【一部過激な描写が含まれます】
人間の生き死にについて
人間の命はみな平等であるらしい。
人類みな兄弟であるらしい。
多くの人間が手を取り合って、協力することにより、より良い世界が作られ、それがひいては自分自身の利益につながると。
嘘だと思う。
紫の猫が人を殺す。
光のない夜の下、警官から奪った拳銃を中空に浮かべる。
ライバルに照準を合わせ、銃弾を発射する。
彼女を遮る壁はない。
彼女が見れない場所はない。
彼女は、超能力をもってして狙いを定め、打ち損じることは、絶対にない。
僕らは限られたパイを奪い合う。
パイを手に入れるために殺しあう。
◇
彼女がメスであることはうすうす気が付いていた。
ゲームのルールがテレビによって広まることによって、その確証が得られた。
男にはメスのポケモンが、女にはオスのポケモンがペアとなるのだという。
コイルなどの雌雄のないポケモンに関してはランダムになるらしいが、少なくとも僕のペアになっているエーフィがメスであることは間違いがない。
「広報」と、皆はそのニュースのことを呼んでいた。
「広報」は不定期に情報をテレビに流す。すべての番組が一斉に切り替わり、真っ黒な画面が表示される。そして、男のものとも女のものともつかない”声”が流されるのだ。
敗者は死者。生き残れば勝ち。
生き残れるのは3人だけ。
それ以上の人数がリミットまで残っていれば、皆が死ぬ。
リミットまであと2か月を切った。
誰が、なぜこのゲームを始めたのか。
このゲームから抜け出す方法はないのか。
このゲームの裏をかく方法がないのかと、ゲームのプレイヤーも、傍観者たちも情報を集め、ネットの匿名掲示板で議論した。裏技を使って優勝する方法、ゲームから脱退する方法、ゲームに途中参加する方法、プレイヤーと傍観者を入れ替える方法。けれども、僕が知る限り、正しい裏技が見つかったためしはない。
そこで僕は、正攻法で行くことにした。
そう、僕以外のすべてのプレイヤーと戦って勝つのだ。
ゲーム開始直後、イベルタルから命からがら逃げ切った時には、ゲームのルールさえ知らなかった。
黒い鳥から逃げ切り、黒服の男の説明を聞いたときは、勝てる気が全く起こらなかった。
エーフィは決して弱くない。けれども、エーフィよりも強いポケモンはたくさんいる。エーフィより特攻が強いポケモン。エーフィよりも早いポケモン。HPが大きく、防御も特防も高いポケモン。ガブリアスなど、現環境中トップメタと呼ばれる、最強に近いポケモンたちがいる。
そんなポケモンに勝てるはずがない。
そんな発想は、ある日、ケーシィがメガボスゴドラとそのトレーナーを葬ったニュースを見たときに消え失せた。
ポケモンは決して死なない。トレーナーが死んだ場合のみ、ポケモンも消える。
なので、殺しのターゲットは、人間。
このルールはポケモンバトルの常識を変えた。
どれだけパワーが強くとも、どれだけスピードが速くとも、どれだけ耐久力があろうとも、主人を守る能力が低いポケモンは弱いのだ。
強いポケモンとは、トレーナを守る能力が高く、そして相手のトレーナーを殺す能力が高いポケモンのことを指す。
そこに、パワー、スピードの要件は入らない。
僕はエーフィの索敵能力と、特性シンクロにすべてを賭けた。
エーフィはその体毛により空気の流れを読み取り、周囲の状況を察知する。さらにサイコウェーブをアクティブソナーのように使う技術も身に着けた。そうやって索敵した情報を僕の脳内に「シンクロ」を使って直接浮かび上がらせる。
これだけじゃ足りない。僕は会社を辞め、このサバイバルゲームに特化した索敵能力をエーフィに身に着けさせることに、すべての時間を費やした。
僕の身を守るためには、敵となるポケモンがどこにいるのか調べなければいけない。だからポケモンが僕のそばに来た時には自動でアラートを出せるようにした。
ポケモンには、ポケモンからしか出ない特別な波長がある。それを常にキャッチできるようにしておけばいい。アラートは僕の脳内に直接上がるようにしておく。難しい話ではなかった。
守りの次は、攻め。ポケモンのトレーナーがどこにいるのかを調べる技術を磨くことにも余念はなかった。
さすがにトレーナーだけから出る波長は見当たらなかったので、僕はポケモンの動作に気を付けるようにした。
単純に言えば、ポケモンと人との距離がとても狭いうえに、その人が死ななかったのであるならば、そいつらはポケモンとトレーナーのペアだということだ。
この情報を得るために、僕は東京中を歩き回った。
エーフィの索敵能力は、大体半径100メートル。意識を索敵に集中すれば、200メートル近くまでカバーできる。とはいえ、東京は広い。それに、近づきすぎると、逆に僕の身が危ない。結局、僕が見つけることができたのは7ペアだけだった。そのうえで、7ペアのうちもっとも弱そうなミミロルのペアに絞って尾行し、色々な能力のテストをした。
わかったことは以下の通り
・ポケモンやトレーナーがどの色に所属しているのかはわからない
・けれども、戦った記録を残すことで、推測することはできる
・念力が届く範囲は、索敵が届く範囲とほぼ同等
・人間もポケモンも出している波長は特有のものであり、一度見た人間は記憶しておくことができる
・よって、一度見つけたポケモンとトレーナーのペアに関しては、2回目以降はポケモンの行動を見なくてもトレーナーだと判別することができる
・念力が届く時間は、距離に比例して遅くなる
・念力の威力は、距離の2乗に反比例して弱くなる
・よって、索敵範囲の外周にいる人間を念力だけで殺すことはできない
最初は念力のパワー不足に嘆くことも多かった。200メートル先ではスプーン一つを持ち上げるだけで精一杯だったからだ。索敵は空気の流れを読むだけだけれども、ものを動かしたり破壊するのにはもっと力が必要になるらしい。当初は200メートル先からトレーナーの首を絞めて絞殺しようと思っていたので、大きな方向転換を迫られた。
けれども、パワー不足すら、このゲームのルールでは問題にならないことに気付く。
僕は警察官から50メートル離れた喫茶店で紅茶を飲みながら、警官のホルスターに入っていた拳銃を念力で浮かばせた。それを看板の下に隠し、何食わぬ顔で拾いに行く。
僕は100メートル先からでも、3DSの画面を眼鏡ふきで丁寧にふきながら、人を殺すことができるようになった。
手始めにフーディンのトレーナーを殺した。
パワー、スピード。ともに負けていても、勝つことは簡単だった。
このゲームはポケモンバトルではないのだ。
このゲームは相手の人間を殺せばいいだけなんだから。
壁の向こうの相手の位置が手に取るようにわかるので、シューティングゲームよりもずっと簡単だった。
拳銃の位置は上下左右どこへでも動かすことができる。的の画像は大きくしたり小さくしたり自由自在。
殺せないはずがなかった。
僕とエーフィは、強かった。
「広報」で死者が告げられる。
真っ黒な画面に、脱落者の名前と殺した側のポケモンの名前が載せられる。開始1.5か月を切ってからサービスとして始まった機能らしい。ゲームマスターは、より早いゲームの進行を望んでいるのだろう。
そこに、僕が殺した人間の名前とポケモンの種類が載る。脱落者は、ポケモンだけでなく、人の名前も載るのだ。殺した側の人間の名前が載らないのは、身ばれするのを防ぐためだろう。
黒い画面に白い文字。高橋浩太と名前が挙がっていた。
すべての人間一人一人に名前がついていることがもはや想像できなくて、僕はそれに意味を見出すことができなかった。
僕はゲームをしているだけ。
RPGをこなすのといっしょ。ポケモンを攻略するのといっしょ。
ネットで攻略情報を集めて、丁寧に現状を探る。裏技は当てにせず、正攻法で最も勝ちやすい戦術を探す。
今までやってきたことと同じ。
僕はただ、ゲームをしているだけなのだから。
色にかんしても、ほとんど気にせず、殺せる相手はすぐに殺した。色を調べることによるリスクのほうが大きいと判断したからだ。
僕は、この世界がこの世界であるということの意味が、だんだんよくわからなくなってきた。
気づかないふりをした。
ずるいとも思わなかった。
◇
ゲーム開始から1月と3週間と2日がたった夜、広報が始まった。
夜の23時。僕はテレビの前に座って、画面を見つめる。
僕はこの日、誰も殺していない。エーフィを膝に乗せ、あくびをしている猫を寝かしつけながら広報を眺めていた。
新しいルールの公開もなく、すぐに脱落者の名簿一覧に移ったので、とりあえず脱落者の名前をメモしておいて、僕もすぐ寝ようと思った。
しかし、その日の脱落者の名簿は、異常だった。
カイオーガ・グラードン・アルセウス・ミュウツー・ルギア・ホウオウ・キュレム・そしてゼルネアス
「伝説が軒並み死んだ?」
僕の感情の高まりを察したのか、エーフィが身を起こす。
僕はすぐにパソコンに向かい、Googleでゲームの現状を調べる。
『カイオーガ 脱落』
検索結果はすぐに出てくる。ほとんどが先ほどの広報に反応しただけの書き込み、ツイッター、フェイスブック、2チャンネル。web2.0が騒然となった。
一つ一つすべてのサイトを目視している時間はない。僕はエーフィに指示をして、いつものやり方を使うことにした。
ノートパソコンに外部ディスプレイを2つつなげる。これで画面が3つ。それぞれの画面を2等分して、合計6つのサイトを同時に開く。そしてエーフィが念力を出して必要な情報をどんどん僕の頭に直接”注入”していく。目という情報入力装置が大幅に進化したのだ。並みの人間とは比較にならないほど、情報処理能力は高くなった。
しかし、有益な情報は手に入らない。
僕がいらいらしながらパソコンのタブを次々切り替えていくと、突然画面が波打った。
最初は、画面が明滅したのかと思った。ついてないと思った。新しい画面を、電気屋から念力でくすねる必要があるとも思った。
次の瞬間、波打った水面から、実態の伴う何かが現れた。
僕はとっさに顔を手で覆う。
そして、いびつな感覚に襲われた。
かばった腕をどかそうとしても動かない。
僕が当惑している間は、シンクロしているエーフィも当惑しており、何が起こったか判別することができないでいる。
僕は落ち着くために大きく深呼吸して、エーフィにリフレクターの指示をした。リフレクターといってもダメージ半減ではない。この世界では本当に相手の攻撃を、一定期間だけではあるがシャットアウトしてくれる。何が起こったかわからない以上、身を守るのが最善だと考えた。
そして、回転いすを回して後ろを振り向く。
そこにはポリゴンZがいた。ポリゴンの最後の生き残り。そして最も強いポリゴン。
その瞬間、僕は「広報」の意味を理解した。
あの広報は偽物で、ポリゴンがテレビ局のPCを遠隔操作して流したのだ。一部の地域だけに限定して放送していたのだろう。そして明らかに人間離れした動きをしているPCをその地域から特定し、ポリゴンを送り込んで、トレーナーを殺す。よくできた戦術だ。
しかし、最初の一回をしのぎ切った僕らが今は有利。ポケモンはトレーナーの指示がなければ動くことができない。あらかじめ指示をしておいたとしても、臨機応変な対応をするには無理がある。エーフィで返り討ちにすればいいと思った。
エーフィに指示をするために僕は左手を伸ばして、ポリゴンZを指さそうとした。
けれども、思うように指が動かなかった。
左腕全体がしびれたような感じがした。
僕は左腕をゆっくりおろす。
すると、ひじから先が、床に落ちた。
僕の体だったものが床に落ちると、ドサッと低い音がした。
痛みはなかった。感覚がなかった。何が起こっているのか理解ができなかった。ただ、腕から血が噴き出し、リフレクターの内側が赤く染まったことだけはわかった。
僕は死ぬのかと思った。
死んでもいいのかと思った。
リセットボタンがほしいと思った。
失敗したから、もう一回。強くてニューゲーム。
そういえば、僕はいつも大会で優勝できなかった。
僕のゲームの腕は悪くなく、店舗大会では勝つことが多かった。大規模大会でも上位まで上り詰めた。けれども、優勝したことはない。
仕事をしながら、勉強しながら、家事もしながら、無理なく無駄なくゲームをしてきた。そんな僕が、ゲームにすべてをささげたガチゲーマーに勝てるわけはなかったのかもしれない。
僕の思考は散乱する。シンクロしたエーフィも錯乱する。シンクロが最強だと思って、それに特化した報いが来たのだと思った。
エーフィが僕に近づいてきた。
そして血が噴き出す僕の左腕に近寄る。
「来るな!」
僕はエーフィに指示した。僕の汚れた血が、エーフィにかかって、彼女が汚れるのが嫌だったからだ。
エーフィのマグカップのことを思い出した。僕の大好きな、小さくてかわいらしいマグカップ。弱者を蹴落として手に入れたマグカップ。
僕は、僕のエーフィが汚れるのが嫌だった。
僕は、エーフィのことを思って、彼女を僕から離そうとした。
これは、僕のエゴだろうか。
エーフィがあくびをした。
あくび。これは相手に眠気を与えて、1ターン後に眠らせる技。それを、エーフィが僕にした。
ゲームが始まって、1月あと、ボスゴドラが死んだ。
その時に、僕がエーフィに指示したことだ。
僕が錯乱したときには、僕を落ち着かせるためにあくびをすること。
僕が生き残る確率を1パーセントでもあげること。
一度も優勝したことがない僕が、最後に勝てるように、最後まであきらめないようにすること。
僕がエーフィに指示した、内容を、彼女は忠実に守ったのだ。
エーフィは強い。このゲームにおいて、最強に近い能力を持っている。
もし負けたならば、それは僕の責任だろう。
エーフィは悪くない。
ならば、ここで僕が死ぬことは、エーフィに対して失礼なことなのではないかと思った。
だから、僕は、生きるために、もう少しあがいてもいいんじゃないかと思った。
たとえ他人を殺してでも、生きたいと願うことは、悪いことではないのだと思った。
僕は、すべての思考を「生き残る」ことに使うと決めた。
僕の混乱は収まり、エーフィの錯乱も治った。
僕とエーフィの知識と感情、そしてエーフィから送られてくる膨大な情報を僕ら二人で処理をする。
答えは見つかった。
「エーフィ、ねがいごと」
願い事は、自己再生と違って、回復にタイムラグがある。しかし、ポケモンを入れ替えることによって、回復対象をずらすことができる。僕の肩の上で願い事をしたエーフィは軽やかに床に降り立った。あとは、時が来るまで待てば、僕の腕は回復するはずだ。
突然PCが明滅を始めた。
そして、次々とポリゴンZが現れた。
ポリゴンは本来データの集まり。理解はしがたいが、データをコピーすることでポリゴンそのものを複製する方法を見つけたのかもしれない。やり方はわからないが、全員を相手にしていると、力負けすることはわかる。僕は次の手を打った。
「エーフィ、テレポート!」
エーフィの姿が消える。そして、すぐに僕の前に戻ってきた。
そして、念力で窓の壁をたたき割り、僕は2回から飛び降りた。
エーフィの念力のサポートがあったとはいえ、左腕がちぎれた状態で降りた時の衝撃は大きかった。痛みが現れ始めたが、それはエーフィに無理やり、痛いという情報を消してもらった。
そして、夜の路地を走り出す。
僕を追いかけようとしたポリゴンZたちを、エーフィが抑えた。
エーフィは確実に負けるだろう。けれども、ゲームのルール上、ポケモンは決して死なない。
僕さえ生き残れば、エーフィは消えないのだ。
僕は、エーフィのためを思って、エーフィを見殺しにする。
僕は、エーフィのことを思って、自分の身を守り、自分が生き残ることを最優先する。
僕は、狂っているのかもしれない。
僕は、狂っていたかった。
狂っていさえすれば、僕が生き残る確率は上がり、エーフィは消えないのだから。
街路灯に照らされた道を、血を流しながら必死で走る。途中から走るとは言えない速度になっていった。
エーフィにより作られた周囲の地図は、当然僕の脳内に浮かび上がらない。
目がかすんできた。
100メートルどころか、10メートル先に敵のポケモンがいても、これでは気づくことができない。
僕は無防備だった。
僕が考えてきた戦術はすべて、二人でペアだった時にうまくいくものだった。片方でも欠けてしまえば、僕らの長所はすべて無に帰す。
僕は怖かった。
自分の腕から吹き出す血が恐ろしいのかもしれなかった
たくさん人を殺したのが怖いのかもしれなかった。
索敵をしないで夜の路地を歩くのが怖いのかもしれなかった。
それでも僕は歩いた。
最後には、足を引きずりながら、這うようにして進んだ。
血が足りなかった。
街灯の下で、僕は倒れた。
意識は残っていた。
だから、僕に向けられた声を聞くことができた。
「無様だね」
倒れたまま顔だけあげると、眼鏡をかけた細身の男が立っていた。顔つきは若そうにも見えたが、目にくっきりと隈が浮き出ている。
そばにはポリゴンZが1匹浮いていた。
「うちのダミーたちが足止めされたって聞いたから、わざわざ僕本人が出向いたっていうのに、相手がこんなんじゃね」
僕は反論する気力もなく、ただぼんやりと男の話を聞いていた。
「エーフィ。ゲーム開始初日に姿を見た人はいたんだけど、それ以降さっぱりでね。とはいえ死んだら広報に名前が上がるし、どうしたんだろうって仲間内でも思っていたんだよ」
「仲間?」
生き残るためには、周りのトレーナーすべてを殺さなくてはならないはずだ。なぜ仲間が。
「そりゃあ、仲間がいるに決まっているさ。仲間がいない一匹狼は、どれだけスキルが高くても、もろい。違う色同士なら戦う必要がないだろ。それに、プレイヤー以外にも、このゲームに興味を持っている人は大勢いるんだ。このゲームの異質性に気が付いた人たちは大概、このゲームに直接的なり間接的に影響を与えたくなるもんだよ。まぁ、友達のいない君にはわからないと思うけど?」
そういって、男は笑った。
「いやぁ、エーフィって姿は見せないくせに、広報見ているとしょっちゅう殺した側に出てくるじゃない? あれみててさー、君すごいなって。たった一人で黙々と人を殺し続けたの? 誰にも助けを求めず、誰とも協力せず、誰にも自慢せず、機械みたいに黙々と人を殺し続けるってどんな感じ?」
僕は答えない。
「返事なしかー。じゃあさ、聞きたいんだけどさ、君って、毎日を楽しいと思ってる? ほかの人を殺して手に入れたこの人生に、価値があると思ってる?」
「思っていませんよ」
僕が答える。
男は大きな声を上げて笑い出した。
「え? 楽しくないの? じゃあ、なんで人なんか殺すのさ。殺してまで生きていたいと思うのさ。つくづく思うよ。君は愚かだったって。そして、愚かな君は、今から死ぬんだ」
「愚かなのは、あなたのほうですよ」
僕が言うと同時に、ポリゴンZがシグナルビームを僕に向けて発射した。
その光線は、テレポートして戻ってきたエーフィの光の壁により防がれる。
「おや、まだ生きてたんだね、その猫。ま、君同様、体力はもう残っていないだろうけど」
僕は大きくため息をつく。
そして、回復した左手を使って立ち上がる。男は少しひるんだように、一歩後ろに下がった。
「愚かなのはあなたでしょう。あなたはこのゲームの勝ち方を理解していない。PCの画面から僕の行動を見ていなかったのですか」
エーフィは2回願い事を打った。一つは部屋の中で、そしてもう一つはこの街灯の下で。僕はエーフィが願い事をした場所までたどり着いた。あとはじっとしていれば願い事がかなって僕の腕は回復する。
「エーフィの体力も、満タンですよ」
部屋の中のエーフィには、回復することと、光の壁とリフレクターを打つこと、そして願い事が成就した後に僕の下にテレポートで飛んでくることだけを指示していた。
ゲームと違って、光の壁やリフレクターは、相手の攻撃をすべて防ぐことができる。防御にすべてを傾ければ、瓦割などの特殊技が来ない限り、体力を温存することは簡単だった。そして、願い事がかなうことにより、エーフィ自身も回復する。男は明らかに動揺した。
「君さ、本当にこのゲームにかけてるよな。でもさ、このゲームに勝ったって、なにもいいことないんだぜ。なぜならば、まぁ情報ソースの少ない君は知らないだろうけど、この世界は……」
「この世界は、実はゲームだから? 僕たちの世界が作り物の虚構だから? 僕たちの生死に価値がないから? 僕たちの人生に意味がないから? それがいったいなんだっていうんです? そんなこと興味ない。そんなこと関係ない! エーフィ!」
「おいおい、まてよ。でも、猫ちゃんとの直接対決になったって、特攻で見たらポリゴンZのほうが上だから……」
僕はエーフィに指示をして、木の枝を持ち上げる。そして、男に向けて発射した。
木の枝が男の胸に突き刺さった。
男はポリゴンZにシグナルビームを指示するが、光の壁でふさぐ。造作もないことだった。肺を貫いたので、すぐに言葉も出なくなる。
3分と掛からなかった。男は死に、ポリゴンZは消える。僕の腕は元通りで、エーフィにはかすり傷ひとつなく、美しい毛並みが血で汚れることもなかった。
「有利な時にべらべらしゃべる人って、大概負けますよね」
僕は死体に向かって皮肉を言ってから、家に戻った。
そして、財布や最小限の着替えをかばんに詰めて、家を出た。
場所がばれた以上、ここにいるのは危険だった。生き残るためには、ここから移動しなくてはならないと思った。
なぜ生きるのか? その答えはわかっていた。
まだ死んでいないから。
生きるに勝る死ぬべき理由が見当たらないから。
生きるか死ぬかの2択が与えられたならば、多くの人は生きることを選ぶ。そこに理由をつけるとしたら「今まで生きてきたから」というものしか、僕には思いつかなかった。
僕は、僕の人生に価値があるとは思わない。
それでも、僕は生き続ける。
たとえ、他人を殺してでも。
◇
僕がその計画について知ったのは、家を捨ててから3日後で、その2日後には計画の実行メンバーを2人殺した。
義務的に、事務的に、2人殺してから、雑居ビルを立ち去った。
家を捨てたけれども、実家には感づかれることがなかった。人を殺した後で、関西にある実家から電話がかかってきて、僕はその電話に出た。仕事が順調だと嘘をつくことは難しくなかったし、人を殺したことを黙っていることにもなんらの罪悪感はなかった。東京都の外側では、まるで時間が止まったように、ポケモンによるサバイバルゲームの話はでてこなかった。まるで、実家が外界から切り離されたようにも見えたけれども、その逆に、東京都という町だけが、時計の針を進めているようにも思えた。
僕は計画について、もう少し知る必要があると思った。
その計画は明らかに支離滅裂で、希望的観測だけで舵を切ったように見えたけれども、対象としているポケモンだけは悪くないと思った。
マナフィ。
一度も人を殺さず、そしてまだ死んでいない幻のポケモン。
伝説のポケモンが広報に乗ったことは、ポリゴンZによる偽情報を除けば一度もない。
彼ら伝説の挙動については、最後の色「無色」が殺したのだという意見や、そもそも伝説はこのゲームに参加していないという主張など様々飛び交っていたが、僕は両方とも間違っていると思っている。
それはともかく、僕は計画をとん挫させ、マナフィを奪うために、計画の首謀のNo2にあたる中年の男とバシャーモをつけていた。
戦闘が始まったのは夜も更けてから。
バシャーモを追っていたのは僕だけではなかったようだった。デンチュラをペアにした派手な服を着た女性がまずは戦闘を開始した。バシャーモはメガバシャーモにメガシンカして応戦した。
タイプ相性的には、炎と虫であるため、デンチュラが負けるのは時間の問題だと思った。なぜこの女性がバシャーモに戦いを挑んだのか、それが不思議だった。
僕は当初、傍観するだけで、バトルが終わった後の弱ったポケモンを相手にするつもりだったけれども、女性のトレーナーに位置がばれた。
これは相当に驚くべきことだった。なぜならば、その女性はポケモンを使って索敵した素振りが全くなかったからだ。それでも、電流を浴びせられた。僕は光の壁で守ってから、しぶしぶ戦闘に参加する。
場所は狭い路地裏。地理的にはデンチュラ有利。しかし、エスパーは、すべての地理的条件を無視して攻撃ができる。命中率の心配も、エーフィに限っては皆無だった。
僕は屋根の上から、路地の別の道から、サイコキネシスをメガバシャーモに与える。足を集中的に攻撃し、特性かそくを鈍らせる。そして、隠れているトレーナーを索敵し、シャドーボールを放った。
脳内の地図上でシャドーボールを動かしていると、トレーナーの命の危険を察して、メガバシャーモが戦線から離脱した。予定通り。僕の今回の目的は相手を殺すことじゃない。彼らの計画を横取りすることだ。
次はデンチュラに狙いを定めた。こちらは果敢にも、トレーナーが姿をさらしている。バシャーモと同じようにシャドーボールを何発か飛ばして、逃げるのを待った。
相手のトレーナーの行動は、僕の想像とは大きく異なった。
「デンチュラァ! 突っ込めぇ!」
かなり強気なお姉さんのようだが、エスパーはサバイバルゲームにおいて非常に強いタイプだ。十分に対応できると思った。
警官から奪った拳銃を僕の前に浮かべて、僕とエーフィはデンチュラに向かって走り出す。
「か・み・な・り!」
デンチュラのトレーナーが指示を出す。僕は上方向に光の壁を放つ。
それを狙っていたようにデンチュラがまっすぐ突っ込んでくる。いい作戦だ。これなら前には壁を張れない。
僕はエーフィだけをデンチュラに向かわせる。そしてデンチュラに張り付かせ、サイコキネシスで中空に持ち上げる。
デンチュラは全身から電撃を放って反撃した。本来ならば、先にエーフィが競り負け、ポケモンバトルとしては僕らの負けになる。
けれども、僕には光の壁と宙に浮かぶ拳銃があった。
光の壁をトレーナーめがけて射出する。そして相手を壁に貼り付けにさせ、念力で加速しながら走り、一気に距離を詰める。
相手の目の前に来た。
拳銃は僕の前にある。
力はいらない。超能力による千里眼が狙いを定めるのだから、外すことはない。光の壁で相手を押さえつけているので、反撃されることもない。
ただ一言「撃て」といえば、僕の勝ちだった。
撃てと、指示しようと思った。
言葉にしなくても、頭で思い浮かべるだけでシンクロして、銃弾が発射されるはずだった。
けれども、僕は、それができなかった。
目の前にいる女性が、あまりにもきれいだったから。
僕と目の前にいる女性との顔の距離は30cm程度。その間に拳銃が挟まっている。
美人というわけではないと思った。美しいと呼ぶにはあまりにもとがっていて主張が強そうに見える。目つきはひるむほど鋭かった。
背後で、鈍い音がした。デンチュラとエーフィが落下したらしい。
このままでは、デンチュラが僕のほうに向かってくる。
その前に、彼女を殺さなくてはならない。
僕は自分の手で引き金を引こうとした。視界が滲んだ。涙を流していることに気が付く前に、視界が一瞬白くなった。そして真っ黒になった。
僕の意識は電流により引き裂かれ、深い闇に沈んでいった。
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