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ヤマブキシティ中心部。真夏の短い夜が明け、空が白み始めていた。林立する摩天楼の一角、あるビルの会議室では出席者が次々と到着していた。時計は午前四時半をまわる。
「皆さま、お集まりになられたようですね。では、今より緊急会議を行います。今回早急に話し合わなければならない非常に重大な事件が発生したことにつきまして、その事件の特殊性から各方面の専門家の皆様、また一部の『協会』関係者の方にもお集まりいただきました。早朝からお越し下さいましたことにまず感謝いたします」
カタカナのロの字型に組まれた即席の机の一番奥にいた男は言い終えると席に着いた。また隣りの男が立ち上がり、話し始めた。
「昨夜未明、ハナダシティ上空で不思議な物体を見たという報告が十数件よせられました。『彗星のように尾を引き南へ消えた』『ミサイルじゃないのか』など表現は様々ですが、おおよそ似通ったもので目撃証言はすべて同じ物体についてのものだと思われます。そしてほぼ同時刻、ハナダトンネル付近の住民が『大きな爆発音を聴いた』と証言。さらに、ハナダ洞窟へ派遣した調査隊の報告では……」男は少し息を吐いた。「もぬけのからだったと……」
会議室がざわめき始めた。男は続ける。
「我々ハナダ警察署の見解は皆さまに事前にファックスした通りです。みなさんにはこのことについて意見を出していただきたいのです。何か起こってからでは遅い……」
ひげを生やした大柄な男が真っ先に声を上げた。
「だから奴はすぐに殺すべきだと言ったんだ! 協会なんぞに引き渡さずな! ロケット団から"奴"を押収した時も言っただろう!」
机をバンバン叩きながら苛立ちをあらわにする。それに対し、向かいに座っていた眼鏡をかけた女性がピシャリと言い放った。
「そんなことを言ってもなにも始まりません! 今話し合わなければならないのは対策でしょう! まだ情報が足りない。目撃証言をもっと集めるべきだと思いますが」
ひげの男が言い返す。
「どうやって集めるつもりだ? 『世界最悪にして最強の人口生命体が脱走しました』とでも言うつもりかね? 世間は大混乱だ」
「確かに。マスコミには絶対に伏せておくべきでしょう」若い男が顔を上げ、出席者を見回しながらが言った。「奴の捜索については私も協力します」
「ははは、さすが『超能力者』で名高いマツバ殿。ガセかどうかも分からない目撃証言よりよっぽど頼りになる」
「ナツメにも協力を仰いだ方がよいでしょう。今日は出席してないようですが」マツバは会議室を見回した。
「緊急会議の通知はしたんですが……今一度、連絡してみます。失礼」
出席者の一人が立ち上がり会議室を出た。マツバがそのまま話し始めた。
「私が一番気になるのは、いままで四年間、洞窟の中でおとなしくしていた奴がどうして昨夜になって突然トンネルから抜け出したのかです」
「それは私も気になっていましたわ」
黒髪の女性が言った。マツバに目配せをする。
「どうぞ続けてください、エリカさん」
エリカが立ち上がった。「今回のこの事件、人口生命体の脱走に助力した個人、あるいは団体が裏に存在していると私は考えております」
会議室がまたざわめき始めた。
「しかし、いったい誰が……」
「まさかロケット団? もしくはその残党か?」
「いや、ロケット団はいまや組織として成り立っていない、虫の息だろう」
「それに残党ごときがハナダ洞窟の奥へ入るようなリスクを冒してまで奴を脱走させるメリットもない」
「連中の思考回路など理解出来てたまるか。ヤケでも起こしたんだろう」
エリカがまた話し始める。
「ロケット弾はおっしゃる通り、五年前指導者の逮捕によって壊滅状態とみられていますが、そのロケット団が今回関係している可能性はゼロではありません。もし、『人口生命体』の存在を知ってしまった人間が外部にいるとすれば、それは相当な不安要素になり得ます」
「その場合、機密事項を漏らした人間がいるということになるな。『サイコ・ラボ』の連中は洗うべきだ」ひげの男の言葉で会議室の気温が下がる。彼はエリカを鋭い目つきで睨んだ。「協会側は情報提供すらしないつもりかね?」
「……情報提供を要求することは可能ですし、協会側にも提供する義務があると私自身思っています。サイコ・ラボに関しても捜査が必要でしょう。『人口生命体』に取り付けられていた拘束具の破損状況はどうなっているのですか?」
エリカが話題を戻したことで、ひげの男は鼻をフンと鳴らした。ハナダ署から来た男が立ち上がって報告する。
「はい、拘束具はその場に残されており、破損状況を調査隊が確認したところ、そのままただ引きちぎったような壊され方だったようです。ただ、何者かが"人口生命体"が自力で抜け出したように見せようとあえてそのように破壊することは不可能ではなく……自力なのか、手引きがあったのかの決め手になるとはいえないとのことです」
「そうですか……ありがとう」
マツバが口を開いた。「とにかく奴の居場所を確認でき次第、捕獲には警察に加えてジムリーダーを可能な限り……」
<それはやめた方がいい>
女性の声が会議室に鋭く響いた。ナツメに連絡を取るため会議室を出ていた男が戻ってきた。
「ナツメさんに連絡がつきました。音声だけですが参加していただけるようです」
「そうか。ナツメ、やめた方がいい、そういったのか?」
<ああそうだ>
マツバは椅子にもたれ、腕を組んだ。「確かに、ジムリーダーが一度に何人も招集されると混乱を招かざるを得ない。マスコミも嗅ぎつけやすくなる。だがそうも言ってられないだろう」
<そういう意味ではない。ジムリーダーの招集で世間が混乱しようと知ったことではない>
「……ならどういう意味だ?」
エリカが口を開いた。「ジムリーダー程度でかなう相手ではない……そうおっしゃりたいのですね、ナツメ」
<……その通りだ。場所までは特定できないが、奴の体から垂れ流されている念力はここにいてもはっきり感じ取れるほどだ。私のフーディンの通常時の念力を一とすると……そうだな、二十と言ったところか>
途端に部屋中で会話が飛び交い始めた。
「バカな! 超属性でも高い能力を持つフーディンの二十倍にもなるのか?」
「ロケット団から押収した時点で当時確認されているほぼすべての種族の能力値を上回っていることが確認されています。ですがこれ程とは……」
「洞窟内で自らの能力を増長させる何らかの手段が有ったのか。それとも本当に脱走を手引きした組織がいるとしたらその仕業か」
「後者だとしたらかなり科学的な知識と技術を持った組織ということになりますね」
<とにかく……>ナツメが声量を上げ、ざわめきを断ち切った。<奴の捕獲は四天王、もしくはチャンピオンレベルの人間に依頼することを推薦する。以上だ>
唐突に通信が途切れた。
「全く、変わらないな」とマツバ。
「……ハナダ署としましては、本件の危険度から捜査本部をここヤマブキに、ということでしたわね」エリカが話を戻す。
「さすがに今回のヤマはハナダだけじゃ抱えきれんでしょうな。で、指揮は誰が執る?」と、ひげの男が言う。
少しの沈黙のあと、マツバが口を開いた。
「ここはナツメの助言通り、四天王、チャンピオンから選考するのがよいのでは?」
眼鏡の女性がかみつく。「私は反対です。警察関係者でない人間が捜査の指揮を? 聞いたことがありません」
「しかし今回の事件、相手は『人間』ではなく『ポケモン』です。その線のプロを選ぶのがよいかと」
「ですか……」
「では、警察で四天王ならよいのですね」エリカが遮った。会議の出席者が全員エリカを注視した。
「そんな人間いたかね?」髭の男が腕を組み、イスの背にもたれる。
すこし間をおいて、エリカが静かに言った。
「シンオウ警察刑事総務課長にして、シンオウ地方四天王、ゴヨウ氏に至急連絡を」
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こんな始まり方をしておいて、主人公はシロナちゃんです☆
【何しても良いのよ】
一応はちゃんとシナリオは組んだけど、やっぱりちょっと見切り発射。
ただ、書かないと始まらないのだw
【何しても良いのよ】
明けの明星が目に入る。東の海から、夜の終わりをつげる金色の光が広がった。遠くの黄金の海が、この季節の日差し以上に強い。そして足元の氷も心なしか薄くなる。気温が上がり、限界は近い。後ろを振り向けば、シルクが蹴りだした氷が、力に耐えきれず割れていく。そして目の前の氷もいつまで持つか解らない。
それに目もくれず、シルクは走る。こんな長い距離をこんな長い時間に走ったことはない。体を冷やす汗がシルクの毛並みを濡らした。息もかつてにないほど苦しそうに吐く。それでもスピードは落とさない。背中にいる人間が、自分の主人を救ってくれると信じて。
追い打ちをかけるように、シルクの体に冷たいものが当たる。雨は嫌いだ。雨の日はボールから出て来ようともしなかったシルク。けれど立ち止まらない。雨粒の冷たさがなんだと言うように、走り抜ける。
「違う!」
突然ザフィールが叫ぶ。足元を通過する巨大な何かが、ザフィールにそう言ったのだ。その方向ではないと。そしてその後から全身の骨に響くような痛みが走る。その痛みはシルクから落ちてもおかしくなかった。左手に力を入れる。落ちるわけにはいかない。
「シルク、違う。そっちじゃない。もっと南の、目覚めのほこら!」
自分で口に出して驚く。全く知らない名前が自然と出てきた。それがどこだか解らない。けれど、何かが教えてくれた方向に行けばそこにたどり着けると信じて。
この時にはすでに雨は酷いものになっていた。風は強く吹き荒れ、凍っている海がどこまで続いているか見えない。ザフィールの右足から、水分を含んでとけだした血が流れ出していた。シルクの体から流れ出たような赤が、海に落ちる。
激しい風に一瞬だけシルクがひるむ。勢いのついた大量の雨がシルクの顔面に降り掛かる。風が来るなと拒否しているかのよう。ザフィールも腕で顔を覆いながらシルクの耳に届くよう、大きな声で言う。
「シルク、止まれ、止まるんだ!」
シルクの向かうところがやっと解った。巨大な火山の後のような島、ルネ島だ。その中には、何かを閉じ込めるかのようにして発展したルネシティがある。今は定期的にルネシティ行きの潜水艦が出ている。そうでもしなければ、小回りの効くポケモンで空を飛ぶか。何にしても特殊な街なのである。そして、このまま走ったら間違いなく激突である。
「もうお前はがんばった。がんばったよ!だからもう止まれ!後は俺がなんとかするから!」
背中に乗る人間の言葉など耳に入らない。シルクの感が、そこへ向いていた。主人の居場所を感知する鋭い感覚。人間などには解らない。それを信じてシルクは走る。
「シルク、止まれ!ぶつかる!シルク!」
「シルクっ!!!!」
その瞬間、翼が生えたようだった。
氷の海を踏み切って、ルネ島の高さを超えた。ポケモンで空を飛ぶのとは違う。
ジェットコースターに乗ってるように視界が狭い。そのスピードに恐怖しか出て来ない。ザフィールはシルクにしがみつこうとする。けれどシルクは吹き付ける大量の風でバランスが取れない。それでも背中の人間だけは無事に送り届けなければならない。そういうかのように、シルクは目を開け、降りるべき地点を見定める。
「うあああああ!!!!」
ザフィールの絶叫がルネシティの空に吹き荒れる豪雨と共に響く。そして炎の翼は風にあおられ、姿勢を崩した。着地と同時に倒れ、乗客と共に転げる。勢いのまま、数メートル引きずる。吹き荒れた風と雨が叩き付けてくる。
全身の神経が痛む体を押さえて、ザフィールは起き上がった。服が少し破けただけで、ケガは全くないのが奇跡のようだ。
「シルク、大丈夫か?お前、本当よくがんばったよ。後は任せろ、絶対にお前の主人は取り戻す」
まだ立ち上がろうとシルクが体を起こす。それをなだめるように、頬をなでた。
「お前はここで休んでてくれ。必ず、約束する」
「炎タイプには、この雨はきついんじゃないかな」
ザフィールの後ろで声がする。敵意が無い声。振り向くと、レインコートを来た男が二人。一人は知っている。あの冷徹なダイゴだ。無機質な冷たさは忘れることが出来ない。けれどもう一人は知らない男。敵ではなさそうである。
「君は……このギャロップは君のポケモンかい?」
「いえ、違うんです。友達のギャロップなんです」
「そうか。いずれにせよ、炎タイプにこの雨は厳しい。私でよければ見よう。私はルネシティのジムリーダー、ミクリ。こちらの男はダイゴだ」
「ミクリ、彼とは知り合いだよ。そうだよね、ザフィール君」
やはり冷たい視線。一瞬だけダイゴの方を見たが、すぐにミクリへと視線を戻す。
「ギャロップお願いします。すいません、急いでるので」
「どこへ行くんだい!?この雨の中」
「目覚めのほこらに行かないと。そこで……」
ミクリがザフィールの手を掴む。何かを思い出したかのように。
「君はやはり……いや、なんでもない。ただ、君には後でゆっくりと聞きたいことがたくさんあるみたいだ」
そしてミクリは指をさす。目覚めのほこらの方向を。
「何度も夢に出て来たヒトガタ……本来ならばルネシティの人間以外入れることはないのだけどね」
「ありがとう!」
礼を言うと一目散に走り出す。ダイゴの側を通る時、ふと聞こえた言葉。今までの彼と違って、生きている人間が喋っているような声で。
「雨も太陽も、僕らには必要なものだ。なのになぜこんなに、不安にさせるのだろう」
本心からの言葉に聞こえた。鋼鉄のような仮面を取った、ダイゴの心からの言葉。思わず立ち止まってしまった。
「どうしたんだい?」
「いえ、なんでも、ないです」
再び走り出す。ミクリに場所を教えられなくても解っていた。そこからはっきりと自分を呼ぶ声がする。飛ぶように豪雨のルネシティを走る。
オペラを見て、リンネに連れられて服を変え、そのままレストランでディナーをし、馬車を呼んで屋敷に戻り、シャワーを浴びて床についた――
そこまでははっきりと覚えている。瞼が重い。確か寝る前に時計を見たら午後十一時半だった。リンネはこんな時間までいつも起きているのだろうか。
「ん…」
見慣れない高い天井が目に入り、ああ、ここはリンネの屋敷だったと思い出す。天蓋付きのベッドにはゴーストタイプ達が折り重なりあって眠っていた。カゲボウズ達は涎を垂らし何か言っている。旨い感情を食べている夢でも見ているのだろうか。
備え付けの時計は、午前八時を差していた。久々にゆっくり寝た気がする。ずっとずっと、なるべく同じ場所に留まらないようにしてきた。ホテルもなるべく遅くに来て、早くに出て行った。
「…」
ファントムはベッドから出た。カゲボウズの一匹が落ちた気もするが、気にしない。
カーテンを開ける。バルコニーは濡れていた。しとしとと雨が降っている。空はどんより曇り空。今にも雷が落ちてきそうだ。
コンコン
ドアを叩く音がした。女性の声がする。
「ファントム様、起きていらっしゃいますでしょうか」
メイドの一人だろう。ファントムは欠伸をした後、そっとドアを開けた。
「おはようございます。起こしてしまいましたか」
「大丈夫。さっき起きたところ。…どうかした?」
「貴方様宛ての手紙が届いております」
「!」
メイドが手紙を取り出した。薔薇の印が押された蝋で蓋をしてある。白い封筒。差出人は、無し。
「リンネお嬢様にも同じ物が届いているのです」
「渡してもいいと思うよ」
「えっ」
ファントムは封を切った。中から招待状と手紙が現れる。
「わざわざ送って寄越したんだ。隠していたと知ったら、怒るだろう」
「ですが…」
「私がいる。あんな愚かで脆弱な貴族気取りに、時計は渡さない」
メイドは呆気に取られていたが、やがて深くお辞儀をした。
「ファントム様。リンネ様をよろしくお願いします」
『マスカレード?』
デスカーンが意味が分からない、というような声を出した。ファントムは呆れて自分の仮面を指す。
「仮面舞踏会のこと」
『お嬢さんにも来てるのか、それ』
「ああ。おそらくそこで時計を奪うつもりだと思うよ。昨日は下調べって言ってたし」
招待状には、自分の名前が書いてあった。昨日名乗ったのをそのまま使ったのだろう。こう書いてあった。
『去る○月○日、午後六時より我がマルトロンの屋敷で仮面舞踏会を開催いたします。
なお、舞踏会の他に様々な遊戯などもご用意しておりますので、是非ご参加ください』
遊戯、の部分が気になった。貴族の言う『遊戯』とは一体どんな物なのか。嫌な予感がするが、ここで引き下がっても相手の思う壺だ。
『ファントム、一つ聞いてもいいか』
「何」
『…踊れるのか?』
冷たい風が、彼女らの間を駆け抜けた。しばらくの沈黙の後、ファントムが立ち上がる。
「日本舞踊は今でも染み付いてるけど、流石にワルツはね…」
ああ、火宮の時にお稽古事であったからな、とデスカーンは言いかけたが、慌てて口を塞いだ。彼女にとって、火宮家の人間でいたことは最低の歴史なのだ。
「参ったな」
『舞踏会は二日後。今から練習するのは流石に――』
『マスター、基礎程度なら私が』
そう言って手を上げたのは、プルリルとブルンゲル達だった。意外な相手に、ファントムが目を丸くする。
「踊れるのか」
『まだ貴方に付いて行く前、街の映画館でよく見ていたんです。それを見るうちに、覚えて』
「…お願いしようかな」
「ファントム、朝ごはんー…」
ドアを開けたリンネが見た物は、ブルンゲルとワルツの練習をするファントムだった。相手のステップに合わせてこちらもステップを踏む。
「…何やってるの」
「リンネ、招待状は渡された?」
「ええ。さっきメイドから。ファントムも貰ったって言われて、朝ごはん呼ぶついでに話そうと思って。
…それってもしかして」
「生憎全く踊れないんだよ。だから少し練習しておこうかと思ってね」
リンネは部屋に入った。カゲボウズ達に向かって飴玉を投げる。寄ってたかって奪い合う彼ら。
「扱い慣れて来たね」
「何かファントムと一緒にいたら、見えるようになっちゃったみたい」
「それは言えてるね。見える者と一緒にいればこちらも見えるように――っと!」
バランスを崩した。倒れるところをブルンゲルが支える。ありがとう、という言葉と共にリンネを見た。
「リンネは踊れる?」
「しきたりだから」
「そっか」
室内でダンスの特訓が続く。時計を守る以前の問題になっている気がするが――
大丈夫だろうか。
黒いローブを着た男が登場し、ヴァイオリンの音色が流れ出した。それに合わせて数人の男女が登場し、歌いだす。
『おお!我らが魔術師、レオーネ卿よ!その力でこの世界に巣食う悪を根絶やしにしてください!』
舞台の中心にいる男が杖を掲げた。
『我は英国一の魔術師。皆が皆、我を崇める。私に出来ない術など無い。その気になれば、この者達が言うように悪を抹殺することも出来るだろう。
だが、私はそんな無粋なことなどしない。私はただ、魔術を極めたいだけなのだ』
男が杖を一振りした。途端に、美しい光の帯が会場と舞台を包み込む。
「どんなトリックなんだろうね」
「それを言ったら、楽しみが無くなるよ」
リンネには悪いが、ファントムにはオペラを楽しむ余裕は無かった。今は視線を感じないが…いつ何が起こるか分からない。油断は出来ない。
『今宵もまた、私の魔術に魅せられた者達が集まってくる。金と名声は黙っていても手に入る。私はそんな状況にいる。
今の私になら、禁忌を犯しても誰も罪に問わない。問うことが出来ない』
上空から檻が現れた。綺麗に細工してあり、薄い布がかけられている。
『ご存知無いかもしれないが、私の得意な魔術は合成だ。ポケモンとポケモンを合わせたり、また鉱物と生きる物を合わせることも出来る。
…なら、人間と他の何かを合わせればどうなるだろう?』
舞台袖から語り手が出てきた。
『ああ、哀れな魔術師。お前は自分の力と他人からの賞賛に酔いしれてしまった。いつもならそこで過ちを考えていると気付くはずなのに、今の彼には忠告してくれる友人すらいない。
皆が皆、尊敬すると同時に彼を恐れた。もし何か言えば、自分の命が危ない―そう考えた』
語り手が退場する。そこで一旦舞台が闇に包まれる。そして…
変わって、ロンドンの町並みが現れた。十九世紀より前なのか、ビックベンの姿は無い。テムズ川のほとりを、一人の少女が散歩している。髪の長い、美しい少女だ。
『今日はとてもいい天気。神様、このように素晴らしい世界を創造してくださり、感謝いたします』
祈りの仕草をする少女。するとそこへ、この場に不釣合いな男が現れる。
『そこのお嬢さん』
『あら、レオーネ卿。ごきげんよう』
『ああ、ごきげんよう』
男も少女と共に川に映る景色を見る。
『この街はとても美しいな。天国も、このような場所なのだろうな』
『ええ。ロンドンの町並みは素晴らしいですわ』
『だが、もっと美しい物がある。…何だか分かるか?』
『ええ?』
男が笑って言った。
『実はな、新しい魔術が完成しそうなんだ。それは』
男は川べりに落ちている石を拾い上げた。
『この石を、宝石に変えることが出来るんだ。大きさも種類も様々。しかも一旦変えれば、何をしても石っころに戻ることは無い』
『まあ!それは素晴らしいですわ!ロンドン、いえ、世界中が驚嘆なされることでしょう!』
『そこで、だ』男は少女に言った。『君にその魔術の証人になってもらいたいんだが…』
『私が、ですか』少女は目を丸くした。
『そうだ。私のような胡散臭い魔術師がいくら説いたところで、所詮は認められやしない。ましてや、価値の無い物をある物に変える術など、今まで誰もが挑戦しては玉砕してきただろう。
だが、君のような美しくてしかも人望もある女性の言葉なら、皆耳を傾けてくれるだろう』
最後の言葉が気に入ったらしい。少女は言った。
『是非、お願いしますわ』
二人は歩き出した。そこで再び語り手が登場する。
『世の中で一番騙しやすいのは、プライドに包まれた人間だと言う。この少女も見た目は愛らしいが、中身はプライドを詰め込ませたビロウドの人形に過ぎないのだ。
そんな人形を騙して連れて行くことなど、この魔術師にとっては容易いことだった。この男は人の心をよく分かっていた』
古い屋敷のセットが現れる。少女一人が舞台に現れ、辺りを見回す。魔術師の姿は、無い。
『レオーネ卿?どこにいらっしゃるのですか?』
『すまない、お嬢さん』
舞台袖から声がした。少女が安堵の息を漏らす。
『ああ、よかった。どうなされたのです?』
『いや、何しろ石が重くてね。すまないが…手伝っていただけないだろうか』
『ええ、分かりましたわ』
少女が舞台袖に消えた。そして―
『いやっ!何をするの!?離して! …ぎゃああああああああああっ!』
リンネが震えた。それくらい、少女の断末魔が激しい物だったからだ。周りを見ると、ほとんどの客が顔から血の気が引いている。
やがて、大きな箱と胸にナイフが深深と刺さった少女を担いだレオーネ卿が舞台に登場した。左手には杖を持っている。
彼は少女の遺体を箱に入れると、側に置いてあった薬品のビンを開けて注ぎ、蓋をした。杖を高々と上げ、叫ぶ。
『この肉体を別の物に変えよ!』
舞台袖からドライアイスの煙が噴出した。舞台が見えなくなる。霧が晴れた時、男は箱を開けて中の物を取り出した。
ヒッ、という悲鳴が周りから上がった。ファントムも思わず口を押えた。
そこには、元の姿が何か分からないくらいに膨れ上がった肉体があった。それを見たレオーネ卿は、激しく頭を掻き毟った。
『何てことだ!失敗だ。こんな物、捨ててしまえ!』
場面が変わって、ロンドンの穏やかな昼下がり。カフェで新聞を読む男、優雅にテムズ川のほとりを散歩する貴婦人、新聞売りの貧しい身なりをした少年。誰もが自分の時間を過ごしていた。
不意に。新聞売りの少年が上を見上げた。そのまま右手でビックベンを指差す。
『ねえ!何かぶら下がってるよ!』
その言葉にバスケットに花を沢山入れた少女が上を見る。はじめは子供の戯言だと思っていた大人達も、次第に皆に釣られ上を見上げた。
『あれは…なんだ』
『袋?』
『いや、何故あんな…ビックベンの針に袋がくくりつけてあるんだ』
カチ、という音がした。長針が少し下がる。一分を刻んだのだ。
そして―
『あっ!』
少年が声をあげた。くくりつけられていた物が、針からずり落ちて…
グシャリ、と石畳の道に落ちた。
『キャアアアアッ!』
貴婦人が叫んだ。袋ではなかった。体がこれ以上に無いくらい膨れ上がった…人間だったのだ。
騒然とするテムズ川周辺を、レオーネ卿は遠くから見つめていた。
『あの姿では、親すらもわが子だと分かるまい。自分の醜さに絶望した女が自殺した― 少々無理があるが、それで片付けられるだろう。
いや、そんなことより重要なのは次の材料だ。遺体では駄目だった。ということは、生身の人間の方がいいのか―
…そうだ』
レオーネ卿は何かを思いついたように、走り出した。
再びレオーネ卿の自宅。さっきとは違う箱が用意されている。薬のビンは、そのままだ。
『おそらく遺体という理由だけではなく、心も必要だったのだろう。あの女は高慢でプライドが高く、煽てれば簡単に付いてくるような奴だった。
もっと美しくて、純粋な心を持った人間を』
ここでレオーネ卿の役者は一旦舞台から降りた。驚く観客達。ファントムは側にいたデスカーン達にそっと耳打ちした。
『 』
やがて男はファントム達が座っている列に入って来た。リンネをちょっと見た後、ファントムを見て言った。
「貴方が相応しい。共に来てもらおう」
「…構わないよ」
ファントムは立ち上がった。デスカーン達はそのまま待機している。リンネが不安げな表情を浮かべている。左手を少し振った後、ファントムは階段を降り、舞台にある箱へと向かった。
白い箱だ。光の加減では灰色にも見えるかもしれない。もう一度客席を見た後、ファントムは箱に潜り込んだ。思った通り、舞台に扉があって箱の下から出入り出来るようになっている。音を立てないようにそっと下へ移動した。上で派手な音が聞こえた。爆発音だ。
「さてと…」
ファントムは身を屈めた。真っ暗で何も見えない。お供は皆リンネの側で待機するように言って来た。
「こんな手の込んだことをするのは誰だよ…」
埃が服に纏わり付く。上ではまだ舞台が進行していた。うんせうんせと両手足を動かし、やがて小さな扉に当たった。
「ここか」
スライド式だった。そっと開けると、小さな灯りが見えた。誰かの話し声が聞こえ、ファントムはより一層身を屈めた。
「本当に出来るんだろうな」
「ああ。私の言う通りにしていれば、必ず時計は手に入る」
時計。一人の声はそう言った。おそらくリンネの持っている懐中時計のことだろう。全く、いい大人がみっともない。
「だが側にいるあの女が厄介だ。隙が無い」
「普通の方法では、返り討ちにされるだろうな。今夜は下見だ。時計は手に入らん」
どうやら自分を引き剥がしてリンネから時計を奪うつもりでいたらしい。
「思った以上に厄介な相手だ。…お前、近いうちに舞踏会は開けるな?」
「それは勿論」
「私の言う通りにセッティングしろ」
「…分かった」
一人の男がこちらに向かってくる。だがファントムには気付かない。そのまま通り過ぎて行った。
「…」
やがてもう一人の男も別のドアから出て行ったようだ。ファントムは立ち上がると、裏口から外に出た。
「ファントム!」
リンネが駆け寄ってきた。埃だらけの服装に一瞬怪訝な顔をしたが、何か考え付いたかのようにぽんと手を叩いた。
「下を通ったの?」
「まあ。で、あの後どうなった?」
「また失敗。多分あれは人形だろうけど、今度は関節という関節が無くなってて…オクタンよ、あれじゃ」
リンネがため息をついた。時刻は八時半。予約したレストランの時刻まで、あと三十分。
だがこの格好では…
「なんとか出来ないかな、この埃」
「じゃあ服屋に行きましょうよ!私がコーディネートしてあげる」
「いや、ブラシとかあれば…と思ったんだけど」
リンネはファントムの話を聞いていない。そのまま高級ブティック店がある通りに走っていった。
一人の男が、街を見下ろすことの出来る時計塔の上でアコーディオンを弾いていた。
「怪人ファントムに気をつけろ、夜道でお前を待ってるぞ…か」
月光が男の白い仮面を照らす。
「さあ、楽しいゲームの始まりだ」
「よ、ようやく着いた……。コガネシティ、決戦の地だ」
深い深い森を抜けた先には、見覚えのある光景が広がっていた。なだらかな平地に穏やかな川の流れ。2本の川の間にはいつか訪れた広大な屋敷が鎮座している。これこそ、半月以上前にダルマ達が宿泊したがらん堂である。6人は遂にコガネシティに到着したのだ。日はとっぷり暮れていたが、ダルマの目は達成感に満ちていた。
「まだ油断はできないよ、がらん堂を退治するまではね」
「わかってますよ、ワタルさん」
ダルマはタオルで額の汗を拭った。セキエイからフスベに行く時もしたが、やはり山越えは普通の旅人には厳しいものであったようだ。
「よし、じゃあまずは手近ながらん堂から攻撃しましょうか。もう目と鼻の位置にあるからね」
「だ、大丈夫なのですかワタル様? がらん堂は相手の本拠地、守りも強固なのでは?」
「ああ、それなら心配いらない。向こうは僕達がキキョウにいると思っている。僕達の討伐に人出を割いているなら、残っている人数はそう多くないはずだ」
ワタルは自信を持って断言した。その視線は、がらん堂を捉えている。ダルマ達はワタルの指示を待った。
「……では、これより全速力でがらん堂に突撃します。遅れないでついてきてください」
ワタルの言葉を受け、各々は静かに頷いた。ワタルはそれを確認すると、まず1歩踏み込んだ。
「行くぞ、出発!」
ワタルの叫びと同時に、6人はスタートを切った。月明かりだけが辺りを照らす夜に、くたくたながらも疾走する集団。洗脳電波に影響されたコガネ市民とて、これに気付くことすらかなわない。一方ダルマ達は、ボルトお手製の妨害電波発信バッジのおかげで快適に進む。
そうして数分が過ぎ、いよいよがらん堂の入り口が視界に飛び込んできた、まさにその時。物陰から3人の若者が現れ、道をふさいだ。ワタルが怒号をあげる。
「お前達は何者だ、そこをどくんだ!」
「……おやおや、チャンピオンともあろう方がそこまで焦るとは」
「なんだと?」
3人のうち、真ん中の1人が前に出た。そしてこう名乗り出た。後ろの2人もそれに続く。
「お前達は何者だ! と聞かれたら」
「答えてやるのが世の情け」
「愛と真実と正義を貫く」
「ラブリーチャーミーな救世主っ!」
「パウル!」
「サバカン」
「リノムッ!」
「銀河を駆けるがらん堂の3人には」
「ホワイトホール、白い明日が待ってるぜっ!」
名乗り口上が終わった。ダルマ達はさりげなく別の道からやり過ごそうとしていた。3人はそれに突っ込みを入れる。
「こら、待ちやがれっ! この神軍師から逃げられると思うなっ!」
「……やれやれ、またあなたですかリノムさん。マダツボミの塔以来ですね」
「サバカンか、久しぶりだな。発電所では遅れをとったけど、今回はそうはいかない」
「ぱ、パウル様……やはり戦わねばならないのですか?」
ダルマ、ワタル、ユミはそれぞれ、思うところを述べた。リノム、サバカン、パウルも返答する。
「あ、お前はキキョウで会った奴だなっ! お前も他の奴らもぎたぎたにしてやるぞっ!」
「……またしても某の邪魔をするか、チャンピオンよ。貴殿とは決着をつける時分のようだな」
「……久方ぶりだね、ユミちゃん。君が考えている通り、俺達がらん堂と君達は戦わねばならない。残念ながら、ね。君のような才能ある少女に手をかけるのは俺の、がらん堂の信条に反するけど、俺達のやり方に反対するなら致し方ない」
3人のうちの中央に立つパウルは軽く頭を下げた。背後で様子を見ていたリノムとサバカンは、じりじりとダルマ達との距離を詰める。
「ここで総力戦というのも悪くない。けど6対3は2対1とは違う。……皆さん、作戦を変更します。各員分散してください」
ここで、ワタルから作戦変更の号令が出た。これに慌てたダルマは、その意図を尋ねた。
「ワタルさん! これはどういう……」
「大丈夫だ。僕達はセキエイを発った頃の自分じゃない。必ず勝てる。さあ、早く散るんだ!」
ワタルの鬼気迫る表情に、ダルマは思わず腰が引けた。しかしすぐに脇道へ目を向け、一目散に闇夜へ消えていった。これを受け、他の4人も蜘蛛の子を散らしたように分散した。最後にワタルもカイリューを繰り出し、夜空へと逃げていった。
「くっ、まどろっこしい。サバカンとリノムは奴らを追跡してくれ。俺もすぐに加わる」
「合点」
「任せときなっ!」
パウルの言葉に従い、サバカンとリノムも路地裏へ足を踏み入れていった。それを見届けたパウルは懐からポケギアを取り出し、電話をするのであった。
「……先生、奴らを発見しました。人数は6人ですが、中々手強そうな布陣です。ですから、彼に援軍として来るよう伝えてください。……はい、了解しました、では後ほど」
・次回予告
家屋に隠れながら西へ進路をとるボルトであったが、がらん堂幹部の1人に見つかってしまう。彼は見事撃退することができるのか。次回、第54話「ギャンブルゲーム前編」。ボルトの明日はどっちだっ。
・あつあ通信vol.34
遂に! 最後の戦いが始まりました。構想開始から実に4年近くかかりましたが、ようやくここまでたどり着きました。まあ、話の半分はここ1ヶ月で書いたのですが。
このがらん堂との激突で、残された謎が全て明かされます。また、バトル方面もよりハイレベルな戦術や立ち回りを繰り広げます。是非ともご期待ください。
あつあ通信vol.34、編者あつあつおでん
乱暴に体を揺すられる。目を覚ますより先に姿勢が崩れた。床に頬をぶつけた痛みで目を開ける。まだ頭が重い。それなのに乱暴に頭が持ち上がる。そして腕をいたわりもなく引っ張られた。
「ぼさっとするんじゃねえよ」
目が合う。ガーネットは思いっきりユウキを睨んだ。それがどうしたと言わんばかりに、ユウキはさらに掴む力を強める。
「ユウキ、少しは手加減しておいた方がいいわよ。目標達成寸前に死なれても困るから」
潜水艦の出口から静かにカガリが言う。仕方なさそうにユウキは力を緩める。
「貴方も、こんなところにおいてかれたくないなら素直に言うこと聞いた方がいいわよ」
カガリが先に外へと出る。続いて外に出た。そこに広がるのはランタンに照らされた岩肌。さざ波が洞窟に反響していた。突然の侵入者に騒ぎだすズバットたち。
「…リーダー、ホムラより連絡です。アクア団のアオギリとイズミがこちらに向かってると」
「そうか」
「そしてそれを追いかけてザフィールがこちらに向かってるとのこと」
「……つかまりに戻るか。あいつは」
マツブサはそれ以上何も言わなかった。ただひたすらランタンの灯りを頼りに前を行く。心なしか、ガーネットを掴むユウキの手が再び強くなる。
「ユウキ」
「はい」
「あいつが来たとき。お前に全て任せる。どうなろうとも、お前の好きにするがいい」
「リーダー、それは!」
ユウキの返事よりも、カガリの方が早く口を開く。マツブサが振り向いた。
「どうしたカガリ?全てこの前伝えた通りだ」
「いえ、なんでもありません」
カガリは顔を伏せる。ランタンの灯りが彼女の顔を暗く映した。
マグマ団たちのやりとりを後ろから見ていた。そしてガーネットは思う。カガリなら話を聞いてくれるのではないかと。ユウキも一言で従えることの出来る人ならば希望はある。それに、初めて会った時に知らないとはいえ、悪い人には全く見えなかった。
「勝手なことするなよ」
ユウキに押さえつけられる。隙を見逃すわけなかった。そして手を逆の方向にひねり上げる。苦痛の声がガーネットから漏れた。
「さすがねユウキ。でも、もう少し優しく扱ってあげて。ザフィールが来てるならなおさらね」
「……解ってます。だけどあいつには負けない。それにあいつが来るならこいつだって……」
「私情を入れるのはこの後。やる事やったら、ユウキの思う通りなんだから」
ガーネットが見上げたカガリの顔。何も変わらない。何も変わらないのだ、他のマグマ団と。冷たく、利己的な表情は、ランタンの光が作り出すだけのものではない。優しく思えたのも何かの間違いに思えた。
マツブサはそれに構わずひたすら歩く。何も言わないで。それがかえって不気味だった。そしてこの洞窟の微妙な空気。それがガーネットにまとわりつく。奥に進むにつれて、言い様のないプレッシャーに胸の中心が助けを求める。一人だったら、立ち止まってしまいそうだ。
「流れが急だな」
洞窟の外とつながっているような水たまり。泳いで渡れるような速度ではない。マツブサは静かにモンスターボールを投げる。そこから出たギャラドスが静かにマツブサを見つめる。
「渡るぞ」
ギャラドスの背に乗せられる。どんどん近づいている。マツブサの持っている紅色の珠がそれを示している。誰もが確信していた。けれどガーネットはもう一つ気になることがある。もう一つ、持っている藍色の珠。その気配も強くなっていること。
ザフィールが近づいてるのはまだ無さそうだ。彼は気配の届かない遠くを物凄い速さで移動している。藍色の珠がそう言ってる。そしてガーネットにしか解らない声で藍色の珠はさらに言う。ユウキから離れろと。できるならそうしたいのだが、ユウキは監視するように腕をつかんでいる。無言で、そして冷たく。
狭い通路を通り、とても大きな空間に出たようだ。マツブサが歩みを止める。そして確認するように紅色の珠を見た。中の模様が浮き上がっている。そのことに満足した表情を浮かべ、後ろを振り返った。ガーネットの腕を掴むと、その手に紅色の珠を持たせる。
「お前たちはここで待て。何かあったらその時は頼む」
「解りました。何もないことを祈ります」
階段を下る。人が造ったと思うほど、一段一段の高さが同じだった。そして最後にたどり着く、一際しずかな泉。
マツブサがランタンで照らすよりも早く、ガーネットはそのものを見上げる。こちらに来る日、トラックの中で見た夢に出て来た怪獣。今なら名前も解る。これがグラードンだ。
反応するように紅色の珠が光る。中の青い模様も、まわりの美しい透けた紅も。そしてグラードンの血が巡るかのように、青い光が頭からしっぽの先まで駆け巡る。
ガーネットが立っていられたのはここまでだった。紅色の珠を通じてグラードンへと力が吸い取られてるかのよう。地面に手をつき、なんとか倒れるのを防ごうとしても震えている。
「グラードン、さあ、目覚めるのだ。ヒトガタの力を奪って、無敵のポケモンへと……」
咆哮。静かな空間が一瞬にしてグラードンの天下へと変わる。マツブサの言葉など耳に入らず、その鋭い爪に巨大な炎を浮かべる。そしてそれを人間たちに投げつけ、太いしっぽで岩壁を凪ぎ払う。
「グラードン……?」
唖然と見つめるマツブサのことなど目に入らない。入るのは、落ち着けと言わんばかりの紅色の珠とそのヒトガタ。グラードンは解っていた。ヒトガタの持つ生命力が自分に変換されていること。ガーネットをその手に持ち、力を入れる。その生命力を全てよこせ、と。じわじわと削がれて行く生命力が、紅色の珠を通じてグラードンへと吸い込まれて行く。
「今だ、グラードンを……」
助けようなどとは思ってない。もとより使い捨ての駒に過ぎない。グラードンを捕獲するためにマツブサがポケモンをボールから出す。その持ち物から、少しだけ青い光が漏れる。
それがグラードンの目に入る。そしてヒトガタはその手から放さず、マツブサを見る。その目は憎むべき目。心から憎悪し、叩きのめしつぶす意志が宿っている。
空いている方の手でマツブサを切り裂く。そのほんの一瞬前、ユウキがマツブサに体当たりし、二人とも転がる。グラードンが二人に増えた人間を見る。その顔、その声。それだけでもグラードンの怒りに火をつけるのは十分だった。
マツブサの持つ藍色の珠もさらに光を増す。美しい深海を思わせる光が溢れた。そして咆哮。グラードンのうなり声。大きく波うち、溢れる波がユウキを濡らした。
その赤い血脈のような模様。そして鋭い牙。海を思わせる青い体。深い海のそこから飛び出すかのように、水面へと大きくジャンプする。人間たちには何が起きたか理解できなかった。なぜここにいる。グラードンと共に眠っていた。深海のカイオーガが。そしてなぜヒトガタもいないのに目覚めたのだ。
何もかも解らないうちに、グラードンはユウキへとその手を伸ばした。逃げようとするも、次に来るのはカイオーガのハイドロポンプ。それをかわした直後、カイオーガの鋭い牙が、ユウキの足を捕らえたのだ。カイオーガに抵抗するが、全く効かない。そして泉へと引きずり込み、それを追ってグラードンも姿を消す。
残された人間は何が起きたか解らず、2匹の消えた方向を見ていた。どれくらい経ったか解らない。紅色の珠も藍色の珠もグラードンとカイオーガが持ち去っていった。ランタンの灯りには、来た時と同じように静かな泉が照らされている。
「ユウキが……」
マツブサはようやく口を開く。真っ先にその名前が出るとはカガリは思っていなかった。
「リーダー、追いましょう。2匹はおそらく」
「マツブサ!」
足音が聞こえる。耳慣れた声で呼ぶのはアオギリだ。
「お前、まさかもう……」
「ああ、そのまさかだ。しかしグラードンだけでなくて、カイオーガまで」
「なんだと!?2匹を同時になんて、あり得ない!」
「そのあり得ないことがあったんだ。これは現実だ」
「マツブサ……ここに来る前、異常な低気圧と風向を観測した。そして日の出の光から物凄い強いものになっている」
「なに?そんなことあるはずない」
「とにかく、ここから出てあの2匹の行方を追うんだ。もうこんな争ってる場合じゃない。異常気象なんだよ!」
ようやくマツブサが何をすべきかを思い出す。そして連絡の取れるマグマ団全てに命令した。グラードンとカイオーガを探せと。
空中に放り出されたノウは、頭がくらくらして息が詰まりそうになった。あんなに地面が遠い。視界の端でリオが何かを叫んでいるのが見えたが、耳元で聞こえるのは風の唸りだけだ。なす術もないまま空気の塊の中を落ちていく感覚が、やたら新鮮に感じられた。
まぶたをきつく閉じようとしたそのとき、ノウは、自分の体がふわりと浮き上がるのを感じた。
いや、これは、誰かが背で受け止めてくれたのだ。
風の音の中で、ノウは確かにその者のささやきを聞いた。
「しっかりつかまってろ」
「……え?」
だん、と地を蹴る振動の後に、ノウは、風の中を飛んでいるような感覚に包まれた。青空がぐんと近づき、また遠ざかる。振り落とされそうになって、ノウは慌てた。なんとかつかみやすそうな白い出っ張りを探り当て、夢中でそれにしがみつく。するとそれを感じたのだろうか、ノウを背に乗せたその者は、更に力強く大地を蹴って駆け出した。
あっけにとられたままに揺られていると、ふいに、あの怪鳥が空へと飛び上がるのが見えた。大きく首を仰け反らせたかと思うと、振り下ろした勢いに乗せて破壊光線が空を切る。ノウは急いでその軌道の先を目で追った。
リオがいる! アグノムを庇い出たまま、恐怖のあまり立ちすくんでいる。
妹の姿を確認したその瞬間、ノウの体が大きく揺れた。
ノウを背に乗せたその者は、一瞬にしてリオの前へと躍り出るなり灼熱の炎を吐き出した。怪鳥の放った破壊光線と、火炎放射が真っ向からぶつかった。大気が歪み、生じた熱風が容赦なく周囲へと襲いかかる。
ノウはもみくちゃになりながらも必死になって背中にしがみついて、激しい衝撃波をこらえようとした。
やがて煙が晴れるように熱が去ると、ノウを背中に乗せたポケモンは、川から上がった獣のようにぶるぶると身を震わせた。小さなマイナンは抵抗する間もなく地面に落とされる。
「いでっ」
慌てて身を起こすと、自分を見下ろす獣と目が合った。
その者は、闇夜を思わせる漆黒の体に、所々白骨を浮かび上がらせたような不気味な紋様をしていた。口元や腹には挑発的な朱色をのせて、こちらをひたと見つめる瞳は情熱的な色なのに、どこか冷め切った印象を受ける。
と、そのとき、怪鳥が再び翼をきって急降下を始めた。
獣は、少しの間じっとノウを見つめていたが、ふっと目をそらし、低い声で囁いた。
「ここにいろ」
「あっ、待ってよ」
獣はたちまち黒い影となり、怪鳥に向かって駆け出した。
「あれは……デルビル……? なぜ、ここに……」
「アグノム! デルビルって、あの黒いポケモンのこと?」
ノウは振り返り、木陰に倒れているアグノムの元へと駆け寄った。
「あのポケモンと知り合いなの? だから助けてくれたのかな」
「……いや、知らない……」
アグノムは、深い眼差しで影を見つめたままだった。
怪鳥が上空からノウたちを目掛けて原始の力を解き放った。デルビルは少しも怯むことなく岩の群れへと突っ込むと、鋼鉄と化した尻尾を駆使して全ての塊を打ち砕いた。休む間もなく怪鳥が地上へ迫り、翼の先に生えた爪を光らせる。ドラゴンクローだ。振り下ろした爪の先を、細い影がすり抜ける。影はそのまま跳躍し、怪鳥の喉元へ食らいついた。驚いた怪鳥が激しく羽ばたく。しかしデルビルは離れない。剥き出したその牙から、強力な電撃が音を立てて流れ出す。巨体がのたうち、雪のような羽がはらはらと散る。
「す、すごい……」
「うん……」
ノウとリオは瞬きするのも忘れて、もつれ合う二匹のポケモンを見守った。
あんなに大きな怪鳥が、潰れた悲鳴をあげてもがいている。
生まれて初めて見る、命懸けの戦い。入り混じる殺気、生死のやり取り。圧迫した空気が時間までも押し潰す。
やがて唐突に羽音が消え、蛇頭が音を立てて地に伏した。その傍らで、のっそりと黒い獣が起き上がる。
「すごいや! あっという間にやっつけちゃうなんて」
「あのっ、助けてくれて、どうもありがとう!」
ノウとリオが声を張り上げると、デルビルはふっと視線をこちらに向けた。
「お前たちは」
「ぼくはノウ! こっちは、妹のリオ」
「はじめまして、リオといいます」
「妹?」
獣の眉間に僅かにしわがよる。
「お前たち、兄弟なのか?」
「兄弟っていうか、双子だよ」
「うん。生まれたときから、ずーっと一緒」
「……そうか」
デルビルはまだ何か言いたげな顔をしていたが、小さく呟いただけだった。ノウとリオは、そんな黒犬に向かってぴょこぴょこと走り寄った。
「ねぇ、きみは? なんて名前?」
「……バウト」
「ばうと?」
慣れない言葉を反芻する双子を見て、バウトと名乗ったデルビルは戸惑ったように瞬きを繰り返した。
「お前たちは、おれが怖くないのか?」
「え? どうして?」
双子はきょとんとした顔を並べてみせた。曇りのない海色の瞳が、純粋に問いかけてくる。
バウトは小さくため息をつき、なんでもないと双子をおさめた。
「ねぇ、バウトはどこから来たの?」
ノウが身を乗り出すようにして尋ねると、バウトは鼻面で地面にうつ伏せになっている怪鳥を指し示した。
「おれは、あのアーケオスを追っていたんだ。あいつの主に用があった」
「あるじ? あるじって?」
「それは、ひょっとすると……影の、こと、かい……?」
青い精霊が苦々しげに右手で腹を抱えながら、ふらふらと飛んでくる。リオが手を差し出すと、あっけなくその中におさまった。息をするのも辛そうだ。
「影、か」
「バウト、と、言ったね……きみは、何故、奴を追っている……?」
「お前こそ」
バウトは探るような目でアグノムを見つめ、言った。
「どうして奴に狙われていたんだ? あのアーケオスは、完全にお前のことしか見ていなかった」
「そ、れは……」
腕の中でかすれた声を出したポケモンを、リオはなんとか抱き起こそうとした。そのときだ。彼女は、突然全身の毛を逆撫でされたような悪寒に襲われた。たちまち体が硬直し、吐き気がするほどの耳鳴りに視界がくらむ。そして、いやにはっきりと頭に響く、ねっとりとした悪意をまとう嘲笑い。
――ケケッ 全く……このオレの手を煩わせやがって
そのとたん、地面に倒れ込んでいた怪鳥が雷に打たれたように痙攣した。バウトがはっと身構える。
「下がれ!」
勢いよく飛び起きた怪鳥が、ささくれ立った翼を羽ばたかせ、喉も裂けんばかりに猛り叫ぶ。爪が閃き、牙が剥かれた。怪鳥は、恐ろしい形相で白目をむいたまま、がむしゃらに暴れ始めた。だが様子がおかしい。振り回される爪や尾はてんで的外れ、地面に三本筋の跡を残し、何もない空を裂くだけだ。怪鳥はただひたすらに吠え、地団駄を踏み、翼を荒げて暴れている。まるで、暗い水の中をもがき苦しむかのように――
黒犬が怪鳥に向かって飛びかかろうと背中を丸めたその矢先、リオは、何かを伝えようと必死で声を張り上げた。
「違う……! そっちじゃない!」
バウトは、肌にちりちりと熱を感じて、真っ赤な目を見開いた。いつの間にか左から、エネルギーの凝縮された球体が音もなく近づいていたのだ。
(これは、気合玉……!?)
気づいたころにはすでに時遅く、あっという間に視界いっぱいが白熱する。獣の体は大槌で殴られたような激しい衝撃に吹き飛ばされた。
「バウト!」
慌てて飛び出そうとしたノウの前に、運悪く鞭のような長い尾がのたうった。小さなマイナンは有無を言わさず薙ぎ払われる。
地面に投げ出され、痛みに揺らぐ意識の中、ふとあげた目線の先に、かろうじて見えたもの。音もなくいっぱいに開かれた、怪鳥の爪。弱りきった精霊と、それを抱えた、無防備なプラスルの姿。鋭い凶器が頂点へと達し、振り下ろされる、その瞬間。
「やめろおおぉぉぉ!」
ノウは叫んだ。と、同時に彼の体から、色という色が抜け落ちて――七色の光が溢れんばかりに流れ出した! 光は脈打ち、力強い波となり、七色の衣をまとったマイナンを中心に、波紋となって広がった。呆然と立ち尽くすプラスルとアグノムを通り越して、爪を振り上げたままの格好のアーケオスに吹き荒れる。怪鳥は翼を震わせ抵抗したが、光の波は止まることを知らずにあっさりとそれを押しのけ、弾き飛ばした。
リオが、アグノムが、バウトが、皆それぞれ驚愕の表情で七色に光り輝くマイナンを見た。徐々に光が薄れていく。
ノウは、小さな手を突っ張って四つん這いの姿勢を保っていたが、光が僅かな煌めきを溢して消え失せると、は、と短く息をもらして力尽きたように崩れ落ちた。
第三章PCC編を読んでいただく前に
カードテキストや用語をLEGEND準拠にさせていただきます。
具体的にはダメージカウンターをダメカンと読んだり、トレーナーをグッズと言い替えたり。
しかし、カードのレギュレーションは前章と同じくDPとDPtのみです。
───この物語はフィクションです。劇中に出てくる人物、団体は架空の物と実在の物が存在しますが、実在の団体とこの小説に書かれることは何の関係もありません。───
ついにポケモンカードの公式大会に参加する翔たち。
加えて風見が開発した新型の小型3D投影機、「バトルベルト」が世に出て新しいポケモンカードのバトルの世界が広がる!
しかしそこに新たな能力者の影が忍び寄る。
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