草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe
Chapitre4-2. 霧月のコボクタウン
10月末 コボクタウン
セラがクノエシティでリズの前から消えてから、一ヶ月以上が経った。
セラからの連絡は無ければ、セラの噂を聞くこともない。
ただリズは淡々と、9月までセラと2人で一緒にしてきたことを独りで続けている。シシコを担いでカロス地方を歩き回り、ポケモントレーナーと出会えばバトルをし、勝利して賞金を稼ぐ。食事をし、シャワーを浴び、着替え、宿で眠る。贅沢をしなければ十分生きていくことができる。
去年の記憶も着実に戻りつつあった。
去年の今頃、リズはすっかり死ぬつもりでいて、実に心穏やかに秋の日々を過ごしていた。クノエでAZを捕縛させられて以降は、フラダリから面倒な仕事の依頼が来ることもない。法律や政治や経済や哲学について思索を巡らせることもしなくなっていた。もちろん本を書くこともしない。
泥まみれの暑苦しい黒スーツも捨ててしまった。
ゆったりとしたシャツに、紅色のカーディガン、ゆとりのあるサルエルパンツ、開放感あるサンダル。その身一つで、秋の涼しい風を受け止める。
そしてただひたすら、無為に、カロスの季節の移り変わりを眺めていた。
日の沈むのはめっきり早くなった。もう18時には暗くなっている。
冷たい雨も増えた。
街路のプラタナスの葉が色づき、鈴のような実が枝いっぱいにつく。
カロスの各地の森ではキノコ狩りが盛んになり、家族連れが森へと出かける。そして毒ポケモンに攻撃され病院へと搬送される者が腐るほど出てくる。
林檎やマルメロ、胡桃が収穫される。
街路では焼き栗の屋台が出てくる。
牧場のゴーゴートが肥え太る。
野生ポケモンの狩猟も解禁され、ジビエがマルシェに並ぶようになる。それと同時にポケモン食に反対するデモも頻発する。じきにポケモンが滅びることも知らずに、呑気に平和に。
丘陵を覆う畑の葡萄の葉が真っ赤に染まる。
フレア団としての仕事を終えて、久々に、本当に久々に、道端に咲いていた秋色アジサイを花切鋏で摘み取って手の中に花束を作った。美しい花の首を切り取るとき、たまらなく甘美な気持ちになる。
オリュザはそれらを、静かに、独り、見つめていた。
永遠などない、美しく儚いカロスの終焉の姿を。
列石の生贄とする強いポケモンを十分な数だけ捕獲し、電力エネルギーも十分に奪い取り、生命と破壊の力を秘めた“樹”と“繭”を確保し、最終兵器の“鍵”が手に入った。もはやオリュザの出る幕はない。オリュザが何もしなくてももうフラダリは立ち止まらないし、フレア団は後戻りできない。
セキタイの住民はその9割ほどが市街に退避しているが、そのことはほとんどニュースにもなっていない。政治も沈黙している。政治も経済もマスコミも、その中枢は既にフレア団に掌握されているのだ。
フラダリがここまでできるとはオリュザも思わなかった。
自分の思想をここまで現実にしてくれるのは、嬉しかった。
けれどそこでオリュザは、自らが抱いた夢想に殺されることとなる。
――そこまで考えて、リズはふと我に返った。
いつの間にか、街中の小道に立ち尽くしていた。腕の中のシシコが不思議そうにみいと鳴く。
記憶が戻り始めてから、どうも意識が一年前に引き戻されてしまうことが増えてきていた。
セラも言っていたはずだ、記憶に囚われず、今を楽しめ――と。
ここはコボクタウンだ。
秋は深く、ショボンヌ城を擁するこの城下町は、葡萄の収穫祭で沸き返っている。
パルファム宮殿を建てたカロスの時の王をして「ワインの王にして、王のワイン」と最大級の賛辞を贈らしめた有名なワイン、それが貴腐ワインである。その極上のワインの完成を祝う祭りが、10月末のコボクタウンで賑やかに催されているのだった。
陽射しのある昼下がり。
コボクの住民や国内外のワイン好きの観光客が、立派な菩提樹が葉を落とす中央広場に集まってきていた。石畳の上には大きなワイン樽がいくつも積まれており、涎を垂らしそうな勢いのワイン好きたちの視線を集めている。
ショボンヌ城を預かる当主が、長い長い挨拶をする。
シシコを抱えたオリュザも群衆に立ち混じり、広場の隅からそれを見物していた。人々は樽の中のワインこそを目当てに集まっているため、誰一人としてショボンヌ城主の挨拶に耳を傾けている者はいない。心なしか城主が可哀想である。
挨拶が終わると、伸びやかな柔らかいホルンの音色が秋空に響き渡る。
やっと、広場に積まれたワイン樽が開封された。そわそわする人々を尻目に専門家が淡々とテイスティングをし、出来立ての貴腐ワインにお墨付きを与える。
そうして、いよいよ、宴の始まりだ。
「A votre sante!」
「A votre sante!!」
コボクの民が一斉にグラスをかざし乾杯する。
それにリズもちゃっかり混ざった。グラスを傾けると、出来立ての貴腐ワインの濃厚な甘みと独特な味わいが口の中にふんわり広がる。
思わずリズもほうと息を漏らした。
広場のあちらこちらでも同様に感嘆の声が上がっている。
地元の人間も、観光客も、次から次へとワイン樽へ押し寄せ、周囲の人間とおしゃべりを楽しみつつ今年の貴腐ワインを味わっている。美しいショボンヌ城と紅葉した森という情緒あふれる風景を眺めながらの極上ワインは最高だ。
広場の周辺には軽食や菓子などの露店も並ぶ。人々の熱気は冷めやらず、つい飲み過ぎた者が上機嫌で歌など歌い始める。
秋に収穫されたきのみも広場に山と積まれて、これは山から下りてくるカビゴンをもてなすためのものだ。
いつの間にやら秋空は赤みを帯び、風も冷たいけれど、宴はこれからが本番だ。
そのようにポケモンと一緒になってカロスの人々が楽しげに馬鹿騒ぎをするのを眺めていると、自然とリズの意識は、昨年の秋に引きずられていく。
去年も、そう、オリュザは独り各地の収穫祭を回ってワインを試飲したり、あるいは森の中へキノコ狩りへ行って手作りのキノコ料理を楽しんだりと、他のフレア団員が必死で新世界を迎える準備を整えているのを尻目に遊びまくっていた。
ケラススを目にすることはなくなって、フラダリと会うこともなくなって、オリュザは一人、ただ独り。
楽しかった。孤独は好きだ。誰にも邪魔されることなく思索に耽るのはオリュザの第一の楽しみだった。もうフレア団のことなど忘れて、秋の涼しい日々と美味しい酒や料理、美しい季節の花々を愛でながら、残り少ない自分の命を愛おしむ。
死にたかったのだ。
美しく儚い秋の落葉の中に、オリュザは自分を埋葬してしまいたかった。
なのに、その一年後になっても孤独に生きている現実を目の当たりにして、今のリズはつらかった。去年は楽しかった、確実にもうすぐ死ねると思っていたから。日々を楽しむといっても結局はオリュザは空っぽだった。ほんの僅かな秋の日だけが生き甲斐だった。短いからこそ、いいのだ。人生は数十年だからまだマシだが、短ければ短いほどいい。
花は短い季節にしか咲かないから、美しいのだ。
ただでさえ虚ろな日々が、長く続けば続くほど、その価値は逓減していく。
また何度もこの秋を繰り返せば、季節外れの花が色あせるように、リズの希薄な人生の意味は失われてしまう。
***
セキタイタウンが崩壊した。
地底に眠っていた最終兵器が地上で開花した拍子に、吹っ飛んでしまった。
そのニュースをコボクタウンでの収穫祭の最中に聞いたオリュザは、ついに始まったかと思った。終わりの始まりだ。
これでフレア団の人員は、セキタイ周辺に集められるだろう。
ミアレのフラダリカフェの地下に隠されたフラダリラボに公権力の捜索が入る可能性は低い。警察や軍隊、そしてポケモン協会の上層部は既にフレア団と繋がっているのだ。
だからオリュザはのんびりと秋の日和の中、ひっそりとしたフラダリラボに戻っていった。好奇心のゆえに。
名目はまだフレア団員だ。支給されていたカードキーは有効なままで、エレベータを使って地下のフラダリラボへと潜っていくことができた。
やはりラボは閑散としていた。
ところが、その磨き上げられているはずの黒いタイルに激しいポケモンバトルの痕跡を認めて、オリュザは金茶の瞳を細めた。
――ラボ内に、争いの形跡。
「侵入者でもあったか」
そのような情報はオリュザのホロキャスターには入っていないが、十中八九そうだろう。先日のフラダリによる『フレア団以外の皆さんさようなら』宣言を受けて、ラボの在り処を突き止め、その上で潜入を試みた者がいた、のだ。
そのことに気付いたオリュザは、笑みを浮かべていた。
その人物のなかなかの行動力に多少は感服した。
最終兵器が起動した以上、その者はこのラボではフレア団を止めることはできなかったのだろう。
それにしたって、なかなか大した度胸だ。
その者が敵とする相手はフレア団であり、カロス随一の大企業であるフラダリラボである。政治も経済もマスコミもすべてフラダリの味方をしている。にもかかわらず、無謀にも、フラダリに仇なす者が現れようとは。
大した大馬鹿者だ。
そして馬鹿と天才は紙一重だ。
オリュザは一人でぞくぞくしながら、無人のラボを奥へと進む。入ったことのない資料室を覗いてみた。そこもまた、何者かに荒らされた形跡がある。
侵入者が関心を抱いた資料を、オリュザも覗きこんだ。
「王の名はAZ、始まりと終わり
時代を超えた技術でカロスを最初にまとめた者
豊かなカロスは狙われた、王は戦争を避けられなかった
愛しいポケモンも戦いに出さねばならぬほど激しく醜い乱であった
王はカロスを豊かにした自慢の技術を意にそぐわない形で発揮せざるを得なかった……
王だった男AZは消えた
AZには弟がいた……
カロスを奪うためカロスを欲しがる者を導き入れたとも言われている
だが戦で荒れ果てたカロスを目の当たりにして兄AZが造ったものを地中に埋めたとされる
王だった男AZは消えるとき鍵を持ち去った
それこそが最終兵器を動かすために必要なもの
王の弟は子孫に最終兵器の在り処を伝えて死んだ
あれは神が使うもの、人は触ってはならない
人に出来ることはあれが必要ではない世界を創ること……
AZが哀しみ苦しみながら最終兵器を造っている時に残したとされる言葉
“愛するポケモンを生き返らせて何が悪いのか!
そのポケモンが蘇るならば他のポケモンに意味はない!”」
要するに、フラダリの先祖はカロスの簒奪者であり裏切者であって、その兄AZはカロスの創造者であり破壊者であったのだ。
それだけでもオリュザは笑った。
しかしそれにしても面白かった。まさかこんな資料がラボに眠っていたとは。
フラダリが王弟の子孫だということは知っている。ということは、これはフラダリの家に伝わっていた資料なのだろう。信憑性も高い。フラダリは最初から、最終兵器の在り処も、そしてその“鍵”の在り処も知っていたわけだ。そしてオリュザの思想を利用し、人員と資金を集めた。
フラダリは自らが神となることで先祖の戒めを超越し、最終兵器を使用するのだ。
AZの考えも、オリュザにはある程度は共感できた。そう、意味も無く生きているポケモンに価値は無い。けれど、生きる意味など、自らが見出すものではないか。AZにポケモンの価値を決める権利は無いし、愛するポケモンを蘇らせ他のポケモンを殺す権利は無いではないか。――というのがオリュザ個人の持論だ。
フラダリは第二のAZになろうとしている。フレア団員だけに永遠の命を与え、その他の人やポケモンの意味を抹消し殺すつもりだ。その新世界の統治モデルは、うまく機能する可能性はあるとしてオリュザ自身が示したものだ。フラダリの手腕次第では哀しみも苦しみも無い新世界が創出される。けれど、フラダリが信じられないというわけではないけれど、オリュザはその傲慢さに唾を吐いた。
梯子を下ろすとか、裏切るとか、そういうわけではないけれど。
これはやはり、オリュザのただの空想の産物を、フラダリに利用されただけなのだ。
――フラダリは、ケラススは、まだ本気でこんなことをするつもりなのだろうか?
地下へと降りていった。
地下3階は科学者の領域だから、オリュザの持つカードキーでは立ち入ることができない。
地下2階には、地下牢がある。灰色のコンクリートが打たれた寒々とした一角だ。フレア団を裏切った者やフレア団に仇なす危険人物を捕らえ、ときに拷問を加え、また闇に葬るための処刑場。
もしかしたら、ラボに侵入したその大馬鹿者にまみえることができるかもしれないと思ったのだ。その者は最終兵器の起動の妨害に失敗して、フレア団に捕まったものだと、てっきりそうオリュザは思っていた。
しかしそこにいたのは、果たしてAZとケラススだけだった。
「……あ」
「…………オリュザ?」
その牢獄の前に佇んでいた白衣姿のケラススが、オリュザの姿を見ると振り返り、その傍までごく自然に歩み寄ってきた。
向き合う。
ごく自然に、握手の挨拶をする。普通の友人同士みたいに。
二か月弱ぶりの再会だった。懐かしい、気もする。
ヒャッコク以来だ。たしかあの時は9月初めのミラベル祭りの最中で、そこで、どんな話をしたのだったか。オリュザはすぐには思い出せなかった。一ヶ月以上も何も考えず、花から花へ移る蝶のようにぶらぶら遊び歩いていたせいで、どうも記憶がさび付いている。
ただ、ケラススは銀紫の瞳を細めて、穏やかに微笑した。
「久しぶりだな」
「……そうだな」
「オリュザの私服姿、初めて見たな。ずっと黒スーツだったから、かなり新鮮だ」
「……ど、どうも?」
「お前、どうしてここにいるんだ」
「いや……ラボに人がいないから」
「当たり前だ。もう皆セキタイに移動した。オリュザも……来るのか?」
そう、どこか期待をしている眼。
ああ、とオリュザは思った。思い出した。首を振る。
それだけでケラススの表情は面白いくらいに曇った。
「…………そうか。まあ、だろうなとは思った」
「それより、アンタはここで何してんの? こいつ、最終兵器の“鍵”を持ってた爺さんだよな? “鍵”を拝借した後もまだ後生大事に捕まえてたのか」
オリュザは地下牢の中で座り込んでいる、異常に背の高い老人を視線で示す。AZはオリュザに対して特に反応を示さず、寒そうな牢の中で俯いたまま動かない。
ケラススもまたAZを見やった。
「私は、彼の不死について研究していた」
「……不死?」
「彼はAZ。3000年前にカロスを最初に統べた王、偉大なる科学の父だ」
ケラススはごく真面目な表情でそう告げた。
オリュザはぎくりとした。
「…………3000歳? ま、さか……王本人?」
「お前からしたら、色んな意味で信じられないだろうな。けれどおそらく本物だ。最終兵器に注入したゼルネアスの力により、不死という病を得たのだろうよ。このAZ王は3000年前、戦争で死んだ愛するポケモンを蘇らせて、二人きり、永遠を生きようと試みたそうだ。そのために、イベルタルの力で一度カロスを滅ぼした」
オリュザは額を押さえる。
「私は彼の細胞を採取し、色々と実験をさせてもらった。実に興味深い」
ケラススは酷薄な笑みを浮かべていた。それをオリュザは、薄ら寒い思いで見つめていた。
「3000年前に最終兵器の光を浴びた彼の全身の細胞は、形質転換を引き起こした。いいか、オリュザ……彼は『癌人間』なんだ」
「…………う、うえええ……」
「彼の全身の細胞はテロメラーゼの再活性化が常軌を逸脱している。そのためテロメアが身長修復され染色体が維持され、ゆえに永続的に細胞分裂を起こし、細胞は不死化する。この異常な高身長もその副作用といったところか。――まさに癌じゃないか。全身を癌細胞に侵されながらも3000年にわたりその生命機能を維持し続けている、これはまさに驚嘆すべき事例だ」
ケラススは無表情で、つらつらと語った。
心なしかその瞳が冴え冴えと輝いているように見えて、オリュザは吐き気を催す。
AZが醜く生きていた。――そら見ろ、最終兵器を使うからこうなるのだ。
フラダリも、ケラススも、思い知ったはずだ。
永遠の生どころか、たったの3000年で、人の心が壊れるということを。
なぜそれを直視しない?
なぜ、永遠の生にそうまでしてこだわる?
そんなに生き返らせたい、あるいは生き永らえさせたい愛すべき存在でもいるのか?
ケラススは不意に、モンスターボールからニダンギルを繰り出した。
その片割れの赤紫の布を腕に巻き付けさせると、不意にケラススは右腕を高く振りかぶり、AZの幽閉されている檻に向かって、刀刃を勢いよく振り下ろした。
牢が破られる。
何をしようとしているのかとオリュザが息を詰めて見守っていると、ケラススは憑りつかれたような足取りで、俯いて座り込んでいるAZに歩み寄った。
ニダンギルの一振りを、再び、振り上げる。
「――ちょ、おい!」
オリュザの制止は届かなかった。
切っ先が、AZの肩を抉る。
それでも、座り込んでいた老人はわずかに呻き声を上げただけだった。
ニダンギルの刃を鉄錆色に染めて、ゆらりとケラススはオリュザを振り返る。
「……なに、今のはただの細胞サンプルの収集だ」
「い、いや、頬の内側を爪楊枝の柄なんかで擦れば、いとも簡単に細胞なんて」
「彼は不死身だ。でもそれはどういう意味で、不死身なんだろうな? たとえば首を斬っても死なないのか? それを確かめようと思って、私はここに来たんだ……」
ケラススは無抵抗の老人を、冷ややかに見下ろしている。ニダンギルの片割れを片手で握りしめたまま、くつりと笑う。
「…………そうすればわかるさ、オリュザ。ゼルネアスに生命を与えられた者が、絶対に死なないものなのか」
再びニダンギルがケラススの腕を持ち上げるのを目にして、オリュザも迷わずボールを投げた。
「クローリス、そいつを止めろ」
赤花を手にする表情の無いフラエッテが、念力を発し、ケラススごとニダンギルの動きを止める。
ケラススがにたりと笑う。
「マルス、“アイアンヘッド”」
「クローリス、“フラッシュ”」
もうひと振りの宙に浮遊していたニダンギルがフラエッテに斬りかかる。
それに対し、フラエッテが眩い光を放ち、その場の全員の視界を白く焼く。
オリュザ自身も眼球の痛みに苦しみながら、叫ぶ。
「……やめろ、ケラスス」
「なぜ? お前の大嫌いな、不死身の人間だろう? お前はこの老人を見て、こう思ったはずだ――『なぜ生きてる』『なぜ自殺しようと思わない』『3000年も生きるなんて苦しくないのか』『どうしても死ねないのか』『自分だったらそんなのは御免だ』『永遠の生を望むフレア団は頭がおかしい』…………、と」
ケラススは視界の利かない白い光の中、地を這うような声で囁く。
「だからさ、調べてやるよ、明らかにしてやる……最終兵器で永遠の命を得た者が、本当に死ぬことができないのか。もし死ぬことができるなら、お前だって、文句はないんだろう?」
「…………、何を言って」
「一緒に行こう、オリュザ」
「………………アンタ、ほんとに俺のこと好きだよねえ」
フラエッテの光が止む。
その場にいた全員の視界が次第に戻ってくる。
ケラススは涼しげに笑っているけれど、その瞳には悲しみを宿している。オリュザにもそれが分かってしまった、このたった一年未満ケラススと一緒にいただけで分かるようになってしまった。
ニダンギルの追撃が来ないことを確かめて、オリュザは吐き捨てる。
「言っただろう、ケラスス。俺は他人の命は尊重すると」
「……それはつまり、お前は3000年を生きるAZには吐き気がするけど、それを私が勝手に殺すのは我慢ならない、ということか?」
「そうだ。俺だって、その爺さんにはとっとと自殺すりゃいいのにとは思うがよ、決めるのはあくまでこの爺さん自身だ。アンタの価値観を押し付けられる義理は、この爺さんには無い」
「……意味がわからない、オリュザ」
「分かりやすく言ってやる、自殺は止めるな、だが殺すな。――ニダンギルを収めろ、ケラスス。ついでにこれもくれてやるから」
オリュザは懐に手を忍ばせると、それを手に取り、目にもとまらぬ剛速球でケラススに投げつけた。
攻撃されたと思ったケラススが、すかさず手にしていたニダンギルでそれを受ける。
オリュザは息を呑んだ。
「あ」
「ん?」
それはオリュザがクノエの林道で偶然見つけて拾った、闇の石だった。
ニダンギルがいきなり進化の光を放ちだすのを、ケラススもオリュザもぽかんとして見ていた。
「……え?」
「あ、ああ、あー、おま、ニダンギルで受け止めっから!」
「……何を投げた。闇の石か?」
「そうだよ!」
「…………勝手に何してくれてるんだ。仕返ししてやる」
言うなり、ケラススは白衣のポケットに片手を突っ込み、何かを握りしめると、オリュザのフラエッテに向かってそれを投げつけた。
オリュザが回避を命じ損ねると、フラエッテはその身でそれを受け止めた。
進化の光を放ち始める。
オリュザは絶叫した。
「う、うわああ、ウワアアアアアアアー!」
「光の石だ。これでおあいこだな」
ケラススは涼しげにそうのたまった。
ケラススのニダンギルがギルガルドに、オリュザのフラエッテがフラージェスに進化してしまう。
オリュザはケラススに食ってかかった。
「何しやがんだてめえ! ありがとうございます!」
「文句を言ってるのか感謝しているのかはっきりしてくれ」
「どっちもだよ! ビビるだろうが! もっと穏便に愛を込めてプレゼントしろ!」
「こっちの台詞だが」
ギルガルドはケラススの腕から離れていた。ケラススは溜息をつくと、進化したばかりのギルガルドをボールにしまってしまう。
「……やれやれ。興が殺がれたな」
「アンタって大概マッドサイエンティストだよね」
「クセロシキと一緒にするな。……あーあ、AZも死ぬということが証明されれば、お前も来てくれると思ったのに。まあここはオリュザ本人に免じて見逃してやるか。そらAZ王よ、自由に行くがいい」
そうケラススはこともなげに、残念そうに溜息をついてみせる。出会った頃よりは随分と素直に感情を表に出すようになったとは思うものの、その冷酷な本性は最初から何も変わっていないとオリュザは思う。
――いや、変わったか。
ここまで他人に大切にされることがあるとは思わなかった。
ここまでしつこく誘われるのは想定外だった。
オリュザは既にフラダリに見放されている。ケラススはフラダリを妄信しているものと思っていた。なのに、まだオリュザのことを気にかけてくれるとは。
よもや、オリュザを永遠に生かしたいなどと、ケラススが考えようとは。
オリュザもケラススと平等を期すために進化したばかりのフラージェスをボールに戻しながら、目を閉じる。
ああ、本当に。
独りで死ぬのが望みだと思っていたのに。
あーあ…………。
ケラススはそのようなオリュザのことなど、気にも留めていないようだった。しつこく、本当に執念深く、何度もオリュザに言葉で縋りつく。
「お前も来ればいいのに。死ぬのなんて、まだ先でも遅くはないだろう? フラダリ様の統べる新世界を一緒に見よう。それから本当に死ぬのか考え直してくれ、オリュザ」
オリュザは苦笑した。
「……本当に、馬鹿馬鹿しい……そんなにアンタは死ぬのが怖い? 俺が死ぬのが恐い? たったそれだけのために、いつ終わるとも知れぬ苦しみをアンタは味わいたい?」
「死の苦しみなんてフラダリ様の統べる新世界には存在しない、生きる喜びだけに浸っていられる。そうだろう?」
ケラススはむしろ必死にそう訴えかけてくる。オリュザの説得を試みているのだ。
けれどそれはオリュザも同じだった。
――どうしてもケラススに、永遠の生など、得てほしくなかった。友人にそんな無意味な人生を歩んでほしくなかった。
「…………死の無い生に、喜びなんか、無い」
「死の有る生には、苦しみしか、無い…………」
「………………どうして、わかってくれないんだ、ケラスス」
「それは私の台詞だ………………」
互いに顔を歪めて、睨み合った。
「一緒に生きよう」
「一緒に死のうぜ」
Chapitre4-2. 霧月のコボクタウン END