草上で食前酒 -Le Aperitif sur l’herbe
Chapitre4-4. 霜月のセキタイタウン
11月下旬 セキタイタウン
慰霊祭?
復興に向けた集会?
そんなものは営まれない。
せいぜいカロスの各地で、恐るべきテロリスト集団フレア団が壊滅したことを喜ぶイベントが催されるくらいだ。そこではかつてのカロスの支配者フラダリは史上最悪の犯罪者として手酷くこき下ろされているし、各界によってカロスの救世主に祭り上げられた五人の子供トレーナーたちは馬鹿みたいな大歓迎を受ける。
半島に位置するセキタイの街は偏西風の影響を強く受ける。そのため森林はほとんど自生せず荒れ地が広がっている。家々は石造りで西側に窓が無く、風への抵抗が前面に押し出されていた。
その街も、最終兵器に滅ぼしつくされ、一年が経った今も荒野になったきり、無残な傷跡をさらけ出していた。
最終兵器の放った破滅の光の、その電磁波の影響はまだ周囲にあるという。そのためセキタイタウンへの立ち入りは制限されている。科学者たちが電磁波の影響について詳しく調べているところだ。
かつてのセキタイの住民は9割以上がフレア団から受け取ったはした金を手に他の土地に移住していたから、一般市民の犠牲はごく少なかった。犠牲となったのは、大半が事件の犯人であったフレア団員だ。だからそもそもそれは自業自得で、唾棄すべき大罪人のために祈ろうなどという酔狂はこのカロスには本当に少ない。いたとしても、フレア団の遺志を継いだテロリスト予備軍として厳重警戒の対象になるだろう。
だから、事件から一年が経ったセキタイは、本当にただの荒野だった。
***
晩秋。
地上に咲いた巨大な人工の花を、オリュザはファイアローの背から冷ややかに見下ろしていた。
剣のような六枚の花弁をいっぱいに広げた、最終兵器。
枯れることのない永遠の花。
それは確かに美しかった。
ヒャッコクの日時計にも似た、これは虹色の輝きを放つ無色透明の結晶体だが、日の光を浴びてきらきらと輝いている。実用性だけでなく美観を重視したことがわかるデザインだ。
これを生み出した3000年前のカロスのAZ王は、本当に素晴らしい趣味をしている。オリュザは皮肉げに笑う。
――枯れぬ花が果たして結実するか、見届けてやろう。種を蒔いた者の責任として。
あらかじめホロキャスターでフレア団の仲間に連絡を入れておいたためか、ファイアローをセキタイタウンに乗り入れてもフレア団に追い散らされることはなかった。むしろオリュザは、フレア団の中ではそこそこ知られているほうだ――不死王フラダリの出現を予言しフレア団の理想を説いた、新世界へとフレア団を導いた若き思想家として。
10番道路“メンヒルロード”の列石には、フレア団が捕獲してきた数多くのポケモンが磔にされている。特別製の縄と杭で縛りつけられ、冷たい墓石に生体エネルギーを吸い上げられ、恐怖におののき絶叫するもの、抵抗する力すら奪われてぜえぜえと苦しげに喉を鳴らすばかりのもの、身をくねらせ解放を哀願するもの。
その見張りをしているフレア団の下っ端は、辛そうに目耳を強く強く塞いでいたり、逆に強がって平静を装っていたり、何にせよここまでポケモンが苦しむところを見るのは初めてだろう、その顔面はいずれも蒼白だ。
ルチャブルが白目をむく。
カラマネロの頭ががくりと落ちる。
ニンフィアが瞼を下ろす。
トリミアンの悲鳴が突如として途絶える。
クレベースが喉から奇妙な音を立て、血の泡を噴く。
オーロットの瞳から光が失せる。
エレザードが四肢と襟巻と尾をびくりびくりと激しく痙攣させる。
フレフワンの両眼から涙があふれる。
それらの列石の中に、オリュザがケラススと共に昨冬フロストケイブで捕獲した五体のマンムーの姿もあった。元気にエネルギーを供給してくれているようだ。
オリュザはファイアローの背から降りて、花開いた最終兵器の傍を涼しげな顔で通り過ぎ、セキタイの石の奥に隠されていたフレア団の秘密基地に入っていった。エレベータに乗り込み、降りていく。
深く深く、地下に降りていく。
静かに降下が止む。
入ったときと反対側の扉からエレベータを出ると、そのメインフロアでは最終兵器の最終調整をしている科学者たちが忙しげに立ち働いていた。
正面には巨大な窓。
その向こうには、暗い、巨大な空間。
そこは『伝説ポケモンの間』だ。そこには“樹”と“繭”が鎮座し、蓄えてあったエネルギーを装置を通して最終兵器に捧げていた。
これではまるで、ただの電池だ。
オリュザはそのような伝説のポケモンの無様な姿を眺めながら、ただただ嗤う。
――いいざまだ。他者の命の価値を弄ぶから、その報復を受けるのだ。フレア団のエゴによって滅びるがいい。
エネルギー吸収率が大画面によって示されている。
フラダリが険しい表情で、『伝説ポケモンの間』を見下ろしていた。
今や半ば部外者となったオリュザが、フレア団の王を冷やかすわけにもいかない。おとなしくその広く逞しい背中を眺めていて、その向こうの『伝説ポケモンの間』で動いた影に気付いて、オリュザはぎくりとした。
フレア団でないトレーナーが、『伝説ポケモンの間』に、入っている。
幹部たちが総出で応戦し、伝説のポケモンから侵入者を遠ざけようとしている。
しかし、その子供のトレーナーは強かった。
ポケモンのメガシンカを自在に操り、ちぎっては投げちぎっては投げ。二人や三人など同時に相手にしてもまるで敵ではない。
薙ぎ払う。
フラダリもまた、その子供のいっそ痛快な侵攻をこのメインフロアから見下ろして、どこか気分を高揚させているようだった。その背中を見ながら、オリュザは溜息をつく。
そのとき秘密基地じゅうに、けたたましい警報音がひっきりなしに鳴り響いた。
侵入者のバトルが刺激したものか。
伝説のポケモンが、眠りから醒めたのである。
最終兵器が取り込んだはずのエネルギーが、逆流する。
装置が破壊さ
れる。
“樹”が、“繭”が、動
Xの文字に似た、輝く角を持つ
Yの文字に似た、闇の翼を持つ
メインフロアでガラス窓越しのはずのオリュザは猛烈な吐き気と眩暈と冷や汗と悪寒と痺れと思考停止と恐怖と憎悪と絶望と憤怒と悲哀と悦楽とに襲われた崩れ落ちる足が震える怖くてたまらなかった
あれは生き物の敵だ
他者の価値観を無視し、生かしあるいは殺し、命を弄ぶ、カロスに根付く二体の悪魔だ
消したい
あってはならない
あれに平気な顔をして呑気にポケモンバトルなど挑んでいるあの子供は頭がおかしい
神にでもなる気か
フラダリの代わりに新世界の不死王でも気取るつもりか
子供のくせに
命の大切さも、死の意味も知らない子供のくせに
神の力を得て命を弄ぼうなどと、思い上がりも甚だしい
伝説のポケモンが捕まった。捕まったというよりは、自ら望んで子供の玩具みたいなモンスターボールに収まった。そして伝説のポケモンは、子供の手下になり下がった。子供を神の代行者に選んだわけである。
いつの間にかフラダリは、オリュザの目の前から消えていた。
メインフロアにいた科学者たちが、騒然としている。伝説のポケモンに、エネルギーを取り返されてしまった。これでは最終兵器が使えないばかりか、もし伝説のポケモンに最終兵器を破壊されでもしたら、フレア団の理想は道半ばで破れてしまう。
けれど、相手は、伝説のポケモンだ。
ぜるねあすといべるたるだ
勝てるわけがない。
けれど、フレア団員たちは希望を失わなかった。まだ、自分たちの王がいる。
フラダリがいてくれる。
メガシンカを使いこなし、カロスを掌握し、自分たちを導いてくれた、新世界の不死王たるべき人物が。
フラダリが『伝説ポケモンの間』に下りてその子供に直接ポケモンバトルを挑むのを、オリュザはメインフロアから見下ろしていた。
いつの間にかその隣には、灰色の肌と短い白髪と銀紫の瞳を持ったケラススがいた。
白衣は脱いでおり、私服姿が新鮮だった。紺色のハイネック、黒のライダースジャケット、ジーンズ、ブーツ。
ケラススとオリュザは互いに視線を交わすなり、すぐさま下方の『伝説のポケモンの間』を見下ろした。
「……大変なことになったな、オリュザ」
「……どうなっちまうんだ、ケラスス」
「どのみち、最終兵器は動かせないだろうな」
「最後の最後で」
「子供に邪魔されるなんてな」
「…………終わったのか…………」
「そう、終わった。そして私たちの日常は続いてゆく」
ケラススはこうなることも予測できていたかのように、淡々と呟いた。
ゼルネアスが、イベルタルが、フラダリと敵対している。おそらくこの二体の神は、3000年前に自分たちを利用したAZへの怒りの分もフラダリにぶつけているのだ。反省、と言えば聞こえはいいが。半ば八つ当たりのような気がしなくもない。
フラダリなど、覚醒した伝説のポケモンの手にかかれば敵でも何でもなかった。本当に、ただのゴミ屑のようだった。フレア団の理想は、傲慢なる神によって呆気なく砕かれたのだ。
形勢が不利と見るや、一人、二人と、メインフロアに残っていた科学者や、地下通路から引き揚げてきていた下っ端たちや幹部たちが、そろりそろりと秘密基地から抜け出していった。
その数が増えるにつれ、そしてフラダリの敗色が濃厚になるにつれ、団員の逃亡は競争性を増し、一つしかないエレベータへ我先にとなだれ込む。
基地は騒然としていた。
フラダリが負ける。
伝説のポケモンを怒らせてしまった。
フレア団はもう駄目だ。
けれど、オリュザとケラススは最後までその場に残っていた。メインフロアの奥から動かず『伝説ポケモンの間』を見下ろしていた。フラダリが負けるところを見届けた。
フラダリは手持ちのギャラドスと絆を結び、メガシンカさせ、メガギャラドスを操った。しかしゼルネアスの放った“ムーンフォース”の前に呆気なく散った。実に無様だった。――そう、人とポケモンの絆など、傲慢なる神の前には塵に等しい。
神に敗北した神ならぬフラダリが咆哮するのを、オリュザとケラススはただただ寂しく見下ろしていた。
甘い顔をした幼い子供が、勝利の美酒に酔いながら、神にでもなったつもりで、偉そうに綺麗事をほざいている。
――少ないものは分け合えない。人生に軽重があるように、いくら生命の平等を説いたところで、世の中の人間やポケモンは厳然とした不平等に苦しまねばならないのに。
競争に負けた者や、差別をされる少数派の者は、ゴミのように底辺で生きねばならないのに。
傲慢だ。
フラダリも、あの子供トレーナーも、傲慢だ。
メインフロアは静まり返っていた。2人以外は無人と化している。
いつの間にかオリュザとケラススは、『伝説ポケモンの間』を見下ろすガラスに背を預け、床に座り込んでいた。
頭が痛かった。
フレア団は終わった。
もう最終兵器は動かせない。
すべて、無駄だった。
フレア団以外の人類とポケモンを滅ぼし、死の無い新世界が始まるかと思われたのに。
すべて実を結ばない徒花だった。
そんな事のために、生きてきたのかと思うと、虚しかった。
世の中全体がフレア団の裏切りを知った上で失敗すれば、世間からフレア団は糾弾されるだろう。おそらく政治や経済やマスコミからも切り捨てられる。そうなれば、元フレア団員は路頭に迷うだろう。テロリストの烙印を押され、死ぬまで牢に閉じ込められるかもしれない。フラダリだって、ありとあらゆる罵倒を浴びせられる。
オリュザは右隣りのケラススに話しかけた。
「……アンタ、これからどうするよ」
「さあ。どうしようかな」
「……随分と落ち着いてんな」
「例の子供の噂は聞いていたからな。実際、あの子供は先月末も単身フラダリラボに乗り込んできて、最終兵器を停止させるスイッチを押すところまで行ったらしい。そこを危うくクセロシキが強引に起動に持ち込んだのだそうだ」
フレア団に仇なす者がかなりの実力者だと知っていたから、ケラススにはこうなることも予測できていたというらしい。
とはいってもケラススも憔悴した様子だった。オリュザは軽く鼻で笑う。
「……アンタ、永遠に生きられなくなっちまったな」
「まあ、それでもいいか。お前が死なないなら、別にそれでも」
「ほんとにアンタって俺のこと好きだよな」
「お前こそ、私のことが心配で来てくれたんじゃないのか?」
「思い上がるなって、セラちゃん」
「セラ、ちゃん……?」
ケラススが変な顔をする。それを見てオリュザは噴き出した。
「ぶふっ、可愛いなセラちゃんて。まあ少なくともケラススの数億倍は呼びやすいわ」
「ああ、Cerasusを略したCeraをカロス語風に発音したのか……」
「アンタも呼びにくかったら、俺のあだ名、考えてくれていいのよ」
「何をまた唐突に……」
「いや、1月に初めて会った時はアンタともあと一年未満の付き合いだと思ってたけど、これからもアンタの名前を呼び続けなくちゃならないんなら、呼びやすいあだ名が必要だなーと思ってよ」
ケラススはぱちくりしていた。
それからようやく、ふわりと笑った。
「そうだ、本当に……最終兵器が動かないなら、お前も死ぬ必要はないんだよな……」
「俺も、アンタが永遠の命なんか得ずに済んで、心から安堵している」
「…………そうか」
「これで俺もアンタも、晴れて普通に、一緒に生きていけるってわけだ」
「……そうだな。そうしようか……」
「つーわけでこれからも、もうちょっと長くよろしく頼むわ、セラ」
差し出された右手をじっと見下ろし、そちらもそろりと右手を出す。
「じゃあ、お前は、リズ……かな」
「おおお。あだ名で呼ばれるなんて生まれて初めてだ」
「お前、私以外に友達いないだろう」
「アンタこそ」
くすりと同時に笑って、リズとセラは互いの右手を握り合った。
そのとき、どすんと基地内に大きな振動が響き渡った。
当然、2人の手は離れる。
地響き。
ガラスにひびが入り、砕け散る。そのすぐ傍に居た2人にも破片が降り注ぐ。
柱が軋む。
壁が歪む。
デスクの上のコンピュータが震え、落ち、ぐちゃんがしゃんと喧しい音を立てる。
床が揺れている。
リズとセラは床や壁に膝や手をついて、それに耐えていた。
舌を噛まないようにしながら、リズは慌てて顔を上げた。
「なんだ? 伝説のポケモンどもが暴れすぎたか?」
「いや違う」
近くのモニター画面に張り付いていたセラが舌打ちする。
「フラダリ様が最終兵器を動かした」
「はあ? だってエネルギーが」
「不足しているけど、動かしたんだ。子供たちと心中するつもりか……?」
「逃げるぞセラ」
リズはセラの手を再び、掴む。
地下通路の方から駆け出してきた数人の子供たちが、リズとセラより一足先にエレベータに滑り込み、上昇していく。
「――うおおおおおおおおおおい!?」
「ああ負けた。さすが若い子は体力があるな」
揺れる床の上で移動もままならず、あっという間に置いてけぼりを食らった2人はもはや子供たちに対して怒る気にもなれず、うっかり笑い声が漏れた。
もう笑うしかない。
最終兵器が動いている。出力は抑えられているだろうが、殺傷能力は十分あるだろう。
エレベータは上昇中だ。戻ってくるまでまだ時間がかかる。
秘密基地全体が轟音を上げ、全体が軋んでいる。天井が落ちる。
頭を低くしてやり過ごしながら、リズは笑った。
「ちなみにセラ、このままここで逃げ遅れたらどうなる?」
「普通に最終兵器の破壊の光を浴びて真っ黒焦げじゃないか?」
「なんだそれ、それじゃ計画通りに行ってもフレア団が自滅するだけだったんじゃね?」
「いや、最大出力ならこの基地すなわちいわゆる台風の目以外を破壊し、そうして殺害した全人類と全ポケモンの生命力を吸い取り、その生体エネルギーは、生き残るここにいたフレア団員に注入される」
「あーわけわかんね。出力落ちると、ここにいる俺らが死ぬんだ?」
「何が起きるかの詳細は計算しないと分からないが、生憎その用意が無い」
エレベータがようやく上昇を止めた。地震のせいで動きが鈍くなっているようだ。
そのとき電源が落ちた。
「うわ。出てこいクローリス、“フラッシュ”」
「マルス、“キングシールド”」
リズの赤花のフラージェスが光源を確保し、それを頼りにセラのギルガルドが落ちてきた天井をはねとばす。
地下に築かれた秘密基地は、地中に潰されかけていた。
リズは叫ぶ。
「やばくね? 電気止まったらエレベータも」
「もう無理だろうな。仕方ない、地上まで直通の穴でも開けて、自力で空へ逃げるしかないか」
言うが早いか、次のボールを投げる。考える暇はない。どんどん天井は崩れてきて、メインフロアには大量の土砂までもが降り注いできていた。可能だろうかなどと迷っている暇すらなかった。
「レア、“諸刃の頭突き”」
「アウローラ、“吹雪”だ。上にあるものを吹き飛ばせ」
ガチゴラスとアマルルガ、セラが独自に化石から復活させたポケモンが進化した姿だ。息ぴったりで指示を出しておいて、二体の化石ポケモンが必死で天井を食い止める陰で、2人は顔を見合わせて呑気に笑った。
「おお、そっちも進化させてたか」
「お前こそ、大切に育ててくれていたみたいで嬉しいよ」
「ちなみにここ地下何メートルくらい?」
「さあ。ただ、地下3階くらいか?」
「うーん。助かるか?」
「お前のガチゴラスと私のアマルルガの頑張り次第だな」
ガチゴラスは頭突きで天井から降ってくるコンクリートの塊を押し上げ、アマルルガは吹雪を巻き起こして土砂を押し戻す。
しかし重力を敵に回していては、多勢に無勢だった。
「あー、やばいやばい死ぬ? エスパーポケモンの“テレポート”ってつくづく偉大だよなあ、バトルではくそ使えないけど……」
「モンスターボールの普及とトレーナーの増加によりポケモンの“テレポート”を商業利用できるようになって、諸々の運輸交通に革命が起きたからな」
「ねえこれ、死なない? 大丈夫……?」
「死を覚悟してた奴が、今さら何を慌ててるんだ」
「いや、なんかもう、平穏に生きる気満々になってた……」
「結局お前も生きたかったんじゃないか」
「セラちゃんがいれば何とかなるかなって思っちゃった。責任とれよ」
「熱いプロポーズをありがとう、リズ」
「ははははは。愛してるぞー」
「はいはい。私もだよ」
リズとセラは死にそうな状況の中、けらけらと馬鹿みたいに笑っていた。
ガチゴラスが疲れてきている。アマルルガが押し戻しきれなかった土砂が流れ込んできていて、フラージェスが“サイコキネシス”でそれを押しやり、ギルガルドが“キングシールド”でそれを防ごうとするが、もう、上も下も左も右も前も後ろも、空間が無い。
土のにおいがした。
無機質のにおいが、生々しく感じられた。
2人きり生き埋めにされるのだと思った。
そのとき、リズとセラは奇妙な音を聞いた。
ヒルルルル、というような、キイイイイイイイン、というような、ゴオオオオオオ、というような。
何かが降ってくる、ような。
一瞬で、埋まっていた空間が蒸発した。
土砂が焼け融け、吹っ飛んだ。
視界が真っ白になった。
被爆。
2人は咄嗟に、出していたポケモンたちをボールに戻した。守るために。
それから、何があったか。
リズは思わずセラを光から、庇おうとしたような。
そんな記憶がある。
覚えて、いる。
***
セラは目を覚ました。
瞼の裏まで白い闇が焼き付いていて、頭がどうにもくらくらした。
全身が焼けるように熱い。火傷でもしたか、とぼんやり思った。最終兵器の光にでも焼かれたのか、それでも死ななくてよかった。長いこと火ぶくれに苦しまなければならないかもしれないけれど、痕も残るかもしれないけど、生きていたなら助かった。
自分が大丈夫なら、傍にいたリズも。
――そのように楽観視できる程度には、セラは重傷ではなかった。
セラはのんびりと体を起こす。
そして目を開いて、辺りを見回して、セラは、あれと思った。
黒焦げになった自分たちのモンスターボールがひび割れて壊れて、ボールに戻していたはずのセラのギルガルドとアマルルガとオンバーン、リズのフラージェスとガチゴラスとファイアロー、その計6体がセラの周囲に姿を現していた。
ボールが壊れて、中のポケモンが緊急離脱したようだった。ポケモンの個体の生命を刻んだ電子情報がボールと運命を共にしなくて、本当によかったとセラは思う。
そこは、ぽっかりと巨大な空間が開いていた。
円柱のように開いた空間の底にセラと6体のポケモンたちはいて、その上方には丸い空がぽっかりと開いている。
見上げれば、満天の星空。
星明りが降り注ぐ中、セラは目を凝らした。
「リズ?」
辺りは瓦礫だらけだ。
空気はまだ熱い。
火傷を負ったセラの肌がずきずきと疼き、痛む。
「リズ?」
立とうとしても、立てなかった。足もひどく痛めつけられている。もともと瓦礫の下敷きになっていたのを、ポケモンたちが助けてくれたのかもしれなかった。
6体のポケモンたちはセラを囲むように、守るようにして静かに待機を続けていた。
「リズ?」
そこでようやく、セラは自分のすぐ傍に落ちていた大きな炭の塊に気が付いた。
――なんだ、これ。
「リズ?」
近くで見ると、それは人間の形をしているような気がした。
真っ黒になった、髪の毛のような繊維、頭部、額、眼窩、鼻梁、頬、唇、顎。
首、鎖骨、胸、肩、肘、手首、指、爪。
腹、腰、腿、膝、脛、足首、踝、踵、爪先。
炭のくせに、よく形が残っているなあ、と思った。
「リズ?」
見れば見るほど、それは炭で作られた精巧な人形だ。東洋の木造の仏像を蒸し焼きにでもしたら、こうなるのかもしれない。
でも、なんでこんなところに仏像なんかが落ちているのだろう。
セラはよくよく覗きこんでみた。
炭だ。
「リズ?」
そっと指先で触れてみた。
まだかなり熱かった。この上で目玉焼きでも焼けそうだ。すぐに手を引っ込めた。
炭だ。
「リズ?」
名前を呼んでみた。
返事は無かった。
炭だ。
「リズ?」
漂うにおいを嗅いでみた。
肉の焦げたにおいがする気がする。
焼きすぎて炭化した肉だ。煙臭い。教会で焚かれるお香のにおいにも似ている。胸が悪くなった。
気持ち悪いにおいを吸わないように、鼻呼吸をセラは止めた。
喘ぐように口で息をして、しばらく黙ってそれを見つめて、それが声を上げたり、動き出したりするのを待ってみた。
動くよな?
動かない。炭だ。
もしかして、これは死体じゃないかとふと思いついた。
ぞくりとした。
頭が痛かった。胸がつっかえてむしろ痛かった。
気づいたら目からだらだら涙が流れていて、その熱い熱い炭の塊を抱きしめていた。
「リズ?」
――だって、他に、それらしいものなんて、どこにもなかったんだ。目を閉じる瞬間に確かにセラのすぐ傍にいたのに、目を開けたら傍にあったのが、これしかなかった。
さっきまで笑って冗談など言っていたのに。
最後の言葉が『愛してる』だなんて、冗談でもひどすぎる。逆に陳腐過ぎて、笑える。
酷い夢だ。
夢だよな?
セラの爪の先でそれは崩れて、ぼろりと黒い粉になって、爪と指の間の隙間に入り込む。
子供が母親に懇願でもするように、爪を立てて引っ掻いてみる、くっきりとついたひっかき傷はへこんだまま戻らない。炭だ。
セラ自身がその炭の熱さと立ち込める煙のために気を失うまで、ずっとずっと名前を呼んでいたけど、ついにそれは動かない。
「リズ」
Chapitre4-4. 霜月のセキタイタウン END