東雲映す 上
シャラシティの南西には、映し身の洞窟が存在する。
レイアもそれを初めてテレビで見た時はぎょっとした。そこに初めて実際に入ったときは、観光客の多さにまた別の意味でまったくぎょっとした。
そして今回も何度目の来訪かはわからないが、相変わらずの盛況ぶりにレイアはげんなりした。
映し身の洞窟は、巨大な水晶窟である。それもただの水晶ではなく、何やら洞窟の暗闇の中で自ら光る。おかげで照明要らず、エコな観光地である。
洞窟内には無数の透き通った水晶柱が立ち並び、また鏡のように滑らかな壁面も広がっている。水晶のアーチも、天然のミラーハウスもある。見て歩くだけでも十分面白いし、雰囲気もいい。気温も年中涼しくて過ごしやすい。
そのような映し身の洞窟を訪れる国内外の観光客は、一年を通して非常に多い。家族連れにもカップルにも凄まじい人気だ。入場料を取らないという手軽な点も相まって、年間動員数はパルファム宮殿ともいい勝負である。映し身の洞窟はシャラシティに多くの恩恵をもたらしている、カロス有数の天然観光資源だった。
ヒトカゲを抱えた赤いピアスのレイアは、観光客を避けつつ黙々と映し身の洞窟を進んでいた。北東のシャラシティから入り、南西のセキタイタウンへと抜けるためだ。
大股に僅かに背を丸めて、天然の鏡に見入っている観光客の背後をすり抜ける。
シャラシティ側の入り口付近は特にすさまじい人混みとなっていた。天然の鏡面を生かした写真撮影が流行っているらしく、水晶にべたべたと張り付いている人間がいる。そうしてわいわいがやがやきゃあきゃあぴいぴいと、洞窟内にこだまして喧しい。
レイアは嘆息した。――ここは遊園地か何かか。
映し身の洞窟そのものはレイアも好きだ。しかし、そこに群がる観光客は嫌いだ。ごみを散らかすし、うるさいし、人くさいし。
カロスには観光名所が多い。そしてそれら観光資源を活かした観光業を一大産業として国が大いに振興を促しているから、年を追うごとに各地の観光客が増加するのはもはや逆らいえない流れだ。
しかし一方ではやはり、映し身の洞窟に暮らす野生のポケモンたちや、洞窟内に産する貴重な水晶の保護にも力を入れてもらわなければならない。
カロスは美しい。その美しさから搾取しようとする者は必ず現れる。――天然の水晶を削り取って非合法に売りさばく。また、暗闇の奥でひっそりと暮らしていたポケモンたちを不必要に脅かし追い回し、その結果ポケモンに返り討ちにされて大怪我をする。いずれも近年カロスにおいて観光業の発展に伴い顕在化しつつある社会問題だ。
レイアに言わせれば、何もかもが阿呆らしかった。
観光で儲けたい者。観光のせいで破壊される環境や生態系、その保護を訴える者。聖地として崇め奉り、宗教活動を行う者。洞窟内の水晶を盗掘する者。洞窟に棲むポケモンを乱獲する者。それらに便乗するポケモン利用派、反ポケモン派、ポケモン愛護派。
彼らは議論するでもなく互いを批判し合い、新聞紙上で意見を戦わせるでもなく互いを叩き合い、広場で殴り合いの蹴り合いの、挙句の果てデモにテロに抗議自殺。何でもありだ。不毛な闘争を繰り広げている。
レイアにしてみれば、まったくもって阿呆らしい。
レイアたち四つ子は平和主義者である。そして利己主義者であった。
面倒な言い争いに興味はない。他人と関わらなければいいだけのこと。意見なんて持つ方が阿呆らしい。
レイアはそのような事をつらつらと考えながら相棒のヒトカゲを脇に抱えて黙々と歩き、観光客の背後をすり抜け、段差を跳び下り、11番道路への近道をした。
セキタイタウン方面になると、観光客の姿は減る。
映し身の洞窟を訪れる観光客は、大抵はミアレシティから北西のヒヨクシティ、シャラシティを経由して、ここにやってくる。そのまま映し身の洞窟をセキタイ側まで抜ける観光客というのは比較的少数で、そのため洞窟のセキタイタウン側はちょっぴり寂れたことになっている。
それでももちろん、観光客の姿は無いことはなかった。
レイアは横目に、鏡の前に座り込んでいる幼い少女と、その祖母らしき老婦人を見やった。その二人にレイアが目を留めたのは――正確にはその二人に付き添っているマフォクシーに気を取られたせいだった。
毛並みのいいマフォクシーが、鏡面に見入るでもなく、背筋を伸ばしたまま、通り過ぎようとするレイアとヒトカゲを凝視していたのだった。
そうしていると、レイアは鏡越しに幼い少女と目が合った。レイアの腕の中のヒトカゲが少女に向かって小さく手を振っているのを、レイアにも壁面の鏡の中に認めた。
白いコートを着た幼い少女が、鏡の中で目を真ん丸にする。その水色の瞳もまたまるで澄んだ水鏡のようだった。
少女が息を吸い込む。
「あっ!」
ばっ、と白いコートの少女が背後のレイアを振り返る。その頬は見る見るうちに赤く上気していく。その腕の中にはピッピを抱えていた。本物のピッピだ。
「……あら」
その隣の、マフォクシーを伴った品の良い老婦人もまたレイアを振り返る。
レイアは軽く会釈をして、老婦人と少女の傍を何気なく通り過ぎようとした。鏡越しに目が合ったくらいで騒ぎ立てるのは大げさだろうと考えた。
ところがそのレイアを、老婦人は慌てて呼び止めた。
「待って、待ってください。あなた、もしかしてサクヤさんとキョウキさんの……」
その二人の名を出して呼び止められたことに反応したのはヒトカゲである。レイアは、一瞬だけこのまま無視して通り過ぎようかと考えた。しかしすぐにどきりとし、思い直した。白いコートの少女に見覚えがあったのだ。
それはアワユキの娘だった。
レイアは覚えている。暗くて寒いフロストケイブの奥で、母親の手で命を脅かされていた幼い少女。
その後、サクヤやキョウキが、祖母に引き取られた彼女に会ったという。
レイアは思わず立ち止まり、少女をまじまじと見る。
ところがレイアは通常運転で、眉間に皺が寄った大層な悪人面である。そのいかにも不機嫌そうな、着物に袴という妙ちきりんな成り立ちのトレーナーが、じっと無表情に見下ろしてくるのだからたまらない。少女はか細い足を生まれたてのシキジカのように震わせた。
一方ではマフォクシーを連れた老婦人は、機嫌よくレイアの傍まで歩み寄ってきた。
「四つ子さんの、初めてお会いする方ですわよね。私はミホ、こちらは孫娘のリセです。サクヤさんとキョウキさんにはお世話になっておりますわ」
レイアはちらりと老婦人と少女を眺めて、僅かに嘆息した。
「ども。レイアっす。うちのキョウキとサクヤの方こそ、世話になってます」
レイアがおざなりに会釈を返すと、ミホは目元を緩めた。
「サクヤさんから、色々とお話は伺っておりますわ。リセのことで、四つ子さんにはたいへん感謝しておりますもの。……レイアさん、ヒトカゲちゃんも、お会いしたかったわ」
ミホは礼儀正しく、レイアの抱えるヒトカゲにも挨拶した。レイアのヒトカゲは小首を傾げた。
「ねえおばあちゃーん、疲れたー」
そのときであった。リセがマイペースに疲労を訴え、祖母の足に纏わりつく。ミホが困ったように微笑み、レイアは再びまじまじと無表情無言で少女を観察した。
アワユキの娘。
祖母のもとで養育されて、一緒に観光旅行までして、幸せそうに祖母に甘えている。
レイアは軽く肩を竦めた。
「……お二人は、今日はどちらにお泊まりっすか」
「ああ、ええと……セキタイタウンのホテル・マリンスノーというところに予約をしておりますわ。それが何か?」
「あー……その、なんだ……俺もこれからセキタイ行くんで、そこまで送りましょうか?」
レイアの良心的な申し出に、ミホは表情を輝かせてそっと手を組み合わせた。
「まあ、ありがとうございます。やはりサクヤさんやキョウキさんと同じで、お優しい方なのね」
「……サクヤは分かるっすけど、キョウキが優しかったっすか?」
「ふふふふ、なぁに、キョウキさんって片割れさんたちの中ではそういう御扱いなの?」
「あいつ、そういうキャラなんで」
レイアは言いつつ、11番道路への出口へさっさと歩き出した。後ろ向きに抱えたヒトカゲが、旅の道連れができたことにきゃっきゃと喜び、リセの抱えるピッピに挨拶している。
リセもまたレイアのヒトカゲに興味津々で、レイア本人にはびくびくしつつもその後を追った。ミホも微笑しつつそれに続く。ミホのマフォクシーだけは、レイアと同じような無表情だった。
映し身の洞窟を抜けると、11番道路、ミロワール通りに出た。
右手には太陽が遠く西の水平線のはるか上にある。まだ午後も真っ盛りだが、これから幼い少女と共に山脈の麓まで山道を下ることを思えば、寄り道などせずまっすぐセキタイに向かうべきだろう。
西の空には雲一つない。青磁色の、滑らかな天幕を張ったような空。
リセは運動靴は履いていたものの山歩きには慣れていないらしく、早々に音を上げた。するとミホの連れているマフォクシーが無言で、ピッピを抱えたリセを抱え上げるのだ。するとリセは母親に甘えかかるように、マフォクシーのあたたかな毛皮に頬を埋める。
その祖母のミホはところどころ息を切らして休憩を挟みつつ、それでも自力で山を下りた。道中の雰囲気をよくするためか、レイアにせっせと話しかける気配りも忘れない。
「ね、レイアさんはよく、山歩きなさるの?」
「まあ、最近はずっとマウンテンカロスに籠ってましたからね」
「私もね、マウンテンカロス暮らしですけど、はあ、久々にコーストカロスに、来ましたわ」
北はヒヨクシティから南は輝きの洞窟までは、西海岸沿いのコーストカロスに属する。大洋と海風のおかげで、カロスの中でも特に年中穏やかな気候の過ごしやすい地域である。マウンテンカロスとはその気候も全く違うことから、そちらの人々が休みに海岸沿いを訪れることはままある。
「ヒャッコクのあたりは年中、雪が積もってて、ふう、そうそう山歩きもできませんし、ねぇ」
「あー、そうっすね。マンムーで雪山越えするくらいっすもんね」
「そうそう、フウジョでリセを引き取って、そこからヒャッコクまで、サクヤさんとキョウキさんに、野生のポケモンから守っていただいたのよ。……ええちょうど、今のレイアさんみたいに」
レイアのヒトカゲは先ほどから、山道で一行の前に立ちふさがるニドリーノやスカンプー、ダゲキやナゲキといったポケモンを追い払っている。
「やっぱり、トレーナーさんが一緒だと、心強いわねぇ。マフォクシーやピッピはいるけれど、私はバトルなんてとても、怖くて怖くて」
「……でも、そのマフォクシーなんて、かなりバトルに慣れてそうじゃないっすか」
レイアはちらりと、少女とピッピを抱きかかえたマフォクシーを見やる。
一声も漏らさないマフォクシーは深紅の瞳でじろりと、レイアとヒトカゲを睨み返す。始終この調子だった。レイアは肩を竦めた。
このマフォクシーはかなり戦闘慣れしている。たとえミホが指示をしなくても、独自の判断で十分野生のポケモンなど追い払ってくれそうだ。
「いや、そんなこと言ってミホさん、絶対バトル超強いっしょ……。そのマフォクシー見てりゃ分かるっすよ」
「……このマフォクシーはね、孫のポケモンなのよ。バトルじゃ私の言うことを聞くより、自分で戦った方が、ずっと強いわ……」
そこでミホは疲れたように立ち止まった。マフォクシーもレイアを睨んだまま止まる。
レイアは溜息をついた。おそらくこの話題――マフォクシーのおやの話題は地雷だ。
雰囲気が悪くなると、余計に体力が削られるものだ。レイアは振り返って肩を竦めた。
「……ここらで休憩しますか、ミホさん。マフォクシーも」
ミロワール通りの山道も半ばまで降りてきたところで、三人は休憩を入れた。開けた林の中。
リセとピッピは、すっかりマフォクシーの胸にもたれかかって眠ってしまっている。山の冷えた空気の中でマフォクシーの高い体温は、幼いひとには有り難いだろう。
マフォクシーは淡々と少女を抱きしめて倒木に腰を下ろしたまま、沈黙していた。どこまでも無口なマフォクシーだった。レイアやミホが話しかけても睨み返すばかりで、鳴き声すら漏らさない。
日もだいぶ傾いている。ヒトカゲの尾の炎が存在感を放ちだしていた。
レイアは手ごろな岩に腰かけ、乾燥させたマゴの実を齧る。ミホにも数切れ手渡した。
「どぞ。よかったら」
「ああ、ありがとうね。いただきます」
レイアは軽く頷いただけで、無言のままドライフルーツを咀嚼している。基本的にレイアは無口で、沈黙を悪いこととは捉えない。ミホに疲労があることも相まって、斜陽差し込む林の中に静寂が下りた。
ヤヤコマやムックル、ムクバードがねぐらに帰るべく、梢を渡っている。その澄んだ喧しいさえずりが林の木々にこだまし、橙色の木漏れ日がこぼれ、山林の間を風が吹き下ろす。木々の影が既に色濃かった。
「……晴れてて、良かったっすね」
「ええ、本当に」
「お孫さんと旅行っすよね。どちらまで?」
「これからセキタイに泊まって、10番道路の列石を見て……ショウヨウシティね、そこからコボクタウンに行って、パルファム宮殿を見てから、ミアレに戻るつもりよ」
「うわお。コーストカロス満喫っすね」
「コウジン水族館と輝きの洞窟は見れませんけどね。まあ、それは次の機会にいたしますよ」
ミホはそう言って上品に微笑んでいる。そして首を傾げた。
「ねえ、レイアさんはいつもお一人で旅を?」
「まあ、大体は。たまたま片割れに会ったら、一緒に行くこともありますけど。今は別々に」
「レイアさんが旅をご一緒なさるのは、片割れさんたちだけなのかしら?」
そのミホの問いかけに、レイアは眉を顰めた。疑問を覚えた時の癖であるが、いかんせん人相が悪くなる。ミホは慌てて付け加えた。
「あの、お友達と一緒、って意味よ。よくあるそうじゃない? ホープトレーナー同士とか、スクールの先輩後輩とか、エリート仲間ですとか……」
「あー、確かにそうゆうのも聞くっすね」
「ごきょうだいと一緒も心強いでしょうけど、トレーナーのお友達と連れ立って旅をするとかは、レイアさんはなさらないの?」
レイアは首をひねって真面目に考えた。
「……一人のほうが楽っすよ。好きな時に好きなもん食べて、好きなとこに行って、好きなだけ寝れますから」
レイアは孤独を満喫している。
その回答に、ミホは苦笑した。
「お友達は、お嫌い?」
「友達……?」
レイアはますます顔を顰めた。膝の上で丸くなっているヒトカゲの尾の先で揺らめく灯火を睨む。
レイアの友人。
思い浮かぶのは、ポケモン協会の職員である二人の顔。金茶髪の髭面のロフェッカと、鉄紺色の髪の騒がしいルシェドウだ。
何の弾みでか、うっかり彼らの任務を手伝って以来、なぜか狙ったように旅の先々でレイアは彼ら二人に出会うようになり、そのたびに彼らのしょうもない仕事に付き合わされてきた。ひと月に一度は、彼らの用事を手伝ってきたか。そしてそのたびに謝礼と称して、彼らはレイアにちょっとした食事を奢ってくれたりしたものだ。
けれど、そのような手伝いもこのところ、ぱたりと止んでいる。
いつからだろうか。
レイアたち四つ子がミアレシティで事件を起こして以来、ではないだろうか。あのときから、レイアはルシェドウやロフェッカの仕事を手伝っていない。
たまたま巡り合わせが悪かったのか。
それとも、まさか避けられているのか。
いや、レイアが二人を避けているのか。
四つ子はポケモン協会を警戒している。四つ子を傍から観察してきたであろうルシェドウやロフェッカもまた、四つ子による警戒の対象だ。二人は、フレア団の味方となり得る。四つ子の敵となり得る。
そのことが分かったとき、レイアは迷わず、二人の友人に疑いの目を向けた。
レイアにとって、片割れであるキョウキとセッカとサクヤ以上に大切な存在などない。三人の片割れたち以上に信じられるものなどない。だから、その三人が敵とみなした者はすべて敵だ。当たり前だ。至極当然に、敵なのだ。
それでいいのだろうか?
ふと胸によぎった疑念は、レイアにとって最も危うい疑いだった。
片割れたちのことは、無条件に妄信していていいのか?
キョウキもセッカもサクヤも、学があるわけではない。性格や性向は異なっていても、基本的な素地はレイアと何も変わらない。そのような均質な人間が四人集まって知恵を絞ったところで、解決策は浮かんでいないのではないか。
あるいは逆に、異なる意見がぶつかり合う結果、結論が出ないこともある。キョウキは疑り深い。セッカは思慮深い。サクヤは聡い。そしてレイアには良識がある。それぞれの視点の違いが、意見を分かつ。
ポケモン協会を信じるか? 信じないか? ――結局、その問いへの一致した見解は得られなかった。
片割れたちを信じると言いつつも、何を信じるべきなのか、よく分からない。自分たち四つ子は一体だと言いながら、内部に矛盾を抱えたままだ。その曖昧な内部を放置しておくのか、あるいはあえて刃を突き立てて解剖してみるのか。
レイアが選んだのは前者だ。キョウキも、セッカも、サクヤもそれを選んだのだ。だから今、四人はバラバラに旅をしている。
逃げた。
四つ子は意見の不一致から逃げた。
一体である自分たちを、自ら切り裂くような真似は四人にはどうしてもできなかった。片割れを互いに疑い合うくらいならば、いっそ意見の不一致をそのまま内部に飲み込んで、外部に気を逸らした方がまだましだ。
これ以上一緒にいると、傷つけ合う。
互いを信じられなくなったら、すべてがお終いだった。
だから四人はバラバラになった。
友人と旅をするどころではない。