集いの中央都市、役所の施設付近。
二つ折りの羊皮紙――タウンマップを手に、あたしが勢い良く建物から出てくると同時に。
目的の為に先導してくれていたジョッシュもまた、保管器と自身の肩掛けバッグを落とさぬ様にしながらあたしの隣に並ぶ事だろう。
「ジョッシュくん、ありがとう。おかげで上質なタウンマップが手に入ったよ」
「どういたしましてチナさ――ううん、チナ。地図を手に取るなりまじまじと見てってたもんなぁ……。余さず、というの?」
じぃっと覗き込み、あたしの顔を見つめているキョトン顔のコジョフー。
まだ多少のぎこち無さはあるものの、幾らか話しているうちに打ち解けて来たのか、噛む事による決まらなさが目立たなくなってきた気がする…… が。
問題は、其処では無い。
「……別に、お店に興味が無いとかそう云うのじゃなくって」
我ながら恥ずかしい。小声で彼にしか聞こえないようにしながら。
居た堪れなく感じたあたしは、タウンマップを手にそっぽを向きながら理由を述べる。
今ではバックパッカーとして旅ポケモンの一匹になっているが、あたしとて…… 犯罪事情以外に世俗に無関心という訳ではない。
市場、アクセサリー屋、食物店、ペリッパー連絡所支部、そしてカフェバー。
旅の癒しに息抜きとなる施設があっても、罰は当たらないのだろう。
何にせよ、切磋琢磨して書いて下さる地図の作成主には感謝しかない。これで迷わずに都市の中を行き来出来そうだ。
「マッピングに余念無く覚え込んでく旅ポケモンの気持ち、ボクにも分かる気がするな」
「巷で騒がれてる、“不思議のダンジョン”があるじゃない。現に立ってる場所や地理を把握して行くだけでも―― 生存率を高めてくには十分よ」
保安官がいる前では起こらなかった、その筈である小さな市街戦。
ジョッシュが腕組みをしながら相槌を打つ手前、あたしは旅立ちの基礎と応用を思い起こしながら、生き抜く上での必需品について語っていく。
この都市周囲にも各所に、不思議のダンジョンこと謎に満ちた迷宮空間がある事も忘れずである。地点毎に脅威の危険度も異なる中、冒険者ポケモンが日々潜り込む現状。
一つ入り込む折に構造がランダムに変化する、それでいて襲い来るポケモンの懸念も伺える反面、道具やポケなど戦利品の手に入れられる利点。
余程の事情でない限りは必ずしも突破しなければいけない、訳ではない。メモに取る上で避けて通るも選択肢の一つ。
ただ、いつの世も、何処の地域であってもケガを伴う野良バトルは絶えなくなっている。
ある程度は、処世術に高度なものも合わせて練っていく必要も――
ふと、誰かの腹の虫が勢い良く鳴った。
少なくともあたしではない、寧ろ…… 隣の子。
「こほん。とりあえず、立ち話も何だから…… きのみ料理でも、食べましょっか」
「……お、御世話になります」
今度はジョッシュがしおらしく、顔を赤らめ掌を擦り合わせる。
図星を突いてたのもあり、あたしも冷や汗を拭ってから取り繕うと。書かれている方位と点を頼りに、タウンマップを伴って歩き出す。
気付くのが早かっただけまだ大丈夫。行き倒れになってしまう事態は、この都市ならば心配は要らないだろう。
∴
場所は変わって、中央都市内のカフェバー。
テーブル席に案内されたあたしとジョッシュは、適当なきのみ料理とドーナツ、ミルクココアに手を伸ばして空腹を満たしていた。
程良く都市のポケモンの数組も集まって食事・歓談を和やかに進めている当たり、そこそこ賑わっているのだろう。
「考えてみれば、走ってばっかりで食糧一つも手を付けて無かったや……。御恥ずかしい限りです……」
「そんなに畏まらなくて良いのよ。ちょうどあたしも、食べ時だなって思ってた所だし」
視線を下に落とし、気恥ずかしそうにしながらモソモソと食べ進めるジョッシュを前に、あたしは素直に気にしてないと伝えた。
ちょうど良く喉に癒し、空腹感に伴う言葉にならない心の揺すぶりを解消に導けた今、これからどう行動に移していくか。
一つ落ち着いた後に、あたしはリュックサックのポケットから傷んだ桃色の布切れを取り出して、暫く目を凝らしていた。
あたしの、パチリスのトモダチ――チルトを連れ去ったポケモンの何者かに通じる。現段階では唯一の証拠。
「その布切れ、どうかしたの? また真剣にじぃっと見て」
ジョッシュがあたしの手に持つ布切れに目線を移動させ、そう尋ねてくる。
ポケットに戻さずに、ジョッシュの目元に視線をやりながらあたしは間を置き、彼にも共有を決意。
「……チルトの手掛かりに通じるかもしれない、犯人達の落とした証拠品。あたし自身旅立つ切っ掛けにも繋がったものよ」
話していくうちに、少しずつ暗い感情が燻るのを感じるのを、何でも無い様に装いながら。
「それに。保安官さんには悪いけど、仮に今のタイミングで出してったとしても…… 聞き出せる情報は大して見込めないわ」
「そう思う、根拠は?」
「ウェルカモさんの話してる時の“眼”。一貫してあたし達を見ながら受け答えしてくれてた。もしそれが嘘だとするなら、目線所々で逸らしたりするだろうから」
「ふぅむ、よく見てってるんだね…… こう云う時の使い処って事かぁ」
親切に対応して下さったウェルカモの者には申し訳ない気持ちもある。ただ、これはあたしの眼から見て導くに至る、可能性の一つ。
確証が無いまま、治安を守ってくれている保安官達を不安に突き落とす訳にはいかない。
チルトの事は、着実に証拠を固めてから一気に動いていくべき。今はまだ、その時ではない。
こんなあたしの様子を知らないままながら、ジョッシュは小さく頷いてくれる。時折、補足を聞き出す強かな面を見せるのもあるけど。
「色で変に塗り潰されてて、肝心な特徴が分からないなぁ。でも、これって…… 木、なのかな。くさタイプのポケモン? 何か実りに縁がありそうな」
「木。樹木? んー…… 主立った生地が染まっちゃってるから、判別が困難よ。それに……」
あたしとジョッシュ、双方が見合わせる傷んだ桃色の布切れ。
元は大きなサイズの旗か布製品だったのだろう、乱雑に裂かれたその様にどこかもの哀しく映ってしまうのも仕方ないのだろうか。
彼の云うように、描かれているであろうポケモンの種族の特徴から、順当に考えればくさタイプが良い線なのだろう。
だが… あたしには。
「樹木、これ程重厚そうな柄のあるポケモン…… くさタイプのポケモンで早々いるものかしら?」
煌びやかで高貴な感じ、そんじょそこらの普通のポケモンでは無いかもしれない。
染められてしまっている場違いな色もあり、現段階では断定が出来ないのが悔やまれる所である。
フェアリータイプ、あるいはいわタイプかも分からない。
一体、この布切れを落とした者は、何の怨みがあって悪意の残る印を付与したのか……
「お、おい! 急ぎでこの依頼を…… はぁ、はぁ……」
不意に、カフェバーの扉が無造作に開けられたと思うと、左前脚にポーチを着けたポケモンの一匹――タテトプスが飛び込んできた。
よく見ると、盾の様な顔も、胴体から脚に至るまで傷だらけである。難しく言えば満身創痍そのものだ。
「あ、ちょ……チナさん!?」
ジョッシュが呼び止めるのをよそに、すぐさま席を立ったあたしは、タテトプスの隣に駆け寄る。
疼く傷に苦痛の表情を浮かべ、息を切らしている当のシールドポケモンが、あたしとカフェバーの店主の方に視線を向けている中。
テーブル席からジョッシュが首をひねらせ遠くから様子を伺っていた。
「何かあったのですか? そんなに息を切らして、店に滑り込んでくるなんて」
「探険隊かい? 救助隊の一匹かい? いや、どっちだって良い―― おれの売ってく筈だった品々を、あの穀潰しのヤツらに根こそぎ奪われちまったんだ!」
ひどいケガの有様に、普通なら目を逸らされてもおかしくないこの状況でも、あたしは聞き込みを始める。
それだけ、目の前で尋常じゃない状態の者に会った時に自然と飛び出してしまう癖を、過去の経緯から生むに至ってしまったのだろう。
タテトプスの彼は、最初に身分保障の利く冒険者か、素朴な疑問から聞いて行こうとするも、すぐに却下。ありのままの現状を、あたし達に伝えてくれた。
「リンゴ、セカイイチにビッグドーナツ。後者二つは仕入れるだけでもかなり大わらわだってのに…… 商売あがったりだぞ、もう!」
聞く限りは、行商ポケモンの一匹なのだろう。それも食糧と甘味専門。
一通り言い終え、タテトプスが床に突っ伏したままやり場のない怒りにため息混じりの諦めをぶつけるのを、カウンターから出てきたであろう店主が助け起こそうとする。
「……その穀潰しの者達、ポケモンの種族がどんなのだったか思い出せる?」
「えぇ、どんなのって云われても―― あっ」
一つ間を空けてから、タテトプスに見舞われた事件の概要を、あたしは可能な限り聞き取ろうと試みる。
最低でも犯行に携わった者の何たるかが分かれば、主にタイプ相性から対策を立てていく手掛かりを見つけられるからだ。
「集団で品物をひんだくってたな。かなり獰猛で… 統率も取られてたのか、奪ってった後は風みたいに去って行ったんだ。灰色の毛並みをした――」
「十中八九、ポチエナかグラエナと見て良さそうね。他は?」
「他? そう云えば、浮遊してるヤツ。確か手を四方にやりながら、あのゴロツキどもに何か手筈を合図してってた! 毛並みと云うか、体の色は薄緑のヤツだったっけな……」
メモを素早く取りつつ、あたしは暫く熟考に耽る。
タテトプスは、最初こそ聞いてきたあたしの身分を気にしていたが… 特段拘る事無く、情報を報せてくれている。
探険隊、救助隊。どちらにも属していないあたしではあるが、それでも協力して下さるのは大変ありがたい。
「ヤツらは此処から、東の荒地の方に引き揚げてったんだ。食い意地の張った、道理を弁えぬ連中めぇ……」
「ありがとう、その情報が聞けるだけでも十分に対策が取れるわ」
「おれは台車を守るのに夢中で、身を守る事しか出来なかった……。ちくしょう、情けねぇったらありゃしねぇ!」
おおよそ、聞き取れるのはこれで全ての模様。
ハイエナポケモンの他は、浮遊しているポケモンも目撃。体色の特徴からして鳥ポケモンのおおよそな仮説は否定される。
あくタイプに、エスパータイプも関わっている……?
(リグレー、も関わっているのか。持ってく道具にも、注意を払う必要がありそうね)
戦い方次第では、道具を投げていても弾かれ、跳ね返される懸念も無くは無い。
タイプごと、ポケモンの種族によっても防ぎ方が異なる点を知っている手前、あたしはこれまでの戦法を見直すに考えをシフトして行った。
「今回はとことん飲んでやる! マスター、御水を一杯おくれ!」
「……ごちそうさま。御代、置いておくね」
半ば自棄っぱちになりながら、カウンター席に着いて飲み水を注文するタテトプスに礼を述べたあたし。
リュックサックから財布を取り出し、自分たちの分の注文した額のポケを支払っていく。
「お、御大事に、ね―― ま、待ってよ、チナ! ねぇ!」
食べ終えて空になった食器とグラスを置いたままのテーブルから離れ、あたしの後を慌てて追いかけるジョッシュ。
その傍ら、タテトプスの彼には小声ながら、見舞いの言葉を短く伝えるに留めて。
「あ! チラーミィのねぇちゃん! まさかアイツらを倒しに……?」
タテトプスがカウンター席から振り向いて呼び止めようとするが、既にあたし達は店の外。
冷や汗を隠さずして、彼は開けられたままの扉の向こうをぼんやりと見つめていた。
∴
「話が良く見えないんだけど……。チナさん、さっきの…… カウンター前で倒れ掛かってたタテトプスさん、襲われてた被害者なの?」
「そう、真っ当な商売を邪魔されて途方に暮れてる当事者って訳。此処まで事情を聴いた手前、今更素知らぬふりなんて選択肢は考えてない」
カフェバーから出てそう遠くない距離、石路の上で立ち止まりながら。
あたしとジョッシュはこれまでの聞いていた情報を整頓する中、今後の行動にも視野を向けていく。
「ジョッシュくん、まずは。今の道具の整頓並びに必要な品の補充をしなければね」
「幾ら何でも無茶だよ、チナさん。さっきの傷からして何十匹のポケモンから…… ふ、袋叩きに近い攻撃を受けても、命辛々逃げ出せたって所なのに」
「――リグレーよ。記憶を操作するであろうチカラを持った者なら、もしかしたら。手掛かり握ってそうだと思うから」
「リグレーって、あのサイコパワーを用いるブレインポケモンの?」
多数に無勢、数を気にして行動指針の直結に懐疑的に考える彼。
あたしは、普段のポチエナ・グラエナ達の生態、群れを為して行動して行く特徴に反して協力者がいる旨に疑問を呈し――
その犯罪に関わり、扇動させるに至っている者こそ、傷んだ桃色の布切れの真意に多少なりとも知っているのではないか、と目星を付けていく。
先走りしやすいのは、既にあたし自身承知済みである。
「今すぐでも強盗してった奴等の所に飛び込みたい所だけど。市場で、タネの在庫を確認してかなくちゃ―― 備えあれば憂い無し、って云うもの」
「前者ならボクが止める所だよ? 一匹では質より量、押し戻されちゃう…… でも、チナさんにはそうまでして、チルトさんを」
タマゴの入った保管器のケースを両手で抱えたまま、真顔であたしに目線を向けるジョッシュ。
直情的になりがちなあたしに、立ち止まる様に促していくのも彼なりの配慮なのだろう。
此処まで来たのなら、情報を掴み取りたい焦りは一旦鎮静させ、あくまでも冷静に着手して行くべきだ。
覚悟なら、とっくに決めている。迷いなど、当に捨てている。
「ボクもヒトの事言えないけど…… 危なっかしくて放っておけないよ、チナ」
やがて、彼自身頭に手を当てるも一瞬、あたしの隣に立ちながらもジョッシュは小さく息を吐く。
止められないのならば、ボクも力添えをしていくだけ―― そう、彼の瞳には光が物語る。
「此処からは、ボクも共に戦うから。今決めたの。助けられた恩を返せないで、拳法使いを名乗れないからね!」
「……ありがとう、すまないわね」
この言葉には、あたしにとっては一筋の“あさのひざし”の様に、温かな光に思えた。
一匹、孤軍奮闘して行くよりも。二匹以上で背中合わせしながら戦い、難関を切り抜けていくのが少なからず良い。
御礼と謝りがごちゃ混ぜになるのをそのままに、あたしも、自身の手をジョッシュの手に伸ばして力強く握りしめた。
こうして、新たに旅の仲間として、あたしの目的に乗っかってくれる事となったジョッシュ。
現場に直行する前に、作戦の要となるタネ、ふしぎだまなどの道具新調・売却を主としたポケ工面の為、都市内の市場へと向かう事にしたのだった。
∴
「これで良しっと」
「いやぁ、持ってるポケと商品とを見比べながら、買い物に精を出してくアナタには脱帽するよ」
「道具一つとっても、大事なバトルの… これからを決める“カギ”になるかもしれない。一見丈夫そうなモノでも、欠けがあってはならないの」
この時間帯でも賑わいを広げる市場から、あたしは新規の見慣れぬタネを手に、ジョッシュは荷物バッグと保管器のケースを大事そうに抱えながら離脱。
物品の移送は少しだけとはいえ、目的の品が手に入った。準備万端である。
「それに、何か怖そうな見た目のタネまで一つ、買ってってたけど―― な、何なんだろう。夢に出て来そう」
「いざって時の十八番――“じゃあくなタネ”。まぁ、その出番が来ないのが何より良いだろうけど」
「うぅむ、そうなるとボクらも助かるんだけどねぇー……」
黒ずんだ禍々しい見た目のタネ。これでもきのみでは無いのだから、ポケモン達の鑑定眼には常々お世話になる。
ポケットにじゃあくなタネを仕舞い込むと、あたしとジョッシュは東の方に――タテトプスの巻き上げられた品物を強奪し、逃走するに至る無法者達の行く先にキッと眼光を向ける。
「ちょっとした御掃除序でに、盗まれた品を取り返してくよ」
もう一つの本来の目的も、並行して大きく果たしていくまで。あたしはこれからの戦いを前に、唾を飲み込むのだった。