丑三つ時の森の中。月光も星明りも雲に遮られた真っ暗な夜。彼女は今日も宙を彷徨う。
「あーあ、やっぱり街行かなきゃダメかー。だーれもいやしない」
わかっちゃいるんだけどね、と彼女は呟き、くるりと宙を一回転。
彼女の種族、ムウマは人間や他のポケモンを驚かせ、その際の感情エネルギーを摂取し生きている。そのため、生きるためには他の生き物と触れ合うことが不可欠となる。なかでも、人間は感情エネルギーの変動が激しいため、彼女らムウマが生きていくのには人間を驚かせるターゲットとするのが、最も効率がよい。
しかし、ムウマが最も活動しやすい時間帯である深夜に、彼女が寝座としている深い森に人間などいるはずもない。
「面倒くさいんだよなー。今日はやめにしようかなー。でもそろそろ感情エネルギーも欲しいのよねー。木の実も飽きてきたし」
ムウマは通常の食事によってもエネルギーを摂取することはできる。しかしその効率は感情エネルギーによるそれと比べるとかなり劣る。おまけに感情エネルギーは彼女らにとって美味らしい。感情エネルギーを摂取するのは、いろいろな意味で「美味しい」のだ。
「あーでもなー。悩む悩む」
悩むと言っているわりにはそれほど悲観した様子のない声で独り言をつぶやきながら、またくるり。彼女にとってはエネルギー摂取も遊びの一つらしい。幸い、この森には木の実なら山ほどある。感情エネルギーが摂取できずとも飢えることはない。
「まあいっか。カゲボウズどもでも脅かしに行くか」
木の実よかマシだし、とやっぱり独り言を呟きながら、彼女はふわりと移動を始めた。
ゴーストポケモンたちの住処と化しているこの森だが、自然と種族ごとに縄張りが形成されている。少し離れたカゲボウズの集落へ、彼女はふわり、ふわり。
と、遠くからコツリ、コツリと靴音が。人間だ。間違いない。
「あら、こんな時間にお客さん? ラッキー☆」
心の声をダダ漏れにさせつつ、彼女はどうやって客人を驚かせるか策を練る。彼女がここに来るまでには考えなくちゃ。
あれやこれと悪戯を思い描いていた彼女だったが、ふと異変に気づく。何かがおかしい。
「何……この気配。ただの人間じゃない……!」
息を潜め、気付かれないように異様なオーラの元へ向かう。
こっそりとオーラの近くへ向かい、物陰から様子を窺う。中心にいたのは一人の少女だった。いや、少女というには大人になりすぎているし、女性というには幼すぎる。微妙な年頃だ。
そして、そこに連なる大量のカゲボウズ。この森に住んでいる奴らなのは間違いがない。見覚えのある顔ばかりだ。しかし、いつもとは明らかに違う。
「ウラミ、ネタミ、イッパイ、イッパイ。オイシイ、オイシイヨ」
「ちょっとこれ……。どういうことよ」
あまりの状況にムウマの口からは驚きの言葉しか出てこない。
ご近所住まいのカゲボウズ達が、みんな正気ではない。完全に個々の意思を失っている。ただただ、負のオーラにただ引き寄せられているだけで、それ以上でも以下でもない。
そしてオーラの中心にいる人間。彼女がオーラの元だ。間違いない。しかし、負のオーラが一人の人間から発せられるものとしてはあまりにも膨大すぎる。でなければカゲボウズ達はこんなになってやしない。
「ねえ、ねえ、アンタたちどうしちゃったのよ!」
馴染みのカゲボウズ達に声をかける。へんじがない。ただのにんぎょうのようだ。
ムウマが驚きによる感情エネルギーを主食としているように、カゲボウズは負の感情エネルギーを主食としている。しかし、こんなのは初めてだ。負のエネルギーが強すぎて、それを取り込むはずのカゲボウズ達が精神を持っていかれるなんて。まるで麻薬だ。
「何かこれ……、ヤバいよ。ねえ、ねえってば! 目ェ覚ましてよ!」
へんじがない。ただのにんぎょうのようだ。
このままじゃ隣人たちがヤバい。とっさに感じとった彼女は、実力行使に出た。
「てええええええいっ! ばあっ!」
カゲボウズ達を『おどろかす』。とはいえ、いつも彼女があの手この手を尽くして感情エネルギーを得る際のそれとは異なる。相手をひるませる攻撃技だ。威力は小さいが、驚かされたことによるひるみ効果は大きい技だ。
そして、それだけで十分だった。ひるむことによって、カゲボウズ達は一瞬目を覚ます。しかし、再び引き戻されそうになるカゲボウズ達。彼らにムウマは声を投げつける。
「アンタたち、人間ごときに骨抜きにされちゃって! 何やってんのよ!」
引き戻されそうになるカゲボウズ達がムウマの声に反応し、その自我を保つ。
「……お、オイラ一体何やってたんだ」
「美味しそうな匂いがするから飛んでったら、偉い目に会ったぜ……」
自我を取り戻したカゲボウズ達が次々とつぶやく。その様子を見て安心するムウマ。
「オマエ、俺たちのこと助けてくれたのか? ありがとな」
ムウマに言葉を向けたのはリーダー格のカゲボウズ。急に礼を言われたことに動揺しながら、ムウマは彼に言葉を投げつける。
「別に助けたわけじゃないわよ。正気に戻ったんだったら帰んなさい。あいにく私は負のエネルギーには反応しないから、アンタたちよりはどうにかできるでしょ」
本当は安堵の気持ちがあるのに棘のある言葉が出てくるのは、褒められることに慣れておらず、とっさに素直になれない彼女の性質なのか。しかし、取り込まれた際に空腹を満たしてしまったせいなのかになっていたからなのか、カゲボウズ達は歯向かうことなく素直に住処へ戻って行った。
そして、彼女と彼女、一匹と一人がそこに残された。