5
「お気楽な大学生」でいるのは、もうやめよう。
あの日、ケイタの話を聞いて僕は本気でそう思った。ケイタのいう「バカなみんな」に含まれるなど願い下げだった。だから僕はこうして土曜日にも関わらず、定期戦前日にも関わらず、大学のパソコン室で一人「ドラッグ」について色々調べているのだ。
なんかすごく単純な人間だなと自分でも思う。けど、あの日は確かに心を動かされた。
覚醒剤って、色々呼び方があるんだな。「シャブ」とかは聞いたことがある。「アンパン」って、ホントかよ。
そして僕はこの日、知ってしまったんだ。
それは、百科事典サイトの「覚醒剤」の項目のうち「ポケモンによる発見方法」という一項を見たときだ。
「一般に、嗅覚の発達したポケモンは覚醒剤やその他の薬物をその嗅覚により敏感に察知し、訓練すれば、薬物の発見を、吠えるなどして人間に知らせるようにすることも可能とされている。そのようなポケモンの代表例としては、ガーディが挙げられ、警察犬としても最も多く使用されている種である」
しばらく動くことができなかった。
まさか。
携帯電話を取り出し、履歴で番号を呼び出して電話をかける。
三回のコールで相手が出た。
<もしもし、シュウ?>
「――カオリか?」
<うん――どうかしたの?>
僕の声の調子が伝わったのか、少し心配そうにカオリは尋ねた。
「や、その……」
カオリの声を聞くと、途端に問い詰める気が失せてしまった。待て待て。考えてみれば早とちりっていう可能性もある。
彼女がそんなはず――
<ねえ、どうしたの? 大丈夫?>
「あ、ああ。声。カオリの声、聞きたくなって」
カオリは電話の向こうでクスクスと笑った。
<シュウそんなこと言う人だっけ? 変なのーっ! やっぱり『変わってる』ね>
「そ、そんな笑うことないだろ? 悪いかよ? 用事もないのに掛けちゃ」
<ううん、嬉しい。すっごく>
ちょっとでもカオリを疑った自分を責めた。やっぱり、そんなはずない。
<あ、そういえばね! 明日バイトの休みとれたの! だから定期戦、見に行ってもいい?>
定期戦は明日、コトブキのスタジアムを貸し切って行われるのだが、観覧は自由である。
「ホント? あーでもおれ弱いからさ。負けるとこ見られるの若干恥ずかしいんだよな」
<でも――見に行きたいんだもん>
最近、彼女なりに味をしめたのか、少しわがままな口調でモノを言うようになった。言わずもがな、こういうのには僕は弱い。
「負けてうなだれるおれのこと見てガッカリしないならいいよ」
<どうかなー? あー、うそうそ! ガッカリなんてしないから! じゃあ見に行くね!>
僕は最後に時間を伝え、一緒に帰る約束をしてから、電話を切った。
そして、もう一度パソコンの画面を見つめた。
考えすぎだ。そうに違いない。
あの時はたまたまヒートが不機嫌で、カオリが香水でもカバンに入れていたんだ。きっとそうだ。
そう、有り得ないんだ。"彼女が薬に手を出している"だなんて。
あの子は「バカ」なんかじゃないんだから。
6
僕にとって「波乱の幕開け」だった。
定期戦個人トーナメント「二年生の部」第一回戦。僕はなんと勝ってしまったのだ。
相手はコトブキ大二年のチャラチャラした男で、鼻にピアスまでしていた。彼の手持ちはグライガー。
ミオジムで飛行タイプ相手に試合をしたこともあって、相手がスピードで上回っていても焦らずに対処できた。ヒートは相手が疲れたところを見て、ここぞというタイミングで火炎放射をヒットさせたのだ。
相性や運に助けられたわけでもない、公式戦初めての勝利。応援席をふと見やると、カオリがマリルを抱いて、手を振ってくれた。
逆に第二回戦は、相手のカメールにものの数秒で負けてしまった。これはしょうがないよね? うん。
二年生の個人トーナメントを制したのはやはりケイタだった。しかも決勝戦でさえかなり余裕を持っての勝利だった。とんでもないやつが親友だったんだな。
「そう言えば、シロナさん来てないですね?」
ふと思い出し、僕はマキノ先輩に訊いた。
「理由は知らないけど、遅れて到着するみたいよ。忙しい人だからしょうがないんじゃない?」
ちょうど目玉であるチーム戦が始まろうというとき、シロナはやっと会場に姿を現した。
僕の目には――あんまり大きな声で言うと女子たちに殴られそうだが――仕事で遅れたというより、たった今起きたような身なりだった。ほら、寝癖。
それでも、確かにオーラがあった。
シロナが座った席の近くにいた女の子たちの中には、興奮しすぎて泣きそうになっている子までいた。日本人に金髪って似合わないと思っていたが、取り消す。この人だけは似合っていると思った。寝癖ついてるけど。
「ただいまより、定期戦第二部、コトブキ大学対ミオ大学のチーム戦を開始いたします」
アナウンスを聞きながら、僕はカオリのいる応援席に向かった。回復の終わったヒートと一緒に階段を上がる。
「お疲れ様。カッコ良かったよ、すっごく」
「サンキュ。二回戦目は運が無かったな」
僕はカオリの隣りに座った。ヒートの様子を見ていたが、大人しく僕の隣りの席におさまったので少しほっとした。前の方の席にシロナの金髪が目立っていた。
「なお、チーム戦の開始に先立ちまして、ただいまお越しいただきました、シンオウ地方チャンピオン、シロナ様より、選手の皆さまへメッセージを頂きたいと思います」
会場に拍手が沸き起こった。
シロナは関係者からマイクを渡されると、開口一番「寝坊しました! すみません!」と頭を下げた。
多少なりとも緊迫していた会場は、一瞬にして笑いこけた。
「昨日遅くまで麻雀してまして、負けまくって飲みまくって、もう散々! ああ、ええと、選手の皆さんへのメッセージですよね……。とにかく、ポケモンバトルは簡単です。「かん」とか「りーち」とかわけ分からないルールは全くありませんから。勝敗を分けるのは、最終的には気持ちです。あなたの本気がポケモンに伝われば、ポケモンも本気であなたのために戦います。皆さんの本気、ここで見させてもらいますね。あとはそうですね、逆に張りきりすぎて、ポケモンたちにあまり怪我させないように、ほどほどに」
会場は再び拍手に包まれた。さすがチャンプ、良いことを言う。それよりこの人、カンもリーチも分からないのか――
なにはともあれ、チーム戦の開始だ。シングルバトルが四戦と、ダブルバトルが一戦。マキノ女帝を始め、先輩たちの中でも特に実力のある人たちが出場するので、かなり見モノである。
対戦カードも、勝敗を分けるひとつのポイントである。
相手の主力メンバーが前半にくるか、後半に来るかを見極めて、こちらは前半に主力を当てて、一気に攻め込むのか、後半に主力を回し、長期戦に備えるのか。裁量ひとつで結果を左右しかねない。
選手層の厚いミオ大は、後半に四年生を回した。三年生の先輩二人が、一、二回戦に出てきて、マキノ先輩や他の四年生組はベンチに座っている。
「奥のフィールドの背の高い人が、三年で一番強いコウタロウ先輩で、手前のボブカットで背のちっちゃい女の先輩がマイ先輩。特にマイ先輩の試合は面白いからよく見ておくと良いよ」
僕はバトルには疎いカオリに時々解説することにした。
試合スタートの合図が鳴り響き、会場は喝采と叫び声に包まれた。
コウタロウ先輩はいつもお馴染のキュウコン、対するコトブキ大の女の子はキングラーだ。
「あ、あれまずくない? キュウコンじゃタイプが――」カオリが少し身を乗り出した。
「いいや、気を付けるのはキングラ―の方だ」そう言ったのは、後ろの席にたった今座ったケイタだった。「や。お二人さん」
そう、コウタロウ先輩のキュウコンはこういう場合、決して真っ向から勝負しようとしない。悪い言い方をすると「姑息な手段」で相手を弱らせていくのがあの人のキュウコンだ。
一方で手前の試合では、マイ先輩のトゲチックと相手のトロピウスが対峙していた。
先に動いたのはトロピウスだ。背中の大きな葉の面積をさらに大きく広げている。葉脈が、いつしか眩い光を放ち始めた。
「いきなりの大技だ。受け切れるかな」と僕。
トロピウスが大きく振りかぶると、その口から巨大な光の束が発射された。
ソーラービームがトゲチック目がけ飛んでいく。
「光の壁だ」ケイタが呟いた。
ソーラービームがまともにヒットし、大ダメージは避けられないと思ったが、巻き上がった埃が晴れると、トゲチックの前にはひび割れた透明な壁が現れていた。
ミオ大の応援席側から歓声が上がる。
「すごい……」とカオリはため息を漏らした。マリルをきゅっと抱きしめる。
「ほら、よそ見してたらもうキュウコンが勝ちそうだ」ケイタが奥のフィールドを指差した。
コウタロウ先輩のキュウコンが相手のキングラ―を完全に制していた。キングラ―はまるで酔っ払いのように、左右だけでなく前後にもフラフラしているし、ところどころ火傷のあともあった。
「素早さで勝るキュウコンが、相手の技を見きりつつ、怪しい光のあと、鬼火。そんなとこだ」
「えげつね……」ほどなくして自分のハサミさえ支えられなくなったキングラ―を見て、僕はもらした。
コウタロウ先輩の勝利が決まり、再びミオ大の応援席がドッと沸いた。
「あ、ほら! マイ先輩のトゲチック見て」僕は指をさした。
トゲチックが両手の人差し指を左右に振っている。まるで何かを占っているかのように。
「あれ、何してるの?」と、カオリが不思議そうに尋ねた。
「見てれば分かるよ。さて、何が出るかな」
マイ先輩の戦い方――それはとことん「運勝負」なのだ。
トゲチックの人差し指が止まって、まっすぐ上を向いた。来る――
トゲチックの身体が内側から赤くなり始めた。まるでストーブの奥に灯る炎のように。熱を帯び始めているのだ。
次の瞬間、トゲチックから同心円状に爆風が巻き起こった。応援席までむせかえるような熱風が吹いた。
「ごほっ、ごほっ――運が無かった。よりによって自爆とは……」
僕はむせながら言った。隣りでヒートが顔をぶるぶると振っている。
「え? じゃああの子死んじゃうの?」自爆と聞いて、カオリはびっくりしているようだった。
「大丈夫だよ。自爆って言っても、要は自分の熱エネルギーを放出するだけなんだ。それに『指を振る』は自分の保持するエネルギー以上のことは出来ないようになってる。例えばマルマインなんかが自爆したら、こんなもんじゃないよ」
マイ先輩は、煤がついてぐったりしているトゲチックに駆け寄り、なにか語りかけた後、ボールに戻した。
彼女は立ちあがると、袖で涙をぬぐった。
「マイ先輩は、いつもは凄い強運の持ち主なんだ」ケイタは暗い声を出した。「一時期、七割くらいの確率で相手の弱点の技が出てた。そんな戦法をとるのは普通は無理、かなりの『異端児』だよ――でも、偶然とはいえ、責任感じちゃうだろうな。先輩」
今度はコトブキ大側の応援席が湧き立った。これで一対一。勝負はまだまだ分からない。