもう少し長い時間見ていたい。だから……ユクシーの能力の行使はしたくない。でも、ただの賢いポケモンとしての後天的な能力ならば……アルセウスの意向に逆らう事も無いはず。
「ラマッコロクルよ」
そんなことを考えながら、私はずっと彼女の作ったコードを読み返していた。現実に引き戻されたのはラマッコロクルのこの呼び掛けだ。
「何ですか?」
「なぁに、簡単なことだ。お前は私の作ったものを無駄なく無駄が多いと賞賛したが……これ、ここの部分だ」
そして、その後天的な能力を使う機会は、意外な事にエミナ自身が与えてくれた。
「これは本当に無駄な部分なんじゃないかな、と思っているのだ」
エミナが指差した場所は、私も少し違和感を覚えた場所であった。大胆不敵そうなエミナも、自分が作ったものを消すことが何となく怖いのか。
「いや、なに。ただ無駄なだけならばよいのだが、これがバグというか不具合の原因になっているならばぜひ消しておかねばならぬだろう? 悩んだり、迷ったりする、人間にもありうるような愛嬌のあるバグは歓迎だが、思考が停止してフリーズするバグ、処理が不可能になるバグはいただけない……人間だって、凍り付き症候群*10なんてモノがあるが、コンピューターの場合はそうなったら、最悪再起動しないと回復しないからな」
それにしても、一人での作業という事は……作ったものを消すのが怖いとか、ここは間違っているんじゃないだろうとか、そういった創作に関わる者ならだれもが抱える不安を……エミナはどれだけ長い時間抱えていたのでしょう?
『誰にも相談できなかったのか?』などとも思ったが、それは、彼女の事情から察するに最初から無理な相談なのだから。
このコードは例え、一から共同で作ったとしても、一握りのプログラマーしか解読できないような校正職人泣かせの変態かつカオスなプログラムだ。それだけで彼女のプロジェクト案が排斥されて然るべきだと納得が行く。
例え、最初から同僚だったという研究チームがプロジェクトの協力を申し出たとしても、きっとついてこれはしなかったであろうと。
なら、彼女に協力できるのって……もしかしたら、彼女の知り合いの中では私しかいない?
「どうした? 何か意見をくれ」
「あ、はい。えっと……お恥ずかしい話、私も違和感があるのですが……まだ、全体図を整理し切れていないので……1日ほど、時間を……」
「構わんよ、それにこれだけ複雑なものなら、1度や2度読んだくらいでは超一流のプログラマーでさえ理解できなくても恥ではない。だからゆっくりやってくれ。だが、その前に……お前のメロンパン頭を見ていたら腹が減ってきた。何か作ってくれ」
また、メロンパンと……しかし、もう目くじらを立てるのはやめましょう。
「わかりました……美味しいものを作りますから、貴方はその続きを頑張ってください」
ここまでユクシーの能力を行使したい気分になったのは久しぶりですね。とにもかくにも……美味しい食事を作ってあげねばなりませんね。
*10 突然の出来事に体が動かなくなる状態。いわゆる、蛇に睨まれたカエル状態
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ふう……考えてみれば、今まで夜更かしなんてする事は本当に稀だった。いつも気ままに飛んで、気ままに食べて、気ままに眠っていたから……こんな風に意地になって何かに打ち込んだりすることなんて久しく忘れていた。
疲れたけれど凄く充実していたような……
スタリの部屋に忍び込んでみると、スタリは案の定眠っていた。安らかな寝息は小さい音だが、この人里から遠く離れた家ではよく響く。扉をゆっくり開けるとその音に目覚めたのか、スタリは僅かに目を開けて私を確認して、尻尾で手招きするとそのまま眠ってしまった。
丸まっている彼の体に寄り添うように腰を掛ける。恐る恐る慎重に背中をくっ付け合わせると、尻尾に優しく包まれてなんとも暖かい。
せっかくのキュウコンの高い体温も、体毛が長いせいでその熱が中々伝わってこないが、こうして尻尾の中に包まれると彼の熱がじわりと伝わってくる。スタリは起きているのか眠っているのかも分からないような意識の中で、明確に私を歓迎してくれているのでしょうか。
上等な絨毯のように滑らかな毛皮と、スタリの熱。人間には小さすぎても私にとってはキングサイズのベッドよりもよっぽど寝心地が良い。
今日は……といっても天辺をとっくに過ぎちゃっていますから今夜が正しいのでしょうか。今夜は疲れましたから……お休みなさい。
スタリ、エミナ。
◇
『おはよう……というか、この場合は『おそよう』かしらね、ラマッコロクル。もう昼だからそろそろ起きなさいよ』
もう、昼ですか……でも、まだ……眠い。
『ラマッコロクル。もう夜だからそろそろ起きなさいよ……』
え?
『ラマッコロクル……もう朝だからそろそろ起きなさいよ』
「うわぁぁぁぁぁ!!」
あまりの気味の悪さに発狂しそうな剣幕で起きてみれば、もう太陽は最も高い位置に上っていた……また昼を迎えてしまったのですか!? 確か最後に寝たのは12月5日の深夜と早朝の境目あたり……今は何月何日!?
『あ、起きた。冗談よ、まだ最後に会話した次の日のお昼よ』
「い、意地悪……」
心臓が思いっきり高鳴っている私に対し、スタリはひたすら面白そうにケラケラと笑っていた。と、それよりも私には仕事があるのだ。
「まずい、ごはん作らなきゃ……」
サイコキネシスを発動して、ふわりと体を浮かせ部屋の外に出ようとしたのもつかの間。スタリの神通力によってそれは止められた。
これは……あまり強い力ではありませんね。まぁ、タイプや素養そのものの差に年季も違いますから、スタリの神通力が私より強い力だとユクシーとしての面子が立ちませんが……それ以上にスタリには本気を出す気が無いようですね。
「あの……」
『ご主人なら、本当に集中すると1日くらいなにも食べなくっても平気だから。何かで集中が途切れると、突然腹が減ってくるみたいだけれどね。だからまぁ、触らぬ神にたたり無しって言うでしょう? 放っときゃ良いのよご主人なんて。』
そんなんで良いのかとも思いたくなるが、私よりも遥かに長く暮らしているのであろうスタリがそういうのだから間違いないでしょう。なら、ここはスタリの言うとおりに従っておくべきでしょうか。
『私はこれから、外に遊びに行って来るわ。貴方も、暇を持て余しているのならば何かをやってみたらどう? 狩りとか、楽しいよ?』
言うなり、スタリは窓を神通力で開けて2階から飛び降りて外へと降り立った。暇を持て余していると言えばそうですが……私はどうすればいいのでしょう? 昨日に張り切りすぎてしまったから、もう疲れのとれた今日に暇となると、なんだか拍子抜けですね。皿洗いもすぐに終わってしまった。
今、やるべき事があるとすれば……暇を潰す方法があるとすれば、昨日のコードの続きを読む事でしょうか。あまりエミナの気を散らして食事の用意をしろなどと言われないように気をつけて、ノートパソコンを貸してもらいましょう。
「失礼」
申し訳程度の小声でラマッコロクルは作業室へ入る。
「おや、メロ……ラマッコロクルか」
なんだか、その呼び方猛烈に懐かしい気がしますが、その呼び方は嬉しくないのでやめてください。
「どうした、今スタリは出て行ったばかりだからこの部屋は暖かいだろう? 温まりに来たならば、あそこの棚の上に乗るといい。上の方は暖かい空気が集まるからな、むしろ暑いくらいだぞぉ」
お断りします。切実にお断りさせていただきます!! まったく、言う事がいちいち鼻につく人ですね、貴方は。
「いや、そうじゃなくって昨日のノートパソコンとフラッシュメモリを貸してもらおうと思って……」
「ほう、タメ口が板についてきたなぁ、いい調子だ。そうだな、ノートパソコンはそこにあるから今のうちに起動しておけ。USBには、今からデータを保存する……よし、これを読め」
私は念力を使い、エミナの手の平に乗せられたフラッシュメモリを受け取り、ノートパソコンに差し込んでパソコンの起動を待つ。間違っても私の目を見られないようにそっぽを向いて、起動したパソコンを操作して、コードを読み進める。
やっぱりだ……この人は、エミナは天才だ。こんなにほとんど無駄なく、上手い所に無駄が多いという何とも矛盾したプログラム……これが、たった一人で人間の脳や思考に極限まで近づけようとした研究成果なのでしょうか?
ですが、一体なぜこんな研究を? そりゃあ、損得計算抜きの直情的な行動が出来るというのは、人間の最も特徴的な性質ですが……そんなもの、ポリゴンに搭載してしまえば、この新バージョンへのアップデーターは商品として成り立たないのではないでしょうか? ポリゴンの商品としての価値を大幅に下げてしまうような……
ポリゴンをポリゴン2へ進化させるアップグレードは、ポリゴンの強化や行動の多様化による可愛らしさの増大というように、愛玩用としても戦闘用としても優れた性能を発揮しましたが……これでは、愛玩はともかく、戦闘にはいささか問題ありと言わざるを得ないです。
ならば……新しいポリゴンを愛玩用に特化させるため? ですが、愛玩用のポケモンだったら見た目の改良や、さらに多くの仕草を自動でプログラムできるようにすれば済むだけ。感情を作る必要までは無いはず。
「読み終わっ……たので。もう一回読んでさらに理解したいところですけれど……一つ、質問よろしいでしょうか?」
パソコンの内部の時計はまともに合わせられていなかったが、ちょうど読み始めた時から7時間半ほど経っていたから今はもう夜の時間帯だろう。エミナは脳への糖分の補給のつもりなのか、何処で買ってきたのかブドウ糖の粉末を舐めているだけでこの時間まで腹を持たせていたらしい。エミナは何とも自身の体の悲鳴に鈍感だ。
「おぉ、どうした? しかし、結局丁寧語が直らんなぁ……まぁ、いいか」
後ろを振り向くことなくエミナは私に応じてくれた。それでも、暴風雨のような指づかいや減らず口は相変わらずで、返答するまでの早さも衰えている様子はない。大体、この人はいつ眠ったのだろう?
「この人工知能……何を目指して、作ったのでしょうか? この無駄なく無駄が多いという何とも矛盾したプログラムは……人間の脳を目指して作ったとか、感情を持ったポリゴンを作りたいとも言っておりましたが……昨日というか、今日の深夜聞いた時はまさか……冗談でしょうと思いましたけれど……」
「そのまさか、なのだよ。考えても見ろ。私が今までお前に嘘をついたか? まぁ、この短い交流期間の間に嘘を一つ吐く方が珍しいのかも知れんがな」
違う、そんなことは分かっていたようなものだ。私が訪ねたかったのは、多分こっちだ……まるで、アグノムを見ているようなこの人の執念じみたこの思考錯誤の孤軍奮闘を行えるバイタリティは、どこから来るのか……と。
「では、なぜ人間の脳に似せた物を作りたいと思ったのですか?」
「ふむ……それはだなぁ……ちょっと失礼」
スタリがいなくなって数時間。密閉された空間とはいえどかなり寒くなってきている……というのに、エミナはおもむろに下半身の服を脱ぎ始めた。一体何の意味があるといのでしょうか?
駅前のマクドナルドでプレイマットを使った拓哉と蜂谷のチュートリアルバトルが行われている。 |
「めんどくせー、四組とか今日休みだぞ?」
「五組と六組と八組も休みらしいな」
四月七日の木曜日。蜂谷と恭介が春休みなのに入学式の在校生代表として出なくてはいけないことにケチをつけている。
「仕方ないだろ。担任がくじ引いて、うちのクラスが在校生代表で出ることになったんだし。それに卒業式の在校生代表は入学式に出ないクラスが出るし、プラマイは0だろ。先になったか後になったかだけじゃん」
と、なだめてみたものの恭介は先に出る分損した気分とまたまた文句を言う。
「そういうのを朝三暮四って言うんだ」
風見が鼻で笑いながらかつ若干のどや顔で恭介に忠告した。春休みは皆それぞれ都合が合わず、集って遊ぶことが出来なかったためこうして喋るのは久しぶりなのだが相変わらずで安心した。
いや、相変わらずというのもやや違う。拓哉はPCCで左腕を骨折したためにギプスを巻いているのが物凄く目立つ。痛々しく、それを見る度に能力(ちから)の事を考えてしまう。本人は事情を知らない俺と風見以外には適当にいって誤魔化している。
余談だが、うちの高校は他の高校とは違って学年が変わってもクラス替えは行わない。これはクラスでの結束を高めるためだとからしいのだが、険悪なムードを持つクラスだったら一たまりもないと常々思う。うちのクラスはそんなこともなく極めて穏やか。
「なあなあ、これって昼までだろ?」
蜂谷が唐突に切りだす。
「入学式終わったら飯食いに行こうぜ」
「どこにだよ」
「それは決めてないけどさ、街に繰り出してさ!」
ノープランなのは御愛嬌、ってか。何か考えてから言ってもらいたい。っていうか前日に言え。
「俺お金あんまり持ってきてないぞ」
「えー。翔の財布は寒いなあ!」
所謂オタマロ顔で言う蜂谷に、事実だから言い返せないのが悔しい。が一発殴りたい。殴らせろ。しかしここは堪えてきっと睨みつけておくだけに留めてやろう。
「風見は大丈夫?」
「構わん。行く」
「拓哉は?」
「僕もいいよ」
「で、恭介はどう」
「うーん、行きたいのはやまやまだけど俺今日家族で出かけるからさ」
どうしたものかとふーっ、と鼻息を鳴らす蜂谷。
「そうだ。定食屋の二割引きチケットあるんだけど翔それ使うか?」
「百六十円くらいで食べれる?」
「絶対無理」
「だよねー。ということで俺もパス、三人で行ってこい」
俺がお金の貸し借りを、風見杯の頃のこともあってか極端に嫌っているのを知っているので、皆は俺にそういうことを言ってこない。
そしてまたどうでもいいことを喋っているとようやく校内放送がかかり、在校生は体育館に行けとアナウンスを鳴らした。
俺が振り返ることでパイプ椅子がギィと悲鳴を上げる。そんなことはどうでもよく、振り返って蜂谷の頭をバチンとボタンを虫を潰すように叩きつけた。
「ちょっかいかけるな!」
「いや、だって」
「だってじゃない!」
やや興奮気味に喋っているが、式典会場ということなので小声で怒鳴っている。あまり悪目立ちしたくないのに。喋る程度なら他の生徒もいっぱいしているため百歩譲るが、後ろを振り返るのはどうしても目立つ。
丁度真後ろに座っている蜂谷が、俺がくすぐりに弱いのを知っていながらやってくる。もちろん我慢できるわけもなく大きなリアクションを音とともに上げてしまった。その腹いせに一発。さっきの殴りたかった分も込めたので若干鈍い音が響いた。
アナウンスが鳴って新入生が体育館の後ろの入り口から入場してくる。新品のぴっちりした制服を着た新入生が顔を強張らせながら入ってくる。
初々しいなあと思っていると、後ろで蜂谷と、メタボ体系で顔にいわゆるブサイクゆえに逝ケメンというあだ名を付けられた野田 義弘(のだ よしひろ)が新入女子生徒の品定めをしている。左隣りの風見は腕組みして目をつぶっている。寝ているのか。
「お、翔! 向井いたぞ!」
肩をぱしぱし叩きながら蜂谷が興奮気味に告げる。新入生の歩く花道を見れば、気弱そうな顔が冷や汗でトッピングされて見ていて気の毒だった。そんなに緊張しなくても。
向井の所属する二組が着席し、三組、四組と続々入場する。そして五組でようやく薫を見つける。向井とは対照的に、落ちついた表情でしっかりと歩いていた。
薫こっち気づくかな、と思うとちらとこちらを振り向いてくれた。バッチリ目も合い、笑ってくれた。部活に参加してない俺としては数少ない後輩とのつながりである。
新入生全員が着席し、式典が始まる。新入生在校生起立だの礼だの着席だの、後は校長とか来賓とかの話を聞いたり校歌を歌ったりと無駄に時間を過ごしてちょっと眠ったりもした。
式典も終わり、新入生と保護者が退場してからは入学式に来ている二年生だけで体育館に並べられた大量の長椅子の片付けを行う。風見と一緒になって長椅子を四つ同時に持っていこうとしたがそれが崩れ、恭介の右足に長椅子が落下して変な声を上げたことしかあんまり覚えていない。
もう帰っていいと言われたので、締りがないものの俺と恭介は一足お先に帰らせていただくことにした。新一年生は教室に行っていろいろ説明を受けているようなので、待っているとあと一時間はしそうなので今日のところはパスさせてもらう。
金欠と用事で帰った翔と恭介を除く、俺と拓哉と蜂谷で昼食を取りに行くことになった。校舎を出たのは良いものの、どこに食べに行くかを知らない。
「一体どこに食べに行くんだ?」
「全然決めてないけど、拓哉はどこか食べに行きたいとこある?」
「僕はどこでもいいよ」
ノープランなのか。予想はしていたが一体どこにいくのか。
「とりあえず駅前まで行ってから考えよう」
蜂谷の鶴の一声で三人揃って駅に向かう。この学校の辺りは飲食店がほとんどなく、駅前まで七分ほど歩いて行かないとまともなものが食べれない。
ようやく駅前まで来るものの、結局考えるのがめんどくさいと投げだした蜂谷が目に着いたマクドナルドに入って行った。三人思うように注文する。骨折して片腕しか使えない拓哉のために、俺が拓哉の分と二人分のトレイをテーブルまで運んで行った。
「あー、二年生かあ。全然実感ないなあ」
蜂谷がポテトを齧りながらぽつりと呟く。それはそうだろう。
「学年が上がってもクラスのメンバーは変わらないしな」
「なんでも受験は団体戦だから結束をうんたらっていう学校の方針だったよね」
「なーんだそれ、新鮮な感じがしないなあ」
ぶーぶー不平を言う蜂谷だが、何かあったのだろうか。まあ詮索して気まずい空気になるよりは明るい話をしよう。
「新鮮というのならこういうのはどうだ」
鞄からハーフデッキを三つとりだす。ついでにプレイマットと、ダメカンとコインとマーカーのポケモンカードをプレイするために必要な物一式だ。
「どこがどう新鮮なんだ?」
「ポケモンカードゲームBWだ。今までのポケモンカードとはルールなどが改正され、ある意味新鮮だろう。お前のことだからどうせ知ってないと思ってな」
「失礼な。ルール変わったとか言われても知らないけども」
食べ終えたトレイを端に除け、プレイマットを広げる。
「対戦しながら説明するのが一番だろう。今用意してあるのははじめてセットという構築済みスターターセットだ。ポカブデッキ、ツタージャデッキ、ミジュマルデッキの三種類がある。好きなのを使って良いぞ」
夢中でデッキを確認する蜂谷。カードを見ながらほーだのへーだの変な声を一々上げるのだが恥ずかしい。
「ミジュマルデッキにするぜ。ホイーガとかいてかっこよさそうだ」
「どんな基準で決めたんだ。そこはいいか。拓哉、蜂谷の相手をやってやれ」
「え、僕が?」
「折角の機会だし、お前の代わりに俺が手札を持ってプレイする。お前はどのカードを使うかとかの宣言だけしてくれればいい」
「うん。じゃあポカブデッキでやるよ」
あえて水タイプメインのミジュマルデッキに対して炎タイプメインのポカブデッキにするか。そして対戦をする、となってもいつものようにもう一つの人格の方は出ないようだ。
隣の席にいる拓哉の補助をするのは若干遠いため、椅子を隣り合わせにして近づく。拓哉からは女性と同じような甘い匂いが。特に長い髪からシャンプーの強い香りがして、どうも近づくのはあまり得意ではないがここは割り切る。
「よし、じゃあデッキをシャッフル。手札を七枚引いて、たねポケモンをセットだ」
蜂谷がバトル場にポケモンを一匹だけセットしたが、こちらはバトル場に一匹、ベンチに一匹の計二匹をセット。
「続いてサイドを三枚伏せる。スタンダードデッキじゃないから六枚伏せるなよ」
「馬鹿にしすぎ」
とはいえ蜂谷だし何をしでかすかわからん。初めてポケモンカードのルールを教えたときもモノになるまで大変だった。
「そして伏せたポケモンをオープン」
蜂谷のポケモンはバオップ70/70。こちらはバトル場にダルマッカ70/70、ベンチにポカブ60/60。
「よし。じゃあ先攻は僕がもらうよ。ドロー!」
デッキからドローするのは拓哉の役目。ドローしたカードを俺に手渡す。拓哉はうーん、と場と手札を睨みつける。
「まずはダルマッカに炎エネルギーをつける」
言われた通りカードをつける。ダルマッカは炎エネルギー一つでワザが使えるポケモンだ。この選択に迷いはない。
「さらにグッズカード、モンスターボールを発動。コイントスをしてオモテの場合、自分のデッキからポケモンを一枚に加える。コイントスも代わりにやってくれる?」
「ああ。……オモテ、成功だ」
「じゃあチャオブーを手札に加えるよ。そしてダルマッカで火を吹く攻撃! このワザの基本威力は10だけど、コイントスをしてオモテなら更に10ダメージ追加出来る!」
コイントスをすると再びオモテ。二連続でオモテを決めて中々幸先がいい。20ダメージ与えたことによってバオップの残りHPは50/70。
「じゃあ俺のターンだな! えーと、まずはバオップに超エネルギーをつける。そしてバオップのワザ、持ってくる! このワザの効果でデッキからカードを一枚ドローする。ターンエンド」
「僕のターン。それじゃあ、シママ(60/60)をベンチに出して、シママに雷エネルギーをつける。さらにポカブをチャオブー(100/100)に進化させてもう一度ダルマッカの火を吹く攻撃!」
二度目の火を吹く攻撃もコイントスはオモテ。再び20ダメージを喰らい、バオップのHPは更に削られ残り30/70だ。
「まだまだ! 俺のターン! フシデ(70/70)をベンチに出し、フシデに超エネルギーをつける。更に俺もグッズカード、モンスターボールを使うぜ」
しかしオモテが三回続く拓哉に対し、蜂谷のコインはウラ。ツキの良さが両極端だ。
「くっそ、でも手札の枚数は俺の方が拓哉より多い。バオップのワザ、持ってくるでカードを一枚引いてターンエンドだ」
確かに拓哉の手札は三枚で、蜂谷の手札は六枚だ。しかし手札だけが全てを決めるわけではない。そのことを教えてやれ。
風見「今回のキーカード、というよりは次回のキーカードになる。
水タイプの大型ポケモン。ダイケンキだ。
ロングスピアで敵を丸ごと襲いかかれ!」
ダイケンキ HP140 水 (HS)
無無 ロングスピア 30
相手のベンチポケモン1匹にも、30ダメージ。[ベンチへのダメージは弱点・抵抗力の計算をしない。]
水水無 なみのり 80
弱点 雷×2 抵抗力 − にげる 2
───
ポケモンカードスーパーレクチャー第三回「対戦開始!」
http://www.geocities.jp/derideri1215/library/lecture/87.html
番外編「お弁当」
恭介「今日も手作り弁当か?」
翔「はは、当たり前だろ」
恭介「相変わらずだな。……ん? なんで弁当二つもあるんだ?」
翔「ああ、これは風見の分。ほい」
風見「すまんな」
翔「三百円な」
風見「言われなくても分かってる」
恭介(なんだこの商売……)
何にもやる気の起きない四月六日の水曜日。午後のうららかな春の日射しが舞い込むリビングでただ一人何もせずにボーッとしていた。
明日は高校の入学式だ。とはいえ俺、奥村翔は二年生になるので新たに入学するわけではないのだが、そうではなく。入学式には在校生として出席しなくてはいけない。
果てしなくめんどくさい。動くのがめんどくさい。PCCが終わってからは見事に燃えカスのようにうだうだと日々を過ごしていた。
せめて生活リズムだけは直さなくては。とりあえず立ち上がるところからだ。
「あよっこいしょ!」
うおん立ち眩み。焦点が定まらない。千鳥足で二歩床を踏みつけると、ようやくいつもの視界が広がる。
……立ち上がったはいいけど何しよう。
「おっ?」
床に裏面になったカードが一枚だけ落ちている。かがんでそれを手に取ってみた。カードを裏返して見ると、なんてことはないただの炎エネルギーだ。なんてことのない、ただのポケモンカードだ。
そして俺はこのなんてことはないポケモンカードになんてことはない高校生活を変えられていたんだな……。
よくよく思い返すとほぼ半年前、九月の十日くらいが全ての始まりだった。
その日たまたま学校に持ち込んだポケモンカード。それを恭介に紹介してるときの俺の、『熱き想いをこめた魂のデッキ』という言葉に反応した風見が、俺にケチをつけて対戦することになった。
初めての風見との戦い。風見のガブリアスデッキに苦戦していた俺だったが、なんとかゴウカザルの流星パンチで倒すことが出来た。
だが、それからしばらくして再び風見が俺に挑んできた。風見のデッキは前回対戦したときに俺が使っていたデッキ。
カードはデッキだけではダメだ、大切なのはカード一枚一枚に込めるハートだということを伝えるために、俺も風見が前回使っていたガブリアスデッキで対戦したことを覚えている。
そして風見とカードをしていくうちに、恭介や拓哉達も次第にポケモンカードを始めていくようになった。
そう、拓哉だ。あいつも俺と同じく、いや、俺以上にポケモンカードに運命を変えられているヤツだ。
一月十日の風見杯。俺は父さんが保証人となっていた借金のカタをつけるために賞金つきのこの大会に出場した。
予選を勝ち抜き、本戦の駒もどんどん進めていく。そんな俺の目の前に現れたのが藤原拓哉だった。
普段は穏やかで優しい性格である拓哉なのだが、行く手を立ち塞ぐ拓哉はそんないつもの様子とは百八十度違っていた。
『俺様はお前を許さねぇ』
あの冷たい声。ゾッとしたことを覚えている。カードを使って普通は考えられないような事を引き起こす能力(ちから)で、あのときの拓哉は人を消し去った。いや、あいつ風に言うと「異次元に幽閉した」、か。
拓哉は母親と一人暮らしで、切り詰めた生活を送っていた。後で聞いた話だが、公立高校の受験に失敗し私立高校の平見高校にやむなしで来たらしい。しかし学費の高い私立高校に来たことで拓哉の家の家計はどんどん貧困していった。
にも関わらず俺達のポケモンカードをうらやましく思った拓哉は苦しい家計にも関わらずカードを買い、そしてそれが母親に見つかって怒りを買い、暴力を振るわれた。それがきっかけで拓哉にもう一つの人格と能力が目覚めることになったのだ。
こればっかしは本人にも責任はあるだろうが、俺にも責任がないことはない。いつも遊んでる仲間たちがカードを始めれば、その仲間たちについていくがためにカードをやり始めようという気になる。事実、蜂谷だってそういう感じでポケモンカードを始めた。
そのせいもあって、拓哉との対戦は辛かった。ベンチのポケモンに攻撃をして相手を苦しめるベンチキルの戦術に、俺は押され気味だった。なんとかゴウカザルの怒り攻撃で拓哉を撃破したが、倒したと同時に拓哉は意識を失い倒れ、拓哉の能力は無くなった。
俺にもとてつもない疲労感が圧し掛かって来たのを覚えている。なんとかして次の決勝戦で風見を倒し、風見杯を優勝することが出来た。
それでも、拓哉(裏)が使っていたあの能力。ずっと一体あれはなんなのかと考えていた。
その能力とはその約二ヶ月後、三月二十日に開かれたPCC(ポケモンチャレンジカップ)で再び出くわすこととなった。
バトルベルトという持ち運び式の3D投影機器が誕生し、俺たちのバトルはより進化した。そのバトルベルトを使った初の公式大会。
全国に数多いる能力者のうち二人が。しかも能力者の中では特別に危険な二人が現れたといい、クリーチャーズの松野さん、そして松野さんの補佐として現れた一之瀬さんが俺たちにその能力者の高津と山本を倒すようお願いをしてきた。
予選を勝ち抜きトーナメント形式の本戦二回戦で山本と松野さんが対戦した。山本の能力は対戦相手を打ち負かすと、その対戦相手の意識を無くし植物状態とさせてしまう非常に恐ろしい能力だった。
松野さんは超大型ポケモンであるレジギガスLV.Xを主体としたデッキで山本に立ち向かうも、山本のミュウツーLV.Xのポケボディー、サイコバリアによってダメージを与えれずにそのまま一方的にやられてしまいそうになる。
それでも松野さんはなんとかデッキ切れを狙って勝利をもぎ取ろうとするも、それを見越されギガバーンを喰らって敗北してしまった。
松野さんが敗北したことで、風見は大きく取り乱してしまう。普段は慌てることがない風見のあんな様相を見るのは初めてだった。
そして三回戦、準々決勝では俺と山本、拓哉ともう一人の能力者である高津と対戦することに。
拓哉の対戦相手である高津はポケモンのワザの衝撃を実際に相手に与えることが出来る、こちらも極めて危険な能力だ。
闘ポケモン主体の高津に苦戦した拓哉(裏)。特にカイリキーLV.Xの攻撃で一度は意識を失い、左腕を骨折する大怪我を負ってしまうが、拓哉(表)のお陰でなんとかそれをカバーして、最後は高津の能力の特徴。ワザの宣言時に自分の指で指したところにしか衝撃を与えることが出来ないという欠点を利用して自身に受ける肉体的なダメージを防ぎ、ゲンガーのポケパワーで勝利を収めた。
その一方で俺は山本と対戦した。山本は勝てば勝つほど自身の能力が強まり、その能力が強まる先にはポケモンカードで相手を負かさずとも相手の意識を奪えるようになると言っていた。
そんなことはさせられない。緊張の糸がピンと貼った試合展開。あらかじめミュウツーLV.Xの恐るべし力をしっていたがために進化ポケモンを温存しようとしていたが、アブソルG LV.X、クレセリアLV.Xによって俺のポケモンは倒され、あとミュウツーLV.Xを倒せればという肝心なときに限ってミュウツーLV.Xを倒すことが出来る進化ポケモンを失ってしまった。
そして山本が何故力を得るかの過程を知ることになった。山本がどれほど辛かったか、それはきっと俺には知ることが出来ないだろう。でも、だからと言ってそれが他の人を苦しめる理由にはならない。
進化前がいなくなったと思っていたが、大会前に風見に借りたフライゴンLV.Xでなんとか逆転の道を切り開くことが出来た。やはり二人とも、風見杯の拓哉(裏)のように対戦に負けると能力が失われたらしい。
続く準決勝では拓哉は怪我のために棄権し、なんと風見を打ち負かした恭介と俺が対戦することになった。……のだが、先の山本のバトルで疲弊した俺は対戦途中に倒れてしまい、棄権。
偶然もあり、決勝まで進んだ恭介だったが決勝戦では対戦相手の中西さんに一枚上手の戦法をとられ、敗北してしまった。
いろいろあっても終わってしまえばなんてことはない想い出だ。
たまにはこうやって振り返ってみるのもいいかもしれない。振り返ることでまた新しい発見が生まれるかもしれないしね。
この振り返る過程で、やっぱり引っ掛かるのは能力に関することだ。
一体なんなんだ。今俺たちが知っていることは、能力は基本的にポケモンカードを通して発生し、そして対戦で敗北すると能力は消える。
能力は負の感情と連動しているようで、負の感情が高まると能力もその力を増す場合があるらしい。山本は対戦に勝てば勝つほど能力はより力を発揮すると言っていた。
きっとまだこの能力と俺たちは立ち向かわなければならないかもしれない。辛いことがあるかもしれないけど、絶対に負けられない。ポケモンカードは娯楽だ。遊びだ。そんな人を傷つけたり苦しめたりするものじゃあない。
結局能力とは一体何なのか。……いつかその全貌が明らかになる日が来るのだろうか。
「もしもし、一之瀬です」
『PCC以来だね』
「有瀬さん。何か用でも」
今の時期は新商品が発売するわけでもなく、仕事は忙しくない。お陰で早めに上がれて今は帰路だ。
家の最寄駅に着き舗装された道を歩いていると携帯電話が鳴りだし、それに応じると有瀬悠介の声が聞こえた。この男は僕を友人と言っているが、僕からするとどうも得意ではない。
『前々から言っていた「例の件」だが、日にちを決めたから連絡するよ』
「……いつです」
『七月二十四日、日曜日』
「丁度夏休みといった日程ですね」
『この日程の方が私としても楽なのでね。それで、そのための準備がある』
「それを僕に手伝えと」
『素晴らしい察しの良さだ』
この男は知っている。誰が何をできる力量を持っているのか。有瀬は僕のキャパシティを越すような頼みは決してしてこない。
『君にはWebサイトを作ってもらう』
「Webサイト……」
『来る七月二十四日、「アルセウスジム」主催のポケモンカードの対戦イベント! そのためのWebサイトだ。頼まれてくれるかな』
「……いいですよ」
どうせ僕に断る術はないのだ。
『そのページを作るにあたっての必要事項はまた後で連絡しよう』
「僕はいいんですけど有瀬さん、そっちはどうなんですか?」
『WW(ダブルダブリュー)のテストは進んでいるよ。ありとあらゆるシチュエーションを試し、欠陥がないかを探っている』
「貴方でも欠陥とかを気にするんですね」
皮肉のような一言でもあるが、自身が感じた事をそのまま伝えた。この男でも失敗は恐れるのか。向こうは僕の事を知りすぎているが、僕は有瀬のことをどれだけ知っているだろうか。
『ははは。不具合は怖いからね。万全を期す程良いことはない』
「そうだね」
『一之瀬、君にもまだまだ手伝ってもらわなければいけないことがある。なんたって、君は私の友だからね』
「分かっていますよ」
と、言ってからこちらから通話を切る。君は私の友、だと。どこまで信用すればいいのか。
しかし有瀬を信用するしか出来ない。事実彼の力は凄まじい。僕には出来ないことを何でもこなして見せる。
……全てはポケモンカードのため。今は何も考えずに有瀬から与えられた仕事をこなしていくだけだ。
翔「今回のキーカードはダブル無色エネルギー!
このカード一枚でなんと二個分の働きをするぞ。
これで勝負のスピードを上げていこう!」
ダブル無色エネルギー(L1) 特殊エネルギー
このカードは無色エネルギー2個ぶんとしてはたらく。
───
ポケモンカードスーパーレクチャー第二回「対戦が始まるまで」
http://www.geocities.jp/derideri1215/library/lecture/86.html
番外編「お邪魔します」
翔「……」
風見「なあ翔、いちいちパソコンするためだけに俺の家に来なくていいだろ」
翔「だってうちは姉さんが仕事で使うし」
風見「だからといって」
翔「ついでに飯作ってやってるんだから文句言うなよ」
風見「……」
翔(もう黙ったか)
-10-
「君と私は所々似ても似つかないが……少しばかり似ている部分もあるのだな。そうだ、私が作ろうとしているのはテトリスやマインスイーパーとは全く異なるベクトルの産物だよ。難産な上に、まだ受精し立ての受精卵のようなものだがね。
どうだ? 無駄を入れつつ、なおかつバグを少なくという難題への挑戦は蛮勇と言うには相応しいだろう? 私はね、ポリゴン2を虐待した時にムウマが。ポリゴン2を撫でたり褒めたりした時にキルリアがきちんと反応を示すような、ポリゴンの新バージョンを作りたいのだよ」
「それはつまり、感情を持った……人工生命体ですか?」
それは、人間の一般的な倫理観では禁忌の領域では? いや、まさか……冗談でしょう。
「あぁ、そうだ。ポリゴンの自己再生用に使うナノマシンもわざわざ改造してね。現在使用されているポリゴン2のナノマシンは相同自己修復用データ相同染色体……つまりは私達にとって遺伝子が乗っかっている染色体のようなデータを元に自己を修復するだけの機能しか持たないのが既存のナノマシンでね。
私は外部からの命令に応じて自己を修復するだけではなくポリゴンに新たな機能を設けることが出来るように、ナノマシンのプログラムを改造したのだよ。この改造だけで実に3年だ。そして、先ほど見せたソースコード。それは実に9年かかったぞ。
実はこのナノマシンの機能……まだどこにも公表していないのだが、発表すれば研究者や企業にとって喉から手が出るような代物でな。私が何か費用や施設などの関係で外部の協力が必要になり、研究者達との交渉が必要になった時のために武器として公表を控えているのだ。
これと引き換えならば、企業は土下座して研究成果を引き渡してくれるだろうよ。
この作業室から続く基本立ち入り禁止の部屋には、そのナノマシンを統括する量子コンピューター*9が置いてある。最近安くなったとは言え、4億の出費は痛かったな。貯金の2/3を使ってしまったデリケートな代物だから、めったなことじゃ業者以外は立ち入り禁止だ」
ひとしきり、研究機材についての自慢というか説明をされましたが、肝心な事が聞かされていません。
「ここには……他に誰もいませんが、ネットか何かを通じて協力者でもいるのでしょうか?」
「いいや」
嘘……でしょう? この糞長いプログラムをたった一人で!?
「パートナーや協力者といえるのは、スタリだけだな。だが、実はスタリのやつはキーボードを打つ事が出来ない。それゆえに、私以外は実質何もしていないと言えるな」
『実は』でもなんでもない事はひとまず置いておきましょう。私は速読には自信がある上に、読んでいるうちにいつの間にか7時間経っていた。それでいて……まだ半分くらいしか読み終えておらず……それでいて、明確なミスと思える部分が一つもない。僅かに気になる点が少しばかりあるのみでした。
こんなの、人間業じゃないです。いや、人間は思ったよりも進化していた……カントー1位にして世界のトップクラス……そういえば、どんな年齢の部門に出場したのか? もし、大人に交じってだとすれば……天才というより鬼才と言った方が正しいくらいです。
「ところで……私は夜更かしには慣れているが、お前はずいぶんと疲れた顔をしているぞ? まぁ、無理もない。ただの雑巾掛けとはいえ家中の掃除をした上に料理を作り、こうしてテキストを読みふけったのだ。体にストレスがかかって体調を崩す前に、寝たほうがいい。スタリもとっくに眠っているぞ」
「あ……」
大切なことを忘れていました。スタリからは『一緒に寝よう』と言われていたのでしたっけ……それにしても、ストレス……ですか。エミナの髪はこの生活が原因なのでしょうかね?
「どうした? お前が『あ……』と言ったら私が『い……』と言えばよいのか?」
「そ、そんなわけないでしょう。ちょっとスタリの部屋に行って来ます」
いけない……スタリ怒っていなければいいけれど。いや、でも……怒るくらいならばこっちの部屋に呼びに来ますよね?
で、あれば眠っているのでしょうかね……主人のエミナと同じく『まぁ、いいか』で済まして寝ているかもしれません……それならまぁ、いいか……
「そうか、ちょっとか。ちょっとならば、その用が終わったら夜食を作ってくれ。眠るのはそれからでお願いな」
ちょっとではなく、『スタリと寝て来ます』と言えばよかった……というか、料理作ってからスタリの部屋に行きますよ!! えぇ、料理作ってからにしますとも!!
「えぇ……その、分かりました」
もう、ヤケクソです。手間掛けて美味しいもの作って度肝抜いてやる。
◇
「ほほぅ、時間が掛かったな。スタリの寝顔が美しくって見とれていたか? スタリのやつ、ポケモンバトルの経験は少ないが、よく餌を買い忘れるせいで狩りの経験が多くなって体付きもよくなってな。お陰でえさ代と餌を買いに行く回数の減少に加え、見た目もよくなってな。
いやぁ、放任主義でありながらまともな子が育つ妙もあるものよ。飼い主に似たのかな」
いいから、味の評価をしてください。頑張って作ったのですから。
「そうそう、この料理のことだがな……」
来た……今回も美味しいと言ってもらえるでしょうか?
「ふむ、あんな粗末な材料でよくまぁここまで美味しく作れるものだ。料理に対する知識も一人前以上のものを身につけているのであろうな」
ほ、よかった。あれだけ頑張って美味しくなかったら私もショックと言うしかないですし。
「短時間でここまで味がよく染みているとは……どんな魔法を使ったのやらな? 水蒸気を液体に戻す過程で容器にラップでもまいて陰圧を利用したか?」
なに、美味しさの秘密がばれた!? エミナ……こいつは侮れません。情報関係が専門の割にはやたらと他の部門にも詳しすぎる……恐らくは、人工知能の作成のために他の部門の勉強も相当真面目に行っていたとかそんなところでしょうか?
「お口にあったのならば……恩返しに来た甲斐もあるというものですから。光栄です」
「ふむ、だから謙譲語や丁寧語を使うのは止せと言っている。私は誰かにへりくだる気などゼロだが、誰かにへりくだられたところで面白くもなんともない」
「それでも……命を助けてもらった恩がありますし……その相手に敬意を払わないのは……」
「私が知ったことでは無い。どうしてもと言うのならば、会話時間の短縮こそ礼儀と弁えろ」
それだけぴしゃりと言い放ち、エミナは食事へと集中し始めました。その様子を私が黙って見ている事にようやく以って気がついたエミナは、私の事を『仕方のないやつだ』と言って呆れながらも、しっかりと笑みを浮かべました。
「うろついたり浮かんだりして余計な体力を使うな。お前の作った料理は全部、小細工なしでも美味いから安心してくれ。皿洗いは起きてからで構わん。お前はさっさと寝るといい」
「は、はい……分かり……いや、分かった」
これで、いいのでしょうか? 今まで敬語を使っていた相手にそれを使わないのはかなり……勇気がいることですが。
「ほう、ちゃんと普通の言葉も使えるのでは無いか。だが、言い直すくらいなら謙譲語を使ったほうが短いくらいだな」
私の去り際、エミナは上機嫌な声でそう言うのが、私には嬉しかった。
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