一朝一夕 中
ポケモンセンターのロビーには、様々なものがある。
旅で疲れたトレーナー達が足を休めるためのソファは幾列にも連なり、広い面積を占めている。低いテーブル、観葉植物、テレビ、新聞や雑誌、パソコン、公衆電話。掲示板には、ポケモンリーグの告知や、ポケモンのための各種コンテストの案内、トレーナー向けの種々の企画の案内やアルバイト情報などが掲げられている。
しかし、その日の掲示板では、類似するポスターが目立っていた。
スーツを着込んだ若い男性が、翼を広げたウォーグルと並んで、笑顔でガッツポーズを決めている。そしてその男性の名前が大きい文字で示されている。
他にも、エネコを上品に抱いて微笑む年配の女性のポスター、貫禄のあるヤドキングを伴った知的な男性のポスター、等々。
いずれもスーツ姿の人間が、ポケモンと共にポスターに載っている。そして、人間の氏名が大きく書かれている。そうした趣向はいずれのポスターも共通する。
そのようなポスターが、掲示板を埋め尽くしているのだった。ポケモンの姿のないポスターは、ない。
セッカはソファに座ったまま、それらの目立つポスターをなんとなく眺めていた。
「トレーナーかな?」
「……ちげぇだろ。選挙だよ」
レイアが呆れたように口を挟んでくる。セッカは首を傾げた。
「選挙?」
「……お前、行ってねぇ――よな。……俺も選挙行ってねぇわ」
レイアが小さく溜息をつく。
この国では現在、十歳で成人とされ、選挙権も持つことになる。
判断力の十分でない青少年に選挙権を与えることは、ときに危険である。力を持った大人が青少年に、特定の政党への投票を強制し、青少年の権利を害することが考えられるからだ。
しかし、成年と見なされる以上、選挙権を認めなければ逆に国が権利を奪うことになる。だから十歳以上の国民には、選挙権があった。
レイアはポスターを見つめている。
「……議員を選ぶんだよ、こいつらの中からな」
「よくわかんない! 俺、政治とか無理!」
「――ですよねぇ」
レイアはへらりと笑った。トレーナー仲間の間でも、真面目に選挙に行って票を投じているという話はほとんど聞かない。
そもそも選挙に行ったところで意味はないのだ。なぜなら、現在この国の与党政権――より厳密には、トレーナー政策が崩壊する可能性など、万に一つもないからだ。
ポケモンセンターの掲示板に掲げられるポスターも、すべてトレーナー政策を一様に掲げる政党の候補者ばかりだ。トレーナー政策に反対するポスターなど、一枚もない。
それはそうだ。
トレーナー政策に反対している“反ポケモン派”の野党は、弱い。
人材的にも、金銭的にも弱い。トレーナー政策に反対するから、そもそもの話、支持層も薄い。更にいうならば、トレーナー政策の恩恵をまさに受けているトレーナーの集まるポケモンセンターに選挙ポスターを掲示したところで、まったくの無意味なのだ。
逆に与党は、強すぎた。
この国のほとんどの人間は、与党のトレーナー政策を歓迎している。つまり万人からの支持を受けているのだ。
今や、政権を握ろうとする政党は、“反ポケモン派”の政党を除いては、こぞってトレーナー政策を支持するようになっている。それだけトレーナー政策の支持は厚い。
もちろんトレーナー育成以外にも、国家のとるべき政策は山積している。各政党が争うのは、ほとんどトレーナー政策以外の争点となってしまっている。どの政党を選んだところで、トレーナー政策自体は変わることがない。
即ち、トレーナー政策の恩恵を受けているトレーナーとしては、どの政党が勝利しようが、どうでもいいのだ。
だからトレーナーは選挙に行かない。
レイアはセッカの隣で肩を竦めた。
「ま、どうせ選挙とかお前、行く気ねぇだろ?」
「ないなぁ。……なあレイア、どの人が好き? ポケモンでもいいけど」
セッカはポスターをまじまじと眺めていた。旅の中でこのようなポスターは幾度も見てきたはずだが、改めてじっくりと眺めてみると、なかなかうまく撮られたいい写真ばかりである。
「なんか、鳥ポケモンとか格闘タイプとか多くね?」
「タイプやポケモンごとのイメージってのがあるからな。知的な奴はエスパータイプ、行動力が取り柄の奴は格闘タイプ、爽やかなイメージの若手は飛行タイプ、ぶっちゃけ顔で売ってる女はフェアリータイプ、ベテランだとドラゴンタイプとかな……」
「へえ」
「逆に、悪タイプとか毒タイプとかゴーストタイプとかと一緒に写ってる奴はいねぇだろ」
「確かに、怖い感じするしな」
セッカはレイアの講義を聞きながら、ポスターを順に眺めていった。
そして、一つの与党のポスターに目を留めた。
「あ、この人、美人だわ」
「あ?」
「これこれ。ロズレイドとシュシュプ連れてる、このお姉さん」
セッカはソファから立ち上がり、そのポスターを指し示した。
茶髪を短く切り、眼鏡をかけた、真面目そうながら美人の女性だった。真っ赤な口紅、大ぶりの金色のイヤリング。
見事なロズレイドと背中合わせに、凛々しい立ち姿だった。さりげなくシュシュプを伴っている。
レイアはそのポスターを見て、一言評した。
「貴族趣味だな」
「ほげぇ?」
セッカは間抜けな声を出した。レイアが肩を竦める。
「ロズレイドとか、光の石なんてどんだけ貴重だと……。極めつけはこのシュシュプだ。シュシュプだぞお前。いったいいつの貴族だっての……」
そう呆れたように言い捨てる。
しかしセッカには光の石の貴重さも、シュシュプを連れていることの意味も分からなかった。分からなかったが、片割れには同調してうんうんと頷いておいた。
そうしたら、セッカはレイアにデコピンをお見舞いされた。
「分かったふりすんな」
「むぎゅう」
「確かに美人だが、俺は気に入らねぇ。……ローザ、っつーのか……」
「れーやが美人を嫌うなんて、超珍しい! あ、でもそのくせ名前を確認してるってことは、やっぱ気になってるわけ?」
「うっせ黙れこの」
「むみぃ!」
レイアはセッカの頭をぐりぐりした。
セッカは笑顔でえへえへ言っていた。
そのまま二人はポケモンセンターで昼食をとり、東の22番道路、デトルネ通りに向かう。
ヒトカゲとピカチュウはハクダンシティまでの道中で遊び疲れ、今やそれぞれの相棒にくっついて、二人の移動するままに任せていた。
レイアは小さなイーブイ二匹を出し、草むらの野生のポケモンたちと戦わせた。尻尾を振ってから体当たり、という単調なバトルを何度も繰り返し、やがてイーブイたちが砂かけの技を習得したところでレイアは二匹をボールに戻して休息をとらせる。
ここ22番道路は、新人トレーナーの修行場でもある。チャンピオンロードから下山してきたベテラントレーナーやエリートトレーナーとの交流の機会もあって、そうした先輩トレーナーから様々なことを教わりつつ、新人トレーナー同士で腕を磨き合い、そうしていずれはハクダンジムに挑むことになるのだ。
四つ子もかつてはこの道を通った。
四つ子は独学ながら、旅立つ前にポケモンの鍛え方についてある程度の準備はしていた。そのためこのハクダン周辺で世話になった期間は短かったが、ひたすら自分と同じような新人トレーナーとのバトルに明け暮れ、金銭のやりくりに窮したかつての日々は懐かしく思い出される。
そうしてチャンピオンロードへとつながる、バッジチェックゲートにレイアとセッカが差し掛かったところだった。かの場所を守るエリートトレーナーが二人を呼び止めた。
「待て。今は通行止めだ」
「バッジなら八つあるっつの……通せよ」
ヒトカゲを脇に抱えたレイアが、エリートトレーナーを睨んで低く唸る。そしてバッジを一つしか所持していないセッカも、片割れに便乗してうんうんと頷いた。
しかしそのエリートトレーナーは慌てたように両手を振り、弁明した。
「……い、いや、だめだ、21番道路のデルニエ通りは今、落石で道が塞がれているんだ。ポケモン協会の方が今、ホルードで岩の撤去作業中だ」
「ポケモン協会? またおっさんかな?」
ピカチュウを肩に乗せたセッカが呑気に首を傾げる。レイアが首を振った。
「いや、ねぇだろ。おっさんもルシェドウもホルードは持ってな…………あ」
レイアが21番道路方面を見つめたまま、硬直した。その脇に抱えられたヒトカゲがもぞもぞと動き、そちらを見ようと足掻く。
セッカは肩の上のピカチュウごと、びくりと肩を跳ねさせた。
「ぴゃあ。しゃくやは、いません!」
「尋ねておらぬ。……そのルシェドウだかロフェッカだかも、ここにはおらぬ」
「こっちこそ、なんにも、訊いてねぇがな」
レイアは苦々しげに吐き捨てた。
セッカも心なしかびくびくしつつ、レイアの陰に隠れる。
黒衣に身を包んだ、黒髪のモチヅキが、相変わらずの仏頂面で二人を見下ろしていた。
モチヅキは無言である。
レイアはますます顔を顰めた。
「……どーも、フウジョタウン以来じゃねぇですか」
「左様」
「……サクヤなら、フウジョタウン行ったぞ」
「何故」
「……あ――ああああああうっぜぇ! やっぱうぜぇわこいつ! グレイシアだよ! イーブイを進化させるために凍り付いた岩探しに、モチヅキ様の可愛い可愛いサクヤちゃんはフロストケイブに行きました! 以上!」
「また、フロストケイブ、だと?」
モチヅキが剣呑に目を細める。
レイアは赤いピアスをちりちり鳴らしながら怒鳴った。
「あーそうですよ止めませんでしたよ! なあ、あいつもガキじゃねぇんだよ! しかも今はキョウキも一緒ですしぃ! モチヅキ様様がご心配することはなんもねぇよ!」
「キョウキ、だと?」
その名を聞いたモチヅキは、ますます眉を顰めた。
レイアは大きく溜息をついた。
呆れたように顔を歪め、言い捨てる。
「……あんたさ。キョウキのこと、嫌いだね?」
「あれは特に好かぬ」
モチヅキは鼻を鳴らした。レイアはますます笑った。
「で、サクヤのことは特に好いてらっしゃるってわけだ?」
「そうとは申しておらぬ」
「――申してなかろうが仰ってなかろうが態度でバレバレなんだよ!!」
レイアは喚いた。ああ、と嘆いて頭を抱える。
「マジで何なの。なんでこいつ、会うたんびにますますサクヤのこと好きになってんの? もう結婚すれば!?」
そこにセッカが呑気に口を挟んだ。
「えっ、しゃくやとモチヅキさん、結婚すんの?」
「うるせぇよ黙れよセッカァ! 誰が、あいつを、こんな奴に!」
「れーやってほんとブラコンだよなぁ……」
「そなたら、男兄弟だったのか? 姉妹ではなく?」
「ちょっと黙っててくれませんかねぇ!」
レイアは吼えた。セッカの頭を腕に引っかけ、ぴいぴいと泣き騒ぐセッカを引きずってモチヅキから遠ざかり、バッジチェックゲートの隅に寄る。
「……おいセッカ、お前、もうモチヅキの前でサクヤの話はすんな。キョウキの話もするな」
ヘッドロックを決められているセッカは、呑気に尋ねる。
「なんで?」
「てめぇは本物の馬鹿か! めんどくせぇからに決まってんだろうが! もうやだあいつ、口を開けばサクヤサクヤサクヤ。キョウキに関してはもはや名前を耳にしただけでブチ切れやがる!」
「なんでモチヅキさん、きょっきょのこと嫌いなんすか?」
セッカは能天気に、当のモチヅキにそのまま話題を振った。そしてますますレイアに締め上げられた。
モチヅキは不機嫌そうな表情をそのままに、レイアとセッカを見つめていた。
「あれは性根が腐っている」
「きょっきょはいい奴ですよ。きょっきょの仮面を三回剥がしたら、しゃくやみたいなツンデレになるんですよう!」
「あれは悪意の塊だ」
「違うっす! きょっきょは俺らを守ってくれてんですよ! 俺らが馬鹿だから!」
セッカはぴゃあぴゃあと叫び、キョウキを擁護した。
「きょっきょはそりゃ怖いけど、いい奴なんすよ! 俺ら四つ子は心は一つ! だから、きょっきょのこと、嫌いにならないであげてくださいよぉ……」
「私は、あれに次いで、そなたが気に食わぬ」
モチヅキの不機嫌そうな声音に、セッカは目を見開いた。
「えっ、じゃあモチヅキさん、……しゃくやの次に、れーやのことが好きなんすか!?」
「えっ、マジで!? なんで!? どこをどうしたらそうなんだよ説明しろやモチヅキ!」
モチヅキはひたすら不機嫌そうに二人を見下ろしていた。
レイアとセッカの二人は、モチヅキの趣味趣向についてひどく混乱していた。
「えっ、俺、マジで分かんねぇ。なんで? モチヅキのやつ、サクヤが好みなら、なんで次点が俺なわけ?」
「頭いいからじゃねぇの? ん、でも、れーやよりきょっきょの方が賢いしなぁ。ていうか、きょっきょはしゃくやより賢いぞ?」
「つまり賢さは基準じゃねぇんだ。……なんだ? 電波なとこか? モチヅキはツンデレが好みなのか? ――俺のどこが電波でツンデレだ!」
「いい加減にしろ」
モチヅキはとうとう鼻を鳴らし、一人でハクダンシティの方面に歩いていった。
レイアとセッカは慌ててモチヅキに追いすがった。
「おい待て、てめぇ、俺のどこが好きなんだよ!」
「好いても嫌ってもおらぬ」
モチヅキは振り返らなかった。
ピカチュウを肩に乗せたセッカが鼻息を荒くする。
「マジすか! じゃあモチヅキさん、俺のどこが駄目なんすか!」
「愚かなところだ」
「頭悪いって意味かよ!」
ヒトカゲを抱えたレイアが早足でモチヅキを追いつつ吐き捨てると、セッカはショックを受けた。
「ひどい! じゃあ、なんでモチヅキさんは、きょっきょのことは嫌いなんすか!?」
「下衆な点が」
「だから、きょっきょは下衆じゃないもんっ」
セッカは涙目になりつつも、早足のモチヅキを追いかける。
レイアが息を切らしながら、最後に尋ねた。
「じゃあ、サクヤの、どこがいいんだよ!?」
「素直なところが」
モチヅキは素直に返答した。
レイアとセッカは、立ち止まった。デトルネ通りに立ち尽くした。
モチヅキは凄まじい早足で、ハクダンシティに入っていった。二人はその後姿を見つめていた。
モチヅキの姿が見えなくなった。
レイアとセッカは視線を交わした。
「誘導尋問」
「――大成功!」
そして二人はげらげら笑い出した。ヒトカゲとピカチュウは不思議そうにしている。
「ぎゃっははははサクヤが素直だぁ? サクヤが素直なのはてめぇに対してだけじゃねぇよ!」
「サクヤなんてツンデレすぎて、ツンツンしてる時点で俺らにとっちゃデレも同然だもんな!」
レイアとセッカはハイタッチする。とても仲良しである。
「もうさ、今度あいつに会ったらサクヤの物真似してやろうぜ」
「そうしよそうしよ。よっしゃ、モチヅキさん捜そう、れーや!」
「行くかセッカ!」
そして二人は意気揚々と、ハクダンシティに舞い戻った。