――約3ヶ月前、<スバルポケモン研究センター>にて。
「くそっ――!」
赤いライトが照らす施設内の通路を、青髪の青年が白衣を翻しながら駆けていた。 青年は悪態をつきたくて仕方がなかった。 その対象は息切れを起こしかけている自分でも、彼自身が鳴らした耳障りな警報でもない。 目の前を駆けて逃げていく侵入者に対して、だった。
“闇隠し事件”の謎を解明するため、他地方から調査団の一員としてこの<スバル>に来ていた青い髪が特徴の銀縁メガネの男――――ヨアケ・アサヒとヤミナベ・ユウヅキの旧友でもある、もう一人のアキラという名の青年。彼は、襲撃者を捕まえるべく奔走していた。 襲撃者はたった一人。研究員から奪った白衣を着て、顔を黒のフェイスメットで覆っている男性である。 事の発端はその男の手持ちであろう、ヨノワールが研究所の外壁を攻撃したのが始まりだった。
所長の指示により研究物を守る側とヨノワールの撃退に別れた研究員。アキラは研究物を守る側について行動をしていた。 守備陣営でもさらに二手に分かれ、所長と一部の研究員が研究室の内部を見に行き、アキラと残された研究員は、二人で研究室の入口の見張りについた。
侵入者の第一発見者はアキラだった。 少し経って、中から、一人の研究員が出て来る。外の方へ増援に向かうように指示された、と言って走り出そうとする彼の白衣をアキラは掴む。アキラは彼の影に何かが潜んでいることに気付き、警告しようとしたのである。 アキラがモンスターボールを構えようとする前に、影からポケモンが飛び出しアキラ達を突き飛ばす。 視線を彼の方へ向けるとそこにはフェイスメットの人物が、影のように黒い身体と歪んだ口元が特徴のポケモン、ゲンガーを従えていた。 一緒に見張りをしていた仲間の研究員は伸びてしまったので、アキラは単独で駆け出す襲撃者を追いかける。
「待て!!」
待てと言われて待つ泥棒がいるわけもないのは、彼も重々承知の上である。ある意味これは一つの警告だ。 大人しく投降するならば、まだ手遅れにはならない、という警告。どのみち国際警察に突き出す気は満々であることは置いておく。 フェイスメットは特殊な光学迷彩でも使用しているのか、襲撃者は初め、<スバル>の研究員の顔をしていた。つまり、今逃したら変装されて脱出される可能性が大きい。取り逃がすことは出来ない。 幸い『テレポート』などの転移系の技の対策設備は整っているので、この施設から出さなければ、追いつめて捕らえられる。
「頼む、メシィ!」
駆けながらアキラは相棒の一匹である、魔女を連想させる姿をしたゴーストポケモン、ムウマージをボールから出す。 『くろいまなざし』の一つでも覚えさせておけば、と後悔しながらもアキラは現状で選べる中から最善手を打つ。 フェイスメットの男の影からゲンガーが顔を出し、こちらをけん制すべく『シャドーボール』を放とうと溜める。その隙をアキラは見逃さなかった。
「今だ『なきごえ』!」
呪文のように流れるムウマージの声が通路内を反響し男達に襲い掛かる。ゲンガーの『シャドーボール』を暴発させ、その余波がフェイスメットの男をよろめかせる。
「!」
体勢を崩しかけたが踏みとどまった彼は、直感的に横に飛びのく。すると、先程までフェイスメットの男の居た虚空を爪が切り裂いた。 男に追撃をかけたのは、他でもない彼の手持ちのゲンガーだった。
「――っ!」
ムウマージの特徴の一つに、鳴き声によって呪文を唱え、相手を幻術に陥れるというものがある。つまり今のゲンガーは術中にはまり、トレーナーである男を敵と認識しているのであった。 すぐさまボールにゲンガーを戻す彼。次のポケモンを出そうとする男の動作をアキラは許さない。
「メシィ!」
アキラの指示に従いムウマージは『シャドーボール』を襲撃者の眼前に湛えた。
「動かないでよね」
念を押して投降を呼びかけるが油断は出来ない。万が一に備え、他のポケモンを出しておくことをアキラは選択した。 しかし、それは叶わなかった。何故なら、フェイスメットが変形してムウマージを包み込んだからだ。
「な……!」
男の顔の姿形が変わっていた、という時点でその正体に気付けなかったことを悔やむアキラ。否、彼はその可能性も考慮していたが、昨今の技術で変装が代用可能なだけに、確信までに至らなかったのだ。知っているが故に単純に考えられなかった、それが彼の敗因である。 つまり、被っていたフェイスメットの正体は光学迷彩などではなく、メタモンの変身能力だったのだ。 だが、メタモンに対する驚きと比べられないモノを、次の瞬間アキラは目の当たりにする。
まず、所々尖った長めの黒髪が見えた。 それから顔に目をやると、前髪の合間からはアキラの見知った形の眼がそこにはあった。 赤い光に照らされて見えにくいが、その真昼の月のような白銀の瞳の持ち主は間違いなくアキラの知る者であった。 アキラは困惑気味にその男の名前を呼ぶ。
「まさ、か……ユウ、ヅキ……?!」
そう、アキラが思わぬ形で再会したのは、長年失踪して行方不明だった旧友――――ヤミナベ・ユウヅキだったのだ。
どうしてここに、とか、何やってんだ、とかアキラには言いたいことはいくらでもあった。 だけど彼は真っ先にこう詰問していた。
「どうしてアサヒを置いていった」
アキラは知っていた。彼女が、アサヒがユウヅキの隣に居る時に見せる、輝いた笑顔を。彼の隣に居たいと強く想う彼女の願いを。 アキラは思い出す。“闇隠し事件”で見知らぬ土地に一人置き去りにされた彼女が、何年も経ってようやく自分と連絡が取れた時に見せた、泣き顔を。
「答えろ」
冷静に勤めようとしても明らかに怒気がこもる彼の問いかけに、ユウヅキはあくまで沈黙の姿勢を見せた。
「答えろって言ってんだろ……ユウヅキ!!」
ユウヅキの胸ぐらをわしづかみにしようとするアキラ。その前に立ちふさがる影があった。 そのポケモンは、白いドレスを纏ったようなエスパーポケモン、サーナイト。 咄嗟にアキラがムウマージに『シャドーボール』を撃つことを指示するが、その前にサーナイトのドレスの下から黒い影の先制技『かげうち』が襲う。
「メシィっ!!」
影はムウマージを一撃で気絶へと追いやった。そして、 トレーナーのアキラをも、逃さず攻撃した。
――予想外の攻撃にアキラは倒れ込む。地に伏し、思うように動けないなか辛うじて目で彼らの姿を追うアキラ。 通路の壁がサーナイトの『サイコショック』で破壊され、外へと通ずる。 薄れゆく意識の中、最後に彼が見たのは、こちらを一瞥するユウヅキだった。
(……待……て…………)
アキラの念は届かず、彼はアキラに背を見せる。 そして<スバルポケモン研究センター>を襲撃した、ヤミナベ・ユウヅキは『テレポート』でその姿をくらました――
*********************
――――現在、【トバリタウン】
ビー君とアキラさんが宿屋から夜の散歩に出かけたのが気になった私は、入り口で二人の帰りを待つことにした。 二人だけ仲良くなるのは抜け駆けだぞ、なんて気持ちがなかったかと言えば嘘になる。でも、一人になる時間が欲しかったのもまた事実なので、これはこれでよかったのかもしれない。 何故一人になりたかったかというと、単純に、ちょっと考え事をしたかったから。
「ドジったなぁ……」
具体的に言うと、昼間の喫茶店での出来事について猛反省中だった。まさかミケさんが私を調べていたなんて。 ミケさんの職業が探偵だということを、探偵ならば誰かの依頼で動いていることを失念していた。完全に、完全に私のミスである。 今回は乙女の秘密ということで見逃してもらえたけど、一歩間違っていたら危うく全部白状するところだった。危ない。 彼らとの約束もあり、私の記憶がユウヅキに消されているかもしれないことはなるべく秘密にしなければいけない。なのにやってしまった。 ミケさんのバックに誰がいるのかが分からないのが怖い。ミケさんなら悪いようにはしてくれると思うけれど。事が事、だし。覚悟はしておいた方がいいのかもしれない。 ああ……アキラ君にだって、記憶の事言ってないのに……。
そんなこんなうだうだ言っていたらライブキャスターの着信音が鳴った。こんな遅い時間帯に誰だろう、と見てみるとアキラ君の名前が表示されていた。 彼とは定期的な連絡を取っているものの、タイミングがやや早い気がした。急用かもしれない、と慌てて出る。 画面に映った青髪の青年、アキラ君は苦々しい顔をしていた。
「どうしたのアキラ君、なんか珍しく取り乱しているけど」 『アサヒ、落ち着いて聞いてほしい。ユウヅキが……』 「ユウヅキが、どうしたの」
アキラ君は言い澱んだ後、手に入れた情報を教えてくれる。 それは、本来なら関係者以外に洩らしてはいけない情報だったのだと思う。 それでも彼は真っ先に私に伝えてくれた。 そしてそのことを聞いた私は――
『ユウヅキが“闇隠し事件”での誘拐の容疑をかけられた』
――とうとうこの時が来てしまったことを、悟った。
*********************
ヨアケと会話していた男は、俺とリオルとアキラさんの気配に気づいたのか、短く『とにかく、詳しいことはまた明日【スバルポケモン研究センター】で会って話したい』とだけ彼女に伝えて通話を切った。 それからヨアケ・アサヒは長い金髪を弄りながら、ばつの悪い、といった表情でこちらを向き直りこう言った。
「えーっと、ビー君にアキラさん……おかえり」 「お、おう」 「ただいまーアサヒー。なんか電話邪魔しちゃってごめんねー」 「ううん、気にしないで……っていうのも無理、かな? 特にビー君は」 「まーな」
アキラさんはこの地方のトレーナーでもなければ“闇隠し事件”に関わりはないはずだ。とすると、被害者の俺の反応が気になるのも無理はない。つーか気になって当然だろう。 しかし、ヨアケの捜していた奴がこの国をほぼ壊滅まで追いやった神隠し、“闇隠し事件”の容疑者になるとは……実感はまだないが、とんでもないことになっているのだけは分かった。そして、動機になるには十分過ぎるほどだった。 ヨアケが俺に申し訳なさそうに謝る。
「という訳で急用が出来ちゃった。一緒に王都まで行こうって話だったのにゴメンねビー君」 「気にすんな。そういやヨアケ、【スバル】って確かこの【トバリ山】を越えてその麓沿いにあったよな? 今からじゃ流石に遅いから明朝出発するのか?」 「場所はその辺だったと思う。行けるのなら今からでも出発したいなとは思っていたけど……」 「いくら道路あるって言ってもー、流石に危ないってー」 「俺もアキラさんに同意見だ」 「そう、だね。うん、そうしておくよ」
二人がかりで念を押して、ヨアケはようやく引き下がった。こいつ、強行する気満々だっただろ。 アキラさんが眠たげな様子で欠伸する。
「じゃあ、明日早いなら、そろそろ寝よっかー。お先におやすみー」
そう言いながら、宿とは別の方向へ歩き出すアキラさん。俺とヨアケは慌てて彼女を呼び止める。
「って、どこ行くんだ、宿はこっちだろ?」 「あー、いつも外で寝る方が好きだから、野宿してる癖でー、つい?」 「ついついって、宿に荷物忘れてるよっ」 「あ、そうだった。危ない危ない、ありがとー。それじゃあ改めてお先ー」 「うん、おやすみ」 「おう、おやすみ」 「二人も早く寝るんだよー」
そして彼女は宿に入る手前でちらっと俺を見て、目配せした。 その意図はなんとなくしか汲み取れなかったが、ヨアケに何か言え、と言いたかったのだろう。 アキラさんが見えなくなった後、続こうとしたヨアケを呼び止める。
「ヨアケ」 「なあに、ビー君?」
ヨアケは振り返ると俺の顔真っ直ぐ見て、不自然なぐらい穏やかに聞いてくる。 彼女のそういう所が苦手で、俺はとっさに視線を反らしてしまう。その視線の先でリオルと目があった。 リオルからさっさと言え、と促され俺はヨアケに向き合った。 じっと見られて僅かに緊張する。何をどう伝えればいいのか分からなかった。 なんとか辛うじて言葉を絞り出す。
「その、見送りぐらいはしたいからさ、ポケモン屋敷の時みたくさっさと行かないで、今度は声かけてくれよな」
ヨアケがきょとんとした顔をした。ああ……言ってしまった後に恥ずかしさが込み上げてきた。目が泳ぐ。 その俺の様子が可笑しかったのか、ヨアケがくすりと笑って、それからはにかんだ。
「うんっ、わかった」
その笑顔を見て、夜風がすっと胸の奥を吹き抜けた気がした。
*********************
翌朝。私はビー君に頼まれた通り一声挨拶してから出発しようとした。しかし部屋に彼らの姿はなく、ロビーに行くとアキラさんと彼女の手持ちの火焔ポケモン、ゴウカザル居た。名前はライというらしい。よくポケモンを外に出すんだな、と昨日今日の彼女を見ていて思った。私も見習わないとな。
「アキラさん、ライくんおはよー。おユキちゃんの具合はどう?」 「おはよーアサヒ。んー、もう大丈夫ー」 「そっか良かった。そう言えばビー君知らない?」 「ビドーなら、町の入り口で待っているって言ってたよー」 「一声かけてくれ、って言ってたから声かけようと捜したのにっ。もう」 「まーまー」
膨れた私をアキラさんは宥める。彼女も私と同様に旅立つ支度を終えていたようなので、一緒に歩いて。町の入り口まで向かった。 町の出入り口にはもうぱっと見でも何となく彼だと分かる、ちょっと長い群青色の髪の頭を持つ小柄な背姿があった。 彼の隣にはリオルの後ろ姿もあり、彼らは何故か仁王立ちしていた。その傍にはサイドカー付バイクもあった。 足音に気が付いたのか、彼らがこちらを向く。 目と目があった。一瞬バトルが始まるかと思ったほどの気迫を彼らから感じた。 開口一番ビー君はこう言った。
「乗っていけ」 「えっ」 「サイドカーに乗っていけ」 「えっと、どうして?」
わざわざ言い直してくれたビー君に、思わず疑問を口にしてしまう。少し経って、ようやく言葉の意味を理解した。彼の厚意を無碍にしようとしたのだと気づき、気まずくなる。 気まずい空気の中助け舟を出してくれたのはアキラさんだった。
「あーつまりあれだねー。送っていくって言いたいんじゃないかなービドーは」 「そう、なの?」
確認を取ると、何故か彼に文句を言われる。
「むしろ、この流れで置いていかれるのも結構あれだぞ」
あれって……ビー君には悪いけど、素直じゃないなー、と思ってしまった。更に、アキラさんがすっと手を挙げる。
「ちなみにアタシも行くよー。研究所なら珍しいきのみの本とかある気がするしー」 「ええっ、ついてくる気満々?」 「アタシはリュウガに乗っていくから席の心配はご無用だー」
挙げていた手の親指を立てて前にグッと突き出すアキラさん。 ビー君とリオルはこっちをじっと見ているし、だんだん断れない流れになってきたっ。
「か、勘違いするなよ。俺もそのヤミナベの話を詳しく聞きたいと思っただけだ」
いや、まあそれは分かるけど、その通りなの分かるけど、なんでそういう言い回しするかなこの子は。 悩んだ末、断り切れず私は二人に同行してもらうことにした。
「分かった。旅は道連れデリバード、一緒に行こう、【スバル】へ!」 「旅は道連れユキメノコー、おー」 「今は手持ちにいないが旅は道連れラルトス」 「何この道連れ率」
そう言えばユウヅキの手持ちやアキラ君のメシィちゃんも『みちづれ』覚えた気がする。道連れ率高すぎ。 今の内に……気乗りはしないけどアキラ君に怒られる準備しておこう。
*********************
アサヒ達が【スバル】へ向かい始めたその頃、ソテツは『ひみつのちから』で作られた秘密基地の中で、ホロキャスターという立体映像を映し出す通信端末で通話していた。その相手は男女二人ずつの計4人。ソテツを含め、5人が円になって向かい合って近況報告をしていた。 彼らは“五属性”。自警団<エレメンツ>をまとめる五人組である。 軽い挨拶の後、ソテツが先日の報告を始めた。
「――アサヒちゃんの記憶は、以前変わりなし。一応オイラ達との約束を守ってくれようとしているけれども、いつボロが出てもおかしくはないってとこかな。あと、ガーちゃんも見かけてくれたんだけど、例のアサヒちゃんを探していたミケという探偵とやらに、アサヒちゃんが接触してしまったみたいだ。オイラと別れる時気まずそうな顔していたから、たぶんドジってるよあの子」
ドジっている、という言葉にソテツから見て右隣の背の低い少女が反応。頭を抱え、叫ぶ。
『だーっ、何やってんの! あのおバカ!』 『素直そうで隠し事多い、あの子らしいね』
もう一人の、ソテツの左隣にいるポニーテールの女は少女を窘めるでもなく頷く。 少女の右隣に居た、体格のいい、目隠しをした男がソテツに訊ねた。
『……それから、アサヒの素性を探っていた探偵の足取りは?』 「ゴメン。そこまでは分からなかった。ただ、痕跡をなるべく残さない辺り、かなり逃げ慣れている。たぶん爪を隠している類のやり手だよ、あの男」 『ほう……』 『こら、関心しているんじゃないのっ、これだからバトルマニアは』 『まあまあ』
探偵に感心する目隠し男を、少女が叱る。それを今度こそポニーテールの女が窘めた。
「あともう一個だけ言いたいことあるけど、いいかい?」
ソテツがいつになく真剣な表情を作るので、それまで静観していた二番目に身長が高い、リーダー格らしき男はソテツに聞き返す。
『何だソテツ、改まって』
ソテツは一息吸ってから、己の抱いた不安を吐き出す。
「あの探偵、オイラとキャラ被ってないかい?」 『どうでもいい……!』 「えー、だって気になるさ」
リーダーにばっさり切り捨てられ口を尖らすソテツ。そんな彼に少女はフォローになってないフォローを入れた。
『だいじょーぶじゃない? ソテツは若さがあるじゃん。見た目の』 「合法ロリにだけは言われたくないぜ!」 『なにおー!!」 『二人とも、じゃれ合わないの!』 『そーだぞ、そんなたかが身長の事で』
少女(?)とソテツの諍いを仲裁するポニーテールの女を眺めながらリーダーは呆れながら言った。すると、二人の矛先が移る。
「たかがとかいうな木偶」 『ソテツ、怒ったら負けじゃんよ。アイツは身長に栄養持っていき過ぎているだけなんだから』 『なっ、リーダーに向かってその口はなんだ!』
むっとするリーダーをポニーテールの女は抑えにかかる。
『こらこら、そこで貴方が怒らない。リーダー』 『ちっ』 『こらこら、そこで舌打ちしないの。ね?』 『……はい』
彼女は笑いながらリーダーに注意する。しかしその笑顔にはどこか凄みが入っていた。その様子を見て、目隠し男は同情するように呟いた。
『……尻に、敷かれているな……』 『うるせー、お前も避けられない道だからな……!』
呟いた彼を恨めし気に睨むリーダーをよそに、ソテツは気を取り直して報告を続けた。
*********************
「そう言えば、正体が謎に包まれている<ダスク>についても話そうか……<ダスク>による密猟がこれで6件目だね。その前の密猟者からは何か情報引き出せた?」 『それが……今の所<ダスク>って言うのは“サク”という人物を中心に成り立っているらしい……? という事が判明しているぐらいだ』
リーダーの曖昧な表現に、ソテツは眉をひそめる。
「らしい、とは」 『恐らくだが、本人達もよく自覚していないようなんだ』 「へっ?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまい、咳払いするソテツに目隠し男がリーダーの言葉を引き継ぐ。
『自分達が<ダスク>という組織に所属しているのは把握しているのだが、詳しい組織形態までは理解できてないらしい。つまり、もっと<ダスク>の全体像を知るためには、存在するのか怪しいが幹部らしき人物の手がかりが必要だ。そのためには、なるべく動く<ダスク>のメンバーは、捕まえていきたいのだが……』 「そうか……昨日は取り逃がしちゃった。ゴメン」
謝るソテツにポニーテールの女がこぼす。
『ソテツにしては珍しいわね。その<ダスク>メンバーの素性とかは判明しているの?』 「彼の名はハジメ。ハジメ君はおそらくこのヒンメルの国民だと思う」 『ハジメ、ね。ちょっとデータベースで検索してみる』
少女がノートパソコンを用いて調査し始めると、キーボードを打つ音だけがしばらく響いた。 ふと、思い出したようにソテツは呟く。
「“俺達はただ救いたいだけだ。この国の民全部を、だ。怯えながら待ち続ける仲間も、連れていかれた仲間も、全部。全部取り返したい。ただ、それだけだ”……か」
その呟きに他四人が視線をソテツへ向ける。四人を代表してリーダー格の男が尋ねる。
『それは?』 「ハジメ君の言った、<ダスク>の目的だ」 『見えてきたじゃない、<ダスク>は何かしらの形で救国願望をこの国の民に与えて利用しているってことじゃん?』
ソテツの証言に、少女が指さしして見解を述べる。ポニーテールの女は少女の言葉に引きずられた。
『扇動している何かがいるってこと? だとしたら、そのハジメ君は騙されているの?』 「単に<エレメンツ>はあてにできない、って言いたいんじゃないかな」
ぼやくソテツに目隠し男がぽつりとこぼす。
『……いや、もしハジメ達<ダスク>が“あのこと”を知っていたとしたら……どうだ。アサヒが……』 「ストップ。それ以上はいけない」 『そうね、私もソテツに賛成。少なくともこの場では、ね』 『……すまない』
ポニーテールの女とソテツの制止に、謝る目隠し男。そしてハジメの話題は、持ち越しとなった。 それから他の報告へと移っていく。 この地方に新たに移り住んだ人々が国民と衝突するトラブル。ポケモン屋敷からポケモンが義賊団<シザークロス>によって盗まれたなど、挙げればまだまだ、問題はつきなかった。
『――それじゃあ、続きは本部に帰還してからだ――解散』
通信を終えた後しばらく、低い位置にある天井を仰ぎ見ながら、ソテツは思う。 もし、目隠し男の彼の言おうとしたことが当たっていたとしたらアサヒが標的にされていたかもしれない。 だが、自分はその流れを止めた。そう、止めたのだ。 はたから見ると師匠が弟子を庇っただけの行為に見えるが、彼は矛盾した感情を抱えていた。
(オイラとしては別に庇うつもりは無かったんだけどね。なんでだろ)
仮にも師匠の立場からくる、情というものなのだろう。そうソテツは割り切って、次の任務へと向かった。
********************
「――かくして、ユウヅキは<スバルポケモン研究センター>を襲撃した強盗として追われることになった……というのが、3ヶ月前その現場に居合わせた私の友達、アキラ君から聞いた一連の流れだよ。ビー君、アキラさん」
私は移動中に、二人にユウヅキがどうして指名手配されたかの経緯をざっくりと話した。 私の説明をビー君とアキラさんは相槌を打ちながら聞いてくれた。 その事件を知った当時の私は、ただただ驚いた。行方をくらましていたユウヅキが無事だったことへの嬉しさは勿論あるけれど、アキラ君を攻撃した、というのが正直信じられないような、いやでも彼ならやりかねないような気もして……とにかく、強盗とかも含めてなにをやっているの、ユウヅキ? って、気持ちが私の中で渦巻いていた。 ユウヅキなりの理由があるにしても、とっちめないと、という使命感を抱く私だったけれども、そんなちっちゃな意固地は大きな波の前では、通用しなかった。
「でもアサヒー、それって今までの話だよね?」 「そうだね。昨夜聞いた通り、どういうことかユウヅキは“闇隠し事件”の容疑者になった。だから事の真相を調べるためにも今からまずその容疑をかけられた理由を聞きに行くってとこだよ」 「そーいや、そこまでして何を奪ったんだろうな、ヤミナベは」 「私も知らないや。でも、よっぽどのものなんじゃないかな。何だろう?」
三人とも唸りながら考え込む。しかし答えなど出るはずもなく、そのうちフライゴンのリュウガ君に乗ったアキラさんが口を開く。
「それも気になるけどー、アタシとしてはそのアキラ君って人の方が気になるなー」 「同じ名前だよな」 「それに関しては私びっくりしちゃったよ。本当にアキラ君がいるのかと思っちゃった」 「向こうについたら呼び方とかどうするんだよ。ややこしいぞ。アキラさんで慣れちゃってるし」 「むむ、私も昔からアキラ君って呼んでるから今更変えられないよ」 「んーじゃあ、皆でアキラ君と呼べばいいと思うー」 「その中には俺も含まれているのか?」 「頑張れービドー」 「頑張ってビー君」
そしてなんかごめん、アキラ君。
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【トバリ山】の麓の湖畔にある【スバルポケモン研究センター】は、ヒンメル地方のポケモンとそれにまつわる事柄全般を調べている研究所である。 もともとは天気研究所として設立されたのもあり、レーダーなどの技術に特化されているとか。 だがその持ち前のレーダーシステムを用いても、行方不明者の発見には至らなかったのだが。 “闇隠し事件”をポケモンによる事件ではないかと考え、調査しているのも彼ら<スバル>の研究員だ。 “闇隠し”の被害で研究員が不足していたが、近年他の地方からの研究員を招いて、調査団を組んで持ち直してきているというらしい。
研究所の受付で出会ったのは、深緑の髪を三つ編みにしたメガネの男性だった。麗人、という言葉が似合いそうなその白衣を着た彼は、俺達をみるなり柔和な笑みを作りながら近づいてきた。
「お待ちしておりました、アサヒさんとそのお連れの方々。私はこの【スバルポケモン研究センター】の、所長のレインと申します。以後お見知りおきを」 「ええっと、ヨアケ・アサヒです。よろしくお願いします。こっちの背の低いほうがビドー君。こちらはアキラさんで、そのフライゴンは彼女の手持ちのリュウガくんです。皆さん成り行きで一緒になった方達です」
おい、もう少しましな紹介の仕方あるだろ。と俺はヨアケに視線を送ったが気づかれなかった。
「ビドーさんにアキラさん、リュウガくんもよろしくお願いしますね」 「どうも、よろしくお願いします」 「どうもー」 「所長さん自らわざわざ出迎えてもらってすみません」 「気になさらなくて結構なのですよ、もとはと言えばこちらが呼び立ててしまったようなものですし」
こちらへどうぞ、と案内を買って出たレインに、ヨアケは流れを断ち切って疑問を投げかける。
「その、私を呼び出したアキラという名前のシンオウ地方ハクタイシティ出身の彼は、どちらに?」
そうだ。もともとヨアケを呼び出したのはそのアキラ君とやらのはず。何故所長自ら彼女を出迎える? 俺も訝しんでいるのを察したのか、レインはあくまで笑みを崩さず、ヨアケの疑問に答えた。
「ご安心ください、彼は奥の部屋でとある準備してもらっています」 「準備?」 「アサヒさん、貴方に私達の研究内容と、“闇隠し事件”の見解をお伝えするための、準備です」 「いいのですか? そんな重要なこと私に教えても」 「別に、かまいませんよ。アレがヤミナベ・ユウヅキ氏に盗まれた時点で、公開しようと思っていましたので。もろもろの事情があり公にするまで時間がかかりましたが。まず貴方に先に伝えるべきかと判断しました。アサヒさんには聞く権利がありますし」 「重要参考人として?」
ヨアケの皮肉に、レインはメガネを直しながら、皮肉を倍返しで返した。
「貴方がヤミナベ・ユウヅキ氏のご友人だからですよ」
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友人、という言葉にどうしてかヨアケが黙り込む。ヨアケにとって、ヤミナベ・ユウヅキは幼馴染だそうで、友人と称すのは間違ってはいない。何か不服でもあるのだろうか。 そのことも引っ掛かったが、俺は俺の事情を優先させレインとヨアケの間に割って入る。
「その話、俺も聞いていいですか?」 「どうぞご一緒に。アキラさん、貴女はどうされます?」 「んーアタシはいいかなー。それよりこのきのみを調べられる本とかあるー?」 「それでしたら資料室にきのみの図鑑の最新版が入っていたはずです、誰かに案内させましょうか?」 「いいっていいってー、皆忙しいんだし、自力で探すよー」
事情を知らないヨアケから見たら気を回してくれているようにも見えそうだが、アキラさんは昨日手に入れたきのみを一刻も早く調べたいのだろう。案内図を見る目が子供っぽく爛々としている。 逆に邪魔してはいけないような気がした。
「んじゃ、また後で会えたら会おうアキラさん」 「またね、アキラさん、リュウガくん」 「ん、またねー」
案内図に夢中になっているトレーナーの隣で、フライゴンのリュウガは翅をパタパタさせて俺達を見送ってくれた。
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少しだけ広めの第2会議室と書かれた部屋に通されると、そこには屈みながら投影機を準備している、スーツを着た青いセミショートヘアを持つ若い男性がいた。
「ヨアケ・アサヒさんを連れてまいりましたよ、アキラ氏」
レインに「アキラ」と呼ばれたその男は、ゆっくりと立ち上がり、振り向く。 整った顔立ちをした男は、銀縁メガネの奥の黒い瞳をわずかに細める。 一瞬俺と視線があったが、彼は俺のことを気にも留めず、ヨアケの方へと顔を向ける。 穏やかな、でもどこか疲れた声で、彼はヨアケに声をかけた。
「やあ、アサヒ。久しぶりだね」 「久しぶり、アキラ君。なんか疲れてそうだけど、大丈夫?」 「僕は大丈夫さ。気持ちはありがたいけど今は君自身の心配をしなよ」 「そういうわけにもいかないよ」 「……僕が心配だからそうしてほしいんだ」 「大丈夫なのに」
強情なヨアケに重いため息を一つつくアキラ君。少しだけこの二人の関係がわかった気がする。 要するにヨアケにかなわないところがあるんだな、コイツ。ヨアケ、頑固なところは頑固だもんな。 心の中で納得していたらヨアケはアキラ君に俺のことを聞かれていた。
「それより、そちらの少年は誰だい?」 「少年じゃねーよ」
俺は反射的にそう答えてしまう。ヨアケが場の空気を和らげるために俺の紹介をアキラ君にする。
「彼はビー君、じゃなかったビドー君。私をここまで送ってきてくれたんだ、サイドカー付きバイクで!」 「そう」
ヨアケの言葉は明らかに彼に何か注いでしまったように見えた。受け答えする声のトーンが低い。心底俺に興味なさそうだ。 それから口元を歪ませた彼は、俺にガンを飛ばしながら、つまりは(身長差的に)見下しながらこう言った。
「君でも免許取れるものなんだね」
おい、「でも」とはなんだ「でも」とは。コイツ気に食わねえ……! ヨアケはヨアケで「あちゃー……」と言いながら苦笑い浮かべている。まるで、奴の毒舌がよくあることみたいに。 奥歯を噛みしめアキラ君を睨み返そうとすると、手を叩く音がそれを止めさせる。 音の出どころはレイン。レインが、朗らかに笑いながらヒートアップしていた俺らに水を差していた。
「はい三人とも、積もる話もおしゃべりも後に回していただけますでしょうか? あとアキラ氏はビドーさんを挑発しないでください」 「レイン所長……失礼しました。ビドーも」
素直に謝るアキラ君。なんだかさっきからこの男、どこか余裕がなさそうだ。切羽詰まっているというか。 そういやアキラ君はヨアケにいち早く何かを知らせたがっていた。もしかしたらそれは、タイムリミットか何かがあったのか? 少なくとも、こういう形でヨアケと再会することを彼は望んでいないのかもしれない。 レインが用意したこの場、何かあるのか? そんなことを考えていると、すねていると勘違いされたのかヨアケからも謝られた。
「私からもゴメンね、ビー君」 「いや、悪いぼうっとしていた。別に気にしちゃいない」 「そっか、良かった」
本当は気にしているけれども彼女を安心させるために、振る舞う。 実際細かいこと気にしていられる場合でもなさそうだしな。 ヨアケが軽くレインに頭を下げる。
「それでは、所長さん、お願いします」 「はい、始めましょうか」
*********************
灯りを消し、窓のカーテンを調節して、会議室は薄暗くなる。投影機が、ノートパソコンの画面を白い幕へ映し出していく。 レインが“闇隠し事件に対する<スバル>の見解”というノートパソコン内のフォルダを開く。いくつかの画像ファイルと動画ファイルがフォルダ内には入っていた。
「まず、“闇隠し事件”についておさらいしましょう」
ファイルの列から、一つの動画ファイルを選択され、再生される。 幕へと映し出されるのは、遠くから見た王都【ソウキュウシティ】の姿。画面の右端には【トバリ山】も見える。
「これは、ヒンメル地方から西方に位置する国、【エアデ】の国境付近にお住まいの方が撮影した“闇隠し事件”の様子です」
しばらく風景だけが映し出されていた。だが、次の瞬間黒いドーム状の半球体が発生し、画面の大半を埋めた。
「全国ネットにも上げられたこの映像はニュースなどで見たことがおありだと思います。そう、我々の王都【ソウキュウシティ】を中心として地方をドーム状の黒い球体が覆っているのです。その範囲は【トバリ山】をも巻き込むほどであり、覆われたのはほぼ地方全域と言ってもいいでしょう」
改めてみるとやはりシュールな超常現象としか言いようのない闇のドーム。もし地図があるとしたら真っ黒なインクを零したように、ヒンメル地方を蝕むその闇。俺達ヒンメルの民は確かにそこに、闇の中にいた。 客観的に見て5分ほどだっただろうか。短いようで長く、重々しい時を経て、闇がシャボンのように弾けて霧散する。 それからまた先程と同じ風景が映し出される、正確に言えば違うのだが、建造物や山には異常は見られなかった。
「次に、これは“闇隠し事件”の渦中、闇のドームの中にいた人々の証言です」
動画ファイルが閉じられ、次に文書が映し出される。文書には、名は伏せられているが老若男女さまざまな人の体験が、綴られていた。
「少々長いのでまとめると、視界が闇に覆われて、いや光の一切ない闇の中に放り出され自身の体も平衡感覚もわからなくなったとあります」 「これは、俺も体験しました」
思わず俺は口をはさんでしまったが、レインはむしろ歓迎といった様子で続ける。
「音は、聞こえたのですよね。そして神隠しにあった方々の声も」 「ああ、それから天上から泡がはじけるように光が入ってきた」 「そして、多くの人やポケモンは姿をくらませた」
あの日の見えない右手とラルトスの声、そして暴力的に降り注ぐ光を思い出し、冷や汗が垂れそうになる。 隣でヨアケが息をのむ音が聞こえた。レインはヨアケを横目に見て、それから本題に戻る。
「しかし疑問なのが建造物に関しては一切破壊された痕跡はなく、人々やポケモン達だけがいなくなっている点なのですよね」
先程の映像にもある通り、建物などには異常が見られなかった。だからこそ、生き物だけいなくなった神隠しと恐れられ、“闇隠し”という異名をつけられたのだ。 けれどもレインは一度、その神隠しという言葉を否定した。
「この集団失踪について、我々<スバル>はまず神隠しという先入観を捨て、『テレポート』という技を使った集団誘拐の線を探しました」 「『テレポート』っつーと、あの戦闘離脱や一度行ったことのある場所とかにワープ出来るっていう、あの技か……」 「はい……ですが、この説には問題が。待てども一向に身代金などの要求が来ないのです。仮定の話ですが、もしヒンメルの土地を狙うことで有名な【エアデ】が犯人だとしたら、他の連合諸国がヒンメルを保護下に置く前に揺さぶりをかけてもおかしくありません。あと、【エアデ】に限った話ではないのですが、あれだけの人とポケモンを収容できる施設と食糧費などの余裕はないと思います」 「た、確かに」 「それに、『テレポート』では規模が大きすぎます。普通なら王族などをピンポイントで狙えばいいでしょう? 確かに女王陛下含めた重要人物は神隠しにあっています。ですが、他にも巻き込まれた人々の数が、多すぎる」
それまで黙していたヨアケが口を開く。
「いくら建国記念日のお祭りが開かれていたと言っても、いやむしろ建国記念日だからこそ他国の人間達が大量にいたら目立つってことですね」 「その通り」 「じゃあ、さらわれたっていう可能性が少ないならいったいどこに消えちまったっていうんだよ……」
レインの肯定に意気消沈する俺の発言を、アキラ君は訂正する。
「誰もさらわれた可能性は捨ててはないさ」 「アキラ氏の言う通りですビドーさん。『テレポート』以外にも誘拐する方法はあります。例えば光輪の超魔人という異名を持つフーパというポケモンによる召喚、異空間転送の線なんかも探っていました」 「そうか、何もワープさせる方法は『テレポート』だけじゃないのか……」 「しかし、フーパは手持ちの六つの輪を通してでしか召喚できませんし周囲の物も巻き込んでしまいます。一度に召喚できる範囲と数が限られていますので『テレポート』と同じくフーパでは“闇隠し”規模の事件を起こせないでしょう」
唸る俺にレインは「ここからが本題です、お待たせしました」と言った。結構長かったな。と思ったのがバレていたのか、レインに「前置きはクッションですよ」と微笑まれた。
「引っ掛かってくるのは、携帯端末のGPSも消失している点なのですよね。GPSなら、別大陸に居ても探すことが可能です。よほど電波が通ってないところにいるか、もしくは何か不幸な目に合っていなければ、の話ですが……つまり、現状私達<スバル>はこの世界ではないどこかに隠された、と考えています」 「この世界以外って何処だ? パラレルワールドとか言い出すんじゃないよな?」 「ある意味では並行世界なのでしょうか、この世界には、裏側となる世界が存在するのですよ――――それは、“破れた世界”」 「“破れた世界”……?」
新しく開かれた文書ファイルが、“破れた世界”という言葉が垂れ幕に映し出される。見慣れない単語に俺が戸惑っている隣で、ヨアケは何かを考え込んでいた。 レインがヨアケにどうしたのか尋ねようとしたら、彼女は短く謝った後レインに続きを促した。レインは一つ咳払いをすると、“破れた世界”解説を始める。 画面を下へスライドさせると、そこには黄金の兜らしきものを被った、大きな怪獣のようなポケモンの姿が二対映し出されていた。片方は足があり、もう片方は足がなかった。
「こちらはギラティナという伝説のポケモンです。足がある方が私達の世界にいるときのアナザーフォルム、そして足のない方が破れた世界に棲むオリジンフォルムのギラティナ。破れた世界というのはオリジンフォルムのギラティナが住処とした様々な法則を無視した世界で、いわゆるこの世界の裏側ともいえる場所。そこにヒンメルの民は引きずり込まれたのではないか、と我々は考えました」 「まてまて、破れた世界ってものがあったにしても、そう簡単に引きずり込まれるものなのか? そもそも人が行ける場所なのか?」
突っ込む俺にレインは若干喜びながら(?)対応した。
「いい質問ですねビドーさん。シンオウ地方などでは破れた世界へと生身で足を踏み入れ、しばらくの間行方不明になった人物は過去にいます」 「まじかよ」 「シンオウ地方にある泉の一つで【おくりの泉】という場所にある【もどりの洞窟】の最奥部などに破れた世界の入り口が出現したところをシンオウ地方の研究者は調査し続けたそうです。データによると、破れた世界にいるギラティナがこちらの世界に近づくと空間にひずみができ、破れた世界への扉が開かれるそうですよ」 「でも、それってシンオウ地方の話だろ? ヒンメルじゃ……あ……そういや、この地方の伝説って」 「そうです。ヒンメル地方とシンオウ地方は、ところどころ共通点が見られます。代表的なのは【トバリ山】の存在ですが、その他にも時空と破れた世界を司る三神と呼ばれるポケモンから、新月、三日月、蒼海の王子などのポケモンがいたという伝説も残っております。余談ですが波導使いなどは現在も存在します。あの、エレメンツの目隠しをした彼……」 「トウギリさん」 「ありがとうございますアサヒさん。彼なんかも現役波導使いとしてバリバリ働いていますよね。話を戻しましょう。シンオウ地方に縁のある研究者にも来てもらい、あるアイテムを作ろうとしていたのです」 「アイテム、とは?」
ヨアケの質問に対し、レインは少々言いづらそうにその道具の名を述べた。
「……人工的に作り出した“赤い鎖のレプリカ”です」
いまいちピンと来ない俺は、レインにたびたび質問を重ねる。レインは笑みを消し、先ほどまでと比べて真面目な口調で答える。
「“赤い鎖のレプリカ”……? それは何に使うんだ?」 「ディアルガとパルキアという時間と空間を司るポケモンを呼び出すために使うのです」 「呼び出すのは、ギラティナじゃないのか」 「ええ。ギラティナそのものを直接呼び出す方法は現状ではディアルガとパルキアを呼び出すしかおびき出す方法を見つけられていません」
レインの言葉をアキラ君が補足する。
「そもそもシンオウ地方のように破れた世界に行く方法自体が、このヒンメルでは確立されていないんだ。ヒンメル地方でも破れた世界への扉を探そうと、【もどりの洞窟】のようなギラティナの住まうとされている遺跡で調査を繰り返したが、ダメだった。そこで、シンオウで実際に過去に使用された“赤い鎖”を用いたディアルガ、パルキアによるギラティナを呼び出す方法。それを<スバル>はプロジェクトとして研究を続けているという所さ。それで、“赤い鎖”を生み出すこと自体には成功したけど……」
プロジェクト自体は順調に進んでいた。だが、言いよどむということは、でもそれを遮る出来事があったのだろう。 それを察してしまって、どうしようもなく嫌な予感が俺の頭の奥で膨れ上がる。 彼女の吐くため息の音が、聞こえた。 彼女も<スバル>の研究を途絶えさせた正体に気づいたのだろう。 いや。気づくも何も、今ここでしているのは最初からそういう話でしかなかったんだ。 彼女は、ヨアケ・アサヒはアキラ君に確認を取った。
「そこで、話はユウヅキに繋がるんだね、アキラ君」 「そうだ。ユウヅキが“赤い鎖のレプリカ”を盗んだんだ」
“<スバルポケモン研究センター>襲撃事件” この事件で<スバル>は研究物をヤミナベ・ユウヅキに奪われた。 そのせいで“闇隠し事件”の手がかりを掴むための研究を中断せざるを得なかったと。 複雑な感情がこみ上げてくるが、それよりも俺にはまだ、何故ヤミナベ・ユウヅキが“闇隠し事件”の容疑者、しかも誘拐の容疑をかけられたのかが分からないし気になっていた。 まだ知らない情報がありそうだ。
「……所長さん。“赤い鎖のレプリカ”を盗んだだけでは、どうにもユウヅキが“闇隠し事件”の容疑者になるには色々と足りない気がするのですが」
ヨアケも同じところが引っ掛かっていたのか、レインに問いかける。 その言葉にレインは目を細め、「おかしいですね」と呟いた。それから、レインは優しく、穏やかに衝撃の事実を述べた。
「ヤミナベ・ユウヅキ氏は過去にギラティナを祭る遺跡に訪れています。アサヒさん、貴方と一緒に。建国記念日の前に少年と少女の旅のトレーナーに遺跡について調べているのでその場所を知りたい、と尋ねられたと証言された方がいました」 「え……?」
明らかに動揺するヨアケ。俺は自分が驚く前に、その彼女の驚いた表情から目を離せないでいた。 畳みかけるようにレインは言葉を重ねる。
「貴方はその遺跡について調べる為に、この地方に来たのではありませんか?」 「いや、それは」
顔を伏せ、言いよどむ彼女に、レインは優しい口調で、こう付け足した。
「慌てて思い出そうとしなくても大丈夫ですよ、アサヒさん」
その言葉に反応し、ヨアケはレインの顔を凝視する。それから彼女は俺のあずかり知らぬ内容を口にする。アキラ君が彼女の発したその名に反応した。
「……まさか所長さん、貴方がミケさんの依頼主……ですか?」 「! アサヒ、あの男に何かされたのか?」 「えっと、色々質問されただけだよ」 「色々って、はぐらかすなよ」
アキラ君に問い詰められ、苦い表情を浮かべるヨアケ。話についていけない俺は、割り込む形でヨアケに質問する。
「おい待ってくれ、そもそもミケって誰なんだ?」 「あ、ゴメンビー君は知らなかったよね。ミケさんはね、私とアキラ君の知り合いの探偵さんなんだ。ミケさんは、誰かの依頼で私を調査していたみたい。その依頼主が、もしかしたら所長さんなのかなって思ったの……それで、どうなのでしょうかレインさん」 「私は依頼主ではありません。その依頼主からアサヒさんの情報を伝えられているただの研究所の所長、と言ったところでしょうか。まあ、ばらしてしまうとその探偵の依頼主は、ヤミナベ・ユウヅキ氏を指名手配にできる方々ですね」
ミケという探偵をヨアケに差し向けたのは、ヤミナベを指名手配にできる人々。ということはどこかの組織の可能性も挙げられる。しかし、ヒンメルに存在する組織に、この地方の外の人間を雇ってまで調査をする余力があるようには思えない。そうなると、残されているのは地方の外の組織で、国をまたいでも平気な奴ら。ということになる。ということは――
「……<国際警察>ですか」 「はい。直々の協力要請が国籍経歴問わずにされているようです。アサヒさんとユウヅキさんに最も近しい探偵、ということで彼が選ばれたとも聞いています。ですが、あまり彼を責めないであげてくださいね」
辿り着いた答えを口にするヨアケ。レインがミケをフォローしつつ、その答え合わせを言った。 その答えを聞いて、アキラ君は苦々しい表情を浮かべる。ヨアケも俯いて、言葉に詰まっている。そんな二人に追い打ちとばかりに、レインはヤミナベがかけられている疑いをまとめた。
「建国記念日のお祭りの日に首都ではなく、離れのギラティナの遺跡にわざわざ訪れる方は限られています。まあ、遺跡の警備員の方も神隠しにあってしまっているので確かな証拠ではないのですが……ヤミナベ・ユウヅキ氏はおそらく事件の起こる前後にギラティナの近くにいたと思われます。そして、今回ヤミナベ・ユウヅキ氏によってギラティナを呼び出すための“赤い鎖のレプリカ”が盗まれた……偶然で片づけるには、少々怪しくないですか?」
“闇隠し事件”がギラティナと繋がっている可能性がある以上、それは少々ではないことを、おそらく二人は感じていたのだろう。
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「だから彼は、ユウヅキは“闇隠し事件”の容疑者となったのですね」 「はい。そしてアサヒさん、貴方はさっきあなた自身がおっしゃっていた通り重要参考人ですね」
しばらく黙り込んでいたヨアケが、口を開く。それにレインは皮肉交じりに事実を彼女に突きつけた。 レインの追い詰めはそれだけでは終わらない。
「アサヒさん、おそらくこのままでは“国際警察”を呼んで貴方の記憶を調べさせていただくことになります」 「レイン所長、それはあくまで最後の手段と……!」 「いいですよ」 「アサヒ!」
アキラ君が、俺が今まで聞いた中で一番声を荒げた。その態度で、それまでの言動と合わせコイツが心配していたのは、ヨアケが疑われ捕らえられることだと、俺は察した。 そんな彼の思いとは逆に、ヨアケは白状していく。
「実は、以前調べてもらったことがあるんです。だけど、私の記憶の中に、私さえ思いさせない記憶が封じられているみたいで。彼らは無理にこじ開けることを、私の頭に負荷がかかりすぎると言って中断してくれたのですが……私の記憶が戻るなら、どうぞ調べてください」 「どなたに記憶を封じられたのでしょうか?」 「わかりません。ですが、ユウヅキがオーベムを手持ちに持っていたのは、覚えています。状況的には彼が怪しいです。でも……」 「そんなことしない、と信じたいのですね」 「はい」 「……記憶の無い期間はおおよそどのくらいですか?」 「だいたい一ヶ月ほど。彼と別れた時のことは覚えているのですがその前後が。この地方に来た理由もわかりません。それとしばらく意識が朦朧としていた期間があったみたいで正気を保てるようになったときには“闇隠し事件”は起きた後で、この国の人々に、“闇隠し”を免れた方々に保護されていました」
『“闇隠し”で失ったものって、戻ってくると思う?』 初めて会った日の夜、彼女は俺にそう問いかけた。 彼女が失ったもの、それはヤミナベ・ユウヅキのこともだが、記憶のことも指し示していたのだろうか。 ヨアケが“闇隠し”に加担しているかもしれない。確かにその現実も気がかりではあった。だがそれよりも俺は、彼女の置かれている現状が気になっていた。 気が付いたら、俺は彼女の名を呟いていた。
「ヨアケ……」 「アキラ君、ビー君ごめん、本当のこと言わないで」 「いや……」
「気にするな」とまでは、言えなかった。俺は別に、謝罪の言葉が聞きたいわけじゃない。 話題に沿って、気になっていたことを彼女に確認をとる。 ヨアケを保護していた彼らが、彼女の記憶のことを把握していないはずがない。だから彼らはそのことを知っているはずだ。
「<エレメンツ>なんだろ、お前を保護して、記憶のこと隠せって言ったのは」 「うん。でも、記憶を調べられそうになったりした時は正直に話していい、とも言われていたから。あくまで情報を伏せさせていたのは」 「混乱を防ぐため、と君を守るため、か。前者の方が強そうだけど」
ヨアケの言葉をアキラ君が引き継ぐ。ぱっと思い付きそうな理由はそのくらいだよなと彼の言葉に賛同しようとしたら、レインがその流れを断ち切った。
「はてさて、アサヒさんの言うことが本当という証拠もないのですよね。嘘だという証拠もありませんが。私としては<国際警察>に相談するところを勧めたいですが、アサヒさん自身はどうされたいのでしょうか」
話の論点を、疑われているこの現状で、ヨアケがどう行動したいかにシフトするレイン。 レインの立場なら、いつでもヨアケを<国際警察>に差し出せるだろうに、何故彼女の意思を問うのか、その意図は俺には読めなかった。 途切れ途切れになりながらも、ヨアケは言葉を紡いでいく。
「私は……彼を、見つけたいです。国際警察の方より、先に」 「見つけて、どうされたいのです」 「ちゃんと、話をしたいです」 「話をして、それから」 「それから……それから……」
言葉が紡げなくなるヨアケ。彼女の様子を見て、レインは一言謝りそれから俺ら全員に提案をした。
「すみません、急には答えを出せないですよね。話も長引いて疲れていませんか? 少し、休憩としましょう」
その提案を断る者は一人もいなかった。
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俺は、自動販売機の位置をレインに教えてもらい、受付まで一人戻ってきていた。 自販機にお金を入れ、冷たいブラックコーヒーを入手する。缶のタブを開け、それを一気に飲み干した。 少々の頭の痛みと苦さと引き換えに、視界がはっきりする。 鈍っていた思考回路が戻っていく。これなら現状を整理できそうだ。
彼女の置かれている現状。それは、<国際警察>にとっての重要参考人。 彼女の幼馴染のヤミナベ・ユウヅキが“赤い鎖のレプリカ”をこの研究所から盗んだことで“闇隠し事件”の容疑者になり、彼女もマークされている。 “赤い鎖のレプリカ”はディアルガとパルキアを呼び出し、ギラティナを呼び出すために必要な道具。レイン達は“闇隠し事件”の大規模失踪をギラティナの仕業ではないかと考えている。 過去に、彼女はヤミナベ・ユウヅキと共にギラティナの遺跡に訪れている可能性が濃厚。しかし、彼女の記憶は一部抜け落ちている。可能性として挙げられているのは、ヤミナベ・ユウヅキがオーベムを使って記憶を奪ったということ。
そして、彼女は<国際警察>よりも先に、ヤミナベ・ユウヅキに会いたいと願っている。
モンスターボールが勝手に開き、リオルが出てくる。ここ二日のことだが割と勝手に出てくるようになったな。
「サイコソーダ、飲むか?」
そう聞くと、リオルは自販機のボタンを押す。どうやらミックスオレの方が好みらしい。 再びお金を入れ、出てきたミックスオレの缶のタブを開けてリオルに手渡す。ゆっくりと尻尾を揺らし、ちびちびとリオルはミックスオレを飲み始めた。 そんなリオルを眺めていたら、俺は、リオルに語り掛けていた。
「なあリオル。俺、やりたいことができた」
リオルは俺を一瞥する。嫌そうな表情はしていないが、俺は恐る恐る話を続ける。
「俺は、やっぱりラルトスのことは諦めきれない」
ミックスオレを飲むのを中断するリオル。赤い瞳がこちらを見上げた。
「ラルトスを見つけられる可能性があるのなら、それを手放したくない」
目を細めるリオル。
「今までお前らのこと蔑ろにしておいて言う台詞じゃないのは、わかっている。だけど力を貸してほしい」
リオルが缶を置き、俺の目の前に立った。それから、俺のモンスターボールを全て強奪した。
「?!」
一瞬のことに困惑する俺を差し置いて四つのモンスターボールをリオルは次々と開いていく。 俺の手持ちは五体しかいない。よって、俺のすべての手持ちポケモンが並んだ。 右からカイリキー、エネコロロ、アーマルド、オンバーン、そしてリオル。 リオルがもう一回ちゃんと言え、と一声鳴く。
「そうだよな……ちゃんと、言わなきゃだよな」
そうだ、とリオルは頷く。カイリキーは腕を組み、エネコロロはすました顔をして、アーマルドは爪をとぎ、オンバーンは目を輝かせた。
「カイリキー、エネコロロ、アーマルド、オンバーン、リオル。お前たちに頼みたいことがある」
そして俺は、自分の手持ちたちに伝える。 少しだけ恥ずかしさも、後ろめたさもあった。 ミラーシェードすら外せない俺だけれども、彼らは俺の目を見てくれる。 俺の言葉を、聞こうとしてくれている。 そんな彼らに感謝の念を持ちつつ。 俺は、自分の手持ちたちに気持ちを伝える。
「俺にちょっとだけ、勇気を分けてくれ」
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ビー君が飲み物を買いに行き、レイン所長が席を外したので、自然と私はアキラ君と二人になっていた。 アキラ君が、深い溜息をついた。それから、私をじっと見てこう言った。
「まさかアサヒが僕に隠し事しているなんてね」 「う……ごめんなさい……」
視線を合わせるのが怖い。でも、彼に、古くからの友人に隠し事をしていた事実は変わりようもないので、ただ、謝るしかなかった。 彼がもう一度ため息を吐く。もっと責められるかと思ったら、そうでもなかった。
「まあ、僕も君のことは言えないか」 「?」 「僕も、君に言えてなかったことがあるってこと。それで半々ってことにしてほしい」 「それは、私は構わないけど……言えてなかったことって?」 「僕が、ユウヅキの共犯者だって疑われていることさ」 「アキラ君が?」 「そう。一応僕もユウヅキの旧友だからね。ユウヅキの犯行と証言したのも僕だけど、彼と知り合いなのもこの<スバル>の中では僕だけだから」 「じゃあ、この3ヶ月間大変だったんじゃ」 「まあね。少なくとも他の研究員との関係は冷え切った」 「ひええごめん」 「なんでそこでアサヒが謝るのさ。悪いのはユウヅキだろ?」 「私が監督不行き届きだったばっかりに、ユウヅキがアキラ君に迷惑かけたから」 「監督不行き届きって……君にとってユウヅキは何なんだ……」 「何なのだろうね、ほんと」
アキラ君が肩をがっくりと下ろした。私はこれでも真面目に話しているつもりなんだけどな。 メガネをかけなおしたアキラ君は、三度目のため息をついた後……いつになく真剣な口調で私を諭し始めた。
「それで、君はいつまでユウヅキを追いかけるんだ」 「見つけるまでいつまでも、だよ? なんで、そんなこと聞くの?」
即答する私に対し、彼は一歩も引きさがらない。
「それは……君自身が彼を見つけて、会って話をするだけで、それでどうにかなると思っていないからだ」 「う……」 「君だってわかっているんじゃないか。あてもなく探して会える可能性の低さを、もし会えたとしても、簡単に連れ戻せないことを」 「……急にどうしたの? 今まで応援してくれていたじゃない。なんか今日のアキラ君意地悪だなあ」
アキラ君は今まで私がユウヅキを捜すのをずっと応援してくれていた。だからこそ余計に、今の彼はとても意地悪に見えた。 彼はふっと笑って、意地が悪いのを認める。
「知らなかったのかい? 僕は意地が悪いんだ……だから、大切な友達が理想ばかりに固執していつまでも現実を見ようとしないのを、僕は見過ごせる人間じゃない」
その口元の歪みがとても冷たく感じて、慄いてしまう。 苦し紛れに、今度は逆に私が意地の悪いことを言ってしまう。
「私からユウヅキを追いかけることを取り上げたら、何が残るっていうの?」 「残るよ。いっぱい。君の良いところは、僕がたくさん知っている」
即答されてしまった。アキラ君の言葉は、嬉しかった。だからこそ突き刺さるものがあった。
「わかっているよ、今私がとても中途半端だって、ユウヅキを追いかけている自分がいるのが安心だから現状に甘んじているのは」 「だったら、無理しないでほしい」 「無理、か……」 「この際はっきり言わせてもらうけど、アサヒ、君は無理をしている。それも、ずっと前から。僕とこのヒンメルで再会してから、いや、きっと再会する前から君は無理をしていると思うよ」 「根拠は?」 「君が、昔みたいに笑わなくなった」
おそらく、この時の私は、眉尻を下げて、笑ってごまかそうとしたのだろう。 しかし、言葉は一言も出せず、表情が固まる。 そういえば、ソテツ師匠が笑顔体操を考案したのって、いつ頃だったっけ。ふとそんなことを考えてしまった。
「笑えるわけないじゃない、こんな状況で」 「それは、いつまでもユウヅキに拘っているからじゃないか。彼が本当に君を思っているなら……っごめん」
言いかけた言葉を引っ込めるアキラ君。アキラ君の言いたいこともよくわかった。痛いくらいわかっていた。 私に残っているのは、彼と交わした約束の記憶だけ。その約束だって彼は覚えていないかもしれない。とっくの昔に忘れているのかもしれない。そう考えて私もきれいさっぱり忘れて生きたっていいはずだ。そんな未来だって、あるかもしれない。 だけど。
「ゴメンねアキラ君。やっぱり無理してでも、会いたいよ。会って話がしたいよ、たとえ彼がそれを望まなくても、彼の隣に立つことを。諦めたくないよ……!」
みっともなくても、それが私の願いだった。 その願いに、なんて言ったらいいのかな……呼応するようなタイミングで、彼は私の前に現れる。
「――――だったら、諦めんな!!」 「ビー……君?」
ビー君、ビドー君はリオルを引き連れ会議室の出入り口に立っていた。 彼はずかずかと踏み込んでくる。
「いつまでも過去を引きずってもいいじゃないか。往生際悪くたって、いいじゃないか。現実直視だ? んなもんクソくらえ、一緒にとっちめてやればいいじゃないか!」
割り込んできた彼は、語彙力が足りていない感じで、それでも必死に私を励ます言葉を叫んだ。 私たちの目の前に来たビー君は、こちらを見据えて言い放つ。
「おいヨアケ! 一昨日の夜のこと覚えてるか?」
一昨日の夜、私がビー君と初めて出逢った夜。 私は彼に頼んで、一度断られた願い。
『私を、ヤミナベ・ユウヅキの元へ届けてほしい』
その言葉を思い出したのを見計らって、ビー君は私に言った。
「届けてやるよ、お前をヤミナベ・ユウヅキのもとに」
気が付いたら、はらはらと涙がこぼれていた。ビー君は慌てて「もちろんただじゃねーぞ」と付け加える。それからビー君は私に提案する。
「その、送り届ける代わり、俺の――――俺の相棒になってくれないか?」 「……ビー君ちょろすぎ。そして、なんで唐突に相棒なの」 「ちょろいのぐらい自分が一番わかってる。相棒ってのは言い過ぎかもしれねーが、俺としちゃアンタにリオルの借りもある。返せるものは送り届けるくらいしかない。あと、俺だってヤミナベの奴をとっちめたい。ラルトスを取り戻すためにも」
感情論だけでないことに少しだけほっとする。なるほど利害は一致しているようだ。 でも、一度断られた内容だからこそ、はい、そうですねって言えない自分もいた。 涙をぬぐって、私は彼に皮肉を言う。
「まったく欲張りなんだね」 「強欲と言ってくれ」
得意げに言う彼に思わず吹き出しそうになってしまった。
「アサヒ……?」
アキラ君が心配そうにこちらを見ている。彼にとっては突然の話であるし、見ず知らずの子がいきなり相棒とか言い出して裏があると疑わしくもあるのだろう。 アキラ君だったら、絶対ビー君の提案を却下するだろう。 だから私は、私と彼を納得させるためのクッションを用意した。
「わかった。じゃあこうしようビー君――――私とポケモンバトルをしましょう! キミとキミのポケモンの力を見せてほしい。それから考えさせて!」 「その勝負、受けて立つ!」
私の誘いに、ビー君はにやりと笑って、乗った。
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