夕海 下
セッカはピカチュウと共にポケモンセンターを飛び出すと、立ち止まった。
「どこ行こう、ピカさん」
「ぴかぁ?」
早めに何とかした方がいいと聞き、とりあえず飛び出したはいいが、セッカには考えがなかった。
「ユアマジェスティちゃんに捜してもらう? アギトに捜させる? えー……うわー……飛行タイプ欲しいわー……」
セッカの手持ちのフラージェスは浮遊することで空から人を捜すことは可能だが、素早さが高くないために機動的な動きはできない。ガブリアスは存在そのものがほぼ凶器であるため、セッカとしてはできるだけ人気のない場所でしか出したくなかった。
仕方がないので、セッカは頭をひねった。
「うーんと、セーラは用事があるってポケセン出てっちゃったんだよな……。その前は、自転車でショウヨウシティをぐるぐる回ってた……。自転車はデストラップちゃんが黒焦げにして……ポケセン前に置いてて……セーラがどっか持ってっちゃった」
あの黒焦げの自転車はまだ乗ることができたのだろうか、などとセッカは考えた。
「セーラは何か持ってたっけ? 自転車の籠とか……籠なんてなかったよな……ミニスカートで……どこへ行ったんだ?」
「ぴか、ぴかぴぃか」
「ああそうか、デストラップちゃんの電撃のせいであのミニスカも結構焼きが回った? っていうかボロボロになってたんだっけ。あんな格好で歩き回らないか。自転車で家に帰ったのかな?」
「……ぴかっ?」
「お、どうしたピカさん」
セッカの肩の上でピカチュウが何かに気付き、激しく鳴きたてる。セッカはふらふらと通りに出た。
「ほぎゃあっ!」
セッカは、右から来た自転車にはね飛ばされた。
ピカチュウはまたも宙でうまく体勢を整え、地面に降り立った。そして相棒を振り返った。
「ぴかちゃあ――っ!」
「生きてる、生きてるぜ相棒……畜生……セーラめ……許さねぇ」
セッカはふらふらと立ち上がった。
その時だった。セッカをはね飛ばした黒焦げの自転車が大破し、それに乗っていたジャージ姿のセーラも、道路に吹っ飛んだ。
「セーラ――ッ!」
セッカの叫びは驚愕ではなく、憤怒の雄たけびである。セッカは全身の痛みを引きずりつつ、のしのしとセーラの前に立ちはだかった。
「畜生二度までも! せっかく謝ってやろうと思ったのに! もう許さねぇ! ピカさんの神の裁きをお見舞いしてやる!」
「う……」
「どーだ恐れおののいたか!」
「……あんた……が……ふらふら……と……道路に出るからでしょうがッ!」
セーラもよろめきつつ立ち上がり、そして勢いよくセッカに詰め寄った。
「もう何よまたあんたなの! いつもいつも何なのよ! やっぱあんたが犯人じゃない!」
「は?」
セッカは呆けた。『やはり犯人だ』と決めつけられても困る。
「痴漢は冤罪だぞ!」
「じゃあ何よ、あたしが脱いださっきのミニスカート奪ってったのは何なのよ!」
「知るかよ! 脱ぎたてのボロボロのミニスカート奪うって、変態じゃねぇか!」
「あんたが変態じゃないの!」
「俺は違う!」
「この変態マッギョ野郎!」
「あってめぇは俺を怒らせた死んで償え全世界のマッギョに謝れひれ伏せピカさん雷!」
「待て待て待て待て!」
セッカとセーラの間に割って入ったのは、ポケモンセンターから出てきたロフェッカである。
「おい……何が起きた!」
完全に混乱しているロフェッカがジャージ姿のセーラに大声で尋ねると、ロフェッカやセッカには想定外の事態が発生した。
セーラが泣き出したのである。
セッカはひどく混乱した。
「あ……あーおっさんが泣かしたー! いっけないんだいっけないんだー!」
「うおおおおすまん! すみませんでした! ……セーラさん、とりあえずポケモンセンターに……何があったか教えてくれ……!」
しかしセーラはしゃくりあげ続け、そのぽっちゃり体型の体を丸めて道路脇に座り込んだ。嗚咽が止まない。
セッカもロフェッカも困り果ててしまった。泣いている少女をどう扱ったらいいものかわからず、立ちすくむ。
そこで動いたのは、セッカの相棒だった。
「ぴぃか」
「……え……?」
本来のワイルドで血の気の多い性格をひた隠し、セッカの最高の相棒は世界一キュートなアイドルを装った。とめどない涙で頬を濡らす少女にてちてちと歩み寄り、愛くるしいつぶらな瞳で誘惑する。人畜無害な電気ネズミは、すりすりと無邪気に少女に頬ずりをした。
「……あ……りがと……」
セーラも少しは落ち着いたのか、セッカのピカチュウに震える指でそっと触れる。
セッカは吹き出したいのを必死に堪えながら、相棒の奮闘を見守った。
つい先ほど自宅でジャージに着替えてきたらしいセーラは、やがて震えながら小さな声を絞り出した。
「……家で……着替えたら……窓から、ポケモンが」
「ぴぃか? ぴかぴぃか!」
今のピカチュウは、か弱き乙女に寄り添う妖精である。少女に同情を寄せ、少女の笑顔を取り戻そうと一生懸命に愛らしい声で励ます。セッカは面白さのあまり肩を震わせた。
セーラは顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、愛らしいピカチュウに打ち明けた。
「……そのポケモンが、あたしのミニスカート、とって、逃げてったの……」
「よっしゃよくやったピカさん!」
セッカが叫ぶ。セーラがびくりと肩を震わせ、セッカを見上げた。
ピカチュウは未だに、無垢なる守護天使の役から抜け切れていなかった。
セッカはふっと笑った。
「……わかった。ピカさん、セーラを頼む」
「おい、何かっこつけてんだ、お前?」
そこにロフェッカのツッコミが入る。
しかしそれにはセッカは首を傾げて応えた。
「つまり、セーラが血相変えて走ってた方角に、その泥棒がいるんだろ? とりあえず捕まえてくるし」
そしてセッカは腰からボールを一つ外し、それを両手で丁寧に包み込みつつ、中のポケモンを解放した。
「アギト」
光に包まれて現れたガブリアスが、黄金の瞳でセッカを見つめ返す。
セッカはガブリアスの肩に乗った。
セッカはこのガブリアスドライブのための特製の鞍を所持している。ガブリアスの表皮は鮫肌になっているため、普通に肩車をしてもらうと股が血だらけになる。そのため、襟巻の風体をした鞍をガブリアスにつけ、その上で肩に乗るのだ。
「ポケモンを追って。東だ。ミニスカートを持ってる。デストラップちゃんが焦がした匂い。分かるな」
「ぐるる」
「おっけ、頼むぞ」
ガブリアスは早々に匂いを捉えたと見えて、セッカを肩に乗せて走り出した。その一歩一歩は次第に大きな跳躍となり、あっという間にポケモンセンターもロフェッカもセーラも見えなくなった。
ガブリアスは通りの人々を飛び越え、ショウヨウシティの東を目指す。
そこは岸壁が立ちはだかっており、しかしそれすらもガブリアスは軽く飛び越えていく。迷うことなく崖の上を目指している。
暫く右に左に動いていたが、やがてガブリアスは一つの岩棚にぶら下がった。
「……地つなぎの洞穴?」
「ぐるるるるる……」
ガブリアスは低く唸っていたが、鼻を鳴らすような声でセッカに合図をすると、その岩棚から跳躍した。
ガブリアスが離れた箇所に、何かが撃ち込まれる。
次の瞬間、打ち込まれたそれは発芽し、崖に根を張り出した。
「……宿り木の種?」
岸壁に雨あられと降り注ぐ宿り木の種に、ガブリアスの肩の上のセッカはちらりと背後を振り返る。
そこには切り株ポケモンのボクレーが浮遊していた。
その小さな手に、焦げたミニスカートを持っている。
再びガブリアスが岩壁に体を固定したところで、セッカは冷静に指示を飛ばす。
「アギト、ボクレーにストーンエッジ!」
同時にセッカはフラージェスを呼び出した。
ガブリアスの撃った岩がボクレーを直撃する。一撃で瀕死にした。
「ユアマジェスティちゃん、サイコキネシスでこのボクレーを地つなぎの洞穴へ。ついでにミニスカートも……って、何だよその目は! 持ち主に返すだけだよ!」
オレンジ色の花のフラージェスが、落下するボクレーと焦げたスカートをその力で受け止め、洞穴へと連れて行く。ガブリアスに合図をすると、セッカも地つなぎの洞穴に入った。
洞穴の中は照明が取り付けてあったが、それでも薄暗く、ズバットの飛び交う微かな羽音が満ちている。
セッカを肩に乗せたガブリアスに、瀕死のボクレーと焦げたミニスカートを念力で浮かせたフラージェスがついていく。
ボクレーには電撃で焦げた衣類を集めるというような習性はない。そもそも、この地域にボクレーは生息しないはずだ。とすると、このボクレーにトレーナーがいる可能性は高い。
ミニスカートを盗んだ変態はボクレーではない。ボクレーに盗ませたトレーナーだ。
ガブリアスが迷いのない足取りで洞穴の奥へ進み、そして、とある岩陰にその鉤爪を突きつけた。ひっ、と小さく息を呑む音が聞こえた。
「あんたが、ボクレーのトレーナー?」
セッカがガブリアスの肩の上から問う。しかしその男は岩陰から出てこようとしない。
ガブリアスが、ざり、と岩壁を引っ掻いた。男は陰から滑り出てきた。
痩せぎすの男だった。セッカは生まれて初めて遭遇した、使用済み少女服収集癖を持つ人種をまじまじと観察する。
後ろめたいことをしている自覚はあるのか、男は呼吸が荒く、どこかそわそわと落ち着かなさげにしている。しかしガブリアスの黄金の瞳とフラージェスの黒水晶の瞳に凝視されては下手な手も打てないらしい。
「……とりあえず、ボクレーをボールに戻してくんない?」
セッカの要求は受け入れられ、男は瀕死のボクレーをおとなしく自身のボールに収めた。
「じゃあ、ユアマジェスティちゃん、ちょっと重いだろうけどサイコキネシスでポケセンまで、この方をお連れして」
項垂れている男を尻目に、セッカはガブリアスに引き上げを命じた。
すでに夕刻となっていた。
日が海の向こうに沈みかけ、空と海が緋色に染まる。
ショウヨウシティのポケモンセンターの前には警察官が二人ほど来ており、ガブリアスの肩の上のセッカは彼らの注目を集めてびくりと身を縮めた。ミアレシティの事件以来、不必要なまでに警察の前で挙動不審になってしまい、それがさらに警官の不信を集め、そうしてますます警察が苦手になるという悪循環がセッカの中で成立している。
しかし、警官と共にポケモンセンターの前に出ていたロフェッカは、セッカに向かって陽気に手を振った。
「よう、お疲れさん。大手柄だな」
「ううー……?」
セッカは警官二人の物珍しげな視線に怯えつつ、そろそろとガブリアスの肩から降りた。ガブリアスは凝りを解すように肩を回し、そしてその腕の巨大な刃が振り回されるので、フラージェスのサイコキネシスによって宙に捕縛されている男が悲鳴を上げた。
ロフェッカが片眉を上げる。
「この御仁か? セッカ」
「えっと……セーラのミニスカをポケモンに奪わせた人だよ」
「というわけです。このトレーナーが見事、犯人を捕まえてくれました」
ロフェッカがセッカの肩に手を添えつつそう告げたのは、二人の警察官である。セッカは微妙にロフェッカの陰に回るようにしながら警官を観察した。ベテランと新人の二人組らしい。
“ミアレシティでエリートトレーナーに後遺症の残る重傷を負わせた四つ子のトレーナー”。セッカはその一人であり、警察署にも30分間だけだがお世話になった。警察ならば、セッカの顔格好も知っているかもしれない。あるいは知らないかもしれない。
しかし、若い警官はセッカに向かって笑顔を見せた。
「すごいですね! ありがとうございます」
「……は、はひ」
セッカはロフェッカの陰でもじもじする。ところがそこにベテラン警察官の指摘が上がった。
「おい、まだわからん。この男が犯人だという確かな証拠は?」
ロフェッカに促され、セッカはおずおずとこの男を捕まえた経緯を白状した。
「……ボ、ボクレーが。ボクレーが焦げたミニスカートの匂いして……ああアギトが嗅ぎ分けました! でででで、それで、ボクレーはこの男のポケモンです……」
「ほう」
セッカの説明を受けて、ベテラン警察官はボールからラクライを出した。そしてラクライに、フラージェスがサイコキネシスで浮かしている焦げたスカートと、男が持つモンスターボールのにおいを嗅ぎ分けさせる。
ラクライの反応に、ベテランの警察官は小さく頷いた。
「……そうか、正しいか。犯人逮捕にご協力いただき感謝する、若きトレーナー君」
ベテラン警官は不愛想だった。その鋭くまっすぐな眼差しにセッカが挙動不審になっていると、その頭をロフェッカにぐりぐりされた。
「ありがとうって言われたら、どういたしましてって返すんだよ。んなことも知らねぇのかぁ、このガキは?」
「い、いでで、あ、『ありがとう』とは言われてないし……!」
「これはすまなんだな。ありがとう、若きトレーナー君」
「ありがとうございます。いやぁ、強そうなガブリアスとフラージェスですね!」
ベテラン警官が目元を緩め、若い警官もいつの間にか手早く痩せぎすの男に手錠をかけながら朗らかにセッカを褒め称えた。
「……ふ、ふおお」
「ほれ、どういたしましては?」
「どぅお、どぅおういたすぃますぃとぅえ」
「おう、お疲れ、セッカ」
ロフェッカに軽く肩を叩かれ、ポケモンセンターの中へと促される。セッカは振り返った。
二人の警官はセッカの視線に気づくと、再び小さな会釈をくれた。セッカは小さく肩を竦めるようにやり過ごすと、何でもないかのようにガブリアスとフラージェスをボールに収めた。
ポケモンセンターのロビーには、サイコソーダの瓶を手に、すっかり泣き止んだジャージ姿のセーラがいた。その膝の上にはセッカのピカチュウがいたが、これもかわいいマスコットキャラクターには随分と飽き飽きという感じであった。
「……おかえり」
「……おかえりって、なんか違くないっすか……」
微妙に敬語になりつつ、セッカもロビーのソファに腰を下ろす。セーラと正面から向かい合う形ではなく、90度の角度で配置されたソファに沈んで、ちらりとセーラの方をセッカが見やると、耐えかねたピカチュウがセッカの肩に戻ってきた。
「ぴかっちゃ!」
「ピカさん、お疲れ。立派だったぞ、お前の雄姿……ぷ、ぷふふ」
「ぴ! ぴかぁぁっ! ぴかちゅうっ!」
からかわれたピカチュウはムキになってセッカの頬をぺちぺちと小さな掌で叩く。セッカはえへへへと笑い、ソファの背もたれになだれかかる。目を閉じた。
ガブリアスの肩に乗って走り、高速で空を飛ぶのは楽しいが、ひどく疲れる。特に今回のように崖登りをすることは、セッカの場合今までも数度あったことなのだが、ひどく上下に揺れるせいか三半規管がやられる。
ロフェッカがもう一本、セッカにサイコソーダを奢ってくれた。しかしセッカは飲む気にもなれず、それを低い机の上に放置する。
セーラは警官と一緒に署へ向かうなどということはせず、黙ってソファに浅く座っていた。自転車から落ちたためか体中のあちこちに絆創膏が張られていたが、セッカのマッギョが放った10万ボルトのダメージも含め、特に問題はなさそうだった。
「……あ、あの」
セッカは低いソファの背もたれの上に頭を寝かせていたが、軽く目を開けて下目遣いで少女を見やった。眠かった。
セーラもセッカの疲労は分かっているのか、そのような態度は気に留めず、ぼそぼそと言葉を繋ぐ。
「え、ええと、マッギョに覗かれたり、自転車を黒焦げにされたり、ブスって言われたり、あんたのせいであんたにぶつかって自転車から吹っ飛んだり……そういうことと、この変態泥棒の件は関係ないんですけど」
「そっすね。……俺はあんたに轢き逃げされたし、大勢のギャラリーの前で痴漢だって言われてビンタされたし、そのあともっかいあんたに自転車で吹っ飛ばされたし。まあそれとこの変態泥棒の件は関係ないし」
セーラは言葉に迷うようだった。セッカは冷淡だった。
沈黙が落ちる。
セッカはソファに沈みつつ、重い頭で考える。何だろう、なんか今、俺は今、少しだけかっこいい。体を張って、少女を困らせた変態を捕まえたのだから。しかしセーラを困惑させたいわけではない。
「なんかさー……」
セッカもぼそぼそと言葉を発する。
「どうでもよくなった?」
「……変態泥棒のせいでうやむやにされた気しかしないのだけれど」
「どうせその程度だったんですよ。俺と貴方の間の情熱はね」
セッカは茶化してそのように言ったつもりだった。しかし疲労のせいで言葉に元気が入らず、なんとも痛い発言となって空気に広がった。
沈黙が落ちた。
「うー……」
セッカが唸る。
「あの……とりあえずご迷惑をおかけしました。すみませんでした。ありがとう。おやすみ」
それだけ言い捨てると、セッカは眠りの中に逃避した。
ショウヨウシティでセッカが学んだことは、下手な復讐など企まない方がいいということだ。復讐は時に、相手の様々な予想外の心理的要素が絡まって、奇妙な方向へ飛んでいく。
そして、問題を起こせば割とすぐに警察は飛んでくる。
警察とは関わるものではない。
おとなしく、清く正しく生きよう。
そう思い決めたところで、セッカは瞼を開いた。
夜のポケモンセンターは微かな豆電球を残して照明が落ちている。夜中に駆け込んでくる急患もあるためシャッターなどは下ろさず受付にも人があるが、ロビーは暗くセッカ以外に人もいない。
セッカはソファに横たわっていた。顔のすぐ横には相棒のピカチュウが丸くなり、すやすやと寝息を立てている。
セッカの体にはジャージの上着がかけられていた。
「………………」
どう反応したらいいのか分からない。ソファの前の低い机には、セッカが飲まなかったサイコソーダの瓶が放置してある。腰のモンスターボールは外されて、これもまた机の上にあった。いずれも赤白の、標準のモンスターボール。バッジを一つしか持たないセッカが買えるボールはこの一種類だけだ。
セッカがもぞもぞと身じろぎしていると、ピカチュウが目を覚ました。
「いま何時……?」
「ぴかー?」
受付から、夜の11時です、と返事があった。
「あー、そうですか……」
お礼を言うのも忘れてセッカは身を起こし、ぼんやりと他人の匂いのするジャージの上着をつまむ。
「ここで黙って消えたら、一番かっこいいんだろうなぁ。……レイアならそうするな。ふくく、ポケセン以上にいい宿なんてないのに、かっこつけちゃってさ」
暗いロビーの中で、セッカは囁く。ピカチュウはまだまだ寝足りないと見えて、ふにふにとセッカの膝に両手と頭を置くと、むにむにと膝頭に毛づくろいでもするように顔を押し付け、そのまま寝入った。
ピカチュウがこんなでは、格好をつけて夜中のうちに出ていくことはできない。なにしろ、受付の人という目撃者がいたのでは意味がない。こういうときは誰にも知られずに出ていくのが鉄則なのだ。だから逃げられない。
ジャージの上着を返すときにセーラに何を言われるか、わかったものではないけれど。