マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ2F(長めの作品用)
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  •   [No.888] 80話 恐怖 投稿者:照風めめ   投稿日:2012/03/05(Mon) 12:24:50     67clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     あれだけ派手に戦っていた一帯が、急に静まり返った。
     藤原拓哉は後方に向かって倒れたため、尻から落ちたとはいえ後頭部もモロに床に打ちつけている。
     六枚の手札もあちこちに散らばっている始末だ。
    「……こいつが悪いんだ。こいつが悪いんだあああ! 俺は忠告をしたはずだ、降参しろと! そうだ、こいつが悪いんだ。俺は何も悪くない!」
     顔の右半分が火傷でただれた高津洋二はそう一人ごちると、高らかに笑い始めた。
     本当は藤原拓哉の元へ駆けつけたい。流石に心配だ。とはいえ選手に試合中触れることは出来ない。
    「一之瀬さん!」
     自分の勝負を終えた風見雄大が僕の元に駆け寄ってくる。
    「藤原は……」
    「分からない。ただ、あと一分だ」
     この大会には、三分以上何もしなかった場合は遅延行為として棄権扱いになるルールがある。藤原拓哉が倒れて既に二分。
     高津洋二のカイリキーLV.Xの攻撃で藤原拓哉のサマヨールが気絶したので、次は藤原拓哉が新たなバトルポケモンを選ばなくてはならない。
     今の藤原拓哉の場はバトル場は不在。ベンチにはベンチシールドをつけたネンドール80/80、超エネルギーが二つついたゲンガー110/110。残りサイドは四枚。藤原拓哉のヨノワールLV.Xが、そのポケパワーの効果でスタジアムカードとなっている。
     一方の高津洋二のバトル場は、闘エネルギーが三つつき、なおかつ強力な存在感を放つカイリキーLV.X130/150。そしてベンチにはパルキアG LV.X40/120に、ネンドール40/80。さらに、残りサイドはあと三枚だがサマヨールが気絶したためこの後一枚引くことができる。
     様子を見ても圧倒的に高津洋二が有利だが……、まずはそれ以前の問題。残り時間は三十秒を切った。立ち上がれるのか?
     気づけばいつの間にか藤原拓哉のぼうぼうにはねていた銀髪が、綺麗にまっすぐに伸びていた。



     痛みが走った。
    「ああっ! くっ、うう……」
     完全に気絶してしまったパートナーの人格の代わりに、せめて僕が立ち上がらないと。
     左腕が焼けるように痛い。そして完全に動かせない。左腕が揺れるだけでも痛みが走る。体の節々が痛い。打ちつけた後頭部も、たんこぶくらいはあるだろうか。
     まだ無事な右腕を支えに、なんとか立ち上がる。
    「そんな馬鹿なっ!?」
     あの一撃で決まったと確信していたのか、立ち上がった僕を見てたじろぐ高津。
    「僕はバトル場に、ゲンガーを出す!」
     手札を拾う前にまずゲンガーを出さないと。バトルテーブルのベンチにあるゲンガーのカードをバトル場へとスライドさせる。
     三分以上何もしなければその時点でもう戦いは終わってしまう。それだけは。それだけは避けないと。
    「藤原っ!」
     後ろから風見くんの声が聞こえる。振り返って、うんとだけ頷く。
    「あれだけダメージを受けて、どうして!?」
    「それは、……負けられないと思ったからだ!」
    「くっ、サイドを一枚引いてターンエンド!」
     ターンエンドと同時に、スタジアムカードになったヨノワールLV.Xのエクトプラズマの効果が発動する。
     このカードがスタジアムとしてあるなら、ポケモンチェックのたびに相手のポケモン全員にダメージカウンターをそれぞれ一つずつ乗せるという効果だ。
     高津のポケモンは皆苦しみもがき始める。そして今のHPの状況はカイリキーLV.Xが120/150、ネンドールは30/80。そしてパルキアG LV.Xの30/120となる。
     自分の番を始める前に、まずは床に散らかった手札を拾わないと。手札を持っていた左手はこの有様だから、手札はバトルテーブルの端に置くしかない。
     ……。痛覚、いや触覚を共有していないことが唯一の救いだった。僕らは視覚、聴覚、嗅覚を共有しているが、それ以外は何も感じられない。例えば僕が何かを食べていても、パートナーの彼がその味を知ることはない。
     同様に、僕も彼が受けていたダメージを受けることはなかった。ただ、自分が主人格に戻った時には傷の痛みを感じたが。これだけの傷を負うほどのダメージ。彼はそれに耐えて相当頑張ってきたんだ。その努力を無駄になんて絶対にできない!
    「よし。僕のターン!」
     このデッキは僕のデッキではなく彼のデッキ。彼がこのデッキで戦っているところは何度も見たが、自分で運用するとなると使い方がよく分からないのだ。
     だから、今の僕に出来ることは。
     彼がもう一度目を覚ますまで、ひたすら時間を稼ぐことだけだ。
     ……。手札は七枚ある。右手で引いては、それをバトルテーブルの端っこに広げる。彼が考えに考え抜いて作ったデッキのカード達。
     しかし、待てど待てど彼はまだ起きない。そろそろドローから三分が経つ、何かしなくては。でも、何をすれば……?
    「うん、ゲンガーをレベルアップさせる!」
     バトル場のゲンガーが、よりパワーアップしてゲンガーLV.X140/140となる。この大会ではまだ出してない、彼の本当のエースカード。
     彼のデッキは非常にややこしい。処理もややこしいが、なにより手順がややこしい。
     ただ単に目の前のバトル場のポケモンを攻撃するだけでなく、バトル場もベンチも、時と場合によればそれ以外も。自分の場も相手の場も、縦横無尽に動き回るプレイングは、見ていて痛快だが行うのは非常に複雑。
     そして僕にはそのプレイングを再現するほどの腕がない。彼の軌跡をなぞるだけならまだしも、臨機応変に動くことなんて……。
    「サポーターカード発動。オーキド博士の訪問! デッキから三枚ドローし、その後一枚手札をデッキの底に戻す!」
     三分経つ前に再び動く。しかし引いたのはいいがどのカードを戻すか。手札には超エネルギーが三枚もある。一枚くらい戻してもいいよね……。
     疑問抱きつつひとまずそれをデッキの底に戻す。
     手札にはたねポケモンがない。余ったエネルギーは、ゲンガーLV.Xにつけるか。それともネンドール、いやいやつけないという選択肢もある。
    「手札の超エネルギーをゲンガーLV.Xにつける!」
     迷った挙句、ゲンガーLV.Xにつけることにした。あとは……。ポケパワーを使うとか? ゲンガーLV.Xには非常に強力なポケパワー、レベルダウンがある。このレベルダウンは自分の番に一度使え、相手のLV.X一匹の、LV.Xのカードを一枚はがしてレベルダウンさせ、そのLV.Xのカードをデッキに戻すという強力なモノ。
     ただ、高津の場にはLV.Xポケモンは二匹。カイリキーLV.Xを戻すのか、それともパルキアG LV.Xを戻せばいいのか……。
    「ベンチのネンドールのポケパワーを発動。コスモパワー! 手札を二枚戻して二枚ドロー!」
     お願い、そろそろ起きて……! もうこれ以上君のプレイングを妨げずに時間稼ぎをすることは出来ない。
     後はゲンガーLV.Xのポケパワー、或いは攻撃を残すのみ。サポーターは一ターンに一度しか使えないし、手札には出せるポケモンや使えるグッズカードはない。
     この三分、この三分以内に!
    (……待たせたな)
     その声が聞こえた瞬間、再び僕の感覚は遠のく。



     理由は分からないが、俺が主人格になると髪の毛があちこちにはねる。俺の荒々しい、及び攻撃的な性格を上手く現わしているかのようにも見える。
     俺が気を失っている間に場は多少変わったようだが、なるほど。相棒がなんとか凌いでいてくれたのか。
    「……すまんな」
    (当然じゃないか。こっちこそ君にばっか辛い思いさせて……)
    「けっ、こんなもん大した事ねえ。……おい! そこのクソ野郎!」
    「っ!」
     声をかけられ驚く高津。あれだけの傷を負わせたのに、俺が立ち上がってくるということに対する驚きが大きいようだ。
    「自分を認めないヤツを叩きつぶすだのなんだのほざいてやがったな。俺様がいーことを教えてやる。他人を信じない奴、なおのこと自分自身を信じない奴を認めてくれる人はいないってな!」
     全ての手はずは相棒が整えてくれた。百点満点とは言わないが、及第点には間違いない。
     少し休めて体調も多少良くなった。やられた左腕はいまだ焼けるような痛みを発しているが、耐えれないわけじゃない。
     どっちにしろ、この痛み、傷を落ちつかせれるのはこいつをブッ倒してからだ。
    「多少自分に分があるからって良い気になってんじゃねぇぞ! ゲンガーLV.Xのポケパワーだ! レベルダウン!」
     バトル場のカイリキーLV.X120/150の体に黒い靄(もや)がかかる。その黒い靄の中でカイリキーLV.Xの苦しそうな声が響く。
    「レベルダウンの効果でカイリキーLV.Xをレベルダウンさせ、LV.Xのカードはデッキに戻してシャッフルしてもらう!」
    「デッキに戻すだと!?」
     カイリキーLV.Xのポケボディー、ノーガードは危険すぎる。このカードがバトル場にいるかぎり、このポケモンがバトルポケモンに与えるワザのダメージと、このポケモンが相手から受けるワザのダメージを+60させるもの。
     自分もリスクを負うのだが、それと同時にこちらも非常に怖い。たった威力20のワザが80になって飛んでくるのだから。
     レベルダウンしたカイリキー100/130、これでノーガードのことは気にせず戦える。
    「へっ、一気に潰してやる! ダメージペイン!」
     ワザの宣言と同時にゲンガーLV.Xが右手を真上に振り上げると、上空から一立方メートル程の紫色の立方体が三つ、それぞれカイリキー、ネンドール、パルキアG LV.Xの元へ降り注ぐ。
    「ぐおおっ!」
     爆発と風のエフェクトを起こすこの強烈な攻撃は、ダメージカウンターが既に乗っているポケモンに30ダメージを与えるワザ。
     生憎高津の場のポケモンは皆ダメージカウンターが乗っている。ダメージを受けたポケモンに、さらなるダメージを与えるというワザだが、しかもこれはエクトプラズマとの相性も良好。
     ポケモンチェック毎に相手にダメージカウンターを一つずつ乗せるエクトプラズマで、傷ついたポケモンに追い打ちをかけるダメージペインというわけだ。
     煙のエフェクトが晴れてようやく辺りを見渡せるようになった。残りHPが30しかないネンドールとパルキアG LV.Xは気絶。さらにカイリキーも大ダメージ。このワザはダメージを与えるワザなので、バトル場のポケモン限定だが弱点計算をする。よってカイリキーが受けるダメージはその分を計算して30+30=60ダメージ。これで残りHPは40/130。
    「サイドを二枚引く。けっ、サイド差二枚もあっという間に埋まるもんだな。ターンエンド。そしてターンエンドと同時にポケモンチェックだ。エクトプラズマでダメージを受けてもらう!」
     カイリキーが再び悶絶する。残りHPは僅か30/130。何も攻撃しなくても、このままでは次の高津の番の後に10ダメージ、俺の番の後に10ダメージ、そしてさらに次の高津の番で10ダメージ受けて気絶だ。
     そのとき、そのまま高津が新たにポケモンを出さなければ、サイドはまだ残っているが高津の場に戦えるポケモンがいなくなり俺の勝ちとなる。自分のターンも終えたので、そっと右手で左腕を押さえる。
    「どうしてだ、くっ、俺のターン! ……そうだ。そのゲンガーLV.Xさえ倒してしまえばお前のベンチには非攻撃要員のネンドールしかいない。それにネンドールが攻撃するにしてもワザに必要なエネルギーは二つ! まずはこのターンでゲンガーLV.Xを倒し、その次のターンにネンドールを倒してしまえばもう何も問題はない。エクトプラズマの効果で倒れる前に勝つことは出来る!」
    「このターンでゲンガーLV.Xを倒すだと? カイリキーLV.XなしでこのHP140を一撃で倒すとはついにそのチンケな頭も終わっちまったか?」
    「だったら見せてやる! カイリキーに闘エネルギーをつけて怒り攻撃だ。このワザは元の威力60に加え、自分のダメージカウンターの数かける10ダメージを与えれるワザ! 今のカイリキーに乗っているダメージカウンターは十! よって与えるダメージは160となる!」
    「ひゃ、160だと!?」
    「そうだ! それでゲンガーLV.Xは気絶となる! だがその前にお前自身が持つかどうかだが。今度は右腕をもらう! さあ、行けっカイリキー!」
     高津の右人差し指が今度は俺の右肘を指差す……瞬間を逃さなかった。
    「このタイミングで!」
     思いっきり大声を出してやる。すると大げさなほどに高津の体は震え、そのせいで右人差し指は狙いを外れて俺の首の右側、右腕の上側。つまりは虚空を指した。
     そしてカイリキーは何事もないようにゲンガーLV.Xへ攻撃を仕掛ける。
    「バーカ、ブラフ(はったり)だよ」
     カイリキーの渾身のパンチがゲンガーLV.Xの顔面を殴りつける。だが、俺の右肘には何の衝撃もない。
    「貴っ様ああああ! ブラフか!」
    「身を守るためだ、悪く思うなよ。そしてこれで完全にお前の能力(ちから)は見切った。お前は相手に衝撃を与えることが出来る能力を持っていて、なおかつどこに衝撃を与えるかを指定することが出来るようだが、ワザの宣言時に自分の指で指したところにしか衝撃を与えることが出来ないようだな。現に左肘に衝撃を与えたときは攻撃宣言時に左肘を指し、今も俺の右肘を指差そうとした。俺自身、体がふらふらで避けるなんて急な動作は出来ないし、バトルテーブルの前から離れると棄権扱いになるからな。こうでもしなきゃ避けられねぇ」
    「しかしそれでもゲンガーLV.Xは気絶!」
    「調子に乗んなよ! ゲンガーLV.Xが相手のワザで気絶したときにこのポケパワーは発動する。死の宣告! 俺がコイントスをしてオモテだったら、こいつを気絶させたポケモンも気絶させる!」
     左腕を押さえていていた右手をそっと離し、バトルベルトのコイントスボタンを押す。
    「これでオモテが出ればお前のカイリキーは気絶っ! ベンチに戦えるポケモンがいないからその時点で俺様の勝ちだ!」
    「なっ、なんだと!?」
     画面に表示されたのは、オモテ表示のコインだった。
    「残念だがこれまでだ!」
     倒れたゲンガーLV.Xの影がカイリキーの方まで伸びていき、その影がカイリキーの首をしめつける。残り僅かだったカイリキーのHPバーは0を刻んで決着が着く。
     勝負がついたと同時に、高津の体が糸の切れた操り人形のように倒れる。バトル場にいたポケモンや、あのスタジアム、エクトプラズマの映像が消え、元の会場に戻る。
    「お前の敗因は、この俺様に一度でも恐怖したことだ。俺、いや、俺らが立ち上がった時にお前は確かにビビッたろう? その恐怖が後からでも目に見えたぜ」
     デッキの片づけは後回しだ。後ろを振り返れば風見と一之瀬が。
    「おい一之瀬! これで良いだろ? 俺らはもうここらで限界だ。左腕が動かねえし立つのもやっとだ。休ませて……くれよ」
     右腕を支えに使い、ゆっくりと仰向けに寝転がる。無理のしすぎか、意識が落ちるのは早かった。
     能力者は勝負に負けると能力を失う、らしい。理屈は分からないが、まだ分からない以上はそういうものだと思うしかない。高津はこれを機に俺のようにやり直すことが出来れば、……な。



    拓哉(裏)「今回のキーカードは俺様が使ったゲンガーLV.Xだァ!
          レベルダウンにダメージペイン。どれもこれも使い時が複雑。
          さらにレベルアップ前のゲンガーも複数種類がある。プレイヤーの実力が試されるってやつだな!」

    ゲンガーLV.X HP140 超 (DPt4)
    ポケパワー レベルダウン
     自分の番に1回使える。相手の「ポケモンLV.X」1匹の上から、「ポケモンLV.X」のカードを1枚はがし、レベルダウンさせる。はがしたカードは、相手の山札にもどし、山札を切る。このパワーは、このポケモンが特殊状態なら使えない。
    超超無 ダメージペイン
     ダメージカウンターがのっている相手のポケモン全員に、それぞれ30ダメージ。
    ─このカードは、バトル場のゲンガーに重ねてレベルアップさせる。レベルアップ前のワザ・ポケパワーも使うことができ、ポケボディーもはたらく。─
    弱点 悪×2 抵抗力 無−20 にげる 0


      [No.887] 44、その名前を教えて 投稿者:キトラ   《URL》   投稿日:2012/03/04(Sun) 00:41:59     64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     プラスルが弾き跳ばされる。エアームドのとても固い鋼の翼に。タイプ相性上は有利なはずなのに、体格と強さが桁違いだ。
     これが最強のトレーナー。ザフィールは唾を飲み込む。対面すれば相手に与えるプレッシャーは他のトレーナーの比ではない。
    「さっきまでの勢いはどうしたんだい? 終わらせてもらいたいんだね」
    「なにを!」
     エアームドの鋭い嘴がザフィールの心臓に狙いをつけていた。そしてその重量のある体ごと突っ込んできたのだ。ザフィールが新しいボールを投げる前に、黄色いプラスルが青白い電気をまとってエアームドを弾くように突進した。空中で電気を逃がすものもなく、エアームドは動きが止まったおもちゃのように地面へと落ちる。
     プラスルも無傷とはいかず、右の耳元に嘴を受けて血を流していた。エアームドと二度もぶつかり、そのダメージは決して小さくない。けれど、プラスルは起き上がって一度だけザフィールを振り向いた。そしてダイゴの方を向く。再び電気を身にまとい、威嚇する。手出しはさせないと。
     電気のダメージが予想以上に酷かったようで、エアームドはダイゴの命令に従えるようにも思えない。それなのに労る素振りも見せず、労る言葉もかけず、無表情でダイゴはエアームドをボールに戻す。思わずザフィールがアンドロイドか、と小声で口走った。聞こえたのか聞こえてないのか、次のボールを投げる。
     現れたのはプラスルの体長よりも遥かに高いボスゴドラ。見た瞬間に、ザフィールはプラスルに戻るよう命じた。その瞬間、ダイゴと目が合う。殺気立つアクア団を相手しているようだった。
    「ダイゴさん」
    「なんだい? 降参ならいつでも認めてあげるよ」
    「貴方、本当にダイゴという人物なんですか? ヒトガタの話、とても普通の人が知ってるとは」
    「何を言ってるんだい、僕は人間だよ。正真正銘のね。君みたいな人の形をした藍色の珠じゃないんだよ」
     ダイゴは嘲笑う。
    「だからなんですか」
     ザフィールは静かに言った。
    「俺はそう言われた。カイオーガともつながってた。けれど俺とダイゴさんの違いはなんですか。勝手にそう生まれて裏切られて死にかけて、俺には自分の意見を言う権利もないんですか!?」
     ボスゴドラが静かに動いた。ザフィールの目の前に何もポケモンがいないのだから、その太いしっぽの一撃は致命傷になる。ダイゴはそれを容赦なく命じた。片方だけのヒトガタなど必要ない。言った通りに、ザフィールにはもうヒトガタとしての役割すら期待していない。
     大きな音がした。波を蹴る大きな音。同時にボスゴドラは横切る青に飲み込まれ、そこから姿を消す。大きな巨体がダイゴとザフィールを分けるように鎮座していた。
    「あの時のホエルコか。全く知恵ばかり回る」
     ホエルオーの大きな口の中からボスゴドラのしっぽが見える。どんなに力があっても、体格差では勝てないようだ。ただダイゴの他のポケモンがそうであったように、桁違いの強さを持っていてもおかしくない。今もホエルオーのしっぽが苦しそうに上下に暴れている。
    「進化すれば強くなる。本気でそう思ってるの?」
     ホエルオーが飛び跳ねる。大きな体だから地震のように揺れた。口の中の異物を吐き出した。ボスゴドラの体がずっしりと地面に落ちる。
    「さあボスゴドラ、暴れておいで。突進!」
    「今だイトカワ」
     ザフィールの合図と共に、大量の海水が辺りを濡らす。ボスゴドラはそれを嫌がり、地面にうずくまる。鋼の鎧が海水に濡れた姿は、海底に沈んだ鉱物を連想させた。固唾をのんでボスゴドラの動きを見つめる。それ以上は動かないようだった。
     ダイゴはその冷たい表情のまま、やはりいたわりの声すらかけずにボールに戻した。機械的な動作で新たなボールを投げる。そこにポケモンと共に生きて来たトレーナーの雰囲気は全くない。ザフィールはヒトガタと言われた自分よりも人間ではないように感じていた。
    「こんな子供に手こずるなんて正直思ってなかったよ。片方だけのヒトガタなんて恐れるものでもない」
     ダイゴの手から投げられたボールが、無機質な4本足の鋼鉄を吐き出した。
    「もう終わりにしよう」
     ダイゴはそれをメタグロス、と呼んでいた。容赦のない言葉をダイゴはメタグロスに伝える。目の前の人間を全力でつぶせ。ザフィールの耳にもはっきりと聞こえるように。
    「誰が終わりなんかに、させるか!」
     ホエルオーがその巨体でメタグロスを押しつぶすように転がる。地面が揺れる。重心を低くし、まっすぐホエルオーを見た。完全にホエルオーの下に入っているメタグロス。身動きを封じた。ホエルオーの向こうに見えるダイゴの表情は動揺もなにもなく、ただ無表情。生気のない人形。
    「じしん」
     もっと大きく揺れた。ザフィールは思わずよろけ、ダイゴから視線を外す。ホエルオーの体が転がってくる。ボールをかざし、戻すと、目の前にメタグロスの巨体が目の前に迫っていた。
     その素早い足をもってしても、追跡するメタグロスの攻撃からは逃げられない。腹に重たい一撃が入り、体は吹き飛ばされる。勢いは止まることを知らないようだった。痛みに呼吸すら満足にできない。足音に目を開ける。
    「君が死ねば予備のヒトガタが使える。僕たち人間が生きるためにヒトガタは必要だ」
    「ふざ・・・けんな」
     マツブサもダイゴもなぜこんなわがままがまかり通る。人のことを道具としか見ず、一方的に必要だとか必要ないとか、なぜそんなことが許される。人の形をしたものは、なぜこんなに憎まれて排除されなければならない。
     生まれたのも一緒だ。子供だったのも、ポケモンと出会ったのも。何が違う。何がヒトガタだ。そんなもの、必要なポケモンなど生かしておくことが間違いではないのか。
    「協力もできないヒトガタなんて要らない。ラティオスとラティアスもそう言っている。僕は人を殺すんじゃない。出来損ないのヒトガタを始末するだけだ」
    「……ガーネットも、俺も、出来損ないなんかじゃない」
    「よくそんな事が言えるね。口だけは達者だ。片方だけを残して死ぬ紅色の珠も、それを助けられない藍色の珠も出来損ないにしかならない」
    「……あいつが、帰ってくるなら、なんだって、してやる。それで、お前の、言ってること、全部嘘だと、証明してやるよ!」
     メタグロスがその4つ足で近づいてくる。その足で頭を踏みつぶされれば耐えられるはずもない。
    「さようなら。次はまともなヒトガタに生まれてくるといいね」
     無表情でダイゴはメタグロスに命ずる。メタグロスの足の一つが眩しい銀色の光を発した。そしてそれはポケモントレーナーにあるまじき行為。
    「コメットパンチだ」
    「いくらダイゴさんでもザフィールに手を出すなら覚悟してくださいね」
     メタグロスの重量が吹き飛ばされた。地面に少しめり込み、メタグロスがダイゴを見る。しかし彼は一人の少女に取り押さえられていた。その存在はそこにいる人間たちを驚かせる。
    「ガーネット……? ガーネット? 本当に、ガーネット?」
     ザフィールに名前を呼ばれ、ガーネットは振り向く。
    「私は一人しかいないわ」
     視線をダイゴに戻す。そしてダイゴの片腕を持ち上げた。
    「私ならダイゴさんの腕くらい、簡単に折れます。これは脅しじゃありませんから」
     下に伏せたダイゴの腕をねじりあげる。人間の関節ならどんな大男も悲鳴を上げるはずだった。それなのにダイゴの顔は表情一つ変わらない。
    「なぜ、君がここにいる? まさか、君がなぜ、ラティオスとラティアスの言葉は絶対で嘘など、嘘などない!」
    「いるからいるんです。これ以上、私だってダイゴさんを傷付けたくありませんので」
     黄緑色の妖精が彼女のまわりを飛ぶ。その軌跡がきらきらと輝いていた。そしてダイゴの目の前に来ると流暢な言葉で話し始めた。
    「哀れな人間。心を閉ざしてひたすら言うことを聞くだけの道具にされて。もう大丈夫。僕が思い出させてあげるよ。君の楽しい思い出を」
     聞いたことのない美しい音色の風が響く。冷たく閉ざした心に響く風。春風のようにとかして行く。
     その瞬間。ダイゴのまわりからドス黒いオーラがあらわれる。そしてそのオーラは風にとけ込み、消えていった。その方向をしばらくみつめ、気絶したダイゴを優しく地面に寝かせると、まっすぐにザフィールを見る。
    「どうして、どうしてここに」
     少しずつ近づいてくる。ザフィールは痛む体を押さえて起き上がる。夢なのか幻なのか。そこに存在し、手を差し伸べている。すがるようにザフィールはその手を掴む。
    「どこいってたんだよ。ずっと会いたかっ」
    「この犯罪者がああ!!」
     痛いところをさらに掴まれてザフィールはぐふっとしか言えなかった。
    「マグマ団なんかにいて、あんなことになって! 心配したんだから! ザフィールのバカ! バカぁ!」
     強い力で体を揺すられて、ザフィールの世界はシェイクされている。こんなことできるのは一人しかいないし夢でも幻でも絶対にない。
    「……ごめんなさい」
    「バカ」
     信じられなかった。こうしてまた話していること、ガーネットが抱きついて来たこと。彼女の体はマグマに焦がされた匂いと、硫黄の匂いが少し混じっていた。めざめの洞窟と同じ匂いだ。
    「お前こそ、最後の最後であんな告白されて俺がどんな気持ちになったか考えたことあるのかよ……」
     次に言いたい言葉なんて出て来なかった。ずっと会ったらまずなんて言うべきか考えていたのに。
    「ザフィールこそ、私が寝てる間にしてたの気付かれてないとでも思ってるの?」
    「えっ、もしかして三回も気付かなかったフリしてたのかよ!」
    「え、三回もしてたわけ!?」
     ザフィールは突き放された。ガーネットは怒ったような表情で彼を見ている。うっかり言ってしまい、ザフィールは必死で視線をそらそうとする。
    「信じられない。三回も一方的にキスされて、今さら断れるわけないでしょ」
     けれどその言い方は柔らかかった。再び目が会った時、ガーネットは微笑んだ。
    「だから最後は返事のつもりだった。けどザフィールが解ってないようなら言ってあげる。私はザフィールが好き」
     改めて言葉に出して言われると、ザフィールもどう反応していいか戸惑う。
    「ザフィールが昔にどんなことやってようと、私は貴方が好き」
    「……予想外すぎる」
     たくさんの嬉しいことが一度に起こり過ぎた。ガーネットに再び会えて、そしてさらに一番欲しい言葉をもらって。
    「男の子がそんなメソメソ泣かないの」
    「解ってるよ。解ってるけど」
     嬉しい感情が溢れていた。ザフィールの白い髪をガーネットが撫でる。
    「嘘じゃないよな。全部夢じゃないよな」
     3ヶ月越しの言葉を言うため、ザフィールは深く息を吸う。
    「俺はガーネットが好きです」
     絶対に受け入れてくれないと思っていた。初めてマグマ団とバレた時に好きだと自覚するのと同時にそれを覚悟していた。だからこそこっそりと伝えることしかできなかった。それなのにはっきりと口に出して自分の感情を伝えることができる。堂々と唇を重ねることができる。初めてでないようで初めてのキスは少し潮風が混じっていた。


      [No.886] 79話 指針 投稿者:照風めめ   投稿日:2012/03/01(Thu) 09:13:38     41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     俺のサイドは残り四枚。バトル場には水エネルギーが二枚ついたボーマンダ40/140。ベンチにはギャラドス130/130、炎エネルギーが二枚ついたバトル場にいるのとは違うボーマンダ140/140、ヤジロン50/50。
     向かいにいる長岡恭介のサイドは五枚。バトル場にエレキブルFB LV.X120/120、ベンチにヤジロン50/50、雷エネルギーが二つついたピカチュウ60/60、雷エネルギーが三つついているピカチュウ60/60。スタジアムは長岡が発動させたナギサシティジム。
    「俺のターン!」
     引いたカードはネンドール。そして他の手札はコイキングとボーマンダLV.X。どのカードも俺の目指す構想に必要なカード。コスモパワーで戻しにくい。
     いくら相手の場にエネルギーが溜まっているといえいるポケモンは皆小物。ここは多少リスキーな立ち回りでも問題ないだろう。
    「ベンチにコイキング(30/30)を出し、手札からヤジロンをネンドール(80/80)に進化させる」
     ネンドールのポケパワー、コスモパワーは手札を一枚か二枚デッキの底に戻して手札が六枚になるまでドローするもの。今左手で持っている唯一の手札、ボーマンダLV.Xは俺にとっての文字通り「キー」となるカード。俺は長岡のように運が良くないし、それに長岡と戦うといつも(高校でたまに戦っている)運気が下がる。これをデッキに戻して自力で引くのは分の悪い賭け。
     カードゲームにおいて「確実」なことなどほとんどない。俺は常に「不安」と戦い続けなければならない。せめてボーマンダLV.Xが手札にあるという僅かな「確実」だけでも手にキープしておかねば。
    「ベンチのボーマンダのポケパワーを発動。マウントアクセル!」
     ボーマンダ140/140が右足を持ち上げると、それを振り下ろして地ならしし、ズシンと辺りに響かせる。
    「このポケパワーはデッキの一番上をめくり、それが基本エネルギーならボーマンダにつけ、それ以外の場合はトラッシュするポケパワーだ」
     ボーマンダの頭上に降ってきたカードはギャラドスのカード。これはポケモンのカードだからトラッシュしなければならない。
    「む……。だったら攻撃だ。ボーマンダで直撃攻撃!」
     勢いをつけたボーマンダの突進がエレキブルFB LV.X120を襲う。直撃は相手の弱点、抵抗力、すべての効果を無視してダメージを与えるワザ。その威力は50。正面から直撃を受けたエレキブルFB LV.X70/120。大きい体が真上に飛ばされ、そのまま地に落ちる。
    「よっしゃー! 俺のターンだ。ドロー! まずはベンチのヤジロンをネンドール(80/80)に進化させる。そしてポケパワー、コスモパワーを使わせてもらうぜ! 手札を二枚戻し、五枚ドローだ」
     俺とは違って手札が潤う長岡。手札の枚数の差が歴然となった。手札の数だけ可能性、翔が良く言う言葉だがまったくもってそう思う。
     いきなり笑みが浮かぶ長岡。
    「ふっ、まずはグッズカードのワープポイントを使う! 互いのバトル場のポケモンをベンチのポケモンと入れ替える!」
     ワープポイントだと? 長岡のベンチにはピカチュウ60/60二匹にネンドール80/80一匹。エネルギーがついていなくてワザでダメージを与えれないエレキブルFB LV.X70/120を入れ替えてピカチュウを出すつもりか?
     俺のベンチにはコイキング30/30、ネンドール80/80、ギャラドス130/130、ボーマンダ140/140。コイキングを出すのは愚の骨頂。ネンドールを出してもバトルは出来ない。ボーマンダは俺の切り札、ボーマンダLV.Xを最大限に活かすためには少しでもダメージを受けさせたくない。となるとギャラドスか……。たしかに雷タイプが弱点だがピカチュウ程度の攻撃。そしてギャラドスはエネルギーがなくても攻撃出来るワザ、リベンジテールがある。
    「俺はギャラドスをバトル場に」
     バトル場のボーマンダ40/140とギャラドスが渦に呑まれると、互いに場所を入れ替えるように渦から出てくる。
    「なら俺は雷エネルギーが二つついたピカチュウをバトル場に出すぜ」
     長岡の方も同様にポケモンの位置が入れ替わる。
    「さらに雷エネルギーをピカチュウにつけ、ライチュウ(90/90)に進化させる!」
    「進化か……」
     考えない訳ではなかったが、実際に進化されると幾分つらい。いや、そういえば前のターンにミズキの検索でライチュウを手に入れていたな……。ここまでの展開はあいつの予想通りということになるのか?
    「そしてグッズカード、プレミアボール。デッキかトラッシュのLV.Xポケモンを一枚手札に加える。俺はトラッシュからライチュウLV.Xを手札に!」
    「だが進化させたターンはレベルアップは出来ない」
    「もちろん分かってるさ。だからこのグッズを使うんだ。レベルMAX!」
    「レベルMAXだと……!」
     あのカードの効果は、コイントスをしてオモテの場合、自分のポケモン一匹をレベルアップさせるカード。進化させたターンはレベルアップ出来ないという制約を破ることが出来るカードだ。
    「……オモテ! よし、レベルアップさせるぜ!」
     再びライチュウLV.X110/110が現れる。だがあの厄介なポケボディー、連鎖雷を行うには手札の雷エネルギー二枚をトラッシュさせるワザ、ボルテージシュートを使う必要がある。それに対して長岡の手札はたった一枚。なのでボルテージシュートは使う事が出来ない。ネンドールのポケパワーを使ったあいつに手札補給の機会はない。
    「じゃあ手札を増やすぜ。サポーター発動。バクのトレーニングだ!」
    「それで勝負に出る気か!」
    「デッキの一番上からカードを二枚ドロー。そしてこのターン与えるワザのダメージが10プラスされる!」
     たった二枚しか引かないのにそれで雷エネルギーを二枚引くのは至難の業だ。流石にそこまで運よく行くはずがない。……と信じたいが。
    「手札の雷エネルギーを二枚トラッシュし、ライチュウLV.Xで攻撃。ボルテージシュート!」
    「っ!」
     宣言と同時に紫電が俺の場を襲う。ベンチにいるネンドールに向けて発射された紫電はネンドールに触れると爆風と砂煙のエフェクトを巻き起こす。
    「うぐあっ!」
    「ベンチのポケモンに攻撃するときは抵抗力や弱点を計算しないぜ。ボルテージシュートの威力は80。ただ、バクのトレーニングで与えるダメージがプラス10される場合は相手のバトルポケモンに攻撃した場合のみ! だからネンドールには80ダメージだ」
     最大HPが80のネンドールには一撃だ……。
    「ネンドールが倒れたことによってサイドを一枚引く。そしてライチュウLV.Xのポケボディー、連鎖雷はこのポケモンがレベルアップした番にボルテージシュートを使ったなら、もう一度攻撃のチャンスを得るもの。よって追撃だ! 炸裂玉を喰らえッ!」
     巨大な電気の集まりの球体がバトル場にいるギャラドスに襲いかかる。早いボルテージシュートに対し緩やかな炸裂玉だが、ギャラドスに触れた途端爆弾でも落ちたかのような轟音が鳴り響く。
     ギャラドスのHPは130あった。そして炸裂玉の威力は100。しかしギャラドスの弱点は雷+30の上、バクのトレーニングの+10効果もあるので受けるダメージは100+30+10=140ダメージ。ギャラドスのHPを上回ってしまった。
    「くっ、ここまで想定内かっ」
    「いいや、多少の偶然もあるぜ。ボルテージシュートを使えたこととかな。さてと。炸裂玉は自分の場のエネルギーを三個トラッシュしなければならない。俺はピカチュウについている雷エネルギーを三個トラッシュ」
     このターンだけで長岡がトラッシュしたエネルギーは五枚。そして倒したポケモンは二体。痛手にも程がある。
    「俺はボーマンダ(40/140)をバトル場に出す」
    「サイドを一枚引くぜ。これで逆転だ」
     そう、俺のサイドは四枚だが長岡のサイドは三枚。あっという間に逆転されてしまったのだ。
     やはり格段と強くなっている。元々の運に加え、立ち回りなどといったプレイングもいい。自分の運を過信しすぎる点もあるが、ある程度のリカバリは想定しているようだ。
     とはいえ簡単に引き下がるわけにはいかない!
    「俺はまだまだ上を目指す! 行くぞっ! ドロー!」
     引いたカードは水エネルギー。一番欲しいカードではない……。しかも先ほどドローエンジンのネンドールを気絶させられたために俺はデッキからカードを新たに供給することが一切できない。
    「くっ、水エネルギーをベンチのボーマンダにつけて、こいつのポケパワーを使う。マウントアクセル!」
     マウントアクセルの効果でデッキの一番上を確認する。しかし一番上はエネルギーではなくポケモンのエムリット。効果によってトラッシュしなくてはならない。
    「ついてないなー」
    「俺はお前と違って運は最悪だからな。しかたあるまい。ボーマンダで直撃攻撃」
     ボーマンダの突進する一撃でライチュウLV.Xにダメージを与えていく。HPは60/110まで削ったがまだまだ残っている。
    「今度は俺のターン。まずはベンチのピカチュウのポケパワー、エレリサイクル。その効果でトラッシュにある雷エネルギーを手札に加えるぜ。そしてこの雷エネルギーをベンチのエレキブルFB LV.Xにつける」
     エネルギーをつけるということはワザを使わせるという事。エレキブルFB LV.Xはベンチにいてポケパワーを使う置物というわけではないのか。
    「手札からサポーターのミズキの検索を発動。手札を一枚戻し、デッキから好きなポケモンを一枚加える。俺はライチュウを加える。そしてネンドールのポケパワーのコスモパワーを発動。手札を一枚戻し、デッキから五枚ドローだ」
     俺のデッキは残り二十六枚だが長岡のデッキは僅か十四枚。ドローが自由に出来ない俺との差がここにも顕れる。
    「手札を二枚トラッシュし、ベンチのコイキングにボルテージシュートだ!」
     再び鋭い紫電が俺のベンチを抉る。80ダメージを与えるワザに対しコイキングのHPはたったの30。
     二つ前の俺のターンでコイキングをベンチに出したのは失敗だったか。思惑ではこいつをギャラドスにし、リベンジテールでエネルギーなしの90ダメージを与え続けるはずだったが……! しかしギャラドスを引けなければなんの意味もなかった。
     そもそもコイキングを出した番、まだライチュウLV.Xはピカチュウだった。進化してもライチュウはベンチのポケモンを攻撃出来ないと油断していた。まさかベンチにも攻撃出来るライチュウLV.Xがあっさりサルベージされるとはな。
    「サイドを引いてターンエンド」
     連鎖雷はレベルアップしたターンにしか発揮されない。二撃目はないものの、それでも俺と長岡のサイドの差は二枚になった。
    「……。俺のターン」
     くっ。今引いたカードがギャラドス。しかしコイキングがいなくなってはもうどうしようもない。俺のトラッシュには四枚のコイキング。つまりデッキにもサイドにももうコイキングはいない。ギャラドスが手札で腐ってしまった。
    「ベンチのボーマンダでポケパワーだ。マウントアクセル!」
     ここでもデッキの一番上のカードはクロバットG。このカードのポケパワー、フラッシュバイツはこのポケモンを手札からベンチに出した時、相手のポケモンに10ダメージ与えるポケパワー。
     もしもギャラドスでなくこのカードを引いていた場合、ベンチにクロバットGを出してライチュウLV.Xに10ダメージ与え、ボーマンダの直撃で50ダメージ与えれば気絶させることが出来たものを。とことんついていない。
    「仕方ない。ボーマンダで直撃攻撃!」
     この一撃でまた50ダメージを与え、ライチュウLV.XのHPは10/110。そう、クロバットGさえ引けていれば!
    「一気に畳み掛けるぜ。俺のターン! ベンチのピカチュウのエレリサイクルを発動し、トラッシュの雷エネルギーを一枚手札に戻す。そしてベンチのエレキブルFB LV.Xに雷エネルギーをつける」
     長岡のトラッシュにある雷エネルギーはあと五枚。
    「コスモパワーを使うぜ。手札を二枚デッキの底に戻して三枚ドロー! 続いてベンチのネンドールにポケモンの道具、ベンチシールドを使う。ベンチシールドがついたポケモンはベンチにいてもダメージを受けない! さあライチュウLV.Xで攻撃だ。分裂玉!」
     ライチュウLV.Xから炸裂玉と同じように大きな球体が発せられる。しかし、それが半分に分割されてそのうち一つは俺のボーマンダに。もう一方は長岡のベンチのエレキブルFB LV.Xに向かって飛んでいく。
    「ぐうっ!」
     再び光と風の激しいエフェクトが。
    「分裂玉の威力は50! それに対してボーマンダの残りHPは40だ。当然気絶になる!」
     ボーマンダのその大きな体が力を失くして倒れていく。
    「そして分裂玉のもう一つの効果。このライチュウLV.Xについているエネルギーを一個、ベンチポケモンにつけかえる。俺はライチュウLV.Xの雷エネルギー一枚をベンチのエレキブルFB LV.Xにつけかえる!」
     これでエレキブルFB LV.Xについている雷エネルギーは三つ。エレキブルFB LV.Xはテキストに書かれている全てのワザを使えることになる。
    「俺はベンチのボーマンダをバトル場に出す」
    「サイドを一枚引いてターンエンドだ!」
     長岡の残りのサイドはたった一枚。そして俺にはベンチポケモンがいない。あとはこいつを信じるだけだ。このボーマンダ一匹で、サイドを四枚取らなければ。
    「たとえどんな状況に追い込まれたとしても、俺は勝負を諦めるわけにはいかない! 行くぞっ!」
     このターンのドローで引いたカードはクロツグの貢献。これも違う。欲しいカードではない。しかし俺にはボーマンダLV.Xがある。
    「ポケパワー、マウントアクセルを発動する。デッキの一番上を確認し、それがエネルギーならボーマンダにつけ、そうでないならトラッシュする。……炎エネルギーだ!」
     ようやっと成功した。これでボーマンダについているエネルギーは四枚。
    「サイドの差は三枚。そして俺は背水の陣。しかしそんなことを全てひっくりかえすことのできる、圧倒的力を見せてやる! 来いっ、ボーマンダLV.X!」
     バトル場のボーマンダがレベルアップし、ボーマンダLV.X160/160となる。レベルアップしたときに大きく雄たけびをあげるボーマンダLV.X。威圧感は十分。
    「ボーマンダLV.Xがレベルアップしたとき、ポケパワーのダブルフォールを使用する。さあ攻撃だ、一撃決めてやる。ボーマンダLV.X、突き抜けろっ!」
     直撃攻撃と似たようにボーマンダLV.Xは相手のライチュウLV.X10/110に向けて突進していく。ライチュウLV.Xの体を軽々と跳ね飛ばすと、さらにベンチにいるエレキブルFB LV.X70/120の巨体も弾き飛ばした。
    「二体攻撃かっ!」
    「突き抜けるの通常の威力は50。そしてこの効果で相手のベンチポケモン一匹にも20ダメージを与える!」
     当然ライチュウLV.Xは気絶。エレキブルFB LV.X50/120も残りHPが半分を切った。
    「俺はベンチのピカチュウをバトル場に出す。だがサイド一枚引いただけでもサイドの差は二枚に……」
    「これこそが頂点を目指す者の力だ。ボーマンダLV.Xのポケパワーの効果が発動する。ダブルフォール!」
    「このタイミングで!?」
    「このポケモンがレベルアップしたターンにのみダブルフォールは使え、このターンにこのポケモンが使うワザのダメージで相手を気絶させたとき、気絶させたポケモン一匹につき一枚サイドをさらに引くことが出来る! 俺が倒したのはライチュウLV.X一匹。俺は通常引けるサイド一枚に加え、さらに一枚サイドを引く!」
    「なんだとっ!?」
    「サイドの差はあと一枚だ」
     そしてサイドを二枚引けたことで俺の手札も四枚、ようやく潤い始めた。ネンドールというドローエンジンがいなくなってからカードを大量に引けなかった俺にとっては貴重な手札だ。
    「くそっ、俺だってまだまだ! ドロー! ピカチュウのポケパワー、エレリサイクルを発動。トラッシュの雷エネルギーを一枚手札に加える。バトル場のピカチュウをライチュウ(90/90)に進化させる。そして手札の雷エネルギーをベンチのエレキブルFB LV.Xにつけ、ネンドールのコスモパワーだ。手札を二枚戻し二枚ドロー。そしてエレキブルFB LV.Xのポケパワーを使うぜ。エネリサイクル!」
     エレキブルFB LV.Xはその電気コードのような尻尾を地面に突き刺す。
    「トラッシュのエネルギーを三枚まで選び、自分のポケモンに好きなようにつける!」
     これでライチュウにエネルギーをつけて炸裂玉でもする気だろうか……?
    「俺はトラッシュの雷エネルギー三枚を、全てエレキブルFB LV.Xにつける!」
    「エレキブルFB LV.Xに!? そいつは既に雷エネルギーを四枚もつけているぞ! 七枚もつけて何になるんだ」
    「慌てんなよ、お楽しみはこの後だ。エネリサイクルを使うと自分のターンは強制的に終了となる。ターンエンド!」
    「どんな手を打たれようと、俺はするべきことをするのみ! 俺のターン。ボーマンダLV.Xでマウントアクセル!」
     デッキの上を確認するが、時空の歪み。はずれなのでトラッシュ。
    「ならば手札からサポーターカードを発動。クロツグの貢献。トラッシュにある基本エネルギー、ポケモンを五枚まで戻す。俺は炎エネルギー二枚、水エネルギー二枚の四枚をデッキに戻しシャッフル!」
     エネルギーだけ戻したのはマウントアクセルの成功率上昇のためだ。
    「この攻撃を受けろ! ボーマンダLV.Xでスチームブラスト!」
     ボーマンダが口を開くと、口のすぐ前に白い蒸気が集いだす。そしてそれが限界まで凝縮されると、ボーマンダLV.Xはそれを放つ!
     白い強力な一撃は熱気と湿気を保ちながら長岡のライチュウ90/90にヒット、そしてライチュウの姿が隠れてしまうほどの蒸気が発散する。
    「うおっ!」
     エフェクトの激しさに長岡の素っ頓狂な声が聞こえる。
     蒸気が晴れると、そこには力なく伸びているライチュウ0/90の姿のみ。スチームブラストの威力は100。ライチュウ程度は一撃だ。
    「スチームブラストの効果で、俺はボーマンダLV.Xについている炎エネルギーをトラッシュ」
    「俺はエレキブルFB LV.Xをバトル場に出す!」
    「サイドを一枚引く。これで残りサイドはどちらも一枚! しかもお前のエレキブルFB LV.Xの残りHPは半分なのに対し、俺のボーマンダLV.XのHPはマンタンだ。俺の方が優勢だな」
    「まだ分からないぜ! 俺のターン。俺は手札のポケモンの道具、達人の帯をエレキブルFB LV.Xにつける!」
     エレキブルFB LV.X50/120の腰の部分に青い帯が巻かれる。この帯をつけたポケモンは、最大HPが20上がり、相手のバトルポケモンに与えるワザの威力も+20されるが、このカードをつけたポケモンが気絶したとき、相手はサイドをより一枚ドローすることができるデメリットを持つ。とはいえこのデメリット、残りサイド一枚の俺にとっては無意味。
     HPが上昇する効果でエレキブルFB LV.Xの残りHPは70/140。
    「エレキブルFB LV.Xで攻撃。電気飛ばし!」
     体毛から弾ける電気をボーマンダLV.X160/160に向けて飛ばす。電撃がボーマンダLV.Xを襲い、そのHPを100/160まで削る。達人の帯をつけてこれなのだから元の威力は40か。
    「電気飛ばしの効果で、このカードについている雷エネルギー一つを自分のベンチポケモンにつける。俺はエレキブルFB LV.Xの雷エネルギーをネンドールに一枚つけかえる」
    「言っておきながら半分も削れていないな。俺が次のターンにエネルギーを引き当て、スチームブラストで100ダメージを与えれば俺の勝ちだ」
    「へへ、悪いが俺はお前がエネルギーを引き当てないことを祈るだけだぜ」
     緊張。このドロー次第で俺は準決勝に進めるか否かが決まる。
    「ドロー!」
     ドローしたカードを確認するのが怖い。たった一枚で運命が決まってしまうのだ。だが逃げるだけでは何もならない。引いたカードを確認すれば……。
    「顔色が良くねーな」
     引いたカードはスタジアムカード、破れた時空。今は不必要なカード。
    「だがもうワンチャンスある。ボーマンダLV.Xのポケパワーを発動! マウントアクセルだ!」
     ボーマンダLV.Xが右前足で地面を叩きつけ咆哮する。
    「デッキの一番上のカードは……」
     このターンの最後の運否天賦。恐る恐る確認すると、……ボーマンダのカードがそこにあった。
    「くそっ! だが攻撃は通す! 突き抜ける攻撃!」
     さっきのターンエレキブルFB LV.Xは60しかダメージを与えれなかった。次のターン、もう60ダメージを受けて俺のターンが回ってこればいずれにしろ倒すことが出来る!
     エレキブルFB LV.Xを弾き飛ばすボーマンダLV.Xだが、長岡の他のベンチポケモンはネンドールのみ。ネンドールのポケモンの道具、ベンチシールドの効果でベンチにいるネンドールにダメージを与えることが出来ない。
     ひとまずエレキブルFB LV.Xの残りHPは20/140。あとどんな一撃でも倒せる。
     そう半ば勝利を確信した時だった。長岡がニヤリと笑みを浮かべる。
    「この勝負っ、もらったぁ! 俺のターン! エレキブルFB LV.Xで攻撃。パワフルスパークだ!」
     エレキブルFB LV.Xは右の拳と左の拳をガチンとぶつけると、体中から溢れんばかりの電気を生み出し、それを全て右腕に集中的に溜める。
    「パワフルスパークは元の威力の30に加え、自分の場にあるエネルギーの数かける10ダメージ威力が上がるワザだ!」
     長岡の場には雷エネルギーが七つ。そして達人の帯の効果も加わり、パワフルスパークのダメージは30+10×7+20=120になる。ボーマンダLV.X100/160の残りHPを上回る……!
    「いっけー!」
     駆けだしたエレキブルFB LV.Xは、電気を大量に溜めた右腕でボーマンダLV.Xの腹部を力いっぱい殴りつける。
     弾ける電気の中、ボーマンダLV.Xの苦しそうな悲鳴、そして減っていくHPバーは目に焼きついた。
    「これでゲームセットだな」
     長岡が最後のサイドを引くと同時にゲームが終わる。全ての3Dが消えた。
     今年の俺の大会はこれで終わってしまった。ここから先への戦いに進むことはない。全国大会での市村アキラとの再会、そしてリベンジは叶わぬ夢となった……。
    「……」
     首を上に向ける。もちろん天井しか映らなかった。目をつぶり、右拳に力を入れることでなんとか悔しさをやり過ごす。
     ああ、単純に悔しい。ここまで純粋に悔しい気持ちでいっぱいになったのは初めてだ。不運の連続もあるし、俺のプレイングミスもあった。そしてなにより単純に、長岡恭介は強かった。
    「風見」
     長岡の声が聞こえる。首を再び正面に向け目を開くと、すぐそこにいつもの笑っているあいつの姿が見える。
    「お前、やっぱ強いな!」
    「ああ。でも───」
    「でも、俺の方がもっと強かった、ってことだ」
     差し出される右手。俺も右手を出し強く握手をする。
     いつの間にか悔しさがなくなり、心が温かくなって何とも言えない充足感を感じた。負けても、楽しい。これが本当の戦いか。
     また来年。次こそは全国の舞台へ進んでやる。そう、俺のリベンジは最下層からまた始まるのだ。新たなる決意を胸にしまった。
     そんなときだった。藤原の悲鳴が聞こえたのは。



    風見「今回のキーカードはボーマンダLV.X!
       ボーマンダには豊富なレベルアップ前がある。
       どのカードからレベルアップするかによってこのカードの活かし方が変わるぞ」

    ボーマンダLV.X HP160 無 (DPt4)
    ポケパワー ダブルフォール
     自分の番に、このカードを手札から出してポケモンをレベルアップさせたとき、1回使える。この番、このポケモンが使うワザのダメージで、相手のポケモンをきぜつさせたなら、自分がサイドをとるとき、きぜつさせたポケモン1匹につき1枚、さらにサイドをとる。
    炎水無無 スチームブラスト  100
     自分のエネルギーを1個トラッシュ。
    ─このカードは、バトル場のボーマンダに重ねてレベルアップさせる。レベルアップ前のワザ・ポケパワーも使うことができ、ポケボディーもはたらく。─
    弱点 無×2 抵抗力 闘−20 にげる 2


      [No.885] 第22話、「研究スイッチ・オン!」投稿! 投稿者:名無し   《URL》   投稿日:2012/02/29(Wed) 23:03:21     47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    どうも。この前間違えて自分の記事に自分で拍手してしまった名無しです。

    「ポケモンヒストリー」最新話投稿しました!
    今回はオーキド博士のキャラが若干崩壊しますw

    ちなみに昨日は「バカヤローの日」だったそうです。
    バカヤローの日って何だバカヤロー。(調べてみたらけっこうしょーもない記念日だったw)

    では、「ポケモンヒストリー」ぜひ読んでみてくださいダンカンバカヤロー!


      [No.884] 78話 アイツ 投稿者:照風めめ   投稿日:2012/02/28(Tue) 13:07:21     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

    『雄大。これで最後だ! マッスグマの攻撃、駆け抜ける! ガブリアスに攻撃だ! ガブリアスは無色タイプが弱点。僕の勝ちだ!』
     何年前かは忘れた。まだ俺が小さい頃の話だ。小学生だった。
     ジュニアリーグで出場し、あれよあれよと全国大会まで駒を進めた俺。
     その当時、俺はうぬぼれていた。何一つ自分で掴み取ってはいないのに、すべて自分の思い通りにいくとでも思っていたのだ。
     自分の圧倒的な力、絶対的な戦術、幼いながらに全て自信を持っていた。
     そしてそれがアイツとの戦いで崩れ去った。しかし、それを認めたくなかった俺は幻にすがりついた。俺は強い、という悲しい幻に。
     母親には怒られた。大企業会社の社長の息子は何においてでも負けることは許さない、だと。
     粉々に砕かれたプライド。あの負け以来今日まで公式大会には出ていなかった。だがそれでもポケモンカードを続けていたのは何故だろう。惰性か、それとも別の何かか。
     アイツとは小さい頃からなんとかパーティーでしょっちゅう会っていて、それなりに仲が良かった。たぶん初めての友達だったかもしれない。
     しかしあの全国大会以来アイツとは会えていない。アイツには恥ずかしい姿しか見せれていないのだ。成長し、変わった俺を。母親の束縛から逃れようと、運命に抗い始めたその俺を。そして何より俺にもたくさん仲間と呼べる人が出来たというのを見せてやりたい。
     母から逃れるために北海道を出、悲しい幻を引きずったまま東京にやって来た。そこで出会った奥村翔、翔は俺をその幻から引きずり出してくれた。口には恥ずかしくて言えないがとても感謝している。
     奥村翔、長岡恭介、松野藍、他にもいろんな人と俺は出会えた。そしてその出会いが今の俺の強さだ。もう一度アイツにあって、それを見せてやりたい。……待っていろ、市村アキラ。
    「風見杯以来だな」
    「ああ。あんときは準決勝だったけど今回は準々決勝だな」
    「今度は負けないぜ!」
    「いや、俺は今回も負けない。負ける気はない」
    「そうこなくっちゃ! じゃあ始めるぜ」
    「来い、長岡!」
     バトルベルトはもうテーブルにトランスフォームした。デッキもシャッフルし終わり、両者の場には既に最初のポケモンが出そろった。
     俺のバトル場にはタツベイ50/50。長岡のバトル場はエレキブルFB90/90。互いにベンチにポケモンはいない。
    「先攻はいただくぜ。俺のターン! 俺はまず手札の雷エネルギーをエレキブルFBにつける! うん、エレキブルFBのワザを使う。トラッシュドローだ。自分の手札のエネルギーを二枚までトラッシュし、その枚数かける二枚ぶんデッキからカードをドローする。俺は雷エネルギーを一枚トラッシュして二枚ドロー!」
     長岡はあれからかなりのキャリアを積んだ。もう初心者ではない。一瞬の油断も与えられなくなった程だ。
    「全力で戦う。俺のターンだ。炎エネルギーをタツベイにつける。よし、サポーターだ。ハマナのリサーチ! デッキからたねポケモンまたは基本エネルギーを二枚まで手札に加える。俺はコイキングを二枚手札に加え、そのうち一枚をベンチに出す」
     ベンチにコイキング30/30が現れ、ピチピチと跳ねる。
    「へぇ、コイキングも入ってんのか」
    「ふ、タツベイでエレキブルFBに噛みつく攻撃だ」
     タツベイがエレキブルFBの腕に噛みついた。HPバーがごくわずかに減ってエレキブルFBのHPは80/90に。噛みつくの威力はわずか10ダメージ。たねポケモンでエネルギー一個なのだから、多少はやむなしといったところか。
    「よし、俺のターンだぜ! ベンチにピチュー(50/50)を出す! ピチューに雷エネルギーをつけ、俺もサポーターのハマナのリサーチを使うぜ。デッキからピカチュウとヤジロンを手札に加える。そして、ヤジロン(50/50)をベンチに出し、ピチューのポケパワーを発動だ!」
     ピチューのようなベイビィポケモンは全員がベイビィ進化というポケパワーを持っている。自分の番に一度使え、自分の手札のそのポケモンから進化するたねポケモンを一枚、このポケモンの上にのせ、進化させる。そのときそのポケモンのダメカンを全て取るというやつだ。この場合はピチューからピカチュウ60/60へ進化する。
    「ベイビィ進化でピカチュウへ進化させ、このピカチュウのポケパワーを発動。エレリサイクル! このピカチュウの進化前にピチューがいるとき自分の番に一回使える。トラッシュの雷エネルギーを一枚手札に加えることが出来る!」
     長岡のトラッシュにはさっきのターンにエレキブルFBのワザでトラッシュした雷エネルギーが一枚ある。ここまで考えていたのか?
    「もう一度トラッシュドロー。今度は手札の雷エネルギーを二枚捨てる。よって四枚ドロー!」
     ひたすら長岡の手札が増えていく。まだ三ターン目なのにデッキの枚数は着実に減っていく。
    「引くだけでは勝てないぞ。俺のターンだ。タツベイに水エネルギーをつける。ここでサポーターだ。スージーの抽選。自分の手札を二枚までトラッシュし、トラッシュしたカードの数によってドローするカードの枚数が決まる。俺は手札を二枚トラッシュして四枚ドロー」
     手札のコイキングを二枚トラッシュしておく。俺のデッキはトラッシュにコイキングがあればあるほど強くなる。
    「まずはタツベイをコモルー(80/80)に進化させよう。そして俺も手札からヤジロン(50/50)をベンチに出し、コモルーのワザだ。気合い溜め!」
     コモルーはぐぐぐ、っと力を入れる。だがエレキブルFBへのダメージを与えるワザではない。
    「へへっ、そういうお前もダメージ与えれてないじゃないか。俺のターン。ピカチュウのエレリサイクル! トラッシュの雷エネルギーを手札に加える。そしてこのターンもハマナのリサーチを発動だ。ピチューとピカチュウを手札に加える。ベンチのピカチュウをライチュウ(90/90)に進化させ、新たにベンチにピチュー(50/50)を出してピチューのポケパワー、ベイビィ進化! このピチューをピカチュウ(60/60)に進化させる!」
     これでヤツのベンチはライチュウ90/90、ピカチュウ60/60、ヤジロン50/50の三匹か。ポケモンを立てるのが早くなったな。
    「そしてだ。新しくベイビィ進化したばかりのピカチュウのエレリサイクルを使ってもう一枚トラッシュの雷エネルギーを手札に加える」
     長岡のトラッシュに雷エネルギーがなくなった。ここまで考慮してのトラッシュだったのだろうか。
    「雷エネルギーをライチュウにつけよう。そしてもう一度トラッシュドロー。手札の雷エネルギーを二枚トラッシュして四枚ドローだ。ターンエンド」
     なるほど。エレキブルFBを盾としてドローしている間、ベンチにポケモンを揃える作戦か。
    「俺のターンだ。そうだな、炎エネルギーをコモルーにつけ、ミズキの検索を発動。手札を一枚戻しデッキから好きなポケモンを加える。俺はネンドールを選択。そしてヤジロンをネンドール(80/80)に進化させる。そしてコスモパワーだ。手札を一枚か二枚デッキの底に戻して手札が六枚になるまでドロー。俺は二枚戻して五枚ドローだ」
     引くだけのことはある。長岡相手だが好カードを引き当てれた。
    「ベンチのコイキングをギャラドスに進化させる!」
     小型ポケモンが多かったフィールドに急に大きなギャラドス130/130が現れる。威圧感バッチリだ。
    「さあ、行け、コモルー。プロテクトチャージ!」
     コモルーがエレキブルFB80/90目指してチャージをかます。そのチャージを鳩尾に受けたエレキブルFBは辛そうだ。
    「プロテクトチャージの本来の威力は僅か30だが、気合い溜めを前のターンに使用していた場合このワザの威力は80となる」
    「なんだって!?」
     HPバーを減らしたエレキブルFBは、ふらふらとおぼつかない足取りを見せてそのまま前向きに倒れる。
    「思ったより一ターン早いじゃんか。俺はライチュウをバトル場に出す」
    「サイドを一枚引いてターンエンドだ」
     先にサイドを引かれたが、それでも満面笑みの長岡。何か来るか……?
    「よっしゃ、俺のターン!」
     勢いよくカードをドローする長岡。ドローしたカードを確認すると、更にテンションが上がっていくようだ。
    「オッケー。ナイスドロー! 俺が引いたカードはこいつだ。頼んだぜ、ライチュウLV.X!」
     ライチュウLV.X110/110が長岡の場に現れる。……先にLV.Xを引いてきたのは長岡の方か。このターンからヤツの激しい攻撃が来るな。
    「忘れんなよ、ベンチのピカチュウのポケパワー、エレリサイクルだ。トラッシュの雷エネルギーを手札に加えてライチュウLV.Xにつける。さらにミズキの検索だ。手札を一枚戻してデッキからエレキブルFBを手札に。そしてこのエレキブルFB(90/90)をベンチに出すぜ」
     倒されたエレキブルFBをすぐにリカバリさせるのか? どう来る。
    「バトルだ! 手札の雷エネルギーを二枚トラッシュ。こいつが、ビリビリ痺れる強烈な一撃だ! ライチュウLV.X、ボルテージシュートをぶちかませぇ!」
     ライチュウLV.Xの体に大量の電気が集まると刹那、槍のような鋭い紫電が俺の場を襲う。
    「ぐぅっ!?」
     紫電はネンドール80/80を襲うと爆風と砂煙のエフェクトを起こす。ネンドールのHPバーはあっという間に0/80となり気絶。予感はこれか!
    「ボルテージシュートは手札の雷エネルギーを二枚トラッシュして相手のポケモン一匹に80ダメージを与えるワザ! ベンチだろうとどこだろうと問題ないぜ? サイドを一枚引く」
    「ふん。今度は俺のターン」
    「まだまだ! 俺はターンエンドしてないぜ」
    「何っ?」
    「俺の攻撃はまだまだ終わらない! ライチュウLV.Xのポケボディーだ。連鎖雷! このポケモンがレベルアップしたターンにボルテージシュートを使ったターン、追加でもう一度ワザを使う事が出来る!」
    「二回連続攻撃だと!?」
    「もう一枚サイドをいただくぜ。こいつを喰らえ、炸裂玉!」
     ライチュウLV.Xの体の半分ほどある白と黄の入り混じった球体が、目で追えないボルテージシュートとは違ってゆっくりコモルーの傍へ近づき、コモルーに触れると一気に膨張し爆発した。これも強風のエフェクトが強い。
    「炸裂玉の効果でライチュウLV.Xについている雷エネルギーを三つトラッシュする。炸裂玉の威力は100! それに対してコモルーのHPは80だ。サイドはいただき!」
    「悪いが、そう簡単にサイドはやらん」
    「うっ! 何だこれ!?」
     コモルー10/80の目の前に緑色の六角形のバリアが張られていた。これのおかげで炸裂玉のダメージを削りなんとか耐えきった。
    「先ほどのターンに放ったプロテクトチャージの効果だ。次の相手の番に自分が受けるワザのダメージを30減らす。コモルーが受けるダメージは100から30引かれて70! ギリギリだ」
    「流石だぜ。ターンエンド」
     しかしネンドールが気絶させられたのは痛い。俺の数少ないドローエンジンだったのだが……。
    「よし。俺のターン。まずはベンチにタツベイ(50/50)を出し、バトル場のコモルーに水エネルギーをつける。そして、バトル場のコモルーをボーマンダに進化させる!」
     コモルーの体が光に包まれ、形が変わっていく。見慣れた屈強の体と大きな赤い翼が出来あがれば、いつもの相棒、ボーマンダ70/140の登場だ。
    「サポーターカードを使う。ハマナのリサーチ。俺はヤジロン(50/50)とコイキングを手札に加え、ヤジロンをベンチに出す。……俺の熱い情熱を見せてやる。ボーマンダについている炎エネルギーを二枚トラッシュし、ドラゴンフィニッシュ!」
     ボーマンダの口から真っ赤な炎が放たれ、ライチュウLV.X110/110を焼き尽くす。
    「このドラゴンフィニッシュは炎または水エネルギーをそれぞれ二枚ずつトラッシュして発動されるワザ。炎エネルギー二枚をトラッシュした場合、相手のポケモンに100ダメージ!」
     なんとか踏ん張ったライチュウLV.X10/110だが、そのHPはたったの10。さらにエネルギーは一つもない。
    「ターンエンド」
    「くそっ、まだまだ! 俺のターン。俺はピカチュウのポケパワー、エネリサイクルでトラッシュの雷エネルギーを一枚回収し、そのエネルギーをピカチュウにつける。……どっちにするか迷うなぁ。とりあえずこっちだ。俺もハマナのリサーチを使う。ピチューとピカチュウを手札に加え、ピチュー(50/50)をベンチに出す。そしてまたピチューのベイビィ進化! ピカチュウ(60/60)に進化させるぜ」
     これでベンチにピカチュウが二匹いることに。エネリサイクルも二回使える。
    「新たに進化させたピカチュウでエネリサイクルを発動。トラッシュの雷エネルギーを手札に加え、攻撃する。ライチュウLV.Xでスラッシュ!」
    「エネルギーなしのワザか」
     ライチュウLV.Xの尻尾が鋭利な武器となってボーマンダを切りつける。ダメージを受けたボーマンダ40/140は、二歩程後ずさるもまだ大丈夫。
    「スラッシュを使った次のターン、俺はこのワザを使えない。ターンエンドだ」
     玉砕覚悟というわけか。その気持ち、買ってやろう。俺もただただ前進するのみ。
    「俺のターン。スタジアムカード、破れた時空!」
     バトルテーブルにこのカードをセットするや否や、俺達の周りの風景が変わっていき槍の柱へ変わっていく。
    「このスタジアムがある限り、互いのプレイヤーは自分の番に場に出したばかりのポケモンを進化させることが出来る。俺はタツベイをコモルーに進化させ、更にボーマンダまで進化させる」
     一見同じボーマンダ140/140の用に見えるがワザやポケパワーなどが微妙に違う。
    「ベンチのボーマンダに炎エネルギーをつけ、このボーマンダのポケパワーを発動。マウントアクセル。自分の番に一度使え、自分のデッキの上のカードを表にする。そのカードが基本エネルギーならそれをボーマンダにつけ、そうでないならそれをトラッシュさせる」
     ボーマンダが前足で思いっきり地面を叩きつけて雄叫びを上げる。するとボーマンダの頭上から炎エネルギーのシンボルマークが落ちてきた。
    「デッキの一番上は炎エネルギー。よってボーマンダにつける」
     ここまではいいが、今の手札はコイキング一枚だけ。さすがにこれはなんとかしないと。
    「バトル場のボーマンダでライチュウLV.Xに直撃攻撃」
     真っ向から突進するボーマンダ。ライチュウLV.X10/110の体を簡単に跳ね飛ばす。直撃の威力は50なので、もちろんライチュウLV.Xは気絶だ。
    「やってくれるな! 俺はエレキブルFBをバトル場にだす」
    「サイドを一枚引かせてもらおう」
     む、このカードは……。ただ、問題は使い時か。
    「どんどん行くぜ。俺のターンだ! まずはこんな殺風景を変えてやるぜ。スタジアムカード、ナギサシティジム!」
     破れた時空の景色は消え、ひとまず元の会場に戻ると休む間もなくゲームよろしくのナギサシティジム内部に変わる。あの動く歯車は厄介だったな。
    「お互いの雷ポケモン全員のワザは抵抗力を無視でき、雷ポケモンの弱点もなくなる」
     この効果は俺のデッキに対しては意味はない。ただ、俺の破れた時空を維持させないためのカードだ。長岡のデッキでは破れた時空の恩恵は受けれない。
    「そしてグッズカード、ポケドロアー+を二枚同時に発動。このカードは同名カードと二枚同時に使え、二枚使ったなら自分のデッキから好きなカードを二枚手札に加えれる。もちろん、こうの効果は二枚で一回しか働かない」
     選べるカードは好きなカードなので、ポケモンだけだとかエネルギーだけとかいった制限がないのがおいしいところだ。
    「へへーん。盛り上がるのはこれからだ! バトル場のエレキブルFBをレベルアップ。行けぇ、エレキブルFB LV.X!」
    「またLV.Xか」
     バトル場のエレキブルFB LV.X120/120が雄叫びをあげる。だがこのエレキブルFB LV.Xにはエネルギーが一枚もついていない。その状況で何をする気だ?
    「サポーター、ミズキの検索! 手札を一枚戻し、俺はライチュウを手札に加える。そしてあらかじめ雷エネルギーが一枚ついているピカチュウに雷エネルギーをつけ、エレキブルFB LV.Xのポケパワーを使うぜ。エネリサイクル!」
     ピカチュウのエレリサイクルとは一文字違いだが……。
    「こいつは自分の番に一度使え、自分のトラッシュのエネルギーを三枚、好きなように自分のポケモンにつけれる。俺はトラッシュの雷エネルギーを三枚ともエネルギーがついていないピカチュウにつける。このポケパワーを使った時点で俺のターンは終了となる」
     だがエネルギーがあっという間に長岡の場に広がった。トラッシュが激しいデッキなだけにこんなにエネルギーを抱えられると後の爆発力が怖い。
    「まだまだ始まったばかりだぜ?」
    「ああ……」
     俺は強くなった友、いや、強敵に押されているという事を自覚せざるを得なかった。



    恭介「今回のキーカードはライチュウ!
       ワザが三種類! しかもスラッシュはエネルギーなしだ。
       とっておきは炸裂玉! トラッシュするエネルギーは自分の場のポケモンであればなんでもいいんだ」

    ライチュウLv.45 HP90 雷 (破空)
    ─  スラッシュ 30
     次の自分の番、自分は「スラッシュ」を使えない。
    無無無  ぶんれつだま 50
     自分のエネルギーを1個、自分のベンチポケモンにつけ替える。(自分のベンチポケモンがいないなら、この効果は無くなる。)
    雷雷無  さくれつだま 100
     自分の場のエネルギーを3個トラッシュ。
    弱点 闘+20 抵抗力 鋼−20 にげる 0


      [No.883] 春の街  第一話 小路 投稿者:コト   投稿日:2012/02/27(Mon) 23:29:58     50clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

     春の街

     第一話 小路

         1

     四月初旬になってからか、春の陽光は記録的な温かさを誇っていた。天気予報では今月の中旬から十五度あたりを上下に行き来するようで、その上、一週間ほど晴れた日が続くらしい。飲み物も良く喉を通りやすくなる。
     病院の玄関を抜けてから、しばらく歩いた。陽光を浴びながらだと、妙に足元がぐらついてくる。病院から帰宅するさい、いつもこうしてあちらこちらを散策している。リハビリの一類として、自分の心の中の何かを鍛えていた。噴水のある公園、さくらに彩られた並木道、トレジャータウンと銘々横目にしながら通り過ぎるだけだが、胸の中に空白感が募ってくる理由を、近辺の風景に目を配らせながら、探していた。時折立ち止まって、ふと空を見上げてしまうこともある。それでも、春の空の下を歩きたい、という専念は固いはずだ、と思っている。
     カクレオンの店で買い溜めていたきいろグミを一個だけ口に運んで、舌に乗ってくる甘酸っぱさを噛み締めた。味はある。ふーう、と深い息を吐いて、もう一個きいろグミを口に入れる。少しばかり優しくなれたような気がする。
     買い溜めのきいろグミを袋の中に戻す。
     春になった、と息を詰めて、心の中だけでつぶやいた。
     さくらの下にあるベンチへ腰を掛けた。もう一匹がベンチに座れるように両脚の幅を狭(せば)めて、小さく顔を伏せた。
     懐から処方箋(しょほうせん)を取り出して、中身を覗いた。タネを用いるだけでは治療の施しようもない。二粒のタネと水薬の原料である粉をひとつずつ取り出すなり、こんなややこしかったかな、と頬を緩ませる。気に留めず、自然と笑ってしまった。
     ぼくの担当であるレント先生は、数ヶ月以上の休養が必須だと言っていた。臓器の損傷がそれなりに激しいらしく、その数ヶ月の期間内は定期的な診察が必要不可欠となる。定期的な薬品の服用もそうだ。定期的、という部分がどうにもややこしい。今度からの診察には、その部類の中にCT検査が組み入るようで、病院からの家路をたどるのが酷く億劫(おっくう)になるであろう。
     何なんだろうね、まったく。
     頬の凹みを均(なら)してから、さくらの木の梢(こずえ)から覗く、青い空を眺める。
     最近になって、空を見上げることが多くなった。ユキにもロマンチストだね、と常々言われたことがあったような、そんな記憶がある。空を見上げたときの感傷を単に好んでいただけなのかもしれない。あるいは、海だとか、空だとか、茫洋とした風景に目を凝らして、胸の中に募る空白感を、ただ払拭したかっただけなのかもしれない。
     会話に疎かった。吐血、心身に響いてくる耳鳴や頭痛のせいか、誰かとまともな会話を交わしたことが、ここ近日皆無に近い。だからこそ、誰かのそばにいたいと強く願ってしまう。ユキは、症状が出てきたときに、無言でぼくの背中を撫でてくれる。優しく、大きく撫でてくれる。それでも、咳がひっきりなしに出始めると、ユキから身を離して、ひとり床に臥(ふ)せるしかなかった。ユキもぼくの気持ちを見据えているのか、いつもぼくの布団を敷いてくれたり、おかゆを作ってくれたりする。けれど、そこに会話はない。
     胸の空白感というのは自己嫌悪から溢れる情けなさや、寂しさなのだろう、とおおむねの見当はついていたりする。気遣われてばかりだ、と腑(ふ)に落ちないものを噛み締めることもできず、ぼくはただ、歩いたり、時々空を見上げたり、と自分勝手な行動の繰り返しに明け暮れている。
     そんな自分が、酷くもどかしかった。

     十分程度か不動のままだった重い腰を、ベンチから持ち上げた。午後三時から、旧友と再会する約束を交わしている。会おうと言ったのは、ぼくだ。ギルド前の交差点付近にある喫茶店で、ぼくらは小さな団欒(だんらん)を築く。
     桜並木の道を歩きながら、春になった、と自分に言い聞かせるように、再度心の中でつぶやいてみた。思いのほか、気が楽になった。

         2

     こうして久しぶりに旧友と面を合わせると、やはり気まずくなるものだ。
     左腕に包帯を巻いている上に、おそらく目を暗くしているぼくの顔を覗かせると、案の定、彼は心配の混じった目を浮かべた。
     「……探検隊って、大変だなぁ」
     彼は独り言なのか、ぼくに言っているのか、はっきりとしない声を出した。
     「大変だよ、うん、ただ楽しかった」
     「楽しかった?」
     彼は首を傾げるなり、まあ、いっか、と今度はつぶやくように言う。
     「語りたくないんなら、いいよ。お前は昔から無理をする奴だったからな。今は稼ぐよりも休め、的なことを神様が告げてんだよ、きっと」
     「……そうかな」
     「そうだって。探検隊だから、他にも隊員いるんだろう? 今は任せて、後になってから少し無理をして追い越せばいい。事務でも経営でも、同じことだと思うよ、俺は」
     「……まあ、ね」
     口元を歪ませる彼の顔に目を側めながら、ぼくは曖昧にうなずいた。
     「……どうした? 何か気に障ったか?」
     ぼくの顔を覗き込むなり、心配の混じったその目をこちらに向けてくる。
     コウは、昔から顔色を良くうかがう奴だった。ぼくが風邪をこじらせて、深く寝込んでいたときには、差し入れに何冊かの小説を持ち込んできた、それなりに優しい奴だった。
     「いや、なんでもない」
     ぼくはかぶりを振る。
     「そうか?」
     「うん……ごめん」
     「いや、別に謝られることなんて……」
     彼は頭を下げたぼくに少し困惑したのか、次の言葉に迷っていた。まあ飲めよ、と手元のグラスを指で軽く叩く。グラスの中は、レモネードが店内のランプの光に照らされており、彼がこつこつとグラスを叩くたびにグラスの底へと沈んだレモンが揺れ動く。
     「コウは、確か飲食店を開業するのが夢だったよね……どこかで指導されてるの?」
     ゆらゆらと浮かんだり沈んだりするレモンを見つめながら、ぼくは尋ねる。
     「うん? ああ……師匠なら一応、いるぞ」
     「ほう」
     「ロクさんっていうんだけど、このロクさん、おいしいミツを使った料理が絶品なんだよ。俺は一度しか食べたことないから、曖昧にしか調理法がわからないけど、多分、ミツを煮込んだ後に、りんごとかそういう果物をねっとりと、そこに混ぜていくんだと思う。それからは……まあ、こういっても、良くわからないよな」
     「うん、わからない」
     のんびりと首を縦に振ってみる。
     彼は顔に笑みを浸らせながら、ふふん、と鼻をうごめかし始めた。
     「今度もしここに訪れることがあったら、ロクさんに無理頼んで、持ってきてやるよ。美味いぞー、あれは。肌が落ちるほどの、そんな感じの美味さだぞ、あれ」
     そう言うと、彼はぼくから目を逸らして、メニューに手を伸ばした。
     ほっ、とため息を吐(つ)いた。レモネードを口に運んだ。きいろグミを食べた名残がいまだ舌にこびり付いていて、思う味がしない。それでも甘酸っぱい味である、ということは判然としている。
     沈黙が流れる。財布を取り出して、中身の空き具合を確認した。思わず苦笑いを浮かべてしまった。傷を負ったばかりのころに、ぼくは確か、財布の中のほとんどの金銭をユキに渡したのだ。その理由は、ぼく自身もあまり明確に表現できない、不安定な何かが作用したのだと思う。
     彼はコーヒーを注文すると、少し真面目な顔になって、ぼくを見る。目には、いまだ心配の色が混じっている。
     謝らなくちゃならないことなんて、結構あるよ。
     財布を片手に握ったまま、レモネードをちびちびと飲み進めた。
     「……俺だって、探検隊に憧れた時期も、あったよ」
     コウは昔から探検隊というものに憧れを抱いていた。有名な探検隊になってやるんだ、と意気込みを強く張りながら、公園やら岩場やら、と毎日をそこらの平和的な探検に費やしてきた。そのころにはもう、多分、コウの勢いも虚勢になっていたはずだ。
     「お前らがすごい探検隊になったのは、知ってる」
     ――そうなってまで、続けたい仕事か。
     ――楽しいか、探検なんて。
     コウの目が醒(さ)めていく。
     ごめん、と一言付け加えた。

         *

     彼と割り勘で会計を済ませて、喫茶店から外に出る。夕日が遠くの山の稜線に掛かっていて、斜陽も次第に冷たさを増してきている。彼の尻尾の炎に近寄るなり、心の中でじわじわと何かが解けていくような感覚に陥(おちい)る。お前は誰かにすがりたがって、お前は誰かのそばにいたいと強く願って――馬鹿馬鹿しいよ、と目を細くした。
     彼から身を離して、交差点の中央に立つ。ここからまっすぐ歩を進ませて、小さな勾配を縫うと、プクリンの容姿を模(かたど)った建物が覗き込んでくる。あそこに、ぼくはいたんだ。そうつぶやいてみる。背後から、ため息を漏らす音が聞こえる。
     「これからどうするの? 帰るんだったら、交通費、工面するけど……」
     踵(きびす)を返して、彼に訊いた。
     「いや、うん、いいよ。俺より、自分の心配のほうが優先だろう?」
     「……自分の心配、ねぇ」
     「おう。さしでがましいまねはよせ、ってこと」
     彼はそう言って、静かな笑みを浮かべる。
     彼は、彼自身のことと、ぼく自身のことと、ぼくと別れてから今に至るまでのその経緯を、ゆっくりと語ってくれた。そのときの彼の表情はどこか寂しげで、もっと的を射る言い方をするなら、微笑んでいた。
     そんな彼と再会して先駆けてきたのは、やはり懐かしさだった。彼の言葉の数々を耳で拾いながら、多分、ぼくはコウの目と彼の目を重ねていたのだ、と思う。同じだった、とは言わない。九年ほども会わないと、鮮明に覚えているのは、コウの笑顔と性格だけだ。
     「コウ」
     「何だ?」
     「……ちょっと、一緒にきてくれ」
     トレジャータウンの方角に目を向けて、ぼくは言った。

     無機質な輝きを放つ病院や、静かな風にざわめく桜並木を通り抜けて、ぼくらは西の方向を進んでいく。夕闇を背負ったトレジャータウンは蛍光灯の硬い光に照らされているだけで、思っている以上に道が見えにくい。薄暗かった。いつもの夕暮れの街の寂しさが、今日はみだりに重く感じられた。
     この風景こそがあたかも幻のような、そんな不思議な認識が湧いてくる。トレジャータウンの昼はそれなりに騒々しい。家々の窓から溢れてくる柔らかい光も、昼間は陽光を帯びて、その知覚をなくしている。胸中に浮き立ってくる空白感も、この閑散とした道を渡るときが一番に沈んでくる。
     なだらかな坂を上った。途中で道端に血痰を飛ばしてしまった。咳もひっきりなしに出始めた。咳の音が響く。夕日の半分は山の稜線を追い越している。もうじき夜が更けてくるであろう、そんな予感を漂(ただよ)わせている。
     「大丈夫か?」
     彼が背後で心配そうな声を上げた。
     これでも走っているつもりなんだ。必死なんだよ、俺は――こんなときに、声が響かない。言葉にならない言葉が喉の奥でまとい付いていて、何度か咳き込んでしまった。
     「無理するな、ってさっき言ったろ」
     「……うん」
     声が妙に枯れている。
     ぼくの背中に、懐かしげな感触があった。
     「……やめるか」
     「やめないよ」
     見せたい場所がある、と付け加えて、背中に置かれていた彼の手を解く。
     いつも歩いている坂道が今日に限って、やけに長かった。登り切ってからもしばらくは息が荒れた。脈が速い。それでも一歩、一歩と前へ進むことによって、ぼくの心の中の何かが落ち着かせられるような、一途の期待があった。

         3

     俺が探検隊に憧れていた理由は、多分、紛れもない好奇心からだと思う。何かを探すために色んなポケモンを連れて、現場に向かう。それだけのことなのに、俺にはさ、酷く羨ましかったんだよ、それが。

     レーク。俺のおじさんは探検家だったんだよ。お前らのような探検隊とは違って、一匹であらゆるところを探索するポケモンだったんだ。まあ、死んだんだけどね。その探検の途中で経済的にも肉体的にも路頭に迷って、あえなくぽっくりだ。
     おじさんが死んだのは、お前が故郷を出た数日後のことだ。親父から聞かされた。洞窟の中層あたりで倒れ臥せていて、見つけたときにはもう腐っていたよ。おじさんの死に顔を見て、俺もこう死んでいくんだ、っていう意識が湧いたのが最初。それから探検家と探検隊に対しての復讐心に駆られて、いや、そうだなぁ、復讐って言葉は似合わないな。
     まあ、恨んでいた訳です、うん。傷を負うほどの仕事をして、何が楽しいのか、わからなかったんです。レークだって、今や探検隊のトップなんだろう。そんなお前が死に直面して、何を思ったんだ? これは俺にとって憧れ的な意味も含んだ質問だし、もちろんお前がそうなったのを悲しんでいる意味での質問でもある。
     答えなくてもいい。答えなんて、最初(はな)っから求めてないんだ。そのまま探検を続けたいってお前が言うんなら、俺も否定はしない。探検隊であるもう一匹の、そのユキっていう彼女にも悪いからな。
     ただ、俺はおじさんが探検のせいでどんどんと生気が抜けていく様子を知ってる。目が暗くなっていくんだよ。色を失う、って言うのかな。眼球全体が黒に塗り潰されていく感じだ。レーク。お前はなるな。なっていたとしても、それを信じるべきじゃないんだ。わかるか。俺はなぁ、まともに生きて、まともに死んで、そんな道をなぞってほしいだけなんだよ。そうだろう? 俺だって、お前の誘いを受けるまでの間、ずっとこいつを隠してきた。おふくろにはもちろん言えなかったし、親父にも言い出せるきっかけが作れなかった。探検隊への憧れも薄れて。次第に周囲の空気が嫌いになって。自分でも白々しくなってくるくらい、その、何だろうな、毒のような? そんなもやもやとしたものを溜め込んで。今じゃ、その全てが、馬鹿だよなぁ、の一言で終わる。

     一方で、飲食店の夢を抱いたのにも、一応の理由はあるんだ。もちろん誰かに食べてもらうためとか、元々調理が得意だったとか、そんなんもあるけど、俺は探検隊のように、団欒を色んなポケモンで囲むことにも憧れていた。そのきっかけを作りたかったんだ。単純な話かもしれないけど、本気。んで、俺の頭の中で、その団欒の言葉が食卓とイコールの関係にあたる、みたいな可能性を生み出した訳よ。言ったよなぁ。探検隊のような、親しいポケモンと何かを探すことが、酷く羨ましいって。まあ、言わなくてもいいかもしれないけど、一応言っとくと、これが理由だ。

     レーク。俺は、まだ夢が遠いよ。どんどん置いてけぼりにされたような気がする。そりゃ、夢が叶わないことだってあるかもしれないけどな、そこからまた新たな妄想に明け暮れるなんて、あまりにも空(むな)しい。
     どうして、こんな姿になったんだろう? 自分で思ったこと、あるか。俺はお前になれないから、どうかは知らないけど、もし一生付き合っていかなければならない傷を負っているなら、思うだろうな。失明とか、複雑骨折とか、精神的な障害とか、病とか、そういったものを支えるもとになるのは、やっぱり親しいポケモンとの関わりだよ。だからか、おじさんのその生涯を、俺はもっと広げられたんじゃないか、って思ってしまう。歴史上で言うのなら、戦場の中、身勝手な指揮官の命令でどんどんと死んでいく兵の命だ。
     やっぱり腑に落ちないよ、うん。俺もお前も誰かの命をつなぐ仕事をしているけど、背負う代償があまりにも違いすぎる。別の方法で、たとえば、誰もが傷付かないような方法で仕事を完遂することはできなかったか? そりゃ、できないかもしれないけどさ。それを覚悟した上で、補えることのできる保険は作れたのか?
     仕事を理由にして死んでほしくないんだ、とにかく。スリルとか、ストレスとか、復讐とか、悪循環しか生まないものを賄(まかな)い続けるよりは、平凡に仕事をこなして、のんびりとした生涯を送るのが一番幸せなんだと思うんだよ。

         *

     彼を港まで見送ってから、サメハダ岩まで歩いて帰った。以前は綽々(しゃくしゃく)と歩いていた道も、今となっては怖く感じられてしまう。夜の帳(とばり)が下りてからの空は、空気が澄んでいるのか、星の光沢が覗かず、家々の窓辺から溢れてくる柔らかな光のような、そんな色をした月だけが取り残されていた。
     このごろ、やはり海を眺めるのを避けているような気がする。仕方がないか、とは思いながらも、昔からのしきたりのようなものが自然と乖離(かいり)していくのは、切なかった。彼は気付いているのか、気付いていないのか、ぼくと一緒にここを眺めたとき、感慨深げな目で遠くの水平線を見つめていた。ぼくは、その少し上の薄い雲の流れを見つめていた。さすがに、つらかった。
     何をしてるんだ、と自分に言い聞かせた。岬に立ち止まって、夜の風がつむじを描いたときの音に耳を澄ませた。目を瞑(つむ)れば、このまま落ちてしまいそうだ。黒に塗り潰された視界は、途方もないほどの空白に広がっている。
     深呼吸をしてから、サメハダ岩の洞穴に入る。ギルドの遠征のミーティングが長く続いているのか、他の事情があるのか、ユキは帰らない。深呼吸を重ねる。もう一度、時計に目を向ける。何を焦ったのか、九時と意識していた短針の先は、八時を示していた。これには、ちょっと頬を緩ませてしまった。
     久しぶりにまともな会話をしたからか、喉を軽く痛めてしまった。水をコップに注ぐなり、一気に呷(あお)る。二杯目も呷る。落ち着かない。落ち着けない。手足は震えもしないのに、胸が冷える。
     「ユキって、死にそうになったことある?」
     多分、一年前――傷を負う前、ユキに一度尋ねたことがある。そりゃ、何年か生きてるとね、とユキは顔をほころばせていた。あの笑顔が印象的になっている理由は、もう知っている。笑顔だという事実が、悲しいだけだ。
     ぼくの体は回復期を迎えている。
     大丈夫です。そうつぶやきながら、テーブルをコップで弱く叩く。
     想像以上に響いた。


      [No.881] 祭の後のあとがき 投稿者:巳佑   投稿日:2012/02/25(Sat) 03:51:07     37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    祭の後のあとがき (画像サイズ: 378×550 122kB)

    【始めの挨拶】 
     前置き:やっちゃいましたっ☆(妄想スレの帯より)

     やっちゃったよ、本当にあの妄想スレの帯通りに(笑)
     とはいっても作品の完成というだけで、本という形にするにはまだまだ妄想の話、いつかできたらいいですなぁ( 
     あるいは鳩さんも言っていたけど、一冊だけでもいいから自分でコピーしてみて、どういう感じになるのかを試してみるのも面白そうかも(ドキドキ)
     
     どうも。
     最近は深夜バイトなるものをやってみたり、サークルの運営の手伝いをしたり、呑みとカラオケでオールしてグロッキーになったり、ますじゅん(増田順一さんの略のつもり。勝手ながらですいません)からサインをもらってひゃっほいしたりとかしてました巳佑です。
     今回は巳畑の収穫祭を読んで下さり、ありがとうございました!
     いかがだったでしょうか? 
     楽しんでいただけたら幸いです。
     さて、後書きなのですが各話についてお話をしながら進む形にしようかと思います。
     よろしければ、もうちょっとだけご付き合いくださいませ。(ドキドキ)


    【送贈 -SouZou-】 テーマ:命を贈る、送る
     
     昔、(確か深夜の)チャットでも話題になった、ポケモンの先祖であるミュウと創造神であるアルセウスの関係とは何かと考えた結果、こうなりました。
     一回、アルセウスが世界を滅ぼしかけてるといった物騒な話や、ミウは一体何匹のポケモンを描いたんだという疑問まで盛り込んであって、ある意味、無茶苦茶な妄想だったなと思ってます。ちなみにこの作品が一番時間かかりました。(汗)
     なんというか、どういう風に進めていって、ミウとアルセウスのやり取りはどんな感じがいいのだろうか、話の結びに関してはあれで良かったのだろうかと、なんか個人的には今回の短編集の中で一番書くのが難しかったという印象の作品でもありました。それ故に、一番、時間がかかりましたです。(汗) 
     イラストの方も背景はH6の鉛筆でガリガリしていったりとかしたので、また時間がかかっていました。(汗)


    【あわにのって】 テーマ:魂を送る
     
     こんな情景があったら素敵だなぁと思い浮かべながら書いていった作品です。
     よく『海に還る』という言葉があるじゃないですか。
     そこから海の神様であるルギアには魂を導いたりする一面もあったりするかなぁと思い浮かべて、書いていきました。
     ちなみに泡には命の儚さなどといった意味も含まれています、そう、しゃぼん玉飛んだというあの曲のように。
     

    【あかむらさき】 テーマ:日々を送る
     
     さて、しんみりとした話の後で、ここではぶっちゃけ、はっちゃけました( 
     見た目はカッコイイけど、やることなすことなんか威厳がなさそうな(?)伝説ポケモンの話とかどうよ、という妄想からこの物語が生まれました(笑)
     こなゆとゆゆらの性格が似ているのは多分偶然です(
     というわけで、変態狐に続いてミュウツー様までもがげしげしされております。(苦笑)
     ゆゆらの心情の掘り下げが少し物足りない感じで否めませんが、笑ったわと言っていただけたら幸いです。 
     
     ちなみにロリコ博士は結構売れっ子らしいとの噂があったりなかったり(


    【One daybreak One yell!!】 テーマ:エールを送る
     
     暁の空を撮影したあの日、(個人的には)レシラムに見える! というところから始まった物語です。
     色々な形を見せてくれる空を撮るのが好きで、自分の携帯の写メには空の写真が比較的多くあったりします。(ドキドキ)
     あの雲、なんか形がアレに似てる!
     なんか空のグラデーションが綺麗だなぁ。
     といった感じで興奮しながら写真を撮っていたりもします。(汗)

     ちなみに、暁という意味はdaybreakの他にもdaylightなどもあったのですが、壁を壊して(break)前に進むという意味を込めまして、daybreakの方を採用しました。


    【カボチャンデラ】 テーマ:カボチャを贈る
     
     収穫祭といったらなんか野菜とかを思い浮かべる一方で、『One daybreak One yell!!』までの短編を振り返ってみると、見事に野菜の『や』の字もないという事態に。
     これは個人的になんとなくなんか野菜つけよーぜと思って、元々、単発でポケストに入れる予定だったこの作品を今回の短編集に入れ込むことにしました。なので、実は言うと、この話だけはポケスコでやろうというネタでなかったりします。(苦笑)
     まぁ、とりあえず、皆もカボチャに恋するといいよ(
     
     ちなみに作者は『〜っちゃ』が口癖の鬼娘を読んだことありません。
    『私が誰より一番〜♪』から知った口です。
    なので、某鬼娘とカボチャンデラは(もちろん)何も関係はありませんので、あしからず(苦笑) 



    【最後に何言か】
     なんで、『こなゆ。』の方をポケスコに出したんだよという声が早くにも聞こえそうなのは気のせいですか、え、気のせいじゃないですか、僕にはどっちか分からな(以下略)
      
     さて、ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
     これにて、巳畑の収穫祭は終了です。
     カボチャ食べたいっちゃ、カボチャ(
     
     ちなみに発売日はもちろん未定です(笑)



    【追伸その1】
     ちなみに、こなゆ。は(超)改稿をする予定です。
     読んだ方は分かると思いますが、最後のシーン(他も)は完全に削ります。
     それだけは言っておきます。(汗)
     ただ、変態狐の性格は変わらないので、冒頭には注意タグを置いておきますね。
    【この先、変態狐がいますので気をつけてください】的な感じで。


    【追伸その2】
    『こなゆ。』って何? これから読んでみようかなぁ、という方へ。
     
     閲 覧 注 意 で お 願 い し ま す 。
     変 態 狐 が お り ま す ゆ え 。

     それでは失礼しました。 


      [No.880] カボチャンデラ 投稿者:巳佑   投稿日:2012/02/25(Sat) 03:46:22     44clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    カボチャンデラ (画像サイズ: 379×550 149kB)


    【1】
    「おーい帰って来たぞー」
     そんな声が聞こえてきて、一匹の青いペンギンポケモン――ポッチャマがよちよちと玄関へと歩いていく。主が帰ってきたきたと言わんばかりの笑顔である。
    「おー。留守番ごくろうさん、ポッチャマ」
    「ぽちゃっ!」
     これぐらい当然だろうと胸を張って答えるポッチャマの前にいたのは十五歳ぐらいの青年だった。右手に大きく膨らんだお店の袋をぶら提げていて、ポッチャマは何が入っているのだろうかと首をひねらせた。しかし、あいにく、袋は白色に染まっていて、中を覗くことは叶わなかった。
     ポッチャマの視線に気がついた青年は、袋の中から入っている物を一個取り出して、見せてやった。

     そこにはオレンジ色のカボチャが一個。

     途端に、ポッチャマは悲鳴を上げながら見事なバックステップを決めた。
     ついでに両手をカンフーでもやるかのように構えて、臨戦態勢なかっこうに早変わり。
    「ありゃ……まだ、ダメだったかぁ。なぁ、ポッチャマ、このカボチャさんは何もしないぞ? 怖くないぞ?」
     青年がそう説得してみるものの、ポッチャマの輪生態勢が解かれることはなかった。青年が白いスポーツ靴を脱いで、玄関からポッチャマに一歩近づくと、それに合わせてポッチャマは一歩後ろに下がる。
     青年がもう一歩踏み出す。
     ポッチャマがもう一歩後退する。
     試しに青年はカボチャの入った袋を床に置き、ポッチャマに近づくと、ポッチャマはホッと安心したかのような顔を浮べる。そこで、青年は一歩戻って、例のカボチャの入った袋を持ち上げると、それを見たポッチャマの顔は再びこわばらせた。

     それを何回か繰り返して、結局はふりだしに戻るのであった。

     青年が困ったような顔を浮かべたのは言うまでもない。
    「なぁ、ポッチャマ。このカボチャさん、お前にフラれて泣いてるぞ?」
     えーんえーんと声色を変えてカボチャを演じてみせる青年だったが、そんな子供騙しがきくもんかと言いたげにポッチャマから返されるだけに終わった。
    「お前なぁ、確かにあのときは驚かして悪かったよ。けどさ、そろそろカボチャさんを許してやれよ、な?」
    「ぽっちゃ!」
    「……このままだと、このカボチャさん、グレてお前を襲うかもなぁ」
    「ぽ……ぽちゃぽちゃ!」
     一瞬、カボチャに襲われるところを想像してみて戸惑ったポッチャマだったが、例え襲われたとしても返り討ちにしてくれるわと、すぐに思い直して首を横に振った。中々、進展しないこの状況に青年はどうしたものかと頭をかき始めた。

     ポッチャマがカボチャを嫌いになった事情は、今から約一ヶ月前にあったハロウィンにさかのぼる。
     青年がポッチャマをビックリさせようと、ハロウィンでは定番である、ジャックランタンを真っ暗な部屋でポッチャマに見せたのだが……。
     結果は散々だった。
     いきなり現れた、不気味に笑うカボチャにポッチャマは某サスペンスばりの悲鳴を上げたり。
     それから、錯乱状態に陥ったポッチャマが水鉄砲を今度はマシンガンばりに乱射したり。
     そして、びしょ濡れになった青年は翌日、風邪を引いてしまったり……おまけに数日間はポッチャマが口を開いてくれなかったりと本当に散々なハロウィンであった。
     こうして、ポッチャマはその日がトラウマとなって大のカボチャ嫌いになってしまったというわけである。食べるのはもちろんのこと、目に入るだけでもアウト。青年に対する機嫌は直っているものの、カボチャに対する機嫌は直らないままである。

     なんとかカボチャ嫌いを克服してもらいたいと青年は思った。
     好き嫌いは良くない……というのはあくまで建前で、(実は)カボチャ好きだった自分の為にというのが一番であった。
     ポッチャマが嫌いになってから(自分のせいもあるし)我慢してきた青年だったが、そろそろカボチャが恋しくなってきてしまい、そして今に至るということである。
    「なぁ、ポッチャマ」と言いながら一歩前に踏み出す青年に、ポッチャマは頼むから止めて欲しいと言わんばかりに鳴きながら、再びバックステップジャンプを決めて見せたが――。

     着地時にツルンと足元を狂わせて、そのまま背中から転倒し、居間にあるテーブルの柱に思いっきり後頭部を直撃させた。

    「ポ、ポッチャマ!?」
     青年が慌てながら自分に駆け寄ってくる姿をポッチャマはぼんやりとか感じ取れなかった。どうやら打ちどころが悪かったらしく、そのまま意識が遠くなっていく。
    「大丈夫か!? ポッチャマ! ポッチャマ!」
     青年の悲痛な声が届くこなく、ポッチャマの意識は真っ黒に塗りつぶされた。


    【2】
    「ぽ、ちゃ……?」
     ポッチャマが目を覚まし、体を起こす。
     ぼんやりとする視界の中、ポッチャマは何があったのだろうかと思い出すことを試みてみた。
     確か、青年が自分の大嫌いなカボチャを持ってきて、自分がそれを避ける為に後ろへと下がったら、誤って滑って、それから頭を打って――そんな感じで、徐々にぼんやりとしていた視界が明るくなってくると、ポッチャマは目を丸くさせた。
     ここはどこ?
     上も下も、右を視点を映しても、左に顔を向けても、真っ白に塗られた空間しかそこにはなかった。青年の姿はなく、そこにいたのはポッチャマともう一つ。

     何故か隣にオレンジカラーのカボチャが一個あった。

    「ぽちゃっ!?」
     ポッチャマは思わず右サイドジャンプを決め、カボチャから距離を取ると、それに訝しげな(いぶかしげな)視線をぶつけた。
     いつのまにあったのだろうか、このカボチャ。不意打ちとは卑怯なマネをするではないかと、そんなことを思いながらポッチャマがカボチャをにらみつけているときのことだった。いきなりカボチャがガタガタと震えだしたかと思いきや、次の瞬間、カボチャの頭の部分がパカッと勢いよく開いた。すると、白い煙がもくもくと中からどんどんとあふれてきて――。

    「呼ばれて飛び出て、カボチャのチャチャチャ♪ カボチャのチャチャチャ♪ チャチャチャ、カボチャのカボチャンデラ♪」

     陽気な歌と共に、現れ、宙に浮かんでいるのはシャンデリアの姿にも似たポケモン、シャンデラというポケモンが――。

    「ちょっと! そこ! わたしはシャンデラじゃなくて、カボチャンデラっちゃ! んもう、次間違えたら、カボチャにして、こんがりおいしい、外はカリッと、中はフワッとなパンプキンパイにしてやるっちゃ♪」
    「ぽ、ぽちゃ……?」
     なにやらあさっての方向に向かって主張しているカボチャカラーの炎を灯しているシャンデ――いや、カボチャンデラにポッチャマがなんだコイツと言いたかった。顔にもそのような気持ちが浮かび上がっている。
    「はーい♪ そこのペンギンちゃーん。わたしの名前はカボチャンデラっちゃ♪ キミの名前を教えて欲しいっちゃ♪」
    「ぽ、ぽっちゃま……」
     とりあえず、この場は流れに任せて、ポッチャマが自分の名前を名乗ると、カボチャンデラはふむふむと頷き、それから先端にオレンジ色の炎をまとう細い腕を一本、ポッチャマに向けてビシっと力強く指すと、こう言った。
    「ずばりっちゃ、ポッチャマ! キミはカボチャが好きだっちゃ!?」
    「ぽちゃっ!」
    「え、違うっちゃ? むしろ嫌いだっちゃ? そ、そんな……お姉さん、寂しいっちゃ……」
     そんなの知るかとポッチャマは鼻を鳴らしながらムスっとした表情を浮かべて首を横に振った。いきなり現れては、自分の嫌いなカボチャの話を振ってくるし、それにカボチャから出てきたというのもあってか、あのカボチャンデラというやつがカボチャに見えてしょうがない。本当に迷惑な話だとポッチャマは思った。しかし、カボチャンデラもそれで退くわけにはいかなかった。
    「いいっちゃ!? カボチャというのは緑黄色野菜でビタミンやカロテンが豊富な栄養価の高い、優秀な野菜っちゃ! それに――」
     以後、カボチャンデラの熱いカボチャトークが延々と続いていった。当然、ポッチャマにとってはどうでもいい話だったわけで、ビタミン? カロテン? 何それ。というか大嫌いなカボチャに興味が湧くわけなんかないといった感じで、やがて退屈そうに口を開いては大あくびをかます始末。そうして徐々にうつらうつらとなっていき――。
    「それでっちゃ、カボチャはシチューとかスープ系の器代わりも果たすっちゃ。これぞエコっちゃ。素敵だと思わないっちゃ?」
     
     カボチャンデラが気がついたときには大きな鼻ちょうちんを作っているペンギンが一匹、そこにいた。

    「おいこらっちゃ! お姉さんの話をちゃんと聞くっちゃ!」
     カボチャンデラがそう怒鳴ると、やかましいなぁと思いながらポッチャマが起き上がった。そんなやる気も何もなさそうなポッチャマにカボチャンデラの中で何かが爆発したのか、オレンジ色の炎が激しく燃え始めた。
    「お姉さんの話を聞かない子にはおしおきしてやるっちゃ! カボチャの刑にしてやるっちゃ!」
    「ぽちゃ!?」
     ゆらりゆらりと近づいてくるカボチャンデラにポッチャマは戦慄(せんりつ)を覚えた。
     
     カボチャ来るな!

     その気迫が乗ったポッチャマのマシンガンばりな水鉄砲が連射されていく。
    「ちゃっ!? み、水っ! 水はなしっちゃ!? あぷっ! わぷっ! へるぷっ!」
     炎タイプであるところは元のシャンデラとは変わりないようで、カボチャンデラには効果抜群だった。
     鎮火されそうで襲うつもりが逆にピンチに陥ったカボチャンデラに、容赦なく水鉄砲をマシンガンのようにかましていくポッチャマ。
     しかし、いつかは弾切れになる本物のマシンガンのように、ポッチャマの水鉄砲も切れるときがやってきた。流石に、連射は体にこたえたようで、はぁはぁと苦しそうにポッチャマが息を上げたときだった。
    「ぽちゃあっ!?」
    「ちゃ、ちゃ、ちゃ♪ お姉さんを甘く見ないで欲しいっちゃ……♪ がはっ、ぶはっ、む、無理なんかしてないっちゃ?」
     いや明らかにダメージの蓄積量が重すぎて、浮遊するのも一苦労しているように見えないのだが。
     しかし、そんな満身創痍(まんしんそうい)な姿になっても、カボチャンデラはポッチャマに近づいていく。一方、あれで決着がついたとばかり思っていたポッチャマは当然、戸惑うばかり。その戸惑いはカボチャンデラが何かを仕掛ける猶予(ゆうよ)を与えてしまうという結果に繋がってしまい――。

    「カボチャのチャチャチャ♪ カボチャのチャチャチャ♪ あなたはだんだんカボチャになるぅ……カボチャになるぅ……っちゃ♪」

     そんな摩訶不思議な呪文を唱えながら、カボチャンデラが二本の細い腕の先端に燃える、四つのオレンジ色に染まった炎をゆぅらゆらと不気味に、怪しく揺らした。
     すると、それを一度、目に止めてしまったポッチャマはあら不思議、それから目が離せなくなってしまった。カボチャになんかなりたくないという気持ちは残念ながら、徐々に遠くなっていく意識と共にぼんやりとなってしまい――。
    「カボチャ……もといカボッチャマになるというのも悪くないっちゃ♪ それじゃ、行ってらっしゃいっちゃ♪」
     カボチャンデラのその言葉を最後に、ポッチャマはまた意識を失った。


    【3】
     ここはどこなのだろう?
     ポッチャマが気がついたときには、そこはどこかの居間にあるテーブルの上だった。どこかで見覚えがある場所だと思っていたとき、ポッチャマはようやく自分の身に異変が起こっていることを知った。

     カボチャになってる!

     そう、今のポッチャマは青いペンギンの姿ではなく、実がのった大きなオレンジ色のカボチャになっていたのだ。
     そういえばと、ポッチャマは気を失う前のことを思い出していた。もちろん、あのカボチャンデラのことである。まさかあの野郎、本当にカボチャにしやがって……と文句をぶちまけたかったポッチャマであったが、残念ながら肝心の相手がいない上に、声まで出すことができなかった。おまけに動けないときたから困ったものだった。
     さてどうしようかとポッチャマが思っていると、誰かが居間にやってきた。その現れた者の姿にポッチャマは驚いた。それは、他ならないポッチャマのパートナーである青年だったからである。ポッチャマが場所に見覚えがあると感じたのは、ここが青年の家だったからだ。
     ポッチャマは助けを呼ぼうと、必死に声を出そうとするが、やはりそれは叶わなかった。そして一方、青年はというと楽しげに鳩胸をアピールしているマメパトがプリントされているエプロンを着ている。

     ここだよ!
     気がついてよ!

     そう声を上げたかったポッチャマだったが、何度やってみても結果は同じである。やがてエプロンを装着し終え、台所で手を洗い終えた青年がキッチンから包丁を一本取り出したのを見たポッチャマに戦慄(せんりつ)が走った。
     まさか、あの包丁でカボチャになっている自分を――そう思ったポッチャマはガクガクブルブルと半ば涙ぐみながら、待って、待ってよと主張した。しかし、青年から見たら何の仕掛けもないカボチャ、露知らないのは無理ない。そして、青年は鼻歌交じりに白いまな板を準備すると、テーブル上にあったカボチャをそれに移し、包丁を持った。
     キラリと鋭利さを語る包丁。
     そして、その冷たいものが当たる感覚。
     ポッチャマはただひたすらガクガクブルブルする他なく――。

     ざっくばらん。

     そのまま青年がカボチャを何個かに分けると、お鍋に水を入れて、火をかけた。
     その水が沸騰したら、ざっくばらんにしたカボチャを鍋の中に投入して、しばらく熱湯風呂に浸からせる。
     少ししたら、火を止めて、青年はつまようじでカボチャを刺し、皮が柔らかくなっていることを確認すると、ざっくばらんのカボチャ達を取り出した。
     銀色に輝くボウルの中に入った、ざっくばらんのカボチャ達を青年は丁寧に皮をむいていく。
     そして全ての皮をむき終えた青年はカボチャを潰して、それから裏ごし作業を行った。
     その作業が終わると、青年は市販のパイ生地を使って、カボチャの為の部屋作りに入る。めん棒を使って上手い具合に円状に伸ばした。
     パイ生地作業を終えると、今度はパイの具である裏ごしをしたカボチャに砂糖や生クリーム、ほぐした卵などを入れて、かき混ぜていく。
     銀色に輝くステージで踊る、カボチャから甘くていい香りが漂い始めて、青年は思わず顔をにやけさせた。
     こうしてピューレー状になったカボチャとパイ生地を型に入れて、更にパイ生地を網目模様に詰めると、青年はレンジに入れて、スイッチを入れた。
     
     それから約一時間後、チンという終了合図が電子レンジから鳴り響き、桃色のキッチンミトンを装備した青年が中から、型を取り出すと――。

     そこには円状で、表面と縁がパイ生地でできていて、そして中はふんわり美味しそうなカボチャのパンプキンパイがあった。
     
     湯気がもくもく上がっていて、パイ生地はこんがりと小金色に焼けていた。そしてパイの具であるカボチャから甘い香りが漂っている。
     青年は包丁で器用にいくつか切り分けると、フォークを片手に持ち、食べ始めた。
     外はカリっと。
     中はフワッと。
     上手くできたようで、青年は顔をほころばせながら、一気にほおばっていく。
     それを半分ほどほおばると「えへへ、後は晩飯の後のデザートにしようっと♪」と青年は楽しげに言いながら、残りのパンプキンパイにラップをかけてから冷蔵庫に入れると、外へと遊びに行ったのである。

     さて、冷蔵庫に残されたパンプキンパイ――ポッチャマは呆然としていた。
     調理されてしまっている間に何も感じなかったのだ。包丁で感じるはずだった切られるという痛みも、鍋やレンジでの熱さも全く感じなかったのである。そしてパンプキンパイにされて、こうやって青年に半分ほど食べられてもなお、意識は残っている。
     そんな摩訶不思議に、ポッチャマが依然とボーっとしている間に時が一気に流れたのか、やがてまた冷蔵庫が開かれた。
    「今、これぐらいしかないけど、食べられるかな? とりあえず急がなくっちゃっ」
     青年が慌てながら、取り出したパンプキンパイを再び皿に置き、レンジの中に入れると、スタートと書かれているスイッチを押した。
     何ごとなんだろうとポッチャマがレンジ越しで居間の様子をうかがうと、驚いた。
     なんと、青年に抱かれ居間に現れたのが他ならない、ポッチャマだったからだ。
     チンっとレンジが暖め終えたことを伝える為に鳴ると、青年はとりあえずポッチャマをイスに座らせ、レンジからパンプキンパイを取り出した。
     それからラップを取り外して、フォークで一すくいすると、ぐったりしている様子のポッチャマに一口運んだ。
     
     そのときだった。

     パンプキンパイ姿のポッチャマが昔を思い出した。

     あれは一年前ぐらいのことだろうか?
     ポッチャマがどこぞのトレーナーに捨てられ、右も左も分からない野生の世界でさまよい、ついに空腹と疲れで倒れたときに助けてくれたのがあの青年だった。
     青年は友達との遊びからの帰り道で、道端で倒れているポッチャマを見つけると慌てて拾い、連れ帰った。
     そして、青年が家でポッチャマに食べさせたのが――。

     パンプキンパイだった。

     あのとき、ポッチャマはあまりの空腹から夢中で食べていたので、何を食べていたのか分からなかったが、あれはポッチャマの大嫌いなカボチャで、そして、それはとてもおいしかった。

     それを思い出した。


    【4】
    「どうだったっちゃ? カボチャになった気分はっちゃ」
     次にポッチャマが目を覚ましたときに、そこいたのはカボチャンデラだった。
     どうやら元の姿に戻っているようだ、そう気がついたポッチャマのおなかから虫が鳴いた。その間の抜けた音にカボチャンデラは恥ずかしそうな顔を浮べた。
    「ちゃちゃちゃ♪ 色々あって、おなかがすいたっちゃ? そんな子にはこれをあげるっちゃ♪」
     そう言いながらカボチャンデラがポンっと、ポッチャマの手の上に乗せたのは一個のパンプキンパイだった。
     ポッチャマが少しの間、それを眺めていると、カボチャンデラが言った。
    「早く食べないと冷めちゃうっちゃ? あ、ちなみにどうやってパンプキンパイを出したのかは企業秘密っちゃ♪」
     カボチャンデラに促され、ポッチャマは食べることにした。 

     外はカリっと。
     中はフワッと。
     そして口の中に広がる素朴なカボチャの味。
     それから温かい味。

     おいしい、ポッチャマがそう思ったのと、そのつぶらな瞳から涙がこぼれ落ちるのはほぼ同時であった。
     あの日、青年がくれたパンプキンパイ。
     あの日、自分を助けてくれたパンプキンパイ。
     あの日の想い出がパンプキンパイを通じて、温かくポッチャマの胸に伝わっていく。
     なんで嫌いになったんだろうかと、そう不思議に思えるほど、あのときのジャックランタンが可愛く思えるほど、ポッチャマはパンプキンパイ――カボチャが大好きになっていた。そんなポッチャマの心が分かったのか、カボチャンデラは微笑んだ。
    「もう大丈夫みたいだねっちゃ」
     カボチャンデラの言葉と共に、ポッチャマの体がフラっと揺れる。
     またポッチャマの視界が歪んで暗くなってきたのだ。なんだか眠くなってきたという感覚がポッチャマの体を支配していく。
    「『あのとき』は怖がらせちゃって、ごめんっちゃ」
     微笑みながらそう言うカボチャンデラに何か返そうとしたポッチャマだったが、そこで意識が完全に暗転した。


    【5】
    「良かった……やっと気がついたっ」
     ポッチャマが目覚めると、そこは青年の部屋にあるベッドの上だった。声がする方にポッチャマが顔を向けると安堵(あんど)の息をついている青年がいた。
    「お前、机の柱に頭おもいっきりぶつけて、気絶してたんだぞ? 大丈夫か? 気分とか悪くないか?」
     青年は確かにいるが、あのカボチャンデラの姿がどこにも見当たらない。あれは夢だったのだろうかとポッチャマは視線を右に左にキョロキョロさせたり、もしかしたら、これが夢なのかもしれないと自分のほおをつねってみたりした。そんなポッチャマの様子に、事情を知らない青年は心配そうな顔を浮べた。もしかしたらどこか変なところを打ったのではないかと思ったのである。
    「ほ、本当に大丈夫か?」
     ポッチャマがやっと青年が浮べている顔に気がついて、立ち上がると、「ぽちゃ!」と言いながら、腰に両手をつけ、鼻を鳴らしてみせた。その様子に青年が一安心した後のことだった。

     お互いのおなかから虫が鳴いた。

     青年とポッチャマはパチクリとお互いを見合った後、あまりの偶然さにおかしくなって笑った。それから青年が何か背後に置いているらしく、背中を回してそれを取ると、ポッチャマの前に出した。
     それは白い皿の上に乗っている一つのパンプキンパイで、表面は網目状のパイ生地が広がっている。
     温かな湯気がふわふわ上がっていた。
    「腹減ってるかなって思って作ってたんだけど、暖かい内に目を覚ましたな」
    「ぽちゃ……」
    「あのな、ポッチャマ。カボチャはとてもおいし――」
     青年が説得しようとしたときだった。
     ポッチャマがパンプキパイを眺めながらよだれを垂らしているのが見えたのである。
    「まさか……ポッチャマ、お前、カボチャ嫌いじゃなくなったのか?」
     青年がそう言うや否や、ポッチャマがパンプキンパイにがっつき始めた。
     外はカリッと。
     中はフワッと。
     おいしいと、ポッチャマの目がらんらんと輝いている。
    「もしかして……頭ぶつけた衝撃で」
    「ぽちゃぽちゃ!」
     訝しげ(いぶかしげ)に覗いてくる青年にポッチャマは怒るように鳴くと、またパンプキンパイにがっつき始める。
    「ま、まぁ……別に好きになったら好きになったで、僕も助かるけど」
     これでカボチャを我慢しなくてもいいんだと、青年がホッとしながらポッチャマのパンプキンパイにがっつく姿を見ると、つい微笑む。まるでカボチャ嫌いが嘘だったみたいだと思ったのもあったが、そういえば、ポッチャマに最初食べさせたのもパンプキンパイだったなと思い出したのである。
     そんなことを思いながら青年が眺めていると、ポッチャマがいきなり食べる動作を止めた。
     そして、青年を一回見ると、残っていたパンプキンパイを半分に割って、片方を青年に差し出した。
    「え、くれるのか?」
     目を丸くさせている青年にポッチャマが「ぽちゃ!」と言いながら、青年に差し出し続ける。
     ポッチャマから分けてもらったという驚きと、喜びを噛みしめるように青年がはにかんだ。
    「ありがとな、ポッチャマ!」
     パンプキンパイを受け取った青年は礼を言うと、早速一口食べる。
     ポッチャマもそれに続いて一口食べる。

     外はカリッと。
     中はフワッと。
     
     こんなにも笑顔が溢れてくる。

    『カボチャのチャチャチャ♪ カボチャのチャチャチャ♪ チャチャチャ、カボチャのカボチャンデラ♪』


      [No.879] One daybreak One yell !! 投稿者:巳佑   投稿日:2012/02/25(Sat) 03:44:18     43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    One  daybreak  One  yell  !! (画像サイズ: 388×500 44kB)

    【1】 
     なんか最近、調子が悪い。
     そんな気がする。
     それともあれか、スランプってやつか。
     そうなのか。
     
     ポケモンセンターの宿泊施設にある一人用の部屋で、そんなことを考えながらベッドの上に一人、俺は寝転がっていた。
     ポケモントレーナーとして数年前に旅立って、最初の頃は勢いに任せながら曲がりなくも順調だった気がする。
     けれど今はどうなのだろうか?
     旅を通して成長したはずなのに、何故かあの頃と比べたら小さくなったような気がしてならない。レベルアップしているはずなのに、逆にレベルダウンしているようにしか思えない自分がここにいる。
     ここんとこ最近、ポケモンバトルで負けが続いている。
     負けすぎて、どんな風に勝負に勝つんだっけ? と思わず錯覚するほど、なんか最近まいっている気がする。
     友達からには少し休んだらとか勧められているけど……急に充電期間と言われてもなぁ、何をしたらいいか分からないというのが実情である。
     ……うーん、なんか考えごとのしすぎで頭疲れたし、寝るか。
     心にかかったままのもやに囚われながら、俺は目をつむった。
     まるで夢に逃げるような感じが少し嫌だった。


    【2】
     
     ここは夢の中だろうか。
     そう思いながら俺が起き上がると、そこに広がっていたのはどこかの塔みたいな場所の屋上なのかな。周りが空ばっかりだったのでそう判断した。ちなみに空は真っ暗闇に染まっており、それだからか目の前にいるやつの存在が浮き上がって見えた。
     真白なもふもふを身につけ、空色の瞳がよく映えている一匹の龍……あれ、どこかで見たことあるような、ないような……?
     そんなことを考えている折だった。
     真白の龍が大きく息を吸ってから――。
     
     空に向かって咆哮(ほうこう)を上げた。
     
     凛として力強く鳴り響く、その声の力に俺の体がビリビリと震えた。俺に向かって咆哮を上げたのならまだ分かるが、空に向かって放たれたはずの咆哮がここまでの力だとは思わなかった。
     このように、真白の龍の底知れない強さを感じて、胸の鼓動が早くなっている俺と、真白の龍の視線が一点に交わった。全てを吸い込み、何もかもを溶かしそうな澄み渡る水色の瞳がとても綺麗で、高まってきていた胸の鼓動が落ち着いていきそうな気がした。
     しかし、俺を見ていた真白の龍が目付きを鋭くしたした瞬間、いきなり咆哮を再び上げたかと思うと――。

     いきなり火炎放射を俺に向けて放ってきやがった!

     うわあああああ! と叫びながらも、俺はなんとか一直線に向かってくるその炎を避けることに成功した。
     いきなり何してくれやがるんだ、この龍は!? 
     後もうちょっとで丸焦げだったぞ!? 
     そんな俺の不満は露知らず、真白の龍が第二の火炎放射を放ってくる。俺はとにかくそれを避ける。どう考えても俺の話を聞いてくれそうな様子は真白の龍から感じないし、どうすればいいんだ、どうすれば。
     その後、真白の龍は何度も何度も火炎放射を放っていき、俺はひたすらそれを避けていくというまさにイタチごっこが続いた。一体、いつになったら終わるんだ。俺が何をしたって言うんだよ、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだ。
     はぁはぁと俺が肩で息をし始めていく。いきなり、なんか強そうなやつに会ったという上に、何度も火炎放射をかわし続けているんだ。高まっている緊張感の上に、命がけの逃走、疲れても無理がない気がする。まるで全力疾走をしている感覚が俺にはあった。
     それにしても、あの真白の龍の火力は底なしか? 何度も火炎放射を放っているはずなのに、疲れの様子を一切感じさせない……まぁ、ただ者ではなさそうだから、これぐらいはやってのけるってか。ちくしょう。
     
     また、真白の龍が火炎放射を放ってくる。俺がまた避ける。

     なんかこう走り続けてると、最近の俺が浮べられてきたような気がしてきた。
     そういえば、最近、勢いというかなんか攻めの姿勢が自分にはないような気がする。
     こうやって、火炎放射からひたすら逃げ続けるように、怖くて進めないというのが多い気がする。
     失敗するかもしれない、できないかもしれない、ここまでやってもいいんだろうか、最近のバトルはそんな気後れがたたって負けているような気がしている。
     昔はこれで行くぜー! という思い切りが今よりあった。だから負けても自分の全力を出せたと思えて、もちろん負けたことにはすごい悔しくて、そしてそれが成長の糧になったと思う。
     今は負けても全力を出せた感がなく、悔しさというより、変なもやもや感ばかりが俺の胸を覆うような気がする。
     それと、勝つことにも昔はすごい喜びを噛みしめていたのに、今はなんか安堵感ばかりが覆っているような気がする。 

     そこまで思うと、俺は立ち止まった。すると、真白の龍も火炎放射を放つのを止めて、俺のことを見つめた。

     あのときに戻ることはできない。
     だけど、これからを変えること――今のうじうじとした俺の姿を変えることはできるのかな?
     
     真白の龍の尻尾が赤く燃え上がり、そしてその口から放たれたのは蒼い炎。
     俺は思い切りそれに向かって飛び込んでみた。
     俺の体はあっという間に蒼い炎に包まれていったが、不思議なことに体が焼けることはなかった。その代わりと言ったらなんだが、体の方が熱くなっている。こんなところで何をしているんだと体に喝を入れられているような感じだ。

     俺の中で何かが崩れた音がしたような気がした。 


    【3】

     目が覚めたら、そこはポケモンセンターの宿泊施設にある一人用の部屋にあるベッドの上だった。
     もう朝なのだろうか、窓の方からポッポやスバメのさわやかな鳴き声が聞こえてくる。
    「……やっぱり夢だったよな」
     不思議な夢であったと思いながら頭をポリポリとかいていると、ブルブルというバイブ音が枕元で鳴った。その音の元は俺の携帯で、赤と白のライン柄が特徴的な携帯だ。俺がその携帯を手に取り、画面を開くとそこには一件のメールが届いていることが表示されていた。
     送信主は俺の親友からで、件名には『伝説のポケモンゲットなう』と打たれてあり、一枚の写真が添付されていた。 
     それは暁の空に浮かぶ白い雲、それは何かに見えるようで不思議な写真だと思ったが、その疑問は添付された写真の下に打たれていた文ではっきりとした。

    『レシラムゲットなり! スゲーだろwww』

     あの真白の龍の正体が分かった俺は思わず笑みを浮べながら、その親友に返信しといた。

    『俺もゲットした』

     返信し終えると、俺は携帯をベッドの上に置いて、起き上がった。
     そして窓の方へと向かい無地のカーテンを開けると眩しい朝の光が部屋の中に入り込んでくる。
     空を見上げてみると、広がる暁の空の情景が視界に映ってきた。

     新しい一日の始まり。

     それは新しい一歩の始まり。

     踏み出す勇気はここにある。

     暁に向かって俺はガッツポーズを送った。
     


      [No.878] あかむらさき 投稿者:巳佑   投稿日:2012/02/25(Sat) 03:41:56     54clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
    あかむらさき (画像サイズ: 377×550 141kB)

    【0】
    「ふ、ここで出逢ったのも運の尽きだ」
    「きゅう……」
    「怯えているのか? 可愛そうに……だが安心するがよい。すぐに勝負をつけてやる」
    「きゅ、きゅうっ!」
     空は灰色模様の平原で、一匹のニドランメスと対峙している紫色の生命体が一匹。身長差、体格差がかなりあり紫色の生命体が圧倒的に有利である。
     紫色の生命体が攻撃体勢を構え、ニドランメスに緊張感が駆けてゆく。紫色の生命体が先に動き出した! 
     三本指を前に突き出し――!

    「ゆびをふるっ!!」

     紫色の生命体が技名そのままに指を振ると――。

     チャリーン☆ という金属が地面に落ちたかのような音が辺りに散らばった。
    「……四百四十円。ふぅ、『おまもりこばん』の効果は絶大だな。やはり二倍は違う。二倍は……あ、そこのニドランメス、協力、感謝する」
     気絶しているニドランメスにそう言うと紫色の生命体はどこかへと去っていった。



    【1】
    『じばく』一回、『だいばくはつ』三回、『ねこにこばん』五回。
     今回は上々な結果だと呟いている者が一つ。
     その身を完全に隠した漆黒のマントを地面まで垂らし、これまた漆黒のヘルメットを被って、完璧に身を黒に溶かした者である。
     変質者。 
     一見、傍から見たら奇妙な奇妙な(大事なことなので二回)変質者である。
     何かヤバイもの……あれか、ロケット団みたいなマフィア的なものに手を出しているのではないかと懐疑満載の視線をもらってもおかしくはない。実際問題、平日昼間の賑わう街中に姿を現した、その……変質者に道行く人は顔を合わせてジィーッと視線を貼りつけたり。または口を合わせてヒソヒソと。とにかく、その変質者は注目を浴びていたのであった。身長が二メートル程あったのも目立つ要因の一つだった。
     そんな人々の視線や言葉に謎の変質者は気がついていた。
     内心で大量の冷や汗をかきながら、謎の変質者は目的地まで歩き続ける。ばれてはいないだろうか。いや、ばれてはいないはずだ。大丈夫大丈夫……大……丈夫のはず、タブンネ。そう心の中で呟いていると、謎の変質者の足はようやく目的地までたどり着いた。ここまでやけに時間が長かったような気がする……特に街中に足を踏みこんでからは……と、謎の変質者は更に肝を冷やしながら中へと入っていった。

     買ったものは昼食用の五百ミリ入りヤナップ印の緑茶と、海苔弁当一つ。それから先取り情報満載の週間雑誌『ポケ友』など、計二千円の買い物。
     今日はツイてる、これだけの買い物をしたのは実に久しぶりだと謎の変質者は買い物袋を持ちながら、ルンルンとスキップみたいなことをしている。
     格好との凄まじいギャップで変質度が上がった!  
     先程の冷や汗はどこへやら。幸せモード全開で謎の変質者が先を進んでいると、どてん! という何かにぶつかる音が。続いて何かが割れる音が鳴り響いた……その音で、ようやく我に返った謎の変質者が下を向くとそこには尻餅をついている少女と散らばっている何かの破片が。「す、すまない」と謎の変質者が言おうとした瞬間だった。小さな少女が立ち上がったかと思いきや、いきなり飛び上がり――。
     前倒ししながらラリアットを決めた。
     唐突な少女の攻撃(しかも威力が高い)に謎の変質者は「ぐえっ!」と蛙のような鳴き声をあげると、そのまま倒れ――続けざまに今度は腹に重い一撃を喰らった謎の変質者はそのまま夢の中へと沈まされたのであった。
     
     なんだか体に違和感を感じながら謎の変質者がようやく目を覚めると、そこはどこか家の中だった。十畳ほどの部屋にベッドと小さなテーブル、部屋の奥にはキッチンらしきものがあり、そしてピカチュウやピッピといった可愛いぬいぐるみが所々に置かれてあった。「なんだここは……」と呟いている謎の変質者はやがて自分の姿を見て目を丸くする。マントやヘルメットが剥がされて紫色の肢体をさらされており、それにロープでぐるぐる巻きにされているではないか。おまけに手持ち道具が全てなくなっている。
    「……ようやく目を覚ましたわね、こんちくしょうが」
    「え?」
     声のする方へ謎の変質者が目を向けると、そこにはコンビニ袋を提げている少女が一人。身の丈は百四十センチ程、燃えるような赤色の髪をツインテールにして腰まで垂らしていた。その少女はオニゴーリのような形相を浮かべながら謎の変質者を睨みつける。ただならぬ殺気を感じて、謎の変質者は思わず喉を鳴らした。
    「さてと、説教をかます前にいくつか質問するから答えろ、いいね?」
    「え、あ……あぁ」
    「まず一つ。アンタはポケモンなわけ?」
    「そ、そうだ。我はミュウツーと呼ばれているポケモンだ」
    「そう、じゃあ二つ目。アンタ、自分の立場分かってる?」
    「い、いや、分かってない」
    「だよねー。あははは――ざけんなよ」
     声は容姿通り可愛い声、しかしそれは表面だけの話で実際中身はそれとは全く異なるドスの効いたもの。謎の変質者――ミュウツーは嫌な予感ばかりしてならなかった。正直言って、何これ怖いガクブルといった状態である。
    「アンタさぁ、いきなりワタシにぶつかってきてねぇー。コレを見事に割ってくれたんだよねぇー」
    「……」
     怖い、笑顔でしゃべっているが、少女の顔は絶対笑っていない。そうに違いない……というか逃げ出したい気持ちが膨らんできているミュウツーに少女は一枚の何かを出し「これなんだと思う?」と尋ねた。花弁のような模様が描かれている……何かの破片のようなもの。しかし詳しい事情を知るはずもないミュウツーは首を横に振った。
    「まぁ、そうだよね。あのね、これね、大事な大事な壺ってやつなのよ」 
    「壺……?」
    「そう壺。昔のとある職人とドーブルが作った傑作の壺」
    「ほう」
    「それをね、送る途中でアンタってやつは……!!」
     少女がそう言いながらどこからか鉄製のハリセンを取り出すとバシンッ! と物騒な音を叩き出した。殺られる――そう思ったミュウツーに戦慄めいたものが駆け巡っていった。しかしこのままビビっているままでは色々な意味で危ないと思ったミュウツーはなんとか喉を絞って言葉を抽出する。
    「いいい、いや、あれは我のせいでは……」
    「るっせぇー! てめぇからぶつかってきたんだろ、 このヤロー!!」
    「ぐおっ!?」
     鉄製ハリセンによって一蹴された。
     ミュウツーが大きなたんこぶを作らせた頭を苦悶な声を上げながら抱えていると、少女が「あれ、いくらか分かる?」とミュウツーに尋ねる。ここでまたニッコリと笑顔で訊かれるなんて怖い以外何物もない。しかし繰り返し、詳しい事情を知らないミュウツーはとりあえず「い、一万とかか?」と答えると――。
    「アホか!」
     また鉄製ハリセンで一蹴された。
    「あれは百五十万するんだよ! ばかぁ!」
    「なんだと……!?」
    「社長が肩代わりしてくれて助かったわ。それに返済はいつでも待っていてくれるらしいし、さっすが社長、懐が違うわ。どこかのポケモンとは違って」
     そう言った後、少女から見下ろされたミュウツーの感覚に戦慄(せんりつ)が走った。逆らったら確実に殺られるとミュウツーの本能が叫び声のように訴えかけてくる。冷や汗が全く止まらないミュウツーに少女は鉄製のハリセンの先端を刀のように目の前へと突き出し、こう言い放った。
    「……弁償してもらうからね、百五十万……!」 
    「な……!?」  
     ミュウツーの目は丸くなった。運よく一日一回『ゆびをふる』を成功させたとして、『おまもりこばん』込みで計算すると三千四百と九日分――約九年程、この少女といないといけないのか? そうなのか? 駄目だ辞めてくれ、体が持たない、こんな自分に恐怖を与えるほどの少女となんか絶対に持たない、そうミュウツーは言いたかったがもちろん言えずに。
    「異論は認めないからね」
     結局、少女の笑ってない笑顔でミュウツーは三度一蹴されてしまったのであった。 
     

    【2】
    『ゆびをふる』からの『ねこにこばん』で借金百五十万返済計画! ということにはならず……代わりにミュウツーは少女が働いている配達業『デリバードのよろずやプレゼント』なるところにお世話になることになった。とりあえず少女が事情を話すと、社内の人達からあっさりとオッケーをもらえた。なんでも人手はいくらあっても足りないぐらいだという。むしろ力持ちなポケモンが働けるというなら大歓迎だった。
     早速、仕事に入ることになったミュウツーは倉庫に集まっている配達箱の整理をしたり、宅配作業にも携わることになった。仕事の覚えはいいからそこは問題はないとして、百五十万円までの道のりは長いものになりそうだった。
    「次、これ。三丁目の山田さんちに運んでって」
    「やけに大きい箱だな……」
    「文句を言わないでさっさと運べ!」
    「後、この着ぐるみもなんとか――」
     鉄製ハリセンの打撃音が鳴り響いた。
     渋々、仕方なくミュウツーは配達に出かけて行ったというわけである。今、ミュウツーは(デリバード型の)着ぐるみを装備しており、動くと中がとても熱い。太陽がさんさんと射してくる光、そしてその熱気を返してくるコンクリート、汗がだらだら止まらない。しかし外すことは叶わなかった。少女曰く「これがアンタのユニフォームだから、絶対脱がないこと。いいね? 宣伝にもなるし……外したらぶっ倒す」とのこと。脅迫ではなく本気でそう言ってくるから逆らえなくて怖いとミュウツーは愚痴っていた。
     
     ここで話が少しさかのぼるのだが、元々、ミュウツーは火山がある島町の研究所に住んでいたポケモンであった。
     その研究所で産まれ、育てられたのだが、ミュウツーにとってはおよそ育てられたものではないと思っている。
     産まれたというより、意識が芽生え始めたときには奇妙な液体の中にいて、ずっとそこからしか世界を覗くことしかできなかった。
     目に映るのは、二十四時間ずっと研究所でなにか怪しいことをしている人間たち。
     耳に届くのは、不気味な電子音や、奇妙な液体の流れる音、それからときどき自分に話しかけてくる人間の声。
     そして頭に届くのは、まるでノートを真っ黒にさせるかの膨大な文字に、酔って気持ち悪くなりそうになるぐらいに次々と入り込んでくる景色。
     それから諸々。
     
     こんな風に、研究所によって自分というものが縛られているのに限界が来て、こうやって飛び出して、曲がりなくも自由に生きてきて、心が落ち着いてきたと思った矢先にまたこうやって自分の身が縛られてしまうとは誰が思ったことだろうか。まぁ、自分にも非があるのだから仕方ないとは頭では書かれていても、心では認めたくなかったミュウツーは思わず呟いていた。
    「だいたいアイツが小さすぎるのが悪いんだ、小さいのが」
    「へぇ……わたしのせいなんだ……言ってくれるじゃない」
    「そうそう、お前のせいだ、お前の」
     無意識に返事をしたミュウツーに一人の殺気が届く。
     まさかと思いながら、そのまさかではないようにと願いながらミュウツーは振り返ったが、残念ながら、そこにいたのは紛れもなくあの少女だった。どこかの力士像の如く仁王立ちしており、指をポキポキを鳴らしている。顔は笑顔を貼りつけていたが、到底、誰かを癒すといった笑顔ではなかった。まさかの状況に、暑苦しい着ぐるみの中だったが、今のミュウツーは北極にいるかのような気分だった。
     無意識にミュウツーの歯がガチガチと恐怖を鳴らし始める。
    「たまたま同じ道で、アンタがちんたらしている間に追いついた。状況理解オッケー? じゃあ――」
    「待て待て待て待て中の荷物がどうなっても」
    「それ布系のはずだから問題ない」
     必死の主張もむなしく少女の飛び膝蹴りがミュウツーにヒットした。コジョンドも真っ青のスピードと威力にミュウツーの腹から蛙が潰れるかのような音が鳴り響き、そして三十メートル程、ミュウツーは吹っ飛ばされた。
    「次、身長のこと言ったら、マジで半殺しだかんね!」
    「……ゴホ、グホ、き、肝に銘じておく」
      
     あれから早くも二週間が過ぎ去り、用があると言って去って行った少女にホッとしながらもミュウツーは仕事を続け……ようやく休憩が入った頃、テーブル二つと椅子数個が無造作に置かれてある休憩室みたいな場所で、ミュウツーが暑苦しい着ぐるみを脱ぐとそこにいたのは白い袋を持った赤い鳥ポケモン――デリバードだった。なんとこのデリバードが『デリバードのよろずやプレゼント』の社長であったりする。
    『名前のまんまというツッコミは許す。ただしポケモンがどうやって会社経営しているのだという深追い禁止』
     これが社内規約の一つだったりするわけだから、実際のところどうやって経営しているのだろうかは謎のまた謎なのである。
     デリバードがミュウツーに「でりっ!」と声をかけてきた。ミュウツーも「あぁ、お疲れ」と返すとデリバードがペットボトル一本――ヤナップ印の緑茶を出してきてくれた。ミュウツーは「すまない、恩にきる」と受け取るとその場で座り、早速いただくことにした。独特な苦みが疲れを癒してくれそうな気がしてなんとなく落ち着く……ホッと安堵の息を一つ漏らしたミュウツーの隣にデリバードがちょこんと座った。
    「でりば、でりでり?」
    「ん? 仕事の方は順調かと? まぁ……なんとかなってはいるかって感じだな」
    「でりでりでり」
    「ゆゆら……? そういえば、あぁ、アイツのことか。一緒に生活しているそうだけど、どうだって? もうそんなこと決まりきっていることだ。最悪だ、最悪」
    「でり?」

     まだ一緒に過ごして短いというのに、ミュウツーにとって忌々しいことは数知れずだった。
     まず、一緒に過ごし始めて初日のことだった。いきなり使いパシリされたのである。
    「コンビニでビリリダマビールを二本に、グレン印の温泉まんじゅうを一セットを急いで買ってきてね」
    「ま、待て、子供が酒など」
     しかしここでゆゆらに無言のにらみをもらってしまい、結局、何も言えずじまいにミュウツーは言うことを聞くハメになった。ツボを割ってしまった罪悪感からくるものもあるかもしれない、居候するのだからこれぐらいはというのもあるかもしれない。でも一番は――逆らえない、この言葉に尽きるような気がしてミュウツーは怖かった。コンビニに行く際、ゆゆらと同じ年頃だろうと思われる子が無邪気に走っているのを見て、思わずミュウツーは溜め息を吐いた。ゆゆらにはこういう一面はないのか、そうなのかと。
     他にも部屋の掃除を頼まれたり、ゴミの片付けを頼まれたり、そしてゆゆら自身はというと気がつけば自分を残してどこかに行ってしまうし、もうなんだか置いてかれている感がミュウツーには否めなかった。逆らったら怖いというのは大いに分かったのだが、それ以外のことは全く分からない。あの性格だ、もしかしたら、変なことに手を出しているかもしれないとミュウツーは思った。変なこと、例えば、そうマフィアといった類。しかし、それはミュウツー自身がこの街にきたときに周りから思われていたことでもあるのだが、という真実をもちろん彼は知らない。
     こんな風に思い出しながら、苦虫でも噛んだような顔を浮べて愚痴をこぼしているミュウツーにデリバードが口を開いた。  
    「でりぃ、でりば、でりでり、でりば」
     その言葉にミュウツーはまさかと馬鹿にするかのように鼻を鳴らした。
    「悪いが言わせてもらう、そんな馬鹿なことはない。アイツには優しいという言葉はきっとない」 
     デリバードが言うには、ゆゆらは本当は優しくていい子だということだったが、今までの仕打ちからして、到底ミュウツーが信じられるものではなかった。また、今までゆゆらに何か気の効くようなことをされたことがあるかと言われれば、答えはもちろんノーである。この二週間でミュウツーが認識したゆゆらの像は、横暴、乱暴、凶暴、といった感じにとにかく暴れ馬の如く手がつけられないといったものだった。このように全く信じようとしない態度を取るミュウツーにデリバードが声量をあげて訴え始めた。
    「でり……でりでりば! でりば、でりでり、でりばーでりでり、でりでりでりばっ!」       
    「……な?」
     誤解されては困るというデリバード社長からの告白に、ミュウツーの顔はだんだんと驚きの色に染まっていき、しまいには目を丸くさせていた。
     その言葉の一つ一つにはミュウツーの偏見を壊すほどのものが込められていた。

     その日は仕事を早めにあがることにして、デリバード社長に教えてもらった住所へとミュウツーは向かうことにした。昼間は近所のおばちゃんの井戸端会議で騒がしく、夜には会社帰りの人達が酔って騒がしい商店街とは離れている場所で、見晴らしの良さそうな丘の近くにそれはあった。一軒の二階建ての構造となっている青い屋根の家で、鉄柵が敷かれている門の傍には『あおいとりのゆりかご』と書かれてある札があった。それと鉄柵の向こう側には家があるのはもちろんのこと、比較的小さいながらも公園のような遊ぶスペースがあって、ブランコやすべり台、砂場などもあった。
     ここがそうなのかとミュウツーは呟きながら、辺りを見渡す。この家の周りはあまり建物もない閑静な場所なのか、人は全くと言っていいほどいない。誰にも見つからないように来たミュウツーには実に都合が良かった。これからこの中の様子を覗くのだからあまり人がいない方がもちろんいいに決まっている。ちなみに身にまとっている装備は例のデリバードの着ぐるみではなく、旅の相棒と言っても過言ではない漆黒のマントである。これなら姿が闇夜に隠れて事を進めやすい。
     ミュウツーはもう一度だけ左に右を顔を向けて人がいないことを確認すると、軽い身のこなしで門を超えた。ひらりと漆黒のマントが空を踊るが、音はあまりたたず、そして着地にもを配って、なるべく音を最小限に抑える。こうして無事に侵入を果たしたミュウツーは玄関前の扉の前から姿を消し、建物をぐるっと回ると、庭の方に出た。庭にはオレンの実やらモモンの実などが育てられているような木があり、また都合のよい隠れ場所を見つけたものだとミュウツーは心の中でガッツポーズを決めていた。とりあえずその木々の内の一本を選ぶとミュウツーはそこに体を忍ばせると、その木の向こう側にあるガラス製の引き戸――つまり建物の方へと意識を傾ける。桃色に染まった厚手のカーテンで中を覗くことは叶わなかったが、それでもミュウツーは目を閉じ、耳に意識を集中させた。元々、身体的能力がずば抜けているミュウツーだったが、旅を続けている間にその能力を高めたらしく、集中すれば百メートル先の事情も聞くことができるようになった。
    「はい、ロイヤルストレートフラッシュ。わたしの勝ちね」
    「ゆゆらねぇちゃん強すぎ」
    「これでさんれんぞくって、ぜったいふせいこういしてるよねっ?」
    「タネも仕掛けもないわよ。運も実力の内、これがわたしの実力、分かった?」
    「よっし、次は何人かでゆゆらっちを監視だ!」
     そこで何人かの子供が「おー!」という声をあげる。どうやら部屋の中ではトランプでポーカーをやっているようだった。ミュウツーもその遊びは知っていた。ただ知識として知っているというだけでやったことは一度もないが。それにしても運が良い奴だと、ミュウツーは思った。今の自分に置かれている立場とは大違いだと、正直、うらやましかったりした。
     ポーカーはその後も続けられていき、ゆゆらは持ち前の運の良さを発揮し、周りの者たちは不正を発覚させようと活きこんでおり、そして楽しそうな笑い声もそこから溢れてきた。その楽しげな雰囲気にミュウツーはなんだか今ここに自分がぽつんといることがみじめになってきた。一人旅を続けてきた自分にとって、誰かと一緒にいるということは初めてのことだった。契機はとても褒められたものではなかったし、その誰かさんには散々使い走りされたりであるし、いい思い出なんてどこにもない。
    「はい、またロイヤルストレートフラッシュ」
    「また〜!?」
     そんな会話でミュウツーは現実に戻ってきた。
     不思議な感覚だった。
     さっきまでデリバード社長に愚痴をこぼしていたのに、どうして、ここまで彼女のことを考えてしまったのか自分にも分からない。
     先程のデリバードの話に同情して、心が変わったというのか、いやそれはないかとミュウツーは首を振っていた。
     そのデリバード社長からもらった話はこうだ。
     
     ミュウツーが今いる、ここ――『あおいとりのゆりかご』はゆゆらが育った場所であった。
     
     ゆゆらは小さい頃、両親を亡くして孤児院といった施設育ちの子だという。
     デリバード社長が施設の関係者から聞いた話だそうだが、ゆゆらはいつもやんちゃでおてんばな性格ではあるものの、責任感は強く、あの強さもそこから身に付いたものであろうとのこと。まぁ、強くなりすぎて、時々別方向になったりしているのが玉に傷なのだが。しかし、ゆゆらは誰よりも強くなった――それはきっと誰も失いたくないという気持ちから来ているのではないだろうか……まぁ、これは施設の関係者による推測だけどとデリバード社長は付け足していたが。
     それで、ゆゆらは時々、『あおいとりのゆりかご』に顔を出したりしては買ってきたお菓子などを子供達に分けたり、遊んでいたりしているという。今日も早めに仕事を切り上げたのはそこに行く為であったのだ。
    「ねぇねぇ、ゆゆらおねえちゃん、今度はポケ生ゲームで遊ぼうよっ!」
    「いいけど、それ一回やると長いでしょ? あ、そうだ。夕飯に出る野菜を食べるって約束したらやってあげてもいいわよ?」
    「ゆゆらおねえちゃんのイジワルー」
    「お、おれ、ちゃんとやさい食うもんね!」
    「わ、わたしだって!」
    「ぼ、ぼくもー!」
    「はいはい、分かったから、分かったから。そいじゃ、準備しよっか」
     更に場を包む楽しそうな声に、これ以上いても邪魔になりそうだと思ったミュウツーはその場から去っていった。吹き抜ける風がなんだか冷たかった。


    【3】
     ミュウツーが『あおいとりのゆりかご』に赴いてから数日後の夜のこと。
     ミュウツーが居候させてもらっているゆゆらの部屋に戻ってくると、ドアは開いていたのだが彼女の姿はおらず、電気を付けると居間にあるちゃぶ台の上には一枚の紙切れがあった。そこには『ちょっと出かけてくる』と短い一文だけ書かれてあった。鍵を閉めないでいくとは不用心だと呟きながらミュウツーは今日の帰り際にデリバード社長からもらったビニール袋から一本、おごってもらったビール缶を取り出した。そして、ちゃぶ台のところに座り、カシュッといい感じに缶を開けると早速一口飲み、ミュウツーは一息ついた。実は旅の途中でも一、二本味わったことがあるだが、人間は中々ぜいたくなものを飲むものだなとミュウツーは思った。程なくしていい感じにほろ酔いが回ってくる。
     そういえば、ゆゆらは仕事を早く切り上げていたから、またあそこへ行ったのだろうかと思いながら、ミュウツーは天井を仰いだ。それから、ゆゆらにとってあそこにいる子達が妹や弟で、大事な家族なんだろうなとふと考え始める。あの日、窓越しから聞こえた楽しそうな声が今でも忘れられないままでいる。なんで、ここまで脳裏に焼きついているのだろうか。
     もしかして、自分はゆゆらのことがうらやましかったからとでも言うのだろうか。
     自分は研究所に産まれて、育って、周りに人はいたけど、自分にとってはいないも同然で、研究所に出たのはいいけど、自分の世界が広がったのはいいことだけど、なにかが胸をつっかえていた。
     それは恐らくゆゆらと共に暮らし始めてから、ミュウツー自身が気がつかない内にあったのかもしれない。
     
     自分は意外と寂しがり屋かもしれない、ミュウツーがそう思うと、酒がまずくなった。
     
     今日はこのまま寝るか――そう、ミュウツーが目をつむったときのことであった。
     玄関の方から扉が開く音がした思いきや、居間に現れたのは白いヒゲをたくさん蓄えた白衣姿の老人が一人と、黒い服に身をまとったサングラスをかけた若い男が二人。
    「……何者だ」
    「いやぁ……ほ、ほ、ほ。まさかこんなところにいたとはのう」
    「生体確認完了。新種のポケモンだと思われます」
    「能力確認完了。高個体、ロリコ博士、お気をつけて」
    「なぁ〜に。大丈夫じゃよ。ワシが何も準備をしないでここに来たとでも?」
     ガハハと笑い声を上げるロリコ博士と呼ばれた老人に、ミュウツーはなんとなく嫌な予感がした。博士ということは自分が嫌いな研究所類いのものに違いない……ミュウツーは一気に酔いからさめ、そして身構えた。そんなミュウツーの姿にロリコ博士は「ほ、ほ、ほ。話が進めやすくてよいのう」と言うと、ミュウツーに歩み寄る。ここで家の主であるゆゆらの許可なしに暴れてもいいのだろうか、そうミュウツーが考えているとロリコ博士が口を開き、いきなり告白した。
    「さて、キミをこれから研究所に連れていって、色々と実験したいのだが」
    「だが断る」
     ミュウツーが断固拒否するとロリコ博士がガハハとまた笑い出す。「何が可笑しいのだ」と睨みつけるミュウツーにロリコ博士はニヤリとイヤらしく口元を歪ませた。
    「ワシが何も調べずに来たかと思うか? ならば、よろしい。色々と調査したものをお前さんに聞かせてやろう」
    「なに……?」
    「本名、神寺希ゆゆら(かんじき ゆゆら)今年で十五歳、少々暴れん坊な性格。六歳の頃に事故で両親を亡くし、孤児院で育てられる。十歳で巣立ち、『デリバードのよろずやプレゼント』に働き始め――」
     以下、三十分程続くので割愛。
    「そして、キミはミュウツーと呼ばれているワシ達にとっては新種のポケモンで研究対象。以上」
    「何故に我のときだけ、そんなにバッサリしている!?」
     ミュウツーのツッコミにロリコ博士はまぁまぁと言いながら、一冊の薄い本を取り出して「別に来ないなら来ないでいいのだが」とミュウツーに渡す。両手両足は鉄製の枷で繋げられており、ぼろぼろな服をまとって、赤いツインテールを揺らしながら半裸少女が潤んだ目でこちらを見つめてくる表紙の薄い本。まさかこの赤いツインテールの子って……そう思いながら、ミュウツーは本を開け――。

     鼻血が本に吹き飛んだ。

    「この子がそうなっても知らないぞ?」 
    「……分かった。分かったから、絶対にゆゆらには何もするな……!」
    「話が分かってよろしい」
    「くそ……!」
    「なんとでも言えばよい……それにしても我ながらよく描けたものだなぁ。よし新刊はこれで行こう、これで」
    「……間違いなく、肖像権とかで訴えられるぞ、貴様」
     ロープで手首を縛られ、連行されるミュウツーはとりあえずゆゆらに危害が及ばないことを良しとすることにした。それから借金を返せなかったことを心の中で呟くと、そこからは何も考えないようにした。


     アパートから車で連行されること約五分程、人通りのない路地裏の一角に地下に続く薄暗い階段があり、そこを下りていくと、真白に染まった廊下が現れた。そしてそこを通る途中で何人かの白衣姿の人と会う。
    「御苦労さまです、ロリコ博士」
    「それが例の新種のポケモンですか……!」
    「もしやと思って追跡調査を頼んで正解だったわい」
    「流石、勘の鋭い方ですなぁ」
     ミュウツーにとっては他愛もない談笑が数分間続いた後、再び歩き出し、ようやく研究部屋らしきところに着いた。パソコンが何台か起動してあり、他にもなんだか精密機械みたいなものも完備してあり、そして空調の音にピコピコといった感じの電子音が絶え間なく鳴り響いていた。
     そこでミュウツーはようやく手首を解放され、それからロリコ博士のされるがままに、赤、青、黄といった変なコードを体に付けられる。「大丈夫じゃ。まずは生体をより精密に調べるだけじゃからな」と、そう言いながら作業を続けるロリコ博士をよそに、ミュウツーは嫌な思い出を頭の中に浮かべていた。自分が産まれた研究所では変な液体漬けにされたときもあったけど、ここでもそんなことをされてしまうのだろうか。体は持つのか、精神は持つのか、他人の命を弄ぶ気か、そんな不満を思っていたのだが……今、ここで騒ぎを起こして、ゆゆらの身に何かが起こるのも嫌だった。
    「どうした? なんだか心拍数が上がっているみたいだが。ガハハ、そんなに緊張することないぞ。リラックスにな。リラックスに」
    「……誰のせいだと思っているんだ。誰のせいだと……」
    「ん? 何か言ったか?」
    「何も言ってない。空耳だろう」
     とりあえず、自分が黙って従っていればゆゆらには危害は及ばないし、それに反抗的なことさえしなければ、きっと何事もなく――。
     ここまで考えて、不思議なことにミュウツーは気がついた。誰かを守る為にこうやって捕まるとは、と。本来なら自由を求めていた自分なのに、自分に嫌なことをしてくるゆゆらのことなんか気にしなくてもいいのに、どうしてなのだろうか。気がつけば、ここまで、ゆゆらのことに必死になっている自分がそこにいたという事実にミュウツーは目を丸くさせていた。
    「ふぅむ。やっぱり波長がちょっと乱れておるのう。やはり少し固くなっておるか? なぁ〜に、この研究所ではしっかりとお前さんを可愛がってやるから心配せんでいい」 
     その後のロリコ博士の笑い声に、ミュウツーは正直に言うと嫌な予感しかしなかった。
     けれど、動かなかった。
     口ごたえもしなかった。
     ただ、無言の主張を紫色の瞳に乗せて、ロリコ博士を睨みつけていた。
    「まぁ、そんなに研究というもんを邪険にしないでくれい、と言ってもすぐには信じてくれないじゃろうけど」
     あのような脅迫をかましてくる奴のことなんか信用ならない。
     ミュウツーがまた睨み続けていると、ロリコ博士はやれやれといった顔になった。
    「ふぅ。そこまで睨まれても困るのう。まぁ、よい。やがてここの居心地良さが分かるじゃろうよ」
     そんなことあるものかとミュウツーが思ったのと、ロリコ博士がミュウツーの傍を離れたのは同時のことだった。ロリコ博士が丸底フラスコに水を入れ始めると、本が乱雑に置かれてある机の上に鎮座していたアルコールランプでそれを熱し始め、近くに置いてあったコーヒーの素が入っているビンを取った。どうやら一服するようだ。
     コーヒーを作っているロリコ博士の後ろ姿を見ながら、ミュウツーはゆゆらのことを思っていた。
     今頃、何をしているのだろうか。
     借金を返さないまま消えて、きっと怒っていることだろう。
     次に再会できた日には本当に殺されそうで、怖い――怖いのけれど、何故か、ミュウツーから笑みがこぼれていた。
     しかし、再会という言葉にミュウツーの顔はあっという間に曇った。
     果たして、再会できるのか? 
     この研究所から脱出できるのか?
     あのときは、自分の為だけであったし、脱出することによって失うものなんて何もなかった。
     けれど、今回はどうだ。ゆゆらが人質的な立場にある以上、むやみに脱出することはできない。自分の力ならここから脱出して、他の地方に雲隠れすることは可能だ。しかし、その代わりにゆゆらの身に何かが起こることは間違いなしだ。あの男の顔には嘘という文字はなかった、これだけは分かる。今のミュウツーにゆゆらを見捨てることなんてとてもできなかった。多分、旅をしている中で、本当に自分が欲しかったのは自由ではなくて――。
     そこまでミュウツーが思ったときのことだった。
     
     何やら激しい爆発音らしきものが鳴り響いた。

     それから一人の若い助手らしき丸底眼鏡をかけた青年が慌てて部屋に現れた。
     そのときミュウツーの目に入ったのは、戸が開かれた先に倒れているカイリキーの姿だった。たくましい筋肉を乗せた灰色に染まった四本の腕がだらしなく倒れている。
    「ロリコン博士! ロリコン博士!」
    「ンは余計じゃ! 落ち着けい! どうした、何があったのじゃ!?」
    「ひ、一人の少女がこの研究所に侵入してきてるんです!!」
    「なんじゃと!?」 
     ミュウツーも目を丸くさせた。
    「ハッ……! そうじゃ、少女の容姿は!?」
    「身長は百四十センチ程で、赤い髪をツインテールにしています!」
     まさかまさかとミュウツーの心臓は鼓動を速める。
    「カイリキーとか、ゴローニャをのめすなんて一体……どうやってあの小さな体から力がぁあああっぷおう!!??」
     助手がいきなり飛んだかと思いきや、そこに現れたのは赤い髪のツインテールを揺らしている一人の少女。
    「身長のことは言うんじゃねぇよ、この野郎っ」
    「ゆゆら!」
    「ここにいたんだ。ったく、いきなり連れてかれてると思ったら、こんな変なところにきちゃって」
    「ま、まさかついてきたのかのう!?」
    「当り前じゃない。コイツには借金がまだ残ってるもん」
     どこで見かけたのかは分からないが、まさかここまで付いてこられるなんて、この少女のスペックは一体なんなんだとロリコ博士が思っているのをよそに、ゆゆらはミュウツーの元につかつかと歩み寄っていくと、ミュウツーの体にまとわりついているコードをぶち抜いていく。そのゆゆらの手が少しばかり赤くなっているのにミュウツーは気がついた。
    「手……大丈夫か?」
    「ん? あぁ、これ? カイリキーは余裕だったんだけど、ゴローニャは流石に硬かったわ。まぁ大したことはなかったんだけど」
     どれだけチートな少女なんだ。より強いポケモンとして産まれてきた自分に対してもラリアットとか決めるし、全て常識に当てはまらない、通用しない。まぁ、きっとそれがゆゆらの確固たる強さの一つの証というものかもしれないとミュウツーは思った。
    「待て待て! 神寺希ゆゆら!」
     名前を呼ばれたゆゆらはロリコ博士の方に顔を向ける。その顔は誰だよコイツはと思いっきり顔に書いてあったように見える。
    「お前さんの事情は知っておる! ここで大人しく、ミュウツーを置いていったら、百五十万、払ってやろ――」
     刹那――ゆゆらはロリコの胸元をつかんで自分のところに寄せると、思いっきり睨みつけた。その眼力に、あれだけゆゆらに対して脅迫まがいのことをしたロリコ博士も身をすくませた。睨みつけられてはいないがミュウツーも思わず身をすくませた。ゆゆらの瞳からにじみ出していたもの、それは本物の殺気だった。
    「コイツがちゃんとわたしに働いて返してもらうんだから、余計なことはしなくても結構よっ」
    「だが、すぐに百五十万をもらえた方が――」
     なんとか喉を振り絞るかのようにロリコ博士が言うと、ゆゆらが思いっきり、ロリコ博士の急所を蹴り上げた。あまりの痛さにロリコ博士は苦悶の声を上げた。同じ男であるミュウツーは思いっきり目をつむった。あれは確かに痛い。思わず敵ながら、そこだけは同情していたミュウツーである。
    「るっせぇよ! わたしが決めたことにチャチャ入れんじゃねぇ!」
    「ゆゆら……」
     自分より小さい少女なのに、今のゆゆらが見せた真っ直ぐな心はミュウツーの心を一瞬で惹かれさせていった。研究所に出て、自由に生きたい、あれも真っ直ぐな心だったのか、ミュウツーは今のゆゆらに昔の自分の姿を重ねると、胸に熱いものが迫ってくるのを感じた。
    「ったく、アンタもアンタよ。なんでこんな奴らについて行くのよ」
    「いや……ゆゆらに危害を加えるとかそんな脅迫をな――」
     ゆゆらがミュウツーの頭にチョップをかました。「ぐえっ!?」とミュウツーから悲鳴が上がる。
    「わたしが負けるわけないじゃん。何考えてんのよ」
    「……確かに」
     ミュウツーがそう苦笑を交えながら立ち上がった。自分の杞憂に終わったかな、だったら脱出した方がまだマシだったかもしれないと思いながら、依然と急所に手を押さえながらうめいているロリコ博士の元に歩み寄った。
     もう迷いはしない。
     自由が欲しくて研究所に出たのだから、もう二度と戻るようなことはしない。
     そして自由も欲しいのだが、もう一つ欲しいものができたかもしれない――それを邪魔されたくなかった。
    「……悪いが、これ以上、我らに何かをしようと言うのなら、容赦はしない」
     それから見せしめに一個、黒い玉を作ると、それを放ち、見事に一つの機械に貫通した。
     これが自分の意志だ――そう迷いの晴れたミュウツーの瞳がキラリと鋭く輝いて――。
     
    『緊急警報、緊急警報、自爆装置が発動しました。十分以内に各員避難してください。繰り返します――』

    「ばかもんが……この研究室も終わりか……退散だぁ!!」
     そう言うなり、立ち上がったロリコ博士は「まだ他にも研究所はある! ワシ達は諦めんから覚えておれ!」そんな(三流な)捨て台詞を吐き捨てながら、走り去って行った。先程の助手の姿ももうなく、場はあっという間にけたたましく鳴り響くサイレン音でいっぱいに。それから、ゆゆらは指をポキポキと鳴らしながら、ミュウツーに歩み寄った。その形相はオニゴーリの如く、そして何故かツインテールの赤い髪が怒りと共にゆらゆらと上に浮かんでいるように、ミュウツーには見えた。
    「……ア、ン、タ、は、また余計なもんをぶっ壊しやがって……!!」
    「ま、待て、こ、これはその、あれだ」
    「言い訳無用だっつうのっ!!」 
     今、ここでドンパチしている暇はないはずなのだが、怒りで我を忘れてしまっている(と思われる)ゆゆらの攻撃に、ここで死んでたまるかとミュウツーも必死になって耐える。
     確かにあのときのツボと同様にまたやらかしたかもしれないが、これは事故だ、事故なんだと主張しても一向に止まらない攻撃と同時に、そういえば、ここから早く逃げなければマズイのではとミュウツーは今更ながら思う。

     しかし時すでに遅しだった。
    『きゃは、十分経過。自爆します★』
     ミュウツーとゆゆらのやり取りを楽しそうに眺めるような声(萌え系)が響くと――。

     ミュウツーとゆゆらのいる世界が一瞬で真っ白に染まった。

     轟く爆発音が辺り一体に響き渡る。
     研究所は一気に廃墟となってしまった。
     依然と煙が立ち上る中、今度は違うサイレンの音が鳴り響く。
     赤く染まっている消防車に、白く染まっている救急車が現場へとやってくる。
     謎の爆発に誰か巻き込まれてしまってないかと、作業を開始する人達――。

     このように路地裏では緊張感が走っている中、『あおいとりのゆりかご』近くにある小さな丘の上。
     
     一本の木下にミュウツーとゆゆらがいた。
     先に目を覚ましたのはゆゆらの方で、ミュウツーが隣で倒れていることを確認すると、彼の顔を覗きこんでみた。
     ゆゆらはそっとミュウツーの腕を取ると彼の体温は冷たく――。
    「死んだフリしてんじゃねぇよっ」
    「ぐえっ」
     冷たくはなかった。
     俗に柔道での、十文字固めという技を決めながら、依然と怒りが収まらない様子のゆゆらに、命がけのテレポートで脱出を成功させたミュウツーは思った。

     ここで死ぬかもしれないと。

     まぁ、実際にはそんなことはなかったのだが。
     ゆゆらの機嫌が直るのに時間がかかったのは言うまでもない。


    【4】
     ミュウツーがさらわれたり、研究所が爆発したりといった物騒な事件の後、ミュウツーとゆゆらは缶ビールを一本ずつ呑みながら、ゆっくりしていた。
     時刻はもう深夜を回っており、耳を澄ませば、遠くからフクロウポケモンのホーホーの鳴き声が聞こえてくる。先程までは心底から怒りを爆発させていたゆゆらだったが、少し落ち着いてきたようで、缶ビールを少しずつ口に運びながら雑誌をめくっていた。ミュウツーもなんだか解放されたような気分で一口飲む度に天井を仰ぎ、今日のことを振り返る。
     今日は本当にゆゆらに救われた。
     彼女が来てくれなかったら今頃どうなっていたのだろうかと想像しようとしたが、ミュウツーは横に首を振った。それは止めておこう。折角の酒がまずくなってしまうからとミュウツーは苦笑をこぼす。
     後、ゆゆらに救われたのは何も体のことだけない。心のことでも救われたとミュウツーは思う。
     あのとき、ゆゆらの後ろ姿を見てミュウツーが思ったのは、悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなったということだった。  
     確かにあの過去は変えられないものであるし、一種のトラウマのようなものである。
     しかし、今、自分はここに生きている。
     過去に生きているわけではないのだ。
     こんなこともあったなと、それを酒の肴(さかな)にして飲み干すことができるような男になりたいものだとミュウツーは思った。
    「ん? なに、見てんのよっ」
    「今日は……世話になったな」
    「ホントよ、全く。いい? 絶対に借金を返すまではどこかに消えるの禁止なんだからっ!」
    「あぁ、分かってる」
     ふと、ゆゆらが立ち上がると雑誌を丸めてミュウツーの頭をぽこんと軽めに叩く。
     その目はどことなく真剣な眼差しなような気がした。
    「絶対なんだから」   
     そう言って振り返るゆゆらに、ミュウツーはお互い酔っているものだと苦笑混じりに再び缶ビールに口をつける。
     苦い味がほどよくミュウツーの舌を走っていくのと、ゆゆらが何かを拾い上げたのは同時のことだった。
    「ん? なに、これ」
     ゆゆらがしかめっつらで拾ったソレは一冊の薄い本。
     その薄い本を同じく目にしたミュウツーは目を丸くさせ、口に入れたビールを思わず吹いた。
     それは確かロリコ博士が描いたという、いかがわしい内容の――。
     あのまま置いていったのかとミュウツーが舌打ちしたときにはもう時すでにおそしだった。
     再びミュウツーの方へと振り返った、ゆゆらの顔は、それはそれはもう真っ赤に染まったオニゴーリのような形相であった。
    「ま、まて、話せば分かる話せば――」
    「……こういうのを買う金があるんなら、借金によこせよ、このばかぁあああ!!」
    「誤解だぁああああああああ」
     こんなこともあったなぁと、この出来事も酒の肴にして飲み干すことができる日はきっと遠い。


    「次! さっさとこれを四丁目の佐伯さんちに運ぶ!」
    「す、少しは休憩を……着ぐるみ熱いっ!」
    「文句を言うな文句を! アンタまだ借金残ってんだからっ! ほら、さっさと行く!」
    「分かった、分かった……」
     あれから更に二週間が経ち、初めての給料とやらをミュウツーは受け取ったのだが、生活費諸々を引くと借金返済代に当てられたのはほんの少しだけだった。一体、本当にいつまで続くのだろうかと思いながら、ゆゆらに背中を蹴られたミュウツーは出発した。重そうな箱を二つほど抱えて走っていく。デリバードの着ぐるみを装備している為、道行く人はすれ違う度にミュウツーに視線を当てている。全く、これで本当に宣伝になっているかどうかが疑わしい。そんなことを心の中で愚痴りながらもミュウツーは街中を駆け抜けていく。玩具屋に電気屋、魚屋、肉屋などが並ぶ商店街を抜け、角を左に曲がり、両端にコンクリートの塀が続く一本道を通り、目的の佐伯宅にたどり着く。呼び鈴を押して間もなく初老のおばあさんが現れ、箱を渡す……予定だったのだがこの重いものをおばあさんに持たすわけにもいかないので、ミュウツーは家の中まで運んでおき、そこで判子をもらった。さて戻って次の件に行くかとミュウツーが家を出ようとする前におばあさんが「ありがとね」と声をかけてくれた。ミュウツーは「どうも」と言うと家を出て行った。
     なんだか笑顔に「どうも」って言えた気がしたミュウツーだったのだが、着ぐるみ装備でその顔を届けることまではできなかった。
     会社に戻りながらミュウツーはこの日々も悪くないかと思ってしまうのは駄目だろうかと、ふと思った。
     無事に借金を返済できたとき、また旅の日々を送るのも悪くないが、このままここで日々を送るのもいいかもしれない。

     何せ、ミュウツーが欲しかったものは自由ともう一つ――。

    「やっと戻ってきた! おっそい! 荷物溜まってんだから、次さっさと運ぶ!」  
     色々と大変かもしれないが。
     
     それもまた一興かもしれないと、着ぐるみの中でミュウツーは苦笑いを浮かべていた。 


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