【王都ソウキュウ】の出入口の門の脇に、ユウヅキさんは静かに背中を預けていた。
帰りを待ち続けるその姿は、どこか寂しそうで、見かけてほっておくのもあれだったのであたしも反対側の脇に立った。
あたしに気づいたユウヅキさんは、小さく会釈して、再びずっと先を見つめ続けた。
「そういえばリーフィア、老夫婦さんと無事再会できた?」
「ああ。無事を確かめあって、喜んでいた」
「そっか。良かったね」
「本当に良かった……のだが」
ユウヅキさんはモンスターボールをひとつ取り出して、あたしに見せてくれる。
そこにはリーフィアが元気そうに入っていた。
「あらま」
「まあ、この通りついて来てくれるそうだ」
「へえ……」
「ちなみにリーフィア、最近アサヒのとこのレイに夢中らしく……」
「へえ……ほう……ほう……」
にやつきを堪え切れていないと、ボールの中のリーフィアが慌てて照れていた。
リーフィアにそっぽ向かれた辺りで、自然と彼らのことを思い出し、ユウヅキさんに尋ねる。
「それはそうとユウヅキさん、行かせてよかったの?」
「いいんだ。ビドーはそれだけのことをしてくれたからな」
「でも、万が一ってことも、あるんじゃない?」
「それは……とても困る」
本当に困っている様子のユウヅキさんがどこか可笑しくて、失礼だけどつい笑ってしまう。
大きくため息を吐くユウヅキさんの心労は分かるんだけど、ツボに入ってしまった。
「ふふふ……ごめんなさい。そうだね、困るね」
「……アプリコットのほうこそ、困るんじゃないのか?」
「正直、コメントの方に困るかな。でもこれだけは言えるよ」
……ユウヅキさんになら、言えるかなと思った。
誰にも言えないでいた、ぼんやりと思っていたこと。
口に出すのは若干気恥ずかしいけれど。
ずっと抱えている大事な気持ちだと、思ったから。
「今のビドーは、あたしがドキドキしたビドーじゃないかな」
「なるほど……それは、確かに」
「でしょ? 解ってくれる気がしたんだ。ユウヅキさんなら」
「……戻ってくると良いな。そのビドー」
「そうだね。こればかりはアサヒお姉さんになんとかしてもらわないと、ね……」
「ああ。その通りだ」
それから、あたしたちは遠くを見続けた。
その先に何がある訳ではなく、ただただ風景が広がっているだけだけれど。
でも確かに先はそこにあって……どこまでも続いているように見えた。
***************************
辿り着いたのは、昨日バトルの申し込みをされた草原の丘だった。
結構距離があったことから、だいぶ追いかけっこしていたんだなと改めて思う。
立ち止まり、私の方へ振り向いたビー君は、こう切り出した。
「……ここが俺たちの旅の終着点だ」
「終着点……?」
「……相棒関係の終わりってことだ。この先には、一緒に行く道も目的もない」
「……たとえ別々の道を行くことになっても、この関係は本当に終わらせなきゃいけないものなの?」
「ああ。きっちり終わらせなきゃいけない。俺は今日、お前にサヨナラを言いに来たんだからな……」
うつむくビー君の言っている言葉の意味が、今の私にはまだ理解できなかった。
どうして……そこまで頑なに遠ざかろうとするの。
いっぱい抱えていることあるだろうに。文句のひとつも見せてくれない。
それでいて、隠しきれない苦しみを溜め続けている。
そんなの……放っておけるわけないよ。
大事な相棒のキミが独りで悩んでいるのを、放っておけるわけが、ないよ……!
私が原因だとしたら、なおさら!
「この続きは言葉で説明を求むのは勘弁してくれ。闘い合う中で解ってくれ」
「……わかった。解ってみせる」
大きく頷くと、ビー君がバトルのために距離を取り始める。
私も同じように、でも背を見せないようにして距離を取った。
「ルールはシングルバトル6対6。俺はこいつらと行く」
彼はすべての手持ちのモンスターボールを一斉に投げ、呼び出す。
光と共に現れ出でたのは、
低く構えるエネコロロ。
肩をまわすカイリキー。
爪を振り下ろすアーマルド。
大きくひと羽ばたきするオンバーン。
彼の一番古い家族、エルレイド。
そして……静かに無表情を作る、ルカリオ。
この短期間でラルトスがエルレイドにまで進化していたのは面食らったけど、それだけのことがあったんだろうなと思った。
私も同じように、手持ちのみんなを出す。
デリバードのリバくん。
パラセクトのセツちゃん。
グレイシアのレイちゃん。
ラプラスのララくん。
ギャラドスのドッスー。
そして、ドーブルのドルくん。
みんな、力強い眼差しでビー君たちを見据えていた。
その中でドルくんが、私に一声かけて励ましてくれる。
「ありがとドルくん。頑張ろうね」
微笑みかけるとドルくんは首肯で返してくれた。
その様子を見ていたルカリオがビー君に何か呟いていた。
ビー君はルカリオに「世話をかける」と短く返事を返していた。
そこでビー君の言葉は、終わりではなかった。
「いつも一緒に居てくれてありがとう」
その一言は、一見彼のすべての手持ち声をかけているように見えた。
でも、私の願望かもしれないけれど、私たちにもかけられた言葉のような気がした。
互いにボールにポケモンたちをしまい、持ち場につく。
「じゃあ、始めるぞ」
「うん」
ビー君とバトルをするのは、二度目。
最初は相棒になるかどうかを決めるバトル。
そして、今は……ビー君がしかける、決別のバトル。
はじまりとおわり……ってみれば綺麗な組み合わせなのかもしれない。
でも、私はたとえみっともなくても、勝手に綺麗に終わらされるのは嫌だった。
傷つけあうかもしれないけれど、そんな遠慮まみれのお別れなんかよりはましだと思ったから……。
だから私はモンスターボールを構える。
ビー君の本心を知るために、みんなと闘うんだ!
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「お願いリバくん!!」
「行け、オンバーン!!」
私の先方は前の時と同じデリバード、リバくん。
対してビー君はオンバーンを選択した。
以前のバトルの再現にはならなかったな、と考えていると見透かされていたように、ビー君たちがしかけてくる。
「悪いが、感傷に浸る間は与えない。やれ、オンバーン!」
「っ、リバくん『こおりのつぶて』!」
牽制の意味も兼ねての先制攻撃の『こおりのつぶて』を放たせ、オンバーンの両翼にぶつける。
でも、オンバーンの羽ばたきを止めることは出来なかった。
その羽ばたきに合わせて、風の流れが激しい向かい風になる。
まるで彼らの拒絶の意思を反映したような『おいかぜ』が、草原に吹き荒れた。
「もう一回『こおりのつぶて』!」
「『かえんほうしゃ』で焼き尽くせ!!」
素早さ勝負じゃ分が悪いと思って『こおりのつぶて』を指示するも、風上からの『かえんほうしゃ』の熱波で溶かされてしまう。
それどころか、業火はリバくん目掛けて勢いよく襲い掛かってきた――!
「リバくん避けてっ!」
辛うじて『そらをとぶ』で上空に回避するも、風に上手くのれずにリバくんは空中で態勢を崩してしまう。
その大きな隙を見逃してくれるほど、今の彼らは甘くなかった。
「『ばくおんぱ』!!!」
大音量の音波の渦がリバくんを飲み込み、全身にダメージを与えていく。
完全に『ばくおんぱ』に閉じ込められて、このままじゃ逃げ出せない……。
どうにかして、突破口を開かないと!
「『プレゼント』、全部ばらまいて!!!」
手持ちのありったけの『プレゼント』の入った袋を、前方に投げ飛ばすリバくん。
紙吹雪と爆発でぶつけた音で、音波の渦に切れ目が出来る。
これなら、脱出できる。そう思ったのも束の間。
その切れ目の向こうから突っ込んでくる、影。
『おいかぜ』に乗ってオンバーンは、逃れようとしたリバくんの腹に『アクロバット』の羽で重い一撃を叩きこんだ。
「リバくん!!?」
叩き飛ばされ、地面に転がったリバくんは、戦闘続行不能だった。
慌ててリバくんの元に駆け寄り呼びかける。力なく謝るリバくんに「ゴメンね。ありがとう」と言葉をかけ、そっとボールにしまった。
「……次のポケモンを」
「……言われなくても、今出すよ」
ビー君の催促にカッとならないように堪えつつ、次に出す子を考える。
この初戦でひとつ言えることがあるとすれば……ビー君たちにはどうやら、攻撃への迷いが見られないということだった。
それだけ、このバトルに対しての覚悟が決まっているみたいに、彼らに躊躇はなかった。
私は……それにどう応えたらいいのか。
覚悟なら、私も決めていたはずなのに……どこかで躊躇いを消しきれていなかったのかもしれない。
少なくとも迷いを持ったままじゃ彼のことがわからないまま圧倒されてしまうことは明らかだった。
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静かに深呼吸をして、二番手を決める。
ボールをスライドさせるように投げ、ラプラスのララくんを呼び出した。
「頼んだよ、ララくん!」
「次鋒はララ、か……」
透き通るような声の雄叫びを上げ、気合いを入れるララくん。
どこまで通じるか分からないけれど、先を見据えながら私は指示を出す。
「ララくん! 『こおりのいぶき』!!」
「再び『おいかぜ』だ! オンバーン!!」
再び私たちにとっての逆風が吹き荒れた。『こおりのいぶき』は風で霧散され、ただ冷気だけが残り、漂い続ける。
オンバーンはその身に受けた『おいかぜ』を活かし、素早い『アクロバット』でララくんを翻弄する。
「『こおりのいぶき』を放ち続けて!!」
攻撃を半ば無視する形で、とにかくララくんに冷気をばらまかせる。
初めのうちは勢いを保っていたオンバーンも、寒さで動きが鈍っていった。
かといってララくんが受け続けたダメージも、着実に蓄積されている。
我慢比べになり始める前に、ビー君はオンバーンに『かえんほうしゃ』を指示した。
けれど、私たちはさらなる冷気で、オンバーンを包み込む。
「『ぜったいれいど』!!!」
溜まりに溜まった冷気が、爆発的にあらゆるものを凍らせ始める。
乱立していった氷柱がオンバーンを囲み、最後の一撃で閉じ込め戦闘不能に追い込んだ。
気が付くと草原には、氷樹海のフィールドが出来ていた。
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ビー君はオンバーンをボールに戻し、「ありがとう、休んでくれ」と語り掛ける。
その姿に何故だかほっとしている自分が居た。
同時に、拒絶されているのは私だけだということを再認識して胸が痛くなる。
「エルレイド、出番だ」
ビー君の二番手はエルレイド。彼のラルトスが進化した姿。
エルレイドは何だか「これでいいの?」とビー君を心配そうに見つめていた。
彼はエルレイドの頭を撫でて、「いいんだ、頼む」と返す。
この時の表情が、悲しそうに見えて、私もラプラスのララくんもエルレイドと一緒に困惑してしまっていた。
でもエルレイドはビー君の感情の中の何かを感じ取り、目つきを鋭くする。
すっと静かに構えを取ったふたりに私たちも身構えて、技を放たせ始めた。
「エルレイド、『つるぎのまい』!」
「『しおみず』で押し流して、ララくん!」
『しおみず』の波を氷樹海に流し、エルレイドの足を取ろうとするララくん。
でもエルレイドはバランスを崩すことなく『つるぎのまい』を舞い切った。
その攻撃力の鋭さが増した気配に、警戒してララくんに『こおりのいぶき』でさっきの『しおみず』を凍らせにかかる。
この一手でエルレイドの足元を氷漬けにできれば――――
「エルレイド!!」
ざぶん、と波打つ音と共に、エルレイドの姿が消える。
行方をくらましたエルレイド。
どこから仕掛けてくるのか思考を巡らす前に、間髪入れずにエルレイドはララくんの頭上に『テレポート』で現れた。
「ララくん!!」
「させるなエルレイド、『インファイト』!!!」
空中にも関わらず繰り出される『インファイト』。
なんとかしのごうともがいたのだけれども、その連続ラッシュにララくんは沈められてしまう。
私の側の戦闘不能、2体目だった……。
「ララくん……ありがとう」
ララくんは弱弱しく、「ゴメンね」と言う。私は強く首を振って否定する。
ララくんを戻したボールを抱きしめ、大きく息を吐いた後、私は3体目のポケモンを出した。
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3体目に私が出すことを選択したのは、パラセクトのセツちゃんだった。
「いくよセツちゃん!」
セツちゃんが力を溜めて放つ『いとをはく』が、氷樹海のいたるところに張り巡らされる。
エルレイドの『テレポート』対策を兼ねての技選択だった。
対して、エルレイドはその場から動かずに『つるぎのまい』を積み重ね続けた。
このままじゃ、ちょっとでも触れただけでも吹き飛ばされる。
そう思い『キノコのほうし』を氷の森中に散乱させて、動きを少しでも封じようとする。
「エルレイド」
ビー君の声掛けでエルレイドは居合抜きの構えを取る。
セツちゃんとの間合いはだいぶあった。でもエルレイドはその構えを解かない。
やがて胞子が間合いに届く直前。
「――――『つばめがえし』」
ざん、と切り裂かれる音。
既に振り抜かれているエルレイドの手刀。
ワンテンポ遅れて、切り上げられるセツちゃん。
……一瞬だけ目視できたのは、エルレイドの刃が鋭く伸び、セツちゃんを切り裂いていたということだけだった。
はらはらと巻き添えにされた糸が舞い降りる中、私は呆気に取られていた。
「……うそ、いくら必中でもその距離で届くの?!」
「伸びる刃は、エルレイドの得意技だからな」
ほんのちょっとだけ得意げなビー君とエルレイド。
セツちゃんにも労いの言葉を言ってボールに戻すころには、またビー君は冷めた目線に戻っていた。
……これで、私の残りの手持ちは3体。ビー君はまだ5体揃っている。
半分まで追い込まれても、私には彼の考えていることなんて、全然伝わってこなくて。
戸惑いばかりが溢れそうになっていた。
***************************
理解したいのに出来ない怒りと悲しみで、肩が震えはじめる。
「わかんないよ」
我慢していた感情を、地面に叩きつけるように吐き出す。
「ビー君が私との関係を断ち切ろうとしているくらいしか、わかんないよ!!」
ちょっと涙腺が緩みかけたけど、ぜったい泣くもんかと思った。
前を向き直り、ビー君とエルレイドを見据えると、おろおろしているエルレイドと、眉間を歪ませる彼の姿があった。
「そうだよ。俺は断ち切りたいんだよ。お前との繋がりを」
「なんで?? あんなに一緒に頑張ってくれたのに……? どうしちゃったのさ!? そんなに私のこと嫌になったの??」
「…………違う……」
感情が電波してしまったのか、ビー君も苦しさを堪えているようだった。
でも、それだけじゃない彼の持っていた苦しみが、表面に現れていく。
「俺はお前が居たから頑張れたんだ。お前がいなきゃここまで頑張れなかったんだ」
「ビー、君……?」
「ダメなんだよ。別々の道を行くって分かったときに、今まで頑張れていたことが出来なくなりそうで……出来ていた頃に囚われるのが、思い出して後悔するのが怖くて」
「……だから、私のこと忘れようと……? でも、忘れないでいたからこそエルレイドとはまた会えたんじゃ……?」
「そうじゃない。お前のことだけは、引きずりたくないんだよ、俺は……俺は!」
泣き叫ぶような声で、彼は私に決別の意思を口にする。
「この先にちゃんと俺たちだけで進んで行けるように、お前との関係を断ち切り過去にするんだ!」
……その感情の一部を受け止めた私は、どストレートにこう思っていた。
そうじゃないだろう、と。
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彼女の波導は伝わって来ていた。
いっそ嫌ってくれた方がマシになるんじゃないかって考えも過ぎり、その考えだけは振り払おうとする。
彼女の感情は複雑だけど真っ直ぐ俺に向いていた。
種類が多すぎて全部はわからなかったけど、一番大きく占めているのは、怒りだった。
「断ち切りたい、ね。それを許す私だとでも?」
「お前が人間関係とかに執着するのは良く知っているよ……でも、離れることに許可なんて関係ないだろ?」
「そうだね。でも、マツたちに引きずりながら前に進んだっていいじゃないかって言っていたビー君はどこに行ったの」
「クロイゼルを始め、過去に囚われていた奴らを見て、変わってしまったよ……ずっと引きずるなんてダメだ。どこかで区切りは、けじめはつけなきゃダメなんだよ……!」
マナに囚われ続け、過去に囚われ続けたクロイゼル。
深層心理の中まで、後悔まみれだったサモン。
そんな彼らの姿がどこか他人事には思えなくて。
俺もこの目の前の彼女のことでああなってしまわないか、不安で不安で仕方がなかった。
「ねえビー君。私さ、初めてキミに会ったとき……キミの危うさが正直怖かったんだ」
「…………そう、だったのか」
「うん。だから私に何か出来ないかなってキミに無理やり同行したのもあった……でもね」
アサヒは4体目のポケモンの入ったボールに手をかける。
うっすらと涙を溜めた目元を拭い、彼女はモンスターボールを力強く投げた。
「今は、このままキミに忘れられることの方が、怖いよ」
その言葉に、感情には、嘘偽りは一切交じっていない。
心底恐れている彼女の不安を取り除くべく、決意の眼差しと共に、ドーブル、ドルは現れる。
ドルの叱責の籠った睨みにわずかに怯むも、負けまいと睨み返す。
自分が彼女まで不安にさせたことから目を逸らさずに、見続ける。
エルレイドは、俺の気持ちを悟り、「貫くんだね」と確認を取って来る。
それに対して俺は大きく頷いて返答。エルレイドは「わかった」と言い。もうそれ以上は言及してこなかった。
長いインターバルの後、お互い確認を取り、バトル再開となる。
じりじりと様子を伺い、なかなか動かない両者の間を、真上に上る雲間の日差しが通っていく。
ふっと日の光が雲に隠れた瞬間、俺たちは動く。
選んだのは、『テレポート』による接近からの『インファイト』。
ドーブル、ドルの背後を取り、エルレイドは大地を踏みしめ拳を振るう。
しかしエルレイドの打撃は、ドルの背中に届かなかった。
「な」
ドルの姿が消える。波導で位置はそこに居るのが解るけれど、姿が見えない。
エルレイドも手を止め、辺りを見渡し警戒に入る。
その時、ドルの波導が、ありえない動きをした。
「?! 下だ、エルレイド!」
「遅いよ。ドルくん『シャドーダイブ』!!」
地面に空いた空間の裂け目。
そこからドルはエルレイドの懐に潜り込み、アッパーカットの『シャドーダイブ』を決めた。
宙を飛び、仰向けにひっくり返されるエルレイド。
立ち上がろうともがくエルレイドを絡めとるのは、先ほど切り落としたパラセクト、セツの糸。
「ドルくん一気に決めるよ――――『くさむすび』!!!」
彼女の指示で絵筆の尾をドルは草原にねじ込む。
地面から力強く生える蔓が、エルレイドの全身を地面に叩きつけるように縫い付けた。
言葉を、指示を発そうとするも、呑み込む形に終わってしまう。
既にエルレイドに『テレポート』するだけの体力は、残されていなかった……。
***************************
伸びているエルレイドをボールに戻し、「ここまでよくやってくれた」と伝える。
ぎゅっと握ったボールの中のエルレイドは、「あとは頑張って」と小さく手を振っていた。
ドーブルのドル。こいつを敵に回すとここまで厄介になるとは……想定が甘かった。
勢いは削がれたけれど、ここで怖気づくわけにはいかない。
3体目の手持ちの入ったモンスターボールを構えて中からアーマルドを出した。
「ドルくん!!」
彼女の呼び声に応えるドーブル、ドルはもう一度絵筆の尾を振り下ろす。
再び地面を抉り襲い掛かって来る『くさむすび』。
「アーマルド! 『アクアジェット』!!」
助走をつけたアーマルドは『アクアジェット』で『くさむすび』を飛び越えた。
そのままアーマルドの突進がドルに命中。
ドルは押されながらも、まだ操っていた蔓をアーマルドに差し向ける。
「離脱だ、アーマルド!!」
「くっ……」
アーマルドは『いとをはく』の糸を氷柱の先へとつけ、ブランコのように反動を使い一気に後退。
そこから再び『アクアジェット』でもう一度一撃離脱の攻撃を仕掛けようとする。
「そろそろ、その柱邪魔かな……やっていいよ、ドルくん」
ドルが先ほどのエルレイドが見せた構えに似た姿勢を取る。
そのさらに深い構えで、何がこれから起きるのか直感が疼く。
「! ……アーマルド気をつけろっ!!」
声をかけることは間に合っても、『アクアジェット』の軌道は、簡単に逸らせなかった。
その悪寒は、的中する。
「『あくうせつだん』!!!!」
アサヒと一緒にドルは尾を持つ腕を振り払う。
蒼天にそびえる氷柱が、空ごと八つ裂きになったように見えた。
空の切れ目はすぐに元に戻っていたけれど、氷片はがらがらと音を立てて、水の衣を引きはがされたアーマルドと共に落下していった。
「アーマルド!!!」
地面を転がりながら、アーマルドはそれでも立て直し、『アクアジェット』を展開しようと駆け出す。
けれど、眼前に待ち受けていたドルの『くさむすび』に捕らえられ、そのままアーマルドは陥落した……。
「アーマルド、ありがとう……」
アーマルドを戻し、次のモンスターボールに触れる。
アサヒとドルの鬼のような気迫は、まだまだ鋭くなっていく。
その針刺すような空気に、痛みを感じながら、ボールを投げる。
これで、残りは3対3だった。
***************************
俺の四番手は、エネコロロ。
ドーブル、ドルとエネコロロがにらみ合いなっている時、彼女が、息を深く吐き、硬い口調を和らげようとしながら、俺に呼びかける。
「なんとなく、さっきの言葉の意味わかってきたよ。けどビー君はさ、結局肝心なところ、誤魔化して隠そうとしているよね」
「…………その方が、綺麗に終われるから」
「そうかな? ……まあでもそれを聞きたがっている私が、とてもひどいことしているのは、自覚しているよ」
「……本当だよ。ひどいやつだよお前は……」
かすれそうな声で、想いをこぼす俺は、アサヒの顔を直視できなくなってきていた。
「いつまでも引きずりたくないんだよ。お前のこと大事だからこそ、お前のせいにしたくないんだよ……!」
「私のせいにしてもいい。でもね、そうじゃないよビー君」
鼻声になってきている声で、彼女は声を張り上げる。
その言葉は、俺の芯まで響き渡った。
「引きずるんじゃない! いっぱい悩んだ過去も、思い出も! 今の私の一部になるんだ!」
はっと顔を上げると、彼女は泣き笑いを作っていた。
俺と目を合わせて、アサヒは「だから大丈夫」と言い、続きを告げた。
「ビー君を好きだった私も、私だ! 未来の! 私の! 大事な……糧になる!」
それを聞いた瞬間、今まで保っていたしかめ面が、一気に崩される。
涙腺がやられ、見られたくない、力なく、弱い部分を晒してしまう。
「なんだよ、それ……なん、なん、だよ……それ……」
見破られ、先に言われて、尚更格好がつかない。
臆病になっているのが、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。穴があったら入りたい。
エネコロロが尻尾で「どうすんだ」と叩いて来る。
すぐに指示を出せるほどの鋼メンタルは、流石に持ち合わせていなかった。
……ずっと、傷つかないように、傷ついてもなるべく痛みを残さなければ、割り切れると思っていた。
これまでだって、そうやって考えないようにして割り切れてきたんだから……って、自分の気持ちから目を逸らし続けていた。
もしかしたら……困らせて、友達ですらいられなくなるのが本能的に怖くて誤魔化していたのかもしれない。
それでも気づいてしまったら、もう感情と恐怖の渦から逃れられなくて。
まるで闇の中を歩いているようだった。
――――でも、その闇の中で、俺は孤独ではなかった。
エネコロロが声を張り上げ叱咤激励をする。
それ以外のやつらのボールもカタカタと振動する。
ルカリオからは、波導が伝わってくる。
(ああ……そうか。俺は独りじゃないんだった……)
一緒に隣を走ってくれるこいつらとなら、俺はこの最後の壁を、打ち壊せるかもしれない。
俺はまだ今、逃げずにここに居られているのだから。力を貸してくれるこいつらがいるなら……。
きっと、出来る。そう、信じられそうだった。
「まだ……すぐには言えそうにない。でも、このバトルが終わるころまでには、踏ん切りつけて見せるから、待っていて欲しい。」
「わかった。待っている」
エネコロロが「よし、行くよ」と鳴く。
ドーブルのドルも、「やれやれですね」と呆れつつも、身構える。
さあ、試合再開だ。
ここからが、正念場だ……。
***************************
最初にエネコロロに出させる技は、もうすでに決まっていた。
集中力の間のほんのわずかな隙に、その技を叩き込ませる。
「『ねこだまし』!!」
クロスガードで怯みながらもしのぐドーブル、ドルに、一気に俺らは畳みかける。
「冷気は十二分だろ? 『こごえるかぜ』だエネコロロ!!」
「届かせない……! ドルくん、『シャドーダイブ』!!」
間一髪のところで異空間に逃げられてしまう。でも、エネコロロは自身の周りにバリアのように『こごえるかぜ』を展開した。
「かかってくるなら、かかってこい!」
「……守りに入るのなら、外から崩すのみ。ドルくん!」
アサヒとドルは、『シャドーダイブ』をわざと不発させた。
上から戻って来たドルが空中で尾の絵筆を銃口のように突き付ける。
その一撃は受け身のまま待ってはいけないと思った。
「エネコロロ構うな、突っ込め!」
「放て! 『なやみのタネ』!!」
鋭く射出された『なやみのタネ』が、エネコロロの脳天に打ち込まれる。
驚き仰け反りつつも、エネコロロはそのままドルに向かい『こごえるかぜ』と共に体当たりした。
「エネコロロ!! 『からげんき』!!!」
「ドルくん!! 『あくうせつだん』!!!」
取っ組み合いになる中で、技と技が交錯し激しくぶつかり合う。
衝撃と炸裂音の後、重なり合う形で両者とも力尽きていた。
「エネコロロ……よくやってくれた」
「ドルくんも、ありがとう」
それぞれ、ボールに戻し、5番手のポケモンの入ったボールを構える。
もう、残り2対2だった。
***************************
同時のタイミングで、次のポケモンを繰り出す。
俺が出したのはカイリキー。アサヒが出したのはグレイシアのレイ。
「カイリキー!!」
「レイちゃん!!」
アサヒのレイは、いつもの得意戦法の『あられ』による『ゆきがくれ』は仕掛けて来なかった。
代わりに初手で放たれたのは――――『れいとうビーム』。
でも、そのれいとうビームはカイリキーの脇をすり抜ける。
前にダッシュを始めるカイリキーの後ろから、レイに『れいとうビーム』は帰って来た。
落ちた氷片に、反射させていたのだと気づくのに遅れる。
レイは、その『れいとうビーム』を、自ら受け止めた。
「反射して、『ミラーコート』!!!!」
細かく分断された障壁の『ミラーコート』で光線を乱反射させるレイ。
その複数に分断された『れいとうビーム』は、辺り一帯の氷片に反射に反射を重ねてカイリキーに襲い掛かっていく。
だんだん凍てついていくのも構わずに、距離を縮めていくカイリキー。
その背中は、絶対に逃げてたまるものか、という迫力があった。
そうだな。お前は、そうやって俺の壁を壊してくれる。
だからこそカイリキー。お前のその拳、信じるぞ。
「届け! 『バレットパンチ』!!!!」
氷地獄の中で、力いっぱいのカイリキーの弾丸の拳が、グレイシア、レイにヒットする。
カイリキーとレイは同時に動かなくなる。
でもそこでレイは立ち上がった。『バレットパンチ』が、浅かった。
カイリキーはそのまま拳を振り抜いた姿勢で、戦闘不能で動けなくなっていた……。
「また、お前の不屈の心に助けられてしまったな。ありがとう、カイリキー」
カイリキーを戻し、そして俺は最後のモンスターボールから……ルカリオを出す。
ルカリオは波導とアイコンタクトで「行けるか?」と尋ねてくる。
その波導に「ああ。大丈夫だ」と返すと、ルカリオが小さく笑った。
借りっぱなしの肩のキーストーンバッジに触れる。
ルカリオも装着しているメガストーンに触れる。
呼吸を、波導を、感情を合わせ、絆の帯を結び、叫ぶ。
「己の限界を超えろ、メガシンカ――――すべては、繋ぐべき未来のために!!!!」
光の繭がはじけ飛ぶ。
ミラーシェードを外し、波導の力を全開にして。
俺とメガルカリオは終盤へと望んで行った。
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ミラーシェードを外したビー君と、メガルカリオのその雄姿を見た私とレイちゃんは、心の高ぶりを抑えきれていなかった。
「いいね、いいねいいね……熱くなってきた!!」
獰猛な感情をさらけ出し、レイちゃんと共有する。
冷たいのが好きなグレイシアのレイちゃんも、ひりひりとした冷たさの中の熱さを持っているようだった。
「来なよ、ビー君!!」
「行くぞ、アサヒ!!」
私はさっきまで使っていなかった『あられ』をレイちゃんに指示する。
吹きすさぶブリザードの中、レイちゃんは『ゆきがくれ』で姿を眩ませた。
波導を使うビー君たちにはあんまり効果のない『ゆきがくれ』。
でも、私の狙いはあの攻撃を誘発させることにあった。
「フルパワーで行くぞ!! ルカリオ!!!!」
波導が風を生み、天へと掲げたメガルカリオの両腕に集まっていく。
狙い通り、望み通り、ビー君たちは『はどうだん』を形成していってくれる。
その巨大な『はどうだん』は、煌々と輝き、彼らの想いが目一杯積み重ねられていた。
ビー君とメガルカリオが、同じ動きで『はどうだん』をぶん投げる。
「喰らええええ!!!!」
「受けきってみせる、レイちゃん!!!!」
幾重にも重ねた『ミラーコート』で私たちは『はどうだん』を受け止めようとする。
凄まじい風圧に、辺りの雪雲が一瞬で消し飛ぶ。
それでもなお、一緒に踏みとどまり受けきろうとする。
「届けええええええええええええええええ!!!!!」
「受け、とめ、てえええええええええええ!!!!!」
ありったけの力で叫び合い、
そして…………鏡の障壁にヒビが入った。
鮮烈な光と共に、
温かい風が、波導の嵐が……草原を、私たちの心を駆け抜ける。
今まで彼と積み重ねてきた思い出と共に、熱い、熱い、感情が駆け巡っていく。
仰向けにひっくり返った私と疲れ果てて戦闘不能なレイちゃんに、ビー君とメガルカリオは手を差し伸べる。
へたり込む姿勢まで持っていき、その手を掴んで起き上がった私に、彼は。
震える声で告白してくれた。
「好きだ。ずっと隣に居て欲しいくらいに、お前のことが好きだ、アサヒ」
「私も、大好き。ずっと隣に居て欲しかった…………ゴメンね。ビー君の隣には居られない」
「知っていたさ。最初から、ずっと。でも、俺は確かにお前のことが好きだった。それは変わらない」
「ありがとう。私を好きになってくれて」
「こちらこそ。別れる前に言えて良かったよ」
ビー君はちょっとだけ涙を拭って、今までで一番素敵な笑顔を見せてくれる。
「さあ、ここまで言わせてふったんだ。最後のもう一戦、付き合ってくれよな、アサヒ」
「もちろん。最後までよろしくね、ビー君」
握った手で強く握手し、レイちゃんにお礼を言ってボールに戻す。
手を放し、距離を取り合い、私は最後の手持ちのギャラドス、ドッスーを出した。
奇しくも最後はあの相棒になった時のバトルと同じ大将戦だった。
胸元のキーストーンに触れ、ドッスーと気持ちを確かめ合い、光の絆を私たちも結ぶ。
「貴方の見せてくれた勇気に! 私たちは全力で応えるよ――――メガシンカ!!!!」
想いの蕾のように弾け花開く繭。
メガギャラドスになったドッスーと共に私はビー君たちを……全身全霊をもって迎え撃った。
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アサヒは華やかな笑顔で、メガギャラドスドッスーに『りゅうのまい』を指示した。
「最後は一撃にかけるよ!! ドッスー! 舞って、舞って、舞いまくって!!」
少し日の傾いて来ても、なお一層青い、青い、青い空をドッスーは見惚れるくらいすがすがしく舞い昇っていく。
俺もメガルカリオと共に大地を踏みしめ、最後の一撃へと波導を高めていく。
すべてありったけの想いを、これでもかと重ねていく。
蒼天を破るような破天のエネルギーがメガギャラドスに溜まる。
輝く太陽のような光をまとったメガギャラドスが、降り注いでくる。
「『げきりん』!!!!!!!」
とびきりの笑顔で、アサヒはドッスーと共にぶつかって来てくれた。
その喜びを、幸せを最後に重ねて、技を解き放つ。
「ありがとう、ドッスー。ありがとう、アサヒ。
受け取れ――――
――――これが俺たちの『おんがえし』だ!!!!!!!!!!!!!!」
昇っていく煌めく『おんがえし』の拳。
クロスカウンターの一撃が、ありったけの想いが、メガギャラドスに叩き込まれた。
衝撃と共にぶっ飛ばされたドッスーの顔には、笑顔が浮かんでいた。
アサヒも、すがすがしい笑みを湛えたまま、ドッスーにお礼を言った。
「勝った……」
口に出した瞬間、勝利の実感がわいてくる。
でも、この喜びは、勝負だけのものでは決してなかった。
へなへなとへたり込む俺に、メガシンカの解けたルカリオより先にアサヒは飛びつく。
状況を把握するまで時間かかっていたけれど。
俺は彼女に、全力でハグされていた。
「あー負けた!! おめでとう!!!!」
「え、あ、あり、がとう……」
「全力でぶつかってくれてありがとう! 嬉しかった!!」
「どういたしまして、こちらこそ。こちらこそ……ありがとう……うう……」
色々と思考がオーバーヒートしていたけれど、とにかくその温かさに、涙腺がやられる。
「俺も別れるのは、やっぱり寂しいんだ。でも俺にもこの旅で見つけた目標がある」
「うん、うん……」
「その望みを叶えるためにも、俺も旅立とうと思っている」
「そっか……そっか……大丈夫だよ。ビー君ならきっとできる。私も応援しているよ!」
「俺も、アサヒとユウヅキ……お前らのこと、応援している。応援しているからな……!」
「ありがとう、ありがとう……お互い、頑張ろう!」
「ああ。ああ……!!」
ルカリオも、俺たちを抱きしめる。俺もアサヒもルカリオを抱きしめ返す。
空の蒼さに包まれながら、そのぬくもりを感じていた。
涙もいっぱい出ていたけれど、そこには笑顔もいっぱい溢れていた。
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数日後、それぞれの旅立ちの朝が来る。
始まりの荒野の交差点で俺とアプリコットは、国際警察のラストと共にヒンメル地方を出ようとしているアサヒとユウヅキを見送りに来ていた。
アサヒたちは、ユウヅキの身体の怪我をちゃんと治療しに、国際警察の機関にしばらく世話になるんだと。
「アサヒお姉さん、ユウヅキさん。元気でね……!」
「アプリちゃん、本当にありがとう。貴方の言葉に、私たちは救われたよ……!」
「アプリコットも、歌うこと続けるの、頑張ってくれ」
「うん。<シザークロス>は解散になっちゃったけど、あたしもあたしの夢、諦めないから!」
結局<シザークロス>は戻って来た彼らの大事な者たちとの生活の中で、自然と解散になった。
アプリコットも、また目標に向かって頑張るようで、目指すはシンガーソングライターだそうだ。
そんな彼女のことも、俺は心の底から応援している。まあ、ファンだからな。
「それじゃあ、ここで。ビー君も今日だよね、旅立ち」
「そうだな。そうしようと思っている」
「徒歩で行くんだ。サモンさんに弁償してもらわなくて、大丈夫?」
「あー、それならいつの間にか口座に振り込まれた。でもそれはもっと別のやつに使おうと思っている」
「そっかそっか。また、連絡ちょうだい。何かあっても何もなくても」
「ああ。わかった」
アサヒとのやりとりを終えた後、遠慮しているユウヅキにも、俺はちゃんと声をかける。
「ユウヅキ、お前もアサヒに押し切られずちゃんと自分の望みは言って行けよ?」
「あ……ああ……善処する」
「おい頭の中から抜け落ちていただろ。自分を大事にな。アサヒのためにも」
「そうだな。心がける。ありがとう。達者で、ビドー」
「ああ、ユウヅキも達者で」
最後にふたりと握手をして、見送る。
大きく手を振り合い、その姿が小さくなるまで、見届けた。
ふと、アサヒが振り返り、大声で俺にメッセージを叫ぶ。
「またね!!!! “親友”!!!!!!」
「! ……またな!!!! また会う日まで、元気でな“親友”っ!!!!!!」
聞き届けると、彼女は小走りでユウヅキとラストを引き連れ、走っていった。
俺もアサヒたちに背を向ける。
そして残されたアプリコットと向かい合うことになる。
「ビドーも、その……行っちゃうんだよね……あの……その……」
言い淀んでいるアプリコットに、俺は無言で小包を突き出す。
「これ、は……?」
「餞別と……目印だ」
小包を開けて、中身を確認する彼女。
その贈り物の黄色いスカーフの意図を、照れくさい中、ちゃんと伝える。
「俺がその、帰って来たいと思う場所の目印だ。お前が持っていてくれ、アプリコット」
「……!!!!」
互いに、顔を赤らめ表情を直視できなくなる。
しばらくの沈黙の間の後、彼女は声を張り上げた。
「決めた!!」
「?!」
赤い髪の根元に、リボンのようにスカーフをつけるアプリコット。
それから俺の手をぐいと掴みかかり、彼女は言った。
「あたしも貴方と一緒に行く……!」
「……一応、俺がヒンメルに帰ってくる理由、なんだがー……」
「だって! 旅先で別の人にも言いそうなんだもん!」
「そんなに信用ないか俺??」
「違う、あたしの一番のファンで居て欲しいの!」
一番のファン。その肩書きは、確かに他に譲りたくないなと思う。
小さな彼女の手を握り返し、俺は同行を望んだ。
「…………言われなくても、そのつもりだよ。じゃあ、一緒に行くか……!」
「うん!!」
眩しい笑顔ではにかむアプリコットと、これからのことを話しながら俺は歩み始める。
ひとりよりは、楽しい旅路になりそうな予感と期待に胸を膨らませながら。
俺は俺の道を、歩んでいく。
アサヒがユウヅキとの道を歩んでいくように。
俺も、こいつと歩んでいけたらいいなとひっそり想いつつ。
別れの先にあるまだ見ぬ出会いに向けて、俺たちは歩んでいく。
その道は、ひとりぼっちじゃない。
支えてくれる人や、ポケモンたちがいるから、きっと大丈夫。
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サヨナラは終わりではない。
それぞれの道へと始まっていく交差点でしかない。
ほんのわずかな時だったとしても、
その場所で交わった時間が、未来の自分に積み重なっていく。
いいことばかりだけではないかもしれないけれど、
思い出の中には確かに嬉しかったこともあったはずだから、
そう大切な人に、教えてもらえたから、
いずれ振り返った時に、懐かしく思えるように、
今を、未来を歩んでいきたい。
今見える未来がたとえ先行きの見えない闇の中だとしても、
きっと夜明けの朝日ように、明るくなれることもあると信じて、
俺は俺の幸せを追い求め続けたい。
だから、サヨナラは終わりではない。
これからの、スタートラインだ。
【明け色のチェイサー】 終。