不知火 昼
キョウキは不機嫌だった。フシギダネを膝の上に乗せ、フシギダネの背中の植物を弄っている。フシギダネはされるままになっている。
セッカはキョウキの肩に無邪気にしなだれかかった。
「ねえ、きょっきょー……」
「なに」
「おなかしゅいたぁー……ごはん食べよぉー……」
「レイアとサクヤと、食べておいで」
「きょっきょもいっしょに行くのぉー……」
セッカがいやいやと駄々をこねると、キョウキはとうとう溜息をついた。セッカにデコピンを食らわす。
「セッカ。僕はミアレが、本当に嫌いだ」
「俺も好きではないけど。でも、お腹すいたもん」
「僕はここを早く出たい。お昼を食べたらすぐ、僕はサクヤと一緒にフウジョタウンに向かってもいいかな?」
するとセッカは目を見開き、小鼻を膨らませた。キョウキの肩を揺すってぴゃあぴゃあと叫ぶ。
「今日は一緒にいようって言ったじゃん!」
「でも、ここだと休めない。本当に腹立つことばかりだ……」
キョウキは両腕をセッカの首周りに回した。優しくセッカを抱きしめつつ、ぼやく。
「本当に、なんで、ただポケモンを育てて戦うばかりの生き方しかしてないのに……。どうして騒ぎ立てられるのかなぁ。世の中にはトレーナーはたくさんいるのに……」
「……きょっきょ?」
「セッカ、僕はね、怖いんだよ。たぶんね」
セッカは瞬きした。睫毛がキョウキの頬をくすぐり、キョウキは軽く笑う。
「ちょっと、くすぐったいから目ぇパチパチしないで。……あのね、僕は人が怖いんだ。特に怖いのはマスコミだね。メディアだ」
「マスコミ? ……メディア?」
「新聞とか雑誌とかテレビとかさ。特に最近は、ホロキャスターなんてものがあるから……」
キョウキがふうと溜息をつく。
セッカはキョウキにくっついたまま、ひどく深刻そうな表情になった。
「――滅びの……キャタピー…………?」
「ホロキャタピーか。かわいいね。ホロキャタピーはフラダリラボの製品だよ。受信したホログラムの映像データをいつでも観れる装置さ」
キョウキはセッカに腕を回したまま、ロビーいた他のトレーナーを顎で示した。
メェークルを連れた女性のトレーナーが、機械から立体映像を出してそれを覗き込んでいる。電話でもしているようだ。映像だけでなく、音声も出せるらしい。
「セッカも見たことくらいあるよね」
「あ、あるかも。滅びのキャタピー!」
「あんまり他人のホログラムメールをじろじろ見ないんだよ」
「あい」
セッカはおとなしく首を縮め、キョウキにすりすりと頬ずりした。キョウキもまんざらでもなさそうにしている。レイアとサクヤはロビーのテレビで、ぼんやりとニュースを眺めていた。
キョウキは静かに囁く。
「僕はホロキャタピーは嫌いだな。キャタピー……じゃなかった、キャスターのお姉さんがね、怖いからね」
「キャタピーのお姉さんなんて超かわいいと思うけどなー」
セッカはのんびりと呟いた。
ポケモンセンター内の食堂でそそくさと食事を済ませ、四つ子は再びミアレの街に出た。
メディオプラザを通り過ぎ、南のプランタンアベニューに入る。
不思議なにおいのする漢方薬局で、四つ子はそれぞれ力の根っこと復活草を購入した。
ここはバッジを一つしか所持しないセッカでも効果の大きい薬を購入できる、貴重な店である。店中の壺や瓶にいっぱいの乾燥した葉や根などが詰められており、ミアレでも特に面白い趣の店だ。
レイアの小脇に抱えられたヒトカゲは嫌がって身をよじり、レイアの腕に爪を立てる。キョウキの頭の上のフシギダネは無表情になっている。セッカの肩の上のピカチュウはセッカの頬をいやというほど引っ張って拒絶を示している。サクヤの両手に抱えられたゼニガメは大騒ぎし短い手足でじたばたと暴れまわる。しかし四つ子は有無を言わさず、とても苦い漢方薬を購入した。
続いて、漢方薬局の隣の石屋に四つ子は入った。
キョウキが歌うように注文する。
「水の石、雷の石、炎の石を一つずつくださいな」
「6300円、頂戴します」
「高っ」
セッカが呟く。漢方薬局でも多額の出費を強いられたと思ったら、進化の石も大概である。
店の奥の棚の中には、キラキラと輝く色とりどりの進化の石が並べられていた。宝石のように美しいのに、ポケモンに力を与えるエネルギーを秘めている。いや、エネルギーを秘めているからこそ、美しい色彩を放って輝くのか。
「お買い上げになりますか?」
「買います。セッカ、2100円出して。僕が4200円だ」
「あううー……はい……」
セッカは渋々と財布から大金を取り出し、キョウキに渡した。キョウキを経由し、店員に手渡される。
そしてキョウキは三色の進化の石を手にした。泡沫の湧き出る水の石、稲妻の走る雷の石、灯火の揺らめく炎の石。
キョウキは炎の石をセッカに渡した。
「はい、セッカ」
「うん。これで進化できるな、イーブイたち」
セッカは離れていった大金のことはさっさと忘れて、にこりと笑った。そして店内で、ボールから赤色のリボンを耳に巻いたイーブイを出した。
「瑪瑙、出といで」
「瑠璃、琥珀」
キョウキも二匹のイーブイをボールから出す。青色のリボンのイーブイ、黄色のリボンのイーブイである。
それぞれのリボンの色に応じた進化の石を近づける。
小さなイーブイはその美しい煌めきに惹かれるように、細い前足を伸ばした。
石に触れる。
三匹の小さなイーブイが、眩い光を放った。
「しゃう」
「さんっ」
「しゅたー」
小さなシャワーズの瑠璃、サンダースの琥珀、ブースターの瑪瑙が、きょろきょろと自分たちの変わった姿を見回している。
四つ子は久々に目の当たりにした進化に、表情を輝かせた。
「うおおおおっ、超いいじゃん!」
「ああもうかわいいかわいい――可愛さの中にかっこよさがにじみ出ているね!」
「超いかす! もふもふ! もふもふもふもふ!!」
「ああ、随分と頼りがいのある見た目になったな」
キョウキは両腕でシャワーズとサンダースを抱き上げる。セッカはブースターを抱き上げる。そして再びひとしきりきゃあきゃあと騒いだ。
「わああシャワーズちゃんつるっつる! ほんとすべすべお肌! 潤いやばいね! サンダースちゃんは滑らかでぴしぴしで鋭い感じ! なのにふわふわ!」
「あったかブースターちゃんやっべぇもふもふもふもふもふもふ!!!」
はしゃぐキョウキとセッカの二人をまじまじと見つめ、レイアとサクヤの二人は、早く自分のイーブイ二匹も進化させようとひそかに心に決めた。
プランタンアベニューの突き当りに、ポケモン研究所が見えてきた。
つい先ほど進化によって思いっきりテンションを上げていた袴ブーツの四つ子は、途端にテンションを下げた。
真顔になったのは四つ子のトレーナー達だけである。四つ子のそれぞれの相棒であるヒトカゲ、フシギダネ、ピカチュウ、ゼニガメはかつて育った研究所を目にして、逆にそわそわしだした。
「……んだよ、博士に会いてぇのかよ……?」
レイアが歩きながら、脇に抱えたヒトカゲに問いかける。ヒトカゲはうんうんと頷いた。
「プラターヌ博士かぁ。旅立ちの日以来、お会いしてないなぁ」
頭にフシギダネを乗せたキョウキがほやほやと笑う。フシギダネも笑顔である。
「会いたいかも。でも……博士、ミアレでの事件のこと、絶対知ってるよなぁ……」
肩にピカチュウを乗せたセッカは、思わず肩を縮めてピカチュウに文句を言われている。
「それに、博士から頂いたまさにこのゼニガメたちで、事件を起こしたからな。……何と思われているやら、だな」
はしゃぐゼニガメの甲羅を両手で抑えるサクヤが、静かに囁く。
四つ子はプランタンアベニューの中ほどで、一瞬立ち止まった。
そして何も言わず、四人揃ってそそくさと早足になった。
プランタンアベニューの突き当りに近づくほど騒がしくなるヒトカゲとピカチュウとゼニガメを押さえ、泰然としているフシギダネだけはそのままで、四つ子は素早くサウスサイドストリートになだれ込み、滑らかに右折した。西へ向かう。
プラターヌ博士の研究所が、背後に遠ざかっていく。
ヒトカゲはきゅうきゅううと涙声で鳴き、フシギダネは珍しく僅かに低い声で鳴き、ピカチュウは怒り心頭でセッカに電撃を浴びせ、ゼニガメは喚きながら手足を思い切りばたつかせた。
しかし四つ子は、旅立ちの世話をしてもらった研究所には、近づかなかった。